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{{Otheruses|自動車}}
 
[[ファイル:Cadillac Emblem.jpg|thumb|250px|right|エンブレム]]
 
[[ファイル:GPA02-09 US SecretService press release 2009 Limousine Page 3 Image.jpg|thumb|250px|right|[[大統領専用車 (アメリカ合衆国)|キャデラック・プレジデンシャル・リムジン]](アメリカ大統領専用車仕様)]]
 
[[File:2014 Washington Auto Show (12141232626).jpg|thumb|250px|right|キャデラック・エスカレード]]
 
  
'''キャデラック'''({{lang-en-short|Cadillac}})は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の自動車メーカーである[[ゼネラルモーターズ|GM]]が展開している[[高級車]][[ブランド]]である。[[略語|略称]]はキャディ({{lang-en-short|Caddy}})。
 
  
== 概要 ==
+
'''キャデラック'''({{lang-en-short|Cadillac}})
[[ファイル:Cadillac CKS p1090310.jpg|thumb|220px|right|キャデラック・フリートウッド、[[中華民国]]の[[蒋介石]][[総統]]専用車([[1954年]]型)]]
 
[[イギリス]]の[[ロールス・ロイス]]や[[ドイツ]]の[[メルセデス・ベンツ]]、アメリカの[[リンカーン (自動車)|リンカーン]]などと並び、アメリカのみならず、世界を代表する高級車ブランドとして知られている。
 
  
また、[[アメリカ合衆国大統領|アメリカ大統領]]の[[大統領専用車 (アメリカ合衆国)|専用車]]として[[第一次世界大戦]]当時の[[ウッドロウ・ウィルソン]]から、現在の[[ドナルド・トランプ]]に至るまで、長年に亘りライバルの[[パッカード]](現在は消滅)やリンカーンとともに使用されている他、多数の国で王侯[[貴族]]や政府[[指導者]]の専用車として採用され、富裕層にも愛好されている。
+
[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の自動車メーカーである[[ゼネラルモーターズ|GM]]が展開している[[高級車]][[ブランド]]。
 
 
キャデラックは長らくアメリカ本国市場がメインであり、一般ユーザー向けの販売に関しては、正規の輸出が事実上隣国の[[カナダ]]と[[日本]]や[[中華民国]]、[[フィリピン]]などの一部の[[東アジア]]諸国と、[[サウジアラビア]]や[[クウェート]]、[[アラブ首長国連邦]]などの親米的な[[中近東|中東諸国]]のみだったが、[[1990年代]]後半から[[ヨーロッパ]]諸国への本格的進出を試みるようになった。なお、それまでも多くの車種が[[イギリス]]や[[フランス]]、[[ドイツ]]などへ並行輸入されている。
 
 
 
また、同時期に日本やイギリス向けに[[対面交通|右ハンドル]]仕様車([[キャデラック・セヴィル|セヴィル]])を投入し、話題となった。[[2000年代]]には[[中華人民共和国]]や[[ロシア]]などの経済成長が著しい新興諸国にも進出。[[2007年]]には日本やイギリスと同じく右ハンドル・左側通行の[[南アフリカ共和国]]にも進出している。
 
 
 
== 歴史 ==
 
=== 設立 ===
 
[[ファイル:1903-cadillac-archives.jpg|thumb|220px|right|モデルA(1903年)]]
 
[[ファイル:Cadillac 1906.jpg|thumb|220px|right|モデルM(1906年)]]
 
[[ファイル:Cadillac 57 V8 Town Car 1917.jpg|thumb|220px|right|57V8(1917年)]]
 
[[1899年]]に[[ヘンリー・フォード]]を擁して[[ヘンリー・フォード・カンパニー]]が設立されたが、フォードは経営陣との対立で会社を去り、[[1902年]]、機械メーカーの工場長であった[[ヘンリー・リーランド|ヘンリー・マーティン・リーランド]]が請われて後任となった。
 
 
 
[[デトロイト]]を開拓したフランス貴族アントワーヌ・ロメ・ドゥ・ラ・モト・スィゥール・ドゥ・カディヤック ([[:w:Antoine Laumet de La Mothe, sieur de Cadillac|Antoine Laumet de La Mothe, sieur de Cadillac]]) に因んで社名とブランドを「'''キャデラック'''」に変更し、[[1902年]]10月に一号車を完成し、[[1903年]]から自動車の本格生産を開始した。
 
<gallery>
 
 
 
File:Cadillac 6.5 HP Tonneau 1903 07-11-2010 13-54-25.JPG| Cadillac 6 1/2HP [[Tonneau]] 1903
 
File:Cadillac 8.25 HP Surrey 1904 03-11-2013 09-13-28.jpg| Cadillac 8 1/4HP [[Surrey]] 1904
 
File:Cadillac 10HP Tonneau 1904 03-11-2013 08-32-24.jpg| Cadillac 10HP [[Tonneau]] 1904
 
File:Cadillac 1904 6.5 HP Rear-entrance tonneau on London to Brighton VCR 2010.jpg| Cadillac 6 1/2HP [[Rear-entrance]][[tonneau]] 1904
 
File:Cadillac 1904 8.25 HP Detachable-Top Limousine on London to Brighton VCR 2010 15-39-05.jpg| Cadillac 8 1/4HP [[Detachable-top]][[limousine]] 1904
 
File:Cadillac 8.25 HP Tonneau 1904 07-11-2010 14-17-57.JPG| Cadillac 8 1/4HP [[Tonneau]] 1904
 
File:Cadillac 8.25 HP Tonneau 1904 07-11-2010 14-52-04.jpg| Cadillac 8 1/4HP [[Tonneau]] 1904
 
File:Cadillac 1904 8.25 HP tonneau on London to Brighton VCR 2010.jpg| Cadillac 8 1/2HP [[Tonneau]] 1904
 
File:Cadillac 1904 Rear Entrance Tonneau on London to Brighton 2010.jpg|  Cadillac 10HP [[Tonneau 1904]]
 
File:Cadillac 9HP Limousine 07-11-2010 15-52-37.JPG| Cadillac 9HP [[Limousine]]
 
 
 
 
 
</gallery>
 
 
 
=== 高品質 ===
 
リーランドは精密加工技術の権威であり、その指導のもとに作られたキャデラックは高品質であるだけでなく、黎明期に手作りで作られていた自動車の欠点であった部品互換性の悪さを最初に克服した自動車の一つとなった。[[1908年]]には、[[イギリス]]の[[王立自動車クラブ]]([[:w:Royal Automobile Club|RAC]])による部品互換性テストに合格して、RACから「デュワー・トロフィー」を受賞している。
 
 
 
[[1909年]]には[[ゼネラルモーターズ]](GM)の設立者である[[ウィリアム・C・デュラント]]の求めに応じてGMグループ入りし、以後はGMの最高級レンジを担うモデルとして生産されている。
 
 
 
=== リーランドの離別 ===
 
リーランドは[[第一次世界大戦]]中に[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍を応援するための軍需品製作をしないGMに愛想を尽かし、[[:w:Liberty L-12|リバティエンジン]]を製作するために自身で[[リンカーン (自動車)|リンカーン]]社を設立した。
 
 
 
この会社は第一次大戦後高級車を製作したが、すでに大衆車の時代であり[[フォード・モーター]]に破格の値段で買収され、フォードの経営の元で安定を得、ブランドとしてキャデラックのライバルとなった。
 
 
 
=== 先進技術の採用 ===
 
キャデラックの特徴として、古くより、先進技術を積極的に取り入れたことが挙げられる。特に、世界初の実用的な[[セルモーター|セルフスターター]]の搭載([[1912年]])は初期における顕著な功績である。
 
 
 
これ以降にも、世界初の量産[[V型8気筒]]エンジンや[[V型16気筒]]エンジン、[[シンクロ]]メッシュ・[[ギアボックス]]、[[ダブルウィッシュボーン式サスペンション|ダブルウィッシュボーン式]]前輪[[独立懸架]]の実用化、[[パワーステアリング]]、[[前照灯|ヘッドランプ]]の自動調光システム、[[エア・コンディショナー]]の搭載など、近代の乗用車の技術革新に大いに貢献し、これらの新技術はのちに[[ヨーロッパ]]や[[日本]]をはじめとする世界各国の自動車会社が模倣するようになった。なお、キャデラックは世界で唯一「デュワー・トロフィー」を2回受賞した会社となった。
 
 
 
=== 高級車の代名詞 ===
 
[[ファイル:Cadillac.Mod314.sedan.1.wmt.jpg|thumb|220px|right|モデル314(1926年)]]
 
[[ファイル:Cadillac Series 452-A V-16 Convertible Coupe 1931 2.jpg|thumb|220px|right|V16ロードスター(1931年)]]
 
[[ファイル:LaSalle 1938 Series 38-5027 Coupe.jpg|thumb|220px|right|ラ・サール・38クーペ(1938年)]]
 
[[ファイル:1940 Cadillac Series 75 profile.jpg|thumb|220px|right|75セダン(1940年)]]
 
 
 
これらの世界の最先端を行く先進技術の導入により、世界各国で高いブランドイメージを確立した[[1920年代]]から[[1930年代]]にかけては、歴代のアメリカ大統領や各国の[[王]][[侯爵|侯]][[貴族]]から、[[ベーブ・ルース]]や[[ジョー・ルイス]]などの[[スポーツ]]選手、更に[[アル・カポネ]]のような[[マフィア]]までが愛用し、ヨーロッパのロールス・ロイスや[[イスパノ・スイザ]]、アメリカの[[デューセンバーグ]]やパッカードなどと並び、高級車の代名詞的存在となった<ref>1929年に作詞作曲された"[[:en:Gee, Baby, Ain't I Good to You|Gee, Baby, Ain't I Good to You]]"は後年まで[[ジャズ]][[スタンダードナンバー|スタンダード]]として長く歌われている曲であるが、アンディ・ラザフ([[:en:Andy Razaf]])作詞の歌詞中では、男が女性を口説き落とそうと並べ立てる豪勢なプレゼントとして「[[毛皮]]の[[コート]]」「[[ダイヤモンド|ダイヤ]]の[[指輪]]」と共に「でっかいキャデラック車」が挙げられている。当時すでに流行歌の歌詞に入るほどにキャデラックが「高級品」として世間に認知されていたことがわかる。</ref>。
 
 
 
これらの裕福なオーナーの多くは、V型16気筒エンジンを搭載した[[シャシ (自動車)|シャシ]]にそれぞれのお気に入りの[[コーチビルダー|コーチワーカー]]でボディを架装し、同時に上記のような最新技術を[[オプション]]で装備させ、自らの好みの1台に仕上げた上に[[コンクール]]・デレガンスに出品し、その豪華さを競い合った。
 
 
 
=== 「ラ・サール」 ===
 
[[1928年]]からは兄弟ブランドである「ラ・サール」を設立し、年々豪華さを増してゆくキャデラックより内外装の装飾を簡略化した廉価なモデルを発売することで、新たなユーザー層の獲得を狙った。
 
 
 
当初より販売は好調で、ラインナップを増やしていったものの、[[ビュイック]]や[[オールズモビル]]などの、GMグループ内の他の中位ブランドとの競合などの理由から[[1940年]]に廃止された。
 
 
 
=== 大恐慌 ===
 
[[1930年]]には世界初の[[乗用車]]向けV型16気筒エンジンを発売し、ラインナップを拡充したものの、前年に起きた[[世界大恐慌]]により[[1930年代]]前半の販売台数は、他の自動車会社とともに低迷を続けることとなった。
 
 
 
しかしその後、[[フランクリン・ルーズベルト]]政権による[[ニューディール政策]]の導入などにより、アメリカ国内の経済が回復してきた1930年代後半にはその販売台数は回復し、流麗な大型ボディに[[V型8気筒]]や[[V型12気筒]]の大[[排気量]]エンジンを搭載した高級車を作り続けた。
 
 
 
=== 第二次世界大戦 ===
 
好調な販売を続けるかに思えたものの、[[1939年]]9月の[[第二次世界大戦]]開戦と[[1941年]]12月のアメリカの第二次世界大戦への参戦により、アメリカが戦時体制下に入ったことを受けて新モデルの開発は凍結されることとなった。さらに戦時体制下で燃料の配給制が導入されたことを受けて、燃費に難があるV型16気筒エンジンも廃止されることとなった。
 
 
 
なお、第二次世界大戦中においても、アメリカ政府の上層部をはじめ、[[ドワイト・D・アイゼンハワー]]や[[ダグラス・マッカーサー]]などのアメリカ軍の指導部もキャデラックを利用していたこともあり、モデルチェンジを行わないまま少数の生産が続けられた。
 
 
 
=== 戦後型 ===
 
[[ファイル:Cadillac 1948.jpg|thumb|220px|right|シリーズ59(1948年)]]
 
[[1945年]]8月の第二次世界大戦の終戦後暫くは、戦前型のマイナーチェンジモデルを作り続けることとなったが、初の本格的な戦後型として終戦直前より1から開発された[[1948年]]型は、当時のGMのデザイン担当副社長のハーリー・アールの薫陶を受けたフランクリン・Q・ハーシェーによって、自動車業界初の曲面ガラスとピラーレス[[ハードトップ]]、そして[[P-38 (航空機)|ロッキードP-38]][[戦闘機]]をモチーフにし、その後世界的に流行した[[テールフィン]]を備えた先進的なデザインを施され、大きな反響を呼んだ。
 
 
 
なおこの頃より、当時のGMの[[会長]]である[[アルフレッド・スローン]]によって発案され[[1949年]]から開始された、GMが自社の[[コンセプトカー]]をアメリカ国内にくまなく展示するために開催した巡回式[[モーターショー]]である「モトラマ」向けに開発したコンセプトカーのデザインを取り入れることが多くなった。
 
 
 
また、好景気による販売台数の増加や新技術の進展を受けて、「イヤーモデル」というかたちで、「モトラマ」で発表された新デザインのモチーフを取り入れた意匠変更や、新技術の導入を行った[[モデルチェンジ (自動車)|モデルチェンジ]]をほぼ毎年行うようになった。
 
 
 
=== 絶頂期 ===
 
[[ファイル:Cadillac De Ville 1957 2.jpg|thumb|220px|right|デビル(1957年)]]
 
[[ファイル:Cadillac Convertible 1959 2.jpg|thumb|220px|right|シリーズ59(1959年)]]
 
[[ファイル:1966 Cadillac Eldorado Convertible.JPG|thumb|220px|right|エルドラド(1966年)]]
 
さらに[[1950年代]]に入ると、クローム[[めっき|メッキ]]を多用した「ダグマー・バンパー」と呼ばれる[[バンパー]]一体型の[[フロントグリル]]やデュアルヘッドランプ、更に巨大化したテールフィンなどの豪奢なエクステリア・デザインと、[[空気バネ|エア・サスペンション]]、[[パワーステアリング]]、ボタン選択式[[オートマチックトランスミッション]]、自動調光ヘッドランプなどの当時の最新技術を備えた新型モデルを、矢継ぎ早に市場に投入した。
 
 
 
特にボブ・シールクとデービッド・R・ホールズが[[ジェットエンジン|ジェット]][[戦闘機]]と[[ロケット]]をイメージして[[インダストリアルデザイン|スタイリング]]した、6メートル近い全長に巨大なテールフィンとデュアルヘッドランプ、クロームメッキとホワイトウォールタイヤを備えた[[1959年]]型は、好景気に沸く[[1950年代]]のアメリカのアイコンの1つとなった。
 
 
 
ハーリー・アールの後を継いでビル・ミッチェルがデザイン担当副社長となった直後の[[1960年]]型からは、これまでとは打って変わって巨大なテールフィンや過剰なクロームメッキは姿を消したものの(巨大なテールフィンについては、消費者[[団体]]などからの批判があったことから、[[1960年代]]前半には他のブランドでも一斉に姿を消した)、[[イタリア]]の[[カロッツェリア]]である[[ピニンファリーナ]]とのコラボレーションにより様々なショーモデルを発表し続け、そのデザインを市販車にも流用した。
 
 
 
特に1960年に就任した[[ジョン・F・ケネディ]]大統領の[[アメリカ合衆国のファーストレディ|ファーストレディ]]で、当時その優雅なファッションが世界各国から注目を集めていた[[ジャクリーン・ケネディ・オナシス|ジャクリーン]]からインスピレーションを受け、イタリアのピニンファリーナがスタイリングし、[[1961年]]の[[パリ]]・モーターショーで公開された「ブロアム・ジャクリーン」のデザインモチーフは、1960年代のキャデラックに数多く流用された。
 
 
 
その後もキャデラックの優雅なスタイルと最新技術は世界各国の高級車に大きな影響を与え続け、[[1970年代]]前半にかけては販売台数が増え続けただけでなく(なお、[[1973年]]には過去最高の販売台数を記録した)、その名声も絶頂期を迎え、[[エルビス・プレスリー]]や[[リベラーチェ]]、[[ジョー・ディマジオ]]や[[宋美齢]]、[[アーガー・ハーン4世]]や[[力道山]]などの世界中の[[大富豪]]や[[セレブリティ]]、[[スーパースター]]らが愛用し、併せて多くの[[ハリウッド映画]]にも登場したことで、アメリカ文化を象徴する[[アイコン]]となった。
 
 
 
=== 「セビル」 ===
 
[[File:Cadillac Seville (14401270109).jpg|thumb|220px|right|セビル(1975年)]]
 
[[File:1980 Cadillac Seville.jpg|thumb|220px|right|セビル(1980年)]]
 
[[1970年代]]前半に巻き起こった[[オイルショック]]の影響を受け、アメリカ市場でも要求された[[ダウンサイジング]]化と低燃費指向に対応すると同時に、アメリカ製高級車に比べてサイズが小さく、燃費に優れた(その上価格が高かった)メルセデス・ベンツの[[メルセデス・ベンツ・Eクラス|「コンパクト・クラス」(現Eクラス)]]や[[メルセデス・ベンツ・Sクラス|Sクラス]]、[[BMW]]の[[BMW・5シリーズ|5シリーズ]]や[[BMW・7シリーズ|7シリーズ]]などのヨーロッパ製の高級車への対抗車種として、[[1975年]]に「[[キャデラック・セビル|セビル]]」を発売した。
 
 
 
セビルは全長が5メートル強とサイズこそ小さくなったものの、内外装のスタイルはこれまでのキャデラックのものを踏襲し、優雅さを残していた。また装備面でも、キャデラックとして初の電子制御式[[燃料噴射装置]]を標準装備し、低燃費指向にも対応した設計であった。当時のキャデラックとしては最も価格が高かった([[リムジン]]を除く)にもかかわらずヒットし、さらに[[1978年]]には、2トーンカラーや高級な革素材のシートなどを奢った上級バージョンの「セビル・エレガンテ」を追加した他、[[1979年]]にはイタリアの高級[[ファッション]][[ブランド]]である「[[グッチ]]」バージョンを販売するなど、キャデラックの看板車種の1つとなった。
 
 
 
[[1980年]]には、[[1930年代]]の[[ダイムラー]]やロールス・ロイスを彷彿とさせるリアスタイルを持ち、[[前輪駆動]]化した他、[[シリンダー]]・カットオフ機構などの省燃費機能を導入した2代目に進化した。
 
 
 
2代目は、キャデラックとして初の[[ディーゼルエンジン]]やトリップ・コンピューターなど数々の新機構を導入したことも、市場に好感を持って受け止められ、引き続き好調な販売を維持し続けた。
 
 
 
=== 「シマロン」 ===
 
[[ファイル:1981 cimarron 1.jpg|thumb|220px|right|シマロン(1982年)]]
 
さらに[[1982年]]には、高価格セグメントへの参入を狙っていた日本車や小型ヨーロッパ車との競合やキャデラックのオーナー層の高齢化への対処、さらにアメリカ政府により各自動車メーカーに課された「CAFE(Corporate Average Fuel Economy=自動車会社ごとの平均燃費規制)」に対処するために、創業当初の[[1914年]]以来、67年ぶりの[[直列4気筒]]エンジンを搭載した上、[[ディーゼルエンジン]]を用意した。さらに[[シボレー・キャバリエ]]や[[ポンティアック]]・サンバード、ビュイック・スカイホークや[[いすゞ・アスカ]]などの他のGMの量販小型車で使用していた[[前輪駆動]]の「Jプラットフォーム」を流用した小型キャディラックである「[[キャデラック・シマロン|シマロン]]」を導入した(導入当初は「シマロン・バイ・キャデラック」と称し、正式なキャデラックブランドとしては扱わなかった)。
 
 
 
シマロンはアメリカ市場の低燃費指向に対応した新世代の小型キャデラックとして、当時のアメリカにおける日本車の最上級車種である[[トヨタ・マークII|トヨタ・クレシーダ]]や[[日産・マキシマ]]、さらに[[メルセデス・ベンツ・190E]]や[[BMW 3シリーズ]]、[[アウディ・80|アウディ4000]]などの上級小型ヨーロッパ車を主なターゲットとし、約12,000ドルとヨーロッパのライバル社に比べ廉価に設定しつつ、パワーステアリングやエアコンを標準装備し、さらに本革シートや自動調光ヘッドライトをオプション設定するなど、他の「Jプラットフォーム」のGMの小型車に比べ装備を充実することで差別化を演出していた。
 
 
 
しかし、部品共通化にこだわるあまり、キャバリエやスカイホーク、[[オールズモビル]]・フィレンザなどの他のGM車との差別化に失敗し、初年度から販売は低迷した。[[1983年]]には内外装を大幅に充実させ、さらに「キャデラック・シマロン」と改名し、[[1985年]]にはV6エンジンを追加導入した他、フロントグリルのデザインをほぼ毎年のように変えたにもかかわらず、基本的なデザインが変わらなかったこともあり販売的には大失敗に終わり、[[1988年]]には姿を消すこととなった。
 
 
 
===ダウンサイジングとFF化の進行===
 
[[File:1983 Cadillac Fleetwood (12881882715).jpg|thumb|right|フリートウッド・ブロアム(1982年)]]
 
[[File:Cadillac-Sedan-de-Ville.jpg|thumb|right|デビル(1985年)]]
 
セビルの成功とアメリカ市場における省燃費志向を受け、フリートウッド・ブロアムやエルドラド、デビル(当時の日本名フリートウッド・エレガンス)などの他の主力モデルも、相次いでダウンサイズおよびエンジンの小[[排気量]]化を進めることとなり、フルサイズのデビルは[[1985年]]に前輪駆動化を伴う大幅なダウンサイズを行う。
 
 
 
フリートウッドも1985年にFF化され、大幅なダウンサイズを行うとともにフレームボディからモノコックボディに変更されている(『80年代輸入車のすべて』三栄書房・55頁参照)。1986年もダウンサイズ前のものが在庫販売され、1987年からダウンサイズ前のフリートウッドは「[[ブロアム]]」に改名し販売された。
 
 
 
フリートウッド・ブロアムは[[1989年]]に同じくダウンサイズを行ったが、ダウンサイズ前のフリートウッド・ブロアムはフリートウッド同様ブロアムを後継にし続行生産された。さらに1980年の2代目セヴィルの登場と同時に、これまでは[[フルサイズ]]であったエルドラドはセビルとほぼ同じサイズにダウンサイズし、セビルの2ドアモデル的性格が与えられた。また、コンバーチブル人気の再燃を受けて久しぶりにコンバーチブルモデルが用意されることとなった。なお、セヴィルとエルドラドの関係は、[[1986年]]に登場した3代目セヴィルにおいても同様であった。
 
 
 
=== 「アランテ」 ===
 
[[File:Nick's IMG 1025.JPG|220px|thumb|right|アランテ(1987年)]]
 
[[1987年]]には、アメリカ市場において高い人気を誇っていたメルセデス・ベンツSLクラスや[[ジャガー・XJS]]などのヨーロッパ製高級[[クーペ]]及び[[オープンカー|コンバーチブル]]の顧客を狙った、2人乗りコンバーチブルの「[[キャデラック・アランテ|アランテ]]」を導入した。[[イタリア]]の[[ピニンファリーナ]]がデザインしたボディと、内外装の高品質な作りは好感を持って受け入れられた。また、翌年の「[[インディ500]]」のペースカーに採用されるなど、大規模なプロモーションも行った。
 
 
 
生産工程において、[[アリタリア航空]]の[[ボーイング747#747-200F型|ボーイング747-200F]]の専用[[貨物機]]で半完成状態のボディをイタリアのピニンファリーナの工場に送り、内外装を仕立てた上でアメリカに送り返しエンジンとトランスミッションを備え付けるという[[工程]]を採用。この生産方式は「世界一長い[[ライン生産|生産ライン]]」と例えられた。そのため価格はエルドラドの約2倍の54,700ドルという、当時のキャデラックのラインナップで最高価格となったこともあり販売は伸びなかった。
 
 
 
[[1989年]]には4,500 ccのエンジンに切り替え、翌年にはトラクションコントロールを装備。さらに[[1993年]]には最新鋭の「ノーススター」4,600 ccエンジンを搭載し、ヨーロッパのライバル車種と同様の動力性能を獲得するなど、度重なるマイナーチェンジを行ったものの、売上は向上しないまま1993年に生産中止となり、後継車種は設定されなかった。
 
 
 
=== 迷走 ===
 
[[ファイル:1989-93 Cadillac DeVille.jpg|thumb|220px|right|デビル(1989年)]]
 
[[ファイル:93-96 Cadillac Fleetwood.jpg|thumb|220px|right|フリートウッド(1993年)]]
 
アランテの導入に先んじて1986年に導入された3代目セビルと、セビルと同時にモデルチェンジを行ったエルドラド、そしてデビルやフリートウッドなどの殆どの主力車種に対して更なるダウンサイズを進めるとともに、[[ビュイック]]・ルセーバーや[[オールズモビル]]・98リージェンシーなどの他ブランドの前輪駆動の量販大型車とプラットフォームをはじめとする大幅な部品共通化を行った。また同時に、法人需要やリムジンへの換装向けに多く使用されるフリートウッドブロアムやブロアムなどの一部車種を除く殆どの主力車種が前輪駆動化された(1990年代に後輪駆動に戻されたモデルもある)。
 
 
 
キャデラックは1940年代よりビュイックやオールズモビルの上級車種との部品共通化は行ってはいたものの、シマロン以降の行き過ぎた部品共通化と、前輪駆動モデルにおける急速なダウンサイジングは他のGMブランドとの間の差別化の失敗を招いたばかりでなく、同時に行ったコスト削減と急激な電子部品の多用は品質低化と故障の増加を招くこととなり、結果的にブランドイメージが下落した。
 
 
 
さらに[[1980年代]]後半に入ると、これまでの競合相手であったリンカーンやヨーロッパの高級ブランドのみならず、[[ホンダ]]の上級ブランドである「[[アキュラ]]」や[[日産自動車]]の「[[インフィニティ (日産自動車)|インフィニティ]]」、[[トヨタ]]の「[[レクサス]]」などの上級移行してきた[[日本車]]との直接競合にもアメリカを含む各国の市場でさらされるようになる。さらに、ブランドイメージの低下に合わせて、アメリカ市場における顧客の平均年齢が「65歳から老衰死者まで」と言われるほどに上昇することとなった。
 
 
 
=== 復活 ===
 
[[ファイル:5th Cadillac Seville.jpg|thumb|220px|right|5代目セヴィル(1998年)]]
 
[[File:1st-Cadillac-Escalade.jpg|thumb|220px|right|エスカレード(1999年)]]
 
[[File:Cadillac auf der IAA 2005.jpg|thumb|220px|right|SRX(手前)とSTS(2005年)]]
 
この様な状況を受けて、[[1988年]]に「シマロン」を廃止したほか、[[1997年]]には[[オペル・オメガ]]のバッジエンジニアリングモデルである小型モデル「カテラ」を投入した。
 
 
 
さらに[[1998年]]には、[[日本]]や[[ヨーロッパ]]の高価格車をターゲットにし、高出力エンジンと高品質な内装を備えた5代目セビルの導入を行い、その後顧客単価の上昇と顧客の平均年齢の低下をターゲットにしたブランド全体の刷新と再構築を開始した。なおセビルは日本とイギリス市場での拡販を狙い、右ハンドルモデルも用意された。
 
 
 
これ以降、[[1999年]]にキャデラック初の[[スポーツ・ユーティリティ・ビークル|SUV]]となる「[[エスカレード]]」を導入し、専用設計となった2代目以降はアメリカをはじめとする世界各国の市場で大きなヒットとなったほか、[[ル・マン24時間レース]]への参戦などの積極的な[[マーケティング]]戦略を行い、アメリカ国内のみならず、多くの主要市場において高級車としての人気を復活させた。
 
 
 
===ブランド再構築===
 
なお、ブランド再構築の一環として、それまで「カテラ」や「セビル」、「デビル」などと名付けていた各車種の呼称を、[[2003年]]の「カテラ」の後継車種の「CTS('''C'''atera '''T'''ouring '''S'''edan)」の導入を皮切りに、[[2005年]]に「セビル」を「STS」に、[[2006年]]に「デビル」を「DTS」にするなど、[[ラテン文字]]の[[アルファベット]]([[ローマ字]])を組み合わせたものに変更した。
 
 
 
「CTS」からは「アート&サイエンス」と称するモダンなスタイリングに統一することで若い世代を呼び戻すだけでなく、「シグマ・アーキテクチャ」と呼ばれる新設計のプラットフォームを生かし、さらに[[ニュルブルクリンク]][[サーキット]]でのテスト走行を繰り返し開発されたスポーツモデル「CTS-V」を投入し、同時にモータースポーツに参戦するなど、「[[BMW・5シリーズ|BMW・M5]]」や「AMG・E55」に代表される高級スポーツセダンの購買層もターゲットに加えた。
 
 
 
[[2004年]]に、かつての「アランテ」を彷彿とさせる2ドアカブリオレのフラッグシップモデルとなる「[[キャデラック・XLR|XLR]]」と、新型中型[[SUV]]の「SRX」を導入するなどラインナップを拡大する傍ら、[[イタリア]]の宝石商、「[[ブルガリ]]」とのタイアップを開始し更なるブランドイメージの向上を行った。
 
 
 
また[[2005年]]のフランクフルト・モーターショーで発表された、「シマロン」以来初の小型モデルである「[[キャデラック・BLS|BLS]]」を皮切りにヨーロッパ市場への本格導入を開始した。
 
 
 
=== 現在 ===
 
[[File:Cadillac CT6 04 2015.jpg|thumb|220px|right|CT6(2016年)]]
 
[[2007年]]以降の[[世界金融危機]]を受けたゼネラルモーターズの経営悪化を受けて、[[ポンティアック]]や[[サターン (自動車)|サターン]]、[[ハマー (自動車)|ハマー]]などのブランドは売却、もしくは閉鎖されることになったが、キャデラックは高いブランド価値と安定した販売実績から、[[シボレー]]や[[ビュイック]]らとともに、ゼネラルモーターズの基幹ブランド、そして最高級ブランドとして引き続きゼネラルモーターズに残ると発表された。
 
 
 
[[2010年代]]に入り世界的に経済が回復する中、最小モデルの「[[キャデラック・ATS|ATS]]」や人気が高いSUVの「SRX」や「エスカレード」の新型モデルの投入を行い販売のテコ入れを行った。またロシアや中華人民共和国など高級車需要が伸びている地域へこれらの車種を投入することで一定の成功をおさめている。また、グローバル戦略の一環として新しい車名命名方式を定め、セダンやクーペには「CT」が、SUVには「XT」が車名としてつき、その後ろに車格を表す数字をつける方式となった(例:CT6やXT5)。
 
 
 
== 日本における歴史 ==
 
[[1910年代]]より[[ヤナセ]]により日本への輸入が開始された。当初より[[皇族]]や[[華族]]、[[政治家]]に愛好され、日米関係が悪化した[[1930年代]]の後半に至っても輸入が継続されたものの、[[1940年]]に、[[日中戦争]]の影響を受けて個人利用のための自動車の輸入が禁止されたため輸入は中断された。
 
 
 
しかし[[1941年]]12月の[[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])の開戦後は、当時アメリカの[[植民地]]であった[[フィリピン]]やイギリスの植民地の[[シンガポール]]、[[中華民国]]の[[上海]]などで使用されていた多数のキャデラックが鹵獲、接収され、現地の軍関係者などの間で使用されたほか、日本国内にも持ち込まれたといわれている。
 
 
 
[[ファイル:Cadillac Limousine 1950.jpg|thumb|220px|right|御料車として使用された75リムジンの同型車(1950年)]]
 
第二次世界大戦後は、[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ)の最高司令官[[ダグラス・マッカーサー]]の専用車として全国の一般市民にまでその名が知られることになり、その後も多くの[[ハリウッド]][[映画]]で「アメリカの富の象徴」として露出されたことから、日本でも庶民の憧れの高級車となった。
 
 
 
また、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]の占領下の[[1950年]]には、それまで長年使用されていた[[メルセデス・ベンツ]]に代えて[[御料車]]として導入され、[[1960年代]]にかけて使用された他、[[力道山]]や[[石原裕次郎]]などのスポーツ界や映画スター、更に[[児玉誉士夫]]などの[[実業家]]が愛用したことでも知られる。
 
 
 
大型の車体とその高級感からプロレス関係者にも縁が深い。日本プロレスの祖である力道山が多用しただけでなく、その弟子の[[アントニオ猪木]]も[[1972年]]に[[新日本プロレスリング]]を旗揚げした頃にキャデラック・エルドラドを自らの専用車として使用し、[[蔵前国技館]]など[[東京都]]内の大会場で試合を行う際にはキャデラック・エルドラドで会場入りしていた時期がある<ref>同じく力道山の弟子であり、猪木の片腕ともいえる[[山本小鉄]]も長年愛用し続けていた。</ref>。
 
 
 
対して[[ジャイアント馬場]]は、[[全日本プロレス]]旗揚げ当時からその生涯を終えるまで1967年式の白のキャデラックを送迎車に使用し続けた。これは、その巨体を窮屈に押し込めて国産車に乗る馬場を見かねて盟友である[[ブルーノ・サンマルチノ]]がプレゼントし、馬場がその心意気に感動した経緯によるもの。さらに馬場の弟子である[[三沢光晴]]も[[プロレスリング・ノア]]のマット上で最期を迎える時まで愛車の1台としてキャデラックを利用していた<ref>ただし、馬場と違い車が趣味の三沢は、他に[[BMW]]等の[[輸入車]]も所有していた。また[[自動車検査登録制度|車検]]のたび買い換えていた。</ref>。さらに[[山口組]]三代目組長の[[田岡一雄]]も黒のキャデラックを愛用していた。
 
 
 
高級[[ハイヤー]]としても使用され、[[1954年]]から[[1961年]]にかけて、日本空港リムジン交通(現:[[東京空港交通]])では、数台のキャデラック・リムジン75及びセダン60シリーズを運行していた<ref>同社では他に[[クライスラー・インペリアル]]・リムジンも運行していた</ref>
 
 
 
その後もGMの輸入権を持つヤナセにより、GMの最高級車種として多数のキャデラックが輸入、販売されたものの、ヤナセは[[2002年]]末に輸入権を[[サーブ]]と共に[[ゼネラルモーターズ・ジャパン|日本ゼネラルモーターズ]]に譲渡し、これによりヤナセはGMの自動車輸入事業から事実上撤退したが、その後も国内最大のディーラーとして販売を続けている。
 
 
 
一方、シボレーブランド車を正規輸入していた[[三井物産|三井物産オートモーティブ]]が[[エスカレード|キャデラック・エスカレード]](2代目)を扱っていたが、GM車正規輸入権の返上により三井物産オートモーティブでの販売は終了。その後エスカレードはゼネラルモーターズ・ジャパンの手によって引き続き正規輸入が行われている。
 
 
 
== アメリカ大統領専用車 ==
 
=== 最多採用車種 ===
 
[[ファイル:Reagan limo.jpg|thumb|220px|right|レーガン大統領専用車のフリートウッド・ブローアム・リムジン(1983年)]]
 
[[大統領専用車 (アメリカ合衆国)|アメリカ大統領の専用車]]として、[[ウッドロウ・ウィルソン]]が第一次世界大戦の戦勝記念パレードでキャデラックのオープンカーを使いボストンまでパレードして以降、[[カルビン・クーリッジ]]や[[フランクリン・D・ルーズベルト]]などが使用した他、第二次世界大戦後も[[ハリー・S・トルーマン]]や[[ドワイト・D・アイゼンハワー]]、[[ロナルド・レーガン]]や[[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ]]、そして[[2009年]]に就任した[[バラク・オバマ]]に至るまで、長年に亘りライバルのパッカードやリンカーンとともに大統領専用車として使用されており、最も多く大統領専用車に採用されたブランドとなっている。
 
 
 
なおブッシュ前大統領は、[[2001年]][[1月20日]]の自らの就任パレードに合わせて納入されたドゥビル・リムジンの対地雷、防弾装甲が施された特装車を大統領専用車として使用し、[[2005年]]の2期目就任時には新たにDTS・リムジンが大統領専用車として納入され、[[2009年]]1月20日に任期が終了するまでの間使用した。
 
 
 
=== 現在 ===
 
[[ファイル:GPA02-09 US Secret Service press release 2009 Limousine Page 2 Image.jpg|thumb|220px|right|オバマ大統領専用車のDTS・リムジン(2009年)]]
 
2009年1月14日には、1月20日に就任するオバマ大統領専用車としてDTS・リムジンの新型特装車が一般公開された。この新しいDTS・リムジンは、前任者のブッシュ前大統領専用車のDTS・リムジンと比べ装甲がさらに強化された他、最新の通信機器が装備されたが、これらの装備で車重が増したために最高速度は時速100キロ程度であると発表されている。この車のシャシーには[[GMC・トップキック]]のものが使用されており、[[いすゞ自動車]]製[[ディーゼルエンジン]]を搭載している。
 
 
 
車内には輸血用血液と輸血装置が装備されているほか、フロントノーズの国旗と大統領紋章旗を夜間に[[LED]]でライトアップする新機能が追加されている。
 
 
 
なお、かつては大統領就任パレード用のオープンカーも併せて用意されていたが、[[テロリスト]]の対戦車砲などの重火器による襲撃を防ぐことが困難なため、現在は用意されていない。
 
 
 
{{-}}
 
 
 
== 現行モデル ==
 
[[File:2015-03-03 Geneva Motor Show 5824.JPG|thumb|220px|right|ATS-V]]
 
 
 
=== セダン/サルーン ===
 
* [[キャデラック・ATS|ATS]]
 
** ATS-V
 
* [[キャデラック・CTS|CTS]]
 
** CTS-V
 
* [[キャデラック・XTS|XTS]]
 
* [[キャデラック・CT6|CT6]]
 
 
 
=== クーペ ===
 
* [[キャデラック・ATS|ATSクーペ]]
 
** ATS-Vクーペ
 
 
 
=== SUV/クロスオーバーSUV ===
 
* [[キャデラック・エスカレード|エスカレード]]
 
** エスカレードESV
 
* [[キャデラック・XT5|XT5 クロスオーバー]]
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{Reflist}}{{脚注ヘルプ}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Commonscat|Cadillac vehicles}}
 
*[[キャデラック選手権]]
 
*[[WGCマッチプレー|キャデラック・マッチプレー]]
 
*[[ヤナセ]] - 古くから同ブランド車を取り扱っており、[{{NDLDC|2954304/14}} 1919年の広告では'''「カデラック」'''と表記していた。]
 
*[[Pimp My Ride]]
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
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*[http://www.cadillac.com/ キャデラック公式サイト]
 
*[http://www.cadillac.com/ キャデラック公式サイト]
  
 
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キャデラック: Cadillac

アメリカの自動車メーカーであるGMが展開している高級車ブランド

外部リンク



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