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[[File:Kingdoms around Israel 830 map.svg|thumb]]
 
'''エドム'''は[[パレスチナ]]の南南東、[[死海]]の南から[[アカバ湾]]に至る地域で、一般に「エドムの地」と言われる。エドムの範囲は、北は死海、南は葦の海(紅海)に至る山地で、北はセレデ川の境界にモアブと接していた。[[エドム人]]は後にヘレニズム文化でギリシア語化し、イドマヤ人と呼ばれるようになった。
 
  
「エドムの地」とは、[[イサク]]の子[[エサウ]]が住んだ地を意味する。「セイルの地」「セイル山」とも呼ばれているが、「セイル」は「毛皮のよう」つまりエサウの身体の状態を表す言葉から来ているという説がある。
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'''エドム'''
 
 
出エジプトの後に、エドムの西の境界の町として[[カデシュ・バルネア|カデシュ]] ([[:en:Kadesh (Israel)|en]]) をあげている。[[ホル山]]もエドムにある。
 
 
 
[[ヨシュア]]の領土分割相続の時にユダ族の南の境界は、ツィンの荒野で、エドムとの国境であった。
 
 
 
エドムの地には、アカバ湾から[[シリア|シリヤ]]・[[メソポタミヤ]]に通じる[[王の道 (パレスチナ)|王の道]]があり、エジプトとアラビアを結び交通の要路があったので、農耕、通商、貿易による巨額の収益があった。
 
 
 
==参考文献==
 
*『[[新聖書辞典]]』[[いのちのことば社]]、1985年
 
 
 
==関連項目==
 
* {{仮リンク|エドム語|en|Edomite language}}
 
  
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死海の南南東,アカバ湾にいたる地域。現ヨルダンの南西部。前4千年紀にすでに半農半遊牧の人々が居住していたが,前 1900年以降の中期および後期青銅器時代には,ほとんど居住の跡がない。前 1200年頃よりエジプトの記録に現れるようになり,この頃よりセム系のエドム人が居住した。前 11~10世紀頃イスラエル王国の支配下に入った。アラビアと地中海とを結ぶ地理上の位置にあったことから,[[ソロモン]]はエドムを拠点として,アラビア人との交易,資源の開発を行い,富を築いた。
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2019/4/25/ (木) 15:53時点における最新版

エドム

死海の南南東,アカバ湾にいたる地域。現ヨルダンの南西部。前4千年紀にすでに半農半遊牧の人々が居住していたが,前 1900年以降の中期および後期青銅器時代には,ほとんど居住の跡がない。前 1200年頃よりエジプトの記録に現れるようになり,この頃よりセム系のエドム人が居住した。前 11~10世紀頃イスラエル王国の支配下に入った。アラビアと地中海とを結ぶ地理上の位置にあったことから,ソロモンはエドムを拠点として,アラビア人との交易,資源の開発を行い,富を築いた。