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| 出典の明記 = 2015年1月
 
| 参照方法 = 2015年1月
 
| 独自研究 = 2015年1月
 
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'''イラク日本人人質事件'''(イラクにほんじんひとじちじけん)、'''イラク邦人人質事件'''(イラクほうじんひとじちじけん)は、2002年の[[イラク戦争]]以降にイラク武装勢力により[[イラク]]に入国した[[日本人]]が誘拐され、人質として拘束された事件。特に2004年4月に3名が誘拐され、[[自衛隊]]の撤退などを求められた後、イラク・イスラム聖職者協会の仲介などにより解放された事件と同年10月に1名が誘拐され、後に殺害された事件が活発に報道された。なお、[[アメリカ軍|米軍]]の[[ファルージャ]]攻撃([[:en:Fallujah during the Iraq War]])以後、日本人以外の外国(非イラク)人拉致事件が頻発している。
 
 
 
== 武装勢力の要求 ==
 
イラク現地の武装勢力が、イラクに入国した外国籍のボランティア、[[非政府組織|NGO]]職員、民間企業社員、占領軍関係者などを誘拐する事件が頻発した。誘拐の要求の多くは、誘拐した外国人を人質に、彼らが本籍を置く政府に対して、自国の軍隊([[日本]]では自衛隊)をイラクから引き上げることを要求するものであった。
 
 
 
== 人質事件の詳細 ==
 
=== 2004年4月、3名、解放 ===
 
以下の出来事は全て[[2004年]]のものである。また、最初の3名に関するもののほか、時期的に重なっている2名(次項で解説)の出来事も含む。
 
* 3月31日 - ファルージャで[[アメリカ合衆国|米国]]の傭兵4人が殺害された([[:en:2004 Fallujah ambush]])。
 
* 4月6日 - 米軍が報復として[[ファルージャの戦闘|ファルージャ攻撃]]を開始する([[:en:Fallujah during the Iraq War]])。
 
* 4月6日 - 外国人拉致事件の最初の事件が発生する(拉致されたのは[[イギリス人]])。
 
* [[4月7日]] - イラクで日本人3名(ボランティアの女性、フリーカメラマンの男性、[[ジャーナリスト]]志望の未成年の少年)が武装勢力によって誘拐される。
 
* [[4月8日]] - [[カタール]]のテレビ局「[[アルジャジーラ]]」が犯行グループから送られてきた映像を放送した。犯行グループは、イラクの[[サマーワ]]に駐留している自衛隊の撤退を要求する声明を発表した。犯行グループからの要求に対し、[[日本国政府|日本政府]]は自衛隊を撤退させる考えのないことを表明。
 
* 4月10日 - [[小泉純一郎]][[内閣総理大臣|首相]]は、自衛隊を撤退する意思がないことを明らかにするとともに、人質の救出に日本政府として全力をあげるよう指示を出した。また、人質となった日本人3人の家族が[[東京]]でアルジャジーラの取材に応えて人質解放を訴え、その映像が[[中東]]全域に放送された。
 
* 4月11日 - 武装グループからアルジャジーラにあてて、「イラク・ムスリム・ウラマー協会の求めに応えて3人の日本人を24時間以内に解放する」との内容のファックスによる声明が届き、日本では一時楽観ムードが漂ったが、期限内の解放は実現されなかった。
 
* 4月13日 - [[イタリア]]国籍の4人が別の武装グループに拘束され、自衛隊に続いて[[イタリア軍]]に対してイラクから撤退が要求された。この間、外国人の人質事件が相次ぎ、占領行政を行う連合国暫定行政当局(CPA)の発表では12か国、40人前後が人質に捕われたとされる。
 
* 4月14日 - 新たに、日本人2人(自称ジャーナリストとNGO団体職員)が[[バグダード]]西方で何らかの武装勢力により連れ去られた。一方、イタリアの[[シルヴィオ・ベルルスコーニ]][[イタリアの首相|首相]]は日本の小泉首相と同様に撤兵を断固として拒否する声明を出していたが、[[イタリア人]]人質の1人の殺害が公表された。
 
* 4月15日 - 日本人3名はイラク・イスラム聖職者協会の仲介もあり無事解放された。解放された3名は今回の犯行グループ名と思われる「サラヤ・ムジャヒディン・アンバル(アンバル州の聖戦士軍団)」と署名されていた犯行グループの声明文を所持していた。なお、後に解放の仲介をしたとされる地元有力者が殺害されている。
 
* 4月17日 - 14日から拘束されていた日本人2人がバグダード市内の[[モスク]]で解放された。
 
 
 
=== 2004年4月、2名、解放 ===
 
フリージャーナリストの渡辺修孝、[[安田純平]]の日本人2人がイラクの武装勢力に拉致された。この際の報道は前回ほど活発ではなく、ほどなく解放された。
 
 
 
人質となった渡辺修孝は「人質である自分たちを助けるために政府は自衛隊を撤退させるべきだった」とし、後に「自衛隊を撤退させなかった事」に対し500万円の[[損害賠償]]を求める[[訴訟]]を起こしたが敗訴。また、解放後日本政府が負担した日本への帰国費用について、一切の支払いを拒否している。
 
 
 
=== 2004年10月、1名、殺害 ===
 
[[バックパッカー]]として[[ニュージーランド]]から[[イスラエル]]を通じイラクに入国した香田証生が行方不明となり、10月24日、彼を拉致した犯行グループ「[[イラクの聖戦アルカーイダ組織]]」の声明がインターネットに公開された。小泉首相は「テロに屈することはできない。自衛隊は撤退しない」と表明した。
 
 
 
 
 
 
 
30日(日本時間31日)、首を切断された遺体が発見され、後日になって殺害の模様が公開され、その後その動画が[[インターネット]]上に流布する事態となった。遺族は「息子は自己責任でイラクに入国しました。危険は覚悟の上での行動です」「彼の死を政治的に利用しないで欲しい」と言う声明を発表した。そのため、最初の人質3人のような感情的なバッシングは起こらず、マスコミも比較的淡々と報道した。{{Main|イラク日本人青年殺害事件}}
 
 
 
=== 2005年5月、1名、殺害 ===
 
[[5月9日]]、イラクの武装勢力「[[アンサール・アル・スンナ軍]]」が[[イギリス]]系[[民間軍事会社]]職員の日本人と銃撃戦の末拘束したとの声明を発表した。[[5月28日]]、武装勢力は日本人の死亡をネットに発表した。
 
 
 
日本人を狙った計画的誘拐ではなく、戦闘で負傷し捕虜になったものであったため、テロリストから日本政府への要求は無いに等しく、それへの対応を巡って[[世論]]が割れる事も無かった。
 
 
 
== 被害者 ==
 
高遠菜穂子は[[ボランティア]]を目的として入国した。支援対象は10代男子のみのストリートチルドレン<ref name="interview2">インタビューにて「(戦乱による孤児のうち)小さい子や女の子は[[宗教]]系の団体や大きいNGOに引き取られていくんですけど、中高生くらいの年代の男の子はどこにも引き取り手がなくて」と、10代の少年がいかに救済されていなかったかを語っており、また大規模なNGOの手が届かないものに労を捧げるというのが自分のしたいことだと語っている。[http://www.magazine9.jp/interv/nahoko/index2.php 高遠菜穂子さんに聞いたその2]</ref>。
 
 
 
また、渡辺修孝は元[[自衛隊員]]だった。
 
 
 
メディアの内側においては、一部新聞社が被害者宅の正確な住所を報道したり、報道陣が被害者宅に大挙して押し掛けたことについて、被害者宅すぐそばに練習グラウンドがあるJリーグチームが驚いたとの報道を行ったため、被害者宅が特定された。そのため被害者宅へ手紙や電話・FAXが集中したことや、少なからぬキャスターが批判派・擁護派の一方を肩入れするような報道を行ったりしたことが、[[報道被害]]や報道の公正という観点から問題にもなった。
 
 
 
また各メディアの[[世論調査]]の数字の異なり(往々にして、メディア各社の報道姿勢に沿った数字が出された)などから、[[インターネット]]においては、[[2002 FIFAワールドカップ]]の日韓共催から始まったといわれる大手メディアの報道姿勢への非難が再燃した。
 
 
 
なお、この事件に当たっては、[[週刊文春]][[2006年]][[11月2日]]号に掲載された[[作家]]の[[麻生幾]]が執筆した記事によると、[[海上自衛隊]]の[[特殊部隊]]である[[特別警備隊 (海上自衛隊)|特別警備隊]]員をバクダード駐留米軍に派遣し、米軍部隊との合同で突入・救出する「バビロンの桜」計画が立案されたとされる(結局実行されることはなかった)。
 
 
 
== マスコミへの批判 ==
 
=== 国外からの批判 ===
 
人質事件の発生後、一部の日本のマスコミがイラクの武装勢力ではなく人質への攻撃を行った。このことが国外メディアから一斉に批判を受けた。[[ニューヨーク・タイムズ]]はその原因に日本社会の構造を指摘し、「お上にたてついたことが人質の罪になった」としている。またマスコミだけでなく[[保守]]系[[政党]]の[[政治家]]からも批判された。[[共和党 (アメリカ)|共和党]]の[[コリン・パウエル]][[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]](当時)は人質や海外派遣された[[自衛官]]がリスクを引き受けたことで我々が前に進めたと指摘したうえで、率先してリスクを負った人々に責任があるとは言えないと苦言を呈した。またこのような人がいることに日本の人々は誇りに思うべきだとも語っている<ref name="イスラム国事件「自己責任論」">[http://lite-ra.com/i/2015/01/post-807-entry_3.html]</ref>。
 
 
 
== 脚注 ==
 
<references />
 
 
 
== 関連文献 ==
 
* 今井紀明『ぼくがイラクへ行った理由(わけ)』コモンズ、2004年7月。ISBN 4-906640-80-X
 
* 今井紀明『自己責任 いま明かす「イラク拘束」と「ニッポン」』講談社、2004年8月。ISBN 4-06-212546-3
 
* 郡山総一郎、吉岡逸夫『人質 イラク人質事件の嘘と実』ポプラ社、2004年9月。ISBN 4-591-08274-1
 
* 佐藤真紀、伊藤和子編『イラク「人質」事件と自己責任論 私たちはこう動いた・こう考える』大月書店、2004年7月。ISBN 4-272-21080-7
 
** コメント・メッセージおよび執筆者: 今井紀明、伊藤和子(弁護士)、鎌仲ひとみ(映画監督)、高遠菜穂子、田中宇ら36名
 
* [[高遠菜穂子]]『愛してるって、どう言うの? ―生きる意味を探す旅の途中で―』文芸社、2002年6月。ISBN 4-8355-4074-3
 
* 高遠菜穂子『戦争と平和 それでもイラク人を嫌いになれない』講談社、2004年8月。ISBN 4-06-212541-2
 
* 『法学セミナー』日本評論社、2004年9月号「イラク人質事件・日本人対"世間"の法感覚 ――グローバルとローカルのはざまで」 - {{ISSN|0439-3295}}
 
** インタビューおよび執筆者:岡田順太、天木直人、[[加藤健二郎]]、佐藤直樹、矢野直明
 
* 小林よしのり『ゴー外!! 1 翻弄されない視座をもつ 小林よしのりの痛快“こき下ろし”SPECIAL』アスコム、2004年8月
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[高遠菜穂子]]
 
* [[郡山総一郎]]
 
* [[伊藤和子 (弁護士)]]
 
* [[イラク戦争]]
 
* [[自衛隊イラク派遣]]
 
* [[自己責任論]]
 
* 映画『[[バッシング (映画)|バッシング]]』(2005年) - 同事件の被害者を主人公として制作された。
 
* 映画『[[相棒 -劇場版- 絶体絶命! 42.195km 東京ビッグシティマラソン]]』(2008年) - 事件の引き金として、この事件に似た日本人人質事件が登場する(舞台は南米にある架空の国)。
 
* [[アルジェリア人質事件]]
 
* [[ISILによる日本人拘束事件]]
 
* [[イラク日本人青年殺害事件]]
 
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[[Category:イラクの事件|にほんしんひとしちしけん]]
 
[[Category:アルカーイダ]]
 
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[[Category:日本・イラク関係]]
 
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