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|選手名 = イチロー
 
|選手名 = イチロー
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他表記は「鈴木一朗」「イチロー・スズキ」「Ichiro」「Ichiro Suzuki」など。愛称は'''イチ'''<ref>{{Cite web|url=https://www.mlb.com/marlins/news/breakdown-of-marlins-players-weekend-names/c-250346278 |title=Breakdown of Marlins' Players Weekend names|author=Joe Frisaro|publisher=MLB.com|language=英語|date=2017年8月24日|accessdate=2018年3月8日}}</ref>。代理人は[[トニー・アタナシオ]]が当初より長く務めていたが、現在は[[ジョン・ボッグス]]<ref>{{Cite news |title=イチに腕利き新代理人ジョン・ボッグス氏|newspaper=日刊スポーツ |date=2014年11月8日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20141108-1393449.html |accessdate=2014年11月10日}}</ref>。
 
他表記は「鈴木一朗」「イチロー・スズキ」「Ichiro」「Ichiro Suzuki」など。愛称は'''イチ'''<ref>{{Cite web|url=https://www.mlb.com/marlins/news/breakdown-of-marlins-players-weekend-names/c-250346278 |title=Breakdown of Marlins' Players Weekend names|author=Joe Frisaro|publisher=MLB.com|language=英語|date=2017年8月24日|accessdate=2018年3月8日}}</ref>。代理人は[[トニー・アタナシオ]]が当初より長く務めていたが、現在は[[ジョン・ボッグス]]<ref>{{Cite news |title=イチに腕利き新代理人ジョン・ボッグス氏|newspaper=日刊スポーツ |date=2014年11月8日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20141108-1393449.html |accessdate=2014年11月10日}}</ref>。
  
== 経歴 ==
 
=== プロ入り前 ===
 
[[1973年]][[10月22日]]に生まれ、二人兄弟の次男だったが、祖父「銀一」から「一」の文字を取り「一朗」と命名された。イチローと兄に限らず、祖父「銀一」の全ての孫の名には漢字「一」が付けられている。
 
 
小学校時代は地元の[[少年野球]]チーム・豊山町スポーツ少年団に所属。エースで4番として活躍し、6年生の時には全国大会に出場した。小学3年生の頃から、学校から帰宅後に近くの公園で父親と野球の練習をした。学年が上がるにつれて、それだけでは満足できなくなり、町内にある空港[[バッティングセンター]]にほぼ毎日通い詰めていた。3年生の時には速度100キロの球を打っていたという<ref>著書「イチロー物語」</ref>。バッティングセンターに通いつめるあまり、普通の[[球速]]では満足できなくなり、イチロー用のスプリングを作って、行く前に電話していた{{要出典|date=2010年6月}}。同センターにはイチロー専用8番打席が現在もある。なお、同時期に年齢が一つ上の[[稲葉篤紀]]も同じバッティングセンターに通っていた。稲葉は「隣で同い年くらいの奴がめっちゃ速いボールを簡単に遠くまで飛ばしていた」と話している。
 
 
[[豊山町立豊山中学校]]では小学生時代の仲間と共に学校の野球部に所属。エースで中軸(主に3番)を打ち、中学3年の時に[[全日本少年軟式野球大会]]に出場し3位入賞を果たす。学校での成績も優秀で、学年では常にトップ10に入っていたという。地元・愛知の多くの高校から誘いが来たが、[[愛知工業大学附属中学校・名電高等学校|愛工大名電]]に進学する。
 
 
愛工大名電時代から地元では有名な選手で、愛知を代表する名門野球部において1年時からいきなりレギュラーを獲得(ポジションは[[三塁手]]で打順は主に1 - 3番) 。2年時に[[第72回全国高等学校野球選手権大会|夏の甲子園]](左翼手として出場)、3年時に[[第63回選抜高等学校野球大会|春の甲子園]](投手として出場)と2度甲子園に出場したものの、いずれも初戦敗退に終わっている。高校時代の監督は[[中村豪 (野球指導員)|中村豪]]。[[松井秀喜]]とはこの頃から練習試合を通じて面識があった。高校3年生の地方大会での[[打率]]が7割以上を記録していた程の打者だった。
 
 
3年間の高校通算成績は536[[打数]]269[[安打]]、[[打率]].501、[[本塁打]]19本、[[二塁打]]74本、[[三塁打]]28本、[[盗塁]]131。高校時代は[[投手]]だったが、交通事故(自転車での通学中に車と接触している)による怪我が原因で投手から[[野手]]転向を余儀なくされる。投手としても有力な選手として当時から名前が挙がっていた<ref>{{Cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/10/05/kiji/K20151005011264670.html |title=投手イチローに米国でも衝撃「高校時代すごい投手だった」最速は143キロ |work=スポニチアネックス |publisher=スポーツニッポン |date=2015年10月5日 |accessdate=2015年10月5日}}</ref>。
 
 
イチローは、[[1991年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|同年のドラフト会議]]を前に、地元球団であることに加え、目標としていた[[藤王康晴]]・[[田尾安志]]が所属しており、幼少期からファンだった[[中日ドラゴンズ]]を希望していた<ref name="イチロー素顔の青春 p.140-141">『イチロー素顔の青春』[[吹上流一郎]]、1995、 p.140-141</ref>。イチロー本人だけでなく、父・[[鈴木宣之]]も、「子供のころからドラゴンズのファンだったし、せめて3位ぐらいまでに(中日が)指名してくれればいい」と思っていた<ref name="イチロー素顔の青春 p.140-141"/>。
 
 
しかし、当時の中日東海地区担当のスカウトは、イチローが高校に入学した際は、打撃スカウトの[[新宅洋志]]だったが、1991年(イチローは高校3年)には、投手担当の[[池田英俊]]に交代していた<ref name="イチロー素顔の青春 p.144-146">『イチロー素顔の青春』[[吹上流一郎]]、1995、 p.144-146</ref>。池田は、当時投手だったイチローについて、「体が出来上がっていないし、プロ野球の投手としてはちょっと物足りない」と評価していた<ref name="イチロー素顔の青春 p.144-146"/><ref>{{Cite episode|title=中部英傑伝(プロ野球選手・イチロー)|airdate=2000-09-27|station=[[中部日本放送ラジオ]](CBCラジオ)|network=[[東京放送]]|url=http://www.cbc-nagoya.co.jp/radio/kibun/2000asapon/hero/000925/index.htm|archiveurl=https://web.archive.org/web/20040418070614/http://www.cbc-nagoya.co.jp/radio/kibun/2000asapon/hero/000925/index.htm|archivedate=2004年4月18日}}</ref>。結局、中日はイチローについて、ドラフト5位での指名を予定していたが、[[オリックス・バファローズ |オリックス・ブルーウェーブ]]の東海地区担当だった[[三輪田勝利]]スカウトが、4位での指名を強く主張したため、イチローの中日入団は幻に終わった<ref>『[[日刊ゲンダイ]]』2017年6月15日31面「井箟重慶の球界への遺言 イチローの4位指名と宮内オーナーに二軍選手を見せた経緯」</ref>。
 
 
結果的に地元の「金の卵」を取り逃がした中日は、その後、スカウト間での[[お家騒動]]に発展したという。中日元監督・[[星野仙一]]は<ref group="注">星野は1991年シーズン限りで、中日監督を辞任し、ドラフト会議時には[[高木守道]]に交代していた。</ref>、「うち(中日)は、投手としての感触だけでしか(イチローを)見ていなかった。あれは大失敗だった。イチローの教訓は、うちのこれからのスカウティングに生かしたい」と語った<ref name="イチロー素顔の青春 p.144-146"/>。
 
 
1991年の夏の終わり、三輪田から「おもしろい選手がいるから見て欲しい」と報告を受けて、当時オリックスの編成部長だった[[中田昌宏]]がイチローを視察。[[福本豊]]や[[加藤秀司]]らを育てた阪急の名打撃コーチでもあった中田だったが、1球たりとも芯を外さない、イチローのフリーバッティングを見て、「あんな選手見たことがない」とその天才的打撃に惚れ込み、[[田口壮]]に次ぐ2位指名を編成会議で求めた。しかし、フロント入りしていた前監督・[[上田利治]]らは「線が細すぎる。プロでは無理だ」と[[萩原淳 (野球)|萩原淳]]を推して侃々諤々の議論の末、萩原の2位指名が決まった。3位指名はオリックスが囲っていた[[本東洋]]で決まっていたため、ドラフト当日、オリックスのイチロー獲得は絶望的だった。しかし、同じくイチローを高く評価していた日本ハムと、地元中日が、いずれも4位までに指名しなかったため、オリックスはイチローを4位で指名することができた<ref>{{Cite web|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/724966|title=<イチロー、運命のオリックス入団> ドラフト秘話 「本当は1位指名もあった」 - プロ野球|publisher=Number Web|date=2013年10月24日|accessdate=2018年1月24日|archivedate=2018年1月24日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180124093426/http://number.bunshun.jp/articles/-/724966}}</ref>。このような経緯もあり、三輪田の親族によれば、イチローは三輪田の死後、墓参りを毎年欠かしたことがないという<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/1691782.html|title=イチロー毎年 故三輪田スカウトの墓参り欠かさず|work=日刊スポーツ|date=2016年8月9日|accessdate=2016年8月10日|archivedate=2018年1月24日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180124093604/https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/1691782.html}}</ref>。
 
 
ドラフト会議翌日、三輪田は、イチローの実家にあいさつに訪れた<ref name="イチロー素顔の青春 p.142-143">『イチロー素顔の青春』[[吹上流一郎]]、1995、 p.142-143</ref>。父・宜之は、入団については、中村監督に一任したが、契約についてのみ、「前年、イチローの先輩([[伊藤栄祐]])が、[[1990年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト]]5位、年俸400万円で[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]に入団している。イチローはドラフト4位なので、(年俸面での待遇は)5位との差を少しでもつけてほしい」と要望した<ref name="イチロー素顔の青春 p.142-143"/>。これを受け、オリックス球団は、1年目年俸を430万円に設定した<ref name="イチロー素顔の青春 p.142-143"/>。契約金は4000万円だったが、約半分が税金として徴収されており、残った2000万円分は、宣之が「息子の退職金の先払いと思って」、将来のために貯金をしたという<ref name="イチロー素顔の青春 p.142-143"/>。
 
 
=== オリックス時代 ===
 
{{by|1992年}}7月11日の対[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]17回戦([[平和台野球場|平和台球場]])で、左翼手・[[村上信一]]に代わる守備固めとして1軍初出場を果たした。翌日の対ダイエー戦で初スタメン出場。[[木村恵二]]が投げた直球を右翼に打ち'''プロ初安打'''を記録した<ref name="brcle">{{Cite web |url=http://hochi.yomiuri.co.jp/mlb/news/20080731-OHT1T00075.htm |title=イチロー記録メモ |publisher=[[スポーツ報知]] |accessdate=2008年7月31日 }}</ref>。この年は打率.366で[[ウエスタン・リーグ]]の首位打者を獲得したが[[土井正三]]・[[小川亨]]などの1軍首脳陣に自身の打法(振り子打法)を批判される。「足の速さを活かしてゴロを打つように」と打撃方法を変更するよう要求されるが拒否<ref>http://sankei.jp.msn.com/sports/mlb/090416/mlb0904161835028-n1.htm (''リンク切れ'')</ref>、1軍打撃コーチ・[[山内一弘]]と意見が合わず、シーズン終盤にスタメンになる事は増えたが一軍に定着することはなかった(土井との関係については[[土井正三#監督として]]を参照)。同年の[[フレッシュオールスターゲーム|ジュニアオールスター]]にて同点である8回に[[有働克也]]から代打決勝本塁打を放ってMVPと賞金100万円を獲得し賞金全額を[[神戸市]]の養護施設に寄付した。2軍選手ではイチローが初。
 
 
{{by|1993年}}4月10日の開幕戦は9番・[[中堅手]]としてスタメンに起用され、翌日の試合では1番打者を務める。その後は控えにまわり、[[6月12日]]の対[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]戦([[長岡市悠久山野球場]])で再び1番・中堅手としてスタメン出場を果たす。同試合では[[野茂英雄]]からプロ初本塁打を放った<ref name="spo022709">{{Cite web |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_june/KFullNormal20080610142.html |title=【6月12日】1993年(平5) 見出しにもならなかった「1番・センター、鈴木」の初本塁打 |work=スポニチアネックス |publisher=[[スポーツニッポン]] |accessdate=2009年2月27日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090302050324/http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_june/KFullNormal20080610142.html |archivedate=2009年3月2日 |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref>。以降も6月23日まではスタメン起用されるが、打率1割台という不振のため2軍行きを命じられる。
 
 
2軍生活の中でイチローは、同年の秋に2軍打撃コーチの[[河村健一郎]]と二人三脚で、日本時代のイチローの代名詞ともなる「'''[[振り子打法]]'''」を作り上げた。2軍では、前年から続いて2シーズンにまたがる46試合連続安打を記録(1シーズンでは30試合)<ref name="brcle"/>。この年は打率.371を残したが規定打席に少し足りず、もし規定打席に達していれば首位打者になる可能性があった(1993年のウエスタン・リーグ首位打者の[[柳田聖人]]の打率は.346)。同年のオフには[[ハワイ・ウィンターリーグ]]に派遣され、「ヒロ・スターズ」に所属して優勝し、ウィンター・リーグ初のMVPに選ばれた。カウアイのヴィディンハ・フィールドでは推定飛距離500[[フィート]](152[[メートル]])の本塁打を打ち、地元では「'''[[新幹線]]ホーマー'''」と呼ばれていた<ref>{{Cite web |url=http://www.hawaiiwinterbaseball.jp/about_hwb |title=about HWB |publisher=[[ハワイ・ウィンターリーグ]] |accessdate=2008年2月17日 }}</ref>。
 
 
{{by|1994年}}、公式戦開幕直前の4月7日、[[登録名]]を本名「鈴木一朗」から「'''イチロー'''」に変更<ref>朝日新聞東京本社版1994年4月8日付朝刊27面</ref>(オープン戦は「鈴木一朗」登録)。日本人選手としては初めて、名字を除いた名前での選手名登録となった<ref group="注">この時、仰木は先輩外野手で人気もあった佐藤和弘もその髪型([[パンチパーマ]])にちなんで「パンチ」と登録名を変更させ、イチローとのセットで注目されるようにした。佐藤は同年限りで引退し、[[パンチ佐藤]]の芸名で[[タレント]]へ転身した。</ref>。この年から監督に招聘された[[仰木彬]]<ref group="注">なお、1994年のキャンプ開始前に横浜ベイスターズが前年の[[高木豊]]らベテラン6選手の戦力外通告問題で球団に不満を抱いていた[[佐々木主浩]]を放出するためにイチローとのトレードを打診したものの、新監督に就任した仰木の意向で破談になったことを、当時の横浜監督であった[[近藤昭仁]]が証言している(出典:村瀬秀信『4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史』双葉社、2013年、P195)。</ref>はイチローの類い稀な打撃センスを見抜くと即座に一軍に呼び、2番打者に抜擢。打法も同年から新しく1軍打撃コーチとなった[[新井宏昌]]に理解され、レギュラーとして活躍。4月末から1番打者に定着し、5月から8月にかけて[[日本プロ野球]]新記録となる69試合連続出塁を記録した。[[9月11日]]には日本プロ野球タイ記録の1試合4二塁打を記録すると同時に、1950年に[[藤村富美男]]が作ったシーズン最多安打記録191本に並んだ。次の試合でシーズン最多安打記録を44年ぶりに更新し、同月の122試合目には日本プロ野球史上初となるシーズン200本安打<ref>130試合制としては史上唯一</ref>の偉業を達成した。
 
 
最終的に安打数も210本(当時の日本プロ野球記録、現球団記録<ref>現在のセ・リーグ記録は2010年の[[マット・マートン]]の214本、パ・リーグ記録は2015年の[[秋山翔吾]]の216本</ref>)まで伸ばし、この活躍で安打数が話題となったため、連盟によって同年から「[[最多安打 (日本プロ野球)|最多安打]]」が連盟表彰のタイトルとされた。打率では、日本プロ野球史上初の[[4割打者]]誕生はならなかったものの、最終的には[[パシフィック・リーグ]]新記録となる打率.385(2000年に自ら記録を更新.387)を残して首位打者を獲得。そのほかにも[[最高出塁率 (日本プロ野球)|最高出塁率]]・[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]・[[ゴールデングラブ賞]]・[[正力松太郎賞]]を獲得し、打者としては日本プロ野球史上最年少で[[最優秀選手 (野球)|シーズンMVP]]を獲得した。
 
 
{{by|1995年}}開幕前の1月17日に発生した[[阪神淡路大震災]]において本拠地の[[神戸市]]が壊滅的な害を被りイチロー自身も神戸市内にあるオリックスの寮で被災する。この年のオリックスは「がんばろう KOBE」を合言葉にスタートした。イチローは震災からの復興を目指す「神戸のシンボル」的存在として'''、[[首位打者]]・[[最多打点 (日本プロ野球)|打点王]]・[[最多盗塁 (日本プロ野球)|盗塁王]]・最多安打・最高[[出塁率]]を獲得。「打者五冠王」に輝いた。打点王と盗塁王の同時獲得は日本プロ野球史上初(現在も唯一)'''のほか、全試合フル出場での首位打者は[[王貞治]](1969年)に次ぐ史上2人目の快挙だった。本塁打はリーグ3位タイの25本で、この年に28本放って本塁打王を獲得した[[小久保裕紀]]とは3本差であり、日本プロ野球史上前例のない打撃タイトル独占([[三冠 (野球)#打者部門|六冠王]])にあと一歩だった。そのほか、リーグ2位の[[長打率]]や当時のパ・リーグ記録となるシーズン18死球、自身初のリーグ最多[[故意四球|敬遠]]に加え、当時の日本プロ野球タイ記録となるシーズン初回表先頭打者本塁打5本を残すと、前年に自らが記録した69試合に迫る歴代2位の67試合連続出塁を記録。2年連続となるシーズンMVP・[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]・[[ゴールデングラブ賞]]・[[正力松太郎賞]]も受賞。そしてチームは悲願のリーグ優勝を達成した。
 
 
{{by|1996年}}開幕から前半戦まで1番打者として出場。[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]第1戦では[[広島東洋カープ]]の[[紀藤真琴]]から初回先頭打者初球本塁打(オールスター史上3人目、パ・リーグ選手では史上初)を放った。第2戦では投手として登板<ref>{{Cite news |title=投手イチロー-投球フォーム連続写真- |newspaper=クーニンスポーツ |date=2008年7月9日 |url=http://qoonin.blog.shinobi.jp/%E6%8A%95%E7%90%83%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%A0/%E6%8A%95%E6%89%8B%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%AD%E3%83%BC%20-%E6%8A%95%E7%90%83%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E9%80%A3%E7%B6%9A%E5%86%99%E7%9C%9F- |accessdate=2008年7月9日}}</ref>。セ・リーグ総監督の[[野村克也]]が[[松井秀喜]]の代打で送った[[高津臣吾]]を遊ゴロに打ち取っている。後半戦からは打順を変更され、3番に固定。前半戦までは打率が1度も.330を超えない状態が続いていたが、3番になってからは調子を上げて固め打ちが目立つようになり、8月にはプロ野球記録となる月間48安打(月間打率は.475)を記録した。
 
 
最終的に3年連続となる首位打者を獲得し、また193安打で3年連続となる最多安打・最高出塁率を記録、去年に引き続き最多敬遠も記録した。[[猛打賞]]を26回(達成当時、日本プロ野球記録。現在日本プロ野球歴代3位)、1試合4安打を8回記録(達成当時、日本プロ野球新記録。現在はパ・リーグ記録)。9月23日の対[[日本ハムファイターズ]]戦([[神戸総合運動公園野球場|グリーンスタジアム神戸]])で、延長10回裏にオリックスのリーグ連覇を決めるサヨナラ二塁打を放ち、前年のリーグ優勝時に果たせなかった「神戸での胴上げ」を実現させた。[[1996年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では、第1戦の延長10回に[[河野博文]]から決勝本塁打を放つなどの活躍を見せ、1977年以来19年ぶりの日本一に輝いた。イチローは優秀選手賞を受賞したほか、3年連続となるシーズンMVPを手にした。3年連続シーズンMVPは日本プロ野球タイ記録で、[[山田久志]]に次いで史上2人。
 
 
{{by|1997年}}以降は主に3番打者として出場。6月に「209打席連続無三振」の日本プロ野球記録を樹立。その後の対日本ハム戦で[[下柳剛]]から三振するまで、「216打席連続無三振」を記録した。最終的には185安打として、最高出塁率に関しては3年連続で途切れてしまったが、最多安打・首位打者を4年連続とし、最多敬遠も3年連続と伸ばした。
 
 
{{by|1998年}}、打率.358、181安打でシーズンを終え、[[張本勲]]の4年連続を抜いて'''日本プロ野球史上初となる5年連続首位打者獲得を達成'''、5年連続・通算5回目となる最多安打も記録した(連続回数、通算回数ともにパ・リーグ記録。5年連続は[[長嶋茂雄]]の6年連続に次いで歴代2位、通算5回は長嶋茂雄の10回、[[川上哲治]]の6回に次いで歴代3位)他、リーグ最多敬遠も4年連続となった。
 
 
一方で、イチローは1995年シーズンから1999年の4月11日までスランプに陥っていたと語り、特に1998年は深刻なスランプを感じていた<ref>[[糸井重里]]「キャッチボール ICHIRO meets you」</ref>。実際に同年シーズンは21併殺打を記録し、5月には当時のパ・リーグワーストタイ記録となる4試合連続併殺打を記録している<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/pro_calendar/1205/kiji/K20120521003298300.html 【5月21日】1998年(平10) イチロー パ・リーグワーストタイ記録に「自分の口からは言いにくい」 ] - スポニチ</ref>。
 
 
{{by|1999年}}シーズン開幕前の2月、[[星野伸之]]や[[戎信行]]とともに、オリックスと[[業務提携]]を結んでいた[[シアトル・マリナーズ]]の春季キャンプに招待され、2週間参加した。シーズンでは開幕から調子があがらず、数年間のスランプをひきずっていたが、同年4月11日、ナゴヤドームでの西武戦の第5打席で[[西崎幸広]]からセカンドゴロを放つと、後に「この打席がきっかけで、自分の打撃が開眼した」という旨を語っている通り、スランプから脱出し以降は復調した<ref>これについて、自分が捉えたと思ったボールが2塁より左へ飛んでいくと思っていたのに、右に飛んでセカンドゴロになり、「ああ、これなんだと思ってしまいました。これまで捜し求めていたタイミングと身体の動きを一瞬で見つけることができた。あやふやなイメージではなく、頭と体で完全に理解することが出来たのです」、「ファーストに走りこんでゆく短い時間、自分のイメージに描いたフォームとセカンドゴロになってしまった実際のフォームを重ね合わせ、方程式を解くようにして、そうしたらはっきりとした解答が見つかったのです。こんな明確な解答ができたのは僕の野球人生の中ではじめてだった。飛び上がりたくなるほど嬉しかったです」と説明している</ref><ref>[[小松成美]]著「イチロー・インタビュー―Attack the Pinnacle!」</ref>。4月20日の対日本ハム戦で[[金村曉]]から本塁打を放ち、'''日本プロ野球史上最速となる757試合目で通算1000本安打を達成'''。7月6日の対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]戦で[[松坂大輔]]から通算100号本塁打を打った。前半戦を打率.370・19本塁打・60打点の成績で折り返すと、1995年以来のペースで本塁打を量産していたが、8月24日の対日本ハム戦で下柳剛から右手に死球を受けて負傷、残りのシーズンを棒に振った。これにより、1994年の開幕戦から続けていた連続試合出場がパ・リーグ歴代4位(現5位)の763でストップした。また、今シーズンは141安打にとどまり、最多安打に関しても5年連続で途切れた。しかし3年ぶりに最高出塁率を記録した他、首位打者に関しては6年連続とした他、引き続き5年連続最多敬遠を記録した。
 
 
{{by|2000年}}は開幕戦から4番に指名され、79試合目を終えた時点でも打率.401を残すなど高打率を維持。7月には通算10度目となる月間MVP(日本プロ野球記録)を受賞した。97試合目終了時点で打率.398を記録。102試合目終了時まで3割9分台 (.3923) を堅持するなど高打率を残していたが、8月27日の対[[千葉ロッテマリーンズ]]戦で3回に三塁線へファウルボールを打った際に右脇腹を痛めて途中交代。残りシーズンを棒に振った。
 
 
[[10月12日]]、記者会見で[[ポスティングシステム]]を利用しての[[日本人選手のメジャーリーグ挑戦|メジャーリーグ挑戦]]の意向を表明。翌日の神戸での本拠地最終戦で9回に守備固めとして出場した(打席には立たなかった)。前日の記者会見を聞いたファンの声援に応えるため、イチローは手を振って応え、ファン一人一人と別れの握手をした。最終的に、日本プロ野球歴代2位(及びパ・リーグ記録)となるシーズン打率.387を記録。安打数こそ153安打にとどまり最多安打を逃したが、通算7度目の首位打者(日本プロ野球記録)を獲得。6年連続となる最多敬遠(パ・リーグ記録)も記録。ほか、2年連続通算5度目となる最高出塁率、'''7年連続通算7度目となるベストナイン・ゴールデングラブ賞'''をそれぞれ獲得した。
 
 
=== MLB時代 ===
 
==== マリナーズ時代 ====
 
2000年11月10日に、日本人初の[[ポスティングシステム]]による独占交渉権を[[シアトル・マリナーズ]]が1300万[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]余りで獲得。19日に3年契約で合意し、28日に渡米。30日に3年総額1400万ドルで正式契約を結び、'''日本人野手初のメジャーリーガー'''となった<ref group="注" name="SHINJO">投手を含めると[[村上雅則]]、[[野茂英雄]]に次ぐ3人目であり、同じ2000年オフに[[新庄剛志]]も[[ニューヨーク・メッツ]]と契約しているが、イチローの方が先に正式契約している。翌2001年のシーズン開幕戦に両者共に出場しているが、イチローの公式戦初出場の方が1日早い。</ref>。背番号は'''51'''。
 
 
日本人野手がメジャーで通用するのか疑問視する声が日米問わず多かった。当時のマリナーズ監督[[ルー・ピネラ]]も、「打率は2割8分から3割、盗塁は25から30は稼いでくれるだろう」とそこまで大きな期待はしていなかった<ref name="nytjul82005">『ICHIRO メジャーを震撼させた男』を参照。</ref>。また、背番号51についても、当時のマリナーズでは[[ランディ・ジョンソン]](1989 - 1998年まで在籍)の番号というイメージがファンの間で認識されていたために、「ランディの功績を台無しにする」「ランディを侮辱している」という理由であまり好意的には見られていなかったが、その後の活躍により、ランディ・ジョンソンとの連名での永久欠番になるのではないかといった予想がされるまでになる<ref>{{Cite news |title=マ軍の「51」永久欠番をめぐって大論争、イチローかR・ジョンソンか。 |newspaper=[[ナリナリドットコム]] |date=2009年1月24日 |url=http://www.narinari.com/Nd/20090110979.html |accessdate=2013年1月4日}}</ref>。東京在住のアメリカ人ジャーナリストである[[ロバート・ホワイティング]]は[[2000年]][[12月]]号の[[文藝春秋]]にて、「イチロー君大リーグは甘くないぞ」と題して、イチローがMLBでは通用しないことを断言し、「イチロー自身も『あーあ、アメリカにこなければ今ごろはまだ日本のスーパースターでいられたのに』と後悔しているかもしれない。来年の今ごろ、僕がこの誌面で平謝りに謝っているかどうか、忘れずにチェックしてほしい。」と執筆した<ref>『文藝春秋』2000年12月号 p.12</ref>。
 
 
(以降日付は全て現地時間)
 
{{by|2001年}}4月2日の[[オークランド・アスレチックス]]との[[開幕戦]]に、1番・右翼手で先発出場。第4打席にセンター前へメジャー初安打を放ち、第5打席には[[バント]]安打を記録して2安打1得点の活躍でチームの勝利に貢献するという好スタートを切った。4月11日は敵地オークランドで三塁を狙った[[テレンス・ロング]]を完璧な送球で刺して大きな話題を呼んでいる(後述)。その後も順調に安打を積み重ね、4月から5月にかけて2か月連続でこの年から制定された[[ルーキー・オブ・ザ・マンス|月間新人MVP]]を受賞。[[2001年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]ではファン投票で337万票を獲得。日本からの68万票を差し引いても両リーグ通じて1位となる得票数で初選出された。オールスターでは先発のランディ・ジョンソンと対戦。内野安打を放ち、盗塁も記録した。7月はキャリアを通じて自己ワースト(当時)となる21打席連続無安打を喫し失速するが、翌月から復調。8月28日には132試合目での200安打に到達。9月8日には1996年に[[アレックス・ロドリゲス]]が記録した球団最多安打記録の215安打を更新。再び8月と9月の2か月連続で月間新人MVPを受賞する活躍で、シーズン116勝(メジャータイ記録)でのチームの地区優勝に大きく貢献した。マリナーズのこの活躍は、[[コミッショナー特別表彰]]を受けとることになる。
 
 
この年、[[1930年]]の[[ビル・テリー]](ジャイアンツ)以来となる'''シーズン242安打(当時歴代9位)'''を放ち、メジャーリーグの新人最多安打記録を更新するとともに、[[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB)|新人王]]・[[最優秀選手 (野球)#アメリカメジャーリーグベースボール|MVP]]・[[首位打者 (MLB)|首位打者]]・[[盗塁#アメリカメジャーリーグ|盗塁王]]・[[シルバースラッガー賞]]・[[ゴールドグラブ賞]]という数多くのタイトルを獲得した。打率.350はアメリカンリーグ1年目選手の歴代最高打率。新人王とMVPに同時に選出されたのはイチローのほかには[[1975年]]の[[フレッド・リン]]のみであり、新人王と打撃タイトルの同時受賞はトニー・オリバ(首位打者)、ジャッキー・ロビンソン、[[ビンス・コールマン]](盗塁王)、ウォルト・ドロポ(打点王)、[[マーク・マグワイア]](本塁打王)以来6人目である。その他にも安打試合数の135試合は歴代1位タイ<ref>過去に[[ロジャース・ホーンスビー]]、[[チャック・クライン]]、[[ウェイド・ボッグス]]、[[デレク・ジーター]]</ref>、127得点はリーグ2位、得点圏打率(.445) は両リーグを通じて1位を記録した。
 
 
[[ファイル:Ichiro Suzuki - Mariners.jpg|thumb|250px|right|マリナーズ時代のイチロー(2002年)]]
 
{{by|2002年}}5月は月間打率.404を残すと、26日に打率と出塁率でリーグトップに躍り出た。6月18日の[[シンシナティ・レッズ]]戦では1999年2月にマリナーズのキャンプに参加して以来3年ぶりに[[ケン・グリフィー・ジュニア]]と再会。「やっぱり彼は僕にとってメジャーリーガーの象徴。メジャーに興味を持ったのも、彼の美しさ、スピードを見て感銘を受けたからなんです」と語った<ref name="sr200910-2002">『[[月刊スラッガー]]』2009年10月号、[[日本スポーツ企画出版社]]、2009年、雑誌15509-10、14頁。</ref>。しかし8月から調子を落とし、9月22日の[[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム|アナハイム・エンゼルス]]戦で2年連続の200安打を達成したが、チームも8月から失速。監督のルー・ピネラはゲン担ぎとして試合前のメンバー表交換にイチローを登場させるなどしたが、地区3位に沈んだ。
 
 
自身は最終的にリーグ4位の打率.321を残すと、208安打を打つも最多安打の[[アルフォンソ・ソリアーノ]]にはあと1本及ばなかった。前年の活躍もあったため、投手から警戒されるようになり、リーグ最多の27敬遠を記録した。そのため、[[四球]]は前年の30から68に倍増した。11月には[[日米野球]]に参加した。
 
 
{{by|2003年}}シーズン、4月は打率.243という低調なスタートを切ったが、5月から調子を上げ、16日にはメジャー通算500安打を達成。[[2003年のMLBオールスターゲーム|オールスター]]のファン投票では新人から3年連続で両リーグ最多得票を獲得。この年から新たに設けられた選手間投票でも最高の評価を受けて選出された。ファン投票の連続最多得票は新人からという注釈を外してもケン・グリフィー・ジュニア以来史上2人目の快挙であり、メジャーリーグのスター選手の地位を確固たるものにした。
 
 
7月18日には自身メジャー初の満塁本塁打を放った。前年と同じく8月に失速。9月20日に200安打に到達したものの、最終的にはリーグ7位の打率.312、同2位の212安打(1位の[[バーノン・ウェルズ (野球)|バーノン・ウェルズ]]とは3本差)に終わった。チームも前年と同じく同時期に失速し、前年と同じ勝敗数でシーズンを終えた。オフには4年4400万ドルで契約延長した。
 
 
[[ファイル:Ichiro display.JPG|thumb|upright|right|[[クーパーズタウン]]にある[[アメリカ野球殿堂|野球殿堂博物館]]のイチロー最多安打記録更新のブース]]
 
 
{{by|2004年}}の[[スプリングトレーニング]]でメジャー移籍後最高となる打率.421を残して開幕を迎える。前年と同じく4月は打率.255と低調なスタートとなったが、5月には調子を上げ、'''NPB/MLB通算2000安打'''を達成すると共に自身2度目の月間50安打を記録。6月にやや調子を落とすと、[[2004年のMLBオールスターゲーム|オールスター]]のファン投票中間発表では松井秀喜が3位、自身は4位だったが、最終発表で逆転し4年連続のオールスター先発出場を果たした。
 
 
7月は29日に1試合5安打を記録するなど再び調子を上げて51安打を放ち、[[ジョー・メドウィック]]以来68年ぶりとなるシーズン2度の月間50安打を達成。8月3日には首位打者に浮上した。26日にはメジャー史上初となるデビューから4年連続200安打記録を本塁打で自己最速にて達成。31日に球団記録であるアレックス・ロドリゲスの月間54安打を更新すると、68年ぶりに{{仮リンク|ロイ・ウェザリー|en|Roy Weatherly}}の月間56安打のタイ記録に並んだ(タイ・カッブの月間67安打には届かなかった<ref>正式な記録ではないが、7月18日から8月17日の間にヒットを67本打っている(この間の打率は.508)</ref>)。
 
 
{{External media
 
|width=200px
 
|video1=[http://www.youtube.com/watch?v=qmhXd9eCL3c;t=38m10s 2004年10月1日<br />シーズン258安打を達成した打席(YouTubeによる動画)]
 
}}
 
 
10月1日に256安打としていたイチローは本拠地[[セーフコ・フィールド]]で迎えた[[テキサス・レンジャーズ]]戦では、[[ライアン・ドリース]]から第一打席に三塁前に高くバウンドするレフト前ヒットで記録に並ぶと、第二打席にセンター前に弾き返し258安打とし、'''84年間破られることのなかった[[ジョージ・シスラー]]のメジャー歴代シーズン最多安打記録の257安打を更新'''した。
 
 
この試合のアナウンサーの[[デイブ・ニーハウス]]は「the greatest moment of my baseball career」と述べ、最多安打を打った瞬間には「And a ground ball back up the middle! And there it is! He's the new all time hit king in major league history, number two-five-eight! My oh my!」と実況した<ref name="Ichiro honored at Safeco">{{Cite web | title=ichiro honored at Safeco | url=http://seattle.mariners.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20050422&content_id=1025543&vkey=news_sea&fext=.jsp&c_id=sea| publisher=Seattle Mariners| date=2005-04-22 | accessdate=2009-05-30}}</ref>。258安打を打った後チームが連打で畳み掛け、この日は3安打、チームも勝利した。その後、10月2日に1安打、10月3日の最終試合でも2安打を打った。
 
 
最終的にチームは12年ぶりの地区最下位に沈んだが、自身はジョージ・シスラーの'''シーズン安打記録を5本上回る262安打でシーズン最多安打記録を更新'''。この記録は10年以上たった現在も破られていない。同時に打率.372を残すと、メジャーでは3年ぶり2度目の首位打者にも輝いたほか、得点圏打率(.372)、対左投手打率(.404)、敬遠数(19)、出塁数(315) でもリーグ1位を記録。出塁率(.414)、盗塁数(36)などではリーグ2位を記録した。262安打の影に隠れがちであるが、月間50安打をシーズンで3度達成したのは史上初、またロード打率(.405)、後半戦打率(.429)を記録。更にロードで記録した145安打もロード記録としてはシーズンメジャー最多安打となった。
 
 
シスラーの記録は年間154試合制での記録で、イチローは160試合目での記録到達であったため<ref>{{Cite news |title=Ichiro breaks Sisler's all-time hits record |url=http://www.msnbc.msn.com/id/6154557/ |publisher=[[MSNBC]] |date=2004年10月1日}}</ref>、現地では少なからず疑問視する見方もあったものの<ref>{{Cite news |title=Captain America Stirs Up Ryder Cup |url=http://online.wsj.com/public/article/SB109534399601019662-8wAj07E5cBxnEqip_4PcmG18AkE_20071217.html?mod=blogs |publisher=[[ウォールストリート・ジャーナル]] |date=2004年9月16日}}</ref><ref group="注">[[ロジャー・マリス]]が、[[ベーブ・ルース]]が持つシーズン本塁打記録を破った際にも同様の論調が存在した</ref>、この記録は内外で高い評価を受け、アメリカでは多くの新聞でその偉業を称える記事が掲載され、『[[USAトゥデイ]]』紙にも[[バリー・ボンズ]]が700号本塁打を放った時以来の全面広告でメジャーリーグ機構が祝福の意を表した。ジョージ・シスラーの記録そのものが「破るのが困難な記録」とされていたこともあり、イチローは史上8人目となる[[コミッショナー特別表彰]]を受け<ref>2001年にも球団としてコミッショナー特別表彰を受けており、複数回の受賞を達成したのはイチローが唯一である</ref>、[[アメリカ野球殿堂]]には特別[[ブース]]が用意された。日本においては[[正力松太郎賞]]特別賞が授与された。
 
 
{{by|2005年}}、4月は打率.356と好調なスタートを切ったが、一方で例年調子の良い5月に調子を落とす。6月14日には1900年以降3番目のスピード記録<ref>1933年の[[チャック・クライン]](683試合)、1932年のロイド・ウェイナー(686試合)に次ぐ</ref>となる696試合目での'''メジャー通算1000安打を達成'''したが、結果的にはメジャー5年目の時点で自己最低となる打率.311で前半戦を終了。[[2005年のMLBオールスターゲーム|オールスター]]ではファン投票4位となり、初めて選手間投票での選出となった。翌年の[[ワールド・ベースボール・クラシック]]開催を記念して、各国から選出された打者によって争われることとなったオールスター前日の[[本塁打競争 (MLB)|本塁打競争]]の出場も打診されたが、こちらは辞退した。最終的にはメジャーでの自己最多となるシーズン15本塁打・12三塁打を記録した一方で、自己ワーストの打率.303と206安打(1位の[[マイケル・ヤング (内野手)|マイケル・ヤング]]と15本差の2位)に終わり、不本意なシーズンとなった。また、チームも2年連続の地区最下位に沈んだ。5年連続100[[得点]]30[[盗塁]]は6年連続の[[ジョー・モーガン]]、タイ記録の[[リッキー・ヘンダーソン]]に次いで3人目(19世紀の記録を入れると[[ビリー・ハミルトン]]の10年連続が最高)。5度の200安打100得点30盗塁はタイ・カッブ以来89年ぶり、連続記録としては史上初。チャック・クラインの連続5シーズン通算1118安打を抜いた。
 
 
[[ファイル:WBC2006 Ichiro Suzuki 1.jpg|thumb|200px|2006年第1回WBC日本代表でのイチロー]]
 
{{by|2006年}}に初開催された[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)]]の[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|日本代表]]に選出される<ref>[http://web.worldbaseballclassic.com/wbc/2013/rosters/index.jsp?team=usa&season=2006 2006 Tournament Roster] {{webarchive|url=https://archive.is/20150219045303/http://web.worldbaseballclassic.com/wbc/2013/rosters/index.jsp?team=usa&season=2006 |date=2015年2月19日 }} ''The official site of World Baseball Classic'' {{en icon}} 2016年9月1日閲覧 {{リンク切れ|date=2016年3月}}</ref>。イチローはこれまで国際大会については「[[オリンピックの野球競技|オリンピック]]はあくまでも[[アマチュア]]のための大会。自分はプロ」という考え([[アマチュアリズム]])で<ref>{{Cite news |title=[[北京五輪]]野球:イチロー「五輪はアマのための大会」 |url=http://www.chosunonline.com/article/20070123000002 |publisher=[[朝鮮日報]] |date=2007年1月2日}}</ref>、オリンピックなど国際大会への参加を断り続けていたが、WBCはメジャーリーグ主導によるプロの初の世界大会とあって進んで参加した。1次リーグこそ本調子でなかったものの、2次リーグ、準決勝、決勝と試合が進むごとに調子を上げ、[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック・アメリカ合衆国代表|アメリカ合衆国]]戦では先頭打者本塁打を記録。マリナーズでは見られなかった感情・闘志むき出しのプレイを見せ、[[ボブ・デービッドソン#第1回ワールド・ベースボール・クラシックにおける判定問題|疑惑の判定]]で敗れたアメリカ合衆国戦の後には、決起集会を開いてチームを鼓舞するなど<ref>{{Cite news |title=連勝しかない!イチローが決起集会 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/2006wbc/kiji/KFullNormal20060315040.html |date=2006年3月15日 |publisher=[[スポーツニッポン]]}}。</ref><ref group="注">TBS系のスポーツ番組で[[西岡剛 (内野手)|西岡剛]]が語った内容によれば、その際、イチローは出席者全員分の食事代を一人で全額負担したという。</ref>、日本の野球選手の顔として、日本代表を牽引。決勝の対[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック・キューバ代表|キューバ]]戦では、中押しのきっかけとなる二塁打と、1点差に詰め寄られた後に突き放す適時打を放った。最終的に一次予選から決勝まで全ての試合で安打を記録すると、打率.364(33打数12安打)、1本塁打、5打点、5盗塁、7得点、4四球を残して外野手部門の[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック#優秀選手・MVP|ベストナイン]]に選ばれた。
 
 
[[ファイル:Ichiro back from defese.JPG|thumb|170px|守備から戻るイチロー(2006年)]]
 
 
レギュラーシーズンでは、5月にメジャー通算200盗塁を達成。[[2006年のMLBオールスターゲーム|オールスター]]ファン投票では3位でオールスターに選出。会見では6年以上連続選出がアレックス・ロドリゲスと[[マニー・ラミレス]]だけであったことについて、「残りのひとりになりたいと思う。それは大いにある目標です」と語った<ref name="sr200910-2006">『月刊スラッガー』2009年10月号、[[日本スポーツ企画出版社]]、2009年、雑誌15509-10、22頁。</ref>。7月26日には戦後最多となるウェイド・ボッグスの連続6シーズン通算1274安打を更新。8月16日に[[ロジャース・ホーンスビー]]が持つ連続6シーズン最多安打1296本を超え、8月29日にはメジャー通算400単打を928試合目で達成。これは6年目ではメジャー最速。9月には19世紀以降最多となる[[ウィリー・キーラー]]の連続6シーズン通算1313安打を抜いた。9月7日にNPB/MLB通算800単打も達成。9日にはジョージ・シスラーが持つ6シーズン最多安打1317安打を超え、一週間後となった16日の[[カンザスシティ・ロイヤルズ]]戦でメジャー史上3人目となる6年連続200安打を達成した。この試合において三盗を成功させたことで33連続盗塁成功となり、アメリカンリーグ新記録も達成。満33歳になるこのシーズンに自己3番目の記録となる45盗塁を残し、盗塁成功率.957を記録した。
 
 
最終的に2年ぶりのリーグ最多安打となる224安打とリーグ6位の打率.322を記録したが、8月には自己ワーストとなる月間打率.233の不振に陥り、「あんなに野球が難しいのか、こんなにしんどいのかと何度も思った」と振り返った<ref name="sr200910-2006" />。連続盗塁成功は39まで伸ばしたが、[[ビンス・コールマン]]のシーズン記録44連続盗塁成功には及ばなかった。その他、メジャー通算100[[故意四球|敬遠]]を達成。この年から創立された[[セイバーメトリクス]]の専門家により選出される[[フィールディング・バイブル・アワード]]の[[右翼手]]部門にも選出された。
 
 
{{by|2007年}}[[5月3日]]に'''41連続盗塁成功'''を達成し、シーズンを跨いでのアメリカンリーグ連続盗塁成功記録を更新<ref>従来の記録は、[[ティム・レインズ]]の40</ref>したが、5月18日のエンゼルス戦、7回裏盗塁死になって連続盗塁成功記録は「45」でストップし、メジャー記録<ref>[[ビンス・コールマン]]の50の</ref>の更新はならなかった。7月には5年9000万ドルで契約を延長。7月11日、7年連続で出場した[[2007年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]において[[クリス・ヤング (投手)|クリス・ヤング]]からオールスター史上初のランニング本塁打を含む3打数3安打2打点の活躍で[[MLBオールスターゲーム|オールスター]]MVPを受賞した。7月29日には近代野球では3番目のスピード記録<ref>アル・シモンズ(1040試合)、ジョージ・シスラー(1048試合)に次ぐ</ref>となる1060試合目でのメジャー通算1500安打を達成。9月3日の[[ニューヨーク・ヤンキース]]戦では[[ロジャー・クレメンス]]から本塁打を放ち、7年連続200安打(史上3人目)を達成。最終的に[[マグリオ・オルドニェス]]との首位打者争いには敗れたものの、リーグ2位の打率.351(1位の[[マグリオ・オルドニェス]]とは1分2厘差)と同1位の238安打を記録。メジャー初となる3度目の230安打以上を達成。リーグ9位の出塁率.396に加え、リーグ2位(125打席以上)の得点圏打率.397、満塁では13打数8安打、打率.615という驚異的な勝負強さを発揮。2001年以来2度目となるシルバースラッガー賞を受賞した。今シーズンは[[右翼手]]ではなく[[中堅手]]としてプレーしたが、[[中堅手]]としてもゴールドグラブ賞も受賞。[[アンドレ・ドーソン]]以来となるシーズン途中のコンバートなしでの右翼手と中堅手両方での受賞となった。
 
 
{{by|2008年}}スプリングトレーニングで26打席連続無安打を喫して開幕を迎え、5月終了時点でも打率.284とメジャー8年目で初めて打率3割未満で6月を迎えた。6月7日に戦後最多となるウェイド・ボッグスの連続8シーズン通算1666安打を抜いた。6月11日にメジャー通算300盗塁を達成。16日には日米通算500盗塁を達成。
 
 
[[ファイル:Ichiro Cropped AL.jpg |thumb|200px|right|バットを構えるイチロー(マリナーズ時代、2008年6月25日)]]
 
 
9月17日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で遊撃手への内野安打を放ち、8年連続200安打を達成。ウィリー・キーラーが[[1894年]]から[[1901年]]にかけて記録して以来、107年ぶりの記録を達成した。9月26日のオークランド・アスレチックス戦では8年連続100得点を達成。同一シーズンでの200本安打100得点を8回記録したのは[[ルー・ゲーリッグ]]以来2人目、連続記録としては史上初(19世紀の記録を入れるとウィリー・キーラーも達成している)。シーズンを両リーグトップタイの213安打で終了。メジャータイ記録となる3年連続最多安打(史上7人目)、史上初となる3年連続両リーグ最多安打を記録した。シーズンを終えての連続記録を「打率3割」「200安打」「100得点」「30盗塁」「オールスター選出」「ゴールドグラブ賞」について8年連続と伸ばした。
 
 
[[ファイル:Ichiro Suzuki and Barack Obama.jpg|thumb|180px|right|[[2009年]][[7月14日]]、[[セントルイス]]の[[ブッシュ・スタジアム]]内でのイチローと[[バラク・オバマ]]米大統領(右)。]]
 
 
{{by|2009年}}開幕前の3月に開催された[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック|第2回WBC]]の[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|日本代表]]に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした。大会開幕前の練習試合から全く安打が出ず、大会開幕後も打率.200前後という絶不調の状態が続いたが、監督の[[原辰徳]]は全試合でイチローを1番に起用し続け、最終的にイチローもそれに応える。決勝の[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック韓国代表|韓国]]戦で、6打数4安打、延長10回に[[林昌勇]]から決勝の2点適時打を放つ活躍で連覇に貢献。大会全体では打率.273(44打数12安打)ながらも最後の最後で日本の連覇に大きく貢献。その後のトロフィー授与式や祝勝会では、普段クールなイチローも笑顔を絶やすことはなかった。
 
 
WBC終了後、マリナーズに合流。プレシーズンゲームの数試合に出場したが、WBCの影響から極度の疲労により体調を崩すと、4月3日に精密検査を受けた結果、胃に出血性の[[潰瘍]]が認められ、自身初の[[故障者リスト]]入りとなった<ref>{{Cite news |title=Mariners outfielder Ichiro Suzuki to be placed on 15-day DL |newspaper=MLB公式 |date=2009年4月3日 |url=http://mlb.mlb.com/news/press_releases/press_release.jsp?ymd=20090403&content_id=4117568&vkey=pr_sea&fext=.jsp&c_id=sea |accessdate=2013年1月4日}}</ref>。
 
 
復帰戦となった4月15日のエンゼルス戦の第5打席で満塁本塁打を放ち、[[張本勲]]が持つ日本最多安打記録の3085本にNPB/MLB通算で並び、翌16日のエンゼルス戦の4回に右前打し、3086本として、安打日本記録をNPB/MLB通算で更新した。5月にはメジャータイ記録に残り1と迫る通算7度目の20試合以上連続安打。6月3日には自身の持つ球団記録を塗り替える'''27試合連続安打'''を記録し、メジャー9年間で最高となる打率.362で前半戦を終了。[[2009年のMLBオールスターゲーム|オールスター]]にも9年連続の選出を果たした。
 
 
9月6日、対アスレチックス戦の初回に右翼線へ痛烈な二塁打を放ち、'''メジャー通算2000安打を達成'''。9シーズン目での到達は史上最速、1402試合目での達成は[[アル・シモンズ]]の1390試合に次ぐ史上2番目のスピード記録だった<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/ichiro/mlb200909/KFullNormal20090908100.html イチロー、最速メジャー2000安打!!] - スポニチ</ref>。9月13日にはウィリー・キーラーが持っていた8年連続200安打を108年ぶりに更新する'''9年連続200本安打'''を達成。17日の[[シカゴ・ホワイトソックス]]戦にて延長14回の場面で自身メジャー2度目のサヨナラ打を記録した。さらに翌18日のニューヨーク・ヤンキース戦にて1−2で迎えた9回裏、2アウト2塁の場面で[[マリアノ・リベラ]]から自身メジャー初となる逆転サヨナラ本塁打を記録した。26日のトロント・ブルージェイズ戦での5回、1死三塁のチャンスで回った第3打席、[[デビッド・パーシー]]が投じた2ストライクからの外角球を見逃すと判定はストライク。この判定にバットでボールの通過地点を示すなどして抗議。NPB/MLB通じて自身初の[[退場]]処分を受けてしまった。
 
 
4月から10月まですべての月で月間打率3割以上を記録。昨年の8月から続いていた2試合連続無安打なし記録を9月下旬まで継続。[[併殺打]]の数も出場1試合目に記録した1のみに留めるなど、シーズンを通して抜群の安定感を見せた。故障者リスト入りしたこともあり一時は連続200安打の記録更新も危ぶまれたが、終わってみればシーズン225安打を記録。220安打以上は自身5度目で、[[ジェシー・バーケット]]が4回の220安打を記録して以降108年間更新者が現れなかった記録を破った。このシーズンは[[ジョー・マウアー]]と首位打者争いを繰り広げ、リーグ2位の打率.352(1位の[[ジョー・マウアー]]とは1分3厘差)と、メジャー史上初となる4年連続最多安打を記録。また、メジャー移籍後では自己最高の長打率を残した。自身3度目の最多敬遠も記録。2007年以来3度目となるシルバー・スラッガー賞を受賞した。シーズンを通じての「100得点」「30盗塁」の連続記録は8年で途絶えたが、「打率3割」「200安打」「オールスター選出」「ゴールドグラブ賞」については9年連続と伸ばした。2006年以来の[[フィールディング・バイブル・アワード]]にも選出された。
 
 
{{by|2010年}}6月5日のロサンゼルス・エンゼルス戦でメジャー通算1000得点を達成。23日には自身が持つ9年連続200安打の記録を伸ばし'''10年連続200本安打'''とした。10度のシーズン200安打は[[ピート・ローズ]]と並ぶ大リーグ史上1位タイ記録。安打数は最終的に214安打とし、自身8回目の210安打を記録。[[タイ・カッブ]]が持つ通算7回の210安打という記録を86年ぶりに更新した。シーズンを終えての連続記録を「打率3割」「200安打」「オールスター選出」「ゴールドグラブ賞」について10年連続と伸ばした。2年連続3度目の[[フィールディング・バイブル・アワード]]も受賞した。
 
 
{{by|2011年}}4月2日のオークランド・アスレチックス戦、自身のメジャーデビューからちょうど10年となったこの試合で、[[エドガー・マルティネス]]の持つ球団最多安打記録を更新するメジャー通算2248安打を達成。4月ではメジャー移籍後4番目に高い月間打率.328とともに39安打10盗塁を記録するなど快調な滑り出しを見せた。しかしこれまで最も相性の良かった5月は一転して極度の不振が続き、メジャーデビュー以降全ての月で最低となる月間打率.210を記録。6月15日のエンゼルス戦でメジャー通算400盗塁およびNPB/MLB通算600盗塁を記録。シーズンを通しては自身初となる2年連続40盗塁を達成。37歳ながら走塁による貢献値を示すEQBRRはメジャー全体で3位の8.9を記録した。また、9月8日のロイヤルズ戦ではメジャー通算36本目の初回先頭打者本塁打を放ったことで[[ボビー・ボンズ]]を上回る歴代6位となった。
 
 
しかし、5月以降は一度も月間打率3割を記録出来ないまま、打率.272、184安打でシーズンを終了。メジャー移籍後10年連続で達成してきた「打率3割」「200安打」「オールスター出場」が途切れた(中でも「打率3割」と「オールスター出場」に関しては、NPB/MLB通算ではレギュラーの座を確保した1994年以降17年連続で達成していた)。守備でも、この年から各ポジション別に選ばれた最終候補3人の中から受賞者が決定となるよう方式が変更されたゴールドグラブ賞選考では、最終候補にも名が挙がることはなく、他の記録と同様に10年連続(NPB/MLB通算では1994年以降17年連続)で途切れてしまった。
 
 
こうした極度の不振を各メディアが「年齢による力の衰え」<ref>[http://seattletimes.nwsource.com/html/thehotstoneleague/2015284678_does_ichiro_need_to_re-invent.html Does Ichiro need to re-invent himself as a hitter?]The Seattle Times、2011年6月10日。</ref>「今季は期待外れに終わった」と評する<ref>[http://content.usatoday.com/communities/dailypitch/post/2011/09/mlbs-top-10-most-disappointing-players-in-2011/1 MLB's most disappointing players of 2011]USA TODAY、2011年9月21日。</ref>不本意なシーズンになる。不振要因として「スピードの衰え」「視力の低下」「不運」などと言われ<ref>[http://espn.go.com/mlb/story/_/id/6961051/ichiro-suzuki-seattle-mariners-playing-impersonator-former-self Ichiro Suzuki playing like impersonator]ESPN、2011年9月12日。</ref>「一塁に到達するまでの時間が平均3.9秒になった」とする<ref>{{Cite news |title=イチ184本で今季終了 0.3秒差響く |newspaper=日刊スポーツ |date=2011年9月30日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20110930-842705.html |accessdate=2012年9月29日}}</ref>(ただし前年の平均も3.92秒)<ref name="yk201104">今改めてイチローを測る『[[野球小僧 (雑誌)|野球小僧]]』2011年4月号、[[白夜書房]]、雑誌18801-4。</ref>声や、「右方向へのゴロが多く、内野安打を稼ぎやすい左方向への打球が少なかった」<ref>{{Cite news |title=ローズ氏 イチロー分析「左方向への打球が少なかった」 |newspaper=スポーツニッポン |date=2011年9月30日 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/09/29/kiji/K20110929001722130.html |accessdate=2012年9月29日}}</ref>、「好守によって阻まれたヒットが多い」、「ボール球に手を出す確率が高くなった」などというさまざまな声が挙がった。
 
 
{{by|2012年}}3月28日、メジャー移籍以降初めて[[メジャーリーグベースボールの海外公式戦一覧|日本での公式開幕戦]]に出場し、5打数4安打の活躍を見せる。6月19日の[[アリゾナ・ダイヤモンドバックス]]戦では史上4番目の早さとなる1817試合目でメジャー通算2500本安打を達成<ref>[[アル・シモンズ]]、[[タイ・カッブ]]、[[ジョージ・シスラー]]に次ぐ</ref><ref>{{Cite news |title=Ichiro back in lineup, collects 2,500th hit |newspaper=MLB公式 |date=2012年6月19日 |url=http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20120619&content_id=33592268&vkey=news_mlb&c_id=mlb%20%20%20,after |accessdate=2013年1月4日}}</ref>。この年は、前年オフからマリナーズ監督の[[エリック・ウェッジ]]が進言してきた起用法で、打順が定位置であった1番から3番へ移っていたものの、成績不振により6月以降は再び1番や2番にも移るなど起用法が転々。調子は一向に戻らず打率.261を喫し、特に本拠地[[セーフコ・フィールド]]では打率.214であった。
 
 
==== ヤンキース時代 ====
 
2012年[[7月23日]]、[[D.J.ミッチェル]]と[[ダニー・ファーカー]]との2対1のトレードで[[ニューヨーク・ヤンキース]]へ移籍<ref>{{Cite web |date=2012年7月24日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20120724-988364.html |title=イチローがヤンキースへトレード |publisher=日刊スポーツ |accessdate=2012年7月24日}}</ref>。移籍発表の記者会見の場では、自ら移籍を志願していたことを明かすと「11年半、ファンの方と同じ時間、思いを共有したことを振り返り、自分がマリナーズのユニホームを脱ぐと想像したときに、大変さびしい思いになったし、今回の決断は大変難しいものだった。オールスターブレークの間に自分なりに考えて出した結論は、20代前半の選手が多いこのチームの未来に、来年以降僕がいるべきではないのではないか。また、僕自身環境を変えて刺激を求めたい、という強い思いが芽生えた」と語り<ref name="nsii">{{Cite web |date=2012年7月25日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20120725-988833.html |title= イチロー「一番勝っているチーム」へ/一問一答 |publisher=日刊スポーツ |accessdate=2012年7月25日}}</ref>、ヤンキースへの移籍に対する心意気として「結果的には一番勝ってないチームから、一番勝っているチームに行くということになるので、テンションの上げ方をどうしようかなと思います」と語った<ref name="nsii">{{Cite web |date=2012年7月25日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20120725-988833.html |title= イチロー「一番勝っているチーム」へ/一問一答 |publisher=日刊スポーツ |accessdate=2012年7月25日}}</ref>。オリックス時代から慣れ親しんできた背番号51は、ヤンキースではイチロー自身も憧れていた[[バーニー・ウィリアムス]]がかつて付けていた番号ということもあり「とてもつけることはできない」と固辞し、背番号は'''31'''となった<ref>{{Cite news |title=イチロー背番号は「31」 51は「とてもつけることはできない」 |newspaper=スポーツニッポン |date=2012年7月24日 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/07/24/kiji/K20120724003747250.html |accessdate=2012年9月25日}}</ref><ref group="注">2015年2月16日、ヤンキースの背番号51はバーニー・ウイリアムスの永久欠番となっている。</ref>。<!--
 
 
イチローのヤンキース移籍への反応はNPB/MLBとも大きく[[ミルウォーキー・ブルワーズ]]の[[青木宣親]]は「試合前にテレビを見ていて、びっくりした。こっちだと当たり前のことかもしれないですけど、いまだに信じられない。こういう状況でもしっかりと自分のプレーができるのは、やっぱりイチローさんのすごいところ」と話した<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20120724-988548.html 青木「びっくり。いまだに信じられない」]日刊スポーツ、2012年7月24日</ref>。かつてマリナーズで共にプレーした[[城島健司]]は「不思議なもの。シアトルといえばイチローさんの街だったので。簡単に見えるように1打席目でヒットを打つのは、イチローさんのすごさ。31番は似合わないですね。十何年で残したものが、あのファンの人たちの拍手とスタンディングオベーションに集約されていた」と話した<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20120724-988549.html 城島「31番は似合わないですね」]日刊スポーツ、2012年7月24日</ref>。ヤンキースとしてのイチローの初戦で先発登板した[[黒田博樹]]は「チームが連敗中だったし、イチローさんが今日ヤンキースに来られて、本当に大事な試合だった」と話し、「(移籍発表が)自身の先発前だったのでゆっくり話ができなかったが、明日からじっくりチームメートとしてプレーを見てみたい。このメンバーにイチローさんが加わるとすごいメンバーになるので楽しみ」と試合後のインタビューでコメントした<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20120724-988562.html 黒田7回1失点で10勝 3年連続2ケタ]日刊スポーツ、2012年7月24日</ref>。
 
 
一方で、チームの顔とも言えるイチローが突然移籍したことのでマリナーズの選手はショックを隠しきれず、特にイチローに心酔し「イチロー選手と同じチームだけを希望します」と言ってこの年マリナーズに移籍してきた[[川崎宗則]]はこの日発言せず<ref>http://www.sanspo.com/baseball/news/20120724/mlb12072418330025-n1.html</ref>(翌日に「ショックではないです。イチローさんが元気にプレーしているのが一番うれしい。イチローさんが覚悟を決めてのこと。すごく応援したい。この6カ月間は貴重な経験ができました」と発言<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/07/25/kiji/K20120725003755550.html 川崎 ようやくコメント イチローの新番号は「逆から読んだらイチサン!」]スポニチ、2012年7月25日</ref><ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20120725-989005.html 川崎「イチローさん元気にプレーが一番」]日刊スポーツ、2012年7月25日</ref>)、同じくイチローに憧れていた選手として知られる[[マイケル・ソーンダース]]は「数分前にTVで耳にするまで、何も聞かされていなかった」と、突然の移籍だったことを話し<ref name="mlbc">[http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20120723&content_id=35447980&vkey=news_mlb&c_id=mlb&partnerId=rss_mlb Mariners players surprised to see Ichiro go]MLB.com 2012年7月23日</ref>、「みんな、周りを見渡していた。みんなが…、それを信じることができなかった。イチローは球団の顔だったんだ。彼が去るのは、寂しいよ」と話した<ref name="mlbc" />。
 
 
イチロー自身は川﨑を始めとするマリナーズの選手たちについて「そのことも迷った中の要素です。ただ、ムネ(川﨑)とはスプリングトレーニングからずっと一緒にやってきて、いい時間を共有できたと認識している。一緒の場所にいることが必ずしも一緒にやっているということではない。違う場所にいても一緒にやることはできる」と語った<ref name="nsii" />。-->
 
 
[[ファイル:Ichiro on deck.JPG|thumb|300px|ヤンキース時代のイチロー、2012年7月]]
 
 
移籍当日の“敵地”となった[[セーフコ・フィールド]]でのマリナーズ戦に「8番・右翼」で先発出場。第一打席に先発の[[ケビン・ミルウッド]]から移籍後初[[安打]]・初[[盗塁]]を記録した。移籍当初は[[ニック・スウィッシャー]]が故障離脱していたことに伴い本職の右翼で出場していたが、スウィッシャーの守備復帰以降は[[左翼手]]で主に起用され、チーム状況に合わせて右翼手や中堅手としても出場。打順は、移籍当初は下位で起用されることが多かったが、9月下旬からは主に2番で起用された。このシーズンは左投手を苦手としたため、相手先発が左投手の場合は先発から外れることも多かったが<ref name="nikkan20120921">{{Cite news |title=「ICHIRO」大合唱!NYが認めた |newspaper=日刊スポーツ |date=2012年9月21日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20120921-1020538.html |accessdate=2012年9月25日}}</ref>、チームの故障者増に伴い、左投手の場合でも先発出場は増えていった。
 
 
7月30日には[[ヤンキースタジアム]]にて、[[ミゲル・ゴンザレス (1984年生の投手) |ミゲル・ゴンザレス]]からメジャー通算100本塁打となる移籍後初本塁打を記録した。9月3週には、2010年9月以来の通算4度目となる週間MVPを受賞<ref>{{Cite news |title=イチロー 4度目の週間MVP受賞 |newspaper=スポーツニッポン |date=2012年9月25日 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/09/25/kiji/K20120925004191670.html |accessdate=2012年9月25日}}</ref>。チームは[[10月3日]]のレギュラーシーズン最終戦に地区優勝を決め、イチローもシーズン最終打席にタイムリーヒットを打った直後に1ゲーム差で追っていた[[ボルチモア・オリオールズ]]が[[タンパベイ・レイズ]]に敗れたため地区優勝が決定<ref>{{Cite news |title=イチローがヤンキース地区Vに果たした功績 |newspaper=[[スポーツナビ]] |date=2012年10月4日 |url=http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/2012/text/201210040004-spnavi.html |accessdate=2013年1月4日}}</ref>。最終的にチームも勝利し、イチローにとっては2001年以来の12年ぶりの地区優勝を決めた。メジャーでは自身初の[[シャンパンファイト]]を経験した<ref>マリナーズとして地区優勝を決めた2001年は、[[9月11日]]に発生した[[アメリカ同時多発テロ事件]]の影響でシャンパンファイトを自粛していたため</ref>。レギュラーシーズン全体の安打数は178安打と去年を下回る自己最低記録ではあったが、打率は.283と昨年を上回った。しかも、マリナーズ時代までは95試合で105安打、4本塁打、打点28、打率.261といった自己キャリア最低記録更新ペースの低迷であったが、ヤンキース移籍以降は67試合で73安打、5本塁打、打点27、打率.322と大幅に改善された。特に本拠地[[ヤンキー・スタジアム]]での成績は打率.359であり、ヤンキース移籍後の本塁打は全てヤンキー・スタジアムでのものであるなど、この年のマリナーズで残した成績の打率.261、ホーム[[セーフコ・フィールド]]での打率.214、移籍前の4本塁打中3本はホームではなくロードゲームで打ったのとは対照的な成績となった。
 
 
ポストシーズンでは全試合で2番打者として出場。オリオールズとの[[2012年のアメリカンリーグディビジョンシリーズ|ディビジョンシリーズ]]第1戦では3安打の活躍を見せる。第2戦では二死一塁の場面で[[ロビンソン・カノ]]の[[二塁打]]の間に生還。この場面では、完全にアウトのタイミングで三塁を回ったが(三塁[[ベースコーチ]]は本塁突入を指示している)、相手捕手の[[マット・ウィータース]]のタッチを2回かわしてホームインする活躍を見せた<ref name="ninja">{{Cite news |title=イチロー:忍者ホームイン!ジーター驚嘆「骨がないのでは」 |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2012年10月10日 |url=http://mainichi.jp/sponichi/news/20121010spn00m050003000c.html |accessdate=2013年1月4日}}</ref><ref>{{Cite news |title=忍者イチロー ミラクルっとホームイン |newspaper=[[日刊スポーツ]] |date=2012年10月9日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20121010-1030519.html |accessdate=2013年1月4日}}</ref>。このホームインは各所で話題を呼び、「忍者」と言った呼び方<ref name="ninja"/><ref>{{Cite news |title=イチロー「忍者の生還」に全米驚愕!捕手2度かわし技ありホーム |newspaper=[[スポーツ報知]] |date=2012年10月10日 |url=http://hochi.yomiuri.co.jp/mlb/news/20121010-OHT1T00052.htm |accessdate=2013年1月4日}}</ref>や、映画の『[[マトリックス]]』にちなんで「Matrix」<ref name="ninja"/><ref>{{Cite news |title=Ichiro Suzuki's 'Matrix' slide into home plate gives Yankees early lead against Baltimore Orioles in Game 2 of ALDS |newspaper=[[デイリーニュース]] |date=2012年10月9日 |url=http://www.nydailynews.com/sports/baseball/yankees/yankees-insider-ichiro-run-marvel-article-1.1178056?localLinksEnabled=false |accessdate=2013年1月4日}}</ref><ref>{{Cite news |title=Ichiro makes like 'The Matrix,' deftly avoids tag |newspaper=MLB公式 |date=2012年10月9日 |url=http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20121008&content_id=39620038&vkey=news_mlb&c_id=mlb |accessdate=2013年1月4日}}</ref>、「[[サルサ (ダンス)|サルサダンス]]」などと呼ばれ大きな反響を呼び<ref name="ninja"/>、[[ESPN]]はこの[[スライディング]]を「ひょっとしたらヤンキースの歴史の中でも最高のスライディング {{en|(Ichiro Suzuki made perhaps the best slide in the history of the Yankees.)}}」と報道した<ref>{{Cite news |title=Ichiro with the slide of the century |newspaper=[[ESPN]] |date=2012年10月8日 |url=http://espn.go.com/blog/new-york/yankees/post/_/id/45811/ichiro-with-slide-of-the-century |accessdate=2013年1月4日}}</ref>。[[デトロイト・タイガース]]との[[2012年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]第1戦では、9回に[[ホセ・バルベルデ]]からポストシーズンで初となる本塁打を放つなど6打数4安打4打点の活躍を見せたがチームは敗れ<ref>{{Cite news |title=イチロー、2ランなど4安打もヤ軍、延長で初戦落とす |newspaper=[[産経新聞]] |date=2012年10月14日 |url=http://sankei.jp.msn.com/sports/news/121014/mlb12101415400002-n1.htm |accessdate=2013年1月4日}}</ref>、その後チームは4連敗を喫し敗退。敗退後は、「悔しい思いしかないが、こういう本来持っている気持ちを思い出させてもらったことに感謝している。色んなものを僕に与えてくれた。ここでしか味わえないものは確実に存在する」と語った<ref>{{Cite news |title=イチローWシリーズの夢またも届かず |newspaper=日刊スポーツ |date=2012年10月20日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20121020-1034981.html |accessdate=2015年6月22日}}</ref>。
 
 
2007年にマリナーズと結んだ契約が終了し、プロ入り後初めてFAとなったオフには、イチロー自身が残留を望んでいるとされていたヤンキース<ref>{{Cite news |title=イチロー:ヤ軍残留を熱望?勝てるチームと同僚をお気に入り |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2012年10月27日 |url=http://mainichi.jp/sponichi/news/20121027spn00m050017000c.html |accessdate=2013年1月4日}}</ref>の他に、[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]<ref>{{Cite news |title=イチロー:ジャイアンツが獲得目指す 「まだ数年できる」 |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2012年10月27日 |url=http://mainichi.jp/sponichi/news/20121027spn00m050016000c.html |accessdate=2013年1月4日}}</ref>、[[フィラデルフィア・フィリーズ]]<ref>{{Cite news |title=イチロー:フィリーズが上原とのダブル獲得を検討 資金力豊富」 |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2012年11月23日 |url=http://mainichi.jp/sponichi/news/20121123spn00m050013000c.html |accessdate=2013年1月4日}}</ref><ref>{{Cite news |title=イチロー:フィリーズが正式オファーへ マニエル監督が獲得熱望 |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2012年12月10日 |url=http://mainichi.jp/sponichi/news/20121210spn00m050009000c.html |accessdate=2013年1月4日}}</ref>、さらに日本球界では古巣の[[オリックス・バファローズ]]<ref>{{Cite news |title=オリックスがイチロー獲得意志を明言 |newspaper=[[日刊スポーツ]] |date=2012年10月31日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20121031-1040207.html |accessdate=2013年1月4日}}</ref>と、出身地の[[愛知県]]を本拠地とする[[中日ドラゴンズ]]<ref>{{Cite news |title=中日「動きます」イチロー獲得準備 |newspaper=[[日刊スポーツ]] |date=2012年10月31日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20121031-1040208.html |accessdate=2013年1月4日}}</ref>が興味を示す報道があったが、12月19日にヤンキースと2年1300万ドルで契約を結んだことが発表された<ref name="yankeeszannryu">{{Cite news |title=イチロー「断る理由ない」不惑ヤンキース |newspaper=日刊スポーツ |date=2012年12月21日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20121221-1062327.html |accessdate=2015年6月22日}}</ref>。ヤンキースは1年契約を基本線としていたが、他球団が2年契約を提示していたことが明らかになり、方針転換したと言われる<ref name="yankeeszannryu"/>。一部のファンなどからは背番号を長年慣れ親しんだ51に戻すべきという意見もあったが<ref>{{Cite news |title=イチロー、ヤ軍残留決定的 気になる背番号 |newspaper=[[日本経済新聞]] |date=2012年12月17日 |url=http://www.nikkei.com/article/DGXZZO49621900W2A211C1000000/?df=3 |accessdate=2013年1月9日}}</ref>、引き続き31を着用することとなった。
 
 
翌年3月に開催された[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック|第3回WBC]]については、所属球団が決まっていない時期に[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|日本代表]]での参加要請を受けたが、[[11月19日]]に代表参加辞退の意思を正式に表明<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20121119-1049080.html イチロー辞退「3回目出場は考えられず」]</ref>。「ボクの中で第2回大会を終えた時点で3回目の出場は考えられませんでした。今日までその気持ちが変わることはなくこういう形になりました」として<ref name="WBC 2013">{{Cite news |title=WBC辞退イチローの本音 |newspaper=[[東京スポーツ]] |date=2012年11月23日 |url=http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/56218/ |accessdate=2013年1月9日}}</ref>、第2回WBCの時点で既に第3回大会への参加は考えていなかったことを明かし、一方で「大会が着実に成長している」ともコメントした<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/wbc/2013/news/f-bb-tp0-20130320-1100327.html 日刊スポーツ]</ref><ref>[http://hochi.yomiuri.co.jp/mlb/news/20130320-OHT1T00071.htm 報知新聞]</ref>。第2回WBCの東京ラウンド終了後、「僕にとって日本での最後のゲーム」と明言し、代表引退を示唆していた<ref>{{Cite news |title=イチロー「日本で最後」発言…日本球界復帰その気なし |newspaper=ZAKZAK |date=2009年3月10日 |url=http://www.zakzak.co.jp/spo/200903/s2009031001_all.html |accessdate=2015年7月14日}}</ref>。
 
 
{{by|2013年}}、[[黒田博樹]]と[[ダルビッシュ有]]が先発した[[6月25日]]の[[テキサス・レンジャーズ]]戦(ヤンキースタジアム)では、9回裏2死に[[タナー・シェパーズ]]から、ヤンキース移籍後初のメジャー2本目となるサヨナラ本塁打を放った<ref>{{Cite news |title=ダルと黒田から主役頂き!イチローサヨナラ弾|newspaper=[[サンケイスポーツ]] |date=2013年6月27日 |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20130627/mlb13062705050005-n1.html |accessdate=2013年6月29日}}</ref>。7月14日の[[ミネソタ・ツインズ]]戦でメジャー通算2000試合出場を達成<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20130716-1158097.html イチロー、メジャー2000試合で6号&猛打]日刊スポーツ、2013年7月16日。</ref>。2000試合出場時点での2696安打は[[タイ・カッブ]]、[[ジョージ・シスラー]]、[[アル・シモンズ]]、[[ロジャース・ホーンスビー]]、[[ポール・ウェイナー]]につぐ6番目となった。
 
 
8月21日のブルージェイズ戦ではブルージェイズ戦に「2番、右翼」で先発し、1回の第1打席で、相手の先発投手[[R.A.ディッキー]]から左前打を放ち、NPB/MLB通算4000本安打に到達した。<ref>[https://web.archive.org/web/20130826044440/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130822-00000214-mlbjp-base 日米通算4000本安打達成のイチローが会見(全文掲載)/一問一答]MLB.jp、2013年8月22日。</ref>。9月8日のレッドソックス戦ではシーズン20個目の盗塁を成功させ、2001年のメジャーデビューから13年連続20盗塁以上を達成した。しかし、これがシーズン最後の盗塁となり、シーズン全体の成績も前年より下降してしまった。
 
 
{{by|2014年}}、両リーグで5番目に年長の選手となった<ref>{{Cite web|url=http://www.baseball-reference.com/leagues/MLB/2014-other-leaders.shtml |title=2014 Major League Baseball Awards, All-Stars, & More Leaders|work=Baseball-Reference.com|language=英語|accessdate=2017年2月16日}}</ref>。前半戦終了時点では打率がチームトップの2割9分7厘,出塁率は同2位の3割4分7厘という成績だった。最終的には前年より少ない143試合の出場、102安打に止まりながら打率.284と前年を上回る成績を残したが、オフにFAとなった。
 
 
==== マーリンズ時代 ====
 
[[ファイル:Ichiro Suzuki on February 29, 2016.jpg|サムネイル|マーリンズ時代のイチロー(2016年2月29日)]]
 
{{by|2015年}}1月27日に[[マイアミ・マーリンズ]]と年俸200万[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]+出来高の1年契約を結んだことが発表された<ref>{{Cite news |title=【米国はこう見ている】イチローがマーリンズと正式契約 サインのために球団幹部5人が来日!?|newspaper=Full-Count|date=2015年1月28日|url=http://full-count.jp/2015/01/28/post7607/ |accessdate=2015年1月30日}}</ref>。背番号はオリックス、マリナーズでも着用していた'''51'''。この年、両リーグで3番目に年長の選手となった<ref>{{Cite web|url=http://www.baseball-reference.com/leagues/MLB/2015-other-leaders.shtml |title=2015 Major League Baseball Awards, All-Stars, & More Leaders|work=Baseball-Reference.com|language=英語|accessdate=2017年2月16日}}</ref>。入団会見は球団社長やGMが来日して行われた。4月7日、[[開幕戦]]に[[代打]]で登場した際、ファンが[[スタンディングオベーション]]をし、イチローは「僕だって心は動く」と感動した<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/1458454.html イチロー新天地開幕「心動いた」] 日刊スポーツ、2015年4月8日</ref>。
 
 
シーズンが始まり、チームは思うような成績は残せないものの、自身は様々な打順また代打などの色々な状況で攻守にわたり好調を維持していたが、夏の時期に差し掛かると自身ワーストの34打席無安打という[[スランプ]]に陥った。しかし7月8日に35打席ぶりに安打を記録すると、7月20日の試合では2014年6月14日以来の3安打を記録。メジャー通算250度目の3安打となった。また、7月15日には[[MLB]]での各球団最高の4選手を選ぶ'''[[フランチャイズ・フォー]]'''という企画があり、イチローは[[シアトル・マリナーズ]]のなかで [[ケン・グリフィー・ジュニア]]、[[フェリックス・ヘルナンデス]]、[[エドガー・マルティネス]]と共に選出された。10月4日、シーズン最終戦の[[フィラデルフィア・フィリーズ]]戦の8回裏に[[投手]]として初めて登板した。1回を投げ被安打2、1[[失点]]、[[交代完了]]を記録し、球速の最速は89[[マイル毎時|mph]](143[[キロメートル毎時|km/h]])であった<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK10015_V01C15A0000000/ |title=イチロー、大リーグ初登板 1回を2安打1失点 |publisher=日本経済新聞 |date=2015年10月5日 |accessdate=2015年10月5日}}</ref>。2015年は前年より多い153試合に出場したもののキャリア最低の91安打、打率.229にとどまった<ref>{{Cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/10/05/kiji/K20151005011264730.html |title=イチロー初登板に感慨も「2回目は要らない」145キロ届かず「ショック」|work=スポニチアネックス |publisher=スポーツニッポン |date=2015年10月5日 |accessdate=2015年10月5日}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/10/05/kiji/K20151005011264630.html |title=今季最終戦でイチロー投手メジャー初登板!1回を2安打1失点 |work=スポニチアネックス |publisher=スポーツニッポン |date=2015年10月5日 |accessdate=2015年10月5日}}</ref>。10月6日、マーリンズと来期の1年契約を結んだ。メジャーリーグ通算3000本安打まであと65本に迫っており、{{仮リンク|デビッド・サムソン|en|David Samson (baseball)}}球団社長は「引き続き、第4の外野手として、今年と同じようにチームに貢献してもらいたい。3000安打の達成も、一緒に喜べたら素晴らしい」と話した<ref>{{Cite web|publisher=スポニチ Sponichi Annex|title=イチロー、メジャー3000安打達成へ、マーリンズと1年契約|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/10/06/kiji/K20151006011275320.html |date=2015年10月7日|accessdate=2015年10月7日}}</ref><ref>{{Cite web|publisher=朝日新聞デジタル|title=イチロー、マーリンズと1年再契約「3千安打を一緒に」|url=http://www.asahi.com/articles/ASHB710FKHB6UTQP02B.html |date=2015年10月7日|accessdate=2015年10月7日}}</ref>。
 
 
{{by|2016年}}この年、両リーグで2番目に年長の選手となった<ref>{{Cite web|url=http://www.baseball-reference.com/leagues/MLB/2016-other-leaders.shtml |title=2016 Major League Baseball Awards, All-Stars, & More Leaders|work=Baseball-Reference.com|language=英語|accessdate=2017年2月16日}}</ref>。4月29日のブルワーズ戦で史上38人目となる[[:en:List of Major League Baseball career stolen bases leaders|通算500盗塁]]を達成<ref>[http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160430-00000036-nksports-base イチロー500盗塁史上8人目2900H&500S] 日刊スポーツ、2016年4月30日</ref>。5月21日から23日にかけて、自身10年ぶり、42歳以上の選手としては[[キャップ・アンソン]]以来122年ぶりとなる、連続3試合で10安打を記録した<ref>{{Cite web|url=http://www.hochi.co.jp/baseball/mlb/20160524-OHT1T50202.html |title=イチロー、42歳で3試合10安打は122年ぶりの快挙!メジャー3000安打へあと「40」|work=[[スポーツ報知]]|date=2016年5月25日|accessdate=2016年11月6日}}</ref>。6月2日のパイレーツ戦で'''NPB/MLB通算700盗塁'''を達成した<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/1657454.html イチロー日米700盗塁達成 成功率8割2分6厘] 日刊スポーツ、2016年6月3日</ref>。
 
 
6月15日の敵地パドレス戦で「1番・右翼」で先発出場し、1回の第1打席で[[捕手]]への内野安打で出塁し、ピート・ローズの持つ'''MLB通算最多安打記録4256安打'''にNPB/MLB通算安打で並ぶ<ref>[[マイナーリーグ]]やNPBの二軍での安打数は含まない</ref>。さらに第5打席で[[フェルナンド・ロドニー]]から右翼線の二塁打を放ち'''NPB/MLB通算4257安打'''となり、NPB/MLBの通算安打でMLB最多安打記録を更新する<ref>{{Cite news|title=イチローが日米通算4257安打、歴代最多“ローズ超え” 2安打で一気に抜く|newspaper=Full-Count|date=2016年6月16日|url=http://full-count.jp/2016/06/16/post35429/ |accessdate=2016年6月16日}}</ref>。6月24日には6月15日にマークしたNPB/MLB通算4,257本目の安打がプロ野球における通算最多安打数の世界記録としてギネス記録に認定された。
 
 
===== アジア人初のMLB通算3000安打達成 =====
 
2016年[[8月7日]]、敵地での[[コロラド・ロッキーズ]]戦に「6番・中堅」で先発出場し、7回の第4打席で[[クリス・ルーシン]]からライトフェンス直撃の三塁打を放ち、'''史上30人目の[[3000本安打クラブ|MLB通算3000安打]]'''を達成。16シーズン目での3000安打到達はピート・ローズと並び史上最速タイ記録。3000本目の安打を三塁打で決めるのは[[ポール・モリター]]以来、史上2人目であった。さらにこの三塁打で[[福本豊]]の持つ'''三塁打数の日本記録をNPB/MLB通算で更新し、単独1位の116本目'''とした。また、同一シーズンにメジャーリーグで3000本安打と500盗塁を同時達成したのは史上初である<ref>{{Cite news|title=イチロー、史上30人目の3000安打達成 16シーズン目での到達は史上最速タイ|newspaper=Full-Count|date=2016年8月8日|url=http://full-count.jp/2016/08/08/post41542/ |accessdate=2016年8月8日}}</ref><ref>同一シーズンに限らなければ史上7人目</ref>。8月16日、レッズ戦にスタメン出場し、9回の第4打席でライトへ三塁打を放ち、メジャー通算3004安打目にしてメジャー全30球団の本拠地で安打を記録した。29日のメッツ戦では4回に左前打を放った後、シーズン10個目の盗塁を記録し、NPB/MLB通算でメジャー最多[[リッキー・ヘンダーソン]]と並ぶ23年連続2桁盗塁を成功させた<ref>{{Cite news|title=イチロー歴代27位3011安打23年連続2桁盗塁|newspaper=nikkansports|url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/1702329.html |date=2016年8月30日|accessdate=2016年8月30日}}</ref>。9月6日の[[フィラデルフィア・フィリーズ]]戦において[[代打]]で出場し、NPB/MLB通じて自身初の代打本塁打を放った<ref>{{Cite web|url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/1706182.html |title=イチロー代打で1号 24年連続弾も「はずかしい」|date=2016年9月7日|accessdate=2016年9月7日}}</ref>。9月13日の[[アトランタ・ブレーブス]]戦で史上12人目となる通算900試合目の[[マルチヒット|複数安打]]を達成した<ref>{{Cite web|url=http://full-count.jp/2016/09/14/post45750/ |title=イチロー史上12人目の快挙! メジャー通算900試合目のマルチ安打達成|work=Full-count|date=2016年9月14日|accessdate=2016年11月6日}}</ref>。10月5日、2017年における球団側が選択権を持つ契約オプションが行使されてチーム残留が決まり、2018年における球団側が選択権を持つ契約オプションが新たに追加された<ref>{{Cite web|url=http://full-count.jp/2016/10/06/post47674/ |title=マーリンズが2017年契約延長に加え、2018年契約オプション追加を発表|work=Full-count|date=2016年10月6日|accessdate=2016年11月6日}}</ref>。
 
 
なお、同年オフに[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]]から戦力外通告を受けた[[後藤光尊]]が現役を引退したことにより、オリックス・ブルーウェーブに所属していた唯一の現役選手となった。
 
 
{{by|2017年}}[[4月19日]]、[[セーフコ・フィールド]]でのマリナーズとの最終戦では、[[ビジターゲーム (日本プロ野球)|ビジター]]の選手では異例の[[Bobblehead|首振り人形]]が配布された<ref>{{Cite web|url=http://m.mlb.com/cutfour/2017/04/19/225307588/ichiro-suzuki-hit-a-homer-on-his-own-bobblehead-day-in-seattle-and-thanked-mariners-fans |title=Ichiro capped his return to Seattle with a homer on his bobblehead day|publisher=MLB.com|date=2017年4月19日|accessdate=2018年2月18日}}</ref>。その試合で先発出場し、最終打席で本塁打を放ち、マリナーズファンは惜しみない[[スタンディングオベーション]]を送った<ref>{{Cite web|url=https://www.mlb.com/mariners/news/marlins-ichiro-homers-in-final-safeco-at-bat/c-225308322 |title=Marlins' Ichiro homers in final Safeco at-bat|publisher=MLB.com|author=Doug Miller|language=英語|date=2017年4月20日|accessdate=2018年3月8日}}</ref>。なおこの本塁打でNPB時代からつづくシーズン連続本塁打記録を25シーズン連続と伸ばし、[[リッキー・ヘンダーソン]]のもつメジャー記録に並んだ。またこれでMLB通算761打点とし、[[松井秀喜]]の760打点を超え、日本人メジャーリーガーで歴代1位となった<ref>{{Cite web|url=https://www.daily.co.jp/mlb/2017/04/20/0010112574.shtml |title=イチロー、古巣最終戦で今季1号! メジャー記録に並ぶ25年連続本塁打|newspaper=dailynews|date=2017年4月20日|accessdate=2017年4月22日}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/1810991.html |title=イチロー、松井抜いた761打点「あ、そうだあ」|newspaper=日刊スポーツ|date=2017年4月20日|accessdate=2017年6月14日}}</ref>。[[6月25日]]、カブス戦に「1番・中堅」で先発出場。43歳246日での中堅手としての先発出場は、2002年7月24日、当時[[ボストン・レッドソックス]]所属のリッキー・ヘンダーソンが記録した43歳211日を抜き、メジャー史上最高齢記録となった(その後も数試合で先発し、9月18日に記録を43歳331日に更新)。9月7日、ナショナルズ戦の5回に代打で出場して中前安打を放って'''NPB/MLB通算5863塁打'''とし、[[王貞治]]が持っていた日本記録を日米通算で塗り替えた<ref>{{Cite web|url=http://www.hochi.co.jp/baseball/mlb/20170907-OHT1T50292.html |title=イチロー、王さん超えに感慨!日米通算5863塁打「王監督の記録はどの記録でも特別なもの」|publisher=スポーツ報知|date=2017年9月8日|accessdate=2018年3月8日}}</ref>。また、右翼手として史上8人目となる[[:en:List of Major League Baseball career putouts as a right fielder leaders|通算4000刺殺]]に到達した。11月3日、2018年における契約オプションが行使されず、マーリンズを退団することが発表された<ref>{{Cite web|url=http://www.hochi.co.jp/baseball/mlb/20171104-OHT1T50042.html |title=イチローがFAに…マーリンズはジーターCEOで変革期へ|publisher=スポーツ報知|date=2017年11月4日|accessdate=2018年3月8日}}</ref>。
 
 
==== マリナーズ復帰 ====
 
2018年2月時点で所属球団が決まらず、[[兵庫県]][[神戸市]]内を中心に日本で自主トレーニングをしていた。
 
また、自身にとって初めてキャンプイン時に所属球団が決まっていない状態となった<ref>{{Cite news|title=【MLB】イチローの姿なし 野手勢キャンプインも未契約|url=http://www.sankei.com/sports/news/180220/spo1802200019-n1.html |newspaper=[[産経新聞|産経ニュース]]|publisher=[[産業経済新聞社]]|date=2018年2月20日|accessdate=2018年2月22日}}</ref>。
 
 
3月5日、マリナーズとメジャー契約で合意間近であることが判明し<ref>{{Cite news|author=Bob Nightengale|url=https://www.usatoday.com/story/sports/mlb/2018/03/05/ichiro-suzuki-return-mariners-deal/395854002/ |title=Ichiro Suzuki, 44, Mariners near agreement on contract|newspaper=[[USAトゥデイ|USA Today]]|language=英語|date=2018年3月5日|accessdate=2018年3月6日}}</ref><ref>{{Cite news|title=【MLB】イチロー 古巣マリナーズ復帰へ 44歳でメジャー18年目 現役最年長野手|url=http://www.sankei.com/sports/news/180306/spo1803060002-n1.html |newspaper=産経ニュース|publisher=産業経済新聞社|date=2018年3月6日|accessdate=2018年3月6日}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.mlb.com/news/mariners-agree-to-deal-with-ichiro-suzuki/c-267898000 |title=Source: Mariners agree to deal with Ichiro|author=Greg Johns|language=英語|work=MLB.com|date=2018年3月5日|accessdate=2018年3月6日}}</ref>、[[3月7日]]には正式にマリナーズと1年契約を結んだと発表された<ref name="MLB20180307">{{Cite web|url=https://www.mlb.com/news/ichiro-suzuki-rejoins-mariners-on-1-year-deal/c-268076982 |title=Ichiro finalizes 1-year deal to return to Mariners|author=Greg Johns|language=英語|work=MLB.com|date=2018年3月7日|accessdate=2018年3月8日}}</ref>。年俸は75万ドル、出来高でマイアミ時代の年俸である200万ドルまで増額されると伝えられている<ref name="ESPN20180307">{{Cite web|url=http://www.espn.com/mlb/story/_/id/22678294/seattle-mariners-bring-back-ichiro-suzuki-1-year-deal |title=Mariners bring back Ichiro Suzuki on 1-year deal|work=MLB.com|language=英語|publisher=ESPN|date=2018年3月7日|accessdate=2018年3月8日}}</ref>。3月14日の[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]戦では右[[ふくらはぎ]]の張りのため試合途中で退いたり<ref>{{Cite web|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/03/15/kiji/20180315s00001007127000c.html|title=イチロー、右ふくらはぎに張り 打席に立たず無念の交代|publisher=スポーツニッポン|date=2018-03-15|accessdate=2018-04-07}}</ref>、3月24日のマイナーリーグの練習試合では[[ブランドン・マン]]から頭部に[[死球]]を受け、2004年8月18日の[[カンザスシティ・ロイヤルズ]]戦以来となる同事象での負傷退場となるなど不安を抱えていたが<ref>{{Cite web|url=https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/201803250000151.html|title=開幕大丈夫か、14年前は2日後3安打/記者メモ|publisher=日刊スポーツ|date=2018-03-25|accessdate=2018-04-07}}</ref>、自身5年ぶりの開幕スタメンとなった。
 
 
5月3日、マリナーズと「スペシャルアシスタントアドバイザー(会長付特別補佐)」の契約を結び、選手としては今季の残り試合は出場しないことが発表された<ref>{{Cite web |date=2018-05-04 |url=http://m.mlb.com/news/article/275148362/bob-melvin-reflects-on-time-managing-ichiro |title=Melvin reflects on his time managing Ichiro |publisher= Seattle Mariners |language= 英語|accessdate=2018-05-04}}}</ref><ref>{{Cite press release |title= Mariners outfielder Ichiro Suzuki transitioning to new role; beginning today will work as special assistant|publisher= Seattle Mariners |date= 2018-05-03|url= https://www.mlb.com/news/mariners-outfielder-ichiro-suzuki-transitioning-to-new-role/c-275072724|format= HTML|language= 英語|accessdate= 2017-05-04}}</ref><ref>{{Cite news |title=イチロー、今季は出場せずマリナーズのフロント入り-MLB・コム |newspaper=Bloomberg |date=2018-05-04  |url=https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2018-05-03/P865A36TTDS201 |accessdate=2018-05-04}}</ref>。また、この契約締結により半永久的にマリナーズに留まる事となった<ref>{{Cite news|title=マリナーズ生涯契約、日本復帰消滅/イチロー写真館 - MLB : 日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/201805030000941.html|accessdate=2018-05-03|language=ja-JP|work=nikkansports.com}}</ref><ref>{{Cite news|title=イチローと球団の思惑合致、来季以降選手で出場可能 - MLB : 日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/201805040000003.html|accessdate=2018-05-03|language=ja-JP|work=nikkansports.com}}</ref><ref>{{Cite news |title=イチロー マ軍と異例の生涯契約 特別アドバイザーに 今季選手出場せず来季日本開幕戦で「復帰」も |newspaper=スポーツニッポン |date=2018-05-04 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/05/03/kiji/20180504s00001007039000c.html |accessdate=2018-05-04}}</ref><ref>{{Cite news |title=イチロー事実上引退…マ軍特別アドバイザー就任、来季以降は試合出場可能 |newspaper=スポーツ報知 |date=2018-05-04 |url=http://www.hochi.co.jp/baseball/mlb/20180504-OHT1T50059.html |accessdate=2018-05-04}}</ref><ref>{{Cite news |title=イチロー、電撃フロント転向!マリナーズと生涯契約へ 今季残り試合プレーせず |newspaper=産経スポーツ |date=2018-05-04 |author=産業経済新聞社 |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20180504/mlb18050405050002-n1.html |accessdate=2018-05-04}}</ref>。
 
 
== 選手としての特徴 ==
 
メジャーリーガーとして非常に遅い年齢でのデビューながらも、走攻守すべての面で非常に高い評価を得ているオールラウンドプレイヤーとして、数多くの記録を打ち立ててきたことにより、将来の[[アメリカ野球殿堂|野球殿堂入り]]が確実視されている<ref name="Ichirodendoiri nikkansports">{{Cite news |title=イチロー「殿堂入り確実な5人」に入る |newspaper=[[日刊スポーツ]] |date=2013年1月7日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20130107-1068891.html |accessdate=2016年11月29日}}</ref>。
 
 
=== 打撃 ===
 
マリナーズ時代はほとんどの試合で1番打者を務め、リーグを代表する[[打順#打順に対する考え方|リードオフマン]]の1人として知られた。2001年から2010年までの平均では224本、初めて200安打が途切れた2011年までの平均でも220安打を放ち、また10回の200安打達成のうち210安打以上を8回記録しておりハイペースで安打を量産している<ref group="注">メジャーの連続10シーズンでの平均安打はイチローの224安打に対しイチロー以外の他の選手は全員が平均200安打を下回っている</ref>。
 
 
歴代シーズン最多単打記録を保持し、[[#走塁|後述]]する俊足から比較的[[内野安打]]が多く安打の内容は[[単打]]の割合が高い。2009年9月にメジャー通算2000本安打を達成した時点では、そのうちの452本が内野安打であった<ref>[http://sports.espn.go.com/mlb/columns/story?columnist=caple_jim&id=4452106 Hitting is an art form for Seattle Mariners outfielder Ichiro Suzuki - ESPN]</ref>。日本では特にオリックス時代の後期にチーム事情から[[クリーンナップ|中軸打者]]を務めていたこともあって[[長打]]を放つことも多かったが、メジャー移籍後は「[[振り子打法]]」を止め、より単打と内野安打の多い打撃となっている。
 
 
バッティングスタイルは、変化球を狙い速球を“詰まりながら”内野と外野の間に落とす。または、あえて相手投手の決め球を狙って打ちにいくという<ref name="nytjul82007">NHK放送「[[プロフェッショナル仕事の流儀]]」より。</ref>。バッティングフォームが「打った直後、すでに右足が一塁を向いている」ため、俊足と相まって他の選手ならばアウトになるような内野ゴロが安打になることが多い。アメリカのメディアに「走りながら打っている」、「走りながら打つ忙しい選手」などと言われるように、左打者でかつスイングから走り始めるまでの一連の動作が速い分、本塁から一塁への到達時間が3.9 - 3.7秒と非常に短く<ref>現役スカウト部長による“本物”のスカウティング・レポート『月刊スラッガー』2009年10月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、雑誌15509-10、42-45頁。</ref><ref>2009年9月23日放送NHK BS1『スポーツ大陸 「イチロー大記録への闘い」』より</ref>、バント安打の際には3.46秒を記録したこともあり<ref name="yk201104"/>、2001年と2010年を比較して0.1秒ほど平均速度は遅くなっているものの<ref name="yk201104"/>、2010年時点でも平均3.92秒<ref name="yk201104"/>、バント安打で3.56秒を記録するスピードを誇る<ref name="yk201104"/>。また視力は0.4程度だが眼鏡も[[コンタクトレンズ]]も使用しておらず、ボールを点や線でなく立体的にとらえているという<ref>{{Cite news |title=イチロー200安打視力0・4でも限界なし |newspaper=日刊スポーツ |date=2009年9月15日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20090915-543821.html |accessdate=2012年9月29日}}</ref>。また、父親の幼少の頃からのトレーニングで左打者でありながら、左投手を苦にしなかった。
 
 
2001年のメジャーデビュー当初、当時マリナーズのチームメイトであった[[ジョン・オルルド]]は、イチローの打撃について5通りの打ち方をすると評している。1つ目はランニング・ワン・ハンダー(半分走りながら片手で打つ)、2つ目はザ・リーナー(ボールに寄りかかりながら打つ)、3つ目はフィストカフ・スイング(なぐりつけるように流し打つ)、4つ目はチップ・スイング(ゴルフのチップショットのように打つ)、5つ目はパワースイング(力強く引っ張るバッティング)であるという<ref>{{Cite news |title=New wind in their sails |url=http://www.usatoday.com/sports/bbw/2001-05-30/2001-05-30-specialseattle.htm |publisher =USA today |date=2001年5月30日}}</ref>。また、2001年当時打撃コーチであったジェラルド・ベリーは、「彼は5種類のスイングができる。(1)スポイル。難しいストライクをファウルにする。(2)スラップ。軽くたたいて左に流す。(3)ストローク。ボールの下をたたいて中前に落とす。(4)スラム。野手のいない所へ力を入れてシュートする。(5)テニスの[[クリス・エバート]]のバックハンド。腕だけでコントロールしてボールをどこへでも運べる」と語り、「だけどね、何でそんなことができるのか、僕にはわからない」と笑って述べている<ref>2007年9月4日[[朝日新聞]]朝刊スポーツ面、[[西村欣也]]</ref>。
 
 
シーズン最多安打記録を更新した翌2005年には打率4割を期待する声も挙がったが、『ニューヨーク・タイムズ』紙はイチローのバッティングスタイルを考慮すると、4割の大台達成よりもむしろ[[ジョー・ディマジオ]]の持つ56試合連続安打記録を塗り替えるほうが現実的との見解を示した<ref>{{Cite news |title=Why Suzuki's Magic Number Is Really 56, Not .406 |url=http://www.nytimes.com/2005/05/01/sports/baseball/01score.html |publisher=[[ニューヨーク・タイムズ]] |date=2005年5月1日}}</ref>。対して本人はインタビューでの『打率4割とメジャー最長記録である56試合連続安打、どちらのほうが達成は難しいか?』という問いで、56試合連続安打のほうを選んでいる<ref>{{Cite web|date=2007年6月3日|url=http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/column/200706/at00013432.html |title=イチローが狙うのは「4割」か、「56試合連続安打」か(1/2)木本大志の『ICHIRO STYLE 2007』 VOL.5|publisher=スポーツナビ|author=木本大志|accessdate=2011年1月20日}}</ref>。
 
 
現役メジャーリーガーとしては小柄で、本塁打数も歴代[[シルバースラッガー賞]]受賞者の中では最も少ない部類に入る。ただし本塁打に関しては打てないというわけではなく、元マリナーズ監督の[[ボブ・メルビン]]がケーブルテレビ局『[[ESPN]]』に「(試合前の)彼の打撃練習を見てみなよ。いつも山ほど(本塁打を)打っているよ」と語っており、[[ウェイド・ボッグス]]や[[タイ・カッブ]]などと同じくあえて試合では単打狙いに徹していると言われる<ref>{{Cite news |title=Patience has its reward for Ichiro |url=http://sports.espn.go.com/mlb/columns/story?columnist=kurkjian_tim&id=1559908 |publisher=[[ESPN]] |date=2003年5月28日}}</ref>。コラムニストの[[木本大志]]は、イチローが内野安打を打った時と本塁打を打った時では、軸の位置に違いがあることを言及している<ref>{{Cite web|date=2005年6月27日|url=http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/05season/players/ichiro/column/200506/at00005206.html |title=1/500秒に隠されたイチローの秘密 (1/2)木本大志の『ICHIRO STYLE』 VOL.8|publisher=スポーツナビ|author=木本大志|accessdate=2011年1月20日}}</ref>。イチロー自身も『[[ニューヨーク・タイムズ]]』紙に「僕にとって、フライを打ってから『あぁ、多分ホームランになるな』と思うシチュエーションになったことは一度もない」と語っている<ref name="nytimes9507">{{Cite news |title=Walking or Swinging, Suzuki Is a Force on Offense |url=http://www.nytimes.com/2007/09/05/sports/baseball/05ichiro.html |publisher=[[ニューヨーク・タイムズ]] |date=2007年9月5日}}</ref>。日本プロ時代の1995年に当時130試合制の1シーズンで25本塁打を放ち本塁打ランキングパ・リーグ日本人2位に輝いたほか、メジャー時代に1シーズンで15本塁打を放ったこともある。2007年のオールスター後のインタビューでは「(打率が)2割2分でいいなら、40本(打てる)と言っておきましょう」と冗談混じりに語った<ref>{{Cite news |title=オールスターゲーム、イチロー貫禄のMVP |url=http://www.ohmynews.co.jp/news/20070712/13068 |publisher=OhmyNews |date=2007年7月12日}}</ref>。
 
 
[[四球]]を望まず積極的に打ちにいくタイプで<ref>{{Cite news |title=イチロー打率のための四球選ばず |url=http://www.zakzak.co.jp/spo/2007_09/s2007090705.html |publisher = [[夕刊フジ]] |date=2007年9月7日}}</ref>、[[三振]]・四球ともに少ない。特に三振の少なさに関しては、216打席連続無三振のNPB記録も保持している。
 
2000年[[5月13日]]の対[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]戦では、1回裏の打席で[[後藤利幸]]の投じたワンバウンドの悪球を打ちにいき、ライトに運んでヒットにしている<ref>{{Cite news |title=【5月13日】2000年(平12) いろいろあった1日 イチロー、初めてのワンバウンド打ち |newspaper=[[スポーツニッポン]] |date=2010年5月13日 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_10may/KFullNormal20100501247.html |accessdate=2013年1月9日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130207150323/http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_10may/KFullNormal20100501247.html |archivedate=2013年2月7日 |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref>。
 
 
リードオフマンを務めていることから、「塁に出るのが仕事」と述べており<ref>[[佐々木主浩]]との対談より{{出典無効|date=2012年9月}}。</ref>、メジャー通算2748出塁は、自身がデビューした2001年以降では両リーグ2位・アメリカンリーグ1位の数字であり、リードオフマンの打者としては2位以下を大きく引き離して1位である(2010年シーズン終了時点)。
 
 
1軍に定着したNPB時代の1994年シーズンからメジャー移籍後の2010年シーズンまで、17年連続で打率3割以上を記録し続け、その間に首位打者を9度獲得。さらにメジャーでの通算打率も現役選手中2位(1位は[[アルバート・プホルス]])の高打率を記録しているが、本人は「打率は変動するが、安打は積み重ねることができる」との理由から、打率よりも安打数を重視している<ref>{{Cite web|date=2005年10月3日|url=http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/05season/players/ichiro/column/200510/at00006206.html|title=苦しみ抜いたシーズン200安打(1/2)木本大志の『ICHIRO STYLE』 VOL.14|publisher=スポーツナビ|author=木本大志|accessdate=2011年1月20日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140222114045/http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/05season/players/ichiro/column/200510/at00006206.html|archivedate=2014年2月22日|deadlinkdate=2018年3月}}</ref>。2002年に行われたインタビューでも、「シーズンを終えて『199安打で4割』と『ジョージ・シスラーのメジャー記録を上回る258安打で3割9分9厘』、イチローはどちらを望むのか」と質問され「僕が210本のヒットを打った94年に、よく訊かれたことがあるんです。それは、『199本で4割ピッタリだったとして、次の打席はどうするか』ということだったのですが、いつも決まってこう答えていました。『決まり切ったこと、訊かないでください』と。もちろんそれは今も変わりません」と答えている<ref>石田雄太『イチローイズム 僕が考えたこと、感じたこと、信じること』集英社、2003年。</ref>。また、NPB/MLB合わせて12回記録している最多安打は、すべて両リーグ最多安打である(メジャーでの最多安打を逃した2002年・2003年・2005年シーズンはすべてリーグ2位。不振に苦しんだ2011年に初めて9位に終わった)。
 
 
出場試合数や四死球数など外的な要因によっても数値が上下に大きく変動する打率よりも、一つ一つの積み重ねた結果が反映される安打数を重視するプレースタイルは、オリックス時代にイチローの打撃投手を務めていた[[奥村幸治]]の提案であった。1994年シーズンにおいて210安打を達成する際に、周囲の話題が上がり続ける「イチローの打率」に集中し、「ついに[[4割打者]]誕生か」と騒がれた。しかし、これではイチローと言えども気になりやすいということで、イチローが試合でのびのび打てるように、「安打数」に目をつけた<ref name="1994 210 hits">{{Cite news |title=「イチローの恋人」の助言あった故に210安打の大記録誕生か |newspaper=[[週刊ポスト]] |date=2012年12月10日 |url=http://www.news-postseven.com/archives/20121210_159477.html |accessdate=2013年1月9日}}</ref>。後年奥村は「だからイチローに、“1日1本のつもりで積み上げていこうよ”と声をかけたんです。すると彼も、“いいですね”といって、それ以降、電光掲示板の打率を見なくなった。ただ僕は大変でした。大記録が近づくにつれ、周囲の期待がわかるから、“これはぶつけられないぞ”とね(笑い)」と語っている<ref name="1994 210 hits"/>。
 
 
[[ファイル:Rear view of Ichiro Suzuki's bat gesture.jpg|thumb|right|170px|打席に立ち行うイチロー独特のバットジェスチャー(2009年)]]
 
[[ファイル:Ichiro3.jpg|thumb|right|170px|別の角度から見たイチローの動作<br />2005年、[[タンパベイ・レイズ|タンパベイ・デビルレイズ]]との試合にて。]]
 
打席に入ると、背筋を伸ばして後傾気味に重心を取り、右手でバットを垂直に揃え、左手を右上腕部に添える動作を、必ず行う。この動作は1996年シーズンの後半から行うようになり、それまでは左手を右上腕部に添える動作がなく、代わりにバットをぐるぐると回していた。バットを回す動作は、イチローが子供の時に憧れてモノマネを得意としていたという[[田尾安志]]と酷似している。これは眼の焦点をスコアボードに合わせた後、バットへ焦点を変えることによって、ボールに対する[[視力#静止視力・動体視力|動体視力]]を一時的に上げる効果があるとも言われている<ref>[[ナンだ!?|NANDA!?]]より。</ref>。この特徴的な動作と、バットコントロールの巧みさからイチローのバットはメジャーで「[[wikt:en:magic wand|magic wand]](『魔法の杖』の意)」と称される<ref>{{Cite news |title=Drese and Ichiro forever linked |url=http://www.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20041002&content_id=878912&vkey=news_mlb&fext=.jsp&c_id=null |publisher=[[メジャーリーグベースボール|MLB]]公式 |date=2004年10月2日}}</ref>。バッティングフォームはメジャーリーグ移籍直後は日本より数段速いと言われるメジャーの直球に対応するため、[[振り子打法]]と呼ばれるハイキックをやめて[[オープンスタンス]]を採用するなど、止めどなく変化を続けているが、フォームの変更については「言っておきたいのはフォームを変えたのではなく、変わったのだということです。変えるのと変わるのでは全然違うと思います」と語っている<ref>アリゾナの太陽のもと、イチローのBaseballが始まった『月刊スラッガー』2001年4月号、日本スポーツ企画出版社、2001年、雑誌15509-4、6-9頁。</ref>。2004年6月24日の夜に行ったフォーム改造では「小さい頃に野球をやっていた時に感じたのと、近い感覚が戻ってきた」と語っている<ref>{{Cite news |title=For Suzuki, Hits Keep On Coming |url=http://www.nytimes.com/2005/04/26/sports/baseball/26ichiro.html |publisher = [[ニューヨーク・タイムズ]] |date=2005年4月26日}}</ref>このシーズン、メジャー記録となる262安打を放っている。2005年からは、四球の数こそ増えないものの、待球により、球数は増えている。2007年からは内角対策のために猫背になることがある。2008年は自分のストライクゾーンを狭めて悪球打ちをせず、ストライクゾーンに来た球だけを振るようにしたことにより、四球が若干増えた。下半身は、やや内股気味に小さく両足を開いて構える。
 
 
得点圏に強く、NPB時代の通算得点圏打率が.365<ref name="brcle"/>、メジャー時代の通算得点圏打率が.333という数字を残している。シーズンでは、NPB時代に1996年から1998年までリーグ1位、1994年・1995年・2000年でリーグ2位を記録している。メジャー移籍後は2001年と2004年にリーグ1位、2007年にリーグ2位を記録している。こうした得点圏での強さから、本塁打の少ない打者でありながら[[故意四球|敬遠四球]]の数が多く、NPB/MLB通算で266個を記録しており、NPBでは6年連続6度・メジャーでは3度の最多敬遠を記録している。満塁にも強く、NPBでは通算満塁打率.363を記録しており<ref name="brcle"/>、メジャーでは通算満塁打率.409(115打数47安打)を誇っている。満塁本塁打率も高く、NPB時代の14.7本に1本の割合(118本中8本)は通算満塁本塁打が7本以上の選手の中では日本プロ野球歴代1位であり、[[駒田徳広]]と並ぶ6年連続満塁本塁打の日本プロ野球記録も持っている。メジャー移籍後は満塁本塁打を4本放っており、満塁では長打率が上がる傾向にある。
 
 
高い得点圏打率を記録しているものの、打順の関係や敬遠四球の多さから得点圏での打数自体が少なく、本塁打の数が長距離打者ほど多くないことも相まって、シーズン100打点以上を記録したことは1度もない。NPB時代の1995年には打点王を獲得しているが、得点圏打数はわずかに92であった。1999年も100打数にすら到達しておらず、メジャーで159試合出場した2003年も105打数に終わっている。他の年はほとんど120打数前後である。1997年のみ他の年と比べて得点圏打数が突出しており(166打数)、この年は91打点を記録した。メジャー移籍後の2001年には、ほとんどの試合で1番打者として出場し本塁打が1桁ながら、69打点をマークしている。2005年と2007年には1番打者で68打点(1番打者としてのシーズン打点数ではマリナーズの球団記録)を稼いだ。打点に関しては本人は重視しておらず、2009年にNPB/MLB通算1000打点を達成した際、「打点のことは全く頭になかったですね」と口にしている<ref>http://sankei.jp.msn.com/sports/mlb/090416/mlb0904161832027-n1.htm (''リンク切れ'')</ref>。また、このような勝負強さから、メジャー移籍後の2002年に3番打者を数試合任されたこともあった。この間の打率は.571と打ち込んだが、日本時代に自身が中軸を任されたシーズンのチームが低迷した経験からか、本人は「僕が3番を打つということは、チーム状態が良くないという証。良いことではない」と述べている<ref>{{Cite web|date=2004年6月22日|url=http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/04season/column/200406/at00001139.html |title=イチローの「3番」を考える(2/2) 『ICHIRO 4年目の日々』 VOL.6 |publisher=スポーツナビ|author=木本大志|accessdate=2011年1月20日}}</ref>。
 
 
左打者ながら、右投手よりも左投手に対する打率が高く<ref group="注">一般的に右打者は左投手より右投手が、左打者は右投手よりも左投手が苦手となる傾向にある。詳細は[[プラトーン・システム]]の項目を参照</ref>、日本時代の対左投手通算打率が.371<ref name="brcle"/>、MLB時代の対左投手通算打率が.328(対右投手は.308。いずれも2015年終了時点)であり、それぞれ自身の通算打率を上回っている。特に2004年シーズンは対左打率.404を記録した。
 
 
アメリカ国外だとカナダのトロントで93本、日本の東京で4本の安打を記録。30球団の中では現在所属しているマーリンズが最小の8本と少なく一桁も同球団のみである<ref>Slugger 2016年9月号増刊 イチロー3000安打の軌跡</ref>。
 
 
=== 守備 ===
 
[[ファイル:Ichiro at defence.JPG|thumb|left|180px|守備に就くイチロー<br />2001年7月8日の[[ロサンゼルス・ドジャース]]との試合にて。]]
 
[[強肩]]で知られ、2006年に行われたメジャーリーガー415人による投票「最も肩が強い外野手」で48%の得票率を占め1位となった<ref> 米スポーツ専門誌『スポーツ・イラストレイテッド』webサイト2006年9月13日付。</ref><ref group="注">参考までに、2位が[[ブラディミール・ゲレーロ]]の32%、3位が[[ホセ・ギーエン]]の8%である。</ref>。1998年に行われた[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]の遠投競争では、[[ナゴヤドーム]]のセンターフェンス手前からバックネット近くの[[城島健司]]まで推定130mの遠投を披露している。強肩であることに加えて送球のコントロールも良いため、[[ブラディミール・ゲレーロ]]の送球が「バズーカ」などと呼ばれていたのに対してイチローの送球は「'''レーザービーム'''」と称されている。これは2001年4月11日の対[[オークランド・アスレチックス]]戦で、ライト前ヒットで三進を試みた一塁走者の[[テレンス・ロング]]を正確かつ力強い送球で三塁に補殺した際、実況アナウンサーであった[[リック・リズ]]が「イチローからのレーザービーム攻撃だ!」と叫んだことが由縁。この補殺がイチローのメジャー最初の補殺でもあり、正確無比な強肩を相手に強く印象付けるだけでなく、イチロー自身をMLBに認めさせるプレーにもなった。なお、NPBでは「レーザービーム」という表現が定着しているが、MLBにおいては特段そのように呼ばれることはない。インパクトのある送球を全般的に''"the Throw"'' と表現することが多く、この時の送球もそう表現されている<ref name="nytimes92801">{{Cite news |title=Being Ichiro |publisher=[[ニューヨーク・タイムズ]] |url=http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9502E2D81738F935A2575AC0A9679C8B63&sec=&spon=&pagewanted=all |date=2001年9月18日}}</ref>。
 
 
捕球にも優れており、NPBでは[[ゴールデングラブ賞]]を1994年から2000年まで7年連続、メジャーでは[[ゴールドグラブ賞]]を2001年から2010年まで10年連続、NPB/MLB通算で17年連続で受賞している。広範囲な守備と強肩のため、イチローの守備範囲に納まる打球は三塁打が二塁打になったり、犠牲フライが併殺外野フライになったりする。イチローの守備する右翼は、その背番号と守備範囲の広さから、機密性が高く警備が非常に厳重であるネバダ州の米軍軍事施設(一時期、宇宙人やUFOの研究をしているとも噂されていた)に掛けて、「エリア51」と呼ばれている。
 
 
2005年5月2日の対[[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム|ロサンゼルス・エンゼルス]]戦の7回表で、[[ギャレット・アンダーソン]]が打ったホームラン性の球を、フェンスをよじ登ってキャッチした。[[スパイダーマン]]のように壁を駆け上がって捕ったとメディアが報道したため<ref>{{Cite news |title=Mariners shut out by Angels |publisher=[[メジャーリーグベースボール]] |url=http://www.mlb.com/news/gameday_recap.jsp?ymd=20050502&content_id=1035790&vkey=recap&fext=.jsp&c_id=sea |date=2005年5月3日}}</ref>、「スパイダーマンキャッチ」と称された。
 
 
球際の打球を捕球する際は「走り抜けた方が速い」という持論から、頭から飛び込むダイビングキャッチを試みることは極めて稀である<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/06/29/kiji/K20140629008463350.html イチロー 禁断ダイブ 普段は「走り抜けた方が速い」も] Sponichi Annex 2014年6月29日</ref>。これには故障や味方との接触を避ける意思もある。オリックス時代はわずかに一度、メジャーでも10年目のシーズンまで一度もなかった。
 
 
高校時代は投手をしていたが登板のない時などは[[外野手]]も務めており、夏の甲子園に出場した際には[[左翼手|左翼]]を守っている。プロ入り後、210安打を放った1994年からは[[本西厚博]](のちに[[谷佳知]])、[[田口壮]]とともに当時日本一と言われたオリックス外野陣の一翼を担った。NPB時代は主に[[右翼手]]を務めたものの、[[中堅手]]を任されることも多々あり、一つのポジションに定着することはなかった(1998年は左翼手で20試合以上スタメン出場している。[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]や[[日米野球]]戦でも左翼を守ることがあった)が、1999年シーズン以降は右翼手に固定された。メジャー移籍後は一部の時期を除いてほとんどの試合で右翼を守っており、2006年シーズン途中から2008年シーズン途中まではコンバートによって中堅手を務めた。2012年にヤンキースに移籍した後は、左中間の広い[[ヤンキースタジアム]]や他の選手の事情などを考慮して左翼手にコンバートされているものの、他の選手の休養などの兼ね合いから中堅手や右翼手としても出場(途中で守備位置が変わることも多々あり、1試合で外野3箇所すべてを守ったこともある)しており、外野をどこでも守れる[[ユーティリティプレイヤー]]となった。また、休養時などに[[指名打者|DH]]として出場することがある。
 
 
こうした俊足強肩かつ優れた捕球能力といった総合的な守備力の高さは数字にも表れており、[[守備防御点|DRS]]や[[UZR]]など守備指標の各数値は守備の面でも不振に苦しんだ2011年を除き毎年リーグ上位に位置し続け、[[セイバーメトリクス]]識者による[[フィールディング・バイブル・アワード]]にも2006年の創始以来、外野手では[[カール・クロフォード]]と並び最多の3回選出されている。打撃と同じく守備でも積極的な傾向が見られ、メジャー10年のキャリアで右翼手リーグトップの[[刺殺]]数を7回、中堅手リーグトップの刺殺数を1回記録している。俊足で守備範囲も広いため、本来なら他のポジションの捕球するような打球を、自ら捕りに行く姿がしばしば見られる。2007年の試合では、左翼定位置への[[犠牲フライ]]を中堅から走ってきて捕球すると、そのまま本塁へ送球したことがある。また2009年の試合では、1点リード9回2アウト満塁の場面からの、一塁側フェンス際へのファウルフライを、右翼から走ってきてスライディングキャッチで試合を終了させたこともある。
 
 
[[守備機会]]が多く、積極的な守備であるが[[失策]]も少ないために[[守備率]]も高く、2001年から2003年まで3年連続で右翼手リーグトップの守備率をマーク。中堅手としてプレーした2007年は刺殺数が400を超えながら失策数を1に留め、それまでマリナーズの球団記録だった1992年[[ケン・グリフィー・ジュニア]]の.997を抜く、シーズン守備率.998(のちに[[フランクリン・グティエレス]]が更新)を記録している。近年は守備率が低下しており、2008年から2011年まで連続して9割9分を下回っているが、2009-2010年にかけては、[[フィールディング・バイブル・アワード]]を2年連続で受賞している。(2012年は再び9割9分を上回った)。
 
 
2015年5月10日、ジャイアンツ戦においてイチローが絶妙なトリックプレーを披露した。左打者のブランコが放った大飛球に対して、定位置で落下地点に入るふりをした。その後、走者が一・二塁間で足が止まったのを見てから体を180度反転させ、クッションボールを処理。演技力だけでなく胆力も要するプレーについてイチローは「リスクはあるけど、同点にしたくはない。そりゃあ、どう跳ね返るか分からない。でも、リスクを取らないと利益も取れない。」と説明した。敵だけでなく、味方もだまされたプレーに、同じ外野手のジャイアンツ・青木は「完全にイチローさんのファインプレー。記録に残らないファインプレーですよ」と感嘆の声を上げた<ref>[https://web.archive.org/web/20150511025533/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150511-00000039-dal-spo “名優”イチロー、絶妙トリックプレーで敵をだます 青木が絶賛] デイリースポーツ 2015年5月11日</ref>。
 
 
=== 走塁 ===
 
[[ファイル:Suzuki Ichiro runs to homeplate.jpg|thumb|230px|三塁を駆け抜けるイチロー<br />2007年9月22日の[[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム|ロサンゼルス・エンゼルス]]との試合にて。]]
 
1995年と2001年に盗塁王のタイトルを獲得。盗塁は成功率を重視しているため盗塁数を増やすことに関してはそれほど重視しておらず、特に2006年頃からはクイックモーションや警戒の不充分な相手投手を選んで盗塁する慎重なスタイルをとっている。マリナーズ首脳陣からは、自分の判断で自由に盗塁できる権利(いわゆる「グリーンライト」)を与えられていた<ref>{{Cite news |title=McLaren wants Ichiro to run this season |url=http://seattle.mariners.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20080225&content_id=2389172&vkey=spt2008news&fext=.jsp&c_id=sea |publisher=[[メジャーリーグベースボール]] |date=2008年2月25日}}</ref>。
 
 
盗塁数は年間30から40の間が理想だとコメントしており<ref>{{Cite news |title=イチロー 決めた3度目の40盗塁! |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/08/31/21.html |publisher=[[スポーツニッポン]] | date=2008年8月31日}}</ref>、2008年は70試合の時点で30盗塁を稼ぐなど<ref>{{Cite news |title=8年間で最速の30到達 イチロー、数字で雑音封じ |url=http://mlb.yahoo.co.jp/headlines/?a=13953 | date=2008年6月17日}}</ref>一時は年間70盗塁を超えるペースであったが、中盤から極端に企図数が減り、最終的に40台に終わっている。2009年は中盤に左ふくらはぎを痛め8試合欠場して以降は盗塁企図が減り、メジャー移籍後では初めて30未満に終わったものの、翌2010年と2011年には再び40盗塁以上を記録し、自身初の2年連続40盗塁を達成。理想に掲げた30盗塁以上を記録した2001年から2008年、2010年・2011年はいずれもリーグ5位以内に入っている。
 
 
[[ファイル:Ichiro on base.JPG|left|thumb|170px|リードをとるイチロー(2006年)]]
 
実際に盗塁の成功率は高く、NPB時代に通算199盗塁で.858、メジャーで通算452盗塁で.816の記録を残しており、これは[[リッキー・ヘンダーソン]]の通算.808や[[ルー・ブロック]]の通算.753などを上回っている。シーズン記録では、NPB時代に30盗塁以上を残しながら成功率9割以上を2回(1996年、1997年)、メジャー時代に40盗塁以上を残しながら成功率9割以上を2回(2006年、2008年)達成している。特に2006年シーズンは45盗塁を記録。盗塁死を2に留め、.9574という数字をマークしている<ref group="注">参考までに、30盗塁以上対象の日本プロ野球記録が、1968年[[広瀬叔功]]の44盗塁2盗塁死、.9565である。</ref>。また、「シーズン連続盗塁成功」と「シーズンをまたいでの連続盗塁成功」両方のアメリカンリーグ記録保持者でもある。
 
 
怪我のリスクを最小限に抑える目的から、[[ヘッドスライディング]]はほとんどすることはない。特に一塁へのヘッドスライディングは最も嫌うところであり、これを行った[[福岡ソフトバンクホークス]]の[[川崎宗則]]に対して苦言を呈したことが話題になった<ref>{{Cite news|title=イチローが川崎に激怒!一塁にヘッド「かっこ悪い」|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/mlb/news/20071227-OHT1T00063.htm|publisher=[[スポーツ報知]]|date=2007年12月27日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080119202753/http://hochi.yomiuri.co.jp/mlb/news/20071227-OHT1T00063.htm|archivedate=2008年1月19日}}</ref><ref>{{Cite news|title=川崎をイチ喝!! あわや福岡へ“強制送還”|url=http://www.nishinippon.co.jp/nsp/hawks/20071227/20071227_004.shtml|publisher=[[西日本スポーツ]]|date=2007年12月27日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20071230094641/http://www.nishinippon.co.jp/nsp/hawks/20071227/20071227_004.shtml|archivedate=2007年12月30日}}</ref>。盗塁や進塁の際、アウトになる危険性が高いと判断したときには、トップスピードでのスライディングや走塁から急停止して野手のタッチのタイミングを外す高度な[[フェイント]]を見せることがある。2005年5月15日の[[ボストン・レッドソックス]]との試合では、本塁突入の際にホームベース前で急停止した後、外野からの返球を受けてブロックの体勢に入っていた相手捕手の[[ダグ・ミラベリ]]の背中を飛び越そうとするプレーを見せた他、2012年10月8日の[[ディビジョン・シリーズ]]での[[ボルチモア・オリオールズ]]との試合では、アウトのタイミングであったのにもかかわらず相手捕手の[[マット・ウィータース]]のタッチを二度もかわして生還するプレーを見せている。
 
 
こうしたプレーに対してイチローは「(普通は)スピードを上げたくなるが、スピードを落とすという発想(が大事)になる。ブレーキをかけることは別に怖くないし、どんな動きをしても怪我をすることがないという自信がある」と説明<ref>{{Cite news |title= イチロー奇跡の生還も…ヤンキース敗れ1勝1敗 |newspaper=[[サンケイスポーツ]] |date=2012年10月9日 |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20121009/mlb12100913060011-n2.html |accessdate=2013年1月9日}}</ref>、あえて減速することも走塁技術の一環であると考えている。
 
 
イチローは走塁が、いわゆる「走攻守」の中で最も難しいと考えている。「走塁は打撃や守備よりも難しい」と口にしており<ref>{{Cite news |title=イチロー「僕の野球を体現するだけ」 |url=http://mlb.yahoo.co.jp/headlines/?a=10177 |publisher=[[デイリースポーツ]] | date=2008年2月26日}}</ref>、その理由として、「打撃は成功率が良くて3割強だが、走塁は成功率が10割に近くないといけない」こと、「走塁は、野手の肩や芝生の状態などといったことをすべて考え、それらを踏まえた上で瞬間的な判断をしなければならないから難しい」「スピードがあるから、走塁は難しくなる」ことなどを挙げている<ref> イチローと[[松井秀喜]]の対談より。</ref><ref>{{Cite news |title=イチロー「走塁は難しい」 俊足だからこその思い |newspaper=日本経済新聞 |date=2011年4月26日 |author=丹羽政善 |url=http://www.nikkei.com/article/DGXZZO27308150U1A420C1000000/ |accessdate=2014年7月27日}}</ref>。
 
 
ヤンキース時代、「単打からの本塁生還、二塁打からの本塁生還、ランニングホームラン」など、一人黙々と走塁練習する姿を偶然見掛けたと、ジャーナリストのジョエル・シャーマン記者は述べている。事情を尋ねると、「試合のあらゆる可能性に対応できるようにしておきたい」とイチローは返答している。同記者はイチローの走塁能力などについて、練習を何百時間と繰り返したであろう陰の努力を評している<ref>[http://full-count.jp/2016/06/15/post35333/ 米辛口記者がローズに呼び掛け「先頭に立ってイチローを祝おう」] - Full-count</ref>。
 
 
1997年3月13日の巨人とのオープン戦ではレフトフライでタッチアップを行い、レフトの清水隆行から楽々と2塁を奪った<ref>日刊スポーツ 1997年3月14日付</ref>。
 
 
=== 故障に対する強さ・対策 ===
 
メジャーに移籍して以降は故障などで戦線離脱することがほとんどない。故障者リストに入ったのはWBCの極度の疲労で胃潰瘍になった2009年開幕時の1度のみであり、毎年平均で約159試合に出場して出塁数を積み重ねている。21世紀以降ではメジャーリーグの試合に最も多く出場した選手である。
 
 
イチローは怪我予防の意識が強く、起床から就寝までほぼ同じ行動パターンを繰り返しており、球場入りの時刻や練習の手順まで乱れず行動を一定化している<ref name="kegayobo">{{Cite news |title=イチロー選手に学ぶ「ケガを予防する意識」 |newspaper=[[神奈川県]]体育センター |date=2010年1月21日 |url=http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f370368/p990.html |accessdate=2012年9月29日}}</ref>。また、筋肉が非常に柔らかく、体の柔らかさを高める運動を重視すると共に、クラブハウスでも「[[ソファ]]に長く座ると腰に負担がかかる」として、ほかの選手がソファに座る中でも、自分は[[パイプ椅子]]を使用し、また「[[スパイク]]を履いたままで[[階段]]を使用すると滑って[[捻挫]]の危険性がある」として必ず[[スロープ]]を使用する、怪我しやすい[[ヘッドスライディング]]をしないといった対策を常に立てている<ref name="kegayobo"/>。
 
 
他にも衝撃緩和のため「力を抜く」ということ(イチローは[[サヨナラゲーム]]でチームメイトが騒いでいる時でも、誰かにぶつかられても衝撃を緩和させるように対策をとっている)や、早く練習を始めて体を多く動かすこと<ref>http://www.nikkei.com/article/DGXZZO52660510R10C13A3000000/?df=3</ref>、「滑りやすい場所」では徹底的に注意する(イチローは「[[宮崎]]の店の裏の階段や[[雨]]の日の[[新神戸駅]]で滑って[[転倒]]しそうになった」と述べていて滑りやすい場所では細心の注意を払っている)など怪我する危険性のある場所に細心の注意を払っている<ref>http://www.nikkei.com/article/DGXZZO52660510R10C13A3000000/?df=3</ref>。
 
 
=== 評価 ===
 
[[ビル・ジェームズ]]が2017年9月に自身のサイト『Bill James Online』で発表したMLBの歴代トップ50プレーヤーに選ばれている<ref>{{Cite web|url=https://www.billjamesonline.com/final_report_on_the_50_true_superstars_project/ |title=Final Report on the 50 True Superstars Project|work=Bill James Online|author=Bill James|date=2017年9月26日|accessdate=2017年9月28日}}</ref>。
 
 
[[ファイル:Ichiro Suzuki.jpg|thumb|170px|試合に臨むイチロー<br />2008年、[[アトランタ・ブレーブス]]との試合前にて。]]
 
アメリカの野球専門誌『ベースボール・アメリカ』に掲載された大リーグ30球団の監督による「Best Tools」投票で、イチローは2003年に「ベスト・ヒッター」「ベスト・バンター」「ベスト・ベースランナー」「最速ベースランナー」「守備部門ベスト外野手」「ベスト強肩外野手」「最もエキサイティングな選手」の7部門でトップに輝いた<ref>{{Cite news |url=http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/players/matsui/column/200308/0814wata_01.html |title=『GODZILLA MEDIA WATCHING』 VOL.25 MLBベスト3に松井の名前は? |author=渡辺史敏 |publisher=スポーツナビ}}</ref>。
 
 
2006年の投票では「最もエキサイティングな選手」「最もバントが上手い選手」で1位、「最高の打者」「最高の走者」で2位、「最も俊足のベースランナー」で3位に選出された<ref>{{Cite news |url=http://www.plus-blog.sportsnavi.com/kota11/article/20 |title=ICHIROは、最もエキサイティングな選手 |publisher=スポーツナビプラス |date=2006年8月14日|accessdate=2011年1月20日}}</ref>。2007年の投票でも、「ベスト・ヒッター」「ベスト・バンター」「ベスト・ベースランナー」「最もエキサイティングな選手」「守備部門ベスト外野手」「ベスト強肩外野手」で1位に、「最速ベースランナー」で2位に選ばれるなど、メジャーリーグの監督から高い評価を受けている<ref>{{Cite web |url=http://www.baseballamerica.com/today/majors/features/264575.html |title=American League Best Tools |publisher=baseballamerica.com |language=英語 |accessdate=2008年1月13日 }}</ref>。
 
 
2008年のメジャーリーグスカウトによる投票でも、「ベスト・ヒッター」「ベスト・バットコントロール」「守備部門ベスト外野手」「ベスト強肩外野手」「ベスト・ベースランナー」の5部門で1位に、「ベスト・バンター」「最速ランナー」「ベスト・スティーラー」でも2位に選ばれるなど高評価を受けている<ref>{{Cite web |url=http://mlb.mlb.com/mlb/news/scouts_select/scouts_select.jsp |title=Major League Scouts Select the Best |accessdate=2008年3月13日 }}</ref>。
 
 
'''監督によるアメリカンリーグBest tools評価'''<ref>{{Cite web |url=http://www.thebaseballcube.com/Awards/S/Ichiro-Suzuki.shtml |title=Best tools |accessdate=2010年7月13日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100628180007/http://thebaseballcube.com/Awards/S/Ichiro-Suzuki.shtml |archivedate=2010年6月28日 |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref><!-- 2012年の成績はhttp://www.baseballamerica.com/online/majors/best-tools/2012/2613857.html、2013年の成績はhttp://www.baseballamerica.com/majors/mlb-2013-best-tools/から -->
 
{| class="wikitable" style="text-align:center" border="1"
 
|-
 
! 年度 !! best hitter !! best bunter !!best hit-and-run artist!! fastest baserunner !! best baserunner !! best outfield arm !! best defensive outfielder !! most exciting player
 
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| 2001 || 第2位 || 第3位 || - || 第1位 || 第1位 || 第1位 || 第3位 || 第1位
 
|-
 
| 2002 || 第1位 || 第1位 || - || 第1位 || 第1位 || 第1位 || 第2位 || 第1位
 
|-
 
| 2003 || 第1位 || 第1位 || - || 第1位 || 第1位 || 第1位 || 第1位 || 第1位
 
|-
 
| 2004 || - || 第2位 || - || 第2位 || 第1位 || 第2位 || 第1位 || 第2位
 
|-
 
| 2005 || 第3位 || 第2位 || - || - || 第1位 || 第1位 || 第1位 || 第3位
 
|-
 
| 2006 || 第2位 || 第2位 || - || 第3位 || 第2位 || 第1位 || 第1位 || 第1位
 
|-
 
| 2007 || 第1位 || 第1位 || - || 第2位 || 第1位 || 第1位 || 第1位 || 第1位
 
|-
 
| 2008 || - || 第1位 || - || 第2位 || 第1位 || 第1位 || 第1位 || 第3位
 
|-
 
| 2009 || 第2位 || 第1位 || - || 第2位 || 第3位 || 第1位 || 第2位 || 第2位
 
|-
 
| 2010 || - || 第1位 || 第3位 || 第2位 || 第1位 || 第1位 || 第1位 || 第3位
 
|-
 
| 2011 || - || - || - || - || - || 第3位 || - || -
 
|-
 
| 2012 || - || - || - || - || - || - || - || -
 
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| 2013 || - || - || - || - || - || - || - || -
 
|}
 
 
こうした走攻守総合力での高い評価は[[セイバー・メトリクス]]上でも現れている。2001年以降[[WAR (野球)|WAR]]は一貫してプラスを維持し、2004年は野球シンクタンクのBaseball-Referenceが算出するWARでリーグ1位を記録した。
 
 
映画『[[マネーボール (映画)|マネーボール]]』では主人公[[ビリー・ビーン]](俳優:[[ブラッド・ピット]])が空港で見た野球中継に僅かな時間写っている。このシーンについて監督を務めた[[ベネット・ミラー]]は「日本人向けのサービスではない」と断った上で「中継カメラがアップで捉えたイチローとそれを見つめるビーンの図は、まるで西部劇の決闘みたいだよね。このときビーンは主力選手を引き抜かれ、新たな選手を獲得したいのにお金がない。ビーンにとってイチローはぜひとも欲しい選手だが、高給取りの彼には手が届かないんだ。イチローはそんな苦しい立場のビーンに脅威を与える“敵”のようにも見える。そんな雰囲気を感覚的に表現してみたかったんだ」と語っている<ref>{{Cite web |title=「これは野球映画ではない」、『マネーボール』監督がそう語る真意とは |work=ぴあ映画生活ニュース |date=2011年11月8日 |url=http://cinema.pia.co.jp/news/153604/44334/ |accessdate=2012年9月29日}}</ref>。
 
 
『[[スポーツ・イラストレイテッド]]』誌では、「イチローを首位打者候補に予想しないのは、[[タイガー・ウッズ]]を優勝候補から外すのと同じ」と評した。また、同誌は[[2005年]]のMLB特集記事において、イチローを「理想の1番打者」と評している<ref>[http://topics.kyodo.co.jp/feature03/archives/2005/04/post_140.html http://topics.kyodo.co.jp/feature03/archives/2005/04/post_140.html] (''リンク切れ'')</ref>。アジア系アメリカ人向けのニュースサイト「goldsea.com」は、2002年に「アメリカで最も感動を与えてくれるアジアのスポーツスター」のランキングを発表すると、[[姚明]]([[NBA]][[ヒューストン・ロケッツ]])や[[野茂英雄]]らを抑えてイチローを1位に選出した<ref>{{Cite news |title=THE 20 MOST INSPIRING ASIAN SPORTS STARS IN AMERICA |newspaper=[[:en:Goldsea|Goldsea]] |date=2002 |url=http://goldsea.com/Personalities/Athletes/athletes.html |accessdate=2012年9月29日}}</ref>。[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|第1回WBC]]終了時には、スポーツ専門ケーブル局『[[ESPN]]』のコラムニストがイチローを絶賛すると、「イチローを見られるのは、私たちに与えられた特権」と語った。将来の[[アメリカ野球殿堂|殿堂]]入りについても言及した<ref>http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/03/24/20060324000028.html (''リンク切れ'')</ref>。[[メジャーリーグベースボール|MLB]]公式サイトは、2009年7月21日にイチローの特集記事を掲載すると、「日本人初の殿堂入りは決まったも同然」と位置付けた<ref>{{Cite news |title=イチロー殿堂入りにメジャーHP「当確」 |newspaper=日刊スポーツ |date=2009年7月22日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20090722-521626.html}}</ref><ref>[http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20090720&content_id=5958220&vkey=news_mlb&fext=.jsp&c_id=mlb Ichiro keeps hits coming, year after year: Consistent greatness creating future Hall of Fame buzz] MLB.com (2009/07/21)</ref>。
 
 
大リーグの[[アメリカ野球殿堂表彰者の一覧|殿堂表彰者]]からの評価も高く、[[フランク・ロビンソン]]は「イチローが殿堂入りできないのは、単に時期尚早だから」としたものの、「でも、5年目から彼の殿堂入りは固いとみていたね。きっと、殿堂入りする。それくらい、いい選手だ」と評価。[[レジー・ジャクソン]]も「彼は特別。もう少し、現役を続けなきゃいけないけど、メジャーで凄いことをやってきたからね」とイチローの殿堂入りを支持した。また同じく殿堂入りしている[[グース・ゴセージ]]も「イチローは、メジャーに来てからというもの、我々が今まで見たこともない選手になった。今までとは違うタイプ。試合をつくるし、毎年200本もヒットを打っている。毎年毎年、それをやるのは、本当にスペシャルな選手なんだ」と評価し、ルー・ブロックも「イチローは他の誰とも違う。野球が本当に旨いんだ。他の打者と同じなのは、バットを手から離す時だけさ」と話した。殿堂表彰者で、イチローをコーチの立場から見ていた[[ポール・モリター]]も、「イチローが将来、殿堂入りすることは間違いない」と断言し「彼をクーパーズタウンから締め出すものは、何一つないだろう」と話した他、[[デニス・エカーズリー]]は「イチローの殿堂入りに何の疑いもない。日本から来て、メジャーの試合までも変えてしまった。今まで見たこともない打者だよ」と語り、メジャーリーグの歴史まで変えた存在としてイチローを評価した<ref>{{Cite news |title=殿堂入りの重鎮たちが、イチローの殿堂入りを保証ー。 |work=USA通信 |publisher=Livedoor |date=2008年7月29日 |url=http://news.livedoor.com/article/detail/3749975/ |accessdate=2012年9月29日}}</ref>。
 
 
2011年に殿堂入りした[[ロベルト・アロマー]]は「私は、イチローがいつか殿堂入りするのをここで待っているよ。彼の数字を見れば一目瞭然だろう。何本のヒットを打っているの? 2400本は打っているよね? 大したものだ。彼は首位打者(2回)もゴールドグラブ(10回)も受賞している選手。それだけの記録を持っている選手が殿堂入りしないなんてありえない。彼に、野球殿堂で待っているよ、と伝えておいてほしい」と語り<ref>{{Cite news |title=【MLB】ロベルト・アロマーが語った「2001年と2011年のイチロー」 |author=ブラッド・レフトン |work=スポルティーバ |publisher=集英社 |date=2011年11月24日 |url=http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/mlb/2011/11/24/20012011/ |accessdate=2012年9月29日}}</ref>、既にイチローの殿堂入りを確実視している。
 
 
通算3,141安打の[[トニー・グウィン]](2007年殿堂入り)は、「彼のおかげで、みんながコンタクトヒッターの価値を再認識するようになった」と高く評価すると、7年連続200安打の記録を持つ[[ウェイド・ボッグス]](2005年殿堂入り)も、イチローの殿堂入りを期待してエールを送った<ref>{{Cite news |title=米安打製造機 イチローにエール |newspaper=スポーツニッポン |date=2008年7月31日 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/07/31/15.html}}</ref>。
 
 
米国の野球ファンの間でもイチローの評価は高く、「メジャーで最高の選手」と評価する声もある<ref>{{Cite news |title=【米国のブログ】イチローを絶賛「メジャーで最高選手」 |publisher=サーチナ |date=2009年3月20日 |url=http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0320&f=national_0320_001.shtml |accessdate=2012年9月29日}}</ref>。地元[[シアトル]]では非常に人気が高く、熱心なマリナーズファンのみならず、現地の子供達の間でも、スーパースター的な位置づけを受けている<ref>http://www.youtube.com/watch?v=1_KvFl-S6vM (''リンク切れ'')</ref>。[[2007年]]には、[[ESPN]]が行った「マリナーズの顔は誰?」というアンケートで、投票総数3万4166票中96%の票を集めて1位に選ばれた<ref>{{Cite web |title=who is the face of the Seattle Mariners? |url=http://sports.espn.go.com/espn/fp/flashPollResultsState?sportIndex=&pollId=46965 |publisher=ESPN |language=英語 |accessdate=2008年1月13日 }}</ref>。同年のシアトルの地元紙が企画したファン投票では、地元選手の人気第1位に輝いた。2005年に[[スーパーボウル]]進出を果たした[[NFL]]チーム、[[シアトル・シーホークス]]でリーグMVPに輝いた[[ランニングバック|RB]][[ショーン・アレキサンダー]]をも凌ぐ快挙に、マルティネス球団マーケティング担当重役もあらためてイチローの存在感に驚かされたという<ref>http://mlb.yahoo.co.jp/japanese/headlines/?id=1861840&a=3976''(リンク切れ)''</ref>。また、同年に[[ESPN]]がウェブサイト上で実施した「あなたが理想とする打順は?」というファン投票では、「理想の1、2番打者」の項目でおよそ39%の支持を集め、[[デレク・ジーター]]([[ニューヨーク・ヤンキース]])を抑えてトップに立った<ref>http://inews.sports.jp.msn.com/mlb/news/2007/20070208-66497.html''(リンク切れ)''</ref>。さらに、スポーツ専門誌「Sporting News」が発表した、MLB488選手らの投票によるオールスターにも、アリーグ外野手部門で選出された<ref>{{Cite news|title=イチロー、大リーガーが選ぶオールスター|newspaper=[[スポーツ報知]]|date=2007年10月17日|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/feature/baseball/ichiro/news/20071017-OHT1T00055.htm|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080131231349/http://hochi.yomiuri.co.jp/feature/baseball/ichiro/news/20071017-OHT1T00055.htm|archivedate=2008年1月31日|accessdate=2012年9月29日|deadlinkdate=2018年3月}}</ref>。翌[[2008年]]には、4大ネットワークのひとつ、[[FOX]]が各ポジション別に現時点で最高のプレーヤーを選出すると、三塁手の[[アレックス・ロドリゲス]](ニューヨーク・ヤンキース)、右翼手の[[ブラディミール・ゲレーロ]]([[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム|ロサンゼルス・エンゼルス]])らそうそうたる顔ぶれの中で、イチローがメジャー最高の中堅手に選出された。打者に不利な[[セーフコフィールド]]を本拠地としながらも高打率をマークしたことに加え、広い守備範囲と強肩でディフェンス面でも最高の中堅手であり、通算272盗塁(2007年終了時)を決めていることと合わせ、走攻守すべてを絶賛した<ref>{{Cite news |title=イチローが“メジャーNO.1センター” |newspaper=[[スポーツナビ]] |date=2007年10月17日 |url=http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/headlines/20080120-00000003-spnavi-base.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080123145813/http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/headlines/20080120-00000003-spnavi-base.html |archivedate=2008年1月23日 |accessdate=2013年1月9日 |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref>。同年1月にマリナーズの公式サイトが発表した「チームの歴代ベストナイン」では、右翼手で選出された<ref>{{Cite news |title=マリナーズ歴代ベストナイン発表、イチロー外野手は右翼手で選出。 |url=http://www.narinari.com/Nd/2008018731.html |date=2008年1月29日 |publisher=narinari.com}}</ref>。2007年の[[2007年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]でMVPを獲得した際には、[[ニューヨーク・タイムズ]]などの主要メディアが、こぞってトップニュースで報じ、「だれもイチローを倒せない」「歴史をつくった」と賛辞を送った<ref>{{Cite news |title=「何もスズキを倒せない」 「イチローが歴史をつくった」 イチローの快挙を米メディア、トップで伝える |newspaper=毎日新聞 |date=2007年7月12日 |url=http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/major/news/20070712k0000m050036000c.html}}</ref>。2008年3月には、スポーツ総合誌「ESPN」の10周年記念特集号で、「この10年で最もスポーツ界にインパクトを与えた10人のアスリート」に選出され、女子[[テニス]]のウィリアムズ姉妹や、アレックス・ロドリゲスらと共に名を連ねた<ref>{{Cite news |title=イチロー、『この10年で最もスポーツ界にインパクトを与えた10人のアスリート』に選出される…米ESPN |newspaper=サンケイスポーツ |date=2008年3月7日 |url=http://www.sanspo.com/mlb/top/mt200803/mt2008030707.html}}</ref>。
 
 
イチローの[[アメリカ野球殿堂|殿堂]]入りに関しても[[ESPN]]がネット投票を実施し、約83%のファンが賛成に投票し、中でも地元シアトル(当時)のワシントン州では91%だった<ref>{{Cite news |title=イチロー殿堂入りに83%のファンが賛成 ネット投票 |newspaper=[[スポーツニッポン]] |date=2012年1月30日 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/01/30/kiji/K20120130002532730.html |accessdate=2013年1月9日}}</ref>。[[2013年]]1月5日には[[CBSスポーツ]]電子版が「現役選手で殿堂入りが確実な5人」を特集し、[[デレク・ジーター]]、[[マリアノ・リベラ]]、[[アルバート・プホルス]]、[[ジム・トーミ]]の4人とともにイチローの名前が挙げられた<ref name="Ichirodendoiri nikkansports"/>。この中でCBSスポーツは、「日本プロ野球はメジャーに匹敵するわけではないが、両国リーグ合わせ3884安打は十分な数字」と指摘している<ref name="Ichirodendoiri nikkansports"/>。2015年の殿堂入り選手発表の時期に合わせて、ESPNやCBSスポーツが殿堂入りの可能性を持った現役選手を特集、その中で「確実」な選手のひとりにイチローを挙げ、MLBで残した数字・実績のみで殿堂入りは確実だと評した<ref>{{Cite news |title=
 
Which active players are Hall of Famers?|newspaper=ESPN|date=2014年12月31日|url=http://espn.go.com/blog/sweetspot/post/_/id/54215/which-active-players-are-hall-of-famers |accessdate=2015年1月11日}}</ref><ref>{{Cite news |title=
 
Few surefire Hall of Famers among current players, but some close|newspaper=CBS Sports|date=2015年1月8日|url=http://www.cbssports.com/mlb/eye-on-baseball/24944276/few-surefire-hall-of-famers-among-current-players-but-some-close |accessdate=2015年1月11日}}</ref>。
 
 
[[ニューヨーク・ヤンキース]]の元[[捕手]][[ホルヘ・ポサダ]]はイチローをメジャーリーグでもトップ5に入る選手だと語り、同じくヤンキースの[[アレックス・ロドリゲス]]は、2006年の[[2006年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]の際に、イチローに対して「試合前の調整法を教えて欲しい」として、合同練習を申し込んだ<ref>{{Cite news |title=あのAロッドがイチローの弟子入り!?米球宴に仰天の舞台裏 |newspaper=サンケイスポーツ |date=2006年7月13日 |url=http://www.sanspo.com/mlb/allstar/2006/news/mt2006071301.html |archiveurl=http://megalodon.jp/2008-0320-0749-16/www.sanspo.com/mlb/allstar/2006/news/mt2006071301.html |archivedate=2008-03-20 |accessdate=2012年9月29日}}</ref>。台湾出身のメジャーリーガーである[[王建民]]は、試合開始前のイチローにサインを3つ頼んでいる。元チームメイトの[[ジャロッド・ウォッシュバーン]]は「(イチローは)何でもできるから、もう何をやっても驚かない」「だが、(手の内を)全部見たと思っても、また違う何かをやってみせる」と寸評している<ref name="nytimes9507"/>。同じく元チームメイトの[[エドガー・マルティネス]]は、イチローの人物像を「少年そのもの」と評している。
 
 
一方で、スポーツサイトSI.comが発表した現役メジャーリーガーのアンケートによる変人選手ランキングで、8位に選出されたこともある<ref>{{Cite news |title=MLB Players Poll: Most Eccentric #8 Ichiro Suzuki |newspaper=SI.com |date= |url=http://sportsillustrated.cnn.com/multimedia/photo_gallery/1208/mlb.poll.most.eccentric.player/content.8.html |accessdate=2013年1月9日}}</ref>。
 
 
[[2004年]]のシーズン最多安打記録樹立時の首相の[[小泉純一郎]]は、「もうすごいの一語に尽きるね。これだけの偉大な選手はもう当分出ないんじゃないかな。天賦の才能に加えて、人一倍の努力。偉大だね。どんな称賛の言葉を言っても、言い過ぎることはない」と褒め称えた<ref>2004年10月2日付け 朝日新聞。</ref>。また、[[明仁|今上天皇]]は、[[2001年]]の記者会見で、「イチロー選手を始めとする日本人選手の米国大リーグでの活躍はうれしいことでした」と述べ<ref>{{Cite press release |title=天皇陛下お誕生日に際し(平成13年) |publisher=宮内庁 |date=2001年12月18日 |url=http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h13e.html |accessdate=2013年1月9日}}</ref>、[[2004年]]の記者会見では、「イチロー選手の大リーグで成し遂げた大きな成果も心に残ることでした」と述べている<ref>{{Cite press release |title=天皇陛下お誕生日に際し(平成16年) |publisher=宮内庁 |date=2004 |url=http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h16e.html |accessdate=2013年1月9日}}</ref>。[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック]]後は野球界のみならず政界などの各方面からもイチローを賞賛するコメントが発せられた。[[キューバ]]の[[フィデル・カストロ]]元議長は、決勝戦後に「イチローは世界最高の打者」と語った<ref>{{Cite news |title=「最も緊迫した試合」カストロ前議長がWBC決勝で |work=ZAKZAK |date=2009年3月25日 |url=http://www.zakzak.co.jp/top/200903/t2009032534_all.html |accessdate=2012年9月29日}}</ref>。
 
 
各種メディアでの調査等でも、イチローの高い人気が証明されている。マークスJPによる「最も好きなスポーツ選手」ランキングではあらゆる世代で2位以下を圧倒し1位となった<ref>{{Cite news |title=マークスJP自主調査 DATA BANK 第10回自主調査 調査結果 |newspaper=マークスJP |date=2007 |url=http://www.markth.jp/omni/10omni/0703omni10.htm |accessdate=2013年1月9日}}</ref>。[[東京商工会議所]]が実施した新入社員の意識調査によると、「理想の社長」の項目で[[北野武]]と並んで1位<ref>http://job.yomiuri.co.jp/hunt/saizensen/hu_sa_07050101.cfm (''リンク切れ'')</ref>、中央調査社による2007年の「最も好きなスポーツ選手」でも1位であった<ref>http://www.fgn.jp/mpac/sample/__datas__/impacter/200708_10.html</ref>。また、2007年に[[オリコンチャート|オリコン]]が実施した「好きなスポーツ選手」の調査でも男性選手部門で1位<ref>{{Cite news |title=
 
07年「好きなスポーツ選手」発表、男性部門は野球選手が7割に。 |newspaper=[[ナリナリドットコム]] |date=2007年10月10日 |url=http://www.narinari.com/Nd/2007108052.html?xml |accessdate=2013年1月9日}}</ref>、「世界に誇れる日本人」のランキングでも、男性部門で1位となった<ref>{{Cite news |title= 世界に誇れる日本人ランキング発表!男性1位はイチロー、女性1位は吉永小百合&菊地凛子 |newspaper=オリコンチャート |date=2007年9月5日 |url=http://career.oricon.co.jp/news/47761/ |accessdate=2013年1月9日}}</ref>。[[2008年]]に同じくオリコンが実施した「世界で活躍する日本人アスリート」のランキングでは2位以下に圧倒的な差をつけて1位になった<ref>{{Cite news |title= 「世界で活躍する日本人アスリート」ランキング、イチロー人気圧倒的! |newspaper=オリコンチャート |date=2008 |url=http://s04.megalodon.jp/2009-0325-1537-31/travel-cdn.oricon.co.jp/world/news/20080125_01.html |accessdate=2013年1月9日}}</ref>。[[goo]]による憧れの理想体型を持つ男性有名人ランキングでも、1位であった<ref>{{Cite news |title= 憧れの理想体型を持つ男性有名人ランキング |newspaper=[[goo]] |date= |url=http://s02.megalodon.jp/2009-0325-1539-06/ranking.goo.ne.jp/ranking/022id/ideal_boyfigure/&f=news&LID=news |accessdate=2013年1月9日}}</ref>。[[博報堂]]が行った「アスリートイメージ評価調査」では、「好感が持てるアスリート」で1位となり、総合ランキングでも1位となった<ref>{{Cite news |title=アスリートイメージ総合評価1位は「イチロー」【博報堂DY調査】 |newspaper= MarkeZine |date=2008年8月28日 |url=http://markezine.jp/article/detail/5187 |accessdate=2013年1月9日}}</ref>。[[2009年]]には、[[学校法人産業能率大学]]が新入社員を対象に実施した『理想の上司』のアンケートでは、「男性上司」の部門で1位の座に輝いた<ref>{{Cite news |title=2009年度新入社員の理想の上司 |newspaper= [[学校法人産業能率大学]] |date=2009 |url=http://www.sanno.ac.jp/research/jousi2009.html |accessdate=2013年1月9日}}</ref>。
 
 
2014年に[[タンパベイ・レイズ|レイズ]]の[[エバン・ロンゴリア]]は、これまでに大リーグでチームメートだったり、対戦した日本人の中で最も印象に残る選手を訊かれ、「そりゃイチローだよ。すべてにおいて優れた選手だ。将来、[[アメリカ野球殿堂|米野球殿堂]]入りするだろう。日本人の中でというのではなく、あらゆる選手の中でも抜群だと思う」と答えた<ref>{{Cite news |title=MLB選抜の主砲ロンゴリアが激白 マエケン、金子は米で通じる!|newspaper=夕刊フジ|date=2014-1119|url=http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20141119/bbl1411190830005-n2.htm |accessdate=2014年12月21日}}</ref>。
 
 
2014年に[[CBSスポーツ]]電子版は、大リーグの歴史のなかで「最も成功した日本人選手は誰か」を特集。指標[[WAR (野球)|WAR]]を用いたランキングを紹介、トップに立ったイチローを「日米ともに殿堂入りする選手で驚きはない」とし、さらに「私たちが今まで目にした最良かつ最もダイナミックなオールラウンドプレーヤーの一人」と評した<ref>{{Cite news |title=Leaderboarding: Best MLB players from Japan|newspaper=CBS Sports|date=2014年12月27日|url=http://www.cbssports.com/mlb/eye-on-baseball/24918590/leaderboarding-best-mlb-players-from-japan |accessdate=2014年12月29日}}</ref><ref>{{Cite news |title=イチがトップ、2番手Gに黒田ら…ベスト日本人大リーガー|newspaper=スポーツニッポン|date=2014年12月29日|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/12/29/kiji/K20141229009538120.html |accessdate=2014年12月29日}}</ref>。
 
 
2015年に殿堂入りした[[ペドロ・マルティネス]]は、[[ESPN]]の取材に対し、現役時代もっとも手強かった打者として[[バリー・ボンズ]]、エドガー・マルティネス、デレク・ジーター、[[ケニー・ロフトン]]、イチローの5名を挙げた<ref>{{Cite news |title=Here are the five toughest hitters Pedro Martinez ever had to face|newspaper=ESPN|date=2015年5月7日|url=http://espn.go.com/espn/story/_/page/instantawesome-martinezpitch-150507/here-five-toughest-hitters-pedro-martinez-ever-had-face |accessdate=2015年6月3日}}</ref>。
 
 
2014年、[[シアトル・マリナーズ|マリナーズ]]は[[セーフコ・フィールド]]内に[[ケン・グリフィー・ジュニア]]、[[アルビン・デービス]]、イチローの功績を称える新施設を設置すると公表した<ref>{{Cite news |title=古巣マリナーズの本拠地に“イチロー部屋”が誕生!?|work=Full-count|date=2014年10月12日|url=http://full-count.jp/2014/10/12/post5587/ |accessdate=2015年12月5日}}</ref>。2015年現在、イチローの写真が飾られた会議室(マリナーズは「our Ichiro conference room」と表現)がある<ref>{{Twitter status|Mariners|672659359936090112}} 2015年12月5日閲覧。</ref>。
 
 
=== 背番号 ===
 
[[ファイル:イチロー選手 着用ユニホーム 展示中 2016-12 (31328628414).jpg|サムネイル|イチローの歴代着用ユニフォームと背番号]]
 
プロ入り後に[[野球の背番号|背番号]]「51」をつけることになったきっかけについては、[[豊田章男]]との対談の中で、自分はドラフト4位で入ったので背番号を選べる立場ではなく、オリックスから与えられた番号だったと明かしている<ref>{{Cite news |title=ICHIRO×AKIO TOYODA #11「ICHIRO×AKIO TOYODA(フルバージョン)」|work=トヨタ自動車公式YouTubeチャンネル|date=2015年11月16日|url=https://www.youtube.com/watch?v=oR3YpSromq4 |accessdate=2015年11月16日}}</ref>。レギュラーとして定着した1994年のオフに、オリックスから背番号変更を打診された(当時レギュラー選手は若い番号をつける傾向があったため)。しかし、せっかくファンの人に覚えてもらった番号なのだからと51番をつけ続けた。MLB移籍後も長年51番だったが、2012年のヤンキース移籍の際は[[バーニー・ウィリアムス]]に敬意を表して、彼がメジャーデビューから引退までつけていた51番(当時は準永久欠番扱い、2015年より[[野球界の永久欠番|永久欠番]])を避け、「31」を選択した。31番を選んだ理由については、会見の席で「フィーリングでしょうね。「1」が欲しかったというのはあります。響きとサインを書いた時のバランスとかで」と話した<ref name="nsii" />。2015年のマーリンズ移籍後は再び51番をつけている。
 
 
なお、イチロー退団後のオリックスでは51番を準永久欠番として扱っておりイチローの退団以降2018年現在まで誰も着用していない。マリナーズではイチローが2018年に復帰し着用するまで51番を空き番号としていた。
 
 
== 人物 ==
 
NPB・MLBにてプレーする日本人選手の中では2016年シーズンに最年長野手になっている<ref>投手も含めると[[三浦大輔]]と同学年だが、三浦は2016年限りで引退したため2017年からは単独で最年長。</ref>。これまでに様々な伝説を残しており、メディアや国民に「日本における生きる誇り」「世界のイチロー」と言われることがある。メジャーリーガーとしてこれまで本拠地全30球場のほかに、旧球場9カ所、12年に日本開幕戦が行われた[[東京ドーム]]、16年のノースカロライナ州フォートブラッグ陸軍基地内など計41球場でプレーしている。
 
=== 家族 ===
 
[[ファイル:Suzuki Ichirō and his wife Yumiko.jpg|thumb|MLBオールスターパレードで弓子夫人と(2009年)]]
 
妻は元[[TBSテレビ|TBS]][[アナウンサー]]の[[福島弓子]]。義姉はアナウンサー・[[福島敦子]]。
 
 
子女はいない。飼っている[[柴犬]]を非常に可愛がっている。名を「一弓(いっきゅう)」と言い、{{要出典範囲|命名は、自身と妻の名「一朗」「弓子」から一文字ずつを採って「[[wikt:ja:一|一]](いつ)」+「[[wikt:ja:弓|弓]](きゅう)」としたものである|date=2014年9月}}。
 
 
名は「一朗」だが次男である。4歳年上の兄・鈴木一泰は、[[グラフィックデザイナー]]。イチローが現在使用する野球用品には、彼がデザインした専用ロゴが刻まれている。主な作品に[[日本BS放送]]のマスコット「BEAMO」、[[ボビー・オロゴン]]の「もす!」Tシャツのロゴなどがある。姪(一泰の娘)にファッションモデルの[[鈴木来海]]がいる。
 
 
=== 用具 ===
 
バットは[[ミズノ]]の[[篠塚和典]]モデルがベースであるという。ヘッドを軽量化させており、直径60.5ミリという極細。芯の部分も細く、使うには相当な技術が要求される<ref>{{Cite news |title=イチロー大記録への軌跡「大記録を支えたイチローの武器」|url=http://www3.nikkansports.com/baseball/mlb/ichiro/2004/ichiro-news041003-12.html |date=2004年10月3日|newspaper=nikkansports.com|publisher=日刊スポーツ新聞社}}</ref>。バット製作にあたってミズノの工場内にある歴代選手シグネーチャーモデル展示室に並ぶバットの中で、本人いわく「遠くから見ても、それだけがもうチカチカ輝いていた」と言い、手に取ると何から何まで自分にピッタリであったとのことである。自分の調子に合わせてバットを変えるのではなく、バットに合わせて自分を調整していくため、オリックス入団時から一貫して同じ形のバットを使い続けている。イチローを含め様々なプロ野球選手たちのバットを作ってきた、バット職人である久保田五十一は、「私の記憶の中では、これほど(バットを)変えない方はいらっしゃらないですね」とイチローについて語っている<ref>{{Cite news|title=名工・久保田さん「これほどバット変えない人いない」バッティングフォームは毎年一定にしている|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/feature/baseball/ichiro/news/20080731-OHT1T00065.htm|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090501190959/http://hochi.yomiuri.co.jp/feature/baseball/ichiro/news/20080731-OHT1T00065.htm|date=2008年7月31日|archivedate=2009年5月1日|newspaper=スポーツ報知|publisher=報知新聞社|accessdate=2012年4月6日|deadlinkdate=2018年3月}}</ref>。長年、北海道産の[[アオダモ]]材を使っていたがメジャーではアメリカの気候も考慮して[[ホワイトアッシュ]]材に変更した<ref>[http://www.sanspo.com/baseball/news/20150302/mlb15030205010003-n1.html イチローがバットの材質変更 アオダモからホワイトアッシュ]</ref><ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXMZO98675140Q6A320C1000000/ イチローのバット、再び黒に 背景にアオダモ消滅]</ref>。メジャー2年目の夏には再びアオダモに戻していたが近年では高品質な北海道産のアオダモの採取が困難になりホワイトアッシュを使用している。
 
 
[[スパイクシューズ]]は2003年モデルまでは神戸・高塚台のアシックス工学研究所、2004年以降は鳥取・境港の山陰アシックス工業が製作していた。年々改良が続けられている専用シューズは軽量化に重点が置かれており、2009年モデルは片足約250[[グラム]]という超軽量化を実現している。反面、スパイク部分に使用されている特殊素材は軽量化の代わりに耐久性を犠牲にしており、3試合程度の使用で新品と交換している。同社がイチローのために製造しているシューズは試合用と練習用を合わせて年間150足を超える。1995年からアドバイザリー契約を結んできたが、終了、2015年シーズンはスポーツジム・ワールドウィングが開発した「ビモロスパイク」を使用する<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/02/25/kiji/K20150225009871110.html スポニチ 2015年2月25日]</ref><ref>[http://www.hochi.co.jp/baseball/mlb/20150224-OHT1T50118.html スポーツ報知 2015年2月25日]</ref>。
 
 
[[バット (野球)|バット]]や[[グラブ (野球)|グラブ]]を「道具ではない。自分の一部。自分の体の一部」だと語るほど、使う野球用品を非常に大切に扱っている<ref name="nytimes92801"/>。そのため、打った直後も必ずバットを静かに置く。オリックス時代に1度だけベンチへ戻る際にバットを放り投げたことがあり、そのときのことについて、「後ですごく後悔して、それから特に道具に対する気持ちが強くなってますね」とインタビューで答えている<ref>{{Cite news |author=四竃衛、木崎英夫|title=ICHIRO大記録への軌跡 PART3:球界再編…古巣消滅が一番辛い |url=http://www3.nikkansports.com/baseball/mlb/ichiro/2004/ichiro-rensai3.html |date=2004年 |newspaper=nikkansports.com|publisher=日刊スポーツ新聞社}}</ref>。<!--2007年の試合で、球審がバッターボックス付近に転がっていたイチローのバットを蹴飛ばした際には、ベンチから大声を張り上げて激怒した。このときは当時監督の[[ジョン・マクラーレン]]が代わりに抗議し、沈静化している<ref>NHK番組『MLB2007・日本人メジャーリーガーの群像 「イチロー・つかみとった確信」』を参照。</ref>。--><!--出典無効-->
 
 
[[セーフコ・フィールド]]のダグアウトにはイチロー専用のバットを置くための穴が開けられていたが、イチローの移籍後に塞がれその跡がかすかに残るのみとなっている<ref>{{Cite news |title=イチローが去って…変わるマリナーズの風景 |author=丹羽政善 |newspaper=日本経済新聞 |date=2012年9月11日 |url=http://www.nikkei.com/article/DGXZZO45943450Q2A910C1000000/?df=4 |accessdate=2012年9月29日}}</ref>。
 
 
他の選手の野球用具は絶対に触らない。チームメイトだった[[城島健司]]は「他人のグローブ・他人のバットは絶対に触らないですからね。手に重さだったり形だったりが残るのが嫌なんですって」と述べている<ref name="nytjul82007"/>。
 
 
グラブの手入れについて「気持ちが芽生えてきますから。グラブに対する気持ちが」「作ってくれた人に対する感謝、小さい子なら買ってくれた人への感謝の気持ち、自分のプレイに対する愛情。こういうところが、グラブを磨くことでとても変わってくるんですよ」とインタビューで答えている。また、自身が子供にグラブの手入れをするよう呼びかけることについては、「決して『きれいにしろ』というだけの意味ではありません。そのグラブで練習をしたことっていうのは、体に、必ず残るわけですよ。記憶が体に残っていく。でも、何も手入れしてない汚いグラブでプレイしていたら、その練習は記憶には残らないですよね。そういう意味もあるんですよ」と答えている<ref>『キャッチボール ICHIRO meets you』ぴあ、2004年。</ref>。グラブの紐を一部結ばず、だらしなく見えるような状態で使用しているが、本人へのインタビューによると「グローブの先まで神経がある感覚がほしい。その為には(紐を)結ばない方がいい箇所がある。(結ばない方が)手の延長になりやすい」と答えている。
 
 
2008年3月、それまでイチローのグラブを作っていた坪田信義が引退し、坪田の弟子である岸本耕作がイチローのグラブ製作を引き継いだ<ref>http://www.mizunoballpark.com/takumi/column/past/tsubota01/index.html</ref>。イチローは2008年シーズンいっぱいを岸本のグラブで過ごし、ゴールドグラブ賞を受賞。このことについてインタビューで「岸本さんのグラブになってゴールドグラブ賞がとれなかったら、おそらく岸本さんは自分を責めたでしょう。僕はそれを何としても阻まないといけないという思いで守っていました」と答えている<ref>[http://news.livedoor.com/lite/article_detail/11818932/ イチロー&新庄剛志氏、一流選手が持つグローブへのこだわり]ライブドアニュース 2016年7月30日閲覧</ref>。
 
 
=== 趣味・好物 ===
 
少年期から[[ドラゴンクエストシリーズ|ドラゴンクエスト]]のファンであり、[[プロ野球選手]]になってからもよくプレーしている<ref>{{Cite web|author=ニコニコ動画|date=2009年9月28日|url=http://www.nicovideo.jp/watch/sm8364477 |title= イチローに9年連続200本安打について聞いてみた。|accessdate=2009年10月27日}}</ref>。また、イチロー所縁の品が展示されている[[アイ・ファイン]]には、イチローが少年期にプレーしたドラゴンクエストシリーズの[[ゲームソフト|ソフト]]が展示されている<ref>{{Cite web|author=ニコニコ動画|date=2009年4月22日|url=http://www.nicovideo.jp/watch/sm6823292 |title= 『イチロー選手のご家族訪問!~カレー食べたり、勝手に表彰したり~』後編|accessdate=2009年10月27日}}</ref>。
 
 
[[自動車]]好きであり、1995年から日産自動車のCMに出演している。日本では[[日産自動車]]の[[日産・シーマ|シーマ]]、[[インフィニティ・Q|インフィニティQ45]]、[[ホシノインパル]]で1000万円以上かけて改造した[[日産・マーチ|マーチ]]などに乗っていた<ref>{{Cite news |title=イチローの愛車はなんと『マーチ』!! しかも星野一義チューン!! |url=http://response.jp/issue/2000/1124/article5727_1.html |publisher=[[FOCUS]] |date=2000年11月29日号}}</ref>。アメリカでは同じく日産自動車の[[インフィニティ・G|インフィニティ・G35クーペ]]、[[ポルシェ・カレラGT]]、[[ポルシェ・911]]、オールスターMVPの副賞として贈呈された[[シボレー・タホ]]・[[ハイブリッドカー|ハイブリッド]]などを所有している。
 
 
[[偏食]]家で野菜嫌い。[[海苔]]に醤油を付けハケのようにしてご飯に塗ったものの「ご飯部分」が好物である<ref>阿川佐和子『阿川佐和子のこの人に会いたい』文藝春秋、1997年。</ref>。独身時代から[[牛タン]]が好きで、オリックス時代から[[神戸市|神戸]]の牛タン専門店の常連であり、開幕日の前夜は欠かさず食べていた<ref>[http://www.news-postseven.com/archives/20130328_178446.html 開幕日の験担ぎ イチローは前夜は牛タン当日朝クリームパン] Newsポストセブン 2013年3月28日</ref>。渡米してから[[2007年]]までは、シアトルの自宅での朝食には弓子夫人手作りの[[カレー]]を食べていた<ref name="nytjul82007"/>。その後、毎朝のカレーをやめて[[食パン]]、[[うどん]]、[[素麺]]などを摂っている。夕食は弓子夫人の作る[[イタリア料理|イタリアン]]、[[フランス料理|フレンチ]]、[[日本料理|日本食]]、[[中華料理|中華]]を食べている<ref name="spi">{{Cite news |title=Take five with ... Ichiro Suzuki|work=Seattle Post-Intelligencer|date=2004年3月29日 |url=http://www.seattlepi.com/sports/baseball/article/Take-five-with-Ichiro-Suzuki-1140841.php |accessdate=2016年7月3日}}</ref>。
 
 
自らがCMに出演している[[佐藤製薬]]の[[ユンケル黄帝液]]を愛飲している。遠征時には特注の専用ケースにユンケルを詰めて持って行く<ref name="nytjul82007"/>。WBC優勝後の会見の際には[[川崎宗則]]が「(イチローが)ユンケルを飲むのは試合の1時間前」であることを明かした<ref>[http://www.j-cast.com/2009/03/27038411.html 「ユンケル」、WBC・イチロー効果で高まる関心] J-Cast 2009年3月27日</ref>。
 
 
メディアのインタビューにて「[[サンドラ・ブロック]]が好きだ」と話している。好きな映画には『[[ビューティフル・マインド]]』、『[[フェイス/オフ]]』、サンドラ・ブロック製作・主演作『[[デンジャラス・ビューティー]]』を挙げた(いずれも2004年のインタビュー時点)<ref name="spi" />。
 
 
<!--
 
=== 交友関係 ===
 
[[坪井智哉]]とは同じバッティングフォームである[[振り子打法]]がきっかけで会話したのが最初で、それから交流が深まり、2001年オフから毎年1月に古巣[[オリックス・バファローズ|オリックス]]の球場である[[神戸総合運動公園野球場|スカイマークスタジアム]]で合同自主トレをするほどの仲になった。坪井は引退を決断した際、家族以外では最初にイチローに報告したという<ref>{{Cite news |title=坪井氏が引退会見 住む家もなかった|newspaper=デイリースポーツ |date=2014年8月18日 |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/baseball/2014/08/18/0007248575.shtml |accessdate=2014年9月5日}}</ref>。
 
 
[[シアトル・マリナーズ|マリナーズ]]時代に長くチームメイトだった[[ラウル・イバニェス]]とは親友で、日本語のジョークを教えたり、イバニェスが37歳で初めて[[MLBオールスターゲーム|オールスター]]に選出された際にはお祝いにシャンパンを贈ったという<ref>{{Cite news |title= イチ興奮!イバネス連発でサヨナラ王手|newspaper=日刊スポーツ|date=2012年10月12日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20121012-1031369.html |accessdate=2014年9月5日}}</ref>。2012年に[[ニューヨーク・ヤンキース|ヤンキース]]で再びチームメイトになった際には、イバニェスが「(イチローとは)親しくしてきたし、最高の選手、最高の人間だ。また一緒にできてうれしい」と話した<ref>{{Cite news |title=ジーターもAロッドも歓迎!ナインが大興奮|newspaper=スポーツニッポン |date=2012年7月25日 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/07/25/kiji/K20120725003749960.html |accessdate=2014年9月5日}}</ref>。
 
 
[[ケン・グリフィー・ジュニア]]のことは「ジョージ」と呼んでいる。ジョージはグリフィーのファーストネームだが、この名前で呼べるのはごく限られた人間だけだという<ref name="gr">{{Cite news|title=イチローがグリフィーに英語でメッセージ/引退セレモニー番外編|newspaper=MLB.jp MLB日本公式サイト|date=2013年8月12日|url=http://gyao.yahoo.co.jp/mlb/columndetail/2013-0812-0022/|accessdate=2014年9月7日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130821033851/http://gyao.yahoo.co.jp/mlb/columndetail/2013-0812-0022/|archivedate=2013年8月21日}}</ref>。2013年8月に行われたグリフィーのマリナーズ殿堂入り式典のために送ったビデオメッセージのなかでもジョージと呼び、チームメイトだった時期(2009年 - 2010年途中)のことを、これからも忘れることはないだろうと話した<ref name="gr" />。イチローがNPB/MLB通算4000安打を達成した際には、グリフィーがイチローに祝福のビデオメッセージを送り、そのなかで「イチローが技術を完成させるため、どれだけの時間と努力をかけたかを考えてほしい。4000安打とは、とても本当とは思えない数字だ」と話した<ref>{{Cite news |title=イチロー グリフィー氏から祝福 大型ビジョンで“異例の演出”|newspaper=スポーツニッポン |date=2013年8月23日|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/08/23/kiji/K20130823006467690.html |accessdate=2014年9月7日}}</ref>。グリフィーは自身の[[アメリカ野球殿堂|米野球殿堂]]式典後に出演したトークショーの中でも、イチローとのエピソードを明かしている<ref>{{Cite web|url=http://full-count.jp/2016/07/26/post39512/ |title=新殿堂選手グリフィー氏が明かすイチロー秘話「実はくすぐったがり」|work=Full-count|author=|date=2016年7月26日|accessdate=2016年8月4日}}</ref>。
 
 
[[川崎宗則]]は中学生の頃からイチローの大ファンであり、[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|2006WBC日本代表]]でチームメイトになってからは、合同自主トレを行っている<ref>{{Cite news |title=イチローとソフトB川崎が合同自主トレ|newspaper=日刊スポーツ |date=2010年1月19日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20100119-587287.html |accessdate=2014年9月5日}}</ref>。2011年オフ、川崎はイチローと同じチームへの移籍を希望してマリナーズとマイナー契約。[[スプリングトレーニング]]で結果を残して念願の開幕メジャー入りを果たした。しかし、イチローは半年でヤンキースに移籍、このときイチローは川崎の存在について「迷った中の要素」とした上で「一緒の場所にいることが必ずしも一緒にやっているということではない。違うところでも一緒にやれるという考えが僕の中にある」と話した<ref>{{Cite news |title=絆は変わらない…イチロー 川崎の存在は「迷った中の要素」 |newspaper=スポーツニッポン |date=2012年7月24日 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/07/24/kiji/K20120724003749720.html |accessdate=2012年9月29日}}</ref>。イチローと川崎は別々のチームになってからも合同自主トレを行っている<ref>{{Cite news |title=川崎と自主トレのイチ、神戸で震災の日|newspaper=日刊スポーツ |date=2013年1月19日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20130118-1073411.html |accessdate=2014年9月5日}}</ref>。[[ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|WBC日本代表]]で共に戦った選手では川崎以外に[[今江敏晃]]<ref>{{Cite news |title=偉大な先輩|newspaper=今江敏晃 公式サイト|date=2009年9月7日 |url=http://pakila.jp/imae/2009/09/07/3508/ |accessdate=2014年9月5日}}</ref>、[[青木宣親]]<ref>{{Cite news |title=青木披露宴にイチローら豪華ゲスト200人|newspaper=スポーツニッポン |date=2010年12月13日 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/ichiro/mlb201012/KFullNormal20101213114.html |accessdate=2014年9月5日}}</ref>、[[松坂大輔]]<ref>{{Cite news |title=イチローと松坂が合同自主トレで真剣勝負|newspaper=日刊スポーツ |date=2010年12月22日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20090205-457525.html |accessdate=2014年9月5日}}</ref><ref>{{Cite news |title=松坂、“恋人”イチと抱擁「話すチャンスがあってよかった」|newspaper=サンケイスポーツ |date=2014年5月17日 |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20140517/mlb14051705030003-n1.html |accessdate=2014年9月5日}}</ref>、[[内川聖一]]<ref>{{Cite news |title=ソフトB内川、イチロー再会パワーもらう|newspaper=日刊スポーツ|date=2013年12月6日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20131206-1227571.html |accessdate=2014年9月5日}}</ref><ref>{{Cite news |title=内川聖一(プロ野球・横浜) ボールが大きく見える|newspaper=朝日新聞 |date=2009年8月25日 |url=http://www.asahi.com/special/plus/TKY200908250265.html |accessdate=2014年9月5日}}</ref>[[上原浩治]]<ref>{{Cite news |title=無理矢理|newspaper=上原浩治オフィシャルブログ |date=2012年12月11日 |url=http://www.koji-uehara.net/2012/12/11/2121.html |accessdate=2014年9月5日}}</ref>らと親しい。
 
 
古巣のオリックスつながりでは[[T-岡田]]や[[糸井嘉男]]との合同自主トレが報じられている<ref>{{Cite news |title=イチロー、T岡田は「日本人にいない感じ」|newspaper=日刊スポーツ|date=2011年1月22日|url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20110122-727564.html |accessdate=2015年1月11日}}</ref><ref>{{Cite news |title=オリックスのT―岡田がイチローに“弟子入り”|newspaper=東京スポーツ|date=2013年12月20日|url=http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/216012/ |accessdate=2015年1月11日}}</ref><ref>{{Cite news |title=オリ糸井 イチと1日だけの極秘トレ|newspaper=日刊スポーツ|date=2015年1月8日|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20150108-1418837.html |accessdate=2015年1月11日}}</ref>。
 
 
マリナーズで右中間コンビを組んでいた元チームメイト[[マイク・キャメロン]]の引退セレモニー(始球式)では、イチローが捕手を務めた<ref>{{Cite news |title=イチロー始球式で捕手 キャメロン引退式|newspaper=日刊スポーツ |date=2013年1月19日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20120414-933899.html |accessdate=2014年9月5日}}</ref>。同じく元チームメイトの[[マイケル・ソーンダース]]は2011年に結婚した際、イチローがチーム全員集めてお祝いの食事会を開いてくれたと明かした<ref>{{Cite news |title=イチローとチームメートとの距離|newspaper=日本経済新聞 |date=2012年5月7日 |url=http://www.nikkei.com/news/print-article/?R_FLG=0&bf=0&ng=DGXZZO41104280W2A500C1000000&uah=DF251020129546 |accessdate=2014年9月5日}}</ref>。
 
 
マリナーズと同地区球団[[テキサス・レンジャーズ|レンジャーズ]]の顔であった[[マイケル・ヤング (内野手)|マイケル・ヤング]]とは尊敬し合っている。2011年にヤングは「僕はイチローと11年間にわたりライバルとして戦ってきた。彼が僕に一目置いてくれていることは知っている。その気持ちは僕だって同じ。僕のことを『尊敬しています』と簡単に言う人もいるけど、本当にそうなのかどうかは、立ち振る舞い、接し方をみればわかるもんさ。イチローと僕の間には、お互いを真に敬う気持ちがある。イチローと同じ時代にプレイできて幸せだ、彼がいたからこそ、今の僕があると思う」と語っており<ref>{{Cite news |title=【MLB】マイケル・ヤング「今年もイチローは高い技術、強い精神力を持っていた」|newspaper=スポルティーバ |date=2011年12月27日 |url=http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/mlb/2011/12/27/mlb_21/index2.php |accessdate=2014年9月5日}}</ref>、2014年の引退会見でも「イチローと競い合うのは大変な挑戦だった」と話した<ref>{{Cite news |title=ヤング「イチローとの争いは大変な挑戦」
 
|newspaper=日刊スポーツ |date=2014年2月1日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20140201-1251799.html |accessdate=2014年9月5日}}</ref>。
 
 
[[城島健司]]はマリナーズ時代のチームメイトであり、2009年にはWBC日本代表でも共に戦った。マリナーズ時代はベンチに並んで座り、ゲームの流れや技術、野球観などを話し合った。現在もオフには必ず神戸で当時の関係者を交えて会食し、一緒にゴルフに出掛ける間柄である<ref name="sanspo20120928">{{Cite news |title=城島引退を寂しがるイチロー「人間らしい男」 |newspaper=サンケイスポーツ |date=2012年9月28日 |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20120928/mlb12092816250022-n1.html |accessdate=2012年9月29日}}</ref>。2012年に引退を決断した城島について「メディアを通して知る前に伝えてくれる。律義な男ですよ」としんみりと話した。城島が不振でダッグアウトで涙を浮かべていた時も「その翌日、声を掛けたらすごくうれしそうだった。人間らしい男ですよね」と引退を寂しがるコメントを出している<ref name="sanspo20120928"/>。
 
 
[[黒田博樹]]はヤンキース時代のチームメイトであり、2年半共にプレーした。ヤンキース時代は一緒に食事に行き、2015年に[[広島東洋カープ|広島]]に復帰することになった際、黒田は真っ先にイチローに報告し、イチローも[[マイアミ・マーリンズ|マーリンズ]]への移籍を黒田に話すなどの間柄である。チームメイトとして過ごした時間を振り返り、黒田は「2年半、一緒にプレーさせてもらいましたが、一番印象に残っているのはイチローさんの強さでした。体もそうですけど、精神的な強さ。イチローさんがいたから僕も多少なりとも強くなれたのかなと。イチローさんなしでは、ヤンキースでローテーションを守ることはできなかったと思っています。この期間は野球人生の財産です」と話している<ref>{{Cite news |title=黒田 ローテ守った裏にイチローの存在…ヤ軍で共闘「財産」|newspaper=スポニチアネックス |date=2015年1月30日 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/01/30/kiji/K20150130009719630.html |accessdate=2015年1月30日}}</ref>。黒田を特集したテレビ番組(『[[情熱大陸]]』2015年3月29日放送回)のなかでは、イチローが黒田の素晴らしさを語っている。2015年3月、広島復帰後初めての勝利を挙げた黒田は、イチローから祝福のメールが届いたことを明かした<ref>{{Cite news |title=黒田、イチ&マー君とメル友! 「マサオは僕のバッティングをなめている」|newspaper=サンケイスポーツ|date=2015年3月31日 |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20150331/car15033105050003-n1.html |accessdate=2015年4月12日}}</ref>。
 
 
2001年の[[MLBオールスターゲーム|オールスター]]で顔を合わせ、2006年からは5年連続でオールスター[[アメリカンリーグ]]代表の[[2006年のMLBオールスターゲーム#先発メンバー|1、2番コンビ]]を組んだ[[デレク・ジーター]]とは、ヤンキース同僚時代に「サンダーソン(ジーターの[[人名#英語圏の名前|ミドルネーム]])」「イチ」と呼び合い、昼食を賭けたり、からかい合う仲だった<ref name="je">{{Cite news |title=ジーターらが語るイチローの素顔|newspaper=日本経済新聞 |date=2012年10月6日 |url=http://www.nikkei.com/article/DGXZZO46892020U2A001C1000000/?df=2 |accessdate=2014年9月7日}}</ref><ref>{{Cite news |title=ジーター「イチローがここに来てくれて本当に良かった」|newspaper=スポーツニッポン |date=2012年10月5日|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/10/05/kiji/K20121005004257620.html |accessdate=2014年9月7日}}</ref>。そのことについてジーターは「イチとふざけるのが楽しいんだ」と語った<ref name="je" />。2014年にジーターは現地メディアの取材に対し、「僕はイチを常に尊敬してきたし、今はもっと尊敬している」「イチにはユーモアがあり、彼をよく知ってから(チームメイトになってから)本当に楽しかった」と話した<ref name="wf">{{Cite news |title=
 
Jeter and Ichiro: Mutual respect bonds two baseball greats|newspaper=The Journal News |date=2014年5月24日|url=http://www.lohud.com/story/sports/mlb/yankees/2014/05/24/jeter-ichiro-mutual-respect-bonds-two-baseball-greats/9546509/ |accessdate=2014年9月5日}}</ref><ref>{{Cite news |title=Former Mets shortstop Reyes learned a lot from Jeter|newspaper=New York Post |date=2014年9月20日 |url=http://nypost.com/2014/09/20/former-mets-shortstop-reyes-learned-a-lot-from-jeter/ |accessdate=2014年10月19日}}</ref>。ジーターの現役最後の試合(2014年9月28日)では1、2番コンビを組んだ<ref>{{Cite news |title=イチ、ジーターの“お願い”に応える|newspaper=デイリースポーツ |date=2014年9月29日 |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/mlb/2014/09/29/0007374551.shtml |accessdate=2014年10月19日}}</ref>。ジーターは引退後の2016年に自身のウェブサイトで、イチローに対する想いを綴った記事を掲載した<ref>{{Cite web|url=http://www.theplayerstribune.com/derek-jeter-ichiro-suzuki-yankees-mariners-3000-hits/ |title=More Than 3,000|work=The Players' Tribune|author=Derek Jeter|date=2016年8月3日|accessdate=2016年8月4日}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://full-count.jp/2016/08/04/post40875/ |title=ジーター氏がイチローへの想い綴る 「何よりも胸に刻まれている」時間とは|work=Full-count|author=|date=2016年8月4日|accessdate=2016年8月4日}}</ref>。その後、イチローが3000安打を達成した際は、「Congratulations to my friend and teammate Ichiro on joining the 3,000 hit club.(私の友人でありチームメイトのイチロー、3000安打クラブ入会おめでとう)」と祝福コメントを寄せた<ref>{{Cite web|url=https://twitter.com/YankeesPR/status/762421868225630208 |title=Derek Jeter sends his congratulations to Ichiro Suzuki, who just became the latest member of the 3,000-hits club|work=Yankees PR Dept.(Official Yankees Media Relations Twitter Account)|author=|date=2016年8月7日|accessdate=2016年8月9日}}</ref>。
 
 
イチローはヤンキース移籍の際、[[バーニー・ウィリアムス]]が長年つけていた背番号51を遠慮した。その話にはウィリアムスも感激したようで、「とても感謝している。彼とは球界のいい友人として接してきた。彼が配慮してくれたことはとても光栄だ。日本で素晴らしいキャリアを残した後、米国でも大きな実績を残した。日米両方で野球殿堂入りする初めての選手になる」と話した<ref>{{Cite web|date=2015年2月5日|url=http://full-count.jp/2015/02/05/post7805/ |title=ヤンキース元4番打者の「終わらない旅」 異色のミュージシャン転身|work=Full-Count|author=伊武弘多|accessdate=2015年2月5日}}</ref>。ウィリアムスとイチローは2001年のオールスターでユニフォームの交換をしている<ref name="wf" />。
 
 
両親の仕事の関係で幼少期から[[アメリカ合衆国]]で育った[[加藤豪将]]は、7歳のとき家族旅行で訪れたシアトルでマリナーズ戦を観戦してからイチローのファンであり、ドラフトでヤンキースから指名された2013年のオフに初めて一人で日本を旅し、神戸でイチローと練習や食事を共にしたという<ref>{{Cite news |title= 加藤豪将「イチローさんが人生変えた」|newspaper=デイリースポーツ |date=2013年12月30日 |url=http://www.daily.co.jp/opinion-d/2013/12/30/2p_0006606395.shtml |accessdate=2014年9月5日}}</ref>。
 
 
日系4世でシアトル出身の[[トラビス・イシカワ]]は高校時代にイチローの大ファンだったといい、2013年に短期間ヤンキースで同僚だったイチローのことを「移籍したばかりの僕にでも親切にしてくれ、何かと気にかけてくれた。ユーモアたっぷりでクラブハウスでは常にチームメイトを笑わせていた」と明かした。イシカワにとってイチローはサインをもらった数少ないメジャーリーガーのひとりで「快くボールにサインしてくれた」という<ref>{{Cite news |title=ジャイアンツのT.イシカワが明かしたイチローの仰天素顔|newspaper=日刊ゲンダイ |date=2014年10月17日 |url=http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/154130/2 |accessdate=2014年10月19日}}</ref>。他に[[ビクター・マルティネス]]や[[マイサー・イズトゥリス]]、[[アズドルバル・カブレラ]]もイチローのサインなどを持っているという<ref>{{Cite news |title=Ichiro Suzuki Uncensored, en Español|newspaper=The Wall Street Journal |date=2014年8月29日 |url=http://online.wsj.com/articles/ichiro-suzuki-uncensored-en-espanol-1409356461?mod=rss_newyork_sports |accessdate=2014年10月19日}}</ref>。イチローはマルティネスらのような[[ラテン系]](中南米出身)の選手と積極的に交流したくなるといい、その理由を「彼らには親近感を持っている。僕たちは見知らぬ土地の外国人だ。ここ(米国)にやって来て、同じような困難に打ち勝っていかなければならなかった。多少かじった[[スペイン語]]で話しかけると、本当に喜んでくれて、彼らと絆を深められるような気がする」と話している<ref>{{Cite news |title=知られざるイチローのスペイン語力―ラテン系選手との絆深める|newspaper=ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 |date=2014年9月1日 |url=http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052970204091304580126793231931402 |accessdate=2014年10月19日}}</ref>。元同僚の[[ユニエスキー・ベタンコート]](キューバ出身)はマリナーズ時代にイチローと何度も一緒に寿司を食べに出掛けたことがあるという<ref>{{Cite news |title=オリ新助っ人ベタンコートが日本予習|newspaper=日刊スポーツ |date=2014年2月25日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140225-1262497.html |accessdate=2014年11月10日}}</ref>。[[エドゥアルド・ヌニェス]](ドミニカ共和国出身)は自身の[[インスタグラム]]にイチローとの写真をアップロードしている<ref>{{Cite news |title=ムネリンにライバル出現!? ラテン系メジャーリーガーがイチロー愛を激白|newspaper=日刊SPA! |date=2014年11月26日 |url=http://nikkan-spa.jp/754066 |accessdate=2014年11月26日}}</ref>。日本選手や北米選手、中南米選手以外では、台湾出身の[[陳偉殷|チェン・ウェイン]]と試合前に談笑する姿がよく見られる<ref>{{Cite news |title=写真ニュース(画像)|newspaper=日刊スポーツ |date=2012年8月2日|url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/photonews_nsInc_p-bb-tp2-20120802-993817.html |accessdate=2014年12月21日}}</ref><ref>{{Cite news |title=デイリーフォト(画像)|newspaper=スポーツニッポン |date=2014年4月8日|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/04/08/gazo/G20140408007934890.html |accessdate=2014年12月21日}}</ref>。台湾メディア([[中央通訊社]])によれば、チェンは中学生の頃からイチローに憧れていたという<ref>{{Cite news |title=イチローとチームメートに? 元中日・チェン「実現すれば幸せ」|newspaper=中央通訊社|date=2014年12月20日|url=http://japan.cna.com.tw/news/aart/201412200003.aspx |accessdate=2014年12月21日}}</ref>。
 
 
2005年から2008年までマリナーズで同僚だった[[マイケル・モース]]は、イチローのマーリンズ入団が報じられた直後に[[Twitter]]を更新し、「日本のヒット王であり、わが友人でもあるイチローを獲得したマーリンズに大きな敬意をはらう」とつづり、自身が初めてヒットを打った記念バットの横にイチローのサイン入りバットを置いた画像をアップロードして再び同僚となることに喜びを表した<ref>{{Cite news |title=Source: Ichiro, Marlins agree to 1-year deal|newspaper=マイアミ・マーリンズ公式サイト|date=2015年1月24日|url=http://m.mlb.com/news/article/107247704/source-ichiro-suzuki-marlins-agree-to-one-year-deal |accessdate=2015年1月25日}}</ref><ref>{{Cite news |title=イチローは「日本のヒット王」 マーリンズのモースが元同僚加入を喜ぶ」|newspaper=サンケイスポーツ|date=2015年1月24日|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20150124/mlb15012413480008-n1.html |accessdate=2015年1月25日}}</ref><ref>{{Cite news |title=Ichiro bat next to my first hit bat|work=マイケル・モースTwitter(認証済みアカウント)|date=2015年1月25日|url=https://twitter.com/Mcode38/status/559039388576124928 |accessdate=2015年1月25日}}</ref>。モースによると、2005年に初めてメジャー昇格したあとに分からないことがあってイチローに質問すると親切に教えてくれたことがきっかけで親しくなったという<ref name="mm">{{Cite news |title=来る者拒まぬイチロー、同僚にバットケースの「教え」 |newspaper=日本経済新聞|date=2015年3月2日|url=http://www.nikkei.com/article/DGXMZO83823080R00C15A3000000/?df=2&dg=1 |accessdate=2015年3月3日}}</ref>。当時イチローから貰ったバットケースはその後10年近く使用している「宝物」と話した<ref name="mm" />。
 
 
バットケースは[[ディー・ゴードン]]もイチローが持っているのを見て欲しがったため、イチローがゴードンの背番号9をあしらい、マーリンズカラーにアレンジしたケースをプレゼントした<ref name="dee">{{Cite news |title=Have bats, will travel -- Dee Gordon piling up hits with gift from Ichiro Suzuki|newspaper=Miami Herald|date=2015年6月1日 |url=http://miamiherald.typepad.com/fish_bytes/2015/06/have-bats-will-travel-dee-gordon-piling-up-hits-with-gift-from-ichiro-suzuki.html |accessdate=2015年6月2日}}</ref>。[[クリスチャン・イエリッチ]]は子供の頃にイチローを見てファンになったといい、ロッカーにイチローのサイン入りユニフォームをかけている<ref>{{Cite news |title=球団の狙いピタリ イチローが促す若手の意識変化|newspaper=日本経済新聞|date=2015年7月20日 |url=http://www.nikkei.com/article/DGXMZO89507140Z10C15A7000000/ |accessdate=2015年7月20日}}</ref>。
 
 
イチローはメディアに対応する際に[[通訳]]を介しているが、選手とは[[英語]]や[[スペイン語]]でコミュニケーションを取っている<ref>{{Cite news |title=New Miami Marlin Ichiro Suzuki a hit with humor, multilingual skills|newspaper=Miami Herald|date=2015年2月24日 |url=http://www.miamiherald.com/sports/mlb/miami-marlins/article11104109.html |accessdate=2015年4月10日}}</ref><ref>{{Cite news |title=得意のスペイン語も駆使 イチローが早くも新チームメートの心を鷲掴み!?|newspaper=Full-Count|date=2015年2月25日 |url=http://full-count.jp/2015/02/25/post8228/ |accessdate=2015年4月10日}}</ref>。マーリンズ移籍後の2015年キャンプ初日から意気投合する[[マーセル・オズナ]]によれば、普通の会話レベルならば問題なくスペイン語を話せるという<ref>{{Cite web|date=2015年4月9日|url=http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1504/09/news009.html |title=新天地でも“転校生”ではない、イチローのハイレベルな「EQ」|work=ITmedia ビジネスオンライン|author=臼北信行|accessdate=2015年4月10日}}</ref>。
 
 
[[騎手]]の[[武豊]]とは1995年に[[ラジオ]]番組で知り合ってから、自主トレを共にするなど約20年の付き合いがある<ref>{{Cite news |title=武イチローと自主トレ/フェブラリーS|newspaper=日刊スポーツ|date=2015年2月20日|url=http://www.nikkansports.com/race/news/1436733.html |accessdate=2015年2月20日}}</ref>。
 
 
[[松井秀喜]]との関係については、{{main|松井秀喜#イチローとの関係}}
 
 
=== プロアスリートへの影響 ===
 
前述の[[今江敏晃]]、[[糸井嘉男]]、[[加藤豪将]]、[[クリスチャン・イエリッチ]]、[[トラビス・イシカワ]]らがイチローへの憧れを公言しているほか、同い年の[[坪井智哉]]は[[青山学院大学]]時代に、変化球に弱く三振が多いことに悩んでいた同時期にイチローが振り子打法で大ブレイクするのを見て、「変化球に対応するには、あの打法がええんちゃうの?」と考え、振り子打法に切り替えてプロ入りを果たしている<ref>[http://thepage.jp/detail/20141008-00000001-wordleafs?page=2 イチローの振り子打法の元祖論争に決着!] THE PAGE(2014.10.08)</ref>。坪井はイチローを「野球生活の中で一番影響を受けた人物」と話し、引退を決断した時に家族以外で最初に報告したのはイチローだったことを引退会見で明かしている<ref name="zakzak">[http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20140819/bbl1408191532007-n1.htm 引退した元阪神・坪井が吐露した米独立リーグの過酷さ 月給20万円以下、宿泊先がない日も…] zakzak(2014.08.19)</ref>。
 
[[川崎宗則]]は中学時代にイチローを見て強い衝撃を受け、イチローを真似て左打ちに転向した。川崎は自著のなかで、もし中学時代にイチローと出会っていなかったら野球を辞めていたかもしれないと明かしている<ref>{{Cite news |title=ムネリン、ガチすぎるイチロー愛が大爆発 「世界で一番カッコいい!」|work=Excite Bit コネタ|date=2015年3月15日 |url=http://www.excite.co.jp/News/bit/E1426065516712.html |accessdate=2015年10月2日}}</ref>。[[青木宣親]]は、テレビ番組(『[[World Baseballエンタテイメント たまッチ!|たまッチ!]]』2012年8月6日放送回)のなかで、[[メジャーリーグベースボール|MLB]]移籍1年目の4月に苦しんでいた際、イチローに電話して相談し、アドバイスをもらっていたことを明かした。イチローとメールや電話で連絡を取り合っているという青木は「イチローさんの言葉は僕にはすごく影響力がある」と語っている<ref>{{Cite news |title=200安打達成の青木、心に響いたイチローの言葉 ヤクルト・青木宣親インタビュー|work=スポーツナビ|date=2010年10月26日 |url=http://sports.yahoo.co.jp/sports/baseball/npb/2012/columndtl/201010220002-spnavi |accessdate=2015年10月30日}}</ref>。[[内川聖一]]はイチローと毎年オフに食事をともにする関係で、「考え方とか、いろいろ勉強させてもらっています」と話している<ref>{{Cite news |title=内川が衝撃を受けたイチローの言葉「さらに自分にプレッシャーをかけてみようと思う」|work=サンケイスポーツ|date=2016年6月18日 |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20160618/haw16061814590002-n1.html |accessdate=2016年7月3日}}</ref>。[[前田健太]]は子供の頃からイチローに憧れていた<ref>{{Cite news |title=前田健太、イチローと初対面|work=デイリースポーツ|date=2016年4月26日 |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/mlb/2016/04/26/0009025779.shtml |accessdate=2016年7月3日}}</ref>。[[大谷翔平]]は『[[徹子の部屋]]』に出演した際、司会の黒柳から「アメリカの選手で、あの人に投げてみたいという選手いる?」と質問され、イチローと答えている<ref>{{Cite news |title=ハム大谷、イチローとの対戦希望|work=デイリースポーツ|date=2016年2月11日 |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/baseball/2016/02/11/0008797256.shtml |accessdate=2016年7月3日}}</ref>。大谷はイチローと食事した時に「打者としてメジャーに挑戦して」と言われたという<ref>{{Cite news |title=日本ハム・大谷が藤木直人とのトーク番組でイチローに「打者としてメジャーに挑戦して」と言われたと明かす|work=東京スポーツ|date=2016年3月17日 |url=http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/519477/ |accessdate=2016年7月3日}}</ref>。[[城所龍磨]]は、イチローと合同自主トレをしたことがある<ref>{{Cite news |title=ソフトB城所、イチローの言葉に夢心地 ニュースで「見ました」|work=スポーツニッポン|date=2016年6月24日 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/06/24/kiji/K20160624012835190.html |accessdate=2016年7月3日}}</ref>。
 
 
シーズン最多安打記録保持者の[[秋山翔吾]]は、イチローが1994年に日本記録(当時)を樹立した翌1995年に[[幼稚園]]の卒園文集に「やきゅうせんしゅになりたいです。いちろうみたいにひっとうちたいです」と書き記していた<ref>{{Cite news |title=【西武】秋山5安打で日本最多「214」イチ超えマートン並んだ|newspaper=スポーツ報知|date=2015年10月1日 |url=http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20151001-OHT1T50008.html |accessdate=2015年10月1日}}</ref>。[[柳田悠岐]]は[[サンフレッチェ広島F.C|サンフレッチェ広島]]の本拠地に近いサッカーが盛んな土地で育ったため幼少期は当然のようにサッカーを始めたが、1996年の[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]をテレビで見てイチローのプレーに衝撃を受け、翌年少年野球クラブに入部したという<ref>{{Cite news |title=【日本シリーズ特別企画】柳田悠岐の軌跡(入団時の連載)|newspaper=西日本新聞|date=2015年10月29日 |url=http://www.nishinippon.co.jp/hawks/article/204069 |accessdate=2015年10月30日}}</ref>。[[大韓民国|韓国]]出身のメジャーリーガー[[秋信守]]は、2009年の[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック|WBC]]を前に行われた韓国代表チームの記者会見で、日本代表チームのリーダーであるイチローとの対戦について「イチローは[[アメリカ合衆国|米国]]でもスーパースター。自分とライバルだと言うのはおかしい」と話し、敬意を表した<ref>{{Cite news |title=<WBC>秋信守「イチローではなく日本と戦う」|newspaper=中央日報|date=2009年3月3日 |url=http://japanese.joins.com/article/088/112088.html |accessdate=2015年10月1日}}</ref>。
 
 
[[ディー・ゴードン]]とは2015年に同僚となり、除湿効果がある特製のバットケースを贈ったり、アドバイスをしたりしていた。ゴードンは同年の[[ナショナル・リーグ|ナ・リーグ]]首位打者を獲得した(自身初の首位打者と年間200安打)<ref name="dee" /><ref name="dego">{{Cite news |title=Ichiro advises Dee Gordon in batting-title race; Marlins fall to Rays 6-4|newspaper=Miami Herald|date=2015年9月30日 |url=http://www.miamiherald.com/sports/mlb/miami-marlins/article37162539.html |accessdate=2015年10月5日}}</ref><ref>{{Cite news |title=イチロー、200安打到達の同僚をハグ|newspaper=デイリースポーツ|date=2015年10月4日 |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/mlb/2015/10/04/0008454743.shtml?pg=2 |accessdate=2015年10月5日}}</ref>。ゴードンの首位打者と盗塁王の同時獲得はナ・リーグでは1949年の[[ジャッキー・ロビンソン]]以来66年ぶりで、2001年に[[アメリカン・リーグ|ア・リーグ]]で首位打者と盗塁王を同時獲得しているイチローのアドバイスはとても参考になったとゴードンはコメントしている<ref name="dego" /><ref>{{Cite news |title=快挙の陰にイチロー=ゴードン、66年ぶり「2冠」-米大リーグ・マーリンズ|newspaper=時事通信|date=2015年10月7日 |url=http://www.jiji.com/jc/zc?k=201510/2015100700053 |accessdate=2015年10月30日}}</ref><ref group="注">ゴードンの首位打者、盗塁王、最多安打、シルバースラッガー、ゴールドグラブの同時達成は2001年のイチロー以来、史上2人目。</ref>。米地方紙によれば、2015年12月に野球イベントに参加したゴードンは、イチローについて「人生で最高の出会い」と語り、「初対面の瞬間から打ち解け、毎日彼と一緒にいられて嬉しい」と話したという<ref>{{Cite news |title=Hometown heroes back in Avon Park|newspaper=Highlands Today|date=2015年12月14日 |url=http://www.highlandstoday.com/hi/sports/hometown-heroes-back-in-avon-park-20151214/ |accessdate=2015年12月15日}}</ref><ref>{{Cite news |title=【MLB】盗塁王D.ゴードン、イチローは“人生で最高の出会い”|work=ISM|date=2015年12月15日 |url=http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151215-00000211-ism-base |accessdate=2015年12月15日}}</ref>。2017年オフにトレードでマリナーズに移籍したゴードンであったが、後にイチローもマリナーズに復帰したことで引き続きチームメイトとなったことを受け「質問が100万個ある」と再会を喜んだ<ref group="注">ゴードンは移籍を機に外野手へ転向している。</ref>。[[ニューヨーク・メッツ]]所属の投手[[スティーブン・マッツ]]は、イチローがマリナーズでMLBデビューした2001年からイチローを見ていた<ref>{{Cite news |title=イチローとの対戦にメッツ有望株が興奮 「10歳のころから見ていた選手」|work=Full-Count|date=2015年3月10日 |url=http://full-count.jp/2015/03/10/post8524/ |accessdate=2015年10月1日}}</ref>。生まれ育った[[ニューヨーク州|ニューヨーク]]ではマリナーズの試合を見ることができないため、MLB専門チャンネルに加入してイチローを応援していたといい、2015年にイチローと初対決した際、「子供のころから尊敬してきた偉大な打者。最高の気分だった」と話した<ref>{{Cite news |title=イチローに敵軍新人が熱視線|newspaper=デイリースポーツ|date=2015年9月16日 |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/mlb/2015/09/16/0008400594.shtml?pg=2 |accessdate=2015年10月1日}}</ref>。マリナーズの地元[[ワシントン州]]出身で[[ミネソタ・ツインズ]]に所属する[[トレバー・メイ]]は、「(イチローは)僕が小さな時から見てきたグループのコアメンバーだった。毎晩見ていた」と[[ミネソタ州|ミネソタ]]地元紙に明かしている<ref>{{Cite news |title=イチローとの対戦夢見る26歳右腕 「毎晩見ていた」「史上最高の打者の一人」|work=Full-Count|date=2016年6月9日 |url=http://full-count.jp/2016/06/09/post34770/ |accessdate=2016年7月3日}}</ref>。
 
 
[[サッカー]]選手の[[遠藤保仁]]は、テレビ番組(『[[プロフェッショナル 仕事の流儀]]』2014年1月27日放送回)のなかで、「ものすごい影響を与えられる人が真のプロフェッショナルだと思います。サッカーをしている僕ですら、イチローさんのようになりたいと思うので、その領域まで行きたいなと思っています」と語った<ref>{{Cite news |title=プロサッカー選手・遠藤保仁|work=NHK|date= |url=http://www.nhk.or.jp/professional/2014/0127/ |accessdate=2015年10月1日}}</ref>。[[香川真司]]は、ファンからの質問に答えるイベントのなかで、尊敬している選手を訊かれ、イチローの名前を挙げた<ref>{{Cite news |title=香川、野球好き?リスペクトする選手に「イチローさん」|newspaper=サンケイスポーツ|date=2014年12月23日 |url=http://www.sanspo.com/soccer/news/20141223/jpn14122317540007-n1.html |accessdate=2015年10月1日}}</ref>。[[澤穂希]]は、人生を変えた出会いについて話すなかでイチローの名を挙げた<ref>{{Cite news |title=澤穂希の人生を変えた出会いは「イチロー選手」|work=シネマトゥデイ|date=2016年2月4日 |url=http://www.cinematoday.jp/page/N0080050 |accessdate=2016年2月4日}}</ref>。[[岡崎慎司]]は、高校時代からイチローの本を読んでいたという<ref>{{Cite news |title=岡崎、高校時代からイチロー本で刺激を受けていた「客観的に見られるのがすごい」|work=スポーツ報知|date=2016年6月13日 |url=http://www.hochi.co.jp/soccer/world/20160613-OHT1T50130.html |accessdate=2016年7月3日}}</ref>。水泳選手の[[北島康介]]は、2008年に春季キャンプ中のイチローを訪問し、「イチローさんは集中力がすごい。アスリートとして尊敬している。種目は違うが刺激を受ける」と話した<ref>{{Cite news |title=北島、イチローから収穫「刺激受けた」|newspaper=日刊スポーツ|date=2008年3月18日 |url=http://www.nikkansports.com/sports/news/f-sp-tp0-20080318-336978.html |accessdate=2015年10月1日}}</ref>。[[テニス]]選手の[[錦織圭]]は、2015年の[[マイアミ・マスターズ|マイアミ・オープン]]の会見で、記者からマイアミつながりで[[マイアミ・マーリンズ|マーリンズ]]所属のイチローについて訊かれ、「いまだに最も偉大な選手だと思います。つまり、日本のスポーツ界で最もビッグな選手です」「彼は本当にフィットしている。体が本当に強い。(イチローから)学ぶことはたくさんあります」と話し、イチローに敬意を示したとマイアミ・ヘラルド紙が報じた<ref>{{Cite news |title=錦織圭がイチローに敬意示す 「日本のスポーツ界で最もビッグな選手」|work=Full-Count|date=2015年4月1日 |url=http://full-count.jp/2015/04/01/post9119/ |accessdate=2015年10月1日}}</ref>。プロゴルファーの[[松山英樹]]は、2016年にマーリンズのキャンプ地を訪問している<ref>{{Cite news |title=松山英樹、イチローとの対面に緊張「何話していいかわからない」|work=ALBA.Net|date=2016年3月3日 |url=http://www.alba.co.jp/tour/news/article/no=41811 |accessdate=2016年7月3日}}</ref>。
 
 
1996年に始まった[[イチロー杯争奪学童軟式野球大会]]からはプロ野球選手([[田島慎二]])が誕生している<ref>{{Cite news |title=イチロー杯からプロ選手誕生「うれしい報告」|newspaper=スポーツニッポン|date=2011年12月24日 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/12/24/kiji/K20111224002303460.html |accessdate=2015年10月2日}}</ref><ref>{{Cite news |title=イチ杯出身の中日田島「足が震えた」再会|newspaper=日刊スポーツ|date=2012年12月24日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20121224-1063485.html |accessdate=2015年10月2日}}</ref><ref name="shibata">{{Cite news |title=【オリックス】柴田、イチローサイン持参|newspaper=日刊スポーツ|date=2014年1月9日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140109-1241784.html |accessdate=2015年10月2日}}</ref>。プロ入り後、入寮の際にイチロー関連の書籍などを持参する選手も多い<ref>{{Cite news |title=筒香、イチローとともに入寮「必要ないものはいらない」|newspaper=スポーツニッポン|date=2010年1月8日 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/2010npb/baystars1/KFullNormal20100108029.html |accessdate=2015年10月2日}}</ref><ref name="shibata" /><ref>{{Cite news |title=広島大瀬良 イチ本教科書に心も成長だ|newspaper=日刊スポーツ|date=2014年1月10日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140110-1242041.html |accessdate=2015年10月2日}}</ref><ref>{{Cite news |title=オリドラ2宗 憧れイチローに会えるかも「心構えを聞きたい」|newspaper=スポーツニッポン|date=2014年12月15日 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/12/15/kiji/K20141215009462680.html |accessdate=2015年10月2日}}</ref>。
 
--}
 
=== イチ・メーターとファン ===
 
マリナーズ時代、[[セーフコ・フィールド]]の右翼席最前列には、イチローの年間安打数をカウントする「'''ICHI - METER'''(イチ・メーター)」という手作りの紙ボードを掲げるファンがいた。掲げていたのはエイミー・フランツという女性ファンの一家で、[[1996年]]から毎年シーズンチケットを購入している熱心なマリナーズファンだという。イチ・メーターという名前の由来は「イチロー」と「メーター(測定機)」を掛け合わせたものであり、[[シアトル]]の野球ファンの間では有名である<ref>{{Cite news |url=http://www.sanspo.com/mlb/news/100922/mla1009221732018-n1.htm |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100925041020/http://www.sanspo.com/mlb/news/100922/mla1009221732018-n1.htm |title=「イチ・メーター」で安打数える有名一家 |newspaper=SANSPO.COM |publisher=産業経済新聞社 |agency=共同通信社 |date=2010年9月22日 |archivedate=2010年9月25日 |accessdate=2012年4月6日 |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref>。
 
 
安打数のカウントは、イチローが最多安打記録を達成した2004年シーズンから開始された。262安打をカウントした初代イチ・メーターは[[アメリカ野球殿堂]]に寄贈されており、2012年までのイチ・メーターは二代目である<ref>{{Cite web|date=2010年9月20日|url=http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/2010/text/201009200001-spnavi.html |title=殿堂入りを果たした「初代イチメーター」 10年連続200安打を追って DAY1|publisher=スポーツナビ|author=木本大志|accessdate=2011年1月30日}}</ref>。
 
 
イチローのヤンキース移籍直後の、2012年7月23日(米国時間)のセーフコフィールドでのマリナーズ戦にもイチ・メーターを持参しており、イチローが試合前に感謝の意を込めてボードにサインをしている。イチローはこの年の11月に、サインを入れたマリナーズ時代のバットやスパイクと共に、感謝の気持ちを綴った手紙を贈った<ref>[http://topics.jp.msn.com/sports/mlb/article.aspx?articleid=1527426 イチロー、『イチ・メーター』の女性ファンに手紙やバットなど贈る]:msn2012年11月21日</ref>。
 
 
2013年8月にはエイミーがイチローのNPB/MLB通算4000安打をカウントするためニューヨークまで駆けつけ、達成の瞬間を見届けた。その年のオフ、エイミーの元にイチローからメッセージカードと4000安打達成時に着用していたリストバンドが届いた。メッセージカードには「イチ・メーターが4000まで数えられるとは知りませんでした。来てくれて、ありがとう」と綴られていた<ref>{{Cite news |title=イチロー 「イチ・メーター」のファンに贈り物「来てくれて、ありがとう」|newspaper=スポーツニッポン|date=2013年12月6日 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/12/06/kiji/K20131206007146950.html |accessdate=2014年10月24日}}</ref>。
 
 
2014年6月11日にシアトルでヤンキース戦が行われた際には、試合前にイチローがエイミーにメッセージ入りのボールを渡した。この日がエイミーの誕生日と知ったイチローからのプレゼントで、ボールには「For Amy, Happy BD!(エイミーへ、誕生日おめでとう)」と書かれていた<ref>{{Cite news |title=イチメーターのエイミーさんにサプライズ誕生日プレゼント|newspaper=スポーツニッポン |date=2014年6月13日 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/06/13/kiji/K20140613008353790.html |accessdate=2014年10月24日}}</ref><ref>{{Cite news |title=イチローの長年のファンへの粋な計らいが全米で話題に 地元メディアも「すごいことだ」|newspaper=Full-Count |date=2014年6月12日 |url=http://full-count.jp/2014/06/12/post3031/ |accessdate=2014年10月24日}}</ref>。同時期にジョアンナ・ホールもイチローのサイン入りのボールを受け取った。彼女は大のイチローファンで、[[脳性麻痺]]などの障害があり、年に1度だけ誕生日に球場で試合観戦するのが楽しみだという。彼女の家族は、今年はジョアンナを驚かせたいと思い、手配してセーフコフィールドのグラウンドに彼女を連れて行った。そこで彼女は試合前のイチローと対面した<ref>{{Cite news |title=Lifelong M’s fan finally meets her hero (PHOTOS)|newspaper=Q13 FOX News|date=2014年6月13日 |url=http://q13fox.com/2014/06/13/handicapped-fan-meets-her-hero-at-marinersyankees-game/comment-page-1/ |accessdate=2014年10月24日}}</ref>。2008年には[[脳腫瘍]]を持つ日本人少女が[[メイク・ア・ウィッシュ]]を通じて、イチローと対面するという願いを叶えている<ref>{{Cite news |title=Ichiro grants a wish|author=Geoff Baker|newspaper=Seattle Times blogs(The Seattle Times)|date=2008年9月9日 |url=http://blogs.seattletimes.com/mariners/2008/09/09/ichiro_grants_a_wish/ |accessdate=2014年10月24日}}</ref><ref>{{Cite news |title=Ichiro makes a wish(動画)|work=YouTube(シアトル・タイムズ記者Geoff Bakerのチャンネル)|date=2008年9月9日 |url=http://www.youtube.com/watch?v=EQ6exswkCFk |accessdate=2014年10月24日}}</ref>。
 
 
2015年5月、その年[[ナショナルリーグ|ナ・リーグ]]のマーリンズへ移籍したイチローを応援するため、エイミーがサンフランシスコまで駆けつけた(エイミーは[[アメリカ合衆国西部|西部]]シアトル在住で、地元球団のマリナーズとマーリンズは[[インターリーグ]]でも対戦の予定がないため、ナ・リーグの西部地区に本拠を置く[[サンフランシスコ・ジャイアンツ|ジャイアンツ]]との試合を観戦。サンフランシスコにはエイミーの息子が住んでいるため親子で応援する姿が見られた)。試合前、イチローがエイミーに駆け寄り「また会えて良かった」と再会を喜んだ<ref>{{Cite news |title=イチロー「会えて良かった」 “イチ・メーター”エイミーさんと再会|newspaper=サンケイスポーツ|date=2015年5月8日 |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20150508/mlb15050811500009-n1.html |accessdate=2015年5月8日}}</ref>。
 
 
エイミーは2016年にも4月にサンフランシスコでマーリンズの試合を観戦したほか、イチローのボブルヘッド・ドール(首振り人形)が配布される5月22日に合わせて[[アメリカ合衆国東部|東部]]マイアミまで駆けつけ、イチローの応援を続けている<ref>{{Cite news |title=イチロー、熱狂的ファンとの再会を喜ぶ|newspaper=デイリースポーツ|date=2016年4月23日 |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/mlb/2016/04/23/0009017523.shtml |accessdate=2016年7月4日}}</ref><ref>{{Cite news |title=イチロー、3000安打へ“メーター”付きの首振り人形配布|newspaper=サンケイスポーツ|date=2016年5月23日 |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20160523/mlb16052311480014-n1.html |accessdate=2016年7月4日}}</ref>。
 
 
2016年7月2日、2004年に年間最多安打の257安打を更新したイチローを応援するため、前記録保持者[[ジョージ・シスラー]]のアトランタ郊外に住む親戚がマーリンズ対[[アトランタ・ブレーブス|ブレーブス]]の試合を観戦。イチローも笑顔でサインや写真撮影に応じた<ref>{{Cite news |title=イチロー115三塁打 シスラー縁戚と交流も|newspaper=日刊スポーツ|date=2016年7月4日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/1673056.html |accessdate=2016年7月4日}}</ref>。
 
 
2016年8月7日、エイミー・フランツはイチローのMLB通算[[3000本安打クラブ|3000安打]]達成の瞬間に立ち会った。イチローの出場機会が定まらないため、7月15日の[[セントルイス]]遠征から毎日球場に足を運び、遠征資金が底を突いた後はネットで寄付を募って応援を続けた<ref>{{Cite news |title=イチロー本拠達成消え「イチ・メーター」もシカゴへ|newspaper=日刊スポーツ|date=2016年8月2日 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/1688024.html |accessdate=2017年7月27日}}</ref>。
 
 
米ラジオ局「[[:en:WBUR-FM|WBUR]]」電子版によると、イチローの3000安打達成の瞬間に立ち会うため長い旅をしたファンはエイミーだけではないという。[[シカゴ]]在住の男性ベン・ウェルズは生粋の[[シカゴ・カブス|カブス]]ファンながら、2001年のイチローのルーキーイヤーからのファンでもあった。彼は[[自動車ディーラー]]として朝から晩まで働いた後、夜は[[ピザ]]の宅配、週末は[[果樹園]]の列車を8時間運転する仕事をして旅費を貯め、17日間で16試合観戦。3000安打を見届ける旅は大変だったというが、「もう一度、あの機会がやってくるのならやるだろうね」と話した<ref>{{Cite news |title=熱狂的ファンも「達成感」 イチローの3000安打達成を見届けた男性の“旅”が話題に|newspaper=Full-Count|date=2017年7月26日 |url=https://full-count.jp/2017/07/26/post77469/ |accessdate=2017年7月27日}}</ref><ref>{{Cite news |title=16 Games In 17 Days To Witness Ichiro’s 3,000th Hit|newspaper=WBUR|date=2017年7月21日 |url=http://www.wbur.org/onlyagame/2017/07/21/ichiro-3000-ben-wells |accessdate=2017年7月27日}}</ref>。
 
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=== メディアへの姿勢 ===
 
メディアへの接し方については「メディアと選手というのは戦っています。お互いが緊張しなくてはいけないし、お互いが育て合う関係だと思います。ですから妥協はしたくないのです」とインタビューで発言している。そのため、メディアと選手とが馴れ合っているような関係を快く思っていない<ref>{{Cite news |author=四竃衛、木崎英夫|title=ICHIRO大記録への軌跡 PART2:マスコミ嫌い今は違う、でも松井とは対極 |url=http://www3.nikkansports.com/baseball/mlb/ichiro/2004/ichiro-rensai2.html |date=2004年|accessdate=2012年4月6日 |newspaper=nikkansports.com|publisher=日刊スポーツ新聞社}}</ref>。
 
 
若手時代は今と違ってむしろ[[報道機関|マスコミ]]に対して好意的で、[[バラエティ番組]]にもよく出演し、明るく喋っていた。急変したのは評論家・[[永谷脩]]が事実無根の文章を書いて発表して以降である<ref>{{Cite news|title=イチローついに口を閉ざす 嫌マスコミになった理由|url=http://news.ameba.jp/domestic/2009/03/35490.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20101018035225/http://news.ameba.jp/domestic/2009/03/35490.html|date=2009年3月20日|archivedate=2010年10月18日|accessdate=2012年4月6日|newspaper=アメーバニュース|deadlinkdate=2018年3月}}</ref>。
 
 
=== 慈善活動 ===
 
慈善活動を積極的に行っている。1998年には出身地の[[愛知県]]に対して社会福祉のために1000万円を、兵庫県に対して[[阪神・淡路大震災|震災]]復興のために1000万円を寄付した。
 
2000年には豪雨によって被害を受けた愛知県にトレーナー、パーカー計1000枚、Tシャツ500枚(計1300万円相当)を贈っている<ref>{{Cite news|title=イチロー 米でも「がんばろう神戸」|newspaper=スポニチ Sponichi Annex|publisher=スポーツニッポン新聞社|url=http://www.sponichi.co.jp/usa/kiji/2001/01/17/01.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20010722105454/http://www.sponichi.co.jp/usa/kiji/2001/01/17/01.html|date=2001年1月17日|archivedate=2001年7月22日|accessdate=2012年4月6日|deadlinkdate=2018年3月}}</ref>。また、1996年から2004年まで、[[神戸総合運動公園野球場]]にイチロー・シートを毎年20席(約140万円分)設置し、神戸の野球少年を招待した。2005年には病気などで苦しむ子供たちを支援するため、日米の[[スターバックス]]と協力し、店頭で自身をイメージしたプリペイドカードを販売、その売り上げを募金に寄付した。[[2011年]]2月には[[口蹄疫]]・[[鳥インフルエンザ]]復興ならびに[[霧島連峰]]・[[新燃岳]]噴火被災対応のために[[宮崎県]]に対して1000万円を贈った<ref name="hochi">{{Cite news|publisher=スポーツ報知|date=2011年3月19日|url=http://megalodon.jp/2011-0321-1646-42/hochi.yomiuri.co.jp/mlb/news/20110318-OHT1T00242.htm |title=頑張ろう日本!イチロー、義援金イチ億円|accessdate=2011年3月21日}}</ref>。さらに3月には[[東北地方太平洋沖地震]]に際して、[[日本赤十字社]]に1億円の義援金を寄付した<ref name="hochi"/>。{{要出典範囲|スターバックスの[[ハワード・シュルツ]]会長によると、「イチローはマスコミに公表しないだけで、毎年、尋常じゃない額の寄付を地元シアトルにしてくれている」という|date=2013年8月}}。[[カンザスシティ (ミズーリ州)|カンザスシティ]]にある[[ニグロリーグ]]博物館への高額寄付を同館館長が米メディアに明かしている<ref>{{Cite news |title=「先駆者」の功績に高額寄付 米メディアが伝えたイチローの知られざる素顔 |work=Full-count |url=http://full-count.jp/2016/07/21/post39008/2/ |date=2016年7月21日||accessdate=2016年7月24日}}</ref>。
 
 
=== イチローと神戸 ===
 
オリックス時代から慣れ親しんでいる[[神戸市|神戸]]の街に強い愛着を持っている。出身は愛知県だが、メジャー移籍後もシーズンオフのほとんどを毎年神戸で過ごしており、オフでの自主トレーニングにも[[神戸総合運動公園野球場]](ほっともっとフィールド神戸)を使用している。「ESPN The Magazine」創刊10周年記念特別号内のインタビューで、「どこからそのスパーク(情熱)を得るのか?」と質問されイチローは「神戸」と回答した。
 
 
イチローは「僕という選手を、神戸という場所を抜きに説明が出来ない。それぐらい密接な繋がりのある場所なんです」と語っている。また、他のインタビューでは「今ある僕の人格だとか性格だとか考え方というのは、ほとんど神戸で作られたものなんです。一番何かを感じて成長する時期に、神戸にいた。出身は愛知県ですが、僕にはふるさとが二つある 」「神戸とは一生付き合っていくと思います」と語っている<ref>[http://www.kobe-np.co.jp/sinsai/05ichiro/01.html]</ref>。
 
 
=== 日本に対する思い ===
 
世界に出て再認識したことのひとつが、日本語を大切にすることであるという。きっかけに関して、「米国に行ってから、[[日本語]]の深さや美しさを自分なりに感じるようになり、日本語をきれいに話したいと思い始めた。日本語でも自分の感覚や思いを伝えることは困難だと感じている。それが[[外国語]]となれば、不可能に等しい。[[英語]]で苦労する以前に、僕は日本語で苦労している」と話している<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNZO51622410S3A210C1UUT000/?dg=1 イチロー、40歳にして惑わず ヤンキースでの決意]日本経済新聞.2013年2月13日.2013年2月18日閲覧.</ref>。また、野球以外でも、経済や日本企業の技術力、動向などにも高い関心を持っており、「日本の製品は安心感が抜群。外国メーカーの技術も、実は日本人が開発していることが多いのでは、と想像している。技術が外に出ていく状況をつくってしまった国や企業に対して、それはいかがなものか、とは思う。」とした上で「いま、安倍(晋三首相)さんのこと、めちゃくちゃ応援しているんです。頑張ってほしい」と述べている<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNZO51622410S3A210C1UUT000/?dg=1 イチロー、40歳にして惑わず ヤンキースでの決意]日本経済新聞.2013年2月13日.2013年2月18日閲覧.</ref>。
 
 
こうした日本人としてのアイデンティティはチームメイトにも伝わっておりヤンキース時代にチームメイトだった[[デレク・ジーター]]は「イチローは性格的に何も言わないが『自分が日本人に対する見方を変える』という強い意識を持って常にグラウンドに立っているのは事実だよ。彼がよく身内に対して口にする言葉に『ジャパニーズ・アイデンティティ』というものがある。自分が日本人であることに誇りを持っている何よりの証拠と言えるよね。」と答えている<ref>[http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1606/15/news088_4.html 赤坂8丁目発 スポーツ246:イチローが「日本人のアイデンティティー」にこだわる理由 (4/4)] - ITmedia ビジネスオンライン</ref>。
 
 
=== 通算最多安打に対する議論 ===
 
あくまで参考記録であるNPB/MLB通算での成績とあって大きなこだわりはなかった事を語る。また、「僕としては日米(NPB/MLB)合わせた数字ということで、どうしたってケチがつく{{refnest|group=注|実際に、メジャー通算最多安打記録を持つピート・ローズは、「日本での記録は認めない」と主張している<ref>{{Cite news|title=【米国はこう見ている】迫るイチローに苛立つ最多安打ローズ氏 ボンズ氏は日米合算評価「正直あまり関係ない」|newspaper=Full-Count|date=2016年6月15日|url=http://full-count.jp/2016/06/15/post35314/ |accessdate=2016年6月16日}}</ref>。}}ことは分かっているし、ここに目標を設定していなかった」とも語った<ref>{{Cite news|title=イチロー“ローズ超え”日米4257安打も「ここにゴールを設定したことない」|newspaper=Full-Count|date=2016年6月16日|url=http://full-count.jp/2016/06/16/post35456/ |accessdate=2016年6月16日}}</ref>。
 
 
== エピソード ==
 
=== 学生時代 ===
 
自転車での通学中に車に接触した交通事故における怪我が原因で投手から野手に転向した。しかし、投手というポジションへの強い憧れを公言しており、『[[週刊ベースボール]]』誌で組まれた[[松井秀喜]]との対談の席で松井から「今でもピッチャーに未練はあるんですか」と尋ねられた際には「それはもう、むちゃくちゃある」と答えた。また、両者はイチローが1学年上の関係だが、高校時代に対戦している。愛工大名電高校と[[星稜高等学校・中学校|星稜高校]]両校の野球部には交流があり、年に数回合宿を兼ねた練習試合を行っていたため。
 
 
=== オリックス時代 ===
 
;憧れの選手
 
後に[[シアトル・マリナーズ]]で同僚となった[[ケン・グリフィー・ジュニア]]が憧れの選手だった<ref>[[木本大志]],[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/2009/text/200909140009-spnavi.html 偉業達成のイチロー、「グリフィーの存在は計り知れない」安打記録を追って DAY9] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20091001072908/http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/2009/text/200909140009-spnavi.html |date=2009年10月1日 }},スポーツナビ,2009年9月14日閲覧</ref><ref>2009年9月23日NHK BS1放送『スポーツ大陸 「イチロー大記録への闘い」』</ref>。
 
 
グリフィーについては「あこがれの存在」と公言し、寮の自室にそのユニフォームを飾り、打撃フォームも真似ていた<ref name="Griffey">{{Cite news |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/06/04/21.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100808040041/http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/06/04/21.html |title=イチロー 引退表明の“親友”に贈るサヨナラ |newspaper=スポニチ Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2010年6月4日 |archivedate=2010年8月8日 |accessdate=2010年6月9日 |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.sanspo.com/mlb/news/100604/mla1006040506002-n2.htm|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100722040509/http://www.sanspo.com/mlb/news/100604/mla1006040506002-n2.htm|title=イチロー、引退グリフィーに“サヨナラ”打|newspaper=SANSPO.COM|publisher=産経新聞社|date=2010年6月4日|archivedate=2010年7月22日|accessdate=2012年4月6日|deadlinkdate=2018年3月}}</ref>。[[1995年]]のオフにテレビ番組の企画で初対面すると、「腕(の太さ)が倍になったらメジャーを考えます」とグリフィーに約束すると、[[1999年]]のマリナーズのキャンプ参加時に再会。休日は一緒に[[NBA]]を観戦する姿などが見られた<ref name="Griffey"/>。メジャー移籍後にグリフィーと再会した2002年には、「やっぱり彼は僕にとってメジャーリーガーの象徴。メジャーに興味を持ったのも、彼の美しさ、スピードを見て感銘を受けたからなんです」と語った<ref name="sr200910-2002" />。2009年にはグリフィーがマリナーズに復帰しチームメイトとなる。9年連続200安打達成の際のインタビューで、「ジュニアの存在は計り知れない」とグリフィーに感謝を示すと共に「シアトルの[[天然記念物]]に指定すべきだね。みんなで守っていかないといけないと思いますね」と語る<ref>{{Cite web|date=2009年9月14日|url=http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/2009/text/200909140009-spnavi.html |title=偉業達成のイチロー、「グリフィーの存在は計り知れない」 安打記録を追って DAY9 |publisher=スポーツナビ|author=木本大志|accessdate=2011年1月20日}}</ref>ほど普段から仲が良く、じゃれ合っている姿がよく見られた。また、当時のグリフィーはイチローをくすぐることを日課とし、グリフィー曰く「安打をよく打つから」くすぐっており、2009年のイチローの27試合連続安打のときには毎日くすぐらなければならなかったので大変だったという<ref>2009年9月23日NHK BS1放送『[[スポーツ大陸]] 「イチロー大記録への闘い」』</ref>。グリフィーの引退が発表された2010年6月2日の試合では、気持ちの整理もできないまま混乱した状態で試合に出場したと語るも、延長10回に二塁ベース後方に砂上に描かれたグリフィーの背番号「24」の右端へのサヨナラ打を放ち引退に華を添えた<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20100604-637553.html 親友グリフィーにイチロー惜別サヨナラ打] 日刊スポーツ 2010年6月4日</ref>。2013年にグリフィーがマリナーズの球団殿堂入りした際のセレモニーには、英語でのビデオメッセージを送った<ref name="gr" />。 
 
 
=== マリナーズ時代 ===
 
;マリナーズファン
 
2004年から2012年途中まで、[[セーフコ・フィールド]]の右翼席最前列には手作りボード(イチ・メーター)でイチローの安打数をカウントし、応援するファンがいた。移籍後も交流が続いている(前述)。
 
 
2010年7月の試合で、守備に就いたイチローが[[ファウルボール]]を追った際、観客席の女性ファンと衝突。イチローはスピードを出してファウルボールを追っていたため、すぐさま「Are you OK?(大丈夫?)」と声をかけた。突然の出来事に、女性は「I'm OK(大丈夫)」と答えた後、興奮して「Oh my god!(オーマイゴッド)」と繰り返した。現地テレビ局はそのリアクションの大きさに注目、MLB公式サイトも各局の映像をまとめて取り上げた<ref>{{Cite news |title=
 
Ichiro makes fan's day(動画)|publisher=MLB.com(MLB公式サイト)
 
|date=2010年7月9日 |url=http://m.mlb.com/video/topic/6479266/v9800589/nyysea-a-fan-is-very-excited-to-meet-ichiro |accessdate=2014年10月25日}}</ref>。
 
 
2012年7月23日、[[デス・キャブ・フォー・キューティー]]のフロントマン、[[:en:Ben Gibbard|ベン・ギバード]]は、同日ヤンキースに移籍したイチローに捧げる楽曲「Ichiro's Theme」をインターネット上で公開した。マリナーズの大ファンを公言するギバードは「この曲は数年前に書いたものだけど、今日が公開するのにベストな日だと思う」というメッセージと共に音源をアップし、「イチロー、最高な年月をありがとう。いつまでも懐かしく思い出すよ」と感謝の意を表した<ref>{{Cite news |title=
 
Ben Gibbard Unearths 'Ichiro's Theme'|work=ROLLING STONE
 
|date=2012年7月24日 |url=http://www.rollingstone.com/music/news/ben-gibbard-unearths-ichiros-theme-20120724 |accessdate=2014年10月26日}}</ref><ref>{{Cite news |title=
 
デス・キャブ・フォー・キューティーのベン、イチロー選手にサンキュー・ソング|work=MTV News(MTV JAPAN)
 
|date=2012年7月25日 |url=http://www.mtvjapan.com/news/music/21381 |accessdate=2014年10月26日}}</ref>。
 
 
;12th Man Flag Raiser
 
2007年10月21日、地元の[[アメリカンフットボール|アメフト]][[NFL]]チーム[[シアトル・シーホークス]]に招待され、[[:en:12th man (football)|12th Man]] Flag Raiserを務めた。12th Man Flag Raiserとはシーホークスの試合開始前のセレモニーで、フラッグ([[旗]])を揚げる人のことである。通常、地元の有名人などが務める。旗を揚げる前にはイチローの安打記録達成の瞬間などがハイライト映像として流され、その後ファンの大歓声に応えた<ref>{{Cite news |title=
 
12th Man Flag Raiser - Ichiro|newspaper=シーホークス公式サイト|date=2007年10月23日 |url=http://www.seahawks.com/videos-photos/videos/12th-Man-Flag-Raiser---Ichiro/B05C906B-BE52-4D28-845D-26FB5D719A9F |accessdate=2014年9月8日}}</ref>。
 
 
;内野守備
 
2008年8月17日、同点の9回裏1死2,3塁という場面でメジャー移籍後初めて内野(二遊間)の守備位置についたが(いわゆる[[5人内野シフト]])、[[四球]]で満塁になったところで外野に戻り、[[守備機会]]はなかった。
 
 
;映画・ドラマ・ドキュメンタリー出演
 
2001年、『走れ!イチロー』(2001年・監督[[大森一樹]])にイチロー役として出演。台詞は無かった。
 
 
2006年には『[[古畑任三郎#ファイナル|古畑任三郎 ファイナル]]』第2話に、主人公・古畑と対決する犯人役「シアトル・マリナーズのイチロー」として出演した。イチローは古畑シリーズのDVDを全巻持ち、古畑任三郎のテーマ曲を部屋でかけるほどの大ファンと公言していたことから出演に至った。2004年シーズン終了後の10月より1年以上の期間をかけて撮影された。
 
 
古畑シリーズの脚本家である[[三谷幸喜]]はエッセイや2008年の再放送時のコメント映像中で、出演が決定すると、イチロー本人と対面した際に、殺人犯役でそのまま「イチロー」の名前を使うのはためらわれるので「ハチロー」のような役名や別の職業にしてはどうかと提案したが、イチローが「これは本人役じゃないと面白くない。自分を演じたい」と熱望したため、そのまま「シアトル・マリナーズのイチロー」にした、と語っている。あくまでフィクションである事を明示的にするため、レギュラーキャラクターの[[古畑任三郎の登場人物#向島音吉(東国原音吉)|向島音吉]]の義弟であるとの設定がなされた。キャラクターについても「嘘はつかない」、「フェアプレーを好む」、「残虐な殺し方はしない」などイチロー本人の要望やイメージが反映されており、私利私欲でなく恐喝に苦しむ義兄を救うために殺人を犯す一方で、アリバイ工作や偽証を拒んで古畑に頭脳戦を挑むという役どころとなっている。撮影に当たっては台詞を完璧に憶えてNGはほとんどなく、主演の[[田村正和]]は「役者の鑑」と評した。視聴率は27%で、12年続いたシリーズの中で7番目に高いものとなった。
 
 
映像ドキュメンタリー作家[[ケン・バーンズ]]の『[[:en:Baseball (TV series)#The Tenth Inning|Baseball: The Tenth Inning]]』に出演している。この番組は1994年に放映され、[[エミー賞]]を受賞した『[[:en:Baseball (TV series)|Baseball]]』の続編であり、1992年以降のメジャーリーグを扱っている。その中で[[バド・セリグ]]、[[ジョー・トーリ]]、[[ペドロ・マルティネス]]、イチローらがインタビューを受け、[[:en:Daniel Okrent|ダニエル・オクレント]]はイチローが球界に与えたインパクトについて語った。番組は2010年9月に米国[[公共放送サービス|PBS]]で放送された<ref>{{Cite news |title=
 
イチロー ドキュメンタリー番組に出演し野球を語る|work=ライブドアニュースUSA通信
 
|date=2010年9月28日 |url=http://news.livedoor.com/article/detail/5038358/ |accessdate=2014年10月28日}}</ref>。
 
 
オークランド・アスレチックス[[ゼネラルマネージャー#MLB|GM]]の[[ビリー・ビーン]]を描いた映画『[[マネーボール (映画)|マネーボール]]』(製作・主演[[ブラッド・ピット]])の中で、短い時間だが画面に映っている。ピット扮するビーンが試合中継に映るイチロー(アスレチックスと[[アメリカンリーグ西地区|同地区球団]]マリナーズに所属)を見つめているシーンで、実際の試合映像が使われている<ref>{{Cite news |title=
 
“イチロー VS ブラッド・ピット”を演出 映画『マネーボール』ベネット・ミラー監督|work=ORICON STYLE
 
|date=2011年11月9日|url=http://www.oricon.co.jp/news/2003537/full/ |accessdate=2014年10月28日}}</ref>。
 
 
;無断広告
 
2007年11月27日、写真入りの広告を無断で使用されたとして、[[台湾]]の広告代理店に[[損害賠償]]を求めていた[[訴訟]]の[[控訴審]]判決が、[[中華民国司法院|台湾高等法院]]で下された。同院は「台湾ではニューヨーク・ヤンキース(当時)の[[王建民]]投手の[[知名度]]に及ばない」などとして、500万[[台湾ドル]](約1700万円)の支払いを命じた1審判決を大幅に減額し、100万台湾ドル(約340万円)の支払いを言い渡した<ref>{{Cite news |title=イチロー広告訴訟:知名度不足と賠償金を大幅減額 台湾 |url=http://mainichi.jp/enta/sports/baseball/major/news/20071129k0000m050077000c.html |publisher=[[毎日新聞]] |date=2007年11月28日}}</ref>。
 
 
=== ヤンキース時代 ===
 
; サイン入りバット盗難事件
 
: 2013年1月7日、[[神戸総合運動公園]]に展示中のイチローのサイン入りバットが盗まれ、19歳の少年が逮捕される事件があった<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20130108-1069295.html イチローバットが欲しかった…19歳逮捕 - MLBニュース : nikkansports.com]</ref>。盗まれたバットも破損は見受けられず、無事に戻った。
 
; 自動車事故
 
: 2013年3月2日、[[スプリング・トレーニング]]のキャンプ地である[[フロリダ州]][[タンパ]]で、同日行われたタイガースとのオープン戦に出場後、車で球場を後にしたところで事故に遭遇(左折しようとして目の前に割り込んできた[[自動車]]と接触・追突)。本人にも相手のドライバーにも怪我はなく、ヤンキースGMの[[ブライアン・キャッシュマン]]は[[ニューヨーク・ポスト]]紙(電子版)に「通訳から連絡を受けた。彼は大丈夫だ」とコメントした<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20130303-1092784.html イチロー運転中に接触事故 - MLBニュース : nikkansports.com]</ref>。
 
 
== 詳細情報 ==
 
=== 年度別打撃成績 ===
 
{| {{年度別打撃成績}}
 
|-
 
|style="text-align:center"|{{by2|1992}}
 
|rowspan="9" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[オリックス・バファローズ|オリックス]]
 
|40||99||95||9||24||5||0||0||29||5||3||2||1||0||3||0||0||11||0||.253||.276||.305||.581
 
|-
 
|style="text-align:center"|{{by2|1993}}
 
|43||67||64||4||12||2||0||1||17||3||0||2||1||0||2||0||0||7||2||.188||.212||.266||.478
 
|-
 
|style="text-align:center"|{{by2|1994}}
 
|'''130'''||'''616'''||'''546'''||'''111'''||'''210'''||'''41'''|| 5||13||'''300'''||54||29||7||7||2||51||8||10||53||3||'''.385'''||'''.445'''||.549||.994
 
|-
 
|style="text-align:center"|{{by2|1995}}
 
|'''130'''||'''613'''||524||'''104'''||'''179'''||23||4||25||'''285'''||'''80'''||'''49'''||9||0||3||68||'''17'''||'''18'''||52||7||'''.342'''||'''.432'''||.544||'''.976'''
 
|-
 
|style="text-align:center"|{{by2|1996}}
 
|'''130'''||'''611'''||'''542'''||'''104'''||'''193'''||24||4||16||'''273'''||84||35||3||0||4||56||'''13'''||9||57||8||'''.356'''||'''.422'''||.504||.926
 
|-
 
|style="text-align:center"|{{by2|1997}}
 
|'''135'''||607||536||'''94'''||'''185'''||31||4||17||275||91||39||4||0||5||62||'''14'''||4||36||10||'''.345'''||.414||.519||.933
 
|-
 
|style="text-align:center"|{{by2|1998}}
 
|'''135'''||558||506||79||'''181'''||36||3||13||262||71||11||4||0||2||43||'''15'''||7||35||21||'''.358'''||.414||.518||.932
 
|-
 
|style="text-align:center"|{{by2|1999}}
 
|103||468||411||80||141||27||2||21||235||68||12||1||0||5||45||'''15'''||7||46||5||'''.343'''||'''.412'''||.572||.984
 
|-
 
|style="text-align:center"|{{by2|2000}}
 
|105||459||395||73||153||22||1||12||213||73||21||1||0||6||54||'''16'''||4||36||3||'''.387'''||'''.460'''||.539||.999
 
|-
 
|style="text-align:center"|{{by2|2001}}
 
|rowspan="12" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[シアトル・マリナーズ|SEA]]
 
|157||'''738'''||'''692'''||127||'''242'''||34||8||8||316||69||'''56'''||14||4||4||30||10||8||53||3||'''.350'''||.381||.457||.838
 
|-
 
|style="text-align:center"|{{by2|2002}}
 
|157||728||647||111||208||27||8||8||275||51||31||'''15'''||3||5||68||'''27'''||5||62||8||.321||.388||.425||.813
 
|-
 
|style="text-align:center"|{{by2|2003}}
 
|159||725||679||111||212||29||8||13||296||62||34||8||3||1||36||7||6||69||3||.312||.352||.436||.788
 
|-
 
|style="text-align:center"|{{by2|2004}}
 
|161||'''762'''||'''704'''||101||{{Color|red|'''262'''}}||24||5||8||320||60||36||11||2||3||49||'''19'''||4||63||6||'''.372'''||.414||.455||.869
 
|-
 
|style="text-align:center"|{{by2|2005}}
 
|'''162'''||739||'''679'''||111||206||21||12||15||296||68||33||8||2||6||48||23||4||66||5||.303||.350||.436||.786
 
|-
 
|style="text-align:center"|{{by2|2006}}
 
|161||'''752'''||'''695'''||110||'''224'''||20||9||9||289||49||45||2||1||2||49||16||5||71||2||.322||.370||.416||.786
 
|-
 
|style="text-align:center"|{{by2|2007}}
 
|161||736||'''678'''||111||'''238'''||22||7||6||292||68||37||8||4||2||49||13||3||77||7||.351||.396||.431||.827
 
|-
 
|style="text-align:center"|{{by2|2008}}
 
|162||'''749'''||'''686'''||103||'''213'''||20||7||6||265||42||43||4||3||4||51||12||5||65||8||.310||.361||.386||.747
 
|-
 
|style="text-align:center"|{{by2|2009}}
 
|146||678||639||88||'''225'''||31||4||11||297||46||26||9||2||1||32||'''15'''||4||71||1||.352||.386||.465||.851
 
|-
 
|style="text-align:center"|{{by2|2010}}
 
|'''162'''||732||'''680'''||74||'''214'''||30||3||6||268||43||42||9||3||1||45||13||3||86||3||.315||.359||.394||.754
 
|-
 
|style="text-align:center"|{{by2|2011}}
 
|'''161'''||721||'''677'''||80||184||22||3||5||227||47||40||7||1||4||39||13||0||69||11||.272||.310||.335||.645
 
|-
 
|rowspan="2" style="text-align:center"|{{by2|2012}}
 
|95||423||402||49||105||15||5||4||142||28||15||2||0||4||17||4||0||40||10||.261||.288||.353||.642
 
|-
 
|rowspan="4" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[ニューヨーク・ヤンキース|NYY]]
 
|67||240||227||28||73||13||1||5||103||27||14||5||5||1||5||1||2||21||2||.322||.340||.454||.794
 
|-
 
|-style="background-color:#f2f2f2"
 
!style="text-align:center; white-space:nowrap;"|'12計
 
|'''162'''||663||629||77||178||28||6||9||245||55||29||7||5||5||22||5||2||61||12||.283||.307||.390||.696
 
|-
 
|style="text-align:center"|{{by2|2013}}
 
|150||555||520||57||136||15||3||7||178||35||20||4||6||2||26||4||1||63||6||.262||.297||.342||.639
 
|-
 
|style="text-align:center"|{{by2|2014}}
 
|143||385||359||42||102||13||2||1||122||22||15||3||2||2||21||1||1||68||3||.284||.324||.340||.664
 
|-
 
|style="text-align:center"|{{by2|2015}}
 
|rowspan="3" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[マイアミ・マーリンズ|MIA]]
 
|153||438||398||45||91||5||6||1||111||21||11||5||5||4||31||1||0||51||5||.229||.282||.279||.561
 
|-
 
|style="text-align:center"|{{By2|2016}}
 
|143||365||327||48||95||15||5||1||123||22||10||2||3||2||30||1||3||42||4||.291||.354||.376||.730
 
|-
 
|style="text-align:center"|{{By2|2017}}
 
|136||215||196||19||50||6||0||3||65||20||1||1||1||0||17||1||1||35||2||.255||.318||.332||.649
 
|-
 
!colspan="2"|[[日本プロ野球|NPB]]:9年
 
|951||4098||3619||658||1278||211||23||118||1889||529||199||33||9||27||384||98||59||333||59||.353||.421||.522||.943
 
|-
 
!colspan="2"|[[メジャーリーグベースボール|MLB]]:17年
 
|2636||10681||9885||1415||3080||362||96||117||3985||780||509||117||50||48||643||181||55||1072||92||.312||.355||.403||.759
 
|}
 
* 2017年度シーズン終了時
 
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高、{{color|red|'''赤太字'''}}はMLBにおける歴代最高
 
 
=== MLBポストシーズン打撃成績 ===
 
{| <onlyinclude>class="wikitable" style="text-align:right; font-size:small"
 
|-style="line-height:1.25em"
 
![[年度|年<br /><br />度]]!!style="width:6%"|球<br /><br />団!![[試合|試<br /><br />合]]!![[打席|打<br /><br />席]]!![[打数|打<br /><br />数]]!![[得点 (野球)|得<br /><br />点]]!![[安打|安<br /><br />打]]!![[二塁打|二<br />塁<br />打]]!![[三塁打|三<br />塁<br />打]]!![[本塁打|本<br />塁<br />打]]!![[塁打|塁<br /><br />打]]!![[打点|打<br /><br />点]]!![[盗塁|盗<br /><br />塁]]!![[盗塁|盗<br />塁<br />死]]!![[犠牲バント|犠<br /><br />打]]!![[犠牲フライ|犠<br /><br />飛]]!![[四球|四<br /><br />球]]!![[故意四球|敬<br /><br />遠]]!![[死球|死<br /><br />球]]!![[三振|三<br /><br />振]]!![[併殺|併<br />殺<br />打]]!![[打率|打<br /><br />率]]!![[出塁率|出<br />塁<br />率]]!![[長打率|長<br />打<br />率]]!![[OPS (野球)|O<br />P<br />S]]</onlyinclude>
 
|-
 
|style="text-align:center;"|{{by2|2001}}
 
|style="text-align:center"|[[シアトル・マリナーズ|SEA]]
 
|10||43||38||7||16||2||0||0||18||3||3||2||0||0||1||2||0||4||0||.421||.488||.474||.962
 
|-
 
|style="text-align:center;"|{{by2|2012}}
 
|style="text-align:center"|[[ニューヨーク・ヤンキース|NYY]]
 
|9||40||35||3||11||2||0||1||16||5||1||1||1||0||2||0||0||5||0||.275||.310||.400||.710
 
|-
 
!colspan="2"|出場:2回
 
|19||83||73||10||27||4||0||1||34||8||4||3||1||0||3||2||0||9||0||.346||.400||.436||.836
 
|}
 
 
=== 年度別打撃成績所属リーグ内順位 ===
 
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="text-align:center; font-size: small;"
 
|-
 
! 年度 !! 年齢 !! 機構 !! リーグ !! 打撃<br />タイトル数<br /><small>(※注1)(※注2)</small> !! 打率 !! 本塁打 !! 打点 !! 盗塁 !! 安打 !! 出塁率 !! 長打率
 
|-
 
|1992 || 19 ||rowspan="9"|NPB || rowspan="9" | [[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]] || 0 || - || - || - || 36位 || - || - || -
 
|-
 
|1993 || 20 || 0 || - || - || - || - || - || - || -
 
|-
 
|1994 || 21 || style="background:gold;" | 3 || style="background:gold;" | 1位 || 17位 || 19位 || style="background:silver;" | 2位 || style="background:gold;" | 1位 || style="background:gold;" | 1位 || style="background:#cc9966;" | 3位
 
|-
 
|1995 || 22 || style="background:gold;" | 5 || style="background:gold;" | 1位 || style="background:#cc9966;" | 3位 || style="background:gold;" | 1位 || style="background:gold;" | 1位 || style="background:gold;" | 1位 || style="background:gold;" | 1位 || style="background:#cc9966;" | 3位
 
|-
 
|1996 || 23 || style="background:gold;" | 3 || style="background:gold;" | 1位 || 16位 || style="background:#cc9966;" | 3位 || style="background:#cc9966;" | 3位 || style="background:gold;" | 1位 || style="background:gold;" | 1位 || 7位
 
|-
 
|1997 || 24 || style="background:gold;" | 2 || style="background:gold;" | 1位 || 12位 || 8位 || 4位 || style="background:gold;" | 1位 || style="background:#cc9966;" | 3位 || 6位
 
|-
 
|1998 || 25 || style="background:gold;" | 2 || style="background:gold;" | 1位 || 20位 || 12位 || 14位 || style="background:gold;" | 1位 || style="background:silver;" | 2位 || 5位
 
|-
 
|1999 || 26 || style="background:gold;" | 2 || style="background:gold;" | 1位 || 10位 || 13位 || 11位 || 7位 || style="background:gold;" | 1位 || style="background:silver;" | 2位
 
|-
 
|2000 || 27 || style="background:gold;" | 2 || style="background:gold;" | 1位 || 19位 || 13位 || 5位 || 6位 || style="background:gold;" | 1位 || 9位
 
|-
 
|2001 || 28 ||rowspan="17"| MLB || rowspan="14" | [[アメリカンリーグ|ア・リーグ]] || style="background:gold;" | 2 || style="background:gold;" | 1位 || - || - || style="background:gold;" | 1位 || style="background:gold;" | 1位 || 14位 || -
 
|-
 
|2002 || 29 || 0 || 4位 || - || - || 4位 || style="background:silver;" | 2位 || 10位 || -
 
|-
 
|2003 || 30 || 0 || 7位 || - || - || 5位 || style="background:silver;" | 2位 || - || -
 
|-
 
|2004 || 31 || style="background:gold;" | 1 || style="background:gold;" | 1位 || - || - || style="background:silver;" | 2位 || style="background:gold;" | 1位 || style="background:silver;" | 2位 || -
 
|-
 
|2005 || 32 || 0 || 11位 || - || - || 5位 || style="background:silver;" | 2位 || 20位 || - 
 
|-
 
|2006 || 33 || 0 || 6位 || - || - || style="background:#cc9966;" | 3位 || style="background:gold;" | 1位 || - || -
 
|-
 
|2007 || 34 || 0 || style="background:silver;" | 2位 || - || - || 4位 || style="background:gold;" | 1位 || 9位 || - 
 
|-
 
|2008 || 35 || 0 || 7位 || - || - || style="background:#cc9966;" | 3位 || style="background:gold;" | 1位 || - || -
 
|-
 
|2009 || 36 || 0 || style="background:silver;" | 2位 || - || - || 13位 || style="background:gold;" | 1位 || 13位 || -
 
|-
 
|2010 || 37 || 0 || 7位 || - || - || style="background:#cc9966;" | 3位 || style="background:gold;" | 1位 || - || -
 
|-
 
|2011 || 38 || 0 || - || - || - || style="background:#cc9966;" | 3位 || 9位 || - || -
 
|-
 
|2012 || 39 || 0 || - || - || - || 10位 || 12位 || -
 
|-
 
|2013 || 40 || 0 || - || - || - || 19位 || - || - || -
 
|-
 
|2014 || 41 || 0 || - || - || - || - || - || - || -
 
|-
 
|2015 || 42 || rowspan="3"|[[ナショナルリーグ|ナ・リーグ]] || 0 || - || - || - || - || - || - || -
 
|-
 
|2016 || 43 || 0 || - || - || - || - || - || - || -
 
|-
 
|2017 || 44 || 0 || - || - || - || - || - || - || -
 
|-
 
|}
 
* -は20位未満(打率、出塁率、長打率は規定打席未到達の場合も-と表記)
 
* (注1)NPBで打撃タイトルとして個人表彰の対象となるのは、首位打者、最多本塁打、最多打点、最多盗塁、最多安打、最高出塁率の6つである。
 
* (注2)MLBで打撃タイトルとして個人表彰の対象になるのは、首位打者、最多本塁打、最多打点、最多盗塁の4つのみで、最多安打は打撃タイトルとして扱われない。従って上記の表のうちMLB時代の「安打1位」は、「打撃タイトル数」の欄に計上されないことに注意。
 
 
=== 年度別守備成績 ===
 
{| class="wikitable" style="font-size:85%; text-align:center; border-collapse:collapse; padding:1px;"
 
!rowspan="2"|年<br />度!!rowspan="2"|球<br />団!!colspan="6"|[[左翼手|LF]]!!colspan="6"|[[中堅手|CF]]!!colspan="6"|[[右翼手|RF]]!!colspan="6"|[[外野手|OF]]
 
|-style="line-height:1.25em;"
 
!試<br /><br />合!![[刺殺|刺<br /><br />殺]]!![[補殺|補<br /><br />殺]]!![[失策|失<br /><br />策]]!![[併殺|併<br /><br />殺]]!![[守備率|守<br />備<br />率]]!!試<br /><br />合!!刺<br /><br />殺!!補<br /><br />殺!!失<br /><br />策!!併<br /><br />殺!!守<br />備<br />率!!試<br /><br />合!!刺<br /><br />殺!!補<br /><br />殺!!失<br /><br />策!!併<br /><br />殺!!守<br />備<br />率!!試<br /><br />合!!刺<br /><br />殺!!補<br /><br />殺!!失<br /><br />策!!併<br /><br />殺!!守<br />備<br />率
 
|-
 
|1992||rowspan="9"|オリックス||colspan="6"|-||colspan="6"|-||colspan="6"|-||34||50||0||0||0||1.000
 
|-
 
|1993||colspan="6"|-||colspan="6"|-||colspan="6"|-||32||34||1||0||0||1.000
 
|-
 
|'''1994'''||colspan="6"|-||colspan="6"|-||colspan="6"|-||'''130'''||261||10||5||3||.982
 
|-
 
|'''1995'''||colspan="6"|-||colspan="6"|-||colspan="6"|-||'''130'''||262||'''14'''||2||'''5'''||.993
 
|-
 
|'''1996'''||colspan="6"|-||colspan="6"|-||colspan="6"|-||'''130'''||277||8||2||3||.993
 
|-
 
|'''1997'''||colspan="6"|-||colspan="6"|-||colspan="6"|-||'''135'''||269||7||2||2||.993
 
|-
 
|'''1998'''||colspan="6"|-||colspan="6"|-||colspan="6"|-||'''135'''||245||'''12'''||3||4||.988
 
|-
 
|'''1999'''||colspan="6"|-||colspan="6"|-||colspan="6"|-||103||196||9||0||1||'''1.000'''
 
|-
 
|'''2000'''||colspan="6"|-||colspan="6"|-||colspan="6"|-||105||218||5||4||1||.982
 
|-
 
|'''2001'''||rowspan="12" |SEA||colspan="6"|-||colspan="6"|-||152||'''335'''||8||1||2||'''.997'''||152||335||8||1||2||.997
 
|-
 
|'''2002'''||colspan="6"|-||3||8||0||0||0||1.000||'''150'''||'''325'''||8||3||0||'''.991'''||152||333||8||3||0||.991
 
|-
 
|'''2003'''||colspan="6"|-||colspan="6"|-||'''159'''||'''337'''||'''12'''||2||'''4'''||'''.994'''||159||337||12||2||'''4'''||.994
 
|-
 
|'''2004'''||colspan="6"|-||colspan="6"|-||'''158'''||'''372'''||12||3||2||.992||158||372||12||3||2||.992
 
|-
 
|'''2005'''||colspan="6"|-||colspan="6"|-||'''158'''||'''381'''||'''10'''||2||2||.995||'''158'''||381||10||2||2||.995
 
|-
 
|'''2006'''||colspan="6"|-||39||114||1||1||0||.991||121||250||8||2||'''3'''||.992||159||364||9||3||3||.992
 
|-
 
|'''2007'''||colspan="6"|-||155||'''424'''||8||1||3||'''.998'''||colspan="6"|-||155||424||8||1||3||'''.998'''
 
|-
 
|'''2008'''||colspan="6"|-||69||195||4||1||1||.995||91||175||7||4||1||.978||'''160'''||370||11||5||2||.987
 
|-
 
|'''2009'''||colspan="6"|-||colspan="6"|-||145||'''317'''||5||4||2||.988||145||317||5||4||2||.988
 
|-
 
|'''2010'''||colspan="6"|-||colspan="6"|-||'''160'''||'''354'''||7||4||1||.989||'''160'''||354||7||4||1||.989
 
|-
 
|2011||colspan="6"|-||colspan="6"|-||151||263||7||4||'''5'''||.985||151||263||7||4||5||.985
 
|-
 
|rowspan="2"|2012||colspan="6"|-||colspan="6"|-||93||198||3||1||0||.995||93||198||3||1||0||.995
 
|-
 
|rowspan="4" |NYY||35||50||0||0||0||1.000||7||10||1||0||0||1.000||39||41||1||0||0||1.000||63||101||2||0||0||1.000
 
|-
 
|-style="background-color:#f2f2f2"
 
!style="text-align:center;"|'12計
 
|35||50||0||0||0||1.000||7||10||1||0||0||1.000||132||239||4||1||0||'''.996'''||156||299||5||1||0||.997
 
|-
 
|2013||9||15||0||0||0||1.000||13||22||0||0||0||1.000||128||217||5||3||0||.987||138||254||5||3||0||.989
 
|-
 
|2014||9||9||0||0||0||1.000||5||7||0||0||0||1.000||119||173||4||1||0||.994||128||189||4||1||0||.995
 
|-
 
|2015||rowspan="3" |MIA||30||52||2||0||0||1.000||7||13||0||0||0||1.000||73||152||3||0||0||1.000||109||217||5||0||0||1.000
 
|-
 
|2016||14||20||4||0||1||1.000||14||24||2||0||0||1.000||54||81||0||1||0||.988||78||125||6||1||1||.992
 
|-
 
|2017||9||19||1||0||1||1.000||10||16||0||0||0||1.000||16||29||0||0||0||1.000||33||64||1||0||1||1.000
 
|-
 
!colspan="2"|NPB:9年
 
|colspan="6"|-||colspan="6"|-||colspan="6"|-||934||1812||66||18||19||.991
 
|-
 
!colspan="2"|MLB:17年
 
|106||165||7||0||2||1.000||322||833||16||3||4||.996||1967||4004||100||35||22||.992||2351||4998||123||38||28||.993
 
|}
 
* 上記の他に、1999年に[[三塁手]]として出場1・補殺1、2015年に[[投手]]として出場1・[[守備機会]]なしを記録している。
 
<!--* 1999年6月13日のダイエー(現在のソフトバンク)戦では途中出場ながら[[三塁手|3B]]を守った。守備機会はゴロを1つ捌き補殺1を記録している。-->
 
* 2017年度シーズン終了時
 
* 各年度の'''太字'''はその年のリーグ最高
 
* '''太字年'''は[[ゴールデングラブ賞]]及び[[ゴールドグラブ賞]]獲得年
 
<!--* 1999年・2002年・2006年・2012年 - 2015年は、試合途中に守備位置変更が行われていることから、試合数の合計は一致していない。-->
 
 
=== 年度別投手成績 ===
 
{| {{投手成績|リーグ=メジャーリーグベースボール}}
 
|-
 
|style="text-align: center;"|{{by2|2015}}
 
|style="text-align: center;"|[[マイアミ・マーリンズ|MIA]]
 
|1||0||0||0||0||0||0||0||0||----||5||1.0||2||0||0||0||0||0||0||0||1||1||9.00||2.00
 
|-
 
!colspan="2"|通算:1年
 
|1||0||0||0||0||0||0||0||0||----||5||1.0||2||0||0||0||0||0||0||0||1||1||9.00||2.00
 
|}
 
 
=== WBCでの打撃成績 ===
 
{| <onlyinclude>class="wikitable" style="text-align:right; font-size:small"
 
|-style="line-height:1.25em"
 
![[年度|年<br /><br />度]]!!style="width:6%"|[[ワールド・ベースボール・クラシック|代<br /><br />表]]!![[試合|試<br /><br />合]]!![[打席|打<br /><br />席]]!![[打数|打<br /><br />数]]!![[得点 (野球)|得<br /><br />点]]!![[安打|安<br /><br />打]]!![[二塁打|二<br />塁<br />打]]!![[三塁打|三<br />塁<br />打]]!![[本塁打|本<br />塁<br />打]]!![[塁打|塁<br /><br />打]]!![[打点|打<br /><br />点]]!![[盗塁|盗<br /><br />塁]]!![[盗塁|盗<br />塁<br />死]]!![[犠牲バント|犠<br /><br />打]]!![[犠牲フライ|犠<br /><br />飛]]!![[四球|四<br /><br />球]]!![[故意四球|敬<br /><br />遠]]!![[死球|死<br /><br />球]]!![[三振|三<br /><br />振]]!![[併殺|併<br />殺<br />打]]!![[打率|打<br /><br />率]]!![[出塁率|出<br />塁<br />率]]!![[長打率|長<br />打<br />率]]!![[OPS (野球)|O<br />P<br />S]]</onlyinclude>
 
|-
 
|style="text-align:center"|[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|2006]]
 
|rowspan="2" style="text-align:center"|[[野球日本代表|日本]]
 
|8||40||33||7||12||1||0||1||16||5||4||0||2||0||4||1||1||1||0||.364||.447||.485||.932
 
|-
 
|style="text-align:center"|[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック|2009]]
 
|9||44||44||7||12||2||1||0||16||5||1||0||0||0||0||0||0||2||0||.273||.273||.364||.637
 
|-
 
!colspan="2"|出場:2回
 
|17||84||77||14||24||3||1||1||32||10||5||0||2||0||4||1||1||3||0||.312||.354||.416||.770
 
|}
 
 
=== タイトル ===
 
; NPB
 
* [[首位打者 (日本プロ野球)|首位打者]]:7回 (1994年 - 2000年)
 
* [[最多打点 (日本プロ野球)|打点王]]:1回 (1995年)
 
* [[最多盗塁 (日本プロ野球)|盗塁王]]:1回 (1995年)※打点王・盗塁王の同時獲得、最高出塁率・盗塁王の同時獲得いずれもNPB史上初
 
* [[最多安打 (日本プロ野球)|最多安打]]:5回 (1994年 - 1998年)
 
* [[最高出塁率 (日本プロ野球)|最高出塁率]]:5回 (1994年 - 1996年、1999年 - 2000年)
 
 
; MLB
 
* [[首位打者 (MLB)|首位打者]]:2回(2001年、2004年)
 
* [[最多盗塁 (MLB)|盗塁王]]:1回(2001年)※首位打者との同時獲得は1949年[[ジャッキー・ロビンソン]]以来52年ぶり
 
 
=== 記録 ===
 
==== NPB初記録・節目の記録 ====
 
* 初出場:1992年7月11日、対[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]17回戦([[平和台野球場|平和台球場]])、2回裏に[[村上信一]]に代わり左翼手として出場
 
* 初打席:同上、[[本原正治]]の前に凡退
 
* 初先発出場:1992年7月12日、対福岡ダイエーホークス18回戦(平和台球場)、9番・左翼手として先発出場
 
* 初[[安打]]:同上、5回表に[[木村恵二]]から右前安打
 
* 初[[盗塁]]:1992年7月26日、対福岡ダイエーホークス21回戦([[神戸総合運動公園野球場|グリーンスタジアム神戸]])、6回裏に二盗(投手:[[杉本正 (野球)|杉本正]]、捕手:[[吉永幸一郎]])
 
* 初[[打点]]:1992年8月14日、対[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]18回戦([[東京ドーム]])、5回表に[[山森雅文]]の代打として出場、[[内山正博 (野球)|内山正博]]から適時二塁打
 
* 初[[本塁打]]:1993年6月12日、対[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]8回戦([[長岡市悠久山野球場]])、8回表に[[野茂英雄]]から右越ソロ
 
* 1000本安打:1999年4月20日、対日本ハムファイターズ1回戦(東京ドーム)、9回表に[[金村暁]]から右中間へ2ラン ※史上194人目(757試合目での達成は史上最速)
 
* 100本塁打:1999年7月6日、対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]15回戦(グリーンスタジアム神戸)、9回裏に[[松坂大輔]]から中越ソロ ※史上205人目
 
 
==== MLB初記録・節目の記録 ====
 
* 初出場・初先発出場:2001年4月2日、対[[オークランド・アスレチックス]]戦([[セーフコ・フィールド]])、1番右翼手として先発出場
 
* 初打席:同上、1回裏に[[ティム・ハドソン]]から二塁ゴロ
 
* 初安打:同上、7回裏にT.J.マスィウズから中前安打
 
* 初本塁打・初打点:2001年4月6日、対[[テキサス・レンジャーズ]]戦([[グローブライフ・パーク・イン・アーリントン|ザ・ボールパーク・イン・アーリントン]])、10回表に[[ジェフ・ジマーマン]]から2点本塁打
 
* 初盗塁:2001年4月15日、対[[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム|アナハイム・エンゼルス]]戦([[エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム|エディソン・フィールド]])、9回表に二盗(投手:[[ベン・ウェバー]]、捕手:[[ベンジー・モリーナ]])
 
* 初登板:2015年10月4日、対[[フィラデルフィア・フィリーズ]]戦([[シチズンズ・バンク・パーク]])、8回裏に4番手で救援登板、1回1失点
 
 
==== 諸記録 ====
 
===== NPB =====
 
* NPB記録
 
** シーズン[[打率]].380以上:2回(1994年、2000年)
 
** シーズン打率.370以上:2回(1994年、2000年)※.360以上ではタイ記録<ref>[[ウォーレン・クロマティ]]と並ぶ</ref>
 
** シーズン打率.350以上:4回(1994年、1996年、1998年、2000年)
 
** シーズン打率.340以上:7回(1994年 - 2000年)
 
** シーズン複数安打試合:69(1994年)
 
** シーズン連続[[試合]][[出塁]]:69(1994年5月21日 - 8月26日)
 
** シーズン連続[[打席]]無[[三振]]:216(1997年4月16日 - 6月24日)
 
** 20試合以上連続安打:4回(1994年2回、1999年、2000年)
 
** 1試合4[[二塁打]]:1994年9月11日、対近鉄バファローズ24回戦([[藤井寺球場]])※タイ記録
 
** 通算盗塁成功率:.858(199盗塁33盗塁死)※100盗塁以上対象
 
** [[首位打者]]:7回(1994年 - 2000年)※[[張本勲]]とタイ記録
 
** 両リーグ[[最多安打]]:5回(1994年 - 1998年)
 
** [[IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞]]:4回(1994年 - 1997年)※野手として[[松井秀喜]]とタイ記録
 
** 全イニング出場首位打者(1995年)※1969年の[[王貞治]]に次ぐ史上2人目
 
** 7年連続打率.340以上首位打者(1994年 - 2000年)
 
** 7年連続首位打者(1994年 - 2000年)
 
** 5年連続全試合出場首位打者(1994年 - 1998年)
 
** 5年連続両リーグ最多安打(1994年 - 1998年)
 
** 3年連続[[最優秀選手 (野球)#日本プロ野球|シーズンMVP]](1994年 - 1996年)※[[山田久志]]とタイ記録。野手では史上唯一
 
** 4年連続[[IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞]](1994年 - 1997年)
 
** 2年連続[[正力松太郎賞]](1994年 - 1995年)
 
** 6年連続満塁本塁打(1995年 - 2000年)※[[駒田徳広]]とタイ記録
 
** 月間安打:48(1996年8月)
 
* NPB[[パ・リーグ]]記録
 
** シーズン打率:.387(2000年)※[[ランディ・バース]]に次いでNPB歴代2位
 
** シーズン初回表先頭打者本塁打:5(1995年)※タイ記録。達成当時はNPBタイ記録
 
** シーズン1試合4安打:8回(1996年)※達成当時はNPB記録
 
** 最多安打:5回(1994年 - 1998年)※[[長嶋茂雄]]、[[川上哲治]]に次いでNPB歴代3位。タイトル制定以後としてはNPB記録
 
** 最多[[単打]]:3回(1994年 - 1996年)※タイ記録
 
** パ・リーグ特別表彰:6回(1994年 - 1995年、1997年 - 2000年)
 
** 7年連続[[出塁率]]4割以上(1994年 - 2000年)
 
** 6年連続最多[[故意四球|敬遠]](1995年 - 2000年)
 
** 5年連続最多安打(1994年 - 1998年)※長嶋茂雄に次いでNPB歴代2位。タイトル制定以後としてはNPB記録
 
** 3年連続最多単打(1994年 - 1996年)※[[近藤和彦]]に次いでNPB歴代2位タイ
 
** 3年連続100[[得点]](1994年 - 1996年)※[[福本豊]]とタイ記録
 
** 4年連続パ・リーグ特別表彰(1997年 - 2000年)※[[野茂英雄]]とタイ記録
 
* 球団記録
 
** シーズン安打:210(1994年)※[[秋山翔吾]]に次いでNPB歴代3位。パ・リーグでは[[秋山翔吾]]に次いで歴代2位。達成当時はNPB記録
 
** 通算敬遠:98(1992 - 2000年)
 
** シーズン[[猛打賞]]:26回(1996年)※[[西岡剛 (内野手)|西岡剛]]に次いでNPB歴代2位。達成当時はNPB記録
 
** シーズン単打:151(1994年)※達成当時はNPB記録
 
** シーズン出塁率:.4596(2000年)
 
** シーズンMVP:3回(1994年 - 1996年)※山田久志とタイ記録。野村克也に次いでパ・リーグ歴代2位タイ
 
** 最多[[塁打]]:3回(1994年 - 1996年)※タイ記録。野村克也に次いでパ・リーグ歴代2位タイ
 
** 最高出塁率:5回(1994年 - 1996年、1999年 - 2000年)※タイトル制定以後(以前は不明)球団記録。張本勲に次いでパ・リーグ歴代2位
 
** 出塁率4割以上:7回(1994年 - 2000年)※張本勲に次いでパ・リーグ歴代2位
 
** 7年連続[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]](1994年 - 2000年)※福本豊とタイ記録
 
** 3年連続最高出塁率(1994年 - 1996年)※タイトル制定以後(以前は不明)球団記録。張本勲に次いでパ・リーグ歴代2位タイ
 
** 3年連続最多塁打(1994年 - 1996年)※[[野村克也]]に次いでパ・リーグ歴代2位
 
** 連続試合出場:763(1994年4月9日 - 1999年8月24日)※パ・リーグ歴代5位。1994年6月24日から1996年4月11日までは212試合連続全イニング出場
 
** 月間MVP:10回 ※[[田中将大]]に次いでNPB歴代2位。野手としてはNPB記録。
 
* その他
 
** [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスター]]
 
*** オールスター出場回数:7回(1994年 - 2000年)
 
*** オールスター年間得票数:1,346,504票(1999年)※パ・リーグ記録。達成当時はオールスター記録
 
*** 6年連続オールスター最多得票(1995年 - 2000年)※タイ記録。6年連続で両リーグ通じての最多得票はNPB記録
 
*** オールスター通算打率:.394(71打数28安打)※オールスター記録(50打数以上対象)
 
*** オールスター連続試合安打:11(1996年第3戦 - 2000年第3戦)※オールスター記録
 
*** オールスター連続打席安打:5 ※オールスター記録
 
*** オールスター連続試合フルイニング出場:17(1994年第1戦 - 2000年第3戦)※オールスター記録
 
** シーズン死球:18(1995年)※達成当時はパ・リーグ記録
 
 
===== MLB =====
 
* MLB記録
 
**[[:en:List of Major League Baseball hit records#240 hits in one season|シーズン安打]]:262(2004年)※[[ジョージ・シスラー]]を84年ぶり更新。また、安打数リーグ2位を記録した打者([[マイケル・ヤング (内野手)|マイケル・ヤング]])との46安打差は史上最大差。[[ギネス世界記録]]に認定<ref>{{Cite web|url=http://www.guinnessworldrecords.com/world-records/11000/most-hits-in-a-major-league-baseball-season |title=Most hits in a Major League Baseball season|publisher=Guinness World Records|language=英語|accessdate=2014年3月6日}}</ref>。
 
** シーズン[[単打]]:225(2004年)※[[ウィリー・キーラー]]を106年ぶり更新
 
** [[:en:List of Major League Baseball hit records#Five or more seasons with 200+ hits|シーズン200安打以上]]:10回(2001年 - 2010年)※[[ピート・ローズ]]とタイ記録。ギネス世界記録に認定<ref>{{Cite web|url=http://www.guinnessworldrecords.com/world-records/8000/most-seasons-with-200-hits-in-a-major-league-baseball-career |title=Most seasons with 200 hits in a Major League Baseball career|publisher=Guinness World Records|language=英語|accessdate=2014年3月6日}}</ref>。
 
** シーズン5安打試合:4回(2004年)※ウィリー・キーラー、タイ・カッブ、[[スタン・ミュージアル]]、[[トニー・グウィン]]とタイ記録
 
** シーズン月間50安打:3回(2004年5月・7月・8月)
 
** シーズン安打試合数:135(2001年)※ロジャース・ホーンスビー、[[チャック・クライン]]、[[ウェイド・ボッグス]]、[[デレク・ジーター]]とタイ記録
 
** 両リーグ最多安打:7回(2001年、2004年、2006年 - 2010年)※タイ・カッブ、ピート・ローズとタイ記録
 
**5年連続両リーグ最多安打(2006年-2010年)史上初
 
** デビュー以来10年連続200安打(2001年 - 2010年)
 
** 10年連続200安打(2001年 - 2010年)※9年の時点でウィリー・キーラーを108年ぶり更新。ギネス世界記録に認定<ref>{{Cite web|url=http://www.guinnessworldrecords.com/world-records/5000/most-consecutive-seasons-with-200-hits-in-a-major-league-baseball-career |title=Most consecutive seasons with 200 hits in a Major League Baseball career|publisher=Guinness World Records|language=英語|accessdate=2014年3月6日}}</ref>。
 
** 連続4シーズン最多安打:930(2004年 - 2007年)※[[ビル・テリー]]を75年ぶり更新
 
** 外野手1[[イニング]]2[[補殺]](2003年5月25日5回表<ref>{{Cite web|url=http://www.baseball-reference.com/boxes/SEA/SEA200305250.shtml |title=Minnesota Twins at Seattle Mariners Box Score, May 25, 2003|work=Baseball-Reference.com|language=英語|date=2003年5月25日|accessdate=2017年3月4日}}</ref>)※タイ記録
 
** 右翼手最多[[刺殺]]:7回(2001年 - 2005年、2009年 - 2010年)※[[:en:Wally Moses|Wally Moses]]を65年ぶり更新
 
** 5年連続右翼手最多刺殺(2001年 - 2005年)※[[ティム・サーモン]]とタイ記録
 
* MLB[[アメリカンリーグ]]記録
 
** シーズン打席:762(2004年)※MLB歴代8位<ref>{{Cite web|url=http://www.baseball-reference.com/leaders/PA_season.shtml |title=Single-Season Leaders & Records for Plate Appearances|work=Baaseball-Reference.com|language=英語|accessdate=2017年3月4日}}</ref>
 
** シーズン連続盗塁成功:39(2006年)※[[ビンス・コールマン]]に次いでMLB歴代2位
 
** シーズン右翼手刺殺:381(2005年)※MLB歴代2位タイ<ref>{{Cite web|url=http://www.baseball-reference.com/leaders/PO_rf_season.shtml |title=Single-Season Leaders & Records for Putouts as RF (s.1913)|work=Baaseball-Reference.com|language=英語|accessdate=2017年3月4日}}</ref>
 
** [[:en:List of Major League Baseball stolen base records#35 consecutive stolen bases|連続盗塁成功]]:45(2006年4月29日 - 2007年5月16日)※ビンス・コールマンに次いでMLB歴代2位
 
** [[ゴールドグラブ賞]]:10年連続、通算10回(2001年 - 2010年)※共に外野手部門では[[アル・ケーライン]]、[[ケン・グリフィー・ジュニア]]とア・リーグタイ記録
 
* MLB[[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB)|新人]]記録
 
** 新人最多安打および1年目選手最多安打:242(2001年)※[[ジョー・ジャクソン (野球)|ジョー・ジャクソン]]を90年ぶり更新
 
** ア・リーグ新人最多単打およびア・リーグ1年目選手最多単打:192(2001年)
 
** ア・リーグ新人最多打数および1年目選手最多打数:692(2001年)
 
** ア・リーグ1年目選手最高打率:.350(2001年)
 
* 球団記録([[シアトル・マリナーズ]]){{See also|[[:en:List of Seattle Mariners team records|List of Seattle Mariners team records]]}}
 
** 通算打数:7858(2001年 - 2012年)
 
** 通算打率:.322(2001年 - 2012年)
 
** 通算安打:2533(2001年 - 2012年)※[[エドガー・マルティネス]]を7年ぶり更新
 
** 通算単打:2060(2001年 - 2012年)
 
** 通算三塁打:79(2001年 - 2012年)
 
** 通算盗塁:438(2001年 - 2012年)
 
** 通算敬遠:172(2001年 - 2012年)※ケン・グリフィー・ジュニアとタイ記録
 
** 通算初回先頭打者本塁打:37(2001年 - 2012年)※MLB歴代8位<ref>上位7人は[[リッキー・ヘンダーソン]](81)、[[アルフォンソ・ソリアーノ]](54)、[[クレイグ・ビジオ]](53)、[[ジミー・ロリンズ]](46・現役)、[[ブレイディ・アンダーソン]](44)、[[カーティス・グランダーソン]](42・現役)、[[イアン・キンズラー]](40・現役)、2016年シーズン終了時点</ref>
 
** 通算外野手刺殺:4048(2001年 - 2012年)
 
** シーズン出場試合:162(2005年、2008年、2010年)※タイ記録。3度の162試合出場は単独球団記録
 
** シーズン打率:.372(2004年)
 
** シーズン打数:704(2004年)※MLB歴代3位<ref>{{Cite web|url=http://www.baseball-reference.com/leaders/AB_season.shtml |title=Single-Season Leaders & Records for At Bats|work=Baaseball-Reference.com|language=英語|accessdate=2017年3月4日}}</ref>
 
** シーズン三塁打:12(2005年)
 
** シーズン初回先頭打者本塁打:5(2002年、2005年)
 
** シーズン出塁数:315(2004年)
 
** シーズン敬遠四球:27(2002年)
 
** シーズン複数安打試合数:80(2004年)
 
** 20試合以上連続安打:7回(2001年2回、2004年 - 2007年、2009年)
 
** 月間最多安打:56(2004年8月)
 
** 連続試合安打:27(2009年5月6日 - 6月3日)
 
** 連続2試合安打数:9(2004年9月21日 - 22日)※タイ記録
 
** 連続試合出場数:396(2004年7月11日 - 2006年9月25日)
 
** 新人最多得点:127(2001年)
 
** 新人最多二塁打:34(2001年)※タイ記録
 
** 新人最多三塁打:8(2001年)※タイ記録
 
** 新人最多塁打:316(2001年)
 
** 新人最多盗塁:56(2001年)
 
** 新人連続試合安打:23(2001年4月22日 - 5月18日)
 
* 球団記録([[ニューヨーク・ヤンキース]])
 
** デビューからの連続試合安打:12(2012年8月5日)※[[:en:Don Slaught|Don Slaught]]とタイ記録
 
** レギュラーシーズン最年長でのサヨナラ本塁打:39歳8ヶ月(2013年6月25日)
 
* その他
 
** [[MLBオールスターゲーム|オールスター]]
 
*** 選出回数:10回(2001年 - 2010年)※全て出場し、出場10回はマリナーズ球団タイ記録。2005年以外は先発出場。
 
*** 新人から3年連続オールスター両リーグ最多得票(2001年 - 2003年)※史上唯一。「新人から」という注釈を外してもケン・グリフィー・ジュニア以来史上2人目
 
*** オールスターゲームでのランニング本塁打(2007年)※史上初。[[ギネス世界記録]]に認定<ref>{{Cite web|url=http://www.guinnessworldrecords.com/world-records/5000/first-inside-the-park-home-run-in-all-star-baseball-history- |title=First inside-the-park home run in All-Star baseball history|publisher=Guinness World Records|language=英語|accessdate=2014年3月6日}}</ref>
 
 
=== 表彰 ===
 
; NPB
 
* シーズン
 
** [[正力松太郎賞]]:3回 (1994年 - 1995年、2004年)※2004年は特別賞
 
** [[最優秀選手 (日本プロ野球)|パ・リーグMVP]]:3回 (1994年 - 1996年)
 
** [[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]:7回 (外野手部門:1994年 - 2000年)
 
** [[ゴールデングラブ賞]]:7回 (外野手部門:1994年 - 2000年)
 
** [[IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞]]:4回 (1994年 - 1997年)
 
** [[コミッショナー (日本プロ野球)|コミッショナー]]特別表彰 (1994年)
 
** [[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]特別表彰:6回 (1994年 - 1995年、1997年 - 2000年)※1995年は会長特別賞
 
** [[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]特別表彰:1回 (1994年)
 
* 月間/その他
 
** [[月間MVP (日本プロ野球)|パ・リーグ月間MVP]]:10回 (1994年6月、1994年8月、1995年6月、1996年8月、1997年6月、1998年6月、1998年7月、1999年5月、1999年7月、2000年7月)
 
** [[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]優秀選手賞:1回 ([[1996年の日本シリーズ|1996年]])
 
** [[フレッシュオールスターゲーム|ジュニアオールスターゲーム]]MVP:1回 (1992年)
 
** [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]新人賞([[1994年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|1994年]])
 
** オールスターゲーム優秀選手:7回 ([[1995年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|1995年]]第1戦、[[1996年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|1996年]]第1戦・第3戦、[[1997年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|1997年]]第2戦、[[1999年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|1999年]]第1戦、[[2000年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|2000年]]第2戦・第3戦)
 
** [[パ・リーグオールスター東西対抗]]MVP:1回 (1995年)
 
** [[日米野球]] シリーズ殊勲選手:1回 (1998年)
 
** 花のパ・リーグ大賞:3回 (1994年 - 1995年、1998年){{Refnest|group="注"|パ・リーグの[[オープン戦#プロ野球のオープン戦|オープン戦]]MVP。<ref>『ベースボール・レコード・ブック1996』ベースボール・マガジン社、1995年12月、39p</ref><ref>『ベースボール・レコード・ブック1999』ベースボール・マガジン社、1998年12月、41p</ref>}}
 
** [[センチュリーベストナイン]](外野手)
 
 
; MLB
 
* シーズン
 
** [[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB)|新人王]](2001年)
 
** [[最優秀選手賞 (MLB)|ア・リーグMVP]]:1回(2001年)※新人王との同時獲得は1975年[[フレッド・リン]]とイチローのみ
 
** [[シルバースラッガー賞]]:3回(外野手部門:2001年、2007年、2009年)
 
** [[ゴールドグラブ賞]]:10回(外野手部門:2001年 - 2010年)
 
* 月間・週間/その他
 
** [[ルーキー・オブ・ザ・マンス|ア・リーグ月間新人MVP]]:4回(2001年4月・5月・8月・9月)
 
** [[プレイヤー・オブ・ザ・マンス|ア・リーグ月間MVP]]:1回(2004年8月)
 
** {{仮リンク|週間MVP|en|Major League Baseball Player of the Week Award}}:5回(2004年8月2日 - 8月8日、2006年5月29日 - 6月4日、2010年9月20日 - 9月26日、2012年9月17日 - 9月23日、2016年8月1日 - 8月7日)
 
** [[MLBオールスターゲーム最優秀選手賞|オールスターMVP]]:1回([[2007年のMLBオールスターゲーム|2007年]])
 
** [[シアトル・マリナーズ]]球団MVP:5回(2001年、2004年、2007年、2009年 - 2010年)
 
** [[コミッショナー特別表彰]](2005年4月22日)※2004年の年間最多安打記録更新を称えての表彰
 
** [[DHLホームタウン・ヒーローズ]][[ノミネート]](2006年)
 
** [[ハート&ハッスル賞]](2008年)※チーム内での受賞<ref>{{Cite web |date=2008年7月11日 |url=http://seattle.mariners.mlb.com/news/press_releases/press_release.jsp?ymd=20080711&content_id=3112839&vkey=pr_sea&fext=.jsp&c_id=sea |title=Ichiro Suzuki to receive 2008 team "Heart and Hustle" Award |publisher=MLB.com |accessdate=2012年4月6日}}{{en icon}}</ref>。30球団から1人の最終受賞者には選出されず
 
** [[ジェフ・コーナイン]]賞(2016年)<ref>{{Cite web|url=http://www.baseball-almanac.com/awards/jeff_conine_award.shtml |title=Jeff Conine Award|work=[[:en:Baseball Almanac|Baseball Almanac]]|language=英語|date=2016年10月1日|accessdate=2016年11月23日}}</ref>
 
** [[プレイヤーズ・チョイス・アワード]]
 
*** [[アメリカンリーグ]]最優秀新人(2001年)
 
*** アメリカンリーグ最優秀選手:1回(2004年)
 
** [[フィールディング・バイブル・アワード]]:3回(2006年、2009年 - 2010年)
 
** MLB.com This Year in Baseball Awards
 
*** Defensive Player of the Year:1回(2005年)
 
*** Dependable Player of the Year:1回(2010年)
 
** [[w:Topps All-Star Rookie Rosters|Topps ルーキーオールスターチーム]](2001年)<ref>[[新庄剛志]]も一緒に受賞</ref><ref group="注">通称「新人ベストナイン」。選出対象となる新人扱い選手を両リーグ統一した中で、各ポジションごとに各球団監督の投票により選出される(例えば[[シルバースラッガー賞]]のように各リーグごとに選出されるのではない)。</ref>
 
* [[十年紀|ディケイド]](2000年 - 2009年)選出・評価
 
** ディケイドオールスターチーム
 
*** [[ESPN]] All-Decade team(右翼手)<ref>{{Cite news |author=Tim Kurkjian |publisher=ESPN |title=Selecting the All-Decade team |url=http://sports.espn.go.com/mlb/columns/story?columnist=kurkjian_tim&id=4753935 |date=2009年12月18日 |accessdate=2012年4月6日}}{{en icon}}</ref>
 
*** ESPN Gold Glovers of the decade(右翼手)<ref>{{Cite news |author=Rob Neyer |publisher=ESPN |title=Gold Glovers of the decade |url=http://sports.espn.go.com/mlb/columns/story?columnist=neyer_rob&id=4761290 |date=2009年12月21日 |accessdate=2012年4月6日}}{{en icon}}</ref>
 
** ディケイドベスト選手
 
*** ESPN Top 100 players of the decade(第5位)<ref>{{Cite news |author=Rob Neyer |publisher=ESPN |title=Top 100 players of the decade |url=http://sports.espn.go.com/mlb/columns/story?id=4740695 |date=2009年12月14日 |accessdate=2012年4月6日}}{{en icon}}</ref>
 
*** [[MLBネットワーク|MLB-network]] Top 9 players of the decade(第6位)
 
*** MLB-network Top 9 outfielders of the decade(第3位)
 
 
;国際大会
 
* [[2006 ワールド・ベースボール・クラシック#優秀選手・MVP|2006年WBCベストナイン]](外野手)
 
 
;チームとして
 
* コミッショナー特別表彰:1回(2001年)
 
* [[紫綬褒章]]:2回(2006年、2009年)
 
 
;その他
 
* [[文部科学省]] スポーツ功労者顕彰:3回(1999年、2006年、2009年)<ref>{{Cite press release|title=プロスポーツ関係者に対するスポーツ功労者顕彰について|publisher=文部省|date=|url=http://www.nicer.go.jp/lom/data/contents/bgj/1999011801005.pdf|format=pdf|accessdate=2012年4月6日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110323030517/http://www.nicer.go.jp/lom/data/contents/bgj/1999011801005.pdf|archivedate=2011年3月23日|deadlinkdate=2018年3月}}</ref><ref>{{Cite press release|title=スポーツ功労者顕彰について|publisher=文部科学省|date=2006年11月1日|url=http://www.nicer.go.jp/lom/data/contents/bgj/2006110202003.pdf|format=pdf|accessdate=2012年4月6日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110323015402/http://www.nicer.go.jp/lom/data/contents/bgj/2006110202003.pdf|archivedate=2011年3月23日|deadlinkdate=2018年3月}}</ref><ref>{{Cite press release|title=スポーツ功労者顕彰及び国際競技大会優秀者等表彰の受章者決定 及び顕彰・表彰式の開催について|publisher=文部科学省|date=2009年6月9日|url=http://www.nicer.go.jp/lom/data/contents/bgj/2009060903017.pdf|format=pdf|accessdate=2012年4月6日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110323015233/http://www.nicer.go.jp/lom/data/contents/bgj/2009060903017.pdf|archivedate=2011年3月23日|deadlinkdate=2018年3月}}</ref>
 
* [[愛知県知事]]表彰 特別表彰(1994年)
 
* [[兵庫県知事]]表彰 スポーツ優秀選手特別賞(1994年)
 
* [[神戸市]]スポーツ特別賞(1994年)
 
* [[豊山町]]民栄誉賞(1994年)
 
* [[ナンバーMVP賞]]:2回(1995年、2001年)
 
* [[菊池寛賞]](2001年)
 
* [[日本プロスポーツ大賞]]
 
** 大賞:3回(1994年 - 1995年、2001年)
 
** 殊勲賞:2回(1996年、1998年)
 
* [[報知プロスポーツ大賞]]
 
** 野球部門(パ・リーグ):4回(1994年 - 1996年、1998年)
 
** 特別賞:1回(2004年)
 
* [[毎日スポーツ人賞]]
 
** グランプリ:2回(1994年 - 1995年)
 
** ファン賞:1回(2001年)
 
* [[朝日スポーツ賞]]:3回(1994年、2001年、2009年)※2001年は特別賞、2009年はスーパーアスリート賞
 
* [[サンケイスポーツ|サンスポ]]MVP大賞:3回(1994年 - 1996年)<ref>{{Cite news|url=http://www.sanspo.com/baseball/photos/20141125/tig14112505010002-p3.html |title=虎・藤浪の大活躍祈願!サンスポMVP表彰で初の鏡開き (3)|newspaper=[[サンケイスポーツ|SANSPO.COM]]|publisher=[[産業経済新聞社]]|date=2014年11月25日|accessdate=2017年9月7日}}</ref>
 
* [[新語・流行語大賞]] 年間大賞:1回(1994年、「イチロー(効果)」)
 
* [[ゴールデンアロー賞]] 話題賞:2回(1994年 - 1995年)
 
* [[ベストスマイル・オブ・ザ・イヤー]](1994年)
 
* 日本フェアプレー賞(1994年)<!-- 日本ユネスコ協会主催? -->
 
* [[幸手市#その他|ハッピーハンド]](1995年)<ref>{{Cite web|url=http://www.satte-k.com/kanko/happy/ |title=歴史と観光「ハッピーハンド」|publisher=[[幸手市]]観光協会|accessdate=2017年9月13日}}</ref>
 
* {{要出典|date=2016-11|ロドニー賞(1996年)}}
 
* 関西スポーツ賞 特別賞(1998年)
 
* [[ルー・ゲーリッグ・スポーツ賞]](2016年)<ref>{{Cite news|url=http://www.hochi.co.jp/baseball/mlb/20161105-OHT1T50092.html |title=イチロー、ルー・ゲーリッグスポーツ賞夕食会で表彰|newspaper=スポーツ報知|date=2016年11月5日|accessdate=2016年11月14日}}</ref>
 
 
=== 背番号 ===
 
* '''51''' (1992年 - 2012年7月22日、2015年 - 2018年)
 
* '''31''' (2012年7月23日 - 2014年)
 
 
=== 登録名 ===
 
* '''鈴木 一朗''' (すずき いちろう、1992年 - 1994年4月6日)
 
* '''イチロー''' (1994年4月7日 - )
 
 
=== 代表歴 ===
 
* [[2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表]]
 
* [[2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表]]
 
 
== 関連情報 ==
 
=== 関連書籍 ===
 
*『イチローのすべて:やったぞ!200本安打!』([[朝日ソノラマ]]、1994年10月、ISBN 4257034068)
 
*『イチロー<20歳の挑戦>』([[永谷脩]]著、未来出版、1994年11月、ISBN 4943901220)
 
*『父と息子 : イチローと私の二十一年』([[鈴木宣之]]著、[[二見書房]]、1995年3月、ISBN 4576950320)
 
*『一球の心理:イチローと仰木オリックス優勝までの245日』(永谷脩著、[[ダイヤモンド社]]、1995年10月、ISBN 4478960291)
 
*『イチロー素顔の青春』(吹上流一郎著、ラインブックス、1995年10月、ISBN 4847012380)
 
*『イチロー天才の理由』([[田尾安志]]著、大栄出版、1995年11月、ISBN 4886825133)
 
*『イチローに教えたこと、教えられたこと:高校時代の恩師が語るイチローの原石時代』([[中村豪 (野球指導員)|中村豪]]<ref group="注">愛工大名電在籍時の監督による著作 - イチローが愛工大名電に進学することになった経緯、イチローの高校時代、プロで芽が出なかった時のエピソードに詳しい。</ref>著、[[日本文芸社]]、1996年3月、ISBN 4620310816/にちぶん文庫、2001年12月、ISBN 4537065443)
 
*『イチローと13人の仲間:野球少年「鈴木一朗」物語』(鈴木宣之著、二見書房、1996年7月、ISBN 457696075X)
 
*『イチローとわが家:ほんとうの話』(鈴木宣之著、[[家の光協会]]、1996年7月、ISBN 4259544802/新装版、2004年10月、ISBN 4259546686)
 
*『溺愛:我が子イチロー』(鈴木宣之著、[[小学館]]、1996年8月、ISBN 4093871868)
 
*『イチロー「勝利の方程式」:常に進化し続ける男の考え方』(永谷脩著、[[三笠書房]](王様文庫)、2001年1月、ISBN 4837960715)
 
*『イチロー進化論:なぜ「一流のメジャー」になれたのか』(田尾安志、[[小学館文庫]]、2001年7月、ISBN 409402316X)
 
*『イチローUSA語録』(デイヴィッド・シールズ編、永井淳・戸田裕之訳、[[集英社新書]]、2001年12月、ISBN 4087201236)
 
*『マイ・フィールド・オブ・ドリームス:イチローとアメリカの物語』(W.P. キンセラ著、井口優子訳、講談社、2002年3月、ISBN 4062111500)
 
*『イチロー、聖地へ』([[石田雄太]]著、[[文藝春秋]]、2002年3月、ISBN 4163586105/[[文春文庫]]、2005年3月、ISBN 4167679337)
 
*『Ichiro : メジャーを震撼させた男』(ボブ・シャーウィン著、清水由貴子・寺尾まち子訳、[[朝日新聞社]]、2002年3月、ISBN 4022577207/[[朝日文庫]]、2004年4月、ISBN 4022614412)
 
*『イチロー・オン・イチロー:Interview special edition』(イチロー述、[[小松成美]]著、[[新潮社]]、2002年5月、ISBN 4104447021)
 
*『イチローは「天才」ではない』([[小川勝]]著、[[角川書店]]、2002年6月、ISBN 4047040908)
 
*『イチローイズム:僕が考えたこと、感じたこと、信じること』(イチロー述、石田雄太著、集英社、2003年3月、ISBN 4087803759/[[集英社文庫]]、2008年7月、ISBN 9784087463231)
 
*『イチロー北野武キャッチボール』(イチロー・[[北野武]]述、ぴあ、2003年7月、ISBN 483560069X)
 
*『キャッチボール ICHIRO meets you』(イチロー述、[[糸井重里]]著監修、[[ぴあ]]、2004年4月、ISBN 4835609336)
 
**『イチローに糸井重里が聞く』(改題、[[朝日文庫]]、2010年5月、ISBN 9784022616678)
 
*『イチロー革命:日本人メジャー・リーガーとベースボール新時代』[[ロバート・ホワイティング]]著、松井みどり訳、[[早川書房]]、2004年10月、ISBN 978-4152085993)
 
*『イチロー思考:孤高を貫き、成功をつかむ77の工夫』([[児玉光雄]]著、[[東邦出版]]、2004年12月、ISBN 4809404129)
 
*『夢をつかむイチロー262のメッセージ:Ichiro's message since 2001』(イチロー述、[[ぴあ]]、2005年3月、ISBN 4835615123) - [[プロゴルファー]][[宮里藍]]の愛読書として話題になり<ref>{{Cite news |title=藍、イチロー効果で今季初V…“名言本”がサポート |url=http://www.zakzak.co.jp/spo/2005_05/s2005051605.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20051217030453/http://www.zakzak.co.jp/spo/2005_05/s2005051605.html |newspaper=[[夕刊フジ]] |publisher=産業経済新聞社 |date=2005年5月16日 |archivedate=2005年12月17日 |accessdate=2012年4月6日 |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref>、20万部突破の[[ベストセラー]]になった。
 
*『イチロー・武蔵・西部劇ー十割打者を目指す求道者ー』([[小野しまと]]著、[[ビワコ・エディション]]、2005年9月、ISBN 4990080912 C0075)
 
*『イチロー果てしなき夢:少年の想いはるかに』([[義田貴士]]著、[[学習研究社]]、2005年4月、ISBN 4052023145)
 
*『イチローの流儀』(小西慶三著、新潮社、2006年3月、ISBN 4103020512/新潮文庫、2009年4月、ISBN 9784101373713)
 
*『イチロー×矢沢永吉英雄の哲学』(イチロー・[[矢沢永吉]]述、ぴあ、2006年7月、ISBN 4835616278)
 
*『未来をかえるイチロー262のnextメッセージ』(イチロー述、ぴあ、2008年1月、ISBN 9784835616872)
 
*『イチロー論:一流とはなにか プロフェッショナルとはなにか』([[張本勲]]著、青志社、2009年9月、ISBN 4-90-385370-5)
 
*『イチローの育て方:「振り子打法」考案者が語る、才能を伸ばす指導法』([[河村健一郎]]著、[[廣済堂あかつき]]、2010年6月、ISBN 9784331514573)
 
*『イチローの哲学:一流選手は何を考え、何をしているのか』(奥村幸治著、[[PHP研究所]]、2011年1月、ISBN 9784569792361)
 
*『天才・イチローを創った魔法の「言葉」』(児玉光雄著、[[イースト・プレス]]、2011年3月、ISBN 4781605311)
 
**『天才・イチロー成功を導く魔法の「言葉」』(改題、[[文庫ぎんが堂]]、2014年2月、ISBN 9784781671024)
 
*『はたしてイチローは本当に「一流」なのか』([[江尻良文]]著、[[双葉新書]]、2011年4月、ISBN 9784575153736)
 
*『自己を変革するイチロー262のメッセージ:Ichiro's message since 2008』(イチロー監修、ぴあ、2013年4月、ISBN 9784835618333)
 
*『天才・イチローなお挑み続ける「言葉」:なぜ、彼は輝きを失わないのか』(児玉光雄著、イースト・プレス、2014年3月、ISBN 9784781611488)
 
 
=== メディア出演 ===
 
*[[走れ!イチロー]]([[東映]]系 2001年4月28日)
 
* [[古畑任三郎#ファイナル|古畑任三郎・ファイナル]] 第41回「フェアな殺人者」(フジテレビ。2006年1月4日。本人役で出演)
 
* [[ICHIRO-MONDOW 〜Two Chairs〜]](読売テレビ。2006年4月1日 - 2007年3月末)
 
* [[ICHIRO-VERSUS]](読売テレビ。2007年4月7日 - 2008年3月末。上述番組の続編)
 
* [[僕らの音楽 -OUR MUSIC-]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]系。2007年2月23日放送回。[[椎名林檎]]との対談)
 
* イチ流(年末年始恒例番組)
 
* 日本人メジャーリーガーの群像(年末年始恒例番組)
 
* [[プロフェッショナル 仕事の流儀]]<ref>http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/080102/index.html</ref>(2008年1月2日、1月22日)
 
* [[日本における衛星放送#BSデジタル|BSデジタル]]の対談番組(ビートたけし、糸井重里、矢沢永吉との対談は書籍化されている)
 
** 2003年:[[ビートたけし]](北野武)
 
** 2004年:[[糸井重里]]
 
** 2005年:[[久米宏]]
 
** 2006年:[[矢沢永吉]]
 
** 2007年:[[黒木瞳]]
 
* [[99年の愛〜JAPANESE AMERICANS〜]](2010年11月3日、第1夜。本人自身の野球映像出演)
 
* 「イチロー ぼくの歩んだ道 ~特別対談『大リーグの10年』with糸井重里~」(2011年1月1日。聞き手は糸井重里、[[住吉美紀]])
 
* 「メジャーリーグ 〜アメリカ社会を映す鏡〜」(2011年1月1日。原題「Baseball The 10th Inning」)
 
* [[ごぶごぶ]](毎日放送、2014年1月21日、ほっともっとフィールド神戸でロケ中に星野伸之とキャッチボールをするシーンで登場)
 
 
=== CM ===
 
* [[ハウス食品]]
 
** 『とんがりコーン』
 
** 『[[バーモントカレー]]』
 
** 『ククレカレー』
 
* [[アサヒ飲料]] 『[[三ツ矢サイダー]]』(1996年 - 1999年)
 
* [[佐藤製薬]] 『ユンケル』
 
* [[日産自動車]](1996年 - 2009年)
 
** 企業CM
 
*** <small>「イチロー&若大将」篇(1996年)</small> - 映画「[[日本一の若大将]]」の[[加山雄三]]のマラソンシーンと「[[ハワイの若大将]]」のサーフィンシーンにイチローをCG合成して、夢の共演が実現した。
 
*** <small>「新年ジョギング」篇(1998年1月)</small>
 
*** <small>「イチロ初売りフェア」篇(1998年1月)</small>
 
*** <small>「ダンス・ウィズ ペンシル」篇(1998年4月1日 - )</small>
 
*** <small>「日産の新しい挑戦」篇(1999年1月1日 - 9日)</small>
 
*** <small>「総額10億円マイレージ」篇(1999年1月1日 - 31日)</small>
 
*** <small>「二系列大整列」篇(1999年4月1日 - 18日)</small>
 
** 『[[日産・スカイラインセダン V36|スカイライン]]』
 
*** <small>「幕開け」篇(イチロー篇)(2006年11月21日 - )</small>
 
*** <small>「雨」篇(イチロー篇)(2007年1月1日 - )</small>
 
*** <small>「一本の道」篇(2008年12月3日 - )</small>
 
*** <small>「001 Skyline talk」篇 - 「003 Skyline talk」篇(2007年4月12日 - )</small>
 
*** <small>「004 Skyline talk」篇「SKYLINE「50周年」篇(2007年4月24日 - )</small>
 
*** <small>「005 Skyline talk」篇 - 「010 Skyline talk」篇(2007年5月5日 - )</small>
 
*** <small>「一本の道」篇(2008年12月3日 - )</small>
 
** 『[[日産・スカイラインクーペ CV36|スカイラインクーペ]]』
 
*** <small>「PURE RED イチロー」篇(2007年10月3日 - )</small>
 
** 『[[日産・スカイラインクロスオーバー|スカイラインクロスオーバー]]』
 
*** <small>「日食」篇(2009年7月14日 - )</small>
 
* [[日興コーディアル証券]](2001年 - )
 
* [[サントリー]] 『[[ペプシコーラ]]』(2002年)
 
** <small>「FEVER篇/BOOM篇」(2002年2月15日 - )</small>
 
** <small>「イチローシズル篇」(2002年3月21日 - )</small>
 
** <small>「イチローDIET篇」(2002年4月1日 - )</small>
 
* [[任天堂]]
 
** 『[[ニンテンドーゲームキューブ]] シルバー』(2002年)
 
** 『[[ファミリースタジアム2003]]』 - ゲームソフト自体は開発、販売ともに[[ナムコ]]であるが、任天堂がCMを制作している(2003年)
 
* [[西日本電信電話|NTT西日本]]
 
* [[JXTGエネルギー|ENEOS]]
 
* [[日本電信電話|NTTグループ]]
 
* [[アサヒビール]]
 
* [[住友林業]]
 
* [[ミズノ]]
 
* [[2006 ワールド・ベースボール・クラシック]] - 2006年2月5日に放送された[[スーパーボウル]]中継の中でWBCのCMが放映された。[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック・アメリカ合衆国代表|アメリカ代表]]の[[ロジャー・クレメンス]]、[[デレク・ジーター]]、[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック・ドミニカ共和国代表|ドミニカ代表]]の[[アルバート・プホルス]]、[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック・イタリア代表|イタリア代表]]の[[マイク・ピアッツァ]]らと共に、日本代表からイチローが出演<ref>{{Cite news |title=イチローがWBCを全世界にPR |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/2006wbc/kiji/KFullNormal20060205056.html |newspaper=スポニチ Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2006年2月5日|accessdate=2012年4月6日}}</ref>。
 
* [[2009 ワールド・ベースボール・クラシック]] - 前回に引き続き出演。[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック・アメリカ合衆国代表|アメリカ代表]]の[[デレク・ジーター]]、[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック・ドミニカ共和国代表|ドミニカ代表]]の[[アレックス・ロドリゲス]]、[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック・メキシコ代表|メキシコ代表]]の[[ホルヘ・カントゥ]]と共に、日本代表として出演。
 
* [[キリンビール]] 『[[キリン一番搾り生ビール|キリン一番搾り]]』(2009年 - )共演:[[松嶋菜々子]]
 
* [[森永乳業]] 『ビヒダス』
 
* [[オリックス銀行]](2013年2月8日 - )
 
* [[オリックスグループ]](2017年3月31日 - )
 
 
=== ファッション雑誌 ===
 
* ロフィシェル・ジャポン(2006年4月28日号)
 
* [[:en:GQ|GQ]](アメリカ版、2007年5月号<ref>{{Cite web|url=https://www.gq.com/gallery/athletes-cover-photo-shoots-gq-2013 |title=The GQ Athlete Gallery Photos|Publisher=[[:en:GQ|GQ]]|date=2013年|accessdate=2018年3月5日}}</ref>)
 
 
=== イチローが登場する作品 ===
 
*『[[ドカベン プロ野球編]]』(漫画)※オリックス在籍時に登場。
 
*『[[あぶさん]]』
 
*『[[ストッパー毒島]]』
 
*『[[クラッシュ!正宗]]』
 
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
 
 
{{Reflist|group=注}}
 
{{Reflist|group=注}}
=== 出典 ===
+
{{Reflist}}
{{Reflist|3}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[愛知県出身の人物一覧]]
 
* [[オリックス・バファローズの選手一覧]]
 
* [[日本出身のメジャーリーグベースボール選手一覧]]
 
* [[日本人のメジャーリーグベースボール選手が獲得したタイトル・表彰一覧]]
 
* [[イチロー杯争奪学童軟式野球大会]]
 
* [[アイ・ファイン]] - イチローの所縁の品が展示されている
 
* [[ニッチロー']] - イチローの[[ものまね芸人]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
{{Commonscat|Ichiro Suzuki}}
 
{{Anchors|MLBstats}}{{MLBstats |mlb=400085 |espn=4570 |br=s/suzukic01 |fangraphs=1101 |cube=ichiro-suzuki |brm=suzuki001ich}}
 
* [http://www.milb.com/player/index.jsp?player_id=400085 Ichiro Suzuki stats] MiLB.com {{en icon}}
 
{{NPB|11913885|イチロー}}
 
* [http://www.btr.co.jp/ イチロー展示ルーム「I-fain(アイ・ファイン)」]
 
 
 
 
 
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{{デフォルトソート:いちろう}}

2018/8/5/ (日) 23:16時点における版

獲得メダル
男子 野球
日本の旗 日本
ワールド・ベースボール・クラシック
2006 野球
2009 野球

イチロー(本名:鈴木 一朗〈すずき いちろう〉、1973年10月22日[1] - )は、愛知県西春日井郡豊山町出身[2][3]プロ野球選手外野手)。右投左打。現在はシアトル・マリナーズ会長付特別補佐。血液型はB型[4]

MLBシーズン最多安打記録保持者(262安打)であり[5][6]、プロ野球における通算安打世界記録保持者(NPB/MLB通算4257安打でギネス世界記録に認定[6])、最多試合出場記録保持者(NPB/MLB通算3563試合出場)[7]である。

概要

日本プロ野球(以下NPB)ではMVP首位打者打点王盗塁王ベストナインゴールデングラブ賞などを獲得し、2000年オフに日本人初の野手としてメジャーリーグベースボール(以下MLB)に移籍[注 1]。MLBでは、MVP首位打者盗塁王シルバースラッガー賞ゴールドグラブ賞などを獲得した。2004年にはMLBのシーズン最多安打記録を84年ぶりに更新し、コミッショナー特別表彰を受けた。2016年にはMLB通算で3000本安打、500盗塁、さらにNPB/MLB通算でのプロ野球における通算最多安打数(ギネス世界記録[8]を樹立するなど活躍している。

他表記は「鈴木一朗」「イチロー・スズキ」「Ichiro」「Ichiro Suzuki」など。愛称はイチ[9]。代理人はトニー・アタナシオが当初より長く務めていたが、現在はジョン・ボッグス[10]


脚注

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  1. Ichiro Suzuki Stats, Fantasy & News”. MLB.com. MLB Advanced Media, LP. . 2017年2月2日閲覧.
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  3. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「news1」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  4. “イチローTシャツ B型ですが、何か?”. デイリースポーツオンライン (神戸新聞). (2016年3月1日). https://www.daily.co.jp/newsflash/mlb/2016/03/01/0008852213.shtml . 2016年12月31日閲覧. 
  5. Sortable Player Stats”. MLB.com. MLB Advanced Media, LP. . 2017年2月2日閲覧.
  6. 6.0 6.1 米大リーグ、イチロー選手 「プロ野球での通算最多安打数」で世界記録!!|ギネス世界記録”. ギネス世界記録公式ホームページ. Guinness World Records (2016年6月24日). . 2016年12月31日閲覧.
  7. イチロー、日米通算3563試合出場 ローズ氏のMLB最多3562試合を抜く”. ライブドアニュース (2017年9月4日). . 2017年9月4日閲覧.
  8. 米大リーグ、イチロー選手 「プロ野球での通算最多安打数」で世界記録!!|ギネス世界記録”. Guinness World Records (2016年6月24日). . 2016年11月12日閲覧.
  9. Joe Frisaro (2017年8月24日). “Breakdown of Marlins' Players Weekend names” (英語). MLB.com. . 2018年3月8日閲覧.
  10. “イチに腕利き新代理人ジョン・ボッグス氏”. 日刊スポーツ. (2014年11月8日). http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20141108-1393449.html . 2014年11月10日閲覧.