「アントワーヌ・ヴァトー」の版間の差分

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[[Image:Antoine Watteau 063.jpg|thumb|200px|right|メズタン 1717 - 19頃 メトロポリタン美術館(ニューヨーク)蔵]]
 
'''アントワーヌ・ヴァトー'''(Antoine Watteau<small> [http://ja.forvo.com/word/antoine_watteau#fr 発音例]</small>, [[1684年]][[10月10日]] - [[1721年]][[7月18日]])は、[[ロココ]]時代の[[フランス]]の[[画家]]。
 
  
[[18世紀]]のヨーロッパはロココの時代であり、前世紀のバロック様式に代わって、曲線的、装飾的で甘美なロココ様式が全盛となった。絵画の主題においても歴史画や宗教画から、男女の愛の駆け引きを主題にした風俗画が目立つようになる。
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'''アントワーヌ・ヴァトー'''(Antoine Watteau<small> [http://ja.forvo.com/word/antoine_watteau#fr 発音例]</small>, [[1684年]][[10月10日]] - [[1721年]][[7月18日]]
  
「雅びな宴」(フェート・ギャラント、fêtes galantes)の画家と呼ばれるヴァトーは、若くして亡くなったが、18世紀フランスのロココ様式を代表する画家と見なされている。
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フランスの画家。豊かな色彩と優雅な詩情をもって淑女の社交風景を描き、ロココ美術の代表的画家の一人。
  
== 生涯 ==
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[[1684年]]、フランス西北部、ベルギー国境に近い[[ヴァランシエンヌ]]に生まれる。この土地は元[[フランドル]]に属し、[[1678年]]の[[ニメーグ条約]]でフランス領に編入されたばかりであった。
 
父親は瓦職人であった。地元で有名だった画家J.-A.ゲランのもとで短期間絵画の勉強をした。
 
1702年6月7日にゲランが死んでしばらくするとパリに移る。パリではノートル・ダム橋にあった複製絵画の製造業者のもとで、他の徒弟たちとともに宗教画や風俗画のコピーを手がけた。このころヴァトーは[[レンブラント]]の弟子[[ヘリット・ダウ]]の原作にもとづく《読書する女性》の[[複製画]]や、《聖ニコラ》を描いたタブローを描いている。
 
パリではさらにクロード・ジロー、そしてクロード・オードランの下で修業をした。
 
 
 
[[1717年]]に完成した代表作『シテール島の巡礼』でアカデミー入会が認められる。1719年の終わりごろ、健康の回復を期してロンドンに渡る。だが1721年、[[結核]]と思われる病のため、フランスへ戻って間もなく短い一生を終えた。
 
 
 
ヴァトーの典型的な作品は、『シテール島の巡礼』のような、田園に集い愛を語り合う若い男女の群れを描いたもので、これらは「雅びな宴」の絵と呼ばれた。また彼はイタリア喜劇やオペラに傾倒しており、友人らをモデルにし、喜劇の登場人物として描いた『ジル』(別名をピエロ)、『メズタン』のような作品もある。
 
 
 
==代表作==
 
*シテール島の巡礼(1717年)([[ルーヴル美術館]]およびベルリン、[[シャルロッテンブルク城]])
 
*ジェルサンの看板(1720年)(ベルリン、シャルロッテンブルク城)
 
*メズタン(1717-19頃)(ニューヨーク、[[メトロポリタン美術館]])
 
*ピエロ(旧称ジル)(1718年頃)([[ルーヴル美術館]])
 
*夏の木陰(1715年頃)(名古屋、[[ヤマザキマザック美術館]]<ref name="chunichi-np-2010-4-23" />)
 
 
 
==ギャラリー==
 
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File:L'Embarquement pour Cythere, by Antoine Watteau, from C2RMF retouched.jpg|『シテール島への巡礼』
 
File:Gersaint.jpg|『ジェルサンの看板』
 
File:Watteau Polish woman.jpg|『ポーランドの女性』
 
File:Antoine Watteau - Pierrot Content - WGA25440.jpg|『ピエロ』
 
File:WatteauPierrot.jpg|『ピエロ』(旧称ジル)
 
File:Jean-Antoine Watteau - The Love Song.JPG|『愛の賛歌』
 
File:Antoine Watteau 012.jpg|『猟師』
 
File:Antoine Watteau - The Dance - WGA25477.jpg|『舞踏』
 
File:WatteauLes Fetesvenitiennes.jpg|『ヴェネツィアの祝宴』
 
File:Antoine Watteau - The Love Lesson - Google Art Project.jpg|『愛のレッスン』
 
File:Jean-Antoine Watteau La Surprise, oil on panel.jpg|『驚き』
 
File:Antoine Watteau - The Festival of Love - WGA25460.jpg|『愛の祝祭』
 
</gallery>
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{commonscat|Antoine Watteau}}
 
* [[クロード・ドビュッシー]]
 
* [[フランシス・プーランク]]
 
 
 
共に「シテール島への巡礼(船出)」に基づくピアノ曲として、前者は『[[喜びの島]]』、後者は絵と同名の作品を書いている。
 
 
 
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2018/10/10/ (水) 23:39時点における最新版

アントワーヌ・ヴァトー
Antoine Watteau
生誕 (1684-10-10) 1684年10月10日
Royal Standard of the King of France.svg.png フランス王国ヴァランシエンヌ
死没 1721年7月18日(1721-07-18)(36歳)
Royal Standard of the King of France.svg.png フランス王国ノジャン=シュル=マルヌ
運動・動向 ロココ[1]

アントワーヌ・ヴァトー(Antoine Watteau 発音例, 1684年10月10日 - 1721年7月18日

フランスの画家。豊かな色彩と優雅な詩情をもって淑女の社交風景を描き、ロココ美術の代表的画家の一人。



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  1. “仏の名画並べ開館 ヤマザキマザック美術館”. 中日新聞 (中日新聞社). (2010年4月23日)