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Clemens Alexandrīnus, Titus Flavius 
[150ころ―215以前]

キリスト教史上最初の体系的神学者。おそらくアテネでギリシア系異教徒の子として生まれ、青年時に改宗。各地を遍歴後、あらゆる思想潮流のるつぼアレクサンドリアに至って、パンタイノスPantaenus(?―200ころ)に師事し、師の死後その教理学校を主宰した。3世紀初頭の迫害によりカッパドキアに退くが、晩年は不詳。

アレクサンドリアのフィロンの神的ロゴス説(一なる神と多なる世界を結ぶ)や、アレゴリー的な聖書釈義法を摂取して、ヘブライ・キリスト教と古典ギリシアの両伝統の融合、調和を探り、当時の有力な異端であったグノーシス主義に対抗した。

そして信と知gnōsisのかかわりを論証の構造としてとらえ直しつつ、ロゴス=キリストに真の知をみいだすその表現は、プラトン主義的キリスト教哲学の原型となった。否定神学の祖でもある。代表的著作に『ギリシア人への勧告』Protrepticus Sive Cohortatio ad Gentes、『教育者』Paedagogus、および大作『ストローマタ』(絨緞(じゅうたん)の意)Strōmateisの三部作がある。