アルブレヒト2世 (神聖ローマ皇帝)

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アルブレヒト2世(Albrecht II., 1397年8月10日 - 1439年10月27日)は、神聖ローマ帝国ローマ王(ドイツ王、在位:1438年 - 1439年)、またオーストリア公ボヘミア王、ハンガリー王。オーストリア公としてはアルブレヒト5世。ハンガリー名はアルベルト(Albert)。

ハプスブルク家ではフリードリヒ3世(美王)以来108年ぶり、単独君主に限ればアルブレヒト1世以来130年ぶりに神聖ローマ帝国の君主位についた人物である。

1404年に父アルブレヒト4世の後を継いでオーストリア公となり、1411年から親政を行った。1422年にボヘミア王およびハンガリー王を兼ねるルクセンブルク家のローマ王ジギスムント(後にローマ皇帝)の娘(女相続人)エリーザベトと結婚した。

1437年にジギスムントが没するとハンガリー王と名目上のボヘミア王になったが、ボヘミアでは反乱が続いており、実効支配はできなかった。1438年3月18日にローマ皇帝の前段階であるローマ王に選ばれたが、皇帝としての戴冠をはたさないまま1439年10月、オスマン帝国との戦争中にハンガリーのネスメーイEnglish版赤痢によって急死した。

オーストリアの所領とボヘミア王位はアルブレヒトの死後に生まれた息子ラディスラウス・ポストゥムスが継承したが、ハンガリー王位は一旦ポーランドヴワディスワフ3世に渡り(ヴワディスワフが1444年に戦死したため、ラディスラウスが継承した)、新たなローマ王には又従弟に当たる傍系のフリードリヒ3世が選ばれた(後に皇帝としての戴冠も果たした)。

子女

妃エリーザベトとの間に1男2女をもうけた。


先代:
ジギスムント
ドイツ王(ローマ王)
1438年 - 1439年
次代:
フリードリヒ3世
先代:
アルブレヒト4世
オーストリア公
1404年 - 1439年
次代:
ラディスラウス
先代:
ジグモンド
ハンガリー王
1437年 - 1439年
次代:
ウラースロー1世
先代:
ジクムント
ボヘミア王
1438年 - 1439年
次代:
ラジスラフ