アストラハン・ハン国

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アストラハン・ハン国は、15世紀から16世紀にかけてヴォルガ川下流域、カスピ海北岸にあったトルコ(タタール)系アストラハン・タタール族English版の国家。首都アストラハン

歴史

ヴォルガ川右岸は、中世からハッジ・タルカーンEnglish版Xacitarxan)またはアストラハン(Actarxan)と呼ばれていた。最古の記録は1333年である。13世紀から14世紀にはジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)の貿易と政治の中心地となった。

ジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)が弱体化した後、カザン・ハン国クリミア・ハン国などとともに独立。カシム・ハン(在位1466年 - 1490年)によって1466年ごろに建設された。その後を継いだ弟アブドゥル・カリム(在位1490年 - 1504年)のときに大きく発展。水陸の交通、交易の要衝として繁栄したが、クリミア・ハン国など周辺の諸国家から絶えず襲撃を受けた。

1552年にカザン・ハン国を征服したロシアイヴァン4世(雷帝)は、1554年、アストラハン・ハン国を従属国化する。君主デルヴィシュ・ハンEnglish版クリミア・ハン国と共にこの一帯からのロシア人駆逐を図ったが、イヴァン4世は1556年軍隊を送りアストラハン・ハン国をロシアに併合した。デルヴィシュ・ハンはアゾフの要塞に逃亡した。

歴代のハン