アイドル

提供: miniwiki
2018/8/4/ (土) 14:03時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版 (1版 をインポートしました)
移動先:案内検索

アイドルとは、「偶像」「崇拝される人や物」「あこがれの的」「熱狂的なファンをもつ人」を意味する英語idol)に由来し[1]、文化に応じて様々に定義される語である。

日本の芸能界における「アイドル」とは、成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物を指す[2]

概説

キャラクター性を全面に打ち出し、ダンス演技お笑いなど幅広いジャンルで活動を展開しやすいのが特色である[2]。外見が最も重要視されるモデルとは異なり、容姿が圧倒的である必要はなく親しみやすい存在であることが多い[2]

一方で、はっきりと目には見えない“華”や“人間的魅力”が強く求められるため、一流のアイドルは手が届きそうで届かない存在となる[2]

“存在そのものの魅力”よりも“音楽的スキル”が主たる職業能力である場合には、「アイドル」には分類されず「アーティスト」や「ミュージシャン」などと呼ばれる。ただし本人や所属事務所などの意向により、どちらの立場をとるか決めることもでき、線引きはあいまいである。そのため本人が「アーティスト」と名乗っていても、「アイドル」に分類されることがある[3]

かつての主流は20代でアイドルを休止し、アーティストや俳優(女優)などに転向することであったが、2000年代以降は様相が変わってきている。本人が30代以降になっても新たなチャレンジなどをし続ければ、“成長過程”や“存在そのものの魅力”が問われるアイドルという職業を継続することが可能であり、世間からもそれが認められるようになった[4]

「アイドル」の起源

アイドル(idol)の本来の意味は、偶像、すなわちなどの宗教的存在をかたどって造られた像で、かつ崇拝の対象となっているもののことである[5]。この用語が転用され、20世紀前半のアメリカで「若い人気者」としての意味で使われ始めた。

アメリカでは、戦前の1927年に「マイ・ブルーヘブン」をヒットさせた歌手のジーン・オースティン[6]や、1940年代に「女学生のアイドル(bobby-soxer's idol)」と呼ばれて熱狂的な人気を生んだフランク・シナトラらがidolと呼ばれ始めた[7]。その後、アネットやファビアン、ボビー・ライデル[8]らのアイドルが人気となり、マイケル・ジャクソンバックストリート・ボーイズなどもアメリカを代表するアイドルである。デビュー時のエルヴィス・プレスリー1950年代)やビートルズ(イギリス・1960年代)らは、日本でも「アイドル」として認知されていた[9]。イギリスでは、クリフ・リチャード、ベイ・シティ・ローラーズスパイス・ガールズらのアイドルが存在した。その後「若い人気者」という意味におけるidolという言葉は死語となり、iconpop starなどの言葉で置き換えられるようになっていった[10]

日本型「アイドル」の誕生

日本においては当初「アイドル」という言葉は、主に日本国外の芸能人を対象にした呼称として用いられ[11][12]、日本の人気芸能人は一般的に「スター」と呼ばれていた。

日本で最初のアイドルは、明日待子である[13][14]

テレビが普及していない時代における主力産業が映画だったことから、スターの大半は映画俳優であり、特に加山雄三吉永小百合浜田光夫らは「青春スター」と呼ばれた(東映ニューフェイスも参照)。女性においては美空ひばり吉永小百合らの時代であり、そのひばりに江利チエミ雪村いづみを加えた「三人娘」、あるいは、中尾ミエ伊東ゆかり園まりから成る「スパーク3人娘」らが人気を博した。

しかし、1960年代には、産業としての映画の衰退、本格的なテレビ時代の到来、グループ・サウンズのブーム[15]が巻き起こる過程で、徐々に「スター」と並行して「アイドル」の呼称が用いられるようになった[16]

1970年代に至り、未成熟な可愛らしさ・身近な親しみやすさなどに愛着を示す日本的な美意識を取り入れた独自の「アイドル」像が創造された[17]。また1968年に設立されたCBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)が、それまでレコード会社が楽曲制作を自社の専属作家に任せていたのを、無所属の作家に開放したことが切っ掛けで、「アイドル歌謡」が隆盛するようになった[18]

その後、現在に至るまで女性アイドル産業が特に盛んな背景として、「元来女性は、男性にはない『感動しやすい習性』『精緻なる感受性』をもつがゆえに、巫女的な妹の力(いものちから)を得て、生きる力、幸福への道を伝えることができる」とする、民族学者・柳田國男の評論が持ち出されるケースがある[19]。なお、日本におけるアイドルの隆盛時期は、不況の期間とほぼ完全に一致している、という分析もある[20]

女性アイドル史

アイドル黎明期

1971年デビューの新三人娘小柳ルミ子南沙織天地真理)らがアイドル歌手の源流とされるが、それ以前にも西野バレエ団から派生したガールズユニット「レ・ガールズ」(金井克子原田糸子由美かおる奈美悦子江美早苗が所属)が1967年に結成され、若者を中心に熱狂的な人気を博すといった事例もあった。

1970年代には『スター誕生!』や「ミスセブンティーンコンテスト」、「ホリプロタレントスカウトキャラバン」などの大規模なオーディションが相次いで開催されるようになり、森昌子桜田淳子山口百恵から成る「花の中三トリオ」やピンク・レディー(『スター誕生!』)、松田聖子国生さゆり工藤静香(「ミスセブンティーンコンテスト」)ら、後の人気アイドルを輩出した。但馬オサムによると、当時はまだアイドルという単語自体が定着しておらず(「新人歌手」「新人女優」「新人モデル」といった肩書が付けられていた)、この時代に量産される女性タレントを多少の揶揄の意味を込めて「可愛い子ちゃん歌手」と呼ぶ風潮があったとのことである[21]。小学館の学年別学習雑誌の表紙は、それ以前に子供の写真か子供を描いた水彩画が用いられていたのに対し、1970年代後半からアイドルの写真、いわゆる表紙グラビアになりはじめ、1975年にはグラビアアイドルの先駆者と称されるアグネス・ラムがデビューを果たした(ただし当時の彼女の肩書は「CMモデル」)。

アイドル全盛期

1980年代に入り、松田聖子・小泉今日子中森明菜[22]ら若年層に向けたポップスを主とする歌手が活躍を始め、「アイドル」の呼称が市民権を得るようになった[23][24]。1980年の時点では松田のレコード売上は新人部門4位で、ニューミュージック勢が優勢であったが[24]、1982年に小泉と中森がデビューし、女性アイドルの黄金時代となった[25]。1980年代の後半には、「女性アイドル四天王」と呼ばれていた、工藤静香中山美穂南野陽子浅香唯の4人の他、高い歌唱力を持つ本田美奈子森川美穂などの実力派アイドルも登場した。そのような中、ライジングプロダクションが擁する荻野目洋子は歌唱力だけでなくダンスにも力を入れたスタイルで人気を博した。これは、1990年代後半以降に台頭するダンスボーカルアーティストのスタイルを先取りする形であった。

彼女らは、レコードリリースと歌番組を軸として活動しており、バラエティー番組出演や女優業などは、いわゆる「副業」という位置づけであった。シングルレコードは、おおよそ3か月程度で一枚を出すのが常で、とりわけデビュー前後においては、レコード会社及びプロダクションが最も力を注ぎ[26]、多大な宣伝効果を期待していた[27]。年度始めのデビューが多く、「豊作の82年組・85年組」「不作の83年組」など、年度単位でアイドルがカテゴライズされることもあった。

日本レコード大賞を筆頭に数々の賞を賭けた歌番組が80年代に勃興し、各賞を獲得することが当時のアイドルにとってのステータスであり、その激しさから「賞レース」などとも呼ばれた[28]。また、『ザ・ベストテン』『歌のトップテン』等のランキング番組は、その宣伝効果から、オリコンチャートに匹敵、むしろそれを上回る重要性さえ持っていた。

80年代アイドルは、基本はまず「歌うこと」が仕事のメインという前提があったが、「角川三姉妹」と呼ばれた薬師丸ひろ子原田知世渡辺典子のように女優業をメインとして、歌手業が副業的な場合もあった。歌番組出演は当時のアイドルの生命線でもあったが、このようなタイプのアイドルはむしろ乱発的に出演せず、最小限のテレビ出演に留め、映画公開と併せたプロモーション効果としてシングル曲を巧く利用していた。

コンサートやイベントなどでは、「親衛隊」と呼ばれる、事務所側から公認・支援を受けた全国的応援組織が複数存在した。

本来の「アイドル」の消滅

1980年代後半から、レコードの売り上げが頭打ちになる。『ベストテン』『トップテン』『夜のヒットスタジオ』などの生放送歌番組が相次いで打ち切りになり、日本レコード大賞などの権威も失墜。アイドルがアピールできる媒体が消滅していった。

一方で、フジテレビ『夕やけニャンニャン』から生まれたおニャン子クラブや、井森美幸島崎和歌子松本明子森口博子山瀬まみら、主にテレビのバラエティ番組で活動するバラエティーアイドル(略して「バラドル」)と呼ばれる存在が派生し、同時期にかとうれいこ細川ふみえC.C.ガールズといった、雑誌のグラビアを中心に活動する「グラビアアイドル」と呼ばれる存在もデビューしはじめ、他方で後藤久美子小川範子坂上香織喜多嶋舞宮沢りえらローティーンの子役やモデルらが美少女ブーム[29]の中クローズアップされて歌手デビューするなど、以降アイドルという存在が急速に多様化していった。また、アダルトビデオの普及に伴い、黒木香桜木ルイ飯島愛などのアイドル的な人気を誇るAV女優が登場するようになり、それらの中にはAV女優引退後にタレントに転身して活動する者も現れ始めた。

それまでのアイドルは一般的に歌手俳優グラビア写真モデルなど1人で様々な分野で活動し、“成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物”を目指していた。しかし、素人同然の「バラエティーアイドル」やビジュアル重視の「グラビアアイドル」の出現により、人間的魅力と成長過程を追い求める「アイドル」という概念が崩壊。女性アイドルはそのファンも含めて、あまりいいイメージで捉えられなくなっていく。90年代初頭において、高橋由美子が「最後のアイドル」と呼ばれたのが象徴的事象であったように、アイドルそのものは存続していたが、本来の「アイドル」は、この時期に終焉を迎えたと言える[30]

またこの時期、第3次声優ブームが起こり、桜井智岩男潤子といった本来アイドルとして活動していたタレントが声優に転身する、あるいは國府田マリ子椎名へきるといったアイドル的な活動を行う声優が現れるといった事例も増え始める。

アイドル冬の時代

1990年代に入ると、歌手活動を中心とするアイドルはWinkCoCo高橋由美子ribbon東京パフォーマンスドールらの活動が見られたものの、テレビ歌番組の減少と共に「アイドル冬の時代」「アイドル氷河期」[31]と呼ばれる時代を迎えた。一方で森高千里渡瀬マキ森川美穂松田樹利亜山口由子などGiRLPOPやバンドなどアーティスト路線へ移行しヒットした者もいた。

1990年代終盤、小室哲哉のプロデュースによる華原朋美篠原涼子などのアイドル出身者(いわゆる小室ファミリー)、安室奈美恵SPEEDなどの沖縄アクターズスクール出身者などがミリオンセラーを連発。アイドル的な存在が再びスポットを浴びたが、彼女らはアーティスト的要素を強く打ち出していたので、アイドルとはみなされない場合もある。

2000年代前半にかけて、テレビ東京『ASAYAN』の企画でデビューしたモーニング娘。鈴木あみ松浦亜弥らが台頭した。これにより本来の「アイドル」が再興する予感をうかがわせたが、あくまでつんく♂プロデュースによるハロー!プロジェクトの一人勝ち状態で、邦楽界全体に波及しなかった点では、80年代の状況とは異なる。

グループアイドルの勃興

2000年代に入ると、ハロー!プロジェクトに℃-uteBerryz工房らが加わり規模が拡大するとともに、メンバーがグループから「卒業」することが一般化[32]。これにより各アイドルグループは、メンバーを入れ替えながら存続を計ることが選択肢の一つとなった。

2005年にはAKB48が結成され、2007年の紅白歌合戦に中川翔子リア・ディゾンと共に「アキバ系アイドル」枠で出場した[33][34]

この時期には、フジテレビ『アイドリング!!!』から誕生したアイドリング!!!(2006年)や、スターダストプロモーション所属のももいろクローバーZ(ももいろクローバーとして2008年)、ディアステージでんぱ組.inc(でんぱ組として2008年)、ハロー!プロジェクトアンジュルム(S/mileageとして2009年)、PASSPO☆(ぱすぽ☆として2009年)らが始動した。

アイドルはソロよりもグループの形態が主流となり、前述の中川翔子や小倉優子木下優樹菜里田まいスザンヌらは、「アイドル」としてではなく「バラエティタレント」というスタンスでテレビ出演しており、これ以降も同様の傾向が続く。

また、2000年にアイドルとして活動をスタートしたPerfumeは、2007年テクノポップユニットとして音楽面から人気を獲得し海外へも進出。一方、KARA少女時代K-POP勢も来日して活動を展開した。

アイドル戦国時代

2010年代に入ると、「アイドルを名乗るタレントの数が日本の芸能史上最大」[35]という状況になり、「アイドル戦国時代」と呼ばれるようになった[36][37]

エイベックス・グループ所属のSUPER☆GiRLS東京女子流のデビュー、さくら学院から派生したBABYMETALの世界進出、ももいろクローバーZの女性グループ初となる国立競技場ライブ開催[38]など、多数のグループが次々と活躍した(同時期にブレイクしたE-girlsはアイドルグループではなくダンス&ボーカルグループに分類されることが多い)。AKB48グループの拡大に付随して「坂道シリーズ」が誕生。ももいろクローバーZとその姉妹グループによるプロジェクト「STARDUST PLANET」(通称スタプラ)も始動した。

2010年から始まった、女性アイドルの大規模フェスTOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)の規模も、200組以上もの出演者が参加するまでになっている[39]

さらには、新潟のNegicco、宮城のDorothy Little Happy、愛媛のひめキュンフルーツ缶、福岡のLinQなど、ローカルアイドル(ロコドル)と呼ばれる、地域に密着したアイドルも相次いで全国デビュー[35][36]。中には福岡のRev. from DVLに所属する橋本環奈のように、個人で全国区の人気を集めたケースもある。日本ご当地アイドル活性協会代表の金子正男[40][41]によると東京拠点のアイドル500組を除いた全国46道府県のアイドルは、2017年6月17日現在で942組存在する[42][43] [44][45][46]

主な女性アイドル

1940年代

歌手デビュー年

1950年代

歌手デビュー年

1960年代

歌手デビュー年

1970年代

歌手デビュー年

1980年代

歌手デビュー年

1990年代

歌手デビュー年

2000年代以降のソロアイドル

2000年代

歌手デビュー年

2010年代

歌手デビュー年

2000年代以降のグループアイドル

参照: 日本の女性アイドルグループの一覧

男性アイドル史

「アイドル」以前

1950年代の映画の全盛期には、日活映画や歌で活躍した石原裕次郎東宝や日活などのニューフェイス、1960年代に「御三家」と呼ばれた橋幸夫舟木一夫西郷輝彦ら、中盤には三田明が台頭し、御三家に三田を加えて「四天王」と呼ばれた。他にスリーファンキーズ、或いは、日劇ウエスタンカーニバルに代表されるロカビリー歌手、グループ・サウンズ1970年代新御三家ら、そして、初代ジャニーズあおい輝彦ら、折々の時代に即した多くのスターが登場した。

1970年代

郷ひろみ西城秀樹野口五郎から成る「新御三家」は、3人とも主に歌手として活動した。更に、ザ・タイガースの後もソロないしバンドとして活動を続けた沢田研二も『ザ・ベストテン』など歌番組の常連として人気を保った。ザ・スパイダース堺正章井上順はソロとなった後、ヒット曲を数曲出したが、俳優、司会やバラエティ番組出演に軸足を移した。ザ・テンプターズ萩原健一オックスの田浦幸こと夏夕介は俳優に転身し人気となった。

新御三家の他にはフォーリーブスジャニーズ事務所所属)やフィンガー5にしきのあきら野村将希伊丹幸雄荒川務らが登場した。アイドル百花繚乱時代であった。

この時代の男性アイドルのレコードジャケットやブロマイド、アイドル雑誌のグラビアではヨーロッパの城のような建物をバックに撮られた「白馬に乗った王子様」というような非現実的なイメージのものも多く、女性アイドル同様、手の届かない別世界のスターとして記号化される事例も見られた[48]。一例として、ギリシャ神話の彫像のような恰好をした郷ひろみの「裸のビーナス」のジャケットやメルヘンチックなタイトルの「イルカにのった少年」の大ヒットで知られる城みちるが挙げられる。また、豊川誕(ジャニーズ事務所所属)や三善英史のように「不幸な生い立ち」が売り出しの際に喧伝されたものもいた。これらどこかおとぎ話の中の人物のような人々とは一線を画し、テレビが社会に広く浸透したことから、『笑点』の「ちびっ子大喜利」出身のグループずうとるびや情報番組『ぎんざNOW!』出身の清水健太郎や、オーディション番組『スター誕生!』出身の城みちる、藤正樹新沼謙治や、『スター・オン・ステージ あなたならOK!』出身のあいざき進也、『レッツゴーヤング』の「サンデーズ」出身の太川陽介渋谷哲平川崎麻世(ジャニーズ事務所所属)らのように素人、あるいは素人同様のタレントとしてテレビ番組に出演し、その成長とともに視聴者のアイドルとなっていく者たちもいた。

一方、若手俳優の中からも山口百恵とのコンビで一世を風靡した三浦友和石橋正次桜木健一近藤正臣星正人草川祐馬国広富之広岡瞬などテレビドラマからブレイクし、アイドル的人気を博す者も多く現れた。石橋は紅白歌合戦にも出場するほどの大ヒット曲「夜明けの停車場」(1972年度年間ランキング第11位)に恵まれている。沖雅也日活ニューフェイス出身だが、映画の斜陽化により、テレビドラマに進出してからアイドル的人気を得た。森田健作仲雅美井上純一は元々は歌手として売り出されたが、テレビドラマでの活躍によってアイドルとなった。井上はヒット曲に恵まれなかったが、森田、仲はそれぞれ大ヒット曲を持つ。

この時代はまだロック・ミュージックが一般化していなかったため、のちに本格的なロックギタリストとして名声を博すCharやシンガーソングライターの原田真二もアイドルとして売り出された。

アイドルの多様化の中、この時期から高校野球の選手がアイドル視される現象も起こった。太田幸司原辰徳荒木大輔らである。

1970年代初頭には西欧の古代や中世の格好をする日本人アイドルやGSグループには飽き足らず、本物の欧米人の歌手や俳優が招かれ、テレビコマーシャルに出演し、そのタイアップとして、日本語でレコードをリリースしヒットさせた例もある[49]。イタリア映画『ガラスの部屋』で人気となったイタリア人俳優レイモンド・ラブロックやイタリア映画『ベニスに死す』の美少年俳優ビョルン・アンドレセン[50][51]らが該当する。また、アメリカの人気ファミリーグループ「オズモンズ」のジミー・オズモンドが他の兄弟とともに出演し[52]、テレビコマーシャルの影響は大きく、日本語で歌ったカルピスのCMソング「ちっちゃな恋人」は1970年の年間28位の大ヒットとなった。レイフ・ギャレットは日本でのコマーシャル出演がきっかけで曲を日本でも大ヒットさせた[53]。 他には1970年代当時TBSで放送され、高視聴率を得ていた『東京音楽祭』で1974年にグランプリを受賞した当時13歳のカナダ人歌手ルネ・シマールは日本で大人気となり、トンボ学生服旺文社の学習参考書の広告に出演した[54][55]。世界的に人気のあったイギリスのアイドルグループ、ベイ・シティ・ローラーズは日本では本国に1年遅れで1975年に火が付き、翌年にはアルバムがチャート1位となる成功を収め、1970年代後半に欧米での人気が低調になった後も高い人気を保ち、個々のメンバーが単独で日本のアイドル雑誌の表紙を飾ったり[56]、イアン・ミッチェル、パット・マッグリンら脱退した主要メンバーがシングルやアルバムをリリースし、日本でヒットさせた[57][58]

1980年代

1979年の『3年B組金八先生』で生徒を演じた田原俊彦近藤真彦野村義男から成るたのきんトリオジャニーズ事務所)がソロ歌手デビューし、次々とヒットを飛ばした。

ジャニーズ事務所は、その後も、本木雅弘薬丸裕英布川敏和から成るシブがき隊や、少年隊光GENJI男闘呼組忍者といった人気あグループを次々と輩出した。ソロではひかる一平中村繁之がデビューした。また、『金八シリーズ』からは他に竹の子族出身の沖田浩之が人気アイドルとなった。

ソロ歌手としては他に竹本孝之、『レッツゴー・ヤング』のサンデーズ出身者からは堤大二郎新田純一、映画やテレビドラマで活躍した山本陽一が挙げられる。

アイドルの多様化の中で、横浜銀蝿の弟分としてデビューした嶋大輔紅麗威甦(グリース)が人気アイドルとなり、原宿の歩行者天国の路上ダンスパフォーマーだった風見慎吾萩本欽一の番組でブレイクする。風見のように萩本の番組からアイドルとなった者も多い。イモ欽トリオCHA-CHA勝俣州和がメンバーだったことで知られるが、他にメンバー数名が当時ジャニーズ事務所所属)など。他のバラエティ番組からは『笑っていいとも!』のいいとも青年隊羽賀研二野々村真ら)、ABブラザーズ中山秀征ら)、とんねるずがアイドル的な人気を得た。

また、ロック志向のチェッカーズ吉川晃司本田恭章もアイドルとしてデビューさせる時代だった。チェッカーズは70年代に日本でも大人気だったイギリスのアイドルグループ・ベイ・シティ・ローラーズ風に、本田はデヴィッド・ボウイや80年代前半に特にイギリスと日本で人気を博したデュラン・デュランのようなニューロマンティック風にそれぞれビジュアルを強調して売り出された。ジャニーズ事務所からも野村義男がロックバンドTHE GOOD-BYEの一員としてレコードデビューした。1970年代同様に「日本でのみデビューする洋楽アイドル」も存在し、イギリス人のロックバンドG.I.オレンジが成功を収めている。ボン・ジョヴィも本国よりも日本で先に人気が出たバンドで、当初はアイドル的に[59]、80年代後半には高い人気と知名度を獲得し、ハードロック/ヘヴィメタルブームの中心となった。時流に乗る形で、ジャニーズ事務所からはテレビドラマでも活躍した岡本健一前田耕陽高橋和也成田昭次男闘呼組がボン・ジョヴィなどに影響を受けたスタイルのハードロックバンドとしてデビューした。

この頃はまだ俳優もアイドル風に売り出されるものがいた。JAC出身の真田広之中井貴一石黒賢角川映画野村宏伸、『金八シリーズ』出身の鶴見辰吾、映画『ビー・バップ・ハイスクール』でブレイクした清水宏次朗仲村トオル西川きよしの息子西川弘志、モデル出身の阿部寛、子役出身の坂上忍菊池健一郎らである。歌うアイドル俳優として特筆すべきなのは『太陽にほえろ!』の「ラガー刑事」役で人気を博した渡辺徹で、シングル「約束」が自身も出演したグリコ「アーモンドチョコレート」のCMのタイアップソングとなり、1982年の年間ランキングでは33位にランクインする大ヒットとなっている[60]。他にヒット曲を出した俳優としては、湯江健幸横山やすしの息子の木村一八、子役アイドルとして人気を博した高橋良明がいる。特に複数のヒット曲に恵まれた木村と高橋はジャニーズ事務所所属者に席巻された80年代後期の男性アイドルシーンにおいて健闘を見せた。しかし、木村は1988年に自身の起こした傷害事件で少年院送致となり、アイドルとしての前途が断たれた。高橋は交通事故1989年1月に16歳で夭折、と共に不幸な結果に終わってしまった。

1990年代

主にジャニーズ事務所が送り出したグループの時代であり、当初は光GENJIが他を圧倒する人気を見せたが、バンドブームの到来や元ジャニーズ事務所所属のタレントの暴露が続くなどのあおりで失速。女性アイドル同様に冬の時代を迎えていたが、中盤からは、デビュー当初からバラエティー分野での活躍が目立ったSMAPが現在に至る人気を確立し、更に、KinKi KidsTOKIOV6など後続者も人気を得て自身が冠バラエティ番組も持つようになった。また、木村拓哉は俳優として、中居正広はバラエティー番組の司会のみならず、NHK紅白歌合戦等の司会を務めるなど、従来のアイドルには無かった地位を確立し、その他のメンバー個人も個々の活動で成功した。また、SMAPがテレビの第一線で長期で活躍する影響もあり、30代、40代でもアイドルとして活躍でき、男性アイドルの寿命が伸びた。一方でジャニーズの寡占状態で、アイドルの多様性は失われた。

そういった90年代のジャニーズ全盛期に対抗して、ライジングプロダクションから結成されたDA PUMPw-inds.なども、グループの構成や音楽スタイルで差別化を図り、大衆から人気を集めた。しかし徐々にメディア露出が減り人気が低迷した。これにおいて他の事務所からの外圧が入ったとの見方があるが、実際にそのような現象があるといっても、それが積極的な圧力を通じた結果なのかは証明できない。また若手俳優からは織田裕二福山雅治、1980年代後半にジャニーズ事務所所属の経歴を持つ反町隆史いしだ壱成、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」出身の武田真治柏原崇は歌手としても一定の成功を収めた。

2000年代

女性アイドルと同じく『クイズ!ヘキサゴンII』などのクイズ番組から無知を逆手に売りにする羞恥心のメンバーや、あくまでも「俳優集団」を称するD-BOYSのメンバー、或いは、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」でグランプリを獲得してデビューした小池徹平溝端淳平ら、また、ウルトラシリーズ出身の杉浦太陽仮面ライダーシリーズ出身のオダギリジョー要潤水嶋ヒロ佐藤健スーパー戦隊シリーズ出身の松坂桃李がブレイクする。かつて1990年代に一世を風靡したZOOのメンバーだったHIROを中心に結成されたEXILE、或いは女性アイドルと同じくK-POP組など、バラエティーからでなく音楽の方面から人気を博す事例も再び見られた。また、男女混合グループではavexからAAAも活躍する。ジャニーズは、2000年代半ばから後半に入って活力が低下した。 一方で、2000年前後の頃から「アイドルのファン、追っかけイコール中高生」というイメージは変わり、年配女性の追っかけ行為が盛んに報道されるようになった。先んじて1990年代にアイドルの先駆けであった舟木一夫の復活[61]、2002年にはフォーリーブスが再結成した。とりわけ2000年デビューの氷川きよしは久々に演歌界に大ヒットをもたらしたのみならず、熱心な年配女性のファンを生み、「きよ友」と称したファン仲間たちの交流はマスメディアに紹介されるのみならず[62]、年配の視聴者をターゲットにしたテレビドラマの題材にもなった[63]。更に2004年頃からの韓流ブームは中高年女性によって牽引された[64]

2010年代

2010年代現在、ジャニーズの中で大衆的な人気を得ているのはが事実上最後であり、それ以後デビューさせたNEWSKAT-TUNHey! Say! JUMPなどは、脱退メンバーも出始めるなど、大きな成果を出せずにいる。LDHのEXILE系列グループは、もともとはアイドルではなかったが、若年メンバーが数多く登場してきてアイドル性が強化されている。これらのグループは、ジャニーズに比べて男性的なイメージと大衆の志向に合致する楽曲で好評を得た。

さらに、2012年に入って日韓の政治的関係が冷却され、これによりK-POP男性アイドルが日本のテレビ番組などに出演することが困難となった。その代わりにLDH系列グループが従来の韓流アイドルの需要を吸収し、その代替材として置き換えられたとされている。しかし、韓流固定ファン層と市場を確保しているため、SEVENTEENSHINeeEXOIKON防弾少年団などをはじめとする、さまざまなグループが安定的に活動している。一方、ライジングプロダクションの男性アイドルも活動が多く減り、スターダストプロモーションなどから男性アイドルグループが多数デビューしているが、まだ明確な成果はない。現在の男性アイドルは、三代目 J Soul Brothersを筆頭に関ジャニ∞Hey! Say! JUMPKis-My-Ft2Sexy ZoneA.B.C-ZジャニーズWESTKing & Prince超特急DISH//BOYS AND MENなどが活動している。韓流アイドルでは、東方神起BIGBANGが人気を保持しており、宮野真守神谷浩史Kiramuneといった声優アイドルも人気を獲得している。年配女性をターゲットとした演歌アイドルとしては山内惠介純烈が挙げられる。

主な男性アイドル

1960年代

歌手デビュー年

1970年代

歌手デビュー年

1980年代

歌手デビュー年

1990年代

歌手デビュー年

2000年代

歌手デビュー年

2010年代

歌手デビュー年

女性アイドルを取り扱うメディア

テレビ番組

文献情報

  • 青木一郎[65]「絶対アイドル主義」(プラザ、1990年3月)ISBN 9784915333675、「炎のアイドルファン ―絶対アイドル主義2―」(青心社、1990年12月)ISBN 9784915333859
  • 稲増龍夫 「アイドル工学」 (ちくま文庫1993年
  • 稲増龍夫「「ネットワーク組織としてのSMAP-現代アイドル工学'96」(評価問題研究会第11回研究会)」、『日本ファジィ学会誌』第8巻第5号、日本知能情報ファジィ学会、1996年10月15日NAID 110002940787
  • 青柳寛「アイドル・パフォーマンスとアジア太平洋共同体の意識形成(環太平洋経済圏における産業・経営・会計の諸問題)」、『産業経営研究』第18巻、日本大学、1996年3月30日、 43-58頁、 NAID 110006159892
  • 濱本和彦「1/f ゆらぎを用いた松浦亜弥の「国民的アイドル度」の客観的評価に関する研究」(東海大学情報理工学部情報メディア学科)[66]
  • 竹中夏海 「IDOL DANCE!!! ―歌って踊るカワイイ女の子がいる限り、世界は楽しい―」ポット出版、ISBN 9784780801927

脚注

  1. アイドル(あいどる)とは”. デジタル大辞泉の解説. コトバンク. . 2015-6-7閲覧.
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 アイドルとは何か”. 産経デジタル. . 2016-1-26閲覧.
    アイドル特集【総論】改めての素朴な疑問「アイドルとは何か?」”. ダヴィンチニュース. . 2016-1-26閲覧.
  3. 本人やファンは否定するけど「アイドルじゃん」と思うアーティストランキング”. ライブドアニュース. . 2016-1-16閲覧.
  4. さんま、たけし、タモリらがSMAPへ賞賛のメッセージ「前代未聞のアイドルグループ」”. リアルライブ. . 2016-1-26閲覧.
  5. つまり、神や仏というのは、本来は不可視で触れることもできないはずで、物体的な像などでは表現したり代用できるわけもないのに、像が作られて(不適切にも)崇拝されるようになってしまったもののことである。もともとは、そうしたことを若干ほのめかしている面、風刺する意味もこめられていたからこそ、この用語が選ばれていたのではあるが。
  6. http://www.discogs.com/.../Gene-Austin-My-Blue-Heaven/.../...
  7. ザ・ビートルズ1962年〜1966年ザ・ビートルズ1967年〜1970年(東芝EMIアナログ盤)付録:石坂敬一による論文より
  8. http://www.laughingplace.com/.../teen-idol-bobby-rydell-recalls-dis...
  9. ビートルズ日本公演プログラムより。
  10. 【通じる英語】「アイドル」は使い方に要注意でも使われる英語
  11. 『YOUNGヤング』・1964年4月号より。
  12. 映画の中のみでなら、1938年松竹映画・『愛染かつら』で使用された例がある。またフランス映画の『アイドルを探せ』が1964年に日本でも公開された。
  13. 日本初のアイドルがファンと72年ぶりの再会「生きていてよかった」”. スポーツ報知. . 2018閲覧.
  14. 『幻の近代アイドル史』(2014年刊・笹山敬輔/著、ISBN 4779170141)
  15. 絶頂期のビートルズの来日(1966年)などを受けたザ・スパイダースザ・タイガースザ・テンプターズなど。
  16. 『別冊キネマ旬報』・1968年10月号より。
  17. 特定の歌手に対して本格的に「アイドル」の呼称を使用し出したのは南沙織天地真理辺りからである。1970年代後半に入ると、竹内まりや中島みゆき松任谷由実どのニューミュージック歌手がヒットするようになり、デビュー当初の竹内まりやは、アイドル的な売出し方をされたこともあった。
  18. 「J-POPを殺したのはソニー」 知られざる音楽業界のタブー(1/2ページ) - MSN産経west
  19. 安西信一 『ももクロの美学 〈わけのわからなさ〉の秘密』 廣済堂出版、2013-04-13。
  20. アイドルと景気の意外な相関関係を徹底検証 Webマガジン 月刊チャージャー 2005年12月号”. 月刊チャージャー. 2013年3月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2013閲覧.
  21. 『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p40
  22. 80年代の初頭にデビューしたアイドル歌手のうち、シングル売上において他の者にダブル・スコア以上の差をつけた3名(2012年6月29日に放送された『ミュージックステーション』より)。
  23. 『アイドル工学』・P.69より。
  24. 24.0 24.1 「アイドル考現学」『TVガイド』2月6日号、東京ニュース通信社、1981年、20-21頁
  25. “Pop 'idol' phenomenon fades into dispersion - The Japan Times”. ジャパンタイムズ (ジャパンタイムズ). (2009年8月25日). http://www.japantimes.co.jp/news/2009/08/25/news/pop-idol-phenomenon-fades-into-dispersion/ . 2013閲覧. 
  26. キャッチフレーズ(例:中森明菜「ちょっとエッチな ミルキーっ子」「井森美幸16歳、まだ誰のものでもありません」等)を用いる等した。
  27. 少女隊セイントフォーらは、数億円とも呼ばれる巨額をデビューに費やしていた
  28. 当時は、レコード売り上げの指標となるオリコンチャートも重要視されつつ、アイドル歌手にとって、歌番組に出演することは必須であり、テレビ媒体を通して宣伝するという事が当然視されていた
  29. 1980年代後半の「美少女ブーム」を牽引した美少女たち 10選:後藤久美子・小川範子・坂上香織・宮沢りえ・観月ありさ・桜井幸子・一色紗英ほか ミドルエッジ、2016年4月3日
  30. 1990年代中盤、歌手活動を中心としたアイドルは、スーパーモンキーズ、中谷美紀菅野美穂加藤紀子らを輩出した桜っ子クラブさくら組、酒井美紀、Melodyらが健闘していたものの、テレビ歌番組は減少の一途を辿っており活動の場は限定された。同時期、ドラマ出演をきっかけに注目された内田有紀、水着グラビアで中高生男子の圧倒的な支持を得た雛形あきこがブレイク。両者とも、後にCDデビューを果たしている。1991年には、テレビCMから人気を博した牧瀬里穂観月ありさがCDデビューを果たし、宮沢りえを含めた3人が「3M」と呼ばれ若年層の絶大なる人気を獲得する。
  31. この時代にアイドルだった世代は、「氷河期世代」(団塊ジュニアポスト団塊ジュニア)とも重なる。
  32. 「卒業」という用語はおニャン子クラブの時代に存在した。
  33. “紅白にアキバ枠しょこたんら出場 - 芸能ニュース nikkansports.com”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2007年11月25日). http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20071125-287476.html . 2013閲覧. 
  34. “紅白曲順が決定 注目の“アキバ枠”は米米CLUBと激突! ニュース-ORICON STYLE-”. オリコンニュース (オリコン). (2007年12月27日). http://contents.oricon.co.jp/news/movie/50813/full/ . 2013閲覧. 
  35. 35.0 35.1 “ポストAKBはどうなる? アイドル戦国時代の行方 今を読む:文化 Biz活 ジョブサーチ YOMIURI ONLINE(読売新聞)”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2012年10月9日). http://www.yomiuri.co.jp/job/biz/columnculture/20121009-OYT8T00206.htm . 2013閲覧. 
  36. 36.0 36.1 “【12年ヒット分析】新旧グループから地方アイドルまで~“アイドル戦国時代”さらに激化 (AKB48) ニュース-ORICON STYLE-”. オリコン (オリコン). (2012年12月9日). http://www.oricon.co.jp/news/music/2019492/full/ . 2013閲覧. 
  37. Gザテレビジョン編集部ブログ Gザテレビジョンは来週月曜日、24日発売です!”. ザテレビジョン (2010年5月19日). 2013年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2013閲覧.
  38. ももクロ、国立で宣言「笑顔を届けることにゴールはない」”. ナタリー. . 2014-3-17閲覧.
  39. アイドル223組1480人が参加 『TIF』史上最多8万1378人動員”. オリコン. . 2018閲覧.
  40. テレビ東京番組製作スタッフ、元角川映画プロデューサー、現在は一般社団法人ストリートダンス協会広報委員長も兼任鈴木敦子 (2015年10月26日). “人模様:地方アイドルで地域活性化 金子正男さん”. 毎日新聞のニュース・情報サイト. 毎日新聞社. 2016年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2016閲覧.
  41. 一般社団法人ストリートダンス協会団体概要 2016年5月1日閲覧
  42. ご当地アイドル、なんと1000組 LCCなどでブーム再燃 仕掛け人の仕事とは?THE PAGE、2017年6月26日
  43. HITS ONE powered by Billboard JAPAN 1月11日番組後記”. HITS ONE powered by Billboard JAPAN 番組の放送後記ブログ (2017年1月11日). . 2017閲覧.
  44. 薬局・農業・書道…2016年注目ご当地アイドルは個性派”. 日本経済新聞. . 2016閲覧.
  45. ご当地アイドル」疾走、発信力に行政も注目”. 東洋経済オンライン. p. 4. . 2015閲覧.
  46. 地方創生の鍵を握るのは地方アイドル”. 夕刊. 毎日新聞. . 2015閲覧.
  47. 楽しき明日 国立国会図書館デジタルコレクション
  48. 1970年代 人気男性アイドル/年代流行
  49. 1970/08/27 歌謡チャート
  50. ビョルン・アンドレセン
  51. 70年代CMソングコレクション
  52. カルピスCM ジミー
  53. 「ダンスに夢中」の大ヒットから徐々に転落したアイドル歌手レイフ・ギャレットの現在 ミドルエッジ、2016年10月1日
  54. スーパーアイドルルネ/ニューソングブック臨時増刊号、啓文社、昭和49年9月1日発行
  55. 「ルネの「トンボ学生服」」
  56. パット・マッグリンが月刊平凡 1977年12月号の表紙
  57. なつかしの70年代ポップス
  58. パット・マッグリン 洋楽データベース
  59. 80年代のBON JOVIヒストリーをご紹介 BON JOVI FRIENDSHIP - ボンジョヴィファンサイト
  60. 別冊ザテレビジョン『ザ・ベストテン ~蘇る!80’sポップスHITヒストリー~』(角川インタラクティブ・メディア)p.92 - 93
  61. ザ・ノンフィクション 舟木一夫はタイムマシン〜いつまでも「高校三年生」〜
  62. 博多どんたく 前夜祭整理券を配布 観光桟敷席4年ぶり復活 西日本新聞、2017年04月20日
  63. 『女三人乱れ咲き!氷川きよし追っかけツアー殺人事件』テレビドラマデータベース
  64. 朝日新聞、2013年04月16日朝刊
  65. MBSラジオ「ヤングタウン」を担当した放送作家でアイドル評論家。1952年生まれ、2003年10月死去
  66. [1]

関連項目