「もみじ饅頭」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(1版 をインポートしました)
(内容を「thumb|240px|right|もみじ饅頭 '''もみじ饅頭'''(もみじまんじゅう) 広島県宮島の名物菓子。 小麦粉に…」で置換)
(タグ: Replaced)
 
1行目: 1行目:
 
[[File:Momiji Manju Hiroshima.JPG|thumb|240px|right|もみじ饅頭]]
 
[[File:Momiji Manju Hiroshima.JPG|thumb|240px|right|もみじ饅頭]]
'''もみじ饅頭'''(もみじまんじゅう)は、[[饅頭]]の一種。[[もみじ]]をかたどった[[饅頭#和菓子としての種類|焼饅頭]]の一種であり、[[広島県]]の[[厳島]](宮島)の名産品である。
+
'''もみじ饅頭'''(もみじまんじゅう)
  
== 概要 ==
+
広島県宮島の名物菓子。
[[日本三景]]のひとつ、[[厳島]](安芸の宮島)の名物であり[[土産|土産品]]である。現在では宮島のみならず広島県を代表する[[土産菓子]]として全国的に知名度が高い。[[2009年]]に[[朝日新聞]]が会員サービス「[http://aspara.asahi.com/ アスパラクラブ]」内で行った[[アンケート|アンケート調査]]「日本一のまんじゅうは?」で全国1位<ref>[[朝日新聞]] [[2009年]][[1月27日]]付夕刊be evening・同2009年[[1月28日]]付朝刊 23面</ref><ref>[http://www.0982.tv/2009/01/28/ 新聞大好き! - 自分自身の尺度も大事にしたい] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20111128121830/http://0982.tv/2009/01/28/ |date=2011年11月28日 }}</ref>、各種の「全国お土産ランキング」でも上位の常連で、1位をとることもある。
 
  
もみじ饅頭は[[明治時代]]後期の和菓子職人(高津常助)の「高津堂」によって考案されたが(→「歴史」節参照)、独占をしなかったため、大手もみじ饅頭メーカーや宮島島内の小規模メーカーの他、[[イオン_(企業)|イオン]]や[[セブン&アイ・ホールディングス]]のような流通企業の[[プライベートブランド]]からも同一の「もみじ饅頭」の名称で製造・販売されている。知名度のある土産物は単一メーカーの製造ということも多く([[赤福餅]]・[[ロイズコンフェクト|ロイズの生チョコ]]・[[ひよ子|名菓ひよ子]](ひよ子饅頭)など)、「お土産ランキング」ではもみじ饅頭が不利になるという指摘もある<ref>例えば[http://www.j-cast.com/tv/2013/05/07174495.html 広島・もみじ饅頭かわいそう…基準あいまい過ぎるお土産ランキング<お願いランキングGOLD 2時間スペシャル>(テレビ朝日系)]、J-CASTニュース2013年5月7日付など。</ref>。逆に「どのもみじ饅頭を買うか」にこだわる楽しみがあることは、複数のメーカーがある土産菓子(他に[[愛媛県]]の[[タルト_(郷土菓子)|タルト]]や[[沖縄県]]の[[ちんすこう]]など)の利点ともいえる。
+
小麦粉に鶏卵、砂糖、蜂蜜を加えたカステラ状の生地でこし餡を包み、モミジの葉をかたどった型で焼き上げたもの。
 
 
宮島には焼きたてのもみじ饅頭を供する店舗が軒を連ねている。
 
 
 
== 名称 ==
 
[[厳島|宮島]]にある紅葉の名所、紅葉谷(もみじだに)にちなんだ名物ということで名付けられた(起源の節参照)。表記は「'''もみじ饅頭'''」が一般的だが、商品によっては「'''もみじまんじゅう'''」とも表記する(後藤製菓、藤い屋など)。これは他の多くの饅頭と同様、土産品として親しみをもたせるために[[平仮名]]で表記していると考えられる。「紅葉饅頭」や「紅葉まんじゅう」とは通常は表記しない。元祖の高津堂は「もみぢ饅頭」と、「じ」ではなく「ぢ」で表記している。
 
 
 
略称として、「'''もみまん'''」と呼ばれることがある。近年{{いつ|date=2014年7月}}になって「もみまんソフト」というもみじ饅頭味のソフトクリームや、老舗である後藤製菓から[[萌え]]イラストをあしらった「もみまん。」なる商品が発売されるなど、「もみまん」の語が公然と使用される例が出てきている<ref>[http://hiroshima.keizai.biz/headline/765/ 宮島がモチーフの「萌え」もみじまんじゅう-広島の老舗が発売]、広島経済新聞 [[2010年]][[1月14日]]付。</ref>。
 
 
 
== 構造 ==
 
=== 製法 ===
 
[[小麦粉]]・[[鶏卵|卵]]・[[砂糖]]・[[蜂蜜]]を原料とする[[カステラ]]状の生地で[[餡]]を包み、[[カエデ|モミジ]]の葉をかたどった型に入れて焼き上げる。餡はこしあんが基本で、製法についてはどの製造元でもほぼ同一である。
 
 
 
[[1960年代]]までは、一つ一つ手で焼き型を押さえて焼き上げていたが、大型の機械で焼き型を次々に回転させる「もみじ饅頭焼成機」を広島市内の業者が開発してから、どの店でも一定の品質を保ったもみじ饅頭の製作が可能になった。機械の開発に合わせて餡を大量・均質に整形する必要が出てきたため、宮島の菓子組合加盟10社が共同で餡の自動整形機を開発するということもあった。現在の焼成機はガス加熱式が主流で、多いものは1時間あたり2500個の製造能力がある<ref>[http://www.momiji-yamadaya.co.jp/kaisha/index.html やまだ屋 - 代表取締役ごあいさつ]</ref>。島内のもみじ饅頭メーカーや土産品店の店頭では、この焼成機で次々にもみじ饅頭ができる様子を見ることができる。島外でも、[[福屋広島駅前店|広島駅前の福屋百貨店]]や[[山陽自動車道]]の[[福山サービスエリア]]上り線などで見られる。
 
 
 
現在でも少数ながら、職人が店頭で焼き型を使って手焼きし、販売している店舗もある(「ミヤトヨ本店」ほか)。宮島島内にはもみじ饅頭手焼き体験ができる施設もある。
 
 
 
=== 種類 ===
 
誕生当初は「こしあん」入り・[[カステラ]]状生地の焼き饅頭のみであった。現在では当時と同じものに加えて、非常に多くのバリエーションがある。商品名は店によって異なることもあるが、[[チーズ]]入りなら「チーズもみじ」、[[抹茶]]あん入りなら「抹茶もみじ」というように、「○○もみじ」という名称で呼ぶことが一般的である。2000年代に入ると、餡の種類だけでなく生地を変えたり(例:黒もみじ)、製法に変化を取り入れたり(例:生もみじ・揚げもみじ)といった工夫も見られるようになった。
 
 
 
==== 餡のバリエーション ====
 
* '''こしあん'''……もみじ饅頭が誕生した[[1906年]]当時からの、もみじ饅頭の基本とされる餡。
 
* '''つぶあん'''……[[昭和]]初期、[[高松宮宣仁親王]]が厳島を訪問した際、所望したのがきっかけで誕生した。
 
* '''白あん'''・'''抹茶あん'''・'''栗あん'''……[[第二次世界大戦]]後に考案された。[[最中]]や栗まんじゅうなど、各地の銘菓を参考にしたもの。
 
* '''チーズ'''……[[1984年]]、もみじ饅頭のブームが到来した際に考案された、最初の変わり種あん。食べる際に[[電子レンジ]]で1個10~20秒加熱(500W)すると、チーズがとろけておいしくなる。
 
* '''チョコレート'''……1984年、チーズ入りとほぼ同時期に登場し、扱う店舗数もチーズ入りと同程度である。これも、少し温めると[[チョコスプレッド|チョコレートクリーム]]がとろけておいしい。また、冷凍庫で冷やしても味わいがよい。
 
* '''クリーム'''……[[カスタードクリーム]]が入っている。チーズ、チョコレートより遅れて登場した。
 
* その他……'''角切り[[リンゴ|りんご]]'''、'''[[餅]]'''、'''[[クリームチーズ]]'''、'''[[サツマイモ|芋]]あん'''など、現在も新商品の開発が続いている。
 
 
 
==== 生地のバリエーション ====
 
* '''黒もみじ'''([[やまだ屋]]より[[2008年]]1月1日発売<ref>[http://hiroshima.keizai.biz/headline/248/ クリエーターらが発案の「黒もみじ」が商品化]、広島経済新聞[[2007年]]12月21日付</ref>)は、生地に[[竹炭]]パウダーを加えて黒くしたもの。[[2007年]]秋冬は「黒が流行、ブーム」とされており<ref>例えば[https://www.jri.co.jp/page.jsp?id=7489 「黒ブーム」に見る「トレンド」の生まれ方]、日本総研ウェブサイト2007年12月27日付より</ref>、これに健康に良いイメージのある竹炭を合わせたものである。
 
 
 
==== 製法のバリエーション ====
 
*[[ファイル:Agemomiji.jpg|サムネイル|紅葉堂の揚げもみじ。]]'''生もみじ'''([[にしき堂]]より発売)は、和菓子風の餅生地を使用している。餡の種類はこしあんとつぶあん、および抹茶あんの3種類。<REF>[http://www.excite.co.jp/News/bit/E1282577917526.html?_p=1 もみじ饅頭を超えた!? 生もみじとは]Excite Bit 2010年8月30日 10時00分 (2010年9月2日 09時55分 更新)</REF>
 
 
 
* [[揚げもみじ]]([[紅葉堂]]の[[登録商標]]、[[2002年]]発売)は、通常のもみじ饅頭を油で揚げたもの。詳細は[[揚げもみじ]]の項を参照。
 
 
 
=== 入手方法 ===
 
[[厳島|宮島]]島内や[[宮島口駅|JR]]および[[広電宮島口駅]]、土産物店のほか広島市内の百貨店や[[ひろしま駅ビル ASSE|広島駅ビル]]、メーカー直営店で豊富な種類が手に入る。[[山陽新幹線]]の車内販売メニューにもある。
 
 
 
[[福山市]]などの広島県東部([[備後国|備後]]地方)でも有名メーカーのものが多く売られている。県外では[[広島県]]のアンテナショップや一部の[[コンビニエンスストア]]([[ファミリーマート]]など)で売られているほか、大手流通企業の[[プライベートブランド]]の菓子商品にもみじ饅頭が入っていることがある。
 
 
 
近年{{いつ|date=2014年7月}}ではメーカーや小売店が通信販売も行っている。
 
 
 
== 歴史 ==
 
=== 由来 ===
 
[[ファイル:Ganso momiji manju.jpg|代替文=もみぢ饅頭の元祖の「高津堂」の個包装パッケージともみぢ饅頭。|サムネイル|もみぢ饅頭の元祖の「高津堂」の個包装パッケージともみぢ饅頭。]]
 
[[ファイル:現存する高津常助のもみぢ饅頭の焼き方.jpg|代替文=現存する高津常助のもみぢ饅頭の焼き方|サムネイル|現存する高津常助のもみぢ饅頭の焼き方]]
 
[[ファイル:現存する「紅葉形焼饅頭」の商標登録証.jpg|代替文=現存する「紅葉形焼饅頭」の商標登録証|サムネイル|現存する「紅葉形焼饅頭」の商標登録証]]
 
もみじ饅頭を発案した人物は[[明治]]後期の[[厳島]](宮島)の和菓子職人、'''高津常助'''とされている<ref>[http://www.l-co.co.jp/times/log/07/070101/28.html 生誕100周年もみじ饅頭物語] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130615082422/http://www.l-co.co.jp/times/log/07/070101/28.html |date=2013年6月15日 }}(西広島タイムス [[2007年]][[1月1日]]付)</ref>。島内の名所・紅葉谷の[[旅館]]「'''岩惣'''」にはその頃、[[皇太子]]である嘉仁[[親王]](後の[[大正天皇]])や[[大韓帝国]]皇太子(のちの[[純宗_(朝鮮王)|純宗]])・[[伊藤博文]]・[[夏目漱石]]ら要人が多く投宿していたが<ref>[http://www.iwaso.com/history/history2.html 岩惣ご宿泊記録]</ref>、この岩惣に和菓子を納入していた高津は、宿の女将・栄子から「大切なお客様への手土産に、紅葉谷の名にふさわしい菓子が作れないか」と依頼され、試行錯誤の結果[[1906年]](明治39年)に「'''紅葉形焼饅頭'''」を完成させた。4年後の[[1910年]](明治43年)[[7月18日]]には[[商標]]登録しており、この商標登録証は常助の孫の元に残っている。このとき登録された焼き型は「7つの切れ込みのある葉に短い葉柄があり、二頭の[[シカ|鹿]]を描いた」という凝った意匠であり、今日のもみじ饅頭とは趣が異なるが、しばらくして高津はより現在の形に近い焼き型を使い始め、この焼き型も商標登録証とともに保管され現存している。呼び名も、常助の代にはすでに「もみじ饅頭」と呼ばれ始めていたと本人が子孫に語っている<ref>[http://www.mediasion.co.jp/miyajima/8/index.html 生誕100周年もみじ饅頭誕生の歴史] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090819032818/http://www.mediasion.co.jp/miyajima/8/index.html |date=2009年8月19日 }}</ref>。なお、孫である加藤宏明が2009年の7月18日に、残っていた焼き形を使って元祖もみぢ饅頭を復活させた。現在、宮島ではなく本土の宮島口にて、元祖もみぢ饅頭「高津堂」としてもみぢ饅頭の製造販売をしている。なお、高津堂は元祖復活の思いから今でも一つずつ手焼きしている。
 
 
 
==== 伊藤博文の冗談説 ====
 
もみじ饅頭の起源には[[伊藤博文]]がかかわっていたという説があり、今日でも広く流布している。内容は
 
<div style="border:1px solid #aaa; margin-left:1em; padding:1em; overflow:auto">伊藤博文が岩惣の茶屋で休憩していた折、給仕した娘の手を見て'''「なんと可愛らしい、もみじのような手であろう。焼いて食うたらさぞ美味しかろう」'''と冗談を言ったのを岩惣の女将が聞きとめ、饅頭屋がこの話をヒントに考案した。</div>
 
というものである。伊藤は当時から厳島びいきで知られ、たびたび島に滞在していた上([[厳島]]の項目を参照)、当時すでに[[内閣総理大臣|総理大臣]]を辞して[[勲等|大勲位]]にあって「女好きの好々爺」というイメージが民衆の間に確立していたことから、この説は広く受け入れられた。現在でも、大手もみじ饅頭メーカー(例えば[http://www.momiji-yamadaya.co.jp/shouhin/yurai.html やまだ屋:もみじ饅頭の由来]{{リンク切れ|date=2018年3月 |bot=InternetArchiveBot }})や地元の宮島観光協会([http://www.miyajima.or.jp/present/present_momiman.html 宮島観光協会:もみじ饅頭])が由来として掲げるほど親しまれている説である。実際にはそのようなエピソードの記録は公式に残っているわけではない。前述の高津常助はこのあたりの状況を熟知していると考えられるが、伊藤とのつながりを認めたことはない(ただし否定したこともない)。そのため「茶屋の娘へのお色気冗談」説は、あくまで俗説・噂にとどまる。ただし高津の和菓子屋「高津堂」は伊藤の定宿である岩惣の門前にあり、取引先の岩惣の依頼でもみじ饅頭を考案したのであって、高津と伊藤が互いを認識していた可能性はある。またマスコミや記録媒体が発達途上であったこの時代、休暇中の伊藤の冗談まですべて記録することには無理があり、この冗談もすべて創作と断じることはできない。
 
 
 
=== 第二次世界大戦以前 ===
 
商標権の有効期間は当時20年間であったが、高津は権利の更新を行わなかった。高津は職人気質で、「技や味は盗むもの」として息子で二代目の高津昇にももみじ饅頭のレシピなど一切伝えなかったという。昇は試行錯誤したものの求める味にたどり着かず、「親父の名前を汚したくない」としてもみじ饅頭の製造販売自体を取りやめてしまった<ref>[http://takatsudo.com/origin/ 高津堂/もみじ饅頭の由来と歴史] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20131207214317/http://takatsudo.com/origin/ |date=2013年12月7日 }}</ref>(現在、常助の孫である三代目が[[廿日市市]][[宮島口]]に元祖もみぢ饅頭「高津堂」という店舗を開いている)。ただ、常助は宮島の菓子組合中長も務めていたこともあり、職人育成にも力を注ぎ、もみじ饅頭を高津堂だけのものとせず宮島の名物になるようにという思いから、もみじ饅頭はたくさんのお店が作るようになり広まっていった。
 
 
 
このようなことで、島の土産品店などでも型さえあれば製造・販売が可能になった。当時は一つ一つを型に挟んで焼き上げる手焼きで、店や職人の腕によって大きさも品質もまちまちであった。現在も製造している業者の中では、明治末期に創業した「岩村」(現在の[[岩村もみじ屋]])が最も古い部類に入る。岩村もみじ屋によると、岩村の主人と高津常助が一緒に岩惣にもみじ饅頭を納入していた時期もあったという<ref>[http://books.google.co.jp/books?id=3DfcJApdyHUC&pg=PA174 真下弘隆『ドーナツの穴:食べもののかたちの秘密!?』P174「もみじ饅頭」](リンクはGoogleブックス上の該当箇所), 大空出版, 2009年</ref>。
 
 
 
[[1925年]]([[大正]]15年)から翌年にかけ、「勝谷」「藤井」(現在の「藤い屋」)が製造販売を開始。名称は「宮島饅頭」「紅葉型饅頭」などいくつかあったが、大正の終わり頃には「もみじ饅頭」に統一された。その後、[[1932年]](昭和7年)に「山田商店」(現在の[[やまだ屋]])が、翌昭和8年に「木村屋」ほか数軒が製造開始。戦前はすべて宮島島内のみの製造販売で、製造元は全部で12軒だった。本来の意味の「元祖もみじ饅頭」である高津堂が早期に製造をやめてしまったため、複数の店舗が「元祖もみじ饅頭」を名乗る事態が現在まで続いている。
 
 
 
はじめは[[餡|こしあん]]入りのみであったが、[[昭和]]初期にはつぶあん入りが考案された。[[1934年]](昭和9年)[[5月10日]]に[[高松宮宣仁親王]]が厳島を訪れた際、岩村もみじ屋の初代・岩村栄吉に「つぶあんはないのか」と所望したのがきっかけで誕生した。このため岩村もみじ屋は「元祖つぶもみじ」を名乗っている。
 
 
 
=== 第二次世界大戦後 ===
 
戦後の混乱期を経て宮島への観光客が再び増加しはじめるともみじ饅頭の需要も増え、徐々に知名度が上がった。日本各地の銘菓を参考にして栗あん・抹茶あん入りも考案された。最大手メーカーの[[にしき堂]]は[[1953年]](昭和28年)創業である。にしき堂の本社は広島駅近くの松原町(後に駅の反対側である[[東区_(広島市)|東区]]光町に移転)であり、戦後は製造元が宮島以外というケースが増えていく。
 
 
 
[[1954年]](昭和29年)、宮島で[[液化石油ガス|プロパンガス]]の利用が始まり生産性が向上した。[[1961年]](昭和36年)以降、もみじ饅頭製造の機械化が進展し、広島市内の業者が開発した大型焼成機によって大量生産が可能となっていく。[[1975年]](昭和50年)には[[山陽新幹線]]が全線開業し、広島・宮島エリアの観光は質・量ともに大きく変化した。もみじ饅頭は宮島島内から出て、新幹線の車内販売や広島駅ビルの土産物コーナーにも陳列されるようになった。
 
 
 
[[1980年代]]の[[漫才ブーム]]の中、[[1980年]]10月頃から[[お笑いコンビ]]「[[B&B (お笑いコンビ)|B&B]]」のネタとして、[[島田洋七]]が「モミジマンジュウ!」と言うと相方の[[島田洋八]]が「[[吉備団子|きびだんご]]!」と返して互いに譲らないという[[ギャグ]]が流行すると、もみじ饅頭の知名度は爆発的に上がり「もみじ饅頭ブーム」が訪れた<ref>[http://www.miyajima.or.jp/present/present_momiman.html 一般社団法人宮島観光協会|お土産|もみじ饅頭|]</ref>。ブームに乗って売り上げは飛躍的に伸び、[[1984年]]に「チーズもみじ」が発売されたのを皮切りに[[カスタードクリーム]]入り、[[チョコレート]]クリーム入りなど多くのバリエーションが生み出された。
 
 
 
=== ぷよまんのヒット ===
 
{{main|ぷよまん}}
 
[[1990年代]]に大ヒットした[[ゲームソフト]]『[[ぷよぷよ]]』の開発元である[[コンパイル_(企業)|コンパイル]]は、広島に本社を構えていた(一時期は宮島対岸の、当時の[[佐伯郡]][[大野町 (広島県)|大野町]]<ref>現在は[[宮島町]]ともども[[廿日市市]]に編入されている。</ref>に本社を構えた)ことから、同ソフトのキャラクターである「[[ぷよぷよ (ゲームキャラクター)|ぷよぷよ]](ぷよ)」をかたどってもみじ饅頭製造機の焼き型とした「[[ぷよまん]]」を[[1994年]]12月3日に発売した。もみじ饅頭とは焼き型が異なるだけで製法は同一である(生地や餡に独自の工夫はあった)。[[1997年]]11月29日、宮島への玄関口である宮島口フェリー乗り場近くに「元祖ぷよまん本舗」を開いたのを皮切りに、同社は[[広島市]]内の[[広島本通商店街|本通商店街]]や[[広島駅]]ビル、遠くは[[幕張メッセ]]での[[東京ゲームショウ]]等に「元祖ぷよまん本舗」を構えて、自社グッズとともにぷよまんを販売した。ぷよまんは派生商品としては異例のヒット商品となったが、ぷよぷよブームの終結やコンパイルの倒産に伴い、[[2003年]]を最後に製造・販売が打ち切られた。
 
 
 
=== 現状 ===
 
大手をはじめ約20社のメーカーが伝統の味を受け継ぐ一方で、趣向を凝らした新しい商品を開発している。上記のように新しい餡を開発したものの他、生地や製法にも競って新たなアイデアを取り入れており、[[カステラ]]状の生地にレーズンを織り込んでそのまま焼き上げた[[洋菓子]]風味のものや表面にチョコレートを塗ったもの、もみじ饅頭を衣につけて揚げる「[[揚げもみじ]]」やもみじ饅頭[[ソフトクリーム]]など、従来の概念を覆すような商品も登場している。[[ご当地キティ]]や人気漫画のキャラクターなどをパッケージに取り入れた商品も多い。
 
 
 
地元廿日市市の酒造メーカー[[中国醸造]]は[[2013年]]11月にリキュール「もみじ饅頭のお酒」を発売した<ref>[http://www.47news.jp/topics/newproduct/2013/11/post_8705.php もみじ饅頭の味 お酒で再現], [[中国新聞]]2013年11月6日付.</ref>。[[卵黄]]や[[蜂蜜]]を使った甘い風味のこしあんとカステラの味の酒という意外性が話題となり、予想の2倍近い売上げのヒット商品となった。2014年にはチョコレート味とクリーム味の「もみじ饅頭のお酒」も発売され、初回出荷分が即日売り切れる人気で全国紙でも報道された<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNZO66016090Y4A120C1LC0000/ 「もみじ饅頭風味」のお酒 思わぬ人気で品薄に], [[日本経済新聞]]電子版2014年1月29日付.</ref><ref>[http://sankei.jp.msn.com/region/news/140314/hrs14031402290001-n1.htm 「もみじ饅頭のお酒」好評 第3弾「クリーム味」 広島土産 意外な発想] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20140325114022/http://sankei.jp.msn.com/region/news/140314/hrs14031402290001-n1.htm |date=2014年3月25日 }}, MSN産経ニュース2014年3月14日付.</ref>。
 
 
 
その一方で伝統的な手焼きのもみじ饅頭を店頭で職人が実演してみせる店や、観光客が手焼き体験を楽しめる店もあり、もみじ饅頭の楽しみ方そのものが多様化しているといえる。
 
 
 
[[奥田民生]]の50歳を祝うスペシャルライブ「ユニコーン奥田民生50祭 “もみじまんごじゅう”」と、やまだ屋のコラボ「ユニコーンもみじ饅頭」が2015年5月11日から発売されたこともある。
 
 
 
== 主なメーカー ==
 
*[http://www.goto-miyajima.com/index.html 後藤製菓]
 
*[[岩村もみじ屋]]
 
*[http://www.fujiiya.co.jp/index.html 藤い屋]
 
*[[やまだ屋]]
 
*[http://www.hakata-ya.net/ 博多屋](博多商店)
 
*[[にしき堂]]
 
*[[香月堂 (広島県)|香月堂]]
 
*[http://takatsudo.com/ 高津堂(もみぢ饅頭を考案した高津常助の孫が復興)]
 
*[[紅葉堂]]
 
 
 
== 宮島以外のもみじ饅頭 ==
 
* [[大阪府]][[箕面市]]はもみじ饅頭を「特産品」としている。箕面[[商工会議所]]によると「'''箕面では戦前から焼いて売られているから歴史もなかなか古い'''<ref>[http://www.m-tokusan.com/profile/tokusan/8manjyu.html 箕面物語 もみじ饅頭](箕面商工会議所ウェブサイト)</ref>」という。形状・製法とも宮島のもみじ饅頭とほぼ同じだが、以前は葉を二枚重ねにしたデザインもあったという。
 
* [[愛知県]][[豊田市]]にある紅葉の名所、[[香嵐渓]]でも「もみじ饅頭」が製造・販売されている。宮島のもみじ饅頭とほぼ同じものである。
 
* [[山崎製パン]]からは全くの別物だが、「もみじまん」なるものが発売されたことがある。
 
 
 
== 脚注・出典 ==
 
<references />
 
 
 
== 関連項目 ==
 
*[[B&B (お笑いコンビ)]]([[島田洋七]]、郷土ギャグ「モミジマンジュウ!」)
 
*[[ぷよまん]] - [[コンパイル (企業)]]
 
*[[MMJ (ローカルアイドル)]](広島で活動するローカルアイドル。名前の由来がもみじ饅頭から)
 
 
 
== 外部リンク ==
 
{{Commons|Category:Momiji manjū}}
 
  
 +
{{テンプレート:20180815sk}}
 
{{DEFAULTSORT:もみしまんしゆう}}
 
{{DEFAULTSORT:もみしまんしゆう}}
 
[[Category:焼き饅頭]]
 
[[Category:焼き饅頭]]

2018/10/6/ (土) 12:41時点における最新版

もみじ饅頭

もみじ饅頭(もみじまんじゅう)

広島県宮島の名物菓子。

小麦粉に鶏卵、砂糖、蜂蜜を加えたカステラ状の生地でこし餡を包み、モミジの葉をかたどった型で焼き上げたもの。



楽天市場検索: