みずほ証券

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みずほ証券株式会社(みずほしょうけん、英:Mizuho Securities Co., Ltd.)は、みずほフィナンシャルグループ傘下の大手証券会社である。

2009年5月7日に、上場企業の新光証券を存続会社として、ホールセール専業の(旧)みずほ証券と合併、いわゆるフルライン型とも称される総合証券会社となった。2013年1月4日に、主にリテール向けを手掛けてきたみずほインベスターズ証券を吸収合併し、みずほグループの証券部門を統一した。

概要

(旧)みずほ証券

前身は、みずほフィナンシャルグループ傘下である銀行の証券子会社であった第一勧業証券および富士証券と興銀証券であり、2000年9月29日の銀行持株会社であるみずほホールディングス(現・みずほフィナンシャルストラテジー)の株式移転設立による経営統合に伴い、各行傘下の証券会社であった3社が同年10月1日に興銀証券を存続会社として合併し、(旧)「みずほ証券株式会社」として発足した。

従前はみずほコーポレート銀行の100%出資子会社であったが、農林中央金庫の子会社であった農中証券営業譲渡を受けた経緯から、農林中金も株主となった。

(新)みずほ証券

2007年1月10日に、旧興銀証券を直接の前身としホールセール専業の(旧)みずほ証券と、ホールセール・リテール双方を手がける同じ旧興銀系の新光証券が、合併を発表し2008年初頭の合併を企図していたが、サブプライムローン問題で(旧)みずほ証券の損失が拡大したことや、市場の混乱が収束しなかったことなどから合併の延期を経て、2009年5月7日に(新)みずほ証券として発足した。

みずほ信託銀行が取った手法同様、上場維持の観点から、新光証券を存続会社とし、商号を「みずほ証券株式会社」に変更したため、(旧)みずほ証券の法人格は消滅した。本合併により、統一金融機関コードは新光証券側を、SWIFTコードは(旧)みずほ証券側を継承した。

2011年9月1日に、みずほFG株を交付する形式での株式交換が行われ、みずほコーポレート銀行(みずほCBK)の完全子会社となった。完全子会社化が発表された際、旧みずほSCから継承した資本関係のある農林中金との関係が注目されたが、2011年9月1日に、両社の間で協力分野拡大・提携強化・資本関係継続の契約がなされて[1]、同月6日に農林中金がみずほ証券の株式5.34%を再取得している。

2011年6月に就任した、旧興銀出身の本山博史社長(当時)は、リテール分野で重複するみずほインベスターズ証券(みずほISEC)との再編を模索していることを明らかにし、2013年1月4日にみずほISECは当社に吸収合併された[2][3]。重複する名称の店舗は一方が変更となるが[4]みずほ銀行と同居する店舗は、合併後はプラネットブースに統一された(新光証券→みずほ証券は、トマト銀行併設拠点を含めてカスタマープラザと称していた。トマト銀行併設分のみカスタマープラザのままとした)。その後、プラネットブースと証券支店が同一地にある拠点についてはプラネットブースを廃止した拠点も見られる。

業務展開

旧新光証券との合併前は、ホールセール特化型で店舗を持たず、本社・本店のみの構成となっていたが(2005年関西営業部が設置されている)、合併後は旧新光の店舗が営業拠点として活動する事となった。また合併後も債券株式投資銀行の3つを中核業務に位置付けている。

社債市場において強みを持ち、主幹事関与額では野村證券大和証券SMBC日興シティグループ証券を抑えて首位である[5]。特にサムライ債(外国企業が建てで発行する社債)市場においては、29%を超える高シェアである。

このほか資産担保証券ブックランナーで第1位、M&Aアドバイザリー案件数で第3位など、純銀行系証券会社としては比較的高い実績がある。

海外

米国現地法人である米国みずほ証券は、日本の証券会社としては野村證券大和証券と並んで、米国財務省から国債市場特別参加者(Primary Dealer)に指定されている。

香港には子会社であるみずほセキュリティーズアジアが置かれており、北京上海に駐在員事務所を設置し中国市場に進出するほか、ヨーロッパにはロンドンに「みずほインターナショナル」、スイスには「スイスみずほ銀行」が現地法人として置かれている。

提携関係

前述のとおり、2004年に農林中金傘下である農中証券を譲り受け、その後さらに第三者割当増資を行った。このため農協系金融機関へのサービス提供も行っている。また同年には、証券部門の脆弱なりそな銀行メガバンクの枠を超えてM&A業務に関する提携を結んだほか、UBS証券ともM&Aで提携を結んでいる。さらに、証券会社としてはマネックス証券シティグループとも連携にある。

沿革

(旧)みずほ証券

(現)みずほ証券

  • 1917年(大正6年)7月16日 - 大阪商事株式会社設立(のちに証券会社として大商證券株式会社に商号変更)。
    以後、(旧)みずほ証券との合併までの沿革は新光証券を参照
  • 2009年(平成21年)5月7日 - (旧)みずほ証券株式会社を合併し、みずほ証券株式会社に商号変更、本社を(旧)みずほ証券の本店所在地に移転。本店営業部は従来通りの位置に存続。
  • 2011年(平成23年)
    • 8月29日 - みずほコーポレート銀行の完全子会社化に伴い、上場廃止。
    • 9月1日 - みずほコーポレート銀行との間で、みずほFG株式を交付する形式の株式交換(三角株式交換)方式により、みずほ証券を完全子会社化。
    • 9月6日 - 農林中金との業務提携強化・資本継続の契約に基づき、みずほコーポレート銀行がみずほ証券の株式5.34%を農林中金に譲渡。
  • 2013年(平成25年)
  • 2014年(平成26年)
    • 4月28日 - 八重洲本店営業部を本店営業第一部に改称。併せて、日本橋本店営業第一部を八重洲本店に移転して本店営業第二部に改称、日本橋本店営業第二部をみずほ銀行兜町支店入居ビルに移転し、兜町支店に改称。これにより、蛎殻町の旧ISEC本店から拠点を撤退。
    • 5月2日 - プラネットブース丸の内中央を廃止。母店の本店営業第一部ではなく、同第二部が継承。
    • 10月31日 - プラネットブース丸之内を廃止。母店の本店営業第二部が継承。
    • 12月1日 - 農林中央金庫の主に個人向け対象の投資信託取引の一部を継承。
  • 2015年(平成27年)
    • 4月6日 - 大阪支店(旧新光→SC)と大阪西支店(旧ISEC)の組織を再編し、当社大阪支店の位置に大阪営業第一部・第二部を、当社関西支社(旧SCのホールセール拠点)の位置に大阪法人部・大阪企業金融部をそれぞれ設置。リテールの利便性を確保すべく、当社大阪西支店が所在するみずほ銀行堂島支店入居ビルにはプラネットブース堂島を設置。
    • 4月27日 - 新宿支店(旧新光→SC)の組織再編に伴って同支店を新宿営業第一部とし、同一地に新宿営業第二部を新設。

ギャラリー

脚注

注釈

  1. 同月19日には証券取引等監視委員会が金融庁にみずほ証券を行政処分するよう勧告していた。
  2. 常和八重洲ビル。画像は、新光証券時代のもの。

出典

  1. 農林中央金庫とみずほ証券の業務協力分野の拡大・連携関係の強化及び資本関係の継続に関する確定契約締結のお知らせ (PDF)”. 株式会社みずほフィナンシャルグループ (2011年9月1日). . 2013閲覧.
  2. みずほ証券とみずほインベスターズ証券の合併に関する基本合意について (PDF)”. 株式会社みずほフィナンシャルグループ (2011年7月29日). . 2013閲覧.
  3. “みずほ、銀行合併は来年7月1日 証券は来年1月”. 共同通信. (2012年3月29日). http://www.47news.jp/CN/201203/CN2012032901001892.html . 2013閲覧. 
  4. “みずほ、傘下証券36店舗閉鎖へ 人員削減も”. 共同通信. (2012年10月30日). http://www.47news.jp/CN/201210/CN2012103001001900.html . 2013閲覧. 
  5. アーカイブされたコピー”. 2006年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2006年11月8日閲覧.

外部リンク



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