さまぁ〜ず

提供: miniwiki
2018/8/29/ (水) 00:23時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版 (1版 をインポートしました)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索
さまぁ〜ず
SUMMERS
メンバー 三村マサカズ
大竹一樹
バカルディ
芸種 コント漫才
公式サイト 公式プロフィール
受賞歴
2003年 ゴールデン・アロー賞芸能賞
2014年 ベストジーニスト協議会選出部門
テンプレートを表示

さまぁ〜ずは、三村マサカズと大竹一樹の2人からなる日本お笑いコンビ。所属事務所ホリプロ。キャッチコピーは「東のコント職人」。

メンバー

  • 三村マサカズ(みむら まさかず)
    • 本名: 三村 勝和 (読み同じ)
    • 1967年6月8日生まれ[1]
    • 立ち位置は画面向かって右。
    • 167cm
    • 東京都墨田区押上出身
    • 主にツッコミ(たまにボケ)担当で、コントのネタのツッコミを考える。強めのセクハラ担当でもある。
    • 血液型:A型
    • 馬力:1.6馬力(2017年)
  • 大竹一樹(おおたけ かずき)
    • 本名: 同じ
    • 1967年12月8日生まれ[1]
    • 立ち位置は画面向かって左。
    • 170cm
    • 東京都墨田区押上出身
    • 主にボケ(たまにツッコミ)担当で、コントのネタの草案作りも担当する。ユルめのセクハラ担当。
    • 血液型:O型
    • 馬力:1.8馬力(2017年)

来歴・人物

デビュー前

大竹・三村共に東海大学高輪台高等学校工業科(現:東海大学付属高輪台高等学校)に単願推薦で入学し、2年生時に同じクラスとなったことがきっかけで出会う[2]。実は俳優の坂上忍も同級生であったが、大竹・三村と出会う前に中退しているため、芸能界で初対面となった。

1988年5月、すでに事務所からスカウトされていた高校時代の同級生に連れられ、ホリプロの事務所に遊びに行ったことがきっかけでお笑いの道へ進むことになった。当初は元同級生・大竹・三村のトリオ(トリオ名は「しゃぶしゃぶ」)として活動を開始した。トリオ解散の経緯について三村は、元同級生がいつの間にか他の芸人とコンビを組んで舞台に出ていたことが解散の原因だと長年思い込んでいたが、実際は元同級生の漫談系のスタイルがどうしても浮いてしまっていたため三村が「独りでやった方が良いよ」と電話をしたことが原因であり、都合のいいように記憶を塗り替えていたことが発覚した[3](後年、『リンカーン』に元芸人ではなく全くの素人の同級生が登場した際、さまぁ〜ずの二人は昔からとにかく面白かったと語り、三村は明るく積極的な盛り上げ役に対し「タケ(大竹)はそんなに普段喋らないけど、考えてボソッと面白い事を言うタイプだった」と評した[3])。そしてこの後、東海大学在学中であった大竹が大学で知り合った友人を三村に紹介し、再びトリオを結成。なお、2度のトリオ結成について三村は「俺と大竹はちょっとやる気がなくて、一人引っ張ってってくれるリーダー的な人を立てないと一生売れないだろうなと思っていた」と発言している[4]

バカルディ時代

1989年4月、ホリプロのお笑いライブに出演し、お笑いコンビ「バカルディ(『バカルディー』の表記も混在[5])」として活動を開始。「バカルディ」はネタを考えていたときに着ていたバカルディのTシャツの文字から取った。また、ダブルミーニングとして日本語の「バカ」も込められている[6]。同期に田口浩正小浦一優(芋洗坂係長)が組んでいたお笑いコンビ「テンション」等がいる[7]

1990年代前半、テレビ朝日『ザ・テレビ演芸』の審査員をしていた山藤章二の支持を受け(他の審査員はキリングセンスを支持していた)、関東期待の若手芸人としてテレビ・ラジオ等で活躍。同時期に人気を博したホンジャマカと共に、当時の人気力士に準えて「お笑い界の」とも称され、各局にレギュラー番組を持った。しかし1990年代半ば頃からメディア露出の機会が減り、しばらく不遇の時期を過ごした。当時、『ボキャブラ天国』の出演打診を受けるも大竹は断った。後に番組はヒットし、ボキャブラブームが到来する。その後番組から途中出演の打診を受けるも「一度決めたことを今更変えられない」という想いを固持し続け、『ボキャブラ天国』への出演はなかった。その後は主な活動の場を舞台へと移し、コンスタントにライブ活動を続けていた。

さまぁ〜ず時代

2000年に出演した『新ウンナンの気分は上々。』(TBS系)の企画において、コンビ名を「さまぁ〜ず」に強制的に改名させられた(後述)。これをきっかけに再び世間の注目を集め出し、三村独特の「 - かよ!」に代表されるツッコミ芸(通称「三村ツッコミ」)が認知され再びブレイク。これを足掛かりに徐々にその活動の場を広げていった。

2000年以後は人気が定着、お笑いブームの中にあって、ゴールデンタイムから深夜番組まで、八面六臂の活躍が出来る中堅芸人としてテレビ番組を中心に活躍。舞台、書籍などでも活動している。

2003年、第41回ゴールデン・アロー賞芸能賞受賞[8]

2007年フジテレビNHKを除くキー局で新番組が開始するなど飛躍。深夜のレギュラーが多いことから「深夜の帝王」という異名を付けられた[9]

2010年、大竹が第10回M-1グランプリ決勝の審査員に選ばれた。最終決戦では笑い飯に投票し、笑い飯が優勝した。

2011年、大竹が第10回M-1グランプリに引き続き、THE MANZAI 2011の決勝審査員に選ばれる(2012年からは時間帯変更によりモヤモヤさまぁ〜ず2と放送時間が重なった影響で、選ばれなかった)。

2014年7月、日本テレビ系で新番組ネリさまぁ〜ずが開始し、NHKを含む全てのキー局で同時にレギュラー番組を持つ[10]

同年10月9日、第31回ベストジーニスト2014で協議会選出部門で受賞[11]

2015年・2016年は、コンビでキングオブコント決勝の審査員を担当。

芸風

深夜帯のトーク系バラエティ番組が多いことから、テレビタレントとしてのさまぁ〜ずの芸風は「ユルい」と評されることが多い。これについて三村は「ユルいことやってるつもりはないけどそう見られる」、大竹は「ユルいは俺らにとってあまりいいことじゃないのに」と語っている。

芸風はコントで、ネタ作りは2人が共同で行う。大竹がネタの大半を作り、三村がツッコミのフレーズを考える。大竹の「大竹ワールド」とも称されるシュールなボケと三村の「〜かよ!」に代表される豪快なツッコミが特徴的で、ダウンタウンの漫才の芸風に似ていると言える。「〜かよ!」は三村の持ちネタに思われがちだが、大竹も使っている。毎年(2005年以降は2年に1回)開催している単独コントライブはチケットが即日完売するほど人気や評価が高い[12]。メンバーは自分たちの本分は舞台コントにあると考えており、多くのレギュラー番組を持っている2011年現在でも、コントライブに重きを置いており、「東のコント職人」と評されている。テレビでは、コントをベースとした漫才(コントでは使用する道具を使用しないなど)を披露することもある。他にも、大竹の考えたダジャレをコントのネタに織り込んだり、三村が提示されたフリップに対してひたすら「○○かよ!」とツッコミをいれる芸もテレビで披露することがある。

爆笑問題太田光は、バカルディは「シュールなコントの草分け」で、シュールを売りにした若手がやっているネタも全部バカルディが元だ、と語っている。爆笑問題が事務所を独立して仕事がなかった際にはバカルディの活躍を見て奮起したという[13]

即興芸の場では2人ともに下ネタを好み、セクハラネタも多い。下ネタやセクハラをしすぎてBPOに苦情が来たことがあるほどであるが、オリコン調べの「好きな男性芸人ランキング」(2008年)では総合9位(明石家さんまと同率)、男性回答だと3位。同調査だと女性回答では5位圏外だが[14]、情報誌『日経エンタテインメント!』が毎年行っている「好きな芸人嫌いな芸人ランキング」では男女での支持の差は、それほどない[15]。また、同調査では若い世代ほど彼らを支持している傾向にあり、同誌はそれを「冠番組のほとんどが深夜帯であるため、視聴者層がそのままランキングの結果に反映されているのでは」と分析している[15]

漫才形式のネタの際は、登場時の「つかみ」として、汗を拭うフリをしながら「夏だからっ、さまぁ〜ず!」と言うものがある(夏以外の場合は「○○なのに、さまぁ〜ず!」となる)。このつかみの原案を考えたのは有田哲平(後述の改名対決の際)だが、ほとんどの場合大竹はこの動作をやらず、苦笑いで無視し、三村に「やれよ!」とつっこまれる。また主にネタ見せ番組などでの出囃子(登場する際のBGM)として、TUBEの『SUMMER CITY』などが使われる。

デビュー当時はツッコミ・ボケ担当を入れ替えてネタを行っていたが、三村がボケていると自覚する笑顔が不評だったため、ツッコミを担当するようになった。元々は、コント以外のフリートークやバラエティ番組などでも、ボケ(大竹)とツッコミ(三村)の役割がはっきりしたコンビだったが、『内村プロデュース』に出演するようになって以降、こうした番組では両者が等しくボケ合ったり、むしろ大竹がツッコミ役に回ることも多くなった。これについて三村は、「以前はいいボケを思いついても大竹の役割だからと遠慮していたが、『内P』でその遠慮が消えた」と語っている[16]

ゲスト出演した『グータンヌーボ』では「ボケがドSで、ツッコミがドMの珍しいコンビ」という診断結果が出たことがある(精神科医の名越康文による)。実際、コント内でも理不尽な大竹のボケの連続に三村が対応しきれなくなり慌てふためいたところに笑いが起こる、といった状態がよく見られる。

冠番組を多数持つが司会業には苦手意識がある。特に三村は自身の仕切り能力を自己分析した結果「司会はできない」と公言し、周囲も認めている(ただし『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』など司会を務める番組の進行は強制的に三村が担当)。そのためか「さまぁ〜ずに3人目を入れるなら司会進行のできるアナウンサーしかない」と2人の意見は一致している(3人目のメンバーの例として、『Qさま!!』で一緒に進行しているテレビ朝日の清水俊輔アナウンサーを上げている)[7]

笑わず嫌い王決定戦」の常連であり、ゲストが互いの嫌いな芸人を当てるゲームにも関わらず、何故かさまぁ〜ずは毎回優勝を狙っていた。ネタが終わると三村が勝手にゲストのために用意された水を飲み、ナインティナインに小道具を片付けるよう即されて2人で片付けようとし、大竹が片付けるふりをして戻し、三村がつっこむのが定番。この事がきっかけでさまぁ〜ずは再ブレークを果たしている。

エピソード

  • 楽屋が2人とも一緒(『さまぁ〜ず×さまぁ〜ず』など2人だけでトークする一部の番組を除く[17])、新幹線飛行機などの移動の際に隣同士で座るなどから、「仲がいい」と言われることが多い。後者に関して大竹は「隣に知らないおじさんが来るより"知ってるおじさん"が来たほうがいい」と理由を述べている。
  • 喧嘩なども少ないが、理由としては「他の芸人と戦わねばならないのに、コンビで喧嘩をしている場合ではないから」と語っている[18]
  • 共演者などから「想い出が一緒」と言われることがある。高校の同級生から始まったコンビであり、バイトも一緒にしていたことから二人共通の想い出が多いことが所以である。また、童貞を捨てた瞬間も一緒だった。現在でも年末年始などプライベートで別々にハワイに行っても、結局は現地で合流して行動するなど、オフでも一緒にいることが多い。
  • 同じバイト先の仲間で大竹と良い感じだった女の子を三村が好いており、デートに行くのを3人で行ったりしており、結局的に三村は女の子を大竹から略奪。三村は略奪した事を「必然だった」と認め、即座に大竹に「それが今の奥さんです」とバラされた。
  • 互いに性格が似ているらしく、2人とも基本的にやる気は少ない。高校の修学旅行で回らなきゃ行けない場所を無視して2人で喫茶店でずっと喋っていた。
  • 「大竹は神経質で潔癖症。三村はガサツでおおらか。」というイメージがあるが、実際は三村もかなり神経質であり、三村がものすごく気にする事を逆に大竹が全く気にしない事もある。
  • 低迷していた頃、三村は大竹に「バカルディの核は大竹だ。ヨゴレ仕事は全部オレが引き受けるから、お前は思う存分ネタを書け」と言い続けていた[7]
    • あくまで本業はお笑いであると、お笑い系でない仕事を多く断っており、社内では売れていないくせに態度が大きいと不評だったという[18]
    • 三村はその間、ほぼ手しか映らないようなレポーターなどやや毛色の違う分野で活動し、コンビを支えた[19]その一方、大竹は地上波などのバラエティ番組(日本テレビ「ジャムパラ」など)の構成を担当する時期もあった。
    • コンビ愛は強く、三村は『いろもん』ソロで出演した際のことを「俺の面白さに満足するんじゃねぇよ!と思ってた。バカルディには俺の後ろにもっと面白い奴(大竹)が控えてるんだぞ!」と振り返っている[7]
    • 出川哲朗はさまぁ〜ずのコンビ愛の象徴的エピソードとして上記逸話を好むが、大竹曰く「(レポーター等の)ギャラは全て三村のみであり、自分は生活が苦しかったので支えてもらっていたわけではない」と語っている[16]
  • 二人の身長差は特に変らないように見えるが、三村は普段から厚底靴を愛用している。(三村は165cm、大竹170cm)
  • 冠番組にはほぼ全てコンビ名「さまぁ〜ず」、もしくは「さまぁ〜ず」をもじったものが付いている(特に深夜番組)。これはテレビ欄を見たときに誰が出ている番組かすぐに分かるようにするためと、これならさまぁ〜ずに興味のない人はまず見ようとしないだろう、という大竹の戦略によるもの。これを続けている以上、ファンが根強いファンになることはあっても、それ以上増えることも減ることもまずないだろうと二人は語っている[7]
  • テレビ番組でのイメージカラー(名前テロップ、発言テロップ、衣装の色など)について、おおむね大竹は青、三村は赤が多い(「トゥルルさまぁ〜ず」のみ、大竹はピンク)。
  • 伊集院光は、『大石恵三』が視聴率が悪く打ち切られた事がバカルディ時代の低迷・不遇の原因だと指摘している。また、メンバーは当時の自分たちを「クソつまらなかった」と振り返っている[18]
  • 1996年頃、『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)の番組内で三村のツッコミが何度もネタにされた。岡村隆史は当時から三村を「関東一のツッコミ」と呼び、各所で三村のものまねを披露していたようだが、当時の三村の知名度からテレビでそのシーンが放送されることはまれだった。また『めちゃ2イケてるッ!』(フジテレビ系)のコーナー「笑わず嫌い王決定戦」にもコーナー開始当初から出演(一時期、裏番組の、『ビートたけしの!こんなはずでは!!』のレギュラーであったため出演していない時期がある)。これらもまたさまぁ〜ずがのちに再び脚光を浴びる下地となっており、当人たちも様々な場所で「(再ブレイクは)ナインティナインのおかげ」と語っている[18]
  • 2人とも、学生時代からビートたけしが憧れの芸人である[7]。また、北野武監督作品の映画のファンであることも公言している。お笑い芸人としてはとんねるずウッチャンナンチャン(特に内村光良を大変尊敬している)から、タレントとしてはタモリ、芸風としてはダウンタウンの影響が強い。尚、お笑いタレントでは唯一、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンといったお笑い第三世代の3組と昔から今現在までそれぞれ交流を持っている。
  • 所ジョージはバカルディ時代から「俺は面白いと思うよ。俺が面白いだけで売れないかもしれないけどね」とそのコントを評価している[7]
  • 下ネタセクハラも辞さず、既に「エロ芸」の域まで高めている2人だが『モヤさま』アシスタントをしていた大江麻理子アナは「さまぁ〜ずのお二人は普段非常に紳士的。だからセクハラも気にならない」と語っている[18]
    • また、その芸風でBPOに苦情が寄せられたことがあった[20]
  • ズージャ語、いわゆる「業界用語」をおどけて使うことが多い(「ションテン(=テンション)が下がる」「ルーシー(=汁)が出る」など)。
  • 事務所の後輩優香には兄と慕われている。さまぁ〜ずが『新堂本兄弟』に出演した際VTRコメントを寄せ、「さまぁ〜ずのお二人は、本当にカッコいいです。ルックスとかではなくて、ネプチューン名倉さんや、つぶやきシローさんなど、自分たちも売れていない頃から、後輩に対する面倒見が本当に良いのがすごいと思います」「ホリプロにタレントさんとして入ったばかりの女の子は、皆一度はさまぁ〜ずさんに惚れる」とも発言している。「A-Studio」出演の際は、「大竹の結婚には嫉妬してしまった」「仕事でどん底まで落ち込み部屋で塞ぎ込んでいたとき、親よりも先に三村に電話した」というエピソードを披露している。
  • 『Qさま』が深夜帯での放送だった際、VTR中でプレゼンターの青木さやかが意味も無く切れているようなシーンがあった。その収録後、司会だったさまぁ〜ずの2人はスタッフに対し、「青木は意味もなく切れるヤツじゃないから、切れる前のくだりがあっただろ? そこをカットしたら青木が悪い感じに思われるじゃないか」とクレームを付けた。そのことを人づてに聞いた青木は大変感激したという[21]
  • 出川哲朗ネプチューンキャイ〜ンよゐこTIMらと共にウンナンファミリーと呼ばれている[22]
  • 2010年はリリースしたさまぁ〜ず関連のDVDが30本を超えた。冠番組のDVDについて大竹は「気がついたらこんなに増えていた」「DVDに相応しくないものは出したくないっていうスタンスじゃないとダメ」、三村は「あらかじめDVDにしますって番組が始まるのが一番嫌い。結果、作品としてよかったらDVDにしてくださいって言っています」と述べている。
  • 携帯普及後まもなく二人で一緒に契約しにいった為、携帯番号が2数字しか違わない。その為お互いに相手の番号を覚えている[23]
  • 両者とも好きなミュージシャンはサザンオールスターズで共通しており、桑田佳祐とも交流がある[24]
  • 二人とも同じ美容室に通っている。また、偶然だが同じ美容室に通っている芸能人には桑田佳祐原由子夫妻がいる[25]
  • 桑田佳祐は大竹・三村の才能を認めており、『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』(フジテレビ)の収録中に前述の美容院の美容師を通して「なんかいいボケがないか、大竹ちゃんに訊いてくれる?」と尋ねたこともあったといい、収録では大竹が提案したボケを行ったものの、オンエアではその部分はカットされたという逸話が存在する[24]。また、三村は自身がデザインしたTシャツを桑田にプレゼントしたことがあり、桑田の映像作品にも三村がデザインしたTシャツを着た姿が写された事もある[26][27]
  • さまぁ〜ずのアシスタントを務める独身女性は番組の途中や、卒業してすぐに結婚するジンクスがある。(大江麻理子狩野恵里優香あびる優など。)

改名のエピソード

TBS系列のバラエティ番組『新ウンナンの気分は上々。』において、海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)と因縁の対決として数々の企画が組まれた。当初は芸能界引退を賭けた勝負だったが、いずれも未経験な競技ゆえに試合が白熱してしまい最初は洒落だと思っていたものが徐々に現実味を帯び始め、3回目の対決となった2000年10月20日放送分において陸上競技対決を行い、敗れた方が罰としてコンビ名を屈辱的な名前に改名させられることになった。敗れたバカルディは半年間(後にもう半年延長)「さまぁ〜ず」として活動する憂き目に遭った。

「さまぁ〜ず」というコンビ名は内村光良によって命名された(原案は対戦相手である有田哲平が考案した)。由来は同番組内で二人が好きな物を質問された際に、三村・大竹とも「夏」と答えたことによる。脱力感のあるひらがなと「〜」の表記、また「バカルディ」の名に愛着が湧いていたこともあり、改名決定直後の本人たちは大きな抵抗があったが、所属事務所の対応はスムーズで、社内外の資料や仕事先での応対などは瞬く間に「さまぁ〜ず」に移行したという。

当初この改名は期間限定だったが、その期限が過ぎる頃になると徐々にブレイクして「さまぁ〜ず」で定着し始めた。2001年3月30日に「さよならさまぁ〜ず」と題して番組初の生放送でバカルディへの再改名をかけて再び卓球対決が行われ、白熱した挙句放送時間に間に合わずに終了し、その翌週さまぁ〜ずが負けたことが放送された。この白熱は後に「ものすごい葛藤があったから」と三村は語っており、この放送翌日から「さまぁ〜ず」として腹を括ったという[28]。その後ビーチバレー対決(2001年9月28日放送)の際は有田哲平が、さまぁ〜ずが負けたら個人の芸名をそれぞれ「ビーチ三村」と「大竹すいか割り」にする条件を突きつけたが、結果は海砂利水魚の負けとなり、これにより海砂利水魚は「くりぃむしちゅー」に改名する。

しかし、お笑い芸人の看板とも言うべきコンビ名を安易に変えてしまった内村はその責任を重く感じ、その後両コンビ(特にさまぁ〜ず)を自身のレギュラー番組などで積極的に起用していった。これが不遇の時期を過ごしていた両コンビに世間の目に触れる機会を与え、後のブレイクと現在の活躍を後押しする形となった。内村さまぁ〜ず135回では三村の口から、当時会う度に謝罪されていたことが明かされた。

めちゃイケでは、笑わず嫌い王決定戦に常連出演しており、第1回当時は「バカルディ」であったが、第2回以降は現在の「さまぁ〜ず」に改名していた。そこで、「めちゃイケ大百科事典」では、どちらで用語を収録すればいいかとめちゃイケメンバーが伺いに行ったことがあり、その際に三村が「じゃ、いいよバカルディで」といったことから、「バカルディ」の項目で収録されることになった。

出演

テレビ番組

現在の出演番組

レギュラー

スペシャル

ネット配信

過去の出演番組

「バカルディ」時代を含む。

レギュラー

その他

スペシャル

ネット配信

  • 所さんの真剣ゴルフ対決! 〜勝てるものならかかってきなさい〜(GyaO

ラジオ

CM

映画

舞台

  • ハンブン東京(2007年11月16日 - 18日)
  • こどもさんかん日(2008年11月26日 - 30日)
  • エルダーソルジャーズ(2009年11月26日 - 12月1日)

ゲーム

DVD/CD

DVD

  • バカルディライヴV せんたくもん[34] (1994年、全労済ホールスペース・ゼロ)絶版
  • バカルディライヴX 〜サラダで白飯くえねーよ![35](1997年、銀座博品館劇場
  • バカルディライヴ なまたまごかけ御飯[35](1998年、青山円形劇場
  • バカルディライヴXII 少年と犬と公園と私[35](1999年、新宿シアターアプル)
  • 冬なのにさまぁ〜ずライブ[35](2000年、朝日生命ホール
  • さまぁ〜ず ライブ2[35](2001年、グローブ座
  • さまぁ〜ず ライブ3[35](2002年、天王洲アートスフィア
  • さまぁ〜ず/バカルディライブ DVD-BOX[35](ライヴXからさまぁ〜ずライブ3までのDVDをまとめたもの。マイナスターズのCD付き)
  • さまぁ〜ず ライブ4[35](2003年、天王洲アートスフィア)
  • さまぁ〜ず ライブ5[35](2005年、原宿クエストホール)
  • さまぁ〜ず ライブ6[35](2007年、恵比寿ザ・ガーデンホール)
  • さまぁ〜ず ライブ7[35](2009年、恵比寿ザ・ガーデンホール、初回限定版はおまけ付き)
  • さまぁ〜ず ライブ8[35](2011年、天王洲 銀河劇場、初回限定版はおまけ付き)
  • さまぁ〜ず ライブ9[35](2013年、天王洲 銀河劇場、初回限定版はおまけ付き)
  • ライブミランカ さまぁ〜ずトークLIVE 三村もいるよ! (2006年、原宿BlueJayWay)
    • ミランカVOD配信されていたソフトのDVD化。ネオから発売。
  • さまぁ〜ずの笑ってキレイ!(ビデオヘッドクリーナ内収録、TDK
  • バカルディーの通販コント「ほっぷ、すてっぷ、じゃんぷ通信販売&契約」(1991年、啓発用ビデオ(社)日本消費生活アドバイザー・コンサルタント協会[1])一般流通はしていない。

CD

  • ヤリー BE GOOD!(1998年07月23日) - ヤリリン・クリリン名義、プロミスCMソング
  • 逆境ファイター(2006年7月19日、コーラス、所ジョージアルバム「安全第二」収録、総合格闘家・所英男入場曲)
  • 「NO PLAN」として、シングル2枚、アルバム3枚、DVD3枚リリース。
  • 「マイナスターズ」として、シングル・アルバム・DVDを1枚ずつリリース。

書籍

  • さまぁ〜ずの悲しいダジャレ(2003年、宝島社
  • RUN! DOG! RUN! さまぁ〜ずの紙コント(2003年、角川書店
  • ドッグとキャットとトリとほか(2003年、光文社
  • さまぁ〜ずの悲しい俳句(2004年、宝島社)

脚注

  1. 1.0 1.1 ホリプロオフィシャルサイト さまぁ〜ず”. ホリプロ. . 2011閲覧.
  2. いろもん弐』1999年10月29日放送回、日本テレビ
  3. 3.0 3.1 リンカーン』2010年5月4日放送回、TBS
  4. バナナマンのバナナムーンGOLD』2010年10月22日放送回、TBSラジオ
  5. 例として、ジャンプ・コミックスこちら葛飾区亀有公園前派出所』第78巻巻末に2人がコメントを寄せた際は、この表記が用いられていた。
  6. 象印クイズ ヒントでピント』にゲスト出演した際、コンビ名の由来を尋ねられた大竹は「最初は『バカ』というコンビ名にしようと思った」と語っている。
  7. 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 7.5 7.6 QuickJapanvol.85 「22年目のさまぁ〜ず」内の20000字インタビューより
  8. GOLDEN ARROW AWARDS 受賞者一覧”. 社団法人日本雑誌協会. . 2011閲覧.
  9. 「人気者の賞味期限『PARTお笑い芸人編 芸歴15〜20年「ミドル世代」が人気のワケは?』」、『日経エンタテインメント!』第12巻第5号、日経BP社、2008年4月、 p.42。
  10. “さまぁ〜ず、地上波全局同時レギュラー! 日テレで4年ぶり新バラエティー”. ORICON STYLE. (2014年7月9日). http://www.oricon.co.jp/news/2039564/full/ . 2014閲覧. 
  11. “ベストジーニスト キスマイ藤ケ谷&ローラが受賞!マー君は特別賞”. スポニチ. (2014年10月9日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/10/09/kiji/K20141009009071940.html 
  12. 大竹の「M-1グランプリ2010」登場時の紹介ナレーション
  13. 2009年12月19日放送『王様のブランチ』内にて発言
  14. “好きな男性芸人は「世界のナベアツ」と「チュートリアル」が同率首位”. オリコン. (2008年7月9日). http://contents.oricon.co.jp/news/ranking/56184/full 
  15. 15.0 15.1 「2008年版お笑い芸人人気ランキング 好きな芸人嫌いな芸人」、『日経エンタテインメント!』第12巻第8号、日経BP社、2008年4月、 pp.36,37。
  16. 16.0 16.1 雑誌「QuickJapan」(第74号、2007年10月刊)のインタビューにて。
  17. 「さまぁ〜ず×さまぁ〜ず DVD-BOX (1・2)」特典DVDなど。
  18. 18.0 18.1 18.2 18.3 18.4 日刊スポーツ、2011年7月10日付紙面 p.10
  19. 発足したてのフジテレビ739で毎週土曜昼過ぎから放送されていた『CXスポーツサンデー』では三村のみが出演(MC)。
  20. 2016年11月に視聴者から寄せられた意見 【番組全般・その他】
  21. 2012年1月12日『ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツ!』
  22. QuickJapan vol.88 ウッチャンナンチャンのインタビューより
  23. 2013年5月4日 『さまぁ〜ず×さまぁ〜ず』
  24. 24.0 24.1 「別冊カドカワ 総力特集 桑田佳祐」P133 - 135より。 角川書店 2011年
  25. 三村マサカズ @hentaimimura 2015年4月30日6:21 のツイート
  26. 2016年3月4日のツイート
  27. 2016年1月9日のツイート
  28. 「ウンナンの気分は上々。ベストセレクション」p142-
  29. さまぁ~ずが太鼓判 フジ新人・宮司アナ「下ネタ、ウェルカムです!」”. ORICON STYLE (2015年10月5日). . 2015閲覧.
  30. Inc., Natasha,. “さまぁ~ずがワンテイクドラマに挑戦、のん、芦名星ら豪華ゲストと反省会も(動画あり / コメントあり) - お笑いナタリー” (日本語). お笑いナタリー. . 2018閲覧.
  31. “さまぁ~ず、ダリ展の応援団に就任「だり(誰)よりも光栄」”. お笑いナタリー. (2016年8月25日). http://natalie.mu/owarai/news/199306 . 2016閲覧. 
  32. “「ムーミン」声優にさまぁ〜ず!三村「俺らにピッタリ」”. シネマトゥデイ. (2014年12月19日). http://www.cinematoday.jp/page/N0069213 . 2014閲覧. 
  33. Wii アッコでポン!~イカサマ放浪記~|キャラクター” (日本語). www.success-corp.co.jp. . 2018閲覧.
  34. 株式会社ハゴロモより発売されている。
  35. 35.00 35.01 35.02 35.03 35.04 35.05 35.06 35.07 35.08 35.09 35.10 35.11 35.12 ポニーキャニオンより発売。

関連項目

外部リンク

テンプレート:さまぁ〜ず

テンプレート:天才てれびくん司会者 テンプレート:笑っていいとも!