いしだあゆみ

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いしだ あゆみ
出生名 石田 良子(いしだ よしこ)
生誕 (1948-03-26) 1948年3月26日(76歳)
出身地 長崎県佐世保市
学歴 上野学園高等学校卒業
ジャンル 歌謡曲
活動期間 1960年 -
レーベル ビクターレコード
(1964年-1968年)
日本コロムビア
(1968年-1980年)
アルファレコード
(1981年-1984年)
CBS・ソニー
(1985年)
トーラスレコード
(1986年)
事務所 イザワオフィス
公式サイト プロフィール

いしだ あゆみ1948年3月26日 - )は、日本のアイドル、歌手、女優。本名は石田 良子(いしだ よしこ)。イザワオフィス所属。

長崎県佐世保市生まれ、大阪府池田市育ち。上野学園高等学校卒業[1]

実姉はフィギュアスケートグルノーブルオリンピック代表の石田治子、実妹は歌手の石田ゆり、石田ゆりの夫にあたる義弟は小説家・作詞家のなかにし礼

来歴

4人姉妹の次女。生後2か月で肺炎にかかり、瀕死のところ佐世保の米軍基地の病院でペニシリンによって助けられた。フィギュアスケート選手を経て芸能界にスカウトされ、1960年梅田コマ劇場で初舞台を踏む。児童劇団ともだち劇場で泉田行夫の指導を受けた。

1962年に上京し、いずみたくに師事。1962年4月20日ソノブックス社よりソノシートで『夢みる恋(原題:Walkin' Back To Happiness)』を本名の「石田良子」名義で発表。1964年『ネェ、聞いてよママ』で「いしだ・あゆみ」[2]名義でレコードデビューを果たし、テレビドラマ七人の孫』にも出演する。1968年6月、イメージチェンジと歌手活動に専念のためレコード会社を日本コロムビアへ移籍。同年12月に発売された『ブルー・ライト・ヨコハマ』が1969年初頭から大ヒットし、150万枚の売り上げを記録[3]NHK紅白歌合戦に1969年から1977年まで9年連続出場、1993年には16年ぶりに復帰し通算10回出場した。

1979年、所属していた渡辺プロダクションから分社化したイザワオフィスザ・ドリフターズなどと共に移籍し、その後は次第に女優業へ主軸を移す。

1977年、『青春の門 自立編』での演技で報知映画賞助演女優賞を受賞。

1982年の『野獣刑事』ではヌードにもなり、細身の身体と裏腹に豊満な乳房を披露し、当時の芸能マスコミはこぞって取り上げた(『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』との両作品で第6回日本アカデミー賞主演女優賞を獲得)。

1986年の『火宅の人』では、報知映画賞、ブルーリボン賞第10回日本アカデミー賞主演女優賞など受賞(→ #受賞)。 同年の映画『時計 Adieu l'Hiver』ではフィギュアスケートのコーチを演じている。

テレビドラマでは『北の国から』や『金曜日の妻たちへ』に出演して当たり役となる。

1989年上半期の『青春家族』のヒロイン清水美砂とともに務め、放送時点41歳で当時としてはヒロイン史上最年長だった。2003年下半期に放送された連続テレビ小説『てるてる家族』で上原多香子が演じた岩田夏子はいしだがモデルで、自らもクラブの歌手で出演した。

渡哲也とのデュエット「わかれ道」では1986年12月11日放送の「ザ・ベストテン」のスポットライトのコーナーに出演した。

長く新曲の発表がなかったが、2008年1月に『ラジオ深夜便』のコーナー「深夜便のうた」の1曲として久々の新曲「オアシス」を作詞・阿木燿子、作曲・宇崎竜童で発表。同番組で同年3月まで流された。「オアシス」はNHKサービスセンターが刊行している『ラジオ深夜便年鑑2008』の付属CDと「深夜便のうた」のオムニバスCDで聞くことができるのみである。

人物

千葉真一の熱狂的ファンで、仕事の合間を縫いながら必ずテレビドラマ『キイハンター』を観ており、千葉と会ったときには「大ファンです」と伝えている[4]1979年の映画『闇の狩人』や主演したテレビドラマ『雪の朝に』(1987年5月1日)では恋人役で念願の共演を果たした。

テレビドラマ『祭ばやしが聞こえる』で共演した萩原健一1980年に結婚したが、1984年に離婚した。萩原は後に自叙伝「ショーケン」で、実際に2人は1度も籍を入れておらず、事実婚(内縁状態)であったと告白した。しかし『週刊新潮』2008年4月3日号の記事(『「ショーケン自伝」いしだあゆみと「未入籍」はウソだった』)によると、「未入籍は事実ではなく、萩原健一も実際には入籍していたことを認めた」とのことである。

ディスコグラフィー

シングル

  1. ネェ、聞いてよママ (1964.04)
  2. サチオ君 (1964.06)
  3. 誰だって一人じゃない (1964.08)
  4. 素敵なパパ (1964.08) 森繁久彌とのデュエット
  5. 東京の夜は更けて (1964.08)
  6. 先生を好きでした (1964.09)
  7. サミーのマーチ (1964.09)
  8. ブーベの恋人 (1964.11)
  9. 赤い花びら飛んでゆく (1964.12) 松島アキラとのデュエット
  10. みどりの乙女 (1965.02)
  11. アッちゃん (1965.03)
  12. 愛さなければよかった (1965.08)
  13. ガムとチョコ (1965.09)
  14. わたしのことだけ (1965.11)
  15. 若い野ばら (1965.12)
  16. 夢みる17才 (1966.04)
  17. 愛のマーチ (1966.05)
  18. さいはての湖 (1966.07)
  19. パイナップル・ラブ (1966.08)
  20. 黄色いハンカチ (1967.04)
  21. 恋のシャドー (1967.05)
  22. こまらせたいの (1967.09)
  23. 小雨の思い出 (1968.02)
  24. 太陽は泣いている (1968.06.10) - オリコンチャート(以下同)18位 ※1971年11月に両A面シングル「夢でいいから/太陽は泣いている」として再発売
  25. ふたりだけの城 (1968.09.25)
  26. ブルー・ライト・ヨコハマ (1968.12.25) - 1位 ※1991年7月21日に両A面8cmCDシングル「ブルー・ライト・ヨコハマ/あなたならどうする」として再発売
  27. 涙の中を歩いてる (1969.04.15) - 10位
  28. 今日からあなたと (1969.08.01) - 7位
  29. 喧嘩のあとでくちづけを (1969.11.25) - 7位
  30. あなたならどうする (1970.03.25) - 2位
  31. 昨日のおんな (1970.07.15) - 8位
  32. 何があなたをそうさせた (1970.10.01) - 12位
  33. 止めないで (1971.02.10) - 20位
  34. 砂漠のような東京で (1971.05.10) - 3位
  35. おもいでの長崎 (1971.08.25) - 10位
  36. さすらいの天使 (1972.01.25) - 18位
  37. まるで飛べない小鳥のように (1972.07.25) - 45位
  38. 生まれかわれるものならば (1972.11.10) - 43位
  39. 愛愁 (1973.02.25) - 51位
  40. 渚にて (1973.06.10) - 52位
  41. 愛の氷河 (1973.09.10) - 42位
  42. 幸せだったわありがとう (1974.01.25) - 42位
  43. 恋は初恋 (1974.04.25) - 54位
  44. 美しい別れ (1974.08.01) - 74位
  45. 家路 (1974.12.01)
  46. 待ちわびても (1975.04.01)
  47. 時には一人で (1975.11.10) - 83位
  48. とまどい (1976.05.01)
  49. ちょっと淋しい春ですね (1977.04.01)
  50. 港・坂道・異人館 (1977.11.01)
  51. 今夜は星空 (1978.07.01)
  52. 大阪の女(ひと) (1978.10.01)
  53. マイルド・ナイト (1979.06.10) - 86位
  54. マイルド・ロマン・ロック (1980.06.25)
  55. 赤いギヤマン (1981.11.21)
  56. 羽衣天女 (1985.09.21) - 78位
  57. わかれ道 (1986.11.21) 渡哲也とのデュエット

オリジナルアルバム

  • ブルー・ライト・ヨコハマ (1969.04.25)
  • 砂漠のような東京で (1971.06.10)
  • スクリーン・ラヴ・テーマ (1972.03.10)
  • ファンタジー (1972.12.10)
  • 美しい別れ (1974.08.25)
  • アワー・コネクション (1977.04.25)
  • いしだあゆみ (1981)

ライブアルバム

  • マイ・ファースト・リサイタル (1970.01.10) - 1969年10月27日のサンケイホール
  • あゆみ オン・ステージ (1973.03.25) - 1972年12月20日の新宿ムーランドール
  • あゆみ オン・ステージ (1973.07.25) - 1973年4月26日の帝国劇場
  • リサイタル 1974 (1974.07.25) - 1974年5月

紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1969年(昭和44年)/第20回 ブルー・ライト・ヨコハマ 02/23 千昌夫
1970年(昭和45年)/第21回 2 あなたならどうする 19/24 舟木一夫
1971年(昭和46年)/第22回 3 砂漠のような東京で 16/25 村田英雄
1972年(昭和47年)/第23回 4 生まれかわるものならば 09/23 青い三角定規
1973年(昭和48年)/第24回 5 ブルー・ライト・ヨコハマ(2回目) 02/22 西郷輝彦
1974年(昭和49年)/第25回 6 美しい別れ 21/25 春日八郎
1975年(昭和50年)/第26回 7 渚にて 21/24 春日八郎(2)
1976年(昭和51年)/第27回 8 時には一人で 12/24 橋幸夫
1977年(昭和52年)/第28回 9 港・坂道・異人館 16/24 フランク永井
1993年(平成5年)/第44回 10 ブルー・ライト・ヨコハマ(3回目) 08/26 渡哲也 第1部トリ

(注意点)

  • 対戦相手の歌手名の( )内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。

出演

テレビドラマ

NHK
日本テレビ系
TBS系
フジテレビ系
テレビ朝日系
テレビ東京系

映画

舞台

バラエティ

CM

受賞

脚注

  1. 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.531
  2. 永六輔『芸人その世界』第九刷、文藝春秋、1972年、279頁。以下引用 “(前略)名づけ親ということになっているのは「いしだあゆみ」(後略)” 引用終了。 ……と、永六輔は自身が芸名の名付け親か否かをぼかしている。いしだあゆみ自身は土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界のゲストコーナー「乙女探検隊が行く〜関東新地図」に出演した際に「お世話になった方の娘さんの名前からいただいた」と、永六輔が名付け親という説を否定している。
  3. AERA』1990年3月27日号。
  4. 「表紙のおしゃべり」、『月刊平凡』12月号、マガジンハウス1969年

外部リンク

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