高橋英樹 (俳優)

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高橋 英樹(たかはし ひでき、1944年2月10日[1] - )は、日本俳優[1]タレント司会者千葉県木更津市出身[2]。身長181cm、体重80kg、血液型はB型[1]所属事務所アイウエオ企画[2]。また、同社の取締役も兼任。。

妻は高橋所属事務所の取締役でもある小林亜紀子。長女はフリーアナウンサー高橋真麻

来歴

生い立ち - 日活時代

父親は教職者で、高校の校長を務めた[3]。命名は当時の東條英機首相に因んだものである[4]

船橋市立二宮小学校千葉市立検見川小学校千葉市立緑町中学校を経て、私立市川高等学校入学。

1961年、高校在学中に日活ニューフェース第5期として日活株式会社に入社。第5期の同期には、中尾彬竜崎勝高島郷高島彩の父)がいる。同年の映画「高原児」でデビュー。

1962年(昭和37年)、撮影所内で事故死した赤木圭一郎の代役として日活より『激流に生きる男』で主演格となる。大部屋(仕出し)を経験せず、いきなり役付きで出演するという、当時の新人俳優としては異例のデビューであった[注釈 1]

1962年に日本大学芸術学部入学(翌年に中退[3])。

1963年(昭和38年)、『伊豆の踊子』では吉永小百合の相手役を務める。この年から数年間、『男の紋章』シリーズを初めとする任侠映画の主演スターとして活躍するようになる。この時期、浅丘や浜田光夫など日活の若手俳優の多くが裕次郎を慕って石原プロモーションに在籍する中、堅実かつ貪欲に自らの可能性を探っていた高橋は淡島千景の事務所に所属。

1966年(昭和41年)には青春映画けんかえれじい』の主役・南部麒六を演じた。しかし、映画界の斜陽、観客数減少に歯止めがかからず、日活は1971年(昭和46年)秋に低予算のポルノ映画制作に路線変更が決定する。これを機に高橋は日活を離れ、本格的にテレビへ活躍の場を移す。

1968年(昭和43年)、NHK大河ドラマ竜馬がゆく』で土佐勤王党の盟主・武市半平太役で時代劇初出演。及び、1970年(昭和45年)の『旗本退屈男』(フジテレビ系)にも主演。これらを皮切りに1970年代から1990年代前半にかけて時代劇俳優としての地位を確立する。

1973年(昭和48年)、松竹作品の映画『宮本武蔵』(監督:加藤泰)に主演。以降も原点である映画への思いは持ち続けていたが1976年(昭和51年)以降は映画から離れている。

1976年(昭和51年)の『桃太郎侍』(日本テレビ系)、1982年(昭和57年)の『遠山の金さん』(テレビ朝日系)1987年(昭和62年)からは『三匹が斬る!』(テレビ朝日系)に主演し、いずれも自身の代表作の1つとなる。

その後はテレビ・舞台を中心に活動し、時代劇のみならず現代劇作品やバラエティ番組への出演など多岐にわたる。

2010年以降

2010年(平成22年)6月に、総務省から「地デジ化応援隊」隊員のひとりに選ばれた。他のメンバー5人[注釈 2]とともに、アナログテレビジョン放送終了までの1年間、ボランティアの形でCMや地デジ推進イベントに出演、アナログ放送終了に向け、地デジへの切り替えを呼び掛けた。

2011年(平成23年)、芸能生活50周年の節目にアニメーション作品『劇場版ポケットモンスター ベストウイッシュ ビクティニと黒き英雄 ゼクロム・白き英雄 レシラム』で、ポケモンゼクロム役として初めてアニメ声優に挑戦した[5]。同時に、声の出演ながら36年ぶりに映画に復帰することともなった[6]。司会を務めている同年の『第33回隅田川花火大会』テレビ中継(テレビ東京)[注釈 3]では、小さな女の子からポケモンの出演者と気付いてもらえたエピソードを語った。

2012年(平成24年)4月、神奈川県横浜市に本社を置くブリーズベイホテル名誉支配人に就任した。

2013年(平成25年)3月16日東京都台東区立浅草公会堂で行われた『第29回浅草芸能大賞授賞式』および『第30回浅草名人会』並びに平成24年度『スターの手型』顕彰式に出席。第29回浅草演芸大賞・大賞を受賞[7]

2014年(平成25年)1月2日テレビ東京で放送された新春ワイド時代劇影武者徳川家康』で石田三成の家臣、島左近役で出演[8]。高橋は1998年(平成10年)4月 - 7月、テレビ朝日で同作品が連続ドラマとして放送された際、主人公である徳川家康と世良田二郎三郎の二役を演じている。ちなみにこの時の島左近役は寺田農だった[9]

時代劇俳優として

大河ドラマ

1968年(昭和43年)、NHK大河ドラマ司馬遼太郎原作の『竜馬がゆく』で土佐勤王党の盟主・武市半平太を演じる。これが初の時代劇出演となり、以後高橋は大河ドラマには欠かせないキャストとなる。特に司馬原作の作品では重要な役柄を演じており、司馬の存命中に大河ドラマとなった作品にはすべて出演している。

その後大河ドラマでは、1973年(昭和48年)の『国盗り物語』では織田信長を演じている(他の作品を含めて織田信長役について詳しくは後述)。1977年(昭和52年)の『花神』では司馬の肝煎りで河井継之助を、1990年(平成2年)の『翔ぶが如く』では島津久光を演して芸域を広げている。また、2008年の宮尾登美子原作『篤姫』では久光の兄島津斉彬を演じた。2015年の『花燃ゆ』では、島津斉彬と次期将軍問題で対立していた井伊直弼を演じる。

織田信長役について

先述の1973年の『国盗り物語』ではストーリー後半の主役である織田信長を演じ、当たり役となる[注釈 4]。司会を務める歴史番組『日本史探究スペシャル ライバルたちの光芒〜宿命の対決が歴史を動かした!〜』(BS-TBS)では信長を取り上げるたびに「自分は信長の生まれかわり」、「信長を演じる時は、台詞を覚えなくても自然と出てくる時がある」と公言するほど入れこみ、信長役が自らにとってターニングポイントだった事を認めている。

『国盗り物語』の後、しばらくは高橋に信長の強烈なイメージがついてまわり、イメージの払拭、また様々な経験を積むため、しばらくの間は数多く寄せられた信長役での出演依頼を断っていた。しかし、19年を経た1992年(平成4年)の正月時代劇『戦国最後の勝利者・徳川家康』(テレビ朝日系)で久々の信長役を受け、1994年(平成6年)にはテレビ東京系『12時間超ワイドドラマ 織田信長』に主演、年輪を重ねたうえでの新たな信長像に挑んでいる。

他の時代劇での代表作

民放では数々の時代劇に主演した。1970年(昭和45年)の『旗本退屈男』(フジテレビ系)を皮切りに1970年代から1990年代前半にかけて時代劇俳優としての地位を確立する。

『桃太郎侍』では主役を務めるも、当初の設定は「基本的に人を斬らず、諭して改心させる」というもので、長屋の喧嘩を諌めるような人情話もあり、放映当初の視聴率は芳しくなかった。ある日主題歌を歌っていた三波春夫とゴルフをしていた際、三波から「桃太郎、お地味ですねえ。もっと時代劇はすっきりしないと。高橋さんはお派手がお似合いですよ。」と言われた。これをきっかけに、高橋の提案でそれまで原作に沿った“峰打ち”だったものを、大人数を斬り捨てる派手な殺陣に変え、クライマックスの衣装を黒の着流しから三波ばりの絵柄の入った派手なものにした。さらに登場の際には般若の面を被り、高倉健任侠映画からヒントを得て[10]「ひとつ、人の世の生き血を啜り…」と、殺陣のさなかに口上を述べるように変えたところ、人気が急上昇し、その後番組は5年間にわたり継続された。

『遠山の金さん』では、「刀を持たない町人(に扮した遠山金四郎)の武器」として、濡らした手拭いを使った殺陣が人気となった。また『三匹が斬る!』では、役所広司春風亭小朝とのコンビネーションが人気となり、1995年(平成7年)まで7シリーズが制作されている。高橋は6作目まで、リーダー格の「矢坂平四郎」役を演じた。

その他の時代劇

テレビ東京系の正月恒例の新春ワイド時代劇では、同番組の前身である『12時間超ワイドドラマ』と銘うたれていた1991年に『次郎長三国志』で初めて主演、1994年(平成6年)に上記の信長で再び主演している。

その後、2007年(平成19年)『忠臣蔵 瑤泉院の陰謀』では柳沢吉保を、また2009年(平成21年)には『寧々〜おんな太閤記』で徳川家康、さらに2010年(平成22年)には『柳生武芸帳』で柳生宗矩を演じている。

1973年(昭和48年)の『ぶらり信兵衛 道場破り』(原作・山本周五郎、フジテレビ系)のような軽妙な人情劇や、近年では2004年(平成16年)〜2007年(平成19年)の『慶次郎縁側日記』(NHK)など、殺陣よりも人間ドラマや推理劇をメインとした作品にも出演。

2009年(平成21年)には『坂の上の雲』でも児玉源太郎役を、また2012年(平成24年)2月19日放送の『必殺仕事人2012』(ABC - テレビ朝日系)では、人生初の悪役を演じるなど近年は主演以外でも活躍している。

また、既存の時代劇に懐疑的・批判的な一面もあり、「それなりのキャリアを積んだからといって “黄門様” になろうとは思わない」とも発言している。

現代劇でも活躍

現代劇作品にも、1974年(昭和49年)の『6羽のかもめ』(フジテレビ系)以降、1979年(昭和54年)〜1981年(昭和56年)の『判決』(テレビ朝日系)など、時代劇作品と並行して数多く出演を続けており、近年は2時間サスペンスにも主演している。

2時間ドラマでは、特に1990年(平成2年)に初めて演じた西村京太郎作品の十津川警部役が知られている。2000年(平成12年)からはそれまでテレビ朝日系「土曜ワイド劇場」で十津川を演じていた三橋達也から役を引き継いた[注釈 5]。毎年新作が制作され、十津川を演じた本数は交代後33作に達している《2016年(平成28年)末現在》。

バラエティの常連

1986年の『ドキド欽ちゃんスピリッツ!!』へのレギュラー出演以来、様々なバラエティ番組やトーク番組にレギュラーまたはゲストとして出演している。きっかけの一つは、一人娘の真麻が小学生だった当時『とんねるずのみなさんのおかげです』の大ファンだった事からこの番組のコントに出演した。また、当時自分の出演していた時代劇のポスターを見ていた小学生の子どもが発した「このおじさん、誰だろう?」との言葉がきっかけだという[3]

上記のとんねるずの番組のコントでは、シャネルルイ・ヴィトンの柄をあしらったスーツを着た嫌味な大物俳優を演じている。英樹自身もこの「ステレオタイプな大物俳優のパロディ」というコミカルな役どころを嬉々として演じたという。当時『とんねるずのオールナイトニッポン』で語られたところによると、その返礼として、とんねるずから真麻宛の「サイン色紙」が届けられたという。後年、真麻がフジテレビアナウンサーとなって以降は、番組のコーナーレギュラーに起用(「きたなトラン」や「モジモジ君HYPER」など)され、高橋親子との交友は続いている。

また、真麻が中学生の頃、SMAP中居正広のファンになり、クラスで人気だったSMAPと父との共演を望み「どうしてパパはSMAPと共演できないの?」と言われた。これに奮起した英樹は自らABCのスタッフと出演交渉し、1995年(平成5年)に『キスした?SMAP』にゲスト出演している(7月8日放送分。ただし、この回に中居は出演していなかった)[3]。2007年(平成19年)3月4日に英樹が『いつみても波瀾万丈』に出演した際には、真麻からの「こんな理想的なパパはいないと思う」との内容の手紙が紹介され、うっすら涙ぐむ場面も見られた。

人物

下戸のため酒は嗜まないが、日活の若手スターとして活躍していた頃から、月20日間は銀座クラブ京都で遊び、石原裕次郎、小林旭といった先輩俳優にならって、後輩たちに奢りまくっていた。しかし、そうした「スター然」とした放蕩三昧の生活で、飲み代の支払いは全て「ツケ」で会社からの前借りを繰り返し、20代にして借金が当時の金額で3500万円ほどに膨れ上がっていた[注釈 6]。高橋自身、結婚後にこの事実を知るが、妻や妻の両親・家族は「借金も財産信用のうち」とこれを寛大に受け入れる。その後、高橋は夜遊びをやめ、年間70本に及ぶテレビの仕事をこなし、2年ほどでこの借金を完済している[11]20代の頃、映画『伊豆の踊子』で共演した女優・浪花千栄子から言われた「あんた、変わりはったわね」の一言も、その後の猛省を促すきっかけになった、という。

趣味は家族」と公言するほど妻子を大切にし、唯一ともいえる趣味はゴルフ程度だったが、2003年(平成15年)7月〜9月に放送された『趣味悠々 鶴太郎流墨彩画塾』(NHK Eテレ)へ出演し、講師片岡鶴太郎から手ほどきを受けた事をきっかけに日本画書道を始め[12]、各所で個展を開催、自身の公式サイトでも書道作品の一部を公開している[13]

若い頃は見かけに寄らず虚弱で、風邪をひきやすかったという。当初は乾布摩擦を励行していたが、ある日、本で読んだ「たわしで身体を擦る」という健康法に興味を持ち、これを取り入れている。身体前面は自らが、背中は付き人に擦らせている。それが済むと、今度は両手で顔を思い切り100回ほど叩いて刺激を与えている。以来「亀の子たわし」を愛用し、仕事に入る直前には「気合を入れる」「1回血液を全身に廻らせて新たな役作りに入る」という意味合いで、この健康法を30年以上続けており、すっかり風邪をひかなくなったと語っている[14]

一方で、テレビドラマでは『船長シリーズ』(土曜ワイド劇場)などで鉄道連絡船や長距離フェリーといった大型旅客船船長役を演じているが、高橋自身は海上の乗り物に弱く、むしろ船酔いしてしまうという。また、毎年春先になると、ひどい花粉症に悩まされ、十数連発ものくしゃみに見舞われるとのこと[15]

59歳の頃には原因不明の“めまい”の症状に襲われ、以来しばらくの間、病院からテレビ局に直行するという生活を余儀なくされている。そんな時に出会ったのが同年代の芸術家である、宮崎県在住のガラス作家、黒木国昭と洋画家フレスコ画の国内第一人者である絹谷幸二で、二人の制作現場を見せてもらう機会があり、そこで間近に作品に取り組む強いエネルギーに接する中で、いつしか症状も和らいでいったという。以来「海外旅行先でも真っ先に訪れるのは美術館。エネルギーをもらいに。」と語るほど、絵画や美術作品を愛好している[16]

雑誌歴史人に、「高橋英樹の歴史通」を掲載しており、それらをまとめたものが、「高橋英樹のおもしろ日本史」として、出版される[17][18]。この本により、第2回野村胡堂文学賞特別賞を受賞する[19]

殺陣(たて)

時代劇において殺陣の手を覚える速さとその手数の多さには人並外れた能力があり、殺陣の技術は時代劇スターの中でも群を抜く。時代劇特番やバラエティでその技を披露することもしばしば。

また、単に「斬る」だけでなく、納刀のフォルムや光らせ方など「刀の魅せ方」にも多くの技術を持つ。殺陣にはこだわりがあり、殺陣を披露する機会には殺陣のパートナーとして信頼を置く峰蘭太郎を指名する事が多い。

対人関係

家族

  • 妻・美恵子(元女優・小林亜希子)
テレビ時代劇『おらんだ左近事件帖』で共演したのが縁で、1974年(昭和49年)3月15日に結婚。初対面の時には「頭に結婚の文字が浮かんだ」と言うほど強く魅かれたと語っている。しかし美恵子への強い想いと、すっかり馴染んでしまった独身生活との間で「近づくのがなんだかためらわれて、でも離れてしまうのもそれこそ惜しい」と、交際に至るまで、当初は距離のとり方に戸惑ったという[20]。結婚後、真麻が生まれるまでに夫妻は3度の流産を経験しており、念願の子供であった。高橋自身、2ヶ月の休暇をとり妊娠初期の妻を支えるなど万全を期していたが、この妊娠期間も4ヶ月目の定期検診で一時心音が途絶えるというアクシデントに見舞われている。医師から「あきらめたほうがいい」と、母体への影響を考え掻爬手術を勧められるが、高橋は「1週間待って欲しい」と懇願。その間、「御利益がある」とされる神社仏閣を巡り、胎児の無事を祈願、1週間後、奇跡的に無事が確認される、という出来事を体験している[21]。誕生時の取材では「妻が流産で自信をなくしていたので、無事出産して自信を取り戻せたのが一番良かったと思う」とねぎらいのコメントを出している。
1981年10月9日生 -
東京女子大学文理学部卒業後、アナウンサーとしてフジテレビに入社。娘の就職について高橋は「大学入学直後に『表現する仕事をしたい』と言うんですよ。反対はしませんでした。娘の選んだ仕事は何でも協力するつもりでした。」としており、結婚については「本人任せです。『この人と一生を』と決めたら…。でも、どれを見ても私が気に入るわけはない[3]」と語っている。
アナウンサー時代は「みなさんのおかげでした」の「モジモジくんHYPER」にて真麻に対してとんねるずをはじめとした共演者に女子アナにも関わらず、一斗缶で殴られる、おたまでお湯をかけられる、顔面にパイを投げられすりつけられるなどの女芸人でも辛い仕事をされていたが高橋は夫婦揃って「真麻が活かされていてありがとうございます。」「もっとやってください。」と手紙を書いていた。これは、親の七光りやコネと言われ辛い思いをしていた真麻が、番組に出る事によって自信がついたためであり、決して嫌味ではなく、本心から思っていたといい、楽屋に差し入れもしていた。
待望の子供だったため、高橋夫妻はとても可愛がり、特に生まれる前に心音が弱まり医師に諦めるよう言われたことから、食べる事は制御をかけず、真麻自身も良く食べる子供だった事と、怪我をして病気になる心配から運動をさせないようにしていたため、小学生の頃は肥満児だった。流石に心配になったが、真麻が宝塚ミュージカルに憧れるようになり、声楽や踊りを習わせた結果、もともと痩せ体質なため、あっと言う間に体型はスリムになったが、大食いとなってしまった。
真麻が失恋し、かなり落ち込んでいた真麻に「ご縁がなかったんじゃない?」や「男の人は少しミステリアスな女性に惹かれるから、素直なお前は、純粋を通り越してバカだ。」と慰めたという。
2013年10月5日放送の特番『歌い継がれる昭和歌謡 この10年でもっとも歌われたカラオケランキングベスト20』(テレビ朝日)で初めて司会者として共演を果たしている[22]

浅丘ルリ子、石原裕次郎について

浅丘ルリ子からはデビュー当時から公私にわたって指導を受けており、当初は千葉市より電車で調布市日活撮影所まで通っていた。しかし、石原裕次郎の口利きで調布市の浅丘宅に下宿し、食事を浅丘の母親に作ってもらったりと物心両面で世話になった。このことから浅丘とは今でも実際の姉弟のような関係で、頭が上がらないとのこと。ちなみに『高原児』で浅丘と共演した時は、高橋は弟役にも関わらず、浅丘に「お兄さん役だと思った」と言われている[23]

石原裕次郎からは、高橋が若い頃「お前は脚が短いから着流し姿で任侠物はどうだ?」とアドバイスを受けたことがある。高橋は、裕次郎のこの助言により短所を逆手に取った思わぬ形で芽が出ることとなり、1963年以降『男の紋章』シリーズなどの任侠映画へ出演する。

二代目 尾上松緑について

『男の紋章』への出演が決まった高橋は18歳の頃から一時、所属事務所の先輩女優である淡島千景と舞台作品で数多くの相手役を演じた二代目 尾上松緑の門弟となる。そこで1年のほぼ半分を松緑一座の舞台で「時代もの」を演じるための着付けや所作、基本動作、日本舞踊など基礎を徹底的に学んでいる[24]

ちなみに二代目 尾上松緑は、第一回大河ドラマ『花の生涯』で主人公・井伊直弼を演じており、2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』では高橋が同じく井伊直弼を演じている。師匠と同じ役を演じる事について高橋は、「非常に感慨深い」と語っている[25]

エピソード

  • 芸能界入りのきっかけは厳格な父への反発心からだった。父は芸能界入りに猛反対したが、意外にも日活の受験は父の命令だったという。この時のことについて「芸能界は安定した収入が保証されてないから親としては心配だったと思います。父からは『芸能界に入るなら勘当だ』と言われました。ただ、日活の試験は父の命令で受けたんです。それでいて、万が一、合格したら勘当だと。矛盾しているようですが、試験に落ちてあきらめさせようとしたんですね。合格後は父とは口をきかずに半勘当状態でした[3]」と語っている。
  • デビュー翌年の1962年、急きょ代役として主役格で映画出演という恵まれたスタートだったものの、筋肉質のがっしりとした体型で股下が短く、カメラマンが下から写しても様にならなかった。このことが原因でアクションや青春ものでは主役がなかなか回って来なかった[26]。またデビュー当時から落ち着いた存在感のあった高橋は、10代ながらも大人びた風貌から実年齢より上の役柄が多かった。
  • 1978年(昭和53年)日本アカデミー賞が創設される際に、同賞の創設に尽力した岡田茂東映社長(当時)[27][28]に、高橋のそれまでの映画界への貢献から「会員になれ」と言われたが「映画に出ていないからならない」と固辞した[29]
  • 二代目 尾上松緑の下で日本舞踊などの素養を培って磨いた殺陣には定評があるが、剣道・その他の武道の有段位資格者ではない。これは、『三匹が斬る!』の役づくりために一時期学んでいた小野派一刀流[注釈 7]の師範から「あなたが演じようとしているのは“剣の達人”だが、今から学んでも名人にはなれない。例え段位を取得したとしても、太刀捌きがその段位内の範疇に納まってしまうから、逆にあなたは取らない方が良い」とアドバイスされた事がきっかけになっている[10]2007年(平成19年)3月4日に高橋が『いつみても波瀾万丈』に出演した際、時代劇作品が減り、最近は殺陣をやっていないことについて、「本当は殺陣やりたいんですよ。自信あるんです!」とアピールしていた。

出演

映画

公開年 年齢 作品名 制作(配給) 備考
1961年(昭和36年) 17歳 高原児 日活映画
真昼の誘拐 日活映画
ママ恋人がほしいの 日活映画
どじょっこの歌 日活映画
1962年(昭和37年) 18歳 ひとつのいのち 日活映画
上を向いて歩こう 日活映画
激流に生きる男 日活映画
若者に夢あり 日活映画
若くて悪くて凄いこいつら 日活映画
激しい河 日活映画
ひとりぽっちの二人だが 日活映画
星の瞳を持つ男 日活映画
1963年(昭和38年) 19歳 霧の夜の男 日活映画
青い山脈 日活映画
海の鷹 日活映画
さすらいのトランペット 日活映画
エデンの海 日活映画
アカシアの雨がやむとき 日活映画
伊豆の踊り子 日活映画
男の紋章 日活映画
狼の王子 日活映画
続 男の紋章 日活映画
男の紋章 風雲双つ竜 日活映画
雨の中に消えて 日活映画
1964年(昭和39年) 20歳 こんにちは20歳 日活映画
人生劇場 日活映画
抜き射ちの竜 拳銃の歌 日活映画
何処へ 日活映画
新 男の紋章 度胸一番 日活映画
帰郷 日活映画
俺たちの血が許さない 日活映画
男の紋章 花と長脇差 日活映画
男の紋章 喧嘩状 日活映画
1965年(昭和40年) 21歳 拳銃野郎 日活映画
男の紋章 喧嘩街道 日活映画
涙をありがとう 日活映画
渡世一代 日活映画
流転の掟 日活映画
秩父水滸伝 必殺剣 日活映画
男の紋章 俺は斬る 日活映画
刺青一代 日活映画
殴りこみ関東政 日活映画
1966年(昭和41年) 22歳 男の紋章 竜虎無情 日活映画
鉄火場仁義 日活映画
日本任侠伝 血祭り喧嘩状 日活映画
任侠八方破れ 日活映画
日本任侠伝 花の渡世人 日活映画
殺るかやられるか 日活映画
けんかえれじい 日活映画
新遊侠伝 日活映画
1967年(昭和42年) 23歳 夢は夜ひらく 日活映画
新・男の紋章 若親分誕生 日活映画
秩父水滸伝 影を斬る剣 日活映画
燃える雲 日活映画
関東も広うござんす 日活映画
対決 日活映画
爆破3秒前 日活映画
関東刑務所帰り 日活映画
君は恋人 日活映画
血斗 日活映画
1968年(昭和43年) 24歳 遊侠三国志 鉄火の花道 日活映画
残侠無情 日活映画
明治血風邪録 鷹と狼 日活映画
昭和のいのち 日活映画
嵐の果たし状 日活映画
鮮血の賭場 日活映画
三匹の悪党 日活映画
1969年(昭和44年) 25歳 地獄の破門状 日活映画
代紋 男で死にたい 日活映画
さくら盃 義兄弟 ニューセンチュリー映画
昇り竜鉄火肌 日活映画
年上の女 日活映画
博徒百人 日活映画
代紋 地獄の盃 日活映画
日本残侠伝 日活映画
さくら盃 任侠 ニューセンチュリー映画
博徒百人 任侠道 日活映画
荒い海 日活映画
侠花列伝 襲名賭博 日活映画
刺客列伝 日活映画
喧嘩博徒 地獄の花道 日活映画
1970年(昭和45年) 26歳 牡丹と竜 日活映画
あばれ丁半 日活映画
戦争と人間 第一部 運命の序曲 日活映画
土忍記 風の天狗 日活映画
1971年(昭和46年) 27歳 渡世人 命の捨て場 日活映画
逆縁三つ盃 日活映画
戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山河 日活映画
1972年(昭和47年) 28歳 人生劇場 青春愛欲残侠篇 松竹映画
1973年(昭和48年) 29歳 宮本武蔵 松竹映画
戦争と人間 完結篇 日活映画
1974年(昭和49年) 30歳 狼よ落日を斬れ 風雲篇・激情篇・怒涛篇 松竹映画
1975年(昭和50年) 31歳 昭和枯れすすき 松竹映画
1988年(昭和63年) 44歳 アナザー・ウェイ ―D機関情報― タキエンタープライズ映画
2006年(平成18年) 62歳 シャーロットのおくりもの UIP映画 馬のアイク役(日本語吹き替え)
2011年(平成23年) 67歳 劇場版ポケットモンスター ベストウイッシュ
ビクティニと黒き英雄 ゼクロム・白き英雄 レシラム
東宝映画 ゼクロム役(声の出演)
2017年(平成29年) 73歳 ひるね姫 〜知らないワタシの物語〜 ワーナー・ブラザース映画 志島一心役(声の出演)

テレビドラマ

舞台

公開年 年齢 作品名 舞台名
1968年(昭和43年) 24歳 花の生涯 明治座
1970年(昭和45年) 26歳 散りぬるを 明治座
1970年(昭和45年) 26歳 浅間追分 明治座
1971年(昭和46年) 27歳 旅姿鼠小僧 南座
1971年(昭和46年) 27歳 京の蛍火 南座
1971年(昭和46年) 27歳 燃えるみちのく 明治座
1971年(昭和46年) 27歳 つばくろは帰る 明治座
1971年(昭和46年) 27歳 京の蛍火 明治座
1972年(昭和47年) 28歳 尾張のつむじ風 南座
1972年(昭和47年) 28歳 月夜鴉 南座
1972年(昭和47年) 28歳 いろは匂へど 明治座
1972年(昭和47年) 28歳 鞍馬天狗 明治座
1973年(昭和48年) 29歳 織田信長 明治座
1973年(昭和48年) 29歳 瞼の母 明治座
1973年(昭和48年) 29歳 浪花女 明治座
1974年(昭和49年) 30歳 小袖源氏 明治座
1974年(昭和49年) 30歳 しぐれ茶屋おりく 明治座
1974年(昭和49年) 30歳 秋風三国峠 明治座
1975年(昭和50年) 31歳 織田信長 新歌舞伎座
1975年(昭和50年) 31歳 笛吹き銀次郎 新歌舞伎座
1975年(昭和50年) 31歳 京の蛍火 新歌舞伎座
1975年(昭和50年) 31歳 みちのく戦記 明治座
1975年(昭和50年) 31歳 月形半平太 明治座
1975年(昭和50年) 31歳 通天閣界隈 明治座
1975年(昭和50年) 31歳 あばれ狼 明治座
1976年(昭和51年) 32歳 武蔵坊弁慶 新歌舞伎座
1976年(昭和51年) 32歳 花と龍 新歌舞伎座
1977年(昭和52年) 33歳 真田太平記 明治座
1977年(昭和52年) 33歳 花と龍 明治座
1977年(昭和52年) 33歳 秋色おどり絵巻 明治座
1978年(昭和53年) 34歳 織田信長 御園座
1978年(昭和53年) 34歳 花と龍 御園座
1978年(昭和53年) 34歳 宮本武蔵〜千本杉の巻〜 明治座
1978年(昭和53年) 34歳 鬼平犯科帳 狐火 明治座
1978年(昭和53年) 34歳 秋色おどり絵巻〜舞踏劇〜桃太郎侍 明治座
1979年(昭和54年) 35歳 真田太平記 御園座
1979年(昭和54年) 35歳 月形半平太 御園座
1979年(昭和54年) 35歳 宮本武蔵〜般若野の巻〜蓮台寺野の巻 明治座
1979年(昭和54年) 35歳 男の紋章 明治座
1979年(昭和54年) 35歳 桃太郎侍 明治座
1980年(昭和55年) 36歳 武田信玄 明治座
1980年(昭和55年) 36歳 人生劇場 明治座
1980年(昭和55年) 36歳 桃太郎侍 明治座
1981年(昭和56年) 37歳 雪燃える 明治座
1981年(昭和56年) 37歳 桃太郎侍 明治座
1982年(昭和57年) 38歳 藍染川 明治座
1982年(昭和57年) 38歳 桃太郎侍 明治座
1983年(昭和58年) 39歳 武蔵坊弁慶 明治座
1983年(昭和58年) 39歳 遠山の金さん 明治座
1984年(昭和59年) 40歳 伊達の十郎左 明治座
1984年(昭和59年) 40歳 遠山の金さん〜江戸の母子草〜 明治座
1984年(昭和59年) 40歳 遠山の金さん〜江戸の母子草〜 明治座
1985年(昭和60年) 41歳 江戸育ち〜源太郎ぶし 明治座
1985年(昭和60年) 41歳 遠山の金さん〜琉球恨み花〜 明治座
1985年(昭和60年) 41歳 武田信玄 明治座
1985年(昭和60年) 41歳 遠山の金さん〜天保おんな忠臣蔵〜 明治座
1985年(昭和60年) 41歳 エピローグ 秋 愛の詩 明治座
1986年(昭和61年) 42歳 細川忠興 愛と哀しみの連舞 明治座
1986年(昭和61年) 42歳 遠山の金さん〜敵討紅葉加賀染〜 明治座
1986年(昭和61年) 42歳 エピローグ 川 春秋 明治座
1987年(昭和62年) 43歳 武田信玄 新歌舞伎座
1987年(昭和62年) 43歳 遠山の金さん〜天保おんな忠臣蔵 新歌舞伎座
1987年(昭和62年) 43歳 舞踏伊達男五月晴れ 新歌舞伎座
1987年(昭和62年) 43歳 国盗り物語 明治座
1987年(昭和62年) 43歳 遠山の金さん〜伊勢写遠山日記〜 明治座
1987年(昭和62年) 43歳 エピローグ 秋燈記 明治座
1988年(昭和63年) 44歳 男の紋章 新歌舞伎座
1988年(昭和63年) 44歳 遠山の金さん〜琉球恨み花〜 新歌舞伎座
1988年(昭和63年) 44歳 オンステージ さつきに詩う 新歌舞伎座
1988年(昭和63年) 44歳 熊谷直実〜16年は夢のまた夢〜 明治座
1988年(昭和63年) 44歳 遠山の金さん〜晴舞台遠山策略〜 明治座
1988年(昭和63年) 44歳 エピローグ 秋想譜 明治座
1989年(平成元年) 45歳 花と龍 新歌舞伎座
1989年(平成元年) 45歳 遠山の金さん〜晴舞台遠山策略〜 新歌舞伎座
1989年(平成元年) 45歳 オンステージ やよいに詩う 新歌舞伎座
1989年(平成元年) 45歳 北の風物語 明治座
1990年(平成2年) 46歳 伊達の十郎左 新歌舞伎座
1990年(平成2年) 46歳 オンステージ やよいに詩う 新歌舞伎座
1990年(平成2年) 46歳 桃太郎侍 明治座
1990年(平成2年) 46歳 桃太郎侍 中日劇場
1991年(平成3年) 47歳 遠山の金さん〜天保おんな忠臣蔵〜 巡業
1991年(平成3年) 47歳 エピローグ 夏祭花の賑〜 巡業
1992年(平成4年) 48歳 桃太郎侍 梅田コマ
1992年(平成4年) 48歳 遠山の金さん〜天保おんな忠臣蔵〜 中日劇場
1993年(平成5年) 49歳 あした吹く風 明治座
1993年(平成5年) 49歳 帰って来た桃太郎侍 劇場飛天
1994年(平成6年) 50歳 ぶらり信兵衛〜紫陽花の唄〜 明治座
1994年(平成6年) 50歳 あした吹く風 中日劇場
1995年(平成7年) 51歳 風流夢大名 明治座
1996年(平成8年) 52歳 雪の夢 華のゆめ 明治座
1997年(平成9年) 53歳 桃太郎侍〜夢の子守唄が聞こえる〜 明治座
1997年(平成9年) 53歳 風流夢大名 劇場飛天
1998年(平成10年) 54歳 風流夢大名 明治座
1999年(平成11年) 55歳 桃太郎侍〜夢の子守唄が聞こえる〜 松竹座
1999年(平成11年) 55歳 天翔ける夢〜長州を破った男〜 明治座
2000年(平成12年) 56歳 男の紋章 明治座
2000年(平成12年) 56歳 桃太郎侍 明治座
2001年(平成13年) 57歳 いのち燃ゆるとき〜開化のおんなたち〜 明治座
2005年(平成17年) 61歳 恋ぶみ屋一葉 新橋演舞場

情報番組

  • 真麻のドドンパッ!(2016年10月 - 2017年9月、BS日テレ)- 「高橋英樹の日本史侍」のコーナー担当(水曜レギュラー)

教養番組

音楽番組

  • 甦る歌謡曲(2015年6月21日 - 2017年1月4日、テレビ朝日〈不定期特番〉) - 娘と司会
  • 決定版!これが日本の名曲だ(2017年8月11日 - 、テレビ朝日〈不定期特番〉)
  • 第49回日本有線大賞(2016年12月5日、TBS) - 小島瑠璃子と司会 [32]

バラエティー

CM

ディスコグラフィ

シングル

  1. 激流に生きる男(1962年、NS-558)
    • 映画『激流に生きる男』主題歌(当初主演予定だった赤木圭一郎の歌唱による曲のカバーではなく、同名異曲)
    (c/w 東京の風は知っている)※歌唱:浜田光夫
  2. 星の瞳をもつ男(1962年7月、NS-581)
    (c/w 激しい河)
  3. 海を裂く男(1962年、NS-640)
    (c/w 古城の星)
  4. 青い山脈の歌(1962年、NS-648)
    (c/w 海の鷹)
  5. 男の紋章(1963年6月、NS-729)
    (c/w 男ごころ)
  6. エデンの海(1963年)
    (c/w 若さはからだで知るものさ)
  7. 男の紋章(1967年2月15日、TP-1407)
    (c/w こころの君よいつまでも)
  8. 風の中の愛(1981年、AH-69)
    (c/w まよい道)
    • 「生きる」(テレビ朝日系)挿入歌
  9. ありがとうパパ(1981年8月、AH-95)※デュエット:仙道敦子
    (c/w 鏡の中に)
  10. ライラライ〜しあわせをみちづれに〜(1987年2月5日、7K-254)
    (c/w 紫陽の花)
  11. おくれ咲き(1992年2月10日、TEDA-10213)
    (c/w 浮雲)
  12. ウェディング・グラス(1996年12月18日、VIDL-11033)
    (c/w よせよ)

アルバム

  1. 君に囁く高橋英樹(1963、NL-2037)

著書

  • 『家族上手に生きる - 妻はアンコ 夫はおモチ』(2004年、小学館) ISBN 9784093875097
  • 『一書一顔 高橋英樹作品集』(英友社、限定発売品)
  • 『高橋英樹のおもしろ日本史』(2014年、KKベストセラーズ) ISBN 9784584135822

脚注

注釈

  1. それでも先輩役者の服を畳むなど、最低限、大部屋扱いは受けている。
  2. メンバーは高橋のほか、桂歌丸萩本欽一王貞治北島三郎茂木健一郎の6名だった。
  3. 1996年(平成8年)以来、メイン司会を務めている。関東ローカル。
  4. 前半の主役は平幹二朗演じる斎藤道三。後半の主役が高橋演じる信長だった。1971年に行われたオーディションでは当初、藤岡弘、に内定していたが、藤岡がその後主役に抜擢された『仮面ライダー』の製作元である東映毎日放送にその事実を伝えていなかったことが発覚。騒動となり降板したことから高橋が抜擢された。
  5. 1981年の東映制作版『西村京太郎トラベルミステリー』の放送開始以来、三橋が十津川を演じていた。
  6. 2012年10月13日放送分の『嵐にしやがれ』では「今の金額にして1億くらいかな?」とコメントしている。実際に、高橋が日活との専属契約を解消した1971年2011年消費者物価指数(持家の帰属家賃を除く)の比較ではおよそ2.83倍となり、3500万円は1億円弱と換算される。 教えて!にちぎん「昭和40年の1万円を、今のお金に換算するとどの位になりますか?」”. 日本銀行. 2011年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2013閲覧.
  7. 高橋が師事した流派は小野派一刀流の中でも中西子定の系統であり、中西派一刀流とも呼ばれる。正式名称は「一刀流」。
  8. 女と愛とミステリー水曜ミステリー9水曜シアター9⇒水曜ミステリー9に枠が変更。

出典

  1. 1.0 1.1 1.2 高橋英樹”. 日本タレント名鑑. VIPタイムズ社. . 2017閲覧.
  2. 2.0 2.1 高橋英樹プロフィール”. 高橋英樹オフィシャルサイト. . 2017閲覧.
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 “インタビュー〈日曜日のヒーロー〉第406回 高橋英樹”. nikkansports.com. (2004年3月21日). オリジナル2004年6月3日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20040603103401/http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/interview/2004/sun040321.html . 2013閲覧. 
  4. スタジオパークからこんにちは」 1996年5月30日。
  5. 『劇場版ポケットモンスター ベストウイッシュ ビクティニと黒き英雄 ゼクロム・白き英雄 レシラム』のパンフレット、高橋のコメントより。
  6. 劇場版ポケットモンスター ベストウイッシュ ビクティニと黒き英雄 ゼクロム インタビュー: “映画俳優”高橋英樹、36年ぶり銀幕復帰で新境地開拓”. 映画.com (2011年7月12日). . 2013閲覧.
  7. “高橋英樹 浅草芸能大賞に!「いただいた仕事はなんでもやります!」”. ニコニコニュース. (2013年3月17日). オリジナル2013年3月18日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130318191701/http://news.nicovideo.jp/watch/nw551442 . 2013閲覧. 
  8. 新春ワイド時代劇「影武者 徳川家康」”. テレビ東京. . 2013閲覧.
  9. 影武者 徳川家康”. 東映株式会社. 2013年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2013閲覧.
  10. 10.0 10.1 2013年(平成25年)5月5日放送 『さだまさしスペシャル』(時代劇専門チャンネル)でのさだとの対談で明らかにしている。
  11. ボクらの時代』(フジテレビ、2009年6月21日放送分、家族3人でのトーク)および 『嵐にしやがれ』(日本テレビ2012年10月13日放送分) 放送内容|嵐にしやがれ”. 日本テレビ放送網. . 2013閲覧.
  12. 俳優・高橋英樹さんの「趣味が心の健康法」> 過去のコラム|健康かけいぼ”. 沢井製薬 (2008年9月24日). 2010年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2013閲覧.
  13. 高橋英樹個展「一書一顔」インターネット作品展”. アイウエオ企画 (2007年3月17日). . 2013閲覧.
  14. 俳優・高橋英樹さんの「たわし健康法」> 過去のコラム|健康かけいぼ”. 沢井製薬 (2008年8月1日). 2011年5月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2013閲覧.
  15. 本人出演のバラエティ番組での発言。
  16. 俳優・高橋英樹さんの「健康の危機を乗り越えて」>過去のコラム|健康かけいぼ”. 沢井製薬 (2008年11月12日). 2010年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2014閲覧.
  17. 『高橋英樹のおもしろ日本史』刊行記念! 高橋英樹インタビュー『歴史は推理して、考えることが楽しいんです。』(2014年10月29日時点のアーカイブ
  18. “高橋英樹「おもしろ日本史」出版で妻子が面白逸話を披露”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2014年6月29日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/06/29/kiji/K20140629008465330.html . 2017閲覧. 
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  23. 「朝日新聞」 1962年11月24日 夕刊。
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  25. “【高橋英樹】歴史は推理だから面白い…真麻も「パパ、お城って素晴らしいね」”. ZAKZAK (産経デジタル). (2014年10月24日). http://www.zakzak.co.jp/people/news/20141024/peo1410240600001-n1.htm . 2017閲覧. 
  26. いつみても波乱万丈』出演時を含め、他の番組でも語っている。
  27. 公式パンフレットで振り返る授賞式 - 日本アカデミー賞公式サイト
  28. 「日本映画界のドン」岡田茂氏逝く”. スポニチ Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社 (2011年5月10日). . 2017閲覧.
  29. 劇場版ポケットモンスター ベストウイッシュ ビクティニと黒き英雄 ゼクロム インタビュー: “映画俳優”高橋英樹、36年ぶり銀幕復帰で新境地開拓(2/2)”. 映画.com (2011年7月12日). . 2015閲覧.
  30. “『あさが来た』終盤の新キャスト発表 大隈重信役に高橋英樹、娘の夫に工藤阿須加”. ORICON NEWS (オリコン). (2016年1月15日). http://www.oricon.co.jp/news/2065355/full/ . 2017閲覧. 
  31. NHK高校講座|日本史|出演者紹介”. NHK. 2014年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2014閲覧.
  32. “日本有線大賞司会に高橋英樹&こじるり「精一杯頑張ります」”. スポーツ報知. (2016年11月30日). http://www.hochi.co.jp/entertainment/20161129-OHT1T50152.html . 2016閲覧. 
  33. 大好評「“腰の国の魔法使い”トゥルースリーパー敷い太郎」に扮する高橋英樹さんが高橋真麻さんと再び親子共演!ショップジャパン決算セールTVCM 2016年3月11日(金)から放送開始”. CM JAPAN (2016年3月14日). . 2016閲覧.

外部リンク