関東大震災

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関東大震災(かんとうだいしんさい)

1923年9月1日午前11時58分44秒,相模湾で起こった大地震(関東地震)による災害。この地震のマグニチュードM)は 7.9。震央は相模湾の北西部。家屋倒壊率の高かった地域は湘南地方,三浦半島,房総半島南部であるが,震災は東京を中心に千葉,埼玉,静岡,山梨,茨城,長野,栃木,群馬の各県に及んだ。死者・行方不明者は従来,約 14万2000人あまりとされてきたが,近年の調査研究で 10万5000人程度であることがわかった。建物の被害は,全壊約 13万棟,半壊約 13万棟,焼失約 45万棟。特に被害の大きかった東京では死者は 6万人をこえたが,これはおもに 122ヵ所から発生した火災によるものとみられた。地震に伴って大きな地殻変動があり,東京都内の水準点を不動点として,大磯 182cm,葉山 94cm,油壺 139cm,館山 157cmの隆起が記録された。丹沢山地では約 1mに及ぶ沈降がみられた。地盤の水平移動は相模湾を中心に時計回りの方向に認められ,最大水平移動量は 4m近くに達した。山岳部では丹沢,伊豆,箱根などで山崩れが頻発し,山津波が起こり,断層ができ,海岸部では津波が発生した。この地震は,その後の地震研究,地震対策の大きな契機となった。

地震の翌 9月2日午後,東京市と府下 5郡に戒厳令(戒厳)が布告され,9月3日には神奈川県下にも範囲が拡大された。この震災は組閣中のことであり,9月2日夕,急ぎ山本権兵衛内閣の親任式が行なわれ,9月7日に山本内閣は「治安維持ノ為ニスル罰則に関スル件」という緊急勅令第403号を公布,治安維持に努めた。9月9日には 3万2000人が焼死した本所被服廠で合同法要が行なわれた。政府は治安が乱れた背景に朝鮮人と社会主義者がいると宣伝し,朝鮮人虐殺,大杉栄らの虐殺,亀戸事件,社会主義者弾圧などが起こった。



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