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[[ファイル:GR-acropolis-parthenon.jpg|thumb|right|250px|[[パルテノン神殿]]。[[アテナイ]]の[[アクロポリス]]に建つ[[アテナ]]女神に捧げられた神殿で、ペルシア戦争に勝利した後に、将軍[[ペリクレス]]によって再建がなされ、今あるような姿となった。]]
 
[[ファイル:20100706 Terrace of the Lions Delos Cyclades Greece.jpg|thumb|right|250px|[[デロス島]]。全盛期のアテナイはこのデロス島に金庫を置いて[[デロス同盟]]を支配した。画像は紀元前7世紀にナクソス人が奉納したと伝わるデロス島のライオンの回廊(レプリカ)。]]
 
[[File:Oedipus and the Sphinx of Thebes, Red Figure Kylix, c. 470 BC, from Vulci, attributed to the Oedipus Painter, Vatican Museums (9665213064).jpg|thumb|right|250px|[[ギリシア悲劇]]の黄金時代。繫栄するアテナイでは[[アイスキュロス]]・[[ソフォクレス]]・[[エウリピデス]]ら悲劇詩人が活躍し、彼らの作品は多くの観衆の涙を誘った。画像はソフォクレスの悲劇でも有名な[[オイディプス]]と怪物[[スフィンクス]]を描いた赤絵式陶器。]]
 
[[ファイル:Diver Paestum 09.JPG|thumb|right|250px|「[[ダイバーの墓]]」。[[マグナ・グラエキア]](イタリア南部)の都市[[パエストゥム]]の近郊で発見された墓で、この時代の風俗を描いた貴重な[[フレスコ画]]が残っている。]]
 
[[ファイル:Helmed Hoplite Sparta.JPG|thumb|right|190px|[[テルモピュライ]]の悲劇。ペルシア戦争でスパルタ王[[レオニダス1世]]とその配下の兵士がペルシア軍100万人に対し300人で奮戦したが、刀折れ矢尽きて敢え無く玉砕した。画像はレオニダスの肖像彫刻として伝わる重装歩兵の大理石像 (スパルタ考古学博物館蔵)。]]
 
[[File:Persepolis 24.11.2009 11-12-14.jpg|thumb|right|250px|「万国の門」。ペルセポリスはダレイオス1世以後も拡張が続けられているが、その北西に設置されたのがこの門で、ペルシア語・エラム語・バビロニア語の三言語で君主[[クセルクセス1世]]と神[[アフラ・マズダ]]への礼讃が記され「クセルクセス門」とも呼ばれている。]]
 
[[ファイル:Bodh Gaya 03.JPG|thumb|right|190px|釈迦成道の聖地[[ブッダガヤ]]。[[八大聖地]]の一つとされ、[[ブッダガヤの大菩提寺|大菩提寺]](マハーボーディー寺)には多くの信者が集まる。]]
 
[[ファイル:Confucius Tang Dynasty.jpg|thumb|right|180px|[[儒家]]の[[孔子]]。政治的には不遇だったが『[[論語]]』にまとめられたその教えは後世に大きな影響を与えた。画像は唐の[[呉道玄]]によるもの。]]
 
[[ファイル:Wuhanbells.jpg|thumb|right|250px|[[曾侯乙墓]]。中国の[[湖北省]]随県で発見された戦国時代初期の墓で、青銅製の礼器の他に多くの副葬品が発掘された。画像は総重量2567kgで65個の鐘からなる[[編鐘]]で完全な形で残っており、現在は中国の一級文物となっている。]]
 
'''紀元前5世紀'''(きげんぜんごせいき)は、[[西暦]]による[[紀元前500年]]から[[紀元前401年]]までの100年間を指す[[世紀]]。
 
 
 
== できごと ==
 
 
 
=== 紀元前500年代 ===
 
* 紀元前5世紀頃が[[弥生時代]]の始まりと考えられていたが、[[紀元前10世紀]]まで遡る可能性が高まってきた。それにつれて、[[縄文土器]]時代の終わりも遡ることになる。
 
* 紀元前5世紀 - ローマ市の[[ラピス・ニゲル]]遺跡から出土した石碑文に最古級の[[ラテン語]]が書かれる。
 
* 紀元前5世紀 - [[ナイジェリア]]中央ジョス高原で初期鉄器文化の[[ノク文化]]が発展( - [[2世紀]])。
 
* 紀元前5世紀 - [[タジキスタン]]の[[オクサス川]]中流域[[タフティ・サンギーン]]の神殿に「オクサスの遺宝([[大英博物館]]蔵)」が奉納される。
 
* 紀元前5世紀 - 中国[[河南省]][[固始県]]城北の[[侯古堆1号墓]]の被葬者が埋葬される。
 
* 紀元前500年頃 - メキシコの[[オアハカ州|オアハカ盆地]]の[[サン=ホセ=モゴテ]]遺跡が放棄され、[[モンテ・アルバン]]が建設される。
 
** モンテ・アルバンⅠ期を代表する「踊る人々の神殿」が建設され、[[サポテカ文字]]が出現。
 
 
 
=== 紀元前490年代 ===
 
* [[紀元前499年]] - [[イオニアの反乱]]より[[ペルシア]]と[[ギリシア]]の間で[[ペルシア戦争]]が始まる( - 紀元前449年)。
 
* [[紀元前498年]] - 孔子が[[魯]]の[[三桓氏]]排斥に失敗して追放される。
 
* [[紀元前497年]]頃 - [[紀元前489年]]頃 - [[山西省]]侯馬晋城遺跡から出土した誓約文書「[[侯馬盟書]]」が書かれる。
 
* [[紀元前496年]] - [[レギッルス湖畔の戦い]](第一次[[ラティウム戦争]])で共和政ローマがラティウム人に勝利。
 
* [[紀元前494年]]
 
** ローマで[[モンテ・サクロ|聖山]]事件。この事件後に[[プレブス]]と[[パトリキ]]が和解。[[平民会]]と[[護民官]]が置かれる。
 
** [[呉 (春秋)|呉]]王[[夫差]]が会稽で勝利し、[[越]]王[[勾践]]は降伏する(会稽の恥)。
 
* [[紀元前490年]]
 
** [[マラトンの戦い]]で、[[ミルティアデス]]率いるギリシア軍がペルシア軍を破る。
 
** [[斉 (春秋)|斉]]の[[景公 (斉)|景公]]が死去。[[臨淄]](山東省[[淄博市]])の「殉馬坑」はこの時のものか。
 
 
 
=== 紀元前480年代 ===
 
* 紀元前486年 - アケメネス朝の[[ダレイオス1世]]が死去し、[[クセルクセス1世]]が即位。
 
** [[ペルセポリス]]の拡張工事を行い、{{仮リンク|万国の門|en|Gate of All Nations}}(クセルクセス門)などを併設。
 
* 紀元前482年 - [[呉 (春秋)|呉]]王[[夫差]]による黄地の会盟。この最中に[[越]]が呉を攻撃する。
 
* 紀元前481年
 
** [[シチリア]]島の[[エトナ山]]が噴火( - 紀元前460年)。
 
** 斉の田恒(田成子)がその君簡公壬を殺す。斉の実権が事実上田氏に移る。
 
** この年で[[魯]]の年代記『[[春秋]]』の筆がおかれる(魯の哀公14年・[[獲麟]])。
 
* 紀元前480年
 
** [[テルモピュライの戦い]]でペルシア軍が[[レオニダス]]王率いる[[スパルタ]]軍を全滅させる。
 
*** 同じ頃、[[アルテミシオンの海戦]]でもギリシア軍は撤退。ペルシア軍は[[アテナイ]]に侵攻し全土を蹂躙する。
 
*** [[サラミスの海戦]]で[[テミストクレス]]率いるギリシア軍がペルシア軍に勝利。
 
** [[ヒメラの戦い]]で[[シュラクサイ]]僭主[[ゲロン (シュラクサイの僭主)|ゲロン]]が[[カルタゴ]]将軍[[ハミルカル]]に勝利。
 
*** この勝利を記念して[[アクラガス]]の僭主[[テロン]]は[[神殿の谷|ゼウス・オリンピア神殿]]を建立。
 
 
 
=== 紀元前470年代 ===
 
* 紀元前479年
 
** [[プラタイアの戦い]]にギリシア軍が勝利する。
 
** 孔子が死去。
 
* 紀元前478年 - アテナイを盟主とする[[デロス同盟]]が結成される( - 紀元前404年)。
 
** この時期のアテナイを「アテナイ海上帝国」とも呼ぶ。一方でスパルタはギリシアでの指導権を放棄し内向化。
 
* 紀元前474年 - [[クマイの戦い]]で、[[シュラクサイ]]の[[僭主]][[ヒエロン1世]]が[[エトルリア]]に勝利し、[[ティレニア海]]の制海権を握る。
 
* 紀元前473年 - 越王勾践が呉王夫差を自殺させ呉を滅ぼす。徐州の会盟により越王勾践が覇者となる。
 
* 紀元前470年頃
 
** テミストクレスが[[陶片追放]]によりアテナイから[[アルゴス]]に亡命。
 
** イタリア南部[[パエストゥム]]の「[[ダイバーの墓]]」が作られ「饗宴」の壁画が描かれる。
 
 
 
=== 紀元前460年代 ===
 
* 紀元前466年
 
** [[鳥海山]]が噴火し、大規模な[[山体崩壊]]を引き起こす。
 
** [[エウリュメドン川の戦い (紀元前466年)|エウリュメドン川の戦い]]でギリシア軍がペルシア軍に勝利。
 
* 紀元前465年 - ペルシア王[[クセルクセス1世]]が側近アルタバノスに暗殺される。
 
* 紀元前464年 - スパルタの大地震によりメッセニア人がスパルタ人に蜂起、[[第三次メッセニア戦争]]が起こる。
 
* 紀元前462年 - [[ペリクレス]]がエフィアルテスとともに[[アレオパゴス会議]]の実権を握る。
 
* 紀元前461年 - [[第一次ペロポネソス戦争]]が起こる。
 
* 紀元前460年頃 - {{仮リンク|アルテミシオンの青銅神像|en|Artemision Bronze}}(アテネ国立考古学博物館蔵)が作られる。
 
 
 
=== 紀元前450年代 ===
 
* 紀元前459年 - アキリウス法の制定によりアウェンティヌス丘が平民居住区に開放される。
 
* 紀元前454年 - デロス同盟の金庫がデロス島からアテナイに移される。
 
* 紀元前453年 - 晋陽の戦いで[[晋 (春秋)|晋]]が[[趙 (戦国)|趙]]、[[韓 (戦国)|韓]]、[[魏 (戦国)|魏]]に分裂。
 
* 紀元前451年 - 共和政ローマの最古の法である[[十二表法]]が制定される。この年に十条が制定され、翌年に二条が追加される。
 
* 紀元前450年 - デロス同盟の同盟資金がアテナイに移される。
 
* 紀元前450年頃
 
** アルプス以北の中央ヨーロッパで[[ラ・テーヌ文化]]広がる。
 
** [[クレタ島]]で婚姻や財産の規則をまとめたゴルテュンの法典が成立。
 
** カルタゴ人の[[航海者ハンノ]]が西アフリカ湾岸地域を航海し象牙海岸まで達する。
 
 
 
=== 紀元前440年代 ===
 
* 紀元前449年 - [[カリアスの和約]]。
 
* 紀元前447年 - アテナイの[[パルテノン神殿]]着工。
 
* 紀元前445年 - ペルシアの[[アルタクセルクセス1世]]の許可を得てユダヤ総督ネヘミヤがエルサレムの城壁の再建を行う。
 
* 紀元前440年頃 - 「[[エレウシス]]の浮彫」(アテネ国立考古学博物館蔵)が作られる。
 
 
 
=== 紀元前430年代 ===
 
* 紀元前438年 - スパルトコスが自立し[[ボスポロス王国]]が成立する。
 
* 紀元前434年 - エピダムノスと[[ケルキュラ]]の紛争により[[シュボタの海戦]]が起こる。
 
* 紀元前433年頃 - [[曾侯乙墓]]の被葬者が埋葬される。
 
* 紀元前431年 - 第二次[[ペロポネソス戦争]]が起こる( - 紀元前404年)。
 
 
 
=== 紀元前420年代 ===
 
{{main|紀元前420年代}}
 
* 紀元前429年 - 疫病の流行によりアテナイで籠城中の将軍ペリクレスが死去。
 
* 紀元前422年 - [[アンフィポリス]]の戦いでアテナイが敗北し総司令官[[クレオン (政治家)|クレオン]]が戦死する。
 
* 紀元前421年 - [[ニキアスの和約]]。
 
 
 
=== 紀元前410年代 ===
 
* 紀元前415年 - アテナイがシチリア遠征軍を派遣する。途上で総指揮官[[アルキビアデス]]がスパルタに亡命。
 
* 紀元前414年 - [[白狄]]による[[中山国]]が成立する。
 
* 紀元前413年 - シチリアのシュラクサイの戦いでアテナイ軍が敗北し、アテナイ軍のニキアスや[[デモステネス (将軍)|デモステネス]]が処刑される。
 
* 紀元前411年 - [[アンティポン]]らによりアテナイに四百人寡頭政権が建てられるが、民主派に打倒される。
 
 
 
=== 紀元前400年代 ===
 
* 紀元前408年
 
** アテナイの[[アクロポリス]]の[[エレクテイオン]]が完成する。
 
** 魏の[[文侯 (魏)|文侯]]が陽狐の戦い(河西の戦い)で秦から河西(黄河の西)を奪う。
 
* 紀元前405年 - [[アイゴスポタモイの戦い]]でペロポネソス同盟がアテナイに勝利。
 
* 紀元前404年 - アテナイがペロポネソス同盟に降伏し、第二次ペロポネソス戦争終結。
 
** スパルタの主導でアテナイに[[三十人政権|三十人僭主政権]]が建てられる。
 
* [[紀元前403年]] - 趙・韓・魏が[[周]]王より諸侯として認定される。
 
** これより[[中国]]は[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]に入る。また[[司馬光]]の『[[資治通鑑]]』はこの年より記述が始まる。
 
* 紀元前403年 - [[トラシュブロス (将軍)|トラシュブロス]]率いる民主派がアテナイの三十人僭主政権を打倒する。
 
* 紀元前401年 - [[クナクサの戦い]]でペルシア王[[アルタクセルクセス1世]]が反乱を起こした弟の[[小キュロス]]を倒す。
 
** 小キュロス配下のギリシア人傭兵軍団は[[クセノポン]]らの指揮のもとペルシアからの脱出を敢行。『[[アナバシス]]』に記録が残る。
 
* 紀元前400年前後 - 「{{仮リンク|トーディのマルス|en|Mars of Todi}}像(ヴァティカン・グレゴリアーノ・エトルリア美術館蔵)」が作られる。
 
 
 
== 人物 ==
 
=== 中国(周・春秋時代) ===
 
* [[老子]](生没年不詳) - 春秋時代の周出身の思想家([[道家]])・[[孔子]]とほぼ同時期か先行するか・架空人物説もあり
 
* [[左丘明]](生没年不詳) - 春秋時代の[[魯]]の著述家・孔子に前後して活躍か・『[[春秋左氏伝]](左伝)』『[[国語 (歴史書)|国語]]』の著者か
 
* [[孔子]]([[紀元前551年|前551年]] - [[紀元前479年|前479年]]) - 春秋時代の魯の思想家([[儒家]])・諸国遍歴後に教育に携わる・言行録に『[[論語]]』がある
 
* [[孔門十哲]]
 
** [[冉伯牛]]([[紀元前544年|前544年]] - ?) - 春秋時代の[[儒者]]・孔門十哲の一人・徳行に優れる
 
** [[子路]](季路)([[紀元前543年|前543年]] - [[紀元前481年|前481年]]) - 春秋時代の儒者・孔門十哲の一人・衛の高官となるが横死・[[二十四孝]]の一人
 
** [[閔子騫]]([[紀元前536年|前536年]] - [[紀元前487年|前487年]]) - 春秋時代の儒者・孔門十哲の一人・[[二十四孝]]の一人
 
** [[子貢]](端木賜)([[紀元前520年|前520年]] - [[紀元前446年|前446年]]) - 春秋時代の儒者・孔門十哲の一人・魯の外交担当になる
 
** [[顔回]]([[紀元前514年|前514年]] - [[紀元前483年|前483年]]) - 春秋時代の儒者・孔門十哲の一人・孔子に将来を期待されるが早世する
 
** [[子夏]](卜商)([[紀元前504年|前504年]]頃 - [[紀元前420年|前420年]]頃) - 春秋時代の儒者・孔門十哲の一人・魏の文侯に仕え李克や西門豹を育成
 
* [[霊公 (衛)|霊公]]([[紀元前540年|前540年]] - [[紀元前493年|前493年]]) - 春秋時代の衛の君主(在位[[紀元前534年|前534年]] - [[紀元前493年|前493年]])・[[弥子瑕]]や南子の寵愛で有名・『論語』にその名が残る
 
* [[闔閭]](? - [[紀元前496年|前496年]]) - 春秋時代の呉の王(在位[[紀元前514年|前514年]] - [[紀元前496年|前496年]])・越王勾践に敗れ夫差に復讐を誓わせる
 
* [[夫差]](? - [[紀元前473年|前473年]]) - 春秋時代の呉の王(在位[[紀元前495年|前495年]] - [[紀元前473年|前473年]])・[[春秋五覇]]の一人・父王の仇である越王勾践を捕虜とする
 
* [[勾践]](? - [[紀元前465年|前465年]]) - 春秋時代の越の王(在位[[紀元前496年|前496年]] - [[紀元前465年|前465年]])・春秋五覇の一人・[[范レイ|范蠡]]の補佐を得て呉を滅ぼす
 
* [[伍子胥]](? - [[紀元前485年|前485年]]) - 春秋時代の呉の[[政治家]]・[[軍人]]・[[闔閭]]と夫差に仕え越王[[勾践]]を捕虜とする・後に夫差に自殺を命じられる
 
* [[孫武]]([[紀元前535年|前535年]] - ?) - 春秋時代の呉の思想家([[兵家]])・[[兵法書]]『[[孫子 (書物)|孫子]]』の著者・伍子胥とともに[[楚 (春秋)|楚]]を攻撃
 
* [[范蠡]](生没年不詳) - 春秋時代の越の政治家・軍人・越王勾践に仕え伍子胥とは知略で争う・呉の滅亡後は越から亡命する
 
* [[西施]](生没年不詳) - 春秋時代の美女・越王勾践により呉王夫差を篭絡するために送り込まれる・[[中国四大美人]]の一人
 
* [[申包胥]](生没年不詳) - 春秋時代の楚の政治家・伍子胥とは旧友であったが後に離反・柏挙の戦いで呉に敗北した楚を立て直す
 
* 田恒(田成子)(生没年不詳) - 春秋時代の斉の政治家・監止と簡公を殺害し平公を擁立・事実上の斉での田氏支配が始まる
 
* [[曾子]]([[紀元前506年|前506年]] - ?) - 春秋時代の儒者・『[[孝経]]』の著者・弟子に子思や[[呉起]](後に破門)がいる
 
* [[子思]]([[紀元前483年|前483年]]? - [[紀元前402年|前402年]]?) - 春秋時代の儒者・孔子の孫で[[曾子]]の弟子・『[[中庸]]』の著者か
 
* [[趙無恤]](? - [[紀元前425年|前425年]]) - 春秋時代の晋の政治家・[[六卿]]の中で政敵だった[[智瑶]]を倒し魏や韓とともに晋から独立
 
* [[文侯 (魏)|文侯]](? - [[紀元前396年|前396年]]) - 春秋戦国時代の魏の君主(在位[[紀元前445年|前445年]] - [[紀元前396年|前396年]])・正式に晋から独立し諸侯に封じられる
 
* [[西門豹]](生没年不詳) - 春秋戦国時代の魏の政治家・子夏の弟子・文侯に仕え迷信を排し治水土木を行った故事で有名
 
* [[李克]](李悝)(? - [[紀元前395年|前395年]]) - 春秋戦国時代の魏の政治家・子夏の弟子・文侯に仕え成文法を定め富国強兵を進める
 
* [[墨子]]([[紀元前450年|前450年]] - [[紀元前390年|前390年]]頃?) - 戦国時代の思想家([[墨家]])・『墨子』の著者・「兼愛」「交利」「尚賢」「非攻」の思想で有名
 
 
 
=== 地中海世界 ===
 
==== ギリシア ====
 
* [[ミレトスのヘカタイオス]]([[紀元前550年|前550年]]頃 - [[紀元前476年|前476年]]頃) - 年代記作者([[ロゴグラポス]])・神話と歴史の分離を主張・[[イオニアの反乱]]で大使を務める
 
* [[アリスタゴラス]](生没年不詳) - [[ミレトス]]の指導者・イオニアの反乱の黒幕となりペルシア帝国に抵抗・ギリシアの諸ポリスを紛争に巻き込む
 
* [[シモーニデース|シモニデス]]([[紀元前556年|前556年]]頃 - [[紀元前468年|前468年]]) - ケオス島出身の[[抒情詩]]人・[[9歌唱詩人|九歌唱詩人]]の一人・ペルシア戦争での勝利を歌う・[[記憶術]]でも有名
 
* [[ミルティアデス]]([[紀元前550年|前550年]]頃 - [[紀元前489年|前489年]]) - アテナイの軍人・[[ケルソネソス]]の[[僭主]]・マラトンの戦いでペルシア軍を破る
 
* [[パルメニデス]]([[紀元前540年|前540年]]頃 - ?) - [[エレア派]]の哲学者・[[ゼノン (エレア派)|ゼノン]]の師で[[プラトン]]の[[イデア論]]にも影響・教訓詩『自然について』断片が残存
 
* [[ヘラクレイトス]]([[紀元前540年|前540年]]頃 - [[紀元前540年|前480年頃]]?) - [[エペソス]]出身の哲学者・万物の根源を「火」とし「万物流転」を唱える
 
* [[レオニダス1世]](? - [[紀元前480年|前480年]]) - [[スパルタ]]王(在位[[紀元前489年|前489年]] - [[紀元前480年|前480年]])・テルモピュライの戦いでスパルタ人300人と玉砕を遂げる
 
* {{仮リンク|アリステイデス (将軍)|label=アリステイデス|en|Aristides}}([[紀元前530年|前530年]] - [[紀元前468年|前468年]]) - アテナイの政治家・テミストクレスの政敵・陶片追放にも遭うが「正義の人」と称される
 
* [[アイスキュロス]]([[紀元前525年|前525年]] - [[紀元前456年|前456年]]) - アテナイの[[ギリシア悲劇|悲劇作家]]・三大悲劇詩人の一人・作品に『[[縛られたプロメテウス]]』などがある
 
* [[テミストクレス]]([[紀元前524年|前524年]]/[[紀元前520年|前520年]]頃 - [[紀元前459年|前459年]]/[[紀元前455年|前455年]]頃) - アテナイの政治家・軍人・サラミスの海戦でペルシア軍に勝利する
 
* [[パウサニアス (将軍)|パウサニアス]](? - [[紀元前470年|前470年]]) - スパルタの王族・[[レオニダス1世]]の甥・ギリシア連合軍を率いプラタイアの戦いで勝利する
 
* [[ミレトスのヒッポダモス]](生没年不詳) - ギリシア人の都市計画家・ミレトスやピレウスの都市計画に関与し[[アーバニズム]]の先駆者となる
 
* [[バッキュリデース|バッキュリデス]]([[紀元前520年|前520年]]頃 - [[紀元前450年|前450年]]) - ケオス島出身の詩人・九歌唱詩人の一人・『[[ディテュランボス]]』や多数の[[祝勝歌]]で有名
 
* [[ピンダロス]]([[紀元前522年|前522年]]/[[紀元前518年|前518年]] - [[紀元前442年|前442年]]/[[紀元前438年|前438年]])・[[テーバイ]]出身の詩人・九歌唱詩人の一人・祝勝歌「ピュティア勝利歌」が有名
 
* カリアス2世(生没年不詳) - アテナイの政治家・ペルシア王[[アルタクセルクセス1世]]との[[カリアスの和約]]でペルシア戦争を終結
 
* [[キモン]]([[紀元前510年|前510年]] - [[紀元前450年|前450年]]) - アテナイの政治家・将軍・デロス同盟によるアテナイの海上覇権(アテナイ帝国)を現出させる
 
* [[プロタゴラス]]([[紀元前500年|前500年]]? - [[紀元前430年|前430年]]?) - アテナイの弁論家・[[ソフィスト]]の一人・「万物の尺度は人間」の[[相対主義]]で知られる
 
* [[アナクサゴラース|アナクサゴラス]]([[紀元前500年|前500年]]頃 - [[紀元前428年|前428年]]頃) - クラゾメナイ出身でアテナイで活躍した哲学者・多元論を唱える・[[ペリクレス]]は弟子
 
* [[ソポクレス]]([[紀元前496年|前496年]] - [[紀元前406年|前406年]]) - アテナイの悲劇作家・三大悲劇詩人の一人・作品に『[[オイディプス王]]』などがある
 
* エフィアルテス(? - [[紀元前461年|前461年]]) - アテナイの政治家・ペリクレスらとともにキモンを追放し[[アレオパゴス会議]]の実権を奪う
 
* [[ペリクレス]]([[紀元前495年|前495年]]頃 - [[紀元前429年|前429年]]) - アテナイの政治家・キモンを追放し将軍として実権を握り全盛期のアテナイを指導
 
* [[ゼノン (エレア派)|エレアのゼノン]]([[紀元前490年|前490年]]頃 - [[紀元前430年|前430年]]頃) - エレア派の哲学者・[[パルメニデス]]の弟子・「アキレスと亀」の[[ゼノンのパラドックス]]で有名
 
* [[エンペドクレス]]([[紀元前490年|前490年]]頃 - [[紀元前430年|前430年]]頃) - アクラガス出身の哲学者・四元素説を唱えた・エトナ山から投身したか
 
* [[ペイディアス]]([[紀元前490年|前490年]]頃 - [[紀元前430年|前430年]]頃) - アテナイの彫刻家・建築家・ペリクレスと知己で[[パルテノン神殿]]造営の総監督を務める
 
* [[ポリュクレイトス]](生没年不詳) - [[アルゴス]]派の彫刻家・ペイディアスと並び古典主義様式を確立・「ドリュポーロス(槍を持つ人)」他がある
 
* [[ゴルギアス]]([[紀元前487年|前487年]] - [[紀元前376年|前376年]]) - シチリア出身でアテナイで活躍した弁論家・ソフィストの一人・プラトンは『ゴルギアス』を執筆
 
* [[ヘロドトス]]([[紀元前485年|前485年]]頃 - [[紀元前425年|前425年]]頃) - [[ハリカルナッソス]]出身の[[歴史家]]・ペルシア戦争をもとに『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]]』を著し「歴史の父」と呼ばれる
 
* [[クレオン (政治家)|クレオン]](? - [[紀元前422年|前422年]]) - アテナイの政治家・もとは靴製造業者・ペリクレス没後の[[衆愚政治]]時代の[[デマゴーグ]]とされる
 
* [[エウリピデス]]([[紀元前480年|前480年]]頃 - [[紀元前406年|前406年]]頃) - アテナイの悲劇作家・三大悲劇詩人の一人・作品に『[[メディア (ギリシア悲劇)|メディア]]』などがある
 
* [[ミュロン]]([[紀元前480年|前480年]]頃 - [[紀元前445年|前445年]]) - [[アッティカ地方]]エレウテライ出身の彫刻家・「円盤を投げる人(ディスコボロス)」が有名
 
* [[ソクラテス]]([[紀元前469年|前469年]]頃 - [[紀元前399年|前399年]]) - アテナイの哲学者・対話を通じて「[[無知|無知の知]]」を探求・弟子にプラトンや[[クセノポン]]・死刑にされる
 
* [[アスパシア]]([[紀元前470年|前470年]] - [[紀元前400年|前400年]]) - ミレトス出身の女性・将軍ペリクレスの愛人・小ペリクレスの母・ソクラテスとも交渉があった
 
* [[クリティアス (三十人僭主)|クリティアス]]([[紀元前460年|前460年]]頃 - [[紀元前403年|前403年]]) - アテナイの政治家・ソクラテスの弟子・アテナイの三十人政権の指導者となる
 
* [[ヒポクラテス]]([[紀元前460年|前460年]] - [[紀元前370年|前370年]]頃) - [[エーゲ海]]の[[コス島]]出身の医師・迷信を排し[[四体液説]]を唱え「医学の父」と呼ばれる
 
* [[デモクリトス]]([[紀元前460年|前460年]]頃 - [[紀元前370年|前370年]]頃) - [[アブデラ]]出身の哲学者・[[レウキッポス]]の弟子で[[原子論]]を大成する
 
* ニキアス([[紀元前460年|前460年]]頃 - [[紀元前413年|前413年]]) - アテナイの政治家・ペロポネソス戦争の和平派でニキアスの和約を結ぶがシチリア遠征に失敗
 
* [[トゥキディデス]]([[紀元前460年|前460年]]頃 - [[紀元前395年|前395年]]) - アテナイの軍人・ペロポネソス戦争を指揮・後に歴史家としてこの戦争の記録『[[戦史 (トゥキディデス)|戦史]]』を執筆
 
* [[ヘルモクラテス]]([[紀元前450年|前450年]]頃 - [[紀元前407年|前407年]]) - シチリア島の[[シラクサ|シュラクサイ]]の政治家・ペロポネソス戦争での反アテナイ陣営で活躍
 
* [[アルキビアデス]]([[紀元前450年|前450年]]頃 - [[紀元前404年|前404年]]頃) - アテナイの政治家・ペロポネソス戦争の主戦派・シチリア遠征を前に逃亡
 
* [[アギス2世]](? - [[紀元前401年|前401年]]/[[紀元前400年|前400年]]) - スパルタ王(在位[[紀元前427年|前427年]] - [[紀元前401年|前401年]]/[[紀元前400年|前400年]])・ペロポネソス戦争に勝利し覇権を握る
 
* [[アリストパネス]]([[紀元前446年|前446年]] - [[紀元前385年|前385年]]) - アテナイの[[喜劇]]作家・ペロポネソス戦争への批判をこめた『[[女の平和]]』などで知られる
 
 
 
==== 共和政ローマ ====
 
* アグリッパ・メネニウス・ラナトゥス(? - [[紀元前493年|前493年]]) -  ローマの[[執政官]](在任[[紀元前503年|前503年]])・聖山事件でプレブスをパトリキを和解させる
 
* [[ルキウス・クィンクティウス・キンキナトゥス]](生没年不詳) - ローマの[[独裁官]](在任[[紀元前458年|前458年]]、[[紀元前439年|前439年]])・[[アエクイ族]]らを斥ける
 
* アッピウス・クラウディウス・クラッスス(生没年不詳) - ローマの執政官(在任[[紀元前451年|前451年]])で[[十人委員会]]の一人・[[十二表法]]を制定
 
* ガイウス・カヌレイウス(生没年不詳) - ローマの[[護民官]](在任[[紀元前445年|前445年]])・貴族と平民の結婚を認めるカヌレイウス法を制定
 
* [[マルクス・フリウス・カミルス]]([[紀元前446年|前446年]] - [[紀元前365年|前365年]]) -  ローマの軍人・[[ケルト人]]を追い払い「ローマ第二の創建者」と呼ばれる
 
 
 
=== 西アジア世界 ===
 
* [[ダレイオス1世]]([[紀元前558年|前558年]] - [[紀元前486年|前486年]]頃) - [[アケメネス朝]]ペルシア王(在位[[紀元前521年|前521年]] - [[紀元前486年|前486年]])・王国の最盛期で[[ペルセポリス]]を造営
 
* [[クセルクセス1世]]([[紀元前519年|前519年]] - [[紀元前465年|前465年]]) - アケメネス朝ペルシア王(在位[[紀元前486年|前486年]] - [[紀元前465年|前465年]])・ペルシア戦争に敗北する
 
* [[マルドニオス]](? - [[紀元前479年|前479年]]) - アケメネス朝ペルシアの将軍・クセルクセス1世の従兄弟・アテナイを破壊したがプラタイアイの戦いで敗死
 
* [[ダレイオス2世]](? - [[紀元前405年|前405年]]) - アケメネス朝ペルシア王(在位[[紀元前424年|前424年]] - [[紀元前405年|前405年]])・ペロポネソス戦争ではスパルタと手を結ぶ
 
* [[アルタクセルクセス2世]]([[紀元前430年|前430年]]頃 - [[紀元前359年|前359年]]頃) - アケメネス朝ペルシア王(在位[[紀元前404年|前404年]] - [[紀元前359年|前359年]]頃)・弟[[小キュロス]]の反乱鎮圧
 
* [[クテシアス|クニドスのクテシアス]](生没年不詳) - ペルシア王アルタクセルクセス2世の侍医・『ペルシア誌』『インド誌』などの著作で知られる
 
* [[小キュロス]](?- [[紀元前401年]]) - アケメネス朝ペルシアの王子でサルディス総督・兄[[アルタクセルクセス2世]]に反乱を起こすが戦死
 
* [[エズラ]](生没年不詳) - エルサレムの律法書記官・[[バビロン捕囚]]から解放されたユダヤ人を指導し律法を復興・『[[エズラ記]]』に詳しい
 
* ネヘミヤ(生没年不詳) - ペルシアの総督・バビロン捕囚から帰還したユダヤ人とエルサレム城壁を再建・『[[ネヘミヤ記]]』に詳しい
 
* [[エステル (聖書)|エステル]](生没年不詳) - 旧約聖書の伝承ではペルシア王アハシュエロス(クセルクセス1世)の王妃・ユダヤ人を救い[[プリム祭]]の起源となる
 
 
 
=== 南アジア ===
 
* [[釈迦|ゴータマ・シッダッタ]](シャカ)([[紀元前463年|前463年]] - [[紀元前383年|前383年]]、生没年は諸説あり) - [[仏教]]の開祖・釈迦(釈尊)や[[仏陀]]とも呼ばれる
 
* [[マハーヴィーラ]](シャカと同時代) - [[ジャイナ教]]の開祖・[[マハーヴィーラ|ヴァルダマーナ]]やニガンダとも呼ばれる・仏典では[[六師外道]]の一人
 
* [[マッカリ・ゴーサーラ]](シャカと同時代) - インドの[[アージーヴィカ教]]の開祖・仏典では六師外道の一人・厳格な決定論と宿命論が特徴
 
* [[アジタ・ケーサカンバリン]](シャカと同時代) - インドの[[チャールヴァーカ]]派([[順世派]])の思想家・仏典では六師外道の一人・唯物論と快楽主義が特徴
 
* [[サンジャヤ・ベーラッティプッタ]](シャカと同時代) - インドの[[懐疑論]]者・仏典では六師外道の一人・[[サーリプッタ]]らの師であったと伝わる
 
* [[プーラナ・カッサパ]](シャカと同時代) - インドの道徳否定論者・仏典では六師外道の一人・因縁や業を否定し善悪の区分を否定した
 
* [[パクダ・カッチャーヤナ]](ジャカと同時代) - インドの七要素論者・仏典では六師外道の一人・チャールヴァーカ派の四要素論を発展させたものか
 
* [[ビンビサーラ]](シャカと同時代) - インドの[[マガダ国]]の王・[[アジャータシャトル]]は息子・深く仏教に帰依し釈迦に対し[[竹林精舎]]を寄進
 
* [[アジャータシャトル]](シャカと同時代) - インドのマガダ国の王・仏典では[[提婆達多|デーヴァダッタ]]の教唆で父王[[ビンビサーラ]]を殺害し王となる
 
* [[プラセーナジット]](シャカと同時代) - インドの[[コーサラ国]]の王・第一夫人[[勝鬘夫人|マッリカー]]は『[[勝鬘経]]』でジェータ太子は[[祇園精舎]]寄進で有名
 
* [[毘瑠璃王|ヴィドゥーダバ]](シャカと同時代) - インドのコーサラ国の王・[[プラセーナジット]]の子でジェータ太子の兄弟・シャカ族を滅ぼす
 
* [[大迦葉|マハーカッサパ]](生没年不詳) - 仏教第2祖・[[釈迦十大弟子]]の一人で頭陀第一と言われる・第1回[[仏典結集]]を指導・漢訳では摩訶迦葉
 
* [[阿難|アーナンダ]](生没年不詳) - 仏教第3祖・釈迦十大弟子の一人で多聞第一と言われ第1回[[仏典結集]]でも活躍・漢訳では阿難陀
 
 
 
== 脚注 ==
 
'''注釈'''
 
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'''出典'''
 
{{脚注ヘルプ}}
 
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<!-- == 参考文献 == -->
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[年表]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
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