「生長の家」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(1版 をインポートしました)
(内容を「 '''生長の家'''(せいちょうのいえ) 教祖谷口雅春 (本名正治) によって開かれた新宗教。 1929年,谷口が「生命の実相を知…」で置換)
(タグ: Replaced)
 
1行目: 1行目:
{{出典の明記|date=2015年8月}}
 
{{Infobox 組織
 
|名称 = 生長の家
 
|画像 =
 
|画像サイズ =
 
|画像説明 = 徽章
 
|画像2 =
 
|画像サイズ2 =
 
|画像説明2 = 本部
 
|略称 =
 
|標語 =
 
|前身 =
 
|後継 =
 
|設立 = 1930年(昭和5年)3月1日
 
|廃止 =
 
|種類 = [[宗教法人]]
 
|地位 =
 
|目的 =
 
|本部 = 山梨県北杜市
 
|位置 =
 
| 緯度度 = |緯度分 = |緯度秒 =
 
| 経度度 = |経度分 = |経度秒 =
 
|貢献 =
 
|メンバー =
 
|言語 =
 
|事務総長 =
 
|会長 = [[谷口雅宣]]
 
|人物 =
 
|機関 =
 
|提携 =
 
|設立者 = [[谷口雅春]]
 
|関連組織 =
 
|スタッフ =
 
|ボランティア =
 
|予算 =
 
|ウェブサイト = http://www.seicho-no-ie.org/
 
|過去名 =
 
|補足 =
 
}}
 
'''生長の家'''(せいちょうのいえ)は、[[1930年]]([[昭和]]5年)に[[谷口雅春]]により創設された新宗教団体<ref>週刊ダイヤモンド、2009/09/12、30ページから、“新宗教”</ref>。
 
その信仰は、[[神道]]・[[仏教]]・[[キリスト教]]・[[イスラム教]]・[[ユダヤ教]]等の教えに加え、[[心理学]]・[[哲学]]などを融合させている。正しい宗教の真理は一つと捉えている。[[宗教法人]]格を持つ。
 
  
== 概要 ==
+
'''生長の家'''(せいちょうのいえ)
[[1930年]]に[[谷口雅春]]によって創始された。『宗教年鑑 平成29年版』における国内信者数は、459,531人である<ref>文化庁『宗教年鑑 平成29年版』 P87</ref>。本部は[[山梨県]][[北杜市]]。<ref>『オールカラーでわかりやすい! 世界の宗教』240頁</ref><ref>『オールカラーでわかりやすい! 世界の宗教』241頁</ref>
 
 
 
現在の総裁は雅春の娘婿の[[谷口清超]]の二男[[谷口雅宣]]。[[2008年]][[10月28日]]に父清超が89歳に死去したため、立教記念日の[[2009年]][[3月1日]]付を以て雅宣が第3代生長の家総裁に就任した。
 
 
 
[[本山|総本山]]として[[生長の家総本山|龍宮住吉本宮]]が[[長崎県]][[西海市]]に、[[本山|別格本山]]として[[生長の家宇治別格本山|宝蔵神社]]が[[京都府]][[宇治市]]に各々ある。教典として『[[生命の實相]]』、『[[甘露の法雨]]』、「[[七つの燈臺の點燈者の神示]]」などがある。
 
 
 
 
 
== 活動 ==
 
=== 講習会・勉強会 ===
 
信徒も含め一般向けの行事として「講習会」が設けられており、全国59教区で隔年開催されている。[[2015年]]からは各地で年に数回の「新人のための勉強会」が行われている。
 
=== 普及誌および組織構成 ===
 
一般向けの月刊誌(「普及誌」)としては、『いのちの環』、『[[白鳩 (雑誌)|白鳩]]』、『[[日時計24]]』の3誌を[[日本教文社]]が月1回発行、[[世界聖典普及協会]]を通して頒布している。機関紙としては『聖使命』、『生長の家』がある。いずれも月1回発行である。
 
 
 
信者組織としては、男性対象組織「相愛会」(1万人)、女性対象組織「白鳩会<ref>教団全体の総裁・副総裁とは別に、単独組織として総裁・副総裁職が設けられている。[[2009年]]現在、総裁は[[谷口純子]]。</ref>」(6万人)、12歳~39歳の男女青年組織「[[生長の家青年会|青年会]]」(3千人、誌・組織共に[[1998年]])が基本の3組織とされている。[[1985年]][[11月21日]]まで総裁を雅春、白鳩会総裁を谷口輝子、[[2009年]][[2月28日]]まで総裁を清超、白鳩会総裁を谷口恵美子が担当していた<ref>教団全体の副総裁、ならびに白鳩会副総裁は空席となっている。</ref>。
 
 
 
この他に副次的組織として、会社経営者や産業人で構成される「生長の家栄える会」、学校教員や教育関係者で構成される「生長の家教職員会」(生教会)が存在する。なお、かつては生教会と同列的な組織に「[[新教育者連盟]]」(新教連)が存在したが、[[2003年]]に生長の家側が包括的関係を解消している。
 
 
 
青年会指導下の学生組織としては、[[生長の家学生会全国総連合]]や[[生長の家高校生連盟]]、[[生長の家ジュニア友の会]]が存在している。また、かつては新教育者連盟が運営していた[[日曜学校]]的な教育組織である[[生命学園]]は、現在では生長の家教職員会の管轄にある。
 
=== 海外活動 ===
 
海外活動は[[日系]][[移民]]の多い[[ブラジル]]で盛んで、信者数は250万人などと公称、また[[サンパウロ州]]、[[クリチーバ市]]、[[サン・ジョゼー・ド・リオ・プレト|サンジョゼ・ド・リオ・プレット市]]、[[サンタマリア市]]、[[ベレン (パラー州)|ベレン市]]、[[ポルト・アレグレ市]]、等では「生長の家の日」が制定されていると、生長の家は主張しており、実際にサンパウロ州議会で「生長の家の日」が祝われたという報道もある<ref>[http://www.nikkeyshimbun.jp/2014/140306-73colonia.html 聖州議会「生長の家の日」祝う=立教85年記念式典9日に]</ref>など、日系人を中心に影響力を持っている。同国では全国レベルで「生長の家の日」を制定しよう、という動きもある<ref>[http://www.nikkeyshimbun.jp/2014/140408-74colonia.html 「生長の家の日」国レベルで=制定に向け西森下議が尽力]</ref>。
 
=== 徽章の由来と意義 ===
 
[[ファイル:Sei-cho-no-ihe color.jpg|thumb|left|130px|「生長の家」の徽章]]
 
[[1935年]](昭和10年)[[2月1日]]制定された<ref name="seikou">『新編 聖光録 生長の家信徒必携』谷口清超監修、生長の家本部編集</ref>。図案は[[帝展]]審査員であった[[山根八春]](やまねやつはる)がデザインした<ref name="shiyu">[https://www.ssfk.or.jp/p/a/008060.htm 誌友バッジ 銀]</ref><ref name="seikou"/>。テーマは万教融和と中心帰一である<ref name="seikou"/>。そして全体は[[太陽]]・[[月]]・[[星]]・[[地球]]・[[卍]]・[[十字]]・[[日の丸]]を融和させたデザインとする<ref name="shiyu"/>。周りの[[32]]の[[赤]]の円光は[[仏]]の三十二相<ref name="shiyu"/>を、中の[[白]]の卍は[[仏教]]と[[太陰]]を表している<ref name="shiyu"/><ref name="seikou"/>。中央の[[緑]]の八つ星は八方位をまとめた存在として[[日本]]を、また[[十字架]]としても[[キリスト教]]を表している<ref name="seikou"/>。そしてこの八つ星の緑は青人草(あおひとぐさ)が繁茂している事を示す<ref name="shiyu"/>。
 
 
 
また生長の家ではこの[[徽章]]を太陽の子孫、神の子であるしるしとしている<ref name="seikou"/>。また日子(ひこ)「彦」、日女(ひめ)「姫」の悟りを開いた三十二相の顕現の兆候を示しているとする<ref name="seikou"/>。
 
 
 
[[1937年]](昭和12年)頃にこの図案の[[バッジ]]もつくられた<ref name="seikou"/>。
 
 
 
== 教義・行事 ==
 
=== 教義 ===
 
生長の家の教義は[[谷口雅春|雅春]]の著作特に[[生命の実相]]と[[甘露の法雨]]を基礎とする。なお、生長の家は、[[神道]]や[[仏教]]、[[キリスト教]]、[[天理教]]、[[大本]]等諸宗教はその根本においては一致するという「万教帰一」という思想を主張・布教している。ただし、現総裁の[[谷口雅宣|雅宣]]が生長の家の経典を含む各宗教の聖典の[[原理主義]]的解釈を否定していることでもわかるように、例えば[[イスラム原理主義]]や[[創価学会]]の教義をそのまま認めている、というわけではない。
 
 
 
生長の家では、世界を[[実相]]と[[現象]]に分けて区別し、第一義的実在であるのは「善一元なる唯一絶対神」だけであって、それ以外のものは実相には存在しない、と考える。現象世界のものは、物質から霊的なものまで、すべて「第一義的実在に非ず」<ref>『甘露の法雨』「霊」の項の一節。</ref>と説く。「物質は心の影」であると説く一方で、その「心」すらもなく、死者の霊も先祖供養等の対象とはするが、物質が存在しないというのと同じ意味で霊魂も存在しないといている。逆にいうと、例えば先祖供養の形式については、信徒は仏教やキリスト教、神道のいずれの方式で行っても、生長の家の教義に違反しない、ということであり、生長の家が信徒に対して改宗を求めない理由の一つとなっている。
 
==== 唯神実相 ====
 
生長の家の基本教義。「縦の真理」と呼ばれる。教団公式HPには「実相の世界は神の御徳が充満していて、人間は神の子であり、神と自然と人間とは大調和している世界です。つまり本当に存在するものは唯、神と神の作られた完全円満な世界だけであるという意味で「唯神実相」と呼んでいます。」<ref name="oshie">[http://www.jp.seicho-no-ie.org/about/doctrine.html 生長の家の基本的な教え]</ref>と記されている。
 
 
 
これに対して一般に「現実」と呼ばれる世界は「現象」と呼び「現象の世界は、全体の膨大な情報量のうち、人間の肉体の目、耳、鼻、口、皮膚で濾(こ)し取ったごく一部の不完全な情報を、脳が組み立て直して仮に作り上げている世界です。ですから、世の中には戦争やテロがあったり、病気などの不完全な出来事があるように見えますが、それらはすべて「現象」であって、本当にある世界の「実相」ではないと説いています。」<ref name="oshie"/>と述べている。
 
 
 
なお、生長の家の教義に「実相の日本は未だ敗戦をしていない」というものがあるが、これは[[住吉大神]]から谷口雅春に下った神示とされる「軍国日本の如きは本来無き国であるから滅びたのである」<ref>「日本の実相顕現の神示」</ref>が出典であって、当初は「現象」における過去の日本と「実相」における本当の日本とを区別すべきという意味であり[[大東亜戦争肯定論]]を意味するものではなかった。今でも教団が公式に大東亜戦争肯定論を主張したことはないが、[[生長の家本流運動]]系の団体では大東亜戦争肯定論が主張されることがある。
 
==== 唯心所現 ====
 
教団の公式HPには「唯心所現の「心」とは「コトバ」であり、コトバには行動で表現する「身(しん)」、発声音で表現する「口(く)」、心の中で思う「意(い)」の3つがあり、これら身・口・意の三業を駆使することで、唯心所現の法則によって現象世界をいかようにでも作り上げることが出来るのです。」<ref name="oshie"/>とある。
 
==== 万教帰一 ====
 
教団の公式HPには「宗教に違いがあるのは国や地域、民族によって服装が違うように、宗教も文化的な違いが現れているからだと言えます。目玉焼きに喩えると、中心部分の黄身を普遍的な根本真理と見立て、それぞれの宗教が共有していると考えます。一方、周縁部分である白身は、文化、民族、時代などの違いによって変化している部分だと考えると分かりやすいでしょう。世界の各宗教が、この中心部分(黄身)の共通性と周縁(白身)の多様性をお互いに認め合うことによって、宗教間の対立は消えることになります。それを端的に表わした言葉が「万教帰一」の教えなのです。」<ref name="oshie"/>とある。
 
 
 
生長の家の教義と他の宗教の教義が直接に一致するという意味ではない。神については「第一義の神」「第二義の神」「第三義の神」が存在するとしており、第一の神が実相における唯一絶対神、第二義の神が現象における宇宙の法則やその具体化した姿、第三義の神が人格神であるとしている。例えば[[旧約聖書]]における[[エロヒム]]と[[ヤハウェ]]については[[創世記]]でこの世界について「甚だ良し」と言ったエロヒムこそが第一義の神(=唯一絶対の神)であって、人類をエデンの園から追放したヤハウェは第二義の神であると説いている。[[仏教]]や[[神道]]についても、例えば谷口雅春に度々啓示を下す住吉大神は「第二義の神」であるとしている。
 
 
 
=== 行法 ===
 
行法は、「神想観<ref>正座をして先ず招神歌をよみ瞑目合掌する。</ref>」「大祓の人型<ref>紙の札に氏名を書きそれで本人を擦り、息を吹きかけ、それを総本山と各教化部で焼納する。</ref>」(年間二回)「浄心行<ref>自分の思っている悪いこと全てを紙に書き出し、それを本山等で清めた炎で焼却する。</ref>」「写経<ref>「[[甘露の法雨]]」を写す。</ref>」とよばれる「行法」のうちどれか一つでも一日に一回するのが望ましいとされている。
 
 
 
永代供養は、永代祭祀ともいい、供養される者の氏名を専用の「甘露の法雨」経典に書き供養する。生存者の場合は総本山[[生長の家総本山|龍宮住吉本宮]]の誠魂奉安筐に奉安され故人に為ると別格本山[[生長の家宇治別格本山|宝蔵神社]]の紫雲殿に遷され永代供養される。
 
=== 人間観 ===
 
生長の家では[[#唯神実相|唯神実相]]の観点から生老病死・輪廻転生を遂げる人間・霊魂は実在しない「仮相人間」であり、生老病死・因果や法則を超越した存在こそ金剛不壊の真に存在する「実相人間」であると説く。その上でこの世、現象世界での生きるべき姿・処世術を説いている。
 
 
 
人間が実相を悟れば事態・環境・法則は自ずから無害有益なものに為り、真に無限供給の神の恵みを受ける事が出来るとする。
 
 
 
=== 練成会 ===
 
練成会は宿泊しながら教義の学習と行法の実践を行う行事である。生長の家の各地の拠点で行われている。
 
 
 
== 歴史 ==
 
=== 創始から終戦まで ===
 
[[ファイル:Seicho-No-Ie 2.jpg|thumb|right|190px|生長の家本部外観]]
 
{{main|谷口雅春}}
 
創始者(生長の家では開祖や教祖の名称は使われない)の[[谷口雅春]]は、紡績会社勤務のときから[[1918年]]([[大正]]7年)に[[大本]]の専従活動家になり、[[出口王仁三郎]]の『[[霊界物語]]』の口述筆記に携わった他、機関紙の編集主幹などを歴任した。同時期に大本の本部で活動していた江守輝子と出会い、[[1920年]](大正9年)[[11月22日]]に結婚。
 
 
 
[[1922年]](大正11年)の[[大本事件#第一次大本事件|第一次大本事件]]を機に、大本から離脱した[[浅野和三郎]]と行動を共にし、翌[[1923年]](大正12年)には浅野が旗揚げした『[[心霊科学研究会]]』に加わった。同年[[関東大震災]]で被災し、妻・[[谷口輝子|輝子]]の実家である富山に疎開中の[[10月10日]]、長女の[[谷口恵美子|恵美子]]が誕生。
 
 
 
雅春は、外資系石油商[[エクソンモービル|ヴァキューム・オイル・カンパニー]]勤務の傍ら『心霊科学研究会』で宗教・哲学的彷徨を重ね、[[一燈園]]の[[西田天香]]らとも接触した。特に当時流行していた[[ニューソート]]([[自己啓発]])の強い影響を受け、これに『光明思想』の訳語を宛てて機関紙で紹介した。
 
 
 
[[1929年]]([[昭和]]4年)[[12月13日]]深夜、瞑想中に「今起て!」と神から[[啓示]]を受けたことを機に、[[1930年]](昭和5年)[[3月1日]]に修身書として雑誌『生長の家』1000部を自費出版した(生長の家ではこの日を以て「立教記念日」としている)。
 
 
 
「人間・神の子」「実相一元・善一元の世界」「万教帰一」のニューソート流主張により、支持者・講読者を拡大。 『生長の家』誌で発表した雅春の論文は[[1932年]](昭和7年)に『[[生命の實相]]』としてまとめられ、[[1935年]](昭和10年)には購読者を組織して「教化団体生長の家」を創設する。各地に支部を設立し、また[[学校]]などでも生長の家の講演会が開かれるなど教勢を拡大した。
 
 
 
敗色濃厚な[[1944年]](昭和19年)には紙の配給が止まり『生長の家』誌の発行も一時停止したが、軍国的な「皇軍必勝」のスローガンの下に、金属の供出運動や勤労奉仕、戦闘機を軍に献納するなど教団を挙げて戦争に協力し、[[天皇信仰]]・感謝の教えを説いた。一方で、[[海ゆかば]]の歌を歌うことに反対するなどの活動も行ったため、[[憲兵]]や[[特別高等警察]]と教団の講師がトラブルになることもあった<ref>『生長の家四〇年史』生長の家。</ref>。
 
 
 
生長の家および生長の家系列の宗教の書籍等では旧日本軍に生長の家信者が少なくなかったことが記される。[[宮城事件]]は信者の[[田中静壱]]が鎮圧した<ref>この際、[[甘露の法雨]]も持っていたともいわれる。また生長の家の講師が田中静壱の病気を治したのが入信のきっかけだったという。</ref>。[[根本博]]は生長の家の教義にしたがい終戦後も[[内モンゴル]]で[[ソビエト連邦]]と戦った。
 
 
 
=== 戦後の法人化と政治への参加 ===
 
戦後は西洋思想家の著作の邦訳も行っていたが、その翻訳作業の助手の募集を見た者の中に、後に雅春の養嗣子となり、第2代総裁となった荒地清超(後の[[谷口清超]])がいた。清超は[[1946年]](昭和21年)に雅春の一人娘の恵美子と結婚する。
 
 
 
[[1949年]](昭和24年)に「生長の家教団」として[[宗教法人]]格を得て、組織の再構築を行った。その後は[[妊娠中絶]]反対運動などでも積極的に政治活動を行うようになり、伊勢神宮の神器の法的地位の確立(一宗教法人の私物ではなく皇位継承と特別な関係のあるものと主張)や、[[靖国神社]]国家護持運動など右派活動を行った<ref>生長の家が目指す政治路線を列挙する。
 
:第一に憲法改正。明治憲法復元論である。
 
:第二に紀元節の復活。
 
:第三に国旗と国家の復活。
 
:第四に[[優生保護法]]の改正である。
 
 
 
[[堀幸雄]] 『最新 右翼辞典』 柏書房 2006年11月 P 314-315</ref>。さらに、[[建国記念の日]]の制定や、[[元号]]法制化に教団を挙げて協力した他、「[[優生保護法]]廃止(堕胎禁止・反優生学)」「帝国憲法の復原・改正」を掲げて[[生長の家政治連合]](生政連)を結成し[[玉置和郎]]、[[村上正邦]]、[[田中忠雄 (評論家)|田中忠雄]]、[[寺内弘子]]を[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]公認候補として[[参院選]]に送り込んだ(この付近の経緯は、[[公明党]]を生んだ[[創価学会]]とよく似ている。公明党の前身は創価学会文化部から出た無所属議員である)。
 
 
 
[[1978年]](昭和53年)の第2回相愛会男子全国大会([[日本武道館]]で開催)の時には、[[玉置和郎]]や[[中川一郎]]、[[黛敏郎]]また130名程の[[国会議員]]が参加し、渡米中だった、時の首相・[[福田赳夫]]から[[祝電]]が届いた。
 
 
 
また、[[学生運動]]が再高揚した[[1969年]](昭和44年)には、[[生長の家学生会全国総連合]](生学連)を中心に[[生長の家青年会]]・[[生長の家政治連合]]の後押しを受け、他の保守系諸団体と共に[[全国学生自治体連絡協議会]](以下「全国学協」)<ref name=from />を結成し、「学園正常化」と「[[YP体制]]打倒」「反近代・文化防衛」を掲げて、全国の大学で[[全日本学生自治会総連合]]と激しく衝突した<ref name=from>[[鈴木邦男]]や[[高橋史朗]]、[[伊藤哲夫 (政治活動家)|伊藤哲夫]]などの[[民族派]]の活動家や文化人、[[衛藤晟一]]や[[井脇ノブ子]]などの政治家は、生学連もしくは全国学協の出身である。保守系シンクタンク[[日本政策研究センター]]は、伊藤の主宰する団体である。生学連OBを中心に結成された。</ref>。
 
 
 
[[日本青年協議会]](以下日青協)は<ref>もともと全国学協OBによって結成された組織で、草創期の幹部に生長の家出身者が多かった。</ref>ただし、組織的には生長の家教団とは全く無関係の組織である。また、日青協の学生組織である[[反憲法学生委員会全国連合]](反憲学連)は、全国学協内の路線対立、分裂によって生まれた組織である。[[1973年]](昭和48年)に、全国学協中執を中心とする一派が自立草莽・実存民族派路線、反[[アメリカ帝国|米帝]]・民族解放路線<ref>[[第三世界]]との連帯と[[反米]]路線。[[パレスチナ解放機構]]等との共闘を主張</ref>を採択したのに対し、もう一派は、反ヤルタポツダム・反憲・民族自立路線の下に新たに反憲学連を結成した。
 
 
 
現在、日青協や、[[伊藤哲夫 (政治活動家)|伊藤哲夫]]の興した「日本政策研究センター」は、「[[日本を守る国民会議]]」の後継団体である[[日本会議]]の加盟団体として、[[神社本庁]]やその傘下の[[神道政治連盟]]、[[念法眞教]]、[[仏所護念会]]、[[崇教真光]]、[[キリストの幕屋]]等、生長の家以外の保守的宗教団体と強い関係を構築している。保守的宗教団体に数えられることもある[[世界基督教統一神霊協会]]=[[原理研究会]]とも、全国学協の草創期に一時部分的に共闘したことがある<ref>これらの活動に対して[[浅野健一]]は、「ネティズン極右的な言論は自然発生的な面もあるが、『生長の家』などのカルト的な宗教団体が反動的な政治家と組んで組織的に展開している。」と主張している。{{Cite web|url=http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/FEATURES/2005/link3.htm|title=日本におけるオーマイニュース・モデル成功の条件: 市民参画型ジャーナリズムを創出するために|accessdate=2014-07-26|date=2005-02-23}}{{リンク切れ|date=2015年8月}}[https://web.archive.org/web/20070208021137/http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/FEATURES/2005/link3.htm インターネット・アーカイブよりサルベージ] </ref>。
 
 
 
生長の家は[[伊勢神宮]]や[[靖国神社]]を皇室に帰属させるべき、といった保守的な主張のみならず堕胎禁止を始めとする[[プロライフ]]的な主張を展開した。[[マザーテレサ]]の著書を関連会社から出版するなど国際的な[[宗教右派]]との連携も展開していた。
 
 
 
こうした生長の家のプロライフ(生命尊重)の主張で特筆すべきは、第一にそれが[[1959年]]という他の団体と比べても初期に行われていた<ref>[http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~slogos/archive/28/tsuchiya2004.pdf 日本社会における「胎児をめぐる生命主義」の源流][[土屋敦]]</ref>こと、第二にそれが[[胎児の権利]]のみならず[[動物の権利]]にも及ぶ徹底した生命尊重主義であったということである。谷口雅春はつぎのような主張を展開していた。
 
{{quotation|人間が生物を殺して生きていながら、人類だけが殺し合いの戦争をしないで平和に生活したいと考えるのは、すべての業は循環する、一点一画と雖も、播いた種子は刈りとらなければならないと云う原因結果の法則に矛盾するのである。人類の平和は先ず生物を殺さないことから始まらなければならないのである。|限りなく日本を愛す}}
 
{{quotation|「世界の平和も、肉食の廃止から」といいたいのでありますが、政府が肉食を奨励して牛肉なども国費を使って大量に輸入しているのだから、我々の思想が政界を浄化しない限りは、国内の闘争も、世界の戦争もなかなかおさまりそうにないのであります。|心と食物と人相と}}
 
しかし、このような徹底したプロライフの立場が政界に受け入れられることはなかった。
 
 
 
=== 政治活動の撤退と「国際平和信仰運動」の提唱 ===
 
[[1978年]]に雅春は生長の家総本山に移住し政治活動の一線から退いた。生長の家の政治運動には初期から内部での路線対立は存在した<ref>[[生長の家学生会全国総連合]]内部での[[鈴木邦男]]と[[安東巌]]の対立を始めとする路線対立がその代表。また、婦人組織「白鳩会」幹部の[[平岡初枝]]は[[社会大衆党]]の女性組織「社会大衆婦人同盟」の代表も務めたことがあるなど、全ての信徒が右翼的な政治思想を持っているわけではなかった。</ref>が、この頃から政治運動に積極的な「飛田給派」と否定的な「教団派」(本部派)の対立が激しくなる。しかし、[[1982年]]時点では教団派の理事長が更迭されるなど飛田給派の影響力が強かった<ref>週刊ポスト「巨大教団追及」シリーズ「理事長退任劇で激震!『生長の家内紛は参院選に重大影響を与える』」、1982年9月17日号</ref>。なお、飛田給派と本部派の名称の由来はその拠点となった場所がそれぞれ「生長の家飛田給道場」と「生長の家本部」だったからである。
 
 
 
[[1983年]](昭和58年)、当時の理事長の[[徳久克己]]は飛田給道場の創設者ということもあり飛田給派の人間であると見られていた<ref name=post/>が、[[優生保護法]]改正を巡って[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]と対立したことを理由に、[[生長の家政治連合]]の活動を停止を決断した<ref name=post>『歴史から何を学ぶか』生長の家。</ref>。[[1985年]](昭和60年)[[6月17日]]に雅春が死去し、娘婿の[[谷口清超|清超]]が第2代の総裁に、妻の[[谷口恵美子|恵美子]]が第2代の白鳩会総裁に就任。同年、[[日本を守る国民会議]]から脱退し生長の家は自民党やその支持団体と距離を置くようになった。
 
 
 
[[1988年]](昭和63年)[[4月26日]]には雅春の妻で初代白鳩会総裁の輝子が死去。その後[[1990年]]([[平成]]2年)[[11月22日]]には、清超の次男の[[谷口雅宣]]<ref>リベラルな主張をする一方で、[[非核三原則]]に「現実的でない」と反対するなど、保守的な要素も強く、教団は[[中華民国]]を支持するなど、外交面にもそれが表れている。</ref>が副総裁に就任し、清超と共に講習会への講師としての出講を行うようになっていく。[[1993年]]、「国際平和信仰運動」を提唱し推進、日本政府による[[大東亜戦争]]への反省や[[戦争責任]]の追及、[[人権]]感覚からの[[女系天皇|女系]]・[[女性天皇]]の推進を表明するなど、これまでの愛国・[[保守]](=[[右翼]])的教義から距離を置くような転換を積極的に進めている。[[1994年]](平成6年)には雅宣の妻・[[谷口純子]]が白鳩会副総裁に就任。
 
 
 
近年では、地球環境問題や遺伝子操作・生命倫理問題、エネルギー問題などの現代科学に対し[[宗教右派]]<ref>生長の家と欧米のキリスト教右派団体の関係については、谷口雅宣監修『歴史から何を学ぶか』生長の家、生長の家『生長の家五十年史』等に掲載。</ref><ref>生長の家は、[[クリスチャン・サイエンス]]や[[ユニティ協会]]系の聖書解釈を行っているほか、[[堕胎]]禁止や反[[優生学]]を政治活動撤退後も主張するなど、右派色がかつてから強かった。</ref>の立場からの主張が多く、教団の教義にもその意向が強く現れてきている<ref>谷口雅宣『神を演じる前に』日本教文社</ref><ref>谷口雅宣『宗教はなぜ都会を離れるか?』日本教文社</ref><ref>谷口雅宣『今こそ自然から学ぼう』日本教文社</ref><ref>권아람「「生長の家」を通してみた日本の右傾化の現況」東亜歴史文化学会</ref>。一方、雅宣は自身のブログでは[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]への支持を表明するなどしたため、一部の信徒は雅宣を「左翼」と批判し、[[1998年]]から旧飛田給派の信徒らを中心に公然と教団に反対する[[生長の家本流運動]]の動きが生まれた。だが、実際には雅宣は例えば「非核三原則の堅持」を表明した民主党政権に対して「この問題は日本が単独で決定すべきものではない」「現状の国際関係にあっては、“アメリカの核の傘”がまだ必要だ」と述べるなど[[親米保守]]的な発言もしている<ref>[http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue/2010/03/post-a15a.html “非核3原則”は守るべきか?]</ref>。
 
 
 
また、「国際平和信仰運動」については、「政治力を用いない」ことが明記され<ref>谷口雅宣『信仰による平和への道』日本教文社</ref>ており、現時点で[[生長の家政治連合]]の活動再開は、一切考えていない旨を明言した<ref>『平和の先人に学ぶ』生長の家</ref>。過去に生長の家の推薦を受けて当選していた政治家も、[[KSD事件]]以来、全員が今では議員を辞めている。
 
 
 
=== 現在 ===
 
現在の生長の家は[[緑の保守主義]]色を全面に出すようになっている。[[2000年]]生長の家は環境マネジメントシステム“ISO14001”の導入を運動方針に決定し、「生長の家環境方針」を定めた。環境方針では、
 
 
 
地球環境問題は、その影響が地球規模の広がりを持つとともに、次世代以降にも及ぶ深刻な問題である。今日、吾々人類に必要とされるものは、大自然の恩恵に感謝し、山も川も草も木も鉱物もエネルギーもすべて神の生命(イノチ)、仏の生命(イノチ)の現れであると拝み、それらと共に生かさせて頂くという宗教心である。この宗教心にもとづく生活の実践こそ地球環境問題を解決する鍵であると考える。
 
 生長の家は、昭和5年の立教以来、“天地の万物に感謝せよ”との教えにもとづき、全人類に万物を神の生命(イノチ)、仏の生命(イノチ)と拝む生き方をひろめてきた。
 
 生長の家は、この宗教心を広く伝えると共に、現代的な意味での宗教生活の実践と して環境問題に取り組み、あらゆるメディアと活動を通して地球環境保全に貢献し、未来に“美しい地球”を残さんとするものである。
 
 
 
との「基本認識」を示し環境問題への取り組みが「現代的な意味での宗教生活の実践」であるとの認識を示した<ref>[http://www.jp.seicho-no-ie.org/environment/about/index.html 生長の家環境方針]</ref>。
 
 
 
[[2001年]]には生長の家国際本部と[[生長の家総本山]]がISO14001を取得し、[[2008年]]までに国内の生長の家の全ての事業所がISO14001を取得している<ref>[http://www.jp.seicho-no-ie.org/environment/iso/index.html ISO14001生長の家]</ref>。海外では、2009年10月に生長の家ブラジル伝道本部が、2010年11月に生長の家アメリカ合衆国伝道本部が、同じくISO14001の認証を取得した。
 
 
 
清超は[[2005年]](平成17年)頃より体調を崩し自宅にて療養・静養中であったが[[2008年]](平成20年)[[10月28日]]に死去。それに伴い、[[2009年]](平成21年)[[3月1日]]の立教記念日に「生長の家総裁法燈継承祭」が執り行われ、雅宣が第3代総裁、あわせて妻の純子が恵美子より白鳩会総裁職を譲り受け、第3代白鳩会総裁に就任した。
 
 
 
[[2011年]]には、教団として[[脱原発]]を支持する方針を明確にした。[[2013年]]には本部を[[東京都]]から[[山梨県]]に移動し、「自然とともに伸びる運動」の象徴的な建物として「森の中のオフィス」を建設、国際本部とした。さらに、[[2015年]]になると、青年会がこれまでの「青年会宣言」及び「青年会綱領」を規約から削除し、より[[環境主義]]的な色彩の強い「[[生長の家青年会#ヴィジョン|生長の家青年会ヴィジョン]]」を制定した。以降、生長の家は環境重視の路線を強めている。
 
 
 
生長の家から[[保守]]的な教義がなくなったわけではない。現在でも、生長の家の講習会その他の行事では、開会の際に国歌斉唱が行われる。また、皇居遥拝や天照大御神への祭祀も行われており、環境重視の路線についても決して「左翼思想に染まっているわけではない」とする証言もある<ref>[http://ironna.jp/article/6969 現役信者がすべて明かす 「生長の家」は本当に左傾化したのか?『iRONNA編集部』]</ref>。
 
 
 
また、安倍政権成立後は安倍政権や[[日本会議]]に否定的な主張も目立つ。[[2014年]]、生長の家は[[平和安全法制|安倍政権による安保法制]]について[[立憲主義]]の観点から反対した。
 
 
 
[[2016年]][[6月9日]]、生長の家は[[第24回参議院議員通常選挙|2016年の参議院選挙]]において、[[安倍晋三|安倍首相]]の政治姿勢に反対の意思表明をするために、組織として<ref>生長の家が選挙に対して組織的な関与をするのは、生長の家政治連合活動停止の原因の一つとなった1983年の参議院議員選挙以来、33年ぶりのことである。</ref>「[[与党]]及びその候補者を支持しない」ことを決定した<ref name=senkyo2016>[http://www.jp.seicho-no-ie.org/news/sni_news_20160609.html 今夏の参議院選挙に対する生長の家の方針] 生長の家 2016年6月9日</ref>。また、元生長の家信者らの関与する政治組織・日本会議が政権運営に強大な影響を及ぼしている可能性があるとして、遺憾の想いと強い危惧を表明した<ref name=senkyo2016/>。
 
 
 
[[2017年]][[10月6日]]、生長の家は[[第48回衆議院議員総選挙]]に対する方針を発表し安倍政権が「政治姿勢が改まらないどころか、国民を無視した強引な政権運営を繰り返している」として再び与党への不支持を表明した。その中で生長の家は「環境・資源問題の解決を含めた安全保障の推進」を訴え「現在、地球温暖化の影響で、激しい気候変動が起こり、巨大ハリケーン、洪水や干ばつの頻発によって飢餓が発生し、難民が大量に流出しています。これらの問題は国家間の紛争の火種になっています。また、石油や天然ガスなどの枯渇資源に依存した文明に頼れば、これも資源の争奪による紛争・戦争を引き起こす可能性があります。私たちは、このような環境問題や資源問題を解決することが、世界の平和安定に大きく貢献するものであると確信しています。」<ref>[http://www.jp.seicho-no-ie.org/news/sni_news_20171004.html 第48回衆議院選挙に対する生長の家の方針]</ref>と主張した。
 
 
 
== 主張 ==
 
生長の家はかつて政治運動に積極的であったこともあり、社会問題に対して様々な主張をしている。
 
=== ノーミート ===
 
谷口雅春は「平和論をなすもの、本当に平和を欲するならば、肉食という殺生食をやめる事から始めなければならないのであります。」<ref>谷口雅春『心と食物と人相と』日本教文社</ref>と主張していた。その内容は肉だけでなく魚や鶏卵、乳製品の摂取をも好ましくないという[[ヴィーガニズム]]に近い考えであったが、生長の家が教団として信徒に対して徹底した菜食主義を行うように指導しているわけではない。しかし、谷口雅宣が副総裁になってから[[地球環境問題]]と家畜産業の関係が注目され、再び「食卓から平和を」をスローガンに肉食を減らすべきであるという主張を行うようになった。
 
=== 政治的スペクトル ===
 
[[菅野完]]は生長の家について「三代目総裁・谷口雅宣のもと過去の「愛国宗教路線」を放棄し「エコロジー左翼」のような方向転換をして」<ref>[https://hbol.jp/82735 右傾化路線の淵源に立つ男――シリーズ【草の根保守の蠢動 第27回】]</ref>いると述べているほか、雅宣が「『生命の実相』の長版を停止」するなどしていると主張している<ref>「安倍政権と共に改憲を目指す日本会議の宗教的背景」菅野完『宗教問題 vol.14』</ref>が、実際には教団が『生命の実相』を出版しないのは著作権を管理している[[生長の家社会事業団]]が[[生長の家本流運動]]に参加して教団に出版を認めない方針になったためであり、菅野の発言は事実に反する。
 
 
 
また生長の家が「エコロジー左翼」路線に立ったという主張にも異議がある。例えば現総裁である谷口雅宣が発表した「天照大御神の御徳を讃嘆する祈り」には次のような記述がある。
 
{{quotation|われは今、[[天照大御神]]の実相の光、与える愛の力の尊さをあらためて誉め讃う。われは今、実相世界の真の我を観ずる。天照大御神の御心われに流れ入りて、わが心を満たし給う。天照大御神の生命われに流れ入りて、わが生命となり給う。わが心は天照大御神の愛の心に満たされている、生かされている、満たされている、生かされている。天照大御神は「愛なる神」の別名である。キリストの愛の別名である。自ら与えて代償を求めない「アガペー」の象徴である。また、三十三身に身を変じて衆生を救い給う[[観世音菩薩]]の別名である。われは今、天照大御神と一体となり、地上のすべての人々、生きとし生けるものに愛を与えるのである。天照大御神の愛は無限であるから、われもまた無限に愛を与えてもなお減ることはないのである。|日々の祈り}}
 
このように現在でも生長の家は保守的な教義を持っており、[[宝蔵神社]]で[[水子供養]]を行い[[堕胎]]や[[動物性集合胚]]に反対するなど[[プロライフ]]な主張も展開している。[[2006年]][[8月30日]]には人クローン胚の研究・利用に反対する意見書を文部科学省に送付している<ref>[http://www.jp.seicho-no-ie.org/news/sni_news_20060901.html 「人クローン胚中間とりまとめ」への意見]</ref>。
 
 
 
== 分派の動向 ==
 
{{main|生長の家本流運動}}
 
生長の家から離脱した組織としては、「谷口雅春先生を学ぶ会」、[[生長の家社会事業団]]や[[新教育者連盟]]が存在する。生長の家社会事業団は、児童養護施設の[[生長の家神の国寮]]を運営しており、[[#『生命の実相』発刊停止問題|後述]]のように生命の実相の著作権を有していたことから、外部に生長の家の分裂を印象づけることとなった。これらの分派は「生長の家本流運動」(後述)として知名度を持ち始めている。
 
 
 
また、[[日本政策研究センター]]は、生長の家青年会で活動し、中央教育宣伝部長を務めた[[伊藤哲夫 (政治活動家)|伊藤哲夫]]によって設立された団体である<ref>『理想世界』昭和51年(1976年)11月号</ref>。なお、伊藤哲夫は[[日本会議]]常任理事を務めている<ref>[http://www.seisaku-center.net/aboutus 代表者のプロフィール(日本政策研究センター)]</ref><ref>[http://friday.kodansha.ne.jp/archives/20623/ 「安倍政権を完全支配する『日本会議』の正体」、フライデー、2014年8月22・29日号]</ref>。
 
 
 
生長の家社会事業団は、[[1998年]]より、生長の家とは異なる別法人となっている<ref>[http://www.jp.seicho-no-ie.org/news/sni_news_20120309.html]</ref>。
 
生長の家と[[日本教文社]]を原告、[[生長の家社会事業団]]と[[光明思想社]]を被告として『[[生命の實相]]』の[[著作権]]等が平成21年から<ref>[http://komyoushisousha.co.jp/mushikaeshi.html 蒸し返し裁判] 平成26年10月15日 [[光明思想社]]</ref>争われ、平成28年時点で[[訴訟]]が続いている<ref>[http://www.kyobunsha.jp/01news/20160310news.html 生長の家社会事業団等との訴訟について] 平成28年3月10日 [[日本教文社]]</ref>。
 
== 友好関係にある教団 ==
 
生長の家は「万教帰一」の立場から他の宗教を排斥しない立場をとっており、生長の家と他の宗教の信仰を二重に行うことも認めている。
 
 
 
また、他教団にも生長の家に対して好意的な宗教は存在する。
 
=== 立正佼成会 ===
 
[[立正佼成会]]はかつて[[保守]]系の宗教団体として生長の家と関係が深く、[[生長の家学生会全国総連合]]が主導で結成された[[全国学生自治体連絡協議会]]にも立正佼成会青年部がオブザーバー参加していた。また生長の家立教50周年式典には立正佼成会会長も出席した。
 
 
 
その後、生長の家は[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]と関係を断絶したが[[立正佼成会]]も次第に自民党と距離を置くようになったこともあり、現在も生長の家と立正佼成会の友好関係は持続している。また、地球環境問題においても生長の家と立正佼成会は協調している。
 
 
 
[[平成28年]]には立正佼成会は生長の家の与党不支持の方針に賛意を表明した<ref>[http://www.kosei-kai.or.jp/infomation/070/post_515.html 宗教法人「生長の家」の教団方針に賛意を表します。]</ref>。[[平成29年]]には生長の家が北朝鮮情勢に関する立正佼成会の見解に賛意を表明した<ref>[http://www.jp.seicho-no-ie.org/news/sni_news_20171006.html 立正佼成会の北朝鮮情勢に対する見解に賛意を表します]</ref>。
 
 
 
=== 神社本庁 ===
 
生長の家と[[神社本庁]]も同じ[[保守]]系の団体として友好関係にある。
 
 
 
生長の家は[[神社神道]]の神を祭祀するのみならず、[[伊勢神宮]]を始めとする神社本庁に属する神社への集団参拝も行っている<ref>[http://snitokyo1.org/?p=1026 平成27年8月26日 盂蘭盆供養大祭・メガソーラ見学・伊勢神宮参拝]</ref>。
 
 
 
なお、生長の家と対立関係にある日本会議を神社本庁の関係団体とする主張も一部に見られるが「神社本庁の思想は、それほど自民党と親和性が高くない」との指摘もあり<ref>[http://www.news-postseven.com/archives/20161022_455758.html?PAGE=2 安倍政権の黒幕と指摘される日本会議と神社本庁、その違い]</ref>政治的立場を理由に生長の家と神社本庁が対立しているという事実はない。神社本庁側は生長の家について「従前の関係を維持している」と説明している<ref>[http://nipponkakuryoukai.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-c59d.html?cid=116113689#comment-116113689 神社本庁「生長の家とは従前の関係を維持しています」日本協議会側の「生長の家と神社本庁が対立」情報はフェイクニュース]</ref>。
 
 
 
== 施設・機関 ==
 
=== 日本 ===
 
{{出典の明記|section=1|date=2016年6月}}
 
* 「生長の家」国際本部 生長の家 “森の中のオフィス”([[山梨県]][[北杜市]])
 
* 生長の家メディアセンター ([[山梨県]][[北杜市]])
 
* [[生長の家総本山]]([[長崎県]][[西海市]])
 
* [[生長の家宇治別格本山]]([[京都府]][[宇治市]])
 
* [[日本教文社]](東京都[[港区 (東京都)|港区]])
 
* [[世界聖典普及協会]](同上)
 
* 合資会社光明社(同上)
 
* 本部練成道場(東京都[[調布市]])
 
* 生長の家富士河口湖練成道場([[山梨県]][[南都留郡]])
 
* 生長の家ゆには練成道場([[福岡県]][[太宰府市]])
 
* 生長の家松蔭練成道場([[山口県]][[山口市]])
 
* 生長の家養心女子学園([[山梨県]][[南都留郡]])
 
 
 
上記の他全国各都道府県に教化部が設けられている。なお、新潟県、東京都、京都府、長崎県は二つの教化部が存在する。また、北海道は札幌、小樽、室蘭、函館、旭川、釧路、北見、帯広に教化部が存在している。
 
それぞれ、東京教区など○○教区というふうに呼ばれる。
 
 
 
なお、以下の団体は[宗教法人「生長の家」より離脱している。([[#分派の動向]]参照)
 
* 生長の家社会事業団(東京都[[国立市]])
 
* 生長の家神の国寮(同上)
 
 
 
=== 海外 ===
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
*{{USA}}
 
* 生長の家アメリカ合衆国伝道本部
 
* 生長の家南加教区
 
* 生長の家北加教区
 
* 生長の家ニューヨーク会館
 
* 生長の家ハワイ教区
 
* 生長の家カウアイ会館
 
* 生長の家マウイ会館
 
* 生長の家コナ会館
 
* 生長の家ヒロ会館
 
*{{BRA}}
 
* 生長の家ブラジル伝道本部
 
* 生長の家ブラジル別格本山
 
* 生長の家南米練成道場(イビウーナ)
 
* 生長の家サンタ・テクラ練成道場
 
* 生長の家サンタ・フェー練成道場
 
*{{TWN}}
 
* 生長の家中華民国伝道本部
 
*{{CAN}}
 
* 生長の家トロント教区
 
* 生長の家バンクーバー会館
 
 
 
==脚注==
 
{{reflist|2}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* 谷口雅春 『生長の家とは如何なるものか』(日本教文社、[[1971年]]) 創始者直筆の入門書。ISBN 453105038X
 
* [[清水雅人]]編 『新宗教の世界 5』(大蔵出版、[[1978年]]) 宗教学者の目から。ISBN 4804352058
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[谷口雅春]]
 
* [[谷口清超]]
 
* [[谷口雅宣]]
 
* [[谷口輝子]]
 
* [[楠本加美野]]
 
* [[甘露の法雨]]
 
* [[生命の実相]]
 
  
 +
教祖[[谷口雅春]] (本名正治) によって開かれた新宗教。 1929年,谷口が「生命の実相を知れ」「人間は神の子」「天地一切のものと和解せよ」などの啓示を受けて,翌年「生長の家」の名で修養教化団体を組織しようとしたのに始る。 36年教化団体に登録し,41年宗教団体法による宗教結社となり,46年宗教法人として登録し,初めて宗教団体の形式をとった。谷口の著書『生命の実相』で説かれる中心教義では,宇宙は久遠に流れる「いのち」のあり方としてとらえられている。最初,この「いのち」の歴史的顕現の解釈においては,釈尊の説いた教えが出発点におかれ,これがヨーロッパに移るとカント,ヘーゲルの哲学として現れ,アメリカにいたってエマソンの光明思想になるとされたが,第2次世界大戦の戦時体制下では,アメノミナカヌシノカミを中心とするものとなった。戦後は「君子は豹変する」として一時キリストを中心としたが,最近は天皇中心となるなど変遷が目立つ。機関誌として『精神科学』『理想世界』『白鳩』 (ともに月刊) など読者層に対応させて多種がある。また文書布教の目的のために株式会社「日本教文社」が終戦直後設立されている。本部は東京都渋谷区神宮前にあり,公称信徒数約 88万人 (1996) 。
 +
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.jp.seicho-no-ie.org/ 宗教法人 生長の家 公式サイト]
 
* [http://www.jp.seicho-no-ie.org/ 宗教法人 生長の家 公式サイト]
* [http://www.seicho-no-ie.org/eng/ Seicho-No-Ie]{{en icon}}
+
{{テンプレート:20180815sk}}
* {{教団データベース|205}}
 
 
 
{{戦前までに日本で発祥した新宗教}}
 
{{新宗教}}
 
{{Normdaten}}
 
 
{{デフォルトソート:せいちようのいえ}}
 
{{デフォルトソート:せいちようのいえ}}
 
[[Category:生長の家|*]]
 
[[Category:生長の家|*]]

2018/10/5/ (金) 21:36時点における最新版

生長の家(せいちょうのいえ)

教祖谷口雅春 (本名正治) によって開かれた新宗教。 1929年,谷口が「生命の実相を知れ」「人間は神の子」「天地一切のものと和解せよ」などの啓示を受けて,翌年「生長の家」の名で修養教化団体を組織しようとしたのに始る。 36年教化団体に登録し,41年宗教団体法による宗教結社となり,46年宗教法人として登録し,初めて宗教団体の形式をとった。谷口の著書『生命の実相』で説かれる中心教義では,宇宙は久遠に流れる「いのち」のあり方としてとらえられている。最初,この「いのち」の歴史的顕現の解釈においては,釈尊の説いた教えが出発点におかれ,これがヨーロッパに移るとカント,ヘーゲルの哲学として現れ,アメリカにいたってエマソンの光明思想になるとされたが,第2次世界大戦の戦時体制下では,アメノミナカヌシノカミを中心とするものとなった。戦後は「君子は豹変する」として一時キリストを中心としたが,最近は天皇中心となるなど変遷が目立つ。機関誌として『精神科学』『理想世界』『白鳩』 (ともに月刊) など読者層に対応させて多種がある。また文書布教の目的のために株式会社「日本教文社」が終戦直後設立されている。本部は東京都渋谷区神宮前にあり,公称信徒数約 88万人 (1996) 。

外部リンク



楽天市場検索: