東洋
東洋(とうよう、英: the East, Orient)とは、西洋(the West)の対立概念であり、指し示す範囲はその文脈や使われる国や地域によって異なる。
概要
東洋は、西洋(the West, Occident)の対立概念であり、トルコから東のアジア全域を指す場合もあれば、イスラム社会である中東を除いた東南アジアから極東を漠然と指す場合もある。これらの概念は近東、中東、極東という言葉にも表れている。
宗教的な見地からは、東洋を仏教・ヒンドゥー教地域と定義し、アブラハムの宗教(キリスト教・イスラム教・ユダヤ教)化した地域と対比させることもある。ここでは、インドネシア(イスラム教国)やフィリピン(キリスト教国)などの位置づけが問題になる。
最広義的な解釈からは、アジアのほか、オセアニア・アフリカが含まれる。(西洋としてのヨーロッパや西半球諸国アメリカ大陸に対する意味として。)
東洋・西洋の語源
漢字の東洋(中国語)および西洋(中国語)は、中国を中心とした主観的区分であり、相対的な概念である。時代の移り変わりの中で、起点をどこに置くか、さらにどこまでの知見があるかなど世界観の変化から定義は大きく変化していった。中国周辺の漢字文化圏の各国では、定義がさらに独自に変化していった。東洋・西洋の概念は古代中国まで遡り、秦の時代には華南から南の海、現在の南シナ海を南海と呼び、南海からインド洋にかけてを南洋と呼んでいた。後に航路拡張に伴い華南から南に伸ばした経線によって東西に分け,それぞれを東洋,西洋と呼んだ。14世紀半ばの中国の文献にはブルネイ以東を東洋、インドシナ半島からインドへかけてを西洋と記述していた[1]。
15世紀に入り鄭和の大航海によりアラビア半島やアフリカ東岸まで到達し、16世紀末にはヨーロッパから地理学や航海法の伝来もあり,広東を通る東経 113度を境として東洋と西洋に区分した。フィリピン・ボルネオなどを東洋諸国、ジャワからインドシナ半島を西洋諸国、台湾から日本にかけてが小東洋、南インドが小西洋、ヨーロッパに至る海を大西洋、アメリカ大陸に至る海を大東洋と呼んだ。現代中国では東洋は東アジアを意味する場合もあるが主に日本を指す[2]。日本語の西洋に相当する単語は西方世界であるが、西洋自体にも日本語と類似した意味がある。中国語版zh:西洋を参照
中国では明の時代に、台湾・琉球・日本にかけての海を小東洋と呼んでおり、日本では中世から近世にかけて知識人の間では東シナ海の東の島国という意味で、日本の事を東海、東洋と呼んでいた。明治維新後は脱亜・欧米化の動き中で、欧州視点のアジア・オリエントの概念が導入され、オリエントの訳に東洋が充てられ、西洋(欧州)の対義語としてアジア全域を示すようになった[3]。
日本における「東洋」
世界を東洋/西洋とよぶ方法は19世紀後半におこり、中等教育での歴史教育で促進された。1894年には文部省から「東洋史」として新設教科の教授要領が発表され、翌年にはそれに沿った教科書が発行されている。実際に東洋史として講義されたのは、東アジア史であることが多かった。
なお朝鮮半島における「東洋」も、日本における東洋と同義である。
中国における「東洋」
東洋とは、すなわち日本のことを指す。東瀛と同様、日本の別称として使われることが多い。 この他に古くから中国では中国を中心とする地理の概念があり、中国の四方に広がる海洋を東洋、西洋、南洋、北洋と名付けた。東洋は「東側の海洋」という意味で中国より東の部分を指し、西洋はインド洋一帯を指し、北洋は渤海、黄海、朝鮮半島一帯、南洋はインドネシア、フィリピン諸島一帯を指す。一方、日本語の東洋に相当する中国語は、「東方」である。
ベトナムにおける「東洋」
ベトナムでは、西洋に対して、アジアの中心であるという意味も含めて、インドシナのことを「Đông Dương(東洋)」と呼んでいる。狭義の「東洋」はベトナムのほかラオスとカンボジアを合わせた旧フランス領インドシナの3カ国、広義の「東洋」はさらに隣国のタイや、マレーシアとミャンマーを含む。
脚注
関連項目
- 「東洋」で始まる項目の一覧
- 東洋人
- 東洋学
- アジア
- 東アジア
- オリエント
- カール・ウィットフォーゲル - 東洋的専制主義を唱えた
- イースタン
- オクシデント