土偶

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土偶(どぐう)は、人間(特に女性)を模して、あるいは精霊を表現して作られたと考えられる土製品で、日本では、縄文時代[1]沖縄県を除く地域で製作された。古墳時代に製作された埴輪とは区別される(これは古墳に埋葬されるなどするものである)。また、故意に破壊されたと見られる状態で出土することが多い。本項では特記無き場合日本の土偶について述べる。

概略

ファイル:Dogu (clay figurine) with heart-shaped face, Jomon period, 2000-1000 BC, from Gobara, Higashi Agatsuma-machi, Gunma - Tokyo National Museum - DSC06322.JPG
土偶 群馬県吾妻郡東吾妻町郷原出土(個人蔵、東京国立博物館寄託)通称ハート形土偶

世界的には、こうした土製品は、新石器時代の農耕社会において、乳房や臀部を誇張した女性像が多いことから、通常は、農作物の豊饒を祈る地母神崇拝のための人形と解釈されることが多い。ただし、世界史的には、狩猟・採集段階の時代のものとしての類例があまりない。

日本では、海外の考古学書の翻訳において、ceramic figurineや teracotta(figurine)の訳語として「土偶」を使用することもある。

縄文式土器と同様、土偶も出土地域や時期によって様々な様式のものがある。

現存する日本最古級の土偶は、三重県、滋賀県で出土した縄文草創期のものである[2]。早期には近畿、関東東部に広がっている。中期終わりには、東北地方を除いてほとんど作られなくなるが、後期には東日本を中心に復興する。九州においては、熊本を中心に後期のものが出土している。弥生時代にはほとんど作られなくなる。東北地方では、弥生時代前期まで盛んに作られたが、中期から衰退し、後期にはほとんど作られなくなった[3]

国立歴史民俗博物館千葉県佐倉市)の調査によれば、日本全国の出土総数は15000体ほどである。武藤、譽田(2014)は、18,000点程度としている[4]。出土分布は東日本に偏っており、西日本での出土はまれである。千葉県佐倉市にある吉見台遺跡からは、600個以上の土偶が出土している。また、「土偶とその情報研究会」(八重樫純樹)の調査によれば、全国で約1万1千個程度が資料化され、それから類推して、縄文時代につくられた土偶総数を約3千万個とする説もある[5]

現在までに出土している土偶は大半が何らかの形で破損しており、故意に壊したと思われるものも多い[* 1][6]。特に、脚部の一方のみを故意に壊した例が多い。そのため、祭祀などの際に破壊し、災厄などをはらうことを目的に製造されたという説がある。また、大半の土偶は人体を大きくデフォルメして表し、特に女性の生殖機能を強調していることから、多産、安産[7]などを祈る意味合いがあったものと推定する説もある。

その他、用途としては生命の再生[7]、神像、女神像、精霊、護符、呪物、魔除けなどの多様な説があり、子供の玩具やお守りだった[7]、身体の悪い所を破壊することで快癒を祈った[7]、ばらばらになるまで粉砕された土偶は、それを大地にばら蒔くことで豊穣を願ったのではないかなどとする説もある[7]

また、集落のゴミ捨て場などに投棄された状態で出土されることが非常に多い[6]。これは最初から意図的に破壊して投棄することが目的だったと言う説を支持するものである[6]

土偶は、土をこねて人間の形をまねて創られ、焼き上げられている。全体は人間の形に作り上げられているものの、頭部・胴部・手足などは抽象的に表現されている。しかし、乳房[8]・正中(せいちゅう)線[8]・妊娠した腹部[8]・女性器[8]・臀部など特定の部分だけ具体的に表現されたものが多い。ほとんどの土偶は女性型であるが[6]北海道千歳市で発見された板状土偶(ばんじょうどぐう)のように、男性性器らしきものが表現されているものや[9]、体型の異なる2体の土偶が同時に出土し、片方が男性と考えられるもの等、男性型の土偶も数点出土している。なお、構造については内部が空洞の「中空土偶」と、粘土が詰まっている「中実土偶」(ちゅうじつどぐう)がある[7]

出現

ファイル:Dogū of Jōmon Venus.JPG
土偶(通称「縄文のビーナス」)縄文中期の代表的な土偶。長野県棚畑遺跡出土

発生期の土偶

日本最古級の土偶には、三重県松阪市飯南町の粥見井尻遺跡で見つかった縄文時代草創期(約1万2,000年〜1万1,000年前)のもの2点がある。小形でやや厚みのある板状のもので、頭部と両腕を突起で表現しており、顔や手足の表現がないが、乳房は明瞭に表現されている[10]

また、同時期の土偶に、滋賀県東近江市永源寺相谷町の相谷熊原遺跡で発見されたものもある[2]

早期前半、関東地方東部に逆三角形や胴部中程がくびれた形の土偶が出現し、早期後半には東海地方にまでその分布が広がり、それぞれが明確な土偶形式を形成している。前期は、この延長線上で板状土偶が発達した。しかし、この段階の線刻礫や土偶が、実際にどのような目的で造形されたのかは分かっていない[11]

立像土偶

中期初頭になって、土偶が立体的になり、四肢・頭部の表現をはっきりさせ、しかも土偶自体が自立できるようになる。この造形変化は、縄文全時期を通じて土偶の変化の内最も大きな変化であった。しかし、突然変化したのではなくて、前期後半には顔の表情豊かな土偶が現れていた。現在最も古い表情豊かな土偶は前期前半の千葉県石揚遺跡出土で、扁平・円形の頭部に2~6個の丸い孔があけられている。同じような表情豊かな土偶は、東海地方から関東地方までの東日本で現れ、当時の土器形式圏を越えた広い範囲に分布している。それが前期末葉になって、新たな変化は東北地方で現れはじめる。

前期後葉の宮城県糠塚遺跡の土偶に始まる。それは両目・口の表現の獲得である。それ以降は、東北地方南部に分布する土偶から、顔面の表現が次第にはっきり形作られてゆき、北陸地方や中部高地地方に広がっていき、中期初頭には「立像土偶」へと移りはじめ、胴部が板状、頭部が円盤状、正面に目・鼻・口が添えられる程度であるが、短期間に立体化し、自立可能な立像を完成させた。長野県棚畑遺跡[12]出土の「縄文のビーナス」はその到達点である。この急速な変化は、土偶が子孫繁栄、安産祈願、祭祀等の個人レベルの目的に造られてきたのにたいして、村落共同体レベルのでの祭祀に使われるようになったと考えられる。つまり、土偶はこの中期前葉に、縄文社会に定着した[13]

後期にはハート型土偶が現れる。後期から晩期にかけて、関東から東北地方では、山形土偶ミミズク土偶遮光器土偶[* 2]などが大量に造られる。また仮面を被ったもの(仮面土偶)なども見られる[14]。九州を除く西日本では人型土偶はまれで、簡略で扁平な分銅形土偶などが多い[15]

著名な土偶の例

ファイル:Dogu Miyagi 1000 BCE 400 BCE.jpg
土偶(宮城県恵比寿田遺跡)

国宝・重要文化財

土偶単体で国宝・重要文化財に指定されているものを取り上げた。
(*)印は国宝、他は重要文化財。

その他

世界最古の土偶としては2014年現在、チェコ共和国で出土した旧石器時代のものであるとみられる。だが、住居が火事を起こした結果粘土製品が偶然に素焼きになってしまったと言う説も有る[17]

水野正好の説として、縄文人は冬期の太陽の弱まりを恐れ、土偶祭祀は冬を中心に行われたという考えがある(渡辺誠 『縄文時代の知識 考古学シリーズ4』 東京美術 1983年 pp.141 - 142)。

注釈

  1. 武藤 譽田 (2014) によれば、「必ず」どこかが壊れているという。
  2. 眼の表現が誇張され、エスキモーなどが着用するゴーグルを連想させることから名付けられた名称。東北北部の亀ヶ岡式土器様式に伴って出土し、数百年程度の短期間に消長した土偶形式

出典

  1. 武藤 & 譽田 2014, p. 26.
  2. 2.0 2.1 1万3000年前、国内最古級の土偶 滋賀で出土|日本経済新聞(2010年5月29日)(2015年2月16日閲覧。)
  3. 多賀城市史編纂委員会『多賀城市史』第1巻(原始・古代・中世)、多賀城市、1997年、170頁。
  4. 武藤 & 譽田 2014, p. 28.
  5. 原田 2007, p. 225.
  6. 6.0 6.1 6.2 6.3 武藤 & 譽田 2014, p. 44.
  7. 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 7.5 武藤 & 譽田 2014, p. 27.
  8. 8.0 8.1 8.2 8.3 武藤 & 譽田 2014, p. 38-39.
  9. 文化遺産オンライン 男性土偶”. 文化庁. . 2014閲覧.
  10. 土偶|三重県埋蔵文化財センター(2015年2月16日閲覧。)
  11. 原田 2007, p. 226-227.
  12. 宮坂 光昭 他編著『棚畑遺跡 八ケ岳西山麓における縄文時代中期の集落遺跡』茅野市教育委員会、1990年。
  13. 原田 2007, p. 228-229.
  14. 武藤 & 譽田 2014, p. 66.
  15. 泉拓良「II-7 呪術と祀り」『考古学の基礎知識』広瀬和雄編著 角川選書409 2007年
  16. 武藤 & 譽田 2014, p. 32.
  17. 武藤 & 譽田 2014, p. 39.

参考文献

  • 原田, 昌幸 (2007), 縄文世界の土偶造形とその展開  - 佐原真、ウェルナー・シェタインハウス監修、独立行政法人文化財研究所編集『日本の考古学』学生社 2007年4月 より。
  • 武藤, 康宏; 亜紀子, 譽田 (2014), はじめての土偶, 世界文化社  - 監修は武藤。譽田は文と取材。

関連項目

外部リンク