サラーフッディーン

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サラディン[1]サラーフ・アッ=ディーンアラビア語: الملك الناصر أبو المظفّر صلاح الدين يوسف بن أيّوب al-Malik an-Nāṣir ’abū al-Muẓaffar Ṣalāḥ ad-Dīn Yūsuf bun ’ayyūbクルド語:Selaheddînê Eyûbî、1137年または1138年 - 1193年3月4日[2]

エジプトのアイユーブ朝の創建者。対十字軍戦争の英雄。アラビア語ではサラーフ・ウッディーン Salā al-Dīn (「信教の誉れ」の意) 。ヨーロッパではサラディンの名で知られている。 1164年シリアのザンギー朝の君主ヌール・ウッディーンの命を受けてエジプトに行き,ファーティマ朝の支配領域にスンニー派の拠点を築き,1167年叔父のシルクーフとともにエルサレム王アマルリックの軍勢を破った。 1169年カリフ,アーディドの宰相に就任して実権を掌握,1171年ファーティマ朝を廃絶し,アイユーブ朝を創設。国家の宗派をシーア派からスンニー派に復活し,イクター制 (軍事的封建制) を施行して土地制度と軍隊制度の改革を推し進めた。 1174年ダマスカスに入城してエジプトと内陸部シリアを合併し,1187年にはハッティーンの戦いにフランク軍を破って 88年ぶりにエルサレムをイスラム教徒の手に奪回した (エルサレム史 ) 。次いでアッコン (アコー) をめぐって第3次十字軍と激しい攻防を繰り返したのち,1192年獅子心王リチャード1世と3年間の平和条約を結んだが,翌 1193年3月マラリアのため没した。



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  1. 『岩波 イスラーム辞典』 岩波書店、2002年、418-419。
  2. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. . 2018閲覧.