カロリング朝

提供: miniwiki
2019/4/30/ (火) 01:41時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版 (内容を「 '''カロリング朝'''(カロリングちょう、{{lang-fr-short|Carolingiens}}, {{lang-de-short|Karolinger}}) フランク王国を8~10世紀にかけて...」で置換)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索

カロリング朝(カロリングちょう、: Carolingiens, : Karolinger

フランク王国を8~10世紀にかけて支配した王朝。メロビング朝フランク王国の宮宰カルル・マルテルの子,ピピン (小) が,751年教皇の承認のもとに即位しカロリング朝を開く。その子カルル1世 (大帝) のときが最盛期で 800年教皇から西ローマ皇帝 (神聖ローマ皇帝) の帝冠を受けた。教皇領を寄進するなど,キリスト教保護者という形を保った。カルルの子ルートウィヒ1世 (敬虔王) の死後,ベルダン条約メルセン条約を経て,帝国は東フランク (ドイツ) ,西フランク (フランス) ,中部フランク (イタリア) と3分された。イタリアの王統はまもなく衰えたが,東フランクでは 911年,西フランクでは 987年までカロリング家の血統が続いた。途中,東フランクのカルル3世 (肥満王) が全土を統一したが,死後再び分裂した。



楽天市場検索: