吾嬬町
提供: miniwiki
吾嬬町 | |
---|---|
廃止日 | 1932年10月1日 |
廃止理由 |
編入合併 寺島町、隅田町、吾嬬町 → 東京市向島区 |
現在の自治体 | 墨田区 |
廃止時点のデータ | |
地方 | テンプレート:地方区分東京府 |
都道府県 | 東京府 |
郡 | 南葛飾郡 |
総人口 |
77,686人 (1930年10月1日) |
隣接自治体 |
南葛飾郡寺島町、南綾瀬町、本田町 北豊島郡南千住町 南足立郡千住町 |
吾嬬町(あづままち)とは、東京府南葛飾郡にかつて存在した町である。現在の墨田区の東部に位置していた。
沿革
- 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制の施行に伴い、小村井村、葛西川村の全域と、以下の5村の各一部が合併して吾嬬村が発足(カッコ内は残部の編入先)。
- 1912年(大正元年)9月1日 - 吾嬬村が町制施行して吾嬬町となる。
- 1914年(大正3年)4月1日 - 荒川放水路設置に伴い、大木村の放水路左岸(旧大畑村、木下村、上木下川村、下木下川村)が編入される。
- 1929年(昭和4年)5月15日 - 寺島町と町界変更。一部領域を交換して町域が確定する。
- 1930年(昭和5年) - それまでの8大字とそれに付随する小字を廃して東一~八丁目、西一~九丁目の17大字を設置。
- 1932年(昭和7年)10月1日 - 南葛飾郡全域が東京市に編入。吾嬬町の区域は向島区となる。17大字の上に「吾嬬町」を付けた17町を設置。
- 1947年(昭和22年)3月15日 - 向島区が本所区と合併して墨田区を新設。
地名の由来
- 当吾嬬町、吾嬬村の名は、近隣地域の現立花1丁目に所在する「吾嬬神社(あづまじんじゃ)」に由来する[1]。吾嬬(あづま)は「わが妻」の意とされる。→ 立花 (墨田区)#地名の由来も参照
交通
鉄道
現在の地名
文花、立花、東墨田、押上一丁目、三丁目、京島二丁目、三丁目、八広二丁目、三丁目、四丁目、六丁目(いずれも大体の範囲)
出身人物・ゆかりのある人物・企業など
- 清水一行(小説家)
- 上野歩(小説家)
- アズマックス (東京都中央区の企業)(企業)
脚註
- ↑ 東吾嬬小学校ホームページ内・吾嬬の由緒についての記述なども参照。