秋田清
提供: miniwiki
2017/7/29/ (土) 09:27時点における103.226.44.18 (トーク)による版
秋田 清(あきた きよし、1881年8月29日 - 1944年12月3日)は、日本の政治家。衆議院議長(第30代)、厚生大臣、拓務大臣を務めた。
来歴・人物
徳島県出身。旧制徳島中学(現・徳島県立城南高等学校)、日本法律学校(現・日本大学)、東京法学院(現・中央大学)卒業。高知地方裁判所の判事、二六新報の編集および社長職を経て政界入り。1932年、衆議院議長に就任。1937年、内閣参議に就任。1939年、阿部内閣で厚生大臣に就任。1940年、第2次近衛内閣で拓務大臣に就任。1944年12月3日死去。
栄典
備考
- 政界の裏表に精通し、「策士」と称された。
- 政界入りしたときの所属政党は立憲国民党。その後革新倶楽部を経て立憲政友会に属したが、衆議院議長在任中に政友会を離党して無所属となり、その後は院内では小会派の第一議員倶楽部に属した。
- 日本法律学校在学中は弁論部で活躍した。
家族
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
議会 | ||
---|---|---|
先代: 中村啓次郎 |
衆議院議長 第30代:1932年 - 1934年 |
次代: 浜田国松 |
公職 | ||
先代: 松岡洋右 |
拓務大臣 第19代:1940年 - 1941年 |
次代: 豊田貞次郎 |
先代: 小原直 |
厚生大臣 第4代:1939年 - 1940年 |
次代: 吉田茂 |
典拠レコード: