クリストファー・コロンブス
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クリストーフォロ・コロンボ Cristoforo Colombo(クリストファー・コロンブス) | |
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生誕 |
1451年頃 ジェノヴァ共和国 ジェノヴァ |
死没 |
1506年5月20日 カスティーリャ王国 バリャドリッド |
職業 | 探検家、航海者、奴隷商人 |
配偶者 |
フェリパ・ペレストレリョ・エ・モイス ベアトリス・エンリケス・デ・アラーナ(内縁) |
子供 |
ディエゴ・コロン フェルナンド・コロン |
クリストファー・コロンブス(伊: Cristoforo Colombo、羅: Christophorus Columbus,西: Cristóbal Colón、葡: Cristóvão Colombo、英: Christopher Columbus、1451年頃 - 1506年5月20日)
イタリア生れの航海者。新大陸の発見者として知られる。スペイン名クリストバル・コロン Cristobal Colón。
署名はコロンボ,コロモ,コロム,コロンなどと次々に変えたが,コロンブスという綴りはラテン語で書くときも使用していない。ジェノバ商人の息子として地中海商船の業務に従事,のちポルトガルに移住。地理学者 P.トスカネリの説に触発され,西回りの航路でインドに到達する計画を立て,スペイン女王イサベル1世の後援を得て 1492年8月,3隻 (『サンタ・マリア』『ピンタ』『ニーニャ』) の船でパロスを出港。『サンタ・マリア』号は,コロンブスが指揮をとり,他の2隻は M.ピンソン,V.ピンソンの兄弟が指揮をとった。 10月7日 V.ピンソンの助言に従って航路を変更,同月 12日現在のバハマ諸島の一つ,グアナハニ島に到着,これをサンサルバドル島と名づけた。 93~95年の第2回航海でドミニカ,ジャマイカに到達,98~1500年の第3回目にはトリニダードに到達した。第4回目の航海を試みたが,役人との衝突や先住民の反抗などで計画は思うにまかせず,晩年は失意の生活をおくり,自分が到達した地をインドの一部であると信じたまま没した。なお,死亡した日を5月 21日とする説もある。