「デビッド・ロイド・ジョージ」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
1行目: 1行目:
 +
 +
[[ファイル:ロイド・ジョージ.jpg|サムネイル]]
 +
 
{{政治家
 
{{政治家
 
|人名 = 初代ロイド=ジョージ伯爵<br />デビッド・ロイド・ジョージ
 
|人名 = 初代ロイド=ジョージ伯爵<br />デビッド・ロイド・ジョージ
57行目: 60行目:
 
|退任日8 = [[1931年]]11月<ref name="秦(2001)543">[[#秦(2001)|秦(2001)]] p.543</ref>
 
|退任日8 = [[1931年]]11月<ref name="秦(2001)543">[[#秦(2001)|秦(2001)]] p.543</ref>
 
}}
 
}}
 
[[ファイル:ロイド・ジョージ.jpg|サムネイル]]
 
  
 
({{lang-en|'''David Lloyd George, 1st Earl Lloyd George of Dwyfor'''}}, {{Post-nominals|post-noms=[[メリット勲章|OM]], [[枢密院 (イギリス)|PC]]}}、[[1863年]]1月17日 - [[1945年]]3月26日)
 
({{lang-en|'''David Lloyd George, 1st Earl Lloyd George of Dwyfor'''}}, {{Post-nominals|post-noms=[[メリット勲章|OM]], [[枢密院 (イギリス)|PC]]}}、[[1863年]]1月17日 - [[1945年]]3月26日)

2018/8/9/ (木) 00:02時点における版

ロイド・ジョージ.jpg


英語: David Lloyd George, 1st Earl Lloyd George of Dwyfor, OM, PC1863年1月17日 - 1945年3月26日)

イギリスの政治家。幼時に父を失い,叔父のもとで育てられ弁護士となった。

1890年自由党から出馬して下院議員に当選,党内急進派としてボーア戦争に反対した。 1905年 H.カンベル=バナマン内閣に商務相として入閣。

1908年H.アスキス内閣の蔵相。第1次世界大戦中の 1915年軍需相,その後陸相となり,1916年アスキス辞任のあとわずか5人の閣僚から成る「戦時内閣」を組閣し,強力な指導力でイギリスを勝利へ導いた。

1918年総選挙で大勝,翌年講和会議に出席したが,22年保守党との連立がくずれ首相を辞任。 26年アスキスの引退後党首となったが,自由党の勢力を回復できず,31年の大恐慌により指導力を失った。

1938年以後宥和政策に反対し,40年 W.チャーチルに入閣を求められたが辞退。 1945年伯爵。

主著『大戦回顧録』 War Memoirs (1933~36) ,『講和条約の真相』 The Truth about the Peace Treaties (38)

脚注

注釈

出典