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{{国際化|領域=日本及び日本のスポーツ|date=2011年3月8日 (火) 05:47 (UTC)}}
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'''コミッショナー''' ('''commissioner''')  
'''コミッショナー''' ('''commissioner''') とは、組織における最高の権限を有する責任者の称号。
 
* 欧米における植民地や属国での業務を行う弁務官。統括者は[[高等弁務官]](high commissioner)。
 
* 政府機関の[[長官]]。例えば日本政府における[[外局]]の長官は、commissionerと英訳される。(例:文化庁長官 Commissioner for Cultural Affairs)
 
* 政府機関の調査機関・諮問機関である委員会(commission)の委員。(例:公正取引委員 Commissioner of the Fair Trade Commission)
 
  
ただし、日本の[[外来語]]において「コミッショナー」の語は、もっぱら[[野球]]や[[ボクシング]]、[[バスケットボール]]などの[[プロフェッショナルスポーツ|プロスポーツ]]において、[[選手権]]・リーグなどの最高運営責任者の意に用いられるため、本項においてもこれに従い解説する。
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プロ野球・プロボクシングなどで、その統制をとるために全権を委任された最高責任者。
 
 
== 統一コミッショナー ==
 
[[1990年]]12月、[[財団法人]][[日本プロスポーツ協会]]が発足し[[櫻内義雄]]が初代会長に就任。あらゆる[[プロフェッショナルスポーツ|プロスポーツ]]の統一コミッショナー的役割を果たす。[[2002年]]一時的に[[柳川覚治]]を経て、同年夏[[森喜朗]]が後任に就く。2009年の森退任後は[[小池唯夫]]が会長代行となり、2010年に[[島村宜伸]]が就任。
 
 
 
== 野球 ==
 
[[プロ野球]]においては、最高責任者をコミッショナーと呼ぶ場合が多い。
 
 
 
[[メジャーリーグベースボール|MLB]]において[[1919年]]に起こった[[ブラックソックス事件]]をきっかけに、判事の[[ケネソー・マウンテン・ランディス]]を、絶対的裁量権を有する「コミッショナー」として迎えいれたのが始まりとされている。
 
{{Main|MLBコミッショナー}}
 
 
 
[[日本プロ野球]]でも1951年にコミッショナー制度が成立した。
 
{{Main|コミッショナー (日本プロ野球)}}
 
また、[[独立リーグ]]の四国アイランドリーグ(現[[四国アイランドリーグplus]])では、創設者であり株式会社[[IBLJ]]初代社長でもある[[石毛宏典]]が2007年12月までコミッショナーを務めていたが、石毛の退任後はコミッショナーを置いていない。
 
 
 
== ボクシング ==
 
プロ[[ボクシング]]の場合、「1国1コミッション」の大原則の下、それぞれの国で統括され、コミッショナーは国内でのすべての試合を指揮・監督する。ただし[[アメリカ合衆国]]のみ各[[州]]ごとにコミッションが存在する(これらのコミッションの扱いを巡り[[世界ボクシング評議会|WBC]]が[[世界ボクシング協会|WBA]]から離反するきっかけとなる)。また、1990年代に入ると、[[メキシコ]]や[[インドネシア]]、[[大韓民国|韓国]]など大原則が崩れてコミッションが乱立する国も現れている。
 
 
 
日本でも1952年に日本ボクシングコミッション(JBC)が設立され、コミッションルール第1部第1章「コミッショナーの権能」にて明記されている。
 
{{Main|日本ボクシングコミッション}}
 
 
 
「1国1コミッション」の原則に反する形でJBCに対抗し存立した[[日本IBF]](IBF・JAPAN)の初代コミッショナーに[[柳川次郎]]が就任し数年間務め、その後は池田ボクシングジムオーナーでもある[[池田久]]が務めた。
 
 
 
JBCが[[女子ボクシング]]認可以前に存立した[[日本女子ボクシング協会]](JWBC)では[[自由民主党 (日本)|自民党]]代議士[[高市早苗]]がコミッショナーとしてJWBCが発展的に解消するまで務めた。
 
 
 
== バスケットボール ==
 
プロ[[バスケットボール]]でも、最高責任者をコミッショナーと呼ぶ場合が多く、[[NBA]]では[[2014年]]から[[アダム・シルバー]]が務めている。当初は「会長」だったが、[[1967年]]より「コミッショナー」となった。
 
{{Main|NBA#会長・コミッショナー}}
 
 
 
日本でもプロリーグ発足の先頭に立ち、株式会社[[日本プロバスケットボールリーグ]]の初代社長も務めた[[河内敏光]]が初代bjリーグコミッショナーに就任している。なお、bjリーグの後身として2016年に[[ナショナル・バスケットボール・リーグ (日本)|NBL]]と統合により発足された[[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ|B.LEAGUE]]の最高責任者はコミッショナーではなく「チェアマン」と表現している。
 
 
 
== プロレス ==
 
[[プロレス]]界では、[[日本プロレス]]の時代は[[政治家]]が務める事が多かった。初代の[[大野伴睦]]は元[[衆議院議長]]・[[自由民主党副総裁]]であり、第二代[[川島正次郎]]・第三代[[椎名悦三郎]]も自民党の[[衆議院議員]]である(なぜか自民党副総裁に縁があり、大野・川島・椎名と後の二階堂は皆自民党副総裁の経験者である)。なお、日本プロレスリングコミッション設立前は、日本プロレス協会会長の[[酒井忠正]]が事実上のコミッショナーとして職責を担ったが、酒井も旧[[貴族院 (日本)|貴族院]]の[[伯爵]]議員であった。日本プロレス時代のコミッショナーは厳密には「日本プロレス界全体の」コミッショナーであり、[[東京プロレス]]や[[国際プロレス]]からも団体発足時に認可申請があったが、日本プロレスの工作によりこれら団体の認可は実現せず、日本プロレスのみを認可団体として推移するうちに日本プロレスが崩壊、コミッショナーも活動を停止した。
 
 
 
[[1979年]]2月、[[新日本プロレス]]は国際プロレスとともに[[二階堂進]]をコミッショナーとして推戴することを発表したが、これは当時存在した三団体の一つである[[全日本プロレス]]に全く相談なしに行われたもので、全日本はこれを認めなかったばかりか全日本と新日本の関係がますます悪化することになった。全日本は創立直後にタイトルやリーグ戦の認定・管理機関として[[PWF]] (Pacific Wrestling Federation) を設立しており、[[プロレス夢のオールスター戦]]に際して[[ジャイアント馬場]]・[[アントニオ猪木]]・二階堂進で写った写真には、二階堂のカウンターパートとしてPWF[[会長]]の[[ロード・ブレアース]]が一緒に写っている。なお、日本プロレス・新日本プロレスに擁立された各コミッショナーは、[[女子プロレス]]は管轄していない(「[[全日本女子プロレス|全日本女子プロレスリング協会]]」が管轄)。新日本・国際のコミッショナーはその後自然消滅したが、PWFはいまだ存続している。
 
 
 
なお当時、プロレスの試合に「[[プロレス#ブック|ブック]]」(シナリオ)が存在することは、当のプロレス会社重役ですら限られた者にしか伝えていないほどだった<ref>[[ミスター高橋]]によると、新日本プロレス草創からの大幹部であり運営に深くかかわった[[新間寿]]にすら伝えられていなかったという。(ミスター高橋 "流血の魔術書・第2幕" 第4章 "団体幹部に対しても「ケッフェイ」",pp. 145-146,  講談社,2010年)</ref>ので、コミッショナーも関知していなかった可能性が大きい。やがてブックの存在が公然の秘密になるに従い、有力政治家がプロレス運営に関与することはなくなっていく。
 
 
 
近年では[[2002年]]旗揚げの[[KAIENTAI DOJO]]などにコミッショナーが存在、タイトル等の管理委員など色々な役割を兼務している。プロレス団体の連合組織として[[グローバル・レスリング連盟]]が発足したが、初代会長が[[プロレスリング・ノア]]社長の[[三沢光晴]]であり、[[業界団体]]にとどまらずコミッショナー的な役割を果たすにはまだまだ課題が多く(ただ、それまでの日本プロレス界には業界団体すらなかったのだが)、[[2009年]]の三沢の急死後の後継人事も未定である。
 
 
 
かつてのアメリカのプロレス界では、[[NWA (プロレス)|NWA]]のような各地の団体の連合組織が存在しており、その会長が加盟団体にとっていわばコミッショナーであった。NWAの主な会長には、[[サム・マソニック]]、[[フリッツ・フォン・エリック]]、[[ボブ・ガイゲル]]、[[ジム・クロケット・ジュニア]]などがいる。
 
 
 
=== 歴代コミッショナー ===
 
==== 日本プロレス時代 ====
 
* 日本プロレス協会会長:[[酒井忠正]](元[[伯爵]]・[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員、[[横綱審議委員会]]委員長)-コミッショナー格
 
 
 
===== 日本プロレスリングコミッション =====
 
* 初代:[[大野伴睦]]([[国会議員#衆議院議員|衆議院議員]]・元[[衆議院議長]]、当時[[自民党副総裁]])
 
* 第二代:[[川島正次郎]](衆議院議員、後の自民党副総裁)
 
* 第三代:[[椎名悦三郎]](衆議院議員・元外相、後の自民党副総裁)
 
 
 
==== 新日本プロレス・国際プロレス ====
 
* [[二階堂進]]([[衆議院議員]]・[[内閣官房長官|官房長官]]、[[自由民主党副総裁]])
 
* [[野末陳平]]([[参議院議員]]・[[税金党]]代表・[[放送作家]]・[[経済評論家]])
 
 
 
==== 全日本女子プロレス ====
 
* [[植田信治]](元[[デイリースポーツ]]編集局長)
 
* [[志生野温夫]](元[[日本テレビ放送網|日本テレビ]][[アナウンサー]]、フリーアナウンサー)
 
 
 
==== KAIENTAI DOJO ====
 
* [[中村吉晴]]
 
* [[296 (プロレスラー)|上原洋]]
 
* [[矢郷良明]]
 
* [[味方冬樹]]
 
* [[296 (プロレスラー)|296]]
 
* [[マイク佐藤]]
 
 
 
==== リアルジャパンプロレス ====
 
* [[榛葉賀津也]](参議院議員)
 
 
 
== 総合格闘技 ==
 
日本の[[総合格闘技]]団体である「[[修斗]]」では1997年に日本修斗コミッションが設立され、[[浦田昇]]が二代目会長との兼任で初代コミッショナーに就任して以来2014年に死去するまで在職していた。2代目は[[佐藤信義]]。
 
 
 
2008年に発足された総合格闘技「[[SENGOKU RAIDEN CHAMPIONSHIP|SRC(戦極)]]」を統括する[[日本総合格闘技協会]]にも、コミッション委員会が設置されており、初代コミッショナーには[[井上幸彦]]元[[警視総監]]が就任した。
 
 
 
世界最大の総合格闘技団体である「[[UFC]]」でも過去にコミッショナーを設置していた時期があり、当時のベテラン選手ロン・ヴァン・クリフも務めたことがあった。しかし、運営母体がSEGから[[ズッファ]]に変わってからはコミッショナーは廃止された。
 
 
 
== ボーイスカウト ==
 
[[ボーイスカウト]]におけるコミッショナーとは、スポーツ界における最高権威者ではなく、全国組織・地方組織において、特定分野を担任して指導にあたる役員のことである(ただしその任務は各国によって違いがある)。
 
 
 
スカウト運動の創生期より、創始者[[ロバート・ベーデン=パウエル]]卿が、自らの代理者として活動方法・基準などの監督や相談に応じる「巡回監督(Traveling Inspector)」を任命したのがコミッショナー制度の始まりで、その後のスカウト運動の広がりを受け、1910年に「組織コミッショナー(Organizing Commissioner)」が正式に誕生した。
 
 
 
日本のスカウト運動におけるコミッショナーは、各組織におけるスカウト活動(教育)が、[[世界スカウト機構]]、日本連盟、都道府県連盟の方針と規定に従って展開されるように指導・助言を行い、教育・指導面の推進者・責任者としての任務を担っている。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[マッチコミッショナー]]
 
* [[チェアマン]]
 
* [[立会人]]
 
* [[コミッション]](コミッショナーはコミッションの代表者である)
 
  
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[[Category:役職]]
 
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コミッショナー (commissioner)

プロ野球・プロボクシングなどで、その統制をとるために全権を委任された最高責任者。



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