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|業種 = 9050
 
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|事業内容 = ホテル事業<br />不動産賃貸事業 他
 
|事業内容 = ホテル事業<br />不動産賃貸事業 他
|代表者 = [[代表取締役]][[社長]]:定保英弥
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|代表者 =  
|資本金 = 14億85百万円
 
|発行済株式総数 = 59,400千株
 
|売上高 = 55,813百万円 (平成27年度)
 
|営業利益 = 4,072百万円 (平成27年度)
 
|経常利益 = 4,303百万円 (平成27年度)
 
|純利益 = 3,163百万円 (平成27年度)
 
|純資産 = 50,789百万円 (平成27年度)
 
|総資産 = 73,460百万円 (平成27年度)
 
|従業員数 = 単体:1,941人(2016年[[3月31日]]現在)
 
|支店舗数 =
 
|決算期 = 毎年[[3月]]
 
|主要株主 = [[三井不動産]]株式会社 33.16%<br />[[アサヒビール]]株式会社 5.73%<br />株式会社[[大和証券グループ本社]] 5.12%<br />株式会社[[みずほ銀行]] 4.96%<br />[[日本生命保険]]相互会社 4.91%<br />[[富国生命保険]]相互会社 4.46%<br />[[サッポロビール]]株式会社 4.20%<br />[[清水建設]]株式会社 4.20%<br />[[第一生命保険]]株式会社 3.93%<br />[[鹿島建設]]株式会社 3.87%<br />(2016年3月31日現在)
 
|主要子会社 = 株式会社帝国ホテルエンタープライズ<br />株式会社帝国ホテルハイヤー<br />株式会社帝国ホテルサービス<br />株式会社帝国ホテルキッチン(株主:株式会社帝国ホテル 50%・株式会社ニチレイ 50%)
 
|関係する人物 = [[大倉喜七郎]](元会長)<br />[[小佐野賢治]](元会長)<br />[[犬丸徹三]](元社長)<br />[[犬丸一郎]](元社長)<br />[[藤居寛]](元社長)<br />[[大野勝巳]](元社長)
 
 
|外部リンク = [http://www.imperialhotel.co.jp/ www.imperialhotel.co.jp]
 
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{{location map|Tokyo city|caption=帝国ホテルの位置}}
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'''帝国ホテル'''(ていこくホテル、[[英語|英称]]:Imperial Hotel)は、[[東京都]][[千代田区]][[内幸町]]にある[[ホテル]]である。運営者は、'''株式会社帝国ホテル'''。東京の他に大阪、上高地にある。
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'''帝国ホテル'''(ていこくホテル、[[英語|英称]]:Imperial Hotel)
  
日本を代表する高級ホテルのひとつであり、[[ホテルオークラ東京|ホテルオークラ]][[ホテルニューオータニ|ニューオータニ]]とともに「(ホテル)[[御三家]]」と呼ばれることもある。
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東京都千代田区[[内幸町]]にある日本の代表的ホテル。1890年11月3日開業。1887年有限会社東京ホテルとして設立,1907年株式会社帝国ホテルとなる。ネオ・ルネサンス式煉瓦造の 3階建てで,屋根は木造銅板ぶきであったが 1922年火災により焼失。1920年からアメリカ合衆国の建築家フランク・ロイド・[[ライト]]の設計による新館(ロイド館)の工事開始,1923年落成した。ロイド館は,[[大谷石]]を用いた装飾や,ロビーを中心とする内部の意匠は有機的統一を保ち,日本の建築家に大きな影響を与えた([[有機的建築]])が,老朽化が目立ったため 1967年解体。1970年に地上 17階の新本館が建設された。ロイド館の正面玄関とロビー部分は,愛知県犬山市の[[明治村]]に移築されている。1996年帝国ホテル大阪開業。1958年に日本に初めて[[バイキング料理]]を紹介したレストランがある。
  
== 沿革 ==
 
[[ファイル:Imperial Hotel News Ad.jpg|thumb|left|220px|帝国ホテル開業を知らせる『[[東京日日新聞]]』の広告]]
 
明治19年(1886)に東京の[[官庁集中計画]]が練られた際に、外国人の接遇所を兼ねた国を代表する大型ホテルの設計が組み込まれ<ref name=nakamura>[http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/8476/1/12_k_m_nakamura_toshihiro.pdf  東京ホテル建築史 1868 年~1939 年-その意味と多様性]中村敏宏、法政大学大学院デザイン工学研究科紀要 Vol.2(2013 年 3 月)</ref>、帝国ホテルが[[1890年]]([[明治]]23年)[[11月3日]]に落成、同[[11月7日|7日]]に開業した<ref>[{{NDLDC|1920380/288}} 帝国ホテル開業式挙行]新聞集成明治編年史第七卷、林泉社、1936-1940</ref>。隣接する[[鹿鳴館]]と密接な関連を持ったホテルとして[[井上馨]]が[[渋沢栄一]]と[[大倉喜八郎]]の2人を説いて、[[1888年]](明治21年)有限責任帝国ホテル会社(設立当初は有限責任東京ホテル会社)を設立させ建設したものである。
 
 
経営権は渋沢から大倉、そしてその死後は長男の[[大倉喜七郎]]へと引き継がれた。しかし戦後に、喜七郎が[[公職追放]]に遭った上に[[財閥解体]]によって大倉家の持ち株は放出<ref>帝国ホテルの経営から手を引いた喜七郎は、追放解除後に再度ホテル経営を目指し、大倉邸跡地に[[ホテルオークラ]]の開業を実現した。</ref>。代わって[[東京相和銀行|東京殖産]]の[[長田庄一]]から巨額の資金援助を受けた「北支の煙草王」こと[[金井寛人]]が[[1953年]]([[昭和]]28年)に株式の多くを獲得して会長となる<ref>但し総支配人の犬丸徹三が、実務全般を取り仕切った。</ref>。
 
 
[[1977年]](昭和52年)の金井の死後は、その全持ち株が[[小佐野賢治]]の[[国際興業]]に譲渡。[[2004年]]([[平成]]16年)にはその国際興業が[[サーベラス・キャピタル・マネジメント|サーベラス ファンド]]に買収されるが、[[2007年]](平成19年)10月に国際興業保有帝国ホテル株式の大半が[[三井不動産]]に売却され、現在は三井不動産が約33%を保有する筆頭株主となった<ref>三井不動産、帝国ホテルに資本参加発表 [[読売新聞]] 2007年9月29日 朝刊10頁</ref>。
 
 
=== 初代帝国ホテル ===
 
[[ファイル:Imperial Hotel Watanabe House.jpg|thumb|220px|初代帝国ホテル]]
 
* [[渡辺譲]] 設計
 
* 木骨煉瓦造、3階建、客室数約60。
 
* [[1890年]](明治23年)竣工。[[1919年]]([[大正]]8年)失火から全焼。
 
ドイツで建築を学び帰国したばかりの若手建築家の渡辺は、海外で学んだ知識を活かした様式の建物を建てるが、当時の海外市街地型ホテルの主流であった接道型ホテルではなく、日本の邸宅風の建物配置を選び、建物内部には日本趣味の装飾を施すなど、日本流のアレンジを加えた<ref name=nakamura/>。
 
 
=== ライト館 ===
 
* [[フランク・ロイド・ライト]] 設計。
 
* 鉄筋コンクリートおよび煉瓦コンクリート造、地上3階(中央棟5階)、地下1階、客室数270。
 
* [[1923年]](大正12年)竣工。[[1968年]](昭和43年)新本館建設のため解体。
 
 
[[1914年]](大正3年)頃から、当時の総支配人だった[[林愛作]]は旧知のアメリカ人建築家、フランク・ロイド・ライトと新館設計の相談を重ね、1916年(大正5年)に契約を結んだ。翌1917年(大正6年)にライトは来日し、1919年(大正8年)9月、着工した。ライトは使用する石材から調度品に使う木材の選定に至るまで、徹底した管理体制でこれに臨んだ。
 
 
鷲が翼を広げたような巨大なホテルは、10のブロックを[[エキスパンションジョイント]]で繋ぎ合わせた構造になっており、これで建物全体に柔軟性を持たせるとともに、一部に倒壊があっても全体には累を及ぼさない仕組みになっていた。また大規模ホテルとしては世界で初めて全館にスチーム暖房を採用するなど、耐震防火に配慮した設計だった。
 
 
[[ファイル:Imperial Hotel Wright House.jpg|thumb|220px|正面からみた玄関と池]]
 
[[ファイル:Wright Endo and Hayashi cropped.jpg|thumb|220px|左から、[[遠藤新]]、[[フランク・ロイド・ライト]]、[[林愛作]]]]
 
しかしこうした完璧主義は大幅な予算オーバーを引き起こした。{{要出典範囲|date=2013年12月|ライトはそれでも林との個人的な友情でかろうじて施工の総指揮を続けていたが、}}[[1922年]](大正11年)4月、隣接する初代帝国ホテルが失火から全焼すると、新館の早期完成は経営上の急務となり、設計の変更を繰り返すライトと経営陣との衝突は避けられなくなった。さらに当初予算150万円が6倍の900万円に膨れ上がるに至って、林は総支配人を引責辞任、ライトも精魂注いだこのホテルの完成を見ることなく離日した(同年7月)。一部完成済みの部分を利用してホテルは営業を再開した。
 
 
ホテルの建設はライトの日本における一番弟子だった[[遠藤新]]の指揮のもと、その後も続けられた。1年後の[[1923年]](大正12年)7月、着工以来4年の歳月を経てライトの本館は完成した<ref>谷川正己『フランク・ロイド・ライトの日本』(光文社新書)所収の年譜等を参照。</ref>。[[9月1日]]に落成記念披露宴が開かれることになったが、[[関東大震災]]が東京を襲ったのは、まさに宴の準備に大忙しの時だった。周辺の多くの建物が倒壊したり火災に見舞われたりする中で、小規模な損傷はあったもののほとんど無傷で変わらぬ勇姿を見せていたライトの帝国ホテルはひときわ人々の目を引いた。ライトは二週間後このことを遠藤からの手紙で知り狂喜したという。
 
 
[[1945年]](昭和20年)[[3月10日|3月10]] - [[3月11日|11日]]の[[東京大空襲]]では、本館中央部から南翼、孔雀の間、演芸場などに多くの焼夷弾が落ち、焼失は総床面積の四割強に及ぶ大きな被害を受けた。終戦ともに帝国ホテルは[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]に接収され、そこで大規模な修復工事が行われ、復旧した。
 
 
占領が終わって日本を訪れる外国人が再び増え始めたことにともない、[[1954年]](昭和29年)にはライトの本館の裏手(現在インペリアル・タワーが建っている敷地)に客室数170の第一新館が完成、[[1958年]](昭和33年)にはその横に地上10階、地下5階、客室数450の第二新館が完成した(→[http://www.nikkeibp.co.jp/style/life/joy/biz_trip/050705_monroe_1.jpg 画像])。これをうけて、[[1964年]](昭和39年)にはライトの本館を取り壊し、その跡地に新たに鉄筋コンクリート造、地上17階、地下3階、客室数772の新本館を建設することが発表された。
 
 
震災にも空襲にも耐えたこのホテルの存続を訴える大規模な反対運動が起ったが、本館は地盤沈下などの影響で柱が傾き雨漏りがするといった老朽化の問題もさることながら、都心の一等地を占有する巨大な建造物の客室数がたったの270では話にならなかった。
 
 
ライトの新館は[[1967年]](昭和42年)に閉鎖され、翌年春頃までに取り壊された。跡地に建設された近代的外観の新本館は、[[1970年]](昭和45年)の[[日本万国博覧会]]開会に合せて、同年に竣工した。
 
 
「ライト設計の帝国ホテル本館」は、「ライト館」として、人々の想い出の中に生き続けることになった。ライト館の玄関部分は[[博物館明治村]]([[愛知県]][[犬山市]])に十数年の歳月をかけて移築再建され、今日でも在りし日の面影を偲ぶことができる。また、[[東武ワールドスクウェア]]([[栃木県]][[日光市]])では実寸比25分の1の[[スケールモデル|ミニチュア]]で在りし日のライト館全景を再現している。[[2005年]](平成17年)[[4月]]、新本館14階の「インペリアルフロア」に新設された「フランク・ロイド・ライト・スイート」は、ライト館のさまざまな箇所に施された独特な[[マヤ文明|マヤ調]]の意匠やライト独自のスタイルでまとめられた内装や調度品を忠実に再現したものとなっている<!-- <ref>以前[[テレビ東京]]の鑑定番組に、ライト館が取り壊された際に通りがかりの男性が記念にと取り壊し業者に頼んで貰い受けたレンガ一個が出品され、50万と言う価格が付いた事がある。</ref> → 不要 -->。
 
 
[[ファイル:Meijimurabunkazai15.JPG|thumb|220px|[[博物館明治村|明治村]]に移築再建された玄関部分]]
 
[[ファイル:Imperial Hotel (1923-1968) in Tobu World Square.jpg|thumb|220px|[[東武ワールドスクウェア]]で展示されているライト館の全景(ミニチュア、実寸比25分の1)]]
 
 
<gallery>
 
ファイル:Imperial Hotel final perspective drawing.jpg|ライトの最終完成予想図
 
ファイル:Imperial Hotel FFW 2.jpg|日比谷公園からの全景
 
ファイル:Imperial Hotel FFW 1.jpg|北翼屋上から見た玄関ホールと背後のロビー
 
ファイル:Imperial Hotel FFW 3.jpg|側面からみたロビー
 
ファイル:Imperial Hotel FFW 5.jpg|正面玄関
 
ファイル:Imperial Hotel FFW 4.jpg|玄関ホール
 
ファイル:Imperial Hotel FLW 12.jpg|ロビー内
 
ファイル:Imperial Hotel FLW 13.jpg|中庭テラス
 
ファイル:Imperial Hotel FFW 6.jpg|客室
 
ファイル:Imperial Hotel FFW 7.jpg|孔雀の間
 
ファイル:Imperial Hotel FFW 8.jpg|孔雀の間
 
ファイル:Imperial Hotel FFW 9.jpg|孔雀の間
 
ファイル:Imeperial Hotel FLW 15.jpg|孔雀の間のダンスパーティー(昭和10年)
 
ファイル:Imperial Hotel FFW 10.jpg|演芸場
 
ファイル:Imperial Hotel FFW 11.jpg|震災直後(右で延焼しているのは勧業銀行)
 
ファイル:Imperial Hotel FLW 14.jpg|震災直後(有楽町駅付近、右奥が帝国ホテル)
 
</gallery>
 
 
=== 第一新館(別館) ===
 
[[ファイル:Imperial Hotel TOKYO 2007.jpg|thumb|220px|帝国ホテル東京新本館]]
 
* [[高橋貞太郎]] 設計。
 
* 鉄筋コンクリート造、地上7階、地下2階、客室数170。→ [http://www.tanken.com/teikoku6.jpg 画像]
 
* [[1954年]](昭和29年)竣工、[[1980年]](昭和55年)インペリアルタワー建設のため解体。
 
 
=== 第二新館(東館) ===
 
* 高橋貞太郎 設計。
 
* 鉄筋コンクリート造、地上10階、地下5階、客室数450。→ [http://www.tanken.com/teikoku7.jpg 画像]
 
* [[1958年]](昭和33年)竣工、[[1980年]](昭和55年)インペリアルタワー建設のため解体。
 
 
=== 新本館 ===
 
* 高橋貞太郎 設計。
 
* 鉄筋鉄骨コンクリート造、地上17階、地下3階、客室数772。
 
* [[1970年]](昭和45年)3月10日開業<ref>新装なった帝国ホテル新館”. [[北海道新聞]](北海道新聞社) 1970年3月7日</ref>。
 
 
=== インペリアルタワー(現帝国ホテルタワー) ===
 
* [[山下設計]] 設計。
 
* 鉄筋鉄骨コンクリート造、地上31階(うちホテルフロアは20~31階の12フロア)、地下4階、客室数361(→[http://www.jcarb.com/photo/201529_d3.jpg 画像])。
 
* 第一・第二新館に代えて建設。[[1983年]](昭和58年)竣工。
 
 
== 直営ホテル ==
 
=== 帝国ホテル東京 ===
 
* [[1890年]](明治23年)開業(東京都千代田区内幸町1-1-1)
 
 
=== 上高地帝国ホテル ===
 
[[ファイル:Imperial Hotel Kamikochi01n3200.jpg|thumb|220px|上高地帝国ホテル]]
 
* 高橋貞太郎 設計(開業当初)
 
* 鉄筋・鉄骨コンクリート造、地上4階、客室数75(現在)
 
* [[1933年]](昭和8年)開業、[[1977年]](昭和52年)、[[1994年]](平成6年)改装
 
* [[長野県]][[松本市]]安曇・[[上高地]]
 
* 景勝地として知られる[[上高地]]内にあるリゾートホテルで、毎年[[4月]]下旬から[[11月]]上旬まで営業している。上高地への自家用車の乗り入れが規制されているため、ホテルには[[沢渡温泉 (長野県)|沢渡温泉]]か[[平湯温泉]]の駐車場からバスまたはタクシーを利用する必要がある(自家用車の場合。電車の場合、松本駅・新島々駅からバスが一般的)
 
* 現在の建物は、高橋貞太郎による開業当初の外観を忠実に再現しながら[[1977年]](昭和52年)に新築されたもの。
 
 
=== 帝国ホテル大阪 ===
 
[[ファイル:Imperial Hotel Osaka 20090321-001.jpg|thumb|220px|帝国ホテル大阪]]
 
* 株式会社三菱地所設計 設計
 
* 鉄筋鉄骨コンクリート造、地上24階、地下2階、客室数387
 
* [[1996年]](平成8年)開業
 
* [[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]]天満橋
 
* 旧[[三菱金属]]大阪精錬所跡地を再開発した複合施設[[大阪アメニティパーク]]内にあり、桜の名所として知られる[[桜之宮公園]]に隣接している。[[中央区 (大阪市)|中央区]]にあるビジネスホテルの「大阪帝国ホテル」は無関係である。
 
 
== ギャラリー ==
 
<gallery>
 
File:Kamikochi Imperial Hotel-1.jpg|上高地帝国ホテル エントランスホール(2008年8月4日撮影)
 
File:Kamikochi Imperial Hotel-2.jpg|上高地帝国ホテル メインダイニング2008年8月4日撮影)
 
</gallery>
 
 
== 帝国ホテルグループ ==
 
=== ザ・クレストホテル ===
 
子会社の帝国ホテルエンタープライズが運営するコミュニティホテル。
 
* ザ・クレストホテル柏
 
** [[2000年]](平成12年)開業
 
** [[千葉県]][[柏市]]末広町
 
 
=== グランドアーク半蔵門 ===
 
子会社の帝国ホテルエンタープライズが運営する[[警察共済組合]]の[[保養所]]施設扱いとなるホテル。
 
* 東京都千代田区隼町
 
* [[1999年]](平成11年)[[1月]]開業、[[2004年]](平成16年)[[4月]]改装
 
 
=== 全国町村会館 ===
 
子会社の帝国ホテルエンタープライズが料飲・宿泊部門への技術援助を行っている。館内事務所階に[[全国町村会]]の事務所が存在する。地方公共団体関係者は割安料金で宿泊ができる。
 
* 東京都千代田区永田町
 
* [[1998年]](平成10年)[[8月]]より料飲・宿泊部門への技術援助協力を受託。
 
 
=== かつての関連ホテル ===
 
* メトロポールホテル
 
** [[1907年]](明治40年)[[1月]]買収、[[1909年]](明治42年)[[6月]]閉鎖
 
** 現在の東京都中央区[[明石町 (東京都中央区)|明石町]]、[[聖路加ガーデン]]や[[阪急阪神ホテルズ#旧新阪急ホテルグループ|東京新阪急ホテル築地 (→銀座クレストン)]]がある辺り → [http://www3.ocn.ne.jp/~kyokyo/image/metrop.jpg 画像]
 
** 横浜クラブホテルの支店として[[1889年]](明治22年)創業したホテルを買収して姉妹館としたが、経営不振で帝国ホテル自体の業績悪化につながったため閉鎖。[[渋沢栄一]]はこの責任をとって帝国ホテル代表取締役を辞任した。
 
* [[燕山荘]]
 
** [[1931年]](昭和6年)、赤沼千尋(登山家)と大倉喜七郎が本館を建設。[[1948年]](昭和23年)赤沼側に売却
 
** 長野県[[安曇野市]][[燕岳]]山頂付近 → [http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~inoue/hougen.index/yamaaruki/jounen/kita2.JPG 画像]
 
** 燕岳登山の山小屋「燕の小屋」として[[1921年]](大正10年)創業。小屋を訪れた登山好きの大倉喜七郎と創業者・赤沼千尋が意気投合し、大倉が資金を援助して大規模ロッジに建替えさせて帝国ホテル傘下に加えた。戦後帝国ホテルが[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]に接収されるに及んで創業者に売却された。
 
* [[シンガポール]]水交社
 
** [[1942年]](昭和17年)運営開始、[[1945年]](昭和20年)撤退
 
** シンガポール中心街
 
** 第二次世界大戦中、日本軍の[[シンガポール]]占領にともない[[大日本帝国海軍|海軍]]が[[グッドウッド・パーク・ホテル]]を接収、これを[[水交社]]として将官宿舎兼接待所とし、帝国ホテルがその運営にあたった<ref>戦後、接収が解除され、グッドウッド・パーク・ホテルに戻った。</ref>。
 
* [[マンダリン・オリエンタル・バンコク|オリエンタルホテル]]
 
** [[1942年]](昭和17年)運営開始、[[1945年]](昭和20年)撤退
 
** [[タイ王国]]の[[バンコク]]を代表する高級ホテルである同ホテルを運営していた欧米人が、日本軍が当時同盟国であったタイ王国との協定に基づき同国に駐留した後、タイ王国から運営を委託された。
 
* 博多帝国ホテル
 
** [[1954年]](昭和29年)開業、[[1969年]](昭和44年)閉鎖
 
** 福岡市博多区上呉服町
 
** 低層階が博多[[大丸]]、上層階が帝国ホテルという複合施設として開設された。
 
* バリインペリアルホテル
 
** [[1993年]](平成5年)開業、[[2003年]](平成15年)運営受委託契約終了
 
** [[バリ島]]・スミニャックビーチ
 
** リゾートホテル<!-- <ref>売却後は、ザ・ロイヤル・スミニャック・バリを経て、現在は[[ソフィテル]]・スミニャック・バリとして引き続き営業している。</ref>。 → 帝国ホテル後の詳細は不要 -->
 
* ザ・クレストホテル津田沼
 
** [[1992年]](平成4年)開業、[[2002年]](平成14年)閉鎖
 
** 千葉県習志野市津田沼
 
** ザ・クレストホテルの第一号店。複合施設内のテナントとして運営。運営受託契約満了後、契約は更新されず帝国ホテル側は運営から離れ、ホテルは閉鎖された。{{Main|京成津田沼駅#駅周辺}}
 
*ザ・グレストホテル立川
 
[[1995年]]開業、[[2015年]]閉館
 
**東京都立川市錦町
 
 
== 逸話 ==
 
=== クリーニング ===
 
[[ファイル:Joe DiMaggio, Marilyn Monroe and Tstsuzo Inumaru.jpg|thumb|220px|新婚旅行で滞在中の[[ジョー・ディマジオ]](左)と[[マリリン・モンロー]]夫妻を案内する犬丸徹三 総支配人(後方)1954年]]
 
そもそも帝国ホテルは外国の賓客をもてなすために設立されたホテルだったので<ref>{{Cite web |url=http://datazoo.jp/tv/%E6%8E%A2%E6%A4%9C%E3%83%90%E3%82%AF%E3%83%A2%E3%83%B3/823932 |title=探検バクモン|2015/01/21(水)放送 |work=TVでた蔵 |publisher=ワイヤーアクション |accessdate=2015-01-22}}</ref>、経営陣は真っ先に長期間の船旅で溜め込んだ衣類の洗濯を思いつき、その部門の強化を図ってきた。当初は2つの外注業者に委託していたが<ref name="jalan">[http://www.jalan.net/uw/uwp3500/uww3512.do?yadNo=337841&aid=0000521074 帝国ホテルが始めたサービス 〜ランドリー100年〜] [[じゃらんnet]] 2010年1月10日</ref>、[[1910年]](明治43年)に帝国ホテルが初めて館内に洗濯する施設を設置し、ホテルで使用する[[寝具]]関係や宿泊客の衣類を洗濯する独自の「洗濯部」を設けた<ref name="jalan" /><ref name="sma">『[[SmaSTATION!!|SmaSTATION-5]]』[http://www.tv-asahi.co.jp/ss/188/special/top.html 2006年1月14日放送分]</ref>。
 
 
現在は[[白洋舎]]が従業員の制服を含めホテル内で使用される物全ての洗濯を受け持っている。
 
 
帝国ホテルのクリーニングサービスには定評がある。「ホテル内でついた汚れは確実に落とす」方針で、クリーニング部門ではホテル内で使われる食材の詳細を全て把握している<ref name="sma" />。そして「最初からとれていたボタンまでつける<ref name="sma" />」、「状況によっては服のボタンを外してからクリーニングする」というのも伝説的なサービス。クリーニングの工程で、紛失・損傷・変質の可能性があるボタンについては、あらかじめ取りはずしておく。客の好みに合わせた柔軟性を使用し、アイロンがけが終わった後にボタンを縫い付け直す。紛失したボタンに極力似た物を付ける為世界中のボタンを保管している。これに感激した[[キアヌ・リーブス]]が映画『[[JM (映画)|JM]]』の中で「シャツをクリーニングに出したい、できれば東京の帝国ホテルのやつを」というセリフをアドリブで入れたこともあった。
 
 
宿泊客が飛行機でやってくるようになって道中で洗濯物を溜め込むことが無くなった今でも、帝国ホテルに泊まることが決まった客がわざわざ1ヵ月以上前から洗濯物を溜め込んでホテルに持ち込むということもあるという<ref name="sma" />。
 
 
なお、帝国ホテルが行うクリーニングは宿泊客限定のサービスであり、部外者によるクリーニングサービスのみの使用は不可である。<!--参考資料 http://blog.goo.ne.jp/countsheep99/e/700e6cfda7f02f997e5251c1d924590a -->
 
 
=== バイキング ===
 
[[食べ放題#ビュッフェ形式|ブッフェスタイル]]の食事は、日本では帝国ホテルが初めて取り入れた。
 
 
[[1957年]](昭和32年)、当時の支配人[[犬丸徹三]]が北欧で体験した料理、[[スモーガスボード]]がそのヒント。犬丸は内容的に「これはいける」と確信、当時パリの[[オテル・リッツ・パリ|リッツ・ホテル]]で研修中で後に帝国ホテル第11代総料理長となる[[村上信夫 (シェフ)|村上信夫]]に料理内容の研究を指示した。一方その名称が非常に言いにくく馴染みが無いものだったため、新名称を社内公募した。その結果「北欧と言えば[[ヴァイキング|バイキング]]」という発想と、当時帝国ホテル脇の[[日比谷映画]]で上映されていた『[[:en:The Vikings (film)|バイキング]]』(1958)という映画の中の豪快な食事シーンが印象的だったことから、これを「[[食べ放題|バイキング]]」と名付けることに決定<ref>『[[はなまるマーケット]]』[https://web.archive.org/web/20070713175603/http://www.tbs.co.jp/hanamaru/tokumaru/t070608.html 2007年6月8日放送分]([[インターネットアーカイブ]])</ref>、「バイキングレストラン」を[[1958年]](昭和33年)にオープンした。このレストランは大変好評を博しバイキングはブッフェレストランの代名詞となった。新本館17階に、「インペリアルバイキング サール」の名で現存する。
 
 
== その他 ==
 
=== サポート ===
 
* [[千葉商科大学]]サービス創造学部の公式サポーター企業
 
 
=== テレビ番組撮影時の問題 ===
 
『[[なるほど!ハイスクール]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]・[[2011年]][[8月4日]]放送分)で[[AKB48]]の[[前田亜美]]・[[宮崎美穂]]・[[指原莉乃]](現:[[HKT48]])・の3人がホテルの厨房を見学したが、頭髪を束ねておらず、大きな声ではしゃいでいたため、不衛生ではないかという内容の苦情が放送直後からホテル側に殺到し、帝国ホテル側は「配慮が足りなかった」と陳謝している<ref>[http://www.j-cast.com/2011/08/05103737.html?p=all AKB48髪の毛束ねず厨房見学 批判に帝国ホテルが「謝罪」] [[ジェイ・キャスト]] 2011年8月5日</ref>。
 
 
=== 食材偽装表示 ===
 
{{Seealso|[[食材偽装問題]]}}
 
2013年10月、過去に帝国ホテル東京と帝国ホテル大阪にて、既製品のオレンジ・ジュースを「フレッシュ・ジュース」と表記しながら、実際には[[冷凍]]ジュースを客に対して提供していたことが判明した。このジュースは[[アメリカ合衆国|米国]]内で搾って冷凍したもので、[[輸入]]業者から購入し、ホテルにて[[解凍 (食品)|解凍]]し、提供されていた。しかし米国メーカー側がこのジュースの製造打ち切りをしたことに伴い、その後はホテル内で生の果実を搾り「フレッシュ・オレンジ・ジュース」として提供し始めていたことが判明した。 [[JAS法]]に基づく「果実飲料品質表示基準」では、卸業者やメーカーを対象に、加工したジュースには「フレッシュ」という文言を使用してはいけないと定められている。帝国ホテルは、「偽装の意図も、それで儲けようと思ったこともまったくありません」と話している<ref name="JUICE1">[http://www.j-cast.com/2013/10/31187829.html?p=all 帝国ホテルも偽装 「フレッシュジュース」は手間がかかって面倒くさいのか?:J-CASTニュース]</ref><ref name="JUICE2">[http://www.asahi.com/articles/TKY201310310011.html 冷凍ジュースを「フレッシュ」 帝国ホテル、06年まで:朝日新聞デジタル]</ref><ref name="JUICE3">[http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20131101-1212114.html 帝国ホテルもジュース偽装 - 社会ニュース:nikkansports.com]</ref>。
 
{| class="wikitable"
 
|+ ジュースについて<ref name="JUICE1"/><ref name="JUICE2"/><ref name="JUICE3"/>
 
!期間!!提供方法!!表示名!!値段
 
|-
 
|不明〜2006年||冷凍ジュースを解凍||フレッシュ・ジュース||900円
 
|-
 
|2006年〜現在||搾りたて||フレッシュ・オレンジ・ジュース||1,200円
 
|}
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Commonscat|Imperial Hotel (Japan)}}
 
* [[シャリアピン・ステーキ]]
 
* [[グランドホテル]]
 
* [[クラシックホテル]]
 
* [[甲子園ホテル]]
 
* [[三田会]] - [[慶應義塾大学]]の[[同窓会]]。帝国ホテルの地下に「東京三田倶楽部」という東京支部を常設している。
 
* [[慶應義塾大学病院]] - 病院内にレストラン「ザ・パーク」を出店している。
 
* [[しゃべる!DSお料理ナビ]] - [[ニンテンドーDS]]用ソフト。[[2007年]](平成19年)[[6月]]に帝国ホテル総料理長やシェフの監修によるレシピを収録した「[[DSお料理ナビ まるごと帝国ホテル]]」が[[コーエー]]より発売された。
 
* [[食堂車]] - かつて、[[在来線]]のちに[[新幹線]]において帝国ホテルの列車食堂部、のちに「帝国ホテル列車食堂」(現・帝国ホテルエンタープライズ)が食堂車及び弁当、土産品等車内販売営業をしていた。1992年3月改正をもって撤退<ref name="rp895">『鉄道ピクトリアル』 2014年10月号 通算895号 P.69-70</ref>。
 
* [[日本野球機構]] - かつてインペリアルタワー14階に事務局を置いていた。
 
* [[いちごグループホールディングス]] - 帝国ホテルタワー17階にオフィスを構える。
 
* [[ロッキード・マーティン]] - 帝国ホテルタワー9階にオフィスがある。
 
* [[食べ放題]] - ブッフェスタイルの食事を、日本で初めて取り入れた。
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
  
 
== 外部リンク・参考資料 ==
 
== 外部リンク・参考資料 ==
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* [http://www.imperial-arcade.co.jp/ 帝国ホテルアーケード 公式サイト]
 
* [http://www.imperial-arcade.co.jp/ 帝国ホテルアーケード 公式サイト]
  
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[[Category:ホテル運営会社]]
 
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2018/10/6/ (土) 18:45時点における版

} 帝国ホテル(ていこくホテル、英称:Imperial Hotel)

東京都千代田区内幸町にある日本の代表的ホテル。1890年11月3日開業。1887年有限会社東京ホテルとして設立,1907年株式会社帝国ホテルとなる。ネオ・ルネサンス式煉瓦造の 3階建てで,屋根は木造銅板ぶきであったが 1922年火災により焼失。1920年からアメリカ合衆国の建築家フランク・ロイド・ライトの設計による新館(ロイド館)の工事開始,1923年落成した。ロイド館は,大谷石を用いた装飾や,ロビーを中心とする内部の意匠は有機的統一を保ち,日本の建築家に大きな影響を与えた(有機的建築)が,老朽化が目立ったため 1967年解体。1970年に地上 17階の新本館が建設された。ロイド館の正面玄関とロビー部分は,愛知県犬山市の明治村に移築されている。1996年帝国ホテル大阪開業。1958年に日本に初めてバイキング料理を紹介したレストランがある。


外部リンク・参考資料



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