「河北通」の版間の差分
提供: miniwiki
ja>アフリカンスター |
細 (1版 をインポートしました) |
(相違点なし)
|
2018/8/26/ (日) 16:12時点における最新版
テンプレート:騎手 河北 通(かわきた とおる、1972年10月10日 - )は日本中央競馬会 (JRA) ・栗東トレーニングセンターに所属する調教助手で、元騎手。騎手免許は平地競走、障害競走両方の免許を所持していたが、障害競走への騎乗経験はなかった。
来歴
1991年、JRA競馬学校騎手課程を卒業し騎手免許を取得する。同期の騎手には郷原洋司、四位洋文、藤田伸二らがいる。デビュー時から小野幸治厩舎所属である。3月2日、初騎乗となった中京競馬場での第4レースでは2番人気だったフォースシクレノンに騎乗するも10着という結果に終わった。5月5日に行われた京都競馬場での第12レースで騎乗した4番人気のスリーリリックで勝利し初勝利を挙げる。
1992年、中京記念で13番人気のブライアンカーチスで重賞初騎乗、10着となる。
1993年、10月18日に地方競馬初騎乗。同年のスプリンターズステークスで12番人気のロングキャロットでGI初騎乗、13着となる。
1994年、アーリントンカップを4番人気だったメルシーステージで制し重賞初勝利を挙げる。
2008年にはかねてより脱臼癖がついていた(本人曰く「くしゃみをしただけでも肩が外れるほど」だったという)左肩の手術のため、10月4日の札幌競馬場での騎乗を最後に長期療養に入った。手術は「骨を削って別の個所に埋め込みピンで固定する」「医者が5人ぐらい立会いでやった」ほどの大掛かりなものとなった[1]。その後リハビリを経て、翌2009年1月24日の中京競馬場での騎乗を皮切りにレースでの騎乗を再開している。しかし、同年12月20日をもって騎手を引退し、所属していた小野幸治厩舎の調教助手に転身した。
おもな騎乗馬
- メルシーステージ(1994年アーリントンカップ、毎日杯、1996年中日新聞杯2着)
- サウンドバリヤー(1995年愛知杯)
- セイントリファール(1997年中京記念2着)
- シルクジャスティス(1997年毎日杯3着)
- メガミゲラン(1997年北九州短距離ステークス)
- エリモダンディー(1997年日本ダービー4着)
- ロングプライド(2007年端午ステークス)
騎乗成績
日付 | 競馬場・開催・レース | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
初騎乗 | 1991年3月2日 | 1回中京3日3R | 4歳未勝利 | フォースシクレノン | 13頭 | 2 | 10着 |
初勝利 | 1991年5月5日 | 4回京都6日12R | 5歳上900万円下 | スリーリリック | 13頭 | 4 | 1着 |
重賞初騎乗 | 1992年3月22日 | 1回中京6日11R | 中京記念 | ブライアンカーチス | 13頭 | 13 | 11着 |
重賞初勝利 | 1994年2月27日 | 1回中京2日11R | アーリントンカップ | メルシーステージ | 10頭 | 4 | 1着 |
GI及びJpnI初騎乗 | 1993年12月19日 | 5回中山6日10R | スプリンターズステークス | ロングキャロット | 14頭 | 12 | 13着 |
GI及びJpnI初勝利 | 未勝利 |