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http:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=61.210.51.93&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-04-16T10:12:30Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 博多祇園山笠 2018-11-19T02:22:27Z <p>61.210.51.93: /* 概要 */</p> <hr /> <div>{{出典の明記| date = 2018年7月}}<br /> {{参照方法|date=2018年7月}}<br /> {{統合文字|祇}}<br /> [[画像:H17 daikokunagare.jpg|240px|right|thumb|舁き山]]<br /> [[Image:Hakata Gion Yamakasa - Kazariyama.jpg|240px|right|thumb|飾り山]]<br /> &#039;&#039;&#039;博多祇園山笠&#039;&#039;&#039;(はかたぎおんやまかさ)とは[[福岡県]][[福岡市]]の[[博多区]]で毎年[[7月1日]]から[[7月15日]]にかけて開催される700年以上の伝統のある[[祭]]である。[[櫛田神社 (福岡市)|櫛田神社]]にまつられる[[スサノオ|素戔嗚尊]]に対して奉納される[[祇園祭#日本全国の祇園祭|祇園祭]]のひとつ。正式には&#039;&#039;&#039;櫛田神社祇園例大祭&#039;&#039;&#039;。[[博多どんたく]]とともに、博多を代表する祭りである。<br /> <br /> ==概要==<br /> 福岡市[[博多区]]の[[博多|博多部]]([[那珂川 (九州)|那珂川]]と[[御笠川]](石堂川)間の区域)で7月に行われる祭礼。国の[[重要無形民俗文化財]]に指定されている。山笠の掛け声「おっしょい」は[[1996年]]([[平成]]8年)に[[日本の音風景100選]]に選ばれた。また、[[2016年]](平成28年)[[12月1日]]、博多祇園山笠を含めた日本全国33件の[[祭]]が、「[[山・鉾・屋台行事]]」として[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]][[無形文化遺産]]に登録された&lt;ref&gt;[http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/292821 西日本新聞(2016年12月1日)]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> なお地域外の者からは福岡市が主催している祭りと誤解されがちだが、山笠は櫛田神社の氏子たちが行う奉納行事のひとつであり、地域の住人たちが伝統的に行ってきた町内行事である。このため当事者として祭りに参加できるのは、原則として地域住民および地域出身者のみである。<br /> <br /> 参加者や福岡市民などからは「[[山笠]]」「ヤマカサ」とも略称される。また、祭礼そのものを指す「山笠」と区別するため、神輿に相当する山笠を「山」「ヤマ」と称することがある。山笠を担いで市内を回ることを山笠を「舁く」(かく)と言い、担ぐ人のことを「舁き手」(かきて)と言う。<br /> <br /> 山笠期間中は行事参加者の間では[[キュウリ]]を食べることが御法度となる。一番根強い説としては「キュウリの切り口が櫛田神社の祇園宮の[[家紋|神紋]]と似ているから」というものがある。櫛田神社や京都・[[八坂神社]]など[[水天]]神系の神紋の図柄は木瓜([[ボケ (植物)|ボケ]])の花である。また、「夏が旬のキュウリを断ってまで祭りに懸ける」という意気込みとの説もある。また、期間中の性交も御法度になる。<br /> <br /> 博多祇園山笠は[[女人禁制]]の祭りであり、旧来の流に於いては子供山笠も含めて舁き手は男性のみである。また女性は舁き手の詰め所に入れないしきたりとなっている。かつては舁き手の詰め所の入口に「不浄の者立入るべからず」と書かれた立て札が立てられる風習になっていた。この「不浄の者」は[[喪中]]の人と女性のことを指しているが、女性差別につながるとして[[2003年]](平成15年)に立て札の設置は中止された。但し、代わりとして「関係者以外立入禁止」の掲示や仕切りは何らかの形でなされている。<br /> <br /> ==歴史==<br /> ===山笠の歴史===<br /> 博多祇園山笠の起源については諸説あるが[[鎌倉時代]]の[[1241年]]([[仁治]]2年)に博多で[[疫病]]が流行した際、[[承天寺]]の開祖であり当時の住職である聖一国師([[円爾]])が町民に担がれた木製の[[施餓鬼]]棚に乗り水を撒きながら町を清めてまわり疫病退散を祈祷したことを発祥とするのが通説である&lt;ref name=&quot;p247&quot;&gt;『年中行事事典』p247 1958年(昭和33年)5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[安土桃山時代]]、[[島津氏]]と[[豊臣氏]]の戦いにより博多の街は焼け野原となったが、[[豊臣秀吉]]が帰国の際、博多の街をいくつかの区画毎に「[[流 (博多)|流]]」(ながれ)としてグループ化し復興を行った(太閤町割)。この「流」が博多祇園山笠のグループ単位の発祥である。戦後の一時期、山笠を建てた流は13流に増えたこともあったが現在の「流」は[[恵比須流]]・[[大黒流]]・[[土居流]]・[[東流]]・[[西流]]・[[中洲流]]・[[千代流]]の7流である([[福神流]]は山笠を建てない)。<br /> <br /> かつては京都の[[祇園祭]]のように町ごとに飾山笠の華美を競いながら練り歩いていたが江戸時代の[[1687年]]([[貞享]]4年)に&lt;ref name=&quot;p247&quot;/&gt;土居流が[[東長寺]]で休憩中、石堂流(現在の恵比須流)に追い越される「事件」が起こる。このとき2つの流が抜きつ抜かれつのマッチレースを繰り広げ町人に受けたことから、担いで駆け回るスピードを競い合う「追山」が始まった。以来戦後の一時期を除き祭のクライマックスとしてこの「追山」が執り行われ、福岡市内のみならず近隣各地から多くの観衆を集めている。<br /> <br /> [[戦後]]に入り[[1955年]]([[昭和]]30年)に「博多祇園山笠振興会」が発足、当時より「博多部外」の新天町等でも飾山笠行事が行われ[[1962年]](昭和37年)より「博多部外」である福岡市中心部に舁入れる集団山見せなどが行われるようになった。[[1970年]](昭和45年)から子供([[小学生]])が小型の山笠を舁く「[[#子供山笠|子供山笠]]」も始まった。<br /> <br /> ===山笠の形態(舁山笠と飾山)===<br /> [[画像:Hakata gion yamakasa 2005 01.jpg|180px|right|thumb|走る飾り山]]<br /> {{Main|山笠}}<br /> 京都の舁き山がそのルーツであると思われる。京都の舁き山は、松を飾り、人形を飾り、傘を立てる。あくまで私見ではあるが、これが山笠の基本であろうと思われるのは自然である。山笠は、舁山笠、飾り山笠共に御神入を行い、神様の依り代となる。<br /> <br /> 経緯は不明であるが山笠は多くの[[幟]]を立て[[人形]]を飾った背の高いものに変化した。江戸時代初期に描かれた「博多祇園山笠巡行図屏風」には、このような幟山笠が描かれている。明治初期まで飾り山製作は、京都祇園細工人形の流れを汲む細工人形師・小堀家が行なっていたが、明治に入り貸家業に転業したことから、しばらくは櫛田神社氏子らに委ねられて製作が続き、大正~昭和初期の頃に掛けて徐々に博多人形師がその製作を行うようになった。<br /> <br /> 小堀善右ェ衛門を祖とする小堀流山笠細工人形は、[[ねぶた]]山車と同様の竹組細工であったが、現在の「飾り山」として見られるような岩山笠は三苫惣吉が[[1752年]]([[宝暦]]2年)に始めた様式といわれる。お堂や水の流れといった部品で風景を構成してそこに人形を配置したもので下絵や[[絵馬]]も多く残っており、その姿を伝えている。この頃の山笠は高さが10メートル以上あり、町のどこからでも望むことができた。<br /> <br /> [[1898年]]([[明治]]31年)、福岡県知事が山笠行事の中止を提議した。理由に山笠が電線を切断する事故が相次いだことが含まれていたため、それまでの高い岩山笠は飾っておくだけの「飾り山」とし、運行には3メートル程の「舁き山」を用いることとなった&lt;ref name=&quot;p247&quot;/&gt;。なお電線の設置に際して、山笠の運行は事前に配慮されていたが、実際には不十分であった。[[1910年]](明治43年)、市内に[[西鉄福岡市内線|路面電車]]が開通して軌道上空に[[架線]]が張られると、架線より高い山笠の運行が不可能になり、「飾り山」と「舁き山」の分化は決定的なものとなった。その後、[[1979年]]([[昭和]]54年)に市内の路面電車が全廃されると、舁き山の高さは徐々に緩和されるようになり、現在は4.5メートルまでとなっている。<br /> <br /> 終戦までは流ごとに、飾り山の台座部分である山笠台に舁き山の飾りを乗せることで、飾り山と舁き山を同一の山笠と見なしていたが、戦後は明確に分離されるようになり、多額の費用がかかる飾り山は商店街や企業の協賛で建てられるようになった。[[1964年]](昭和39年)、[[川端通商店街]](上川端通)は山笠の分化前の姿を彷彿とさせる「走る飾り山」を復活させ、現在でも櫛田入りを奉納し続けている。ただし他の舁き山よりコースが短く設定されており、櫛田入りなどのタイムレースにおいても参考記録扱いとなっている。また他の流の山笠が再び以前の形に戻すような計画はされていない。<br /> <br /> 「走る飾り山」は電線や信号機・標識などに接触しないよう伸縮式になっている。またこの飾り山は煙が出るようになっているが、これは[[1991年]](平成3年)に[[ゴジラ]]の人形から煙を吐き出させるようにした事が始まりである。<br /> <br /> 飾り山や山笠の人形の衣装の生地は長年、京都の[[西陣織]]を使用していたが、[[2002年]](平成14年)より地元の[[博多織]]を人形の衣装の生地に使うようになった[http://www.nakasu.org/yama_topics.html]。<br /> <br /> ==舁き山笠(舁き山)==<br /> ===役割分担===<br /> 舁き山より前を走り沿道の人々に舁き山が通ることを知らせる者は“前さばき”と呼ばれる。舁き山の安全な運行のため進路を空けさせるのが目的で、走りながら「前きれ」と掛け声をかける。<br /> <br /> 続く舁き手の集団は“前走り”あるいは“先走り”と呼ばれる。主に幼く身長が舁き棒に届かない少年たちや、その世話役である老齢の年長者で構成され、山笠の番号や流れ名が書かれた“招き板”と“招き旗”を持って走る。招き板は専ら少年たちが持ち、招き旗は年長者が持つのが習わしである。<br /> <br /> 舁き山の人形を飾る台に上がって舁き手の指揮を執る“台上がり”は表(前側)に3名、見送り(後ろ側)に3名の計6名である。台上がりは名誉とされると同時に流れ全体の責任を負う。表中央に上がる者を“表棒さばき”、見送り中央に上がる者を“見送り棒さばき”と呼び、流れ全体の中心人物として働くこととなる。<br /> <br /> 舁き山には6本の舁き棒が取り付けられるが、前後の端に6名ずつの計12名の“棒鼻”、台の前後に6名ずつ計12名の“台下”、台の両脇に2名または4名の“胡瓜舁(きゅうりがき)”、計26名または28名の舁き手が配置される。彼らとは別に、舁き棒を後端から押し舁き山を推進させる“後押し”がいる。後押しに人数の規定はなく、後押しの背後に更なる後押しが幾重にも付いて舁き山を押す。<br /> <br /> 舁き山の周囲には常に舁き手の交代要員が並走し、台上がりの指示に従い舁き山の勢いを削ぐことなく舁き手を随時交代する。外側より内側の舁き手ほど交代が難しく熟練を要する。舁き手は素早い交代と転倒時の支えのため、舁き棒を直接持つのではなく、自分専用の“舁き縄”を舁き棒に掛けて肩に固定する。<br /> <br /> また舁き棒の両端の前後左右の四隅に取り付けた“鼻縄”と呼ばれる縄を持つ4名の舁き手を“鼻取り”と呼ぶ。鼻取りは舁き山の進行方向を決定・調整する舵取り役である。<br /> <br /> 舁き山の後には“後走り”と呼ばれる舁き手の集団が続くが、その中に水桶を担ぐ“水担い(みずいない)”がいる。この水は台上がりが飲むためのもの。<br /> <br /> 沿道のあちこちに水が用意されており、柄杓や桶を用いて、舁き山が通り過ぎる直前に舁き山や舁き手の前方から掛けられる。この水は“勢い水(きおいみず)”と呼ばれ、舁き山や舁き手を清める意味と共に、舁き手の冷却や乾燥による舁き山の崩壊を防ぐなどの役割がある。勢い水を掛けるのは主に、先走りの中の“水係”や沿道の住民である。<br /> <br /> ===舁き手===<br /> [[画像:Hakata gion yamakasa 2006 02.jpg|200px|right|thumb|舁き山]]<br /> 少年時は子供組に属し、中学生になれば若者組(若手組と称する町内も多数ある)に属する。若者のうち&#039;&#039;&#039;赤手拭&#039;&#039;&#039;となったものが山笠役員となる。赤手拭も更に歳を重ね取締となる。<br /> <br /> 山笠に参加する舁き手たちのスタイルは水法被に[[ふんどし#締め込み|締め込み]]という姿で貫かれ、足元は[[地下足袋]]と[[脚絆]]である。江戸時代までは締め込み一丁であった。[[1898年]](明治31年)に裸体同然のスタイルが問題だとして県議会で山笠を廃止する案が出されたとき、博多の反対派は[[玄洋社]]の[[進藤喜平太]]から紹介された[[古島一雄]]の助力で水法被を着用することで山笠廃止を撤回させそれ以来現在まで水法被に締め込みのスタイルが続いている。締め込みの材質は大人は薄めの[[帆布]](79A、11〜9号程度)や[[モスリン]]、子供は[[フランネル]]や重ねた洋服地([[シーチング]]等)、色は千代・東・西・大黒流では白、生成以外は禁止だが中洲・恵比須・土居流では黒・紺が多く子供用は白が多いが黒や赤が使われる場合がある。締め込み以外の褌(六尺、越中、等)の着用は認められていない。[[さらし]]の腹巻きをする場合があるが、必ず締め込みとは別々になる。水法被は白地に流(千代、東、中洲)や町(大黒、恵比須、土居、西)の名を意匠化したデザインであり、町内によっては当番法被に似た[[久留米絣]]の水法被もある。<br /> <br /> 山笠を舁いていない平時には当番法被(長法被、[[久留米絣]])を着用する。この時は締め込みではなく膝下までのステテコ姿となる。山舁き姿の時当番法被を着用するときは、水法被の上に当番法被を羽織ることになる。この当番法被ステテコ姿は[[6月1日]]から山笠終了まで背広と同等の正装とされ、結婚式など公式の場でも[[服装規定|ドレスコード]]として着用が許されている。当番法被ステテコ姿の時は清潔を保ち、だらしない姿を戒められるものとされている。<br /> <br /> この他、舁き手は階級を表す[[手拭]](てのごい)、役割を表す襷(ねじねじ)を装着、舁き縄を携帯(使わない時は締め込みに挟んでおく)、台上がりは指揮棒(てっぽう)を持つ。鍵、財布、[[携帯電話]]、等は必要に応じて信玄袋に入れておく。言わば当番法被=[[タキシード]]、水法被=[[ユニフォーム]]、てのごい=[[階級章]]、ねじねじ=[[腕章]]、てっぽう=[[指揮棒]]に該当する。これらの衣服、物品は流、又は町内毎に決められており流、又は町内のロゴが入った当番法被、水法被、てのごいは厳重に管理されており一般に市販されることは有り得ず[[インターネットオークション]]等で外部の者に譲渡することは認められていない。<br /> <br /> 一般の人には「博多」のロゴ、又は[[木瓜紋]]が入った当番法被、水法被、ねじねじ、てっぽう(ロゴ以外は上記と全く同じ)が土産物として販売されている他、締め込み、舁き縄、等は舁き手と同じものが一般にも発売されている。但し、成人はこれらを着用しての祭りへの参加は出来ない。<br /> &lt;gallery&gt;<br /> Image:Yamagasa uniform 1.png|長法被<br /> Image:Yamagasa uniform 2.png|水法被に締め込み<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> ===掛け声===<br /> 山笠の掛け声「おっしょい」は1996年(平成8年)に[[日本の音風景100選]]&lt;ref&gt;環境庁認定・日本の音風景検討会選定&lt;/ref&gt;に、青森の「[[青森ねぶた|ねぶた祭り]]」の掛け声とともに選ばれた。<br /> <br /> お汐井取りのときに「おしおい、おしおい」と言いながら取りにいった掛け声が訛って「おっしょい」となったという説がある。<br /> <br /> ===追い山のコース===<br /> 櫛田神社、東長寺、承天寺、須崎町を通る。<br /> <br /> ;現行コース<br /> :櫛田神社→(博多通り)→萬行寺前にある交差点を左折→([[国体道路]]・[[国道202号]])→祇園町交差点を左折→([[大博通り]]・[[福岡県道43号博多停車場線|県道43号線]])→約30m先の東長寺前の清道旗を通り転回→祇園町交差点を左折→(辻の堂通り・国道202号)→約70m先を右折→承天寺前(清道旗のある場所で折り返し)→(北西方向へ約1.2km直進)→左折→(恵比須通り)→左折→(大博通り・[[福岡県道44号博多港線|県道44号線]]/県道43号線)→約800m先の大博通りビジネスセンター前で右折→約130m先で右折→(北西方向へ約800m直進)→(西町筋・横町筋・[[土居通り]]・大黒通り)→廻り止め<br /> <br /> 一番山笠の櫛田入りに際しては、[[九州朝日放送]](KBCテレビ)が2010年に発売したDVDで同年と生中継を始めた1979年とを比較できるが、20世紀は「タイムレース」にどうしても主眼が置かれていた。例えば、1979年の一番山笠・土居流は、櫛田神社の清道入りすると正面能舞台には向き直らずすぐに「祝いめでた」を歌い、歌い終わるとすぐに出発していった。しかし後に、「神事」である以上これでは拙いということになり、現在では一旦能舞台に向き直り神職の一祓いを受けてから「祝いめでた」を歌い、その後でもう一度態勢を立て直して博多の街へ出ていくことを徹底させている。<br /> <br /> また「走る飾り山」上川端通を除き、聖一国師ゆかりの承天寺前の清道に於いては、台上がりがてっぽうを両手で持ち前に突き出し、住職に向かって頭を下げることで奉納の意思を示すことも併せて徹底されている。<br /> <br /> === 直近の記録 ===<br /> 七つの流れは7年に1度の割合で一番山笠を務めるが、流によって当番町となる年が異なるので、自分の地域が「一番山笠の当番町」となることは一生に一度あるかないかという場合も多い。一番山笠を務めた翌年は七番山笠に回り、以後毎年番手を一つずつ上げていく。順番としては恵比寿流→土居流→大黒流→東流(旧東町流主体)→中洲流(1949年〜)→西流(旧西町流主体)→千代流(1950年〜)のローテーションとなる。&lt;div class=&quot;NavFrame&quot; style=&quot;clear: both; border:0&quot;&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavHead&quot;&gt;各流の記録(追い山馴し)&lt;/div&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavContent&quot; style=&quot;text-align:left&quot;&gt;<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;text-align:center&quot; <br /> |- style=&quot;white-space:nowrap&quot;<br /> !rowspan=&quot;2&quot;|年!!colspan=&quot;3&quot;|[[恵比須流]]!!colspan=&quot;3&quot;|[[土居流]]!!colspan=&quot;3&quot;|[[大黒流]]!!colspan=&quot;3&quot;|[[東流]]!!colspan=&quot;3&quot;|[[中洲流]]!!colspan=&quot;3&quot;|[[西流]]!!colspan=&quot;3&quot;|[[千代流]]!!colspan=&quot;2&quot;|上川端通<br /> |-<br /> !山番!!櫛田入り!!全コース!!山番!!櫛田入り!!全コース!!山番!!櫛田入り!!全コース!!山番!!櫛田入り!!全コース!!山番!!櫛田入り!!全コース!!山番!!櫛田入り!!全コース!!山番!!櫛田入り!!全コース!!山番!!櫛田入り<br /> |-<br /> !{{Nowrap|2013年&lt;br&gt;(平成25年)}}<br /> |&#039;&#039;&#039;1&#039;&#039;&#039;||37秒49||30分36秒||2||36秒94||27分40秒||3||37秒53||27分25秒||4||&#039;&#039;&#039;32秒46&#039;&#039;&#039;||&#039;&#039;&#039;25分57秒&#039;&#039;&#039;||5||36秒95||29分43秒||6||32秒61||27分30秒||7||34秒78||26分37秒||rowspan=&quot;7&quot;|8||58秒27<br /> |-<br /> !2014年&lt;br&gt;(平成26年)<br /> |7||36秒14||28分20秒||&#039;&#039;&#039;1&#039;&#039;&#039;||35秒18||25分57秒||2||35秒76||26分44秒||3||&#039;&#039;&#039;31秒84&#039;&#039;&#039;||&#039;&#039;&#039;24分58秒&#039;&#039;&#039;||4||38秒96||28分40秒||5||33秒29||26分59秒||6||40秒56||25分01秒||53秒51<br /> |-<br /> !2015年&lt;br&gt;(平成27年)<br /> |6||36秒83||28分11秒||7||38秒47||26分11秒||&#039;&#039;&#039;1&#039;&#039;&#039;||34秒68||25分54秒||2||31秒81||26分42秒||3||37秒30||28分46秒||4||&#039;&#039;&#039;30秒68&#039;&#039;&#039;||26分23秒||5||34秒31||&#039;&#039;&#039;25分43秒&#039;&#039;&#039;||58秒64<br /> |-<br /> !2016年&lt;br&gt;(平成28年)<br /> |5||36秒03||29分15秒||6||36秒16||27分01秒||7||36秒01||26分48秒||&#039;&#039;&#039;1&#039;&#039;&#039;||31秒98||26分15秒||2||39秒34||29分46秒||3||&#039;&#039;&#039;31秒14&#039;&#039;&#039;||26分28秒||4||33秒79||&#039;&#039;&#039;26分12秒&#039;&#039;&#039;||52秒94<br /> |-<br /> !2017年&lt;br&gt;(平成29年)<br /> |4||32秒65||28分42秒||5||37秒42||28分01秒||6||36秒03||27分23秒||7||&#039;&#039;&#039;31秒50&#039;&#039;&#039;||26分03秒||&#039;&#039;&#039;1&#039;&#039;&#039;||35秒19||31分45秒||2||32秒87||27分26秒||3||32秒53||&#039;&#039;&#039;25分26秒&#039;&#039;&#039;||54秒62<br /> |-<br /> !2018年&lt;br&gt;(平成30年)<br /> |3||33秒82||28分26秒||4||36秒10||27分31秒||5||36秒38||26分41秒||6||&#039;&#039;&#039;32秒15&#039;&#039;&#039;||&#039;&#039;&#039;26分07秒&#039;&#039;&#039;||7||36秒42||30分04秒||&#039;&#039;&#039;1&#039;&#039;&#039;||32秒63||27分03秒||2||33秒44||26分45秒||1分01秒71<br /> |-<br /> !2019年<br /> |2|| || ||3|| || ||4|| || ||5|| || ||6|| || ||7|| || ||&#039;&#039;&#039;1&#039;&#039;&#039;|| || ||<br /> |}<br /> &lt;/div&gt;&lt;/div&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavFrame&quot; style=&quot;clear: both; border:0&quot;&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavHead&quot;&gt;各流の記録(追い山)&lt;/div&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavContent&quot; style=&quot;text-align:left&quot;&gt;<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;text-align:center&quot; <br /> |- style=&quot;white-space:nowrap&quot;<br /> !rowspan=&quot;2&quot;|年!!colspan=&quot;3&quot;|恵比須流!!colspan=&quot;3&quot;|土居流!!colspan=&quot;3&quot;|大黒流!!colspan=&quot;3&quot;|東流!!colspan=&quot;3&quot;|中洲流!!colspan=&quot;3&quot;|西流!!colspan=&quot;3&quot;|千代流!!colspan=&quot;2&quot;|上川端通<br /> |-<br /> !山番!!櫛田入り!!全コース!!山番!!櫛田入り!!全コース!!山番!!櫛田入り!!全コース!!山番!!櫛田入り!!全コース!!山番!!櫛田入り!!全コース!!山番!!櫛田入り!!全コース!!山番!!櫛田入り!!全コース!!山番!!櫛田入り<br /> |-<br /> !{{Nowrap|2013年&lt;br&gt;(平成25年)}}<br /> |&#039;&#039;&#039;1&#039;&#039;&#039;||32秒45||33分10秒||2||35秒41||30分37秒||3||36秒29||30分02秒||4||&#039;&#039;&#039;32秒06&#039;&#039;&#039;||&#039;&#039;&#039;28分49秒&#039;&#039;&#039;||5||37秒33||33分46秒||6||33秒18||30分40秒||7||35秒08||29分43秒||rowspan=&quot;7&quot;|8||49秒78<br /> |-<br /> !2014年&lt;br&gt;(平成26年)<br /> | 7||34秒09||33分47秒||&#039;&#039;&#039;1&#039;&#039;&#039;||37秒73||31分17秒||2||35秒76||30分20秒||3||&#039;&#039;&#039;30秒95&#039;&#039;&#039;||&#039;&#039;&#039;28分25秒&#039;&#039;&#039;||4||35秒98||33分43秒||5||32秒76||30分51秒||6||33秒58||29分05秒||53秒38<br /> |-<br /> !2015年&lt;br&gt;(平成27年)<br /> |6||33秒48||32分49秒||7||35秒88||30分45秒||&#039;&#039;&#039;1&#039;&#039;&#039;||37秒11||30分05秒||2||31秒22||&#039;&#039;&#039;28分39秒&#039;&#039;&#039;||3||35秒15||34分19秒||4||&#039;&#039;&#039;30秒78&#039;&#039;&#039;||30分41秒||5||33秒85||29分23秒||48秒53<br /> |-<br /> !2016年&lt;br&gt;(平成28年)<br /> |5||41秒83||33分31秒||6||37秒74||30分44秒||7||34秒97||29分37秒||&#039;&#039;&#039;1&#039;&#039;&#039;||31秒54||&#039;&#039;&#039;29分17秒&#039;&#039;&#039;||2||35秒43||33分58秒||3||&#039;&#039;&#039;31秒05&#039;&#039;&#039;||30分44秒||4||33秒40||29分38秒||52秒55<br /> |-<br /> !2017年&lt;br&gt;(平成29年)<br /> |4||32秒32||32分58秒||5||34秒69||31分34秒||6||35秒47||29分45秒||7||&#039;&#039;&#039;30秒67&#039;&#039;&#039;||29分17秒||&#039;&#039;&#039;1&#039;&#039;&#039;||34秒75||34分38秒||2||31秒62||31分06秒||3||31秒05||&#039;&#039;&#039;28分53秒&#039;&#039;&#039;||52秒79<br /> |-<br /> !2018年&lt;br&gt;(平成30年)<br /> |3||33秒77||31分52秒||4||35秒72||30分43秒||5||34秒24||29分26秒||6||30秒69||29分17秒||7||37秒78||33分18秒||&#039;&#039;&#039;1&#039;&#039;&#039;||&#039;&#039;&#039;31秒01&#039;&#039;&#039;||31分14秒||2||31秒22||&#039;&#039;&#039;29分00秒&#039;&#039;&#039;||60秒24 <br /> |-<br /> !2019年<br /> |2|| || ||3|| || ||4|| || ||5|| || ||6|| || ||7|| || ||&#039;&#039;&#039;1&#039;&#039;&#039;|| || ||<br /> |}<br /> &lt;/div&gt;&lt;/div&gt;<br /> <br /> ==飾り山笠 (飾り山)==<br /> 飾り山笠は例年7月1日から2週間公開され、追い山当日の0時になると一部を除き「山崩し」と呼ばれる解体工事が始まり、姿を消す。<br /> <br /> 山笠人形や飾り物は伝統的に「福を招く縁起物」として、祭りが終わると争うように剥がされ、山笠台を残して取り壊されるものであったが、近年では「山笠シーズン以外でも観光客が見られるように」との配慮から、一部の飾山笠に限り通年の常設展示が行なわれるようになっている。<br /> <br /> なお舁山笠と飾山笠には通し番号が付けられており、一番から七番は舁山笠を持つ流に割り当てられ(飾山笠を設置する流には飾山笠にも同じ番号が割り当てられる)、八番は上川端通、九番以降は飾山笠のみの設置場所に割り当てられ、櫛田神社の飾山笠は番外とされる。八番の上川端通と番外の櫛田神社を除き、割り当てられる番号は毎年輪番となっている。<br /> ===飾山笠設置場所===<br /> 太字は、山笠期間外にも展示される飾山笠。<br /> <br /> *&#039;&#039;&#039;番外・[[櫛田神社 (福岡市)|櫛田神社]]&#039;&#039;&#039;<br /> :山笠終了後も翌年5月までそのまま常設展示。テレビ放送による宣伝に貢献したKBCが奉納。<br /> *東流(呉服町ビジネスセンター・[[福岡市地下鉄箱崎線|福岡市地下鉄]][[呉服町駅]])<br /> *中洲流(Nパサール)<br /> *千代流([[西部ガス]]本社)<br /> *八番山笠・上川端通(走る飾山・上川端通商店街)<br /> :山笠終了後は上川端通商店街のぜんざい広場に移設し「山崩し」の後骨格部材や一部の飾りを常設展示。<br /> *川端中央街(川端中央商店街)<br /> *博多リバレイン([[明治通り (福岡市)|明治通り]]側歩道)<br /> *[[キャナルシティ博多]](中央・サンプラザステージ)<br /> *[[新天町]]<br /> *ソラリア(ソラリアプラザ)<br /> *博多駅商店連合会([[博多駅]]・博多口)<br /> *渡辺通一丁目([[サンセルコ]]広場)<br /> *福岡ドーム([[福岡ドーム|福岡ヤフオク!ドーム]])<br /> *&#039;&#039;&#039;天神一丁目&#039;&#039;&#039;([[博多大丸|大丸福岡天神店]]パサージュ広場)<br /> :山笠終了後は[[九州国立博物館]]に移設し期間限定展示。<br /> *福岡空港(国際線ターミナル)<br /> :山笠終了後に舁山笠人形を展示。<br /> <br /> ==テレビ放送==<br /> テレビ放送は基本的に[[TVQ九州放送]]を除く在福テレビ各局が行っている。各局とも男性アナウンサーや出演タレントが各流に食い込んで実際に山を舁いたり、そこに至るまでの舞台裏を取材・報告したりしている。また、各局の追い山中継では、毎回中央の有名タレントをゲストに迎えて中継している。全国ネットでは[[BS-TBS]](RKB毎日放送制作)が生中継している(2017年(平成29年)現在)。各社が行っている中継は次のとおり。<br /> ;[[NHK福岡放送局]]・[[NHK北九州放送局]](ネット受け) 『博多祇園山笠20○○』<br /> *「追い山」を中継。<br /> *[[NHK総合テレビジョン|総合テレビ]]では福岡県内のみに生中継。2010年(平成22年)から2014年(平成26年)までは[[NHKデジタル衛星ハイビジョン|BShi]](2010年(平成22年))→[[NHK BSプレミアム|BSプレミアム]]([[2011年]](平成23年)以降)でも生中継を行っていた。[[2018年]](平成30年)は、『[[イッピン]]』の再放送、『[[演芸図鑑|桂文珍の演芸図鑑]]』、『[[半分、青い。|5分で半分、青い。]]』は、臨時非ネットとなる。<br /> *後日BSプレミアム(2010年(平成22年)までは[[NHK衛星第2テレビジョン|BS2]])でダイジェスト版を放送。<br /> *[[ハイスピードカメラ]]も導入している。[[サラウンド]]音声での中継である。<br /> *以前は[[佐賀県]]や[[九州]]・[[沖縄県|沖縄]]ブロックネットで生中継したこともあった。<br /> ;[[九州朝日放送]] 『20○○年博多祇園山笠追い山中継「[[走れ!山笠]]」』<br /> *「追い山」を中継。山笠中継として最も歴史があるのはKBC『走れ!山笠』で、福岡進出時に一時中洲のビルに局舎を構えていたことがきっかけとなっている。<br /> *KBCは基本がブロックネット([[長崎文化放送]]・[[熊本朝日放送]]・[[大分朝日放送]]・[[鹿児島放送]]・[[山口朝日放送]])。かつては[[ABCテレビ]]・[[テレビ朝日]]・[[名古屋テレビ放送|メ〜テレ]]などでも放送されていたが、九州・山口以外では開催曜日によって視聴不能のケースが多い。2017年(平成29年)は、テレビ朝日系列で放送されている、『[[全米女子オープン|第72回全米女子オープンゴルフ・2日目]]』の中継は、KBC以外の放送となる。<br /> *総集編も放送している。<br /> *KBCは運営に協力しており、前述の櫛田神社常設飾り山奉納に加え、アナウンサーを場内放送担当として派遣している(2018年現在では[[長岡大雅]])。その見返りとして、テレビ放送席が本部能舞台横に設置されている。<br /> ;[[RKB毎日放送]] 『勇壮!博多祇園山笠!20○○』<br /> *「追い山」を中継。RKBは単独放送。同局は「福岡最古の民放」の意地で放送を開始。2010年(平成22年)以降は[[BS-TBS]]でも飛び乗りで同時ネットしている。2018年(平成30年)は、[[TBSテレビ|TBS]][[Japan News Network|系列]]で放送されている『[[音楽の日]]』を0:45で飛び降りた。ダイジェストは、10:30から11:24まで放送。<br /> *サラウンド音声での中継である。こうしたこともあってRKBは記録保存に協力しており、山笠振興会が公開している追い山笠の公式動画はRKBが提供したものである。<br /> *[[#RKB子供山笠教室|RKB子供山笠教室]]を主催しており、この様子は後日放送する。<br /> ;[[福岡放送]]<br /> *「追い山馴し」を中継。『[[めんたいワイド]]』がスタートしてからは、そのスペシャル番組という形での放送が多い。ただし、当日が土曜・日曜となる場合は特別編成等の関係で録画放送になったり放送できなくなったりということもある。<br /> *かつては[[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系]]『[[ズームイン!!朝!]]』で流からの生中継を全国へ向けて行っていた。<br /> ;[[テレビ西日本]]<br /> *「集団山見せ」を中継。基本は生中継であるが、当日が日曜となる場合は競馬中継(現在は『[[KEIBA BEAT]]』)を優先し、翌日に中継録画で放送する(近年では『[[DREAM競馬]]』時代の[[2008年]](平成20年)が該当した)。<br /> <br /> ==子供山笠==<br /> [[1950年]](昭和25年)より唐人町に飾り山笠を建て、さらに子供山笠4本を各町内会にて運営した歴史がある。寿通の子供山笠は子供たちに地域の伝統を理解させるために開始された。寿通子供山笠は現在の博多小学校子供山笠となっている。走る飾り山笠で有名な上川端通子供山笠を運営したことがある。現在、子供用の舁き山は3台有り、大人の舁き山を2/3に縮小した形で同地区の飾り山共々、アニメや子供番組のキャラを題材にする場合が多い。何れも[[7月1日|7月1]]〜[[7月8日|8日]]の間の金曜日から日曜日にかけて主に流れ舁きを行う。少女は小学校低学年まで参加できる。台上がりは8〜10名で出来るだけ多くの参加者が台上がり出来るように停止中に台上がりが交代する場合が多い。<br /> <br /> [[福岡市立千代小学校|千代小]]、[[福岡市立博多小学校|博多小]]、RKB子供山笠教室や[[中央区 (福岡市)|中央区]][[天神 (福岡市)|天神]]の[[新天町]]で行なわれる子供山笠は少女も参加できる。これらに参加する少年少女は大人と同様、水法被を羽織った締め込み姿になる。締め込みは大人用とは違い幅18センチ長さ3.5メートルの柔らかい白い布を締めこむ場合が多い。幼児は取り廻し(力士の[[廻し]]に付ける下がりに似た物)や[[ふんどし#下がり|伊達下がり]]を付ける場合がある。子供山笠の様子は新聞やテレビなどで紹介されている。<br /> <br /> 子供山笠は子供達の育成であり、山笠行事ではない。子供の人権侵害であるという意見もある&lt;ref&gt;{{Cite web |url =https://blogos.com/article/105145/ |title =児童ポルノを生み出しているのは誰か |publisher =blogos.com |date = |accessdate =2018-11-13 }}&lt;/ref&gt;。<br /> ===博多小学校===<br /> 戦前にも子供山笠が有ったが中絶し、上記の趣旨から[[1970年]](昭和45年)に当時の奈良屋小学校で開始された。学校の統廃合に伴い、博多小学校の行事となった。博多流と称する。学区の大部分が何れかの流に属することから参加者の大部分は各自で用意した属する流、又は町内の水法被を着用、締め込みも各自で用意する場合が多く白の他、黒や赤もある。学区の一部に山笠に不参加の流や流に属さない地区があることから、そこからの参加者は学校が用意した「博多小」、又は「山かき子」のロゴが入った水法被と白の締め込みを着用する。この水法被は世話役(教職員)も着用する。舁き山はRKB子供山笠教室と共用する。<br /> <br /> ===RKB子供山笠教室===<br /> [[1981年]](昭和56年)からは[[RKB毎日放送|RKB]]子供山笠教室が開始された&lt;ref&gt;[[RKB毎日放送]]主催、[[ハウス食品]]協賛&lt;/ref&gt;。小学生の男子児童の参加者300名を放送エリアから幅広く一般募集する。参加者は当日、櫛田神社に集合、主催者が用意した背に「山かき子」、襟に「博多子供やま」、又は「博多子供山笠」、袖に「RKB」のロゴが入った水法被と白の締め込みを着用する(但し締め込みは各自で用意したものでも良い)。世話役はスポンサーの[[ハウス食品]]が用意した「[[うまかっちゃん]]」の赤いロゴが入った水法被を着用。博多小の参加者が舁いて来た舁き山が神社境内に着いたところで、その山を交代で舁く。この様子は後日放送される。<br /> <br /> ===千代小学校===<br /> [[1987年]](昭和62年)に上記と同様の趣旨で開始された。学区のほぼ全てが千代流と一致することから参加者は「千代」のロゴが入った水法被(千代流と共通)と白の締め込みを着用、主に学区内で流れ舁きを行う。<br /> <br /> ===新天町===<br /> 福岡部で大人子供を通して唯一の舁き山。元々博多部と関係が深い事や転勤で福岡部の人口が増えたことから上記と同様の趣旨で[[1980年]](昭和55年)に発案、[[1988年]](昭和63年)に寿通り([[大黒流]])の協力で開始された。[[1991年]](平成3年)から自前の舁き山を導入した。参加者は「新天町」のロゴが入った水法被と白の締め込みを着用する。世話役は「新天町」のロゴが入った長法被を着用。博多部からも世話役の応援を受ける。新天町エリア内の流れ舁きとなり、博多部には入らない。<br /> <br /> ==日程==<br /> 以下に公式日程を記すが、これ以前にもそれぞれの流では6月ごろから様々な活動を行う。一般によく知られているのは[[7月15日]]の「追い山」であるが7月に入ると山笠に関する様々な行事がおこなわれ、福岡市内各地で山笠の姿が見られる。<br /> <br /> 太字になっている行事は「舁き山」を動かす行事。静から動へと移っていく。<br /> *6月1日:〆卸。恵比須流<br /> *6月中:小屋入り。舁山笠、飾山笠<br /> *6月30日:境内飾山笠、御神入。櫛田神社夏越大払式終了後<br /> *7月1日:〆卸。既に行事を終えている恵比須流を除く全流<br /> *7月1日:飾山笠、御神入<br /> *7月1日より8日の間:各流舁山笠。御神入<br /> *[[7月1日|7月1]]〜[[7月15日|15日]]0時:飾り山一般公開<br /> :市内各所で飾り山を公開する。<br /> *7月1日夕方:当番町のお汐井取り([[東区 (福岡市)|東区]]箱崎浜)<br /> *7月1〜[[7月8日|8日]]の間の土曜、日曜:&#039;&#039;&#039;[[#子供山笠|子供山笠の流舁]]&#039;&#039;&#039;(各流の区域内)<br /> :子供たちに山笠の伝統を伝えていくため、小学生以下の子供たちによる流舁が行われる。<br /> *[[7月9日]]:各流のお汐井取り(東区箱崎浜)<br /> *[[7月10日]]<br /> **献花献茶式(本装束の[[浦安の舞]]が登場、唯一の典雅・可憐系?)<br /> **男野点茶会(運び役は一番山笠の子供が務める)<br /> *夕方:&#039;&#039;&#039;流舁&#039;&#039;&#039;(&#039;&#039;&#039;ながれがき&#039;&#039;&#039;)(各流の区域内)<br /> *[[7月11日]]<br /> **早朝:&#039;&#039;&#039;朝山&#039;&#039;&#039;(早朝、各流の区域内、大人の山笠に子供が台上がりする唯一の機会)<br /> **夕方:&#039;&#039;&#039;他流舁&#039;&#039;&#039;(流の区域外を廻る)中洲流、大黒流、東流が櫛田入りを行う(この時、桟敷席は無料開放の為、年々観客が増加している)。<br /> *[[7月12日]]:&#039;&#039;&#039;追い山馴し&#039;&#039;&#039;<br /> :いわばリハーサルで、本番である15日の追い山より1kmほど短縮されたコースで行う。15時59分に一番山笠が山留めをスタートする。<br /> *[[7月13日]]:&#039;&#039;&#039;集団山見せ&#039;&#039;&#039;<br /> :地元の名士や有名芸能人を台上がりさせた各流の舁き山が、[[明治通り (福岡市)|明治通り]]の呉服町交差点から[[博多|博多部]]を越えて福岡市役所までを通る。15時30分に一番山笠がスタートする。<br /> :[[1962年]](昭和37年)に始まった行事で元々は各流独自に他流舁きと称して福岡部に舁き入っていたものをイベント性を高めるために13日にまとめ、福博の知名士([[孫正義]] 等)を台上がりさせたもの。当初は不参加の流もあった。開始当時は蔵本交差点より[[福岡中央郵便局]]まで。[[2009年]](平成21年)まで福岡市役所まで来た舁き山は帰り道として、[[国体道路#福岡県|国体道路]]を通り中洲を経由して各流の地域へ帰っていたが、舁き山が中洲へ向かう際一時通行止めをしなければならず、その度に国体道路は渋滞が発生していたため、解消策として[[2010年]](平成22年)より福岡市役所から呉服町交差点まで明治通りを通る復路が設定された。<br /> *[[7月14日]]夕方:&#039;&#039;&#039;流舁&#039;&#039;&#039;(各流の区域内)<br /> [[ファイル:Hakata Yamakasa Mawaridome.jpg|right|thumb|追い山廻り止め]]<br /> *7月15日:&#039;&#039;&#039;追い山&#039;&#039;&#039;、鎮めの能<br /> :博多祇園山笠のクライマックスにあたる行事(タイムトライアル)。4時59分に一番山笠が山留めをスタート、博多の総鎮守[[櫛田神社 (福岡市)|櫛田神社]]境内の清道を回って奉納する。その後、二番山笠から八番山笠「走る飾り山」までが5分おきに出発し多数の男たちが交代を繰り返しながら[[博多]]の町を舁き回り、須崎町の廻り止めまで約5kmのコースを駆ける(八番山笠は別コース)。<br /> :山笠が清道を回り終えると、櫛田神社境内にて[[能#.E5.96.9C.E5.A4.9A.E6.B5.81|喜多流]]の能楽師により紋付き袴の姿で「鎮めの能」が舞われる。<br /> :スタート時刻が4時59分と言う中途半端な時刻なのは一番山笠のみ櫛田神社境内で祝い歌「博多祝いめでた」を歌う1分間が与えられており、5分おきと言う山笠の出発間隔を調整するためである。<br /> :各流では追い山が終わると直ちに飾り山・舁き山などを解体し、その年の行事を終える。しかしその時点で、すぐに次の年の行事に向けての動きを始める。<br /> <br /> なお11日、14日の「流舁」においては「追善山」と呼ばれる行事が行われることがある。これは1年の間に亡くなった各流の山笠功労者遺族の家の前まで舁山を舁いて、祝いめでたと博多手一本を捧げ故人の冥福を祈るというもの。「神事」であるため、遺族はその年の山笠行事に関わることができない。<br /> <br /> ==博多祇園山笠をテーマとした作品==<br /> ;漫画<br /> *『[[博多っ子純情]]』([[長谷川法世]]作。[[1976年]](昭和51年)より[[1983年]](昭和58年)まで『[[漫画アクション]]』で連載)<br /> :[[1978年]](昭和53年)[[12月2日]]に映画化される。<br /> ;テレビドラマ<br /> *『[[走らんか!]]』([[日本放送協会|NHK]][[連続テレビ小説]]、[[1995年]](平成7年)[[10月2日]] - [[1996年]](平成8年)[[3月30日]]。原作:長谷川法世)<br /> *『[[クッキングパパ#テレビドラマ|クッキングパパ]]』(フジテレビ、2008年(平成20年)[[8月29日]]:博多祇園山笠シーズンの設定)<br /> *『[[めんたいぴりり]]』(テレビ西日本、2013年(平成25年)[[8月3日]]、[[8月5日]] - [[8月29日]]:主人公のモデル[[川原俊夫]]は中洲流の創設に携わったため)<br /> ;歌<br /> *『博多っ子純情』([[チューリップ (バンド)|チューリップ]])<br /> :[[1977年]](昭和52年)に発売されたアルバム『WELCOME TO MY HOUSE』に収録されているが、同名の映画音楽としては使用されていない。<br /> *『博多純情』([[鳥羽一郎]])<br /> *『博多追い山青春ならし』([[ピース (ミュージシャン)|ピース]])<br /> *『オイサ〜幻の福神流』(上田雅利(チューリップ))<br /> <br /> ==その他==<br /> *博多祇園山笠に参加し、またはした事がある著名人としては、[[長谷川法世]](漫画家)、[[博多華丸]](博多華丸・大吉)、[[下畑博文]](パタパタママ)、[[中島浩二]](ローカルタレント。KBCテレビ『Duòmo』などに出演)、[[小松政夫]](タレント)、[[上田雅利]](ミュージシャン・チューリップのドラマー)らがいる。<br /> **長谷川、小松、上田は地域出身者である。<br /> **華丸、中島は地域外の出身であるため、地域の有力者から特別に参加の許可を貰っている。<br /> *[[福岡ソフトバンクホークス]]の7月1 - [[7月14日|14日]]の間の[[ホーム・アンド・アウェー|ホームゲーム]]は「山笠シリーズ」と呼ばれる。この期間中は、[[始球式]]に水法被に締め込みの舁き手(時には少年)が登板するのが特徴。尚、2008年(平成20年)は7月最初のホームゲームが追い山終了後の15日夜となるため、山笠シリーズが行われなかった。<br /> *[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]の[[アビスパ福岡]]の応援の一つに山笠の掛け声をモチーフにしたものがある。これは主にセットプレーや相手ゴール前の攻撃時などのアビスパのチャンスの時に使用される。<br /> *主に九州地区で発売される商品に、山笠の絵図が用いられるものがある。「[[うまかっちゃん]]」([[ハウス食品]]、[[インスタントラーメン]])は、[[福岡市]]出身の[[グラフィックデザイナー]]・[[西島伊三雄]]によるパッケージ画[http://housefoods.jp/products/catalog/cat_1,1011,1010.html]である。ほか、「本場博多ラーメン」(2009年頃。[[江崎グリコ|グリコ栄養食品]]、家庭用生[[ラーメン]])など。<br /> *追い山は公共交通機関が通常運行しない早朝に催行されるため、当日には福岡都市圏の各交通事業者が観客輸送を目的として朝3時前後に始発し4時前後に最寄り駅・バス停に到着する臨時列車・バスを運行する。<br /> **[[九州旅客鉄道]](JR九州)は[[博多駅]]に朝4時過ぎに到着する[[臨時列車|臨時]][[普通列車]]「博多山笠号」を[[鹿児島本線]]([[門司港駅|門司港]]発・[[荒尾駅 (熊本県)|荒尾]]発)と[[福北ゆたか線]]([[直方駅|直方]]発)で運転している。また、門司港駅からは特急「[[きらめき (列車)|きらめき]]」の臨時便も運転される。なお、[[2013年]](平成25年)以降は鹿児島本線の「博多山笠号」が両方向とも運転区間が短縮され、[[小倉駅 (福岡県)|小倉]]発・[[荒木駅|荒木]]発となっている。<br /> **[[西日本鉄道]]では[[西鉄天神大牟田線|天神大牟田線]]([[花畑駅|花畑]]発1本)と[[西鉄貝塚線|貝塚線]]([[西鉄新宮駅|西鉄新宮]]発2本)で臨時列車を運行するほか、福岡市内各地(一部は市外都市圏)と櫛田神社周辺部の停留所との間を結ぶ臨時バス(30路線43本。いずれも2013年(平成25年)実績)を運行する。<br /> **[[福岡市交通局|福岡市地下鉄]]では[[福岡市地下鉄空港線|空港線]](一部はJR[[筑肥線]][[筑前前原駅|筑前前原]]直通)・[[福岡市地下鉄箱崎線|箱崎線]]・[[福岡市地下鉄七隈線|七隈線]]で臨時列車を運行する。<br /> *博多祇園山笠をモチーフとし[[締め込み]]姿とした「[[ハローキティ]]」のキャラクターが描かれた[[タオル]]が、2013年(平成25年)7月に発売される予定となっていたが、これについて、尻が見える姿に対し様々な物議が醸されることとなり、これを受け博多祇園山笠振興会が、製造・販売を請け負う[[あすなろ舎]]に対し発売に難色を示したことなどで、同年[[6月28日]]に発売中止が決まった&lt;ref&gt;[http://sankei.jp.msn.com/life/news/130629/trd13062910580012-n1.htm 山笠キティが発売中止、「お尻」デザインに難色] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130710003505/http://sankei.jp.msn.com/life/news/130629/trd13062910580012-n1.htm |date=2013年7月10日 }} [[産経新聞]] [[2013年]]([[平成]]25年)[[6月29日]]&lt;/ref&gt;。<br /> *[[1980年]](昭和55年)に、[[ハワイ州]]、[[ホノルル]]で行われた、アロハウィークフェスティバルに舁き山笠行事が参加。[[1988年]](昭和63年)には、[[オーストラリア]]、[[ブリスベーン]]で開催された国際レジャー博覧会に、また、[[ニュージーランド]]、[[オークランド]]で開催されたジャパンウィークにも参加するなど、国際親善としても成功をおさめた&lt;ref&gt;博多山笠振興会『戦後50年・博多祇園山笠史』 [[1995年]](平成7年)、P196-214&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==脚注==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> &lt;references /&gt;<br /> <br /> ==関連項目==<br /> *[[山笠]]<br /> *[[手締め]] - 博多祇園山笠でも行われる、博多独自の手締めとして「博多手一本」がある。<br /> *[[裸祭り]]<br /> *[[逸見明正]]→[[長岡大雅]] - KBC[[アナウンサー]]。追い山馴し・追い山本番時に櫛田神社境内でのアナウンスを担当。<br /> *[[福岡県立福岡高等学校]] - 毎年、同校の校長が台上がりした千代流の山笠が入ってくる。<br /> *[[陸軍 (映画)]] - 1944年(昭和19年)の日本映画。中盤から福岡市街が舞台となり、昭和初期の舁き山笠及び飾り山笠が登場する。<br /> <br /> ==外部リンク==<br /> {{Commonscat|Hakata Gion Yamakasa}}<br /> *[http://www.hakatayamakasa.com/ 博多祇園山笠公式ホームページ]<br /> *[http://www.hakata-yamakasa.net/ 山笠ナビ(博多祇園山笠ポータルサイト)]<br /> *[http://www.yokanavi.com/yamakasa 博多祇園山笠(福岡市公式観光サイト「よかなび」)]<br /> *[http://daikokunagare.com/index.html 大黒流総合サイト]<br /> *[http://yamakasa-nakasu4.com/index.html 中洲流総合サイト]<br /> *[http://恵比須流.jp/index.html 恵比須流公式サイト]<br /> *{{国指定文化財等データベース|302|133|博多祇園山笠行事}}<br /> *[http://www.nhk.or.jp/vr/camera/yamakasa/ Cameraman&#039;s360°EYE 博多祇園山笠] NHK制作360°VR映像公開、ルミエール・ジャパン・アワード2017年度VR部門特別賞受賞<br /> *{{YouTube|y5FRmV1rwGg|博多の夏の風物詩「博多祇園山笠」のフィナーレ「追い山」}}(朝日新聞社提供、2018年7月15日公開)<br /> <br /> {{山・鉾・屋台行事}}<br /> {{DEFAULTSORT:はかたきおんやまかさ}}<br /> [[Category:福岡県の祭り]]<br /> [[Category:福岡市の文化]]<br /> [[Category:重要無形民俗文化財]]<br /> [[Category:祇園祭・天王祭]]<br /> [[Category:山・鉾・屋台行事]]<br /> [[Category:山笠]]<br /> [[Category:日本の音風景100選]]<br /> [[Category:7月]]</div> 61.210.51.93 コンパクトディスク 2018-07-31T03:47:12Z <p>61.210.51.93: /* 主な構造 */</p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2015年10月4日 (日) 03:56 (UTC)}}<br /> {{Redirect|CD}}<br /> {{ディスクメディア<br /> |名称=コンパクトディスク<br /> |略称=Compact Disc, CD<br /> |画像= [[ファイル:CD logo.png|200px]]<br /> |画像コメント=コンパクトディスク<br /> |種類=[[光ディスク]]<br /> |容量=12cmディスク&lt;br /&gt;640MiB・700MiB・800MiB&lt;br /&gt;[[8センチCD|8cmディスク]]&lt;br /&gt;155MB・185MB・210MB・300MB<br /> |フォーマット=<br /> |コーデック=<br /> |読み込み速度=1.2Mbps&lt;br /&gt;(1411.2kbps、1倍速)&lt;br /&gt;最高72倍速<br /> |書き込み速度=<br /> |回転速度=<br /> |読み取り方法=780nm 近赤外線レーザー<br /> |書き込み方法=<br /> |回転制御=<br /> |策定=[[フィリップス]]、[[ソニー]]<br /> |用途=音声、映像、データ(ゲームソフトを含む)<br /> |ディスク径=12cm、8cm<br /> |大きさ=120×120×1.2mm (12cmCD)&lt;br /&gt;80×80×1.2mm (8cmCD)<br /> |重さ=<br /> |上位=[[スーパーオーディオCD]] ([[SACD]])&lt;br /&gt;[[DVDオーディオ]]&lt;br /&gt;[[DVD]]<br /> &lt;!--|下位=[[アナログレコード]]&lt;br /&gt;[[コンパクトカセット]]--&gt;<br /> |関連=[[CD-DA]]&lt;br /&gt;[[CD-V]]&lt;br /&gt;[[CD-ROM]]&lt;br /&gt;[[CD-R]]&lt;br /&gt;[[CD-RW]]&lt;br /&gt;[[Video CD]]&lt;br /&gt;[[DDCD]]<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;コンパクトディスク&#039;&#039;&#039;({{en|Compact Disc}}、&#039;&#039;&#039;CD&#039;&#039;&#039;(シーディー))とは[[デジタル]]情報を記録するための[[メディア (媒体)|メディア]]である。[[光ディスク]]規格の一つで[[レコード]]に代わり[[音楽]]を記録するため、[[ソニー]]と[[フィリップス]]が共同開発した。現在では[[コンピュータ]]用の[[データ]]など、派生規格の普及により音楽以外のデジタル情報収録(画像や動画など)にも用いられる。音楽CDについては[[CD-DA]]も参照。<br /> [[File:光碟片的發展歷史.jpg|thumb|dvdsとtap]]<br /> <br /> == 概要 ==<br /> コンパクトディスクの外見は直径12cmまたは8cm、厚さ1.2mmの円盤状で[[プラスチック]]で作られている。プラスチックの材質は一般的なものは[[ポリカーボネート]]で、ほかに[[APO]]([[アモルファス|非晶質]][[ポリオレフィン]])や[[ガラス]]を使用したものもある。<br /> <br /> 読み取りには780nmの[[半導体レーザー|赤外線レーザー]]が用いられ、照射したレーザー光の反射を読み取る。レーザー光を反射させるためコンパクトディスクは、鏡のような役割を持ち、レーザー光を反射する厚さ約80nmの[[アルミニウム]]蒸着膜と厚さ約10μmの保護層、レーベルなどの印字膜の複数の層を重ねた構造になっている。<br /> <br /> ディスクには細かいくぼみが彫られており、このパターンによってデジタル情報を表現している。このくぼみ(読み取り面から見れば出っ張りになる)をピットといい、ピットのない部分をランドという。ランドの部分に当ったレーザー光は反射してそのまま戻ってくるが、ピットがある部分に当ったレーザー光はランドからの反射波と1/2波長の[[位相]]差をもつため[[干渉 (物理学)|干渉]]して打ち消しあい暗くなる。<br /> <br /> この明暗により[[デジタル信号]]を読み取り、これをアナログ信号に戻して音声として出力する。ピットの幅は0.5μmで長さは0.83μmから0.3μm単位で3.56μmまで9種類、ピットから次のピットまでの距離も同じ9種類である。またピットの列をトラックというが、このトラックは1.6μm間隔で、内側から外側に向かって渦巻状に並んでいる。<br /> <br /> CDの[[スペクトル|虹色]]のような光沢は、この規則正しく並んだトラックで[[回折]]した光が、[[干渉 (物理学)|干渉]]することによる[[構造色]]である。<br /> <br /> データをピット列として記録するには[[EFM]] ({{en|eight-to-fourteen modulation}}) という変調方式が用いられる。また[[誤り訂正]]は{{仮リンク|CIRC|en|Cross-interleaved Reed–Solomon coding}} ({{en|cross-interleaved reed-solomon code}}) による。短いバーストエラーからの誤り訂正を行う符号として「[[リード・ソロモン符号]]」を提案したのは、フィリップスのCD開発チーム責任者である。<br /> <br /> コンピュータのデータ保管等、1bitの誤りも許されない用途には追加の誤り検出、訂正が行われている。<br /> &lt;!--[[ファイル:CompactDiscDraw1.png|thumb|300px|説明図]]--&gt;<br /> <br /> 音楽用途の場合、規格上デジタルの[[PCM]]形式で最大79分58秒、99[[トラック (記録媒体)|トラック]]の[[音楽]]が記録でき、また1トラック中には99インデックス(位置決め標識)を設けることができる([[2000年]]頃までのプレーヤーは、インデックスサーチできるものが多数存在した)。<br /> <br /> 現在でも、インデックスが記録されているディスクは多数存在する(特にクラシック)がサーチが出来る[[CDプレーヤー]]が殆ど無くなってしまったので、インデックスが記録されたディスクを持っているユーザーは、不便を感じているようである。<br /> <br /> 記録層にアルミニウムのかわりに[[金]]を使用したものもあり、「[[GOLD CD|ゴールドディスク]]」と呼ばれる。<br /> <br /> 近年は、[[インターネット]]による[[音楽配信]]や[[ストリーミング]]配信が増えてきている事もあり、次世代オーディオメディアへの置き換えは進んでいない。[[Super Audio CD|SACD]]や[[DVDオーディオ]]が登場したが&lt;!-- See [[WP:DATED]] --&gt;、音楽供給媒体としては依然としてCDが主流である。<br /> <br /> == 主な構造 ==<br /> 上から印刷層、保護層、反射・記録層、樹脂層で記録層の部分は印刷面から10μm (0.01mm)、樹脂層から約1.2mmの所にある。そのため、印刷面からの衝撃に弱く鉛筆やボールペン等、フェルト以外の油性マーカーで記入を行うと記録層にダメージが加わり音飛びなどの症状が出ることもある。最悪の場合読み込めなくなる可能性も考えられる。印刷層側に深い傷が入ったり湿度の高い場所に放置すると、記録層をのぞき反射層までがはがれることがある。ちなみに[[DVD]]の記録層は印刷面からも樹脂層からも0.6mm、[[Blu-ray Disc]]では印刷面から1.1mm、樹脂層から0.1mmである。レーベルのデザインによるが、2012年現在では反射層と印刷層が穴の部分まで拡大されたものが主流となっている。<br /> <br /> === 形状 ===<br /> 一般に販売されているCDのほとんどは円形だが、商用音楽CDなど記録済みCDの一部には円形でないCDが存在する([[ドリームキャスト]]版『[[GUILTY GEAR X]]』特典CD等)。<br /> <br /> === タイトル曲・カップリング曲 ===<br /> {{Seealso|A面/B面}}<br /> <br /> [[レコード]]では表をA面・裏をB面と呼んでいたが、CDには1面しかないので[[ポピュラー音楽]]の[[シングル|CDシングル]]などの場合はレコードでのA面曲に相当するものを「タイトル曲」、B面曲に相当するものを「カップリング曲」などと呼び分けている。後者は「&amp;hellip; をカップリングしている」を意味する英語の「{{lang|en|coupling with &amp;hellip;}}」を短縮した「c/w」と表記されることもある。<br /> <br /> ただし、「タイトル(表題)曲」を2曲以上入れたCDシングルはCDであっても「&#039;&#039;&#039;両A面&#039;&#039;&#039;」「&#039;&#039;&#039;トリプルA面&#039;&#039;&#039;」「&#039;&#039;&#039;マルチA面&#039;&#039;&#039;」などという呼び方をすることが多い。<br /> <br /> == 容量 ==<br /> 1枚のコンパクトディスクは(ディスク全面を使った場合)、CD-ROM形式の場合、12cmディスクは約650-700MiB、[[8センチCD|8cmディスク]]は約155-300MBの容量を持つ (1MiB = 1024×1024 Byte)。CD-DA形式での収録時間は約74分–80分である。<br /> <br /> コンパクトディスクは650MiBでは約333,000セクタ、700MiBでは約360,000セクタからなる。&lt;!--媒体のメーカーにより多少増減があります--&gt;1セクタは2,352バイトで、1セクタあたりのデータ容量はCD-ROMで2,048バイト、CD-DAで2,352バイトである。CD-ROMはCD-DAより厳密なエラー訂正が必要となるため、2,352バイトのうち304バイトをヘッダやエラー訂正などに割り当てていることからCD-DAより容量が少なくなる。一部では800MiBを超える容量のものもあるが、一部の機器では読み取れない場合がある。<br /> <br /> なお、この650MiBという容量は以下の計算式によって求められる。CD-DA形式では音楽データを[[サンプリング周波数]]44.1kHz、[[量子化ビット数|ビット深度]]16bit、チャンネル数2.0ch[[ステレオ]]で記録している(1秒分の音楽データを44,100回に分割し、1回あたり16bitを費やして記録している)。このため、1秒分のデータ量は16×44,100×2÷8=176,400バイトである。これが74分だと176,400×60×74=783,216,000バイトとなり、これは約747MiBとなる。全領域に音楽データだけを記録するならこれだけの記録が可能だが、CD-ROMの場合はエラー訂正用データ等が入るため、使用できる容量は783,216,000÷2352×2048=681,984,000バイトとなり、これが約650MiBとなる。<br /> <br /> === 最大収録時間 ===<br /> 記録トラックの幅を狭めれば容量は増やせるが、古い音楽CDプレーヤーにはまれに74分記録されたCD-Rは再生できても80分以上のものは再生できないという互換性の問題が存在する。[[2003年]]に策定された[[ガイドライン]]High Capacity Recordable Disc 1.0に対応していないCDプレーヤーでは長時間CDは再生できない。<br /> <br /> CD初期の最大収録時間(74分42秒)が決まったいきさつについて、開発元のソニーによれば以下の通りである。開発の過程で[[コンパクトカセット|カセットテープ]]の対角線と同じで[[ドイツ工業規格|DIN]]に適合する11.5cm(約60分)を主張するフィリップスに対し、当時ソニー副社長で声楽家出身の[[大賀典雄]]が「[[オペラ]]一幕分、あるいは[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)|第九]]が収まる収録時間」(12cm、74分)を主張して調査した結果[[クラシック音楽]]の95%が75分あれば1枚に収められることからそれを押し通した&lt;ref&gt;[http://www.sony.co.jp/SonyInfo/CorporateInfo/History/SonyHistory/2-08.html ソニー社史]より&lt;/ref&gt;。その大きな要因となったのが、指揮者の[[ヘルベルト・フォン・カラヤン|カラヤン]]であった。<br /> <br /> 開発当時、大賀典雄は、親交のあったカラヤンに、11.5cm(60分)と12cm(74分)との二つの規格で二者択一の段階に来ていることを話すと、カラヤンは「ベートーヴェンの交響曲第9番が1枚に収まったほうがいい」と提言した。指揮者によって変わるが、カラヤンの「第九」は約63分–69分であり、ほとんどのヒストリカル指揮者による演奏時間は60分を超えていた。結果的に74分(最大80分も可能)という収録時間は、[[1951年]]にライヴ録音された[[ヴィルヘルム・フルトヴェングラー|フルトヴェングラー]]指揮のいわゆる「バイロイトの第九」(演奏時間およそ74分32秒)や、それに匹敵する長さである[[カール・ベーム]]や[[レナード・バーンスタイン]]の演奏も、コンパクトディスク1枚に収めることが可能になった。<br /> <br /> この話は、大賀がフィリップスを説得するためにカラヤンの名を引き合いに出したという見方があるが、カラヤンが音楽媒体のディジタル化を望んでいたことは事実である。最大収録時間の長大化に当初ソニーとフィリップス社が難色を示した&lt;ref&gt;これは事実である。マーラーやブルックナーのような長大な交響曲はCD-Rの上限を上げれば一曲はすべて一枚で収録できてしまう。ところがCD-Rの原価が安いことに気が付いた両社はマーラーの交響曲第3番のような作品を2CDにすることで利益を上げることを考え、ディジタルメディアならではの性能は考慮に入らなかった。&lt;/ref&gt;結果、近年のCD-BOXは100枚組や200枚組のように横長にかさばりながら販売を続けている。<br /> <br /> また、8cmCD ([[シングル|CD SINGLE]]) の最大収録時間は約22分程度である。これは、[[CDビデオ]]のオーディオパートとビデオパートを分けてそれぞれ開発した際に由来している。8cmというサイズはケースに収納したとき[[レコード]]の[[シングル盤]]ケースのちょうど半分のサイズとなるため、小売店でレコード用の棚を使いまわせるだろうと考えたためである。<br /> <br /> 現在の収録時間最長の音楽CDは、[[マーキュリー]]・レーベルに[[ザンクト・フローリアン・アルトモンテ管弦楽団]]/[[レミ・バロー]](指揮)が録音した[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]:交響曲第3番(GRML99044)の89分03秒である。Eight-to-fourteen modulationが定めた&lt;ref&gt;Tim Buthe and Walter Mattli, The New Global Rulers: The Privatization of Regulation in the World Economy, Princeton University Press, Feb. 2011.&lt;/ref&gt;規格上は97分26秒まで可能であるが、Yamahaほかのメーカーのドライブはすでに99分59秒まで対応し、100分収録を謳うCD-R商品もすでに発売されている。&lt;ref&gt;[https://archive.is/ty83d 外部リンク] webcache.googleusercontent.comからのアーカイブ、21 Feb 2017 05:35:09 UTC閲覧。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[https://archive.is/t0lVc 外部リンク] webcache.googleusercontent.comからのアーカイブ、21 Feb 2017 05:37:08 UTC閲覧。&lt;/ref&gt;[[2017年]]現在までに990MBのCD-Rまで開発されたので、理論上は990MBをすべて使い切った114分26秒がコンパクトディスクの最大収容量になる。一時期にはソフトウェアにオーバーバーンモードまで設けて、990MBまで対応することを謳ったCD-Rドライブもあった。<br /> <br /> === 転送速度 ===<br /> 音楽CD(CD-DA形式)の再生時のデータの転送速度は等倍速で1倍速 (約176kB/s、ほかに3%程度時間情報などのサブコードがある) を基準として最大記録時間は640MiBのディスクで約72分(実際の上限は73分54秒ほど)、650MiBのディスクで約74分(実際の上限は75分6秒ほど)、700MiBのディスクで約80分(実際の上限は82分ほど)、最新の800MiBのディスクで約90分(実際の上限は93分ほど)、非公式の900MiBのディスクで約100分(実際の上限は104分1秒ほど)、非公式の990MiBのディスクで約110分(実際の上限は114分26秒ほど)となる。この音楽CDの1倍速を基準として、ディスクのデータ転送速度を表すのに「○倍速」という言い方をする。<br /> <br /> == マルチメディア媒体 ==<br /> 当初から音声・映像記録媒体として開発された。物理フォーマットは先に決まっており、音声記録ディスクの論理仕様が先行して策定された。少し遅れて[[映像信号|ビデオ]]記録用として[[CDビデオ]]が策定されたが、普及しなかった。後にデータ記録用として[[CD-ROM]]、[[映像信号|ビデオ]]記録用として[[ビデオCD]]などの論理仕様が策定された。これらと対比して音声記録ディスクを[[CD-DA]]という。<br /> <br /> さらに記録にピットを用いずに、レーザーによる媒体の物理的変化を利用して同等なデジタルデータの書き込みを行う方式が開発された。[[CD-R]]はエンドユーザがデータの追加記録ができる。また、記録してしまった領域を取り戻し、空き領域として記憶領域を再利用することができないCD-Rに対して、[[CD-RW]]はデータの消去を可能にし、書き換えができる。<br /> <br /> CDの技術を踏まえて音質の向上、あるいは[[著作権]]管理機能の強化を目指したディスク媒体の開発が引き続き行われている。[[オーディオ]]分野で実用化されたものとしては[[スーパーオーディオCD]] (SACD)、[[DVD#DVDオーディオ|DVDオーディオ]]などが開発されたがどれもCD-DAを代替するまでの普及には至っていない。<br /> <br /> == 寿命 ==<br /> CDの寿命としては、蒸着した反射膜の寿命、基板となる[[ポリカーボネート]]の寿命、そしてCD-Rの場合には色素の寿命の観点がある。全般として直射日光や高温・多湿を嫌う。<br /> <br /> === 反射膜 ===<br /> 現在、[[スパッタリング]]法によって[[アルミニウム]]の反射膜を形成する方法が主流となっているが、[[アルミニウム]]を用いるCDは環境にもよるが、20–30年が限度と見積られており、現在長期的な保存を可能とした製品の開発が急務となっている。その一方で、メーカー側などでは80年前後保存が可能とする主張もある&lt;ref&gt;[http://www.kobe-np.co.jp/rensai/cul/026.html 気になるCDの寿命] - [[神戸新聞社]]&lt;/ref&gt;。なお反射膜に[[金]]を用いた場合、100年前後保存が可能と見積られているが、コストの問題など解決しなければならない課題がある。安価なものは印刷・反射層が端からはがれてきたり、水分が反射膜に浸透してアルミニウムが錆びてしまい反射の機能を失うなど、短寿命のものが多い。<br /> <br /> === 色素 ===<br /> CD-Rでは記録面に真夏の昼間の日差しを当て続けると色素が変化し読み込めなくなったり、質の悪い媒体の場合には蛍光灯に含まれる紫外線で変化するものもある。また高温・多湿の環境に置くと、ごく短時間でも印刷・反射層が端からはがれてくる事がある。<br /> <br /> === 基板 ===<br /> ディスクに用いられる[[ポリカーボネート]]は湿気にあうと加水分解する欠点があり、徐々に白濁していく。これにより情報を読み取るレーザーが通らなくなり、情報を読めなくなる。ディスクの寿命としては前述の反射膜や色素の寿命がよく取りざたされるが、環境によってはポリカーボネートの透明度で寿命が定まる場合もある。<br /> <br /> なお、この欠点を積極的に活かし開封後数週間程度で白濁するように製造された媒体もある。これにより、音楽や映像のソフトウェアを再生できる日数を制限する。<br /> <br /> 温度や湿度変化の影響が比較的少ない[[ガラスCD|ガラス製のCD]]が開発・発売され、保存性の改善が期待されている。[[2008年]]には液晶パネル用の[[ポリカーボネート]]を使用した[[スーパー・ハイ・マテリアルCD]] (SHM-CD) と[[ハイ・クオリティCD]] (HQCD) が開発・発売。さらにブルーレイディスクの技術を応用した[[ブルースペックCD]]も開発・発売されている。<br /> <br /> == 規格 ==<br /> コンパクトディスクの仕様・規格は対象とする範囲や目的によって複数の規格に分かれており、各規格基準書の表紙の色によってそれぞれが呼び分けられている&lt;ref&gt;[http://www.cds21solutions.org/osj/j/record/malti.html CDファミリーの系譜] - [http://www.cds21solutions.org/ CDs21ソリューションズ] [http://www.cds21solutions.org/osj/ オレンジフォーラム]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> (以下、「規格名 / 対象範囲」)<br /> <br /> * レッドブック / 物理仕様、[[CD-DA]]、CD-G、CD-EG、[[CDビデオ|CDV]]、[[HDCD]]、[[CD-MIDI]]、[[CD-TEXT]]、[[シングル|CD SINGLE]] - 音楽用CD<br /> * イエローブック / [[CD-ROM]] - 主にコンピュータ・データ用のCD<br /> ** グリーンブック / [[CD-i]] - 家庭用マルチメディア媒体<br /> ** イエローブックMode2 / [[CD-ROM XA]] - CD-ROMを、マルチメディアデータにより特化したCD<br /> *** ブルーブック / [[CD EXTRA]] - CD-DA(音楽)とデータを共存させているマルチセッションCD<br /> *** ホワイトブック / [[ビデオCD]] - CD-ROMに動画や音声などを記録<br /> * ベージュブック / [[フォトCD]] - [[コダック]]独自の符号化方式でデジタル化された画像のCD<br /> * オレンジブック / CD-WO、CD-MO、[[CD-R]]、[[CD-RW]] - 記録型CD<br /> * パープルブック / [[DDCD|倍密度CD]](DDCD) - 一般的なCDの2倍に当たる1.3GBの容量を持つCD<br /> * スカーレットブック / [[スーパーオーディオCD]] (SACD) - オーディオデータをCD以上の高音質で記録した次世代CD規格の一つ<br /> <br /> === 関連規格 ===<br /> ; [[コピーコントロールCD]] (CCCD)<br /> : 特定の規格の名ではなく、同様の特徴を持つディスクの総称である。無保証ながらも通常のCDプレイヤーで再生できることが多いため、流通などではしばしばCDとして扱われた。<br /> ; [[DVD-Audio]]<br /> : 互換性はなく、DVDオーディオの再生にはDVDオーディオ対応のプレーヤーが必要である。<br /> ; [[DualDisc]]<br /> : 片面に音楽CD、もう片面にDVDを貼り合わせた両面の再生専用ディスク。2004年に[[アメリカ合衆国|米国]]の大手レコード会社が発売した(DVDフォーラムが定めた規格ではない)。CD面は正式な音楽CD規格([[レッドブック]])に準拠していないためCDロゴは付いておらず、メーカーは「音楽専用面」「非DVD面」など遠回しな呼び方をしている。機器によっては正常に再生できなかったり故障の原因となる可能性がある。({{仮リンク|DualDisc|en|DualDisc}})<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> === 名称と寸法のルーツ ===<br /> この記録メディアに「コンパクト」という言葉が使用された理由は、[[フィリップス]]社の意向によるところが大きい。<br /> <br /> 開発段階でフィリップス社が提示した試作品は、[[コンパクトカセット]]の対角線と同じ直径11.5cmで、名称の一貫性が図られていた。ただしその後ソニー側の提案で収録時間を延長したため、実際には直径12cmとなった。<br /> <br /> また、[[レーザーディスク]]の総本山がフィリップス社であり、そのディスクサイズが30cmだったことにも由来する。これはLPの大きさを参考に設計されたためである。<br /> <br /> その後の[[技術革新]]で各種記録メディアの小型化・高密度化なども進んだ。しかし、[[スーパーオーディオCD]]、[[DVD]]、[[DVDオーディオ]]、[[第3世代光ディスク]] ([[Blu-ray Disc]]、[[HD DVD]]) などの光ディスクはいずれも直径12cmであり、円盤の大きさはほぼ規格化された。<br /> <br /> === 年表 ===<br /> [[ファイル:CDP101a.jpg|thumb|200px|ソニーのCDプレーヤー1号機]]<br /> <br /> * [[1965年]]、アメリカの発明家ジェームス・ラッセルが音楽用光学メディア・テクノロジーを発明。<br /> * [[1970年代]]前半、[[フィリップス]]と[[ミュージック・コーポレーション・オブ・アメリカ|MCA]]が[[レーザーディスク]]を開発。<br /> * [[1975年]]、[[ソニー]]が光ディスクの開発を開始。<br /> * [[1977年]]、フィリップスがCDの開発を開始。[[ソニー]]がオーディオフェアでの光デジタルオーディオディスクを実証。<br /> * [[1979年]]、フィリップスがCDプロトタイプを示し、ソニーと共同開発を開始。<br /> * [[1981年]]、ドイツでテストCDが製造。<br /> * [[1982年]]<br /> **[[8月17日]] 当時の西ドイツのハノーファー(ハノーバー)のランゲンハーゲンにある[[ポリグラム]]の工場で、世界で初めてCDソフトの生産が開始。(追って、当時のCBSソニー、日本コロンビアが続く。)&lt;ref name=CDsoft&gt;*[http://audiof.zouri.jp/y-cd-07.htm ポリグラム 最初のCD(初期・西独盤)(B級オーディオ・ファンのサイト内)]&lt;/ref&gt;<br /> **[[10月1日]] 日本でソニー、日立(Lo-Dブランド)、日本コロムビア(DENONブランド、日立のOEMで発売)から、世界初のCDプレーヤーが発売。同日、CBSソニー、EPICソニー、日本コロムビアから、世界初のCDソフトが発売された。<br /> ***プレーヤーは、ソニーの第1号機はCDP-101で168,000円、日立の第1号機はDAD-1000で189,000円、日本コロムビアも第1号機は日立製と同じ値段だった。<br /> ***ソフトの初回発売は、CBSソニー、EPICソニーが合わせて約50タイトル、日本コロムビアが10タイトルだった。このうち最初に生産が行われたのは[[ビリー・ジョエル]]の『[[ニューヨーク52番街]]』(CBSソニー/35DP-1)&lt;ref&gt;[http://web.archive.org/web/20070305193627/http://www.sony.net/Fun/SH/1-20/h5.html Sony Global -Sony History-] - アーカイブ&lt;/ref&gt;。同時に[[レコード店]]で取扱いが始まり、当初は「レコードよりも音質がよく、ノイズがないニューメディア」として扱われた。レコードと同じ商品のCD版として売られ、価格もレコードよりも約2割ほど高かった。当初、ソフトの値段は各社共にデジタル録音の音源による物が1枚3,800円、アナログ録音の音源による物が1枚3,500円だった。楽曲説明を載せた印刷物は現在の様に[[中綴じ]]製本されたものではなく、LPと同じ[[ライナーノーツ]]を4つに折ってCDケースに入れる例が多かった。<br /> **[[10月15日]] 欧州で初めて、フィリップス製のCDプレーヤー及びポリグラム製のCDソフトが発売された。両者共に日本でも輸入販売され、前者はマランツブランドにて、後者はポリドールと日本フォノグラムから、欧州と5日遅れで、同時に発売された。&lt;ref name=CDsoft&gt;&lt;/ref&gt;<br /> * [[1983年]]、[[アメリカ合衆国|米国]]およびその他の市場でもハード、ソフト共に販売が開始された。<br /> * [[1984年]]、ソニーから5万円を切るポータブルCDプレーヤー、D-50(49,800円)が発売され、普及に拍車がかかった。ちなみに原価率は200%で、1台売るごとに5万円の赤字が出た。<br /> * [[1985年]]、当時の西独のポリグラム社によって&#039;&#039;&#039;AAD&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;ADD&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;DAD&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;DDD&#039;&#039;&#039;といった表記が印刷されるようになり、この表記はその後他社も使用する様になる(レコード会社によっては {{lang|en|&#039;&#039;&#039;Digital Recording&#039;&#039;&#039;}}、{{lang|en|&#039;&#039;&#039;Digital Mastering&#039;&#039;&#039;}} など異なった表記がされているものがある)。最初の文字は「[[レコーディング]]方式がアナログかデジタルか」、2番目の文字は「[[ミキシング|ミックスダウン]]ならびに編集の方式がアナログかデジタルか」、3番目の文字は、「[[マスタリング]]方式がアナログかデジタルか」を表す。アナログ[[レコード]]でもこの表示が為されていた商品があり、CDは商品がデジタルメディアであるため3番目の文字は常に「D」である。この表示は日本ではすぐに廃れるか他の表記に変更されたが、輸入盤CDや[[クラシック音楽|クラシック]]や[[ジャズ]]などの作品には未だにこのマークが印刷されているものがある。<br /> ** 「DDD」と表示されたCDとは、デジタル・レコーダーの実用化以降に、デジタル方式でマルチ録音されたソースを元に、デジタル・レコーダーでミキシング、あるいは2chデジタルレコーダーで直接録音するというフルデジタル工程で製作されたものを、デジタル・マスタリングしたという意味である。<br /> ** 「ADD」と表示されたCDとは、デジタル・レコーダーが実用化される以前に、あるいは実用化後であっても、製作者の意図で敢えてアナログ方式でマルチ録音されたソースを元に、デジタル・レコーダーでミキシング、あるいは2chデジタルレコーダーで直接録音したものを、デジタル・マスタリングしたという意味である。<br /> ** 「AAD」と表示されたCDとは、デジタル・レコーダーが実用化される以前に、あるいは実用化後であっても、製作者の意図で敢えてアナログ方式でマルチ録音されたソースを元に、アナログ・レコーダーでミキシング、あるいは2chアナログレコーダーで直接録音するというフルアナログ工程で製作したものを、デジタル・マスタリングしたという意味である。<br /> ** 「DAD」と表示されたCDとは、デジタル・レコーダーの実用化以降にデジタル方式でマルチ録音されたソースを元に、アナログ・レコーダーでミキシングしたものを、デジタル・マスタリングしたという意味になる。<br /> *** これは、初期のデジタル録音がアナログ・テープのような編集が難しかったことや、デジタル信号を直接処理できるミキシングコンソールが普及する以前には、デジタルマルチ録音されたソースであっても、ミキシング時にはマルチトラック信号をアナログ変換→ミキシング→デジタル変換→2chレコーダーにデジタル録音という信号変換処理を要したことから、敢えて[[ドルビーノイズリダクションシステム|ドルビーSR]]などの高性能なノイズリダクションと組み合わせる形でアナログ・レコーダーを使用してミキシングや編集を行う事例があったことによる。<br /> **** 邦楽ポップスでは、[[浅香唯]]が[[マイカルハミングバード]]在籍時代の後期に発表したアルバム(現在[[廃盤]])の一部に、「DAD」で制作された例があり、ライナーノーツの最後にドルビーSRを併用してミックスダウンに使用した旨が記述されていた。<br /> **** [[Extended Resolution Compact Disc|XRCD]]では、オリジナルが16ビットデジタル録音の場合、一度24ビットD/Aコンバーターでアナログ信号に変換し、専用マスタリングコンソールから直接そのアナログ信号を出力し、24ビットD/Aコンバーターでデジタル信号に再変換して、CDマスター用の光磁気ディスクに収録するという、敢えてアナログ処理を介在させる手法が取られている。<br /> * [[1986年]]、販売枚数ベースでCDが[[レコード|LP]]を追い抜いた。これは、レコード会社が親会社であるオーディオメーカーに配慮してレコード生産を縮小したことも影響している。<br /> * [[1987年]] 日本のウルテック社が開発した、反射膜に24Kの純金を使用した「[[GOLD CD]](24K純金CD)」が、{{lang|en|Mobile Fidelity Sound Lab}}、日本コロムビア等から発売された。他社もそれに追随するが、[[1995年]]に、[[日本ビクター]]が発表した高音質仕様CDである[[Extended Resolution Compact Disc|XRCD]]が登場してからは、余り発売されなくなった。<br /> * その後、1988年から次々とCDの定価を下げ規格番号に定価を思わせる数字を表記しなくなり、[[1990年代]]前半にかけて、LPは一般的には生産されなくなっていく。しかしそれに反し、CD発売当初から、それを始め当時のデジタル録音の音質に疑問を持ち続けていた[[キングレコード]]が、[[1986年]]末に、高品質重量盤仕様のアナログLPレコード「ザ・スーパー・アナログ・ディスク」を発表、発売。CDより音質が良いと大反響を受け、シリーズ化し始めたのが功を奏し、90年代中期頃からは、欧米で、ステレオ初期の米RCAビクターや英デッカを始めとするオリジナルの高音質復刻盤が続々と発売され始め続けたこと等が実を結び、アナログ・オーディオが再燃した影響を受け、2010年以降、欧米だけでなく、国内でも相次いで、アナログ盤が再生産されるケースが増えてきている。<br /> * [[2006年]]、[[ガラス]]基板の[[ガラスCD|CD]]が発売された。通常のディスクと較べると、理論的に音質の劣化が起きにくいとされている{{要出典|date=2010年8月}}。一方でコスト面やプレイヤーとの互換性に関して欠点もあげられている。<br /> * [[2008年]]、CDの保護層に液晶パネル用のポリカーボネートを採用したSHM-CD([[スーパー・ハイ・マテリアルCD]])が登場。それが一定の評価を得たことを受け、追随する形で[[ハイ・クオリティCD]]と[[ブルースペックCD]]が同年に販売された。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{Commonscat|Compact discs}}<br /> * [[CDプレーヤー]]<br /> * [[CDDB]]<br /> * [[SDリピーター]]<br /> &lt;!--* [[ディスクカメラ]](1982年に発表)--&gt;<br /> <br /> ==参考文献==<br /> * [[Ecma International]]. [http://www.ecma-international.org/publications/standards/Ecma-130.htm &#039;&#039;Standard ECMA-130: Data Interchange on Read-only 120&amp;nbsp;mm Optical Data Disks (CD-ROM)&#039;&#039;], 2nd edition (June 1996).<br /> * Pohlmann, Kenneth C. (1992). [https://books.google.com/books?id=GkIaGZ0HWcMC &#039;&#039;The Compact Disc Handbook&#039;&#039;]. Middleton, Wisconsin: A-R Editions. ISBN 0-89579-300-8.<br /> * Peek, Hans et al. (2009) [http://www.springer.com/engineering/electronics/book/978-1-4020-9552-8 &#039;&#039;Origins and Successors of the Compact Disc&#039;&#039;]. Springer Science+Business Media B.V. ISBN 978-1-4020-9552-8.<br /> * Peek, Hans B., &#039;&#039;The emergence of the compact disc&#039;&#039;, IEEE Communications Magazine, Jan. 2010, pp.&amp;nbsp;10–17.<br /> * [[Heitaro Nakajima|Nakajima, Heitaro]]; Ogawa, Hiroshi (1992) [https://books.google.com/books?id=9G9Nu9n0DJQC&#039;&#039;Compact Disc Technology&#039;&#039;], Tokyo, Ohmsha Ltd. ISBN 4-274-03347-3.<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.sony.co.jp/SonyInfo/CorporateInfo/History/SonyHistory/2-08.html Sony History 第2部第8章「レコードに代わるものはこれだ」]<br /> * [http://www.research.philips.com/technologies/projects/cd/index.html Philips Research The history of the CD - The beginning]<br /> * [http://www.asahi-net.or.jp/~ax2s-kmtn/cd_dvd.html CDとDVD - CyberLibrarian]<br /> {{音楽}}<br /> {{CD規格}}<br /> {{光ディスク}}<br /> {{Audio formats}}<br /> {{Normdaten}}<br /> {{デフォルトソート:こんはくとていすく}}<br /> [[Category:コンパクトディスク|*]]<br /> [[Category:オーディオストレージ]]<br /> [[Category:ビデオストレージ]]<br /> [[Category:日本の発明]]</div> 61.210.51.93 テーブルトークRPG 2018-04-29T07:54:58Z <p>61.210.51.93: /* ブームの終焉・冬の時代突入とその後 */</p> <hr /> <div>{{Redirect|TRPG|タクティカルRPG|シミュレーションロールプレイングゲーム}}<br /> {{RPG}}<br /> &#039;&#039;&#039;テーブルトークRPG&#039;&#039;&#039;、あるいは&#039;&#039;&#039;テーブルトーク・ロールプレイングゲーム&#039;&#039;&#039;(テーブルトーク role-playing game、略称はTRPG)とは、[[テーブルゲーム]]の[[ジャンル]]のひとつ。[[ゲーム機]]などの[[コンピュータ]]を使わずに、[[紙]]や[[鉛筆]]、[[サイコロ]]などの道具を用いて、人間同士の会話とルールブックに記載されたルールに従って遊ぶ“対話型”の[[ロールプレイングゲーム]](RPG)を指す言葉である&lt;ref name=&quot;:0&quot;&gt;菊池たけし/F.E.A.R『アリアンロッドRPG 2E ルールブック①』[[富士見書房]]、2011年、14-15頁 ISBN 978-4-8291-4631-6&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 元々は[[ミニチュアゲーム]]から派生したもので、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で考案された、[[テーブルゲーム|テーブルトップゲーム]]である。<br /> [[ファイル:RPG-2009-Berlin-2.jpg|right|thumb|『[[ダークアイ]]』([[:en:The Dark Eye|The Dark Eye]], [[:de:Das Schwarze Auge|Das Schwarze Auge]])をプレイ中の様子]]<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;TRPG&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;TTRPG&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;tRPG&#039;&#039;&#039;などと略記されることがある。また、&#039;&#039;&#039;会話型RPG&#039;&#039;&#039;とも呼ばれる。なお、&#039;&#039;&#039;TRPG&#039;&#039;&#039;と&#039;&#039;&#039;会話型ロールプレイングゲーム&#039;&#039;&#039;は[[ホビージャパン]]の[[登録商標]]である。<br /> <br /> == テーブルトークの意味 ==<br /> 「&#039;&#039;&#039;テーブルトークRPG&#039;&#039;&#039;」は[[日本]]での造語([[和製英語]])であり&lt;ref&gt;{{Cite book |和書 |author = [[多摩豊]] |title = 次世代RPGはこーなる! |date = 1995-08 |pages = 200 |chapter = 注釈 |publisher = [[電撃ゲーム文庫]] |isbn = 4-07-303456-1 }}&lt;/ref&gt;、日本と韓国以外では通用しない。[[1974年]]に世界初のロールプレイングゲームである『[[ダンジョンズ&amp;ドラゴンズ]]』(以下、『D&amp;D』)が発売され&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;「実を言えばD&amp;Dこそ世界最初のロールプレイング・ゲームにして、このジャンルのゲームを生み出した元祖なのだ。」 {{Cite book|和書 |author=[[ロブ・ハインソー]]、[[アンディ・コリンズ]]、[[ジェームズ・ワイアット]]|title=ダンジョンズ&amp;ドラゴンズ 基本ルールブック 第4版プレイヤーズ・ハンドブック|date=2008-12|publisher=[[ホビージャパン]]|isbn=978-4-89425-779-5|pages=6|chapter=ロールプレイング・ゲームとは}}&lt;/ref&gt;、[[1981年]]には世界最初の[[コンピュータRPG]]である『[[ウィザードリィ]]』が[[Apple II]]向けに発売された。しかし、日本では『D&amp;D』よりも先に『ウィザードリィ』をはじめ、『[[ハイドライド]]』『[[ザ・ブラックオニキス]]』『[[夢幻の心臓]]』『[[ドラゴンスレイヤー]]』などの国産コンピュータRPGが人気となったこと、そして[[1986年]]に[[エニックス]](現在の[[スクウェア・エニックス]])から[[ファミリーコンピュータ]]向けに発売された『[[ドラゴンクエスト]]』が大ヒットした&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;ただし、アメリカでは1980年に「[[ドラゴンクエスト_(テーブルトークRPG)|DragonQuest]]」という(紙の)RPGが発売されており、日本のドラゴンクエストと商標権問題になった。詳細は該当記事を参照。&lt;/ref&gt;という経緯から、日本ではRPGと言えば[[コンピュータRPG]]を指すのが一般的であるため、 &#039;&#039;元来の&#039;&#039;RPGをコンピュータRPGと区別する呼称としてこの言葉が普及した。[[英語圏]]では、特にコンピュータRPGと区別するため、&#039;&#039;&#039;テーブルトップRPG&#039;&#039;&#039;(tabletop RPG)と呼称する場合がある&lt;ref name=&quot;whatisnarrative&quot;&gt;{{cite web|url=http://www.darkshire.net/~jhkim/rpg/whatis/tabletop.html|title=&quot;Narrative&quot; or &quot;Tabletop&quot; RPGs|accessdate=2017年9月19日|publisher=|last=Kim|first=John}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 日本では、[[テーブルゲーム]]としての[[ウォー・シミュレーションゲーム]]やRPGがアメリカなどに比べるとそれほど一般化せず、それに対して、元々は派生的な存在である「コンピュータを使ったシミュレーションゲームやRPG」が急速な普及を見せた。このような状況を背景に、日本では1980年代半ば以降、「RPG」は[[コンピュータRPG]]を指す言葉として普及した。本来の意味での「RPG」を愛好する人々は少数派であり、彼らの「RPG」を指し示す新しい用語が必要になったため、「テーブルトークRPG」という言葉が登場した。{{要出典|date=2017年9月}}<br /> <br /> [[1987年]]に[[ゲームブック]]雑誌『[[ウォーロック]]』10号の記事において、[[近藤功司]]が「テーブル・トークのRPG」という表現をした後に「僕の造語ですから初めて聞く言葉でしょうが」と述べている{{Sfn|近藤|1987|p=31}}。この語は『ウォーロック』誌上でたびたび近藤功司によって使用され、そのうちに安田均も積極的に使うようになった。安田均は多くのTRPG関連雑誌で執筆していたため、この語は[[ゲーマー]]たちの間で広く知られるようになった。しかもこの時期は日本で一気にTRPG人口が増加していた時であったので、初めから「RPG」ではなく「テーブルトークRPG」と呼ぶ人々が大きな割合を占めるに至った。{{要出典|date=2017年9月}}<br /> <br /> == ロールプレイングの意味 ==<br /> &#039;&#039;&#039;ロールプレイング&#039;&#039;&#039;(role-playing)とは、想像上のある役柄を演じることである&lt;ref name=&quot;:1&quot;&gt;[[ゲイリー・ガイギャックス]]『ロールプレイング・ゲームの達人』[[教養文庫]]、1989年、18頁 ISBN 4-390-11312-7&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ロールプレイング(roleplaying)を英和辞典で引くと、役割演技と翻訳される&lt;ref&gt;『新英和中辞典』研究社&lt;/ref&gt;。また、ロールプレイング(roleplaying)を英語で説明すると、その意味は「&#039;&#039;&#039;pretending to be someone else(他の誰かのふりをする)&#039;&#039;&#039;」となる&lt;ref&gt;『ケンブリッジ英英辞典』ケンブリッジユニバーシティプレス&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ゲームデザイナーの[[ゲイリー・ガイギャックス]]は、「ロールプレイとは、想像上のある役柄を演じること」「自分が現在(または未来永劫)決してなることができない何者かを演じること」であるとしている&lt;ref name=&quot;:1&quot; /&gt;。つまり、役割とはキャラクターという役柄のことであり、社会的な役目のことではない(「医者のふりをする」ことと、「医者の役割を果たす」ことには、大きな違いがある)。ゲームデザイナーの[[小太刀右京]]は、「roleplay。演技の意。しばしばrole-play(役割を演じる)と解釈するものがいるが、誤訳である」としている&lt;ref&gt;[[小太刀右京]]『[[トワイライトガンスモーク]]』[[エンターブレイン]]、2014年、20頁 ISBN 978-4-04-729263-5&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> かつて、このロールプレイの意味を「役割を果たす」と解釈して、仮想の人格を演じることは抑制的であるべきで、[[キャラクタークラス]]などの任務分担を果たすのみで足りるとする主張がネット上にあらわれたことがある。しかし、これは単なる誤訳、ないしデマにすぎないものであった&lt;ref&gt;[[小太刀右京]]『なぜなに未来侵略 テーブルトークRPG編』[[新紀元社]]、2016年、20頁 ISBN 978-4-7753-1412-8&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> テーブルトークRPGでは、プレイヤーは、単なる無名の「戦士」や「魔法使い」ではなく、名前や仮想の人格などが付与された[[プレイヤーキャラクター]]を担当する。ゲームによっては、「[[ライフパス]]」(出自や人生の遍歴を示す要素)や「性格」「属性」(あるいはシステムによっては「癖」や「趣味」といったところまで)といったルールにより、仮想の人格にシステム的な裏付けを与える工夫がなされる&lt;ref&gt;スティーブ・ジャクソン『ガープス・ベーシック 完訳版』[[富士見書房]]、1999年、15-16頁 ISBN 4-8291-7409-9&lt;/ref&gt;。同じ「戦士」であっても、豪胆な人物、細心な人物、明朗快活な人物、謎めいた影のある人物といった千差万別な個性を表現することにより、キャラクターは差別化され、一層生き生きとし、仮想世界での冒険の楽しみを増加させるのである&lt;ref&gt;佐脇洋平、グループSNE『ガープスがよくわかる本』[[角川スニーカー・G文庫]]、1994年、63-64頁 ISBN 4-04-461403-2&lt;/ref&gt;。またプレイヤーが温厚で慎重な性格であるのにも拘らず、向こう見ずな戦士を演じたり、狡猾な魔術師を演じたりすることは、それがキャラクターに合致している限り、「上手なロールプレイ」であると見なされる&lt;ref&gt;スティーブ・ジャクソン『ガープス・ベーシック 完訳版』[[富士見書房]]、1999年、232-233頁 ISBN 4-8291-7409-9&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 特徴 ==<br /> [[ファイル:Dungeons and Dragons game.jpg|left|thumb|『[[ダンジョンズ&amp;ドラゴンズ]]』をプレイ中の様子]]<br /> === ゲームの進め方 ===<br /> まずゲームの参加者(英語で[[プレイヤー]]と呼ばれる)それぞれが自分の操るキャラクターを用意する(通常は一人ずつ)&lt;ref name=&quot;:0&quot; /&gt;。これを[[プレイヤーキャラクター|プレイヤー・キャラクター]](PC)という。一般にPCは「能力値」などの数値化されたデータによって表現され、これにたとえば、戦士や魔術師といった[[キャラクタークラス]]に代表されるような役割を表すデータやシンボルや肩書きが付随する。参加者はそれを専用の[[キャラクターシート (TRPG)|シート]]か何らかの[[メディア (媒体)|記録媒体]](通常のプレイでは紙)にメモしておく。<br /> <br /> 一人は通常、自分のプレイヤー・キャラクターを作らず使わず、一般に[[ゲームマスター]](GM)と呼ばれる役を受け持つ&lt;ref name=&quot;:0&quot; /&gt;。ゲームマスターはゲームシステムによっては、ダンジョンマスター(DM、地下牢の主人の意)、[[審判員]]、ジャッジ(審判)、キーパー(維持者)、[[ストーリーテラー]](語り部)などと呼ばれることがある。<br /> <br /> ゲームマスターは他の参加者(プレイヤー)と対話しながらゲームの舞台となる世界とそこに登場するいろいろな事件や人物を説明し、決められたルールに従って、プレイヤーが考えたキャラクターの行動が実現したか否かを裁定することでゲームを進行させる。単純化して言えば、コンピュータで遊ぶRPGでの、コンピュータ役をゲームマスターという人間が担当するのがテーブルトークRPGだといえる。<br /> <br /> しばしばテーブルトークRPGは「ルールのあるごっこ遊び」と説明されるように、プレイヤー・キャラクターの行う行動を、「何でも言っただけで認める」のではなく、各種のデータとルールに従って判定してその成否を決定する点が「ごっこ遊び」や「[[なりきりチャット]]」とは異なる。判定は、主に6から100面体までの様々な形状の[[サイコロ]](ダイス)を[[擬似乱数|乱数]]発生装置として用いて行われるが、[[トランプ]]など他の手段を用いる場合もある。<br /> <br /> プレイヤー達は、ゲームの舞台となる世界において、プレイヤー・キャラクターを演じながら、行動をゲームマスターに対して宣言し、戦闘や謎解きといった課題に挑戦する。これを繰り返しつつ互いに協力または競争しながらストーリーを紡ぎ出し、最終的な目標の達成を目指すことが、ゲームの目的となっている。プレイヤーとは別個の架空人格であるキャラクターを演じることが特徴であることから、「役割演技ゲーム」という意味の[[ロールプレイングゲーム]]という呼称が&#039;&#039;&#039;ゲームの総称&#039;&#039;&#039;として使われている&lt;ref&gt;スティーブ・ジャクソン『ガープス・ベーシック 完訳版』[[富士見書房]]、1999年、11頁より ISBN 4-8291-7409-9&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 1回のゲームにかかる時間はゲームマスターが用意する[[シナリオ (TRPG)|シナリオ]]により異なるが、数時間単位を要することが普通である。<br /> <br /> === キャラクター、世界設定、ルール ===<br /> キャラクターや架空世界それ自体を表現するために、様々な世界設定やテイストやルールを持つゲームシステムが数多く発表・発売されている。<br /> <br /> ゲームマスターを除く参加者、すなわちプレイヤーは、さまざまな[[種族 (ファンタジー)|種族]]、人格、性質、能力、技術をもったキャラクターを演じる。それらの要素は、ゲームのルールや世界において、重要な指針となるものである。ゲームのシステムは大抵、そのゲームの世界においてどのようなキャラクターを演じることができ、世界の中でどのようなことができるのか、を定めたルールや設定がある&lt;ref&gt;山北篤、スペース・ワン・ゼロ『パワープレイ』[[ホビージャパン]]、1991年、4-9頁 ISBN 4-938461-56-0&lt;/ref&gt;。例えば、[[ファンタジー]]世界の設定では、種族には、[[エルフ]]、[[人間]]、[[ドワーフ]]など、[[キャラクタークラス]]には、[[戦闘員|戦士]]、[[僧侶]]、[[シーフ|盗賊]]などがある。これらのルールや設定やデータは、プレイヤーが自分のキャラクターに与えられた役割を果たし、与えられた課題に取り組んで目的を達するための、行動と判断の基盤となるものである。<br /> <br /> ミニチュア・ウォーゲームという体裁を取っていた初期のRPGにもストーリー性はあったが{{Sfn|安田|2006|p=5}}、物語性や世界設定を重視する風潮とともに、キャラクターの人格や会話および各世界で展開されるストーリーを重視する[[プレイスタイルの分類|プレイスタイル]]も登場し、それに適したルールシステムも作られるようになった。<br /> <br /> === コンピューターRPGとの差違 ===<br /> [[コンピュータRPG]]はテーブルトークRPGより派生したもので、ゲームマスターの役割をコンピュータに肩代わりさせ、1人で遊べるようにしたものであった&lt;ref&gt;伏見健二・広野一光『ウィザードリィⅤのすべて』JICC出版局、1993年、36頁 ISBN 4-7966-0552-5&lt;/ref&gt;。当初、コンピュータRPGは『[[ダンジョンズ&amp;ドラゴンズ]]』(以下、『D&amp;D』)に代表される「迷宮・秘境探検と魔物退治のゲーム」を再現するゲームであった。こういったゲームはTRPGの遊び方の中でもボードゲームや[[ウォー・シミュレーションゲーム|ウォーゲーム]]に近いもので、機械的な処理に向いており、コンピュータRPGは高いレベルでこれを再現している。また、この頃はテーブルトークRPG自体、この種の製品や遊び方がほとんどであった。<br /> <br /> テーブルトークRPGは、コンピュータRPGにあるような強力な演出とは縁遠いが、早い段階でさまざまなジャンルを可能にしてきた。「迷宮・秘境探検と魔物退治のゲーム」以外にも「恒星間宇宙での冒険」「邪神の復活を阻止する[[ホラーゲーム|ホラー]]もの」「犯罪事件の推理やアクション」などのジャンルは80年代にはすでに誕生している&lt;ref&gt;友野詳『バカバカRPGを語る』[[新紀元社]]、2007年、10頁 ISBN 978-4-7753-0541-6&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> コンピュータRPGではプレイヤーはあらかじめプログラムされた行動しかとれないが、テーブルトークRPGでは原則的にはプレイヤーはいかなる行動宣言を行うこともできるため、無限の自由度があるとも言える&lt;ref name=&quot;:0&quot; /&gt;&lt;ref&gt;遥遠志、蟷螂社『パワープレイでわかるRPG入門』[[ホビージャパン]]、1994年、10-13頁 ISBN 4-89425-050-0&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> {{出典の明記|date=2017年9月20日|section=1}}{{see also|en:History of role-playing games}}<br /> 「ロールプレイングゲーム」という呼称は、[[職業訓練]]や[[精神医学]]の[[臨床]]において行われる[[役割演技|ロールプレイング]]が由来である。また、テーブルトークRPGの元になった、戦争シミュレーションの[[ミニチュアゲーム]]や政治闘争などの[[ボードゲーム]]では、プレイヤーが自分の受け持った軍の将軍・指導者の立場にたって、この将軍・指導者が得られたであろう限定された情報を元に駒を動かす遊び方などのように、プレイヤーが指導者という一個人の視点を通して軍や団体を操る遊び方もロールプレイングと呼ばれていた。「ロールプレイングゲーム」の呼称は最初のテーブルトークRPGが登場した時点ではまだ使われておらず、1970年代後半になってから、先に挙げたボードゲームも含めて各個プレイヤーが一人の個人を担当するゲーム全般の意味で用いられた。<br /> <br /> テーブルトークRPGが最初に登場したのは[[1970年代]]前半の[[アメリカ合衆国|アメリカ]]である。[[ロールプレイングゲーム]]の元祖とされるのは[[1974年]]の『[[ダンジョンズ&amp;ドラゴンズ]]』(以下、『D&amp;D』)である{{Sfn|安田|2006|p=5}}。『D&amp;D』は[[ゲイリー・ガイギャックス]]によってデザインされ、[[TSR (ゲーム出版社)|TSR]]社から発売されたが、これはガイギャックスとジェフ・ペレンが作った[[ミニチュアゲーム|ミニチュア]]・[[ウォーシミュレーションゲーム|ウォーゲーム]]『{{仮リンク|チェインメイル (ゲーム)|label=Chainmail|en|Chainmail (game)}}』([[1971年]]、ガイドン・ゲームズより発売)から発展したものであった(そのため、『Chainmail』は『D&amp;D』の原型とみなされる&lt;ref&gt;ロブ・ハインソー、アンディ・コリンズ、ジェームズ・ワイアット『ダンジョンズ&amp;ドラゴンズ第4版 基本ルールブック プレイヤーズ・ハンドブック』[[ホビージャパン]]、2008年、7頁 ISBN 4-89425-798-X&lt;/ref&gt; )。『D&amp;D』の内容は、[[ドラゴン]]などの[[怪物|魔物]]が住み危険な罠の仕掛けられた[[ダンジョン]](迷宮)の中を、武器を使う戦士、魔法使いなど、異なる能力を持ったキャラクターを組み合わせたグループ([[パーティ]])を組んで探検し、様々な謎(リドル)を解き、ダンジョンの奥に眠る財宝や[[魔法]]の物品を獲得する、というものである。また、このゲームの達成目的や進行方式を継承した『[[ウィザードリィ]]』などの[[コンピュータRPG]]が[[1980年]]初頭に誕生した。なお、『D&amp;D』黎明期には、この作品に対して数々の誤解や非難や陰謀論が飛び交っていた。詳細は「[[ダンジョンズ&amp;ドラゴンズに関する論争]]」の項を参照。<br /> <br /> [[安田均]]は、『D&amp;D』は[[ヒロイック・ファンタジー]]、『[[指輪物語]]』、[[マイケル・ムアコック]]の「[[エターナル・チャンピオンシリーズ|エルリック・サーガ]]」といった作品の影響を受けていると指摘している{{Sfn|安田|2006|p=244}}。<br /> <br /> [[1970年]]代後半になると、[[サイエンス・フィクション|SF]]、歴史、近現代を舞台にするテーブルトークRPGが登場してくる。また、特定の小説や映画などの世界を再現するものも登場する。<br /> <br /> 背景世界の多様化により、「ダンジョン探索」や「怪物退治」をゲームの目的にしないものも登場してきた。例えば[[1977年]]に発売された『[[トラベラー (TRPG)|トラベラー]]』は、[[テクノロジー|科学技術]]が発達して自在に[[宇宙旅行]]できるようになった世界を舞台に、さまざまな文明をもった惑星を旅することを目的にしている&lt;ref&gt;友野詳『バカバカRPGを語る』[[新紀元社]]、2007年、10頁 ISBN 978-4-7753-0541-6&lt;/ref&gt;。[[1979年]]に発売された『[[ルーンクエスト]]』はファンタジー世界ながら、[[文化人類学]]を背景にした緻密な[[カルト]](祭祀集団)を設定し、詳細な設定をもった背景世界([[グローランサ]])と物語を提示したことに特徴があった。このゲームではプレイヤーキャラクターが所属するカルトによって全く異なる行動規範が定められており、従来の「プレイヤーキャラクターは同じ目的を持った仲間(パーティー)である」という概念とは異なるプレイスタイルを持っていた。<br /> <br /> これらのゲームは「ある役割を課せられた仮想の人物を操演して、司会・審判役を交えて会話で進行するゲーム」という部分では『D&amp;D』と共通するものの、背景世界のみならず達成目的や進行方式が『D&amp;D』とはまったく異なるゲームとなっている。このようなゲームの登場は、テーブルトークRPGの多様性を示すことになった。<br /> <br /> また、最初期の『D&amp;D』をはじめ黎明期のゲームは背景世界に緻密な設定をもたなかったが、『トラベラー』や『ルーンクエスト』のような緻密な世界設定を持つゲームの登場により、後のゲームでは「ゲームシステム」と「世界背景・物語」という二分化された制作がなされるようになる。<br /> <br /> [[英語圏]]だけの現象であったテーブルトークRPGは、やがて他の言語圏にも紹介され、初めは英語のゲームをそのまま遊ぶという形で伝播していくが、やがて、各言語独自のゲームが作られるようになる。テーブルトークRPGが多く発表されている非英語圏の国として、[[フランス]]、[[イタリア]]、[[ドイツ]]、[[日本]]などがある。<br /> <br /> == 日本における歴史 ==<br /> {{出典の明記|date=2017年9月20日|section=1}}<br /> <br /> === 黎明期 ===<br /> <br /> [[日本]]におけるテーブルトークRPGの始まりは、[[1970年代]]後半に求められる。原宿キディランドなどの玩具店や模型店で、日本国外製の原語のTRPGが輸入販売されるようになり、それをプレイする人々が初期のユーザーとなった。元々は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の大学生の遊びから生まれたゲームであるため、ルールは全て[[英語]]で書かれており、それを読めなければゲームを始めることすらできなかった。しかし、彼らは次第にゲームの翻訳・翻案、さらには自作まで行うようになる。<br /> <br /> 日本ではテーブルトークRPGよりも一足先にボードシミュレーションゲームが紹介されており、[[1980年代]]前半にはファン層も確立され、[[日本語]]のゲームや日本語の専門誌もいくつか出版されていた。{{要出典|date=2017年9月}}『[[タクテクス|TACTICS]]』『[[シミュレイター]]』などの当時のボードシミュレーションゲーム雑誌では、「ボードシミュレーションゲームの兄弟のようなゲーム」として日本国外のRPGならびにその周辺の状況がたびたび紹介されている。1982年5月1日発売の『TACTICS』3号に&#039;&#039;&#039;ロールプレイングゲーム『ドンキーコマンド』&#039;&#039;&#039;&lt;ref&gt;『TACTICS』3号表紙&lt;/ref&gt;が掲載される。『ドンキーコマンド』はコマンド隊員をキャラクターとして作成し、秘密基地に潜入。爆破や奪取任務を行う1人プレイ用のルールであった&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;ただし、デザイナー本人は掲載誌『TACTICS』3号にて「ロールプレイングゲームと題されているが、そのようになっていない」と断り書きをしている。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 日本語で書かれたTRPG製品が商業ベースで発売されるようになったのは[[1983年]]で、この年に多摩豊により『[[エンタープライズ (TRPG)|エンタープライズ]]』が[[ツクダホビー]]から発売されている。また、同年にはツクダホビーや[[バンダイ]]から、ロールプレイングゲームの要素を持つボードゲームが日本人のゲームデザイナーにより多数発売された(ツクダホビー『[[クラッシャージョウ]]』、バンダイ『元禄忍者伝』など)。[[1984年]]には日本人作による初の本格的なテーブルトークRPGである『[[ローズ・トゥ・ロード]]』(門倉直人著、[[ツクダホビー]]発売)が発売された。また、同年には日本国外製TRPGの初の日本語翻訳製品となる『[[トラベラー (TRPG)|トラベラー]]』が[[ホビージャパン]]より発売されている。その後、[[1985年]]には『[[クラシック・ダンジョンズ&amp;ドラゴンズ|ダンジョンズ&amp;ドラゴンズ]]』(新和)、[[1986年]]には『[[クトゥルフの呼び声 (TRPG)|クトゥルフの呼び声]]』(ホビージャパン)と、著名な日本国外作品の日本語翻訳版発売の流れが続き、後のブーム(繁盛期)の端緒を開いた。<br /> <br /> 日本語のTRPG製品が発売されていった[[1980年代]]前半は、コンピュータRPGが日本のパソコンゲームファンに注目されだした時期でもある。『[[ログイン (雑誌)|ログイン]]』『[[ゲーマガ#Beep|Beep]]』などのコンピューターゲーム誌では「『[[ウィザードリィ]]』や『[[ウルティマ]]』の元となったゲーム」として、『[[ダンジョンズ&amp;ドラゴンズ|D&amp;D]]』等の紹介が始まり、コンピュータゲームをきっかけにテーブルトークRPGに興味を持つ、という流れを作り出した。なお、コンピューターゲーム誌では、コンピューターRPGに対しての「ボードRPG」という造語が盛んに用いられていた。<br /> <br /> [[1980年代]]後半に入ると、パソコンゲーム雑誌『[[コンプティーク]]』([[角川書店]])誌上に、『D&amp;D』のシステムを用いた『[[ロードス島戦記]]』の[[リプレイ (TRPG)|リプレイ]]が掲載された。その後、リプレイを原案とした小説版『ロードス島戦記』が発表され大きな反響を呼び、漫画や[[OVA]]、パソコン用ゲームなど、いわゆる[[マルチメディア]]展開を見せ、日本におけるテーブルトークRPG普及に一役買うことになる。<br /> <br /> === ソード・ワールドRPGの成功とテーブルトークRPGブーム到来 ===<br /> [[1989年]]に『[[ソード・ワールドRPG]]』が[[富士見書房]]から発売されると、特に中高生を中心とした低年齢層にも広く普及した&lt;ref&gt;清松みゆき『ソード・ワールドRPG完全版』[[富士見書房]]、1996年、314頁 ISBN 4-8291-7306-8&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 『ソード・ワールドRPG』が大きく普及した理由は、<br /> * 書店で入手しやすい[[文庫本]]の形だったこと(それまでのシステムや[[サプリメント (TRPG)|サプリメント]]などのテーブルトークRPG関連商品の多くは、ボードゲームメーカーによるボックス型のものが多く、価格も3500 - 5000円と高めの商品が主流であった)。<br /> * 『ロードス島戦記』と同じ世界で、違う大陸を扱っていた(出版社、システムは異なる)。<br /> * [[メディアミックス]]展開(雑誌でのリプレイ連載、関連した冒険小説やシナリオの出版、TVゲーム化など)。<br /> * 日本の環境に合ったルール(キャラクターは複数のスキルを持っていて、「魔法も使える戦士」等を容易に表現でき、また、作成したばかりのキャラクターや少人数でのパーティでも冒険ができた)。<br /> <br /> などが挙げられる。<br /> <br /> こうして、テーブルトークRPGの一大ブームが訪れた。[[角川書店]]、[[富士見書房]]からはRPG関連書籍が数多く出版された。RPGを元にした小説作品である『[[ドラゴンランス]]戦記』(富士見書房より翻訳刊行)や『[[ロードス島戦記]]』(角川書店)は日本のファンタジー小説の裾野を広げた{{Sfn|安田|2006|p=7}}。<br /> <br /> === ブームの終焉・冬の時代突入とその後 ===<br /> ところが、こうしたブームは、[[1990年代]]半ばに落ち込んでしまうこととなる。これを俗に、「[[テーブルトークRPG冬の時代|TRPG冬の時代]]」と呼ぶ。停滞していった原因は、ブームに乗じた粗製濫造と作品の質の低下、『[[マジック:ザ・ギャザリング]]』を初めとする[[トレーディングカードゲーム]]の台頭、主要なファン年齢層の就職・進学に伴う離脱などが、よく挙げられている。<br /> <br /> [[2001年]]、長らく冬眠状態だった『ソード・ワールドRPG』リプレイの新シリーズがスタートし、翌[[2002年]]には、『[[ナイトウィザード]]』の初版、『[[アルシャード]]』の初版、『[[ダンジョンズ&amp;ドラゴンズ第3版]]』といった、その後も展開が継続していった人気システムが相次いで出版され、本格的に復調傾向を見せ始める。<br /> <br /> [[2000年代]]後半以降は、ルールブック、[[サプリメント (TRPG)|サプリメント]]、[[リプレイ (TRPG)|リプレイ]]、アクセサリなどのTRPG関連製品が毎月10点程度は発売されるような状況となり(関連小説や定期刊行物を含めればさらに増える)、回復・安定したとみられる。TRPGは「冬の時代」を挟んで、他の[[サブカルチャー]]メディアへの露出・連携が弱まったため、若い世代への広範な普及が見られたかつての状況にまでは至っていないようである。<br /> <br /> 2000年代終盤から2010年代初頭にかけて、[[ニコニコ動画]]などの動画サイトに『[[アイドルマスターシリーズ]]』や『[[東方Project]]』のキャラクターを用いた初心者向け解説動画やリプレイ動画などが投稿されるようになり、中でも2012年頃から『[[クトゥルフの呼び声 (TRPG)|クトゥルフ神話TRPG]]』関連動画の投稿数が急増した。これに伴い『クトゥルフ神話TRPG』基本ルールブックの増版ペースも上がり&lt;ref&gt;https://twitter.com/Howard_P_L/status/192406878138015744&lt;/ref&gt;、2015年6月で第20刷となっている&lt;ref&gt;https://twitter.com/LOGiN_TRPG/status/611836848411836416&lt;/ref&gt;。『クトゥルフ神話TRPG』関連動画の急増は、2012年4月よりテレビアニメが放送された『[[這いよれ! ニャル子さん]]』の影響と見る向きもある&lt;ref&gt;[http://ascii.jp/elem/000/000/935/935795/index-2.html ニコ動のTRPG動画4万本を大調査! ネットでアナログゲームが復活!?] - ASCII.jp&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 日本における制作・販売形態 ==<br /> {{出典の明記|date=2017年9月|section=1}}<br /> 日本においては黎明期より、制作者・企画者が海外製品の翻訳やオリジナル作品の制作を行い、彼らと契約した玩具メーカーや出版社が流通販売を担う、という形態が多くを占める。しかし採算が取れず市場から撤退した玩具メーカーや出版社も少なくない。そのため、同一または同系統のルールブックが別の出版社から販売されたり、絶版作品が権利がらみで販売不可となる事例も少なからず見られる。<br /> <br /> === 文庫RPG ===<br /> 日本独特の出版形態が「文庫(本)型」である。『[[ソード・ワールドRPG]]』や『[[ガープス|GURPS]]』(ガープス)、『[[マギウス|MAGIUS]]』(マギウス)が代表的である。それらをデザインした[[グループSNE]]は、その前に『[[トンネルズ&amp;トロールズ]]』の日本語版を文庫で出版し、[[ゲームブック]]ファン層にテーブルトークRPGをアピールすることに成功している。<br /> <br /> [[1990年]]代前半のテーブルトークRPGのブーム期にはビッグネームからマイナー製品まで数多くのタイトルが文庫で次々と発売され、文庫本という形態はテーブルトークRPGのデファクトスタンダードになっていった。[[1990年]]代後半以降の日本では、[[紙の寸法#A列|A4版]]もしくは[[紙の寸法#B列|B5版]]の&#039;&#039;[[本|書籍]]タイプ&#039;&#039; の製品が主流を占めることになる(情報量も多いがその分厚くなり、文庫タイプに比べて高価格 という特徴を持つ)。過去にも、大判の書籍タイプのRPGルールブックはあった(『[[パワープレイ (TRPG)|パワープレイ]]』など)。ところが、文庫タイプの代表格『ソード・ワールドRPG』『[[ガープス|GURPS]]』ですら、この時期に『完全版』としてA4版の書籍タイプで出版された(これは日本のみの現象ではなく、アメリカでも一足早く、ボックス型よりも大判の書籍タイプが主流となっていた)。<br /> <br /> しかし、[[2004年]]に発売された『[[アリアンロッドRPG]]』は、久しぶりに文庫タイプで出版された。この作品は基本ルールや[[リプレイ (TRPG)|リプレイ]]、入門者向けの[[サプリメント (TRPG)|サプリメント]]は文庫で出版し、追加データなどの記述量が多くなるパワーユーザー向けのサプリメントはB5版書籍で出版するというスタイルをとった。こうした、両方の利点を活かす展開手法は、[[2006年]]発売の『[[アルシャードガイア]]』、[[2008年]]発売の『[[ソード・ワールド2.0]]』、[[2009年]]発売の『[[ダブルクロス|ダブルクロス The 3rd Edition]]』などにも引き継がれている。<br /> <br /> === リプレイ本 ===<br /> 日本のテーブルトークRPG市場において特徴的なものに、「[[リプレイ (TRPG)|リプレイ]]本」といわれる商品の存在がある&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;『ログ・ホライズンTRPGリプレイ ごちそうキッチンと病の典災』(ISBN 978-4-04-729929-0)、『クトゥルフ神話TRPGリプレイ るるいえあんてぃーく』(ISBN 978-4047262393)等。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> リプレイとはテーブルトークRPGのプレイ風景を記録したものである。一般的にはプレイヤーキャラクターとゲームマスターの発言の羅列という[[戯曲]]形式で記述される。リプレイは元々は、ゲームのルールをわかりやすく説明するためにルールブックに10数行程度で書かれるものでしかなかった。これは行為判定などが行われている様子を戯曲形式にして抜き出したものにすぎなかったが、日本のテーブルトークRPGの黎明期では全く未知の遊びであったテーブルトークRPGの紹介を行うためにこのリプレイという形式が好んで使われた。[[ウォー・シミュレーションゲーム]]雑誌や[[パソコンゲーム]]雑誌では1回のゲームプレイの最初から最後までを数ページにわたるリプレイとして掲載することで、テーブルトークRPGの実態を紹介していった。さらには、[[コンプティーク]]誌で[[1986年]]に連載された『[[ロードス島戦記]]』など、数回のセッションにわたるキャンペーンプレイを全てリプレイとして掲載するという試みも行なわれた。リプレイが長文化するに従い、書き手は読み手に対して飽きさせないようにする工夫や単なる記録以上の「読み物」が求められるようになり、リプレイの文章には様々な演出や編集が行われるようになった。こうして日本独自の文化が誕生したのである。<br /> <br /> リプレイ文化はテーブルトークRPGの黎明期こそゲーム雑誌上の記事でしか見られなかったが、『ロードス島戦記』や『[[ソードワールドRPG]]』が[[メディアミックス]]展開していくのと同時にリプレイも単品の商品として文庫本の形式で売り出されるようになる。その結果、「リプレイ本」はテーブルトークRPGをプレイしていない人の中にも[[ライトノベル]]の一種として受け入れられるようになり、様々なリプレイ本が出版されていくようになっていったのである。ここに至り、ゲームの紹介として始まったリプレイが独立した一個の作品として売り出されるようになった。結果、ゲームはプレイしないがリプレイ本は読んでいるリプレイ読者という層が生み出されるようにもなった。リプレイ本は[[2011年]]現在においてもライトノベルの一つとして出版され続けており、ライトノベル市場において独自の地位を築いている。<br /> <br /> == タイトル一覧 ==<br /> {{main|テーブルトークRPGのタイトル一覧}}<br /> <br /> == 日本の業界で著名な人物(五十音順) ==<br /> &lt;!--20150415 この項目については、TRPG制作またはTRPG雑誌制作についての説明をして、人物については各会社へ一元化出来ればよいかと思います--&gt;<br /> === 企画・デザイン ===<br /> &lt;!--システム・デザインをした人物--&gt;<br /> &lt;!--20150415 ゲーム・デザイナーから改題いたしました--&gt;<br /> &lt;!--20150415 プロデュース、ワールドデザイン、システムデザイン--&gt;<br /> {{div col|colwidth=18em}}<br /> * [[井上純弌]] - [[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]協力<br /> * [[遠藤卓司]] - [[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]所属<br /> * [[大貫昌幸]] - [[オーアールジー|ORG]]設立(故人)<br /> * [[河嶋陶一朗]] - [[冒険企画局]]所属<br /> * [[門倉直人]] - 元[[遊演体]]所属<br /> * [[菊池たけし]] - [[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]所属<br /> * [[北沢慶]] - [[グループSNE]]所属<br /> * [[清松みゆき]] - [[グループSNE]]所属<br /> * [[久保田悠羅]] - [[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]所属<br /> * [[黒田幸弘]] - [[ミューズソフト株式会社]]代表&lt;!-- コンプティーク誌の連載コラム、およびその単行本の「RPG見聞録」「RPG千夜一夜」を執筆 --&gt;<br /> * [[小太刀右京]] - [[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]協力<br /> * [[小林正親]] - 元[[遊演体]]所属<br /> * [[小浜智]] - [[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]所属<br /> * [[近藤功司]] - [[冒険企画局]]代表<br /> * [[齋藤高吉]] - [[冒険企画局]]所属<br /> * [[芝村裕吏]] - 元[[アルファ・システム]]所属<br /> * [[鈴木銀一郎]] - [[翔企画]]代表<br /> * [[鈴吹太郎]] - [[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]代表<br /> * [[高梨俊一]]<br /> * [[高平鳴海]] - 元[[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]所属<br /> * [[田中公待]] - [[グループSNE]]所属<br /> * [[柘植めぐみ]] - [[グループSNE]]所属<br /> * [[徳岡正肇]]<br /> * [[友野詳]] - [[グループSNE]]所属<br /> * [[朱鷺田祐介]] - [[スザク・ゲームズ]]代表<br /> * [[水野良]] - 元[[グループSNE]]所属<br /> * [[藤浪智之]] - 元[[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]所属<br /> * [[伏見健二]] - 元[[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]、現[[グランペール]]設立<br /> * [[星宮すみれ]] - [[冒険企画局]]所属<br /> * [[安田均]] - [[グループSNE]]代表<br /> * [[柳川房彦]] - 元[[遊演体]]、現[[エルスウェア]]所属<br /> * [[矢野俊策]] - 元[[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]所属<br /> * [[山北篤]] - 元[[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]所属<br /> * [[和栗あきら]] - 元[[オーアールジー|ORG]]所属<br /> {{div col end}}<br /> <br /> === ライター、小説家 ===<br /> &lt;!--システム・デザインをしていない文筆家--&gt;<br /> &lt;!--20150415 この項目は「主に」ライターまたは小説に関わっている人物で良いのでは--&gt;<br /> &lt;!--20150415 何故、システムデザインをしているいないが関わるのかわかりません--&gt;<br /> {{div col|colwidth=18em}}<br /> * [[秋口ぎぐる]]<br /> * [[秋田みやび]] - [[グループSNE]]所属<br /> * [[池田朝佳]] - [[冒険企画局]]所属<br /> * [[桂令夫]]<br /> * [[健部伸明]]<br /> * [[田中天]] - [[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]所属<br /> * [[多摩豊]] - [[ウォーロック]]編集長(故人)<br /> * [[三田誠]] - 元[[グループSNE]]所属<br /> * [[はせがわみやび]]<br /> * [[藤澤さなえ]] - [[グループSNE]]所属<br /> * [[細江ひろみ]] - 元[[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]所属&lt;!--「RPG福袋&#039;94」収録『学園薔薇ダイス』デザイン--&gt;<br /> * [[山本弘 (作家)|山本弘]] - 元[[グループSNE]]所属&lt;!--「TRPGスーパーセッション大饗宴」収録『スーパー少年少女コミカルRPG 元気全開!』デザイン--&gt;<br /> {{div col end}}<br /> <br /> === イラストレーター ===<br /> {{div col|colwidth=18em}}<br /> &lt;!--システム・デザインをしていないイラストレイター--&gt;<br /> &lt;!--20150415 この項目は専属イラストレーターなのでしょうか?--&gt;<br /> &lt;!--20150415 将来的にはなくても良い項目かと思います--&gt;<br /> * [[合鴨ひろゆき]] - 元[[グループSNE]]所属<br /> * [[井上純弌]]<br /> * [[落合なごみ]] - [[冒険企画局]]所属<br /> * [[金澤尚子]]<br /> * [[佐々木あかね]] - 元[[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]所属<br /> * [[佐々木亮]]<br /> * [[鈴木猛]]<br /> * [[九月姫]]<br /> * [[田中としひさ]]<br /> * [[速水螺旋人]] - [[冒険企画局]]協力<br /> * [[みかきみかこ]]<br /> {{div col end}}<br /> <br /> == 制作・企画会社(五十音順) ==<br /> {{main|テーブルトークRPGに関係する企業一覧}}<br /> <br /> * [[ウィザーズ・オブ・ザ・コースト]]<br /> * [[エルスウェア]]<br /> * [[オーアールジー|ORG]]<br /> * [[グループSNE]]<br /> * [[翔企画]]<br /> * [[サンセットゲームズ]]<br /> * [[スザク・ゲームズ]]<br /> * [[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ]] (F.E.A.R.)<br /> * [[冒険企画局]]<br /> * [[遊演体]]<br /> <br /> == 出版社(五十音順) ==<br /> 下記は、各社から出版されたTRPG専門誌、サポート誌(休刊・廃刊されたものを含む)。<br /> &lt;!--20150415 休刊・廃刊されたものについてはいつ休刊・廃刊になったかわかるものは注釈を入れては--&gt;<br /> &lt;!--20150415 また、現在も出版されているもの、休刊・廃刊されたもので分けては? わかりにくいです--&gt;<br /> * [[アークライト (企業)|アークライト]]<br /> * [[アスキー (企業)|アスキー]] - [[LOGOUT]]<br /> * [[アトリエサード]] - [[TRPG:サプリ]]<br /> * [[エンターブレイン]] - [[AGマガジン]]<br /> * [[角川書店]] - [[コンプRPG]]、ゲームクエスト<br /> * [[ゲーム・フィールド]] - [[ゲーマーズ・フィールド]]<br /> * [[国際通信社]] - [[RPGamer]]、[[季刊R・P・G]]<br /> * [[サンセットゲームズ]] - [[ローカルペーパー]]<br /> * [[ジャイブ]]<br /> * [[社会思想社]]([[2002年]]倒産) - [[ウォーロック]]<br /> * [[翔企画]] - [[シミュレイター]]、RPGコミック<br /> * [[新紀元社]] - [[Role&amp;Roll]]<br /> * [[主婦と生活社]]<br /> * [[大日本絵画]] - [[ゲームグラフィックス]]<br /> * [[ツクダホビー]] - オペレーション<br /> * [[バンダイ]]<br /> * [[富士見書房]] - [[RPGドラゴン]]<br /> * [[ホビージャパン]] - [[タクテクス]]、[[RPGマガジン]]、[[GAME JAPAN]](旧ゲームぎゃざ)<br /> * [[つぎはぎ本舗]]([[パッチワークス]]) - [[つぎはぎたより]]<br /> * [[メディアワークス]] - [[電撃アドベンチャーズ]]<br /> * [[遊演体]]<br /> * [[雷鳴]]<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> <br /> === 注釈 ===<br /> {{Reflist|group=&quot;注&quot;}}<br /> <br /> === 出典 ===<br /> {{Reflist|2|}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> *{{Cite journal|和書|author=近藤功司|authorlink=近藤功司|title=ゲームの殿堂:珍味!ロールプレイのゲームブック蒸し(アイルランド風)を召し上がれ|journal=[[ウォーロック]]|volume=第10号|date=1987-10-01|publisher=[[社会思想社]]|pages=31 - 32|isbn=4-390-80010-8|ref={{SfnRef|近藤|1987}}}}<br /> *{{Citation|和書|last=安田 |first=均 |authorlink=安田均 |year=2006 |title=ゲームを斬る |publisher=新紀元社}}<br /> *{{Citation|和書|author=友野詳|authorlink=友野詳 |year=2007 |title=バカバカRPGを語る |publisher=新紀元社}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[テーブルトークRPGの道具]]<br /> * [[テーブルトークRPGのタイトル一覧]]<br /> * [[テーブルトークRPGのプレイスタイル]]<br /> * [[テーブルトークRPG冬の時代]]<br /> * [[GNS理論]]<br /> * [[コンベンション (TRPG)]]<br /> * [[オンラインセッション]]<br /> * [[遊☆戯☆王]] - 原作漫画版の初期にTRPGが登場する。<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:てえふるとおくああるひいしい}}<br /> [[Category:テーブルトークRPG|*]]<br /> [[Category:レトロニム]]<br /> [[Category:和製英語]]<br /> <br /> [[ca:Joc De Rol]]<br /> [[es:Juegos de Rol]]<br /> [[id:Role-playing game]]<br /> [[lt:Vaidmenų žaidimas]]<br /> [[nl:role playing game]]<br /> [[pt:RPG (jogo)]]<br /> [[tr:Fantasy role-playing]]</div> 61.210.51.93
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