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miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja]
2024-05-03T20:48:10Z
利用者の投稿記録
MediaWiki 1.31.0
ヴェネツィア派
2017-01-18T23:27:42Z
<p>59.84.49.169: </p>
<hr />
<div>'''ヴェネツィア派'''は[[ルネサンス]]時代、特に15世紀後半から16世紀にかけて[[ヴェネツィア共和国]]とその周辺で活躍した美術の流派。絵画、彫刻、建築など様々な分野でその特徴は見受けられるが、一般的には絵画の流派を指す。絵画においてはデッサンを重視した[[フィレンツェ派]]とは異なり、画面の色を使って構築し、流動的で詩的な雰囲気で人間の感覚に直接訴えかける効果を追求した<ref>[[#ブリタニカ国際大百科事典小項目事典, 2010|ブリタニカ国際大百科事典小項目事典, 2010]].</ref><ref>[[#美術出版社, 美術出版社編集部, 藤原, 高階, 2008|美術出版社, 美術出版社編集部, 藤原, 高階, 2008]], p 229.</ref>。<br />
<br />
== 背景 ==<br />
[[File:Jacopo de' Barbari - Venetie MD - retouched.png|thumb|ヤーコポ・デ・バルバリによる1500年のヴェネツィア(ヴェネツィア景観図)]]<br />
中世期においてイタリアでは当時都市国家が多く形成され、お互いに競い合っていた。そのため、地方によって大きく異なる芸術の流派が形成された。フィレンツェを中心とした中部・北イタリアでは[[盛期ルネサンス|イタリア・ルネサンス美術]]は主に展開し、ローマと同様盛期ルネサンスの舞台として繁栄を極めていた。一方、当時ヴェネツィアは東方貿易によって富を得ており、それをきっかけにトスカーナとは異なる新たな芸術の形が形成された。15世紀に入ってから内陸へ進出し、[[フィレンツェ派|トスカーナ美術]]と合流した。初めは国際ゴシック美術が入り、後に[[フィレンツェ派]]の新様式がもたらされた。それに伴い、ヴェネツィアではフィレンツェの芸術に対する反論が生まれ、[[ティツィアーノ]]を筆頭とした芸術理論が持ち上がったといわれる。ヴァザーリは『美術家列伝』第二版でヴェネツィア派は自発的に生まれたものでなく、[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]の影響下で生まれた者であるとし、実際1500年初頭に短期間でレオナルドがヴェネツィアを訪問したことが明らかとなっている<ref>[[#Humfrey, 高橋, 2006|Humfrey, 高橋, 2006]], p 112.</ref>。他方、ヴェネツィアの領土には当時パドヴァ、ヴィチェニツァ、ヴェローナ、プレジア、ベルガモといった都市が含まれ、ヴェネツィア派とは異なる独自の伝統にのっとった絵画様式が形成された<ref>[[#Humfrey, 高橋, 2006|Humfrey, 高橋, 2006]], p 9.</ref>。<br />
18世紀のヴェネツィアは造形文化、音楽、演劇の再生などの普及とグランド・ツアーの特権化されるなどの魅力を持つ一方で政治状況はより悪化していた。[[スペイン]]と[[神聖ローマ帝国|ハプスブルグ王朝]]の脅威に晒されたことが要因に挙げられる。1718年に[[パッサロヴィッツの講和]]によって[[パドヴァ]]、[[ヴィチェンツァ]]、[[ヴェローナ]]、[[プレーシャ]]、[[ベルガモ]]、[[クレーマ]]、[[ポレージネ]]地方、[[トレヴィーゾ]]の辺境地帯である[[ベッルーノ]]と[[カドーレ]]、[[ダルマチア]]とその周辺諸島を領有した。モレアは失ったが大部分の領土は残り、1722年の全体人口は450万人に達していた。しかし経済状況はさらに悪化しており、アメリカ大陸の発見によって内陸部の農業から得られるものだけが収入となっていた。一方で公債も1740年には8000万ドゥカーティに達していたものの、その浪費は止まなかった。それらの現実への対処法を持たなかったヴェネツィア共和国は、芸術を振興し娯楽を提供することで、それらの問題から目を逸らし続けた。演劇や教会音楽の発達もこの頃起きたが、一方で貴族の負債も増額していった。それに対して異議を唱えようとした者たちは沈黙と断罪を余儀なくされた。この頃は建築は都市計画のデザインが完成されていたため、そこまで大規模なものは行われなかった。彫刻は力が入れられたものの、この時代に一番勢力的だったのは絵画である。特にこの時代は絵画の分野における専門化が進んだ。例として都市の神話、年代記や史実描写、風景画、奇想画、都市景観画、風俗画などが挙げられる<ref>[[#京都市美術館, 日本美術協会上野の森美術館, 産業経済新聞社, 石鍋真澄, 2006|京都市美術館, 日本美術協会上野の森美術館, 産業経済新聞社, 石鍋真澄, 2006]], pp. 12-17.</ref>。<br />
<br />
=== ヴェネツィアの人々 ===<br />
ヴェネツィアは初めから移民の街であった。イタリア全土もしくはアドリア海域からきた人々が有力な一族を築き、美術のパトロンとして影響を及ぼした<ref>[[#Brown, 1997|Brown, 1997]], pp.33-34.</ref>。従ってヴェネツィア派の画家たちはヴェネツィア出身の人間とは限らず、当時発展していた芸術があったヴェネツィアに周辺諸国から集まったものと考えられている。しかし、ヴェネツィアは伝統的に、突出した個性を嫌う傾向があり、ヴェネツィアに同化しきれない個性を持つ画家はヴェネツィアを出ていくこととなった。例として[[カルロ・クリヴェッリ]]や、[[ロレンツォ・ロット]]が挙げられる<ref>[[#元木, 森, 石鍋, 2008|元木, 森, 石鍋, 2008]], pp. 176-180.</ref>。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
=== ベリーニ 父子の影響 ===<br />
ヴェネツィア派の中核となったのはベリーニ親子の工房である。 [[ヤーコポ・ベリーニ]] は [[国際ゴシック]]様式 に属する画家であったが、 [[透視図法]] の実験にも関心を寄せた。それは息子たちに技術を教えただけではなく、娘婿 [[マンテーニャ]]から写実主義を取り入れて発展の基礎を築いた。息子 [[ジェンティーレ・ベリーニ]]は後に [[ティントレット]]、 [[ヴェロネーゼ]]らに引き継がれる [[カンヴァス]]を繋ぎ合わせて油彩大画面に仕立て上げる壁画的な題画面形式の確立に貢献した。これは [[フランドル絵画]]で今まで板に描かれていた油彩画の在り方を変えた。また彼は肖像画家、壮大な風俗的群像表現に優れた。 [[ヴィットーレ・カルパッチョ]]はこのジェンティーレの弟子筋に当たる{{refnest|group="注釈"|ジェンティーレとの師弟関係は確実ではない。確かなのはカルパッチョは、 [[ジョヴァンニ・ベリーニ]]や{{仮リンク|アントニオ・ヴィヴァリーニ|en|Antonio Vivarini}}などとともに、{{仮リンク|ラッザロ・バスティアーニ|en|Lazzaro Bastiani}}の弟子であったこと。}}。彼において絵画の主題はさらに世俗化した。15世紀になると [[ジョヴァンニ・ベリーニ]]によってヴェネツィア派の絵画は新たな展開を見せた。清冽な抒情性と人生の穏やかな観照は自然と人間との親密な関わり合いや自然の光の表現によって達成された。これらには [[ピエロ・デラ・フランチェスカ]]や [[アントネロ・ダ・メッシーナ]]らが大きく貢献している。またこれらの主題は風景画家としても優れていたジョヴァンニの手によって、伝統的なモチーフはそのままになごやかなピクニック的情景に変えた「田楽の奏楽」のような野外遊楽図の原型となった。16世紀ヴェネツィア派を担う [[ジョルジョーネ]]、 [[ティツィアーノ]]らは彼の影響を受けている<ref>[[#中山, 佐々木, 1985|中山, 佐々木, 1985]], pp.179-180.</ref>。<br />
<br />
== 絵画の特徴 ==<br />
=== 初期ルネサンス ===<br />
[[画像:Bartolomeo_Veneto_001.jpg|thumb|フローラ(女性理想像)([[バルトロメオ・ヴェネト]]の作品)。当時のヴェネツィアにおける高級娼婦の姿を描き出したものと考えられているが、なぜこれが[[ルクレツィア・ボルジア]]と考えられたかは不明。]]<br />
{{sectstub}}<br />
<br />
=== 盛期ルネサンス ===<br />
ティツィアーノによって下塗りされたキャンバスの上に最初から絵具で描くやり方も使われるようになった。これは構図の大幅な変化や動きを生み出す効果を与えた。そのようなことから、ティツィアーノが油彩画の可能性を一代で極めてしまったとも言われる<ref>[[#樺山, 森田, 1992|樺山, 森田, 1992]], p 93.</ref>。<br />
; 流動的な形<br />
フィレンツェ派が遠近法や線の曖昧さの排除によって正確な形を捕え、平面の上で立体を表現し、そこから人間中心主義を絵画の中で発揮しようとしたことに対し、ヴェネツィア派の絵画は流動的な形や線の曖昧さで人物を他の物と等しく、空間の構成要素として全体の脈絡を保たせた<ref>[[#樺山, 森田, 1992|樺山, 森田, 1992]], pp.11-12.</ref>。<br />
<br />
; 色彩的な絵画<br />
光の投射による明暗諧調を色彩で表現し、色彩は絵画の伝統の誕生のきっかけとなった。これはラヴェンナのモザイク技術やビサンティンのイコンなどの色彩の影響もみられる<ref>[[#樺山, 森田, 1992|樺山, 森田, 1992]], pp.12-13.</ref>。<br />
<br />
; 題材の選択<br />
フィレンツェ派と比べて多々違いがあるが、いくつかの特徴を以下に列挙する。<br />
* 肖像画<ref name=utage13 /><br />
: イエス・キリストを自らになぞらえたものなどが挙げられる。これは彼らのナルシシズムが影響していると考えられている<ref>[[#樺山, 森田, 1992|樺山, 森田, 1992]], pp.74-75.</ref>。<br />
* 難解なアレゴリーを含む神話画<ref name=utage13>[[#樺山, 森田, 1992|樺山, 森田, 1992]], p 13.</ref><br />
: 例として、当時富裕になったヴェネツィアでは人口が増加し、それによってコルティジャーナと呼ばれる高級娼婦たちが増えることとなった。彼女たちもまた画家のモデルとなり、ローマ神話の神々に例えられて描かれた<ref>[[#樺山, 森田, 1992|樺山, 森田, 1992]], pp.34-36.</ref>。<br />
* 風景画<br />
: 画面そのものを環境自然として、人物や物語を中心から外している<ref name=utage13 />。<br />
* 画材の選択<br />
:ヴェネツィア地方では湿気が多いため[[フレスコ]]が使えない。そのため、キャンバスを壁に貼り付ける方法が使われた<ref>[[#美術出版社, 美術出版社編集部, 藤原, 高階, 2008|美術出版社, 美術出版社編集部, 藤原, 高階, 2008]], p 75.</ref>。また、あるエッセイストはこれが切っ掛けでティツィアーノは油絵の導入を行ったとしている<ref>[[#山下, 2005|山下, 2005]], p 159.</ref>。油彩絵具の導入によって試行錯誤を重ねながら制作することが可能となったが、一方で研究者にとっては主題の特定を困難にするという問題も発生した<ref>[[#Humfrey, 高橋, 2006|Humfrey, 高橋, 2006]], p 120.</ref>。<br />
<br />
=== 18世紀 ===<br />
{{sectstub}}<br />
<br />
== 素描の特徴 ==<br />
ヴェネツィアでは他のイタリア諸国と比べて、素描が重視される割合が少なかった<ref name=c1500>[[#Art Encyclopedia "Venetian Drawing"|Art Encyclopedia "Venetian Drawing"]]</ref><ref name=colorito>[[#Art Encyclopedia "Colorito"|Art Encyclopedia "Colorito"]]</ref>。そのため大部分のヴェネツィア派によるデッサンは、今日の巨大な美術館でも残っていないことが多い<ref name=c1500 />。特定の絵画の準備制作に捕らわれないヴェネツィア派は、最初からキャンヴァスに油彩具で描くこともあるが、素描するケースも存在する。その際は絵画的効果を追求することに特化しており<ref>[[#松井, 2013|松井, 2013]], p 39.</ref>、砕けた形状や陰影と明暗、詳細より場の空気を描くことに重点を置いている<ref name=linetolight>[[#The J. Paul Getty Museum|The J. Paul Getty Museum]]</ref>。<br />
具体例として取り上げられるものを以下に列挙する。<br />
; 灰色を帯びた青く染めた紙<br />
: ヴェネツィアの製図師たちによって一般化された<ref name=linetolight />。前述した効果に適応している<ref name=linetolight />。これによってペンとインクとブラシによる詳細なデッサンが描かれるようになった<ref name=linetolight />。<br />
; 木炭<br />
; 白と黒のチョーク<br />
: 紙より後に受け入れられ、特に黒いチョークは幅広い表現力と陰影の強度が表現できるようになった<ref name=linetolight />。<br />
<br />
== 建築の特徴 ==<br />
10-11世紀にヴェネツィアでは、地階(一階)に商品の保管庫と商業設備、上階(必要であれば中二階と主要となる二階)に家族、使用人の居住機能を持つ建築構造が明確となった。これらは古代ローマの別荘建築やビザンティン帝国の伝統的な形式に由来する<ref name=senennnomiyako815>[[#ロマネッリ, 2011|ロマネッリ, 2011]], pp. 8-15. </ref>。これは9世紀初頭から建造が始まった<ref name=senennnomiyako815 />サン・マルコ聖堂でも見られ、北イタリアの聖堂プランに見られるバシリカ式かラテン十字形という一般論とは異なり、ビザンティン建築の形式を直接受け継いだギリシア十字形を採用している。これは[[コンスタンティノープル]]の聖使徒聖堂をモデルとしてギリシア人建築家によって建造されたからである<ref>[[#Michel, 小林, 巖谷, 松田, 深田, 田代, 越川, 2012|Michel, 小林, 巖谷, 松田, 深田, 田代, 越川, 2012]], p 16.</ref>。この形式は、長い期間根本的な構造の変化がなかった。その上家の中は木の壁と叩いた土の床から成るという、貧弱かつ不安定な土台であった<ref name=senennnomiyako815 />。13-15世紀は[[ゴシック建築]]を組み替えた独特の建築が成立した。以下に特徴を記載する。<br />
* 尖頭系の窓<br />
* 空中回廊<br />
* 白い大理石の外階段<br />
* 井戸のある中庭<br />
<br />
後の時代に建築物を建てる空間が残らず、16-18世紀は既存の建物の再建、改築、改修などが行われるようになった<ref name=senennnomiyako815 />。<br />
<br />
== 彫刻の特徴 ==<br />
{{sectstub}}<br />
<br />
== ヴェネツィア派画家の一覧==<br />
*[[ヤーコポ・ベリーニ]]<br />
*[[ジェンティーレ・ベリーニ]]<br />
*[[ジョヴァンニ・ベリーニ]]<br />
*[[ヴィットーレ・カルパッチョ]]<br />
*{{仮リンク|チーマ・ダ・コネリアーノ|en|Cima da Conegliano}}<br />
*[[セバスティアーノ・デル・ピオンボ]]<br />
=== 盛期ルネサンス ===<br />
*[[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ|ティツィアーノ]]<br />
*[[ジョルジョーネ]]<br />
*[[ティントレット]]<br />
*[[パオロ・ヴェロネーゼ]]<br />
=== 18世紀 ===<br />
*{{仮リンク|セバスティアーノ・リッチ|en|Sebastiano Ricci}}<br />
*{{仮リンク|ロザルバ・カッリエーラ|en|Rosalba_Carriera}}<br />
*{{仮リンク|アントーニオ・ペッレグリーニ|en|Giovanni Antonio Pellegrini}}<br />
*[[ジャンバッティスタ・ピアッツェッタ]]<br />
*[[ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ|ジャンバッティスタ・ティエポロ]]<br />
*{{仮リンク|ルカ・カルレヴァリス|en|Luca Carlevarijs}}<br />
*[[アントーニオ・カナール]]<br />
*[[カナレット]]<br />
*[[ベルナルド・ベッロット]]<br />
*{{仮リンク|フランチェスコ・グアルディ|en|Francesco Guardi}}<br />
*{{仮リンク|ロザルバ・カッリエーラ|en|Rosalba Carriera}}<br />
*{{仮リンク|ニコラ・グラッシ|en|Nicolò Grassi}}<br />
*{{仮リンク|ジュゼッペ・ノガーリ|en|Giuseppe Nogari}}<br />
*{{仮リンク|アレッサンドロ・ロンギ|en|Alessandro Longhi}}<br />
*{{仮リンク|ピエトロ・ロンギ|en|Pietro Longhi}}<br />
<br />
== ヴェネツィア派建築家一覧 ==<br />
*[[ピエトロ・ロンバルド]]<br />
*{{仮リンク|トゥッリオ・ロンバルド|en|Tullio Lombardo}}<br />
*{{仮リンク|マウロ・コドゥッシ|it|Mauro Codussi}}<br />
*{{仮リンク|アントニオ・リッツォ|it|Antonio Rizzo (architetto)}}<br />
*[[ヤーコポ・サンソヴィーノ]]<br />
*{{仮リンク|アレッサンドロ・ヴィットーリア|en|Alessandro Vittoria}}<br />
*{{仮リンク|ティツィアーノ・アスペッティ|en|Tiziano Aspetti}}<br />
*[[パッラーディオ]]<br />
*[[ヴィンチェンツォ・スカモッツィ]]<br />
*{{仮リンク|アンドレア・ティラーリ|en|Andrea Tirali}}<br />
*{{仮リンク|アントーニオ・スカルファロット|it|Giovanni Antonio Scalfarotto}}<br />
*{{仮リンク|アントーニオ・ガスパリ|en|Antonio Gaspari}}<br />
*{{仮リンク|ドメニコ・ロッシ|en|Domenico Rossi}}<br />
*{{仮リンク|トンマーゾ・テマンツァ|en|Tommaso Temanza}}<br />
*{{仮リンク|ジョルジョ・マッサリ|en|Giorgio Massari}}<br />
*{{仮リンク|アントーニオ・セルヴァ|en|Gian Antonio Selva}}<br />
<br />
== ヴェネツィア派彫刻家一覧 ==<br />
*[[ジョヴァンニ・マルキオーニ]]<br />
*[[ジャン・マリア・モルライテル]]<br />
*[[アントニオ・カノーヴァ]]<br />
*{{仮リンク|トゥッリオ・ロンバルド|en|Tullio Lombardo}}<br />
*[[アントニオ・ロンバルド (彫刻家)|アントニオ・ロンバルド]]<br />
<br />
== 建築物一覧 ==<br />
*[[サン・マルコ寺院]]<br />
*[[レデントーレ教会]]<br />
*[[サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会]]<br />
*[[ズィテッレ教会]]<br />
*[[サン・ピエトロ教会]]<br />
<br />
=== バロック時代の建造物 ===<br />
*[[サルーテ教会]]<br />
*[[スカルツィ教会]]<br />
*[[ジェズイーティ教会]]<br />
*[[サンタ・マリア・デル・ジーリオ教会]]<br />
*[[モイゼ教会]]<br />
*[[ペーザロ館]]<br />
*[[ボン=レッツオーニコ館]]<br />
*[[ピザーニ館]]<br />
*[[ラビア館]]<br />
<br />
=== 18世紀の建造物 ===<br />
*[[ヴィッラ]]<br />
<br />
== 建築に関する文献 ==<br />
*『[[建築四書]]』<br />
<br />
==ヴェネツィア派の批評家==<br />
*[[ロドヴィーコ・ドルチェ]]<br />
: 『絵画問答』の執筆者。本書は反宗教改革視点の絵画の擁護、[[マニエリスム]]への批判、ヴェネツィア絵画とそれを代表する画家であるティツィアーノへの賞賛、フィレンツェ派(特にミケランジェロ)を擁護した[[ジョルジョ・ヴァザーリ|ヴァザーリ]]の『[[画家・彫刻家・建築家列伝|美術家列伝]]』への批判を目的としている。当時から皮肉な著述家として有名だった[[ピエトロ・アレティーノ]]と[[ミケランジェロ・ブオナローティ|ミケランジェロ]]を盲信する[[トスカーナ]]出身の文法学者ファブリーニとの対談によって構成される。本書の出版によりヴァザーリは『美術家列伝』の改版でティツィアーノについて取り上げ、さらにミケランジェロを擁護するという動きを見せた。<br />
<br />
*{{仮リンク|マルコ・ボスキーニ|en|Marco Boschini}}<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
=== 注釈 ===<br />
{{Reflist|group="注釈"}}<br />
=== 出典 ===<br />
{{Reflist|2}}<br />
<br />
==参考資料==<br />
=== 文献 ===<br />
* {{Cite | last= Brown | first=Patricia Fortini| title = The Renaissance in Venice : a world apart | publisher = Weidenfeld & Nicolson | series =Everyman art library | place = London | date = 1997 | ncid = BA3429127X| isbn = 0297836137| ref=Brown, 1997}}<br />
* {{Cite |和書 | author = Dolce, Lodovico|title = アレティーノまたは絵画問答 : ヴェネツィア・ルネサンスの絵画論 | publisher = [[中央公論美術]] | translator = 森田義之, 越川倫明 | date = 2006-05 | isbn = 4805505214 | ncid = BA77046722 | ref=Dolce, 2006}}<br />
* {{Cite |和書 | author= Feuillet, Michel | title = イタリア美術| translator=小林亜起子;巖谷睦月;松田直子;深田麻里亜;田代有甚;越川倫明 | publisher = [[白水社]] | series =文庫クセジュ 972 | date = 2012-09 | ncid = BB10173822 | isbn = 978-4-560-50972-2 | ref=Michel, 小林, 巖谷, 松田, 深田, 田代, 越川, 2012}}<br />
* {{Cite |和書 | author= Humfrey, Peter | title = ルネサンス・ヴェネツィア絵画 |translator=高橋朋子 | publisher = [[白水社]]| date = 2010-08 | ncid = BB02833788 | isbn = 978-4-560-08083-2| ref=Humfrey, 高橋, 2006}}<br />
* {{Cite |和書 | author1 = 樺山紘一 | author2 = 森田義之 | title = ヴェネツィアの宴 |series= 名画への旅:盛期ルネサンス|volume=8| publisher = [[講談社]] | date = 1992-12 | isbn =4061897780 | ncid =BN08412889 | ref=樺山, 森田, 1992}}<br />
* {{Cite |和書 | author1 = 京都市美術館| author2 =日本美術協会上野の森美術館| author3 =産業経済新聞社| author4 =石鍋真澄 | title = ヴェネツィア絵画展 : 華麗なる18世紀イタリア | publisher = [[産経新聞社]] | date = 2001| ncid = BA62134633| ref=京都市美術館, 日本美術協会上野の森美術館, 産業経済新聞社, 石鍋真澄, 2006}}<br />
*{{Cite|和書| author1 = 東京都江戸東京博物館 | author2 = 東映 | author3 = TBSテレビ | title =世界遺産ヴェネツィア展 = Venezia: 魅惑の芸術-千年の都 | publisher = [[東映]] |date = 2011 | ref=東京都江戸東京博物館, 東映, TBSテレビ, 2011}}<br />
**{{Cite journal|和書|author=ジャンドメニコ・ロマネッリ|title =ヴェネツィアの肖像|journal=世界遺産ヴェネツィア展 = Venezia: 魅惑の芸術-千年の都|pages=8-15|ref=ロマネッリ, 2011}}<br />
*{{Cite |和書 | author1 = 中山公男 | author2 = 佐々木英也 | title = 神の王国と人間の都市 : 中世からルネサンスへ | publisher = [[日本放送出版協会]] | series = NHKルーブル美術館 | volume = 3 | date = 1985 | isbn = 4140084235 | ncid = BN00315980 | ref=中山, 佐々木, 1985}}<br />
* {{Cite |和書 | author1 = 美術出版社 | author2 = 美術出版社編集部 | author3 = 藤原えりみ | author4 = 高階秀爾 | title = 西洋美術史 : カラー版 | publisher = [[美術出版社]] | date = 2008 | isbn = 4568400643 | ncid = BA60025262 | ref=美術出版社, 美術出版社編集部, 藤原, 高階, 2008}}<br />
* {{Cite journal | author = 松井美智子|和書 | title = エル・グレコとヴァザーリ(I)─初期男性裸体素描の再検討を中心に | journal = 東北学院大学教養学部論集 | volume = 166 | pages = 33-59 | publisher = 東北学院大学学術研究会 | location = 宮城県 | date = 2013-12 | language = 日本語 | url = http://www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2013/pdf/no10_04.pdf | issn = 1880-3423 | naid = 40019951422 | accessdate =2016-05-29|ref=松井, 2013}}<br />
* {{Cite |和書 | author1= 元木幸一 | author2=森雅彦|author3=石鍋真澄| title = ルネサンス美術館 : history of Renaissance art | publisher = [[小学館]] | date = 2008-10 | ncid = BA8651588X | isbn = 978-4-09-699708-6 | ref=元木, 森, 石鍋, 2008}}<br />
* {{Cite |和書 | author= 山下史路 | title = ヴェネーツィアと芸術家たち | publisher = [[文芸春秋]] | series =文春新書 | date = 2005-08 | ncid = BA73114864 | isbn = 4166604570| ref=山下, 2005}}<br />
<br />
=== ウェブサイト ===<br />
* {{Cite web | url=http://www.visual-arts-cork.com/painting/colorito.htm |title = Colorito: Venetian Renaissance Painting | publisher = [http://www.visual-arts-cork.com/index.htm Art Encyclopedia]| accessdate = 2014-03-14 | archiveurl = http://megalodon.jp/2014-0314-1144-42/www.visual-arts-cork.com/painting/colorito.htm|archivedate=2014-03-14 | ref = Art Encyclopedia "Colorito"}}<br />
* {{Cite web | url=http://www.visual-arts-cork.com/history-of-art/venetian-drawing.htm |title = Venetian Drawing (c.1500-1600) | publisher = [http://www.visual-arts-cork.com/index.htm Art Encyclopedia] | accessdate = 2014-03-14 | archiveurl = http://megalodon.jp/2014-0314-1139-14/www.visual-arts-cork.com/history-of-art/venetian-drawing.htm |archivedate=2014-03-14| ref = Art Encyclopedia "Venetian Drawing"}}<br />
* {{Cite web | url=http://www.visual-arts-cork.com/history-of-art/venetian-drawing.htm |title = From Line to Light: Renaissance Drawing in Florence and Venice | publisher = [https://www.getty.edu/museum/index.html The J. Paul Getty Museum] | accessdate = 2014-03-14 | archiveurl = http://megalodon.jp/2014-0314-1106-51/https://www.getty.edu:443/art/exhibitions/renaissance_drawings/|archivedate=2014-03-14 | ref = The J. Paul Getty Museum}}<br />
* {{Cite web |url =http://japan.eb.com/rg/article-10716400 | title = ベネチア派| publisher = [http://japan.eb.com/failedlogin?target=%2F ブリタニカ国際大百科事典小項目事典]| accessdate = 2010-08-19 | ref = ブリタニカ国際大百科事典小項目事典, 2010}}<br />
<br />
== 参照項目 ==<br />
* [[ヴェネツィア]]<br />
* [[ヴェネツィア楽派]]<br />
* [[:en:Category:Venetian painters|英語版ウィキペディアCategory:Venetian painters]]<br />
* [[:it:Categoria:Artisti di scuola veneta|イタリア語版ウィキペディアCategoria:Artisti di scuola veneta]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
{{commons|Category:Venice in art}}<br />
*[https://web.archive.org/web/20160308062312/http://www.peeep.us/ff581a8e 江戸東京博物館特別展 ヴェネツィア展]<br />
<br />
{{西洋の芸術運動}}<br />
{{DEFAULTSORT:うえねちあは}}<br />
[[Category:ヴェネツィア派|*]]<br />
[[Category:ルネサンス美術]]<br />
[[Category:イタリアの美術]]<br />
[[Category:イタリア・ルネサンス]]<br />
[[category:ヴェネツィアの文化]]<br />
[[category:ヴェネツィアの歴史]]</div>
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