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http:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=42.151.45.162&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-04T11:50:40Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 山陽小野田市立山口東京理科大学 2018-06-27T08:46:26Z <p>42.151.45.162: /* 公式サイト */</p> <hr /> <div>&lt;!--<br /> この記事は[[プロジェクト:大学/大学テンプレート (日本国内)]]にしたがって作成されています。<br /> --&gt;<br /> {{大学<br /> | 国=日本<br /> | 大学名=山陽小野田市立山口東京理科大学<br /> | ふりがな=さんようおのだしりつやまぐちとうきょうりかだいがく<br /> | 英称=Sanyo-Onoda City University(旧称Tokyo University of Science ,Yamaguchi)<br /> | 画像=Yamaguchitokyorikauniv.jpg<br /> | pxl= 250<br /> | 画像説明=正門<br /> | 大学設置年=1995年<br /> | 創立年=1987年<br /> | 学校種別=公立<br /> | 設置者=[[公立大学法人]]山陽小野田市立山口東京理科大学<br /> | 本部所在地=[[山口県]][[山陽小野田市]][[大学通]]1-1-1<br /> | キャンパス=本部のみ<br /> | 学部=[[工学]]部&lt;br /&gt;[[薬学]]部<br /> | 研究科=工学研究科<br /> | 大学の略称=山口理大、山口理科大、山口東理大、TUSY、やまりか。地元では理科大で通じる<br /> | ウェブサイト=http://www.tusy.ac.jp/<br /> }}<br /> &lt;!--<br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※ここまでは上記テンプレートへ入力すれば自動的に反映されます。<br /> &lt;/div&gt;<br /> --&gt;<br /> == 概観 ==<br /> [[画像:Tokyo University of Science, Yamaguchi 01.jpg|220px|right|thumb|山陽小野田市立山口東京理科大学]]<br /> &lt;!--&lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※この項目では大学の基礎データを以下の節でまとめる。<br /> &lt;/div&gt;--&gt;<br /> === 大学全体 ===<br /> &lt;!--&lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※「大学全体」は、あくまでその大学の「全体像」を大まかにまとめる部分である。長さの目安は400字程度。また、本プロジェクトで討議された文章表現の基準に準拠する必要がある。特にその大学にとって特段の大きな意味を有さないこと、時限的な事象を大きくとりあげることにならないよう留意する必要が認められる。<br /> <br /> 記載内容は、大学の全体について平均的に記述し、特定の学部・研究科などを大きく取り上げる形にならないように留意する。また、できるだけ曖昧な表現の使用はさけ、より具体的でかつ確定的なことを中心に記載する。なお、その際、文章が増えることがあるが、節全体の文章量も十分に考慮する。さらに歴史的・社会的にどのような価値を持つのかが関係者以外でも理解できるように記述する。<br /> &lt;/div&gt;--&gt;<br /> [[1987年]]、[[学校法人東京理科大学]]により[[山口県]][[小野田市]](当時)に設置された[[東京理科大学山口短期大学]]を前身とする。[[1995年]]に四年制となり[[山口東京理科大学]]となった。[[2016年]]より設置者が[[学校法人東京理科大学]]から[[公立大学法人]]山陽小野田市立山口東京理科大学となり、[[公立大学]]に移行した。本部は[[山陽小野田市]]だが、敷地の一部は[[宇部市]]にもまたがる。最寄の[[駅]]は[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)[[小野田線]][[雀田駅]]。2011年3月までは構内に[[放送大学]]山口学習センターも併設されていた。<br /> <br /> ===建学の精神===<br /> 「[[理学]]の普及をもって国運発展の基礎となす」と掲げる[[東京理科大学]]の1881年建学の[[精神]]を継承し、「[[教育]]」「[[研究]]」「地域貢献」を理念として構成されている。この基本理念が規範となり[[学部]][[学科]]の使命・目的が定められ、その実現に向けた学士課程が設置されている。<br /> &lt;!--&lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ○○大学の学是は「○○○○○」となっている。これは…<br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※この項目はそれぞれの大学に応じて「校訓」「学是」「憲章」などの適切な節名を用いる。なお、校訓などが長文となる場合は、[[著作権]]に注意すること。最後に改訂されてから50年が経過していれば全文の紹介が可能であるが、そうではない場合には概略に止め、全文は公式サイトへのリンクで代用するという手段がある。<br /> &lt;/div&gt;<br /> --&gt;<br /> &lt;!--&lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※大学の学問的な特徴の概略をこちらでまとめる。各学部ごとに詳細な内容をまとめる必要がある場合は後述の学部をまとめた項目で記すこと。さらに歴史的・社会的にどのような価値を持つのかが関係者以外でも理解できるように記述する。<br /> &lt;/div&gt;--&gt;<br /> &lt;!--<br /> === 学風および特色 ===<br /> Stub<br /> ○○大学は学生自治が重視されており…<br /> サークル活動が盛んなのは以下のような理由から…<br /> 伝統的に新入生は××を行う習慣があるが…<br /> 略称は「△△」…<br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※ここで大学全体の学風や特色を端的にまとめる。具体的な数字データや学生生活の詳細は別項でまとめる。あくまでここは概略である。さらに歴史的・社会的にどのような価値を持つのかが関係者以外でも理解できるように記述する。<br /> &lt;/div&gt;<br /> --&gt;<br /> <br /> == 沿革 ==<br /> &lt;!--<br /> === 略歴 ===<br /> Stub<br /> ○○大学は○年に設立され…<br /> 現在では…<br /> --&gt;<br /> === 年表 ===<br /> &lt;!--*[[1881年]][[6月]] - [[東京物理学講習所]]を創立<br /> *[[1883年]][[9月]] - [[東京物理学校]]に改称<br /> *[[1915年]][[5月]] - [[財団法人]]東京物理学校を設立<br /> *[[1949年]][[4月]] - [[東京理科大学]]に移行--&gt;<br /> *[[1987年]]4月 - [[東京理科大学山口短期大学]]を開設<br /> *[[1995年]]4月 - [[山口東京理科大学]]を開設(基礎工学部[[電子]]基礎工学科、素材基礎工学科)<br /> *[[1997年]][[12月]] - [[液晶]]研究所を設置<br /> *[[1999年]]4月 - 山口東京理科大学大学院基礎工学研究科([[修士課程]])を設置<br /> *[[2001年]]9月 - 英語表記をScience University of Tokyo in Yamaguchi(SUTY)から現在のTokyo University of Science, Yamaguchi(TUSY)に変更<br /> *[[2002年]]4月 - [[電子]]基礎工学科を[[電子]]・[[情報]]工学科に、素材基礎工学科を[[物質]]・[[環境]]工学科に[[名称]]を変更し、それぞれの学科に[[3]]つのコースを設けた<br /> *[[2003年]]4月 - 山口東京理科大学大学院基礎工学研究科([[博士後期課程]])を開設<br /> *[[2005年]][[6月]] - 先進材料研究所を設置<br /> *[[2009年]]4月 - 工学部を設置し、機械工学科、電気工学科、応用化学科の3[[学科]]体制となった(基礎工学部を改組)<br /> *[[2013年]]4月 - 大学院の基礎工学研究科基礎工学専攻を工学研究科工学専攻に名称変更<br /> *[[2014年]]12月 - [[公立大学法人]]移行について[[山陽小野田市]]と合意し、[[山陽小野田市]]と[[学校法人東京理科大学]]の間で基本協定を締結<br /> *[[2015年]]8月 - [[文部科学省]]に対し[[公立大学法人]]設立の認可を申請<br /> *[[2015年]]12月 - [[文部科学省]]より[[公立大学法人]]設立認可<br /> *[[2016年]]4月 - 公立大学法人山陽小野田市立山口東京理科大学となる<br /> *[[2017年]]8月 - [[文部科学省]]より[[薬学部]]設置認可&lt;ref&gt;[http://ubenippo.co.jp/culture/山口東京理大「薬学部」認可、地元は期待感/ 山口東京理大「薬学部」認可、地元は期待感] 宇部日報&lt;/ref&gt;<br /> *[[2018年]]4月 - 薬学部を開設<br /> <br /> === 公立化への動き ===<br /> 設置者の学校法人東京理科大学は本学及び東京理科大学・[[公立諏訪東京理科大学|諏訪東京理科大学]]の組織改革を進めており、[[2014年]]12月、学校法人東京理科大学と山陽小野田市は本学の公立大学法人化について合意し&lt;ref&gt;[http://www.asahi.com/articles/ASGDP4S9MGDPTZNB005.html 山口東京理科大、公立化で合意 山陽小野田市と学校法人]2014年12月21日 朝日新聞&lt;/ref&gt;、2016年度から公立大学法人に移行した。2017年度以降には薬学部の新設をめざす。山陽小野田市は同月22日に市議会に公立化の方針を示し、同意を得た上で、26日には学校法人東京理科大学と山陽小野田市の間で移管についての基本協定書を交わした。公立大学法人の名称は「山陽小野田市立山口東京理科大学」とし、本校の[[東京理科大学]]との連携は維持される。公立化に際し、学校法人側は土地、建物、設備を市に寄付し、市がそれらを公立大学法人に引き継ぐ。現在の学生・教職員はそのまま「山陽小野田市立山口東京理科大学」の学生・教職員となる。公立化によって[[総務省]]から運営交付金が受けられるほか、設置主体の[[地方自治体]]に[[地方交付税交付金]]が配分される。これらによる収入が現在の[[私学助成金]]より高額になることから、授業料が他の国公立大並みに引き下げられる見通しであるという。本学は地元[[地方公共団体|自治体]]の誘致と協力によって開学した短期大学を前身とする大学であるが、[[2010年]]度以降入学者が1年を除き定員割れしており、2014年度の全在学生も定員の800人を下回る状態となっていた。少子化と学生定員割れが続く中、このままでは今後の状況は厳しいと大学側は判断、本学より後発の[[公設民営大学|公設民営方式]]・「公私協力」型の大学が相次いで公立に移行している現状を踏まえ、学費を引き下げることにより学生・父母保証人の負担を軽減し、学生数を確保するとともに、県内高校卒業者の県内大学進学率を上げ、「[[公立大学|公立]][[文系と理系|理工系]]大学」として地域の高等教育機関の維持と活性化を図ろうとするものである。<br /> <br /> === 薬学部の設置 ===<br /> 2018年(平成30年)4月に[[山口県]]としては初となる薬学部を設置した。また、[[西日本]]([[近畿]]・[[中国]]・[[四国]]・[[九州]]・[[沖縄地方]])の[[公立大]]においては、初の薬学部設置となった&lt;ref&gt;[http://www.city.sanyo-onoda.lg.jp/site/kigyoritti/renkei.html 山陽小野田市立山口東京理科大学] 山陽小野田市&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 基礎データ ==<br /> === 所在地 ===<br /> * [[山口県]][[山陽小野田市]][[大学通]]1-1-1&lt;!--&lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※ここではキャンパスの名称と所在地のみ記す。<br /> &lt;/div&gt;<br /> --&gt;&lt;!--<br /> ===象徴===<br /> Stub<br /> *校章は○○をイメージしており…<br /> *大学歌は○○が作詞しているが…<br /> *シンボルマークは…<br /> *スクールカラーは○色で…<br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※校歌・校章・校旗・シンボルマーク・スクールカラーなどの大学を示す象徴はこの項目にまとめる。<br /> &lt;/div&gt;<br /> --&gt;<br /> <br /> == 教育および研究 ==<br /> === 組織 ===<br /> ==== 学部 ====<br /> * [[工学部]]<br /> ** 機械工学科<br /> ** 電気工学科<br /> ** 応用化学科<br /> <br /> * [[薬学部]](平成30年設置予定)&lt;ref&gt;[http://www.tusy.ac.jp/news/2017/04/post-204.html 薬学部の設置認可申請について] 山口東京理科大学&lt;/ref&gt;<br /> ** 薬学科<br /> &lt;!--<br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※学部ごとに詳細な説明を加えたい場合には以下のようにする方法もある。ただし、独立した節を入れて解説する場合、独立した節に出来るほど歴史的・社会的にどのような価値を持つのかが関係者以外でも理解できるように記述する。<br /> &lt;/div&gt;<br /> <br /> ===== ○○学部 =====<br /> *××学科<br /> *△△学科<br /> この学部は…<br /> <br /> ===== □□学部 =====<br /> *×△学科<br /> *△×学科<br /> この学部は…<br /> &lt;/div&gt;<br /> --&gt;<br /> <br /> ==== 大学院 ====<br /> &lt;!--&lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※研究部や教育部のように研究科組織でない場合は、節名を適切なものにして、研究科以外の大学院組織であることを文章で説明する。大学院がない場合、書いていないのか未設置なのかの区別をつけるためにその旨も記述する。<br /> &lt;/div&gt;--&gt;<br /> * [[工学研究科]]<br /> ** 工学専攻(修士課程・博士後期課程)<br /> &lt;!--<br /> ==== 専攻科 ====<br /> Stub<br /> <br /> --&gt;&lt;!--<br /> ==== 別科 ====<br /> Stub<br /> <br /> --&gt;&lt;!--<br /> ==== 短期大学部 ====<br /> Stub<br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※学校教育法上、短期大学と大学は、それぞれが別々の1つの学校である。よって必要な場合は、独立した記事を立ててここでは簡便な記述に留める。<br /> &lt;/div&gt;<br /> --&gt;<br /> <br /> ==== 附属機関 ====<br /> &lt;!--&lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※学部・研究科・別科・専攻科・(短期大学部)などの教育を行っている組織外の研究所、センター、大学博物館などは、ここでまとめる。<br /> &lt;/div&gt;--&gt;<br /> * 液晶研究所<br /> * 先進材料研究所<br /> &lt;!--<br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※数が多い、あるいは特徴的な機関があるという場合には、上記一覧表を掲示した下へ下記のように節を入れて解説することも考慮すべきである。ただし、独立した節を入れて解説する場合、独立した節に出来るほど歴史的・社会的にどのような価値を持つのかが関係者以外でも理解できるように記述する。<br /> &lt;/div&gt;<br /> ===== ○○研究所 =====<br /> ○○研究所は…<br /> <br /> ===== 附属病院 =====<br /> 附属病院は…<br /> <br /> ===== 附属図書館 =====<br /> 図書館は…<br /> <br /> ===== ○○博物館 =====<br /> ○○博物館は…<br /> --&gt;&lt;!--<br /> === 研究 ===<br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※歴史的・社会的にどのような価値を持つのかが関係者以外でも理解できるように記述できる場合は、プログラムに関する列記以外に研究内容の特色を別途記すことも出来る。<br /> &lt;/div&gt;<br /> --&gt;&lt;!--<br /> ==== 21世紀COEプログラム ====<br /> Stub<br /> <br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※[[21世紀COEプログラム]]の採択がある場合はこの項目を立てて以下のように記述する。採択がない場合はこの節は立てない。ただし、書いていないのか未採択なのかの区別をつけるために「研究」節内で「&lt;nowiki&gt;*21世紀COEプログラムの採択はない。&lt;/nowiki&gt;」と記述する。<br /> &lt;/div&gt;<br /> <br /> *採択x件<br /> *20xx年<br /> :[[分野名]]<br /> ::採択プロジェクト名称<br /> --&gt;&lt;!--<br /> ==== 私立大学学術研究高度化推進事業 ====<br /> Stub<br /> <br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※私立大学で[[私立大学学術研究高度化推進事業]]の採択がある場合はこの項目を立てて以下のように記述する。採択がない場合はこの節は立てない。ただし、書いていないのか未採択なのかの区別をつけるために「研究」節内で「&lt;nowiki&gt;*私立大学学術研究高度化推進事業の採択はない。&lt;/nowiki&gt;」と記述する。<br /> &lt;/div&gt;<br /> <br /> *○○事業<br /> **○○センター<br /> *○○事業<br /> **○○センター<br /> --&gt;&lt;!--<br /> === [[教育]] ===<br /> Stub<br /> <br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※以下のプログラムに指定されたプロジェクトがあれば、以下のように項目を作り記述する。採択がない場合、書いていないのか未採択なのかの区別をつけるために&lt;nowiki&gt;*○○プログラムの採択はない。&lt;/nowiki&gt;」と記述する。歴史的・社会的にどのような価値を持つのかが関係者以外でも理解できるように記述できる場合は、プログラムに関する列記以外に教育内容の特色を別途記すことも出来る。<br /> &lt;/div&gt;<br /> *現代的教育ニーズ取組支援プログラム<br /> **○○プロジェクト<br /> *特色ある大学教育支援プログラム<br /> **○○プロジェクト<br /> *大学教育の国際化推進プログラム<br /> **○○プロジェクト<br /> *法科大学院等専門職大学院形成支援プログラム<br /> **○○プロジェクト<br /> *地域医療等社会的ニーズに対応した医療人教育支援プログラム<br /> **○○プロジェクト<br /> *大学・大学院における教員養成推進プログラム<br /> **○○プロジェクト<br /> --&gt;<br /> == 学生生活 ==<br /> === 学園祭 ===<br /> 学園祭は「竜王祭」と呼ばれている。<br /> &lt;!--<br /> 学園祭は「○○祭」と呼ばれ…<br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※学園祭の規模が大きい場合はこの項目の名称を学園祭名で立ててもよい。またキャンパスによって学園祭が別途開催されている場合にはそれぞれ節を作り説明しても良い。<br /> &lt;/div&gt;<br /> --&gt;&lt;!--<br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> 学生生活について記載する。学生自治会に関係する内容は、適宜下位の節に織り込む。<br /> &lt;/div&gt;<br /> --&gt;&lt;!--<br /> === [[部活動]]・クラブ活動・サークル活動 ===<br /> Stub<br /> <br /> ○○大学では{部活動|クラブ活動|サークル活動}は…<br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※部活動・クラブ活動・サークル活動の概要をここで解説する。各大学によって、これら活動の呼称や範囲が異なっているので、学生組織の規約または大学事務局発行の資料などに基づいて適切な節名とする。全公認学生団体・部・サークルのリストを掲載しなければ大学に関して説明できないという特段の事情がある場合には、歴史的社会的にどのような価値を持つのかをふまえながらどのような事情であるのかを関係者以外でも理解できるように記述可能な場合のみ、事前にノートで合意を形成した上でこの節にまとめる。<br /> &lt;/div&gt;<br /> <br /> === [[スポーツ]] ===<br /> Stub<br /> <br /> ○○というスポーツが強く○年連続優勝…<br /> <br /> ○○大学野球連盟に加盟している。<br /> <br /> ○○地区大学ラグビー連盟に加盟している。<br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※学生スポーツの詳細はこの節でまとめる。部活動の一環として行われているものが多い場合は、その中に織り込むことも可能である。所属連盟に関してはここで記す。<br /> &lt;/div&gt;<br /> --&gt;<br /> <br /> == 大学関係者と組織 ==<br /> &lt;!--&lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※大学関係者と大学関係者で組織される諸組織はここで解説する。<br /> &lt;/div&gt;--&gt;&lt;!--<br /> === 大学関係者組織 ===<br /> Stub<br /> <br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※大学関係者と大学関係者で組織される諸組織はここで解説する。「大学関係者で組織される諸組織」の定義と範囲についてはプロジェクト:大学/大学同窓組織・保護者組織・学生組織の記事独立基準参照。ただし、学生自治会は「学生生活」節で、出版関係組織など大学本部が自ら掌握している組織は「附属機関」節で、それぞれ解説する。なお、この基準で範囲外となっている組織については次節「社会との関わり」において解説するが、その際は「社会との関わり」節の掲載基準に適合していることを条件とする。また、範囲外の組織であり、かつ別記事において解説されている組織に関しては「関連項目」節でリンクを行う。<br /> &lt;/div&gt;<br /> <br /> *○○大学の同窓会は「××会」と称し…<br /> *○○大学には生活協同組合があるが、この生活協同組合は△△という点で特殊であり…<br /> *○○大学には保護者組織があり…<br /> --&gt;<br /> === 大学関係者一覧 ===<br /> &lt;!--&lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※大学関係者の一覧はプロジェクト‐ノート:大学/人物一覧記事についてで協議されたように大学の記事自体には挿入せず別に記事を作成する。ここでは、人物一覧記事へのリンクを列挙する。なお、大学の人物一覧記事に関してはプロジェクト:大学/人物一覧記事についての基準に従うこと。<br /> &lt;/div&gt;--&gt;<br /> ==== 大学関係者 ====<br /> * [[田丸謙二]]:元基礎工学部教授:[[東京大学]]副学長・[[東京大学]][[名誉教授]]・[[紫綬褒章]]受章・[[勲二等瑞宝章]]受章<br /> * [[塚本桓世]]:山口東京理科大学第4代学長、[[東京理科大学]]6代理事長、[[旭日中綬章]]受章<br /> * [[戸嶋直樹]]:山口東京理科大学名誉教授:[[東京大学]][[教授]]<br /> * [[大澤敏]]:元山口東京理科大学助手:[[金沢工業大学]]学長<br /> * [[貴島孝雄]]:工学部教授:[[マツダ]]の元[[エンジニア]]<br /> * [[扇原淳]]:元講師:[[早稲田大学]]人間科学学術院教授<br /> &lt;!--<br /> ==== 出身者 ====<br /> --&gt;<br /> == 施設 ==<br /> === キャンパス ===<br /> &lt;!--&lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※各キャンパスの特徴や概要はこの節に以下のような箇条書きの見出しを<br /> 付けた形式でまとめる。該当する項目が不明な場合には、冒頭の基準にある<br /> ようにコメントアウトで隠しておく。<br /> &lt;/div&gt;<br /> *交通アクセス:○○線○○駅下車<br /> *○○キャンパス内には○○の木が多く植えられているがこれは…<br /> --&gt;<br /> *交通アクセス:[[西日本旅客鉄道]][[小野田線]][[雀田駅]]から徒歩5分、[[長門長沢駅]]から徒歩約10分~15分。[[山口宇部空港]]から[[タクシー]]で20分&lt;!--<br /> === 学生食堂 ===<br /> ○○大学の学生食堂(学食)は…<br /> <br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※学食に関する特記事項がある場合は、歴史的にどのような価値を持つのかが関係者以外でも理解できるように記述可能な場合、この節にまとめる。<br /> &lt;/div&gt;<br /> --&gt;&lt;!--<br /> === 講堂 ===<br /> ○○大学のホールは…<br /> <br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※講堂やホールに関する特記事項がある場合は、歴史的にどのような価値を持つのかが関係者以外でも理解できるように記述可能な場合、この節にまとめる。<br /> &lt;/div&gt;<br /> --&gt;&lt;!--<br /> === 学生会館 ===<br /> ○○大学には学生会館があり…<br /> <br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※学生会館に関する特記事項がある場合は、歴史的にどのような価値を持つのかが関係者以外でも理解できるように記述可能な場合、この節にまとめる。<br /> &lt;/div&gt;<br /> --&gt;&lt;!--<br /> === 寮 ===<br /> ○○大学の寮は…<br /> <br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※学生寮などが設置されている場合には、歴史的にどのような価値を持つのかが関係者以外でも理解できるように記述可能な場合、この節にまとめる。<br /> &lt;/div&gt;<br /> <br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※そのほか、大学の施設に関する特記事項がある場合は、歴史的にどのような価値を持つのかが関係者以外でも理解できるように記述可能な場合、この節にまとめる。大学施設を独立した記事とする場合には別途設定されている基準に従う。<br /> &lt;/div&gt;<br /> --&gt;<br /> <br /> == 対外関係 ==<br /> &lt;!--Stub<br /> <br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※同一法人の運営する教育機関以外の組織との関係はこの節で説明する。<br /> 大学自らが違いについて公式に広報しているケースなど、類似名称の<br /> 教育機関との関係有無について説明をしておく必要がある場合は<br /> 小節に分けず、本節直下で解説を行う。 <br /> &lt;/div&gt;<br /> --&gt;&lt;!--<br /> === 地方自治体との協定 ===<br /> Stub<br /> <br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※地方自治体と何らかの文章による調印のなされた協定が<br /> 締結されている場合にはこちらの項目に列挙する。同一協定<br /> に複数自治体が入っている場合には箇条を同一とし、<br /> 同じ協定名でも個別締結の場合にはそれぞれを分割して提示する。<br /> 箇条名は出来るだけ正式な協定名をそのまま提示する。<br /> &lt;/div&gt;<br /> <br /> *○○市及び××市の市民が○○大学図書館を利用する事に関する協定(1985年締結)<br /> **○○市<br /> **××市<br /> *△△市の市民が○○大学図書館を利用する事に関する協定(1985年締結)<br /> **△△市<br /> --&gt;&lt;!--<br /> === 他大学との協定 ===<br /> Stub<br /> <br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※他の大学と何らかの文章による調印のなされた協定が締結されている場合にはこちらの項目に列挙する。<br /> &lt;/div&gt;<br /> <br /> === 関係校 ===<br /> *○○大学--&gt;<br /> === 姉妹校 ===<br /> *[[東京理科大学]]<br /> &lt;!--<br /> === 系列校 ===--&gt;<br /> &lt;!--&lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※姉妹校・関係校・系列校は大学あるいは設置者が正式に発表しているものをその表現で扱う。創立者が同一など歴史的に関係があるとしても大学あるいは設置者が正式にその事実を明確に発表していないものは掲載しない。たとえ地方公共団体やマスメディアが記事として取り上げていた内容であっても大学が正式に公表していない事例は掲載しない。<br /> &lt;/div&gt;<br /> --&gt;&lt;!--<br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※これ以外の組織との文章で調印のなされた協定が存在する場合には本大節直下<br /> に節を立てずに説明するか、あるいは数が多い場合には適宜小節を立てて<br /> 説明を試みる。<br /> &lt;/div&gt;<br /> --&gt;&lt;!--<br /> == 社会との関わり == <br /> 現時点では特になし<br /> <br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※これまでの節で言及されず、かつ特記する事象がある場合、この節を設ける。<br /> &lt;/div&gt;<br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※この節で取り扱う内容は、歴史的にどのような価値を持つのかがその大学をほとんど知らない人にも理解でき、かつ、学外で取り上げられた事象とする。具体的には<br /> *政治・経済・国際関係・戦争<br /> *哲学・科学・教育・学芸文化<br /> *文学・音楽・芸術・スポーツ<br /> *社会通念・制度・宗教・地域社会<br /> 等とその大学がどのように関わったかという事例が考えられる。<br /> &lt;/div&gt;<br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※当該大学にとって不名誉な内容であってもそれが社会的に大きな意味を持つ場合には、その事象が大学とどのように関わり、社会的・歴史的にどのような意義を持ち、さらにWikipediaを利用する人に理解できる文章で記述できるのであれば掲載可能である。逆に大学にとって広報したい名誉な内容についてもその事象が大学とどのように関わり、Wikipediaで掲載しておく必要性を社会的・歴史的な意義をきちんと明示しながらWikipediaを利用する人に理解できる文章で記述できるのであれば掲載可能である。<br /> &lt;/div&gt;<br /> <br /> xxxx年に発生した○○事件は…<br /> --&gt;&lt;!--<br /> == 附属学校 ==<br /> <br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※学校教育法上、それそれの学校と大学は、別々の1つの学校である。よって必要な場合は、独立した記事を立ててここでは簡便な記述に留める。<br /> &lt;/div&gt;<br /> <br /> * [[○○大学附属小学校]]<br /> * [[○○大学附属中学校]]<br /> * [[○○大学附属高等学校]]<br /> * [[○○大学附属○○専門学校]]<br /> --&gt;&lt;!--<br /> == Wiki関係他プロジェクトリンク ==<br /> 現時点では特になし<br /> <br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※Wikipedia以外の姉妹プロジェクトへのリンクはここでまとめる。具体的な姉妹プロジェクトはメインページ参照。<br /> &lt;/div&gt;<br /> --&gt;&lt;!--<br /> == 関連項目 ==<br /> 現時点では特になし<br /> <br /> &lt;div style=&quot;background-color: #f0f0f0&quot;&gt;<br /> ※大学に関する関連項目は原則として本文中にリンクする。関連項目は原則として使用しない。たとえば何かの説明をするために創立者の出身地を紹介する必要がある場合には必要とする項目へ記載する。本文では説明できないが関連項目として他の記事にリンクをする必要がある場合には事前にノートで理由とともに提案を行い、同意が得られた場合にのみ掲載できる。<br /> &lt;/div&gt;<br /> --&gt;<br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> &lt;!--=== 注釈 ===<br /> {{Reflist|group=注}}--&gt;<br /> === 出典 ===<br /> {{Reflist}}<br /> &lt;!--== 参考文献 ==--&gt;<br /> <br /> == 公式サイト ==<br /> * [http://www.tusy.ac.jp/ 山陽小野田市立山口東京理科大学]<br /> <br /> {{日本の公立大学}}<br /> {{学校法人東京理科大学}}<br /> {{山口県大学図書館協議会}}<br /> {{大学リーグやまぐち}}<br /> {{公設民営大学}}<br /> {{Normdaten}}<br /> {{univ-stub}}<br /> {{ウィキ座標2段度分秒|33|57|25|N|131|11|15.5|E|type:edu_region:JP|display=title}}<br /> {{DEFAULTSORT:さんようおのたしりつやまくちとうきようりか}}<br /> [[Category:山陽小野田市立山口東京理科大学|*]]<br /> [[Category:日本の公立大学]]<br /> [[Category:山口県の大学]]<br /> [[Category:学校記事]]<br /> [[Category:1987年設立の教育機関]]</div> 42.151.45.162 TOMONY 2018-06-26T08:37:51Z <p>42.151.45.162: /* 開業店舗駅 */</p> <hr /> <div>{{redirect|TOMONY|[[金融持株会社]]|トモニホールディングス}}<br /> {{Otheruses|西武鉄道の駅売店|同名の大型ペットショップ|ジョイフル山新}}<br /> [[ファイル:Seibu_TOMONY_Ekoda-store.jpg|thumb|250px|right|TOMONY[[江古田駅|江古田]]店(ウォークイン販売方式)]]<br /> &#039;&#039;&#039;TOMONY&#039;&#039;&#039;(トモニー)は、[[西武鉄道]]が[[ファミリーマート]]と[[フランチャイズ]]契約して出店している、駅構内([[駅ナカ]])の[[売店]]である。<br /> <br /> == 概説 ==<br /> [[2007年]][[6月5日]]に、西武鉄道とファミリーマートが新しい形態の駅売店を共同運営することで合意&lt;ref&gt;[http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2007/__icsFiles/afieldfile/2009/11/18/070605.pdf 西武鉄道とファミリーマートが駅売店の共同展開で基本合意] 西武鉄道株式会社2007年06月05日[[ニュースリリース]]&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://www.family.co.jp/company/news_releases/2007/070605_1.html ファミリーマートと西武鉄道が駅売店の共同展開で基本合意] 株式会社ファミリーマート2007年06月05日ニュースリリース&lt;/ref&gt;。[[2007年]][[7月3日]]に、トライアル店舗(実験店舗)の3店舗が、ウォークイン販売方式(コンビニエンスストア類似型)として[[西武池袋線]][[練馬駅]]に、ステップイン販売方式(小形店舗型)として[[西所沢駅]]に、カウンター販売方式(対面式売店型)として[[練馬高野台駅]]に、それぞれ開店した。3か月間の実証実験を終えた後、同年[[12月20日]]に[[高田馬場駅]]橋上店(橋上駅舎内)が開店した。その後、[[2008年]][[2月9日]]に[[武蔵藤沢駅]]店、同年4月に[[国分寺駅]]店、[[中村橋駅]]店と展開を進めている。今後、全92駅中約70駅にある店舗を、TOMONYに転換する予定である。<br /> <br /> ファミリーマートと共に(トモニ)、お客さまと共に(トモニ)、地域と共に(トモニ)、店舗を成長させていくと意味を込めて、TOMONYと名付けた。<br /> <br /> 従来の西武鉄道駅構内にあった売店とは異なり、[[販売時点情報管理|POS]]システムを利用するなど効率化を図っている。[[PASMO]]・[[Suica]]等の交通系電子マネーの他、[[ファミマTカード]]及び[[西武グループ|プリンスカード]]を含むクレジットカード・デビットカードでの決済(店舗で確認済み)で商品の代金を払える。通常のファミリーマートでは決済可能な[[WAON]]、[[Edy]]、[[iD]]、[[QUICPay|QuicPay]]の利用は出来ない(かつてはTマネーや交通系を含む電子マネーチャージも不可能だった)。なお、Tマネー・Tポイントや[[QUOカード]]による決済は利用できる。<br /> <br /> ポイント付与は[[ティーポイント|Tポイント]]かプリンスカードのどちらか1枚のみとなっていたが、[[2014年]][[4月1日]]からはスマイルリンクサービスでプリンスカードと紐付けされたPASMOで支払う際にTカードを呈示することにより、プリンスポイントとTポイントが同時に付与されるようになる&lt;ref&gt;[http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2013/__icsFiles/afieldfile/2014/03/26/20140326tomony.pdf 4月1日(火)より、駅ナカ・コンビニ「TOMONY」でスマイルリンクサービスがはじまります!] 西武鉄道株式会社2013年03月26日ニュースリリース&lt;/ref&gt;。またプリンスカードそのものの提示によってはポイントがたまらないよう変更された。<br /> <br /> なお、練馬駅店等一部の店舗には、[[イーネット]][[現金自動預け払い機|ATM]]や[[Famiポート]]が設置されている。<br /> <br /> また、一般的なコンビニエンスストアと同様に[[酒]]や[[たばこ]]の販売も行っている(所沢駅改札内店・下井草店除く)。<br /> <br /> == 店舗形態 ==<br /> * ウォークイン販売方式 - 一般的な[[コンビニエンスストア]]の約半分程度の売り場面積を持つ店舗。店舗によっては同規模のものもある。<br /> * ステップイン販売方式 - ウォークイン販売方式より売り場面積が小さく、[[飲料]]、[[中食]]、[[菓子]]、[[雑誌]]・[[新聞]]、[[日用品]]のうち緊急性の高いものなどに商品に絞った店舗。<br /> * カウンター販売方式 - ステップイン販売方式より売り場面積が小さく、従来の売店と比較して[[おむすび]]、[[サンドウィッチ]]、[[菓子パン]]などを中心に品揃えを充実させた店舗。従来の売店と同じ対面式のものもあるが、同様に称される。<br /> <br /> == 開業店舗駅 ==<br /> 販売店の一覧は[http://www.seibu-group.co.jp/railways/life/shop/tomony/tomony-list/ 公式ウェブサイト]を参照。<br /> <br /> * [[練馬駅]] - 改札内ウォークイン販売方式。改札外からの利用可。2007年7月3日開店。2016年1月13日をもってリニューアルのため一時閉店し、同年4月ごろリニューアルオープン。<br /> * [[西所沢駅]] - 改札外ステップイン販売方式。改札内からの利用可。2007年7月3日開店。<br /> * [[練馬高野台駅]] - 改札内カウンター販売方式。2007年7月3日開店。<br /> * [[高田馬場駅]](橋上駅舎内) - 山手線乗り換え通路に位置する。ステップイン販売方式。2007年12月10日開店。<br /> * [[武蔵藤沢駅]] - 改札外。2008年2月9日開店。<br /> * [[国分寺駅]] - 改札内。2008年4月開店。<br /> * [[中村橋駅]] - 改札外。2008年4月開店。<br /> * [[富士見台駅]] - 改札外。2008年5月開店。<br /> * [[田無駅]] - 2008年5月開店。改札内ステップイン販売方式。<br /> * [[清瀬駅]] - 2008年7月29日開店。改札外ステップイン販売方式。<br /> * [[東久留米駅]](橋上駅舎内) - 改札外。2008年7月14日開店。<br /> * [[東村山駅]] - 改札内カウンター販売方式。改札外からの利用可。2008年8月5日開店。<br /> * [[入間市駅]] - 改札外。<br /> * [[飯能駅]] - 改札内ステップイン販売方式。<br /> * [[上石神井駅]] - 改札内カウンター販売方式。<br /> * [[小平駅]] - 改札内カウンター販売方式。<br /> * [[玉川上水駅]] - 改札内ステップイン販売方式。改札外からの利用可。2008年12月3日開店。<br /> * [[保谷駅]] - 改札外ステップイン販売方式。 2009年1月14日開店。<br /> * [[ひばりヶ丘駅]] - 改札外ステップイン販売方式。 2009年1月14日開店。<br /> * [[秋津駅]] - 改札内ステップイン販売方式。2009年1月28日開店。<br /> * [[新所沢駅]] - 改札内カウンター販売方式。2009年2月12日開店。<br /> * [[小手指駅]] - 改札内店舗だが改札外からの一部利用も可能。2009年2月12日開店。<br /> * [[東長崎駅]] - 2009年6月4日開店。改札外ウォークイン販売方式。<br /> * [[本川越駅]] - 改札内ステップイン販売方式。[[川越市|川越]]にちなみ、店舗上周囲が瓦屋根となっている。2009年6月11日開店。<br /> * [[入曽駅]] - 改札外カウンター販売方式。2009年7月21日開店。2018年6月29日閉店。<br /> * [[鷺ノ宮駅]] - 改札外ステップイン販売方式。改札外からも一部利用可。2009年8月3日開店。<br /> * [[狭山ヶ丘駅]] - ステップイン販売方式。2009年8月3日開店。<br /> * [[東伏見駅]] - 改札内ステップイン販売方式。2009年8月27日開店。<br /> * [[航空公園駅]] - 改札外。2009年8月27日開店。<br /> * [[花小金井駅]] - 改札内のみ利用可能。<br /> * [[江古田駅]] - 改札内。改札外からも一部利用可。ウォークイン販売方式。[[2010年]][[1月9日]]開店。<br /> * [[萩山駅]] - TOMONY店舗初の完全なカウンター販売方式。改札内。2010年[[1月28日]]開店。<br /> * [[武蔵関駅]] - 改札外カウンター販売方式。2010年[[2月16日]]開店。<br /> * [[狭山市駅]] - 改札内ステップイン販売方式。一部改札外からの利用可。2010年3月26日開店。<br /> * [[野方駅]] - 改札外ステップイン販売方式。2010年[[3月28日]]開店。<br /> * [[西武柳沢駅]] - 改札外カウンター販売方式。2010年8月5日開店。<br /> * [[大泉学園駅]] - 改札内ステップイン販売方式。2010年8月9日開店。その後改札外に移転リニューアルオープン。ウォークイン販売方式となる。<br /> * [[井荻駅]] - 改札外店舗。[[2011年]][[2月2日]]開店。<br /> * [[東大和市駅]] - 改札外ステップイン販売方式。2011年[[7月12日]]開店。<br /> * [[椎名町駅]] - 改札外ステップイン販売方式。2011年[[10月1日]]開店。<br /> * [[沼袋駅]] - 改札外店舗。北口改札付近に位置する。2011年[[10月12日]]開店。2015年秋ごろ閉店。<br /> * [[新狭山駅]] - 改札外店舗。2011年[[11月24日]]開店。<br /> * [[久米川駅]] - 改札外カウンター販売方式。2011年[[11月29日]]開店。<br /> * [[石神井公園駅]] - 改札外ウォークイン販売方式。[[2012年]][[1月27日]]開店。<br /> * [[池袋駅]](地下改札1階) - 改札内ステップイン販売方式で「池袋駅B店」と称する。2012年[[2月29日]]開店。<br /> * [[所沢駅]] - 改札外ウォークイン販売方式。Famiポートあり。2012年[[3月8日]]開店。<br /> * [[小川駅 (東京都)|小川駅]] - 改札内ステップイン販売方式。2012年[[3月21日]]開店。<br /> * [[下落合駅]] - 改札外カウンター販売方式。2012年[[5月29日]]開店。開店時間が短かく午前中のみの営業であった。その後2016年ごろには閉店している。<br /> * [[拝島駅]] - 改札外ステップイン販売方式。2012年[[7月28日]]開店。<br /> * [[西武新宿駅]] - 改札外ウォークイン販売方式。Famiポートあり。2012年[[8月28日]]開店。<br /> * 池袋駅(地上改札1階) - 改札内ステップイン販売方式で「池袋駅A店」と称する。2012年[[8月31日]]開店。拡張とリニューアルを経て現在の店舗形態となったのはもう少し後である。<br /> * 所沢駅 - 改札内ステップイン販売方式。2012年[[11月27日]]開店。<br /> * 池袋駅(地上改札外)- 明治通り・グリーン大通りに面した西武東口入口にある改札外カウンター販売方式店舗。「池袋駅A2号店」と称する。<br /> * 池袋駅(地下改札外)- 改札外ウォークイン販売方式店舗で「池袋駅B2号店」と称する。<br /> * [[中井駅]] - 改札外ウォークイン販売方式店舗に分類される。2017年4月開店。南口地上出入り口付近に単独の建物で建設された。<br /> <br /> == 出典・脚注 ==<br /> &lt;references /&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[駅ナカ]]<br /> * [[Emio]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [https://www.seiburailway.jp/guide/shop/tomony/ TOMONY(駅ナカ・コンビニ) :西武鉄道Webサイト]<br /> {{西武グループ}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:ともにい}}<br /> [[Category:西武鉄道|店ともに]]<br /> [[Category:ファミリーマート|ともに]]<br /> [[Category:日本のコンビニエンスストア]]</div> 42.151.45.162 曹洞宗 2018-06-21T04:26:45Z <p>42.151.45.162: /* 訴訟 */</p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2015年9月20日 (日) 07:15 (UTC)}}<br /> &#039;&#039;&#039;曹洞宗&#039;&#039;&#039;(そうとうしゅう)は、[[中国]]の[[禅宗五家]](曹洞、[[臨済宗|臨済]]、[[イ仰宗|潙仰]]、[[雲門宗|雲門]]、[[法眼宗|法眼]])の1つで、[[日本の仏教|日本仏教]]においては[[禅宗]](曹洞宗・[[日本達磨宗]]・[[臨済宗]]・[[黄檗宗]]・[[普化宗]])の1つ。[[鎌倉仏教]]のひとつである。本山は[[永平寺]]([[福井県]])・[[總持寺]]([[横浜市]][[鶴見区 (横浜市)|鶴見区]])。専ら坐禅に徹する[[黙照禅]]であることを特徴とするが、仏陀つまり悟りを開いた人・目覚めた人の教えであるので、出家在家に拘らず、求道者各自が悟りを開くことを標榜する。<br /> <br /> 中国禅宗の祖である[[達磨]](5C後半 - 6C前半)から数えて6代目の[[南宗]]禅の祖・曹渓宝林寺の[[慧能]](638 - 713年)の弟子の1人である[[青原行思]](? - 740年)から、[[石頭希遷]](700 - 790年、石頭宗)、薬山惟儼(745 - 828年))、雲巌曇晟(782 - 841年 )と4代下った[[洞山良价]](807 - 869年)によって創宗された。<br /> <br /> == 中国における曹洞宗 ==<br /> 中国曹洞宗は、洞山良价と彼の弟子である曹山本寂(840 - 901年)を祖とし、はじめ「洞曹宗」を名乗ったが、語呂合わせの都合で「曹洞宗」となったというのが定説の1つとなっている&lt;ref name=heibonsha13&gt;{{citation|和書||author=増永霊鳳||volume=13|title=曹洞宗|page=722|work=[[世界大百科事典]]|publisher=[[平凡社]]|origyear=1968|year=1969}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;ただし、『洞山語録』によれば「洞山の玄風(=老子の教え。[[道教]])が広まる世に、諸方の宗匠を尊ぶ曹(仲間・同門)どおしをさして洞曹宗という」と意釈することができる。原文の和訳は「洞上の玄風、天下にしく、故に諸方の宗匠、ともにこれを推尊して洞曹宗という」。&lt;/ref&gt;。また、[[道元]](1200 - 1253年)をはじめ日本の禅宗では、洞曹宗の「曹」は曹山本寂ではなく、曹渓[[慧能]](大鑑慧能、638-713年)から採られている、という解釈がなされている&lt;ref name=heibonsha13/&gt;。(道元がこのような解釈をした理由は、曹山本寂の系統分派は途絶えていて、道元が学んだのが雲居道膺(?-902年)につながる系統であったためである。)<br /> <br /> 道元らが提唱した系譜は、前述した南方禅の慧能にさかのぼり、その弟子[[青原行思]]-[[石頭希遷]]-薬山惟儼-雲巌曇晟-洞山良价-‥‥とつづく法脈である。曹山本寂の系譜は四代伝承した後に絶伝した一方で、洞山良价の一系譜のみが現在まで伝わっている。洞山良价の禅学思想に基づき、曹洞宗の禅風は「万物皆虚幻、万法本源為佛性」である。<br /> <br /> 洞山良价から5代下った大陽警玄(943 - 1027年)には弟子がいなかったため、師資の面授を経ずに付法相承する「代付」によって投子義青(1032-1083年)へと嗣法がなされることで、[[北宋]]末における再興が成された&lt;ref name=sato&gt;[http://ci.nii.ac.jp/els/110007019344.pdf?id=ART0008941638&amp;type=pdf&amp;lang=jp&amp;host=cinii&amp;order_no=&amp;ppv_type=0&amp;lang_sw=&amp;no=1398345351&amp;cp= 自得慧暉とその禅風] - 佐藤秀孝 &lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 次代の芙蓉道楷(1043 - 1118年)の弟子の代になると、宋の南遷による[[南宋]]の成立に伴い、河北に留まる鹿門自覚(? - ?年)の系統と、江南に下る丹霞子淳(?-1119年)の系統に分かれた。<br /> <br /> 丹霞子淳の門下には、[[宏智正覚]](1091 - 1157年)と真歇清了(1088-1151年)がおり、宏智正覚は「[[黙照禅]]」を提唱し、「[[看話禅]]」を提唱する[[臨済宗]]の[[大慧宗杲]](1089 - 1163年)と対立したことや、多くの弟子を持ち「宏智派」を形成したことで知られ、他方の真歇清了の門下では3代下った[[天童如浄]](1163年 - 1228年)から道元が日本へと曹洞宗を伝えた。宏智正覚の高弟であった自得慧暉(1097 - 1183年)の系統が、「宏智派」ではその後唯一、[[元 (王朝)|元]]末[[明]]初に至るまで、中国曹洞宗の法脈を保ち支えていくことになった。この「宏智派」の宗風は、[[東明慧日]](1272 - 1340年)や東陵永璵(1285‐1365年)によって日本にも伝えられ、[[鎌倉]]・[[京都]]の[[五山]][[禅林]]にも大きな影響を与えた&lt;ref name=sato /&gt;。<br /> <br /> 他方、河北に留まった鹿門自覚の系統は、普照一辨(青州希辨、1081 - 1149年?)、大明僧宝(1114 - 1173年)、玉山師体(? - ?年)、雪巌慧満(? - ?年)を経て、[[金_(王朝)|金]]代に万松行秀(1167 - 1246年)が登場することで隆盛した。彼の弟子には、[[雪庭福裕]](?-1274年)、[[耶律楚材]](1190 - 1244年)、林泉従倫(? - ?年)などがいる。雪庭福裕は[[元 (王朝)|元]]代に[[皇帝]][[クビライ]](1215 - 1294年)に認められ、「国師」に指名されると共に[[嵩山少林寺]]を任され中興の祖となった。現在の中国でも、嵩山少林寺(曹洞正宗)が華北地方の拠点として有名である。<br /> <br /> 以上の主な法嗣をまとめると、以下のようになる。<br /> <br /> *洞山良价 - 雲居道膺 - 同安道丕 - 同安観志 - 梁山縁観 - 大陽警玄 - 投子義青 - 芙蓉道楷<br /> **鹿門自覚 - 普照一辨(青州希辨) - 大明僧宝 - 玉山師体 - 雪巌慧満 - 万松行秀 - 雪庭福裕・・・<br /> **丹霞子淳<br /> ***[[宏智正覚]](宏智派) - 自得慧暉・・・([[東明慧日]]・東陵永璵)・・・<br /> ***真歇清了 - 天童宗珏 - 雪竇智鑑 - 天童如浄(- 道元)・・・<br /> <br /> == 日本における曹洞宗 ==<br /> [[File:DogenP2.JPG|thumb|150px|道元]]<br /> <br /> [[日本の仏教|日本仏教]]における&#039;&#039;&#039;曹洞宗&#039;&#039;&#039;は鎌倉時代に始まる。道元は、[[臨済宗黄龍派]]の[[明全]]に随身した後、共に[[南宋|宋]]に渡り、[[天童山]]で曹洞宗の天童如浄(長翁如浄)に師事して開悟(身心脱落)して修行が終わり、[[1226年]]に帰国した。<br /> <br /> 宗祖・洞山良价から道元までの法嗣は、<br /> *洞山良价 - 雲居道膺 - 同安道丕 - 同安観志 - 梁山縁観 - 大陽警玄 - 投子義青 - 芙蓉道楷 - 丹霞子淳 - 真歇清了 - 天童宗珏 - 雪竇智鑑 - 天童如浄 - 道元<br /> となる。<br /> <br /> 道元自身は自らの教えを「正伝の仏法」であるとして[[セクショナリズム]]としての宗派を否定した。このため弟子たちには自ら特定の宗派名を称することを禁じ、禅宗の一派として見られることにすら拒否感を示した。どうしても名乗らなければならないのであれば「[[仏心宗]]」と称するようにと示したとも伝えられる。<br /> <br /> 後に奈良仏教の[[興福寺]]から迫害を受けた[[日本達磨宗]]の一派と合同したことをきっかけとして、道元の[[入滅]](死)後、次第に禅宗を標榜するようになった。宗派の呼称として「曹洞宗」を用いるようになったのは、第四祖[[瑩山紹瑾]](1268 - 1325年)とその後席[[峨山韶碩]](1275 - 1366年)の頃からである。<br /> 日本における曹洞宗は、中国における曹洞宗の説とは違い、曹渓慧能と洞山良价の頭文字を取って曹洞宗と呼ぶのを定説としている。<br /> <br /> 「臨済将軍曹洞士民」といわれるように、臨済宗が時の中央の武家政権に支持され、政治・文化の場面で重んじられたのに対し、曹洞宗は地方武家、豪族、下級武士、一般民衆に広まった。<br /> 曹洞宗の宗紋は久我山竜胆紋(久我竜胆紋・久我竜胆車紋)と五七桐紋である。<br /> <br /> === 教義 ===<br /> 「正伝の仏法」を伝統とし、「南無釈迦牟尼仏」として[[釈迦]]を[[本尊]]と仰ぐが、各人が[[坐禅]]により万法に証せられる(悟る)ことを肝要とする。<br /> <br /> 曹洞宗の坐禅は中国禅の伝統と同じく「&#039;&#039;&#039;只管打坐&#039;&#039;&#039;(しかんたざ)」(非思量の坐禅をすること)をもっぱらとし、臨済宗のように[[公案]]禅をとる流派も一部にあるが少数である。江戸時代のように多くの曹洞宗僧侶が、公案禅に参じた時もあった。<br /> <br /> 『普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)』は、道元が帰国後、坐禅の仕方について著した指南書。四六駢儷体による表現がなされている。<br /> <br /> また、道元の著書である『[[正法眼蔵]]』は、道元の自らの悟り体験に基づき仏教全般について表現している。決して思惟による哲学ではない。<br /> <br /> ==== 主な経典 ====<br /> 主によまれる経典<br /> <br /> * 『[[般若心経|摩訶般若波羅蜜多心経]]』<br /> * 『[[妙法蓮華経]][[観音経|観世音菩薩普門品]]』<br /> * 『[[妙法蓮華経]]如来寿量品』<br /> * 『[[大悲心陀羅尼]]』<br /> * 『甘露門』([[施餓鬼]]会に際し読む)<br /> * 『参同契』([[枕経]]として読む)<br /> * 『宝鏡三昧』(同上)<br /> * 『[[舎利礼文]]』<br /> <br /> 基本となる祖録<br /> <br /> * 『[[正法眼蔵]]』 - 道元が著述(未完。後に弟子が編集)<br /> * 『普勧坐禅儀』 - 道元の坐禅についての著述<br /> * 『[[伝光録]]』 - 瑩山の[[提唱]]を側近がまとめたもの 歴代の祖師の行履と悟りの契機を記述している<br /> * 『[[修証義]]』 - [[明治時代]]に『正法眼蔵』から文言を抽出して[[信者]]用に再編<br /> <br /> [[ご詠歌]]・[[和讃]]<br /> * 梅花流詠讃歌<br /> * まごころに生きる([[南こうせつ]]作詞・作曲の曹洞宗詠歌)<br /> <br /> === 歴史 ===<br /> {{節スタブ}}&lt;!--三代争論、総持寺輪番、僧録、宗統復古、卍山・面山、総持寺移転、大内青巒、澤木興道、海外布教--&gt;<br /> [[正治]]2年([[1200年]])、京都[[久我家]]で生まれた道元は[[建保]]2年([[1214年]])出家し、[[園城寺]]・[[建仁寺]]で学ぶ。[[貞応]]2年([[1223年]]) 明全とともに博多から[[南宋]]に渡って諸山を巡り、曹洞宗禅師の[[天童如浄]]より印可を受ける。[[天福 (日本)|天福]]元年([[1233年]])京都に[[興聖寺 (宇治市)|興聖寺]]を開くが後に越前に移り、[[寛元]]2年([[1244年]]) 傘松に[[永平寺|大佛寺]]を開く。寛元4年([[1246年]]) 大佛寺を[[永平寺]]に改め、[[宝治]]2-3年(1248-49年)、執権[[北条時頼]]、[[波多野義重]]らの招請により教化のため鎌倉に下向する。[[建長]]5年([[1253年]]) 病により永平寺の貫首を弟子[[孤雲懐奘]]に譲り、京都で没する。<br /> <br /> 永平寺2世孤雲は道元が日ごろ大衆に語った法語をまとめた『[[正法眼蔵随聞記]]』を著し、道元の教えを記録し広めることにつとめた。道元の死後、遺風を守ろうとする保守派と、衆生教化のため法式も取り入れようとする開放派の対立が表面化する。文永4年(1267年)[[徹通義介]]に住職を譲るが、両派の対立が激化([[三代相論]])したため[[文永]]9年([[1272年]])孤雲が再任する。弘安3年(1280年)孤雲が没し徹通が再任するが内部対立を収拾できず、永仁元年(1293年)永平寺を出て[[大乗寺]]を開山する。<br /> <br /> 永平寺は4世義演の晋住後は外護者[[波多野氏]]の援助も弱まり寺勢は急激に衰えた。一時は廃寺同然まで衰微したが、5世義雲が再興し現在にいたる基礎を固めた。徹通の弟子[[瑩山紹瑾]]は[[1321年]]能登に[[總持寺]]を開山し、南朝[[後醍醐天皇]]より「日本曹洞賜紫出世之道場」の綸旨を得る。[[応安]]5年([[1372年]])、永平寺も北朝[[後円融天皇]]から「日本曹洞第一道場」の勅額・綸旨を受ける。總持寺開山瑩山紹瑾は弟子に恵まれ&#039;&#039;&#039;四哲&#039;&#039;&#039;と呼ばれた逸材を輩出した。四哲の一人[[峨山韶磧]]も優れた弟子に恵まれたが、高弟の一人[[通幻寂霊]]も&#039;&#039;&#039;通幻十哲&#039;&#039;&#039;と呼ばれる優れた禅僧を輩出し、教線の拡大に寄与した。<br /> <br /> 峨山韶磧の弟子無底良韶は[[貞和]]4年([[1348年]])、[[東北地方]]初の曹洞宗寺院として[[正法寺 (奥州市)|正法寺]]を開き、通幻寂霊の弟子石屋真梁は西国大内氏の庇護を受け[[応永]]17年([[1410年]])[[大寧寺]]を開き、六百数十ヶ寺に及ぶ末寺を得て「西の高野」と称えられた。<br /> <br /> [[元和 (日本)|元和]]元年([[1615年]])[[江戸幕府]]より法度が出され永平寺と總持寺は大本山となり、奥州正法寺と九州[[大慈寺 (熊本市)|大慈寺]]は本山から外れた。<br /> <br /> === 宗政 ===<br /> {{Infobox 組織<br /> |名称 = [[宗教法人]] 曹洞宗 &lt;br /&gt;{{lang-en|Religious Corporation &quot;Sotoshu&quot;}}<br /> |画像 = [[File:Soto Building.jpg|150px]]<br /> |画像サイズ = 150px<br /> |画像説明 = 曹洞宗宗務庁&lt;br /&gt;(および経営している[[東京グランドホテル]][http://www.tokyogrand.gr.jp/])<br /> |略称 = <br /> |標語 =<br /> |前身 = <br /> |後継 =<br /> |設立 = <br /> |種類 = [[宗教法人]]<br /> |地位 = <br /> |目的 = <br /> |本部 = 105-8544 東京都港区芝2丁目5-2 2階 Tel.03-3454-5411(代表)<br /> |メンバー =<br /> |会長 = [[福山諦法]]([[管長]]、[[永平寺]][[貫主]]、[[2016年]][[1月21日]]就任)<br /> |人物 =<br /> |機関 = 曹洞宗宗務庁<br /> |提携 =<br /> |設立者 =<br /> |関連組織 = [[永平寺|大本山永平寺]], [[總持寺|大本山總持寺]]<br /> |スタッフ =<br /> |ボランティア =<br /> |予算 =<br /> |ウェブサイト = http://www.sotozen-net.or.jp/, http://global.sotozen-net.or.jp/<br /> }}<br /> {{See also|曹洞宗内紛}}<br /> 21世紀初頭である現在、全国の曹洞宗寺院は「[[宗教法人]]曹洞宗」により包括されており、その本部事務所を「曹洞宗宗務庁」という&lt;ref&gt;[http://www.sotozen-net.or.jp/soto/system 機構] - 曹洞宗「曹洞禅ネット」公式ページ&lt;/ref&gt;。曹洞宗に所属する約15,000ヵ所寺は、永平寺派の「有道会」と總持寺派の「[[總和会]]」に所属が二分されて&lt;!-- おり、[[教務総長|宗務総長]]も両派が1期4年ごとに交代で担当して --&gt;いる。曹洞宗としての宗派の長を「管長」といい、[[永平寺|大本山永平寺]]および[[總持寺|大本山總持寺]]の貫首([[住職]])がそれぞれ2年毎交互に就任する(西暦の偶数年の[[1月20日]]付けで任期満了となり、翌[[1月21日]]付で交代となる。なお、管長が任期中に[[示寂]]の場合は、後任の貫主が残任期間まで管長を務める慣例となっている)。閣僚にあたる内局の部長7名も両派でほぼ半数ずつ、宗議会議員(定数72名)も36選挙区ごとに両派から1名ずつ選ばれる。教団運営は管長の元で、宗務と事務が庁議(責任役員会)の決定に基づき執行される。また、内局(宗務執行機関)、宗議会(議決機関)、審事院(監正機関)の三機関が置かれている。「宗教法人曹洞宗」の代表役員は[[教務総長|宗務総長]]といい、宗務執行機関としての法人を代表し、その事務その他の宗務を総理する。&lt;br /&gt; <br /> 系列の教育機関としての最高学府である[[大学]]も、永平寺系の[[駒澤大学]]と[[東北福祉大学]]、總持寺派の[[愛知学院大学]]と[[鶴見大学]]などに二分されており、[[学校法人]]の理事長や学長の選任に際しては実質的にそれぞれの派が指名権を持つ。<br /> <br /> === 著名な寺院 ===<br /> ==== 大本山(根本道場) ====<br /> 両大本山の住職を貫首といい、2人の貫首が2年交代で[[管長]](宗門代表)となる。管長は、有資格者で立候補者から選挙によって選出される宗門最高の位階。<br /> <br /> 尊称として住んでいる場所にちなみ、永平寺貫首を不老閣猊下(ふろうかくげいか)、総持寺貫首を紫雲台猊下(しうんたいげいか)とも呼ぶ。<br /> <br /> [[File:Eiheiji Karamon.jpg|thumb|right|150px|永平寺]]<br /> * &#039;&#039;&#039;[[永平寺]]&#039;&#039;&#039; - [[福井県]][[永平寺町]](貫首:福山諦法(ふくやまたいほう)禅師)/寺紋=久我山竜胆紋(久我竜胆紋・久我竜胆車紋)<br /> ** [[寛元]]2年([[1244年]])に、道元が[[越前国|越前]]の[[波多野義重]]の要請で開く。<br /> *** [[永平寺別院長谷寺|東京別院長谷寺]] - [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]<br /> *** 名古屋別院 - [[愛知県]][[名古屋市]][[東区 (名古屋市)|東区]]代官町<br /> *** 永平寺鹿児島出張所紹隆寺 - [[鹿児島県]][[姶良市]]平松<br /> <br /> [[File:Sojiji DaisoDo 02.jpg|thumb|right|150px|總持寺]]<br /> * &#039;&#039;&#039;[[總持寺]]&#039;&#039;&#039; - [[横浜市]][[鶴見区 (横浜市)|鶴見区]](貫首:江川辰三(えがわしんざん)禅師)/寺紋=五七桐紋<br /> ** [[元亨]]元年([[1321年]])に、[[瑩山紹瑾]]が[[能登国|能登]]の[[定賢]]律師の要請で[[石川県]][[輪島市]][[門前町 (石川県)|門前町]]に開く。[[明治]]31年([[1898年]])に火災で焼失し、明治44年([[1911年]])に現在地に移転。<br /> *** [[總持寺祖院]] - 明治38年([[1905年]])より元の地(石川県輪島市門前町)に復興<br /> *** 北海道別院法源寺 - [[北海道]][[松前郡]][[松前町 (北海道)|松前町]]松城<br /> <br /> <br /> 歴史的には&#039;&#039;&#039;[[正法寺 (奥州市)|正法寺]]&#039;&#039;&#039;([[岩手県]][[奥州市]])が奥羽二州の本山、&#039;&#039;&#039;[[大慈寺 (熊本市)|大慈寺]]&#039;&#039;&#039;([[熊本県]][[熊本市]][[南区 (熊本市)|南区]])が九州本山であった期間があるが、[[元和 (日本)|元和]]元年([[1615年]])の[[寺院法度]]により永平寺、總持寺のみが大本山となる。また、江戸時代に来日した明僧、[[東皐心越]]によって開かれた曹洞宗寿昌派は&#039;&#039;&#039;祇園寺&#039;&#039;&#039;([[茨城県]][[水戸市]])を本山とした。心越の法系は道元と別系であったが明治維新後、合同した。<br /> <br /> ==== 僧堂 ====<br /> ===== 大本山[[僧堂]] =====<br /> * [[永平寺]] - [[福井県]][[永平寺町]]<br /> * [[總持寺]] - [[神奈川県]][[横浜市]]<br /> ===== 専門僧堂 =====<br /> &lt;div style=&quot;float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;&quot;&gt;<br /> * 定光寺 - [[北海道]][[釧路市]]<br /> * [[中央寺 (札幌市)|中央寺]] - 北海道[[札幌市]]<br /> * [[正法寺]] - [[岩手県]][[奥州市]]<br /> * [[善寳寺]] - [[山形県]][[鶴岡市]]<br /> * 好国寺 - [[福島県]][[福島市]]<br /> * [[永平寺別院長谷寺]] - [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]<br /> * 西有寺 - [[神奈川県]][[横浜市]]<br /> * [[最乗寺]] - 神奈川県[[南足柄市]]<br /> * 大栄寺 - [[新潟県]][[新潟市]]<br /> * [[長国寺 (長野市)|長国寺]] - [[長野県]][[長野市]]<br /> * [[萬松山可睡斎|可睡齋]] - [[静岡県]][[袋井市]]<br /> * [[豊川稲荷|豊川閣妙厳寺]] ([[豊川稲荷]])- [[愛知県]][[豊川市]]<br /> * [[覚王山]][[覚王山日泰寺|日泰寺]] - 愛知県[[名古屋市]]<br /> * [[總持寺祖院]] - [[石川県]][[輪島市]]<br /> * [[大乗寺]] - 石川県[[金沢市]]<br /> * 宝慶寺 - [[福井県]][[大野市]]<br /> * [[御誕生寺]] - 福井県[[越前市]]<br /> * 発心寺 - 福井県[[小浜市]]<br /> * [[興聖寺 (宇治市)|興聖寺]] - [[京都府]][[宇治市]]<br /> * 智源寺 - 京都府[[宮津市]]<br /> * [[洞松寺 (矢掛町)|洞松寺]] - [[岡山県]][[矢掛町]]<br /> * 瑞應寺 - [[愛媛県]][[新居浜市]]<br /> * 明光寺 - [[福岡県]][[福岡市]]<br /> * 安国寺 - 福岡県福岡市<br /> * [[晧台寺]] - [[長崎県]][[長崎市]]<br /> &lt;/div&gt;{{clear|left}}<br /> <br /> ===== 専門尼僧堂 =====<br /> * 愛知専門尼僧堂 - [[愛知県]][[名古屋市]]<br /> * 富山専門尼僧堂 - [[富山県]][[富山市]]<br /> ===== その他 =====<br /> * 曹洞宗総合研究センター教化研修所 - [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]<br /> <br /> ==== その他著名寺院 ====<br /> * [[三輪山平等寺]]<br /> * [[菩提寺 (むつ市)|恐山菩提寺]]<br /> * [[高岩寺]](とげぬき地蔵)<br /> * [[泉岳寺]]<br /> * [[青松寺]]<br /> * [[修禅寺]]<br /> * [[詩仙堂]]<br /> * [[大船観音寺]]<br /> * [[中野不動尊]]<br /> * [[医王寺 (新城市)|医王寺]]<br /> * [[瑞龍寺 (高岡市)|瑞龍寺]]、[http://www.zuiryuji.jp/ 公式サイト]<br /> * 林叟院(高草山麓にある曹洞宗の大寺院)<br /> <br /> ==== 日本国外の寺院 ====<br /> [[明治]]・[[大正]]時代の日本人の海外移住と共に、[[ハワイ]]・[[ブラジル]]などに開教された。[[ペルー]]の[[慈恩寺 (ペルー)|慈恩寺]]は南米大陸最古の仏教寺院である。ヨーロッパでは[[弟子丸泰仙]]が教線の拡大に貢献し、2005年現在、それらの弟子たちが世界各地で布教活動を継続している。<br /> <br /> === 派生した教団 ===<br /> * [[如来宗]](如来教) - [[享和]]2年([[1802年]])に『一尊如来きの』によって[[名古屋市|名古屋]]に開かれた。[[明治]]17年([[1884年]])以降、[[昭和]]26年([[1951年]])に[[宗教法人法]]の施行によって独立するまで曹洞宗の[[教会]]として活動。同宗の教義は[[金毘羅]]信仰や[[浄土]]信仰などの混生であり、曹洞宗本来の教えとは関連が薄い。<br /> ** 一尊教団 - 上記教団の分派。石川県金沢市を中心に活動。<br /> <br /> * 救世教 - [[明治]]19年([[1886年]])、新潟&lt;!--曖昧回避にLinkせず直接該当項目へLinkを--&gt;の[[大道長安]]が曹洞宗から離脱して結成。大慈大悲の事実上の[[如来]]である[[観音菩薩]]を本尊として、自力他力を超えた観音妙力による現世救済を主張した。[[社会福祉]]に力を注ぎ全国に教線を拡大したが、明治41年([[1908年]])に大道長安が入寂すると後継者がいないこともあって急速に衰退。<br /> <br /> * 法王教 - [[明治]]後期から[[大正]]期にかけて高田道見が推進した“通俗的”布教運動。道見は[[青松寺]]を拠点として参禅会や訪問法話会などの教化活動を続けていたが、大正期に入ってからは曹洞宗の教義にこだわらず、[[月刊誌]]などの出版物、講演会を通した[[在家仏教]]の振興に力を注ぎ、自らの活動に「法王大聖釈迦牟尼仏の本旨に基づく仏教」という意味で「法王教」の名を冠した。大正12年([[1923年]])、道見が入寂すると独自の教派名を冠した運動は終息した。なお、道見は最後まで曹洞宗の僧籍を保持していたため、「法王教」を独立した[[教団]]ではなく曹洞宗内の一運動であったとする見方が一般的である。<br /> <br /> * [[三宝教団]] - [[昭和]]29年([[1954年]])、[[安谷白雲]]が曹洞宗から離脱して[[神奈川県]][[鎌倉市]]に結成。同教団は道元の教えを中核に置きながら、[[公案]]を取り入れるなど独自の修行法を構築。現在は一般在家者への坐禅指導を中心とし、海外にも参禅拠点がある。<br /> <br /> この他、曹洞宗系の[[単立寺院]]が少数存在する。<br /> <br /> === 訴訟 ===<br /> 多々良学園(2006年9月、設置者変更により[[高川学園高等学校・中学校]]となる)の破綻問題に関し、[[山口信用金庫]]と[[防府信用金庫]]から12億円の賠償を求める訴訟を2006年8月に起こされている&lt;ref&gt;[http://www.47news.jp/CN/200608/CN2006081501004176.html 曹洞宗に賠償請求 多々良学園破たんで]共同通信2006年8月16日&lt;/ref&gt;。10月、山口地方裁判所から宗務庁ビルの仮差押命令が下った(仮差押自体は事実認定とは無関係に原告請求のみで可能で、被告の反論を要しない)。<br /> <br /> === 宗議会選挙での買収 ===<br /> [[2010年]]9月に行われた宗議会議員選挙で、[[岩手県]]選挙区で当選した住職が選挙前に有権者に相当する県内の住職に対して「献香」と称して現金を配っていたことが報道された。対立候補であった当時現職の住職も3000円相当の線香を配っていたという&lt;ref&gt;{{cite news|title=曹洞宗選挙で買収 一関の住職、「有権者」に最大10万円|newspaper=河北新報|date=2011-01-30|url=http://www.kahoku.co.jp/news/2011/01/20110130t33013.htm|accessdate=2011-01-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110202155407/http://www.kahoku.co.jp/news/2011/01/20110130t33013.htm|archivedate=2011年2月2日|deadlinkdate=2017年10月}}&lt;/ref&gt;。<br /> ただし、曹洞宗の規則では選挙時の買収の禁止という項目は存在しない。<br /> また、公職ではないので公職選挙法の適用範囲でもない。<br /> 一連の流れが表面化されたのは、宗議会議員候補者の勢力争いの一環。<br /> <br /> === 曹洞宗寺院出身の主な著名人 ===<br /> * [[石川啄木]]<br /> * [[ポール牧]]<br /> * [[南こうせつ]]<br /> * [[内野聖陽]]<br /> <br /> == 越南(ベトナム)における曹洞宗 ==<br /> 曹洞宗([[:vi:Tào Động tông|ヴェトナム語版]])は[[ベトナム|越南(ベトナム)]]など他の[[漢字文化圏]]の国にも伝わっている。<br /> {{節スタブ}}<br /> <br /> == 脚注・出典 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 参考文献==<br /> *『[[世界大百科事典]]』([[平凡社]]) <br /> <br /> == 関連項目 == <br /> * [[禅宗]]<br /> * [[日本の仏教]]<br /> * [[愛知梅花三十三ヶ所観音霊場]]<br /> * [[懺謝文]] - 日本曹洞宗が発表した戦争責任に対する見解と謝罪<br /> * [[永平寺]]<br /> * [[總持寺]]<br /> * [[駒澤大学]]<br /> * [[鶴見大学]]<br /> * [[東北福祉大学]]<br /> * [[愛知学院大学]]<br /> * [[シャンティ国際ボランティア会]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.sotozen-net.or.jp/ 曹洞宗・曹洞禅ネット] - 公式サイト<br /> ** {{Facebook Page|id=曹洞宗/426119277488785|name=曹洞宗}} ※公式アカウント<br /> * [http://global.sotozen-net.or.jp/eng/ SOTOZEN-NET] - グローバルサイト(海外向け){{en icon}}{{de icon}}{{fr icon}}{{it icon}}{{es icon}}{{pt icon}}<br /> ** {{Facebook|SotoZenBuddhism.OFFICIAL|Soto Zen Buddhism Administrative Headquarters International Department}} ※グローバル公式アカウント{{en icon}}<br /> ** {{Twitter|SOTOZEN_pr|Soto Zen Official}} ※グローバル公式アカウント{{en icon}}<br /> * [http://www.sousei.gr.jp/ 全国曹洞宗青年会] - 青年僧のサイト<br /> ** {{Facebook|zensousei|全国曹洞宗青年会}}<br /> ** {{YouTube channel|zensousei|zensousei|全国曹洞宗青年会}}<br /> * [http://www.tokyogrand.gr.jp/ 東京グランドホテル]<br /> <br /> <br /> {{禅}}<br /> {{Buddhism2}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:そうとうしゆう}}<br /> [[Category:曹洞宗|*]]<br /> [[Category:禅|*4]]<br /> [[Category:仏教の宗派]]<br /> [[Category:伝統宗派]]<br /> [[Category:日本の仏教史|+そうとうしゆう]]<br /> [[Category:東京都港区の組織]]<br /> [[zh:曹洞宗]]</div> 42.151.45.162 テンプレート:戦前までに日本で発祥した新宗教 2018-06-19T20:34:04Z <p>42.151.45.162: </p> <hr /> <div>{{Navbox<br /> |name=戦前までに日本で発祥した新宗教<br /> |title=[[戦前#日本|戦前]]までに日本で発祥した[[新宗教]]<br /> |state=collapsed<br /> |group1=[[神道]]系<br /> |list1=[[黒住教]] (1814年) - [[天理教]] (1838年) - [[禊教]] (1840年) - [[金光教]] (1859年) - [[招魂社]]([[靖国神社]]・[[護国神社]])(1865年) - [[神道修成派]] (1869年) - [[神道大教]] (1872年) - [[出雲大社教]] (1873年) - [[神理教]] (1880年) - [[御嶽教]] (1882年) - [[大本]] (1892年) - [[荒薙教]] (1900年) - [[一燈園]] (1905年) - [[神国教]] (1908年) - [[ほんみち]] (1913年) - [[パーフェクト リバティー教団|PL教団]] (1916年) - &lt;br&gt;[[神道天行居]] (1927年) - [[松緑神道大和山]] (1930年) - [[生長の家]] (1930年) - [[玉光神社]] (1932年) - [[世界救世教]] (1935年) - [[璽宇]] (1941年)<br /> |group2=[[仏教]]系<br /> |list2=[[如来宗]] (1802年) - [[本門佛立宗]] (1857年) - [[国柱会]] (1884年) - [[日本山妙法寺大僧伽]] (1917年) - [[念法眞教]] (1925年) - [[一切宗]] (1928年) - [[解脱会]] (1929年) - &lt;br&gt;[[霊友会]] (1930年) - [[創価学会]] (1930年) - [[在家日蓮宗浄風会]] (1931年) - [[孝道教団]] (1936年) - [[真如苑]] (1936年) - [[立正佼成会]] (1938年) - [[思親会]] (1938年) - [[冨士大石寺顕正会]] (1942年) - [[浄土真宗華光会]] (1942年)<br /> |group3=その他<br /> |list3=[[天祖光教]] (1942年)<br /> }}&lt;noinclude&gt;<br /> [[Category:日本の新宗教|*せんせん]]<br /> [[Category:日本の宗教関連のテンプレート|せんせん]]<br /> [[Category:新宗教に関するテンプレート|*せんせん]]<br /> &lt;/noinclude&gt;</div> 42.151.45.162 聖書配布協力会 2018-06-14T22:18:42Z <p>42.151.45.162: </p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;聖書配布協力会&#039;&#039;&#039;(せいしょはいふきょうりょくかい)は、[[宮城県]][[伊具郡]][[丸森町]]にある[[キリスト教]]系の団体。キリスト教の[[布教]]活動をしているが[[宗教法人]]ではない。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> [[1950年代]]に複数の[[日本人]]と[[アメリカ人]]により設立された&lt;ref&gt;[http://www.bdljapan.com/h/p12-06.html 聖書配布協力会--聖書配布協力会とは]&lt;/ref&gt;。[[プロテスタント]][[福音派]]の系統の団体であるものの、[[日本福音同盟]]などの交流・協力機関には参加していない。個々のキリスト者が互助的に活動する[[ボランティア]]の集まりであり、[[法人 (日本法)|法人]]格はない。会員制度等もないという。<br /> <br /> == 日本における活動内容 ==<br /> * 小中学校、高校に聖書分冊を無料で配布<br /> * 路傍で[[プラカード]]を立てて[[聖書]]の内容を放送(録音したものを流している)<br /> * 街頭での聖書分冊無料配布<br /> * 自動車による街宣(録音したものを流して回っている)<br /> * 個人伝道活動<br /> * 許可を取って看板を貼る(後述)<br /> ※参考:[http://www.bdljapan.com/h/p12-03.html 日本における伝道活動]<br /> <br /> === 聖書分冊・小冊子の配布 ===<br /> マンガ・トラクト『神の犠牲』、『地獄の鍵』、『時は近い』、『終わりの時代』を配布し、インターネットにおいて[[PDF]]で公開している。ページ数は20程度で、サイズは7×約12cmの横長見開き。タイトルは『[[真理]]』、『地獄の鍵』、『創り主』、『本当にバカ!』、『世の終わりに』、『時は近い』など。また、巻末には、「この冊子は、心の乏しい現代社会において聖書に対する精神を養うことを目的としており、特定の宗教団体への勧誘や連絡・入信強制を目的とするものではない」と記され、特製聖書の申し込み用紙が付いていて、『コンサイス・バイブル福音』(320ページ、カラーさし絵141)を申し込めば無料で配布されると案内している&lt;ref&gt;[http://www.bdljapan.com/h/p10.html 聖書配布協力会 もっと読む]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 街宣 ===<br /> {{出典の明記|date=2016年9月|section=1}}<br /> 仙台市中心部(サンモール[[一番町 (仙台市)|一番町]]商店街等)ではスピーカーによる街頭説教風のライブを頻繁に行っている。各地の[[七夕祭]]、稲荷祭、[[クリスマス]]以後の[[年末年始]]には、宮城県外の繁華街([[新宿]]、[[銀座]]、[[秋葉原]]等)へ遠征し、「&#039;&#039;&#039;死後さばきにあう&#039;&#039;&#039;」など前述の看板のような黄色のプラカードや垂れ幕を持ち、説教の録音を、拡声器を使って流している。特に正月&#039;&#039;&#039;[[初詣]]&#039;&#039;&#039;の時期には、全国の有名[[神社]]・仏閣の前で、[[初詣]]に向かう通行人に向けて録音テープを[[拡声器]]により繰り返し放送している。<br /> <br /> === 看板 ===<br /> [[聖書]]の一節を黒地に白や黄色の字で書いた、俗に「&#039;&#039;&#039;キリスト看板&#039;&#039;&#039;」と呼ばれる看板を、日本各地の民家の[[壁]]や[[塀]]、小屋や車庫などに[[釘打機]]で貼り付けている。字体には[[ゴシック体]]か肉厚で力強い筆写体が用いられており、信徒や関係者ではないが看板を撮影するため各地を巡る愛好家も存在する&lt;ref&gt;[http://www001.upp.so-net.ne.jp/monzou/christ.html キリスト看板陳列館]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 発案者のリチャード・ノーマンによると45年間で約35万枚の看板を作成したとのことである<br /> &lt;ref&gt;{{cite news<br /> | url = http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/412057/<br /> | title = 日本中にある“キリスト看板”製作現場を東スポがマスコミ初取材<br /> | newspaper = [[東京スポーツ]]<br /> | date = 2015-06-20<br /> | accessdate = 2015-06-20<br /> }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> &lt;gallery mode=packed heights=150px&gt;<br /> 画像:「キリストは墓からよみがえった」聖書配布協力会看板 小野市 DSCF3411.JPG|民家の壁などに多く見られる看板「キリストは墓から甦った」<br /> 画像:死後さばきにあう、聖書配布協力会看板 P1010036.JPG|年ふり色褪せた看板&lt;br /&gt;「死後さばきにあう」([[いすみ市]]にて)<br /> 画像:キリストKb 1.jpg|キリスト看板の例&lt;br /&gt;(糸魚川市にて)<br /> 画像:キリストKb 2.jpg|キリスト看板の例&lt;br /&gt;(山形市にて)<br /> 画像:キリストSt.jpg|ステッカー&lt;br /&gt;(岡谷市にて)<br /> 画像:キリスト車.jpg|広報車&lt;br /&gt;(京都市にて)<br /> ファイル:2015-07-31Minazuki-Festival Kokuryo,Tamba,Hyogo-Japan 国領水無月祭り 8610.JPG|「真の神は人を愛しその罪を取り除く」[[丹波市]]にて<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> {{-}}<br /> <br /> === 評判 ===<br /> 街宣や看板については、そのあまりにも原理主義的な内容、また本来は前後の文脈を含め理解すべき聖句から脅迫的な文言だけを抜き出す手法から、恐怖心を煽り、きわめて高圧的で、キリスト教への反感や偏見の原因になるなど、批判があり、彼らを非難するキリスト教関係者も存在する&lt;ref&gt;[http://w2322.nsk.ne.jp/~tkchurch/mes_50.html 礼拝説教『敵を愛せ』][[日本基督教団]]富山鹿島町教会のサイト&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://www.sophia.ac.jp/jpn/aboutsophia/catholic/cathocen_qa/cathocen_qa41_60 Q&amp;A 41 ~ 60|上智大学 公式サイト]&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://laudate.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_35c9.html 女子パウロ会公式ブログ2006年12月30日付記事『年末の困った宣教』]&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;http://blog.livedoor.jp/barnabas_pio/archives/50998925.html&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://www.nibanmati.jp/ 日本基督教団富山二番町教会ホームページ]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 一方で、熱心な彼らの活動に賛同し、新しく活動に加わる人たちもいる。看板は建物の所有者の同意なしには貼らないので、無断で設置するということはないものの、説明不足(釘打ちを告げず[[ポスター]]貼りという)からトラブルになる例もある&lt;ref&gt;[http://www.nibanmati.jp/ 日本基督教団富山二番町教会ホームページ]&lt;/ref&gt;。なお、最近では同団体とはまったく関係のない他の宗教団体が自分達の布教活動のために彼らと同じように看板を貼って活動しているという情報も報告されている&lt;ref&gt;{{Cite web<br /> |url=http://kan-chan.stbbs.net/photos/jcad.html<br /> |title=キリスト看板??<br /> |work=カンちゃんの写真館<br /> |accessdate=2009-03-31<br /> }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 教育 ===<br /> 学校法人宮城明泉学園を通して教育施設([[啓明宮城小学校]]および[[明泉幼稚園 (宮城県)|明泉幼稚園・高森明泉幼稚園]])も運営しており、イエス・キリストの弟子を育てる目的を持つ{{要出典|date=2016年9月|}}。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> &lt;references /&gt;<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.bdljapan.com/index.html 公式サイト]<br /> * [http://www.cheajapan.com/index.html チャーチ&amp;ホームスクーリングを進める会(チアにっぽん)](関連団体)<br /> <br /> {{christ-stub}}<br /> {{DEFAULTSORT:せいしよはいふきようりよくかい}}<br /> [[Category:日本のキリスト教の組織]]<br /> [[Category:丸森町]]</div> 42.151.45.162 単立 2018-06-06T17:17:20Z <p>42.151.45.162: </p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2017年12月20日 (水) 09:32 (UTC)}}<br /> &#039;&#039;&#039;単立&#039;&#039;&#039;(たんりつ)とは、[[宗教法人#単位宗教法人と包括宗教法人|包括宗教団体]]に属さない独立した宗教団体(寺院・神社など)のことである。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> 主に「単立寺院」([[仏教]])「単立神社」([[神道]])「[[単立教会]]」([[キリスト教]])というように、何らかの宗派・教派・上位組織に属している事が暗黙に前提される伝統宗教の[[寺院]]・[[神社]]・[[教会]]等に対して、その前提に立たない特例的存在であることを示す際に用いられることが多い。<br /> <br /> 単立宗教団体とは、いかなる包括宗教団体の傘下にも属さない単位宗教団体のことである。単立宗教団体のうち、[[宗教法人]]として認証されたものを単立宗教法人という。<br /> <br /> 単位宗教団体とは、神社・寺院・教会・布教所など、[[宗教法人法]]第2条第1号の範疇に含まれる宗教団体のことである。包括宗教団体とは、宗教法人法第2条第2号の範疇に含まれる宗教団体で、宗派・教派・教団など単位宗教法人を包括する宗教団体である。<br /> <br /> 単立であるというのは、あくまで[[法制度]]上の問題であって、単立だからといって必ずしも[[思想]]・[[信条]]的な面で独自性があるとは限らない。○○宗単立、○○派単立などというように、[[教義]]・[[儀礼]]は[[伝統]][[宗派]]や[[教派]]に則っていることも珍しくない。[[人事]]・[[財務]]を巡る争いから包括宗教法人を離脱し単立となる例が多い。<br /> <br /> == 著名な単立寺院 ==<br /> * [[總泉寺]]<br /> * [[長谷寺 (鎌倉市)|鎌倉長谷寺]]<br /> * [[法然院]]<br /> * [[鏑射寺]]<br /> * [[秋篠寺]]<br /> * [[善光寺]]<br /> * [[福厳寺 (小牧市)|福厳寺]]<br /> * [[覚王山日泰寺|日泰寺]] – 愛知県名古屋市千種区法王町(超宗派)<br /> * [[妙行寺 (市川市)|原木山妙行寺]]<br /> * [[松尾観音寺]]<br /> * [[四天王寺]] – [[和宗]](超宗派)<br /> <br /> == 著名な単立神社 ==<br /> * [[鎌倉宮]]<br /> * [[日光東照宮]]<br /> * [[靖国神社]]<br /> * [[富岡八幡宮]]<br /> * [[武蔵御嶽神社]]<br /> * [[気多大社]]<br /> * [[伏見稲荷大社]]<br /> * [[梅宮大社]]<br /> * [[出雲大神宮]]<br /> * [[車折神社]]<br /> * [[難波神社]]<br /> * [[氷室神社]]<br /> * [[石切剣箭神社]]<br /> * [[日前神宮・國懸神宮]]<br /> * [[淡嶋神社]]<br /> * [[草戸稲荷神社]]<br /> * [[山内神社]]<br /> * [[白崎八幡宮]]<br /> * [[八坂神社_(北九州市)|八坂神社]]<br /> * [[天之御中主神社 (鹿児島市)|天之御中主神社]]<br /> * [[揖宿神社]]<br /> * [[内宮神社]]<br /> * [[児玉神社 (藤沢市)|児玉神社]]<br /> * [[梨木神社]]<br /> * [[天河大弁財天社]] - [[奈良県]][[天川村]]<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[宗教法人]]<br /> * [[兼学]]([[八宗兼学]]、[[二宗兼学|二宗]]、[[三宗兼学|三宗]]、[[四宗兼学|四宗]]、[[五宗兼学|五宗]]、[[六宗兼学|六宗]]、[[七宗兼学|七宗]]、[[十宗兼学|十宗]]、[[十三宗兼学]])&lt;ref&gt;[http://kyonoreijo.sakura.ne.jp/lib/sh/libsh4-8sk.htm 京の霊場 四宗兼学と八宗兼学]、[https://kotobank.jp/word/八宗兼学-602628 kotobank]&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{reflist}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:たんりつ}} <br /> [[Category:単立|*]]<br /> [[Category:単立寺院|*]]<br /> [[Category:単立神社|*]]<br /> [[Category:単立教会|*]]<br /> {{Buddhism-stub}}<br /> {{shinto-stub}}<br /> {{christ-stub}}</div> 42.151.45.162 立正安国論 2018-06-05T15:58:49Z <p>42.151.45.162: /* 概要 */</p> <hr /> <div>[[ファイル:Risshou Ankokuron.jpg|thumb|right|350px|『立正安国論』(巻頭部分、[[日蓮]]撰・筆、[[法華経寺]]蔵、[[国宝]])]]<br /> 『&#039;&#039;&#039;立正安国論&#039;&#039;&#039;』(りっしょうあんこくろん)は[[日蓮]]が執筆し、[[文応]]元年[[7月16日 (旧暦)|7月16日]]([[ユリウス暦]][[1260年]][[8月24日]]、[[グレゴリオ暦]]1260年[[8月31日]]&lt;ref&gt;[http://maechan.net/kanreki/ 【換暦】暦変換ツール]&lt;/ref&gt;)に時の最高権力者にして先の[[執権]]([[得宗]])である[[北条時頼]]([[鎌倉幕府]]第5代執権)に提出した[[文書]]。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> 日蓮本人が[[文永]]6年([[1269年]])に筆写したとされる本が[[法華経寺]]にあり([[国宝]])、他にも直弟子などによる[[写本]]が多数伝わる。更に[[真言密教]]批判などを加えた増補本(「広本」)が[[本圀寺]]にある。<br /> <br /> [[正嘉]]年間以来、[[地震]]・[[暴風雨]]・[[飢饉]]・[[疫病]]などの[[災害]]が相次いだ。当時[[鎌倉]]にいた日蓮は、前年に撰述した『守護国家論』に続けて、[[政治]]・[[宗教]]のあるべき姿を当時の[[鎌倉幕府]]において事実上の最高権力者である北条時頼に提示するために、[[駿河国]][[実相寺 (富士市)|実相寺]]に籠って執筆した。後にこの書を持参して実際に時頼に提出している。<br /> <br /> 日蓮は本論で、相次ぐ災害の原因は人々が[[正法]]である[[法華経|妙法蓮華経]]([[法華経]])を信じずに[[浄土宗]]などの[[邪法]]を信じていることにあるとして諸宗を非難し、法華経以外にも[[鎮護国家]]の聖典とされた『[[金光明最勝王経]]』なども引用しながら、このまま[[浄土宗]]などを放置すれば国内では内乱が起こり(自界叛逆難)外国からは侵略を受けて滅びる(他国侵逼難)と唱え、邪宗への布施を止め、正法である法華経を中心(「立正」)とすれば国家も国民も安泰となる(「安国」)と説いた。<br /> <br /> この内容は、たちまち内外に伝わり、その内容に激昂した浄土宗の宗徒による日蓮襲撃事件([[松葉ケ谷の法難]])を招いた上に、[[禅宗]]を信じていた時頼からも「政治批判」と見なされて、翌年には日蓮が[[伊豆国]]に[[流罪]]となった。<br /> <br /> 時頼没後の文永5年([[1268年]])には[[モンゴル帝国]]から臣従を要求する国書が届けられて[[元寇]]に至り、国内では時頼の遺児である執権[[北条時宗]]が異母兄[[北条時輔|時輔]]を殺害し、[[朝廷]]では[[後深草上皇]]と[[亀山天皇]]が対立の様相を見せ始めるなど、内乱の兆しを思わせる事件が発生した。その後[[弘安]]元年([[1278年]])に改訂を行い(「広本」)、さらに2回『立正安国論』を提出し、合わせて生涯に3回の「国家諫暁」(弾圧や迫害を恐れず権力者に対して率直に意見すること)を行うことになる。<br /> <br /> 後に写本された『立正安国論』には 「此の書は徴有る文なり」の文言と、更に「未来亦然るべきか」の文言を含む『奥書』が付され、法華経に背き続ける限り仏法の定理のまま、国土の三災七難は治まらない、と説いた。<br /> <br /> 本論で日蓮は、“くに”という字を“國”“囻”“国”の3字を使い分けた。國はLand、囻はNation、国はStateの義であろうとする説があり、[[創価学会]]はこれをもって日蓮を民衆仏法だとしている&lt;ref&gt;[http://www.sokanet.jp/pr/kyougakunyuumon/nichirendaishouninnobuppou/ishoujyoubutsutokousenrufu/02-2/01-2/ 立正安国 | 教学入門] 創価学会公式サイト&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[法華経寺]]<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 参考資料 ==<br /> * [[渡辺宝陽]]、[[中尾尭]]監修『日蓮 久遠のいのち(別冊太陽 日本のこころ206)』、[[平凡社]](2013年)<br /> * [[創価学会]]教学部編『世界広布の翼を広げて 教学研鑽のために 「立正安国論」』([[聖教新聞社]]、2017年 ISBN 978-4-412-01619-4)<br /> * [[堀日享]]編『創価学会版 新編 「日蓮大聖人御書全集」』 [[創価学会]] (2003年6月30日 第231刷)<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.hokekyoji.com/ 法華経寺ホームページ]<br /> * [http://www.nichiren.or.jp/buddhism/nichiren/ 日蓮宗ホームページ-日蓮聖人の教え]<br /> * [http://www.city.ichikawa.lg.jp/edu09/1521000002.html/ 市川市ホームページ]<br /> * [http://k-dic.sokanet.jp/%e3%80%8c%e7%ab%8b%e6%ad%a3%e5%ae%89%e5%9b%bd%e8%ab%96%e3%80%8d%ef%bc%88%e3%82%8a%e3%81%a3%e3%81%97%e3%82%87%e3%81%86%e3%81%82%e3%82%93%e3%81%93%e3%81%8f%e3%82%8d%e3%82%93%ef%bc%89/ 立正安国論 (創価学会公式サイト内)]<br /> {{DEFAULTSORT:りつしようあんこくろん}}<br /> [[Category:法華系仏教]]<br /> [[Category:ちば遺産100選]]<br /> [[Category:13世紀の書籍]]<br /> [[Category:鎌倉時代の仏教書]]<br /> [[Category:日蓮]]<br /> [[Category:続諸宗部 (大正蔵)]]<br /> [[Category:1260年代の日本]]<br /> <br /> {{Buddhism-stub}}<br /> {{Japanese-history-stub}}</div> 42.151.45.162 終末論 2018-06-03T04:45:34Z <p>42.151.45.162: /* 仏教 */</p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2016年5月7日 (土) 00:25 (UTC)}}<br /> &#039;&#039;&#039;終末論&#039;&#039;&#039;(しゅうまつろん、[[英語]]: eschatology)は、歴史には終わりがあり、それが歴史そのものの目的でもあるという考え方。[[目的論]]という概念の下位概念。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> 社会が政治的、経済的に不安定で人々が困窮に苦しむような時代に、その困窮の原因や帰趨を、神や絶対者の審判や未来での救済に求めようとするのは、どこの文化でも宗教一般に見られ、[[ユダヤ教]]から[[キリスト教]]、イスラム教、[[ゾロアスター教]]といった[[一神教]]においてのみならず、[[仏教]]などの宗教などにおいても同様の考え方がある。しかし、終末ということの基準を、個々人の死の意味ではなく、民全体にとっての最後のとき、民全体に対する最後の審判と義人選別救済のとき、とするならば、終末論は本質的に一神教のものである。<br /> <br /> == キリスト教 ==<br /> {{キリスト教終末論}}<br /> {{main|キリスト教終末論の相違点}}<br /> キリスト教の終末論 ([[:en:eschatology|eschatology]]) という語は、[[ギリシア語]]の {{lang|el|τὰ ἔσχατα}}(ta eschata「最後のこと(中性複数形)」、キリスト教では具体的に四終(死・審判・天国・地獄)を指す)という言葉に由来し、[[イエス・キリスト]]の復活と[[最後の審判]]への待望という事柄に関わる([[千年王国]]参照)。キリスト教では、その目的が世の救済であるため、[[教義学]]では終末を歴史の目的として[[救済史]]という言い方もされる。<br /> <br /> キリスト教系[[新宗教]]の中には、「最後の審判」の時期を、聖書から年代や終末期に起こる出来事(しるし)などから算定し[[予言]]する教団もある。<br /> <br /> [[20世紀]]の[[スイス]]の[[神学者]]・[[カール・バルト]]も、主著『ロマ書』で「(終末にキリストが地上の裁きのために天国から降りてくるという)再臨が『遅延する』ということについて……その内容から言っても少しも『現れる』はずのないものが、どうして遅延などするだろうか。……再臨が『遅延』しているのではなく、我々の覚醒(めざめ)が遅延しているのである」と言い、「終末は既に神によってもたらされている」という認識である。<br /> <br /> == 仏教 ==<br /> 仏教における[[末法思想]]は、「この世の終わり」を意味する終末的思想と同意義と見る向きも多い。<br /> <br /> [[大乗仏教]]では、[[釈迦如来|釈迦仏]]の[[入滅]]年代(ただし諸説あり一致しない)より数えて、正・像・末と三時に分け、その最後の時を[[末法]]の世という。これは厳密にいえば、「正しい法が隠れ行われなくなること」である。したがって、世の中の政情不安や天変地異などを含めたものを末法というものではなかった。<br /> <br /> しかし、[[日本]]においては、[[平安時代]]後期に末法に突入するという目測と、[[鎌倉時代]]へ移り変わっていく不安感、当時の民衆の仏教への理解不足などが相まって、次第に、末法観念が終末論的に転化されていった。<br /> <br /> [[浄土教]]では[[自力]]で悟ることが[[正法]]・[[像法]]の時代よりも困難になる(一部では不可能とする)が、成仏するための[[阿弥陀仏]](一部では末法の世にふさわしいものがあるとする)の力(一部では[[他力]])を求め、[[念仏]]せよ」と説く。[[日蓮]]は、今が末法であるとして、他の教えを捨てて[[法華経]]に帰依するように説いた。なお、[[禅宗]]でも末法はあるが、[[曹洞宗]]の開祖・[[道元]]は『[[正法眼蔵随聞記]]』において末法思想を方便にすぎないとして否定している。&lt;!--「今は云く、この言ふことは、全く非なり。仏法に正像末を立つ事、しばらく一途の方便なり。真実の教道はしかあらず。依行せん、皆うべきなり。在世の比丘必ずしも皆勝れたるにあらず。不可思議に希有に浅間しき心根、下根なるもあり。仏、種々の戒法等をわけ給ふ事、皆わるき衆生、下根のためなり。人々皆仏法の器なり。非器なりと思ふ事なかれ、依行せば必ず得べきなり」--&gt;<br /> <br /> [[弥勒菩薩|弥勒]]信仰に見られる下生信仰も、末法思想の一種である。[[中国]]では、[[北魏]]の[[大乗の乱]]が、この信仰によるものとされているし、[[清]]代の[[白蓮教徒の乱]]に代表される、相次いで勃発した[[白蓮教]]信徒による反乱も、この信仰に基づいている。<br /> <br /> この他[[転輪王経]]のように終末を描いた経典も存在する。<br /> <br /> ただし、[[仏教]]では、[[原始仏教]]・初期[[大乗仏教]]を含めて、本来&lt;!--大乗仏教では空論の展開から「不増不減、無始無終」を説き、--&gt;この世の始まりや終わりを説いていない([[釈尊]]は時間に終わりがあるか、ないかという問いに対し、意味のない議論([[戯論]])であるとして「答えない」([[無記]])という態度をとっている)。さらに大乗経典の中でも、[[涅槃経]]などでは末法の世における救いを力説し、悲観的な見方を根本的に否定している。平安以降に広がった[[地蔵菩薩|地蔵]]信仰では、地蔵菩薩が釈尊入滅から弥勒菩薩が現れる間(末法)六道全ての衆生を救う役割を担うとされる。したがって、これらから仏教における末法思想は、この世の終わりを意味するような終末的思想とは異なることが理解できる。<br /> <br /> == ヒンドゥー教 ==<br /> インド亜大陸を中心に信仰される[[ヒンドゥー教]]は、固有の宗教観で知られる。ヒンドゥーの三大神の一柱である[[シヴァ]]神は、破壊と再生の神とされ、徹底した破壊をその役どころとしている。破壊が激しいほど、その後にやってくる再生はより大きな可能性を秘めているとのヒンドゥー独特の宗教観がシヴァ神の役どころと言える。<br /> <br /> また、シヴァと並ぶ三大神の一柱に位置づけられ、もっとも信仰を集めている[[ヴィシュヌ]]神にも終末を担う役割がある。ヒンドゥーの教えでは[[ユガ]](yuga)と呼ばれる思想がある。この世界は生成と終末を繰り返すとの思想である。各説あるが「[[マヌ法典]]」によれば、ユガは四期に分かれている。(第一期クリタユガ、第二期トレーターユガ、第三期ドヴァーユガ、第四期カリユガ)この教えによれば、現在こそ、もっとも教えが衰えるカリユガの末期であり。<br /> ヴェシュヌ神の化身[[カルキ (ヒンドゥー教)|カルキ]]が白馬に乗る騎士の姿で現れ、この世界を破壊から再生させるとされる。<br /> <br /> == 百王説 ==<br /> [[中国]]の[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]の[[僧]]・[[宝誌]]の手によるとされる「[[野馬台詩]]」が、日本では[[皇室]]の[[未来]]を予言したものだという説が[[中世]]にかけて流布し、「&#039;&#039;&#039;百王説&#039;&#039;&#039;」が論じられた。これは『古事記』上巻序いかなる[[王朝]]も100代までで滅びるという解釈がされる記述があり、すでに[[鎌倉時代]]初期には『[[愚管抄]]』などでも取り上げられている。ただし、「百王」の意味は百代ではなく「数多き王」を意味するという解釈も存在した&lt;ref&gt;[[#今谷(1990)|今谷(1990)]]、p.144&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> その後の[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]、[[皇室の系図一覧|皇統]]は[[神武天皇|神武]]以来100代に達するとう理解から、折からの政情不安と[[末法思想]]が相まって、[[北畠親房]]が言及するなど大いに論じられた。また、室町幕府将軍の[[足利義満]]も百王説に関心を示していたという。<br /> <br /> 歴代天皇の数え方については諸説があるが、[[南朝 (日本)|南朝]]を正統とする数え方では[[南北朝合一]]後の[[後小松天皇]]が百代となり、中世にはこれとは別に[[北朝 (日本)|北朝]]の[[後円融天皇]]を百代とする理解が存在した。<br /> <br /> == 元・会・運・世の説 ==<br /> 元・会・運・世は[[儒教|儒学]]における世界(時間)のサイクルで、「1元(12万9600年)経つと天地の寿が終わり、再び1元が始まる」とするもの&lt;ref&gt;[[島田虔次]] 『朱子学と陽明学』 [[岩波新書]] 28刷1999年 p.72.&lt;/ref&gt;。1元は12会で、1会は1万800年&lt;ref&gt;同『朱子学と陽明学』 p.72.&lt;/ref&gt;。11会の時期に「万物(人)皆絶える(絶滅する)」とされる&lt;ref&gt;同『朱子学と陽明学』 p.73(図).&lt;/ref&gt;。この説では万物=人が生まれたのは3会の時期(天が始まってから3万2400年の前後)である&lt;ref&gt;同『朱子学と陽明学』 p.73.従って、人の歴史は3会から11会までと定まっている。&lt;/ref&gt;。11世紀で7会に当たり&lt;ref&gt;同『朱子学と陽明学』 p.73.&lt;/ref&gt;、4会経ったら人が絶滅し、5会経つと天地が終わるということになる。この世界観では何度も終末を繰り返しているということになるが、同時に終わりでもない。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> &lt;references /&gt;<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> * {{Cite book |和書 |author=[[今谷明]] |title=室町の王権 - 足利義満の王権簒奪計画 |publisher=[[中央公論新社|中央公論社]] |series=[[中公新書]] 978 |date=1990-07 |isbn=978-4-12-100978-4 |ref=今谷(1990) }}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[救済史]]<br /> * [[終わりの時]]<br /> * [[熱的死]]<br /> * [[宇宙の終焉]]<br /> * [[黙示]]<br /> * [[黙示録]]<br /> * [[ハルマゲドン]]<br /> * [[ラグナロク]]<br /> * [[カリ・ユガ]]<br /> * [[終末もの]]<br /> * [[オウム真理教]]<br /> * [[キリスト教福音浸礼会]]<br /> * [[冨士大石寺顕正会|顕正会]]<br /> * [[ノストラダムスの大予言]]<br /> * [[2012年人類滅亡説]]<br /> * [[ブランチ・ダビディアン]]<br /> * [[技術的特異点]]<br /> * [[認知閾]]<br /> <br /> {{Doomsday}}<br /> {{DEFAULTSORT:しゆうまつろん}}<br /> [[Category:キリスト教神学]]<br /> [[Category:世界観]]<br /> [[Category:終末論|*]]</div> 42.151.45.162 ほんみち 2018-06-03T04:40:21Z <p>42.151.45.162: /* 教祖・教主職 */</p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2013年10月}}<br /> {{Infobox 組織<br /> | 名称 =ほんみち<br /> | 画像 =Honmichi headquarters.jpg<br /> | 画像サイズ = 250px<br /> | 画像説明 = ほんみち本部<br /> | 画像2 =<br /> | 画像サイズ2 = <br /> | 画像説明2 =<br /> | 略称 =<br /> | 設立 = <br /> | 廃止 =<br /> | 種類 = [[宗教法人]]<br /> | 地位 =<br /> | 目的 =<br /> | 本部 = 大阪府高石市羽衣3丁目1-72<br /> | 緯度度 = 34 | 緯度分 = 31 | 緯度秒 = 56.5 | N(北緯)及びS(南緯) = N <br /> | 経度度 = 135 |経度分 = 26 | 経度秒 = 19.4 | E(東経)及びW(西経) = E<br /> | 地図国コード = JP<br /> | 言語 = <br /> | 設立者 =大西愛治郎<br /> | リーダー = <br /> | 人物 =<br /> | 関連組織 = <br /> | 機関 =<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;ほんみち&#039;&#039;&#039;は、[[1913年]]に大西愛治郎によって創始された、[[大阪府]][[高石市]]に本部を置く[[新宗教]]。[[天理教]]からの分派。信徒数は約31万8千人&lt;ref&gt;大島宏之著『この一冊で「宗教」がわかる!』 三笠書房、1996年、250頁&lt;/ref&gt;。なお、[[斎藤昭吾]]が創立した[[岐阜県]]の[[ほんみち (岐阜)]]とは別法人&lt;ref&gt;『新宗教の本 霊能の秘儀と巨大教団の系譜』(学研、2008年)146頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> 天理教山口専教所の所長であった[[大西愛治郎]]は、山口県内の教会の整理・再興の任にあたったが思うように布教や救済が進まず、焦りのなか「胸調べ」と称する瞑想を行った。1913年7月15日、愛治郎は全裸となり、家族の衣服も剥ぎ取って、部屋の中を徘徊しはじめ自からを[[中山みき]]の後継者であるという啓示を受ける。「&#039;&#039;&#039;甘露台人の理&#039;&#039;&#039;」と呼ばれる。当初は甘露台が人間、ましてや自分自身とは認められない愛治郎であったが、否定すると胸が苦しくなり、居てもたってもいられなくなることから自らを甘露台であると悟るにいたる。この年は天理教教祖・[[中山みき]]の115歳の定命が尽きたとされる1912年の翌年にあたり、天啓の継承者が現れるのも当然と考えた。自らが悟った内容を手紙にし、計66回に渡って教会本部や主要教会に郵送したが天理教内では受け入れられず、所属していた奈良教会は山口宣教所長の辞職勧告をする。1920年には賛同者も出始め、1922年には天理教本部へ交渉団を派遣するに至るが、ついに翌年に教師資格を剥奪し追放される。[[1925年]](大正14年)奈良県で「[[おさしづ]]」を研究する「&#039;&#039;&#039;天理研究会&#039;&#039;&#039;」を発足させる&lt;ref&gt;村上重良著『日本宗教事典』(講談社、1988年)387頁&lt;/ref&gt;。[[1928年]](昭和3年)に『研究資料』を発表・配布し、それが、戦争による国家滅亡の危機を予言・警告し、[[昭和天皇]]の神格を否定する内容として、天理研究会の会員らと共に検挙される&lt;ref&gt;[[井上順孝]]ほか編『新宗教事典』(弘文堂、1990年)387頁&lt;/ref&gt;。不敬罪によって、天理研究会の解散を命じられるも、[[1930年]](昭和5年)、大西愛治郎を精神鑑定の結果、一連の天啓が妄想の産物であるとされ無罪が大審院で判決された&lt;ref&gt;同上、496頁&lt;/ref&gt;。[[1936年]](昭和11年)「&#039;&#039;&#039;天理本道&#039;&#039;&#039;」と改称し、布教が本格化。大西愛治郎の嘗て居た天理教にも布教がなされた。[[1938年]](昭和13年)『研究資料』と同趣旨の『書信』を発表・配布し、警察当局が国家体制を脅かすものとして、治安維持法違反・不敬罪違反で大西らは再び検挙された&lt;ref&gt;同上、500頁&lt;/ref&gt;。教団に対しては結社禁止命令が、大西愛治郎に対しては無期懲役が言い渡されたが、[[1945年]](昭和20年)に第二次世界大戦が終結すると全員免訴となった&lt;ref&gt;同上、500頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[1946年]](昭和21年)に大阪府高石市に本部所在地を移転し、[[1950年]](昭和25年)に「&#039;&#039;&#039;ほんみち&#039;&#039;&#039;」と改称。1950年(昭和25年)11月8日、ほんみち本部は脱税容疑で家宅捜索を受けた&lt;ref&gt;山折哲雄/監修『日本宗教史年表』河出書房新社(2004.2.18)P598&lt;/ref&gt; 。大西愛治郎は「中山みきの生まれ変わり」として次女・[[大西玉]]を養育したが、[[1962年]](昭和37年)、大西玉はほんみちより「[[ほんぶしん]]」として分離・独立した。大西愛治郎の没後、孫に当たる[[大西泰彦]]が教団を率いている&lt;ref&gt;井上順孝ほか偏『新宗教教団・人物事典』(弘文堂、1996年)280頁&lt;/ref&gt;。その後、[[1977年]](昭和52年)に大阪府泉南市牧野の礼拝所を建設。[[1979年]](昭和54年)に信者ではない者には未公開であった本部を公開し、[[1980年]](昭和55年)から[[1984年]](昭和59年)まで「ほんみち紹介のつどい」や、[[1989年]](平成元年)からは信者同伴を条件として一般の参拝を受け入れる「ほんみち神拝殿一般参拝」などが行われている。さらに、[[1987年]](昭和62年)には本部に大規模な礼拝所を建設した&lt;ref&gt;新宗教研究会著『図解新宗教ガイド』(九天社、2006年)134頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 信者の子供は高校進学をせずに中学を出たら信者になるために、泉南市の公立中学校卒業者の高校進学率は82.1%と、諸島部や限界集落を除けば日本一低い&lt;ref&gt;。平成28年度学校基本調査 初等中等教育機関・専修学校・各種学校《報告書未掲載集計》市町村別集計 卒業後の状況調査(中学校)&lt;/ref&gt;また、信者は月の何日かは作業所で働くために職業が制限されてしまっている。<br /> <br /> === 天理教との相違点・類似点 ===<br /> 天理教では信者は「ようぼく」と呼ばれるが、ほんみちでは「みち人」と呼ぶ。その一方で、個人単位の布教活動を「においがけ」、教団施設の維持管理を「ひのきしん」、神が理想とする「陽気世界」(天理教の「陽気ぐらし」と類似)に住むための精神の成長を「心のふしん」と呼ぶ&lt;ref&gt;井上順孝ほか編『新宗教教団・人物事典』(弘文堂、1996年)281頁&lt;/ref&gt;など、大西愛治郎が中山みきを継承した者であると主張するように、天理教と類似点が多い。<br /> <br /> == 法人・組織 ==<br /> === 教祖・教主職 ===<br /> &#039;&#039;&#039;教祖&#039;&#039;&#039;は&#039;&#039;&#039;大西愛治郎&#039;&#039;&#039;。現教主は大西愛治郎の孫である&#039;&#039;&#039;大西泰彦&#039;&#039;&#039;。「大西愛冶郎は大西泰彦に生まれ変わった」と称される。教主名は「&#039;&#039;&#039;甘露台&#039;&#039;&#039;」と称される。<br /> <br /> === 参拝所 ===<br /> 参拝所は、本部以外に宇陀支部・泉南支部・中部出張所・西部出張所・明石出張所・本部直轄関東出張所など2支部5出張所がある。<br /> <br /> == 年間の主な行事 ==<br /> 出典:&lt;ref&gt;[http://www.rirc.or.jp/xoops/modules/xxxxx05/detail.php?id=32 ほんみち - (公財)国際宗教研究所 - 教団データベース(新)]、新宗教研究会著『図解新宗教ガイド』(九天社、2006年)135頁&lt;/ref&gt;<br /> *元旦祭 1月1日<br /> *ほんみち年始式 1月2日<br /> *開扉記念式 5月5日<br /> *春季大祭 5月26日<br /> *発祥記念祭 8月15日<br /> *秋季大祭 10月26日<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> *{{教団データベース|32}}<br /> * 大島宏之著『この一冊で「宗教」がわかる!』 三笠書房、1996年<br /> * [[梅原正紀]]著『天啓者の宗教 ほんみち』 耕土社、1977年初版/南斗書房、1986年増補改訂版<br /> * [[島田裕巳]]監修『現代にっぽん新宗教百科』 柏書房、2011年<br /> * [[村上重良]]著『ほんみち不敬罪事件 天皇制と対決した民衆宗教』 講談社、1974年<br /> * 村上重良著『新宗教 その行動と思想』 岩波書店、2007年<br /> * 別冊宝島編集部編『日本の宗教50 完全パワーランキング 人脈力・資金力・政治力』 宝島社、2017年<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[天理教]]<br /> * [[ほんぶしん]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> *{{Kotobank}}<br /> {{Reli-stub}}<br /> {{戦前までに日本で発祥した新宗教}}<br /> {{新宗教}}<br /> {{Normdaten}}<br /> {{DEFAULTSORT:ほんみち}}<br /> [[category:天理教]]<br /> [[Category:日本の新宗教]]<br /> [[Category:神道系新宗教]]<br /> [[Category:日本の宗教団体]]</div> 42.151.45.162 イエス之御霊教会 2018-06-02T08:36:03Z <p>42.151.45.162: </p> <hr /> <div>{{複数の問題<br /> | 出典の明記 = 2017年9月<br /> | 独自研究 = 2008年12月<br /> }}<br /> {{基礎情報 非営利団体<br /> | 名称 = イエス之御霊教会教団{{Sfn|宗教年鑑平成28年版|p=121}}<br /> | 創立者 = <br /> | 団体種類 = [[包括宗教法人]]{{Sfn|宗教年鑑平成28年版|p=121}}<br /> | 設立 = <br /> | 所在地 = 東京都杉並区荻窪5-19-2{{Sfn|宗教年鑑平成28年版|p=121}}<br /> | 主要人物 = [[三戸富夫]](監督){{Sfn|宗教年鑑平成28年版|p=121}}<br /> | 活動地域 = <br /> | 活動内容 = <br /> | 収入 = 不明<br /> | 支出 = 不明<br /> | ボランティア人数 = 不明<br /> | 従業員数 = 不明<br /> | 親団体 = <br /> | 子団体 = <br /> | 所有者 = <br /> | ウェブサイト = 不明<br /> | 法人番号 = 8011305000271<br /> | 特記事項 = <br /> }}<br /> [[画像:Spirit-of-Jesus-Church-Tokyo-2017052001.jpg|thumb|イエス之御霊教会教団本部・東京イエス之御霊教会]]<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;イエス之御霊教会教団&#039;&#039;&#039;(イエスのみたまきょうかいきょうだん)は、[[三戸富夫]]が代表を務める日本の[[宗教法人]]である{{Sfn|宗教年鑑平成28年版|p=121}}。<br /> <br /> [[村井ジュン]]によって提唱された[[キリスト教]]系宗教組織で[[1941年]]([[昭和]]16年)[[11月17日]]に独立認可されたとのこと。自ら[[カトリック教会|カトリック]]でも[[プロテスタント]]でもないとし、[[1世紀]]当時の初代教会と同じ信仰であると主張している。宗教分類学的には[[新宗教]]の流れに分類される。[[1990年]]代の調べによると、世界規模での信徒は約42万人。<br /> <br /> == 教理 ==<br /> *聖書は神の言<br /> *真の神の名はイエス<br /> *真の神は主イエス・キリスト<br /> *人は主イエス・キリストを救主と信じ[[バプテスマ]]を受けて救われる<br /> *バプテスマ、洗足、聖餐の3聖典を行う<br /> *聖霊のバプテスマ<br /> *土曜安息日を本来の聖書通り聖日として憶える<br /> *洗礼は全身浸礼、イエスの名によって施す<br /> *死者の為のバプテスマ<br /> *聖餐は酵なし(聖書通り)パンと葡萄汁を用いパンは手でこれを裂く<br /> <br /> === 教理的特徴 ===<br /> 正統派と呼ばれる諸教派との大きな違いは、[[イエス・キリスト]]は[[三位一体]]の子の位格であるという教理ではなく、イエス・キリストが全能の神の本質であり、キリストの中にこそ父、子、聖霊の三つの位格が存在すると説く。(これをワンネス(神学)と言う。)<br /> <br /> これは[[3世紀]]に異端として排斥された[[サベリウス主義]]とほぼ同一の[[神学]]であると見る説もあるが、イエス・キリストの人間性即ち「人なるキリスト」として子の位格を認めている点でサベリウス主義とは異なる。<br /> 三位についてはそれぞれ父、子、聖霊の位格であるという点では正統派諸教派と差異はない。<br /> 特徴的といえるのが一体についての理解である。一体の部分のそれが何であるかを明確にしない限り礼拝の対象が定まらず正しい神観が得られないとし、即ちイエス・キリストがそれであると明確に示す。<br /> <br /> 言葉を変えて言うなら唯一の神の中に父、子、聖霊の三つの位格が存在すると説く三位一体論と比較して、唯一のイエス・キリストの中にこそ父、子、聖霊の三つの位格が存在していると説く点に教理的違いがある。(ワンネス信仰)<br /> <br /> 歴史的に見れば唯一神教という枠の中でイエス・キリストの神性を説こうとして、数々の経緯を辿って神の定義を確立させながら成立して来たともとれる三位一体論に対し、この教団の教理は神の本質がイエス・キリストである事を説こうとする逆説的方向から唯一神教とイエス・キリストの神性を成立させようとしたと見る事も出来る{{要出典|date=2009年4月}}。<br /> <br /> しかし初代教会由来の伝統的教義を今も受け継ぐ現代教会に於いては、これを三位一体論の一つの類型と見なす教派は少ないようである。<br /> <br /> === 安息日礼拝 ===<br /> また、[[ユダヤ教]]と同じく週の7番目の日として[[土曜日]]を[[安息日]]とし、この日に正式な礼拝を行う。土曜日は参加できない信者も多いため、[[日曜日]]も「聖会」と称しほぼ同様の形式での礼拝が行われている。<br /> <br /> ユダヤ教の土曜安息日との大きな違いは、ユダヤ教の場合[[戒律]]として厳格に礼拝を守っているのに対し、この教会は神の[[恩寵]]として神の恵みに与るべく礼拝を行っている。つまりユダヤ教では礼拝を欠けば罪を犯すことになるが、この教会ではそうではなくただ神の恵みを受けたいが為に礼拝を行うと説く。よって礼拝への参加は信徒各自の自由意志による。<br /> <br /> === 他の教派に対して ===<br /> カトリックの教えの中には偶像教(古代[[バビロニア]]の宗教)から取り入れたものもありその部分に対しては淫婦的行為で呪われるべきだと譴責し、プロテスタントは[[聖書]]を広く普及した功績があるとしながらも精神性を重んじるあまり肝心な霊性を失い生温くなり吐き出される教会にあると警告しているが、同時に同じくキリストを信じる彼らの為に祈る様教えている。<br /> <br /> キリスト教の他の教派や他宗教に対し排他的だとの評価もあるが、[[牧師]]と信徒では大分異なり信徒レベルではむしろ寛容とも思える程抵抗なく他教派や他宗教の人々と交流をしている。牧師は先の神観を一様に固く守ってはいるが他教派との交流を閉ざしている訳ではなく、対応は個人によってまちまちである。<br /> <br /> === 批判 ===<br /> キリスト教[[福音派]]の牧師[[尾形守]]による著書『[[異端見分けハンドブック]]』&lt;ref&gt;[[尾形守]]『[[異端見分けハンドブック]]』プレイズ出版&lt;/ref&gt;では異端とキリスト教の根本的な違いは「霊の違い」であるとし、異端は聖霊ではなく、悪霊による惑わしの教えであるとする。その聖句として、[[s:ヨハネの第一の手紙(口語訳)#4:1|第一ヨハネ4:1-3]]、[[s:ヨハネの黙示録(口語訳)#16:13|黙示録16:13]]、[[s:テモテヘの第一の手紙(口語訳)#4:1|第一テモテ4:1]]をあげている。p. 12でイエス之御霊教会を「異端」と明記し、p. 154-160では教理的問題点として「三位一体を否定する」「信仰のみの救いの否定」「死者のための身代わり洗礼を行う」を挙げている。<br /> <br /> == 教会政治・財政 ==<br /> [[カトリック教会]]の[[監督制]]に類似する監督政治を教団全体として保っている一方で、教団を構成している各教会は牧師一任主義として牧師が全権を所有しており、教団監督であっても各教会の牧会には干渉出来ないとする。<br /> <br /> このため牧会に関するある一教会の方針が教団の方針とは必ずしも関係が無く、むしろ各牧師の違いによる教会ごとの個性が多様化しやすい傾向にあり教団の全体像が一般人には情報として把握しづらくなっている。<br /> <br /> つまりそこで行われている事が単なる一教会だけの方針に過ぎない場合が多くそれによって教団全体が誤解を受け易い面があり、各教会が牧会上独立しているこのシステムの特徴とも言える。またそれが理由で教団を離脱した教会もある。<br /> <br /> 財政面では教団からの給与は一切無く、また各教会は他に財政的援助を乞ない原則の下でそれぞれが自立して独立運営されている。<br /> <br /> == 単立教会 ==<br /> [[宗教法人]]「イエス之御霊教会教団」に属している教会と、教理を同じくしながらも種々の理由から(特に教会政治的理由から)教団側と対立し、教団を離脱した単立の教会もあるがそのほとんどが離脱後も名称を変更する事なく「イエス之御霊教会」を名乗っているので両者を見分ける為には牧師への確認が必要である。<br /> <br /> 教団を離脱し単立の教会となった者の中には山陽イエス之御霊教会、上尾イエス之御霊教会、伊豆イエス之御霊教会、西日本イエス之御霊教会、若松イエス之御霊教会などがある。<br /> <br /> ==脚注==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> ==参考文献==<br /> * [[尾形守]]『[[異端見分けハンドブック]]』[[プレイズ出版]]、1998年。ISBN 4938764342。<br /> *『日本宗教史年表』[[山折哲雄]] 監修、日本宗教史年表編纂委員会、[[河出書房新社]]、2004年。ISBN 4309230733。<br /> <br /> ==外部リンク==<br /> *[http://www.geocities.jp/hirapyan/iesunomitama.html イエス之御霊教会について]<br /> *[http://www.dokidoki.ne.jp/home2/mission8/hareruyayoukoso/ai_yuaniesu_zhi_yu_ling_jiao_huinohomupeji.html 愛媛イエス之御霊教会]<br /> *[http://dooh-imk.info/ 道央イエス之御霊教会]<br /> *[http://blog.livedoor.jp/kumamoto_church/ 熊本イエス之御霊教会だより]<br /> <br /> === 教団から離脱した教会 ===<br /> *[http://www.geocities.jp/kohi7031/ 上尾イエス之御霊教会]<br /> *[http://izukogen.wonderful.to/index.html 伊豆イエス之御霊教会]<br /> *[http://ww4.tiki.ne.jp/~sanyogospel/shoukai/frameshoukai.htm 山陽イエス之御霊教会]<br /> <br /> {{新宗教}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:いえすのみたまきようかいきようたん}}<br /> [[Category:日本のキリスト教系新宗教]]</div> 42.151.45.162 三育学院大学 2018-06-02T08:28:10Z <p>42.151.45.162: /* 教育方針 */</p> <hr /> <div>{{混同|三育大学校}}<br /> {{一次資料|date=2017年6月}}<br /> {{大学<br /> | 国 = 日本<br /> | 大学名 = 三育学院大学<br /> | ふりがな = さんいくがくいんだいがく<br /> | 英称 = Saniku Gakuin College<br /> | 公用語表記 = <br /> | 大学の略称 = <br /> | 画像 = Saniku Gakuin College 2012033101.jpg<br /> | pxl = 250<br /> | 画像説明 = 正門<br /> | 大学設置年 = 2009年<br /> | 創立年 = 1898年<br /> | 学校種別 = 私立<br /> | 設置者 = [[学校法人三育学院]]<br /> | 現学長 = [[東出克己]]<br /> | 本部所在地 = [[千葉県]][[夷隅郡]][[大多喜町]][[久我原]]1500<br /> | 緯度度 = 35|緯度分 = 14|緯度秒 = 30<br /> | 経度度 = 140|経度分 = 15|経度秒 = 48<br /> | キャンパス = 大多喜 (千葉県夷隅郡大多喜町)&lt;br /&gt;東京 ([[東京都]][[杉並区]][[天沼]])<br /> | 学部 = 看護学部<br /> | 研究科 = <br /> | ウェブサイト = http://www.saniku.ac.jp/<br /> }}<br /> [[ファイル:Saniku-Gakuin-College-2012111802.jpg|thumb|220px|グレンジャー記念講堂(左)、大河平輝彦記念ホール(右)]]<br /> == 概要 ==<br /> [[三育学院短期大学]]看護学科が4年制大学に移行する形で&lt;ref name=&quot;chibanippo200826&quot;&gt;{{Cite news <br /> | title = 三育学院大4月開学 大多喜町 4年制看護学部を設置<br /> | newspaper = [[千葉日報]]<br /> | date = 2008-02-06<br /> | publisher = 千葉日報社<br /> | page = 朝刊 17<br /> }}&lt;/ref&gt;[[2008年]](平成20年)4月に開校した&lt;ref name=&quot;chibanippo200849&quot;&gt;{{Cite news <br /> | title = 三育学院大学が開校 県南唯一の看護大学 「知」「徳」「体」調和の取れた三育を実践<br /> | newspaper = [[千葉日報]]<br /> | date = 2008-04-09<br /> | publisher = 千葉日報社<br /> | page = 朝刊 9<br /> }}&lt;/ref&gt;。現学長は[[東出克己]]。<br /> <br /> == 教育方針 ==<br /> ミッションステートメントとして「本学は、[[プロテスタント]]・[[キリスト教]]の精神、とりわけその潮流のもとにある[[セブンスデー・アドベンチスト教団]]の理念と実践に基づく教育共同体である&lt;ref group=&quot;広報&quot;&gt;公式サイト http://www.saniku.ac.jp/about/about_01.html&lt;/ref&gt;」と掲げている。<br /> <br /> 教育方針として、公式サイトには<br /> <br /> # 神の愛を学ぶことにより、自己と他者の価値と尊厳を認める。 <br /> # 自己、他者、そして神との対話を通し、自分を見つめ、成長させる。<br /> # 人間関係を円滑に保つコミュニケーション能力を身につける。 <br /> # 物事を論理的に考えるクリティカルな思考力と、問題と主体的に取り組む姿勢を持つ。 <br /> # 看護専門職者として高い倫理観を備え、適切で安全な看護を実践する基礎的能力を身につける。<br /> # 自己の行動に責任を持ち、他職種と連携して働くことができる。<br /> # 自己研鑚に努め、看護学の発展に寄与する。 <br /> # [[セブンスデー・アドベンチスト教会|SDA]]ライフスタイルに基づいた健康的な生活の実践と啓蒙に努める。 <br /> # 国際性を養い、人種・文化・信条を超えた看護を実践できるとともに、国際交流や国際協力に貢献できる基本的姿勢を身につける。<br /> # 神に仕えるように人に仕える精神を持ち、喜びと意義ある天職として看護の働きを実践する。 <br /> <br /> の10が挙げられている&lt;ref group=&quot;広報&quot;&gt;公式サイト http://www.saniku.ac.jp/domitory/index.html&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==設置学部==<br /> *[[看護学部]]<br /> **看護学科<br /> <br /> ==主な設備==<br /> *キャンパスは大多喜キャンパスと東京校舎の二つに分かれる&lt;ref group=&quot;広報&quot;&gt;公式サイト http://www.saniku.ac.jp/campus/campus_01.html&lt;/ref&gt;。<br /> *大多喜キャンパス内に三つの寮が存在する。一部屋3〜4人のルームシェアの形を取る&lt;ref group=&quot;広報&quot;&gt;公式サイト http://www.saniku.ac.jp/domitory/index.html&lt;/ref&gt;。<br /> **スミルナ寮: 女子寮。4階建て、120名収容可能。<br /> **ミルテ寮: 女子寮。3階建て、100名収容可能。<br /> **カレッジホール: 男子寮。50名収容可能。<br /> <br /> なお、東京校舎には「サフラン寮」が存在する。<br /> <br /> *食堂: [[菜食主義|ベジタリアン]]の食堂であり、メニューには肉・魚が一切無い&lt;ref group=&quot;広報&quot;&gt;[[山内太地]] 「こんな大学で学びたい!」147p。また、公式サイト: [http://www.saniku.ac.jp/cafeteria/index.html 学生生活を支える食事 > 卵乳菜食について]、2014年11月15日閲覧。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> === 出典 ===<br /> {{Reflist}}<br /> ==== 広報資料・プレスリリースなど一次資料 ====<br /> {{Reflist|group=&quot;広報&quot;}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> *[[三育学院短期大学]]<br /> *[[久我原駅]] - [[いすみ鉄道いすみ線]]の駅。本学が[[命名権]]を購入し、愛称が&#039;&#039;&#039;三育学院大学久我原駅&#039;&#039;&#039;となる。<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{Commonscat|Saniku Gakuin College}}<br /> * [http://www.saniku.ac.jp/hp/topics8/4daika.html 看護学科四年制大学化のお知らせ]<br /> * [http://www.saniku.ac.jp/ 三育学院大学]<br /> <br /> {{学校法人三育学院}}<br /> {{千葉県大学図書館協議会}}<br /> {{日本私立看護系大学協会}}<br /> {{Normdaten}}<br /> {{univ-stub}}<br /> {{DEFAULTSORT:さんいくかくいん}}<br /> [[Category:日本の私立大学]]<br /> [[Category:日本の新宗教系大学]]<br /> [[Category:千葉県の大学]]<br /> [[Category:東京都の大学]]<br /> [[Category:看護大学]]<br /> [[Category:学校法人三育学院]]<br /> [[Category:学校記事]]</div> 42.151.45.162 新党大地 2018-05-21T02:18:26Z <p>42.151.45.162: /* 所属地方議員 */</p> <hr /> <div>{{Otheruses||2012年から2013年まで活動した国政&#039;&#039;&#039;政党&#039;&#039;&#039;|新党大地 (2012-)}}<br /> {{政党<br /> |国名 = {{JPN}}<br /> |党名 = 新党大地<br /> |公用語名 = New Party DAICHI<br /> |色相 = {{New Party Daichi/meta/color}}<br /> |画像 = New Party DAICHI Poster.JPG<br /> |画像サイズ = 200px<br /> |画像説明 = 新党大地のポスター<br /> |党首職名 = 代表<br /> |党首氏名 = 鈴木宗男<br /> |副党首職名 = <br /> |副党首氏名 = <br /> |下院代表職名 = <br /> |下院代表氏名 = <br /> |上院代表職名 = <br /> |上院代表氏名 = <br /> |成立年月日 = [[2005年]][[8月18日]]<br /> |郵便番号 = 100-0014<br /> |本部所在地 = [[東京都]][[千代田区]][[永田町]]2-9-6 十全ビル206&lt;ref&gt;{{official website|http://www.daichi.gr.jp/|トップページ|新党大地}}&lt;/ref&gt;<br /> |下院 = 衆議院<br /> |下院議員数 = 0<br /> |下院議員定数 = 465<br /> |下院議員集計年月日 = 2017年10月23日現在<br /> |上院 = 参議院<br /> |上院議員数 = 0<br /> |上院議員定数 = 242<br /> |上院議員集計年月日 = 2013年7月29日現在<br /> |議席 = 市区町村議数<br /> |議員数 = 6<br /> |議員定数 = 30334<br /> |議員集計年月日 = 2018年4月23日現在&lt;!--&lt;ref&gt;{{cite press release|title=地方公共団体の議会の議員及び長の所属党派別人員調等(平成28年12月31日現在)|publisher=総務省|date=2017-03-28|url=http://www.soumu.go.jp/main_content/000474587.pdf}}&lt;/ref&gt;--&gt;<br /> |党員・党友数 = 837人<br /> |党員・党友数集計年月日 = 2015年12月31日現在&lt;ref&gt;{{cite press release|title=平成27年分政治資金収支報告書の要旨(平成28年11月25日付け官報)|publisher=総務省|date=2016-11-25|url=http://www.soumu.go.jp/main_content/000455750.pdf#page=51}}&lt;/ref&gt;<br /> |政治的思想・立場 = [[緑の保守主義]]&lt;br /&gt;[[地域主義]]<br /> |機関紙 = <br /> |政党交付金 = <br /> |交付金算定基準 = <br /> |ウェブサイト = http://www.daichi.gr.jp/<br /> |サイトタイトル = 新党大地<br /> |シンボル = 党歌「大空と大地の中で」<br /> |国際組織 = <br /> |その他 = <br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;新党大地&#039;&#039;&#039;(しんとうだいち)は、[[日本]]の[[政党|政治団体]]・[[北海道]]の[[地域政党]]である。略称は&#039;&#039;&#039;大地&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;NPD&#039;&#039;&#039;。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> [[鈴木宗男事件]]で[[自由民主党 (日本)|自民党]]を離党した後、[[胃癌]]手術のため[[2003年]]([[平成]]15年)の[[第43回衆議院議員総選挙|第43回総選挙]]に出馬せず、翌[[2004年]](平成16年)の[[第20回参議院議員通常選挙|第20回参院選]]に[[無所属]]で出馬し落選していた[[鈴木宗男]]元[[北海道開発庁]]長官が、[[2005年]](平成17年)[[8月8日]]の[[郵政解散|衆議院解散]]直後、[[8月18日]]になって結成した。<br /> <br /> 結成直後の[[第44回衆議院議員総選挙|第44回総選挙]]以降、[[衆議院]]に[[比例北海道ブロック]]で獲得した1議席を保持し続けており、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]と[[院内会派|統一会派]](民主党・[[無所属クラブ]])を組むとともに、[[民国連立政権]]の[[閣外協力]][[与党]]として活動していた。また、道内の地方選挙でも、民主党・[[国民新党]]とは互いに候補者を推薦しあうなどし蜜月関係にあった。しかし、2015年から2016年にかけて民主党と[[日本共産党]]が急接近し始めると状況は一変。代表の鈴木宗男は、いわゆる[[民共共闘]]に難色を示し、長女で民主党所属の[[衆議院議員]]として活動していた[[鈴木貴子]]も離党の意思を示す。だが、民主党は離党届を受理せず除籍処分とし対立が深まった。そうした経緯もあって、与党の自民党・[[公明党]]と距離を近づけ、選挙協力を行うようになっている。<br /> <br /> 基本的に[[北海道]]内での活動を主とする[[地域政党]]であり&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;ただし講演会・セミナー等を他の地域で開催することはある。&lt;/ref&gt;、国政選挙・地方選挙のいずれにおいても候補者の擁立はほぼ道内に限定されている。また[[政党#法律上の要件|政党要件]]を満たしていないため、[[公職選挙法]]・[[政治資金規正法]]・[[政党助成法]]などが定める優遇措置は受けていない。<br /> <br /> 党名は鈴木と同郷([[足寄郡]][[足寄町]]出身)の親友で、[[シンガーソングライター]]の[[松山千春]]と話し合って決めたものである。また松山は自身のヒット曲である「大空と大地の中で」を党のテーマ曲として提供している。<br /> <br /> == 党史 ==<br /> === 第44回総選挙への対応 ===<br /> 党結成前の[[2004年]]([[平成]]16年)に執行された[[第20回参議院議員通常選挙|第20回参院選]]の[[北海道選挙区]]に[[無所属]]で出馬した[[鈴木宗男]]代表は、当選には及ばなかったものの48万5382票を獲得しており、このことから新党大地は[[比例北海道ブロック]]で1議席の確保が見込まれていた&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;[[第43回衆議院議員総選挙|第43回総選挙]]の比例北海道ブロックで最終議席(8議席目)を獲得するのに必要な票数は28万8368票だった。&lt;/ref&gt;。[[政党#法律上の要件|政党要件]]を満たさない[[政党|政治団体]]が同ブロックに名簿を提出するためには2人以上の名簿登載者が必要であり&lt;ref&gt;[[公職選挙法]]第86条の2第1項第3号&lt;/ref&gt;、鈴木が同ブロックから出馬する場合でも、少なくとももう1人候補者を擁立する必要があった。<br /> <br /> また[[中川昭一]]([[自由民主党 (日本)|自民党]])の[[三バン#地盤|地盤]]である[[北海道第11区]]や[[武部勤]](同)の地盤である[[北海道第12区]]に鈴木を候補者として送り込むという案も浮上したが、政党要件を満たしていない新党大地の候補者には[[重複立候補制度|重複立候補]]が認められないため&lt;ref&gt;公職選挙法第86条の2第4項&lt;/ref&gt;、鈴木の議席を確保するという点ではリスクが大きかった。<br /> <br /> そこで鈴木を比例北海道ブロックの名簿単独1位に据える安全策を採り、党副代表の[[多原香里]]を同2位、同じく党副代表の田中いづみを同3位に登載した。また道内の小選挙区では最も有権者数の多い[[北海道第1区]]に党副代表の[[秋元正博]]を擁立した。<br /> <br /> なお概要の項で述べたように[[松山千春]]のヒット曲「大空と大地の中で」を党のテーマ曲として採用していたため、この曲を[[電話]]の保留音などに使っていた松山の故郷の[[足寄町]]役場では、新党大地の応援と誤解されかねないとして曲を変更することになった。また、同年[[9月4日]]放送予定の「[[NHKのど自慢]]」([[島根県]][[出雲市]]にて収録)において、出場者の一人が「大空と大地の中で」を歌っていたため、同番組の放送が延期された。さらに[[日本放送協会|NHK]]の[[NHK衛星第2テレビジョン|BS2]]にて同年[[9月10日]]に放送予定だった「[[おーい、ニッポン]]、私の好きな北海道」も、番組中で同曲が使用されるため、[[生放送]]から[[録画]]に切り替えて、同年[[10月1日]]に放送することで対応した&lt;ref&gt;[[中日新聞]][[2005年]][[9月1日]]付記事&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 衆議院進出 ===<br /> [[2005年]](平成17年)[[9月11日]]に執行された[[第44回衆議院議員総選挙|第44回総選挙]]では比例北海道ブロックで43万3938票(得票率13.4%)を獲得、比例名簿1位の鈴木宗男代表に議席が配分された。新党大地は選挙の争点となった[[郵政民営化]]に反対の姿勢を示しており、かつ同じく郵政民営化に反対していた[[保守]]系新党の[[国民新党]]・[[新党日本]]はいずれも同ブロックに名簿を提出しなかったため、民営化に反対する保守票を一手に引き受ける形となった。<br /> <br /> 地域別に見ると、鈴木が地盤とした[[北海道第7区]]を構成する[[釧路支庁]]・[[根室支庁]]で名簿届出政党中トップの得票を得るなど、[[道東]]での善戦が目立った。他方で、大票田の[[札幌市]]では得票率9.4%とやや伸び悩み、北海道第1区から出馬した秋元正博も[[供託金]]没収のうえ落選と振るわなかった&lt;ref&gt;{{cite press release|title=第44回衆議院総選挙投・開票結果速報(北海道選挙管理委員会)|date=2006-03-24|url=http://www.pref.hokkaido.lg.jp/hs/20050911/0911ippantop.htm}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> なお比例北海道ブロックで&#039;&#039;&#039;「ムネオ新党」「鈴木大地」&#039;&#039;&#039;と記載された票は新党大地への有効票として扱われた&lt;ref&gt;{{cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/election2005/news/20050907i214.htm|title=「新党」「イカンザキ」は×…疑問票で総務省が見解|work=YOMIURI ONLINE|newspaper=[[読売新聞]]|date=2005-09-08|accessdate=2011-08-15}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 第44回総選挙後の動向 ===<br /> [[2006年]](平成18年)[[4月9日]]の[[北見市]]議会議員選挙で新党大地の公認候補が当選。新党大地としては初の市議会議員が誕生した。同年[[10月26日]]、関東地区の支部「新党大地埼玉友の会」を設立する。<br /> <br /> [[2007年]](平成19年)[[4月8日]]投開票の[[2007年北海道知事選挙|北海道知事選挙]]では元[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]][[衆議院|衆議院議員]]・[[荒井聰]]を支援したが現職の[[高橋はるみ]]に敗北。同年7月執行の[[第21回参議院議員通常選挙|第21回参院選]]では北海道選挙区(改選数2)に[[多原香里]]副代表が無所属で出馬、民主党・国民新党の推薦を取り付けたが次点で落選した。<br /> <br /> [[2008年]](平成20年)[[9月19日]]、衆議院で国民新党と[[院内会派|統一会派]]「国民新党・大地・無所属の会」を結成。同年[[11月7日]]、鈴木宗男代表と[[小沢一郎]][[民主党代表]]が札幌市内で会談し、[[第45回衆議院議員総選挙|第45回総選挙]]で両党が全面的な選挙協力を行うことで合意が成立した&lt;ref&gt;{{cite press release|title=民主党:小沢代表、衆院選における民主党と新党大地との選挙協力を表明|publisher=民主党|date=2008-11-07|url=http://www1.dpj.or.jp/news/?num=14496}}&lt;/ref&gt;。2007年参院選での協力が不調に終わったことから一時、民主党との協力関係構築を見直すのではないかとの観測も流れたが、選挙協力で合意する前後に行われた[[釧路市]]や北見市の[[市町村長|市長]]選挙では両党が推薦した候補が当選しており、共闘が成果を挙げている。<br /> <br /> === 第45回総選挙、民主党会派入り ===<br /> [[2009年]](平成21年)[[7月17日]]、郵政民営化に反対して自民党の公認を失い、前回総選挙で落選した[[八代英太]]元[[郵政大臣]]が入党。次回総選挙において比例北海道ブロックの名簿単独2位で出馬することを表明した&lt;ref&gt;{{cite news|url=http://www.tokachi.co.jp/news/200907/20090717-0002096.php|title=比例に八代氏擁立 新党大地 道ブロック|work=WEB TOKACHI|newspaper=[[十勝毎日新聞]]|date=2009-07-17|accessdate=2011-08-15}}&lt;/ref&gt;。また前回と同様に鈴木代表を名簿単独1位に据え、同3位に鈴木の秘書である[[浅野貴博]]を、同4位に党副代表のHANAジュンコを、それぞれ擁立した。<br /> <br /> 同年[[8月30日]]執行の第45回総選挙では、比例北海道ブロックで43万3122票(得票率13.0%)を獲得、比例名簿1位の鈴木に議席が配分された。得票数・得票率ともに前回からほぼ横ばいであり、地域別の得票状況も前回と同様の傾向を示した&lt;ref&gt;{{cite press release|title=第45回衆議院議員総選挙投開票速報(北海道選挙管理委員会)|publisher=北海道選挙管理委員会|date=2012-02-16|url=http://www.pref.hokkaido.lg.jp/hs/45shugisokuhou.htm}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 総選挙直後の[[第172回国会|第172特別国会]]より民主党・新党日本および一部無所属議員と統一会派&#039;&#039;&#039;「民主党・無所属クラブ」&#039;&#039;&#039;を結成。[[内閣総理大臣指名選挙|首班指名選挙]]では民主党代表の[[鳩山由紀夫]]に投票し、[[閣外協力]]という形で[[政権]][[与党]]入りを果たすことになった。民主党の協力を得て鈴木は[[衆議院]][[外務委員会]]の委員長ポストを得たが、[[賄賂罪|あっせん収賄罪]]等で有罪判決を受け[[上告]]中の[[被告人]]である鈴木の登用に自民党などが反発し、異例の起立採決を経ての委員長就任となった&lt;ref&gt;{{cite news|url=http://www.asahi.com/seikenkotai2009/TKY200909180176.html|title=自民、「鈴木宗男外務委員長」に反対 異例の起立採決|work=asahi.com|newspaper=[[朝日新聞]]|date=2009-09-18|accessdate=2011-08-15}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 同年[[10月8日]]には民主党の小沢一郎幹事長と鈴木が[[第22回参議院議員通常選挙|第22回参院選]]の北海道選挙区において選挙協力をすることで一致。一時は新党大地独自の比例名簿提出も検討されたが結局見送られ、北海道選挙区では民主党公認の[[徳永エリ]]を、比例区では民主党に移籍した八代元代表代行を、それぞれ支援することになった&lt;ref&gt;{{cite news|url=http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000871006140003|title=大地が比例擁立せず|work=asahi.com|newspaper=朝日新聞|date=2010-06-14|accessdate=2011-08-15}}&lt;/ref&gt;。選挙の結果、徳永は同じ民主党の[[日本労働組合総連合会|連合]]系候補・藤川雅司らを破って当選したが、八代は次点で落選した。<br /> <br /> === 鈴木代表の実刑確定と失職 ===<br /> [[2010年]](平成22年)[[9月15日]]、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]での上告棄却・異議申し立て却下を経て、鈴木代表の[[懲役]]2年・[[没収|追徴金]]1100万円の有罪判決と刑期満了から5年間の[[公民権]]停止が確定した&lt;ref&gt;[[1999年]][[8月13日]]改正前の公職選挙法第11条第1項第4号&lt;/ref&gt;。これにより鈴木は衆議院議員としての地位を失った&lt;ref&gt;[[国会法]]第109条&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 本来ならば比例北海道ブロック名簿2位の八代英太が[[繰り上げ当選]]するところだったが、前述の通り八代は2010年の第22回参院選で民主党から出馬するにあたって党を離れ、新党大地の候補者名簿から外されていたため当選資格を喪失していた。これにより名簿3位の浅野貴博が繰り上げ当選するとともに、党代表代行に就任した&lt;ref&gt;{{cite news|url=http://www.47news.jp/CN/201009/CN2010092801000627.html|title=浅野氏の繰り上げ当選決定 鈴木宗男氏の失職で|work=47NEWS|publisher=[[共同通信]]|date=2010-09-28|accessdate=2011-08-15|language=日本語}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> また鈴木が代表を続投することになったため&lt;ref&gt;{{cite news|url=http://www.47news.jp/CN/201009/CN2010092301000679.html|title=鈴木宗男氏、収監後も党代表続投 講演で表明|work=47NEWS|publisher=共同通信|date=2010-09-23|accessdate=2010-09-24|language=日本語}}&lt;/ref&gt;、収賄罪及び政治資金規正法違反で有罪判決が確定して選挙運動を行うことができない人物を代表に据える異例の政治団体となった。<br /> <br /> 2011年3月11日に発生した[[東日本大震災]]の被災者を支援するため、廃品回収業者のエコフィスジャパンと協力して北海道内で集めた計1400枚の[[毛布]]を被災地に送った&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.muneo.gr.jp/20110413.pdf|title=毛布提供にご協力賜わり、心からお礼申し上げます。ありがとうございました。|publisher=新党大地ホームページ(PDF)|date=2011-04|accessdate=2011-08-30}}&lt;/ref&gt;ほか党として募金活動を行った&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.muneo.gr.jp/20110315.pdf|title=東北地方太平洋沖地震災害地域への募金活動を行います。|publisher=新党大地ホームページ(PDF)|date=2011-04|accessdate=2011-08-30}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 第17回統一地方選挙における動き ===<br /> [[2011年]](平成23年)4月の[[第17回統一地方選挙]]で、新党大地は公認候補を10名擁立し&lt;ref&gt;{{cite press release|title=2011統一地方選挙 新党大地公認候補|publisher=新党大地|archiveurl=http://archive.fo/C5mh|archivedate=2012-09-08}}&lt;/ref&gt;、民主党など他党の公認候補と無所属候補ら計43名に推薦を出して選挙に臨んだ&lt;ref&gt;{{cite press release|title=2011統一地方選挙 新党大地推薦候補|publisher=新党大地|archiveurl=http://archive.fo/0TUct|archivedate=2013-08-28}}&lt;/ref&gt;。なお公認候補は全員が北海道内の地方議会議員選挙の候補だったが、推薦候補の中には[[山形県]]・[[愛知県]]・[[大阪府]]など道外の地方議会議員選挙に出馬する候補も見られた。<br /> <br /> 統一地方選の結果、公認候補8名と推薦候補29名が当選し獲得議席数を大きく伸ばした。特に[[2011年北海道議会議員選挙|北海道議会議員選挙]]で無所属推薦候補として当選を果たした山崎泉・鳥越義孝(いずれも鈴木代表の元秘書)の両名は、選挙後に[[北海道議会]]で都道府県議会初の大地系会派となる「北海道・大地」を結成している&lt;ref&gt;{{cite news|url=http://mainichi.jp/select/seiji/2011local/hokkaido/news/20110426ddlk01010222000c.html|title=2011統一地方選・北海道:道議選 大地推薦の2氏、新会派結成へ /北海道|work=毎日jp|newspaper=[[毎日新聞]]|date=2011-04-26|accessdate=2011-08-15}}&lt;/ref&gt;。また釧路市議会議員選挙では鈴木の元秘書で公認候補の森豊がトップ当選を飾り、第44回総選挙で新党大地を支援して自民党を離党した&lt;ref&gt;{{cite news|url=http://www.namara-hokkaido.net/topics/news/news.php?id=3528|title=自民釧路市支部が分裂|work=なまら北海道|newspaper=[[釧路新聞]]|date=2005-09-27|accessdate=2011-08-15}}&lt;/ref&gt;無所属推薦候補の畑中優周ら2名と共に、市議会で会派「自由新政クラブ」&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;同会派は自民党会派が分裂して生まれたものであり、鈴木代表の元秘書で新党大地の推薦を受け当選した蝦名大也釧路市長の系列市議が多いとされる。&lt;/ref&gt;を構成している。<br /> <br /> 他方で、道議選と同時に行われた[[2011年北海道知事選挙|知事選]]では、当初は民主党推薦の[[木村俊昭]]を共同推薦したものの、その後支持者から異論が出るなどしたため推薦を取り消し、自主投票の方針を採った&lt;ref&gt;{{cite news|url=http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000941102280002|title=大地、木村氏推薦撤回 知事選|work=asahi.com|newspaper=朝日新聞|date=2011-02-28|accessdate=2011-08-15}}&lt;/ref&gt;。なお木村は現職の高橋はるみに敗れている。<br /> <br /> === 国政部分の「新党大地・真民主」への移管 ===<br /> {{main|新党大地・真民主}}<br /> 12月28日、6日に[[仮釈放]]&lt;ref&gt;{{cite news |title= 鈴木宗男・前衆院議員:仮釈放、道内各党、動向を注視 7区の対応焦点|author= |newspaper= 毎日新聞|date= 2011-12-7|url= http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20111207ddlk01040209000c.html|accessdate= 2011-12-28}}&lt;/ref&gt;された鈴木宗男代表は新党「新党大地・真民主」の設立を[[総務省]]に届け出た&lt;ref&gt;{{cite news |title= 鈴木宗男氏、新党「大地・真民主党」届け出|author= |newspaper= 読売新聞|date= 2011-12-28|url= http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111228-OYT1T00977.htm?from=main1|accessdate= 2011-12-28}}&lt;/ref&gt;。新党大地・真民主には大地衆議院議員の浅野貴博の他、無所属衆議院議員の[[松木謙公]]と[[石川知裕]]、参議院からは[[横峯良郎]]と[[平山誠]]が参加する。<br /> <br /> 新政党結党以降、新党大地が「新党大地・真民主」の前身と報道される例&lt;ref&gt;{{cite news|title=“ムネオ新党”助成金を拒否する?結党会見に注目|newspaper=ZAKZAK|date=2012-01-05|url=http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20120105/plt1201051242004-n1.htm}}&lt;/ref&gt;もあるが、新党大地副代表により「従来の地域政党新党大地はそのままの体制で継続&lt;ref&gt;{{bloglink|url=http://hanajunko.seesaa.net/article/244849054.html|who=町川ジュンコ|title=【お知らせ】新党大地・真民主 結成: 新党大地|date=2012年01月07日}}&lt;/ref&gt;」とあることから、国政政党としての新党大地・真民主、地域政党としての新党大地という役割分担が為される見込みである。<br /> <br /> === 国政部分復帰 ===<br /> 2012年11月28日、「新党大地・真民主」から「新党大地」に改名。これにより「新党大地」は地域政党だけでなく、国政部分も再び担当するようになった。ただし、代表の鈴木宗男は政治資金規正法違反の有罪確定により2017年4月まで公民権停止処分となって[[選挙運動]]ができない状態であり、2012年12月の[[第46回衆議院議員総選挙]]の選挙戦に臨むことになった&lt;ref&gt;{{cite news|title=大地代表、選挙運動は不可=公民権停止で-衆院選公示【12衆院選】|agency=時事通信|date=2012-12-04|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&amp;k=2012120400052}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> その総選挙では[[比例北海道ブロック]]で1議席を獲得。[[石川知裕]]が復活当選するも他の候補は落選。結果、国会議員3人となり[[政党要件]]を喪失した。なお、比例北海道ブロックで獲得した票数は346,848票(得票率13.2%)。自民、民主に次ぐ3位の得票数であった&lt;ref&gt;{{cite news|title=衆院選2012年 比例代表「北海道」|newspaper=読売新聞|date=2012-12-17|url=http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/2012/kaihyou/yc81.htm}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 2012年12月28日、[[平山誠]]が離党。2013年1月10日、[[院内会派|参議院会派]]解散を届出。所属議員は衆参各1名(いずれも比例区)のみとなった。これに伴い「新党大地」という会派は衆参ともになくなっている(一人会派は認められていないため)。<br /> <br /> 2013年5月17日、[[生活の党と山本太郎となかまたち|生活の党]]代表である小沢一郎の[[資金管理団体]]「陸山会」の収支報告書虚偽記入事件で一審・二審ともに有罪判決を受けて上告した石川知裕が「訴訟に専念するため」として議員辞職願を衆院に提出&lt;ref&gt;{{cite news |title= 陸山会事件の石川議員が辞職願 訴訟に専念|author= |newspaper= [[47NEWS]]|date= 2013-5-17|url= http://www.47news.jp/CN/201305/CN2013051701001812.html|accessdate=2014-11-24}}&lt;/ref&gt;。鈴木宗男の長女である[[鈴木貴子 (政治家)|鈴木貴子]]が同月31日に繰り上げ当選した&lt;ref&gt;{{cite press release|title=衆議院議員選挙にかかる繰上補充|publisher=[[総務省]]|url=http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/data/kuriagehoju/kuriagehoju_1.html|accessdate=2014-11-24}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 2013年7月21日施行の[[第23回参議院議員通常選挙]]では、代表である鈴木と同姓同名で[[千葉県]]出身の「鈴木宗男」や、元衆議院議員の松木など9名を比例代表に。選挙区では北海道選挙区と大阪選挙区で候補者を擁立したが、共に当選者を出すことはできなかった。<br /> <br /> 2014年11月23日、12月21日に予定されている[[第47回衆議院議員総選挙]]では、唯一の党所属国会議員である鈴木貴子が民主党に入党して7区から立候補、大地自身は小選挙区や比例ブロックには候補者を擁立せず、民主党候補を推薦する方針を示した&lt;ref&gt;{{cite news |title= 民主党:新党大地と衆院選で協力|author= |newspaper= [[毎日新聞]]|date= 2014-11-24|url= http://senkyo.mainichi.jp/news/20141125k0000m010048000c.html|accessdate=2014-11-24}}&lt;/ref&gt;。貴子は小選挙区では[[伊東良孝]]に225票差で敗れたが、重複立候補していた[[比例北海道ブロック]]で比例復活を果たした&lt;ref&gt;{{Cite news <br /> | url = http://www.hokkaido-np.co.jp/news/2014shuin/580371.html <br /> | title = 比例当選の鈴木貴子氏、笑顔と涙 小選挙区は225票差で敗戦<br /> | newspaper = [[北海道新聞]]<br /> | date = 2014-12-15<br /> | accessdate = 2017-10-06}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 民共への反発と自公との連携 ===<br /> 2015年6月に自民党の[[町村信孝]]が物故したことに伴い実施されることになった[[北海道第5区]]の[[2016年日本の補欠選挙|2016年4月の補欠選挙]]において、自民党北海道連は、同党北海道5区支部長で町村の娘婿[[和田義明]]を擁立。[[公明党]]&lt;ref&gt;{{cite news|title=公明党は自民新人・町村氏娘婿を推薦|newspaper=毎日新聞|date=2015-12-25|url=http://mainichi.jp/senkyo/articles/20151225/k00/00m/010/031000c}}{{リンク切れ|date=2017年10月 |bot=InternetArchiveBot }}&lt;/ref&gt;、[[日本のこころを大切にする党]]&lt;ref&gt;{{cite news|title=こころ、自民候補2氏推薦 衆院北海道5区補選と参院宮城|newspaper=日本経済新聞|date=2016-02-10|url=http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXLASFS10H4C_Q6A210C1PP8000/}}&lt;/ref&gt;も和田の推薦を決定した。この動きに対して民主党北海道常任幹事の池田真紀が無所属での出馬を表明、新党大地など他の野党にも協力を呼びかけ&lt;ref&gt;{{cite news|title=民主の池田氏が出馬表明 無所属で|newspaper=毎日新聞|date=2015-12-20|url=http://mainichi.jp/senkyo/articles/20151220/k00/00m/010/068000c}}&lt;/ref&gt;、[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]&lt;ref&gt;{{cite news|title=衆院北海道5区補欠選、池田氏を推薦|newspaper=毎日新聞|date=2016-02-05|url=http://mainichi.jp/senkyo/articles/20160205/k00/00m/010/003000c}}&lt;/ref&gt;や[[維新の党]]&lt;ref&gt;{{cite news|title=維新、池田氏を推薦 北海道5区補選|newspaper=日本経済新聞|date=2016-02-10|url=http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGKKASFS09H31_Z00C16A2PP8000/}}&lt;/ref&gt;が推薦に応じたが、共産党が候補を取り下げ、池田を支援する動きを見せると&lt;ref&gt;{{cite news|title=北海道5区補選、野党一本化へ 共産が候補取り下げか|newspaper=朝日新聞|date=2016-02-13|url=http://www.asahi.com/sp/articles/ASJ2D563DJ2DUTFK00F.html}}&lt;/ref&gt;、「世界観や国家観が違う[[民共共闘|共産党が一緒になった選挙態勢]]はみじんも考えていない。そこには与しない」として和田の推薦を決定した&lt;ref&gt;{{cite news|title=大地の鈴木代表、貴子氏の自民党入り「決めていない。時期をみて話し合う」|newspaper=産経新聞|date=2016-02-13|url=http://www.sankei.com/smp/politics/news/160213/plt1602130026-s.html}}&lt;/ref&gt;。[[2月24日]]には、夏に行われる[[第24回参議院議員通常選挙]]においても自民党を支援することを決定した&lt;ref&gt;{{cite news|title=鈴木宗男代表、参院選も自民支援方針 首相に伝える|newspaper=朝日新聞|date=2016-02-24|url=http://www.asahi.com/sp/articles/ASJ2S54ZRJ2SULFA015.html}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> さらに同年2月26日には、新党大地代表代理で宗男の実娘である[[鈴木貴子 (政治家)|鈴木貴子]]が所属先の民主党からの離党を表明&lt;ref&gt;{{cite news|title=鈴木貴子氏が民主離党 道7区、各党対応に追われる|newspaper=北海道新聞|date=2016-02-27|url=http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/politics/politics/1-0239645.html}}&lt;/ref&gt;。なお、貴子は当面の間、無所属議員として活動するが、新党大地が今後選挙協力する自民党との統一会派結成を検討する方針&lt;ref&gt;{{cite news|title=鈴木貴子氏、民主離党へ きょう表明、自民と統一会派視野|newspaper=北海道新聞|date=2016-02-26|url=http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/politics/politics/1-0239313-s.html}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 北海道5区補選では、鈴木父娘や松山千春といった新党大地の関係者が和田の応援演説に立つ&lt;ref&gt;{{cite news|title=道5区補選 和田氏に菅長官/池田氏は鳥越氏 告示前に応援合戦|newspaper=北海道新聞|date=2016-04-11|url=http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/politics/politics/1-0257956.html}}&lt;/ref&gt;など、積極的に和田のバックアップを行った。その結果、接戦の末、和田が無所属の池田真紀([[民進党]]・日本共産党・社民党・[[生活の党と山本太郎となかまたち]]の4党が推薦の野党統一候補)を約12000票差で破り当選した&lt;ref&gt;{{cite news|title=衆院補選 北海道5区は自民 和田義明氏が当選|newspaper=NHK|date=2016-04-24|url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160424/k10010496881000.html}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 7月10日施行の[[第24回参議院議員通常選挙]]では公認候補を立てず、[[北海道選挙区]](改選数3)で自民党公認・公明党推薦候補の柿木克弘を単独推薦し、その支援に回った。その結果、柿木は北海道選挙区の3議席目をめぐり民進党公認候補の[[鉢呂吉雄]]と接戦を繰り広げたが、約8500票差で敗れ落選した&lt;ref&gt;{{cite news|title=<参院選道選挙区 激闘の果て>上 苦悩の自民 「中選挙区」身内が敵に|newspaper=北海道新聞|date=2016-07-12|url=http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/politics/2016sanin/1-0292218.html}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 参院選後の8月下旬、自民党北海道連が会合の中で大地に対し、来春までの解散を求めると発言されたことが報道される&lt;ref&gt;{{cite news|title=自民道連会長に吉川氏 長谷川氏は会長代行に|newspaper=北海道新聞|date=2016-08-26|url=http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/politics/politics/1-0308947.html}}&lt;/ref&gt;。これに対し宗男代表は「新党大地の解党と言う資格は誰にあるのか」と不快感を露わにしながらも「正確な話は聞いていないが、しかるべき時期に話があるものだと思っている」と述べ、解散と自民への合流に含みを持たせた&lt;ref&gt;{{cite news|title=鈴木代表「新党大地」解散に含み 自民道連内の要求受け|newspaper=東京新聞|date=2016-08-28|url=http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016082801001504.html}}&lt;/ref&gt;。また貴子議員も「党と党の協議になる。宗男代表がしかるべきタイミングで判断する」と発言し、あくまで自民党本部が協議相手との認識を示し、道連の動きを牽制した&lt;ref&gt;{{cite news|title=新党大地解党論に貴子氏 「党間の協議になる」 自民道連の動きけん制|newspaper=北海道新聞|date=2016-08-27|url=http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/politics/politics/1-0309387.html}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 9月26日、貴子が無所属議員のまま自民党との衆議院[[院内会派]]に参加。これに従い、会派名が「自由民主党」から「自由民主党・無所属の会」に変更された&lt;ref&gt;{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/20160926-OYT1T50059.html|title=松本剛明、鈴木貴子両氏が自民衆院会派入り|work=YOMIURI ONLINE|newspaper=読売新聞|date=2016-09-26|accessdate=2016-09-26}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 2017年4月末に鈴木宗男代表が公民権を回復&lt;ref&gt;{{Cite web |url=http://www.sankei.com/smp/politics/news/170724/plt1707240013-s1.html |title=公民権回復の鈴木宗男氏 政界復帰に意欲、警戒も|date=2017-07-24 |publisher=産経新聞|accessdate=2017-10-09}}&lt;/ref&gt;。10月6日、鈴木代表は[[第48回衆議院議員総選挙]]の[[比例北海道ブロック]]から新党大地の名簿単独1位での立候補を表明。新党大地は今回の衆院選で、初めて道内の小選挙区で自民、公明両党の候補を支援する。貴子は衆院解散後に自民党に入党し、衆院選では比例北海道ブロックに立候補する&lt;ref&gt;{{Cite web |url=http://www.asahi.com/sp/articles/ASKB64V9VKB6IIPE06V.html |title=鈴木宗男氏が立候補表明 「新党大地」の比例単独1位で|date=2017-10-06 |publisher=朝日新聞|accessdate=2017-10-09}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 第48回衆議院議員総選挙 ===<br /> 2017年10月の[[第48回衆議院議員総選挙]]の[[比例北海道ブロック]]に鈴木宗男(名簿順位1位)、[[阿部千里]](同2位)が立候補した。鈴木貴子は自民党から同じ比例北海道ブロックに重複立候補者より上位の名簿順位2位で立候補した。なお、鈴木貴子は、自民党から立候補するために大地の代表代理を辞任した&lt;ref&gt;{{Cite web |url=https://www.hokkaido-np.co.jp/sp/article/136097 |title=貴子氏が大地代表代理辞任 自民入りへ長谷川氏と合意|date=2017-10-03 |publisher=北海道新聞|accessdate=2017-10-12}}&lt;/ref&gt;。新党大地は比例北海道ブロックで226552票を獲得したが、1人も当選できなかった。自民党から立候補した鈴木貴子は名簿2位で当選した。<br /> <br /> == 政策 ==<br /> === 基本理念 ===<br /> {{quotation|<br /> *平成23年3月11日の東日本大震災は、我々が自然の持つエネルギーの大きさを再認識する機会になった。先住民族であるアイヌ民族の伝統的価値観にあるように、「大地に還り、大地に学び」、自然を敬い、自然との調和を図ることが日本国家と日本人が生き残るために不可欠であると我々は考える。<br /> *我が国において今尚多くの国民が、不当な差別、偏見に苦しんでいる現状からも目を背けてはならない。権力の乱用による被害者の具体例も近年になり数多く明らかになった。近代民主主義の基本は民意による権力の監視であり、我々は真の公平・公正な社会を実現するためにその役割を果たす。<br /> *国民を弱肉強食の過度な競争に追いやる新自由主義が蘇りつつある。格差が固定化されれば、国民はやる気を失い、国力が低下してしまう。新自由主義と決別し、国民誰もがやる気を持つことが出来る社会をつくる。<br /> *外交に関しては、日米同盟が基軸であり同盟関係を深化すべきである。しかし、普天間基地移設問題にみられるように、我が国の平和のため、沖縄に過度な負担を強いることはゆるされない。平和の配当は日本全体で平等に負担すべきであり、我々は米海兵隊普天間飛行場の移設先は沖縄県外にすべきと考える。<br /> *今後の外交戦略の構築にあたっては地政学的観点に立ち、ロシアをはじめとする近隣諸国との信頼関係を強化し、もって我が国益の増進を図る。<br /> *我々は、今、3年前のあの歴史的な政権交代の意義を再確認すべき時に来ている。弱い立場に置かれている人、立ち遅れた地方に光を当てるために、何より国民生活を守るために政治がある。この原点に立ち返らなくてはならない。<br /> *「新党大地」は、「自然との調和」「格差の是正」「公平公正」を基本理念とし、「情」「道義」「信義」「節度」を重んじ、先人から引き継いだ文化と伝統を守り国家再建を進める。<br /> *我々はこの使命を果たすために「大地の塩」となることをここに誓う。<br /> |新党大地|基本理念&lt;ref&gt;{{official website|http://www.daichi.gr.jp/about.html#rinen|基本理念・網領|新党大地}}&lt;/ref&gt;}}<br /> <br /> === 網領 ===<br /> {{quotation|<br /> #自然との調和&lt;br /&gt;大地に還り、大地に学び、自然を敬い、自然との調和を図る。<br /> #差別、偏見、冤罪の根絶&lt;br /&gt;ありとあらゆる差別、偏見をなくし、悪しき権力によって挫折させられ、打ちひしがれた人々に希望の光が当たる社会をつくる。冤罪を根絶する。<br /> #新自由主義との決別、格差の是正、貧困の根絶&lt;br /&gt;国民を勝ち組・負け組と二分する弱肉強食の新自由主義と決別し、貧困を根絶するとともに格差を是正する。額に汗して努力した者が報われる社会をつくる。<br /> #地政学に基づいた外交の展開&lt;br /&gt;日米同盟を基軸としながら、特にロシアをはじめとする近隣諸国との地政学に基づいた協調共栄体制を構築し、世界平和に貢献する。<br /> #政治家、国家・地方公務員の特権・無駄の排除&lt;br /&gt;安易な増税に走るのではなく、その前に国会議員の定数削減、ボーナス廃止、歳費削減、国家・地方公務員の定員削減、ボーナス削減、天下りの全面廃止等、特権・無駄の排除を徹底する。<br /> |新党大地|網領&lt;ref&gt;{{official website|http://www.daichi.gr.jp/about.html#mouryou|基本理念・網領|新党大地}}&lt;/ref&gt;}}<br /> <br /> == 組織 ==<br /> === 党員 ===<br /> 党の綱領・主義・政策等に賛同し、満18歳以上で[[日本国籍]]を有する者は入党を認められる。<br /> <br /> 党費は年3,000円で、初回入党時には党員証が発行される。また、党員特典の[[カレンダー]]が提供されている&lt;ref&gt;{{official website|http://www.daichi.gr.jp/offer.html|応援団員募集中|新党大地}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 役職 ==<br /> === 党役員 ===<br /> {| class=&quot;wikitable&quot;<br /> !代表<br /> |[[鈴木宗男]]<br /> |-<br /> !副代表<br /> |阿部千里<br /> |-<br /> |}<br /> <br /> === 役員経験者 ===<br /> *[[鈴木貴子]](元代表代理 衆議院議員 自民党に入党)<br /> *[[八代英太]](元代表代行 [[第45回衆議院議員総選挙|第45回総選挙]]に出馬)<br /> *[[浅野貴博]](元代表代行)<br /> *[[多原香里]](元副代表 [[第44回衆議院議員総選挙|第44回総選挙]]・[[第21回参議院議員通常選挙|第21回参院選]]に出馬)<br /> *田中いづみ(元副代表 第44回総選挙に出馬)<br /> *[[秋元正博]](元副代表 第44回総選挙に出馬)<br /> *HANAジュンコ(元副代表)<br /> <br /> == 党勢 ==<br /> === 衆議院 ===<br /> {| class=&quot;wikitable&quot;<br /> |-<br /> !rowspan=&quot;2&quot;|選挙!!rowspan=&quot;2&quot;|当選/候補者!!rowspan=&quot;2&quot;|定数!!colspan=&quot;2&quot;|得票数(得票率)!!rowspan=&quot;2&quot;|備考<br /> |-<br /> !選挙区!!比例区<br /> |-<br /> |(結党時)||0/-||style=&quot;text-align:right&quot;|480||style=&quot;text-align:right&quot;|-||style=&quot;text-align:right&quot;|-||<br /> |-<br /> |[[第44回衆議院議員総選挙|第44回総選挙]]||1/4|| style=&quot;text-align:right&quot; |480||style=&quot;text-align:right&quot;|16,698 (0.0%)||style=&quot;text-align:right&quot;|433,938 (0.6%)||<br /> |-<br /> |[[第45回衆議院議員総選挙|第45回総選挙]]||1/4|| style=&quot;text-align:right&quot; |480||style=&quot;text-align:right&quot;|-||style=&quot;text-align:right&quot;|433,122 (0.6%)||入党+2<br /> |-<br /> |[[第46回衆議院議員総選挙|第46回総選挙]]||1/7|| style=&quot;text-align:right&quot; |480||style=&quot;text-align:right&quot;|315,604 (0.5%)||style=&quot;text-align:right&quot;|346,848 (0.5%)||<br /> |-<br /> |[[第47回衆議院議員総選挙|第47回総選挙]]||0/-||style=&quot;text-align:right&quot;|475||style=&quot;text-align:right&quot;|-||style=&quot;text-align:right&quot;|-||入党+1、離党-1<br /> |-<br /> |[[第48回衆議院議員総選挙|第48回総選挙]]||0/2||style=&quot;text-align:right&quot;|465||style=&quot;text-align:right&quot;| -<br /> | style=&quot;text-align:right&quot; | 226,552(0.41%)<br /> |<br /> |}<br /> <br /> === 参議院 ===<br /> {| class=&quot;wikitable&quot;<br /> |-<br /> !rowspan=&quot;2&quot;|選挙!!rowspan=&quot;2&quot;|当選/候補者!!rowspan=&quot;2&quot;|非改選!!rowspan=&quot;2&quot;|定数!!colspan=&quot;2&quot;|得票数(得票率)!!rowspan=&quot;2&quot;|備考<br /> |-<br /> !選挙区!!比例区<br /> |-<br /> |(結党時)||0/-||style=&quot;text-align:right&quot;|-||style=&quot;text-align:right&quot;|242||style=&quot;text-align:right&quot;|-||style=&quot;text-align:right&quot;|-||<br /> |-<br /> |[[第21回参議院議員通常選挙|第21回通常選挙]]||0/-||style=&quot;text-align:right&quot;|0||style=&quot;text-align:right&quot;|242||style=&quot;text-align:right&quot;|-||style=&quot;text-align:right&quot;|-||<br /> |-<br /> |[[第22回参議院議員通常選挙|第22回通常選挙]]||0/-||style=&quot;text-align:right&quot;|0||style=&quot;text-align:right&quot;|242||style=&quot;text-align:right&quot;|-||style=&quot;text-align:right&quot;|-||入党+2、離党-1<br /> |-<br /> |[[第23回参議院議員通常選挙|第23回通常選挙]]||0/11|| style=&quot;text-align:right&quot; |1||style=&quot;text-align:right&quot;|242||style=&quot;text-align:right&quot;|409,007 (0.77%)||style=&quot;text-align:right&quot;|523,146 (0.98%)||<br /> |-<br /> |[[第24回参議院議員通常選挙|第24回通常選挙]]||0/-||style=&quot;text-align:right&quot;|0||style=&quot;text-align:right&quot;|242||style=&quot;text-align:right&quot;|-||style=&quot;text-align:right&quot;|-||<br /> |}<br /> <br /> === 所属国会議員 ===<br /> 2017年10月23日現在、所属[[国会議員]]数0名([[衆議院]]議員0名、[[参議院]]議員0名)<br /> {|class=&quot;wikitable&quot;<br /> |-<br /> |}<br /> <br /> === 所属地方議員 ===<br /> * [[都道府県]]議会:0名<br /> **単独推薦1([[北海道議会]]1、([[浅野貴博]]([[留萌振興局|留萌地域]]選挙区選出))<br /> * [[市区町村]]議会:6名<br /> **[[石狩市]]1、[[北広島市]]1、[[増毛郡]][[増毛町]]1、[[釧路市]]1、[[網走市]]1、[[網走郡]][[美幌町]]1<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> === 注釈 ===<br /> {{reflist|group=&quot;注&quot;}}<br /> === 出典 ===<br /> {{reflist|2}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{Commonscat}}<br /> *[[新党大地・真民主]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> *{{official website|http://www.daichi.gr.jp/}}<br /> <br /> {{新党大地 (2012-)}}<br /> {{日本の政党一覧}}<br /> {{デフォルトソート:しんとうたいち}}<br /> [[Category:新党大地|*]]<br /> [[Category:日本の政党]]<br /> [[Category:日本の地域政党]]<br /> [[Category:北海道の地方議会]]<br /> [[Category:北海道の組織]]<br /> [[Category:2005年設立]]<br /> [[Category:鈴木宗男]]</div> 42.151.45.162 お年玉付郵便はがき 2018-04-13T12:25:20Z <p>42.151.45.162: /* 起源 */</p> <hr /> <div>[[画像:Japanese New year post card in 1949.JPG|right|295px|thumb|最初に発行されたお年玉付郵便はがき、右側が寄附金付きである]]<br /> &#039;&#039;&#039;お年玉付郵便はがき&#039;&#039;&#039;(おとしだまつきゆうびんはがき)とはいわゆる&#039;&#039;&#039;年賀はがき&#039;&#039;&#039;(ねんがはがき)のことで、[[お年玉付郵便葉書等に関する法律]]に基づき[[日本郵便|日本郵便株式会社]]が発行する[[はがき|郵便はがき]]のひとつである。[[年賀状]]として用いるために、原則として[[11月1日]]に発売されるのが通例である&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;但し、[[2008年]]度と[[2014年]]度のお年玉付郵便はがき発売日は[[11月1日]]が土曜日で休日であった為、2日繰り上げた[[10月30日]]であった。&lt;/ref&gt;。あくまで「年賀状に用いるための葉書」であるが、年賀はがきを指して「年賀状」と呼ぶ例も散見されている。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> [[画像:New year postcard of Japan in 1959.jpg|right|195px|thumb|「年賀」の文字の入った元旦印([[1959年]]年賀葉書)]]<br /> 発売初年度は[[1949年]]で同年[[12月1日]]の発売であった&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;[[年賀切手|年賀用切手]]については、年賀はがきが登場する以前から存在していた。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 年賀はがきを[[郵便ポスト]]に投函すると年末まで[[郵便局]]&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;[[2007年]]の[[郵政民営化|民営化]]後、分社化により一時期は旧[[郵便事業]]会社の支店がおこなっていた。&lt;/ref&gt;に留め置かれ、[[元日]]に配達される&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;ただし[[大晦日]]など、元日直前に投函した場合は遅れる場合がある。&lt;/ref&gt;仕組みになっている。これを&#039;&#039;&#039;年賀特別郵便の取扱い&#039;&#039;&#039;という。<br /> <br /> 年賀はがきではない通常の郵便はがきや封書でも、切手部分の下に&lt;span style=&quot;color:#ff0000&quot;&gt;&#039;&#039;&#039;年賀&#039;&#039;&#039;&lt;/span&gt;と朱書きすれば同様に扱われる。逆に年賀はがきを年賀状とせず通常の郵便はがきとして扱う場合は「年賀」の表示を「×」などで消し、年賀郵便として扱わないよう明示しなければならない。<br /> <br /> [[2017年]]([[平成]]29年)[[6月1日]]に行われた郵便料金改定により、通常はがきの料金が52円から62円に改定されたが、年賀はがきについては[[12月15日]]から翌[[1月7日]]までの間に差し出されたものに限り、従来通り52円となった&lt;ref&gt;[http://www.post.japanpost.jp/service/fee_change/ 2017年6月1日(木)から郵便はがき・定形外郵便物・ゆうメールの料金を変更させていただきました。 - 日本郵便]&lt;/ref&gt;&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;過去には、[[1951年]] - [[1966年]]にも通常はがき5円、年賀はがき4円の料金格差があった。[[はがき]]も参照。&lt;/ref&gt;。しかし、この取扱いは[[2018年]](平成30年)用の1年限りで終了し、[[2019年]](平成31年)用からは年賀はがきも62円となる&lt;ref name=&quot;yubin-nenga-20180223&quot;&gt;{{Cite press release |title=年賀葉書の料金改定|publisher=日本郵便株式会社|date=2018-02-23|url=http://www.post.japanpost.jp/notification/pressrelease/2018/00_honsha/0223_01_01.pdf|format=pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180224080039/http://www.post.japanpost.jp/notification/pressrelease/2018/00_honsha/0223_01_01.pdf|archivedate=2018-02-24|accessdate=2018-02-24}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> また料額印面下部には予め[[消印]]様の文様が印刷されているため、特に申し出ない限り消印されることはない。このような事前消印のことを&#039;&#039;&#039;プリキャンセル&#039;&#039;&#039;という。ただし[[1月8日]]以降に差し出したものからは消印を押される。また、私製葉書で差し出された場合に、年末に処理されても日付が「元旦」で時刻表記部分が「年賀」となった消印が使用される場合がある。また[[2001年]]用には、プリキャンセルがあっても早めに出された場合に「新世紀記念」として特別なデザインの機械印が使用された事がある。<br /> <br /> なお、[[1999年]]用の年賀はがきは、郵便番号7桁化のため5桁仕様のものと7桁仕様のものが二種類発行された。写真用インクジェット紙タイプのものは[[2006年]]用から発売された。<br /> <br /> [[2007年]](平成19年)には、[[日本郵政公社]]の指定した日付で[[郵便ポスト]]に投函しているにも関わらず、平成19年1月1日に年賀状が届かない郵便遅配が大量に発生し、利用者から苦情が挙がった&lt;ref&gt;{{cite news | author = 週刊ダイヤモンド編集部 | url = http://diamond.jp/articles/-/8642 | title = 統合・再出発の初日から大混乱 ゆうパック・ペリカン便の前途 | newspaper = [[週刊ダイヤモンド]] | publisher = [[ダイヤモンド社]] | date = 2010-07-02 | accessdate = 2016-10-09 }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[2017年]](平成29年)用は、約3,142,077,000枚が発行された&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.post.japanpost.jp/notification/pressrelease/2017/00_honsha/0115_01.html 2017(平成29)年用年賀葉書及び寄附金付お年玉付年賀切手当せん番号の決定]}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 郵便局員には部署にかかわらず、様々な販売[[ノルマ]]が課せられており、お年玉付郵便はがきも販売ノルマの1つである。ノルマ達成のため親類や知り合いなどにも販売することになるが、過大なノルマのため[[自爆営業]]をし、[[金券ショップ]]に売る局員が後を絶たず、また、その差額は社員や期間雇用社員の自腹となる。そのため金券ショップでは、額面金額より安価で入手することが出来る。<br /> <br /> == 年賀はがきの種類 ==<br /> 付加金付きのものと、付加金が付かないものとの2種類がある。<br /> <br /> 売価は52円である。これに[[寄付金]]と図画等[[経費]]を乗せて57円で販売するもの、地方版としてある程度のカラー画像を裏面に印刷した年賀はがきが存在する。光沢紙の62円のものもある。なお、前述の年賀はがき料金が適用される期間以外に差し出す場合は、通常はがき料金との差額分の切手を貼り足す必要がある。<br /> <br /> 広告付きのものは2013年の年末発売分までは45円で販売されていた。更に、[[郵政民営化]]後初となる[[2008年]]用では[[カーボンオフセット]]&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;「オフセット」とは「相殺」という意味。&lt;/ref&gt;という[[地球温暖化]]防止はがきが加わったが、[[2012年]]用の発行をもって中断している。[[2009年]]用では、いろどり年賀「うぐいす」・「もも」として両面に色がついたものが加わった。[[2011年]]用では一部の郵便局で香り付き年賀状も10枚700円で販売された。<br /> <br /> == お年玉くじ ==<br /> 年賀はがき、また年賀切手には[[くじ|お年玉くじ]]が付いており&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;[[1956年]]までは、寄付金付きのはがきにのみ「お年玉くじ」が付いていた。&lt;/ref&gt;、毎年1月に抽選がある&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;[[1951年]]から[[1999年]]までは旧来の[[成人の日]]である15日が抽選日だったが、[[2000年]]から1月第2月曜日が成人の日となったものの、その年だけは1月15日土曜日に抽選が行われた。更に[[2008年]]以降は従来より販売期間を延長し15日頃まで販売したことから1月下旬となった。また[[1979年]]は旧全逓信労働組合(全逓)と旧郵政省との労使交渉が決裂したことによって[[1978年]]の年末から越年ストライキを旧全逓が強行し、これによって年賀はがきの遅配が相次いだため抽選が31日に延期になった。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 当選した番号の付いたはがきを持っている場合は、郵便局に持参すれば[[切手シート]]については窓口で即日交付してもらえる。1等や2等の賞品は後日郵送となる。また、当選はがきについては無効(交付済)であることを示す消印が右下の番号の上に押される。なお、郵便局によっては法令での根拠は無いが、引き換え時に[[運転免許証]]等本人確認ができる身分証明書が必要となる場合もある。<br /> <br /> かつては、郵便局員がその当選番号が印刷されていた部分を[[はさみ]]などで切り落としていた。だが通信面(裏面)のその部分に相手の連絡先が書かれていれば分からなくなることもあり、また局員も切り落とす手間がかかるなど全体的に不評だったため[[1990年]]より現在の消印方式になった。<br /> <br /> 現在、1等・2等については複数の景品の中から好きなもの1つを選択できるようになっている。このため、年賀はがきの[[盗難]]事件や配達アルバイトが配達をせずに持ち帰るような事件がまれに起こる。また末等は一貫して「お年玉切手シート」で、その切手の絵柄は基本的に当該年の「年賀郵便切手」と同一であったが、2017年以降は、これとは別のデザインとなった&lt;ref&gt;[http://www.post.japanpost.jp/notification/pressrelease/2016/00_honsha/0831_03_01.pdf 2017(平成 29)年用「お年玉切手シート」の発行]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 民営化に伴い、2008年のお年玉賞品から賞品の会社名が公表されるようになった。寄付金付きの55円で販売されているものはA組、カーボンオフセットはC組、それ以外はB組として分けられている。<br /> <br /> [[1980年代]]半ば頃までは寄付金付きのA組のみ有効の当選番号があった(1枚あたりの売価が1 - 5円割高のため)が、現在は廃止された。2008年よりC組のみ有効の当選番号ができたが、現在はそれ自体が廃止されている。<br /> <br /> 私製はがきで年賀状を送る場合に使われる、寄付金付お年玉付年賀切手にはA・B・C組といった区別はなく6桁の番号のみが記載されている。当選番号・賞品は年賀葉書と同じである。<br /> <br /> お年玉付郵便葉書等に関する法律1条2項により、賞品の金額は郵便料金の5,000倍(2015年12月現在では26万円)が上限である。また同法4条により、当たりくじの時効は6か月である。<br /> <br /> 2018年は以下の通り&lt;ref&gt;[http://yubin-nenga.jp/otoshidama/ お年玉賞品のご案内]&lt;/ref&gt;。<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;margin:0&quot;<br /> !等級!!当選割合!!当選番号(全組共通)<br /> |-<br /> |1等(セレクトギフト又は現金10万円)||100万本に1本||下6桁<br /> |-<br /> |2等(ふるさと小包など)||1万本に1本||下4桁<br /> |-<br /> |3等(お年玉切手シート)||100本に2本||下2桁<br /> |}<br /> <br /> == 起源 ==<br /> お年玉くじの付いた年賀専用はがきのアイデアは一民間人が考案したもので、当時の[[郵政大臣]]などに何度も直談判して採用してもらったものだという。<br /> <br /> 1949年、当時[[京都]]在住で[[大阪]]にて洋品雑貨の会社を営む林正治&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;レーシングカー・コンストラクター[[童夢 (自動車会社)|童夢]]の創業者[[林みのる]]の父親{{cite web |url=http://www.dome.co.jp/special/special014.html |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2013年11月12日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131112213611/http://www.dome.co.jp/special/special014.html |archivedate=2013年11月12日 |deadlinkdate=2018年3月 }}。&lt;/ref&gt;([[1909年]] - [[1990年]][[3月20日]])が、「終戦直後で通信手段が十分でなかったこの時代にせめて年賀状が復活すれば、差出人・受取人ともに消息が分かり合えるであろう」と考えついたのがきっかけである。この年賀状にお年玉くじを付ければ皆が買ってくれる、更に寄付金も付ければ社会福祉にも役立つと考え大阪の郵便局で郵政大臣への紹介状を書いてもらい、上京して郵政大臣などと面会した。<br /> <br /> 林は自前で見本となるはがきや宣伝用ポスターを作成し、更には具体的に景品まで考えて[[プレゼンテーション|プレゼン]]を行ったという。だが前例のないものであり、戦後の混乱期でもあったので「時期尚早」とあっさり却下された。それでも林は諦めず粘り強く交渉を続けた結果、同年暮れに正式に採用された。この頃の賞品は特等・[[ミシン]]、1等・純毛洋服地、2等・学童用グラブだったという。<br /> <br /> お年玉付郵便はがきは現在まで続く大ロングセラーとなったことで大いに感謝された林は、その後[[郵政審議会]]の専門委員を務めた。<br /> <br /> この成功を受けて、[[1950年]](昭和25年)から発行されていた「暑中見舞用郵便葉書」を[[1986年]](昭和61年)よりくじ付きとし、[[夏のおたより郵便葉書]]([[暑中見舞い|暑中・残暑見舞い]]はがき「かもめ〜る」)として販売開始。更に[[1987年]](昭和62年)には春の絵柄付郵便はがき「[[さくらめーる]]」(2月発売)、秋の絵柄付郵便葉書「もみじめーる」(8月発売)も登場したが(いずれもくじは無し)、さくらめーる・もみじめーるは[[2002年]](平成14年)をもって販売を終了している。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> === 注釈 ===<br /> {{Reflist|group=&quot;注&quot;}}<br /> <br /> === 出典 ===<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[年賀状]]<br /> * [[夏のおたより郵便葉書]]([[暑中見舞い|暑中・残暑見舞い]]用。愛称:かもめ〜る)<br /> * [[お年玉付郵便葉書等に関する法律]]<br /> * [[自爆営業]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://yubin-nenga.jp/index.html 郵便年賀.jp] - 日本郵政グループ<br /> * [http://www.nengahaku.jp/history-6.html お年玉付き年賀はがき誕生] - 年賀状博物館<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:おとしたまつきねんかはかき}}<br /> [[Category:日本の郵便]]<br /> [[Category:正月]]<br /> [[Category:くじ]]</div> 42.151.45.162 狭山茶 2018-03-16T12:58:38Z <p>42.151.45.162: /* 農業協同組合 */</p> <hr /> <div>{{Infobox tea<br /> | Tea_name = 狭山茶<br /> | Tea_type = [[日本茶]]<br /> | Tea_color = <br /> | Tea_image = [[ファイル:Iruma Sayama Tea Field 3.JPG|220px]]<br /> | Tea_origin = [[埼玉県]]西部&lt;br&gt;[[東京都]]西多摩地域<br /> | Tea_names = <br /> | Tea_quick = 日本三大茶のひとつ<br /> | Tea_infusion =<br /> | Tea_temperature =<br /> | Tea_time = <br /> | Tea_infusion_number =<br /> | Tea_quantity = <br /> | Tea_hour =<br /> }}<br /> <br /> [[ファイル:sayamacha view.JPG|thumb|200px|right|入間市茶業公園から狭山茶主産地域の眺め]]<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;狭山茶&#039;&#039;&#039;(さやまちゃ)は、[[埼玉県]]西部および[[東京都]]西多摩地域を中心に生産されている[[茶|お茶]]である。埼玉県における[[農産物]]生産面積では県下一である。歴史は古く鎌倉時代にまで遡ることが出来、[[静岡茶]]、[[宇治茶]]と並んで&#039;&#039;&#039;日本三大茶&#039;&#039;&#039;と自称している。よく知られる俚諺では「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」と謳われている&lt;ref&gt;[http://www.city.iruma.saitama.jp/event/sayamacha/sayamacha02.html 狭山茶]入間市公式ホームページ&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://www.city.sayama.saitama.jp/shisei/shiyakusho/profile/tya2.html 狭山茶]狭山市公式ウェブサイト&lt;/ref&gt;が、これは狭山茶摘み歌の文句である。<br /> <br /> == 歴史・概要 ==<br /> [[画像:Monument of the birthplace of Sayama tea.jpg|thumb|200px|right|川越市[[中院]]にある「狭山茶発祥之地」の碑]]<br /> [[Image:Sayama teaba.jpg|thumb|200px|right|狭山茶 茶葉(所沢市・2006年9月)]]<br /> 茶の生産地としては北に位置し(日本最北限生産地は[[青森県]]の黒石茶、製茶工場のある北限生産地は[[岩手県]]の気仙茶)、冬季には霜が降りることもあるその涼しい気候により、厚みのある茶葉ができる。始まりは[[鎌倉時代]]で、[[武蔵国]]の[[狭山丘陵]]一帯、特に現在の埼玉県入間市を中心に栽培された。[[江戸時代]]には、狭山丘陵一帯の村々が[[川越藩]]領であったことから、「&#039;&#039;&#039;河越茶&#039;&#039;&#039;」と呼ばれていた。江戸中期に行われた[[武蔵野]]の[[新田開発]]により地域の特産物として栽培が普及し、産地も拡大したが、現在その多くは入間市で生産されている&lt;ref&gt;[[2006年]]現在の狭山茶栽培面積は1位 入間市495ha、2位 所沢市209ha、3位 狭山市133haである。また生産量(生茶葉収穫高)は1位 入間市2060t、2位 所沢市599t、3位 狭山市536tである。&lt;/ref&gt;。茶葉の摘み取りは年に2回行われ、一番茶は4月から5月、二番茶は6月から7月に出荷される。主要[[品種]]は「[[やぶきた]]」と「さやまかおり」である。<br /> <br /> == 製法 ==<br /> 丹念に選りすぐられた新茶葉と、「狭山火入」という伝統の火入れが、江戸時代から変わらぬ美味しさの秘訣である。この火入れにより狭山茶特有の濃厚な甘味を得ることが出来る。[[手揉み茶]]の製法は「茶葉を蒸して焙烙に和紙を敷き、揉み乾かす」というものである。これは、[[享和]]2年([[1802年]])に[[吉川温恭]]、[[村野盛政]]、指田半右衛門らが編み出したもので、現在では、主に手もみ狭山茶保存会によって、保存活動が展開されている。<br /> <br /> == 特長 ==<br /> 寒冷な気候で育つ埼玉県の茶は葉が厚く、重厚な香味とコクを有する。逆に温暖な気候で育つ鹿児島県の茶の香味はさっぱりとしており、非常に対照的である。茶園のほとんどが露地栽培で、玉露、かぶせ茶などの被覆栽培は少ない。伝統の狭山火入れにより色・香り・味ともに重厚であり、少ない茶葉でも「よく味が出る」茶に仕上げられている。<br /> <br /> == 現状 ==<br /> 狭山茶の生産地は茶の生産地としては最も[[都市化]]が進んだ地域である。[[1960年代]]から生産地のほぼ全域が[[東京]]の[[ベッドタウン]]となり、[[人口]]が急増。相次いで[[住宅]]や[[商工業]]施設が建設される一方で茶畑は減少していった。茶の生産量も、[[埼玉県]]は[[静岡県]]・[[鹿児島県]]・[[京都府]]など他の主要産地に比べかなり少ない。ただし温暖な鹿児島県の茶産地が1年に5回の摘み取り(1番茶、2番茶、3番茶、4番茶、秋冬番茶)が可能であるのに対し、埼玉県は茶産地としては寒冷であるため1年に2回の摘み取り(1番茶、2番茶)しかできない&lt;ref&gt;狭山茶生産地でも3番茶までは摘むが、味・色・香りいずれも大きく落ち、お茶としては売り物にならないと言われる。&lt;/ref&gt;ことが、単純な生産量の少ない大きな要因となっている。現在、入間市西部・南部には静岡・宇治等と同様の大きな茶畑が存在しているが、他の地域では[[住宅地]]の中に小さな茶畑が散在している[[風景]]がよく見られる。<br /> <br /> 周辺に住宅等が増えたことによる[[日照]]の問題や土地価格の高騰など、都市化によって他の生産地に比べ不利な面が生じた。一方で人口急増の結果、地元の[[需要]]が増えたため遠方に出荷する必要がなくなり、[[近郊農業]]として確立。都市化は[[経営]]上の利点ともなっている。日常的に消費する[[飲料]]であるため特産物としての浸透は比較的容易であり、新旧住民を問わず地域の[[地場産業]]として認識されている。また元来[[観光地]]でないため[[観光客]]向けの[[販売]]には頼っておらず、[[生産性]]の高い安定した経営・[[流通]]が実現している。<br /> <br /> == 新たな展開 ==<br /> 埼玉県内では長らく県西部地域を中心に生産されていたが、近年では県東部地域や[[秩父地方]]へも生産地域が拡大しており、[[さいたま市]]や[[春日部市]]・[[久喜市]]などからも茶葉が出荷されるようになっている。[[2007年]]には、[[The Nutty Radio Show 鬼玉|鬼玉]]([[エフエムナックファイブ|Nack5]])と[[セーブオン]]の共同企画で「&#039;&#039;&#039;狭山さやか&#039;&#039;&#039;」の名前でペットボトル入り・500mlの狭山茶が店頭及び[[自動販売機]]での販売が開始された。入間市・狭山市・所沢市・飯能市など埼玉県西部地域では自治体や事業者、生産者団体による狭山茶ブランド化事業&lt;ref&gt;[http://www.city.sayama.saitama.jp/shisei/shiyakusho/profile/sayamatya_Bland.html 狭山市産狭山茶のブランド化事業に取り組んでいます]狭山市&lt;/ref&gt;が進められており、[[紅茶]]や[[チョコレート]]&lt;ref&gt;[http://www.city.sayama.saitama.jp/kurashi/topics/sentyachocolate.html 狭山煎茶・狭山紅茶チョコレート好評販売中です!]:2017年6月1日 狭山市&lt;/ref&gt;・[[ケーキ]]などの新商品開発やロゴマーク作成・広報紙の発行等のPR活動を行っている。[[2018年]]3月には[[埼玉県]]西部地域まちづくり協議会(入間市・狭山市・所沢市・飯能市)と[[山崎製パン]]株式会社の[[コラボレーション]]により[[タイアップ]]商品「[[ランチパック]] 狭山茶入りクリーム&つぶあん(スイーツシリーズ)」(ご当地ランチパック)を期間限定発売した&lt;ref&gt;[http://www.city.sayama.saitama.jp/shisei/topics/lunch-p.html ランチパック「狭山茶入りクリーム&つぶあん」新発売!]2018年3月8日 狭山市&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[https://www.yamazakipan.co.jp/lunch-p/lineup-gallery/detail.php?product_id=1809&amp;page=0 狭山茶入りクリーム&つぶあん(スイーツシリーズ)]ランチパック商品情報 山崎製パン株式会社&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 東京都内では[[2008年]]9月から東大和市の[[NPO]]が、地元の狭山茶の葉を使った紅茶「東京紅茶」の販売を開始した。既に[[2000年]]から狭山茶葉を用いた紅茶の販売が一部で始まっており、狭山茶([[東京狭山茶]])をブランド化した「東京緑茶」の販売も行われていたが、新たに「東京紅茶」のブランド化を目指す。パッケージには[[東京タワー]]、[[原宿]]の街並み、[[多摩湖]]など[[東京都]]内の名所がデザインされている。宅地開発の進展で押され気味の地場産業を盛り上げ、街の新たな活性化につなげようという試みである。<br /> <br /> == 地元茶業協会による狭山茶の定義 ==<br /> &#039;&#039;[[社団法人]]埼玉県茶業協会による規定(2004年4月16日制定)&#039;&#039;<br /> <br /> === 生産地の定義 ===<br /> * 狭山茶の産地は、&#039;&#039;&#039;埼玉県内及び埼玉県に隣接する東京都の西部地域&#039;&#039;&#039;とする&lt;ref&gt;社団法人埼玉県茶業協会による規定「狭山茶の表示に関する基準」(2004年4月16日制定)&lt;/ref&gt; <br /> * 埼玉県内の特定地域名を産地とすることができる。 <br /> ** 埼玉県内の特定地域名を産地としたものとして、川越茶・秩父茶・児玉茶がある。<br /> * なお、東京都内産の狭山茶は、[[東京狭山茶]]と表示していることが多い。<br /> <br /> === 表示基準 ===<br /> * &#039;&#039;&#039;「狭山茶」&#039;&#039;&#039;を「産地銘柄」として表示できるものは、埼玉県内産及び埼玉県に隣接する東京都の西部地域産の荒茶を&#039;&#039;&#039;100%&#039;&#039;&#039;使用したものとする。<br /> * 埼玉県内産及び埼玉県に隣接する東京都の西部地域産の荒茶を&#039;&#039;&#039;50%以上100%未満&#039;&#039;&#039;使用したものは&#039;&#039;&#039;「狭山茶ブレンド」&#039;&#039;&#039;と表示できるものとし、埼玉県内及び埼玉県に隣接する東京都の西部地域で最終的に仕上げ製造したものとする。<br /> * 上記において「荒茶」とは、埼玉県内及び埼玉県に隣接する東京都の西部地域において、生葉を生産し加工したものをいう。<br /> <br /> == 農業協同組合 ==<br /> * 生産者は他の農産物とは別に狭山茶のみを専門に取り扱う[[農協]]を組織している。<br /> ** 狭山茶業農業協同組合 - 埼玉県の狭山茶生産地域を管内とする。埼玉県[[狭山市]]大字南入曽571<br /> ** [[東京狭山茶農業協同組合]] - 東京都の狭山茶生産地域を管内とする。東京都[[西多摩郡]][[瑞穂町]]大字二本木715-1<br /> <br /> == その他 ==<br /> * [[中院]]:[[円仁|慈覚大師円仁]]が[[京都|京]]より茶を伝え境内で茶の栽培を始めた。「狭山茶発祥之地」の石碑がある。<br /> * [[入間市博物館]]:茶をメインテーマとした[[博物館]]。同館所蔵の「狭山茶の生産用具」が、[[2007年]]3月7日国の登録有形民俗[[文化財]]に登録された。狭山茶に関する特別展もしばしば開催する。HPに狭山茶についての詳しい解説がある。<br /> * [[狭山稲荷山公園]]:埼玉県主催茶会「さやま大茶会」会場。[[1990年]]、大茶会開催に合わせ、狭山市において新たに狭山[[抹茶]]「明松」(みょうしょう)が商品化された。<br /> * [[東村山音頭]](オリジナル版):狭山茶の濃厚な味が「人情の厚さ」に掛けて歌われている。<br /> * [[夫婦道]]:木曜21時枠[[TBSテレビ|TBS]]系[[テレビドラマ]]。埼玉県入間市で狭山茶を生産する夫婦を主人公に、普通の[[家族]]の人間模様を描いた[[ホームドラマ]]。第1シリーズは2007年、第2シリーズは[[2009年]]放送。<br /> * [[津森千里]]:狭山市出身のファッションデザイナー。[[2008年]]、狭山市内の有限会社やまひろ広沢園が製造販売するペットボトル入りお茶「さやま茶」のパッケージデザインを担当した。<br /> * [[吉野弘]]:狭山市に在住していた詩人。茶畑の隣の宅地に居を構えていた。茶の栽培の様子に興味を持ち、その畑で作業をしていた[[仲川幸成|生産者]]と交流。随筆「茶の花おぼえがき」(詩集『北入曽』所収。[[1977年]]・青土社)を著した。<br /> * [[狭山グリーンティースタッフ]]:茶娘の着物や茶はんてんを着て狭山茶のPRを行う女性。<br /> <br /> == 脚注 == <br /> &lt;references/&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[高林謙三]]<br /> * [[埼玉県茶業研究所]]<br /> * [[緑茶]]<br /> * [[煎茶]]<br /> * [[玉露]]<br /> * [[東京狭山茶]]<br /> * [[狭山茶の放射能汚染問題]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [https://www.youtube.com/watch?v=Vf1htY8_kbY 狭山茶~その味わいは「天がくれた」人類への贈り物~]<br /> * [http://www.cnet-sc.ne.jp/sym-cha/ 埼玉県茶業協会ホームページ]<br /> * [http://www.pref.saitama.lg.jp/page/chagyou-top.html 埼玉県]<br /> * [http://www.iruma-city-sayamacha.com// 入間市茶業協会ホームページ]<br /> * [http://www.alit.city.iruma.saitama.jp/07tea-museum/index.html 入間市お茶の博物館]<br /> * [http://www.city.iruma.saitama.jp/sayamacha/index.html 入間市]<br /> * [http://www.city.tokorozawa.saitama.jp/enjoy/sangyo/tokorozawasayamacha/index.html 所沢市]<br /> * [http://www.city.sayama.saitama.jp/shisei/shiyakusho/profile/tya2.html 狭山市]<br /> <br /> {{茶}}<br /> {{日本茶の産地とブランド}}<br /> {{DEFAULTSORT:さやまちや}}<br /> [[Category:日本茶の産地]]<br /> [[Category:埼玉県の食文化]]<br /> [[Category:東京都の食文化]]<br /> [[Category:埼玉県の農業]]<br /> [[Category:狭山丘陵]]</div> 42.151.45.162 文芸社 2017-12-10T01:32:26Z <p>42.151.45.162: /* 脚注 */</p> <hr /> <div>{{複数の問題<br /> |正確性 = 2009年1月<br /> |宣伝 = 2011年2月<br /> |特筆性 = 2013年8月<br /> |出典の明記 = 2015年2月<br /> }}<br /> <br /> {{混同|日本文芸社}}<br /> <br /> {{基礎情報 会社<br /> | 社名 = 株式会社文芸社<br /> | 英文社名 = Bungeisha Publishing Co.,Ltd.<br /> | ロゴ =<br /> | 種類 = 株式会社<br /> | 市場情報 =<br /> | 略称 =<br /> | 国籍 ={{JPN}}<br /> | 郵便番号 = 160-0022<br /> | 本社所在地 = [[東京都]][[新宿区]]新宿1-10-1<br /> | 設立 = [[1996年]][[2月22日]]<br /> | 業種 = 5250<br /> | 事業内容 = 書籍各種出版物の企画、制作、発行&lt;br /&gt;音楽出版物の企画、制作&lt;br /&gt;各種イベントの企画・制作<br /> | 代表者 = [[代表取締役]] 瓜谷綱延<br /> | 資本金 = | 8,000万円<br /> 売上高 =<br /> | 従業員数 = 204人(2009年3月1日現在)<br /> | 決算期 =<br /> | 主要株主 =<br /> | 主要子会社 = |[[草思社]](100%完全子会社)<br /> 関係する人物 = [[韮澤潤一郎]]<br /> | 外部リンク = [http://www.bungeisha.co.jp/ www.bungeisha.co.jp]<br /> | 特記事項 =<br /> }}<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;株式会社文芸社&#039;&#039;&#039;(ぶんげいしゃ)は、[[企画出版|商業出版]]、流通出版、[[自費出版]]を行う[[日本]]の[[出版社]]。[[草思社]]および文芸社ビジュアルアートを100%完全子会社として所有する。<br /> <br /> == 沿革 ==<br /> * [[1996年]]4月:新宿区西早稲田に&#039;&#039;&#039;株式会社文芸社&#039;&#039;&#039;設立、資本金1,000万円 <br /> * [[1999年]]10月:本社を文京区後楽に移転 <br /> * [[2000年]]2月:[[日本図書館協会]]入会 <br /> * 2000年4月:文芸社フェニックス大賞創設 <br /> * 2000年5月:自分本出版総合プロデュースシステム「ホンダス」開始 <br /> * 2000年10月:電子出版サイト「Boon-gate.com」サービス開始 <br /> * [[2002年]]2月:本社を新宿区新宿に移転 <br /> * [[2003年]]3月:出版文化産業振興財団入会 <br /> * [[2006年]]6月:著作者保護制度設立 <br /> * [[2011年]]2月:[[文芸社文庫]]レーベル創刊<br /> <br /> == 他の出版社との関係 ==<br /> {{要出典範囲|date=2015年2月|文芸社の母体は[[たま出版]]であり}}、社長の座は[[韮澤潤一郎]]から瓜谷綱延に引き継がれた。瓜谷綱延は、たま出版の創業者・初代社長の瓜谷侑広の次男である。<br /> <br /> [[草思社]]は100%完全子会社であり[http://www.bungeisha.co.jp/news/information/article_412_8.jsp]、文芸社傘下になって経営再建に成功した。<br /> <br /> == 出版形態 ==<br /> 通常の&#039;&#039;&#039;商業出版&#039;&#039;&#039;のほか、著者が出版費用を負担するタイプの&#039;&#039;&#039;流通出版&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;自費出版&#039;&#039;&#039;(いわゆる私家本の発行)を手がける。<br /> <br /> また、広く原稿・企画・アイデアを募集しており、担当者により審査され「特別企画書籍」として出版社の全額負担で全国出版が可能なほか、流通出版は刊行後、全国に1000店以上ある文芸社提携書店のうち約300書店に1年間常備陳列される。流通出版には著者が印税を受け取る「印税タイプ」と著者が売上金の60%を受け取る「売上げ還元タイプ」があり、刊行された作品を対象に「選定企画書籍」として著者負担の出版委託金を全額返金する制度もある&lt;ref&gt;[http://www.bungeisha.co.jp/publishing/support/ 文芸社の安心サポート]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> なお、流通可能な水準と評価されなかった作品については書き直しを勧めるケースが多いが、&#039;&#039;&#039;ホンダス&#039;&#039;&#039;という執筆サポートによって自費出版(流通可能)をすることもできる。<br /> <br /> 文芸社から刊行される無名の著者の作品が大ヒットする可能性は低いが、[[山田悠介]]、[[神永学]]、[[中園直樹]]、[[秋山香乃]]といった成功例もある。さらに{{要出典範囲|date=2015年2月|合計500万部を突破する大ヒットとなった『[[自分の説明書|B型 自分の説明書]]』(2007年)をはじめとする「[[自分の説明書|血液型シリーズ]]」}}は、無名の著者による{{要出典範囲|date=2015年2月|流通出版の初版第1刷1000部が源である}}。<br /> <br /> == 最近の動向 ==<br /> === 著作者保護制度 ===<br /> 著者が文芸社に支払った刊行に要する費用、著者に支払われるべき印税は、「著作者保護制度」という[[信託]]財産システムを導入することで分別管理され、契約書籍の刊行前に倒産など文芸社の財務状況が破綻した場合には支払金等が著者に返還される。このシステムの効果は、契約した書籍が実際に刊行されるまで、文芸社は著者が支払った費用に手を付けることが出来ないということにある。このシステムは[[碧天舎]]・[[新風舎]]など、自費出版等の依頼後に出版社が破綻し出版や返金が滞ったこと{{要出典|date=2017年7月}}に鑑み、文芸社が都市銀行信託部門と研究を重ねて開発したものである&lt;ref&gt;[http://www.bungeisha.co.jp/about/protection.html 著作者保護制度について]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === テレビドラマ ===<br /> 民放テレビ局との共同企画として、出版された作品の中から[[テレビ朝日]]系列にて年1回「文芸社ドラマスペシャル」としてテレビドラマを放映している。<br /> * 2002年「[[神戸発、尾道まで]]」(出演:[[生瀬勝久]]・[[南果歩]])<br /> * 2003年「[[OLが行く!]]」(出演:[[瀬戸朝香]]・[[いしだあゆみ]])<br /> * 2004年「[[マグロ☆ボーイズ]]」(出演:[[えなりかずき]]・[[小林稔侍]])<br /> * 2005年「[[おばあさんの反乱]]」(出演:[[磯野貴理子|磯野貴理]]・[[伊藤蘭]])<br /> * 2006年「[[ブレスト〜女子高生、10億円の賭け!]]」(出演:[[佐藤藍子]]・[[多部未華子]]・[[小林涼子]]・[[佐津川愛美]]・[[山田純大]]・[[益岡徹]]:主題歌:[[Salyu]]「風に乗る船」)<br /> * 2007年「[[母とママと私]]」(出演:[[岸惠子]]・[[夏川結衣]]・[[吉行和子]])<br /> * 2008年「[[長男の結婚]] 〜花嫁はバツイチ!年上!子持ち!?〜」(出演:[[冨司純子]]・[[中島知子]]・[[石垣佑磨]]・[[石橋蓮司]])<br /> * 2009年「[[つくばぶらいと物語|逆転夫婦の珈琲ワルツ]]」(出演:[[田中好子]]、[[長塚京三]]、[[志賀廣太郎]]、[[黒田福美]]、[[赤塚真人]]、[[菊地美香]]、[[大滝秀治]])<br /> * 2010年「[[ペーパー離婚 (小説)#テレビドラマ|ペーパー離婚 〜娘の結婚VS親の離婚〜]]」(出演:[[中越典子]]・[[市毛良枝]]・[[綿引勝彦]]・[[柏原収史]]・[[島かおり]]・[[岡本信人]]・[[渡辺美佐子]])<br /> * 2011年「[[あの海を忘れない]] 〜若年性アルツハイマー病を支えて〜」(出演:[[若村麻由美]]・[[綾野剛]]、[[小林稔侍]](特別出演)、[[萬田久子]])<br /> * 2012年「[[恋味母娘]]」(出演:[[斉藤由貴]]・[[加藤虎ノ介]]、[[髙嶋政宏]]、[[白川由美]])<br /> <br /> 単発企画でも2005年「ずっと逢いたかった」(出演:[[松本幸四郎 (9代目)|松本幸四郎]]。[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系「[[金曜エンタテイメント]]」)、2009年「[[にぃにのことを忘れないで]]」(出演:[[錦戸亮]]他。[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系「[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」|24時間テレビ]]」スペシャルドラマ)、2010年「[[みぽりんのえくぼ]]」(出演:[[広末涼子]]、[[長瀬智也]]、[[福田麻由子]]他。「24時間テレビ」)がある。<br /> <br /> === コンテスト ===<br /> 数々のコンテストを開催しており、[[吉高寿男]]などを輩出した。<br /> <br /> == 関連施設 ==<br /> *[https://www.grandvert-kyukaruizawa.jp/ ホテルグランヴェール旧軽井沢]([[長野県]][[北佐久郡]][[軽井沢町]]軽井沢東167)<br /> :本をコンセプトにしたリゾートホテル。フロントやラウンジ・ダイニングスペースに書棚を備え、文芸社・草思社の出版物を架蔵している。宿泊客は自由に読むことができる。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[草思社]] - 1961年創業。2008年以降、文芸社の子会社化。<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.bungeisha.co.jp 文芸社ホームページ]<br /> {{Normdaten}}<br /> {{Publishing-stub}}<br /> {{DEFAULTSORT:ふんけいしや}}<br /> [[Category:日本の出版社]]<br /> [[Category:1996年設立の企業]]<br /> [[Category:新宿区の企業]]<br /> [[Category:自費出版]]</div> 42.151.45.162
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