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http:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=240B%3A11%3A4A00%3A400%3AD895%3A6FE5%3A89DE%3A43DF&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-21T18:43:39Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 トーマス・マン 2018-08-02T05:28:00Z <p>240B:11:4A00:400:D895:6FE5:89DE:43DF: /* 主な訳書 */</p> <hr /> <div>{{otheruses|ドイツの作家|17世紀イングランドの経済学者|トーマス・マン (経済学者)|21世紀アメリカ合衆国の俳優|トーマス・マン (俳優)}}<br /> {{Infobox 作家<br /> | name = トーマス・マン&lt;br /&gt;Thomas Mann<br /> | image = Bundesarchiv Bild 183-S86717, Thomas Mann in Weimar.jpg<br /> | imagesize = <br /> | caption = [[ワイマール]]訪問時(1949年)<br /> | pseudonym = <br /> | birth_name = パウル・トーマス・マン (Paul Thomas Mann)<br /> | birth_date = [[1875年]][[6月6日]]<br /> | birth_place = {{DEU1871}} [[リューベック]]<br /> | death_date = {{死亡年月日と没年齢|1875|6|6|1955|8|12}}<br /> | death_place = {{CHE}}、[[チューリヒ]]近郊[[キルヒベルク]]<br /> | occupation = [[小説家]]<br /> | nationality = {{GER}}、{{CZE}}、{{USA}}<br /> | period = <br /> | genre = <br /> | subject = <br /> | movement = <br /> | notable_works = 『[[ブッデンブローク家の人々]]』(1901年)&lt;br /&gt;『[[トーニオ・クレーガー]]』(1903年)&lt;br /&gt;『[[ヴェニスに死す]]』(1912年)&lt;br /&gt;『[[魔の山]]』(1924年)<br /> | awards = <br /> | debut_works = 『転落』(1894年)<br /> | spouse = [[カタリーナ・マン]]<br /> | partner = <br /> | children = エーリカ、[[クラウス・マン|クラウス]]、[[ゴーロ・マン|ゴーロ]]、モーニカ、エリザベート、ミヒャエル<br /> | relations = [[ハインリヒ・マン]](兄)<br /> | influences = [[アルトゥル・ショーペンハウアー]]、[[フリードリヒ・ニーチェ]]、[[リヒャルト・ワーグナー]]、[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ]]、[[フリードリヒ・シラー]]、[[テオドール・フォンターネ]]<br /> | influenced = [[ルカーチ・ジェルジ]]、[[テオドール・アドルノ]]、[[ハインリヒ・ベル]]、[[三島由紀夫]]、[[北杜夫]]、[[辻邦生]]、[[オルハン・パムク]]、[[ミシェル・ウエルベック]]<br /> | signature = Thomas Mann signature.svg<br /> | website = <br /> &lt;!--| footnotes = --&gt;<br /> }}<br /> {{thumbnail:begin}}<br /> {{thumbnail:ノーベル賞受賞者|1929年|ノーベル文学賞|「主に現代の古典としての認識を広く得た傑作『ブッデンブローク家の人々』に対して」[http://nobelprize.org/nobel_prizes/literature/laureates/1929/index.html]}}<br /> {{thumbnail:end}}<br /> [[ファイル:Heinrich Thomas Mann.jpg|thumb|200px|ハインリヒ・マン(左)とトーマス・マン]]<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;パウル・トーマス・マン&#039;&#039;&#039;(Paul Thomas Mann、[[1875年]][[6月6日]] - [[1955年]][[8月12日]])は[[ドイツ]]の[[小説家]]。[[リューベック]]の富裕な商家に生まれる。当初は実科を学んだが処女小説『転落』が認められて文筆を志し、[[1901年]]に自身の一族の歴史をモデルとした長編『[[ブッデンブローク家の人々]]』で名声を得る。その後市民生活と芸術との相克をテーマにした『[[トーニオ・クレーガー]]』『[[ヴェニスに死す]]』などの芸術家小説や[[教養小説]]の傑作『[[魔の山]]』を発表し、[[1929年]]に[[ノーベル文学賞]]を受賞した。<br /> <br /> [[1933年]]に[[ナチス]]が政権を握ると亡命し、スイスやアメリカ合衆国で生活しながら、聖書の一節を膨大な長編小説に仕立てた『[[ヨセフとその兄弟]]』、[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]に範を求めた『[[ワイマルのロッテ]]』『[[ファウストゥス博士]]』などを発表。終戦後もドイツに戻ることなく国外で過ごしたが、『ドイツとドイツ人』などの一連のエッセイや講演でドイツの文化に対する自問を続けた。<br /> <br /> 兄[[ハインリヒ・マン]]、長男[[クラウス・マン]]も著名な作家である。<br /> <br /> == 生涯 ==<br /> === 生い立ち ===<br /> トーマス・マンは[[1875年]]、中世には[[ハンザ同盟]]に属していた北ドイツの商業都市[[リューベック]]に生まれた。マン家は18世紀末以来この地で商家を営む豪商の家系であり、祖父ヨハン・ジークムント・マンはオランダ名誉領事およびリューベック市民代表、父トーマス・ヨハン・ハインリヒ・マンは市参事会議員として市長に次ぐ地位にある要人であった。母ユーリア・マン(旧名ユーリア・ダ・シルヴァ=ブルーンス)はブラジルで貿易商を営んでいた娘であり、ポルトガル系ブラジル人を母に持つ異国的な風貌の女性である。ヨハン・トーマス・ハインリヒ・マンは彼女との間に三男二女をもうけ、作家[[ハインリヒ・マン]]が長男・第一子、トーマス・マンが次男・第二子に当たる。なお二人の妹ユーリア(1877年 - 1927年)、カルラ(1881年 - 1910年)は結婚後ともに自殺している。<br /> <br /> マンの両親は読書家であり、マンは国内外の小説や童話を初めとする多くの書物に触れて育った。1882年に、当時の上流家庭の子息が通うドクター・ブセニウスの予備高等学校に入学。1889年にカタリーネウム高等学校([[ギムナジウム]])に入学、兄が大学入学資格の取れる科に進んだのに対しマンは実科コースに進んだ。しかしマンは優れた成績は残しておらず、予備高等学校時代には6年目に落第、高等学校でも2年落第を受けている。一方詩作は早くから始めており、高等学校時代に教室で学んだ[[フリードリヒ・フォン・シラー|シラー]]の詩と『[[ドン・カルロス (戯曲)|ドン・カルロス]]』、また[[リヒャルト・ワーグナー]]の楽曲に感銘を受けた。<br /> <br /> [[1891年]]、マンが16歳のとき父ヨハンが死去し、前年に設立100年を迎えていたヨハン・ジーグムント・マン商会が解体する。一家は屋敷を売り翌年[[ミュンヘン]]に移るが、マンのみ実科終了資格を取るために2年間リューベックに残った。1893年、同級生を集めて5月と7月に校内雑誌『春の嵐』を作り詩や散文数篇を寄せる。[[1894年]]3月、兵役を1年で終えることができる志願兵資格を得られるだけの学級を終えたため高等学校を中退、一家の待つミュンヘンに移った。<br /> <br /> === 作家生活と家庭 ===<br /> 1893年4月よりマンは南ドイツ火災保険会社の見習いとして働き始め、その傍ら小説作品の執筆を続けた。10月、処女作品となる短編小説『転落』がライプツィヒの文芸雑誌『社会』に掲載される。この作品によって抒情詩人[[リヒャルト・デーメル]]から賛辞の手紙を受け、マンは筆によって立つことを決意、保険会社を辞してミュンヘン工科大学の聴講をしながら作品の執筆を行った。この頃に[[アルトゥール・ショーペンハウアー|ショーペンハウアー]]、[[フリードリヒ・ニーチェ|ニーチェ]]の哲学に興味を持つ。[[1896年]]より『幸福への意志』『幻滅』『小フリーデマン氏』『ルイスヒェン』など一連の短編作品を発表、[[1898年]]に最初の短編集『小フリーデマン氏』が出版される。<br /> <br /> 1897年夏、マンは兄ハインリヒとともにローマに滞在し、兄弟で合作絵本などを作っているうち、一家の歴史を題材にした小説を共同で書くことを思い立った。この思いつきに兄は次第に興味を失っていったが、マンはその後多数の親戚を訪れて証言を取り、10月に執筆に取り掛かった。2年半の執筆期間を経て[[1901年]]5月、11部からなる長編『[[ブッデンブローク家の人々]]』が完成。翌年10月に出版されると広く読者を集め、第一次大戦前までにはデンマーク語、スウェーデン語、オランダ語、スウェーデン語、チェコ語に訳されるベストセラーとなった。『[[ブッデンブローク家の人々]]』はその後1929年にノーベル文学賞を与えられた際に受賞理由として挙げられている。[[1903年]]代表作の一つ『[[トーニオ・クレーガー]]』発表。<br /> <br /> <br /> <br /> [[1905年]]、[[ミュンヘン大学]]に務めるユダヤ系の数学教授の娘で当時学生だった[[カタリーナ・マン|カタリーナ・プリングスハイム]](愛称カティア Katia またはカトヤ Katja)と結婚。その後彼女との間にエーリカ([[:de:Erika Mann]])、[[クラウス・マン|クラウス]](作家)、[[ゴーロ・マン|ゴーロ]]([[:de:Golo Mann]]、歴史家)、[[モーニカ・マン|モーニカ]]([[:de:Monika Mann]])、[[エリーザベト・マン|エリーザベト]]([[:de:Elisabeth Mann]]、ピアニスト)、[[ミヒャエル・マン|ミヒャエル]] ([[:de:Michael Mann]]、ヴァイオリニスト)の6子をもうけた。マンは朝9時から3時間を執筆時間に当て、マン家ではこの3時間を「魔術師の時間」と呼び静寂を保つように務めたという。<br /> <br /> [[1910年]]、ミュンヘンで[[グスタフ・マーラー]]の『[[交響曲第8番 (マーラー)|交響曲第8番]]』初演を聴き、マーラー自身と知り合う。翌年、マーラーが死去した直後にヴェニスを旅行。[[1912年]]にマーラーの死に触発されて書かれた中編『[[ヴェニスに死す]]』を発表する。<br /> <br /> === 第一次大戦前後 ===<br /> 1912年、夫人カタリーナが肺病を患ったためスイスの[[ダヴォス]]にあるサナトリウムで半年間の療養生活を送った。この年の夏見舞いに訪れたマンは、夫人から聞いた体験や挿話を元に小説を書くことを思い立つ。当初短編小説のつもりだったその作品はその後12年の間書き続けられたのち『魔の山』として発表されることになった。<br /> <br /> [[1914年]]に[[第一次世界大戦]]が勃発。マンはこの大戦を文明に対する文化としてのドイツの戦いと位置づけてドイツを積極的に擁護したが、この立場は[[ロマン・ロラン]]や実の兄ハインリヒ・マンから批判を受け、一時兄弟で仲違いをすることになった(1922年に和解)。[[1915年]]より2年の間『非政治的人間の省察』を執筆、[[連合国 (第一次世界大戦)|協商国]]フランスの帝国主義的民主主義に対し、反民主主義的不平等人格主義のドイツを擁護して論じた。[[1918年]]にドイツが敗戦すると、マンはドイツにおける市民社会の代弁者として各地で講演に招かれ、[[1923年]]の著作『ドイツ共和国について』で[[ヴァイマル共和政]]への支持をドイツの知識層に呼びかけた。[[1924年]]『[[魔の山]]』発表。1926年より『[[ヨセフとその兄弟]]』に着手。[[旧約聖書]]の一節をそれだけで図書館が建つと言われるほどの膨大な資料をもとに長大な小説に仕立て上げたもので、その後幾度も中断を経て1944年まで書き継がれた。[[1929年]]、[[ノーベル文学賞]]受賞。翌年に受賞第1作となる『マーリオと魔術師』を発表する。<br /> <br /> 1930年前後より[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]が台頭すると、マンは国家社会主義の新聞に対して論陣を張り、[[1930年]]にはベルリンで講演『理性に訴える』を行いナチズムの危険性を訴えた。またこの講演では[[労働者階級]]による抵抗を励ますと同時に[[社会主義]]と[[共産主義]]への共感が増していることを表明している。[[1933年]][[1月30日]]に[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]が政権を握ると、兄ハインリヒ・マンとともに[[ベルリン芸術アカデミー|ドイツ・アカデミー]]を脱退。2月23日から夫婦でスイスに講演旅行中に[[ドイツ国会議事堂放火事件|ベルリン国会炎上事件]]が起き、ミュンヘンにいた長男クラウスから助言を受けてそのままスイスに留まる決意をする。1936年、マンはドイツ国籍およびドイツにおける財産を奪われ、自宅に残してきた日記、書簡、資料やメモ類を永久に失った。<br /> <br /> === 亡命生活と戦後 ===<br /> 1933年秋、マンは[[スイス]]の[[チューリッヒ]]近くの[[キュスナハト]]([[:en:Küsnacht|Küsnacht]])に住居を定めた。[[1935年]]のマン60歳の誕生日もスイスで盛大に行なわれ、出版社から贈られた祝詞集には[[アルベルト・アインシュタイン]]や[[ジョージ・バーナード・ショー|バーナード・ショー]]、[[クヌート・ハムスン]]などからの手書きの言葉が寄せられた。同年[[ハーヴァード大学]]名誉博士を授与される。[[1936年]]11月、チェコ国籍を取得。[[1937年]]、[[スイス]]において雑誌『尺度と価値(Maß und Wert)』を創刊、1940年の廃刊まで同誌で反ナチスの論陣を張る。[[1938年]]、アメリカに移住し[[プリンストン大学]]客員教授に就任(のちに[[名誉教授]])。大戦中のアメリカではドイツ、オーストリアからの亡命者を支援した。<br /> <br /> [[1939年]]、長編小説『[[ワイマルのロッテ]]』を[[ストックホルム]]に亡命中のフィッシャー社より刊行。文豪としての名声を得たゲーテと、彼がかつて『[[若きヴェルテルの悩み]]』のロッテのモデルとした[[シャルロッテ・ブッフ]]との再会を描いており、のちに作品の一節を[[ニュルンベルク裁判]]でイギリスの裁判官がゲーテ自身の言葉として引用したことが問題となった。<br /> <br /> [[1940年]]6月、フランス降伏後の「緊急救出委員会」に協力。10月より[[英国放送協会|BBC放送]]を通じて毎月定期的に、ドイツ国民にナチスへの不服従を訴え続けた。しかし国外で富裕な生活を送りながら反独活動をしたことは戦後ドイツでマンに対する賛否両論が起こる原因となった。<br /> <br /> [[1941年]]1月、[[フランクリン・ルーズベルト|ルーズベルト]]大統領の賓客として、[[ホワイトハウス]]に滞在。4月に[[カリフォルニア州]]パシフィック・パリセーズに家を建て永住を決める。[[1944年]]6月、アメリカ市民権を取得。[[1947年]]、長編『[[ファウストゥス博士]]』を発表。40年以上前の短編プランをもとに着手されたもので、自身の芸術と文学に対する集大成を行なった。[[1949年]]に[[フランクフルト・アム・マイン]]より[[ゲーテ賞]]を受賞。<br /> <br /> [[ファイル:Thomas Mann Grave 2005-03-26.jpeg|180px|thumb|キルヒベルクのマンの墓]]<br /> [[1952年]]6月、パシフィック・パリセーズを離れ、ヨーロッパ各地を巡ったのち12月にチューリッヒ南隣の[[キルヒベルク]]([[:en:Kilchberg, Zurich|Kilchberg]])に移り住む。この年[[レジオンドヌール勲章|レジオン・ドヌール将校十字章]]を受章。[[1953年]]、22年ぶりに故郷リューベックを訪れる。[[1954年]]、『[[詐欺師フェーリクス・クルルの告白]] 回想録の第1部』を出版。<br /> <br /> [[1955年]]3月、リューベック名誉市民、および[[ベルリン・ドイツ芸術アカデミー]]名誉会員に選ばれる。5月にはフリードリッヒ・シラー大学名誉博士号を贈られ、ドイツ・シラー協会名誉会長となった。6月には80歳の誕生日を記念し東ドイツで全集が刊行。チューリヒで行なわれた祝賀会で全集が手渡され、フランスからの祝詞集には[[ヴァンサン・オリオール]]大統領、[[ロベール・シューマン]]外相、[[アルベルト・シュヴァイツァー|シュヴァイツァー]]、[[パブロ・ピカソ|ピカソ]]、[[ロジェ・マルタン・デュ・ガール]]、[[フランソワ・モーリアック|モーリアック]]、[[アンドレ・マルロー|マルロー]]、[[アルベール・カミュ|カミュ]]らが言葉を寄せた。この年の7月、オランダで病に倒れ、チューリッヒ州立病院へ送られる。[[8月12日]]、心臓冠状動脈血栓症により同地にて死去。遺体はキルヒベルクに葬られた。埋葬式に数百人が集まり、[[ヘルマン・ヘッセ]]が別れの言葉を述べた。<br /> <br /> == 日本における受容 ==<br /> 日本での初翻訳は1910年(明治43年)に『帝国文学』第16巻9号に掲載された林久夫訳による短編『箪笥』(現在では普通『衣装戸棚』と訳される)であり、単行本では1927年(昭和2年)に日野捷郎(實吉捷郎)の訳による『トオマス・マン短編集』『トニオ・クレエゲル』が初である。以後多数の翻訳が出ているが、1940年に刊行開始した[[三笠書房]]の全集は、戦時中に敵性作家と見なされたため中絶を余儀なくされた。その後1971年-1972年に[[新潮社]]から全12巻の全集が刊行されており、全作品と代表的な評論、および主要な書簡が収められている。<br /> <br /> またマンの日記は、死後20年間開封するべからずとの本人遺言に従って1975年に初めて開封され、ドイツ本国では全10巻で刊行されている。日本語訳版は[[紀伊国屋書店]]で(1985年から)順次刊行されている、10巻目が2016年に刊行した。<br /> <br /> マンから影響を受けている作家には[[三島由紀夫]]、[[吉行淳之介]]、[[北杜夫]]、[[大江健三郎]]、[[辻邦生]]らがいる。三島は『国文学 昭和45年5月臨時増刊号』で、三好行雄との対談においてマンからの影響を語っており、マンによって初めて西欧的な二元論にぶつかったと述べた。また[[ドナルド・キーン]]によれば、三島は自身の代表作『[[金閣寺 (小説)|金閣寺]]』の文体を「[[森鴎外|鴎外]] プラス トーマス・マン」だと述べており、キーンは『暁の寺』にも『魔の山』からの文体的影響を指摘している(『悼友紀行』、中央公論社)。北は学生時代からマンの作品に親しんでおり、北杜夫というペンネーム自体が『トーニオ・クレーガー』から由来したものである。彼のデビュー作『幽霊』は『トーニオ・クレーガー』から代表作『楡家の人々』は『ブッデンブローク家の人々』から、それぞれ強い影響を受けている。辻も学生時代からマンの小説を愛読し、パリに留学した頃には『ブッデンブローク家の人々』を精読して文章ごとにカードを作って作品の構成や手法を徹底的に研究したという(『パリの手記』より)。また『ファウストゥス博士』も、仏語訳をもとに研究し、マン論を[[岩波書店]]で出している(参考文献を参照)。<br /> <br /> == 著作一覧 ==<br /> === 長編小説 ===<br /> [[ファイル:1924 Der Zauberberg (2).jpg|thumb|150px|『魔の山』]]<br /> [[ファイル:1913 Der Tod in Venedig Halbpergament.jpg|thumb|150px|『ヴェニスに死す』]]<br /> [[ファイル:Thomas Mann Betrachtungen eines Unpolitischen 1918.jpg|thumb|150px|『非政治的人間の省察』]]<br /> <br /> * [[ブッデンブローク家の人々]](&#039;&#039;Buddenbrooks - Verfall einer Familie&#039;&#039;, 1901年)<br /> * [[大公殿下]](&#039;&#039;Königliche Hoheit&#039;&#039;, 1909年)<br /> * [[魔の山]](&#039;&#039;Der Zauberberg&#039;&#039;, 1924年)<br /> * [[ヨセフとその兄弟]](&#039;&#039;Joseph und seine Brüder&#039;&#039;, 1933年 - 1943年)<br /> ** 第1部 ヤコブ物語 (&#039;&#039;Die Geschichten Jaakobs&#039;&#039;, 1933年)<br /> ** 第2部 若いヨセフ (&#039;&#039;Der junge Joseph&#039;&#039;, 1934年)<br /> ** 第3部 エジプトのヨセフ (&#039;&#039;Joseph in Ägypten&#039;&#039;, 1936年)<br /> ** 第4部 養う人ヨセフ (&#039;&#039;Joseph der Ernährer&#039;&#039;, 1943年)<br /> * [[ワイマルのロッテ]](&#039;&#039;Lotte in Weimar&#039;&#039;, 1939年)<br /> * [[ファウストゥス博士]](&#039;&#039;Doktor Faustus&#039;&#039;, 1947年)<br /> * [[選ばれし人]](&#039;&#039;Der Erwählte&#039;&#039;, 1951年)<br /> * [[詐欺師フェーリクス・クルルの告白]](&#039;&#039;Bekenntnisse des Hochstaplers Felix Krull&#039;&#039;, 1922年/1952年)<br /> <br /> === 中・短編小説 ===<br /> * 転落(&#039;&#039;Gefallen&#039;&#039;, 1894年) <br /> * 幸福への意志(&#039;&#039;Der Wille zum Glück&#039;&#039;, 1896年) <br /> * 幻滅(&#039;&#039;Enttäuschung&#039;&#039;, 1896年) <br /> * 死(&#039;&#039;Der Tod&#039;&#039;, 1897年) <br /> * 小フリーデマン氏(&#039;&#039;Der kleine Herr Friedemann&#039;&#039;, 1898年)<br /> * 道化者(&#039;&#039;Der Bajazzo&#039;&#039;, 1897年)<br /> * トービアス・ミンダーニッケル(&#039;&#039;Tobias Mindernickel&#039;&#039;, 1898年) <br /> * 衣装戸棚(&#039;&#039;Der Kleiderschrank&#039;&#039;, 1899年) <br /> * 報い(&#039;&#039;Gerächt&#039;&#039;, 1899年) <br /> * ルイスヒェン(&#039;&#039;Luischen&#039;&#039;, 1900年) <br /> * 墓地への道(&#039;&#039;Der Weg zum Friedhof&#039;&#039;, 1900年) <br /> * 神の剣(&#039;&#039;Gladius Dei&#039;&#039;, 1902年) <br /> * [[トーニオ・クレーガー]](&#039;&#039;Tonio Kröger&#039;&#039;, 1903年)<br /> * トリスタン(&#039;&#039;Tristan&#039;&#039;, 1903年) <br /> * 飢えた人々(&#039;&#039;Die Hungernden&#039;&#039;, 1903年) <br /> * 神童(&#039;&#039;Das Wunderkind&#039;&#039;, 1903年) <br /> * ある幸福(&#039;&#039;Ein Glück&#039;&#039;, 1904年) <br /> * 預言者の家で(&#039;&#039;Beim Propheten&#039;&#039;, 1904年) <br /> * 悩みのひととき(&#039;&#039;Schwere Stunde&#039;&#039;, 1905年) <br /> * 逸話(&#039;&#039;Anekdote&#039;&#039;, 1908年) <br /> * 鉄道事故(&#039;&#039;Das Eisenbahnunglück&#039;&#039;, 1909年) <br /> * なぐりあい(&#039;&#039;Wie Jappe und Do Escobar sich prügelten&#039;&#039;, 1911年) <br /> * [[ヴェニスに死す]](&#039;&#039;Der Tod in Venedig&#039;&#039;, 1912年)<br /> * 主人と犬(&#039;&#039;Herr und Hund&#039;&#039;, 1918年) <br /> * おさな児の歌(&#039;&#039;Gesang vom Kindchen&#039;&#039;, 1919年) <br /> * 混乱と幼い悩み(&#039;&#039;Unordnung und frühes Leid&#039;&#039;, 1926年)<br /> * マリオと魔術師(&#039;&#039;Mario und der Zauberer&#039;&#039;, 1930年)<br /> * すげかえられた首(&#039;&#039;Die vertauschten Köpfe - Eine indische Legende&#039;&#039;, 1940年)<br /> * 十戒(&#039;&#039;Das Gesetz&#039;&#039;, 1944年) <br /> * あざむかれた女(Die Betrogene, 1953年)<br /> <br /> === エッセイ・講演 ===<br /> * フリードリヒ大王と大同盟(&#039;&#039;Friedrich und die große Koalition&#039;&#039;, 1915年)<br /> * 非政治的人間の考察(&#039;&#039;Betrachtungen eines Unpolitischen&#039;&#039;, 1918年)<br /> * ドイツ共和国について(&#039;&#039;Von deutscher Republik&#039;&#039;, 1922年)<br /> * ゲーテとトルストイ(&#039;&#039;Goethe und Tolstoi&#039;&#039;, 1923年) <br /> * ドイツ共和国について(&#039;&#039;Von deutscher Republik, 1923年) <br /> * 理性に訴える(&#039;&#039;Deutsche Ansprache. Ein Appell an die Vernunft.&#039;&#039;, 1930年) <br /> * 市民時代の代表者としてのゲーテ(&#039;&#039;Goethe als Repräsentant des bürgerlichen Zeitalters&#039;&#039;, 1932年) <br /> * 作家としてのゲーテの生涯(&#039;&#039;Goethes Laufbahn als Schriftsteller&#039;&#039;, 1933年)<br /> * リヒャルト・ヴァーグナーの苦悩(&#039;&#039;Leiden und Größe Richard Wagners&#039;&#039;, 1933年) <br /> * フロイトと未来(&#039;&#039;Freud und die Zukunft&#039;&#039;, 1936年)<br /> * 来るべきデモクラシーの勝利について(&#039;&#039;Vom zukünftigen Sieg der Demokratie&#039;&#039;, 1938年) <br /> * ショーペンハウアー(&#039;&#039;Schopenhauer&#039;&#039;, 1938年) <br /> * この平和(&#039;&#039;Dieser Friede&#039;&#039;, 1938年) <br /> * 自由の問題(&#039;&#039;Das Problem der Freiheit&#039;7, 1939年) <br /> * ドイツとドイツ人(&#039;&#039;Deutschland und die Deutschen&#039;&#039;, 1947年) <br /> * 我々の経験から見たニーチェ哲学(&#039;&#039;Nietzsches Philosophie im Lichte unserer Erfahrung&#039;&#039;, 1947年)<br /> * ゲーテとデモクラシー(&#039;&#039;Goethe und die Demokratie&#039;&#039;, 1949年)<br /> * シラー詩論(Versuch über Schiller, 1955年)<br /> <br /> == 主な訳書 ==<br /> === 全集 ===<br /> [[新潮社]]版全集、初版1971年 - 72年、第2刷1975年 - 77年。<br /> * 第1巻、ブデンブローク家の人々([[森川俊夫]]訳)<br /> * 第2巻、大公殿下([[山下肇]]訳)、ワイマルのロッテ([[佐藤晃一 (ドイツ文学者)|佐藤晃一]]訳)<br /> * 第3巻、魔の山([[高橋義孝]]訳)<br /> * 第4-5巻、ヨゼフとその兄弟たち([[高橋義孝]]訳)<br /> * 第6巻、ファウストゥス博士([[円子修平]]訳)(※理由は不明だが、訳が省略されている箇所がいくつもある)<br /> * 第7巻、選ばれし人(佐藤晃一訳)、詐欺師フェーリクス・クルルの告白(高橋義孝訳)<br /> * 第8巻、短篇([[藤本淳雄]]ほか訳)、戯曲(森川俊夫訳)、詩(山下肇訳)<br /> * 第9-10巻、評論(佐藤晃一ほか訳)<br /> * 第11巻、評論3(森川俊夫ほか訳)<br /> * 第12巻、書簡 1894年 - 1955年、([[浜川祥枝]]訳)<br /> * 別巻、トーマス・マン研究(円子修平ほか訳)<br /> <br /> === 「トーマス・マン日記」 ===<br /> [[紀伊國屋書店]]出版(全10巻)。()内は、刊行年。<br /> * 1918年 - 1921年、([[森川俊夫]]・[[伊藤暢章]]・洲崎惠三・[[前田良三]]訳)、(2016) ISBN 4314011335<br /> * 1933年 - 1934年、([[岩田行一]]・[[浜川祥枝]]・森川俊夫訳)、(1985) ISBN 4314004568<br /> * 1935年 - 1936年、(森川俊夫訳)、(1988) ISBN 4314004983<br /> * 1937年 - 1939年、(森川俊夫訳)、(2000) ISBN 4314008555<br /> * 1940年 - 1943年、(森川俊夫・[[横塚祥隆]]訳)、(1995) ISBN 4314007176<br /> * 1944年 - 1946年、(森川俊夫・[[佐藤正樹]]・[[田中暁]]訳)、(2002) ISBN 4314009098<br /> * 1946年 - 1948年、(森川俊夫・[[洲崎惠三]]訳)、(2003) ISBN 4314009527<br /> * 1949年 - 1950年、(森川俊夫・佐藤正樹訳)、(2004) ISBN 4314009713<br /> * 1951年 - 1952年、(森川俊夫訳)、(2008) ISBN 4314010487<br /> * 1953年 - 1955年、(森川俊夫・洲崎惠三訳)、(2014) ISBN 4314011114<br /> <br /> ===単行本===<br /> * [[ヨセフ (ヤコブの子)|ヨセフとその兄弟]] 全3巻([[望月市恵]]・[[小塩節]]訳)、[[筑摩書房]](1985-88)<br /> * 非政治的人間の考察 全3巻([[前田敬作]]・[[山口知三]]訳)、筑摩書房〈筑摩叢書〉(復刊1985)<br /> * ワーグナーと現代 1908−1951([[小塚敏夫]]訳)、[[みすず書房]](新装第2版 2000) ISBN 4622049864<br /> * 新装版 世界の文学セレクション36/vol.25、[[中央公論社]](1994) ISBN 4124031653<br /> : ある詐欺師の告白(高橋義孝訳)、トニオ・クレーガー([[福田宏年]]訳)、ヴェニスに死す([[関楠生]]訳)<br /> <br /> ===文庫版訳書===<br /> ※1980年代後半以降の刊行のみ記す。<br /> * 詐欺師フェーリクス・クルルの告白 (岸美光訳) 光文社古典新訳文庫(上下) (2011)<br /> * だまされた女、すげかえられた首 (岸美光訳) [[光文社古典新訳文庫]] (2009) ISBN 433475175X<br /> * ヴェネツィアに死す (岸美光訳) 光文社古典新訳文庫(2007)、ISBN 4334751245<br /> * トニオ・クレーガー (浅井晶子訳) 光文社古典新訳文庫(2018.7)<br /> * ベニスに死す ([[圓子修平]]訳) 集英社文庫(2011) ISBN 4087606287<br /> * トーニオ・クレーガー、マーリオと魔術師 ([[平野卿子]]訳) [[河出文庫]](2011) ISBN 4309463495<br /> * トニオ・クレーゲル、ヴェニスに死す ([[高橋義孝]]訳) 新潮文庫(改版2012) ISBN 4102022015<br /> * 魔の山 (高橋義孝訳) [[新潮文庫]](上下)(改版2005) ISBN 4102022023 &amp; ISBN 4102022031<br /> * トニオ・クレエゲル ([[実吉捷郎]]訳) [[岩波文庫]](改版2003) ISBN 4003243404<br /> * ヴェニスに死す (実吉捷郎訳) 岩波文庫(改版2000) ISBN 4003243412<br /> * ゲーテを語る 講演集 ([[山崎章甫]]訳) 岩波文庫(1993) ISBN 4003294300<br /> * ゲーテとトルストイ (山崎章甫・高橋重臣訳) 岩波文庫(1992) ISBN 4003243498<br /> * リヒァルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大/リヒァルト・ヴァーグナーと『[[ニーベルングの指環]]』、講演集(青木順三訳) 岩波文庫(1991) ISBN 400324348X<br /> * ドイツとドイツ人 他五篇、講演集(青木順三訳) 岩波文庫(1990) ISBN 4003243471<br /> * 魔の山 ([[関泰祐]]・[[望月市恵]]訳) 岩波文庫(上下)(改版1988) ISBN 4003243366 &amp; ISBN 4003243374<br /> * トオマス・マン短篇集 (実吉捷郎訳) 岩波文庫  ISBN 400324334X -以下は重版書目<br /> * ワイマルのロッテ (望月市恵訳) 岩波文庫(上下) ISBN 4003243420 &amp; ISBN 4003243439<br /> * ブッデンブローク家の人びと (望月市恵訳) 岩波文庫(上中下) <br /> * ファウスト博士 (関泰祐訳) 岩波文庫(上中下)<br /> * 五つの証言 ([[渡辺一夫]]訳著) [[中公文庫]](2017)。元版は1946年刊行<br /> &lt;!--大分前の復刊なのでコメントアウト* マリオと魔術師 ([[竹山道雄]]訳) [[角川文庫]](復刊1989)、他一篇<br /> * 詐欺師フェーリクス・クルルの告白・掟 ([[佐藤晃一]]訳) 新潮文庫(復刊1994)--&gt; <br /> <br /> == 博物館 ==<br /> [[ファイル:Nida ThomasMann cottage.jpg|thumb|180px|ニダのトーマス・マン博物館]]<br /> <br /> トーマス・マンの故郷リューベックのメング街に「{{仮リンク|ブッデンブロークハウス|de|Buddenbrookhaus}}」がある。かつてマン家がこの場所に住んでいた。建物自体は第二次世界大戦で破壊されたが、これを後に再建し、トーマス・マンと兄ハインリヒ・マンの記念館としたものである。1階にはマン兄弟関係書籍が展示販売されており、2階はハインリヒ・マンの、3階はトーマス・マンの展示場となっている。<br /> <br /> [[リトアニア]]の[[ニダ]]にあるトーマス・マン博物館では、マンの草稿などが展示されている。この博物館の建物は、かつてマンが過ごした別荘を利用したものである。<br /> <br /> また[[チューリッヒ工科大学]]にトーマス・マン資料館があり、草稿・著書などの資料を収蔵している。<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> ※現項目は、主に村田『トーマス・マン』を参照している。<br /> * 村田経和 『トーマス・マン』 清水書院〈人と思想〉、1991年、新装版2015年 <br /> * [[小塩節]] 『トーマス・マンとその時代』 [[中公新書]]、1992年<br /> * [[辻邦生]] 『トーマス・マン』 岩波書店〈20世紀思想家文庫〉、1983年/岩波同時代ライブラリー、1994年/『辻邦生全集 15』(新潮社、2005年)に所収<br /> * [[池内紀]] 『闘う文豪とナチス・ドイツ-トーマス・マンの亡命日記』中公新書、2017年<br /> * クラウス・シュレーター 『トーマス・マン』 山口知三訳、理想社、1971年<br /> * クラウス・ハープレヒト 『トーマス・マン物語 (全3巻)』 岡田浩平訳、三元社、2005-2008年<br /> * ハンス・ビュルギン、ハンス=オットー・マイヤー編 「トーマス・マン年譜」 森川俊夫訳。『マン全集 別巻』 新潮社、1972年、pp.443-762<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;近親者による伝記、回想&#039;&#039;&#039;<br /> * カーチャ・マン 『夫トーマス・マンの思い出』 山口知三訳、筑摩書房、1975年 <br /> * ヴィクトル・マン 『マン家の肖像』 三浦淳訳、同学社、1992年<br /> * クラウス・マン 『転回点―マン家の人々』 小栗浩訳、晶文社、1970年 <br /> * ゴーロ・マン 『ドイツの青春』 林部圭一他訳、みすず書房、1993年<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * {{仮リンク|マン家|de|Mann (Familie)}}<br /> * {{仮リンク|マン家の人々|de|Die Manns – Ein Jahrhundertroman}} - トーマス・マンの一族を描いた、2001年製作のドイツのテレビドラマ、全3部。ドラマとドキュメンタリー映像とからなる。<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{Commonscat|Thomas Mann}}<br /> * {{青空文庫著作者|1758|マン パウル・トーマス}}<br /> * [http://www.gutenberg.org/browse/authors/m#a4200 Mann, Thomas, 1875-1955] - プロジェクト・グーテンベルク<br /> * [http://www.buddenbrookhaus.de/http://www.buddenbrookhaus.de/ ブッデンブローク・ハウス]{{de_icon}}<br /> * [http://muziejai.mch.mii.lt/Neringa/mano_muziejus.en.htm トーマス・マン博物館]{{de_icon}}<br /> * [http://www.tma.ethz.ch/ トーマス・マン資料館]{{de_icon}}<br /> <br /> {{ノーベル文学賞受賞者 (1926年-1950年)}}<br /> {{Normdaten}}<br /> {{DEFAULTSORT:まん とます}}<br /> [[Category:トーマス・マン|*]]<br /> [[Category:ドイツの小説家]]<br /> [[Category:ドイツのノーベル賞受賞者]]<br /> [[Category:ノーベル文学賞受賞者]]<br /> [[Category:レジオンドヌール勲章オフィシエ受章者]]<br /> [[Category:LGBTの著作家]]<br /> [[Category:亡命文学]]<br /> [[Category:プリンストン大学の教員]]<br /> [[Category:アメリカ合衆国帰化市民]]<br /> [[Category:ドイツの亡命者]]<br /> [[Category:ポルトガル系ドイツ人]]<br /> [[Category:ボヘミア・ドイツ系ドイツ人]]<br /> [[Category:ドイツ系アメリカ人]]<br /> [[Category:ブラジル系アメリカ人]]<br /> [[Category:リューベック出身の人物]]<br /> [[Category:両性愛の人物]]<br /> [[Category:1875年生]]<br /> [[Category:1955年没]]</div> 240B:11:4A00:400:D895:6FE5:89DE:43DF
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