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http:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=2400%3A7800%3A4975%3A9200%3AF837%3ACCB2%3A3B99%3A58E4&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-22T01:06:12Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 恩赦法 2018-04-24T18:01:45Z <p>2400:7800:4975:9200:F837:CCB2:3B99:58E4: /* 恩赦を行う方法による区別 */</p> <hr /> <div>{{Redirect|大赦|[[四国地方|四国]]・[[香川県]]にある架空の組織|結城友奈は勇者である#用語}}<br /> <br /> {{law}}<br /> {{日本の法令|<br /> 題名=恩赦法|<br /> 番号=昭和22年3月28日法律第20号|<br /> 通称=|<br /> 効力=現行法|<br /> 種類=[[法律]]|<br /> 内容=恩赦について|<br /> 関連=[[刑事訴訟法]]など|<br /> リンク= [http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO020.html 総務省法令データ提供システム]<br /> |}}<br /> &#039;&#039;&#039;恩赦法&#039;&#039;&#039;(おんしゃほう)は、[[恩赦]]について定めた日本の法律である。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> 日本においては、恩赦は以下の種類に分かれている。<br /> <br /> ;大赦<br /> :[[政令]]により罪の種類を定めて行い、有罪の言渡しを受けた者についてはその言渡しは効力を失い、有罪の言渡しを受けていない者については[[公訴権]]が消滅する(恩赦法2条、3条)。大赦があった時点で受刑者は刑務所から釈放され、その時点で刑事事件の被告人である者に対しては[[免訴]]の[[判決]]が言い渡され([[刑事訴訟法]]337条3号)、その時点で捜査中の者については捜査が終了する。<br /> ;特赦<br /> :有罪の言渡しを受けた特定の者について、有罪の言渡しの効力を失わせるものである(恩赦法4条、5条)。特赦の時点で[[有罪]]の[[判決]]を受けていない者に対しては効力がない。<br /> ;減刑<br /> :刑の言渡しを受けた者に対して、[[政令]]で罪若しくは刑の種類を定めて行うもの(一般減刑)と、刑の言渡しを受けた特定の者に対して行うもの(特別減刑)があり、一般減刑の場合は刑が減軽され、特定減刑の場合は刑の減軽又は刑の執行が減軽される。つまり、刑が軽い種類のものに変更されたり、懲役刑等の期間の短縮が行われる。また、執行猶予期間中の者については、猶予の期間を短縮することもできる(恩赦法6条、7条)。<br /> ;刑の執行の免除<br /> :刑の言渡しを受けた特定の者に対して行うものであるが、刑の言渡しの効力がなくなるわけではなく([[前科]]は残る)、単に刑の執行が免除されるにとどまる。刑の執行猶予期間中の者については行わない(恩赦法8条)。<br /> &lt;!--: 無期刑に処せられた者は、仮出獄したとしても刑は終了しない。日本においては、仮出獄期間中は[[保護観察]]に付される。無期刑仮出獄者は、刑の執行が免除されるか本人が死亡するまで保護観察は終了しない。--&gt;<br /> ;復権<br /> :刑の言渡しを受けたことに伴い資格喪失又は資格停止された者について、政令により(一般復権)又は特定の者につき個別に(特別復権)資格を回復させるものである。ただし、刑の執行を終わらない者、執行の免除を得ない者については、行わない(恩赦法9条、10条)。例えば[[選挙違反]]による[[公民権]]停止などは過去復権の対象になったことがある。<br /> <br /> == 恩赦を行う方法による区別 ==<br /> 恩赦は全て[[内閣 (日本)|内閣]]の[[閣議]]によって決定される。([[日本国憲法第73条]]7号)<br /> <br /> 恩赦の対象となる者については、次の2通りの区分がある。<br /> ;政令恩赦<br /> :[[政令]]により、罪や刑の種類等を定め、該当するものに対して一律に行われるものである。この方法によることができる恩赦の種類は、大赦・減刑・復権の3種類である。実施されるのは日本の国家的な慶事(祝い事)があった場合が多い。<br /> ;個別恩赦<br /> :特定の者に対して個別的に審査をした上で行われるものである。この方法によることができる恩赦の種類は、特赦、減刑、刑の執行の免除、復権の4種類である。個別恩赦は、[[中央更生保護審査会]]に対して恩赦の上申をし、同審査会の審査により恩赦が相当と判断された場合に、同審査会の申出によって行われる(恩赦法12条)。<br /> :さらに、個別恩赦は、常時行われる&#039;&#039;&#039;常時恩赦&#039;&#039;&#039;と、一般には政令恩赦の際に同恩赦の要件から漏れた者等を対象に、内閣の定める基準により、一定の期間を限って行われる&#039;&#039;&#039;特別基準恩赦&#039;&#039;&#039;がある。ただし、特別基準恩赦は政令恩赦と関係なく単独で行われる場合もある。<br /> <br /> ==関連項目==<br /> *[[プラカード事件]]<br /> <br /> {{law-stub}}<br /> {{DEFAULTSORT:おんしやほう}}<br /> [[Category:日本の法律]]<br /> [[Category:更生保護]]<br /> [[Category:1947年の法]]<br /> [[Category:日本の行刑法]]</div> 2400:7800:4975:9200:F837:CCB2:3B99:58E4 プラカード事件 2018-04-24T17:59:27Z <p>2400:7800:4975:9200:F837:CCB2:3B99:58E4: /* 裁判 */</p> <hr /> <div>{{otheruses||報道倫理に関する事件|TBS成田事件}}<br /> [[画像:Mayday for food supplies in Japan 01.jpg|400px|thumb|食糧メーデー当日の様子]]<br /> {{最高裁判例<br /> |事件名=不敬<br /> |事件番号=昭和22(れ)73<br /> |裁判年月日=1948年(昭和23年)5月26日<br /> |判例集=刑集 第2巻6号529頁<br /> |裁判要旨=#公訴係属中の事件について大赦があったときは、裁判所は、単に免訴の判決をすべく、公訴事実の存否又はその犯罪の成否などについて実体上の審判を行うことはできない。(大赦があっても、公訴事実が存在せず、又は犯罪を構成しないときは、実体的公訴権が発生しなかったものであるから、裁判所は、実体上の審理の過程を踏んだ上で無罪の判決をすべきである、との少数意見あり。)<br /> #大赦を理由とする免訴の判決に対しては、訴訟当事者は、公訴事実が存在せず、又は罪とならざることを主張して上訴することはできない。(大赦による免訴の判決に対しても、無罪の判決を求めるためであれば上訴することができる、との反対意見あり。)<br /> #大赦のあった事件につき、それ以降に裁判所が実体上の審理を行い、判決の理由において犯罪の成否を認めた下級審の判決は、違法である。しかし、その主文において免訴を言い渡しているときは、あえてこれを破毀すべきではない。(このような違法判決が下された場合には、これを破毀して、上告審自らが改めて免訴の判決をすべきである、との少数意見あり。)&lt;ref&gt;最高裁判所刑事判例集2巻6号529頁&lt;/ref&gt;<br /> |法廷名=大法廷<br /> |裁判長=[[三淵忠彦]]<br /> |陪席裁判官=[[塚崎直義]] [[長谷川太一郎]] [[沢田竹治郎]] [[霜山精一]] [[井上登 (裁判官)|井上登]] [[栗山茂]] [[真野毅]] [[庄野理一]] [[小谷勝重]] [[島保]] [[斎藤悠輔]] [[藤田八郎]] [[岩松三郎]] [[河村又介]]<br /> |多数意見=三淵忠彦 塚崎直義 長谷川太一郎 井上登 小谷勝重 島保 藤田八郎 岩松三郎 河村又介<br /> |意見=<br /> |反対意見=沢田竹治郎 霜山精一 栗山茂 真野毅 庄野理一 斎藤悠輔<br /> |参照法条=刑訴法363條3號、刑法74條、恩赦令3條<br /> |url=http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=55229<br /> }}&#039;&#039;&#039;プラカード事件&#039;&#039;&#039;(プラカードじけん)は、[[1946年]]([[昭和]]21年)[[5月19日]]の[[食料|食糧]][[メーデー]]([[米]]よこせメーデー、正式には「[[飯米獲得人民大会]]」)の際、参加者の一人である[[日本共産党]]員の田中精機工業&lt;ref&gt;現在のTNK&lt;/ref&gt;社員・[[松島松太郎]]が掲げた「[[昭和天皇|ヒロヒト]] [[詔|詔書]] 曰ク [[国体|國体]]はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ[[人民]] [[餓死|飢えて死ね]] [[御名御璽|ギョメイギョジ]]」(表面)、「働いても 働いても 何故私達は飢えねばならぬか [[昭和天皇|天皇ヒロヒト]]答えて呉れ 日本共産党田中精機[[細胞 (政党)|細胞]]」(裏面)の[[プラカード]]が[[不敬罪]]に問われた事件&lt;ref&gt;『諷刺の笑いとその応答』p.3&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 通称「食糧メーデー不敬事件」とも呼ばれ、[[検察庁]]は松島を[[刑法 (日本)|刑法]]74条違反で訴追したが、松島側は「[[ポツダム宣言]]の受諾によって[[天皇]]の神性消滅を受けて不敬罪は消滅した」と主張して争われた&lt;ref&gt;『諷刺の笑いとその応答』p.4&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 裁判 ==<br /> 松島は[[不敬罪]]で[[起訴]]されたものの、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の「天皇といえども特別の保護を受けるべきではない」という意向により&lt;ref&gt;{{Cite book|和書||author=宮本和雄|title=レッド・パージ : 忘れてならぬ歴史の教訓|date=1992|publisher=レッド・パージ国家賠償要求同盟|pages=26-27|chapter=第4章 二・一ゼネストをめぐって}}TRCMARC番号:99208782&lt;/ref&gt;、不敬罪ではなく[[名誉毀損罪]]とすることとされ、第一審([[東京地方裁判所]]昭和21年11月2日判決)は不敬罪を認めず、天皇個人に対する名誉毀損罪のみが認められた。後の控訴審において、不敬罪の成立可能性の認定は引き継がれるも、[[大赦]]を理由に[[免訴]]となる。<br /> <br /> [[控訴|控訴審]]([[東京高等裁判所]]昭和22年6月28日判決)は、[[日本国憲法]]公布に伴う[[恩赦法|大赦令]]により、[[免訴]]の[[判決 (日本法)|判決]]を下した。なお裁判官の職権判断により、1.新憲法下に於ても天皇が日本の[[元首]]であること。 2.被告人は免訴により不処罰とはなるが、職権判断で改めて審理をしたところ、公訴事実となる不敬罪そのものは一応成立していた、という2点を判示し、このうち後者の部分が後の最高裁によって違法な職権判断と認定される。<br /> <br /> 上告審([[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]昭和23年5月26日[[大法廷]]判決)は、[[無罪]]判決を求める被告人の[[上告]]を[[棄却]]した。この最高裁判決は、免訴判決の法的性質という[[刑事訴訟法]]上の重要問題についての先例となっている。つまり、刑事裁判において、公訴係属中に大赦がなされるという特殊な状況下における当該裁判の取り扱いについてのリーディングケースとしての価値を持つこととなったのである。本判決において、最高裁が下した判決要旨は3つあり、<br /> # 公訴係属中に大赦があった場合、[[日本の裁判所|裁判所]]は[[公訴#公訴に関する諸原則|不告不理の原則]]に基づき、ただ免訴の判決をするだけで足り、公訴事実の存否や犯罪の成否などについて、それ以上、実体上の審判を行うことはできないということ。<br /> # これに基づき、大赦が理由となった免訴の場合、その時点で、被告人や検察官が、それ以上、公訴事実の存否や犯罪の成否を争うべく上訴を行うことはできないということ。<br /> # 大赦は、平たく言えば、その時点での裁判の打ち切りと、すみやかに免訴判決を下すことで被告人への不処罰を決定させるべきものであるから、大赦がなされた後において、なおも審理を継続し、まして犯罪の成立を認定することは違法である。<br /> というものであった。 3. に関しては、大赦をされた後においても審理を継続して犯罪の成立を決定した控訴審における職権判断は違法であったが、その主文においてはきちんと免訴判決としており、結果的に被告人は不処罰となったわけであるから、この犯罪の成立決定の部分に関して、直ちに決定の破棄をすると言うほどではない、という判示をしたのである。この上告審は重要判例として、後に[[刑集#最高裁判所刑事判例集|最高裁判所刑事判例集]]2巻6号529頁に掲載されるとともに、[[最高裁判所調査官|調査官解説]]も付されている。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{reflist}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> * 横坂健治 「天皇と不敬罪」『憲法判例百選II 第5版』([[有斐閣]]、2007年)366頁<br /> * 「免訴判決の性質」『刑事訴訟法判例百選』(有斐閣、2005年)236頁<br /> * {{Cite book|和書|author=長島平洋|title=諷刺の笑いとその応答-不敬罪を軸にII|url=http://ci.nii.ac.jp/naid/110008712984|series=笑い学研究 No.18|date=2011-07-23|accessdate=2012-11-30|pages=3-13|publisher=日本笑い学会}}<br /> * 吉田健二「証言:日本の社会運動 食糧メーデーとプラカード事件 - 松島松太郎氏に聞く(1) - (3)」『[[法政大学大原社会問題研究所|大原社会問題研究所雑誌]]雑誌』2003年5・6・8月号[http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/534/534-4.pdf][http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/535/535-05.pdf][http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/537/537-05.pdf] インタビューは1988年と1989年におこなわれたもの。<br /> <br /> {{japanese-history-stub}}<br /> {{DEFAULTSORT:ふらかあとしけん}}<br /> [[Category:日本共産党の事件]]<br /> [[Category:1946年の日本の事件]]<br /> [[Category:千代田区の歴史]]<br /> [[Category:日本の判例]]<br /> [[Category:戦後の東京]]<br /> [[Category:1946年5月]]</div> 2400:7800:4975:9200:F837:CCB2:3B99:58E4 ウルグアイ・ラウンド 2018-04-24T17:37:10Z <p>2400:7800:4975:9200:F837:CCB2:3B99:58E4: /* 日本における対応 */</p> <hr /> <div>[[File:Cwr lake facade2.jpg|thumb|right|250px|WTO本部(旧GATT本部) - ウルグアイラウンドによってGATTはWTOに改組された]]<br /> [[File:Rice Raising Fasility in Shima, Mie.jpg|thumb|right|250px|ウルグアイ・ラウンド対策で建設された育苗施設([[三重県]][[志摩市]])]]<br /> &#039;&#039;&#039;ウルグアイ・ラウンド&#039;&#039;&#039;(Uruguay Round、[[1986年]] - [[1994年]])は、世界[[貿易]]上の障壁をなくし、貿易の自由化や多角的貿易を促進するために行われた通商交渉。<br /> <br /> [[ウルグアイ]]の保養地である[[プンタ・デル・エステ]]で[[1986年]]に開始宣言されたことからこの名がついた。<br /> <br /> [[1944年]]の[[ブレトン・ウッズ協定]]によって成立した[[関税および貿易に関する一般協定|GATT]]・[[国際通貨基金|IMF]]体制の下に行われた通商交渉としては[[ケネディ・ラウンド]]、[[東京ラウンド]]と並び有名である。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> この協議ではサービス貿易や知的所有権の扱い方、農産物の自由化などについて交渉が行われた。中でも農業分野交渉が難航し、将来的に全ての農産物を関税化に移行させること、最低輸入機会([[ミニマム・アクセス]])を決定するにとどまり、完全な自由化には至らなかった。<br /> <br /> この協議によってGATTを改組して[[世界貿易機関]](WTO)を設立することが決定され、また[[貿易に関連する投資措置に関する協定]] (TRIM)、[[サービスの貿易に関する一般協定]](GATS)、[[知的所有権の貿易関連の側面に関する協定]](TRIPS協定)等が成立した。<br /> <br /> これにより加盟国は、パフォーマンス要求の一部を廃止することやサービス貿易の一形態であるサービス産業の現地進出に対して、規制緩和することなどの義務を負うことになった。しかし、これらは先進国が想定する投資ルールのごく一部をカバーするにとどまっており、包括的な投資ルールの策定に向けた交渉の開始が期待されている。<br /> <br /> サービス分野や[[知的財産権]]も交渉対象となった。<br /> <br /> ウルグアイ・ラウンドの結果に落胆した発展途上国の反発により、当初[[新多角的貿易交渉]](新ラウンド)立ち上げを計画した[[1999年]]10月 - 11月の[[第3回世界貿易機関閣僚会議|シアトル閣僚会議]]では、新ラウンドを開始出来ず頓挫した。<br /> <br /> == GATT/WTOの多角的貿易交渉 ==<br /> * 第1回([[1948年]]、ジュネーヴ)<br /> * 第2回([[1949年]]、[[アヌシー]])<br /> * 第3回([[1951年]]、[[トーキー (デヴォン州)|トーキー]])<br /> * 第4回([[1956年]]、ジュネーヴ)<br /> * 第5回 [[ディロン・ラウンド]]([[1960年]] - [[1961年]])<br /> * 第6回 [[ケネディ・ラウンド]]([[1964年]] - [[1967年]])<br /> * 第7回 [[東京ラウンド]]([[1973年]] - [[1979年]])<br /> * 第8回 &#039;&#039;&#039;ウルグアイ・ラウンド&#039;&#039;&#039;(1986年 - 1994年)<br /> * 第9回 [[ドーハ開発ラウンド]]([[2001年]] - )<br /> <br /> == 日本における対応 ==<br /> 日本におけるウルグアイ・ラウンド合意の影響を緩和するため、[[細川内閣]]は事業費6兆100億円、国費2兆6,700億円の&#039;&#039;&#039;ウルグアイラウンド農業合意関連国内対策事業費&#039;&#039;&#039;を予算執行した&lt;ref&gt;{{Cite report|url=http://www.maff.go.jp/j/nousei_kaikaku/n_kaigou/04/pdf/data2.pdf |title=ウルグァイ ・ラウンド(UR)関連対策の検証 |publisher=農林水産省 |date=2009-03}}&lt;/ref&gt;。しかし、予算の5割強は農業農村整備事業([[土地改良事業]]などの[[公共事業]])に用いられ、日本の農業強化にはならなかった。[[JC総研]]の今村奈良臣所長は「その殆どは色々な建物や施設に使われたが、多くは朽ち果てているか使っていない」と述べている&lt;ref&gt;{{Cite journal|和書|url=http://www.jc-so-ken.or.jp/pdf/head/column168.pdf |author=今村奈良臣 |journal=JC総研 Web サイト「所長の部屋」|title=『TPP反対の大義』を読み、感じたこと、考えたこと、そして提案したいこと |volume=168 |publisher=社団法人JC総研}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[関税および貿易に関する一般協定]](GATT)<br /> * [[関税割当制]]<br /> * [[ミニマム・アクセス]]<br /> * [[1993年米騒動]]<br /> <br /> {{世界貿易機関}}<br /> <br /> {{Economy-stub}}<br /> {{DEFAULTSORT:うるくあいらうんと}}<br /> [[Category:世界貿易機関]]<br /> [[Category:交易の歴史]]<br /> [[Category:ウルグアイの歴史]]</div> 2400:7800:4975:9200:F837:CCB2:3B99:58E4 スールー王国 2018-04-24T16:27:15Z <p>2400:7800:4975:9200:F837:CCB2:3B99:58E4: </p> <hr /> <div>{{混同|ズールー王国}}<br /> {{基礎情報 過去の国<br /> |略名 = スールー王国<br /> |日本語国名 = スールー・スルタン国<br /> |公式国名 = کسلطانن سولو دار الإسلام&lt;br&gt;Kasultanan ng Sulu&lt;br&gt;Kesultanan Sulu<br /> |建国時期 = [[1405年]]<br /> |亡国時期 = [[1915年]]<br /> |先代1 = ブルネイ帝国<br /> |先旗1 = Old Flag of Brunei.svg<br /> |次代1 = スペイン領東インド<br /> |次旗1 = Flag of Spain (1785-1873 and 1875-1931).svg<br /> |次代2 = 英領北ボルネオ<br /> |次旗2 = Flag of North Borneo.svg<br /> |次代3 = ブルンガン王国<br /> |次旗3 = Flag of Bulungan.svg<br /> |次代4 = オランダ領東インド<br /> |次旗4 = Flag of the Netherlands.svg<br /> |次代5 = 米領フィリピン<br /> |次旗5 = Flag of the United States.svg<br /> |国旗画像 = Late 19th Century Flag of Sulu.svg<br /> |国旗リンク = &lt;!-- リンクを手動で入力する場合に指定 --&gt;<br /> |国旗幅 = &lt;!-- 初期値125px --&gt;<br /> |国旗縁 = &lt;!-- no と入力すると画像に縁が付かない --&gt;<br /> |国章画像 = &lt;!-- 画像ファイル名を入力 --&gt;<br /> |国章リンク = &lt;!-- リンクを手動で入力する場合に指定 --&gt;<br /> |国章幅 = &lt;!-- 初期値85px --&gt;<br /> |標語 = <br /> |標語追記 = <br /> |国歌 = <br /> |国歌追記 = <br /> |位置画像 = Sulu_Sultanate_1822.svg<br /> |位置画像説明 = 1820年代のスールー王国の領域<br /> |位置画像幅 = &lt;!-- 初期値250px --&gt;<br /> |公用語 = [[アラビア語]]&lt;br&gt;[[タウスグ語]]&lt;br&gt;[[マレー語]]<br /> |首都 = [[ホロ]]<br /> |元首等肩書 = [[スルタン]]<br /> |元首等年代始1 = [[1405年]][[11月17日]]<br /> |元首等年代終1 = <br /> |元首等氏名1 = {{仮リンク|シャリフル・ハーシム|en|Sharif ul-Hāshim of Sulu}}<br /> |元首等年代始2 = <br /> |元首等年代終2 = <br /> |元首等氏名2 = <br /> |首相等肩書 = <br /> |首相等年代始1 = <br /> |首相等年代終1 = <br /> |首相等氏名1 = <br /> |首相等年代始2 = <br /> |首相等年代終2 = <br /> |首相等氏名2 = <br /> |面積測定時期1 = <br /> |面積値1 = <br /> |面積測定時期2 = <br /> |面積値2 = <br /> |人口測定時期1 = <br /> |人口値1 = <br /> |人口測定時期2 = <br /> |人口値2 = <br /> |変遷1 = 建国<br /> |変遷年月日1 = [[1405年]][[11月17日]]<br /> |変遷2 = ブルネイ帝国からの独立<br /> |変遷年月日2 = [[1578年]]<br /> |変遷3 = [[スペイン]]の保護国化<br /> |変遷年月日3 = [[1851年]]<br /> |変遷4 = [[アメリカ合衆国]]の保護国化<br /> |変遷年月日4 = [[1903年]]<br /> |変遷5 = 滅亡<br /> |変遷年月日5 = [[1915年]]<br /> |通貨 = <br /> |通貨追記 = <br /> |現在 ={{plainlist|<br /> *{{flag|Philippines}}<br /> *{{flag|Malaysia}}<br /> *{{flag|Indonesia}}}}<br /> }}<br /> {{フィリピンの歴史}}<br /> &#039;&#039;&#039;スールー王国&#039;&#039;&#039;(&#039;&#039;&#039;スールー・スルタン国&#039;&#039;&#039;、Sultanate of Sulu)は、[[フィリピン諸島]]と[[ボルネオ島]]の間に連なる[[スールー諸島]]にかつて存在した国。[[スルタン]]を戴く[[イスラム教国]]で、[[1450年代]]に成立したが、資料によってはその成立時期はより早い。ムスリムの研究者の中には、さらに1世紀前のラジャ・バギンダ・アリ(Raja Baguinda Ali)の時代からスールー王国が存在したと見る者もいる。<br /> <br /> [[ホロ島]]の都市[[ホロ]]を都とするスールー王国は、[[アラビア語]]を公用語としたほか、[[マレー語]]や現地のタウスグ語・バンギギ語・バジャウ語などを使い、中国と東南アジア・西アジアを結ぶ海上交易の一端を担って栄え、最盛期には[[スールー海]]の島の多くを支配した。東は[[ミンダナオ島]]の西部([[サンボアンガ半島]])、南は[[ボルネオ島]]北部(現在の[[マレーシア]]の[[サバ州]])、北は[[パラワン島]]までその支配は及んだ。スールー諸島やミンダナオ島西部といったかつての支配地域は、現在もムスリムの多く住む地域になっている。<br /> <br /> [[1898年]]にスールー王国は[[フィリピン・コモンウェルス]]に併合された。最後のスールーのスルタンは[[1936年]]に没し、以後スルタンは即位していない。[[1823年]]から1936年までスルタンを出してきたのは王族のうちキラム家(Kiram)であるが、王国滅亡後は王家の複数の家系がスルタン位を主張しはじめ、現在、スルタン一族の間で継承順位を巡る論争が起きている。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> [[1450年代]]、[[マレー半島]]の[[マラッカ王国]]・[[ジョホール]]生まれのアラブ人、{{仮リンク|シャリフル・ハセム (スールー王国)|en|Sharif ul-Hāshim of Sulu|label=シャリフル・ハセム・シェド・アブ・バクル}}(Shari&#039;ful Hashem Syed Abu Bakr)がスールー諸島に到来した。彼は[[1457年]]にスールーに王国を築き、[[スルタン]]に就任して「パドゥカ・マウラナ・マハサリ・シャリーフ・スルタン・ハシェム・アブ・バクル」(Paduka Maulana Mahasari Sharif Sultan Hashem Abu Bakr)と改名した。「パドゥカ」とは現地語で「主人」、「マハサリ」は「陛下」の意味である。スールー王国は中国やマレーとの交易で栄え、特に中国には[[朝貢]]使節を送った。[[16世紀]]後半にスペイン人が[[フィリピン]]に来航し[[セブ]]や[[マニラ]]を征服したが、スールー王国はスペイン勢力の侵入と戦い独立を維持した。<br /> <br /> スールー王国の貿易のうち特筆されるものは[[奴隷貿易]]である。ジャワやマレーではかつて[[奴隷]]が重要な労働力となっており、戦争による捕虜などが奴隷の主な供給源となってきたが、インドネシア周辺がイスラム教化されると同じムスリムを奴隷とすることが禁じられ、奴隷の供給源を外へと求めるようになった。スールー人はミンダナオ島などフィリピン諸島各地へ奴隷狩りの軍を送り捕らえた住民を南方へ売ったため、フィリピン人やスペイン人には「海賊」として恐れられた。<br /> <br /> [[1703年]](別の説では[[1658年]])、スールー王国は隣国[[ブルネイ]]で起こった反乱に対し、ブルネイのスルタンへ援軍を送った。反乱鎮圧後にはブルネイから北ボルネオを得た。同じ年、ミンダナオ島のムスリム国家[[マギンダナオ王国]]に全盛期をもたらしたスルタン・クダラットは、スールー王国の姫と結婚し両国間に同盟関係が結ばれた。スールー王国はクダラットにパラワン島を贈ったが、[[1705年]]にクダラットはスペインにパラワン島を割譲した。スールーのスルタンの宗教的権威はミンダナオ西部から北ボルネオ各地に割拠する領主やスルタンに及んだが、政治的には各領主たちの独立が進んだ。<br /> <br /> スペインは長年、スールー諸島からミンダナオ島に至る「[[モロ人]]」(フィリピン諸島のムスリム)の地に対する領有権を主張したが実効支配することはできなかった。各地に割拠するムスリムの領主たちの力が強く、スペインによる征服や改宗の試みは失敗し続けたため、スペインは海岸部の都市や要塞を確保するにとどまった。[[19世紀]]になるとムスリムの領主たちは相次いでスペインに征服され、スールー王国の首都ホロも[[1876年]]にスペイン軍に占領された。スペインとスールー王国は[[1878年]][[7月22日]]に条約を結び、スペイン軍の拠点以外の統治は従来通りスルタンが行うこととなったが、互いの翻訳した条文に食い違いがあった。スペイン語の条文ではスールー諸島の主権はスペインのものとなることになっていたが、タウスグ語の条文では完全な属国としてではなく保護国として表現されていた&lt;ref&gt;{{Citation<br /> |url=http://www.philippineupdate.com/Bates.htm<br /> |title=The Bates Treaty<br /> |author=Madge Kho<br /> |publisher=philippineupdate.com<br /> |accessdate=2007-12-02}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[米西戦争]]の[[講和条約]]である[[1898年]][[パリ条約 (1898年)|パリ条約]]で、スペインが[[アメリカ合衆国]]にスールーも含むフィリピンを明け渡した後、アメリカとスールー王国の間で結ばれたベイツ条約にも同様の翻訳の食い違いがあり、[[20世紀]]の初頭にアメリカとモロ人の間で戦争(モロの反乱)が起こることになる。スールー王国の独立はアメリカに併合された[[1898年]]で終わり、[[1903年]]にはミンダナオ島南部から西部、およびスールー諸島にかけてモロ州が成立した。その後の10年以上にわたるアメリカによる軍政の間にモロ人に対する米軍の掃討が続く一方、スールーの諸制度は次第にアメリカ植民地政府のものに置き換えられ、[[1913年]]には完全にモロ州は文民統治となった。<br /> <br /> === 北ボルネオとスールー王国 ===<br /> スールーは北ボルネオ([[マレーシア連邦]][[サバ州]])を領土として主張した時期があったが、これが現在マレーシアとフィリピン間での領土問題の遠因となっている。<br /> <br /> [[19世紀]]後半、北ボルネオはスールー王国とブルネイ王国のスルタンがともに名目上の統治者であり、実際は二つのスルタンの下で地元の領主たちが河川流域ごとに支配を行っていた。[[1865年]]、[[ブルネイ]]の[[アメリカ合衆国]]領事クロード・リー・モーゼズ(Claude Lee Moses)はブルネイから北ボルネオの10年間の租借権を得た。しかし[[南北戦争]]直後のアメリカにはアジア植民地を経営する余裕がなく、モーゼズは租借権を[[香港]]にあるアメリカ・ボルネオ貿易会社(American Trading Company of Borneo)に売却した。この会社はボルネオでの入植地建設失敗により経営難になり、租借権を[[オーストリア・ハンガリー二重帝国]]の香港領事フォン・オーバーベック男爵(Von Overbeck)に売却した。彼はボルネオのスルタンと交渉して契約の10年延長を得て、さらに[[1878年]]1月22日にスールー王国のスルタンとも同様の条約を締結した。フォン・オーバーベックはウィーンの政府に植民地経営を働きかけたが失敗し、[[イタリア]]に[[流刑]]植民地として売却する交渉もうまくゆかなかったため、[[1880年]]に北ボルネオから手を引いた。<br /> <br /> 彼の資金面での協力者だったアルフレッドとエドワードのデント兄弟(阿片戦争で有名な[[:en:Lancelot_Dent|Lancelot Dent]]の[[:en:Dent_%26_Co.|Dent &amp; Co.]]の家族)のうち、ボルネオに残った[[アルフレッド・デント]]は英国外交官の[[ラザフォード・オールコック]]らに後援されていた。彼らの後ろ盾によりデント兄弟は[[1881年]]7月に会社を作り、翌[[1882年]]の勅許によって[[イギリス北ボルネオ会社]]を作って北ボルネオの統治を始めた。オールコックを社長とする北ボルネオ会社は[[オランダ]]・[[スペイン]]・[[サラワク王国|サラワク]]などの抵抗を受けるものの、入植地建設、行政制度整備、中国人労働者の招致などを推進して北ボルネオの経済を拡大させ、[[1888年]]7月にはイギリス北ボルネオ会社により統治される[[:en:North_Borneo|イギリス保護国北ボルネオ]]とすることに成功した。<br /> <br /> 北ボルネオ会社はスールーとオーストリアとの契約を購入であると解釈していた。しかし[[1883年]][[1月7日]]にイギリスの外務大臣グランヴィル卿が出した書簡では、1878年にフォン・オーバーベック男爵がスールーのスルタンと結んだ条約は北ボルネオの賃貸であり購入ではなく、それゆえ北ボルネオに対する主権はスールーのスルタンに残っているとされている。スールー側もこの契約は租借だと解釈しており、自分たちに主権が残っていると考えていた。<br /> <br /> 第二次世界大戦による荒廃で北ボルネオ会社は経営をあきらめ、北ボルネオは[[1946年]]に王領植民地となり、[[1963年]][[8月31日]]に自治を認められ、その直後の[[9月16日]]に[[マラヤ連邦]]や[[サラワク州|サラワク]]、[[シンガポール]]とともに[[マレーシア]]を結成した。しかしスールーのスルタンの末裔は「北ボルネオはスールーに返還されるべき」と主張し、またスールー王国を継承したとするフィリピン政府もマレーシア結成の構想に反対する中でこの見方を取るようになり、サバ州(旧北ボルネオ)をめぐりマレーシアとフィリピンの間で領土問題が起きた。<br /> <br /> マレーシアは[[1963年]]以降、スルタンの末裔に毎年5300リンギット(約16万円)を支払っているが、前述の通りこれが租借料なのか購入費(の分割支払い)なのかで意見が分かれている。[[2013年]]にはスルタンの末裔キラム家の一員でありマニラに住んでいる[[ジャマルル・キラム3世]]が400人からなる「スールー王国軍」を突然サバ州に上陸させ、旧王国の承認とサバ州の返還を求める事件が発生した([[ラハダトゥ対立 (2013年)]])、長らく店晒し状態だった問題が再燃する可能性が出ている&lt;ref&gt;[http://sankei.jp.msn.com/world/news/130219/asi13021922560001-n1.htm MSN産経WEB「旧王国の末裔がボルネオ島に不法上陸 サバ領有権問題に脚光-フィリピンとマレーシア」] 2013.2.19 22:51、同27日閲覧&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[イスラム教徒ミンダナオ自治地域]]<br /> * [[マギンダナオ王国]]<br /> * [[マラッカ王国]]<br /> * [[サラワク王国]]<br /> * [[スールー諸島]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> *[http://www.sulu.gov.ph/history.asp?id=8&amp;hide_id=5&amp;tabid=2 Philippine Provincial Government of Sulu - The official list of Sultans]<br /> *[http://www.sultanofsulu.org The old official website of the Sultanate, with older content]<br /> *[http://www.sultanatesulu.org The new official website of the Sultanate with actual content]<br /> *[http://www.seasite.niu.edu/Tagalog/Modules/Modules/MuslimMindanao/historical_timeline_of_the_royal.htm Timeline of the Sultanate of Sulu by Josiah C. Ang]<br /> <br /> {{coord|6|03|07|N|121|00|07|E|source:kolossus-cawiki|display=title}}<br /> {{DEFAULTSORT:するおうこく}}<br /> [[Category:フィリピンの歴史]]<br /> [[Category:マレーシアの歴史]]<br /> [[Category:ブルネイの歴史]]<br /> [[Category:イスラム世界史]]<br /> [[Category:かつて存在したアジアの国家]]<br /> [[Category:サバ州の歴史]]<br /> [[Category:スールー諸島]]<br /> [[Category:モロ]]</div> 2400:7800:4975:9200:F837:CCB2:3B99:58E4 産経新聞の報道 2018-04-24T10:59:29Z <p>2400:7800:4975:9200:F837:CCB2:3B99:58E4: /* 誤報・スキャンダル */</p> <hr /> <div>&lt;includeonly&gt;&lt;/includeonly&gt;{{pathnav|産経新聞|frame=1}}<br /> {{複数の問題|出典の明記= 2015年9月30日 (水) 03:53 (UTC)|脚注の不足= 2015年9月30日 (水) 03:53 (UTC)|内容過剰= 2015年9月30日 (水) 03:53 (UTC)}}<br /> &#039;&#039;&#039;産経新聞の報道&#039;&#039;&#039;(さんけいしんぶんのほうどう)では、[[産業経済新聞社]]&lt;ref&gt;[[フジサンケイグループ]]の基幹企業の一つである。&lt;/ref&gt;が発行する[[日本]]の[[全国紙]]『[[産経新聞]]』の[[報道]]を論述する。<br /> <br /> == 注目を集めた報道・スクープ ==<br /> * [[1975年]]、[[連続企業爆破事件]]の犯人逮捕のスクープにより第23回[[菊池寛賞]]を受賞した&lt;ref name=&quot;kikuchi&quot;&gt;[http://www.bunshun.co.jp/award/kikuchi/list1.htm 菊池賞受賞者一覧]&lt;/ref&gt;。<br /> * [[1990年]]、[[ソビエト連邦]]が[[ソビエト連邦共産党|共産党]]独裁を放棄することを[[スクープ]]し、[[日本新聞協会賞]]を受賞した&lt;ref name=&quot;shimbunkyokai&quot;&gt;[http://www.pressnet.or.jp/about/commendation/kyoukai/works.html 新聞協会賞受賞作]&lt;/ref&gt;。<br /> * [[1993年]]、[[仙台市]]長の[[ゼネコン]]汚職をスクープし、日本新聞協会賞を受賞した&lt;ref name=&quot;shimbunkyokai&quot;/&gt;。<br /> * 1993年、連載企画写真「素顔の湿地」で日本新聞協会賞を受賞した&lt;ref name=&quot;shimbunkyokai&quot;/&gt;。<br /> * 1993年、[[テレビ朝日]]の[[椿貞良]]取締役報道局長が、[[日本民間放送連盟|民放連]]の会合で、総選挙について「[[非自民]]政権が生まれるよう報道せよと指示した」「“公正であること”をタブーとして、積極的に挑戦する」と発言していたことをスクープ。その年の日本新聞協会賞を受賞した&lt;ref&gt;『産経が変えた風』&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;shimbunkyokai&quot;/&gt;。{{main|椿事件}}<br /> * [[1994年]]、大阪本社版の人権問題記事「人権考―心開くとき」が評価され、第1回[[坂田記念ジャーナリズム賞]]の第1部門(スクープ・企画報道)を受賞した。なお5月中の記事で、2014年にその信憑性が問題となる[[吉田清治 (文筆家)|吉田清治]]の、“[[日本の慰安婦]]”に関する証言を、[[朝日新聞]]同様に引用している。<br /> * [[1996年]]、長期大型連載企画「未来史閲覧」で日本新聞協会賞を受賞した&lt;ref name=&quot;shimbunkyokai&quot;/&gt;。<br /> * [[1997年]][[2月3日]]の朝刊にて、新潟市で1977年に発生した北朝鮮による女子中学生拉致疑惑([[北朝鮮による日本人拉致問題]])を報道。翌日、衆議院で[[西村眞悟]]議員がこの件を取り上げた。この記事を書いた阿部雅美社会部長は、上記の[[1980年]]1月の記事がその先見性を評価され、同年度の日本新聞協会賞を受賞した&lt;ref name=&quot;shimbunkyokai&quot;/&gt;&lt;ref&gt;この事件を同じくテレビ報道した朝日放送石高健次と同時受賞。&lt;/ref&gt;。<br /> * [[1998年]]、[[神戸連続児童殺傷事件]]の検証報道が評価され、第5回坂田記念ジャーナリズム賞の第1部門(スクープ・企画報道)を受賞した。<br /> * [[1999年]]、前年の[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の[[北朝鮮によるミサイル発射実験 (1998年)|テポドン発射]]準備をスクープしたことにより、日本新聞協会賞を受賞した&lt;ref name=&quot;shimbunkyokai&quot;/&gt;。<br /> * [[2001年]]、[[附属池田小事件|池田小学校児童殺傷事件]]で、同校の校庭に座り悲しむ児童たちの写真で同年度の日本新聞協会賞を受賞した&lt;ref name=&quot;shimbunkyokai&quot;/&gt;。<br /> * [[2002年]]、[[附属池田小事件]]の取材記事が評価され、第9回坂田記念ジャーナリズム賞の第1部門(スクープ・企画報道)を受賞した。<br /> * [[2003年]]、連載「改革の挑戦者たち」が評価され、第10回坂田記念ジャーナリズム賞の第1部門(スクープ・企画報道)を受賞した。<br /> * [[2004年]]、連載「食大全」が評価され、第11回坂田記念ジャーナリズム賞の第1部門(スクープ・企画報道)を受賞した。<br /> * [[2005年]]、連載「大阪の時代 輝きはいつから失われたか」が評価され、第12回坂田記念ジャーナリズム賞の第1部門(スクープ・企画報道)を受賞した。<br /> * [[2006年]]、2005年5月末から6月初旬の連載「幸せってなに? [[ブータン]]紀行」が評価され、第13回坂田記念ジャーナリズム賞の第2部門(国際交流・貢献報道)を受賞した&lt;ref&gt;[http://zhidey.kenketsu.com/news_20060322.html 産経新聞「幸せってなに?~ブータン紀行」が坂田記念ジャーナリズム賞を受賞されました。]&lt;/ref&gt;。<br /> * [[2007年]]、2006年4月から1年以上連載された「死を考える」が評価され、第14回坂田記念ジャーナリズム賞の第1部門(スクープ・企画報道)を受賞した。<br /> * [[2009年]]、連載「海峡を越えて-埋もれた日韓歌謡史」が評価され、第16回坂田記念ジャーナリズム賞の第 2部門(国際交流・貢献報道)を受賞した。<br /> * [[2011年]]、在外戦没者遺骨収集を取材した連載「眠れぬ墓標」が評価され、第18回坂田記念ジャーナリズム賞の第1部門(スクープ・企画報道)を受賞した。<br /> <br /> == 議論を呼んだ報道 ==<br /> * [[1967年]][[10月16日]]、[[田中伊三次]][[法務大臣]]が[[記者クラブ]]の[[記者]]たちに「これから死刑執行命令書のサインを行うので写真を撮ってくれ」と声をかけ、[[数珠]]を片手にポーズを構えたが、あまりの悪趣味に、産経新聞を除く記者は呆れて無視し、産経新聞だけが翌日の朝刊一面で写真入りで報じた。田中は法務大臣就任直後、知り合いの記者に「死刑が執行されるところを見に行こう」と誘い、相談した[[伊藤栄樹]]刑事局総務課長から叱責されている&lt;ref&gt;勢藤修三『死刑の考現学』三省堂、1983年&lt;/ref&gt;。<br /> * [[1999年]][[7月23日]]に発生した[[全日空61便ハイジャック事件]]の容疑者について、犯行当時の異常行動などにより[[刑事責任能力]]の是非が定かではなく、各マスコミは実名公表を行わずにいたが、同月27日の朝刊1面に[[実名報道|実名掲載]]の上で事情聴取ついての記事が掲載され、実名が初めて公となった{{要出典|date=2011年7月}}。同1面には「重大な犯罪である」と実名掲載に関する産経新聞の見解とことわりが併せて掲載され、同日夕刊には顔写真も掲載された。結果として[[夕刊フジ]]をはじめとする他の[[タブロイド紙]]や[[週刊誌]]([[週刊新潮|新潮]]・[[週刊文春|文春]]など)の[[ゴシップ]]媒体が早々と実名掲載へ踏みきり、他の全国紙やテレビ局・通信社も簡易[[精神鑑定]]を経て行われた同年12月20日の初公判の時期には実名掲載となった。<br /> * [[2001年]]、沖縄の米軍基地をめぐる報道で[[在日米軍]]兵士による暴行事件について、沖縄で「けしからんコラム」として批判を受けたことへの反論として、2001年7月6日の「産経抄」で、同年6月29日に、沖縄北谷町で起きた米兵による婦女暴行事件について「現場に居合わせた米海兵隊員の証言では、被害者の20歳代女性は午前2時頃、(容疑者が飲んでいた)飲食店でほとんど泥酔状態だったという。米兵がそういう酔った女性に乱暴したとすればまことに許しがたいが、彼は『合意だった』と供述している」「性犯罪は加害者が絶対に悪いことはいうまでもないが、こちらも相手にすきを見せないことである。誤解を恐れずに書けば、日本の至るところで風紀がゆるんでいるのではないか」と書き反論した。<br /> * [[2003年]][[2月23日]]付け「主張」で、「性教育 児童に過激な内容は慎め」と題し、[[東京都立七生特別支援学校|七生養護学校]]を不適切な性教育を行っていると批判した。{{main|七生養護学校事件}}<br /> * [[広島平和記念式典]]で発表される[http://www.pcf.city.hiroshima.jp/declaration/Japanese/ 広島市長平和宣言]を『主張』や『産経抄』で批判している。<br /> ** 2003年[[8月7日]]朝刊主張において、[[アメリカ同時多発テロ事件]]に言及した“報復は暴力の連鎖しか生まない”のくだりに「対テロ作戦は国際的合意に基づくものだ」と[[対テロ戦争]]を支持。<br /> ** [[2005年]]7月に[[原爆慰霊碑破損事件]]が発生したため、直後の[[広島平和記念式典]]で碑文の文言(「過ちは繰り返さない…」)を平和宣言の締めに使ったことに対し「(すべて日本が悪かったと)謝罪の呪縛にとらわれているとすれば残念である」として、文言について[[自虐史観|占領史観]]と批判した&lt;ref&gt;産経新聞は2007年7月2日の朝刊産経抄においても、[[久間章生]](当時防衛大臣)の「原爆投下はしようがない」との発言を批判しつつ原爆慰霊碑の碑文を「素直に読めば、原爆投下は、日本人に責任があるということになる。この碑文をありがたがる人たちに、久間発言を非難する資格はない」と主張している。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;広島市は慰霊碑公開の2日前の1952年8月4日の[[広島市議会]]における浜井広島市長(当時)の答弁以来、一貫して公式に主語を人類全体であると重ねて表明しており[http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1137568968454/]1983年には、慰霊碑横に日本語と英語で主語も明記した説明文も設置してあるが、前述の主張(社説)や正論で繰り返し取り上げた通り、産経新聞は、あくまで主語は人類ではなく日本人であるという前提で批判している。&lt;/ref&gt;。<br /> ** [[2006年]][[8月7日]]朝刊主張において、「アメリカの核を非難する前に北朝鮮の核にこそ備えるべきではないか」とした。<br /> ** [[2007年]]でも前年に前長崎市長・[[伊藤一長]]が平和宣言に北朝鮮の核問題を触れたことを引き合いに、「何故北朝鮮の核開発に触れないのか」と批判。<br /> ** [[2008年]][[8月6日]]には米国の核兵器のみを批判し、核実験を行っている北朝鮮に触れない[[秋葉忠利]]広島市長を批判した。[[2009年]]8月5日には“北の核についてより踏み込んだ発言を期待する”と主張(ただし、平和教育については一定の必要性を認めるなどはしていた)。[[広島市]]側は2005年の平和宣言で北朝鮮の核についても言及しているとして、この批判に対し“無視”の方針を採っている。<br /> * 2006年、出資法を元にした高金利が利息制限法の上限金利に基づき違法との最高裁判決が出て、消費者金融などの高利貸しが社会問題になると、一貫して消費者金融業者側に立った主張を展開した。同年4月15日の社説「主張」では、「簡単な審査でお金を貸すのだから、担保や厳しい審査が必要な銀行融資よりも金利が高くなるのは当然だ。消費者金融はかつて「サラ金地獄」といわれ[[社会問題]]化した時代とは様変わりしているのも事実だ。多重債務者問題などは確かに借りる側の自己責任だ」とし、5月1日の「主張」では、「金利が下がれば、安易な利用者が増え、多重債務者は逆に増えるとの見方もある。高金利には無理な借り入れを思いとどまらせる抑止効果があった、ということも否定はできない」と、高金利を当然と擁護する立場を取った。さらに、実際に、貸金業制度改革の議論が政府内で進んでくると、7月16日の「主張」において、「慎重に検討しなければならないのは、少額短期の貸し付けなどで利息制限法の上限を超える特例金利を認めるかどうかである。上限金利が引き下げられると、融資審査が厳しくなることは避けられない。緊急性の高い当座の資金が必要な事業者などは、貸し倒れリスクが高いと判断され、貸し手がなくなる公算が大きい。破綻(はたん)に追い込まれたり、ヤミ金融を利用するはめになったりするというのは、非現実的な想定とはいえまい。1週間程度の短期ならば、高い金利でも、実際に負担する利息額はそれほど大きくない」と特別金利を認める特例措置が必要との主張を行った&lt;ref&gt;同じ産経新聞社の編集発行する『夕刊フジ」では、『産経新聞』とは完全に論調が逆で、徹底的に消費者金融業者側を糾弾している。&lt;/ref&gt;。<br /> * 2006年10月、当時の総理大臣・[[安倍晋三]]が「[[慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話|河野談話]]」を踏襲するにあたり、国会における答弁で、狭義の強制性はなかったが広義の強制性はあったとの認識で踏襲したと述べたことについて、「主張」にて「一部マスコミが『広義の強制性』に論点をすり替えたこともよく知られている」と批判した&lt;ref&gt;{{cite news<br /> | title = 【主張】河野談話 再調査と見直しが必要だ<br /> | newspaper = 産経新聞<br /> | date = 2006-10-30<br /> }}&lt;/ref&gt;。<br /> * [[2007年]][[3月10日]]「主張」において、「慰安婦問題 [[偽史]]の放置は禍根を残す」と題し“「河野談話」が明確な裏付けもなく慰安婦募集に関する強制性について、旧日本軍の関与を認めたとの誤解を生む”として批判した。ただし、[[1993年]][[9月2日]]の産経新聞「正論」では、[[上坂冬子]]が、「近年、稀にみる名文といってよい。相手方のささくれ立った気をしずめ、同時にこちらとして外せないポイントだけはさりげなく押さえて、見事な和解にこぎつけている」と評価したこともあった。<br /> *2007年9月の[[第1次安倍内閣]]総辞職、沖縄県民大会を受けて朝日新聞との間で論争を行った&lt;ref&gt;これを[[週刊新潮]]は2007年10月18日号で「産経は途中から沖縄の集会を持ち出しましたが、論点を変えずに論議を深めて欲しかったですね」「例えば北朝鮮による拉致集会の参加者だったら産経は主催者発表を参加者数として報じるでしょう」との[[田島泰彦]]のコメントや、「昔の朝日だったら、知らん顔して無視していたはず」「まともに反論してみっともない」との[[塩田丸男]]のコメントを掲載し「ガキのケンカ」と評した。&lt;/ref&gt;。<br /> **2007年[[9月25日]]、朝日新聞朝刊で、当日退陣する安倍について「評価すべき点がなかったとは思わない」とする社説を掲載。<br /> **2007年[[9月26日]]、産経新聞朝刊で、前日の朝日新聞社説について「さすがに良心がとがめたのか」「御為ごかしそのものだ」と批判。<br /> **2007年[[9月28日]]、朝日新聞夕刊コラム「窓」にて「『産経抄』の良心」と題して、朝日は安倍の訪中、訪韓や村山談話、河野談話の安倍内閣での継承をちゃんと評価したとして「事実の確認だけはくれぐれもお忘れなく」と反論。<br /> **2007年[[9月29日]]、沖縄で「[[沖縄戦における集団自決|集団自決]]を削除した教科書検定」に抗議する超党派の県民大会(仲里利信実行委員長(県議会議長・[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]))が開催された(主催者発表で11万人が参加)。<br /> **2007年[[9月30日]]、朝日新聞や毎日新聞などが一面写真付きで、読売新聞が三面写真付きで、産経新聞は小さな囲み記事で写真の掲載も無しで沖縄大会を報道。参加者数は各紙とも「11万人(主催者発表)」と掲載。<br /> **2007年[[10月2日]]、産経抄にて「11万人(主催者発表)が参加した」と掲載。<br /> **2007年[[10月3日]]、産経抄にて、同年[[9月28日]]の朝日新聞夕刊コラム窓「『産経抄』の良心」に反論。「事実の確認だけはくれぐれもお忘れなく」と言われたことに対し、朝日新聞が9月30日及び10月1日の記事で沖縄県民大会に11万人と書いたことを、11万人は主催者発表の数字でありそれをそのまま載せたことを戦時中に朝日が大本営発表を垂れ流したことにだぶらせて批判し、関係者に聞いた実際の参加者は4万3千人であると報した。<br /> **2007年[[10月4日]]、朝日新聞夕刊コラム「窓」にて「『産経抄』の自己矛盾」と題して、産経側に反論。前回の朝日の反論に対して「ほっかむりしたまま」で、沖縄県民大会参加者11万人と報じた朝日を批判する産経に対し、産経新聞も主催者発表11万人をそのまま掲載していることや、当の産経抄自身が10月2日に11万人を掲載していることを指摘して「自ら11万人と繰り返しながら、やはり11万人と書いた朝日をたたく。自己矛盾としか言いようがない」と反論した。<br /> **2007年[[10月5日]]、産経新聞は参加者人数を調べるべく記者を沖縄に派遣した&lt;ref&gt;産経新聞iza記者ブログ&lt;/ref&gt;。<br /> **2007年[[10月7日]]、産経新聞朝刊一面にて『沖縄教科書抗議集会、参加者は「4万人強」 主催者発表11万人にモノ言えず』との記事を掲載。沖縄県警は参加者人数は非公開であるとして産経新聞に参加者数を伝えなかったが、産経新聞は、沖縄県警関係者からの情報として参加者4万2千〜3千人と報じた。<br /> **2007年[[11月20日]]、産経新聞朝刊にて、[[日本会議]]傘下の[[全日本学生文化会議]]の学生達が9月29日の沖縄県民集会について沖縄県民(当時の総人口は約136万人)を対象にアンケートを行った結果、「参加した」が11.2%だったと報じた。<br /> * [[2008年]]、[[アパグループ]]が主催した[[「真の近現代史観」懸賞論文]]で「[[大東亜戦争]]は侵略戦争ではなく、アメリカ合衆国の[[フランクリン・ルーズベルト]]による策略が原因」と政府見解と異なる歴史認識を主張したため[[航空幕僚長]]を更迭された[[田母神俊雄]]について、同情的な論調を展開した。特に[[週刊新潮]]などで田母神を最優秀賞にするための工作があったのではないかと報道されたことに対しては、産経新聞客員論説解説員で当該論文の選考委員であった[[花岡信昭]]が[[2008年]][[11月11日]]の紙面で「(疑惑の原因となった発言をした)秘書は田母神氏の受賞を最終的に認め、満場一致で決まったのである。政治問題化しているから、保身に走る気持ちは分からないではないが、とんでもない誤解を生んでいる以上、秘書のうかつな発言は重い」と、選考に問題はないとした。この記事が掲載された同日の紙面にはアバグループ(真の近現代史観懸賞事務局名義)が田母神論文の全文と論文集刊行を告知する全面意見広告も掲載されていた。<br /> * 2009年5月(東京本社版は18日、関西本社版は19日)、[[NHKスペシャル シリーズ 「JAPANデビュー」]]『アジアの“一等国”』に絡み、“やらせ・偏向に満ちており、[[親日]]である[[中華民国]]を侮辱する内容だ、直ちに中止せよ、NHK理事は全員辞職せよ”という[[日本文化チャンネル桜]]・草莽全国議員の会・[[日本李登輝友の会]]・[[在日台湾同郷会]]など[[右翼]]・[[親台派]]グループによる[[意見広告]]『NHKの大罪』を請けて掲載&lt;ref&gt;[http://cdn16.atwikiimg.com/pipopipo555jp?cmd=upload&amp;act=open&amp;pageid=2050&amp;file=%E5%85%A8%E9%9D%A2%E5%BA%83%E5%91%8A.jpg 現物画像]&lt;/ref&gt;。他紙での引き受けは確認されていない。<br /> * [[2010年]][[3月19日]]付け記事「日教組が連合に1億円寄付 子供救援名目、政治行為か?」の中で、唐突に援助先として朝鮮学校の名を出した。これが[[在日特権を許さない市民の会]]による[[徳島県教組業務妨害事件]]を誘発したと裁判所から指摘される。<br /> * 2010年[[11月17日]]付朝刊のコラム「産経抄」において、16日横浜地裁で[[裁判員制度]]開始後初の死刑判決が下されたことに関連して「事件の残虐性は小欄で書くのもはばかられるほど」で「判決は当然」としたうえで、裁判長が判決言渡し後「裁判所としては控訴することを勧める」と説諭したことについて「被告に控訴を勧めるとは何事か」「そんな自信のない裁判官はプロ失格」と書いた。しかし、刑事訴訟法規則第220条は被告人に対する上訴裁判所・上訴期間の告知義務が定められており、同221条は、裁判長の説諭権を定めている。なお同日の同紙社説「主張」においては、『裁判長は判決言い渡し後、被告に「重大な結論なので控訴を勧めたい」と異例の説諭をした。その是非には議論があろうが、控訴審の可能性を示すことで裁判員の精神的負担を和らげる配慮だったとすれば理解もできる』と、一定の評価をしていた。<br /> *[[2014年]][[8月3日]]、産経新聞公式ウェブサイトに、加藤達也ソウル支局長が、[[セウォル号沈没事故]]の当日、[[朴槿恵]]大統領が第一報を受けた後の空白時間中に元補佐官と密会していたのではないかという噂があるという朝鮮日報や証券街の報道を元にした署名コラムを掲載した。これについて、韓国大統領府や東京都港区の駐日本国大韓民国大使館が「名誉毀損などに当たる」として、当該記事の削除を要請したが、産経新聞社は当該記事の削除に応じなかったため、韓国検察当局が加藤を在宅起訴し、大韓民国からの出国を禁止する行政処分とした。<br /> {{main|韓国地検による産経新聞支局長名誉毀損起訴事件}}<br /> *[[2015年]][[12月17日]]の選択的[[夫婦別姓]]制度に関して否定的な記事について、制度に賛成の立場から[[町村泰貴]]、[[大西宏]]が批判した&lt;ref&gt;[http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2015/12/media-9840.html 産経新聞の知的レベルの低さが現れた記事] [[町村泰貴]]&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://ohnishi.livedoor.biz/archives/51472392.html 夫婦別姓問題でわかる産経新聞のダメさ] 大西宏&lt;/ref&gt;。<br /> *2017年に11月12日に社会福祉法人が土地取引で約4700万円の損失を生じさせた疑いがあると報じたことに対して、法人側の男性理事が約1000万円の損害賠償を求めて名誉毀損訴訟を起こし、大阪地裁は名誉毀損を認め、産経新聞側に55万円の支払いを命じた。産経新聞側はこれを不服として控訴する意向を示している&lt;ref&gt;[https://www.jiji.com/jc/article?k=2017112700821 産経に55万円賠償命じる=記事で名誉毀損-大阪地裁]&lt;/ref&gt;。 <br /> *[[2017年]]12月18日、[[河野太郎]]の外務大臣専用機導入希望の発言を『自民党部会で「おねだり」』と表現&lt;ref&gt;[http://www.sankei.com/politics/news/171218/plt1712180038-n1.html 「来年はぜひ外相専用機を」河野太郎外相、自民党部会で「おねだり」候補に米「650ER」] 「650ER」とは[[ガルフストリーム G650]]の長距離飛行対応モデルのこと&lt;/ref&gt;。記事を読んだ河野は「“おねだり”などというふざけた言葉をメディアが報道に使うとは信じられない」と激怒したという&lt;ref&gt;河野太郎外相「ふざけた言葉を使うのは信じられない」19日付産経新聞朝刊4面“おねだり”報道に激怒 [http://www.sankei.com/politics/news/171219/plt1712190018-n1.html 1/2][http://www.sankei.com/politics/news/171219/plt1712190018-n2.html 2/2]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 誤報・スキャンダル ==<br /> * [[1980年]]、信仰グループ「[[イエスの方舟]]」批判キャンペーン記事を張り、他のマスコミの先頭を走った(当初は[[婦人公論]]のみで採り上げられていた)。グループや主宰者・[[千石剛賢]]に対する大バッシングが展開され、千石らに対する名誉棄損容疑で逮捕状が発行される事態に発展した。{{main|イエスの方舟事件}}<br /> * [[1992年]]、[[スタニスラフ・レフチェンコ]]元[[ソ連国家保安委員会|KGB]]少佐の証言をもとに、旧ソ連から[[日本社会党]]への資金流入について追及する記事や社説を掲載した。だが、『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』6月号におけるレフチェンコのインタビュー中で、産経新聞にも工作を行い、当時の編集局長を取り込むことに成功したとの発言が掲載された。産経はこのレフチェンコ発言に対する反論を1993年5月12日の朝刊に当時の局次長・[[住田良能]]の名で掲載し、「彼の発言を多少なりとも信じては気の毒なことになる」と書いて、その証言を全否定した。以後、レフチェンコ証言に基づく記事は掲載されず報道は終了した&lt;ref&gt;その後、[[1994年]]に[[久保紘之]]編集委員による特集「新謀略史観」で、レフチェンコ証言を「伝聞に基づくものであった」と改めて全否定している。&lt;/ref&gt;。<br /> *[[1993年]][[11月11日]]、[[清沢平]]・元[[大昭和製紙]]副会長の逮捕直前単独インタビューを夕刊に掲載したが、インタビューに答えた人物は弟だったとして翌々日の紙面にて訂正報道した。<br /> *[[1995年]]、一連の[[オウム真理教]]事件において「警察庁長官襲撃事件 [[監視カメラ]]に犯人の姿 南千住駅」「横浜異臭事件 [[毒ガス]][[ホスゲン]]の症状」「オウムに[[内乱罪]]適用へ」などの誤報虚報を連発した&lt;ref&gt;『[[創 (雑誌)|創]]』1995年6月号〜8月号&lt;/ref&gt;。<br /> * [[1999年]][[3月6日]]、韓国紙『[[韓国日報]]』が社会面トップで伝えた記事を引用する形で、[[広島県立世羅高等学校]]が韓国で謝罪行事をしていたと報道した。ただし、学校側は、平和学習の一環であり、謝罪の言葉などは発していないと主張している。同年[[3月10日]]の『産経新聞』は「宣言文」の全文を手に入れたとし、それによると、まず、玄界灘について、「古代から日本に文化を伝え続けた海峡であり、韓国と日本の歴史的に不幸な事実や在日韓国人が受けている不当な差別的現実を生んだ海峡でもある。私たちは昨日その海峡を渡った。」とし、韓国の独立記念館での印象に触れて、「展示の数々が目に焼きついて離れない。日本がかつてこの国で何をしたのか、知ったつもりでいた自分に気付き情けなくなった」とした後、「自らの偏狭な価値観で異なるものに優劣のレッテルをはることなく異なるものは異なるものとして受け入れられる真の国際人となる第一歩としたい。この地で学ぶ日本とこの国の過去の不幸な歴史的事実を教訓とし21世紀を創る世代の人間のひとりとしてせいいっぱい平和と友好の心を育み続けたいと思う」との内容であることが明らかにされた。<br /> * [[2000年]][[10月11日]]、産経新聞朝刊社会面に掲載した「[[ノーベル化学賞]]の[[白川英樹|白川]]氏 一貫した『知りたがり屋』」の記事が『[[日経産業新聞]]』の記事を盗用していたことがわかり、産経新聞社は同月13日、日本経済新聞社に陳謝した。産経新聞社は同日付で東京本社編集局長をはじめ、同社会部長、次長、記者ら計5人を減給処分とした。盗用したのは『日本のオリジナリティー』1997年10月15・16日付「導電性高分子を開発白川英樹氏」の記事で、白川の業績を紹介している&lt;ref&gt;[http://www.asahi.com/1013/news/national13034.html 産経新聞が日経産業新聞の記事盗用・編集局長ら処分]{{リンク切れ|date=2011年7月}}&lt;/ref&gt;。<br /> * [[2002年]]、[[小泉純一郎]]首相(当時)の初訪朝には民間機を使用し、[[日本国政府専用機]]は使用しないことになったとの記事を掲載した。だが同日、読売新聞に[[自衛隊員]]とともに政府専用機を使用して訪朝することを前提とした事前調査の記事が掲載された。翌日、読売グループの[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]は自社番組[[ズームイン!!SUPER]]中の「新聞のミカタ」で、産経新聞のこの報道を“何の根拠あってのことか説明せよ”と批判した。結果的に小泉首相は訪朝に政府専用機を使用している&lt;ref&gt;[http://www.nikkei.co.jp/news/main/20020910AT3KI02M010092002.html 官房長官「首脳会談後、金総書記と共同会見も検討」]{{リンク切れ|date=2011年7月}}&lt;/ref&gt;。<br /> * 2002年、小泉首相10月訪中決定との記事を一面にスクープとして掲載したが、同日中に[[福田康夫]]官房長官に否定された。以後、2006年の小泉退陣まで訪中は実現しなかった。<br /> * 2003年[[6月24日]]、[[大前研一]]が社長を務めるコンサルティング会社と、当時不正資金提供事件で元会長らが商法の特別背任罪に問われていた[[ダスキン]]との契約について、疑義を呈する関係者の見解を掲載。大前側は、「事実無根の記事で名誉を傷つけられた」として、産経新聞社に対し2億円の損害賠償を求めて訴訟をおこした。2005年1月28日、[[東京地方裁判所|東京地裁]]は、「コンサルティング業務は無形のものであり、報告書などがないからといって業務をしていない疑いがあると即断したのは拙速だ」と指摘し、産経新聞社に200万円の支払いを命じた&lt;ref&gt;{{Cite news | url = http://www.47news.jp/CN/200501/CN2005012801001893.html | title = 産経新聞社に賠償命令 大前氏の記事めぐる訴訟 | agency = [[共同通信社]] | publisher = [[47NEWS]] | date = 2005-01-28 | accessdate = 2013-02-08 }}&lt;/ref&gt;。<br /> * 2003年[[10月24日]]の産経抄で、「[[偽エチオピア皇帝事件]]」を引き合いに出して[[有栖川宮詐欺事件]]を取り上げたが、前日の毎日新聞コラム『余録』に、ほぼ同じ内容(引用元は[[種村季弘]]『詐欺師の楽園』、岩波現代文庫)が掲載されていた。<br /> * [[2005年]][[4月15日]]付け1面に、第14回地球環境大賞の授賞式に関連して、実際にはそのような事がないにも関わらず、[[秋篠宮文仁親王]]が「[[おことば]]」の中で『また今年から、フジサンケイグループが一体となってこの顕彰制度を主催することになり、「環境」と「経済」が両立する持続可能な社会の実現に向けて、ますますその役割を深めていくことを希望します』とフジサンケイグループの主催に言及したとする虚偽の記事を掲載した&lt;ref&gt;{{cite news | title = 地球環境大賞授賞式 「あかり社会 大きく変わる」松下電工・畑中社長 | newspaper = 産経新聞 | date = 2005-04-15 }}&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;janjan200504222&quot;&gt;{{cite news | url = http://www.news.janjan.jp/media/0504/0504206077/1.php | title = 「マスコミ料理教室」(8)産経新聞の訂正記事に驚いた! | newspaper = [[JANJAN]] | date = 2005-04-22 | accessdate = 2010-06-01 }}&lt;/ref&gt;。産経新聞社は誤りを認め、4月16日2面に該当部分を全面削除した訂正報道を行った&lt;ref name=&quot;janjan200504222&quot;/&gt;。<br /> *2005年5月27日、[[フィリピン]]の[[ミンダナオ島]]に、旧日本兵3人が生存、帰国を希望しているとの記事を「戦後60年の『奇跡』」として掲載した。3人の具体的な氏名まで報道し、日本大使館員も現地調査を行うなど、大騒ぎになった。しかし、29日に日本大使館員が確認したところ、当該旧日本兵は存在しないことが判明、誤報であった&lt;ref&gt;産経新聞2005年5月27日朝刊1面、2面、27面&lt;/ref&gt;。<br /> * 2005年[[7月19日]]、茨城県大洗町の教育委員長と教育長が[[新しい歴史教科書をつくる会]]の教科書を採用しなかった採択協議会に対して再協議を要求、容れられない場合は町独自の判断で購入・使用予定であるとする記事を掲載した&lt;ref&gt;{{cite news | title = 扶桑社教科書 独自予算で使用検討 地区協、再否決なら 茨城・大洗町 | newspaper = 産経新聞 | date = 2005-07-19 }}&lt;/ref&gt;。これについて、教育長は「再協議の場があるかどうか聞いていない」と否定し、町長も「独自の教科書を選ぶために予算をつけることは財政上難しい」と述べた&lt;ref&gt;{{cite news | title = 「つくる会教科書採択を」と地区決定に反対 茨城・大洗 | newspaper = 朝日新聞 | date = 2005-07-19 }}&lt;/ref&gt;。しかし、実際に茨城県の学校でつくる会の教科書が授業に使われることはなかった&lt;ref&gt;[http://www.ne.jp/asahi/kyokasho/net21/siryou_tukurukai_fusaitaku.htm 010810つくる会教科書不採択状況] 子どもと教科書全国ネット21事務局&lt;/ref&gt;。<br /> * 2005年[[10月25日]]付夕刊の写真グラフで、[[月]]をバックにした[[コウノトリ]]の合成写真の虚偽報道を行った。記者が[[合成写真]]であることを申告せずに出稿、同社としてチェックしきれないまま掲載したことが原因。産経新聞は30日に事実を発表し、31日の朝刊一面で「読者に対する重大な背信行為で、新聞報道に対する信頼を揺るがせかねない深刻な問題と受け止める」として謝罪した。<br /> * 2005年[[11月17日]]、[[中東報道研究機関]](MEMRI)の「Inquiry and Analysis Series No 251 Nov/15/2005 フランスの暴動に対するアラブ、ムスリム世界の反応」記事と内容が酷似する記事を掲載。問い合わせに対して産経は“記事は提供を受けた”と回答した。しかしMEMRIが苦情を申し入れ、産経はチェックと撤回を行って訂正版を出したと表明。<br /> * [[2006年]][[1月23日]]の朝刊で、「ライブドア電子商店街から決算前に契約料徴収-利益計上後解約し返還」との見出しで虚偽の報道をしたり、[[2月14日]]の朝刊では「ライブドアの退職者数が既に数百人」などと事実無根の報道を行ったと、翌日のライブドアニュースで社内資料に基づき反論された。<br /> * [[2007年]][[1月20日]]、[[大学入試センター試験]]の解答(科目は公民と地理歴史)を電子版でフライング掲載。のちに「受験生に無用の混乱や動揺を与えたことをおわびいたします」と謝罪&lt;ref&gt;[http://byebyeblack.blog60.fc2.com/blog-entry-289.html センター試験終了前、解答を産経新聞がネット掲載] ビバ検索より記事全文コピー&lt;/ref&gt;。<br /> * 2007年[[1月30日]]の紙面において、[[裁判員]]制度広報のための「裁判員制度全国フォーラム」2007年1月20日、10月22日の大阪会場で日当5000円、11月20日の和歌山会場で日当3000円を支払って[[サクラ]]の参加者を動員する[[やらせ]]を行ったとして、「言論、報道機関として社会の質の維持、向上という重い役割を担うべき新聞社で、国民の不信を招くような事態をおこしたことを真剣に受け止め、責任を痛感しております」との謝罪文を掲載した。<br /> * 2007年[[5月5日]]、古森義久記者により、[[AP通信]]電を基にした『占領時、米軍も「慰安婦」調達を命令 ホンダ議員「旧日本軍は強制」言明』が書かれたが、原文では米軍は命令ではなく(日本[[内務省 (日本)|内務省]]の申し出を受けた)&#039;&#039;&#039;許可&#039;&#039;&#039;をしていた旨記述されていた事が判明。22日に電子版も含めた全記事を訂正。<br /> * 2007年[[8月16日]]、[[第89回全国高等学校野球選手権大会]]に、[[三重県立宇治山田商業高等学校]]の応援団の服装をめぐり、「『学ランは海軍の軍服で不適切』とする投書があり、それを受けて、宇治山田商が県高校野球連盟と協議して学ランをトレーナーに変更した」とする内容の記事を掲載した。この記事に対して宇治山田商は、「前回の大会でもトレーナーで応援している」「県高野連と協議した事実はなく、学ランは暑いからやめたほうがいいといわれた」と『産経新聞』に訂正記事の掲載を申し入れたが、産経側は、前回出場時もトレーナーで応援していた事実関係の誤りは認めたものの、「投書は未確認であるが学校関係者への取材に基づいて書いたので真実と確信している」「完全に否定されるまでは訂正に応じられない」としている&lt;ref&gt;[http://ren-kamei.iza.ne.jp/blog/entry/285073/ 産経新聞、未確認の投書で記事 宇治山田商の応援団服装] 大阪本社編集局・森脇睦郎社会部長署名入り記事全文コピー&lt;/ref&gt;。<br /> * 2007年[[11月28日]]、元[[防衛事務次官]][[守屋武昌]]・幸子夫妻逮捕を受けて、幸子被告の実家が[[宮城県]]の老舗酒蔵であると報道したが、実際の出身地は[[茨城県]]であった(誤報部分はのちに修正・削除されている)。<br /> * 2007年[[12月10日]]、日本在住の[[バングラデシュ人]]男性が[[アルカイダ]]関係者に送金していたかのような記事で名誉を傷つけられたと主張して産経新聞社に330万円の損害賠償を求めた訴訟につき、東京地裁が名誉棄損の成立を認め、同社に330万円の支払いを命じた。<br /> * [[2008年]][[2月5日]]、イギリスの[[国際戦略研究所]]からの情報として、2007年の1年間に、[[ロシア海軍]][[太平洋艦隊 (ロシア海軍)|太平洋艦隊]]へディーゼル電気推進対潜[[潜水艦]](SSK)が新たに9隻配備され、戦術潜水艦は合計で8隻増強されたと報じた。しかし、2008年初頭現在、ロシア太平洋艦隊に在籍するSSK9隻([[キロ級潜水艦]]のB-260、B-439、B-445、B-394、B-464、B-494、B-187、B-190、B-345)は、1981〜1994年に極東で建造され、1982〜1994年に同艦隊へ配備された艦であり([http://deepstorm.ru/DeepStorm.files/45-92/dts/877/list.htm Проекта 877])、更には、1998年以降、ロシア太平洋艦隊へ新たな戦術潜水艦は配備されておらず、2007年に戦術潜水艦が増強された事実は無い([[ジェーン海軍年鑑]]参照)。<br /> * 2008年[[6月20日]]、朝刊一面「朝の詩(うた)」欄に、読者投稿とされる詩『じぶん』を掲載したが、実は本作は[[相田みつを]]の作品『肥料』であった。翌21日付で「おわび」を掲載すると共に相田美術館に謝罪。選者の[[新川和江]]も[[盗作]]を見抜けなかった。産経新聞広報室によると、投稿者は“家族が書いた未発表のものだと思った”と盗作を否定しているという&lt;ref&gt;産経新聞2008年6月20日朝刊、同6月21日朝刊、報知新聞2008年6月22日&lt;/ref&gt;。<br /> * [[2009年]][[1月1日]]、大阪版朝刊一面及びWEBで、[[桂文枝 (6代目)|桂三枝]]が「桂文枝」を、[[桂きん枝]]も「桂小文枝」を襲名予定とする記事を掲載&lt;ref&gt;[http://megalodon.jp/2009-0107-1800-23/sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/090101/tnr0901010121000-n1.htm 「桂三枝さん、師匠の名跡「桂文枝」襲名へ きん枝さんも「小文枝」に」]ウェブ魚拓&lt;/ref&gt;。新聞本紙面においては、五代目文枝の未亡人を登場させ、「名跡が弟子に受け継がれるのはうれしいこと」とのコメントも掲載した。しかし、その日のうちに三枝、きん枝ともこれを否定した&lt;ref&gt;[http://sanshi.laff.jp/blog/2009/01/post-8e85.html ビックリ] 席亭 桂三枝の落語的日常2009年1月1日&lt;/ref&gt;。三枝が6代目文枝を実際に襲名したのは3年後の2012年7月&lt;ref&gt;[http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&amp;k=2011071200083&amp;j4 桂三枝さん、「文枝」襲名へ=来年7月の誕生日に] 時事通信2011年7月12日&lt;/ref&gt;。<br /> * 2009年[[2月23日]]、「主張」で「子供の権利 わがまま許す条例は疑問」と題し、例えば、京都の高校生らが国連児童の権利委員会で「制服導入は意見表明権を定めた条約に違反する」と訴え、海外委員から「制服もない国の子供に比べて格段に幸せ」などとたしなめられたと報道した。しかし、実際にはそのような発言は無く、また初出がかなり前であるので取材せずに記事を書いた可能性が高いとされた&lt;ref&gt;[http://www006.upp.so-net.ne.jp/takagish/contents/kenri/kenri02.htm 読売新聞 抜書き]&lt;/ref&gt;。このデマは繰り返し流布されている、と[[池田香代子]]にもブログで指摘されている&lt;ref&gt;[http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51487723.html デマとしての国連:「恵まれた日本の子どもは黙ってらっしゃい」]池田香代子ブログ、2010年10月19日&lt;/ref&gt;。<br /> * 2009年[[4月8日]]、「舞鶴少女殺害事件」の記事で、甲南大学の[[渡辺ギ修|渡辺顗修]]教授の「(中容疑者は)窃盗罪で服役しており、逃亡の恐れはない。科学捜査や周辺捜査をもっと積み上げ、殺人容疑がさらに固まった段階で逮捕する、というのも選択肢の一つだったのでは」とのコメントを紹介したが、渡辺は自らのブログで、「産経新聞の取材はそもそも受けていない。」と否定した。渡辺は更に、通信社から産経新聞に配信された可能性にも言及するが、通信社に出したコメントの内容とも異なっていると指摘している&lt;ref&gt;[http://blogs.dion.ne.jp/justice_justice/archives/8263476.html 舞鶴女子高生殺害事件ー各紙コメントから by Gishu]、産経新聞の報道について&lt;/ref&gt;。<br /> * 2009年[[4月10日]]、「天皇・皇后両陛下ご結婚50年祝賀行事」で[[麻生太郎]]総理大臣が祝辞の中で、「弥栄(いやさか)」を「いやさかえ」と誤読したと報じたが、「いやさかえ」が正しい読み方で「いやさか」が誤読であった。しかし、産経新聞は誤報を否定し、訂正や謝罪はせず、記事は削除されている&lt;ref&gt;[http://www.j-cast.com/2009/04/13039368.html?p=all 麻生首相「誤読記事」問題 産経や共同は、誤報を否定]&lt;/ref&gt;。<br /> * 2009年[[5月6日]]、新型インフルエンザに関する記事で、『厚労省新型インフル対策推進本部では「早く届けてほしいというのが国の立場だ。ただ、自治体側が責任を持って独自判断をするなら、無理矢理に届けろとはいえない」と話している』と報道したが、当日中に厚生労働省から、このようなコメントはしていないと否定され、「感染症法12条等に規定する都道府県の国に対する届出は、いずれも、直ちにもれなく行わなければならないものです。自治体の独自判断により届け出ないことは法律に違反するものです」と指摘された&lt;ref&gt;[http://www.mhlw.go.jp/kinkyu/kenkou/influenza/090506-01.html 厚生労働省新型インフルエンザ対策本部 本日付産経新聞の記事について]&lt;/ref&gt;。<br /> * 2009年[[8月14日]]、[[キンモクセイ (バンド)|キンモクセイ]](2008年から活動休止中)のボーカル、伊藤俊吾について“脳幹出血で死去”と報じた&lt;ref&gt;[http://megalodon.jp/2009-0814-1625-52/kissho.xii.jp/1/src/1jyou87765.htm 【訃報】元キンモクセイの伊藤俊吾さん急死] ウェブ魚拓&lt;/ref&gt;が、そのような事実はなかった。<br /> * [[2010年]][[1月22日]]の大坂版朝刊1面トップで、小沢一郎民主党幹事長の政治資金問題に関する記事中、「小沢容疑者が虚偽記載を認識し、収支報告書の提出を了承した疑いが強いとみている」と、「小沢&#039;&#039;&#039;容疑者&#039;&#039;&#039;」と表記した記事を掲載。同様に、WEB版でも、22日午前2時56分から3時間ほど小沢への容疑者呼称が続いた&lt;ref&gt;[http://megalodon.jp/2010-0122-0414-30/sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100122/crm1001220259005-n2.htm 小沢氏の立件視野 虚偽記載認識か (2/2ページ)]ウェブ魚拓、22日4時14分&lt;/ref&gt;。産経新聞は、民主党に謝罪し、謝罪・訂正文を22日夕刊とWEBに掲載した&lt;ref&gt;[http://megalodon.jp/2010-0122-1415-20/sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100122/crm1001220259005-n2.htm 小沢氏の立件視野 虚偽記載認識か (2/2)]ウェブ魚拓、22日2時15分&lt;/ref&gt;。広報部は「ミスが重なったもので、関係者に深くおわびする」とコメント。これに対して輿石東民主党幹事長代行は「顧問弁護士とも相談して今後の対応を考えたい」としている&lt;ref&gt;[http://megalodon.jp/2010-0122-1856-39/www.47news.jp/CN/201001/CN2010012201000727.html 産経新聞「小沢容疑者」と誤表記 謝罪、おわび記事]ウェブ魚拓&lt;/ref&gt;。<br /> * 2010年[[4月10日]]、『首相「米の言いなりにならない」 米誌インタビューで』の記事において、鳩山首相が[[タイム (雑誌)|タイム誌]]とのインタビューで、実際にインタビューで答えた言葉して掲載される記述と、タイム誌自身の記述を混同して掲載したり、原典の中でまったく使われていない表現を鳩山総理の発言として紹介するなどした&lt;ref&gt;[http://blog.goo.ne.jp/pat521215/e/9dfb168c729bfe19566a5a615321dac0 米の言いなりにならない←さすが黄色新聞の産経、悪意の虚偽報道] 八角山だより&lt;/ref&gt;。<br /> * [[2011年]][[3月2日]]、[[大学入試問題ネット投稿事件|京都大学入学試験インターネット投稿問題]]について“捜査関係者からの情報”として「東京の高校生2人が関与、京都府警察がほぼ特定」と報じたがそのような事実はなかった(実際には山形県の受験生が単独でやったもの)。同月5日、記事内容を全面的に撤回する謝罪公告を掲載&lt;ref&gt;[http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011030501000248.html 産経新聞、誤報で謝罪記事 「東京の高校生2人が関与」] 共同通信&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;「入試投稿事件で誤報、産経が謝罪記事」日本経済新聞、2011年3月5日&lt;/ref&gt;。<br /> * 2011年[[5月4日]]、[[山本祐輔]]・[[京都大学]]大学院情報学研究科特定助教の発言として「放射能に敏感で専門知識には乏しいネット利用者の場合、『原発は危ない』という表層的な情報に飛びついてしまう。自分はその情報を知っているという優越感からブログに転載し、連鎖していく」といった記事を掲載した&lt;ref&gt;[http://sankei.jp.msn.com/life/news/110504/trd11050422140015-n2.htm ネット上に反原発“バイブル”拡散 専門家「不安あおっているだけ」] 産経新聞2011年5月4日&lt;/ref&gt;。しかし、この点に関して山本は5月6日に[[twitter]]上で、「僕は,知識が乏しいと情報の信憑性を表層的な手がかりのみで判断してしまうと言ったのに、なぜか『「原発は危ない」という表層的な情報に飛びついてしまう』と書かれてしまった。そもそも僕は原発のことには何も触れていなかったんですが。」と指摘した。<br /> * 2011年[[7月7日]]、[[香港]]の[[亜州電視]](ATV)の江沢民が死去したとの報道を受け、[[号外]]を出すなどして「[[江沢民]]・中国前国家主席が死去」と遺体の安置先を含めて報道した。&lt;ref&gt;[http://sankei.jp.msn.com/world/news/110707/chn11070709430005-n1.htm 江沢民前国家主席が死去 今後の日中関係にも影響か]&lt;/ref&gt;しかし、ATVが直後にこれを否定し謝罪した&lt;ref&gt;[http://www.47news.jp/CN/201107/CN2011070701000950.html 江氏死去報道を撤回、謝罪 香港のATVテレビ] 共同通信&lt;/ref&gt;。また、亜州電視の訂正は共同電を引用して報じたが、自社の誤報については江が姿を見せるまで謝罪・撤回をしなかった&lt;ref&gt;[http://sankei.jp.msn.com/world/news/110707/chn11070721220009-n1.htm 【江沢民氏死去】報道を撤回、謝罪 香港のATVテレビ(共同)]&lt;/ref&gt;(例として[[読売新聞]]は「江前主席死亡か 香港のテレビ局が報道」と未確認情報の形で報じている&lt;ref&gt;[http://web.archive.org/20110709020427/www.yomiuri.co.jp/world/news/20110706-OYT1T00953.htm 香港TV、江沢民・前国家主席死亡と報道] 7月6日付け&lt;/ref&gt;)。10月10日付けの紙面で記事の全面撤回を表明、検証記事を掲載。[[熊坂隆光]]代表取締役社長が1ヶ月間減俸5割、[[斎藤勉]]編集担当専務と[[飯塚浩彦]]東京編集局長が3ヶ月間減俸3割の処分となった。<br /> * 2012年[[7月23日]]、同年同月16日夜から17日にかけて実施された自衛隊の統合防災演習に際し、隊員の区役所庁舎内立ち入りを拒否したとして、東京都内11区を名指しで報道。「区民に迷彩服を見せたくなかった」と明かしたという担当者の声も掲載した&lt;ref&gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120723/plc12072301070002-n1.htm 「迷彩服を区民に見せるな」 自衛隊の防災演習、東京の11の区が庁舎立ち入り拒否] 産経新聞2012年7月23日&lt;/ref&gt;。翌24日付の「産経抄」でも「職員の心ない仕打ち」「自衛隊員の心情を思うとやりきれない」と痛烈に批判していた&lt;ref&gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120724/plc12072403090004-n1.htm 「区民に迷彩服を見せたくなかった」と明かした区職員] 産経新聞2012年7月24日&lt;/ref&gt;が、名指しされた全区が事実無根、防災担当職員に対する侮辱だとして抗議声明を発表&lt;ref&gt;[http://www.city.chiyoda.lg.jp/service/00144/d0014461.html 千代田区]、[http://www.city.chuo.lg.jp/chumoku/sankeisinbun/index.html 中央区]、[http://www.city.minato.tokyo.jp/bosai-anzen/bosai/ensyu.html 港区]、[http://www.city.shinjuku.lg.jp/anzen/snjk001113.html 新宿区]、[http://www.city.setagaya.tokyo.jp/020/d00040862.html 世田谷区]、[http://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/102500/d014995.html 中野区]、[http://www.city.toshima.lg.jp/koho/027635.html 豊島区]、[http://www.city.toshima.lg.jp/koho/027640.html 豊島区再抗議]、[http://www2.city.suginami.tokyo.jp/news/news.asp?news=14005 杉並区]、[http://www.city.shibuya.tokyo.jp/news/oshirase/jieitai_kunren.html 渋谷区]、[http://www.city.kita.tokyo.jp/docs/emergency/830/083053.htm 北区]、[http://www.city.meguro.tokyo.jp/kurashi/anzen/bosai/kunren_hodo/index.html 目黒区]&lt;/ref&gt;。25日付の紙面で、一部訓練を除き庁舎内で訓練が行われていた旨や、そもそも訓練を行わなかった区があったことを認め、謝罪記事を掲載した。<br /> ** 誤報の原因として、ジャーナリストの[[西村幸祐]]が2012年7月17日に[[Twitter]]で発したコメント内容&lt;ref&gt;[http://www.twitlonger.com/show/ic5ld9 東京都の沖縄化が進行中!]&lt;/ref&gt;を産経新聞が事実確認を怠ったまま記事にした可能性があるとの見方がある&lt;ref name=&quot;getnews20120726&quot;&gt;{{Cite news | url = http://getnews.jp/archives/236638 | title = 産経新聞「都内11区が防災演習協力拒否」誤報はどうして起きたのか | publisher = [[ガジェット通信]] | date = 2012-07-26 | accessdate = 2013-05-02 }}&lt;/ref&gt;。西村は、7月18日に[[日本文化チャンネル桜]]『ニュースの読み方』にて、上記の一件を自身の「スクープ」として取り上げ、産経の当該記事については、それを後追い報道したものであると述べている&lt;ref name=&quot;getnews20120726&quot;/&gt;。<br /> * 2012年[[8月9日]]、この日、自社のウェブサイト「MSN産経ニュース」に、[[ロンドンオリンピック (2012年)|ロンドンオリンピック]]にまつわる記事「[[ロンドン]]余話」を掲載したが、内容は担当記者が[[CNN]]の同日8日付の記事を日本語に翻訳した上で、若干加筆したのみで無断掲載したものだった。同15日にCNN側から指摘があり、削除&lt;ref&gt;[http://web.archive.org/20121008235339/mainichi.jp/select/news/20121007k0000m040030000c.html 産経新聞社:米CNN記事の無断利用で謝罪] 毎日新聞 2012年10月6日&lt;/ref&gt;。7月にはサッカーの試合について、日本がスペインを破ったことを「韓国メディアは意図的に無視か」と[[黒田勝弘]]は書いた&lt;ref&gt;[http://sankei.jp.msn.com/london2012/news/120727/soc12072711160033-n1.htm 韓国メディアは意図的に無視? 日本金星にまったく触れず] 産経新聞2012年7月27日&lt;/ref&gt;が、中央・朝鮮・東亜の3大紙とも「グラスゴーの奇跡」「スペイン轟沈」と報じていた&lt;ref&gt;[http://joongang.joinsmsn.com/article/930/8882930.html?ctg=1403 日本、&#039;世界最強&#039;スペインに1-0勝利…大会初めての異変] 中央日報&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://news.donga.com/3/all/20120727/48099694/1 ロンドンオリンピック 日‘サッカーグラスゴーの奇跡’に興奮]東亜日報&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2012/07/27/2012072701444.html 無敵艦隊&#039;スペイン沈没させた日本、金メダル候補で&#039;急浮上&#039;] 朝鮮日報&lt;/ref&gt;。<br /> * 2012年10月、iPS心筋移植に成功した、との誤報を[[読売新聞]]に追随して掲載した&lt;ref&gt;「iPS心筋移植問題」日本経済新聞、2012年10月12日&lt;/ref&gt;。<br /> * 2013年10月10日夜(19時55分頃)、「[[村上春樹]]が2013年の[[ノーベル文学賞]]を受賞」と先走って電子版号外に掲載(実際の受賞者は[[アリス・マンロー]])。7分後に削除&lt;ref&gt;[https://archive.is/20131011031253/mainichi.jp/select/news/20131011k0000m040109000c.html ノーベル文学賞:産経新聞、電子版「村上さん受賞」と誤報] 毎日新聞2013年10月11日&lt;/ref&gt;。<br /> * 2014年4月1日、その存在が疑問視されている[[刺激惹起性多能性獲得細胞|STAP細胞]]について、「[[香港中文大学]]の李嘉豪教授が再現に成功」とWIREDを引用して報じた&lt;ref&gt;[http://megalodon.jp/2014-0403-0005-06/sankei.jp.msn.com/wired/news/140402/wir14040222320001-n1.htm STAP細胞作製の再現に成功か「言葉が出ないほど驚き」香港中文大学の李教授(ウェブ魚拓)]&lt;/ref&gt;が、当の李が「qPCRの結果は死細胞などの影響によって不適切に得られた可能性がある。だからSTAP再現と騒がないで欲しい」と否定&lt;ref&gt;[http://www.researchgate.net/publication/259984904_Stimulus-triggered_fate_conversion_of_somatic_cells_into_pluripotency/reviews/103#533b77a0d685cc342d8b45d5 Stimulus-triggered fate conversion of somatic cells into pluripotency.] researchgate.net&lt;/ref&gt;。<br /> * 2014年8月9日、『安倍政権考』で、[[森まさこ]](当時少子化対策及び男女共同参画担当大臣)と度々面会し意見交換をしていることを理由に「[[菊池桃子]]が民間起用で後任として入閣するかもしれない」と書いた&lt;ref&gt;【安倍政権考】女性登用推進で菊池桃子大臣誕生も[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140809/plc14080912000001-n1.htm 1/3][http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140809/plc14080912000001-n2.htm 2/3][http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140809/plc14080912000001-n3.htm 3/3]&lt;/ref&gt;。担当記者は比護義則。しかし菊池本人が公式ブログで「あり得ません」と否定&lt;ref&gt;[http://ameblo.jp/kikuchi-momoko/entry-11907339887.html 私が大臣候補??] 菊池桃子公式ブログ「私設研究室」2014年8月9日&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/08/09/kiji/K20140809008716650.html 菊池桃子、入閣内定報道に驚き「無い、無い、ありえない」] スポーツニッポン2014年8月9日&lt;/ref&gt;。<br /> * 2015年2月、[[曽野綾子]]の民族の居住区を分けることを肯定し、[[アパルトヘイト]]を肯定するともとれるコラムを掲載し、南アフリカ大使や人権団体からの非難を受けた&lt;ref&gt;「産経新聞:曽野氏コラム、南ア大使も抗議文 人種隔離許容」、毎日新聞、2015年2月14日&lt;/ref&gt;。<br /> * 2015年3月、ニュースサイト「産経ニュース」に掲載した記事について、個人ブログの翻訳記事からの盗用であることが発覚した。ブログ執筆者から指摘を受け、記事を削除した。産経新聞は「事実関係を調査し、厳正に対処する」とコメントしている&lt;ref&gt;[http://www.asahi.com/articles/ASH357X98H35UTIL05B.html 「産経新聞のネット記事、『盗用』指摘受け削除」、朝日新聞、2015年3月6日]&lt;/ref&gt;。<br /> * 2016年5月3日に「施行69年、国民を守れない憲法… 今こそ9条の改正や緊急事態条項の創設が欠かせない」との見出しの記事で&lt;ref&gt;http://www.sankei.com/premium/news/160503/prm1605030030-n1.html&lt;/ref&gt;、9条下では対領空侵犯措置が不能のような記述をし、[[小川和久]]から誤報であるとされた&lt;ref&gt;[http://gohoo.org/16051301/ 「憲法9条のせいで・・・」 産経がまたひどい誤報]&lt;/ref&gt;。<br /> * 2017年9月25日、「ミサイル発射は安倍首相のせい」との見出しで金子勝が[[Twitter]]で核ミサイル発射は安倍晋三の所為であるという内容のツイートをしたと報道したが、[[楊井人文]]からそのような文言は確認できず見出しが不正確であるとされた&lt;ref&gt;[https://news.yahoo.co.jp/byline/yanaihitofumi/20170917-00075856/ 「ミサイル発射は安倍首相のせい」の文言確認できず 産経の見出し不正確] 楊井人文、Yahooニュース、2017年9月17日&lt;/ref&gt;。<br /> * 2017年12月1日に[[沖縄自動車道]]で発生した多重事故の被害者で一時意識不明の重体となった在沖縄[[アメリカ海兵隊]]曹長について9日、曹長の救助活動について伝える妻の[[Facebook]]や[[NBC]]の報道を確認し、アメリカ海兵隊第3海兵遠征軍から12月6日に救助活動を讃える回答を得た上で、曹長は「横転した車両から50代の日本人男性を脱出させた」「(以後もこれを報道しないならば[[琉球新報]]や[[沖縄タイムス]]は)メディア、報道機関を名乗る資格はない。日本人として恥だ」と報じた&lt;ref&gt;産経ニュース 2017年12月9日 [[高木桂一]](当時那覇支局長)&lt;/ref&gt;。しかし、その後の琉球新報の取材では、同曹長が救助活動を行ったことは確認できなかったことを[[2018年]][[1月30日]]に報道した&lt;ref&gt;[https://ryukyushimpo.jp/news/entry-655697.html 産経報道「米兵が救助」米軍が否定 昨年12月沖縄自動車道多重事故]琉球新報 2018年1月30日&lt;/ref&gt;。産経新聞は2018年[[2月8日]]に検証記事を掲載し、事実確認が不十分で、沖縄二紙に対して行き過ぎた表現があったとして、記事を削除し、沖縄二紙を含めた関係者と読者に謝罪した。検証記事では、曹長は日本人男性運転手を手助けできないか確認しようとしたが、自身の車を邪魔にならないよう車道外に動かそうとした際に、後続車にはねられ、男性運転手は自身に追突してきた車の運転手にドアを開けてもらい自力で脱出していたことが明らかとなった。男性運転手は、事故後、米軍関係者から「大丈夫か」と声をかけられたが、それが曹長かは分からないとしている。また、産経新聞の再取材に対し、在沖縄アメリカ海兵隊は、曹長が「手助けしようとしたことは、海兵隊が掲げる価値観の表れだ」と回答した&lt;ref&gt;[http://www.sankei.com/affairs/news/180208/afr1802080005-n1.html 沖縄米兵の救出報道 おわびと削除] - 産経ニュース 2018年2月8日&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 裁判 ===<br /> * [[2007年]](平成19年)5月の東浅草店の「[[押し紙]]」裁判は東京高裁で、150万円が産経から原告へ支払われることで[[2008年]](平成20年)5月に和解している&lt;ref&gt;[http://ameblo.jp/libronegro/entry-10099179862.html 産経・東浅草販売店、「押し紙」規模の検証⑤] ルポルタージュの窓[[2008年]](平成20年)[[5月22日]]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 批判を受けた報道 ==<br /> * [[1973年]][[12月2日]]、紙面に掲載された意見広告([[自由民主党 (日本)|自由民主党]]が[[日本共産党]]を批判する内容)をめぐり、日本共産党が反論権を求めて[[産業経済新聞社]]を提訴。{{main|サンケイ新聞事件}}<br /> <br /> * [[1983年]]2月、サンケイ新聞が行政改革キャンペーンに力を入れていることを伝えるテレビCMを放送した。無駄の実例として[[岡山県]][[倉敷市]]の市庁舎を映し出し、「こんな豪華な庁舎が必要でしょうか!? 行革(行政改革)を強く訴えるサンケイ新聞」というナレーションを流すものであった。倉敷市は、「事実誤認だ、市庁舎が大きいのはゴミ処理施設を併設しているからだ。これは地方叩きだ」と抗議した&lt;ref&gt;後に、産経新聞社は、自社の広報書籍である『産経が変えた風』133ページで、「行革キャンペーンで取り上げた豪華な庁舎」のキャプション付きで倉敷市庁舎の写真を掲載した。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> * [[1992年]]、「私たちは“国際合同結婚式”を応援します。」、『世界平和に貢献する「統一運動」』という[[世界基督教統一神霊協会|統一教会]]の国際[[合同結婚式]]を支持する学者・文化人の会(代表世話人:元[[筑波大学]]総長[[福田信之]]、世話人:元駐韓大使[[金山政英]]、政治評論家[[細川隆一郎]])の意見広告を掲載したことで、「原理運動に反対する被害者家族の会」から批判された。統一教会は以前から「親泣かせ原理運動」と呼ばれたように、家庭問題や「[[霊感商法]]」を初めとした様々経済活動に対して社会的な批判があり、同年には核開発疑惑が高まっていた北朝鮮に経済支援を約束するなど、[[公安警察]]からも警戒されるような状況にあり、翌1993年には[[金丸信]]による[[文鮮明]]の日本入国許可騒動もあって、統一教会を利するこの意見広告を掲載したことは日本の保守派からも批判された&lt;ref&gt;『[[週刊現代]]』(1999年[[2月27日]]号)、『[[週刊文春]]』(2001年[[1月25日]]号)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> * [[1999年]][[5月10日]]、記者・[[久保紘之]]がコラム『天下不穏』で、「[[第26回主要国首脳会議|沖縄サミット]] 〜コローニアルなにおいの“英断”」と題して、[[小渕恵三]]首相がサミットを沖縄で開催するのを決めたことに対し、「国家も家と同じで台所もあれば便所もある。しかし、お客を台所や便所の中で接待する主人がいるかい?」と書いた。記事タイトルと合わせ沖縄を便所扱いしていると『[[沖縄タイムス]]』から批判された&lt;ref&gt;『沖縄タイムス』1999年5月15日。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> * [[2000年]][[5月5日]]の産経抄において、[[西鉄バスジャック事件]]について「バス乗っ取り事件が憲法記念日に起きたということだけは、まったくの偶然とは思えない」「戦後の日本社会は、憲法の前文そのままに、人々の「公正と信義」を信頼しようというものだった」とし、日本もそんな何が起きてもわからん社会となっているから、改憲して現状に即した憲法を作るよう考えるべきだと訴えたが、後日ウェーブ産経[http://www.sankei.co.jp/wave/]で「おしかりを受けた」と報告した(産経抄筆者石井英夫談)。<br /> <br /> * [[2001年]]の[[えひめ丸事故]]においては、国益優先と称しアメリカ政府擁護の立場を全面的に打ち出し、“どこの国の新聞か”と一部の関係者による批判を受けたとして、「おしかりの声」(石井英夫談)に対する反論を産経抄など紙面上にて何度も行った。<br /> **2001年[[2月11日]]の主張で「原潜衝突 過剰反応控え原因究明を」と米国に謝罪を求めたり批判したりする態度を控えるべきだと主張。<br /> **2001年[[2月20日]]の主張で「いまこそ問われる危機管理 この不幸を同盟関係の強化に」と訴えた。<br /> **2001年[[2月21日]]の朝刊アピールに「過剰な米国批判は信頼関係損なう」との意見を掲載。<br /> **2001年[[2月23日]]の産経抄において「日米関係の明日のためには感情的な対応を慎まなければならない、と。先日も艦長に対して、土下座して謝れ、という怒りの声が出された。米国の退役軍人の中から、日本船は真珠湾に近づくな、という反日メッセージが発せられた。双方が感情的、あるいは情緒的な反応をエスカレートしていけば日米関係は危うくなるだろう」。<br /> **2001年[[3月2日]]の産経抄で「引き揚げるべきでない。そのまま海の墓標にすべき」と提言。<br /> **2001年[[3月3日]]の朝刊アングルで米国に謝罪と厳罰を求める意見を「そのさなかに“周辺事態”が起きたら、日本政府は一体どう対処するのだろうか」と批判。<br /> **2001年[[3月18日]]の朝刊で珊瑚礁破壊などの環境問題を引き合いに出し「引き揚げを辞退すべき」と主張。<br /> **2001年[[9月27日]]の産経抄で[[アメリカ同時多発テロ事件|同時多発テロ]]の発生を受けて「実習船「えひめ丸」の引き揚げは一時中断したらどうか。待つことにしたらどうだろうということである。なぜならテロによる大惨事が発生したからだ」。<br /> **2001年[[10月17日]]の社会部発で『「えひめ丸」引き揚げ最終段階 “約束”つらぬいた米海軍』と報道。<br /> **2001年[[10月20日]]の主張で、引き揚げ作業が開始されたのを受けて「評価したい米海軍の努力」との記事を掲載する一方で「こうした米国へのある種の“甘え”はこれきりにしたい。」と主張した。<br /> **2001年[[10月22日]]には「事故はハワイ沖でおこったのだし 水産高校の遠洋実習がハワイ沖で行われることが多いのは、米軍によって航路の安全が確保されているからで、米国の好意で米国の庭で実習させてもらっているようなもの」とした上で、謝罪や補償、引き揚げをそれほど言うのなら、日本は自分で日本海の安全を確保し、日本海で実習するように求めた。<br /> **2001年[[11月10日]]の産経抄で「ハワイの海底を鎮魂の場としたいと願った小欄の気持ちはいまも変わらない。」と再度主張した。<br /> **2002年[[11月21日]]の主張で和解交渉の成立を受けて「米海軍の誠意を評価する」とし「仮にこの事故の相手が北朝鮮や他の国々であれば、これほどの対応が望めただろうか」と主張した。<br /> <br /> * [[2003年]]3月21日。[[イラク戦争]]の“大義”をめぐり、時の産経抄筆者・石井英夫は、開戦当時「[[大量破壊兵器]]の廃棄を目指す戦いだ」と主張した。大量破壊兵器の捜索が難航するにつれ「[[独裁]]政権打倒の是非が、この戦争の大義を問う鍵である」と主張を変え、発見が絶望的になると「戦争に大義や正義を主張するのは無意味」と主張した。[[小林よしのり]]は、イラク戦争中数度にわたって『新・ゴーマニズム宣言』の中で石井の主張を批判している&lt;ref&gt;産経新聞朝刊産経抄2003年3月21日、7月24日、2004年1月29日、9月18日&lt;/ref&gt;。<br /> * [[2004年]][[1月6日]]の朝刊で、[[イラク戦争]]後の[[バグダード|バグダッド]]で[[ストリートチルドレン]]の社会復帰を支援している[[高遠菜穂子]]の活動を顕彰する記事を一面写真付きで掲載した。しかし、渡航自粛勧告の後に起きた[[イラク日本人人質事件]]の報道では高遠を含めた[[人質]]と自衛隊撤退をアピールした人質家族などの批判を繰り返し掲載し、4月11日の「産経抄」において、「誤解を恐れずにいえば、“いわぬこっちゃない”とは、本来、人質になった三人の日本人に対していわねばならぬ言葉だ。イラクでは日本人外交官も殺害されて治安悪化は深まっていた。外務省は再三、最高危険度の『退避勧告』を行ってきたのである」として自業自得と非難し、4月14日の「産経抄」では、「第一の声明文については、日本のイスラム学者が「非イスラム的だ」 と指摘しているのがまこと興味深い。では何的かというと“日本的だ”と いうのである(中略)これらの声明文には何らかの形で日本人がかかわっているのだろうか」と[[自作自演]]説を客観的に報道する。人質の生還後、国民の大勢が支持した[[責任#自己責任|自己責任]]論から、被害者宅へのイタズラ電話が問題となったが、社説「主張」にて「真摯な忠告もあろう」などと全てがイタズラではないのではないかと論じた。また、同年11月に起きた[[イラク日本人青年殺害事件]](同様に、日本政府に自衛隊のイラクからの撤退を求めた武装グループが要求を拒否され、人質を殺害)に関する「産経抄」の論評の中で、「この春の日本人人質事件(上記のイラク日本人人質事件のこと)の家族の反応とは、天と地ほどの差がある。若者に両親に似た分別と常識があれば、悲劇は起こらなかったろうにと惜しまれてならないのである」と上記の人質3人を間接的に批判した。4月21日、イラク人質事件で人質ビデオ未放映映像の中に内藤正典一橋大学教授の分析結果として、「言って、言って」と人質になった3人に発言をうながす日本語を話す人物が存在すると一面トップで報道した&lt;ref&gt;内藤は、「あの部分は産経の記者が独自のソースで判断して記事にした」と分析結果を否定している。&lt;/ref&gt;。しかし、その日の夜の日本テレビ『[[NNNきょうの出来事]]』では、「イッテ」はイラクの方言で「おまえ」という意味であるとイラク人[[通訳]]の証言を交えて報じた。イラク人質事件では[[自作自演]]説を展開していたが、解放された人質が記者会見で「あれは演出というより命令で、あの状況では拒否できない」と発言。翌日の朝刊で「『泣いてくれ』演出認める」と記事にしたが、[[小林よしのり]]は漫画で批判した&lt;ref&gt;小林よしのり『ゴー外!! 1 翻弄されない視座をもつ 小林よしのりの痛快“こき下ろし”SPECIAL』アスコム(2004年8月)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> * [[2006年]][[8月15日]]から[[渡辺淳一]]作の小説『あじさい日記』を連載([[2007年]][[4月25日]]完結)。作品の内容が現実の人間とあまりにかけ離れているとして担当記者のブログ&lt;ref&gt;[http://ajisai.iza.ne.jp/blog/ あじさい日記ブログ〜美人編集者のつぶやき]&lt;/ref&gt;に読者の批判が殺到、“炎上”する騒ぎになった。片山雅文・東京本社文化部長(当時)も担当と渡辺をコメントで弁護したため、「30年来の読者だったが今次の対応には失望した、宅配契約を切る」「産経は読者より広告主と筆者が大事なのか」と発言する読者も出る&lt;ref&gt;[http://ajisai.iza.ne.jp/blog/entry/145593/ 気になる…](あじさい日記ブログ2007年4月4日)&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://ajisai.iza.ne.jp/blog/entry/158163/ いよいよ終章です。](あじさい日記ブログ2007年4月24日)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> * [[2007年]][[6月19日]]、「大手警備保障会社が[[朝鮮学校]]用地を購入することに内定」と報道。直後からこの“大手警備会社”を[[セコム|セコム株式会社]]と断じた[[右翼|右翼団体]]による抗議活動、嫌がらせの電話や脅迫状が相次いだ。これに対し、セコムは同年[[6月30日]]に、産経記事は事実無根で取材も一切なかったとの意見広告を全国紙に掲載した&lt;ref&gt;[http://nyt.trycomp.com/hokan/image/secom1.jpg 謹告]&lt;/ref&gt;。産経は、「記事には絶対の自信がある、広告を用いた報道への介入だ」と反論した&lt;ref&gt;[http://nyt.trycomp.com/modules/news/article.php?storyid=614 セコム、全国紙に異例の「謹告」]電脳補完録より記事全文コピー&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> * [[2008年]][[3月22日]]、沖縄県で宅配された産経と『[[世界日報 (日本)|世界日報]]』に、被害少女への批判と、実名と思しき名前が記されたチラシが折り込まれていたことがわかり、『琉球新報』に批判された。チラシは沖縄県の国旗国歌推進県民会議の惠忠久会長が依頼したもので、被害女性への批判に加え、「自民党と公明党支持者は翌23日に予定されていた抗議の県民大会に参加すべきでない」という内容であった。産経は『琉球新報』の取材に対し「チラシの扱いは販売店が判断するが、公序良俗に反する内容は扱わないように注意している」と返答した&lt;ref&gt;『[[琉球新報]]』2008年3月24日&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> * 2008年[[4月2日]]、大阪本社版にて、3月13日に行なわれた大阪府[[門真市立第三中学校]]の卒業式において『国歌斉唱不起立 担任全員、指導認める 門真の第三中 「内心の自由ある」』と、[[君が代]]斉唱の際に生徒一人を除いて全員が起立しなかった問題を報じた。このことについて、[[戸田久和]]・同市市議会議員は独自に調査を行った結果、教員達は「立つ立たないは個人の自由。自分で判断せよ」と[[思想・良心の自由]]に基づき説明しただけであり、産経は取材もせずに記事を書いた疑いがあると主張し、この報道が[[右翼団体]]が市役所前で街宣を行い、市教育長への面談を申し入れる事態を誘発したと批判した&lt;ref&gt;『[[週刊金曜日]]』第699号『大阪・門真市立中学校 産経新聞・右翼・府教委が「偏向教育」攻撃 国歌斉唱「不起立」は生徒の「内心の自由」だ』&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=3315;id= 式14日後大報道のウヨ産経新聞・右翼・府教委による3中攻撃を許すな!] ちょいマジ掲示板&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> * [[2008年]]10月、[[ロス疑惑]]で逮捕された時の写真を[[Yahoo! JAPAN]]を通じて掲載したとして[[三浦和義]]から名誉毀損で[[ヤフー (企業)]]と共に東京地方裁判所に提訴され、「無用な写真」として賠償を命じられる。[[2012年]][[2月20日]]、両社とも控訴を取り下げ、66万円の賠償命令が確定&lt;ref&gt;[http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120221/trl12022112060004-n1.htm 本紙とヤフー、控訴取り下げ ロス疑惑報道名誉毀損訴訟] MSN産経ニュース2012年2月21日&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> * [[2009年]][[4月5日]]、海賊対策でソマリア沖に派遣されていた海上自衛隊が不審船を追い払った行為を全面的に肯定する主張を掲載した&lt;ref&gt;{{cite news<br /> | url = http://megalodon.jp/2009-0405-1200-44/sankei.jp.msn.com/politics/policy/090405/plc0904050309006-n1.htm<br /> | title = 【主張】ソマリア海自 外国船救出は当たり前だ<br /> | newspaper = 産経新聞<br /> | date = 2009-04-05<br /> | accessdate = 2010-06-04<br /> }}&lt;/ref&gt;。これに対して普段は産経新聞と近しい主張をしている[[週刊文春]]2009年4月23日号から、明らかな違法行為で必要以上に擁護する姿勢は誤りという旨の批判をされた。<br /> <br /> * 2009年[[6月17日]]、中川俊男・[[日本医師会]][[常任理事]]が、定例の記者会見で、14日付朝刊『納税者の視点で見直せ-開業医と勤務医の診療報酬配分』を、「事実誤認も甚だしい」と厳しく批判。主な批判内容は、勤務医を対象とした意見収集調査の実施主体の誤り、開業医の業務実態と記事内容との乖離、日本医師会の内実に関する記述などである&lt;ref&gt;[http://www.cabrain.net/news/article/newsId/22604.html 産経記事、「事実誤認も甚だしい」―日医]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> *2009年7月、元[[在日朝鮮人]]3世で[[1976年]](昭和51年)に[[在日朝鮮人の帰還事業|北朝鮮帰還事業]]で[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]へ帰国した後、[[2008年]](平成20年)に[[脱北者|脱北]]し現在は[[大韓民国|韓国]]在住の46歳の男性が、「講演の打ち合わせ」の名目で、産経新聞の記者と[[ソウル市|ソウル]]で面会し、[[金正日]][[朝鮮労働党中央委員会総書記|総書記]]やその親族などについて質問を受けたが、この時、この男性が応答した内容が産経新聞[[8月1日]]号に掲載され、その際、男性の家族名が実名で記載されていた。これを受け、この男性は、家族が[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)からの監視対象となっていることが判明したため、「北朝鮮に残っている家族に危害が及ぶ恐れがある」として、産経新聞社に抗議した&lt;ref&gt;[https://archive.is/20120710204722/mainichi.jp/select/wadai/news/20090912k0000m040099000c.html 産経新聞:無断で発言を記事掲載 韓国の[[脱北者]]が抗議] 毎日新聞 2009年9月12日&lt;/ref&gt;。<br /> * [[第45回衆議院議員選挙]]投票日直前の2009年[[8月26日]]付朝刊に掲載された、[[SMAP]]によるラッピング形式の全面広告「幸せな国のつくり方。」&lt;ref&gt;{{cite news<br /> | url = http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/celebrity/293984/<br /> | title = 独占展開!SMAPが産経新聞ラッピング<br /> | newspaper = [[サンケイスポーツ]]<br /> | date = 2009-08-26<br /> | accessdate = 2010-07-11<br /> }}&lt;/ref&gt;の内容が当時の[[麻生内閣]]への支持、および無党派層に対して自民党候補者への投票を呼びかけたものであるとして批判された&lt;ref name=&quot;bloomberg20090828&quot;&gt;{{cite news<br /> | url = http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=newsarchive&amp;sid=atTIy3VDxfp4<br /> | title = SMAPが劣勢自民党への支持呼び掛け-有権者向け新聞広告(update1<br /> | newspaper = [[ブルームバーグ (企業)|ブルームバーグ]]<br /> | date = 2009-08-28<br /> | accessdate = 2010-07-11<br /> }}&lt;/ref&gt;。産経新聞広報部は[[ブルームバーグ (企業)|ブルームバーグ]]の取材に対し、「個別の政党や候補者を支持するものではない」と回答した&lt;ref name=&quot;bloomberg20090828&quot;/&gt;。<br /> <br /> *[[第45回衆議院議員選挙]]が公示された2009年[[8月17日]]に公式[[Twitter]]を開始。民主党の圧勝・自民党惨敗が伝えられた[[8月31日]]早朝、「そろそろ、中の人が交代しますー。皆さんお付き合いいただいて、ありがとうございました!」と選挙特集終了を伝えた後、「産経新聞が初めて下野なう」、「でも、民主党さんの思うとおりにはさせないぜ。これからが、産経新聞の真価を発揮するところ」&lt;ref&gt;{{Cite web<br /> |author=産経新聞社会部<br /> |url=http://twitter.com/SankeiShakaibu<br /> |title=産経新聞社会部 (SankeiShakaibu) on Twitter<br /> |publisher=産経新聞<br /> |accessdate=2009-10-22<br /> }}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{Cite web<br /> |author=猪谷千香<br /> |date=2009-08-18<br /> |url=http://igayac.iza.ne.jp/blog/entry/1179937/allcmt/<br /> |title=【速報】社会部選挙班の第一声 ニュース記事に関連したブログ<br /> |work=ブンカ×ブログ<br /> |archiveurl=http://s02.megalodon.jp/2009-0831-1231-47/igayac.iza.ne.jp/blog/entry/1179937/allcmt/<br /> |archivedate=2009-08-31<br /> |accessdate=2009-10-22<br /> }}&lt;/ref&gt;と公式アカウント(社会部選挙取材班担当記者)が発言。産経が自らを政権と同一視している(当時は[[自公連立政権]])ことを表したものとされた。なお、「下野なう」の「なう」は&quot;now&quot;(いま)のこと。Twitterでよく使われる言い回しで、「今、下野した」という意味合いになる。夕方に、公式アカウントが、「軽率な発言だったと反省しています。ご不快の念を抱かれた方には、お詫び申し上げます」、「新政権を担う民主党に対し、これまで自民党政権に対してもそうであったように、是々非々の立場でのぞみたいという意思表示のつもりでした」と謝罪・釈明した&lt;ref&gt;{{cite news<br /> |url = http://www.j-cast.com/2009/08/31048550.html<br /> |title = 「民主党さんの思うとおりにはさせないぜ」 ツイッター軽率発言を産経新聞が謝罪<br /> |newspaper = J-CASTニュース<br /> |publisher = [[ジェイ・キャスト]]<br /> |date = 2009-08-31<br /> |accessdate = 2009-10-22<br /> }}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{cite news<br /> |url = http://www.asahi.com/national/update/0902/TKY200909020075.html<br /> |title = 産経社会部、総選挙めぐり不適切書き込み 自社ページに<br /> |newspaper = 朝日新聞<br /> |date = 2009-09-02<br /> |accessdate = 2009-10-06<br /> }}&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;pjnews20090903&quot;&gt;{{cite news<br /> | url = http://news.livedoor.com/article/detail/4329354/<br /> | title = 「民主党さんの思うとおりにはさせないぜ」の産経新聞は「宗教新聞」なのか<br /> | newspaper = [[PJニュース]]<br /> | date = 2009-09-03<br /> | accessdate = 2010-01-20<br /> }}&lt;/ref&gt;。[[PJニュース]]編集長の[[小田光康]]は、この問題について、「プロのジャーナリストといえども人の子で、自分の思い込みや油断によって世間一般の常識から逸脱した表現を無意識のうちに公開してしまう危険性がある、信頼性がブランドとなっている報道機関にとっては致命的な事態であり、編集の重要性を問い直す事件であった」と述べている&lt;ref&gt;{{cite news<br /> |author = 小田光康<br /> |url = http://news.livedoor.com/article/detail/4336753/<br /> |title = 「産経ツイッター事件」は何を意味したか=「編集の重要性」と「読者の囲い込み」<br /> |newspaper = PJニュース<br /> |publisher = ライブドア<br /> |date = 2009-09-08<br /> |accessdate = 2009-10-22<br /> }}&lt;/ref&gt;。PJニュースでは、公式アカウントが「これまで同様に客観的な事実に基づき、中立的な立場に立った上で、公正な報道をするよう、さらなる努力をしていきます」と釈明したことについても、「産経新聞が掲げている『正論路線』が主観に基づくものであり、偏向した主義主張のもとで中立公正な報道などあり得ない」として、疑問を呈する報道もあった&lt;ref name=&quot;pjnews20090903&quot;/&gt;。<br /> <br /> * [[2011年]][[1月19日]]付朝刊において、[[京都市勧業館]]で開催中であった「[[人体の不思議展]]」で展示されている人体標本が「[[死体|遺体]]」であるとの見解を[[厚生労働省]]が示し、[[京都府警察]]が[[死体解剖保存法]]に抵触するか否かについて捜査を行う方針を示したことを報じた記事で、末永恵子[[福島県立医科大学]]講師の談話を、掲載の2ヶ月前の2010年11月に取材した内容と過去の論文を組み合わせた上で、「標本はすべて中国人ということだが、もしこれが日本人だったらどう思うか」という一文を記者が創作、加筆し報道した&lt;ref name=&quot;mainichi110128&quot;&gt;{{Cite news | url = http://megalodon.jp/2011-0128-0921-13/mainichi.jp/select/jiken/news/20110128k0000m040141000c.html | title = 産経新聞:談話無断改変で謝罪 「人体の不思議展」記事で | newspaper = 毎日新聞 | date = 2011-01-28 | accessdate = 2013-02-08 }}&lt;/ref&gt;。これに対し末永講師は「創作された文章で、中国人に対して差別的な印象もあり、多くの人から真意を問う連絡を受けている」と発言&lt;ref name=&quot;mainichi110128&quot;/&gt;、本人からの抗議を受け、記事を執筆した社会部の記者と上司は[[1月26日]]、電話で謝罪した&lt;ref name=&quot;mainichi110128&quot;/&gt;。産経新聞大阪本社総合企画室は、当該部分が盛り込まれた経緯について「取材過程については答えかねる」としている&lt;ref name=&quot;mainichi110128&quot;/&gt;。<br /> <br /> * 2011年[[3月16日]]&lt;ref&gt;『産経新聞』2011年3月16日&lt;/ref&gt;及び21日&lt;ref name=&quot;sankei20110320a&quot;&gt;{{Cite news | author = [[阿比留瑠比]] | url = http://megalodon.jp/2011-0328-1631-45/sankei.jp.msn.com/politics/news/110320/plc11032021460029-n1.htm | title = 【政論】首相は自衛隊員の気持ちを分かっているのか (1/2) | work = MSN産経ニュース | publisher = [[産経新聞]] | date = 2011-03-20 | accessdate = 2013-12-02 }}&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;sankei20110320b&quot;&gt;{{Cite news | author = [[阿比留瑠比]] | url = http://megalodon.jp/2011-0325-1558-01/sankei.jp.msn.com/politics/news/110320/plc11032021460029-n2.htm | title = 【政論】首相は自衛隊員の気持ちを分かっているのか (2/2) | work = MSN産経ニュース | publisher = [[産経新聞]] | date = 2011-03-20 | accessdate = 2013-12-02 }}&lt;/ref&gt;の朝刊で、衆議院議員[[辻元清美]]について「阪神大震災の時、被災地でビラをまいた」などと、一部インターネット掲示板上でのみ流布している虚偽情報を、あたかも事実であるかのように書いた記事を掲載&lt;ref&gt;[[阿比留瑠比]]『ブラックジョーク』&lt;/ref&gt;し、菅内閣で[[東日本大震災]]の災害ボランティア担当補佐官に起用されたことに疑問を呈した&lt;ref name=&quot;sankei20110320a&quot;/&gt;。辻元から事実無根として[[名誉毀損]]で提訴される&lt;ref&gt;{{Cite news | url = http://www.47news.jp/CN/201201/CN2012011901001540.html | title = 辻元衆院議員が産経新聞を提訴 「虚偽報道で名誉毀損」 | agency = [[共同通信社]] | publisher = [[47NEWS]] | date = 2012-01-19 | accessdate = 2013-12-02 }}&lt;/ref&gt;。2013年3月22日、東京地裁で「ビラの内容は反社会的ではなく、また本人に全く取材しておらず社会的信用低下を招いた」として賠償命令(請求3300万円に対し80万円)&lt;ref&gt;[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130322-OYT1T01135.htm 産経新聞に賠償命令、辻元議員への名誉毀損認定] 読売新聞2013年3月22日&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130322/trl13032218530004-n1.htm 辻元議員記事で名誉毀損、産経新聞社に80万円賠償命令 東京地裁] 産経新聞2013年3月22日&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;「辻元衆院議員、産経新聞に勝訴 名誉毀損認め賠償命令」、共同通信、2012年3月22日&lt;/ref&gt;。双方とも控訴せず確定したが、産経は上訴しなかった理由を「コメントしない」&lt;ref&gt;[http://web.archive.org/20130412200023/www.yomiuri.co.jp/national/news/20130409-OYT1T00662.htm 辻元清美議員の名誉毀損訴訟、産経の賠償確定] 読売新聞2013年4月9日&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> *[[2014年]][[1月10日]]、東京都知事選挙に際し、[[細川護熙]]に[[池上彰]]がインタビュー中で出馬を促したと報じた&lt;ref&gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140110/stt14011007290000-n2.htm 『細川氏からの出馬打診に池上彰氏が逆提案「細川さんが出た方が…」』2/2] 産経新聞2014年1月10日&lt;/ref&gt;。しかし当の池上自身が「“出馬が取り沙汰されているがあなた自身の考えはどうなんだ”と問うただけ」とこれを否定。他社からの裏取りを受けたため、内容を訂正させようと産経東京本社に連絡したが回答は未だないという&lt;ref&gt;「[http://www.asahi.com/articles/DA3S10953929.html 取材される立場になって 「裏を取る」大切さ再認識]」 朝日新聞オピニオン面「[[池上彰の新聞ななめ読み]]」2014年1月31日付け&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> * 2014年[[11月26日]]付の東海・北陸版朝刊にて、[[リチャード・コシミズ]]の著書に関する広告を掲載した&lt;ref name=&quot;mainichi20141206&quot;&gt;{{Cite news | url = http://mainichi.jp/select/news/20141206k0000e040202000c.html | title = 産経新聞:社長名でおわび掲載 ユダヤ系団体抗議受け | work = [[毎日jp]] | publisher = [[毎日新聞社]] | date = 2014-12-06 | accessdate = 2014-12-29 }}&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;47news20141206&quot;&gt;{{Cite news | url = http://www.47news.jp/CN/201412/CN2014120501002357.html | title = 産経新聞に米ユダヤ系団体が抗議 掲載広告めぐり | agency = [[共同通信社]] | publisher = [[47NEWS]] | date = 2014-12-06 | accessdate = 2014-12-29 }}&lt;/ref&gt;。見出しや紹介文に[[ホロコースト]]の存在を否定する文言が含まれていたことから、[[サイモン・ヴィーゼンタール・センター]]が産経新聞社長[[熊坂隆光]]宛に抗議文を送付&lt;ref name=&quot;mainichi20141206&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;47news20141206&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;mainichi20141205&quot;&gt;{{Cite news | url = http://mainichi.jp/select/news/20141206k0000m040143000c.html | title = ホロコースト:「でっち上げ」産経の書籍広告に抗議 | work = [[毎日jp]] | publisher = [[毎日新聞社]] | date = 2014-12-05 | accessdate = 2014-12-29 }}&lt;/ref&gt;。産経新聞は12月5日、熊坂社長が、「掲載に至る経緯は調査中だが、広告審査手続きに欠陥があったことは明らかだ。こうした内容の広告が掲載され、極めて遺憾。読者とユダヤコミュニティーの皆様に深くおわびします」とのコメントを出し、12月6日付紙面に熊坂社長名で謝罪記事を掲載した&lt;ref name=&quot;mainichi20141206&quot;/&gt;&lt;ref&gt;「産経新聞、ユダヤ中傷書籍の広告掲載で謝罪」日本経済新聞、2014年12月6日&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> * 2014年[[12月6日]]付朝刊で、退任した朝日新聞社の[[木村伊量]]前社長が同社の顧問就任を辞退したことに関する記事の中で、ジャーナリスト[[江川紹子]]のコメントを掲載したが、本人の承諾を得ていなかったとして、9日付朝刊で記事の取り消しと謝罪記事を掲載した&lt;ref name=&quot;47news20141225&quot;&gt;{{Cite news | url = http://www.47news.jp/CN/201412/CN2014122501000760.html | title = 産経新聞、記者ら6人処分 江川さん談話取り消しで | agency = [[共同通信社]] | publisher = [[47NEWS]] | date = 2014-12-25 | accessdate = 2014-12-29 }}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;「産経新聞社、おわび掲載 朝日新体制記事取り消し」日本経済新聞、2014年12月9日&lt;/ref&gt;。また、24日付で、記事を執筆した東京社会部記者を10日間の出勤停止としたほか、編集担当常務取締役を減俸処分、管理責任や紙面編集の責任を負う東京編集局長など4人を減給処分とした&lt;ref name=&quot;47news20141225&quot;/&gt;。<br /> * 2016年4月20日付の「一部メディアのオスプレイ叩きに被災者から批判の声 『露骨な政治的パフォーマンスでは…』との記事中の、オスプレイ事故率は民間機である大韓航空や中華航空よりも低いとの記述がその後産経サイトから理由が明示されずに削除された。この記述についてGoHooは、アメリカ軍の海兵隊機と民間航空機では事故率を算定する基準が異なるため比較の根拠となるデータが正確でない可能性が高いとしている&lt;ref&gt;[http://gohoo.org/16042201/ オスプレイ事故率「民間機より低い」を削除 産経サイト]&lt;/ref&gt;。<br /> * 2016年6月16日、前日15日、[[舛添要一]]都知事の辞任表明を受けてインタビューを受ける女性(次期都知事になってほしい人として民進党の参議院議員[[蓮舫]]を挙げる内容)について、被災地リポートを行った[[ピースボート]]スタッフと酷似しているとのネット上の主張をうけ、「サクラではないか」とする記事を配信。しかし、ピースボートスタッフらから「別人である」との抗議を受け&lt;ref&gt;[http://www.sankei.com/affairs/news/160617/afr1606170010-n1.html ピースボート災害ボランティアセンターが産経ニュース記事に抗議 「女性スタッフは熊本で活動中で街頭インタビューに応じるわけない」] 産経新聞2016年6月17日&lt;/ref&gt;、記事を取り消し、のち謝罪した&lt;ref&gt;[http://www.sankei.com/life/news/160617/lif1606170019-n1.html ピースボート災害ボランティアセンターへの回答書] 産経新聞2016年6月17日&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://mainichi.jp/articles/20160618/k00/00m/040/138000c 産経新聞 ニュースサイト掲載の記事削除、陳謝…取材怠り] 毎日新聞 2016年6月17日&lt;/ref&gt;。また、当事者への取材をせずに記事化していたことも判明した&lt;ref&gt;[http://www.asahi.com/articles/ASJ6K7KCMJ6KUTIL06K.html 産経ニュースサイト、記事削除し謝罪 当事者に取材せず] 朝日新聞 2016年6月18日&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> * 2016年7月4日の朝刊において、当時、東京都知事選への出馬を表明したばかりの[[小池百合子]][[衆議院議員]]について、自身が代表をつとめる政党支部が、事務所を相場の半額程度で借りていると報道した。記事によれば政治資金収支報告書には家賃月15万円を計上していたが、複数の地元不動産関係者によると、家賃相場は27万円前後で、差額は月約12万円、年約144万円で、差額は寄付とみなされ政治資金収支報告書に記載する必要があるが、公表された支部の収支報告書に記載はなかったと報じた&lt;ref&gt;[http://www.sankei.com/affairs/news/160704/afr1607040005-n1.html 【東京都知事選】小池百合子氏代表の支部事務所が支援者ビルに格安入居 政治資金規正法抵触も] 産経新聞2016年7月4日&lt;/ref&gt;。同月5日、小池は産経新聞のこの報道を「捏造されたものではないか」「悪意に満ちた印象操作が行われている」「同じような環境にあるビルは15万円から20万円が相場だが、なぜか27万円という決めつけのもとで報道が行われた」と反論した&lt;ref&gt;[http://www.sankei.com/affairs/news/160704/afr1607040029-n1.html 【東京都知事選】小池百合子氏側が反論「報道に違和感」 支援者ビル格安入居問題] 産経新聞2016年7月4日&lt;/ref&gt;。この事務所のビルのオーナーは、「小池氏に貸したときには、9カ月間も空いていましたし、さらに同じビル内で空きが出る状況で困っていました」「小池氏に対して特別に安く貸したということはまったくありません」と述べ「産経新聞の取材も受けた」と話すが、産経新聞の記事中にそのオーナーは登場せず、「複数の不動産関係者」「ビルの関係者」という匿名の関係者ばかりの記事であった。産経新聞は広報部部長名義で、「個別の記事に関することにはお答えできません」と回答した&lt;ref&gt;[http://president.jp/articles/-/18428?page=2 小池百合子事務所家賃疑惑「老朽化しすぎで産経の誤報が判明!」(2/2)] プレジデント&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> *[[2017年]][[10月19日]]「産経抄」の内容を、元記事にはない「日本を貶める日本人をあぶりだせ」という見出しをつけて配信&lt;ref&gt;【産経抄】日本を貶める日本人をあぶりだせ 10月19日 [http://www.sankei.com/column/news/171019/clm1710190003-n1.html 1/2][http://www.sankei.com/column/news/171019/clm1710190003-n2.html 2/2]&lt;/ref&gt;。[[早川タダノリ]]は「『非国民狩り』を提起している。もはや報道ではなく憎悪扇動ビラ」&lt;ref&gt;{{Twitter status|hayakawa2600|920849252879704064|2017年10月17日}}&lt;/ref&gt;、文化人類学者で愛知県立大教授・[[亀井伸孝]]は「異なる者に対して攻撃をそそのかす言説をまき散らす団体に、ジャーナリズムを名乗る資格はない」と批判&lt;ref&gt;{{Twitter status|jinrui_nikki|921068434884038656|2017年10月19日}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://www.asahi.com/articles/ASKC1666HKC1UTIL04M.html 産経新聞コラムのウェブ版、「排他的」見出しに批判次々] 朝日新聞2017年11月3日&lt;/ref&gt;。ジャーナリストの[[江川紹子]]も、「人でなし、とはこんなものを書く人のことを言うのだろう」&lt;ref&gt;{{Twitter status|amneris84|921043057494990848|2017年10月19日}}&lt;/ref&gt;、「日本で悲惨な事件や事故、災害があって、人々が強い衝撃を受けている時に、他国の紙が『日本人じゃなくてよかった。日本はひどい国だ』と書いたら、どんな気持ちか、産経抄にはそれくらいの想像力すらないのか。サイテー」&lt;ref&gt;{{Twitter status|amneris84|921045010815918080|2017年10月19日}}&lt;/ref&gt;。産経はコラム趣旨を問う[[ジェイ・キャスト]]の取材に「個別の記事に関することには答えられない」&lt;ref&gt;[https://www.j-cast.com/2017/10/20311793.html?p=all 産経新聞コラムが物議 パナマ文書の記者爆殺に「日本の新聞記者でよかった」] ジェイ・キャスト2017年10月20日&lt;/ref&gt;。<br /> * 阿比留瑠比が執筆した加計学園についての参考人質疑の記事「驕れるメディアは久しからず 朝日・毎日のベテラン記者の噴飯質問に思わず赤面してしまった」との記事&lt;ref&gt;[http://www.sankei.com/politics/news/171008/plt1710080104-n1.html 驕れるメディアは久しからず 朝日・毎日のベテラン記者の噴飯質問に思わず赤面してしまった…]&lt;/ref&gt;についてGoHooは、朝日新聞が加戸守行、八田達夫の証言をまったく報道していないというのは不正確とし、朝日新聞の加戸の証言の報道量が前川喜平の証言の報道量に比べて最も少ないのは事実だが、前川証言に比べて少ないのは朝日新聞だけではないとした。また、八田の証言についての報道量は、朝日新聞は読売新聞に次いでおり、産経新聞より多かったとした&lt;ref&gt;[http://gohoo.org/17101901/ 加計問題 朝日は加戸、八田両氏の証言を報じなかった?]&lt;/ref&gt;。朝日新聞は、[[安倍晋三]]のほとんど朝日は報じていないとする発言を否定している&lt;ref&gt;[http://www.asahi.com/articles/ASKB85JXNKB8UTIL01D.html 首相「朝日ほとんど報じてない」 紙面、10回以上掲載:朝日新聞デジタル]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> &#039;&#039;報道記事は掲載期間経過で消えているものもあるので注意。&#039;&#039;<br /> {{reflist}}<br /> <br /> ==参考文献==<br /> *{{Cite book|和書<br /> |editor=ウェーブ産経事務局編<br /> |title=産経が変えた風…正論を貫いて<br /> |origdate=2001-11<br /> |publisher=[[産経新聞出版|産経新聞ニュースサービス]]<br /> |isbn=9784594032982<br /> }}<br /> *{{Cite book|和書<br /> |editor=[[週刊金曜日]]編<br /> |title=検証 産経新聞報道 <br /> |origdate=2017-07<br /> |publisher=株式会社金曜日<br /> |isbn=9784865720211<br /> }}<br /> <br /> <br /> {{産業経済新聞社}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:さんけいしんふんのほうとう}}<br /> [[Category:産経新聞の歴史|ほうとう]]<br /> [[Category:メディア問題]]<br /> [[Category:フジサンケイグループ]]</div> 2400:7800:4975:9200:F837:CCB2:3B99:58E4 与島 2018-04-24T08:49:33Z <p>2400:7800:4975:9200:F837:CCB2:3B99:58E4: /* 観光とフィッシャーマンズワーフ */</p> <hr /> <div>{{Infobox 島<br /> |島名=与島<br /> |画像=[[ファイル:Yo-shima Island.jpg|250px]]&lt;br /&gt;与島全体の空中写真。{{国土航空写真}}<br /> |座標={{ウィキ座標2段度分秒|34|23|21|N|133|49|10|E|region:JP-37_type:isle_scale:50000|display=inline,title}}<br /> |面積=1.10&lt;ref name=&quot;しまネット_与島データ&quot;/&gt;<br /> |周囲=4.3&lt;ref name=&quot;しまネット_与島データ&quot;/&gt;<br /> |標高=74&lt;ref name=&quot;しまネット_与島データ&quot;/&gt;<br /> |最高峰=<br /> |最大都市=<br /> |諸島=[[塩飽諸島]]<br /> |海域=[[瀬戸内海]]<br /> |国={{JPN}}([[香川県]][[坂出市]])<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;与島&#039;&#039;&#039;(よしま)は、[[香川県]][[坂出市]]の[[瀬戸内海]]に浮かぶ[[塩飽諸島]]の[[島]]&lt;ref name=&quot;島嶼大辞典&quot;/&gt;。<br /> <br /> 与島を中心に、坂出市に属する[[櫃石島]]、[[岩黒島]]、与島、鍋島、小与島、[[瀬居島]]、[[沙弥島]]などを束ねて与島諸島とも言う&lt;ref name=&quot;島嶼大辞典&quot;/&gt;。<br /> <br /> ==地勢==<br /> [[ファイル:与島諸島.jpg|thumb|left|250px|与島諸島略図(島々を横断する緑線が瀬戸大橋)]]<br /> [[File:Sunchine on Great Seto Bridge.jpg|left|thumb|250px|与島に架かる[[瀬戸大橋]]]]<br /> [[File:An alley in Yoshima island (22120765944).jpg|thumb|left|250px|与島の路地と石積み]]<br /> 古くから[[瀬戸内海]]([[備讃瀬戸]])の重要港だった[[四国]]の[[宇多津町|宇多津]]と[[本州]]・[[下津井]](現[[倉敷市]]の一部)の両港のほぼ中間地点に位置する島である&lt;ref name=&quot;平凡地名_与島&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;平凡地名_宇多津&quot;/&gt;。<br /> <br /> [[塩飽諸島]]を構成する主要7島(塩飽七島)の一つで、主に[[花崗岩]]からなり、面積1.10km{{sup|2}}、周囲6.9km&lt;ref name=&quot;日立_与島&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;小学館_与島&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;島嶼大辞典&quot;/&gt;。周囲に[[羽佐島]]、[[岩黒島]]、[[小与島]]、[[鍋島]]、[[三つ子島]]を従えている&lt;ref name=&quot;平凡地名_与島&quot;/&gt;。「与島」という名称が確認できる最古の文献は1590([[天正]]18)年に遡り、これらの島々が組になっていることから「与する島」というのが島名の由来とする説がある&lt;ref name=&quot;角川地名_与島&quot;/&gt;。塩飽諸島のうち、坂出市に属する島を与島諸島とも言う&lt;ref name=&quot;島嶼大辞典&quot;/&gt;。<br /> <br /> 島の東西それぞれに標高60-70mほどの南北に走る丘があり、かつては採石場だった&lt;ref name=&quot;島嶼大辞典&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;平凡地名_与島&quot;/&gt;。北にはかつて入り江があって、島は馬蹄形をしていたが、江戸末期に[[塩田]]を作るために入り江が埋め立てられ、今は円形の島である。埋め立てられた一帯は今は「塩浜」地区となっている&lt;ref name=&quot;平凡地名_与島&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;島嶼大辞典&quot;/&gt;。かつての「馬蹄」の先端部は「長崎鼻」などと呼ばれており、石棺や列石が見つかっている&lt;ref name=&quot;東山魁夷&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;島嶼大辞典&quot;/&gt;。<br /> <br /> 島の南東側には「浦城」地区があり、100mほど沖に小さな[[鍋島]]がある。今は防潮堤で鍋島と接続されており、港になっている&lt;ref name=&quot;平凡地名_与島&quot;/&gt;。鍋島にある[[鍋島灯台]]は1872(明治5)年築の石造りの灯台で、日本で2番めに古い灯台とされている&lt;ref name=&quot;平凡地名_与島&quot;/&gt;。<br /> <br /> 植生は[[クロマツ]]や[[アカマツ]]が多く、農地では麦作や花卉栽培が行われている&lt;ref name=&quot;島嶼大辞典&quot;/&gt;。古くは漁業と石材業が島の中心産業で、浦城の漁港を中心に[[鯛]]・[[サワラ|鰆]]・[[メバル|鮴]]・[[タコ|蛸]]などを獲っていた&lt;ref name=&quot;角川地名_与島&quot;/&gt;。[[瀬居島]]との間の海域や牛島の南など、あたりは岩礁の多い好漁場だったが、それゆえに近隣の浜との諍いが絶えず、[[備前国]](岡山県)側とも[[讃岐国]](香川県)側とも対立した&lt;ref name=&quot;角川地名_与島&quot;/&gt;。島で切り出した石材を運ぶための回漕業も発達し、[[島原の乱]]では[[板倉重昌]]が与島で24隻の船を徴発して資材の運送に充てた&lt;ref name=&quot;角川地名_与島&quot;/&gt;。島民は船員として秀でており、[[河村瑞賢]]による[[西廻海運]]開拓、[[咸臨丸]]の[[小笠原諸島|小笠原]]航海にも参加した&lt;ref name=&quot;角川地名_与島&quot;/&gt;。塩飽諸島独特の制度として、戦国末期に作られた「&#039;&#039;&#039;人名&#039;&#039;&#039;(にんみょう)」というものがあり、幕府の海事に船員として労力を提供する代わりに世襲で漁業権や島の土地の権利を保証された&lt;ref name=&quot;日立_人名制&quot;/&gt;。塩飽の島々は「人名の島」とも呼ばれ、「人名」の名称は現代も島域の山林の管理組合などに残されている&lt;ref name=&quot;角川地名_与島&quot;/&gt;。江戸後期には入浜式の[[塩田]]が拓かれ、製塩業もはじまり移住者が増えた&lt;ref name=&quot;角川地名_与島&quot;/&gt;。塩田を築いたのは備前国出身者だったので、香川県内の他の塩田とは設計が異なっているのが特徴である&lt;ref name=&quot;角川地名_与島&quot;/&gt;。塩田は1972(昭和47)年まで操業していたが、[[塩#日本における塩の専売|国の塩業政策]]にともなって廃止になり、跡地は瀬戸大橋建設のための資材置き場となった。これが現在の塩浜地区にあたる&lt;ref name=&quot;角川地名_与島&quot;/&gt;。<br /> <br /> ===行政===<br /> 全域が[[香川県]][[坂出市]]与島町に属している。<br /> <br /> 1590([[天正]]18)年に[[太閤検地]](塩飽検地)があり、居住者40と記録されている&lt;ref name=&quot;平凡地名_与島&quot;/&gt;。[[江戸時代]]には幕府の直轄となり、島年寄と[[庄屋]]がおかれた&lt;ref name=&quot;平凡地名_与島&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;角川地名_与島&quot;/&gt;。1875(明治8)年の記録では78戸339人となっている&lt;ref name=&quot;平凡地名_与島&quot;/&gt;。<br /> <br /> 1878(明治11)年に「[[那珂郡 (香川県)|那珂郡]]」に編入されたのち、1890(明治23)年に周辺の島々を集めて「&#039;&#039;&#039;[[与島村]]&#039;&#039;&#039;」(與嶋村、よしまそん)が発足した&lt;ref name=&quot;平凡地名_坂出市&quot;/&gt;。1899(明治32)年には那珂郡が隣接する郡と合併して[[仲多度郡]]となった&lt;ref name=&quot;平凡地名_坂出市&quot;/&gt;。1953(昭和28)年に与島村は[[坂出市]]に編入された&lt;ref name=&quot;平凡地名_坂出市&quot;/&gt;。<br /> <br /> 1980年には島民は361名であり、多くの家庭が採石業に関連した仕事をしていた&lt;ref name=&quot;mainichidamepo&quot;/&gt;。瀬戸大橋の建設に伴って建設労働者の宿舎が建築され1988年には人口は500人以上に増えた&lt;ref name=&quot;mainichidamepo&quot;/&gt;。瀬戸大橋開通後に期待した観光業は数年で廃れ、人口流出が続いた&lt;ref name=&quot;mainichidamepo&quot;/&gt;。1990年には277&lt;ref name=&quot;mainichidamepo&quot;/&gt;人、2005年には73世帯142人&lt;ref name=&quot;しまネット_与島データ&quot;/&gt;、2010年には63世帯115人&lt;ref name=&quot;香川県_計画&quot;/&gt;となり高齢化も進行している&lt;ref name=&quot;mainichidamepo&quot;/&gt;。<br /> <br /> ===西方遺跡===<br /> 1988(昭和63)年には[[瀬戸大橋]]が開通するにあたり、島の西側の尾根一帯は架橋用地となり、[[与島パーキングエリア]]が設けられた&lt;ref name=&quot;平凡地名_与島&quot;/&gt;。この西の尾根には[[旧石器]]が出土する&#039;&#039;&#039;西方遺跡&#039;&#039;&#039;があり、瀬戸大橋の工事に先立って発掘調査が行われた&lt;ref name=&quot;平凡地名_与島&quot;/&gt;。一帯からは[[讃岐岩]](サヌカイト)の[[剥片石器]]や[[ナイフ形石器]]など2000点あまりが出土したが、花崗岩の風化が著しく住居跡などは確認できなかったため、詳しいことはわかっていない&lt;ref name=&quot;平凡地名_与島&quot;/&gt;。<br /> <br /> ===与島石===<br /> 周辺の島々と同様に、与島でもかつて採石業が盛んだった&lt;ref name=&quot;mainichidamepo&quot;/&gt;。豊臣秀吉の検地に際して、与島は5ヶ所ある「御用石帳場」の1つになっている&lt;ref name=&quot;平凡地名_与島&quot;/&gt;。江戸時代から明治時代には石の切り出しがさらに盛んになり&lt;ref name=&quot;平凡地名_与島&quot;/&gt;、与島と隣接する小与島では「&#039;&#039;&#039;与島石&#039;&#039;&#039;」と呼ばれる良質な花崗岩を産出し昭和の最盛期には30社もの業者が操業していた&lt;ref name=&quot;mainichidamepo&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;小学館_与島&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;しまネット_小与島&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;さかいで3島物語&quot;/&gt;。石材を搬出する海運業も栄え&lt;ref name=&quot;mainichidamepo&quot;/&gt;、50隻の運搬船が使用された&lt;ref name=&quot;mainichidamepo&quot;/&gt;。<br /> <br /> 瀬戸大橋の建設に伴って橋脚やパーキングエリアや観光施設に土地を譲渡する形で多くの業者が廃業した&lt;ref name=&quot;mainichidamepo&quot;/&gt;。採石は露天掘りで実施されており、操業停止後は雨水が溜まり池になっている場所もある&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;google mapで確認できる&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 近年は安価な外国産石材におされて採石事業は低調であり、外国産石材の加工業が営まれている&lt;ref name=&quot;講談社_与島&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;小学館_与島&quot;/&gt;。<br /> {{clear}}<br /> <br /> == 交通 ==<br /> かつて与島は「離島」だったが、[[瀬戸大橋]]の開通と[[与島パーキングエリア]]の開業により、本州・四国の本土と陸路で接続されている。本州の岡山県、四国の香川県とは公共交通(バス)による定期便が運行されている。一方、2015年現在、与島への定期航路はない&lt;ref name=&quot;香川県_計画&quot;/&gt;。<br /> ===与島港===<br /> {{multiple image<br /> | direction = vertical<br /> | width = 250<br /> | image1 = 与島諸島付近の航路.jpg<br /> | caption1 = [[備讃瀬戸航路]]と[[水島航路]]<br /> | image2 = Yoshima plaza.JPG<br /> | caption2 = [[与島パーキングエリア]]の与島プラザ<br /> | image3 = Kotosan Bus.jpg<br /> | caption3 = 瀬戸大橋フィッシャーマンズワーフに停車中の[[琴参バス]]の車両。<br /> }}<br /> 与島は、石材の積み出し地として栄えてきた。港湾施設は島の南東岸の浦城地区、北岸の塩浜地区(与島塩浜港)、与島から東に300m沖にある小与島の西岸、さらに羽佐島の東岸にあり、これらをまとめて&#039;&#039;&#039;与島港&#039;&#039;&#039;とする&lt;ref name=&quot;坂出市_港_全体図&quot;/&gt;。与島港は[[地方港湾]]に指定されており、坂出市が管理をしている&lt;ref name=&quot;香川県_与島港&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;国交省_港湾一覧&quot;/&gt;。<br /> <br /> 港湾地区の一つである南東岸の浦城地区の港は浦城港と呼ばれており、かつては定期船が出入りしていた。現在はもっぱら漁業に利用されている。岸壁から100mほどにある鍋島まで防潮堤で接続されており、鍋島には[[鍋島灯台]]がある&lt;ref name=&quot;坂出市_港_浦城&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;にぎわい室20130528&quot;/&gt;。<br /> <br /> 北岸の塩浜地区の埋立地にある与島塩浜港では、[[瀬戸大橋]]の開通にあわせて大型商業施設の「フィッシャーマンズワーフ」が整備され、瀬戸大橋観光遊覧船が就航していた([[#観光とフィッシャーマンズワーフ]]参照)。与島塩浜港には浮桟橋と荷揚げ用の岸壁が整備されており、もっぱら交通用途に利用されている&lt;ref name=&quot;坂出市_港_塩浜&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;香川県_与島港&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;与島桟橋&quot;/&gt;。<br /> <br /> このほか、小与島にも波止場があり、与島港の一部をなしている。ただし2015年現在、小与島への定期航路はない&lt;ref name=&quot;坂出市_港_小与島&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;しまネット_小与島&quot;/&gt;。<br /> <br /> 与島は大型船舶が数多く航行する瀬戸内海の海上交通の幹線上にある。島の南には、島や浅瀬の間を縫うように[[備讃瀬戸航路]]が設定されている。与島付近では、備讃瀬戸航路は3つに細分化されている。このうち与島の東側では幅1.4kmの海域が「[[備讃瀬戸東航路]]」と設定されていて、北寄りの幅700mの海域が西行き航路、南寄りの幅700mの海域が東行き航路の対面航行になっている。一方、瀬戸大橋の西側の海域では、西へ向かう船舶は[[本島 (香川県)|本島]]と[[牛島 (香川県)|牛島]]の間を通り、与島の南をかすめる「[[備讃瀬戸北航路]]」になっている。東へ向かう船舶は「[[備讃瀬戸南航路]]」を通り、牛島と四国本島の間を抜ける&lt;ref name=&quot;備讃瀬戸_ガイド&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;備讃瀬戸_特徴&quot;/&gt;。<br /> <br /> さらに、与島の西側には[[倉敷市]]の[[水島港]]から出てくる[[水島航路]]が設定されており、与島の南西沖で備讃瀬戸航路に合流する。与島周辺では、これらの航路の内外で[[こませ網漁]]も行われている&lt;ref name=&quot;備讃瀬戸_ガイド&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;備讃瀬戸_特徴&quot;/&gt;。<br /> <br /> === 道路 ===<br /> 1988(昭和63)年開通の[[瀬戸大橋]]が与島を南北に貫いている。「瀬戸大橋」は複数の橋梁からなっており、このうち[[羽佐島]]と与島のあいだを[[与島橋]](877m)、与島の上を[[与島高架橋]](717m)、与島から[[三つ子島]]のあいだを[[北備讃瀬戸大橋]](1611m)が繋いでいる。瀬戸大橋には[[瀬戸中央自動車道]]と鉄道の[[瀬戸大橋線]]が走っており、このうち自動車道には[[与島インターチェンジ]]と[[与島パーキングエリア]]が設けられている。<br /> <br /> [[与島パーキングエリア]]には750台の駐車場があり、駐車場から与島北部の与島港へ行くことが出来る。<br /> 路線バス及び島民関係者は専用カードによりゲートを開いて島内道路へ入ることが可能。島民以外の自動車は第2駐車場(塩浜地区)までであり、[[与島インターチェンジ|島民用ゲート]]を通れないので、島の南部へ行くためには路線バスを使うこととなる。<br /> <br /> * [[香川県道274号与島線]]<br /> <br /> === バス ===<br /> 四国側からは[[坂出駅]]・与島間([[琴参バス]]&lt;!--http://www.kotosan.co.jp/rosen/setooohasi/index.html--&gt;)、本州側からは[[児島駅]]・与島間([[下津井電鉄]]&lt;!--http://www.shimoden.net/rosen/rosen/pdf/timetable/setoohashi.pdf--&gt;)の路線バスが運行されている&lt;ref name=&quot;うどん県&quot;/&gt;。詳細は[[瀬戸大橋線 (バス路線)|瀬戸大橋線]]参照。<br /> {{clear}}<br /> <br /> ===鉄道===<br /> 瀬戸大橋には[[瀬戸大橋線]]が通っているが、与島を含めて橋の途中には鉄道駅はない。しかし、鉄道通過による騒音は島へも影響があり、環境基準としての騒音の目標値である80[[デシベル|dB]]が設定されている&lt;ref name=&quot;鉄道騒音&quot;/&gt;。実際の騒音値は72-82dBで推移しており、平均値では目標値をやや下回るものの、[[国鉄113系電車|113系]]列車を中心に基準を超える騒音が発せられる場合もある&lt;ref name=&quot;鉄道騒音&quot;/&gt;。このため騒音対策として車輪の改良が行われている&lt;ref name=&quot;鉄道騒音&quot;/&gt;。<br /> <br /> ===その他の社会インフラ===<br /> 与島では1960(昭和35)年に簡易水道が敷設され、1980(昭和55)年には岡山県[[高梁川]]から水道が開通した&lt;ref name=&quot;角川地名_与島&quot;/&gt;。現在は坂出市から瀬戸大橋の防災用送水管を経由して上水道が供給されている&lt;ref name=&quot;香川県_計画&quot;/&gt;。一方、下水道は未整備で、浄化槽の設置や収集車によるし尿回収によって生活排水を処理している&lt;ref name=&quot;香川県_計画&quot;/&gt;。電気は1966(昭和41)年に送電が始まり&lt;ref name=&quot;角川地名_与島&quot;/&gt;、香川県から供給されている&lt;ref name=&quot;香川県_計画&quot;/&gt;。通信設備については携帯電話や3.5世代移動通信は利用できるものの、有線回線としてはISDN回線までであり、[[光ファイバー]]などの[[ブロードバンドインターネット接続]]は未整備である(2013年現在)&lt;ref name=&quot;香川県_計画&quot;/&gt;。<br /> <br /> 医療については、診療所はあるものの常勤医師はおらず、坂出市から週1回の巡回診療が行われている&lt;ref name=&quot;香川県_計画&quot;/&gt;。明治期から昭和初期には与島を含む周辺各島に小学校が整備されていたが、高齢化と少子化により、小学校・中学校は2008(平成20)年に廃校となった&lt;ref name=&quot;角川地名_与島&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;香川県_計画&quot;/&gt;。中学生までは四国本土へのバス通学をする場合には交通費の95%が補助金で賄われるが、高校生以上には交通費の補助や下宿の補助金はない&lt;ref name=&quot;香川県_計画&quot;/&gt;。<br /> <br /> == 観光とフィッシャーマンズワーフ ==<br /> 瀬戸大橋が完成した翌年の1989年には、774万人の観光客を集めた(ただしこれらの数値には与島パーキングエリアの立ち寄り客が含まれている。)が、2007年には258万人まで減少した&lt;ref&gt;現職の評価、焦点に 好立地生かせたか 坂出市長選、10日告示 [[朝日新聞]]2009年5月8日24ページ&lt;/ref&gt;{{refnest|group=&quot;注&quot;|その後は2008年261万人、2009年419万人、2010年366万人などとなっている&lt;ref name=&quot;香川県_計画&quot;/&gt;。}}。瀬戸大橋の開通にあわせてフィッシャーマンズ・ワーフという商業施設が設けられ、当初はおおいに賑わったものの、2011年11月30日に閉鎖されている&lt;ref name=&quot;香川県_計画&quot;/&gt;。<br /> <br /> === 開業と京阪電鉄撤退 ===<br /> [[File:Fisherman&#039;s wharf.JPG|thumb|250px|瀬戸大橋フィッシャーマンズワーフ]]<br /> [[瀬戸中央自動車道]]の開通した1988(昭和63)年に[[京阪電気鉄道]]が観光型商業施設「瀬戸大橋京阪フィッシャーマンズ・ワーフ」&lt;!---施設名称は京阪の社史による---&gt;を開業した&lt;ref name=&quot;mainichiiroiro&quot;&gt;香川を飛ぶ:2013空撮点描/1 与島パーキングエリア 橋開通25年、にぎわいなく /香川 [[毎日新聞]] 2013年1月24日 地方版&lt;/ref&gt;。当初は年間516万人の利用者があり&lt;ref name=&quot;shikokusinnbunn2011&quot;&gt;フィッシャーマンズ・ワーフ、11月末で休業へ 香川のニュース [[四国新聞社]] 経済一覧 2011年9月17日&lt;/ref&gt;予想を上回る年間103億円を売り上げた。与島を周遊する観光船(後述)や観光ヘリコプターが運行され&lt;ref name=&quot;mainichiiroiro&quot;/&gt;、[[レーシングカート]]場も建設された。<br /> <br /> 翌1989年にも島全体で774万人の観光客を集め&lt;ref name=&quot;朝日20090508&quot;&gt;現職の評価、焦点に 好立地生かせたか 坂出市長選、10日告示 [[朝日新聞]]2009年5月8日24ページ&lt;/ref&gt;、隣の[[小与島]]に建設されたリゾートホテル「アクア小与島」との間に[[索道|ロープウエイ]]を建設する計画まであったが、ブームが去ると観光客が急減。1990年代には年間250万人に減少し&lt;ref name=&quot;mainichidamepo&quot;&gt;瀬戸大橋:「陸続き」島を翻弄 観光は開通3年で陰り 毎日新聞 2013年4月10日&lt;/ref&gt;、[[神戸淡路鳴門自動車道]]や「[[しまなみ海道]]」がオープンすると更に減少した&lt;ref name=&quot;shikokusinnbunn2011&quot;/&gt;。不採算部門は次々と閉鎖・縮小されたが、[[2003年]]に京阪電鉄は撤退。累積赤字は清算された。<br /> <br /> === 八幡建設へ譲渡後 ===<br /> 事業は同年4月に[[鳥取市]]秋里の[[八幡建設]]&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;八幡建設は鳥取県を中心に土木、舗装など建設業、生コン製造販売、不動産賃貸などを手掛ける総合建設会社&lt;/ref&gt;に譲渡され「[[瀬戸大橋フィッシャーマンズワーフ]]」として再オープンした。遊覧船を含む全施設と土地を八幡建設が取得し職員・パート90人も受けついだ&lt;ref&gt;島「フィッシャーマンズ・ワーフ」 鳥取の業者が営業継続 京阪譲渡 2003年2月6日 一面-15版 1頁 山陽新聞朝刊&lt;/ref&gt;。八幡建設は観光・レジャー産業へは初進出であった。譲渡後から同年12月までの来場者数は45万8000人で、前年同期比12万人減であり譲渡後も来訪客の減少が止まらなかった&lt;ref name=&quot;sanyo20040122&quot;&gt;温泉掘削始まる 坂出・与島フィッシャーマンズ・ワーフ ホテル整備 立ち寄り型から滞在型へ 2004年1月22日 香川-15版 28頁 山陽新聞朝刊 写有&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 2004年1月22日より[[ボーリング]]による温泉の掘削を開始&lt;ref name=&quot;sanyo20040122&quot;/&gt;。当初は滞在型のリゾートホテルを建設する予定であったが&lt;ref name=&quot;sanyo20040122&quot;/&gt;、レーシングカート場跡地に[[オアシスパーク瀬戸大橋]]という[[足湯]]を2007年4月に建設するに留まった&lt;ref&gt;地下2000mから毎分35Lの温泉が湧出し、加温して利用していた;出典 瀬戸大橋と融合 癒やしの拠点に 与島に「オアシスパーク」オープン 足湯や庭園、イチゴ園整備 四国新聞社 2007年4月2日 朝刊 23頁 地域&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 「ベゴニア海花園」という温室庭園も2006年7月にオープンした&lt;ref name=&quot;mainichiiroiro&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;kanrin&quot;/&gt;。「ベゴニア海花園」には、[[ベゴニア]]を中心に約1万株の花々が植えられ&lt;ref name=&quot;kanrin&quot;/&gt;&lt;ref&gt;壮観1万株 与島に「ベゴニア海花園」オープン 四国新聞社 2006年7月30日 朝刊 1頁 総合&lt;/ref&gt;、[[アンデス山脈]]の標高3000m付近の植生が再現された&lt;ref name=&quot;kanrin&quot;/&gt;。四季咲きのローズガーデンやイチゴ園も併設された&lt;ref name=&quot;kanrin&quot;/&gt;。温室は3000平方メートルの広さで西日本最大級の規模であった&lt;ref name=&quot;yosimabego&quot;/&gt;。鹿児島県などから運んだケヤキやクスノキ、イチョウなどの大木を植樹し、築山、池を造成した庭園は、面積2万1000平方メートルの広さがあった。これらの新規観光施設開設によって年間20-40万人の入園者を見込んでいた&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;出典によって数値が異なる&lt;/ref&gt;が2007年実績で3万人に留まり&lt;ref&gt;フィッシャーマンズ・ワーフ 一部の施設休業 来月から 原油高、入園者低迷 四国新聞社 2008年11月8日 朝刊 27頁 社会&lt;/ref&gt;、2008年11月末には双方とも閉鎖となった&lt;ref name=&quot;yosimabego&quot;&gt;与島ベゴニア園“最後の営業日” 利用客ら名残惜しむ 四国新聞社 2008年12月1日 朝刊 17頁 地域&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 最終的には施設本館で土産物販売とレストランを営業するのみとなり&lt;ref name=&quot;shikokusinnbunn2011&quot;/&gt;、2011年11月30日に全面閉鎖された&lt;ref name=&quot;mainichiiroiro&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;shikokusinnbunn2011&quot;/&gt;。管理者は今後跡地を更地とし、利用方法を検討したいとしている&lt;ref name=&quot;mainichiiroiro&quot;/&gt;。<br /> <br /> 2015年11月現在は、建物があった場所に[[ソーラーパネル]]が設置され、[[太陽光発電]]施設として利用されている。<br /> <br /> === 咸臨丸 ===<br /> フィッシャーマンズワーフ開業に合わせて「咸臨丸」(かんりんまる)が就航した。これは幕末の[[咸臨丸]]を模して帆船風に3本のマストを装備した観光船で&lt;ref name=&quot;kanrin&quot;&gt;[http://www.shikoku-gasnen.co.jp/bari/spot/kagawa_l003/ 見どころあり、スリルもあり!瀬戸大橋が架る海をクルージング 遊覧船咸臨丸]&lt;/ref&gt;、1861([[文久]]元)年に咸臨丸が[[小笠原諸島]]への航海を行った際に[[塩飽諸島]]から42名の船員が参加したことに因んでいる(このうち与島からは4名)&lt;ref name=&quot;角川地名_与島&quot;/&gt;。観光船は[[瀬戸大橋]]の下をくぐって[[羽佐島]]、[[櫃石島]]などを巡り、約30分の[[クルーズ]]が人気で初年度は117万人が乗船した。客足が落ちると共に週末のみの航行となったが、建造後20年を経過して各部分の劣化が進行し、[[2008年]]1月末で運行を停止した。<br /> <br /> == 年表 ==<br /> * 1590([[天正]]18) - 豊臣秀吉による塩飽検地&lt;ref name=&quot;平凡地名_与島&quot;/&gt;。「与島」の初出&lt;ref name=&quot;角川地名_与島&quot;/&gt;。<br /> * 1769([[明和]]{{0}}6) - 塩飽島大工騒動。&lt;ref name=&quot;平凡地名_与島&quot;/&gt;<br /> * 1840([[天保]]11) - 入り江が埋め立てられて塩田ができる。(着工は1838年)&lt;ref name=&quot;平凡地名_与島&quot;/&gt;<br /> * 1861([[文久]]元) - [[咸臨丸]]の[[小笠原諸島|小笠原]]航海に島民4名が参加&lt;!--塩飽諸島全域からは42名--&gt;&lt;ref name=&quot;角川地名_与島&quot;/&gt;。<br /> * 1878(明治11) - [[那珂郡 (香川県)|那珂郡]]に編入。&lt;ref name=&quot;平凡地名_坂出市&quot;/&gt;<br /> * 1890(明治23) - [[与島村]]発足。&lt;ref name=&quot;平凡地名_坂出市&quot;/&gt;<br /> * 1899(明治32) - [[仲多度郡]]に編入。&lt;ref name=&quot;平凡地名_坂出市&quot;/&gt;<br /> * 1953([[昭和]]28)4月1日 - 仲多度郡[[与島村]]が[[坂出市]]に合併。&lt;ref name=&quot;平凡地名_坂出市&quot;/&gt;<br /> * 1960(昭和35) - 簡易水道が敷設&lt;ref name=&quot;角川地名_与島&quot;/&gt;。<br /> * 1966(昭和41) - 電線が開通&lt;ref name=&quot;角川地名_与島&quot;/&gt;。<br /> * 1972(昭和47) - 塩田が廃止&lt;ref name=&quot;角川地名_与島&quot;/&gt;。<br /> * 1980(昭和55) - 水道が開通。水源は岡山県[[高梁川]]&lt;ref name=&quot;角川地名_与島&quot;/&gt;。<br /> * 1983(昭和58)7月8日 - [[瀬戸大橋]][[与島高架橋]]工事着工。<br /> * 1988(昭和63)4月10日 - 瀬戸大橋開通。&lt;ref name=&quot;平凡地名_瀬戸大橋&quot;/&gt;<br /> <br /> == 主な施設・文化 ==<br /> {{File clip | Nabeshima Lighthouse.JPG | width = 128 | 0 | 25 | 0 | 5 | w = 800 | h = 293 | [[鍋島灯台]]}}<br /> [[File:Lilium japonicum &#039;Hyuga form&#039; 2.jpg|120px|alt=Lilium japonicum &#039;Hyuga form&#039; in Mount Hokodake|link=File:Lilium japonicum &#039;Hyuga form&#039;.jpg|right|thumb|[[ササユリ]]]]<br /> * 坂出市与島出張所<br /> * 坂出市立与島中学校(廃校) - 1947(昭和22)年開校、瀬戸大橋開通後に塩浜地区に移転していた&lt;ref name=&quot;角川地名_与島&quot;/&gt;。2002(平成14)年休校、2008(平成20)年廃校&lt;ref name=&quot;香川県_計画&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;しまネット_与島じまん&quot;/&gt;。<br /> * 坂出市立与島小学校(廃校) - 1887(明治20)年に簡易小学校設置、1891(明治24)年に与島[[尋常小学校]]として開校、明治末期までに与島諸島の各島には分教場が整備された。1947(昭和22年)に与島小学校となる&lt;ref name=&quot;角川地名_与島&quot;/&gt;。1960(昭和35)年に小学校に白黒テレビが設置されたとの記録がある&lt;ref name=&quot;角川地名_与島&quot;/&gt;。2000(平成12)年休校、2008(平成20)年廃校&lt;ref name=&quot;香川県_計画&quot;/&gt;。<br /> * 坂出与島郵便局<br /> * [[坂出警察署]]与島駐在所 - 与島のほか、[[岩黒島]]・[[沙弥島]]・[[瀬居島]]・小瀬居島を受け持っている&lt;ref name=&quot;警察&quot;/&gt;<br /> * 与島学習資料館 - 与島中学校が収集していた石器類を展示&lt;ref name=&quot;しまネット_与島じまん&quot;/&gt;<br /> * 塩飽水軍与島資料館 - 民俗資料などを展示する私設の資料館&lt;ref name=&quot;しまネット_与島じまん&quot;/&gt;<br /> * 天津神社 - 社伝では[[明和]]3年(1766ないし1767年)の再築&lt;ref name=&quot;角川地名_与島&quot;/&gt;。<br /> * 慈眼山法輪寺 - [[丸亀市]]の[[正覚院 (丸亀市)|正覚院]]の末寺。[[空海]]による創建との言い伝えがある。&lt;ref name=&quot;平凡地名_与島&quot;/&gt;<br /> * [[鍋島灯台]] - 明治5年に[[リチャード・ヘンリー・ブラントン]]により建設された灯台。与島ではないが防波堤により接続。<br /> * 与島の盆踊り - [[選択無形民俗文化財]](2004(平成16)年選定)。家族が位牌を背負って踊るもので、古典的なゆったりとした所作が特徴。&lt;ref name=&quot;しまネット_与島じまん&quot;/&gt;<br /> * [[小与島]]の[[ササユリ]] - 与島港をはさんで対岸の小与島はササユリの名所で、[[香川県]]の[[天然記念物]]&lt;ref name=&quot;平凡地名_与島&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;しまネット_小与島&quot;/&gt;。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> ===注釈===<br /> {{Reflist|group=&quot;注&quot;}}<br /> ===出典===<br /> {{Reflist|2|refs=<br /> *&lt;ref name=&quot;島嶼大辞典&quot;&gt;『島嶼大辞典』p531「与島」「与島諸島」&lt;/ref&gt;<br /> <br /> *&lt;ref name=&quot;香川県_計画&quot;&gt;香川県 2013年 {{PDFlink|[http://www.pref.kagawa.lg.jp/chiiki/seto-island/pdf/promotionplan5.pdf 塩飽諸島地域振興計画]}} 2015年12月21日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> <br /> <br /> *&lt;ref name=&quot;東山魁夷&quot;&gt;香川県立東山魁夷せとうち美術館 美術館周辺の観光・史跡 [http://www.pref.kagawa.jp/higashiyama/guidance/ 長崎鼻石棺] 2015年12月12日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> <br /> *&lt;ref name=&quot;しまネット_与島データ&quot;&gt;さぬき瀬戸しまネッ島([[坂出市]]公式サイト) [http://www.city.sakaide.lg.jp/island/yoshima/index.htm 与島・島データ] 2015年12月12日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> *&lt;ref name=&quot;しまネット_与島じまん&quot;&gt;さぬき瀬戸しまネッ島([[坂出市]]公式サイト) [https://www.city.sakaide.lg.jp/island/yoshima/jiman.htm 与島・島じまん] 2015年12月12日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> *&lt;ref name=&quot;さかいで3島物語&quot;&gt;[[坂出市]]産業課にぎわい室 さかいで3島物語~与島・小与島編~ 2014秋 [http://www.city.sakaide.lg.jp/soshiki/nigiwai/sakaide3island-yoshima-koyoshima.html さかいで3島物語~与島・小与島編~] 2015年12月12日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> <br /> *&lt;ref name=&quot;しまネット_小与島&quot;&gt;さぬき瀬戸しまネッ島([[香川県]]公式サイト) [http://www.pref.kagawa.lg.jp/chiiki/seto-island/detail/koyoshima/ 人と自然の造形美の島(小与島)] 2015年12月12日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> <br /> *&lt;ref name=&quot;平凡地名_瀬戸大橋&quot;&gt;『[[日本歴史地名大系]]38 香川県の地名』p23&lt;/ref&gt;<br /> *&lt;ref name=&quot;平凡地名_宇多津&quot;&gt;『[[日本歴史地名大系]]38 香川県の地名』p250「宇多津」&lt;/ref&gt;<br /> *&lt;ref name=&quot;平凡地名_坂出市&quot;&gt;『[[日本歴史地名大系]]38 香川県の地名』p255-257「坂出市」&lt;/ref&gt;<br /> *&lt;ref name=&quot;平凡地名_与島&quot;&gt;『[[日本歴史地名大系]]38 香川県の地名』p277-278「与島」「西方遺跡」&lt;/ref&gt;<br /> *&lt;ref name=&quot;角川地名_与島&quot;&gt;『[[角川日本地名大辞典]]37 香川県』p834-835「与島」「与島浜」&lt;/ref&gt;<br /> <br /> *&lt;ref name=&quot;講談社_与島&quot;&gt;『日本の地名がわかる事典』[[講談社]])([[コトバンク]] [https://kotobank.jp/word/与島-1048157 与島]による)2015年12月12日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> *&lt;ref name=&quot;小学館_与島&quot;&gt;『[[日本大百科全書]](ニッポニカ)』[[小学館]])([[コトバンク]] [https://kotobank.jp/word/与島-1048157 与島]による)2015年12月12日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> *&lt;ref name=&quot;日立_与島&quot;&gt;『世界大百科事典』株式会社日立ソリューションズ・クリエイト)([[コトバンク]] [https://kotobank.jp/word/与島-1048157 与島]による)2015年12月12日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> *&lt;ref name=&quot;日立_人名制&quot;&gt;『世界大百科事典』第2版株式会社日立ソリューションズ・クリエイト)([[コトバンク]] [https://kotobank.jp/word/人名制-1193442 人名制]による)2015年12月20日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> <br /> *&lt;ref name=&quot;警察&quot;&gt;[[香川県警察]] [[坂出警察署]] [http://www.pref.kagawa.jp/police/oshirase/sakaide/yoshima.html 与島駐在所] 2015年12月12日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> *&lt;ref name=&quot;うどん県&quot;&gt;香川県観光協会 うどん県旅ネット(香川県公式観光サイト) [http://www.my-kagawa.jp/point/point.php?id=613 与島] 2015年12月12日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> <br /> &lt;!--与島港--&gt;<br /> *&lt;ref name=&quot;国交省_港湾一覧&quot;&gt;[[国土交通省]] [http://www.mlit.go.jp/kowan/data/pdf/H19.4.1kowan_kanrisya.pdf 港湾管理者一覧表] 2015年12月21日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> *&lt;ref name=&quot;香川県_与島港&quot;&gt;香川県庁 土木部港湾課 [http://www.pref.kagawa.lg.jp/kowan/ports/yoshima.html 与島港] 2015年12月21日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> <br /> *&lt;ref name=&quot;坂出市_港_全体図&quot;&gt;坂出市 みなと課 {{PDFlink|[https://www.city.sakaide.lg.jp/uploaded/attachment/183.pdf 与島港分区指定計画図]}} 2015年12月21日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> *&lt;ref name=&quot;坂出市_港_塩浜&quot;&gt;坂出市 みなと課 {{PDFlink|[https://www.city.sakaide.lg.jp/uploaded/attachment/184.pdf 与島港臨港地区(分区)指定図(塩浜)]}} 2015年12月21日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> *&lt;ref name=&quot;坂出市_港_浦城&quot;&gt;坂出市 みなと課 {{PDFlink|[https://www.city.sakaide.lg.jp/uploaded/attachment/185.pdf 与島港臨港地区(分区)指定図(浦城)]}} 2015年12月21日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> *&lt;ref name=&quot;坂出市_港_小与島&quot;&gt;坂出市 みなと課 {{PDFlink|[https://www.city.sakaide.lg.jp/uploaded/attachment/186.pdf 与島港臨港地区(分区)指定図(小与島)]}} 2015年12月21日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> *&lt;ref name=&quot;与島桟橋&quot;&gt;高松海上タクシー [http://www.marin-taxi.jp/のりば案内/本島海域のりば/与島桟橋/ 与島桟橋] 2015年12月21日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> *&lt;ref name=&quot;にぎわい室20130528&quot;&gt;坂出市 産業課にぎわい室 2013年5月28日付 [http://www.city.sakaide.lg.jp/soshiki/nigiwai/sakaide-sanntou.html さかいで3島めぐり~与島・小与島編~ 2013春] 2015年12月21日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> <br /> <br /> &lt;!--航路--&gt;<br /> *&lt;ref name=&quot;備讃瀬戸_ガイド&quot;&gt;海上保安庁 備讃瀬戸海上交通センター [http://www6.kaiho.mlit.go.jp/bisan/succor/kouhou/index.htm 通航ガイド] 2015年12月21日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> *&lt;ref name=&quot;備讃瀬戸_特徴&quot;&gt;海上保安庁 備讃瀬戸海上交通センター [http://www6.kaiho.mlit.go.jp/bisan/succor/tokuchou/ 備讃海域の特徴] 2015年12月21日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> <br /> &lt;!--交通--&gt;<br /> *&lt;ref name=&quot;鉄道騒音&quot;&gt;香川県環境保健研究センター,田村章・串田光祥,2004, {{PDFlink|[http://www.pref.kagawa.jp/kankyo/e_center/syohou/pdf/2004/report_2004_016tamura.pdf 与島における瀬戸大橋鉄道騒音について]}} 2015年12月21日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> <br /> }}<br /> <br /> ==参考文献==<br /> *『島嶼大辞典』,[[日外アソシエーツ]],1991<br /> *『[[日本歴史地名大系]]38 香川県の地名』,[[平凡社]],1989<br /> *『[[角川日本地名大辞典]]37 香川県』,[[角川書店]],1985<br /> <br /> ==関連項目==<br /> *[[塩飽諸島]]<br /> :*[[坂出市]]に属する島(与島諸島) - [[櫃石島]]・[[岩黒島]]・[[鍋島灯台|鍋島]]・小与島・[[三つ子島]]・[[瀬居島]]・[[沙弥島]]<br /> :*[[丸亀市]]に属する島 - [[広島 (香川県)|広島]]・[[本島 (香川県)|本島]]<br /> *[[水島諸島]] - 六口島など、倉敷市側の島々<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{commonscat|Yoshima}}<br /> * [http://www.city.sakaide.lg.jp/island/yoshima/index.htm さぬき瀬戸 しまネッ島・与島]<br /> {{日本の指定離島}}<br /> {{デフォルトソート:よしま}}<br /> [[Category:香川県の島]]<br /> [[Category:瀬戸内海の島]]<br /> [[Category:坂出市の地理]]<br /> [[Category:塩飽諸島]]<br /> [[Category:瀬戸大橋|島04]]</div> 2400:7800:4975:9200:F837:CCB2:3B99:58E4 櫃石島 2018-04-24T08:39:03Z <p>2400:7800:4975:9200:F837:CCB2:3B99:58E4: /* 概要 */</p> <hr /> <div>{{Infobox 島<br /> |島名=櫃石島<br /> |画像=[[ファイル:170319 Tatsuchinouranimashimasujinja Shimotsui Kurashiki Okayama pref Japan04n.jpg|300px]]&lt;br /&gt;[[下津井]]から望む[[下津井瀬戸大橋]]と櫃石島<br /> |座標={{ウィキ座標2段度分秒|34|25|13|N|133|48|17|E|region:JP-37_type:isle_scale:25000|display=inline,title}}<br /> |面積=0.85<br /> |周囲=5.4<br /> |標高=79<br /> |最高峰=<br /> |最大都市=<br /> |諸島=[[塩飽諸島]]<br /> |海域=[[瀬戸内海]]<br /> |国={{JPN}}([[香川県]][[坂出市]])<br /> }}<br /> [[ファイル:Hitsuishi-jima Island.jpg|thumb|櫃石島全体の空中写真。{{国土航空写真}}]]<br /> [[ファイル:Hitsuishijima Island from train of Seto-Ohashi Line 20160504.JPG|thumb|瀬戸大橋線の列車内より島内を望む]]<br /> &#039;&#039;&#039;櫃石島&#039;&#039;&#039;(ひついしじま)は[[香川県]][[坂出市]][[瀬戸内海]]に浮かぶ[[塩飽諸島]]の[[島]]。[[瀬戸大橋]]が渡っている。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> 人口236人、面積0.85km{{sup|2}}、周囲5.4km。全域が[[香川県]][[坂出市]]櫃石に属している。島の南にある巨石の櫃岩が島名の由来とされ、主産業は潜水による立貝採取と底引網漁業である。<br /> <br /> 「ももて祭」は、毎年1月中旬に王子神社の境内で催され、小笠原流弓術によって豊凶を占うもので県指定の無形民俗文化財となっている。<br /> <br /> 島内には、坂出市立の小中学校ならびに幼稚園が設置されていたが、島外の四国本土に通学通園する家庭が増えたことに加え、人口減少と少子化で入学入園者がなくなったことから、いずれも2018年[[3月31日]]をもって閉鎖された&lt;ref name=&quot;mnp180410&quot;&gt;{{Cite news|url=https://mainichi.jp/articles/20180410/ddn/012/040/010000c |title=瀬戸大橋開通30周年 架け橋で未来へ一歩 過疎加速、最後の卒業生 香川・櫃石島|newspaper=[[毎日新聞]]|date=2018-04-10|accessdate=2018-04-10}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> かつては全域が「&#039;&#039;&#039;仲多度郡[[与島村]]&#039;&#039;&#039;」(よしまそん)に属していたが、[[1953年]]([[昭和]]28年)に坂出市に編入された。[[1988年]](昭和63年)には瀬戸大橋が開通し本土へ陸続きで渡れるようになった。<br /> === 年表 ===<br /> * 1953年(昭和28年)[[4月1日]] - 仲多度郡[[与島村]]が坂出市に合併。<br /> * [[1983年]](昭和58年)[[5月1日]] - [[瀬戸大橋]][[櫃石島高架橋]]工事着工。<br /> * 1988年(昭和63年)[[4月10日]] - 瀬戸大橋開通。<br /> <br /> == 交通 ==<br /> === 道路 ===<br /> * [[瀬戸中央自動車道]][[櫃石島インターチェンジ]]<br /> * [[香川県道273号櫃石島線]]<br /> [[瀬戸中央自動車道]]の上下線から[[櫃石島インターチェンジ|ランプウェイ]]が分かれており、路線バス及び島民関係者は専用カードによりゲートを開いて島内道路へ入ることが可能。島民以外の自動車はランプウェイを通れないので、路線バスで島内に入ることとなる。<br /> <br /> === バス ===<br /> * [[下津井電鉄]]・[[琴参バス]]:[[瀬戸大橋線 (バス路線)|瀬戸大橋線]]<br /> <br /> == 主な施設 ==<br /> * [[坂出市立櫃石中学校]] - 2018年3月をもって閉校&lt;ref name=&quot;mnp180410&quot;/&gt;<br /> * [[坂出市立櫃石小学校]] - 2016年4月より休校&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.sakaide.ed.jp/hituishi/kyuukou.pdf 休校のお知らせ]}} - 櫃石小学校&lt;/ref&gt;、2018年3月をもって閉校&lt;ref name=&quot;mnp180410&quot;/&gt;<br /> * 坂出市立櫃石幼稚園 - 2018年3月をもって閉園&lt;ref name=&quot;mnp180410&quot;/&gt;<br /> * 櫃石公民館<br /> * 櫃石簡易郵便局<br /> * 宝珠寺<br /> * 櫃石海水浴場<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> &lt;references /&gt;<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{commonscat|Hitsuishijima}}<br /> * [http://www.city.sakaide.lg.jp/island/hitsuishijima/index.htm さぬき瀬戸 しまネッ島・櫃石島]<br /> {{日本の指定離島}}<br /> {{デフォルトソート:ひついししま}}<br /> [[Category:香川県の島]]<br /> [[Category:瀬戸内海の島]]<br /> [[Category:坂出市の地理]]<br /> [[Category:塩飽諸島]]<br /> [[Category:瀬戸大橋|島01]]</div> 2400:7800:4975:9200:F837:CCB2:3B99:58E4
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