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http:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=220.215.169.104&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-22T03:16:44Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 小松政夫 2018-09-12T13:58:21Z <p>220.215.169.104: /* 映画 */</p> <hr /> <div>{{Infobox お笑い芸人<br /> | 名前 = 小松 政夫<br /> | 画像 = <br /> | キャプション = <br /> | 本名 = 松崎 雅臣&lt;ref name=NHK&gt; {{Cite web|date=2009-01-07 |url=http://nhk.jp/chronicle/?B10002200090901080030175|title=NHKクロニクル わたしが子どもだったころ コメディアン 小松政夫 |work=[[NHKアーカイブス]] |publisher=[[日本放送協会]] |accessdate=2012-03-03 |deadlinkdate=2018年4月 |archiveurl=http://archive.is/rarYl |archivedate=2013-05-01}}&lt;/ref&gt;<br /> | ニックネーム = 親分さん&lt;br /&gt;小松の親分<br /> | 生年月日 = {{生年月日と年齢|1942|1|10}}<br /> | 没年月日 = <br /> | 出身地 = {{JPN}}・[[福岡県]][[福岡市]][[博多区]]<br /> | 血液型 = <br /> | 身長 = <br /> | 方言 = [[博多弁]]&lt;br /&gt;[[標準語]]<br /> | 最終学歴 = [[福岡県立福岡高等学校]]定時制課程普通科<br /> | 師匠 = [[植木等]]<br /> | 出身 = [[RKB毎日放送|RKB]]放送劇団<br /> | コンビ名 = <br /> | トリオ名 = <br /> | グループ名 = <br /> | 相方 = <br /> | 芸風 = [[コント]]&lt;br /&gt;[[ものまね]]<br /> | 立ち位置 = <br /> | 活動時期 = [[1962年]] - <br /> | 同期 = <br /> | 現在の代表番組= <br /> | 過去の代表番組= 『[[シャボン玉ホリデー]]』&lt;br /&gt;『[[笑って!笑って!!60分]]』&lt;br /&gt;『[[みごろ!たべごろ!笑いごろ!]]』 など<br /> | 作品 = <br /> | 他の活動 = [[俳優]]&lt;br /&gt;[[社団法人]][[日本喜劇人協会]]会長(第10代)<br /> | 配偶者 = <br /> | 親族 = <br /> | 弟子 = <br /> | 公式サイト = http://ph-aun.net/<br /> | 受賞歴 = <br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;小松 政夫&#039;&#039;&#039;(こまつ まさお、[[1942年]]&lt;ref name=NHK/&gt;[[1月10日]] - )は、[[日本]]の[[コメディアン]]、[[タレント]]、[[俳優]]、[[声優]]。[[社団法人]][[日本喜劇人協会]]会長(第10代)。本名、&#039;&#039;&#039;松崎 雅臣&#039;&#039;&#039;(まつざき まさおみ)。<br /> [[福岡県]][[福岡市]]瓦町(現:[[博多区]]上川端町)出身&lt;ref&gt;{{Cite book |和書 |author=小松政夫 |year=2006 |title=のぼせもんやけん 昭和30年代横浜〜セールスマン時代のこと。 |publisher=[[竹書房]] |page=14 |isbn=4-8124-2759-2 |ref=harv}}&lt;/ref&gt;。愛称は&#039;&#039;&#039;親分さん&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;小松の親分&#039;&#039;&#039;(自らのコントから)。<br /> 所属事務所は有限会社ドン・タック。[[プロデューサーハウスあ・うん]]とスケジュール窓口で業務提携。<br /> <br /> == 来歴・人物 ==<br /> === 生い立ち ===<br /> 7人兄妹の5番目として&lt;ref&gt;{{Harvnb|小松政夫|2006|p=17}}&lt;/ref&gt;、[[櫛田神社 (福岡市)|櫛田神社]]の前及び[[クラシエホールディングス|鐘紡]]福岡工場(現:[[キャナルシティ博多]])の近くで育つ(博多の総[[鎮守]]である櫛田神社の前が自宅であることを博多の仲間たちにも自慢していたことがあった&lt;ref name=&quot;asahi130118&quot;&gt;{{Cite journal |和書 |author=[[林真理子]] |title=マリコのゲストコレクション |year=2013 |journal=[[週刊朝日]] |issue=1月18日号 |publisher=[[朝日新聞出版]] |pages=102 - 106}}&lt;/ref&gt;)。実父は地元の実業家で名士だったが、小松が13歳の時に病死し、以後家族は貧窮を極めた。この頃、小松は自宅前の焼け跡で行われていた[[露天商]]の口上をよく見聞しており、[[サクラ (おとり)|サクラ]]がいるのを知っていたという。それらが自然と身に付き、学生時代から現在に至るまでの小松の明るさや笑いのセンスは作られた&lt;ref&gt;[[朝日新聞]]『人生の贈りもの』より&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[福岡県立福岡高等学校]]定時制課程普通科卒業。高校時代の小松は陽気で努力家だったという。この頃は、亡父が懇意にしていた菓子店・[[石村萬盛堂]]で働くなどして生計を支える&lt;ref&gt;{{Harvnb|小松政夫|2006|p=19}}&lt;/ref&gt;{{#tag:ref|同社の商品「塩豆大福」のCMに起用された際、小松がかつて同店に住み込みで働いていた旨が字幕で紹介された。以来、「塩豆大福」のCMに出演する。2009年1月の時点では字幕表示は消えたが、ロケの休憩中にほおばり続けるというものである。|group=&quot;注&quot;|name=&quot;daifuku&quot;}}。[[RKB毎日放送]]の劇団に所属後、[[1961年]]に[[俳優]]を目指し、一番年上の兄を頼って[[横浜市|横浜]]へ出て来る&lt;ref name=&quot;bunshun061019&quot;&gt;{{Cite journal |和書 |author=[[阿川佐和子]] |title=阿川佐和子のこの人に会いたい |year=2006 |journal=[[週刊文春]] |issue=10月19日号 |publisher=[[文藝春秋]] |pages=128 - 132}}&lt;/ref&gt;。2つか3つの劇団を受験し、[[俳優座]]も受けたが、俳優座は入学金4,000円など月謝が高かったことで諦める&lt;ref name=&quot;asahi130118&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;bunshun061019&quot;/&gt;。その後花屋、印章店、薬のセールスマン、[[横浜中央市場]]のマグロ店などさまざまなアルバイトを経験した後&lt;ref name=&quot;asahi130118&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;bunshun061019&quot;/&gt;、[[コピー機]]会社勤務を経て&lt;ref name=&quot;bunshun061019&quot;/&gt;、[[トヨペット店|横浜トヨペット]]のセールスマンになる&lt;ref&gt;{{Cite web |url=http://www.bs4.jp/aisya_henreki/onair/145/index.html |title=放送エピソード #145 小松政夫 |work=[[おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!]] 番組公式サイト |publisher=[[BS日本|BS日テレ]] |accessdate=2017-07-19}}&lt;/ref&gt;。セールスマン時代、雑誌の小さな枠に載っていた植木等の付き人募集の公募の広告を見てこれに応募して、約600人の応募者の中から選ばれ&lt;ref name=&quot;asahi130118&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;bp&quot;&gt;{{Cite web |url=https://style.nikkei.com/article/DGXMZO02521600Z10C16A5NNP000?channel=DF280120166618|title=「師を敬えば報われる」 小松政夫さんに聞く|publisher=[[日経BP]]社|date=2016-05-23|accessdate=2017-08-23}}&lt;/ref&gt;、[[1964年]][[1月]]より正式に[[植木等]]の付き人兼運転手となり&lt;ref&gt;{{Cite book |和書 |author=小松政夫 |year=2007 |title=のぼせもんやけん2 植木等の付き人時代のこと。 |publisher=竹書房 |page=14 |isbn=978-4-8124-3273-0 |ref=harv}}&lt;/ref&gt;、その後、元々役者志望だったことを知った植木や[[ハナ肇とクレージーキャッツ|クレージーキャッツ]]のメンバーの助けもあって&lt;ref&gt;{{Cite book |和書 |author=小松政夫 |year=2017 |title=昭和と師弟愛 植木等と歩いた43年 |publisher=[[KADOKAWA]] |pages=60 - 61 |isbn=978-4-04-893350-6 |ref=harv}}など&lt;/ref&gt;芸能界入りした。<br /> <br /> 芸能界入りする前にはさまざまな営業職を転々としたが、自動車セールスマンの職は他業種から引き抜かれて就職したものだった。自動車セールスマン時代の小松はセールストークに長けていたようで、教習所と交渉し、受講者に免許を5日で取得させる手筈まで整えて、免許を持たない人にまで車を買わせるなどし&lt;ref&gt;{{Harvnb|小松政夫|2006|pp=95-98}}&lt;/ref&gt;、自動車がまだ高値の花だった当時に、月22台も売ったこともあった&lt;ref name=&quot;bp&quot;/&gt;。そういった顧客とのセールストークや会社内での上司との丁々発止のやりとりにより、小松は周囲から人気を獲得。周囲から押し上げられる形で、小松は[[コメディアン]]を志す。セールスマン時代の体験は、後に数々のギャグの礎となった。なお、セールスマン時代は初任給1万円の時代に月給12万円を稼いでいたが、植木の付き人兼運転手時代の月給はわずか7,000円だった&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;著書によれば、実際は多忙な植木と四六時中一緒だったため、食費も植木が出してくれるなど、ほとんどお金を使う機会自体がなく困ることはなかった。&lt;/ref&gt;上、1週間の睡眠時間の合計が10時間しかないほど多忙なこともあったものの「全然つらくなかった」「尊敬する一流の師のそばにいて、お世話ができる。それだけで幸せでした」という&lt;ref name=&quot;bp&quot;/&gt;。<br /> <br /> なお、植木からは付き人として入門する際に「お父さんを早くに亡くされたそうだが、これからは僕を父と思えばいい」と声を掛けられたという&lt;ref&gt;{{Harvnb |小松政夫|2007|p=7}}&lt;/ref&gt;。また「おい、オレのことを何と呼ぶ?」「いいか、“先生”なんて呼んだら張っ倒すからな」とも言われ、小松が前の一言も考慮して「オヤジさん」という呼び方を提案したところ「それはいいな」と目を細めたとも語っている。<br /> <br /> 運転手として[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]の開会式に招かれた植木を[[国立霞ヶ丘競技場|国立競技場]]に送った際には、植木の配慮で急遽小松の席も用意され、「錚々たる名士が居並ぶ中」開会式を見ることが出来た&lt;ref name=&quot;bp&quot;/&gt;。<br /> <br /> === 芸能界デビュー ===<br /> コメディアンとしてのデビューは『[[シャボン玉ホリデー]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])。この番組に出演したきっかけは、同番組に出演していた植木に付いていった際、休憩中にメンバー及びスタッフと談笑していた際にふとしたことからセールスマン時代のエピソードを披露したことによる。その時に当時の課長(50歳ぐらいで、威張りくさって小松に活を入れるが逆にその様子を見ていた34歳の部長に一喝され、途端にシュンとしてしまう)の真似をして「見ろ!お前のせいで怒られちゃったじゃないか。もう、&#039;&#039;&#039;知らない、知らない、知らなぁーい、もー!&#039;&#039;&#039;」と[[おかま|オカマ]]っぽく体をクネクネさせながら言った芝居が[[プロデューサー]]の目に留まり、翌日の収録時には台本に小松の出番が設けられていたという&lt;ref&gt;{{Harvnb|小松政夫|2007|pp=109-110}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> また、付き人だった当時は『シャボン玉ホリデー』に[[松崎真]]がレギュラーで出演しており、植木が「松崎ー!」と呼ぶと(本名が松崎だった)小松も一緒に返事を返してしまうケースが多々あったことから「&#039;&#039;&#039;小&#039;&#039;&#039;さいほうの&#039;&#039;&#039;松&#039;&#039;&#039;崎」という意味で「小松」と呼ばれるようになり、やがてメンバーやスタッフの間で定着した&lt;ref&gt;{{Harvnb|小松政夫|2007|pp=80-81}}&lt;/ref&gt;。そのうちに前座や端役などで出演が増えて視聴者にも顔を覚えられるようになり植木より正式に「&#039;&#039;&#039;小松政夫&#039;&#039;&#039;」(当初は「雅夫」)という芸名を授かることになった。なお、この芸名を考えたのは[[姓名判断]]に凝っていたという植木の祖母であり、小松という苗字に合うということで下の名前を決めたという&lt;ref&gt;{{Harvnb|小松政夫|2007|pp=164-165}}&lt;/ref&gt;。ただ、小松は当初「コメディアンなのに、こんな二枚目みたいな名前でいいのか」と一瞬当惑したという。<br /> <br /> なお、芸名の候補としては[[犬塚弘]]が考えた「どん・たくお」([[博多どんたく]]がヒント)や自身がコントで演じた外国帰りの怪しげな美容師の役名だった「ジェームス本堂」もあり小松もそれなりに気に入っていたが、植木に相談した際「将来大河ドラマの主役を張るようになるかもしれないのに、そんな名前じゃ苦労するだろう!」と一喝され却下となったという。<br /> <br /> 師匠の植木からのみならずクレージーキャッツのリーダー・[[ハナ肇]]からもたいへん可愛がられ、昭和42年にクレージーが[[梅田芸術劇場|梅田コマ劇場]]での公演に出演した際、途中15分の休憩を嫌ったハナから「5分つないでくれ」と命じられたことがあった。しかし2日目までの出し物がまったく客に受けず、背水の陣で挑んだ3日目に生まれたのが今日まで小松の十八番となっている[[淀川長治]]の[[物真似]]である。この時はハナや植木のみならず苦労を知っていた舞台裏のスタッフも一緒になって喜び、翌日以降にメガネ(ひもを引くとピクピク動く眉毛が付いている)やテレビフレームなど芸を盛り上げる小道具・大道具をわざわざ作って用意してくれたといい、それらを活用することでさらに客からのウケが良くなったと述懐している&lt;ref&gt;{{Harvnb|小松政夫|2007|pp=196-201}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 付き人兼運転手を約4年間&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;本人の記憶によれば、正確には3年10カ月であるという。&lt;/ref&gt;務め、タレントに転身する際、植木からかけられた言葉は「お前、明日からもう俺のところには来なくていいからな」というあまりに突然なものだった。この言葉に小松は驚くとともにクビなのかと一瞬当惑したが、続けて植木は「実はな、社長と話してお前を正式にタレントとして一本立ちさせてやりたいってお願いしたんだ」「そうしたら社長も大賛成でな、お前のマネージャーも給料も、全部決めてきたから」とその真意を語った。「そろそろデビューする頃か」などの前フリも無く、何年ぐらいで独り立ちできるかも知らず、覚悟すら出来ていなかった時期での発言であった。植木から言葉をかけられた後は運転中に涙がボロボロとこぼれて運転ができなくなってしまい、一度路肩に車を停めて大泣きしながらそれを植木に謝る有様だったが、植木は「うん、べつに急いでないけど、そろそろ行こうか」と優しく宥めたという。この時のことを、小松は「目にワイパーが欲しいぐらいだった」と後に述懐している&lt;ref name=&quot;bp&quot;/&gt;。<br /> <br /> その後、学校の担任や[[キャバレー (接待飲食店)|キャバレー]]での[[ホステス]]の会話など身近な人からヒントを得たギャグや、レギュラー番組のコーナーからヒットした「電線音頭」([[1976年]]発売)、「しらけ鳥音頭」([[1978年]]発売、30万枚超え&lt;ref&gt;{{Cite news |author=獅子丸好 |title=【発掘!流行り歌 徒然草】「タコをゆでた音」って!? 爆笑レコーディング 小松政夫「しらけ鳥音頭」(1977年) (2/2ページ) |newspaper=[[夕刊フジ|ZAKZAK]] |date=2016-07-05 |url=http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20160705/enn1607050830001-n2.htm |accessdate=2018-04-14}}&lt;/ref&gt;、または60万枚を売り上げた)、「タコフン音頭」([[1980年]]発売)、前述の淀川長治の物真似などで一躍人気[[コメディアン]]となる。師匠・植木も認める観察眼の持ち主だったといい、それが数多くのギャグや物真似芸を生み出した原動力であったと評される。<br /> <br /> 正式なコンビというわけではなかったが、[[伊東四朗]]との息の合ったコンビ芸は、[[1970年代]]を代表するギャグの一つとして今なお語り継がれている。『[[みごろ!食べごろ!笑いごろ!]]』や『[[笑って!笑って!!60分]]』では「&#039;&#039;&#039;小松の親分さん&#039;&#039;&#039;」「悪ガキ一家の鬼かあちゃん」など数々の名コントを演じた(先の「電線音頭」や「&#039;&#039;&#039;ずんずんずんずん〜小松の親分さん♪&#039;&#039;&#039;」、「&#039;&#039;&#039;ニンドスハッカッカ マー ヒジリキホッキョッキョ&#039;&#039;&#039;」など)。また前述の身近な人にヒントを得たギャグの誕生には伊東も大きく貢献しており、楽屋で小松が「今日、こんなやつを見かけてさ…」と切り出すと伊東が「どんなやつ?なに言ってたの?」と興味津々に前のめりになり、スタッフとのやり取りなどでそのフレーズを小松に使わせるとその様子を見ていた伊東が「これ使えるね」と評価して本採用、というケースが多々あったという。<br /> <br /> また[[東八郎]]とも、植木のもとから独立して以降共演の機会がある毎に交遊を深め、後年東が東八郎劇団を立ち上げた際には「お前を副座長として迎えたい」と直々に口説き落とされ、東が逝去する当年まで下北沢・[[本多劇場]]や[[新宿コマ劇場]]での公演にて息の合った共演をみせ人気を博した。小松は東のことを「植木等が小松政夫の生みの親なら、育ての親は東八郎」と述懐している&lt;ref&gt;{{Cite web |url=http://jcc.jp/news/12505292/|title=小松政夫が“育ての親”東八郎から継ぐ笑い|work=[[BS日テレ]]|publisher=JCCテレビ|date=2017-08-01|accessdate=2017-08-26 |deadlinkdate=2018年4月 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170826115055/http://jcc.jp/news/12505292/ |archivedate=2017-08-26}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==== 「お呼びでない」誕生秘話と、植木との師弟関係 ====<br /> 植木等は自身の代表的なギャグ「お呼びでない」について、多くのインタビューでは次のような趣旨の発言をしていた。<br /> &lt;blockquote&gt;&#039;&#039;小松が植木の付き人時代、『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ)でのショートコントの最中に勘違いをして、出番前ではないのに「出番です」と植木に言ってしまい、植木がつい舞台に出てしまった。当然、周囲は植木の場違いな登場に唖然としたが、その瞬間に植木は機転を利かせて「&#039;&#039;&#039;お呼びでない……? ……こりゃまた失礼致しました!&#039;&#039;&#039;」と[[アドリブ]]を放った&lt;ref name=&quot;aoshima&quot;&gt;{{Cite book |和書 |author=[[青島幸男]] |year=1988 |title=わかっちゃいるけど… シャボン玉の頃 |publisher=文藝春秋 |pages={{要ページ番号|date=2018年4月}}|isbn=4-16-342620-5}}&lt;/ref&gt;。傍で見ていたプロデューサーはこのアドリブに大笑いし、以後、「お呼びでない」は毎回のように使われるギャグとなった。&#039;&#039;&lt;/blockquote&gt;<br /> 青島幸男も引用していたこのエピソードについて、小松自身は「自分は(付き人になる以前の)サラリーマン時代にあのギャグで大笑いしていた」&lt;ref&gt;{{Harvnb|小松政夫|2017|loc=p. 24, p. 214}}&lt;/ref&gt;「あの聡明な植木等が、いくら私に言われたからといって、自分の出番を間違えるはずがありません」と語るなどして否定している。植木の「お別れの会」での[[弔辞]]でも、「『お呼びでない』は小松がきっかけだとオヤジさん(植木)はおっしゃっていたようですが、私はオヤジさんの出番を間違えるようなことはしていないと思うのです」と述べている。そして、「事実でなくても、自分のため(小松を売り出すため)に作ってくれたエピソードであり、本当に感謝している」とも語っている&lt;ref&gt;日刊ゲンダイ 2012年12月28日付&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> また植木の逝去直後、[[TBSテレビ]]で放送された追悼特番では、付き人時代から小松単独での番組出演オファーがあった時期のことを「自分は当時まだ勉強中の身でありながら、番組に出るなんてとんでもないと思っていたんです。しかしそれを植木さん&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;小松は、普段は植木のことを「オヤジさん」と呼んでいたが、この番組では「植木さん」と呼称した。&lt;/ref&gt;に相談したら、すごく喜んで頂いて『結構なことじゃないか。行って来い。行って勉強してきなさい』と、笑顔で背中を押してもらいました。一人で番組に出ることを咎められたことはありませんでした。あの優しさは今も忘れられませんね」と懐古している。<br /> <br /> ほかにも小松は一例を挙げて、<br /> *植木と一緒に蕎麦屋に食事に入った際に小松が謙遜して[[もりそば]]を注文する傍らで植木は[[天丼]]と[[カツ丼]]を注文したが、いざ運ばれてくると植木は天丼を半分ほど食べたところで「お腹一杯になっちゃったから、これお前が食べてくれ」とカツ丼をスッと小松の前に差し出した&lt;ref&gt;{{Harvnb|小松政夫|2007|pp=40-43}}&lt;/ref&gt;。<br /> *実際の芝居の際にも本番後に植木が「どうだった?」と小松に尋ね、植木の演技は良かったが周囲のリアクションが弱かったという旨を素直に伝えると監督のもとに出向いて撮り直しを申し出た&lt;ref&gt;{{Harvnb|小松政夫|2007|pp=71-}}&lt;/ref&gt;。<br /> *持ちネタが受けずに焦った小松が慌てた末に大失敗をしでかし収録に遅れを生じさせてしまった際に、「うちの松崎が大変なご迷惑をお掛けしてすみませんでした」と自ら進んでスタッフに謝ってくれた&lt;ref&gt;{{Harvnb|小松政夫|2007|p=122}}&lt;/ref&gt;。<br /> *独立後、植木と同席した仕事でお得意の「淀川長治の物真似」を披露した際に「私、いっつもこればっかりですねえ」と自虐的に言ったところ、出番が終わった途端に植木から舞台袖に呼ばれ「&#039;&#039;&#039;これは君が苦労して作り上げた芸だろう!&#039;&#039;&#039;それを“こればっかり”なんて言うことはない。自信を持ってやりなさい」と説教された。<br /> *小松が渡辺プロから独立する際、渡辺プロ関係者には「もし(小松を)邪魔したり嫌がらせしたりするようなことがあれば、俺が黙っちゃいないぞ」と釘を刺し、小松には「何かあったら、いつでも俺のところに相談に来いよ」とその背中を押して快く送り出した。<br /> *小松の人気が爆発していた当時、一方で人気に陰りがみえて仕事が激減した植木を心配して自宅を訪ねたところ、逆に「最近はヒマでテレビばかり見てるんだ。お前の活躍を見てパワーをもらっているんだ。オレももう一花咲かせないといけないな&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;その後植木は舞台や映画『[[新・喜びも悲しみも幾歳月]]』などで個性派脇役として活路を見出し、平成期に入ってから「[[スーダラ伝説]]」のヒットなどにより再ブレイクすることになる。&lt;/ref&gt;」と優しい一言を掛けられ、小松はトイレに駆け込んでひとり泣いた。<br /> など、芸には厳しいがその一方では立場に関係なく{{読み仮名|真摯|しんし}}に向き合い、なおかつ面倒見が良くて優しく温かい植木の人柄ぶりをインタビューや著書で語っている。<br /> <br /> なお植木の逝去当時、小松は地方公演のため東京を留守にしており臨終には間に合わず、出発直前に植木の自宅にあいさつに出向いて本人と会ったのが最後となった。それでも入院後の容態については植木の夫人から逐一電話連絡を受けており、公演終了直後に急いで帰京して植木のもとに駆け付け、納棺に際して遺体の衣服を着替えさせるという、弟子としての最後の仕事を務め上げた。<br /> <br /> === 近況 ===<br /> 現在も[[バラエティ番組]]や[[テレビドラマ]]、[[舞台]]など多方面で活躍中である。また、[[1970年代]]後半から[[1990年代]]にかけては『[[パナソニック ドラマシアター]]』(旧『[[ナショナル劇場]]』)や『[[月曜ドラマランド]]』の常連キャストでもあった。時代劇では悪党の子分役などが多かったが、近年では善人役を多く演じている。伊東は小松を「&#039;&#039;&#039;こんなに引き出しのある人はいないんだから&#039;&#039;&#039;」と評し&lt;ref&gt;{{Cite web |url=http://bunshun.jp/articles/-/408|title=小松政夫の芸能生活 50周年に伝説の“しらけ鳥”が復活!|publisher=[[週刊文春]]|date=2016-06-09|accessdate=2017-08-26}}&lt;/ref&gt;、数多くのギャグの引き出しも健在である。<br /> <br /> [[1982年]]にスタートしたバラエティ番組『[[森田一義アワー 笑っていいとも!]]』においては、同郷・福岡出身同士ということで親交のあった[[タモリ]]と二人で司会をというオファーがプロデューサーの[[横澤彪]]からあったが、当時[[ゴルフ]]に熱中していた小松は「(平日毎日の生放送に出演していたら)ゴルフに行けなくなっちゃう」として断ったということがあった&lt;ref&gt;{{Cite book |和書 |author=小松政夫 |year=2017 |title=時代とフザケた男 エノケンからAKB48までを笑わせ続ける喜劇人 |publisher=[[扶桑社]] |page=151 |isbn=978-4-594-07767-9}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 地元の[[博多祇園山笠]]には、現在でもしばしば参加している。かつては出身の岡流に属していたが、岡流が途絶えた後は、知り合いの多い[[中洲流]]に参加している&lt;ref&gt;{{Cite web |url=http://www.asahi.com/area/fukuoka/articles/MTW20151109411440004.html|title=まちから【博多 山笠のまちから】(上)継承に誇り、伝統も柔軟に|publisher=[[朝日新聞]]|date=2015-06-21|accessdate=2017-08-23}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[2011年]][[6月20日]]には[[社団法人]][[日本喜劇人協会]]の第10代会長に選出された&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110620-OYT1T00987.htm|accessdate=2011-06-20|title=日本喜劇人協会の新会長に小松政夫さん|date=2011-06-20|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110623085519/http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110620-OYT1T00987.htm|archivedate=2011年6月23日|deadlinkdate=2017年10月}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{Cite news |title=コメディアンの小松政夫の現在 50年間の芸能生活を振り返る |newspaper=ライブドアニュース |date=2017-03-25 |url=http://news.livedoor.com/article/detail/12846361/ |accessdate=2017-05-12}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[2006年]]から[[2007年]]にかけて[[自伝]]的小説『[[のぼせもんやけん]]』を上梓、[[2017年]]には同作を原案として『[[のぼせもんやけん#テレビドラマ|植木等とのぼせもん]]』と題し[[テレビドラマ]]化された&lt;ref&gt;{{Cite news |title=山本耕史、植木等役で主演 小松政夫との師弟関係を連続ドラマ化 |newspaper=ORICON NEWS |publisher=[[オリコン|oricon ME]] |date=2017-07-07 |url=http://www.oricon.co.jp/news/2093764/full/ |accessdate=2017-08-15}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 主なギャグ ==<br /> 小松自身はこれらの言葉を「ギャグ」とは言わず「はやり言葉」と呼んでいる。小松によれば、ギャグというのは「自分で考えて歳月を重ね練り上げてきたもの」とのことであり、小松の場合は周囲にその「はやり言葉」のモデルとなった人物がおり、あくまで拝借したに過ぎないからといい「世に出しては次々打ち捨ててきた」「長い芸能生活の中でたった数年しか使っていないのに、それを今でも皆さんに覚えて頂いていることが有難い」と語っている。またここに挙げたのはあくまで著名な一例で、実際世に送り出したギャグは80本以上ともいわれている。<br /> * 「知らない! 知らない! 知らない! もー」(セールスマン時代の厳つい上司の会話より。小松のギャグ第1号)<br /> * 「ハイ、またまたまたお会いしました」「まあ、怖いですね、怖いですね」(淀川長治のものまね)<br /> * 「どうして! どうしてなの! おせーて!」(焼き鳥屋のカウンターで別れ話をするカップルの会話より)<br /> * 「もーイヤ、もーイヤこんな生活!」(ホステスの会話より)<br /> * 「どーかひとつ」(女性専門に自動車を売り上げていた同僚のセールストークより。対面する相手の両肩に手を置き、膝を曲げて軽く押さえる)&lt;ref name=&quot;bunshun061019&quot;/&gt;<br /> * 「ながーい目で見てください」(オカマの独り言より。両目尻を手で横に引っ張り長く延ばしながら)<br /> * 「ニンドスハッカッカ、マー! ヒジリキホッキョッキョ! トーベトベトベ[[科学忍者隊ガッチャマン|ガッチャマン]]〜、&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;「ガ〜ッチャマン〜」の台詞を言う際には、両手の親指と人指し指で輪を作り、手を逆さに顔にマスクのように被せて言う。&lt;/ref&gt;ガ〜ッチャマンニマケルナ、マケルナガッチャマン、ワ〜!」(最初の2フレーズは小学校時代の担任の女の先生が小松を励ました時に使った。一種のおまじないより)<br /> * 「表彰状、あんたはエライ! 以下同文…」(「あんたはエライ!」は、旧日本兵の[[小野田寛郎]]が戦後29年ぶりに[[フィリピン]]の[[ルバング島]]から帰国した際に、空港で小野田の母親がかけた言葉がヒントになったといわれる)<br /> * 「悪りーね、悪りーね、[[マレーネ・ディートリヒ|ワリーネ・デイートリヒ]]」<br /> * 「よーやる、よーやる、[[ローヤルゼリー|よーやるゼリー]]」<br /> * 「まー随分ね! 随分随分随分ね!」<br /> * 「上手だね、上手だね、西方じょうずだね。東方xxxxだね。福岡県出身、鼻くそ部屋」(xxxxはシーンによって異なる)<br /> * 「暗いね、暗いね、[[アイネ・クライネ・ナハトムジーク]]!」([[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の曲より)<br /> * 「そーでしょ? そーでしょ? そりゃそうだモン」<br /> <br /> == 出演 ==<br /> === テレビドラマ ===<br /> * [[青空にとび出せ!]] 第5話「恋は青空」(1969年、[[TBSテレビ|TBS]] / [[国際放映]])<br /> * [[だいこんの花]](1970年、[[日本教育テレビ|NET]])<br /> * [[坊っちゃん]](1970年)<br /> * [[おきあがりこぼし]](1970年 - 1971年)<br /> * [[花は花よめ]](1971年)<br /> * [[なんたって18歳!]](1971年、TBS / [[大映テレビ]])<br /> * [[知らない同志]](1972年)<br /> * [[だから大好き!]](1972年)<br /> * [[若さま侍捕物手帖#『若さま侍捕物手帖』(関西テレビ、1973年)|若さま侍捕物手帖]] 第10話「ダイヤモンドは生命奪り」(1973年、[[関西テレビ放送|関西テレビ]]) - お神楽の安<br /> * [[風の中のあいつ (1973年のテレビドラマ)|風の中のあいつ]](1973年、TBS)<br /> * [[唖侍鬼一法眼]] 第14話(1974年、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]] / [[勝新太郎|勝プロダクション]])<br /> * [[くるくるくるり]](1973年 - 1974年)<br /> * [[幡随院長兵衛お待ちなせえ]](1974年、[[毎日放送|MBS]] / [[東宝]])<br /> * [[傷だらけの天使]] 第10話(1974年、日本テレビ / 東宝)<br /> * [[夜明けの刑事]](TBS / 大映テレビ)<br /> ** 第15話「ウソの結婚・刑事はつらいよ」(1975年)<br /> ** 第90話「スッポン刑事の大勝負」(1976年) - 小西<br /> * 必殺シリーズ(松竹 / ABC)<br /> **[[必殺仕置屋稼業]](1975年) - 亀吉<br /> **[[新・必殺仕置人]] 第15話「密告無用」(1977年) - 亀吉<br /> * [[敬礼!さわやかさん]](1975年、NET) - 佐山刑事<br /> * [[前略おふくろ様]](1975年 - 1976年、日本テレビ)<br /> * [[ザ・カゲスター]](1976年、NET / 東映) - 神成部長<br /> * [[水戸黄門 (パナソニック ドラマシアター)|水戸黄門]](TBS / [[C.A.L]])<br /> ** [[水戸黄門 第6部|第6部]] 第14話「弥七二人旅 -津山-」(1975年6月30日) - 庄之助<br /> ** [[水戸黄門 第13部|第13部]] 第15話「三葉葵を盗んだ男 -津山-」(1983年1月17日) - 隼の五六吉<br /> ** [[水戸黄門 第15部|第15部]] 第36話「代官にされたドジな掏博 -岡部-」(1985年9月30日) - 矢島小太夫 役、百助 役(一人二役)<br /> ** [[水戸黄門 第16部|第16部]] 第23話「涙で誓った盗っ人仁義 -長岡-」(1986年9月29日) - 政吉<br /> ** [[水戸黄門 第20部|第20部]] <br /> *** 第29話「瞼の人はドジな泥棒 -鳥取-」(1991年5月27日) - ミゾレの政吉<br /> *** 第47話「嘘を承知の偽黄門 -日光-」(1991年9月30日) - 半助<br /> ** [[水戸黄門 第21部|第21部]] 第1話「悪鬼が巣喰う岡崎城 -水戸・岡崎-」(1992年4月6日) - 六兵衛<br /> ** [[水戸黄門 第27部|第27部]] 第21話「大金持ちの物拾い -与板-」(1999年8月9日) - 大坂屋善次郎<br /> ** [[水戸黄門 第28部|第28部]] 第32話「リストラを吹っ飛ばせ! -防府-」(2000年11月6日) - 淡野勘兵衛<br /> ** [[水戸黄門 第31部|第31部]] 第15話「俺たち日本一の用心棒 -龍野-」(2003年2月3日) - 沢村半之丞<br /> ** [[水戸黄門 (第31-38部)#1000回記念スペシャル|1000回記念SP]](2003年12月15日) - 道右衛門<br /> ** [[水戸黄門 (第39-43部)#第42部|第42部]] 第6話「助さんに見た父の面影 -富山-」(2010年11月15日) - 嘉吉<br /> * [[海は甦える]](1977年、TBS)<br /> * [[せい子宙太郎]](1977年)<br /> * [[江戸の渦潮]](1978年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]/東宝)<br /> * [[熱中時代]](1978年、日本テレビ)<br /> * [[ゆうひが丘の総理大臣]](1978年 - 1979年、日本テレビ/東宝) - 伊井加先生<br /> * [[熱中時代]]刑事編 第25話「熱中刑事ワナにかかる」(1979年、日本テレビ) - 長内<br /> * [[桃太郎侍#高橋英樹主演(日本テレビ)版|桃太郎侍]](NTV / 東映)<br /> ** 第144話「幇間涙あり!」(1979年) - 三八=仙太<br /> * [[西遊記II]] 第11話(1980年、日本テレビ/国際放映)<br /> * [[雪姫隠密道中記]] (1980年、MBS) - 韋駄天の六助<br /> * [[北の国から]](1981年、フジテレビ)<br /> * [[だんなさまは18歳]](1982年 - 1983年、TBS) - 番組の案内<br /> * [[AカップCカップ]](1983年)<br /> * [[天まであがれ!|天まであがれ! 2]] 第6話(1983年9月10日、日本テレビ) - 学年主任教諭<br /> * [[事件記者チャボ!]] 第8話(1983年12月24日、日本テレビ)<br /> * [[月曜ドラマランド]](フジテレビ)<br /> ** [[長谷川町子]]の意地悪クッキー(1983年)<br /> ** [[あんみつ姫]]シリーズ(1983年)<br /> ** [[ぐうたらママ]]シリーズ(1983年 - 1984年)<br /> ** [[どきどき婦警さん]]シリーズ(1983年 - 1984年)<br /> ** [[乙女学園男子部]](1983年)<br /> ** [[とことんトシコ]]シリーズ(1983年 - 1984年)<br /> ** [[のんき君]]シリーズ(1983年 - 1984年)<br /> ** [[野球狂の詩]](1985年)<br /> ** [[いたずらスチュワーデス!]](1985年)<br /> * [[女捜査官#人妻捜査官|人妻捜査官]] 第7話「疑惑!?狙われた女教師の沈黙」(1984年7月6日、朝日放送)<br /> * [[江戸を斬る]](TBS) - 色川伝兵衛<br /> ** [[江戸を斬る (里見浩太朗)#江戸を斬るVII|江戸を斬るVII]](1987年)<br /> ** [[江戸を斬る (里見浩太朗)#江戸を斬るVIII|江戸を斬るVIII]](1994年)<br /> * [[オヨビでない奴!]](1987年 - 1988年、TBS) - 村西先生<br /> * [[親子ウォーズ]](1988年、TBS)<br /> * [[翔んでる!平賀源内]](1989年、TBS)<br /> * [[大江戸捜査網]](1990年、テレビ東京)<br /> * [[お江戸捕物日記 照姫七変化#スペシャル版|艶姿! 初春 照姫七変化]](1991年1月9日、フジテレビ / 東映)<br /> * [[月曜ドラマスペシャル]](TBS)<br /> ** [[坂道の家#1991年版|松本清張作家活動40年記念・黒い画集 坂道の家]](1991年8月26日) - 古賀克彦<br /> * [[大岡越前 (テレビドラマ)|大岡越前]] [[大岡越前 (テレビドラマ)#第12部|第12部]] - [[大岡越前 (テレビドラマ)#第15部|15部]](1991年 - 1999年) - 赤垣伝兵衛<br /> * [[ダブルキッチン]](1993年、TBS)<br /> * [[真実一路 (小説)|真実一路]](1993年)<br /> * [[走らんか!]](1995年、NHK)<br /> * [[土曜ワイド劇場]](テレビ朝日)<br /> ** [[なんでも屋探偵帳]]5「隅田川に浮かんだ恩師の死体!」(1996年2月26日) - 山下勇作<br /> ** [[渡り番頭・鏡善太郎の推理]]1(2000年2月12日) - 山本鉄生<br /> ** [[混浴露天風呂連続殺人]]23(2003年12月20日) - 坂本良男<br /> * [[Age,35 恋しくて]](1996年、フジテレビ)<br /> * [[総理と呼ばないで]](1997年、フジテレビ)<br /> * 新春時代劇特別企画 [[赤西蠣太#1999年版|赤西蛎太 伊達騒動醜男と美女の純愛]](1999年1月2日、[[テレビ東京|TX]]) - 按摩安甲<br /> * [[お水の花道]](1999年、フジテレビ)<br /> * [[火曜サスペンス劇場]](日本テレビ)<br /> ** [[刑事・鬼貫八郎]]9「沈黙の函」(1999年) - 茨木辰二<br /> ** [[検事・霞夕子]]15「知らなかった」(2000年) - 穂刈守<br /> * [[巷説百物語シリーズ#京極夏彦「怪」|京極夏彦「怪」]]第1話「七人みさき」(2000年1月3日、[[WOWOW]]) - 樫村兵衛<br /> * [[ナニワ金融道]]パート5(2000年9月25日、フジテレビ) - アカ信ファイナンス次長<br /> * [[はるちゃん]]5 第10話(2001年、フジテレビ)<br /> * [[伝説のマダム]](2003年)<br /> * [[ハケンの品格]](2007年、日本テレビ) - 小笠原繁<br /> * [[陽炎の辻〜居眠り磐音 江戸双紙〜]](2007年、2008年、2009年、[[日本放送協会|NHK]]) - 金兵衛<br /> * [[特命係長 只野仁 (テレビドラマ)|特命係長 只野仁 スペシャル &#039;08 大手銀行派遣女子行員が仕掛けた罠]](2008年2月2日、[[テレビ朝日]]系列) - 八代勲<br /> * [[瞳 (2008年のテレビドラマ)|瞳]](2008年)<br /> * [[長生き競争!]](2009年、[[東海テレビ放送|東海テレビ]])<br /> * [[働くゴン!]](2009年、日本テレビ) - コック<br /> * [[陽炎の辻〜居眠り磐音 江戸双紙〜|陽炎の辻スペシャル〜居眠り磐音 江戸双紙〜]](2009年1月3日、2010年1月1日、2017年1月2日、NHK) - 金兵衛<br /> * [[やっとかめ探偵団|名古屋やっとかめ探偵団]](2010年6月20日、東海テレビ) - 吉川常<br /> * [[夏の恋は虹色に輝く]] 第1話(2010年7月19日、フジテレビ)<br /> * [[相棒]] season9 第14話(2011年2月2日、テレビ朝日) - 古谷勲<br /> * [[牙狼<GARO>〜MAKAISENKI〜]] 第6話(2011年11月10日、テレビ東京) - 庄内治<br /> * 俺たち絶体絶命!(2013年7月21日、[[BS-TBS]]) - 誠治<br /> * [[孤独のグルメ]]真夏の博多出張スペシャル(2014年8月9日、テレビ東京) - みやけうどん店主<br /> * [[植木等とのぼせもん]](2017年9月2日 - 2017年10月21日、NHK)- 語り<br /> *[[月曜名作劇場]] 「[[税務調査官・窓際太郎の事件簿]]33」(2018年3月5日、TBS) - 田丸善次郎<br /> *[[特捜9]](2018年5月2日、テレビ朝日) ‐ 三好泰三<br /> *[[刑事7人]](2018年8月8日、テレビ朝日) ‐ 田畑亮介<br /> <br /> === 映画 ===<br /> * [[大冒険]](1965年、東宝) - 植木等のバイクスタント(クレジットなし)<br /> * [[大風呂敷]](1967年、日活) - 関口社長<br /> * [[クレージーの怪盗ジバコ]](1967年、東宝・渡辺プロ) - ゴーゴークラブの司会者<br /> * [[ザ・タイガース 世界はボクらを待っている]](1968年、東宝・渡辺プロ) - 田村<br /> * [[ザ・タイガース 華やかなる招待]](1968年、東宝・渡辺プロ) - 田村<br /> * [[喜劇初詣列車]](1968年、東映) - 坂本研吉<br /> * [[不良番長 送り狼]](1969年、東映)<br /> * [[クレージーのぶちゃむくれ大発見]](1969年、東宝・渡辺プロ) - 俳優<br /> * [[ザ・タイガース ハーイ!ロンドン]](1969年、東宝・渡辺プロ) - 山崎<br /> * [[クレージーの殴り込み清水港]](1970年、東宝・渡辺プロ) - 牢番<br /> * [[あしたのジョー]](1970年、日活) - 青山<br /> * [[盛り場流し唄 新宿の女]](1970年、日活)<br /> * [[現代女胴師]](1970年、東映)<br /> * [[新宿(ジュク)の与太者]](1970年、東映)<br /> * [[セックス喜劇 鼻血ブー]](1971年、東映)<br /> * [[喜劇セックス攻防戦]](1972年、東映)<br /> * [[怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス]](1973年、円谷プロ) - 好子の見合いの相手<br /> * [[スプーン一杯の幸せ]](1975年、松竹) - ゴルフ場の指導員<br /> * [[神様のくれた赤ん坊]] (1979年、松竹) - 果物屋<br /> * [[&#039;80アニメーション ザ・ベストテン]](1980年、東映) - おばちゃま(映画評論家?)<br /> * [[駅 STATION]](1981年、東宝)<br /> * [[だいじょうぶマイ・フレンド]](1983年、東宝) - 泣く男<br /> * [[居酒屋兆治]](1983年、東宝) - 秋本<br /> * [[極道の妻たち]](1986年、東映)<br /> * [[ちんちろまい]](2000年、[[ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント (日本)|ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント]])<br /> * [[笑の大学]](2004年、フジテレビジョン・東宝)<br /> * [[美式天然]](2005年、ラヴァルスフィルム) - 弁士<br /> * [[アリア (2007年の映画)|アリア]](2007年、ラヴァルスフィルム) - 人形遣い・空蔵<br /> * [[20世紀少年 (映画)|20世紀少年 第2章 最後の希望]](2009年、東宝) - 珍宝楼の店主・珍<br /> * [[掌の小説 (映画)|掌の小説]] 第3話「日本人アンナ」(2010年、エースデュース) - 木賃宿の番頭<br /> * [[TOKYOてやんでぃ]]〜The Story Teller&#039;s Apprentice〜(2013年、アイエス・フィールド) - 立花亭圓志<br /> * [[ハーメルン (映画)|ハーメルン]]([[2013年]]、トリクスタ)<br /> * [[ささら さや#映画|トワイライト ささらさや]](2014年&lt;!--11月8日--&gt;、[[ワーナー エンターテイメント ジャパン|ワーナー・ブラザース映画]]) - 師匠<br /> * [[振り子 (映画)|振り子]](2015年&lt;!--2月28日--&gt;、[[よしもとクリエイティブ・エージェンシー]]) - 時計屋<br /> * [[岸辺の旅#映画|岸辺の旅]](2015年、[[ショウゲート]]) - 島影<br /> * [[オケ老人!]](2016年、[[ファントム・フィルム]]) - 花田富雄<br /> <br /> === 舞台 ===<br /> * 伊東四朗&amp;小松政夫 エニシングゴーズ(1995年、[[シアターサンモール]])<br /> * 追いつ!追われつ!!(2001年2月、[[本多劇場]])<br /> * 小松政夫×[[イッセー尾形]]のびーめん生活(2006年 - 2012年)<br /> * 人情喜劇 母の子守歌 (2005年、[[吉幾三]]特別公演、[[新宿コマ劇場]])<br /> * 楽屋の王様 〜小松政夫・ギャグこそマイウエイ〜(2005年11月30日、[[博品館劇場]])<br /> * MSN We舞台 「[[夢をかなえるゾウ]]」(2008年12月16日 - 26日、[[エプソン アクアパーク品川|品川ステラボール]]) - [[ガネーシャ]]<br /> * 王立劇場vol.8 「[[王立新喜劇・続々・コーポからほり303〜谷町筋を封鎖せよ!]]」(2011年2月、[[なんばグランド花月]])<br /> * 天国のシャボン玉ホリデー(2011年6月、アクシスかつらぎ大ホール)<br /> * 二人でひとり(2011年9月、[[西南学院大学|西南コミュニティセンター]]) ※[[青島幸男]]の未発表[[戯曲]]を舞台化<br /> * [[前川清]]・[[秋元順子]]特別公演 「ザ・ナイスガイ どうしてこんなにモテるんだろう」(2011年12月、[[明治座]])<br /> * [[コロッケ (タレント)|コロッケ]]錦秋喜劇公演 「わたくしです物語」(2012年10月、[[博多座]])<br /> * マウストラップ(2013年3月、六本木ブルーシアター) - パラビチーニ<br /> * 日本喜劇人まつり(2013年4月、2014年2月、2014年9月、2015年3月[[三越劇場]])<br /> * [[ひょっこりひょうたん島#舞台|漂流劇 ひょっこりひょうたん島]](2015年、[[Bunkamura]][[シアターコクーン]]ほか) - トラヒゲ<br /> <br /> === 劇場アニメ ===<br /> * [[こちら葛飾区亀有公園前派出所 THE MOVIE]](1999年、東宝) - マーチン&lt;ref&gt;{{Mediaarts-db anime|6973|こちら葛飾区亀有公園前派出所 THE MOVIE}}&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === 吹き替え ===<br /> * [[アルフ (テレビドラマ)|アルフ]] - ウィリー・タナー<br /> * [[トッツィー]] - マイケル=トッツィー:[[ダスティン・ホフマン]] ※フジテレビ『[[ゴールデン洋画劇場]]』版(デラックスエディションBlu-ray収録)<br /> * [[オズの魔法使]] - レイ・ボルジャー = かかし ※NHK吹替版<br /> * それ行けスマート(東京12チャンネル〈現:[[テレビ東京]]〉) -マクスウェル・スマート:[[ドン・アダムス]]<br /> * [[0086笑いの番号]] - マックスウェル・スマート:[[ドン・アダムス]]<br /> * [[香港発活劇エクスプレス 大福星]] - チビ:[[エリック・ツァン]]<br /> * [[七福星]] - チビ:エリック・ツァン<br /> <br /> === ラジオ ===<br /> &lt;!-- 単発のゲスト出演は不要。レギュラー番組のみ記述をお願いします。「Wikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人」参照 --&gt;<br /> * ラジオコメディ みんな大好き([[NHKラジオ第1放送]]) - 花咲大吉<br /> * [[博多屋台 こまっちゃん]](2009年4月- 、NHKラジオ[[NHK福岡放送局|福岡局]])<br /> <br /> === バラエティ ===<br /> &lt;!-- 単発のゲスト出演は不要。レギュラー番組のみ記述をお願いします。「Wikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人」参照 --&gt;<br /> * [[シャボン玉ホリデー]](不定期出演、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]])<br /> * [[NTV紅白歌のベストテン]](日本テレビ)<br /> * [[ドリフ大爆笑]](1978年 - 1980年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) ※[[伊東四朗]]と共にコメディリリーフとして出演<br /> * [[笑って!笑って!!60分]](1975年 - 1981年、[[TBSテレビ|TBS]])<br /> * [[ドカンと一発60分!]](1975年 - 1976年、[[テレビ朝日|NET]])<br /> * [[みごろ!たべごろ!笑いごろ!]](1976年 - 1979年、[[テレビ朝日|NET]])<br /> * [[歌謡ドッキリ大放送]](1980年 - 1989年、[[テレビ朝日]])<br /> * [[今夜は最高!]](1981年 - 1989年、日本テレビ)<br /> * [[奥さまお手をどうぞ!]](1990年 - 1991年、フジテレビ)<br /> * [[みごろ!たべごろ!ナントカカントカ]](2004年、テレビ朝日)<br /> <br /> === CM ===<br /> * [[石村萬盛堂]] 「塩豆大福」&lt;ref group=&quot;注&quot; name=&quot;daifuku&quot; /&gt;<br /> * [[日清食品]] 「めん八珍」<br /> * 新生住宅 「ロワールマンション」 ※福岡ローカル『[[RKBニュースワイド]]』の提供スポンサー<br /> * [[フンドーキン醤油]] 「ゴールデン紫」「生きてるみそ」<br /> * [[シュワルツコフヘンケル|山発産業]] 「パオン」<br /> * [[ベネゼル]]<br /> * ヤタガイクレジット<br /> * [[ソフトバンクテレコム|日本テレコム]]<br /> <br /> == CD・レコード ==<br /> * デンセンマンの電線音頭/同カラオケ(1976年12月) ※伊東四朗と共演、テレビ朝日『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』より。<br /> * しらけ鳥音頭/哀愁の一丁がみ小唄(1977年11月) ※テレビ朝日『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』より。<br /> * タコフン音頭/同カラオケ(1980年11月) ※テレビ朝日『歌謡ドッキリ大放送』より。<br /> * 電線レゲエ/デンセンマンの電線音頭(1995年10月、ファンハウス)<br /> * [[小松の親分]](1995年12月、ファンハウス)<br /> * 親父の名字で生きてます(2016年10月26日、[[ワーナーミュージックジャパン]]) ※[[植木等]]に捧げた曲。&lt;ref&gt;{{cite news|url=http://natalie.mu/owarai/news/200462|title=小松政夫、36年ぶりシングルに植木等への思い「知らないうちに植木さんの声に」|newspaper=[[ナタリー (ニュースサイト)|お笑いナタリー]]|date=2016-09-02|accessdate=2016-09-02}}&lt;/ref&gt;<br /> ** カップリング曲に[[園まり]]と植木等のデュエットソング「あんたなんか」を、園と小松のカバーバージョンで収録。<br /> <br /> == 著書・連載 ==<br /> === 著書 ===<br /> * 目立たず隠れず そおーっとやって20年(1985年4月、婦人生活社) ISBN 978-4574700573<br /> * おもしろい人に会ったよ(1993年1月、コスモの本) ISBN 978-4906380411<br /> * [[のぼせもんやけん]] 昭和三〇年代横浜〜セールスマン時代のこと。(2006年6月、竹書房) ISBN 978-4812427590<br /> * のぼせもんやけん2 植木等の付き人時代のこと。(2007年12月、竹書房) ISBN 978-4812432730<br /> * 時代とフザケた男 エノケンからAKB48までを笑わせ続ける喜劇人(2017年8月、[[扶桑社]]) ISBN 978-4594077679<br /> * 昭和と師弟愛 植木等と歩いた43年(2017年9月、[[KADOKAWA]]) ISBN 978-4048933506<br /> <br /> === インタビュー連載 ===<br /> * [[朝日新聞]] 夕刊 『人生の贈りもの』(2008年12月15日 - 19日)<br /> * [[中日新聞]] 夕刊 『この道』<br /> <br /> == 演じた俳優 ==<br /> * [[志尊淳]] - 『[[のぼせもんやけん#テレビドラマ|植木等とのぼせもん]]』(2017年、[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]])<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[福岡県出身の人物一覧]]<br /> * [[植木等]] - 師匠<br /> * [[ザ・ドリフターズ]] - 数多く共演。[[ハナ肇とクレージーキャッツ]]との関係が深いという点で同輩にあたる。<br /> * [[伊東四朗]] - [[1970年代]]を中心に共演。今なお名コンビとの呼び声が高い。<br /> * [[タモリ]] - [[1980年代]]を中心に共演。同じ福岡県出身のピン芸人という点で共通。<br /> * [[久野征四郎]] - お互い下積み時代からの親交がある。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> === 注釈 ===<br /> {{Reflist|group=注}}<br /> === 出典 ===<br /> {{Reflist|2}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://ph-aun.net/ 有限会社プロデューサハウスあ・うん (スケジュール窓口)]<br /> * [http://kigekijin.stablo.jp/ 日本喜劇人協会公式ブログ]<br /> * {{Tvdrama-db name}}<br /> * {{JMDb name|0173630}}<br /> * {{Allcinema name|114973}}<br /> * {{Kinejun name|87122}}<br /> * {{IMDb name|0464591|Masao Komatsu}}<br /> <br /> {{お笑いスター誕生!!}}<br /> {{DEFAULTSORT:こまつ まさお}}<br /> [[Category:日本のコメディアン]]<br /> [[Category:日本のタレント]]<br /> [[Category:日本の男優]]<br /> [[Category:日本の舞台俳優]]<br /> [[Category:悪役俳優]]<br /> [[Category:日本の男性声優]]<br /> [[Category:過去の渡辺プロ系列所属者]]<br /> [[Category:福岡市出身の人物]]<br /> [[Category:1942年生]]<br /> [[Category:存命人物]]</div> 220.215.169.104 メロン 2018-07-15T12:09:17Z <p>220.215.169.104: /* 主要産地と品種 */ リンクを追加</p> <hr /> <div>{{Otheruseslist|&#039;&#039;&#039;[[果物]]のメロン&#039;&#039;&#039;|その他のメロン|メロン (曖昧さ回避)}}<br /> {{生物分類表<br /> |名称 = メロン<br /> |色 = lightgreen<br /> |画像=[[File:Cantaloupes.jpg|300px]]<br /> |画像キャプション = [[カンタロープ|カンタロープメロン]]<br /> |界 = [[植物界]] [[:w:Plantae|Plantae]]<br /> |門階級無し = [[被子植物]] {{sname||Angiosperm}}<br /> |綱階級なし = [[真正双子葉類]] {{interlang|en|eudicots}}<br /> |下綱階級なし = [[バラ類]] {{interlang|en|rosids}}<br /> |目 = [[ウリ目]] {{sname||Cucurbitales}}<br /> |科 = [[ウリ科]] [[:w:Cucurbitaceae|Cucurbitaceae]]<br /> |属 = [[キュウリ属]] &#039;&#039;[[:w:Cucumis|Cucumis]]&#039;&#039;<br /> |種 = &#039;&#039;&#039;メロン&#039;&#039;&#039; &#039;&#039;C. melo&#039;&#039;<br /> |学名 = &#039;&#039;Cucumis melo&#039;&#039; [[カール・フォン・リンネ|L.]]<br /> |和名 = メロン&lt;ref&gt;米倉浩司・梶田忠 (2003-) 「BG Plants 和名−学名インデックス」(YList),[http://bean.bio.chiba-u.jp/bgplants/ylist_detail_disp.php?pass=17624 Cucumis melo L.]2015年7月6日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> |英名 = melon&lt;ref&gt;[http://www.ars-grin.gov/cgi-bin/npgs/html/taxon.pl?404410 Cucumis melo L.]USDA Germplasm Resources Information Network、2015年7月6日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> }}<br /> <br /> __TOC__{{-}}<br /> <br /> == 概要 ==<br /> {{See also|ウリ}}<br /> [[北アフリカ]]や[[中近東]]地方の原産地と推定されたが、最近の[[遺伝子]]研究によれば、[[インド]]が原産地と裏付けられた&lt;ref&gt;キュウリやメロン、インドが原産地₋ニュース【ビジネスプレミアム】 2013年3月15日₋[http://www.indochannel.jp/member-area/news/hindi/nws0001523.html] &lt;/ref&gt;。[[紀元前2000年]]頃に栽培が始まった。通常&#039;&#039;Cucumis melo&#039;&#039; L.の西方に伝わった品種群をメロンと呼び、東方に伝わった品種群を瓜([[ウリ]])と呼ぶ。[[日本]]の[[マクワウリ]]などもそのひとつである。漢字では&#039;&#039;&#039;甜瓜&#039;&#039;&#039;(てんか)と呼ぶが、これはメロンを指すと同時にマクワウリをも含む表記である。<br /> <br /> [[紀元前5世紀]]頃に[[エジプト]]で作られた苦味の少ないメロンが[[地中海]]を超えてヨーロッパに渡った。当時のメロンはキュウリよりは甘いという程度であり、サラダや酢漬けにされた。その後、甘いメロンが作られるまで数世紀に及ぶ改良の努力が行われた。[[ルネサンス]]の頃に南フランスでカンタルー種のような甘い品種が作られるようになり、メロンは野菜の仲間ではなくなっていった&lt;ref&gt;マグロンヌ・トゥーサン=サマ 『世界食物百科』[[玉村豊男]] 翻訳監修、[[原書房]]、[[1998年]]、ISBN 4087603172、pp.684-687&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 日本では中世の考古遺跡から[[炭化種子]]が検出されており、古い時代に渡来して雑草化したものは「雑草メロン」(Cucumis melo L. var. agrestis Naud.)と呼ばれ、[[西日本]]の[[島嶼]]部などに自生している。<br /> <br /> 同属の有用植物として[[キュウリ]](胡瓜、&#039;&#039;C. sativus&#039;&#039; L.)がある。<br /> <br /> メロンは園芸分野では[[果菜]](実を食用とする[[野菜]])とされる&lt;ref name=&quot;nousui&quot;&gt; [http://www.maff.go.jp/hokuriku/kids/question/green03.html 農林水産省のQ&amp;Aページ]&lt;/ref&gt;が、青果市場での取り扱い&lt;ref name=&quot;nousui&quot; /&gt;や、栄養学上の分類&lt;ref&gt; [http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu3/toushin/05031802/002/007.pdf 五訂増補日本食品標準成分表 果実類]&lt;/ref&gt;では[[果物]]あるいは[[果実]]と分類される。<br /> <br /> == 特徴 ==<br /> [[ファイル:Cucumis melo 4 (Piotr Kuczynski).jpg|thumb|200px|苗]]<br /> [[ファイル:Cucumis melo var. makuwa 02.jpg|thumb|200px|花]]<br /> <br /> === 実 ===<br /> 果実は多くの場合に球形であるが、ラグビーボール形やこん棒形、さらには蛇の様に細長いものまで変化に富む。表面は白色、緑色、黄色などで、複数の色が混ざる事もあり、イボや深い溝を生ずることも多い。網目が生じるもの(アミメロン・網系)と生じないもの(アミナシメロン・網無し系)とがある。多くは中心部が綿状で多数の[[種子]]を含む。<br /> <br /> メロンの産地として夕張などの冷涼な地域が有名なのは、日本で流通している高級メロンの元になった品種がヨーロッパで作出されたため、[[熱帯]]性の種の多いウリ科植物には珍しく、夏の高温多湿に耐えられないからである。<br /> <br /> 日本で流通しているアミメロンは、品質を高めるために1本の蔓から通常1個しか収穫しない。主なネットメロン品種は受粉してから食べ頃までの日数が特定されている。ネットとは、かさぶたのようなものであり、果実の成長期に果肉と表皮の伸長率のずれによって生じるひび割れを塞ぐ分泌物から形成されるもの。<br /> 実を1個残す過程で未熟な状態で収穫される実は「摘果メロン」と呼ばれ、[[メロン漬け]]の材料となる&lt;ref&gt;[http://www.pref.kagawa.jp/shozu/nokai/topic/01meron.htm 小豆島産の摘果メロンの粕漬‐香川県小豆農業改良普及センター]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 果実は熟すと甘くなるが、[[酸味]]が含まれる場合もある。極粉質の果実をつける品種(ババゴロシとも呼ばれる)や、乾燥地帯の品種には極めて保存性のよい(1年程度もつ)品種もある。この場合は果物というより、水筒の代わりとしての利用である。<br /> <br /> === 果肉 ===<br /> 果肉色は、主に赤肉種・青肉種・白肉種に分類される。<br /> ; 赤肉種:赤色系(橙色)<br /> : [[夕張メロン]]・クインシーメロンなど。<br /> ; 青肉種:緑色系(黄緑色)<br /> : [[アンデスメロン]]・[[プリンスメロン]]・[[タカミメロン]]・[[アールスメロン]]など。<br /> ; 白肉種:白色系(乳白色)<br /> : [[ホームランメロン]]・[[ハネデューメロン]]など。<br /> <br /> == 品種 ==<br /> * カンタルペンシス群 (&#039;&#039;Cantalupensis group&#039;&#039;)<br /> : 果皮がごわごわして、いぼを持つのが特徴。網目は生じない。[[麝香]]のような香りを持つ品種群([[マスクメロン]])。[[カンタロープ]]・[[スペインメロン]]など。<br /> * チト群 (&#039;&#039;Chito group&#039;&#039;)<br /> * コノモン群 (&#039;&#039;Conomon group&#039;&#039;)<br /> : [[シロウリ]]、アカゲウリ(モーウイ)など。野菜として利用される。<br /> * ドゥダイム群 (&#039;&#039;Dudaim group&#039;&#039;)<br /> : ポケット・メロン、ザクロ・メロンとも呼ばれ、[[ジャム|プレザーブ]]や部屋の[[芳香剤]]に用いられる。<br /> * フレクスオスス群 (&#039;&#039;Flexuosus group&#039;&#039;)<br /> : 果実は蛇のように長くなる。食味はキュウリに似る。南アジアから北アフリカにかけて栽培されている。<br /> * イノドルス(フユメロン)群 (&#039;&#039;Inodorus group&#039;&#039;)<br /> : 果皮の表面はなめらかで、[[麝香]]のような香りを持たない。[[ハネデューメロン]]、[[ハミウリ]]など。<br /> * マクワ群 (&#039;&#039;Makuwa Group&#039;&#039;)<br /> : [[マクワウリ]]など。<br /> * レティクラトゥス群 (&#039;&#039;Reticulatus Group&#039;&#039;)<br /> : 果皮に網目を生じる。最もよく栽培され、[[麝香]]のような香りを持つ品種群(マスクメロン)。アンデスメロン、アールスメロンなど。網目のあるカンタロープはレティクラトゥス群に属す。<br /> {{Gallery<br /> |ファイル:Melon honeydew.jpg|ハネデューメロン<br /> |ファイル:Whole melon.jpg|ハミウリ<br /> |ファイル:Cucumis melo var. makuwa 01.jpg|マクワウリ<br /> |ファイル:Melon persian.jpg|ネットメロン<br /> |ファイル:Cucumis melo flexuosus.jpg|フレクスオスス群の一種<br /> |ファイル:Piel De Sapo Melon.jpg|イノドルス群の一種ピエル・デ・サポ<br /> &lt;!-- |ファイル:Squeredmelon inside001.jpg|カクメロ --&gt;<br /> }}<br /> === マスクメロン ===<br /> マスクメロンとは、品種名ではなく[[麝香]](Musk)の香りがするメロンの総称のことである。<br /> <br /> {{Main|マスクメロン}}<br /> <br /> == 生産 ==<br /> === メロンの収穫量と作付 ===<br /> [[File:Production Quantity &amp; Area Harvested of Melons all of the world 1961-2012.png|thumb|世界のメロンの収穫量と作付面積の推移(1961-2012年)]]<br /> * ハミウリ・カンタロープメロン・ハネデューメロン・スペインメロン<br /> ** 中国(ウイグル自治区)・イギリス・スペイン・フランス<br /> ** イラン・アメリカ・メキシコ・ニュージーランド<br /> など<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;世界のメロンの収穫量上位10か国&#039;&#039;&#039;([[2012年]])&lt;ref name=&quot;fao&quot;&gt;{{cite web|url=http://faostat3.fao.org/download/Q/QC/E|title=FAOSTAT&gt;DOWNLOAD DATA|work=FAOSTAT|publisher=[[国際連合食糧農業機関|FAO]]|language=[[英語]]|accessdate=2014-11-14}}&lt;/ref&gt;<br /> {| class=&quot;wikitable sortable&quot; style=&quot;text-align:right; font-size:95%&quot;<br /> |+ <br /> !収穫量順位!!国!!収穫量(t)!!作付面積(ha)<br /> |-<br /> |1||[[中華人民共和国]]||17,500,000||600,000<br /> |-<br /> |2||[[トルコ]]||1,708,415||102,000<br /> |-<br /> |3||[[イラン]]||1,450,000||82,000<br /> |-<br /> |4||[[エジプト]]||1,007,845||40,218<br /> |-<br /> |5||[[インド]]||1,000,000||44,500<br /> |-<br /> |6||[[アメリカ合衆国]]||925,060||31,730<br /> |-<br /> |7||[[スペイン]]||870,900||27,500<br /> |-<br /> |8||[[モロッコ]]||717,602||20,982<br /> |-<br /> |9||[[ブラジル]]||575,386||22,789<br /> |-<br /> |10||[[メキシコ]]||574,976||20,172<br /> |-<br /> |―||世界計||31,925,787||1,339,006<br /> |}<br /> [[日本]]の収穫量は21位で190,000t、作付面積は25位で8,550haである&lt;ref name=&quot;fao&quot; /&gt;。<br /> <br /> === 日本 ===<br /> [[File:Melon plant.jpg|thumb|200px|メロンの露地栽培例]]<br /> [[File:Production Quantity &amp; Area Harvested of Melons in Japan 1973-2012.png|thumb|日本のメロンの収穫量と作付面積の推移([[1973年]] - [[2012年]])]]<br /> <br /> ==== 主要産地と品種 ====<br /> 主要産地とその品種を記載する。<br /> * [[北海道]]<br /> ** [[夕張市]] - [[夕張メロン]](赤肉種)・夕張IKメロン(赤肉種)<br /> ** [[むかわ町|むかわ町穂別]] - [[穂別メロン]](赤肉種)・[[I.Kメロン]](赤肉種)<br /> ** [[安平町]] - [[アサヒメロン]](赤肉種)<br /> ** [[三笠市]] - [[三笠メロン]](赤肉・青肉種)<br /> ** [[富良野市]]近郊 - [[ふらのメロン]](赤肉種)<br /> ** [[共和町|共和町雷電]] - [[らいでんメロン]](赤肉種)<br /> ** [[北竜町]] - 北竜メロン(赤肉・青肉種)<br /> ** [[雨竜町]] - 暑寒メロン(青肉種)<br /> ** [[浦臼町]] - 浦臼メルティーメロン(北海道において最初に栽培されたといってもいい歴史あるメロン産地 - JAピンネによる)<br /> ** [[月形町]] - 月形キングメルティー(青肉種)<br /> ** [[石狩市]] - 厚田メロン(赤肉種)<br /> ** [[札幌市]][[手稲区|手稲区山口]] - サッポロメロン(赤肉種)<br /> ** [[訓子府町]] - 訓子府メロン(赤肉・青肉種)<br /> ** [[北見市]] - 北見メロン(赤肉種)<br /> ** [[ニセコ町]],[[蘭越町]] - ようていメロン(赤肉種(ルピアレッド・羊蹄レッド・レッド113))・青肉種(ニセコグリーン))<br /> * [[青森県]]<br /> ** [[つがる市]] - [[タカミメロン]](青肉種)<br /> ** [[七里長浜]] - [[つがりあんメロン]]<br /> * [[秋田県]]<br /> ** [[三種町]] - サンキューメロン・[[カナリアメロン|カナリアンメロン]]<br /> ** [[男鹿市]] - わかみメロン・秋田美人メロン <br /> * [[山形県]]<br /> ** [[庄内地方]] - 庄内砂丘メロン( [[アンデスメロン]](青肉種・赤肉種)・鶴姫(青肉種)・鶴姫レッド(赤肉種)・紅花メロン(赤肉種))<br /> * [[茨城県]] - アンデスメロン(青肉種)・[[オトメメロン]](青肉種)・[[クインシーメロン]](赤肉種)・[[プリンスメロン]](青肉種)<br /> ** [[鉾田市]] - メロンの出荷量が日本一。<br /> **[[坂東市]]- [[妃]]([[アールスフェボリット]]赤肉種)[[茨城県立坂東総合高等学校]]が、毎年栽培(知る人ぞ知るメロン)。<br /> * [[千葉県]] - [[アクアメロン|千葉アクアメロン]]<br /> ** [[銚子市]] - [[銚子メロン]](銚子[[アムスメロン]](第16回[[日本農業賞]]受賞)・銚子クインシーメロン・銚子タカミメロン)<br /> ** [[旭市|旭市飯岡]] - [[タカミメロン|飯岡貴味メロン]](青肉種)<br /> * [[静岡県]] - [[温室]]メロンの生産量が日本一。[[静岡クラウンメロン]](青肉種)<br /> * [[愛知県]]<br /> ** [[渥美半島]] - [[渥美メロン]]・[[イエローキングメロン]](ノーネットメロン)<br /> ** [[カクメロ]] - 県内の[[高等学校]]が開発した角形メロン。一般販売もされる。<br /> * [[三重県]]<br /> ** [[志摩市]][[浜島町南張]] - [[南張メロン]]<br /> * [[滋賀県]]<br /> ** [[草津市|草津市下笠町]] - [[草津メロン]]<br /> ** [[守山市|守山市吉身町]] - [[守山メロン]]<br /> ** [[愛東町|愛知郡愛東町]] - [[愛東メロン]]<br /> * [[鳥取県]]<br /> ** [[倉吉市]] - [[倉吉メロン]]<br /> * [[島根県]]<br /> ** [[益田市]] - [[益田メロン]]・[[アムスメロン]]<br /> * [[福岡県]]<br /> ** [[行橋市]] - [[白雪メロン]]<br /> * [[長崎県]]<br /> ** [[南島原市]] - [[パパイヤメロン]](白肉種)<br /> ** [[壱岐市]] - アムスメロン・[[アールスメロン]](青肉種)・[[キューピットメロン]]<br /> * [[熊本県]]<br /> ** [[山鹿市]] - アールスメロン<br /> ** [[宇城市]] - クインシーメロン、アンデスメロン<br /> ** [[玉名市]] - キンショーメロン<br /> ** [[八代市]] - [[肥後グリーンメロン]](青肉種)<br /> ** [[球磨郡]]地域 - プリンスメロン・[[ホームランメロン]](白)<br /> <br /> ==== 収穫量上位10都道府県 ====<br /> [[農林水産省]]の統計による([[2013年]])&lt;ref name=&quot;es&quot;&gt;{{cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/GL08020103.do?_toGL08020103_&amp;listID=000001128458|title=作物統計調査&gt;作況調査(野菜) &gt;確報&gt;平成25年産野菜生産出荷統計|work=e-Stat|publisher=[[総務省]][[統計局]]|accessdate=2015-09-05}}&lt;/ref&gt;<br /> {| class=&quot;wikitable sortable&quot; style=&quot;text-align:right; font-size:95%&quot;<br /> |+ <br /> !収穫量順位!!都道府県!!収穫量(t)!!作付面積(ha)<br /> |-<br /> |1||茨城県||38,900||1,390<br /> |-<br /> |2||北海道||28,100||1,240<br /> |-<br /> |3||熊本県||24,800||1,050<br /> |-<br /> |4||山形県||12,500||603<br /> |-<br /> |5||青森県||10,900||585<br /> |-<br /> |6||静岡県||9,260||325<br /> |-<br /> |7||愛知県||8,690||410<br /> |-<br /> |8||千葉県||8,060||358<br /> |-<br /> |9||高知県||3,240||130<br /> |-<br /> |10||秋田県||3,130||198<br /> |-<br /> |―||全国計||168,700||7,560<br /> |}<br /> <br /> ==== 輸入・輸出 ====<br /> ; 日本向けメロンの主な輸出国<br /> * アメリカ・メキシコ - ハネデューメロン<br /> ; 日本産メロンの主な輸入国<br /> * オマーン・中国-香港- マスクメロン(アールスメロン)<br /> <br /> == 利用 ==<br /> 果物および野菜として生食されることが多いが、アカゲウリなどは煮物にすることもある。マスクメロンは日本では贈答品として用いられることも多いが、国によっては庶民的な果物である。加工品用・飼料用での利用もある。<br /> <br /> === 加工品 ===<br /> &#039;&#039;&#039;食品&#039;&#039;&#039;<br /> * メロン([[シャーベット]]・[[アイスクリーム]]・[[ソフトクリーム]])<br /> * [[メロンゼリー]]<br /> * [[生ハムメロン]] - メロンと[[プロシュット]]を組み合わせた、[[イタリア料理]]の代表的な前菜の1つ。[[スペイン料理]]では[[ハモン・セラーノ]]と合わせる。<br /> * ドライメロン - メロンの菓子。砂糖で漬け、乾燥させたもの。<br /> * [[メロン漬け]] - [[漬物]]。未熟で甘みがない果実を皮ごと塩漬けしたもの。マクワウリやシロウリも漬物にされる。<br /> * [[メロンパン]] - メロンのような形状の菓子パン。これもメロンが使用されていない場合が多いが、メロンクリームをくるんだ商品も存在する。<br /> &#039;&#039;&#039;飲料&#039;&#039;&#039;<br /> * [[メロン・リキュール]] - メロンを原材料とした[[リキュール]]。日本産で世界初のメロン・リキュールであるMidoriが有名。<br /> * メロンシロップ - [[かき氷]]用の緑色に着色された[[シロップ|シュガーシロップ]]。メロンは使用されていない場合が多い。<br /> * [[メロンソーダ]] - 緑色に着色された[[炭酸水]]。シロップ同様、メロンは使用されていない場合が多い。<br /> * メロンミルク - メロンと[[牛乳]]を用いた[[乳飲料]]。苦味を抑えるためメロンは加熱したものを用いる。<br /> <br /> === 成分・効能 ===<br /> {{栄養価 | name=メロン 露地 緑肉種 生&lt;ref name=mext7&gt;[[文部科学省]] 「[http://www.mext.go.jp/a_menu/syokuhinseibun/1365297.htm 日本食品標準成分表2015年版(七訂)]」&lt;/ref&gt;| kJ =176| water=87.9 g| protein=1.0 g| fat=0.1 g| carbs=10.4 g| opt1n=[[食物繊維|水溶性食物繊維]]| opt1v=0.2 g| opt2n=[[食物繊維|不溶性食物繊維]]| opt2v=0.3 g| fiber=0.5 g| sodium_mg=6| potassium_mg=350| calcium_mg=6| magnesium_mg=12| phosphorus_mg=13| iron_mg=0.2| zinc_mg=0.2| copper_mg=0.04| Manganese_mg=0.02| selenium_ug =1| betacarotene_ug=140| vitA_ug =12| vitE_mg =0.2| thiamin_mg=0.05| riboflavin_mg=0.02| niacin_mg=0.8| vitB6_mg=0.11| folate_ug=24| pantothenic_mg=0.16| opt3n=[[ビオチン|ビオチン(B&lt;sub&gt;7&lt;/sub&gt;)]] | opt3v=0.9 µg| vitC_mg=25| note =ビタミンEはα─トコフェロールのみを示した&lt;ref&gt;[[厚生労働省]] 「[http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10901000-Kenkoukyoku-Soumuka/0000114399.pdf 日本人の食事摂取基準(2015年版)]」&lt;/ref&gt;。廃棄部位: 果皮及び種子| right=1 }}<br /> メロン(実)の主成分は[[ショ糖]]、[[ブドウ糖]]、[[果糖]]などの糖類と[[カリウム]]。<br /> 果肉には、[[食物繊維]]の[[ペクチン]]が多い。赤肉メロンの場合[[カロテン]]が多い。<br /> また、[[スイカ]]と同様に水分が多いウリ科の植物であり、体内の塩分([[ナトリウム]])を排泄させる[[カリウム]]が多く含まれ、腎臓病や高血圧の予防・体内温度を下げる成分も含まれており、夏バテによる食欲不振の予防も、効果的である。また、解毒作用もあり、[[リューマチ]]や神経痛の痛みやしびれの予防にも効果的である。<br /> <br /> [[ククミシン]]という[[タンパク質]]分解酵素を多く含むため、多量に食べると口腔内がピリピリと痛みを生じ、まれに出血する場合もある。収穫後、熟成するにつれ、分解酵素が増加する。熟成期を極度に過ぎたものには、甘さよりも苦味が生じる。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{ウィキポータルリンク|果物|[[画像:Illustration des fruits en pays Bassa.jpg|50px|Portal:果物]]}}<br /> * [[ウリ]]<br /> * [[マスクメロン]]<br /> * [[メロンの日]] - [[トルクメニスタン]]の祝日。当地がメロン発祥の地とされている事に由来。<br /> * [[ペピーノ|ペピーノメロン]]<br /> * [[スイカ|ウォターメロン]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{Commons&amp;cat|Cucumis melo}}<br /> * [https://www.alic.go.jp/consumer/photogallery_melon1.html メロンの画像一覧] [[農畜産業振興機構]]<br /> <br /> <br /> {{Normdaten}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:めろん}}<br /> [[Category:果物]]<br /> [[Category:果菜]]<br /> [[Category:ウリ科]]<br /> [[Category:メロン|*]]</div> 220.215.169.104 二子玉川 2018-05-24T12:08:54Z <p>220.215.169.104: </p> <hr /> <div>{{Pathnav|日本|関東地方|東京都|東京都区部|frame=1}}<br /> {{日本の地区・地域<br /> |地区名 = 二子玉川<br /> |仮名 = ふたこたまがわ<br /> |区分 = <br /> |都道府県 = 東京都<br /> |自治体 = [[世田谷区]]<br /> |地域 = [[玉川地域]]<br /> |旧自治体 = <br /> |面積 = <br /> |世帯数 = <br /> |人口 = <br /> |人口統計URL = <br /> |人口統計種類 = <br /> |人口の時点 = <br /> |管轄役所 = <br /> |管轄役所画像 = <br /> |郵便番号 = <br /> |所在地 = <br /> | 緯度度 = 35|緯度分 = 36|緯度秒 = 41.4<br /> | 経度度 = 139|経度分 = 37|経度秒 = 35.8<br /> |隣接 = <br /> |位置画像 = <br /> |特記事項 = <br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;二子玉川&#039;&#039;&#039;(ふたこたまがわ)は、[[東京都]][[世田谷区]]の地区名・通称地名。&lt;br&gt;[[東京急行電鉄|東急]][[東急田園都市線|田園都市線]]・[[東急大井町線|大井町線]]の[[二子玉川駅]]周辺である[[玉川 (世田谷区)|玉川]]・[[瀬田 (世田谷区・川崎市)#東京都世田谷区瀬田|瀬田]]を中心とした地域の通称である。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> [[File:Futakotamagawa-rise.JPG|thumb|250px|二子玉川ライズ・ショッピングセンター中央吹抜通路。写真中央奥が駅東口。]]<br /> 世田谷区の南西に位置し、北に緩やかな丘陵、南に[[多摩川]]を抱える区域で比較的緑が多く自然環境が残されている。そこに住宅地を中心とした街が形成されているが、二子玉川駅近辺は玉川[[高島屋]]S・Cをはじめとした商業施設が建ち並んでいる。さらに近年では駅の東側を中心に再開発が進められ、[[2011年]]には大型商業施設である二子玉川ライズショッピングセンターが開業し、さらに、[[2015年]]に映画館「[[109シネマズ]]二子玉川」などがオープンするなど、賑わいを見せている。「フタコ」、「ニコタマ」という愛称で呼ばれることもある。 <br /> <br /> 二子玉川の街は元々、江戸時代にこの地に存在した渡し船(「二子の渡し」)により地域一体が栄えた事に始まり、後に世田谷随一の歓楽街、東京有数の行楽地へと変貌していったという歴史を持つ。現在では[[下北沢]]、[[三軒茶屋]]と並び、世田谷区の「広域生活拠点」に位置づけられており、比較的豊かな自然環境をベースに住宅街及び商業地帯を発展させた区域として成長している。<br /> <br /> なお、毎年8月に開催される大規模花火大会(通称「[[多摩川花火大会 (世田谷区・川崎市)|二子玉川花火大会]]」)も、この地域では風物詩の一つとなっている。<br /> <br /> === 範囲 ===<br /> 行政上「二子玉川」という町名は存在しないため「二子玉川」の範囲は明確に区画できないが、一般的には行政地名としての東京都世田谷区玉川・上野毛・瀬田・野毛(主に3丁目)を指す。 <br /> <br /> === 二子玉川の名の由来 ===<br /> 「二子玉川」の名は、かつて多摩川を挟んで川崎市側に存在した「二子村」と世田谷区側の「玉川村」に由来すると言われている。また、同地付近にあった「二子の渡し」にも深い関連がある。 なお、現在も多摩川の対岸にあたる[[神奈川県]][[川崎市]][[高津区]]には「[[二子]]」(ふたご)という町名が存在するが、一般的に「二子玉川」と呼ばれる区域の対象には含まれない。町名は当時同地にあった[[二子塚古墳]]に因んで大井町線(現:[[東急大井町線]])開業時に[[目黒蒲田電鉄]]が名付けた&lt;ref&gt;東急社史などの説明より。当地は[[二子の渡し]]の渡船場跡地でもあった。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 郊外SCの先駆・玉川高島屋S・C ==<br /> 駅西口前に大型[[ショッピングセンター]](SC)である&#039;&#039;&#039;玉川[[高島屋]]S・C&#039;&#039;&#039;が存在する。同店は1969年[[11月11日]]、日本初の[[郊外]]型SCとしてオープンした。通称「タマタカ」。<br /> <br /> 当時高島屋は出店地の選定にあたり、東京の城南方面を商圏としてカバーしたいと考えていた。城南方面からの各路線が集中する[[渋谷]]への出店を検討したが既存の建物で埋め尽くされており出店の余地がなく、ほかの街を探すことになる。しかしあくまで都内にこだわり、神奈川県内への出店は全く考えていなかった。これは[[多摩川]]を一歩渡っただけで店舗価値・ブランド力が大きく下がると高島屋は考えたためである。<br /> <br /> そこで[[自由が丘]]と二子玉川が候補になったが、多摩川の眺望の良さや、当時の地価がそれほど高くなかったこと、また当時は当地に[[二子玉川園]]を主体とした施設があり多くの城南方面の家族連れで賑わっていたことなどが決め手となり、二子玉川への出店が決定された。なお、[[1996年]][[10月4日]]の[[タカシマヤタイムズスクエア|新宿高島屋タイムズスクエア]]開業まで、高島屋系列で城南方面をカバーする店舗は当S・Cのみであった。<br /> <br /> 日本でショーウィンドーを早くから採用した同店は、郊外SCの先駆となり、昭和50年代に入ると同店を参考にした郊外SCが爆発的に増え始めた。現在では、駅西口周辺はこの高島屋を中心として街が形成されている。なお、週末になるといわゆる都内城南区域を中心とした地域からの来店客で賑わい、近隣の住宅地(特に隣接する鎌田、岡本、成城、上野毛、等々力、深沢、駒沢、自由が丘、九品仏、田園調布、桜新町、用賀など)からの自家用車での来店が目立つ。そのため高島屋周辺は週末になると慢性的な渋滞を引き起こしている。<br /> &lt;gallery&gt;<br /> ファイル:Tamagawa Takashimaya S.C. Main Building.jpg|高島屋本館<br /> ファイル:Tamagawa Takashimaya S.C. South Building.jpg|南館<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> == 二子玉川の今後 ==<br /> === 東地区再開発 ===<br /> ==== 再開発の計画 ====<br /> [[ファイル:Futakotamagawa west.JPG|thumb|250px|再開発前の二子玉川駅西口。]]<br /> [[ファイル:Futakotamagawa west2.jpg|thumb|250px|再開発前の二子玉川駅西口。2007年秋。]]<br /> [[ファイル:Futakotamagawa-Sta-W.JPG|thumb|250px|再開発後の二子玉川駅西口。2011年11月。]]<br /> かつて二子玉川駅東口周辺は、西口側の繁栄に比べると人通りも少なく、特に[[1985年]][[3月31日]]に二子玉川園が閉園してからは、映画館の二子東急などが残っていたものの、跡地にはアトラクション施設や住宅展示場などが次々と開園と閉園を繰り返し、活気を失っていた。こういった事情を打破するため、閉園後二子玉川園跡地を中心とした区域の[[再開発]]が計画された。その後、経済停滞に伴う計画の見直しや景観保存のための反対運動&lt;ref&gt;住民が中心となった[http://www.futakotown.net/index.php 二子玉川東地区再開発を考える会]など。&lt;/ref&gt;などを経たが、[[2003年]]に[[多摩川]]に架かる[[二子橋]]そばにあった結婚式場の富士観会館が閉館した跡地に[[高層マンション]]のプラウドタワー二子玉川の建設が始まると計画は一挙に加速し、[[2005年]]3月に[[東京都]]より第1期事業施行地区の事業認可を得た。名称は「二子玉川東地区第一種市街地再開発事業」で、東京都より認可され[[東急不動産]]などが主体となった組合「二子玉川東地区市街地再開発組合」が施行する。<br /> <br /> 再開発のテーマは「[[国分寺崖線]]の豊かな緑を基とした自然と都市の調和」。計画面積は11.2ha(うち第1期は8.1ha)で、民間再開発としては都内最大規模である。対象区域は駅周辺から南東方向に多摩川に平行する形状で、東西の長さは約1キロとなっている。総事業費は約1,500億円&lt;ref&gt;二子玉川東地区第一種市街地再開発事業・二子玉川東第二地区第一種市街地再開発事業ウェブサイト内[http://www.futakotamagawa-rise.com/future01.html]ページ下部参照。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 計画では、駅ビルと、駅ビルに隣接する3つの商業棟と1つのオフィス棟の合計4棟を軸としたI街区、超高層の商業棟とホテルを軸としたII街区、3棟の超高層マンション(最高150m)を軸としたIII街区とにわけられ、さらに南東側に公園の整備が計画された。<br /> <br /> ==== 周辺道路の整理 ====<br /> 駅東口側ロータリーを含むこの一帯は、駅前から二子玉川園跡地までは歩道がほとんどない狭小道路にもかかわらず駅前商店街となっており人通りも多く、東急の路線バスも通り交通量も多かった。再開発を見越し銭湯の玉川湯は2003年7月に廃業、[[東京都市大学二子幼稚園|東横学園二子幼稚園]]は[[2004年]]に移転、計画が認可されてからは、[[東急ストア]]と[[東急ハンズ]]二子玉川店が[[2006年]]6月に閉店、一帯の街区整理に入り商店の一部は一時的に退去、[[玉川税務署]]の北側まで来ていた[[東京都道416号古川橋二子玉川線|駒沢通り]]を拡幅の上延伸させるとともに、税務署の南側の道路も拡幅し、これを玉川高島屋前の玉川通りに直結させた。そしてこの道路に面したI街区とII街区の間にバスターミナルを中心とした新たな駅前交通広場が整備された。公道変更に伴って[[東急バス]]の[[東急バス瀬田営業所#遊園地線|玉11系統]]は路線を変更、「玉川高校前」「東急自動車学校前」の停留所を廃して「ライズ・プラザモール前」を新設した。かつて玉川4丁目の[[東急玉川線|玉電]]砧線跡の緑道に面した位置にあった二子玉川郵便局は、[[2012年]]にロータリー前の大井町線ガード下付近に移転した。<br /> <br /> ==== 街区(二子玉川ライズ)の建設工事 ====<br /> 街区の工事は二期に分かれて行われた。<br /> <br /> 第一期工事は、まず[[2007年]]には立ち退きに同意した建物の解体工事が行われ、駅入口付近などに立ち退いた商店の仮設店舗が開業した。同年末にはI-b街区の予定地にあった建物はほとんど解体され、翌年1月にIII街区の基礎工事が開始された。<br /> <br /> 同年6月ごろまでにはIII街区の基礎工事はほぼ完了し仮設バスターミナルや周辺道路の整理を行い、I-b街区の基礎工事を開始した。その後[[2009年]]7月にIII街区の高層棟が上棟。[[2010年]]5月にIII街区の高層棟の引渡しを開始、同年7月に低層棟も引渡された。[[2011年]]3月には、Ia街区、Ib街区の竣工を迎え、第一期工事を完了し&lt;ref&gt;[http://www.futakotamagawa-rise.com/progress_news.html 工事進捗速報]&lt;/ref&gt;、東側再開発の対象地域全体は、&#039;&#039;&#039;「[[二子玉川ライズ]]」&#039;&#039;&#039;と命名された。<br /> <br /> 第二期工事は、まず2010年4月にはIIb街区が「二子玉川ライズ・バーズモール」として、およびIb街区の北棟が「二子玉川ライズ・オークモール」として先行オープンした。続く5月からはIII街区が「二子玉川ライズタワー&amp;レジデンス」としてオープンし順次入居が開始された。そして2011年3月には、Ia街区が「ドッグウッドプラザ」として、およびIb街区が「二子玉川ライズ・ショッピングセンター」「二子玉川ライズ・オフィス」として、Ia街区とIb街区の間にあり二子玉川駅改札口の前の高架下に当たる場所の鉄道街区が「二子玉川ライズ・ステーションモール」としてオープンした。2015年3月にも、最後に残るIIa街区が完成し、「二子玉川ライズ・テラスマーケット」、[[109シネマズ]]二子玉川、二子玉川[[エクセルホテル東急]]がグランドオープンした。<br /> <br /> &lt;gallery&gt;<br /> Image:Futakotamagawa East Redevelopment.jpg|建設中の再開発区域のようす。<br /> Image:二子玉川ライズ・ショッピングセンター01.JPG|二子玉川ライズ・ショッピングセンターを南側より望む。<br /> Image:Futako-Tamagawa rise towers 03.jpg|再開発により誕生した高層マンション「二子玉川ライズ タワー&レジデンス」。 <br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> === 二子玉川公園の建設工事 ===<br /> III街区のさらに南東側は、かつて[[東急自動車学校]](自動車教習所)や東急ゴルフガーデン(ゴルフ練習場)、東急スポーツガーデン(テニスコート等)があった場所である。これらも相次いで移転もしくは営業を中止、隣接していた[[東京都立玉川高等学校|都立玉川高校]]も[[2008年]]3月で閉校し(建物は現在[[東京都公文書館]]が仮入居中)、これらの中央を横切っていた公道を撤去、南側を多摩川の堤防部分と一体化させ、[[東京都道11号大田調布線|多摩堤通り]]をトンネル化([[2011年]]10月完成)した。これらの跡地には地域住民の憩いを目的とした6.3haの規模を誇る[[東京都市計画]]公園事業の「[[二子玉川公園]]」として[[2013年]]に一部完成(拡張部は[[2014年]]に完成)、2015年3月の「二子玉川ライズ・テラスマーケット」の完成でI街区からIII街区の先である二子玉川公園まで1本の陸橋「リボンストリート」で結ばれた。<br /> <br /> == 二子玉川の自然 ==<br /> 二子玉川の周辺には多摩川とその河川敷、さらに生活圏内には[[砧公園]]や[[等々力渓谷]]など、都会では貴重な自然が比較的多く残っている。[[コイ]]や[[ナマズ]]といった淡水魚、[[鴨]]や[[白鷺]]といった鳥類の姿も見られる。緑地には運動場のほか整地されていない原野(原っぱ)もある。特に河原にある[[兵庫島公園]]周辺にはそのような緑地が多い。釣りも楽しめるので釣り人の姿もある(ただし入漁料を払う制度となっている)。写真にある[[兵庫橋]]は[[野川 (東京都)|野川]]に掛かる橋で、駅から緑地に行くための主なルートのひとつとなっている。春から夏・秋にかけては、河原周辺でバーベキューなどを楽しむ人の姿も多く見られる。特に二子橋の橋梁下付近では、土日になると早朝から大勢の人が詰めかけ大変混雑する。<br /> &lt;gallery&gt;<br /> ファイル:二子玉川緑地.JPG|二子玉川の緑地<br /> ファイル:二子多摩川0003.jpg|[[二子玉川駅]]から[[多摩川]](左側)上流を望む。手前にわずかに背だけが見える自動車が渡っている道路が二子橋。奥の高架が新二子橋。両橋の間の河川敷が[[兵庫島公園]]。<br /> ファイル:Hyougobashi.JPG|兵庫橋と[[野川 (東京都)|野川]]<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> == 一般道路 ==<br /> * [[国道246号]](玉川通り)<br /> * [[東京都道11号大田調布線]](多摩堤通り)<br /> * [[東京都道416号古川橋二子玉川線|駒沢通り]]<br /> <br /> == 鉄道路線 ==<br /> * [[東急大井町線]]<br /> * [[東急田園都市線]]<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> === 注釈 ===<br /> {{Reflist|group=&quot;注釈&quot;}}<br /> <br /> === 出典 ===<br /> &lt;!-- 文献参照ページ --&gt;<br /> {{Reflist|2}}<br /> &lt;!-- <br /> == 参考文献 == --&gt;<br /> &lt;!-- 実際に参考にした文献 --&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[多摩川]]<br /> * [[玉川地域]]<br /> * [[武蔵野台地|国分寺崖線]] - 武蔵野台地の一部。<br /> * [[二子玉川駅]]<br /> * [[二子玉川園]] - [[1985年]]閉園。<br /> * [[二子玉川タイムスパーク]] - 二子玉川園閉園後、再開発計画地に暫定的に建設された施設。[[2006年]]閉園。<br /> ** [[ナムコワンダーエッグ]]<br /> ** [[いぬたま・ねこたま]]<br /> * [[二子橋]]<br /> * [[多摩川花火大会 (世田谷区・川崎市)]] - 毎年8月に二子玉川で開催される花火大会。俗に「二子玉川花火大会」とも。<br /> * [[前川紘毅]] - 「二子玉」というシングルCDを発表した。 <br /> * [[ROOKIES]] 二子玉川が舞台となっている漫画<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> === 大規模施設・再開発全体概要関連 ===<br /> * [http://www.takashimaya.co.jp/tamagawa/index.html 玉川タカシマヤ公式サイト]<br /> * [http://www.rise.sc/ 二子玉川ライズ公式サイト]<br /> * [http://sc.rise.sc/ 二子玉川ライズ・ショッピングセンター公式サイト]<br /> * [http://www.dogwood-plaza.com/ 二子玉川ドックウッドプラザ公式サイト]<br /> * [http://www.futakotamagawa-rise.com/ 二子玉川東地区第一種市街地再開発事業オフィシャルサイト]<br /> <br /> === 地域情報サイト・その他 ===<br /> * [http://www.futako-info.com/ 二子玉川情報局]<br /> * [http://nikotama.keizai.biz/ 二子玉川経済新聞]<br /> * [http://twitter.com/#!/Nikokei/ 二子玉川経済新聞公式Twitter]<br /> * [http://www.nikotama-kun.jp/ 二子玉くん] - エリアガイド<br /> * [http://ameblo.jp/nikotamacafe/ 二子玉定食] - 地域飲食店店舗情報<br /> * [http://www.nikotama.net/ ニコタマネット] - (再開発地区の定点観測写真を掲載)<br /> * [http://www.futakotamagawa.info/ 二子玉川日和] - 二子玉川ウェブマガジン<br /> <br /> {{世田谷区の町名}}<br /> {{東京23区の地域}}<br /> {{デフォルトソート:ふたこたまかわ}}<br /> [[Category:二子玉川|*]]<br /> [[Category:世田谷区の地理]]<br /> [[en:Futako Tamagawa]]</div> 220.215.169.104 ドール・フード・カンパニー 2018-04-21T14:05:38Z <p>220.215.169.104: /* 日本での事業 */</p> <hr /> <div>{{基礎情報 会社<br /> | 社名 = ドール・フード・カンパニー・インク&lt;ref name=hisa/&gt;<br /> | 英文社名 = Dole Food Company, Inc.<br /> | ロゴ = &lt;!-- [[ファイル:***|250px|###]] --&gt;<br /> | 画像 = &lt;!-- [[ファイル:***|250px|###]] --&gt;<br /> | 画像説明 = <br /> | 種類 = [[公開会社でない株式会社]]<br /> | 市場情報 = {{上場情報|NYSE|DOLE||&amp;#x200B;}}<br /> | 略称 = ドール<br /> | 国籍 = {{USA}}<br /> | 本社郵便番号 = <br /> | 本社所在地 = [[カリフォルニア州]][[ウェストレイクビレッジ]] {{en|One Dole Drive}}<br /> | 本店郵便番号 = <br /> | 本店所在地 = <br /> | 設立 = [[1851年]]&lt;ref name=hisa/&gt;<br /> | 業種 = 0050<br /> | 統一金融機関コード = <br /> | SWIFTコード = <br /> | 事業内容 = [[果物]]・[[野菜]]<br /> | 代表者 = [[:en:David H. Murdock|D.H.マードック]] CEO・会長<br /> | 資本金 = <br /> | 発行済株式総数 = <br /> | 売上高 = <br /> | 営業利益 = <br /> | 経常利益 = <br /> | 純利益 = <br /> | 純資産 = <br /> | 総資産 = <br /> | 従業員数 = <br /> | 支店舗数 = <br /> | 決算期 = <br /> | 主要株主 = D.H.マードック<br /> | 主要子会社 = <br /> | 関係する人物 = <br /> | 外部リンク = http://www.dole.com<br /> | 特記事項 = <br /> }}<br /> [[ファイル:DolePineapplePlantation.jpg|thumb|300px|ハワイの[[オアフ島]]にあるドール・パイナップル・プランテーション]]<br /> [[ファイル:Dole Plantation (2008) 03.JPG|thumb|200px|ドール・パイナップル・プランテーション内のパイナップル畑]]<br /> [[ファイル:Dole Plantation (2008) 04.JPG|thumb|200px|ドール・パイナップル・プランテーションの前庭に生るパイナップル]]<br /> &#039;&#039;&#039;ドール・フード・カンパニー&#039;&#039;&#039;(Dole Food Company, Inc.)は、[[アメリカ合衆国]]の多国籍農業・食品企業。通称&#039;&#039;&#039;ドール&#039;&#039;&#039;(Dole)。<br /> <br /> 果物・野菜、特に[[バナナ]]や[[パイナップル]]などの生産・販売を手がけている。<br /> <br /> [[1851年]]、キャッスル&amp;クック社として設立&lt;ref name=hisa&gt;[http://www.dole.co.jp/company_info/history/his_a001.html ドールの歴史 [会社案内&lt;nowiki&gt;]&lt;/nowiki&gt; - Dole Japan, Inc.]&lt;/ref&gt;。「ドール」の名は[[1968年]]に吸収合併したハワイアン・パイナップル社の商標で、[[1991年]]より社名となった。なお、現存するキャッスル&amp;クック社は、[[1995年]]に[[不動産]]管理のために分社された別法人である。<br /> <br /> == 沿革 ==<br /> === キャッスル&amp;クック社 ===<br /> [[:en:Samuel Northrup Castle|サミュエル・ノースラップ・キャッスル]]と[[:en:Amos Starr Cooke|エイモス・スター・クック]]が、[[ホノルル]]に商事会社「キャッスル&amp;クック社」({{en|Castle &amp; Cooke}})を設立&lt;ref name=hisa/&gt;。<br /> <br /> === ハワイアン・パイナップル社 ===<br /> [[ユニテリアン主義]]の[[宣教師]]の息子として[[1877年]]に[[マサチューセッツ州]][[ジャメイカ・プレイン (マサチューセッツ州)|ジャメイカ・プレイン]]に生まれた[[:en:James Dole|ジェームズ・ドール]]は、[[1899年]]に[[ハーバード大学]]から[[農学]]と[[経営学]]の学士号を取得した後、従兄の[[サンフォード・ドール]]が大統領を務めていた[[ハワイ共和国]](当時)に移住した。<br /> <br /> ジェームズ・ドールは[[オアフ島]]の中央部の平野に農園を開き、[[1901年]]にハワイアン・パイナップル社 ({{en|Hawaiian Pineapple Company}}) を創業した。彼は[[ホノルル]]港近くに工場を建設し、最新鋭の[[農業機械]]購入や[[ラナイ島]]・[[マウイ島]]での農園開設で「パイナップル王」と呼ばれるまでになった。<br /> <br /> === 合併 ===<br /> ハワイアン・パイナップル社は[[1932年]]、ハワイで「{{仮リンク|ビッグ・ファイブ|en|Big Five (Hawaii)}}」と呼ばれる5大サトウキビ農園主の1つ、キャッスル&amp;クック社(C&amp;C)に株式の21%を取得され、[[1961年]]には完全に買収された。キャッスル&amp;クック社はラナイ島の95%を占める所有地をはじめとして世界中に農園を築いた。<br /> <br /> [[1964年]]、全米2位のバナナ輸入業者{{仮リンク|スタンダード・フルーツ社|en|Standard Fruit Company}}の株式の55%を取得、[[1968年]]100%取得した&lt;ref name=hisa/&gt;。この会社は[[1967年]]には、[[日本]]向けバナナの生産会社スタンフィルコ社を[[フィリピン]]の[[ミンダナオ島]]に設立した&lt;Ref name=hisa/&gt;。<br /> <br /> [[1978年]]、[[カリフォルニア州|カリフォルニア]]の[[レタス]]・[[セロリ]]生産大手のバッド社 ({{En|Bud Antle Inc.}}) を取得し&lt;ref name=hisa/&gt;、[[1989年]]に {{en|Dole Fresh Vegetables}} とした。<br /> <br /> [[1970年代]]以降ハワイの農業衰退で経営難に陥り、合併の後[[1991年]]にドール・フード・カンパニー・インクと改名した。<br /> <br /> [[2012年]][[5月2日]]、キャッスル&amp;クック社(新)の管理する[[ラナイ島]]の農場のほとんどが、[[ラリー・エリソン]]に売却された&lt;ref&gt;{{cite news|last=Kelleher|first=Jennifer Sinco|title=Hawaii Gov.: Oracle&#039;s Ellison to buy most of Lanai|url=http://finance.yahoo.com/news/hawaii-gov-oracles-ellison-buy-003705140.html|accessdate=21 June 2012|newspaper=Associated Press|date=June 21, 2012}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 事業売却 ===<br /> [[2013年]][[4月1日]]、「アジアにおける青果物事業とグローバル展開する加工食品事業」が[[伊藤忠商事]]に売却された&lt;ref name=itouchuu&gt;[http://makernews.biz/20130402775/ 伊藤忠/米ドールの事業買収完了、新会社の概要発表 | メーカーニュース]&lt;/ref&gt;。「ドール」ブランドではさまざまな[[加工食品]]も製造販売されている。<br /> <br /> また、[[アジア]]事業も同時に伊藤忠商事に売却された。事業売却前のドール社は世界各地の90カ国以上に拠点を持っていたが、現在のドール社の事業エリアは主に[[北米]]と[[欧州]](若干が[[中南米]]・[[アフリカ]]・[[中近東]])である。<br /> <br /> == 伊藤忠のドール事業 ==<br /> * 持株会社&lt;ref name=itouchuu/&gt;<br /> ** {{Flagicon|JPN}} Dole International Holdings 株式会社(ドール・インターナショナル・ホールディングス、登記上は英字)。[[伊藤忠商事]]の100%子会社。[[2012年]][[10月23日]]設立、[[東京都]][[千代田区]][[三番町 (千代田区)|三番町]]6-2。<br /> ** {{Flagicon|USA}} DPF Holdings, Inc.(DPFホールディングス)。DIH社の100%子会社。2012年[[11月27日]]設立。アメリカ [[デラウェア州]][[ウィルミントン (デラウェア州)|ウィルミントン]]オレンジストリート1209。<br /> ** {{Flagicon|SIN}} Dole Asia Holdings Pte Ltd.(ドール・アジア・ホールディングス)。DIH社の100%子会社。2012年[[10月4日]]設立。[[シンガポール]] {{仮リンク|ワンラッフルズキー|en|One Raffles Quay}}#37-01。<br /> * 事業会社<br /> ** {{Flagicon|USA}} Dole Packaged Foods, LLC (米州、加工食品のみ)<br /> ** {{Flagicon|DEU}} Dole Packaged Foods Europe SAS (欧州・アフリカ・中近東、加工食品のみ)<br /> ** {{Flagicon|THA}} Dole Thailand Limited ([[タイ王国|タイ]])<br /> ** {{Flagicon|PHI}} Dole Philippines, Inc. ([[フィリピン]])<br /> ** {{Flagicon|JPN}} 株式会社ドール ([[日本]])<br /> *** 株式会社フレッシュシステム<br /> *** フレッシュリミックス株式会社<br /> *** 株式会社ケーアイ・フレッシュアクセス<br /> ** {{Flagicon|KOR}} Dole Korea, Ltd. ([[大韓民国|韓国]])<br /> <br /> == 日本での事業 ==<br /> 株式会社ドール({{en|Dole Japan, Inc.}})は、米ドール社のかつての日本法人で、現在は[[伊藤忠商事]]グループの Dole International Holdings 傘下の企業である。本社所在地は[[東京都]][[千代田区]][[三番町 (千代田区)|三番町]]6-2 三番町彌生館。<br /> <br /> [[1965年]]、ドール日本支社として創業。[[1982年]][[12月28日]]に日本法人として「株式会社ドール」設立&lt;ref&gt;[http://www.dole.co.jp/company_info/outline/out_a001.html 会社概要 [会社案内&lt;nowiki&gt;]&lt;/nowiki&gt; - Dole Japan, Inc.]&lt;/ref&gt;。ただし、2012年9月22日&lt;ref&gt;[http://news.nissyoku.co.jp/Contents/urn/newsml/nissyoku.co.jp/20121010/TAKAGI20121004102115501/1 ドール、合同会社に改組 社長に渡辺陽介氏が就任 2012年10月10日|組織変更・人事/農産加工|日本食糧新聞・電子版-日本食糧新聞社-食品業界ニュース]&lt;/ref&gt;から2013年10月までは「[[合同会社]]ドール({{en|Dole Japan G.K.}})」だった。2013年4月1日の事業売却により伊藤忠商事に売却された。<br /> <br /> かつては[[雪印乳業]]と提携し、果汁飲料や[[アイスクリーム]]加工品を製造・販売する合弁企業を設立していたが、雪印グループの一連の不祥事を契機として[[2002年]]に提携関係を解消した。<br /> <br /> 現在は以下の企業がドール製品を販売している。これらのほか、一部は直轄事業になっている。<br /> * 雪印の事業継承会社<br /> ** [[協同乳業]]([[ヨーグルト]])<br /> ** [[雪印メグミルク]]([[ジュース]]) - 雪印の乳を含む飲料事業を引き継いだ[[日本ミルクコミュニティ]]が雪印乳業と共に同社へ統合。<br /> ** [[ロッテ]]([[アイスクリーム]]) - 雪印のアイスクリーム事業を引き継いだロッテスノーがロッテ冷菓との統合により2008年4月1日にロッテアイス商号変更、その後2018年4月1日にロッテ本体に吸収合併。<br /> * [[不二家]]([[グミ]]、[[キャンディ]])<br /> <br /> 日本におけるドール[[ロゴ]]の[[登録商標]]権は、[[シンガポール]]のドール・アジア・ホールディングスが保有している。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> *[http://www.dole.com/ Dole] {{En icon}}<br /> *[https://www.doleplantation.com/ Dole Plantation] {{En icon}} - [http://doleplantation.worldsecuresystems.com/JP 日本語ページ]{{リンク切れ|date=2018年4月}}<br /> <br /> {{company-stub}}<br /> {{DEFAULTSORT:とるふとかんはに}}<br /> [[Category:アメリカ合衆国の食品会社]]<br /> [[Category:NYSE上場企業]]<br /> [[Category:ロサンゼルス郡の企業]]<br /> [[Category:多国籍企業]]<br /> [[Category:バナナ]]<br /> [[Category:ユニテリアン]]<br /> [[Category:アメリカ合衆国の農業関連企業]]</div> 220.215.169.104 武庫川車両工業 2018-04-16T13:26:18Z <p>220.215.169.104: /* リニューアル改造車両 */</p> <hr /> <div>[[ファイル:Eiden 900 plates.JPG|thumb|right|200px|車内銘板の一例(右)&lt;br&gt;[[叡山電鉄900系電車]]]]<br /> &#039;&#039;&#039;武庫川車両工業株式会社&#039;&#039;&#039;(むこがわしゃりょうこうぎょう)は、かつて日本に存在した[[鉄道車両]]メーカーで、[[阪神電気鉄道]]の子会社のひとつ。<br /> <br /> [[兵庫県]][[西宮市]]に工場を置き、親会社の阪神電気鉄道向けの[[電車]]を中心とした鉄道車両の製造とメンテナンスに携わっていたほか、車両の製造修繕技術を生かした機械・製缶といった分野にも乗り出していた。<br /> 同じ県内に本社を置く[[川崎重工業車両カンパニー|川崎重工業]]・[[アルナ工機]](後に分社化、清算会社に)と並ぶ県内鉄道車両製造メーカーの一つでもあった。<br /> <br /> ※本項ではメンテナンス業務を行っている&#039;&#039;&#039;阪神車両メンテナンス株式会社&#039;&#039;&#039;についても述べる。<br /> <br /> == 沿革 ==<br /> 武庫川車両工業の沿革は、[[1940年]]に創業した&#039;&#039;&#039;阪神車輌工業株式会社&#039;&#039;&#039;が[[1946年]]に&#039;&#039;&#039;摂津車輌株式会社&#039;&#039;&#039;に改名し、[[1956年]]に同社が清算された後、[[1957年]]に新たに設立されたものである。両社は別の会社であるが、参考文献の記述からも摂津車輌の再興であることがわかるため、同一の沿革のもとで紹介する。<br /> <br /> === 年表 ===<br /> * [[1940年]](昭和15年)[[9月17日]] 阪神車輌工業株式会社設立<br /> * [[1946年]](昭和21年) 阪神車輌工業株式会社を社名変更して摂津車輌株式会社とし、出資も阪神電気鉄道と[[川西航空機]]株式会社の折半出資とする(資本金300万円)<br /> * [[1954年]](昭和29年)[[12月15日]] 摂津車輌工業車両工場焼失<br /> * [[1956年]](昭和31年)1月 摂津車輌工業株式会社清算<br /> * [[1957年]](昭和32年)[[2月15日]] 武庫川車両工業株式会社設立(資本金700万円)<br /> * [[1972年]](昭和47年)<br /> ** [[9月5日]] [[武庫川技研]]株式会社を設立(資本金500万円)<br /> ** [[11月1日]] [[三共マシン]]株式会社を買収<br /> * [[1983年]](昭和58年)3月 本社を[[西宮市]][[鳴尾浜]]に移転<br /> *[[2002年]] (平成14年) [[5月31日]] 業務の一部を継承した&#039;&#039;&#039;阪神車両メンテナンス株式会社&#039;&#039;&#039;を設立。<br /> ** [[9月30日]] 武庫川車両工業株式会社解散。<br /> <br /> === 阪神車輌・摂津車輌時代 ===<br /> 武庫川車両工業の前身である阪神車両工業は、阪神電鉄の車両修繕を目的として1940年9月に創業した。<br /> <br /> 戦時中も物資・人員不足に悩まされながらも事業を続けていたが、戦後間もない1946年には阪神だけでなく川西航空機の出資を仰いで両社の折半出資とし、同時に社名も摂津車輌工業株式会社に変更した。このような形態になったのは[[大東亜戦争]]の敗戦に伴って軍需工業の民需転換が行われるようになり、遊休施設の有効活用と従業員の勤務場所確保を図る必要があったためである。役員は阪神・川西両社の双方から派遣されていたが、従業員の大半は川西航空機の元社員であり、工場も川西航空機の鳴尾工場に移転した。<br /> <br /> こうして設立された摂津車輌は、阪神の戦災車両や[[三宮駅]]構内で発生した地下線火災の被災車両の復旧工事に携わり、その後は阪神の車両の修繕だけでなくバスボディの製造も行うようになった&lt;ref&gt;当時のバスボディの構造はモノコック構造が大半であり、航空機の製造手法が応用できる&lt;/ref&gt;が、その後は次第に経営不振に陥った。<br /> <br /> 1954年1月には工場の火災によって阪神から入場中の多くの車両が被災、そのうち6両&lt;ref&gt;内訳は新設軌道線4両(864,905,1112,1133)、併用軌道線2両(26,39)&lt;/ref&gt;が廃車された。このダメージは大きく、摂津車輌としての事業継続を断念して1956年に会社を清算した。<br /> <br /> === 再出発 ===<br /> 摂津車輌が携わっていた車両修繕業務は、阪神にとって経費節減に役立つものであった。<br /> <br /> こうしたことから新会社を設立して業務を継承させることとなり、摂津車輌の清算1年後の1957年2月に新会社の武庫川車両工業を設立して業務を継承、定年退職者を多く雇用することで技術の継承を図るとともに修繕費のコストアップを防いだ。<br /> <br /> その後は車両修繕業務に携わることで技術の向上を図り、[[1964年]]には[[阪神7801・7901形電車|7801形]]の中間T車である7901形の製造を受注&lt;ref&gt;それ以前に事業用車両の[[阪神155形電車|101形]]を1962年に受注している&lt;/ref&gt;、[[1965年]]には先頭車の7801形の製造も受注して、[[1966年]]からは阪神向けの新造車を全て同社で受注・製造することとなった。同時期には営業運転から撤退した[[阪神1001形電車#概要|1121,1141形]]小型車を事業用[[電動貨車]]である[[阪神151形電車|151形各形式]]へ改造する工事にも携わっているほか、[[1967年]][[11月12日]]に実施された阪神新設軌道各線の架線電圧の直流1500Vへの昇圧対応工事にも携わった。<br /> <br /> このように、同社は阪神を中心とした車両の製造・修理で社業を発展させるとともに、機械・製缶・電気など車両製造と関連の深い部門への進出を開始した。<br /> <br /> === 多角化と挫折 ===<br /> 同社は、鉄道車両の製造・修繕を通じて身につけ、蓄積した鈑金や製缶といった金属加工の技術を生かして、[[1960年代]]後半の高度経済成長期に多角化を志した。多角化の背景には、本業の車両製造・修繕部門が、同時期の阪神が輸送力増強のために毎年のように新車を発注していたことから、業績は順調に発展していたこともあり、新規事業に進出しやすいといったことが挙げられる。こうして車両を主軸に総合機械メーカーを目指した同社は、1972年9月に設計部門の子会社である武庫川技研株式会社を設立、同年11月には油圧機器メーカーの三共マシン株式会社を買収、子会社とした。こうして同社の事業内容は車両の製造・修繕を中心に、製缶、鉄骨加工、石油販売、電気機器製造、鋼材販売などの分野に大きく拡大、総合機械メーカーへと踏み出した。また、この時期には、鉄道車両の分野でも阪神以外に[[京福電気鉄道]]にも販路を拡大している。<br /> <br /> ところが、[[1973年]]10月に発生した[[第四次中東戦争]]に端を発した[[オイルショック|第1次石油ショック]]が、同社の拡大路線に大きな影を落としてしまう。車両部門は親会社の阪神が車両を発注したり急行系車両の冷房改造に携わるなどして利益を確保することができたが、それ以外の事業分野は大幅な欠損を生じてしまった。同社は苦境打開のために事業の縮小を決意、事業は車両の製造・修繕と機械・製缶の得意分野に絞って武庫川技研と三共マシンは廃業、累積損失を解消するために工場の土地・建物を売却して、[[1983年]]には本社を鳴尾浜に移転した。こうして経営の再建を図った結果、同社の業績は順調に回復した。<br /> <br /> === 復興から解散 ===<br /> このようなリストラを推進したことと親会社の阪神が[[ジェットカー]]第一世代の代替に新車投入で対応したことから、武庫川車両工業の業績は復活、[[1980年代]]中盤以降は急行系車両の新車として[[阪神8000系電車|8000系]]を大量に受注したほか、京福と[[叡山電鉄]]の新造車の発注もあって良好な経営状態で推移した。8000系の新造は[[1995年]]の[[阪神・淡路大震災]]の直後まで続き、その後も震災被災廃車車両の代替新造や[[叡山電鉄900系電車|叡山電鉄900系(きらら)]]をはじめとした京福・叡山電鉄向け車両の新造が続いたことから、[[1998年]]度までは利益を計上することができた。<br /> <br /> しかし、これらの車両の新造が一段落した[[1999年]]度以降は、阪神の鉄道旅客輸送量が減少したことに加え、車両も普通系、急行系とも更新がほぼ完了して新造時期が10年程度延長したことから、新造車両の発注が大幅に減少、赤字決算に転落してしまう。その後も車両の新造が増加する見込みがなかったことから、阪神は武庫川車両工業を解散、その代わりに車両のメンテナンスに特化した新会社を設立することとした。こうして2002年5月に新会社の阪神車両メンテナンス株式会社を設立してメンテナンス業務を移管、武庫川車両工業は同年[[9月24日]]に竣工した[[阪神9300系電車|9300系]]9505Fを最後に車両の製造を終了、9月30日に解散し、阪神車輌工業を含む61年の歴史に幕を閉じた。<br /> <br /> 奇しくも同年には尼崎市のアルナ工機が事業別分社化および鉄道線向け車両製造事業を撤退し(分社した[[アルナ車両]]は路面電車製造を継続)、兵庫県内の老舗の2社の車両製造会社が撤退したことになる。<br /> <br /> == 製造車両 ==<br /> === 特徴 ===<br /> * 車体は一般的な[[炭素鋼|鋼鉄]]製のもので、[[アルミニウム合金|アルミ]]製や[[ステンレス鋼|ステンレス]]製の車両を製造したことはなかった&lt;ref&gt;阪神・京福・叡電ともに、アルミ製の車両を保有したことは開業以来ない。また、阪神において在籍する、あるいは在籍したことのあるステンレス車両は、[[阪神5101・5201形電車|5201形]](試験的に2両製造された)は[[汽車製造]]、[[阪神9000系電車|9000系]]([[阪神・淡路大震災]]により、短期間で代替車両を導入する必要があった)は川崎重工、[[阪神1000系電車|1000系]]・[[阪神5700系電車|5700系]](この2車種より本格採用)は近畿車輛で製造された。&lt;/ref&gt;。ただし、[[軽金属]]を部材として使用したことはあるうえ、[[阪神5500系電車|阪神5500系]]や9300系の屋根にステンレスが用いられている。<br /> * モボ501形以降の嵐電車両(モボ21形を除く)や[[叡山電鉄|叡電]]デオ800系、[[えちぜん鉄道]]MC5001形のように、ナンバーの字体に阪神独特の縦長ゴシックを採用した車両が多い。また、これらの車両を含めた京福系各社の発注車両は、車内の化粧板に薄緑色の格子柄のデコラ板や毛足の長いシートモケット&lt;ref&gt;モケットの色は阪神はえんじ色、京福系各社は濃紺と異なっている&lt;/ref&gt;を使うなど、1970年代の阪神電車の雰囲気を今に伝えている。<br /> * 発注各社の路線の性格から、受注車両のほとんどが通勤用の[[鉄道車両の座席#ロングシート|ロングシート]]車であったが、叡電のデオ900形「きらら」や阪神9300系のように[[鉄道車両の座席#クロスシート|クロスシート]]車を受注・製造し、「きらら」が[[1997年]]度の[[鉄道友の会]][[ローレル賞]]を受賞したように、他社にひけをとることはなかった。なお、後年は車両デザイン面で[[近畿車輛]]と提携している。<br /> <br /> === 阪神電気鉄道 ===<br /> * [[阪神7801・7901形電車|7801・7901形]]<br /> * [[阪神5261形電車|5261形]]<br /> * [[阪神5311形電車|5311形]]<br /> * [[阪神7001・7101形電車|7001・7101形]]<br /> * [[阪神3801・3901形電車|3801・3901形]]<br /> * [[阪神5001形電車|5001形 (2代)]]<br /> * [[阪神5131形・5331形電車|5131形・5331形]]<br /> * [[阪神8000系電車|8000系]]<br /> * [[阪神5500系電車|5500系]](5505F~5509Fは除く)<br /> * [[阪神9300系電車|9300系]]<br /> <br /> === 京福電気鉄道(嵐電) ===<br /> * [[京福電気鉄道モボ301形電車|モボ301形]]<br /> * [[京福電気鉄道モボ501形電車|モボ501形]]<br /> * [[京福電気鉄道モボ611形電車|モボ611形]]<br /> * [[京福電気鉄道モボ611形電車|モボ621形]]<br /> * [[京福電気鉄道モボ611形電車|モボ631形]]<br /> * [[京福電気鉄道モボ2001形電車|モボ2001形]]<br /> * [[京福電気鉄道モボ21形電車|モボ21形]]<br /> <br /> === 京福電気鉄道(鋼索線) ===<br /> * [[京福電気鉄道鋼索線#車両|ケ形]]<br /> <br /> === 叡山電鉄 ===<br /> * [[叡山電鉄デオ600形電車|デオ600形]]<br /> * [[叡山電鉄700系電車|700系]]<br /> * [[叡山電鉄800系電車|800系]]<br /> * [[叡山電鉄900系電車|900系]](きらら)<br /> <br /> === えちぜん鉄道 ===<br /> * [[京福電気鉄道モハ5001形電車|MC5001形]]<br /> <br /> === 野上電気鉄道(受注のみ) ===<br /> {{See also|野上電気鉄道}}<br /> * 80形 - 設計図が完成し一部部品の発注を行ったものの野上電鉄側の事情でキャンセルされた。<br /> <br /> == 阪神車両メンテナンス ==<br /> {{基礎情報 会社<br /> |社名 = 阪神車両メンテナンス株式会社<br /> |英文社名 = HANSHIN SHARYO MAINTENANCE CO., LTD.<br /> |ロゴ = [[ファイル:5550-makerplate.jpg|200px]]&lt;br /&gt;[[阪神5500系電車#5550系|阪神5550系]]の銘板(上)<br /> |種類 = 株式会社<br /> |市場情報 =<br /> |略称 = 阪神車両<br /> |国籍 = {{JPN}}<br /> |本社郵便番号=660-0286<br /> |本社所在地 = [[兵庫県]][[尼崎市]]北城内116番地<br /> |設立 = [[2001年]]5月<br /> |業種 = 輸送用機器<br /> |統一金融機関コード =<br /> |SWIFTコード =<br /> |事業内容 = 鉄道車両のメンテナンス、整備、改造等<br /> |代表者 =<br /> |資本金 = 3,000万円<br /> |売上高 =<br /> |総資産 =<br /> |従業員数 = 30名<br /> |決算期 =<br /> |主要株主 = [[阪神電気鉄道]](100%出資、同社の連結子会社)<br /> |主要部門 =<br /> |主要子会社 =<br /> |関係する人物 =<br /> |外部リンク =<br /> |特記事項 = 2002年5月、武庫川車両工業のメンテナンス業務を継承する形で設立。<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;阪神車両メンテナンス株式会社&#039;&#039;&#039;(はんしんしゃりょうメンテナンス)は[[兵庫県]][[尼崎市]]に本社を置く会社。[[阪急阪神東宝グループ]]の一員。<br /> <br /> === 概要 ===<br /> 2002年、売上減少となった武庫川車両工業のメンテナンス業務を継承する形で設立された。旧阪神系の会社であり、阪神車両の検査業務を行っている。<br /> <br /> なお、かつては同じく阪急阪神東宝グループで鉄道車両の検査業務を実施している会社は他にも旧阪急系の[[グローバルテック]]があったが、両社間での人的交流はなかった。<br /> <br /> === 事業内容 ===<br /> 鉄道車両の定期検査および各種検査の請負をはじめ鉄道車両の清掃および整備、改造等も行っている。<br /> <br /> === リニューアル改造車両 ===<br /> * [[阪神8000系電車|阪神8000系]]<br /> * [[阪神9000系電車|阪神9000系]]<br /> * 阪神5500系<br /> * [[山陽電気鉄道3000系電車|山陽3000系]]&lt;ref&gt;[http://hccweb5.bai.ne.jp/~hel77101/gyomu2.html 業務の様子]&lt;/ref&gt;<br /> * [[阪急5100系電車|能勢電鉄5100系]](元阪急5100系)&lt;ref&gt;[http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201407/0007152422.shtml あれ?阪神線路に阪急車両 史上初、ファン興奮] - [[神戸新聞]] 2014年7月17日&lt;/ref&gt;<br /> * [[国鉄119系電車|えちぜん鉄道7000系電車]] (元JR東海119系電車)<br /> * 京福モボ501形<br /> <br /> === 新造車両 ===<br /> * [[阪神5500系電車#5550系|阪神5550系]](艤装のみで、車体は[[アルナ車両]]が製造)<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> * 『阪神電気鉄道百年史』2005年 阪神電気鉄道<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://rail.hobidas.com/blog/natori09/archives/2008/06/43-1.html 編集長敬白アーカイブ 43年前の武庫川線と武庫川車輌] 1965年頃の工場敷地内の写真<br /> * [http://hccweb5.bai.ne.jp/~hel77101/index.html 阪神車両メンテナンス]<br /> <br /> {{Company-stub}}<br /> {{Rail-stub}}<br /> <br /> {{リダイレクトの所属カテゴリ<br /> |redirect=阪神車両メンテナンス<br /> |1=尼崎市の企業<br /> |2=日本の鉄道車両メーカー<br /> }}<br /> {{DEFAULTSORT:むこかわしやりようこうきよう}}<br /> [[Category:かつて存在した日本の工業製品メーカー]]<br /> [[Category:かつて存在した兵庫県の企業]]<br /> [[Category:日本のメンテナンスに関する企業]]<br /> [[Category:日本の鉄道車両メーカー]]<br /> [[Category:阪急阪神東宝グループの歴史]]<br /> [[Category:西宮市の歴史]]<br /> [[Category:1957年設立の企業]]<br /> [[Category:2002年廃止の企業]]</div> 220.215.169.104
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