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http:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=218.47.98.145&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-14T18:42:51Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 日刊スポーツ 2018-07-21T10:46:23Z <p>218.47.98.145: /* 紙面構成 */</p> <hr /> <div>{{簡易区別|[[韓国]]の日刊スポーツ({{Lang-ko-kr-short|일간스포츠}})}}<br /> {{複数の問題<br /> | 出典の明記= 2011年1月<br /> | 独自研究= 2013年1月<br /> }}<br /> {{基礎情報 新聞<br /> | 名称 = 日刊スポーツ<br /> | 画像 =<br /> | 説明 =<br /> | タイプ = 日刊紙<br /> | サイズ = ブランケット判<br /> | 事業者 = 株式会社日刊スポーツ新聞社&lt;br /&gt;株式会社日刊スポーツ新聞西日本&lt;br /&gt;株式会社北海道日刊スポーツ新聞社&lt;br /&gt;株式会社沖縄タイムス社<br /> | 本社 = [[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[築地]]3-5-10&lt;br /&gt;[[大阪府]][[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]][[中之島 (大阪府)|中之島]]2-3-18(西日本・大阪本社)&lt;br /&gt;[[愛知県]][[名古屋市]][[中区 (名古屋市)|中区]]栄1-3-3 朝日会館13階(西日本・名古屋本社)&lt;br /&gt;[[福岡県]][[福岡市]][[博多区]][[博多駅]]前2-1-1 福岡朝日ビル7階(西日本・西部本社)&lt;br /&gt;[[北海道]][[札幌市]][[中央区 (札幌市)|中央区]]北3条東3丁目1-30&lt;br /&gt;[[沖縄県]][[那覇市]][[久茂地]]2-2-2<br /> | 代表者 = 川田員之<br /> | 編集者 =<br /> | 創刊 = [[1946年]][[3月6日]]<br /> | 廃刊 =<br /> | 前身 =<br /> | 1部 = &lt;br /&gt;(東京・北海道・西部各本社エリア)140円&lt;br /&gt;(大阪・名古屋各本社エリア)130円&lt;br /&gt;(沖縄エリア)60円<br /> | 月極 = &lt;br /&gt;(東京・北海道・西日本各社)3,353円&lt;br /&gt;(沖縄エリア)1,029円<br /> | 言語 = 日本語<br /> | 発行数 =<br /> | 公式サイト = http://www.nikkansports.com/<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;日刊スポーツ&#039;&#039;&#039;(にっかんスポーツ、{{lang|en|NIKKAN SPORTS}}、略称:&#039;&#039;&#039;ニッカン&#039;&#039;&#039;)は、[[日本]]国内で発行される[[日刊]]の[[スポーツ新聞]]。[[朝日新聞]]系。<br /> <br /> 全国各地の4社から発行されている。<br /> <br /> * [[日刊スポーツ新聞社]](にっかんスポーツしんぶんしゃ、[[東京都]])<br /> * [[日刊スポーツ新聞西日本]](にっかんスポーツしんぶんにしにっぽん、[[大阪府]]、[[愛知県]]、[[福岡県]])<br /> * [[北海道日刊スポーツ新聞社]](ほっかいどうにっかんスポーツしんぶんしゃ、[[北海道]])<br /> * [[沖縄タイムス|沖縄タイムス社]](おきなわタイムスしゃ、[[沖縄県]]、印刷・発行委託)<br /> <br /> == 概要 ==<br /> [[1946年]][[3月6日]]に日本最初のスポーツ新聞として東京で創刊した。創業者で初代会長は[[徳島県]]出身の[[川田源一]]、二代目会長は[[川田博美]]であった。<br /> <br /> 日刊スポーツは全国各地の4社から発行されている。[[日刊スポーツ新聞社]]([[東京都]])、[[日刊スポーツ新聞西日本]]([[大阪府]]、[[愛知県]]、[[福岡県]])、[[北海道日刊スポーツ新聞社]]([[北海道]])、[[沖縄タイムス|沖縄タイムス社]]([[沖縄県]]、印刷・発行委託)があり、いずれも[[株式会社]]法人で、商号は「株式会社」を先に置いている。<br /> <br /> [[朝日新聞社]]と関係が強く、日刊スポーツ新聞西日本の前身会社となる名古屋日刊スポーツ新聞社・大阪日刊スポーツ新聞社・西部日刊スポーツ新聞社の歴代社長は、全て朝日新聞社出身である。また、沖縄タイムス社は朝日新聞社と報道協定を結ぶなど協力関係にあり、沖縄版の現地印刷・発行の委託を開始するなど、事実上の[[フランチャイズ]]契約を結んでいる。<br /> <br /> なお、1面題字横の発行所クレジットは北海道日刊スポーツ新聞社発行の北海道版と沖縄タイムス社発行の沖縄版を除き、所属する地域に関係なく、全て「日刊スポーツ新聞社」と表記されている。<br /> <br /> 英語表記が「Daily - 」でないのは[[デイリースポーツ]]と同じになってしまうためであるが、創刊当初は題字下に「THE DAILY SPORTS」という英題字が使われたことがあった。&lt;ref&gt;[http://jaydash.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/snpaper4.jpg 創刊第1号の紙面]&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 特徴 ==<br /> * 1面の見出しが[[青]]色で掲載されていたことから、「&#039;&#039;&#039;ブルー・ニッカン&#039;&#039;&#039;」の愛称を持っている(ブルー・ニッカンのスタートは[[1977年]]の関東地域即売版から)。1面がフルカラー化した現在も題字や枠線など、青色を基調としたデザインを使用している。マスコットキャラクターは[[ブルドッグ]]をモチーフにした「&#039;&#039;&#039;ブル男&#039;&#039;&#039;」で、「ブルー・ニッカン」が名前の由来となっている。<br /> * 1977年、スポーツ新聞で初めて「社会面」を掲載。[[1983年]]の[[田中角栄]]元[[内閣総理大臣|首相]]が[[ロッキード事件]]の[[裁判]]で実刑判決を受けたのをきっかけに、社会報道も1面で大きく扱うようになった。<br /> * 創刊当時、プロ野球とりわけ2リーグに分裂したての[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]を広報する[[機関紙]]的な役割を期待された部分があった。現在は、それぞれの地域にある球団に密着した記事を載せている。例えば大阪本社版なら1面から3面までは[[阪神タイガース]]・[[セレッソ大阪]]・[[近鉄ライナーズ]]の記事を、同広島版は[[広島東洋カープ]]・[[サンフレッチェ広島]]のプロチーム系や地元広島のアマチュアスポーツを、名古屋本社版は[[中日ドラゴンズ]]の記事を、西部本社版は[[福岡ソフトバンクホークス]]の記事を多く掲載している。<br /> * [[テレビ朝日]]とは同じ朝日新聞系列であるため友好的である。また、『[[スーパーJチャンネル]]』など、テレビ朝日の報道番組で日刊スポーツ編集部と中継を結ぶこともある。また、ラジオ局の[[文化放送]]においても、夜のワイド番組内で放送されているスポーツニュースコーナーにニュースを配信している他、スポーツニュースコーナーの前後にはCMを放送している。<br /> * 創刊当初、阪神は[[金田正泰]]、[[本堂保次|本堂保弥]]、[[藤村富美男]]、[[土井垣武]]といった重量感あるラインナップを送り込んだことから、当新聞の記者が「[[ダイナマイト打線]]」という愛称を命名した。以降この愛称は阪神打線の代名詞となり、[[真弓明信]]・[[ランディ・バース]]・[[掛布雅之]]・[[岡田彰布]]を中心に圧倒的な破壊力でリーグ優勝し、日本一になった[[1985年]]にも「新・ダイナマイト打線」として使われた。[[2003年]]には当時の[[田淵幸一|田淵]]打撃コーチが「阪神には打線に愛称がない」と発言したことから、早速大阪本紙版では紙上で愛称を募集し、その候補全てを1面に掲載した。結果は当時の[[星野仙一|星野]]監督から「時期尚早」と却下されお蔵入りした。[[2005年]]は勝手に「ダイナ&#039;&#039;&#039;まいど&#039;&#039;&#039;打線」と命名している。また、2005年の優勝に貢献した3人のリリーフ投手、[[ジェフ・ウィリアムス|ウィリアムス]]・[[藤川球児|藤川]]・[[久保田智之|久保田]]の愛称として有名になった「[[JFK (阪神タイガース)|&#039;&#039;&#039;JFK&#039;&#039;&#039;]]」は大阪本社整理セクション記者(紙面をレイアウトする役職)が命名した。[[1990年代]]初頭、[[星稜高等学校・中学校|星稜高校]]の[[松井秀喜]]を「[[ゴジラ]]」と命名したのも大阪本社の女性記者である。また、北海道本社版からは[[2006年]]の[[北海道日本ハムファイターズ]]強力リリーフコンビの[[武田久]]と[[マイケル中村|MICHEAL]](マイケル中村)を指し、親会社にも通じる「&#039;&#039;&#039;HAM(ハム)の方程式&#039;&#039;&#039;」という言葉も生まれた。<br /> * サッカーのスコア表記は、出場選手が[[ゴールキーパー (サッカー)|GK]]から[[ディフェンダー (サッカー)|DF]]、[[ミッドフィールダー|MF]]、[[フォワード (サッカー)|FW]]の順に表記されるのは他メディアと同じだが、[[サッカーのポジション|ポジション内]]では[[ディフェンダー (サッカー)#サイドバック|右サイド→左サイド]]および後方→前線ではなく、背番号順という独特な表記となっている。また[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]のスコア表記における韓国・朝鮮系選手の氏名表記は、クラブの方針がカタカナ表記であればそれに則っている(他紙はクラブの方針に拘わらずほとんど漢字表記)。<br /> * 上記の各地域新聞社による発行紙面の他、東京本社では「東北版」「静岡版」、大阪本社では「中四国版」「広島版」、名古屋本社では「東海版(元気とうかい)」(2009年4月1日に従来の大阪日刊社・名古屋日刊社・西部日刊社の三社が日刊スポーツ西日本(大阪が本社)に一本化され、元気とうかい面消滅)などのローカル情報も細かく扱い、一部はインターネット上でも読む事が出来る。<br /> * 競走馬の能力指数を表す「日刊[[コンピ指数]]」を掲載している。『[[競馬最強の法則]]』([[ベストセラーズ|KKベストセラーズ]])では長期にわたりコンピ指数に関する記事が連載されているほか、関連本も複数出版されている。<br /> * [[プロレス]]の扱いも1980年代前半まではあまり取り上げてはいなかったが、[[輪島大士]]のプロレスデビューを機に試合結果などを掲載しており、現在ではプロレス・[[ボクシング|プロボクシング]]などの格闘技総合面であるニッカンバトル面として掲載している&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;1980年代前半までプロレスを取り上げていたスポーツ紙は[[東京スポーツ]]・[[デイリースポーツ]]くらいだった。また、[[スポーツ報知]]・[[スポーツニッポン]]・[[サンケイスポーツ]]は1990年代初頭まではプロレスを殆ど取り上げていなかった。&lt;/ref&gt;。最近では他紙で取り上げられることがほとんどない[[女子プロレス]]の記事も比較的見られる。独自のプロレス・格闘技表彰として「[[日刊バトル大賞]]」を制定している。<br /> * スポーツ紙における社会面のパイオニアであることもあり、社会面の記事が充実している。このため、一時期担当部署が社会部として独立していたこともあったが、現在は文化社会部に統合されている。記事は[[共同通信社]]の配信を受けており、内容が同一。<br /> * 芸能面にも社会面的色彩が色濃く見られ、芸能人の不祥事(特に[[薬物]]関係)等の反社会的事件の記事を大きく採り上げる傾向がある。また、他のスポーツ紙が社会面で扱っている記事を芸能面に載せることも少なくない。一方で海外の芸能ニュースの掲載に積極的で、外国人スターの記事も比較的多く扱われている。<br /> * 氏名における旧字体の漢字使用例が他紙と比べて少ない([[森山未來|森山未&#039;&#039;&#039;来&#039;&#039;&#039;]]、[[長澤まさみ|長&#039;&#039;&#039;沢&#039;&#039;&#039;まさみ]]、[[榮倉奈々|&#039;&#039;&#039;栄&#039;&#039;&#039;倉奈々]]、[[高山善廣|高山善&#039;&#039;&#039;広&#039;&#039;&#039;]]など)。<br /> * 2011年7月31日Web版芸能面にて新聞全国紙に先駆けて“[[吉永小百合]]「原発なくしてほしい」”との報道を行い、続いて紙面でも紹介した。<br /> * [[学生新聞|学生スポーツ新聞]]との連携に積極的で、Web上で主要私立大学の学生スポーツ新聞の記事を紹介する[[ブログ]]サイトも開設している。<br /> * スポーツ紙と言えば「[[アダルト]]([[性風俗]]、エロネタ)」があるのも特徴だが、日刊スポーツは全国的に宅配版のみアダルトページを設けておらず(他紙は地域によっては宅配もスタンド売りも同一紙面のことがある)、子供のいる家庭に配慮している(駅売店・CVS販売版でのアダルトページが、宅配版ではテレビ番組の紹介・解説欄に差し替えられている)。東京本社発行版では、地域によって宅配版以外でもアダルトページは設けられていない。大阪本社発行版ではスタンド売りも含めアダルト面は全廃している(ただし、過去に掲載したことはあった。[[1990年代]]の一時期、テレビ面が番組表と解説の見開きだった時代には解説面を差し替えて掲載した事例がある)。全くピンク記事が無いスポーツ新聞として独自の路線を歩んでいる。<br /> * 2007年4月から大阪本社・名古屋本社が発行する土曜・日曜(原則)の中央競馬面を「極ウマ」と名づけて、[[二部紙|別刷り(二部紙]])・10〜14ページ立てで発行。開催場全レース(最大36レース)を網羅。競馬新聞より安価な予想紙として評価されている。通常の開催日は他のスポーツ・芸能などの記事の本編の後ろに織り込む別刷りという形としているが、[[東京優駿|日本ダービー]]、並びに[[有馬記念]]が行われる日については配列を逆のパターン、即ち「極ウマ」を本編、その他のスポーツ・芸能記事は別刷りというスタイルにしている。<br /> * [[バックナンバー]]は沖縄版以外で扱っている。支払方法は東京版(東北版・静岡版を含む)が[[郵便振替]]のみ、北海道版・名古屋版・大阪版・西部版が[[切手]]のみとなっている。通常は宅配版が配達されるが、即売版・東北版・静岡版を希望する場合はその旨を払込取扱票(東京即売版・東北版・静岡版)や封筒の裏側(北海道即売版・名古屋即売版・大阪即売版・西部即売版)に記入する。バックナンバーの取り扱い期間は大阪版が発行から1ヶ月、それ以外は2ヶ月となっている&lt;ref&gt;[https://www.nikkansports.com/koudoku/backnumber.html バックナンバー申し込み]日刊スポーツ&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==スクープ==<br /> * 2015年2月28日、「[[アイドリング!!! (グループ)|アイドリング!!!]]」の同年10月を以っての解散とフジテレビの『[[アイドリング!!!]]』の終了を[[スクープ]]した&lt;ref&gt;{{Cite news|title=アイドリング解散! 結成9年 10月限り|newspaper=nikkansports.com|date=2015-02-28|url=http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1440136.html|accessdate=2015-02-28|publisher=日刊スポーツ新聞社}}&lt;/ref&gt;。[[神原孝]]・統括プロデューサーは「スッパ抜きをされて、解散発表とそれに伴う企画が全て水の泡になった」と公式サイトで報告&lt;ref&gt;{{Cite news|title=アイドリング!!!、解散へ 新聞報道で「全て水の泡となった」|newspaper=ORICON STYLE|date=2015-03-03|url=http://www.oricon.co.jp/news/2049407/full/|accessdate=2015-03-03|publisher=oricon ME}}&lt;/ref&gt;。<br /> * 2015年8月21日、AKB48のユニット「[[フレンチ・キス (アイドルユニット)|フレンチ・キス]]」の解散決定をスクープした&lt;ref&gt;{{Cite news|title=フレンチ・キスが解散 倉持明日香ら3人で話し合い|newspaper=nikkansports.com|date=2015-08-21|url=http://www.nikkansports.com/entertainment/akb48/news/1525966.html|accessdate=2015-08-21|publisher=日刊スポーツ新聞社}}&lt;/ref&gt;。<br /> * 2016年1月13日、[[SMAP]]が解散危機にあることを1面でスクープした&lt;ref&gt;{{Cite news|title=SMAP解散へ!木村拓哉以外ジャニーズから独立|newspaper=nikkansports.com|date=2016-01-13|url=http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1591422.html|accessdate=2016-07-11|publisher=日刊スポーツ新聞社}}&lt;/ref&gt;。但し、同日の[[スポーツニッポン|スポニチ]]も同じく1面でSMAPの解散危機を報じており、単独スクープではない&lt;ref&gt;{{Cite news|title=SMAP分裂危機!“育ての親”退社に4人同調、キムタクは残留|newspaper=Sponichi Annex|date=2016-01-13|url=http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/01/13/kiji/K20160113011849710.html|accessdate=2016-07-11|publisher=スポーツニッポン新聞社}}&lt;/ref&gt;。<br /> {{see also|SMAP解散騒動}}<br /> * 2016年11月22日、[[文化放送]]出身の[[フリーアナウンサー]]である[[吉田照美]]が[[ラジオパーソナリティ|パーソナリティ]]を務めるワイド番組『[[吉田照美 飛べ!サルバドール]]』の翌春終了をスクープした&lt;ref&gt;{{Cite news|title=吉田照美36年半の帯冠ラジオが終了「総合的判断」|newspaper=nikkansports.com|date=2016-11-22|url=http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1741400.html|accessdate=2016-11-22|publisher=日刊スポーツ新聞社}}&lt;/ref&gt;。吉田照美も同日の『飛べ!サルバドール』にて当該記事の事実を認め、2017年3月末をもって番組が終了することが発表された&lt;ref&gt;{{Cite news|title=吉田照美「飛べサル」で終了言及「就活やってます」newspaper=nikkansports.com|date=2016-11-22|url=http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1741692.html|accessdate=2016-11-22|publisher=日刊スポーツ新聞社}}&lt;/ref&gt;。<br /> *2018年1月14日、前年末から活動休止状態だった[[GEM (アイドルグループ)|GEM]]の3月解散決定をスクープした(事務所の公式発表は翌15日)&lt;ref&gt;{{Cite news|title=エイベックスGEMが今春解散へ、先月に活動休止|newspaper=nikkansports.com|date=2018-1-14|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201801140000651.htmlaccessdate=2018-2-5|publisher=日刊スポーツ新聞社}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 不祥事など ==<br /> <br /> === 誤報 ===<br /> *[[1995年]][[9月25日]]付一面で、[[日本女子大学]]教授であった[[島田裕巳]]が[[麻原彰晃]]から[[ホーリーネーム]]をもらい、幹部並みの待遇を受けていること、学生を[[オウム真理教]]に入信させたと報じた。しかし、島田から事実無根であると名誉毀損で訴えられ、全面敗訴した。[[1999年]][[6月13日]]付の社会面に訂正、謝罪記事を掲載した。<br /> * 2009年11月5日付で4人組ボーカルグループの「[[GReeeeN]]」が解散すると報じたが、メンバーや所属事務所がこれを否定した&lt;ref&gt;{{Cite news|title=GReeeeN 解散報道を否定|newspaper=nikkansports.com|date=2009-11-06|url=http://www.daily.co.jp/newsflash/2009/11/05/0002494941.shtml|accessdate=2009-11-08|publisher=日刊スポーツ新聞社|archiveurl=https://web.archive.org/web/20091108120714/http://www.daily.co.jp/newsflash/2009/11/05/0002494941.shtml|archivedate=2009-11-08}}&lt;/ref&gt;。しかし、翌日付で報道はあくまで事実であるとし、訂正や謝罪はしなかった&lt;ref&gt;{{Cite news|title=GReeeeN解散裏付ける「来年白紙」|newspaper=asahi.com|date=2009-11-06|url=http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK200911060013.html|accessdate=2009-11-09|publisher=朝日新聞社|archiveurl=https://web.archive.org/web/20091109091906/http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK200911060013.html|archivedate=2009-11-09}}&lt;/ref&gt;。<br /> * 2010年11月10日付で、人気バンドの[[いきものがかり]]が2011年前半の活動を休止すると報じたが、いきものがかりの所属事務所はこれを否定し、実際に活動は継続された。<br /> * [[第61回NHK紅白歌合戦]]に[[HY (バンド)|HY]]・[[BUMP OF CHICKEN]]・[[佐野元春]]が出場すると報じたが、出場したのはHYのみだった。BUMP OF CHICKENについては、2010年11月24日付では調整中と報じたが、前日にメンバーがブログで出場しないと明言していた。<br /> * 2016年8月24日付で「[[夏目三久]]が[[有吉弘行]]の子供を妊娠、結婚は未定」、翌25日付で「有吉 夏目アナ 年内結婚」とそれぞれスクープしたが、同年11月24日付1面で「取材内容を再検証した結果、事実無根で当該記事には事実と異なるところがあった」とし、謝罪・訂正告知を行った&lt;ref&gt;{{Cite news|title=夏目三久さんに関する報道のおわび |newspaper=nikkansports.com|date=2016-11-24 |url=http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1742227.html |accessdate=2016-11-24 |publisher=日刊スポーツ新聞社}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === その他 ===<br /> * 2017年1月28日放送の「[[NMB48須藤凜々花の麻雀ガチバトル! りりぽんのトップ目とったんで!]]」第34回に日刊スポーツの横山慧が出演&lt;ref&gt;[http://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/v2364/ NMB48須藤凜々花の麻雀ガチバトル!りりぽんのトップ目とったんで!]&lt;/ref&gt;。番組の罰ゲームとして「NGなしの質問を受ける」というプライベートに関する質問を[[NMB48]]メンバーに行うことになり、NMB48に所属していた[[須藤凜々花]]に対して「今、交際をしたいと思っているか」という質問行われ、須藤は「今すぐにでも誰かと[[結婚]]がしたい。でも相手はいない。」と答えた。これを受けて横山は「今もし本当に結婚発表をすれば[[スポーツ新聞]]の1面を飾ることができる」と煽り立てることになった。2017年6月17日『[[AKB48 49thシングル 選抜総選挙]]』の開票イベントで本当に須藤は結婚宣言を行い&lt;ref&gt;[https://www.nikkansports.com/entertainment/akb48/news/1841921.html 須藤凜々花がステージで電撃結婚発表「本気です」 - AKB48] : 日刊スポーツ&lt;/ref&gt;([[週刊文春]]から交際についての記事を掲載する通告が須藤側に行われていた&lt;ref&gt;[https://www.nikkansports.com/entertainment/akb48/news/1843947.html 須藤凜々花「結婚宣言」の真意、卒業…全て話した - AKB48] : 日刊スポーツ&lt;/ref&gt;)、大騒動となって&lt;ref&gt;[https://tvtopic.goo.ne.jp/program/tbs/227/1071591/ &lt;nowiki&gt;[アッコにおまかせ! (2017年6月18日放送回) ]の番組概要ページ&lt;/nowiki&gt;] - [[アッコにおまかせ!]] ([[gooテレビ番組]])&lt;/ref&gt;日刊スポーツでも大きく取扱ったが、1月28日放送の番組内でのやりとりについては『須藤凜々花事件を「なかったこと」にしてはいけない』などの日刊スポーツ記事内では一切言及されず&lt;ref&gt;[https://www.nikkansports.com/entertainment/akb48/news/1865355.html 須藤凜々花事件を「なかったこと」にしてはいけない - AKB48] : 日刊スポーツ&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[https://tvtopic.goo.ne.jp/program/tbs/227/1071591/ &lt;nowiki&gt;[アッコにおまかせ! (2017年6月18日放送回) ]の番組概要ページ&lt;/nowiki&gt;] - [[アッコにおまかせ!]] ([[gooテレビ番組]])&lt;/ref&gt;、横山自身のTwitterでもあくまで部外者として結婚宣言について触れているが、番組内でのやりとりについては一切言及していない&lt;ref&gt;{{Twitter status|big_yokoyama|876089518759190530|横山慧 日刊スポーツ 2017年6月17日のツイート(1)}}、{{Twitter status|big_yokoyama|876091866768220160|横山慧 日刊スポーツ 2017年6月17日のツイート(2)}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 創刊年とエリア ==<br /> [[File:Trucks of the Nikkan Sports.jpg|thumb|right|200px|列を成す配送用車輌([[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]]の[[東京都道50号東京市川線|都道50号]]・本社付近にて)]]<br /> ; 東京 1946年<br /> :<br /> ; 大阪 [[1950年]]<br /> : 創刊号は1950年[[1月20日]]付&lt;ref&gt;日刊スポーツ(大阪版)2015年1月22日2面。&lt;/ref&gt;。創刊当初は神戸市の[[神港夕刊新聞社|神港新聞社]]により「&#039;&#039;&#039;オール・スポーツ&#039;&#039;&#039;」として発行。のちにオール・スポーツ社として分立し大阪府に移転。[[1957年]]、経営難から[[朝日新聞社]]に援助を打診、当時、[[大阪府]][[枚方市]]で朝日新聞販売店を経営していた折田平市が&lt;ref&gt;{{Cite web|url=http://www.kanshin.com/diary/2149407|title=オールスポーツ|accessdate=2010-04-30|author=coupe男爵|date=2010-04-30|work=関心空間|publisher=関心空間}}&lt;/ref&gt;、中心となって瀕死のオール・スポーツ社を救済してなんとか立て直した(当初は事実上、広義の[[フランチャイズ]]契約だった)。日刊スポーツは全国展開の狙いもあって株式会社大阪日刊スポーツ新聞社の経営に参加、正式にオール・スポーツを日刊スポーツと朝日新聞社に事業譲渡した。2009年4月、同社を存続会社として、後述の名古屋日刊スポーツ新聞社・西部日刊スポーツ新聞社を合併し、株式会社日刊スポーツ新聞西日本となり、大阪本社が「西日本社」の総本部となった。<br /> ; 北海道 [[1962年]]<br /> [[ファイル:Nikkan-hokkaido.jpg|サムネイル|北海道日刊スポーツ新聞社(札幌市)]]<br /> : [[北海タイムス|北海タイムス社]]と提携して発行開始。株式会社日刊スポーツ新聞北海道本社となる。後に現社名(株式会社北海道日刊スポーツ新聞社)に変更。地元の[[北海道新聞社]]系列の「[[道新スポーツ]]」より古い歴史を有し、北海道では高いシェアを誇る。<br /> ; 名古屋 [[1969年]]<br /> : 創刊当初は大阪本社で発行を開始した。[[1974年]]に大阪本社名古屋総局を設立(後に支社となる)。[[1995年]]に大阪本社名古屋支社から株式会社名古屋日刊スポーツ新聞社へ分離独立したが、[[2009年]]に事実上大阪本社に再統合され西日本社の名古屋本社となる。新聞の印刷は[[1990年]]から[[岐阜新聞|岐阜新聞社]]に委託していたが、現在は[[朝日プリンテック]]名古屋工場([[愛知県]][[北名古屋市]])で印刷している。ただし[[岐阜県]]では[[毎日新聞]]系の[[スポーツニッポン]]ともども[[岐阜新聞]]販売所で委託販売しており、[[岐阜放送]](ぎふチャン・GBS)の[[番組表]]に一時期&#039;&#039;&#039;「日刊スポーツのご購読のお申し込みは朝日新聞、または岐阜新聞販売店にお問い合わせ下さい」&#039;&#039;&#039;と掲載されたこともあった。<br /> ; 西部 [[1977年]]<br /> [[ファイル:Comfort hotel hakata.jpg|thumb|right|200px|日刊スポーツ西部本社が入居する福岡朝日ビル(福岡県福岡市博多区)]]<br /> : 「[[九州]]にも日刊スポーツを」という[[九州・山口地方]]のファンの要望にこたえ、[[朝日新聞社]]、[[九州朝日放送]]などが出資して[[北九州市]]に株式会社西部日刊スポーツ新聞社を設立、1977年4月1日に西部版第1号(紙齢は大阪版と同一)を発刊。2007年1月15日、北九州市と[[福岡市]]に分散していた本社機能を福岡市に全面移転した。創刊当初は大阪版の紙面を使用していた。1980年代後半から東京制作の記事を増やしたが、2009年4月以降は名古屋以西の発行本社3社のグループ再編による新会社「日刊スポーツ新聞西日本」が発足(事実上大阪本社に統合し、西日本社・西部本社となる)したのに伴い、再び大阪制作の記事中心に戻るが、1面は東京制作の物を使う日が多い。印刷は[[福岡県]][[太宰府市]]の朝日プリンテックの工場及び[[山口県]][[下関市]]の[[みなと山口合同新聞社]]の2カ所で行っている。なお、みなと山口合同新聞社では「[[九州スポーツ]]」([[東京スポーツ]]の九州版)の編集・印刷も行っている。ただし、山口県東部地方([[山口市]]の一部地区、[[防府市]]以東)と島根県石見地方は、2010年4月5日より広島地区での受託印刷工場の変更([[中国新聞]]福山制作センター→広島制作センター)に伴い、同日付より発行エリアが西部版から大阪版に変更となった。<br /> ; 沖縄 [[1984年]]<br /> : 朝日新聞と関係が深い[[沖縄タイムス|沖縄タイムス社]]との提携による。沖縄版は12ページで発行され、公営競技面、中央競馬面、社会面(紙面が余った場合は掲載する。余らない場合は芸能面を省くことすらある。)、[[番組表|テレビ欄]]は掲載されていない(中央競馬の重賞レースが1面の場合、沖縄県は西日本であるが東京と同じものを掲載)。広告も[[沖縄県]]内の広告に一部差し替えている(東京版の広告がそのまま載ることも多い)。<br /> <br /> == 紙面構成 ==<br /> * 紙面は東京版と大阪版に大別され、さらに地方に応じて[[公営競技]]面、[[番組表|テレビ欄]]などの地元情報を差し替えている。一部例外はあるが原則として次のように分かれたが、2009年4月1日に大阪日刊社、名古屋日刊社、西部日刊社が合併し日刊スポーツ西日本(大阪が本社)となったため、流動的である。<br /> ** 東京版系列:日刊本社、北海道日刊社、沖縄タイムス<br /> ** 大阪版系列:日刊西日本社(旧大阪日刊社、旧名古屋日刊社、旧西部日刊社)<br /> * 基本の版建て(締切時間の違いによる商品記号)は、締め切りの早い順に(遠隔地への配送順に)東京制作は6版、7版、7版★、7版★★、7版★★★。<br /> :大阪制作は2008年12月末まで11版、13版、13版△(実際の△印は二重)、13版△△(まれに13版△△△あり)。大阪では△のことをB(ビー)と呼んでいたが、2009年1月からは大阪制作も、東京と同じく6版、7版の表記となった。<br /> :大阪では最終版は通常8版で発行されるが、深夜にニュースが入ったときは9版やそれ以降の版を臨時に起こすこともある。現在は東京版は6版、7版、8版、9版で発行され、まれに10版まで発行することもある。即売版では8版、9版、10版に、宅配版では6、7、8版になる。<br /> :最終版が異なる理由としては、東京・大阪の都心部の駅売店・コンビニ向け即売版のために、深夜の締め切りギリギリになって入ったスポーツ・芸能ニュースの記事を差し替えるためである。<br /> * 東京版・大阪版を使用していても、1面に地元の記事を載せる場合もある。例えば、北海道では、[[北海道日本ハムファイターズ]]と[[コンサドーレ札幌]]、宮城(東北)では[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]や[[ベガルタ仙台]]・[[モンテディオ山形]]、[[静岡県]]では[[清水エスパルス]]や[[ジュビロ磐田]]、福岡では[[福岡ソフトバンクホークス]]や[[アビスパ福岡]]の記事が1面に来ることがある。また、[[日本の高校野球|高校野球]]や[[高校サッカー]]の時期に地元の学校の成績が多いと、その記事が1面に来ることがある。その場合は東京版1面を裏面に掲載される。<br /> * 大阪版を使用する[[広島県]]・[[山口県]]・[[島根県]]向けの紙面(一部を除く)では、[[2006年]][[3月23日]]からの[[中国新聞]]福山制作センター(ふくやまちゅーピーパーク)での現地印刷開始後&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;その後、中国新聞広島制作センター(ひろしまちゅービーパーク)での印刷に変更されている。&lt;/ref&gt;、1面に[[広島東洋カープ]]、[[サンフレッチェ広島]]の記事を載せる場合もある。<br /> * 名古屋版は2014年以前、大阪版ベースの紙面構成に、[[中日ドラゴンズ]]の記事を1面に扱う場合があった&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;その際、本来の大阪版1面の記事は、中面にて掲載される。&lt;/ref&gt;。こうした傾向が出てきたのは、1990年に現地印刷を始めた辺りからである(前項参照。因みにそれまでの紙面は、大阪版とほぼ同一内容だった)。現在は、東京版ベースの紙面構成に変わり、ドラゴンズ記事1面扱いの頻度も以前に比べて減ってきている。<br /> :なお、ライバルとなる[[スポーツニッポン]]、[[サンケイスポーツ]](愛知県・岐阜県では駅売りのみ)の名古屋版は大阪版とほぼ同一内容、[[スポーツ報知]]の名古屋版は東京版とほぼ同一内容という構成で、名古屋向けの差し替えを行なっていない(そのため、スポニチ・サンスポはほとんどが阪神一面、報知は大半が巨人一面となる)。<br /> <br /> * 西部版では発刊当初は大阪制作の紙面構成であったが、[[1985年]]頃から東京制作の記事を1面にしていた。[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]](現・福岡ソフトバンクホークス)が福岡進出後は、九州のスポーツを取り上げて差し替えることも多かったが、2009年4月以降は「日刊スポーツ新聞西日本」の発足により、再び大阪制作の紙面構成になったが、2014年現在は全国的なニュースが1面の場合、東京制作のものを使用することが多い。なお、中央競馬面は東京制作の紙面構成だった頃も大阪で制作されていた。<br /> * 2006年1月から、大阪で独自に制作されていた大阪版と名古屋版の文化・芸能面が、東京の[[日刊編集センター]]制作に変更された(一部大阪向きの記事に差し替えあり。&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;また東京版の1面が芸能ネタ〔例:[[リア・ディゾン]]の結婚報道〕で、大阪版の1面が阪神ネタの場合は、大阪で独自に制作。&lt;/ref&gt;)。<br /> <br /> * 1面の広告は、東京版と北海道版は「[[アサヒビール]]」&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;但し、[[高校野球]]関連の記事が1面の際は別の広告に差し替え。&lt;/ref&gt;だが、関西・西部・名古屋版は別の企業広告を掲載している&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;関西と名古屋は現在「[[スーパー玉出]]」(但し現状出店は[[大阪府]]一円と[[兵庫県]]の一部のみ)、西部は[[辛子明太子]]の[[福さ屋]]の広告をそれぞれ掲載。&lt;/ref&gt;。なお関西・西部・名古屋版は、2011年3月31日まで1面の下部にその日の紙面内容の概要を掲載していた。<br /> *: 例:3面「石川遼…」21面「○○さん死去」<br /> <br /> * 一部の記事(一部一般スポーツ、芸能、社会など)で、欄外端(奇数ページ=左端、偶数ページ=右端)に、その頁掲載記事についての関連の一口メモ的な1行記事が掲載されている場合がある。<br /> <br /> * 東京版でも[[静岡県]]西部(大井川以西)と[[山梨県]]向けは早版(6版)扱いになり、最終版は販売されていない。静岡県東部・中部(大井川以東)は7版が販売されている。家庭版・即売版ともアダルト面はない。スポーツ報知と同様、裏1面は地域面になる。<br /> <br /> === 題字 ===<br /> 明朝体の「日刊スポーツ」の文字は創刊以来不変(前述のとおり、創刊当初の極数年、下に「THE DAILY SPORTS」という文字が入っていた)であるが、[[1990年代]]後半頃まで、太陽をイメージしたライン[[スクリーントーン|(地紋)]]を、東日本(沖縄を含む)は左、西日本(沖縄除く)は右からそれぞれ横に伸びる形式で描かれていた。なお大阪・名古屋版は1990年代の一時期、左端に縦で題字を書いていたが、この時もラインは右から伸びるものであった。<br /> <br /> 現在は「日刊」を少し大きく出し、スポーツという文字を少し小さくして、そこに青いラインが入る。その下に太い青枠で、白抜きで「Nikkan Sports」(Sは赤文字)と書かれている。なお、題字スペースのサイズはその日の1頁の紙面構成により変動する。<br /> <br /> === テレビ面の扱い ===<br /> 長年、東京本社(関東首都圏向けのみ 2010年3月まで)と、2007年4月以後の北海道・西日本(統合前は大阪・名古屋・西部)本社版の地域宅配版では、最終面にテレビ番組面を掲載していた。関東版については、親企業である[[朝日新聞社]]が[[1992年]]に[[Gコード]]を掲載するようになってから、長らくそれを付けていた&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;スポーツ紙では掲載する新聞社自体が少なかった。&lt;/ref&gt;が、[[地上デジタルテレビ放送|地デジ]]対応のため、[[2009年]][[3月29日]]付で廃止)が、現在は中面見開きとなった。<br /> <br /> [[#最終頁について|後述するが]]、関東版は2010年4月1日から、それ以外も2011年4月1日からはテレビ欄を全国的に中面に移動(これにより最終面は[[ダブル1面]]に)2011年度から関西・関東版はテレビ欄の字を読みやすく2ページ見開きになる。<br /> <br /> ==== 関東の場合 ====<br /> * &#039;&#039;&#039;2010年3月まで&#039;&#039;&#039;<br /> *: 宅配最終面では在京キー局とNHKの総合テレビをフルサイズ、独立県域局とNHK衛星2波、WOWOWアナログをハーフサイズとなっている。中面「読むテレビ」(テレビ関連の特集記事)では、下段にNHKハイビジョン、在京キー局系列のBS、WOWOWデジタル、[[スター・チャンネル|スターチャンネルハイビジョン]]、[[日本BS放送|BS11]]、[[ワールド・ハイビジョン・チャンネル|トゥエルビ]]をハーフ、[[J SPORTS]]、[[スカイ・エー]]、[[GAORA]]とラジオ各局をクォーターサイズで載せている。なお即売版は配置が代わり、最終面が「読むテレビ」、中面がアダルト面と地上波テレビ番組表(サイズは小さめ)を載せている。また、2009年3月30日付からは在京キー局の配列が地上デジタル放送の[[リモコンキーID]]の小さい順番に再編されている&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;[[朝日新聞]]、[[日本経済新聞]]も同日に地デジのリモコンキーIDの小さい順番に再編された。&lt;/ref&gt;。<br /> * &#039;&#039;&#039;2010年4月から&#039;&#039;&#039;<br /> *: 関東で唯一最終面にあったニッカンであったが、[[ダブル1面]]採用に伴い内側に移った。芸能面に挟まれる形でテレビ面が入っている。宅配ではカラーページで在京キー局とNHK総合・教育テレビをフルサイズ、NHK衛星2波、WOWOWアナログをハーフサイズ、朝日ニュースターとNHKハイビジョン、在京キー局系列のBS、WOWOWデジタル、スターチャンネルHV、BS11、トゥエルビをクォーターサイズで掲載している。数ページあけて「ニッカンバラエティ」(日替わりの特集記事。後述)の下に、すべてクォーターでJ SPORTS(1・2・ESPN・Plus)、フジテレビワン・ツー・ネクスト。その下段にはNHK第1・第2、TBS、文化放送、ニッポン放送、ラジオ日本、ラジオNIKKEI。広告を挟んで東京・埼玉・群馬・神奈川・千葉・栃木の独立局の番組表が掲載されている。これにより、FMラジオと一部の衛星放送の番組表が未掲載となった。<br /> *:* ニッカンバラエティの日替わり特集<br /> *:** 月曜日:プレシャス![[宝塚歌劇団|宝塚]]<br /> *:** 火曜日:(調査中)<br /> *:** 水曜日:(調査中)<br /> *:** 木曜日:「[[アニメ!!パンチ]]」/これはクルッ! 【隔週交代】<br /> *:** 金曜日:[[永浜いりあ|いりあ]]のみんな釣り族〜ベテランからビギナーまで〜<br /> *:** 土曜日:パチンコ&amp;パチスロ<br /> *:** 日曜日:美人ドクターのエイジマネジメント<br /> <br /> * &#039;&#039;&#039;2011年4月から&#039;&#039;&#039;<br /> *: 左頁(奇数頁)はカラーページで、在京キー局とNHK総合・教育テレビをフルサイズ、東京・埼玉・群馬・神奈川・千葉・栃木の独立U局、在京AM局、ラジオ日本、ラジオNIKKEIをクオーターで、各局の番組紹介を囲むように掲載。<br /> *: 右頁(偶数頁)は、NHK衛星2波、在京キー局系列のBS、WOWOWプライムをハーフサイズ、J SPORTS(1・2・3・4)、スターチャンネル1、BS11、トゥエルビ、[[フジテレビONE]]/[[フジテレビTWO]]/[[フジテレビNEXT]]、[[テレ朝チャンネル]]、[[朝日ニュースター]]、[[スカイ・エー|スカイ・Aスポーツプラス]]、[[衛星劇場]]をクォーターサイズで掲載している。また、芸能面との統合により、これらもカラーになった。<br /> *: その後2011年10月と2012年3月の新BSチャンネル開局で右頁の掲載チャンネルが若干変更され、WOWOWはハーフサイズ2列分で3チャンネル分表示(プライム、ライブのクォーターの番組表の下にクォーターのシネマの番組表を半分ずつ掲載)、[[釣りビジョン]]、[[IMAGICA BS]]、[[BSスカパー!]]がクォーターで追加された。<br /> <br /> ==== 関西・名古屋の場合 ====<br /> * 2007年4月から2011年3月は最終面でNHKと在阪(関西)・在名(名古屋)準キー局のフルサイズ番組表、下段左側に[[朝日放送ラジオ|ABCラジオ]]、[[MBSラジオ]]、[[エフエム大阪|FM OH!]](関西)・[[CBCラジオ]]、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]、[[岐阜放送ラジオ局|ぎふチャン]](本文では「ぎふ」との表記のみ)、および在富民放テレビ局と[[北陸朝日放送]]&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;富山県にはテレビ朝日系のフルネット局がなく、北部・東部の[[新潟県]]境の地域(こちらは[[新潟テレビ21]]を視聴する世帯が多い)の一部を除き、HABをケーブルテレビか直接受信で視聴する世帯が多いため。&lt;/ref&gt;(名古屋・富山)の番組を小サイズ、右側にNHK衛星第1・2、WOWOW、独立県域局の番組表をハーフサイズ(NHK衛星第1だけ準フル)で載せている。またその他衛星放送(BS11、トゥエルビは未収録)と解説は芸能面下段。<br /> * 最終面下段は2009年3月までは解説欄であったが、2009年4月以後解説面を芸能面下段に移す代わりとして日替わりコラムが掲載されるようになった。<br /> ** 月曜日: [[はるな愛]]「あげるよね〜はるなの愛」<br /> ** 火曜日<br /> *** 「テレビライフ」(テレビ番組出演者へのインタビュー 2009年4-9月)<br /> *** ニッカン座人生劇場「役者の生きざま」([[松井誠]]、[[竜小太郎]]、[[大川良太郎]]、[[橘大五郎]]の[[大衆演劇]]俳優の4人に密着したドキュメント記事 2009年10月-2010年3月)<br /> *** [[大谷昭宏]]「フラッシュアップ」(2010年4月-2011年3月 これは2010年3月以前も社会面で掲載されていた)<br /> ** 水曜日: [[アントニオ猪木]]「猪木のコトバ」<br /> ** 木曜日: [[室井佑月]]「室井佑月のひとりごと」(これは2009年3月以前も社会面で掲載されていた)<br /> ** 金曜日: 「英語でしゃべるday」(英語講座 [[ECC総合教育機関|ECC]]外語学院協賛)<br /> ** 土曜日<br /> *** [[ローラ・チャン]]「ローラ・チャンネル」(2009年4-8月)<br /> *** 「お笑い7Days」(2009年8-12月 [[銀シャリ (お笑い)|銀シャリ]]と[[Span!]]が隔週で執筆した漫才コラム)<br /> *** [[小椋佳]]「あの歌の周辺」(戦後史に名を残した名曲の誕生秘話 2010年1-3月)<br /> *** [[島田秀平]]の「[[手相]]コラム」(2010年4月-2011年3月)<br /> ** 日曜日: 「習慣大河テレビジョン」([[大河ドラマ]]ガイド コラムニストのキャロラインしばたが執筆)<br /> *: ※平日のコラム下段には、当日に放送される『[[上沼恵美子のおしゃべりクッキング]]』の[[レシピ]]が写真入りで掲載されている。<br /> *: [[新聞休刊日]]の場合のテレビ番組欄は当日を最終面、翌日をその1つ前のページ=最終面の裏側に掲載していた(その場合でもコラムは掲載される番組表の曜日に準じて掲載した)。関西版では一時期別の中面に休刊日翌日の番組面をおいていたことがあった<br /> * 紙面刷新のため[[2011年]][[4月1日]]付けより4年ぶりに中面に移動。今回は地デジ対策のため関西・名古屋版については番組表の文字サイズを拡大する(中四国の文字サイズは未定)など、2ページ見開き形式を採用し、右頁にカラーの地上波番組表(関西版の場合、大阪各局はNHK Eテレを除きフルサイズ。サンテレビ・KBS京都はハーフサイズ、NHK Eテレ(総合の下)、およびびわ湖放送、奈良テレビ、テレビ和歌山はクォーターサイズ)と番組の解説記事、およびABC、MBS、FM大阪のラジオ番組表(クォーターサイズ)。左頁は衛星各局番組表(NHK BS1とBSプレミアムは準フルサイズで、民放各局系BSはハーフサイズ、一部BSとCS放送はクォーターサイズで収録。新たにWOWOWプライム、スターチャンネル1、BS11、トゥエルビ、[[フジテレビONE]]/[[フジテレビTWO]]/[[フジテレビNEXT]]、[[テレ朝チャンネル]]、[[衛星劇場]]の掲載開始)と解説、および芸能・文化記事を掲載している(大阪版についてはBS・CSの頁は原則としてモノクロになっているが、カラーページでの掲載の場合はカラー表示となる)。石川・福井版ではNHK総合テレビ、関西広域4局、石川4局(上段に[[テレビ金沢]]、[[北陸朝日放送]]、下段に[[北陸放送]]、[[石川テレビ]])をフルサイズ、福井2局([[福井放送]]、[[福井テレビ]])をハーフサイズ、残りのテレビ局は関西版と同じ掲載形態となっている。山陰地方のテレビ番組表とラジオの番組表は現在は掲載されていない。文字サイズは関西広域4局のみ拡大となっている。また、これに伴いコラムは月曜の特集頁に移行する大谷と英会話教室(英会話は当面隔週)、これまでどおり日曜テレビ面に執筆するしばたを除き全部終了となった。<br /> : 但し、関西・名古屋版の「見開きテレビ面」は今回が初ではなく、[[1990年代]]初期の一時期番組表と解説記事(即売はアダルト記事差し替え)を見開きにして掲載したことがあった。<br /> : 休刊日の場合、当日分は通常と同じ箇所(芸能頁と見開き)とし、翌日分(宅配休刊日)は日替わり特集頁との見開き(この場合でも地上波テレビ・ラジオ番組表と解説記事は右側、衛星の番組表(解説は省略)は一部スペースを縮小する形で日替わり特集頁の下段に掲載している。<br /> :2012年4月以後は中頁での掲載には変わりないものの、BS・CSの番組表が別頁に収録され、休刊日以外の日でも必ずしも見開きでの掲載とならないことが多くなっている(そのため欄外に白抜きで「BS・CSは○面」と注釈をつけている)。テレ朝チャンネルについては正式に2チャンネル体制&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;既存のテレ朝chが「テレ朝ch1」、旧[[朝日ニュースター]]が「テレ朝ch2」に変更。&lt;/ref&gt;となった2013年4月以後は収録を中止し、代わって[[ビーエスFOX|FOX bs238]]の掲載を開始している<br /> <br /> ==== 九州の場合 ====<br /> * 以前:九州と山口県西北部を中心とする西部版では、一部を除く&#039;&#039;&#039;スタンド売り&#039;&#039;&#039;紙面ではテレビ欄はハーフでNHKG、E、RKB、KBC、TNC、FBS、TVQ、KRY、TYSを掲載。この下は[[デリバリーヘルス|デリヘル]]情報など。別ページにアダルトページ。<br /> * 西日本3社統合で、大阪版をベースとした紙面となった[[2009年]][[4月]]以後、最近では以下のように改められている。<br /> ** アダルトページは別ページで変わらず(大阪・名古屋版は即売でも連載していない)。家庭版では番組ガイドなどに置き換え。<br /> ** 番組表は、2009年4月-2011年3月までは朝日新聞同様最終面と中面に移され、全九州(沖縄除く)・山口のテレビ局、[[NHKデジタル衛星ハイビジョン|NHKハイビジョン]]、[[日本BS放送|BS11]]を除く[[日本民間放送連盟|民放連]]加盟BSデジタル局、[[NHKラジオ第1放送|NHKラジオ第1]]、[[KBCラジオ]]、[[RKBラジオ]]を掲載。<br /> * [[2011年]][[4月1日]]からの紙面刷新でテレビ面は2年ぶりに中面に移動となったが、同年[[3月31日]]までは下の表の右頁(メイン)の局が最終面、左頁(第2テレビ・ラジオ面)は中面の掲載だった。(この時BS1は最終面2/3サイズ、BS2とWOWOWアナログは最終面4割以下だった)振り分けは以下の通り。<br /> :{| class=&quot;wikitable&quot;<br /> |-<br /> !サイズ!!右頁(メイン)!!左頁(第2)<br /> |-<br /> !フル<br /> | [[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]、福岡5社<br /> | 無し<br /> |-<br /> !2/3<br /> | なし<br /> | [[NHK BS1]]・[[NHK BSプレミアム]]<br /> |-<br /> !4割以下<br /> | [[NHK教育テレビジョン|NHK Eテレ]]、佐賀・山口・&lt;br /&gt;大分・長崎・熊本の民放各社<br /> | 宮崎・鹿児島の民放各社、&lt;br /&gt;上記のラジオ局とWOWOWプライム・BS11・トゥエルビを含むBSデジタル局<br /> |}<br /> <br /> ==== 沖縄の場合 ====<br /> 沖縄版は紙面スペースの都合によりテレビ面は載せていない([[新報スポニチ]]も同様)。<br /> <br /> === 最終頁について ===<br /> * 関東・関西・北海道ではテレビ面を最終面に配置していた時代も、不定期にて主要イベント開催時([[夏季オリンピック|夏季]]・[[冬季オリンピック|冬季]][[近代オリンピック]]や[[FIFAワールドカップ]]といった国際的に注目されるスポーツ大会の期間中など)にテレビ面を中面にして[[ダブル1面]]を特設したり、日によっては「ラッピング」紙面([[競馬]]、[[競輪]]、[[競艇]]のビッグレース開催日などには通常の紙面の上に抜き取りが可能な4ページ立て関連特集の記事を掲載)を採用したこともあった。<br /> * 東京本社版では、関東以外の東京本社管轄地域([[東北地方]]・[[甲信越地方]]・[[静岡県]] 東北と静岡県は[[地方版|地域版]]の「東北版」「静岡版」掲載)と関東の売店即売版は、関東宅配が最終面テレビ面を掲載し続けている間も継続してダブル1面を載せていたが、2010年4月1日から紙面リニューアルで全てダブル1面がレギュラー化になった。<br /> **なお静岡県向けと東北向けは、宅配・即売ともに引き続き地域版を最終面掲載。裏一面は中面に移行掲載。<br /> ** これに伴い、最終面にあったテレビ面を中面掲載としたほか、芸能面を2ページから3ページ(うち1頁はテレビ面と隣接)に拡大移行した。芸能面ではお宝写真付きになる。<br /> * 2011年4月1日から、北海道・西日本(大阪・名古屋・西部)本社版もテレビ面のリニューアルにより中頁移行となった。<br /> :大阪・名古屋版は4年ぶり、西部版は大阪版ベースとなった2009年4月以来2年ぶりとなるダブル1面レギュラー化となる。これを受けて最終面には4月1ヶ月間を通して、&#039;&#039;&#039;「春のニッカン新紙面!! 裏面ニュース!! TVワイド○・×面(その日掲載される頁)」&#039;&#039;&#039;と告知されるようになった。(5月以後は特に案内はされていない)テレビ頁は見開き2頁に。BS・CSの番組表と芸能記事の一部が一体化されるようになった(前述の通り2012年4月以後は必ずしも見開きとはならない日も増えている)。東京本社版でも最終頁のニュース記事の隅に「テレビ番組○面」と掲載されている。<br /> <br /> == 発行所 ==<br /> もともとは日本初のスポーツ紙、独立した新聞としてスタートした経緯があるため朝日新聞社の拠点とは異なる場所に置かれていたが[[2000年代]]辺りから同業他社に倣うかのように、朝日新聞社の拠点ビルに集約する動きが続いている。東京社も同じ築地街区に[[朝日新聞東京本社]]がある。<br /> <br /> * &#039;&#039;&#039;[[日刊スポーツ新聞社]]&#039;&#039;&#039;(対象地域:関東、甲信越、東北、静岡県)<br /> ** 本社:[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]]築地三丁目5番10号<br /> ** 総局:[[東北地方|東北]]([[仙台市|仙台]])、支局:[[静岡市|静岡]]<br /> * &#039;&#039;&#039;[[日刊スポーツ新聞西日本]]&#039;&#039;&#039;<br /> *: 2009年4月1日、株式会社大阪日刊スポーツ新聞社を存続会社に、株式会社名古屋日刊スポーツ新聞社・株式会社西部日刊スポーツ新聞社と合併し発足した。<br /> ** 日刊スポーツ新聞西日本大阪本社(旧:大阪日刊スポーツ新聞社)(対象地域:近畿2府4県、三重県の伊賀地区と熊野市以南、石川県、福井県、山口県西部を除く中国地方、四国4県)<br /> *** 本社(日刊スポーツ新聞西日本の登記上本社):[[大阪府]][[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]][[中之島 (大阪府)|中之島]]2丁目3番18号 [[中之島フェスティバルタワー]]東館23階<br /> *** 2013年1月1日移転。設立時は編集局の機能は[[豊中市]]服部寿町五丁目92番1号に、広告と販売については当初は福島区→2002年[[北区 (大阪市)|北区]]中之島二丁目3番18号 [[新朝日ビルディング|新朝日ビル]]11階に移転しそれぞれあったが、2005年11月をもって編集部門が同ビルの11階に、総務・経理の管理部門と役員室が6階に移転し、全面移転を完了した(写真参照)。しかし、新朝日ビルの建て替え工事に伴い、2008年12月を以って中之島社屋を閉鎖、再び2009年1月1日付で福島区にある「阪神ダイヤビル」へ暫定移転した。なお、同区内には系列の[[朝日放送グループホールディングス|朝日放送]]が大淀から移転している。2013年1月1日に新朝日ビル跡地に建設された[[中之島フェスティバルタワー]]23階に再移転した。<br /> *** 総局:[[広島市|広島]]<br /> ** 日刊スポーツ新聞西日本西部本社(旧:西部日刊スポーツ新聞社)(対象地域:九州、山口県西部)<br /> *** 本社:[[福岡県]][[福岡市]][[博多区]]博多駅前二丁目1番1号 福岡朝日ビル7階(それまで広告局・販売局・編集局レース部は[[北九州市]][[小倉北区]]堺町に、編集局報道部は[[福岡市]]博多区上牟田にそれぞれあったが、2007年1月15日をもって、現住所に統合・移転した。)<br /> ** 日刊スポーツ新聞西日本名古屋本社(旧:名古屋日刊スポーツ新聞社)(対象地域:愛知県、岐阜県、大阪本社エリアを除く三重県、富山県)<br /> *** 本社:[[愛知県]][[名古屋市]][[中区 (名古屋市)|中区]]栄一丁目3番3号 朝日会館12階<br /> * &#039;&#039;&#039;[[北海道日刊スポーツ新聞社]]&#039;&#039;&#039;(対象地域:北海道)<br /> ** 本社:[[北海道]][[札幌市]][[中央区 (札幌市)|中央区]]北3条東3丁目1番30号 KNビル<br /> * &#039;&#039;&#039;[[沖縄タイムス|沖縄タイムス社]]&#039;&#039;&#039;(対象地域:沖縄県、印刷・発行委託)<br /> ** 本社:[[沖縄県]][[那覇市]][[久茂地]]二丁目2番2号<br /> <br /> 1頁の題字の発行クレジットは北海道(北海道日刊スポーツ新聞社)と沖縄県(沖縄タイムス社。事実上のエリアフランチャイズ)を除き、すべて発行地域に関係なく「日刊スポーツ新聞社」で統一され、それぞれの対象地域に準拠した地域本社の住所が収録されている。なお東京版では過去に全本社の住所が掲載されていた。<br /> <br /> 1部売りは東京・北海道・西部各本社発行分は140円([[消費税]]込み)だが、大阪・名古屋両本社発行分は130円、沖縄タイムス社発行分は60円とそれぞれ10円、80円安い。月ぎめ購読料は消費税込み3,353円(大阪・名古屋両本社発行分も含む、沖縄県は1,029円)。なお、親会社の[[朝日新聞]]が展開する電子版「[[朝日新聞デジタル]]」とのセットコース(対象は日本国内の新聞販売店で日刊スポーツを宅配購読していれば利用可能)を申し込むことができる。<br /> <br /> 2014年3月31日付までは名古屋本社発行分は120円と他紙より10円安かったが、これは地元スポーツ紙の[[中日スポーツ]](1部120円)が圧倒的なシェアを有しているための販売政策であった。なお、消費税率が8%に増税されてから、東京・北海道各本社発行分は1部140円、名古屋本社発行分は1部130円にそれぞれ10円値上げしたが、大阪本社発行分は1部130円と据え置いている。そのため、大阪本社発行分の1面右上に&#039;&#039;&#039;130円&#039;&#039;&#039;と赤文字で明記されており、他紙より安いことをアピールしている。また西部本社発行分も2014年4月以降は1部130円に据え置いていたが、2015年4月1日付から東京・北海道両本社版同様140円に値上げした。<br /> <br /> 西日本地区を統合に向かわしめた原因に、ニッカンのライバルスポーツ紙でもある『[[スポーツニッポン]](以下スポニチ)』の全国統合がある。スポニチは、ニッカンと異なり大阪で発足しその後東京・西部が分かれたが[[2004年]]に東京を本社として再統合し、大手3紙系のスポーツ紙としては初めて全国1社体制を確立した。朝日新聞社としても日刊の地域密着路線を維持しつつも経営・事業運営の効率化からこの動きを注視しており、この経営統合は全国1社体制の準備段階ととらえることができる。<br /> <br /> * 似たような事例に[[KDDI]]の携帯電話事業[[au (携帯電話)|au]]の全国統一過程がある。当初は関東・東海が“IDO”([[日本移動通信]])、ほかの地域が“[[DDIセルラーグループ|セルラー]]”であった。KDDI発足時IDOはその母体会社となったものの、沖縄以外のセルラー各社は関西セルラー電話を存続会社として合併し、「株式会社エーユー」となった。その後KDDIが「株式会社エーユー」を吸収合併し、全国統一を果たした&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;なお、沖縄セルラーについては現在も別法人として存続している。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> なおスポニチは、全国統一後も沖縄県については沖縄タイムスのライバル紙『[[琉球新報]]』に業務委託(『[[新報スポニチ]]』)している。<br /> <br /> == 評論家 ==<br /> === 野球 ===<br /> ==== 東京本社 ====<br /> * [[村田兆治]](1991〜94、98〜)<br /> * [[森祇晶]](1995〜2000、03〜)<br /> * [[西本聖]](1995〜2002、2004〜2009、2016〜)<br /> * [[篠塚和典]](2004〜05、2011〜)<br /> * [[小宮山悟]](2010〜)<br /> * [[佐々木主浩]](2006〜)<br /> * [[里崎智也]](2015〜) <br /> * [[谷繁元信]](2017〜)<br /> * [[三浦大輔]](2017~)<br /> ====北海道本社====<br /> * [[建山義紀]](2015~)<br /> * [[森本稀哲]](2016~)<br /> <br /> ==== 西日本社 ====<br /> =====本部・大阪本社=====<br /> * [[一枝修平]](1988〜89、92〜96、99〜)<br /> * [[中西太]](1991、93、2000〜) 高齢のため、近年は評論の回数が非常に少ない。<br /> * [[広瀬叔功]](1993〜)<br /> * [[真弓明信]](1996〜99、05〜08、12〜)<br /> * [[中西清起]](1997〜2003、2016〜)<br /> * [[大石大二郎]](1998〜2002、2014〜)<br /> * [[吉田義男]](2000〜) 客員評論家<br /> * [[桧山進次郎]](2014〜)<br /> &lt;!--======広島支社======<br /> * [[山本一義]] (大阪本社の担当時期もあったが現在は主に広島地区担当)--&gt;<br /> =====名古屋本社=====<br /> * [[山田久志]](1989〜93、97〜98、2004〜 1998年まで主として大阪本社、2004年以後は名古屋本社担当)<br /> <br /> =====西部本社=====<br /> * [[若田部健一]](2006〜)<br /> * [[浜名千広]](2006〜)<br /> <br /> === サッカー ===<br /> * [[セルジオ越後]]<br /> * [[永島昭浩]](主として大阪地区)<br /> * [[澤登正朗]]<br /> * [[宮澤ミシェル]]<br /> * [[秋田豊]]<br /> * [[中山雅史]]<br /> <br /> === 競輪 ===<br /> * [[中野浩一]]<br /> * [[山口幸二]]<br /> <br /> === 競馬 ===<br /> * [[坂口正大]](2011〜 主として西日本地区)<br /> * [[佐藤哲三 (競馬)|佐藤哲三]](2014年〜 主として西日本地区)&lt;ref&gt;{{Cite news|title=佐藤哲三10・18ニッカン評論家デビュー|newspaper=nikkansports.com|date=2014-09-27|url=http://www.nikkansports.com/race/news/f-rc-tp0-20140927-1373398.html|accessdate=2014-09-27|publisher=日刊スポーツ新聞社}}&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == コマーシャル ==<br /> ;テレビ<br /> * 通常は[[朝日放送グループホールディングス|朝日放送]]の関連会社、[[スカイ・エー|スカイ・Aスポーツプラス]]で「日汗(にっかん)してます。日刊スポーツ」なるCMを放映。それには[[武藤敬司]](プロレスラー)も出演している。<br /> * また大阪版では2007年4月の新誌面をきっかけに、[[ザ・たっち]]を[[モデル (職業)|モデル]]に起用したCMが放送された([[#外部リンク]]を参照)。<br /> ;ラジオ<br /> * [[朝日放送ラジオ|ABCラジオ]]での[[阪神タイガース|阪神]]戦中継でスポンサーとなっている。<br /> <br /> == 関連会社 ==<br /> ※日刊スポーツ新聞社各社を除く。<br /> <br /> === 印刷会社 ===<br /> * [[朝日プリンテック]]<br /> ** [[朝日弘前プリンテック]]<br /> * [[日刊スポーツ印刷社]]<br /> ** [[北海道日刊スポーツ印刷社]]<br /> ** [[仙台日刊印刷]]<br /> ** [[日刊オフセット]](→[[2011年]][[4月]]「朝日プリンテック」に吸収合併)<br /> <br /> === 出版社 ===<br /> * [[日刊スポーツ出版社]]<br /> <br /> === その他 ===<br /> * [[日刊スポーツロジテム]]<br /> * [[日刊編集センター]]<br /> * [[日刊スポーツ興産]]<br /> * [[たきやま]]<br /> * [[日刊スポーツエージェンシー]]<br /> * [[団地通信]]<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> === 注釈 ===<br /> {{Reflist|group=&quot;注&quot;}}<br /> === 出典 ===<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * 特定分野専門のタブロイド紙<br /> ** [[月刊AKB48グループ新聞]]<br /> ** [[choa]]([[韓流]]・アジアエンタメ専門紙、月刊。)<br /> ** [[プリキュア新聞]]([[プリキュアシリーズ]]専門紙、春と秋に発行。)<br /> * [[日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞]]<br /> * [[中山金杯]]<br /> * [[シンザン記念]]<br /> * [[日刊バトル大賞]]<br /> * [[チビリンピック]]<br /> * [[神宮外苑花火大会]]<br /> * [[EZニュースフラッシュ]] ([[Au (携帯電話)|au]]) - {{Small|同系列社の[[朝日新聞]]と共に携帯端末用にニュース配信を行っている。}}<br /> * [[中央日報]] - 友好関係を結んでいる。<br /> * [[朝日新聞デジタル]] 日刊スポーツ読者は定期購読料+1000円で有料記事を閲覧できる。<br /> * [[ハローキティ]](2013年10月から日刊スポーツ新聞西日本のイメージキャラクターを担当。西日本管内の日刊スポーツ紙面で読者プレゼントを連日実施)<br /> <br /> 以下は[[朝日放送グループホールディングス|朝日放送]]制作・関西ローカルの生放送番組で、日刊スポーツ西日本の編集委員・デスク・記者がレギュラーで出演。<br /> * [[おはようコールABC]]([[朝日放送テレビ|ABCテレビ]])<br /> * [[おはようパーソナリティ道上洋三です]]([[朝日放送ラジオ|ABCラジオ]]) - 編集委員の寺尾博和やアマチュア野球担当の記者が、「スポーツの話題」または「話のマーケット」へ随時出演。<br /> * [[ニッカン・ザ・ライブ]](2011・2012年度にABCラジオがナイターオフ期間に放送していたスポーツ情報番組)<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * {{Official|http://www.nikkansports.com/}}<br /> * {{Twitter|nikkansports}}<br /> * {{Twitter|fukudasun|ふくださん}}<br /> * {{Instagram|nikkansports}}<br /> <br /> {{日刊スポーツ新聞社}}<br /> {{スポーツ新聞}}<br /> {{朝日新聞社}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:につかんすほおつ}}<br /> [[Category:日刊スポーツ新聞社|*]]<br /> [[Category:スポーツ新聞]]<br /> [[Category:朝日新聞社]]<br /> [[Category:北海道のマスメディア]]<br /> [[Category:東京都のマスメディア]]<br /> [[Category:愛知県のマスメディア]]<br /> [[Category:大阪府のマスメディア]]<br /> [[Category:福岡県のマスメディア]]<br /> [[Category:沖縄県のマスメディア]]<br /> [[Category:東京都中央区の企業]]</div> 218.47.98.145 スポーツ報知 2018-07-20T11:51:06Z <p>218.47.98.145: /* 地方版 */</p> <hr /> <div>&lt;!--{{Otheruses||「スポーツ報知」の発行所|スポーツ報知#発行所}}--&gt;<br /> {{基礎情報 新聞<br /> | 名称 = スポーツ報知<br /> | 画像 = [[File:Sports Hochi logo.svg|220px]]<br /> | 説明 = <br /> | タイプ = 日刊紙<br /> | サイズ = <br /> | 事業者 = 株式会社[[報知新聞社]](東京・大阪)&lt;br /&gt;株式会社[[読売新聞東京本社]]・[[読売新聞中部支社|中部支社]](名古屋)&lt;br /&gt;株式会社[[スポーツ報知西部本社]](福岡)<br /> | 本社 = [[東京都]][[港区_(東京都)|港区]][[港南_(東京都港区)|港南]]4-6-49&lt;br /&gt;[[大阪府]][[大阪市]][[北区_(大阪市)|北区]]野崎町5-9&lt;br /&gt;[[愛知県]][[名古屋市]][[中区_(名古屋市)|中区]][[栄_(名古屋市)|栄]]1-2-1&lt;br /&gt;[[福岡県]][[福岡市]][[中央区_(福岡市)|中央区]]赤坂1-16-5<br /> | 代表者 = <br /> | 編集者 = <br /> | 創刊 = [[1949年]](昭和24年)[[12月30日]](東京)&lt;br /&gt;[[1964年]](大阪)&lt;br /&gt;[[1979年]](中部)&lt;br /&gt;[[1998年]](西部)<br /> | 廃刊 = <br /> | 前身 = 郵便報知新聞&lt;br /&gt;([[1872年]][[7月15日]] - [[1894年]][[12月25日]])&lt;br /&gt;[[報知新聞]]&lt;br /&gt;([[1894年]][[12月26日]] - [[1949年]][[12月29日]])<br /> | 1部 = 140円&lt;br /&gt;130円(中部版のみ)<br /> | 月極 = 3,355円<br /> | 言語 = 日本語<br /> | 発行数 = <br /> | 公式サイト = [http://www.hochi.co.jp/ hochi.co.jp]<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;スポーツ報知&#039;&#039;&#039;(スポーツほうち)は、[[日本]]の[[スポーツ新聞]]である。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> 題号は『スポーツ報知』となっているが、正式名称は『&#039;&#039;&#039;報知新聞&#039;&#039;&#039;(ほうちしんぶん)』である。<br /> <br /> [[1990年]]以後、『スポーツ報知』の題号を用いてそれまでの『[[報知新聞]]』からより一層スポーツ紙としてのカラーを打ち出すようになっている。また電子版は、一時期[[読売新聞]]傘下の「hochi.yomiuri.co.jp」を使用していたが、2014年4月1日から再び独自ドメインの「hochi.co.jp」を使用している(なお、独自ドメインの「hochi.co.jp」は以前にも使用したことがある)。<br /> <br /> [[読売新聞グループ]]のスポーツ新聞(ただし、[[持株会社]]の直系傘下ではない)であることから[[読売ジャイアンツ]](巨人)の情報が多く、一面左下には毎日必ず「ジャイアンツ日記」というミニコラムを掲載するなどしていることから、全国の野球ファンからは「&#039;&#039;&#039;ジャイアンツの[[機関紙]]&#039;&#039;&#039;」と認識されている。なお、巨人が勝った翌日は1面から3面が巨人関連ニュースになる他、巨人の選手のコメントもきめ細かく掲載している。<br /> <br /> 他のスポーツ新聞のような略称は無いが、一般には「報知」と呼ばれている。<br /> <br /> === 2000年代後半以降の紙面構成 ===<br /> * 巨人関連の報道が中心のスポーツ紙としての役割だけではなく、日本人選手の活躍が目立つ[[メジャーリーグベースボール|MLB]]や、国内外の[[サッカー]]の報道、芸能ニュース、社会面記事などにも力を入れ、紙面が多様化している。かつては勝っても負けても一面は巨人だったが、巨人が負けた場合は他の情報で一面を飾ることが多い。また、地方版がある地域ではカラー化、スペース増など、紙面充実へ強化を図っている。<br /> * [[サッカー]]報道に関しては試合内容よりも、囲み取材・ぶら下がり取材などでの[[サッカー日本代表|代表]]選出選手等、キャラクター性の強い個人による発言に比重を置いた姿勢となっている。そのため記事のネタとなりやすい発言の多い特定選手やクラブ・協会幹部などの代弁者的な記事構成となる事が多く、代表不在クラブなどは滅多に記事として扱われない(地方版を除く)。<br /> * 前身「郵便報知新聞」時代からの名残からか、スポーツ紙では珍しく[[伝統芸能]]の話題が最も多いことで知られる。<br /> *2009年12月11日付のスポーツ報知に&#039;&#039;「[[小池栄子]]が[[坂田亘]]の金銭トラブルで離婚の危機」&#039;&#039;という見出しの記事が掲載され小池の所属事務所が報知新聞社に計約2億8000万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求めた。金銭トラブルがあったことを認めつつ、「夫婦で借金について具体的に話したり、離婚を視野に入れた話をしたりすることはなかった」と指摘。直接取材もしていないとして、「円満な夫婦関係を維持する女優として高い好感度を得ていた小池さんの社会的評価を低下させた」と結論付け、報知新聞社に計330万円の賠償を命じた&lt;ref&gt;{{Citenews|url=http://www.j-cast.com/2013/12/25192842.html|title=小池栄子「離婚危機」報道は名誉毀損 報知に330万円賠償命令|publisher=j-cast||date=2013-12-25}}&lt;/ref&gt;。<br /> * 駅コンビニ売り(即売版)は2010年5月1日より、男性専用のアダルト面に代わり、日替わりの情報ページを新設した。社告では「女性も子供も楽しんで読めるスポーツ紙への衣替え」としていた。&lt;br/&gt;しかし2011年1月1日から駅コンビニ売り(即売版)でも家庭版と同様でテレビ欄に差し替えられている。日替わりの情報ページは2010年12月31日付で廃止になった。現在は、宅配・即売による紙面の刷りわけは行っておらず、在京スポーツ紙で唯一アダルト面もアダルト広告も廃止している。<br /> * [[2011年]][[3月11日]]に発生した[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])を受けて、[[3月21日]]の発行分から1面右上の題字の箇所に四角い赤地・白文字、または赤い文字で「頑張ろう!日本」というメッセージを入れていた。<br /> * [[2013年]]1月1日付より(東京本社発行分のみ。2014年4月からは大阪本社版も)、各界著名人へのインタビュー記事や女性向け生活情報を中心に掲載した[[二部紙|分冊]]「L Lady Life Love」(4ページ刷り)が毎週火曜日→毎月第1・3火曜日(2015年1月 - )に折り込まれていたが、2016年4月より毎週金曜日の本紙に見開きページで掲載される形式に変更された。<br /> * [[2015年]]12月3日付のスポーツ報知に&#039;&#039;膳場アナ、「NEWS23」来年3月末降板へ「育児に専念したい」&#039;&#039;という見出しの記事を掲載し、[[TBSテレビ]][[局契約]]アナウンサーの[[膳場貴子]]が来年3月末でTBSテレビの報道番組『[[NEWS23]]』を降板する意向を局に伝えたと報じた&lt;ref&gt;{{Citenews|url=http://www.hochi.co.jp/entertainment/20151202-OHT1T50209.html|title=TBS膳場アナ、「NEWS23」来年3月末降板へ「育児に専念したい」 |publisher=スポーツ報知||date=2015-12-3}}&lt;/ref&gt;。この記事に対し膳場は同日、フェイスブックで「責任と愛着を持ってやってきた仕事です。降板申し入れはしておりません」、「このような誤報を、たいへん残念に思っています」と報道を否定していたが&lt;ref&gt;{{Citenews|url=http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20151203/enn1512031532020-n1.htm|title=膳場アナ、ピシャリ 降板申し入れは「誤報」 揺れるTBS「NEWS23」 |publisher=zakzak||date=2015-12-3}}&lt;/ref&gt;、翌月となる2016年1月にTBSテレビより今春の番組改編を以って膳場と番組アンカーマンの[[岸井成格]](毎日新聞特別編集委員)の降板や番組リニューアルされることと併せて、膳場が土曜日午後の報道番組『[[報道特集]]』のキャスターに新たに就任することが発表された&lt;ref&gt;{{Citenews|url=http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/01/26/kiji/K20160126011926320.html|title=「NEWS23」新キャスターに星浩氏 膳場アナ卒業「報道特集」へ |publisher=スポニチアネックス ||date=2016-1-26}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 沿革 ==<br /> [[File:Hochi shinbun head office konan minato.JPG|thumb|200px|スポーツ報知東京本社(港区 左端)]]<br /> [[Image:Osaka Yomiuri.JPG|thumb|right|200px|2008年1月1日からスポーツ報知大阪本社が入居している読売大阪ビル]]<br /> [[ファイル:Shinbun_hanbai-ten_kanban_P8260114.jpg|thumbnail|200px|「報知新聞」がメイン題字だった頃のホーロー看板(右から2つ目)を設置する新聞販売店]]<br /> <br /> {{Main2|スポーツ紙になる以前の報知新聞については[[報知新聞]]を}}<br /> * [[1949年]][[12月30日]] - 一般紙であった&#039;&#039;&#039;報知新聞&#039;&#039;&#039;の経営難により、読売新聞系スポーツ紙となる。<br /> * [[1964年]] - 大阪本社より関西版発行。<br /> * [[1970年]] - 北海道支社(現・北海道支局)で現地印刷開始。<br /> * [[1979年]] - 中部読売新聞社([[1988年]]2月から中部読売新聞本社→同年6月から読売新聞中部本社→[[2002年]]7月から読売新聞中部支社)より「報知スポーツ」創刊。<br /> * [[1990年]] - スポーツ紙移行40周年を記念して東京、大阪、北海道版の題号を「スポーツ報知」と変更。(旧来の報知新聞の題号も併用しているが、[[1997年]]までは欄外題字は「報知新聞」の題号を継続していた。現在は日付掲載部分=概ね1面左上と、2ページ目以後の各ページの「第三種郵便物認可」のクレジットの横に小さく載せている程度。名古屋はスポーツ報知の表示のみ)東京新社屋が東京・港区港南に完成。<br /> * [[1996年]] - 中部版の題号を「スポーツ報知」に変更。同[[11月]]、[[北陸地方]]向け([[富山県]]・[[石川県]])の版が、[[読売新聞北陸支社]]の協力により現地印刷を開始(それまでは大阪本社版早版を鉄道もしくは飛行機輸送していたが、読売北陸支社と同じく東京版&lt;クレジットも東京本社版のものに準拠&gt;を同時印刷できるようになった。後に[[北日本新聞社]]に現地印刷を委託)。<br /> * [[1998年]] - 九州版が西部本社(北九州市→[[2004年]]から福岡市)より創刊。<br /> * [[2008年]][[1月1日]] - 大阪本社が[[北区 (大阪市)|北区]]本庄西から同区野崎町の[[読売新聞大阪本社]]ビルに移転した。これにより、全国4紙系のスポーツ新聞社の大阪本社は全て親会社の新聞社と同居する形になった(その後[[日刊スポーツ]]西日本・本部が、当時社屋として構えていた[[新朝日ビルディング]]&lt;[[中之島]]&gt;建て替えに伴い[[2009年]][[1月1日]]に[[福島区]]の「阪神ダイヤビル」に移転したが、[[2013年]]に新朝日ビルの跡地に建設された[[中之島フェスティバルタワー]]東棟<[[朝日新聞大阪本社]]も入居>に復帰した)。<br /> * [[2012年]] - 報知新聞創刊140周年を機に、イメージキャラクターの「Ho!さん」が誕生する。<br /> * [[2016年]][[1月1日]] - 1面からスポーツ総合面([[中央競馬]]と[[公営競技]]除く)、社会面、芸能面などの記事が読みやすく大きな12段組みの「巨(メガ)文字」になる。同時に社会面が約1面分へと縮小化された。<br /> <br /> ===スポーツ新聞への転換後の題字遍歴===<br /> *[[1970年代]]まで 1頁右上端に毛筆で「報知新聞」(これは現在も発行所クレジットの箇所に小さく書いてある。&lt;名古屋除く&gt;)、その下に「THE HOUCHI SHINBUN」、更にその右に「スポーツ&lt;白抜き・大きめ&gt;、レジャー・芸能」と書かれたロゴがあった。題字の左隣に日付(読売新聞のものを流用)、版数、発行所。&lt;ref name=&quot;発行所のクレジット表示&quot;&gt;直営の東京本社・北海道総局は東京・大阪・北海道の順。大阪本社だけ大阪・東京の順。フランチャイズの中部・西部についてはそれぞれの地域の分だけ。名古屋版創刊当初は中部読売と同じものが使われた&lt;/ref&gt;<br /> *[[1980年代]] グリーン報知が制定される前後(制定前は朱色)に見出しを右端に大きく出すために少し左にスライド、更に左端へ。(名古屋はグリーン見出し導入後も従来どおりで、見出しは朱色であった。また題名の「報知スポーツ」の下に「THE HOUCHI SPORTS」の文字も入れてあった)<br /> *[[1990年代]]<br /> **左端に「報知新聞」の緑地白抜き文字(中部は報知スポーツ→1996年にスポーツ報知)、下に日付(読売新聞のものを流用)、版数、発行所。&lt;ref name=&quot;発行所のクレジット表示&quot;/&gt;<br /> **右上は当初は四角形で「スポーツ」(白地)「報知」(赤地・白抜き)→後に楕円形黄色地・緑色の文字・縁取りで「スポーツ報知」(現在と同じもの)<br /> *[[2000年代]] 発行所クレジット(左側)の題字「報知新聞」(中部は「スポーツ報知」)を大幅に縮小。その日の紙面構成にもよるが、正方形であったり、横に長めであったりする。東京・大阪・札幌・西部版では[[バーコード]]が掲載されているが、中部版はその箇所には「1部120円 月ぎめ2650円(2012年4月現在)」と書かれている。<br /> <br /> == 発行所 ==<br /> {{see also|報知新聞社#所在地}}<br /> * [[報知新聞社]]<br /> ** 東京本社(対象・北海道、東北、関東、甲信越、静岡県、石川県、富山県)<br /> ** 大阪本社(同・近畿〔三重県伊賀地域含む〕、福井県、中国〔山口県を除く〕、四国)<br /> * [[読売新聞中部支社]](対象・中京〔三重県伊賀地域除く〕) [[#chubuhochi|下記]]参照)<br /> * [[スポーツ報知西部本社]](対象・九州〔沖縄県除く〕、山口県 [[#スポーツ報知西部本社|下記]]参照)<br /> : 事実上、東京・大阪が直営。名古屋と福岡は[[フランチャイズ]]契約である。<br /> <br /> ===スポーツ報知西部本社===<br /> [[1997年]]11月、それまでスポーツ報知が発行されていなかった[[九州・山口地方]]での発行を目的に、[[よみうり|株式会社よみうり]]が子会社として「&#039;&#039;&#039;株式会社スポーツ報知西部本社&#039;&#039;&#039;」を設立。1998年3月からスポーツ報知を[[福岡県]]、[[佐賀県]]、[[長崎県]]、[[熊本県]]、[[大分県]]、[[宮崎県]]、[[鹿児島県]]、[[山口県]]に向けて発行。<br /> <br /> スポーツ報知は1998年以前まで九州(山口県以西)では発行されていなかったが、九州版の発行で[[スポーツニッポン]]、[[日刊スポーツ]]に続いて全国をカバーするスポーツ新聞となった([[沖縄県]]では発行されていないが、沖縄では東京版が空輸によって[[コンビニエンスストア|コンビニ]]で販売されている)。[[2002年]]7月の読売グループ再編により、現在は[[読売新聞西部本社]]の子会社となっている。<br /> <br /> : ※九州地区の[[読売新聞]]販売店(YC)では、[[九州スポーツ]]([[東京スポーツ]]の九州版)をスポーツ報知が九州に進出する前から扱っている。<br /> <br /> === 読売新聞中部支社 ===<br /> &lt;div id=&quot;chubuhochi&quot;&gt;<br /> [[東海3県]]([[愛知県]]・[[岐阜県]]・[[三重県]])では、読売新聞東京本社の支社である「読売新聞中部支社」から発行している。1979年に当時の中部読売新聞社(現・読売中部支社)が当時の報知新聞の中部版「&#039;&#039;&#039;報知スポーツ&#039;&#039;&#039;」として発刊したのが始まりである。創刊当初は題字は朱色・見出しはモノクロと、東京・大阪版とは逆であった。<br /> <br /> 1996年に他の地域と同じスポーツ報知と題号を変更した。ただし、他地域が報知新聞の題号を紙面に併記しているのに対し、中部地域のものはスポーツ報知の題号のみ(1面の日付の下の小題字も他地域が緑地の「報知新聞」であるのに対し、中部版は「スポーツ報知」のロゴで掲出。各面の「第三種郵便物認可」のクレジットの横には「報知新聞」と表記されているが中部版は表記無し。ただ2015年ごろから、題字下の著作権クレジットには「©読売新聞社、報知新聞社」と並列記載されている)である。1部売りは中部版のみ100円(同一地区で発行される[[中日スポーツ]]も一部売りは100円。他地域は130円)だったが、2012年4月1日より120円となり、同一地区で発行される[[日刊スポーツ]]、[[スポーツニッポン]]と同一価格となった(ただし日刊およびスポニチ同様、他地域より10円安くなっている。中日スポーツは2012年5月に110円に、さらに2013年4月1日より120円に値上げし、中部版エリアで発行される朝刊スポーツ紙はすべて120円となる)。2014年4月1日、[[消費税]]が5%→8%に増税になったのに伴い、130円に値上げされた。中日スポーツや日刊スポーツ(大阪版)同様、アダルト記事が宅配版・即売版とも掲載されていない。<br /> <br /> プロ野球とJリーグ(シーズン中)の試合・テレビ放映日程の表は原則東京版と同じものであるが、東海地方の読者に配慮するため、欄外に「東海地方の中継」として記載されている&lt;ref&gt;大阪・西部版では、中継予定を関西・九州地区のものに差し替えている。ただし大阪管轄の中四国地方の放送については掲載されていない。&lt;/ref&gt;<br /> <br /> また、東海3県内で発売されるスポーツ紙では唯一、[[新聞休刊日#概要|新聞休刊日における特別版]]を発行していない(その際は「あすの本紙は休みます」と1面の隅に小さく表示される)。このため、休刊日特別版に掲載される読者プレゼント(懸賞企画)は休刊日翌日の通常版に1日遅れで掲載される。<br /> <br /> : ※[[三重県]]地方はその多くは中部版で伊賀、熊野・東紀州地方は大阪版を採用しているが、報知に関しては伊賀地方のみが大阪版、熊野・東紀州を含むその他の地域は中部版となる。なお、[[1988年]][[6月1日]]に中部読売が読売新聞本体(実際には関連会社・[[よみうり]])に統合・再編されるまで(即ち中部読売時代)は、伊賀を含む三重県全域で中部版を発行していた。&lt;/div&gt;<br /> <br /> == 主な評論家 ==<br /> === 野球 ===<br /> ==== 東京本社 ====<br /> * [[長嶋茂雄]](1982~1992、2002~ [[客員]])<br /> * [[堀内恒夫]]<br /> * [[淡口憲治]](2013〜)<br /> * [[高木豊]] (2015~)<br /> * [[水野雄仁]](1997〜98、2002〜)<br /> * [[桑田真澄]](2008〜)<br /> * [[清水隆行]] (2010、2017~)<br /> * [[高橋尚成]](2016〜)<br /> <br /> ==== 大阪本社 ====<br /> * [[安藤統男]](1990〜) <br /> * [[金村義明]](2001〜)<br /> * [[福本豊]](1992〜97、2000〜)<br /> * [[工藤一彦]](2005〜。サンケイスポーツで1991〜2004)<br /> <br /> === サッカー ===<br /> * [[山本昌邦]]<br /> * [[北澤豪]]<br /> * [[大竹七未]](女子日本代表試合のみ担当)<br /> <br /> === 相撲 ===<br /> * [[北の湖敏満]]<br /> * [[琴風豪規|尾車浩一]]<br /> <br /> === バレーボール ===<br /> * [[ヨーコ・ゼッターランド]](女子日本代表試合のみ担当)<br /> * [[山本隆弘]](男子日本代表試合のみ担当)<br /> <br /> === 競馬 ===<br /> * [[杉本清]]<br /> * [[能勢俊介]]([[ケイシュウニュース]]中央版廃刊後、一時期東京本社に在籍。現在はフリーの競馬ライター)<br /> <br /> === 競輪 ===<br /> * [[後閑信一]]<br /> <br /> == 備考 ==<br /> * [[滋賀県]]の地方紙・[[滋賀報知新聞]]との資本・提携関係は一切ない。<br /> * スポーツ報知の紙面は、[[公営競技]]面、テレビ欄や一部の記事などを除いて東京で一括して製作している(一時期、社会面の製作を大阪で担当していたことがあったが、現在は東京に戻っている)。[[日本中央競馬会|中央競馬]]面は、東京版と大阪版で内容が異なる。中部版と九州版、および[[読売新聞北陸支社]]で製作される北陸版の中央競馬面は、大阪版と共有している。なお、理由は定かではないが、競馬面において「芝」をわざわざ「芝生」と書き改めていた。これは、記者記事のみならず、騎手など関係者コメントでも書き改めていた。現在は「芝」になっている。また、競馬の出馬表では騎手名をフルネームで表記している。<br /> ** 大阪版の1面は、[[2001年]]ごろまで大阪本社が独自に製作していたが、現在は原則的に東京のものを流用している(東京のスポーツ紙各紙1面に掲載されている[[アサヒビール]]の[[広告]]は別の企業の広告に差し替え)。ただし、中央競馬の[[重賞]]レースが1面になる場合は必ず大阪製作になるほか、大阪本社側の判断により1面が差し替えられるケースが間々ある。特に[[サッカー]]記事に関してはしばしば他の記事に差し替えられる反面、[[読売ジャイアンツ|巨人]]関係の記事を東京以上に好んで1面に持ってくる傾向が強いため、東京版より大阪版の方が巨人が1面になる機会が多いという皮肉な現象が起きている(阪神報道が強い関西地方においての隙間産業的位置にある。関東地方のデイリースポーツに似ている)。<br /> * 1面の見出しは当初は[[朱色]]を使用していたが、[[1983年]]ごろから[[緑色]]を使用し「グリーン報知」という愛称が付けられた。但し、中部版・報知スポーツ(~[[1996年]]まで)に関しては他本社が緑色を採用してもしばらくは従前の朱色の見出しが使われていたが、現在は他本社同様緑色ベースとなっている。また1面や最終面などに使われるカラー写真の紙面、並びに[[ダブル1面]](最終面のニュース掲載)も中部版での導入は遅かった。現在は1面の見出しは青色になっている。[[やじうまプラス]]で[[吉澤一彦]]アナが「駅では日刊スポーツと間違えないで注意して買ってください」と言っていた場面も見られた。<br /> * [[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]発足当初(~[[1993年]]まで)、読売グループではJリーグ在籍の[[東京ヴェルディ1969|ヴェルディ川崎]](当時)については「読売ヴェルディ」と本拠地の[[川崎市]]のクレジットを乗せないで表示していたが、スポーツ報知ではJリーグの指導によるホームタウン自治体名([[市町村|市区町村]])+愛称での表記に準ずる形で「読売ヴェルディ川崎」とクレジットしていた。<br /> * その他[[横浜F・マリノス|横浜マリノス]]を「[[日産自動車|日産]]横浜マリノス」、[[横浜フリューゲルス]]を「[[全日本空輸|A]][[佐藤工業|S]]横浜フリューゲルス」、[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]は「[[三菱自動車工業|三菱]]浦和レッズ」と親会社の企業名も加えて表示([[1992年]]の[[Jリーグヤマザキナビスコカップ|ナビスコ杯]]は[[ガンバ大阪]]を「[[パナソニック]]・ガンバ大阪」として紹介)していたが、企業名排除の原則から[[1994年]]以後他の読売グループメディアと同様に自治体名+愛称でのクレジットに改める。<br /> * [[1989年]]に、前年に現役([[阪神タイガース]])を引退したばかりの[[掛布雅之]]とジャイアンツOB・[[堀内恒夫]]が共演した[[コマーシャルメッセージ|CM]]が放送されていた。<br /> * 先述のように、スポーツ報知の紙面の多くは東京で製作されたものをそのまま使用している。そのため各地方版(大阪・名古屋・札幌・福岡・仙台・広島)でも地元のチームより巨人の記事が1面を含む巻頭の多くのページを割いて掲載されている。特に関西地区においては、他のスポーツ新聞が阪神タイガース一辺倒の紙面作りを展開している中、唯一、巨人中心の内容のため(それでも野球面は大阪本社独自製作で阪神の記事を増やしてはいるが)、販売面で苦戦を強いられている。それを裏付けるように、関西の飲食店などにおいて、他のスポーツ新聞は置いていても、スポーツ報知だけあえて置かれていない、といった光景を見かけることがある(逆に関西地区で好んでスポーツ報知を設置している場合は、店主が巨人ファンであることが多い)。また、阪神タイガースの公式イヤーブックに他スポーツ新聞の広告を載せる中、スポーツ報知だけはそれを載せていない。これは、関東における[[デイリースポーツ]]と似た所はあり、関西地区での巨人ファンの重要な情報源ともいえる。<br /> ** なお親会社である読売新聞はそれぞれの地元のチームの記事をスポーツ面のトップに扱う傾向が増えてきたが、中部版は紙面の大半が東京版(北海道・東北・関東・北信越と同じ)と共有していることから、中日やグランパスなどの地元勢よりもジャイアンツをトップに扱うことが多い。<br /> * 東京本社版(北海道版含む)と九州版では[[2006年]]4月1日付から、大阪本社版では[[2008年]]4月1日付から1面日付横に[[JANコード]]([[バーコード]])を表記することになった。その後、東京都内で発行されるスポーツ新聞5紙([[日刊スポーツ|ニッカン]]・[[スポーツニッポン|スポニチ]]・[[サンケイスポーツ|サンスポ]]・[[東京中日スポーツ|トーチュウ]]・[[デイリースポーツ|デイリー]])はスポーツ報知に追随して1面にJANコードを表記するようになった。<br /> ** 大阪本社版ではそれまでJANコード表記枠は広告枠に転用していた。また中部版では同枠は『&#039;&#039;&#039;1部130円&#039;&#039;&#039;』の表記に差し替えている。<br /> *通常スポーツ新聞の芸能ニュースは敬称をつけないが、スポーツ報知では芸能人の身内の訃報記事や社会面に掲載された記事など、内容によっては敬称をつけて報じている。<br /> * [[テレビ]]各局の朝の[[情報番組]]で、スポーツ報知の記事を紹介する際、キャスターが愛称の「スポーツ報知」と呼んでいるが、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系「[[めざましテレビ]]」や大阪・[[朝日放送テレビ|朝日放送テレビ(ABCテレビ)]]の「[[おはようコールABC]]」では「&#039;&#039;&#039;報知新聞&#039;&#039;&#039;」と正式な題号で呼んでいる(字幕クレジットも『報知新聞』と表示)。<br /> * [[日本ダービー]]などの大きなGIの前や、ペナント開幕前、また最近では[[桑田真澄]]、[[清原和博]]の引退など大きな話題があるときには、特別版を発行している。<br /> <br /> === 地方版 ===<br /> [[日刊スポーツ]]と並び、[[地方版]]に特に力を入れている。<br /> ;[[北海道]]<br /> :中面で「ほっかいどう報知」を掲載している。[[北海道日本ハムファイターズ]]や[[コンサドーレ札幌]]、[[高校野球]]などの話題が中心となっている。またごく稀に春夏の高校野球地方大会の話題が1面に出る場合もある。この場合、東京版などで終面(1面)に出ている記事は中面にカラーでそのまま掲載されている。<br /> ;[[東北地方]](主に[[宮城県]])<br /> :[[東北地方]]においては終面を「とうほく報知」とし、東北6県版を掲載している。[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天イーグルス]]や[[ベガルタ仙台]]、その他高校野球、大学野球など地元向けの話題が中心になっており、高校野球地方大会期間の時などには中面も使い、2面に渡り掲載する。またごく稀に楽天イーグルスやベガルタ仙台、春夏の高校野球地方大会の話題が1面に出る場合もある。この場合、東京版などで終面(1面)に出ている記事は中面にカラーでそのまま掲載している。その一方で、宮城県以外の東北5県のスポーツに関しての報道は軽視しがちなきらいがある。<br /> ;[[埼玉県]]<br /> :月1回、「さいたま報知」を読売新聞の宅配折込広告に挟む形で発行し、埼玉県のスポーツを紹介しているが、スポーツ報知本版の面には掲載されない。<br /> ;[[山梨県]]<br /> :中面もしくは最終面にて(ここ最近は最終面に掲載される割合が高い)「やまなし報知」として週3回(月・土・日)、山梨県に密着した記事を掲載(高校野球や[[ヴァンフォーレ甲府]]などで、大きな話題があるときには曜日を問わず掲載)している。甲子園山梨代表などの話題があるときは1面を山梨県の記事に差し替えることがある。この場合、東京版などで1面に出ている記事は中面にカラーでそのまま掲載する。他のページは東京版を使用。元々グループである読売新聞が強い地域であり(県内シェアは[[山梨日日新聞]]に次いで2位)、また自社社屋の読売新聞甲府支局があるため県内に密着した取材が可能であり、スポーツ紙としては唯一地元山梨に特化した記事を掲載することが可能となっている。ここ数年は紙面内容充実へと力が入っており、ネットサイトでも山梨関連の記事はスポーツ報知発信が多い。<br /> ;[[静岡県]]<br /> :「しずおか報知」として最終面にカラーで掲載。過去は中面になっていた。静岡県に密着した記事を掲載している。そのため東京版の裏1面は日刊スポーツと同様に中面掲載になっている。<br /> ;[[富山県]]、[[石川県]]<br /> :中面で「とやま・いしかわ報知」として週4回(月・水・土・日)、スポーツ紙で唯一([[中日スポーツ]]でも[[中部地方]]のスポーツ記事を掲載しているが、東海地方の話題が中心)富山県、石川県に密着した記事を掲載している(高校野球などで大きな話題があるときには曜日を問わず掲載)ため、富山、石川では他県より重宝されていると言える。高校野球や[[ベースボールチャレンジリーグ|BCリーグ]]などの話題があるときは最終面または1面を北陸関係の記事に差し替えることがある。この場合、東京版などで最終面(1面)に出ている記事は中面にカラーでそのまま掲載されている。もともと北陸地方では大阪版が販売されていたが、富山県と石川県については東京版([[高岡市]]の[[読売新聞北陸支社]]の工場で印刷していたが、2011年3月からは[[富山市]]にある[[北日本新聞]]の工場『[[創造の森 越中座]]』に委託して印刷)を販売するようになった。中央競馬記事は東京版を使用しているが、その他の公営競技の記事は大阪版を使用している。なお、[[福井県]]は読売新聞と同様、大阪本社の管轄である。<br /> ;中部支社<br /> 中部支社が発行するスポーツ報知は印刷機械の関係で24ページしか印刷できず、競馬面、特集企画記事が多い日(土曜、日曜が多い)は芸能面、社会面が一部または全面掲載されない。だがそのためか、130円と安価で販売されている。(120円で売られている中日スポーツへの対抗でもある)。しかし、中部版は[[2008年]][[4月]]以降は[[愛知県]][[清須市]]に完成した読売新聞中部支社の新工場で印刷されることになり、日によってページ増も可能になった。<br /> ;大阪本社<br /> 独自の日替わり企画を掲載している関係上、しばしば芸能面が1ページに縮小される。その場合、2ページ分の内容を1ページに圧縮したものを大阪本社で製作し、広告欄無し(まれに設ける場合もある)で掲載される。また、[[2008年]][[7月]]からインターネットでの情報発信を始めた。関西地区の情報限定で扱っており、主に新聞紙面に掲載された記事を更新している。<br /> <br /> === テレビ番組欄 ===<br /> * 東京本社版([[首都圏 (日本)|首都圏]]向け)は2ページに分けて掲載されている(2011年10月現在)<br /> * 番組欄は基本カラー印刷ページとなっており(白黒印刷の日もある)、スポーツ中継番組の枠は水色の背景が付けられている(地上デジタルのみ)。また解説欄で「今日のオススメ」と紹介された番組は赤色の背景が付いている。<br /> ** 1ページ目上部に地上波デジタル(掲載順は[[日本放送協会|NHK]]([[NHK総合テレビジョン|総合]]⇒[[NHK教育テレビジョン|Eテレ]])⇒[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]⇒[[テレビ朝日]]⇒[[TBSテレビ]]⇒[[テレビ東京]]⇒[[フジテレビジョン|フジテレビ]])がフルサイズ、下部2段にBSデジタルがハーフサイズ(上段にNHK BS([[NHKBS1|1]]⇒[[NHKBSプレミアム|プレミアム]])⇒[[BS日本|BS日テレ]]⇒[[ビーエス朝日|BS朝日]]⇒[[BS-TBS]]⇒[[BSジャパン]]⇒[[BSフジ]]⇒[[スターチャンネル]]1、下段に[[WOWOW]](プライム⇒シネマ⇒ライブ)⇒[[日本BS放送|BS11]]⇒[[ワールド・ハイビジョン・チャンネル|Twellv]])、BS [[J SPORTS]]1・2・3・4、BS[[アニマックス]]がクォーターサイズでそれぞれ掲載され、右横に当日放送予定の8番組程度の解説記事が掲載され、最上部は当日の注目番組の解説記事として「今日のオススメ」が掲載されている。また2012年1月9日から各部の担当記者がリレー形式で執筆する「@海岸通り」というコラムが左下部に掲載されている。<br /> ** 2ページ目は芸能面又は社会面(日によっては競馬面の場合も有)の下部3段での掲載となり、1段目にCS各局([[日テレジータス]]⇒[[フジテレビワンツーネクスト|フジテレビ]]([[フジテレビONE|ONE]]⇒[[フジテレビTWO|TWO]]⇒[[フジテレビNEXT|NEXT]])⇒[[ゴルフネットワーク]]⇒[[GAORA]]⇒[[スカイ・A]])、2段目左部にUHF局([[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]]⇒[[テレビ埼玉|テレ玉]]⇒[[テレビ神奈川|tvk]]⇒[[千葉テレビ放送|チバテレビ]]⇒[[とちぎテレビ]]⇒[[群馬テレビ]])、右部にFM([[NHK-FM放送|NHK-FM]]⇒[[エフエム東京|TOKYO FM]]⇒[[横浜エフエム放送|FMヨコハマ]]⇒[[J-WAVE]])、3段目左部にAMラジオ局、右部にFMラジオ局([[エフエムナックファイブ|NACK5]]⇒[[ベイエフエム|bayfm]]⇒[[静岡エフエム放送|K-MIX]]⇒[[エフエム富士|FM富士]])がそれぞれクォーターサイズにて掲載。<br /> ** 静岡・山梨県版でも芸能面を1ページにして、芸能面の左側にはテレビ欄を掲載している。過去は2ページ掲載になっていた。<br /> * 大阪本社版(近畿圏向け)は2009年4月からレイアウトを大幅に変更。<br /> ** 最上段に注目番組の解説。その下段にNHK総合テレビと在阪キー局の番組表([[MBSテレビ]]、[[朝日放送テレビ|ABCテレビ]]、[[関西テレビ放送|関西テレビ]]、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]、[[テレビ大阪]])がフルサイズ。うち読売テレビは番組表の横に注目番組の広告あり。さらにその左に[[京都放送|京都テレビ]]と[[サンテレビジョン|サンテレビ]]の番組表がハーフサイズ。その下にNHK衛星2波、WOWOWプライム、J SPORTS(2009年3月までは各チャンネルの主要番組のみ抜粋だったが、4月より全チャンネル対応)、さらにその左にNHK Eテレと[[奈良テレビ放送|奈良テレビ]]、[[テレビ和歌山]]、[[びわ湖放送]]のそれぞれの番組表がクォーターサイズ。下段にはFM放送の番組表がハーフサイズと中波局がクォーターサイズでそれぞれ載っている。<br /> ** しかし、[[2011年]][[東日本大震災]]のため、[[3月12日]]発行分以後は暫定的に番組表と解説の位置を入れ替えて、以前と同じく上段が番組表、下段が解説という格好となった。<br /> ** 芸能面下段デジタル衛星放送各局(スターチャンネルは未収録)、日テレジータス、GAORA、スカイ・エーがクォーターサイズ。<br /> ** [[2011年]][[7月1日]]以後、デジタル完全移行などに伴い衛星各局の番組表を地上波と同じ頁にまとめ、ラジオの番組表は芸能面下段に入れ替えた。このとき[[和歌山放送]]の番組表掲載が構成上省略され、京阪神地域に特化したもの([[エフエム滋賀|e-Radio]]、[[関西インターメディア|FM COCOLO]]などは元から収録されていない)になった。<br /> ** [[2012年]][[4月1日]]から、基本は見開き形式とし、地上波のテレビ・ラジオを1ページにまとめ、大阪府にある広域放送のテレビ番組面の文字サイズを拡大、ラジオについてもAMを中心にしたものに見直し、[[FM802]]の掲載を中止、民放FMはFM大阪1局のみとなった。またNHKの2つのチャンネルを含むBS・一部CSは隣接頁(日によっては別頁)にまとめて掲載するようにした。<br /> ** [[1980年代]]まで、[[福井放送]]・[[福井テレビジョン放送]]の番組表(ハーフ)が掲載されたことがあった。<br /> * 中部版は読売新聞(中部支社版)と同じ局名カットのデザインを採用し、上段にNHK2波と[[広域放送|中京広域圏]]のテレビ番組表([[中京テレビ放送|中京テレビ]]、[[CBCテレビ]]、[[名古屋テレビ放送|メ~テレ]]、[[東海テレビ放送|東海テレビ]]、[[テレビ愛知]])がフルサイズ、テレビ愛知の右隣に[[三重テレビ放送|三重テレビ]]・[[岐阜放送|ぎふチャン]]はクオーターサイズ。さらにその下にNHKのBS放送2チャンネルがハーフサイズ、さらに在京民放系列のBS5局とWOWOWプライムがクオーター。テレビ欄の下段は原則としてラジオ欄になっており、上段は愛知県に属しているNHKの中波2局、CBC、東海、NHK-FM、@FM(FM愛知)、ZIP-FMをハーフサイズで、さらにその隣に[[BSスカパー!]]がクオーターサイズで掲載(その下段に4分の1サイズで番組表の略号を掲載)。下段には岐阜・三重県のラジオ放送(ぎふチャン、FM三重、FM岐阜)がハーフサイズと、[[Radio NEO]]がクォーター、残り4分の1が[[AFN]]東京、さらにその隣に広告を挟む形で、J SPORTSの4つを掲載している。なお紙面構成や印刷ページ数の都合により、その他のWOWOWのライブ・シネマ、および[[2007年]]以後に開局した独立系BS民放などを含めたBS・CS解説は非掲載。また一時期[[日経ラジオ社|ラジオNIKKEI]]も収録されていたが、現在は収録をやめている。<br /> * 九州版のスポーツ報知のラテ欄には3種類ある。まずは一部を除いてのスタンド売り用はページの3分の2がアダルトで残りの欄に、NHK4波とWOWOWプライム、福岡民放5波([[福岡放送]]、[[九州朝日放送]]、[[RKB毎日放送]]、[[テレビ西日本]]、[[TVQ九州放送]])の番組が掲載されている。また、「このページはスタンド即売用のページです。宅配用はテレビ欄に変わります」と言う旨のメッセージがある。一方宅配用(一部スタンド、福岡県東部・山口県・向け)はページの全面がラテ欄で通常サイズで、NHK2波と福岡民放5波、ハーフサイズでNHK衛星2波、WOWOWプライム、山口民放3波([[山口放送]]、[[テレビ山口]]、[[山口朝日放送]])、大分民放3波([[テレビ大分]]、[[大分放送]]、[[大分朝日放送]])、山陰民放3波([[日本海テレビジョン放送|日本海テレビ]]、[[山陰放送]]、[[山陰中央テレビジョン放送|山陰中央テレビ]])、[[広島テレビ放送|広島テレビ]]、NHK第1ラジオ、[[KBCラジオ]]、[[RKBラジオ]]が掲載されている。もう一方のラテ欄(福岡県西部と九州各県)はNHK総合と福岡民放5波が通常サイズ、その他の九州民放([[サガテレビ]]、[[鹿児島讀賣テレビ|鹿児島読売テレビ]]など)はハーフサイズで掲載され、ラジオ欄は割愛されている。元旦のスポーツ報知はどちらも宅配用で掲載される。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> &lt;references /&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[報知映画賞]]<br /> * [[報知プロスポーツ大賞]]<br /> * [[女流名人戦 (将棋)]]<br /> * [[読売ジャイアンツ]]<br /> * [[東京ドーム]]<br /> *大学スポーツ新聞コンテスト  各大学のスポーツ新聞の良さを競う。 優勝・準優勝・特別賞などの表彰がある。 <br /> * [[競馬展望]]([[京都放送|KBS京都テレビ]] 2010年4月-2014年3月まで、土曜日にスポーツ報知協賛で放送していた)<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.hochi.co.jp/ スポーツ報知]<br /> * [http://cinemahochi.yomiuri.co.jp/ Cinem@Hochi-シネマ報知-]<br /> * [http://giants.jorf.co.jp/ 「ジャイアンツ&amp;スポーツポッドキャスト」]([[アール・エフ・ラジオ日本]]との共同企画。スポーツ報知のコラム・エッセー記事を一部RFのアナウンサーが朗読)<br /> <br /> {{スポーツ新聞}}<br /> {{読売新聞グループ本社}}<br /> {{デフォルトソート:すほおつほうち}}<br /> [[Category:スポーツ新聞]]<br /> [[Category:東京都のマスメディア]]<br /> [[Category:大阪府のマスメディア]]<br /> [[Category:愛知県のマスメディア]]<br /> [[Category:福岡県のマスメディア]]<br /> [[Category:報知新聞社]]<br /> [[Category:読売ジャイアンツ]]<br /> [[Category:箱根駅伝]]</div> 218.47.98.145 中日スポーツ 2018-07-18T17:08:20Z <p>218.47.98.145: /* 番組表 */</p> <hr /> <div>{{混同|東京中日スポーツ}}<br /> {{基礎情報 新聞<br /> | 名称 = 中日スポーツ<br /> | 画像 = [[ファイル:Chunichi Shimbun Headquarters.jpg|250px]]<br /> | 説明 = 中日スポーツ発行元の中日新聞本社<br /> | タイプ = 日刊紙<br /> | サイズ = [[ブランケット判]]<br /> | 事業者 = 株式会社[[中日新聞社]]中日スポーツ総局<br /> | 本社 = 〒460-8511[[愛知県]][[名古屋市]][[中区 (名古屋市)|中区]]三の丸一丁目6番1号<br /> | 代表者 = [[小出宣昭]]<br /> | 編集者 = <br /> | 創刊 = [[1950年]][[3月17日]]<br /> | 廃刊 = <br /> | 前身 = 中日ウィークリー<br /> | 1部 = 120円<br /> | 月極 = 2,726円<br /> | 言語 = 日本語<br /> | 発行数 = <br /> | 公式サイト = http://www.chunichi.co.jp/chuspo/<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;中日スポーツ&#039;&#039;&#039;(ちゅうにちスポーツ)は、[[中日新聞社]]発行の[[日本]]の東海・北陸地方を主な販売地域とする日刊[[スポーツ新聞]]である。[[1954年]](昭和29年)[[2月25日]]創刊。略称&#039;&#039;&#039;中スポ&#039;&#039;&#039;(ちゅうスポ)&lt;ref&gt;[[東京スポーツ|東京スポーツ新聞社]]が東海地区で発行する「[[中京スポーツ]]」は略称は「中スポ」ではなく「中京スポ」である。&lt;/ref&gt;。発行部数は45万853部(2013年7-12月、ABCレポート)。<br /> <br /> == 概略 ==<br /> === 歴史 ===<br /> * 当時、中部日本新聞(現:中日新聞)では、プロ野球関係の記事については「中日ウィークリー」〔[[1948年]](昭和23年)[[9月3日]]・発刊〕で掲載していたが、プロ野球が[[セントラル・リーグ|セ]]・[[パシフィック・リーグ|パ]]による2リーグ制に移行したのを機に、[[1950年]](昭和25年)[[3月17日]]に週刊紙([[タブロイド|タブロイド紙]]。8ページ。10円)として独立した。1面を写真で見せたほか、プロ野球の戦評・サイドニュース、[[競輪]]や[[競馬]]記事なども独立させ、その当時中部地区へ進出を狙っていた東西の各スポーツ紙の出ばなをくじく事になった。<br /> :[[1953年]](昭和28年)から日刊紙へ移行する計画が練られていたが、広告スポンサーが集まらず、最後まで日刊紙計画を阻んでいた。しかし当時の[[三晃社]]社長の松波金弥が広告を全て買い切ったことが、日刊紙への足がかりとなった&lt;ref&gt;中日新聞三十年史・発行当時の鈴木副社長(日刊紙計画当時は編集局長)談より。&lt;/ref&gt;。<br /> * [[1954年]](昭和29年)[[2月1日]]、当時の旧社屋にあった編集局の西側に「&#039;&#039;&#039;中日スポーツ編集部&#039;&#039;&#039;」が12人体制で発足、全国の日刊スポーツ紙では6番目の「中日スポーツ」が誕生した。ページ数も4ページ(中日スポーツとしての創刊年月日より)→6ページ〔[[1958年]](昭和33年)[[4月1日]]〜〕→8ページ〔[[1962年]](昭和37年)4月1日〜〕と年を追うごとに増やしていく。<br /> * 1962年[[10月1日]]、新聞業界初の事業部制実施を機に、編集局の「中日スポーツ&#039;&#039;&#039;編集部&#039;&#039;&#039;」→現在の「中日スポーツ&#039;&#039;&#039;総局&#039;&#039;&#039;」へ昇格し、同日より読者の要望に応える紙面刷新を行う。<br /> :[[1964年]](昭和39年)4月1日からは10ページに増やす。<br /> * [[1966年]](昭和41年)[[11月3日]]に[[東京競馬場]]で開催された[[天皇賞#天皇賞(秋)|第54回天皇賞(秋)]]を前に、東京中日新聞(現・[[東京中日スポーツ]])と共同で[[HITAC|HITAC(日立製)]]3010電子データ選別装置による出走馬11頭の戦力分析を行い、「&#039;&#039;&#039;中日が初めてギャンブルにコンピュータを使用した&#039;&#039;&#039;」と[[週刊誌]]で話題になる&lt;ref&gt;中日新聞三十年史〔[[1972年]](昭和47年)12月1日・発行〕より&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 販売エリア ===<br /> [[東海地方]]([[愛知県]]、[[岐阜県]]、[[三重県]]、[[静岡県]])、[[北陸地方]]([[富山県]]、[[石川県]]、[[福井県]])の全域だが、[[滋賀県]]、[[長野県]]の一部地域も販売エリアである。<br /> <br /> * 東海地方向けの紙面は、名古屋本部が制作・印刷・発行を担当する。<br /> * [[大阪市]]の南部や[[神戸市]]の都心部の一部地域&lt;ref&gt;[[三宮駅|阪神三宮駅]]や[[高速神戸駅]]の駅売店など&lt;/ref&gt;、中日新聞大阪支社&lt;ref&gt;[[堂島]][[紀陽銀行]]ビル内&lt;休日は除く&gt;&lt;/ref&gt;では、[[キヨスク]]を含む[[鉄道駅|駅]][[売店]]・[[コンビニエンスストア|コンビニ]]、スタンド売り店舗において、最終版(5版)を発売している&lt;ref&gt;名古屋市内・近郊向けの紙面。かつては早版〔3版〕を発売していた。&lt;/ref&gt;。<br /> * 北陸地方と[[滋賀県]]向けの紙面(「福井・滋賀版」)は、[[金沢市]]の[[中日新聞北陸本社|北陸本社]]が印刷・発行を担当するものの、発行元クレジットは名古屋本部のものが使われている。ただ[[1980年代]]、北陸本社版の題字の下に「&#039;&#039;&#039;金沢印刷版&#039;&#039;&#039;」と記載されていた時期があった&lt;ref&gt;[http://mitearuki.sakura.ne.jp/sinbun-kuradasi/daiji/sports-daiji/sports3/chusupo-kana1980-daiji.jpg 参考写真・1980年8月10日付]&lt;/ref&gt;。<br /> *なお富山・石川向けは2017年10月からの予定で、石川県における競合地方紙となる[[北國新聞社]]の系列である「[[ショセキ]]」の工場にて委託印刷を行う&lt;ref&gt;[http://www.chunichi.co.jp/s/article/2016072890193711.html 北陸中日の一部、北国新聞で印刷 来秋目標に委託]&lt;/ref&gt;。<br /> * [[京都府]]では、[[京都市]]内の[[キヨスク]]を含む[[鉄道駅|駅]][[売店]]・[[コンビニエンスストア|コンビニ]]において、福井・滋賀版&lt;ref&gt;北陸本社発行で、[[番組表|テレビ・ラジオ欄]]のみ差し替え。&lt;/ref&gt;を販売している。かつては京都市内の駅売店に限って、名古屋版を販売していた。<br /> * [[静岡県]]では、西部は中日スポーツのみの扱いで、中部・東部・伊豆の大部分で[[中日新聞東京本社]]発行の[[東京中日スポーツ]]との併売扱いになる&lt;ref&gt;ただし、伊豆の一部地域では東京中日スポーツのみ。&lt;/ref&gt;。中日スポーツ・東京中日スポーツの双方とも、宅配のほか、[[キヨスク]]や[[コンビニエンスストア|コンビニ]]での即売を行っている。なお、静岡県向けの中日スポーツは[[浜松市]]の[[中日新聞東海本社|東海本社]]が印刷・発行を担当している。<br /> * 販売エリア以外に居住している場合(東京中日スポーツの販売エリアに居住している場合も含む)に限り、[[郵送]]よる購読が可能。反対に東京中日スポーツの郵送による購読は東京中日スポーツの販売エリア以外に居住している場合(中日スポーツの販売エリアに居住している場合も含む)に限り可能。いずれの場合も送料が加算される。<br /> <br /> === 紙面構成 ===<br /> 1面トップ及び2〜3面は、ほぼ毎日のように子会社である[[中日ドラゴンズ]]の記事を中心に掲載している&lt;ref&gt;[[スポーツ報知]]が[[読売ジャイアンツ]]をトップに採り上げるのと同じ&lt;/ref&gt;。勝利した翌日はもちろん、敗戦・引分けした翌日も、試合がなかった翌日も、そして[[ストーブリーグ|シーズンオフ]]の時期も、他ジャンルで重大な話題が出てこない限り原則&#039;&#039;&#039;ドラゴンズ一面&#039;&#039;&#039;にこだわる。このため、東海地方を中心とする多くのドラゴンズファンが愛読している。1993年からは[[倉橋寛]]による[[おれたちゃドラゴンズ]]を掲載している&lt;ref&gt;エピソードなど詳細は倉橋のページを参照のこと。関連本も販売されている。&lt;/ref&gt;。<br /> [[サッカー]]では中日新聞社が出資参加している[[名古屋グランパスエイト]]を中心にした記事が多いが、他に販売エリア内に本拠地を置く[[ジュビロ磐田]]や[[FC岐阜]]関連の記事も掲載される。[[バスケットボール]]では[[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ|JPBL]]に所属する[[名古屋ダイヤモンドドルフィンズ]]、[[シーホース三河]]及び[[豊田通商ファイティングイーグルス名古屋]]、[[ジャパン・バスケットボールリーグ|B3.LEAGUE]]に所属する[[豊田合成スコーピオンズ]]、[[アイシン・エィ・ダブリュ アレイオンズ安城]](全て愛知県内が本拠地)、及び[[バスケットボール女子日本リーグ機構|Wリーグ]]の[[トヨタ自動車アンテロープス]]、[[アイシン・エィ・ダブリュ ウィングス]]、さらに[[デンソーアイリス]](全て愛知県内が本拠地)の記事は掲載されるが、同様に販売エリア内に本拠地を置く[[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ|JPBL]]の[[三遠ネオフェニックス|浜松・東三河→三遠ネオ・フェニックス]]関連の記事は、[[2010年]]初頭までは掲載されなかった。<br /> <br /> 「販売エリアである中部地方出身のスポーツ選手・チームを応援する」というスタンスの記事作りが心がけられており、[[高橋尚子]](岐阜出身、中日新聞[[客員]])を広告キャラクターに用いたり&lt;ref&gt;ちなみに高橋が[[シドニーオリンピック]][[女子マラソン]]で金メダルを獲得した翌日の中日スポーツは、1面から7面まで高橋の記事で埋まり、同日にセ・リーグ優勝を決めた[[読売ジャイアンツ]]に関する記事は9面下方にモノクロ写真付の2行記事で掲載されただけ(中日ドラゴンズに勝利して優勝を決定したという要因も大きい)であった。&lt;/ref&gt;、[[イチロー]](愛知出身)や[[松井秀喜]](石川出身)(メジャーリーグ進出後ではあるが)、[[マラソン]]の[[野口みずき]](三重出身)やいずれも[[フィギュアスケート]]の[[中野友加里]]、[[安藤美姫]]、[[浅田舞]]・[[浅田真央|真央]]姉妹(全員愛知出身)といったアスリートの応援記事を書いている。<br /> <br /> 2005年秋以降、地元志向を一層強烈に打ち出すようになり、同年11月15日付では自社主催事業ながら軟式野球大会の結果を一面トップとした。<br /> <br /> 中央競馬面については従来、中京従場開催(主に3月・12月)以外の西日本主場及び中京従場開催の全レースとそれ以外の特別・最終レースの馬柱を掲載していたが、2012年6月30日付からは、開催場全レース(最大36レース)の馬柱を掲載を開始した。紙面構成上の都合で、他の大手スポーツ紙では主流の「レース面のみ抜き取り」がほとんど不可能で、メインレースにおいてもカラー化されていない。なお、2015年10月31日付以降のG1ウィークの土・日限定で中央競馬面を[[二部紙|別刷り]]([[日刊スポーツ西日本|日刊スポーツの西日本エリア]]と同様)にし、紙面内容を充実して届けている。但し、本紙(スポーツ・中央競馬以外の公営競技・テレビ面・芸能など)と区分けするために、別刷りのページ数を数字の「1・2・3…」ではなく[[アルファベット]]の「A・B・C…」に代えてある。&lt;ref&gt;2015年10月25日 お知らせ[http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/release/CK2015102502000220.html]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 芸能面では[[ジャニーズ事務所]]関連の記事が多く、モータースポーツをテーマとした[[近藤真彦]]、[[長野博]]、[[堂本光一]]の連載コラムも掲載されている。<br /> <br /> 以前は最終面を[[テレビ欄]]に当てたが、2003年春以降は最終面の前の見開き2ページで掲載しており、右面に当該地域のテレビ欄を([[テレビドラマ|ドラマ]]・[[映画]]の番組欄には2行の解説記事を掲載)、また左面にはテレビ番組の解説とラジオ、BSデジタル、衛星放送(J SPORTS)の番組を掲載しており、最終面はニュース面([[ダブル1面]] 主として芸能関連)としていた。しかし2008年3月下旬に行われた紙面刷新で、最終面を再びテレビ欄に戻し(休刊日前日は全面広告となり、中面2面分に2日分のテレビ欄を掲載)&lt;ref&gt;大きなスポーツイベントや重大な事件・事故を報じる場合など、不定期でダブル1面にする場合もある。&lt;/ref&gt;、テレビ解説とBS等は最終面の前の芸能面と新設の特報面よりさらに手前の頁に掲載されるようになった。[[日刊スポーツ]]の大阪・名古屋・西部版も最終面はテレビ欄が掲載されていたが、日刊が2011年4月の紙面刷新で最終面がダブル1面になったため、中日スポーツが日本のスポーツ紙で唯一、最終面は一般紙と同様にテレビ欄である。<br /> <br /> 主に2面に掲載される「きょうのプロ野球」の欄には当日の対戦カード、予告先発に加え、カードごとに東海地方で視聴可能なTV(BS・CS含む)、ラジオの局名、放送開始時刻(中日戦の場合は解説者)も表記される。<br /> <br /> 他紙があまり扱うことのなかった[[モータースポーツ]]関連の記事を、F1ブームが起こる前より掲載している(姉妹紙『東京中日スポーツ』も同様)。前述の2008年3月の紙面刷新で、『東京中日スポーツ』に掲載している「F1 EXPRESS」([[2009年]]3月より「MOTOR EXPRESS」に改題)面が、本紙においてもほぼ同じ内容で掲載されるようになった(以前は独自編集の記事だった)。<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;家庭で安心して読めるスポーツ新聞&#039;&#039;&#039;を基本理念にしているため、風俗店などの広告は掲載しているものの、駅売り版・宅配版ともアダルト面は設けていない(この事もあり、創刊当初からスポーツ紙でありながら、宅配件数は全国でも有数)。<br /> <br /> 創刊以来、題字ロゴの形式を一度も変えていない。他紙が題字をやや左に寄せて、右端に1頁の大見出しを出しているが、中スポの場合、創刊当初から1990年代序盤までは1頁上段右端に題字を載せ、左側に広告や主要記事目次(3項目程度)を載せて、その下に1面大見出しを掲載していた。その後、他紙同様題字をやや左にずらし、右端上段から大見出しを出すようになっていった。<br /> <br /> 現在は『中スポ』(赤地白文字で120円と記してある)を1頁右端に出し、『中日スポーツ』は左端に小さく出ている([[東京中日スポーツ]]&lt;東京本社&gt;もほぼ同じようなデザイン形態である)。目次は「中スポ」の文字の下に入れている。また現在の小サイズの題字になる前まで(概ね[[2000年代]]前半まで)は「中日スポーツ」の上に「ス」を挟む形で白抜き文字「&#039;&#039;&#039;THE CHUNICHI SPORTS&#039;&#039;&#039;」を入れていた。<br /> <br /> === 姉妹紙・関連紙 ===<br /> * [[東京中日スポーツ]]([[中日新聞東京本社]]発行) - [[関東地方]]([[茨城県]]、[[栃木県]]、[[群馬県]]、[[埼玉県]]、[[千葉県]]、[[東京都]]、[[神奈川県]]、西部を除く[[静岡県]]。以前は名古屋でも一部駅売店などで販売されていた)<br /> : 中日スポーツの紙面には、「&#039;&#039;&#039;東京へ行ったら 東京中日スポーツ&#039;&#039;&#039;」という小さな広告が載っており、逆に東京中日スポーツの紙面には「&#039;&#039;&#039;名古屋へ行ったら 中日スポーツ&#039;&#039;&#039;」という同様の広告が載っている(どちらも記事などの都合でこの広告が載らない日もある)。<br /> * [[中日新聞]](中日新聞社本部発行)・[[北陸中日新聞]]・[[日刊県民福井]](以上[[中日新聞北陸本社]]発行)・[[東京新聞]]([[中日新聞東京本社]]発行) - 販売エリアなど詳細は関連項目を参照。中日新聞のスポーツ面に関しては、運動部が担当していることもあり、中スポの一部解説者が論評を行う程度で、特に交流などはない。<br /> * [[西日本スポーツ]]([[西日本新聞社]]発行) - 基から芸能・社会と一般スポーツ(九州地方関係は除く)の記事については中スポ、トーチュウからの記事提供を受けているが、[[2013年]][[4月2日]]より中央競馬面の記事も中スポからの提供を受けて掲載している(同[[4月1日]]までは[[サンケイスポーツ]](大阪本社版)からの提供だった)。<br /> * この他、[[デイリースポーツ]]([[神戸新聞社]]発行)とも連携し、中スポ・トーチュウ・西スポ・デイリーの4紙では共同で特別企画や「アタック4」と称した読者プレゼント企画を年に数回実施している。<br /> <br /> == 番組表 ==<br /> 放送局末尾の数字は[[リモコンキーID]]。<br /> === 最終面 ===<br /> *2011年10月のBSデジタル放送のチャンネル追加に伴い、これまで中面に4分の1サイズで掲載していた民放BS局の内、主要6局が最終面に移動し、ハーフサイズに拡大された。<br /> ; 広域(愛知・岐阜・三重)<br /> * フルサイズ - [[NHK総合テレビジョン|NHK総合]] 3([[NHK名古屋放送局]])、[[CBCテレビ]] 5、[[東海テレビ放送|東海テレビ]] 1、[[テレビ愛知]] 10、[[名古屋テレビ放送|メ〜テレ]] 6、[[中京テレビ放送|中京テレビ]] 4<br /> * ハーフサイズ - [[三重テレビ放送|三重MTV]] 7、[[岐阜放送|ぎふチャン]] 8、[[NHK教育テレビジョン|NHK Eテレ]] 2、[[NHK BS1]] BS1、[[NHK BSプレミアム]] BS3、[[BS日本|BS日テレ]] BS4、[[ビーエス朝日|BS朝日]] BS5、[[BS-TBS]] BS6、[[BSジャパン]] BS7、[[BSフジ]] BS8、[[WOWOW]]プライム BS9<br /> <br /> ; 長野 <br /> * フルサイズ - NHK総合 1([[NHK長野放送局]])、NHK Eテレ 2、[[長野放送]] 8、[[信越放送]] 6、[[テレビ信州]] 4、[[長野朝日放送]]5<br /> * ハーフサイズ - NHK BS1、NHK BSプレミアム、WOWOWプライム<br /> * 3分の1サイズ - [[CBCテレビ]]、[[東海テレビ放送|東海テレビ]]、BS日テレ、BS朝日、BS-TBS、BSジャパン、BSフジ<br /> * 4分の1サイズ - [[テレビ愛知]]、[[名古屋テレビ放送|メ〜テレ]]、[[中京テレビ放送|中京テレビ]]<br /> <br /> ; 静岡<br /> * フルサイズ - NHK総合 1([[NHK静岡放送局]])、NHK Eテレ 2、[[テレビ静岡]] 8、[[静岡朝日テレビ|あさひテレビ]] 5、[[静岡放送|SBS静岡放送]] 6、[[静岡第一テレビ|Daiichi-TV]] 4<br /> * 3分の1サイズ - [[CBCテレビ]]、[[東海テレビ放送|東海テレビ]]、[[テレビ愛知]]<br /> * 4分の1サイズ - [[名古屋テレビ放送|メ〜テレ]]、[[中京テレビ放送|中京テレビ]]<br /> :BSのサイズ・配置は不明。<br /> <br /> ; 北陸(石川・富山)<br /> * フルサイズ - NHK総合 石川1・富山3([[NHK金沢放送局]]・[[NHK富山放送局]])、[[石川テレビ放送|石川テレビ]] 8、[[北陸放送|MROテレビ]] 6、[[北陸朝日放送|HAB]] 5、[[テレビ金沢]] 4、[[富山テレビ放送|BBTテレビ]] 8<br /> * ハーフサイズ - [[北日本放送|KNBテレビ]] 1、[[チューリップテレビ|チューリップ]] 6、NHK Eテレ、NHK BS1、NHK BSプレミアム、BS日テレ、BS朝日、BS-TBS、BSジャパン、BSフジ、WOWOWプライム<br /> <br /> ; 福滋(福井・滋賀)<br /> * フルサイズ - NHK総合 1([[NHK福井放送局]])、NHK Eテレ 2、[[福井テレビジョン放送|福井テレビ]] 8、[[福井放送|FBCテレビ]] 7、[[MBSテレビ]] 4、[[関西テレビ放送|カンテレ]] 8<br /> * ハーフサイズ - [[讀賣テレビ放送|読売テレビ]] 10、NHK BS1、NHK BSプレミアム、BS日テレ、BS朝日、BS-TBS、BSジャパン、BSフジ、WOWOWプライム<br /> * 3分の1サイズ - [[朝日放送テレビ|ABCテレビ]] 6、[[びわ湖放送]] 3、[[京都放送|京都テレビ]] 5<br /> <br /> === 中面 ===<br /> * 番組解説、[[ラジオ]](AMおよびFM)およびBSの番組表を掲載。なお、ラジオ以外は各地域共通サイズ。<br /> * 番組解説においては、番組名・名古屋での放送局・時間を書いた後に[[東京都|東京]]・[[静岡県|静岡]]・[[長野県|長野]]・[[大阪府|大阪]]・[[石川県|石川]]・[[富山県|富山]]・[[福井県|福井]]の順でネット局を掲載している。<br /> ただし、テレビ愛知で放送される[[TXN|テレビ東京系列]]の番組で、[[テレビ大阪]]・[[びわ湖放送]]([[独立UHF放送局]])で放映される場合でも、「テレビ大阪」「びわ湖放送」の表示はない。また、テレビ東京の番組であっても、ぎふチャン、三重テレビで放送される場合は掲載される。<br /> <br /> * 局名表記で明記する場合は次の通り。&#039;&#039;&#039;太字&#039;&#039;&#039;は名古屋地区での放送局。<br /> ** [[Japan News Network|TBS系列]] - &#039;&#039;&#039;CBC&#039;&#039;&#039;、ネット=[[TBSテレビ|TBS]]、[[静岡放送|SBS]]、[[信越放送|信越]]、[[MBSテレビ|MBS]]、[[北陸放送|MRO]]、[[チューリップテレビ|チューリップ]]<br /> ** [[フジネットワーク|フジテレビ系列]] - &#039;&#039;&#039;東海&#039;&#039;&#039;、ネット=[[フジテレビジョン|フジ]]、[[テレビ静岡]]、[[長野放送|長野]]、[[関西テレビ放送|カンテレ]]、[[石川テレビ放送|石川]]、[[富山テレビ放送|BBT]]、[[福井テレビジョン放送|福井]]<br /> ** [[TXN|テレビ東京系列]] - &#039;&#039;&#039;テレビ愛知&#039;&#039;&#039;、ネット=[[テレビ東京]]、[[岐阜放送|ぎふ]]、[[三重テレビ放送|三重]]<br /> ** [[All-nippon News Network|テレビ朝日系列]] - &#039;&#039;&#039;メ〜テレ&#039;&#039;&#039;、ネット=[[テレビ朝日]]、[[静岡朝日テレビ|あさひテレビ]]、[[長野朝日放送|長野朝日]]、[[朝日放送テレビ|ABC]]、[[北陸朝日放送|HAB]]<br /> ** [[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列]] - &#039;&#039;&#039;中京&#039;&#039;&#039;、ネット=[[日本テレビ放送網|日本]]、[[静岡第一テレビ|静岡第一]]、[[テレビ信州|信州]]、[[讀賣テレビ放送|読売]]、[[テレビ金沢|金沢]]、[[北日本放送|KNB]]、[[福井放送|FBC]]<br /> * [[静岡県]]の放送局表記については[[静岡朝日テレビ]]は[[2005年]][[3月]]に「あさひテレビ」、[[静岡第一テレビ]]は[[2008年]][[12月26日]]に「だいいち」と変更しているが、[[2016年]][[1月1日]]に同局の呼称が「Daiichi-TV」に変更されてからも引き続き「だいいち」のままであったが、2016年10月から「静岡第一」の表記に戻された。なお、テレビ静岡は「テレしず」という愛称を使用せず、そのまま表記している。<br /> * 福井・滋賀版に掲載されている[[MBSテレビ]]は、[[2011年]][[7月23日]]まで「毎日テレビ」と表記されていた。また福井・滋賀版では[[2015年]][[3月30日]]に[[関西テレビ放送]]の表記が「関西テレビ」から「カンテレ」に変更された。<br /> * 広域(愛知・岐阜・三重)版に掲載されている放送局表記は、[[2014年]][[3月31日]]まで「CBC中日」「東海THK」「中京CTV」と表記されていたのが翌日([[4月1日]])から「CBCテレビ」「東海テレビ」「中京テレビ」の表記に変更された。<br /> * TBS系列については、チューリップの次に福井県の局が実在してないため、福井県ではCATV加入者の多い前述のMROなどを入れている。<br /> <br /> ==== BS ====<br /> * 4分の1サイズ - WOWOWライブ BS9、WOWOWシネマ BS9、[[スター・チャンネル|スターチャンネル1]] BS10、[[日本BS放送|BS11]] BS11、[[ワールド・ハイビジョン・チャンネル|TwellV]] BS12、[[BSスカパー!]]、[[ブロードキャスト・サテライト・ディズニー|Dlife]]、[[釣りビジョン]]、[[J SPORTS]](J sports 1、J sports 2、J sports 3、J sports 4)<br /> <br /> ==== ラジオ ====<br /> ; 広域<br /> * 3分の1サイズ - [[NHKラジオ第1放送|CK NHKラジオ(第1)]]([[NHKラジオ第2放送|NHKラジオ第2]]は未収録)、[[CBCラジオ|中日CBCラジオ]]、[[東海ラジオ放送|SF東海ラジオ]]&lt;ref&gt;左にAMとFMを区切るように東海ラジオの広告枠(プロ野球シーズン中[[東海ラジオ ガッツナイター]]の中継カードの紹介。不定期で尾張温泉や下呂温泉湯元館の広告も掲載される)がある。&lt;/ref&gt;、[[NHK-FM放送|NHK-FM]]、[[エフエム愛知|@FM]]、[[ZIP-FM]]、[[エフエム岐阜|FM GIFU]]、[[三重エフエム放送|FM三重]]<br /> * 小サイズ - [[日経ラジオ社|ラジオNIKKEI]]<br /> * 極小サイズ - [[岐阜放送ラジオ局|ぎふチャン]] <br /> <br /> ; 長野 <br /> * 3分の1サイズ - [[NHK-FM放送|NHK-FM]]、[[NHKラジオ第1放送|NHKラジオ第1]]、[[FM長野]]、[[信越放送|信越SBC]]、[[CBCラジオ]]、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]<br /> * 4分の1サイズ - NHKラジオ第2<br /> * 極小サイズ - ラジオNIKKEI<br /> <br /> ; 静岡<br /> * 3分の1サイズ - [[NHK-FM放送|NHK-FM]]、[[静岡エフエム放送|K-MIX]]、[[エフエム愛知|@FM]]、[[静岡放送|SBSラジオ]]、[[NHKラジオ第1放送|NHKラジオ第1]]、[[CBCラジオ]]、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]<br /> * 4分の1サイズ - NHKラジオ第2<br /> * 極小サイズ - ラジオNIKKEI<br /> <br /> ; 北陸<br /> * 3分の1サイズ - NHKラジオ第1、[[北陸放送#ラジオ|MROラジオ]]、[[北日本放送#ラジオ|KNBラジオ]]、NHK-FM、[[エフエム石川|FM石川]]、[[富山エフエム放送|FMとやま]]<br /> * 4分の1サイズ - NHKラジオ第2<br /> * 極小サイズ - ラジオNIKKEI<br /> <br /> ; 福滋<br /> * 3分の1サイズ - NHKラジオ第1、[[KBS滋賀|滋賀KBS]]、[[福井放送#FBCラジオ|福井FBCラジオ]]、NHK-FM、[[福井エフエム放送|FM福井]]、[[エフエム滋賀|e-radio]]<br /> * 4分の1サイズ - NHKラジオ第2<br /> * 極小サイズ - ラジオNIKKEI<br /> <br /> == 競技別解説者 ==<br /> <br /> === 野球解説者(現在) ===<br /> :一部を除き、系列の[[東京中日スポーツ]]の評論家を兼任しているので、便宜上名古屋本部・東京本社ごとに分けて記載する<br /> ====名古屋本部担当====<br /> * [[木俣達彦]](1990年〜1994年、1996年〜) <br /> * [[井上弘昭]](1995年〜) <br /> * [[川又米利]](1998年〜2001年、2005年〜2011年、2014年〜) <br /> * [[小松辰雄]](1998年〜2017年、2018年〜)<br /> * [[彦野利勝]](1999年〜2011年、2014年〜) <br /> * [[今中慎二]](2002年〜2011年、2014年〜)<br /> * [[立浪和義]](2010年〜)<br /> * [[井上一樹]](2014年〜)<br /> * [[川上憲伸]](2016年〜)<br /> <br /> ====東京本社担当====<br /> * [[黒江透修]](1997年、2003年〜2007年、2009年〜)<br /> * [[谷沢健一]](1996年〜) <br /> * [[大島康徳]](1995年〜1999年、2003年〜、MLBも担当)<br /> <br /> === サッカー解説者(現在) ===<br /> * [[中西哲生]]([[東京中日スポーツ]]兼任)<br /> * [[望月重良]](コラム「Jファイル」を執筆している)<br /> * [[藤川久孝]](元名古屋選手、現・[[愛知東邦大学]]サッカー部監督)<br /> * [[西ヶ谷隆之]](元名古屋選手、現・[[中京大学体育会サッカー部]]監督)<br /> * [[沢入重雄]](元名古屋選手、現・中京大学体育会サッカー部チームディレクター)<br /> * [[平野孝]](元名古屋選手)<br /> * [[米山篤志]](元名古屋選手・現・[[東京23フットボールクラブ]]監督)<br /> <br /> === 競馬解説者(競馬担当記者) ===<br /> * [[落合成年]]([[CTV中央競馬実況中継]]解説者)<br /> * [[草野武志]]([[KEIBA BEAT]]・中京編解説者、[[グリーンチャンネル]]パドック〔中京開催分〕解説者)<br /> * [[山田数夫]](KEIBA BEAT・中京編解説者、グリーンチャンネルパドック〔中京開催分〕解説者)<br /> * [[大野英樹]](KEIBA BEAT・中京編解説者、グリーンチャンネルパドック〔中京開催分〕解説者)<br /> * [[黒柳勝博]](KEIBA BEAT・中京編解説者、グリーンチャンネルパドック〔中京開催分〕解説者)<br /> * [[若原隆宏]](獣医師でもあり、アカデミックな切り口のコラム「競馬は科学だ」(毎週金曜)、「馬券は科学だ」(開催日の予想)を連載中。グリーンチャンネルパドック〔関西主場開催分〕解説者、トラックマンTV出演&lt;ref&gt;グリーンチャンネル出演時は当初[[役作り]]として白衣姿で登場していた。&lt;/ref&gt;)<br /> <br /> === その他競技解説者 ===<br /> * [[山崎照朝]]([[格闘技]][[評論家]]、[[東京中日スポーツ]]兼任、本紙ではコラムを掲載)<br /> * [[北勝海信芳|八角信芳]]([[大相撲]]。東京中日スポーツ兼任。本紙ではコラムを掲載)<br /> <br /> == コラム ==<br /> === セブンデイズ ===<br /> 2008年3月までは「&#039;&#039;&#039;セブンアイ&#039;&#039;&#039;」のタイトルで連載されていた。毎日日替わりで各界の著名人によって執筆されている。東京中日スポーツでも連載されている。<br /> ====現在の執筆者====<br /> * [[増島みどり]](スポーツジャーナリスト)<br /> * [[高田実彦]](スポーツジャーナリスト、元中日スポーツ記者・編集委員)<br /> * [[ねじめ正一]](作家)<br /> * [[安部龍太郎]](作家)<br /> * [[湯浅景元]]([[中京大学]]教授)<br /> * [[米長邦雄]]([[棋士 (将棋)|棋士]])<br /> * [[三遊亭円丈]](落語家)<br /> ====過去の執筆者====<br /> * [[落合恵子]]<br /> * [[神谷不二]]<br /> * [[海老沢泰久]]<br /> * [[鈴木明]]<br /> * [[佐藤直子]]<br /> <br /> === 私は見た! ===<br /> 作家・[[高橋治]]の[[大相撲]]に関するコラム。1990年から2012年まで大相撲の本場所開催中は毎日掲載された。東京中日スポーツでも同様に本場所開催中に毎日掲載。<br /> <br /> == 広告 ==<br /> === CMについて ===<br /> * 東海地方でシェアが多いことなどから、[[中日新聞]]同様に頻繁にCMは放送されていない。<br /> * 過去には、地元民放ラジオ局の[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]・[[CBCラジオ]]、[[エフエム愛知|FM愛知]]でラジオCMが放送されていたが、現在は放送されていない。<br /> * 現在放映されているTVCMに関しては、数種類のCMの内容は10年近く変っていないほか、過去に中日ドラゴンズに在籍していた[[福留孝介]]が[[ナゴヤドーム]]で放ったサヨナラホームランの紙面を使用しているCMもあった。また競馬で[[1979年]]の[[東京優駿|日本ダービー]]([[カツラノハイセイコ]]が優勝)の写真を用いたCMも長年に渡って使用していた。<br /> <br /> ; 提供番組<br /> * [[うまDOKI]] - [[京都放送|KBS京都]]制作。ネット局の[[三重テレビ放送]]のみ<br /> <br /> ;取材協力・協賛<br /> *[[中日新聞ニュース|中日スポーツニュース]]([[三重テレビ放送]] 毎晩22時台(平日は[[三重テレビ ワイドニュース]]第2部)、平日23時台のミニスポーツニュース)<br /> <br /> === 広告その他 ===<br /> * [[ナゴヤドーム]] - 天井に近い部分にある、広告ポイント(ナゴヤドームをほぼ1周している部分)<br /> <br /> == 発行所 ==<br /> * [[郵便番号]]460-8511 名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]三の丸一丁目6番1号 中日新聞名古屋本社内<br /> <br /> === 印刷拠点 ===<br /> * [[名古屋市|名古屋]](三の丸・金城・辻町)、[[豊田市|豊田]]、[[岐阜市|岐阜]]、[[中津川市|中津川]]、[[浜松市|浜松]]、[[金沢市|金沢]]<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[中日新聞ニュース]]<br /> * [[増田俊也]] - 報道部記者。ノンフィクション作家でもあり、2011年度[[大宅壮一ノンフィクション賞]]を受賞している。<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.chunichi.co.jp/chuspo/ 中日スポーツ・東京中日スポーツ CHUNICHI Web]<br /> <br /> {{中日新聞社}}<br /> {{スポーツ新聞}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:ちゆうにちすほつ}}<br /> [[Category:スポーツ新聞]]<br /> [[Category:愛知県のマスメディア]]<br /> [[Category:中日新聞社]]</div> 218.47.98.145 日刊スポーツ新聞西日本 2018-07-18T16:50:29Z <p>218.47.98.145: /* 関連項目 */</p> <hr /> <div>{{Otheruses|日本の新聞社である「日刊スポーツ新聞西日本」|発行している新聞|日刊スポーツ}}<br /> {{基礎情報 会社<br /> |社名 = 株式会社日刊スポーツ新聞西日本<br /> |英文社名 = The Nikkan Sports News West Japan<br /> |ロゴ = <br /> |画像 = [[File:Nakanoshima Festival Tower Osaka Japan01.jpg|250px]]<br /> |画像説明 = 日刊スポーツ新聞西日本の本社が入居する中之島フェスティバルタワー<br /> |種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]]<br /> |市場情報 = <br /> |略称 = <br /> |国籍 = {{JPN}}<br /> |本社郵便番号 = 530-8334<br /> |本社所在地 = [[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]][[中之島 (大阪府)|中之島]]2-3-18&lt;br/&gt;[[中之島フェスティバルタワー]]東館23階<br /> |設立 = [[1956年]][[3月19日]]<br /> |業種 = 5250<br /> |統一金融機関コード = <br /> |SWIFTコード = <br /> |事業内容 = 日刊スポーツ新聞の発行およびそれに付随する事業<br /> |代表者 = [[代表取締役]][[社長]]松本督<br /> |資本金 = 9800万円<br /> |売上高 = <br /> |総資産 = <br /> |従業員数 =289名<br /> |決算期 = <br /> |主要株主 = 株式会社[[日刊スポーツ新聞社]]&lt;br&gt;株式会社[[朝日新聞社]]<br /> |主要子会社 = <br /> |関係する人物 = <br /> |外部リンク = [http://www.nikkansports.com/company/osaka/top-osaka.html 大阪本社]&lt;br&gt;[http://www.nikkansports.com/company/kyusyu/top-kyusyu.html 西部本社]&lt;br&gt;[http://www.nikkansports.com/company/nagoya/top-nagoya.html 名古屋本社]<br /> |特記事項 = 上記は登記上の本部・大阪本社の住所。そのほかの地域本社は本文を参照。<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;株式会社日刊スポーツ新聞西日本&#039;&#039;&#039;(にっかんスポーツしんぶんにしにっぽん、[[英語]]:The Nikkan Sports News West Japan)は、[[スポーツ新聞]]『[[日刊スポーツ]]』を発行する[[日本]]の[[新聞社]]である。[[東京都]]に本社を置く[[日刊スポーツ新聞社]]の子会社であり、[[沖縄県]]を除く[[西日本]]地区を管轄する。<br /> <br /> ==概要==<br /> [[1950年]][[1月20日]]に[[神戸市]]の[[神港夕刊新聞社]]が発行した『[[オールスポーツ]]』が起源。[[1956年]]3月にオールスポーツ新聞社が発足したが、経営が行き詰まり廃刊の危機となったところを、[[枚方市]]で[[朝日新聞]][[新聞販売店|宅配所(現・ASA)]]を経営していた折田平市&lt;ref&gt;[http://www.kanshin.com/diary/2149407 関心空間・オールスポーツ]&lt;/ref&gt;が仲介役となり、[[1957年]]4月に[[日刊スポーツ新聞社]](東京本社)と提携(この当時は事実上[[フランチャイズ]]契約に同じ)し、6月に正式に経営権を日刊スポーツ新聞社と朝日新聞社に引き継いで社名を&#039;&#039;&#039;大阪日刊スポーツ新聞社&#039;&#039;&#039;に改称。日刊スポーツの地方進出第1号となる。[[1977年]]2月に[[北九州市]]で&#039;&#039;&#039;西部日刊スポーツ新聞社&#039;&#039;&#039;、[[1995年]]6月には[[名古屋市]]で&#039;&#039;&#039;名古屋日刊スポーツ新聞社&#039;&#039;&#039;を設立。<br /> <br /> [[2009年]][[4月1日]]、大阪・西部・名古屋の3社が合併し、&#039;&#039;&#039;日刊スポーツ新聞西日本&#039;&#039;&#039;となった。存続会社は大阪日刊スポーツ新聞社となり、大阪が本部(会社登記上の本店)となった。<br /> <br /> 管轄地域はその名の通り、西日本であり、[[近畿地方]]、[[北陸地方]]、静岡県を除く[[東海地方]]、[[中国地方]]、[[四国|四国地方]]、[[沖縄県]]を除く[[九州|九州地方]]である。<br /> <br /> 本部(大阪本社)版は、[[阪神タイガース]]、西部本社版は、[[福岡ソフトバンクホークス]]、名古屋本社版は、[[中日ドラゴンズ]]のそれぞれ地元球団の報道を主力としている。また大阪本部管轄の[[広島県]]版は、[[広島東洋カープ]]関連の報道に力を入れている。<br /> <br /> 本部は旧法人の大阪日刊社時代の当初は[[豊中市]]に、また広告・販売部門は[[大阪市]][[福島区]]の「北大阪支社」に分散していたが、北大阪支社が[[2002年]]に[[中之島]]にある[[新朝日ビルディング]]([[朝日新聞大阪本社]]の分館)に移転。2005年に大阪本社の機能を新朝日ビルに統合。[[2009年]]に同ビルの建て替えのため、いったん福島区にある阪神ダイヤビルへ暫定的に移転後、[[2013年]][[1月1日]]、[[朝日新聞大阪本社]]の新社屋などが入居する[[中之島フェスティバルタワー]]東館に本社機能を移転。<br /> <br /> &lt;references/&gt;<br /> <br /> ==事業所==<br /> * 本部・大阪本社(登記上本店):[[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]][[中之島 (大阪府)|中之島]]2-3-18 [[中之島フェスティバルタワー]]東館23階<br /> ** 広島総局:[[広島市]][[中区 (広島市)|中区]]橋本町8-4<br /> * 西部本社:[[福岡市]][[博多区]][[博多駅]]前2-1-1 福岡朝日ビル7階<br /> * 名古屋本社:[[名古屋市]][[中区 (名古屋市)|中区]][[栄 (名古屋市)|栄]]1-3-3 朝日会館13階<br /> *: なお1頁題字の発行元クレジットは発行する地域に関係なく一律「日刊スポーツ新聞社」となっており、収録されている発行地の住所は[[#各本社の管轄|次項]]掲載のこれらの地域に準拠したものになっている。(広島総局については1面には掲載されていない)<br /> <br /> ==各本社の管轄==<br /> *本部(大阪本社)<br /> *: [[石川県]]、[[福井県]]、[[三重県]]([[伊賀市]]・[[名張市]]・[[熊野市]]・[[南牟婁郡]])、[[滋賀県]]、[[京都府]]、[[大阪府]]、[[兵庫県]]、[[奈良県]]、[[和歌山県]]、[[鳥取県]]、[[島根県]]、[[岡山県]]、[[広島県]]、[[徳島県]]、[[香川県]]、[[愛媛県]]、[[高知県]]<br /> *西部本社<br /> *: [[山口県]]、[[福岡県]]、[[佐賀県]]、[[長崎県]]、[[熊本県]]、[[大分県]]、[[宮崎県]]、[[鹿児島県]]<br /> *:※なお[[沖縄県]]については西日本管轄ではなく、東京本社との[[フランチャイズ]]契約により[[沖縄タイムス]]に印刷・販売を委託している。紙面も基本東京本社版の内容だが、テレビ・公営競技頁など一部収録を割愛している。<br /> *名古屋本社<br /> *: [[富山県]]、[[岐阜県]]、[[愛知県]]、三重県(伊賀市・名張市・熊野市・南牟婁郡を除く)<br /> <br /> ==印刷工場==<br /> &#039;&#039;&#039;本部(大阪本社)&#039;&#039;&#039;<br /> *大阪府大阪市[[福島区]]([[朝日新聞大阪本社]]・[[朝日プリンテック]]・[[凸版印刷]]と共同=朝日プリンテック大阪支社)<br /> *大阪府[[堺市]][[中区 (堺市)|中区]](朝日プリンテック堺工場)<br /> *兵庫県[[西宮市]](朝日プリンテック阪神工場)<br /> *愛媛県[[松山市]]([[愛媛新聞|愛媛新聞社]]工場)<br /> &#039;&#039;&#039;西部本社&#039;&#039;&#039;<br /> *山口県[[下関市]]([[みなと山口合同新聞社]]工場 山口県西部・福岡県東部向け)<br /> *福岡県[[太宰府市]](朝日プリンテック福岡工場、[[朝日新聞西部本社]]と共同 福岡県東部を除く九州7県向け)<br /> &#039;&#039;&#039;本部(大阪本社)・西部本社&#039;&#039;&#039;<br /> *広島県[[廿日市市]]([[中国新聞社]]広島工場)<br /> *: 広島工場は本部(大阪本社)版と西部本社版のうち山口県東部向け2種類の新聞を発行しており、紙面構成が部分的に異なる。<br /> &#039;&#039;&#039;名古屋本社&#039;&#039;&#039;<br /> *愛知県[[北名古屋市]](朝日プリンテック名古屋工場、[[朝日新聞名古屋本社]]と共同)<br /> *:名古屋工場では富山県向けの朝日新聞([[朝日新聞東京本社|東京本社版]])を[[1989年]][[9月]]から[[2011年]][[3月]]末まで印刷していた名残りで、富山県内では現在も同工場で印刷された名古屋本社版を販売。名古屋印刷以前は大阪版を販売していた。なお、富山向けの朝日新聞については、現在は[[中日新聞北陸本社]]の工場([[石川県]][[金沢市]])で印刷された大阪本社版を販売。<br /> <br /> ==関連項目==<br /> * [[日刊スポーツ新聞社]]<br /> * [[北海道日刊スポーツ新聞社]]<br /> * [[日刊オフセット]]<br /> * [[朝日新聞社]]<br /> * [[ニッカン・ザ・ライブ]]<br /> *: [[朝日放送ラジオ|ABCラジオ]]で[[2011年|2011年度]]・[[2012年|2012年度]]ナイターオフ期間の土曜日に放送していたスポーツ情報番組。日刊スポーツ西日本本部(大阪本社)の編集委員(主に高原寿一・寺尾博和)や競馬記者が週替わりで出演。<br /> * [[おはようコールABC]]<br /> *: [[朝日放送テレビ|ABCテレビ]]で平日の早朝に放送されている[[情報番組]]。日刊スポーツ西日本本部(大阪本社)の編集委員(高原・寺尾・井関真)がスポーツコーナーのコメンテーターとして出演するほか、6時台に「日刊スポーツ道場」というコーナーを設けている。<br /> * [[アサデス。|アサデス。KBC]]<br /> *: [[九州朝日放送]](KBCテレビ)で平日の早朝に放送されている[[情報番組]]。スポーツコーナーには日刊スポーツ西日本・西部本社の記者がコメンテーターとして出演。旧西部日刊社はKBCと朝日新聞社の合弁で設立された。<br /> * [[スーパー玉出]]<br /> *: 大阪府と[[兵庫県]]に出店している[[スーパーマーケット]]チェーン。大阪本社版と(販売エリア内に店舗のない)名古屋本社版の一面に連日[[広告]]を掲載するほか、大阪版では不定期で広告扱いの特集記事を掲載。<br /> * [[ハローキティ]]<br /> *: 日刊スポーツ新聞西日本との[[コラボレーション]]により、2013年10月から連日オリジナルグッズのプレゼント企画を実施。日刊スポーツ紙面([[愛知県]]以西)に「そこが聞キティ」という連載企画を随時掲載。<br /> <br /> ==外部リンク==<br /> * [https://web.archive.org/web/20110906152546/http://www.nikkansports.com/company/osaka/top-osaka.html 日刊スポーツ新聞西日本・大阪本社]<br /> * [http://www.nikkansports.com/company/kyusyu/top-kyusyu.html 日刊スポーツ新聞西日本・西部本社]<br /> * [http://www.nikkansports.com/company/nagoya/top-nagoya.html 日刊スポーツ新聞西日本・名古屋本社]<br /> <br /> {{日刊スポーツ新聞社}}<br /> {{朝日新聞社}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:につかんすほおつしんふんにしにほん}}<br /> [[Category:日刊スポーツ新聞社]]<br /> [[Category:日本の新聞社]]<br /> [[Category:朝日新聞社の関連企業]]<br /> [[Category:大阪府のマスメディア]]<br /> [[Category:福岡県のマスメディア]]<br /> [[Category:愛知県のマスメディア]]<br /> [[Category:1956年設立の企業]]<br /> [[Category:大阪市北区の企業]]<br /> [[Category:博多区の企業]]<br /> [[Category:名古屋市中区の企業]]</div> 218.47.98.145 大川慶次郎 2018-07-18T13:06:18Z <p>218.47.98.145: /* 出演していた番組 */</p> <hr /> <div>{{Infobox 作家<br /> | name = 大川 慶次郎&lt;br /&gt;(おおかわ けいじろう)<br /> | image = &lt;!--写真、肖像画等のファイル名--&gt;<br /> | image_size = &lt;!--画像サイズ--&gt;<br /> | caption = &lt;!--画像説明--&gt;<br /> | pseudonym = &lt;!--ペンネーム--&gt;<br /> | birth_name = &lt;!--出生名--&gt;<br /> | birth_date = {{生年月日と年齢|1929|02|06|no}}<br /> | birth_place = [[東京府]][[北豊島郡|北豊嶋郡]]王子町&lt;br /&gt;(現:[[東京都]][[北区 (東京都)|北区]]王子)<br /> | death_date = {{死亡年月日と没年齢|1929|02|06|1999|12|21}}<br /> | death_place = [[茨城県]][[稲敷郡]][[阿見町]]&lt;ref name=&quot;yusyun200002&quot; /&gt;<br /> | resting_place = &lt;!--墓地、埋葬地--&gt;<br /> | occupation = 競馬評論家<br /> | language = &lt;!--著作時の言語--&gt;<br /> | nationality = {{JPN}}<br /> | education = &lt;!--受けた教育、習得した博士号など--&gt;<br /> | alma_mater = [[慶應義塾大学]][[文学部]][[心理学]]科卒業。<br /> | period = &lt;!--作家としての活動期間、処女作出版から最終出版まで--&gt;<br /> | genre = &lt;!--全執筆ジャンル--&gt;<br /> | subject = 競馬<br /> | movement = &lt;!--作家に関連した、もしくは関わった文学運動--&gt;<br /> | religion = &lt;!--信仰する宗教--&gt;<br /> | notable_works = &lt;!--代表作--&gt;<br /> | spouse = &lt;!--配偶者--&gt;<br /> | partner = &lt;!--結婚していない仕事のパートナー(親族など)--&gt;<br /> | children = [[大川智絵]](長女)<br /> | relations = [[大川義雄]](父)・[[大川平三郎]](祖父)<br /> | influences = &lt;!--影響を受けた作家名--&gt;<br /> | influenced = &lt;!--影響を与えた作家名--&gt;<br /> | awards = &lt;!--主な受賞歴--&gt;<br /> | debut_works = &lt;!--処女作--&gt;<br /> | signature = &lt;!--署名・サイン--&gt;<br /> | website = &lt;!--本人の公式ウェブサイト--&gt;<br /> | footnotes = &lt;!--脚注・小話--&gt;<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;大川 慶次郎&#039;&#039;&#039;(おおかわ けいじろう、[[1929年]][[2月6日]]&lt;ref name=&quot;yusyun199404&quot;&gt;{{Cite journal|和書|author=辻谷秋人|publisher=日本中央競馬会|journal=優駿|year=1994|month=4|pages=24-25|title=名馬に学ぶ新しい競馬常識 Special Interview 競馬評論家 大川慶次郎さん 競馬の神様が語る昔と違ういまの競馬常識}}&lt;/ref&gt; - [[1999年]][[12月21日]]&lt;ref name=&quot;yusyun200002&quot;&gt;{{Cite journal|和書|publisher=[[日本中央競馬会]]|journal=[[優駿]]|year=2000|month=2|pages=6-7|title=優駿ヘッドライン『天に召された“神様” - 大川慶次郎さん、死去』}}&lt;/ref&gt;)は日本の[[競馬評論家]]。[[東京府]][[北豊島郡|北豊嶋郡]]王子町15番地(現在の[[東京都]][[北区 (東京都)|北区]][[王子 (東京都北区)|王子]])出身。[[慶應義塾大学]]&lt;ref name=&quot;yusyun199404&quot; /&gt;&lt;ref name=&quot;yusyun200002&quot; /&gt;[[文学部]]&lt;ref name=&quot;yusyun200002&quot; /&gt;[[心理学]]科卒業。予想家としては通算4度パーフェクト予想&lt;ref group=&quot;†&quot;&gt;1日の全レースの[[投票券 (公営競技)#連勝複式|連複]]を当てること。最初の達成は6枠[[投票券 (公営競技)#連勝単式|連単]]と言う現行の8枠連複より難易度の高い時代の快挙であった。&lt;/ref&gt;を達成&lt;ref name=&quot;yusyun200002&quot; /&gt;し、「競馬の神様」と呼ばれファンに親しまれた&lt;ref name=&quot;yusyun199404&quot; /&gt;&lt;ref name=&quot;yusyun200002&quot; /&gt;。競馬評論家の大川智絵は長女。<br /> <br /> == 経歴 ==<br /> === 幼少期・戦前 ===<br /> [[青森県]][[八戸市]]の[[タイヘイ牧場|大平牧場]]で[[競走馬]]を生産する[[オーナーブリーダー]]であった父・&#039;&#039;&#039;大川義雄&#039;&#039;&#039;(高千穂製紙社長、通称「タイヘイ氏」)の二男として誕生。[[実業家]]&#039;&#039;&#039;[[渋沢栄一]]&#039;&#039;&#039;の曽孫にあたる&lt;ref group=&quot;†&quot;&gt;父・義雄の母が渋沢の[[庶子]]にあたる。&lt;/ref&gt;。また「日本の製紙王」[[大川平三郎]]は祖父。<br /> <br /> 幼少のころより大平牧場や東京の外厩で競走馬を間近に見て育った。また、義雄に連れられて競馬場にも足繁く通い、[[1938年]]の[[東京優駿]]を実際に観戦した&lt;ref name=&quot;yusyun200002&quot; /&gt;最も古いレースとして晩年まで記憶していた。&lt;!--因みに、渋沢栄一に連れられて牧場に行った事もあり、その際に彼が選んだ第六マンナは&#039;&#039;&#039;ケイバンリュウ&#039;&#039;&#039;と名付けられ出走。その後、引退した当馬の曾孫が&#039;&#039;&#039;[[トウメイ]]&#039;&#039;&#039;&lt;ref group=&quot;†&quot;&gt;因みに、トウメイの母の父・[[メイヂヒカリ]]も大川と強い縁がある。&lt;/ref&gt;である。--&gt;&lt;!--渋沢は1931年没、第六マンナは1941年産なのでこのエピソードはありえない。--&gt;<br /> <br /> === 終戦・大学時代 ===<br /> 父の跡を継いでオーナーブリーダーとなることを志したが、[[太平洋戦争]]終結後に行われた[[農地改革]]の影響で大平牧場は人手に渡ることとなり、一競馬ファンとして生きることを余儀なくされる&lt;ref group=&quot;†&quot;&gt;のちに大平牧場は「タイヘイ牧場」と名称が変更され、[[高松宮記念 (競馬)|高松宮記念]]優勝馬[[サニングデール]]や名ジャンパー・[[ゴーカイ]]らを生産した。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[1947年]]に[[東京高等師範学校]]附属中学校(現・[[筑波大学附属中学校・高等学校]])を卒業。同期生に[[大島通義]]、[[岡野行秀]]、[[越智通雄]]、[[三浦公亮]]など。<br /> <br /> [[1948年]]に[[慶應義塾大学]]に入学。翌[[1949年]]、[[競馬]][[サークル]]「いななき会」を設立&lt;ref name=&quot;yusyun200002&quot; /&gt;。同会のメンバーであった学生の父親が[[河野一郎]]の支援者であった縁から河野を顧問に迎える。これを期に[[公職追放]]中であった河野はしばしば大川とともに競馬場に通うようになり、政界復帰後に馬主・競走馬生産者として活発に活動するきっかけとなった。<br /> <br /> === サラリーマンを経て新田新作の競馬秘書に ===<br /> [[1952年]]に慶應義塾大学を卒業し、高千穂製紙(後に[[日本パルプ工業]]を経て現在の[[王子ホールディングス]])に就職&lt;ref name=&quot;yusyun200002&quot; /&gt;。しかし会社員生活は性に合わず、考えるのは競馬のことばかり。毎週土曜日になると営業に出るふりをして会社の裏にある[[場外勝馬投票券発売所|場外馬券売り場]]に馬券を買いに行ったという。結局入社から3年&lt;ref name=&quot;yusyun200002&quot; /&gt;たった[[1955年]]に同社を退社し、[[明治座]]社長だった[[新田新作]]の競馬担当秘書となる&lt;ref name=&quot;yusyun200002&quot; /&gt;。新田と親交のあった[[百瀬博教]]は、戦前に[[鈴木栄太郎]]([[関東国粋会]]副幹事長で生井一家の貸元)の若い衆であった新田は戦後に足を洗って土木建築業の[[新田組]]を興し、連合軍ともコネがあり羽振りがよかったとしている。大川のおもな仕事は新田が競走馬を預託する[[藤本冨良]][[調教師]]との連絡役であった&lt;ref group=&quot;†&quot;&gt;藤本の厩舎にはかつて父親の義雄も競走馬を預託していたため、自身が幼少のころから藤本と交流があった。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 秘書となった年、新田所有の4歳馬[[メイヂヒカリ]]は[[中央競馬クラシック三冠|クラシック]]の有力候補であった。しかし[[皐月賞]]を目前に控えた時期になってメイヂヒカリの飛節に肉腫ができていることが判明。無理をせずに休養をとらせたい藤本の意を受けた大川は無理にでも皐月賞に出走させようとする新田の説得にあたり、「未来がある馬だから出走させないでくれ。それに大金を投じて馬券を買うファンに迷惑がかかる」と土下座までしてみせた&lt;ref group=&quot;†&quot;&gt;大川にしても、新田が「義理人情に生きる」のが表看板の博徒上がりの点は折込済みの行為であった。&lt;/ref&gt;。新田は大川の説得に渋々応じたが、療養の甲斐もあってメイヂヒカリは立ち直り、[[菊花賞]]ではこの年の[[東京優駿|ダービー]]馬・[[オートキツ]]を10馬身突き放す圧勝。その後、翌[[1956年]]には[[天皇賞#天皇賞(春)|天皇賞(春)]]・[[有馬記念|中山グランプリ]]を制し[[JRA賞|年度代表馬]]に、さらに[[1990年]]には[[顕彰馬]]に選ばれるほどの活躍をした。<br /> <br /> === 日本短波放送の競馬解説者に ===<br /> [[1956年]]に新田新作が死去し、また同時期に別の馬主の依頼で務めていた生産牧場(東北牧場)の牧場長を辞したため無職となる。<br /> <br /> [[東北地方|東北]]から上京した大川は、はじめ[[白井新平]]に請われて『[[ケイシュウニュース|競週]]』の予想家となったがまもなく同紙から離れ、手刷りの予想紙(『レーシング・ヒント』)を売る生活を送る。やがて[[河野一郎]]の助力を得て、[[1957年]]から&lt;ref name=&quot;yusyun199404&quot; /&gt;[[日経ラジオ社|日本短波放送]]の解説者となる。このときの恩から大川は河野一郎を「心の師匠」と慕い続けた。<br /> <br /> === パーフェクト予想達成、「競馬の神様」に ===<br /> ラジオ出演で知名度が上がったのをきっかけに『[[ホースニュース・馬]]』を発行するホースニュース社と予想家契約を結ぶ。[[1961年]]9月&lt;ref name=&quot;yusyun200002&quot; /&gt;3日、同紙上で予想家としては初となるパーフェクト予想を達成&lt;ref name=&quot;yusyun200002&quot; /&gt;。たまたま同席していた『[[読売ウイークリー|週刊読売]]』の記者がこのことを「競馬の神様のご請託」と題うって記事にし、それに『週刊文春』などほかの雑誌が追従、予想家としての知名度は飛躍的に向上した。大川の妻によると「競馬の神様」という呼称について大川自身は、「競馬の神様だなんて、とんでもない。単に人がつけたニックネームだ。べつに俺は神でもなければ才人でもない、ただの大川慶次郎だ」としばしば口にしていたという&lt;ref&gt;[[#木村2000|木村2000]]、264頁。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> しかしながら、パーフェクト予想達成後に予想を外すことを恐れるあまり無難な予想しかできなくなり、極度のスランプに陥ってしまう。本人の述懐によると、このスランプから完全に脱したのは『[[勝馬]]』『[[ダービーニュース]]』を経て『[[ケイシュウNEWS]]』の予想家となった[[1969年]]以降のことであったという。<br /> <br /> [[1994年]]に『ケイシュウNEWS』を去った後はもっぱら[[フジテレビジョン|フジテレビ]]『[[スーパー競馬]]』の解説者・[[日刊スポーツ]]専属評論家として活動した。また[[1981年]]にみずから設立した[[競馬予想会社]]・[[ホースメン会議]]の総監督も亡くなるまで務めた。<br /> <br /> === 21世紀の競馬を見ることなく死去、最後の予想は的中 ===<br /> 晩年は「21世紀初めての競馬を見ることが目標」とたびたび口にしていた。しかし[[1999年]][[12月15日]]&lt;ref name=&quot;yusyun200002&quot; /&gt;、[[美浦トレーニングセンター]]での調教取材を終え&lt;ref name=&quot;yusyun200002&quot; /&gt;、[[ゴルフ]]を楽しんだあと&lt;ref name=&quot;yusyun200002&quot; /&gt;、寿司屋で会食後に店内で倒れ入院。[[12月21日]]&lt;ref name=&quot;yusyun200002&quot; /&gt;、[[高血圧]]性[[脳出血]]で死去。享年71(満70歳没)。倒れてから意識を取り戻すことはなかったが、家族が競馬中継や[[グレード制|GI]]の[[ファンファーレ]]を聞かせると脳波が強く反応したという。なお、入院後の検査でかつて癌を患った肺の状態も悪化していたことが判明。診察した医者は「よくこの状態で普通に呼吸ができていたものだ」と言ったという。「神さまに[[戒名]]なんか要らない」という家族の意向により、大川に戒名はつけられなかった&lt;ref&gt;[[#木村2000|木村2000]]、273頁。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 死の2週間前、ジャーナリストによる取材で「大川さんにとって、競馬とは?」と問われた大川は、次にように答えている。<br /> {{Quotation|それは、僕の『天職』です。けっして運命論者じゃなく、むしろごりごりのリアリストである僕が……、これだけは運命論者になっちまう。競馬ははじめから(僕の前に)天職として用意されていたとしか思えません。|[[#木村2000|木村2000]]、249頁。}}<br /> <br /> この取材で大川は、「暮れの[[第44回有馬記念|有馬記念]]を当てて、2000年の第1レースを的中させて……」とも答えていた&lt;ref&gt;[[#木村2000|木村2000]]、249頁。&lt;/ref&gt;。大川が予想した優勝馬は[[グラスワンダー]]だった。大川の死から5日後、グラスワンダーは[[スペシャルウィーク]]を際どいハナ差で退け優勝、大川の「生前最後の予想」は見事的中した。数日後、大川家に差出人「グラスワンダー」の花束が届いたという&lt;ref name=&quot;kimura2000-274&quot;&gt;[[#木村2000|木村2000]]、274頁。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 翌[[2000年]][[2月6日]]に[[東京競馬場]]内で「大川慶次郎さんの思い出を語る会」が、[[井崎脩五郎]]・[[鈴木淑子]]・[[長岡一也]]・[[原良馬]]らが参加して行われた&lt;ref&gt;{{Cite journal|和書|publisher=日本中央競馬会|journal=優駿|year=2000|month=3|pages=6-7|title=優駿ヘッドライン『惜別の声、後を絶たず。 - 故・大川慶次郎さんの「思い出を語る会」、遺品の展示に来場者多数』}}&lt;/ref&gt;。同年[[10月11日]]には大川所縁のタイヘイ牧場に記念碑が建立された。2001年9月には横浜[[松坂屋]]の7階に彼の遺品のノートなどを“ご神体”とした「伊勢佐木 勝馬神社」が設けられ、2008年10月に同店が閉店するまで公開された。<br /> <br /> == 競馬評論家としての大川慶次郎 ==<br /> 妻の和子によると、大川は「予想屋」と呼ばれるのを嫌い、「[[競馬評論家]]」であることに強い自負を抱いていた。その理由について大川は、「予想屋というのはねえ、訊かれる前から予想してみせる連中のことです。評論家は、訊かれてから初めて唇を開くものです」と説明したという&lt;ref name=&quot;kimura2000-274&quot;/&gt;。<br /> <br /> 競馬評論家として以後も活動を続けようと決意したきっかけの馬は[[ミツハタ]](1952年の春の[[天皇賞]]優勝馬)だったと自身の本で述べている。ミツハタは[[トキノミノル]]と同世代にあたるが、トキノミノルに毎回後塵を拝しながらも他馬には常に先着していた[[イツセイ]]が、トキノミノルの急死以後は同世代の中心となっていくであろうというほかの競馬評論家の論評に疑問を呈した。それは「2400メートル以上の長距離戦になるとイツセイの血統では持たない。逆にミツハタは距離が伸びるとイツセイよりも強い」という自負があったからだったが、[[1951年]][[11月25日]]に開催された[[セントライト記念]](2400メートル、[[東京競馬場|東京]]。その3週前に[[菊花賞]]が開催され、イツセイは3着に敗れた)において、断然人気のイツセイはミツハタに3馬身の差をつけられて完敗し、大川の言う通りの結果となった。それ以後、ミツハタは上記の通り春の天皇賞を制したほかレコード勝ちを4回も果たすなど同世代の最強のステイヤーの称号を得ることになるが、イツセイが勝利を挙げたレースは2000メートルまでのレースに限定された。<br /> <br /> 予想と言えば馬そのものとその関係者からもたらされる情報だけが対象であった時代に、レースの「展開」をファクターとして取り入れた&lt;ref name=&quot;yusyun199404&quot; /&gt;&lt;ref name=&quot;yusyun200002&quot; /&gt;のは画期的とされる。<br /> <br /> 馬体の好みの問題&lt;ref name=&quot;yusyun200002&quot; /&gt;と、調教代わりにレースを使う陣営への反発もあって、五冠馬[[シンザン]]に一度も本命印を打たなかった&lt;ref name=&quot;yusyun200002&quot; /&gt;。[[ミスターシービー]]に対しては三冠最後の[[菊花賞]]で本命印を打った。そのほか、「私は関西馬のことはよく知らないんですが…」が口癖だった。この言葉は、大川自身が実際にほとんどの関西馬について、自分の目で調教やレースを見ていないことに起因する。また、関西の秘密兵器と言われた馬たちを総じて軽視していた。<br /> <br /> ([[ギャンブル]]としての)競馬ではなく「(動物の)[[ウマ|馬]]」が好きでこの業界に入ったこともあってか、馬の体型を一目見ただけで他の予想家や競馬記者が気づかなかった体調や故障、先天的障害を言い当てることもあった。<br /> <br /> 自分の打った印をもとに馬券を買うファンに対する作法として、みずからも予想の通り馬券を買うのを常とした。パドックを見て予想が誤りであったと直感した際にも作法を曲げることはなかった。「僕は競馬で3億勝っています。でも4億負けています」と『[[いつみても波瀾万丈]]』出演時に述べている。かつては予想が外れると脅迫電話が自宅にかかるなどファンとの間には殺伐とした関係があり、電車に乗るときには決してホームの一番前に並ばないなど、身辺に注意を払う必要があったという。しかし晩年は若いファンから[[マスコット]]的な人気を博すようになり、時代の変化を痛感したという。大川をモデルにした「おしゃべりケーちゃん」人形も制作されている&lt;ref name=&quot;yusyun199404&quot; /&gt;。<br /> <br /> 大川は自身の見解が違った場合、見解が誤っていたことを認める性格であった。[[オグリキャップ]]のラストラン有馬記念ではオグリキャップは限界などと話していたが、レース後、スーパー競馬の解説席からオグリが勝利したことについて「私などはいの一番にオグリへ謝らなければならない」と自身の見解が誤っていたことを認めた。他のレースでも同様のエピソードあるが、1995年、[[京都記念]]、[[日経賞]]と凡走を続けた[[ライスシャワー]]については「所詮、[[東京優駿|ダービー]]で16番人気だった馬なんですよ」と最初から実力を認めていないかのように発言。その年の[[第111回天皇賞|天皇賞・春]]に優勝したときは「この馬は今日は長い距離だと新聞でも読めるのかねぇ。今まで全然行きっぷりが違いますね」と語ったものの、あくまでライスシャワーは「長い距離で強い馬だった、ということですね」と評価しており、スーパー競馬のライスシャワー追悼コーナーでもそのように発言していた。<br /> <br /> 競走馬は馬主のものであるが、レースに登録したときは馬券を買うファンのものとなる」という持論を持っており、後述するように[[ナリタブライアン]]の短距離戦出走には批判的であった。<br /> <br /> 晩年は[[エアグルーヴ]]が好きで、エアグルーヴが[[牝馬]]ながら秋の[[天皇賞]]を制した際には「この馬は普通の牝馬じゃないですよ。[[和田アキ子]]さんですよ」と絶賛した。エアグルーヴの引退レースとなった有馬記念ではオグリキャップのときのような後悔はしないと、ピークの過ぎたエアグルーヴを絶賛し、敗北後も後悔はしていなかった。<br /> <br /> === 競馬界への批判・提言 ===<br /> 競馬マスコミにおいて[[ホースマン|競馬関係者]]を批判することをタブー視する風潮がある中で、関係者を公然と批判することがしばしばあった。<br /> <br /> とくに[[大久保正陽]]については、体調が万全でない[[ナリタタイシン]]を菊花賞に出走させたことに始まり、同じく体調が万全ではないナリタブライアンを大レースに出走させて惨敗させ続けたこと、距離的な適性があるとは思えない高松宮杯へ出走させたこと、その際に[[南井克巳]]から[[武豊]]への騎手交代を行ったことを挙げ、「間違いは、大久保調教師自身の見識にあった」と切って捨てた。<br /> <br /> [[境勝太郎]]元調教師に対しても現役時には批判的な発言が多かった。[[サクラローレル]]が海外遠征中に[[故障]]を発症したことについては「ローレルのことをよく知る境勝太郎元調教師と[[装蹄師]]を同行させなかったことによる人災である」と調教師の[[小島太]]を批判した&lt;ref group=&quot;†&quot;&gt;境勝太郎も「故障の原因の一つは日本から装蹄師を同行させなかったことにある」旨のコメントをしている。&lt;/ref&gt;。小島については、サクラローレルの引退式に境を管理調教師として参加させなかったことについても「小島太という人間に疑いを持った」と批判している。<br /> <br /> 1990年代に入って、関西馬が関東の平場レースでさえもどんどん勝つような状況になっていったことを踏まえ、「こんな状況が続くようならば、私自身、関西に居を構えなければならない。」と述べ、美浦(関東)の競馬関係者を暗に批判した。<br /> <br /> JRAに対しては「馬に食べさせてもらっているのに馬に対する感謝の念が見られない」と批判したことがある。中央競馬のレース名のほとんどが地名や植物名からつけられ、馬名から付けられる事が皆無&lt;ref group=&quot;†&quot;&gt;地方競馬やアメリカの競馬では馬名を冠したレース名をつけることが多い。現在JRAが実施する競走で競走馬の名が冠されているのは、[[シンザン記念]]、[[セントライト記念]]、[[共同通信杯]]([[トキノミノル]]記念)のみである。&lt;/ref&gt;という点に対しても不快感を持っており、著書で批判している。<br /> <br /> [[天皇賞#天皇賞(秋)|天皇賞(秋)]]の距離が3200[[メートル]]から2000メートルに短縮された際には、最後まで反対していた。その理由の1つは(当時の)[[東京競馬場]]の2000メートルは枠の内外による有利不利の差が大き過ぎるというものであった。大レースは枠順による有利不利が起こらない条件で行うべきであるという大川の考えは一貫しており、天皇賞(秋)以外にも[[桜花賞]]・[[菊花賞]]の施行条件を改めるべき&lt;ref group=&quot;†&quot;&gt;開催地を前者は[[京都競馬場|京都]]、後者は[[阪神競馬場|阪神]]に入れ替えると言うもの。当時の阪神1600メートルは、改装後の今と違い1コーナーポケットからスタートしていたため、内外による有利不利の差が大きかった。また、京都3000メートルも3コーナーまでの距離が阪神の同距離に比べ短く、内外による有利不利の差が大きいコースである。&lt;/ref&gt;であると提言していた。<br /> <br /> [[サクラバクシンオー]]についてのコメントを求められたとき「競馬はスピードを競うもの。(サクラバクシンオーのように)短距離馬にも価値が出てこないといけない」と述べている。また「だらだらと長い距離を走って最後の一周だけで勝負が決まってしまうようなレース&lt;ref group=&quot;†&quot;&gt;当時、[[東京大賞典]]を2800メートルで行っていた。&lt;/ref&gt;を踏襲している[[地方競馬]]は、中央競馬の姿勢を学ばない限り足元にも及ばない」と批判している。<br /> <br /> 動物としての馬を知らないで予想をたてる予想家や競馬記者に不快感を持ち「[[動物学]]を修めろとは言わないが、馬がどういう動物かくらい勉強すべきだ」とコメントしたこともある。父・義雄の専属調教師だった[[藤本冨良]]は、大川を評して「競馬が好きというより、むしろ馬が好きといった方がいい」とし、「やはり、小さいときから馬を見たり、ぼくらと接触していたことが、今日を築くこやしというか、基盤というか、役に立つものがあったのじゃないかな。競馬評論家といわれている人たちのほとんどは、競馬をよく知っているのかもしれないが、競馬との出会いはものごころついてからでしょ。慶ちゃんは、子供のころからうまやで育ったといってもいいからね。彼のいい面はその辺にあると思うね」と述べている&lt;ref&gt;[[#名馬づくり60年|名馬づくり60年]]、40頁。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 中継番組でのエピソード ===<br /> [[1983年]]の[[第3回ジャパンカップ]](スタネーラ優勝)のとき「[[キョウエイプロミス|(キョウエイ)プロミス!プロミス!]]」&lt;ref group=&quot;†&quot;&gt;このとき、大川はキョウエイプロミスを本命としていた。同年開催の秋の天皇賞の勝ち方が大川の目に良く映り、この走りならばジャパンカップでも十分優勝を狙えるという見方をしていた。&lt;/ref&gt;、[[1984年]]の[[菊花賞]]([[シンボリルドルフ]]優勝)のとき「(ゴールド)ウェイ!!」、[[1990年]]の[[第35回有馬記念]](オグリキャップ優勝)のとき「[[メジロライアン|(メジロ)ライアン! ライアン!]]」&lt;ref group=&quot;†&quot;&gt;メジロライアンについては特に思い入れが深かったので思わず叫んでしまったが、のちに本人は実況担当の[[大川和彦]]アナウンサーが先頭のオグリに集中したため、2番手にライアンが上がってきたことを伝えるためだったとコメントしている。&lt;/ref&gt;とレース中に叫ぶ声が実況に被さってしまうこともあった&lt;ref name=&quot;yusyun200002&quot; /&gt;。「ライアン」についてはレース翌日の『[[笑っていいとも!特大号|笑っていいとも!イブ特大号]]』で[[明石家さんま]]が話題にし、これ以降大川は競馬以外のバラエティ番組にも出演するようになった。<br /> <br /> 『スーパー競馬』などのパドック解説において、馬体のいい馬を見ると「馬鹿によく見えますね」というフレーズで形容した。[[とんねるず]]の[[木梨憲武]]が自分の番組で大川の物真似をする際にこのフレーズを用いた。<br /> <br /> 1983年の菊花賞のレース当日、大川は関西テレビ『[[競馬中継 (関西テレビ)|競馬中継]]』のゲスト解説者として出演のため京都競馬場に来場していたが、実況を務めた[[杉本清]]が大川にレース回顧をしてもらおうと問いかけたところ、大川が自ら本命をつけたミスターシービーが勝ったことに対して感動のあまり涙を流していたことが分かった。<br /> <br /> 1984年の[[スプリングステークス]]のパドック解説において、関西馬を総じて酷評した。例えば[[ゴールドウェイ]]については「馬が薄い」という表現を使った。これに対して、大川のパドック解説が終わり、関西テレビの競馬中継へとカメラが切り替わった直後に杉本が「大川さんは関西馬のことをボロカスに言ってますなぁ」と言い、怒りと呆れの双方が入り混じった表情を浮かべていたが、結果として関西馬はトウホーカムリの5着が最高で、大川の予想通りとなった。<br /> <br /> 『スーパー競馬』にてある[[函館2歳ステークス|函館3歳ステークス]]の優勝馬について将来性を否定する発言をした&lt;ref name=&quot;nana&quot;&gt;{{Cite book|和書|author=鈴木勝|year=2003|month=11|edition=第1刷|isbn=4901226630|title=日本競馬7つのバカ 〜競馬界さま、おクスリ出てます!〜|publisher=アールズ出版|pages=182-184|chapter=『馴れ合い』のメカニズム}}&lt;/ref&gt;ところ、番組を見た{{要出典範囲|該当馬の関係者から|date=2012年5月}}抗議があり、翌週の同番組にて「言い過ぎだった」とこの件を謝罪し&lt;ref name=&quot;nana&quot; /&gt;、以降は馬の将来性を語ることを一切しなくなった。なお該当馬はその後約1年半の間[[中央競馬]]の競走に出走したものの、一度も馬券に絡むことなく惨敗を続けた&lt;ref name=&quot;nana&quot; /&gt;ため、結果として大川の見立ては正しかった。<br /> <br /> 1996年の高松宮杯ではスプリント適性のないナリタブライアンが出走したことに対し反対を唱えた。レース後に「このレースは前が止まらないんですよ。勝ち馬と上がりが同じならテンで行けないだけ届かない。追い込み馬というのは前が垂れて自分が垂れないからよく見えるだけであってスプリント戦のようなスピード競馬には不向き」とコメント。ナリタブライアンには「よくやったと思います褒めてあげて下さい。無事だといいが馬は無理させたことで故障することがある。ちょっと心配」と発言。実際ナリタブライアンはレース後に故障が判明し引退。大川の見識が正しかった。<br /> <br /> 1999年、[[盛岡競馬場]]で行われた[[マイルチャンピオンシップ南部杯]]のイベントに出演したところ、[[予想 (競馬)|予想]]に関して[[井崎脩五郎]]との間で論争となり&lt;ref&gt;{{Cite book|和書|author=倉元一浩|year=2000|month=3|isbn=4796694927|title=競馬名馬&amp;amp;名勝負年鑑1999-2000 ファンのファンによるファンのための年度代表馬|publisher=[[宝島社]]|pages=198-199|chapter=南部杯 ニホンピロジュピタ 大川慶次郎VS井崎脩五郎、レース前の大バトルの軍配は果たしてどちらに?}}&lt;/ref&gt;、テレビ局側が放送を打ち切る事態にまで発展した。このことについては「テレビ局側にも怠慢がある」と非難していた。<br /> <br /> == 系図 ==<br /> {{See|尾高惇忠 (実業家)#系図}}<br /> <br /> == 出演していた番組 ==<br /> *[[日曜ワイドラジオTOKYO]]「競馬中継・走れ!ジョッキー」([[TBSラジオ]] パーソナリティー兼解説者)<br /> *スーパー競馬(フジテレビ)<br /> *[[中央競馬実況中継 (日経ラジオ社)|中央競馬実況中継]](ラジオNIKKEI 第1放送)<br /> *[[オールスター感謝祭]]([[TBSテレビ|TBS]]) - 解答者として(1992年秋、1994年秋-1997年秋)、「人馬対決!マイルチャンピオンシップ」の予想・解説者として(1999年秋)それぞれ出演。1995年春は体調不良のため欠席。代役として大川智絵が出演した。<br /> *[[うまなりクン]](フジテレビ) - 同番組では「犬川慶次郎(いぬかわ けいじろう)」を名乗る。<br /> *[[いつみても波瀾万丈]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]) - 1998年6月7日 ゲスト出演<br /> <br /> == CM ==<br /> * [[アスキー (企業)|アスキー]] 『[[ダービースタリオン|ダービースタリオン96]]』(1996年)<br /> * [[アスペクト (企業)|アスペクト]] 『ダービースタリオン96 パーフェクトガイド』(1996年)<br /> <br /> == 著書 ==<br /> *『競馬の常識五十章』[[実業之日本社]] 1961<br /> *『競馬必勝読本』実業之日本社 1961<br /> *『競馬の推理 私の体験的競馬必勝法』双葉新書 1964<br /> *『競馬金言集 データ分析による勝馬推理』[[光文社]] カッパ・ブックス 1966<br /> *『新競馬の推理 ABCから高等馬券戦術まで』双葉新書 1968<br /> *『基本馬券学 馬は血で走る』[[報知新聞社]] 1969<br /> *『競馬タブー集 大川流必勝術の極意』[[徳間書店]] 1970<br /> *『関東・関西優秀四歳馬200選 大川慶次郎の完全データ 1971年版』陳文館 1971<br /> *『馬券的中のすべて 競馬ファンのための大川式ノウハウ』[[双葉社]] 1981<br /> *『勝ち馬をさがせ!!』双葉社 1982<br /> *『大川流競馬ノート 馬券で儲ける17の鉄則』[[ブックマン社]] 1986<br /> *『今年の本命馬はこれだ! 4歳サラブレッド(秘)データ公開 昭和62年度版』[[ロングセラーズ]] ムックの本 1987<br /> *『重賞競走回顧録』ミデアム出版社 1991<br /> *『競馬神様の法則 競馬の基礎知識から馬券の極意まで』三心堂 1992<br /> *『最強の競馬学』ベストブック 1992<br /> *『大川慶次郎殿堂馬を語る』ゼスト 1997<br /> *『大川慶次郎回想録 まっすぐ競馬道 杉綾の人生』[[小笠原裕]]編 [[日本短波放送]]〈現・日経ラジオ社〉 1998 のち[[角川文庫]]<br /> *『大川慶次郎が選ぶ「個性派」名馬18頭』ザ・マサダ 1999<br /> *『神様の馬券術 G1レースから明日の馬券が見えてくる 実戦編』日本短波放送 1999<br /> *『大川慶次郎ザ・ラストラン 神様の馬券術 実戦篇 1999』日本短波放送 2000<br /> *『絶筆大川慶次郎』[[角川書店]] [[ザテレビジョン]]文庫 2000<br /> *『大川慶次郎語録 競馬の神様はかく語りき 2』小笠原裕編 芸文社 2003<br /> <br /> ===共著・監修===<br /> *『競馬の知恵』[[大谷要三]]共著 報知新聞社 1962<br /> *『優秀四歳馬年鑑』[[石崎欣一]]共著 実業之日本社 1962<br /> *『競馬のすべて』[[松本守正]]共著 [[広済堂出版]] 1972<br /> *[[菊池寛]]『わが馬券哲学』註解 風土社 1974<br /> *『サラブレッド101頭の死に方』[[月本裕]],[[山田和子]],[[岡田卓]],[[岩川隆]],[[大坪悟]],[[横田紀子]]共著 ([[アスペクト (企業)|アスペクト]] 1996 のち[[徳間文庫]]<br /> *『神様の馬券術 最後の集大成「馬券指南」本』責任監修 「馬券原論」プロジェクトチーム編 日本短波放送 1997<br /> *『競馬新聞スーパーガイド 完全ビジュアル馬講座』監修 [[イースト・プレス]] 1997<br /> *『サラブレッド101頭の死に方 2』岡田卓,[[福原直英]],[[四条たか子]],[[三神博]],月本裕,大坪悟,[[小出文彦]]共著 アスペクト 1997<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> === 注釈 ===<br /> {{Reflist|group=†}}<br /> === 出典 ===<br /> {{Reflist|colwidth=30em}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[筑波大学附属中学校・高等学校の人物一覧]]<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> * {{Cite book|和書<br /> |author = 木村幸治<br /> |year = 2000<br /> |title = 馬は知っていたか スペシャルウィーク、エルコンドル…手綱に込められた「奇跡」の秘密<br /> |series = 祥伝社黄金文庫<br /> |publisher = [[祥伝社]]<br /> |isbn = 4396312199<br /> |ref = 木村2000<br /> }}<br /> * {{Cite book|和書<br /> |author = <br /> |year = 1991<br /> |title = 名馬づくり60年 - 藤本冨良・わが競馬人生<br /> |series =<br /> |publisher = [[中央競馬ピーアール・センター]]<br /> |isbn = <br /> |ref = 名馬づくり60年<br /> }}<br /> <br /> {{Normdaten}}<br /> {{デフォルトソート:おおかわ けいしろう}}<br /> [[Category:競馬評論家]]<br /> [[Category:王子グループの人物]]<br /> [[Category:慶應義塾大学出身の人物]]<br /> [[Category:筑波大学附属高等学校出身の人物]]<br /> [[Category:トラックマン]]<br /> [[Category:日本の競馬に関する人物]]<br /> [[Category:東京都区部出身の人物]]<br /> [[Category:1929年生]]<br /> [[Category:1999年没]]</div> 218.47.98.145 長瀬産業 2018-07-14T14:15:07Z <p>218.47.98.145: /* 事業所 */</p> <hr /> <div>{{基礎情報 会社<br /> |社名=長瀬産業株式会社<br /> |英文社名=NAGASE &amp; CO., LTD.<br /> |ロゴ=<br /> |画像=[[画像:NAGASE_&amp;_CO.,LTD._bldg_Osaka.jpg|200px]]<br /> |画像説明=長瀬産業 本館ビル([[大阪市]][[西区 (大阪市)|西区]]、[[1928年]]建造)<br /> |種類= [[株式会社]]<br /> |機関設計=[[監査役会設置会社]]<br /> |市場情報={{上場情報 | 東証1部 | 8012}}{{上場情報 | 大証1部 | 8012}}<br /> |略称=<br /> |国籍={{JPN}}<br /> |本社郵便番号=550-8668<br /> |本社所在地= [[大阪府]][[大阪市]][[西区 (大阪市)|西区]]新町一丁目1番17号&lt;br /&gt;(大阪本社)&lt;br /&gt;〒103-8355&lt;br /&gt;[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]]日本橋小舟町5番1号&lt;br /&gt;(東京本社)<br /> | 本社緯度度 = 35|本社緯度分 = 40|本社緯度秒 = 48|本社N(北緯)及びS(南緯) = N<br /> | 本社経度度 = 139|本社経度分 = 42|本社経度秒 = 21|本社E(東経)及びW(西経) = E<br /> | 本社地図国コード =<br /> |本店郵便番号=550-8668<br /> |本店所在地=[[大阪府]][[大阪市]][[西区 (大阪市)|西区]]新町一丁目1番17号<br /> |設立= [[1917年]]([[大正]]6年)12月9日(株式会社長瀬商店)<br /> |業種=6050<br /> |統一金融機関コード=<br /> |SWIFTコード=<br /> |事業内容=化学品、合成樹脂、電子材料、化粧品、健康食品等の輸出・輸入及び国内販売<br /> |代表者=[[長瀬洋]]([[代表取締役]][[会長]])&lt;br /&gt;[[朝倉研二]](代表取締役[[社長]]兼[[執行役員]])&lt;br /&gt;[[名波瑞郎]](代表取締役兼[[専務]]執行役員)<br /> |資本金=9,699百万円<br /> |発行済株式総数=1億2,740万8,285株<br /> |売上高=連結:7,421億95百万円&lt;br /&gt;単体:4,256億5百万円<br /> |営業利益=連結:180億24百万円&lt;br /&gt;単体:32億17百万円<br /> |経常利益=連結:183億90百万円&lt;br /&gt;単体:110億18百万円<br /> |純利益=連結:123億16百万円&lt;br /&gt;単体:65億76百万円<br /> |純資産=連結:2,791億49百万円&lt;br /&gt;単体:1,841億87百万円<br /> |総資産=連結:5,120億81百万円&lt;br /&gt;単体:3,687億66百万円<br /> |従業員数=連結:6,267名※1&lt;br /&gt;単体:971名※1<br /> |支店舗数=<br /> |決算期=3月31日<br /> |会計監査人=[[新日本有限責任監査法人]]<br /> |所有者=<br /> |主要株主=NORTHERN TRUST CO. (AVFC) RE SILCHESTER INTERNATIONAL INVESTORS INTERNATIONAL VALUE EQUITY TRUST 5.32%&lt;br/&gt;[[三井住友信託銀行]]株式会社 4.53%&lt;br/&gt;株式会社[[三井住友銀行]] 3.44%&lt;br/&gt;NORTHERN TRUST CO. (AVFC) RE U.S. TAX EXEMPTED PENSION FUNDS 3.15%&lt;br /&gt;[[日本生命保険]][[相互会社]] 2.82%&lt;br/&gt;長瀬令子 2.80%&lt;br/&gt;[[三井住友海上火災保険]]株式会社 2.32%&lt;br /&gt;長瀬洋 2.31%<br /> |主要部門=機能素材、加工材料、電子、自動車・エネルギー、生活関連、その他<br /> |主要子会社=[[#関連会社|関連会社]]参照<br /> |関係する人物=<br /> |外部リンク=http://www.nagase.co.jp/<br /> |特記事項=経営指標は 2016年3月 第101期 [[有価証券報告書]]&lt;br /&gt;※1従業員数は就業人員数を記載。なお、取締役兼務を除く執行役員は、従業員数に含めて記載。<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;長瀬産業株式会社&#039;&#039;&#039;(ながせさんぎょう、英称:&#039;&#039;NAGASE &amp; CO., LTD.&#039;&#039;)は、大阪本社(本店)を[[大阪府]][[大阪市]][[西区 (大阪市)|西区]]に、東京本社を[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]]に置く、主に[[化成品]]・[[医薬品]]事業を中心とした[[商社|複合商社]]である。<br /> <br /> 同じく大阪に本社を置いている[[伊藤忠商事]]、[[阪和興業]]、[[岩谷産業]]、[[稲畑産業]]、[[山善]]などと並ぶ在阪商社の一つである。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> 創業者の[[長瀬伝兵衛]]が[[1832年]]([[天保]]3年)6月18日に[[京都府|京都]]・[[西陣]]で、[[染料]]・[[デンプン|澱粉]]などの取り扱いをおこなう「[[鱗形屋]]」(うろこがたや、源流企業)を創業した。その後[[1898年]]([[明治]]31年)、大阪に本社を移すと、以後は化成品卸業を専業に事業を展開する。現在でも[[医薬品]]や[[写真]]材料などの[[卸売]]事業を中心としており、自社内に研究所(ナガセR&amp;Dセンター)が存在する。<br /> <br /> かつては[[イーストマン・コダック]]の日本総代理店としても知られる一方、その他にも[[ダウ・ケミカル]]、[[ゼネラル・エレクトリック]]などの企業とも結びつきが深いことで知られる。また創業から今日まで、創業者一族による企業経営がなされている。<br /> <br /> [[2011年]][[8月3日]]には同年に経営破綻した[[林原 (企業)|林原グループ]]の再建スポンサーになり&lt;ref&gt;[http://www.nagase.co.jp/assetfiles/tekijikaiji/20110803-2.pdf 更生会社株式会社林原等の再建支援に関するスポンサー契約締結のお知らせ] 長瀬産業プレスリリース2011年8月3日&lt;/ref&gt;、2012年2月3日付けで株式会社林原に対して100%増資を行って完全子会社とした。<br /> <br /> == 事業所 ==<br /> *大阪本社:[[大阪市]][[西区 (大阪市)|西区]]新町1-1-17<br /> *東京本社:[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]]日本橋小舟町5-1<br /> *名古屋支店:[[名古屋市]][[中区 (名古屋市)|中区]]丸の内3-14-18。<br /> *R&amp;Dセンター:[[神戸市]][[西区 (神戸市)|西区]]室谷2-2-3 神戸ハイテクパーク内<br /> <br /> == 沿革 ==<br /> {{節スタブ}}<br /> <br /> == 関連会社 ==<br /> *[[林原 (企業)|林原]]<br /> *ナガセプラスチックス(株)<br /> *ナガセケミカル(株)<br /> *オー・ジー長瀬カラーケミカル(株)<br /> *ナガセ物流(株)<br /> *ナガセエレックス<br /> *ナガセケムテックス(株)<br /> *ナガセ医薬品(株)<br /> *本州リーム(株) <br /> *[[東拓工業]](株) <br /> *(株)ナガセビューティケァ<br /> *エクス・グレード(株) <br /> *(株)東洋ビューティサプライ <br /> *報映産業(株) <br /> *寿化成工業(株) <br /> *セツナン化成(株) <br /> *ナガセ情報開発<br /> *長瀬ランダウア(株) :米Landauer社との合弁(50%)<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[IMAGICA]] - 元々当社のフィルム現像部門を分社化したものが母体で&lt;ref&gt;[https://www.imagicatv.jp/company/principle.html 企業理念] - IMAGICA TV&lt;/ref&gt;設立当初の社名は東洋現像所。外式現像方式のコダクローム指定現像所であった。映画フィルムの現像でも強みを発揮し、現在はデジタル映像編集では国内大手で、様々な映画、CMなどの編集や制作も行っている。 現在は直接の資本関係こそないが、事実上の兄弟会社。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> *[http://www.nagase.co.jp/ 長瀬産業 公式サイト]<br /> *[http://www.shosha-league.com/ 商社リーグ(football)]<br /> <br /> {{Company-stub}}<br /> {{DEFAULTSORT:なかせさんきよう}}<br /> [[Category:長瀬産業|*]]<br /> [[Category:日本の商社]]<br /> [[Category:東証一部上場企業]]<br /> [[Category:1964年上場の企業]]<br /> [[Category:大阪市西区の企業]]<br /> [[Category:東京都中央区の企業]]<br /> [[Category:老舗企業 (江戸時代創業)]]<br /> [[Category:1917年設立の企業]]<br /> [[Category:京都府発祥の企業]]</div> 218.47.98.145 永六輔の誰かとどこかで 2018-07-14T13:07:33Z <p>218.47.98.145: </p> <hr /> <div>{{基礎情報 ラジオ番組<br /> |番組名= 永六輔の誰かとどこかで<br /> |画像 = <br /> |画像説明 = <br /> |ジャンル= [[トーク番組]]<br /> |放送方式= [[録音]]<br /> |放送時間= 平日 11:38 - 11:47(9分)<br /> |パーソナリティ= [[永六輔]]&lt;br/&gt;[[遠藤泰子]]<br /> |放送局= [[TBSラジオ]]<br /> |ネットワーク= [[JRN]]<br /> |放送期間= [[1967年]][[1月2日]] - [[2013年]][[9月27日]](特番を含む場合は[[2016年]][[9月18日]])<br /> |放送回数= 全12,638回&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;レギュラー終了後の特番(全9回)も含めた回数&lt;/ref&gt;<br /> |スポンサー= [[桃屋]]<br /> |特記事項= 放送時間は制作局のTBSラジオのもの。&lt;br /&gt;番組開始から[[1969年]]([[昭和]]44年)[[10月4日]]までは『&#039;&#039;&#039;どこか遠くへ&#039;&#039;&#039;』のタイトルで放送。<br /> }}<br /> {{ウィキポータルリンク|ラジオ}}<br /> 『&#039;&#039;&#039;永六輔の誰かとどこかで&#039;&#039;&#039;』(えいろくすけのだれかとどこかで)とは、[[TBSラジオ]]をキーステーションに、全国[[JRN]]系列で放送した[[ラジオ番組]]である。<br /> <br /> == 出演者 ==<br /> * [[永六輔]] ([[タレント]]、[[ラジオパーソナリティ|パーソナリティ]])<br /> * [[遠藤泰子]] ([[フリーアナウンサー]])2代目アシスタント<br /> <br /> == 概要 ==<br /> 永六輔が世相批評などを交えながら日々の雑感を語っていたほか、聴取者からの投書などによるやり取りも活発に行っていた。<br /> <br /> 提供[[スポンサー]]は当初呉羽化学工業(現:[[クレハ]])だった&lt;ref&gt;{{PDFLink|[http://www.tbs.co.jp/radio/radiotokyo/img/196704.pdf TBSラジオ番組表(1967年4月)]}}&lt;/ref&gt;が、その後鐘淵化学(現:[[カネカ]])&lt;ref&gt;{{PDFLink|[http://www.tbs.co.jp/radio/radiotokyo/img/197105.pdf TBSラジオ番組表(1971年5月)]}}&lt;/ref&gt;を経て1972年ごろより[[桃屋]]に変更&lt;ref&gt;{{PDFLink|[http://www.tbs.co.jp/radio/radiotokyo/img/197203.pdf TBSラジオ番組表(1972年3月)]}}&lt;/ref&gt;され、以後は一部のネット局を除き桃屋の[[一社提供]]で定着した。<br /> しかし[[2013年]]4月以降は桃屋の提供がTBSラジオのみとなることに伴い、同年[[3月29日]]をもってネットワークセールス枠から外され、一部のネット局が相次いで放送を打ち切った。<br /> <br /> TBSラジオが制作し、録音してから全国にネットする[[テープネット]]番組であるが、TBSラジオで報道特別番組が編成されるなど放送できなくなった場合は、[[裏送り]]扱いとなった。<br /> <br /> 当初は土曜日にも放送しており、TBSラジオでは[[1974年]][[4月12日]]まで月曜 - 金曜・土曜日ともに独立番組だったが、同年[[4月13日]]から土曜のみ『[[永六輔の土曜ワイドラジオTokyo]]』に内包された(永は[[1975年]][[3月29日]]午前中の放送で一旦土曜ワイドから降板するが、ワイド内包コーナーは継続していた)。<br /> <br /> [[1981年]][[1月31日]]をもって土曜日の放送が終了すると、同年[[2月2日]]から月曜 - 金曜の独立帯番組となり、[[1985年]][[4月5日]]まで続いた。<br /> <br /> その後月曜 - 金曜の放送も、[[1985年]][[4月8日]]放送開始の『[[スーパーワイドぴいぷる]]』([[1986年]][[4月4日]]まで、[[1985年]][[10月3日]]までは、木曜日のみ『村野武憲のいきなりラジオ』)からワイド番組に内包するようになった。<br /> <br /> 永が[[1995年]]([[平成]]7年)[[3月]]に[[CBCラジオ]]『[[つボイノリオの聞けば聞くほど]]』へゲスト出演した際、つボイとの話の最中に『誰かとどこかで』の時間になったのでつボイが話を一旦終わらせようとすると、永が「(今日の『誰かとどこかで』は)流さなくていいです。(スポンサーの)桃屋には(パーソナリティの)僕から言っておきますから」とそのまま話を続け、本当に放送しなかったことがあった。桃屋からクレームが入ることはなかったが、CBCの編成や営業部門では大きな問題となり、これ以降は必ず放送していた&lt;ref&gt;「つボイノリオの聞けば聞くほど本」学研より。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 沿革 ===<br /> * [[1967年]]<br /> ** [[1月2日]] - 『&#039;&#039;&#039;どこか遠くへ&#039;&#039;&#039;』(どこかとおくへ)のタイトルで放送開始。初代アシスタントは佐藤ユキが担当したが、途中で降板したため遠藤泰子(当時[[TBSテレビ|TBS]]アナウンサー)が後を継ぎ、終了まで担当。<br /> * [[1969年]]<br /> ** [[10月6日]] - 現在の番組タイトルに変更。<br /> * [[2003年]]<br /> ** [[9月1日]] - 放送回数が10,000回に到達。<br /> * [[2007年]]<br /> ** [[1月2日]] - 放送開始から40周年。<br /> ** [[7月2日]] - 放送回数が11,000回に到達。<br /> * [[2011年]]<br /> ** [[5月2日]] - 放送回数が12,000回に到達。<br /> * 2013年<br /> ** [[3月29日]] - スポンサーの桃屋がTBSラジオ以外の一部地方局での提供を終了。<br /> ** [[8月29日]] - 放送を[[9月27日]]で終了すると発表。理由はスポンサーの桃屋が降板する意向を伝えられたことに加え、永自身も医師から「体に無理がかかっているので、休むように」と助言を受けたこと&lt;ref name=&quot;mainichi20130829&quot;&gt;[https://archive.is/20130928064057/mainichi.jp/enta/news/20130829dde041040075000c.html 毎日jp(2013年8月29日)]&lt;/ref&gt;、さらに[[パーキンソン病]]の影響から滑舌が悪くなることが増え、聴取者からも「痛々しいから休んでほしい」という声が多く寄せられたことをあげている&lt;ref&gt;[https://archive.is/20130928065912/mainichi.jp/enta/news/20130925dde041040004000c.html 毎日jp(2013年9月25日)]&lt;/ref&gt;。TBSラジオも終了について「永さんの体調を含め総合的に考えた結果」としている&lt;ref name=&quot;sankei20130829&quot;&gt;[http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/130829/ent13082912450002-n1.htm 永六輔さんのラジオ番組、46年の歴史に幕 「誰かとどこかで」],産経新聞,2013年8月29日&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[https://archive.is/20130829043456/hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20130829-OHT1T00100.htm 永六輔の長寿ラジオ番組「誰かとどこかで」終了へ],スポーツ報知,2013年8月29日&lt;/ref&gt;。<br /> ** 9月27日 - この日の放送をもってレギュラー放送を終了。総放送回数は12,629回にのぼり、放送期間も約46年9か月にわたった。同一人物によるラジオ番組としては、同じくTBSラジオなどで放送された「[[秋山ちえ子の談話室]]」の12,512回を上回り、TBS制作のラジオ番組としては最長寿番組となった&lt;ref name=&quot;mainichi20130829&quot; /&gt;&lt;ref&gt;[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/09/27/kiji/K20130927006698810.html スポニチアネックス(2013年9月27日)]&lt;/ref&gt;。永自身は放送を「やめる」とはせず「休む」とし、終了後も番組宛のメールボックスが残され、はがきや封書での投書は引き続き可能。TBSラジオでも、今後同名の特別番組を放送することを検討している&lt;ref name=&quot;sankei20130829&quot; /&gt;。<br /> * [[2014年]]<br /> ** [[1月1日]] - レギュラー放送終了後初の特別番組として「永六輔の誰かとどこかで 2014年初場所」を放送(放送日はTBSラジオのもの、後述)。<br /> * [[2016年]]<br /> ** [[7月7日]] - メインパーソナリティの永六輔本人が逝去。<br /> ** [[9月18日]] - レギュラー放送終了後の最終シリーズ『永六輔の誰かとどこかで 千秋楽』をもって、番組が完結。<br /> <br /> == 主なコーナー ==<br /> ; 七円の唄<br /> : 毎週金曜日に放送。<br /> : [[リスナー]]から投稿された日常の風景を紹介する。タイトルは、[[はがき]]1枚の送料が[[1967年]]当時7円だったことから。<br /> : 長らく永と遠藤の2人でハガキを読む形式だったが、[[2008年]][[10月3日]]以降は遠藤がハガキを読み、その内容に永がひと言付け加える形式に変更された。<br /> : 1981年1月までは土曜日に放送していたが、同年2月から金曜日に移行した。<br /> : BGMは[[フランシスコ・タレガ|タレガ]]の「[[アルハンブラの思い出]]」が使われていた。<br /> <br /> ; 五十円の小言<br /> : [[2008年]]以降、主に木曜日に放送([[2010年]]4月以降は不定期)。タイトルは、2008年当時の郵便料金(はがき)が50円だったことに由来。<br /> : 主にリスナーが感じた苦言や小言に関する投稿を読み、永が感想などを加えていた。<br /> <br /> 上記以外は、永六輔が自分の思ったことや感じたこと、旅をした各地のことなどを述べるコラムが中心となっていた。<br /> <br /> そのほか、「七円の旅」「五十円の感謝状」といった投稿企画もあった。<br /> <br /> == 番組の構成 ==<br /> 本編は冒頭で遠藤が放送月日・曜日をアナウンスして始まるが、月曜日のみ放送月日・曜日に加え放送回数もアナウンスするのが通例となっていた(ただし、最終週は毎日放送回数まで読み上げていた)。<br /> <br /> オープニングやエンディング時は、桃屋提供となっている局とそれ以外で一部異なっていた。以下は一例。<br /> * 桃屋提供ありの場合<br /> ** オープニングは「[[遠くへ行きたい (曲)|遠くへ行きたい]]」がフルで流れる。この曲をBGMに、﨑南海子作の「○月の唄(桃屋を織り込んだ詩)」が遠藤によって朗読される。この中で「窓辺、(または空の下、)桃屋の空き瓶に・・・・」というくだりが日替わりで変更される。<br /> ** 遠藤によるスポンサー紹介ナレーションは、番組開始時は「この番組は味を大切にする桃屋がお送りします」、終了時は「この番組は何はなくとも[[江戸むらさき]]・花らっきょうでおなじみの桃屋がお送りしました」となっていたが、番組末期の終了時は「この番組は味を大切にする桃屋がお送りしました」に変更された。<br /> ** 本編のトーク後に、遠藤が桃屋製品の紹介をする(プレゼントの紹介・案内をする時もある)。<br /> ** 終了時は、遠藤が提供アナウンスのあとに「誰かとどこかで、ではまた明日(来週)です」と締めていた&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;2013年3月29日の放送では、この日で放送を打ち切る局が多数あったためCMのあと提供アナウンスだけで締められたほか、最終回は「46年間、本当にありがとうございました」とアナウンスした。&lt;/ref&gt;&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;2013年9月27日の放送では、レギュラー放送最終回であり、遠藤が提供アナウンスのあとに「誰かとどこかで、本当に長い間ありがとうございました」とアナウンスして、46年9か月の歴史に幕をおろした。&lt;/ref&gt;が、このときのBGMはワイド番組内包局と独立番組局で若干長さが異なる(前者は後者より早く、フェイド・アウトしている)。<br /> <br /> * 桃屋提供なしの場合<br /> ** オープニングは「遠くへ行きたい」のBGMと共に、遠藤アナウンスのタイトルが放送される。その後、各局の提供 → CMになる。CMが無い局は、本編に入るまでテーマ曲が流れ続ける。<br /> ** 桃屋提供より、本編のトークが若干長くなっている。<br /> ** 「誰かとどこかで、おしゃべりは永六輔、遠藤泰子でした」と締めたあと、BGMが時間まで流れ続ける。局によってCMや提供アナウンスを挿入するところもある。<br /> ** &amp;lt;例&amp;gt;山梨放送の場合([[2007年]]12月現在の内容)<br /> *** 提供なし版タイトル後、一旦、音楽が下がってから「ローカル提供」 → ローカルCM → 再び音楽が上がって、本編へ → 挨拶後、音楽が下がって、ローカルCM → ローカル提供 → 再び音楽が上がって、11:49に音楽が下がって、番組が終わる。<br /> <br /> == ネット局一覧 ==<br /> {{節スタブ}}<br /> 北から順に掲載。<br /> ; 凡例<br /> : 放送局名が&#039;&#039;&#039;太字&#039;&#039;&#039;:終了まで[[桃屋]]提供<br /> : 放送局名が細字:桃屋以外の複数社提供、またはスポンサーなし<br /> : ☆印:2013年3月までは桃屋提供<br /> <br /> === 終了時までネットした局 ===<br /> 終了時点でワイド番組に内包していた場合は、その番組名を記載する。<br /> * ☆[[青森放送]]<br /> * ☆[[東北放送]]<br /> * [[山形放送]]<br /> * [[ラジオ福島]](朝から全開!)<br /> * &#039;&#039;&#039;[[TBSラジオ]]&#039;&#039;&#039;([[大沢悠里のゆうゆうワイド]])※制作局<br /> * [[山梨放送]]<br /> * ☆[[静岡放送]](月曜 - 木曜:[[ほのぼのワイド 中村こずえのsmile for You]]、金曜:ラジオWEST〜寺田繭子のわくわく金曜日〜)<br /> * ☆[[CBCラジオ]]([[つボイノリオの聞けば聞くほど]])<br /> * [[北日本放送]]<br /> * [[北陸放送]]<br /> * [[福井放送]]<br /> * ☆[[中国放送]]<br /> * ☆[[四国放送]](えんやこらワイド)<br /> * ☆[[RKBラジオ|RKB毎日放送]]<br /> * [[大分放送]]<br /> * [[長崎放送]]<br /> * [[熊本放送]]<br /> * [[南日本放送]]<br /> <br /> === 放送終了以前にネットを打ち切った局 ===<br /> ; 2013年3月29日でネットを打ち切った局<br /> :* ☆[[HBCラジオ|北海道放送]]<br /> :* ☆[[IBC岩手放送]]<br /> :* ☆[[信越放送]]<br /> :* [[山陽放送ラジオ|山陽放送]]<br /> :* [[山口放送]]<br /> :* [[琉球放送]]<br /> <br /> ; 2013年3月以前にネットを打ち切った局<br /> :* [[秋田放送]]([[2009年]][[10月2日]]で終了)<br /> &lt;!-- :* [[新潟放送]] --&gt;<br /> :* [[大阪放送|ラジオ大阪]]([[1987年]][[3月]]で終了&lt;ref name=&quot;shinbangumi&quot;&gt;[[ラジオ番組表|ラジオ新番組速報版]]([[三才ブックス]])より。&lt;/ref&gt;)<br /> :* [[和歌山放送]]([[1988年]]3月で終了&lt;ref name=&quot;shinbangumi&quot;/&gt;)<br /> :* [[山陰放送]]([[1997年]][[3月28日]]で終了)<br /> :* [[西日本放送ラジオ|西日本放送]]([[2010年]][[10月1日]]で終了)<br /> :* [[高知放送]]([[2010年]][[4月2日]]で終了)<br /> :* [[宮崎放送]]([[2009年]][[10月2日]]で終了)<br /> <br /> == レギュラー放送終了後の特別番組 ==<br /> *2016年7月7日に永が亡くなったため、「千秋楽」をもって完全終了となる。<br /> <br /> ; 永六輔の誰かとどこかで 2014年初場所<br /> : TBSラジオ(制作局)での放送時間:2014年1月1日 18:00 - 19:00&lt;ref&gt;{{Cite web|title=TBSラジオ年末年始番組|url=http://www.tbs.co.jp/radio/newyear/|accessdate=2013-12-30}}&lt;/ref&gt;<br /> : [[同時ネット]]:中国放送<br /> : [[先行ネット]]:山梨放送・信越放送・RKB毎日放送<br /> : [[遅れネット]]:北海道放送・東北放送・北日本放送・福井放送・CBCラジオ・大分放送・長崎放送・琉球放送<br /> <br /> ; 永六輔の誰かとどこかで 2014年春場所<br /> : TBSラジオ(制作局)での放送時間:2014年4月29日 21:00 - 22:00&lt;ref&gt;{{Cite web|title=TBSラジオニュース&トピックス|url=http://www.tbs.co.jp/radio/topics/201404/002921041400.html|accessdate=2014-04-24}}&lt;/ref&gt;<br /> : 同時ネット:IBC岩手放送<br /> : 先行ネット:長崎放送・CBCラジオ・福井放送・山口放送<br /> : 遅れネット:東北放送・山梨放送・信越放送・北日本放送・琉球放送<br /> <br /> ; 永六輔の誰かとどこかで 2014年秋場所<br /> : TBSラジオ(制作局)での放送時間:2014年9月21日 20:00 - 21:00&lt;ref&gt;{{Cite web|title=TBSラジオニュース&トピックス|url=http://www.tbs.co.jp/radio/topics/201409/002120091400.html|accessdate=2014-12-23}}&lt;/ref&gt;<br /> : 同時ネット:IBC岩手放送・長崎放送<br /> : 遅れネット:北日本放送・東北放送・信越放送・CBCラジオ<br /> <br /> ; 永六輔の誰かとどこかで 2015年初場所<br /> : TBSラジオ(制作局)での放送時間:2015年1月11日 19:00 - 20:00<br /> : 同時ネット:CBCラジオ<br /> : 遅れネット:琉球放送・北日本放送・長崎放送・東北放送・山梨放送・IBC岩手放送・信越放送<br /> <br /> ; 永六輔の誰かとどこかで 2015年春場所<br /> : TBSラジオ(制作局)での放送時間:2015年5月10日 20:00 - 20:55<br /> : 同時ネット:IBC岩手放送<br /> : 先行ネット:CBCラジオ<br /> : 遅れネット:山梨放送・北日本放送・琉球放送・東北放送・信越放送<br /> <br /> ; 永六輔の誰かとどこかで 2015年夏場所<br /> : TBSラジオ(制作局)での放送時間:2015年8月9日 20:00 - 20:55<br /> : 同時ネット:IBC岩手放送<br /> : 遅れネット:信越放送・北日本放送・CBCラジオ<br /> <br /> ; 永六輔の誰かとどこかで 2015年秋場所<br /> : TBSラジオ(制作局)での放送時間:2015年11月1日 19:00 - 20:00<br /> : 遅れネット:IBC岩手放送・東北放送・信越放送・CBCラジオ・北日本放送<br /> <br /> ; 永六輔の誰かとどこかで 2016年初場所<br /> : TBSラジオ(制作局)での放送時間:2016年1月10日 19:00 - 20:00<br /> : 同時ネット:CBCラジオ<br /> : 遅れネット:IBC岩手放送・山梨放送・信越放送・北日本放送<br /> <br /> ; 永六輔の誰かとどこかで 千秋楽<br /> : TBSラジオ(制作局)での放送時間:2016年9月18日 19:00 - 20:00<br /> : 同時ネット:CBCラジオ・IBC岩手放送・南日本放送・琉球放送<br /> : 遅れネット:北海道放送・北日本放送・信越放送・北陸放送・山陽放送・宮崎放送<br /> <br /> == 番組関連書籍 ==<br /> * 永六輔・崎南海子・遠藤泰子編『七円の唄 誰かとどこかで』シリーズ(『・・・』1〜3、『・・・生きているということは』、『・・・ことづて』、『・・・めぐりあい』、『永六輔の「誰かとどこかで」北から、南から』)[[朝日出版社]]<br /> <br /> == 関連番組 ==<br /> * 六輔七転八倒(ろくすけしちてんばっとう)<br /> ** [[1976年]]度から[[1983年]]度にかけて、『誰かとどこかで』の増刊号的な姉妹番組として[[日本プロ野球|プロ野球]][[ストーブリーグ|オフシーズン]]の毎週水曜20:00 - 20:55(JST、『[[ゴールデン・ワイド]]』枠)に放送されていた(提供は桃屋、アメリカ屋靴店など)。こちらは全編[[生放送]]で、永・遠藤に加え両者と親交のある[[中村八大]]もレギュラー出演。ディレクターは、放送当時TBSのアナウンサーだった[[大沢悠里]]が担当していた。&lt;ref&gt;[[2016年]][[6月13日]]放送『[[六輔七転八倒九十分]]』でのゲストの[[遠藤泰子]]の発言による。&lt;/ref&gt;トークの合間に中村が[[ピアノ]]演奏していた。同番組は[[広域放送|近畿広域圏]]で[[朝日放送ラジオ|朝日放送]](ABC)がネットしていたが、11月下旬の水曜に『速報![[日本レコード大賞]]』(レコ大ノミネート歌手発表番組。[[TBSテレビ]]との同時放送)が放送された場合[[Japan News Network|テレビネットワーク]]の関係上[[MBSラジオ|毎日放送]](MBS)にネットされるため、本来休止となる『七転八倒』は、ABCのみ裏送りネットで生放送された。ABCには親交のあったアナウンサー[[道上洋三]]がいるが、『誰かとどこかで』は編成の都合で放送していない。<br /> * [[土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界]]<br /> * [[六輔七転八倒九十分]]<br /> ** 前述の「六輔七転八倒」のタイトルは、永がメインパーソナリティーを担当した『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』([[2015年]][[9月26日]]終了)の体裁を引き継いで、同年[[9月28日]]より2016年6月27日まで月曜18:00 - 19:30(JST)に放送された『六輔七転八倒九十分』で再活用された。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist|group=注}}<br /> <br /> == 出典 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> {{前後番組<br /> |放送局=[[TBSラジオ]]<br /> |放送枠=平日10:50 - 11:00枠<br /> |番組名=どこか遠くへ<br /> |前番組=奥方ちょっと失礼&lt;br/&gt;(10:45 - 10:55)&lt;br/&gt;※5分繰り上げ&lt;hr/&gt;切り抜きジャーナル&lt;br/&gt;(10:55 - 11:00)<br /> |次番組=[[毒蝮三太夫のミュージックプレゼント|東食ミュージックプレゼント]]&lt;br/&gt;(10:30 - 11:00)<br /> |2放送局=TBSラジオ<br /> |2放送枠=平日11:05 - 11:15枠<br /> |2番組名=永六輔の誰かとどこかで<br /> |2前番組=昼の話題<br /> |2次番組=すてきな奥様<br /> |3放送局=TBSラジオ<br /> |3放送枠=平日11:50 - 12:00→11:45 - 11:55枠<br /> |3番組名=永六輔の誰かとどこかで<br /> |3前番組=ラブレター讃歌&lt;br/&gt;(11:45 - 11:55)&lt;hr /&gt;旅アラカルト&lt;br /&gt;(11:55 - 12:00)<br /> |3次番組=[[交通情報]]&lt;br/&gt;(11:45 - 11:52)&lt;hr /&gt;[[TBSニュース]]&lt;br/&gt;(11:52 - 12:00)<br /> |4放送局=TBSラジオ<br /> |4放送枠=平日11:35 - 11:45→11:38 - 11:47枠(「[[大沢悠里のゆうゆうワイド]]」内)<br /> |4番組名=永六輔の誰かとどこかで<br /> |4前番組=[[浜美枝]]のいい人みつけた&lt;br/&gt;(11:30 - 11:40)&lt;hr /&gt;[[ニチレイ]]伝言大賞&lt;br/&gt;(11:40 - 11:45)<br /> |4次番組=-<br /> }}<br /> <br /> {{永六輔}}<br /> {{デフォルトソート:えいろくすけのたれかととこかて}}<br /> [[Category:1967年のラジオ番組 (日本)]]<br /> [[Category:TBSラジオの帯番組の歴史]]<br /> [[Category:TBSラジオのミニ番組]]<br /> [[Category:TBSラジオのトーク番組]]<br /> [[Category:TBSラジオの一社提供番組]]<br /> [[Category:永六輔|たれかととこかて]]</div> 218.47.98.145 海江田万里 2018-07-14T10:26:03Z <p>218.47.98.145: /* 経済評論家として */</p> <hr /> <div>{{政治家<br /> |人名 = 海江田 万里<br /> |各国語表記 = かいえだ ばんり<br /> |画像 = Banri Kaieda cropped 2 Banri Kaieda 20110620 3.jpg<br /> |画像サイズ = 250px<br /> |画像説明 = [[2011年]][[6月20日]]、[[オーストリア]]・[[ウィーン]]にて<br /> |国略称 = {{JPN}}<br /> |生年月日 = {{生年月日と年齢|1949|2|26}}<br /> |出生地 = {{JPN}} [[東京都]][[杉並区]]<br /> |没年月日 =<br /> |死没地 =<br /> |出身校 = [[慶應義塾大学大学院法学研究科・法学部|慶應義塾大学法学部]][[政治学部|政治学科]]卒業<br /> |前職 = [[野末陳平]]議員秘書&lt;br /&gt;[[経済評論家]]<br /> |現職 = [[衆議院]][[財務金融委員会]]理事<br /> ;党職<br /> [[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]最高顧問&lt;br /&gt;立憲民主党財務金融部会長&lt;ref&gt;[https://cdp-japan.jp/about-cdp/board/policy-research-council 立憲民主党 政務調査会 役員]&lt;/ref&gt;&lt;br /&gt;立憲民主党[[税制調査会|税制調査会長]]<br /> |所属政党 = ([[税金党]]→)&lt;br /&gt;([[日本新党]]→)&lt;br /&gt;(民主新党クラブ→)&lt;br /&gt;([[市民リーグ]]→)&lt;br /&gt;([[民主党_(日本 1996-1998)|旧民主党]]→)&lt;br /&gt;([[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]→)&lt;br/&gt;([[民進党]]→)&lt;br /&gt;[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]([[サンクチュアリ (立憲民主党のグループ)|赤松G]])<br /> |称号・勲章 = [[学士(法学)|法学士]](慶應義塾大学・[[1972年]])<br /> |親族(政治家) =<br /> |配偶者 = あり<br /> |サイン = Kaieda-banri signature.png<br /> |ウェブサイト = http://www.kaiedabanri.jp/<br /> |サイトタイトル = 海江田万里 OFFICIAL SITE &amp;#x7C; 立憲民主党 東京1区総支部長<br /> |国旗 = JPN<br /> |職名 = 第14代 [[経済産業大臣]]<br /> |内閣 = [[菅内閣_(第2次改造)|菅第2次改造内閣]]<br /> |選挙区 =<br /> |当選回数 =<br /> |就任日 = [[2011年]][[1月14日]]<br /> |退任日 = [[2011年]][[9月2日]]<br /> |所属委員会 = <br /> |議員会館 = <br /> |元首職 =<br /> |元首 =<br /> &lt;!-- ↓省略可↓ --&gt;<br /> |国旗2 = JPN<br /> |職名2 = [[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|内閣府特命担当大臣&lt;br /&gt;(経済財政政策)]]<br /> |内閣2 = [[菅内閣_(第1次改造)|菅第1次改造内閣]]<br /> |選挙区2 =<br /> |当選回数2 =<br /> |就任日2 = [[2010年]][[9月17日]]<br /> |退任日2 = 2011年1月14日<br /> |元首職2 =<br /> |元首2 =<br /> |国旗3 = JPN<br /> |職名3 = [[内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)|内閣府特命担当大臣&lt;br /&gt;(科学技術政策)]]<br /> |内閣3 = 菅第1次改造内閣<br /> |選挙区3 =<br /> |当選回数3 =<br /> |就任日3 = 2010年9月17日<br /> |退任日3 = 2011年1月14日<br /> |元首職3 =<br /> |元首3 =<br /> |国旗4 = JPN<br /> |職名4 = [[衆議院|衆議院議員]]<br /> |内閣4 =<br /> |選挙区4 = ([[東京都第1区_(中選挙区)|旧東京1区]]→)&lt;br /&gt;([[比例東京ブロック]]→)&lt;br /&gt;([[東京都第1区|東京1区]]→)&lt;br /&gt;(比例東京ブロック→)&lt;br /&gt;東京1区<br /> |当選回数4 = 7回<br /> |就任日4 = [[1993年]][[7月19日]] - [[2005年]][[8月8日]]&lt;br /&gt;[[2009年]][[8月30日]] - [[2014年]][[11月21日]]&lt;br /&gt;[[2017年]][[10月23日]]<br /> |退任日4 = 現職<br /> |元首職4 =<br /> |元首4 =<br /> &lt;!-- ↑省略可↑ --&gt;<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;海江田 万里&#039;&#039;&#039;(かいえだ ばんり、[[1949年]][[2月26日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]、[[経済評論家]]。[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]所属の[[衆議院|衆議院議員]](7期)、立憲民主党最高顧問・財務金融部会長&lt;ref&gt;[https://cdp-japan.jp/about-cdp/board/policy-research-council 立憲民主党 政務調査会 役員]&lt;/ref&gt;・[[税制調査会|税制調査会長]]。<br /> <br /> [[国民民主党執行部|民主党政策調査会長]](第5代)、[[内閣府特命担当大臣]]([[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済財政政策]]、[[内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)|科学技術政策]])、[[宇宙開発戦略本部|宇宙開発]]担当大臣([[菅内閣_(第1次改造)|菅第1次改造内閣]])、[[経済産業大臣]]([[菅内閣_(第2次改造)|第14代]])、[[財務金融委員会|衆議院財務金融委員長]]、[[経済産業委員会|衆議院経済産業委員長]]、[[国民民主党代表|民主党代表]](第10代)、[[民進党]]顧問などを歴任した。<br /> <br /> == 経歴 ==<br /> === 生い立ち ===<br /> [[東京都]][[杉並区]]出身。<br /> <br /> 父親の四郎は[[毎日新聞]]の記者であり、[[安倍晋太郎]]の上司であった。[[中華人民共和国]]や[[中華民国|台湾]]にいたことがあり、万里の名前は[[万里の長城]]に因むことから、海江田は「中国とのかかわりは、生まれた時から」と語る&lt;ref&gt;[http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&amp;d=0422&amp;f=column_0422_001.shtml 海江田万里「70年代に訪中し、帰国後に夜学で中国語学んだ」] - [[サーチナ]] 2010年4月22日&lt;/ref&gt;。また四郎は[[鹿児島県]]出身で、大学を卒業するまでの[[本籍]]は鹿児島県[[日置郡]][[金峰町]](現[[南さつま市]])だったことから、海江田は「鹿児島は私の故郷」という&lt;ref name=&quot;discover20060619&quot;&gt;[http://www.zephyr.dti.ne.jp/~kaieda/discover20060619.html 海江田万里 万里発見伝第5回]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[東京都立鷺宮高等学校]]、[[慶應義塾大学大学院法学研究科・法学部|慶應義塾大学法学部]][[政治学部|政治学科]]を卒業。<br /> <br /> === 経済評論家として ===<br /> 慶大卒業後、[[タレント政治家]]であった[[野末陳平]]の[[秘書]]を経て、自身も[[タレント]]、経済評論家として独立。テレビ、ラジオ、雑誌などで税金や経済情勢の[[解説者]]として幅広く活躍した。『[[ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])にも「海江田総理(当時の[[海部俊樹|海部]]総理のパロディ)」として出演したことがある。[[バブル経済]]で財テクブームが到来すると一般向けの財テク指南書を多く出版したが、この中で[[安愚楽牧場]]の投資商品を推奨していたことが後に問題視される。また、[[1989年]]4月から[[1991年]]3月まで『[[TXNニュース THIS EVENING]]』([[テレビ東京]])の土曜メインキャスターを務めたほか、同年10月から1993年3月までは『[[海江田万里のパワフルサタデー]]』([[朝日放送テレビ]])という冠番組もあった。<br /> <br /> === 政治家として ===<br /> [[ファイル:Junichiro Kawaguchi and Banri Kaieda 20101202.jpg|thumb|left|200px|[[2010年]][[12月2日]]、「はやぶさ」功労者感謝状贈呈式にて[[宇宙科学研究所]]宇宙航行システム研究系[[教授]][[川口淳一郎]](左)と]]<br /> [[ファイル:Yukiya Amano and Banri Kaieda 20110620 1.jpg|thumb|left|200px|[[2011年]][[6月20日]]、[[国際原子力機関]]事務局長[[天野之弥]](左)と]]<br /> [[ファイル:Banri Kaieda Ikuo Yamahana and Takeshi Nakane 20110620 1.jpg|thumb|left|200px|[[2011年]][[6月20日]]、[[外務大臣政務官]][[山花郁夫]](中央)、[[特命全権大使|在ウィーン国際機関政府代表部特命全権大使]][[中根猛]](右)と]]<br /> [[ファイル:Banri Kaieda 20110620 2.jpg|thumb|left|200px|[[2011年]][[6月20日]]、原子力安全に関する閣僚会議にて]]<br /> [[ファイル:President of the Democratic Party of Japan Banri Keida meets PM Modi.jpg|thumb|left|200px|[[2014年]][[9月2日]]、[[インド]][[インドの首相|首相]][[ナレンドラ・モディ]](右)と]]<br /> 1986年、[[第14回参議院議員通常選挙]]に税金党公認で[[東京都選挙区]]から出馬し、落選した。1993年、[[第40回衆議院議員総選挙]]に[[日本新党]]公認で[[東京都第1区_(中選挙区)|旧東京1区]]から出馬し、初当選した。1994年9月に日本新党を離党。民主新党クラブを経て、1995年に[[山花貞夫]]ら[[日本社会党]]を離党したグループを糾合して[[市民リーグ]]を結成し、代表委員(党首)に就任。翌1996年、[[村山富市]]の首相辞任に伴う[[内閣総理大臣指名選挙|首班指名選挙]]では、市民リーグ所属衆議院議員5名が海江田に投票。その後、[[新党さきがけ]]を離党した[[菅直人]]や[[鳩山由紀夫]]らの主導による[[民主党_(日本 1996-1998)|旧民主党]]結党に市民リーグとして合流する。1996年の[[第41回衆議院議員総選挙]]では[[東京都第1区|東京1区]]から出馬し、[[自由民主党_(日本)|自由民主党]]の[[与謝野馨]]に敗れたが、[[比例東京ブロック]]で[[復活当選]]した。<br /> <br /> 1997年10月、[[金正日]]の[[朝鮮民主主義人民共和国国防委員会]]委員長推戴を記念する祝賀宴に参加した&lt;ref&gt;[http://megalodon.jp/?url=http%3A%2F%2Fwww1.korea-np.co.jp%2Fsinboj%2Fsinboj1997%2Fsinboj1997%2Fsinboj97-10%2Fsinboj971028%2Fsinboj97102881.htm&amp;date=20070131051210 東京で金正日総書記推戴の祝賀宴/30カ国700人が参加] [[ウェブ魚拓|s04.megalodon.jp]](1997年10月28日付[[朝鮮新報]]の[[キャッシュメモリ]])&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[1999年]]、[[国旗及び国歌に関する法律|国旗及び国歌に関する法律案]]の衆院[[本会議]]における採決で反対票を投じた。2000年の[[第42回衆議院議員総選挙]]では東京1区から民主党公認で出馬し、与謝野を破り当選した。同年、民主党東京都連会長に就任。同年12月には[[在日本朝鮮人総連合会]]の招請による民主党の訪朝団に参加し、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]を訪問した&lt;ref&gt;民主党ホームページ:北朝鮮に訪問団派遣〜伊藤英成団長ら議員6名で [http://www.dpj.or.jp/news/?num=1521]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 2002年には党[[政策部会|政策調査会長]]に就任した。2003年、[[第43回衆議院議員総選挙]]では再度与謝野を破り当選した(与謝野も比例復活)。<br /> <br /> 2005年の[[第44回衆議院議員総選挙]]に東京1区から民主党公認で出馬したが、与謝野に敗れ、比例復活もできずに落選した。<br /> <br /> 2009年8月の[[第45回衆議院議員総選挙]]では東京1区から民主党公認で出馬し、与謝野を破り4年ぶりに当選した(与謝野も比例復活)。総選挙後、民主党選挙対策委員長代理に就任した。<br /> <br /> [[2010年9月民主党代表選挙]]に一旦は出馬する意向を表明し、小沢一郎にも出馬の意向を伝えた。しかし、当の小沢が出馬の意向を示したため自身の出馬表明を撤回、代表選挙での小沢への投票を明言した。小沢は[[菅直人]]に敗れた。同年9月に発足した[[菅内閣_(第1次改造)|菅第1次改造内閣]]では[[内閣府特命担当大臣]]([[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済財政政策]]、[[内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)|科学技術政策]])に就任し、初入閣した。また、[[国務大臣]]として[[宇宙開発戦略本部|宇宙開発]]担当&lt;ref&gt;「宇宙開発利用に関する施策を総合的かつ計画的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」を担当。&lt;/ref&gt;の補職を受けた。<br /> <br /> 2011年1月、[[菅内閣_(第2次改造)|菅第2次改造内閣]]では[[経済産業大臣]]に横滑りした。この[[内閣改造]]では小選挙区のライバルである与謝野馨も、それまでの海江田の役職であった内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)の後任として入閣した。与謝野の入閣に関し、海江田は「人生というものは不条理だ」と感想を述べた。2011年4月11日、国務大臣として[[原子力]]経済被害担当&lt;ref&gt;「[[福島第一原子力発電所]]及び[[福島第二原子力発電所]]の事故による経済被害への対応を政府一体となって円滑に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」を担当。&lt;/ref&gt;の補職を受けた。<br /> <br /> 2011年6月、経済産業大臣(当時)の海江田は[[東京電力]]が求めていた[[福島第一原子力発電所事故]]の汚染水流出を防ぐ遮水壁設置の先送りについて、「中長期的課題」とすることを条件に容認した&lt;ref&gt;{{Cite web |url = http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130918-OYT1T00653.htm?from=ylist |title = 海江田氏、2年前に遮水壁先送りを容認していた |publisher = [[読売新聞]] |date = 2013-09-18 |accessdate = 2013-09-18}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 7月7日、[[原子力損害賠償・廃炉等支援機構法|原子力損害賠償支援機構法案]]の成立をめどに辞任する意向を表明し&lt;ref&gt;[http://www.asahi.com/special/10005/TKY201107070226.html asahi.com 海江田経産相、辞任の意向 担当法案成立めどに] 2011年7月7日15:01配信 2013年2月19日閲覧&lt;/ref&gt;、8月12日には菅内閣が総辞職する前に辞任する意向を示した&lt;ref&gt;[http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110813k0000m010077000c.html 毎日jp] 2011年8月12日&lt;/ref&gt;。8月19日、[[2011年民主党代表選挙]]に立候補する意向を固め、小沢一郎に支援を要請。会見では小沢の党員資格停止処分の見直しを示唆した&lt;ref&gt;[http://www.kyodonews.jp/feature/minshudaihyou/2011/08/post-4.html 海江田経産相が出馬表明 小沢、鳩山氏に支援要請] 共同通信社 2011年8月19日配信 2013年2月19日閲覧&lt;/ref&gt;。23日、[[内閣総辞職]]前の辞任を撤回&lt;ref&gt;[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110823-OYT1T00509.htm YOMIURIONLINE] 2011年8月23日&lt;/ref&gt;。8月26日、[[内閣総理大臣]]の菅直人に辞表を提出するが受理されず&lt;ref&gt;[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110826-OYT1T00451.htm YOMIURIONLINE] 2011年8月26日&lt;/ref&gt;。同日、民主党代表選への出馬を正式表明&lt;ref&gt;[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110827/k10015185771000.html NHK] 2011年8月27日&lt;/ref&gt;。28日の討論会などでは、民主党の[[マニフェスト]]見直しに関する自民・[[公明党|公明]]両党との[[三党合意]]について「継続するかどうかは新[[民主党執行部|執行部]]で決めるのがいい」と述べ、白紙で臨む考えを示した&lt;ref&gt;[[日本経済新聞]] 2011年8月29日朝刊&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 29日の民主党代表選挙では1回目の投票で最多の143票を獲得。[[野田佳彦]]との決戦投票では177票を獲得したが、215票の野田に及ばなかった。この要因として、選挙戦で[[鹿野道彦]]陣営から[[山田正彦_(政治家)|山田正彦]]を引き抜き反発を招いたことや、[[環太平洋パートナーシップ協定|TPP]]を推進する姿勢がぶれたことが挙げられている&lt;ref&gt;[http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00206429.html FNN]2011年8月30日&lt;/ref&gt;。なお翌日の[[衆議院]][[本会議]]における[[内閣総理大臣指名選挙]]では、小沢を慕う[[松木謙公]]より一票を投じられている&lt;ref&gt;{{Cite web<br /> |url=http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000117720110830040.htm<br /> |title=衆議院議事録 [[第177回国会]] 本会議 第40号(平成23年8月30日(火曜日))<br /> |publisher=[[衆議院]]<br /> |accessdate=2011-09-04<br /> }}&lt;/ref&gt;。2011年9月、[[野田内閣]]の発足に伴い経済産業大臣を退任し、衆議院[[財務金融委員会|財務金融委員長]]に就任。<br /> <br /> 2012年12月16日の[[第46回衆議院議員総選挙]]では東京1区から民主党公認で出馬し、自民党新人で当時38歳の[[山田美樹]]に敗れたが、比例復活で6選。<br /> <br /> 同年12月22日、総選挙の結果を受けて[[国民民主党代表|民主党代表]]を辞任した野田の後任を決める[[2012年12月民主党代表選挙|民主党代表選挙]]に立候補を表明した&lt;ref&gt;{{Ja icon}} {{Cite web<br /> |title = 民主党代表選:海江田氏、出馬表明 25日実施<br /> |publisher = [[毎日新聞]]<br /> |url = http://mainichi.jp/select/news/20121223ddm001010094000c.html<br /> |date = 2012-12-22<br /> |accessdate = 2012-12-23 }}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{Ja icon}} {{Cite web<br /> |title = あえて火中の栗拾う…海江田氏、代表選出馬へ<br /> |publisher = Yomiuri online [[読売新聞]]<br /> |url = http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20121222-OYT1T00708.htm<br /> |date = 2012-12-22<br /> |accessdate = 2012-12-23 }}&lt;/ref&gt;。出馬に際して、「あえて火中の栗を拾う(覚悟で今度の代表選に臨む決意をした)。(民主党の創始者の一人として)党を立て直す責任がある」と心境を明かした。12月25日の代表選挙で90票を獲得し、[[馬淵澄夫]]を下して民主党代表に選出された&lt;ref&gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121225/stt12122514540016-n1.htm 新代表に海江田氏 議員投票で馬淵氏破る] [[産経新聞]] 2012年12月25日閲覧&lt;/ref&gt;。なお民主党初の比例代表により当選した代表である。<br /> <br /> 2013年8月16日、[[新華社]][[日本語]]経済ニュースにより、海江田が[[中国共産党]]機関紙・[[人民日報]]系の国際情報紙・[[環球時報]]の取材の中で『「([[安倍晋三]]が)戦後秩序を戦前に戻そうとしている」「[[歴史認識]]問題で、安倍首相は[[戦後]]の国際秩序を再び[[戦前]]に戻そうとしている。だが、そんなことは[[アジア]]各国のみならず国際社会全体が賛同しない」』と述べた事が報道され&lt;ref name=&quot;xinhua2013081601&quot;&gt;{{Ja icon}} {{Cite web<br /> |title = 民主党の海江田代表が安倍首相を批判、「戦後秩序を戦前に戻そうとしている」-中国紙<br /> |publisher = [[新華社]]<br /> |url = http://www.xinhua.jp/socioeconomy/economic_exchange/356731/<br /> |date = 2013-08-16<br /> |accessdate = 2013-08-17 }}&lt;/ref&gt;、また同記事の中で環球時報が海江田を『日本で「[[親中派]]」と呼ばれる海江田代表』と評している事が報道された&lt;ref name=&quot;xinhua2013081601&quot; /&gt;。<br /> <br /> 2014年12月14日の[[第47回衆議院議員総選挙]]は代表となってから初めての総選挙であり、自らも東京1区から出馬した。民主党は改選前から11議席増やして73議席としたが、自身は前回と同じく山田美樹に敗れ、さらに比例東京ブロックでも復活当選できず落選となった。[[野党]]第1党党首が落選するのは、1949年1月の[[第24回衆議院議員総選挙]]で[[日本社会党]]委員長であった[[片山哲]](第46代[[内閣総理大臣]])が落選して以来、65年ぶりのことである&lt;ref&gt;{{Cite web<br /> |url=http://www.hochi.co.jp/topics/20141215-OHT1T50128.html<br /> |title=【衆院選】民主・海江田氏落選!野党第1党党首では49年片山元首相以来の屈辱<br /> |publisher=[[スポーツ報知]]<br /> |accessdate=2014-12-15<br /> }}&lt;/ref&gt;。この結果を受け、総選挙の翌日の12月15日に[[記者会見]]を開き、民主党代表を辞任することを表明した&lt;ref&gt;{{Cite web<br /> |url=http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_date1&amp;k=2014121501085<br /> |title=「力足らず」「今後は一党員」=代表辞任、うっすら涙も-海江田氏【14衆院選】<br /> |publisher=[[時事通信]]<br /> |accessdate=2014-12-15<br /> }}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;片山以前には[[日本国憲法]]下の例は無く、[[大日本帝国憲法]]下の[[1936年]][[第19回衆議院議員総選挙]]で落選した、[[立憲政友会]]の[[鈴木喜三郎]]総裁までさかのぼる。&lt;/ref&gt;。2015年1月15日、民主党代表を辞任。同年12月9日には憲政記念会館において、[[辻元清美]]議員の「政治活動20年へ、感謝と飛躍の集い in 東京」という政治資金規正法に基づく資金集めのパーティーに参加している&lt;ref&gt;[http://blog.goo.ne.jp/lebenstaff/e/61b8abaa833ca2e03e38713c1fd15cec 辻元清美 政治活動20年へ、感謝と飛躍の集い in 東京]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[2017年]]の[[第48回衆議院議員総選挙]]では、[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]公認で[[東京都第1区|東京1区]]に出馬し&lt;ref&gt;{{Cite web |url = http://www.sankei.com/politics/news/171004/plt1710040082-n1.html |title = 枝野新党立憲民主、東京で菅直人元首相、海江田万里氏ら16人擁立 |publisher = 産経ニュース |accessdate = 2017-10-05}}&lt;/ref&gt;、自民党の[[山田美樹]]に3021票差で勝利し、国政に返り咲いた&lt;ref&gt;[http://www.nhk.or.jp/senkyo/database/shugiin/2017/#!skh_1301 東京1区 2017衆院選 開票速報]NHK選挙WEB&lt;/ref&gt;。11月1日、立憲民主党より[[赤松広隆]]が[[衆議院議長|衆議院副議長]]に就任することに伴い、赤松が務めていた最高顧問の役職に就いた&lt;ref&gt;[http://www.sankei.com/politics/news/171031/plt1710310051-n1.html 立憲民主党最高顧問に海江田万里氏]産経新聞10月31日付&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[2018年]]、党の[[税制調査会|税制調査会長]]並びに財務金融部門会議の初代部会長に就任&lt;ref&gt;[https://cdp-japan.jp/about-cdp/board/policy-research-council 立憲民主党 政務調査会 役員]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 人物 ==<br /> [[ファイル:Banri Kaieda and Masahiro Kawamura 20101217.jpg|thumb|200px|[[2010年]][[12月17日]]、川邑研究所[[社長]]川邑正広(右)と]]<br /> * 趣味は漢詩、読書、絵画鑑賞&lt;ref name=&quot;Kaieda&quot;&gt;[http://www.kantei.go.jp/jp/kan/meibo/daijin/kaieda.html 経済産業大臣 原子力経済被害担当]&lt;/ref&gt;。<br /> * 杉並区立高円寺中学校時代は[[野球]]部に入部し、熱心に打ち込んだ。特に[[夏休み]]期間中には朝から夕方まで猛練習に明け暮れる毎日であり、中学時代の部活で体力を養った経験が政治家に転身してから大いに生きたことを述懐している&lt;ref name=&quot;Essey&quot;&gt;[http://www.zephyr.dti.ne.jp/~kaieda/essay06.html エッセイ;No.6 「8月の思い出」- その2] 海江田万里オフィシャルサイト&lt;/ref&gt;。<br /> * その杉並区立高円寺中学校時代の野球部でチームメイトだったのが詩人の[[ねじめ正一]]であり&lt;ref name=&quot;Essey&quot;/&gt;、選挙の際にはねじめが応援にかけつけるなど現在でも親交が深い間柄でもある&lt;ref&gt;[https://www.facebook.com/banri.kaieda/posts/601551843211278 民主党 海江田万里さん (高円寺純情商店街)] 海江田万里オフィシャルFacebook 2013年6月16日付&lt;/ref&gt;。<br /> * 師事した野末陳平との関係から、「中国との縁が本格化した」という。[[漢詩]]に造詣が深く、2006年に私撰の[[詩集]]も出している。[[インタビュー]]で「中学生の時から[[漢文]]が好き」だったと答えている&lt;ref&gt;{{Cite news|url= http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&amp;d=0421&amp;f=column_0421_001.shtml|title= 海江田万里「日中には違いが存在。けんかすることもある」|newspaper= [[サーチナ]]|date= 2010年4月21日}}&lt;/ref&gt;。<br /> * 日中国会議員書画展へ書画を提供している&lt;ref&gt;[http://www.syogaten.com/list/38.html]NPO法人[[日中国会議員書画展実行委員会]]&lt;/ref&gt;。<br /> * [[生島ヒロシ]]が会長である[[生島企画室]]にマネージメントを委託し、活動している。議員に落選した影響から、経済評論家として講演会などの活動も増やし、[[TBSラジオ]]「[[生島ヒロシのおはよう一直線]]」など積極的に出演している。<br /> * 1996年に『僕が小沢政治を嫌いなほんとの理由』という本を出版したが、現在では[[小沢一郎]]との関係は良好であり、新しい[[議員会館|衆議院議員会館]]では、海江田も籍を置く[[鳩山グループ]]の所属議員の多くが使用する第1議員会館4階ではなく、小沢の側近議員が集められた同6階の一室を使用している&lt;ref&gt;{{Cite news|url= http://www.asahi.com/seikenkotai2009/TKY201002030466.html|title= 新議員会館、6階は「小沢ガールズストリート」の様相|newspaper= [[朝日新聞]]|date= 2010年2月4日}}&lt;/ref&gt;。<br /> * 北京紙、[[新京報]]は2011年8月27日付で、海江田について「中国文化を愛好し、対中関係に積極的」と評価。名前の由来や[[司馬遷]]の『[[史記]]』を愛読していること、[[北京市|北京]]の[[繁華街]]で買った中国メーカーの[[背広|スーツ]]を着用していることなどを好意的に紹介した。<br /> <br /> == 政策 ==<br /> * 「私が掲げる10の政策」として以下の7つを挙げている&lt;ref&gt;[http://kaiedabanri.jp/policy/ 海江田万里公式サイト、政策・信条]&lt;/ref&gt;。<br /> **[[専守防衛]]で日本の平和を守ります。<br /> **憲法違反の[[平和安全法制|安保法制]]を廃止します。<br /> **[[核兵器禁止条約]]を支持し、核の無い世界を創ります。<br /> **[[アベノミクス]]による格差の是正をします。<br /> **持続可能な年金制度を作ります。<br /> **「共生社会基本法」を制定し、差別のない社会を創ります。<br /> **中小企業を元気にするため[[社会保険料]]の企業負担を軽減します。<br /> **[[2019年]]10月の[[消費税]]増税は凍結します。<br /> **東日本大震災・原発事故の復旧・復興に力を注ぎます。<br /> **[[再生可能エネルギー]]政策を確立し、原発ゼロを実現します。<br /> *[[朝日新聞]]候補者アンケートによると<br /> **[[アベノミクス]]をどちらかと言えば評価しない&lt;ref name=&quot;asahi2017&quot;&gt;[http://www.asahi.com/senkyo/senkyo2017/asahitodai/koho.html?k=ZZZZZ0B5 2017衆院選 朝日東大谷口研究室調査]&lt;/ref&gt;。<br /> **[[安全保障関連法]]の成立を評価しない&lt;ref name=&quot;asahi2017&quot;/&gt;。<br /> **[[北朝鮮]]問題への取り組みを評価しない&lt;ref name=&quot;asahi2017&quot;/&gt;。<br /> **[[組織犯罪処罰法]]の改正([[共謀罪]]法)を評価しない&lt;ref name=&quot;asahi2017&quot;/&gt;。<br /> **[[森友学園]]・[[加計学園]]問題への対応を評価しない&lt;ref name=&quot;asahi2017&quot;/&gt;。<br /> **幼稚園・保育所から大学まで教育を無償化すべきだ&lt;ref name=&quot;asahi2017&quot;/&gt;。<br /> **経済競争力を多少犠牲にしても格差是正を優先すべきだ&lt;ref name=&quot;asahi2017&quot;/&gt;。<br /> **[[ひとり親家庭]]や[[DINKS]]など家族の形は多様でよい&lt;ref name=&quot;asahi2017&quot;/&gt;。<br /> **[[非核三原則]]を堅持すべきだ&lt;ref name=&quot;asahi2017&quot;/&gt;。<br /> ** 選択的[[夫婦別姓]]制度導入に、[[2014年]]の調査では、どちらかといえば賛成&lt;ref&gt;朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。&lt;/ref&gt;、[[2017年]]の調査では、賛成&lt;ref name=&quot;asahi2017&quot;/&gt;。<br /> <br /> == 発言 ==<br /> [[ファイル:Banri Kaieda 20101202.jpg|thumb|200px|[[2010年]][[12月2日]]、「はやぶさ」功労者感謝状贈呈式にて]]<br /> [[ファイル:Banri Kaieda 20110620 4.jpg|thumb|200px|[[2011年]][[6月20日]]、原子力安全に関する閣僚会議にて]]<br /> [[ファイル:Banri Kaieda and Steven Chu 201009.jpg|thumb|200px|[[2010年]][[9月]]、[[アメリカ合衆国]][[アメリカ合衆国エネルギー長官|エネルギー長官]][[スティーブン・チュー]](右端)らと]]<br /> [[ファイル:Banri Kaieda 20101010 1.jpg|thumb|200px|[[2010年]][[10月10日]]、[[筑波宇宙センター]]にて]]<br /> [[ファイル:Banri Kaieda 20101010 2.jpg|thumb|200px|[[2010年]][[10月10日]]、[[筑波宇宙センター]]にて]]<br /> === 年収1500万円は中間所得者 ===<br /> 年収1500万円以上の[[給与]]所得者について、「金持ちではない。中間所得者だ」と述べている&lt;ref name=&quot;sankei2010_1219&quot;&gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101219/plc1012191253009-n1.htm 年収1500万円所得層「金持ちではない、中間所得者」 海江田経財相] 産経ニュース 2010.12.19 12:51&lt;/ref&gt;。日本における給与所得者のうち、年収1500万円以上の割合は1.2%である&lt;ref name=&quot;sankei2010_1219&quot; /&gt;。<br /> <br /> === 東日本大震災関連 ===<br /> ==== 消防隊について ====<br /> 2011年3月、[[福島第一原子力発電所事故]]での3号炉建物への放水活動を行う[[東京消防庁]][[ハイパーレスキュー隊]]幹部に対し政府関係者から「速やかにやらなければ処分する」との圧力的発言があったと、[[石原慎太郎]][[東京都知事]]は述べている。 都の関係者によると、その発言は海江田によるものであったという&lt;ref&gt;[http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&amp;k=2011032100274 都知事、消防隊への圧力に抗議=原発放水「速やかにしないと処分」-海江田氏発言か] 時事ドットコム 2011/03/21-19:37&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;しかし、基本的に消防を所管する[[日本の行政機関|中央省庁]]は[[総務省]][[消防庁]]のため、主任の大臣は[[総務大臣]]の[[片山善博]]であり、経済産業大臣は所管外のため、その命令に従う必要はない。また東京消防庁の[[消防官]]は[[東京都]]に所属する[[地方公務員]]であるため、国に直接処分する権限はない。&lt;/ref&gt;。なお海江田周辺では「そのような発言の事実はない」と否定している。また[[枝野幸男]][[内閣官房長官]]は「事実関係を把握した上で、善処が必要であれば政府として対応させていただく」と述べた&lt;ref&gt;[http://www.asahi.com/national/update/0321/TKY201103210345.html 「速やかに放水やらねば処分」国の指示か 都知事が抗議」] asahi.com 2011年3月21日22時44分&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 2011年3月22日、[[閣議]]後の[[記者会見]]において海江田は「進行中の話なので事実関係を詳細に述べるのは差し控えたいが、消防の方が本当に不快な思いをされたのであれば申し訳なく思う」と陳謝、一方で「私が直接現場と話したのではなく、連絡員が入っているものだ。今は現場で働いている人が第一で、いずれちゃんと話す」と述べた&lt;ref&gt;[http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C9381949EE0E0E293E38DE0E0E2E1E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;at=ALL 海江田経産相、消防隊員「処分」発言で陳謝][[日本経済新聞]] 2011年3月22日&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819481E0E0E2E2988DE0E0E2E1E0E2E3E39790E0E2E2E2;at=DGXZZO0195583008122009000000 計画停電の対象25地域に [[日本経済新聞]] 2011年3月22日]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==== 作業員被曝について ====<br /> 2011年3月25日、福島第一原子力発電所事故において作業員が[[被曝]]したことについて、[[放射線]]をチェックする職員が同行していなかったことを「かなり基本的な作業の落ち度。人繰りの問題で入っていなかった。大きな基本的なミス」と語り、東京電力の作業員軽視とも思われる対応に苦言を呈した&lt;ref&gt;[http://www.asahi.com/politics/update/0325/TKY201103250271.html 作業員被曝は「基本的な作業の落ち度」 海江田氏が苦言]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==== 作業員の待遇改善 ====<br /> 2011年4月26日の[[参議院|参院]][[経済産業委員会]]において、公明党副代表の[[松あきら]]元[[経済産業副大臣|経産副大臣]]が[[福島第一原子力発電所]]作業員の苛酷な労働環境について質問したところ、改善の難しさを述べてから、飯場について「片一方で避難民の方々が居て、それよりも良くなってはいけないし、かといって働く人たちの基準を守らなければいけないということで、本当に東電の方々も非常に難しい選択をしながら、そこは夏場に向かって熱中症も多いことですから、ぎりぎりのところで働く人たちの待遇を改善しなければいけないということになっている」と述べた&lt;ref&gt;[http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php 参議院インターネット審議中継 2011年4月26日の参院経済産業委員会]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==== 線量計つけず作業、日本人の誇り ====<br /> 2011年7月23日、テレビ番組に出演し「現場の人たちは線量計をつけて入ると(線量が)上がって[[法律]]では働けなくなるから、線量計を置いて入った人がたくさんいる」「頑張ってくれた現場の人は尊いし、[[日本人]]が誇っていい」と称賛した&lt;ref&gt;{{Cite news<br /> |url=http://www.asahi.com/national/update/0723/TKY201107230699.html<br /> |title=「線量計つけず作業、日本人の誇り」 海江田氏が称賛<br /> |work=asahi.com<br /> |newspaper=[[朝日新聞]]<br /> |date=2011-07-24<br /> |accessdate=2011-10-08<br /> }}&lt;/ref&gt;。ただし同年10月8日、東京電力はそのような例はないとの調査結果を[[原子力安全・保安院]]に報告している&lt;ref&gt;{{Cite news<br /> |url=http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20111007-OYT1T01147.htm<br /> |title=線量計外した例なし…海江田氏の発言受け調査<br /> |work=YOMIURI ONLINE<br /> |newspaper=[[読売新聞]]<br /> |date=2011-10-07<br /> |accessdate=2011-10-08<br /> }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> <br /> ==== 菅総理が注水をしたと情報を流す ====<br /> 菅元総理が安倍総理を訴えた裁判では東京地裁は、「海水注入を菅氏が決めたという虚偽の事実を海江田万里経済産業相(当時)ら側近が流したことなど記事は重要な部分で真実だった」と海江田の言動が原因とした<br /> &lt;ref&gt;{{cite news<br /> |url=http://www.sankei.com/smp/affairs/news/151203/afr1512030029-s.html<br /> |title=【菅元首相敗訴】福島原発めぐる安倍首相メルマガ訴訟 「海水注入中断させかねぬ振る舞いあった」「記事は重要な部分で真実だった」<br /> |newspaper=産経新聞<br /> }}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref&gt;[http://www.trkm.co.jp/houritu/16101702.htm 弁護士 小松亀一法律事務所_法律その他_元首相対現首相の名誉毀損訴訟平成27年12月3日東京地裁判決全文紹介2]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === その他の発言 ===<br /> 2010年10月17日、[[尖閣諸島中国漁船衝突事件]]に絡む[[中国共産党]]主導の[[中華人民共和国|中国]]主要都市で起きた[[反日デモ]]&lt;ref&gt;{{Cite news|url= http://www.jiji.com/jc/zc?key=%B4%B1%C0%BD&amp;k=201010/2010101700087|title= 反日デモ、実は官製=政府系学生会が組織-香港紙|newspaper= [[時事ドットコム]]|date= 2010年10月17日}}&lt;/ref&gt;に関して「まだ一部の動きだろうと思うが、燃え上がらないように日本も努力しなければいけない」と述べ、[[日本国政府|日本政府]]側の対応が必要だとの考えを示した&lt;ref&gt;{{Cite news|url= http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101017/plc1010171602003-n1.htm|title= 中国反日デモ「燃え上がらないよう日本も努力を」海江田氏|newspaper= [[MSN産経ニュース]]|date= 2010年10月17日}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 2011年1月17日、[[内閣府]]で海江田から[[与謝野馨]]への[[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済財政担当大臣]]の新旧引き継ぎ式が行われた。海江田は職員に[[中国語]]でさようならを意味する「再見(zai jian)」と訓辞を述べ、庁舎を後にした&lt;ref&gt;{{Cite news | url = http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20140407/CK2014040702000079.html| title = 経財相引き継ぎで海江田氏、中国語で「再見」=中国でも報道| agency = サーチナ | publisher = サーチナニュース | date = 2011-01-18 | accessdate = 2014-04-10 }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 2011年1月15日、[[慶應義塾大学]]で来日した[[フランス]]の[[経済学者]]、[[ジャック・アタリ]]と対談した。海江田は[[人口]]減対策について個人的見解と断った上で、「コントロールした上での[[移民]]政策も必要ではないか」と語り、留学生に優先的に国籍を付与するなどの方策も検討に値すると述べた&lt;ref&gt;{{Cite news | url = http://www.jukushin.com/archives/6765| title = ジャック・アタリ氏が講演| agency = Jukushin.com | publisher = 慶応塾生新聞会 | date = 2011-02-19 | accessdate = 2014-04-10 }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 2013年12月26日、[[内閣総理大臣]]・[[安倍晋三]]の[[靖国神社]]参拝について「過去の日本の歴史の負の側面とは一線を画すべきだ。日本の主体的な判断として大局的な立場にたって参拝を自重すべきだ」と述べ&lt;ref name=&quot;yasukunifu&quot;&gt;{{Cite news|url= http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131226/stt13122613370006-n1.htm |title= 【首相靖国参拝】民主・海江田代表「負の側面とは一線を画すべき」|newspaper= [[産経新聞]]|date= 2013-12-26}}&lt;/ref&gt;、靖国神社が日本の歴史の負の面であるとの認識を示した&lt;ref name=&quot;yasukunifu&quot; /&gt;。<br /> <br /> == 略歴 ==<br /> [[ファイル:Banri Kaieda Minshu IMG 5409 20130706.JPG|thumb|200px|[[2013年]][[7月6日]]、[[第23回参議院議員通常選挙]]の応援にて]]<br /> * [[1972年]]([[昭和]]47年)3月 - [[慶應義塾大学大学院法学研究科・法学部|慶應義塾大学法学部]]政治学科卒業&lt;ref name=&quot;Kaieda&quot;/&gt;。<br /> * 議員秘書を経て経済評論家&lt;ref name=&quot;Kaieda&quot;/&gt;。<br /> * [[1993年]]([[平成]]5年)7月 - 第40回衆議院議員選挙に日本新党から立候補、当選&lt;ref name=&quot;Kaieda&quot;/&gt;。<br /> * [[1996年]](平成8年)<br /> ** 9月 - [[鳩山由紀夫]]、[[菅直人]]らと民主党結成&lt;ref name=&quot;Kaieda&quot;/&gt;。<br /> ** 10月 - 第41回衆議院議員選挙当選&lt;ref name=&quot;Kaieda&quot;/&gt;。予算委員会、決算委員会、大蔵委員会委員&lt;ref name=&quot;Kaieda&quot;/&gt;。<br /> * [[2000年]](平成12年)<br /> ** 6月 - 第42回衆議院議員選挙当選&lt;ref name=&quot;Kaieda&quot;/&gt;。国家基本政策委員会、予算委員会、財務金融委員会委員&lt;ref name=&quot;Kaieda&quot;/&gt;。<br /> ** 9月 - 民主党財政委員長。<br /> * [[2002年]](平成14年)9月 - 民主党政策調査会長。<br /> * [[2003年]](平成15年)11月 - 第43回衆議院議員選挙当選&lt;ref name=&quot;Kaieda&quot;/&gt;。国家基本政策委員会理事、予算委員会委員&lt;ref name=&quot;Kaieda&quot;/&gt;。<br /> * [[2004年]](平成16年)5月 - 「[[次の内閣]]」の厚生労働大臣。<br /> * [[2009年]](平成21年)8月 - 第45回衆議院議員選挙で5期目の当選&lt;ref name=&quot;Kaieda&quot;/&gt;。予算委員会理事、安全保障委員会委員&lt;ref name=&quot;Kaieda&quot;/&gt;。<br /> * [[2010年]](平成22年)<br /> ** 6月 - 財務金融委員長&lt;ref name=&quot;Kaieda&quot;/&gt;。<br /> ** 9月 - 菅第1次改造内閣で内閣府特命担当大臣(経済財政政策、科学技術政策)、宇宙開発担当大臣&lt;ref name=&quot;Kaieda&quot;/&gt;。<br /> * [[2011年]](平成23年)<br /> ** 1月 - 菅第2次改造内閣で経済産業大臣&lt;ref name=&quot;Kaieda&quot;/&gt;。<br /> ** 6月 - 菅第2次改造内閣で原子力経済被害担当大臣&lt;ref name=&quot;Kaieda&quot;/&gt;。<br /> ** 9月 - 財務金融委員長<br /> * [[2012年]](平成24年)12月 - 第46回衆議院議員選挙出馬。小選挙区(東京1区)2位落選。同比例東京ブロック3位復活当選。[[2012年12月民主党代表選挙|民主党代表選挙]]にも出馬し、馬淵澄夫を下して当選。第10代民主党代表に就任。<br /> * [[2014年]](平成26年)12月 - 第47回衆議院議員選挙出馬。小選挙区(東京1区)2位及び同比例東京ブロック4位落選&lt;ref&gt;[http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/2014/news/20141215-OYT1T50016.html 民主・海江田万里代表が落選] 読売新聞 2014年12月15日閲覧&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/2014/kaihyou/yc84.html#k018 比例・東京開票速報 民主党] 読売新聞 2014年12月15日閲覧&lt;/ref&gt;。<br /> * [[2015年]](平成27年)1月 - 民主党代表を辞任。<br /> <br /> *[[2017年]](平成29年)、[[民進党]]の分裂に伴い、[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]所属で[[第48回衆議院議員総選挙]]に東京1区から立候補し、自民党の[[山田美樹]]を抑え返り咲き当選&lt;ref&gt;[http://www.nhk.or.jp/senkyo/database/shugiin/2017/#!skh_1301 東京1区 2017衆院選 開票速報]NHK選挙WEB&lt;/ref&gt;。<br /> **10月31日 - 立憲民主党は両院議員総会で、海江田を最高顧問に据える人事を了承した&lt;ref&gt;[https://search.yahoo.co.jp/amp/www.sankei.com/politics/amp/171031/plt1710310051-a.html%3Fusqp%3Dmq331AQECAEYAQ%253D%253D]産経ニュース2017.10.31/2017.12.25閲覧&lt;/ref&gt;。<br /> **11月 - 財務金融委員会筆頭理事。<br /> <br /> == 家族 ==<br /> === 海江田家 ===<br /> ; ([[鹿児島県]][[日置郡]][[金峰町]](現・[[南さつま市]])&lt;ref name=&quot;discover20060619&quot;/&gt;、[[東京都]][[杉並区]])<br /> * 父・&#039;&#039;&#039;四郎&#039;&#039;&#039;([[毎日新聞]]記者)&lt;ref name=&quot;mainichi20130128&quot;&gt;[http://mainichi.jp/opinion/news/20130128ddm002070079000c.html 風知草:首相インタビュー余話=山田孝男]毎日新聞 2013年01月28日&lt;/ref&gt;<br /> : [[安倍晋三]]総理大臣の父、晋太郎(元外相)と海江田の父、四郎(元毎日新聞論説副[[主幹]])は共に毎日新聞の記者で、四郎は8期上だった&lt;ref name=&quot;mainichi20130128&quot;/&gt;。<br /> * 妻&lt;ref name=&quot;Kaieda&quot;/&gt;<br /> * 長女&lt;ref name=&quot;Kaieda&quot;/&gt;。<br /> <br /> == 所属団体・議員連盟 ==<br /> * [[民主党娯楽産業健全育成研究会]]<br /> * [[日中友好議員連盟]]<br /> * [[日朝友好議員連盟]]<br /> * [[恒久平和のために真相究明法の成立を目指す議員連盟]]<br /> * [[健全なネットワークビジネスを育てる議員連盟]]<br /> * [[ホームエンタテイメント議員連盟]](副会長)<br /> * [[日中友好会館]](理事)<br /> * [[日中協会]](理事)<br /> <br /> == 著書 ==<br /> === 単編著 ===<br /> ;1983年<br /> *常識で生きるとこんな損をする バカを見るのはあなただけ 青春出版社 1983.11(プレイブックス)<br /> ;1985年<br /> *ここで差がつく女性のためのマネー作戦 すぐやれる。確実。有利。 角川ブックス 1985.12<br /> ;1987年<br /> *海江田万里のよくわかる「売上税」 徳間書店 1987.2<br /> *今どうすれば一番損をしないか このままでいると5年で、はだか同然 青春出版社 1987.6(プレイブックス)<br /> *海江田万里の損をしない遺産相続 山田ゴロ画 飛鳥新社 1987.12<br /> ;1988年<br /> *激変する生涯資金づくり いま、この「金融商品」情報を知らないと大差がつく 主婦と生活社 1988(21世紀ポケット)<br /> *ちょっと知らないだけで貧乏する お金持ちになる人貧乏する人大違い面白お金学 青春出版社 1988(プレイブックス)<br /> *危機を乗りきる財テク 講談社 1988.1<br /> *マネー新時代の資産倍増法 講談社 1988.2(ザ・ベストライフ)<br /> *マル優廃止 こうすれば大丈夫 扶桑社 1988.3<br /> *自分のお金が二倍になる本 とにかく速く 金額別いちばんトクな利殖法 光文社 1988.6(カッパ・ホームス)<br /> *マル優廃止後のタイプ別(新)財テク講座 あなたはなに派? 双葉社 1988.4<br /> *あなたの税金こう変わる 海江田万里の税テク指南 プレジデント社 1988.11<br /> ;1989年<br /> *海江田万里のすぐはじめたい相続税対策 遺産継承は長期展望で臨め 大陸書房 1989.1<br /> *知らないと損する新税制時代のマネープラン 扶桑社 1989.6<br /> *財産簿 借りてふやす生涯財テクの知恵 光文社 1989.6(カッパ・ホームス) ISBN 978-4334051631<br /> *消費税これだけは知っておけ 経済界、1989年<br /> *海江田万里の金のなる本 双葉社 1989.8<br /> *最新カード活用法 扶桑社 1989.1<br /> *男の家計革命 妻に財布を握らせない13章 講談社 1989.9<br /> ;1990年<br /> *海江田万里の「新」マネー総合作戦 高金利時代の財テク必勝法 プレジデント社 1990.11<br /> ;1991年<br /> *海江田万里が選んだクレジットカードベスト100 主婦の友社 1991.4<br /> ;1992年<br /> *ポストバブル時代の経済戦略 時事通信社 1992.1(現代を読む)<br /> *海江田万里のこれでわかる不況のしくみ アイペックプレス 1992.1<br /> *経済通になる日経新聞の読み方 双葉社 1992.6<br /> *成功する人はここが違う 東洋経済新報社 1992.11<br /> ;1993年<br /> *金利は生きもの コスモの本 1993.1<br /> *時代を読む、お金を活かす 高齢化・金融自由化を迎えて “不安の時代&quot;の財産有効活用学 PHP研究所 1993.7<br /> *ハイテク時代の得するライフプラン 知っているとこれだけ違う 扶桑社 1993.3<br /> ;1994年<br /> *確定申告完全マニュアル 1994年版(平成5年分) 日本文芸社 1994.1<br /> *「生活充実国」宣言 講談社 1994.2<br /> ;1995年<br /> *サラリーマン絶体絶命賃金崩壊 主婦と生活社 1995.12 ISBN 978-4391117943<br /> ;1996年<br /> *僕が小沢政治を嫌いなほんとの理由 二期出版 1996.2 ISBN 978-4890503018<br /> ;1997年<br /> *日本版ビッグバンこれが真実、これは嘘 ベストセラーズ 1997.6 ISBN 978-4584182901<br /> *「次の時代」をどう生きるか 癒しと再生へつながる提言 泉書房 1997.12<br /> ;1998年<br /> *改正外為法で日本は浮上する ベストセラーズ 1998.3<br /> ;1999年<br /> *「老後のお金」はこうして作りなさい 日本版401kプランで資産運用はこう変わる! ベストセラーズ 1999.9<br /> *世紀末アジア経済を読む 再生の盟主は日本か、中国か、米国か。 プレジデント社 1999.3 ISBN 978-4833416757<br /> ;2000年<br /> *海江田万里の大ヒント!快適老後のつくりかた 30歳からでも早過ぎない老い支度マネープラン集 主婦と生活社 2000.4<br /> ;2001年<br /> *「国のお金」のしくみがビシッと!わかる本 オーエス出版 2001.11<br /> ;2002年<br /> *いちばんわかりやすいペイオフ100問100答 アーク出版 2002.3<br /> ;2006年<br /> *海江田万里の音読したい漢詩・漢文傑作選 小学館 2006.7(中国語・日本語のCD付き) ISBN 978-4093876537<br /> *2011年、あなたの「定年後」は大丈夫か。 主婦と生活社 2006.7<br /> ;2007年<br /> *団塊漂流 団塊世代は逃げ切ったか 2007.12(角川oneテーマ21)<br /> ;2008年<br /> *水彩画で楽しむ漢詩紀行 悠久大陸を往く! 小学館 2008.12(編:海江田万里、イラスト:王昭) ISBN 978-4093878104<br /> *手にとるように税金がわかる本 かんき出版 2008.12<br /> ;2017年<br /> *人間万里塞翁馬 双葉社 2017.8<br /> <br /> === 共編著 ===<br /> ;1979年<br /> *公務員ズバリ合格法 若者よ,迷わず役人のプロをめざせ [[野末陳平]] 徳間ブックス 1979.4<br /> ;1983年<br /> *主婦が得するおかね学 / 野末陳平 リビングマガジン 1983.5<br /> ;1984年<br /> *この頭がものをいう新常識わが家の銀行利用法 野末陳平 青春出版社 1984.4(プレイブックス)<br /> ;1985年<br /> *わが家の頭のいい銀行利用法 野末陳平 青春出版社 1985.12(プレイブックス)<br /> *これでスッキリ疑問がとける!夫と妻の年金教室 野末陳平 ニッポン放送出版 1985.6<br /> *わが家の確定申告法 野末陳平 青春出版社 1985.2(プレイブックス)<br /> ;1987年<br /> *頭のいい税金の本 野末陳平 青春出版社 1987.2(プレイブックス)<br /> ;1988年<br /> *相続・贈与のテクニック あなたの財産を有効に次世代へ残すために /[[神津信一]] 長谷川工務店 1988.1<br /> ;1989年<br /> *香港買物美食手帳 / 野末陳平共編 扶桑社 1989.4<br /> ;1992年<br /> *頭にやさしい経済入門 財布からみた日本経済 同文書院 1992.5(快楽脳叢書)<br /> ;1994年<br /> *国会議事堂のダンディー /対論 [[弘兼憲史]] こーりん社 1994.4<br /> ;1995年<br /> *大判カタカナ語新辞典 有紀書房 1995.2<br /> *新カタカナ語ポケット辞典 有紀書房 1995.5<br /> <br /> == その他 ==<br /> ;大修館もっと明鏡大賞<br /> [[大修館書店]]が全国の中高生から国語辞典に載せたい言葉を募集する「第6回『もっと明鏡』大賞 みんなで作ろう国語辞典!」で、事務局オススメ傑作選に「海江田る」という言葉が選ばれた。この言葉は、海江田が経済産業大臣時代、菅直人首相(当時)の唐突な[[原子力撤廃|脱原発]]表明などに散々振り回されたり、それに関連して衆議院経済産業委員会の答弁中に号泣したりしたことから、「上司の発言に大きく振り回される」「すぐに泣く」という意味&lt;ref&gt;{{PDFLink|[http://www.taishukan.co.jp/meikyo_campaign6/happyo/can6_release.pdf 全国の中高生から寄せられた8万4,090語 第6回「もっと明鏡」大賞みんなで作ろう国語辞典! 結果発表]}} 大修館書店プレスリリース 2011年12月12日付&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ;政治資金<br /> 2003年9月12日の[[日本共産党]]の機関紙[[しんぶん赤旗]]で「[[消費者金融]](サラ金)など[[貸金業]]界の[[政党|政治団体]]「[[全国貸金業政治連盟]]」(全政連)から、[[政治献金]]を受けている」と伝えられている&lt;ref&gt;[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-09-12/14_01.html パーティ券リストの面々] [[しんぶん赤旗]] 2003年9月12日&lt;/ref&gt;。また、2011年10月29日のしんぶん赤旗で[[パチンコチェーンストア協会]]から、2005年以降[[パチンコ]]業界から220万円政治献金を受けていると伝えられている&lt;ref&gt;[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-10-29/2011102901_04_1.html パチンコ 合法換金狙い 山岡消費者担当相ら助言役] しんぶん赤旗 2011年10月29日&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ;安愚楽牧場関連<br /> 破綻した[[安愚楽牧場]]の[[和牛預託商法]]について、海江田は衆議院議員に当選する平成5年までに、複数の雑誌、書籍などで紹介し投資を推奨していた。これに対して全国安愚楽牧場被害対策弁護団と[[被害者]]の一部は被害額の1割の[[損害賠償]]を海江田を[[被告]]として[[訴訟|提訴]]した。<br /> <br /> 弁護団公式ホームページによると海江田はかつて以下のような記述をして[[投資]]を強く推奨し、リスクがないことを強調していたという&lt;ref&gt;[http://agurahigai.a.la9.jp/ 安愚楽牧場被害者弁護団公式ホームページ]&lt;/ref&gt;。<br /> * 「13.3%の高利回りは驚異的だ」「[[元金]]確実で、しかも年13.3%と考えれば、他の[[金融商品]]はまっ青!」&lt;ref&gt;「今どうすれば一番損をしないか」&lt;/ref&gt;<br /> * 「[[和牛]]の死亡率は0.4%と低く、また万一そのような事態があっても代わりの牛が提供されるので、契約どおりの[[利益]]は保証されます」&lt;ref&gt;雑誌・「BIGMAN」昭和63年3月&lt;/ref&gt;<br /> * 「知る人ぞ知るといった高利回りの利殖商品」「むろん元本は保証付き」&lt;ref&gt;書籍「海江田万里の金のなる本」&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;MAINICHI.jp201301180230&quot;/&gt;<br /> * 「利益は申し込みをした時点で確定していますから、リスクもありません」&lt;ref&gt;雑誌・月刊ドリブ「DoLive」平成4年9月&lt;/ref&gt;<br /> また、著作物の中で海江田は、安愚楽牧場への投資のための申し込み[[電話番号]]も記述をしており、被害者の中にはそれを見て申し込んだ人もいたという&lt;ref&gt;[http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20130122-OHT1T00149.htm]&lt;/ref&gt;。また安愚楽牧場のパーティーにも海江田は出席していた&lt;ref&gt;[http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20130122-OHT1T00149.htm]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 海江田は2012年12月25日の民主党新代表就任記者会見で「20数年前のことで、私も自分の金を出しており、時期がきて終わったことだ」と説明している。また、海江田は「(記事を)執筆した時期とその後の[[日本の経済]]は全く異なっており、評論の効力はなくなったと考えている。損害賠償責任を負うものではない」という談話を発表したが、弁護団長である紀藤正樹は「海江田氏は経済の専門家として記事を書いた点で責任は重い」として批判した&lt;ref name=&quot;MAINICHI.jp201301180230&quot;/&gt;。これまで、2012年6月から、過去3回、同様の申立てが為されていたという事であるが、3度目の調停申立てが、2013年2月5日までに成立しなかった場合は、[[東京地方裁判所|東京地裁]]に提訴する方針であるとした&lt;ref name=&quot;MAINICHI.jp201301180230&quot;&gt;[http://mainichi.jp/select/news/20130118k0000m040160000c.html 安愚楽牧場:経済評論家時代に推奨、海江田氏提訴も視野] ([[毎日新聞]] 2013年01月18日02:30配信 配信日に閲覧)&lt;/ref&gt;。この3度目の調停申立ては、2013年2月5日までに成立しなかったため、出資者約30人は、2月中に数億円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こす方針を固めた&lt;ref&gt;{{cite news |title=安愚楽被害者、海江田氏を月内提訴へ |newspaper=[[産経新聞]]|date=2013-2-5 |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130205/trl13020519400008-n1.htm|accessdate=2013-2-6}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 2013年2月18日、この件について、11都県に住む40代から70代の男女30人が、「投資の専門家として知名度と影響力があったのに、危険性の調査や説明を怠り、宣伝マンの役割を果たした」として、計約6億1,000万円の賠償を求めて東京地裁に正式に[[民事訴訟|民事提訴]]をした&lt;ref&gt;[http://www.sanyo.oni.co.jp/news_k/news/d/2013021801001865/ 海江田氏が安愚楽宣伝と提訴 出資者、6億円賠償求める]([[山陽新聞]] 2013年2月18日18:18配信 2013年2月19日閲覧)&lt;/ref&gt;が、2016年9月9日「海江田が記事を執筆した時点では安愚楽牧場の和牛は破綻必至の投資対象ではなく、海江田と安愚楽牧場間に緊密な関係はなかった」として請求は棄却された。弁護団は控訴の予定。<br /> <br /> == 演じた俳優 ==<br /> * [[石丸謙二郎]] - 日本テレビ『[[1000年後に残したい…報道映像]]』(2011年12月23日放送)<br /> * [[宅麻伸]] - 『[[NHKスペシャル]] メルトダウン File.07 そして冷却水は絞られた』(2018年3月17日放送)<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist|2}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{Commonscat|Banri Kaieda}}<br /> * [http://kaiedabanri.jp/ 海江田万里 OFFICIAL SITE | 立憲民主党 東京1区総支部長]<br /> * {{YouTube channel|banrikaieda}}<br /> * {{Twitter|banrikaieda}}<br /> * {{Facebook|banri.kaieda}}<br /> * [https://www.instagram.com/kaiedabanri/ 海江田万里] - [[Instagram]]<br /> <br /> {{Start box}}<br /> {{S-par}}<br /> {{Succession box<br /> |title = {{Flagicon|日本}} [[経済産業委員会|衆議院経済産業委員長]]<br /> |years = 2012年<br /> |before = [[中山義活]]<br /> |after = [[富田茂之]]<br /> }}<br /> {{Succession box<br /> |title = {{Flagicon|日本}} [[財務金融委員会|衆議院財務金融委員長]]<br /> |before = [[玄葉光一郎]]&lt;br /&gt;[[石田勝之]]<br /> |years = 2010年&lt;br /&gt;2011年 - 2012年<br /> |after = [[石田勝之]]&lt;br /&gt;[[五十嵐文彦]]<br /> }}<br /> {{S-off}}<br /> {{Succession box<br /> |title = {{Flagicon|日本}} [[経済産業大臣]]<br /> |before = [[大畠章宏]]<br /> |years = 第14代:2011年<br /> |after = [[鉢呂吉雄]]<br /> }}<br /> {{Succession box<br /> |title = {{Flagicon|日本}} [[内閣府特命担当大臣]]([[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済財政政策]])<br /> |before = [[荒井聰]]<br /> |years = 第15代:2010年 - 2011年<br /> |after = [[与謝野馨]]<br /> }}<br /> {{Succession box<br /> |title = {{Flagicon|日本}} [[内閣府特命担当大臣]]([[内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)|科学技術政策]])<br /> |before = [[川端達夫]]<br /> |years = 第17代:2010年 - 2011年<br /> |after = [[玄葉光一郎]]<br /> }}<br /> {{S-ppo}}<br /> {{Succession box<br /> |title = [[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]][[税制調査会|税制調査会長]]<br /> |before = 設置<br /> |years = 初代:2018年<br /> |after = 現職<br /> }}<br /> {{Succession box<br /> |title = [[国民民主党代表|民主党代表]]<br /> |before = [[野田佳彦]]<br /> |years = 第10代:2012年 - 2014年<br /> |after = [[岡田克也]]<br /> }}<br /> {{Succession box<br /> |title = [[国民民主党執行部|民主党政策調査会長]]<br /> |before = [[岡田克也]]<br /> |years = 第5代:2002年<br /> |after = [[枝野幸男]]<br /> }}<br /> {{Succession box<br /> |title = [[市民リーグ|市民リーグ代表]]<br /> |before = 結成<br /> |years = 初代:1995年 - 1996年<br /> |after = [[民主党_(日本 1996-1998)|民主党]]へ<br /> }}<br /> {{End box}}<br /> {{衆議院経済産業委員長}}<br /> {{衆議院財務金融委員長}}<br /> {{経済産業大臣}}<br /> {{経済財政政策担当大臣}}<br /> {{科学技術政策担当大臣}}<br /> {{宇宙政策担当大臣||宇宙開発担当大臣}}<br /> {{民主党}}<br /> {{Normdaten}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:かいえた はんり}}<br /> [[Category:日本の閣僚経験者]]<br /> [[Category:立憲民主党の衆議院議員]]<br /> [[Category:民進党の人物]]<br /> [[Category:民主党代表]]<br /> [[Category:民主党の衆議院議員]]<br /> [[Category:日本新党の国会議員]]<br /> [[Category:比例東京ブロック選出の衆議院議員]]<br /> [[Category:東京都選出の衆議院議員]]<br /> [[Category:日本の秘書]]<br /> [[Category:日本の経済評論家]]<br /> [[Category:日本のニュースキャスター]]<br /> [[Category:過去の生島企画室所属者]]<br /> [[Category:日本のキリスト教徒]]<br /> [[Category:慶應義塾大学出身の人物]]<br /> [[Category:東京都区部出身の人物]]<br /> [[Category:海江田氏|はんり]]<br /> [[Category:1949年生]]<br /> [[Category:存命人物]]</div> 218.47.98.145 大屋晋三 2018-07-09T11:56:03Z <p>218.47.98.145: </p> <hr /> <div>{{政治家<br /> |各国語表記 = おおや しんぞう<br /> |画像 = Shinzō Ōya.jpg<br /> |画像説明 = <br /> |生年月日 = [[1894年]][[7月5日]]<br /> |国略称 = {{JPN}}<br /> |出生地 = {{JPN}} [[群馬県]][[邑楽郡]][[明和町 (群馬県)|明和町]](旧・[[佐貫村 (群馬県)|佐貫村]])<br /> |没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1894|7|5|1980|3|9}}<br /> |死没地 = <br /> |出身校 = [[東京高等商業学校]](現・[[一橋大学]])<br /> |学位 = <br /> |前職 = [[帝人|帝國人造絹絲]]代表取締役社長<br /> |現職 =<br /> |所属政党 = ([[日本自由党 (1945-1948)|日本自由党]]→)&lt;br /&gt;([[民主自由党 (日本)|民主自由党]]→)&lt;br /&gt;([[自由党 (日本 1950-1955)|自由党]]→)&lt;br /&gt;[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]<br /> |称号・勲章 = [[勲一等瑞宝章]]<br /> |世襲の有無 = <br /> |親族(政治家) = <br /> |配偶者 = 初婚・大屋茂登子&lt;br/&gt;再婚・[[大屋政子]]<br /> |サイン = <br /> |ウェブサイト = <br /> |サイトタイトル = <br /> |国旗 = 日本<br /> |職名 = 第12代 [[運輸大臣]]<br /> |内閣 = [[第3次吉田内閣]]<br /> |選挙区 = <br /> |当選回数 = <br /> |就任日 = 1949年2月16日<br /> |退任日 = 1950年6月28日<br /> |退任理由 = <br /> |元首職 = <br /> |元首 = <br /> |国旗2 = 日本<br /> |職名2 = [[日本の大蔵大臣・財務大臣一覧|大蔵大臣臨時代理]]<br /> |内閣2 = [[第2次吉田内閣]]<br /> |選挙区2 = <br /> |当選回数2 = <br /> |就任日2 = 1948年12月14日<br /> |退任日2 = 1949年2月16日<br /> |退任理由2 = <br /> |元首職2 = <br /> |元首2 = <br /> |国旗3 = 日本<br /> |職名3 = 第34代 [[商工省|商工大臣]]<br /> |内閣3 = [[第2次吉田内閣]]<br /> |選挙区3 = <br /> |当選回数3 = <br /> |就任日3 = 1948年10月19日<br /> |退任日3 = 1949年2月16日<br /> |退任理由3 = <br /> |元首職3 = <br /> |元首3 = <br /> |国旗4 = JPN<br /> |職名4 = [[参議院議員]]<br /> |内閣4 = <br /> |選挙区4 = [[大阪府選挙区]]<br /> |当選回数4 = 2回<br /> |就任日4 = 1947年5月3日<br /> |退任日4 = 1956年6月3日<br /> |退任理由4 = <br /> |元首職4 = <br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;大屋 晋三&#039;&#039;&#039;(おおや しんぞう、[[1894年]]([[明治]]27年)[[7月5日]] - [[1980年]]([[昭和]]55年)[[3月9日]])は、日本の[[政治家]]、[[実業家]]。[[参議院議員]]。[[帝人]]社長、日本・ベルギー協会会長(初代)を歴任。<br /> <br /> [[大屋政子]]の夫。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> [[1918年]]([[大正]]7年)[[東京高等商業学校]](現・[[一橋大学]])卒&lt;ref name=&quot;zinmeip122&quot;&gt;『&lt;small&gt;新訂&lt;/small&gt; 政治家人名事典 &lt;small&gt;明治~昭和&lt;/small&gt;』122頁&lt;/ref&gt;。[[1918年]](大正7年)[[鈴木商店]]に入社、[[1925年]](大正14年)、旧帝国人造絹絲(現[[帝人]])に派遣され、[[1945年]](昭和20年)11月には[[社長]]に就任した&lt;ref name=&quot;zinmeip122&quot;/&gt;。以来、参議院議員だった昭和22年([[1947年]])から9年間をのぞき一貫してトップの座に君臨し、[[帝人]]を世界的な合繊メーカーに育て上げるとともに、[[繊維]]業界のリーダーとして活躍した&lt;ref name=&quot;zinmeip122&quot;/&gt;。議員在職中は、商工、大蔵、運輸の各大臣を歴任&lt;ref name=&quot;zinmeip122&quot;/&gt;。一方で「死ぬまでやめない」が口ぐせだった社長在任は26年余に及んだ&lt;ref name=&quot;zinmeip122&quot;/&gt;。<br /> <br /> == 来歴・人物 ==<br /> {{出典の明記|date=2013年1月|section=1}}<br /> === 生い立ち ===<br /> [[群馬県]][[邑楽郡]][[佐貫村 (群馬県)|佐貫村]]大字川俣に生まれた&lt;ref name=&quot;rireki6p133&quot;&gt;『[[私の履歴書]] &lt;small&gt;第六集&lt;/small&gt;』133頁&lt;/ref&gt;。父・央(なかば)は35歳、佐貫村尋常小学校の[[校長]]をしていた&lt;ref name=&quot;rireki6p133&quot;/&gt;。母はツネ24歳&lt;ref name=&quot;rireki6p133&quot;/&gt;、[[埼玉県]][[粕壁]]の[[本陣]]杉田家の娘である&lt;ref name=&quot;rireki6p134&quot;&gt;『私の履歴書 &lt;small&gt;第六集&lt;/small&gt;』134頁&lt;/ref&gt;。家は、代々[[川越藩|川越]]の松平[[藩士]]で、祖父は大屋門平といって[[柔術]]を指南していた&lt;ref name=&quot;rireki6p133&quot;/&gt;。大屋が生まれた[[佐貫村 (群馬県)|佐貫村]]大字川俣は[[館林市|館林]]から利根川の岸に沿う街道筋で、[[明治]]のはじめまでは宿場として[[本陣]]もあった&lt;ref name=&quot;rireki6p134&quot;/&gt;。ここでは小学校の[[教員]]や[[巡査]]が知識[[階級]]だった&lt;ref name=&quot;rireki6p135&quot;&gt;『私の履歴書 &lt;small&gt;第六集&lt;/small&gt;』135頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 学生時代 ===<br /> 小学校には数えの八ツで入った&lt;ref name=&quot;rireki6p135&quot;/&gt;。尋常の二年になった時に大輪と川俣との中間の須賀に本格的な小学校が新築されてここに移った&lt;ref name=&quot;rireki6p138&quot;&gt;『私の履歴書 &lt;small&gt;第六集&lt;/small&gt;』138頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 高小の二年になる時に父が[[永楽村]](現[[千代田町]])の尋常小学校長に転任し、居を永楽村大字舞木に移した&lt;ref name=&quot;rireki6p141&quot;&gt;『私の履歴書 &lt;small&gt;第六集&lt;/small&gt;』141頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[1907年]](明治40年)、大屋は高小2年を終えた&lt;ref name=&quot;rireki6p144&quot;&gt;『私の履歴書 &lt;small&gt;第六集&lt;/small&gt;』144頁&lt;/ref&gt;。しかし家庭の事情により父のところから中学に通うことはできなかった&lt;ref name=&quot;rireki6p144&quot;/&gt;。従兄に当たる高山守衛が、前橋で[[歯医者]]として成功しており、大屋はそこに[[書生]]として住みこんで、前橋中学に通うことになった&lt;ref name=&quot;rireki6p144&quot;/&gt;。<br /> <br /> 父の世話で[[1912年]](明治45年)4月1日から長柄村尋常高等小学校の[[代用教員]]となった&lt;ref name=&quot;rireki6p159&quot;&gt;『私の履歴書 &lt;small&gt;第六集&lt;/small&gt;』159頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[1918年]]([[大正]]7年)[[東京高等商業学校]](現・[[一橋大学]])卒業。<br /> <br /> === 経営者として ===<br /> 「テトロン」を導入し、経営危機に陥っていた帝人を瀬戸際で救ったカリスマ経営者として高い評価を受けている。<br /> <br /> === ワンマン経営の顛末 ===<br /> しかし、政権末期には行き過ぎた多角化が裏目に出たことと、高齢からくる経営能力の低下に加え[[大屋政子|政子夫人]]が経営に介入するなど、その弊害が目立つようになった。1980年に死去。夫人と共に大阪市内のお寺「法得寺」に眠る。<br /> <br /> === 後継経営者の事業整理 ===<br /> 以降の歴代経営者は[[安居祥策]]社長(2005年~相談役)まで3代にわたり、大屋時代の無謀な多角化路線の事業整理に追われ、20年近くリストラを繰り返すうち、リスクを避ける消極的な社風が定着した。<br /> <br /> == 家族・親族 ==<br /> === 大屋家 ===<br /> ;([[群馬県]][[邑楽郡]][[佐貫村 (群馬県)|佐貫村]](現[[明和町 (群馬県)|明和町]])・[[永楽村]](現[[千代田町]])・[[高島村 (群馬県)|高島村]](現[[邑楽町]])・[[前橋市]]、[[大阪府]][[大阪市]][[阿倍野区]]、[[東京都]])<br /> * 祖父・&#039;&#039;&#039;門平&#039;&#039;&#039;&lt;ref name=&quot;rireki6p133&quot;/&gt;<br /> :家は代々、[[川越藩|川越]]の[[松平氏|松平]][[藩士]]で、門平は[[柔術]]を指南していた&lt;ref name=&quot;rireki6p133&quot;/&gt;。<br /> * 父・&#039;&#039;&#039;央&#039;&#039;&#039;&lt;ref name=&quot;rireki6p133&quot;/&gt;(教育者)<br /> :父は兄姉十人の末っ子だった&lt;ref name=&quot;rireki6p133&quot;/&gt;。五つくらいの時に松平藩が川越から前橋に国替えになったが、その時父は小さな[[日本刀|大小]]を差して、仲間の肩に乗って[[利根川]]を渡った&lt;ref name=&quot;rireki6p133&quot;/&gt;。正規の[[学歴]]は持っていなかった&lt;ref name=&quot;rireki6p133&quot;/&gt;。しかし[[漢学]]に対する素養だけは相当にあった&lt;ref name=&quot;rireki6p133&quot;/&gt;。後半生を片田舎の平凡な[[小学校]][[教員]]として終ったが、[[明治]]十年代の初めには[[西園寺公望|西園寺公]]の一党として、[[自由民権運動|自由民権の運動]]に時代の先端を切ったこともあった&lt;ref name=&quot;rireki6p134&quot;/&gt;。大屋によれば「父は物に屈託しないのんきな性格の男で、酒好きでおしゃれ、虚栄心が強く、安月給にもかかわらず気ぐらいは高かった」という&lt;ref name=&quot;rireki6p134&quot;/&gt;。<br /> * 母・&#039;&#039;&#039;ツネ&#039;&#039;&#039;([[埼玉県]][[粕壁]]の[[本陣]]杉田家の娘&lt;ref name=&quot;rireki6p134&quot;/&gt;)<br /> :母の父定八は本来は[[邑楽郡]][[佐貫村 (群馬県)|佐貫村]]大字大輪の早川家の当主で、妻との間に一人の女の子があった&lt;ref name=&quot;rireki6p134&quot;/&gt;。それが[[明治維新|御維新]]のころに、何かのことで国元に妻子を残して出奔し、[[粕壁]]の杉田屋の[[婿]]に入り込み、母とその姉をもうけた&lt;ref name=&quot;rireki6p134&quot;/&gt;。その後また他に女をつくって、それに杉田屋の当主又八郎を生ませた&lt;ref name=&quot;rireki6p134&quot;/&gt;。この祖父は非常な豪傑だった&lt;ref name=&quot;rireki6p134&quot;/&gt;。品川の[[台場]]の築堤の時には、3000人の人夫を率いてその総元締をしていた&lt;ref name=&quot;rireki6p134&quot;/&gt;。豪放らいらく、親分はだで、企業家的精神に富む野心家だった&lt;ref name=&quot;rireki6p134&quot;/&gt;。母もその血を受けてか伝法なところがあった&lt;ref name=&quot;rireki6p134&quot;/&gt;。<br /> * 兄姉3人があったが、いずれも生まれて間もなく死んだ&lt;ref name=&quot;rireki6p133&quot;/&gt;。<br /> * 妻<br /> :&#039;&#039;&#039;茂登子&#039;&#039;&#039;(群馬県、大屋欽事の長女&lt;ref&gt;猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)オ一三七頁より&lt;/ref&gt;)<br /> ::[[東京高等商業学校|一ツ橋]]を受験する少し前に、最初の妻、[[従姉]]茂登子との関係ができた&lt;ref name=&quot;rireki6p166&quot;&gt;『私の履歴書 &lt;small&gt;第六集&lt;/small&gt;』166頁&lt;/ref&gt;。&lt;!--。大正二年十二月はじめに[[東京市]]役所の建築技師をしていた彼女の夫が、二児を残して急死した。兄の千代象や亡夫の兄夫婦が心配して退職手当などを元手に芝白金三光町に小さな菓子屋を出させた。私が用心棒がてらそこに同居して仕事の手伝いをすることになった。店は最初はよくはやって一家の生活費をまかなって余りがあった。私は[[公証人]]役場に通いながら相変らず猛勉強を続けていたが、一ツ橋の受験が迫るころ、どちらからともなく関係がついてしまった--&gt;<br /> :&#039;&#039;&#039;[[大屋政子|政子]]&#039;&#039;&#039;(大阪府[[平民]]&lt;ref name=&quot;zinzi7pモ33&quot;&gt;『人事興信録』 7版、モ三三&lt;/ref&gt;、弁護士・政治家[[森田政義]]の娘)<br /> * 長男、長女、二男、二女、三女、四女、五女&lt;ref&gt;『第十六版人事興信録(上)』お68-69頁より&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 関連人物 ==<br /> * [[大屋政子]]<br /> * [[金子直吉]]<br /> * [[阿部眞之助]]<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> &lt;references /&gt;<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://manabow.com/pioneer/teijin/index.html 帝人株式会社 大屋晋三:目次-先駆者たちの大地]<br /> {{-}}<br /> {{start box}}<br /> {{s-off}}<br /> {{Succession box<br /> | title = {{flagicon|JPN}} [[運輸大臣]]<br /> | years = 第12代:1949 - 1950<br /> | before = [[小沢佐重喜]]<br /> | after = [[山崎猛 (政治家)|山崎猛]]<br /> }}<br /> {{Succession box<br /> | title = {{flagicon|JPN}} [[商工省|商工大臣]]<br /> | years = 第32代:1948 - 1949<br /> | before = [[吉田茂]]<br /> | after = [[稲垣平太郎]]<br /> }}<br /> {{Succession box<br /> | title = {{flagicon|JPN}} [[日本の大蔵大臣・財務大臣一覧|大蔵大臣]]<br /> | years = (臨時代理)1948 - 1949<br /> | before = [[泉山三六]]<br /> | after = [[池田勇人]]<br /> }}<br /> {{end box}}<br /> {{国土交通大臣||[[運輸大臣]]}}<br /> {{商工大臣}}<br /> {{財務大臣||大蔵大臣}}<br /> {{Normdaten}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:おおや しんそう}}<br /> [[Category:大阪府選出の参議院議員]]<br /> [[Category:自由民主党の参議院議員]]<br /> [[Category:日本の運輸大臣]]<br /> [[Category:日本の商工大臣]]<br /> [[Category:日本の実業家]]<br /> [[Category:鈴木商店の人物]]<br /> [[Category:帝人の人物]]<br /> [[Category:一橋大学出身の人物]]<br /> [[Category:群馬県出身の人物]]<br /> [[Category:勲一等瑞宝章受章者]]<br /> [[Category:1894年生]]<br /> [[Category:1980年没]]</div> 218.47.98.145
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