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miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja]
2024-04-27T14:36:03Z
利用者の投稿記録
MediaWiki 1.31.0
源範頼
2018-09-28T13:20:58Z
<p>218.216.223.206: リンクを追加</p>
<hr />
<div>{{基礎情報 武士<br />
| 氏名 = 源範頼<br />
| 画像 = Minamoto no Noriyori.jpg<br />
| 画像サイズ = 250px<br />
| 画像説明 = 源範頼像([[横浜市]][[金沢区]][[太寧寺]]蔵)<br />
| 時代 = [[平安時代]]末期 - [[鎌倉時代]]初期<br />
| 生誕 = [[久安]]6年([[1150年]])<ref>『[[系図纂要]]』より。</ref>?<br />
| 死没 = [[建久]]4年[[8月17日 (旧暦)|8月17日]]([[1193年]][[9月14日]])?<br />
| 改名 =<br />
| 別名 = 蒲冠者、蒲殿、参州、吉見御所<br />
| 戒名 = 名巌大居士<br />
| 墓所 = [[伊豆市]][[修禅寺]]温泉場西北側の山腹<br />
| 官位 = [[従五位下]]、[[三河国司|三河守]]<br />
| 氏族 = [[清和源氏]][[源為義|為義]]流([[河内源氏]])<br />
| 父母 = 父:[[源義朝]]、母:池田宿([[磐田市]])の遊女<br>養父:''[[藤原範季]]''<br />
| 兄弟 = [[源義平|義平]]、[[源朝長|朝長]]、[[源頼朝|頼朝]]、[[源義門|義門]]、[[源希義|希義]]、'''範頼'''<br>[[阿野全成|全成]]、[[義円]]、[[源義経|義経]]、[[坊門姫 (一条能保室)|坊門姫]]、女子<br />
| 妻 = [[安達盛長]]女<br />
| 子 = [[範円|範圓]]、[[源昭]]{{Refnest|group="注釈"|いずれも出家している<ref>『[[尊卑分脈]]』による。</ref>。}}<br />
}}<br />
<br />
'''源 範頼'''(みなもと の のりより)は、[[平安時代]]末期から[[鎌倉時代]]初期にかけての[[武将]]。[[河内源氏]]の流れを汲む[[源義朝]]の六男。[[源頼朝]]の異母弟で、[[源義経]]の異母兄。<br />
<br />
[[遠江国]]蒲御厨(現[[静岡県]][[浜松市]])で生まれ育ったため{{読み仮名|'''蒲冠者'''|かばのかじゃ}}、{{読み仮名|'''蒲殿'''|かばどの}}とも呼ばれる。その後、[[藤原範季]]に養育され、その一字を取り「範頼」と名乗る。[[治承・寿永の乱]]において、頼朝の代官として大軍を率いて[[源義仲]]・[[平氏]]追討に赴き、義経と共にこれらを討ち滅ぼす大任を果たした。その後も[[源氏]]一門として、[[鎌倉幕府]]において重きをなすが、のちに頼朝に謀反の疑いをかけられ[[伊豆国]]に流された。<br />
<br />
[[武蔵国]][[横見郡]]吉見(現在の[[埼玉県]][[比企郡]][[吉見町]])のあたりを領して'''吉見御所'''と尊称された。<br />
<br />
== 生涯 ==<br />
=== 蒲冠者 ===<br />
生母は『[[尊卑分脈]]』によれば、遠江国池田宿の[[遊女]]とされている。池田宿は現在の[[静岡県]][[磐田市]]([[平成の大合併]]前は[[磐田郡]][[豊田町 (静岡県)|豊田町]])池田に比定され、範頼の生地とされる[[伊勢神宮]]内宮領・蒲御厨の東隣にあたる。現在では池田宿と蒲御厨は[[天竜川]]によって隔てられているが、平安時代には天竜川は池田宿の東側に流れており、池田宿は蒲御厨と地続きになっている天竜川西岸に設けられた[[東海道]]の宿場で[[京都]]と[[東国]]を結ぶ交通の要衝でもあった。このため、「遊女」とは称していても実際には単なる芸能民ではなく池田宿の有力者(長者)の娘で、父・義朝が池田宿との関係構築を目的として婚姻を結んだのではないかとみる説もある<ref>[[菱沼一憲]]「総論 章立てと先行研究・人物史」(所収:菱沼 編『シリーズ・中世関東武士の研究 第一四巻 源範頼』(戎光祥出版、2015年) ISBN 978-4-86403-151-6) P12-13</ref>。<br />
<br />
父・義朝が敗死した[[平治の乱]]では存在を確認されず、出生地の遠江国蒲御厨で密かに養われ、養父の[[藤原範季]]が[[東国]]の[[受領]]を歴任する[[応保]]元年([[1161年]])以降、範季の保護を受けたと考えられる。<br />
<br />
[[治承]]4年([[1180年]])に挙兵した兄・頼朝の元にいつ参戦したかは明示した史料はないが、最初は頼朝ではなく、出身の遠江国を中心に[[甲斐源氏]]などと協力して活動して、遠江国を占拠した甲斐源氏[[安田義定]]と協力関係にあったと考えられる。<br />
<br />
[[寿永]]2年([[1183年]])2月、常陸国の[[源義広 (志田三郎先生)|志田義広]]が三万余騎を率い鎌倉に進軍。その進軍に[[下野国]]の[[小山氏]]が迎撃し[[野木宮合戦]]となる。範頼は援軍として関東での活動が初めて[[史料]]([[吾妻鏡]])で確認される。小山氏の活躍により勝敗は決しており、残敵掃討戦参加のように考えられるが、甲斐源氏と頼朝との協力関係の中で、義定から派遣されたと見るべきである。<br />
<br />
=== 大将軍代理 ===<br />
[[寿永]]3年([[1184年]])1月、頼朝の代官として[[源義仲]]追討の[[大将軍]]となり、大軍を率いて上洛し、先に西上していた義経の軍勢と合流して[[宇治川の戦い|宇治・瀬田の戦い]]に参戦。[[尾張国]][[墨俣宿|墨俣]]渡にて御家人らと先陣争いで乱闘になったのが頼朝の耳に届き、怒りを買っている。1月20日、範頼は大手軍を率いて瀬田に向かい、義経は搦手軍を率いて宇治を強襲した。義経の独断による強襲とも言われているが、範頼軍は広く展開し、ゆっくりとした進軍をしている事から、戦上手の[[今井兼平]]率いる500余騎を範頼軍に引きつけるための作戦だったと思われる。また範頼軍も強襲をすると、進軍の大義名分である義仲が西方面に逃亡してしまう危険性があり、なにより京都には3万の兵士をまかなえるだけの食糧もなかった。義経の京都強襲が成功すると義仲は今井兼平と合流し、北陸に逃亡をはかるが、事前に察知していた範頼軍は展開していた兵士で追跡し、甲斐源氏の[[一条忠頼]]がまず捕捉して、最終的に義仲を討伐する。『[[平家物語]]』では義経が先に[[後白河天皇|後白河法皇]]の御所に駆け付け、名乗りを上げる場面で「範頼は未だ参らず」という台詞がある。『[[吾妻鏡]]』では範頼と義経は共に院の御所に参上しているが、これは『平家物語』の方が正しいと思われる。それは都の混乱を避けるべく、範頼軍は直接に入京していなかったと考えられるからである。<br />
<br />
寿永3年(1184年)2月5日に始まった[[一ノ谷の戦い]]では、範頼は大手軍を率いて進軍し([[宇治川の戦い]]で率いた3万の兵士を基幹としたと思われる)、また義経は1万の搦手軍を率いて進軍した。両軍の兵力差からみて、すでに敵主力を範頼軍に引き付ける作戦は決定していたと思われる。福原を本営に強固な防御陣を築いて待ち受ける[[平氏]]に対し、範頼軍は東側から正面攻撃を行い、生田の森において激戦が展開された。この間に西側に回り込んだ義経軍による奇襲によって戦いは7日に終結し、平氏を海上に追いやって大勝する。義経の評価はいっそう高まった。しかし諫言で有名な[[梶原景時]]や、[[畠山重忠]]などの勇将を統率した範頼の手腕を凡将という言葉で説明することはできない。むしろ、頼朝の名代である範頼は自身が前線で武功を上げるよりも義経以下の配下の諸将を指揮して武功を上げさせる役割を担っていた。墨俣渡で御家人と先陣争いをした事を頼朝に叱責されたのも範頼の役割に反するものとみなされたからと考えられる<ref>菱沼一憲「総論 章立てと先行研究・人物史」(所収:菱沼 編『シリーズ・中世関東武士の研究 第一四巻 源範頼』(戎光祥出版、2015年) ISBN 978-4-86403-151-6) P47-48</ref>。<br />
<br />
3月、範頼は上洛の際の乱闘騒ぎの咎で謹慎させられ、何度も嘆きわびてようやく許されている。<br />
<br />
6月、範頼は戦功により[[三河国司|三河守]]に任じられ、この守は名義上のものではなく建久4([[1193年]])8月の失脚に至るまで最高責任者として同国を支配した<ref>金澤正大「蒲殿源範頼三河守補任と関東御分国」『政治経済史学』370号1997年4・5・6月</ref>。現在も三河の地には範頼の名で建設された寺が存在し、政治においても高い能力を持っていたと思われる。<br />
<br />
=== 九州征伐 ===<br />
8月、範頼は[[九州]]進軍の任を受ける。出陣の前日に範頼軍の将達は頼朝から酒宴に招かれ、馬を賜る。この時代において馬は貴重品であり、また頼朝の秘蔵の馬(甲一領)を与えられた事から、遠征の重要性が理解できる。また九州進軍は平氏討伐ではなく、頼朝と対立・平氏を援助する[[西国]]家人を鎮圧し、平氏を瀬戸内方面に孤立させる事である。参加した武将は[[北条義時]]・[[足利義兼]]・[[千葉常胤]]・[[三浦義澄]]・[[八田知家]]・[[葛西清重]]・[[小山朝光]]・[[比企能員]]・[[和田義盛]]・[[工藤祐経]]・[[天野遠景]]など頼朝軍の主力武士団を揃えた。<br />
<br />
[[備前国]][[藤戸の戦い]]にて[[佐々木盛綱]]の活躍で[[平行盛]]軍に辛勝し、[[長門国]]まで至るが[[瀬戸内海]]を平氏の水軍に押さえられていることもあって、遠征軍は兵糧不足などにより進軍が停滞した。この事から、範頼の戦での能力は低いといわれるが、実際は頼朝が、範頼軍の食糧問題を解決する前に出発させた事が原因であるとされる。その理由として3万もの軍勢を京に長く滞在させることで、食糧や治安に問題がおきる事を避けたためといわれる。範頼は防長から、11・12月にかけて兵糧の欠乏、馬の不足、武士たちの不和など窮状を訴える手紙を鎌倉に次々と送る。それに対して頼朝は食料と船を送る旨と、地元の武士などに恨まれない事、[[安徳天皇]]・[[平時子|二位尼]]・[[三種の神器|神器]]を無事に迎える事、関東武士たちを大切にする事など、細心の注意を書いた返書を送っている。特に安徳天皇の無事は重ねて書き送っている。<br />
<br />
[[文治]]元年([[1185年]])1月26日、[[豊後国]]の豪族・[[緒方惟栄]]の味方などを得て、範頼はようやく兵糧と兵船を調達し、[[侍所]][[別当]]の和田義盛など勝手に鎌倉へ帰ろうとする関東武士たちを強引に押しとどめて[[周防国]]より豊後国に渡ることに成功。九州の平氏[[家人]]である[[原田種直]]を2月に豊前の[[葦屋浦の戦い]]で打ち破り、さらに博多・太宰府に進撃した。これにより、長門国[[彦島]](下関市)に拠点を置く平氏は背後を遮断されたことになり、平氏の後背戦力は壊滅したのと同じであり、平氏は援助も隠れる場所すらも失い、ただ彦島のみを拠点とせざるをえなくなった。<br />
<br />
同年2月、頼朝から出撃の命を受けた義経が[[屋島の戦い]]で勝利する{{refnest|group="注釈"|範頼に宛てた同日付の頼朝書状の文面の記録がある<ref>『吾妻鏡』元暦2年(1185年)正月6日条</ref>。その内容は性急な攻撃を控え、天皇・神器の安全な確保を最優先にするよう念を押したものだった。一方、義経が出陣したのは頼朝書状が作成された4日後であり<ref>『[[吉記]]』『[[百錬抄]]』同日条</ref>、屋島攻撃による早期決着も頼朝書状に記された長期戦構想と明らかに矛盾する。[[吉田経房]]が「郎従([[土肥実平]]・[[梶原景時]])が追討に向かっても成果が挙がらず、範頼を投入しても情勢が変わっていない」と追討の長期化に懸念を抱き「義経を派遣して雌雄を決するべきだ」と主張していることから考えると、屋島攻撃は義経の「自専」であり、平氏の反撃を恐れた院周辺が後押しした可能性が高い。『平家物語』でも義経は自らを「一院の御使」と名乗り、[[伊勢義盛]]も「院宣をうけ給はって」と述べている。これらのことから、頼朝の命令で義経が出陣したとするのは、平氏滅亡後に生み出された虚構であるとする見解もある<ref>[[宮田敬三]]「元暦西海合戦試論-「範頼苦戦と義経出陣」論の再検討-」『立命館文学』554、1998年</ref>。この説に対して出陣には一定の準備を要することや京都における頼朝の代官であった義経が頼朝の許可なく持ち場を離れる事は困難で、頼朝も鎌倉から[[近藤国平]]と[[中原久経]]を義経の代理として派遣していることから、頼朝からも何らかの命令を受けていた筈であるとする説もある。なお、近藤・中原の両名は後に九州に向かい、鎌倉に帰還する範頼から九州の処理を引き継いでいる<ref>菱沼一憲「総論 章立てと先行研究・人物史」菱沼 編『シリーズ・中世関東武士の研究 第一四巻 源範頼』P62-64</ref>。}}。<br />
<br />
範頼は頼朝に窮状を訴える手紙の中で、四国担当の義経が引き入れた[[熊野水軍]]の[[湛増]]が九州へ渡ってくるという噂を聞いて、九州担当の自分の面子が立たないとの苦情も書いている。<br />
<br />
3月24日、[[壇ノ浦の戦い]]で平氏を滅亡させる。<br />
<br />
=== 戦後 ===<br />
壇ノ浦合戦後、範頼は頼朝の命により、九州に残って[[天叢雲剣|神剣]]の捜索と平氏の残存勢力や領地の処分など、戦後処理にあたる。5月の頼朝からの伝令では、従っている御家人達に問題があっても、自分で勝手に判断して処罰せず、頼朝を通すように注意がきている。その頃鎌倉では、平氏追討の道中、頼朝の意に背かず何事も千葉常胤や[[奉行]]として付けられた和田義盛に相談した範頼に対し、言いつけを守らず独自に行動する義経の専横や越権行為が頼朝の怒りを買っており、範頼が九州の行政に当たっている間に、頼朝と義経は対立する。<br />
<br />
範頼は9月に頼朝に帰還の手紙を出し、海が荒れたため到着が遅れる旨を報告している。この範頼のこまめな報告ぶりも、頼朝に忠実であるとして評価され、逆に義経の独断専行ぶりを際だたせたという。10月、鎌倉へ帰還した範頼は、父・義朝の供養のための[[勝長寿院]]落慶供養で源氏一門の列に並び出席している。<br />
<br />
義経は頼朝追討の挙兵に失敗し、同年11月に都を落ちた。その際、養父・藤原範季の実子で範頼と親しかった[[藤原範資|範資]]は、範頼から兵を借りて義経追討に加わっている([[河尻の戦い]])。範季は潜伏中の義経を匿った事で頼朝の要請により解官されている。義経は[[陸奥国|奥州]]へ逃げ延びたのち、[[文治]]5年([[1189年]])閏4月30日、頼朝の圧力を受けた[[藤原泰衡]]による討伐軍の襲撃を受け、自害した。<br />
<br />
文治5年([[1189年]])7月、頼朝自ら出陣し、[[奥州藤原氏]]を滅ぼした[[奥州合戦]]においては、頼朝の中軍に従い出征。多くの源平合戦に参加した範頼だが、これが最後の参戦となった。<br />
<br />
[[建久]]元年([[1190年]])6月28日、都の院庁官・[[中原康貞]]が、範頼を通じて院伝奏・[[藤原定長]]と、[[関東申次]]・[[吉田経房]]を訴えた事に対し、頼朝は訴えをまったく聞き入れず、両者ともに公武での務めをよく果たしている良臣であり、この事は口外しないよう範頼に言い含めた。康貞の讒訴の意図は不明だが、範頼が中原康貞の仲介を行ったのは、康貞の弟・[[中原重能]]が範頼の家政機関の運営を行う吏僚であったためと考えられる。頼朝挙兵に参じた頃の私的郎党はわずかなものであったと思われるが、追討の実績・三河守補任や所領の獲得などによって私的な主従関係を結んだ武士の数も増えていったと見られる。また範頼と京との結びつきの強さから、直属武力なる武士たちには朝廷の武官職を持つ者も多かった。養父・藤原範季は[[九条兼実]]の[[家司]]であり、西国遠征の際には養父との接触にも慎重だった範頼が公家の争いに関わったのは、何らかの事情があったものと考えられる。<br />
<br />
同年11月の頼朝上洛に従い、頼朝任[[大納言]]の拝賀で前駆をつとめる。この時の上洛で[[源氏]]一門の[[源広綱]]が前駆に選ばれなかった事を理由に遁世した事を、広綱の使いから聞いた頼朝は、「行列の前駆は後白河院が定められた他は、参州(範頼)は兄弟であるので他の者には準じがたく、このことは相模守([[大内惟義]])以下も承知していることだ」と述べている(頼朝が推挙した供奉人は範頼と[[藤原範清|星野範清]]であったが、範清も頼朝の母方の従弟である)。<br />
<br />
=== 最期 ===<br />
[[ファイル:MinamotoNoNoriyoriNoHaka.jpg|thumb|240px|修善寺温泉場の範頼の墓]]<br />
建久4年([[1193年]])5月28日、[[曾我兄弟の仇討ち]]が起こり、頼朝が討たれたとの誤報が入ると、嘆く[[北条政子|政子]]に対して範頼は「後にはそれがしが控えておりまする」と述べた。この発言が頼朝に[[謀反]]の疑いを招いたとされる。ただし政子に謀反の疑いがある言葉をかけたというのは『[[保暦間記]]』にしか記されておらず、また曾我兄弟の事件と起請文の間が二ヶ月も空いている事から、政子の虚言、また陰謀であるとする説もある。<br />
<br />
8月2日、範頼は頼朝への忠誠を誓う[[起請文]]を頼朝に送る。しかし頼朝はその状中で範頼が「源範頼」と源姓を名乗った事を過分として責めて許さず、これを聞いた範頼は狼狽した。10日夜、範頼の家人である当麻太郎が、頼朝の寝所の下に潜む。気配を感じた頼朝は、[[結城朝光]]らに当麻を捕らえさせ、明朝に詰問を行うと当麻は「起請文の後に沙汰が無く、しきりに嘆き悲しむ参州(範頼)の為に、形勢を伺うべく参った。全く陰謀にあらず」と述べた。次いで範頼に問うと、範頼は覚悟の旨を述べた。疑いを確信した頼朝は、17日に範頼を[[伊豆国]]に流した(『[[吾妻鏡]]』)。<br />
<br />
8月17日、伊豆国[[修禅寺]]に幽閉される。『吾妻鏡』ではその後の範頼については不明だが、『保暦間記』『[[北條九代記]]』などによると誅殺されたという。ただし、誅殺を裏付ける史料が無いことや子孫が御家人として残っていることから後述のような異説の背景になっている。<br />
<br />
8月18日には、範頼の[[家人]]らが館に籠もって不審な動きを見せたとして結城朝光、[[梶原景時]]父子、[[仁田忠常]]らによって直ちに討伐され、また20日には[[曾我祐成]]らの同母兄弟である原小次郎(『[[曽我物語]]』では京の小次郎)という人物が範頼の縁座として処刑されている。<br />
<br />
[[菱沼一憲]]は処刑された原小次郎が範頼の郎党であったと推測し、曾我兄弟の仇討ちのきっかけとなった曾我氏と工藤氏の所領争いに範頼が何らかの関与をしていたと推定するとともに、事件の際に常陸国[[久慈郡]]の御家人が頼朝を守らずに逃亡した件や直後に発生した[[多気義幹]]の挙兵などの常陸国の混乱が、常陸国内に影響力を持ち同国の御家人達の調整者的な役割を果たしていた範頼に対する政治的責任問題として浮上し、その結果として頼朝が範頼に対して何らかの嫌疑を生じさせたのではないかと推定している。ただし、それは嫌疑の範囲で留まった(範頼は義経のように挙兵をしていない)ことから、範頼やその近臣が処分されても範頼の子の処分には至らなかったとしている<ref>菱沼一憲「総論 章立てと先行研究・人物史」(所収:菱沼 編『シリーズ・中世関東武士の研究 第一四巻 源範頼』(戎光祥出版、2015年) ISBN 978-4-86403-151-6) P72-86</ref>。<br />
<br />
== 伝説 ==<br />
[[ファイル:Kitamoto Ishidokabazakura Front 1.JPG|thumb|240px|石戸蒲ザクラ]]<br />
<br />
範頼の死去には異説があり、範頼は修禅寺では死なず、[[越前国|越前]]へ落ち延びてそこで生涯を終えた説や[[武蔵国]][[横見郡]]吉見(現[[埼玉県]][[比企郡]][[吉見町]])の[[安楽寺 (吉見町)|吉見観音]]に隠れ住んだという説などがある。吉見観音周辺は現在、吉見町大字御所という地名であり、吉見御所と尊称された範頼にちなむと伝えられている。『[[尊卑分脈]]』『吉見系図』などによると、範頼の妻の祖母で、頼朝の乳母でもある[[比企尼]]の嘆願により、子の[[範円|範圓]]・[[源昭]]は助命され、その子孫が[[吉見氏]]として続いたとされる。<br />
<br />
このほかに武蔵国[[足立郡]]石戸宿(現埼玉県[[北本市]]石戸宿)には範頼は殺されずに石戸に逃れたという伝説がある。範頼の伝説に由来する[[カバザクラ|蒲ザクラ]]は[[大正]]時代に日本五大桜の[[天然記念物]]に指定され、[[日本五大桜]]と呼ばれる。<br />
<br />
== 人物 ==<br />
* 性格については、『[[吾妻鏡]]』によると「私の合戦を好み・太だ穏便ならざるの ・由仰せらる」と残されており、また御家人と乱闘を起こしたこともあったという。<br />
* 『[[源平盛衰記]]』では範頼は凡将、無能というように記述されている。しかし源平盛衰記は14世紀に作成されており創作部分が多いことから、正確性は低いと判断される。『[[平家物語]]』でも、兵糧不足で停滞していた頃の範頼の遠征軍が、遊女と戯れ進軍を怠っている事になっており、宇治川合戦後の後白河法皇の御所への参院で範頼がいなかった事にされるなど、義経の武勲を引き立てるために範頼の活躍を矮小化している傾向がある。<br />
* 頼朝が義経には朝廷との交渉や京都の治安維持を任せ、範頼には対平家戦などの軍事作戦に専念させる方針であったとする見方がある。例えば、元暦元年8月27日に範頼が上洛し、2日後に平家追討の太政官符を受け取ると翌日には西国に出発している。これについて、[[九条兼実]]は[[藤原定能]]からの情報として、範頼は頼朝から「一日たりとも京都に逗留せずに四国に向かうように」という指示を受けているという話を記している(『玉葉』元暦元年8月21日条)<ref>菱沼一憲『中世地域社会と将軍権力』(汲古書院、2011年)P87-90</ref>。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
=== 注釈 ===<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
<references group="注釈" /><br />
=== 出典 ===<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{reflist}}<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
* [[野口実]]「源範頼の軌跡」『鎌倉』65号1991年1月<br />
* [[金澤正大]]「平家追討使三河守源範頼の九州侵攻」『政治経済史学』300号1991年6月<br />
* 金澤正大「蒲殿源範頼三河守補任と関東御分国」『政治経済史学』370号1997年4・5・6月<br />
* 野口実 『武家の棟梁源氏はなぜ滅んだのか』 [[新人物往来社]]、1998年。<br />
* [[菱沼一憲]] 編『シリーズ・中世関東武士の研究 第一四巻 源範頼』(戎光祥出版、2015年) ISBN 978-4-86403-151-6<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[石戸蒲ザクラ]]<br />
* [[吉見氏]]<br />
; 史跡<br />
* [[正法寺 (豊川市)]] - 範頼の子範円縁の寺。<br />
* [[安楽寺 (吉見町)]]<br />
* [[太寧寺]] - 範頼の墓所がある寺。1943年、海軍飛行場拡張のため現在地に移転。<br />
* 薬王寺(横浜市金沢区)源範頼の位牌を奉り、毎年8月24日の命日には「三河忌」として追善供養を行っている。<br />
; 歌舞伎<br />
* [[暫#女暫|女暫]] 歌舞伎「[[暫]]」の女性版。ヒロイン[[巴御前]]に対するウケ(悪玉の大将)として登場<br />
; 小説<br />
* [[堀和久]]『蒲桜爛漫―<small>頼朝の弟・義経の兄・源範頼</small>』(1999年、秋田書店)<br />
; 舞台<br />
* [["いのうえシェイクスピア"]]『[[鉈切り丸]]』(2013年、脚本:[[青木豪]]、演出:[[いのうえひでのり]]、演:[[森田剛]])[[シェイクスピア]]の『[[リチャード三世 (シェイクスピア)|リチャード三世]]』の翻案<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
{{Commonscat|Minamoto no Noriyori}}<br />
* [http://yoshimi-rekishi.or.tv/index.htm 吉見一族 ~その系譜と~事暦]<br />
<br />
{{Normdaten}}<br />
{{DEFAULTSORT:みなもと の のりより}} <br />
[[Category:平安時代の武士]]<br />
[[Category:鎌倉幕府御家人]]<br />
[[Category:河内源氏|のりより]]<br />
[[Category:1150年生]]<br />
[[Category:1193年没]]</div>
218.216.223.206
スイス式トーナメント
2018-08-25T08:24:25Z
<p>218.216.223.206: /* 採用状況 */ リンクを是正</p>
<hr />
<div>'''スイス式トーナメント'''とは、勝ち残り式ではなく、すべての参加者が一定数の試合を行う[[トーナメント方式]]である。'''スイスドロー'''とも呼ばれる。<br />
<br />
スイス式トーナメントでは、すべての競技者(チーム、個人)が複数回の試合を行うが、総当たり戦のように他のすべての競技者と試合をするわけではなく、総当たり戦に比べて試合数が大幅に削減される。対戦相手の決定はできる限り同程度の力量を持つ競技者同士が対戦し、同じ相手と二度以上対戦することがないように予め作られた規則に沿って行われる。全試合終了後に最も多くの得点を集めたものが勝者となる。<br />
<br />
[[1895年]]に[[スイス]]の[[チューリッヒ]]で行われたチェスの大会で初めてこの方式が使われたことからスイス式トーナメントと名付けられている。<br />
<br />
==概要==<br />
スイス式トーナメントが適しているのは、総当たりでは必要となる試合数が多すぎるが、トーナメント終了まで脱落者が出てしまうことが望ましくないような場合である。例えば、大会の目的が試合の機会を与えることであり、かつすべての試合を行うのに費用があまりかからないアマチュアの大会などが一つの例である。一方で、設備に制約があったり高額な費用がかかったりする場合、競技者がプロで一試合毎に報酬を払わなければならない場合、トーナメントの目的が観客にトップ選手のすばらしい試合を見せることである場合などは、勝ち抜き方式の方が適している。スイス式においては既定の試合数や得点の算出方法がある。競技者が奇数でなければ、各ラウンドで全ての競技者が試合に割り振られる。<br />
<br />
競技者は1ラウンドに1人(1チーム)とのみ対戦する。第1ラウンドを除いては、対戦相手はその時点の得点に基づいて決定される。第1ラウンドにおいては対戦相手はランダムや特定のパターンで決定される。もし、トップクラスの参加者が最後のラウンドで対決するようにしたいのならば、勝ち抜き方式のトーナメントと同様に両者を異なる山にいれて始めなければならない。<br />
<br />
続くラウンドにおいては、参加者はそれまでの累計の得点の順に並べられ、それぞれの得点が近いもの同士が対戦する。同じ対戦相手と二度当たらないようにするためや、不公平を均すために若干の調整が必要となることもある。<br />
<br />
総当たり方式は競技者が少ない場合に適している。ほとんどまたはすべてのプレイヤーがお互いに対戦できるからだ。根本にある考えは、すべてのプレイヤーと対戦して最終的に一番高得点を得たものは勝者に違いないというものである。脱落方式やサドンデスといった方式はすぐに競技者を減らすことができるが、必ずしも最も素晴らしいプレイヤーが勝てるとは限らない。単純な勝ち残り方式は自分より優れた相手に勝利してしまうことがあるかもしれない。スイス式はどれだけ多くのプレイヤーがいても限られた試合数で目に見える形で勝者を選ぶことを目的としている。スイス式の組み合わせは、総当たり方式のように全ての相手と対戦することなく、また1回の負けで脱落することなく、明確な勝者を決めなければならない。<br />
<br />
==採用状況==<br />
スイス式トーナメントは主に[[チェス]]<ref name="chess.about.com">{{cite web|url=http://chess.about.com/od/rulesofchess/a/What-Is-The-Swiss-System.htm |title=What is the Swiss System? |publisher=Chess.about.com |date=2013-11-13 |accessdate=2013-12-09}}</ref><ref name="senseis_swisspairing">{{cite web|url=http://senseis.xmp.net/?SwissPairing |title=Swiss Pairing |publisher=Sensei's Library |accessdate=2015-11-18}}</ref>、[[ブリッジ]]、[[エレクトロニック・スポーツ|eスポーツ]]、モラバラバ、[[スクラブル]]、[[バックギャモン]]、[[スカッシュ (スポーツ)|スカッシュ]]、[[ペタンク]]、クイズボウル、[[マジック・ザ・ギャザリング]]<ref>http://wizards.com/DCI/downloads/Swiss_Pairings.pdf</ref>、ポリシーディベート、[[ウォーハンマー]]、[[エイトボール]]、[[リバーシ]]、[[ドミニオン (カードゲーム)|ドミニオン]]、[[ポケモンカードゲーム]]<ref>{{cite web|url=http://www.pokemon.com/us/play-pokemon/glossary/ |title=OP Tournaments Glossary |publisher=Pokemon.com |accessdate=2013-12-09}}</ref>、[[遊戯王]]<ref>{{cite web|url=http://www.yugioh.tcgplayer.com/db/article.asp?id=1761/ |title=OP Tournaments Glossary |publisher=TCGplayer.com |accessdate=2014-21-14}}</ref> 、ブラッドボウル、ギルドウォーズ2、パスオブエグザイル、アンドロイドネットランナー<ref>{{cite web|url=https://www.fantasyflightgames.com/ffg_content/android-netrunner/support/FAQ/Android-Netrunner%20Tournament%20Rules.pdf |title=Android: Netrunner - Tournament Rules 1.6 | accessdate=2014-11-24}}</ref>などのゲームで使われている。<br />
<br />
囲碁の大会においても比較的まれにスイス式トーナメントが用いられている。少なくとも[[ヨーロッパ]]や[[アメリカ]]においては、現在ほとんどの囲碁の大会で[[マクマホン式トーナメント|マクマホン式]]が用いられている。スイス式トーナメントではトッププレイヤー同士の対戦が最後のラウンドで行われるようにしたいのであれば、早いラウンドにおいて「虐殺試合」と呼ばれる力の差が大きい者同士の対戦から始めなければならない。マクマホン式は、すべてのプレイヤーに最初からずっと自分と同等のプレイヤーとの試合<ref name="senseis sonne">{{cite web|url=http://senseis.xmp.net/?SonnebornBerger |title=Sonneborn Berger |publisher=senseis |accessdate=2015-11-18}}</ref><ref name="senseis_swisspairing"/>を与え、最終結果がより正確に「本当の」現在の強さを反映することができるように作られている。<br />
<br />
将棋の大会では[[将棋電王戦]]予選リーグ<ref>『将棋世界』2015年1月号、120頁</ref>などでスイス式トーナメントが採用されている。<br />
<br />
[[チェス]]では、スイス式 (Swiss) とモンラート式 (Monrad) の両方の用語が使われ、マッチングのアルゴリズムが異なる別々の方式を意味している(後述)。モンラート式は主に[[デンマーク]]や[[ノルウェー]]で用いられ、その他の国のほとんどでは[[国際チェス連盟]]([[FIDE]])の定めたスイス式が用いられている。これに対して他のほとんどのスポーツでは1種類の方式のみが使われ、それがスイス式 (Swiss) かモンラート式のいずれかの名前で呼ばれている。<br />
<br />
==組み合わせの決定==<br />
初戦の組み合わせはランダム、またはレーティング([[チェス]])や昨年の成績などによる序列に従って決定される。試合後すべての参加者は次のラウンドに進み、勝者は勝者と、敗者は敗者との対戦になるように組み合わせが決まる。それ以降のラウンドではそれぞれの競技者が自分と同じまたはほとんど同じ得点を持っている相手と顔を合わせることになる。どのプレイヤーも同じ相手と二度対戦することはない。チェスにおいてはどのプレイヤーも黒番白番を持つ数が同じになり、出来るだけ黒白交互で試合を行うことになるよう努力されている。また、三戦連続で同じ色を持つことがないように最大限配慮されている。<ref name="scichess.org">{{cite web|url=http://scichess.org/faq/swiss.html |title=Swiss System vs Round Robin |publisher=Scichess.org |accessdate=2013-12-09}}</ref><br />
<br />
細かい組み合わせ法などはスイス式の中でもそれぞれ異なる。これらはかなり複雑であるため、この作業が早く、簡単に、ミスなく行えるようにするために大会の主催者がこのマッチングをコンピュータに任せることもよくある。<br />
<br />
チェスでは「スイス式」と言った場合、たいていは[[国際チェス連盟]]がオランダ式と呼ぶ特定の方式を意味している。モンラート式は世界中の多くのスポーツで用いられているだけでなく、チェスでも[[デンマーク]]と[[ノルウェー]](の国内戦)で用いられている。以下ではこれらの二つの方式について簡単に説明する。<br />
<br />
===オランダ式 (Dutch system)===<br />
プレイヤーは得点に基づいていくつかのグループに分けられる。それぞれのグループにはレーティングやその他の基準に基づいて決められた同レベルのプレイヤーが入る。この方式のもとでは上位半分の選手は下位半分の選手と組合わされる。例えば、グループに8人の選手がいたとすれば、1番の選手は5番の選手と、2番の選手は6番の選手とといった組み合わせになる。同じ選手が二度対戦したり、手番が連続して同じになったりする([[チェス]])ことを防ぐ際に修正が行われる。<ref name="scichess.org" /> プレイヤーは得点やランク順に並べられ、上位半分が下位半分と組み合わされる。得点差が小さいグループにおいてはこの方式は適していない。<br />
<br />
===モンラート式 (Monrad system)===<br />
プレイヤーたちははじめ彼らの得点に基づいて格付けされ、彼らにスタートナンバーが与えられる(ランダムまたはシード制)。そして、1番と2番、3番と4番、…と対戦相手が決まる。他の規則に従うように修正が行われる。プレイヤーは得点(得点グループではない)や個人順位によって分けられ、それぞれのプレイヤーは再戦とならないような次の対戦相手と当たる。これは競技者が少ないときに適している方法である。<br />
<br />
[[デンマーク]]の[[チェス]]の大会に用いられているモンラート式はかなり単純で、プレイヤーははじめランダムに格付けされ、同じ相手と二度当たることだけを避けたマッチングが行われている。<ref>[http://www.dsu.dk/dsu-dok/skakhand/2007/sh4-14-2.pdf Regulations for Monrad system as used in Denmark] (See section 4.10.1) {{da icon}}</ref> ノルウェー式では最初のラウンドに任意のシードシステムを使用し、スコアごとのグループの中でマッチング方法によってすべてのプレイヤーの手番が等しくなるように努力している。<ref>[http://www.sjakk.no/nsf/monradsystem_index.html Regulations for Monrad system as used in Norway] {{no icon}}</ref><br />
<br />
==最終得点とタイブレーク==<br />
ラウンド数はあらかじめ決まっている。最終ラウンドが終わった時にプレイヤーは得点ごとにランク付けされる。もし、彼らの得点が等しく、彼らが対戦した相手の合計得点も等しかった場合は同点決勝が行われる。<br />
<br />
==分析、利点、欠点==<br />
引き分けがないと想定される、勝者(敗者)が明確に決定できる試合においてはノックアウト方式と同じだけの試合数が必要となる。つまり、プレイヤーの数を2を底とする対数を取った値だけのラウンド数が必要となる。したがって、3ラウンドあれば8人、4ラウンドあれば16人のプレイヤーを扱うことができる。もし、最低限必要な試合数よりも少ない数しか行われなかった場合は2人以上のプレイヤーがお互いに顔を合わせることなく全勝で大会を終えるという事態が起こりうる。<br />
<br />
ノックアウト方式と比べてスイス式には途中で敗退する選手が1人もいないという利点がある。つまり、大会に出場したプレイヤーは自分の成績に関わらずすべてのラウンドに参加することが保証される。唯一の例外は、参加人数が奇数で1人残ってしまう場合である。残った選手は不戦勝が与えられる。つまり、そのラウンドで対戦することはできないがそのラウンドで試合に勝ったのと同じだけの得点を得ることができる(例えば[[チェス]]の大会なら1勝)。そのプレイヤーは次のラウンドに再編入され、再度不戦勝を得ることはできない。<br />
<br />
ノックアウト方式と比べた際の他の利点は、最終結果がトーナメントの勝者だけでなく、それ以外の選手たちの相対的な強さも示してくれることである。例えば、ノックアウト方式の決勝戦の敗者は実際にはその大会で2番目に強い選手ではないかもしれない。なぜなら2番目に強い選手が最終的な優勝者に早いラウンドで負けてしまった可能性があるからである。<br />
<br />
スイス式トーナメントにおいては時々最終ラウンドを迎える前に、あるプレイヤーがたとえ最終戦に負けてしまっても優勝できるだけの大きなリードを得ることがある。これはいくつかの欠点を持っている。まず1つは、スイス式トーナメントはノックアウト方式とは異なり、最終戦が常にクライマックスを迎えるわけではないということである。そして2つ目は、優勝が確定していて勝つ必要がなくやる気のない1位の選手が最終戦で負けてしまった場合、他のプレイヤーの順位に影響を及ぼすことになる。この問題に対する1つの解決法は、首位の選手には脱落式のラウンドを設けることである。[[スクラブル]]のトーナメントではこのような大きなリードを持ったプレイヤーに対して、入賞することは不可能だが高い順位に位置するプレイヤーを対戦させる。この方法はアメリカで[[1995年]]に行われた[[スクラブル]]のオールスター大会で優勝したデイビッド・ギブソンに対して初めて適用されたことにちなんで、ギブソナイゼーション(またはギブソンルール)として知られている。彼はスクラブル史上最高の賞金王で、大きな大会でも最終ラウンドに入る前に優勝を確定させてしまうことで特に有名であった。このような背景から、優勝が確定した段階で準優勝者の決定に影響が出ないように順位の低いプレイヤーと対戦させられるプレイヤーは「ギブソン化」されたといわれる。<br />
<br />
総当たり方式と比べた際の欠点として、スイス式では大会を上位で終えた選手たちは概して良いパフォーマンスをし、下位で終えた選手たちはよくないパフォーマンスをしたことはわかるが、中位で終えた選手については順位があまり意味を持たないことが多い。例えば最近の[[ヨーロッパ]]・[[チェス]]選手権では、最終得点が5½/11だったプレイヤーたちのレーティング・パフォーマンス(その大会の成績だけで計算したレーティング)は2189~2559と散らばっていた。この数値の差は、このグループのうちパフォーマンスの高いプレイヤーはパフォーマンスの低いプレイヤーに対して90%以上の勝率を上げるだろうということを意味する。またレーティング・パフォーマンスが2441だったあるプレイヤーは、パフォーマンスが2518だった別のプレイヤーよりも2.5ポイントも高い得点を上げていた。<ref>[http://chess-results.com/tnr29567.aspx?art=1&rd=11&lan=1&turdet=YES&flag=30&m=-1&wi=1000&zeilen=99999 chess results]</ref><br />
<br />
この方式は[[イングランド]]において[[ポケットビリヤード]]の予選などに使われている。全勝のプレイヤーが多数出てきてしまう状況を克服するために、特定の回数試合に負けたプレイヤーは脱落させられる。これによって最終戦ではただ1人のプレイヤーのみが全勝で終え、自動的に勝者を決定することができる。一方で残りの選手たちが最終順位を決めるためにはラウンドロビン方式を行わなければならない。<br />
<br />
ラウンドロビン方式と比べて、スイス式は実現不可能な数のラウンド数を要求することなく多くのプレイヤーに参加してもらうことができる。勝ち残り式トーナメントは[[テニス]]のように一度に限られた数の試合数しか行えないような場合に適している。スイス式においてはすべてのプレイヤーが同時に対戦することができる。<br />
<br />
スイス式の最大の欠点は複雑性である。例えば[[サッカー]]の大会などに対しては、前もって会場の準備などが必要でありそれぞれの試合においてたくさんの配慮が必要であるといった実用的な理由から基本的には適していない。<br />
<br />
==スイス方式の色々な種類==<br />
===短期決戦方式===<br />
短期決戦法は用意されたラウンド数に対して適切な人数以上の参加者がいる大きなトーナメントなどで使われる。<br />
<br />
===デンマーク式===<br />
デンマーク式はスイス式と同じ原理で進むが、どのプレイヤーも同じ相手と二度試合をしてはいけないという制約がない。<br />
<br />
===コンラッド式===<br />
長い期間にわたって開催される(例えば1ラウンドに1週間で計3か月の大会など)いくつかのトーナメントにおいては、コンラッド式と呼ばれる融通の利く方式が用いられる。<ref>e.g. Sotra Chess Club who has an article posted on this system at http://www.sotrasjakk.no/index.php?option=com_content&task=view&id=33&Itemid=66 {{no icon}}</ref><br />
<br />
=== マクマホン式 ===<br />
[[マクマホン式トーナメント|マクマホン式]]として知られているスイス式の異型はヨーロッバにおける囲碁の大会で定着している。主な違いはプレイヤーがレベルごとに分けられた状態で始まることである。スイス式はすべてのプレイヤーが同じレベルで始まる特別な形なのである。これはベル研究所のリー・マクマホンにちなんで名づけられたものである。<br />
<br />
===アマルフィ式===<br />
[[イタリア]]のトーナメント方式。スイス式と似ているがプレイヤーを得点ごとに分けることはない。<br />
<br />
==脚注==<br />
{{reflist}}<br />
<br />
==外部リンク==<br />
*[http://www.fide.com/fide/handbook?id=18&view=category Detailed rules from FIDE on the Swiss pairing system]<br />
*[http://scichess.org/faq/swiss.html Comparison of Swiss and Round Robin formats]<br />
<br />
{{チェス}}<br />
{{DEFAULTSORT:すいすしきとおなめんと}}<br />
[[Category:トーナメント]]<br />
[[Category:チェスの棋戦]]</div>
218.216.223.206
コックニー
2018-08-17T15:32:20Z
<p>218.216.223.206: /* 発音 */ 例に不要な語が入り込んでいたので削除</p>
<hr />
<div>'''コックニー'''({{Lang-en-short|Cockney}})あるいはコクニーは、[[ロンドン]]の[[労働者階級]]で話される[[英語]]の一種である。<br />
<br />
語源的に14世紀には雄鶏(コック)が生んだような形の悪い卵を指し、16世紀初めには都会育ちで本当の生活を知らない子を指したという。1600年にはBow Bells([[シティ・オブ・ロンドン|シティ]]にある[[:en:St Mary-le-Bow|St.Mary-le-Bow]]教会の鐘)の音が聞こえる範囲内で生まれ他所に対する関心がない連中、との説明がなされた。<br />
<br />
== 特徴 ==<br />
コックニーの特徴として、以下が挙げられる。以下は全て[[容認発音|容認発音(RP)]]との対照であり、括弧内には例示として、具体的なフレーズをコックニーの発音で示してある。<br />
=== 発音 ===<br />
[[二重母音]]・[[長母音]]の発音が異なっている。具体的には{{IPA|eɪ}}が{{IPA|aɪ}}に(day{{IPA|daɪ}})、{{IPA|iː}}が[əi]に(keep{{IPA|kəip}})、{{IPA|aɪ}}が{{IPA|ɒɪ}}に(like{{IPA|lɒɪk}})、{{IPA|ɔɪ}}が{{IPA|oɪ}}に(oil{{IPA|oɪl}})、{{IPA|aʊ}}が{{IPA|æː}}に(town{{IPA|tæːn}})なる。<br />
<br />
ただし、厳密に言うと例えばdayの場合、[ei]の口の動き(唇を左右に開いた状態)で、[アイ]と発音する。<br />
<br />
*単語中の[h]を発音しない(half → [a:f])。不定冠詞はanとなる(a hand → {{IPA|ənænd}})。<br />
**コックニーを矯正しようという意識のある話者は逆に[h]を不要なところに付加してしまうケースもある(hardly ever{{IPA|hɑːdli hevə}})。<br />
*[[無声歯摩擦音]][θ]の"th"を[[無声唇歯摩擦音]][f]と発音(think{{IPA|fɪŋk}})。<br />
*[[有声歯摩擦音]][ð]の"th"を[[有声唇歯摩擦音]][v]と発音(father{{IPA|fɑːvə}})。<br />
*[[母音]]に挟まれたり後ろに[[歯茎側面接近音]][l]が続く、[[強勢]]のない[[無声歯茎破裂音]][t]は[[声門破裂音]]{{IPA|ʔ}}に変わることがある(get off{{IPA|geʔɒːf}})。<br />
*音素/r/に[[歯茎接近音]]{{IPA|ɹ}}ではなく[[唇歯接近音]]{{IPA|ʋ}}を用いることもある(right → "wite"{{IPA|ʋɒɪt}})。<br />
*母音と母音の間にrの挿入が行われることがある(America is→America-'''r'''is)。<br />
*強勢のない歯茎側面接近音[l]の円唇後舌母音・半母音化(little{{IPA|lɪʔʊ}}、able{{IPA|eɪbl}} → {{IPA|aɪbɪ}})。<br />
<br />
=== 言い回し、語彙 ===<br />
*am not, are not, is not, have not, has notの短縮形としてのain'tの使用。<br />
*myの代わりにmeを使用。<br />
*"Isn't it?"の短縮形としての"innit"を多用(Good day today innit?)。<br />
*kosher - 正当、本物。イディッシュ語[[カーシェール]]から借用<br />
<br />
コックニーには、伝統的に押[[韻]]スラング"Cockney Rhyming Slang"と呼ばれている、隠語めいた言い回しがある。現在はコックニーだけでなくイギリス各地で日常会話の中で、俗に使われている表現も多い。典型的な例として、有名人の名前が「あるネガティヴな意味を表している」というのがある。ブラッドピット他。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
!押[[韻]]スラング!!意味!!!!使用例 <br />
|-<br />
|Adam and Eve||信じること ||Believe→Adam and Eve([[アダムとエバ|アダムとイブ]])||I don't ''Adam and Eve'' it!<br />
|-<br />
|Bacon and Eggs||足||Legs→Bacon and Eggs||She's got a nice set of ''Bacons''. <br />
|-<br />
|Butchers||見ること||look→Butcher's hook(肉屋の肉フック)||Let me take a ''Butchers''!<br />
|-<br />
|China||親友||mate→China plate(陶器)||How are you, me old ''China''?<br />
|-<br />
|Grass/supergrass||密告/密告者||Copper(警官)→Grasshopper(バッタ)||I think he ''grassed me up''.<br />
|-<br />
|Lady Godiva||£5||fiver→Lady Godiva([[ゴダイヴァ夫人]])||Can I borrow a ''Lady Godiva''?<br />
|-<br />
|Porkies||嘘||Lies→Pork Pies 豚肉[[パイ]]||He's telling ''Porkies''. <br />
|-<br />
|Pete Tong||ダメになること||Wrong→{{enlink|Pete Tong|p=off|s=off}}(イギリスのDJ)||It's all gone Pete Tong.<br />
|}<br />
<br />
== 実際の使用 ==<br />
イギリスでは多様な英語が話されているが、特にコックニーは伝統的に「汚い」英語だと上流階級から非難を受けることが他の英語より多かった。戯曲『[[ピグマリオン (戯曲)|ピグマリオン]]』や、それを原作としたミュージカル『[[マイ・フェア・レディ]]』・映画『[[マイ・フェア・レディ (映画)|マイ・フェア・レディ]]』では、コックニーを話す主人公を矯正してRPを話させるようにする過程が描かれている。<br />
<br />
コックニーの発音は以下で確認することができる。<br />
*ミュージカル『マイ・フェア・レディ』・映画『マイ・フェア・レディ』<br />
*映画『[[オリバー!]]』<br />
*[[パンク]]バンド、[[セックス・ピストルズ]]のボーカル、[[ジョニー・ロットン]]の歌い方。<br />
*[[デビッド・ベッカム|デヴィッド・ベッカム]]<br />
*特撮テレビ番組(人形劇)『[[サンダーバード (テレビ番組)|サンダーバード]]』 - 登場人物の1人、パーカー(レディ・ペネロープの執事兼運転手)がコックニーを話す。<br />
*映画『[[さらば青春の光 (映画)|さらば青春の光]]』<br />
*映画『[[ハリー・ポッターとアズカバンの囚人 (映画)|ハリー・ポッターとアズカバンの囚人]]』<br />
*映画『[[ロンドンゾンビ紀行]]』<br />
<br />
[[ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君]]の英語版では言葉遣いを表現するためコックニーを使用している<ref>[http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1806/16/news002_3.html ドラクエやモンハンの世界をどう訳す? 「教会の十字架の形まで変える」ゲーム翻訳の奥深き世界 (3/4) - ねとらぼ]</ref>。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
{{参照方法|date=2018年6月|section=1}}<br />
*メルヴィン・ブラッグ(2004) 『英語の冒険』、三川基好訳、アーティストハウス(ISBN 4-04-898174-9)<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
*[[イギリス英語]]<br />
*[[容認発音]]<br />
*[[河口域英語]]<br />
*[[オーストラリア英語]]<br />
<br />
{{Language-stub}}<br />
{{UK-stub}}<br />
{{DEFAULTSORT:こつくにい}}<br />
[[Category:イギリスの言語]]<br />
[[Category:ロンドン]]<br />
[[Category:英語の言語変種]]<br />
[[category:英語の方言]]</div>
218.216.223.206
登山道
2018-08-10T15:42:38Z
<p>218.216.223.206: /* 概説 */ リンクを追加</p>
<hr />
<div>[[ファイル:Tanzawa doudaira 06-Jun.JPG|thumb|250x250px|登山道]]<br />
[[ファイル:Katora-dani Mount Kongo(Kongosanchi)1.jpg|thumb|250x250px|登山道を登る登山者]]<br />
[[File:Bogatsuru Wetland2017-11.jpg|thumbnail|登山道を進む[[MTB]]]]<br />
'''登山道'''(とざんどう)とは、[[山岳]]に[[登山]]するための[[道路|道]]。<br />
<br />
もともと登山以外の目的で設置されたものの、登山目的として使用されている道も登山道として呼ぶこともある。<br />
<br />
登山目的にかかわらず、山中にある道全般をさす場合は'''山道'''(やまみち)と表現されうる。<!--リダイレクトをやめて別項目で立ててもよいかもしれない--><br />
<br />
== 概説 ==<br />
登山道の登山目的で使用されている道であるが、自動車が走行できるほどの広いものや、道があることさえわからない[[けもの道]]同様の程のものまである。<br />
<br />
整備された登山道では、各段に石積みや横木、丸太階段などが設けられ、ルートによっては木材チップを敷き詰めるなどして歩きやすいようにしている箇所もある<ref>大関義明『これで身につく山歩き100の基本』JTB、2004年、22頁</ref><ref name="yama38">大関義明『これで身につく山歩き100の基本』JTB、2004年、38頁</ref>。一方で[[花崗岩]]の露岩となっている箇所など滑りやすい地面となっている場所もある<ref>大関義明『これで身につく山歩き100の基本』JTB、2004年、36頁</ref>。<br />
<br />
登山道にはそれぞれルート上の特性があり、例えば丸太階段のある箇所は比較的安全に歩くことができるが、歩幅や足の上げ幅が固定されてしまうため脚への負担は大きくなる<ref name="yama38" />。<br />
<br />
尾根が鋭く切り立っているヤセ尾根(鎌尾根)に登山道が設けられることもあるが、上級者向けのコースとして設定されていることが多い<ref name="yama203">大関義明『これで身につく山歩き100の基本』JTB、2004年、203頁</ref>。<br />
<br />
高層湿原などでは植生保護等の目的で[[ボードウォーク|木道]]を設けているルートもある<ref name="yama203" />。<br />
<br />
== 日本の登山道 ==<br />
=== 管理者 ===<br />
登山道は、前述の一部公道を除き管理者が不明確になっている場合が多い<ref>[http://www8.shinmai.co.jp/yama/2007/01/05_003786.html 八ケ岳登山道の管理責任は誰に-茅野市と管理署で論議(47Club 信州山小屋ネット2007年1月5日)]</ref>。これは登山道の多くが自然発生的に成立したものがほとんどであり、管理上のコストやリスクを特定の者([[地方自治体]]を含む)が負うことが困難なためである(遊歩道内の倒木による事故では、2億円近い損害賠償が認められた事例がある<ref>[http://www.daily-tohoku.co.jp/news/2009/02/06/new0902060901.htm 1億9300万円賠償確定/奥入瀬渓流落枝訴訟(デイリー東北新聞社2009年2月6日)]{{リンク切れ|date=2017年9月}}</ref>)。このため道の修繕をはじめとした管理の実態は、地元の山小屋や愛好者の一部が匿名のまま自腹や寄付金により行っている場合が多い<ref>[http://www.avis.ne.jp/~nmaj/scrap/2005/20050803bokin.htm 登山道整備協力呼び掛け、各山小屋に募金箱(信濃毎日新聞2005年8月3日)]</ref>。<br />
<br />
=== 著名なルート ===<br />
{{節stub}}<br />
* [[富士山]]<br />
** [[お鉢巡り]](富士山火口周囲の縦走路)<br />
* [[北アルプス]]<br />
** [[表銀座]]・[[裏銀座]]・[[西銀座ダイヤモンドコース]](北アルプスの主要縦走路の[[通称]])<br />
** [[小池新道]](北アルプス、[[新穂高温泉]]から[[双六小屋]]に至る縦走路)<br />
* [[飛騨山脈]]<br />
** [[水平歩道]]・[[日電歩道]]([[黒部峡谷]]・[[黒部峡谷#下廊下|下廊下]]の縦走路)<br />
* [[高尾山]]<br />
** [[奥高尾縦走路]]<br />
<br />
=== 登山国道 ===<br />
[[車両]]が通れず、[[歩行者]]のみが通れるような登山道が[[国道]]になっているところもある(いわゆる[[酷道]]の一種)。このような登山国道は、地図上では、登山道部分が通常の道路と同じく線で描かれていたり、破線([[点線国道]])で描かれていたり、登山道部分が線・破線共に描かれていないなど、地図によって様々なパターンがある。現在登山国道の多くは将来、車道として開通する予定であるが、[[自然環境]]の保護([[国道401号]]の[[尾瀬]]部分など)や[[財政]]難などの理由により車道として開通する予定がないものもある。かつて[[国道289号]]甲子峠は登山道に国道標識があり、登山国道として有名であったが、[[2008年]][[9月21日]]に[[甲子道路]]が開通し、国道の指定がなくなったため国道標識は撤去された<ref>{{Cite book|和書|author=佐藤健太郎|authorlink=佐藤健太郎 (フリーライター)|year=2014|title=ふしぎな国道|publisher=[[講談社]]|series=講談社現代新書|pages=21-24|isbn=978-4-06-288282-8}}</ref>。<br />
<br />
この他に[[都道府県道]]や[[市町村道]]が登山道になっているものも全国的に存在する。<br />
<br />
==== 主な登山国道 ====<br />
* [[国道152号]]<br />
* [[国道256号]]<br />
* [[国道257号]]<br />
* [[国道274号]]<br />
* [[国道289号]]<br />
* [[国道291号]]<br />
* [[国道305号]]<br />
* [[国道352号]]<br />
* [[国道353号]]<br />
* [[国道371号]]<br />
* [[国道401号]]<br />
* [[国道405号]]<br />
* [[国道416号]]<br />
* [[国道422号]]<br />
* [[国道452号]]<br />
* [[国道472号]]<br />
* [[国道476号]]<br />
* [[国道482号]]<br />
<br />
== ヨーロッパの登山道 ==<br />
{{節stub}}<br />
=== 著名なルート ===<br />
* [[モンブラン]]<br />
** 赤い針峰群({{interlang|en|Aiguilles Rouges}})<br />
** シャモニ針峰群(Aiguilles de Chamonix)<br />
<br />
==出典==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
<references /> <br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
{{commonscat|Hiking trails}}<br />
{{colbegin|3}}<br />
* [[トレース]]<br />
* [[けもの道]]<br />
* [[桟道]]<br />
* [[林道]]<br />
* [[峠道]]<br />
* [[階段国道]]<br />
* [[ワインディングロード]]<br />
* [[つづら折れ]]<br />
* [[トレイル]]<br />
* [[登山鉄道]]<br />
* [[山]]<br />
* [[登山]]<br />
* [[登山用語一覧]]<br />
* [[歩道]]<br />
* [[里道]]<br />
{{colend}}<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:とさんとう}}<br />
[[Category:登山道|*]]<br />
[[Category:登山]]<br />
[[Category:道路]]<br />
[[Category:歩道]]</div>
218.216.223.206
臭化水素
2018-08-10T15:08:00Z
<p>218.216.223.206: /* 実験室規模 */ 訳が不自然に見えたので変更。原文は"turnings"で意味は「旋盤・ろくろによる削りくず」ですが…</p>
<hr />
<div>{{Chembox<br />
| Name = 臭化水素<br />
| ImageFile = Hydrogen-bromide-2D-dimensions.svg<br />
<!-- | ImageSize = 120px --><br />
| ImageName = Hydrogen bromide<br />
| ImageFile1 = Hydrogen-bromide-3D-vdW.svg<br />
<!-- | ImageSize1 = 120px --><br />
| ImageName1 = Hydrogen bromide<br />
| PubChem = 260<br />
| IUPACName = 臭化水素<br />
| OtherNames =<br />
| Section1 = {{Chembox Identifiers<br />
| CASNo = 10035-10-6<br />
}}<br />
| Section2 = {{Chembox Properties<br />
| Formula = HBr<br />
| MolarMass = 80.912 g/mol<br />
| Appearance = 無色透明の気体<br />
| Density = 3.307g/L,気体<br />
| Solubility = 193g/100 ml (20℃)<br />
| MeltingPt = –86.80℃(186.35K)<br />
| BoilingPt = –66.38℃(206.77K)<br />
| pKa = ≈ –9<br />
}}<br />
| Section3 = {{Chembox Structure<br />
| MolShape = 直線形<br />
| Dipole = 0.82D<br />
}}<br />
| Section4 = {{Chembox Thermochemistry<br />
| DeltaHf = &minus;36.40 kJ mol<sup>&minus;1</sup><br />
| DeltaHc = <br />
| Entropy = 198.695 J mol<sup>&minus;1</sup>K<sup>&minus;1</sup><br />
| HeatCapacity = 29.142 J mol<sup>&minus;1</sup>K<sup>&minus;1</sup><br />
}}<br />
| Section7 = {{Chembox Hazards<br />
| ExternalMSDS = [http://www.jtbaker.com/msds/englishhtml/H3768.htm hydrobromic acid]<br /> [http://physchem.ox.ac.uk/MSDS/HY/hydrogen_bromide.html hydrogen bromide]<br />
| MainHazards = 毒性、腐食性<br />
| {{NFPA 704}}<br />
| NFPA-H = 4<br />
| NFPA-F = 0<br />
| NFPA-R = 2<br />
| NFPA-O = COR<br />
}}<br />
| Section8 = {{Chembox Related<br />
| OtherAnions = [[フッ化水素]]<br />[[塩化水素]]<br />[[ヨウ化水素]]<br />
}}<br />
}}<br />
<br />
'''臭化水素'''(しゅうかすいそ、Hydrogen bromide)とは[[ハロゲン]]化水素のひとつで、[[水素]]と[[臭素]]の化合物。[[化学式]]は '''HBr'''。標準状態では無色の刺激臭を持つ気体だが、液化させることもできる。水溶液は[[強酸]]の'''臭化水素酸'''である。臭化水素酸に脱水剤を加えると臭化水素を遊離させることができる。毒物及び劇物取締法に定める劇物に該当する。法律上の名称はブロム水素<ref>[http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO303.html 毒物及び劇物取締法 昭和25年12月28日 法律第303号 第2条 別表第2 73]</ref>。<br />
<br />
==用途==<br />
用途は多岐にわたる。例えばアルコールからブロモアルカンを作るのに利用される。<br />
: <ce>ROH\ + HBr -> R^+OH2\ + Br^- -> RBr\ + H2O</ce><br />
アルケンに付加してブロモアルカンを与える。<br />
: <ce>RCH=CH2\ + HBr -> RCH(Br)CH3</ce><br />
<br />
アルキンに付加させるとブロモアルケンが生成する。この付加反応の立体化学は通常アンチ型である。<br />
: <ce>RC</ce>≡<ce>CH\ + HBr -> RC(Br)=CH2</ce><br />
<br />
ハロアルケンへの付加では ''gem''-ジハロアルカンが得られる。反応は[[マルコフニコフ則]]に従う。<br />
: <ce>RC(Br)=CH2\ + HBr -> RC(Br2)CH3</ce><br />
<br />
[[エポキシド]]や[[ラクトン]]の開環やブロモアセタールの合成にも用いられる。また、多くの有機反応で触媒として用いられる<ref name="Hercouet">Hercouet, A.; LeCorre, M. (1988). "Triphenylphosphonium bromide: A convenient and quantitative source of gaseous hydrogen bromide". ''Synthesis'', 157-158. {{doi|10.1055/s-1988-27502}}</ref><ref name="Greenwood">Greenwood, N. N.; Earnshaw, A. (1997). ''Chemistry of the Elements''; Butterworth-Heineman: Oxford, Great Britain; pp. 809&ndash;812.</ref><ref>Carlin, W. W. US Patent 4,147,601, April 3, 1979.</ref><ref>Vollhardt, K. P. C.; Schore, N. E. (2003). ''Organic Chemistry: Structure and Function''; 4th Ed.; W. H. Freeman and Company: New York, NY.</ref>。<br />
<br />
==合成法==<br />
===実験室規模===<br />
多くの合成法が知られている。簡便な方法として硫酸と臭化ナトリウムの反応が挙げられる<ref name="WebElements">''WebElements: Hydrogen Bromide'', URL http://www.webelements.com/webelements/compounds/text/H/Br1H1-10035106.html</ref>。<br />
: <ce>NaBr\ + H2SO4 -> NaHSO4\ + HBr (g)</ce><br />
他には[[テトラリン]](1,2,3,4-テトラヒドロナフタレン)の臭素化<ref name="WebElements" />、<br />
: <ce>C10H12\ + 4Br2 -> C10H8Br4\ + 4 HBr</ce><br />
[[白金]]触媒存在下での精製した水素ガスと臭素の反応<ref name="WebElements" />、<br />
: <ce>Br2\ + H2 -> 2 HBr</ce><br />
[[亜リン酸]]による臭素の還元<ref name="Greenwood" /><br />
: <ce>Br2\ + H3PO3\ + H2O -> H3PO4\ + 2 HBr</ce><br />
がある。<br />
<br />
無水の臭化水素は、小スケール(10ミリモルから1モル)ではトリフェニルホスホニウムブロミド (Ph<sub>3</sub>PH<sup>+</sup>Br<sup>&minus;</sup>) を[[キシレン]]中で加熱還流して[[熱分解]]することによって得られる<ref name="Hercouet" />。<br />
<br />
上記の方法で合成された臭化水素は不純物として Br<sub>2</sub> を含むことがあるが、これは薄片状の銅または[[フェノール]]上を通過させることによって取り除くことができる。<ref name="Ruhoff">Ruhoff, J. R.; Burnett, R. E.; Reid, E. E. "Hydrogen Bromide (Anhydrous)". ''Organic Syntheses'', Coll. Vol. 2, p.338 (1943); Vol. 15, p.35 (1935). [http://www.orgsyn.org/orgsyn/prep.asp?prep=cv2p0338 リンク]</ref><br />
<br />
===工業規模===<br />
工業的に主要な化合物である塩化水素や塩酸と異なり、臭化水素や臭化水素酸の製造規模は小さい。初期の製造法は 200&ndash;400 ℃ 程度の高温で水素と臭素を反応させるものであった。この反応は通常白金や[[石綿|アスベスト]]で触媒される<ref name="Greenwood" /><ref name="Ruhoff" />。<br />
<br />
==臭化水素酸==<br />
臭化水素は他のハロゲン化水素と同様に極めて水に溶解しやすく、水溶液は臭化水素酸と呼ばれ、47.63%のものは沸点124.3℃の[[共沸]]混合物である。市販品は共沸混合物に近い48%(d=1.48g cm<sup>&minus;3</sup>, 8.8[[濃度#物質量/体積(モル濃度)|mol dm<sup>&minus;3</sup>]])程度のものが一般的であり[[毒物及び劇物取締法|医薬用外劇物]]の指定を受ける。<br />
<br />
水に対する溶解熱は極めて大きくハロゲン化水素の中で最大である<ref name="Parker">D.D. Wagman, W.H. Evans, V.B. Parker, R.H. Schumm, I. Halow, S.M. Bailey, K.L. Churney, R.I. Nuttal, K.L. Churney and R.I. Nuttal, The NBS tables of chemical thermodynamics properties, J. Phys. Chem. Ref. Data 11 Suppl. 2 (1982).</ref>。<br />
: <ce>HBr(g)</ce><math> \overrightarrow\longleftarrow </math><ce>H^+(aq) + Br^-(aq),</ce> <math> \mathit{\Delta} H^\circ = -85.15 \mbox{kJ mol}^{-1}</math><br />
<br />
[[塩酸]]に類似の性質をもつ強い1価の酸であるが、やや[[酸化]]され易く空気により酸化を受けたり、光により分解し臭素を遊離し黄色味を帯びることがある。<br />
<br />
水溶液中における[[酸解離定数]]の直接的な測定は不可能であるが、[[熱力学]]的なサイクルにより{{pKa}}=&minus;9と推定されている<ref name="Cotton">FA コットン, G. ウィルキンソン著, 中原 勝儼訳 『コットン・ウィルキンソン無機化学』 培風館、1987年、原書:F. ALBERT COTTON and GEOFFREY WILKINSON, Cotton and Wilkinson ADVANCED INORGANIC CHEMISTRY A COMPREHENSIVE TEXT Fourth Edition, INTERSCIENCE, 1980.</ref>。<br />
<br />
==参考文献==<br />
<references /><br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[ハロゲン化水素]]<br />
*[[強酸]]<br />
<br />
{{水素の化合物}}<br />
<br />
{{デフォルトソート:しゆうかすいそ}}<br />
[[Category:無機化合物]]<br />
[[Category:臭素の化合物]]<br />
[[Category:水素の化合物]]<br />
[[Category:劇物]]</div>
218.216.223.206
アランチーニ
2018-07-28T14:37:29Z
<p>218.216.223.206: /* シチリア */ 外国語名詞の和訳を追加</p>
<hr />
<div>[[Image:Arancini 002.jpg|thumb|180px|アランチーニ]]<br />
'''アランチーニ'''([[イタリア語]]:arancino(単)arancini(複))は[[シチリア]]と[[ナポリ]]名物のライス[[コロッケ]]。形が[[オレンジ]]に似ていることからアランチーニ(小さなオレンジ)と呼ばれる。ナポリのものは'''アランチーニ・ディ・リゾ'''(arancini di riso、「[[米]]の小さなオレンジ」)または'''パッレ・ディ・リゾ'''(palle di riso、「米の[[団子]]」)とも称される。ローマでは、'''スプリ'''(suppli)と呼ばれる。<br />
<br />
== シチリア ==<br />
[[Image:Arancini.jpg|thumb|180px|[[ラグーザ県]]の円錐形のアランチーニ]]<br />
シチリアのアランチーニの大きさは直径3.8 [[センチメートル|cm]] - 10 cmほど。湯炊きした[[ジャポニカ種]]の米に[[鶏卵|溶き卵]]とおろした[[カチョカヴァッロ]]または[[パルミジャーノ・レッジャーノ|パルミジャーノ・レッジャーノチーズ]]、[[塩]]、[[コショウ|胡椒]]を混ぜたものに詰め物をし、[[小麦粉]]をまぶしてから溶き卵にくぐらせ、[[パン粉]]をまぶしつけて揚げる。シチリア島南東部では球状ではなく、右の画像のように円錐形にして揚げる。シチリア島西部では、アランチーニをアランチーネ(arancine)と綴るのが正しいとされる。<br />
<br />
中身は色々で、例えばアランチーネ・アッラ・カルネ(arancine alla carne)には、[[トマトソース]]で煮た肉と[[グリーンピース]]の詰め物が入り、アランチーネ・アル・ブッロ(arancine al burro)には[[モッツァレラチーズ]]が入る。この他[[ホウレンソウ|ほうれん草]]や[[パンチェッタ]]を入れる事もあり、シチリア内でも、中の具が地方独特のものである事もある。中身によって形が変わっていく。[[パレルモ]]では、[[スプーマ]](炭酸飲料、[[:it:Spuma|spuma]])と[[ワイン]]を混ぜたものを飲めばげっぷを促進して消化を助けると考えられているため、「アランチーナ・ディ・パレルモ」を食べるときにこれを飲む習慣がある。<br />
<br />
== ナポリ ==<br />
ナポリのアランチーニは[[ピンポン玉]]大でシチリアのものよりも小さく、中に何も詰めないことが多い。米を湯炊きして溶き卵、おろしたパルミジャーノまたは[[ペコリーノ|ペコリーノチーズ]]、塩、胡椒、[[トマトピューレ]]と混ぜたものを丸め、パン粉をまぶして揚げる。<br />
<br />
== ローマ ==<br />
[[File:Supplì.jpg|180px|thumb|スプリ]]<br />
スプリはローマ生まれのライスコロッケ。Suppliは、フランス語のSurprise(驚き)のイタリア語訛りが語源で、中に思いがけないもの([[モッツァレッラ]])が入っていることからきていると言われる。また、「Suppli al telefono(電話)」ともいわれる。スプリを半分にしたときに中の[[モッツァレッラ]]が糸を引いて伸びる様子が[[糸電話]]に似ているためである。その形は[[ツェッペリン]]に似ていると言われ、基本的にはアランチーニと同じであるが、スプリには[[サフラン]]は入っていない。また、スプリには具として[[モッツァレッラ]]が入っているが、アランチーニは具としてチーズは入っていなく[[カチョカヴァッロ]]が練りこんである。更に、スプリに比べアランチーニは大きく、握り拳サイズである。ローマでは、「アランチーニはシチリアでしか食べられない」と言われる。ローマでは、街のいたるところにあるピザ屋の定番商品でもある。また、ピッツァを食べる際の前菜としてスプリなどのフライ物を食べる。<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
* Schwartz, Arthur. ''Naples at Table''. Harper Collins, New York, 1996.<br />
* Simeti, Mary Taylor. ''Pomp and Sustenance''. Ecco, Hopewell, NJ, 1989.<br />
<br />
{{Food-stub}}<br />
{{italia-stub}}<br />
<br />
{{米料理}}<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:あらんちいに}}<br />
[[Category:イタリアの食文化]]<br />
[[Category:米料理]]<br />
[[Category:揚げ物]]</div>
218.216.223.206
スポールブール
2018-07-05T14:29:01Z
<p>218.216.223.206: /* 歴代世界選手権 */ 一部リンクを修正</p>
<hr />
<div>{{スポーツ<br />
| 画像 = [[ファイル:Boules sports pictogram.svg|150px]]<br />
| 見出し = スポールブール<br />
| 競技統括団体 = [[国際スポールブール連盟]]<br />
| 通称 = <br />
| 起源 ={{FRA}}<br />
| 競技登録者 =<br />
| クラブ =<br />
| 種目 = シングルス、ダブルス、プログレッシブ、ラピッド、プレシジョン、コンビネ<br />
| 選手 = <br />
| 男女 = <br />
| カテゴリ = 球技<br />
| ボール = 専用真鍮球<br />
| オリンピック = <br />
}}<br />
[[画像:FRI 2742.jpg|thumb|300px|ティールの様子]]<br />
<br />
'''スポールブール'''(Sport-Boules)は、[[ヨーロッパ]]、特に[[フランス]]や[[イタリア]]で盛んな[[球技]]である。ブール・リヨネーズ(Boule Lyonnaise)とも呼ばれる。「スポール」とはスポーツの意味、「ブール」はボールの意味で、いずれもフランス語。日本においては[[日本ペタンク・ブール連盟]]が統括する。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
全長27.5mのコート内で、小さい目標球(ビュット)に向かって金属製のボール(ブール)を転がし、自分のボールを相手よりもビュットに近づけたり、自分のボールを投げてほぼノーバウンドで相手のボールに当てて弾き飛ばし、相手ボールの方をビュットから遠ざけることで得点を競うのが原型である。またこれから派生し、ボールを投げてほぼノーバウンドで標的球に当てることを競う種目もある。<br />
<br />
似たスポーツに[[ペタンク]]があるが、これはスポールブールやプロヴァンサルゲームをベースに1907年に[[フランス]]で考案されたスポーツである。<br />
<br />
スポールブールの国際組織としては、1946年に設立された[[国際スポールブール連盟]](Fédération Internationale de Boules)があり、現在は世界67ヶ国・地域が加盟している。日本は1983年から加盟しており、アジア加盟12ヶ国・地域を代表する[[国際スポールブール連盟]]アジア代表のポストを保有している。<br />
<br />
また、スポールブールや[[ペタンク]]などは「ブールスポーツ」と総称され、この国際的組織で、国際スポールブール連盟の上部組織でもある[[世界ブールスポーツ連合]](Confédération Mondiale des Sports de Boules)は[[国際オリンピック委員会]](IOC)加盟団体である。スポールブールは[[近代オリンピック|オリンピック]]種目への格上げの動きがされている。オリンピックの補完的な競技大会である[[ワールドゲームズ]](次回は2021年開催)の加盟種目となっている。<br />
<br />
== 歴史 ==<br />
ボールを目標球に近づけること自体は、原始的な発想であり、[[古代エジプト]]や[[古代ギリシャ]]の文献によりスポールブールの原型は約5000年前まで遡ると考えられており、それゆえ世界で最も古い[[球技]]の一つという説がある。当時は石を研磨したボールが用いられていた。[[古代ギリシャ]]ではスファエラ(球形の意味)と呼ばれる球技が行われていたことが文献で示されている。[[古代ローマ]]でもカラカラ寺院等には、今のスポールブールと同じようにボールを投げている人や、得点を測定している人のフレスコ画が残っている。中世においても[[ラブレー]]や[[ディドロ]]、[[スペイン]]の画家[[ゴヤ]]などもスポールブールで楽しんでいたとの記録がある。<br />
<br />
近代になり、ルールが統一化された競技として組織化された後での最初の大会は、1894年6月3日から5日にかけて1,200人が参加して[[フランス]]・[[リヨン]]で行われた大会である。1933年には、世界で初めて[[フランス]]においてスポールブールの全国連盟が結成された。1946年には、[[国際スポールブール連盟]](Fédération Internationale de Boules)が設立された。<br />
<br />
== コート ==<br />
コートは長さ27.5m、幅2.5m~4mと規定されている。なるべく平坦な地面である必要がある。ヨーロッパ大陸や南米各国、中国等には屋内の専用コートがあり、コンクリートの上に砂を撒いたコートが完備されている。<br />
コートラインの各名称は以下の通り。<br />
; フットライン(Ligne pied de jeu)<br />
: コートの全長27.5mの端から7.5mのところに引かれる。このラインの手前から投球を行う。<br />
; ファーストライン(1ère ligne)<br />
: フットラインから12.5mのところに引かれる。<br />
; セカンドライン(2ème ligne)<br />
: ファーストラインから5.0m(女子は3.5m)のところに引かれる。ファーストラインとセカンドラインの間に最初にビュット(目標球)が置かれる。<br />
; サードライン(3ème ligne)<br />
: セカンドラインから2.0m(女子は1.5m)のところに引かれる。このサードラインを越えたボールはアウトになる。<br />
; エンドライン(Ligne extrême)<br />
: サードラインから0.5m(女子は2.5m)のところに引かれる。このエンドラインが27.5mコートの端になる。<br />
; サイドライン(Ligne latérale)<br />
: 幅2.5m~4mのコートの左右に引かれる。このサイドラインを出たボールはアウトになる。<br />
これらのコート様式や用具、競技の進め方は、全57条の項目からなるスポールブール国際競技規則(国際スポールブール連盟が制定)にて規定されている。<br />
<br />
== 用具 ==<br />
用具は以下の通り。<br />
; ボール(Boule)<br />
: 直径90~110mm(女子は88~110mm)、重さ900~1200g(女子は800~1200g)。材質は真鍮製。<br />
; ビュット(But)<br />
: 直径35~37mm、重さ23~27g。材質は木製。<br />
; バゲット(Baguette)<br />
: 長さ50センチ、太さ4ミリから6ミリの棒状のメジャー。長細いフランスパンに形や大きさが似ていることからこの名前がつけられた。ボールやコートの距離を測定したり、マーキング(ボールの位置を印しておく)したりする際に用いる。<br />
; マット (Tapis) <br />
: ティール競技で使用される。プログレッシブ用と、プレシジョン用とで異なる。<br />
; ボールスタンド (Porte-boule) <br />
: ティール競技で、ボールを置く台。<br />
<br />
== ゲームの形式 ==<br />
ゲームは、ビュット(目標球)に向けてボールを転がして近づける「ポワンテ」と、ターゲットボールに向かって自分のボールを投げ、ほぼノーバウンドで当てて弾き飛ばす「ティール」の組み合わせで進められる。<br />
<br />
以下の6種類の種目がスポールブールでは一般的である。<br />
<br />
; シングルス(Simple)<br />
: 1人対1人で各自4球のボールを投げて進めるトラディショナル競技。<br />
; ダブルス(Double)<br />
: 2人対2人で各自3球のボールを投げて進めるトラディショナル競技。<br />
; プログレッシブ(Tir Progressif)<br />
: 5分間でなるべく多くティールでターゲットに当てることで得点を競う種目。<br />
; ラピッド(Tir Rapide en Double)<br />
: 5分間、2人で4球ずつ交互にティールを行って得点を競う種目。<br />
; プレシジョン(Tir de Précision)<br />
: 11種類のターゲットに対して、それぞれ1球ずつティールを行い、それらの難易度に応じて設定された得点の多さを競う種目。<br />
; コンビネ(Combiné)<br />
: 一方がポワンテを行い、もう一方がティールを行って進める種目。<br />
<br />
== トラディショナル競技の進行 ==<br />
トラディショナル競技は、上記6種目のうちシングルス、ダブルスがこれに該当する。まれにトリプルス(3人対3人で1人2球ずつ)やフォアーズ(4人対4人で1人2球ずつ)も行われる。名前の通りスポールブールの種目の中で歴史が古いもので、ビュット(目標球)に相手よりいかに自分のボールを近づけるかを競うものである。<br />
<br />
このゲームの進め方は以下の通りである。<br />
<br />
* コイントスまたはジャンケンによって、先攻のチームを決める。<br />
* 先攻チームがビュットを転がし、コートの有効範囲内で止まったところをターゲットにする。<br />
* 先攻チームが、ビュットに近づけるべくポワンテを行う。<br />
* 次に後攻チームが、相手ボールよりもビュットに近づけるべくポワンテを行う。または、相手ボールがビュットにかなり近くそれ以上自分のボールを近づけることが難しい場合は、ティールを行い、相手のボールを弾き飛ばす。<br />
* 自分のボールが相手ボールよりビュットに近づくまで、連続でポワンテまたはティールを行う。自分のボールを全て使い、相手ボールのみが残っている場合、相手がこれを使いポワンテまたはティールを行う。<br />
* 両チームがボールを全て投球した時点で、得点を数える。相手チームのボールよりもビュットに近いボールの数が、そのメーヌ(セット)で得た点数になる。これで得点を得た方が次のメーヌでビュットを転がす。これをいずれかのチームが13点を獲得するまで続ける。<br />
<br />
ゴルフなどのスポーツと同様、スポールブールのトラディショナル競技は元来、審判員が存在しないセルフジャッジ(試合を行っている両チームの選手自身が競技規則に照らして判定する)の競技であり、フェアプレーの精神はスポールブールに欠かせない要素とされている。また、相手チームの失投を喜んだりそれを態度に出したりすることは、慎むべき行為として忌避される。<br />
<br />
[[画像:TirProgressif.png|thumb|540px|ティール・プログレッシブ]]<br />
== ティール ==<br />
スポールブールをダイナミックなスポーツたらしめているといえるのが「ティール」で、5~7mの助走ののち、12~18m先にあるターゲットボールに当てて弾き飛ばすものである。投げたボールがノーバウンドでターゲットボールに直接当たるか、ターゲットの手前50cm以内に着地して弾いた場合のみ有効とみなされる。また、ティールのうち、投球されたボールがターゲットボールを弾き飛ばした後にそのターゲットボールの元の位置に残る投球を「カロー」という。カローは、成功すれば相手の邪魔なボールがあった場所とほぼ同じ位置に自分のボールが残ることになるため、戦略上非常に有用であるが、ターゲットボールの真正面の極めて限定的なエリアにティールされたボールを着地させる必要があり、世界の一流選手でもカローの成功率は低い。<br />
<br />
ティールは、元々はトラディショナル競技で相手の邪魔なボールを弾くプレーであったが、ティールの正確さを競う種目としてプレシジョン・プログレッシブ・ラピッドが近年新設された。これらの種目はダイナミックな迫力があり、また競技時間が比較的短いことから、世界選手権や欧州選手権などの主要大会の準決勝、決勝ではフランス、イタリアなどでテレビ中継されることも多い。<br />
<br />
== 用語 ==<br />
; メーヌ (Mène) <br />
: ビュットを最初に投入する権利のあるプレーヤーの手から、最初にビュットが投球されて始まるゲームのこと。<br />
; ポワンテ (Point / Pointer) <br />
: ボールをビュットにできる限り近い地点に転がして止めようとする投球。<br />
; ティール (Tir / Tirer) <br />
: ボールを放物線状に投げ、一つまたは複数のボールまたはビュットに当てて弾き飛ばそうとする投球。<br />
; ライン (Lignes) <br />
: コートの境界を示し、またコートのエリアを分割する線。<br />
; ビブロン (Biberon) <br />
: ボールとビュットが接した状態。<br />
; カロー (Carreau) <br />
: ティールしたボールが、他のボールまたはビュットに当たった後に、コートから外に出なかった状態。<br />
; 等距離 (Equidistance) <br />
: ビュットに最も近い2つのボールがビュットから同じ距離にあり、しかもその2つのボールがそれぞれ異なるチームのものの場合、それらのボールは等距離にあるという。<br />
; ティールマーク (Raie de tir) <br />
: 相手が宣言したボールまたはビュット、またはレギュラーティールされたボールまたはビュットの手前50cmに、バゲットで引かれた弧線。<br />
; 落下点の痕跡 (Point de chute) <br />
: ポワンテまたはティールされたボールが、最初にコートに接地した際、そこに残った痕跡を指す。<br />
; ポイントを得る (Tenir le point) <br />
: 相手チームのビュットに最も近いボールよりもさらにビュットの近くに自チームのボールを位置させること。<br />
; レギュラーティール (Tir régulier)<br />
: 1. 落下点がティール標的から50cm以内であること、2. 落下点が最初に当たったボールまたはビュットから50cm以内であること、3. 最初に当たったボールまたはビュットがティール標的から50cm以内であること、の3つの条件が満たされた場合、ティールはレギュラーティールで、有効とされる。<br />
; イレギュラーティール (Tir irrégulier)<br />
: レギュラーティールの3つの条件に一つでも合致しない場合、ティールはイレギュラーティールとなり、アドバンテージ・ルールが適用される。<br />
; レギュラーポワンテ (Point régulier)<br />
: 1. ボールがアウトにならないこと、2. ボールがファーストラインから2m手前の位置を越えること、3. 投球したボールが、当てたボールまたはビュットを元の位置から50cm以上移動させないこと、の3つの条件が満たされた場合、ポワンテはレギュラーポワンテで、有効とされる。<br />
; イレギュラーポワンテ (Point irrégulier)<br />
: レギュラーポワンテの3つの条件に一つでも合致しない場合、ポワンテはイレギュラーポワンテとなり、アドバンテージ・ルールが適用される。<br />
; アドバンテージ・ルール (Règle de l'avantage)<br />
: イレギュラーな投球の場合、相手チームが次の選択を行う権利がある。1. イレギュラーなボールを無効として、全て元の位置に戻す。2. イレギュラーなボールを認めつつ新しい状況を受け入れる。3. イレギュラーなボールを無効としつつ新しい状況を受け入れる。<br />
<br />
== 主な大会 ==<br />
男子・女子とも、世界選手権が2年に一度開催される。男子の世界選手権はモナコ皇太子杯(1947年に第1回大会開催)で、次回は2019年に開催予定である。日本代表は、男子は1995年のカナダ・[[ハミルトン (オンタリオ州)|ハミルトン]]での大会から12大会連続出場しており、女子は1998年と2000年、2016年の大会に出場した。また、ジュニア(U23・U18)の世界選手権も開催されており、日本代表は1996年の[[フランス]]・[[カルヴァン]]大会、1998年の[[フランス]]・[[エイバン]]大会、2000年の[[イタリア]]・[[アオスタ]]大会、2016年の[[モナコ]]大会に出場した。<br />
<br />
日本での国際大会としては、[[ワールドゲームズ2001|2001年のワールドゲームズ]]秋田大会にて、屋外特設コートが設営されてプログレッシブ種目のみ行われたのが唯一である。<br />
<br />
日本での国内大会としては、1998年より[[日本スポールブール選手権大会]]が行われている。<br />
<br />
=== 歴代世界選手権 ===<br />
{| class="sortable wikitable" style="font-size: smaller; text-align: right;"<br />
!回!!class="unsortable"|開催期間!!class="unsortable"|開催国!!class="unsortable"|開催都市!!class="unsortable"|出場国数!!class="unsortable"|開催種目<br />
|-<br />
|[[1947年スポールブール世界選手権|1]]||1947年10月11日 - 10月12日<br />
|align="left"|{{flagicon|SUI}} [[スイス]]<br />
|align="left"|[[ジュネーブ]]<br />
|5<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1948年スポールブール世界選手権|2]]||1948年10月{{0}}9日 - 10月10日<br />
|align="left"|{{flagicon|ALG}} [[アルジェリア]]<br />
|align="left"|[[アルジェ]]<br />
|5<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1950年スポールブール世界選手権|3]]||1950年10月{{0}}7日 - 10月{{0}}8日<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[リヨン]]<br />
|6<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1951年スポールブール世界選手権|4]]||1951年{{0}}9月28日 - {{0}}9月30日<br />
|align="left"|{{flagicon|ITA}} [[イタリア]]<br />
|align="left"|[[ジェノヴァ]]<br />
|6<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1952年スポールブール世界選手権|5]]||1952年{{0}}9月19日 - {{0}}9月22日<br />
|align="left"|{{flagicon|MON}} [[モナコ]]<br />
|align="left"|[[モナコ]]<br />
|6<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1953年スポールブール世界選手権|6]]||1953年10月23日 - 10月26日<br />
|align="left"|{{flagicon|SUI}} [[スイス]]<br />
|align="left"|[[ローザンヌ]]<br />
|7<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1954年スポールブール世界選手権|7]]||1953年10月{{0}}8日 - 10月11日<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[サンテチエンヌ]]<br />
|8<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1956 世界選手権|8]]||1956年10月26日 - 10月29日<br />
|align="left"|{{flagicon|ITA}} [[イタリア]]<br />
|align="left"|[[トリノ]]<br />
|8<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1957年スポールブール世界選手権|9]]||1957年{{0}}9月27日 - {{0}}9月29日<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[ベジエ]]<br />
|7<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1958年スポールブール世界選手権|10]]||1958年{{0}}8月29日 - {{0}}8月31日<br />
|align="left"|{{flagicon|BEL}} [[ベルギー]]<br />
|align="left"|[[ブリュッセル]]<br />
|6<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1959年スポールブール世界選手権|11]]||1959年{{0}}9月11日 - {{0}}9月13日<br />
|align="left"|{{flagicon|SUI}} [[スイス]]<br />
|align="left"|[[ジュネーブ]]<br />
|8<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1960年スポールブール世界選手権|12]]||1960年{{0}}9月30日 - 10月{{0}}2日<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[ニース]]<br />
|7<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1961年スポールブール世界選手権|13]]||1961年10月13日 - 10月15日<br />
|align="left"|{{flagicon|ITA}} [[イタリア]]<br />
|align="left"|[[トリノ]]<br />
|9<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1962年スポールブール世界選手権|14]]||1962年10月25日 - 10月28日<br />
|align="left"|{{flagicon|ESP}} [[スペイン]]<br />
|align="left"|[[ジローナ]]<br />
|9<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1963年スポールブール世界選手権|15]]||1963年{{0}}9月13日 - {{0}}9月15日<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[トゥールーズ]]<br />
|9<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1964年スポールブール世界選手権|16]]||1964年10月{{0}}8日 - 10月11日<br />
|align="left"|{{flagicon|SUI}} [[スイス]]<br />
|align="left"|[[ローザンヌ]]<br />
|10<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1965年スポールブール世界選手権|17]]||1965年{{0}}9月{{0}}2日 - {{0}}9月{{0}}5日<br />
|align="left"|{{flagicon|MAR}} [[モロッコ]]<br />
|align="left"|[[カサブランカ]]<br />
|6<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1966年スポールブール世界選手権|18]]||1966年{{0}}9月15日 - {{0}}9月18日<br />
|align="left"|{{flagicon|MON}} [[モナコ]]<br />
|align="left"|[[モナコ]]<br />
|9<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1967年スポールブール世界選手権|19]]||1967年{{0}}9月24日 - {{0}}9月27日<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[ギャップ (フランス)|ギャップ]]<br />
|9<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1968年スポールブール世界選手権|20]]||1968年{{0}}9月26日 - {{0}}9月29日<br />
|align="left"|{{flagicon|ITA}} [[イタリア]]<br />
|align="left"|[[トリノ]]<br />
|10<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1970年スポールブール世界選手権|21]]||1970年{{0}}9月18日 - {{0}}9月21日<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[ディジョン]]<br />
|11<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1972年スポールブール世界選手権|22]]||1972年{{0}}9月21日 - {{0}}9月24日<br />
|align="left"|{{flagicon|MON}} [[モナコ]]<br />
|align="left"|[[モナコ]]<br />
|12<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1974年スポールブール世界選手権|23]]||1974年{{0}}9月12日 - {{0}}9月15日<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[バルレバン]]<br />
|11<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1975年スポールブール世界選手権|24]]||1975年10月{{0}}9日 - 10月12日<br />
|align="left"|{{flagicon|MON}} [[モナコ]]<br />
|align="left"|[[モナコ]]<br />
|12<br />
|align="left"|ダブルス<br />
|-<br />
|[[1976年スポールブール世界選手権|25]]||1976年10月14日 - 10月17日<br />
|align="left"|{{flagicon|ITA}} [[イタリア]]<br />
|align="left"|[[トリノ]]<br />
|12<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1977年スポールブール世界選手権|26]]||1977年{{0}}9月15日 - {{0}}9月18日<br />
|align="left"|{{flagicon|TUN}} [[チュニジア]]<br />
|align="left"|[[チュニス]]<br />
|12<br />
|align="left"|ダブルス<br />
|-<br />
|[[1978年スポールブール世界選手権|27]]||1978年10月{{0}}5日 - 10月{{0}}8日<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[マコン]]<br />
|13<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1979年スポールブール世界選手権|28]]||1979年11月22日 - 11月25日<br />
|align="left"|{{flagicon|AUS}} [[オーストラリア]]<br />
|align="left"|[[メルボルン]]<br />
|9<br />
|align="left"|ダブルス<br />
|-<br />
|[[1980年スポールブール世界選手権|29]]||1980年{{0}}{{0}}月{{0}}{{0}}日 - {{0}}{{0}}月{{0}}{{0}}日<br />
|align="left"|{{flagicon|MON}} [[モナコ]]<br />
|align="left"|[[モナコ]]<br />
|14<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1981年スポールブール世界選手権|30]]||1981年10月{{0}}1日 - 10月{{0}}4日<br />
|align="left"|{{flagicon|ITA}} [[イタリア]]<br />
|align="left"|[[ノヴァーラ|ノバラ]]<br />
|16<br />
|align="left"|ダブルス<br />
|-<br />
|[[1982年スポールブール世界選手権|31]]||1982年{{0}}9月23日 - {{0}}9月26日<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[グルノーブル]]<br />
|15<br />
|align="left"|フォアーズ<br />
|-<br />
|[[1983年スポールブール世界選手権|32]]||1983年{{0}}9月29日 - 10月{{0}}2日<br />
|align="left"|{{flagicon|SUI}} [[スイス]]<br />
|align="left"|[[ジュネーブ]]<br />
|16<br />
|align="left"|ダブルス<br />
|-<br />
|[[1984年スポールブール世界選手権|33]]||1984年10月{{0}}4日 - 10月{{0}}7日<br />
|align="left"|{{flagicon|YUG45}} [[ユーゴスラビア]]<br />
|align="left"|[[スプリット]]<br />
|16<br />
|align="left"|フォアーズ、ティール混合<br />
|-<br />
|[[1985年スポールブール世界選手権|34]]||1985年11月{{0}}6日 - 11月10日<br />
|align="left"|{{flagicon|AUS}} [[オーストラリア]]<br />
|align="left"|[[メルボルン]]<br />
|14<br />
|align="left"|ダブルス、ティール混合<br />
|-<br />
|[[1986年スポールブール世界選手権|35]]||1986年10月10日 - 10月13日<br />
|align="left"|{{flagicon|MON}} [[モナコ]]<br />
|align="left"|[[モナコ]]<br />
|16<br />
|align="left"|フォアーズ、ティール混合<br />
|-<br />
|[[1988年スポールブール世界選手権|36]]||1988年11月{{0}}2日 - 11月{{0}}6日<br />
|align="left"|{{flagicon|CHI}} [[チリ]]<br />
|align="left"|[[バルパライソ]]<br />
|13<br />
|align="left"|ダブルス、ティール混合<br />
|-<br />
|[[1991年スポールブール世界選手権|37]]||1991年11月11日 - 11月17日<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[ギャップ (フランス)|ギャップ]]<br />
|18<br />
|align="left"|フォアーズ、プレシジョン、プログレッシブ<br />
|-<br />
|[[1993年スポールブール世界選手権|38]]||1993年10月{{0}}1日 - 10月10日<br />
|align="left"|{{flagicon|ITA}} [[イタリア]]<br />
|align="left"|[[サルッツォ]]<br />
|24<br />
|align="left"|ダブルス、プレシジョン、プログレッシブ<br />
|-<br />
|[[1995年スポールブール世界選手権|39]]||1995年{{0}}9月12日 - {{0}}9月17日<br />
|align="left"|{{flagicon|CAN}} [[カナダ]]<br />
|align="left"|[[ハミルトン (オンタリオ州)|ハミルトン]]<br />
|24<br />
|align="left"|ダブルス、プレシジョン、プログレッシブ<br />
|-<br />
|[[1997年スポールブール世界選手権|40]]||1997年10月{{0}}7日 - 10月12日<br />
|align="left"|{{flagicon|CRO}} [[クロアチア]]<br />
|align="left"|[[リエカ]]<br />
|26<br />
|align="left"|ダブルス、プレシジョン、プログレッシブ<br />
|-<br />
|[[1999年スポールブール世界選手権|41]]||1999年11月21日 - 11月26日<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[リヨン]]<br />
|28<br />
|align="left"|ダブルス、シングルス、プレシジョン、プログレッシブ<br />
|-<br />
|[[2001年スポールブール世界選手権|42]]||2001年{{0}}9月18日 - {{0}}9月23日<br />
|align="left"|{{flagicon|SLO}} [[スロベニア]]<br />
|align="left"|[[クラーニ]]<br />
|27<br />
|align="left"|ダブルス、シングルス、コンビネ、プレシジョン、プログレッシブ<br />
|-<br />
|[[2003年スポールブール世界選手権|43]]||2003年10月{{0}}7日 - 10月12日<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[ニース]]<br />
|26<br />
|align="left"|ダブルス、シングルス、コンビネ、プレシジョン、プログレッシブ、ラピッド<br />
|-<br />
|[[2005年スポールブール世界選手権|44]]||2005年{{0}}9月26日 - 10月{{0}}1日<br />
|align="left"|{{flagicon|ITA}} [[イタリア]]<br />
|align="left"|[[トリノ]]<br />
|26<br />
|align="left"|ダブルス、シングルス、コンビネ、プレシジョン、プログレッシブ、ラピッド<br />
|-<br />
|[[2007年スポールブール世界選手権|45]]||2007年{{0}}9月24日 - {{0}}9月30日<br />
|align="left"|{{flagicon|BIH}} [[ボスニア・ヘルツェゴビナ]]<br />
|align="left"|[[グルーデ]]<br />
|25<br />
|align="left"|ダブルス、シングルス、コンビネ、プレシジョン、プログレッシブ、ラピッド<br />
|-<br />
|[[2009年スポールブール世界選手権|46]]||2009年{{0}}9月28日 - 10月{{0}}4日<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[マコン]]<br />
|33<br />
|align="left"|ダブルス、シングルス、コンビネ、プレシジョン、プログレッシブ、ラピッド<br />
|-<br />
|[[2011年スポールブール世界選手権|47]]||2011年{{0}}9月{{0}}4日 - {{0}}9月11日<br />
|align="left"|{{flagicon|ITA}} [[イタリア]]<br />
|align="left"|[[フェルトレ]]<br />
|34<br />
|align="left"|ダブルス、シングルス、コンビネ、プレシジョン、プログレッシブ、ラピッド<br />
|-<br />
|[[2013年スポールブール世界選手権|48]]||2013年11月10日 - 11月16日<br />
|align="left"|{{flagicon|ARG}} [[アルゼンチン]]<br />
|align="left"|[[バイアブランカ]]<br />
|31<br />
|align="left"|ダブルス、シングルス、コンビネ、プレシジョン、プログレッシブ、ラピッド<br />
|-<br />
|[[2015年スポールブール世界選手権|49]]||2015年{{0}}9月20日 - {{0}}9月26日<br />
|align="left"|{{flagicon|CRO}} [[クロアチア]]<br />
|align="left"|[[リエカ]]<br />
|33<br />
|align="left"|ダブルス、シングルス、コンビネ、プレシジョン、プログレッシブ、ラピッド<br />
|-<br />
|[[2017年スポールブール世界選手権|50]]||2017年{{0}}9月17日 - {{0}}9月24日<br />
|align="left"|{{flagicon|MAR}} [[モロッコ]]<br />
|align="left"|[[カサブランカ]]<br />
|35<br />
|align="left"|ダブルス、シングルス、コンビネ、プレシジョン、プログレッシブ、ラピッド<br />
|}<br />
<br />
=== 歴代女子世界選手権 ===<br />
{| class="sortable wikitable" style="font-size: smaller; text-align: right;"<br />
!回!!class="unsortable"|開催年!!class="unsortable"|開催国!!class="unsortable"|開催都市!!class="unsortable"|出場国数!!class="unsortable"|開催種目<br />
|-<br />
|[[1998年スポールブール世界選手権|1]]||1998年{{0}}8月{{0}}6日 - {{0}}8月{{0}}9日<br />
<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[ロマン]]<br />
|10<br />
|align="left"|ダブルス、シングルス、コンビネ、プレシジョン、プログレッシブ<br />
|-<br />
|[[2000年スポールブール世界選手権|2]]||2000年{{0}}8月10日 - {{0}}8月13日<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[パミエ]]<br />
|10<br />
|align="left"|ダブルス、シングルス、コンビネ、プレシジョン、プログレッシブ<br />
|-<br />
|[[2002年スポールブール世界選手権|3]]||2002年{{0}}{{0}}月{{0}}{{0}}日 - {{0}}{{0}}月{{0}}{{0}}日<br />
|align="left"|{{flagicon|ITA}} [[イタリア]]<br />
|align="left"|[[サルッツォ]]<br />
|12<br />
|align="left"|ダブルス、シングルス、コンビネ、プレシジョン、プログレッシブ<br />
|-<br />
|[[2004年スポールブール世界選手権|4]]||2004年{{0}}{{0}}月{{0}}{{0}}日 - {{0}}{{0}}月{{0}}{{0}}日<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[モンモランシー (ヴァル=ドワーズ県)|モンモランシー]]<br />
|13<br />
|align="left"|ダブルス、シングルス、コンビネ、プレシジョン、プログレッシブ、ラピッド<br />
|-<br />
|[[2006年スポールブール世界選手権|5]]||2006年10月18日 - 10月22日<br />
|align="left"|{{flagicon|CHN}} [[中国]]<br />
|align="left"|[[温州]]<br />
|14<br />
|align="left"|ダブルス、シングルス、コンビネ、プレシジョン、プログレッシブ、ラピッド<br />
|-<br />
|[[2009年スポールブール世界選手権|6]]||2009年{{0}}3月29日 - {{0}}4月{{0}}4日<br />
|align="left"|{{flagicon|ITA}} [[イタリア]]<br />
|align="left"|[[ベヴァーニャ]]<br />
|23<br />
|align="left"|ダブルス、プレシジョン、プログレッシブ、ラピッド<br />
|-<br />
|[[2010年スポールブール世界選手権|7]]||2010年11月11日 - 11月14日<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[サンブルバ]]<br />
|18<br />
|align="left"|ダブルス、シングルス、プレシジョン、プログレッシブ、ラピッド<br />
|-<br />
|[[2012年スポールブール世界選手権|8]]||2012年10月15日 - 10月19日<br />
|align="left"|{{flagicon|TUR}} [[トルコ]]<br />
|align="left"|[[マニサ]]<br />
|20<br />
|align="left"|ダブルス、シングルス、コンビネ、プレシジョン、プログレッシブ、ラピッド<br />
|-<br />
|[[2014年スポールブール世界選手権|9]]||2014年11月{{0}}8日 - 11月11日<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[マコン]]<br />
|19<br />
|align="left"|ダブルス、シングルス、コンビネ、プレシジョン、プログレッシブ、ラピッド<br />
|-<br />
|[[2016年スポールブール世界選手権|10]]||2016年10月{{0}}1日 - 10月{{0}}7日<br />
|align="left"|{{flagicon|MAR}} [[モロッコ]]<br />
|align="left"|[[カサブランカ]]<br />
|19<br />
|align="left"|ダブルス、シングルス、コンビネ、プレシジョン、プログレッシブ、ラピッド<br />
|-<br />
|[[2018年スポールブール世界選手権|11]]||2018年10月{{0}}{{0}}日 - 10月{{0}}{{0}}日<br />
|align="left"|{{flagicon|CHN}} [[中国]]<br />
|align="left"|[[嘉興市|嘉興]]<br />
|<br />
|align="left"|ダブルス、シングルス、コンビネ、プレシジョン、プログレッシブ、ラピッド<br />
|}<br />
<br />
=== 歴代ジュニア(U23)世界選手権 ===<br />
{| class="sortable wikitable" style="font-size: smaller; text-align: right;"<br />
!回!!class="unsortable"|開催年!!class="unsortable"|開催国!!class="unsortable"|開催都市!!class="unsortable"|開催種目<br />
|-<br />
|[[1990年スポールブール世界選手権|1]]||1990年<br />
|align="left"|{{flagicon|ITA}} [[イタリア]]<br />
|align="left"|[[グレッサーン]]<br />
|align="left"|ダブルス<br />
|-<br />
|[[1994年スポールブール世界選手権|2]]||1994年<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[ヌーヴィル・シュル・ソーヌ]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・ダブルス<br />
|-<br />
|[[1998年スポールブール世界選手権|3]]||1998年<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[エイバン]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・シングルス・ダブルス・コンビネ<br />
|-<br />
|[[1999年スポールブール世界選手権|4]]||1999年<br />
|align="left"|{{flagicon|MAR}} [[モロッコ]]<br />
|align="left"|[[カサブランカ]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ<br />
|-<br />
|[[2000年スポールブール世界選手権|5]]||2000年<br />
|align="left"|{{flagicon|ITA}} [[イタリア]]<br />
|align="left"|[[アオスタ]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・シングルス・ダブルス<br />
|-<br />
|[[2007年スポールブール世界選手権|6]]||2007年<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[ダルディリー]]<br />
|align="left"|シングルス・ダブルス・コンビネ<br />
|-<br />
|[[2009年スポールブール世界選手権|7]]||2009年<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[ニース]]<br />
|align="left"|シングルス・ダブルス・コンビネ<br />
|-<br />
|[[2010年スポールブール世界選手権|8]]||2010年<br />
|align="left"|{{flagicon|CRO}} [[クロアチア]]<br />
|align="left"|[[リエカ]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・ラピッド<br />
|-<br />
|[[2011年スポールブール世界選手権|9]]||2011年<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[サンブルヴァ]]<br />
|align="left"|シングルス・ダブルス・コンビネ<br />
|-<br />
|[[2012年スポールブール世界選手権|10]]||2012年<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[エイバン]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・ラピッド<br />
|-<br />
|[[2013年スポールブール世界選手権|11]]||2013年<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[マルティーグ]]<br />
|align="left"|シングルス・ダブルス・コンビネ<br />
|-<br />
|[[2014年スポールブール世界選手権|12]]||2014年<br />
|align="left"|{{flagicon|ITA}} [[イタリア]]<br />
|align="left"|[[キエーリ]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・ラピッド<br />
|-<br />
|[[2015年スポールブール世界選手権|13]]||2015年<br />
|align="left"|{{flagicon|MAR}} [[モロッコ]]<br />
|align="left"|[[カサブランカ]]<br />
|align="left"|シングルス・ダブルス・コンビネ<br />
|-<br />
|[[2016年スポールブール世界選手権|14]]||2016年<br />
|align="left"|{{flagicon|MON}} [[モナコ]]<br />
|align="left"|[[モナコ]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・ラピッド<br />
|-<br />
|[[2018年スポールブール世界選手権|15]]||2018年<br />
|align="left"|{{flagicon|CHN}} [[中国]]<br />
|align="left"|[[嘉興市|嘉興]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・ラピッド<br />
|}<br />
<br />
=== 歴代ジュニア(U18)世界選手権 ===<br />
{| class="sortable wikitable" style="font-size: smaller; text-align: right;"<br />
!回!!class="unsortable"|開催年!!class="unsortable"|開催国!!class="unsortable"|開催都市!!class="unsortable"|開催種目<br />
|-<br />
|[[1990年スポールブール世界選手権|1]]||1990年<br />
|align="left"|{{flagicon|MAR}} [[モロッコ]]<br />
|align="left"|[[カサブランカ]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・ダブルス<br />
|-<br />
|[[1992年スポールブール世界選手権|2]]||1992年<br />
|align="left"|{{flagicon|ITA}} [[イタリア]]<br />
|align="left"|[[ストランビーノ]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・ダブルス<br />
|-<br />
|[[1993年スポールブール世界選手権|3]]||1993年<br />
|align="left"|{{flagicon|SLO}} [[スロベニア]]<br />
|align="left"|[[リュブリャナ]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・ダブルス<br />
|-<br />
|[[1994年スポールブール世界選手権|4]]||1994年<br />
|align="left"|{{flagicon|ITA}} [[イタリア]]<br />
|align="left"|[[サルッツォ]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・ダブルス<br />
|-<br />
|[[1995年スポールブール世界選手権|5]]||1995年<br />
|align="left"|{{flagicon|CRO}} [[クロアチア]]<br />
|align="left"|[[リエカ]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・ダブルス<br />
|-<br />
|[[1996年スポールブール世界選手権|6]]||1996年<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[カルヴァン]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・ダブルス<br />
|-<br />
|[[1997年スポールブール世界選手権|7]]||1997年<br />
|align="left"|{{flagicon|MAR}} [[モロッコ]]<br />
|align="left"|[[カサブランカ]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・シングルス・ダブルス・コンビネ<br />
|-<br />
|[[1999年スポールブール世界選手権|8]]||1999年<br />
|align="left"|{{flagicon|MAR}} [[モロッコ]]<br />
|align="left"|[[カサブランカ]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・シングルス・ダブルス・コンビネ<br />
|-<br />
|[[2000年スポールブール世界選手権|9]]||2000年<br />
|align="left"|{{flagicon|ITA}} [[イタリア]]<br />
|align="left"|[[アオスタ]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・シングルス・コンビネ<br />
|-<br />
|[[2001年スポールブール世界選手権|10]]||2001年<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[ラヴラネ]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・シングルス・ダブルス・コンビネ<br />
|-<br />
|[[2002年スポールブール世界選手権|11]]||2002年<br />
|align="left"|{{flagicon|ITA}} [[イタリア]]<br />
|align="left"|[[アルピニャーノ]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・シングルス・ダブルス・コンビネ<br />
|-<br />
|[[2004年スポールブール世界選手権|12]]||2004年<br />
|align="left"|{{flagicon|CHI}} [[チリ]]<br />
|align="left"|[[サンチアゴ]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・ラピッド・シングルス・ダブルス・コンビネ<br />
|-<br />
|[[2005年スポールブール世界選手権|13]]||2005年<br />
|align="left"|{{flagicon|SLO}} [[スロベニア]]<br />
|align="left"|[[ノヴァ・ゴリツァ]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・ラピッド・シングルス・ダブルス・コンビネ<br />
|-<br />
|[[2006年スポールブール世界選手権|14]]||2006年<br />
|align="left"|{{flagicon|ITA}} [[イタリア]]<br />
|align="left"|[[ビエッラ]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・ラピッド・シングルス・ダブルス・コンビネ<br />
|-<br />
|[[2007年スポールブール世界選手権|15]]||2007年<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[ダルディリー]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・ラピッド<br />
|-<br />
|[[2009年スポールブール世界選手権|16]]||2009年<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[ニース]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・ラピッド<br />
|-<br />
|[[2010年スポールブール世界選手権|17]]||2010年<br />
|align="left"|{{flagicon|CRO}} [[クロアチア]]<br />
|align="left"|[[リエカ]]<br />
|align="left"|シングルス・ダブルス・コンビネ<br />
|-<br />
|[[2011年スポールブール世界選手権|18]]||2011年<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[サンブルヴァ]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・ラピッド<br />
|-<br />
|[[2012年スポールブール世界選手権|19]]||2012年<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[エイバン]]<br />
|align="left"|シングルス・ダブルス・コンビネ<br />
|-<br />
|[[2013年スポールブール世界選手権|20]]||2013年<br />
|align="left"|{{flagicon|FRA}} [[フランス]]<br />
|align="left"|[[マルティーグ]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・ラピッド<br />
|-<br />
|[[2014年スポールブール世界選手権|21]]||2014年<br />
|align="left"|{{flagicon|ITA}} [[イタリア]]<br />
|align="left"|[[キエーリ]]<br />
|align="left"|シングルス・ダブルス・コンビネ<br />
|-<br />
|[[2015年スポールブール世界選手権|22]]||2015年<br />
|align="left"|{{flagicon|MAR}} [[モロッコ]]<br />
|align="left"|[[カサブランカ]]<br />
|align="left"|プレシジョン・プログレッシブ・ラピッド<br />
|-<br />
|[[2016年スポールブール世界選手権|23]]||2016年<br />
|align="left"|{{flagicon|MON}} [[モナコ]]<br />
|align="left"|[[モナコ]]<br />
|align="left"|シングルス・ダブルス・コンビネ<br />
|-<br />
|[[2018年スポールブール世界選手権|24]]||2018年<br />
|align="left"|{{flagicon|CHN}} [[中国]]<br />
|align="left"|[[嘉興市|嘉興]]<br />
|align="left"|シングルス・ダブルス・コンビネ<br />
|}<br />
<br />
=== 歴代ワールドゲームズ大会 ===<br />
{| class="sortable wikitable" style="font-size: smaller; text-align: right;"<br />
!回!!class="unsortable"|開催年!!class="unsortable"|開催国!!class="unsortable"|開催都市!!class="unsortable"|開催種目<br />
|-<br />
|[[ワールドゲームズ1997|1]]||1997年<br />
|align="left"|{{flagicon|FIN}} [[フィンランド]]<br />
|align="left"|[[ラハティ]]<br />
|align="left"|(公開競技のみ: U23プログレッシブ・女子ダブルス)<br />
|-<br />
|[[ワールドゲームズ2001|2]]||2001年<br />
|align="left"|{{flagicon|JPN}} [[日本]]<br />
|align="left"|[[秋田]]<br />
|align="left"|U23プログレッシブ・女子プログレッシブ<br />
|-<br />
|[[ワールドゲームズ2005|3]]||2005年<br />
|align="left"|{{flagicon|GER}} [[ドイツ]]<br />
|align="left"|[[デュースブルク]]<br />
|align="left"|男子プログレッシブ・女子プログレッシブ・男子プレシジョン・女子プレシジョン<br />
|-<br />
|[[ワールドゲームズ2009|4]]||2009年<br />
|align="left"|{{flagicon|ROC}} [[中華民国]]<br />
|align="left"|[[高雄]]<br />
|align="left"|男子プログレッシブ・女子プログレッシブ・男子プレシジョン・女子プレシジョン<br />
|-<br />
|[[ワールドゲームズ2013|5]]||2013年<br />
|align="left"|{{flagicon|COL}} [[コロンビア]]<br />
|align="left"|[[カリ]]<br />
|align="left"|男子プログレッシブ・女子プログレッシブ・男子プレシジョン・女子プレシジョン<br />
|-<br />
|[[ワールドゲームズ2017|6]]||2017年<br />
|align="left"|{{flagicon|POL}} [[ポーランド]]<br />
|align="left"|[[ブロツワフ]]<br />
|align="left"|男子プログレッシブ・女子プログレッシブ・男子プレシジョン・女子プレシジョン<br />
|-<br />
|[[ワールドゲームズ2021|7]]||2021年<br />
|align="left"|{{flagicon|USA}} [[米国]]<br />
|align="left"|[[バーミングハム]]<br />
|align="left"|<br />
|}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[日本スポールブール選手権大会]]<br />
* [[御殿場オープン全日本スポールブール大会]]<br />
* [[豊田想]]<br />
* [[堀内和一朗]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.fiboules.org/ 国際スポールブール連盟(Fédération Internationale de Boules)]<br />
* [http://fjpb.web.fc2.com/ 公益社団法人 日本ペタンク・ブール連盟]<br />
* [http://boules.jp/ スポールブール公式HP]<br />
* [https://www.facebook.com/sportbulesjapanteamyoroshikuonegaiitashimasu スポールブール日本代表募集中!! | Facebook]<br />
{{スポーツ一覧}}<br />
{{チームスポーツ}}<br />
{{球技}}<br />
{{DEFAULTSORT:すほるふる}}<br />
[[Category:球技]]<br />
<br />
[[it:Bocce]]<br />
[[pt:Bocha]]</div>
218.216.223.206
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