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http:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=211.15.40.102&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-04-26T06:45:11Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 性的虐待 2018-08-01T05:25:37Z <p>211.15.40.102: /* 加害者と被害者の関係 */</p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2012年8月26日 (日) 07:38 (UTC)}}<br /> {{性的}}<br /> {{暴力的}}<br /> &#039;&#039;&#039;性的虐待&#039;&#039;&#039;(せいてきぎゃくたい)とは、上下の発生する関係性において、上位の者がその力を濫用もしくは悪用して、下位の者の[[権利]]・[[人権]]を無視して行う、性的な侵害行為のことである。&#039;&#039;&#039;性虐待&#039;&#039;&#039;(せいぎゃくたい)ともいう。広義には[[強姦]]、[[セクシャルハラスメント]]などが含まれる。<br /> <br /> 一般には[[児童性的虐待]]を指すことが少なくないが、実際には性的虐待ならば児童のみならず高齢者、配偶者(内縁関係を含む)、障害者に対するものについても認識されている。さらに、人間のみならずペットや家畜などの動物に関しても用いられる。<br /> <br /> ==被害者の性別==<br /> ===男性===<br /> 男性に対する性暴力。日本では強姦についても「[[強制性交等罪]]」で男性を被害者として認めている他、アメリカでも男性も強姦の被害者として認めている。<br /> <br /> ===女性===<br /> 女性に対する[[性暴力]]。性犯罪の被害者はほとんどが女性であり、例えば2016年に認知された強制わいせつ罪の被害者の96%が女性であった。<br /> <br /> 第4回[[世界女性会議]](1995年、北京)で採尺された行動綱領は、「人への暴力は、人間の普遍的人権と基本的自由を侵害するものである」と書き起こされている。<br /> <br /> 2017年にアメリカ合衆国でセクハラの大規模告発が起こったことに伴い、翌年[[Time&#039;s Up|タイムズ・アップ]]支援基金が発足した。被害者とされる人には男性もいたが、この件でフェミニズムが注目された。<br /> <br /> ==弱い被害者==<br /> ===子供===<br /> {{Main|児童性的虐待}}<br /> 家庭の内外を問わず子供が被害者になる場合がある。家庭内の方が重くなるケースは多いが、家庭外であっても被害が深刻なケースは多い事にも注意しなくてはならない。いずれにせよ、幼児期に性的虐待が行われたケースでは、その体験が被害者に心的外傷となって残るため、被害者のその後の性格形成や人生に深刻な影響を及ぼすケースが少なくない。<br /> <br /> 日本では「[[児童虐待の防止等に関する法律]](児童虐待防止法)」が2000年5月に成立し、第2条で「児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること」として、性的虐待を定義した。この法律は家庭内のものに限ったものである。<br /> <br /> ===老齢者===<br /> 高齢者の性的虐待に関しては、全体に対する比率としての調査は行われていないが、事例は多く存在する。日本の「高齢者の福祉施設における人間関係の調整に係わる総合的研究」(1994年6月、調査内容は家庭内虐待)では、過去半年間で3人、「特別養護老人ホームにおける高齢者虐待に関する実態と意識調査」(2000年3月)では過去1年間で16人とされたが、虐待の多くが密室で行われることや、痴呆を起こしている入居者も多いため、その詳細に関しては不明な点が多い。<br /> <br /> 日本では2006年4月1日より「[[高齢者の虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律]](高齢者虐待防止法)」が施行され、「高齢者にわいせつな行為をすること・又は高齢者をしてわいせつな行為をさせること」として、性的虐待を定めている。<br /> <br /> ===障害者===<br /> 障害者は非常に性的虐待に遭いやすいことが分かっている。このような虐待事件は日本では[[水戸事件]]で社会的に認知され、テレビドラマ「[[聖者の行進 (テレビドラマ)|聖者の行進]]」にも取り上げられた。<br /> <br /> ===動物===<br /> 動物に対しても[[獣姦]]などの性的虐待は行われている。イヌの[[ペニス]]は人間のサイズに近いため、こうした動物などが被害に遭う。また、近年の獣医学では動物であっても人間と同じような外傷性の[[精神障害]]が現れることが分かっている。<br /> <br /> ==加害者と被害者の関係==<br /> ===親子===<br /> {{Seealso|監護者性交等罪|近親相姦}}<br /> 2017年に刑法第179条に「監護者わいせつ罪」と「監護者性交等罪」が新設され、警察がその行為についてだけで対応できるようになった。<br /> <br /> ===配偶者===<br /> 一般には配偶者に対して、身体的虐待をする例がよく知られている。だが日本では、性的虐待を受けているとされる配偶者としての女性は「女性に対する暴力調査」(1997年)では20.9%に上っている。その心理的苦痛にもかかわらず、妻という立場のためか社会的な認知は非常に受けづらい。[[輪姦]]や[[監禁]]などといった極端な例で逮捕される例こそあれ、一般には沈黙を強いられている場合が多い(なお、[[ドメスティック・バイオレンス]]の家庭で育った[[子供]]達は、その後の性被害率が高いことでも知られる)。<br /> <br /> ===取引先===<br /> {{Seealso|枕営業}}<br /> <br /> ===教師と学生===<br /> {{Seealso|スクール・セクシュアル・ハラスメント}}<br /> 教師と生徒の性的関係はかつては事実上無視されていた。日本では21世紀に入って懲戒免職のような対応が進んでなされることになった。<br /> <br /> ===聖職者と教区民===<br /> {{see|カトリック教会の性的虐待事件}}<br /> <br /> == 影響 ==<br /> レイプなどの性的虐待は、被害者にさまざまな影響が見られることが知られている。<br /> <br /> *虐待防止に取り組むアメリカのある団体&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;{{lang-en-short|The National Assault Prevention Cennter}}&lt;/ref&gt;が1986年に行った調査によれば、[[抑うつ]]状態・自殺念慮・[[統合失調症|分裂性障害]]・[[解離性同一性障害|多重人格]]障害などの精神衛生上の治療を受けている女性のうち、60%がレイプされた経験があるという(男性は36%)。<br /> <br /> == 事例 ==<br /> * 1968年、[[ジョン・ゲイシー]]が、少年への性的虐待の罪で服役。<br /> * 1973年、[[近親相姦|近親姦]]を強制され、子供を産まされ続けていた娘が[[父親]]を殺害した事件で、[[尊属殺重罰規定違憲判決]]が下る。<br /> * 1980年、[[神奈川金属バット両親殺害事件]]発生。警察内部で、母親と息子の近親姦の発表議論がなされたという話が飛び交うが、警察はノーコメント。<br /> * 1989年、東京で、少年達による残虐なレイプ殺人事件である[[女子高生コンクリート詰め殺人事件]]発生。また[[ホラー]]マニアの男が幼女を次々に誘拐し、猥褻行為を行った後に殺害した[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]が発生。またこの事件の報道余波として、[[マスメディア|マスコミ]]によるホラーマニア・[[オタク]]への[[バッシング]]が発生。<br /> * 1995年1月1日、妹や娘、母などとセックスしていた[[シリアルキラー]]、[[フレデリック・ウェスト]]が[[刑務所]]で[[首吊り]][[自殺]]。米兵による小学生に対するレイプ事件[[沖縄米兵少女暴行事件]]発生。障害者に対するレイプ事件・[[水戸事件]]発覚。<br /> * 1996年 [[ベルギー]]で少女監禁レイプ殺人事件が起こり、6人が誘拐され、そのうちの4人が殺害され、生存は[[ザビーヌ・ダルデンヌ]]ら2人のみ。リトル・ミス・コロラドに選ばれていた少女が性的暴行を受け殺害された[[ジョンベネ殺害事件]]が発生。<br /> * 1997年 女性教師[[メアリー・ケイ・ルトーノー]]による、教え子に対するレイプ事件発覚。彼女は2回妊娠し、2005年に少年と結婚した。<br /> * 1999年 オーストラリアで、女性教師による性的暴行事件・[[クイーンズランド性的暴行事件]]発生。<br /> * 2000年7月、[[奈良長女薬殺未遂事件]]が発覚。加害者が実の父に近親姦を行わされていたことを証言する。<br /> * 2002年1月、ボストン・グローブ誌で[[カトリック教会]]の大規模な性的虐待を報道。被害を受けた人の多くが少年であった([[カトリック教会の性的虐待事件]])。2月、[[伊勢崎市同居女性餓死事件]]が発覚し、姉と弟の近親姦があったらしいと騒がれる。<br /> * 2003年、男児に対しサディスティックな猥褻行為を行った後に殺害し補導されたが、当の補導された少年自身も性被害者であった[[長崎男児誘拐殺人事件]]が発生。<br /> * 2004年2月、[[ジャニーズ事務所]]において[[ジャニー喜多川]]が所属男性タレントに対して性的虐待を行ったということを[[週刊誌]]が報道した件に対して、損害賠償を求めた訴訟で同性セクハラ行為に関しては名誉棄損にならないとした判決が確定。3月、[[高崎小1女児殺害事件]]発生。4月、[[アブグレイブ刑務所における捕虜虐待]]が発覚。11月、[[奈良小1女児殺害事件]]発生。アメリカでは[[フロリダ性的暴行事件]]が発生。<br /> * 2005年 [[タスマニア州]]で女性教師による連続レイプ事件[[オーストラリア連続少年暴行事件]]発生。[[南オーストラリア州]]では[[リバーランド性的暴行事件]]発生。日本では男性が女性たちを[[性的奴隷|性奴隷]]化した[[北海道・東京連続少女監禁事件]]発覚。11月、[[広島小1女児殺害事件]]発生。<br /> * 2006年8月、女性保育士による性的暴行事件[[埼玉児童性的虐待事件]]発覚。10月、[[福岡中2いじめ自殺事件]](ズボンを脱がそうとしたとして少年たちが送検された)。11月、[[新潟県神林村男子中学生自殺事件]]が発生。<br /> * 2007年3月、[[和歌山少年暴行事件]]・[[尼崎小学生女児暴行事件]]が報道される。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> === 注釈 ===<br /> {{Notelist}}<br /> === 出典 ===<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[少年への性的虐待]] - [[女性による性的虐待]]<br /> * [[兄弟姉妹間の虐待]]<br /> * [[近親相姦]]<br /> * [[機能不全家族]]<br /> * [[毒親]]<br /> * [[性的いじめ]]<br /> * [[ドメスティックバイオレンス]]<br /> * [[婦女暴行]]<br /> * [[子供の性]]<br /> * [[急性ストレス障害]]<br /> * [[PTSD]] - [[複雑性PTSD]]<br /> * [[抑圧された記憶]]<br /> * [[虚偽記憶]]<br /> * [[保育園などでの性的虐待の可能性に対する社会的恐怖]]<br /> * [[悪魔的儀式虐待]]<br /> *[[女性護身術]]<br /> ; 集団<br /> * [[特殊慰安施設協会]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> *[http://www.just.or.jp/?page_id=2346 JUST(日本トラウマ・サバイバーズ・ユニオン)] - 性的虐待を受けた人々が沈黙を強いられないような活動をしている特定非営利活動法人。<br /> <br /> {{性}}<br /> {{性道徳}}<br /> {{嫌がらせ}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:せいてききやくたい}}<br /> [[Category:性的虐待|*]]<br /> [[Category:性犯罪]]<br /> [[Category:教育問題]]<br /> [[Category:性的嗜好]]<br /> [[Category:性倫理]]</div> 211.15.40.102 近親相姦 2018-08-01T05:24:23Z <p>211.15.40.102: </p> <hr /> <div>{{性的}}<br /> &lt;!--呼び方についてはノート参照--&gt;<br /> [[File:Samuel Woodforde - Lot and His daughters, 1782-1785.jpg|thumb|『ロトとその娘たち』[[サミュエル・ウッドフォード]]画]]<br /> &#039;&#039;&#039;近親相姦&#039;&#039;&#039;(きんしんそうかん)は、近い[[親族]]関係にある者による性的行為である。[[日本語]]辞書や[[文学]]などの分野ではこの用語が用いられることが多い。ただし、[[臨床心理学]]などの分野で[[児童虐待]]問題に関連して扱われる場合は&#039;&#039;&#039;近親姦&#039;&#039;&#039;(きんしんかん)と呼ばれることも多い。[[英語]]では近い親族関係にある者による性的行為を&#039;&#039;&#039;インセスト&#039;&#039;&#039;(incest、[[ラテン語]]のincestusに由来)という。また人類学の一つである[[ジェンダー|ジェンダー論]]においては兄弟レイプ、夫婦レイプなどレイプの一つとして扱われる。家庭内性暴力という言葉もあるが、この場合は家の使用人によるものも含まれる概念となる{{Sfn|信田|2015|p=214}}。<br /> <br /> 近親相姦は人類の多くの文化で禁忌扱いされるが、この現象のことを[[インセスト・タブー]]と呼ぶ。近親者間の性的行為は異性間、同性間を問わず発生し、また大人と子供、子供同士、大人同士のいずれも起こるが、その親族範囲や何をもって性的行為とみなすかに関しては文化的差異が大きく、法的に近親間の同意の上の性的行為を犯罪として裁くか否かに関しても国家間で対応が分かれる。<br /> <br /> なお、近い親族関係にある者による[[結婚|婚姻]]のことは&#039;&#039;&#039;[[近親婚]]&#039;&#039;&#039;と呼び、関連して扱われることはあるが近親相姦とは異なる概念であり、近親相姦を違法化している法域においては[[近親相姦罪]]の対象となる近親の範囲が近親婚の定義する近親の範囲と異なっている場合がある。<br /> <br /> == 法律 ==<br /> === 刑罰規定 ===<br /> {{main|近親相姦罪}}<br /> 人類社会の大部分において[[インセスト・タブー]]というものがあり、法律上で近親相姦に刑罰規定を設けている国もある。しかし、成人の近親者間が合意の上で行っている[[性行為]]を犯罪として罰することは[[被害者なき犯罪]]であるという指摘があり{{Sfn|ジャスティス|1980|p=41}}、身体的もしくは心理的な強要を伴わない場合においては単に[[道徳]]的な理由だけで成立している近親相姦法は撤廃されるべきではないかという動きが起こった。<br /> <br /> 合意の上の成人近親相姦を合法としているのは[[中華人民共和国]]&lt;ref name=&quot;abc2010&quot;&gt;{{cite web|url=http://abcnews.go.com/Health/switzerland-considers-legalizing-consensual-incest-columbia-professor-accused/story?id=12395499|title=Professor Accused of Incest With Daughter|language=英語|author=James, Suzan Donaldson|publisher=ABC News|date=2010-12-15|accessdate=2011-04-23}}&lt;/ref&gt;、[[ロシア]]&lt;ref name=&quot;abc2010&quot; /&gt;、[[トルコ]]&lt;ref name=&quot;abc2010&quot; /&gt;、[[スペイン]]&lt;ref name=&quot;abc2010&quot; /&gt;、[[オランダ]]&lt;ref name=&quot;abc2010&quot; /&gt;、[[イスラエル]]&lt;ref name=&quot;abc2010&quot; /&gt;、[[コートジボワール]]&lt;ref name=&quot;abc2010&quot; /&gt;、[[インド]]&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.indiatogether.org/2009/apr/chi-incest.htm|title=Incest and the conspiracy of silence |publisher=Indiatogether.org|date=30 April 2009|accessdate=2013-06-01}}&lt;/ref&gt;、[[アルゼンチン]]&lt;ref&gt;{{cite web |url=http://www.infoleg.gov.ar/infolegInternet/anexos/15000-19999/16546/texact.htm#17 |title=Crimes against sexual integrity. Argentine Criminal Code|accessdate=2013-06-01}}&lt;/ref&gt;、[[ベルギー]]、[[ポルトガル]]、[[ルクセンブルク]]、[[ブラジル]]がある。ただし、イスラエルは保護者に関しては別に法律を制定しており、直系子孫や被後見者等との関係は相手が21歳以上でなければ合法とならない。<br /> <br /> ====日本====<br /> {{seealso|監護者性交等罪}}<br /> 暴行や脅迫を伴わないものに関しては、さまざまな例がある。[[日本]]の[[律令]]では[[八虐]]で、近親相姦の禁止は謳われていない。京都朝廷の[[格式]]としては927年に完成された[[延喜式]]で述べられている規定で[[国つ罪]]として母及び子との近親相姦が禁止された。[[江戸幕府]]の規定においては、1742年の「[[公事方御定書]]」では養母、養娘、姑と[[密通]]した場合は両者ともに[[さらし首]]、姉妹、叔母、姪の場合は両者ともに遠国送りにした上で[[非人]]扱いとすると定めた(母子・父子は論外であった模様){{Sfn|原田|2001|pp=12 - 13}}。なお、規定上は兄弟姉妹間の密通は[[非人手下]]であって[[死刑]]ではなかったが、19世紀初頭の記録として、[[仙台城]]下で[[許嫁]]がいる衣服商の娘が兄と通じたとして兄妹もろとも[[磔]]で処刑されたという事例も存在している{{Sfn|原田|2001|p=13}}。<br /> <br /> 近代日本では[[1873年]][[6月13日]]に制定された改定律例においては親族相姦の規定があったが、1881年をもって廃止された。刑法に盛り込まれなかった理由は、[[ギュスターヴ・エミール・ボアソナード]]が近親相姦概念は道徳的観念の限りにおいて有効であると反対したためである&lt;ref&gt;{{cite journal|和書|title=児童虐待における刑事法の在り方|journal=中亰法學|author=[[三枝有]]|volume=37|issue=3・4|pages=265-292|date=2003年3月15日|publisher=[[中京大学]]|url=http://www.chukyo-u.ac.jp/educate/law/academic/hougaku/data/37/3=4/saegusa.pdf|format=PDF|naid=110006203308|issn=02862654|accessdate=2011-08-05}}&lt;/ref&gt;。現在の日本では、成人の近親者同士の合意に基づく性的関係についての刑罰規定は存在しない。1947年8月11日の第1回[[国会 (日本)|国会]]司法委員会公聴会では[[小川友三]]が日本において近親相姦を違法化していないのは問題があると主張したが、[[牧野英一]]は外国で近親相姦罪が支持される背景には宗教上の問題がある件を挙げ反論している&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/001/1340/00108111340011a.html|title=参議院会議録情報 第001回国会 司法委員会 第11号|work=国会会議録検索システム|publisher=[[国立国会図書館]]|accessdate=2011-08-19}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[改正刑法草案]]で「被保護者の姦淫」についての規定を新設する動きもあったのだが&lt;ref&gt;『法律学講座双書 刑法各論 第四版補正版&lt;!--旧版--&gt;』([[西田典之]]、弘文堂、2009年、1999年初版発行) 85頁 ISBN 978-4-335-30249-7&lt;/ref&gt;、[[日本弁護士連合会]]は1989年にまとめた「親権をめぐる法的諸問題と提言」で、家庭内のことに警察が介入することで余計な問題が引き起こされるのではということを理由の一つに挙げ、基本的にこの動きに反対する姿勢をとったりもした{{Sfn|斎藤|1992|pp=120 - 121}}。1995年4月27日の第132回国会[[法務委員会]]では1973年の判例である[[尊属殺重罰規定違憲判決]]の話で近親相姦の違法化について議題となったが、[[法務省刑事局]]長であった[[則定衛]]は[[強姦罪]]は[[親告罪]]であるため未成年の子供が[[親権者]]を訴えにくい環境があるとはいえ、現行法でも他の親族の訴えで[[告訴]]は可能だとこれに反論した&lt;ref name=&quot;kokkai132&quot;&gt;{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/132/1080/13204271080009c.html|title=参議院会議録情報 第132回国会 法務委員会 第9号|work=国会会議録検索システム|publisher=[[国立国会図書館]]|accessdate=2011-06-12}}&lt;/ref&gt;。この事件は長年にわたり性的虐待を実の父親から受けていた女性が、別の男性と結婚したいと言ったところ激怒、脅迫した父親を絞殺したという事件であるが、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]による史上初の[[違憲立法審査権]]行使という側面は注目されたが、当時は社会問題として性的虐待が扱われていなかった{{Sfn|榊原|池田|2017|p=180}}。<br /> <br /> なお、保護者と18歳未満の子供の性的関係に関しては[[児童虐待の防止等に関する法律]]の対象となりうる。2000年の成立当初は罰則はなかったが、2007年の改正で[[都道府県知事]]による接近禁止命令(12条の4)及びそれに違反した場合の罰則(旧17条、[[児童福祉法]]での措置を20歳になるまで延長できるようになったため、2017年4月1日より延長者虐待に関する規定が施行されることに伴い、その旨を明記の上で18条に繰下)が制定された。[[家庭裁判所]]も、児童福祉法28条に基づく審判中は、[[家事事件手続法]]239条に基づき保全処分として接近禁止命令を出すことが可能である{{Sfn|榊原|池田|2017|p=228}}。<br /> <br /> 暴行や脅迫に属する行為があった場合は強姦罪などの法律で対処することになっていたが、明白な身体的暴力がなくとも心理的強制が認められれば準強姦罪などの法律が適用された事例もある。一例としては、[[青森県]]在住の男性が孫娘2人に対して性的暴行を加えていたとして準強姦罪及び準強制わいせつ罪で訴えられ、2008年9月2日に[[青森地方裁判所]]が懲役12年の実刑判決を下した事件が挙げられる&lt;ref name=&quot;dailytohoku&quot;&gt;{{cite web|url=http://www.daily-tohoku.co.jp/news/2008/09/03/new0809030802.htm|title=孫娘に性的暴行 73歳被告、懲役12年判決|date=2008-09-03|accessdate=2011-07-20|publisher=[[デイリー東北新聞社]]|archiveurl=http://web.archive.org/web/20080906190443/http://www.daily-tohoku.co.jp/news/2008/09/03/new0809030802.htm|archivedate=2008-09-06}}&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;mainichi2008&quot;&gt;{{cite web|url=http://mainichi.jp/area/aomori/news/20080903ddlk02040065000c.html|title=わいせつ:孫に4年以上行為、73歳男に懲役12年--地裁判決 /青森|work=毎日jp|publisher=[[毎日新聞社]]|date=2008-09-03|accessdate=2011-07-21|archiveurl=http://web.archive.org/web/20080912202037/http://mainichi.jp/area/aomori/news/20080903ddlk02040065000c.html|archivedate=2008-09-12}}&lt;/ref&gt;。この事件では孫娘に対する心理的強要があったとされるが&lt;ref name=&quot;dailytohoku&quot; /&gt;、判決当時73歳だった祖父は孫娘は拒絶などしていなかったと裁判で主張していた&lt;ref name=&quot;mainichi2008&quot; /&gt;。<br /> <br /> 2014年より有識者を集め「性犯罪の罰則に関する検討会」が[[法務省]]で開かれ、この中では親子などといった関係性を乱用した性的行為について犯罪類型を新設するかどうかも議題の一つとして扱われることになった{{Sfn|小林|2016|p=213}}。「性犯罪の罰則に関する検討会」では、親子が同意した上で行う場合もありうるという意見もあったため、危機感を抱いた[[山本潤 (看護師)|山本潤]]は有志一同で「性暴力と刑法を考える当事者の会」を結成し、[[法制審議会]]に対して要望書を提出した{{Sfn|松本|2017|pp=245 - 246}}。2016年5月25日に行われた法制審議会のヒアリングに出席した山本潤は、自らも父親に性被害を受けたことがあると述べた上で、性加害という問題を被害者の観点から考察してほしいと訴えた{{Sfn|松本|2017|pp=240, 248 - 250}}。結果として、2016年9月に法制審議会は、親に代表されるような「監護者」が、18歳未満の者に対しわいせつな行為に及んだ場合の刑罰を新設するよう、[[金田勝年]]法務大臣に答申した{{Sfn|小林|2016|p=216}}。そして2017年6月16日に、参議院本会議で改正刑法は可決され「監護者わいせつ罪」(刑法第179条第1項)及び「監護者性交等罪」(同条第2項)の新設が実現した。この改正案はそれまで暴行や脅迫を必要とせずに強姦罪や強制わいせつ罪で罰することができる年齢は13歳未満とされていたのを、監護者による行為の場合は18歳未満に引き上げることを目的とした{{Sfn|榊原|池田|2017|pp=179 - 180}}。なお、この改正の際、性犯罪の親告罪規定は全面撤廃され、強姦罪の名称もなくなった。<br /> <br /> ====中国====<br /> 中華人民共和国では近親相姦自体が罪として定められていないが、[[尊属殺人]]事件の裁判で情状酌量の理由として扱われる場合もある。1980年以降母親と性関係を持ち続けながら、結婚と離婚を2回繰り返した後、3回目の結婚生活を妻と送っていた最中、息子が母親のせいでこれ以上離婚したくないことを動機として、2006年5月に母親を殺害したのだが、死体に精液斑が残っていたため逮捕のち裁判にかけられ、2007年2月に[[永州市]]中級人民法院で下された判決では故意殺人罪が適用されたものの、情状酌量が認められ、死緩判決すなわち2年の[[執行猶予]]付の死刑判決が宣告されることになった&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://big5.chinabroadcast.cn/gate/big5/gb.cri.cn/14753/2007/02/13/1806@1454733.htm|title=兒子與母親亂倫26年 為掩蓋醜行兒弒母被判死緩|language=中国語|work=CRI Online|publisher=[[中国国際放送]]|date=2007-02-13|accessdate=2011-07-02|deadlinkdate=2015-12-11}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> かつては[[イギリス]]の領土であり中国に返還後も[[特別行政区]]として独自の制度が維持されている香港では、刑事罪行条例の第200章47条及び48条に乱倫罪についての規定があり、近親相姦は違法となっている。ただし、その範囲は[[近親婚]]の定義とは異なり、おじおば甥姪に関しては婚姻条例第181章27条で結婚できないとされているが、乱倫罪の定める処罰対象にはなっていない。香港では、両親が離婚し母方の祖父の家に預けられるなどし、学校生活に馴染めずに姉のことを最も敬愛する人だと言い、家にこもってインターネットばかり行っていた当時16歳の弟が、2009年4月のある日に一緒に姉と寝ていたところ、寝ている姉を突然抱きしめ性交し、10月にも無理矢理に迫って性交した後、姉が[[ソーシャルワーカー]]に相談したことから、弟が乱倫罪を問われ有罪となったが、許しており情を求めると姉と母は郵便で伝え、2010年7月発表の処分では年齢からしても弟は更生施設に送致するのが妥当ということになった&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://news.sina.com.hk/cgi-bin/nw/show.cgi/3/1/1/1794814/1.html|title=會考生與姊亂倫判更新|work=[[明報]]|publisher=[[新浪]]|language=中国語|date=2010-07-22|accessdate=2011-06-01|deadlinkdate=2015-12-11}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ====台湾====<br /> [[台湾]]では[[中華民国]]刑法第230条によって、直系血族及び傍系3親等内血族の近親相姦は違法となっている。もっとも、刑法第236条に血族相姦罪は親告罪と明記されており、当事者達が刑罰を望まない場合は不起訴とすることは可能である。<br /> <br /> ====アメリカ合衆国====<br /> アメリカ合衆国では、合意の上の成人の近親相姦である場合は州によって罰すべきか否か異なる。伝統的な近親相姦法を廃止している[[ミシガン州]](1974年廃止)や[[ニュージャージー州]](1979年廃止)では近親姦の刑罰規定は客体が児童の場合に限定され、成人の場合は合法化されているが、成人であっても違法とする州も多い{{Sfn|ハーマン|2000|pp=299 - 330}}。<br /> <br /> だが、2003年の合意に基づく性行為は憲法で保障されているとして[[同性愛]]に対する[[ソドミー法]]を違憲とした[[ローレンス対テキサス州事件]]判決との整合性から、[[アメリカ合衆国憲法修正第14条]]に反する違憲立法との主張がある&lt;ref name=&quot;timeincest&quot;&gt;{{cite web|url=http://www.time.com/time/nation/article/0,8599,1607322,00.html|title=Should Incest Be Legal?|publisher=[[タイム (雑誌)|タイム]]|language=英語|date=2007-04-05|accessdate=2011-05-18}}&lt;/ref&gt;。子供を4人もうけたことで近親相姦罪を問われ[[親権]]を剥奪され、1997年に懲役8年を宣告された兄と懲役5年を宣告された妹の事件で、兄が訴訟を起こしたが、ローレンス対テキサス州事件は同性愛を特別に扱ったと判断する形で、2005年に連邦第7巡回区控訴裁判所はこの訴えを棄却している&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.boston.com/news/globe/editorial_opinion/oped/articles/2005/08/28/hypocrisy_on_adult_consent/|title=Hypocrisy on adult consent|language=英語|first=Jeff|last=Jacoby|publisher=[[ボストン・グローブ]]|date=2005-08-28|accessdate=2011-08-22}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> また、[[オハイオ州]]では22歳の義理の娘との近親相姦で2004年に120日の投獄を宣告された義父が訴訟を起こしたが、州の最高裁はこの訴えを退けた&lt;ref name=&quot;timeincest&quot; /&gt;。なお、対象が一定年齢以下の児童の場合は、すべての州で違法である。ミシガン州でも、養子に出していた当時14歳の息子の写真を送ることを2008年にされなかった際、[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|ソーシャル・ネットワーキング・サイト]]を用いて息子を探し関係をもったとして母親が罪を問われ、2010年7月13日に9 - 30年の投獄を宣告されたという事例もあるが、弁護士は彼らの関係は母と息子間のそれではなく、通常の男女関係に過ぎないと主張していた&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.heraldsun.com.au/news/breaking-news/michigan-woman-sentenced-to-nine-years-jail-for-sex-with-son/story-e6frf7jx-1225891239081|title=Michigan woman sentenced to nine years&#039; jail for sex with son|language=英語|publisher=[[ヘラルドサン]]|date=2010-07-13|accessdate=2011-06-25}}&lt;/ref&gt;。また、[[バージニア州]]で近親相姦者は性犯罪者として[[インターネット]]上に情報公開しなくてはならないことになった際、かつて18歳の時に当時14歳の妹との近親相姦の罪を問われ1994年に有罪となり、90日の投獄刑に保護観察の場合の執行猶予が付けられる形で処分を宣告されたことがある男性が訴訟を起こし、妹も裁判で兄の訴えを支持したのだが、2006年9月に[[プリンスウィリアム郡 (バージニア州)|プリンスウィリアム郡]]巡回裁判所はこの訴えを棄却した&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/09/11/AR2006091101142.html|title=Man Loses Suit to Keep Identity off Sex Offender Registry|first=Jerry|last=Markon|publisher=[[ワシントン・ポスト]]|language=英語|date=2006-09-12|accessdate=2011-07-30}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ====イギリス・スコットランド====<br /> イギリスでは近親相姦は違法である。<br /> <br /> [[スコットランド]]では、夫との娘を出産したものの産後うつに陥り不妊にさせられた異父妹と恋愛関係になった異父兄がおり、彼らの母親は息子と娘が裸でいるところを目撃したため警察に通報し、近親相姦で兄妹は有罪判決を受けていたが、これに対し兄妹は2008年5月に[[アメリカ合衆国]]のテレビ番組『[[グッド・モーニング・アメリカ]]』に出演し、自分たちの関係について理解を求めた&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.timesonline.co.uk/tol/news/article3883261.ece|title=Incest couple defy Scots court ruling|language=英語|publisher=[[タイムズ]]|date=2008-05-06|accessdate=2011-06-26}}&lt;/ref&gt;。2011年8月4日には、以前にも近親相姦で有罪になっていた[[バーミンガム]]の47歳の父親と26歳の娘が再び近親相姦で有罪を宣告された問題で、[[BBC]]は離婚が原因で別々に暮らしていた父娘であり、父親の弁護士が個人の自由を阻害している事件ではない旨を語った話を取り上げた&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.bbc.co.uk/news/uk-england-birmingham-14403980|title=Birmingham father and daughter sentenced for incest|language=英語|work=BBC News|publisher=BBC|date=2011-08-04|accessdate=2011-08-06}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ====アイルランド====<br /> [[アイルランド]]の現行法は1908年に制定されたものを1995年に少し修正したものであるが、近親相姦は犯罪と定められている。<br /> <br /> アルコール依存症の母親が1998年から2004年までの期間に子供達を虐待していた事件があり、政府は2000年の段階で子供達の保護を試みていたが、母親に味方した[[カトリック教会|カトリック]]系[[右翼団体]]の抗議で対応が遅れてしまったという事態になったものの、後に裁判となり母親は13歳の息子に対して近親姦を行ったなどの罪で2009年にロスコモン[[巡回裁判所]]で7年の投獄を宣告されたが、この事件はアイルランドでは女性が裁判で近親姦で有罪になった史上初のケースであり、裁判官には母親に関する近親姦法の不備が指摘された&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/europe/4315897/Irish-mother-jailed-for-incest-with-six-children.html|title=Irish mother jailed for incest with six children|language=英語|publisher=デイリー・テレグラフ|date=2009-01-22|accessdate=2011-04-07}}&lt;/ref&gt;。この事件で、飲んだくれの当時36歳の母親に13歳の時に犯された息子は、母親の動機が分からないため泣きながらその時のことを「僕は困惑した」と[[アイルランドの警察]]に対し語ったという&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/europe/article5568935.ece|title=Call for change of law as Irish mother of six jailed for incest|first=David|last=Sharrock|language=英語|publisher=タイムズ|date=2009-01-22|accessdate=2011-07-04}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ====フランス====<br /> [[フランス]]では、成人の近親相姦に関しては特に刑法で定められていない。ただし、[[右翼]]&lt;!--「右翼」は記事内での主張なので異論がある可能性があるが、一般的な政治思想との関連で重要な点でもある--&gt;政党[[国民運動連合]]の党員の支持により、2010年に未成年者に対する近親相姦に限定して刑法上の文面が制定された&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/europe/france/7085759/France-makes-incest-a-crime.html|title=France makes incest a crime|language=英語|publisher=[[デイリー・テレグラフ]]|date=2010-01-28|accessdate=2011-05-25}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ====ドイツ====<br /> [[ドイツ]]では直系血族、兄弟姉妹間の性交を[[刑法典 (ドイツ)|刑法典]]第173条で処罰すると定めている。1913年 - 1924年のドイツにおける近親相姦罪の年間違反者数の最大値は862人で最小値は227人であった{{Sfn|原田|2001|p=33}}。<br /> <br /> 父親の[[アルコール依存症]]が原因で[[家庭崩壊]]となり、他の家に養子に出されていた[[ドイツ民主共和国]]出まれの[[パトリック・ステュービング]]が、2000年の母親の死去をきっかけに孤独さから血縁上の妹と性関係を持ち、子供を4人もうけ、このことで兄が近親相姦罪を問われ、裁判にかけられ服役することになったが、釈放後、兄が再び妹との近親相姦罪で裁判を行うのに合わせ、合意に基づく関係であっても犯罪とする当該の規定の撤廃を求める裁判が行われた&lt;ref name=&quot;germany&quot;&gt;{{cite web|url=http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2364637/2738103|title=ドイツ、実の妹を愛した男性による近親相姦合法化の訴え実らず|work=AFPBB News|date=2008-03-15|accessdate=2011-06-15}}&lt;/ref&gt;。なお、妹も近親相姦罪を問われたものの1年の[[保護観察]]処分だった&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/7294022.stm|title=German court upholds incest law|work=BBC News|publisher=BBC|language=英語|date=2008-03-13|accessdate=2011-07-09}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[弁護士]]は被害者が存在するわけではないと主張し、子供の遺伝的リスクに関しても、障害を持つ親や40歳を超えて[[高齢出産]]をする女性などが犯罪者扱いされないのにもかかわらず、近親者間で子供をもうける親を犯罪者扱いするのは差別だと主張し、妹は取材に対して「私は家族と一緒に暮らすことと、政府と裁判所が放っておいてくれることを望んでいるだけ」と語った&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6424937.stm|title=Couple stand by forbidden love|first=Tristana|last=Moore|work=BBC News|publisher=BBC|language=英語|date=2007-03-07|accessdate=2011-05-20}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> この事件ではドイツ国民から彼らに同情の目が向けられたが、2008年3月に[[連邦憲法裁判所]]は家庭内での権力乱用と[[近親交配]]を抑止するために近親相姦法は維持されるべきだとして、この訴えを棄却した&lt;ref name=&quot;germany&quot; /&gt;。<br /> <br /> この問題は、さらに[[欧州人権裁判所]]でも争われたが、欧州人権裁判所は、[[欧州評議会]]加盟国の間で、この問題についての合意が存在していないことを理由に、ドイツの裁判所が下した兄への有罪判決を支持した&lt;ref name=&quot;afpbb3027043&quot;&gt;{{cite news |title=ドイツ諮問機関、きょうだい間の性交渉の合法化を勧告 |newspaper=[[フランス通信社|AFPBB News]] |date=2014-9-25|url=http://www.afpbb.com/articles/-/3027043 |accessdate=2014-9-26 }}&lt;/ref&gt;。ドイツ政府の諮問機関である倫理委員会は、2014年9月24日、刑法の目的は「倫理基準を強要したり自発的な市民の性交渉を制限するものではない」と結論づけ、合意のある近親相姦に対する刑事罰を廃止するよう求めた&lt;ref name=&quot;afpbb3027043&quot;/&gt;。<br /> <br /> ====シンガポール====<br /> 近親相姦罪あるいは乱倫罪においては双方が法律の対象となりうる。[[シンガポール]]においては、2008年の父娘相姦の事例で父親に対して逮捕状が請求されたが、父親は逃亡し娘が残ったため、娘が指名手配中の父親との近親相姦の罪を問われ、2010年に法律改定後初となる近親相姦の女性被告となった&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://dailynews.sina.com/bg/news/int/sinchewdaily/20100326/02421295610.html|title=新加坡·全國第一起·允父亂倫·女郎被控|language=中国語|work=星洲日報|publisher=[[新浪]]|date=2010-03-26|accessdate=2011-04-23}}&lt;/ref&gt;。この娘は事件当時20歳であり、法律上は父親の行為に合意していた場合は乱倫罪を適用できる年齢であったためだが、父親が指名手配中であり事件は未だ捜査中という事情もあり、特に無罪判決が出されたわけではないが、2010年9月に一応は娘は釈放された&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://dailynews.sina.com/bg/news/int/sinchewdaily/20100907/04531810503.html|title=新加坡·涉與父親亂倫·女郎判無事省釋|language=中国語|work=星洲日報|publisher=[[新浪]]|date=2010-09-07|accessdate=2011-05-27}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ====アラブ首長国連邦====<br /> [[アラブ首長国連邦]]では、2010年2月に姪と関係を持ち妊娠させたオジ&lt;!--年齢関係が不明なため「叔父」「伯父」の表記は避ける--&gt;に対し、その後裁判が行われ、姪はナイフで脅されたと主張したが、オジは[[薬物中毒]]状態でよく覚えてなくナイフは持っておらず合意の上だったと主張し、裁判では合意があったと判断されたが、オジに2年の投獄(近親相姦に対しては1年の投獄だが薬物中毒で1年追加)、姪に3ヶ月の投獄が宣告され、[[首長国]][[ドバイ]]の最高裁判所に上告するも2011年8月に棄却された&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.thenational.ae/news/uae-news/courts/incest-pregnancy-sentence-upheld-at-cassation-court|title=Incest, pregnancy sentence upheld at Cassation Court|language=英語|author=Salam al Amir|publisher=The National|date=2011年8月22日|accessdate=2011-08-30}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ====オーストラリア====<br /> [[オーストラリア]]においては近親相姦は違法とされている。<br /> <br /> 1996年以降、モデル刑事法典役員会 (MCCOC) は近親相姦を違法とする法律について検討を行い、当初は犯罪となる近親相姦は児童への性犯罪法の範疇だとしていたが、成年で同意しているように見えても特に若い場合は児童期から虐待が行われていた可能性があり、その場合はどう対処するのかという問題が浮上し、1999年提出の報告書では結局撤廃を断念した&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.scoop.co.nz/stories/AU9907/S00056/model-criminal-code-proposals-for-sexual-offences.htm|title=Model Criminal Code Proposals For Sexual Offences|language=英語|publisher=Scoop|date=1999-07-16|accessdate=2011-06-19}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 夫婦の離婚で長いこと離れ離れになっていた父親と娘が再会後に子供をもうけ、父娘が有罪を宣告され裁判所から性交渉を禁止する命令を出された問題で、2008年4月6日に[[ナイン・ネットワーク]]が提供する番組(『60 Minutes』)で、39歳の娘が父親との間にもうけた自分の娘とともに出演し、テレビを通じて「今少しの理解と尊重を求めたいだけ」と訴えた&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2375134/2806620|title=子供もうけ有罪の父娘、関係承認をTVで懇願 豪州|work=AFPBB News|date=2008-04-07|accessdate=2011-06-25}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> なお、事件が起こったとされる時から数十年後になってからでも、過去に起こったとされる事件について裁判所が刑罰を宣告する可能性も存在する。1976年から1977年に当時14歳の娘が夫である義理の父親に虐待されるのを見逃した妻が、1980年に夫の命令で当時16歳の息子とセックスしたとして、2011年6月9日に2年3ヶ月の[[仮釈放]]なしの5年3ヶ月の投獄を宣告さけた[[ヴィクトリア州]]の女性の裁判例もある&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.heraldsun.com.au/news/more-news/mother-jailed-for-having-sex-with-son-in-1970s/story-fn7x8me2-1226072457077|title=Mother jailed for having sex with son in 1970s|language=英語|first=Daniel|last=Fogarty|publisher=ヘラルドサン|date=2011-06-09|accessdate=2011-06-29}}&lt;/ref&gt;。この父親も義理の子供3人と実の子供1人に対する性犯罪疑惑で近親相姦等の罪に問われ、15年の仮釈放なしの18年の投獄が2011年8月9日に宣告された&lt;ref&gt;{{cite news|url=http://www.dailytelegraph.com.au/news/breaking-news/paedophile-incest-dad-jailed-for-18-years-for-molesting-four-of-his-children/story-e6freuyi-1226111630009|title=Paedophile incest dad jailed for 18 years for molesting four of his children|language=英語|agency=Australian Associated Press|publisher=デイリー・テレグラフ|date=2011-08-09|accessdate=2011-08-09}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ===結婚制度===<br /> {{seealso|近親婚}}<br /> 近親婚の規制はその範囲に関しては民族的な差異は存在しているものの、その規制自体が存在するという点に関してはほとんどの国で共通である&lt;ref&gt;『家庭の法律 [第二版]』([[川島武宜]]、岩波書店、1981年、初版1955年) 28頁&lt;/ref&gt;。かつて存在した[[ソヴィエト社会主義共和国連邦]]や[[ブルガリア]]のように直系姻族間の結婚も可能な国もあるが、禁婚のありようは多種多様であり、日本は大体中ぐらいである&lt;ref name=&quot;sekaidaihyakkajiten7&quot;&gt;『[[世界大百科事典]] 7 2009年 改訂新版』(平凡社、2009年、初版1988年) 594頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ====日本====<br /> [[民法 (日本)|民法]]では直系の血族と、傍系の血族で3親等以内の者との結婚が禁止されており([[b:民法第734条|民法第734条]]第1項)、婚姻届を受理する際はそのことを確認しなければならないとされる([[b:民法第740条|第740条]])。たとえば、自分自身の兄弟姉妹との関係は、直系ではなく傍系ということになる。法律的には、甥・姪の子供や[[いとこ]]は傍系4親等であり結婚可能である。日本の民法において血族というのは[[養子縁組]]によるいわゆる「法定血族」も含まれるが([[b:民法第727条|民法第727条]])、近親婚の禁止について民法第734条第1項のただし書きには養子の異性(傍系のみ)とはこの限りではないとあるため、傍系の養子ならば婚姻は可能である。なお、直系の場合は離縁しても結婚はできない([[b:民法第736条|民法第736条]])。1987年に[[特別養子縁組]]という法律上の実親子関係を終了させる制度もできたが、この場合でも近親婚規制は残ると規定された(民法第734条第2項)。<br /> <br /> また、[[配偶者]]の両親は血族ではなく姻族と呼ばれるが、法律上は配偶者がいる場合には直系姻族についてだけが禁止の対象になり([[b:民法第735条|民法第735条]])、傍系姻族ならば結婚が可能となる。そのため、妻の姉妹あるいは夫の兄弟は傍系姻族であるため結婚することは可能である。だが、妻の母親あるいは夫の父親は直系姻族ということになり、結婚は不可能となる。江戸時代は連れ子同士の結婚も認められていなかったが&lt;ref name=&quot;sekaidaihyakkajiten7&quot; /&gt;、現在はこのような規定はない。<br /> <br /> なお、日本においては婚姻が禁止される近親者同士でもうけた子であっても、非嫡出子として認知することは可能である。この場合、戸籍の「父」「母」欄には近親者同士が名を連ねることとなる。あるいは、婚姻が禁止される近親者同士でもうけた子を認知せずに[[養子縁組]]を行うことも可能である。この場合、戸籍の「父」欄は不明で、実父が養父として記載されることになる。<br /> <br /> 近親婚では遺産相続の相続権の併有が想定されるが、養子縁組による義兄妹では直系卑属や直系尊属の相続人がいない場合は実際に起こっている話である。例えば妹でかつ妻という場合、配偶者としての相続権を放棄して妹としての相続権のみ残せるかということについて、平成27年9月2日民事二362号法務省[[民事局]]長通達&lt;!--出典の原文では略称使用--&gt;により、配偶者としての相続権放棄を確認するための申述書の謄本と、妹としての相続権を放棄していないことを確認するための[[印鑑証明書]]を付属させた上申書を、戸籍謄本及び除籍謄本に加えて提出した場合は、そのような所有権移転登記も可能とされた&lt;ref&gt;『司法書士試験 合格ゾーン 過去問題集 平成29年度』(株式会社東京リーガルマインドLEC総合研究所司法書士試験部編著、[[東京リーガルマインド]]、2017年) 200、201頁 ISBN 978-4-8449-8060-5&lt;/ref&gt;。[[山本浩司 (予備校講師)|山本浩司]]は、兄弟姉妹かつ配偶者という場合、両方の相続権を同時に行使することは認められないのだが、この理由は民法の法定相続分の規定は配偶者に有利にできていると見られているためだと述べている&lt;ref&gt;『山本浩司のオートマシステム3 民法Ⅲ &lt;第6版&gt;』(山本浩司、[[早稲田経営出版]]、2017年、初版2013年) 389頁 ISBN 978-4-8471-4390-8&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> なお、近親者同士の[[内縁]]関係が事実上の婚姻として[[社会保障制度]]の対象になるかどうかは議論がある。具体的には[[厚生年金保険法]]第3条2項の規定が議論となるが、判例は事例ごとに判断が割れている。中殿政男は、例えば父と娘が事実婚状態になったところで父親が非難されるだけで、事実を尊重するといった流れになるわけがないと指摘している&lt;ref&gt;『性の法律 結婚・不倫・離婚』(中殿政男、朝日新聞社、1993年) 77頁 ISBN 4-02-256699-X&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ====大韓民国====<br /> [[大韓民国]]で1957年に可決された大韓民国民法第809条第1項 ([[:en:Article 809 of the Korean Civil Code]]) では、[[慣習法]]を明文化し[[本貫|同姓同本]]不婚が規定されていた。しかしこれでは、非常に遠い血族であっても近親婚的に扱われる恐れがある。例えば[[慶州金氏]]の始祖は[[金閼智]]であるが、[[新羅]]で65年に天から降臨したところを発見されたと伝承される人物である。なお、双方の同意をもって[[事実婚]]を選ぶことは阻害されず、生まれた子は非嫡出子として扱われていたが、子供達が社会的侮辱を受けているとの指摘があり社会問題化し、また1980年代には同姓同本で結婚できないカップルは推定約30万組に達したともされていた&lt;ref name=&quot;hokudai&quot;&gt;{{cite journal|url=http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/22279/1/3_P305-333.pdf|format=PDF|title=韓国の同姓同本不婚制に関する背景と課題|author=三宅 勝|journal=北大法学研究科ジュニア・リサーチ・ジャーナル|publisher=[[北海道大学]]|naid=110000562183|year=1996|volume=3|pages=305-333|accessdate=2011-07-18}}&lt;/ref&gt;。韓国政府に対し撤廃を求める声もあったが保守勢力の反対もあり、最終的に1997年に[[大韓民国憲法]]の定める[[幸福追求権]]に反するとして、同姓同本不婚の項目に対し違憲判決が出され、2005年に改正法の施行によって撤廃された。<br /> <br /> 1977年2月に[[ソウル特別市|ソウル]]で、同姓同本で結婚できない20代のカップルが、ホテルで一夜を過ごした後に別れよりも死を選ぶ旨の遺書を残して、そこから飛び降りを行い心中する事件が発生したことがきっかけで、韓国世論が動くことになり、1977年12月31日には1978年限定で同姓同本婚を許可するとの法律も公布されたが、実際には時限立法のため韓国国民に法律の存在を理解させる時間がなかったとされている&lt;ref name=&quot;hokudai&quot; /&gt;。この同姓同本不婚の法律の制定の背景には、[[日韓併合]]後の[[日本統治時代の朝鮮|日本統治時代]]に[[抑圧 (社会科学)|抑圧]]された[[儒教]]組織による復古運動があったとされ、また国会審議で、4親等同士ですら婚姻が認められている野蛮的国家の模倣をするのか、あるいは日本の行いは禽獣であり韓国人の心情に反する、といった議論になるなど、当時激しいものがあった[[反日感情]]も大いに影響したとされており、1957年当時の『[[韓国日報]]』の調査では、年配の回答者と女性回答者に規定支持者が多かったが、年配層の中では41 - 50歳の世代に規定廃止論者が多く、世代を物語るようであり興味深い結果だと評した&lt;ref name=&quot;hokudai&quot; /&gt;。<br /> <br /> ====フランス====<br /> [[フランス民法典]]では近親婚の禁止の規定があるが、それに加え子供の認知に関しても制限が存在し、1972年の法改正で直系姻族及びオジオバ甥姪の間にもうけられた子供であれば両親が婚姻中ならば認知は可能ということになったものの、直系血族及び兄弟姉妹の間に生まれた子供に関しては両方の親が同時に子供を認知することはなお認めておらず、異父兄弟姉妹間に生まれ母親に認知された子供が父親と養子縁組することを認めるよう求めた裁判もあったのだが、2004年1月6日に[[破毀院]]はそのような養子縁組は認められないとの判断を示した&lt;ref&gt;{{cite journal|和書|url=http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/16367/8/hogaku0070303530.pdf|format=PDF|title=実親子関係確定における真実主義の限界|author=[[羽生香織]]|journal=一橋法学|volume=7|issue=3|pages=1013-1085|year=2008|publisher=[[一橋大学]]|naid=110007620127|issn=13470388|accessdate=2011-09-07}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ====スウェーデン====<br /> [[スウェーデン]]では婚姻法第2部第2章第3条の規定により、直系血族と同父かつ同母の兄弟姉妹の結婚は認められないが、異父または異母の兄弟姉妹ならば政府当局の許可を得た上であれば結婚は認められる。これは異父兄妹が近親相姦罪で犯罪者扱いされながらも別れろという命令を無視し、子供を2人もうけた事件をきっかけにして、1973年に異父または異母ならば特例で[[兄弟姉妹婚]]も可能なよう法改正が行われたためである&lt;ref&gt;{{cite journal|url=http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/29489/1/Hogaku_80_04_002_TANAMURA.pdf|format=PDF|title=遺族厚生年金受給権と近親婚的内縁の効力|author=棚村 政行|year=2005|journal=早稲田法学|publisher=[[早稲田大学]]|naid=120001941628|issn=0389-0546|volume=80|issue=4|pages=21-67|accessdate=2011-07-18}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ====インド====<br /> インドでは婚姻規制は宗教に任せることになっているため、国としては近親婚の禁止を強制していないが、事実上宗教に基づき近親婚は規制されている。<br /> <br /> [[クルアーン]]の第四章「[[婦人 (クルアーン)|婦人]]」には、母、妻の母、[[乳母]]、娘、継娘(妻と肉体的交渉がある場合)、姉妹、乳姉妹、息子の妻、父の妻、オバ、姪との婚姻、及び婚姻が解消されないうちの姻族の姉妹との[[重婚]]を禁じるという表現がある。[[イスラーム]]の法体系である[[シャリーア]]では、血族の兄弟姉妹、直系血族、兄弟姉妹の直系血族、直系血族の兄弟姉妹、及びそれに対応する乳親族、義理の父母及び娘息子、養父母及び養子をマフラムとして、彼らどうしの結婚を禁じている。一部のムスリムは叔父と姪の結婚は行っている&lt;ref&gt;ジェルメール・ティヨン(著)、宮治美江子(翻訳)『イトコたちの共和国』、p.88、[[みすず書房]]、2012年&lt;/ref&gt;。2007年11月、[[インド]]の[[西ベンガル州]]で15歳の娘を妊娠させた36歳の[[ムスリム]]が、[[アッラー]]のお告げによって娘と結婚することにしたのであると言いだしたところ、怒れる隣人たちに[[私刑|リンチ]]されそうになったため、警察が父親を救出する事件が発生した&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/7103292.stm|title=&#039;Incest man&#039; saved from lynch mob|first=Subir|last=Bhaumik|language=英語|work=BBC News|publisher=BBC|date=2007-11-20|accessdate=2011-06-15}}&lt;/ref&gt;。この事件では、インドのイスラーム神学校であるダルル・ウルーム・デオバンドが、父と娘の結婚は無効であると宣言している&lt;ref&gt;{{cite news|url=http://articles.timesofindia.indiatimes.com/2007-11-21/lucknow/27972514_1_father-daughter-darul-uloom-deoband-fatwa-department|title=&#039;Father-daughter marriage is void&#039;|language=英語|agency=Press Trust of India|publisher=[[ザ・タイムズ・オブ・インディア]]|date=2007-11-21|accessdate=2011-10-01}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ====イギリス====<br /> イギリスでは[[聖公会祈祷書]]の規定を原型にして、両親と祖父母及び子と孫(姻族含む)及び養子とおじおば甥姪との結婚を認めないことになっている。元々は聖公会祈祷書に基づく[[教会法]]は、姻族の兄弟姉妹及びおじおば甥姪との結婚も認めていなかったが、20世紀前半にイギリス議会において配偶者の死亡後の結婚に関しては合法化が次々に決められた。なお、近親者が近親関係を申し出ずに結婚した場合は、近親であると証明されれば法廷で婚姻関係を破棄される。双子が互いに双子と知らずに結婚し、血縁関係が明らかになったため法廷上で婚姻関係を破棄されてしまった事例が存在したことが、2008年1月にイギリス[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]で言及されている&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/7182817.stm|title=Parted-at-birth twins &#039;married&#039;|language=英語|work=BBC News|publisher=BBC|date=2008-01-11|accessdate=2011-03-29}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === いとこ同士の場合 ===<br /> [[ファイル:CousinMarriageWorld.svg|thumb|400px|栗色がいとことの性関係について場合によっては性犯罪となりうるとしている地域。緋色は刑罰を設けてはいないが法律の文面上はいとことの結婚を禁止している地域。桃色は特別な場合を除いていとことの結婚を禁止している地域。橙色はいとことの結婚は地域社会に認められた上であれば可能としている地域。水色は許可を得た上かもしくは特殊な場合を除いた上であればいとことの結婚を許可している地域。青色はいとことの結婚が可能とされる地域。]]<br /> {{See also|いとこ婚|いとこ同士の夫婦一覧}}<br /> [[アメリカ合衆国]]の州の中には[[テキサス州]]などのように、いとこ同士の性関係自体に対し刑罰規定を設け、犯罪と定めている場合もある。結婚に関しては、[[いとこ婚]]が無条件に可能なのは19の州及び[[コロンビア特別区]]のみであり、双方の配偶者が年齢65歳以上または不能に関する証拠を持つ年齢55歳以上の場合に限って許可している[[ユタ州]]など、制限付きで可能なのが6州で、残る25の州ではいとことの結婚は禁止されている(2011年現在)。<br /> <br /> [[中華人民共和国]]や[[朝鮮半島]]などの国家・地域では、いとことの結婚が認められない場合がある。1981年1月1日施行の中華人民共和国の修正婚姻法第7条1号では、傍系では3代即ち4親等までの血族の婚姻を認めていないため、いとこ婚は不可となっている。ただし、推奨はされないが民族性などを省みた上で、傍系血族婚規定について弾力的運用をすることは可能であるとしている&lt;ref&gt;{{cite journal|和書|url=http://www.ygu.ac.jp/yggs/houka/lawjournal/pdf/lawjournal02/lawjournal02_02.pdf|format=PDF|title=中国民族法制の問題状況 : 動向と課題|author=[[西村幸次郎]]|journal=山梨学院ロー・ジャーナル|volume=2|pages=23-54|publisher=[[山梨学院大学]]|issn=18804411|naid=110006375147|date=2007年7月20日|accessdate=2011-07-27}}&lt;/ref&gt;。一方、大韓民国では8親等以内の血族との結婚は認められないため、いとこやはとこはおろか、みいとことも結婚が認められないことになっている。<br /> <br /> ヨーロッパではいとことの結婚は一応は可能であり、[[進化論]]を唱えた[[チャールズ・ダーウィン]]などがいとこと結婚している。ただカトリックの場合、[[教会法]]では原則禁止で、あくまで赦免を与えて特別に許可しているというに過ぎないので、個人の信仰上問題視されることならばありうる。[[アガサ・クリスティ]]原作のテレビドラマシリーズ『[[名探偵ポワロ]]』の一編「[[葬儀を終えて]]」では、葬儀のために集まったいとこが性的関係をもってしまい、深刻に悩む描写がある。<br /> <br /> 日本ではいとことの結婚は合法であり、例えば歴代[[内閣総理大臣|総理大臣]]のうち[[若槻禮次郎]]、[[岸信介]]・[[佐藤栄作]]兄弟、[[菅直人]]の妻がいとこである。このうち、最初の3人は養家(父方または母方のおじの家)を継ぐため親族間の合意の下に[[婿養子]]となっており(岸と佐藤の姓が兄弟で異なるのは共に養家の姓を名乗ったためである)、菅の場合は親族を説き伏せての[[恋愛結婚]]である。近年まで都市部以外ではいとこ婚を歓迎する傾向があり、[[仲人]]婚と同様に普通に行われていた。<br /> <br /> [[イスラーム国家]]でもいとことの結婚は合法であり、慣習上推奨すらされる場合もある。有名なケースでは、[[イスラム教|イスラーム教]]の開祖である[[預言者]][[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ|ムハンマド]]や、[[イラク]]の大統領[[サッダーム・フセイン]]などがいとこと結婚している。ムハンマドの従妹で妻のザイナブ・ビント・ジャハシは、神の使徒の親戚という家柄に誇りを持っていた&lt;ref&gt;アーイシャ・アブドッラハマーン(著)、徳増輝子(翻訳)『預言者の妻たち』、p.167、日本サウディアラビア協会、1977年&lt;/ref&gt;。いとことの結婚の中でも、父方叔父の娘との結婚である[[ビント・アンム婚]]は理想と考えられている&lt;ref&gt;『イエメン もうひとつのアラビア』([[佐藤寛 (社会学者)|佐藤寛]]、1994年) 148-149頁 ISBN 978-4-258-05089-5&lt;/ref&gt;。宗教上においては、従姉妹と結婚する者は、復活の日に神から罰を受けることがないといわれている{{Sfn|穂積|2007|p=230}}。[[イラク戦争]]で[[アメリカ軍]]に射殺されたサッダームの息子[[ウダイ・サッダーム・フセイン|ウダイ]]と[[クサイ・サッダーム・フセイン|クサイ]]は、いとこである第一夫人との子供であった。<br /> <br /> === 傍系三親等血族同士の場合 ===<br /> {{seealso|叔姪婚}}<br /> イギリスのように、おじおば甥姪との性関係に対して刑罰規定が適用されうるとする法域も存在するが、ロシアでは家族法典第14条で近親婚扱いされておらず、婚姻が許可されている。ドイツでも婚姻法第4条第1項第21条で近親婚扱いされていないため、婚姻が可能である。フランスでは民法典第163条で一応は禁止されているものの、民法典第164条の規定で重大な理由がある場合は[[フランス大統領]]は婚姻を許可することができることになっている。日本でも国家としては婚姻の許可はしないものの、性関係に対する罰則は存在しない上、地域社会で結婚が実質的に受け入れられている場合もある。倉本政雄が1942年(昭和17年)の年度に調査し、1943年(昭和18年)に豐田文一と共同で発表した研究報告では、富山県の産婦人科で取り扱った1197人の調査において、叔姪婚が2組(全ての結婚のうちの約0.17%)存在していたという報告がある&lt;ref name=&quot;toyamakenka&quot;&gt;{{cite journal|和書|url=http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/2297/21539/1/AN0004385X-048-10-014.pdf|format=PDF|title=富山県下ニ於ケル血族結婚ノ頻度ニ就テ : 農村衛生ニ関スル調査報告 第5報|author=豐田文一, 倉本政雄|date=1943年10月30日|journal=金澤醫科大學十全會雜誌|volume=48|issue=10|pages=2270-2273|publisher=[[金沢医科大学 (旧制)|金澤醫科大學]]十全會|accessdate=2011-09-21}}&lt;/ref&gt;。だが、たとえ地域社会で受け入れられていても民法で許可された婚姻と同等に扱うことはできないのでは、という論争が日本ではあった。<br /> <br /> [[茨城県]]で父方の叔父と1958年以降内縁関係にあった姪が、叔父の死亡後に近親婚を理由として[[社会保険庁]]から[[遺族年金]]の支給を断られたため裁判となった。2004年6月22日、[[東京地方裁判所]]は地域社会で公認されている以上は法的な妻と同等の権利はあると判断した&lt;ref&gt;{{cite news|url=http://www.47news.jp/CN/200406/CN2004062201001881.html|title=近親婚でも遺族年金支給 「事実上公認」と東京地裁|agency=共同通信|work=47 News|publisher=Press Net Japan Co., Ltd.|date=2004-06-22|accessdate=2011-06-24}}{{リンク切れ|date=2015年12月}}&lt;/ref&gt;。しかし、控訴審の[[東京高等裁判所]]では2005年5月31日、近親婚的内縁関係に権利を認めると民法で守られている秩序が破壊されてしまうとして、社会的に保護される権利はないと逆転判決を出した&lt;ref&gt;{{cite news|url=http://www.47news.jp/CN/200505/CN2005053101002805.html|title=“近親婚”は支給対象外 年金訴訟、女性が逆転敗訴|agency=共同通信|work=47 News|publisher=Press Net Japan Co., Ltd.|date=2005-05-31|accessdate=2011-06-26}}{{リンク切れ|date=2015年12月}}&lt;/ref&gt;。これを受け最高裁判所への上告が行われ、2007年3月8日、最高裁判所はこの場合は地域社会に受け入れられているため、倫理性や公益性を省みた上で権利は認められる、と原告の訴えを認める判断を示した&lt;ref&gt;{{cite news|url=http://www.47news.jp/CN/200703/CN2007030801000461.html|title=近親婚でも受給可 遺族年金、最高裁が初判断|agency=共同通信|work=47 News|publisher=Press Net Japan Co., Ltd.|date=2007-03-08|accessdate=2011-06-24}}{{リンク切れ|date=2015年12月}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 堕胎について ===<br /> 近親相姦で妊娠した場合に出産するか否かについての問題もある。堕胎(または[[人工妊娠中絶]])が完全に違法になるかなど各国の司法権によって対応が異なる。アメリカ合衆国では女性の権利として堕胎が認められており、近親相姦で妊娠した場合も産む産まないの選択が可能である。しかしながら、[[胎児の人権]]を重視する立場の[[プロライフ|プロライフ派]]はこの対応を批判しており、激しい論争が発生している。<br /> <br /> 2006年3月6日に[[サウスダコタ州]]で、母体に危険がない場合は近親姦や強姦によるものを含む全ての妊娠における堕胎を犯罪とする法律に、州知事が署名した&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.nytimes.com/2006/03/06/politics/06cnd-abort.html|title=South Dakota Governor Signs Abortion Ban|language=英語|publisher=[[ニューヨーク・タイムズ]]|first=John|last=Holusha|date=2006-03-06|accessdate=2011-06-18}}&lt;/ref&gt;。しかしこの州法に対し、2006年11月7日に[[住民投票]]が行われ、反対56%賛成44%の反対多数で廃止が決定された&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.bismarcktribune.com/news/local/article_49101146-c76a-56b6-a981-c995cd737e01.html|title=South Dakota abortion ban rejected|language=英語|first=Kevin|last=Woster|work=Rapid City Journal|publisher=The Bismarck Tribune|date=2006-11-07|accessdate=2011-06-18}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 日本では刑法第2編第29章に「堕胎の罪」という章があり堕胎は犯罪とされているが、[[母体保護法]]([[法令番号]]は昭和23年7月13日法律第156号)2条2項に定義される「人工妊娠中絶」が、同法14条1項に掲げられる適応事由に当てはまる場合に可能とされているため、事実上は非犯罪化されている。昭和23年7月13日法律156号のかつての名称は[[優生保護法]]であり、障害のある胎児が生まれてこないようにすることが目的で、差別的だということで女性の権利を重視する内容にして1996年に改名された経緯がある。だが、適応事由に当てはまるか否かは指定医師の判断に委ねられていることから、実際には安易な運用がなされていないかという問題はある。橘ジュンの『最下層女子校生 無関心社会の罪』(2016年)には、父親との間にできた子供であっても本当は産みたかったのに中絶することになってしまい、自分のことを殺人犯だと感じたという女性の話が載せられている{{Sfn|橘|2016|p=70}}。<br /> <br /> == アンケート型社会学と発生率調査 ==<br /> {{seealso|偶発的近親相姦}}<br /> [[社会学]]的な観点から[[人間の性]]の実情を探ろうとする動きがあり、この一環として近親姦の発生率についても扱った調査が存在する。<br /> <br /> 1940年の精神科の女性患者142人と比較群の健康女性153人の合計295人の女性を対象とした、カーネイ・ランディスによる調査では、性的に成熟する以前の[[性的虐待]]の体験率が調べられたが、その調査では近親者による性的虐待率は12.5%であった{{Sfn|ハーマン|2000|pp=15, 17}}。<br /> <br /> 1953年の女性4441人を対象にした[[アルフレッド・キンゼイ]]らによる[[キンゼイ報告]]でも、同じく性的に成熟する以前の性的虐待の体験率が調べられ、その調査結果によれば近親者からの性的虐待の体験率は5.5%、父親または義理の父親によるものは1.0%であり、近親姦を含む性的虐待の加害者は男性が100%で女性は0%としている{{Sfn|ハーマン|2000|pp=15, 17}}。なお、キンゼイ報告は統計学的に不適切な点があることも指摘されている。<br /> <br /> 1978年にはアメリカ合衆国の[[カリフォルニア州]]で[[ダイアナ・ラッセル]]により930人の女性を対象に性的な接触行為まで含めた場合の発生率調査が行われた。それによると近親者による性被害率は女性が18歳までで全体の約16%である{{Sfn|宮地|2004|pp=46, 62, 63}}。このうち4.5%が父親で残り12%が別の肉親であり&lt;ref name=&quot;no2&quot;&gt;{{cite web|url=http://www.dianarussell.com/incestintro.html|title=THE SECRET TRAUMA INTRODUCTION TO THE 1999 EDITION|publisher=ダイアナ・ラッセル|language=英語|accessdate=2011-06-12|archiveurl=http://web.archive.org/web/20040409085925/http://dianarussell.com/incestintro.html|archivedate=2004-04-09}}&lt;/ref&gt;、全体16%のうち3分の1近くが父親によるものであることを示す&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9B0DE2DD173FF934A1575AC0A961948260|title=NEW &amp; NOTEWORTHY|language=英語|publisher=ニューヨーク・タイムズ|date=1987-09-27|accessdate=2011-06-06}}&lt;/ref&gt;。一時期「実の父親による性虐待が多い」と言われたこともあったが、ラッセルの調査では3分の2以上が父親以外の他の肉親によるものであり、さらにその「父親」とされる人物の多くは義父である&lt;ref name=&quot;no2&quot; /&gt;。<br /> <br /> 1978年の、大学生796人(女性530人、男性266人)を対象にした[[デイビッド・フィンケラー]]の報告では、女性は家族による性的虐待率は8.4%でうち父親もしくは義理の父親によるものは1.3%、男性は家族による性的虐待率は1.5%で父親もしくは義理の父親によるものは0%だった{{Sfn|ハーマン|2000|p=17}}。<br /> <br /> 一方、男性の場合は不適切な性的関わりを「虐待」という言葉で表現することに違和感があり、そういった例が過少申告されうるとの指摘もあり、[[デイビッド・リザック]]らは1996年に、大学生の男性を対象にして「虐待」という表現を質問では用いずに行った調査報告を発表した{{Sfn|ガートナー|2005|p=42}}。その調査報告では男性の近親者による性被害率は16歳までで全体(N=595)の3 - 4%としている{{Sfn|宮地|2004|pp=46, 62, 63}}&lt;ref&gt;{{cite journal|author=Lisak, David; Hopper, Jim; Song, Pat|title=Factors in the cycle of violence: Gender rigidity and emotional constriction|journal=Journal of Traumatic Stress|volume=9|issue=4|pages=721-743|doi=10.1007/BF02104099|pmid=8902743}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 一般的には親子の近親姦は父親と娘のパターンが多いと言われているのだが、「虐待」という概念によって感覚的に統計上のバイアスがもたらされている可能性もあり、比率に関しては安易に断定することはできない。また、Ann Banning (1989) は母親による近親姦は、[[フェミニスト]]的観点によってまるで存在しないかのように扱われてきたと指摘した&lt;ref name=&quot;femaleabuser&quot;&gt;{{cite web|url=http://www.ipt-forensics.com/library/female.htm|title=Female Child Sexual Abusers|language=英語|publisher=Institute for Psychological Therapies|accessdate=2011-05-25}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{cite journal|author=Banning, Ann|title=Mother-son incest: confronting a prejudice|journal=Child Abuse and Neglect|year=1989|volume=13|issue=4|pages=563-570|pmid=2819532}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 日本では1972年、[[五島勉]]が著書『[[近親相愛]]』でアンケート調査の結果を発表した。それによれば、女性1229人から得られた回答を基にした分析で、4.7%が実際に家族と性的行為を行った、もしくはギリギリの状況まで進んだと推定されるとしている{{Sfn|原田|2001|p=33}}。<br /> <br /> また、[[精神科医]]の[[斎藤学 (精神科医)|斎藤学]]がラッセルの基準を参考に、1993年に[[神経性大食症|過食症]]の女性患者52名、比較群の健康女性52人に行った調査がある。その結果、健康女性の2%、過食症の女性患者の21%が18歳までに何らかの近親姦的被害に遭っているという調査結果が得られた{{Sfn|斎藤|2001|pp=169 - 170}}。<br /> <br /> 一方、[[石川義之]]は1993年に大学・専門学校生を対象に調査を行ったが、非接触性のものまで含めた場合は女性の12.3%が近親姦的な性虐待被害を報告しており、父親によるものはうち5.7%であったという{{Sfn|原田|2001|p=34}}。<br /> <br /> 大韓民国では2005年にHyun-Sil KimとHun-Soo Kimが、定義を年長者による暴行もしくは脅迫を伴った何らかの形式での性的挿入を伴った被害に絞った上で近親姦の発生率を調査し発表しているが、それによれば青年1672人中3.7%がそのような近親姦を報告したとされる&lt;ref&gt;{{cite journal|title=Incestuous Experience Among Korean Adolescents: Prevalence, Family Problems, Perceived Family Dynamics, and Psychological Characteristics|author=Kim, Hyun-Sil; Kim, Hun-Soo|journal=Public Health Nursing|volume=22|issue=6|pages=472–482|year=2005|doi=10.1111/j.0737-1209.2005.220604.x|pmid=16371068}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 現代社会における実情 ==<br /> === 兄弟姉妹間の性関係 ===<br /> {{seealso|兄弟姉妹婚}}<br /> 社会学者デイビッド・フィンケラーは796人の大学生を対象にした調査の兄弟姉妹姦の分析結果を1980年に発表したが、それによれば女性の15%、男性の10%は、性器の愛撫などといった行為が多いものの、何らかの形での兄弟姉妹との近親姦を報告し、その兄弟姉妹の近親姦の4分の1は年齢差などの状況から判断して[[兄弟姉妹間の虐待]]とみなされうるものであったと主張している&lt;ref&gt;{{cite journal|year=1980|first=David|last=Finkelhor|title=Sex among siblings: A survey on prevalence, variety, and effects|journal=Archives of Sexual Behavior|volume=9|issue=3|pages=171-194|pmid=7396691|doi=10.1007/BF01542244}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 兄弟姉妹の近親姦は、両親あるいは片親の欠如など家庭内における両親の機能が存在していないことが、重要なファクターとして機能している可能性がある{{Sfn|原田|2001|p=172}}。久保摂二は1957年の「[[近親相姦に関する研究]]」において日本における15例の兄弟姉妹姦の事例を調査したが、両親を喪いしかも兄弟姉妹6人のうち3人が[[知的障害]]を持っているという状況で、障害を持たない長男と長女が親代わりとして近親相姦を行っていたため、他人と結婚する権利を放棄してまで家族を養おうとした彼らは世間から同情の目で見られたという事例があったことを報告している{{Sfn|原田|2001|pp=123, 149}}。久保は自らの調査では兄弟姉妹姦は長男など家族の実質的中心者でありながら、未熟な状態のまま統率者に据えられた男性に多いと考察している{{Sfn|原田|2001|p=172}}。<br /> <br /> Floyd Mansfield Martinsonは1994年の自らの著書『The Sexual Life of Children(訳:子供達の性生活)』で[[子供の性]]について扱っている。Floydは、子供時代の男女間の性的行為そのものがかなり普通にあると論じ、互いに近い関係にあることが原因で子供時代の兄弟姉妹の間で性的行為が起こりうるとしている&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.ethicaltreatment.org/research.htm|title=CHILD AND ADOLESCENT SEXUALITY|language=英語|publisher=Ethical Treatment for All Youth|accessdate=2011-05-27}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> だが、性的虐待の分析では、兄弟姉妹の場合と父娘の場合に差異はないとMireille Cyr &#039;&#039;et al.&#039;&#039; (2002) は指摘する&lt;ref&gt;{{cite journal|title=Intrafamilial sexual abuse: brother–sister incest does not differ from father–daughter and stepfather–stepdaughter incest|author=Cyr, Mireille; Wright, John; McDuff, Pierre; Perron, Alain|journal=Child Abuse &amp; Neglect|year=2002|volume=26|issue=9|pages=957-973|pmid=12433139|doi=10.1016/S0145-2134(02)00365-4}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> H. Smith and E. Israel (1987) は、[[コロラド州]]のボルダー性的虐待チームに1982年5月から1985年12月にかけ報告された25例の兄弟姉妹姦の事例の調査で、兄弟姉妹姦を行っている子供の多くは親と疎遠な関係にある傾向があったとしている&lt;ref&gt;{{cite journal|year=1987|title=Sibling incest: a study of the dynamics of 25 cases|author=Smith, Holly; Israel, Edie|journal=Child Abuse and Neglect|volume=11|issue=1|pages=101-108|doi=10.1016/0145-2134(87)90038-X|pmid=3828862}}&lt;/ref&gt;。一方、[[原田武]] (2001) は、しばしば両親や片親の不在や機能不全が兄弟姉妹の近親相姦を起こりやすくするという見解が唱えられているが、全く逆に家族の厳格さが子供達を密接な関係にしている可能性もまた存在すると指摘している{{Sfn|原田|2001|p=172}}。<br /> <br /> Jankova-Ajanovska R. &#039;&#039;et al.&#039;&#039; (2010) は、14歳で妊娠してしまった少女が60歳の男性を強姦で訴えたのだが、妊娠中絶後の胎児の[[DNA鑑定]]でその男性は無関係で実はキョウダイ同士の関係による妊娠であったことが明らかになった事例を報告している&lt;ref&gt;{{cite journal|url=|format=|author=R., Jankova-Ajanovska; Z., Jakovski; B., Janeska &#039;&#039;et al.&#039;&#039;|title=Inherited alleles revealing an incestuous paternity|date=December 2010|journal=Prilozi / Makedonska akademija na naukite i umetnostite, Oddelenie za biološki i medicinski nauki|publisher=Macedonian Academy of Sciences and Arts|volume=31|issue=2|pages=261-266|pmid=21258293|accessdate=2011-09-28}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 日本の[[厚生労働省]]はどう扱っているかということであるが、『子ども虐待対応の手引き 平成25年8月厚生労働省の改正通知』によれば、兄弟姉妹間の性的虐待は統計上は親が[[ネグレクト]]をしたという扱いになっているとのことである&lt;ref&gt;『子ども虐待対応の手引き 平成25年8月厚生労働省の改正通知』(日本子ども家庭総合研究所編、有斐閣、2014年) 309頁 ISBN 978-4-641-17395-8&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==== 兄と妹の場合 ====<br /> 久保摂二は自らの調査で、高学歴の兄が優秀な成績の妹に言い寄り妹が喜んでそれに応じ関係を持った事例について、母が厳しくしつけ過ぎたことがある程度は影響していたのかもしれないとしている{{Sfn|原田|2001|p=193}}。また、久保摂二は兄との近親相姦関係においては他の男性との関係に比べ恐怖を感じなかったことを証言する妹の話を載せている{{Sfn|原田|2001|pp=187 - 188}}。<br /> <br /> [[リチャード・ガートナー]] (1999) は、性的虐待を受けた男性達の中には、妹の性器を触ったりもしくは舌で舐めたりといった行為を行ったことを自ら証言している人物がいる件について触れており{{Sfn|ガートナー|2005|pp=286 - 288}}、他にも興味深い例として、5歳の頃に当時8歳の兄に膣を撫でられたり胸の付近を触られたりしたと証言する女性が、兄も性的虐待を受けたことがあるのではないかと心配し聞いたところ、兄は妹に対する性的行為は覚えておらず{{Sfn|ガートナー|2005|pp=74 - 75}}、また兄も性的虐待を受けたことがあるのではないかという妹の疑いについては、兄は妹が疑うようなことをされた覚えはないと初めは言ったものの、続けて兄は7歳前後の時期に当時18歳だった[[ベビーシッター]]の胸を触ったことがあり、なぜか両親にシッターを解雇させてしまったため、後になって考えると女性と関わる機会だったのに馬鹿なことをしたと証言した事例を報告している{{Sfn|ガートナー|2005|pp=75 - 76}}。<br /> <br /> ==== 姉と弟の場合 ====<br /> 原田武 (2001) は、キョウダイではどちらかがもう片方に対し母親的な役割を果たせばキョウダイ姦は起こりにくくなるという久保摂二の説を引き合いに出し、姉が母親的な役割を果たせば姉弟相姦が起こりにくくなるであろうという見解を示している{{Sfn|原田|2001|p=173}}。<br /> <br /> 秋月菜央は自らの著書『アダルト・チルドレン 生きづらさを抱えたあなたへ』(1997年発行の書籍の文庫版、2016年)で、かつて13歳年上と11歳年上の2人の姉にズボンと下着を脱がされ股間をボールペンでつつかれたことがあるという男性が、結婚後セックスがまともに出来ずに1年で離婚してしまったという事例を報告している{{Sfn|秋月|2016|pp=322, 324 - 325}}。<br /> <br /> リチャード・ガートナー (1999) は、11歳ごろに15歳の姉にペニスにキスをされたという男性と会ったことがあるが、姉はもてないから自分を代用にしているわけで正直寂しかったとその男性は語ったという{{Sfn|ガートナー|2005|p=174}}。<br /> <br /> ==== 同性の兄弟姉妹の場合 ====<br /> John V. Caffaro and Allison Conn-Caffaro (1998) は、研究で兄弟姉妹間の近親相姦について調査したが、同性によるものも報告されており、男の兄弟同士の性関係を6人の男性が報告し、女の姉妹同士の性関係を2人の女性が報告しているとしている&lt;ref&gt;Caffaro, John V.; Conn-Caffaro, Allison. 『Sibling Abuse Trauma: Assessment and Intervention Strategies for Children, Families, and Adults』([[ラウトレッジ]]、1998年) 259頁 ISBN 0-7890-6007-8&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> リチャード・ガートナー (1999) は、兄弟間の性的関係についても触れているが、彼の扱った事例ではアルコール依存症の両親の下で育った男性が、かつて父親や兄から性的虐待を受けていたと証言しており、また10代の時期には3歳年下だった弟と性的関係を持ち、大人になってからも一回他の男を加えた上で弟と性的行為を行ったことがあるとも証言したが、自分は弟に性的に興奮していたものの、弟は自分に対して性的に興奮していたわけではなく険悪な関係だったと述べており、その弟は最終的には[[後天性免疫不全症候群|エイズ]]で死んでしまったのだという{{Sfn|ガートナー|2005|pp=190 - 191, 245}}。<br /> <br /> J. Dennis Fortenberry and Robert F. Hill (1986) は、虐待の連鎖によって引き起こされたとみられる姉妹間の性的関係を報告している&lt;ref&gt;{{cite journal|author=Fortenberry, J. Dennis; Hill, Robert F.|title=Sister-sister incest as a manifestation of multigenerational sexual abuse|journal=Journal of Adolescent Health Care|volume=7|issue=3|date=May 1986|pages=202-204|doi=10.1016/S0197-0070(86)80041-9|pmid=3700201}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 親子間の性関係 ===<br /> {{seealso|親子婚}}<br /> 近親者同士の性行為のことを日本語で「近親相姦」というが、論者によっては「近親姦」という用語を用いる場合がある。「近親相姦」ではなく「近親姦」の用語が用いる理由として、「相」という文字を含む語句には双方の合意と言う意味合いが社会通念上含まれていることが多いにもかかわらず、親子間&lt;!--一応豊田正義は親子だけに言及しています--&gt;の性行為には、実際には強引な場合がみられるため、性的虐待を表現するには適切とは言いがたいという問題が指摘されている{{Sfn|豊田|2004|p=61}}。なお、1995年の第132回国会法務委員会においては、父による娘への強姦絡みで起こった事件とされる「尊属殺重罰規定違憲判決」の話に当て嵌める形で「強姦」であり「相姦」という用語は不適切だとして「近親姦」の用語が使用されたことがある&lt;ref name=&quot;kokkai132&quot; /&gt;。<br /> <br /> ==== 父親と娘の場合 ====<br /> [[ジュディス・ハーマン]]は、自らの著作『父-娘 近親姦 (Father-Daughter Incest)』 (1981) で、情報提供を行うことができる比較的健康な40人の女性の家庭を対象に、父と娘の近親姦の起こっている家庭について1975年以降4年間の面接データを基に研究を行った{{Sfn|ハーマン|2000|pp=79 - 80}}。その研究によれば、その家庭は典型的で伝統的で保守的で見かけ上はとても立派な家父長制の家庭であり、父親は社会的には能力が足りないとみなされながらも外部的には家族の責任を果たしていると賞賛される傾向があったのだが、実際には家庭内では[[男尊女卑]]の傾向があり、母親は大抵は父親への依存が高い[[専業主婦]]で[[性役割]]は明瞭化されていて、父親は暴力を振るう可能性をちらつかせ暴君として恐れられており、それはアルコール依存によって悪化する場合が多く、母親は無能で役立たずな人間とみなされ何度も無理矢理妊娠させられることもあり、抑うつ・[[精神病]]・アルコール依存の症状をきたしていることが多く、一方で娘は父親の相手をし、機嫌をよく保つ役割を担わされ、さらに兄弟姉妹の養育の責任も担っていることが多かった{{Sfn|ガートナー|2005|pp=157 - 158}}。<br /> <br /> ジュディス・ハーマン (1981) は、[[生物学]]的にも[[心理学]]的にも社会学的にもインセスト・タブーには男女差が存在することに着目し、父権的な家庭であればあるほど父と娘の間にあるインセスト・タブーは破られやすくなると考え、自らの理論は実際に父娘姦が起こっている家族を観察することによって証明可能であると主張した{{Sfn|ハーマン|2000|pp=72 - 74}}。だが、実際には父娘姦といってもさまざまな家庭が存在し、S. Kirschner, D.A. Kirschner, R.L. Rappaport (1993) は「父親が優位である家族」「母親が優位である家族」「混沌とした家族」の3つのパターンを記述している{{Sfn|ガートナー|2005|p=158}}。<br /> <br /> スーザン・フォワード (1989) は、父親との性行為で生理的に[[オーガズム]]に達してしまう娘も存在すると述べており、また、父親と性関係を結んでいる娘は母親に対抗する「女」としての自分を意識している場合があり、自分は父親を母親から奪っているという独特の罪悪感から、母親に秘密を打ち明けることが非常に困難な事態に陥り、母親を裏切っているという意識から余計に罪悪感を深めている場合が多いことを指摘している{{Sfn|フォワード|2001|p=164}}。<br /> <br /> マーガレット・ラインホルドは、1990年に出版した自らの著書において、父と娘の性的関係をたとえ母親が認識していたり感じ取っていたとしても、母親は夫の行為をやめさせようとしないことが多いとされる件について触れており、その原因として、夫の性欲のはけ口に娘がなってくれて助かっていると母親が思いこんでいる可能性や、母親が娘に敵対心を燃やしている可能性や、夫に恐怖しているため逆らえない可能性などを挙げている{{Sfn|ラインホルド|1999|p=160}}。[[山脇由貴子]] (2016) は、夫や恋人による自らの娘への性的虐待を母親が容認するような場合、母親が娘に対して嫉妬することになるため娘への[[心理的虐待]]という側面もあると指摘する{{Sfn|山脇|2016|p=226}}。[[友田明美]] (2017) は、夫が娘に性的マルトリートメントを受けていることを認識していたとしても、自身も[[ドメスティック・バイオレンス]]を受けているがゆえに沈黙をしている場合もあると指摘する{{Sfn|友田|2017|p=41}}。<br /> <br /> Denis M. Donovan and Deborah McIntyre (1990) は、父親から性虐待を受けセラピストが性的同一性に混乱をきたしたと判断した娘の事例で、家族人形で男の子と同一視したことについて、これは自分が男の子だと言いたいのではなく自分が男の子だったらよかったのにと言いたいわけで、性的同一性に混乱はきたしていないと指摘している&lt;ref&gt;『トラウマをかかえた子どもたち 心の流れに沿った心理療法』(デニス・M・ドノヴァン、デボラ・マッキンタイア著、西澤哲訳、誠信書房、2000年、原著1990年) 15頁 ISBN 4-414-40279-4&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> J. M. Goodwinは、父と娘の近親姦においては「目隠し (Blind)」と名付けられる特徴があることを報告しており、その5つの特徴とは、「Brainwash(洗脳…家族では当たり前のことであるという話や秘密にしなければならないという嘘の情報を与え、子供を洗脳すること)」、「Loss(喪失…秘密にしなければ家族崩壊や友人関係の消失が起こると脅迫し口を封じること)」、「Isolation(分離…人に話せば友人から信用されなくなると言い、子供が[[真実]]の情報を得る事を出来なくさせること)、「Not awake(未覚醒時…[[睡眠]]時、[[病気]]の際や身体的虐待時など[[意識]]や判断能力の低下時に虐待をすること)」、「Death fears(死の恐怖…人に話せば殺すというメッセージを送ること)」であるとしているが、吉田タカコ (2001) はこれは父娘姦の特徴というよりは性的虐待一般に当てはまることの多い特徴だと指摘している&lt;ref&gt;『子どもと性被害』(吉田タカコ、2001年) 66頁 ISBN 4-08-720095-7&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> James A. Monteleone編著『児童虐待の発見と防止 親や先生のためのハンドブック』 (1998) には、正常な人間には理解不能だろうが私は自分を強姦した父親を愛していたのだという女性の話が載せられている&lt;ref&gt;『児童虐待の発見と防止 親や先生のためのハンドブック』(ジェームズ・A・モンテリオン編著、加藤和生訳、慶應義塾大学出版会、2003年、原著1998年) 163、164頁 ISBN 4-7664-0996-5&lt;/ref&gt;。[[スティーブン・レベンクロン]] (1998) は、父親に12歳まで性行為をされていた娘の証言として、自分を切り付けることは、もともとは父親がいないので寂しさのあまり切り付けたのが始まりだったはずで、すっかり嗜癖になっているのではないかという話を記す{{Sfn|レベンクロン|2005|pp=179, 184 - 185}}。原田武 (2001) は、父娘姦を虐待とみなす論者は[[性的好奇心]]につけこんで性行為を行うことも虐待であると主張しているのであろうが、父と娘の近親姦では父親による明白な暴力を伴うことはそれほど多くなく、多くの場合は娘は父親に抵抗せず、娘が自発的に参加しているように見える場合も少なくないため、自分にとって頼れる人を娘が求めているがゆえに父親の行為に応じやすくなっているのではないかと指摘している{{Sfn|原田|2001|pp=159 - 160}}。小林美佳は『性犯罪被害とたたかうということ』(2010年、文庫2016年)で、父親と性関係を持っている娘の「恋人とのセックスなんて、考えただけで気持ち悪い」という証言を引く{{Sfn|小林|2016|p=105}}。[[岡田尊司]] (2014) は、父親に性的虐待を受けた娘は第三者的にはただの被害者のように感じるが、実際には父親の妻としての自負があるため、その部分に対しても配慮すべきと主張する{{Sfn|岡田|2015a|pp=108 - 109}}。<br /> <br /> 信田さよ子編著『子どもの虐待防止最前線』(2001年)には、タイ人女性と結婚した日本で働く継父が、妻の連れ子である継娘に性的虐待をしたとして問題になり、日本にはもう居たくないということでその継娘はタイに向かったものの、結局タイの生活になじめず日本に戻ってきてしまったという話が載せられている&lt;ref&gt;『子どもの虐待防止最前線』(信田さよ子編、大月書店、2001年) 36、37頁 ISBN 4-272-41130-6&lt;/ref&gt;。信田さよ子の著作『加害者は変われるか DVと虐待をみつめながら』 (2008年、文庫2015年)には、実際問題として性的虐待があろうと娘と父親が同居せざるを得ない事例は少なくないと述べる{{Sfn|信田|2015|p=31}}。<br /> <br /> 西澤哲 (1994) は小学5年生の実娘に性的虐待をした30代後半の父親の証言として、そのような行為を行った理由は自分でも理解できないのだが、自分の子供に愛されているんだと思うと止められなくなってしまったのだという話を紹介する{{Sfn|西澤|1994|pp=162 - 163}}。Pamela D. Schultz (2005) は、継娘に前の父親とも同じことをやっていたとして性行為を求められ、医者にも相談したのだが、他の男性についても性被害について訴えがあったのだが精神障害者だということで相手にしてもらえなかった過去のある少女で、その話に反応するなと医師には言われたが、結局はその前の父親と一緒に警察に逮捕されてしまったという証言を引く{{Sfn|シュルツ|2006|pp=281 - 283}}。[[森田ゆり]] (2008) は、『子どもへの性的虐待』で、膣が炎症を起こしたため医師が[[児童相談所]]に性的虐待の疑いで通告したものの、結局は児童相談所としては父親による性的虐待を証明することはできなかったという事例を報告している{{Sfn|森田|2008|p=109}}。<br /> <br /> [[鈴木大介 (ルポライター)|鈴木大介]]は、『家のない少女たち 10代家出少女18人の壮絶な性と生』(2008年)で、小学5年生から義理の父親に性的虐待をされ続け、中学校になっても襲われたため、結局家出したインタビュー当時16歳の少女の、義父といっても母親と結婚したとき自分は2歳だったから実父と変わらないという旨の証言を引いている&lt;ref&gt;『家のない少女たち 10代家出少女18人の壮絶な性と生』(鈴木大介、宝島社、2008年) 58、59頁 ISBN 978-4-7966-6632-9&lt;/ref&gt;。鈴木大介 (2014) は、ルポライタ-としての経験上、義父に性的虐待を受けたという女性から話を聞いたこともあるが、こういった女性は救済されることがないどころか差別に晒されてしまっていると日本社会を批判している{{Sfn|鈴木|2014|pp=210 - 211}}。<br /> <br /> 黒川祥子は自らの著書『誕生日を知らない女の子 虐待──その後の子どもたち』(2013年、文庫2015年)で、個人的には自らに性的虐待を行う父親のことを娘は責めるべきと考えるのだが、実際に実父にそういうことをされたという女性に話を聞くと、生活を支えているのは実父である以上どうしようもないのだという話をされた経験を述べている{{Sfn|黒川|2015|pp=252, 254}}。<br /> <br /> ==== 母親と息子の場合 ====<br /> 久保摂二が報告する[[髄膜炎]]の後遺障害がある息子がその母親と性的行為を行った事例では、母親の死後は息子は[[獣姦]]を行ったとされる{{Sfn|ハーマン|2000|pp=22 - 23, 387}}。[[高橋睦郎]]監修の『禁じられた性 近親相姦・100人の証言』では、[[心臓病]]の息子と交わることは間違っていないと主張する母親の証言が載せられている{{Sfn|原田|2001|pp=149, 151}}。<br /> <br /> 母親と息子の近親姦に関しても様々な研究が行われているが、少なからず発生しているにもかかわらず、アメリカ合衆国においては、母と息子の近親姦に対する嫌悪が強く、議論が進みにくい状況がある。アメリカ合衆国では母息子間の近親姦は近親姦の中でも最大の禁忌であり、理論上の可能性として母息子間の近親姦を取り上げただけで白い目で見られたとリチャード・ガートナー (1999) は述べている{{Sfn|ガートナー|2005|p=78}}。<br /> <br /> 母親からの性的虐待を受けた男児の心理状態として指摘されていることは「自分は特別な存在であり、特権を与えられるに値する人間なのである」という感覚を持つ一方、実のところその感覚はかりそめでいつ壊れても不思議はないものという感覚があり、それに対して過剰に警戒しながら母親の[[恋人]]としてふさわしくあろうとするために、[[偏執病|パラノイア]]に近い広範な[[不安]]に苛まれてしまっているということである{{Sfn|ガートナー|2005|pp=79, 252}}。<br /> <br /> この不安は自分自身が母親に嘲られる可能性を予期し、先々それに応じた反応を取ることで心理的な被害を食い止めようとするために起こる反応である、という理論がArnold Rothstein (1979) により述べられた&lt;ref&gt;{{cite journal|title=Oedipal conflicts in narcissistic personality disorders|author=Rothstein, Arnold|journal=International Journal of Psycho-Analysis|volume=60|issue=2|year=1979|pages=189-199|pmid=553057}}&lt;/ref&gt;。この理論は[[グレン・ギャバード]] and Stuart W. Twemlow (1994) によってさらに発展され、息子は母親によって母親の[[ナルシシズム|自己愛]]を満たすことが自分の役割だと思い込まされるが、そのために間違ってでも母親を不快にさせた場合、それは自分の存在そのものを否定されることに等しくなり、それゆえに息子はまるで綱渡りをしているような状況に陥るのだという&lt;ref&gt;{{cite journal|title=The role of mother-son incest in the pathogenesis of narcissistic personality disorder|author=Gabbard, Glen O.; Twemlow, Stuart W.|journal=Journal of the American Psychoanalytic Association|year=1994|volume=42|issue=1|pages=171-189|pmid=8182244|doi=10.1177/000306519404200109}}&lt;/ref&gt;。一方、自分が特別だという感情は行為そのものへの武勇伝的感覚などに由来するとみられ、こうした感情は自分が非常に誘惑的で、多くの女を魅惑する力を持っているのだと思い込む力へとつながるが、虐待時の母親の行動は母親の都合で歪められた認識下で起こっていることが多いとリチャード・ガートナー (1999) は述べている{{Sfn|ガートナー|2005|p=80}}。Austin Silber (1979) は、現実を否認してでも自分が母親と主体的に性的関係を結んだと空想で思い込んでしまっているとみられる息子の事例を報告している&lt;ref&gt;{{cite journal|title=Childhood seduction, parental pathology and hysterical symptomatology: the genesis of an altered state of consciousness|author=Silber, Austin|journal=International Journal of Psycho-Analysis|year=1979|volume=60|issue=1|pages=109-116|pmid=457337}}&lt;/ref&gt;{{Sfn|ガートナー|2005|pp=80, 107}}。<br /> <br /> Loretta M. McCarty (1986) は、娘を虐待する母親は娘を自らの拡張のように扱う傾向があるのに対し、息子に近親姦を行う母親の中には父親不在でまるで息子を同世代の仲間であるかのように扱う場合も存在したという報告をしている&lt;ref name=&quot;femaleabuser&quot; /&gt;&lt;ref&gt;{{cite journal|title=Mother-child incest: characteristics of the offender|author=McCarty, Loretta M.|journal=Child Welfare|year=1986|volume=65|issue=5|pages=447-458|pmid=3757591}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> Brooke Hopkins (1993) は、6歳だった頃の話として、自らが夜中にベッドの中で母親との接触行為で激しい性的興奮を覚え、それが良くないことだと自分は感じていたにもかかわらず、自分は自らの欲望を抑えることができず母親は自分はあくまで受動的な立場であるかのような態度をとっていたため、結局父親が無理矢理やめさせるまで母親との性的な行為が続いてしまったことについて触れ、母親が誘惑したかどうかにかかわらず母親に自分が利用されたという意味でそのような行為はたとえ法律上は犯罪扱いはされなくとも不適切な行為であったと主張している{{Sfn|ガートナー|2005|pp=47, 80 - 81}}。<br /> <br /> [[リチャード・ベレンゼン]] (1993) は、自らが母親に近親姦を受けた際に、その行為で心理的な憎悪が発生したにもかかわらず、同じことが原因で身体的に快楽を得てしまうために、相反する感情が同時に発生するという[[パラドックス]]が発生した体験について触れている{{Sfn|ガートナー|2005|pp=81 - 82}}。<br /> <br /> また、リチャード・ガートナー (1999) は、母親に肛門検査をされた男性がクライアントにいたのだが、こういった行為が性的あるいは虐待的なことと認識されることは稀だとも指摘する{{Sfn|ガートナー|2005|pp=78, 79}}。宇野津光緒は、『実録 レイプ裁判 法廷で暴かれた犯行現場』(2013年)において、継母に浣腸をされていた義理の息子が成長後に年上の妻にアナル舐めを要求したものの拒否され、[[OL]]にアナル舐めを強要したところその女性は性被害について警察に相談したという話を述べている&lt;ref&gt;『実録 レイプ裁判 法廷で暴かれた犯行現場』(宇野津光緒、[[双葉社]]、2013年) 152、153、155、157頁 ISBN 978-4-575-30522-7&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> Robert J. Kelly &#039;&#039;et al.&#039;&#039; (2002) は、様々な関係の人物からの性的虐待を報告した67人の男性を扱っているが、うち17人が母親からのものだったと報告しており、またそのうちの約半分は母息子近親姦に対して当初は肯定的感情あるいは混合した感情を示していたにもかかわらず、母親との近親姦を報告した男性は他の性的虐待を報告した男性よりも深刻なトラウマを抱えやすい傾向があった事を報告している&lt;ref&gt;{{cite journal|title=Effects of mother-son incest and positive perceptions of sexual abuse experiences on the psychosocial adjustment of clinic-referred men|author=Kelly, Robert J.; Wood, Jeffrey J.; Gonzalez, Lauren S.; MacDonald, Virginia; Waterman, Jill|journal=Child Abuse &amp; Neglect|volume=26|issue=4|year=2002|pages=425-441|doi=10.1016/S0145-2134(02)00317-4|pmid=12092807}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[外山滋比古]]は、『家庭という学校』(2016年)において、母親が息子と手を繋ごうとしたところ、息子からエッチだといわれたという話について、父親が娘とそのようなことをするのを自重することはあるが、昔は母親がそう言われることはなかったと時代の変化を語った上で、昔は子供が多かったので母親が一人の子供に入れ込むというのは起こりにくかったと指摘している&lt;ref&gt;『家庭という学校』(外山滋比古、筑摩書房、2016年) 181~183頁 ISBN 978-4-480-06885-9&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==== 同性の親子の場合 ====<br /> 同性の親子の近親姦の場合は、インセスト・タブーに加え同性愛のタブーも加わるため非常に見えにくくなっている。父親と息子の場合の家族モデルは父親と娘の場合とよく似ている場合が多いが、こういった場合は父性的なものすなわち権力的なものに対する反抗が起こることが多い。<br /> <br /> Katharine N. Dixon &#039;&#039;et al.&#039;&#039; (1978) は、病院に運ばれた外来患者として6人の父親(実父4人・義父2人)から性的虐待を受けた10人の息子の事例を報告しているが、自己破壊的で他人を殺害したい衝動を持っていた被害者が多かったという{{Sfn|池田|1987|p=54}}&lt;ref&gt;{{cite journal|title=Father-son incest: underreported psychiatric problem?|author=Dixon, Katharine N.; Arnold, L. Eugene; Calestro, Kenneth|journal=The American Journal of Psychiatry|year=1978|volume=135|issue=7|pages=835-838|pmid=665796}}&lt;/ref&gt;。[[ロバート・K・レスラー|Robert K. Ressler]], Ann W. Burgess and John E. Douglas (1988) は、『快楽殺人の心理 FBI心理分析官のノートより』で、自分たちが研究した男性殺人者の中には父親によって性行為を強要されたと語る者もいたという&lt;ref&gt;『快楽殺人の心理 FBI心理分析官のノートより』(ロバート・K・レスラー、アン・W・バージェス、ジョン・E・ダグラス著、狩野秀之訳、講談社、1995年、原著は1988年発行) 29・47頁 ISBN 978-4-06-207371-4&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> Pamela D. Schultz (2005) は、異母弟と性的行為をし、[[LSD (薬物)|LSD]]や[[マリファナ]]を使用、医師からは[[統合失調症]]と言われ、継息子と性的関係を持った男性の、継息子に対する性欲を抑えられないため、緊急治療室に行って性欲の治療を求めたのだが、送られた精神療養所では何も治療してもらえなかったという証言を引いた上で、彼は刑務所に入ることで自分を救う機会を得たといえるのではないかと論じている{{Sfn|シュルツ|2006|pp=242 - 244, 247, 252 - 253, 266}}。<br /> <br /> [[宮地尚子]] (2013) は、かつてアメリカ合衆国で父親から息子に加えられる性的被害の話を聞いた際は衝撃を受けたが、やがてこういった話を日本でも聞くようになったと自らの経験を語っている{{Sfn|宮地|2013|pp=246}}。鈴木大介 (2014) は、[[暴力団]]から融資を受けている[[闇金融]]業の男性の中には、義父に性的虐待を受けた人もいると述べた{{Sfn|鈴木|2014|pp=29 - 30}}。<br /> <br /> 母親と娘の近親姦に関しては、社会における女性が加害者とならないという通念や[[母性]]の考えが、この性的虐待の形式を非常に見えにくいものとしている。母親から娘に対する性的虐待を扱った書物としては、1997年に出版されたBobbie Rosencransによる著作『The Last Secret: Daughters Sexually Abused by Mothers(訳:最後の秘密—母親に性的に虐待された娘)』という書物がある。Rosencrans (1997) による93人の被害者への調査は、虐待について誰にも告げられないまま平均28年を過ごしていたことを示す&lt;ref&gt;『Mother-daughter incest: a guide for helping professionals』 (A. Ogilvie, Beverly, 2004) p.7 ISBN 978-0-7890-0917-3&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 日本における話としては、[[母子家庭]]で被害を受けてしまったという女性の話が『トラウマとジェンダー 臨床からの声』(2004年)に載せられているが、それによれば母親から「侵襲」されたというような感覚を持つのだが、一方で母親から強烈な女性らしさを要求されるにもかかわらずそれを達成できずに苦闘するといい、性的虐待を受けていなかったら[[レズビアン]]になったのではないかという疑惑を持ったとも述べている{{Sfn|宮地|2004|pp=226 - 229, 234, 235}}。<br /> <br /> == 精神医学と人間心理 ==<br /> ベッセル・ヴァン・デア・コークは1960年代の末にマサチューセッツ・メンタルヘルスセンターの研究棟で、統合失調症と診断された患者と病棟スタッフとして、短い時間しか回診しない医師と比較して長時間接したことがあったが、その中には父親または兄弟からの性的虐待を訴える女性患者もいたという{{Sfn|ヴァン・デア・コーク|2016|pp=44 - 47}}。ベッセル・ヴァン・デア・コークは[[オイゲン・ブロイラー]]の『早発性痴呆または精神分裂病群』(1911年)に挙げられる統合失調症の症状として性的幻覚というものがあり、だからこそ医師はマサチューセッツ・メンタルヘルスセンターに収容された患者を重度の精神異常者と考えたのであるが、これは実際に患者が経験したことではないのかと疑問に思ったという{{Sfn|ヴァン・デア・コーク|2016|pp=48 - 49}}。<br /> <br /> なお、オイゲン・ブロイラーの下、ブルクヘルツリ精神病院で[[早発性痴呆]]の患者の治療に当たっていたのが[[カール・グスタフ・ユング]]である。カール・グスタフ・ユングは兄に15歳の時に犯され世間から爪弾きにされていた妹を治療したことがあるが、話をさせるだけでも何週間もかかり[[銃]]を医者に向けたりなどした後、結局は落ち着き退院したのだが、その際に「あなたが私を見すてていたら、私はあなたを撃ち殺していたでしょう」と持っていた銃をユングに手渡して語ったという{{Sfn|秋山|1982|pp=39 - 40}}。<br /> <br /> [[ジークムント・フロイト]]が自ら初期の誘惑理論を放棄した後、精神医学、[[精神分析学]]、心理学の分野では1980年代に入るまでほとんどの近親姦の話は子供時代の幻想に過ぎないと主張されていたが、その後は大量の文献が発表されている{{Sfn|ガートナー|2005|pp=21 - 22}}。斎藤学は、自助グループに参加した女性から1992年に自分に言われたこととして、10年前に実の父親からの性的虐待をあなたに訴えたのに取り扱ってもらえなかったという話を紹介する{{Sfn|斎藤|1992|pp=2 - 3}}。秋月菜央は、性被害の精神的影響の研究に消極的な精神科医が多い理由として、精神科医自体がインセスト・タブーの影響下にある可能性を指摘している{{Sfn|秋月|2016|pp=318 - 319}}。<br /> <br /> [[あいち小児保健医療総合センター]]には32病棟という[[精神保健福祉法]]に基づき設置された閉鎖病棟があるが、ここにいる患者の中には性被害を受けた患者も含まれるという。2001年11月から2011年10月までの期間であいち小児保健医療総合センターが扱った性的虐待を受けた患者の中には、父親や継父、兄から性的虐待を受けた女性、母親や父親、継父から性的虐待を受けた男性が含まれるという{{Sfn|黒川|2015|p=253}}。<br /> <br /> スーザン・フォワードは社会には恐らく近親相姦嫌悪を原因とした、近親相姦についてのさまざまな誤解が存在していることを指摘しており、例えば、近親相姦というものはめったに存在しない、あるいは貧困家庭や低教育層や過疎地で起こるものだ、近親相姦を行うものは社会的にも性的にも逸脱した変質者だなどといった誤解を例に挙げており、また性的に満たされない人間が行うと考えられることもあるが、実際は支配欲などが主な動機と考えられており、たとえ最終的に[[性欲]]をも満たそうとすることはあっても行為のきっかけにはなりにくいとも述べている{{Sfn|フォワード|2001|pp=154 - 156}}。<br /> <br /> スーザン・フォワードは、心理学上は近親相姦とは近親者における接触性の性的行為全てを指し、接触のない近親者による性的行動は近親相姦的行為とされるとし、親子の[[スキンシップ]]など必要とされる接触行為も存在すると述べた上で、どのような行為が近親相姦行為か否かに関しての区分は、一般にそれを秘密にしなくてはならないかどうかであるとする{{Sfn|フォワード|2001|pp=153 - 154}}。友田明美は、実際には風呂上りの父親が裸のままうろうろしているのはどうなのかなど、性的マルトリートメントか否かについて厳密な区分は難しいと述べる{{Sfn|友田|2017|p=44}}。小野修は小学校高学年から高校生の息子が母親のいる布団に潜り込んできたからといって性的行為ではないので、温めてやるのがよいと論じている&lt;ref&gt;『トラウマ返し 子どもが親に心の傷を返しに来るとき』(小野修、黎明書房、2007年) 138頁 ISBN 978-4-654-06530-1&lt;/ref&gt;<br /> <br /> マーガレット・ラインホルドは著書において、直接的な母息子間の性行為はないものの、夫との離婚後に他の男たちとの性的行為を家庭内で大っぴらに行っていた母親の下で育った息子が、後に[[勃起不全]]気味になり、さらに年上の女性たちとの関係に凝り固まってしまったうえ、高齢になり年上の女性を魅惑することができなくなり、また父親に対する見捨てられ感から自らにまともに価値を見いだせず、最終的には[[自殺]]してしまった話を取り上げている{{Sfn|ラインホルド|1999|pp=2, 155 - 156}}。<br /> <br /> 免疫系のCD45細胞には既知の危機に対応するRA細胞と未知の危機に対応するRO細胞があるのだが、ベッセル・ヴァン・デア・コークがスコット・ウィルソンとリチャード・クラディンと共同で行った薬物未服用の近親姦経験の有る女性と無い女性の比較研究によると、近親姦経験の有る女性は無い女性に比べRA/(RA+RO)の値が高いことが判明した{{Sfn|ヴァン・デア・コーク|2016|pp=209 - 210}}。フランク・パトナムとペネロピ・トリケットが1986年から追跡して行った研究では、[[アンドロステンジオン]]と[[テストステロン]]の値が近親姦の経験者である女性は比較群の女性に比べ思春期初期で3から5倍高く、性的な成熟が1年半早まることが分かったという{{Sfn|ヴァン・デア・コーク|2016|pp=269 - 270, 273}}。<br /> <br /> 特に近親姦に限ってはいないが、近親姦を含む[[児童性的虐待]]を受けた女性全般について斎藤学 (2001) は、自らの調査では、自殺願望が高く[[対人恐怖]]の傾向があり、[[解離性障害]]や[[心的外傷後ストレス障害]] (PTSD) を抱えている場合が多くみられるとしている{{Sfn|斎藤|2001|pp=175, 178 - 179}}。<br /> <br /> 日本では、因果関係を巡り[[民事訴訟]]となった事例がある。両親が離婚し小学生であった1992年以降祖父の家で暮らしていた女性が、祖父が[[添い寝]]をして猥褻行為をするようになり2000年まで性的関係が続き、それが原因でPTSDになったとして損害賠償を祖父に求めた裁判で&lt;ref&gt;{{cite news|url=http://www.47news.jp/CN/200510/CN2005101401004037.html|title=祖父の性的虐待でPTSD 約5900万の賠償命じる|agency=共同通信|work=47 News|publisher=Press Net Japan Co., Ltd.|date=2005-10-14|accessdate=2011-07-20}}{{リンク切れ|date=2015年12月}}&lt;/ref&gt;、2005年10月14日に東京地方裁判所は性的虐待との因果関係を認めて祖父に約6000万円の支払いを命じた&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.asahi.com/national/update/1014/TKY200510140236.html|title=祖父から性的虐待、被害女性のPTSD認める 東京地裁|work=asahi.com|publisher=[[朝日新聞社]]|date=2005-10-14|accessdate=2011-07-20|archiveurl=http://web.archive.org/web/20051016025428/http://www.asahi.com/national/update/1014/TKY200510140236.html|archivedate=2005-10-16}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 宮地尚子は、近親姦のごとき社会的にタブーとされる行為をさせられた場合、社会とのずれを自覚すると自分は社会に存在すべきではないと思ってしまうものだと論ずる{{Sfn|宮地|2013|p=135}}。[[トラウマ]]に関する思考の改善法として[[EMDR]]というものがあるが、この治療法は例えば父親に性的虐待を受けたことに対して自責の念を持っているような女性に関しては、その認識を改めさせることに用いることはできるとされている{{Sfn|黒川|2015|p=273}}。ベッセル・ヴァン・デア・コークは父親に犯されたことがあるということで自分のセラピーグループに来た心理療法家の女性が、専門家を対象にしたEMDRの研修でトラウマを解決してしまったとして去っていき、自分もEMDRの研修を受けることにした経験があるという{{Sfn|ヴァン・デア・コーク|2016|pp=411 - 413}}。<br /> <br /> ベッセル・ヴァン・デア・コークによれば、父親に性的虐待を受ける環境で育つと、人を愛そうとすると恐怖を覚えるように脳の[[扁桃体]]において配線されてしまう場合があるという{{Sfn|ヴァン・デア・コーク|2016|pp=437 - 438}}。ベッセル・ヴァン・デア・コークは、父親からの性的虐待でこのような状況に陥った女性に対してはまず生理的混乱を抑えることが第一になるため、中国人から学んだ[[気功]]やエモーショナル・フリーダム・テクニック(EFT)として知られる[[経穴]]押しを習得させたりしたこともあったという{{Sfn|ヴァン・デア・コーク|2016|pp=435 - 437}}。<br /> <br /> === 精神的行為 ===<br /> {{seealso|情緒的近親姦|親子入浴}}<br /> たとえ実際に明らかな近親姦もしくは近親姦的行為がなくても、親子間において似たような破壊的力動が起こることもあると主張する研究者がいる。それは[[情緒的近親姦]](じょうちょてききんしんかん、Emotional Incest)と言われる概念である。単に娘が父親と高校三年生まで一緒に入浴していたというだけでも、セクシュアル・アビュースと同様の影響が娘に見られた場合もあると[[速水由紀子]]は論ずる&lt;ref&gt;『家族卒業』(速水由紀子、[[紀伊国屋書店]]、1999年) 130、131頁 ISBN 4-314-00856-3&lt;/ref&gt;。子供との関係が養育から近親姦的な愛への境界線を越えるのは、それが子供の欲求を満たすためではなく、親の欲求を満たすためのものになった時であるというが、このような場合は親は意識レベルでは子供を性的に裏切っていることに気づかない場合も多い{{Sfn|ガートナー|2005|p=46}}。この概念を用いる際は、近親姦は「明白な近親姦」と言われる。<br /> <br /> しかし、近親者による[[視姦]]などの[[セクシャルハラスメント|セクハラ]]行為は一般的にも問題視されうるが、こういったことを一般的に言われる近親姦と同様の扱いとすることに対しては批判も強い。[[秋山さと子]]は息子を恋人の様に扱う母親と多く話をしてきたというが、実際の近親相姦の事例は見たことがないと述べる&lt;ref&gt;『お母さんを勇気づける本 カイワレ族の心理学』(秋山さと子、コア出版、1989年) 80頁 ISBN 4-906175-58-9&lt;/ref&gt;。スティーブン・レベンクロンには、[[自傷行為]]をする14歳の女性が、自分の母親が12歳の弟と一緒に入浴しているため、そのことで母親が刑務所に収監されるのではないかと不安に思っていたため、そんなことはないとその姉に回答した経験があるという{{Sfn|レベンクロン|2005|pp=253, 257 - 258}}。岡田尊司は父親不在の家庭での母親と子供の密着を形容して、母親と子供が精神的に近親相姦関係にあることが普通になったのだと語っている{{Sfn|岡田|2015a|p=20}}。<br /> <br /> 息子に対して誘惑的な行動をとる母親の存在はよく指摘されてはいるものの、父親によるものと違い母親による誘惑行為が近親姦的な意図による虐待行為とみなされることは少ない。精神分析家の多くはかつては母親との情緒的癒着によって[[ゲイ]]になるのだろうと言っていたが、現在はゲイだから母親に誘惑されたという解釈も出てきている。この解釈ではゲイの場合母親が子供から得られると思っていたロマンティックな感じが得られないため、無理矢理に母親が誘惑するのであるという&lt;ref&gt;{{Harvnb|ガートナー|2005|p=374}}(ただしこの部分はSue A. Shapiroによる筆)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 日本では[[マザコン]]の男性に対する注目が高いとする斎藤学は、[[野口英世]]とその母である[[野口シカ]]の姿を描いた映画『[[遠き落日]]』が1992年度の興行成績で『[[紅の豚]]』を打ち負かし首位に立ったことについて、日本では情緒的近親姦の幻想が蔓延していることの表れとしている&lt;ref&gt;『「家族」という名の孤独』(斎藤学、講談社、1995年) 126、127、159頁 ISBN 4-06-207718-3&lt;/ref&gt;。ただ、マザコンや[[ファザコン]]という言葉は侮蔑的な意味合いで用いられることが多く、日本で異性の親子関係が破綻しやすいことと関連があるのではないかと[[日垣隆]]は論じている{{Sfn|日垣|2006|pp=85 - 86}}。岡田尊司はマザコンの夫というと妻にとっては夫の母親が夫の「先妻」として存在しているようなものなので不満が出てしまうと述べている{{Sfn|岡田|2015b|p=22}}。斎藤学は日本のような母親と息子の情緒的近親姦の土壌のある社会の下で嫁が姑に勝とうとすると、嫁は母親以上の母性を備える必要があり、結果として異性関係を阻害する事態になるとしている{{Sfn|斎藤|2001|p=55}}。<br /> <br /> リチャード・ガートナーは、LSD、[[メスカリン]]や[[コカイン]]などの薬物に依存することで誘惑的な母親との関係に溺れていた男性が薬物を止めるには、母親との関係を続けることを諦めるしかなかった事例もあったという話をしている{{Sfn|ガートナー|2005|pp=193 - 195, 278}}。<br /> <br /> 2013年5月23日の『[[朝日新聞]]』に、恋人だと感じていた中学1年生の息子に気持ち悪がられて辛いという母親の話が乗せられ話題となったが、[[香山リカ (精神科医)|香山リカ]]は息子の反応は当然としつつも、母親達の間にこれほど共感が広まるとは正直思わなかったとしている{{Sfn|香山|2015|pp=52 - 53}}。<br /> <br /> 岡田尊司は、[[シスターコンプレックス]]や[[ブラザーコンプレックス]]の説明として、きょうだいの存在はその人の中で大きな支配力を持つが、相手が異性のきょうだいとなると、性的な憧憬とも重なって理想化された心象となり、その人の人生を親以上の力で縛る場合があるとした上で、男性の場合には姉も妹も永遠のアイドルとして強い支配力を持つことがある一方、[[司馬遼太郎]]原作のテレビドラマ『[[坂の上の雲 (テレビドラマ)|坂の上の雲]]』でも取り上げられた[[正岡子規]]と妹[[正岡律]]の関係を引き合いに出し、女性の場合には圧倒的に兄の存在感が大きいと分析した{{Sfn|岡田|2015b|pp=173, 181 - 183}}。<br /> <br /> [[本田透]]は、『[[シスター・プリンセス]]』に描かれるような兄と妹の関係は、仮に現実に存在したらシスターコンプレックスやブラザーコンプレックスと言われるのであろうが、これは家族の崩壊とともにかつての理想的な家族像がそのような形でしか把握できなくなっただけではないかと主張した{{Sfn|本田|2005|p=182}}。<br /> <br /> === 精神分析学 ===<br /> [[ファイル:Oedipus And The Sphinx - Project Gutenberg eText 14994.png|thumb|250px|[[スフィンクス]]と[[オイディプス]]]]<br /> {{seealso|エディプスコンプレックス}}<br /> 精神分析学の創始者であるジークムント・フロイトは子供に近親相姦願望があると考え、自身の主張をギリシア悲劇の一つ『[[オイディプス王]]』になぞらえ、[[エディプスコンプレックス]]と呼んだ。彼の主張によれば男児の[[自我]]は初め最も身近な存在である母親を自己のものにしようとする欲望を抱くが、自我の発達がさらに進展すると男児は母親の所有において父親は競争相手であるという認識をいだき、この際に父親に去勢される可能性から近親相姦的欲望は抑制され、その結果として父親に同一化していた自我の成分が無意識下に導入され「超自我」となり、それが自我の発達に重要な関与をもたらすという。フロイトは母親と幼児の関係は授乳等の関係において性的な意味合いを帯びると考えた{{Sfn|マリノフスキー|2017|pp=255 - 256}}。フロイトはあらゆる欲動は結局は[[死の欲動]]であると論じたが、[[向井雅明]]の解説によれば、これは死の欲動の対象となるdas Dingすなわち無が形態を持たないため、母子関係における乳房等がその具体的対象として想定されているのだという{{Sfn|向井|2016|p=242}}。<br /> <br /> だが、この理論は父権制社会を前提としたものであるため、[[ブロニスワフ・マリノフスキ]]の「母権性社会」の話からすると普遍的な話とは考えにくいとの批判がある。ブロニスワフ・マリノフスキは、エディプスコンプレックスは[[アーリアン語族]]の言語を用いている社会の家族像を前提にしていると指摘する{{Sfn|マリノフスキー|2017|p=19}}。ただ、これに関しては当初から批判があり、だからこそ一時はフロイトを支持していた[[アルフレッド・アドラー]]もカール・グスタフ・ユングも結局はフロイトから離反したのである。アドラーはエディプスコンプレックスは一部の人にしか見られないと主張したが、[[岸見一郎]]はアドラーは母親よりも父親と仲が良かったのだと論じている&lt;ref&gt;『アドラー心理学入門 よりよい人間関係のために』(岸見一郎、[[KKベストセラーズ]]、1999年) 43・44頁 ISBN 978-4-584-10312-8&lt;/ref&gt;。また、フロイトもユングも近親相姦の話を神話的と捉えたが、フロイトは近親相姦ファンタジーの処理がうまくいっていないことが問題を引き起こすと考えた一方で、ユングは近親相姦の話はより普遍的なものであり現実的問題はそれ以外の個人的なものに由来するとしたように問題の本質についての思想の差異も存在した{{Sfn|秋山|1982|p=65}}。[[元型|元型心理学派]]のパトリシア・ベリィによると、近親相姦は人間にとって元型的な領域への扉を開くものである&lt;ref&gt;『アニメと思春期のこころ』(西村則昭、[[創元社]]、2004年)170頁 ISBN 978-4-422-11319-7&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[Image:Borromeanrings.png|thumb|ボロメオの輪]]<br /> [[ジャック・ラカン]]のように神話的構成自体に我慢がならず、エディプスコンプレックスを言語理論として捉えなおそうとした研究者もいる{{Sfn|向井|2016|p=369}}。ラカンは、エディプスコンプレックスとは、当初は母と子と想像的ファルス(φ)の想像的三角形が存在するところに父親が出現し去勢(-φ)が起こり、父、母、子と象徴的ファルス(Φ)の四項からなる構造になることを言うとした{{Sfn|向井|2016|pp=102, 116 - 118}}。しかし、1972年から1980年までの後期ラカンのセミネールでは、エディプスコンプレックス理論は、[[現実界・象徴界・想像界]]の三界がボロメオの結び目のような構造になっていることを指すものになっていった{{Sfn|向井|2016|pp=397 - 399}}。[[メラニー・クライン]]は、超自我が抑制しようとしているのは本来は近親姦的欲望に伴う破壊的欲動であって、結果として[[リビドー]]的欲動も抑制されるというに過ぎないのではないかと主張した&lt;ref&gt;『意味の論理学 下』([[ジル・ドゥルーズ]]著、[[小泉義之]]訳、河出書房新社、2007年、原書は1969年発行) 49・50頁 ISBN 978-4-309-46286-8&lt;/ref&gt;。また、エディプスコンプレックス理論は[[エドワード・ウェスターマーク]]の身近な相手に性的欲望を持つことは少ないという「ウェスターマーク効果」の理論とも衝突しうる。さらに近親者への性的願望論が正しいとしても、実際の事件での近親相姦の事実そのものが幻想になるわけではないと、[[アンドリュー・ヴァクス]]は自らの小説『赤毛のストレーガ』の一エピソードとして挙げている&lt;ref&gt;『赤毛のストレーガ』([[アンドリュー・ヴァクス]]、1987年の書物の日本語訳の文庫版、1995年) 406頁 ISBN 4-15-079602-5&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 現在はエディプスコンプレックスの文化普遍性や実際の近親相姦の事例とどう関係するのかは棚上げした上で、フロイトの理論をどのようにみなせるかと考えられることが多く、ポップ・カルチャーでよく用いられる用語である。もっとも人文学でもフロイトの考えは一般的に受け入れられているわけではなく、かつては医師でフロイトと親交があったが小説家に転向した[[アルトゥル・シュニッツラー]]は1913年の小説『ベアーテ夫人とその息子』において、夫の死後に妻が息子と関係を持つという、母親主導型の近親相姦を描いている{{Sfn|原田|2001|p=150}}。ゲオルク・グロデックは、子供の体を洗う際、表面的には分からないものの母親はエスの領域で性的快感を子供に与えていることを感じていると主張した{{Sfn|グロデック|2018|pp=65 - 66}}。ブロニスワフ・マリノフスキは、そもそも義母に対する回避行動等は立派な社会的文化的な事実であるため、診察室で人々を診ているだけで理論的に分かるわけがないと述べている{{Sfn|マリノフスキー|2017|p=6}}。[[仲正昌樹]]は、そもそもフロイトはエディプス理論に自信がなかったために、1923年の『自我とエス』まで一般的な理論的定式にしなかった可能性もあると指摘する&lt;ref&gt;『現代思想の名著30』(仲正昌樹、筑摩書房、2017年) 114、115頁 ISBN 978-4-480-06969-6&lt;/ref&gt;。もっとも、ゲオルク・グロデックは、息子の母親に対する近親姦的な衝動は同性愛のように目を背けられがちな事象であるわけで、フロイトはそのことを言ったということに意味があったと評価する{{Sfn|グロデック|2018|p=333}}。日本では母親と子供の関係が濃密であり、エディプスコンプレックス理論は成立しないという主張もあるが、[[きたやまおさむ]]は言及されないということと存在しないということは別であり、保守的な社会秩序が保たれている以上は実際には日本でもエディプスコンプレックスは存在しているはずだとこの主張を批判した{{Sfn|香山|2015|pp=82 - 84}}。<br /> <br /> なお、オイディプスの理論は[[神経症]]において発見されたものなのだが、分裂症においても似たような事例があり、1924年に[[ソジーの錯覚]]で両親を別人と認識する事例として報告された、父親への性的欲望と母親に対する敵意を感じる分裂症の女性の事例は、[[精神病]]は現実との断絶なのだというフロイトの理論を支持するものとなった&lt;ref&gt;『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症』(ジル・ドゥルーズ、[[フェリックス・ガタリ]]著、[[宇野邦一]]訳、河出書房新社、2006年、原書は1972年発行の初版を1975年に増補したもの)&lt;br&gt;<br /> 上巻235 - 237頁 ISBN 978-4-309-46280-6&lt;br&gt;<br /> 下巻360頁 ISBN 978-4-309-46281-3&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{cite journal|title=Illusion des sosies et complexe d&#039;Oedipe|author=Capgras, Joseph; Carrette, Paul|journal=Annales médico-psychologiques|year=1924|issue=82|pages=48-68}}&lt;/ref&gt;。フロイトは去勢段階の系統的固着が早発性痴呆の素因になったという「転移神経症概要」という論文を準備していたが、草稿を見た[[フェレンツィ]]から去勢されたら生殖できなくなるので、エディプスのような犯罪者がそれらの段階で出現したとでも考えない限りありえないと批判された&lt;ref&gt;『メタサイコロジー論』(ジークムント・フロイト、[[十川幸司]]訳、講談社、2018年) 179頁(Gesammelte Werkeの注より引用したとのこと) ISBN 978-4-06-292460-3&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 被害証言の信憑性 ===<br /> {{seealso|抑圧された記憶|虚偽記憶}}<br /> 1990年代のアメリカ合衆国において、近親者から性的虐待を受けたという訴えについて、今まで抑圧されていた記憶が回復したものだと主張する心理療法家と、そのような記憶の信憑性を疑う記憶心理学者との間で意見対立が発生したことがある&lt;ref&gt;『記憶力の正体 人はなぜ忘れるのか』(高橋雅延、筑摩書房、2014年) 7頁 ISBN 978-4-480-06780-7&lt;/ref&gt;。[[加瀬俊一 (1925年入省)|加瀬俊一]]は、[[児童心理学]]において幼い少年の証言を誘導することは簡単らしいことについて触れた上で、[[ルイ17世]]が母親である[[マリー・アントワネット]]と近親相姦をしたという証言内容も、実際にはなかったことなのではないかと論じている{{Sfn|加瀬|1992|pp=262 - 263}}。<br /> <br /> [[信田さよ子]]は、性的行為の記憶の真実性をめぐり父と娘が対立したり、兄と妹が絶縁状態になる場合もあると述べる{{Sfn|信田|2015|p=218 - 219}}。森田ゆりは、父親から性的虐待を受けたらしい女性に記憶の信憑性について聞かれた際、そもそも治療者は法律上の事実認定をする立場ではないと述べたことを語っている{{Sfn|森田|2008|pp=208 - 209}}。<br /> <br /> == 文化人類学と婚姻規則 ==<br /> [[ファイル:Cousin-Kinship-chart.png|thumb|right|350px|交叉いとこ (cross-cousin) と平行いとこ (parallel-cousin)]]<br /> {{seealso|族外婚|族内婚|同姓不婚}}<br /> ブロニスワフ・マリノフスキが『未開社会における性と抑圧』(1927年)を書いたころは、近親相姦のタブーが外婚制を生み出したと考えられていた{{Sfn|マリノフスキー|2017|p=254}}。ブロニスワフ・マリノフスキは、[[メラネシア]]では父親と娘の性関係は外婚規制の対象ではないにもかかわらず問題視されていると指摘する{{Sfn|マリノフスキー|2017|pp=84 - 85}}。だが、[[人類学者]]にして[[構造主義]]者である[[クロード・レヴィ=ストロース]]は、交叉いとこ婚は容認されながらも平行いとこ婚は禁忌扱いされている社会があることに着目し、近親相姦の禁止は[[族外婚]]の推奨のため、自らの一族の女性を他の一族に贈与するためであるという説を体系化した。この説における族外婚とは結婚制度における規則であり、それに従うことによって家族間で女性の交換が行われ一つの社会を築き上げることができるのだと解釈できる{{Sfn|ハーマン|2000|p=69}}。特に家族という概念を公的分野にまで持ち込もうとする社会では、このような婚姻規則はより複雑化するわけである。しかし、莫大な財産がある場合はこのように族外婚を行ってしまうと[[外戚]]によって一族の財産が乗っ取られてしまうため、人民に対して絶対的な地位にある場合は近親婚が行われる例もある。君主の一族における近親婚は権力の分散を防ぐためと説明されることもあり、[[倭国]]の[[治天下大王|大王]]家や新羅王家の慶州金氏ではしばしば血族結婚が行われていたとされている{{Sfn|遠山|1997|pp=81 - 82, 173 - 174}}。一方、この理論は[[貨幣]]として女性を扱う考えであり、レヴィ=ストロースにとってはこのように女性は高い価値があると主張したつもりなのであるが、女性から見た場合は自分達が交換要員として場合によっては全く馴染みがない一族と結婚させられるため必ずしも女性にとって良い思想ではなく、考え方の根本に男性優位的な側面がある可能性も指摘される{{Sfn|原田|2001|pp=81 - 84}}。日本で行われてきた[[族内婚]]の場合、父系と母系の区別があやふやになるため、女性の継承権が必ずしも否定されないという側面も存在する&lt;ref&gt;{{cite journal|和書|author=官 文娜|date=2010年6月|title=日中伝統家業の相続に関する歴史的考察 : 北京同仁堂楽家と三井家との比較において|journal=立命館文學|publisher=[[立命館大学]]|volume=617|pages=89-72|issn=02877015|naid=110007819875|url=http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/617/617PDF/guan.pdf|format=PDF|accessdate=2011-07-26}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 近親相姦のイメージとは、婚姻秩序に基づいた抑圧による[[でっち上げ]]に過ぎないという見方も存在し、[[ジル・ドゥルーズ|ドゥルーズ]]=[[フェリックス・ガタリ|ガタリ]]は『[[アンチ・オイディプス]]』において、母親は出自の秩序を守るため、姉妹は縁組の秩序を守るためそれぞれの近親相姦の禁止は存在すると捉えた上で、[[白人]]を主体とする植民者などといった存在と接続した原始社会の体系と革命的な「生産的な[[無意識]]」こと「欲望する諸機械」との間の境界線として近親相姦のイメージは出現しているとして、実際には代替イメージとしての近親相姦を行うことなど不可能であると主張している&lt;ref&gt;{{cite journal|和書|url=http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/57390/1/eda047_465.pdf|format=PDF|title=原始社会における教育 : ドゥルーズ=ガタリ「アンチ・オイディプス」に基づいて|author=森田 裕之|journal=京都大学大学院教育学研究科紀要|publisher=[[京都大学]]|volume=47|pages=465-474|date=2001年3月31日|issn=13452142|naid=110000083487|accessdate=2011-08-31}}&lt;/ref&gt;。[[大城道則]] (2013) は、[[アクエンアテン]]が娘である[[アンケセナーメン|アンクエスエンパアテン]]と親子で結婚したように古代エジプトの王家では近親婚が一般的に行われていたが、これを本人たちの性癖によるものと勘違いしてはならないと注意を促している{{Sfn|大城|2013|p=98}}。かつてはブロニスワフ・マリノフスキや[[ジョージ・マードック]]のように近親相姦の禁止は家族の維持に不可欠だという研究者もいたが、原田武は古代エジプトの話も交えながらこれは単にいかなるありようが理想的かと述べているだけだと指摘する{{Sfn|原田|2001|pp=59 - 60}}。ブロニスワフ・マリノフスキは、自分の下で働いていた少年が、父親と性的関係を持っている少女と結婚したいということで援助を求められた経緯を語っている{{Sfn|マリノフスキー|2017|p=114}}。遊牧民族では、テントに入りきらない家族は分かれて別の家族を作っていく。ある時、遠方の部族と交戦し、相手の女を略奪して妻にした時、それがかつて別れていった一族の女で兄妹・姉弟の関係だったとしても、それは近親相姦とはされないことが多い&lt;ref&gt;[[篠田知和基]](著)『愛の神話学』[[八坂書房]],2011年, pp.161-162 ISBN 978-4-896-94979-7&lt;/ref&gt;。[[エマニュエル・トッド]]は、アラブ世界では内婚制の共同体家族という家族形式が一般的なのだが、このような世界ではもともと国家が成立しにくく、それでもイラクのサッダーム・フセイン政権のように部族連合が軍隊を掌握することで不自然ながら一応は国家が成り立っていたのに、アメリカ合衆国がイラクに侵攻したことで国家自体が消滅し「[[ISIL|イスラム国]]」が展開する事態になったと指摘する{{Sfn|トッド|2016|pp=145 - 147}}。また、エマニュエル・トッドはドイツの[[アンゲラ・メルケル]]首相が進める難民の受け入れについて、いとこ婚に否定的なドイツに内婚に肯定的なシリアの人々を入れるというのは、たとえ経済的に合理的だとしても人類学的には無謀だとも語っている{{Sfn|トッド|2016|pp=219 - 220}}。<br /> <br /> 一方、中国では[[父系制]]社会を維持しようとする儒教的観点から、同じ[[宗族]]同士の同姓婚が忌み嫌われた時代があり、この[[同姓不婚]]の慣習は他国家にも影響を与え、朝鮮の[[高麗]]王朝は[[元 (王朝)|元]]の[[クビライ]](世祖)に同姓不婚の制度を守るよう命令を受け、[[忠宣王]]も一応はこれに同意した&lt;ref name=&quot;hokudai&quot; /&gt;。だが、高麗では[[巫俗]]や[[仏教]]が盛んで儒教的思想に馴染みがなかったことなどから、異母兄弟姉妹婚などの族内婚が行われていたため、このような命令を発しても現実には効果がなかったとされる&lt;ref name=&quot;hokudai&quot; /&gt;。だが、[[李氏朝鮮]]時代になるとこの状況に変化が見られ、[[満州族]]が中国を征服し[[清]]王朝を樹立し後に同姓不婚の制度を廃止した一方で、朝鮮では自分たちこそ正統な中国文明の後継者という自負から[[小中華思想]]が発展し、[[明]]王朝時代の中国の法律を模範として同姓同本婚を禁じ、この状況は後の大韓民国に引き継がれることとなった&lt;ref name=&quot;hokudai&quot; /&gt;。また、日本においても時代の経過とともに天皇家に近親婚が少なくなっていった理由は中国の同姓不婚制の影響ではないかという見方も存在する{{Sfn|原田|2001|p=50}}。[[池田信夫]]は[[與那覇潤]]との対談において、中国は戦争が激しかったので中央集権化が進み父系の外婚制になったと論じたが、與那覇潤はこれに対しあなたは経済学者だからそうまとめるのだろうが、日本にも[[後醍醐天皇]]など専制を目指した君主はいたわけで、その理論では日本が中国のような国にならなかったと言うことがすんなり説明できないとし、もっと歴史的あるいは社会的な観点を大事にすべきだと指摘した上で、中国が外婚制になったのは[[科挙]]の影響で人材を広く求める必要があったことが大きいとしている&lt;ref&gt;『「日本史」の終わり 変わる世界、変われない日本人』(池田信夫・與那覇潤著、PHP研究所、2015年、原書は2012年発行) 29~32頁 ISBN 978-4-569-76250-0&lt;/ref&gt;。エマニュエル・トッドは、外婚制の共同体家族の地域では[[共産主義]]が受け入れられやすく、このような家族制度の下にあるロシアや中華人民共和国のような地域では共産主義から実質的に離脱したとしてもその傾向は残り続けるとし{{Sfn|トッド|2016|p=93}}、このような一致の理由については権威主義的な親子関係の下で兄弟が平等主義的に扱われるからだと推測している{{Sfn|トッド|2016|p=123}}。<br /> <br /> また、婚姻による親族関係は血族ではなく姻族と呼ばれるのだが、姻族同士の婚姻についても禁じる社会もあり、日本においては義理の直系親族と結婚を行うことが不可となっている。[[藤原薬子]]が婿である安殿親王と性的関係を結んだところ、これを知った安殿親王の父親である[[桓武天皇]]によって彼女は宮廷を追放されてしまったらしいという話もあるが、父親の死後に安殿親王が天皇に即位し[[平城天皇]]となると彼女は[[尚侍]]として宮中に戻された&lt;ref&gt;『歴史をさわがせた女たち 日本篇(文庫版)』([[永井路子]]、文藝春秋、1978年、単行本は1975年発行だが1969年発行の『日本スーパーレディー物語』を改題したもの) 155・156頁 ISBN 4-16-720001-5&lt;/ref&gt;。[[川喜田二郎]]は1950年代に[[ヒマラヤ]]の[[チベット人]]の調査を行ったが、父親と息子が妻を共有したり母親と娘が夫を共有したりするなどといった慣習のある村の人に、日本で父系並行いとこ婚が認められている事実を話すと、日本はなんと逸脱した地域なのかといった回答をされたことを述べる&lt;ref&gt;『社会学講義』(橋爪大三郎、[[佐藤郁哉]]、[[吉見俊哉]]、[[大澤真幸]]、[[若林幹夫]]、野田潤著、筑摩書房、2016年) 177、178頁(野田潤による執筆部分) ISBN 978-4-480-06898-9&lt;/ref&gt;。父親の死後に継母と結婚したり、兄弟の死後に彼らの未亡人と結婚したりするのは[[漢]]では問題視される行動であったが、[[匈奴]]では認められていた慣習であった{{Sfn|南方|2015|p=87}}。大周の聖神皇帝となった[[武則天]]は、[[唐]]の[[太宗 (唐)|太宗]]の後宮だった経験がありながら[[高宗 (唐)|高宗]]の皇后になった女性であるが、[[遠山美都男]]によれば、太宗の死後に感業寺で偶然この二人は出会ったのだとかいう話は間違いなく嘘で、実際のところ太宗の存命中からこの二人は愛し合っており、父親が死んで高宗が自分の気持ちを抑えられなくなったのではないかと推測している{{Sfn|遠山|1997|pp=12, 39}}。イスラーム教では、『クルアーン』において乳母を娶ることや乳兄弟姉妹間の結婚も禁止されている{{Sfn|原田|2001|p=91}}。<br /> <br /> == 動物学と人類進化論 ==<br /> {{see also|インセスト・タブー}}<br /> 人間のインセスト・タブーに関しては、[[今西錦司]]のようにサルのインセスト回避との連続体として捉える考えもある{{Sfn|原田|2001|p=76 - 77}}。現在のバース・コントロールの多様さや密室が多く用意されている文明社会ではインセスト・タブーは不要であるとの指摘もあり、今西錦司はインセスト・タブーは大昔の村落共同体が社会単位であった頃にできたもので、今の文明社会では役に立つものではなく、フリー・セックスの時代になったら母息子、父娘、兄弟姉妹のインセストがどこかで行われていたところで咎めようがないとしている&lt;ref&gt;『今西錦司座談録』[[河出書房新社]] 今西錦司 1973年3月 309-310頁&lt;/ref&gt;。今西錦司は社会構造を伝統や文化として考える立場だったのだが、[[伊谷純一郎]]はまずインセスト回避があって社会構造は後付けだと主張したことから、今西錦司が伊谷純一郎を批判する事態になった{{Sfn|中村|2015|p=117}}。ちなみに[[西田利貞]]は、当初は近親交配回避の話について今西錦司の立場に同調するような姿勢を見せていたと中村美知夫は述べる{{Sfn|中村|2015|p=128}}。<br /> <br /> [[山極寿一]]は[[三浦雅士]]との対談において、かつて伊谷純一郎が「霊長類の社会構造」(1972年)で示した仮説としてインセスト回避が[[霊長類]]の社会構造の基礎であるという仮説があったが、その後この仮説は[[哺乳類]]一般まで普遍化が可能な代物であることがわかってきたとしている{{Sfn|山極|2015|pp=240 - 241}}。なお、山極寿一によれば、霊長類は普通オスが群れから出て行くインセスト回避の形式だが、人間により近い[[類人猿]]の場合メスが親元から出ていくためこの規則は当てはまらず、[[テナガザル]]や[[オランウータン]]ではメスもオスも親元から離れるのだが、[[ゴリラ]]では群れに残るオスがぼちぼちと出始め、[[チンパンジー]]や[[ボノボ]]に至っては群れから出て行くのはメスだけでオスはもっぱら群れに残るといったように父系重視の傾向が鮮明化するという{{Sfn|山極|2015|pp=54 - 56}}。また、ゴリラは親元に息子が留まり続けようとすると、父親と息子で交尾する相手が競合しかねないため、通常は息子は親元を離れるのだが、まれに父親が娘と交尾しないのを利用して、その父親の娘たちを交尾相手にして息子が親元に残る場合もあるとも山極寿一は述べる{{Sfn|山極|2015|pp=217 - 218}}。2015年、近親交配がアフリカ中部のマウンテンゴリラの生存に役立っているとする研究をクリス・タイラースミスらが発表した&lt;ref&gt;{{Cite web |url=http://www.afpbb.com/articles/3045089|title=近親交配がマウンテンゴリラの生存に一役、研究 |work=[[フランス通信社|AFP]] |date=2015-04-10|accessdate=2015-04-17}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[平山朝治]] (2003) は、人間は[[ネオテニー]][[進化]]を経た存在であるという見解について触れ、ボノボやチンパンジーでは性的に成熟した息子が母親と性交することはまず見られないものの、性的に成熟していなければ母親と性交する現象が確認できることから、ネオテニーの子供の場合では母親が息子のことをまだ子供だと錯覚しているため、より母と息子の近親交配が起こりやすいという仮説を立てている&lt;ref&gt;{{cite journal|和書|url=http://www.tsukuba-g.ac.jp/library/kiyou/2003/12.HIRAYAMA.pdf|format=PDF|title=人間社会と精神の起源|author=[[平山朝治]]|year=2003|journal=東京家政学院筑波女子大学紀要|volume=7|pages=159-177|publisher=[[筑波学院大学]]|naid=110000074567|issn=13426451|accessdate=2011-09-07}}&lt;/ref&gt;。実際にボノボの母と息子の交尾類似行為を観察した橋本千絵と[[古市剛史]]は、この行為は母親に性的興味があってやっているというよりも、母親にかまって欲しくてやっている行為のようだと論じている&lt;ref&gt;『霊長類学を学ぶ人のために』(西田利貞・上原重男編、1999年) 240頁 ISBN 4-7907-0743-1&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 桑村哲生は、クマノミ類は親子のように見える三匹には実は血縁関係はなく、雌がいなくなると雄が雌に[[性転換]]し未成熟な第三個体と交配するという特性を持つと指摘した上で、[[カクレクマノミ]]を扱った『[[ファインディング・ニモ]]』を実際の話に置き換えると、育ての父親が母親になって育ての息子とカップルになる話になってしまうと論じている&lt;ref&gt;『性転換する魚たち サンゴ礁の海から』(桑村哲生、岩波書店、2004年) 22~24頁 ISBN 4-00-430909-3&lt;/ref&gt;。[[元村有希子]]は桑村哲生の『ファインディング・ニモ』の例え話について、父親と息子が愛し合い子供をもうけることが問題視されるのは人間の世界の話であり、魚の世界の価値観に基づくものではないと指摘している&lt;ref&gt;『気になる科学』(元村有希子、KADOKAWA、2016年、原書2012年発行) 309頁 ISBN 978-4-04-601325-5&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[尾本恵市]] (2017) は、一般論としては身近な相手に性的魅力を感じないといっても、娘を犯す異常な父親は実際に存在すると山極寿一に指摘する&lt;ref&gt;『日本の人類学』(山極寿一・尾本恵市著、筑摩書房、2017年) 205頁 ISBN 978-4-480-07100-2&lt;/ref&gt;。核家族間の交配を含む近親交配の事例は人以外の動物でも、[[ウタスズメ]]、[[ガラパゴスフィンチ]]、[[プレーリードッグ|オグロプレーリードッグ]]、その他類人猿などでも確認されており、一定数存在するこれらの近親交配がその種にとって有利な選択になる可能性が指摘されている。まず、血縁者同士で儲けた子供の方が非血縁者同士で儲けた子供よりも自分の遺伝子のコピーを多く受け継ぐというものである。その結果、生存する子が両方同じ数である場合、個体が後代に残せる遺伝子が血縁者同士で子供を儲けた場合の方が多く残すことが出来る。また、血縁者同士の交配は、非血縁者同士の交配よりも比較的若い年齢で始まることが指摘されている。その結果、その個体の生涯における繁殖成功度が非血縁者同士の交配よりも、血縁者同士の交配の方が高まる。現代社会における結婚年齢は、夫婦が非血縁者同士である場合よりも、いとこ同士である場合の方が低いという。そのためか、いとこ婚の夫婦の子供の出生率は相対的に高い傾向がある。ローマ期エジプトの兄妹婚においても、若い夫婦が多く、非血縁者同士の男女よりも兄妹の方が早く結婚していた可能性が指摘されている。血縁者同士の交配の方が若くで始まる傾向があるということは人以外の動物でも観察され、ウタスズメは、繁殖開始年齢を下げるために近親交配をしているという。[[東京大学大学院理学系研究科・理学部|東京大学大学院理学系研究科]]教授の青木健一は、これらの理論をもとに集団生物学的にその種の集団間に存在する一定数の兄妹交配がその種にとって利益をもたらすものであり、その利益に与るために集団間に一定数兄妹交配の夫婦が存在するように適応進化したかどうかを解析するモデルを構築した結果、兄妹交配を行う性向が進化するための条件が満たされている可能性があると言及している{{Sfn|川田|2001|pp=37 - 45}}。<br /> <br /> [[アダクチリディウム]]などの[[ダニ]]の複数の種類、[[ギョウチュウ]]、様々な種類の昆虫は日常的に近親交配を行うことが知られている。ガイマイゴミムシダマシに寄生するダニは、親から雄と雌が1体50の割合で生まれるが、行動範囲が狭く他の家族と接触する機会がないため、同じ親から生まれた兄妹で近親交配を行う{{Sfn|ジャドソン|2004|p=239}}。[[トコジラミ]]も近親交配を日常的に行っており、一匹の妊娠した雌がいれば、その子供達同士で交尾し大規模に繁殖をすることができる&lt;ref&gt;{{Cite web |url=http://www.afpbb.com/articles/-/2845329|title=トコジラミ大繁殖の秘密は「近親交配」、米研究 |work=[[フランス通信社|AFP]] |date=2011-12-12|accessdate=2017-02-26}}&lt;/ref&gt;。哺乳類においても、[[シママングース]]は近親交配を日常的に行っており、父親と娘が近親交配していることも観察されている。これは、一つの血縁関係のあるグループ内で近親交配をした方が、家族から離れ、他のグループの成員を探しに行くことで死亡するリスクを支払うことより利益が大きいからだという&lt;ref&gt;{{Cite web |url=http://www.techtimes.com/articles/22981/20141226/scientists-find-a-mammal-species-that-practices-incest-frequently.htm|title=Scientists Find Mammal Species that Practices Incest Frequently |work=TECH TIMES |date=2014-12-26|accessdate=2017-02-26}}&lt;/ref&gt;。明治時代の日本の[[トキ]]のように人為的な理由から近親交配に追いやられた動物もいるが、結局最後の日本のトキだった[[キン (トキ)|キン]]が2003年に死に、全滅してしまった{{Sfn|酒井|2015|p=251}}。酒井仙吉は、[[ニワトリ]]では近親交配によって受精率の低下などがみられ、ヒトでも同様の現象が起こると述べている{{Sfn|酒井|2015|p=250}}。<br /> <br /> == 遺伝学と生理的反応 ==<br /> {{seealso|近親交配|近交弱勢|異系交配弱勢|ウェスターマーク効果|ジェネティック・セクシュアル・アトラクション}}<br /> 近親交配の度合いを近交係数(F)を用いて表す場合があり、例えば兄弟姉妹の間に生まれた子の場合F=0.25となる{{Sfn|ラザフォード|2017|p=216}}。もっとも、近親交配を繰り返せばFは高くなるわけであり、ゴンサーロ・アルバレス及びスペイン人遺伝学者のチームは[[カルロス2世 (スペイン王)|カルロス2世]]のFを16世代遡って3000人以上のデータから算出したが、その結果はF=0.254であった{{Sfn|ラザフォード|2017|p=216}}。また、2015年12月に行われていたイギリスの「1000人ゲノムプロジェクト」では、本来そのことを調べるつもりではなかったのだが、26の国の2500人分の塩基配列の情報を調査しているうちに、3人が叔姪間、1人が半血の兄弟姉妹間、3人が兄弟姉妹間、そして8人が親子間というように近親度が算出されてしまった{{Sfn|ラザフォード|2017|pp=229 - 230}}。<br /> <br /> 近親相姦によって子供が生まれると、遺伝的リスクが高まるという話がある。遺伝学の知識があったかは不明だが、古くは[[ソクラテス]]が近親相姦によって子供をもうけた場合は子供の成長に悪影響があると論じており、田中克己は「遺伝学からみたインセスト・タブー」において、全身性の[[アルビノ]]の発生率が、他人交配の場合は1/40,000の発生率になるところが、親子や兄妹の交配では1/780の発生率になると推定した{{Sfn|原田|2001|pp=72 - 73}}。<br /> <br /> Robin L. Bennett &#039;&#039;et al.&#039;&#039; (2002) によれば、遺伝的リスクは第一度近親者同士による交配で元々の遺伝的リスクに加え全体比で6.8%から11.2%の増加が推測されている&lt;ref&gt;{{cite journal|author=Bennett, Robin L.; Motulsky, Arno G.; Bittles, Alan &#039;&#039;et al.&#039;&#039;|date=April 2002|title=Genetic counseling and screening of consanguineous couples and their offspring: Recommendations of the National Society of Genetic Counselors|journal=Journal of Genetic Counseling|volume=11|issue=2|pages=97-119|publisher=[[シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア]]|url=|format=PDF|accessdate=2011-09-17|doi=10.1023/A:1014593404915}}&lt;/ref&gt;。実際に単純に調査した結果においては近親相姦の遺伝的影響以外からも子供に障害が発生する可能性があることを差し引く必要はあるが、[[チェコスロバキア]]において、親子兄弟姉妹間の交配で生まれた161人のうち、13人が1歳未満で死亡し、30人に先天的に身体的な異状が見られ、40人に精神障害が見られ、3人が[[聾唖者]]となり、3人が[[てんかん]]を患っていたという1971年の調査もある{{Sfn|原田|2001|p=68}}。<br /> <br /> 人間など生物における[[雌雄]]の生殖においては両親から遺伝子を受け継ぐが、近親婚で生まれた子供でない場合は、ある[[劣性遺伝子]]がもし有害であったとしても片方の親からそれをもらっただけでは本人に異常が出ることはないのだが、近親婚で生まれた子供の場合は、先祖を共有していることから同一の種類の劣性遺伝子を両親が保有している可能性が高いため、その遺伝子が一対となり異常が発生する可能性が高くなると説明されていた{{Sfn|原田|2001|p=71}}。<br /> <br /> 生存に不利な遺伝子はそうでない遺伝子に比べて圧倒的少数であり、劣性遺伝子の中に隠蔽されていることが多いとされた。なぜなら、そのような遺伝子が顕在化した個体は子孫を残すまで生存することは困難で、したがって多くの生存に不利な[[優性遺伝子]]は子孫に継承されにくく、結果として淘汰されてきたからであるとされたためである。そのため、近親交配によって子供が生まれた場合は遺伝的リスクが高まるとして、これを[[近交弱勢]]と言う。アルバレスらは、カルロス2世の患っていた病気は遠位尿細管性アシドーシス及び、PROP1が[[ホモ接合型|ホモ]]になることによる複合下垂体ホルモン欠損症という2つの劣性遺伝病ではないかと推測した{{Sfn|ラザフォード|2017|p=218}}。また、アダム・ラザフォードは、眼皮膚白皮症(OCA)は劣性遺伝するわけなのだが、スペインのロマ族のOCA1の保因者は3.4%と比較的高いため、同族結婚で[[金髪]]の子供が生まれるのは当然と述べていた{{Sfn|ラザフォード|2017|p=228}}。<br /> <br /> しかし、劣性遺伝子という言葉を用いてはいるが、劣性であることがすなわち有害というわけではないため、理屈上は有益な劣性遺伝子が近親交配で発現する場合も考えられうるという指摘もなされていた{{Sfn|原田|2001|p=71}}。結局、2017年に[[日本遺伝学会]]は、優性や劣性という言葉が差別を生む恐れがあるとして、「顕性」及び「潜性」という言葉に変更することを表明した。豐田文一と倉本政雄の1943年(昭和18年)の論文「富山縣下ニ於ケル血族結婚ノ頻度ニ就テ:農村衞生ニ關スル調査報告 第5報」では、自分達とは別の研究で血族結婚を繰り返してきた1786人在住の部落を調査した結果を引用し、この報告では部落の子供達は劣等生だらけではあったのだが、逆に優等生は「全て」血族結婚によって生まれた子供であったとされており、有害な劣性遺伝子が家系に存在しない場合は近親交配によって有害な影響がもたらされるとは考えられないという論も存在しているとはしながらも、有益な遺伝子を特定しこういった側面を利用する技術がない以上は、なお[[優生学]]的な意味で血族結婚を避けることの理由となりうるとしていた&lt;ref name=&quot;toyamakenka&quot; /&gt;。<br /> <br /> 自然界でも[[ボトルネック効果]]が発生した際に、選択的な[[遺伝的浮動]]が起こった場合には、有害な劣性遺伝子が除去され近親交配の負の効果が顕在化しない可能性はある。だが、通常は人間以外の動物の場合、近親交配の有害な影響を避けるために人為的な選択管理が必要となる。[[エルヴィン・シュレーディンガー]] (1944) は、人間の場合は自然淘汰の機能が損なわれているどころか、優れた人間のほうが殺害されることが多いため、近親交配の弊害にはより一層の注意が必要となると主張している&lt;ref&gt;『生命とは何か 物理的にみた生細胞』(シュレーディンガー、[[岡小天]]・[[鎮目恭夫]]訳、岩波書店、2008年、原書の初版は1944年発行で1948年版を日本語訳した1951年版を1975年に修正したものを文庫化したもの) 82頁 ISBN 978-4-00-339461-8&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 実際には人間を含む有性生殖を行う動物の多くは近親交配を避けることが多く、人間の場合は[[ウェスターマーク効果]]といって近親相姦の嫌悪は一般的にありうるという研究結果も示されている。生物学的なインセスト・タブーの理論では、人間やその他の動物の近親交配回避機能が人間の意識に影響を与えていると捉えるのだが、この学説は遺伝学との相性が良いとされる{{Sfn|ハーマン|2000|pp=60 - 61}}。一方で、この親族認識の手段に関してはなお議論があり、[[ジェネティック・セクシュアル・アトラクション]]といって、近親者であっても生き別れの親族などでは普通に恋愛感情が湧くことが多いという指摘もある。また、[[:en:University of Pécs|ハンガリー国立ペーチ大学]]が行った研究では、男性は母親に似た女性、女性は父親に似た男性に惹かれる傾向があるという研究結果が存在する&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.afpbb.com/articles/2513893|title=女性は父親似、男性は母親似を選ぶ傾向 科学調査で実証|publisher=AFPBB News|date=2008-09-04|accessdate=2014-03-15}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 2013年9月13日の『[[日本経済新聞]]』によれば、アメリカ合衆国では[[精子バンク]]の普及により多くの子供が一人の男性の精子から生まれるという事態が発生したが、このままでは子供達が知らないうちに近親相姦関係になってしまい、やがては子孫に先天的に有害な影響がもたらされるのではないかと危惧されているという&lt;ref&gt;『恋愛しない若者たち コンビニ化する性とコスパ化する結婚』([[牛窪恵]]、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2015年) 313頁 ISBN 978-4-7993-1769-3&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 哲学と政治思想 ==<br /> {{see also|近親愛}}<br /> [[プラトン]]の『[[国家 (対話篇)|国家]]』では、近親相姦の禁止について論じた対話が載せられているが、近親相姦を禁止するといっても具体的に父と娘の如き親族関係はいかにして定めればよいのかという問題に関しては、婚姻関係から親子関係を推定すればよいではないかという意見が載せられている&lt;ref&gt;{{Harvnb|プラトン|1979|pp=371 - 372}}(初版本の頁数)&lt;/ref&gt;。比較的緩い形で近親相姦の禁止を設けていた社会も存在し、[[ギリシア]]などでは兄弟姉妹婚には寛容であったのだが、これは近親相姦を容認していたというわけではなく、プラトンの『国家』では娘や娘の子供達や母や母方の祖母などとの性関係は許されないとしている{{Sfn|原田|2001|p=29}}。これは男性側の話であり、女性の場合は息子と息子の息子や父と父の父親との性関係が禁じられると『国家』はその後に続けている&lt;ref&gt;{{Harvnb|プラトン|1979|p=371}}(初版本の頁数)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[キティオン]]の[[ストア派]]古代[[ギリシア哲学]]者[[ゼノン (ストア派)|ゼノン]]は、「母親の局部を自分の局部で擦るのはおかしなことではない。母親の身体の他の部分を手で触ることを誰もおかしいと言わないように」という見解を持った{{Sfn|エンペイリコス|1998|pp=369}}。また、ストア派の[[クリュシッポス]]は、多くの人たちの間で正当な行いとされている通りに、父親は娘によって、母親は息子によって、兄弟は姉妹によって子供を作るのがよいと思われると述べている{{Sfn|エンペイリコス|1998|p=387}}。また、母親や娘、姉妹と交わることは非合理ではなく、自然本性に反していないと判定しなければならないとしている&lt;ref&gt;『初期ストア派断片集 5 クリュシッポス他』([[京都大学学術出版会]] 2006年) 102-103頁 ISBN 978-4-87698-162-5&lt;/ref&gt;。ジル・ドゥルーズは『意味の論理学』で、クリュシッポスと[[キニク派]]の[[ディオゲネス (犬儒学派)|ディオゲネス]]の近親姦擁護論について触れ、諸々の物体として認識されている物体が実はその深層において混在状態にあるという考えが近親姦擁護論の背景にあると指摘している&lt;ref&gt;『意味の論理学 上』(ジル・ドゥルーズ著、小泉義之訳、河出書房新社、2007年、原書は1969年発行) 230・231頁 ISBN 978-4-309-46285-1&lt;/ref&gt;。ディオゲネスはオイディプスが言うような家族関係の混乱など、犬や驢馬にとってはどうでもいいことだと論じたと伝えられている{{Sfn|吉田|2013|p=253}}。<br /> <br /> ストア派において、近親者間の性交を認める論は複数見られたが、[[エピクロス主義|エピクロス派]]の創始者である[[エピクロス]]も母親や姉妹と交わることを教えた&lt;ref&gt;『中世思想原典集成 初期ギリシア教父』(上智大学中世思想研究所 1995年) 165頁 ISBN 978-4-582-73411-9&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[劉邦]]は自らの部下となった[[陳平]]が兄嫁と性的関係を持ったことがあるという噂を聞いて、陳平を紹介した[[魏無知]]にどういうことだと追求したが、魏無知は品行方正なだけの役立たずでは困ると考えたためだと反論し、その後も劉邦は陳平を部下として使い続けたとされる。陳平の実名は伏せられているが、[[陳寿]]の『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』によれば[[曹操]]も陳平と魏無知に関する故事を引いて、今は不安定な世の中なので才能さえあればいかなる人物でも採用するという布告を210年に出したという&lt;ref&gt;『正史 三国志 1』(陳寿著、[[裴松之]]注、[[今鷹真]]・[[井波律子]]訳、筑摩書房、1992年、底本は1977年発行の『世界古典文学全集第24巻A「三国志」I』を分割したもの) 70・71・129頁 ISBN 978-4-480-08041-7&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル]]は、家族の関係のうち、人倫的本質を予感する可能性という面において夫と妻よりも兄と妹、姉と弟を重視しており&lt;ref&gt;『藤原保信著作集 第2巻 ヘーゲルの政治哲学』([[藤原保信]]、[[新評論]]、2007年) 192頁 ISBN 978-4-7948-0736-6&lt;/ref&gt;、男女関係を論じるにおいて混じり気のない関係は兄と妹の間にあると述べている。兄と妹は同じ血縁で、この血縁は両者において安定し、均衡を得ているため、互いに情欲を持ち合うこともなく、互いに自由な個人性である。そのため、女性は妹か姉であるとき、人倫的本質を最も高く予感しているとする{{Sfn|ヘーゲル|1997|p=35}}。また、兄と妹、姉と弟の関係は血縁の均衡と欲望のない関係に結びついているため、兄弟を失うことは姉妹にとって償い得ないことであり、兄弟に対する姉妹の義務は最高のものであると論じている{{Sfn|ヘーゲル|1997|pp=36 - 37}}。一方、ヘーゲルは自身の妹のクリスティアーネと激越な悲劇的欲求を帯びた関係を構築しており、他の家族や夫婦の縁を副次的なものに押しやってしまっていたとの指摘がある&lt;ref&gt;『アンティゴネーの変貌』([[ジョージ・スタイナー]](著)、[[海老根宏]](訳),[[山本史郎]](訳)、[[みすず書房]]、1989年) 15頁 ISBN 978-4-622-04536-6&lt;/ref&gt;。クリスティアーネは兄を深く敬慕しており、ヘーゲルの妻に対し激しい嫉妬を感じていた&lt;ref&gt;『ヘーゲル伝』(ジャック・ドント(著)、[[飯塚勝久]](訳)、[[未来社]]、2001年) 40頁 ISBN 978-4-624-01158-1&lt;/ref&gt;。[[吉本隆明]]は、ヘーゲルの兄妹論に沿った見解を述べており、家族のうち、兄と妹、姉と弟の関係だけは空間的にどれほど隔たってもほとんど無傷で、対なる幻想としての本質を保つことができると論じている。それは、兄と妹、姉と弟が自発的な性行為を伴わずに、男性または女性であり得るからだとする&lt;ref&gt;『共同幻想論』([[吉本隆明]]、[[角川書店]]、1982年)162頁 ISBN 978-4-04-150101-6&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[空想的社会主義]]の思想家とされる[[シャルル・フーリエ]]は、『愛の新世界』において傍系の場合の近親姦を擁護する論陣を張った{{Sfn|原田|2001|p=201}}。シャルル・フーリエは家族制度の廃止によって近親相姦を許可し、子供は託児所で社会が育てる形にすればよいと主張したのだが、過激だということで『愛の新世界』は長らく公にされることはなかった&lt;ref&gt;『世界の[下半身]経済のカラクリ』([[門倉貴史]]、アスペクト、2013年、原書は2007年発行の『世界の[下半身]経済が儲かる理由 セックス産業から見える世界経済のカラクリ』だが文庫化に当たり加筆) 18・19頁 ISBN 978-4-7572-2259-5&lt;/ref&gt;。[[ニカラグア]]の大統領になった[[ダニエル・オルテガ]]にはかつて継娘と性的関係を結んだという話があるが、本人はニカラグア武闘派左翼の革命運動組織である[[サンディニスタ民族解放戦線]]の活動をする上で性欲を解消することは必要だったと弁明した{{Sfn|ハーマン|2000|p=282}}。<br /> <br /> [[エーリッヒ・フロム]]は、[[ネクロフィリア]]、[[ナルシシズム]]と近親相姦的共生が極端な形態で混合したものを「衰退のシンドローム」と呼び、その具体例が[[アドルフ・ヒトラー]]であると論じた{{Sfn|フロム|2018|p=149}}。アドルフ・ヒトラーは自らの民族を梅毒や[[ユダヤ人]]から守らねばならないと主張したが、この『[[我が闘争]]』で述べられたような主張がヒトラーの近親相姦的固着を表しているとエーリッヒ・フロムは主張した{{Sfn|フロム|2018|pp=149 - 150}}。[[毛沢東]]は14歳のとき親戚の18歳の女性と結婚させられたが、学費を援助してもらうためであって正直こんな結婚はしたくなかったらしく、中国の封建的な結婚制度を「間接強姦」だと言い出したのはこの経験が原因ではないかという解釈が、[[ユン・チアン]]と[[ジョン・ハリデイ]]の共書である『真説 毛沢東 誰も知らなかった実像』に載せられている&lt;ref&gt;『真説 毛沢東 上 誰も知らなかった実像』(ユン・チアン、ジョン・ハリデイ著、[[土屋京子]]訳、講談社、2016年、原書初版は2005年発行で2007年版の翻訳、2005年版は『[[マオ 誰も知らなかった毛沢東]] 上』として出版) 50、51頁 ISBN 978-4-06-281658-8&lt;/ref&gt;。[[ミシェル・フーコー]]は『性の歴史I 知への意志』で、そもそも家族とは婚姻という形で性欲を封印する場として存在するものなのだが、18世紀以降の西ヨーロッパではそこを情緒的な繋がりの場となったため、家族がインセストを教唆する格好になってしまっていると論じた{{Sfn|原田|2001|pp=139 - 140}}。<br /> <br /> [[小川仁志]] (2013) によれば、国家機能を縮小させ個人の自由を徹底的に尊重する[[リバタリアニズム]]という思想の立場に立てば、自由を主張し結婚制度を終了させ近親相姦でも何でも好きなようにやればよいという論理が成り立つが、周囲を不快にさせるようなことまで自由だというのはおかしいということで、この思想を非難する声が上がっているという&lt;ref&gt;『「道徳」を疑え! 自分の頭で考えるための哲学講義』(小川仁志、[[NHK出版]]、2013年) 85頁 ISBN 978-4-14-088421-8&lt;/ref&gt;。[[鷲田小彌太]] (2016) は、人間は放っておくと欲望を際限なく追求してしまうものであり、だからこそ[[食人]]や近親相姦や殺人は禁忌とされているのだと論じた&lt;ref&gt;『死ぬ力』(鷲田小彌太、講談社、2016年) 101頁 ISBN 978-4-06-288357-3&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[高橋和巳 (精神科医)|高橋和巳]]は、父親に性的虐待を受けた女性の話として、同一の現象に対し別々の認知が生じうるという認知論は受け入れやすかったが{{Sfn|高橋|2017|pp=277, 287}}、人間の存在意義は社会など外部的評価と切り離して解明されるべきだという[[存在論]]は、社会との繋がりを前提としているため、結論が当然のことと化している自分にとっては違和感があり、少し腹立たしくもなったという話を著書に載せている{{Sfn|高橋|2017|pp=287 - 288}}。<br /> <br /> == 民俗学と宗教論 ==<br /> {{see also|聖書における近親相姦}}<br /> [[南方熊楠]]は、[[仏教]]において親族姦は戒めの対象になったが、そもそもこういったことが問題になったのは[[釈迦]]が活躍した時代は親族姦が多かったからではないかと論じている{{Sfn|南方|2015|pp=79, 83}}。釈迦の祖先も兄妹婚を行った&lt;ref&gt;『南方熊楠 進化論・政治・性』([[原田健一]] 著、[[平凡社]]、2003年)169頁 ISBN 978-4-582-53714-7&lt;/ref&gt;。『陀羅尼雑集』には、釈迦が[[前世]]において母親と交わり父親を殺害した罪を除くために用いたとする[[陀羅尼]]が載せられている{{Sfn|南方|2015|pp=93}}。[[瀬戸内寂聴]]は母親が夫と関係を持ったという[[蓮華色比丘尼]]の話について、こういった女性を教団に抱え込んだ釈迦が徹底して淫欲を戒めたのは正しいと自らの見解を語っている&lt;ref&gt;『仏教とエロス』(瀬戸内寂聴・[[ひろさちや]]、学研パブリッシング、2012年、原書は1993年発行、原題は『仏教・エロスと救い 瀬戸内寂聴 vs. ひろさちや対談集 生命との対話』) 94・95頁 ISBN 978-4-05-900770-8&lt;/ref&gt;。やがて仏教は方向性をめぐり[[上座部]]と[[大衆部]]に分裂することになるが、射精のごとき生理的反応は[[煩悩]]ではないと主張しこの分裂の原因を作ったとされる[[大天]]は、近親相姦関係にあった母親を殺害した過去を持つ男性だったと伝えられている{{Sfn|南方|2015|pp=77 - 78}}。[[チベット]]の密教の一つの[[タントラ教]]は母と妹と娘を愛欲することで、広大なる[[悟り]]を得られると主張する&lt;ref&gt;『秘密集会タントラ和訳』([[松長有慶]]、2000年) 23頁 ISBN 978-4-8318-7073-5&lt;/ref&gt;{{Sfn|原田|2001|p=112}}。姉妹を妻にした[[三蔵法師]]もおり&lt;ref&gt;『性愛の仏教史』藤巻一保、[[学研パブリッシング]]、2011年、50頁 ISBN 978-4-05-405076-1&lt;/ref&gt;、『[[宝物集]]』では、実母と通じた明達律師や、娘を妻にした順源法師が共に往生の素懐を遂げた人物といわれる&lt;ref&gt;『中国研究集刊 第五十九号』「孝としての近親相姦」佐野大介、大阪大学中国学会、2014年、40頁&lt;/ref&gt;。南方熊楠は、仏典に親族姦の話がよく見受けられることに注目し、明達律師が母親と交わったとか順源法師が娘を娶ったといった類の日本の話は、仏典を参考に創作されたものである可能性を指摘している{{Sfn|南方|2015|pp=76 - 77}}。<br /> <br /> なお『[[古事記]]』には「上通下通婚(おやこたわけ)」という用語が見られ&lt;ref&gt;{{cite journal|和書|url=http://ir.lib.osaka-kyoiku.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/14627/1/doukyr_4_061.pdf|format=PDF|title=日本古代思想における悪|author=藤永芳純|date=1985年3月30日|journal=道徳教育学論集|publisher=大阪教育大学道徳教育教室|volume=4|pages=61-72|issn=09102132|naid=120002224672|accessdate=2011-10-05}}&lt;/ref&gt;、これが国つ罪の親子相姦禁止規定につながったという見方もある&lt;ref&gt;{{cite journal|和書|url=http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/1865/1/A03890546-00-043010017.pdf|format=PDF|title=「国津罪」考|author=杉山晴康|journal=早稲田法学|volume=43|issue=1|pages=17-50|publisher=[[早稲田大学]]|date=1968年3月20日|accessdate=2011-09-30}}&lt;/ref&gt;。「上通下通婚」という言葉について、[[本居宣長]]は『[[古事記伝]] 三十之巻』で、実の親子を対象としたものなら「祖子婚」という用語になるはずであり、そうならないのは「上通下通婚」は性的関係を持った女性の母や娘も含む概念だからだと論ずる{{Sfn|橋本|2015|p=99}}。[[橋本治]]は「親子丼」と通称される代物まで含むのは、この話がタブーではなくモラルに関する規定だからではないかと論じている{{Sfn|橋本|2015|p=101}}。また、日本が形作られた[[天地開闢 (日本神話)|天地開闢]]では[[イザナギ]]と[[イザナミ]]は兄妹であり、近親相姦というタブーを犯した結果に[[ヒルコ]]が生まれたとする説がある。タブーの末にこうした不具の子が生まれたり罰を受けたりする事象は神話ではよく見られ、[[ノアの方舟]]のような洪水の話は、兄妹だけが生き残ってしまったが故に近親相姦はやむを得なかったとしてタブーを乗り越えるための説話であるとされる&lt;ref&gt;『口語訳古事記「神代篇」』 [[三浦佑介]]訳・注釈 p40-41&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 中国語では倫理を乱す行いのことを「乱倫 (luàn lún)」というが、この用語は近親相姦の意味で使われることがある。武則天が偏見の目で見られる一因は、ある男とその子供の両方と性的関係を持つことは儒教の考えでは禽獣同然とされていたためである{{Sfn|入江|2016|p=164}}。[[玄宗 (唐)|玄宗]]は息子の[[李瑁|寿王]]の嫁だった[[楊貴妃]]を寵愛したが、彼女を後宮に入れるにあたり、非難を免れるため一旦[[道教]]の寺院である[[道観]]に入れるという措置が採られた{{Sfn|島崎|2016|p=111}}。ラテン語で近親相姦を意味するincestumは「不敬な」などという意味であり、ドイツ語で近親相姦の意味で用いられるBlutschandeは「血の冒涜」のことを表現している{{Sfn|原田|2001|p=10}}。<br /> <br /> 近親相姦の禁止について宗教上の聖典に明記されている場合もあり、[[旧約聖書]]の『[[レビ記]]』18章6 - 18節においては姻族も含めた近親相姦の禁止について言及されている。[[橋爪大三郎]]は、『[[申命記]]』23章1節に父親の妻に関する規定があることに触れた上で、父親のセクシュアルティを侵害してはならないというのは、父親を敬えということと一緒になった規定のようだと論じている&lt;ref&gt;『教養としての聖書』(橋爪大三郎、[[光文社]]、2015年) 149頁 ISBN 978-4-334-03846-5&lt;/ref&gt;。旧約聖書[[創世記]]19章の[[ロト (聖書)|ロト]]が[[ロトの娘たち|娘]]二人と近親相姦をして子をなしたという話はある。ただし、ロトが娘二人と近親相姦をしたという話について、[[佐藤優 (作家)|佐藤優]]はこの話は異常だからこそ話として残された側面があり、近親相姦がタブーではなかったとはいえないのではないかと論じている{{Sfn|佐藤|中村|2016|p=143}}。また、[[中村うさぎ]]は、子供を儲けることに焦点を当てているため、ロトの話では近親相姦よりも同性愛のほうが罪深いように書かれているが、我々の感性からすると近親相姦のほうが同性愛より問題に感じると語っている{{Sfn|佐藤|中村|2016|p=144}}。だが、逆に近親相姦によって偉大な力を得られるという考えもあり、[[アフリカ]]の[[マラウィ]]においては、母や姉妹との交わりは戦いにおける弾よけになるという信仰もあった{{Sfn|原田|2001|p=102}}。[[ゾロアスター教]]においては父と娘、母と息子、兄弟姉妹の結婚は最高の善行であったが{{Sfn|原田|2001|p=104}}、これは[[フヴァエトヴァダタ]]と呼ばれる。現代でも、経済的な都合上から文化的に許容されている場合もあり、シエラマドレ山脈に住む[[インディアン]]の父親と娘は、経済的な理由から近親相姦を行うことがよくあるという&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://ir.lib.sfu.ca/bitstream/1892/7517/1/b16162286.pdf|title=The Construction of a Social Reality: An Examination of Father-Dauqhter Incest|language=英語|author=Rea, Ronald Harvey|publisher=[[サイモンフレーザー大学]]|pages=39|year=1983|accessdate=2011-06-28|deadlinkdate=2015-12-11}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> イスラム教の伝承では、人類最初の夫婦[[アダム|アーダム]]と[[イヴ|ハウワー]]は最初に[[カインとアベル|カービール]]とカービールの双子の妹を生み、その次にハービールとハービールの双子の妹を生んだ。預言者アーダムは子供たちが成熟すると、カービールはハービールの双子の妹と結婚し、ハービールはカービールの双子の妹と結婚するように指示した。ハービールはその指示に同意したが、カービールは自身の双子の妹と結婚することを望んだ&lt;ref&gt;『Al-Islam Inception to Conclusion』(Iftikhar Ahmed,Ph.D. Mehar,2003年)p.24 ISBN 978-1-4107-3272-9&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 南方熊楠はヨーロッパでは[[肛門性交]]がかつては伝統的に行われており、ロレーヌ王である[[ロタール2世]]は自らの妻であるテウトベルガがフクベルトと妹と兄という関係でありながら肛門性交を行ったと前代未聞の主張をする一幕もあったと論じている{{Sfn|南方|2015|p=125}}。『大乗造像功徳経』によれば、[[女装]]をすることや親族関係にある女性を犯すなど四つの縁によって、身体上の性と性欲上の性に不一致が生じ、男に犯されて悦ぶ男に[[転生]]するとされる{{Sfn|南方|2015|pp=269 - 270}}。『池北偶談』には[[済寧]]の話として姑が嫁に性的欲望を覚え関係を持つに至った話があるが、この話について南方熊楠は男性器の付いた女性もいるのだがこの話は精神だけ男性化した話のようだと述べている{{Sfn|南方|2015|p=303}}。<br /> <br /> 未来において近親相姦が広く許容される時代が来るという宗教もある。[[ユダヤ教]][[シャブタイ派]]の預言者アブラハム・ナタン(ガザのナタン)によると、[[シャブタイ・ツヴィ]]が棄教したこの世界を[[モーセの律法|モーセ律法]]に対して[[クルアーン]]が支配する世界だとしたが、それは間もなく来るメシアの時代の前駆的な形態にすぎず、メシアの時代のもとでは既存の規範が有効性を失う。その時、近親相姦を含む全ての性の禁忌が取り去られ、自由な世界において[[生命の樹]]の神秘に与ることができるという&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/36071/1/rel027006.pdf|title=預言者ナタンの教義に見るシャブタイ派思想の規範と反規範|author=山本 伸一|publisher=[[東京大学]]宗教学年報|pages=83|year=2010|accessdate=2014-01-01}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[ヒンドゥー教]]の[[シャクティ派]]や[[末日聖徒イエス・キリスト教会|モルモン教]]も兄弟姉妹婚を行っていた&lt;ref&gt;『セックス・イン・ザ・フューチャー 生殖技術と家族の行方』(Robin Baker、[[紀伊國屋書店]] 2000年) 252頁 ISBN 978-4-314-00875-4&lt;/ref&gt;。インドのヒンドゥー・サクタセクトの間では近親者間の性交は高次の性関係であって、宗教的完成への一つのステップだった{{Sfn|ジャスティス|1980|p=36}}。<br /> <br /> カール・グスタフ・ユングは近親相姦は高度に宗教的な側面を有しており、そのために近親相姦はほとんど全ての宇宙進化論や神話の中で決定的な役割を演じていると述べ、フロイトは字義通りの解釈に執着したため、近親相姦の霊的な意義を把握することができなかったと指摘している&lt;ref&gt;『ユング自伝』1(アニエラ・ヤッフェ 編 [[河合隼雄]]・[[藤縄昭]]・出井淑子 訳、1972年) 240頁 ISBN 978-4-622-02329-6&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 朝鮮の新羅の王族において近親婚が繰り返された理由は、[[骨品制]]という身分制度において天降種族たる王族の血の純潔性を尊んだことが一因ではあるが、血が混ざると呪力が落ちてしまうという信仰の影響もあるのではという見方も存在する&lt;ref name=&quot;hokudai&quot; /&gt;。<br /> <br /> 日本では男女の双子は心中者の生まれ変わりと考える文化があり、夫婦にしてやらなければならないと考えた&lt;ref&gt;『間引きと水子 子育てのフォークロア』([[千葉徳爾]],大津忠男、1983年) 136頁 ISBN 978-4-540-83018-1&lt;/ref&gt;。そのため、片方を養子に出して成人してから他人として結婚させるということが行われた。この場合は双子であっても近親相姦とは考えない傾向があった{{要出典|date=2012年8月|}}。<br /> <br /> [[バリ島]]や[[サモア]]では、男女の双子は母親の胎内で近親相姦をしていると考えられている&lt;ref&gt;『文学と禁断の愛』(原田武、2004年) 130頁 ISBN 978-4-88179-135-6&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://kotobank.jp/word/%E7%95%9C%E7%94%9F%E8%85%B9?dic=daijisen&amp;oid=11865100|title=畜生腹 とは - コトバンク|work=世界大百科事典|publisher=[[日立ソリューションズ|株式会社日立ソリューションズ・ビジネス]]|accessdate=2014-03-18}}&lt;/ref&gt;。バリ島では、この双子が母の胎内にいる時から既に親密であったとして、兄弟姉妹間での性交が許されていた{{Sfn|平野|1994|p=53}}。また、サモアの貴族階級では姉と弟が結婚するという事例が見られる&lt;ref&gt;『世界の女性史 2 未開社会の女 母権制の謎』([[大林太良]] 編、[[評論社]]、1975年)158頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 13世紀の後半から15世紀の初頭にドイツを中心として興ったキリスト教の一派自由心霊派は、自由心霊を得た人間と神との同一性を説き、母親や姉妹と性交をすることができるとした。他人よりも姉妹と関係することが自然であり、姉妹はこの交接によってかえって貞節を増すものであると考えた&lt;ref&gt;『異端運動の研究 自由心霊派異端について』([[樺山紘一]]、[[京都大学人文科学研究所]]、1974年) 122頁&lt;/ref&gt;。輪廻転生を信じる[[カタリ派]]においても、信仰者の中には男女を問わず自分の夫や妻よりも、兄弟や姉妹、息子や娘、甥や姪を相手に関係を持つものが多いという&lt;ref&gt;『異端カタリ派の研究 中世南フランスの歴史と信仰』([[渡邊昌美]]、1989年) 441頁 ISBN 978-4-00-000129-8&lt;/ref&gt;。一人一人が[[キリスト]]であり[[聖霊]]であると説くアモリ派や、古代キリスト教の一小分派アダム派においても近親相姦が認められている&lt;ref&gt;『異端カタリ派と転生』(原田武、1991年) 34頁 ISBN 978-4-409-42010-2&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[オナイダ・コミュニティ]]を建設した19世紀の宗教家のジョン・ハンフリー・ノイズは、[[有性生殖]]の第一原則である近親者同士の交接を行うとして、弟の娘との間に子供を作った他、妹の娘との間にも子供を作った。彼が引用した[[品種改良]]家の親等計算方法によると、兄弟姉妹は両親から50%ずつ血を受け継いでいるので、その血は100%同じであり、兄妹や姉弟間で生まれた子供は父娘や母息子間で生まれた子供よりも近いという。この計算方法に従えば、伯父姪や伯母甥の場合も父娘・母息子の交接と同じことになる&lt;ref&gt;『ユートピアと性 オナイダ・コミュニティの複合婚実験』([[倉塚平]]、1990年) 205頁 ISBN 978-4-12-001951-7&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> スコラ哲学者・神学者の[[トマス・アクィナス]]は、キリスト教において近親婚がタブーである理由について、人は自然本性的に同じ血縁の者を愛するのであるから、これに性的な愛情が加われば欲望があまりにも激しくなり、貞潔に反するためであるからだと述べている&lt;ref&gt;『神学大全 22』(Thomas Aquinas、1991年) 86頁 ISBN 978-4-423-39322-2&lt;/ref&gt;。鷲田小彌太はトマス・アクィナスと同様の主張をしており、姉と弟は人体骨格も似ており、気心も知れているため、性交の相手としてはぴったりだが、性交の相手として良すぎるために近親相姦がタブーとされるとしている&lt;ref&gt;『大人のための議論作法』(鷲田小彌太、PHP研究所、2002年) 73頁 ISBN 978-4-569-62592-8&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 悪魔崇拝と魔女 ===<br /> {{seealso|悪魔的儀式虐待}}<br /> 悪魔を崇拝し二人の娘を強姦したと自白したことで刑を科された男性について、暗示による虚偽の自白だとして[[エリザベス・ロフタス]]らが抗議する一幕もあった&lt;ref&gt;『心は実験できるか 20世紀心理学実験物語』([[ローレン・スレイター]]著、岩坂彰訳、紀伊國屋書店、2005年、原書初版は2004年発行) 295 - 297頁 ISBN 978-4-314-00989-8&lt;/ref&gt;。[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]の妻の[[アン・ブーリン]]は裁判で[[魔女]]とされ兄弟であるジョージと近親姦を行ったとされたが、[[中野京子]]はこの近親姦疑惑は捏造であると断じている&lt;ref&gt;『残酷な王と悲しみの王妃(文庫版)』(中野京子、集英社、2013年、単行本は2010年発行) 240・242頁 ISBN 978-4-08-745123-8&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> アンリ・ボゲは魔女にとって父と娘、母と息子などの関係にある者が近親相姦を行うのは当然だと主張した&lt;ref&gt;『魔女狩り』(森島恒雄、1970年、岩波書店) 88頁&lt;/ref&gt;。[[ピエール・ド・ランクル]]は、サバトにおいて娘と父親、息子と母親、兄弟姉妹同士が交わったという証言があると主張した&lt;ref&gt;『魔女幻想 呪術から読み解くヨーロッパ』([[度会好一]]、中央公論新社、1999年) 58頁 ISBN 4-12-101494-4&lt;/ref&gt;。サバトというと近親相姦とか乱交とかが連想されがちであるが、Étienne Delcambreの述べるところではロレーヌの記録では3例くらいしかその手の話は見当たらなかったという&lt;ref&gt;『魔女狩りと悪魔学』(上山安敏、石井三記、牟田和男、波多野敏、人文書院、1997年) 175、378頁 ISBN 4-409-51043-6&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 日本のムラ社会関係 ===<br /> {{seealso|褌祝|夜這い}}<br /> 日本における話として、[[赤松啓介]]が1994年に刊行された『夜這いの民俗学』において、かつて男の[[褌祝|フンドシ祝い]]や女のコシマキ祝い(以前はオハグロ祝いと呼んだ)では儀式的に初体験を行う場合があり、この際に周りの人に阻害された場合などで父娘や母息子といった組み合わせで初体験を済ませてしまう場合は存在したようだが、あまりそういうことについてうるさく話さないという了解があったとしている{{Sfn|赤松|2004|pp=56, 58 - 59}}。<br /> <br /> しかし、赤松啓介は障害者に関して本来は他人が行うべき[[性教育]]を身内の人が行わざるを得なくなったために近親同士で妊娠させてしまっている場合もあること、また[[ハンセン病]]患者や知的障害者は近親性交が原因で地元を離れるはめになる場合があったことなどの例を挙げ、一般の研究者がこういった社会の暗黒面の真実を全く見ようとしないことについても批判的に取り上げている{{Sfn|赤松|2004|pp=83 - 84}}。なお、赤松啓介は近親性交を理由に立ち退いた知的障害者は都市部の[[スラム]]などにおいて夫婦同然の暮らしをしている場合もあるとした{{Sfn|赤松|2004|p=84}}。<br /> <br /> 赤松啓介は、[[青森県]][[下北郡]][[東通村]]目名の1909年10月に改則された「若者連中規約」に連中に所属していない者に対しては肌を接することもしてはならないという規則があることを指摘するが、実際問題として目名のある[[尻屋崎]]周辺の尻屋、尻労や岩屋といった村落はかつては孤立的だったとはいえ、こんなことをしていては血族結婚で村落が内部崩壊を起こしていたはずであるため、おそらく厳密に守られていなかったのではないかと考察する{{Sfn|赤松|2017|pp=290 - 292}}。赤松啓介は、国家の支配に基づく「一夫一婦限定性民俗」を打破し、かつて存在した近親者間の性関係を含む「不特定多数式自由性民俗」を復活させるべきであると主張した{{Sfn|赤松|2017|p=65}}。<br /> <br /> アメリカ合衆国においては政治家でもある[[ルイス・リビー]]が、1996年に『[[ジ・アプレンティス (小説)|ジ・アプレンティス]]』という小説を発表した。この小説は1903年の日本を舞台とし、さまざまな性的場面が描写されているが、その中には日本におけるオジ姪相姦についての描写もあった&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.salon.com/life/broadsheet/2005/11/01/libby_novel|title=How unfunny are Scooter&#039;s sex scenes?|language=英語|first=Rebecca|last=Traister|work=Salon.com|publisher=Salon Media Group|date=2005-11-01|accessdate=2011-06-26}}&lt;/ref&gt;。リビーはその後、副大統領[[ディック・チェイニー]]の首席補佐官も務めたが、合衆国政府がイラク戦争において[[大量破壊兵器]]をサッダーム・フセイン政権下のイラクが所有しているという[[プロパガンダ]]を正当化するため、[[米中央情報局]] (CIA) のエージェントの身分の意図的な[[情報漏洩]]を行ったとする[[プレイム事件]]で、リビーが主導者の隠蔽目的の偽証罪で逮捕・起訴されたことで、この書物がメディアの脚光を浴びることになった。<br /> <br /> == 文学と創作物表現 ==<br /> {{seealso|大衆文化における近親相姦||文学における近親相姦|映画とテレビ番組における近親相姦}}<br /> [[アリストテレス]]は『[[詩学 (アリストテレス)|詩学]]』において創作物理論を展開しており、この中では[[ソポクレス]]の『[[オイディプス王]]』が悲劇作品の傑作としてしばしば引き合いに出されているが&lt;ref&gt;{{Harvnb|ソポクレス|1967|p=126}}(訳者解説部分、初版本の頁数)&lt;/ref&gt;、[[藤沢令夫]]はソポクレスの作品が[[アイスキュロス]]の関連作品に比して恐ろしいのは、オイディプスが父親を殺し母親と結婚する事態になったのは自分自身の[[ダイモーン]]が原因であって、そもそも父親である[[ライオス]]がオイディプスという子供を作ったせいなどではないとされている点にあるという&lt;ref&gt;{{Harvnb|ソポクレス|1967|p=124}}(訳者解説部分、初版本の頁数)&lt;/ref&gt;。ソポクレスの『[[コロノスのオイディプス]]』では、オイディプスは神霊となるが、こんな話にしたのは[[ペロポネソス戦争]]で滅亡の可能性があったアテネの人々に対して、逆境に耐え不滅となった存在を提示したかったからではないかと[[吉田敦彦]]は論じている{{Sfn|吉田|2013|pp=279 - 280}}。[[マルキ・ド・サド]]は古典的悲劇のような体裁で『ユージェニー・ド・フランヴァル、悲惨物語』という近親相姦を扱った短編を執筆しているが、[[澁澤龍彦]]によれば父親と娘が一緒に家庭というものに対し反旗を翻すこの短編は、誤魔化してはいるが結局のところ作者自身の反家庭思想が表現されている作品なのだと論じている&lt;ref&gt;『ソドム120日(河出文庫版)』(マルキ・ド・サド著、澁澤龍彦訳、河出書房新社、1991年、原書である桃源社版は1966年初版発行) 309・310頁(訳者あとがき部分) ISBN 978-4-309-46081-9&lt;/ref&gt;。澁澤龍彦は、近親相姦はこの上なく甘美なものだ、という固定観念を抜きがたく思っていると告白した上で、理由について相手の中に自分の自己愛を注入し、しかもそれを自分の目で見ることが出来るというユートピア的状況を想像してしまうからではないかとした&lt;ref&gt;澁澤龍彦『少女コレクション序説』,[[中央公論新社]],1985年,98頁 ISBN 978-4-12-201200-4&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 『[[源氏物語]]』では[[桐壺帝]]の妻の[[藤壺]]と息子の[[光源氏]]の不倫が描かれるのだが、[[歌舞伎]]で桐壺帝を演じた[[市川團十郎 (12代目)|市川團十郎]]に瀬戸内寂聴が不倫を分かっている設定でこの二人の間にできた子供を抱く演技をしたか否かについて聞いてみたところ、分かっているつもりで演技をしたと回答され、光源氏役の[[市川海老蔵 (11代目)|市川新之助]]は頓珍漢だったものの市川團十郎はちゃんと『源氏物語』を読んでいると[[田中慎弥]]に語っている&lt;ref&gt;『[[共喰い (小説)|共喰い]]』(田中慎弥、集英社、2013年、原書2012年発行) 176頁(瀬戸内寂聴との対談部分) ISBN 978-4-08-745023-1&lt;/ref&gt;。橋本治は光源氏が息子の[[夕霧 (源氏物語)#人物の夕霧|夕霧]]について「女にてなどかめでざらむ」というまるで父親が息子に欲情しているかのような表現があることについて触れた上で、これはそういうことではなく男同士が親密な関係にあることを意味する用語が[[紫式部]]の時代になかったということだろうと述べている{{Sfn|橋本|2015|pp=161 - 162}}。[[ウィリアム・シェイクスピア]]の作品である『[[ハムレット]]』は[[サクソ・グラマティクス]]が義理の姉との結婚をカトリックの価値観から近親相姦だと『[[デンマーク人の事績]]』で非難したことが基になっている&lt;ref&gt;『ハムレット』(シェイクスピア、[[野島秀勝]]訳、岩波書店、2002年) 373、376頁(訳者解説部分) ISBN 4-00-322049-8&lt;/ref&gt;。[[ハムレット (キャラクター)|ハムレット]]にとってクローディアスは叔父でかつ義父ということになるのだが、ハムレット自信は母と叔父の結婚を快くは思っていない{{Sfn|河合|2016|p=72}}。[[河合祥一郎]]は、ハムレットが母が禍々しい行為に走ったのは結局は叔父への性欲が原因だと考えているため、ハムレット自身も[[オフィーリア]]に対する自身の性欲を憎んでいるのだと論じた{{Sfn|河合|2016|pp=183 - 184}}。[[志賀直哉]]は『ハムレット』を題材に『クローディアスの日記』という作品を書いているのだが、宮越勉はこの作品が『濁つた頭』の草稿に描かれる義母との逸話に酷似していることから、志賀直哉自身の義母への性的欲望を反映した作品なのではないかと論じている&lt;ref&gt;『志賀直哉(上)』([[本多秋五]]、岩波書店、1990年) 71~73頁 ISBN 4-00-430107-6&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 『有明けの別れ』は、左大将に犯されていた継娘を助けようと左大将の姪が奮闘し、この姪と継娘が深い友情で結ばれる話なのだが、[[大塚ひかり]]はこのように男性嫌悪が女性同性愛的な傾向が同一の物語で描かれることは興味深いと評する{{Sfn|大塚|2018|pp=144 - 147}}。[[近松門左衛門]]の心中を扱った作品について大塚ひかりは若い頃は理解不能な部分があったとしつつも、神谷養勇軒の編纂とされる『[[新著聞集]]』には、[[大坂]]での話として、継父が継娘に恋慕したが継娘が出家者と家を出て行ってしまったため、継父は訴えを起こし継娘と出家者は二人とも斬首されてしまったという話があることを引き合いに出し、このような社会的背景の下では近松門左衛門の心中を扱った作品の受けが良いのももっともだと論じている{{Sfn|大塚|2016|pp=87 - 88, 95 - 96}}。[[曲亭馬琴]]らの話をまとめた『兎園小説』には、父親を自称する男が娘と性関係を結ぼうとしたが、拒まれたので遊女にしようとし、それも嫌がったので短刀で殺害し、当然のことだと平然としていたが多くの人々はこれを許さず役所に訴訟を起こす事態となったことが[[文化 (元号)|文化]]14年の実際の事件として載っているが、曲亭馬琴はこの男は父親を自称しているだけで父親ではなかったのではないかと疑っていた模様である{{Sfn|大塚|2016|pp=76, 93 - 95}}。<br /> <br /> [[スタンダール]]が『アンリ・ブリュラールの生涯』で母親と接吻する描写を出したことについて、原田武はインセスト的ではあるものの不自然と言うには至らないとする{{Sfn|原田|2001|pp=146 - 147}}。『アンリ・ブリュラールの生涯』というのはスタンダールの自伝のような作品とされているのだが、恋慕の対象として描写されているスタンダールの母親は実際にはスタンダールが7歳の時に亡くなっているわけで、[[大岡玲]]は憎しみの感情が混ざっている[[夏目漱石]]とは異なる部分もあるものの、同様にスタンダールも母親がいないがゆえにそれを求めてしまう人間だったのだなと分析している&lt;ref&gt;『不屈に生きるための名作文学講義 本と深い仲になってみよう』(大岡玲、KKベストセラーズ、2016年) 71、72頁 ISBN 978-4-584-12499-4&lt;/ref&gt;。夏目漱石は『[[行人]]』において[[ダンテ]]の『[[神曲]]』での兄嫁と義弟の恋愛話を取り上げている&lt;ref&gt;『行人(1993年版)』(夏目漱石、1993年、1952年初版) 243、244頁(1993年版の頁数) ISBN 4-10-101012-9&lt;/ref&gt;。夏目漱石が登場する貧農を獣に喩えた[[長塚節]]の『土』のように村における父と娘の近親相姦をそれとなく暗示したとされる作品もあるが、[[水上勉]]は、村社会で父親と娘あるいは母親と息子が孤独さの仲で結ばれたとしても、誰も非難できないであろうと論ずる{{Sfn|原田|2001|pp=123 - 124}}。<br /> <br /> [[ファイル:Shimazaki Toson.jpg|thumb|left|島崎藤村]]<br /> [[島崎藤村]]は自らの体験を基にして、姪との恋愛を題材にした『[[新生 (小説)|新生]]』という小説を書いたが、自分のための作品であって姪に対しての配慮がろくになされていないということで、単なる偽善ではないかと[[芥川龍之介]]は『[[或阿呆の一生]]』で批判した&lt;ref&gt;{{Harvnb|芥川|1995|p=199}}(神田由美子による注解部分、1995年版の頁数)&lt;/ref&gt;。ただし、[[小谷野敦]]は『或阿呆の一生』で述べられているのはダンテの『[[新生 (詩集)|新生]]』のことではないかと指摘する{{Sfn|小谷野|2017|p=94}}。[[田山花袋]]は、島崎藤村の『新生』を読んで、島崎藤村が自殺してしまうことを危惧したが杞憂に終わった{{Sfn|小谷野|2017|p=93}}。芥川龍之介は母親に性的に奉仕することが息子にとっての親孝行になりうるということを題材にした箴言を『[[侏儒の言葉]]』に残している&lt;ref&gt;{{Harvnb|芥川|1995|p=112}}(1995年版の頁数)&lt;/ref&gt;。母親との性行為を息子にとっての奉仕のような行為として描いた『触角記』の著者である[[花村萬月]]は、実際に母子姦は頻発していると主張した{{Sfn|原田|2001|pp=37, 147}}。<br /> <br /> [[太宰治]]は『魚腹記』において父と娘の近親相姦の話を取り上げているが、太宰治自身の入水未遂事件を話題にしているとみられる大蛇への変身譚の挿話と異なり娘が鮒に変身するという話になっているのは、父親に処女を奪われた娘に対する太宰治なりの温情なのではないかと[[寺山修司]]は「「魚腹記」手稿」で論じている&lt;ref&gt;『新文芸読本 太宰治』(河出書房新社、1990年) 48~51頁 ISBN 4-309-70152-3&lt;/ref&gt;。一方、[[鈴木貞美]]は「太宰治――虚構への転生」で、『魚腹記』の娘が大蛇ではなく鮒になったのは家によって犯された津島修治自身が、その家に対しての復讐に失敗したということを意味するのではないかと論じた{{Sfn|鳥居|1997|pp=138 - 140}}。鈴木貞美は『魚腹記』は形態としては民話のように書いているが、これは近代小説を超越するためにあえてこのような形態にしたのであり、娘を犯したことについて父親は罪を負わないという内容はまったくもって伝説の父娘相姦のありようとはいえないと指摘している{{Sfn|鳥居|1997|p=138}}。鶴谷憲三は「「魚腹記」の「語り」」で、語りによって伝説や民話っぽくすることで、父親が娘を犯すという忌み嫌われる内容がより自然に受け入れやすくなると指摘した{{Sfn|鳥居|1997|pp=253 - 254}}。『魚腹記』の近親相姦の性描写が暴力的なことについて笠原伸夫は「太宰治における死とエロス」で、これは愛というものは痛みが伴うものであり、痛みなくして愛の甘美な側面を描くことなどできないと作者が考えていたためだとしている{{Sfn|花田|2001|p=197}}。相馬正一は太宰治が自身の思い出を作品にした『思ひ出』について、育ての親である叔母に似た人物を好きになったという話なので近親相姦の話だろうとするが、花田俊典はこれはそうではなくただ単に叔母達に愛されていた過去には戻れないのだという悲しみを綴っただけだろうと論じている{{Sfn|花田|2001|pp=162 - 163}}。<br /> <br /> [[三島由紀夫]]は「肉欲にまで高まった兄妹愛というものに自分は昔から最も甘美なものを感じ続けてきた」と自身の戯曲『[[熱帯樹 (戯曲)|熱帯樹]]』の解題で述べており&lt;ref&gt;三島由紀夫『熱帯樹』,[[新潮社]],1986年,297頁 ISBN 978-4-10-105036-2&lt;/ref&gt;、自身も『[[音楽 (小説)|音楽]]』、『熱帯樹』などの近親相姦を含んだ作品を執筆している。三島由紀夫は夭折した実妹、[[平岡美津子|美津子]]について「ふしぎなくらい愛していた」と『終末感からの出発―昭和二十年の自画像』で回想し、妹の死が以後の文学的情熱を推進する出来事の一つだったと論じている&lt;ref&gt;『ちくま日本文学全集 三島由紀夫』,[[筑摩書房]],2008年,407,408頁 ISBN 978-4-480-42510-2&lt;/ref&gt;。平岡兄妹と親しかった湯浅あつ子は、三島由紀夫は妹を女(異性)として第一番に感じ、それは肉親愛ともちょっと違う初めての「愛」だったのだと思えるとしている&lt;ref&gt;湯浅あつ子『ロイと鏡子』、[[中央公論社]]、1984年、112頁 ISBN 978-4-12-001276-1&lt;/ref&gt;。[[中上健次]]は[[被差別部落]]を舞台に、囚人となった[[入れ墨]]を全身に施した父親に対する復讐として、[[売春婦]]である異母妹と交わり異母弟を殺害する『[[枯木灘]]』という小説を書いたが、樋口ヒロユキは被差別部落を出自に持つ中上健次はこの作品を通して身分制度とエロスを結びつける三島由紀夫を批判したかったのではないかと論じている{{Sfn|樋口|2016|pp=39 - 41}}。[[新藤謙]]は、[[今村昌平]]の近親相姦を扱った作品に着目し、今村が近親相姦を肉親の最高の親愛、あるいは性の愉悦の極北と捉えているかどうかはつまびらかでないとした上で、そこに基層社会の猥雑さと貧困、また性のおおらかさを見ていることは確かであろうと指摘している。無人島に愛の巣を築こうとする兄妹を描いた『[[神々の深き欲望]]』は近代への反措定と古代への憧憬があり、そこからは今村が近親相姦の性の親和力の面に力点を置き、近親相姦を断罪しようとはしない姿勢と、基層人間への愛情が読み取れると分析している&lt;ref&gt;『大衆芸能論ノート』(新藤謙、[[無明舎出版]]、1985年)176-178頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[桜庭一樹]]は、少年は殺人者になることによって現実を超越しようとするのに対し、少女は近親相姦で俗物たる大人の頭上を越えようと考えると[[倉橋由美子]]『聖少女』の解説で記述している&lt;ref&gt;倉橋由美子『聖少女』,[[新潮社]],2008年,文庫初版1981年,294頁 ISBN 978-4-10-111309-8&lt;/ref&gt;。[[倉橋由美子]]は、自身が近親相姦を小説に書く理由について、「真実を突きつけてショック療法を行うというような意図は全くない」と断った上で、「『近親相姦をいかにして聖化するか』という課題に魅力を感じるから」と述べており、自身の「理論」からいけば最高の組み合わせは双生の姉弟(兄妹)であるとしている&lt;ref&gt;『倉橋由美子 (精選女性随筆集)』[[小池真理子]]選,[[文藝春秋]],2012年,22,24頁 ISBN 978-4-16-640230-4&lt;/ref&gt;。[[矢川澄子]]は、相思相愛の兄妹というテーマは、各種の男女の愛の形式の中でも最も純粋で、かつまた宿命的に悲劇性を帯びたものとして私の心を捉えてやまないものの一つであると述べている。兄妹といったが、場合によっては姉弟でも起こりうるだろうし、何なら男女二卵性の双生児だってよいとしている。また、兄弟姉妹の間に真に緊密な一体感が生まれるためには、互いに物心が付く前から相手が存在していた方がよく、したがって年の差は大きすぎない方がよいともという。[[宮沢賢治]]と妹とし子の関係について触れ、妹の存在が宮沢賢治に与えた影響の大きさを指摘している&lt;ref&gt;[[矢川澄子]]『わたしのメルヘン散歩』[[新潮社]],1977年, pp.218-219 ISBN 978-4-103-27801-6&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 近親者間の性愛を書いた作品を描くことが複数あった[[野坂昭如]]は、ただ単に欲望を持つというだけならばともかく、父親が幼い娘に、あるいは母親が年少の息子に性行為をするのは、みっともない行為であると主張する{{Sfn|原田|2001|p=210}}。野坂昭如の『[[エロ事師たち]]』には義母に性行為を強要されそうになった男が義母について蛍を潰したような臭いがしたという話があるが、同じく蛍が登場する野坂昭如の『[[火垂るの墓]]』にもよく見ると兄が妹に欲情する描写があり、これらの作品では蛍は性的な存在としての女の喩えとなっていると樋口ヒロユキは論じている{{Sfn|樋口|2016|pp=231 - 232}}。[[筒井康隆]]の『[[エディプスの恋人]]』には主人公の女性が恋人の母親に憑依され宇宙に偏在する精神体となり、恋人はその母親に憑依された自分と性行為をして童貞を喪失するという描写があるのだが、[[青木はるみ]]はこの表現について別に息子の主観としては母親ではないのだから気色悪い表現ではないと述べる&lt;ref&gt;『エディプスの恋人(2002年版)』(筒井康隆、新潮社、2002年、初版1981年、原書1977年) 250~252頁(青木はるみの解説を含む、2002年版の頁数) ISBN 978-4-10-117113-5&lt;/ref&gt;。[[内田春菊]]の『[[ファザーファッカー]]』は養父に性的虐待を受けた自身の経験を基にした自伝風小説ということで売り出したが、本人はこれは商業上致し方なくやった部分があって、本当はただのお話として読んでほしかった旨を語っている{{Sfn|川口|2017|p=424}}。[[佐野眞一]]は、[[天童荒太]]の『[[永遠の仔]]』で父親に近親姦をされた女性が扱われていることについて触れた上で、近親姦があったかどうかは判断を留保しつつもこの小説の家族の構造は[[東電OL殺人事件]]の被害者の家族の構造と似ている気がすると指摘している&lt;ref&gt;『東電OL殺人事件』(佐野眞一、新潮社、2003年、原書2000年発行) 528頁 ISBN 978-4-10-131633-8&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[村上春樹]]の『[[ねじまき鳥クロニクル]]』は、それまで三島由紀夫が自決しようとどうでもいいといった[[ポストモダン]]な小説を書いていた村上春樹が歴史や政治を扱う小説家になったと評されるきっかけとなった作品で、[[ノモンハン事件]]を扱っているのだが、同時に妹に対して近親相姦的欲望を抱く兄が登場する話でもある{{Sfn|樋口|2016|pp=265 - 267}}。村上春樹が『[[少年カフカ]]』で述べるところによれば、『[[海辺のカフカ]]』はオイディプス伝説を基にした部分があるとのことである{{Sfn|柴田|2009|p=258}}。ただし、村上春樹は『少年カフカ』で、母親的存在は実際には母親ではないので、交わったところで近親相姦にはならずあくまでメタフォリカルなものにとどまり不自然さはないと述べている{{Sfn|柴田|2009|p=291}}。[[清水良典]]は『海辺のカフカ』についての解説で、田村カフカが母親かもしれない佐伯とセックスするという表現は、小説内の現実として描かれているわけではなく、深層心理をメタファー化しているわけだと指摘した{{Sfn|清水|2015|p=75}}。清水良典は、父親が死ぬことで物語が動き出す『[[1Q84]]』も、潜在的には『海辺のカフカ』に描かれたエディプス的なモチーフを引き継いでいると論じた{{Sfn|清水|2015|p=253}}。[[東野圭吾]]の『[[秘密 (東野圭吾)|秘密]]』は、死んだ妻の魂が娘に宿るという設定なのだが、[[井上ひさし]]は設定自体は評価しつつも、内容が近親相姦的なため作者自身がきつい内容に耐え切れずについ常識的な作品に仕上げてしまったように見えると指摘した{{Sfn|川口|2017|p=456}}。[[皆川博子]]は、娘としての肉体を持つ妻と夫は性交渉できるのかという内容を、東野圭吾は誠実に冷静に描こうとするわけであるが、これは東野圭吾の作家としての理念に基づくものだと自分は考えていると『秘密』の文庫版解説で評している&lt;ref&gt;『秘密』(東野圭吾、文藝春秋、2001年、1998年単行本発行) 451頁(皆川博子による解説部分) ISBN 978-4-16-711006-2&lt;/ref&gt;。[[村田沙耶香]]の『消滅世界』では夫婦が行う性行為が近親相姦として扱われるが、[[斎藤環]]は『消滅世界』のこのアイディアには自身が特別に感動したと語っている&lt;ref&gt;『消滅世界』(村田沙耶香、河出書房新社、2018年、2015年単行本発行) 281頁(斎藤環による解説部分) ISBN 978-4-309-41621-2&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[永田守弘]]は、[[官能小説]]においては近親相姦などの男女関係の要素にフェティシズムなどを組み合わせることで多様なストーリー展開が生み出されていると指摘する{{Sfn|永田|2016|p=153}}。永田守弘は、[[藤堂慎太郎]]による著作『ママの美尻』で母親と息子のアナルセックスが扱われていることを例にとり、官能小説の世界では尻フェチが高じてアナルフェチに至る場合もあると論ずる{{Sfn|永田|2016|pp=133, 135 - 137}}。[[櫻木充]]の『僕と義母とランジェリー』では息子との性行為の際の[[潮吹き (女性器)|潮吹き]]や[[陰核]]の脈動の描写があるのだが、永田守弘はこのようにエクスタシー表現においては「イク」という台詞にいかなる表現を伴わせるかが重要であると論じた{{Sfn|永田|2016|pp=100 - 101}}。[[藍川京]]は、自らの作品『継母』を引き合いに出し、関係する相手としては継母という設定の方が他人という設定より官能小説向きだし、実際継母との性関係を扱った話は人気もあると述べている&lt;ref&gt;『女流官能小説の書き方』(藍川京、幻冬舎、2014年) 99~101頁 ISBN 978-4-34498334-2&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[デーヴィッド・ハーバート・ローレンス]]は、親子の間には生物学的に性的には惹かれあわないという特徴があると考える{{Sfn|ロレンス|2017|p=252}}。ローレンスは、[[家族愛|家族の愛]]はあくまで基底的なものであり、それが大人同士のような愛に発展するなどということはありえないと論じた{{Sfn|ロレンス|2017|pp=286 - 287}}。その一方でローレンスは、仮にまったく肉体的なものでなかったとしても強烈な親の愛は子供の性的な中枢を刺激するものであると論じている{{Sfn|ロレンス|2017|pp=251 - 252}}。ローレンスは、精神的な近親相姦は本能的な嫌悪の対象に比較的なりにくいため肉体的な近親相姦より問題だと述べ{{Sfn|ロレンス|2017|p=250}}、思春期以後の家族は相互にタブーな存在として接触の制限が行われるべきだと主張した{{Sfn|ロレンス|2017|p=289}}。<br /> <br /> [[アナイス・ニン]]は30歳の時、音楽家であった実の父親[[ホアキン・ニン]]との近親相姦を体験し、そのことを自身の日記に肉体的な性交の描写に留まらず、自身のあらゆる感情について克明に記録し、出版した。[[エリカ・ジョング]]は父娘間の性交を扱った自著『ファニー』が映画や舞台になる際、それらを担当した脚本家がその部分をどうしても変えるといって聞かなかったという出来事に触れ、当時の近親相姦のタブーの強さを指摘し、アナイス・ニンはこのタブーを自分の人生によって破り、しかもそのことを書くという今まで誰もやったことがない大胆さを持っていたと述べた。エリカは20世紀が終わるにあたって、アナイス・ニンの革新性は文学の一部となり、女性文学の中で近親相姦を描写することのタブーは破られ、現代の女性作家はニンの世代が夢想したこともない驚くほどの作劇上の自由を手にしていると評価している&lt;ref&gt;Erica Jong『セックスとパンと薔薇―21世紀の女たちへ 』[[道下匡子]]訳,[[祥伝社]],2001年,113頁 ISBN 978-4-396-65020-9&lt;/ref&gt;。アナイス・ニンの愛人だった[[オットー・ランク]]はアナイスから彼女と父親との性行為の話を聞いた際、「あなたは人生を神話のように生きようとしている」と評した&lt;ref&gt;Anaïs Nin『インセスト―アナイス・ニンの愛の日記 無削除版 1932〜1934』,[[彩流社]],2008年,486頁 ISBN 978-4-7791-1317-8&lt;/ref&gt;。ジュディス・ハーマンは、[[ウラジーミル・ナボコフ]]の『[[ロリータ]]』においては義理の父親が義理の娘に誘惑されるという話が扱われていることを指摘した上で、男性誌で扱われている実話ということにされている話について話の流れが似ていることから『ロリータ』を芸術的に劣化させた話のように感じられてならないと感想を述べている{{Sfn|ハーマン|2000|pp=43 - 45}}。アメリカにおいては、性的自由の風潮が育ってきたことによるものかどうかは判定するのは難しいが、近親相姦を扱った漫画や映画、書物は増加しているとされ、1921年から1930年の間に封切られた長編映画で近親相姦を含むものは全6606本のうち6本だったのに対し、1961年から1970年の間では全5775本の内79本あった。近親相姦を扱った物語の内容としても、『オイディプス王』に見られるような悲劇のテーマとは異にしてきており、暗い結末を持っておらず、性的束縛に対する全体的な挑戦の一つとして映画や書物の中で気軽に扱われるのが流行してきている{{Sfn|ジャスティス|1980|pp=50 - 51}}。リチャード・ガートナーは、映画においては少年と関係する年上の女性が経験豊富で魅力的な女性として描かれることが多く、『[[好奇心 (映画)|好奇心]]』のようにこの考えをそのまま母親と息子の関係に当てはめた作品もあると指摘する{{Sfn|ガートナー|2005|pp=72 - 73}}。<br /> <br /> ワーナー・ソラーズは近親相姦と[[混血]]が正反対の位置にあるにもかかわらず、[[奴隷制]]を持つ社会を舞台としたフィクションでの表象においてはしばしば密接な関係を持って描かれると指摘している&lt;ref&gt;[[ハルオ・シラネ]](編),松井健児(編),[[藤井貞和]](編)『日本文学からの批評理論―アンチエディプス・物語社会・ジャンル横断』イヴ・ジマーマン(著)「兄妹愛とインセストー中上健次『秋幸三部作』をめぐって」([[笠間書院]] 2009年8月)141頁 ISBN 978-4-305-70485-6&lt;/ref&gt;。[[ナサニエル・ホーソーン]]の母方の4代前の祖先のニコラス・マニングは、自身の二人の妹と性的関係を結んでおり、またホーソン自身も姉のエリザベスと固着的な姉弟関係を持っていた。[[岩田強]]はホーソンにとって聡明な姉のエリザベスが常に発達同一化の対象であったと指摘している。また、エリザベスが生涯独身であったことについて触れ、彼女が弟を愛し崇拝していたということ、また弟の結婚相手を憎悪していたということを慮ると、近親相姦的感情の存在は否定しきれないと分析している&lt;ref&gt;岩田強『文豪ホーソンと近親相姦』,[[愛育社]],2012年,101頁 ISBN 978-4-7500-0419-8&lt;/ref&gt;。[[テネシー・ウィリアムズ]]は少年時代より唯一の遊び相手だった姉のローズと仲が良かったが、精神を病んだ姉が自身の知らない間に[[ロボトミー]]手術を受けて廃人となってしまったことで、結婚もせず、生涯償いであるかのように姉の面倒を見ることになった。姉ローズへの思いは、『浄化』『ガラスの動物園』『欲望という名の電車』『二人だけの芝居』といったテネシーの作品の中で登場人物の中に投影されていて、それは時に痛みを伴うものであり、時には近親相姦を思わせるものでもあるという&lt;ref&gt;『テネシー・ウィリアムズ作品におけるCONFINEMENT IMAGERYについて 「ガラスの動物園」と「欲望という名の電車」及び「二人だけの芝居」の考察』「大阪産業大学論集 人文・社会科学編 13」(吉川和子著、2011年)37頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[トーマス・マン]]は『[[選ばれし人]]』、『[[ヨセフとその兄弟|エジプトのヨセフ]]』など近親相姦を扱った作品を執筆しているが、トーマス・マンが育った一家には性的色彩を濃厚に帯びた兄妹愛が存在していたことが長男[[ハインリヒ・マン]]の著作などから指摘されている。長男ハインリヒと次女カルラ、次男トーマスと長女ルーラのそれぞれの組み合わせには恋愛感情ないしはそれに近いものが存在していた{{Sfn|高山|2011|pp=112 - 113}}。また、トーマス・マンが妹カルラに宛てた短編『衣装戸棚』の内容から、トーマス・マンはもう一人の妹である次女カルラにも性的な愛情を向けていた可能性があるという&lt;ref&gt;マリアンネ・クリュル著、[[山下公子]]・三浦國泰訳『トーマス・マンと魔術師たち マン家のもう一つの物語』、[[新曜社]]、1993年の書物の日本語訳、1997年、489頁 ISBN 978-4-7885-0596-4&lt;/ref&gt;。トーマス・マンは双子の兄妹の近親相姦を扱った『ヴェルズンゲンの血』を書く数か月前に[[カタリーナ・マン|カーチャ・プリングスハイム]]を妻にしているが、彼女は双子の兄に[[クラウス・プリングスハイム]]がおり、トーマス・マンは『ヴェルズンゲンの血』が何らかの出来事の焼き直しであるということを示唆する手紙を書いていた。そのため、『ヴェルズンゲンの血』はプリングスハイム家の双子の兄妹をモデルにしていると話題になった&lt;ref&gt;早崎えりな『ベルリン・東京物語』、[[音楽之友社]]、1998年、8-9頁 ISBN 978-4-276-21134-6&lt;/ref&gt;。高山秀三は近親愛は他人よりも自分に近い者への愛としてナルシシズムを原点に持つと述べ、近親愛に関心があったトーマス・マンと三島由紀夫をナルシシズムの観点から共通性が見い出されると論じている{{Sfn|高山|2011|p=10}}。[[パーシー・ビッシュ・シェリー]]は、自身の著作『チェンチ家』『レイオンとシスナ』『ロザリンドとヘレン』で近親相姦を扱っているが、「近親相姦は、非常に詩的な題材である。それは、愛情の過度か憎悪の過度かのいずれかである。それは、最高の英雄的な行為の栄光に身を包むもののために、他の総てを無視するものであるか、或いは、利己主義と嫌悪に耽る目的のために、思想の内にある善と悪の観念を混同し、これらを無視する冷笑的な憤怒であるかのいずれかである」と述べている&lt;ref&gt;『シェリー研究』([[高橋規矩]]著、[[桐原書店]]、1981年)224頁&lt;/ref&gt;。[[マルグリット・ユルスナール]]は文学における近親相姦の歴史を『姉アンナ…』の自作解説で振り返り、父娘や母息子の場合は双方の意志に基づかないものが多く、兄弟姉妹だけには意志的なものが成り立つと主張した{{Sfn|原田|2001|pp=170}}。マルグリット・ユルスナールは近親相姦が可能性の状態で人間の感受性の中に偏在していることは神話や伝説、夢想、統計、新聞記事などが充分に証明していると述べた&lt;ref&gt;マルグリット・ユルスナール『姉アンナ…』,[[白水社]],1987年,137頁 ISBN 978-4-560-04255-7&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ===民間説話とメルヘン===<br /> [[Image:Allerleirauh by Arthur Rackham.jpg|thumb|180px|[[アーサー・ラッカム]]による「千匹皮」の王女の絵]]<br /> 2004年にATU510Bという分類番号が付けられた、毛皮を被ることで身分を隠すという類話群があるのだが、[[浜本隆志]]はこれらの作品では冒頭で近親相姦の素材が扱われる場合が多いと指摘している{{Sfn|浜本|2017|p=116}}。例えば、[[ジャンバティスタ・バジーレ]]の『ペンタメローネ』に収録された「[[牝熊]]」では、父親の王に求婚された娘が熊に変身し森に逃げ込むが、王子のキスで変身が解けその王子と結婚するという話で{{Sfn|浜本|2017|pp=119 - 121}}、[[シャルル・ペロー]]の『ペロー童話集』の『ペンタメローネ』所収の話をフランスの宮廷向けに改変した「[[ロバの皮]]」では、父親の王に求婚された娘が、ロバの皮を被り国外に脱出し王子と結婚する話となっている{{Sfn|浜本|2017|pp=121 - 124}}。<br /> <br /> 浜本隆志は、『[[グリム童話]]』の初版の「[[白雪姫]]」で実母が娘を殺害しようとするという不自然な内容になっているのは、本当は「白雪姫」も「ロバの皮」の類話群と同じ父と娘の近親相姦を扱うはずの話だったからではないのかと指摘している{{Sfn|浜本|2017|pp=129 - 131}}。『グリム童話』の初版では、父親が実際に娘と結婚する「[[千匹皮]]」という作品もあったのだが、読者からの猛抗議で改変する事態になった{{Sfn|浜本|2017|p=124}}。『グリム童話』には父親が娘に性的関係を強要しようとして拒まれたため胸と腕を切り落とす「手なし娘」という話も収録される予定だったが、この話を問題視した[[ヴィルヘルム・グリム]]によって近親相姦的描写は全面カットになってしまった&lt;ref&gt;『童話ってホントは残酷 第2弾 グリム童話99の謎』(桜澤麻衣編著、二見書房、2018年発行&lt;!--発売年ではない--&gt;、1999年初版発行) 72、73頁 ISBN 978-4-576-17199-9&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ===漫画とオタク向け産業===<br /> [[中条省平]]は現在[[ボーイズラブ|BL]]と呼ばれるジャンルの一番の源流として、父と息子の近親相姦を扱った[[竹宮惠子]]の『[[風と木の詩]]』を挙げる{{Sfn|中条|2010|p=162}}。竹宮惠子自身は父と息子の近親相姦を描いたりした『風と木の詩』について、そもそも連載開始を実現するまでが大変だったので、連載開始後に何と悪口が立とうと動じなかったと回想している&lt;ref&gt;『少年の名はジルベール』(竹宮惠子、小学館、2016年) 221、222頁 ISBN 978-4-09-388435-8&lt;/ref&gt;。内田春菊の『物陰に足拍子』では、仲の悪い兄嫁に兄との近親相姦を疑われる女性が登場するが、この作品は後の『ファザーファッカー』などの自伝的小説に先行した作品であり個人的な題材を取り入れていると中条省平は指摘している{{Sfn|中条|2010|p=130}}。<br /> <br /> [[幾原邦彦]]はフィクションの世界で兄妹の関係にセクシュアリティが表現されることが多い理由は「血縁の関係は永遠だ」というイリュージョンがあるからだと分析し、そのことを「永遠の恋人の夢」と表現した&lt;ref&gt;『BROUCHURE#1』少女革命ウテナ Blu-ray BOX 上巻,2013年,28頁&lt;/ref&gt;。[[仙石寛子]]は「私にとって[[異性愛|NL]]は微笑ましい(見守る)もの、BLはむらむらする(ひーってうずくまる)もの、[[百合 (ジャンル)|GL]]はにこにこする(拍手で祝福)もの」と解釈し、「姉弟または双子はNL、BL、GLのすべてのときめきを満たしている気もする」と述べている&lt;ref&gt;{{Cite web|author=仙石寛子|date=2015-03-15|url=https://twitter.com/Saubohne1059165/status/577036862046363648|title=Twitter / Saubohne1059165|publisher=Twitter|accessdate=2015-03-16}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{Cite web|author=仙石寛子|date=2015-03-15|url=https://twitter.com/Saubohne1059165/status/577038024535490560|title=Twitter / Saubohne1059165|publisher=Twitter|accessdate=2015-03-16}}&lt;/ref&gt;。[[藤本由香里]]は、[[少女漫画]]における近親相姦というテーマの関心の高さについて、「自分の生まれる前まで遡って自分のルーツを肌で実感したい」という欲求に根差しているのではないかとした&lt;ref&gt;藤本由香里『私の居場所はどこにあるの? 少女マンガが映す心のかたち』,[[学陽書房]],1998年,319頁 ISBN 978-4-313-87011-6&lt;/ref&gt;。[[高橋裕子 (美術史)|高橋裕子]]は、少女漫画の近親相姦的兄妹愛は、他者に投影された自己への愛、他から孤立した同族間の愛として理解し得ると分析している&lt;ref&gt;『世紀末の赤毛連盟―象徴としての髪』、高橋裕子、[[岩波書店]]、1996年、220-221頁 ISBN 978-4-00-002995-7&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 本田透は、空想上の妹が[[萌え]]の対象となるという概念が流行したことがあり、漫画作品では[[吉田基已]]の『[[恋風]]』のように兄と妹が恋愛をすることについてより現実社会に近づけて描く作品も出現したが、結局この概念が衰退してしまったのはインセスト・タブーのある現実に影響を及ぼすような概念ではなかったからではないかと推測している{{Sfn|本田|2005|pp=142, 145 - 146}}。本田透は、義理の兄と妹の恋愛を扱った1980年代の[[あだち充]]の『[[みゆき (漫画)|みゆき]]』と異なり、1990年代発祥の『シスター・プリンセス』は兄と妹を扱っているといってもそもそも男女関係を扱った作品ではないし、『シスター・プリンセス』の小説版は妹視点で描かれていることから、自らの内面に潜む女性性すなわち[[アニマ]]への欲求が高まっているのではないかと論じ、この傾向は擬似姉妹の姿を描いた[[今野緒雪]]の『[[マリア様がみてる]]』ではより鮮明に表れていると主張している{{Sfn|本田|2005|pp=142 - 143, 150 - 152}}。<br /> <br /> 日垣隆によれば、萌えが話題になっていたころ、子供がいない今は軽い気持ちで扱っているが、将来父親になったときどうすればいいのかと危惧する声が業界関係者から上がっていたという{{Sfn|日垣|2006|p=93}}。山脇由貴子は、姉妹に実際に恋愛感情を抱いている人もいるが、この現象は兄弟姉妹間の恋愛を扱った漫画や映画が流行したことが背景にあると主張する{{Sfn|山脇|2016|p=223}}。[[槇村さとる]]は父親に性的虐待を受けた記憶に向かい合いながら作品を生み出していったことを『イマジン・ノート』に記している{{Sfn|宮地|2013|p=249}}。橘ジュンは『[[透明なゆりかご]]』の作者である[[沖田×華]]をタブーにひるまず凄い作品を描くと評価するが、沖田×華本人は設定は多少変えているんだけれども義理の父親による実際の性虐待を描くのは大変だったと述べている{{Sfn|橘|2016|pp=224 - 225}}。ちなみに沖田×華自身も酔っ払った父親に体を触られることはあったというが、酒のせいで父親はそのことを覚えていないと述べている{{Sfn|橘|2016|pp=232}}。<br /> <br /> [[畑健二郎]]は自らの作品である『[[ハヤテのごとく!]]』について、もともとは[[マリア (ハヤテのごとく!)|綾崎マリア]]とその異母弟の[[綾崎ハヤテ|ハヤテ]]の恋愛を描くつもりで始めたのだが、連載が続いたため姉弟という設定自体がなくなってしまった作品なのだと述べている&lt;ref&gt;『ハヤテのごとく! 52巻 限定版 スペシャルブック 大反省会・下』(畑健二郎、小学館、2017年) 36、37頁&lt;/ref&gt;。井中だちまは自らの作品である『[[通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?]]』について、この作品におけるメインヒロインである母親は一方的に愛を与える存在のため、母親なんか嫁にできないという一般的な読者にも受け入れやすくしたつもりなのだが、それでも[[ライトノベル]]におけるヒロインは愛される存在を目標とするという固定観念があるせいか、担当からはかなり先鋭的な作品との評価をもらったという&lt;ref&gt;『通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?』(井中だちま、KADOKAWA、2017年) 315頁 ISBN 978-4-04-072203-0&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 成人向け映像作品 ===<br /> {{seealso|近親相姦ポルノ}}<br /> [[熟女 (アダルトビデオ)|熟女]]を扱った[[アダルトビデオ]]においては、継母と継息子の性的関係を題材にしたものも少なからずあるが、[[酒井順子]]は『源氏物語』においては光源氏とその継母あるいはそれに相当する関係の女性である藤壺の性的関係が描かれることと比較して、人間の感性というものは千年が経過しても変わらないものだと論じている&lt;ref&gt;『紫式部の欲望(文庫版)』([[酒井順子]]、集英社、2014年、単行本は2011年発行) 70頁 ISBN 978-4-08-745178-8&lt;/ref&gt;。[[藤木TDC]]によれば、かつては実の母親と息子の性関係を描きたくても、[[日本ビデオ倫理協会]]の都合でそのような表現ができなかったため、致し方なく実母という設定を継母に変えていた場合があったという{{Sfn|藤木|2015|p=236}}。また、そもそもこういった母親を扱った作品が商業的に成功を収めたのは、日本では男性が中性的になってきているからという見方が正しいような気がすると藤木TDCは語っている{{Sfn|藤木|2015|p=253}}。[[森林原人]]は、かつて男優を始めて4年ぐらい経ったころに、好きな女性ができたことでインポテンツ気味になり男優を辞めたのだが、その際最近の若者はちゃんとした絡みができないので母親役に対する息子役がいなくなって監督達が困るので、嫌な現場には出なくてもいいから続けるべきと男優仲間に慰留され、交際相手からも必要とされている人がこれだけいるんだからということで引き止められ復帰したという{{Sfn|森林|2016|pp=81 - 83}}。[[湯山玲子]]は、自分と同世代の女性の息子たちがセックスにいい印象を持っていないのは、インターネットにアダルト映像が氾濫したためと、息子がまるで母親の恋人のようになってしまったための二つの要素が重なり合ったためではないかと論じた&lt;ref&gt;『男をこじらせる前に』(湯山玲子、KADOKAWA、2017年、単行本2015年発行) 157頁 ISBN 978-4-04-106130-5&lt;/ref&gt;<br /> <br /> 西澤哲は、アダルトビデオを視聴しているうちに父方の叔父に性的虐待をされたことを思い出したという女性の逸話を紹介する{{Sfn|西澤|1994|pp=32, 157}}。[[永沢光雄]]が行ったインタビューの中には、養父と養娘の性関係を題材にした[[内田春菊]]の小説『[[ファザーファッカー]]』について、読んでみて興味深かったものの自分と重ねあわせて嫌な気分にもなったと語る[[AV女優]]の話もある&lt;ref&gt;『AV女優(文庫版)』(永沢光雄、文藝春秋、1999年、原書は1996年発行の単行本) 278頁 ISBN 4-16-749302-0&lt;/ref&gt;。[[代々木忠]]の回想によれば、アダルトビデオの面接で親あるいは身近にいる大人に性的虐待や暴力を受けたという女性が増えたのは[[団塊ジュニア]]世代からだったという{{Sfn|代々木|2016|p=80}}。代々木忠は、退行催眠を性的なトラウマを持つ女性にかけた上で、安心できる環境下において父親役の男優と性行為をさせてみたりしたこともあったという{{Sfn|代々木|2016|pp=210, 224}}。代々木忠が催眠術で父親による性的虐待のトラウマを上書きするという話について、父親役を務めたという森林原人は正直演技なんじゃないかと疑ってしまうところもあるとしつつも、演技の学習をしていなのにあのような行動が可能かというと難しいんじゃないかと思ってしまうという{{Sfn|森林|2016|pp=207 - 209}}。<br /> <br /> アケミンの『うちの娘はAV女優です』(2017年)には、小学6年のときに父親に[[膣内射精]]をされたことがあるのだが、近親相姦を扱った作品に出るまでそのことを近親相姦だと思ったことはなかったという女性の話が載せられている{{Sfn|アケミン|2017|p=183}}。アケミンは、この父と娘の性的行為の話についてはウェブサイトで連載したときは虐待なのではないかと反応されたとしつつも、当事者がそのことを不幸だと思っていないということは重視されるべきだと主張している{{Sfn|アケミン|2017|p=193}}。<br /> <br /> === 美術 ===<br /> [[Image:Lot y sus hijas (Furini).jpg|thumb|[[フランチェスコ・フリーニ]] (1634) による作品である『ロトと娘たち』]]<br /> 近親相姦は16世紀頃に入ってから多く描かれるようになり&lt;ref&gt;『エロティック美術の読み方』、フラヴィオ・フェブラロ、[[創元社]]、2015年、157頁 ISBN 978-4-422-70093-9&lt;/ref&gt;、旧約聖書のロトと娘の近親相姦は[[アルブレヒト・アルトドルファー]]などによって盛んに描かれた。ロトとその娘達の話に関しては、[[ヘンドリック・ホルツィウス]]のようにその話を説明する内容の絵画もあれば、[[フランチェスコ・フリーニ]]のように父親に迫る場面そのものを描いた作品もある{{Sfn|望月|三浦|2015|pp=72 - 73}}。19世紀に描かれた[[ギュスターヴ・クールベ]]の作品は、ロトの目元と娘の目元がよく似ており、見る者に父と娘であることを教える構成となっている&lt;ref&gt;『名画で読む聖書の女たち』、[[秦剛平]]、[[青土社]]、2010年、75頁 ISBN 978-4-791-76564-5&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 望月麻美子と三浦たまみによる著書『名画が描く 罪深き旧約聖書』によれば、[[ハム (聖書)|ハム]]が実の父親である[[ノア (聖書)|ノア]]の裸を見たという話は、息子のハムがノアに対して性的暴行を行ったことを意味するという説があり、グイド・カニャッチの『泥酔するノア』(1645年)が妙にエロティックなのはこの解釈に基づいているからなのではないかと指摘されている{{Sfn|望月|三浦|2015|pp=56, 58 - 59}}。<br /> <br /> [[ファイル:William-Adolphe Bouguereau (1825-1905) - Biblis (1884).jpg|thumb|left|[[ビュブリス (ブグローの絵画)|ビュブリス]] (1884) [[ハイデラバード (インド)|ハイデラバード]]、サラール・ジャング博物館]]<br /> ギリシャ神話でも、双子の兄である[[カウノス]]に恋をして、叶わぬ想いに絶望して涙を流し続け、泉の妖精と化してしまった[[ビュブリス]]が[[ウィリアム・アドルフ・ブグロー]]によって描かれている&lt;ref&gt;『官能美術史』、[[池上英洋]]、[[筑摩書房]]、2014年、247頁 ISBN 978-4-480-09651-7&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[喜多川歌麿]]は兄妹・姉弟の近親相姦の絵画を複数描いており、『絵本笑上戸』の書入れには「兄さんが、妹のぼゞをするに、誰がなんというものだ」と書かれている。『會本都功密那倍』では姉弟の行為が描かれている他、『會本色能知功佐』では、兄が「さすがは、俺が妹ほどあつて、まらには巧者なものださ」と言っており、双方共にあまり罪の意識が感じ取れない{{Sfn|白倉|2015|p=293}}。いとこ同士は鴨の味だが、兄妹では家鴨の味であり、さらに格別であるという表現がいくつかの作品で共通して見られる。また、姉の情事を脇見しながら男根を握り締める弟の絵など、直接的な性行為を描かずとも血族間の性愛的な関係を描いた[[春画]]もある{{Sfn|白倉|2004|p=259}}。<br /> <br /> 喜多川歌麿以外では、[[勝川春章]]作画かといわれる『腹受想』でも姉弟の性行為が描かれる{{Sfn|白倉|2015|p=294}}他、[[渓斎英泉]]の『美多礼嘉見』では母親の乳首を弄りながら男根を勃起させている子供の絵が描かれている{{Sfn|白倉|2004|p=260}}。<br /> <br /> [[File:Egon Schiele - Mädchenakt mit verschränkten Armen - 1910.jpeg|thumb|100px|『腕を組む裸の少女』[[エゴン・シーレ|シーレ]]が実妹をモデルに描いた絵画]]<br /> 19世紀から20世紀にかけて活動した画家[[エゴン・シーレ]]は、妹のゲルトルーデを日頃から裸婦画のモデルとしてよく使い、裸でポーズをとってもらって『腕を組む裸の少女』(1910)、『右腕を挙げて座る裸の女』(1910)などの作品を描いた&lt;ref&gt;『エゴン・シーレ ドローイング水彩画作品集』、ジェーン・カリアー、[[新潮社]]、2003年、74頁 ISBN 978-4-105-42801-3&lt;/ref&gt;。これらの作品は近親相姦の空想であるともいわれる&lt;ref&gt;『美の20世紀 10 シーレ』、ジャネット・ツヴィンゲンベルガー、[[二玄社]]、2007年、18頁 ISBN 978-4-544-21010-1&lt;/ref&gt;。シーレとゲルトルーデは両親から見ても非常に親しい関係であり、性的に関係していると思われることもあった&lt;ref&gt;『永遠なる子供 エゴン・シーレ』、[[黒井千次]]、[[河出書房新社]]、1984年、84頁 ISBN 978-4-309-00375-7&lt;/ref&gt;。シーレの妹への愛情は後年になっても変わることはなく、シーレは後にゲルトルーデと結婚したアントン・ペシュカに対して嫉妬している&lt;ref&gt;『エゴン・シーレ』、ジャン=ルイ・ガイユマン、[[創元社]]、2010年、86頁 ISBN 978-4-422-21207-4&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==== ギャラリー ====<br /> &lt;gallery widths=&quot;200px&quot; heights=&quot;200&quot;&gt;<br /> File:Jan Brueghel the Elder-Lot and his daughters.jpg|[[ヤン・ブリューゲル (父)|ヤン・ブリューゲル]] 『ロトとその娘たち』[[アルテ・ピナコテーク]]所蔵<br /> File:Gustave Courbet - Lot and His Daughters - WGA5455.jpg|[[ギュスターヴ・クールベ]] 『ロトとその娘たち』個人蔵<br /> File:Federico Cervelli Lot and His Daughters.jpg|[[フェデリコ・セルベーリ]] 『ロトとその娘たち』<br /> File:Joachim Wtewael - Lot and his Daughters - WGA25909.jpg|[[ヨアヒム・ウテワール]] 『ロトとその娘たち』[[エルミタージュ美術館]]所蔵<br /> File:Guercino Loth e- le figlie.jpg|[[グエルチーノ]] 『ロトとその娘たち』[[ルーヴル美術館]]所蔵<br /> File:Suicide de Canacé BnF Français 875 fol. 58.jpg|[[ロビネ・テスタール]] 『[[カナケー]]の自殺』<br /> File:Ring21.jpg|[[アーサー・ラッカム]]「[[シグムンド]]とその妹であり妻である[[シグニュー]]」<br /> File:Hendrick Goltzius - Jupiter en Juno, 1575-1607.jpg|[[ヘンドリック・ホルツィウス]] 『ユーピテルとユーノー』[[アムステルダム国立美術館]]所蔵<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> <br /> === 音楽 ===<br /> 後世では歌謡というと芸術といわれるが、かつては性的な意味合いがあったことがあり、笛吹きといわれた[[プトレマイオス12世]]の娘である[[クレオパトラ7世|クレオパトラ]]が、「父を愛する者」を意味する「フィロパトル」と言われたのも、父親と近親相関関係にあったからなのかもしれないとフィリップ・ファンデンベルクは論じている&lt;ref&gt;『クレオパトラ 世界帝国を夢みた女』(フィリップ・ファンデンベルク著、坂本明美訳、アリアドネ企画発行、三修社発行、1997年、原書1986年、原訳1988年発行) 137、138頁 ISBN 4-384-02361-8&lt;/ref&gt;。[[ロックバンド]]である[[ドアーズ]]の『[[ジ・エンド (ドアーズの曲)|ジ・エンド]]』のように、オイディプスの話を楽曲化した作品もある{{Sfn|樋口|2016|p=88}}。<br /> <br /> [[ジュゼッペ・ヴェルディ]]作曲の『[[ドン・カルロ]]』では、息子の[[ドン・カルロス]](イタリア語ではドン・カルロ)が妻の[[エリザベート・ド・ヴァロワ|イサベル]]と性的関係を結んでいるのではと疑う[[フェリペ2世 (スペイン王)|フェリペ2世]]の姿が描かれる{{Sfn|加藤|2015|pp=158 - 159}}。カルロスがイサベルと恋人同士だったなどというのはサン=レアルの歴史小説『ドン・カルロス』の中の架空の話であり、本当はフェリペ2世とイサベルの中は悪くなかったのだが、カルロスとイサベルはもともと婚約者で宮廷でも仲が悪くなかったことからこのような話が生まれたのではないかと、[[加藤浩子]]は論じている{{Sfn|加藤|2015|p=163}}。<br /> <br /> 戦後の日本においては兄妹の性的な愛情について唄った唄が複数聴かれるようになり、[[山崎ハコ]]の『きょうだい心中』、小川節子の『紅花物語』はレコードになっている。[[久世光彦]]は昭和29年の春に[[高円寺]]の呑み屋で兄妹相姦の唄を聴いたという自らの体験を明かしている&lt;ref&gt;『花迷宮』、[[久世光彦]]、[[新潮社]]、1998年、194-195,208-209頁 ISBN 978-4-10-145622-5&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[ジャン・シベリウス]]は[[フィンランド]]の民族叙事詩『[[カレワラ]]』の一部を構成するクレルヴォ神話を題材にした楽曲『[[クレルヴォ交響曲]]』において、クレルヴォ神話で描かれる兄妹の近親相姦の場面をとらえた第三楽章&lt;クレルヴォとその妹&gt;を全体の中枢に置いて構成しているという指摘がある。この理由について、シベリウスは当時[[エミール・ゾラ]]をはじめとするリアリズムの芸術動向に影響を受けていたことから、ロマンティックに脚色、美化された英雄像を退けてその真実の姿に迫ろうとしたからこそ『[[クレルヴォ交響曲]]』の創作に際し近親相姦を主たる題材に選んだのだという。当時、クレルヴォ神話の兄妹性愛を描いた芸術作品には他にルイス・スパレの水彩画『そりの上のクレルヴォとその妹』がある&lt;ref&gt;『シベリウスの交響詩とその時代 神話と音楽をめぐる作曲家の冒険』、神部智、[[音楽之友社]]、2015年、34-38頁 ISBN 978-4-27-613055-5&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> {{seealso|血統の崩壊}}<br /> === 先史時代 ===<br /> [[2010年]]に[[ロシア]]の[[シベリア]]で出土した5万年前の[[ネアンデルタール人]]女性の骨から採取した[[DNA]]を解析した結果、両親は近親者同士であることが判明した。半血きょうだいまたはおじとめいなどの関係であると見られ、当時の人類は集団が小さいため近親での交配が一般的であったことが指摘された&lt;ref&gt;{{Cite web |url=http://www.nikkei.com/article/DGXNZO64295120Z11C13A2CR8000/|title=ロシアで出土のネアンデルタール人、両親は近縁か |work=日本経済新聞 |date=2013-12-19|accessdate=2013-12-28}}&lt;/ref&gt;。ネアンデルタール人はアフリカにいた人類と混血し、ヨーロッパ人や東アジア人などの先祖になったとされるが、彼らのネアンデルタール人由来と見られるDNAは弱い負の自然淘汰を受け続けているとされる。アダム・ラザフォードは、ネアンデルタール人の繁殖集団が小規模だったのが、自然淘汰上今でも不利に働いているのではないかと指摘している{{Sfn|ラザフォード|2017|p=71}}。<br /> <br /> [[ルイス・ヘンリー・モルガン]]は、[[アメリカ州の先住民族|北米先住民]]の[[イロコイ族|イロコイ]]族や[[オジブワ]]族が、[[父親|父]]と父の兄弟、[[母親|母]]と母の姉妹、兄弟姉妹の子供は全て自分の子供と同じ親族名称で呼んでいることから、本人が兄弟たちの妻や自分の姉妹たちとの間に子をつくっても自分の子供と区別がつかない、として、原始乱婚制、つまり兄妹姉弟間に近親相姦があった、という仮説を立てたが、批判も浴びた。<br /> <br /> === 古代 - 1000年 ===<br /> [[カムチャツカ半島|カムチャッカ人]]王室、また[[タイ王国|シャム]]・[[ポリネシア]]・[[インドシナ半島|インドシナ]]では一般的に兄妹姉弟間の結婚が認められていた{{Sfn|ランク|2006|pp=631 - 632}}。バギルミー、ビルマの王家、ワンゴロ人やゴアムにおいても兄妹婚は珍しくなかった。[[インドネシア]]のバドウィス族は数百年来近親相姦のみによって存続している{{Sfn|ランク|2006|p=637}}。<br /> <br /> 王家の兄妹婚は、[[タイ王国|タイ]]、[[エラム王国]]、[[セイロン島]]のシンハレーズ族、[[フェニキア]]人、[[カリア]]人、ヨーロッパのジョルジァ、[[イベリア人]]、アフリカの[[カナリア諸島]]のガウンチ族、ウルア族、[[オロモ人]]、バガンダ王国、バニョロ王国、バヒマ王国、[[メロエ|メロエ王国]]、モノモタバ王国、オセアニアの[[マルキーズ諸島|マルケサス]]、[[コロンビア]]でも行われていた&lt;ref&gt;『婚姻と女性』([[大林太良]]、総合女性史研究会、[[吉川弘文館]]、1998年) 25,27頁 ISBN 978-4-642-01354-3&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[小アジア]]にあった[[ポントス王国]]の[[国王]][[ミトリダテス6世]]エウパトルは妹のラオディケを妻とした。<br /> <br /> [[アルメニア王国]]ではアルタクシアス朝のティグラネス四世は妹のエラトーと結婚した。近親婚は[[アルメニア]]人の間で根強く広まっていたようで、[[単性説|単性論]]派キリスト教が普及した後も変わらなかった{{Sfn|青木|2008|p=92}}。<br /> <br /> [[エフタル]]の祭司階級がエフタル滅亡後にインド西北部に土着した集団といわれる「ガンダーラ・ブラーフマナ」は兄弟姉妹間で性交する習慣があったという{{Sfn|青木|2008|p=82}}。<br /> [[タタール|タタール人]]は自分の娘と結婚ができ、[[アッシリア人]]は[[セミラミス]]に対する宗教的尊敬から自分の母親と結婚した&lt;ref&gt;『[[法の精神|法の精神 下]]』([[シャルル・ド・モンテスキュー|Charles de Secondat Montesquieu]]、1989年) 100,102頁 ISBN 978-4-00-340053-1&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> カンボジア地域の上層階級において父と娘、兄と妹が結婚する慣行があることが指摘されており、ギリシアの作家達は一般的にほとんど全ての外国民族にこの慣行があったと述べている{{Sfn|老川|2001|p=924}}。アテネで、[[テミストクレス]]の娘の一人はその同血の兄と結婚している{{Sfn|老川|2001|p=922}}。<br /> <br /> 父親を同じくする兄妹・姉弟間の結婚は、アラビア人、[[イスラム教]]を奉ずる南方[[スラブ人]]の間に見出される{{Sfn|老川|2001|p=922}}。<br /> <br /> [[カール大帝]]は妹と近親相姦の関係にあり、勇将[[ローラン (シャルルマーニュ伝説)|ローラン]]はカール大帝と妹の近親相姦で生まれたという伝説が中世において流布した。カール大帝にはギスラという妹がおり、カール大帝は妹を母と同様に深い愛情を込めて尊敬した。また、カール大帝には6人の娘がいたが、彼は娘を寵愛し、娘を一人も自国民にも多民族にも嫁にやろうとはせず、自分が死ぬまで家に留めて一緒に暮らした&lt;ref&gt;『カルロス大帝伝』([[アインハルト|エインハルドゥス]]、[[筑摩書房]]、1988年) 29-31頁 ISBN 978-4-480-83591-8&lt;/ref&gt;。近親相姦は[[フランク人|フランク族]]の間に広く行きわたっていた習慣だった&lt;ref&gt;『ヨーロッパ中世人の世界』([[新倉俊一 (フランス文学者)|新倉俊一]]、[[筑摩書房]]、1983年) 108-111頁 ISBN 978-4-480-83567-3&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[アケメネス朝|アケメネス朝ペルシア]]の王[[カンビュセス2世]]、両親を同じくする妹である下の妹ロクサーナと上の妹アトッサと結婚した。最近親婚(フヴァエトヴァダタ)を善行とするゾロアスター教において、この結婚は現在確認できる最初の王家による最近親婚であった&lt;ref&gt;『ゾロアスター教 三五〇〇年の歴史』(Mary Boyce、2010年)117頁 ISBN 978-4-06-291980-7&lt;/ref&gt;。[[サーサーン朝|ササン朝]]のカワード1世は娘と一緒になった&lt;ref&gt;『比較文明 第14号 ゾロアスター教の家族観』(岡田明憲、比較文明学会、1998年)22頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[シュメール|スメリヤ]]王家では兄妹・姉弟間の結婚が行われていた&lt;ref name=&quot;id71003829p220&quot;&gt;『家族と結婚 その比較文化的解明』(William N. Stephens、山根常男 野々山久也訳、[[誠信書房]]、1971年){{全国書誌番号|71003829}} 220頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> アラビア湾岸地帯では母親と交わる慣習が存在した&lt;ref&gt;『ギリシア・ローマ世界地誌』([[ストラボン]]、1994年) II巻537頁 ISBN 978-4-8447-8377-0&lt;/ref&gt;。[[マーシャル諸島]]や古代アイルランドでは兄弟姉妹間の結婚、[[ソロモン諸島]]では父娘間の結婚が認められている{{Sfn|山内|1996|pp=55 - 56}}。<br /> <br /> ====エジプト====<br /> [[ファイル:EgyptianPtolemies2.jpg|320px|thumb|[[プトレマイオス朝]]エジプト王家の系図]]<br /> [[ファイル:Cleopatra Bertin Louvre RF3717.jpg|thumb|女王クレオパトラ]]<br /> [[古代エジプト]]では、皇位継承権は第一皇女にあったが、実質的な君主([[ファラオ]])は第一皇女の夫であり、古代エジプトの王家で見られた兄妹・姉弟間の[[結婚|婚姻]]は、本来女系皇族が継承する皇位を、男系皇族が実質的に継承する機能を果たしていたという説がある。例えば、[[クフ]]の息子である[[ジェドエフラー]]は、兄のカワブの死後、その妻でクフの娘のヘテプヘレス2世と結婚し君主になったとされる{{Sfn|芝崎|2004|pp=150}}。<br /> <br /> ただし、大城道則によれば2013年時点では王の娘に王位継承権があるとか言うのはもはや過去の説だとのことである{{Sfn|大城|2013|p=105}}。[[ヘロドトス]]は著書『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]]』において、信憑性はないとしつつも[[メンカウラー]]の娘が父親との性的関係を苦にして自殺したという話を載せる&lt;ref&gt;『歴史(上)』(ヘロドトス、松平千秋訳、岩波書店、1971年) 244、245頁(初版本の頁数) ISBN 4-00-334051-5&lt;/ref&gt;。また、[[ラムセス2世]]のように妻である[[ネフェルタリ]]が死んでしまったため、彼女との間にできた娘であるメリトアメンを妻として寵愛した例もある{{Sfn|芝崎|2004|p=230}}。古代エジプト最後のファラオであるクレオパトラも、弟の[[プトレマイオス13世]]と結婚して殺した後、さらにその下の弟の[[プトレマイオス14世]]と結婚している。<br /> <br /> エジプトにおいては上の階級だけではなく、下の階級もこれに倣ったので、あらゆる階級の人々の間で近親婚が行われていた&lt;ref&gt;『性と懲罰の歴史』(Eric Berkowitz、2013年) 29頁 ISBN 978-4-562-04913-4&lt;/ref&gt;。全体の内訳としては、ローマ期エジプトの時点で121組の夫婦の内、20組が全血の兄妹婚、4組が半血の兄妹婚、2組がいとこ婚、95組が非血縁者婚だった。ローマ期エジプトには、8人の子が生存している多産な兄妹夫婦もいたことが判明している{{Sfn|川田|2001|pp=34, 39}}。また、[[山内昶]] (1996) は2世紀のエジプトの話として記録された婚姻の20%(113例中23例)がキョウダイ婚とされる事実を引用する{{Sfn|山内|1996|p=56}}。<br /> <br /> ====イスラエル・ユダヤ====<br /> [[ダビデ]]王の王子[[アブサロム]]の妹タマルを異母兄アムノンが犯してしまう([[旧約聖書]][[サムエル記]]下13章)。ヘブライでは、異母兄妹同士の結婚は許されており、ネルデケは妹のことを花嫁と呼ぶ恋愛詩を紹介している{{Sfn|ランク|2006|p=636}}。<br /> <br /> 古代[[ユダヤ]]の王族[[アグリッパ2世]]と[[ベレニケ (アグリッパ1世の娘)|ベレニケ]]の兄妹はほとんどの時間を宮殿の中で一緒に過ごした。血を分けた兄妹が常に一緒であることから、近親相姦の関係にあったとされている&lt;ref&gt;『ユダヤ小百科』(ユーリウス・H・シェプス編、唐沢徹訳、[[水声社]]、2012年) 950頁 ISBN 978-4-89176-922-2&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;『ユダヤ人名事典』(ジョアン・コメイ著、ラヴィナ・コーン・シェルボク改訂、[[滝川義人]]訳、[[東京堂出版]]、2010年) 272頁 ISBN 978-4-490-10791-3&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> また、[[イエス・キリスト]]を裏切った[[イスカリオテのユダ|ユダ]]には、[[オイディプス]]そっくりの伝説が存在していたことを[[オットー・ランク]]は指摘する。無論事実ではないが、母と寝たために父殺しの運命を背負ったという考えから生まれた風説である。<br /> <br /> ====ローマ帝国====<br /> [[古代ローマ帝国]]の皇帝[[カリグラ]]は、自身の妹である[[ドルシッラ]]、[[小アグリッピナ]]、[[ユリア・リウィッラ]]全員と性的関係を持っていたという。中でもカリグラは二番目の妹で、自身が処女を奪ったドルシッラを熱烈に愛し、彼が病気の時にはドルシッラを財産と統治権の相続人に指名した。ドルシッラが亡くなると、カリグラは国喪を布告し、以後宣誓する時は常にドルシッラに誓って宣誓するようになった&lt;ref&gt;『ローマ皇帝伝 下巻』([[ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス|スエトニウス]]、1986年) 36-37頁 ISBN 978-4-00-334402-6&lt;/ref&gt;。カリグラの妹達の一人とされる[[小アグリッピナ]]は叔父である[[クラウディウス]]と後に結婚しており、息子[[ネロ]]との関係もかなりの噂となった。ネロに関しては、アグリッピナの代わりにとアグリッピナに似た売春婦を愛人としたという話もある{{Sfn|島崎|2016|p=15}}。<br /> <br /> ====中国====<br /> 中国では、春秋時代の斉の[[襄公 (斉)|襄公]]とその異母妹[[文姜]]の事例がある&lt;ref name=&quot;takasaki&quot;&gt;{{cite journal|和書|url=http://www1.tcue.ac.jp/home1/k-gakkai/ronsyuu/ronsyuukeisai/44_2/jyo.pdf|format=PDF|title=『詩経』における通い婚について--比較文学と民俗学の視点から|author=徐 送迎|journal=高崎経済大学論集|volume=44|issue=2|pages=97-113|year=2001|publisher=高崎経済大学経済学会|issn=04967534|naid=40002302765|accessdate=2011-08-21}}&lt;/ref&gt;。徐送迎 (2001) は、兄妹の性関係について[[父権制]]社会においては夫を持ちながら兄と通じることになりかねないため嫌われたものの、[[母系制]]社会においては特に嫌う理由がなく残存していたのではと考え、[[春秋時代]]の[[斉 (春秋)|斉]]で長女が嫁に行かず家を守るという風習は母系制社会の影響があるのではないかと指摘し、君主の襄公が異母妹である文姜と通じたという話は、単に古代中国が[[東夷]]と呼んでいた民族において兄妹での性関係が垣間見られたため地元に土着した君主がその風習に合わせただけだろうと指摘している&lt;ref name=&quot;takasaki&quot; /&gt;。<br /> <br /> [[宋 (南朝)|宋]]の[[孝武帝 (南朝宋)|孝武帝]]は母親の[[路恵男]]と近親相姦関係にあったという噂がある。東道定雄は、孝武帝の母親との近親相姦疑惑の真偽は分からないとしながらも、噂の出所は孝武帝の母親が孝武帝と顕陽殿で一緒にいることに嫉妬した后妃だろうと推測している&lt;ref&gt;『宋書物語』(東道定雄、日本図書刊行会発行、近代文芸社発売、1997年) 103頁 ISBN 4-89039-255-6&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 『[[資治通鑑]]』には、賀蘭敏之が祖母の楊氏と近親相姦関係にあったという話があるが、まず事実だとは考えられてはいない&lt;ref&gt;『追跡・則天武后』(今泉恂之介、新潮社、1997年) 81頁 ISBN 4-10-600517-4&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ====朝鮮半島====<br /> [[ファイル:Silla-royal-family-tree.svg|thumb|325px|right|新羅王家の系図]]<br /> 朝鮮半島にあった新羅においても、王族同士の婚姻で生まれた子供は聖骨(ソンゴル)として尊ばれたこともあり、親族結婚によって生まれた子供が王位に就くことはざらにあった。傍系三親等血族同士で生まれた子供が王になった例としては、[[葛文王]]立宗と姪である只召夫人の間に生まれた第24代国王[[真興王]]や、銅輪(真興王の息子)とオバである万呼夫人の間に生まれた第26代国王[[真平王]]が挙げられる。<br /> <br /> 『[[高麗史節要]]』によれば、[[高麗]]では同姓の相手と結婚するのに母方の姓を名乗らせ形式的に異なる姓であるかのように装うことが行われていたという{{Sfn|麻生川|2017|pp=32 - 33}}。<br /> <br /> ====日本====<br /> 日本国初代天皇[[神武天皇]]の即位前の時代は神代とされるため神話扱いされているが、[[ウガヤフキアエズ]]とその母の妹(つまり叔母)である[[タマヨリビメ (日向神話)|タマヨリビメ]]との間に神武天皇は生まれたとされている。[[欠史八代]]の実在性には疑問が投げかけられているものの、[[孝安天皇]]は姪である[[押媛]]との間に[[孝霊天皇]]をもうけている。記録上は皇族の義理の母子結婚も存在しており、孝霊天皇の息子[[孝元天皇]]の妻[[伊香色謎命]]は、孝元天皇の息子である[[開化天皇]]に嫁ぎ[[崇神天皇]]を産んでいる。大塚ひかりは、孝元天皇の妻と結婚したということは、開化天皇は孝元天皇の後継者とほとんど目されていなかったか、あるいは本当は親子でなかったかであると推測されるとしている{{Sfn|大塚|2017|p=212}}。伝説性が強い人物ではあるが、[[ヤマトタケル]]はオバである両道入姫命との間に[[仲哀天皇]]をもうけている。[[仁徳天皇]]は異母妹である[[八田皇女]]と宇遅之若郎女を妻としている。<br /> <br /> また、『古事記』には[[景行天皇]]が玄孫である迦具漏比売命(ヤマトタケルの曾孫)を妻とし、子供であり来孫でもある存在の[[彦人大兄命|大江王]]をもうけたという内容があり、記録上の年代を無視して子孫が20歳で結婚し子供をもうけ続けたと仮定した場合、100歳まで生きることができれば理論上は可能なのだが、現実的にこのような関係が成立するとは考えにくく、これについて『古事記伝』は伝記の混乱によるものだとしている&lt;ref&gt;{{cite journal|和書|url=https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/10103/1/kyouyoronshu_259_1.pdf|format=PDF|title=景行天皇記に於ける倭建命|author=大久間 喜一郎|journal=明治大学教養論集|volume=259|pages=1-12|date=1993年3月1日|naid=120002908763|issn=03896005|publisher=[[明治大学]]|accessdate=2011-08-08}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> なお、古代日本では同母兄妹(または姉弟)の間の性関係はタブーであったとされる。有名なものでは[[木梨軽皇子]]と[[軽大娘皇女]]が挙げられる(詳しくは「[[衣通姫伝説]]」の項を参照)。しかし、異母の場合およびおじ=姪・おば=甥の関係はかなり普通にあり、むしろ理想の結婚と考えられていたようである。<br /> <br /> また、[[記紀]]には、木梨軽皇子、長田大娘皇女、[[境黒彦皇子]]、[[安康天皇]]、軽大娘皇女、[[八釣白彦皇子]]、[[雄略天皇]]、橘大娘皇女、酒見娘皇女が同父母兄弟姉妹であるという記載があるのだが、『古事記』によれば、安康天皇が臣下の嘘の証言を信じ、[[大草香皇子]]を殺しその妻であった長田大娘皇女を妻としたとされているため、これは姉弟姦なのではという意見もある。ただし『[[日本書紀]]』の雄略紀では[[安康天皇]]の妻は[[履中天皇]]の皇女である中磯皇女とし、亦の名は長田大娘皇女と註を付けるという言い方をしている。この場合はいとこ婚となる。一方で『日本書紀』では木梨軽皇子と軽大娘皇女のロマンティックな絡みは見られず、人間的に木梨軽皇子寄りの記述が『古事記』ほどうかがえないのも特徴的である。この部分は記紀の記述が異なっている有名な事例の一つである。このため、[[山上伊豆母]]は記紀に書かれた記述はあくまでも記紀編纂者の観念の反映であり、それよりも200年も前の木梨軽皇子の時代にも同じ倫理観(同母兄妹(または姉弟)の間の性関係に対する禁忌)が存在していたとする確証はないとしている。なお、安康天皇は後に長田大娘皇女の連れ子である[[眉輪王]]に暗殺され、弟の雄略天皇が即位する。雄略天皇はオバである[[草香幡梭姫皇女]]を妻とするが彼らの間に子供は産まれなかった。<br /> <br /> 記紀に記述されている兄の[[狭穂彦王]]に「お前は夫と兄のどちらが愛しいか」と尋ねられ「兄が愛しい」と答えた[[狭穂姫命]]の説話は、兄との血の結び付きの方が夫婦の契りよりも強かったということを表した話であるが、兄の中大兄皇子([[天智天皇]])の跡を追って夫である[[孝徳天皇]]を残して[[難波京]]を去った[[間人皇女]]や、[[斎宮]]である姉を訪ねた[[大津皇子]]のような例もあり、古代においては夫婦の契りを超える兄妹姉弟の関係、血の絆があった。夫婦以上に強い兄妹の関係は考古学の研究からも明らかにされており&lt;ref&gt;堂野前彰子『日本神話の男と女 「性」という視点 』,三弥井書店,2014年,181-182頁 ISBN 978-4-8382-3265-9&lt;/ref&gt;、[[弥生時代]]終末期から5世紀代までの古墳時代前半期の被葬者は同世代の血縁者だけで構成されるのが基本で、血縁関係にない配偶者は6世紀まで同じ墓に葬られなかった。生前では同世代の男女であったと考えられる場合でも歯冠計測値等による分析を行うと、被葬者間は兄妹や姉弟等血縁関係にあるという結果が得られる。これらの被葬者は兄、妹いずれの配偶者も共に葬られておらず、骨盤の寛骨前耳状溝から経産婦と推定される女性もきょうだいと共に葬られている。このことは統治・経営が男女のきょうだいで共同して行われた可能性を示しており、[[卑弥呼]]と弟で共同統治を行ったという[[魏志倭人伝]]の記述との一致が指摘されている&lt;ref&gt;田中良之「古代の家族」『女の領域・男の領域 いくつもの日本6』,岩波書店,2003年,123-124,126-127,130,139頁 ISBN 978-4-00-026826-4&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> また、狭穂彦王と狭穂姫命による叛乱の説話における「もしこの御子を、天皇の御子と思ほしめさば、治めたまふべし」という記述から、狭穂姫命が「この子は天皇の子である」と言わずに「この子が天皇の子と思うなら」という回りくどい言い方をしたのは不自然だとして、狭穂姫命の子である[[誉津別命]]は夫の[[垂仁天皇]]との子ではなく、実兄の狭穂毘古との子であるという説がある{{Sfn|桐村|2014|p=26}}。<br /> <br /> この頃は一般的な[[日本人]]にも近親婚がみられたことが、『日本書紀』の第15巻の[[仁賢天皇]]6年の、国策で夫が[[高句麗]]に送られることを嘆く難波(現在の[[大阪]])での女性の逸話に見られる。その記録によれば、その女性の母と母方の祖父は既に死去してはいるのだが、彼女の夫は彼女の父と彼女の母方の祖母との間に生まれた息子であるため、彼女にとって夫は母方の叔父でありかつ異母兄弟なのだということを伝えている。<br /> <br /> さらに、『[[古事記]]』によると[[用明天皇]]の皇子である[[田目皇子|田目(多米)皇子]]の母親は「オオキタシヒメ(意富芸多志比売)」となっており、名前を素直に解釈すると用明天皇の母親の「キタシヒメ([[蘇我堅塩媛|堅塩媛]])」の姉ということになり、皇子は伯母と甥の結婚で生まれた子供ということことになる。ただ、[[池澤夏樹]]は「意富芸多志比売」なる名前について、このような続柄の人物同士が結婚するとは考えられないとして、誤伝の可能性を指摘している&lt;ref&gt;『日本文学全集01 古事記』(伝・[[太安万侶]]編、池澤夏樹訳・脚注、河出書房新社、2014年) 370頁脚注 ISBN 978-4-309-72871-1&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[ファイル:Emperor family tree26-37.png|thumb|left|240px|聖徳太子時代の日本の天皇家の系図]]<br /> [[ファイル:Umayado Miko.jpg|thumb|left|160px|聖徳太子([[菊池容斎]]・画、明治時代)]]<br /> [[聖徳太子]]は[[欽明天皇]]の息子である用明天皇と娘である[[穴穂部間人皇女]]の間から生まれたと「記紀」共に認めているのだが、聖人として認められている。また、『日本書紀』によると用明天皇の母[[蘇我堅塩媛|堅塩媛]]は、穴穂部間人皇女の母[[小姉君]]の同母姉にあたり、[[蘇我稲目]]の娘であると記す。つまり兄妹であり従兄妹であったということになる。しかしながら、一方で『古事記』は、小姉君を堅塩媛のオバと記している。これについて『[[捜聖記]]』においては、堅塩媛が「媛」なのに対し、小姉君が「君」であることから、小姉君は稲目の養女なのではないかと推測しているが、これは推測の域を出ない。なお、聖徳太子の母である穴穂部間人皇女は用明天皇の没後、その皇子である[[田目皇子]]と結婚している(『[[上宮記]]』による)。これは今で言うところの義理の母子結婚に当たるし、田目皇子は異母兄の子であるため叔母と甥の結婚でもある。[[豊田有恒]]は、田目皇子と穴穂部間人皇女の関係は近親相姦ではないとしつつも、聖徳太子からしてみれば耐えられたものではないだろうと論じている&lt;ref&gt;『古代英雄七人の謎』(豊田有恒、東京書籍、1999年) 80~82頁 ISBN 4-487-79376-9&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 欽明天皇は姪の[[石姫皇女]]との間に[[敏達天皇]]をもうけ、敏達天皇は異母妹である[[推古天皇]]との間に[[竹田皇子]]をもうけるも、竹田皇子は皇位に就くことなく亡くなってしまう。聖徳太子と推古天皇の死後は、[[舒明天皇]]が即位するが、舒明天皇の両親である[[押坂彦人大兄皇子]]と[[糠手姫皇女]]は敏達天皇の腹違いの息子と娘で異母兄妹とされている。舒明天皇は姪である寶女王(後の[[皇極天皇]])を妻とし中大兄皇子(後の[[天智天皇]])、[[間人皇女]]、大海人皇子(後の[[天武天皇]])をもうけたとされる。<br /> <br /> [[大化の改新]]が起こり、[[孝徳天皇]]は姪の[[間人皇女]]を妻とするが、『[[万葉集]]』に孝徳天皇が間人皇女に宛てたとする歌の中に、間人と同母兄である中大兄皇子との[[不倫]]を示唆しているとも解釈できる歌が収録されている。直接的な証拠はないが、このことで批判されたため中大兄皇子は天皇位になかなか就けなかったのではないかとも言われている。[[入江曜子]]は、そもそも間人皇女が皇極天皇によって孝徳天皇と結婚させられたのも、中大兄皇子との恋愛問題が原因だったのではないかと推測する{{Sfn|入江|2016|p=164}}。<br /> <br /> 同時期、大海人皇子は鸕野讃良皇女(後の[[持統天皇]])及び3人の天智天皇の娘、すなわち姪を妻にしているほか、阿閇皇女(後の[[元明天皇]])は甥の[[草壁皇子]]の妻となっている。他にも異母近親婚、おじ・おばとの近親婚の例は多い。<br /> <br /> また、葛城王(後の[[橘諸兄]])の妻[[藤原多比能]]は異父妹とされ、事実ならば同母の兄弟姉妹でも場合によってはタブー視されていなかった可能性もある。<br /> <br /> 信憑性に問題はあるものの『[[水鏡]]』には[[井上内親王]]が[[藤原百川]]の推薦で、[[光仁天皇]]の息子、すなわち自分の義理の息子である山部親王時代の桓武天皇と性的関係を結んだという話が乗せられている{{Sfn|遠山|2016|pp=25, 214}}。この件があったため、光仁天皇は山部親王を皇太子にすべきだという藤原百川の提案を受け入れるのを渋ったのだと『水鏡』はしている{{Sfn|遠山|2016|p=223}}。<br /> <br /> [[平安時代]]初期にも異母近親婚は行われる。桓武天皇は異母妹[[酒人内親王]]を[[妃]]にした。ただ、これは当時緊張感が漂っていた朝廷を鎮めるための政略結婚だったと言われる。桓武天皇は父光仁天皇の妾[[高野新笠]](『[[続日本紀]]』によると[[朝鮮半島]]の亡国[[百済]]の王族の子孫)の息子であるのに対し、酒人内親王の母[[井上内親王]]は[[聖武天皇]]の子であるため、妹とあえて結婚することで天皇としての正当性を高めようとした、という説である。彼らの間には[[朝原内親王]]が生まれたが、彼女も異母兄平城天皇の妃となった。<br /> <br /> また、桓武天皇の息子である[[嵯峨天皇]]も異母妹である高津内親王を妻にはしたのだが、皇后には[[橘嘉智子]]が選ばれ後の[[仁明天皇]]を産むことになる。橘嘉智子は橘諸兄と藤原多比能の夫婦の息子である[[橘奈良麻呂]]の孫娘に当たる存在である。また、同じく桓武天皇の息子である[[淳和天皇]]も異母妹である高志内親王を妻としているが、彼らの息子である[[恒世親王]]は父親の存命中に亡くなってしまった。<br /> <br /> === 11世紀 - 19世紀 ===<br /> [[金 (王朝)|金]]の首都を中都(のちの[[北京]])に移した[[海陵王]]は、兄嫁だった[[蒲察阿里虎|阿里虎]]と性的関係を持った後、その娘で自身にとっては姪である[[完顔重節|重節]]とも性的関係を持ち、この件が一因となって一般の人民感情とは関係なく「獣性狂」などという不名誉な呼称で語られる羽目になった&lt;ref&gt;『中国五千年 性の文化史』(邱海濤著、納村公子訳、集英社、2000年) 162、163頁 ISBN 4-08-781159-X&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 『高麗史節要』によれば、[[忠恵王]]は庶母で寿妃の権氏と通じ{{Sfn|麻生川|2017|p=58}}、父の妻で元から来た[[慶華公主]]を無理矢理に犯したとされる{{Sfn|麻生川|2017|p=59}}。<br /> <br /> [[インカ帝国]]においては、インカ王家の始祖である[[マンコ・カパック]]の婚姻形式を模倣し、皇族の純血性を守ろうとする考えから近親婚が行われ続けた。マンコ・カパックは、財産相続を巡る争いを防止し、神の子孫である一族の血の純潔を保つため王位継承者は常に一番年長の姉妹と結婚するようにとの命令を下した{{Sfn|ランク|2006|p=636}}。だが、14代に亘り兄弟姉妹婚が繰り返されたにもかかわらず、健康上問題は起こらなかった。<br /> <br /> [[ハワイ]]では王家にのみ許される特権として近親婚が容認されるだけではなく、奨励されており、[[カメハメハ3世]]は実の妹ナヒエナエナ王妃と通じていた<br /> &lt;ref&gt;{{cite journal|和書|url=http://nationalgeographic.jp/nng/magazine/1009/feature01/mud.shtml|title=特集:ツタンカーメンの両親は誰?|journal=ナショナルジオグラフィック|date=2010年|accessdate=2013-08-22}}&lt;/ref&gt;。古代ハワイの最も位が高い族長が姉か妹と結婚して産まれた息子は高貴な存在と見なされ、その前では誰もがひれ伏さなければならなかった。族長が腹違いの姉か妹と結婚して産まれた息子の場合は威光はさほどでもなく、その前では座るだけでよかった{{Sfn|ジャドソン|2004|pp=231 - 232}}。ハワイにおける兄妹・姉弟間の婚姻はピオ婚と呼ばれている&lt;ref&gt;[[桜井好朗]](編)『神と仏―仏教受容と神仏習合の世界』[[上野千鶴子]](著)「&lt;外部&gt;の分節 記紀の神話論理学」([[春秋社]] 2000年9月)269頁 ISBN 978-4-393-29148-1&lt;/ref&gt;。[[ニューギニア]]のキワイ族は父娘間の結婚が認められ、[[マレー諸島|マレー群島]]やミナハッサ地方では親子、兄妹・姉弟の結婚が行われた{{Sfn|穂積|2007|pp=199 - 200}}。<br /> <br /> [[西アフリカ]]の[[ダホメ王国|ダホメ]]の王家では兄妹・姉弟間での結婚、[[ムブティ族]]では母と息子間での結婚が行われていた&lt;ref name=&quot;id71003829p220&quot; /&gt;&lt;ref&gt;『ヒトはなぜペットを食べないか』([[山内昶]]、[[文藝春秋]]、2005年)127頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[アザンデ族]]では貴紳家族などで近親相姦が歓迎される傾向が存在し、ドブ族では父親が死んだ場合は母親と息子の間での近親相姦がそれほど珍しいものではなかった。[[トンガ]]では力量を持ったハンターが大きな狩猟の準備の際に自分の娘と性交渉を持つことがあった{{Sfn|平野|1994|p=53}}。[[マダガスカル]]では主長や王は、姉妹と結婚することができる{{Sfn|ジャスティス|1980|p=37}}。マダガスカルのアンタムバホアカ族は、兄妹・姉弟の結婚は幸福の基であると信じる{{Sfn|穂積|2007|pp=205 - 206}}。<br /> <br /> ====日本====<br /> 平安時代に[[藤原氏]]のように天皇家と近づこうとした貴族が現れたことで、天皇家と藤原氏の二氏族の近親相姦のような状況が作り出されていた。[[藤原道長]]の時代に藤原氏による[[摂関政治]]は頂点に達し、[[後一条天皇]]は叔母の[[藤原威子]]を、[[後朱雀天皇]]は叔母の[[藤原嬉子]]を妻としている。このため、父系を共有する父母から生まれた皇子が天皇位に就くことは非常に困難となっていた。<br /> <br /> だが、藤原嬉子は親仁親王(後の[[後冷泉天皇]])を産んだ直後に亡くなり、後朱雀天皇の母方のいとこであると同時に父方のはとこ・亡妻の姪でもある[[禎子内親王]]が妻として迎えられた。後冷泉天皇は、父方及び母方の従妹の[[章子内親王]]、母方の従姉の[[藤原歓子]]、母方の従妹の[[藤原寛子 (藤原頼通女)|藤原寛子]]を妻としたが、結局は没した際に直系の跡継ぎが存在しなかったため、後朱雀天皇と禎子内親王との間に生まれた[[後三条天皇]]が即位し、藤原氏の影響力は弱まった。<br /> <br /> [[鳥羽天皇|鳥羽上皇]]の愛人とされる[[藤原家成]]の甥の[[藤原忠雅]]は[[藤原頼長]]と[[男色]]の関係にあったとされるが、橋本治は藤原家成と藤原忠雅も性的関係を結んでいたのではないかと推測する{{Sfn|橋本|2015|pp=217 - 218, 220}}。[[安徳天皇]]は表向きは[[高倉天皇]]と従姉の平徳子との子供とされる。一方で、[[平宗盛]]は妹の[[平徳子]]と性的関係にあり、[[安徳天皇]]は宗盛と徳子の間に出来た子だという話もある&lt;ref&gt;[[田村栄太郎]]『史料からみた義経と頼朝』([[雄山閣]]、1966年)153頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 時代が下るにつれて近親相姦の禁忌視は強くなっていく。[[鎌倉時代]]には、[[後深草天皇]]が義理の姉である[[西園寺公子]](血縁上の叔母)を中宮にしたが、父[[後嵯峨天皇|後嵯峨上皇]]に情緒不安定を理由に廃された。これにより弟の[[亀山天皇]]が即位した後、後深草天皇の系統の[[持明院統]]と亀山天皇の系統の[[大覚寺統]]との間で[[皇位継承]]に関する争いが起き、最終的に[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]に突入することとなった。ちなみに『[[とはずがたり]]』には後深草上皇が異母妹の[[愷子内親王]]の下に通ったという記載もあり、逢い引きを手伝った[[後深草院二条]]は、妹が全く抵抗せず兄を迎え入れたので抵抗する展開を期待していた彼女としては期待外れで全然面白くなかったと感想を書いている。『[[増鏡]]』には、亀山院が異母妹の[[懌子内親王]]を妊娠させ、生まれた子供が世間体が悪いということで亀山院の乳母に預けられたという話が載せられている{{Sfn|大塚|2017|p=159}}。<br /> <br /> 乃至政彦は、[[足利義満]]が弟といわれる[[六角満高]]と男色関係にあったという話が成り立ってしまうことについて、おそらくこれは[[徳川家光]]によって制度化された小姓の起源が足利義満とされることからこじつけられたもので、足利義満が六角満高を寵愛したのは単位政治的な理由だろうと推測している&lt;ref&gt;乃至政彦『戦国武将と男色 知られざる「武家衆道」の盛衰史』(洋泉社、2013年) 64、65頁 ISBN 978-4-8003-0303-5&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[立川流 (密教)|立川流]]密教がインセストを容認したという事実は認められないが、過激な性思想が著名となったことで、後世になって大衆小説でまるでインセストを容認しているようなイメージがまとわりついた。<br /> <br /> [[ファイル:Edotenno.jpg|thumb|275px|left|光格天皇時代の天皇家の系図]]<br /> 1779年に[[後桃園天皇]]が突如崩御したが、この際に男系の後継者がいなかったことから、親戚の兼仁親王が後桃園天皇の養子に迎えられ[[光格天皇]]となった。その後、光格天皇の中宮に後桃園天皇の皇女の[[欣子内親王]]が迎えられたが、これは義理の兄妹婚に当たる。なお、血族で見た場合は傍系八親等同士の親族婚である。<br /> <br /> [[江戸時代]]中期の[[医師]]・[[思想家]]の[[安藤昌益]]は、同じ両親から産まれた兄妹が性的に結ばれ夫婦になることは、普通のことであり、人道であると述べている&lt;ref&gt;安藤昌益『稿本自然真営道』(1981年) 343頁 ISBN 978-4-582-80402-7&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 作家[[武林無想庵]]は実妹を犯したことがあるとされる&lt;ref&gt;[[今東光]]『十二階崩壊』(中央公論社、1978年)&lt;/ref&gt;。その後、無想庵の妹は[[カトリック教会|カトリック]]の修道女となった。[[明治]]の初めごろ、[[大阪府]]の[[河内]]や[[和泉]]で伯父と姪の結婚がおりおりあって、それをサシアタリと呼んでいた。[[岩手県]]などの東北地方でも伯父と姪の夫婦の実例が見られ、[[盛岡市]]付近では、実の父と娘の性関係をイモノコと呼んでいる&lt;ref&gt;[[大間知篤三]]『婚姻の民俗学』(1967年)70頁 ISBN 978-4-753-40018-8&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ====ヨーロッパ====<br /> [[ファイル:Spain-familytree 3.png|thumb|275px|スペイン王家の家系図]]<br /> ヨーロッパの大貴族であった[[ハプスブルク家]]は血縁が近い者同士でしばしば結婚を行っていたが、病弱な子供が生まれたりもしていた。スペイン王フェリペ2世は姪の[[アナ・デ・アウストリア]]を、[[フェリペ4世 (スペイン王)|フェリペ4世]]は姪の[[マリアナ・デ・アウストリア]]を妻にしている。[[スペイン・ハプスブルク朝]]は17世紀にカルロス2世で断絶し、スペイン王家は女系でのつながりから[[スペイン・ブルボン朝]]に交代したが、19世紀になっても[[フェルナンド7世 (スペイン王)|フェルナンド7世]]は姪の[[マリア・クリスティーナ・デ・ボルボン]]を妻にし、後の女王[[イサベル2世 (スペイン女王)|イサベル2世]]をもうけたりしている。<br /> <br /> ローマ法王[[アレクサンデル6世 (ローマ教皇)|アレクサンデル6世]]の娘[[ルクレツィア・ボルジア]]は兄[[チェーザレ・ボルジア]]や父と近親相姦を行っていたという話を流されたりした。ルクレツィアのものであるとして流布された肖像画が[[黒百合]]の風情によく似ていることからこの話は広まったとも言われている。また、アレクサンデル6世は法王教書の中で自分が自分の娘の子供の父だと述べた。ローマ法王では他に[[ヨハネス12世 (ローマ教皇)|ヨハネス12世]]が妹や母[[マロツィア]]と近親相姦を行ったとされた他、法王バルサザル・コーサは1414年に近親相姦を行ったことを告白した。法王[[ヨハネス13世 (ローマ教皇)|ヨハネス13世]]も近親相姦を行ったという{{Sfn|ジャスティス|1980|p=38}}。ピエール・ゲラン・ド・タンサン枢機卿は、自身の姉妹の乳房を好んで愛撫し、彼女を愛人にした。スービーズ枢機卿は姉妹マルサンの乳房にあらゆる意味で夢中になった。[[シクストゥス4世 (ローマ教皇)|シクストゥス4世]]は、姉妹3人の処女を奪い、姉には2人の娘を産ませた。後にその娘達も彼の相手となった。同じように姉妹と性交し、産ませた娘とも関係を持った者は[[パウルス3世 (ローマ教皇)|パウルス3世]]がいる&lt;ref&gt;『図説乳房全書』(Martin Monestier、[[原書房]]、2003年)238頁 ISBN 978-4-562-03651-6&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 中世ヨーロッパではこういったことで訴えられる例が多く、全くの無実とみられる場合も少なくなかった。有名な例として、イングランド王ヘンリー8世がアン・ブーリンと離婚したいがために、彼女が弟(兄の可能性もあり)のジョージ・ブーリンと近親相姦をしたとして訴え、弟もろとも死刑にしたことなどが挙げられる。なお、彼女の娘が[[エリザベス1世]]である。中世の[[暗黒時代]]において、魔女の宴で息子は母と、兄弟は姉妹と性交するものと信じられていた。<br /> <br /> イタリアの[[ベアトリーチェ・チェンチ]]は、家族と謀って従者に父親であるフランチェスコ・チェンチを殺害させた。父親を殺害した理由は父娘姦に耐えかねたためだったという伝承が残っているが、父親を殺害したことで死刑判決を受け1599年9月11日に[[斬首刑]]によって処刑された。<br /> <br /> フランスの[[ラヴァレ家のジュリアンとマルグリット]]の兄妹は、兄と妹でありながら姦通したとして1603年12月2日に[[パリ]]で斬首された。<br /> <br /> フランス国王の娘である[[マルグリット・ド・ヴァロワ]]は、兄である[[シャルル9世 (フランス王)|シャルル]]、[[アンリ3世 (フランス王)|アンリ]]や弟の[[フランソワ (アンジュー公)|エルキュール]]と肉体関係を結んだ。中でもアンリとは兄妹間を超えた男と女の愛情があったとされ、[[アグリッパ・ドービニェ]]やブラントームや[[ピエール・ド・ロンサール|ロンサール]]は彼らの兄妹関係についての詩を謳っている。彼らの周囲の人間はその愛情を別段特殊だとも感じていなかった&lt;ref&gt;『王妃マルグリット・ド・ヴァロア フランス宮廷の悪の華』([[桐生操]]、2003年)23-26頁 ISBN 978-4-569-66004-2&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 1662年に、[[モリエール]]は20歳年下の一座の女優[[アルマンド・ベジャール]]と結婚した。だが、母親は実は彼の恋人であったマドレーヌ・ベジャールではないかということで、娘と結婚したという疑惑が出た。モリエール自身はこれについてアルマンドはマドレーヌの妹であると主張した。公式記録を信じる限りは妹なのだが、マドレーヌの母親が娘の非嫡出子を自分の子供として届け出た可能性もあるため、はっきりとしたことは分かっていない&lt;ref&gt;『わが名はモリエール』([[鈴木康司]]、[[大修館書店]]、1999年) 35-37頁 ISBN 4-469-25063-5&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> フランスでは18世紀に入りあらゆる価値が相対化し、[[自由思想家]]の主張した精神の開放が体系化され、思想においてもマルキ・ド・サドなど家族間の性愛を称揚する動きも生まれたのだが、この時代のフランスのインセストは「哲学の罪」と言われ、一部の特権階級、すなわち神話やかつての王族に見られるインセストの特権意識を模倣したものであった{{Sfn|原田|2001|pp=31 - 32}}。<br /> <br /> [[フランス革命]]の際、[[極左]]勢力の[[ジャック・ルネ・エベール]]は王妃マリー・アントワネットを息子ルイ17世と近親相姦をしたとして訴えた。本人は裁判所にいた女性達に対して母親に対する侮辱だと訴えたが、最終的に反革命の行いがあったとして死刑判決を受け[[ギロチン]]で斬首された。このエベールの訴えについては傍聴人から反発を食らい、[[マクシミリアン・ロベスピエール]]が怒る事態を招いたが&lt;ref&gt;『マリー・アントワネット フランス革命と対決した王妃』([[安達正勝]]、中央公論新社、2014年) 232頁 ISBN 978-4-12-102286-8&lt;/ref&gt;、そもそも検事長である[[アントワーヌ・フーキエ=タンヴィル]]に王妃の裁判を始めさせる決定打になったのがこの近親相姦の訴えであった{{Sfn|加瀬|1992|p=262}}。ところが、この革命後の混乱のさなか[[フランス帝国]]の皇帝に即位した[[ナポレオン・ボナパルト]]はフランスで近親相姦を合法化する。<br /> <br /> ナポレオン自身も妹[[ポーリーヌ・ボナパルト|ポーリーヌ]]に気に入られていたことが知られている。後に皇帝位を追われた際に一時期ナポレオンはポーリーヌとともに[[エルバ島]]で過ごすことがあったのだが、実はこのころのナポレオンとポーリーヌは男女の関係だったのではとの噂がある{{Sfn|原田|2001|pp=15 - 16}}。ナポレオンの妻である[[ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ|ジョゼフィーヌ]]は夫と夫の妹の関係について「あまりにも親密すぎる」と主張した。ポーリーヌは兄との近親相姦の関係についてそれとなく触れることによって、人々から反応を得ることを面白がった&lt;ref&gt;『ナポレオンの妹』(フローラ・フレイザー、2010年)206-207頁 ISBN 978-4-560-08090-0&lt;/ref&gt;。[[ジャコモ・カサノヴァ]]はかつての愛人ルクレチアとの間に生まれた娘レオニルデと関係を結んだことを、『[[我が生涯の物語]]』(邦題:『カザノヴァ回想録』)で誇らしげに述べている{{Sfn|原田|2001|pp=16 - 17}}。<br /> <br /> ドイツの作曲家[[フェリックス・メンデルスゾーン]]とその姉[[ファニー・メンデルスゾーン|ファニー]]の姉弟愛は有名であるが、ファニーがフェリックスの妻レアに対して弟を奪ったことをなじる書簡を送っていることや、フェリックスもファニーの死がもとで精神病にかかり後を追うように死んでいることなど、姉弟愛を超えた恋愛に近い感情を持っていたと考えられる事績が多く伝わる。<br /> <br /> [[オーブリー・ビアズリー]]とその姉メイベル・ビアズリーは、[[フランク・ハリス]]とパーク・レインで昼食を共にした後話していたが、オーブリーはその時明け透けに自分が姉のメイベルと近親相姦をしていることを言った。マックス・ビアボームは「ビアズリー姉弟はますます疑惑の眼で見られている」という手紙を遺している。メイベルは1892年に未婚の母として出産するが、1892年から1893年にかけてオーブリ―の作品に胎児が登場し始めたため、オーブリ―がメイベルの子の父親ではないかとも言われている&lt;ref&gt;『ビアズリーと世紀末』([[河村錠一郎]] 著、1991年) 36-42頁 ISBN 978-4-791-75164-8&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 20世紀以降 ===<br /> エディプス・コンプレックス理論を作り上げたジークムント・フロイトにとって、本当に重要だった近親性愛は幼い頃兄妹同然に育った1歳年下の姪パウリーネなどとの同世代異性近親との性的な関係だったという{{Sfn|平山|2009|p=389}}。また、フロイトは妹アンナにも近親相姦感情を抱いている&lt;ref&gt;『フロイトとその父 』(マリアンネ・クリュル 著、[[思索社]]、1987年) 221頁 ISBN 978-4-783-51130-4&lt;/ref&gt;他、娘の[[アンナ・フロイト|アンナ]]とも近親相姦を行ったという&lt;ref&gt;『フロイトはコカイン中毒だった 』(松岡悠一郎 著、マルジュ社、1995年) 184頁 ISBN 978-4-896-16093-2&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[シモーヌ・ヴェイユ (哲学者)|シモーヌ・ヴェイユ]]は14歳の時に兄[[アンドレ・ヴェイユ]]との距離に絶望して自殺を考えた。兄との距離とは兄の才能に対する劣等感にとどまらず、兄への初恋であったとも解されている{{Sfn|平山|2009|p=402}}。<br /> <br /> [[ゲオルク・トラークル]]は4歳年下の妹[[グレーテ・トラークル|マルガレーテ]]との間に近親相姦的な愛が生じていた&lt;ref&gt;『美神に木乃伊れた詩人たち 1』、大塚欽一、[[文芸社]]、2002年、193頁 ISBN 978-4-835-53278-3&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 1912年頃、島崎藤村は姪の[[島崎こま子|こま子]]と通じた。姪を妊娠させた藤村は留学という名目で日本国外に逃亡した。藤村は自分の父親も妹と関係を持っていたことなどを知る。彼は『新生』でその体験をつづるが、このため姪は[[内地]]にいられなくなった。<br /> <br /> フランスの画家の[[ピエール・モリニエ]]は妹のジュリエンヌを深く愛し神が磔になっている所を模して妹を壁に貼り付かせ、脚にキスをした。1918年、ジュリエンヌは[[スペイン風邪]]により若くしてこの世を去る。モリニエはその身体を撮影し、妹の遺体と性的接触を行って射精した。モリニエは娘のフランソワーズにも魅力を感じ、[[ボルドー]]の人々はフランソワーズは父親の愛人だと噂をしていたが、フランソワーズは「父親は自分を恋愛的な目で見ていたのは今では知っているし、結婚の6か月前には嫉妬に狂ってはいたが、自分に対しては実行したことは最後までなかった」と述べた&lt;ref&gt;ピエール・プチ『モリニエ、地獄の一生涯』,[[人文書院]],2000年,13、20、53頁 ISBN 978-4-409-10013-4&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[日中戦争]]で[[日本軍]]は[[南京]]を攻略するが混乱が発生([[南京事件 (1937年)|南京事件]])。信憑性に疑問の声もあるが、当時南京にあったドイツ大使館において書記官を勤めていたゲオルグ・ローゼンによって編纂された『南京ドイツ大使館公文書綴「日支紛争」』によれば、棲霞山で日本軍が母親を持つ息子に対してその母親と交わるよう命令したとされる&lt;ref&gt;『『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究 中国における「情報戦」の手口と戦略』([[藤岡信勝]]・[[東中野修道]]著、祥伝社、1999年) 163、164頁 ISBN 4-396-61090-4&lt;/ref&gt;。日本に勝利した中国は[[南京軍事法廷|国民政府国防部審判戦犯軍事法廷]]を開き、郭岐の『陥都血涙録』が証拠として採用される。郭岐は日本軍の兵士は息子が母を犯すのを見て楽しんでいたと述べたが、[[黒鉄ヒロシ]]はこんなのは恐らく日本兵の反倫理性を強調するために創作された話であって、日本人がこんなことを絶対にやるわけがないと主張している&lt;ref&gt;『もののふ日本論 明治のココロが日本を救う』(黒鉄ヒロシ、幻冬舎、2017年) 129頁 ISBN 978-4-344-98450-9&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 1939年、[[ペルー]]で[[リナ・メディナ]]が史上最低年齢の5歳7カ月21日で出産。父親が逮捕されたが証拠不十分で釈放。現在もこれより低年齢での出産は確認されていないが、その息子は40歳で死去した。<br /> <br /> [[ファイル:Инцухт в роду Гитлеров.jpg|thumb|280px|ヒトラー一家の近親相姦説について解説した図([[ロシア語]])。赤文字がアドルフ・ヒトラー。]]<br /> 1939年、アドルフ・ヒトラー率いる[[ドイツ国防軍]]は[[ポーランド侵攻]]を開始し、[[第二次世界大戦]]が開始される。アドルフの両親は一家の育ての子と孫娘の関係だが、戸籍上はアドルフの父親はアドルフの母親の母親のいとことしている。このため、全く血がつながっていない可能性も含めて、アドルフの両親の関係に関しては論争が存在する。その彼は異母姉の娘[[ゲリ・ラウバル]]を愛人にしていたという噂もあるが、その姪ゲリが自殺しヒトラーはその代わりのものに入れ込むようになったと、セバスチャン・ハフナーは論ずる&lt;ref&gt;『ヒトラーとは何か』(セバスチャン・ハフナー、赤羽龍夫訳、草思社、1979年、原書1978年発行) 4頁&lt;/ref&gt;。ヒトラーはゲリの死後自分の恋人はドイツだと言うようになった{{Sfn|阿部|2001|p=185}}。ヒトラーは戦争が始まるまで毎年クリスマス・イヴにはゲリが自殺したミュンヘンで瞑想していた{{Sfn|阿部|2001|pp=183 - 184}}。<br /> <br /> [[パウル・ティリッヒ]]は実妹に性欲を抱いていたという&lt;ref&gt;『佐藤優さん、神は本当に存在するのですか? 宗教と科学のガチンコ対談』([[竹内久美子]],佐藤優 著、[[文藝春秋]]、2016年) 75頁 ISBN 978-4-163-90420-7&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 1957年、久保摂二の日本初の実態調査による近親相姦論文「[[近親相姦に関する研究]]」が発表される。1960年代より以前は、近親姦とは人里はなれた山奥において、変質的な父と知的に低い娘との間でまれに発生する行為だとみなされていた{{Sfn|池田|1987|p=52}}。だがその後、欧米社会では[[性の革命]]が起き、近親姦の悲惨な実態が明らかになり始める。1972年、[[五島勉]]は『[[近親相愛]]』を出版する。<br /> <br /> 1968年に発足した世界100カ国で展開するキリスト教[[福音派]]の宗教組織[[ファミリー・インターナショナル]]は、「近親相姦は神によって禁じられていない」という認識を示し、共同体内で近親相姦が行われた&lt;ref&gt;『カルトと新宗教 アメリカの8つの集団・運動』(D・E・コーワン、D・G・ブロムリー、2010年) 150頁 ISBN 978-4-87395-567-4&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;『カルト・陰謀・秘密結社 大事典』(アーサー・ゴールドワグ、2010年) 113頁 ISBN 978-4-309-24528-7&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 1968年、日本では父親に子供時代から長期に渡る近親姦をされ続け子供を産まされるなどしていた娘が、父親を殺害する尊属殺重罰規定違憲判決が起こる。1973年4月4日に最高裁判所において、刑法第200条(尊属殺重罰規定・法定刑は死刑か無期懲役だったが削除され現行刑法典には存在しない)が[[日本国憲法第14条]]で規定された「[[法の下の平等]]」に違反し違法であるとの憲法判断が示され減刑され、執行猶予付判決となった。なお、この事件で殺害されたこの父親は殺される際に「お前に殺されるのは本望だ」と述べたとされている&lt;ref&gt;『戦後ニッポン犯罪史 増補改訂新版』(礫川全次、批評社、2000年、初版1995年) 196頁 ISBN 4-8265-0303-2&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 1975年、[[エスキモー]]、[[インディアン|アメリカ・インディアン]]の[[アパッチ族|ティンネ族]]、[[ジャワ島|ジャバ]]のカラン族、[[スラウェシ島|セレベス島]]の[[ミナハサ族|ミナハッサ族]]、[[ニューカレドニア]]の原住民、アフリカのバンジョロ族では母と息子の結婚が行われておりセレベス島のミナハッサ族、[[ビルマ]]の[[カレン族]]、ソロモン諸島、[[マーシャル諸島]]、ペレウ諸島の原住民では父と娘の結婚が行われている。また、[[ミクロネシア]]の一部、マーシャル諸島、ハワイでは兄妹結婚または姉弟結婚が行われている&lt;ref&gt;『近親結婚と母系制 生物学からみたその起源と歴史』(後藤源太郎、[[NHK出版|日本放送出版協会]]、1975年) 40頁&lt;/ref&gt;。[[トロブリアンド諸島]]にも兄妹相姦の実例が複数ある&lt;ref&gt;『未開人の性生活』([[ブロニスワフ・マリノフスキ]]、新泉社、1999年)362頁 ISBN 978-4-787-77107-0&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 1980年5月、日本で母子姦を取り扱った『[[密室の母と子]]』が発行されるが論争となる。1980年11月には[[神奈川金属バット両親殺害事件]]が起こり、{{要出典範囲|date=2012年9月|一部のワイドショーでは母親と息子の近親姦があったのではという話が流れるが、警察は公式には否定している。}}<br /> <br /> 1984年、[[ゴーラー一族]]のスキャンダルがカナダで明らかにされ、一族内で近親姦が多く行われていたことが明らかとなった。<br /> <br /> アメリカでは1980年代以降、多くの無作為抽出調査により少ないという認識は反転し、多くの人が近親姦を行っていることが明らかとなった。だが、この研究の最中で[[抑圧された記憶]]の概念が浮上したために、臨床において曖昧な記憶や治療者の勘が簡単に信用されすぎて「偽りの記憶」が作り出される可能性があるという批判が[[エリザベス・ロフタス]]らによってなされた。[[悪魔的儀式虐待]]についての証言内容の中には奇妙なものも存在したこともあって、1990年代にかけ[[虚偽記憶]]の論争が起こり、それらの批判の結果として[[催眠療法]]は用いられなくなっていった。<br /> <br /> 1991年、アメリカで[[ラトーヤ・ジャクソン]]([[マイケル・ジャクソン]]の姉)が本『La Toya: Growing Up in the Jackson Family』を出版した。この際、ラトーヤは父[[ジョセフ・ジャクソン]]がラトーヤと姉[[リビー・ジャクソン]]に対して性的虐待を行ったとも主張したが、リビーはこの疑惑を否定した&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://articles.economictimes.indiatimes.com/2009-06-28/news/28383691_1_joe-jackson-michael-jackson-janet-jackson|title=The Jacksons: first family of pop &amp; scandal|language=英語|work=The Economic Times|publisher=Bennett, Coleman &amp; Co. Ltd.|date=2009-06-28|accessdate=2011-06-05}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 1993年、元[[アメリカン大学]]学長の[[リチャード・ベレンゼン]]が自らの母親との近親姦の体験について語った本『Come Here: A Man Overcomes the Tragic Aftermath of Childhood Sexual Abuse』を出版した&lt;ref&gt;『Come Here: A Man Overcomes the Tragic Aftermath of Childhood Sexual Abuse』(Berendzen, Richard; Palmer, Laura, 1993) p21 ISBN 0-679-41777-X&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 1995年1月1日、多くの女性たちを解体し殺害した罪及び娘に対する性的虐待行為の容疑で刑務所に入れられていたイギリスの[[フレデリック・ウェスト]]が刑務所で首を吊り自殺した。彼に関しては、母親にセックスされたり、父親に[[獣姦]]の教育をされたなど、さまざまな話が流れていた。[[シリアルキラー|連続殺人者]]であったと考えられているが、裁判前に自殺したため本人は有罪になっていない。<br /> <br /> 2000年3月26日、[[俳優|女優]]の[[アンジェリーナ・ジョリー]]は[[アカデミー助演女優賞|助演女優賞]]を受賞した[[第72回アカデミー賞]]授賞式で、実兄のジェイムズ・ヘイヴンとマスメディアの前でディープキスを披露し、「兄を心から愛しています」と述べた。これによって、マスメディアからは近親相姦の疑惑についての記事が掲載された。尚、アンジェリーナは実子に元々兄に付けられる予定だった名前を付けている&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.cinematoday.jp/page/A0001572|title=【今週のクローズアップ】『マイティ・ハート/愛と絆』アンジェリーナ・ジョリー|publisher=シネマトゥデイ|accessdate=2015-02-03}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 2000年7月には[[奈良長女薬殺未遂事件]]が発生。法廷で加害者とされた彼女は、父親に近親姦を行わされていたこと、複数の男性に性的虐待を受けたことを証言し、判決では被告の責任能力に差し支えることはないとしたが情状酌量は認められた{{Sfn|豊田|2004|p=62}}。<br /> <br /> 2006年、[[テリー・ハッチャー]]はかつて叔父から近親姦の被害を受けていたことを語った。その叔父は少女を虐待した、その少女が自殺。叔父は実刑判決を受けていた。<br /> <br /> 2009年9月、[[マッケンジー・フィリップス]]は回想録『High on Arrival』を公刊。この中で彼女は、19歳の時に自身の[[結婚式]]の直前に実父[[ジョン・フィリップス (音楽家)|ジョン・フィリップス]]([[ママス&amp;パパス]]の元メンバー)に犯されたと述べた。娘の結婚式の妨害目的とし、無理矢理だったのは最初だけでそれ以後は自らその行為に合意していたという&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.afpbb.com/article/entertainment/news-entertainment/2645116/4659145|title=『アメリカン・グラフィティ』のM・フィリップス、実父との近親相姦を告白|work=AFPBB News|date=2009-09-24|accessdate=2011-07-02}}&lt;/ref&gt;。彼女が父にかつての強姦について尋ねたところ、父は愛し合った時のことかと返答したという&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.eonline.com/uberblog/b145567_mackenzie_phillips_i_was_raped_by_papa.html|title=Mackenzie Phillips: I Was Raped by Papa John|language=英語|first=Natalie|last=Finn|work=E! Online|publisher=[[E!]]|date=2009-09-22|accessdate=2011-06-16|deadlinkdate=2015-12-11}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 2012年7月、オーストラリアの[[コルト一家の近親相姦|コルト一家]]が4世代にわたって数十人規模で叔父姪・叔母甥や兄妹・姉弟間で近親相姦を行っていたことが発覚した&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.afpbb.com/articles/-/3004996|title=豪で「近親相姦農場」見つかる、先天異常の子ら12人保護|publisher=[[フランス通信社|AFP]]|date=2013-12-13|accessdate=2018-04-15}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 神話 ==<br /> {{seealso|民間伝承における近親相姦|ヒエロスガモス}}<br /> 人類の起源の神話にしばしば見られる特徴として、最初の夫婦が兄妹・姉弟や親子であるというものがある。世界各地の44事例に基づく研究では、兄妹(姉弟)婚は[[父系制|父系出自]]、[[母系制|母系出自]]、[[双系制|双系出自]]のどれとも結びつくが、親子婚は父系出自や、選系出自を持つ社会に多い。また、双系出自や母系出自の社会では親子婚は少なく、ほとんどが兄妹(姉弟)婚である&lt;ref&gt;[[大林太良]]『世界神話事典』[[角川書店]],2005年, pp.39-40 ISBN 978-4-047-03375-7&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 宇宙の起源に絡めて人類の起源を語る神話群をローラシア型神話群というが、これは西アジアで2~3万年前ごろに生まれたと推測されている比較的新しい神話群であり、初期の[[ホモ・サピエンス]]の神話あるいは神話的思考に起源を持つとされるゴンドワナ型神話群では、ローラシア型神話群においては「なぜ我々は存在するのか」という問いかけの影に隠されている、「なぜ我々は死ななければならないのか」という問いかけが前面に押し出されてくる傾向がある。例えば、メラネシアの[[ビスマルク諸島]]にあるタンガ島の神話は、祖母が脱皮して若返ったところ孫が求愛してきたため、仕方なく皮を纏い直して元に戻ったという神話で、近親相姦を避けるために人間は死ななければならないという内容となっている{{Sfn|後藤|2017|p=257}}。<br /> <br /> === 兄妹相姦 ===<br /> 神話においては、兄妹の神々により作られたこととなっている場所もある。男女ペアの神が兄妹として扱われることも多い。「兄妹始祖」と言われる。<br /> <br /> * [[エジプト神話]]<br /> ** 最初の夫婦神である[[大気]]の神[[シュー (エジプト神話)|シュー]]と[[テフヌト]]<br /> ** [[イシス]]と[[オシリス]] - イシス神はオシリス神の妹であったが、[[セト]]に殺されバラバラにされた兄オシリスの死体をつなぎ合わせ、生き返らせたあと性行為をし、[[ホルス]]([[鷹]]の顔をしている)を生んだとされる。オシリスはさらにもう一人の妹(イシスと[[双子]])の[[ネフティス]]から夜這いをかけられた。なお、イシスの神殿はもと[[フィラエ島]]に建っていたが、[[アスワンハイダム]]の建設の関係で[[アルギア島]]に移築、その後アルギア島がフィラエ島と改名した。<br /> * [[ユダヤ民族]]の創世神話<br /> ** [[アブラハム]]と異母妹[[サラ]] - ユダヤ民族のルーツとされる。アブラハムは異母妹サラとの間にはなかなか子供が生まれなかったため、[[ハガル]]に長男[[イシュマエル]]を産ませたのだが、後にサラとの間に息子[[イサク]]が生まれたために、ハガルとイシュマエルは母子ともに追放されたとされている。なお、ムスリムの伝承では、イスマーイール(イシュマエル)の子孫が後の[[アラブ人]]の主体となったと伝えられている。<br /> ** 旧約聖書偽典([[エチオピア正教会]]正典)『[[ヨベル書]]』には、[[カイン]]の妻は妹[[アワン]]、[[セト (聖書)|セト]]の妻は妹アズラであったと記されている&lt;ref&gt;日本聖書学研究所(編)[[村岡崇光]](訳)『聖書外典偽典 4 旧約偽典 2』[[教文館]],1998年, p.35 ISBN 978-4-764-21903-8&lt;/ref&gt;。<br /> * [[カフカス]] - 兄妹に嫉妬した兄の妻が、自分の赤ん坊を殺して妹に責任を負わせ、家を追い払うというストーリーがある(兄と妹が結ばれるわけではない)。<br /> * [[閻魔|ヤマ]]とヤミー([[リグ・ヴェーダ]])<br /> * [[イラン神話]]<br /> ** [[マシュヤグとマシュヤーナグ]]とその子孫<br /> * [[東南アジア]]神話<br /> ** マル・カチン神話では、虹には人間の兄妹がいて、この二人は結婚した。[[アラカン]]のチャク族の神話では、喉が渇いて仕方がない兄妹が鍛冶屋に水を求めに行くと、鍛冶屋からもし二人が夫婦のように暮らせるなら水をやれると言われた。兄妹は渇きを癒すために夫婦として暮らした。それから水を飲み、間もなくして死んだ。兄妹は死後虹になって時々空に現れるが、明るい色が妹で、淡い色が兄である。[[カンボジア]]では、虹は兄妹相姦の痕跡だとされている。虹と近親相姦を結びつける考えは、インドの[[ムンダ族]]、[[チッタゴン]]のチャク族、[[スマトラ]]の[[バタック人|バタク族]]に見られる{{Sfn|大林|1999||pp=311, 315, 319, 696}}。<br /> ** 双子の兄妹が女に農耕を教わった神話 - 双子の兄妹が年頃になっても結婚せず、お互い愛し合うようになってしまったので、村人が話し合った結果、誰もいない土地を探して兄妹をそこに住まわせることになった。二人と少量の食糧だけを残し、村人達は帰ってしまったので、兄妹は飢え死にしそうになるが、一人の女性が現れ、兄妹に山刀と耕作に必要な道具を与えた。月日が経ち、トウモロコシと稲の収穫が終わった。その日から兄妹に農耕を教えた女性の姿は見えなくなった。兄妹には双子の男女が生まれ、その双子の男女は成長して結婚し、双子の男女が生まれた。そういうことが長く続いた&lt;ref&gt;『ルングス族の四季 サバの焼畑稲作民』(下元豊、[[未来社]]、1984年)122-124頁&lt;/ref&gt;。<br /> * [[ゲルマン神話]]<br /> ** [[ニョルズ]]とその妹(名前不明)<br /> ** 双子の兄妹神「[[フレイ]]」と「[[フレイヤ]]」 - ニョルズの子供達とされる。フライデーの語源。<br /> ** [[シグムンド]]とシグニュ―<br /> * [[ケルト神話]]<br /> ** エラタとエーリウ{{Sfn|松村|2015|p=340}}<br /> ** マースとドーン{{Sfn|松村|2015|p=357}}<br /> * [[イヌイット]]神話<br /> ** [[イガルク]]と[[マリナ (イヌイット神話)|マリナ]]<br /> * [[ラテンアメリカ]]神話<br /> ** 月は兄、太陽は妹であるとされ、月の斑点は兄妹の近親相姦によってできたものだとされている{{Sfn|大林|1999|p=717}}。<br /> ** [[パチャカマック (神話)|パチャカマック]]と月の女神の息子と娘{{Sfn|リーミング|1998|p=44}}<br /> *北アメリカ神話<br /> ** コンドルの兄妹 - ウィヨット族の神話。神は人間を創造したが、皆毛むくじゃらだったので、洪水で一掃することにした。コンドルがこれを知り、籠を作って妹と一緒に入り、洪水を凌いだ。しばらくしてから籠から出ると、毛むくじゃらの人間はどこにもいなかった。コンドルは妹と結婚して、コンドルの兄妹の間からようやく本物の人間が生まれた{{Sfn|リーミング|1998|p=57}}。<br /> [[ファイル:Creation myths of Japan 3.svg|thumb|right|250px|『古事記』の伝える日本神話におけるイザナギとイザナミの子孫の系図]]<br /> * 日本の神話<br /> ** 『古事記』による[[日本神話]]<br /> *** [[ハヤアキツヒコ・ハヤアキツヒメ]]<br /> *** [[オオヤマツミ]]・[[カヤノヒメ]]<br /> ** [[塞の神]]([[道祖神]])&lt;ref&gt;[[倉石忠彦]](著)『道祖神信仰論』名著出版,1990年, p.86 ISBN 978-4-626-01383-5&lt;/ref&gt; - 栃木県では道祖神はドウロクジンと呼ばれ、ドウロクジンは兄妹である。兄妹が二人とも性器が大きすぎて誰のとも合わず、相手を探して諸国を旅したが結局相手は見つからなかった。結局、兄妹同士で合わせたらうまく合ったので夫婦になった。今でも兄妹・姉弟で手を繋いで仲良くしていると「ドウロクジンのようだ」と言われる&lt;ref&gt;[[大島建彦]](著)『道祖神と地蔵』三弥井書店,1992年, p.69 ISBN 978-4-838-28023-0&lt;/ref&gt;。<br /> * [[ヤオ族]]の兄妹始祖・洪水神話([[中国神話]])<br /> ** [[伏羲]]と[[女カ|女媧]]&lt;ref&gt;[[聞一多]](著)[[中島みどり]](訳注)『中国神話』[[平凡社]],1989年, p.14 ISBN 978-4-582-80497-3&lt;/ref&gt; - ヤオ族には[[大洪水]]で伏羲と女媧の兄妹が生き残り、兄は妹に対し結婚を申し込むも妹は渋り、大木の周りを回ってみて捕まったら結婚すると妹が条件を出し、兄は足の速い妹になかなか追いつけなかったものの、兄が途中で逆に回ってみたところ妹は鉢合わせする形で兄に捕まってしまい、二人は結婚し夫婦となったという伝承がある&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.town.nagi.okayama.jp/library/text_2.pdf|format=PDF|title=大いなる巨人の伝説 さんぶたろう成立の謎 第二部:伝承の背後に隠されたもの|work=奈義町立図書館 電子図書館|publisher=[[奈義町]]|date=2009年|accessdate=2011-08-24|deadlinkdate=2015-12-11}}&lt;/ref&gt;。兄弟姉妹の通婚という神話伝説は、かつて原始人の間に血縁結婚が存在したことの名残りであるともいう&lt;ref&gt;劉達臨(著)松尾康憲、氷上正、于付訓(訳)『性愛の中国史』[[徳間書店]],2000年, p.25 ISBN 978-4-198-61200-9&lt;/ref&gt;。<br /> * [[琉球諸島|琉球]]神話と琉球文化(奄美から沖縄にかけて島々の創世神話を「島建て」といい、例えば波照間の創世神話は[[イザナギ]]・[[イザナミ]]に洪水神話を合わせたような形である)(兄妹始祖・洪水/参照:[http://www.kt.rim.or.jp/~yami/hateruma/seichi.html 波照間島の聖地]・[http://www.kt.rim.or.jp/~yami/hateruma/fuka.html 波照間島の兄妹始祖創世神話])<br /> [[ファイル:Anonymous-Fuxi and Nüwa.jpg|thumb|left|200px|女媧(左)と伏羲(右)]]<br /> {{seealso|洪水型兄妹始祖神話}}<br /> このように、洪水と兄妹始祖神話が合一したものが、[[中国]]南部から[[東南アジア]]にかけて見られる。琉球諸島には日本神話が成立する以前の神話や信仰が残る可能性はある(cf.おもろさうし)(しかし中国からの借り物である可能性はある)。琉球王朝の誕生譚では[[ニライカナイ]]から来た兄シネリキョと妹アマミキョが[[久高島]]に降り、その後[[首里]]で王朝を開いたことになっている(二人の子供が琉球王朝の祖先)。[[まんしゅうきつこ]]は、沖縄に行ったとき兄妹の性行為で国が生まれたと堂々と看板に書かれていて驚いた経験を大塚ひかりに語っている&lt;ref&gt;{{Harvnb|大塚|2018|p=307}}(まんしゅうきつことの対談部分)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> また、日本を産んだとされるイザナミの呼称を「妹」と『古事記』は記す。「妹」という文字は「イモ」と読み、[[上代日本語]]では愛しい女性への呼称とされる。<br /> だが、[[西郷信綱]]は「近親相姦と神話—イザナキ・イザナミのこと」(『古事記研究』、1973年)で、これは文字通り解するべきであり、日本は兄妹の近親相姦によって創造されたとする記録なのではないかと論じる。桐村英一郎も日本書紀の記述とも照らし合わせ、ここでの妹は兄妹の妹と解釈するべきだとする{{Sfn|桐村|2014|p=159}}。<br /> <br /> 琉球方言には丁度[[英語]]の [[:en:sister|sister]] に似た[[親族名称]]のカテゴリーとして「[[ヲナリ]]」というものがある([[異性]]から見ているというのが英語とは異なる)(参照:[http://www1.odn.ne.jp/n-unasaka/wonari1.htm をなり神])。<br /> <br /> 琉球ではかつて、兄・弟が[[漁]]などで旅立つ時に姉・妹が毛髪または[[ティーサージ]]([[布]])を[[お守り]]として贈った(日本の漁師町に似た文化があるようだが、姉妹ではない)。舟の外艫に留まった鳥を姉妹の「をなり(生き魂)」として扱う信仰もあったようである。このような異性のキョウダイの間の親密なつながりと信仰を「[[おなり神|をなり神]]」信仰と呼ぶことがある。ここでは兄から見た妹を「をなり」、妹から見た兄を「えけり」と呼ぶ。『[[おもろさうし]]』の中に恋歌が13首あるが、その内6首がをなりとえけりの恋を主題にしたものだという&lt;ref&gt;[[谷川健一]]『日本の神々』岩波書店, 1999年, p.221&lt;/ref&gt;。また「ヲナリ」は日本の「イモ」と同じく愛人の比喩に意味が分化したとされる。<br /> <br /> 首里では、兄妹のうち兄が王になると、妹を聞得大君(キコエオオギミ)になるという歴史もあった。<br /> <br /> === 姉弟相姦 ===<br /> [[ファイル:Árbol dioses olímpicos.JPG|thumb|370px|ゼウス一家の家系図]]<br /> 神話においては、姉弟の神々により作られたこととなっている場所もある。<br /> <br /> * [[ギリシャ神話]]<br /> ** [[クロノス]]と[[レアー|レア]]<br /> ** [[ゼウス]]と[[ヘーラー]]<br /> * 東南アジア神話<br /> ** 弟の月は姉の太陽に恋をした。月ははじめは太陽と同じくらい明るかった。弟の心を知った姉は灰を弟に被せ、それ以来月は白い光を出すようになった。月面に見える雲のようなものは太陽にかけられて以来固着した灰である{{Sfn|大林|1999|p=718}}。<br /> * 日本神話<br /> ** [[天岩戸]]([[アマテラス]]と[[スサノオ]]が「[[アマテラスとスサノオの誓約|誓約]](うけひ)」を交わす場面は近親相姦の象徴、と説明されることもある。ただし、わざわざ誓なんて手段を使ってるのは近親相姦を避けるためではないかと[[後藤明]]は指摘している{{Sfn|後藤|2017|p=178}}。契約の詳細については、[[アマテラスとスサノオの誓約]]の項を参照されたし)。<br /> * プリンス「シスター」「ダーテイ・マインド」に収録されているこの曲はあからさまにこの行為を歌った為全米で放送禁止にされた。<br /> <br /> === 父娘相姦 ===<br /> * ユダヤ民族の創世神話<br /> ** [[アダム]]は自身の肋骨から作られた[[イヴ]]とつがいになった。これは娘と結婚した、と解釈もできる。<br /> ** アブラハムの甥[[ロト (聖書)|ロト]]の[[ロトの娘たち|娘たち]]によるモアブ([[モアブ]]人の先祖)とベン・アミ([[アモン人]]の先祖)の誕生譚([[旧約聖書]]、[[創世記]]19:31 - 38)<br /> * ギリシャ神話<br /> ** [[ミュラー (ギリシア神話の人物)|ミュラー]]は実父の[[キニュラース]]に対して恋愛の情を抱くようになった。乳母と計略を用い、ミュラーは他の女性を装って父を誘惑し、妊娠した&lt;ref&gt;[[オウィディウス]]『変身物語 下』([[岩波書店]]、1984年)89頁 ISBN 978-4-003-21202-8&lt;/ref&gt;。真相が明らかになった時、キニュラースはショックのあまりミュラーを殺そうとした。ミュラーは逃げ出し、[[没薬]]の木に変じた。数カ月の後、木は裂けて、[[アドーニス|アドニス]]という男子が誕生した。<br /> * [[シュメール神話]]<br /> ** エンキとニンム&lt;ref&gt;[[杉勇]]『古代オリエント集 筑摩世界文学大系1』[[筑摩書房]], 1978年, p.16&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === 母子相姦 ===<br /> [[ファイル:The Mutiliation of Uranus by Saturn.jpg|thumb|right|325px|[[クロノス]]に去勢される[[ウーラノス]](1560年)]]<br /> * [[ギリシャ神話]]<br /> ** [[ガイア]]と息子[[ウーラノス]] - [[クロノス]]ら[[ティーターン]]12神をもうけるが、ウーラノスは[[キュクロープス]]や[[ヘカトンケイル]]の醜怪さを嫌い、彼らを[[地獄]][[タルタロス]]に幽閉する。ガイアはこれに怒り、末子[[クロノス]]に命じウーラノスの男性器を切り落とさせた。この際[[アプロディーテー]]が生まれる。ウーラノスは[[天王星]]の名前の語源。<br /> ** [[エキドナ]] - [[怪物]]達の母親とされる。自分の子である[[オルトロス]]との間に[[スキュラ]]・[[スフィンクス]]・不死身の[[ライオン]]など怪物のほとんどを産んだとされる。もともと他民族の神で、古くは[[大地母神]]として崇拝されたというが、[[ギリシア人]]と戦争で敗れたため、ギリシャ神話では怪物へと堕とされたという。ギリシアでは好まれない母子相姦の題材であったため怪物とされた、という説もある。<br /> * [[インド・ヨーロッパ語族|印欧系]]神話<br /> ** [[ミトラス]](ミトラ)は[[太陽神]]とその母の近親相姦から生まれたとされる。<br /> * [[エクアドル]]神話<br /> ** ミカとアインビ{{Sfn|リーミング|1998|p=284}}<br /> * [[オーストラリア]]神話<br /> ** 中央オーストラリアのピンチェンタラ族は、銀河は母子相姦している男女であると考える{{Sfn|大林|1999|p=107}}。<br /> <br /> == 出典 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist|2}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> * {{Cite book|和書 |author=信田さよ子 |title=加害者は変われるか DVと虐待をみつめながら |publisher=筑摩書房 |year=2015 |origyear=2008 |isbn=978-4-480-43247-6 |ref={{SfnRef|信田|2015}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author1=榊原富士子 |author2=池田清貴 |title=親権と子ども |publisher=岩波書店 |year=2017 |isbn=978-4-00-431668-8 |ref={{SfnRef|榊原|池田|2017}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=小林美佳 |title=性犯罪被害とたたかうということ |publisher=朝日新聞出版 |year=2016 |origyear=2010 |isbn=978-4-02-261882-5 |ref={{SfnRef|小林|2016}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=山本潤 |title=13歳、「私」をなくした私 性暴力と生きることのリアル |publisher=朝日新聞出版 |year=2017 |isbn=978-4-02-251453-0 |ref={{SfnRef|松本|2017}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=橘ジュン |title=最下層女子校生 無関心社会の罪 |publisher=小学館 |year=2016 |isbn=978-4-09-825262-6 |ref={{SfnRef|橘|2016}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |editor=宮地尚子 編 |title=トラウマとジェンダー 臨床からの声 |publisher=金剛出版 |year=2004 |isbn=4-7724-0815-0 |ref={{SfnRef|宮地|2004}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=原田武 |title=インセスト幻想 人類最後のタブー |publisher=人文書院 |year=2001 |isbn=978-4-409-24065-6 |ref={{SfnRef|原田|2001}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=斎藤学 |authorlink=斎藤学 (精神科医) |title=子供の愛し方がわからない親たち 児童虐待、何が起こっているか、どうすべきか |publisher=講談社 |year=1992 |isbn=4-06-206144-9 |ref={{SfnRef|斎藤|1992}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=斎藤学 |title=家族の闇をさぐる 現代の親子関係 |publisher=小学館 |year=2001 |isbn=4-09-387247-3 |ref={{SfnRef|斎藤|2001}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |editor=川田順造 編 |title=近親性交とそのタブー――文化人類学と自然人類学のあらたな地平 |publisher=[[藤原書店]] |year=2001 |isbn=4-89434-267-7 |ref={{SfnRef|川田|2001}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |editor=[[リチャード・ガートナー|リチャード・B・ガートナー]] 編 |others=宮地尚子、井筒節、岩崎直子、堤敦朗、村瀬健介 訳 |title=少年への性的虐待 男性被害者の心的外傷と精神分析治療 |publisher=作品社 |year=2005 |origyear=1999 |isbn=4-86182-013-8 |ref={{SfnRef|ガートナー|2005}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=[[赤松啓介]] |title=夜這いの民俗学・夜這いの性愛論 |publisher=筑摩書房 |year=2004 |origyear=1994 |isbn=4-480-08864-4 |ref={{SfnRef|赤松|2004}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=赤松啓介 |title=性・差別・民俗 |publisher=河出書房新社 |year=2017 |origyear=1988 |isbn=978-4-309-41527-7 |ref={{SfnRef|赤松|2017}} }}原題『非常民の民俗境界 村落社会の民俗と差別』<br /> * {{Cite book|和書 |author=スーザン・フォワード |others=玉置悟 訳 |title=毒になる親 一生苦しむ子ども |publisher=講談社 |year=2001 |origyear=1989 |isbn=4-06-256558-7 |ref={{SfnRef|フォワード|2001}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=池田由子 |title=児童虐待 |publisher=中央公論社 |year=1987 |isbn=4-12-100829-4 |ref={{SfnRef|池田|1987}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=ジュディス・L・ハーマン |authorlink=ジュディス・ハーマン |title=父-娘 近親姦 |publisher=誠信書房 |year=2000 |origyear=1981 |isbn=4-414-42855-6 |ref={{SfnRef|ハーマン|2000}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=[[オットー・ランク]] |others=前野光弘 訳 |title=文学作品と伝説における近親相姦モチーフ |publisher=中央大学出版部 |year=2006 |origyear=1926 |isbn=4-8057-5163-0 |ref={{SfnRef|ランク|2006}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=ブレア・ジャスティス |author2=リタ・ジャスティス |others=山田和夫、高塚雄介 訳 |title=ブロークン・タブー |publisher=新泉社 |year=1980 |id={{全国書誌番号|80039381}} |ref={{SfnRef|ジャスティス|1980}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=山内昶 |title=タブーの謎を解く―食と性の文化学 |publisher=筑摩書房 |year=1996 |isbn=978-4-480-05691-7 |ref={{SfnRef|山内|1996}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=秋山さと子 |title=ユングの心理学 |publisher=講談社 |year=1982 |isbn=4-06-145677-6 |ref={{SfnRef|秋山|1982}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=秋月菜央 |title=アダルト・チルドレン 生きづらさを抱えたあなたへ |publisher=二見書房 |year=2016 |origyear=1997 |isbn=978-4-576-16013-9 |ref={{SfnRef|秋月|2016}} }}原題『アダルト・チルドレン「癒しと再生」』<br /> * {{Cite book|和書 |author=豊田正義 |title=家庭という病巣 |publisher=新潮社 |year=2004 |isbn=4-10-610050-9 |ref={{SfnRef|豊田|2004}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=山脇由貴子 |title=告発 児童相談所が子供を殺す |publisher=文藝春秋 |year=2016 |isbn=978-4-16-661090-7 |ref={{SfnRef|山脇|2016}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=友田明美 |title=子どもの脳を傷つける親たち |publisher=NHK出版 |year=2017 |isbn=978-4-14-088523-9 |ref={{SfnRef|友田|2017}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=スティーブン・レベンクロン |others=森川那智子 訳 |title=CUTTING リストカットする少女たち |publisher=集英社 |year=2005 |origyear=1998 |isbn=4-08-760479-9 |ref={{SfnRef|レベンクロン|2005}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=岡田尊司 |title=父という病 |publisher=ポプラ社 |year=2015 |origyear=2014 |isbn=978-4-591-14280-6 |ref={{SfnRef|岡田|2015a}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=岡田尊司 |title=きょうだいコンプレックス |publisher=幻冬舎 |year=2015 |isbn=978-4-344-98391-5 |ref={{SfnRef|岡田|2015b}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=西澤哲 |title=子どもの虐待 子どもと家族への治療的アプローチ |publisher=誠信書房 |year=1994 |isbn=4-414-40172-0 |ref={{SfnRef|西澤|1994}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=パメラ・D・シュルツ |others=颯田あきら訳 |title=9人の児童性虐待者 NOT MONSTERS |publisher=牧野出版 |year=2006 |origyear=2005 |isbn=4-89500-092-3 |ref={{SfnRef|シュルツ|2006}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=森田ゆり |title=子どもへの性的虐待 |publisher=岩波書店 |year=2008 |isbn=978-4-00-431155-3 |ref={{SfnRef|森田|2008}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=黒川祥子 |title=誕生日を知らない女の子 虐待──その後の子どもたち |publisher=集英社 |year=2015 |origyear=2013 |isbn=978-4-08-745382-9 |ref={{SfnRef|黒川|2015}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=鈴木大介 |title=最貧困女子 |publisher=幻冬舎 |year=2014 |isbn=978-4-344-98361-8 |ref={{SfnRef|鈴木|2014}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=宮地尚子 |title=トラウマ |publisher=岩波書店 |year=2013 |isbn=978-4-00-431404-2 |ref={{SfnRef|宮地|2013}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=ベッセル・ヴァン・デア・コーク |others=柴田裕之 訳 |title=身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法 |publisher=紀伊國屋書店 |year=2014 |origyear=2016 |isbn=978-4-314-01140-2 |ref={{SfnRef|ヴァン・デア・コーク|2016}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=マーガレット・ラインホルド |others=朝長梨枝子 訳 |title=[[親から自分をとり戻すための本―「傷ついた子ども」だったあなたへ]] |publisher=朝日新聞社 |year=1999 |origyear=1990 |isbn=4-02-261257-6 |ref={{SfnRef|ラインホルド|1999}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=日垣隆 |title=父親のすすめ |publisher=文藝春秋 |year=2006 |isbn=4-16-660529-1 |ref={{SfnRef|日垣|2006}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=香山リカ |title=がちナショナリズム 「愛国者」たちの不安の正体 |publisher=筑摩書房 |year=2015 |isbn=978-4-480-06849-1 |ref={{SfnRef|香山|2015}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=本田透 |title=萌える男 |publisher=筑摩書房 |year=2005 |isbn=4-480-06271-8 |ref={{SfnRef|本田|2005}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=B・マリノフスキー |others=阿部年晴、真崎義博 訳 |title=未開社会における性と抑圧 |publisher=筑摩書房 |year=2017 |origyear=1927 |isbn=978-4-480-09775-0 |ref={{SfnRef|マリノフスキー|2017}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=向井雅明 |title=ラカン入門 |publisher=筑摩書房 |year=2016 |origyear=1988 |isbn=978-4-480-09676-0 |ref={{SfnRef|向井|2016}} }}原題『ラカン対ラカン』<br /> * {{Cite book|和書 |author=ゲオルク・グロデック |others=[[岸田秀]]、[[山下公子]] 訳 |title=エスの本 ある女友達への精神分析の手紙 |publisher=講談社 |year=2018 |origyear=1923 |isbn=978-4-06-292495-5 |ref={{SfnRef|グロデック|2018}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=加瀬俊一 |title=ヴェルサイユ宮廷の女性たち |publisher=[[文芸春秋]] |year=1992 |origyear=1989 |isbn= 4-16-717903-2 |ref={{SfnRef|加瀬|1992}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=遠山美都男 |title=白村江 古代東アジア大戦の謎 |publisher=講談社 |year=1997 |isbn=4-06-149379-5 |ref={{SfnRef|遠山|1997}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=遠山美都男 |title=天平の三皇女 聖武の娘たちの栄光と悲劇 |publisher=河出書房新社 |year=2016 |origyear=2010 |isbn=978-4-309-41491-1 |ref={{SfnRef|遠山|2016}} }}原題『天平の三姉妹 聖武皇女の矜持と悲劇』<br /> * {{Cite book|和書 |author=大城道則 |title=ツタンカーメン 「悲劇の少年王」の知られざる実像 |publisher=中央公論新社 |year=2013 |isbn=978-4-12-102235-6 |ref={{SfnRef|大城|2013}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=エマニュエル・トッド |others=[[堀茂樹]]訳 |title=問題は英国ではない、EUなのだ 21世紀の新・国家論 |publisher=文藝春秋 |year=2016 |isbn=978-4-16-661093-8 |ref={{SfnRef|トッド|2016}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=プラトン |others=[[藤沢令夫]] 訳|title=国家 |volume=上 |publisher=岩波書店 |year=1979 |id={{全国書誌番号|79016988}} |ref={{SfnRef|プラトン|1979}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=[[南方熊楠]] |editor=[[中沢新一]] 編 |title=南方熊楠コレクション 浄のセクソロジー |publisher=河出書房新社 |year=2015 |origyear=1991 |isbn=978-4-309-42063-9 |ref={{SfnRef|南方|2015}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=中村美知夫 |title=「サル学」の系譜 人とチンパンジーの50年 |publisher=中央公論新社 |year=2015 |isbn=978-4-12-004756-5 |ref={{SfnRef|中村|2015}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=山極寿一 |title=父という余分なもの サルに探る文明の起源 |publisher=新潮社 |year=2015 |origyear=1997 |isbn=978-4-10-126591-9 |ref={{SfnRef|山極|2015}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=酒井仙吉 |title=哺乳類誕生 乳の獲得と進化の謎 驚異の器官がうまれるまで |publisher=講談社 |year=2015 |isbn=978-4-06-257898-1 |ref={{SfnRef|酒井|2015}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=アダム・ラザフォード |others=[[垂水雄二]] 訳 |title=ゲノムが語る人類全史 |publisher=文藝春秋 |year=2017 |origyear=2016 |isbn=978-4-16-390774-1 |ref={{SfnRef|ラザフォード|2017}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=[[セクストス・エンペイリコス]] |others=金山弥平、金山万里子 訳 |title=ピュロン主義哲学の概要 |publisher=京都大学学術出版会 |year=1998 |isbn=978-4-87698-108-3 |ref={{SfnRef|エンペイリコス|1998}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=吉田敦彦 |title=一冊でまるごとわかるギリシア神話 |publisher=大和書房 |year=2013 |isbn=978-4-479-30445-6 |ref={{SfnRef|吉田|2013}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル]] |others=[[樫山欽四郎]] 訳 |title=精神現象学 |volume=下 |publisher=[[平凡社]] |year=1997 |isbn=978-4-582-76206-8 |ref={{SfnRef|ヘーゲル|1997}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=エーリッヒ・フロム |others=渡会圭子 訳 |title=悪について |publisher=筑摩書房 |year=2018 |origyear=1964 |isbn=978-4-480-09841-2 |ref={{SfnRef|フロム|2018}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=高橋和巳 |title=消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ |publisher=筑摩書房 |year=2017 |origyear=2014 |isbn=978-4-480-43432-6 |ref={{SfnRef|高橋|2017}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=橋本治 |title=性のタブーのない日本 |publisher=集英社 |year=2015 |isbn=978-4-08-720810-8 |ref={{SfnRef|橋本|2015}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=入江曜子 |title=古代東アジアの女帝 |publisher=岩波書店 |year=2016 |isbn=978-4-00-431595-7 |ref={{SfnRef|入江|2016}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=[[島崎晋]] |title=世界史 暴君大事典 |publisher=徳間書店 |year=2016 |isbn=978-4-19-907065-5 |ref={{SfnRef|島崎|2016}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author1=佐藤優 |author2=中村うさぎ |title=聖書を読む |publisher=文藝春秋 |year=2016 |origyear=2013 |isbn=978-4-16-790559-0 |ref={{SfnRef|佐藤|中村|2016}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=平野敏政 |title=現代社会と家族的適応 |publisher=[[慶應義塾大学出版会|慶応通信]] |year=1994 |isbn=4-582-76206-9 |ref={{SfnRef|平野|1994}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=ソポクレス |others=藤沢令夫 訳 |title=オイディプス王 |publisher=岩波書店 |year=1967 |id={{全国書誌番号|67009202}} |ref={{SfnRef|ソポクレス|1967}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=河合祥一郎 |title=謎解き『ハムレット』 名作のあかし |publisher=筑摩書房 |year=2016 |origyear=2000 |isbn=978-4-480-09719-4 |ref={{SfnRef|河合|2016}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=芥川龍之介 |title=侏儒の言葉・西方の人(1995年版) |publisher=新潮社 |year=1995 |origyear=1968 |isbn=4-10-102507-X |ref={{SfnRef|芥川|1995}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=小谷野敦 |title=文豪の女遍歴 |publisher=幻冬舎 |year=2017 |isbn=978-4-344-98466-0 |ref={{SfnRef|小谷野|2017}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=大塚ひかり |title=本当はひどかった昔の日本 古典文学で知るしたたかな日本人 |publisher=新潮社 |year=2016 |origyear=2014 |isbn=978-4-10-120516-8 |ref={{SfnRef|大塚|2016}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=大塚ひかり |title=女系図でみる驚きの日本史 |publisher=新潮社 |year=2017 |isbn=978-4-10-610735-1 |ref={{SfnRef|大塚|2017}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=大塚ひかり |title=本当はエロかった昔の日本 |publisher=新潮社 |year=2018 |origyear=2015 |isbn=978-4-10-120517-5 |ref={{SfnRef|大塚|2018}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |editor=鳥居邦朗 編 |title=日本文学研究大成 太宰治 |publisher=国書刊行会 |year=1997 |isbn=4-336-03093-6 |ref={{SfnRef|鳥居|1997}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=花田俊典 |title=太宰治のレクチュール |publisher=双文社出版 |year=2001 |isbn=4-88164-534-X |ref={{SfnRef|花田|2001}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=樋口ヒロユキ |title=ソドムの百二十冊 エロティシズムの図書館 |publisher=青土社 |year=2016 |isbn=978-4-7917-6929-2 |ref={{SfnRef|樋口|2016}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=川口則弘 |title=直木賞物語 |publisher=文藝春秋 |year=2017 |origyear=2014 |isbn=978-4-16-790798-3 |ref={{SfnRef|川口|2017}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=柴田勝二 |title=中上健次と村上春樹 〈脱六〇年代〉的世界のゆくえ |publisher=[[東京外国語大学出版会]] |year=2009 |isbn=978-4-904575-03-1 |ref={{SfnRef|柴田|2009}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=清水良典 |title=増補版 村上春樹はくせになる |publisher=朝日新聞出版 |year=2015 |origyear=2006 |isbn=978-4-02-264792-4 |ref={{SfnRef|清水|2015}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=高山昌三 |title=マンと三島 ナルシスの愛 |publisher=[[鳥影社]] |year=2011 |isbn=978-4-86265-294-2 |ref={{SfnRef|高山|2011}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=[[永田守弘]] |title=官能小説の奥義 |publisher=[[KADOKAWA]] |year=2016 |origyear=2007 |isbn=978-4-04-400099-8 |ref={{SfnRef|永田|2016}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=D・H・ロレンス |others=照屋佳男 訳 |title=無意識の幻想 |publisher=中央公論新社 |year=2017 |origyear=1922 |isbn=978-4-12-206370-9 |ref={{SfnRef|ロレンス|2017}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=浜本隆志 |title=シンデレラの謎 なぜ時代を超えて世界中に拡がったのか |publisher=河出書房新社 |year=2017 |isbn=978-4-309-62505-8 |ref={{SfnRef|浜本|2017}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=中条省平 |title=マンガの教養 読んでおきたい常識・必修の名作100 |publisher=幻冬舎 |year=2010 |isbn=978-4-344-98195-9 |ref={{SfnRef|中条|2010}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=藤木TDC |title=ニッポンAV最尖端 欲望が生むクールジャパン |publisher=文藝春秋 |year=2015 |origyear=2011 |isbn=978-4-16-790521-7 |ref={{SfnRef|藤木|2015}} }}原題『アダルトビデオ最尖端~身体と性欲の革命史~』([[コアマガジン]])。<br /> * {{Cite book|和書 |author=森林原人 |title=偏差値78のAV男優が考える セックス幸福論 |publisher=講談社 |year=2016 |isbn=978-4-06-293431-2 |ref={{SfnRef|森林|2016}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=代々木忠 |title=つながる セックスが愛に変わるために |publisher=新潮社 |year=2016 |origyear=2012 |isbn=978-4-10-120416-1 |ref={{SfnRef|代々木|2016}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=アケミン |title=うちの娘はAV女優です |publisher=幻冬舎 |year=2017 |isbn=978-4-344-03055-8 |ref={{SfnRef|アケミン|2017}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=青木健 |authorlink=青木健 (宗教学者) |title=ゾロアスター教 |publisher=講談社 |year=2008 |isbn=978-4-06-258408-1 |ref={{SfnRef|青木|2008}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |editor=老川寛 監修|title=明治大正昭和前期篇 |series=家族研究論文資料集成 |volume=第19巻 婚姻3 |publisher=クレス出版 |year=2001 |isbn=978-4-87733-095-8 |ref={{SfnRef|老川|2001}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=桐村英一郎 |title=古代の禁じられた恋 古事記・日本書紀が紡ぐ物語 |publisher=森話社 |year=2014 |isbn=978-4-86405-069-2 |ref={{SfnRef|桐村|2014}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=デービッド・リーミング |author2=マーガレット・リーミング |others= 松浦俊輔 他訳 |title=創造神話の事典 |publisher=青土社 |year=1998 |isbn=978-4-7917-5657-5 |ref={{SfnRef|リーミング|1998}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=[[大林太良]] |title=銀河の道 虹の架け橋 |publisher=[[小学館]] |year=1999 |isbn=978-4-096-26199-6 |ref={{SfnRef|大林|1999}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author1=望月麻美子 |author2=三浦たまみ |title=名画が描く 罪深き旧約聖書 |publisher=大和書房 |year=2015 |isbn=978-4-479-30527-9 |ref={{SfnRef|望月|三浦|2015}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=[[白倉敬彦]] |title=春画の色恋 |publisher=[[講談社]] |year=2015 |isbn=978-4-062-92319-4 |ref={{SfnRef|白倉|2015}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=[[白倉敬彦]] |title=春画の謎を解く |publisher=[[洋泉社]] |year=2004 |isbn=978-4-896-91827-4 |ref={{SfnRef|白倉|2004}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=加藤浩子 |title=オペラでわかるヨーロッパ史 |publisher=[[平凡社]] |year=2015 |isbn= 978-4-582-85797-9 |ref={{SfnRef|加藤|2016}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=芝崎みゆき |title=古代エジプトうんちく図鑑 |publisher=[[バジリコ (出版社)|バジリコ]] |year=2004 |isbn= 4-901784-42-0 |ref={{SfnRef|芝崎|2004}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=[[麻生川静男]] |title=本当に悲惨な朝鮮史 「高麗史節要」を読み解く |publisher=KADOKAWA |year=2017 |isbn=978-4-04-082109-2 |ref={{SfnRef|麻生川|2017}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=[[穂積陳重]] |title=タブーと法律 法原としての信仰規範とその諸相 |publisher=[[書肆心水]] |year=2007 |isbn=978-4-902-85432-9 |ref={{SfnRef|穂積|2007}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=阿部良男 |title=ヒトラー全記録 20645日の軌跡 |publisher=柏書房 |year=2001 |isbn= 4-7601-2058-0 |ref={{SfnRef|阿部|2001}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=[[松村一男]] |title=世界女神大事典 |publisher=[[原書房]] |year=2015 |isbn=978-4-562-05195-3 |ref={{SfnRef|松村|2015}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=[[平山朝治]] |title=「家」と個人主義―その伝統と今日 平山朝治著作集 第4巻 |publisher=[[中央経済社]] |year=2009 |isbn=978-4-502-67090-9 |ref={{SfnRef|平山|2009}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=オリヴィア・ジャドソン |title=ドクター・タチアナの男と女の生物学講座 |publisher=[[光文社]] |year=2004 |isbn=978-4-334-96165-7 |ref={{SfnRef|ジャドソン|2004}} }}<br /> * {{Cite book|和書 |author=後藤明 |title=世界神話学入門 |publisher=講談社 |year=2017 |isbn=978-4-06-288457-0 |ref={{SfnRef|後藤|2017}} }}<br /> <br /> {{参照方法|date=2015年12月|section=1}}<br /> * 『親族による性的虐待 近親姦の実態と病理』(石川義之、2004年) ISBN 4-623-03891-2<br /> * 『十二夜――闇と罪の王朝文学史』([[高橋睦郎]]著。[[集英社]]。2003年)ISBN 4-08-774674-7<br /> * 『教育相談重要用語300の基礎知識』(鑪幹八郎・一丸藤太郎・鈴木康之編、1999年)ISBN 4-18-026611-3<br /> * 『FUGITIVES OF INCEST: A PERSPECTIVE FROM PSYCHOANALYSIS AND GROUPS』 (Ramon C., and Bonnie J. Buchele Ganzarain, 1989) B000IACV7C=『近親姦に別れを 精神分析的集団精神療法の現場から』(R.C. ガンザレイン, B.J. ビュークリ, 白波瀬 丈一郎訳、2000年) ISBN 4-7533-0003-X<br /> * 『The Secret Trauma: Incest in the Lives of Girls and Women』(Diana Russell,1986) ISBN 0-465-07595-9=『シークレット・トラウマ 少女・女性の人生と近親姦』([[ダイアナ・ラッセル]]、監訳:斎藤学、訳:白根伊登恵・山本美貴子、2002年)ISBN 4-938844-54-0<br /> * 『神話と近親相姦』([[吉田敦彦]]著。[[青土社]]。1982年) B000J7CO3A<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[いとこ婚]]<br /> * [[インセスト・タブー]]<br /> * [[インブリード]]<br /> * [[ウェスターマーク効果]]<br /> * [[近親愛]]<br /> * [[近親交配]]<br /> * [[近親婚]] - [[親子婚]] - ­[[兄弟姉妹婚]] - [[叔姪婚]]<br /> * [[近親相姦被害者の国際組織]]<br /> * [[大衆文化における近親相姦]]<br /> * [[文学における近親相姦]]<br /> * [[映画とテレビ番組における近親相姦]]<br /> * [[民間伝承における近親相姦]]<br /> * [[聖書における近親相姦]]<br /> * [[近親相姦ポルノ]]<br /> * [[子供の性]]<br /> * [[性的虐待]] - [[児童性的虐待]] - [[少年への性的虐待]] - [[女性による性的虐待]]<br /> * [[兄弟姉妹間の虐待]]<br /> * [[機能不全家族]]<br /> * [[ツインセスト]]<br /> * [[ファラオ]]<br /> * [[フヴァエトヴァダタ]]<br /> * [[複雑性PTSD]]<br /> * [[ジェネティック・セクシュアル・アトラクション]]<br /> * [[洪水型兄妹始祖神話]]<br /> * [[ブラザーコンプレックス]]<br /> * [[シスターコンプレックス]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://siab.jp/ SIAb.PROJECT] - 近親姦被害の当事者団体(日本)<br /> * [http://japan-lifeissues.net/writers/bur/bur_02chapt12sexabuse-ja.html 性的虐待と中絶]<br /> * [http://www.amigo.ne.jp/~abraxas/review16.html 「神と人とファラオ」 三重県立美術館]<br /> <br /> {{近親愛}}<br /> {{性道徳}}<br /> {{Normdaten}}<br /> {{デフォルトソート:きんしんそうかん}}<br /> [[Category:インセスト|*]]<br /> [[Category:性的虐待]]<br /> [[Category:児童虐待]]<br /> [[Category:児童性的虐待]]<br /> [[Category:臨床心理学]]<br /> [[Category:文化人類学]]<br /> [[Category:家庭]]<br /> [[Category:親族]]</div> 211.15.40.102 創造神話 2018-08-01T04:34:31Z <p>211.15.40.102: </p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;創造神話&#039;&#039;&#039;(そうぞうしんわ)とは、[[人類]]・[[地球]]・[[生命]]および[[宇宙]]の起源を説明する物語のことである。このような様々な考えは、科学的調査、形而上学的思索、宗教的信念、といったあらゆる出発点から始まっており、それぞれの考え方のばらつきは非常に大きい。宇宙の創造を語るのはローラシア型神話群の特徴とされるが、この話はアフリカのカラハリ・サンやオーストラリアの[[アボリジニ]]の神話では欠如していることから、ローラシア型神話は神話の中では比較的新しい神話とされる。<br /> <br /> 現代[[科学]]の描像における[[宇宙]]・[[生命]]の起源については、それぞれ[[ビッグバン]]・[[生命の起源]]などを参照のこと。<br /> <br /> == 「創造神話」と「創世神話」 ==<br /> {{未検証|section=1|date=2007年9月}}<br /> 一般的に、「創造神話」(origin belief) といった場合、「『至高の存在』(例えば[[神]])が、慎重に考えて『宇宙を創造した』」というような[[宗教]]的[[神話]]である「創世神話」(creation myth) と同一視される。しかしながら、「創造神話」は非宗教的主張や現代[[科学]]、[[哲学]]に基づく理論を含むように一般化されるであろう。また創造と言う場合、世界・宇宙に限らず人間などの創造も含む事にも留意する必要がある。<br /> <br /> いくつかの宗教団体は、創世神話が、生命や宇宙の成り立ちの科学的説明と並んで考えられるべきだとしており、また団体によっては、取って代わるべきだと主張するものもある。<br /> {{main|進化論裁判}}<br /> <br /> == 類型論 ==<br /> 多くの創世神話は、大きなものから小さなものへの順序、混沌から秩序への変化といった、広い範囲で同じテーマを持っていることが多い{{sfn|松村 |2008|pp=9-21}}。<br /> <br /> 一般的なモチーフとしては以下のようなものがある{{sfn|松村 |2008|pp=23-61}}。<br /> ;宇宙卵型:卵から世界が生じたというモデル。主に[[東南アジア]]に多いタイプだが、[[フィンランド]]の[[カレワラ]]や、[[オルペウス教]]の創世神話など、[[ヨーロッパ]]にも宇宙卵の概念は見られる。<br /> ;潜水型:先に一面水浸しの世界があり、神や動物が水底の泥から世界を作るというモデル。[[ユーラシア]]北部から[[北アメリカ]]に多く見られる。[[ペルシア]]方面からの[[善悪二元論]]思想の影響を受けた神話が多い。<br /> ;世界巨人型、死体化生型:神や巨人などの死体から、天体の運行などの[[自然現象]]や、食糧などの生活[[資源]]が生じたというモデル。[[中国]]の[[盤古]]、[[インド]]の[[プルシャ]]、[[アイスランド]]の[[スノリのエッダ]]と、世界の広い範囲に見られる。<br /> ;世界両親型:[[日本]]の[[国産み]]神話のように、神の両親から生まれたというモデル。アジアでは[[近親相姦]]を戒める筋書きとなる神話が多い。<br /> ;一神教:[[デミウルゴス]]、[[ユダヤ教]]系。造物主が原初の混沌から世界を作り出した。<br /> <br /> == 創造神話の一覧 ==<br /> === 多神教 ===<br /> ==== 日本神話 ====<br /> {{main|天地開闢 (日本神話)|国産み|神産み}}<br /> <br /> [[日本神話]]においても、始原の神々とともに天地の創生が語られており、[[イザナギ]]と[[イザナミ]]という二柱の兄妹神が結婚し、主な島々や神々たちを生みもうけたという。<br /> <br /> ==== 中国神話 ====<br /> {{main|天地開闢 (中国神話)}}<br /> <br /> ==== インド神話 ====<br /> {{main|乳海攪拌}}<br /> <br /> ==== バビロニア神話 ====<br /> [[バビロニア]]における創造神話は、『[[エヌマ・エリシュ]]』(&#039;&#039;Enuma Elish&#039;&#039;)としても知られる『創世記』において語られる。<br /> <br /> メソポタミアの『創世記』は、[[紀元前2千年紀]]にまでさかのぼる。<br /> 詩では、神[[マルドゥク]](または詩の[[アッシリア]]版の[[アッシュール]])は、海の女神[[ティアマト]]によって計画された攻撃から神々を守るために作り出された。<br /> 英雄マルドゥクは、自分が彼らの中の最高の指導者に任命され、ティアマトの脅威が過ぎ去った後も引き続きそうであるならば、神々を救うと申し出た。<br /> 神々はマルドゥクのその任期に同意した。<br /> マルドゥクはティアマトに戦いを挑み、彼女を破壊した。<br /> 彼はそれから、大地と天を作るために彼女の死体を2つに裂いた。そして、暦を作り出し、惑星、星、月、太陽の運行と天気を管理した。<br /> 神々はマルドゥクに忠誠を誓った。そしてマルドゥクは、神の領域に地上で対応する場所として[[バビロン]]を建設した。<br /> マルドゥクはさらに、ティアマトの夫[[キングー]]を破壊し、神々のために働ける存在としての人間を作り出すために、彼の血を使った。&lt;ref&gt;Sources, Foster, B.R., From Distant Days : Myths, Tales, and Poetry of Ancient Mesopotamia. 1995, Bethesda, Md.: CDL Press. vi, 438 p., Bottéro, J., Religion in Ancient Mesopotamia. 2004, Chicago: University of Chicago Press. x, 246 p., Jacobsen, T., The Treasures of Darkness : A History of Mesopotamian Religion. 1976, New Haven: Yale University Press. 273.&lt;/ref&gt;<br /> <br /> ==== ギリシア神話 ====<br /> [[ギリシア神話]]では、天地は神によって作られるものというより、むしろ神が天地そのものであり、神々の誕生の系譜がそのまま天地の由来とされる。このような系譜を神統記という。以下に[[ヘシオドス]]『[[神統記]]』に見られる、ギリシア神話の創造神話(神統記)を示す。<br /> *天地の前には混沌([[カオス]])のみが存在した。<br /> *カオスから最初に大地([[ガイア]])、夜([[ニュクス]])、闇([[エレボス]])、&lt;!--時([[アイテル]])、--&gt;愛([[エロース]])、奈落の底([[タルタロス]])が生まれた。(エロースについては[[アプロディーテー]]の息子という説もある。)<br /> *ニュクスとエレボスから光([[アイテル]])と昼([[ヘメラ]])が生まれた。<br /> *ガイアは自力で天([[ウーラノス]])を産んだ。<br /> *ガイアはウーラノスとの間に[[ティーターン]]たちを産んだ。<br /> *ティーターンには、大洋[[オーケアノス]]、農業([[クロノス]])、記憶([[ムネーモシュネー]])、[[レアー]]、[[ヒュペリオン]]、[[コイオス]]、[[クレイオス]]、[[イーアペトス]]、[[テミス]]、[[テーテュース]]、[[テイア]]がいる。<br /> *ウーラノスは子供に地位を奪還されまいとしてティーターンたちをガイアに押し込めた。<br /> *怒ったガイアの命を受けたクロノスがウーラノスを去勢し、去勢された男根の泡から美(アプロディーテー)が生まれた。<br /> *ヒュペリオンとテイアの間に太陽([[ヘーリオス]])と月([[セレーネー]])が産まれた。<br /> *クロノスはレアーとの間に[[ゼウス]]、[[ポセイドーン]]、[[ハーデース]]、[[ヘスティア]]、[[デーメーテール]]、[[ヘーラー]]を産んだ。<br /> *クロノスは子孫に地位を奪回されると予言されていたため、子供を次々と飲み込んだ。<br /> *ゼウスだけがレアによって難を逃れ、[[キュクロープス]]や[[ヘカトンケイル]]と共に[[ティタノマキア]]でクロノス達を倒し、タルタロスに幽閉した。<br /> *ゼウスが世界の支配者となり、人間が[[プロメーテウス]]の手によって作られた。<br /> *その後女が[[ヘーパイストス]]の手によって作られ[[パンドーラー]]と名づけられた。<br /> <br /> ==== 北欧神話 ====<br /> 『[[古エッダ]]』の『巫女の予言』は、[[北欧神話]]における、今存在する世界の創造の記述で始まる。<br /> <br /> :……[[ユミル]]の生きていた太古の昔、海も波も砂も大地も天も草もなく、ただ、大きな淵だけがあった。……<br /> <br /> 最初は、北の[[ニヴルヘイム]]の氷と[[ムスペルヘイム]]の炎を除いて、何もなかった。それらの間に、大きく開いた淵があった([[ギンヌンガガプ]]。しかしこの名称は時々、固有名詞として翻訳されないことがある)。この淵の中で氷のいくつかが炎からのいくつかの火の粉とぶつかった。氷は溶けて毒気([[:en:Eitr]])となった。さらにそれは雌雄同体の巨人ユミルと、彼を乳で養うことになる雌[[ウシ|牛]][[アウズンブラ]]の体を作り出した。アウズンブラは霜氷を舐めることで食餌した。次第に牛は氷の中に人間の頭髪を露わにしていった。翌日、牛は彼の顔を露わにした。さらに翌日、牛は彼、[[ブーリ]]の姿を完全に露わにしていた。<br /> <br /> ユミルは、男女2人の人間であるごとく、[[スルーズゲルミル]]の父になった。ブーリは、[[ボル (北欧神話)|ボル]]の父となった。ボルは3人の息子、[[ヴィリとヴェー|ヴィリ]]、[[ヴィリとヴェー|ヴェー]]、そして[[オーディン]]を得た。彼らが巨人ユミルを殺した。ユミルの血が引き起こした大洪水により、両種族の最初の男女は死んでしまった。[[ベルゲルミル]]の父となったスルードゲルミルも溺死した。<br /> ベルゲルミルは木の幹の空洞に隠れて生き延びた。<br /> <br /> オーディンと兄弟たちは、宇宙を作り出すためにユミルの体を使った。彼の体を挽いて土壌とした。彼の肉に現れた蛆が、地下に住む[[ドワーフ|小人]]となった。ユミルの骨が山となった。オーディンは雲を作り出すために彼の脳を空にまき散らした。宇宙は9つの世界から成り立っている。その中でもこの大地(マンハイム)が中心にあった。オーディンらはユミルの頭蓋を持ち上げる4人の小人、[[ノルズリ]](北)、[[スズリ]](南)、[[アウストリ]](東)と[[ヴェストリ]](西)を置き、天を構築した。それからムスペルヘイムから飛来する火の粉を使って、[[太陽]]と[[月]]、[[天体|星]]を作り出した。<br /> <br /> オーディンと他の2人(『古エッダ』は[[ヘーニル]]と[[ローズル]]だと語る。彼らはヴィリとヴェーの言い換えと考えられている)が浜辺に沿って歩いていた時、流木の2切れ(それぞれを[[トネリコ]]と[[ニレ]]とする話もある)を見つけた。これらから「最初の」人間(最初の2組の人間はユミルの血の洪水で溺死した)、[[アスクとエムブラ]]を作り出した。ユミルの眉毛が、人間たちがその中で暮らせる場所を作り出すのに使われた。その場所は[[ミズガルズ]]と呼ばれた。&lt;ref&gt;[http://www.timelessmyths.com/]&lt;/ref&gt;<br /> <br /> [[アース神族|神々]]は、季節と同じように昼と夜の運行を管理した。[[ソール (北欧神話)|ソール]]は太陽の女神で、ムンディルファリと妻グレンの娘であった。毎日彼女は、[[アルスヴィズ]]と[[アールヴァク]]という名の2頭の馬に引かれる馬車に乗って空を通過する。この通過は、「妖精の栄光」を意味する[[アールヴレズル]]という名で知られている。それは太陽を指す一般的なケニングであった。ソールは、彼女を飲み込みたがっている狼[[スコル]]によって一日中追われている。日食は、スコルが彼女にほぼ追いついたことを示している。(世界の終わる時、スコルが最終的にソールを捕えて食べることは、運命づけられている。しかし、彼女の娘が彼女に取って代わる。)ソールの兄弟、月の神[[マーニ]]もまた、もう1頭の狼[[ハティ]]に追われている。大地とソールとの間に小人[[スヴェル]]&lt;!--谷口訳--&gt;が立っていて、彼によって大地は太陽の膨大な熱から守られている。アールヴァクとアルスヴィズの燃え上がる鬣が、大地へ光を投げかけている。<br /> <br /> ==== エジプト神話 ====<br /> [[エジプト神話]]とは[[エジプト]]地域で信仰されていた神話のことであるが、地域や時代によって内容の異同が激しく、天地創造に関しても一様ではない。&lt;!--それぞれの信仰に対応して、少なくとも3つの創造説話がある。--&gt;<br /> <br /> [[ヘリオポリス]]における信仰([[ヘリオポリス神話]])では、以下のような話が語られている。<br /> * [[エジプト九柱の神々]]の物語において、原初の海[[ヌン]]より生まれた男神[[アトゥム]](信仰によっては太陽神[[ラー=アトゥム|ラー]])は、自慰により生じた[[精液]]と[[呼吸|吐息]]を吐き出し、[[テフヌト]](湿気)、[[シュウ]](空気)をそれぞれ生じた。シュウとテフヌトの間に[[ゲブ]](大地)と[[ヌト]](天空)が生まれた。<br /> *ゲブとヌトはずっと抱き合っていたため、シュウがそれを引き離した。このとき、ヌトがゲブと接している面は手と足だけとなった。また、ゲブはヌトに近づこうと山を作り出した。<br /> *シュウがゲブとヌトを引き離したときに、2神の子として、[[閏日]]に死の神[[オシリス]]、砂漠の神[[セト]]、生命の神[[イシス]]、[[ネフティス]]及び[[ホルス|ハロエリス]]が生まれた。オシリスとイシス、ネフティスとセトは夫婦であった。<br /> <br /> ==== ポリネシア神話 ====<br /> {{main|マウイ (ポリネシア神話)}}<br /> <br /> === 一神教 ===<br /> ==== キリスト教 ====<br /> [[Image:Creation of Light.png|150px|thumb|right|[[ギュスターヴ・ドレ]]の作品「光あれ」]]<br /> {{main|天地創造}}<br /> <br /> [[キリスト教]]における世界の創造は、[[旧約聖書]]の[[創世記]]第1章にて語られている。<br /> <br /> 初めに、神は[[天]]と[[地]]を創造した。地は混沌とし、水面は[[闇]]に覆われ、[[聖霊]]がうごめいていた。神は[[光]]を生み出し、[[昼]]と[[夜]]とを分けた。これが世界の始まりの1日目である。2日目に神は、[[水]]を上と下とに分け、[[天]]を造った。3日目には[[地|大地]]と[[海]]とを分け、[[植物]]を創った。4日目には[[太陽|日]]と[[月]]と[[天体|星]]が創られた。5日目には水に住む[[生物|生き物]]と[[鳥]]が創られ、6日目には[[家畜]]を含む地の獣・這うものが創られ、海の魚、空の鳥、地の全ての獣・這うものを治めさせるために[[人間]]の[[男]]と[[女]]が創られた。<br /> <br /> また[[創世記]]の第2章以降では、もう一つの天地と人間の創造が語られている。<br /> <br /> [[カバラ]]思想では、[[ツィムツーム]]([[:en:Tzimtzum]]、「縮小」とも)という解釈もなされている。<br /> <br /> ==== イスラム教 ====<br /> [[Image:Allah-green.svg|thumb|right|100px|[[アラビア語]]で書かれた「アッラーフ」の文字]]<br /> <br /> [[イスラム教]]では、すべてのものは[[アッラーフ]]([[アラビア語]]で「[[神]]」、イスラム教では神は唯一で絶対である)によって創造されたとされる。[[クルアーン]]には、アッラーフが創造主であることを示す記述がいくつもある。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> * 『天地創造99の謎』吉田敦彦<br /> &lt;!-- 以下、英語版<br /> * Rouvière, Jean-Marc, &#039;&#039;Brèves méditations sur la création du monde&#039;&#039; L&#039;Harmattan, Paris (2006), ISBN 2-7475-9922-1.<br /> * Leeming, David Adams, and Margaret Adams Leeming, &#039;&#039;A Dictionary of Creation Myths&#039;&#039;. Oxford University Press (1995), ISBN 0-19-510275-4.--&gt;<br /> * {{Cite book |和書 |author = [[松村一男]] |title = この世界のはじまりの物語 |date = 2008 |publisher = 白水社 |series = 地球のカタチ |isbn = 9784560031858 |ref = harv }}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> &lt;!-- {{Commonscat|Creation myth}} --&gt;<br /> * [[アブラハムの宗教]]<br /> * [[原始宗教]]<br /> * [[神話]]<br /> * [[宇宙論]]<br /> * [[創造論]]<br /> * [[理神論]]<br /> * [[創造神]]<br /> * [[異世界]]<br /> * [[精神世界]]<br /> * [[進化]]<br /> * [[存在]]<br /> * [[哲学]]<br /> * [[神智学]]<br /> * [[インテリジェント・デザイン]]<br /> * [[異次元宇宙]]<br /> * [[宇宙の年表]]<br /> * [[宇宙の終焉]]<br /> * [[なぜ何もないのではなく、何かがあるのか]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.wsu.edu:8080/~wldciv/world_civ_reader/world_civ_reader_1/kojiki.html Japanese Creation Myth] {{En icon}}<br /> * [http://www.pitt.edu/~dash/creation.html Norse Creation Myth] {{En icon}}<br /> * [http://www.wsu.edu/~delahoyd/creation.populvuh.html &quot;Popol Vuh&quot; - mitul genezei la mayaşi] {{En icon}}<br /> * [http://www.jcf.org/works.php?id=187 &quot;Măştile zeului: Mitologie Creativă&quot; de Joseph Campbell] {{En icon}}<br /> * [http://etext.lib.virginia.edu/cgi-local/DHI/dhi.cgi?id=dv1-68 &#039;&#039;Dicţionarul istoriei ideilor&#039;&#039;: Creaţia în religie] {{En icon}}<br /> * [http://www.creationofuniverse.com Coranul şi Pământul], o perspectivă islamică a creaţiei. {{En icon}}<br /> *[http://www2u.biglobe.ne.jp/~gln/77/7704/770441.htm 天地創造の謎「世界の始まり」]<br /> <br /> {{地球}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:そうそうしんわ}}<br /> [[Category:創造神話|*]]<br /> [[Category:神話]]<br /> [[Category:神話類型]]<br /> [[Category:起源・発祥]]<br /> <br /> [[no:Skapelse (teologi)]]</div> 211.15.40.102 今週のどんだんず 2018-03-31T14:29:05Z <p>211.15.40.102: </p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2018年3月}}<br /> {{基礎情報 ラジオ番組<br /> |番組名 = 今週のどんだんず<br /> |愛称 = どんだんず、DDZ<br /> |画像 = <br /> |画像説明 = <br /> |ジャンル = 投稿([[バラエティ番組|バラエティ]])<br /> |放送方式 = [[生放送]]<br /> |放送時間 = <br /> |企画 = <br /> |プロデューサー = <br /> |ディレクター = <br /> |パーソナリティ = <br /> |出演 = [[橋本康成]]<br /> |テーマ曲 = <br /> |放送局 = [[青森放送]]<br /> |ネットワーク = <br /> |制作 = <br /> |放送期間 = [[1984年]] - [[1987年]]3月(第1期)、&lt;br /&gt;[[1991年]]4月 - [[1995年]]3月(第2期)、&lt;br /&gt;[[2006年]]10月 - [[2016年]]3月(第3期)<br /> |放送回数 = <br /> |スポンサー = [[日清食品]]<br /> |公式サイト = <br /> |特記事項 = 1.バラエティ番組内コーナーとして、断続的に放送。&lt;br /&gt;2.[[1996年]]4月 - [[1998年]]3月は[[テレビ番組]]「[[Harvest (テレビ番組)|Harvest]]」のコーナーとしても放送。&lt;br /&gt;3.スポンサーは、「ワラッター!」シリーズでのもの。<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;「今週のどんだんず」&#039;&#039;&#039;(こんしゅうのどんだんず)は、[[1984年]]より断続的に[[青森放送|青森放送(RAB)]]の[[ラジオ番組]]・[[テレビ番組]]([[1996年]] - [[1998年]]のみ・[[今週のどんだんず#沿革|詳細は後述]])で放送されていた投稿コーナーである。通称「どんだんず」、「DDZ」(英字表記「&#039;&#039;&#039;D&#039;&#039;&#039;on-&#039;&#039;&#039;D&#039;&#039;&#039;an-&#039;&#039;&#039;Z&#039;&#039;&#039;u」の略字)。企画・コーナー進行は同局元アナウンサーでプロデューサー・パーソナリティの[[橋本康成]]。<br /> <br /> ==コーナー概要==<br /> &#039;&#039;&#039;「どんだんず」&#039;&#039;&#039;とは[[津軽弁]]で&#039;&#039;&#039;「いい加減にして!」「それってどうなの?」&#039;&#039;&#039;などと、突っ込みもしくは疑念の意で使われる言葉&lt;ref&gt;同じ意味で南部弁では&#039;&#039;&#039;「どんだの?」&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;「どんだのさ?」&#039;&#039;&#039;が用いられる。&lt;/ref&gt;。&lt;br&gt;&#039;&#039;&#039;「日常の怒りを笑い飛ばす」&#039;&#039;&#039;というコンセプトのもと、リスナーの日常で起きた不条理、滑稽で思わず突っ込みたくなるエピソードを募集し紹介するという内容であるが、ネタハガキの多くが津軽弁を交えての文体で投稿されており、ローカル色を打ち出している。<br /> <br /> 家族や友人など、いわゆる&#039;&#039;&#039;他人の揚げ足取り&#039;&#039;&#039;がネタの主流であるが、リスナー(投稿者)自身の恥ずかしいエピソードや社会への不満・愚痴など、突っ込みの範疇から外れたネタも少なからず存在するため、内容は多岐にわたっている。ネタの朗読とコーナー進行は、1984年の開始時から一貫して橋本康成が担当しており、津軽弁はもとより登場人物に応じて自由自在に声色を変える橋本のネタ読みがコーナー特有の雰囲気を醸し出している。中でも祖父母(老人)絡みのいわゆる&#039;&#039;&#039;「ジジババネタ」&#039;&#039;&#039;は、橋本による声色の絶妙さも相まって根強い人気を得ており、近年では傑作選CDのトラックタイトルにもその影響が反映されている&lt;ref&gt;&#039;&#039;&#039;「ジジババ黄金伝説」「J1 Legend」「J&amp;B」&#039;&#039;&#039;など。いずれもジジババネタを中心に構成した内容となっている。&lt;/ref&gt;。また、青森県外のリスナーからも投稿が寄せられている。<br /> <br /> ネタは必ず&#039;&#039;&#039;「どんだんず〜!!」&#039;&#039;&#039;の叫びで締めくくる(叫び方は、ネタの内容やウケに左右されるため一定していない)&lt;ref&gt;ただし、稀に言いそびれたり、ネタがつまらない、もしくは駄洒落落ちであったことから橋本の判断で叫びを見送った事例も少なくない。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> オープニングで流れるタイトルコールとお囃子は1984年のコーナー開始時のものを一貫して使用しており、傑作選のCD全作にも同様の音源が収録されている&lt;ref&gt;このタイトルSEのアーティスト名義は「橋本康成・クレイジーひさし」(「THE★BEST!」より。)。1トラックでは本放送時と同様にフルサイズで、本編最後(最終トラック)では後半のお囃子のみが流れる。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==よく使われる津軽弁==<br /> コーナー開始当初は、&#039;&#039;&#039;ト書きが共通語&#039;&#039;&#039;で&#039;&#039;&#039;台詞が津軽弁&#039;&#039;&#039;という形式の投稿が多かったが、回を重ねるに連れてト書きも含めた全面津軽弁での投稿が増え、現在の主流となっている。文体に関するルールを定めていないため、共通語や[[南部弁]]での投稿も少なくないが、南部弁が使われている三八地域のリスナーが、無理を押してか津軽弁で投稿する事例が多いことから、橋本が放送内で「投稿は南部弁でもOK」という趣旨の発言をしたこともある。その中でも、よく使われる津軽弁の語句をまとめたので参照されたい。<br /> <br /> *[[父親|父親(お父さん)]]→&#039;&#039;&#039;とっちゃ&#039;&#039;&#039;<br /> *[[母親|母親(お母さん)]]→&#039;&#039;&#039;かっちゃ&#039;&#039;&#039;<br /> *[[祖父|祖父(おじいさん)]]→&#039;&#039;&#039;じっちゃ、じっこ、じさま(爺様)&#039;&#039;&#039;<br /> *[[祖母|祖母(おばあさん)]]→&#039;&#039;&#039;ばっちゃ、ばっこ、ばさま(婆様)&#039;&#039;&#039;<br /> *[[子供|子供、幼児]]→&#039;&#039;&#039;わらし&#039;&#039;&#039;<br /> *[[友達|友達、仲間]]→&#039;&#039;&#039;けやぐ&#039;&#039;&#039;<br /> *[[一人称|私、僕、俺(一人称)]]→&#039;&#039;&#039;わ、おら&#039;&#039;&#039;<br /> *ダメだ、まずい、やばい→&#039;&#039;&#039;まいね、まね&#039;&#039;&#039;<br /> *うるさい→&#039;&#039;&#039;さしね&#039;&#039;&#039;<br /> *[[感動詞|おや、まあ、あら、などの感嘆詞]]→&#039;&#039;&#039;わい、わいは&#039;&#039;&#039;<br /> *~だから、~なので([[接続詞]])→&#039;&#039;&#039;~(だ、ら)はんで、(だ、した)はんで&#039;&#039;&#039;<br /> *言う、喋る(言った、喋った)→&#039;&#039;&#039;へる(へった)&#039;&#039;&#039;<br /> *とても、すごく→&#039;&#039;&#039;たんげ、たげ&#039;&#039;&#039;<br /> *[[尻]]→&#039;&#039;&#039;どんず&#039;&#039;&#039;<br /> <br /> 「ワラッター!」(金曜・土曜)のレギュラー陣に&#039;&#039;&#039;青森県外出身者が多かった&#039;&#039;&#039;ことや、リスナーおよびゲストへの配慮として、橋本は方言および青森県特有の事情について適宜、解説を入れていた。なお、橋本自身は[[三沢市]]出身であり、根っからの津軽弁話者ではない。<br /> <br /> ==沿革==<br /> *1984年 - [[1987年]](第1期)<br /> :深夜ラジオ番組「SAY!MUSIC FELLOW」(1983~1987・橋本の初冠番組)の1コーナーとして1984年8月に誕生。1987年3月の番組終了まで続いた。元々、当番組は青森県内のアマチュア音楽家を紹介する音楽情報番組としてスタートしたが、橋本の意向でバラエティ色を加味した深夜放送ノリの内容に転換、その過程で橋本が「どんだんず」という言葉の響きに触発されてエピソードネタに使ったことがコーナー誕生のきっかけとなった&lt;ref&gt;CD「生誕30周年記念盤 どんだんずライヴ怒りの鉄板」のライナーノーツより。&lt;/ref&gt;。&lt;br&gt;この頃の橋本(当時20代)は、現在よりも甲高い声でネタを朗読していた。また、番組終了時、終了記念で100本限定のカセットテープBEST版「愛のカ〜マリ」を作成、リスナーからの応募のみで配布した。<br /> <br /> *[[1991年]] - [[1995年]](第2期)<br /> :1991年4月に「[[金曜ワラッター!]]」放送開始。同番組のコーナーとして4年ぶりに復活。橋本曰く、この頃が最も脂の乗りきっていた時期であり、名物コーナーとして定着したのもここから。&lt;br&gt;その後、人気の高まりとともに、当コーナーの放送を録音・編集した[[海賊盤]]テープが出回り、ワラッター内でも話題となった。これを受けて、ワラッターでは&#039;&#039;&#039;「本家海賊盤」&#039;&#039;&#039;と称した90分カセットテープ盤を[[1993年]]に自主制作、リスナープレゼントとして限定配布する。のちの「土曜ワラッター」放送時より一般販売される傑作選CDの原型となった。&lt;br&gt;[[1994年]]3月には、コーナー誕生10周年の記念イベント「すごく怒れるものたち」が青森クォーターで行われた。&lt;br&gt;また同年秋頃、橋本の不在により番組レギュラーであった当時アナウンサーの[[夏目浩光]](現:[[ディレクター]])と[[水戸華之介]]の2人による「どんだんず」が一度だけ放送されたが、2人とも津軽弁による朗読に不慣れだった&lt;ref&gt;夏目は[[愛知県]]、水戸は[[山口県]]の出身。&lt;/ref&gt;故に橋本担当時と同様のカラーが出せず、不発に終わっている&lt;ref&gt;当時、橋本は出張などで番組を数度欠席しており、この回以外で欠席時の「どんだんず」は収録で対応していた。&lt;/ref&gt;。この時、橋本は出張先の東京から電話で番組に出演、しばしば2人に突っ込みを入れていた。橋本以外の人物がネタを読んだのは、後にも先にもこの時のみである。&lt;br&gt;1995年3月、橋本が同年4月開始の「[[@なまてれ|出会いふれあい生テレビ!]]」へ異動のため番組を降板、同時にコーナーも終了。これにより「ワラッター」は一大転機を迎えることとなる。<br /> <br /> *[[1996年]] - [[1998年]](第3期)<br /> :1996年4月、橋本司会の深夜テレビトーク番組「[[Harvest (テレビ番組)|Harvest]]」開始で復活。ただし2年で番組、コーナーともに終了。&lt;br&gt;歴代の放送期間としては最短記録であり、テレビでどんだんずを展開かつCD(DVD)化が未だなされていない唯一の時期である。&lt;br&gt;この頃の放送は、暗いスタジオの中でスポットライトに照らされながら、座ってハガキを読む橋本の姿を映し続けるというものだった。<br /> <br /> *[[2003年]] - [[2004年]](単発放送)<br /> :RAB開局50周年を迎えた2003年10月、青森クォーターでのイベント「どんだんず 怒りのてっぺん」とそれに続く「金曜ワラッター!」の特番で一夜限りの復活。&lt;br&gt;翌2004年には「木曜ワラッター!2004」として再び単発で放送。<br /> <br /> *2006年 - 2016年(第4期)<br /> :「[[土曜ワラッター!]]」放送開始でレギュラー放送復活。[[2007年]]、レギュラー復活後初のCD「どいつもこいつも」発売記念イベント「どんだんず 怒りの乱れ撃ち」を青森市の映画館・[[シネマディクト]]にて開催。[[2009年]]、コーナー誕生25周年を迎えた。2010年10月で母体の「土曜ワラッター!」と共に放送開始4年を経過し、この時点で放送期間が金曜時代を抜いて歴代最長記録を更新、2016年3月の番組終了まで9年半続いた。橋本によると、この頃より[[電子メール|メール]]での投稿も受け付けるようになったため、長文のネタが増えたという&lt;ref&gt;CD「25周年記念盤」のライナーノーツより。&lt;/ref&gt;。2013年10月には、開局60周年記念特番「瞬(とき)をつないで~60時間ラジオ~」の中で「どんだんずLegend 200」と題して歴代の厳選ネタによる朗読ライブをRAB本社テレビスタジオで開催。<br /> <br /> 「ワラッター!」シリーズのコーナーとしては、金曜時代・単発・土曜時代を通して、[[日清食品]][[一社提供]]で放送している。<br /> <br /> ==コーナーから生まれた商品==<br /> 放送内で採用されたネタを収録したCD・書籍も発売されている。<br /> ===傑作選CD===<br /> ()は発売年。RABの自主制作により青森県内で発売&lt;ref&gt;店頭販売開始後は青森県内のみでの販売だが、事前予約での購入に関しては、青森県外のローソンでもLoppiでの予約で入手可能であった。&lt;/ref&gt;。枚数限定で再発もされていない。<br /> <br /> *&#039;&#039;&#039;「今週のどんだんず SINCE1984」&#039;&#039;&#039;(1994年)&lt;br&gt;初の傑作選。発売前年に制作されたカセット版「今週のどんだんず 本家海賊盤」がベースとなっている。1,000枚の限定販売であったが、1週間以内に完売。<br /> *&#039;&#039;&#039;「どんだんず THE LIVE/PARTY ON!」&#039;&#039;&#039;(1995年)&lt;br&gt;ライブ「すごく怒れる者たち」と、水戸華之介など「金曜ワラッター!」パーソナリティーのオリジナル楽曲を収録。ジャケットには橋本の似顔絵が描かれていた。<br /> *&#039;&#039;&#039;「今週のどんだんず 怒魂生(いかたましょう)」&#039;&#039;&#039;(2003年)&lt;br&gt;RAB開局50周年記念を目前に発売された。「金曜ワラッター!」時代のネタと、番組専属[[ラジオカー]]「流星号」のテーマ曲「のれゆけ!流星号」(作詞・作曲:橋本康成)を収録。<br /> *&#039;&#039;&#039;「今週のどんだんず 集成(あつなり)」&#039;&#039;&#039;(2004年)&lt;br&gt;「SAY!MUSIC FELLOW」時代~2003年・2004年の単発放送時の音源(ライブ音源含む)から内容を厳選したベスト盤。なお、本作より青森県内の[[ローソン]]での発売が通例となる。<br /> *&#039;&#039;&#039;「今週のどんだんず どいつもこいつも」&#039;&#039;&#039;(2007年)&lt;br&gt;「土曜ワラッター!」開始後、初のオリジナル傑作選(ライブ音源も収録)。これ以後、毎年暮れの傑作選発売も通例となった。<br /> *&#039;&#039;&#039;「今週のどんだんず 25周年記念盤」&#039;&#039;&#039;([[2008年]])&lt;br&gt;ライブ「すごく怒れる者たち」、「どんだんず 怒りのてっぺん」を収録したDVD付の豪華版(CD+DVD)。予約購入者特典として、橋本と親交の深い歌手・[[鈴木雅之 (歌手)|鈴木雅之]]直筆の&#039;&#039;&#039;「どんだんず」ステッカー&#039;&#039;&#039;があった&lt;ref&gt;CD、DVDのレーベル面にも、鈴木直筆のタイトルが掲載されている。&lt;/ref&gt;。<br /> *&#039;&#039;&#039;「今週のどんだんず LIVE DANZ!DANZ!DANZ!」&#039;&#039;&#039;(2009年・25周年記念盤第2弾)&lt;br&gt;タイトル通り、ライブ音源を中心に収録(番組主催ライブ「恋するハチマキ」、「恋するハチマキ2」、「どんだんず 怒りの乱れ撃ち」から)。<br /> *&#039;&#039;&#039;「今週のどんだんず けっこう無敵」&#039;&#039;&#039;(2009年・25周年記念盤第3弾)&lt;br&gt;「土曜ワラッター!」レギュラーである[[サクラメリーメン]]の小西透太がジャケットのイラストを手掛けた。このジャケットにて小西作のオリジナルキャラクター&#039;&#039;&#039;「ずー君」&#039;&#039;&#039;が登場。<br /> *&#039;&#039;&#039;「今週のどんだんず 得体の知れない衝撃」&#039;&#039;&#039;(2010年)&lt;br&gt;前作に引き続き小西透太の作画によるジャケットで、「IMPACT」(タイトルに因む)と書かれたクロッシュを開けようとする「ずー君」が描かれている。<br /> *&#039;&#039;&#039;「今週のどんだんず THE★BEST!」&#039;&#039;&#039;(2011年)&lt;br&gt;初作から「けっこう無敵」までの傑作を厳選したベスト盤(金曜時代放送分と本家海賊盤から、CD初収録の音源もあり)。ジャケットには、本作のタイトルロゴを囲む形で歴代傑作選のCDジャケットが掲載されている。ブックレットが8ページとなっている他、収録時間は79分25秒と従来よりも長め。<br /> *&#039;&#039;&#039;「今週のどんだんず DONDAN&#039;Z 11(どんだんずイレブン)」&#039;&#039;&#039;(2011年)&lt;br&gt;通算11枚目。前作以後、ラジオCMのBGMで流れていた楽曲「どんだんずマーチ」(作詞・作曲:橋本康成)と、ボーナストラックとして、2008年度版「アウトレットスペシャル」([[今週のどんだんず#備考|後述]])を再編集の上で収録(橋本曰く、「[[東日本大震災|震災]]の影響が及んだ」ための措置)。<br /> *&#039;&#039;&#039;「今週のどんだんず DONDAN&#039;Z 12(トゥエルブ)追撃者」&#039;&#039;&#039;(2012年)&lt;br&gt;前々作以来、ジャケットのイラストを小西透太が担当。3世代の家族が卓袱台を囲んで食事をする模様が描かれている。橋本によると、本作タイトルは古くからのリスナーの後を追うように、中高生の新世代リスナーが面白さを注入してきているという印象から付けたという(ジャケット解説より)。<br /> *&#039;&#039;&#039;「今週のどんだんず DONDAN&#039;Z 13(サーティーン)電光石火」&#039;&#039;&#039;(2013年)&lt;br&gt;「土曜ワラッター!」準レギュラーのコラボレーション曲を集めたコンピレーションCD「GAME OF WONDER」との同時発売。また本作より[[Loppi]]が[[ミニストップ]]に設置されたことから、Loppiでの予約に限りミニストップでも購入可能となった(店頭販売はこれまで同様、青森県内のローソンのみ取り扱い)。<br /> *&#039;&#039;&#039;「生誕30周年記念ライブ どんだんずライヴ 怒りの鉄板」&#039;&#039;&#039;(2014年)&lt;br&gt;生誕30周年記念盤第1弾で、前述の特番内ライブ「どんだんずLegend 200」からさらにネタを厳選した2枚組のコンピレーション盤。テレビ「[[ZIP!FRIDAY]]」の1コーナーを編集したDVD「あおねごDVD」との同時発売。<br /> *&#039;&#039;&#039;「今週のどんだんず DONDAN&#039;Z 15 自我蔵」&#039;&#039;&#039;(2014年)&lt;br&gt;生誕30周年記念盤第2弾の傑作選。前年より番組のミニコーナーにて出演中の俳優・[[鈴木勝大 (俳優)|鈴木勝大]]がジャケットのイラストを手がけた。予約購入者特典として、初代の傑作選「今週のどんだんず 本家海賊版」の再編復刻CDが配布された。<br /> *&#039;&#039;&#039;「今週のどんだんず DONDAN&#039;Z 16 別世界探検」&#039;&#039;&#039;(2015年)&lt;br&gt;前作に続き、ジャケットのイラストを鈴木勝大が手がけた。本作発売後、年内最後の放送にて2016年3月の番組終了が発表されたことから、これが事実上最後の傑作選発売となった。<br /> <br /> ===書籍===<br /> *&#039;&#039;&#039;「どんだんず〜!」&#039;&#039;&#039;(1994年11月、路上社&lt;ref&gt;[[弘前市]]の[[出版社]]。&lt;/ref&gt;より発行。書籍コード:ISBN 4947612649)<br /> <br /> ==備考==<br /> *「土曜ワラッター!」開始2年後の2008年暮れから、収録時間などの制約によりCD未収録となった秀作ネタの総集編&#039;&#039;&#039;「アウトレットスペシャル」&#039;&#039;&#039;を放送している。初回となった2008年度はCD「25周年記念盤」発売日(12月13日)の放送であったが、2009年度・2010年度は年明け初回、2011年度は大晦日と年末年始にかけての放送となっている。<br /> *2010年7月17日の放送で、過去に放送されたネタの盗作が採用されてしまい、それに気付いた橋本が朗読を中断するハプニングが発生した。この後、橋本は&#039;&#039;&#039;「君(投稿者)、[[イエローカード]]ですよ!聴いた作品を書くとこういうことになるんですよ!!」&#039;&#039;&#039;とリスナーへ向けた戒めの発言をした。その内容は、トイレ待ちで苛々していた投稿者の前に、用足しを終えてトイレから出てきた祖父が&#039;&#039;&#039;「作戦失敗!」&#039;&#039;&#039;と言うもので、「金曜ワラッター!」時代に放送されたネタであった(CD「怒魂生」「THE★BEST!」に収録)。<br /> **この他にも他媒体からの盗作やパクリと思われるネタが採用された場合は番組に報告するように橋本が呼びかけたことがある&lt;ref&gt;2015年12月の放送にて。&lt;/ref&gt;。<br /> *2011年8月6日の「土曜ワラッター!」では、コーナー開始から現在までを振り返る特別編を放送、金曜時代の夏目・水戸コンビによる一夜限りの「どんだんず」(前述)が十数年ぶりにOAされた他、リスナー啓発のため、不採用となったネタ&lt;ref&gt;この時は投稿者の意思を尊重してか、住所とペンネームの公表を見送っている。&lt;/ref&gt;を朗読するという異例の試みがなされた。<br /> <br /> ==関連項目==<br /> *[[津軽弁の日]]&lt;br&gt;方言詩人・[[高木恭造]]の意を継いで毎年本人の命日(10月23日)に行われている、津軽弁による詩や体験談の朗読会。当コーナーと同様、RABで放送されている。<br /> *[[お国言葉で川柳、なもあんだも]]&lt;br&gt;[[NHK青森放送局]]で放送されている、方言を交えた[[川柳]]を紹介するテレビ番組。津軽弁はもとより南部弁や[[下北弁]]も交えての作品も募集している。<br /> *[[ローソン]] - 青森県内の店舗で毎年12月に当番組のCDが発売される。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> {{日清食品}}<br /> {{Radio-stub}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:こんしゆうのとんたんす}}<br /> [[Category:青森放送のラジオ番組]]<br /> [[Category:青森放送のテレビ番組]]<br /> [[Category:ローカル局の番組の企画]]<br /> [[Category:ラジオのバラエティ番組]]<br /> [[Category:方言をテーマにしたテレビ番組]]<br /> [[Category:方言をテーマにしたラジオ番組]]<br /> [[Category:日清食品一社提供番組]]</div> 211.15.40.102
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