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http:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=211.12.199.229&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-17T01:09:00Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 交響曲第9番 (ベートーヴェン) 2018-07-03T10:26:35Z <p>211.12.199.229: /* 再解釈の時代へ */ 新ベートーヴェン全集版HN4034,4035刊行について(ヘンレ社のフライヤーによる告知を元にした)。交響曲7,8番より先になった。</p> <hr /> <div>{{画像提供依頼 | 合唱付き管弦楽版 | type = 録音 | date = 2012年12月}}<br /> {{Listen<br /> | header = 交響曲第9番 (ベートーヴェン)&lt;br /&gt;~木管アンサンブル(合唱無し)版~<br /> | type = music<br /> | filename =PMLP01607-Symphony No.9, Op.125 (Beethoven, Ludwig van), I. Allegro ma non troppo, un poco maestoso.ogg | title = 第一楽章<br /> | filename2 = PMLP01607-Symphony No.9, Op.125 (Beethoven, Ludwig van), II. Scherzo, Molto vivace - Presto.ogg | title2 = 第二楽章<br /> | filename3 = PMLP01607-Symphony No.9, Op.125 (Beethoven, Ludwig van), III. Adagio molto e cantabile.ogg | title3 = 第三楽章<br /> | filename4 = PMLP01607-Symphony No.9, Op.125 (Beethoven, Ludwig van), IV Presto.ogg | title4 = 第四楽章<br /> }}<br /> {{External media<br /> | width = 310px<br /> | topic = 全曲を試聴する<br /> | audio1 = [https://www.youtube.com/watch?v=rOjHhS5MtvA Beethoven 9] - [[リッカルド・ムーティ]]指揮[[シカゴ交響楽団]]他による演奏。シカゴ交響楽団公式YouTube。<br /> | audio2 = [https://vimeo.com/127056984 Symfoni nr.9 (Beethoven)] - [[鈴木雅明]]指揮[[ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団]]他による演奏。ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団公式Vimeo。<br /> | audio3 = [https://vimeo.com/groups/211565/videos/76521237 BEETHOVEN - Symphony No.9] - [[ケント・ナガノ]]指揮[[エーテボリ交響楽団]]他による演奏。エーテボリ交響楽団公式Vimeo。<br /> | audio4 = [https://www.youtube.com/watch?v=gT91esZK90I Beethoven:9.Sinfonie] - [[アンドレス・オロスコ=エストラーダ]]指揮[[hr交響楽団]]他による演奏。hr交響楽団YouTube。<br /> | audio5 = [http://www.dw.com/en/listen-kurt-masur-conducts-beethovens-symphony-no-9/a-18945866 Beethoven&#039;s Symphony No.9] - [[クルト・マズア]]指揮[[ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団]]他による演奏。[[ドイチェ・ヴェレ|ドイチェ・ヴェレ(DW)]]公式Webサイトより。<br /> | audio6 = [https://www.youtube.com/watch?v=XRdUdWwVca4 Beethoven - Negende Symfonie (Symfonie nr.9)] - [[トマス・ツェートマイアー]]指揮オランダ放送室内フィルハーモニー(Radio Kamer Filharmonie)他による演奏。[[オランダ公共放送|オランダ公共放送(NPO)]]「[[:en:NPO Radio 4|Radio 4]]」公式YouTube。<br /> | audio7 = [https://www.youtube.com/watch?v=hoINrtIWpTA Beethoven Symphony No 9] - TEMPUS Collection公式YouTube。「テンポ・ジュスト理論」実践者のマキシミアンノ・コブラによる指揮。<br /> }}<br /> {{Portal クラシック音楽}}<br /> [[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン]]の&#039;&#039;&#039;交響曲第9番&#039;&#039;&#039;(こうきょうきょくだい9ばん)&#039;&#039;&#039;ニ短調作品125&#039;&#039;&#039;({{Lang-de|&#039;&#039;&#039;Sinfonie Nr. 9 d-moll op. 125&#039;&#039;&#039;}})は、ベートーヴェンが[[1824年]]に作曲した[[ソロ (音楽)|独唱]]と[[合唱]]を伴う[[交響曲]]。ベートーヴェンの9番目にして最後の[[交響曲]]である&lt;ref&gt;[[交響曲第10番 (ベートーヴェン)|第10番]]は断片的なスケッチが残されたのみで完成されていない&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ベートーヴェン自身は表題をつけなかったが、副題として「&#039;&#039;&#039;合唱&#039;&#039;&#039;」や「&#039;&#039;&#039;合唱付き&#039;&#039;&#039;」が付されることも多い。また日本では親しみを込めて「&#039;&#039;&#039;第九&#039;&#039;&#039;」(だいく)とも呼ばれる。第4楽章は独唱および[[合唱]]を伴って演奏され、歌詞には[[フリードリヒ・フォン・シラー|シラー]]の詩『歓喜に寄す』が用いられる。第4楽章の主題は『&#039;&#039;&#039;[[歓喜の歌]]&#039;&#039;&#039;』としても親しまれている。原曲の歌詞はドイツ語だが、世界中のあらゆる言語に翻訳されており、その歌詞で歌われることもある。[[古典派音楽|古典派]]の以前の音楽の集大成ともいえるような総合性を備えると同時に、来たるべき[[ロマン派音楽]]の時代の道標となった記念碑的な大作である。<br /> <br /> 第4楽章の[[歓喜の歌|「歓喜」の主題]]は[[欧州評議会]]において「[[欧州の歌]]」としてヨーロッパ全体を称える歌として採択されているほか、[[欧州連合]]においても連合における統一性を象徴するものとして採択されている。このほか、[[コソボ共和国]]の暫定国歌として制定、[[ローデシア]]の国歌&lt;ref&gt;[https://web.archive.org/web/20071214092053/http://www.rhodesia.jp/profile.html ローデシアの概要]&lt;/ref&gt;としても制定されていた。[[ベルリン国立図書館]]所蔵の自筆譜資料は[[2001年]]に[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の『[[ユネスコ記憶遺産]]』リストに登録された。初演/初版の版刻に用いられた筆写スコアが[[2003年]]に[[サザビーズ]]で競売にかけられた際には、「人類最高の芸術作品」と紹介されている。&lt;ref&gt;{{Cite news |title=「第九」手書き楽譜を公開 NY、楽聖のコメントも |newspaper=[[共同通信社|共同通信]]([[47NEWS]]) |date=2003-05-10 |url=http://www.47news.jp/CN/200305/CN2003051001000055.html |accessdate=2017-04-22 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141228094438/http://www.47news.jp/CN/200305/CN2003051001000055.html |archivedate=2014年12月28日 }} ※ 現在は[[インターネットアーカイブ]]内に残存&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 概要 ==<br /> [[File:Ninth Symphony original.png|thumb|自筆譜]]<br /> 元来、交響曲とは[[ソナタ]]の形式で書かれた[[管弦楽]]のための楽曲で、第1楽章が[[ソナタ形式]]、第2楽章が緩徐楽章、第3楽章が[[メヌエット]]、第4楽章がソナタや[[ロンド形式|ロンド]]という4楽章制の形式が一般的であった。ベートーヴェンは交響曲の第3楽章に[[スケルツォ]]を導入したり、[[交響曲第6番 (ベートーヴェン)|交響曲第6番]]では5楽章制・擬似音による風景描写を試みたが、交響曲第9番では第2楽章をスケルツォとする代わりに第3楽章に瞑想的で宗教的精神性をもった緩徐楽章を置き、最後の第4楽章に4人の[[独唱]]と[[混声合唱]]を導入した。ゆえに「&#039;&#039;&#039;合唱付き&#039;&#039;&#039;」(&#039;&#039;&#039;Choral&#039;&#039;&#039;)&lt;ref&gt;ドイツ語の原題ではこの曲は Sinfonie mit Schlusschor über Friedrich Schillers Ode &quot;An die Freude&quot; (フリードリヒ・シラーの頌歌『歓喜に寄す』に基づく終結合唱を伴う交響曲)とされており、ドイツ語では &quot;Chor&quot;(合唱)であり &quot;Choral&quot; ではない。日本でCDの表記などに一般的に用いられている &quot;Choral&quot; は英語であり、「合唱の」「合唱」という一般的な[[形容詞]]、[[名詞]]だと考えられる。英語の &quot;Choral (Chorale)&quot; には「[[コラール]]」にあるように「[[賛歌]]」「[[賛美歌]]」という意味もあるのだが、ドイツ語においては &quot;Chor&quot; と &quot;Choral&quot; は明瞭に区別されているので、この交響曲のニックネームである &quot;Choral&quot; をコラールに結びつけるのは適当ではない。&lt;/ref&gt;と呼ばれることもあるが、ドイツ語圏では副題は付けず、単に「交響曲第9番」とされることが多い。第4楽章の旋律は有名な「[[歓喜の歌]](喜びの歌)」で、[[フリードリヒ・フォン・シラー]]の詩『歓喜に寄す』から3分の1程度を抜粋し、一部ベートーヴェンが編集した上で曲をつけたものである。交響曲に[[声楽]]が使用されたのはこの曲が必ずしも初めてではなく、[[ペーター・フォン・ヴィンター]]による『戦争交響曲』などの前例があるものの、真に効果的に使用されたのは初めてである。<br /> <br /> なお、ベートーヴェン以降も声楽付き交響曲は珍しい存在であり続けた。[[エクトル・ベルリオーズ|ベルリオーズ]]や[[フェリックス・メンデルスゾーン|メンデルスゾーン]]、[[フランツ・リスト|リスト]]などが交響曲で声楽を使用しているが、声楽付き交響曲が一般的になるのは第九から70年後、[[グスタフ・マーラー|マーラー]]の『[[交響曲第2番 (マーラー)|復活交響曲]]』が作曲されたころからであった。<br /> <br /> 大規模な編成や1時間を超える長大な演奏時間、それまでの交響曲でほとんど使用されなかった[[ティンパニ]]以外の打楽器([[シンバル]]や[[トライアングル]]など)の使用、ドイツ・ロマン派の萌芽を思わせる瞑想的で長大な緩徐楽章(第3楽章)の存在、そして独唱や混声合唱の導入など、彼自身のものも含むそれ以前の交響曲の常識を打ち破った大胆な要素を多く持ち、[[フランツ・シューベルト|シューベルト]]や[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]、[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]、[[グスタフ・マーラー|マーラー]]、[[ドミートリイ・ショスタコーヴィチ|ショスタコーヴィチ]]など、後の交響曲作曲家たちに多大な影響を与えた。また、ベートーヴェンの型破りな精神を受け継いだ[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]や[[フランツ・リスト|リスト]]は、交響曲という殻そのものを破り捨て全く新しいジャンルを開拓した。このように、交響曲作曲家以外へ与えた影響も大きい。<br /> <br /> [[日本]]では、年末になると各地で第九のコンサートが開かれる。近年では、単に演奏を聴くだけではなく、アマチュア合唱団の一員として演奏に参加する愛好家も増えつつある。日本での圧倒的な人気の一方で、[[ヨーロッパ]]において[[オーケストラ]]に加え独唱者と[[合唱団]]を必要とするこの曲の演奏回数は必ずしも多くないが、音盤の制作は豊富な方であり、フランソワ・グザヴィエ=ロトがBBCウェールズ交響楽団を指揮したディスクが、雑誌のおまけに付くということがあった。<br /> <br /> === 演奏時間 ===<br /> 全体の演奏時間は、1980年代ごろまでの伝統的なモダン楽器による演奏では70分前後が主流であった。ベートーヴェンの交響曲中で最長である。80分に届こうとするもの&lt;ref&gt;[https://archive.is/RxSDw 外部リンク]&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[カール・ベーム]]が最晩年の1980年に録音した演奏は18:34/13:22/18:15/28:35で78分を超える。&lt;/ref&gt;まであった。<br /> <br /> [[ウィーン]]初演での演奏時間は、明確な数字が記された書類は無いが、[[1825年]][[3月21日]]にロンドンで『第九』を初演した[[ジョージ・スマート]]がベートーヴェンと会見した際の質疑応答の断片がベートーヴェンの会話帳に残っており、63分という数字がロンドン初演時の演奏時間とされている&lt;ref&gt;初演を報じるイギリスの新聞では「ちょうど1時間と5分」という数字も伝えられている。会話帳にはこの次に「45分」という記述もある(第2楽章から第4楽章まで何分ですかという問いが消失した可能性がある。)が、あまりに短すぎるということで『第九』全曲の演奏時間とは見なされていない。また第1楽章の[[テンポ]]も「4分音符=88」が採用されているが、自筆スコアでは「メルツェル=108から120」という数字が書かれており、実行すれば3分以上の短縮になる。これも不自然に速過ぎ、ベートーヴェンの勘違いではないかと考えられている。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 「通常の[[コンパクトディスク|CD]]の記録時間が約74分であることは、この曲が1枚のCDに収まるようにとの配慮の下で決められた」とする説がある&lt;ref&gt;[[1979年]](昭和54年)からCD の開発に当たった[[フィリップス]]と[[ソニー]]はディスクの直径を11.5cmとするか12cmとするかで何度も議論を重ねており、大きさを基準に考えるフィリップスに対し、記録時間を優先したいソニーで話し合いは難航していた。11.5cmであることの様々な利便性は明らかであったが、当時のソニー副社長でバリトン歌手の大賀典雄は、親交のあったカラヤンに、11.5cm(60分)と12cm(74分)との二つの規格で二者択一の段階に来ていることを話すと、カラヤンは「ベートーベンの交響曲第九番が1枚に収まったほうがいい」と提言した。カラヤンの「第9」は約63分~69分であり、ほとんどの指揮者による演奏時間は60分を超えているからだ。この「カラヤン裁定」を要因として、最終的に12cmに決定したというもの。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> CD時代に入って、それまで重要視されて来なかった楽譜(普及版)のテンポ指示を遵守して演奏された『第九』が複数出現し、{{仮リンク|ベンジャミン・ザンダー|en|Benjamin Zander}}指揮{{仮リンク|ボストン・フィルハーモニー管弦楽団|en|Boston Philharmonic}}による演奏は全曲で58分を切った(57&#039;51&quot;)。マーラー編曲版でも59分44秒で終わる快速の演奏がある&lt;ref&gt;Tonkünstler-Orchester Niederösterreich, Slowakischer Philharmonischer Chor, Reinhard Mayr, Gabriele Fontana, Arnold Bezuyen, Barbara Hölzl, Kristjan Järvi Vienna : Preiser Records, 2009 1 SACD (59分44秒) ; 12 cm + 1 booklet (28 lk.)&lt;/ref&gt;。<br /> 研究家が考証を行なった[[古楽器]]による演奏では大概63分程度であり、ほぼ妥当なテンポと見なされている。ただし、さらに研究が進んでテンポの数字も代筆されたものであることが判明し、ベートーヴェンが望んだテンポについての議論が決着したわけではない。<br /> <br /> == 作曲の経緯 ==<br /> [[File:Beethoven Ninth Symphony.gif|thumb|right|250px|直筆譜]]<br /> ベートーヴェンがシラーの詞『歓喜に寄す』にいたく感動し、曲をつけようと思い立ったのは、[[1792年]]のことである。ベートーヴェンは当時22歳でまだ[[交響曲第1番 (ベートーヴェン)|交響曲第1番]]も作曲していない時期であり、ベートーヴェンが長きに渡って構想を温めていたことがわかる。ただし、この時点ではこの詞を交響曲に使用する予定はなかったとされる。<br /> <br /> [[交響曲第7番 (ベートーヴェン)|交響曲第7番]]から3年程度を経た[[1815年]]ごろから作曲が開始された。さらに[[1817年]]、[[ロンドン]]の[[ロイヤル・フィルハーモニック協会|フィルハーモニック協会]]から交響曲の作曲の委嘱を受け、これをきっかけに本格的に作曲を開始したものと見られる。実際に交響曲第9番の作曲が始まったのはこのころだが、ベートーヴェンは異なる作品に何度も旋律を使いまわしているため、部分的にはさらに以前までさかのぼることができる。<br /> <br /> ベートーヴェンは第5、第6交響曲、および第7、第8交響曲を作曲したときと同じように、当初は2曲の交響曲を並行して作曲する計画を立てていた。ひとつは声楽を含まない器楽のみの編成の交響曲であり、さらに別に声楽を取り入れた交響曲『ドイツ交響曲』の制作を予定していた。しかしさまざまな事情によって、交響曲を2つ作ることを諦めて2つの交響曲のアイディアを統合し、現在のような形となった。歓喜の歌の旋律が作られたのは[[1822年]]ごろのことである。なお、当初作曲されていた第4楽章の旋律は、のちに[[弦楽四重奏曲第15番 (ベートーヴェン)|弦楽四重奏曲第15番]]の第5楽章に流用された。[[1824年]]に初稿が完成。そこから初演までに何度か改訂され、[[1824年]][[5月7日]]に初演(後述)。初演以後も改訂が続けられている。楽譜は[[1826年]]に[[:en:Schott Music|ショット社]]より出版された。<br /> <br /> この作品は、当初はロシア皇帝[[アレクサンドル1世]]に献呈される予定だったが、崩御により[[フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム3世]]に献呈された。<br /> <br /> == 初演 ==<br /> 初演に携わった管弦楽・合唱のメンバーはいずれもアマチュア混成で、管楽器は[[倍管|倍の編成]](木管のみか金管を含むか諸説ある)、弦楽器奏者も50人ほどで、管弦楽だけで80 - 90名の大編成だった。合唱はパート譜が40部作成されたことが判っており、原典版を編集した[[ジョナサン・デルマー]]は「合唱団は40人」としているが、劇場付きの合唱団が少年・男声合唱団総勢66名という記述が会話帳にあり、楽譜1冊を2人で見たとすれば「80人」となる&lt;ref&gt;楽譜を複数人で視唱するやり方は楽譜複製を筆写に拠っていた18世紀中は珍しくなかったようで、その様子を描いた画も残っている。これは[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]の[[マタイ受難曲]]における「合唱は1パート1人ずつ」という学説の反証の一つともなっている。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 演奏史 ==<br /> === 初演 ===<br /> [[File:Beethoven 6.jpg|thumb|right|200px|[[1824年]]のベートーヴェン]]<br /> 初演は[[1824年]][[5月7日]]、ベートーヴェンによる立ち会いの下、ウィーンの[[ケルントナートーア劇場|ケルントネル門劇場]]において[[ミサ・ソレムニス]]の「キリエ」「クレド」「アニュス・ディ」、「献堂式」序曲とともに初演された。指揮はミヒャエル・ウムラウフ(&#039;&#039;Michael Umlauf&#039;&#039; )。<br /> <br /> 当時のウィーンでは[[ジョアキーノ・ロッシーニ|ロッシーニ]]のオペラが流行していたため、ベートーヴェンは当初、ウィーンの聴衆には自分の音楽がそぐわないと判断し、[[ベルリン]]での初演を希望していた。だが、ベートーヴェンを支援していたリヒノフスキー伯爵らの計らいでウィーンでの初演を求める嘆願書が作られ、ベートーヴェンはベルリン初演を思い留めた。<br /> <br /> ベートーヴェンは当時既に聴力を失っていたため、ウムラウフが正[[指揮者]]として、ベートーヴェンは各楽章のテンポを指示する役目で指揮台に上がった。ベートーヴェン自身は初演は失敗だったと思い、演奏後も聴衆の方を向くことができず、また拍手も聞こえなかったため、聴衆の喝采に気がつかなかった。見かねたアルト歌手のカロリーネ・ウンガーがベートーヴェンの手を取って聴衆の方を向かせ、はじめて拍手を見ることができた、という逸話がある。観衆が熱狂し、[[アンコール]]では2度も第2楽章が演奏され、3度目のアンコールを行おうとして兵に止められたという話まで残っている。<br /> <br /> このように「好評」の逸話が残る初演だが、その根拠は繰り返された喝采やアンコール、会話帳に残るベートーヴェン周辺の対話におかれており、「ベートーヴェンの愛好家ばかりが騒いでいた」という否定的な証言もある&lt;ref&gt;エステルハージ家の秘書官だったJ.C.Rosenbaum(1770-1829)の日記より。&quot;The diaries of Joseph Carl Rosenbaum&quot;はHaydon Yearbook V所収。日本語ではC.ダールハウス著/杉橋陽一・訳「ベートーヴェンとその時代(西村書店,1997)」p.384で紹介。&lt;/ref&gt;。ソプラノソロの[[ヘンリエッテ・ゾンターク|ゾンターク]]は18歳、アルトソロのウンガーは21歳という若さに加え、男声ソロ2名は初演直前に変更になってしまい(バリトンソロのザイペルトが譜面を受け取ったのは、初演3日前とされる)、ソロパートはかなりの不安を抱えたまま、初演を迎えている。さらに、総練習の回数が2回と少なく、管楽器のエキストラまで揃ったのが初演前日とスケジュール上ギリギリであったこと、演奏者にはアマチュアが多く加わっていたこと(長年の戦争でプロの演奏家は人手不足だった。例えば初演の企画段階でも「ウィーンにはコンサート・ピアニストが居ない」と語られている)、加えて合奏の脱落や崩壊を防ぐためピアノが参加して合奏をリードしていた&lt;ref&gt;これはベートーヴェンに限った問題ではなく、クレメンティも自作の交響曲の際にピアノを用い、ピアノの音とオーケストラの音が度々ずれると記録が残されている。(クレメンティ 生涯と音楽 - レオン プランティンガ、ISBN-13: 978-4276222175 音楽之友社)&lt;/ref&gt;。過去[[1809年]]の『[[合唱幻想曲]]』の初演では実際に合奏が崩壊して、最初から演奏し直して大失敗した。<br /> <br /> さらに[[5月23日]]に会場をより大きなレドゥーテンザールに移して催された再演は、会場の半分も集客出来ず大失敗であった。ウィーンの聴衆の受けを狙って[[ジョアキーノ・ロッシーニ|ロッシーニ]]のオペラ・アリアを入れたこと、昼間の演奏会だったので人々がピクニックに出かけてしまったことなどの理由を述べた書き込みが会話帳に残っている。<br /> <br /> なお初演の収入は会場使用料や写譜代金などを差し引いて420[[グルデン]]という数字が伝えられている。シンドラーの「2000グルデンは儲かる」という話をはじめとして「成功間違い無し」と周囲に吹き込まれて開いた演奏会でもあり、この金額はベートーヴェンには明らかに少なかった。再演ではあらかじめ1200グルデンがベートーヴェンに支払われている。後年プロイセン王への献呈の際、ベートーヴェンに指輪が贈られたが、宝石鑑定士に鑑定させた結果300グルデンと判るとベートーヴェンは安過ぎると怒り、売り払ってしまった。その指輪は今でも行方不明である。<br /> <br /> その後、ヨーロッパ各地で何回か演奏が試みられたが、全て失敗か微妙な評価に終わった。また、第4楽章がその前の三つの楽章に比べて「異質」とされ、「長大すぎる」ということで演奏機会に恵まれなくなった。実際にベートーヴェンも初演の後、第4楽章を器楽のみの編成に書き改める、またソロ・テナーパートを歌いやすくすることを計画していた。1827年、まともに評価されることなくベートーヴェンは死去する。<br /> <br /> 初演以外の演奏が失敗に終わった理由の一つに、当時のオーケストラの演奏水準の問題があった。ベートーヴェンの時代は、プロの音楽家養成機関が未整備で、宮廷オーケストラの類を除くと、「プロ・オーケストラ」は民間に存在しなかった。プロ・オーケストラによる正当な演奏は後世を待たなければならなかった。<br /> <br /> === パリでの部分的再演 ===<br /> 世界初の音楽学校として設立された[[パリ音楽院]]の卒業生[[フランソワ・アントワーヌ・アブネック]]は、[[パリ国立オペラ|パリ・オペラ座]]管弦楽団のヴァイオリン奏者として活躍した後、指揮者に転向し、[[1828年]]、母校に[[パリ音楽院管弦楽団]]を創立した。体系化された音楽教育を受けたメンバーによるこの[[パリ音楽院管弦楽団]]は、「比類なき管弦楽団」「ヨーロッパ最高水準のオーケストラ」という評判を勝ち取る。そのアブネックは、ベートーヴェンの信奉者であった。ベートーヴェンの交響曲の楽譜を徹底的に分析し、自身が指揮者をつとめる[[パリ音楽院管弦楽団]]演奏会のメイン・プログラムに据えたのである。<br /> <br /> [[1831年]]、3年の準備期間を経てアブネックは初めて『第九』を指揮・演奏した。ただし、第4楽章は上記のような理由で演奏されず、第1-3楽章のみの演奏だった。その後、アブネックは度々、「第4楽章抜きの第九」を演奏した。この演奏を聴いて感銘を受けた2人の作曲家兼指揮者がいた。<br /> <br /> 一人は、当時パリ音楽院の学生だった[[エクトル・ベルリオーズ]]。彼は、ベートーヴェンを模範として作曲に励むことになる。もう一人は、オペラ作曲家としての成功を夢見てパリに来ていたドイツの[[リヒャルト・ワーグナー]]である。結局、ワーグナーはパリで成功を収めることができず、失意のうちにドイツへ戻ることになるが、アブネックによるベートーヴェンの交響曲演奏会の記憶は感激として残った。そして、いつか『第九』を全楽章、復活演奏することを夢見るのである。このころから第9は複数人の作曲家によるピアノ編曲がなされて地味に浸透し始める。<br /> <br /> === ワーグナーによる復活演奏 ===<br /> [[リヒャルト・ワーグナー]]は少年時代からベートーヴェンの作品に熱中し、図書館から借りてきた彼の楽譜を筆写していた。『第九』も例外ではなく、ピアノ編曲までしたほどである。パリで成功を収めることができなかった彼は故郷のドイツへ帰り、[[1842年]][[ドレスデン]]で歌劇『[[リエンツィ]]』を上演、大好評を博した。この功績により、[[ドレスデン国立歌劇場管弦楽団]](当時は[[ザクセン王国]]の宮廷楽団)の指揮者に任命された彼は、念願の『第九』復活演奏に着手する。<br /> <br /> [[ドレスデン]]では、毎年[[復活祭]]の直前の日曜日にオーケストラの養老年金の基金積み立てのための特別演奏会が催されていた。この演奏会では[[オラトリオ]]と交響曲が演奏されるのが定番となっていた。[[1846年]]、ワーグナーはこの演奏会でベートーヴェンの『第九』を取り上げることを宣言した。猛反対の声が挙がったが、彼は反対派説得のためにパンフレットや解説書を書いて説得につとめるとともに、『第九』の楽譜に改訂を加えた。<br /> <br /> 彼は、「ベートーヴェンの時代は楽器が未発達」であり、「作曲者は不本意ながら頭に描いたメロディ全てをオーケストラに演奏させることができなかった」と考えたのである。そして「もしベートーヴェンが、現代の発達した楽器を目の当たりにしたら、このように楽譜を加筆・改訂するだろう」という前提に立って、管楽器の補強などを楽譜に書き込んだ。<br /> <br /> 徹底的なリハーサルの効果もあり、この演奏会は公開練習のときから満員となり、本番も大成功に終わった。もちろん、年金基金も記録的な収入だった。これ以降、『第九』は「傑作」という評価を得るようになったのである。&lt;ref&gt;ワーグナー改変版は販売されなかったが、ピアノ編曲版が販売された。[https://archive.is/CljeC 外部リンク]&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === 日本初演 ===<br /> [[1918年]](大正7年)[[6月1日]]に、[[徳島県]][[板東町]](現・[[鳴門市]])にあった[[板東俘虜収容所]]で、ドイツ兵捕虜により全曲演奏がなされたのが、日本における初演とされている。この事実は[[1941年]](昭和16年)に、この初演の2ヶ月後に板東収容所で『第九』(第1楽章のみ)を聴いた[[徳川頼貞]]が書いた『薈庭楽話』で明らかにされていたが、長く無視され、[[1990年代]](平成2年)になって脚光を浴びた。映画『[[バルトの楽園]]』(出演:[[ブルーノ・ガンツ]]、[[松平健]]ほか)は、このエピソードに基づくものであるものの一部相違点があった(相違点は後述)。ただし、収容所に女性はいないので、独唱と合唱は全て男声用に編曲された。また、ファゴットとコントラファゴットが無かったので、オルガンで代用するなどした。そのため、これを初演とは言えないとする意見がある。練習場としては、声が響く風呂場が使用された&lt;ref&gt;[https://web.archive.org/web/20120426221648/http://www.topics.or.jp/localNews/news/2012/04/2012_133524563153.html 捕虜作成の測量図「正確」 板東収容所跡調査まとめ] - 徳島新聞2012年4月24日《2017年4月22日閲覧;現在は[[インターネットアーカイブ]]内に残存》&lt;/ref&gt;。鳴門市では日本における第九初演を記念して毎年6月の第一日曜日を『第九の日』に制定して定期演奏会を開催している&lt;ref&gt;{{Cite journal |和書|title=『鳴門の第九』というブランド |date=2011-07-01 |publisher=[[鳴門市]]秘書広報課 |journal=広報なると |issue=723 |pages=1-7 |url=http://www.city.naruto.tokushima.jp/_files/00061070/201107.pdf |format=PDF |accessdate=2017-04-22 |quote=全7頁構成。4頁目左上『第1回鳴門「第九」演奏会』欄中に「第九の日」制定に至る経緯に関する記述有}}《{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20170421234433/http://www.city.naruto.tokushima.jp/_files/00061070/201107.pdf →アーカイブ]}}》&lt;/ref&gt;。初演から100周年を迎えた2018年6月1日には、[[鳴門市ドイツ館]]前の広場で、当時とほぼ同時刻から、初演時と同じ男性のみの合唱編成による演奏会が開催された&lt;ref&gt;{{Cite news|url=https://mainichi.jp/articles/20180603/ddl/k36/040/335000c|title=第九 鳴門で初演100周年 再現に喝采 歓喜の歌声響く|newspaper=毎日新聞|date=2018-06-03|accessdate=2018-06-05}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 『バルトの楽園』では、近隣住民を招待してこの第九演奏会を見せたことになっているが、実際には収容所内の演奏会だったため、『第九』を聴けた日本人は、収容所関係者のみだった。<br /> <br /> [[1919年]](大正8年)12月3日、[[福岡県]]の久留米高等女学校(現・福岡県立明善高等学校)に[[久留米俘虜収容所]]のオーケストラのメンバーが出張演奏し、様々な曲に交じって『第九』の第2・第3楽章を女学生達に聞かせた。これが一般の日本人が『第九』に触れた最初だと言われている。<br /> 二日後の12月5日、久留米収容所内で男声のみと不完全な楽器編成での全曲演奏がなされた。<br /> <br /> [[1924年]](大正13年)1月26日、[[九州帝国大学]]の学生オーケストラ、「フィルハーモニー会」(現在の[[九大フィルハーモニーオーケストラ]])が当時の[[摂政宮]](後の[[昭和天皇]])の御成婚を祝って開いた「奉祝音楽会」で『第九』の第4楽章を演奏した。しかし、このときに歌われた歌詞は、ドイツ語でも日本語の訳詞でもなく、当時の[[文部省]]が制定した『皇太子殿下御成婚奉祝歌』の歌詞を『第九』のメロディにアレンジしたものだった。<br /> これを「日本人初の『第九』演奏」と見なすかどうかは、議論の余地がある。<br /> また、果たして第4楽章が通して演奏されたのか、それとも合唱を伴う部分を抜粋・編曲したものだったのかについても、当時の演奏資料が乏しく意見が分かれている。<br /> <br /> 日本での公式初演は、1924年(大正13年)11月29・30日に[[東京音楽学校]]のメンバーがドイツ人教授、グスタフ・クローンの指揮によって演奏したものだとされている。プロ・オーケストラによる日本初演は新交響楽団(現在の[[NHK交響楽団]]の前身)により[[1927年]](昭和2年)[[5月3日]]に行われた。<br /> <br /> 東京音楽学校での初演については、この演奏を聴いた最後の生き残りであった作家の[[埴谷雄高]]が、「演奏中に[[コンサートマスター|コンサートミストレス]]の安藤幸子([[幸田露伴]]の妹。姉の幸田延子ともども「上野の[[西太后]]」と呼ばれた)が早く弾きだした部分があり、演奏はガタガタとなってしまった」と証言している。<br /> <br /> 全員が外来演奏家による日本初演は[[カール・ベーム]]指揮の[[ベルリン・ドイツ・オペラ]]により[[1963年]](昭和38年)[[11月7日]]、[[日生劇場]]にて行われた。<br /> * [[ソプラノ]]:[[エリザベート・グリュンマー]]<br /> * [[メゾソプラノ]]:[[クリスタ・ルートヴィヒ]]<br /> * [[テノール]]:[[ジェームズ・キング (声楽家)|ジェームズ・キング]]<br /> * [[バリトン]]:[[ヴァルター・ベリー]]<br /> この演奏の終了後、熱狂的なファンがベームの足に抱きつき、ベームの身動きを取れなくした騒ぎもあった。<br /> <br /> === 日本での年末の演奏の歴史 ===<br /> [[1940年]](昭和15年)12月31日午後10時30分、[[紀元二千六百年記念行事]]の一環として、[[ヨーゼフ・ローゼンシュトック]]が新交響楽団(現在の[[NHK交響楽団]])を指揮して『第九』のラジオ生放送を行った。これを企画したのは当時、[[日本放送協会|日本放送協会(NHK)]]の洋楽課員だった[[三宅善三]]である。彼は、その理由について「ドイツでは習慣として[[大晦日]]に第九を演奏し、演奏終了と共に新年を迎える」としている。実際に、当時から現在まで年末に『第九』を演奏しているドイツのオーケストラとして、著名なところでは[[ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団]]が挙げられる。厳密にいうと、それを模倣するオーケストラがいくつかあるものの、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団による大晦日の『第九』演奏は、深夜に行われるものではない。よって、そういった慣習があるとは言えず、何らかの意思疎通や通訳の誤りが原因の勘違いをしたのではないのかと思われる。<br /> <br /> 日本で年末に『第九』が頻繁に演奏されるようになった背景には、戦後間もない[[1940年代]]後半、オーケストラ演奏の収入が少なく、楽団員が年末年始の生活に困る状況を改善するため、合唱団も含めて演奏に参加する楽団員が多く、しかも当時(クラシックの演奏の中では)「必ず(客が)入る曲目」であった『第九』を日本交響楽団(現在の[[NHK交響楽団]])が年末に演奏するようになり、それが定例となったことが発端とされる。既に大晦日に生放送をする慣習が定着していたから、年末の定期演奏会で取り上げても何ら違和感が無かったことも一因として挙げられよう&lt;ref&gt;[[黒柳徹子]]は父の[[黒柳守綱]](新交響楽団(現在の[[NHK交響楽団]])の元[[コンサートマスター]])から聞いた話として、学生合唱団を加えた演奏を行うことにより、合唱団員の家族などがチケットを購入することで年末の演奏会の入場者数を増やして、楽団員のもち代を稼ぐというアイディアだったと説明している。「TOKYO発 年末第九再発見-演奏年200回超 誕生を探る」 [[東京新聞]] 2007年12月25日朝刊、[[中日新聞]]東京本社。&lt;/ref&gt;。昭和31年に[[群馬交響楽団]]が行った群馬での第九演奏会の成功が全国に広まったのをきっかけに、国内の年末の『第九』の演奏は急激に増え、現在に至っている&lt;ref&gt;NHK プロジェクトX〜挑戦者たち〜 第127回 「第九への果てなき道」(群馬交響楽団 10月14日)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === バイロイト音楽祭と第九 ===<br /> [[1872年]]、[[バイロイト]]に祝祭劇場を建設する際、その定礎の記念として選帝侯劇場にて[[リヒャルト・ワーグナー]]の指揮で『第九』が演奏された。その所縁もあり、『第九』は[[バイロイト音楽祭]]においてワーグナーの歌劇・楽劇以外で演奏される唯一の曲となっている。以後、何度か演奏されている。[[1933年]][[リヒャルト・シュトラウス]]、[[1951年]]と[[1954年]][[ヴィルヘルム・フルトヴェングラー]]、[[1953年]][[パウル・ヒンデミット]]、[[1963年]][[カール・ベーム]]、[[2001年]][[クリスティアン・ティーレマン]]。<br /> <br /> === ライプツィヒ・ゲヴァントハウスと12月31日の第九 ===<br /> [[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-Z1008-030, Leipzig, &quot;Neues Gewandhaus&quot;, Konzert.jpg|thumb|250px|1981年の新ゲヴァントハウスこけら落とし公演]]<br /> [[1918年]]、第一次世界大戦が終結となった年の暮れ、ヨーロッパの人々の新年への願いは平和であった。当時は[[ライプツィヒ]]の郊外の村であり、現在はライプツィヒの一部である[[ゴーリス]]という土地に住んでいたときにシラーが『歓喜に寄す』を書いたという縁もあり、「人類すべてがきょうだいになる」という平和への願いこそが人々の思うところであった。12月31日の午後、日が暮れる時間に労働者教養協会のイニシアチブにより100人の演奏家と300人の歌手によってベートーベンの第九は演奏された。その伝統はゲヴァントハウス管弦楽団によって受け継がれ、毎年暮れになるとライプツィヒでは翌年の平和を祈って演奏され続けている。(現在の大晦日コンサート開演時間は午後5時)<br /> 1944年、ライプツィヒのコンサートホール、[[ゲヴァントハウス]]は戦火に焼けた。1968年の完全破壊を経て1981年、新しいゲヴァントハウスが建築されると[[クルト・マズア]]は生まれ変わったゲヴァントハウスのオープニング・コンサートの主要プログラムとしてベートーベンの第九を選んだ。[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]崩壊後の統一ドイツではMDR=[[:de:Mitteldeutscher Rundfunk|Mitteldeutscher Rundfunk]] (中部ドイツ放送協会)が1992年に旧東ドイツ圏内に再設立され、それ以来毎年の大晦日の午後、「暗くなり始める時間」にシラーやベートーベンが世界に、人類に望んだ平和を歌い上げる第九交響曲が演奏され、多くの国々にMDRテレビやMDRラジオ[[:de:MDR Figaro|Figaro]]によって同時放映、同時放送される。19回目の2010年には香港、オランダ、アメリカなどにも演奏がライブ放映・放送された。<br /> <br /> === フルトヴェングラーと第九 ===<br /> 指揮者[[ヴィルヘルム・フルトヴェングラー|フルトヴェングラー]]は第二次世界大戦前、1911年から1940年まで既に61回『第九』を指揮したとされる。その解釈は荘厳、深遠でありながら感情に流され過ぎず、友人でもあった音楽学者[[ハインリヒ・シェンカー]]の分析からも影響を受けている。第4楽章330小節のフェルマータを非常に長く伸ばし同時間の休止を設けるというワーグナー由来の特徴も見られ、自身の著作でも第1楽章の開始を宇宙の創世と捉えるなど後の世代にも影響を与えたが、後の世代の演奏は[[アルトゥーロ・トスカニーニ|トスカニーニ]]流の明晰な演奏が主流となり、[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]開始を思わせるフルトヴェングラーの解釈は、現在ではベートーヴェンにしてはあまりに後期ロマン主義的、神秘主義的に過ぎる、とされることが多い。&lt;ref&gt;トスカニーニとフルトヴェングラーの芸術性の違いを示す例として、音楽著述家のハンス・ケラーはドキュメンタリー「アート・オブ・コンダクティング」でトスカニーニ指揮の『第九』演奏会で客席に居たフルトヴェングラーが第1楽章冒頭の弦楽器による6連符刻みを聴くなり「時間刻み屋!(time beater)」と大声で野次を飛ばし退席したエピソードを示し、不明瞭に演奏されたフルトヴェングラー指揮の冒頭部分と比較している。&lt;/ref&gt;&lt;br/&gt;[[第二次世界大戦]]中ドイツに留まり活動していたフルトヴェングラーは[[1942年]]4月19日、ヒトラーの誕生日前日に『第九』を指揮し[[ヨーゼフ・ゲッベルス|ゲッベルス]]と握手する姿が映画に撮影されるなど政治宣伝に利用され、戦後連合国からナチスとの関わりを責められ一時活動の機会を失うことになった。<br /> <br /> [[1951年]]7月末、終戦後初の[[バイロイト音楽祭]]でフルトヴェングラーは『第九』を指揮し再開を祝した。他の演目を録音しに訪れていたレコード会社デッカのスタッフも出演者たちも、この第九に常軌を逸した緊張感があったと語っている。しかし録音そのものは1951年当時の技術水準(ステレオ録音も不可能ではなかった)を考慮しても鮮明さを欠いたものであった。もともとこの演奏のレコード化は正規のものではなく、発売元となった[[EMI]]のプロデューサー[[ウォルター・レッグ]]はフルトヴェングラーから録音を拒否されていた(表向きは「[[バイロイト祝祭劇場|バイロイト]]の音響が録音向きではないから」としているが、当時EMIはフルトヴェングラーが忌み嫌っていたカラヤンと友好関係にあり、フルトヴェングラーの信頼を失いつつあった)。そのためフルトヴェングラーの生前には発売されなかった上、録音テープが廃棄されかかったという逸話もある。&lt;ref&gt;音質の弱みに関しては「視界に入ると気が散る」と言ってマイクロフォンを撤去させる事もあったフルトヴェングラーにも一因はあろう(デッカのジョン・カルショウによる)。レッグが妻も出演したこの演奏を名演と認めていなかったのは明らかで、指揮者の妻エリザベート夫人の証言によればこの日の終演後楽屋を訪れ感想を求められたレッグは「今日の出来は今一つ。昔はもっと良かった」と言ってフルトヴェングラーを落ち込ませたという。モノラルLP盤からCD化を行ったグランドスラム盤解説に祥訳あり。&lt;/ref&gt;<br /> <br /> しかしフルトヴェングラーの死後にEMIからレコードとして発売されると、日本の評論家達は大絶賛し、今でも「第九のベスト演奏」に挙げられることが多い。録音に問題ありという認識の裏返しでEMIから音質の改善を謳ったCDが何種類も発売されており、初期LPから復刻したCDも複数の企画がある。&lt;br/&gt;<br /> 近年もう一種類の録音(バイエルン放送の放送録音)がCD化(「オルフェオ」レーベル)され、本番なのかリハーサルテープなのかの諸説があるが、「こちらこそ真のバイロイトの第九」と賞賛する声もある&lt;ref&gt;レコード芸術誌に載った中村政行の報告によると、バイエルン放送のテープはEMI盤でも音質変化の認められる2か所で編集が施されているだけでなく、「断片的であっても放送利用は禁止」という指示が添えられているが、今日では経緯や理由を知る関係者はなく、解明も進んでいない。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 戦後復興と第九 ===<br /> [[1955年]]に、戦争で破壊された[[ウィーン国立歌劇場]]が再建された際にも、[[ブルーノ・ワルター]]指揮・[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]で『第九』が演奏された。なお、再建の[[こけら落し]]は[[カール・ベーム]]指揮の歌劇『[[フィデリオ]]』だった。当初音楽監督のベームはワルターに『[[ドン・ジョヴァンニ]]』の指揮を依頼したが、ワルターが高齢を理由に辞退し、代わりに『第九』を指揮することになったものである。なお、これは[[オーストリア放送協会]]による放送録音が残っており、オルフェオからCD化もされている。<br /> <br /> === ドイツ分断と第九 ===<br /> [[1964年]]の[[前東京オリンピック|東京オリンピック]]に東西ドイツが統一選手団を送ったときに、国歌の代わりに歌われた。<br /> <br /> [[1989年]]の[[ベルリンの壁崩壊]]の直後の年末に[[レナード・バーンスタイン]]が、東西ドイツとベルリンを分割した[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]([[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[イギリス]]・[[フランス]]・[[ソビエト連邦|ソ連]])のオーケストラメンバーによる混成オーケストラを指揮して[[ベルリン]]で演奏した。この際には、第4楽章の詩の&quot;Freude&quot;をあえて&quot;Freiheit(自由)&quot;に替えて歌われた。また、翌年の[[ドイツ再統一]]のときの統一前夜の祝典曲として[[クルト・マズア]]指揮の[[ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団]]が[[ライプツィヒ]]で演奏した。なおゲヴァントハウスでは毎年大晦日の16時半から、ベルリン・フィルの[[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団#ジルヴェスターコンサート|ジルベスターコンサート]]に対抗して演奏されTV中継されている。<br /> <br /> 演奏のみのバージョンが[[欧州連合|EU]]の国歌として使用されている。[[2007年]]には[[ルーマニア]]と[[ブルガリア]]がEUに加盟したが、2007年の1月元旦の0時を切ったとき演奏されたのがこの『第九』であった。<br /> <br /> === 長野オリンピックと第九 ===<br /> [[1998年]][[2月7日]]、[[長野オリンピック]]の開会式において世界の5大陸・6ヶ国・7か所で連携しての演奏が試みられ、その映像が世界中に中継された。歌われた場所は[[小澤征爾]]がタクトを振った[[長野県県民文化会館]]、[[中華人民共和国|中国]]・[[北京市|北京]]の[[紫禁城]]、[[オーストラリア]]・[[シドニー]](翌々年の五輪開催地)の[[シドニー・オペラハウス|オペラハウス]]前、[[ドイツ]]・[[ベルリン]]の[[ブランデンブルク門]]、黒人と白人の混成合唱団で歌われた[[南アフリカ共和国]]・[[ケープタウン]]の[[喜望峰]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[ニューヨーク]]の[[国際連合本部ビル|国連本部]]、開会式が行われた[[長野オリンピックスタジアム]]である。午前11時に始まった開会式では、聖火が聖火台に点火されたあと、セレモニーのフィナーレとして歓喜の歌が歌われた。曇り空の長野、気温が氷点下の北京、真夏で晴天のシドニー、真夜中のベルリン、日の出と重なり徐々に明るくなってゆくケープタウンと、時刻や季節、さらには服装まで、全く異なる演奏風景が交互に映し出された(厳密には通信による遅れを調整しており、伴奏となる文化会館の演奏をスタジアム以外の各地に届けて合唱し、その映像が最終的にスタジアムで同期するよう再送された。従って最も演奏が早い文化会館と最も遅いスタジアムで幾秒かのタイムラグがあり、このために指揮者の小澤も別会場で演奏する必要があった)。<br /> <br /> == レコード録音史 ==<br /> ===アコースティック録音時代===<br /> [[1921年]]2月7日、[[エドゥアルト・メーリケ]]指揮 [[ベルリン・ドイツ・オペラ|シャルロッテンブルク・ドイツ・オペラハウス管弦楽団]]によって、第4楽章の前半(低弦が歓喜の主題を奏で始める直前まで)と中間部をカットした演奏が[[パーロフォン]]・レーベルにレコード録音された。これが第4楽章の世界初録音となったが、すぐには発売されなかった。<br /> <br /> [[1923年]]、独[[ポリドール]]社が{{仮リンク|ブルーノ・ザイドラー=ヴィンクラー|de|Bruno Seidler-Winkler}}指揮 新交響楽団(実態は[[ベルリン国立歌劇場管弦楽団]]の団員を中心に組織された臨時の演奏団体)ほかによる全楽章のレコードを録音(世界初の全楽章録音だが、第2楽章にカットがある。また、録音の制約上シンバルが抜けている)し、同年12月に発売された。このレコードは日本にも紹介され、好評を博した。<br /> <br /> [[1923年]]10-11月に収録された[[アルバート・コーツ]]指揮、交響楽団ほかによる英語歌唱のレコードが[[1924年]]5月、この曲の「初演100周年」として英HMV社より発売。(ただし、アルト歌手が再テイクの際に交代しているため、二人のアルト歌手の名がクレジットされている)。<br /> <br /> [[1924年]]1-2月、フリーダー・ワイスマンが[[ベルリン・ブリュトナー管弦楽団]]を指揮して第1-3楽章を録音。これにエドゥアルト・メーリケが[[1921年]]に収録した第4楽章の抜粋・短縮版を組み合わせたアルバムが同年7月に英[[パーロフォン]]社から発売された。しかし、全てのラベルにワイスマンとブリュトナー管弦楽団の名がクレジットされていたため、誰も第4楽章が全くの別テイクであることを疑わなかった。([[1997年]]にカナダのレコード研究家が真相を発表)。<br /> <br /> [[1925年]]1月、エドゥアルト・メーリケが[[ベルリン国立歌劇場管弦楽団]]を指揮して第4楽章の抜粋・短縮版を収録。これにワイスマンが[[1924年]]に録音した第1-3楽章を組み合わせたアルバムが独[[パーロフォン]]社から発売された。<br /> <br /> なお、これらの録音は全て『合唱が原語(ドイツ語)ではない』あるいは『曲の一部がカットされている』のどちらかに該当し、この曲本来の姿での録音ではなかった。完全な録音は、この後[[1928年]]のオスカー・フリートと[[ベルリン国立歌劇場管弦楽団]]によるものが世界で初めてである。<br /> <br /> === 電気録音時代 ===<br /> [[1926年]]3月16-17日、[[フェリックス・ワインガルトナー]]指揮 [[ロンドン交響楽団]](英訳詞による合唱)<br /> <br /> [[1926年]]10月、[[アルバート・コーツ]]指揮 交響楽団(英訳詞による合唱)<br /> <br /> [[1928年]]、[[オスカー・フリート]]指揮 [[ベルリン国立歌劇場管弦楽団]](世界初の原語版によるカット箇所のない完全録音)<br /> <br /> [[1934年]]4月30日、[[レオポルド・ストコフスキー]]指揮 [[フィラデルフィア管弦楽団]](英訳詞による合唱)<br /> <br /> [[1935年]]2月2-4日、[[フェリックス・ワインガルトナー]]指揮 [[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]](世界初の交響曲全集に収録された)<br /> <br /> 以降は[[オイゲン・ヨッフム]]([[1938年]])、[[カール・ベーム]](1941年(昭和16年))、[[橋本國彦]]([[1943年]]5月・日本初録音)、[[山田一雄]]([[1943年]]11月・日本初全曲録音)、[[ユージン・オーマンディ]]([[1945年]])と続く。<br /> 1930年代以降は多くの指揮者によるライブ録音も多数残されている。(現在確認されている最古のものは1936年3月の[[アルトゥーロ・トスカニーニ]]指揮 [[ニューヨーク・フィルハーモニック|ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団]])<br /> <br /> またカラヤンはベルリン・フィルとのベートーヴェンの交響曲集をドイツ・グラモフォンでアナログ、ドルビーNR、デジタルの3期にわたって制作しており、映像も複数残っている。映画『[[時計じかけのオレンジ]]』にも使われた62年録音は2009年になっても重量盤LPレコードが企画されるなど人気が高く、通常CD、[[スーパー・ハイ・マテリアルCD|スーパー・ハイ・マテリアルCD(SHM-CD)]]、[[Super Audio CD|スーパーオーディオCD(SACD)]]に加え[[ガラスCD]]化も行われた。<br /> <br /> == 編成 ==<br /> [[二管編成]]・追加楽器・声楽が用いられる。ピッコロ、コントラファゴット、トロンボーンはベートーヴェンの交響曲では使用例が少なく、他に[[交響曲第5番 (ベートーヴェン)|交響曲第5番]]、[[交響曲第6番 (ベートーヴェン)|交響曲第6番]]で使用されているのみである。また、ホルンが4本、打楽器は他の交響曲では使われていないトライアングル、シンバル、バスドラムを使用しており、この時期の交響曲の編成としては最大級のものである。前述の通り声楽を交響曲に用いるのは当時としてはきわめて奇抜なアイディアである。またこの楽器編成はワーグナーの楽劇の3管編成の基礎になった。初演時の編成については[[#初演]]参照。<br /> <br /> === 管弦楽 ===<br /> {{管弦楽編成<br /> |フルート=2, [[ピッコロ|Fl.picc.]] 1 (第4楽章のみ)<br /> |オーボエ=2<br /> |クラリネット=2 (第1・3・4楽章はB管。第2楽章はC管。第4楽章でA管持ち替えあり)<br /> |ファゴット=2, [[コントラファゴット|Cfg.]] 1 (第4楽章のみ)<br /> |ホルン=4 (第1・2・4楽章はD管、B管各2。第3楽章はB管、Es管各2。第4楽章ではD管、B管が同時に4本使われる持ち替えあり)<br /> |トランペット=2 (第1・2・4楽章はD管、第3楽章はB管)<br /> |トロンボーン=3 ([[アルトトロンボーン|アルト]]、テノール、[[バストロンボーン|バス]]各1。第2・4楽章のみ)<br /> |ティンパニ=●<br /> |打楽器=[[トライアングル|Trgl.]], [[シンバル|Ptti.]], [[バスドラム|Gr. Tamb.]](第4楽章のみ)<br /> |第1ヴァイオリン=●<br /> |第2ヴァイオリン=●<br /> |ヴィオラ=●<br /> |チェロ=●<br /> |コントラバス=●}}<br /> <br /> === 声楽 ===<br /> [[声楽]]は第4楽章のみ使用される。<br /> * [[ソプラノ]]独唱<br /> * [[アルト]]独唱<br /> * [[テノール]]独唱<br /> * [[バリトン]]独唱<br /> * [[混声合唱|四部合唱]]<br /> ** ソプラノ<br /> ** アルト<br /> ** テノール<br /> ** [[バス (声域)|バス]]<br /> <br /> 全体で約70分に及ぶ演奏時間にかかわらず、声楽パートが用いられるのは第4楽章(終わりの約20分)だけである。そのため、ホールで演奏される際は、合唱と独唱は第2楽章と第3楽章、もしくは第3楽章と第4楽章の間に入場することが多い。また、合唱のみ冒頭から待機する場合もあるが、この際は休憩用の椅子が用意される。[[ヘルベルト・ブロムシュテット]]が[[1985年]]に[[NHK交響楽団]]で演奏した際には、「『おお友よ、このような音ではない』と歌う独唱が第1楽章からステージにいなくて、そんな台詞がいえるか」というブロムシュテットの指示で独唱者も含めて第1楽章から待機することになったという&lt;ref&gt;佐野之彦『N響80年全記録』文藝春秋、2007年&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 曲の構成 ==<br /> 一般的な交響曲の「アレグロソナタ - 緩徐楽章 - 舞曲 - 終楽章」という構成と比べ、第2楽章と第3楽章が入れ替わり、第2楽章に[[舞曲]]由来の[[スケルツォ]]、第3楽章に緩徐楽章が来ている。このような楽章順は初期の[[フランツ・ヨーゼフ・ハイドン|ハイドン]]などには見られたが、次第に第2楽章が緩徐楽章、第3楽章がメヌエット(舞曲)という構成が固定化していた。ベートーヴェンによって再び取り上げられた形となり、以後この形式も定着し、後の作曲家はこの形式でも交響曲を作るようになった。<br /> <br /> また、第3楽章と第4楽章が共に[[変奏曲]]に基づく楽曲であり、交響曲のみならず他のジャンルの絶対音楽を含めても、2つの楽章が続けて変奏曲であることは極めて異例である。<br /> <br /> === 第1楽章 ===<br /> &#039;&#039;&#039;Allegro ma non troppo, un poco maestoso [[ニ短調]] 4分の2[[拍子]]&#039;&#039;&#039;<br /> {{External media<br /> | width = 310px<br /> | topic = 第1楽章&lt;br /&gt;Allegro ma non troppo, un poco maestoso<br /> | audio1 = [https://www.youtube.com/watch?v=1AC8hNZnx4s ケルンWDR交響楽団他] - [[ユッカ=ペッカ・サラステ]]指揮。[[ケルンWDR交響楽団]]公式YouTube。<br /> | audio2 = [https://www.youtube.com/watch?v=EUadoHjHhkE ガリシア交響楽団他] - ヴィクトール・パブロ・ペレス([[:en:Víctor Pablo Pérez|Víctor Pablo Pérez]])指揮。ガリシア交響楽団([[:en:Orquesta Sinfónica de Galicia|Orquesta Sinfónica de Galicia]])公式YouTube。<br /> }}<br /> [[ソナタ形式]]。革新的要素の多い楽章。<br /> <br /> 冒頭の、弦楽器の[[トレモロ]]とホルンの持続音にのせて、調性の長短が不明な断片的[[モチーフ (音楽)|動機]]が[[空虚五度]]の和音で提示され、それが発展して第1主題になるという動機の展開手法は非常に斬新なものである。第1主題は、[[ニ (音名)|ニ音]]と[[イ (音名)|イ音]]による[[完全五度]]を骨格とした力強い主題であり、一度目は主調のニ短調で、冒頭がリピートされたのち二度目は変ロ長調で立ち現れるが、すぐにニ短調に戻り、強奏でこれが定着される。第2主題導入部は、第4楽章で現れる「歓喜」の主題を暗示するような優しいものであるが、これも変ロ長調で、通常、主調の[[平行調]]または[[属調]]で現れる提示部第2主題が[[下属調]]の[[平行調]]になっている。それを引きついだコデッタは形式どおり長調で展開されるが、弦と木管の応答部分では、同じフレーズが短調と長調で交互に繰り返されるなど、長調と短調の葛藤が垣間見られる。提示部はベートーヴェンの交響曲で最も長大なためもあってか反復指定がない。<br /> <br /> 展開部は再び、冒頭の和音で始まるが、すぐに短調となり、第1主題がほぼ提示部と同じ長さ、変奏、展開される。<br /> <br /> 再現部は展開部のクライマックスを兼ねるようなものとなっており、冒頭の和音と主題がffの全奏で再現される。[[ティンパニ]]もffのロールを持続しながら「ニ、イ」の主題動機の強打に参加し、圧巻のクライマックスが築かれる。(提示部と再現部の冒頭の変奏の差はこれまでのベートーヴェンの交響曲にも見られたが、ここでは特に大きい)優しい第2主題も戻るものの、すぐさまニ短調に押し流され、以降、短調による激しい展開となる。コーダは最後、半音階をすべり落ちるような不気味な[[オスティナート]]に導かれ、それに全弦が誘い込まれたところで全奏となり、第1主題の[[ユニゾン]]で締めくくられる。<br /> <br /> === 第2楽章 ===<br /> &#039;&#039;&#039;Molto vivace [[ニ短調]] 4分の3拍子 - Presto [[ニ長調]] 2分の2拍子 - Molto vivace - Presto&#039;&#039;&#039;<br /> {{External media<br /> | width = 310px<br /> | topic = 第2楽章&lt;br /&gt;Molto vivace - Presto<br /> | audio1 = [https://www.youtube.com/watch?v=Ke9PNVhyoB4 ケルンWDR交響楽団他] - ユッカ=ペッカ・サラステ指揮。ケルンWDR交響楽団公式YouTube。<br /> | audio2 = [https://www.youtube.com/watch?v=RA8ouY7nwyg ガリシア交響楽団他] - ヴィクトール・パブロ・ペレス(Víctor Pablo Pérez)指揮。ガリシア交響楽団(Orquesta Sinfónica de Galicia)公式YouTube。<br /> }}<br /> [[複合三部形式]]をとる[[スケルツォ]]楽章である。スケルツォ部分だけで[[ソナタ形式]](提示部反復指定あり)をとる。<br /> <br /> 序奏として、第1楽章を受け継ぐような、ニ短調の主和音の降下が、弦楽器のユニゾンとティンパニで出るが、ユニークなことに、主和音でニ短調を決定づけるF音のオクターブに高低2音ともティンパニが調律されている。(通常、ニ短調の場合、ティンパニはAとDに調律される。ベートーヴェンは、既に[[交響曲第8番 (ベートーヴェン)|第8番]]の終楽章(ヘ長調)で、Fのオクターブに調律したティンパニを使っているが、それはヘ長調の主音であり、この9番の楽章はより冒険的である)このオクターブの基本動機がスケルツォ部分を支配している。提示部では冒頭にこのオクターブの動機を置いた第1主題が疾走するように出、[[フーガ]]のように重なって増幅し、全奏で確保される。経過句ののち第2主題に移るが、主調が短調の場合、第2主題は通常[[平行調]](ニ短調に対しては[[ヘ長調]])をとるところ、ここでは[[ハ長調]]で現れる。また、1小節を1拍として考えると、提示部では4拍子、展開部では3拍子でテーマが扱われる。展開部ではティンパニが活躍する。(このことから、この楽章はしばしば「ティンパニ協奏曲」と呼ばれることがある)再現部はオクターブの主動機をティンパニが連打しながら導く。(ティンパニ奏者が高いFと低いFを両端に配置した場合、この部分で非常に派手なマレット(ばち)捌きを見せる場合があり、演奏会では視覚的にも見所である)再現部がティンパニのロール調の連打を加えた強奏で戻ってくるところも第1楽章と類似している。最後、突然4分の4拍子となり、それが4分の4拍子の中間部(トリオ)を導く。<br /> <br /> 中間部(トリオ)の旋律もまた、最終第4楽章の歓喜の主題を予感させる。(スケルツォの第1主題も短調だが歓喜の主題に似ているといわれることがある。これらは意図的でなく、単に同一作曲時の類似だといわれることもある)速度は更に速められてプレスト。[[オーボエ]]による主題提示の後、[[弦楽器]]群のフーガ風旋律を経て[[ホルン]]が同じ主題を提示する。[[フルート]]を除く[[木管楽器]]群の主題提示の後、今度は全合奏で主題を奏する。<br /> <br /> 三部形式後半のスケルツォは前半のリピート。しかし最後にまた突然4分の4拍子となるので、中間部の旋律が顔を出してしまう。それに突然気が付いたように1小節全休符となり、スケルツォの最終部分で締めくくり直す。<br /> <br /> === 第3楽章 ===<br /> &#039;&#039;&#039;Adagio molto e cantabile [[変ロ長調]] 4分の4拍子 - Andante moderato ニ長調 4分の3拍子 - Tempo I 変ロ長調 4分の4拍子 - Andante moderato [[ト長調]] 4分の3拍子 - Tempo I [[変ホ長調]] 4分の4拍子 - Stesso tempo 変ロ長調 8分の12拍子&#039;&#039;&#039;<br /> {{External media<br /> | width = 310px<br /> | topic = 第3楽章&lt;br /&gt;Adagio molto e cantabile - Andante moderato<br /> | audio1 = [https://www.youtube.com/watch?v=gqjf3lmeZgk ケルンWDR交響楽団他] - ユッカ=ペッカ・サラステ指揮。ケルンWDR交響楽団公式YouTube。<br /> | audio2 = [https://www.youtube.com/watch?v=cLMH_DNe1fY ガリシア交響楽団他] - ヴィクトール・パブロ・ペレス(Víctor Pablo Pérez)指揮。ガリシア交響楽団(Orquesta Sinfónica de Galicia)公式YouTube。<br /> }}<br /> 2つの主題が交互に現れる[[変奏曲]]の形式と見るのが一般的であるが、一種の[[ロンド形式]]、また一種の展開部を欠くソナタ形式と見ることもできる。<br /> {| class=&quot;wikitable&quot;<br /> |A || B(ニ長調) || A第I変奏 || B(ト長調) || A第II変奏(変ホ長調) || A第III変奏 || コーダ<br /> |-<br /> |第1主題 || 第2主題 || 第1主題 || 第2主題 || colspan=&quot;3&quot; |コーダ<br /> |-<br /> | colspan=&quot;2&quot; |提示部 || colspan=&quot;2&quot; |再現部 || colspan=&quot;3&quot; |<br /> |}<br /> 神秘的な安らぎに満ちた緩徐楽章であるが、拍子、調性、テンポを変えることによって、変化がつけられている。木管の短い導入部のあと透明感のある第1主題を第1ヴァイオリンが静かに歌いだす。第2主題は4分の3拍子、ニ長調、アンダンテ・モデラートに変わり、やや動きを帯びる。続く第1主題の第1変奏では、第1主題が16分音符に分解されて奏され、木管による第2主題の変奏がそれに続く。そのまま木管による第1主題の第2変奏を経て、また第1主題の、第3変奏と続くが、ここでは8分の12拍子に変わって、動きが大きくなる、長さも倍加するなど、第2主題を吸収したかのような変化が加わっている。末尾において、それまで沈黙していたトランペットとともに管楽器が鋭い歓声をあげ、弦楽器がそれに応えてクライマックスを迎える。しかしすぐにもとの安らぎと静けさをとりもどし、同音の三連符の伴奏に乗って静かに終結に向かう。<br /> <br /> 4番[[ホルン]]の独奏は、当時のナチュラルホルンでは微妙な[[ゲシュトプフト奏法]]を駆使しなければ演奏することができなかった(ちょうど作曲当時は[[金管楽器#バルブ|バルブ]]付きの楽器が出回り始めたころだったので、この独奏はバルブ付きホルンで演奏することを前提にしていたという説もある)。これは当時ホルン奏者のみならず、指揮者なども大変気を遣った難しいパッセージであったことで有名。<br /> <br /> この楽章の形式は後世の[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]のアダージョ楽章などに大きな影響を与えた。<br /> <br /> === 第4楽章 === <br /> {{External media<br /> | width = 310px<br /> | topic = 第4楽章&lt;br /&gt;Presto - Allegro assai …<br /> | audio1 = [https://www.youtube.com/watch?v=j_Lq3Yx6XRQ ケルンWDR交響楽団他] - ユッカ=ペッカ・サラステ指揮。ケルンWDR交響楽団公式YouTube。<br /> | audio2 = [https://www.youtube.com/watch?v=kohoim1Aoro ガリシア交響楽団他] - ヴィクトール・パブロ・ペレス(Víctor Pablo Pérez)指揮。ガリシア交響楽団(Orquesta Sinfónica de Galicia)公式YouTube。<br /> }}<br /> 管弦楽が前の3つの楽章を回想するのを[[レチタティーヴォ]]が否定して歓喜の歌が提示され、ついで声楽が導入されて大合唱に至るという構成。[[変奏曲]]の一種と見るのが一般的であるが、[[有節歌曲形式]]の要素もあり、展開部を欠くソナタ形式という見方も可能である(&quot;Freude, schöner Götterfunken&quot;が第1主題、&quot;Ihr, stürzt nieder&quot;が第2主題、Allegro energico, sempre ben marcatoが再現部)。<br /> ;Presto / Recitativo ニ短調 4分の3拍子<br /> :[[管楽器]]の強烈な不協和音で始まる。しかし、すぐさま低弦(チェロとコントラバス)のレチタティーヴォがこれに答える。<br /> ;Allegro ma non troppo ニ短調 4分の2拍子<br /> :管弦楽が第1楽章冒頭を出す。しかし、再び低弦のレチタティーヴォがこれに答える。<br /> ;Vivace ニ短調 4分の3拍子<br /> :今度は第2楽章の主題が木管で出される。しかし、再度低弦のレチタティーヴォに中断される。<br /> ;Adagio cantabile 変ロ長調 4分の4拍子<br /> :第3楽章をやはり木管が回想するが、これも低弦のレチタティーヴォに中断される。<br /> ;Allegro assai ニ長調 4分の4拍子<br /> :管楽器が、新しい動機を出す。(これは前の三つの楽章で断片的に姿を見せていた[[モチーフ (音楽)|動機]]でもある)この動機に低弦が生き生きとした調子に変わり、他の楽器群も応答する。やがて低弦が静かに第1主題([[歓喜の歌|「歓喜」の主題]])を奏しはじめる。[[ヴィオラ]]がそれに続き、[[ファゴット]]とコントラバスの対旋律がそれを支える。さらに、歓喜の主題は第1ヴァイオリンに渡され、四声の[[対位法]]によって豊かなハーモニーを織り成す。最後に管楽器に旋律が渡され、全管弦楽で輝かしく歌い上げられる。<br /> ;Presto / Recitativo ニ短調 4分の3拍子<br /> :&quot;O Freunde&quot;<br /> :再び冒頭部の厳しい不協和音が、今度は管弦楽の全奏で演奏される。バリトン独唱が低弦のレチタティーヴォと同じ旋律のレチタティーヴォで&quot;O Freunde, nicht diese Töne!&quot;(「おお友よ、このような音ではない!」)と歌う。ここで初めて、冒頭から繰り返された低弦のレチタティーヴォの意味が、第1〜第3楽章までの音楽の否定であったことが明らかとなる。<br /> :今日の出版譜ではバリトンの歌い出しには「ラ→ミ」の跳躍に加え「ラ→ド♯」が記されているが、レチタティーヴォ後半部の高いファ#を出せない初演ソリストのために変更された代替パートで稀にしか歌われない。(このメロディーを選んだために音程が悪いと酷評されている大歌手もいる)初演ではまた細かい上下(メリスマ)部分のカットも検討されたようである。最後期筆写スコアには他にも代替案が残っているが、出版譜には反映されなかった。<br /> ;Allegro assai ニ長調 4分の4拍子<br /> :&quot;Freude, schöner Götterfunken&quot;<br /> :Freude!(歓喜よ)の掛け声をバリトン独唱と合唱のバス(テノールも一緒に歌われることもある)が掛け合うと、バリトン独唱によって&quot;Freude, schöner Götterfunken&quot;「歓喜」の歌が開始される。旋律後半部を合唱がリピートする形で続く。次に独唱4人となり、やはり旋律後半部を合唱がリピートする。<br /> ;Alla marcia Allegro assai vivace 変ロ長調 8分の6拍子<br /> :&quot;Froh, wie seine Sonnen&quot;<br /> :[[行進曲]]である。それまで沈黙を守っていた打楽器群が弱音で鳴り始め次第に音量を増し、その上を管楽器が「歓喜」の主題を変奏する。続いて、テノール独唱が「歓喜」の主題の変奏の旋律で&quot;Froh, wie seine Sonnen&quot;「神の計画」を歌い、それに男声三部合唱(第1テノール・第2テノール・バス)、続き管弦楽の伴奏が力強く重ね入ってきてひとつの頂点を作る。<br /> :シンバルやトライアングルといったトルコ起源の打楽器が使われているためこの部分を「トルコ行進曲」と呼ぶ事があるが、拍子も装飾の付け方も(新しい研究では恐らくテンポも)本来のトルコ音楽とはかけ離れている。『第九』の30年前にベートーヴェンの師の一人であった[[フランツ・ヨーゼフ・ハイドン|ヨーゼフ・ハイドン]]が[[交響曲第100番 (ハイドン)|交響曲第100番『軍隊』]]でこれらトルコ起源の打楽器を使用しており、当時の流行が伺えるものの、時代を下るにつれ欧州各国の軍楽隊でシンバルやトライアングルは常備されるようになっていた。ベートーヴェンの後の世代となる[[ジョアキーノ・ロッシーニ|ロッシーニ]]などはもはやシンバルもトライアングルも軍隊と無関係な音楽で導入している。<br /> :高らかな男声合唱の余勢を受けて、管弦楽のみによるスケルツォ風の[[フガート]]の長い間奏が力強く奏される。それがおさまったあと、全合唱が「歓喜」の主題と最初の歌詞を総括的に歌う(「第九の合唱」としてもっともよく聴かれる部分である)。<br /> ;Andante maestoso ト長調 2分の3拍子<br /> :&quot;Seid umschlungen, Millionen!&quot;<br /> :初めて登場するトロンボーンの旋律をなぞりながら「抱擁」の詩が合唱により、中世の宗教音楽のように荘重に歌われる。<br /> ;Adagio ma non troppo, ma divoto 変ロ長調 2分の3拍子<br /> :&quot;Ihr, stürzt nieder&quot; <br /> :「創造主の予感」が引き続き歌われる。<br /> ;Allegro energico, sempre ben marcato ニ長調 4分の6拍子<br /> :&quot;Freude, schöner Götterfunken&quot; / &quot;Seid umschlungen, Millionen!&quot; <br /> :「歓喜の歌」の旋律による「歓喜」と「抱擁」の2歌詞が二重[[フーガ]]で展開される。<br /> ;Allegro ma non tanto ニ長調 2分の2拍子<br /> :&quot;Freude, Tochter aus Elysium!&quot;<br /> :独唱4人で、第1の「歓喜」の歌詞をフーガ風に歌う。それがからみあうところに合唱が入ってきてそれを引き継ぐと、今度は逆に4人の独唱が入ってきて交替し、アダージョで順に(ソプラノ→アルト・テノール→バリトン)3連符や16分音符で細かく余韻を持たせながら静まっていく。これ以降独唱の部分はない。<br /> ;Prestissimo ニ長調 2分の2拍子<br /> :&quot;Seid umschlungen, Millionen!&quot;<br /> :第4楽章のクライマックスで、最もテンポが速い。自筆スコアは851小節にPrestissimoではなくPrestoを置いており、ベーレンライター版が採用した。916小節から4分の3拍子で4小節間Maestosoとなり、この曲でシラーの歌詞として冒頭に出た&quot;Freude, schöner Götterfunken&quot;が壮大に歌われたのち、再びPrestissimo(Presto)となり管弦楽のみの後奏で曲を閉じる。<br /> :尚、919小節の部分オーケストラスコアでは、トライアングルにトレモロの指示があるが、実際の演奏ではトレモロ奏法されているのは少ない&lt;ref&gt;[[井上道義]]『第九をうたおう』〈NHK趣味講座〉、日本放送出版協会、1986年、61頁で[[金子建志]]が指摘している。ベートーヴェンはトレモロの要求を&quot;tr.&quot;と波線、あるいは斜線付きの音符という方法で書き分けている。トライアングルには自筆スコア以降斜線が二本付けられており、分割すると16分音符=ヴァイオリン2音ごとにトライアングルが一音叩く計算になる。&lt;/ref&gt;。この演奏法は1972年5月収録のシカゴso、ゲオルグ・ショルティの指揮による演奏で確認できる。<br /> <br /> :{| class=&quot;wikitable&quot;<br /> ! || 歌詞 ||ソナタ形式としてとらえた場合<br /> |-<br /> |叙唱 || rowspan=&quot;5&quot; | || rowspan=&quot;2&quot; |<br /> |-<br /> | 第1・第2・第3楽章の回想と新しい主題の着想<br /> |-<br /> | 第1主題 ||rowspan=&quot;4&quot; |提示部第1主題<br /> |-<br /> |第1主題の変奏I II III<br /> |-<br /> |叙唱<br /> |-<br /> |第1主題の変奏IV V VI VII VIII || 1番、2番、3番、4番、1番<br /> |-<br /> | 第2主題a || 5番 || rowspan=&quot;2&quot; |第2主題<br /> |-<br /> |第2主題b || 6番<br /> |-<br /> |第1主題と第2主題aの対位(変奏IX) || 1番と5番 || 再現部第1主題<br /> |-<br /> |第2主題b || 6番 ||第2主題<br /> |-<br /> |第1主題の変奏X ||1番 || rowspan=&quot;3&quot; | コーダ<br /> |-<br /> |第1主題と第2主題aによる変奏(XI) ||1番と5番<br /> |-<br /> |コーダ ||<br /> |}<br /> <br /> この最終楽章に合唱が入る形式は後にメンデルスゾーン、[[フランツ・リスト|リスト]]、[[グスタフ・マーラー|マーラー]]、[[ドミートリイ・ショスタコーヴィチ|ショスタコーヴィチ]]などが取り入れている。<br /> <br /> ==== 歓喜の歌 ====<br /> {{main|歓喜の歌}}<br /> [[フリードリヒ・フォン・シラー]]が[[フリーメイソン|フリーメイソンリー]]の理念を書いた&lt;ref&gt;{{Cite web |url= http://www.freimaurer-in-essen.de/cms/index.php?option=com_content&amp;task=view&amp;id=34&amp;Itemid=39|title= VIII. Die &quot;Ode an die Freude&quot;|work= Unser Namenspatron|publisher= Freimaurerloge &#039;Schiller&#039; (unter der [[:de:Großloge der Alten Freien und Angenommenen Maurer von Deutschland|Großloge der Alten Freien und Angenommenen Maurer von Deutschland]])|accessdate=2013-08-19}}&lt;/ref&gt;詩作品『自由賛歌』(Hymne à la liberté [[1785年]])が[[フランス革命]]の直後『[[ラ・マルセイエーズ]]』のメロディーでドイツの学生に歌われていた&lt;ref&gt;{{Cite web |url= http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~kamei/sam_texte/let_3b_symphonie.pdf|title= Symphonie zum Frieden 平和の交響曲|format= PDF|publisher= [[大阪教育大学]] [[亀井一|亀井]]研究室|accessdate=2013-08-19}}&lt;/ref&gt;。そこで詩を書き直した『歓喜に寄す』(&#039;&#039;An die Freude&#039;&#039; [[初稿1785年、改稿1803年]])にしたところ、これをベートーヴェンが歌詞として[[1822年]]から[[1824年]]に書き直したものである。<br /> <br /> 「歓喜のメロディー」は、交響曲第9番以前の作品である[[1808年]]の『[[合唱幻想曲]]』作品80と、[[1810年]]の[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]の詩による歌曲『絵の描かれたリボンで Mit einem gemalten Band』作品83-3においてその原型が見られる。<br /> <br /> ===== 歌詞(ドイツ語原詞・日本語訳) =====<br /> {{Col|<br /> &lt;poem&gt;<br /> {{lang|de|An die Freude<br /> <br /> &#039;&#039;O Freunde, nicht diese Töne!&#039;&#039;<br /> &#039;&#039;Sondern laßt uns angenehmere&#039;&#039;<br /> &#039;&#039;anstimmen und freudenvollere.&#039;&#039;<br /> &#039;&#039;(ベートーヴェン作詞)&#039;&#039;<br /> <br /> Freude, schöner Götterfunken,<br /> Tochter aus Elysium<br /> Wir betreten feuertrunken.<br /> Himmlische, dein Heiligtum!<br /> <br /> Deine Zauber binden wieder,<br /> (1803年改稿)<br /> Was die Mode streng geteilt;<br /> Alle Menschen werden Brüder,<br /> (1785年初稿:<br /> Was der Mode Schwert geteilt;<br /> Bettler werden Fürstenbrüder,)<br /> Wo dein sanfter Flügel weilt.<br /> <br /> Wem der große Wurf gelungen,<br /> Eines Freundes Freund zu sein,<br /> Wer ein holdes Weib errungen,<br /> Mische seinen Jubel ein!<br /> <br /> Ja, wer auch nur eine Seele<br /> Sein nennt auf dem Erdenrund!<br /> Und wer&#039;s nie gekonnt, der stehle<br /> Weinend sich aus diesem Bund!<br /> <br /> Freude trinken alle Wesen<br /> An den Brüsten der Natur;<br /> Alle Guten, alle Bösen<br /> Folgen ihrer Rosenspur.<br /> <br /> Küsse gab sie uns und Reben,<br /> Einen Freund, geprüft im Tod;<br /> Wollust ward dem Wurm gegeben,<br /> und der Cherub steht vor Gott.<br /> <br /> Froh, wie seine Sonnen fliegen<br /> Durch des Himmels prächt&#039;gen Plan,<br /> Laufet, Brüder, eure Bahn,<br /> Freudig, wie ein Held zum Siegen.<br /> <br /> Seid umschlungen, Millionen!<br /> Diesen Kuss der ganzen Welt!<br /> Brüder, über&#039;m Sternenzelt<br /> Muß ein lieber Vater wohnen.<br /> <br /> Ihr stürzt nieder, Millionen?<br /> Ahnest du den Schöpfer, Welt?<br /> Such&#039; ihn über&#039;m Sternenzelt!<br /> Über Sternen muß er wohnen.}}<br /> &lt;/poem&gt;<br /> |<br /> &lt;poem&gt;<br /> 「歓喜に寄せて」<br /> <br /> &#039;&#039;おお友よ、このような音ではない!&#039;&#039;<br /> &#039;&#039;我々はもっと心地よい&#039;&#039;<br /> &#039;&#039;もっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか&#039;&#039;<br /> &#039;&#039;(ベートーヴェン作詞)<br /> <br /> 歓喜よ、神々の麗しき霊感よ<br /> [[エーリュシオン|天上の楽園]]の乙女よ<br /> 我々は火のように酔いしれて<br /> 崇高な汝(歓喜)の聖所に入る<br /> <br /> 汝が魔力は再び結び合わせる<br /> (1803年改稿)<br /> 時流が強く切り離したものを<br /> すべての人々は兄弟となる<br /> (1785年初稿:<br /> 時流の刀が切り離したものを<br /> 貧しき者らは王侯の兄弟となる)<br /> 汝の柔らかな翼が留まる所で<br /> <br /> ひとりの友の友となるという<br /> 大きな成功を勝ち取った者<br /> 心優しき妻を得た者は<br /> 彼の歓声に声を合わせよ<br /> <br /> そうだ、地上にただ一人だけでも<br /> 心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ<br /> そしてそれがどうしてもできなかった者は<br /> この輪から泣く泣く立ち去るがよい<br /> <br /> すべての被造物は<br /> 創造主の乳房から歓喜を飲み、<br /> すべての善人とすべての悪人は<br /> 創造主の薔薇の踏み跡をたどる。<br /> <br /> 口づけと葡萄酒と死の試練を受けた友を<br /> 創造主は我々に与えた<br /> 快楽は虫けらのような弱い人間にも与えられ<br /> 智天使[[ケルビム]]は神の御前に立つ<br /> <br /> 天の星々がきらびやかな天空を<br /> 飛びゆくように、楽しげに<br /> 兄弟たちよ、自らの道を進め<br /> 英雄のように喜ばしく勝利を目指せ<br /> <br /> 抱擁を受けよ、諸人(もろびと)よ!<br /> この口づけを全世界に!<br /> 兄弟よ、この星空の上に<br /> ひとりの父なる神が住んでおられるに違いない<br /> <br /> 諸人よ、ひざまずいたか<br /> 世界よ、創造主を予感するか<br /> 星空の彼方に神を求めよ<br /> 星々の上に、神は必ず住みたもう<br /> &lt;/poem&gt;<br /> }}<br /> <br /> == 版の問題 ==<br /> この作品は、その斬新な作風から解釈や[[管弦楽法|オーケストレーション]]について多くの問題を含んでおり、19世紀後半の[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]、[[グスタフ・マーラー|マーラー]]、[[フェリックス・ワインガルトナー|ワインガルトナー]]&lt;ref&gt;旋律線強化の目的で行われた各種編曲の実態は『ある指揮者の提言』で、マーラー版については『マーラーの交響曲』で詳しく紹介されている。長年マーラー自身の書き込みがある楽譜が使われて来たが、近年は校訂版もマーラーが編曲したベートーヴェンの交響曲3,5,7,9番や序曲「レオノーレ」2番、3番のJosef Weinberger版(David Pickett校訂、貸し譜のみ)が利用可能で、[[2006年]]に[[クリスチャン・ヤルヴィ]]指揮[[ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団]]の演奏がSACD化された。&lt;/ref&gt;といった名指揮者・作曲家によるアレンジが慣例化している他、[[レオポルド・ストコフスキー|ストコフスキー]]、[[近衛秀麿]]、[[アルトゥーロ・トスカニーニ|トスカニーニ]]なども独自のアレンジを施しており、幾つかはCDなどの録音で検証することが可能である。それらは演奏実践に有益な示唆を含んでいるが、同時に作曲当時には存在していなかった楽器法を取り入れた結果、曲本来の姿を伝える上では障害ともなっている。<br /> <br /> ===ベートーベンの本意===<br /> また自筆[[総譜|スコア]]の他にスコア・パート譜から修正チェック用のメモ、テンポは会話帳の1ページに甥のカールによって記され、出版社への修正依頼が記された書簡に至るまで数多くの出版/筆写史料が残っており、細かな違いが無数にあるため食い違いが作曲者の意図なのか写し間違いなのか決定しにくい点が問題となってきた。<br /> <br /> 『[[ミサ・ソレムニス]]』という更なる大曲と並行して作られ、出版やウィーン以外の国でも初演される事が決まっていたという前提があったが、長年ベートーヴェンの筆跡判読を行なっていた筆写作業の統括者ヴェンツェル・シュレンマーが[[1823年]]に亡くなり作業は停滞する。後継の写譜師達からは仕事を断る者、途中放棄する者が出たほどである。自筆スコアが書き上がった後も初演に向けてベートーヴェンは細部の改訂を執拗に行なった。自筆スコアとは別にスコア+パート譜が1825年までに3種類作られた。膨大な譜面の校正も困難で、ベートーヴェンも誤写を見過ごしてしまい、体調不良から校正を第三者に委ねようと依頼して断られるなど、混乱は初版第1刷発行後も続いた。このような状況で[[1826年]]に出版された初版スコアは、その版下と比べて食い違いがおびただしい。修正刷りのチェックなど校正がほとんど行われなかったためとみられる。[[1864年]]に出た[[ブライトコプフ・ウント・ヘルテル]]社(ドイツ)の旧全集版は自筆スコア、筆写史料、初版に基づいて作成されているが、テンポの問題は解決されず、歌詞の誤り、写譜師の誤写や初版のミス、ベートーヴェンの改訂前の形を採用するなど問題が多く、さらに元の資料に無い同社独自の改変も見られる&lt;ref&gt;第1楽章81小節に行われた全集版独自の改変などはどの資料にも存在しない音形であるにも関わらず、本格的な原典版が演奏されたときには衝撃をもって迎えられた。同じ改変が最新のハウシルト版でも分析検証の上ではあるが、採用されている。&lt;/ref&gt;。この改訂の実態は校訂報告が発表されなかったので長年この旧全集版こそ決定版と認識されて来たのである。<br /> <br /> ベートーヴェンが死の直前にシントラーに贈った自筆スコアはシントラーの死後[[ベルリン国立図書館]]に収められたが、国立図書館は戦後[[東ベルリン]]に属したため容易に研究に用いる事が出来ず「行方不明」とも言われていた。1924年に出版されたファクシミリ(写真版)を参照して修正を加える[[岩城宏之]]、[[オットー・クレンペラー|クレンペラー]]などの例も有った&lt;ref&gt;有名なのが第1楽章300小節のティンパニとトランペット。自筆スコアでは16分音符だが筆写時の誤りで以降の版が全て8分音符になっている。第3楽章の旋律、第4楽章330小節のティンパニに付けられた[[デクレッシェンド]]の処理なども聴いて判りやすい。&lt;/ref&gt;のだが、旧全集版に慣れた考え方からすると自筆スコアに残る音形は奇異に思われる物も多く、なかなか全面的には受け容れられて来なかった。<br /> <br /> ===再解釈の時代へ===<br /> 20世紀末になると、東西ドイツの統合とソ連の崩壊に伴い行方不明になっていた資料が発見され、それらの素性も明らかにされて来た。『第九』に関しては残っているだけで20点もの原典資料が、ヨーロッパからアメリカの各地に散らばっていたのである。大部分がベルリンにある自筆スコアも数ページがパリの国立図書館やボンのベートーヴェン研究所にあるなど、所在は今も分散したままである。<br /> <br /> イギリスの音楽学者・指揮者のジョナサン・デルマーがこうした新旧様々な資料に照らし合わせて問題点を究明し&lt;ref&gt;その研究を参考に音楽学者・指揮者の[[金子建志]]も演奏史を含めて自らの著作で言及している。この研究は実際に原典資料を演奏に用いるなどの実践に裏付けられたものである。&lt;/ref&gt;、この研究は楽譜化され[[1996年]]に[[ベーレンライター出版社|ベーレンライター社]]から出版された。自筆スコアから誤まって伝えられてきた音が元通りに直されたため、ショッキングに聴こえる箇所がいくつもあり大いに話題を呼んだが、ベートーヴェンの書きたかった音形を追求した結果、旧全集同様どの資料にも無い音形が数多く表れている点もこの版の特徴である。&lt;ref&gt;この版の出版直後「ベーレンライター版使用」と明記した演奏・録音が流行したが、デルマー版は演奏者が違和感を拭えない箇所が随所にあると見なされ、実際には「新版の改訂を一部だけ採用し、大部分は旧来の楽譜のまま」という扱いだった。昨今では「ベーレンライター版使用」と銘打つ演奏会は鳴りを潜めている。デルマー版の知名度を大いに上げたのはアッバード指揮のベルリン・フィル盤(1996年)や[[デヴィッド・ジンマン]]指揮のチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団盤(1998年。いずれも旧全集版と新版の差異をまとめた訂正表を参照し新版刊行以前に演奏に用いた「試運転」の例)だが、これらは殆ど原典資料による改訂箇所ではなく指揮者独自の改変が「ベートーヴェンの楽譜に記されている」という誤った期待とともに広まっている。&lt;/ref&gt;<br /> <br /> 21世紀に入って旧ベートーヴェン全集の出版社である[[ブライトコプフ・ウント・ヘルテル|ブライトコプフ社]]もペーター・ハウシルトの校訂で原典版を出版した。こちらは先行するデルマーの版と同じ資料に基づきながらも、資料ごとの優先度が違い、異なる見解がいくつも現れている&lt;ref&gt;例えば先述の第4楽章330小節について、デルマーは自筆スコアにはデクレッシェンド無し、残存する初演用弦楽器パート譜には全て、初演用のスコアではティンパニだけ、とまちまちであること、また諸説ある初演の合唱団人数を少なく見積もった上「ティンパニに合唱がかき消されないよう、その場で指示された処置ではないか」と考えてこの指示を削除したが、ハウシルトは最後発の筆写スコア(ベートーヴェン自身が校閲したプロイセン王への献呈譜。[[クルト・マズア]]らが参照している)に従い、&#039;&#039;&#039;合唱以外の全楽器にデクレッシェンド&#039;&#039;&#039;をつけている。この箇所を研究動機の一つとした金子建志は、生前の[[朝比奈隆]]にインタビューした際「[[楽音|噪音]]の多い」ティンパニはあまり大きく叩かせたくないという発言を得ており、また[[フランツ・リスト|リスト]]や[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]によるピアノ編曲版も考慮した上で、ティンパニが低音域で「ラ」=和音の第3音を叩くことが聴感上アンバランスである、と旧全集版のティンパニのみのデクレッシェンドを評価し直している。(『[[レコード芸術]]』誌2007年10月号、p164-)&lt;/ref&gt;。いずれも国際協力と新しいベートーヴェン研究の成果、現場の指揮者や演奏家達の助言も入れて編集された批判校訂版である。2018年にはベアテ・アンゲリカ=クラウス校訂による新ベートーヴェン全集版(ヘンレ社が発売。編纂はベートーヴェン研究所による)の刊行も予定されている。<br /> <br /> なお、かつて[[NHK教育テレビジョン|教育テレビ]]で[[1986年]]秋に放送されたNHK趣味講座「第九をうたおう」では、こうしたオーケストレーション変更の意義を、全体の企画と指揮を担当した井上道義は主に初心者を対象にして分かりやすく説明していた。番組テキストでも、ベートーヴェンが採用したオーケストレーションの意図や、一般的な譜面の読み替え(例えば第2楽章276小節からのVn.1パートは、現在1オクターブ高く演奏されることが多い)も含め、オーケストレーションの参照譜例が幾つか収録されており、一般市民が入手できるものとして、当時貴重な資料であった。その際史料状況や編曲の実態について解説したのは金子建志であった。<br /> <br /> 全音楽譜出版社による第9の新板ミニチュアスコアにもその版元の変遷が明示された上で、独自の解釈を行っている。&lt;ref&gt;[https://archive.is/nGv8I 外部リンク]&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 前後の作品 ==<br /> * 作品番号<br /> ** 作品124 『献堂式』序曲 - &#039;&#039;&#039;作品125 交響曲第9番&#039;&#039;&#039; - 作品126 [[6つのバガテル (ベートーヴェン)|ピアノのための6つのバガテル]]<br /> * 交響曲<br /> ** [[交響曲第8番 (ベートーヴェン)|交響曲第8番]] - &#039;&#039;&#039;交響曲第9番&#039;&#039;&#039; - [[交響曲第10番 (ベートーヴェン)|交響曲第10番(未完成)]]<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> * 土田英三郎解説 ミニチュアスコア『ベートーヴェン交響曲第9番ニ短調作品125』([[音楽之友社]], ISBN 4-276-91936-3)<br /> * ベートーヴェン研究 児島新/著([[春秋社]], ISBN 978-4-393-93174-5)<br /> * ベートーヴェン書簡選集 ベートーヴェン/著 小松雄一郎/訳・編(主に下巻, 音楽之友社)<br /> * Symphony No. 9 with final chorus &#039;An die Freude&#039; D minor op. 125 Ed; J.DelMar(Barenreiter, BA9009, 2013年12月、楽譜輸入を代行する東京のアカデミア・ミュージックがベーレンライター社と共同の企画として序文・解説の[[広瀬大介]]による日本語訳が付いたスタディスコア、ヴォーカルスコアを発売した。)<br /> * Symphonie Nr. 9 d-moll op. 125 hrsg. von P. Hauschild(Breitkopf Urtext neuausgabe, PB5239)<br /> * 「第九」のすべて 武川寛海(日本放送出版協会 1977年出版)<br /> * こだわり派のための名曲徹底分析「マーラーの交響曲」 金子建志/著 (音楽之友社, 1994)<br /> * 同 ベートーヴェンの「第九」 金子建志/著 (音楽之友社, 1996)<br /> * ある指揮者の提言~ベートーヴェン交響曲の解釈 フェリックス・ワインガルトナー/著 糸賀英憲/訳(音楽之友社, 1965)<br /> <br /> == 関連文献 ==<br /> 現在では原典版編集者が用いたものと同じ資料を、インターネットを通じて複数参照することが可能となっている。<br /> * [[ベルリン国立図書館]]収蔵の自筆スコアは、[[2001年]]の世界遺産(正確には『[[世界の記憶]]』。『世界記録遺産』とも)登録後はインターネット上に公開され、全ページの閲覧が出来る。<br /> * 初演にも使われた初版用筆写スコアはショット社が[[2003年]]に売却、ロンドン・[[サザビーズ]]のオークションで190万ポンド(当時約310万米ドル=約3億6500万円)で匿名氏によって落札され、同社による音楽資料の落札価格最高値を更新した。こちらも[[ジュリアード音楽院]]の手稿譜コレクションとしてインターネットを通じて閲覧出来る。<br /> * ベートーヴェン研究所もショット社の初版スコア/パート譜/ヴォーカルスコア(ピアノ伴奏が付いた声楽用簡易スコア)などを公開している。作品に関する書簡も解読された文面とともに公開されている。また[[フランス国立図書館]]所蔵のスケッチ断片画像にもリンクが置かれている。<br /> * ヨーロッパ諸国に分散している自筆資料はスコアの断片、自筆パート譜にいたるまでカラー・ファクシミリに集成され、2010年ベーレンライター社から刊行された。原典版校訂を担ったデルマーも序文を寄せている。(ISBN 978-3-7618-2169-5)<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[ベートーヴェンの楽曲一覧]]<br /> * [[クラシック音楽の曲名一覧]]<br /> * [[交響曲第9番]]<br /> * [[フリードリヒ・フォン・シラー]]<br /> * [[ジョイフルジョイフル]](第4楽章の旋律をとった讃美歌)<br /> * [[合唱幻想曲]](「歓喜の主題」の原型が現れている、ルーツ的存在)<br /> * [[交響曲第8番 (シューベルト)]] 第4楽章で歓喜の主題が引用されている<br /> * [[交響曲第1番 (ブラームス)]] 第4楽章の第1主題が歓喜の主題に類似しているとされる<br /> * [[第九と皇帝]]<br /> * [[東京交響楽団|第九と四季]]<br /> * [[ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会]]<br /> * [[第九ひろしま]]<br /> * [[サントリー1万人の第九]]<br /> * [[国技館5000人の第九コンサート]]<br /> * [[TOKYO FM 夢の第九コンサート]]<br /> * [[世界の記憶]]<br /> * [[道の駅第九の里]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{commonscat|Symphony No. 9 (Beethoven)}}<br /> * [http://beethoven.staatsbibliothek-berlin.de/ ベートーヴェンの交響曲第9番の手書譜] - Die Staatsbibliothek zu Berlin – Preußischer Kulturbesitz (Berlin State Library – Prussian Cultural Heritage)<br /> * [http://www.dlib.indiana.edu/variations/scores/cab4188/large/index.html ベートーヴェンの交響曲第9番の総譜 (HTML)] - IUDLP: The Indiana University Digital Library Program<br /> * [http://imslp.org/wiki/Symphony_No.9%2C_Op.125_%28Beethoven%2C_Ludwig_van%29 ベートーヴェンの交響曲第9番の総譜 (PDF)] - IMSLP: The International Music Score Library Project<br /> * [[choralwiki:Symphony No. 9 in D minor, Op. 125 (Ludwig van Beethoven)|ベートーヴェンの交響曲第9番の合唱総譜 (PDF)]] - CPDL: The Choral Public Domain Library<br /> * [http://itunes.apple.com/us/app/beethovens-9th-symphony/id601942399?mt=8 Beethoven&#039;s 9th Symphony] - iPhoneおよびiPad向けアプリ《iOSのバージョンが9.0以降であることが必要》<br /> * [http://tvtopic.goo.ne.jp/program/info/690053/index.html 「NHKアーカイブス」 - 響け!歓喜の歌〜日本人と第九〜 -] 第九が年末に演奏されるようになった経緯<br /> <br /> {{ベートーヴェンの交響曲}}<br /> {{Normdaten}}<br /> {{DEFAULTSORT:こうきようきよくたい9はん へえとうえん}}<br /> <br /> [[Category:ベートーヴェンの交響曲|*09]]<br /> [[Category:声楽を伴う交響曲|へとうえん9]]<br /> [[Category:ニ短調|こうきようきよく009へとうえん]]<br /> [[Category:合唱曲]]<br /> [[Category:ユネスコ記憶遺産]]<br /> [[Category:1820年代の音楽|こうきようきよく9へとうえん]]<br /> [[Category:フリードリヒ・フォン・シラー]]</div> 211.12.199.229 未知との遭遇 2018-04-18T07:02:21Z <p>211.12.199.229: /* 関連項目 */ 失踪した雷撃機PBMマリナーについて。</p> <hr /> <div>{{Infobox Film<br /> |作品名=未知との遭遇<br /> |原題=Close Encounters of the Third Kind<br /> |画像=Close Encounters of the Third Kind logo.png<br /> |画像サイズ=240px<br /> |画像解説=<br /> |監督=[[スティーヴン・スピルバーグ]]<br /> |脚本=スティーヴン・スピルバーグ<br /> |製作=ジュリア・フィリップス&lt;br /&gt;[[マイケル・フィリップス]]<br /> |製作総指揮=<br /> |出演者=[[リチャード・ドレイファス]]&lt;br /&gt;[[テリー・ガー]]&lt;br /&gt;[[メリンダ・ディロン]]&lt;br /&gt;[[フランソワ・トリュフォー]]<br /> |音楽=[[ジョン・ウィリアムズ (作曲家)|ジョン・ウィリアムズ]]<br /> |主題歌=<br /> |撮影=[[ヴィルモス・ジグモンド]]&lt;br /&gt;[[ラズロ・コヴァックス]]<br /> |編集=[[マイケル・カーン]]<br /> |配給=[[コロンビア映画]]<br /> |公開={{Flagicon|USA}} [[1977年]][[11月16日]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|JPN}} [[1978年]][[2月25日]]<br /> |上映時間=135分<br /> |製作国={{USA}}<br /> |言語=[[英語]]<br /> |製作費=$20,000,000&lt;ref name=&quot;boxofficemojo&quot;&gt;{{Cite web|url=http://www.boxofficemojo.com/movies/?id=closeencountersofthethirdkind.htm|title=Close Encounters of the Third Kind (1978)|publisher=[[Amazon.com]]|work=[[Box Office Mojo]]|language=英語 |accessdate=2010年4月10日 }}&lt;/ref&gt;<br /> |興行収入=$303,788,635&lt;ref name=&quot;boxofficemojo&quot;/&gt;<br /> |配給収入=32億9000万円&lt;ref&gt;『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)370頁&lt;/ref&gt; {{flagicon|JPN}}<br /> |前作=<br /> |次作=<br /> }}<br /> 『&#039;&#039;&#039;未知との遭遇&#039;&#039;&#039;』(みちとのそうぐう、&#039;&#039;Close Encounters of the Third Kind&#039;&#039;)は、[[1977年の映画|1977年]]に公開された[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]である。世界各地で発生する[[未確認飛行物体|UFO]]遭遇事件と、最後に果たされる人類と[[宇宙人]]のコンタクトを描いた。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> [[1977年]][[11月16日]]公開。[[日本]]での公開は[[1978年]][[2月25日]]。言語は英語。製作費2,000万ドル。[[コロムビア映画]]提供。<br /> <br /> オリジナル版の他に、マザーシップ内を公開した1980年の『特別編』、さらに再編集や修正がされた2002年の『ファイナル・カット版』がある。また、アメリカ[[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|ABCテレビ]]で143分の版が放映されたことがある。<br /> <br /> [[アカデミー賞]]を[[アカデミー撮影賞|撮影賞]]、[[アカデミー特別業績賞|特別業績賞]](音響効果編集)の2部門で受賞したほか、[[英国アカデミー賞]]のプロダクションデザイン賞も受賞した。<br /> <br /> === バージョン ===<br /> ; オリジナル劇場版<br /> : 本作が初めて世に公開されたもの。このバージョンにのみ、ロイが発電所で働いているシーンが存在し、彼の本職が明確に描かれている。また、細かい部分では宇宙船が初めて現れたシーンで一般人が「月ロケットよりハイウェイの方が進んでいる」と皮肉を言うシーンや、封鎖された街の兵士にロイが「スミス」と名乗って適当な言い訳をするシーンがあったりするのもこのバージョンだけである。また、中盤の山場でもあるヘリコプターからの逃避行はこのバージョンが一番長い。135分。AUEにて初ソフト化。<br /> ; 「特別編」<br /> : 1977年の公開後、スピルバーグは初公開版で映像化しきれなかったシーンを盛り込むリニューアルをコロムビア映画側に申し出た。「マザーシップ内を見せること」を条件に追加撮影の予算が計上され、実写/視覚効果の追加撮影と再編集、台詞の再録音を経て[[1980年]]に発表された「特別編」は実質「[[ディレクターズ・カット]]」であるが、スピルバーグ自身のマザーシップ内部は見せたくないという、オリジナル制作時の意向(特別編公開以降の発言)は損なわれた(このため、同シーンはこのバージョンのみに見られる)。最も大きな追加シーンとしては、このバージョン以降に盛り込まれることになる砂漠で幽霊船が発見されるシーンのほか、前述の通りマザーシップの内部が新たなシークエンスとして追加された。マザーシップが星空に消えてゆくエンド・クレジット(後に[[インダストリアル・ライト&amp;マジック|ILM]]の視覚効果監督となる[[デニス・ミューレン]]が撮影)の後半部分に、スピルバーグはディズニーアニメ『[[ピノキオ (1940年の映画)|ピノキオ]]』(ロイが家族と観に行きたかった映画)の主題歌「[[星に願いを]]」を流すことを考えていたが、試写の批評が芳しくなくカットされた。これが「特別編」で復活された。旋律だけでなく歌も流そうとスピルバーグは考えたが、リアリティを損なうと他のスタッフから反対された。小型の円盤のアイディアを練る段階で、ファストフード・チェーン[[マクドナルド]]のm字シンボルそっくりの円盤が考案され、小型円盤がマクドナルドの看板の前で自分の仲間を眺めるかの如く小停止し、ハンバーガーの画が映る(バリーが「アイスクリーム!」と叫んだ後)。また、全体的なシーンの推敲もやり直され、冒頭のロイ一家の導入シーンが新たに撮影され、細かい部分が多くカットされたことで全体的な長さはすべてのバージョンで最も短い132分となっている。AUEにて初のデジタルソフト化となった。<br /> ; 初期ソフト版<br /> : [[VHS]]、[[レーザーディスク|LD]]で発売された際にメディア上の制約で編集されたバージョン。劇場公開版を元にロイのファーストコンタクトが差し替えられ、ロイたちが[[デビルスタワー]]麓へ連行後のヘリから脱出するシーンがカットされているほか、ロイが家族とマッシュポテトを食べるシーンの前半部分がカットされている。<br /> ; 「ファイナル・カット」版<br /> : 製作20年を記念して発表された再々編集版。特別篇をベースにロイが狂ったようにデビルズタワーの模型を作るシーンをはじめとしたカットされたいくつかのシーンを復活させたほか、マザーシップ内部描写の削除、フイルムのデジタルリマスター等を行った。この結果、137分と一般上映されたものとしては最も長いバージョンとなった。AUEにはさらにリマスター収録されている。この映画では唯一DVDが単品販売されており、レンタル用もこのバージョンが提供されている。「星に願いを」のメロディーは再び削除されている。<br /> ; アメリカABCテレビ放映版<br /> : 現在確認されているものの中で最長のバージョン。劇場公開版に特別篇の追加シーンを盛り込んだもので、143分ある。<br /> <br /> コレクター向けのソフト化はスタッフのインタビューを含む大量の資料/特典とともに&#039;77年版と「特別編」の両方をプログラム再生という形で選択、鑑賞可能にした[[レーザーディスク]]があり、製作30周年を記念して発売された「アルティメット・エディション」のセット(ブルーレイは2枚組、DVDは3枚組)では、&#039;77年版+「特別編」+「ファイナル・カット」の3種類が同梱されている。<br /> <br /> == あらすじ ==<br /> {{不十分なあらすじ|date=2014年4月}}<br /> [[バミューダトライアングル]]で行方不明になった戦闘機群や巨大な貨物船が、砂漠に失踪当時の姿のまま忽然と姿を現した。謎の発光体が米国内外で目撃され、原因不明の大規模停電が発生。発電所に勤めるロイ・ニアリーも停電の復旧作業に向かう途中、不可思議な機械の誤作動を起こす飛行物体と遭遇。それが放つ閃光を浴びて以後理由も判らないまま、憑かれたようにUFOの目撃情報を集め出し、枕やシェービング・クリームに漠然と山のような形を見出すようになる。インディアナ州に住む少年バリー・ガイラーは家の台所に入り込み冷蔵庫を漁っていた「何者か」と鉢合わせするが、恐れる様子も無く後を追い掛け、その母のジリアンも深夜外に出て行った息子を連れ帰ろうとする途中で飛行物体の編隊と遭遇し閃光を浴び、ロイ同様に山の姿を描くようになる。<br /> <br /> 飛行物体の群れにバリー少年が連れ去られる(アブダクション)など謎の現象が続く中、フランス人UFO学者のクロード・ラコームは異星人からの接触を確信し、「彼ら」と直接面会する地球側の「第三種接近遭遇」プロジェクトをスタートさせる。「彼ら」からのデータ送信をキャッチしそれが地上の座標を示す信号で、ワイオミング州にある[[デビルスタワー]](悪魔の塔)という山を指し示していた。軍も出動し有毒ガス漏洩を偽装して住民が退避させられるがニュースで報じられた事によってロイとジリアンは探し求めていた奇妙な形の山がデビルスタワーである事を確信。州境を越えデビルスタワーを目指す。<br /> <br /> デビルスタワーに陣取ったラコームらプロジェクトチームの目前に飛行物体の編隊が現れ、チームが送った信号に反応を示して飛び去った。関係者達は歓声を上げるが、直後山の背後から「彼ら」の母船とみられる巨大な円盤が重低音を響かせながら出現する。<br /> <br /> == キャスト ==<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;text-align: center;&quot;<br /> |-<br /> ! rowspan=&quot;2&quot;|役名<br /> ! rowspan=&quot;2&quot;|俳優<br /> ! colspan=&quot;3&quot;|日本語吹替<br /> |-<br /> ! ソフト版 || [[テレビ朝日]]旧版 || テレビ朝日新版 <br /> |-<br /> | ロイ・ニアリー || [[リチャード・ドレイファス]] || [[入江崇史]] || [[樋浦勉]] || [[山寺宏一]]<br /> |-<br /> | クロード・ラコーム || [[フランソワ・トリュフォー]] || [[井上倫宏]] || [[金内吉男]] || [[松橋登]]<br /> |-<br /> | ロニー・ニアリー || [[テリー・ガー]] || [[百々麻子]] || [[藤田淑子]] || <br /> |-<br /> | ジリアン・ガイラー || [[メリンダ・ディロン]] || [[八十川真由野]] || [[小原乃梨子]] || [[弘中くみ子]]<br /> |-<br /> | デヴィッド・ロフリン || [[ボブ・バラバン]] || [[星野充昭]] || [[仲村秀生]] || [[仲野裕]]<br /> |-<br /> | バリー・ガイラー || ケイリー・ガフィー || [[金田朋子]] || [[亀坂英]] || [[川田妙子]]<br /> |-<br /> | ロバート || [[ランス・ヘンリクセン]] || [[宗矢樹頼]] || || <br /> |-<br /> | ブラッド・ニアリー || ショーン・ビショップ || [[高森奈緒]] || || <br /> |-<br /> | トビー・ニアリー || ジャスティン・ドレイファス || [[後藤邑子]] || || <br /> |-<br /> | チームリーダー || メリル・コナリー || [[有本欽隆]] || [[宮川洋一]] || <br /> |-<br /> | プロジェクトリーダー || J・パトリック・マクナマラ || [[横堀悦夫]] || [[寺島幹夫]] || [[山野史人]]<br /> |-<br /> | ワイルドビル || ウォーレン・J・ケマーリング ||[[廣田行生]] || [[大平透]] || [[銀河万丈]]<br /> |-<br /> | ベンチリー || ジョージ・ディセンツォ || [[加藤亮夫]] || [[納谷六朗]] || <br /> |-<br /> | ハリス夫人 || メアリー・ギャフリー || [[中澤やよい]] || || <br /> |-<br /> | 農夫 || [[ロバーツ・ブロッサム]] || [[清川元夢]] || [[千葉耕市]] || <br /> |-<br /> | その他|| || || [[嶋俊介]] &lt;br&gt;[[阪脩]]&lt;br&gt;[[高村章子]]&lt;br&gt;[[村松康雄]]&lt;br&gt;[[藤本譲]]&lt;br&gt;[[岡部政明]]&lt;br&gt;[[加藤正之]]&lt;br&gt;[[原田一夫]]&lt;br&gt;[[山野史人]]&lt;br&gt;[[伊井篤史]]&lt;br&gt;[[小島敏彦]]&lt;br&gt;[[平林尚三]]&lt;br&gt;[[広瀬正志]]&lt;br&gt;[[鈴木一輝]]&lt;br&gt;[[池田真]]&lt;br&gt;[[佐藤隆浩]]&lt;br&gt;[[市丸和代]]&lt;br&gt;[[尼崎桂子]]&lt;br&gt;[[横尾まり]] || <br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#efefef&quot; colspan=&quot;7&quot; |<br /> |-<br /> | 演出 || || 福永莞爾 || [[佐藤敏夫 (音響監督)|佐藤敏夫]] || 福永莞爾<br /> |-<br /> | 翻訳 || || [[平田勝茂]] || [[木原たけし]] || 平田勝茂<br /> |-<br /> | 調整 || || || 前田仁信 || 飯塚秀保<br /> |-<br /> | 効果 || || || PAG || リレーション<br /> |-<br /> | 選曲 || || || [[赤塚不二夫]] || <br /> |-<br /> | 制作担当 || || || || <br /> |-<br /> | 制作 || || colspan=&quot;3&quot;|[[東北新社]] <br /> |-<br /> | 解説 || || || [[淀川長治]] || <br /> |-<br /> | 初回放送 || || || [[1982年]][[10月10日]]&lt;br&gt;21:00-23:39&lt;br&gt;『[[日曜洋画劇場]]』 || [[1999年]][[11月14日]]&lt;br&gt;『日曜洋画劇場』&lt;br&gt;※FC特別編集版<br /> |-<br /> |}<br /> <br /> == スタッフ ==<br /> * 監督・脚本:[[スティーヴン・スピルバーグ]]<br /> * 撮影:[[ヴィルモス・ジグモンド]]<br /> * 音楽:[[ジョン・ウィリアムズ (作曲家)|ジョン・ウィリアムズ]]<br /> * 特撮:[[ダグラス・トランブル]]<br /> <br /> == 第50回アカデミー賞受賞/ノミネート ==<br /> {| border=&quot;1&quot; cellpadding=&quot;2&quot; cellspacing=&quot;0&quot; bgcolor=&quot;#000000&quot;<br /> | bgcolor=&quot;#75b5f6&quot; | &#039;&#039;&#039;受賞&#039;&#039;&#039;<br /> | bgcolor=&quot;#75b5f6&quot; | &#039;&#039;&#039;人物&#039;&#039;&#039;<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#ffffff&quot; | [[アカデミー撮影賞|撮影賞]]<br /> | bgcolor=&quot;#ffffff&quot; | [[ヴィルモス・ジグモンド]]<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#ffffff&quot; | [[アカデミー特別業績賞|特別業績賞]]<br /> | bgcolor=&quot;#ffffff&quot; | フランク・F・ワーナー<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#f2d5a6&quot; colspan=&quot;3&quot; | &#039;&#039;&#039;ノミネート&#039;&#039;&#039;<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#ffffff&quot; | [[アカデミー監督賞|監督賞]]<br /> | bgcolor=&quot;#ffffff&quot; | [[スティーヴン・スピルバーグ]]<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#ffffff&quot; | [[アカデミー助演女優賞|助演女優賞]]<br /> | bgcolor=&quot;#ffffff&quot; | メリンダ・ディロン<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#ffffff&quot; | [[アカデミー編集賞|編集賞]] <br /> | bgcolor=&quot;#ffffff&quot; | [[マイケル・カーン]]<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#ffffff&quot; | [[アカデミー美術賞|美術賞]] <br /> | bgcolor=&quot;#ffffff&quot; | ジョー・アルヴス&lt;br /&gt;ダン・ロミノ&lt;br /&gt;フィル・アブラムソン<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#ffffff&quot; | [[アカデミー作曲賞|作曲賞]] <br /> | bgcolor=&quot;#ffffff&quot; | [[ジョン・ウィリアムズ (作曲家)|ジョン・ウィリアムズ]]<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#ffffff&quot; | [[アカデミー録音賞|録音賞]] <br /> | bgcolor=&quot;#ffffff&quot; | ロバート・J・グラス&lt;br /&gt;ドン・マクドゥーガル&lt;br /&gt;[[ジーン・キャンタメッサ]]&lt;br /&gt;[[ロバート・ニュードソン]]<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#ffffff&quot; | [[アカデミー視覚効果賞|視覚効果賞]] <br /> | bgcolor=&quot;#ffffff&quot; | ロイ・アーボギャスト&lt;br /&gt;ダグラス・トランブル&lt;br /&gt;マシュー・ユリチック&lt;br /&gt;リチャード・ユリチック&lt;br&gt;グレゴリー・ジェイン<br /> |-<br /> |}<br /> *音響効果編集に対して、フランク・F・ワーナーに特別業績賞が授与された。<br /> *ジョン・ウィリアムズは本作と同年に公開された『[[スター・ウォーズ]]』でも作曲賞にノミネートされており、同作で受賞している。<br /> <br /> == 補足 ==<br /> * スーパーバイザーを務めたのは、元[[アメリカ空軍]][[未確認飛行物体|UFO]] 研究部顧問の{{仮リンク|ジョセフ・アレン・ハイネック|label=アレン・ハイネック|en|J. Allen Hynek}}で、劇中でもエキストラで登場している。原題の「Close Encounters of the Third Kind(第三種[[接近遭遇]]の意)」は、ハイネックの著書で提唱された用語である。<br /> * 本作のストーリーは『[[十戒 (映画)|十戒]]』を基にしている。劇中でも「山」に向かうことになる主人公の家族が家のテレビで『十戒』を観ている。「宇宙船が現れる前ぶれとしての雲の動きは、まさに紅海が割れる場面の雲の動きとそっくりなのである。そして、宇宙船が地球に到着する感動は、モーゼが紅海を割る奇蹟と、意識の中でつながってくるのだ」&lt;ref&gt;[[和田誠]](『ぼくが映画ファンだった頃』[[七つ森書館]] 2015年p.146)。&lt;/ref&gt;。<br /> * 『[[スタートレック]]』に登場する宇宙船[[エンタープライズ (スタートレック)|エンタープライズ]]の模型が一瞬登場する。[[ダグラス・トランブル]]率いる視覚効果スタッフは、本作の後、『[[スタートレック (映画)|劇場版スタートレック]]』に参加する。また「特別編」で描写されたマザーシップの内部のシーンで花の[[めしべ]]や[[おしべ]]のような閉じていく構築物は、同じくトランブルのスタジオで製作された『[[ブレードランナー]]』に警察庁舎の外観として再利用された。<br /> * [[ワイオミング州]]に実在する[[デビルスタワー]]は、アメリカ最初の[[アメリカ合衆国のナショナル・モニュメント|ナショナル・モニュメント]]である。SFXや演出効果のため、ミニチュアのデビルズタワーは実際より短く造られた。<br /> * 宇宙人との音声によるコンタクトを試みるシーンで、制御用のコンソールに設置されていたのは、[[アープ (電子楽器メーカー)|アープ]]の[[シンセサイザー]]であるアープ・2500である。<br /> * クライマックスのマザーシップがデビルズタワーの背後から現れるシーンに(ごく小さな逆光の影ではあるが)『[[スター・ウォーズ]]』の[[R2-D2]]が登場している(上部壁面に逆さに貼り付けられている)。<br /> * 撮影はまずは人間ドラマを収録し、UFOのシーンは後回しにされた。UFOデザインはなかなか決まらず、当初はあのようなきらびやかなものではなかった。「宇宙人が地球人を安心させるため、地球上の様々なものに似たデザインにするのではないか」という観点で、ネオンっぽいものなども日常で見かける物に似せたアイデアが出た。中にはハンバーガーの看板「M」にそっくりのデザインもあり、却下されたものの赤い光球状のUFOが道端に立てられたハンバーガーの[[野立て看板|看板]]の前で小休止する「特別編」以降の追加シーンにその名残を見ることができる。<br /> *フランスの映画監督[[フランソワ・トリュフォー]]が出演しているが、トリュフォーは自作の映画にしか出演せず、またSF嫌いで「宇宙だのロボットだのは生理的に嫌悪感がする」とまで公言していたため、本作への出演は驚かれた&lt;ref&gt;[[山田宏一]]・[[蓮實重彦]]『トリュフォー 最後のインタビュー』p484-486、[[平凡社]]、[[2014年]]&lt;/ref&gt;。『[[野性の少年]]』や『[[アメリカの夜]]』を見ていたスピルバーグとはアメリカに行くたびにパーティ等で会い、出演を打診された。[[コロンビア映画]]は[[リノ・ヴァンチュラ]]か[[ジャン=ルイ・トランティニャン]]を起用する予定だったが、スピルバーグがトリュフォーに出演を懇願し続けて実現した。<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> {{Reflist}} <br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> *[[プロジェクト・セルポ]]<br /> *[[デビルスタワー]]<br /> *[[ソルレソル]]<br /> *[[TBF (航空機)]] - 冒頭砂漠で発見された雷撃機。失踪した「フライト19」編隊については、後年の調査により急な天候変化と誤った指揮が原因で不時着した事が判明している。<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * {{Allcinema title|22811|未知との遭遇}}<br /> * {{Kinejun title|8750|未知との遭遇}}<br /> * {{Amg movie|10031|Close Encounters of the Third Kind}}<br /> * {{IMDb title|0075860|Close Encounters of the Third Kind}}<br /> <br /> {{スティーヴン・スピルバーグ監督作品}}<br /> {{Normdaten}}<br /> {{DEFAULTSORT:みちとのそうくう}}<br /> [[Category:1977年の映画]]<br /> [[Category:1970年代の特撮作品]]<br /> [[Category:アメリカ合衆国のSF映画作品]]<br /> [[Category:アメリカ合衆国のファンタジー映画]]<br /> [[Category:地球外生命体を題材とした映画作品]]<br /> [[Category:未確認飛行物体を題材とした映画作品]]<br /> [[Category:インディアナ州を舞台とした映画作品]]<br /> [[Category:コロンビア映画の作品]]<br /> [[Category:スティーヴン・スピルバーグの監督映画]]<br /> [[Category:アメリカ国立フィルム登録簿に登録された作品]]</div> 211.12.199.229
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