Warning: Undefined variable $type in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php on line 3

Warning: "continue" targeting switch is equivalent to "break". Did you mean to use "continue 2"? in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/json/FormatJson.php on line 297

Warning: Trying to access array offset on value of type bool in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/Setup.php on line 660

Warning: session_name(): Session name cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/Setup.php on line 834

Warning: ini_set(): Session ini settings cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/session/PHPSessionHandler.php on line 126

Warning: ini_set(): Session ini settings cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/session/PHPSessionHandler.php on line 127

Warning: session_cache_limiter(): Session cache limiter cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/session/PHPSessionHandler.php on line 133

Warning: session_set_save_handler(): Session save handler cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/session/PHPSessionHandler.php on line 140

Warning: "continue" targeting switch is equivalent to "break". Did you mean to use "continue 2"? in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/languages/LanguageConverter.php on line 773

Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/Feed.php on line 294

Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/Feed.php on line 300

Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46

Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46

Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46
http:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=203.174.235.59&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-16T06:48:07Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 インテリジェント・デザイン 2018-09-14T19:29:44Z <p>203.174.235.59: /* 日本への影響 */</p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;インテリジェント・デザイン&#039;&#039;&#039;({{lang-en-short|Intelligent design}})とは、「知性ある何か」によって[[生命]]や[[宇宙]]の精妙な[[システム]]が[[設計]]されたとする説。しばしば、&#039;&#039;&#039;ID&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;ID説&#039;&#039;&#039;と略される。またIDを信じる人を&#039;&#039;&#039;IDer&#039;&#039;&#039;(インテリジェント・デザイナー)と呼ぶ&lt;ref&gt;[[#ガードナー2004|ガードナー(2004)]] p.146.&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> 『[[宇宙]]・[[自然]]界に起こっていることは機械的・非人称的な自然的要因だけではすべての説明はできず、そこには「[[デザイン]]」すなわち構想、意図、意志、目的といったものが働いていることを科学として認めよう』という[[理論]]・[[社会運動|運動]]である。近年の[[アメリカ合衆国]]で始まったものであり、1990年代にアメリカの反進化論団体、一部の科学者などが提唱し始めたものである。<br /> <br /> [[旧約聖書]]から大きく影響を受け、[[聖書主義]]を基盤に、[[宗教]]的な論説の[[創造科学]]から宗教的な表現を除き、一般社会や学校教育などにも広く受け入れられるように意図したもので、宗教色を抑えるために、宇宙や生命を設計し創造した存在を「[[神]]」ではなく「偉大なる知性」と記述することが特徴である。これにより、非[[キリスト教徒]]に対するアピールを可能とし、[[ユダヤ教]]徒&lt;ref&gt;Kippley-Ogman, Emma. &quot;Judaism &amp; Intelligent Design&quot;. MyJewishLearning.com. New York: MyJewishLearning, Inc. Retrieved 2010-11-13. &quot;But there are also Jewish voices in the intelligent design camp. David Klinghoffer, a Discovery Institute fellow, is an ardent advocate of intelligent design. In an article in The Forward (August 12, 2005), he claimed that Jewish thinkers have largely ignored intelligent design and contended that Jews, along with Christians, should adopt the theory because beliefs in God and in natural selection are fundamentally opposed.&quot;<br /> &lt;/ref&gt;や[[ヒンドゥー教]]徒&lt;ref&gt;Jensen, Leif A. (2011). Rethinking Darwin: A Vedic Study of Darwinism and Intelligent Design. Contributors: Wells, Jonathan; Dembski, William A.; Behe, Michael J.; Cremo, Michael A. Bhaktivedanta Book Trust. Retrieved 2014-02-28.&lt;/ref&gt;、[[イスラム教]]徒の支持者を得ている&lt;ref&gt;Edis 2004, &quot;Grand Themes, Narrow Constituency,&quot; p. 12: &quot;Among Muslims involved with ID, the most notable is Muzaffar Iqbal, a fellow of the International Society for Complexity, Information, and Design, a leading ID organization.&quot;&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;Shanks 2004, p. 11: &quot;Muzaffar Iqbal, president of the Center for Islam and Science, has recently endorsed work by intelligent design theorist William Dembski.&quot;&lt;/ref&gt;。また宗教色を薄めることで、[[政教分離原則]]を回避しやすくなる([[公教育]]への浸透など)。<br /> <br /> 旧約聖書によれば「全ての[[人間]]の[[祖先]]である[[アダム]]は神によって作られ、その妻[[アダムとイヴ|イヴ]]はアダムの[[肋骨]]から生まれた」とされ、[[ユダヤ教徒]]やキリスト教徒の間では長い間これが信じられてきた。しかし、[[チャールズ・ダーウィン|ダーウィン]]の[[進化論]]が認知され、「原始的な動物が次第に[[進化]]して人間になった」と考えられるようになると、聖書の記述をどのように解釈するかについて議論が起こった。インテリジェント・デザインでは、[[地球]]が創造されてからわずか数千年しか経たないという「[[若い地球説]]」は採用せず、「原始的な動物が人間に進化した」という進化論を一部認めつつも、「その過程は偉大なる知性の操作によるものである」として、宗教色を薄めつつも「偉大なる知性」を神と解釈できる余地を残している。<br /> <br /> 米国でインテリジェント・デザインを公教育の理科の時間にも取り入れようとする動きがあり、[[ジョージ・W・ブッシュ|ジョージ・ブッシュ]]などもIDを支持し「平等のため、進化論のみならずインテリジェント・デザインも学校の理科の時間で教えるべきだ」と主張した。こうした動きが議論を起こした。&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;&lt;!--記事の内容を検証してみましたところ、これは、どちらかというとIDに関する出典というよりも、ダーウィンの進化論の受容状態に関する出典として用いるのが適切なものです--&gt;参考までに、米世論調査企業[[ギャラップ (企業)|ギャラップ]]社の2009年の調査で、進化論を信じているアメリカ国民は39%にとどまる、との調査結果が報告された。[http://www.gallup.com/poll/114544/Darwin-Birthday-Believe-Evolution.aspx ]&lt;!--6割以上の人々が[[人類]]の誕生は何らかの知性ある設計者によって生み出されたと信じている([[キリスト]]教の[[創造説]]を含む)--&gt;&lt;/ref&gt;<br /> <br /> 一方、インテリジェント・デザインは[[科学]]とは別の「[[道徳]]的な問題」を扱う際のツール(道具もしくは根拠)であり、実際の[[自然科学]]と共存する[[思想]]であるとする論者もある。これは、「[[仏教]]における[[輪廻転生]]や[[地獄]]といった考え方は科学では肯定されてはいない(否定もされていない)が、人々が[[倫理]]や[[道徳]]を考える際に有用な考え方であることが経験的に知られているように、インテリジェント・デザインも自然科学を否定するものではなく、あくまで仏教の様な方便に過ぎないのだ」という主張である。<br /> <br /> == 創造科学 ==<br /> {{main|創造科学}}<br /> <br /> 宇宙や地球の出来た年代、[[生物]]の発生順や発生時期、各々の生物種の発生の仕方などについて、[[宇宙論]]・[[地球科学]]・[[古生物学]]・[[進化論]]など現在の科学的定説とされる進化論と対峙して、[[創世記]]の記述を科学的に論述し証明しようとする言説を「[[創造科学]]」と呼び、それに関与する学者・科学者を「クリエイショニスト」と呼ぶ。<br /> <br /> == 反応 ==<br /> === 科学者 ===<br /> アメリカ合衆国[[カンザス州]]での、進化論と同時にインテリジェント・デザインを学校で教育すべきである、という推進派の主張に対し、「これは科学の議論ではない」、「科学と宗教は全く違うもので、議論自体がナンセンスだ」との意見があった&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://christiantoday.co.jp/main/theology-news-70.html|title=TBS番組でインテリジェント・デザイン紹介|author=高柳泉|date=2005-06-07|work=クリスチャントゥデイ |accessdate=2007-10-19 }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 一般向け科学解説書の多数の著作がある生物学者[[リチャード・ドーキンス]]は、一神教的宗教を批判する著作&lt;ref&gt;[[#ドーキンス2007|ドーキンス(2007)]] (原著: Richard Dawkins &#039;&#039;&quot;The God Delusion&quot;&#039;&#039; (2006))&lt;/ref&gt;を発表し、その中でインテリジェント・デザインについても詳細な反論を行った。<br /> <br /> === カトリック教会 ===<br /> [[カトリック教会]]を始めとする宗教界ではインテリジェント・デザインは受け入れられていない。一般に誤解されがちだが、カトリックでは進化論は否定されておらず、むしろ、[[ヨハネ・パウロ2世]]が進化論を概ね認める発言を残している。というのも、進化論は必ずしも創造論を否定するものではなく、進化論が[[生命の起源]]にまで及ばない以上、そこに神の存在を見出すことが可能である(進化論を肯定しても原初の生物は神が作ったという解釈が可能)。つまり、インテリジェント・デザインは、たとえ神に置き換える余地があっても、そこを「偉大なる知性」と置き換えてしまうために、彼らにとっては進化論よりも神の存在を脅かすとされる&lt;ref&gt;{{Cite book|和書|author=竹内薫|authorlink=竹内薫|year=2006|month=2|title=99.9%は仮説|series=光文社新書|publisher=光文社|isbn=4-334-03341-5}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 創造論否定者 ===<br /> [[生物学]]の分野でも、創造科学者は極めて精妙な生物の[[細胞]]や[[器官]]のしくみを例に挙げて、「複雑な細胞からなる生体組織が進化、自然淘汰などによってひとりでにできあがったとは考えられない。従って創造に際しては『高度な知性』によるデザインが必要であった」と主張するようになってきた。この主張は、伝統的な[[神]]の存在証明のひとつである「[[神の存在証明#目的論的証明|デザイン論証]]」に倣っている。しかし、創造論に反対する立場からは、<br /> * 主張を支持する具体的な根拠が提示されていない<br /> * 複雑な細胞を無から創造する事の出来る存在はどのように生じたのか&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;「高度な知性」が生物であるなら、彼らも別の何者かにデザインされていなければ「高度な知性」まで進化できないということになる。それを同様に推論すると、「デザインをしたのは誰か」が永遠に先送りされる。また、デザインされないで「高度な知性」が進化したのならそれは進化論そのものとなる。&lt;/ref&gt;<br /> という新たな疑問が発生するため、「“人智を超えた高度な知性”の存在が証明出来ない限り、単に問題を先送りにしたに過ぎない」、「単に神をそのままでは教えられないために『偉大なる知性』という別の言葉に置き換えて宗教色を覆い隠したに過ぎない」とする批判がなされている。<br /> <br /> また、現実には生物学上「複雑な器官等が突如、出現した」という証拠は全くない。原始的な器官から複雑な器官への橋渡しを示すような中間形態を持つ生物も存在しており、結局、進化の中で徐々に複雑化してきたと考える事に矛盾は見つからない。議論の前提から誤解・曲解が含まれていることに注意しなくてはならない(→[[わら人形論法]])。<br /> <br /> === 創造論肯定者 ===<br /> 「{{要出典範囲|インテリジェント・デザインは進化論を否定するものにとっては代替のものになり得るが、反社会的[[カルト]]宗教や政治的[[イデオロギー]]に利用され、改変されることが懸念される|date=2014年4月}}」{{誰|date=2014年4月}}{{いつ|date=2014年4月}}([[ラエリアン・ムーブメント]])。<br /> <br /> === ヘンダーソンらの風刺 ===<br /> 米国のボビー・ヘンダーソンはカンザス州教育委員会の動きを見て、2005年6月、IDを批判するために自分のウェブサイトに[[パロディ]]宗教([[冗談宗教]])の「[[空飛ぶスパゲッティ・モンスター教]]」のコンセプトを掲載し、前述のブッシュのコメントを皮肉り、「平等のため『スパゲッティ・モンスター』が人類を作ったという説も学校の理科の時間で教えるべき」であり、「ブッシュ大統領を始めとしたインテリジェント・デザイン論者たちは我等がスパゲッティ・モンスター教を学校教育に採り入れるために戦ってくれているのだ」と主張した。<br /> <br /> === 産経新聞 ===<br /> 『[[産経新聞]]』は特集記事を組んで、創造科学を肯定する側の意見を載せた&lt;ref&gt;{{Cite web|author=渡辺浩|date=2005-09-26|url=http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/etc/050926etc.html|title=「反進化論」米で台頭 渡辺久義・京大名誉教授に聞く|publisher=産経Web|accessdate=2011-05-02}} {{リンク切れ|date=2011年5月}} - 産経webで連載された特集『教育を考える』&lt;/ref&gt;。この特集は後述する渡辺久義に対するインタビュー記事で、「この理論は多くの科学者が支持しており、IDを推進しているのは[[キリスト教右派]]、宗教勢力だと言う主張はIDを快く思わない人間の妄言である。IDを教えず、[[仮説]]に過ぎない進化論を公認の学説として扱うのは[[思考]]訓練の機会を奪ってしまう」「人の祖先は[[サル|猿]]&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;正確には[[類人猿]]から進化した[[猿人]]&lt;/ref&gt;だと教えれば、子ども達に人間としての尊厳が育てられない」と言う趣旨であり、締め括りは「進化論は[[マルクス主義]]と同じく[[唯物論]]的であるため、[[個人の尊厳|人間の尊厳]]を無視しており[[歴史]]、[[道徳]]の教育にとって良くない。日本では進化論偏向教育によって[[日本神話]]等が弾圧された」として日本も学校でIDを教えるべきだと主張した。また、『[[日本放送協会|NHK]]が考える「性のありよう」』と題し“人間は男か女に生まれる。[[性別]]は選べない。被造物の分際で性の「境界線」をなくすなど、不遜な冒涜であろう”と述べた[[潮匡人]]の発言を、コラム『断』(2009年1月17日付)に載せた&lt;ref&gt;{{Cite web|author=潮匡人|date=2009-01-17|url=http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090117/acd0901170336000-n1.htm|title=【断 潮匡人】NHKが考える「性のありよう」 (1/2ページ)|publisher=MSN産経ニュース|archiveurl=http://replay.web.archive.org/20090121183849/http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090117/acd0901170336000-n1.htm|archivedate=2009-01-21|accessdate=2011-05-02}}<br /> {{Cite web|author=潮匡人|date=2009-01-17|url=http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090117/acd0901170336000-n2.htm|title=【断 潮匡人】NHKが考える「性のありよう」 (2/2ページ)|publisher=MSN産経ニュース|archiveurl=http://replay.web.archive.org/20090121180017/http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090117/acd0901170336000-n2.htm|archivedate=2009-01-21|accessdate=2011-05-02}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 統一教会の日本支部 ===<br /> [[創造デザイン学会]]&lt;ref&gt;{{Cite web|url=http://www.dcsociety.org/|title=創造デザイン学会 DESIGN-OF-CREATION SOCIETY|publisher=世界平和教授アカデミー|accessdate=2011-05-02}}&lt;/ref&gt;という、創造科学やインテリジェント・デザインを扱う団体を、[[世界基督教統一神霊協会]](以下、統一教会)の関連団体が主催するようになった。この会はやはり関連団体とされる組織である[[世界平和教授アカデミー]]&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www1k.mesh.ne.jp/reikan/japanese/siryou/list/list.htm|title=統一協会(統一教会)関連団体リスト|author=全国霊感商法対策弁護士連絡会|work=霊感商法の実体 |accessdate=2007-10-19 }}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{Cite web|date=2011-04-05|url=http://www.pwpa-j.net/|title=世界平和教授アカデミー|publisher=世界平和教授アカデミー|accessdate=2011-05-02}}&lt;/ref&gt;が主催している。これはあくまで当人達が「[[学会]]」を自称しているだけで、[[日本学術会議]]が学会と認定した団体ではない。この「学会」は、「学会」の代表&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.dcsociety.org/about_us/aisatsu.html|title=創造デザイン学会代表あいさつ|publisher=創造デザイン学会|author=渡辺久義 |accessdate=2007-10-19 }}&lt;/ref&gt;を務める[[渡辺久義]]([[英文学者]]、[[摂南大学]]国際言語文化学部[[教授]]、[[京都大学]][[名誉教授]])&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.worldtimes.co.jp/book/yoku/main.html|title=書籍のご案内『善く生きる』|work=世界日報|author=世界日報社 |accessdate=2007-10-19 }}&lt;/ref&gt;は、統一教会系の日刊新聞『[[世界日報]]』や同じく統一協会の下部組織である[[国際勝共連合]]の月刊誌『[[世界思想]]』等でIDを肯定する発言を繰り返しており&lt;ref&gt;{{cite web|author=世日クラブ|url=http://www.senichi-club.com/vp.htm|title=科学者等から現れた科学革命運動|archiveurl=http://web.archive.org/web/20060717010657/http://www.senichi-club.com/vp.htm|archivedate=2006-07-17|accessdate=2011-05-14}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.dcsociety.org/id/ningen_genri/027.html|title=自然主義科学と理性の危機―反デザイン論者の道徳意識―|author=渡辺久義|work=世界思想 No. 353(2005年3月号) |accessdate=2007-10-19 }}&lt;/ref&gt;、前者では「誰がどう考えても、生命とか進化とか[[心]]([[意識]])の問題を物理力だけで説明できるとは思えない」と述べている。<br /> <br /> == 社会への影響 ==<br /> === アメリカの社会問題 ===<br /> [[創造論]]は宗教的なものであるとして強力に排除されてきたアメリカでは、教育の現場で聖書主義を教えなくなった事が、今日のアメリカ社会の病巣の根源だとする考え方がある。一般社会に受け入れられるために宗教的な表現を排してでも、全てのものは偶然の産物ではなく意図を持って創造された、という考え方を広めるべきだとする人々に受け入れられているようである。しかし、人間の心の根源的な問題に関わる問題を宗教心なしで語る事は困難であり、創造論が広く受け入れられる事を良しとしながらも、聖書を基にしたものから聖書的表現を無くしたものは不自然であるとする意見もある。<br /> <br /> ; 論争を教えろ &#039;&#039;[[:en:Teach the Controversy|Teach the Controversy]]&#039;&#039;<br /> : 2000年頃から、活発に活動するディスカバリー・インスティチュート ([[:en:Discovery Institute|Discovery Institute]]) をはじめとするインテリジェント・デザインの主張団体が取り始めたキャンペーン。インテリジェント・デザイン自体を教えるのではなく、「進化論には不備があり、それに代わる理論があるのだという&#039;&#039;&#039;論争があることを教えよう&#039;&#039;&#039;」という内容。2005年のドーバー学区進化論裁判で、インテリジェントデザインは学校で教えるべき科学的妥当性がないという判決が下って以来、論争を教えろキャンペーンが活性化した。この場合、必ずしも進化論の代替理論にインテリジェント・デザインが紹介されるわけではない。ディスカバリー・インスティチュートのジョージ・ギルダーは「インテリジェント・デザインには教えるべき中身がない」と明らかにしている&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.boston.com/ae/books/articles/2005/07/27/the_evolution_of_george_gilder/|title=The evolution of George Gilder|author= Joseph P. Kahn|date=2005-07-25|work=The Boston Globe|language=英語 |accessdate=2007-10-19 }}&lt;/ref&gt;。このキャンペーンに対しては、圧倒的少数のインテリジェント・デザインの主張が果たして論争と呼ばれるに値するかという問題点や、そこにあるのは科学的議論ではないという問題点が指摘されている&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.csicop.org/intelligentdesignwatch/controversy.html|title=Should We “Teach the Controversy”?|author=Jason Rosenhouse|work=Creation Watch||language=英語 |accessdate=2007-10-19 }}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://ocw.nagoya-u.jp/files/45/sp_note02.pdf|title=ID論と「くさび運動」|format=PDF|author=伊勢田哲治 |accessdate=2007-10-19 }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 日本への影響 ===<br /> 心臓外科医で[[埼玉医科大学]]准教授の今中和人は、人間の心臓の機能が優れている理由として、創造主の存在を考えており、進化論を公教育で教えることをやめるべきだ、とした&lt;ref&gt;[https://www.christiantoday.co.jp/articles/9403/20110706/news.htm 聖書は正しく、進化論は間違い-クリスチャンは堂々と説明できるべき・クリスチャントゥデイ2011年07月06日23時32分]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> ;注<br /> &lt;references group=&quot;注&quot;/&gt; <br /> <br /> ;出典<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> === 肯定的な内容を掲載している文献 ===<br /> * {{Cite book|和書<br /> |author=宇佐和通<br /> |authorlink=宇佐和通<br /> |year=2009<br /> |month=3<br /> |title=インテリジェント・デザイン ID理論 ダーウィンの進化論は完全に間違っていた!! 聖書原理主義の創造論でもない「第三の生命観」、ついに日本上陸!!<br /> |series=Mu super mystery books<br /> |publisher=[[学習研究社]]<br /> |isbn=978-4-05-404063-2<br /> }}<br /> * {{Cite book|和書|author=ジョナサン・ウェルズ|others=[[渡辺久義]]監訳、創造デザイン学会訳|year=2007|month=5|title=進化のイコン 破綻する「進化論」教育 生物教科書の絵は本物か?|publisher=[[コスモトゥーワン]]|isbn=978-4-87795-117-7|ref=ウェルズ2007|url=http://www.dcsociety.org/activity/icon_preview.html}}<br /> * {{Cite book|和書<br /> |author=久保有政<br /> |authorlink=久保有政<br /> |year=2009<br /> |month=4<br /> |title=天地創造の謎とサムシンググレート 「進化論」と「インテリジェント・デザイン理論」 宇宙と生命体をデザインしたのはだれか!?<br /> |series=Mu super mystery books<br /> |publisher=[[学習研究社]]<br /> |isbn=978-4-05-404102-8<br /> }}<br /> * {{Cite book|和書|author=ベンジャミン・ワイカー|coauthors=ジョナサン・ウィット|others=[[原田正]]・[[高木哲一]]・[[渡辺久義]]訳|year=2008|month=6|title=意味に満ちた宇宙 芸術と科学が明らかにする自然の叡智|publisher=[[アートヴィレッジ]]|isbn=978-4-901053-68-6|ref=ワイカー&amp;ウィット2008|url=http://www.dcsociety.org/activity/meaningful_preview.html}}<br /> * {{Cite book|和書<br /> |author=渡辺久義<br /> |authorlink=渡辺久義<br /> |coauthors=[[原田正]]<br /> |year=2009<br /> |month=9<br /> |title=ダーウィニズム150年の偽装 唯物論文化の崩壊と進行するID科学革命<br /> |publisher=[[アートヴィレッジ]]<br /> |isbn=978-4-901053-79-2<br /> |url=http://www.dcsociety.org/activity/150years_preview.html<br /> }}<br /> <br /> === 否定的な内容を掲載している文献 ===<br /> * {{Cite book|和書|author=ロバート・アーリック|authorlink=ロバート・アーリック|others=[[垂水雄二]]・[[阪本芳久]]訳|year=2007|month=12|title=怪しい科学の見抜きかた 嘘か本当か気になって仕方ない8つの仮説|publisher=草思社|isbn=978-4-7942-1662-5|ref=アーリック2007|chapter=第3章 インテリジェント・デザイン説は科学か?}}<br /> * {{Cite book|和書|author=マーティン・ガードナー|authorlink=マーティン・ガードナー|others=[[太田次郎]]監訳|year=2004|month=8|title=インチキ科学の解読法 ついつい信じてしまうトンデモ学説|publisher=光文社|isbn=4-334-96170-3|chapter=10 インテリジェント・デザイン運動――ダーウィンを目の仇(かたき)にする人たち|ref=ガードナー2004}} pp. 146-162.<br /> * {{Cite book|和書|author=マイクル・シャーマー|authorlink=マイクル・シャーマー|others=[[岡田靖史]]訳|year=1999|month=2|title=なぜ人はニセ科学を信じるのか UFO、カルト、心霊、超能力のウソ|publisher=早川書房|isbn=4-15-208212-7|chapter=第3部 進化論と創造論}} pp. 201-273.<br /> ** {{Cite book|和書|author=マイクル・シャーマー|authorlink=マイクル・シャーマー|others=[[岡田靖史]]訳|year=2003|month=8|title=なぜ人はニセ科学を信じるのか|volume=1 奇妙な論理が蔓延するとき|publisher=早川書房|series=ハヤカワ文庫 NF 280|isbn=4-15-050280-3}}<br /> ** {{Cite book|和書|author=マイクル・シャーマー|authorlink=マイクル・シャーマー|others=[[岡田靖史]]訳|year=2003|month=8|title=なぜ人はニセ科学を信じるのか|volume=2 歪曲をたくらむ人々|publisher=早川書房|series=ハヤカワ文庫 NF 281|isbn=4-15-050281-1|chapter=第3部 進化論と創造論}}<br /> * {{Cite book|和書|author=リチャード・ドーキンス|authorlink=リチャード・ドーキンス|others=[[垂水雄二]]訳|date=2004-04-23|title=悪魔に仕える牧師 なぜ科学は「神」を必要としないのか |publisher=早川書房|isbn=4-15-208565-7|ref=ドーキンス2004|url=http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/111193.html}}<br /> * {{Cite book|和書|author=リチャード・ドーキンス|authorlink=リチャード・ドーキンス|others=[[垂水雄二]]訳|date=2007-05-26|title=神は妄想である 宗教との決別|publisher=早川書房|isbn=978-4-15-208826-0|ref=ドーキンス2007|url=http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/112163.html}}<br /> * {{Cite book|和書|author=リチャード・ドーキンス|authorlink=リチャード・ドーキンス|others=[[垂水雄二]]訳|date=2009-11-21|title=進化の存在証明|publisher=早川書房|isbn=978-4-15-209090-4|ref=ドーキンス2009|url=http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/113749.html}}<br /> * {{Cite book|和書|author=皆神龍太郎|authorlink=皆神龍太郎|editor=[[と学会]]編|date=1996-04-01|title=トンデモ本の逆襲|publisher=洋泉社|isbn=4-89691-208-X|ref=皆神1996|chapter=本家トンデモ・インターネット活用ガイド}} pp. 188-199 - Creation Research Societyを紹介している。<br /> *[[山本弘]] ニセ科学を10倍楽しむ本 楽工社 ISBN 978-4903063416 [[ちくま文庫]]版 [[筑摩書房]] 2015年4月8日<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{Commonscat|Intelligent design}}<br /> * [[進化論裁判]]<br /> * [[隙間の神]]<br /> * [[創造科学]]<br /> * [[創造論]]<br /> * [[空飛ぶスパゲッティ・モンスター教]] - インテリジェント・デザインを皮肉った[[冗談宗教|パロディ宗教]]<br /> * [[2001年宇宙の旅]]<br /> * [[無知に訴える論証]]<br /> * [[フランク・ティプラー]]<br /> * [[キリスト教右派]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> 肯定的な内容を掲載しているサイト<br /> * {{Cite web|url=http://arn.org/|title=Access Research Network|language=英語|accessdate=2011-05-02}}<br /> * {{Cite web|url=http://www.discovery.org/csc/|title=Discovery Institute|language=英語|accessdate=2011-05-02}}<br /> * {{Cite web|url=http://www.intelligentdesignnetwork.org/|title=Intelligent Design Network|language=英語|accessdate=2011-05-02}}<br /> <br /> 否定的な内容を掲載しているサイト<br /> * {{Cite web|date=2004-12-14|url=http://www.aclu.org/religion-belief/victory-challenge-intelligent-design|title=Victory in the Challenge to Intelligent Design|publisher=American Civil Liberties Union|language=英語|accessdate=2011-05-02}}<br /> * {{Cite web|author=John Rennie |date=2002-06-18|url=http://www.scientificamerican.com/article.cfm?id=15-answers-to-creationist|title=15 Answers to Creationist Nonsense|publisher=Scientific American Magazine|language=英語|accessdate=2011-05-02}}<br /> * {{Cite web|author=Richard Milner|coauthors=Vittorio Maestro|year=2002|month=April |url=http://www.naturalhistorymag.com/darwinanddesign.html|title=Intelligent Design?|publisher=Natural History Magazine|language=英語|archiveurl=http://classic-web.archive.org/web/20070620122151/http://www.naturalhistorymag.com/darwinanddesign.html|archivedate=2007-06-20|accessdate=2011-05-02}}<br /> * {{Cite web|url=http://www.csicop.org/intelligentdesignwatch/articles/|title=Intelligent Design Watch - CSI|publisher=[[CSICOP]]|language=英語|accessdate=2011-05-02}} - &quot;Skeptical Inquirer&quot;誌に掲載されたインテリジェント・デザイン関連の記事を掲載。<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:いんてりしえんとてさいん}}<br /> [[Category:疑似科学]]<br /> [[Category:創造論]]</div> 203.174.235.59 種 (分類学) 2018-07-30T20:55:12Z <p>203.174.235.59: /* 種の実在性 */</p> <hr /> <div>{{Biological classification}}<br /> &#039;&#039;&#039;種&#039;&#039;&#039;(しゅ)とは、[[生物の分類|生物分類]]上の基本単位である。2004年現在、[[命名]]済みの種だけで200万種あり、実際はその数倍から十数倍以上の種の存在が推定される。新しい種が形成される現象、メカニズムを[[種分化]]という。<br /> <br /> [[ラテン語]]の species より、単数の場合は省略形 &#039;&#039;&#039;sp&#039;&#039;&#039;. で、複数の場合は省略形 &#039;&#039;&#039;spp&#039;&#039;&#039;. で書き表す。「[[イヌ属]]のある種」であれば「&#039;&#039;Canis&#039;&#039; sp.」、「[[ネコ属]]のいくつかの種」であれば、「&#039;&#039;Felis&#039;&#039; spp.」と表現する。<br /> <br /> == 基本理念 ==<br /> 生物は、無数の[[個体]]からなるが、それらが非常に多様な形質を持つと同時に、一定の類型に分けられることを人は古くから経験的に知っており、それらに名前を付けていた。たとえば[[虫]]、魚、鳥、草、苔などである。更にそれらの大まかの分類の中にも多様な形質を観察することができ、より細かい不連続な集団に分けられることに気がつく。つまり、形質のかなり細部までが共通する集団が見分けられ、それらの集団の間には不連続性が見られる。たとえば[[ミカン]]の木につく青虫を育てれば、そこから出てくるチョウは、黄色のまだらのものか、真っ黒の羽根のものかである。前者は[[アゲハチョウ]]で、後者は[[クロアゲハ]]であるが、それらは色だけでなく、羽根の形や幼虫の姿でも少し異なっている。また、このような形質は世代を越えて維持される。そのような集団を種という。[[博物学]]や[[生物学]]の知識の蓄積に伴って、すべての生物がこのような集団に区分できることが明らかとなっていった。それぞれの種に体系的に名を付け、分類体系を築こうとしたのが[[カール・フォン・リンネ|リンネ]]である。その100年後には[[チャールズ・ダーウィン|ダーウィン]]が進化と種分化の理論を提唱し、リンネの「形態に基づく分類体系」がなぜそのようになっているか、理論的説明を与えた。<br /> <br /> しかし、リンネの時代には生物は現在言うところのEukaryote([[真核生物]])しか知られていなかった。現在それ以外にもMonera(モネラ、[[真正細菌]]、いわゆる狭義の[[細菌]])、Archaea(アーキア、[[古細菌]])、そして生物かどうかの異論もある、Virus([[ウイルス]])やViroid([[ウイロイド]])といった存在があることが知られている。そしていわゆる真核生物とはMonera とArchaea、見方によっては Virusが複数共生した複合生命体であることが定説になっている([[細胞内共生説]]、[[ミトコンドリア]]、[[葉緑体]]、[[レトロウイルス]]等を参照)。このため、リンネの考えた種の概念は真核生物では比較的よく適合するが、それ以外のMonera、Archaea、Virus、Viroidといったものには適合性が良くない。Monera、Archaea はリンネの唱えた2名法による種名が付いているが、その概念と範囲は真核生物における物とは全く異なることに留意すべきである。Virus、Viroidではそもそも2名法による種名は付けられていない。<br /> <br /> == 有性生殖の役割 ==<br /> 個体間で[[生殖]]が可能かどうかは種の判断で重視される。これは、種の特徴が世代を越えて維持されるものであること、古くは同種であれば子供を残せるはず、との素朴な判断があったためである。しかし、現在では[[有性生殖]]の理解が変化している。つまり有性生殖は、それぞれの個体の属する系統の間で互いの遺伝子を交換し合う行為であり、互いに交配可能であれば、いつかは実際にその遺伝子が交換される可能性がある。そのような関係で結びついた個体の集団は、同じ[[遺伝子プール]]を形成する。同一範囲の遺伝子集団を所有する限りは、形態的にもその同一性が保証されるはずと考えることができる。<br /> <br /> しかし種における重要な概念の「有性生殖(による遺伝子交換)」そのものが真核生物に特有の概念である。例えば真正細菌では、有性生殖にあたる接合だけではなく、プラスミドの交換などを通して相当に遠縁でも遺伝情報の交換ができる。接合が知られていないものも極めて多く、相当遠縁の同士でも接合が起こることがある。また、外形は極めて変化に乏しいが、遺伝的には極めて多様なことが知られている。つまり、リンネの定義では、種を非常に細かく分けることも、非常におおざっぱに分けることもできてしまう。現在の細菌の種の定義は真核生物の分類と比較すると非常に大きい集団を指しているものと思われる。例えば細菌の種分類の基準として用いられることの多い[[DNA - DNA分子交雑法]]で再結合率が70%以上であることや、[[核酸]][[塩基配列]]の相同性が90%程度などを用いた場合、動植物では目レベルの分類群が全て同一の種に属することになるであろう。種の[[定義]]・[[概念]]は、現在、22以上あり、研究が進むほどに増加している&lt;ref&gt;Mayden R. L. A hierarchy of species concepts: the denouemant in the saga of the species problem. In: Claridge M. F. , Dawah H. A. and Wilson M. R. (eds),1997. Species: the Units of Biodiversity. Chapman &amp; Hall, London, 381-424. &lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 種の定義 ==<br /> [[ファイル:Hoverflies mating midair.jpg|right|thumb|[[昆虫]]の種の分類は多様である]]<br /> 以下にはよりなじみの深い真核生物の分類、より厳密に言えば動物を中心に成り立つ種分類上の留意点について記述する。ここには真核生物でも[[植物]] (Plant)、[[菌類]] (Fungi)、[[原生生物]] (Protista) などでは成立しない定義も多く含まれている。上述した「有性生殖の役割」も[[植物]]、[[菌類]]、[[原生生物]]では成立しないケースがある。これらでは有性生殖がほとんど認められなかったり、交配できない[[自家不和合性|不和合]]接合型(クローンや親子兄弟など同じもしくは近い型の間では有性生殖が成立しない)が認められたりする例が多数ある。このため「交配可能かどうか」は種の分類に使いにくい場面が多い。専門家の間で完全に同意を得られるような種の定義はない。つまり、生物の集団をどうとらえるかは、研究者・分類群・研究の目的によって異なり、全ての生物の分類に適用可能な種の概念は存在しないということである&lt;ref&gt;河田雅圭『1章 個体の行動の進化』 行動・生態の進化(シリーズ進化学 第6卷). 長谷川 眞理子,河田 雅圭,辻 和希,田中 嘉成,佐々木 顕,長谷川 寿一 (eds). 2006年6月. 岩波書店. ISBN 4-00-006926-8&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === [[形態]]的種の概念 ===<br /> 様々な生物を分類するにあたって、外観や解剖学的特徴によって区別することは最も古くから行われてきた。生物の形態によって種を区別することを&#039;&#039;&#039;形態的種の概念&#039;&#039;&#039;と言う。形態的な差を種の同定の基準に用いることは分類が[[主観的]]になりすぎる問題がある。特に視覚的な基準を用いるのは人間の視覚が発達しているためでしかない。生物個体のどのような特徴を判断の基準とするかがあいまいである。また性的二型のような多型を別種と誤解する可能性がある。しかし、現在記載されている種のほとんどは形態的種で、特に[[化石種|化石生物]]は全て形態的種である。なお、このような分類では生殖器の構造、特に交接器の構造が重視される。これは生殖器の物理的な差異が配偶を困難にし、[[生殖的隔離]]をもたらす可能性が高いと推定できるためで、生物学的種の同定の基準となりうるからである。<br /> <br /> 北アメリカでは複数種の同属の[[ホタル]]がおり、それらは外見上は区別が困難であるが、それぞれの発光パターンが異なる。このパターンによる雌雄のやりとりで交尾が行われるので、種間の生殖隔離は成立している。このような生物は&#039;&#039;&#039;[[隠蔽種]]&#039;&#039;&#039;(英:[[:en:Cryptic species complex|cryptic species]])と呼ばれ、形態によって区別することはできないから、他の概念を適用することでその存在が知られる。その場合でも、そこに種の違いが存在することを知った上で研究が行われれば、わずかの形態の違いで区別が可能となる場合もある。<br /> <br /> === [[生物学]]的種の概念 ===<br /> [[ファイル:Phylloscopus trochiloides NAUMANN.jpg|right|thumb|[[ヤナギムシクイ]]は[[輪状種]]を証明する種の一つ]]<br /> [[エルンスト・マイヤー|マイヤー]]によって[[1942年]]に提案された、生物学では最も一般に用いられている種の概念。この定義では、同地域に分布する生物集団が自然条件下で交配し、子孫を残すならば、それは同一の種とみなす。しかし、同地域に分布しても、[[遺伝子]]の交流がなされず、子孫を残さない(=[[生殖的隔離]]が完了している)ならば、異なる種とされる。たとえば、[[ヒョウ]]と[[ライオン]]を強制的に交雑することによって[[レオポン]]と呼ばれる雑種が生まれるが、レオポンはほとんど繁殖力を持たない。よって、ヒョウとライオンは同一の種ではない。[[ラバ]]([[ロバ]]と[[ウマ]])についても同様である。<br /> <br /> それぞれの生物集団が異なる地域に属していたり、違う時代に属している場合、[[生殖的隔離]]の検証が出来ないため、その生物の形態の比較、集団レベルでの[[交配]]および[[受精]]の可能性の検証、[[雑種]]の妊性(稔性)の確認を通じて、同一の種であるかが検討される。<br /> <br /> ただし雑種が全て生殖能力に劣るわけではない。特に、[[植物]]では従来の見解では異種であった個体群を交配させて[[栽培品種|園芸品種]]を作ることは頻繁に行われている。このようなときは、この定義を厳密に当てはめた場合種ではなく亜種として分類しなおすことになる。野生下での交配可能性のみを問題にする立場からしても、[[イヌ属]]や[[カモ属]]、[[キジ属]]などの場合は亜種として扱うことになる。<br /> <br /> 生物学的種を普遍的なものとして扱いたい場合に最も根本的な問題となるのは交配せず[[無性生殖]]のみを行う生物である。この定義を適用すれば全ての個体の系統が異なる種に分類されることになり、現実的ではない。はるか昔に絶滅した種を扱う古生物学にも適用できない。また実際的な問題として、無数の生物の組み合わせ全てで実際に交配が行われるかどうかを確認するのは不可能である。<br /> <br /> さらに[[輪状種]]の存在は生物学的種に困難をもたらす。輪状種とは近接して生息する個体群AとB、BとCが交配可能であるが、離れて生息する個体群AとCの間に生殖的隔離が存在する亜種の混合個体群のことである。この場合AとCは生物学的に別種であるが、AとB、BとCは定義上、同種である。全ての種は時間的には連続した存在だが、輪状種はそれを空間的に見ていると言うことができる。<br /> <br /> === [[生態学]]的種 ===<br /> 生物をその生活している場または[[ニッチ]](生態的地位)で分かれているかどうかを判断する立場。実験室内では交雑可能であっても、その[[生息域]]や[[行動]]から、交配の可能性がなく、別個体群としてふるまっていれば、別種とみなす。たとえば、[[ニホンザル]]と[[タイワンザル]]は交配可能であり、その子孫も繁殖力があるが、地域的に完全に隔離されており、その限りでは形態的差にも差があり、別種と見なして良いと判断する。また、[[イヌ]]と[[オオカミ]]はしばしば同じ地域に生息し交配も可能であるが、繁殖サイクル、行動、学習パターン、主な食料などの点で全く異なるニッチに属しているため生態学的には別種といえる。<br /> <br /> === [[地理学]]的種 ===<br /> 地理的に隔離されている物を別種と見なす。種の分化はどんな形であれ、最初に地理的隔離が起きたのだと考える説が有力であるが、それに基づけば、「地理的な種」は生物学的には未分化であっても、いくらかの遺伝子の差異が存在し、いずれは完全に異なる種になりうる。一般的にこの地理学的種の定義が用いられるのは生物の地域的変異(の保護など)に言及する場合が多い。しかしこの定義では(他の定義以上に)亜種と種の区別が困難であり、恣意的に用いることになる。上述のニホンザルとタイワンザルも厳密には地理学的種である。<br /> <br /> === 進化学(系統学)的種 ===<br /> 単系統に属し、他の系統と異なる特徴、進化的傾向を持つ生物群や系統を種とする。この場合、進化的傾向は恣意的であること、個体群と真の種の間の区別ができない事などが問題となる&lt;ref&gt;[[エルンスト・マイア]] 『進化論と生物哲学』pp309-310 [[東京化学同人]]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 時間的種 ===<br /> 時間的種は種の誕生と終焉によって定義される。種の誕生は種分化あるいは単系統の漸進的な変遷であり、終焉とは絶滅あるいは漸進的な変遷である。この定義は形態的種や生物学的種が進化的時間を考慮していないことから提案されたが、種の分類には形態が用いられるという点で同様の欠点がある。特に親種からの漸進的な変遷、孫種への漸進的な変遷が起きた場合、どこで種の区別をするかが恣意的にならざるを得ない&lt;ref&gt;エルンスト・マイア 『進化論と生物哲学』pp310-312 東京化学同人&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === それ以外の種概念 ===<br /> Maydenによる分類からいくつか引用する&lt;ref name=Mayden&gt;Mayden R.L. [http://fulltextt10.fcla.edu/DLData/SN/SN0022300X/0031_002/95.pdf Consilience and a Hierarchy of Species Concepts:Advances Toward Closure on the Species Puzzle] Journal of Nematology 31(2):95–116. 1999&lt;/ref&gt;<br /> * 無性種概念<br /> * 分岐学的種概念<br /> * 認識種概念<br /> * 系統発生種概念<br /> * 生態学的種概念<br /> * 進化的に重要な単位<br /> * 遺伝的種概念<br /> * 繁殖競争概念<br /> * 遺伝子型クラスター定義<br /> * ヘニッヒ的種概念<br /> <br /> == 種の下位分類 ==<br /> 研究の積み上げが進んだ中から、現実的には種に分けてことが済まない場合が多々見つかる。たとえば同種内とは考えられるものの、はっきりと差のある群が発見され、種以下の分類を考える必要が生じ、[[亜種]]や[[変種]]、[[品種]]などの階級が作られた。例えば異なる地域に分布する集団からなる種では、種の内部で異なる形態的特徴を持つ地域集団が存在することがある。これを&#039;&#039;&#039;[[亜種]]&#039;&#039;&#039;と呼ぶ。<br /> 日本列島に棲息する大型[[哺乳類]]の多くは、大陸産の同種とは異なる亜種として分類されている。ただし、亜種と認定される基準は必ずしも客観的でない場合がある。<br /> <br /> [[品種]]は作物や家畜などの人間が飼育した生物の中で、他の生物集団より区別できる生物集団を指す。ハイブリッド品種など、ある[[品種]]の子孫が親と同じ品種とされないことも多い。<br /> <br /> なお、[[人種]]は[[形態学]]的な特徴の中でも毛髪、目、皮膚の色、骨格など外部から容易に観察できる形質によって[[ヒト]]という種を下位分類する概念である。現生する全ての人種を含む現生人類は[[ヒト科]][[ヒト亜科]][[ヒト属]]の[[ホモ・サピエンス]]ただ一種である。ただし[[古人類学]]は[[化石人類]]にホモ・サピエンス以外の種をいくつか認めている。異人種間での生殖隔離が見られないこと、異人種間にみられる遺伝情報の多様性よりも人種内の遺伝情報の多様性の方が高いこと、また[[人種差別]]への懸念から、生物学的な文脈では人種の有効性は極めて限定的だとされている。<br /> <br /> == 種の問題 ==<br /> 種の定義や実在性に関わる議論を&#039;&#039;&#039;種の問題&#039;&#039;&#039;という。<br /> <br /> === 種の実在性 ===<br /> [[進化学]]の立場から、時間的と空間的距離などにより種は変化したり別の複数種に分かれたりするものであることはもはや定説である。リンネの時代には全て、あるいは多くの種は別個に[[創造論|創造]]され、変種は生み出すが別種は生み出さないと考えられていた。しかしそのような種の不変性という立場を取ることはもはやできない。現在の所、種の概念そのものはおおよそ認められてはいる。しかしながら、それを全く認めない立場も含め、さまざまな議論がある。この論争は13世紀の[[普遍論争]]にまで遡ることができる。<br /> <br /> === 種の本質主義===<br /> ある生物が「その生物たらしめているなんらかの“本質”を親から受け継いでいるからその種なのだ」という概念を&#039;&#039;&#039;種の本質主義&#039;&#039;&#039;と呼ぶ。ダーウィン以前の分類の定義(それは主に形態学的種概念であるが)は本質主義に含められる。本質主義では種は種内変異や人工的な品種を生み出すが、異なる種に変化することはないと仮定する。本質主義は厳密には正しくないが、形態学的種概念を含めて現在のいくつかの種概念も異なる程度に本質主義を仮定している&lt;ref name=Mayden /&gt;。<br /> <br /> === 種の問題の原因 ===<br /> 種の問題の原因は次のようにまとめられている&lt;ref&gt;Hey J. [http://lifesci.rutgers.edu/~heylab/HeyLabPapers/2001/TheMindoftheSpeciesProblem-TREE.pdf The mind of the species problem] TRENDS in Ecology &amp; Evolution Vol.16 No.7 326-329 July 2001&lt;/ref&gt;<br /> #観察される生物のパターンは、人間の認識と判断能力の産物である。人間の認識能力は別の用途のために進化したので、自然の全てを精巧に関知できるわけではない。<br /> #生物の集団は明確に分かれているとは限らない。重複したり、内部に別の構造が存在することもある。<br /> #人間が認識できる生物のパターンはそれぞれの生物の進化的過去に起きた進化の産物であるが、進化のプロセスは現在も継続中である。<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[生物の分類]]<br /> * [[学名]]<br /> * [[タイプ (分類学)]]:種の判断の基礎となる標本など<br /> * [[Encyclopedia of Life]] - 分類学上の種すべてについて記載することを目指すオンラインの百科事典プロジェクト<br /> <br /> == 出典 ==<br /> {{reflist}}<br /> <br /> == 関連文献 ==<br /> 日本語のオープンアクセス文献<br /> * 網谷祐一 「E・マイヤーの生物学的種概念」 [[科学基礎論研究]] &#039;&#039;&#039;Vol.29&#039;&#039;&#039;, No.2 (2002) pp.75-80 [http://www.journalarchive.jst.go.jp/jnlpdf.php?cdjournal=kisoron1954&amp;cdvol=29&amp;noissue=2&amp;startpage=75&amp;lang=ja PDF]<br /> <br /> 一般書籍<br /> * 日本生物科学者協会編集「特集:種についての終わりなき論争」『生物科学』[http://www.ruralnet.or.jp/seibutsu/059_04.htm Volume 59 Number 4](2008年5月号)2008年、[[農山漁村文化協会]]。<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{SEP|species|Species|種}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:しゆ}}<br /> [[Category:分類学 (生物学)]]<br /> [[Category:生物学の哲学]]</div> 203.174.235.59 アラン・チューリング 2018-07-24T18:01:55Z <p>203.174.235.59: /* 大学時代と計算可能性についての研究 */</p> <hr /> <div>{{Infobox scientist<br /> | birth_name= Alan Mathieson Turing<br /> | image = Alan Turing Aged 16.jpg<br /> | image_size= 200px<br /> | caption = <br /> | birth_date= {{Birth date|1912|6|23|df=yes}}<br /> | birth_place = {{GBR}}・ロンドン・&lt;br /&gt;{{仮リンク|メイダヴェール|en|Maida Vale}}<br /> | death_date= {{Death date and age|1954|6|7|1912|6|23|df=yes}}<br /> | death_place = {{GBR}}・チェシャー・&lt;br /&gt;{{仮リンク|ウィルムズロー|en|Wilmslow}}<br /> | residence = {{GBR}}<br /> | nationality = {{GBR}}<br /> | field = [[数学]]、[[暗号解読]]、[[計算機科学]]<br /> | work_institutions = [[ケンブリッジ大学]]&lt;br /&gt;[[政府通信本部]]&lt;br /&gt;[[国立物理研究所 (イギリス)]]&lt;br /&gt;[[マンチェスター大学]]<br /> | alma_mater= [[キングス・カレッジ (ケンブリッジ大学)]]&lt;br /&gt;[[プリンストン大学]]<br /> | doctoral_advisor= [[アロンゾ・チャーチ]]<br /> | doctoral_students = {{仮リンク|ロビン・ガンディー|en|Robin Gandy}}<br /> | known_for = [[停止性問題]]&lt;br /&gt;[[チューリングマシーン]]&lt;br /&gt;{{仮リンク|エニグマの暗号解読|en|Cryptanalysis of the Enigma}}&lt;br /&gt;[[ACE (コンピュータ)]]&lt;br /&gt;[[チューリング賞]]&lt;br /&gt;[[チューリング・テスト]]&lt;br /&gt;[[チューリング・パターン]]<br /> | prizes= [[大英帝国勲章]]&lt;br /&gt;[[王立協会フェロー]]&lt;ref&gt;{{FRS |code = NA1673 |title = Turing; Alan (1912 - 1954) |accessdate = 2011-12-11 }}&lt;/ref&gt;<br /> }}<br /> [[File:Alan Turing Memorial Closer.jpg|thumb|マンチェスターの[[:en:Sackville Gardens|Sackville Gardens]]にあるアラン・チューリングの銅像]]<br /> &#039;&#039;&#039;アラン・マシスン・チューリング&#039;&#039;&#039;(&#039;&#039;&#039;Alan Mathieson Turing&#039;&#039;&#039;、{{IPA-en|tjúǝrɪŋ}}〔テュァリング〕, {{post-nominals|post-noms=[[大英帝国勲章|OBE]], [[王立協会フェロー|FRS]]}} [[1912年]][[6月23日]] - [[1954年]][[6月7日]])は[[イギリス]]の[[数学者]]、[[論理学]]者、[[暗号解読]]者、[[コンピュータ科学]]者。<br /> <br /> == 略歴 ==<br /> [[チャーチ=チューリングのテーゼ]]と[[計算可能性理論]]への貢献が、まず真っ先に挙げられる。特に、[[アルゴリズム]]を実行するマシンを形式的に記述したものの一つである「[[チューリングマシン]]」にその名を残し、人によっては前述のテーゼを「チューリング=チャーチ」と呼称するべきであるとする者もいるほどである。また、任意のチューリングマシンを模倣([[エミュレータ (コンピュータ)|エミュレート]])できる「万能チューリングマシン」は、同分野の基本的な定理のひとつである[[停止性問題]]の決定不能性定理と関係する。さらに、理論面だけではなく、実際面でも[[コンピュータ]]の誕生に重要な役割を果たした&lt;ref name=&quot;frs&quot;&gt;{{Cite doi|10.1098/rsbm.1955.0019}}&lt;/ref&gt;&lt;ref name=AFP&gt;{{Cite news| title =Alan Turing&amp;nbsp;– Time 100 People of the Century |url= http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,990624,00.html |work=Time Magazine |quote=The fact remains that everyone who taps at a keyboard, opening a spreadsheet or a word-processing program, is working on an incarnation of a Turing machine. |first=Paul |last=Gray |date=29 March 1999}}&lt;/ref&gt;。コンピュータ科学および([[チューリング・テスト]]などからは)[[人工知能]]の父とも言われる&lt;ref&gt;{{Cite book|author=Homer, Steven and Alan L. |title=Computability and Complexity Theory|url= http://books.google.com/?id=r5kOgS1IB-8C&amp;pg=PA35|publisher=Springer via Google Books limited view|page=35|isbn=0-387-95055-9|accessdate=13 May 2011|year=2001}}&lt;/ref&gt;。がっしりした体形で、声は甲高く、話好きで機知に富み、多少学者ぶったところがあったといわれている&lt;ref&gt;{{Citation| last = Garner | first = Alan | author-link = アラン・ガーナー | title = My Hero: Alan Turing | newspaper = Saturday Guardian Review | page = 5 | date = 12 November 2011 | url = http://www.guardian.co.uk/books/2011/nov/11/alan-turing-my-hero-alan-garner | accessdate = 2011-11-23 }}&lt;/ref&gt;。また、[[アスペルガー症候群]]を暗示する特徴の多くを示しているとの指摘もある&lt;ref&gt;{{Harvnb|O&#039;Connell|Fitzgerald|2003|pp=28-31}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[第二次世界大戦]]の間、[[ブレッチリー・パーク]]にあるイギリスの[[暗号解読]]センターの[[政府暗号学校]]で、ドイツの暗号を解読するいくつかの手法を考案し、英国の海上補給線を脅かすドイツ海軍の[[Uボート]]の暗号通信を解読する部門 (Hut 8) の責任者となった。ドイツが使用していた、[[エニグマ (暗号機)|エニグマ]]暗号機を利用した通信の暗文を解読する(その通信における暗号機の設定を見つける)ための機械 bombe を開発した。<br /> <br /> 戦後は、[[イギリス国立物理学研究所]] (NPL) に勤務し、プログラム内蔵式コンピュータの初期の設計のひとつ[[ACE (コンピュータ)|ACE]] (Automatic Computing Engine) に携わった(ただし、チューリング自身は、その完成を見ずに異動している)。[[1947年]]、マンチェスター大学に移ると、初期のコンピュータ [[Manchester Mark I]] のソフトウェア開発に従事し&lt;ref&gt;{{Harvnb|Leavitt|2007|pp=231-233}}&lt;/ref&gt;、[[数理生物学]]に興味を持つようになる。[[形態形成]]の化学的基礎についての論文を書き&lt;ref&gt;{{Cite journal| last= Turing | first= A. M. | title = The Chemical Basis of Morphogenesis | journal=Philosophical Transactions of the Royal Society of London, series B | volume = 237 | pages = 37–72 | year = 1952 | doi=10.1098/rstb.1952.0012| issue= 641| ref= harv}}&lt;/ref&gt;、1960年代に初めて観察された[[ベロウソフ・ジャボチンスキー反応]]のような発振する[[化学反応]]の存在を予言した。<br /> <br /> [[1952年]]、同性愛の罪(風俗壊乱罪)で警察に逮捕され、保護観察の身となり、[[ホルモン療法]]を受ける。[[1954年]]に41歳で死去。検死によると、[[シアン化水素|青酸中毒]]による自殺と断定されたが、母親や一部の友人は事故だと信じていた。<br /> <br /> 2009年9月10日、インターネットでのキャンペーンに続いて、[[イギリスの首相|首相]]の[[ゴードン・ブラウン]]が、戦後のイギリス政府によるチューリングへの扱いについて、公式に謝罪した&lt;ref name = &quot;PM-apology&quot;&gt;{{Cite news| url = http://news.bbc.co.uk/2/hi/technology/8249792.stm | title = PM apology after Turing petition | date = 11 September 2009 |work=BBC News }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 生涯 ==<br /> === 出生から大学進学まで ===<br /> 母エセルは、[[イギリス領インド帝国]][[オリッサ州]]チャトラプルでアラン・チューリングを妊娠した&lt;ref name = &quot;Hodges1983P5&quot;&gt;{{Harvnb|Hodges|1992|p=5}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt; {{Cite web|url= http://www.turing.org.uk/turing/scrapbook/early.html |title=The Alan Turing Internet Scrapbook |publisher=Turing.org.uk |date= |accessdate=2012-01-02}} &lt;/ref&gt;。父のジュリアス・チューリングは、当時[[インド高等文官]]であり、1911年に妻エセルの妊娠を知ると、[[イギリス]]本国での養育を考えて、[[ロンドン]]のメイダヴェールに戻った。&lt;ref name=&quot;englishheritaget&quot;&gt;{{Cite web| url = http://www.english-heritage.org.uk/server/show/nav.001002006005/chooseLetter/T | archiveurl = http://www.webcitation.org/5jkyjSdgY | archivedate = 2009-09-13 | title = London Blue Plaques | accessdate =2007-02-10 | work=English Heritage}}&lt;/ref&gt;1912年6月23日、アランが誕生した。現在、アランが生まれた病院(現在はホテル&lt;ref name=&quot;Hodges1983P5&quot;/&gt;)には、それを記念した[[ブルー・プラーク]]がある&lt;ref&gt;{{Openplaque|381}}&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;turingorguk&quot;&gt;{{Cite web| url= http://www.turing.org.uk/turing/scrapbook/memorial.html | title=The Alan Turing Internet Scrapbook | accessdate=2006-09-26}} &lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 父の任期が続いており、両親はインドとイギリスの[[ヘイスティングス]]&lt;ref&gt;{{Harvnb|Hodges|1992|p=6}}&lt;/ref&gt;を行き来する生活を送っていた。そのため、アランと兄のジョンは、イギリスの友人に預けられる。文字を読むことは三週間で覚えたといわれる。また、数字に強くパズルが非常に得意だった&lt;ref name=toolbox&gt;{{Cite web|title=Alan Turing&amp;nbsp;– Towards a Digital Mind: Part 1 |first=G. James |last=Jones |date=11 December 2001 |url= http://www.systemtoolbox.com/article.php?history_id=3 |accessdate=2007-07-27 |work=System Toolbox}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 6歳でセント・マイケルズ学校に入学した。担任教師に続き、校長もすぐに彼の才能に気づく。[[1926年]]、14歳で[[w:Sherborne School|シャーボーン学校]]に入学。登校初日が[[ゼネラル・ストライキ]]予定日と重なったため、前日から100kmの距離を一人で自転車で行くことにして、途中で宿をとって登校。このできごとは[[地方紙|地元紙]]に掲載された&lt;ref name=metamagical&gt;{{Cite book|title=Metamagical Themas: Questing for the Essence of Mind and Pattern |first=Douglas R. |last=Hofstadter |year=1985 |publisher=Basic Books |isbn=0-465-04566-9 |oclc=230812136}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> シャーボーンは有名な[[パブリックスクール]]であり、その校風は[[西洋古典学|古典]]を重視するものだったが、チューリングは、主に数学と科学に才能を発揮した。そのため、同校の校長は、アランの両親に「ふたつの学校の間で落ちこぼれないことを望みます。パブリックスクールに留まるなら、教養を身に付けねばなりません。単に科学者になるのなら、パブリックスクールに通うのは、時間の無駄です」&lt;ref&gt;{{Harvnb|Hodges|1992|p=26}}&lt;/ref&gt;という手紙を書いた。<br /> <br /> しかし、このようなことがあっても、アランは、学問に対する驚くべき能力を示し、初等[[微分積分学]]も習っていない[[1927年]]に、もっと難しい問題を解いていた。[[1928年]]、[[アルベルト・アインシュタイン]]の書いた文章に触れ、16歳でその内容を理解しただけでなく、そこには明記されていなかった[[ニュートン力学]]について、アインシュタインの疑問を外挿したという&lt;ref&gt;{{Harvnb|Hodges|1992|p=34}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 親友のクリストファー・モルコムに恋をしたが、シャーボーンの最終学期中、感染牛のミルクを小さいころに飲んでいたため&lt;ref name=teuscher&gt;{{Cite book|last=Teuscher |first=Christof (ed.) |title=Alan Turing: Life and Legacy of a Great Thinker |year=2004 |publisher=[[シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア|Springer-Verlag]] |isbn=3-540-20020-7 |oclc=53434737 62339998}}&lt;/ref&gt;牛結核症を患って、モルコムは死去した(1930年2月13日)&lt;ref&gt;{{Cite web |url= http://www.gap-system.org/~history/Biographies/Turing.html |title=Turing biography |publisher=Gap-system.org |date= |accessdate=2012-01-02}}&lt;/ref&gt;。このことがきっかけとなり、チューリングは、[[無神論]]者になった。また、脳の働きなどの[[現象]]についても、[[唯物論]]的に解釈するようになったが&lt;ref&gt;Paul Gray, [http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,990624,00.html Alan Turing] Time Magazine&#039;s Most Important People of the Century, p.2&lt;/ref&gt;、心のどこかで死後の生を信じていたという&lt;ref&gt;[http://www.turing.org.uk/turing/scrapbook/spirit.html The Inspiration of Life and Death, 1928–1932] Alan Turing Scrapbook&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 大学時代と計算可能性についての研究 ===<br /> [[File:KingsCollegeChapel.jpg|thumb|キングス・カレッジの計算機室はTuringと名づけられている]]<br /> 数学や科学ほど古典をまじめに学ばなかったことが原因で、[[ケンブリッジ大学]][[トリニティ・カレッジ (ケンブリッジ大学)|トリニティ・カレッジ]]の奨学金を受けられなかったため、第二希望であったケンブリッジ大学[[キングス・カレッジ_(ケンブリッジ大学)|キングス・カレッジ]]へ進学した。1931年から1934年まで学生として学び、[[数学]]で優秀な成績を修めて卒業した。1935年に、[[中心極限定理]]を証明した論文が認められ、キングス・カレッジの[[フェロー]](特別研究員)に選ばれた&lt;ref&gt;See Section 3 of John Aldrich, &quot;England and Continental Probability in the Inter-War Years&quot;, Journal Electronique d&#039;Histoire des Probabilités et de la Statistique, vol. 5/2 [http://www.jehps.net/decembre2009.html Decembre 2009] Journal Electronique d&#039;Histoire des Probabilités et de la Statistique&lt;/ref&gt;。ただし、中心極限定理は1922年に{{仮リンク|J・W・リンデベルグ|en|Jarl Waldemar Lindeberg}}が証明済みだったが、チューリングはその業績を知らなかった&lt;ref&gt;{{Harvnb|Hodges|1992|pp=88,94}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 1928年、ドイツの数学者[[ダフィット・ヒルベルト]]は、「[[決定問題]]」への注目を呼びかけた。チューリングは、重要な論文 &quot;On Computable Numbers, with an Application to the Entscheidungsproblem&quot;(「計算可能数、ならびにその[[ダフィット・ヒルベルト|ヒルベルト]]の決定問題への応用」、1936年5月28日提出、11月12日配布)&lt;ref&gt;{{Cite journal| last= Turing | first= A. M. |year=1936 | publication-date = 1936–37 | title = On Computable Numbers, with an Application to the Entscheidungsproblem | periodical = Proceedings of the London Mathematical Society | series = 2 | volume = 42 | pages = 230–65 | doi= 10.1112/plms/s2-42.1.230 | url = http://www.comlab.ox.ac.uk/activities/ieg/e-library/sources/tp2-ie.pdf | ref= harv}}(および {{Cite news| last = Turing | first = A.M. | publication-date = 1937 | title = On Computable Numbers, with an Application to the Entscheidungsproblem: A correction | periodical = Proceedings of the London Mathematical Society | series = 2 | volume = 43 | pages = 544–6 | doi = 10.1112/plms/s2-43.6.544 | year = 1938 }})&lt;/ref&gt;で、この問題の解決に重要な役割を果たした。<br /> <br /> この論文の重要な点を、現代の数学および[[数学基礎論]]および[[コンピュータ科学]]の視点からまとめると次のようになる。(1)「[[チューリングマシン]]」という[[計算モデル]]を提示し、19世紀以前の数学では[[数理論理学|数理論理]]の視点からすると[[自然言語]]で記述されるなど曖昧な点があった[[アルゴリズム]]を形式的に表現する手法(のひとつ)を確立し、「何らかのチューリングマシンで計算可能な関数を[[計算可能関数]]とする」という[[計算可能性理論]]における重要なテーゼである[[チャーチ=チューリングのテーゼ]]を示した(チャーチの業績とは独立であり&lt;ref&gt;{{Harvnb|Hodges|1992|p=111}}&lt;/ref&gt;、チューリングのほうがよりわかりやすく直感的であった。人によってはチューリング=チャーチのテーゼ、の順とすることもある)。(2)どんなチューリングマシンの動作をも、現代の言葉で言えば「[[エミュレータ (コンピュータ)|エミュレート]]」できる、「万能チューリングマシン」が可能であることを証明し、その構成法を示した。(&#039;&#039;&#039;注意:&#039;&#039;&#039; この(1)と(2)が表現していることを曖昧に理解しないように注意すること。「テーゼ」は証明ではない(証明できるような性質のものではない)。しばしば、万能チューリングマシンによりあらゆる計算が可能であることを証明した、というような誤解が見受けられる。)(3)「万能チューリングマシン」の概念を利用して、[[停止性問題]]を否定的に証明した(これは[[クルト・ゲーデル|ゲーデル]]の[[不完全性定理]]と同等の結果とも言えるものである。詳細は[[停止性問題]]の記事を参照)。&lt;ref&gt;以上のようにチューリングマシン及び万能チューリングマシンについての研究は第二次大戦より前のものであり、映画『イミテーション・ゲーム』の作中では、「あなたの論文を読んだ」と研究所で言われる場面があるのは史実を参考にしたものと思われるが、一方でエピローグの、戦中の業績が元でチューリングマシンにつながっているかのような表現は正しくない。{{要出典|date=2017年12月6日}}&lt;/ref&gt;<br /> <br /> 1936年9月から1938年7月にかけて、[[プリンストン高等研究所]]において[[アロンゾ・チャーチ]](前述の「チャーチ=チューリングのテーゼ」のチャーチである)に師事した。1938年、プリンストンで[[博士号]]を得た。博士論文&lt;ref&gt; {{Citation| last = Turing | first = A. M. | title = Systems of Logic Based on Ordinals | year = 1938 | url = https://webspace.princeton.edu/users/jedwards/Turing%20Centennial%202012/Mudd%20Archive%20files/12285_AC100_Turing_1938.pdf }} &lt;/ref&gt;では、数の広がり(正の整数→負数→無理数→虚数)とその公理体系の進化に関して、それらすべてを包含する「[[順序数]]」という概念の体系を整理しようとした。その中で、[[チューリング還元]]の概念を提案している。純粋数学とは別に暗号理論もここで学び、電気機械式乗算器も試作している&lt;ref&gt;{{Harvnb|Hodges|1992|p=138}}&lt;/ref&gt;。また、この時期、[[ジョン・フォン・ノイマン]]も同じくプリンストンにおり、二人は親交があったと言われている。ノイマンは、チューリングにアメリカに残ることを勧めたという。<br /> <br /> 1939年にケンブリッジに戻ると、[[ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン|ウィトゲンシュタイン]]との講義に参加した&lt;ref&gt;{{Harvnb|Hodges|1992|p=152}}&lt;/ref&gt;。そこでは、ウィトゲンシュタインが「数学は絶対的真実を発見するのではなく、発明している」という立場を取ったのに対して、チューリングは[[数学の哲学#形式主義|形式主義]]を擁護する立場を取った&lt;ref&gt;{{Harvnb|Hodges|1992|pp=153–154}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 暗号解読 ===<br /> [[File:Turing flat.jpg|thumb|[[ブレッチリー・パーク]]内にあるこの建物で、チューリングは、1939年から1940年まで働き、その後 [[:en:Hut 8|Hut 8]] に移った。]]<br /> <br /> 第二次世界大戦中、チューリングは、[[ブレッチリー・パーク]]でドイツの[[暗号]]を解読する仕事をしていた。歴史家で自らも戦時中に暗号解読に従事していた{{仮リンク|エイザ・ブリッグズ|en|Asa Briggs, Baron Briggs}}は次のように述べている。<br /> {{Quote|類まれな才能が必要で、ブレッチリーで天才が必要とされていた。チューリングは、まさにその天才だった。&lt;ref&gt;{{Citation| last = Briggs | first = Asa | work = Britain&#039;s Greatest Codebreaker | publisher = [[チャンネル4|UK Channel 4]] | format = TV programme broadcast 21 November 2011 }} &lt;/ref&gt;}}<br /> <br /> [[第二次世界大戦]]に先立つ[[1938年]]9月から、イギリスにおける暗号解読組織である[[政府暗号学校]] (GCCS) でパートタイムで働き始める。そこで、{{仮リンク|ディリー・ノックス|en|Dilly Knox}}と共に[[エニグマ (暗号機)|エニグマ]]の解読に当たった&lt;ref&gt;[[:en:Jack Copeland|Jack Copeland]], &quot;Colossus and the Dawning of the Computer Age&quot;, p. 352 in &#039;&#039;Action This Day&#039;&#039;, 2001&lt;/ref&gt;。その少し前の1939年7月、ポーランドの暗号局 ([[:en:Biuro Szyfrów|en]]) とイギリスおよびフランスの関係者が[[ワルシャワ]]で会合し、ポーランドが解明したエニグマのローター回路についての情報を得ていた。チューリングとノックスは、その情報を元に、問題にアプローチしようとしていた&lt;ref&gt;{{Harvnb|Copeland|2004|p=217}}&lt;/ref&gt;。ポーランドの解読法は不安定なもので、ドイツ側がいつでも変更可能だった。実際1940年5月に変更されている。チューリングの方法はもっと汎用的で[[クリブ]]式暗号解読全般に使えるもので、最初の [[:en:Bombe|bombe]] の機能仕様に盛り込まれていた。<br /> <br /> 1939年9月4日、イギリスがドイツに宣戦布告した翌日、GCCSの戦時中の基地となっていたブレッチリー・パークに出頭した&lt;ref name=Copeland2006p378&gt;{{Harvnb|Copeland|2006|p=378}}&lt;/ref&gt;。bombe の仕様は戦時中の暗号解読でチューリングが成し遂げた5つの成果のうち最初の1つである。他には、ドイツ海軍が使っていたインジケーター手続きの推測、&#039;&#039;[[:en:Banburismus|Banburismus]]&#039;&#039; と名付けた bombe の効率を上げる統計的手法の開発、&#039;&#039;[[:en:Turingery|Turingery]]&#039;&#039; と名付けた [[:en:Lorenz SZ 40/42|Lorenz SZ 40/42]] (&#039;&#039;Tunny&#039;&#039;) のホイール群のカム設定を明らかにする手続きの開発、そして終戦間近に開発した音声信号スクランブラー &#039;&#039;Delilah&#039;&#039; である。<br /> <br /> ブレッチリー・パークでは変人で通っていた。同僚は彼を &#039;Prof&#039; と呼び、<br /> エニグマに関する論文は &#039;The Prof&#039;s Book&#039; と呼ばれていた&lt;ref&gt;[http://cryptocellar.org/Turing/ Turing&#039;s Treatise on Enigma]&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt; {{Harvnb|Hodges|1992|p=208}}&lt;/ref&gt;。同僚の暗号解読者{{仮リンク|I・J・グッド|en|I.J. Good|label=ジャック・グッド}}はチューリングについて次のように述べている。<br /> &lt;blockquote&gt;<br /> 6月の第1週には毎年花粉症に悩まされるので、彼は花粉を吸わないようガスマスクをして自転車でオフィスに通っていた。自転車は故障していて、定期的にチェーンが外れていた。それを修理してもらう代わりに、ペダルをこいだ回数を数えて、危なくなると一旦降りてチェーンを調整していた。もうひとつの変人ぶりとして、マグカップが盗まれるのを防ぐために、それをラジエータパイプに鎖で繋いでいた。&lt;ref&gt;{{Harvnb|Lewin|1978|p=57}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;/blockquote&gt;<br /> <br /> ブレッチリーで働いていたころ、ロンドンで重要な会議に出席しなければならないとき、長距離走が得意だったチューリングは、約 64km を走ったという&lt;ref&gt; {{Citation| last = Brown | first = Anthony Cave | title = Bodyguard of Lies: The Extraordinary True Story Behind D-Day | publisher = The Lyons Press | year = 1975 | isbn = 978-1-59921-383-5}} &lt;/ref&gt;。タイムは、世界レベルのマラソン記録に匹敵していたという&lt;ref&gt;{{Cite news|url= http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2010/mar/10/alan-turing-2012-olympics|title=An Olympic honour for Alan Turing|author=John Graham-Cumming|publisher= the Guardian|date=10 March 2010}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 1945年、戦時中の功績により[[大英帝国勲章|OBE]]を授与されたが、その後[[1970年代]]までその業績は秘密にされ、近しい友人すらそのことを知らなかった。その功績の大きさにもかかわらず、暗号という重要な機密事項を扱う仕事柄ゆえに、ブレッチレイ・パークから一歩外に出れば、チューリングの仕事を知る者は誰一人いなかった。それは、家族すら例外ではなく、母親に一度だけ「軍関係の研究をしている」と話した際には、政府の仕事に携わっていながら身なりに気を払わない息子に対し、母はかえって落胆するばかりであったという。戦後もブレッチリー・パークに関係する事柄は引き続き機密とされ、チューリングが同性愛者として罰せられてからは、その功績を知らない世間から、公然と辱めを受けることとなる(後述)。<br /> <br /> ==== チューリングとウェルチマンの bombe ====<br /> [[File:Bombe-rebuild.jpg|thumbnail|ブレッチリー・パークに展示されている完全動作する bombe のレプリカ]]<br /> ブレッチリー・パークに到着して数週間後&lt;ref name=Copeland2006p378 /&gt;、ポーランドの &#039;&#039;[[:en:bomba (cryptography)|bomba kryptologiczna]]&#039;&#039; よりも効率的にエニグマの暗号を解読する電気機械式の装置の仕様を生み出し、ポーランドの bomba にちなんで bombe と名付けた。数学者{{仮リンク|ゴードン・ウェルチマン|en|Gordon Welchman}}の示唆によって改良した bombe は、エニグマの暗号解読の主要な自動化ツールとなった。<br /> <br /> ジャック・グッドは次のように述べている。<br /> &lt;blockquote&gt;<br /> チューリングの最も重要な貢献は、私が思うに暗号解読機 bombe の設計だ。彼はあなたも使えるアイデアを持っていた。要するに、やや不合理な訓練されていない耳でも聞き分けられる論理的理論で、すべてを推論できる。&lt;ref&gt;[http://www.imdb.com/title/tt1155383/episodes &quot;The Men Who Cracked Enigma&quot;], Episode 4 in the UKTV History Channel documentary series [http://www.imdb.com/title/tt1157073/ &quot;Heroes of World War II&quot;]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;/blockquote&gt;<br /> <br /> bombe はエニグマの暗号文で使われたと考えられる正しい設定(ローターの順序、ローターの設定、プラグボードの設定など)を、適当な[[クリブ]]([[平文]]に存在が推定される単語やフレーズ)を使って探索する。ローターの考えられる設定(組み合わせのオーダーは 10&lt;sup&gt;19&lt;/sup&gt;、4ローターのUボート版では 10&lt;sup&gt;22&lt;/sup&gt;)ごとに&lt;ref&gt;Professor Jack Good in &quot;The Men Who Cracked Enigma&quot;, 2003: with his caveat: &quot;if my memory is correct&quot;&lt;/ref&gt;、bombe はクリブに基づいた一連の推論を電気的に行う。bombe は矛盾が生じるとそれを検出し、その設定を除外し、次の設定を調べる。ほとんどの設定は矛盾を生じるので除外でき、詳細に調べるべき少数の設定だけが残る。最初の bombe は1940年3月18日に実装された&lt;ref&gt;{{Harvnb|Oakley|2006|p=40/03B}}&lt;/ref&gt;。終戦のころには200台以上の bombe が使われていた&lt;ref name=codebreaker&gt;{{Cite web|title=Alan Turing, Codebreaker and Computer Pioneer |last=Copeland |first=Jack |coauthors=Diane Proudfoot |month=May | year=2004 |url= http://www.alanturing.net/turing_archive/pages/Reference%20Articles/codebreaker.html |accessdate=2007-07-27}} &lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==== Hut 8 と海軍のエニグマ ====<br /> [[File:AlanTuring-Bletchley.jpg|thumbnail|ブレッチリー・パークにあるチューリングの石像&lt;ref&gt;{{Cite web|title=Bletchley Park Unveils Statue Commemorating Alan Turing |url= http://www.bletchleypark.org.uk/news/docview.rhtm/454075 |accessdate=2007-06-30|deadlinkdate=2015-09-09}}&lt;/ref&gt;]]<br /> チューリングは「他の誰もそれに取り組まず、自分ならやれるかもしれない」と思い、ドイツ海軍のエニグマの解読というさらに難しい問題に取り組むことを決めた&lt;ref name=MahonP14&gt;{{Harvnb|Mahon|1945|p=14}}&lt;/ref&gt;。1939年12月、海軍のエニグマのインジケーターシステムの基本部分を解明。海軍以外が使っているインジケーターシステムよりも複雑だった&lt;ref name=MahonP14 /&gt;&lt;ref&gt;{{Harvnb|Leavitt|2007|pp=184–186}}&lt;/ref&gt;。そしてある夜、&#039;&#039;[[:en:Banburismus|Banburismus]]&#039;&#039; のアイデアを思いつく。これは逐次的かつ統計的な技法で(後に[[エイブラハム・ウォールド]]は [[:en:sequential analysis|sequential analysis]] と呼んだ)、海軍版エニグマの暗号解読を助けるものだった。「私はそれが現場でうまく機能するか確信を持てず、何日かかけて具体化してやっと確信した」&lt;ref name=MahonP14 /&gt; このために彼は証拠を重み付けするための測度を考案し、それを &#039;&#039;[[:en:Ban (information)|Ban]]&#039;&#039; と呼んだ。Banburismus はエニグマの特定のローターの並びを除外することができ、bombe の設定をテストする時間を大幅に減らすことに寄与した。<br /> <br /> 1941年、チューリングは、 [[:en:Hut 8|Hut 8]] の同僚で数学者・暗号解読者の[[ジョーン・クラーク]]に結婚を申し込んだが、婚約期間は短かった。同性愛者であることをフィアンセに告白しても、彼女は動じなかったといわれているが、チューリングのほうがこのまま結婚はできないと別れることを決心した&lt;ref&gt;{{Harvnb|Leavitt|2007|pp=176–178}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 1942年11月には、暗号に関する情報交換の一環として、アメリカを訪れた&lt;ref&gt;{{Harvnb|Hodges|1992|pp=242-245}}&lt;/ref&gt;。そこでは、ワシントンでアメリカ海軍の暗号解読者に海軍版エニグマと bombe の構造について伝授し、英米間の盗聴不可能な音声通信手段として[[ベル研究所]]で当時開発中だった[[秘話|秘話装置]][[SIGSALY]]の情報提供を受け暗号化方式の安全性についての評価作業を行った&lt;ref&gt;{{Harvnb|Hodges|1992|pp=245-253}}&lt;/ref&gt;。ベル研究所では同じようにSIGSALYの評価を行っていた[[クロード・シャノン|シャノン]]にも会っている。1943年3月、ブレッチリー・パークに戻る。この間に Hut 8 の責任者が[[コーネル・ヒュー・オドネル・アレグザンダー|ヒュー・アレグザンダー]]に変わり、チューリング自身は部門の日常業務の運営に興味を持たなくなっていたため、ブレッチリー・パークの暗号解読コンサルタントのような立場となった。<br /> <br /> アレグザンダーは、次のように書いている。<br /> &lt;blockquote&gt;<br /> チューリングの仕事が Hut 8 の成功の最大の要因であることは誰もがわかっていた。当初、暗号解読者としては、彼だけがこの問題に取り組む価値があると考え、彼1人ではないものの Hut における理論的成果の最大の功績者であり、彼に次いでウェルチマンとキーンが bombe の発明に貢献した。全員が不可欠だったというのは難しいが、Hut 8 で誰が一番不可欠だったかといえば、それはチューリングだ。経験と日常がすべてを簡単なように見せるので、先駆者の業績は忘れられがちだが、Hut 8 の多くの者がチューリングの功績の大きさが外の世界に完全に伝わることは決してないだろうと感じていた。&lt;ref&gt;{{Harvnb|Alexander|circa 1945|p=42}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;/blockquote&gt;<br /> <br /> ==== Turingery ====<br /> 1942年、チューリングは &#039;&#039;[[:en:Turingery|Turingery]]&#039;&#039;(冗談で &#039;&#039;Turingismus&#039;&#039; とも)と名付けた技法を考案&lt;ref&gt;{{Harvnb|Copeland|2006|p=380}}&lt;/ref&gt;。ドイツが新たに開発した暗号生成ローターつきの[[テレタイプ端末]]で生成されるローレンツ暗号を解読するための技法である。この暗号機械をブレッチリー・パークでは &#039;&#039;Tunny&#039;&#039; と呼んでいた。Turingery は Tunny のホイール群のカム設定を解明する手続きである&lt;ref&gt;{{Harvnb|Copeland|2006|p=381}}&lt;/ref&gt;。彼は Tunny のチームに[[トミー・フラワーズ]]を紹介し、フラワーズが[[マックス・ニューマン]]の指導下で世界初のプログラム可能な電子式デジタル計算機 [[Colossus]] を構築することになった。Colossus は当時としては極めて高性能で、総当り的な統計的暗号解読技法を適用しても十分な性能を発揮した&lt;ref&gt;{{Harvnb|Copeland|2006|p=72}}&lt;/ref&gt;。なお、チューリングが[[Colossus]]の設計に重要な役割を果たしたと間違って主張している文献などがある。Turingery と Banburismus の統計的暗号解読法は間違いなくローレンツ暗号の解読技術に影響を与えているが&lt;ref&gt;{{Harvnb|Gannon|2007|p=230}}&lt;/ref&gt;、チューリング自身がColossus開発に直接関与した事実はない&lt;ref&gt;{{Harvnb|Copeland|2006|pp=382,383}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==== 秘話装置 Delilah ====<br /> アメリカのベル研究所で提供を受けた[[SIGSALY]]の情報を元に&lt;ref&gt;{{Harvnb|Hodges|1992|pp=245-250}}&lt;/ref&gt;、よりシンプルな形で電話の音声信号を電子的に暗号化するというアイデアを追求し、戦時中の後半はハンスロープ・パークにある[[イギリス情報局秘密情報部]]のラジオセキュリティサービス(後の[[:en:Her Majesty&#039;s Government Communications Centre|HMGCC]])で働いた。そこで彼は技術者ドナルド・ベイリーの助けを得て、電子工学への造詣を深める。2人は携帯型の[[秘話|秘話装置]] &#039;&#039;Delilah&#039;&#039; を設計・構築&lt;ref&gt;{{Harvnb|Hodges|1992|p=273}}&lt;/ref&gt;。Delilah は様々な応用が意図されていたが、長距離の無線通信ができず、いずれにしても完成したのは終戦間近で遅すぎた。それでも役人の前で[[ウィンストン・チャーチル]]の演説を暗号化してさらにそれを元に戻すデモンストレーションを行ったが、実際には使われなかった&lt;ref&gt;{{Harvnb|Hodges|1992|p=346}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 初期のコンピュータに関する仕事とチューリングテスト ===<br /> [[1945年]]から[[1947年]]まで、チューリングはロンドンのリッチモンドに住み&lt;ref&gt;{{Openplaque|1619}}&lt;/ref&gt;、[[イギリス国立物理学研究所]] (NPL) にて[[ACE (コンピュータ)|ACE]] (Automatic Computing Engine) の設計を行う。1946年2月の論文では、[[ノイマン型|プログラム内蔵式コンピュータ]]の英国初の完全なデザインを発表している&lt;ref&gt;{{Harvnb|Copeland|2006|p=108}}&lt;/ref&gt;。[[ジョン・フォン・ノイマン|フォン・ノイマン]]の &#039;&#039;[[:en:First Draft of a Report on the EDVAC|First Draft of a Report on the EDVAC]]&#039;&#039; はチューリングの論文より先に存在したが、チューリングの論文の方が詳細であり、NPL数学部門の責任者だった [[:en:John R. Womersley|John R. Womersley]] は「チューリング博士の独自のアイデアがいくつか含まれていた」と記している&lt;ref&gt; {{Citation| last = Randell | first = B | title = A History of Computing in the Twentieth Century: Colossus | year = 1980 | url = http://www.cs.ncl.ac.uk/research/pubs/books/papers/133.pdf | accessdate = 2012-01-27}} で以下を引用 {{Citation| last = Womersley | first = J. R. | title = &#039;ACE&#039; Machine Project | journal = Executive Committee, National Physical Laboratory, Teddington, Middlesex | date = 13 February 1946 }}&lt;/ref&gt;。ACEは実現可能な設計だったが、ブレッチリー・パークで軍事機密に関わる仕事をしていたことが原因でプロジェクトは遅々として進まず、1947年、[[サバティカル]]休暇でケンブリッジに戻る。彼がケンブリッジにいる間にACEを縮小した [[ACE (コンピュータ)|Pilot ACE]] が作られた。1950年5月10日に初めてプログラムの実行を達成している。<br /> <br /> 1948年、[[マンチェスター大学]]数学科の助教授に招かれる。[[1949年]]、[[マンチェスター大学]]のコンピュータ研究室に移り、そこで初期のコンピュータ [[Manchester Mark I]] におけるソフトウェア開発に従事。この時期はより概念的な仕事にも取り組み、&#039;&#039;Computing Machinery and Intelligence&#039;&#039;(「計算する機械と知性」、1950年10月、「Mind」誌)という論文では[[人工知能]]の問題を提起、今日[[チューリングテスト]]として知られている実験を提案している。すなわち、機械を「知的」と呼ぶ際の基準を提案したもので、人間の質問者が機械と会話をして人間か機械か判別できない場合に、その機械が「思考」していると言えるというものである&lt;ref&gt;[[:en:Stevan Harnad|Harnad, Stevan]] (2008) [http://eprints.ecs.soton.ac.uk/7741 The Annotation Game: On Turing (1950) on Computing, Machinery and Intelligence]. In: Epstein, Robert &amp; Peters, Grace (Eds.) &#039;&#039;Parsing the Turing Test: Philosophical and Methodological Issues in the Quest for the Thinking Computer&#039;&#039;. Springer&lt;/ref&gt;。その中で、最初から大人の精神をプログラムによって構築するよりも、子どもの精神をプログラムして教育によって育てていくのがよいと示唆している。<br /> <br /> [[1948年]]、当時まだ存在していなかった[[コンピュータチェス]]のプログラムを書き始める。[[1952年]]、当時のコンピュータは性能が低くそのプログラム実行には適さなかったため、自分でコンピュータをシミュレートして[[チェス]]の試合を行ったが、一手打つのに30分かかったという。その対戦の棋譜が残っている&lt;ref&gt;[http://www.chessgames.com/perl/chessgame?gid=1356927 Alan Turing vs Alick Glennie (1952) &quot;Turing Test&quot;] Chessgames.com&lt;/ref&gt;。同僚との対戦ではプログラムが負けているが、別の同僚の奥さんにはプログラムが勝利している。<br /> <br /> [[チューリングテスト]]は独特の挑発的特徴があり、[[人工知能]]に関する議論で半世紀にわたってよく引き合いにだされ続けた&lt;ref&gt;Saygin, A.P., Cicekli, I., &amp; Akman, V. (2000) Turing Test: 50 years later. Minds and Machines, Vol. 10, pp&amp;nbsp;463–518.&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 1948年には[[LU分解]]も考案しており、今でも方程式行列の解法として使われている&lt;ref&gt;{{Cite web|url= http://www.intusoft.com/nlhtm/nl71.htm |title=SPICE 1 2 3 and beyond ... Intusoft Newsletter, August 2003 |publisher=Intusoft.com |date=16 August 2001 |accessdate=2011-05-29}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 形態形成と数理生物学に関する仕事 ===<br /> 1952年から、亡くなる1954年まで[[数理生物学]]、特に[[形態形成]]について研究を行う。&quot;The Chemical Basis of Morphogenesis&quot;(形態形成の化学的基礎)と題する論文を1952年に発表、形態形成について仮説を提唱した&lt;ref&gt;&quot;Control Mechanism For Biological Pattern Formation Decoded&quot; &#039;&#039;ScienceDaily&#039;&#039;, 30 November 2006&lt;/ref&gt;。この分野での関心は、[[フィボナッチ]]の葉序研究、すなわち植物の葉のつき方に現れる[[フィボナッチ数]]の存在である。これに反応拡散方程式を用いたが、これは形態形成の分野で現在よく使われる手法である。その後の論文は 1992年の &#039;&#039;Collected Works of A.M. Turing&#039;&#039; の出版まで未発表だった。近年再評価が著しい仕事である&lt;ref&gt;{{Wayback|url= http://www.swintons.net/deodands/archives/000087.html |title=Turing&#039;s Last, Lost work |date=20030823032620}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 同性愛の告発 ===<br /> Anthony Cave Brown の著書 &#039;&#039;&quot;C&quot;: The Secret Life of Sir Stewart Menzies, Spymaster to Winston Churchill&#039;&#039; には次のような記述がある。<br /> {{Quote|ミンギス&lt;ref&gt;[[イギリス情報局秘密情報部|MI6]]長官&lt;/ref&gt;は、チューリングをブレッチリーで雇用した直後から彼が長年の積極的な同性愛者だと知っていた。しかし、ブレッチリーの同僚にちょっかいを出すこともなく、ミンギスの部下の中では唯一「不可欠」と呼べる男だったので、そのまま雇っていた… 1944年初め、ブレッチリーに程近い大きな工業都市ルートンの公立図書館で男子生徒が性暴力を受けるという事件があり、チューリングが犯人ではないかと疑われた。全く記録には残っていないが、秩序と風紀を保つには彼を排除するしかないという決定がなされた。しかし、それも彼が素晴らしい仕事を完了してからのことである。&lt;ref&gt;{{Citation| last = Cave Brown | first = Anthony | title = C : The Secret Life of Sir Stewart Graham Menzies, Spymaster to Winston Churchill| place = New York | publisher = Macmillan | year = 1987 | isbn = 978-0-02-517390-3 }}&lt;/ref&gt; }}<br /> [[1952年]]1月、チューリングはマンチェスターの映画館のそばでアーノルド・マレーと出会う。ランチデートの後、週末を一緒に過ごそうとマレーを自宅に招いたが、マレーはその誘いを断わっている。次の月曜日、2人は再びマンチェスターで会い、今度はチューリングの自宅を訪問している。数週間後、マレーは再びチューリング宅を訪れ、一夜を共にしたとみられている&lt;ref&gt;{{Harvnb|Leavitt|2007|p=266}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 間もなく自宅に[[泥棒]]が入り、事件を[[警察]]に報告したが、捜査の過程で、泥棒の手引きをした19歳の青年(マレー)と[[同性愛]]関係にあったことが警察の知るところとなった。同性愛は当時のイギリスでは違法であり&lt;ref&gt;{{Harvnb|Hodges|1992|p=458}}&lt;/ref&gt;、2人とも逮捕された&lt;ref name=LeavittP268&gt;{{Harvnb|Leavitt|2007|p=268}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> チューリングは有罪となり、入獄か化学的去勢を条件とした保護観察かの選択を与えられ、入獄を避けるため、同性愛の性向を矯正するために、性欲を抑えると当時考えられていた[[エストロゲン|女性ホルモン]]注射の投与を受け入れた&lt;ref&gt;{{Cite web|url= http://www.glbtq.com/social-sciences/turing_a,2.html |title=Turing, Alan (1912–1954) |publisher=Glbtq.com |accessdate= 2011-05-29|deadlinkdate=2015-09-09}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 結果として[[セキュリティ・クリアランス]]を剥奪され、[[政府通信本部|GCHQ]]で暗号コンサルタントを続けることができなくなった。当時、[[ケンブリッジ・ファイヴ]]の最初の2名ガイ・バージェスと[[ドナルド・マクリーン]]が[[ソ連国家保安委員会|KGB]]のスパイだと露見した事件があり、スパイについて大衆の不安が増大し、ソ連のエージェントが同性愛者を罠にかけるという噂があった&lt;ref&gt;{{Harvnb|Leavitt|2007|p=269}}&lt;/ref&gt;。スパイ活動で告発されたわけではないが、ブレッチリー・パークで働いていた全員と同様、戦時下の業績について論じることは禁止された&lt;ref&gt;{{Harvnb|Copeland|2006|p=143}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 死 ===<br /> [[1954年]]6月8日、家政婦がチューリングが自宅で死んでいるのを発見した。検死の結果、死亡したのは前日で、[[青酸中毒]]による死であることが判明。ベッドの脇には齧りかけの[[リンゴ]]が落ちていた。リンゴに[[青酸化合物]]が塗ってあったかの分析はなされなかったが&lt;ref&gt;{{Harvnb|Hodges|1992|p=488}}&lt;/ref&gt;、部屋には青酸の瓶が多数あった。[[死因審問]]で自殺と断定され、1954年6月12日に火葬された&lt;ref&gt;{{Harvnb|Hodges|1992|p=529}}&lt;/ref&gt;。母は、実験用化学物質を不注意に扱ったために起こった事故であると主張している&lt;ref&gt;食器を自身で金[[メッキ]]・銀メッキする趣味を持っており、メッキに使用する青酸が常時、家にあった。母はメッキ作業をした後は手を良く洗うようにと息子にいつもいっていたという。すなわち、作業後に手に残存していた青酸を誤って口にした事故とする。&lt;/ref&gt;。あるいは、母に事故だと思わせるようにして自殺したという説もある&lt;ref&gt;{{Harvnb|Hodges|1992|pp=488, 489}}&lt;/ref&gt;。同僚によれば、映画『[[白雪姫]]』を見た直後の彼が「魔法の秘薬にリンゴを浸けよう、永遠なる眠りがしみこむように」と言っていたのを耳にしており、[[白雪姫]]のワンシーンを真似てこのような死に方をしたのだという&lt;ref&gt;{{Harvnb|Leavitt|2007|p=140}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 再評価 ==<br /> [[File:Turing Plaque.jpg|thumbnail|ウィルムズローのチューリング宅にある[[ブルー・プラーク]]]]<br /> チューリングの死後まもなく(戦時中の業績が機密扱いだったころ)、[[王立協会]]が伝記を出版しており、以下のように記されている&lt;ref name=&quot;frs&quot;/&gt;。<br /> <br /> &lt;blockquote&gt;<br /> 3つの多様な数学的主題について、戦前に3つの特筆すべき論文を書いており、この重要な時期(戦時のこと)に何らかの大きな問題にとりかかっていたら重大な業績を残していただろうということがわかる。外務省での業績により、[[大英帝国勲章|OBE]]が授与された。<br /> &lt;/blockquote&gt;<br /> <br /> 国立物理学研究所の同僚で、後にチューリング賞を受賞したジェイムス・H・ウィルキンソンも、受賞講演で、外務省時代に別の環境にチューリングがいたなら、もっとも生産的な時期たりえた可能性が大きい、としている。しかし、問題やパズルといったものであれば種類を問わず大好きであったから、外務省での仕事にも興味をもって取り組んだであろうし、電子工学について知識を獲得したのもその時であった、と指摘している&lt;ref&gt;ジェイムス・H・ウィルキンソン「一数値解析研究者の回顧と展望」、『ACMチューリング賞講演集』 pp. 289-290&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 1966年から、[[コンピュータ科学]]者らによる国際的学会の[[Association for Computing Machinery|ACM]]は、同学会の守備範囲であるコンピュータ科学を中心とした分野の最高の賞として、[[チューリング賞]]を授与している。物理や化学といったようなかなり広い分野の最高の賞、という位置づけにあるものとして、コンピュータ科学分野における[[ノーベル賞]]に相当するものと一般に扱われている&lt;ref&gt;{{Cite web|url= http://www.acm.org/press-room/news-releases-2007/turingaward/|title=ACM&#039;S Turing Award Prize Raised To $250,000|publisher=[[Association for Computing Machinery|ACM]] press release|date=27 July 2007|accessdate=2008-10-16|author=Steven Geringer}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;近年、[[高性能計算]](HPC)分野を中心に、そういった副分野の(それはそれで権威はあるのだが)賞が、マスコミ向けや素人向けとして「コンピュータ分野のノーベル賞」などという「わかりやすい(しかし間違った)」表現がなされることがあるが、コンピュータ科学の分野において[[ノーベル賞]]に相当する賞は、チューリング賞をおいて他にない。{{誰|date=2017年12月}}&lt;/ref&gt;<br /> <br /> [[1974年]]夏、ブレッチリー・パークの活動について書かれた「ウルトラ・シークレット」出版&lt;ref&gt;{{ Citation | last = Winterbotham | first = F.W. | title = The Ultra secret: the inside story of Operation Ultra, Bletchley Park and Enigma | place = London | publisher = Orion Books Ltd | origyear = 1974 | year = 2000 | oclc = 222735270 | isbn = 978-0-7528-3751-2 }} 機密解除になる以前に関係者の記憶を元に書かれたノンフィクションで、若干正確性に欠ける。&lt;/ref&gt;、チューリングらの功績について世間の知るところとなる。<br /> <br /> 1986年、[[ヒュー・ホワイトモア]]の戯曲「[[ブレイキング・ザ・コード]]」でチューリングが描かれた。1986年11月からロンドンのウェストエンドで公開され、1987年11月15日から1988年4月10日までブロードウェイで興行。1996年にはBBCでテレビドラマ化されている。いずれもチューリング役は[[デレク・ジャコビ]]。ブロードウェイでの公演は[[トニー賞]]3部門にノミネートされている。<br /> <br /> [[1998年]]6月23日、86回目の誕生日に、伝記作者にして数学者のアンドリュー・ホッジスは公式の[[イングリッシュ・ヘリテッジ|英国遺産]]として[[ブルー・プラーク]](記念[[銘板]])をチューリングの生まれた病院であった[[ロンドン]]のウォーリントン・クレセントにあるコロネードホテルに掲げた&lt;ref&gt;{{Cite web| url= http://www.turing.org.uk/bio/oration.html | title=Unveiling the official Blue Plaque on Alan Turing&#039;s Birthplace | accessdate=2006-09-26}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{Cite web| url= http://www.blueplaque.com/detail.php?plaque_id=348 | archiveurl= http://web.archive.org/web/20071013143212/http://www.blueplaque.com/detail.php?plaque_id=348 | archivedate=13 October 2007 | title=About this Plaque&amp;nbsp;– Alan Turing | accessdate=2006-09-25}}&lt;/ref&gt;。[[2004年]]6月7日には、死去50周年を記念して、ウィルムズロウ・ホリーミードの家にも記念のプラークが設置された&lt;ref&gt;{{Openplaque|3276}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 1999年、[[タイム (雑誌)|タイム誌]]の「[[タイム100]]: 20世紀の最も影響力のある100人」で、コンピューター創造に果たした役割からチューリングを選んでいる&lt;ref name=AFP/&gt;。1999年の[[ニール・スティーブンスン]]の小説『クリプトノミコン』にはチューリングが登場している。2000年3月13日、[[セントビンセント・グレナディーン]]にて20世紀の偉人を集めた[[切手]]セットが発行された。その中にチューリングの肖像が描かれた切手もあり、「1937: アラン・チューリングのデジタルコンピュータ理論」と記されている。2002年、[[BBC]]が行った「[[100名の最も偉大な英国人|偉大な英国人]]」投票で第21位にランクインした&lt;ref&gt;{{Cite news| url = http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/2208671.stm | title = 100 great British heroes | date = 21 August 2002 |work=BBC News }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 晩年に働いていた[[マンチェスター]]では、様々な方法でその栄誉を称えている。1994年、マンチェスターの環状道路が &#039;&#039;&quot;Alan Turing Way&quot;&#039;&#039; と名付けられている。またこの道路には Alan Turing Bridge という橋もある。[[2001年]]6月23日(誕生日)には、[[マンチェスター大学]]に隣接するサックビル・パークにベンチに座っている形の銅像が設置された。<br /> <br /> [[File:Sackville Park Turing plaque.jpg|left|thumb|サックビル・パークの銅像に付随する銘板]]<br /> <br /> この銅像はリンゴを持っている。リンゴは古来「禁じられた愛」の象徴であり、[[アイザック・ニュートン]]の万有引力の法則も思い起こさせるし、チューリングの死の状況も思い起こさせる。また、ブロンズ製のベンチにはレリーフで &#039;Alan Mathison Turing 1912–1954&#039; と書かれていて、その下には &#039;Founder of Computer Science&#039; を[[エニグマ (暗号機)|エニグマ]]で暗号化した文字列が書かれている。台座には「計算機科学の父、数学者、論理学者、戦時中の暗号解読者、偏見の犠牲者」と記されている。[[バートランド・ラッセル]]の言葉も引用されていて「正しく見た数学は、真実だけでなく最高の美 - 彫刻のように冷たく厳しい美も有している」とある。台座の下には彫刻家が所有していた古い[[アムストラッド]]製パソコンが「あらゆる現代のコンピュータのゴッドファーザー」への捧げ物として埋められている&lt;ref name=&quot;computerburied&quot;&gt;{{Cite news| title = Computer buried in tribute to genius | publisher=Manchester Evening News| date = 15 June 2001 | url = http://www.manchestereveningnews.co.uk/news/s/27/27595_computer_buried_in_tribute_to_genius.html | accessdate =2009-06-23 }}{{リンク切れ|date=2015年9月}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 没後50年を記念して、[[2004年]]10月28日には、幼少時に住んでいた町にあるサリー大のキャンパス内に銅像が置かれる&lt;ref name=&quot;univsurrey&quot;&gt;{{Cite web|url= http://portal.surrey.ac.uk/press/oct2004/281004a/ |title=The Earl of Wessex unveils statue of Alan Turing |accessdate= 2007-02-10 |deadlinkdate=2015-09-09}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[プリンストン大学]]の発行する Princeton Alumni Weekly では、チューリングを[[ジェームズ・マディソン]]に次ぐ偉大な卒業生だとしている。<br /> <br /> 2007年6月19日、ブレッチリー・パークに1.5トンの等身大の石像が立てられた。[[ウェールズ]]の[[粘板岩]]を多数使用したもので、億万長者の [[:en:Sidney Frank|Sidney Frank]] が彫刻家 [[:en:Stephen Kettle|Stephen Kettle]] に制作を依頼したものである&lt;ref&gt;[http://www.bletchleypark.org.uk/news/docview.rhtm/454075/article.html Bletchley Park Unveils Statue Commemorating Alan Turing]{{リンク切れ|date=2015年9月}}, Bletchley Park press release, 20 June 2007&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 2011年2月、チューリングの第二次世界大戦中の論文がオークションで買い取られ、ブレッチリー・パークに戻された&lt;ref&gt;{{Cite news|author=Josh Halliday |url= http://www.guardian.co.uk/science/2011/feb/25/turing-papers-auction-bid-bletchley |title=Turing papers to stay in UK after 11th-hour auction bid at |work=The Guardian |location=UK |accessdate= 2011-05-29 |date=25 February 2011}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[2014年]]、人気俳優[[ベネディクト・カンバーバッチ]]がチューリングを演じる映画『[[イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密]]』が公開された。<br /> <br /> === 政府による謝罪 ===<br /> 2009年8月、[[ジョン・グラハム=カミング]]がイギリス政府に対して、アラン・チューリングを同性愛で告発したことへ謝罪するよう請願活動をはじめた&lt;ref&gt;{{Cite news|title=Thousands call for Turing apology |url= http://news.bbc.co.uk/2/hi/technology/8226509.stm |publisher=BBC News |date=31&amp;nbsp;August 2009 |accessdate= 2009-08-31}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{Cite news| title = Petition seeks apology for Enigma code-breaker Turing | url = http://www.cnn.com/2009/WORLD/europe/09/01/alan.turing.petition/index.html | publisher=CNN | date = 01&amp;nbsp;September 2009 | accessdate =2009-09-01}}&lt;/ref&gt;。これに対して数千の署名が集まった&lt;ref name=&quot;PMapology&quot;/&gt;&lt;ref&gt;請願活動はイギリス市民のみを対象として行われた。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> イギリス首相の[[ゴードン・ブラウン]]はこの請願を認め、[[2009年]]9月10日に政府として正式な謝罪を表明し、当時のチューリングの扱いを「呆れたもの (appalling)」と表現して&lt;ref name = &quot;PM-apology&quot; /&gt;&lt;ref name=&quot;PMapology&quot;&gt;{{Cite news| title = PM&#039;s apology to codebreaker Alan Turing: we were inhumane | url = http://www.guardian.co.uk/world/2009/sep/11/pm-apology-to-alan-turing |work=The Guardian |location=UK| date = 11 September 2009 | first=Caroline | last=Davies}}&lt;/ref&gt;、次のように声明を発表した。<br /> <br /> &lt;blockquote&gt;<br /> 数千の人々がアラン・チューリングのための正義と彼がぞっとする扱われ方をしたという認識を求めて集まった。チューリングは当時の法律に則って扱われ、時計の針は戻すことはできないが、彼に対する処置はまったく不当であり、深い遺憾の意を表す機会を得たことを我々全てが満足に思っている… イギリス政府とアランのおかげで自由に生活している全ての人々を代表し、『すまない、あなたは賞賛に値する』と言えることを非常に誇りに思う。&lt;ref name=&quot;PMapology&quot;/&gt;<br /> &lt;/blockquote&gt;<br /> <br /> 2011年12月、William Jones はイギリス政府に対してアラン・チューリングの罪を免罪(名誉回復)してほしい&lt;ref name=&quot;BBBCPardon&quot;&gt;{{Cite news| title = Petition to pardon computer pioneer Alan Turing started | url = http://www.bbc.co.uk/news/uk-england-manchester-16061279 | date = 6 December 2011 | work=BBC News}}&lt;/ref&gt;という電子請願を申請した&lt;ref name=&quot;PardonPetition&quot;&gt;{{Cite web| title = Grant a pardon to Alan Turing | url = https://submissions.epetitions.direct.gov.uk/petitions/23526 | date = 6 December 2011 |accessdate=2012-02-22}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> この請願には21,000以上の署名が集まったが、法務大臣はチューリングが有罪宣告されたことは遺憾だが、当時の法律に則った正当な行為であったとしてこれを拒否した&lt;ref name=&quot;PardonPetitionDenied&quot;&gt;{{Cite web| title = Widespread Celebrations But No Pardon For Turing | url = http://www.i-programmer.info/news/82-heritage/3735-widespread-celebrations-but-no-pardon-for-turing.html | date = 6 February 2012 |accessdate=2012-02-22}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;同性愛行為 (gross indecency) に対する刑罰が削除されたのは1967年。 &lt;/ref&gt;。<br /> <br /> その後、2012年に[[貴族院 (イギリス)|英国貴族院]]に正式な恩赦の法案が提出され、2013年12月24日に[[エリザベス2世|エリザベス2世女王]]の名をもって正式に恩赦&lt;ref&gt;Royal Prerogative of Mercy&lt;/ref&gt;が発効した&lt;ref&gt;{{Cite news |title=英国政府、アラン・チューリングに没後59年目の恩赦。計算機科学の父 |newspaper=Engadget 日本版 |date=2013-12-24 |author=ittousai |url=http://japanese.engadget.com/2013/12/24/59/ |accessdate=2013-12-28}}&lt;/ref&gt;。キャメロン首相は、彼の業績をたたえる声明を発表した。<br /> <br /> === 各大学における顕彰 ===<br /> [[File:Alan Turing Building 1.jpg|thumbnail|マンチェスター大学のアラン・チューリング・ビルディング]]<br /> 生涯と業績に関する催しが英国論理学会議と英国数学史学会主催で[[2004年]]6月5日にマンチェスター大学で行われた。<br /> <br /> * [[エディンバラ大学]]情報学科には &#039;Turing Room&#039; と呼ばれる部屋があり、[[エドゥアルド・パオロッツィ]]作の胸像がある。<br /> * [[サリー大学]]の主広場には銅像がある。<br /> * [[:en:Istanbul Bilgi University|Istanbul Bilgi University]] では計算理論の会議が毎年開催されており、その期間を &quot;Turing Days&quot; と呼んでいる&lt;ref name=&quot;bilgiuniv&quot;&gt;{{Cite web| url = http://cs.bilgi.edu.tr/pages/turing_days/ | title = Turing Days @ İstanbul Bilgi University | accessdate =2011-10-29 |deadlinkdate=2015-09-09}}&lt;/ref&gt;。<br /> * [[マンチェスター大学]]、[[オープン大学]]、[[オックスフォード・ブルックス大学]]、[[オーフス大学]]([[デンマーク]][[オーフス]])には、それぞれチューリングの名を冠した建物がある。<br /> * [[オレゴン大学]]計算機科学科の建物のそばにはチューリングの胸像がある&lt;ref name=&quot;Oregon&quot;&gt;{{Cite web|url= http://www.mathcomp.leeds.ac.uk/turing2012/files/oregon.html|title=Turing at the University of Oregon|accessdate=2011-11-01 }}&lt;/ref&gt;。<br /> * [[スイス連邦工科大学ローザンヌ校]]にはチューリングの名を冠した道路と広場(Chemin de Alan Turing と Place de Alan Turing)がある&lt;ref name=&quot;epfl&quot;&gt;{{Cite web|url= http://plan.epfl.ch/?zoom=20&amp;recenter_y=5863918.36573&amp;recenter_x=730628.82407&amp;layerNodes=fonds,batiments,labels,information,parkings_publics,arrets_metro|title=Turing at the EPFL|accessdate= 2012-01-06 }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 生誕100周年 ===<br /> {{main article|en: Alan Turing Year}}<br /> [[File:David Chalmers, delivering a talk at De La Salle University-Manila, March 27, 2012.jpg|thumb|left|デ・ラ・サール大学(マニラ)において開催されたAlan Turing Yearカンファレンスの壇上に立つデイヴィッド・チャーマーズ(2012年3月27日)]]<br /> 生誕100年を記念して、Turing Centenary Advisory Committee (TCAC) は2012年を [[:en:Alan Turing Year|Alan Turing Year]]とし、一年を通して世界各地でチューリングの生涯およびその功績を称えるイベントを行った。TCACには、[[マンチェスター大学]]、[[ケンブリッジ大学]]、[[ブレッチリー・パーク]]などの関係者が協力しており、数学者の{{仮リンク|S・バリー・クーパー|en|S. Barry Cooper}}が議長を務め、甥のジョン・ダーモット・チューリングが名誉会長を務めている。<br /> <br /> 2012年6月23日には、[[Google Doodle]]([[Google]]トップページのロゴ)がチューリングマシンを模したデザインに変更された。アルゴリズムを設定するミニゲームが遊べるようになっていた&lt;ref&gt;{{Cite web|url= http://www.mdn.co.jp/di/newstopics/24002/?rm=1|title=今日のGoogleホリデーロゴはアラン・チューリング生誕100周年|accessdate= 2012-06-23 }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ブレッチリー・パーク・トラストは、Winning Moves社と共同で、[[モノポリー]]のアラン・チューリング版を発表した。このモノポリーのマスとカードは、メイダヴェールにある出生の地からブレッチリー・パークのHut 8に勤務するまでのアラン・チューリングの生涯をたどるような内容に改訂されている&lt;ref&gt;{{cite news | url = http://www.bbc.co.uk/news/technology-19543039 | title = Special Monopoly edition celebrates Alan Turing&#039;s life | publisher=BBC News | accessdate =10 September 2012 | date=10 September 2012}}&lt;/ref&gt;。また、このゲームには、チューリングを指導していた[[マックス・ニューマン]]の息子であるウィリアム・ニューマンが手書きで作成したモノポリーの原型のレプリカも同梱されている。この原型となったゲームを、1950年代にチューリングもプレイしていた&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.bletchleypark.org.uk/news/docview.rhtm/668532 |title=Bletchley Park Launches Special Edition Alan Turing Monopoly Board|date= |accessdate=13 September 2012}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> フィリピンでは、デ・ラ・サール大学の哲学科が、2012年3月27日から28日にかけて、チューリングの生誕100周年を記念し、哲学、人工知能および認知科学に関する国際会議であるTuring 2012を開催した&lt;ref&gt;{{cite news | url=http://www.abs-cbnnews.com/lifestyle/03/24/12/dlsu-host-intl-summit-philosophy | title=DLSU to host int&#039;l summit on philosophy | work=ABS-CBN.com | date=24 March 2012 | accessdate=18 December 2013 }}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{cite news | url=http://www.gmanetwork.com/news/story/255746/scitech/science/the-thinking-machine-a-philosophical-analysis-of-the-singularity | title=The Thinking Machine: A philosophical analysis of the Singularity | work=GMA News Online | date=21 April 2012 | accessdate=18 December 2013 | author=Layug-Rosero, Regina}}&lt;/ref&gt;。インドでは、[[マドゥライ]]において、6,000人の学生が出席する記念式典が行われた&lt;ref&gt;{{cite news | url=http://www.thehindu.com/features/metroplus/making-themselves-heard/article3605820.ece | title=Making themselves heard | work=The Hindu | date=5 July 2012 | accessdate=31 October 2013 | author=Shankar, M. Gopi | location=Chennai, India}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==== 英国での記念イベント ====<br /> ACMが6月にマンチェスターにおいて3日間のカンファレンスと、サンフランシスコにおいて2日間のカンファレンスをそれぞれ開催した。またケンブリッジでは、[[キングス・カレッジ (ケンブリッジ大学)|キングス・カレッジ]]およびケンブリッジ大学においてそれぞれチューリングの誕生日パーティとチューリング生誕100周年記念カンファレンスが開催された。ケンブリッジ大学でのものは、Computability in Europeにより開催された&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://m.guardian.co.uk/uk/2011/feb/23/northerner-alan-turing-centenary-celebrations?cat=uk&amp;type=article |title=The Northerner: Alan Turing, computer pioneer, has centenary marked by a year of celebrations |newspaper=The Guardian |date=23 February 2011 |accessdate=29 May 2011}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ロンドンの[[サイエンス・ミュージアム]]は、2012年6月から2013年7月にかけて、チューリングの生涯とその功績に特化した無料の展示を行った&lt;ref&gt;{{cite news | date=18 June 2012 | accessdate=23 June 2012 | authorlink=Rory Cellan-Jones | first1=Rory | first2=David | last1=Cellan-Jones | url=http://www.bbc.co.uk/news/technology-18459979 | title=Enigma? First look at Alan Turing exhibition (report with video preview) | work=[[BBC News Online]] | last2=Rooney (curator)}}&lt;/ref&gt;。2012年2月には、[[ロイヤルメール]]が「Britons of Distinction」シリーズの一環として、チューリングの切手を発行した&lt;ref&gt;{{cite news | url=http://www.gizmodo.co.uk/2012/01/alan-turing-to-feature-in-britons-of-distinction-stamp-series/ | title=Codebreaker Alan Turing gets stamp of approval | work=Gizmodo | date=2 January 2012 | accessdate=2 January 2012 | author=Cutlack, Gary}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{Cite news|author=Caroline Davies |url= http://www.guardian.co.uk/artanddesign/2012/jan/02/codebreaker-alan-turing-stamp-approval |title=Codebreaker Alan Turing gets stamp of approval &amp;#124; Art and design |publisher=The Guardian |date= 2 January 2012|accessdate=2012-01-02}}&lt;/ref&gt;。[[2012年ロンドンオリンピックの聖火リレー]]は、チューリングの100回目の誕生日である2012年6月23日に、サックヴィル・ガーデンズにあるチューリングの像の前で引き継がれた。<br /> <br /> 2012年6月22日、マンチェスター市議会は、Lesbian and Gay Foundationと共同で、Alan Turing Memorial Awardを創設し、マンチェスターにおいて[[ホモフォビア]]に立ち向かうことに顕著な貢献のあった個人・団体を表彰することとした&lt;ref&gt;{{cite news|url=http://menmedia.co.uk/manchestereveningnews/news/s/1581770_centenary-award-tribute-to-enigma-codebreaker-alan-turing|title=Centenary award tribute to &quot;enigma&quot; codebreaker Alan Turing.|last=Anon|date=22 June 2012|work=Manchester Evening News|publisher=MEN media|accessdate=22 June 2012|location=Manchester}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[オックスフォード大学]]では、チューリングの生誕100周年を記念して、[[計算機科学|コンピュータサイエンス]]と哲学の新しい科目が開設された&lt;ref&gt;{{ Cite journal | title = Computer Science and Philosophy | publisher = University of Oxford | url = http://www.cs.ox.ac.uk/admissions/ugrad/Computer_Science_and_Philosophy | accessdate = 23 June 2013 | ref = harv }}。学士課程における新しい科目の最初の学生は、チューリングの生誕100周年にあたる2012年から受け入れ開始となる。&lt;/ref&gt;<br /> <br /> これ以前にも、2004年6月5日にマンチェスター大学において、British Logic ColloquiumおよびBritish Society for the History of Mathematicsの主催で行われた、チューリングの生涯とその功績を称えるイベントを含め、さまざまなイベントが行われている&lt;ref&gt;{{cite web |url=http://www.dcs.warwick.ac.uk/bshm/archive/meetings.html |title=BSHM Meetings (1992–2007) |publisher=dcs.warwick.ac.uk |year= |accessdate=24 December 2013}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 脚注・出典 ==<br /> {{Reflist|2}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> {{Refbegin}}<br /> * {{Citation| last = Alexander | first = C. Hugh O&#039;D. | year = circa 1945 | title = Cryptographic History of Work on the German Naval Enigma | url = http://www.ellsbury.com/gne/gne-000.htm | publisher=The National Archives, Kew, Reference HW 25/1}}<br /> * {{Citation| last = Copeland | first = B. Jack | title = Colossus: Its Origins and Originators | journal=[[:en:IEEE Annals of the History of Computing|IEEE Annals of the History of Computing]] | volume = 26 | issue = 4 | pages = 38–45 | year = 2004 |doi = 10.1109/MAHC.2004.26}}<br /> * {{Citation| last = Copeland | first = B. Jack | title = Colossus: The secrets of Bletchley Park&#039;s code-breaking computers | year = 2006 | publisher=Oxford University Press | isbn = 978-0-19-284055-4 }}<br /> * {{Citation| last = Gannon | first = Paul | title = Colossus: Bletchley Park&#039;s Greatest Secret | place = London | publisher = Atlantic Books | origyear = 2006 | year = 2007 | isbn = 978-1-84354-331-2 }}<br /> * {{Citation| last = Hodges | first = Andrew | origyear = 1983 | year = 1992 | title = Alan Turing: the enigma |location = London | publisher=Burnett Books | isbn = 0-04-510060-8 | ref = harv }}<br /> * {{Citation| last = Leavitt | first = David | year = 2007 | title = The man who knew too much: Alan Turing and the invention of the computer | publisher=Phoenix | isbn = 978-0-7538-2200-5}}<br /> * {{Citation| last = Lewin | first = Ronald | title = Ultra Goes to War: The Secret Story | edition = Classic Penguin | series = Classic Military History | year = 1978 | publication-date = 2001 | publisher=Hutchinson &amp; Co | location = London, England | isbn = 978-1-56649-231-7 }}<br /> * {{Citation| last = Mahon | first = A.P. | title = The History of Hut Eight 1939–1945 | publisher=UK National Archives Reference HW 25/2 | year = 1945 | url = http://www.ellsbury.com/hut8/hut8-000.htm | accessdate =2009-12-10 | ref = harv }}<br /> * {{Citation| editor-last = Oakley | editor-first = Brian | title = The Bletchley Park War Diaries: July 1939 — August 1945 | publisher = Wynne Press | year = 2006 | edition = 2.6 }}<br /> * {{Citation| last = O&#039;Connell | first = H | last2 = Fitzgerald | first2 = M | title = Did Alan Turing have Asperger&#039;s syndrome? | journal = Irish Journal of Psychological Medicine | volume = 20 | pages = 28-31 | publisher = Irish Institute of Psychological Medicine | date = 2003 | issn = 0790-9667 }}<br /> * {{Cite book|和書|author=星野力 |title=甦るチューリング -コンピュータ科学に残された夢 - |origdate= |origyear= |url= |format= |accessdate= |edition= |date= |year=2002 |publisher=NTT出版 |isbn=4-7571-0079-5 |oclc=54637816|ref=harv}}<br /> {{Refend}}<br /> <br /> == 関連文献 ==<br /> {{Refbegin|2}}<br /> *{{Cite journal|title=The Mind and the Computing Machine: Alan Turing and others|journal=[[:en:The Rutherford Journal|The Rutherford Journal]]|url= http://www.rutherfordjournal.org/article010111.html |editor = Jack Copeland|ref=harv}}<br /> *{{Cite encyclopedia|last=Hodges |first=Andrew |editor=Edward N. Zalta |encyclopedia=[[スタンフォード哲学百科事典|Stanford Encyclopedia of Philosophy]] |title=Alan Turing |url= http://plato.stanford.edu/entries/turing/ |accessdate=2011-01-10<br /> |edition=Winter 2009 |date=27 August 2007 |publisher=[[スタンフォード大学|Stanford University]] |ref=harv}}<br /> *{{Cite journal|last=Gray|first=Paul|date=29 March 1999|title=Computer Scientist: Alan Turing|journal=TIME|url= http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,990624,00.html|ref=harv}}<br /> * Gleick, James, &#039;&#039;[[:en:The Information: A History, a Theory, a Flood|The Information: A History, A Theory, A Flood]]&#039;&#039;, New York: Pantheon, 2011, ISBN 978-0-375-42372-7<br /> * Leavitt, David, &#039;&#039;The Man Who Knew Too Much: Alan Turing and the Invention of the Computer&#039;&#039;, W. W. Norton, 2006<br /> * {{Cite book|和書 |author=[[藤原正彦]] |title=天才の栄光と挫折 数学者列伝|year=2002 |publisher=新潮社|series=[[新潮選書]] |isbn=4-10-603511-1 |oclc=54715289|ref=harv}}<br /> * {{Cite book|和書 |author=[[藤原正彦]] |title=天才の栄光と挫折 数学者列伝|year=2008 |publisher=文芸春秋|series=[[文春文庫]] |isbn=978-4-16-774902-6 |oclc=247848683|ref=harv}}<br /> * {{Cite journal |author= |date=2012-07 |title=特集I チューリング生誕100年 |journal=[[数学セミナー]] |volume=51 |issue=7 |pages= |publisher=日本評論社 }}、(通巻609号、2012年7月号)<br /> {{Refend}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{ウィキポータルリンク|数学}}<br /> {{ウィキプロジェクトリンク|LGBT}}<br /> {{refbegin|2}}&lt;!--段組み--&gt;<br /> *[[チューリング賞]]<br /> *[[チューリングマシン]]<br /> *[[チューリング・テスト]]<br /> *[[チューリング次数]]<br /> *[[チューリング・パターン]]<br /> *[[計算機科学]]<br /> *[[ブレイキング・ザ・コード]]<br /> *[[イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密]]<br /> {{refend}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{Commonscat|Alan Turing}}<br /> {{Wikiquote|en:Alan Turing|アラン・チューリング}}<br /> *[http://www.turingcentenary.eu/ Alan Turing Year]<br /> *[http://cie2012.eu/ CiE 2012: Turing Centenary Conference]<br /> *[http://www.turing.org.uk/ Alan Turing] {{仮リンク|アンドリュー・ホッジス|en|Andrew Hodges}}の運営するサイト。[http://www.turing.org.uk/bio/part1.html short biography] もある。<br /> *[http://www.alanturing.net/ AlanTuring.net&amp;nbsp;– Turing Archive for the History of Computing] {{仮リンク|ジャック・コープランド|en|Jack Copeland}}<br /> *[http://www.turingarchive.org/ The Turing Digital Archive] – ケンブリッジ大学キングス・カレッジ所有の出版されていない資料のスキャンなどがある。<br /> *{{Cite journal|last=Jones|first=G. James|date=11 December 2001|title=Alan Turing – Towards a Digital Mind: Part 1|journal=System Toolbox|publisher=The Binary Freedom Project|url= http://www.systemtoolbox.com/article.php?history_id=3|ref=harv}}<br /> *[http://openplaques.org/people/368 Alan Turing plaques] on openplaques.org<br /> * {{SEP|turing/|Alan Turing}}<br /> <br /> === 論文 ===<br /> * [http://bibnetwiki.org/wiki/Category:Alan_M._Turing_Paper チューリングの論文、報告書、講義、翻訳版など] BibNetWiki<br /> * {{AcademicSearch|2612734}}<br /> * {{Citation| last = Turing| first = Alan| year=1950| title = Computing Machinery and Intelligence| journal=[[:en:Mind (journal)|Mind]] | issn=0026-4423 | volume = LIX | issue = 236 | date=October 1950 | pages= 433–460 | url = http://loebner.net/Prizef/TuringArticle.html | doi=10.1093/mind/LIX.236.433 |accessdate=2008-08-18}}<br /> * [http://conservancy.umn.edu/handle/107241 Oral history interview with Donald W. Davies], [[チャールズ・バベッジ研究所|Charles Babbage Institute]], University of Minnesota<br /> * [http://conservancy.umn.edu/handle/107493 Oral history interview with Nicholas C. Metropolis], [[チャールズ・バベッジ研究所|Charles Babbage Institute]], University of Minnesota<br /> <br /> {{心の哲学}}<br /> {{Logic}}<br /> {{Normdaten}}<br /> {{デフォルトソート:ちゆうりんく あらん}}<br /> [[カテゴリ:20世紀イギリスの哲学者]]<br /> [[カテゴリ:20世紀の数学者|120623]]<br /> [[カテゴリ:無神論の哲学者]]<br /> [[カテゴリ:イングランドの哲学者]]<br /> [[カテゴリ:イングランドの数学者]]<br /> [[カテゴリ:イギリスの論理学者]]<br /> [[カテゴリ:イギリスの計算機科学者]]<br /> [[カテゴリ:暗号研究者]]<br /> [[カテゴリ:コンピュータ関連人物]]<br /> [[カテゴリ:大英帝国勲章]]<br /> [[カテゴリ:王立協会フェロー]]<br /> [[カテゴリ:形式手法の人物]]<br /> [[カテゴリ:マンチェスター大学の教員]]<br /> [[カテゴリ:イギリス国立物理学研究所の人物]]<br /> [[カテゴリ:シティ・オブ・ウェストミンスター出身の人物]]<br /> [[カテゴリ:ゲイの人物]]<br /> [[カテゴリ:LGBTの歴史]]<br /> [[カテゴリ:数学に関する記事]]<br /> [[カテゴリ:イギリス政府通信本部]]<br /> [[カテゴリ:1912年生]]<br /> [[カテゴリ:1954年没]]</div> 203.174.235.59
Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46