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http:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=2001%3A268%3AC146%3A46CA%3AB0CE%3AFAF%3A2F06%3A4174&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-06T08:38:49Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 日産・スカイライン 2019-04-28T11:56:44Z <p>2001:268:C146:46CA:B0CE:FAF:2F06:4174: </p> <hr /> <div>{{複数の問題<br /> | 出典の明記 = 2013年8月<br /> | 独自研究=2015年8月<br /> | 雑多=2018年3月<br /> }}<br /> {{Otheruses|[[日産・スカイラインGT-R|スカイラインGT-R]]を含むスカイライン|2007年に発売された&#039;&#039;&#039;日産・GT-R&#039;&#039;&#039;(R35型)|日産・GT-R}}<br /> &#039;&#039;&#039;スカイライン&#039;&#039;&#039; (&#039;&#039;SKYLINE&#039;&#039;) は[[日産自動車]]が製造・販売している自動車である。<br /> {{Infobox_自動車基本情報<br /> | ロゴ=NISSAN_SKYLINE_logo.svg<br /> | 画像=NISSAN 「Sales Promortion」 DAA-HV37 SKYLINE HYBRID SEDAN 350GT HYBRID Type SP Front.JPG<br /> | 画像説明=13代目 セダン ハイブリッド<br /> | 車名=日産・スカイライン<br /> | 販売期間= [[1957年]]-<br /> | 製造国={{JPN}}<br /> | ボディタイプ=2ドア[[クーペ]]&lt;br /&gt;[[オープンカー]]&lt;br /&gt;[[ハードトップ]]&lt;br /&gt;4ドア[[セダン]]&lt;br /&gt;3/5ドア[[ステーションワゴン]]&lt;br /&gt;[[ライトバン]]&lt;br /&gt;[[ハッチバック]]&lt;br /&gt;[[スポーツ・ユーティリティ・ビークル|SUV]]<br /> | 駆動方式=<br /> | 先代= [[プリンス・セダン]]<br /> | 別名= プリンス・スカイライン(初代-2代目)&lt;br&gt;日産・プリンス・スカイライン(2代目)<br /> }}<br /> <br /> == 概要 ==<br /> [[1957年]]に[[プリンス自動車工業|富士精密工業(のちのプリンス自動車)]]の主力車種として生産を開始。1966年にプリンスが日産自動車と合併した後も車名が引き継がれ、長期に渡って生産されてきた。<br /> <br /> 車名は「山並みと青空を区切る稜線」に由来する。[[2007年]][[3月21日]]、名付け親の[[桜井眞一郎]]がこの名を思いついた場所である群馬県草津町の山小屋「芳ヶ平ヒュッテ」に、生産50周年を記念して「スカイライン命名の地」のプレートが設置される。<br /> <br /> ボディラインナップは2018年現在4ドア[[セダン]]のみである。過去には2ドア[[クーペ]]、5ドアハッチバック、[[ステーションワゴン]]、[[ライトバン]]なども存在した時期もあるが、日産自動車の類似車種統一化政策等により、他の同クラスと統合されスカイラインとしての製造は廃止となっている。<br /> <br /> (特にR34以前は)ミドルクラス([[Dセグメント]])セダンに位置するが、自動車レースで用いられた過去があり、特に&#039;&#039;&#039;[[日産・スカイラインGT-R|GT-R]]&#039;&#039;&#039;グレードは同クラスの他車に比べてレース色が強く、実際に製品としての性格付けもそのようになっている。<br /> <br /> GT系は愛称として「スカG」(スカジー)と呼ばれることも多い。<br /> <br /> [[長野県]][[岡谷市]]の[[鳥居平やまびこ公園]]内には、自動車[[博物館]]としては異例の単一車種の博物館「[[プリンス&amp;スカイラインミュウジアム]]」がある。<br /> <br /> C10型からR32型までは、型式毎にCMキャッチコピーなどに基づく愛称([[通称]])を持つ。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> === 初代 SI型/S2型(1957年-1963年) ===<br /> {{Infobox 自動車のスペック表<br /> | 車種=乗用車<br /> | 車名=プリンス・スカイライン(初代)<br /> | 車名補=LSI型<br /> | 1枚目画像の説明=ALSID-1<br /> | 1枚目画像名=Prince Skyline ALSI-1 001.jpg<br /> | 2枚目画像の説明=BLSID-3<br /> | 2枚目画像名=Prince Skyline ALSI-2.jpg<br /> | 3枚目画像の説明=スカイライン・スポーツ・コンバーチブル<br /> | 3枚目画像名=Skyline sport.jpg<br /> | 販売期間=[[1957年]] - [[1963年]]<br /> | ボディタイプ=4ドア[[セダン]]&lt;br /&gt;2ドア[[クーペ]] / [[コンバーチブル]]<br /> | エンジン=<br /> | トランスミッション=3MT<br /> | サスペンション=前:[[ダブルウィッシュボーン式サスペンション|ダブルウィッシュボーン]]&lt;br /&gt;後:[[ド・ディオンアクスル]]<br /> | 駆動方式=[[後輪駆動|FR]]<br /> | 全長x全幅x全高=4,280x1,675x1,535mm<br /> | ホイールベース=2,535mm<br /> | 車両重量=<br /> | 乗車定員=5名<br /> | 自由項目1(項目名)=総販売台数<br /> | 自由項目1(内容)=3万3,759台<br /> | 自由項目2(項目名)=<br /> | 自由項目2(内容)=<br /> | 先代=[[プリンス・セダン]]<br /> }}<br /> ;[[1957年]]4月<br /> :富士精密工業(当時)より発売されたALSI-1型がスカイラインの初代となる。当時の日本における小型乗用車規格に合わせ、当初は1,500ccでの発売となった。グレードはスタンダード(ALSIS-1型)とデラックス(ALSID-1型)の2種類。ボディスタイルはプリンスの自社オリジナルで、アメリカ資本の欧州車を思わせるボリューム感のあるデザインだったが、ヨーロッパのモーターショーでは同時期発表の中型セダンである[[フォード/シムカ・ヴデット|シムカ・アリアーヌ]]からのデザイン盗用を疑われたこともある。<br /> :構造面は、やや旧弊化した在来プリンス車から完全に一新され、低床バックボーン・トレー式シャーシを持つセミ・モノコック構造となった。前輪は前年のプリンスで既に採用されていたダブルウィッシュボーン独立懸架、後輪は日本最初の[[ド・ディオンアクスル]]を採用し、先進性をアピールした。搭載するエンジンは直列4気筒OHV・1,484ccのGA30型で、[[プジョー]]系の設計の発展形であるプリンス在来型エンジンの改良であるが、60[[馬力|PS]]の出力は、競合するトヨタや日産の同クラス車を上回るものであった。カタログスペックでは当時の日本製1,500cc車最速の最高速度125km/hを称した。<br /> ;[[1958年]]<br /> :マイナーチェンジ。<br /> ;1958年10月<br /> :第5回全日本自動車ショウ(後の[[東京モーターショー]])に、排気量拡大型の試作車「スカイライン1900」(BLSI-1型)を出品。この試作車は当時の[[皇太子]][[明仁|明仁親王]]の愛車となり、明仁親王が自ら運転したことでも知られる。<br /> ;[[1959年]]2月<br /> :前年の全日本自動車ショウに出品した1,900ccモデルを「[[日産・グロリア|グロリア]]」(BLSIP-1型)として発売。直列4気筒OHV1862cc GB30型エンジンを搭載する。<br /> ;1959年7月<br /> :第1回日本アルペンラリーに出場し、優勝および総合3位を飾る。優勝ドライバーは自動車ジャーナリストの古我信生。<br /> ;1959年10月<br /> :エンジン出力を70PSへ向上し、スタンダード(ALSIS-2型)、デラックス(ALSID-2型)となる。<br /> ;[[1960年]]2月<br /> :マイナーチェンジ。スタンダード(ALSIS-2改1型)、デラックス(ALSID-2改型)ともにテールランプを丸型2灯に変更、併せてデラックスのみ4灯式ヘッドランプを採用となる。<br /> ;1960年9月<br /> :スタンダード(ALSIS-2改2型)がマイナーチェンジにより4灯式ヘッドランプに変更。デラックスのフロントグリルがグロリア同様の格子型に変更。<br /> ;1960年11月<br /> :第42回トリノショーにイタリアの[[カロッツェリア]]「[[ジョヴァンニ・ミケロッティ]]」にデザインを依頼した「スカイライン・スポーツ」(BLRA型。後にR21A/B型と改称)を出展。<br /> ;[[1961年]]5月<br /> :「1900デラックス」(BLSID-3型)追加。直列4気筒OHV 1,862cc GB4型を搭載する。<br /> ;1961年10月<br /> :「1900スタンダード」(BLSIS-3型)追加。<br /> ;[[1962年]]4月<br /> :「スカイライン・スポーツ」(BLRA-3型/R21B型)を追加。日本初の[[スペシャルティカー]]といわれる。つり目4灯ヘッドライトの特徴的なスタイル、クーペと[[オープンカー|コンバーチブル]]の2タイプの設定等、注目を集めたが、ボディの殆どがイタリアの職人の指導によるハンドメイド(ジョバンニ・ミケロッティとアレマーノ社の手により製作)で高コスト・高価であり、また市場も十分に育っていなかったため、製造台数は60台ほどでビジネスとしては成功したとはいえない。特徴であるつり目ヘッドライトは、板金型がハンドメイドゆえに誤差があり、左右で角度が若干違っている。搭載するエンジンはGB4型。同年の第4回日本アルペンラリーに出場し、7位完走を果たす。コンバーチブルはテレビドラマ「[[ウルトラQ]]」の劇中で使用されていた。<br /> :当時の価格はコンバーチブルが195万円、クーペが185万円。なおベースとなったグロリアは115万円だった。総生産台数はクーペ33台または35台、コンバーチブル25台とされている&lt;ref&gt;[https://www.webcg.net/articles/-/11505 第45回:『トリノの風薫る』プリンス・スカイラインスポーツ(1962-63)(その4) 【これっきりですカー】 - webCG]&lt;/ref&gt;。コンバーチブルは現在3千万円を超える価格が付いている。<br /> ;1962年9月<br /> :マイナーチェンジ。「スカイラインスーパー」(S21D型)、「スカイライン」(S21S型)発表。4灯式ヘッドランプをもつフラットデッキスタイルとなる。搭載するエンジンは直列4気筒OHV 1,862cc G2型(91PS/4,800rpm、15.0kgm/3,600rpm)。<br /> <br /> プリンスにおける乗用車派生型の商用モデルは、1957年に[[プリンス・セダン]]の設計をベースに開発された「プリンス・コマーシャル・バン/コマーシャル・ピックアップ」が最初であり、プリンス・セダンがスカイラインにモデルチェンジした後も暫く継続生産されていたが、1959年にはスカイラインの派生モデルである「[[プリンス・スカイウェイ|スカイウェイ]]」にモデルチェンジした。ライトバンと[[ピックアップトラック|ピックアップ]]が設定されたが、ライトバンには前席のみ2ドア仕様の他、1960年に車体左側のみに後席ドアを追加した3ドア型が追加された。1961年にはスカイライン同様に1,900ccモデルも追加されている。<br /> &lt;gallery&gt;<br /> ファイル:Prince Skyline Sport rear.jpg|スカイライン・スポーツ後部<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> === 2代目 S5型(1963年-1968年) ===<br /> {{Infobox 自動車のスペック表<br /> | 車種=乗用車<br /> | 車名=プリンス・スカイライン&lt;br&gt;日産・プリンス・スカイライン(2代目)<br /> | 車名補=S5型<br /> | 1枚目画像の説明=1500デラックス<br /> | 1枚目画像名=Prince Skyline S50 1500 Deluxe 001.jpg<br /> | 2枚目画像の説明=<br /> | 2枚目画像名=Prince Skyline S50 1500 Deluxe 002.jpg<br /> | 3枚目画像の説明=<br /> | 3枚目画像名=<br /> | 販売期間=[[1963年]] - [[1968年]]<br /> | ボディタイプ=4ドアセダン<br /> | エンジン=G1型 [[直列4気筒|直4]] OHV 1,484cc&lt;br /&gt;G15型 直4 OHC 1,483cc&lt;br /&gt;G7型 [[直列6気筒|直6]] OHC 1,988cc<br /> | トランスミッション=5MT/4MT/3MT<br /> | サスペンション=前: ダブルウィッシュボーン&lt;br /&gt;後: 半楕円リーフリジッド<br /> | 駆動方式=FR<br /> | 全長=4,055 - 4,255mm<br /> | 全幅=1,495mm<br /> | 全高=1,410mm<br /> | ホイールベース=2,390 - 2,590mm<br /> | 車両重量=<br /> | 乗車定員=5名<br /> | 自由項目1(項目名)=総販売台数<br /> | 自由項目1(内容)=11万4,238台<br /> | 自由項目2(項目名)=<br /> | 自由項目2(内容)=<br /> }}<br /> ;[[1963年]]9月<br /> :S50D-1型発売。1,900cc以上の上級市場はグロリアに譲り、1,500ccクラスの量販車市場を拡充するために、G1型直列4気筒OHV1,484ccエンジンを搭載する、小型ファミリーセダンとして開発・投入された。<br /> :モノコック構造を採用したボディのバリエーションは4ドアセダンとステーションワゴン(W50A-1型)の2種類。当初、バンは[[プリンス・スカイウェイ|スカイウェイ]](V51A-1型)としてラインナップしていたが、後のマイナーチェンジでスカイラインバンと改称された。当時の欧米自動車業界で本格化しつつあったメンテナンスフリー化を積極的に進め、4万kmまたは2年間保障の封印エンジン&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;1960年代初頭までの自動車は、ほこりや砂などでエンジン内が磨耗を起こしがちであったため、ライナーを打ち込んで内部を研削し磨耗代を復元するためのヘッド開閉は頻繁で、これを長期不要としたのは画期的であった。長く用いられた在来エンジンの設計を踏襲してはいるが、「封印エンジン」が実現したのは、材質の改良や、内部の表面加工改良のたまものである。&lt;/ref&gt;や、1年間3万km無給油シャシーなどが話題を呼んだ。<br /> ;1963年10月<br /> :第10回[[東京モーターショー|全日本自動車ショー]]に、S50型をベースとした2ドアクーペ「スカイライン1900スプリント」を参考出品。好評を博した。<br /> ;[[1964年]]4月<br /> :スタンダード(S50S-1型)追加。<br /> ;1964年5月<br /> :第2回[[日本グランプリ (4輪)|日本グランプリ]]GTクラス出場のため、より強力な[[日産・グロリア|グロリア]]スーパー6用のG7型直列6気筒OHC1,988ccエンジンを、ボディのフロント部を200mm延長して搭載したスカイラインGT(S54A-1型)を開発。ホモロゲーション用に100台を生産し販売した。<br /> ;[[1965年]]2月<br /> :フロント[[ディスクブレーキ]]を標準装備し、更にレースモデルと同等にウェーバー製のキャブを3連装し、125PSを出力した&#039;&#039;&#039;スカイライン2000GT&#039;&#039;&#039;(S54B-2型)発売。<br /> ;1965年9月<br /> :シングル[[キャブレター|キャブ]]仕様(105PS)の2000GT-A(S54A-2型)が追加。2月に発売されていた2000GTは「2000GT-B」となった。GT-Aは青のGTエンブレム(通称;青バッヂ)、GT-Bは赤のGTエンブレム(赤バッヂ)を装着した。<br /> ;[[1966年]]8月<br /> :[[プリンス自動車]]が日産自動車と合併したため、車名を&#039;&#039;&#039;ニッサン・プリンス・スカイライン&#039;&#039;&#039;に変更。<br /> ;1966年10月<br /> :マイナーチェンジ。2000GT-B(S54B-3型)、2000GT-A(S54A-3型)、1500デラックス(S50D-2型)、1500スタンダード(S50S-2型)。外観上の変更は全車グリルが横桟のデザイン化、Cピーラーにエアアウトレット設置となる。GT-Bはリアブリスターフェンダー化。スタンダード、デラックスはテールライトの形状が丸型から大型コンビネーションタイプへ変更。<br /> ;[[1967年]]8月<br /> :G1型に替わり、G15型直列4気筒OHC1,483ccエンジン(88PS)を搭載するS57D型が登場。6万km無給油シャシーとなった。(但し、スタンダードS50S型やバンV51A/B型、エステートW50A型は引き続きG1型エンジンを使用。)<br /> <br /> 当時の価格はGTが86万円であった。<br /> <br /> === 3代目 C10型(1968年-1972年) ===<br /> {{Infobox 自動車のスペック表<br /> | 車種=乗用車<br /> | 車名=日産・スカイライン(3代目)<br /> | 車名補=C10型<br /> | 1枚目画像の説明=1500デラックス<br /> | 1枚目画像名=Nissan Skyline C10 001.jpg<br /> | 2枚目画像の説明=<br /> | 2枚目画像名=Nissan Skyline C10 002.jpg<br /> | 3枚目画像の説明=2000GT-X<br /> | 3枚目画像名=Skyline2000gt-x.jpg<br /> | 販売期間=[[1968年]] - [[1972年]]<br /> | ボディタイプ=4ドアセダン&lt;br /&gt;2ドア[[ハードトップ]]&lt;br /&gt;3ドア及び5ドアワゴン / バン<br /> | エンジン=水冷直列4気筒/6気筒<br /> | トランスミッション=3AT/5MT/4MT/3MT<br /> | サスペンション=前: マクファーソンストラット&lt;br /&gt;後: リーフリジッド / セミトレーリングアーム + コイルスプリング<br /> | 駆動方式=FR<br /> | 全長=4,235 - 4,430mm<br /> | 全幅=1,595mm<br /> | 全高=1,390 - 1,405mm<br /> | ホイールベース=2,430 - 2,640mm<br /> | 車両重量=<br /> | 乗車定員=<br /> | 自由項目1(項目名)=総販売台数<br /> | 自由項目1(内容)=31万447台(GT-Rの1,945台を含む)<br /> | 自由項目2(項目名)=[[姉妹車]]<br /> | 自由項目2(内容)=[[日産・ローレル]](初代)<br /> }}<br /> 通称:&#039;&#039;&#039;ハコスカ&#039;&#039;&#039;<br /> ;[[1968年]]8月<br /> :フルモデルチェンジ。<br /> :日産との合併後初めて新規発売されたモデルである。4ドアセダン(C10型)、エステート(WC10型)、バン(VC10型)が発表された<br /> :エンジンはプリンス製の直列4気筒OHC1,500cc G15型を搭載する。<br /> :足回りはフロントが[[ストラット式サスペンション|マクファーソンストラット]]とコイルスプリングの組み合わせに変更された。リアは[[リーフ式サスペンション|リーフリジッド]]である。<br /> :グレード展開は、スタンダードとデラックスのみであったが、デラックスにはシート形状と[[トランスミッション]]により、ファミリーデラックス(3速[[シフトレバーの配置|コラムシフト]]・[[ベンチシート]])、ツーリングデラックス(3速コラムシフト・セパレートシート)、スポーティデラックス(4速フロアシフト・セパレートシート)の3種のほか、[[特別仕様車|女性仕様]]の「Lパック」がメーカーオプションとして用意され、バリエーションを確保した。<br /> ;1968年10月<br /> :直列6気筒エンジン搭載のGT(GC10型)を追加。S5型同様、フロントノーズを延長しているが、S54型と違い、開発当初から6気筒化を配慮した設計構造とデザインを備えており、6気筒モデルの方がバランスの整った外見となった。<br /> :S54型に搭載されていたプリンス製G7型エンジンに代わり、日産製直列6気筒OHC2,000ccの[[日産・L型エンジン|L20型]](シングルキャブ)を搭載する。発売当初はかまぼこ型シリンダーヘッドと呼ばる後年主流となるL系エンジンとは形状が異なる物が搭載された、最高出力は105馬力。1969年以降L20型エンジンを搭載する全車種で新設計のエンジンに順次切り替わり、115PS(レギュラーガソリン仕様)となった。新旧を区別するため、新型をL20Aと呼称(車検証上の原動機の型式に変更はない)したが、旧エンジンの淘汰にともない、後年は新型もL20と呼称するようになった。サスペンションは、フロントは4気筒同様のマクファーソンストラットであるが、リアは[[セミトレーリングアーム式サスペンション|セミトレーリングアーム]]とコイル[[ばね|スプリング]]へ変更され、4輪[[独立懸架]]となる。<br /> :同月、第15回東京モーターショーに、「スカイラインGTレーシング仕様」が出品される。翌年発売されるGT-Rのコンセプトカーである。<br /> ;[[1969年]]2月<br /> :プリンス系列の技術陣によって開発された直列6気筒4バルブ[[DOHC]]2,000cc[[日産・S20型エンジン|S20型エンジン]]を搭載したGT-R(PGC10型)と1800シリーズ(PC10型)を追加。<br /> :カタログにはレーシング直系を印象付けるため、R380A-IIIも登場する。外観でのGTとの相違は、拡大されたトレッドに対応するため、リアフェンダーのサーフィンラインがカットされている他、前後ウインドシールドをはじめとした全てのガラスが青色の熱線吸収タイプでは無く無色透明、リアデフォッガーも無いこと、モール類が装備されない点などである。<br /> :ローレルに先行搭載されていたプリンス系の直列4気筒OHC1,800cc G18型を搭載した1800スポーティデラックスとスポーティSを追加。&lt;!--1800スポーティデラックスにGTの装備品を加えた「スポーティS」なるグレードも設定されていたが、エンジンはシングルキャブのままだった。--&gt;&lt;!--GTの装備品とは?--&gt;<br /> ;1969年10月<br /> :マイナーチェンジ。従来の3分割式のフロントグリルを一体成型のワンピースグリルに変更、テールランプの意匠変更、細部ではラジオアンテナが左フェンダーから右のピラーに位置変更されるなど主に外観の変更が施された。<br /> ;[[1970年]]10月<br /> :マイナーチェンジおよび2ドア[[ハードトップ]]モデルの追加発売。<br /> :新意匠のダッシュパネルなど室内の大幅変更が施されたほか、フロントグリル、テールランプや前後のバンパーなど外観の変更。<br /> :各排気量車に2ドア[[ハードトップ]]モデルを追加、1500、1800の各4気筒シリーズ(KC10・KPC10型)と2000GTシリーズ(KGC10型)。GT-Rはセダンが廃止されハードトップ(KPGC10型)に移行された。ハードトップはセダンに対し70mmホイールベースを短縮したことにより、運動性能が向上した。GT-Rの当時価格は150万円。<br /> ;[[1971年]]9月<br /> :マイナーチェンジおよびGT-Xを追加発売。<br /> :フロントグリル、リアガーニッシュがハニカム調のデザインに変更されたほか、シート縫製基調など細部の変更が施された。<br /> :フェアレディZなどに採用されていたL20SUツインキャブレター仕様が搭載されたGT-Xを追加、最高出力は125PS(ハイオクガソリン仕様は130PS)、その他のGTとの相違点は部分クロス張りのシートやパワーウインドウ、間欠ワイパーなど。エンブレムはGTが青色、GT-Rは赤色なのに対し「金色」。<br /> ;[[1972年]]3月<br /> :セダンGT-Xを追加発売。セダンGT-Xにはパワーウインドウが装備されない。キャッチコピーは「精悍4ドア」。<br /> :モデル末期頃に日産車統一仕様の一環として5MT車の左テールランプ下部に「5speed」のエンブレムが追加取り付けされた、次代C110型へのフルモデルチェンジ間際であったため取り付けられた車輌は極めて少ない。<br /> <br /> {| class=&quot;wikitable&quot;<br /> |+ 4気筒モデル<br /> ! K!!P!!C10<br /> |-<br /> ! ボディ形状!!搭載エンジン!!基本型式<br /> |-<br /> ! 無記号 4ドアセダン&lt;br /&gt;K 2ドアHT&lt;br /&gt;V バン&lt;br /&gt;W エステート<br /> ! 無記号 G15&lt;br /&gt;P G18&lt;br /&gt;|| C10<br /> |}<br /> <br /> {| class=&quot;wikitable&quot;<br /> |+ 6気筒モデル<br /> ! K!!H!!L!!G!!C10<br /> |-<br /> ! ボディ形状!!搭載エンジン!!ハンドル位置!!ホイールベース!!基本型式<br /> |-<br /> ! 無記号 4ドアセダン&lt;br /&gt;K 2ドアHT<br /> ! 無記号 L20&lt;br /&gt;H L24&lt;br /&gt;P S20|| 無記号 右&lt;br /&gt;L 左||G ロング|| C10<br /> |}<br /> <br /> &lt;gallery&gt;<br /> ファイル:C10GT-R.jpg|GT-R<br /> ファイル:C10GT-Rrear.jpg|GT-R(リア)<br /> ファイル:Skyline-estate.jpg|エステート<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> === 4代目 C110型(1972年-1977年) ===<br /> {{Infobox 自動車のスペック表<br /> | 車種=乗用車<br /> | 車名=日産・スカイライン(4代目)<br /> | 車名補=C110型<br /> | 1枚目画像の説明=2000GTX-E(Sタイプ)<br /> | 1枚目画像名=Nissan Skyline C111 2000 GTX-E 001.jpg<br /> | 2枚目画像の説明=<br /> | 2枚目画像名=Nissan Skyline C111 2000 GTX-E 002.jpg<br /> | 3枚目画像の説明=GT-R<br /> | 3枚目画像名=GT-RC110.jpg<br /> | 販売期間=[[1972年]] - [[1977年]]<br /> | ボディタイプ=4ドアセダン&lt;br /&gt;2ドア[[ハードトップ]]&lt;br /&gt;3ドア及び5ドアワゴン / バン<br /> | エンジン=水冷直列4気筒/6気筒<br /> | トランスミッション=3AT/5MT/4MT<br /> | サスペンション=前: マクファーソンストラット&lt;br /&gt;後: リーフリジッド/セミトレーリングアーム+コイルスプリング<br /> | 駆動方式=FR<br /> | 全長x全幅x全高=4,460x1,625x1,395mm<br /> | ホイールベース=2,610mm<br /> | 車両重量=<br /> | 乗車定員=5名<br /> | 自由項目1(項目名)=総販売台数<br /> | 自由項目1(内容)=67万562台(GT-Rの197台を含む)<br /> | 自由項目2(項目名)=[[姉妹車]]<br /> | 自由項目2(内容)=[[日産・ローレル]](2代目)<br /> }}<br /> 通称:&#039;&#039;&#039;ケンメリ、ヨンメリ&#039;&#039;&#039;(セダンモデルのみの愛称)<br /> ;1972年9月<br /> :C110型にモデルチェンジ。ボディバリエーションは4ドアセダン、2ドア[[ハードトップ]]、およびワゴン/バンを有し、先代同様、セダン/ハードトップにはホイールベースを延長し6気筒エンジンを搭載したGT系の設定がある。プラットフォームは[[日産・ローレル]](C130型)と基本的に共通。<br /> :サーフィンラインの[[プレス加工|プレスライン]]は、ごく浅く、プレーンな面構成となった。2ドアハードトップは太いCピラーを特徴とし、ワゴン/バンはクオーターウインドウを廃し、スポーティーさを演出した。プレスラインが見えにくい、白いボディカラーの2ドアハードトップにのみ、リアフェンダーに[[デカール]]式のピンストライプが設定されている。これは当時の日産自動車の社長命令によるものといわれる。<br /> :搭載するエンジンはG15型をボアアップした直列4気筒OHC1,600ccのG16型、[[タクシー]]や[[教習車]]用のG16[[LPG自動車|LPG]]仕様(販売は1975年頃まで)、先代より継続されたOHC1,800ccのG18型、およびL20型の4機種。足回りはフロントが[[ストラット式サスペンション|マクファーソンストラット]]、リアは4気筒モデルが[[リーフ式サスペンション|リーフリジッド]]、6気筒モデルが[[セミトレーリングアーム]]とコイルスプリングの組合せである。<br /> :GT-Xはセダンにもパワーウインドウが装備される。<br /> :4ドアセダンのGT系、および2ドアハードトップの全グレードの[[尾灯|テールライト]]が丸型4灯式となった。これは、以後スカイラインのアイデンティティの一つとして、10代目のR34まで受け継がれていくことになる。<br /> :この代から[[警察庁]]へ[[パトロールカー]]([[自動車警ら隊|警ら]]パトカー)として導入された。当時の警察の規定により、エンジンは6気筒(L20S型)、内装は嘔吐物や[[血液]]汚れなどの手入れの楽なビニールトリムとなった専用モデルとなっている。警らパトカー仕様はR32型まで設定されている。<br /> :C110型から右ハンドル圏の日本国外へも輸出されるようになった。車名は「[[ダットサン]]・240K」。その名の通りエンジンは2,400ccに拡大されている。<br /> :通称は、広告キャンペーン「&#039;&#039;&#039;ケンとメリーのスカイライン&#039;&#039;&#039;」から。これは、先代のC10型の時代に展開された「&#039;&#039;&#039;愛のスカイライン&#039;&#039;&#039;」キャンペーンを継承、発展させたもので、「愛のスカイライン」のキャッチコピーも引き続き使用された。内容としては、若い男女のカップルがスカイラインに乗り、日本各地を旅するというシリーズもののCMで、この二人の名がケンとメリーである。性能の高さや、レースでの栄光といった旧来のスカイラインの硬派なイメージとは異なるソフトなイメージのCMシリーズであったが、当時の世相ともマッチし、一般的には、このCM自体が人気を博し、やがては社会現象と呼べるまでになった。また、車そのものの販売成績はもとより、それにちなんで多数作られたグッズもヒットし、例えばTシャツの販売枚数は30万枚を超えたという。<br /> :4ドアセダンは&#039;&#039;&#039;ヨンメリ&#039;&#039;&#039;と呼ばれる事もあるが、これは、「4(&#039;&#039;&#039;ヨン&#039;&#039;&#039;)枚(ドア)のケン&#039;&#039;&#039;メリ&#039;&#039;&#039;」の略である。<br /> ;1972年10月<br /> :第19回東京モーターショーに「ハードトップ2000GT-Rレーシング仕様」を出品。<br /> ;[[1973年]]1月<br /> :「ハードトップ2000GT-R」(KPGC110型)を追加。先代同様S20型エンジン(1,989cc 160PS/7,000rpm、18.0kgm/5,600rpm)を搭載し、専用ラジエータグリル、前後オーバーフェンダー、リアスポイラー等を装備する他、先代では標準でなかったラジオが標準装備とされている。[[自動車排出ガス規制|排出ガス規制]]の影響もあり、わずか197台が生産され、うち195台(000051~000245)が市販されたのみで終了している。残りの2台はレースカーの試作車である。レースに出場することはなかったが、[[旧車]]趣味界においても希少なGT-Rとして知られている。この後、R32型までGT-Rは設定されていない。製造台数が197台となった理由には、S20エンジンの在庫が197基だったとも、[[ミクニ|三国工業]]から購入したS20エンジン用[[ソレックス]][[キャブレター]]が、197台分だけ残っていたからとも言われている。ただし、生産台数には諸説あり、試作車も含めて少なくとも200台以上が生産されたと思われる節が見受けられる。その根拠としては旧車専門ショップ「ガレージ石坂」よりカーメイキングマナブスの社長、近藤学が購入した日産が放出した車両に刻印されていたフレームナンバーが今まで公にされてきた番号より若い(000021)上にフロントメンバーの形状が通常市販車と違い、マウントも異なっていたことから日産が[[ロータリーエンジン]]を開発する際のテストベッドであった可能性も指摘されている。なお、この車両は近藤が購入後、日産から正式に生産証明を与えられ、ナンバープレートを取得して公道走行可能な状態にされている。<br /> ;[[1975年]]5月<br /> :マイナーチェンジ。4気筒モデルのエンジンはプリンスが開発したG16型、G18型から、日産が開発したL16型、L18型に変更された。<br /> ;1975年9月<br /> :昭和50年排出ガス規制 (A-) 対応の、電子制御[[燃料噴射装置|燃料噴射]](ニッサンEGI)を採用するL20E型を搭載する「セダン/ハードトップ2000GTX・E」を追加。<br /> :GT-R譲りの4輪ディスクブレーキやアルミ地のインパネを装備した「セダン/ハードトップ2000GTX・ESタイプ」を追加。GTエンブレムの色はグリーン。<br /> :オプションで[[パワーステアリング]]を設定。<br /> ;1975年10月<br /> :セダン/ハードトップの1600・1800・2000(L20S型搭載車)系を[[NAPS]]により昭和50年排出ガス規制 (A-) に適合。同時にマイナーチェンジ、フロント/リアのデザインが変更される。最下位グレードがセダン1600DXとなりLPG営業車とワゴンが廃止される。<br /> ;[[1976年]]2月-3月 GT系のL20E搭載車が、昭和51年排出ガス規制 (C-) に適合。翌月には1600も昭和51年排出ガス規制に適合<br /> ;1976年6月<br /> :GT系のL20S搭載車、1800系が昭和51年排出ガス規制に適合。<br /> <br /> 1980年代、手頃な価格とあいまって若者を中心に人気があったこのモデルは、[[姉妹車]]のローレルとともに[[暴走族]]の改造車(族車)の定番になり、テールライトの中心寄り2つをパテ埋めする「ワンテール仕様」や、ウインカーやグリルをローレルのものに交換する、テールライトを[[日産・チェリー|チェリー]]のものに交換するなどといった、当時の日産車同士のパーツの互換性を活かした多彩な改造が流行した。また、ハードトップのGT系を中心に、希少車だったGT-Rのエンブレム・フロントグリル・リアスポイラー・オーバーフェンダーなどを装着する改造も見られた。<br /> &lt;gallery&gt;<br /> ファイル:C110GT-RTMS.jpg|GT-R(東京モーターショー出品車)<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> {{-}}<br /> <br /> === 5代目 C210型(1977年-1981年) ===<br /> {{Infobox 自動車のスペック表<br /> | 車種=乗用車<br /> | 車名=日産・スカイライン(5代目)<br /> | 車名補=C210型<br /> | 1枚目画像の説明=2000GT-EL<br /> | 1枚目画像名=Nissan Skyline C211 2000 GT-EL 001.jpg<br /> | 2枚目画像の説明=<br /> | 2枚目画像名=Nissan Skyline C211 2000 GT-EL 002.jpg<br /> | 3枚目画像の説明=ハードトップ2000GT<br /> | 3枚目画像名=1981_skyline_front_side.JPG<br /> | 販売期間=[[1977年]] - [[1981年]]<br /> | ボディタイプ=4ドアセダン&lt;br /&gt;2ドア[[ハードトップ]]&lt;br /&gt;3ドア及び5ドアワゴン / バン<br /> | エンジン=水冷直列4気筒/6気筒<br /> | トランスミッション=3AT/5MT/4MT<br /> | サスペンション=前: マクファーソンストラット&lt;br /&gt;後: セミトレーリングアーム+コイルスプリング<br /> | 駆動方式=FR<br /> | 全長x全幅x全高=4,600x1,625x1,390 mm<br /> | ホイールベース=2,615 mm<br /> | 車両重量=<br /> | 乗車定員=5名<br /> | 自由項目1(項目名)=総販売台数<br /> | 自由項目1(内容)=53万9,727台<br /> | 自由項目2(項目名)=[[姉妹車]]<br /> | 自由項目2(内容)=[[日産・ローレル]](3代目)<br /> }}<br /> <br /> 通称:&#039;&#039;&#039;ジャパン&#039;&#039;&#039;<br /> ; [[1977年]](昭和52年)8月<br /> : C210型発売。通称は、自ら「日本の風土が生んだ名車」であると名乗った広告キャンペーンのキャッチコピー「&#039;&#039;&#039;SKYLINE JAPAN&#039;&#039;&#039;」から。プラットフォームは[[日産・ローレル]](C230型)と基本的に共通。ボディバリエーションはC110型と同様、4ドアセダン、2ドアハードトップおよびバンの3系列を設定し、セダンおよびハードトップには直列6気筒エンジン搭載車と直列4気筒エンジン搭載車が用意され、ホイールベースはそれぞれ2,615 mm, 2,515 mmとされた。バンは直列4気筒エンジンのみの設定であった。<br /> : 搭載するエンジンは直列4気筒OHCがL16S型(1,595 cc)、L18S型(1,770 cc)、L18E型の3機種。直列6気筒OHCがL20S型(1,998 cc 115 PS/5,600 rpm、16.5 kgm/3,600 rpm)、およびL20E型(130 PS/6,000 rpm、17.0 kgm/4,400 rpm)の2機種。<br /> : 発売当初は[[自動車排出ガス規制]]の影響を受け、DOHCも[[ターボチャージャー|ターボ]]も設定されなかった。<br /> : グレード体系は直列6気筒エンジンを搭載する「GTシリーズ」と直列4気筒エンジンを搭載する「TI(ツーリング・インターナショナル)シリーズ」の2系列となった。GTとTIとでは従来同様、搭載する気筒数の関係でノーズの長さが違い、ラジエーターグリルおよびテールランプの意匠が異なる。ヘッドランプは、前期型はGT系、TI系とも丸形4灯式で、後期型ではGT系のみ異型角形2灯式となった。テールランプは、GT系が丸形4灯式なのに対し、TI系は2段重ねの角形4灯式になる。サーフィンラインはエッジのあるブリスター形状となり、リアトレッド拡大に寄与している。足回りはフロント側がストラット式、リア側は4気筒モデルが4リンク式、6気筒モデルがセミトレーリングアーム式の組合せ。GTバッジは3種類となり、GTおよびGT-E・Lが青バッジ、GT-E・Xが金バッジ、GT-E・Sが赤バッジとされた。GT・LおよびGT-E・Xはデジタル時計が装備され、それ以外のグレードはアナログ時計が装備された。GT-E・Sにはリアワイパーおよびヘッドランプクリーナーが標準装備された。また、GT-E・SおよびTI-E・Sには4輪ディスクブレーキおよびリアスタビライザーが装備された。<br /> ; [[1978年]](昭和53年)3月<br /> : 2ドアハードトップ2000GT-E・Lおよび1800TI-E・Lに特別仕様車「ブラッキー」を設定。アルミホイール、70 %偏平率ラジアルタイヤ、オーバーヘッドコンソール、およびヘッドランプクリーナーを装備した。<br /> ; 1978年(昭和53年)8月<br /> : L16/L18型エンジンを、急速燃焼方式(ツインスパークプラグ)を採用する直列4気筒OHC [[日産・Z型エンジン|Z16/18型エンジン]]に変更。L20型エンジンについても一部変更が施され、昭和53年排出ガス規制に適合し、車両型式がC211型となる。同時に「1800TI-E・X」を追加。<br /> ; [[1979年]](昭和54年)7月<br /> : マイナーチェンジにより前後の意匠変更がなされる。GTシリーズは異型角形2灯ヘッドランプとされ、TIシリーズは丸型4灯ヘッドランプを継承したが、ラジエーターグリルが変更された。GT-E・Xにはパワーステアリングを標準装備化した。翌8月、厳しくなる排出ガス規制の中でDOHCエンジン搭載車をラインナップし続けていた[[トヨタ・セリカ]](A40/50型)がマイナーチェンジし、[[比較広告|「&#039;&#039;&#039;名ばかりのGT達は、道を開ける。&#039;&#039;&#039;」のキャッチコピーで挑発を受ける]]こととなる&lt;ref name=&quot;sankei&quot;&gt;[https://www.sankei.com/west/news/151024/wst1510240061-n1.html 【昭和クルマ列伝】セリカの挑発で始まった馬力競争 スカイラインもターボで逆襲]産経WEST 2015年10月24日&lt;/ref&gt;。<br /> ; 1979年(昭和54年)8月<br /> : ワゴン(WPC211型)追加。Z18型エンジンを搭載する。また、バンが昭和54年排出ガス規制対応及び一部車種にサンルーフ、本皮シート、テクニクスカーコンポがオプション設定される。<br /> ; 1979年(昭和54年)11月<br /> : 2000GT-Eに特別仕様車「スーパーGT」を設定。セダンは[[ミケロッティ]][[マグネシウムホイール]]([[クロモドラ]]製)、ハードトップは[[カンパニョーロ]]ホイールを装備した。<br /> ; [[1980年]](昭和55年)3月<br /> : 2000GT-E・Sおよび2000GT-E・Xに特別仕様車「ゴールデンカー」を設定。専用のゴールド塗装のほか、E・Sはパワーサンルーフ、カンパニョーロマグネシウムホイールを装備し、E・Xはミケロッティマグネシウムホイール、[[ミシュラン]]タイヤを装備した。<br /> ; 1980年(昭和55年)4月<br /> : ターボエンジンを搭載したモデルを追加。L20E型エンジンにターボがプラスされ、パワー&amp;トルクは145 PS/5,600 rpm、21.0 kgm/3,200 rpmを搾り出した。発売当時の価格は165.8万円。「[[日産・セドリック|セドリック]]/[[日産・グロリア|グロリア]]」、「[[日産・ブルーバード|ブルーバード]]」に次ぐ日産において3車種目のターボ車であり、日産初のターボとATを組合わせた車種となった。同時にノンターボの「2000GT-E」、「2000GT-E・S」が廃止となる。「&#039;&#039;&#039;今、スカイラインを追うものは誰か&#039;&#039;&#039;」のキャッチコピーも同時に採用し、日産はターボモデルがなかったトヨタ・セリカを逆に挑発した&lt;ref name=&quot;sankei&quot; /&gt;&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;トヨタ・セリカのターボモデルの設定はA60型にモデルチェンジされた1年2ヵ月後の1982年(昭和57年)9月である。A60型セリカの姉妹車種で、1982年(昭和57年)10月にターボモデルを設定した[[トヨタ・コロナ]](T140型)も、[[日産・ブルーバード]](910型)と、CMキャラクターやキャッチコピーで対抗しあっていた。&lt;/ref&gt;。<br /> ; 1980年(昭和55年)6月<br /> : 直列6気筒OHC LD28型ディーゼルエンジンを搭載する「セダン/ハードトップ280D GTシリーズ」(EGC211型)、直列4気筒OHC Z20E型エンジンを搭載する「2000TIシリーズ」(UC211型)、100万円を下回る最廉価版「1600TI-A」(BC211S型)、およびバンに直列4気筒OHC LD20型ディーゼルエンジン搭載車を追加。280D GTはこの当時の国産ディーゼル乗用車としては最速を誇っていた。また、2000TIのスポーティグレード「ES」はリアサスペンションがセミトレーリングアーム式独立懸架となり、4輪ディスクブレーキを装備するなど4気筒エンジンながらGT系に匹敵する高度なメカニズムを持つ。動力性能は6気筒NAとほとんど変わらず、重量(特に前輪荷重)が軽いこのモデルはC210型中の「ベストハンドリングカー」との声もある。<br /> <br /> [[1980年代]]、先代モデルのケンメリと同じく[[暴走族]]の改造車としても人気を得ていた。ケンメリ同様、ワンテール化やライト、グリルの移植が流行していた。<br /> <br /> [[宮城県]][[登米市]]にある[[警察資料館]]には実際に[[宮城県警察]]が使用していたC210型のパトカーが展示されており、現存する警らパトカーとしては最も古い。<br /> <br /> === 6代目 R30型(1981年-1985年) ===<br /> {{Infobox 自動車のスペック表<br /> | 車種=乗用車<br /> | 車名=日産・スカイライン(6代目)<br /> | 車名補=R30型<br /> | 1枚目画像の説明=前期型(1981年-1983年)5ドアハッチバック&lt;br /&gt;(注・画像の車両は設定がなかったRSのフロントグリルを装着しているため、実際に販売された車両と異なる)<br /> | 1枚目画像名=R30_hatch_front_side.jpg<br /> | 2枚目画像の説明=後期型(1983年-1985年)&lt;br /&gt;4ドアセダン2000ターボRS-X<br /> | 2枚目画像名=Nissan Skyline R30 2000 RS Turbo-C 001.JPG<br /> | 3枚目画像の説明=<br /> | 3枚目画像名=Nissan Skyline R30 2000 RS Turbo-C 002.JPG<br /> | 販売期間=[[1981年]] - [[1990年]]<br /> | ボディタイプ=4ドアセダン&lt;br /&gt;2ドアハードトップ&lt;br /&gt;5ドア[[ハッチバック]] / バン<br /> | エンジン=水冷直列4気筒/6気筒<br /> | トランスミッション=3AT/4AT/5MT/4MT<br /> | サスペンション=前: ストラット&lt;br /&gt;後: セミトレーリングアーム/リーフスプリング<br /> | 駆動方式=FR<br /> | 全長x全幅x全高=4,620x1,675x1,385mm<br /> | ホイールベース=2,615mm<br /> | 車両重量=<br /> | 乗車定員=5名<br /> | 自由項目1(項目名)=総販売台数<br /> | 自由項目1(内容)=40万6,432台<br /> | 自由項目2(項目名)=[[姉妹車]]<br /> | 自由項目2(内容)=[[日産・ローレル]](4代目)<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;バンを除き1981年 - 1985年&#039;&#039;&#039;<br /> <br /> 通称:&#039;&#039;&#039;ニューマンスカイライン、鉄仮面&#039;&#039;&#039;(後期型RSの通称)、&#039;&#039;&#039;New愛のスカイライン&#039;&#039;&#039;(前期)<br /> ;[[1981年]]8月<br /> :R30型発売。<br /> :[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の俳優[[ポール・ニューマン]]が広告キャラクターであったため、「&#039;&#039;&#039;ニューマン・スカイライン&#039;&#039;&#039;」と呼ばれた&lt;ref name=&quot;shashin&quot;&gt;『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p87&lt;/ref&gt;。グレード体系はC210型同様の[[日産・L型エンジン|L20型直列6気筒エンジン]]を搭載する「GTシリーズ」と直列4気筒エンジンを搭載する「TIシリーズ」の2系列だが、ホイールベースは1種類となった。ボディバリエーションは、4ドア[[セダン]]・2ドア[[ハードトップ]]・5ドア[[ハッチバック]]&lt;ref name=&quot;shashin&quot;/&gt;・後に追加される[[ライトバン]](エステート)の4種。<br /> :[[ハッチバック]]はスカイライン史上初である。現在は常識となっているテンパータイヤは、このR30型ハッチバックが日本初採用であり&lt;ref name=&quot;shashin&quot;/&gt;、スペアタイヤに空気圧減圧警告灯なども装備されていた。搭載エンジンは、Z18S型(エステート・TI)、Z18E型/Z20S型/Z20E型(TI)、L20E型/L20ET型/LD28型(GT)の7機種。<br /> :サイズを抑えることによりさわやかなイメージを出した&lt;ref name=&quot;shashin&quot;/&gt;。<br /> ;1981年10月<br /> :直列4気筒4バルブDOHC [[日産・FJエンジン#FJ20E|FJ20E]]型エンジン(150PS/6,000rpm、18.5kgm/4,800rpm)を搭載する「2000RS」(DR30型)を追加。GT-Rの再来と期待されたが、FJ20E型が直列4気筒であるがためにGT-Rを名乗らなかったともいわれている。「&#039;&#039;&#039;4バルブなくしてDOHCは語れない&#039;&#039;&#039;」というキャッチコピーが用いられる。同時にZ18S型を搭載する「エステート」が追加。<br /> ;1982年10月<br /> :一部変更。「TIシリーズ」の1,800cc Z18型エンジンを直列4気筒OHC CA18型/CA18E型エンジンへ変更(FJR30型)。「TI Lエクストラ」および「GT Xエクストラ」を追加し、「2000RS」に60%偏平率タイヤを装着。<br /> ;[[1983年]]2月<br /> :FJ20E型にターボチャージャーを追加した、[[日産・FJエンジン#FJ20ET|FJ20ET]]型(190PS/6,400rpm)を搭載した「2000ターボRS」(DR30JFT型)を追加。歴代スカイラインのどれよりも高出力であったことから「&#039;&#039;&#039;史上最強のスカイライン&#039;&#039;&#039;」というキャッチコピーが用いられる。また、日産は、このモデルにてハコスカ以来となる[[ワークス・チーム|ワークス]]として[[レース]]に復帰。<br /> ;1983年8月<br /> :マイナーチェンジにより後期型へ。前後の意匠変更、大型バンパーの採用等を行う。RSの後期型は薄型ヘッドランプ、ラジエーターグリルレスのデザインにより「&#039;&#039;&#039;鉄仮面&#039;&#039;&#039;」と呼ばれた。パワーランバーサポート・パワーステアリング・パワーウインド・カセットコンポを装備した豪華仕様「2000ターボRS-X」(DR30XFT型)を追加。<br /> [[ファイル:R30-pnv.jpg|left|thumb|ポール・ニューマンバージョンの[[署名|サイン]][[デカール]]]]<br /> ;1983年10月<br /> :日本初のAT専用グレードであるNAの豪華仕様「2000RS-X(DR30XFE型)」、および15インチアルミホイール、ブロンズガラス、専用ステッカーを装備する「2000ターボGT-E・S ポール・ニューマン・バージョン」(HR30JFT型)を追加。<br /> ;1983年11月<br /> :日産50周年[[特別仕様車|記念限定車]]「50アニバーサリー バージョン」を発売。これは2ドアハードトップ2000ターボRS-Xをベースに、メッキ[[ドアミラー]]、専用エンブレム、「ハイタッチモケット」と呼ばれる専用の内装(後にオプション設定)を備え、白のほかにガンメタ/赤茶ツートンの専用ボディカラーも用意された。同時に特別仕様車「TI ハイ サルーン」も発売。<br /> ;[[1984年]]1月<br /> :「2000GT-E・Xパサージュ」(HR30GAE型)を追加。特別仕様車「TI ハイ サルーンⅡ」発売。<br /> ;1984年2月<br /> :[[インタークーラー]]搭載モデルである「2000ターボインタークーラーRS/RS-X」(DR30JFS/DR30XFS)を追加。このモデルは「ターボC」と呼ばれる。外観上の違いはフロント左下のエプロンにインタークーラーの冷却用開口部が設けられた。尚、RS-XターボCでは、前述のハイタッチモケット仕様の内装が選択可能となった。インタークーラー付きFJ20ET型エンジンはグロス表示ながら205PS/6,400rpm、25.0kgm/4,400rpmを発生させ、いまだに根強いファンを持つ。キャッチコピーは「クールに乗れ」。<br /> ;1984年8月<br /> :エンジンの点火系を変更した「プラズマスパークシリーズ」を発売。高パフォーマンスのエンジンでのイージードライブを可能とした「2000ターボインタークーラーRS-X A/T」(DR30XAS型)、および「2000ターボGT-E・II」(HR30HFT型)を追加。<br /> :RS-XのATは4「パワー・エコノミー自動切換式電子制御OD付きフルロックアップ・オートマチック・トランスミッション」であった。またASCD(オートスピードコントロール)を装備し、60km/h~100km/hの範囲でセットできた。&lt;ref&gt;{{Cite book|和書|author=|title=NISSANスカイラインRSのすべて|date=2017-3-1|year=2017|accessdate=|publisher=三栄書房|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}&lt;/ref&gt;<br /> ;1984年10月<br /> :新塗色「ダークブルー」(111)・「シルバー」(210)・「レッドメタリック」(329)・「ブルー/グレー ツートン」(434)追加。<br /> ;1985年8月<br /> :モデルチェンジによりR31型に移行するが、5ドアハッチバックは廃止となる(12代目に[[クロスオーバーSUV|クロスオーバー]]として再登場)。エステート(バン)は[[1990年]]2月まで継続生産されるが、こちらもこのモデルを最後に廃止された(後継車は[[日産・アベニール|アベニールカーゴ]]([[1990年]]5月 - [[1999年]]6月)、現在は[[日産・ADバン|ADエキスパート]]が販売されている。<br /> &lt;gallery&gt;<br /> ファイル:DR30-01.jpg|後期型2ドアRSターボ<br /> ファイル:Kinkyu-kodan-skyline.jpg|バン<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> === 7代目 R31型(1985年-1989年、クーペ1986年-1989年、ワゴン1986年-1990年) ===<br /> {{Infobox 自動車のスペック表<br /> | 車種=乗用車<br /> | 車名=日産・スカイライン(7代目)<br /> | 車名補=R31型<br /> | 1枚目画像の説明=前期型(1985年-1987年)&lt;br/&gt;4ドアハードトップ2000GTパサージュ<br /> | 1枚目画像名=Nissan skyline gt passage.jpg<br /> | 2枚目画像の説明=後期型(1987年-1989年)&lt;br/&gt;2ドアクーペ2000GTS-R<br /> | 2枚目画像名=Nissan Skyline R31 2000 GTS-R 002.jpg<br /> | 3枚目画像の説明=<br /> | 3枚目画像名=Nissan Skyline R31 2000 GTS-R 003.jpg<br /> | 販売期間=[[1985年]] - [[1990年]]<br /> | ボディタイプ=4ドアセダン / ハードトップ&lt;br /&gt;2ドアクーペ&lt;br /&gt;5ドア[[ステーションワゴン]]<br /> | エンジン=水冷直列4気筒/6気筒<br /> | トランスミッション=4AT/5MT<br /> | サスペンション=前: ストラット&lt;br /&gt;後: セミトレーリングアーム/5リンクリジッド<br /> | 駆動方式=FR<br /> | 全長x全幅x全高=4,650x1,690x1,385mm<br /> | ホイールベース=2,615mm<br /> | 車両重量=<br /> | 乗車定員=5名<br /> | 自由項目1(項目名)=総販売台数<br /> | 自由項目1(内容)=30万9,716台<br /> | 自由項目2(項目名)=[[姉妹車]]<br /> | 自由項目2(内容)=[[日産・ローレル]](5代目)&lt;br&gt;[[日産・ピンターラ]](初代)<br /> }}<br /> 通称:&#039;&#039;&#039;7th&#039;&#039;&#039;(&#039;&#039;&#039;セブンス&#039;&#039;&#039;)、&#039;&#039;&#039;都市工学スカイライン&#039;&#039;&#039;<br /> <br /> ボディバリエーションは、4ドアセダン・4ドアハードトップ・2ドアクーペ・ワゴンの4種。<br /> ;[[1985年]]8月31日<br /> :R31型発売。プラットフォームは[[日産・ローレル]]や[[日産・レパード]]と共通。発売当初はスカイライン初の4ドアハードトップモデルと4ドアセダンのみの設定。メカニズム面では、ケンメリGT-Rに搭載されていたS20型エンジン以来の直列6気筒4バルブDOHCエンジンで、2ヵ月後にZ31型[[日産・フェアレディZ|フェアレディZ]]に搭載された180PS(発売当初はグロス値表記で210PS)を発生する[[日産・RBエンジン#RB20DET|RB20DET]]型を搭載し、上級グレードには4輪独立操舵システムである[[HICAS]]を搭載したモデルである。<br /> :搭載するエンジンは前述のRB20DET型のほか、直列6気筒がDOHC RB20DE型、SOHCターボ RB20ET型、SOHC RB20E型、SOHCディーゼル RD28型。直列4気筒はSOHC CA18S型の計6機種。サスペンションはフロントがストラット式、リアがセミトレーリングアーム式。但し4ドアセダン・4ドアハードトップの各1800シリーズおよびワゴン全車はリアが5リンク式リジッド。<br /> :当初は、当時大流行していた[[ハイソカー]]に近い路線を打ち出していた。センターコンソールを使った「5連装カセットチェンジャー」といった豪華装備のほか、「カードエントリーシステム」が本車種で初めて採用された。これは、専用の「エントリーカード」を身につけ、ドアハンドルやトランクリッドのリクエストスイッチを押して施錠・解錠を行うシステムであり、後に普及する「[[インテリジェントキーシステム]]」からエンジンの始動・停止に関する機能を省略したものと言える。本車種のエントリーカードは「SKYLINE」のロゴが入った専用品であったが、後に他車種へ展開されたときには「NISSAN」ロゴのみが入った汎用品となった。<br /> :また、この時期は[[フェンダーミラー]]車からの乗り換えが多かったこともあり、視覚違和感を軽減するため運転席側にドアミラー、助手席側にフェンダーミラーを装備した「アンシンメトリーミラー」がオプションで設定されていた。<br /> :しかし、従来のスポーツ路線とは大きく異なる高級志向は不評の結果となり{{Refnest|group=&quot;注釈&quot;|開発主管の[[伊藤修令]]は、自身の初見での印象が芳しくなかったことと、周囲の反応から、発表前の時点で危機感を抱いていたことを証言している&lt;ref&gt;{{Cite book|和書|year=2018|page=140|chapter=R31の父、語る。|title=R30&amp;R31 Magazine オレたちのスカイライン|series=サンエイムック Domestic Tuning &amp; Racing Car Series|publisher=[[三栄書房]]|isbn=978-4-7796-3476-5 }}&lt;/ref&gt;。}}、登場から1年もたたないうちに2ドアクーペやワゴンの導入というテコ入れが図られることになる。<br /> ;[[1986年]]1月<br /> :ワゴン追加。ワゴンのGTパサージュターボは[[スバル・レガシィ]]ツーリングワゴンが登場するまでは国内スポーティーワゴンの雄であった。<br /> ;1986年2月<br /> :特別仕様車4ドアハードトップ「GTリミテッドS」発売。<br /> ;1986年5月<br /> :2ドアスポーツクーペのGTSシリーズを追加。R30型までの2ドアハードトップと異なり、車体剛性確保のためBピラー付きのモデルとなったことからボディ名称にはクーペが用いられた。ターボ・チャージャーのタービン素材に軽量なセラミックを採用しターボラグの低減を図った「セラミック・ターボ」を採用している点が特筆される。時速70kmを超えるとフロントエアダムから自動でせり下がる「GTオートスポイラー」や[[アンチロック・ブレーキ・システム|ABS]]もオプション設定された。発売初期のCMキャラクターは[[岩城滉一]]。このGTSシリーズ追加を機に、CMも含めてスポーツ路線への回帰を図る。一部車種にCDデッキをオプション設定。キャッチコピーは「そのとき、精悍。」。<br /> ;1986年8月28日<br /> :「4ドアセダン1800エクストラG」を追加。<br /> ;1986年9月24日<br /> :一部改良。2ドアスポーツクーペに引続き、4ドアハードトップにもGTSシリーズを追加。アンシンメトリーミラーのオプション設定を廃止。<br /> ;[[1987年]]2月<br /> :「2ドアスポーツクーペGTSツインカム24VターボNISMO」を限定1000台にて設定。イタルボランテステアリングホイール、バケットシート等を装備する。<br /> ;1987年5月28日<br /> :「4ドアセダン1800エクストラGリミテッド」、および「4ドアセダン1800Gリミテッド」を追加。<br /> ;1987年8月<br /> :マイナーチェンジ。外観とエンジン(若干のパワーアップで、RB20DETが190PS)に手が入る。4ドアセダン・4ドアハードトップのフロント周りの造形が2ドアスポーツクーペと共通するデザインへ変更され、量産車で世界初のプロジェクターヘッドランプ(ただしロービームのみ)が採用される。このマイナーチェンジに伴い4ドアセダンに限り「2000GTパサージュツインカム24」、および「2000GTパサージュターボ」がそれぞれ廃止され、ガソリンエンジン・ディーゼルエンジンを問わず全車SOHCの自然吸気エンジンに統一された。キャッチコピーは「We,Motor Sports」。<br /> :マイナーチェンジと同時に、当時のグループAのホモロゲーションモデルとして「2ドアスポーツクーペGTS-R」を800台限定で設定。フロントオートスポイラーを固定化し、大型スポイラーを装備、さらに大型ターボチャージャー・専用インタークーラー・等長ステンレス製エキマニ等のチューニングを施し210PS(ネット値レギュラー仕様)を発生させる。1987年11月のインターTECにてデビューし、全日本ツーリングカー選手権をはじめ国内レースを席巻した。<br /> ;[[1988年]]1月<br /> :特別仕様車「GTS-X ツインカム24V リミテッド」発売。同時に一部改良し1800Gにブロンズガラス追加。<br /> ;[[1988年]]5月<br /> :日産の子会社である[[オーテックジャパン]]が独自にエンジンや足回りを[[チューニング]]し、GTS-Rと同じ210PS(ネット値)を発揮する限定車「GTSオーテックバージョン」が登場(限定200台)。注文数が大きく上回り、発売日には抽選で販売した。5月24日、特別仕様車「GTサルーン」「エクセルサルーン」を共に全国限定2000台で発売。<br /> ;1988年9月<br /> :「Vシリーズ」追加。<br /> ;1988年10月<br /> :AT車にシフトロック追加。<br /> ;1988年11月21日<br /> :特別仕様車「1800リミテッド」発売。<br /> なお、カタログモデルで[[タクシー]]仕様車が設定されたのは同型が最後となった(エンジンはCA18P型-[[LPG自動車|LPG]]仕様。小型タクシーの全長の規定によりマイナーチェンジ後もフロントおよびリヤ[[バンパー]]の変更は無かった)。<br /> <br /> [[オーストラリア]]では4気筒モデルが[[日産・ピンターラ|ピンターラ]] ([[:en:Nissan Pintara|Pintara]]) という名称で現地生産された(6気筒モデルは日本と同じく「スカイライン」を名乗った)。2代目ピンターラは日本では[[日産・ブルーバード|オーズィ]]として[[輸入]]販売された。<br /> <br /> また、コンプリートカーメーカーの[[トミーカイラ]]がオーストラリア向け車両に搭載されていた3,000cc SOHCのRB30E型エンジンのシリンダーブロックを流用しRB20DEのヘッドを組み合わせた3,000cc DOHCエンジンを搭載し、コンプリートカー[[トミーカイラM30]]として市販した。これは、日本初の公認[[チューニングカー]]としてトミーカイラが世に出した最初のモデルでもある。このM30は2007年2月時点での日本での現存が8台([[R31HOUSE]]調べ)という超稀少車種となっている。<br /> <br /> また同じくコンプリートカーとしてM20も存在した。こちらも生産台数30数台という稀少車種である。<br /> &lt;gallery&gt;<br /> ファイル:Nissan Skyline 1987.jpg|後期型(1987年-1989年)&lt;br/&gt;4ドアハードトップ1800G<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> === 8代目 R32型(1989年-1993年) ===<br /> {{Infobox 自動車のスペック表<br /> | 車種=乗用車<br /> | 車名=日産・スカイライン(8代目)<br /> | 車名補=R32型<br /> | 1枚目画像の説明=前期型4ドアGTS-t<br /> | 1枚目画像名=Nissan Skyline R32 front.jpg<br /> | 2枚目画像の説明=GT-R<br /> | 2枚目画像名=Nissan Skyline R32 GT-R 001.jpg<br /> | 3枚目画像の説明=<br /> | 3枚目画像名=Nissan Skyline R32 GT-R 002.jpg<br /> | 販売期間=[[1989年]] - [[1993年]]<br /> | ボディタイプ=4ドア[[セダン]]&lt;br /&gt;2ドアクーペ<br /> | エンジン=水冷直列4気筒/6気筒<br /> | トランスミッション=5AT/4AT/5MT<br /> | サスペンション=前:マルチリンク&lt;br /&gt;後:マルチリンク / リーフスプリング<br /> | 駆動方式=[[四輪駆動|4WD]] / FR<br /> | 全長=4,530 - 4,580mm<br /> | 全幅=1,695mm<br /> | 全高=1,325 - 1,340mm<br /> | ホイールベース=2,615mm<br /> | 車両重量=<br /> | 乗車定員=4名/5名<br /> | 自由項目1(項目名)=総販売台数<br /> | 自由項目1(内容)=29万6,087台(GT-Rの4万3,661台を含む)<br /> | 自由項目2(項目名)=共通のプラットフォームを使用する車<br /> | 自由項目2(内容)=[[日産・ローレル]](6代目)&lt;br /&gt;[[日産・セフィーロ]](初代)<br /> }}<br /> 通称:&#039;&#039;&#039;超感覚スカイライン&#039;&#039;&#039;<br /> ;1989年5月<br /> 4ドアセダン7グレード、2ドアクーペ5グレードで登場。GT-R以外の系列は最後の5ナンバースカイラインとなる。当時日産が推し進めていた[[901運動]]の最重要車種として開発された。ボディタイプはR31型まで存在した4ドアセダン、およびステーションワゴンが姿を消し、ピラードハードトップ構造の4ドアスポーツセダンと2ドアクーペの2本立てとなった。4ドアハードトップはR32型を最後に消滅した(R33型以降は窓枠付きのセダン)。<br /> 標準モデルの搭載エンジンは直列6気筒が215PSまでパワーアップされたRB20DET型(GTS-t)を筆頭にRB20DE型(GTS)、SOHCのRB20E型(GTE)と直列4気筒SOHCのCA18i型(GXi)もあったが、R31型まで設定されたディーゼルエンジンの設定はなかった。中でもR32型のGTS-4にはRB20DET型エンジンにGT-Rと同じアテーサE-TSを組み合わせているのでGT-R並の高性能も味わえた(実際には鉄パーツ多用による重量と、ブリスターフェンダー非装着なのでトレッドの細さがあるが)。後にマイナーチェンジで2,500ccのRB25DE型を搭載し、5速ATを組合わせたGTS25も追加され、GT-R以外の3ナンバーモデルも発売されたが、A31型[[日産・セフィーロ|セフィーロ]]の様に全車3ナンバー化はされなかった。また歴代モデルで唯一、4気筒、6気筒にかかわらず、すべてのグレードにおいて丸型4灯テールランプが採用されている。<br /> <br /> GT-Rの復活ばかりが注目され陰に隠れるかたちになってしまった標準モデルだが、当時の基準としてはボディがやや肥大化しすぎた感があった7代目をダウンサイジングしてスリム化したスタイリングは、自動車評論家やレーサーからは最もバランスの取れたモデルとして歴代のスカイラインの中でもきわめて評価が高い。しかし、4ドアセダンは先代と比べてかなり狭くなった車内空間(特に後部座席)でファミリーユースが減少、新たな兄弟車種であるセフィーロやスカイラインより格下のクラスでありながらスポーティーなハンドリングを身上とし、[[前輪駆動|FF]]レイアウトを用いたファミリーセダンである[[日産・プリメーラ|プリメーラ]]の存在、そして車の流行が[[ミニバン]]や[[レクリエーショナル・ビークル|RV]]に変わっていった時期とも重なり、販売台数は落ち込んでしまう。なお、前期・後期共に[[教習車]]仕様が存在していた。<br /> <br /> [[パトロールカー|パトカー]]仕様の設定はこの代が最後となる(E-YHR32型車が1991年8月まで製造)&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;1991年にはV6エンジン(VG20E)を搭載する[[日産・グロリア|グロリア]]が採用されたが、その後同じRB20Eを積む[[日産・クルー|クルー]]を投入。&lt;/ref&gt;。<br /> なお先代R31型までは中東やオセアニア向けなどの輸出仕様が存在したが、このR32型は日本国内専用モデルであった。<br /> <br /> ;1989年8月<br /> 16年ぶりにGT-Rグレードが復活し、日本国内のみならず海外の自動車レースを席巻した。内に秘めたポテンシャルでは当時の[[フェラーリ・348]]等を上回ると絶賛された。かつてのGT-Rは自然吸気の直列6気筒4バルブDOHC 2,000ccエンジンを搭載する後輪駆動(FR)であったが、復活したR32型GT-R(BNR32型)では、2,568ccの直列6気筒4バルブDOHCエンジンに[[セラミックス]]製[[ツインターボ]]([[日産・RB26DETT|RB26DETT]]型)を搭載し、FRをベースとしつつも、高度な電子制御によって4輪に自在に駆動力を配分できる4輪駆動システム([[ATTESA E-TS|アテーサE-TS]])を搭載する4輪駆動車とされた。<br /> <br /> グループAホモロゲーションモデルとして、タービンをセラミックス製から耐久性の高いメタル製へ、ダクト付きフロントバンパー(通称ニスモダクト)、フードスポイラー、リアワイパーレス等の変更を加えた「GT-R [[ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|NISMO]]」(限定500台)や、角型ハロゲンヘッドライト、ブレンボ製ブレーキ、NISMO純正ホイール、NISMO製ステアリング、マフラー、ストラット・タワーバー等を装備し耐久用ベース車「N1」も約228台のみ製造された。<br /> <br /> ;1990年9月<br /> 特別仕様車「4ドアセダン GTSアーバンロード」発売。<br /> <br /> ;1991年1月<br /> 90年全日本ツーリングカー選手権シリーズチャンピオン獲得記念限定車「GTSVセレクション」発売。<br /> ;1991年8月<br /> 標準モデルをマイナーチェンジ。フロントバンパー、フロントグリル、ヘッドライト、バッジ類などを小変更。内装はクロスの素材や色、メーターパネルなどを変更。またサイドドアビームや運転席エアバックをオプション設定するなどの衝突安全対策を充実。4ドアセダンにTypeXシリーズや2,500ccのRB25DE搭載モデルを追加。<br /> キャッチコピーは「I Love You,SKYLINE」。CM出演者は[[羽田美智子]]。<br /> <br /> ;1992年<br /> [[オーテックジャパン]]より、4ドアスポーツセダンGTS-4をベースに、GT-R用RB26DETT型をNA化し、鍛造ピストンや高回転カムシャフトを採用するRB26DE型(220PS/6,800rpm、25.0kgm/5,200rpm)と4速ATを組合わせた「オーテックバージョン」&lt;ref&gt;[http://www.autech.co.jp/HISTORY-SV/R32S01/index.htm スカイラインオーテックバージョンR32]公式サイト&lt;/ref&gt;が発売された。同年1月、91年全日本ツーリングカー選手権シリーズチャンピオン獲得記念限定車「GTSVセレクションII」発売。5月には乗用車生産4000万台突破記念限定車「2ドアスポーツクーペ GTS SV」、「4ドアスポーツセダン GTS25 SV」、「GTE SV」発売。6月にはGT-Rを除く全車にフッ素樹脂塗装をオプション設定。10月、スカイライン35周年記念として「4ドアスポーツセダン GTE タイプX・V」追加。CM出演者は[[田中広子]]に変更。<br /> <br /> その他、コンプリートカーメーカーの[[トミーカイラ]]がオーストラリア向け車両に搭載されていた3,000ccSOHCのRB30E型エンジンをRB26DETT型のパーツを流用しDOHC化。NAながら280PSを発揮させるRB30DE型を独自開発し、オーテックと同じくGT-Rではなく2ドアスポーツクーペGTS-tの車体に搭載しコンプリートカーとして市販した。<br /> <br /> スカイラインの生みの親である[[桜井眞一郎]]率いるS&amp;Sエンジニアリングの手により、R32型GT-Rの優良中古車をベースに、R33型とR34型の純正パーツを使用し制作された「BNR32 S&amp;S Limited Version」がインターネット限定で32台販売され、即時完売した。<br /> <br /> 社内での開発コードはRXだった。当初、メーカーの[[広報車]]の一部には、「RX」のロゴとストライプを組み合わせたデカールが貼られていた。また、そのストライプデカールは<br /> ディーラー・オプション品として設定されていた。<br /> <br /> 近年では少なくなったミドルサイズのボディとアフターパーツの多さ、軽量さなどから後継のR33とは比べ物にならない高い人気を登場後30年近く経過した現在でも維持しており、程度のいい車両は高値がつき、GT-Rに至っては500万円以上で取引される車両もある。(走行10km未満で人気色のクリスタルホワイト、無改造のフルノーマル、グレード:V-specIIの物件が1,000万円で取引された例もある)<br /> <br /> ===モータースポーツ===<br /> 標準モデルが同時期の日産車と同様にスポーツ走行に適した設計であったため、2ドアのGTS-tタイプMが[[ドリフト]]のベースとして、4WDモデルはGTS-4が改造のベースとして好まれた。GTS-4は当時あまり人気がなく、アテーサE-tsを搭載している割に車両価格が安価であったことからGTS-4改GT-R仕様に改造するのに重宝された。<br /> <br /> === 9代目 R33型(1993年-1998年) ===<br /> {{Infobox 自動車のスペック表<br /> | 車種=乗用車<br /> | 車名=日産・スカイライン(9代目)<br /> | 車名補=R33型<br /> | 1枚目画像の説明=セダン(後期型)<br /> | 1枚目画像名=R33sedan.jpg<br /> | 2枚目画像の説明=<br /> | 2枚目画像名=<br /> | 3枚目画像の説明=<br /> | 3枚目画像名=<br /> | 販売期間=[[1993年]] - [[1998年]]<br /> | ボディタイプ=4ドア[[セダン]]&lt;br /&gt;2ドアクーペ<br /> | エンジン=水冷直列6気筒<br /> | トランスミッション=5AT/4AT/5MT<br /> | サスペンション=マルチリンク<br /> | 駆動方式=4WD/FR<br /> | 全長=4,640 - 4,720mm<br /> | 全幅=1,720mm<br /> | 全高=1,340 - 1,360mm<br /> | ホイールベース=2,720mm<br /> | 車両重量=<br /> | 乗車定員=4名/5名<br /> | 自由項目1(項目名)=総販売台数<br /> | 自由項目1(内容)=217,133台(GT-Rの16,435台を含む)<br /> | 自由項目2(項目名)=共通のプラットフォームを採用する車<br /> | 自由項目2(内容)=[[日産・ローレル]](7代目)<br /> }}<br /> キャッチコピーは&#039;&#039;&#039;本流グランドツーリングカー&#039;&#039;&#039;。ボディをふたたび大型化。主力は2.5Lとなり、全車3ナンバーとなった。CM出演者はジャン・マルク・バールと[[田村翔子 (モデル・女優)|田村翔子]]。GT-Rは[[1995年]][[1月]]に発売された。R32型に比べて全体的に大型化された事により、居住性は大幅に上がったが同時に車両重量も増加した。特に発売初期の頃はGT-Rも含めR31型程ではないが評価・評判共にあまり芳しくなかった。R33が発表されたとたんに、在庫のR32に注文が殺到したというエピソードもある。しかし今となってはその大柄なボディが生み出す直進安定性と、当時の不人気ぶりから来る値ごろ感(R32、R34が年式から考えられる値段より遥かに高値安定状態)から、お買い得モデルとして認識され始めている。<br /> <br /> サスペンション形式はR32と同じく[[マルチリンク式サスペンション|マルチリンク]]だが、前アッパーアームをI型からA型に変更、後ダンパーのストローク増、などの改良が図られている。<br /> <br /> GT-R含むクーペ全てとセダンの前期モデルは、バッテリーをトランク奥に設置するハイトラクションレイアウトを採用している。搭載される専用バッテリーは高価だが大した容量を持っていない。<br /> <br /> 開発当初はクーペをショートホイールベースにする予定だったが、終盤でセダンとのシャシー共用によるコストカットを求められた。そのためかクーペの外観は間延びしたものとなっており、ドアもかなりの大きさを持つ。<br /> <br /> エンジンのラインアップはGT-R専用となる2.6L RB26DETT型、2.5L RB25DET型とRB25DE型、および2.0L RB20E型(R33型唯一のSOHCエンジン)の4タイプであった。トランスミッションは5速MTと5速AT(5速ATはマイナーチェンジにて4速ATに変更される)であった。RB25DET型エンジンは『リニアチャージコンセプト』により過給圧を抑えレスポンスの向上を図っていたが、市場からの評価はターボらしくないと芳しいものではなかった。<br /> <br /> R33型デビュー直後、東京モーターショーでGT-Rのプロトタイプが発表されたが、市販モデルではフロント周りを見直された。そして一般車にしては前代未聞の[[東京オートサロン]]にてデビュー。<br /> <br /> 一般的には問題がないが、[[チューニングカー|チューニング]]した上で非常にハードな走行を繰り返すと、Cピラー根元がストレスに耐え切れず、曲がってしまうというトラブルが報告されている。<br /> <br /> GT-Rの型式が前回のBNR32からBCNR33へとアルファベットが変更された。前回はB=RB26DETT、N=アテーサ+HICAS、R=スカイラインの意味を持たされていた。R33ではB=RB26DETT、N=アテーサ、C=HICAS、R=スカイラインの意味なのだが、このモデルにだけ&quot;C&quot;がつくのは、R32型・R34型共にアテーサ装着車にはHICASが自動的に装着されていたのに対し、R33型GT-R以外のモデルではアテーサ装着車でもHICASが装着されていないモデルも存在したことにより、差別化のためCが表記されている。<br /> <br /> しかし、[[Option (雑誌)|Option]]ではR34でまたC=HICASが社内記号での判断となり消滅したことと合わせ、「C=[[日産・ローレル#7代目(C34型 1993年-1997年)|C34ローレル]]とのシャーシ共用を意味してるのではないか?」と書かれていた。しかし実体は上記の通りであり、単なる[[都市伝説]]と考えるのが正解である。<br /> <br /> 発売後、NISMOからは400Rと呼ばれるコンプリートカーが限定車として44台販売された(限定台数は99台であったが、その前に販売が終了)。当時の販売価格は1200万円である。この400Rの名前の由来は搭載されたエンジン、ニスモが「RB-X GT2」と呼ぶ2.8L排気量アップ版の最大出力400PSに由来する。<br /> <br /> ;[[1995年]]1月<br /> :一部変更。運転席SRSエアバッグ、およびテールパイプフィニッシャーを標準装備としたほか、外装を一部変更。セダンのラジエータグリル、ヘッドランプ周りをスモークシルバーに変更し、GTSタイプG系にアルミホイールを標準装備化。クーペのラジエータグリルをボディカラー化し、「エアロパッケージ」を設定。「セダンGTS25タイプG・SE」および「セダンGTS-4タイプG」を追加。さらに、BNR32型が継続販売されていた「GT-R」がフルモデルチェンジしBCNR33型となる。桟の無いラジエータグリルにGT-Rのエンブレムを配し、角度変更可能なリアウイングを採用した。RB26DETT型エンジンの出力は280PS/6,800rpm、37.5kgm/4,400rpmとなる。グレードは標準車のほか「GT-R Vスペック」、「GT-R VスペックN1仕様」の3種類。N耐参戦ベース車である「Vスペック N1仕様」は、カーボンセンターリヤスポイラー(角度調整機構付)、カーボン製アンダーカバー、メタルタービン、空冷式エンジンオイルクーラーなどの専用装備を持ち、軽量化として助手席エアバッグ、エアコン、オーディオ、集中ドアロック、リヤワイパーなどが省かれている。なおボディカラーの設定はホワイト(#QM1)のみであった。<br /> ;[[1996年]]1月<br /> :ビッグマイナーチェンジ。外装が大幅に変更された。助手席にもSRSエアバッグを標準装備とした。CM出演者は[[牧瀬里穂]]。キャッチコピーは当初「男だったら、乗ってみな。」だったが、諸般の事情で半年で「好きだったら乗ってみな。」に変更となった。<br /> ;[[1997年]]2月<br /> :一部変更。ABSを標準装備とした。<br /> ;[[1997年]]10月<br /> :第32回東京モーターショーに「GT-R オーテックバージョン 40thアニバーサリー」を出展。スカイライン生誕40周年を記念した限定車。BCNR33型GT-Rをベースに4ドアのボディを載せた、PCG10型GT-R以来の4ドアGT-Rである。2ドアGT-Rのブリスターフェンダーを再現するために、わざわざリアドアとリアフェンダーのプレス型を作り直すほどであった。<br /> :同じく、97年10月には基準車に対しても、スカイライン生誕40周年記念車を設定する。車種は3種、2ドア「GTS25t TypeM 40thANNIVERSARY」、4ドアには「GTS TypeXG 40thANNIVERSARY」に加え、電子制御トルクスプリット4WDシステム ATTESA E-TS搭載車両の「GTS-4 TypeXG 40thANNIVERSARY」を設定し販売する。<br /> :エンジンは3機種となり、2ドア「GTS25t TypeM 40thANNIVERSARY」にはRB25DETエンジンを、4ドア2車種については「GTS TypeXG 40thANNIVERSARY」がRB20Eエンジン、そして「GTS-4 TypeXG 40thANNIVERSARY」にはRB25DEエンジンを、それぞれ搭載した。<br /> :また外板塗装色についても、GT-R系に設定された「ミッドナイトパープル&lt;#LP2&gt;」を2ドアのみ、専用車体色として設けた。<br /> :装備の具体的内容としては、ベースとなる基準車にプラスして2ドアが、「リヤストラットタワーバー」・「リヤ間欠ワイパー」・「40周年記念エンブレム&シートマスコット」となり併せて、C.S.Rハロゲンヘッドライト&フロントバンパー組み込みハロゲンフォグランプ、大型リヤスポイラー(LED式ハイマウントリヤスポイラー)を装備。4ドアには、「スカイラインサウンドシステム」・「スーパーファインハードコート」・「40周年記念エンブレム&シートマスコット」のほか併せて、15×6JJアルミロードホイール、リモートコントロールエントリーシステムを設定して、販売となった。<br /> :<br /> ;[[1998年]]1月<br /> :「GT-R オーテックバージョン 40thアニバーサリー」を発売&lt;ref&gt;[http://www.autech.co.jp/HISTORY-SV/R33S01/index.htm スカイラインGT-R 40th ANNIVERSARY AUTECH VERSION] 公式サイト&lt;/ref&gt;。型式は「BCNR33改」となる。村山工場で組み立てされた後、座間事業所にて仕上げを施され、出荷された。神奈川県警が白黒、埼玉県警が覆面パトカーとして2台ずつ導入している。<br /> :同じく、98年1月には基準車に対しては97年10月より、設定のあったスカイライン生誕40周年記念車について、新たに2ドアのみ「GTS25t TypeM-R 40thANNIVERSARY」を設定し販売した。外板色は限定され、40周年記念車種似設定のあったもののうち、「ミッドナイトパープル」・「ソニックシルバー」・「ブラック」・「ホワイト」の4色となった。<br /> :この「TypeM-R」については、現存数はきわめて少なく主な追加装備として、既設の40周年記念車種に併せ「専用エアロフォルムバンパー(フロント)」・「サイドシルプロテクター」・「リヤアンダープロテクター」・またGT-Rタイプの「大型タイプリヤスポイラー(LED式ハイマウントストップランプ付)」となった。<br /> <br /> GT-Rのみ100台限定でイギリスへ輸出されている(下記「[[#GT-R]]」参照)。<br /> <br /> この頃のGT-RやJZA80[[トヨタ・スープラ|スープラRZ]]等のスポーツモデルは出力こそ自主規制値の上限である280PSとなっているが、実際にはマフラー等で出力を絞っているだけであり、マフラー等の吸排気系を社外品に変えるだけのライトチューンでも実測値で400PS弱という出力が発生してしまうため&lt;ref&gt;[[driver]] 2007年4月5日号「やっぱりスポーツカーに乗らなきゃ」57ページを参照。&lt;/ref&gt;、自主規制は有って無いような物となっている。また、[[トランスミッション]]といった駆動系部品が、後に[[日産|ローレル]]のMT換装に数多く使用される事態となったため、一時期この種の部品の中古価格が高騰する現象が起きた。<br /> <br /> &lt;gallery&gt;<br /> ファイル:GT-R LM.JPG|GT-R LM<br /> ファイル:Skyline GT-R Autechversion 40thanniversary.jpg|GT-R オーテックバージョン 40thアニバーサリー。パトカー仕様(フロント)<br /> ファイル:Image-Skyline GT-R Autechversion 40thanniversary rear.jpg|GT-R オーテックバージョン 40thアニバーサリー。パトカー仕様(リア)<br /> File:日産スカイライン R33型 2ドアクーペ GTS25tTypeM-R.jpg|日産スカイライン R33型 2ドアクーペ GTS25tTypeM-R<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> === 10代目 R34型(1998年-2001年、GT-R1999年-2002年) ===<br /> {{Infobox 自動車のスペック表<br /> | 車種=乗用車<br /> | 車名=日産・スカイライン(10代目)<br /> | 車名補=R34型<br /> | 1枚目画像の説明=前期型 25GT-tの覆面パトカー([[北海道警察]])<br /> | 1枚目画像名=Nissan Skyline R34 poilice.JPG<br /> | 2枚目画像の説明=後期型 GT<br /> | 2枚目画像名=Nissan skyline hr34 sedangt 1 f.jpg<br /> | 3枚目画像の説明=GT-R<br /> | 3枚目画像名=Nissan Skyline R34 GT-R Nür 001.jpg<br /> | 販売期間=[[1998年]]5月 - [[2002年]]12月<br /> | ボディタイプ=4ドアセダン&lt;br /&gt;2ドアクーペ<br /> | エンジン=水冷直列6気筒<br /> | トランスミッション=4AT/6MT/5MT<br /> | サスペンション=マルチリンク<br /> | 駆動方式=4WD/FR<br /> | 全長=4,580 - 4,705mm<br /> | 全幅=1,720 - 1,725mm<br /> | 全高=1,340 - 1,375mm<br /> | ホイールベース=2,665mm<br /> | 車両重量=<br /> | 乗車定員=4名/5名<br /> | 自由項目1(項目名)=総販売台数<br /> | 自由項目1(内容)=6万4,623台(GT-Rの1万1,344台を含む)<br /> | 自由項目2(項目名)=共通のプラットフォームを採用する車<br /> | 自由項目2(内容)=[[日産・ローレル]](8代目)&lt;br&gt;[[日産・ステージア]](初代)<br /> }}<br /> ;1998年5月<br /> :R34型発売。キャッチコピーは&#039;&#039;&#039;ドライビングボディ&#039;&#039;&#039;。GT志向でスポーツイメージを薄めた先代の反省からホイールベースを短縮し、ボディ[[剛性]]を徹底して向上。社内測定値ではメルセデスやBMWを凌駕するボディ剛性を達成。同時に受動安全性も向上した。搭載エンジンは全てRBシリーズの直列6気筒DOHC。2.0LのRB20DE型、2.5LのRB25DE型、および2.5LターボRB25DET型の3種類。マニュアルモード付ATを2.5L 2WDモデルに設定した。MTはクーペの全仕様、セダンのターボモデル、4WDモデルおよび2.0Lモデルに設定された。スタイリングは先々代を踏襲した先代から一変し、R31回帰ともとれる直線基調・ハイデッキのウェッジシェイプだが、R32で認知を得た若年ファン層の反響は渋かった。クーペはS14型末期およびS15型[[日産・シルビア|シルビア]]と「走り重視の硬派スポーツ」というキャラクターが重複し、身内で人気を食い合うかたちとなった。<br /> :標準車系での最強グレードでRB25DET型を搭載する「25GT-TURBO」はカタログ値280PSを発揮するに至ったが、「どっかん」と山なりに立ち上がるターボ感を排し、スムーズな吹け上がりやリニアリティを優先したパワーフィールなど、6気筒らしい上質感ある躾がなされていた。セールス面ではそれが仇となり、WRC戦略車の[[三菱・ランサーエボリューション|ランサーエボリューション]]や[[スバル・インプレッサ|インプレッサSTI]]がすでに同程度の出力を達成する中、各種メディアによる筑波サーキット等での比較テストではそれらの後塵を拝することも多く、絶対パフォーマンス重視のスポーツユーザー層からは大きな支持を得られなかった。<br /> ;1999年1月<br /> :R34型GT-R発売。キャッチコピーは「&#039;&#039;&#039;人に翼を&#039;&#039;&#039;」。前回同様に東京オートサロンデビューとなったが、有名なショップには事前に納車され、若干チューニングが施された車が展示され、[[ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|NISMO]]からはコンプリートカー状態になったものが展示されていた。<br /> :このR34型は第2世代最後のRだけに歴代GT-Rの中でも究極のGT-Rといえる進化を遂げた。特にVスペックは量産車初の[[オートクレーブ]]製法で形成されたカーボンディフューザーやフロントバンパー下部の追加エアダム、可変2段リアウイングスポイラーから構成されたアドバンスドエアロシステムを採用し、日本車初のマイナスリフト(最大値約10kg)を達成した。<br /> :純正品としては異例の、ぜい肉を極限まで削ぎ落とした鍛造6スポーク18インチホイールを装備。トランスミッションは独[[ゲトラグ]]社と共同開発した6速MT、ブレーキはイタリアの名門[[ブレンボ]]製とした。エンジンは第2世代最後となるRB26DETT型を搭載。自主規制枠一杯の最大出力280PSはそのまま(ちなみにエンジンの実測馬力は約330PS。チューニングによりタービンを容量一杯まで使い切る事で550PSも可能)ではあるが、R390GT1で培われた技術を活用し、最大トルク40.0kgmを達成する等、究極のドライビングプレジャーを体現する存在となった。その結果、当時COOとして日産に赴任していた[[カルロス・ゴーン]]をして、「日産で最も好きな車」と言わしめた。車内では、インパネ中央上部ににマルチファクションディスプレイモニターが搭載され、水温、ブースト圧などの各種車両情報を表示させることができる。Vスペックとノーマルでは多少表示項目が異なる。なお、インパネのセンター面がドライバー寄りに8°捻られており、2.5ターボの3連メーターはその面に合わせて取り付けられていたが、本モニターは視認性を高める狙いでさらに捻りを4°強めて設置されたため、機能優先とはいえやや見た目の統一感には欠けていた。<br /> ;1999年2月<br /> :4ドアセダンに電動SUPER HICAS、リヤ[[ビスカスカップリング|ビスカスLSD]]等、ターボ車同様の足回りを持つ「25GT-V」を追加。R34型登場時には設定のなかった2WDセダンのNA 2.5LとMTの組み合わせとなる。<br /> :3月末までの期間限定モデルとして売り出されたが、4月以降も生産され翌年発売された2ドアと共に、後期型ではカタログモデルとなった。<br /> ;1999年9月<br /> :2ドアスポーツクーペ・4ドアセダンともにリヤビスカスLSDを[[差動装置#リミテッド・スリップ・デフ|ヘリカルLSD]]に変更。また細かいところでは、エンジンカバーに書かれた「Turbo」「NEO STRAIGHT 6」の文字に施された赤い塗装が廃止されたことがカタログから読み取れた。<br /> ;2000年1月<br /> :2ドアスポーツクーペに「25GT-V」を追加。GT-Rに第33回東京モーターショーに参考出品された特別塗装色ミッドナイトパープルIIIを3か月期間限定で設定。<br /> ;2000年8月28日<br /> :マイナーチェンジ。内外装を一部変更したほか、RB25DET型の5速MT車にて、エンジンのトルクアップを施した。ただし、このマイナーチェンジ車はGT-Rを除きわずか10か月しか販売されていない。<br /> ;2000年10月<br /> :GT-Rがマイナーチェンジ。内外装の一部変更、およびVスペックに替わりVスペックIIをラインナップ。量産車としては初の[[NACAダクト]]付きカーボンファイバー製ボンネットフードを採用。その他色の変更、アルミペダル化、ターンシグナルランプのクリア化が行われた。なお、この代のGT-Rはイギリスでも100台限定ながら輸出販売されている(下記「GT-Rとは」参照)。<br /> :後期型へのマイナーチェンジ直後、工場閉鎖のため2000年9月29日(GT-Rは8月5日)に[[日産自動車村山工場|村山工場]]での生産を終了し、「工場5」のモデルプレートを持つ車両は絶版となる。以降は[[日産自動車栃木工場|栃木工場]]が生産拠点となる。GT-Rの村山最終生産車両は同車開発主管の[[渡邉衡三]]が保有する。<br /> ;2001年5月<br /> :「GT-R M・spec」追加。リップルコントロールショックアブソーバーを採用したほか、専用の本革シートを装備し、専用色を設定した。<br /> ;2001年6月<br /> :約3年という短いモデルライフでV35型に代替わり。GT-Rは継続販売された。<br /> ;2002年1月<br /> :同年8月にGT-Rを生産終了することを発表。平成12年排出ガス規制の非適合車種に設定された生産猶予期限が切れるためである。本発表と同時に最終特別限定車「M・spec Nür」、および「V・spec II Nür」を設定。前者が630万円、後者が610万円である。「Nür」とは、GT-Rもテスト走行で使用した、[[ドイツ]]の[[ニュルブルクリンク]]から命名された。この「Nür」にはヘッドカバーを金色塗装されたN1仕様エンジン、N1タービン、シャフト、ピストンなどの特別部品を使用した他、300km/hスケールのスピードメーターを装備。通常ならばステッカーの後部グレード標記が立体エンブレムになり、コーションプレートもゴールドになっている。さらに専用色である「ミレニアムジェイド」を設定している(「V・spec II Nür」はシリカブレス、「M・spec Nür」はベイサイドブルーがラインナップにはない)。「Nür」は元来それぞれ300台の生産予定だったが、1月の発表後にメディアがで大きく取り上げた為か問い合わせが殺到。急遽各500台に増産発表するも、さらに反響に応えるかたちで最終的に両グレード各1000台の生産が決定し、1月24日に発表・即日予約完売(発売日は2月26日)という、第二世代GT-Rの劇的な締めくくりを飾った&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;[[三菱・ランサーエボリューション|ランサーエボリューション]]も限定販売→増産というパターンはよくとられているが、即日で完売した例は最近ではNür以外にはない。&lt;/ref&gt;。このNürもGT-Rの名にふさわしく東京オートサロンで展示されたが、室内試乗用のノーマル車両だったためか、派手なドレスアップや猛々しいチューニングが施された車両群に埋もれ、ほとんどの来場者に気づかれていなかった。<br /> ;2002年8月<br /> :平成12年排出ガス規制非適合のためGT-R生産終了。<br /> ;2002年12月<br /> :GT-Rの全在庫分が販売終了。<br /> ;2005年<br /> :NISMOより、R34型GT-Rの最終形態ともいえる、2.8L化されたRB26DETTを搭載する&#039;&#039;&#039;[[ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル#NISMO R34GT-R Z-tune|Zチューン]]&#039;&#039;&#039;が20台限定&#039;&#039;&#039;1,774万5,000円&#039;&#039;&#039;で発売された&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;型式認定を受けない改造車のため、書類上持ち込み登録の販売となる。&lt;/ref&gt;。(ユーザー所有のR34GT-Rを工場に持ち込みチューンする「パーツコンバージョン」は1,312万5,000円。ただしボディカラーはベース車両のままでハードコートも施工できない。また、ミッドナイトパープル色は受付不可)このZ-チューンは、最高出力500PSを誇る反面、日常使用も意識した仕様になっている。ホイールなどはZ-チューン仕様のLMGT4を使用している(このLMGT4は後に限定で市販されている)。<br /> :車重がノーマルより増加したにもかかわらず、街乗りもまったく苦にしない上に、0-400加速は10秒フラットを記録できるなど、究極の[[ロードゴーイングカー]]の名にふさわしい仕様になっている。<br /> ;2007年3月<br /> :ベース車の入手・確保が困難(チューニングに耐えうる中古車の流通が減った)となり、持ち込み登録が終了した。総架装台数は[[プロトタイプ|試作車]]1台、保存車1台、日本国内13台、日本国外4台の計19台であった。<br /> <br /> :なお、2ドアクーペは交通取締り用のパトカーとして数台採用された。4ドアセダンのGTターボは交通取締り用の[[パトロールカー|覆面パトカー]]として前期型50台が導入され、その後に後期型も少数ながら、埼玉や和歌山などの高速隊で導入されている。その後捜査用車両としてNAエンジンの4ドアセダンが127台導入された、最近では交通取り締まり用は[[トヨタ・クラウン|クラウン]]の覆面パトカーにその座を譲る事が多くなった。GT-Rのパトカーは現在[[埼玉県警察]]のみ所属しており、白黒車4台とシルバーの覆面車1台体制で[[東北自動車道]]で現在でも使用されている&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;[[神奈川県警察]]もR32、R33と導入しているが、R34型は導入していない。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> &lt;gallery&gt;<br /> ファイル:Japanese NISSAN SkylineR34 GTR police car.jpg|GT-R V・SpecII([[埼玉県警]]パトカー)<br /> ファイル:R34gtt.png|クーペ 25GT-t(リア)<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> === 11代目 V35型(2001年-2006年、クーペ2003年-2007年) ===<br /> {{Infobox 自動車のスペック表<br /> | 車種=乗用車<br /> | 車名=日産・スカイライン(11代目)<br /> | 車名補=V35型<br /> | 1枚目画像の説明=セダン前期型覆面パトカー([[北海道警察]])<br /> | 1枚目画像名=Nissan Skyline V35 2.jpg<br /> | 2枚目画像の説明=セダン中期型<br /> | 2枚目画像名=V35 Nissan Skyline.jpg<br /> | 3枚目画像の説明=セダン後期型250GT<br /> | 3枚目画像名=Skyline 250GT unmarked car.jpg<br /> | 販売期間=[[2001年]] - [[2007年]]<br /> | ボディタイプ=4ドア[[セダン]]&lt;br /&gt;2ドアクーペ<br /> | エンジン=[[V型6気筒|V6]] 2.5L VQ25DD&lt;br /&gt;V6 3L VQ30DD&lt;br /&gt;V6 3.5L VQ35DE<br /> | トランスミッション=エクストロイドCVT/5AT/4AT/6MT<br /> | サスペンション=マルチリンク<br /> | 駆動方式=FR/4WD<br /> | 全長=4,675/4,750mm(セダン)&lt;br&gt;4,640mm(クーペ)<br /> | 全幅=1,750mm(セダン)&lt;br&gt;1,815mm(クーペ)<br /> | 全高=1,470mm(セダン)&lt;br&gt;1,395mm(クーペ)<br /> | ホイールベース=2,850mm<br /> | 車両重量=1,450-1,600kg(セダン)&lt;br&gt;1,530-1,550kg(クーペ)<br /> | 乗車定員=4/5人<br /> | 自由項目1(項目名)=姉妹車<br /> | 自由項目1(内容)=[[インフィニティ・G]]<br /> | 自由項目2(項目名)=プラットフォーム<br /> | 自由項目2(内容)=[[日産・FR-Lプラットフォーム|FMプラットフォーム]]<br /> }}<br /> {{main|日産・スカイラインセダン V35}}{{main|日産・スカイラインクーペ CV35}}<br /> <br /> ;1999年10月<br /> :第33回[[東京モーターショー]]に、[[ポルシェデザイン]]の[[インダストリアルデザイン|スタイリング]]による[[コンセプトカー]]、「&#039;&#039;&#039;XVL&#039;&#039;&#039;」を出品。スカイラインとは別のモデルとして発表され、日産の新しいスポーツセダンとして開発が始められた。<br /> ;2001年6月18日<br /> :「XVL」を、ルノー上層部の意向で&lt;!--(自動車雑誌の記事より←詳細願います)--&gt;V35型スカイラインとして発売。10代目の項の通り、R34型登場から3年後にV35型が登場したが、先代までのフルモデルチェンジのサイクルと比較して短い。この型から、従来スカイラインGTの象徴の一つであった直列6気筒エンジンに替わり、[[V型6気筒]]直噴ガソリンエンジンのVQ30DD型、およびVQ25DD型エンジンを搭載。トランスミッションは4速および5速ATのみの設定。他の同クラスの日本車と同様に180km/hのスピードリミッターが自主規制で装備されているが、多くのスピードリミッターが180km/hに達すると燃料カットが働いていったん減速するのに対し、V35のスピードリミッターは180km/hのまま巡航できるシステムになっている。<br /> :また、丸型のテールランプが廃止(後のマイナーチェンジで復活)、全体的なデザインテイストの変更などを行われたことなどから、新世代のスカイラインの在り方を表現したモデルといえ、プレミアム・スポーツセダンとしてみた場合、性能的にポテンシャルは極めて高い。<br /> :しかし結果から言えば、この方針は「スカイライン」というブランドにはミスマッチであった。酷評されたり想定ユーザー層やコンセプトの極端な変化が受け入れられなかったりするなど&lt;ref&gt;[http://response.jp/article/2016/12/30/287779.html 【期待が外れた】日産 スカイライン V35型…こんなカタチで自ら終わらせなくても]&lt;/ref&gt;「新世代のスカイライン」としての外観とそれに付随するイメージが、結果としてかつてのスカイラインファンを遠ざける結果となってしまった。旧来のスカイラインファンからはおとなしすぎるスタイリングや乗り味が総合的に不評で、そのため日本市場では大きめのボディサイズやセダン需要の低迷も加わり販売は低迷した。ただし先述の通り、元々別の車種として開発されたモデルであり、旧来のファンが「スカイライン」としての違和感を覚えたのは当然という意見もある。<br /> :一方、国外では、日産の上級ブランドである[[インフィニティ (日産自動車)|インフィニティ]]の販売網により[[インフィニティ・G|インフィニティ・G35]]として販売され、好評を得ている(「インフィニティG20」(日本名[[日産・プリメーラ|プリメーラ]])の後継車である)。<br /> :前述の理由などにより、レースシーンに登場せず、スカイラインとしては走りのイメージが少ないためチューニングベースとしての人気は低い。しかし、この「遅そうな」スカイラインのイメージを変えようと[[トップシークレット]]はツインターボ、VK45DE[[エンジンスワップ|スワップ]]、トランスアクスル化しV35GT-Rを制作した。ドイツのアウトバーンで最高速341km/hを記録した。<br /> :埼玉県警察では[[高速道路交通警察隊]]に350GT-8の白黒パトカーが導入されており、250GT・300GTも一部の県で交通取締用白黒・覆面パトカーとして導入されている。また、国費で全国の警察本部に350GTの警護用覆面パトカーが、[[機動捜査隊]]用に250GTが捜査用覆面パトカーとして導入されている。[[茨城県警察]]では研修用に導入されている。<br /> :このモデルから、スカイラインのエンブレムは、日産のエンブレムに変更になった。<br /> ;2001年9月26日<br /> :2.5L車にスノーシンクロモード付アテーサE-TSが搭載された4WD車「250GT FOUR」を追加。<br /> ;2002年1月<br /> :北米国際オートショーに北米向けV35型「インフィニティ・G35」2003年モデルを出品。VQ35DE型エンジンを搭載する。<br /> ;2002年1月31日<br /> :セダンに新グレード「250GTm」を追加。スウェード調クロスシートインテリアとCD一体AM/FM電子チューナーラジオを標準装備とした。<br /> ;2002年2月19日<br /> :セダンに「350GT-8」を追加。エクストロイド[[無段変速機|CVT]]のみの設定で、日本国内初となる8段変速マニュアルモードを搭載。またパドルシフトも装備された。<br /> ;2002年3月<br /> :北米にてインフィニティ・G35を発売。<br /> :同月、第102回ニューヨーク国際オートショーに、V35型とプラットフォームを共用する2+2クーペである「インフィニティ G35スポーツクーペ」を出品。<br /> ;2002年11月<br /> :北米にてインフィニティ G35スポーツクーペ」発売。搭載するエンジンはVQ35DE型エンジンのみ。<br /> ;2003年1月16日<br /> :「&#039;&#039;&#039;スカイラインクーペ&#039;&#039;&#039;」を追加(MT車は同年[[2月6日]]発売)。搭載するエンジンはVQ35DE型エンジンのみしか設定されず、駆動方式も2WD (FR)方式。クーペでは丸型テールランプが復活している。あわせて、セダンも内外装を一部変更し、グレード体系の見直しを行った。<br /> ;2003年6月3日<br /> :セダンに「350GTプレミアム」、および「350GT」を追加。6速MTのみの設定。<br /> ;2004年11月<br /> :セダンをマイナーチェンジ。内外装の変更で丸型テールランプが復活し、フロントグリル・バンパーの形状が変更されたほか、VQ30DE型エンジン搭載モデルを廃止しグレード体系を見直しするも、売り上げの回復には至っていない。また、VQ35DEエンジン搭載車にはマニュアルモード付5速オートマチックが設定された。<br /> :クーペについても同時に一部改良が行われ、新たに19インチホイールが設定された。<br /> ;2005年10月<br /> :第39回東京モーターショーにリファレンス・モデルとしてクーペのマイナーチェンジ版とされるものを出展。<br /> ;2006年11月<br /> :V36型の発表・発売によりセダンの生産終了。クーペは継続生産。<br /> ;2007年8月<br /> :クーペの販売終了。この2か月後にV36型クーペが登場している。<br /> <br /> :M35型[[日産・ステージア|ステージア]]、Z33型[[日産・フェアレディZ|フェアレディZ]]、および[[日産・フーガ|フーガ]]はV35型の[[日産・FR-Lプラットフォーム|FMプラットフォーム]]から派生したモデルである。<br /> <br /> :セダンはエンジンがVQ35DE型 V6 3.5L(272PS)と[[VQエンジン#VQ25DD|VQ25DD]] V6 2.5L(215PS)の2タイプで、前者のトランスミッションはCVT、6MT、5ATの3タイプから選べる。クーペはエンジンが[[VQエンジン#VQ35DE|VQ35DE]]型 V6 3.5L(280PS)のみで、トランスミッションは6MTと5ATの2タイプがある。<br /> &lt;gallery&gt;<br /> ファイル:V35.jpg|V35スカイライン中期型(リア)<br /> ファイル:Skyline 250GT unmarked car rear.jpg|後期型250GT(リア)<br /> ファイル:Nissan-skyline coupe v35-rear.jpg|クーペ(リア)<br /> ファイル:Japanese NISSAN SkylineV35 3.50GT police car.jpg|350GT-8のパトカー([[埼玉県警察]])<br /> ファイル:Image-Skyline 250GT unmarked car interior.jpg|車内<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> === 12代目 V36/J50型(2006年-2014年、[[日産・スカイラインクーペ CV36|クーペ]]2007年-2016年、[[日産・スカイラインクロスオーバー|クロスオーバー]]2009年-2016年) ===<br /> {{Infobox 自動車のスペック表<br /> | 車種=乗用車<br /> | 車名=日産・スカイライン(12代目)<br /> | 車名補=V36型<br /> | 1枚目画像の説明=セダン<br /> | 1枚目画像名=NISSAN SKYLINE.jpg<br /> | 2枚目画像の説明=クーペ<br /> | 2枚目画像名=2007 Nissan V36 Skyline Coupe.JPG<br /> | 3枚目画像の説明=クロスオーバー370GT<br /> | 3枚目画像名=Nissan Skyline Crossover 001.JPG<br /> | 販売期間=[[2006年]] - [[2016年]]<br /> | デザイナー=長谷川浩<br /> | ボディタイプ=4ドアセダン&lt;br /&gt;2ドアクーペ&lt;br /&gt;5ドアクロスオーバー<br /> | エンジン=V6 2.5L VQ25HR&lt;br /&gt;V6 3.5L VQ35HR&lt;br /&gt;V6 3.7L VQ37VHR<br /> | トランスミッション=5AT/7AT/6MT<br /> | サスペンション=前: ダブルウィッシュボーン&lt;br /&gt;後: マルチリンク<br /> | 駆動方式=FR/4WD<br /> | 全長=4,755mm(セダン)&lt;br /&gt;4,655mm(クーペ)<br /> | 全幅=1,770mm(セダン)&lt;br /&gt;1,820mm(クーペ)<br /> | 全高=1,450-1,465mm(セダン)&lt;br /&gt;1,390mm(クーペ)<br /> | ホイールベース=2,850mm<br /> | 車両重量=1,570-1,690kg(セダン)&lt;br /&gt;1,630-1,670mm<br /> | 乗車定員=4/5人<br /> | 自由項目1(項目名)=姉妹車<br /> | 自由項目1(内容)=[[インフィニティ・G]]<br /> | 自由項目2(項目名)=プラットフォーム<br /> | 自由項目2(内容)=[[日産・FR-Lプラットフォーム|FMプラットフォーム]]<br /> | 後継=<br /> }}<br /> {{main|日産・スカイラインセダン V36}}<br /> [[SHIFT_ワード]]:&#039;&#039;&#039;SHIFT_passion&#039;&#039;&#039; ときめきをシフトする。(廃止)<br /> ;[[2006年]]4月<br /> :[[ニューヨーク国際オートショー]]で輸出仕様である新型インフィニティG35セダンが出展される。この時点でクーペはコンセプトモデルの発表だった。<br /> ;2006年[[11月20日]]<br /> :日本発売。<br /> :駆動方式はFRの他に4WD([[アテーサE-TS]])が設定され、エンジンは改良型[[日産・VQエンジン|VQエンジン]](約80%の部品が新設計)のVQ35HR・[[V6エンジン|V6]]・[[DOHC]]・3.5L 315PS(232kW)/6,800rpm 36.5kgm(36.5N・m)/4,800rpm とVQ25HR・V6・DOHC・2.5L 225PS(165kW)/6,800rpm 26.8kgm(26.8N・m)/4,800rpm を搭載&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;HRは高回転型(&#039;&#039;High Revolving&#039;&#039;)の略。&lt;/ref&gt;。<br /> :北米仕様のインフィニティG35セダン向けVQ35HRは2007年1月米ワーズ社の「[[10ベストエンジン]]」を受賞した。VQエンジンとしては13年連続の受賞で、このような長い期間の連続受賞は単一のエンジンとしてはきわめて異例のことである。<br /> :スポーツグレードである350GT typeSPと350GT typeSには世界初搭載の[[四輪操舵]]システム「[[4輪アクティブステア]] (4WAS) 」をメーカーオプション設定。ミッションは5AT(北米向けG35は6MTもある)で、パドルシフトの設定もある。このパドルシフトは[[マグネシウム]]製とすることで軽量化と剛性の強化を、本革張りとすることで質感の向上を図っている。一方で位置に関しては、誤操作を防ぐ配慮かステアリングホイールからやや遠い位置にあるが、一部の批評家にはこのことが不評である。他にスイッチ照明付きプッシュエンジンスターターを全車標準装備としている。<br /> :全高は2WDモデルでV35より20mm低くなり、スポーティな印象が増した。各所にインフィニティのデザインモチーフや歴代スカイラインのモチーフをあしらい、フロントのデザインは[[日産・フーガ|フーガ]]を連想させるようなデザインになっている。グレード間の外観差はフーガのGT系とXV系のように明確ではないが、スポーツグレードの350GT typeSPと350GT typeSは専用スポーツバンパー及び専用スポーツバンパーグリルとなる。<br /> :ナビゲーションは日産初の[[ハードディスクドライブ|HDD]]タイプが設定される。エンターテイメント機能として内蔵HDD(30GB)に最大約3,000曲分もの音楽データを収録可能なミュージックボックスとDVD及び[[コンパクトフラッシュ]]の再生機能がある。発売翌年にオーディオ機能に小変更が行われBluetoothオーディオ対応となった。ディーラーオプションのナビゲーターは設定されていない。[[オーディオ]]には[[BOSE]]社製のシステムを採用し、車内7組11個のスピーカーをスカイライン専用に新設計。これはHDDナビとのセットオプションとなる。基本の再生システムは250GT/250GT FOURにはスカイラインホログラフィックサウンドシステムII、他のグレードはスカイラインホログラフィックサウンドシステムIが標準装備される。IとIIの違いはCDプレイヤー (II) かインダッシュ6チェンジャーCDプレイヤー(I)かだけである。インテリアには本木目(オプション・材質はビュバンガ)と本[[アルミニウム合金|アルミ]]のパネルに[[エクリュ]]、[[ブラック]]、[[フォーブ]]の内装色が選べる。また、フーガで好評のインパネ アナログ時計を全車標準装備する。<br /> ;[[2007年]]4月<br /> :ニューヨーク国際オートショーにおいてG37クーペが発表された。<br /> ;2007年[[10月2日]]<br /> :クーペ発売開始。エンジンはVVEL|VVEL(ブイベル)&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;バルブ作動角・リフト量連続可変システム&lt;/ref&gt;を採用した3.7LのVQ37VHR型(333PS/7,000rpm)を搭載。セダンにはなかった6速MTも設定され、日本初となる歩行者との衝突時に瞬時にボンネットを浮かせる「ポップアップエンジンフード」も搭載された。<br /> ;2007年[[11月27日]]<br /> :セダンに「250GT Type S」追加。同時に、スカイライン生誕50周年記念として専用の刺繍入り赤本革シートとシリアルナンバープレート等が付いた期間限定車「50th Limited」を設定。2008年3月までの期間限定受注販売。<br /> ;2008年[[12月2日]]<br /> :マイナーチェンジ。内外装を若干手直しすると共にVQ35HR型エンジンを廃止し、クーペに搭載されているVQ37VHR型を搭載(出力は330PS/7,000rpm)。また、このエンジンには従来の5速ATに代わって、前日に登場したZ34型[[日産・フェアレディZ|フェアレディZ]]にも採用された、新開発の7速ATを新搭載(VQ25HR型は従来どおり5速ATの組み合わせ)。<br /> ;[[2009年]]4月16日<br /> :V6 3,700cc VQ37VHR型エンジンを搭載する[[クロスオーバーSUV]]、&#039;&#039;&#039;スカイラインクロスオーバー&#039;&#039;&#039;の追加を発表、同年夏発売予定。従来型にも[[ATTESA E-TS|アテーサE-TS]]方式の[[四輪駆動]]車はあったが、[[SUV]]の設定はスカイライン史上初であり、[[ハッチバック]]を持つ車型も、6代目・R30型系以来となる。同車は[[インフィニティ・EX|インフィニティ・EX37]]として海外市場にすでに投入されており、2009年[[4月18日]]から(同年5月31日まで)[[日産ギャラリー]]において、スカイラインクロスオーバーの先行展示が行われる。<br /> <br /> [[覆面パトカー]]として全国の警察本部に警護用として350GTセダン、[[機動捜査隊]]用として250GTセダンが配備されており、交通取り締まり用として[[埼玉県警察]][[高速道路交通警察隊]]に4台の350GTセダンが配備されている。また、構内専用ながら[[安全運転中央研修所]]にはV36の白黒パトカーが配備されている。<br /> <br /> 日産のプレスリリース&lt;ref&gt;[http://www.nissan-global.com/JP/NEWS/2006/_STORY/061218-02-j.html 新型スカイラインの受注状況について] 日産自動車プレスリリース&lt;/ref&gt;によると、V36型系の発売から約1か月間の年齢層別受注内訳は、中高年層が大半で、29歳以下の購入者は3%程度となっている。<br /> <br /> V37型発表後もV36型は2.5L車3グレード(「250GT」・「250GT Type S」・「250GT FOUR」)に集約し、装備の追加や価格改定による車両本体価格の値下げを行った上で販売が継続された&lt;ref&gt;[http://www.nissan-global.com/JP/NEWS/2013/_STORY/131111-01-j.html 新型「スカイライン」を発表] - 日産自動車 ニュースリリース 2013年11月11日(2013年11月12日閲覧)&lt;/ref&gt;。併せて、日産ホームページのWebカタログにV36型スカイラインセダンのページが新設され、元々あるスカイラインセダンのWebカタログとは区別される。その後、V37型2.0Lターボ車の登場に伴い2014年度にて生産終了となった。<br /> <br /> &lt;gallery&gt;<br /> ファイル:2007 Nissan V36 Skyline Sedan 02.JPG|セダン(リア)<br /> ファイル:SkylineCoupeV36rear.jpg|クーペ(リア)<br /> ファイル:V36interior.jpg|室内(セダン・本木目パネル・AT仕様)<br /> ファイル:SkylineCoupeV36interior.jpg|室内(クーペ・本アルミパネル・MT仕様)<br /> ファイル:V36Skylinepolice.jpg|パトカー(研修用)<br /> ファイル:Nissan Skyline Crossover 002.JPG|クロスオーバー(リア)<br /> ファイル:NISSAN SKYLINE CROSSOVER interior.jpg|クロスオーバー(室内)<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> ===13代目 V37型(2014年-)===<br /> {{Vertical_images_list<br /> |幅= 250px<br /> | 1=NISSAN 「Sales Promortion」 DAA-HV37 SKYLINE HYBRID SEDAN 350GT HYBRID Type SP Front.JPG<br /> | 2=セダン<br /> }}<br /> {{main|日産・スカイラインセダン V37}}<br /> [[2013年]]9月に、北米で新型[[インフィニティ・Q50]]が発表された。日本では同年11月11日に13代目V37型スカイラインとして発表され、翌2014年2月26日に発売。スカイラインでは初となるハイブリッドモデルが新たに追加された&lt;ref&gt;[http://sankei.jp.msn.com/economy/news/131111/biz13111119230012-n1.htm 日産が7年ぶり新型スカイライン 13代目は初のHV]msn産経ニュース&lt;/ref&gt;。また、「インフィニティ」の開発によって培われた高い技術力やデザインの知見によるモデルのため、その証としてインフィニティのバッジが装着されている。国内の商品企画を担当した日本商品企画部リージョナルプロダクトマネージャーの寺田美穂は、「年齢でいうと40代前半の男性。共働きの奥さんがいて、娘が1人。[[外資系]]企業で[[管理職]]をしており、非常にタフな環境の第一戦で活躍している人。都心の[[タワーマンション]]に住んでいる。」をターゲット層としているという&lt;ref&gt;[http://getnews.jp/archives/484297 「新型スカイライン」の想定顧客 実は600人位しか実在しない? – ガジェット通信]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 2014年5月には提携先の[[ダイムラー (自動車メーカー)|ダイムラー]]より供給される[[ダウンサイジングコンセプト|直列4気筒2.0L・DOHC16バルブ・インタークーラーターボ・エンジンを搭載]]する200GT-tを追加発表し、翌月に販売を開始した。尚、4気筒エンジン搭載のスカイラインは8代目・R32型「GXi」以来となる。<br /> {{-}}<br /> <br /> == GT-R ==<br /> &#039;&#039;[[日産・スカイラインGT-R]]も参照&#039;&#039;<br /> <br /> GT-Rは、C10型(通称:ハコスカ)から続くスカイラインの中でもサーキットでの使用を主眼にして開発(メーカーチューン)された車両である。乗用車ベースでありながらレースで勝つことを使命とし、スカイラインの他のグレードと違った装備やエンジンを搭載し、他の国産スポーツカーにも影響を与えるほどの車である。それゆえに熱狂的なファンが多く、エンジニアにも特別のこだわりがある。そのためにGT-Rの名を冠することが許されなかったモデルもあり、それがGT-Rの存在をより特別のものとしている。<br /> 「&#039;&#039;&#039;世界的に有名な3つのアルファベットがあります。G、T、Rです。私はここでお約束いたします。必ずGT-Rは復活します。&#039;&#039;&#039;」と2001年東京モーターショーのプレス・カンファレンスでカルロス・ゴーンCOO(当時)が“GT-Rコンセプト”を前に、プレゼンテーションの冒頭で発言した。徹底した合理化戦略ばかりが取り上げられることが多いゴーンにこのような内容を託したことからも、この車に懸ける日産の姿勢が伺える。この約束をカルロス・ゴーンは果たし[[日産・GT-R]]を2007年10月24日第40回東京モーターショーで量産型を発表し2007年12月6日に販売される事となる。<br /> 特にR32型からではあるが、海外のレースで大いに活躍した功績から、Rの評判は国内のみならず世界にもその名を知られており、[[ゴジラ]](Godzilla)と呼ばれるほど浸透している&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;最初にゴジラとして紹介したのはオーストラリアのWheels magazineである。&lt;/ref&gt;。それゆえに、スカイラインはほぼ[[国内専用車|日本販売専用車]]であるが、R32、R33、R34のGT-Rが輸出業者の手により海外へと渡っている。評判は非常に高く、正規輸出としてもR33GT-Rはモデル末期に100台限定で、さらに、R34GT-Rも同じくV-specが100台限定ながらイギリスや[[香港]]、[[ニュージーランド]]の[[対面交通|左側通行]]国で販売された。<br /> <br /> これは日産自動車側に「海外でも販売して欲しい」という要望が強かったことと、[[ル・マン24時間レース|ル・マン24時間耐久レース]]に、「[[ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|NISMO]] GT-R LM」として出場した事により[[ヨーロッパ]]での知名度が上がったこと、そして最大の理由は、イギリス[[英国放送協会|BBC]]で放送されている[[トップ・ギア]]に出演しているジェレミー・クラークソンがR33型の記事を寄稿したことによるものである。イギリスでは関税の影響で、日本円に換算すると1080万円する(日本仕様のV-specIIの新車価格は574.8万円)ことで、高所得層しか購入できなかったが、フェラーリ以上の価値(希少性)やステータスがあるというユーザーもあり、「スポーツ走行ができる程高性能なのに、家族も乗せられる」と、実用面に対しての満足度も非常に高い。英国の自動車誌では、「パフォーマンスとテクノロジーは最高だが、見た目は東京タクシーのようだ」と評されたが、この書き方は英国流のジョークであり、むしろ「外見が普通の乗用車的なのに中身はスポーツカー」というコンセプトが、新鮮なものとして受け入れられていることの裏返し的表現である。現に「カーガイ(クルマ好き)」には好感を持って迎えられた。なおこの計200台はいずれも数日で完売している。<br /> <br /> その他、[[ドイツ]]、[[フランス]]、[[スイス]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[アラブ首長国連邦|UAE]]などの右側通行国などへは個人輸出されたケースも多い(アメリカでは[[州]]によっては基準に適合していない車を入れることは法律違反となる場合もあり、業者が警察当局に拘束、収監されてしまったケースもある)。<br /> * [[SUPER GT]]で活躍する[[ミハエル・クルム]]は日本国内でR34GT-Rを2台購入し、[[モナコ]]へ輸送している。<br /> * [[マニー・ラミレス]]もGT-Rを2台保有しており、[[高知ファイティングドッグス|高知]]に入団する以前にプライベートで日本を訪れチューニングショップに依頼して約2千万円をかけて改造した&lt;ref&gt;[[週刊文春]],2017年1月26日号pp.132-133『史上最強助っ人ラミレスは日産GT-Rの走り屋だった』&lt;/ref&gt;。高知入団後も岡山市内のチューニングショップに依頼して改造している。<br /> <br /> 英国仕様は、日本仕様とは特に大きな差異はないが、R34型は現地の法規に合わせた対応(セキュリティの強化やヘッドライトのハロゲンバルブ化(保安基準に適合しなかったための変更)、スピードリミッターを欧州の自主規制値である250km/hへ引き上げ、及び200マイル/hスケールスピードメーターの採用等)や、後に国内仕様のMスペックにも採用された本革シートが装備されている(英国仕様の本皮はコノリー社により手作業で張られたもので、日本のラインナップにはなかった赤色表皮も選択でき、一応日本でもNISMOから20脚限定で発売されていた)。<br /> <br /> ハコスカ時代、初代GT-Rが発売される前年の1968年東京モーターショーには市販直前型のプロトタイプが参考出品されているが、この時点ではまだGT-Rの名は明かされておらず、2代目スカイラインのホットモデルに付けられたGT-AおよびGT-Bの流れを汲み、市販時にはGT-Cとなるとの噂もあった。<br /> <br /> GT-Rはストックの状態で、すでにチューニングカーとしての完成度が高いことから、むやみに手を入れることを嫌うオーナーが多い。また、標準モデルにGT-Rのエンブレムをつけたりバンパーを移植するなどして、GT-Rっぽく見せるチューニングも多く行われることからGT-Rのスタイルの人気が伺える。もちろんコアなチューニング好きに、内に秘めるエンジンパワーをしっかり受け止めるために外装に大幅なモデファイが加えられることも多い。<br /> <br /> == スカイラインのモータースポーツ活動 ==<br /> スカイラインは初代モデルからモータースポーツに参戦しているが、本格的に参戦したのはS54型による第二回日本グランプリが最初。[[ホモロゲーション]]モデルであるGT、そしてGTのレーシング・バージョンの量産モデル2000GT(改称後は2000GT-B)から&#039;&#039;&#039;「スカG」&#039;&#039;&#039;の歴史が始まった。<br /> <br /> 3代目PGC10型/KPGC10型GT-R は国内レースで、[[マツダ]]の[[ロータリーエンジン|ロータリー]]勢に苦しめられながらもクラス50勝を達成したほか、数々の伝説を残す。<br /> <br /> その後、R30シルエット・フォーミュラ、R31・GTS-Rでの[[グループA]][[全日本ツーリングカー選手権]]参戦を経て、 グループAの頂点を目指すべく、GT-R(BNR32型)が復活、デビューからレース終焉まで29連勝の新たな伝説を築く。<br /> <br /> [[全日本GT選手権]]では、[[1993年]]の開幕から2003年シーズンまで、R32からR34までの3世代のモデルが参戦し、すべてタイトルを獲得している。<br /> <br /> ※5代目(C210型)については排ガス規制の対策に追われたため、特にモータースポーツ活動はない。<br /> <br /> === 初代 (SI系/S2系) ===<br /> [[1959年]]7月第1回「日本アルペンラリー」にスカイラインが参戦。<br /> <br /> [[1963年]]5月 第1回[[日本グランプリ (4輪)|日本グランプリ]]B-IIクラスに「スカイライン・スポーツ」、C-IVクラスに「スカイライン」がそれぞれ参戦。「スカイライン・スポーツ」は7位、10位。「スカイライン」は8位。<br /> <br /> === 2代目(S5系) ===<br /> [[ファイル:S54 Nissan Skyline 2000GT.JPG|thumb|220px|right|スカイラインGT(S54A-1型)]]<br /> 1964年5月 第2回[[日本グランプリ (4輪)|日本グランプリ]]GT-IIクラスにスカイラインGT(S54A-1型)出場。T-Vクラスにスカイライン1500(S50D-1型)出場。GT-IIクラスでの決勝では1周だけ優勝候補であった[[ポルシェ・904]]の前を走り、結局2~6位独占&lt;ref&gt;[http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/n-race/detail-result.cgi?race_id=1446&amp;window_flg=1 JAF公式サイト 第二回日本グランプリレース GT-IIクラス結果]&lt;/ref&gt;。ツーリングカーT-Vクラスのスカイライン1500は1~8位独占&lt;ref&gt;[http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/n-race/detail-result.cgi?race_id=1449&amp;window_flg=1 JAF公式サイト 第二回日本グランプリレース T-Vクラス結果]&lt;/ref&gt;、およびツーリングカーT-VIクラスのグロリア・スーパー6(S41D-1型)も1、2位独占で優勝を飾っている&lt;ref&gt;[http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/n-race/detail-result.cgi?race_id=1448&amp;window_flg=1 JAF公式サイト 第二回日本グランプリレース T-VIクラス結果]&lt;/ref&gt;。GT-IIクラス優勝の[[ポルシェ・904]]は、プリンスの日本グランプリ3冠を阻止するべくトヨタが取り寄せた、との噂が出回った。[[ポルシェ・904]]のドライバーは[[式場壮吉]]であり、式場は前年度トヨタのワークスドライバーとして日本グランプリに参加しているからである。当時、[[東京新聞]]の記者だった[[三本和彦]]が「&#039;&#039;&#039;羊の皮をかぶった狼&#039;&#039;&#039;」と記事のタイトルにしたが、当時のプリンス自工の広報部からクレームがついたらしい。<br /> <br /> === 3代目(C10型) ===<br /> [[ファイル:JapanGrandprixGT-R.jpg|thumb|220px|right|スカイライン2000GT-R &#039;71日本グランプリレース大会出場車両のレプリカ]]<br /> 1969年5月 「&#039;69[[日本自動車連盟|JAF]]グランプリレース大会」クラブマンレース・特殊ツーリングカークラスでGT-R(PGC10型)がデビュー。1位でゴールした[[トヨタ・1600GT|トヨタ1600GT]]が、日産側の抗議によって走路妨害と判定され、1周減算された結果、GT-Rが優勝となる。<br /> <br /> 同月 「JAF公認700キロ ノンストップラリー」にて「スポーティデラックス」が優勝を飾る。<br /> <br /> 1969年8月 「第5回[[モーターファン]]&amp;[[オートスポーツ|AUTO SPORT]]ラリー」にてGT-Rが総合3位を獲得。<br /> <br /> 1969年10月 「&#039;69日本グランプリレース大会」ツーリングカーレースにてGT-Rが1-3位を独占。<br /> <br /> [[1970年]]3月 「JMCマウンテン・サファリラリー」に1800が参戦。1970年5月 「&#039;70JAFグランプリレース大会」特殊ツーリングカーレースにてGT-Rが1位、2位、4位を獲得する。このときの優勝車(58号車)をエブロが1/43ミニカーとしてモデル化している。<br /> <br /> 1970年6月 「ツール・ド・ニッポン」に2000GTが出場。同月 「全日本富士300マイル」100マイルBレースにて、[[長谷見昌弘]]のドライブするGT-Rが優勝。長谷見はスペアカーで決勝に臨み、最後尾スタートであった。<br /> <br /> [[1971年]]5月 「&#039;71日本グランプリレース大会」ツーリングカーbレースにてGT-Rが1-3位、5位を獲得する。<br /> <br /> 1971年9月 マイナーチェンジ。1500、および1800の出力を向上。1500シリーズにハードトップ、およびGTシリーズ「ハードトップ2000GT-X」を追加された。<br /> <br /> [[1971年]]12月「第6回富士ツーリスト・トロフィーレース」で50連勝をかけたレースで、GT-R勢にトラブルが相次ぎサバンナとの戦いに敗れる。<br /> <br /> [[1972年]]3月 「&#039;72富士GCシリーズNo1 富士300キロスピードレース」スーパーツーリングレースにて、GT-Rが豪雨の中、[[高橋国光]]が全車を周回遅れにして1位、プライベートの[[久保田洋史]]が2位、同じくプライベートの[[河原伸光]]が6位を獲得し、通算50勝を達成する。<br /> <br /> 1972年5月 「&#039;72日本グランプリレース大会」ツーリングカーレースbにGT-Rが出場。表彰台を[[マツダ]]の[[ロータリーエンジン|ロータリー]]勢 [[マツダ・サバンナ|サバンナ]]、[[マツダ・カペラ|カペラ]]に独占され、GT-R勢は4-6位。<br /> <br /> 1972年9月 「&#039;72GCシリーズ 富士インター200マイルレース大会」スーパーツーリングTS-bcレースにてサバンナとこれまでに無いほどの熾烈な戦いを制し、[[北野元]]が駆ったGT-Rが1位、プライベートの[[久保田洋史]]が3位、同じくプライベートの[[正谷栄邦]]が6位を獲得し、通算52勝目を飾る。<br /> <br /> : 1972年10月 「&#039;72GCシリーズ第4戦 富士マスターズ250キロレース大会」スーパーツーリングTS-bcレースに[[黒沢元治]]と[[長谷見昌弘]]の駆るGT-Rが出場。サバンナとすさまじいトップ争いを演じていたが、ラップ14で周回遅れのサバンナとともにクラッシュし、優勝を逃す。GT-Rの最高順位は4位。9月にC110型にモデルチェンジしたこともあり、徐々にKPGC10型GT-Rのレースへの出場は減っていった。<br /> <br /> 海外に於いても1972年、スパ・フランコルシャン24時間レースに地元ベルギーのディーラーによる支援を受けたシャルル・バン・ストールが4ドア2000GT(GC10)の輸出仕様「ダットサン2000GT」を3台ディビジョン2に出場させ、ガスケットトラブルによりリタイヤした61号車以外の2台が完走、60号車が総合20位、62号車が同じく28位に入るという健闘を見せた。2ドアGT-Rではない理由としてはFIAで国際公認を取得していたのがグループ2のC10(4ドア)だけであったのとGT-Rは日本国内のみの販売だったため。なお、同じレースの同クラスにはマツダスイスレーシングの手により2台のサバンナRX-3も出場しており、予選ではサバンナのほうが速かったものの決勝では65号車の25位という結果に終わった。<br /> <br /> === 4代目(C110型) ===<br /> 1973年6月 「JAF公認・JMC主催 第10回北海道周回ノンストップラリー」にて、「セダン1800(PC110型)ラリーバージョン」が総合優勝を飾る。<br /> <br /> 1975年6月 「北海道周回ラリー」にて「セダン1800」が総合優勝を飾る。<br /> <br /> 1975年7月 「第3回JMCオーバーナイトラリー」にて「セダン1800」が優勝を飾る。<br /> <br /> [[1976年]]11月 「JMC中部ラリー」にて「セダン1800GL」が優勝を飾る。<br /> <br /> この年、「オーストラリア [[トタル]] エコノミーラン」にオーストラリア向けスカイライン「[[ダットサン]]240K」が出場。優勝を飾っている。<br /> <br /> === 6代目(R30型) ===<br /> {{Double image stack|right|TOMICA Skyline.JPG|TomicaSkylinerear.jpg|220|KDR30スカイライン(トミカスカイライン)}}<br /> [[1982年]]5月 当時の[[シルエットフォーミュラ|グループ5]]規定に合わせたレーシングカー「スカイライン スーパーシルエット」が登場。「ハードトップ2000RS(KDR30型)」をベースに車体の一部をパイプフレームとする[[ノバエンジニアリング]]製のシャシーに、大型のフロントスポイラー、およびリアウイングを備える[[ムーンクラフト]]製のカウルをまとい、「RS」のイメージカラーである赤/黒の2トーンカラーが特徴。ドライバーはかつてPGC10型GT-Rを操った長谷見昌弘。エンジンはサファリラリー等で使用された「[[日産・バイオレット|バイオレット]]」に搭載されていた直列4気筒DOHC LZ20B型(にエアリサーチ製T05Bターボチャージャー、および[[ルーカス]]製メカニカルインジェクションシステムを組合わせ、 570PS/7,600rpm、55kgm/6,400rpmというパワーを誇った。[[トミー]]がメインスポンサーを勤め、[[トミカ]]のバリエーションとしてモデル化もされたが、日本各地の日産プリンス販売会社からのカンパに大きく支えられた面もある。<br /> <br /> また日産自動車の意向により、同様のレーシングカーが「[[日産・シルビア|シルビア]](KS110型)」および「[[日産・ブルーバード|ブルーバード]](KY910型)」でも製作され、それぞれ星野一義、柳田春人がドライブした。「シルビア」のメインスポンサーは日本ラヂヱーター(現[[カルソニックカンセイ]])、「ブルーバード」のメインスポンサーは[[コカ・コーラ]]&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;翌年からオートバックスがメインスポンサーとなる、尚現在この[[青島文化教材社|プラモデル]]が再発売されている&lt;/ref&gt;であった。1984年度まで国内外のレースに参戦し、[[1983年]]シーズンではR30型のマイナーチェンジに伴い、フロントフェイスおよびテールランプが変更された。また、スプリント用とは別に1982年8月に耐久用マシン([[日産・スカイラインターボC]])も[[追浜ワークス]]で製作され、南アフリカのキャラミ9時間に参加した。翌年[[グループC]]規定にあわせマシンも改造され、[[全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権|全日本耐久選手権]]に参戦する。<br /> <br /> &lt;div class=&quot;NavFrame&quot; style=&quot;clear: both; border:0; width: 80%&quot;&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavHead&quot; style=&quot;text-align: center&quot;&gt;JTCなどの戦績&lt;/div&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavContent&quot; style=&quot;text-align: left&quot;&gt;<br /> : 1982年5月 「RRC筑波チャンピオンレース」 リタイヤ<br /> : 1982年8月 「RRC富士チャンピオンレース」優勝<br /> : 1982年10月 「富士マスターズ250kmレース」優勝<br /> : 1982年11月 「[[南アフリカ共和国]] キャラミ9時間レース」 リタイヤ<br /> <br /> : [[1983年]]5月 「RRC筑波チャンピオンレース」優勝<br /> : 1983年5月 「レース・ド・ニッポン筑波」優勝<br /> : 1983年8月 「RRC富士F2チャンピオンレース」優勝<br /> : 1983年9月 「菅生チャレンジカップレース第4戦」優勝<br /> : [[1984年]]9月 「菅生チャレンジカップレース第3戦」優勝<br /> : 1984年10月 「スーパーカップレース」優勝<br /> : 1984年12月 「筑波チャレンジカップレース最終戦」優勝<br /> <br /> [[1985年]] [[全日本ツーリングカー選手権 (1985年-1993年)|全日本ツーリングカー選手権]](JTC)にグループA仕様「RSターボC」が[[ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|ニスモ]]よりワークス参戦。主な戦績は以下の通り。<br /> : 6月 第1戦 「菅生グループA」総合5位、6位完走<br /> : 8月 第3戦「ビッグサマー全日本ツーリングカーレース」 2位<br /> <br /> [[1986年]] 引き続きJTCに「RSターボC」が参戦。主な戦績は以下の通り。<br /> : 3月 第1戦「西日本300kmレース」 総合優勝<br /> : 11月 最終戦「鈴鹿300kmレース」 総合優勝<br /> :: ※[[鈴木亜久里]]がドライバーズ・タイトル獲得、メイクス部門と二冠。<br /> <br /> [[1987年]] 引き続きJTCに「RSターボC」が参戦。主な戦績は以下の通り。<br /> : 12月 最終戦「スーパーファイナルIN鈴鹿」 2位<br /> &lt;/div&gt;&lt;/div&gt;<br /> <br /> === 7代目(R31型) ===<br /> 1987年[[インターTEC]]にGTS-Rがデビュー。<br /> <br /> 1988年度全日本ツーリングカー選手権にGTS-Rが参戦。主な戦績は以下の通り。<br /> : 1月 第1戦「新春NRC鈴鹿300km自動車レース」 優勝<br /> : 3月 第3戦 「西日本300kmレース」優勝<br /> <br /> [[1989年]]度全日本ツーリングカー選手権にGTS-Rが参戦。主な戦績は以下の通り。<br /> : 5月 「89ハイランドグループA300kmレース」 優勝<br /> : 8月 「89レース・ド・ニッポン」 優勝<br /> : 9月 「SUGOグループA 300kmレース」 優勝<br /> : 9月 「グレード20ドライバーズレース」 優勝<br /> :: ※長谷見昌弘がドライバーズ・タイトル獲得<br /> <br /> === 8代目(R32型) ===<br /> [[ファイル:R32 Calsonic Skyline 001.jpg|220px|right|thumb|1990 [[カルソニックカンセイ|カルソニック]] スカイライン&lt;br /&gt;[[ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|ニスモ]]のエキシビションにて]]<br /> [[1990年]][[全日本ツーリングカー選手権 (1985年-1993年)|全日本ツーリングカー選手権]](JTC)第1戦西日本サーキットにてGT-R(グループA仕様)はレースデビュー。星野/鈴木組のカルソニックスカイラインがポール・トゥ・ウィンを飾るだけでなく、予選ではコースレコードを2秒近く短縮、決勝では全てのマシンを周回遅れとするなど、圧倒的な力の差を見せつけた。その後もシリーズ全戦で[[ポールポジション]]獲得・優勝。翌年度より徐々に参戦車数が増え、最終シーズン[[1993年]]には7台のGT-Rが参戦、事実上のワンメイク状態とまで化した。結局、1990年の初戦からJTCというカテゴリーが終了する1993年まで無敗を誇り、最終的に29連勝という偉業を成し遂げる。なおN1耐久シリーズ(現・[[スーパー耐久]])にもGT-Rで参戦。<br /> <br /> また国内だけでなく、海外のレースにも積極的に参戦し、世界3大耐久レースの一つ、スパ・フランコルシャン24時間レースには1990年~1992年に出場。91年にはGr.Aクラスで日産ワークスから送り込まれたZEXELスカイラインが国産車初の総合優勝を果たしている。しかし、あまりにも速過ぎたためテレビ映りが悪く、局から苦情を受けた。同じく1990年には、マカオギヤレースに参戦。圧倒的な速さで予選トップを獲得、決勝でもその力を見せつけ、1度もトップを譲らずに優勝した。なお、他にもプライベートチームよりヨーロッパや北米のレースにも数多く参戦し、ほとんど優勝を飾っている。これらの結果を受けて、ル・マン24時間レースを主催するACOからは4WDシステムの完成度の高さから4WD自体の禁止という事態となった。<br /> <br /> まさにGT-Rの復活を裏付けるこれらの結果やエピソードからも、いまだにBNR32は歴代GT-Rの中でもファンが多いことで知られる。<br /> <br /> 1990年に一度だけ[[世界ラリー選手権]] (WRC) にも出場していた事がある。国内外で活躍したBNR32であるが、元々ラリー用に設計されている車種ではないので、これに関しては流石に結果を挙げる事はできなかった。<br /> <br /> なお、Gr.A終了後は[[JTCC]]と同時に始まった[[全日本GT選手権]]に転用される車両もあった。<br /> <br /> &lt;div class=&quot;NavFrame&quot; style=&quot;clear: both; border:0; width: 80%&quot;&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavHead&quot; style=&quot;text-align: center&quot;&gt;JTCおよびN1耐久の戦績&lt;/div&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavContent&quot; style=&quot;text-align: left&quot;&gt;<br /> [[1990年]]<br /> : 全日本ツーリングカー選手権(JTC)に2台(星野一義/鈴木利男=カルソニック、長谷見昌弘/A・オロフソン=リーボック)参戦。6戦全勝。<br /> :: シリーズチャンピオンは星野一義(5勝)が獲得。<br /> : N1耐久「富士6時間」に参戦、優勝<br /> <br /> [[1991年]]<br /> : JTCに4台参戦。6戦全勝。<br /> :: シリーズチャンピオンは長谷見昌弘(3勝)が獲得。<br /> : [[スパ・フランコルシャン24時間レース]]に参戦(オロフソン/[[デビッド・ブラバム|ブラバム]]/[[服部尚貴]])、総合優勝。<br /> : N1耐久ラウンドシリーズ参戦、6戦5勝。<br /> :: シリーズチャンピオンは清水和男が獲得。<br /> <br /> [[1992年]]<br /> : JTCに7台参戦。8戦全勝。<br /> :: シリーズチャンピオンは長谷見昌弘(2勝)が獲得。<br /> : スパ・フランコルシャン24時間レースに参戦(長谷見/オロフソン/ブラバム)。リタイヤ。<br /> : N1耐久ラウンドシリーズ参戦、7戦全勝。<br /> :: シリーズチャンピオンは桂伸一/原貴彦が獲得。<br /> <br /> [[1993年]]<br /> : JTCに7台参戦。9戦全勝。<br /> :: シリーズチャンピオンは[[影山正彦]](4勝)が獲得。<br /> : [[全日本GT選手権]](JGTC)参戦、3戦全勝。影山正彦がドライバーズタイトル獲得。<br /> : N1耐久ラウンドシリーズ参戦、8戦全勝。<br /> :: シリーズチャンピオンは桂伸一/原貴彦が獲得。<br /> <br /> [[1994年]]<br /> : JGTCに参戦。5戦2勝。<br /> :: ドライバーズ(影山正彦)、チーム(インパル)の二冠タイトル獲得。<br /> : N1耐久ラウンドシリーズ参戦、8戦全勝。<br /> :: シリーズチャンピオンは都平 健二/河合 博之が獲得。<br /> &lt;/div&gt;&lt;/div&gt;<br /> <br /> === 9代目(R33型) ===<br /> [[ファイル:GT-RLMKeepTheDream.jpg|thumb|220px|right|ル・マン24時間レース参戦車両]]<br /> : [[1995年]]<br /> :: [[ル・マン24時間レース]]に参戦。総合10位。<br /> :: [[全日本GT選手権]]シリーズタイトル獲得。<br /> : [[1996年]]<br /> :: ル・マン24時間レースに参戦。総合15位。翌年はGT-Rで参戦せず、[[日産・R390|R390]]で参戦している。ル・マン24時間レースの車輌規定上、&#039;&#039;&#039;「同一車種に4ドア車が存在する車種のエントリーは認めない」&#039;&#039;&#039;とする規定が存在する為、&#039;&#039;&#039;日産NISMO GT-R LM&#039;&#039;&#039;という独立した車種を製作、ナンバーを取得して規定に合わせるという作業が行われた。&#039;&#039;&#039;「公認を得た&quot;ロードカー&quot;を最低一台製作すること。但し、販売の義務は無い」&#039;&#039;&#039;という条項を利用した。後のR390もこれを利用した形となっている。<br /> ::<br /> : [[1998年]]<br /> :: [[パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム|パイクスピーク]]に「ニスモ400R」で参戦。チャンピオン獲得。<br /> :: [[全日本GT選手権]]シリーズタイトル獲得。<br /> <br /> 1994年より始まったJTCCにも4ドアセダンが[[近藤レーシングガレージ]]により参戦していた。当初はR32型で参戦を予定していたが日産がホモロゲーション申請していたのがBNR32、つまりGT-Rのみであったのだが何とかR32で出場したいとの願いから関係各所を回ってみたものの「旧型車にはホモロゲーションを与えられない」との一点張りで渋々諦めた所、日産がR33セダンのホモロゲーション申請を行い、車両を提供されて参戦を果たした。ちなみにR32型で参戦予定していたレーシングカーはFRと4WDの2台製作され、ほぼ完成状態まで来ていたが先述のホモロゲーション問題により参戦が不可能となった時点で解体され産業廃棄物として処理されたという。<br /> <br /> === 10代目(R34型) ===<br /> [[ファイル:R34 Xanavi Skyline 001.JPG|220px|right|thumb|2003 [[ザナヴィ]]・ニスモGT-R]]<br /> <br /> [[1999年]]:JGTCに参戦。GT500クラスに1月に発売されたBNR34型が3台、前年度モデルであるBCNR33型が2台。「ペンズオイル・ニスモGTR」(エリック・コマス)が2年連続のシリーズチャンピオンを獲得。<br /> : スーパー耐久シリーズに参戦。JGTC同様BNR34型が参戦し、「日産プリンス千葉GT-R★FALKEN」がシリーズチャンピオンを獲得した。<br /> &lt;div class=&quot;NavFrame&quot; style=&quot;clear: both; border:0; width: 80%&quot;&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavHead&quot; style=&quot;text-align: center&quot;&gt;JGTCの戦績&lt;/div&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavContent&quot; style=&quot;text-align: left&quot;&gt;<br /> :: 3月 第1戦(鈴鹿サーキット)<br /> ::: 総合2位「ペンズオイル・ニスモGTR」(エリック・コマス/本山 哲)<br /> ::: 総合5位「ARTAゼクセルスカイライン」(鈴木亜久里/ミハエル・クルム)<br /> ::: 総合6位「ユニシアジェックススカイライン」(長谷見昌弘/田中哲也)<br /> :: 5月 第2戦(富士スピードウェイ)<br /> ::: 総合3位「カルソニックスカイライン」(星野一義/影山正美)<br /> ::: 総合5位「ペンズオイル・ニスモGTR」(E.コマス/アンダース・オロフソン)<br /> :: 5月 第3戦(スポーツランド菅生)<br /> ::: 総合5位「カルソニックスカイライン」(星野/影山)<br /> ::: 総合6位「ペンズオイル・ニスモGT-R」(E.コマス/本山)<br /> :: 7月 第4戦(セントラルパークMINEサーキット)<br /> ::: 優勝「ペンズオイル・ニスモGT-R」(E.コマス/本山)<br /> ::: 総合4位「ユニシアジェックススカイライン」(長谷見/田中)<br /> ::: 総合6位「カルソニックスカイライン」(星野/影山)<br /> :: 8月 第5戦(富士スピードウェイ)<br /> ::: 総合3位「ペンズオイル・ニスモGT-R」(E.コマス/本山)<br /> ::: 総合5位「カルソニックスカイライン」(星野/影山)<br /> :: 9月 第6戦(TIサーキット英田)<br /> ::: 総合2位「ARTAゼクセルスカイライン」(鈴木/M.クルム)<br /> ::: 総合7位「ペンズオイル・ニスモGT-R」(E.コマス/本山)<br /> :: 10月 第7戦(ツインリンクもてぎ)<br /> ::: 総合2位「ARTAゼクセルスカイライン」(鈴木/M.クルム)<br /> ::: 総合3位「ペンズオイル・ニスモGTR」(E.コマス/本山)<br /> :: 11月 オールスター戦 「NICOS CUP GT オールスター戦&#039;99」(オートポリス)<br /> ::: 総合3位「ARTAゼクセルスカイライン」(鈴木/M.クルム)<br /> ::: 総合4位「ペンズオイル・ニスモGTR」(E.コマス/本山)<br /> &lt;/div&gt;&lt;/div&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavFrame&quot; style=&quot;clear: both; border:0; width: 80%&quot;&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavHead&quot; style=&quot;text-align: center&quot;&gt;スーパー耐久シリーズの戦績&lt;/div&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavContent&quot; style=&quot;text-align: left&quot;&gt;<br /> :: 4月 第1戦 「MINEスーパー500kmレース」(セントラルパークMINEサーキット)<br /> ::: 優勝「プリンス東京フジツボGT-R」(砂子智彦/山田英二)<br /> ::: 総合2位「日産プリンス千葉GT-R★FALKEN」(竹内浩典/田中哲也<br /> ::: 総合5位「日産アルティアGT-R」(粕谷俊二/桧井保孝)<br /> :: 4月 第2戦 「ハイランド・スーパー耐久レース」(仙台ハイランドレースウェイ)<br /> ::: 優勝「日産プリンス千葉GT-R★FALKEN」(竹内/田中)<br /> ::: 総合3位「ダイシンアドバンGT-R」(福山英明/大八木信行)<br /> ::: 総合4位「プリンス東京フジツボGT-R」(砂子/山田)<br /> ::: 総合6位「日産アルティアGT-R」(粕谷/桧井)<br /> :: 5月 第3戦 「Super耐久 SUZUKA 200miles」(鈴鹿サーキット)<br /> ::: 優勝「日産プリンス千葉GT-R★FALKEN」(竹内/田中)<br /> ::: 総合3位(クラス2位)「FALKEN dream on μ GTR」(吉田寿博/横島 久)<br /> ::: クラス3位「日産アルティアGT-Rアドバン」(粕谷/桧井)<br /> :: 6月 第4戦 「TI 400km耐久レース」(TIサーキット英田)<br /> ::: 優勝「プリンス東京フジツボGT-R」(砂子/山田)<br /> ::: 総合2位「ダイシンアドバンGT-R」(福山/大八木)<br /> ::: 総合3位「日産アルティアGT-R」(粕谷/桧井)<br /> ::: 総合4位「エンドレスアドバンGT-R」(木下みつひろ/土屋武士)<br /> ::: 総合5位「日産プリンス千葉GT-R★FALKEN」(竹内/田中)<br /> :: 7月 第5戦 「第6回十勝24時間耐久レース」(十勝インターナショナルスピードウェイ)<br /> ::: 優勝「日産プリンス千葉GT-R★FALKEN」(竹内浩典/田中哲也/近藤真彦)<br /> ::: 総合3位「ダイシンアドバンGT-R」(福山英明/大八木信行/横島久/青木孝行)<br /> :: 9月 第6戦 「もてぎスーパー耐久レース」(ツインリンクもてぎ)<br /> ::: 優勝「ダイシンアドバンGT-R」(福山/大八木)<br /> ::: 総合2位「日産プリンス千葉GT-R★FALKEN」(竹内浩典/長谷見昌弘)<br /> :: 10月 第7戦 「Super TEC」(富士スピードウェイ)<br /> ::: 優勝「日産プリンス千葉GT-R★FALKEN」(竹内/田中)<br /> ::: 総合4位「プリンス東京フジツボGT-R」(砂子/山田)<br /> :: 11月 第8戦 「SUGOスーパー耐久レース」(スポーツランド菅生)<br /> ::: 優勝「プリンス東京フジツボGT-R」(砂子/山田)<br /> ::: 総合2位「日産アルティアGT-R」(粕谷/桧井)<br /> ::: 総合3位「日産プリンス千葉GT-R★FALKEN」(竹内浩典/近藤真彦)<br /> ::: 総合4位「エンドレス・アドバンGT-R」(木下/土屋)<br /> :: 8月 「第28回インターナショナル ポッカ1000km」(鈴鹿サーキット)にスーパー耐久仕様の「ロックタイト・ニスモGT-R」(本山 哲/影山正美)が参戦。タービントラブルによる長時間のピットストップが響き、規定周回数である120周に及ばない118周でゴールし完走を逃す。<br /> &lt;/div&gt;&lt;/div&gt;<br /> <br /> [[2000年]]<br /> : 全日本GT選手権に参戦。GT500クラスにBNR34型が4台参戦。<br /> : スーパー耐久シリーズに参戦。「5 ZIGEN☆ファルケンGTR」がシリーズチャンピオンを獲得。<br /> &lt;div class=&quot;NavFrame&quot; style=&quot;clear: both; border:0; width: 80%&quot;&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavHead&quot; style=&quot;text-align: center&quot;&gt;JGTCの戦績&lt;/div&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavContent&quot; style=&quot;text-align: left&quot;&gt;<br /> :: 4月 第1戦 「もてぎGTチャンピオンレース」(ツインリンクもてぎ)<br /> ::: 優勝「LOCTITE ゼクセルGT-R」(E.コマス/影山正美)<br /> ::: 総合5位「ユニシアザナヴィ・スカイライン」(長谷見昌弘/田中哲也)<br /> ::: 総合6位「Castrol NISMO GT-R」(M.クルム/井出有治)<br /> :: 5月 第2戦 「オールジャパン富士GTレース」(富士スピードウェイ)<br /> ::: 総合2位「Castrol NISMO GT-R」(片山右京/M.クルム)<br /> ::: 総合5位「カルソニックスカイライン」(星野一義/本山 哲)<br /> ::: 総合6位「LOCTITE ゼクセルGT-R」(E.コマス/影山)<br /> ::: 総合9位「ユニシアザナヴィ・スカイライン」(長谷見/田中)<br /> :: 5月 第3戦 「オールジャパンGTレース」(スポーツランド菅生)<br /> ::: 総合5位「カルソニックスカイライン」(星野/本山)<br /> :: 6月 スペシャルステージ「ジャパンGTフェスティバルinマレーシア」(SEPANG CIRCUIT)<br /> ::: 優勝「Castrol NISMO GT-R」(片山/M.クルム)<br /> ::: 総合7位「LOCTITE ゼクセルGT-R」(E.コマス/影山)<br /> :: 8月 第4戦 「ジャパンスペシャルGTカップ」(富士スピードウェイ)<br /> ::: 総合3位「カルソニックスカイライン」(星野/本山)<br /> ::: 総合4位「LOCTITE ゼクセルGT-R」(E.コマス/影山)<br /> ::: 総合6位「Castrol NISMO GT-R」(片山/M.クルム)<br /> :: 9月 第5戦 「GTチャンピオンシップin TI」(TIサーキット英田)<br /> ::: 総合3位「LOCTITE ゼクセルGT-R」(E.コマス/影山)<br /> ::: 総合6位「カルソニック・スカイライン」(星野/本山)<br /> :: 9月 第6戦 「CP MINE GTレース」(セントラルパークMINEサーキット)<br /> ::: 優勝「カルソニック・スカイライン」(星野/本山)<br /> ::: 総合3位「LOCTITE ゼクセルGT-R」(E.コマス/影山)<br /> :: 10月 第7戦 「SUZUKA GT 300km」(鈴鹿サーキット)<br /> ::: 総合3位「カルソニックスカイライン」(星野/本山)<br /> ::: 総合4位「Castrol NISMO GT-R」(片山/M.クルム)<br /> ::: 総合5位「LOCTITE ゼクセルGT-R」(E.コマス/影山)<br /> ::: 総合8位「ユニシアザナヴィ・スカイライン」(長谷見/田中)<br /> <br /> :: 8月 「第29回インターナショナル ポッカ1000km」(鈴鹿サーキット)にJGTC GT500仕様の「ニスモGT-R」(片山右京/大八木信行/青木孝行)、およびS耐仕様の「ススキレーシングGT-R」(見崎/袖山/HIDE)が参戦。「ニスモGT-R」はリタイヤ、「ススキレーシングGT-R」はクラス優勝(総合9位)を果たす。<br /> &lt;/div&gt;&lt;/div&gt;<br /> <br /> &lt;div class=&quot;NavFrame&quot; style=&quot;clear: both; border:0; width: 80%&quot;&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavHead&quot; style=&quot;text-align: center&quot;&gt;スーパー耐久シリーズの戦績&lt;/div&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavContent&quot; style=&quot;text-align: left&quot;&gt;<br /> :: 3月 第1戦 「CP MINEスーパー耐久500kmレース」(セントラルパークMINEサーキット)<br /> ::: 優勝「ダイシン・アドバンGTR」(大八木信行/青木孝行)<br /> ::: 総合2位「エンドレス アドバンGT-R」(木下みつひろ/高木真一)<br /> ::: 総合3位「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子智彦/山田英二)<br /> :: 4月 第2戦 「ハイランド・スーパー耐久レース」(仙台ハイランドレースウェイ)<br /> ::: 優勝「5 ZIGEN☆ファルケンGTR」(竹内浩典/田中哲也)<br /> ::: 総合2位「ダイシン・アドバンGTR」(大八木/青木)<br /> ::: 総合3位「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子/山田)<br /> ::: 総合4位「BP ADVAN GTR」(粕谷俊二/見崎清志)<br /> :: 5月 第3戦 「スーパー耐久 鈴鹿200マイル」(鈴鹿サーキット)<br /> ::: 優勝「5 ZIGEN☆ファルケンGTR」(竹内/田中)<br /> ::: 総合2位「ダイシン・アドバンGTR」(大八木/青木)<br /> :: 6月 第4戦 「TIスーパー耐久」(TIサーキット英田)<br /> ::: 優勝「5 ZIGEN☆ファルケンGTR」(竹内/田中)<br /> ::: 総合2位「エンドレス アドバンGT-R」(木下/高木)<br /> ::: 総合3位「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子/山田)<br /> ::: 総合4位「ダイシン・アドバンGTR」(大八木/青木)<br /> :: 7月 第5戦 「第7回十勝24時間耐久レース」(十勝インターナショナルスピードウェイ)<br /> ::: 総合2位(クラス優勝)「5 ZIGEN☆ファルケンGTR」(竹内浩典/田中哲也/近藤真彦)<br /> ::: 総合3位「ダイシン・アドバンGTR」(大八木信行/青木孝行/市村)、総合5位「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子智彦/山田英二/桂)<br /> :: 9月 第6戦 「もてぎスーパー耐久レース」(ツインリンクもてぎ)<br /> ::: 優勝「5 ZIGEN☆ファルケンGTR」(竹内/田中)<br /> ::: 総合2位「エンドレスアドバンGTR」(木下/高木)<br /> ::: 総合6位(クラス3位)「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子/山田)<br /> ::: 総合28位(クラス4位)「ダイシン・アドバンGTR」(大八木/青木)<br /> :: 10月 第7戦 「Super TEC」(富士スピードウェイ)<br /> ::: 優勝「エンドレスアドバンGTR」(木下/高木)<br /> ::: 総合2位「5 ZIGEN☆ファルケンGTR」(竹内/田中)<br /> ::: 総合3位「BP ADVAN GT-R」(粕谷/見崎)<br /> ::: 総合30位(クラス4位)「ダイシン・アドバンGTR」(大八木/青木)<br /> :: 10月 第8戦 「SUGOスーパー耐久レース」(スポーツランド菅生)<br /> ::: 優勝「ダイシン・アドバンGTR」(大八木/青木)<br /> ::: 総合2位「5 ZIGEN☆ファルケンGTR」(竹内/田中)<br /> ::: 総合3位「エンドレスアドバンGTR」(木下/高木)<br /> ::: 総合4位「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子/山田)<br /> <br /> :: 8月 「インターテックinコリア」(チャンワォンストリートサーキット)にS耐シリーズ出場車が参戦<br /> ::: 優勝「5 ZIGEN☆ファルケンGTR」(竹内浩典/田中哲也)<br /> ::: 総合2位「ENDLESS ADVAN GT-R」(木下みつひろ/高木真一)<br /> ::: 総合3位「BP ADVAN GT-R」(粕谷俊二/見崎清志)<br /> &lt;/div&gt;&lt;/div&gt;<br /> <br /> [[2001年]]<br /> : JGTC参戦。GT500クラスにBNR34型が3台参戦し、「ニスモ」が2001年JGTCチームチャンピオンを獲得。<br /> : スーパー耐久シリーズに参戦。「FALKEN GT-R」が5年連続となるシリーズチャンピオンを獲得。<br /> &lt;div class=&quot;NavFrame&quot; style=&quot;clear: both; border:0; width: 80%&quot;&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavHead&quot; style=&quot;text-align: center&quot;&gt;JGTCの戦績&lt;/div&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavContent&quot; style=&quot;text-align: left&quot;&gt;<br /> :: 4月 第1戦 「GTチャンピオンシップin TI」(TIサーキット英田)<br /> ::: 総合4位「ザナヴィ ヒロト GT-R」(M.クルム/田中哲也)<br /> :: 5月 第2戦 「オールジャパン富士GTレース」(富士スピードウェイ)<br /> ::: 総合3位「ザナヴィ ヒロト GT-R」(M.クルム/田中)<br /> ::: 総合4位「ペンズオイルゼクセルGT-R」(E.コマス/影山正美)<br /> :: 5月 第3戦 「SUGO GTチャンピオンシップ」(スポーツランドSUGO)<br /> ::: 総合7位「カルソニックスカイライン」(本山 哲/服部尚貴)<br /> :: 6月 GTスペシャルステージ「2001ジャパンGTレースマレーシアラウンド」(SEPANG CIRCUIT)<br /> ::: 総合3位 「ザナヴィヒロトGT-R」(M.クルム/田中)、総合4位「ペンズオイルゼクセルGT-R」(E.コマス/影山)<br /> ::: 総合7位「カルソニックスカイライン」(星野一義/本山 哲)<br /> :: 8月 第4戦 「ジャパンスペシャルGTカップ」(富士スピードウェイ)<br /> ::: 優勝「ザナヴィ ヒロト GT-R」(M.クルム/田中)<br /> ::: 総合2位「ペンズオイルゼクセルGT-R」(E.コマス/影山)<br /> ::: 総合7位「カルソニックスカイライン」(星野/本山)<br /> :: 9月 第5戦 「もてぎGTチャンピオンレース」(ツインリンクもてぎ)<br /> ::: 総合3位「カルソニックスカイライン」(星野/本山)<br /> :: 10月 第6戦 「鈴鹿GT300km」(鈴鹿サーキット)<br /> ::: 総合3位「ペンズオイルゼクセルGT-R」(E.コマス/影山)、総合8位「ザナヴィ ヒロト GT-R」(M.クルム/田中)<br /> :: 11月 第7戦 「CP MINE GTレース」(セントラルパークMINEサーキット)<br /> ::: 総合2位「ペンズオイルゼクセルGT-R」(E.コマス/影山)<br /> ::: 総合5位「カルソニックスカイライン」(星野/本山)<br /> ::: 総合6位「ザナヴィ ヒロト GT-R」(M.クルム/田中)<br /> &lt;/div&gt;&lt;/div&gt;<br /> <br /> &lt;div class=&quot;NavFrame&quot; style=&quot;clear: both; border:0; width: 80%&quot;&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavHead&quot; style=&quot;text-align: center&quot;&gt;スーパー耐久シリーズの戦績&lt;/div&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavContent&quot; style=&quot;text-align: left&quot;&gt;<br /> :: 3月 第1戦 「CP MINE スーパー耐久500kmレース」(セントラルパークMINEサーキット)<br /> ::: 優勝「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子塾長/山田英二)<br /> :: 4月 第2戦 「Hi-landスーパー耐久レース」(仙台ハイランドレースウェイ)<br /> ::: 優勝「FALKEN GT-R」(竹内浩典/田中哲也)<br /> ::: 総合2位「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子/山田)<br /> :: 5月 第3戦 「鈴鹿300マイル」(鈴鹿サーキット)<br /> ::: 優勝「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子/山田)<br /> ::: 総合2位「FALKEN GT-R」(竹内/田中)<br /> ::: 総合27位(クラス3位)「ALTIA REIMAX GTR」(粕谷俊二/川越賢二)<br /> :: 6月 第4戦 「もてぎスーパー耐久レース」(ツインリンクもてぎ)<br /> ::: 優勝「FALKEN GT-R」(竹内/田中)<br /> ::: 総合8位(クラス2位)「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子/山田)、総合23位(クラス3位)「ALTIA REIMAX GTR」(粕谷/川越)<br /> :: 7月 第5戦 「第8回十勝24時間耐久レース」(十勝インターナショナルスピードウェイ)<br /> ::: 優勝「ダイシンアドバンGT-R」(大八木信行/青木孝行/横島 久)<br /> ::: 総合6位(クラス2位)「FALKEN GT-R」(竹内浩典/田中哲也/影山)<br /> ::: 総合18位「JASレインボーGT-R ADVAN」(橋澤/吉富/池田/藤島)<br /> ::: 総合29位「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子塾長/山田英二/和田)<br /> :: 9月 第6戦 「TIスーパー耐久&amp;F3レース」(TIサーキット英田)<br /> ::: 優勝「FALKEN GT-R」(竹内/田中)<br /> ::: 総合2位「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子/山田)<br /> ::: 総合3位「JASレインボーGT-R ADVAN」(橋澤/吉富)、総合31位「JMC・ADVAN・GT-R」(輿水敏明/関 実)<br /> :: 10月 第7戦 「SUGOスーパー耐久レース」(スポーツランド菅生)<br /> ::: 優勝「FALKEN GT-R」(竹内/田中)<br /> ::: 総合2位「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子/山田)<br /> ::: 総合3位、「JASレインボーGT-R ADVAN」(橋澤/吉富)<br /> :: 11月 第8戦 「Super TEC」(富士スピードウェイ)<br /> ::: 優勝「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子/山田)<br /> ::: 総合2位、「FALKEN GT-R」(竹内/田中)<br /> ::: 総合23位(クラス4位)「JMC・GT-R・ADVAN」(輿水敏明/関 実/佐々木)<br /> ::: 総合31位(クラス5位)「JASレインボーGT-R ADVAN」(橋澤/吉富/横島)<br /> <br /> :: 5月 「ニュルブルクリンク24時間レース」に「ファルケンモータースポーツ」よりBCNR33型1台、BNR34型3台の「ファルケンGT-R」が参戦。エースカー(木下隆之/長谷見昌弘/ダーク・ショイスマン/ローランド・アッシュ)は総合192位完走。<br /> <br /> :: 8月 「第30回鈴鹿ポッカ1000km」(鈴鹿サーキット)にS耐仕様の「STP☆ススキレーシングGTR」(見崎清志/市村秀明)、「JMC・ADVAN・GT-R」(輿水敏明/植田正幸/関実)、「M&#039;S ALTIA GTR」(粕谷俊二/川越賢二/影山正彦)の3台が参戦。<br /> &lt;/div&gt;&lt;/div&gt;<br /> <br /> [[2002年]]<br /> : 全日本GT選手権に参戦。GT500クラスにBNR34型が3台参戦した。第3戦にはRB26DETT型に替わり、V型6気筒のVQ30DETT型を搭載するGT-Rが登場。第5戦以降は全てVQエンジン搭載となる。<br /> : スーパー耐久シリーズに参戦。「エンドレスアドバンGT-R」がシリーズチャンピオンを獲得。<br /> &lt;div class=&quot;NavFrame&quot; style=&quot;clear: both; border:0; width: 80%&quot;&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavHead&quot; style=&quot;text-align: center&quot;&gt;JGTCの戦績&lt;/div&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavContent&quot; style=&quot;text-align: left&quot;&gt;<br /> :: 4月 第1戦 「GTチャンピオンシップ in TI」(TIサーキット英田)<br /> ::: 総合11位「ザナヴィ ニスモ GT-R」(本山 哲/M.クルム)<br /> ::: 総合12位「カストロールピットワークGT-R」(影山正美/E.コマス)<br /> ::: 総合14位「カルソニックスカイライン」(星野一義/田中哲也)<br /> :: 5月 第2戦 「オールジャパン富士GTレース」(富士スピードウェイ)<br /> ::: 総合6位「カストロールピットワークGT-R」(影山/E.コマス)<br /> ::: 総合7位「ザナヴィ ニスモ GT-R」(本山/M.クルム)<br /> :: 5月 第3戦 「SUGO GTチャンピオンシップ」(スポーツランドSUGO)<br /> ::: 総合4位「カストロールピットワークGT-R」(影山/E.コマス)<br /> ::: 総合7位「ザナヴィ ニスモ GT-R(VQ30DETT型搭載)」(本山/M.クルム)<br /> ::: 総合8位「カルソニックスカイライン」(星野/田中)<br /> :: 6月 第4戦 「TMTOUCH ジャパンGTチャンピオンシップ マレーシア」(SEPANG CIRCUIT)<br /> ::: 総合4位「ザナヴィ ニスモ GT-R(RB26DETT型搭載)」(本山/M.クルム)<br /> :: 7月 第5戦 「ジャパンスペシャルGTカップ」(富士スピードウェイ)<br /> ::: 総合2位「ザナヴィ ニスモ GT-R」(本山/M.クルム)<br /> :: 9月 第6戦 「もてぎGTチャンピオンレース」(ツインリンクもてぎ)<br /> ::: 総合10位「ザナヴィ ニスモ GT-R」(本山/M.クルム)<br /> :: 10月 第7戦 「CP MINE GTレース」(セントラルパークMINEサーキット)<br /> ::: 総合2位「ザナヴィ ニスモ GT-R」(本山/M.クルム)<br /> :: 11月 第8戦 「鈴鹿GT300km」(鈴鹿サーキット)<br /> ::: 総合8位「カストロールピットワークGT-R」(影山/E.コマス)<br /> <br /> :: 8月 「第31回インターナショナルSUZUKA1000km」(鈴鹿サーキット)にJGTC GT500仕様VQ3ODETT型搭載の「NISMO GT-R」(影山正美/M.クルム/田中哲也)、およびS耐仕様の「JMCダンロップGT-R・ED」、「ススキレーシングアドバンGTR」、「M&#039;s DUCKHAMS GTR」が参戦。「NISMO GT-R」はターボチャージャーのトラブルによりリタイヤ。S耐の3台もリタイヤとなる。<br /> &lt;/div&gt;&lt;/div&gt;<br /> <br /> &lt;div class=&quot;NavFrame&quot; style=&quot;clear: both; border:0; width: 80%&quot;&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavHead&quot; style=&quot;text-align: center&quot;&gt;スーパー耐久シリーズの戦績&lt;/div&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavContent&quot; style=&quot;text-align: left&quot;&gt;<br /> :: 3月 第1戦 「CP MINE スーパー耐久500kmレース」(セントラルパークMINEサーキット)<br /> ::: 優勝「FALKEN☆GT-R」(竹内浩典/田中哲也)<br /> ::: 総合3位(クラス2位)「JMCダンロップGTR・ED」(輿水敏明/吉富 章)<br /> ::: 総合10位(クラス3位)「エンドレスアドバンGT-R」(木下みつひろ/青木孝行)<br /> :: 4月 第2戦 「Hi-landスーパー耐久レース」(仙台ハイランドレースウェイ)<br /> ::: 優勝「エンドレスアドバンGT-R」(木下/青木)<br /> ::: 総合2位「FALKEN☆GT-R」(竹内/田中)<br /> :: 5月 第3戦 「スーパー耐久鈴鹿300マイル」(鈴鹿サーキット)<br /> ::: 優勝「エンドレスアドバンGT-R」(木下/青木)<br /> ::: 総合2位「FALKEN☆GT-R」(竹内/田中)<br /> ::: 総合4位(クラス3位)「JMCダンロップGT-R・ED」(輿水/吉富)<br /> :: 6月 第4戦 「もてぎスーパー耐久500」(ツインリンクもてぎ)<br /> ::: 優勝「エンドレスアドバンGT-R」(木下/青木)<br /> ::: 総合2位「FALKEN☆GT-R」(竹内/田中)<br /> :: 7月 第5戦 「第9回十勝24時間耐久レース」(十勝インターナショナルスピードウェイ)<br /> ::: 総合2位(クラス優勝)「エンドレスアドバンGT-R」(木下みつひろ/青木孝行/砂子塾長)<br /> ::: 総合13位(クラス2位)「FALKEN☆GT-R」(竹内浩典/田中哲也/影山正美)<br /> :: 9月 第6戦 「TIスーパー耐久」(TIサーキット英田)<br /> ::: 優勝「FALKEN☆GT-R」(竹内/田中)<br /> ::: 総合2位「JMCダンロップGT-R・ED」(輿水/吉富)<br /> ::: 総合29位(クラス3位)「エンドレスアドバンGT-R」(木下/青木)<br /> :: 10月 第7戦 「SUGOスーパー耐久レース」(スポーツランド菅生)<br /> ::: 優勝「エンドレスアドバンGT-R」(木下/青木)<br /> ::: 総合2位「FALKEN☆GT-R」(竹内/田中)<br /> ::: 総合22位(クラス3位)「JMCダンロップGT-R・ED」(輿水/吉富)<br /> :: 11月 第8戦 「Super TEC」(富士スピードウェイ)<br /> ::: 優勝「FALKEN☆GT-R」(竹内/田中)<br /> ::: 総合2位「エンドレスアドバンGT-R」(木下/青木)<br /> <br /> :: 6月 「ニュルブルクリンク24時間」に「ファルケンモータースポーツ」より「ファルケンGT-R」(R.アッシュ/D.ショイスマン/木下隆之/田中哲也)が参戦し、総合5位入賞。<br /> &lt;/div&gt;&lt;/div&gt;<br /> <br /> [[2003年]]<br /> [[ファイル:R34 Motul Skyline 002.JPG|thumb|220px|right|2003 [[:en:Motul|モチュール]]・ピットワークGT-R]]<br /> : JGTC GT500クラスに参戦。RB26DETT型ではなくV型6気筒DOHCツインターボ VQ30DETT型エンジンに積み替えたことにより戦闘力を向上し、GT500クラスドライバーズチャンピオンおよびチームチャンピオンを獲得した。<br /> : スーパー耐久シリーズに参戦。<br /> &lt;div class=&quot;NavFrame&quot; style=&quot;clear: both; border:0; width: 80%&quot;&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavHead&quot; style=&quot;text-align: center&quot;&gt;JGTCの戦績&lt;/div&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavContent&quot; style=&quot;text-align: left&quot;&gt;<br /> :: 5月 第2戦 富士スピードウェイ 1-2フィニッシュ。2001年8月のJGTC第4戦以来、約2年ぶりの優勝。<br /> :: 5月 第3戦 スポーツランドSUGO 総合3位<br /> :: 8月 第5戦 富士スピードウェイ 総合2位<br /> :: 11月 最終戦 鈴鹿サーキット 総合優勝、総合3位、4位入賞<br /> &lt;/div&gt;&lt;/div&gt;<br /> <br /> &lt;div class=&quot;NavFrame&quot; style=&quot;clear: both; border:0; width: 80%&quot;&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavHead&quot; style=&quot;text-align: center&quot;&gt;スーパー耐久シリーズの戦績&lt;/div&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavContent&quot; style=&quot;text-align: left&quot;&gt;<br /> :: 6月 第3戦 「スーパーテック」(富士スピードウェイ) 総合優勝 「エンドレスアドバンGT-R」(木下みつひろ/青木孝行)<br /> :: 6月 第4戦 「CP-MINE500kmレース」 総合優勝 スーパー耐久90連勝達成<br /> :: 7月 第5戦 「第10回十勝24時間レース」 総合4位<br /> <br /> : 2003年5月 「ニュルブルクリンク24時間レース」に「ファルケンGT-R」が参戦。一時総合3位を走行するも、エンジンブローにより後退。総合53位 A8クラス3位。ドライバーは木下隆之/田中哲也/ローランド・アッシュ/ダーク・ショイスマン。<br /> &lt;/div&gt;&lt;/div&gt;<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> === 注釈 ===<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist|group=&quot;注釈&quot;}}<br /> === 出典 ===<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{commonscat|Nissan Skyline|&lt;br /&gt;日産・スカイライン}}<br /> *[[日産・スカイラインGT-R]]<br /> *[[日産・GT-R]]<br /> *[[日産・フェアレディZ]]<br /> *[[日産・ローレル]]<br /> *[[日産・セフィーロ]]<br /> *[[日産・ラングレー]]<br /> *[[日産・ステージア]]<br /> *[[モータースポーツ]]<br /> *[[全日本ツーリングカー選手権]] (JTC)<br /> *[[全日本GT選手権]] (JGTC)<br /> *[[ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル]] (nismo)<br /> *[[桜井眞一郎]]<br /> *[[伊藤修令]]<br /> *[[西部警察]] - 劇中の捜査用特殊車両としてC210後期型2ドアターボが「[[マシンX]]」、R30前期型2ドアが「マシンRS」「マシンRS-1・2・3」として登場する。<br /> *[[SKYLINE 50th ANNIVERSARY CD]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> *[http://www.nissan.co.jp/SKYLINE/ 日産・スカイライン]<br /> *[http://history.nissan.co.jp/SKYLINE/R34/9805/index.html WEBカタログ バックナンバー スカイライン(R34・前期型)]<br /> *[http://history.nissan.co.jp/SKYLINE/R34/0008/index.html WEBカタログ バックナンバー スカイライン(R34・後期型)]<br /> *[http://www.nissan.co.jp/AP-CONTENTS/POSTOFFICE/ANSWERS/752.html スカイライン CM情報]<br /> *[http://www.carsfactory.co.jp/ ニスモカーズファクトリー]<br /> <br /> {{NISSAN}}<br /> {{NISSAN Timeline(初期)}}<br /> {{1980-1999 NISSAN Timeline}}<br /> {{NISSAN Timeline}}<br /> {{トップスポーツカー}}<br /> {{自動車}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:につさんすかいらいん}}<br /> [[Category:日産の車種|すかいらいん]]<br /> [[Category:セダン]]<br /> [[Category:スポーツセダン]]<br /> [[Category:クーペ]]<br /> [[Category:ステーションワゴン]]<br /> [[Category:ライトバン]]<br /> [[Category:グッドデザイン賞]]</div> 2001:268:C146:46CA:B0CE:FAF:2F06:4174
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