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miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja]
2024-05-14T05:54:41Z
利用者の投稿記録
MediaWiki 1.31.0
毎日放送制作土曜夕方6時枠のアニメ
2018-08-21T11:27:14Z
<p>180.15.155.15: /* 参考:TBS系列土曜18時 - 18時30分枠の同時ネット化の進展 */</p>
<hr />
<div><div class="pathnavbox"><br />
* {{Pathnav|[[毎日放送]](MBS)|MBSテレビ|MBSテレビ番組一覧}}<br />
* {{Pathnav|TBS系アニメ}}<br />
</div><br />
{{基礎情報 テレビ番組<br />
| 番組名 = 毎日放送制作土曜夕方6時枠のアニメ<br />
| ジャンル = [[テレビアニメ|アニメ]]<br />
| 放送国 = {{JPN}}<br />
| 制作局 = [[MBSテレビ|毎日放送(MBS)]]<br />
| 出演者 = (番組による)<br />
| 放送期間 = [[1993年]][[7月3日]] - [[1996年]][[8月31日]]<br />[[1999年]][[9月4日]] - [[2001年]][[6月30日]]<br />[[2002年]][[10月5日]] - [[2008年]][[3月29日]]<br />
| 放送時間 = [[土曜日|土曜]] 18:00 - 18:30<br />
| 放送分 = 30<br />
| 放送回数 = <br />
| 特記事項 = 第3期は「'''土6'''」の通称で定着。<br />
}}<br />
本項では、[[1993年]][[7月3日]] - [[1996年]][[8月31日]]・[[1999年]][[9月4日]] - [[2001年]][[6月30日]]・[[2002年]][[10月5日]] - [[2008年]][[3月29日]]の3期にわたり、毎日放送(MBS)の制作により、[[TBSテレビ|TBS]][[Japan News Network|系列]]各局で毎週[[土曜日|土曜]]18時00分 - 18時30分)に放送されていたテレビアニメ枠について記述する。<br />
<br />
第3期は「'''土6'''」(どろく)の通称で知られていた<ref name="animeanime_20080206">{{Cite news|date=2008-02-06|url=http://animeanime.jp/article/2008/02/06/2742.html|title=TBS 春の番組改編 「土6」枠移動「日5」へ|agency=アニメ!アニメ!|accessdate=2017-11-11}}</ref><ref name="avwatch_20070405">{{Cite news|date=2007-04-05|url=http://av.watch.impress.co.jp/docs/20070405/terra.htm |title=土6アニメ、「地球(テラ)へ…」がTV放送後に無料BB配信|agency=AV Watch|accessdate=2017-11-11}}</ref><ref>「土6」の呼称は第3期になってからついたものではあるが、そのような呼称がなかった時代である、TBS系列土曜18:00 - 18:30枠が毎日放送制作に移行した直後(『[[新伍のワガママ大百科]]』開始直後)まで遡って、「土6」とする見方もある(参考:[http://animeanime.jp/article/2010/12/18/7354.html 「青の祓魔師」放映はMBS・TBS系日5で11年4月から] アニメ!アニメ! 2010年12月18日発行、2017年9月19日閲覧。)。</ref>。<br />
<br />
== 枠の歴史 ==<br />
=== 枠開始以前 ===<br />
元々は、[[1975年]][[10月4日]]から1992年[[9月26日]]までTBS製作枠の長寿番組『[[料理天国]]』を17年に渡り放送した。同番組終了に伴い毎日放送製作枠となり<ref>これと入れ替わる形でTBS制作枠は木曜19時からの1時間枠に統合され『[[ムーブ (バラエティー)|ムーブ]]・[[上岡龍太郎]]の男と女ホントのところ』がスタートしている。{{see also|上岡龍太郎がズバリ!}}</ref>、[[山城新伍]]司会による[[クイズ番組]]『[[新伍のワガママ大百科]]』が[[1993年]][[6月26日]]まで9ヶ月間放送された。なお、この枠は『[[私はナンバーワン]]』→『[[アップダウンクイズ]]<ref>アップダウンクイズ途中の[[1975年]]3月30日までは[[テレビ朝日|NETテレビ(現:テレビ朝日)]]系。</ref>』→『[[クイズ!!ひらめきパスワード]]』(本番組まで日曜19時枠)→『[[近藤正臣の味覚人情報]]』(木曜19時30分枠)から引き継がれた大阪本社制作枠だった。<br />
<br />
=== 第1期 ===<br />
[[1993年]][[7月3日]]より『[[3丁目のタマ うちのタマ知りませんか?]]』が放送開始されてアニメ枠となる。『[[まんが日本昔ばなし]]』が全国ネットされていた1994年3月までは異なる番組をアニメ枠で挟んだ事実上の連続編成の形態となっていた。1994年4月以降は『まんが日本昔ばなし』のローカル枠降格に伴って、MBSでは『まんが日本昔ばなし』が土曜夕方5時のローカル枠へ移動したことにより、アニメ枠が連続編成となっていた。尚、第1期の土曜夕方6時枠は番組改編が9月に行われるという異例の状況が長年続くこととなる。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
!作品名!!放送期間!!話数<br />
|-<br />
|[[3丁目のタマ うちのタマ知りませんか?]]||[[1993年]][[7月3日]] - [[8月28日]]||全9話<br />
|-<br />
|[[ムカムカパラダイス#テレビアニメ|ムカムカパラダイス]]||1993年[[9月4日]] - [[1994年]][[8月27日]]||rowspan="2"|全51話<br />
|-<br />
|[[とんでぶーりん#テレビアニメ|愛と勇気のピッグガール とんでぶーりん]]||1994年[[9月3日]] - [[1995年]][[8月26日]]<br />
|-<br />
|[[ママはぽよぽよザウルスがお好き#テレビアニメ|ママはぽよぽよザウルスがお好き]]||1995年[[9月2日]] - [[1996年]][[8月31日]]||全52話<br />
|}<br />
<br />
=== 第2期 ===<br />
1999年4月より、土曜朝7時半のCBC製作枠がアニメ枠となり、土曜深夜の「あにめシャワ〜」が「アニメシャワー」に名称変更されたことを受けて、[[特撮]]番組である『[[平成]][[ウルトラシリーズ|ウルトラマンシリーズ]]三部作』の終了後、再びアニメ枠に戻ってゾイドシリーズが放送された。ゾイドシリーズ終了後は、再び[[特撮]]番組枠となり『[[ウルトラマンコスモス]]』が放送された。<br />
{| class="wikitable" style="font-size:small;text-align:center"<br />
!作品名!!放送期間!!話数!!備考<br />
|-<br />
|[[ゾイド -ZOIDS-]]||style="white-space:nowrap"|1999年9月4日 -<br> [[2000年]][[12月23日]]||全67話||style="text-align:left"|当初は1年間(4クール)の予定であったが、<br>玩具・作品共に人気を得たため、約5クールに延長され、当枠最長の放送期間となった。<br />
|-<br />
||[[ゾイド新世紀スラッシュゼロ]]||[[2001年]][[1月6日]] -<br> [[6月30日]]||全26話||style="text-align:left"|2クール放送。<br />
|}<br />
<br />
=== 第3期 ===<br />
[[2002年]]10月から[[ガンダムシリーズ]]の新作であった『[[機動戦士ガンダムSEED]]』が始まると同枠の様相が一変する。最高8.0%・平均6.2%の[[視聴率]]を記録し(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)、関連商品も大ヒットしたことから、[[フジテレビジョン|フジテレビ]][[フジネットワーク|系列]]の[[フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ|月曜夜9時ドラマ枠(通称:'''月9'''。げつく、げっく)]]になぞらえ、「'''土6'''」と呼ばれるようになった<ref name="animeanime_20080206" />。以降「土6」の通称とともにアニメ枠として定着し、毎日放送サイドでは「アニメの[[ゴールデンタイム|ゴールデン枠]]」と表現するようになった<ref name="avwatch_20070405" />。<br />
<br />
比較的年少の子供向けの傾向だった第1期や第2期とは異なり、第3期では土曜深夜の「アニメシャワー」や2005年4月より放送開始された日曜朝7時枠の『[[交響詩篇エウレカセブン]]』、2006年10月に新設された木曜深夜自社製作深夜アニメ枠(現アニメイズム枠)の影響もあり、全般的にティーンエイジャー以上を対象にした傾向の作品が多い。<br />
<br />
尚、『ガンダムSEED』から『[[BLOOD+]]』は1年間の放送、『[[天保異聞 妖奇士]]』から『[[機動戦士ガンダム00]]』は半年の放送を行った。<br />
<br />
各番組に共通するスポンサーは[[バンダイ]]と[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|Sony Music(SME)グループ]]であり、関連商品も発売されていた。<br />
<br />
※全番組[[字幕放送]]実施。<br />
{| class="wikitable" style="text-align:center"<br />
!style="white-space:nowrap"|作品名!!放送期間!!話数!!備考<br />
|-<br />
|[[機動戦士ガンダムSEED]]<ref name="suponted">番組スポンサーとして[[西日本電信電話|NTT西日本]]ではキャラクター同士の掛け合いCMが流れた([[チューリップテレビ]]・[[静岡放送|SBSテレビ]]より西の地域)。[[東日本電信電話|NTT東日本]]ではキャラクターによる『'''フレッツスクウェア'''』での先行配信紹介CMが流れた([[新潟放送|BSNテレビ]]・[[信越放送|SBCテレビ]]より東の地域)。</ref>||style="white-space:nowrap"|2002年[[10月5日]] - 2003年[[9月27日]]||全50話||style="text-align:left"|PHASE-30 「閃光の刻」で当枠通算500回達成。<br />
|-<br />
|[[鋼の錬金術師 (アニメ)|鋼の錬金術師]]||2003年[[10月4日]] - [[2004年]][[10月2日]]||全51話||rowspan="3"|<br />
|-<br />
|style="white-space:nowrap"|[[機動戦士ガンダムSEED DESTINY]]<ref name="suponted" />||2004年[[10月9日]] - [[2005年]][[10月1日]]||rowspan="2"|全50話<br />
|-<br />
|[[BLOOD+]]||2005年[[10月8日]] - [[2006年]][[9月23日]]<br />
|-<br />
|[[天保異聞 妖奇士]]||2006年[[10月7日]] - [[2007年]][[3月31日]]||全25話||style="text-align:left"|この作品以降、[[データ放送]]を実施するようになった。この作品から2クール放送になる。<br />
|-<br />
|[[地球へ…#テレビアニメ版|地球へ…]]||2007年[[4月7日]] - [[9月22日]]||全24話||style="text-align:left"|16:9SDマスター。<br />
|-<br />
|[[機動戦士ガンダム00|機動戦士ガンダム00<br />(ファーストシーズン)]]||2007年[[10月6日]] - [[2008年]][[3月29日]]||全25話||style="text-align:left"|「土6」枠最終作品にして唯一の[[ハイビジョン制作]]・放送。<br />間をおいて後述の「'''日5'''」枠にてセカンドシーズンを放送している。<br />本放送終了後に[[BS-TBS|BS-i(現・BS-TBS)]]でも[[遅れネット]]。<br />
|}<br />
<br />
=== 番組枠の終了、「日5」へ ===<br />
TBSは[[2008年]]4月改編でこれまで日曜17時30分 - 18時24分枠で放送してきた『[[JNN報道特集]]』を曜日移動・時間拡大の上で[[4月5日]]より土曜17時30分 - 18時50分枠にて『[[報道特集 (TBS)|報道特集NEXT]]』(現在は『報道特集』)としてリニューアルし、それにともなって本枠は事実上交換の形で[[4月6日]]より[[日曜日|日曜]][[毎日放送制作日曜夕方5時枠のアニメ|17時00分 - 17時30分枠(通称「'''日5'''」(にちご)]]へ移動した<ref name="animeanime_20080206" />。<br />
<br />
枠移動に合わせて[[千葉繁]]と[[ゆかな]]が[[ナレーション]]を担当の、2002年以降の「土6」枠作品を回顧しながらの『[[コードギアス 反逆のルルーシュ|コードギアス 反逆のルルーシュR2]]』の開始告知をかねた枠移動告知CMが流された。<!--RCCとSBSではどうでしょうか?--><br />
<br />
== 参考:TBS系列土曜18時 - 18時30分枠の同時ネット化の進展 ==<br />
TBS制作『料理天国』の頃から、先述のCBCなど一部地域ではこの時間帯にて自社[[ローカル番組]]などを放送していた関係で1週間遅れでの時差ネットを行っていた(殆どの地域は土曜17時30分枠であったが、中部日本放送(現:CBCテレビ)のみ同時間帯に『[[天才クイズ]]』を放送していた関係で土曜17時枠での放送であった)。その後、中部日本放送を含め毎日放送との同時ネットに切り替わった地域(局)は増加した。<br />
; 『ウルトラマンコスモス』放送途中(2002年4月頃)から同時ネット化<br />
* [[北海道放送]](HBC)<br />
: 1993年4月 - 2002年3月までこの時間帯は自社制作の情報番組を放送していたため17時30分からの1週遅れネットだったが、『[[アンカー!]]』(2002年4月 - 2006年3月)開始に伴い放送枠を交換し同時刻ネットに戻った。<br />
* [[RKB毎日放送]](RKB)<br />
: 2002年9月28日の『ウルトラマンコスモス』最終回から同時ネットに移行。同日は17時からその直前回を含む2本を続けて放送した(その日の同時ネット地域は『[[オールスター感謝祭]]'02秋』に伴う特別編成のため、17時30分からの放送だった)。<br />
; 『機動戦士ガンダムSEED』開始と共に同時ネット化<br />
* [[テレビ山口]](tys)<br />
: かつては[[ニュース]]以外は[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系との[[クロスネット局|クロスネット]]([[フジネットワーク|FNS]]<ref>フジテレビをキー局とする、ニュース以外の番組供給を目的としたネットワーク。</ref>にも加盟)だった。しかし[[JNN排他協定]]との関係上、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]側から求められた[[フジニュースネットワーク|FNN]]<ref>フジテレビをキー局とする、ニュース供給を目的としたネットワーク。</ref>への加盟が出来なかったために[[1987年]]9月限りでFNS脱退を余儀なくされた。こうした経緯からスポンサードセールス等の条件が他のTBS系列局と異なっていたため、土曜日の17時台と18時台前半を引き続き優先購入していたフジテレビ系列の番組・自社制作番組・JNN九州山口[[ブロックネット]]番組の遅れネットなどの枠としていたほか、それ以外のローカル枠もこの時間帯の番組はほとんどネットしていなかったが『[[ウルトラマンコスモス]]』の途中から同時ネットに移行した。ただ、『ガイア』までの『ウルトラシリーズ』については学校の長期休暇時に集中放送していた。<br />
; 『鋼の錬金術師』中盤(2004年4月)から同時ネット化<br />
* [[青森テレビ]](ATV)(2004年3月末までこの時間帯はフジテレビ制作『[[サザエさん (テレビアニメ)|サザエさん]]』を放送していたが、放送枠交換を実施)<br />
; 『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』中盤(2005年4月)から同時ネット化<br />
* [[CBCテレビ|中部日本放送]](CBC)<br />
: 2004年9月に『天才クイズ』終了後、半年は土曜夕方5時30分枠で1週遅れネット。自社制作ローカル[[情報番組]]『[[サタデー生ワイド そらナビ]]』開始に伴う(これにより[[五大都市圏]]全局<ref>[[札幌都市圏]]:HBC、[[東京都市圏]]:TBS、[[名古屋都市圏]]:CBC、[[大阪都市圏]]:MBS、[[福岡都市圏]]:RKB。</ref>ネット化達成)。<br />
* [[山陽放送テレビ|山陽放送]](RSK)<br />
: 2005年3月19日まで一週遅れだったが同年3月26日に『[[機動戦士ガンダムSEED DESTINY]]』のPHASE-22、23を一時間スペシャルとして放送して遅れを解消しそのまま30分繰り下げになる形で、翌週の4月2日から同時ネット化。<br />
; 『BLOOD+』中盤(2006年4月)から同時ネット化<br />
* [[信越放送]](SBC)<br />
* [[北陸放送]](MRO)<br />
* [[南日本放送]](MBC)([[ウルトラマンメビウス#MBCの放送時間について]]を参照)<br />
: 1982年10月 - 2006年3月まで自社制作のニュース番組を放送していた為に、この時間帯は長らく遅れネットだった。2006年4月に[[陶山賢治の時の風|ニュース番組]]終了の為、その後は同時ネットとなる。<br />
; 最後まで1週遅れネット<br />
* [[静岡放送]](SBS)<br />
; 途中から1週遅れネット<br />
* [[IBC岩手放送]](IBC)<br />
: 1996年4月 - 1997年3月までは『[[ニュースエコー]]』の土曜版(1996年3月までは17:30 - 18:00)を18時00分 - 18時30分に放送(アニメと枠交換)していたため、1週遅れでの放送となった(『ママぽよ』途中から『ティガ』途中まで)。1996年3月までの『[[オールスター感謝祭]]』放送日の土6枠番組は翌日曜または5日遅れの木曜17:00開始など日時は変動していた。<br />
* [[中国放送]](RCC)<ref>本枠作品の再放送は、一部が[[ネットチェンジ|腸捻転]]時代に毎日放送と系列関係だった[[広島ホームテレビ]](HOME。テレビ朝日系列)で実施された。</ref><br />
: 『ウルトラマンティガ』途中までは同時ネットだったが、1997年4月にスポーツ情報番組『[[HOT DOG (テレビ番組)|HOT DOG]]』([[風見しんご]]司会)をスタートさせて以降1週遅れとなった(それまで放送していた[[報道番組|ニュース番組]]『[[RCCニュースサタデー]]』は夕方5時30分枠で、時間短縮後の『RCCニュース』は17:50枠であった)。<br />
<br />
その後先述の『報道特集』枠移動により、当該枠はJNN全局同時ネット化を達成し現在に至っている。<br />
<br />
== 備考 ==<br />
*『鋼の錬金術師』以降の作品は『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』を除いて第1話放送前にPR番組を自局および一部のネット局で放送するのが恒例となっている<ref>『天保異聞 妖奇士』と『[[機動戦士ガンダム00]]』の場合は第1話放送前週に通常の放送枠で全国ネット。</ref>。『BLOOD+』と『天保異聞 妖奇士』は放送中にもナビゲーション番組が放送された(関東では独立U局でも放送)。また、一部の毎日放送製作作品についても同様にPR番組やナビゲーション番組が放送された。<br />
*毎年春・秋に放送される期首特番『[[オールスター感謝祭]]』が放送される日は30分繰り上げて17:30 - 18:00に放送されていた。<br />
*本枠では長らく、番組の終了直後に毎日放送からの送出で『[[JNNニュースの森]]』→『[[JNNイブニング・ニュース]]』の予告映像が5秒間流れていた。<br />
*本枠が終了した1年後の[[2009年]]4月に、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]制作で読売テレビ・[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系の『[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]』が同時間帯に移動された時、読売テレビは本枠と同じ「土6」枠と称している。<br />
*以後毎日放送制作土曜日のアニメは日5から移動した[[アニメサタデー630]]の第1部(6:30 - 7:00)まで9年間放送してなかった。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
==枠の変遷==<br />
{{前後番組<br />
| 放送局 = [[MBSテレビ|毎日放送]]・[[TBSテレビ|TBS]]<br />
| 放送枠 = [[土曜日|土曜]]18:00 - 18:30枠<br />
| 前番組 = [[新伍のワガママ大百科]]<br />(1992年10月 - 1993年6月)<br/>【ここから毎日放送制作、ここまでバラエティ枠】<br />
| 番組名 = 毎日放送制作土曜夕方6時枠のアニメ(第1期)<br/>(1993年7月3日 - 1996年8月31日)<br />
| 次番組 = [[ウルトラマンティガ]]<br/>(1996年9月7日 - 1997年8月30日)<br/>【ここから『[[ウルトラマンシリーズ|平成ウルトラシリーズ]]』枠】<br />
| 2前番組 = [[ウルトラマンガイア]]<br />(1998年9月5日 - 1999年8月26日)<br />
| 2番組名 = 毎日放送制作土曜夕方6時枠のアニメ(第2期)<br/>(1999年9月4日 - 2001年6月30日)<br />
| 2次番組 = [[ウルトラマンコスモス]]<br />(2001年7月7日 - 2002年9月28日)<br />
| 3前番組 = ウルトラマンコスモス<br />(2001年7月7日 - 2002年9月28日)<br />
| 3番組名 = 毎日放送制作土曜夕方6時枠のアニメ(第3期)<br/>(2002年10月5日 - 2008年3月29日)<br/>【ここまで毎日放送制作のアニメ枠】<br />
| 3次番組 = [[報道特集 (TBS)|報道特集NEXT<br/>↓<br/>報道特集]]<br/>※17:30 - 18:50<br/>(2008年4月5日 - )<br/>【ここから再度TBS制作、報道番組枠】<br />
}}<br />
{{毎日放送制作土6・日5枠}}<br />
{{DEFAULTSORT:まいにちほうそうせいさくとようゆうかた6しわくのあにめ}}<br />
[[Category:1993年のテレビ番組 (日本)|*まいにちほうそうせいさくとようゆうかた6しわくのあにめ]]<br />
[[Category:1999年のテレビ番組 (日本)|*まいにちほうそうせいさくとようゆうかた6しわくのあにめ]]<br />
[[Category:2002年のテレビ番組 (日本)|*まいにちほうそうせいさくとようゆうかた6しわくのあにめ]]<br />
[[Category:毎日放送テレビ番組の歴史|とようゆうかた6しわくのあにめ]]<br />
[[Category:毎日放送のテレビアニメ|*]]<br />
[[Category:TBS系アニメの放送枠|土1800]]<br />
[[Category:テレビ放送枠|まいにちほうそう G 1800]]</div>
180.15.155.15
ワコール
2018-08-03T13:24:11Z
<p>180.15.155.15: </p>
<hr />
<div>{{出典の明記|date=2015年12月}}<br />
{{基礎情報 会社<br />
|社名 = 株式会社ワコールホールディングス<br />
|英文社名 = Wacoal Holdings Corp.<br />
|ロゴ = [[File:Wacoal logo.svg|150px]]<br />
|画像 = [[ファイル:Wacoal HQ with pink ribbon 20060504.jpg|250px]] <br />
|画像説明 =[[ピンクリボン]]を掲げるワコール本社ビル <br />
|種類 = [[株式会社]]<br />
|市場情報 = {{上場情報 | 東証1部 | 3591 | 1964年9月7日}}{{上場情報 | 大証1部 | 3591 | 1964年9月7日}}{{上場情報 | NASDAQ | WACLY | 1997年12月1日}}{{上場情報 | [[京都証券取引所|京証]] | 3591 | 1964年9月7日 | 2001年3月1日}}<br />
|略称 = <br />
|国籍 = {{JPN}}<br />
|本社郵便番号 = 601-8530<br />
|本社所在地 = [[京都府]][[京都市]][[南区 (京都市)|南区]]吉祥院中島町29番地<br />
|本店郵便番号 =<br />
|本店所在地 =<br />
|設立 = [[1949年]][[11月1日]]<br />(和江商事株式会社)<br />
|業種 = 3100<br />
|事業内容 = インナーウェア、アウターウェア、スポーツウェア、その他の繊維製品および関連製品の製造、卸売販売および一部製品の消費者への直接販売<br />
|代表者 = [[塚本能交]]([[代表取締役]][[社長]])<br />
|資本金 = 133億円(2017年3月30日時点)<br />
|発行済株式総数 = 1億4,337万8,085株<br />(2017年3月31日時点)<br />
|売上高 = 連結: 1958.8億円(2017年3月期)<br />
|営業利益 = 連結: 110.7億円(2017年3月期)<br />
|純利益 = 連結: 125.3億円(2017年3月期)<br />
|純資産 = <br />
|総資産 = 連結:2949.6億円(2017年3月31日時点)<br />
|従業員数 = 連結: 21.139人<br />(2017年3月31日時点)<br />
|決算期 = [[3月31日|3月末日]]<br />
|会計監査人 =<br />
|所有者 =<br />
|主要株主 = [[三菱東京UFJ銀行]] 4.87%<br />[[明治安田生命保険]][[相互会社]] 4.25%<br />日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口) 4.03%<br />(2017年3月31日時点)<br />
|主要部門 =<br />
|主要子会社 = 株式会社ワコール 100%<br />[[ピーチ・ジョン]] 100%<br />[[ハウス オブ ローゼ]] 20%<br />
|関係する人物 = 塚本幸一(創業者)<br />
|外部リンク = http://www.wacoalholdings.jp/<br />
|特記事項 = [[1946年]][[6月15日]]に「和江商事」として創業。[[1957年]]に「ワコール株式会社」へ商号変更。[[1964年]]に「株式会社ワコール」へ商号変更。[[2005年]][[10月1日]]に現商号へ変更。<br />各種経営指標は2017年3月期<ref>http://www.wacoalholdings.jp/ir/public_item/library/yuka/files/annualsecuritiesreport20170629.pdf</ref><br />
}}<br />
'''ワコール''' (''Wacoal'') は、[[京都市]]に本拠を置く、日本の[[衣類|衣料品]]メーカーである。事業の中心は、女性用[[下着]]販売。<br />
<br />
== 概説 ==<br />
本社は[[京都府]][[京都市]][[南区 (京都市)|南区]]吉祥院中島町29([[西大路駅]]付近に位置)。主軸のメインブランド「ワコール」と、低価格のサブブランド「ウイング」の二つの[[ブランド]]を中心に展開している。また、「[[ウンナナクール]]」など複数のブランドを使い、大型[[ショッピングセンター]]内を中心に直営販売店(SPA = 製造小売業)も展開する。[[ブラジャー]]に関しては[[大人]]向けだけでなく[[思春期]]向けにもフェアリーティアラ・ワコールジュニアビス・プチプリリ・プリリの各ブランドで展開しており、[[2分の1成人式|1/2成人式]](10歳)を迎えたら母娘で話をしてファーストブラを買うよう勧めている<ref>[http://www.wacoal.jp/fairytiara/sp/nibunnoichi_seijin.html 小・中学生の下着|1/2成人式を迎えたら、母娘で話そう、いろんなこと。一緒に買おう、ファーストブラ。|フェアリーティアラ(FAIRY TIARA)]</ref>。<br />
<br />
これ以外に、ハウスデザイン事業部(「女性の視点による」インテリアコーディネイト)や女子陸上部にも力を入れている{{要出典|date=2015年12月}}。<br />
<br />
ワコールと提携している縫製会社が作った製品は、[[新潟市]][[西蒲区]](旧[[西川町 (新潟県)|西川町]])にある新潟ワコール縫製株式会社で最終検針を行い、その後、東日本担当の東京流通センター([[東京都]][[板橋区]])、西日本担当のワコール西日本流通センター([[滋賀県]][[守山市]])から、各販売店へ配送することになっている{{要出典|date=2015年12月}}。<br />
<br />
== 沿革 ==<br />
{{出典の明記|date=2015年12月|section=1}}<br />
[[ファイル:Wacol Kojimachi Building.JPG|thumb|200px|[[黒川紀章]]設計の[[ワコール麹町ビル]](東京都千代田区)]]<br />
*[[1946年]] - [[塚本幸一]]が個人事業、'''和江商事'''を創業。アクセサリー販売を行う。<br />
*:商号は、塚本幸一の父が興そうとしていた際に名づけようと考えていた商号の「和江」を受け継いだ。由来は「[[近江国|江州]]に和す」から。<br />
*[[1947年]] - [[滋賀県立八幡商業学校]]の同級生である[[三菱重工業]]社員だった川口郁夫、同校の臨時教員・[[中村伊一]]を招へい。<br />
*[[1948年]] - アクセサリーの売上が伸び悩み始めたときに、取引先から[[ブラジャー]]を紹介される。<br />
*[[1949年]] - 京都百貨見本市でブラジャーを出品。'''和江商事株式会社'''設立。塚本幸一が代表取締役社長に就任。<br />
*[[1950年]] - 世界一の下着メーカーを目指して10年一節の『50年計画』立てる。[[高島屋]]との取引を開始。京都の縫製業者、木原工場と専属契約。<br />
*[[1951年]] - 和江商事が木原工場を統合。木原光治郎が代表取締役、塚本幸一が専務に就任。製造部門開始。<br />
*[[1952年]] - 東京へ進出。塚本幸一が再び社長に就任。<br />
*[[1957年]] - '''ワコール株式会社'''へ商号変更。<br />
*:他社と重複していた商標を変更する際、「和江の名を永遠に留める」(=和江留)との意味を込め、ワコールとした。<br />
*[[1958年]] - 京都・[[四条河原町]]に「ワコールブラジャー」等の[[ネオン]]設置が話題となる。<br />
*[[1964年]] - '''株式会社ワコール'''に改称。[[東京証券取引所|東京]]・[[大阪証券取引所]]第2部および[[京都証券取引所]](現大証)に[[上場]]。<br />
*[[1970年]] - [[日本万国博覧会]]で「ワコール・[[リッカー]]ミシン館」開館。<br />
*[[1971年]] - 東京・大阪証券取引所市場第1部に昇格。<br />
*[[1975年]] - [[日本プロ野球|プロ野球]]12球団の[[ユニフォーム]]をデザインとした子供用の野球パジャマを発売、ヒット商品となる。<br />
*[[1979年]] - 創立30周年を機に従来使用されていた[[シャジクソウ属|クローバー]]のマークにかわり、現在使用されているCIロゴ「ファッションフラワー」を制定。<br />
*[[1982年]] - [[新体操]]の日本・[[ブルガリア]]対抗競技大会に協賛して「新体操ワコールカップ」を開催([[1994年]]まで)。<br />
*[[1984年]] - 京都の[[レーシングカー]][[コンストラクター]]・[[童夢 (自動車会社)|童夢]]のスポンサーを行う([[1991年]]まで)。<br />
[[File:Toyota-Dome_85C_2008_Motorsport_Japan.jpg|thumb|right|300px|[[モータースポーツジャパン]]2008に展示されたワコール・トヨタ-童夢85C]]<br />
*[[1985年]] - 文化事業の一環として、東京・[[南青山]]5丁目に[[スパイラル (建築物)|スパイラルビル]]がオープンするとともに、ワコールアートセンターを設立する。<br />
*[[1986年]] - 女子陸上競技部・女子テニス部創設。陸上部所属で活躍した選手では[[真木和]]・[[野口みずき]]・[[福士加代子]]など。<br />
*[[1987年]] - 塚本幸一が代表取締役会長、[[塚本能交]]が代表取締役社長へ就任。<br />
*[[2001年]] - [[宝塚大劇場]]に[[緞帳]]を寄贈{{refnest|group=注|旧劇場時代から長年担当してきた[[カネボウ化粧品]]の後任として、2001年3月「時を刻む、21世紀へテイク・オフ」と題した緞帳を寄贈<ref name="Hankyu0907">{{Cite press release|date=2009-07-17|url=http://www.hankyu-hanshin.co.jp/ir/data/ER200907171N1.pdf|title=宝塚大劇場の緞帳が新しくなります!|publisher=[[阪急阪神ホールディングス]]|format=PDF|accessdate=2018-08-03}}</ref>。その後2009年7月の「艶(つや)」<ref name="Hankyu0907"/>を経て、2018年1月26日からは「夢」が使用されている<ref>{{Cite news|date=2018-01-26|url=https://www.kyoto-np.co.jp/economy/article/20180126000208|title=華やか緞帳「夢」、ワコールが寄贈 宝塚大劇場|newspaper=[[京都新聞]]|publisher=京都新聞社|accessdate=2018-08-03}}</ref>。}}。<br />
*[[2005年]]10月 - [[持株会社]]制に移行。株式会社ワコールが「'''株式会社ワコールホールディングス'''」に商号変更し、傘下に中核事業会社(新)「'''株式会社ワコール'''」を新設会社分割により設立し、全事業を継承。<br />
*[[2008年]]1月 - [[株式交換]]により、株式会社[[ピーチ・ジョン]]を完全子会社化<ref>{{PDFlink|[http://www.c-direct.ne.jp/public/japanese/uj/pdf/10103591/00066001.pdf 株式交換による株式会社ピーチ・ジョンの完全子会社化に関するお知らせ]}} ワコールホールディングス 2007年11月9日</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.c-direct.ne.jp/public/japanese/uj/pdf/10103591/00047095.pdf 株式会社ピーチ・ジョンとの資本業務提携に伴う株式取得に関するお知らせ]}} ワコールホールディングス 2006年5月13日</ref>。<br />
*[[2009年]]8月 - 株式交換により、[[ルシアン (企業)|ルシアン]]を完全子会社化。<br />
*[[2015年]][[1月22日]] - [[三愛|三愛グループ]]から水着・下着事業を買収することを発表。[[2月6日]]付で株式会社Aiを設立し、4月1日付で同事業部門を継承<ref>{{PDFlink|[http://www.wacoalholdings.jp/ir/news/files/Wacoal_20150122.pdf 事業の一部譲り受けに関するお知らせ]}} ワコールホールディングス 2015年1月22日</ref>。<br />
*[[2017年]][[12月1日]] - ワコールスタディホール京都1周年特別番組「美のカタチ」を[[KBS京都]]にて放映。<br />
<br />
== 不祥事 ==<br />
2014年、「やせる下着」に科学的な根拠がなく違法だと、アメリカ連邦取引委員会から指摘され、130万ドルで和解した<ref>「カフェイン入り下着「やせる根拠なし」…米ワコール和解金」、2014年9月30日 読売新聞</ref>。<br />
<br />
== イメージキャラクターなど ==<br />
{{出典の明記|date=2015年12月|section=1}}<br />
;ワコール<br />
:*[[藤原紀香]] - 2000年秋から1年間<br />
:*[[みさきゆう]] - 2000年・2004年のCM出演者<br />
:*[[菊川怜]] - 2007年春から<br />
:*[[市川紗椰|紗椰]] - 2008年・2009年のCM出演者<br />
:*[[中村アン]] - 2014年春から<br />
;ウイング<br />
:*[[一色紗英]] - 1999年度<br />
:*つばさ(CGキャラクター) - 2000年・2001年度<br />
:*[[角田ともみ]] - 2002年・2003年度<br />
:*[[尾上綾]] - 2004年・2005年度<br />
:*[[SHIHO (ファッションモデル)|SHIHO]] - 2005年秋から2年間<br />
:*[[オードリー亜谷香]] - 2009年度<br />
:*[[松島エミ]] - 2010年度<br />
:*阿南佳那 - 2011年度<br />
:*[[竹下玲奈]],[[滝沢カレン]] - 2012年度<br />
:*[[橋本麗香]] - 2013年度<br />
:*[[五明祐子]] - 2014年度<br />
:*市川紗椰 - 2016年度<br />
;ワコールジュニア(現・フェアリーティアラ)<br />
:*[[榎本亜弥子]] - 2002年度<br />
:*[[虎南有香]] - 2004年・年間<br />
:*[[岡本玲]] - 2005年・年間<br />
<br />
;その他<br />
:*[[イチロー]] - 「CW-X」2002年から<br />
:*[[田中将大]] - 「CW-X」2014年から<br />
:*津江輝美 - 「プリリ」2005年<br />
:*[[福士加代子]] - 社員(女子[[長距離走]]・[[マラソン]]選手)<br />
:*[[酒井ゆきえ]] - 「グラッピー」2015年春から<br />
:*[[伽奈]]-「Date.」2017年から<br />
:*[[小林サラ]] -「SUHADA」2017年から<br />
:*[[バニラビーンズ|レナ]] - 「BRAGENIC」2017年<br />
:*[[仲里依紗]] - 「BRAGENIC」2018年<br />
:*[[峰不二子]] - 「AMPHI」2018年<br />
:*[[カズレーザー]] - 「BROS」2018年<br />
:*[[平子理沙]] - 「パルファージュ」2012年春夏<br />
:*[[RINA]] - 「パルファージュ」2012年秋冬<br />
:*[[英里子]] - 「パルファージュ」2014年から<br />
:*鮎美 - 「ラゼ」2011年春夏から<br />
:*[[松井由貴美]] - 「ラゼ」2014年度<br />
:*井上貴美 - 「ラゼ」2015年度<br />
:*[[板谷由夏]] - 「ラゼ」2016年から<br />
<br />
== ユニフォームサプライヤー ==<br />
*[[京都サンガF.C.]] ([[Jリーグ]])…[[2007年]]から<ref>[http://www.sanga-fc.jp/news/detail/10483 株式会社ワコール「CW-X」オフィシャルユニフォームサプライヤー契約延長のお知らせ]</ref>。(表記は、2007年 - [[2012年]]は「CW-X」、[[2013年]]<ref>[http://www.sanga-fc.jp/news/detail/19891 2013シーズン新ユニフォームデザイン決定のお知らせ]</ref> - は「Wacoal」){{要出典|date=2017年8月10日 (木) 06:56 (UTC)}}<br />
<br />
== 主な国内グループ企業 ==<br />
<ref>[http://www.wacoalholdings.jp/company/japan_group/index.html ワコールホールディングス 国内グループ企業]</ref><br />
{{出典の明記|date=2015年12月|section=1}}<br />
*七彩<br />
*[[ピーチ・ジョン]]<br />
*[[ハウス オブ ローゼ]]<br />
*[[三愛|Ai]]<br />
*ワコールミネット<br />
*ワコールキャリアサービス<br />
*ルシアン<br />
*ランジェノエル<br />
*ワコールアートセンター<br />
*ウンナナクール<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
=== 注釈 ===<br />
<references group="注"/><br />
=== 出典 ===<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
{{Commonscat|Wacoal}}<br />
* [http://www.wacoal.co.jp/ ワコール 公式サイト]<br />
* [https://ja-jp.facebook.com/wacoal.jp/ Facebook ワコール Wacoal corp.]<br />
* {{Twitter|Wacoal_News}}<br />
* {{Instagram|wacoal.jp}}<br />
<br />
{{全日本実業団女子駅伝優勝チーム}}<br />
{{DEFAULTSORT:わこおる}}<br />
[[Category:日本の繊維製品メーカー]]<br />
[[Category:京都市南区の企業]]<br />
[[Category:東証一部上場企業]]<br />
[[Category:NASDAQ上場企業]]<br />
[[Category:1964年上場の企業]]<br />
[[Category:ワコール|*]]<br />
[[Category:塚本家|企わこおる]]<br />
[[Category:1949年設立の企業]]</div>
180.15.155.15
テンプレート:ゲゲゲの鬼太郎
2018-07-29T23:14:10Z
<p>180.15.155.15: </p>
<hr />
<div>{{Navbox<br />
|name=ゲゲゲの鬼太郎<br />
|title=[[ゲゲゲの鬼太郎]]<br />
|state=<includeonly>collapsed</includeonly><br />
|listclass=hlist hlist-hyphen<br />
|group1=TV作品<br />
|list1=<br />
*[[ゲゲゲの鬼太郎 (アニメ)|アニメ版]]([[ゲゲゲの鬼太郎 (アニメ)#墓場鬼太郎|墓場]])<br />
*[[ゲゲゲの鬼太郎#テレビドラマ|ドラマ版]]<br />
|group2=アニメ劇場版作品<br />
|list2=<br />
*アニメ第3期([[ゲゲゲの鬼太郎 (1985年の映画)|第1作]] - [[ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大戦争|第2作]] - [[ゲゲゲの鬼太郎 最強妖怪軍団!日本上陸!!|第3作]] - [[ゲゲゲの鬼太郎 激突!!異次元妖怪の大反乱|第4作]])<br />
*アニメ第4期([[ゲゲゲの鬼太郎 大海獣|第1作]] - [[ゲゲゲの鬼太郎 おばけナイター|第2作]] - [[ゲゲゲの鬼太郎 妖怪特急! まぼろしの汽車|第3作]])<br />
*アニメ第5期([[劇場版 ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!|第1作]] - [[ゲゲゲの鬼太郎 妖怪JAPANラリー3D|3D]])<br />
|group3=実写作品<br />
|list3=<br />
*[[ゲゲゲの鬼太郎|月曜ドラマランド版]]<br />
*[[ゲゲゲの鬼太郎|魔笛エロイムエッサイム]]<br />
*[[ゲゲゲの鬼太郎 (実写映画)|劇場版第1作]]<br />
*[[ゲゲゲの鬼太郎 (実写映画)|劇場版第2作]]<br />
|group4=登場キャラクター一覧<br />
|list4=<br />
*[[ゲゲゲの鬼太郎の登場キャラクター|ゲゲゲ]]<br />
*[[墓場鬼太郎の登場人物|墓場]]<br />
|group5=[[ゲゲゲの鬼太郎の登場キャラクター#鬼太郎ファミリー|鬼太郎とその仲間]]<br />
|list5=<br />
*[[鬼太郎]]<br />
*[[目玉おやじ]]<br />
*[[ねずみ男]]<br />
*[[猫娘 (ゲゲゲの鬼太郎)|猫娘]]<br />
*[[砂かけ婆 (ゲゲゲの鬼太郎)|砂かけ婆]]<br />
*[[子泣き爺 (ゲゲゲの鬼太郎)|子泣き爺]]<br />
*[[一反木綿 (ゲゲゲの鬼太郎)|一反木綿]]<br />
*[[ぬりかべ (ゲゲゲの鬼太郎)|ぬりかべ]]<br />
|group6=鬼太郎の宿敵<br />
|list6=<br />
*[[ぬらりひょん (ゲゲゲの鬼太郎)|ぬらりひょん]]<br />
*[[バックベアード]]<br />
|group7=[[ゲゲゲの鬼太郎#ゲーム|ゲーム]]<br />
|list7={{Navbox|child<br />
|group1=1980年代<br />
|list1=<br />
*[[ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境|妖怪大魔境]]<br />
*[[ゲゲゲの鬼太郎2 妖怪軍団の挑戦|妖怪軍団の挑戦]]<br />
|group2=1990年代<br />
|list2=<br />
*[[ゲゲゲの鬼太郎 復活! 天魔大王]]<br />
*[[ゲゲゲの鬼太郎 妖怪創造主現る!|妖怪創造主現る!]]<br />
*[[ゲゲゲの鬼太郎 幻冬怪奇譚|幻冬怪奇譚]]<br />
*[[ゲゲゲの鬼太郎 (プレイステーション)|PS版]]<br />
|group3=2000年代<br />
|list3=<br />
*水木しげる生誕80周年記念作品([[ゲゲゲの鬼太郎 異聞妖怪奇譚|異聞妖怪奇譚]] - [[ゲゲゲの鬼太郎 危機一髪!妖怪列島|妖怪列島]] - [[ゲゲゲの鬼太郎 逆襲!妖魔大血戦|逆襲!妖魔大血戦]])<br />
*[[ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大運動会|妖怪大運動会]]<br />
*[[ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大激戦|妖怪大激戦]]<br />
}}<br />
|group8=音楽<br />
|list8=<br />
*[[ゲゲゲの鬼太郎 (曲)|アニメ主題歌]]<br />
*[[モノノケダンス]]<br />
*[[snow tears]]<br />
*[[Awaking Emotion 8/5/my brand new way|Awaking Emotion 8/5]]<br />
*[[風立ちぬ (中村中の曲)|風立ちぬ]]<br />
*[[鏡の中から/あたしの残りぜんぶあげる|鏡の中から]]<br />
*[[S&G|GET A NOTE]]<br />
|group9=パチスロ<br />
|list9=<br />
*[[ゲゲゲの鬼太郎 (パチスロ)|第1作]]<br />
*[[ゲゲゲの鬼太郎SP|第2作]]<br />
|group10=関連項目<br />
|list10=<br />
*[[水木しげる]]<br />
*[[水木しげるロード]]<br />
*[[水木しげるの妖怪武闘伝|妖怪武闘伝]]<br />
*[[水木しげるの妖怪写真館|妖怪写真館]]<br />
*[[ゲゲゲの鬼太郎のオールナイトニッポン]]<br />
*[[妖怪横丁]]<br />
*[[田の中勇]]<br />
*[[フジテレビジョン|フジテレビ]]<br />
*[[東映アニメーション]]<br />
*[[読売広告社]]<br />
*[[フジテレビ系列日曜夕方6時台枠のアニメ|CX日曜18時台アニメ]]<br />
*[[フジテレビ系列木曜夜7時台枠のアニメ|CX木曜19時台アニメ]]<br />
*[[フジテレビ土曜夕方6時台枠のアニメ|CX土曜18時台アニメ]]<br />
*[[フジテレビ系列火曜夜7時台枠のアニメ|CX火曜19時台アニメ]]<br />
*[[フジテレビ系列月曜夜7時台枠のアニメ|CX月曜19時台アニメ]]<br />
*[[フジテレビ日曜朝9時台枠のアニメ|CX日曜9時台アニメ]]<br />
*[[ノイタミナ]]<br />
*[[月曜ドラマランド]]<br />
*[[ヒーロークラブ]]<br />
*[[松竹]]<br />
*[[鬼太郎が見た玉砕〜水木しげるの戦争〜|鬼太郎が見た玉砕]]<br />
*[[ゲゲゲの女房]]<br />
*[[武良布枝]]<br />
*[[悪魔くん]]<br />
*[[桃屋]]<br />
*[[境線]]<br />
}}<noinclude><br />
{{DEFAULTSORT:けけけのきたろう}}<br />
[[Category:ゲゲゲの鬼太郎|*]]<br />
[[Category:週刊少年サンデーの漫画のテンプレート]]<br />
[[Category:週刊少年マガジンの漫画のテンプレート]]<br />
[[Category:アニメのテンプレート]]<br />
</noinclude></div>
180.15.155.15
シネマコンプレックス
2018-07-05T11:42:00Z
<p>180.15.155.15: </p>
<hr />
<div>[[ファイル:Amc30ontariomills.jpg|thumb|right|250px|[[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]][[オンタリオ (カリフォルニア州)|オンタリオ]]にあるシネマコンプレックスの一例]]<br />
'''シネマコンプレックス'''({{lang-en|cinema complex}})とは、同一の施設に複数の[[スクリーン]]がある[[映画館]]である。'''シネコン'''、'''複合映画館'''とも呼ばれる。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
モデルは北米発祥の'''マルチプレックス''' ({{en|multiplex}}) または'''シネプレックス''' ({{en|cineplex}}) と呼ばれる映画館である。劇場構造はそれに準じた作りになっており、ロビー、チケット売場、[[売店]]、映写室等の設備を複数のスクリーンで共有している。<br />
<br />
世界的に見ると'''メガプレックス''' ({{en|megaplex}}) と呼ばれる20スクリーン以上の例もある。[[アメリカ]][[カリフォルニア州]]の[[AMCシアターズ|AMCオンタリオミルズ30]](30スクリーン、約5700席、1996年12月13日開館)を始めとする、複数のメガプレックスが、上映スクリーン数としては最多の30を有する。また、座席数は[[スペイン]][[マドリード]]の[[キネポリス|キネポリスマドリード]](25スクリーン、約9200席)が最も多い。日本国内の場合、7 - 12スクリーン程度を1つの映画館内に集約していることが多い。これは、日本の主要な映画配給チェーンが13しかないため<ref>{{Cite book|和書|year=2003|title=[最新]シネマコンプレックス開発・運営資料集|publisher=綜合ユニコム株式会社|pages=24頁}}</ref>、メジャー作品はおおよそ14作品以上同時に配給されない事情によるものである。<br />
<br />
各スクリーンの客席数は80 - 500席程度で、大小組み合わせることが多く、集客力の見込める作品は客席数の多いスクリーンで上映し、封切りから時間の経った作品や、集客力の落ちた作品は客席数の少ないスクリーンで上映する方式をとる。ただし、作品を抱き合わせた2 - 3本立てでの興行は通常は行われず、完全入替制を採用しているため、単一または複数の作品を退場せずに連続して見ることはできない。<br />
<br />
大抵の場合、[[ショッピングセンター]]の[[テナント]]として運営されているか、[[スーパーマーケット]]などが併設されている。これは、ショッピングセンターとシネマコンプレックスの双方の集客効果を狙ったものである。また、ショッピングセンターの[[駐車場]]が利用出来るため、シネマコンプレックスは[[自動車]]で来場する客層の取り込みに成功した。一方で、シネマコンプレックスの利用者は、ショッピングセンターでの購買率が低いとの調査結果もあり、相乗効果を疑問視する声もある。<br />
<br />
日本に、現代型のシネマコンプレックスが登場した[[1990年代]]は、[[ロードサイド店舗]]に設置されることが多かったが、[[2000年代]]に入ってからは従来の[[ロードショー (映画用語)|ロードショー]]館を置き換える形で[[繁華街]]に作られることも多くなってきた。シネマコンプレックスの登場に伴い、1億2千万人前後で推移していた日本の映画人口は、1億6千万人以上にまで回復した。一方で、2001年以降はシネマコンプレックスが増加しているにもかかわらず、映画人口は横ばいとなっているため、飽和状態になっているとも言われている。<br />
<br />
なお、本項では慣例に基づき映画館(施設)内に設置された上映室を「スクリーン」と記述する。また、単一または複数のスクリーンを包括する映画館を「サイト」と記述する。<br />
<br />
== 特徴 ==<br />
<br />
=== 定義 ===<br />
シネマコンプレックスについて法令等での明確な定義はなく、統計や書籍によって条件が異なっている。<br />
<br />
例えば、[[経済産業省|通商産業省]]が1998年(平成10年)にまとめた『映像産業活性化研究会報告書』では、<br />
# 6以上のスクリーンを有する、<br />
# 3以上のスクリーンを共有する映写室がある、<br />
# チケット販売窓口やロビー等を共有する、<br />
# 総入れ替え制を採用して立ち見なし<br />
と定義されている<ref>木村隆雄 「「映像産業活性化研究会」報告書にみる映画館産業の現状と将来展望」 『月刊レジャー産業資料』1998年8月号、総合ユニコム、1998年、119-123頁</ref>。<br />
<br />
また、[[日本映画製作者連盟]]が毎年1月に発表する日本映画産業統計<ref>「[http://www.eiren.org/toukei/screen.html 全国スクリーン数]」 社団法人日本映画製作者連盟、2008年11月11日閲覧</ref>では、<br />
* 同一運営組織が同一所在地に5スクリーン以上集積して名称の統一性(1、2、3…、A、B、C…等)をもって運営している映画館<br />
とされている。<br />
<br />
このように様々な定義があるが、おおよそ共通する条件として下記のようなものが挙げられる。<br />
# 複数のスクリーン(5以上)を同一の施設内に集約していること。<br />
# ロビーや売店、チケット売場、入口(もぎり)、映写室等を複数のスクリーンで共有していること。<br />
# 映画館としての名称は1つであるか、もしくは複数のスクリーンで統一性を持っていること。<br />
# 完全入替制を採用し、定員制か全席指定席制を併用することで立ち見がないこと。<br />
<br />
なお、シネマコンプレックスという言葉自体は[[1980年代]]から使用されており<ref name="pia19840406">{{Cite journal|和書|year=1984|month=4|title=第7回ぴあフィルムフェスティバル特別座談会|journal=ぴあ|volume=13|issue=9|pages=32-36頁|publisher=ぴあ株式会社}}</ref><ref name="kinejun19860215">立川健次郎「1985年日本映画・外国映画業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」 『キネマ旬報』1986年2月下旬決算特別号、キネマ旬報社、1986年、122-137頁など</ref>、1990年代前半までは複数のスクリーンを持つことだけを条件にシネマコンプレックスとしていた<ref name="toyo19960427">「映画館/斜陽から成長産業へ 複合映画館時代到来で外資参入」 『週刊東洋経済』1996年4月27日-5月4日合併号、[[東洋経済新報社]]、1996年、40-41頁</ref><ref name="leisure199811">万場栄一 「台頭するシネマコンプレックスと映画館産業の行方 第3回 シネコン開発を模索する国内興行各社」 『月刊レジャー産業資料』1998年11月号、綜合ユニコム、1998年、157-166頁</ref>。1990年代後半以降、マルチプレックスと同義とみなされるようになり、前述のような定義で使われること<ref>白川一郎 「DATA FOCUS 映画館興隆の背景」 『週刊ダイヤモンド』1998年2月28日号、[[ダイヤモンド社]]、1998年、5頁</ref>が多くなってきている。そのため、本項でも歴史的な記述を除きそれに従って述べる。<br />
<br />
=== 従来館との相違点 ===<br />
シネマコンプレックスは前述の定義以外にも従来の劇場と比べて次のように異なる点がある。ただし、以下に挙げる事項は全てのシネマコンプレックスに当てはまるものではない。逆に、従来館でもこれらの特徴を取り入れた例もある。<br />
<br />
; 劇場構造 :従来館に比べて劇場の床の傾斜が大きいスタジアムシートを採用していることが多い。<br />
:また、従来館では劇場の扉を二重扉にして遮光をすることが多かったが、シネマコンプレックスでは扉の前に壁を設けたり、扉をスクリーンに対して垂直に設置したりして遮光をしている。二重扉の場合、2つの扉が同時に開くとスクリーンに余計な光が入ることがあるが、シネマコンプレックスの構造だとどのような場合でもスクリーンに余計な光が届くことがない。<br />
:これらの構造を採用することにより、シネマコンプレックスでは快適性を謳っている。なお、地域の火災予防条例や[[バリアフリー]]関連の制約により異なる構造のシネマコンプレックスもある。<br />
; 収益構造 :従来館の場合、入場料収入を主な収入源としているが、シネマコンプレックスは入場料だけでなく飲食物にも収入源としてのウェイトを置いている。具体的には飲食物の客単価が従来館は152円程度である一方、シネマコンプレックスは250円程度と1.6倍以上に見積もっている<ref>村上世彰・小川典文 『日本映画産業最前線』 角川書店、1999年、42頁 ISBN 4-04-883576-9</ref>。そのため、従来館では市販の菓子類を販売し、飲食物の持ち込み制限も緩やかな場合が多かったが、シネマコンプレックスではできたての[[ポップコーン]]や[[チュロス]]、お菓子の量り売りなど市販の菓子とは差別化できる物を販売しており、飲食物の持ち込み制限も比較的厳格である。また、座席にカップホルダーを設置し売り上げ向上を図っている。<br />
; 上映設備 :[[画像:Projector_and_platter.jpg|thumb|260px|シネマコンプレックスで多かったノンリワインド映写機の例]]従来の映画館は[[映写|映写機]]2台を自動で切り替える全自動映写機を採用することが多かった。<br />
:それに対し、シネマコンプレックスは映写機1台で上映を行う[[映写機#映写装置|ノンリワインド映写機]]を採用する場合が多かった。シネマコンプレックスの場合、立ち見を許していないため、1スクリーンの座席数以上の集客が見込める上映作品では入場できない観客が出る恐れがある。そこで、複数スクリーンで1つのフィルムを同時上映する「インターロック」と呼ばれる仕組みが採用された。インターロック上映に対応しているのがノンリワインド映写機だったため、シネマコンプレックスでの採用が多くなったと考えられる。現在は、デジタルシネマプロジェクターが普及したため、このようなノンリワインド映写機を設置していない劇場も多い。<br />
; 上映スケジュール :[[レイトショー]]は従来、週末や特別興行のみに行われていたが、シネマコンプレックスでは年間を通して行っている場合が多い。<br />
:従来館の場合、駐車場が設けられていないこともしばしばあった上に、繁華街に建設されることが多かった。そのため、終電など公共交通機関の運行時間帯を超える上映スケジュールを編成しづらい環境であった。しかし、シネマコンプレックスはショッピングセンターとしての駐車場が併設されており、また、郊外にあり利用客の住居に近い立地でもある。そこで、終電などの時間に縛られない上映時間の設定を行うようになった。<br />
<br />
== 現状 ==<br />
2009年以降、スクリーン数においてシネマコンプレックスは日本国内の映画館の8割以上を占めている。一方で、1993年の[[ワーナー・マイカル・シネマズ]]海老名(現[[イオンエンターテイメント|イオンシネマ]]海老名)の開業以降18年連続増加を続けていた日本国内のスクリーン数は、2011年には減少に転じた<ref name="eiren_kakodata">「[http://www.eiren.org/toukei/data.html 過去データ一覧表]」 社団法人日本映画製作者連盟、2010年2月15日閲覧</ref>。1990年代において新しい手法であったシネマコンプレックスも目新しさをなくし、既に飽きられているという指摘もある。観客の映画館離れが深刻だとも言われており、商業施設の集客設備として開業していたシネマコンプレックスは曲がり角に差し掛かっている<ref>{{Cite web |author=大高宏雄 |date=2011-12-27 |url=http://eiga.com/extra/otaka/2/ |title=コラム:大高宏雄の映画カルテ 興行の表と裏 - 第2回 |publisher=映画.com |accessdate=2012-05-03}}</ref>。<br />
<br />
=== サイト数・スクリーン数 ===<br />
2016年12月末現在、日本の全映画館のスクリーン数は3472。うち、シネマコンプレックスは275サイト、3045スクリーンである<ref name="eiren_screen">{{Cite web |date=2012-12-31 |url=http://www.eiren.org/toukei/screen.html |title=全国スクリーン数 |publisher=社団法人日本映画製作者連盟 |accessdate=2013-04-02}}</ref>。日本で最も多くのスクリーンを運営する映画興行会社はイオングループ傘下の企業を統合した[[イオンエンターテイメント]]であり、同一ブランドのシネマコンプレックスとしてはイオンシネマが最も多い。一つの施設としてスクリーン数が最多なのは、[[愛知県]][[豊橋市]]の[[ホリデイ・スクエア]]内にある[[ユナイテッド・シネマ豊橋18]](旧[[ユナイテッド・シネマ豊橋18|AMCホリデイ・スクエア18]])で、18スクリーンを有する。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 各社のサイト数・スクリーン数(2016年12月末日現在)<ref name="eigakanmeibo2013">{{Cite book |author=一般社団法人日本映画製作者連盟配給部会 |authorlink=日本映画製作者連盟 |year=2012 |title=映画館名簿2013年版 |publisher=時事映画通信社 }}</ref><ref group="脚注">映画館名簿2013年版を元に、それ以降に各社から発表された開閉館情報を加えた。[[東日本大震災]]の被害で2012年末時点で休館中の劇場は映画館名簿2013年版から削除されているため集計から除いている。日本映画製作者連盟の統計同様に5スクリーン以上をシネマコンプレックスとし集計としている。5スクリーン以上のサイトに付随して別棟が存在し、実質的に同一サイトとして運営されている場合は1サイトとしてスクリーン数にも含めた。</ref><br />
! シネマコンプレックス名称 !! 運営企業 !! サイト数 !! スクリーン数 !! 備考<br />
|-<br />
| イオンシネマ || [[イオンエンターテイメント|イオンエンターテイメント株式会社]] || style="text-align:right" |85|| style="text-align:right" |719|| [[イオングループ]]。<br />
|-<br />
| TOHOシネマズ、他 || [[TOHOシネマズ|TOHOシネマズ株式会社]] || style="text-align:right" |65|| style="text-align:right" |617|| [[東宝]]系。提携館および同社運営主幹の共同事業のサイトを含む<ref group="脚注">TOHOシネマズ株式会社運営のTOHOシネマズサイトの他、TOHOシネマズ錦糸町、お台場シネマメディアージュ、[[札幌シネマフロンティア]]の3サイトを計上。</ref>。<br />
|-<br />
| (上記以外の東宝系) || [[関西共栄興行|関西共栄興行株式会社]] || style="text-align:right" |1|| style="text-align:right" |5|| 東宝の完全子会社による運営サイト<ref group="脚注">松江東宝5の1サイトを計上。</ref>。<br />
|-<br />
| ユナイテッド・シネマ、シネプレックス || [[ユナイテッド・シネマ|ユナイテッド・シネマ株式会社]] || style="text-align:right" | 35 || style="text-align:right" | 331 || [[ローソン]]傘下。<br />
|-<br />
| MOVIX、他 || [[松竹マルチプレックスシアターズ|株式会社松竹マルチプレックスシアターズ]] || style="text-align:right" | 25 || style="text-align:right" | 259 || [[松竹]]系。同社運営主幹の共同事業のサイトを含む<ref group="脚注">MOVIXの他、[[新宿ピカデリー]]、なんばパークスシネマ、大阪ステーションシネマの3サイトを計上。</ref>。<br />
|-<br />
| [[109シネマズ]] || [[東急レクリエーション|株式会社東急レクリエーション]] || style="text-align:right" | 19 || style="text-align:right" | 175 || [[東急グループ|東急]]系。同社運営の[[ムービル]]を含む。<br />
|-<br />
| T・ジョイ || [[ティ・ジョイ|株式会社ティ・ジョイ]] || style="text-align:right" | 17 || style="text-align:right" | 163<ref group="脚注">T・ジョイ蘇我のプライベートルームを除く。多目的ホール兼用のこうのすシネマのシアター1を含む。</ref> || [[東映]]系。同社運営主幹の共同事業のサイトを含む。<br />
|-<br />
| コロナシネマワールド || [[コロナグループ|株式会社コロナワールド]] || style="text-align:right" | 13 || style="text-align:right" | 129 || <br />
|-<br />
| [[シネマサンシャイン]] || 佐々木興業株式会社 || style="text-align:right" | 13 || style="text-align:right" | 99 || <br />
|}<br />
<br />
=== 運営・経営 ===<br />
[[画像:torius_cinema.jpg|thumb|260px|TOHOシネマズが撤退した[[トリアス (ショッピングセンター)|トリアス]]のシネマコンプレックス(現ユナイテッド・シネマトリアス久山)]]<br />
シネマコンプレックスを運営する各社の資本関係は大きく変わりつつある。2009年9月30日に松竹マルチプレックスシアターズの資本から[[三井物産]]が撤退し、[[松竹]]の完全子会社になった。2011年3月1日には同社に松竹が映画興行事業を移管した。これにより9大都市ロードショー館は松竹、ローカル館は松竹マルチプレックスシアターズと言う体制から他社と同様に全国を同一会社で運営することになった<ref name="bunkatsushin201112">{{Cite journal|和書 |year = 2011 |month = 12 |title = 私が陣頭指揮を取り早く統合効果を出す |journal = 月刊文化通信ジャーナル |volume = 51 |issue = 12 |pages = 24-32 |publisher = 文化通信社 }}</ref>。2013年2月28日にはワーナー・マイカルから[[タイム・ワーナー]]グループが資本を撤退し、[[イオン (企業)|イオン]]の完全子会社となった<ref name="nikkei20121219">{{cite news |title=イオン、ワーナー・マイカル完全子会社化を発表 |url=http://www.nikkei.com/markets/kigyo/ma.aspx?g=DGXNASDD190G6_19122012TJ2000 |newspaper=日本経済新聞 |publisher=日本経済新聞社 |date=2012-12-19 |accessdate=2013-03-31 }}</ref>。同年7月1日にはワーナー・マイカルを存続会社とし同じくイオンの完全子会社である[[イオンシネマズ]]を合併し、イオンエンターテイメントとなった<ref name="nikkei20130404">{{cite news |title=イオンがシネコン統合 スクリーン数、国内の2割 |url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD040HT_U3A400C1TJ2000/ |newspaper=日本経済新聞 |publisher=日本経済新聞社 |date=2013-04-04 |accessdate=2013-04-04}}</ref><ref name="ac20130611">{{Cite web |date=2013-06-11 |url=http://www.aeoncinema.com/company/press/13/06/0611.pdf |title=新社名及び劇場名のお知らせ |format=pdf |publisher=株式会社ワーナー・マイカル、イオンシネマズ株式会社 |accessdate=2013-07-06}}</ref>。また、屋号も[[ワーナー・マイカル・シネマズ]]からイオンシネマに変更した。日本上陸当初は多くの外資系のシネマコンプレックスが存在していたが、これにより外資系資本は全て撤退したことになる。2012年3月9日には[[ユナイテッド・シネマ]]が[[住友商事]]から投資会社の[[アドバンテッジ パートナーズ|アドバンテッジパートナーズ]]傘下のユナイテッド・エンターテインメント・ホールディングス株式会社(以下、UEH)に売却された<ref name="">{{Cite web |author=ユナイテッド・エンターテインメント・ホールディングス株式会社 | coauthors=アドバンテッジパートナーズ有限責任事業組合 |date=2012-03-09 |url=http://www.advantagepartners.com/news/documents/120309.pdf |title=ユナイテッド・エンターテインメント・ホールディングス株式会社によるユナイテッド・シネマ株式会社の買収について |publisher=ユナイテッド・エンターテインメント・ホールディングス株式会社 |accessdate=2013-03-31}}</ref>。2013年3月29日には[[シネプレックス (企業)|角川シネプレックス]]株式会社が同じくUEHに売却され<ref name="cineplex201303">{{Cite web |last= |first= |author= |authorlink= |coauthors= |date=2013-02-28 |url=http://www.unitedcinemas.jp/about_company/press/pdf/2013_0228.pdf |title=ユナイテッド・シネマ親会社のユナイテッド・エンターテインメント・ホールディングスと角川グループホールディングスとの戦略的業務提携等に関するお知らせ |format=PDF |doi= |work= |publisher=ユナイテッド・シネマ株式会社 |page= |pages= |language= |archiveurl= |archivedate= |accessdate=2013-03-31 |quote= |ref=}}</ref>、同年6月1日にユナイテッド・シネマ株式会社を存続法人として合併した<ref name="uc201304">{{Cite web |date=2013-04 |url=http://www.unitedcinemas.jp/img/release/2013/2013042370.pdf |title=シネプレックス株式会社との合併に関するお知らせ |format=pdf |publisher=ユナイテッド・シネマ株式会社 |accessdate=2012-06-22}}</ref><ref name="uc201306">{{Cite web |date=2013-06 |url=http://www.unitedcinemas.jp/img/release/2013/2013060372.pdf |title=合併完了に関するお知らせ |format=pdf |publisher=ユナイテッド・シネマ株式会社 |accessdate=2012-06-22}}</ref>。これにより、ユナイテッド・シネマはイオンエンターテイメント、TOHOシネマズに続く第3位のスクリーン数を持つ興行会社となった。ユナイテッド・シネマはその後2014年8月に[[ローソン]]がグループ内で[[プレイガイド]](ローソンチケット)やCD・DVDソフト販売店([[HMV]])を運営している[[ローソンHMVエンタテイメント]]の子会社を通じて株式を取得し、ローソングループに入っている。<br />
<br />
2001年以降、映画人口は1億6千万から7千万人程度でほぼ横這いの状態が続いている一方で、2010年までスクリーン数が増加し続けたこともあり、各社の経営状態は厳しくなった。各社はこれに対応するためオペレーションの見直しによる人件費の削減を行なっている他、家賃の見直しも進んでいる。<br />
<br />
出店競争が激化していた時期は出店条件が吊り上がり、中小興行会社は出店出来ない状況が続いていた<ref name="bunkatsushin200908">{{Cite journal|和書 |year = 2009 |month = 8 |title = 投資家の視点にたった会社経営 |journal = 月刊文化通信ジャーナル |volume = 49 |issue = 8 |pages = 46-49 |publisher = 文化通信社 }}</ref>。一方、これらの時期に出店を進めた大手各社は固定費削減のため、2008年頃から家賃の値下げ交渉を進めた。ディベロッパー側の収益にも関わるため難しい交渉となっているが、シネマコンプレックスの初期の劇場は特に収益性が悪化しているため、場合によっては撤退も視野に入れて進めている。また、劇場の不動産自体をグループ会社が所有する企業にとってこの施策は不動産事業の収益悪化にもつながるため困難を極めた。この課題の解決のため、東宝の不動産経営部の専務である[[中川敬 (映画プロデューサー)|中川敬]]が2010年から2012年までTOHOシネマズの社長を兼務するなどの人事も見られた<ref name="bunkatsushin201007">{{Cite journal|和書 |year = 2010 |month = 7 |title = 価格の問題は避けて通ることはできない |journal = 月刊文化通信ジャーナル |volume = 50 |issue = 7 |pages = 24-31 |publisher = 文化通信社 }}</ref><ref name="bunkatsushin200810">{{Cite journal|和書 |year = 2008 |month = 10 |title = 新しい視点・発想で、この会社を変えていく |journal = 月刊文化通信ジャーナル |volume = 48 |issue = 10 |pages = 44-49 |publisher = 文化通信社 }}</ref><ref name="bunkatsushin200811">{{Cite journal|和書 |year = 2008 |month = 11 |title = 渋谷の拠点化、パンテオンをもう一度 |journal = 月刊文化通信ジャーナル |volume = 48 |issue = 11 |pages = 30-35 |publisher = 文化通信社 }}</ref><ref name="bunkatsushin200906">{{Cite journal|和書 |year = 2009 |month = 6 |title = 黒字回復へ、この2年間の歩み |journal = 月刊文化通信ジャーナル |volume = 49 |issue = 6 |pages = 36-42 |publisher = 文化通信社 }}</ref><ref name="bunkatsushin200909">{{Cite journal|和書 |year = 2009 |month = 9 |title = 本社とSMTの“興行力”の相乗効果を目指したい |journal = 月刊文化通信ジャーナル |volume = 49 |issue = 9 |pages = 38-44 |publisher = 文化通信社 }}</ref>。<br />
<br />
これらの見直しや後述する設備のデジタル化を見送り従来の興行会社が撤退した映画館では、集客のためにディベロッパー自身が事業主となって経営し、興行会社に運営委託する例も現れてきた。例えば、2010年1月31日に閉館したMOVIX六甲の跡地は[[神戸ファッションプラザ]]が事業主となった。[[オーエス]]が番組編成業務を受諾し、子会社のオーエス・シネブラザーズ株式会社が運営を行いシネウェーブ六甲として2010年7月31日に再開館した<ref name="bunkatsushin201008">{{Cite journal|和書 |year = 2010 |month = 8 |title = 神戸六甲でシネコン再開 |journal = 月刊文化通信ジャーナル |volume = 50 |issue = 8 |page = 11 |publisher = 文化通信社 }}</ref>。また、2012年8月31日に閉館したTOHOシネマズトリアス久山の跡地はラサール不動産投資顧問株式会社が経営し、ユナイテッド・シネマが運営を受諾し2013年3月1日に再開館した。ユナイテッド・シネマは同劇場をローコストオペレーションのモデルケースとしたいとしている<ref name="bunkatsushin201302">{{Cite journal|和書 |year = 2013 |month = 2 |title = ネットで抜群の経験値、映画興行に生かせるか |journal = 月刊文化通信ジャーナル |volume = 53 |issue = 2 |pages = 32-35 |publisher = 文化通信社 }}</ref>。しかし、これらの経営も順風ではなく、シネウェーブ六甲は2011年11月30日に閉館している。<br />
<br />
=== サービス・設備 ===<br />
[[画像:Christie-Projektor2.jpg|thumb|260px|クリスティー社製のデジタルシネマプロジェクターの設置例]]<br />
近年は前述のコスト削減のための見直しや、新たな観客獲得のための動きが見られている。また、急速に[[デジタルシネマ]]が普及した。<br />
<br />
コスト削減の例としてチケット販売の自動券売機化が進んでいる。TOHOシネマズでは2012年5月から6月にかけて自動券売機の導入を本格的にすすめた<ref>{{Cite web |date=2012-05-10 |url=http://www.tohotheater.jp/news/info00000201.html |title=チケットカウンターが便利な券売機に変わります |publisher= TOHOシネマズ |archiveurl=http://web.archive.org/web/20120515100925/http://www.tohotheater.jp/news/info00000201.html |archivedate=2012-05-15 |accessdate=2013-03-31 }}</ref><ref name="bunkatsushin201206">{{Cite journal|和書 |year = 2012 |month = 6 |title = 自動券売機の導入進める |journal = 月刊文化通信ジャーナル |volume = 52 |issue = 6 |page = 15 |publisher = 文化通信社 }}</ref>。また、ユナイテッド・シネマもトリアス久山に自動券売機を5台導入し、有人窓口は設置しない方向である。これにより効率化を図るとしている。しかし、前売券の取り扱いもあるため、完全な無人化は難しいのが課題となっている<ref name="bunkatsushin201302" />。<br />
<br />
新たな観客層獲得のため、試験的に鑑賞料金を変更する動きも見られる。ワーナー・マイカルは2010年1月9日から4月9日まで海老名と釧路の2サイトで1000円均一とした。しかし、従来の契約のままだと値下げにより配収が減少する可能性がある。結果、配給契約の条件が折り合わず『[[ラブリーボーン]]』や『[[LIAR GAME (テレビドラマ)|LIAR GAME ザ・ファイナルステージ]]』が上映中止となった<ref name="bunkatsushin201004">{{Cite journal|和書 |year = 2010 |month = 4 |title = WMC2館で上映中止 |journal = 月刊文化通信ジャーナル |volume = 50 |issue = 4 |page = 13 |publisher = 文化通信社 }}</ref>。また、TOHOシネマズは2011年4月(一部3月)から2012年春までの予定とし、7サイトで試験的な料金変更を行った。一般料金を1500円、18歳未満を1000円に値下げする一方、シニア割引を60歳から65歳に引き上げる、レイトショーを廃止するなど、複雑な割引をやめ料金を均一化した。しかし、全国平均と比べ5%程度動員が減る結果が得られ、高校生料金は1000円と据え置いたが、それ以外は予定より早く2011年11月末に試験を中止した<ref name="bunkatsushin201103">{{Cite journal|和書 |year = 2011 |month = 3 |title = 7劇場で、18歳以上は基本料金1500円 TOHOシネマズ、今春から新料金テスト |journal = 月刊文化通信ジャーナル |volume = 51 |issue = 3 |page = 12 |publisher = 文化通信社 }}</ref><ref name="bunkatsushin201112a">{{Cite journal|和書 |year = 2011 |month = 12 |title = 動員5%減、12月から料金・割引を元に戻す TOHOシネマズ、7劇場のテスト料金終了 |journal = 月刊文化通信ジャーナル |volume = 51 |issue = 12 |page = 12 |publisher = 文化通信社 }}</ref>。その後、2013年6月1日より高校生料金を1000円とする料金変更のみ全国に広げている<ref name="tc20130426">{{Cite web |date=2013-04-26 |url=http://www.tohotheater.jp/news/student1000.html |title=6/1(土)から高校生の鑑賞料金を1000円に! |publisher=TOHOシネマズ株式会社 |accessdate=2013-07-06}}</ref>。また、ティ・ジョイはTOHOシネマズの試験サイトと競合する広島、鹿児島の2サイトで、2011年4月7日から翌年3月31日まで高校生料金を1500円から1000円に値下げした<ref name="bunkatsushin201105">{{Cite journal|和書 |year = 2011 |month = 5 |title = 広島、鹿児島で高校生割引 |journal = 月刊文化通信ジャーナル |volume = 51 |issue = 5 |page = 13 |publisher = 文化通信社 }}</ref>。<br />
<br />
上映機材のデジタル化は2010年から2012年の2年間で一気に進み、2012年12月時点で全スクリーンの88%に導入されている。デジタルシネマプロジェクターは当初、ワーナー・マイカルやティ・ジョイを中心に導入されたが、コスト負担が大きくそのペースは遅かった。しかし、現在では35mmフィルムのノンリワインド映写機から置き換わってデジタルシネマプロジェクターが主流となった。導入の進んでいたティ・ジョイは主要各社では一番早く、2010年7月までに全スクリーンへの導入を完了した。TOHOシネマズは、2011年3月17日に開館したTOHOシネマズ甲府ではデジタルシネマプロジェクターのみを設置するなどの施策をとり、2011年に全劇場のデジタル化を完了した。2012年には定期借地等、運営期間の限りがあるものや一部の小規模興行会社を除き、おおよそのシネマコンプレックスでは導入が完了している。2013年3月5日に開館したワーナー・マイカル・シネマズ春日部(現イオンシネマ春日部)のようにデジタル化により映写室を廃止した劇場も現れてきた<ref name="wmc20130125">{{Cite web |date=2013-01-25 |url=http://www.aeoncinema.com/company/press/13/01/0125.pdf |title=国内初!“映写室のないシネマコンプレックス”が登場 「ワーナー・マイカル・シネマズ 春日部」 2013年3月5日(火)グランドオープン |format=PDF |publisher=株式会社ワーナー・マイカル |accessdate=2013-04-02}}</ref>。<br />
<br />
この背景にはバーチャル・プリント・フィー(以下、VPF)による導入スキームの変化があったことが要因として挙げられる。VPFとはVPFサービス会社が興行会社の代わりにデジタルシネマ機材の購入費用を一括支払いし、配給会社が導入費用の70%までを、興行会社が残りの30%をそれぞれ10年間かけて作品ごとまたは月ごとにVPFサービス会社に対して償還していく仕組みのことである。映画館のデジタル化により配給会社はプリント代や輸送費が削減できメリットを受ける一方、興行会社は機材入れ替えのコスト負担が大きくデメリットが大きかった。しかし、VPFの導入により興行会社の負担が軽減されたため上映機材のデジタル化が進んだ。ただし、それでも一定のコスト負担はあるため、導入を見送り閉館を選択する劇場もある<ref name="bunkatsushin201207sasaki">{{Cite journal |和書 |year=2012 |month=07 |title=新音響システムなど「体験型」重視 佐々木興業、佐々木伸一社長に聞く |journal=月刊文化通信ジャーナル |volume=52 |issue=7 |page=48 |publisher=文化通信社}}</ref>。<br />
<br />
設備のデジタル化により、上映コンテンツ自体の変化も現れている。Other Digital Stuff(以下、ODS)と呼ばれる映画以外のコンテンツを上映することも増えてきた。TOHOシネマズやティ・ジョイでは[[パブリックビューイング]]や舞台演劇の上映が行われている<ref name="r25jp20081002">{{Cite web |author=榛村季溶子 |date=2008-10-02 |url=http://r25.jp/magazine/ranking_review/10005000/1112008100206.html |title=経済 映画館の概念を覆すシネコンの新ビジネス |work=R25.jp |publisher=株式会社リクルート |archiveurl=http://web.archive.org/web/20081004234755/http://r25.jp/magazine/ranking_review/10005000/1112008100206.html |archivedate=2008-10-04 |accessdate=2013-04-02}}</ref>。[[2008年]][[10月25日]]に全国上映としては日本初のフル3D実写映画『[[センター・オブ・ジ・アース (映画)|センター・オブ・ジ・アース]]』が公開されて以降、[[RealD]]などのデジタル3D映画の上映も増えた。2009年公開の3D映画である『[[アバター (映画)|アバター]]』のヒットにより一気に普及に弾みがついている。ただ、2010年頃までは3D映画は一定の興行成績をあげていたが、近年の興行では期待ほどの成績をあげておらず陰りを見せている<ref>{{Cite web |author=大高宏雄 |date=2011-09-02 |url=http://eiga.com/extra/otaka/1/ |title=コラム:大高宏雄の映画カルテ 興行の表と裏 - 第1回 |publisher=映画.com |accessdate=2012-05-03}}</ref><ref>{{cite news |title=映画館、着々とデジタル化 3Dのヒット、後押し |author=井上秀樹 |url=http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY201107190245.html |format= |agency= |newspaper=朝日新聞 |publisher=朝日新聞社 |date=2011-07-19 |accessdate=2012-05-03 |language=日本語}}</ref><ref>{{Cite web |author=松本貴則 |date=2011-03-22 |url=http://blog.livedoor.jp/bunkatsushin/archives/51242499.html |title=甲府めぐりの報告 |publisher=文化通信社|accessdate=2012-05-03}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://a5.deliv.jp/toho/gyokai/digital.html |title=映画館のデジタル化 |publisher=東宝株式会社|accessdate=2012-05-03}}</ref><ref name="bunkatsushin201110">{{Cite journal|和書 |year = 2011 |month = 10 |title = 話題の焦点 ソニー、ウシオ、DCCの3社が旗振り 映画館のデジタル化、VPFにより加速 |journal = 月刊文化通信ジャーナル |volume = 51 |issue = 10 |pages = 6-7 |publisher = 文化通信社 }}</ref>。<br />
<br />
==歴史==<br />
マルチプレックスの発祥である北米では、主に[[1960年代]]から複数スクリーン化の傾向が見られた。日本でも映画館の複数スクリーン化傾向は古くからある。当初はこれらの映画館をシネマコンプレックスと呼んでいたため、いくつかの映画館が日本初のシネマコンプレックスを名乗っている。<br />
<br />
以下、シネマコンプレックスとマルチプレックスの歴史について記述する。<br />
<br />
=== 1930年代 - 1992年 ===<br />
;日本におけるシネマコンプレックスの発祥<br />
[[画像:Seiyu ohmori.jpg|thumb|260px|キネカ大森がある西友大森店<br />(2009年10月12日撮影)]]<br />
日本では1930年代に大劇場時代が到来すると、その地下や高層スペースにもう1つの劇場を設置する映画館が現れはじめた。例えば、[[日本劇場]]の地下にニュース映画専門館として1935年12月30日に開館した第一地下劇場などがそれである。これらは当時新興勢力であった[[東宝]]の経営手法であったが、良いものは真似をするという姿勢で[[松竹]]にも取り入れられていった<ref>{{Cite book|和書|author = 田中純一郎|year = 1975|title = 日本映画発達史II 無声からトーキーへ|publisher = 中央公論社|page = 240-246,304頁|isbn = 4122002966}}</ref>。だが、一般的には「1つの映画館(施設)に、スクリーンは1つ」であった。<br />
<br />
[[1950年代]]になると映画館の全盛期が到来し、映画館の新設や建て替えが多数発生した。これに伴い、「1つの施設内に、複数のスクリーンを持つ」劇場が徐々に増えてきた。また、1000席程度のスクリーンの中に壁を入れて左右に仕切ったり、1階席と2階席との間に床を入れて上下に仕切ったりすることで、複数のスクリーンに分割するケースも見られた。<br />
<br />
これらの運営システムは、個々の建物として存在する従来の映画館と変わりがない。入替制は導入しておらず<ref group="脚注">厳密には1947年1月から[[スバル興業|スバル興業株式会社]]が[[有楽町スバル座]]にて全席指定制を実施したのを皮切りに定員入替制や全席指定制が広まった時期があった。しかし、これは一時的な流れにとどまり後に従来の流し込み制に戻っている。</ref><ref name="eiganenkan1950">{{Cite book|和書 |editor = 今村金衛 |year = 1949 |title = 1950年 映畫年鑑 |publisher = 時事通信社 |page = 62}}</ref>、それぞれのスクリーンには独立した館名が付けられ、配給チェーンとスクリーンが固定化されており、「複数の映画館が1つの建物の中にある」状態だった。<br />
<br />
[[1984年]][[3月30日]]に「シネマコンプレックス日本初登場」と銘打ってキネカ大森が開館する<ref name="pia19840309">{{Cite journal|和書|year=1984|month=3|title=キネカ大森開館時の広告|journal=ぴあ|volume=13|issue=7|pages=38頁|publisher=ぴあ株式会社}}</ref>。設立した[[西友|株式会社西友]]文化事業部によれば、欧米の映画館の動向を調査した結果、動員で上映館を入れ替えられたりインターロック上映をすることが出来たりする複合映画館の形態に行き着いたとしている<ref>{{Cite journal|和書|author=冨田道彦|year=1984|month=6|title=ニュース・スポット 「キネカ」命名由来|journal=kineca|volume=1|issue=2|page=39|publisher=株式会社西友文化事業部}}</ref>。同館は流通系店舗のテナントであること、入替制を採用していることなど現在のシネマコンプレックスに近い。一方で、スクリーン数が3と少ないこと、[[ロードショー (映画用語)|ロードショー]]、[[名画座]]、アート系と言うように各スクリーンの特色を定めている<ref name="pia19840406sc">{{Cite journal|和書|year=1984|month=4|title=映画の街角全453館スケジュール一覧表内の支配人コメントより|journal=ぴあ|volume=13|issue=9|pages=56頁|publisher=ぴあ株式会社}}</ref>ことなどが、現在のシネマコンプレックスとは異なる。また、現在は上映作品の傾向から[[ミニシアター]]と認識されることが多い。<br />
<br />
この時期から同館と同様に[[郊外]]の[[ショッピングセンター]]に、複数のスクリーンを持つ映画館をテナントとして迎え入れるところが現れはじめた<ref group="脚注">商業施設に映画館を併設するという考え方自体はは古くから存在し、例えば、1930年代には既に百貨店である日本橋の[[白木屋 (デパート)|白木屋]]に映画館の白木劇場が併設されるなどの動きがある。また、1980年代に商業施設に併設された映画館には[[ビデオシアター]]も多く含まれる。</ref><ref name="eiganenkan1941">{{Cite book|和書 |editor = 大橋恒五郎 |year = 1941 |title = 昭和16年度版 日本映畫年鑑 |publisher = 大同社 |page = ヌ5}}</ref>。また、シネマコンプレックスという言葉も使われはじめるようになる。<br />
<br />
<!-- 下記の一覧に該当する映画館を挙げだすときりがないので、1950年代について本文に合わせスクリーン分割で増スクリーンした例(名宝会館)、新築で多数スクリーンを持つ例(東急文化会館)の2種類としました。それ以降は本文にも記載されているような日本初として取り上げられる映画館を除き除去しました。尚、例外的に横浜東宝会館がありますが、これは後年のシネマコンプレックスのコピーでもよく使われる「映画のデパート」と言うコピーをいち早く使用しているため言及する必要があるためです。 --><br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 複数スクリーンを持つ映画館の例<br />
! 施設名称 !! 開館日 !! 所在地 !! スクリーン数<ref group="脚注">特別な記述がない限り開館当時のスクリーン数。</ref> !! 備考<br />
|-<br />
| [[名宝会館]] || [[1955年]][[12月23日]]<ref>「映画・演劇」欄 『中部日本新聞』(市民版)1955年12月23日付朝刊、第4面</ref><br />(改装日) || [[愛知県]][[名古屋市]] || style="text-align:right" | 4<br />(改装後) || [[1935年]][[11月3日]]開館の名古屋宝塚劇場を何度かにわたり、分割、増築して複数スクリーン化。<br />[[1972年]]5月に再改装し、以降3スクリーン<ref>柴田勝 『中京名古屋映画興行の変遷(明治三十年より昭和四十九年迄)』 1974年</ref>。<br />
|-<br />
| [[横浜東宝会館]] || [[1956年]][[3月27日]] || [[神奈川県]][[横浜市]] || style="text-align:right" | 4 || 「映画のデパート」<ref>「ハマは"映画館ブーム" 県下の半数を独占」 『神奈川新聞』1956年3月27日付朝刊、第5面など</ref>と称す。[[1980年]]に改装し、以降5スクリーン。<br />
|-<br />
| [[東急文化会館|渋谷東急文化会館]]|| 1956年[[12月1日]] || [[東京都]][[渋谷区]] || style="text-align:right" | 4 || 老朽および地下鉄副都心線建設のため2003年閉館・解体。<br />
|-<br />
| [[ムービル|相鉄ムービル]] || [[1971年]][[3月5日]] || [[神奈川県]][[横浜市]] || style="text-align:right" | 5 || 「日本で初めて5館をパックした映画館ビル」<ref>{{Cite web |url=http://www.sotetsu.rosen.co.jp/profile/enkaku_index.htm |title=沿革 |publisher=相鉄ローゼン |archiveurl=http://web.archive.org/web/20090317102144/http://www.sotetsu.rosen.co.jp/profile/enkaku_index.htm |archivedate=2009-03-17 |accessdate=2008-11-01 }}</ref>と称す。<br />
|-<br />
| [[コロナワールド|小牧コロナ会館]] || [[1981年]][[7月11日]]<ref group="脚注">施設内に映画館が開館した日。併設のパチンコ店は1980年に開業している。</ref><ref name="chunichi19810708">「広告 小牧シネマ映画案内 7月11日3館同時オープン」 『中日新聞』(尾張版)1981年7月8日付朝刊、第15面</ref> || [[愛知県]][[小牧市]] || style="text-align:right" | 3<ref name="chunichi19810708" /> || 「日本初のシネマコンプレックス」<ref>{{Cite web |url=http://www.korona.co.jp/Business/imgs/instore.pdf |title=あいさつ |format=PDF |work=コロナワールド 広告・プロモーション媒体のご案内 |publisher=株式会社コロナ |page=2 |accessdate=2013-04-03}}</ref><ref name="nchiiki20001106" />と称す。<br />[[1997年]][[7月12日]]に小牧コロナシネマワールドへ改装。<br />
|-<br />
| [[東京テアトル|キネカ大森]] || [[1984年]][[3月30日]] || [[東京都]][[品川区]] || style="text-align:right" | 3 || [[西友]]大森店内に設置。「シネマコンプレックス日本初登場」<ref name="pia19840309" /><ref>「[http://www.cinema-st.com/amuse/a011.html キネカ大森]」 港町キネマ通り、2001年10月</ref>と銘打って開館。<br />
|-<br />
| [[シネマサンシャイン|池袋シネマサンシャイン]] || [[1985年]][[7月6日]] || [[東京都]][[豊島区]] || style="text-align:right" | 5 || [[1994年]]12月に改装し、以降6スクリーン。<br />
|-<br />
| [[チネチッタ (川崎市)|チネチッタ]] || [[1987年]][[7月25日]] || [[神奈川県]][[川崎市]] || style="text-align:right" | 5 || スクリーン数は「チネグランデ」を除く。「日本初のシネマ・コンプレックス」<ref>「[http://lacittadella.co.jp/info/history.html ラ チッタデッラ【川崎】 〜 ラ チッタデッラのヒストリー]」 チッタエンタテイメント、2008年11月1日閲覧</ref>と称す。<br />
|-<br />
| シネシックス<ref name="architect198807">福島一三、小泉直久 「ららぽーと2 変貌するショッピングセンター」 『新建築』1988年7月号、新建築社、1988年、225-229頁</ref> || [[1988年]][[3月25日]] || [[千葉県]][[船橋市]] || style="text-align:right" | 6 || 当時唯一のアメリカ型ショッピングセンターとされた<ref name="architect198807" />[[ららぽーとTOKYO-BAY|ららぽーと船橋ショッピングセンター]]内に設置。<br />2004年7月にTOHOシネマズ船橋ららぽーとへ改装。<br />
|}<br />
<br />
他にも後年になってからではあるが、小牧コロナ会館とチネチッタが日本初のシネマコンプレックスを称している。<br />
<br />
小牧コロナ会館は、スクリーンで統一された名称が付けられていないこと<ref>1997年の改装まで「小牧シネマ1 - 3」「小牧ロマン」「小牧コロナ1 - 3」等の名称で運営されていた。 「映画・演劇」欄 『中日新聞』(市民版)1997年1月19日付朝刊、第22面</ref>、入替制が導入されていないこと<ref>1997年の改装時に入替制を導入。 「映画・演劇」欄 『中日新聞』(市民版)1997年7月12日付朝刊、第20面</ref>などが、現在のシネマコンプレックスの概念とは異なる。なお、同館を運営するコロナグループはこの時期に同様の劇場を愛知県[[江南市]]<ref group="脚注">1926年に開館した新盛座(後に新盛館に改称)を起源に1977年に2スクリーン、1985年に4スクリーン、1994年に6スクリーンと増設している。</ref>、[[春日井市]](1983年3月19日開館)、[[半田市]](1986年7月26日開館)、[[豊川市]](1989年7月15日開館)にも展開している<ref name="avjournal199507">「愛知県・コロナグループ大塚定光社長インタビュー 企業は活火山。人はその炎火をつくる」 『AVジャーナル』1995年7月号、文化通信社、1995年、22-27頁</ref>。<br />
<br />
チネチッタは「総合映画館ビル」として開館当時のメディア<ref>「日伊映画人迎え前夜祭 チネチッタきょう開館」 『神奈川新聞』1987年7月25日付朝刊、第18面</ref><ref>「「チネチッタ川崎」オープン 1000人が詰め駆け早速、名画を鑑賞」 『神奈川新聞』1987年7月26日付朝刊、第19面</ref>には紹介されている。やはり入替制が導入されていないこと<ref>2002年11月23日の改装時に入替制を導入した。「[http://web.archive.org/web/20021124050350/http://cinecitta.co.jp/info/index.html インフォメーション]」 チネチッタ、2002年11月19日</ref>、複数フロアに渡っているためロビーなどが共有されていないことなどが、現在のシネマコンプレックスの概念とは異なる。しかし、[[1996年]]ごろから同社の企業沿革や地元自治体の広報誌<ref>川崎市市民局広報課 『市民グラフ「ひろば」46号 1996年特別号』 神奈川新聞社出版局、1996年、6頁</ref>などを中心にいくつかの文献で同館を「日本初のシネマ・コンプレックス」とする記述が見られるようになった。<br />
<br />
また、[[池袋]]シネマサンシャイン(現シネマサンシャイン池袋)についても、開館時の雑誌記事ではシネマ・コンプレックスと言う用語を用いて紹介しており<ref name="kinejun19860215" />、一部の関係者が日本初のシネマコンプレックスと見ることもあった。しかし、これも映写室などが共有されておらず、配給チェーンとスクリーンを固定化した運営を行っており、現在シネマコンプレックスと呼ばれる映画館とは異なる<ref name="leisure199811" />。さらには、シネシックスを日本初とする例も見られるが<ref>{{Cite journal|和書|author=編集部|year=1996|month=8|title=特集 SCとエンターテインメント施設 「ららぽーと志木」の映画館導入について|journal=ショッピングセンター|issue=274|pages=41-43頁|publisher=社団法人 日本ショッピングセンター協会}}</ref>、スクリーンごとに東宝と松竹という別々の経営母体で運営されており、集客に応じてスクリーンを変更できる柔軟性がなかった。<br />
<br />
いずれにせよ、後述するマルチプレックスが日本国内に上陸する以前から、日本独自のスタイルでこれに近い形の興行形態が存在しており、当初はこれら複数スクリーンを持つ映画館をシネマコンプレックスと呼んでいた。ただ、1990年代に見られるような爆発的な普及は起こらなかった。<br />
<br />
その要因の1つとして「入場者数の改竄を懸念して同一窓口で複数作品のチケットを扱うことを配給会社が嫌っていた」とも言われるように、因習に縛られ運営システムを変えるまでには至らなかったことが挙げられる<ref name="leisure199809">万場栄一 「台頭するシネマコンプレックスと映画館産業の行方 第1回 積極展開をみせる外資系企業」 『月刊レジャー産業資料』1998年9月号、綜合ユニコム、1998年、121-127頁</ref>。また、当時の映画館が主に建てられていた市街地は地価が高く、収益を上げるのが難しいと考えられていた点も挙げられる<ref name="moviecollection20090801">{{Cite web|author=安部偲|date=2009-08-01|url=http://www.moviecollection.jp/news/detail.html?p=535|title=【映画業界研究】映画ヒットの鍵を握るシネコン、その裏側に迫る!|publisher=MOVIE Collection|language=日本語 |accessdate=2009年11月29日 }}</ref>。さらには、[[興行場法]]、[[建築基準法]]、[[消防法]]の3法とそれに付随する条例が現在より厳しく、スクリーンの増設がコスト的に難しかったことも挙げられる。そこで、全国興行生活衛生同業組合連合会が1990年頃からこれらの規制緩和を求め各法の所管省庁に対して働きかけを行った<ref name="kinejun19910215">川端康男、斉藤守彦 「1990年度日本映画・外国映画業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」 『キネマ旬報』1991年2月下旬号、キネマ旬報社、1991年、139-154頁</ref>。その結果、1992年に規制緩和の方針が決定し、先行して[[1993年]][[7月1日]]から東京都では建築安全条例と火災予防条例が改正されている<ref name="kinejun19930215">川端康男、久保田弘明、竹入栄二郎、村野健一郎 「1992年度日本映画・外国映画業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」 『キネマ旬報』1993年2月下旬号、キネマ旬報社、1993年、151-166頁</ref><ref name="kinejun19940215">川端康男、中川聡 「1993年度日本映画・外国映画業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」 『キネマ旬報』1994年2月下旬号、キネマ旬報社、1994年、139-154頁</ref>。だが、そのころには既に旧来型のシネマコンプレックスの時代ではなく、外資系を中心とした後述のマルチプレックスの普及に一役買うことになるという皮肉な結果となった。<br />
<br />
;北米におけるマルチプレックスの発祥<br />
[[画像:Elgin Theatre.JPG|thumb|260px|エルジンシアター<br />(2005年10月30日撮影)]]<br />
一方、北米初の2スクリーンを持つ映画館は、[[1947年]]に[[カナダ]]の首都[[オタワ]]に開館した。<br />
ナット・テイラーが築20年の施設を拡張したエルジンシアターである。他にも1960年代中盤から後半にかけて2スクリーンの映画館が開館している。1965年、[[ジョージア州]]イーストポイントに開館したマーチンズ・ウェストゲート・シネマズなどが挙げられる。ナット・テイラーは、マルチプレックスの発明者とされる。後の1979年4月19日に[[シネプレックス・オデオン]]を設立し、同年中に、当時世界最大であった18スクリーンの[[トロント・イートン・センター|トロント・イートン・センター・シネプレックス]](2001年3月閉館)を開館している。<br />
<br />
[[1963年]]にマルチプレックスの先駆者となるアメリカン・マルチ・シネマ(現AMCシアターズ)のスタンリー・ダーウッドは各映画の上映開始時間を慎重に管理し複数スクリーンを数名で運営する方法を確立した。1960年代はテレビの普及に伴い、アメリカであっても映画人口は減少気味であった。しかし、1970年代これらマルチプレックスがショッピングセンターに併設される形で各地に展開されたことで、再び上昇に転じた。マルチプレックスがショッピングセンターでの購買につながるかどうかについては当初から疑問視する考え方もあったが、ショッピングセンターを認知させる効果があると認められ、コア施設の扱いを受けた<ref name="leisure199707">篠崎彰彦 「外資系企業の参入で変わる日本の消費市場 対日直接投資の現状と外資系企業のもたらすインパクト」 『月刊レジャー産業資料』1997年7月号、綜合ユニコム、1997年、45-57頁</ref><ref>「アメリカ型ショッピング・センター その沿革・本質・問題点について」 『調査月報』昭和46年2・3月、日本長期信用銀行調査部、1971年、1-44頁</ref>。<br />
<br />
以来、複数スクリーンの映画館が北米では当たり前のものになり、多くの従来館は複数のスクリーンに改装されていった。複数スクリーンが1つのロビーを共有する形態であった。1スクリーンの映画館(従来館)は市場からほとんど撤退した。残った従来館は一般に、アート系映画や小規模製作の映画、映画祭などの上映に使用されている。例えば、[[カリフォルニア州]][[サクラメント (カリフォルニア州)|サクラメント]]の市街地にあるクレストシアターなどが挙げられる。<br />
<br />
この流れはヨーロッパにも広まっていく。[[1972年]]にはアルバート・バートとローズ・クライズによって、トリオスコープハッセルト(現キネポリスハッセルト、当時3スクリーン)が開館した。現在、同サイトを経営するキネポリスはこれをヨーロッパ初のマルチプレックスとしている。また、1981年には10スクリーン(当時)を備えるキネポリスヘントが開館した<ref>{{Cite web|url=http://corporate.kinepolis.com/index.cfm?PageID=18291|title=History|publisher=Kinepolis Group nv/sa|language=英語 |accessdate=2009年12月1日 }}</ref>。<br />
<br />
定義により異なるが、通常20スクリーン以上のマルチプレックスはメガプレックスと呼ばれる。 一般的に、世界初のメガプレックスは[[1988年]]に[[ベルギー]]の[[ブリュッセル]]に開館した[[キネポリス|キネポリスブリュッセル]](25スクリーン、7,500席)であると考えられる。 アメリカ初のメガプレックスは1988年に改装した[[ミシガン州]][[グランドラピッズ (ミシガン州)|グランドラピッズ]]の[[スタジオ28]](20スクリーン、6,000席、[[2008年]][[11月23日]]閉館<ref>{{Cite web|last=Ross|first=Peter|date=2008-11-14|url=http://www.wzzm13.com/news/news_article.aspx?storyid=101472|title=Studio 28 closing November 23rd|publisher=wzzm13.com|language=英語 |accessdate=2008年11月18日 }}</ref>)である。<br />
<br />
[[1983年]]、[[イギリス]]では[[ユナイテッド・シネマ・インターナショナル]]が設立。[[1985年]]にマルチプレックスに参入し、5年間で約1200スクリーンから1.5倍に増加させた。世界規模で展開する興行会社が次に参入を考えたのが日本市場であった。[[1991年]][[10月8日]]、ワーナー・ブラザース・インターナショナル・シネマズは[[マイカル|ニチイ]]と合弁で日本にワーナー・マイカルを設立する。<br />
<br />
=== 1993年 - 2002年 ===<br />
;日本市場への各社の参入<br />
[[画像:Wmc ebina jp multiplex 001.jpg|thumb|260px|ワーナー・マイカル・シネマズ海老名<br />(2008年11月23日撮影)]]<br />
[[1993年]][[4月24日]][[神奈川県]][[海老名市]]に日本初の本格的マルチプレックスであるワーナー・マイカル・シネマズ海老名が開館した。同社は北米やイギリスと同様にマルチプレックスという用語を用いていたが、日本市場では以前から存在する複数スクリーンの映画館と同様に、シネマコンプレックスと呼ばれた。そして、シネマコンプレックスの定義自体が後にマルチプレックスのことを指すようになる。そのため、現在では同館を日本初のシネマコンプレックスとすることが多い。日本国内のスクリーン数は減少傾向であったが、この1993年を底に増加に転じた。<br />
<br />
ワーナー・マイカルの進出当初は業界内では失敗するものと思われていた。従来館が既に撤退していた海老名には大きすぎる映画館だと考えられていたからである<ref>鈴木啓代 「財界レポート ヴァージングループなど外資系が続々参入するシネマコンプレックスの急成長」 『財界』1998年10月13日号、財界研究所、1998年、49-51頁</ref>。その後開館した同社のサイトについても同様であった。しかしながら、ワーナー・マイカルは主要他社が参入する1996年までに7サイトを開館し、年商は44億円以上、1スクリーン当たりの興行収入も当時の全国平均を上回る9200万円という成功を収めた<ref name="toyo19960427" />。<br />
<br />
この成功を機に外資の参入が相次ぎ、国内各社もシネマコンプレックスの建設に取りかかる。<br />
<br />
外資系の[[AMCシアターズ|AMCエンターテインメント]]とユナイテッド・シネマ ・インターナショナル・ジャパン(以下、UCIジャパン)は1996年、東宝と松竹は1997年、東急レクリエーションは1998年にそれぞれ自社系列のシネマコンプレックスを開館させた。1999年にはさらにヴァージンシネマズ・ジャパンが参入し外資系シネマコンプレックスは4社に増えている。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 興行各社のシネマコンプレックス第1号店<br />
! サイト名称 !! 運営企業 !! 開館日 !! 所在地 !! スクリーン数 !! 備考<br />
|-<br />
| ワーナー・マイカル・シネマズ海老名<br />(現イオンシネマ海老名) || 株式会社ワーナー・マイカル<br />(現イオンエンターテイメント株式会社) || [[1993年]][[4月24日]] || [[神奈川県]][[海老名市]] || style="text-align:right" | 7 || <br />
|-<br />
| [[シネマシティ]] || シネマシティ株式会社 || [[1994年]][[10月8日]] || [[東京都]][[立川市]] || style="text-align:right" | 6 || <br />
|-<br />
| AMCキャナルシティ13<br />(現ユナイテッド・シネマ キャナルシティ13) || AMCエンターテインメント || [[1996年]][[4月20日]] || [[福岡県]][[福岡市]] || style="text-align:right" | 13 || <br />
|-<br />
| マイカル松竹シネマズ本牧<br />(後のMOVIX本牧、閉館) || 株式会社マイカル松竹 || [[1996年]][[6月29日]] || 神奈川県[[横浜市]] || style="text-align:right" | 7 || マイカル (90%)、松竹 (10%) の合弁。<br />
|-<br />
| [[Oh!Me大津テラス|OTSU7シネマ<br />(現ユナイテッド・シネマ大津)]] || ユナイテッド・シネマ ・インターナショナル・ジャパン株式会社 || [[1996年]][[11月2日]] || [[滋賀県]][[大津市]] || style="text-align:right" | 7 || <br />
|-<br />
| 天神東宝<br />(現[[TOHOシネマズ天神]]) || [[六部興行|東宝九州興行株式会社]] || [[1997年]][[3月15日]] || [[福岡県]][[福岡市]] || style="text-align:right" | 6 || <br />
|-<br />
| MOVIX六甲<br />(後の[[神戸ファッションプラザ#シネウェーブ六甲|シネウェーブ六甲]]、閉館)|| 株式会社松竹マルチプレックスシアターズ || [[1997年]][[3月20日]] || [[兵庫県]][[神戸市]] || style="text-align:right" | 7 || [[シネマーク・シアターズ|シネマーク・インターナショナル]]との合弁。<br />
|-<br />
| 109シネマズ港北 || 株式会社東急レクリエーション || [[1998年]][[4月25日]] || 神奈川県横浜市 || style="text-align:right" | 7 || <br />
|-<br />
| ヴァージンシネマズトリアス久山<br />(後のTOHOシネマズトリアス久山、<br />現ユナイテッド・シネマトリアス久山) || ヴァージンシネマズ・ジャパン株式会社<br />(現TOHOシネマズ株式会社) || [[1999年]][[4月23日]] || [[福岡県]][[久山町]] || style="text-align:right" | 7 || <br />
|-<br />
| イオンシネマ久御山 || イオンシネマズ株式会社 || [[1999年]][[6月29日]] || [[京都府]][[久御山町]] || style="text-align:right" | 7 || <br />
|-<br />
| T・ジョイ東広島 || 株式会社ティ・ジョイ || [[2000年]][[12月9日]] || [[広島県]][[東広島市]] || style="text-align:right" | 6 || <br />
|}<br />
<br />
各社の出店戦略は様々であった。<br />
<br />
AMCエンターテインメントは当初九大都市ロードショー地域を中心にメガプレックスを計画していたが、後に地方都市の郊外型ショッピングセンターにも出店するようになった。UCIジャパンは地方の県庁所在地クラスの都市を中心に出店を計画していった<ref name="toyo19960427" /><ref name="leisure199809" />。また、ワーナー・マイカルは親会社[[マイカル]]のショッピングセンターに併設する形で計画を進め、九大都市ロードショー地域である本牧の出店はマイカル松竹に譲り大手映画会社との摩擦を避けた<ref>宇田川日出雄 「松竹・マイカル複合映画館の挑戦」 『週刊東洋経済』1996年7月27日号、[[東洋経済新報社]]、1996年、53頁</ref>。後に親会社自体が駅前再開発に参画していった<ref>「記者の耳 大店立地法を逆手に自治体を巻きこんで駅前を再開発」 『週刊ダイヤモンド』1998年9月12日号、ダイヤモンド社、1998年、18頁</ref>ため駅前立地型も増えていく。<br />
<br />
東宝グループは有楽町マリオンやシネシックスでの成功を元に、番組編成のしやすい東宝邦画系と洋画系の1・2番手の3スクリーンで組み合わせる劇場展開にこだわり続けた<ref>{{Cite journal|和書|year=1994|month=2|title=東宝・石田敏彦代表取締役専務にきく 興行は“立地”と“ソフト”だけじゃない|journal=AVジャーナル|volume=34|issue=2|pages=22-29頁|publisher=文化通信社}}</ref>ため出遅れた。1997年頃からこの方針を転換し、5 - 6スクリーンのシネマコンプレックスを展開しはじめたが<ref>{{Cite journal|和書|year=1997|month=12|title=東宝創立65周年・石田敏彦社長インタビュー 肌で感じ取ってきた東宝の45年|journal=AVジャーナル|volume=37|issue=12|pages=26-33頁|publisher=文化通信社}}</ref>、そのころ開館した天神東宝は当初は定員入替制の導入をしておらず立ち見を出していたり<ref>「天神に文化の殿堂またひとつ 6映画館の「東宝ビル」誕生 宝塚ショップ人気」 『西日本新聞』1997年3月16日付朝刊、都市圏版、第24面</ref><ref>2006年11月29日より入替制を導入「福博映画案内」 『西日本新聞』1997年11月26日付夕刊、10版B、第5面</ref>、浜大津アーカスシネマはスタジアムシートを導入しておらずフラットな床だったり、サービス面で見劣る部分があった。1998年12月5日にやっと本格的な郊外型のシネマコンプレックスとされる鯖江シネマ7を開館させたが<ref>{{Cite journal|和書|year=1998|month=12|title=本格的な郊外型シネコン『鯖江シネマ7』 東宝“映画劇場の未来形”12月オープン|journal=AVジャーナル|volume=38|issue=12|pages=14頁|publisher=文化通信社}}</ref>、ワーナー・マイカルにスクリーン数で国内1位の座を明け渡し、外資系他社の買収を模索するようになる<ref name="avjournal200304">{{Cite journal|和書|year=2003|month=4|title=特集/シネコン10年これまでとこれから 邦画3社経営『札幌』“日本一のシネコン” 東宝、ヴァージンシネマズ100億で買収|journal=AVジャーナル|volume=43|issue=4|pages=22-26頁|publisher=文化通信社}}</ref>。<br />
<br />
一方、松竹は国内興行会社としてはマルチプレックスへの対応が早かった。1990年から海外情報の収集を進め、1995年4月にはマルチプレックスシアター開発委員会を設立。二条駅周辺区画整理事業用地内(現[[BiVi二条]])<ref name="nijo" group="脚注">この事業用地は、当初、松竹マルチプレックスシアターズの進出が計画されていたが、松竹が自社所有地に出店するよう計画変更した。そのため、テナントの選定が再度行われ、2001年にロウズ社が出店する計画となった。しかし、ロウズ社も破綻したため、ヴァージンシネマズ・ジャパンに計画変更。さらにヴァージンシネマズ・ジャパンも東宝に買収されたため、最終的には2005年にTOHOシネマズ二条が開館している。</ref>への1号店進出を計画した。1996年5月には松竹マルチプレックスシアターズを設立し、2000年までに10地区100スクリーン、国内のスクリーン数が3000を越えた時点で1割に当たる300スクリーンの目標を掲げた。しかしながら、ノウハウ吸収を目的として合弁契約をしたシネマーク・インターナショナルとは開発スタンスの違いが原因で合弁契約を解消したり、競合会社の増加によりテナント契約が困難を極めたりしたため、出店計画に若干の遅れが発生した<ref>{{Cite journal|和書|year=1997|month=8|title=松竹シネマークシアターズの21世紀に向かう姿勢 シネコン水面下の陣取りいま酣|journal=AVジャーナル|volume=37|issue=8|pages=22-27頁|publisher=文化通信社}}</ref><ref name="leisure199810">{{Cite journal|和書|author=万場栄一|year=1998|month=10|title=台頭するシネマコンプレックスと映画館産業の行方 第2回 邦画大手3社のシネコンも始動|journal=月刊レジャー産業資料|volume=31|issue=10|pages=137-141頁|publisher=綜合ユニコム}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|year=2000|month=9|title=松竹マルチプレックスシアターズ第1期経営戦略 年間売上100億、100スクリーン達成へ|journal=AVジャーナル|volume=40|issue=9|pages=24-27頁|publisher=文化通信社}}</ref>。<br />
東宝系の興行各社や松竹マルチプレックスシアターズは、新設される地方のショッピングセンターを中心に出店計画を立てていった。当時各地で開発していたイオン系のショッピングセンターも多く含まれた。<br />
<br />
逆に、ヴァージンシネマズ・ジャパンは初期に計画された[[イオンモール名古屋みなと|名古屋ベイシティ]]を除き、イオン系のショッピングセンターへの出店計画は行っていない。ジャスコ久御山ショッピングセンター(現[[イオンモール久御山]])の出店決定が目前と思われていたにも関わらず、同社と同一のコンセプトで子会社のイオンシネマズを出店させたからとされる。また、後に関東、関西の駅ビルを中心に出店計画を行っていくようになった<ref>山本マーク豪 『ポップコーンはいかがですか?』 新潮社、2003年、165-167,208-209頁 ISBN 4-10-464301-7</ref>。一方、イオンシネマズは親会社のショッピングセンターに併設する形で計画を進めていった。<br />
<br />
[[1999年]]UCIは[[住友商事]]、[[角川書店]]と合弁で新法人ユナイテッド・シネマ株式会社を設立し、1999年10月1日開館のユナイテッド・シネマ岸和田以降に開館したサイトはUCIジャパンではなく同法人での運営とした。住友商事は1985年に[[アスミック・エースエンタテインメント|アスミック]]の設立にも参画しているため、この合弁で製作・配給から興行まで関わる企業となっている。また、AMCエンターテインメントは1999年7月に日本法人の株式会社日本AMCシアターズを設立し、劇場運営を移管している。<br />
<br />
;各地の状況<br />
シネマコンプレックスが各地に展開していくにあたり、従来その地方で興行を行っていた企業の反発を招いたり、シネマコンプレックス間での競争が発生したりしはじめた。<br />
<br />
; [[青森県]][[弘前市]]<br />
: ワーナー・マイカルの進出にあたって従来館からの激しい反発があった。地元の興行団体だけでなく全国興行生活衛生同業組合連合会まで反対運動を行ったが、1994年9月23日にワーナー・マイカル・シネマズ弘前(現イオンシネマ弘前)は開館した。結果的に、開館当時8館あった従来館のうち6館が1996年までに閉館するだけでなく、ワーナー・マイカルも興行的に苦戦を強いられた<ref name="toyo19960427"/><ref name="kine20000700">掛尾良夫 「短期集中連載 映画興行は面白い 第2回 シネコン篇」 『キネマ旬報』2000年7月上旬号、キネマ旬報社、2000年、152-155頁</ref>。ワーナー・マイカルは開館後、[[弘前ねぷた]]へ参加するなど、地域に根付くための活動を行っている。<br />
; [[福島県]][[福島市]]<br />
: 1996年9月に[[フォーラムシネマネットワーク|福島フォーラム]]が1998年に進出予定のワーナー・マイカルにスクリーン数の削減を申し入れた。1997年4月にはフォーラム側は3万人以上の市民の署名も集めている。また、新聞にはフォーラムの閉館を危ぶむ声が投書されるなど、映画館同士としての問題だけでなく地元住民の反発まで招いた<ref>「ふれあいサロン モズと映画館」 『福島民報』(県北版)1997年4月4日付朝刊、第17面</ref><ref>「県都の映画の灯消させない フォーラム新館きょうオープン」 『福島民報』(福島版)1997年4月12日付朝刊、第16面</ref>。ここまで至ったのはロードショー上映で収益をあげ、それを原資にミニシアター作品を上映していたフォーラムの手法が支持されていた背景がある<ref name="juminjichi199812">{{Cite journal|和書|author=清水修二|year=1988|month=12|title=4万市民が推すわれらが「フォーラム」|journal=住民と自治|issue=428|pages=62-65頁|publisher=自治体研究社}}</ref>。[[中小企業の事業活動の機会の確保のための大企業者の事業活動の調整に関する法律|分野調整法]]に基づいた調整を申請したが通産省および厚生省に却下され<ref name="juminjichi199812" />、福島フォーラムは1997年4月12日にフォーラム5、6を増設。ワーナー・マイカルは1998年3月1日にワーナー・マイカル・シネマズ福島(現イオンシネマ福島)を予定通りのスクリーン数で開館させ、物別れにおわった。しかしながら、両者とも興行的には共存している。<br />
; [[神奈川県]][[横浜市]]<br />
: 前述の通り1996年6月29日の[[本牧]]へのシネマコンプレックスの出店はマイカル松竹が行い、マイカルは大手映画会社との摩擦を避けた。しかし、3年後の1999年9月10日、[[横浜みなとみらい21|みなとみらい]]地区への出店はワーナー・マイカルが行った。この地域では[[馬車道 (横浜市)|馬車道]]周辺の従来館が優先的に新作配給を受けたため、ワーナー・マイカル・シネマズみなとみらい(現イオンシネマみなとみらい)の開館時には旧作ばかりが上映される事態となった。しかし、同年12月11日に[[ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント (日本)|ソニー・ピクチャーズ]]が『[[ジャンヌ・ダルク (映画)|ジャンヌ・ダルク]]』や『[[ランダム・ハーツ]]』を封切りと同時に配給し、これを機に同館には順次各社から新作の配給がされるようになった。なお、これらの作品を自社チェーンで上映していた松竹、東宝はソニー・ピクチャーズに対する制裁措置とも言われる数週間での打ち切りやムーブオーバーを行っている<ref name="kine20000700"/>。<br />
; [[滋賀県]][[大津市]]<br />
: 1996年11月2日に開館したUCIジャパンのOTSU7シネマと1998年4月23日に開館した東宝直営の浜大津アーカスシネマ(現大津アレックスシネマ)は直線距離で1.2kmしか離れていない。外資系と国内大手の初の直接対決として注目された。同地域では配給会社によってどちらの劇場に配給するかが別れた。[[ユナイテッド・インターナショナル・ピクチャーズ]]配給作品はOTSU7シネマを優先に、東宝邦画系作品は浜大津アーカスシネマを優先に配給された。結果的にそれ以外の上映権を巡って両劇場で争うことになった<ref name="leisure199810" />。<br />
; [[福岡県]][[福岡市]]<br />
: 1996年4月20日に[[AMCシアターズ|AMCエンターテインメント]]が九大都市ロードショー地域である福岡県福岡市にAMCキャナルシティ13を開館した。上映作品や料金設定など具体的な内容を開館直前まで発表せず、地元興行会社からはその手法から黒船と恐れられた<ref>「ドラマチックシティ 変わる福博7 黒船見ゆ 外資に揺れる映画街」 『西日本新聞』1996年4月10日付朝刊、第27面</ref>。これに対抗して松竹マルチプレックスシアターズが同地域に進出する報道もあった<ref>「福岡舞台に日米映画決戦 松竹が複合娯楽施設」 『西日本新聞』1996年4月10日付朝刊、第1面</ref>が、最終的には断念した。東宝九州興行は同地域の映画館を再編し、東宝系初のシネマコンプレックス天神東宝を1997年3月15日に開館させている。なお、当初AMCキャナルシティ13には邦画系を中心に配給されないことが懸念されたが、結果的には配給が行われた。<br />
<br />
当時は大津市や横浜市の例に見られるように、配給会社から配給を受ける上映権を得るために争うことが多かった。しかしながら、従来は7割程度を占めていた従来館中心のロードショー館の興行収益比率がシネマコンプレックス中心のローカル館に押され、2000年には5割近くまで落ち込んでいた。このため配給会社はシネマコンプレックスにも配給を行うようになり、洋画系については2000年以降、おおよその地域ではこのような争いは見られなくなっていった<ref name="moviecollection20090801" />。そして、大半の競合地域では、単純に集客力を争っていくようになり、後に邦画3社が従来館中心からシネマコンプレックス中心へと軸足を動かす要因にもなっていく。<br />
<br />
;日本での急増とアメリカでの破綻<br />
[[画像:600 N Michigan Theatres.jpg|thumb|260px|アメリカでの元ロウズ社の劇場<br />(''AMC Loews 600 North Michigan 9'')]]<br />
1999年から2001年1月の間にシネマコンプレックスは急増する。この2年1ヶ月の間に主な興行会社だけで、ワーナー・マイカルが24サイト、ユナイテッド・シネマが7サイト、松竹マルチプレックスシアターズが7サイト、東宝および東宝系の六部興行が6サイト、ヴァージンシネマズ・ジャパンが5サイトの出店をしている。これは、1998年に「[[大規模小売店舗立地法]]」が成立したため、旧法である「[[大規模小売店舗法]]」の基準で計画されたショッピングセンターが旧法の期限である2001年1月までに駆け込み出店したためである。ショッピングセンターに併設されるシネマコンプレックスは結果的に急増する形になった。<br />
<br />
2001年1月18日には[[ロウズ・シネプレックス・エンターテインメント]]が[[京都市]]二条の二条駅周辺区画整理事業用地内<ref name="nijo" group="脚注" />に出店することが京都市より発表された<ref>「二条駅地区シネコン ざん新外観地域象徴に 米興行大手日本に初進出」 『京都新聞』2001年1月18日付夕刊、第7版、第1面</ref>。外資系シネマコンプレックスとして5社目の参入だったが、同年2月15日に同社は日本の民事再生法にあたる[[連邦倒産法第11章]]を申請し破綻<ref>「京シネコン運営予定 米映画興行会社が破産」 『京都新聞』2001年1月16日付夕刊、第7版、第1面</ref>。参入は実現しなかった。<br />
<br />
アメリカで連邦倒産法第11章を申請したのはロウズ社だけではなかった。アメリカでは1990年代にシェア獲得のためメガプレックスの出店競争が加熱した一方、年間観客数は14億人程度と横ばいであったため、採算性が悪化していた。各社とも不採算スクリーンの閉鎖を行ったが、出店の資金負担に耐えられず1999年から2001年の間に相次いで連邦倒産法第11章を申請することになった。日本でも前述の通りシネマコンプレックスが急増していたため、先行きが不安視されるようになる<ref name="reisure200103">万場栄一 「新局面を迎えたシネマコンプレックス開発 急激な開業ラッシュで早くも“飽和期”か」 『月刊レジャー産業資料』2001年3月号、綜合ユニコム、2001年、103-112頁</ref>。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 連邦倒産法第11章を申請した主な米興行会社<br />
! 興行会社 !! 申請日 !! 備考<br />
|-<br />
| [[マン・シアターズ]]<br />({{lang|en|Mann Theatres}}) || 1999年9月17日 || 後にコロラド・シネマズとカーマイク・シネマズに買収される。<br />
|-<br />
| カーマイク・シネマズ<br />({{lang|en|Carmike Cinemas}}) || 2000年8月8日 || 再建後独自ブランドを維持。<br />
|-<br />
| エドワーズ・シネマズ<br />({{lang|en|Edwards Cinemas}}) || 2000年8月28日 || 後に[[リーガル・エンターテインメント・グループ|リーガル・エンタテインメント]] ({{lang|en|Regal Entertainment Group}}) 傘下に統合。<br />
|-<br />
| ユナイテッド・アーティスツ・シアターズ<br />({{lang|en|United Artists Theatre Circuit}}) || 2000年9月6日 || 後にリーガル・エンタテインメント傘下に統合。<br />
|-<br />
| ゼネラル・シネマ<br />({{lang|en|General Cinema Corporation}}) || 2000年10月11日 || 後に[[AMCシアターズ]] ({{lang|en|AMC Theatres}}) 傘下に統合。<br />
|-<br />
| [[ロウズ・シネプレックス・エンターテインメント]]<br />({{lang|en|Loews Cineplex Entertainment}}) || 2001年2月15日 || 後にAMCシアターズ傘下に統合。<br />
|}<br />
<br />
しかしながら、日本での急増の流れは一旦歯止めがかかる。AMCエンタテインメントはアメリカでの厳しい状況に対応するため、アメリカ国内への投資に集中させた。そのため、日本での出店は2000年[[7月8日]]に開館したAMCイクスピアリ16以降、全く行われなくなった<ref name="avjournal200507">{{Cite journal|和書|year=2005|month=7|title=話題の焦点 ユナイテッドC、AMCを買収へ 住商・角川で30サイト実現にメド|journal=AVジャーナル|volume=45|issue=7|pages=6-7頁|publisher=文化通信社}}</ref>。また、2001年9月14日にマイカルが[[民事再生法]]を申請、同年11月22日には[[会社更生法]]へと申請を切り替えた。この影響での神奈川県の川崎駅北口地区第3西街区(現[[川崎DICE]])への出店など、子会社ワーナー・マイカルの複数の出店計画が白紙撤回された。このため、これ以降約3年間、同社は移転を除き新規出店を行うことはなかった。他の各社も大規模小売店舗立地法が施行されショッピングセンターの開発が減少したため、特に郊外型の出店数は落ち着くようになった。<br />
<br />
2001年以降になると、邦画3社がシネマコンプレックス中心に大きく舵を切り、郊外型に代わり大都市のロードショー館が続々シネマコンプレックスのスタイルへ変化していくことになった。京都[[四条河原町]]では[[松竹座|京都松竹座]]、SY松竹京映、京都ピカデリーが2001年11月22日に閉館し、翌日MOVIX京都が開館。東京[[有楽町]]では[[日本劇場]]、日劇東宝、日劇プラザが2002年3月2日に日劇PLEX(後の[[TOHOシネマズ日劇]])に、大阪[[梅田]]の北野劇場、梅田スカラ座、梅田劇場は2002年11月23日にナビオTOHOプレックス(現[[HEP#TOHOシネマズ梅田|TOHOシネマズ梅田]])に生まれ変わっていった。<br />
<br />
一方、邦画3社がシネマコンプレックスへと舵を切ったことで、系列館として番組配給を受けていた従来館は閉館を余儀なくされる状況に追い込まれていった。例えば、2003年3月6日の札幌シネマフロンティアの開館に当たっては、[[帝国座 (札幌市)|帝国座会館]]やニコー劇場を経営していた天野興業株式会社が同年2月末で番組提携契約を打ち切られ<ref>{{Cite journal|和書|author=石川郁|year=2003|month=1|title=番組提携打ち切りで“仁義なき戦い” 巨大シネコンに札幌の映画館の戦々恐々|journal=道新Today|pages=170-172頁|publisher=北海道新聞社}}</ref>、同年9月5日に自己破産を申請している<ref>「天野興業が自己破産 突然なぜ/帝国座、思い出の映画館/つらい 関係者、惜しむ声」 『北海道新聞』2003年9月6日付、第16版、第34面</ref>。外資系シネマコンプレックスとの競争にさらされながらも生き残っていた従来館は、これ以降各地から姿を消していくことになった。<br />
<br />
;設備とサービスの変遷 <br />
'''予約システム'''<br />
<br />
シネマコンプレックスの場合、定員制をとっているため、見たい映画が完売して見られないと言うリスクが利用客にある。そのため、インターネット普及以前はワーナー・マイカルの一部などいくつかのシネマコンプレックスで電話予約が行われていた<ref>当時の広告に電話予約を行っている旨が確認出来る。「広告 「ワーナー・マイカル・シネマズ7・海老名」がオープン!」 『神奈川新聞』1993年4月23日付朝刊、第19面</ref>。しかし、映画館側の運用が煩雑で、需要が高い繁忙期に対応しきれない問題があった。このため、1997年頃までに電話予約は廃止された<ref>1997年頃まで弘前や茅ヶ崎では電話予約を行っている旨の記述が確認出来る。{{Wayback |url=http://www.mycal.co.jp/wb_mycal/Theater/hirosaki_2.html |title=劇場案内 ワーナー・マイカル・シネマズ弘前 |date=19970706120158 }}、{{Wayback |url=http://www.mycal.co.jp/wb_mycal/Theater/chigasaki_2.html |title=劇場案内 ワーナー・マイカル・シネマズ茅ヶ崎 |date=19970706120224 }}</ref>。代わって2002年にヴァージンシネマズ・ジャパンがインターネットチケット販売システムVitを導入したのを皮切りに、インターネットでの販売が主流になっていった。<br />
<br />
'''座席指定'''<br />
<br />
ワーナー・マイカルやAMCエンターテインメントは、座席指定を行わない定員入替制を採用していた。また、一部を指定席にし一般料金より高めの料金設定をする劇場も見られた。しかし、1996年11月にUCIジャパンが開館したOTSU7シネマは全席指定制を採用した。そのため、1998年9月26日公開の『[[プライベート・ライアン]]』からワーナー・マイカルは全席指定制を部分採用する形に切り替えた。これ以降、シネマコンプレックスでは全席指定制が主流になっていった。さらに、1999年4月23日に開館したヴァージンシネマズトリアス久山はプレミアスクリーンとして座席幅を広くし、サイドテーブルのあるシートを採用した高付加価値のスクリーンを設置した。これにより単なる全席指定制では差別化が図れなくなり、各社とも特徴のあるサービスを行うようになっていった。<br />
<br />
=== 2003年 - 2009年 ===<br />
;業界再編<br />
2003年以降になると、外資系シネマコンプレックスの撤退を引き金に業界再編がはじまる。<br />
<br />
外資系各社の攻勢でワーナー・マイカルが337スクリーンを保有していたのに対し、東宝グループは284スクリーンと劣勢に立たされていた。この状況に際し、東宝は他社の買収を模索していたとされる<ref group="脚注">ただし、この報道を東宝側は認めていない。</ref>。2003年4月4日、[[野村證券]]の仲介により100億円でヴァージンシネマズ・ジャパンを買収し、シェアトップの座に返り咲いた<ref name="avjournal200304" /><ref>{{Cite journal|和書|year=2003|month=5|title=TOPインタビュー/高橋昌治・東宝取締役興行担当 東宝がヴァージンシネマズJを買収した理由 一気にシェアトップ、怒濤の興行攻勢が始動|journal=AVジャーナル|volume=43|issue=4|pages=22-26頁|publisher=文化通信社}}</ref>。<br />
<br />
買収されたヴァージンシネマズ・ジャパンは改称しTOHOシネマズとなった<ref>{{Cite web |date=2003-02-26 |url=http://www.toho.co.jp/c_topics/topics_02_26.html |title=東宝・ヴァージン共同記者会見(要旨) |publisher=東宝株式会社 |language=日本語 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20081011235655/http://www.toho.co.jp/c_topics/topics_02_26.html |archivedate=2008-10-11 |accessdate=2008-12-10}}</ref>。東宝は同社系列の興行会社をこれ以降再編していく。2006年10月1日に東宝直営館をTOHOシネマズに移管し、続いて2008年3月1日に東宝東日本興行、中部東宝、東宝関西興行、九州東宝をTOHOシネマズに吸収合併させた<ref>{{Cite press release|date=2007-09-25 |url=http://www.toho.co.jp/toho_ir/pdfs/070925.pdf |title=連結子会社の吸収合併と会社分割に関するお知らせ |format=PDF |publisher=東宝株式会社 |language=日本語 |accessdate=2008-12-10 }}</ref>。各興行会社が運営していたTOHOプレックスをはじめとするシネマコンプレックスは、改装しTOHOシネマズのブランドに変わった。また、TOHOシネマズ高槻、浜大津アーカスシネマ、鯖江シネマ7と言った地方のサイトの一部は独立系の興行会社に事業譲渡された。<br />
<br />
2004年4月22日にはマイカルと松竹の合弁であったマイカル松竹シネマズ本牧が松竹ニューセレクトに事業譲渡されることが発表された<ref>{{Cite web |date=2004-04-22 |url=http://www.shochiku.co.jp/guide/information/2004/20040422.html |title=新会社「株式会社 松竹ニューセレクト」設立、及び「MOVIX本牧」営業開始 |publisher=松竹株式会社 |language=日本語 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20061230090357/http://www.shochiku.co.jp/guide/information/2004/20040422.html |archivedate=2006-12-30 |accessdate=2008-12-10 }}</ref>。同年4月30日以降、同サイトは改装しMOVIX本牧として運営された<ref group="脚注">前述の通りみなとみらい地区等の劇場と競合し、後の2011年1月16日に閉館している。</ref>。<br />
<br />
また、2004年9月にUCIが撤退し、同社保有分のユナイテッド・シネマの株式を住友商事と角川グループに売却した。さらに、2005年にはAMCエンターテインメントが撤退をする。AMCイクスピアリ16を除いた4サイトと日本法人の日本AMCシアターズが[[7月1日]]にユナイテッド・シネマに売却された<ref name="avjournal200507" />。AMCイクスピアリ16は[[東京ディズニーリゾート]]を運営する[[オリエンタルランド]]と家賃を巡って係争中であったが、[[9月1日]]にそのオリエンタルランドに事業譲渡された<ref>{{Cite journal|和書|year=2005|month=10|title=映像最前線 オリエンタルランド、シネコンに興味津々まずAMCを直営化、新規出店の可能性も|journal=AVジャーナル|volume=45|issue=10|pages=23 頁|publisher=文化通信社}}</ref>。同サイトはデジタル3D映画システムの導入などを行い、2006年3月1日に同社の直営のシネマイクスピアリとなっている。<br />
<br />
;再度の急増<br />
[[画像:Sapporo Cinema Frontier(2).jpg|thumb|240px|right|[[札幌ステラプレイス]]内にある札幌シネマフロンティア]]<br />
この時期になると、大都市ロードショー館のシネマコンプレックス化が加速した。この動きの中では[[札幌シネマフロンティア]](TOHOシネマズ、松竹、ティ・ジョイの共同経営)や、大阪の[[E-MA|梅田ブルク7]]、[[なんばパークス|なんばパークスシネマ]](松竹、ティ・ジョイの共同経営)等、日本国内の大手映画会社による、共同経営もみられた。ただし、横浜[[桜木町]]で計画されていた共同運営の劇場開発からTOHOシネマズが撤退する事例もあり、完全に足並みがそろっているわけではない<ref>{{cite news |title=東宝が横浜・桜木町のシネコン開発から撤退 |url=http://www.varietyjapan.com/news/business/2k1u7d00000irzjz.html |newspaper=バラエティ・ジャパン |publisher=Reed Business Information Japan K.K. |date=2009-02-03 |accessdate=2009-02-09 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20090205130515/http://varietyjapan.com/news/business/2k1u7d00000irzjz.html |archivedate=2009-02-05 }}</ref>。<br />
<br />
動員もシネマコンプレックスが主体となっていった。[[2003年]]から[[2006年]]まで[[川崎市]]の[[チネチッタ (川崎市)|チネチッタ]]が年間観客動員数日本一に、[[2007年]]は観客動員数はMOVIXさいたま、興行収入はTOHOシネマズ[[六本木ヒルズ]]が日本一になった。<br />
<br />
大規模小売店舗法の下での駆け込み出店が行われた影響もあり、大規模小売店舗立地法が施行された後、しばらくは郊外型シネマコンプレックスの出店ペースは落ち着いていた。前述の通り、大都市ロードショー館のシネマコンプレックス化はあったが、従来館の置き換えであるため、スクリーン全体としては微増であった。2000年に2524スクリーンだったものが2003年末までに2681スクリーンになっただけで、157スクリーンしか増えていない<ref name="eiren_kakodata" />。<br />
<br />
しかし、大規模小売店舗立地法自体が郊外型ショッピングセンターの出店を行いやすい法体系であったため、2004年以降、増加傾向に拍車がかかった。さらに、2006年に[[まちづくり3法]]が改正され、郊外型ショッピングセンター新設に抑制がかけられたため、再び駆け込み出店が行われることになった。結果的に2006年には従来館も含めると3000スクリーンを突破し、2007年には3221スクリーンとなった<ref name="eiren_kakodata" />。これは1970年頃のスクリーン数とほぼ同じである。当時の映画人口は2億5千万人程度であったが、2001年以降、映画人口は1億6千万から7千万人程度でほぼ横這いの状態が続いており<ref name="eiren_kakodata">「[http://www.eiren.org/toukei/data.html 過去データ一覧表]」 社団法人日本映画製作者連盟、2010年2月15日閲覧</ref>、飽和状態になったとも言われる。<br />
<br />
観客数が横ばいでありながら各社の出店が続いていること、映画ソフトのレンタルやテレビでの放映までの期間が近年では短くなってきていること、インターネットによるオンデマンド配信も増えていることなど、シネマコンプレックスの経営は年々厳しくなっていった。また、後述する競合他社との差別化のための設備投資の結果、1998年頃は平均座席占有率<ref group="脚注">上映1回当たりの平均入場者数を全座席数で除した割合。</ref>が10.2%で経営が成り立っていたものが、2004年には14.7%まで上昇していった。結果的に、興行収入からの営業利益は4.3%しか得られていない。従来館を含めると2006年には3000スクリーンを突破しているが、3000スクリーンの経営を成立させるには1億8千万人の映画人口が必要との試算もある<ref name="reisure200103" />。このため、入場者の安定確保と共に飲食物など売店収入の増加などが鍵になるとされた<ref>{{Cite journal|和書 |author=伊藤雄介 |year=2007 |title=シネマコンプレックスの現状と課題〜転換期にさしかかったシネコン経営〜 |journal=三井トラスト・ホールディングス 調査レポート |issue=2007年夏 No.58 |pages=29-37頁 |publisher=三井トラスト・ホールディングス |url=http://www.chuomitsui.jp/invest/pdf/repo0706_1.pdf |format=PDF |accessdate=2008-11-27 }}</ref>。<br />
<br />
;各地の状況<br />
[[画像:WARNER-MYCAL-CINEMAS-of-Kishiwada001.JPG|thumb|260px|right|閉館した「ワーナー・マイカル・シネマズ東岸和田」<br />(2007年7月23日撮影)]]<br />
シネマコンプレックスの同士での競合商圏内での出店が増えたため、再編、閉館などの動きが見られるようになった。<br />
<br />
; [[大阪府]][[高槻市]]<br />
: [[ジョイプラザ]]運営の高槻シネマルート170(2000年7月21日開館)とTOHOシネマズ運営のTOHOシネマズ高槻(2004年2月21日開館)の2サイトが、約2km程度の距離に存在した。2007年6月28日にTOHOシネマズ高槻が閉館し、営業譲渡されたジョイプラザが同一施設で同年6月30日から高槻ロコ9シネマ(現高槻アレックスシネマ)として運営している。また、同日に高槻シネマルート170は閉館し、同地域のシネマコンプレックスは1館に再編された。同地域に東宝の出店予定はなかったが、買収したヴァージンシネマズの出店計画が進んでおり出店せざるを得なかった。無駄な競合を避けるため、TOHOシネマズ高槻の開館後に再編をした<ref>{{cite news |title=TOHOシネマズ高槻、営業権譲渡の理由 |url=http://www.bunkatsushin.com/modules/bulletin/article.php?storyid=11152 |newspaper=文化通信.com |publisher=文化通信社 |date=2007-06-04 |accessdate=2012-05-03 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20090311071828/http://www.bunkatsushin.com/modules/bulletin/article.php?storyid=11152 |archivedate=2009-03-11 }}</ref>とされる。<br />
; [[大阪府]][[岸和田市]]<br />
: 1993年4月29日[[イオン東岸和田店|ワーナー・マイカル・シネマズ東岸和田]]が開館した。さらに1999年10月1日ユナイテッド・シネマ岸和田が開館し、2サイトとなった。岸和田市は高槻市より商圏人口で劣りながらも共存していたが、ワーナー・マイカル・シネマズ東岸和田が老巧化を理由に2008年2月3日をもって閉館した。これは、国内初のシネマコンプレックスの閉館とされる<ref>{{cite news |title=国内初、シネコン閉館へ |url=http://www.varietyjapan.com/news/movie/u3eqp3000001tax9.html |newspaper=バラエティ・ジャパン |publisher=Reed Business Information Japan K.K. |date=2007-12-10 |accessdate=2008-11-11 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20080907072306/http://www.varietyjapan.com/news/movie/u3eqp3000001tax9.html |archivedate=2008-09-07 }}</ref>。<br />
; [[奈良県]][[橿原市]]<br />
: 総人口12万5千人程度の都市でありながら、中心部の近鉄[[大和八木駅]]を中心に半径約2km圏内に橿原シネマアーク(1999年7月24日開館、5スクリーン)MOVIX橿原(2001年6月開館、9スクリーン)TOHOシネマズ橿原(2004年4月1日開館、9スクリーン)の3サイトが存在したが、シネマアークは2009年4月30日に閉館した。MOVIX橿原が入居する[[ツインゲート橿原]]もシネマコンプレックス以外の入居店舗が大幅に入れ替わっているため苦戦を強いられ、松竹マルチプレックスシアターズは長期間に渡る家賃の削減等の交渉をディベロッパー側と行なっていたが<ref name="bunkatsushin201112" />、2014年6月4日に、2014年8月31日をもって閉館することを発表した。<ref>{{cite web|url=http://www.smt-cinema.com/sp/site/kashihara/news/detail/s_movix_1.html|title=MOVIX橿原 閉館のお知らせ|date=2014-06-04|accessdate=2014-06-26|work=松竹マルチプレックス・シアターズ}}</ref>。なお、2015年12月18日に[[ユナイテッド・シネマ]]橿原として再オープンしている。<br />
; [[神奈川県]][[海老名市]]<br />
: 1993年4月24日にワーナー・マイカル・シネマズ海老名(現イオンシネマ海老名)が開業した9年後、2002年4月19日にヴァージンシネマズ海老名(現TOHOシネマズ海老名)が開業した。双方の映画館はわずか400mしか離れていない。しかし、この状況を逆手にとって、2002年から海老名商工会議所が中心となり、[[海老名プレミアム映画祭]]を開催し、海老名市を「シネマコンプレックス発祥の地」としてアピールした<ref>{{Cite web|date=2008-7-22 |url=http://www.ecci.or.jp/eigasai/H20/eigasaitoha_1.htm |title=映画祭とは? |publisher=海老名商工会議所 |accessdate=2008-11-26 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20090308031909/http://www.ecci.or.jp/eigasai/H20/eigasaitoha_1.htm |archivedate=2009-03-08 }}<br />
</ref>。<br />
; [[埼玉県]][[熊谷市]]<br />
: 2000年11月16日にワーナー・マイカル・シネマズ熊谷(現イオンシネマ熊谷)が開業した。従来館の[[シネティアラ21#シネプラザ21|シネプラザ21]]を運営していた鷹の羽興業は2003年9月30日に同館を閉館させ、2004年11月20日にシネマコンプレックスの[[シネティアラ21]]を開業させた。熊谷市の人口は20万人程度であるが、それぞれの立地(ワーナー・マイカルはショッピングセンター併設型、鷹の羽興業は駅前立地型)を活かし、共存した。<br />
<br />
;設備とサービスの変遷<br />
シネマコンプレックス間での差別化を図るため、サービスや設備の個性化が進んだ<ref name="nikkeitrendy20081023">{{Cite web |author=渡貫幹彦 |date=2008-10-23 |url=http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20081016/1020057/ |title=<エンタ業界最前線シリーズ>“選ばれる”シネコンを目指す各社の戦略に迫る! |work=日経トレンディネット |publisher=日経BP社 |accessdate=2013-04-02}}</ref>。<br />
<br />
コンテンツの差別化という点では、チェーンによる独占上映が行われた。[[2007年]][[4月9日]]にユナイテッド・シネマと東急レクリエーションが独自の番組編成を目的に提携したことを発表<ref>{{Cite press release|date=2007-04-09|url=http://www.tokyu-rec.co.jp/company/news/2007/news_070409.pdf |title=ユナイテッド・シネマとの映画興行事業提携について|format=PDF|publisher=[[東急レクリエーション]]|accessdate=2018-02-19}}</ref>し、『[[アドレナリン (映画)|アドレナリン]]』など複数の作品が2社の劇場を中心に上映された。2007年[[12月20日]]にはティ・ジョイ、東急レクリエーション、ユナイテッド・シネマ、ワーナー・マイカル4社に拡大した「オープン・コラボレーション」という提携を発表<ref>{{cite news |title=ティ・ジョイ、東レク、UC、WMのシネコン4社が提携 |url=http://www.bunkatsushin.com/modules/bulletin/article.php?storyid=16587 |newspaper=文化通信.com |publisher=文化通信社 |date=2007-12-21 |accessdate=2012-05-03 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20090311073254/http://www.bunkatsushin.com/modules/bulletin/article.php?storyid=16587 |archivedate=2009-03-11 }}</ref>し、『[[ナルニア国物語/第2章: カスピアン王子の角笛]]』などが4社で独占上映されることになった。<br />
<br />
顧客サービス面の差別化ではTOHOシネマズの「ママズ クラブ シアター」などが挙げられる。小さな子供を持つ親を優先にした上映回を設定し、周りの観客に気兼ねなく鑑賞できるようにした。<br />
サービス面の向上を図った結果、各地のシネマコンプレックスで導入されたサービスもある。例としてインターネット予約は各社で導入された。また、ポイントサービスはTOHOシネマズのシネマイレージをはじめ、各社とも導入を行った。一般にポイントサービスはヘビーユーザー向けの物だが、ワーナー・マイカルは「[[ティーポイント]]」と提携し、劇場であまり見ない層の集客を図っていた。しかし、[[2009年]][[6月27日]]にこのサービスは終了した<ref>{{Cite web|date=2008-12-26|url=http://wayback.archive.org/web/20090625153830/http://www.warnermycal.com/tcard/pc<!--本来はarchiveurlを使うが[http://www.aeoncinema.com/cinema/info/l3/Vcms3_00011689.html 旧ドメインはご利用にならないようご注意ください]の件があるのでドメインにはリンクしないよう配慮-->|title=シックスワンダフリー|publisher=ワーナー・マイカル|language=日本語|accessdate=2009-06-25}}</ref>。<br />
<br />
座席幅が広かったりサイドテーブルが付いていたりする付加価値の高い座席も導入するところも増えた<ref name="businessmediamakoto20080905">{{Cite web |author=本山由樹子 |date=2008-09-05 |url=http://plusd.itmedia.co.jp/d-style/articles/0809/05/news006.html |title=特集 大人の最新シネコン:大スクリーンの感動を忘れていませんか? シネコンで映画を楽しもう! |work=Business Media 誠 |publisher=アイティメディア株式会社 |accessdate=2013-04-02}}</ref>。TOHOシネマズでは「プレミアスクリーン」として、1スクリーンを全て高付加価値のシートとしているほか、新宿ピカデリーではプライベートルーム型で3万円の「プラチナルーム」を設置している。他にもワーナー・マイカル・シネマズ(現イオンシネマ)の「ゴールドクラス」、109シネマズの「エグゼクティブシート」、シネマメディアージュの「スーパープレミアシート」などが挙げられる。一方で、改装時に高付加価値のスクリーンを撤去する動きもある。<br />
<br />
=== 東日本大震災による影響 ===<br />
東日本大震災後、東北、関東地方の多くの映画館が営業休止に追い込まれた。2週間以上営業休止に追い込まれた劇場は40サイト近くにのぼる。ここでは特に半年以上再開が滞ったり、休閉館したサイトについて述べる。<br />
<br />
[[画像:Konosu Konosu City Library 1.JPG|thumb|260px|東日本大震災の影響で閉館したシネマックス鴻巣]]<br />
; [[宮城県]]<br />
: 柴田郡大河原町のシーズンズウォークフォルテ2階にあるシアターフォルテが東日本大震災の被害で休館し、復旧に時間がかかった。同施設は映画館のある2階部分の被害が特に大きくその補強工事とデジタル化に向けた工事が必要となっていた。当初は2012年3月に再開する予定であったが、[[2018年]]、シアターフォルテ跡地にユナイテッド・シネマが入居することが発表され、同年[[7月4日]]、ユナイテッド・シネマ フォルテ宮城大河原として再開館した<ref>{{Cite news|date=2018-02-01|url=http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201802/20180201_12027.html|title=仙南に映画の灯再び 宮城・大河原に今夏シネコン7年ぶり復活|newspaper=[[河北新報]]|publisher=[[河北新報社]]|accessdate=2018-02-19}}</ref>。{{see also|フォルテ (大河原町)}}<br />
<br />
: また、仙台市泉区の泉コロナシネマワールドは被害が大きく2011年10月に閉館が決定した。仙台市宮城野区の仙台コロナワールドは2011年9月に瓦礫の撤去作業までは終了し、併設のホテルやアミューズメント施設は相次いで再開したが、シネコン自体は2018年7月現在も休業状態が続いている<ref>{{Cite press release|date=2012-11-15|url=http://www.korona.co.jp/WhatsNew/Detail.asp?Seq=1048|title=仙台コロナワールド今後の営業についてのお知らせ|publisher=[[コロナグループ]]|accessdate=2018-07-05}}</ref><ref name="bunkatsushin201105eq">{{Cite journal|和書 |year=2011 |month=05 |title=4月末の休業数は10社で10、全体で15ほど 震災で休業した映画館、復旧して再開進む |journal=月刊文化通信ジャーナル |volume=51 |issue=05 |pages=6-7 |publisher=文化通信社 |accessdate=2013-04-02 }}</ref><ref name="bunkatsushin201110eq">{{Cite journal|和書 |year=2011 |month=10 |title=鴻巣、フォルテ等が休業中/富谷は再開 東日本大震災から半年、映画館のその後 |journal=月刊文化通信ジャーナル |volume=51 |issue=10 |pages=58 |publisher=文化通信社 |accessdate=2013-04-02 }}</ref>。<br />
; [[埼玉県]][[鴻巣市]]<br />
: [[エルミこうのす]]内にあった[[USシネマ|シネマックス鴻巣]]が東日本大震災の影響で閉館した<ref name="cinemaxkonosu">{{Cite web|author=シネマックス鴻巣|authorlink=シネマックス|date=2011-12-15|url=http://www.cinemax.co.jp/konosu/|title=シネマックス鴻巣 閉館のご案内|publisher=千葉興行|language=日本語|accessdate=2011-12-23}}</ref>。このショッピングセンターはディベロッパーが破綻したため、地権者が中心となる鴻巣駅東口A地区市街地再開発組合の手によって2008年5月23日に開業させたもの。しかし、劇場は出店予定のワーナー・マイカルが親会社の意向で撤退したため<ref>「街にシネコンできるの? 鴻巣駅前再開発の娯楽施設ビル」 『埼玉新聞』(県北・県西版)2008年3月14日付朝刊、第14面</ref>、千葉興行が2009年7月15日に開館させた経緯がある。再開発組合では被害復旧費用の目処が立たず売却を計画したため、賃貸借契約の継続が困難になり2011年12月15日に閉館が発表された。その後、劇場は鴻巣市所有となり、[[ティ・ジョイ]]が運営する、市民ホール併設のこうのすシネマとして2013年7月5日に再開館した<ref name="bunkatsushin201105eq" /><ref name="bunkatsushin201110eq" /><ref name="saitama20121129">{{cite news |title=鴻巣のシネコン、来年7月再開へ 国内初、市民ホール併設 |url=http://www.saitama-np.co.jp/news11/29/09.html |newspaper=埼玉新聞 |publisher=埼玉新聞社 |date=2012-11-29 |accessdate=2013-04-02 }}</ref>。{{see also|こうのすシネマ}}<br />
; [[千葉県]][[印西市]]<br />
: [[日活]]が経営し、[[東京テアトル]]に運営を委託していたシネリーブル千葉ニュータウンも東日本大震災で大規模な被害を受け、復旧に時間がかかった劇場の1つである。東京テアトルは復旧に多くのコストが掛かるとして運営再開を断念したため、日活は運営委託先をシネマックスなどを展開する千葉興行に変更した。座席を撤去した上で足場を組んで天井を復旧するなどの修復作業を行い、音響面や上映設備のデジタル化などの変更なども加えられた。名称もシネマックス千葉ニュータウンと変更し、下層階にあった6スクリーンは2011年7月9日に、上層階にあった4スクリーンは同年11月26日にそれぞれ営業を再開した<ref name="chibant20110607">{{Cite press release|date=2011-06-17 |url=http://www.theatres.co.jp/news/2011/2011_6_17.htm |title=「シネリーブル千葉ニュータウン」当社による運営終了のお知らせ |publisher=東京テアトル株式会社 |accessdate=2013-04-02}}</ref><ref name="chibant20110720">{{Cite web |url=http://www.cinemax.co.jp/newtown/index.html |title=シネマックス千葉ニュータウン |publisher=千葉興行株式会社 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20110720025628/http://www.cinemax.co.jp/newtown/index.html |archivedate=2011-07-20 |accessdate=2013-04-02}}</ref><ref name="chibant20111207">{{Cite web |url=http://www.cinemax.co.jp/newtown/index.html |title=シネマックス千葉ニュータウン |publisher=千葉興行株式会社 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20111207042856/http://www.cinemax.co.jp/newtown/index.html |archivedate=2011-12-07 |accessdate=2013-04-02}}</ref><ref name="bunkatsushin201110eq" />。その後[[2015年]]に名称をUSシネマ千葉ニュータウンと改め現在に至る。{{see also|シネマックス千葉ニュータウン}}<br />
<br />
== 商圏と各地の状況 ==<br />
=== 商圏の変化 ===<br />
シネマコンプレックスが国内に参入した当初は映画館の存在しない地域での設置が多かった。しかし、1997年頃から地方都市の駅前立地型が増え始め、2001年頃からは大都市ロードショー館の置き換えとしてシネマコンプレックスが設置されるようになった。<br />
<br />
「映画館数は商圏人口に比例する」と1950年代から言われており、シネマコンプレックスも例外ではない。シネマコンプレックスが併設されることが多いショッピングセンターは、およそ20 - 30kmが商圏と言われている<ref name="nchiiki20001106">浅田和幸 「特集 激戦、シネコンの地方展開 年内に1000スクリーン突破、総数の4割へ 大都市・中心市街地型立地も」 『日経地域情報』2000年11月6日354号、日経産業消費研究所、2000年、1-12頁</ref>。シネマコンプレックス自体の商圏は、かつてそれより広い50km程度と言われていた時期もあった<ref name="leisure199812">田邊豊 「台頭するシネマコンプレックスと映画館産業の行方 最終回 映画館産業の展望と既存館の行方」 『月刊レジャー産業資料』1998年12月号、綜合ユニコム、1998年、161-165頁</ref>が、近年ではショッピングセンターより狭く、車で30分程度とすることが多くなった。また、商圏人口もかつては50万人程度必要と言われていたが、近年では40万人程度にまで下げ、かつてより狭い商圏での開発が行われている<ref>山下博樹 野口麻美 「近畿地方における映画館の立地変化とその影響 -中心市街地衰退化の一断面として-」 『地域学論集』第2巻、第1号、鳥取大学地域学部、2005年、29-39頁</ref>。<br />
<br />
シネマコンプレックスの売り上げは、ショッピングセンターの売り上げの5%程度であり<ref>山本マーク豪 『ポップコーンはいかがですか?』 新潮社、2003年、115-116頁 ISBN 4-10-464301-7</ref>、集客力もあることから、ショッピングセンターでは破格のテナント料で誘致されてきた。例えば、ヴァージンシネマズ南大沢(現TOHOシネマズ南大沢)は20年の定期借家契約を結ぶ代わりに賃料は相場の80%程度となっている<ref>{{Cite journal |和書 |title = 特集 不動産大革命 不良債権が収益ビルに |date = 2002-07-22 |publisher = 日経BP社 |journal = 日経ビジネス |number = 1151 |pages = 30-33}}</ref>。結果的に出店競争が過熱し、競合する商圏内での設置が増えていった<ref name="leisure200103">万場栄一 「新局面を迎えたシネマコンプレックス開発 急激な開業ラッシュで早くも“飽和期”か」 『月刊レジャー産業資料』2001年3月号、綜合ユニコム、2001年、103-112頁</ref>。2009年以降になると、シネマコンプレックスの新規開業も1桁台が続いており、落ち着きを見せている<ref name="bunkatsushin201212kaigyo">{{Cite journal|和書 |year=2012 |month=01 |title=スクリーン減少は、実に1993年以来 2011年映画館の新規開業、閉館など |journal=月刊文化通信ジャーナル |volume=52 |issue=01 |page=41 |publisher=文化通信社 |accessdate=2013-04-02 }}</ref>。<br />
<br />
=== 近年の状況 ===<br />
近年は新たな出店が落ち着いてきたが、不採算サイトの撤退が見られている。また、地域活性化のための出店など新たな動きもある。<br />
<br />
; [[栃木県]][[足利市]]<br />
: 2007年12月22日、足利市内活性化の原動力となるよう期待されつつ、あしかがハーヴェストプレース内に[[USシネマ|シネマックス足利]]が開館した。しかし、わずか1年3ヶ月後の2009年2月27日に閉館した。同市内に競合となるようなシネマコンプレックスは存在しなかったが、広域的に見ると佐野市に1サイト、後述の群馬県太田市に2サイト存在しており、地域間での集客競争が激化していた。結果、想定の半数程度しか動員が伸びず、業績不振に至ったとされる<ref name="mainichi20090217">{{cite news |title=シネマックス足利:来月27日閉館へ 「観客数想定の半分」 /栃木 |author=古賀三男 |url=http://mainichi.jp/area/tochigi/news/20090117ddlk09020153000c.html |newspaper=毎日新聞 |publisher=毎日新聞社 |date=2009-01-17 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20090119234410/http://mainichi.jp/area/tochigi/news/20090117ddlk09020153000c.html |archivedate=2009-01-19 |ref= }}</ref>。その後、地元からの要請もあり、同ショッピングモール内に[[ユナイテッド・シネマ]]が2016年3月1日に開業した。<br />
<br />
; [[群馬県]][[太田市]]<br />
: 2012年3月31日に太田コロナシネマワールドが閉館している。同劇場は2003年12月3日に後発のイオンシネマ太田が開館して以降、動員数が減少しており閉館に至った。コロナでは立て続けに4サイトの閉・休館を決めており、経営的に抜本的な見直しを図っているとされる。また、残ったイオンシネマも商圏としては伊勢崎市や埼玉県羽生市と競合しているとされ、地域間での集客競争が激化している<ref name="sankei20120127">{{cite news |title=シネコン乱立、生き残り熾烈 県内第1号、3月末閉館 群馬 |author=伊藤徳裕 |url=http://sankei.jp.msn.com/region/news/120127/gnm12012702100003-n1.htm |newspaper=MSN産経ニュース |publisher=産経新聞社 |date=2012-01-27 |accessdate=2013-04-05 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20120204153304/http://sankei.jp.msn.com/region/news/120127/gnm12012702100003-n1.htm |archivedate=2012-02-04 }}</ref><ref name="sankei20120327">{{cite news |title=閉店の太田コロナワールド 来月パチンコホールに 群馬 |url=http://sankei.jp.msn.com/region/news/120327/gnm12032702040000-n1.htm |newspaper=MSN産経ニュース |publisher=産経新聞社 |date=2012-03-27 |accessdate=2013-04-05 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20120328004401/http://sankei.jp.msn.com/region/news/120327/gnm12032702040000-n1.htm |archivedate=2012-03-28 }}</ref><ref name="BunLOG20120131">{{Cite web |author=松本貴則 |date=2012-01-31 |url=http://blog.livedoor.jp/bunkatsushin/archives/51323776.html |title=コロナの映画館、この1年で4ヶ所が閉・休館 |work=編集局ブログ“BunLOG” |publisher=文化通信社 |accessdate=2013-04-05 }}</ref>。<br />
; [[千葉県]][[茂原市]]<br />
: 外房にあるシネマサンシャイン茂原は1997年7月12日に開館し、直接の競合となるシネマコンプレックスはない状態であった。しかし、15年の賃貸借契約が満了タイミングで契約を終了し、2012年9月2日に閉館した。契約を延長し今後も営業を続けるためにはデジタル化をする必要に迫られたが、VPFを活用したとしても設備導入や継続的な運営に一定の投資が必要となる。この地域ではデジタル化の投資回収が難しいと見られ、閉館するに至った<ref name="bunkatsushin201207sasaki" />。<br />
[[ファイル:GENTO YOKOHAMA 1.jpg|thumb|250px|109シネマズMM横浜があったGENTO YOKOHAMA]]<br />
; [[神奈川県]][[横浜市]]<br />
: [[みなとみらい地区]]は集客力のある地域だが、1999年にワーナー・マイカル・シネマズみなとみらい(現イオンシネマみなとみらい)が開業して以降、2004年には暫定商業施設(10年程度の運営を予定)の[[GENTO YOKOHAMA]]内に109シネマズMM横浜、2010年には[[桜木町駅]]前の複合商業ビル・[[ヒューリックみなとみらい|TOCみなとみらい]](現ヒューリックみなとみらい)内に[[横浜ブルク13]]がオープンしている。また、建設計画自体が中止となったが2011年に開業を目指していた[[セガゲームス|セガ]]の複合[[アミューズメント施設]]にもシネマコンプレックスを導入する計画があった<ref>{{cite news |title=セガの「みなとみらい21」大型娯楽施設、開発中止 |url=http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0803/28/news082.html |newspaper=ITmediaニュース |publisher=アイティメディア株式会社 |date=2008-03-28 |accessdate=2012-05-03 }}</ref>。狭い商圏内に乱立したため、周辺に存在する比較的設備の古い劇場には影響が出ている。相鉄[[ムービル]]は2005年に閉館が検討されたが、109シネマズを運営する東急レクリエーションが継承し回避された<ref>{{cite news |title=「相鉄ムービル」の映画館5館、来年5月末で閉鎖 |url=http://www.hamakei.com/headline/1150/ |newspaper=ヨコハマ経済新聞 |publisher=NPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボ |date=2005-11-18 |accessdate=2012-05-04 }}</ref><ref>{{cite news |title=相鉄ムービルの映画事業を東急レクリエーションが継承 |url=http://www.hamakei.com/headline/1150/ |newspaper=ヨコハマ経済新聞 |publisher=NPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボ |date=2006-04-29 |accessdate=2012-05-04 }}</ref>。一方、MOVIX本牧は商圏の競合により2011年1月16日を以って閉館となっている<ref name="townnews20101125">{{Cite web|date=2010-11-25|url=http://www.townnews.co.jp/0111/2010/11/25/80625.html|title=「MOVIX本牧」が閉館へ|publisher=株式会社タウンニュース社|language=日本語|accessdate=2011-02-05}}</ref>。なお、109シネマズMM横浜も2015年1月25日に閉館しているが、こちらは商圏の競合が原因ではなく、前述の通り当初より設定されていたGENTO YOKOHAMAの土地借用期間満了に伴う完全閉鎖のためである。<br />
<br />
; [[静岡県]][[富士市]]<br />
: 富士地区にある富士ショッピングセンターパピー内の富士シネ・プレーゴは1998年に開館し、直接の競合となるシネマコンプレックスはない状態であった。しかし、入居する商業施設自体が2008年5月31日に閉店し、営業を続けていたが、建物の老朽化による耐震性の問題が浮上し、2010年4月16日に閉館した<ref>本多昭彦「耐震不足で入居ビル取り壊しへ 唯一の映画館閉館」『朝日新聞』2010年4月17日付朝刊、静岡版、第29面</ref>。その後、北隣りの[[富士宮市]]に[[イオンモール富士宮]]がオープンし、イオンシネマが併設された。<br />
; [[鹿児島県]][[鹿児島市]]<br />
: 衰退しつつある[[天文館]]の活性化を図るために、2006年10月11日までに閉館した従来館の代わりとなるコア施設として、商店街が中心となりシネマコンプレックスが計画された。近隣には鹿児島ミッテ10、TOHOシネマズ与次郎もあり、計画段階から地元では需要に対して疑問の声や映画館以外を要望する声もあった。また、国の補助金が事業仕分けの対象となったことから計画を縮小したが、総事業費約16億円、6億円を国や市からの補助金とし建設が進められた。当初は興行会社への業務委託が検討されたが、最終的には株式会社天文館が自主運営し、[[日映]]と業務支援契約、TOHOシネマズと番組編成契約を結ぶ形とした。2012年5月3日に天文館シネマパラダイスとして開館したが、開館後の動員は低迷しており、目標の4分の1程度にとどまっている<ref name="nikkei20100413tempara">{{cite news |title=鹿児島・天文館、シネコン計画が再始動 12年春メド開業 |url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASJC1201M_S0A410C1LXA000/ |newspaper=日本経済新聞 |publisher=日本経済新聞社 |date=2010-04-13 |accessdate=2013-04-02 }}</ref><ref name="nishinippon20101202tempara">{{cite news |title=建設に疑問の声も 「天文館シネマ」でシンポ 鹿児島市 |url=http://nishinippon.co.jp/nnp/item/213236 |format= |agency= |newspaper=西日本新聞 |publisher=西日本新聞社 |date=2010-12-02 |accessdate=2013-04-02 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20110120235051/http://nishinippon.co.jp/nnp/item/213236 |archivedate=2011-01-20 }}</ref><ref name="kagoshima20120510tempara">{{cite news |title=鹿児島天文館に日本初の「まち」がつくる映画館-「天パラ」有馬勝正社長に聞く |url=http://kagoshima.keizai.biz/column/2/ |format= |agency= |newspaper=鹿児島経済新聞 |publisher=オフィスLS株式会社 |date=2012-05-10 |accessdate=2013-04-02 }}</ref><ref name="asahi20120918tempara">{{cite news |title=鹿児島「天パラ」苦戦、もり立てろ 商店街も応援企画 |author=金山純子 |url=http://digital.asahi.com/articles/SEB201209170018.html |newspaper=朝日新聞 |publisher=朝日新聞社 |date=2012-09-18 |accessdate=2013-04-02 }}</ref><ref name="bunkatsushin201205tempara">{{Cite journal|和書 |year=2012 |month=05 |title=映画館を核に街の活性化、日映が業務支援 鹿児島に「天文館シネマパラダイス」開業 |journal=月刊文化通信ジャーナル |volume=52 |issue=05 |page=40 |publisher=文化通信社 |accessdate=2013-04-02 }}</ref>。<br />
<br />
== 各社シネマコンプレックス ==<br />
=== 大手中堅興行会社・映画会社系列 ===<br />
[[Image:Movix kurashiki.JPG|270px|right|thumb|MOVIX倉敷]]<br />
* [[イオンエンターテイメント|イオンシネマ]] [http://www.aeoncinema.com/]<br />
* [[TOHOシネマズ]] [http://www.tohocinemas.co.jp/]<br />
* [[ユナイテッド・シネマ|ユナイテッド・シネマ、シネプレックス]] [http://www.unitedcinemas.jp/]<br />
* [[松竹マルチプレックスシアターズ|MOVIX]] [http://www.movix.co.jp/]<br />
* [[109シネマズ]] [http://109cinemas.net/]<br />
* [[ティ・ジョイ|T-JOY]] [http://www.t-joy.net/]<br />
* [[コロナグループ|コロナシネマワールド]] [http://www.korona.co.jp/]<br />
* [[シネマサンシャイン]] [http://www.cinemasunshine.co.jp/]<br />
* [[札幌シネマフロンティア]] [http://www.cinemafrontier.net/] - <small>北海道[[札幌市]][[中央区 (札幌市)|中央区]]</small><br />
* [[新宿ピカデリー]] [http://www.shinjukupiccadilly.com/] - <small>[[東京都]][[新宿区]]</small><br />
* [[なんばパークス|なんばパークスシネマ]] [http://www.parkscinema.com/] - <small>[[大阪府]][[大阪市]][[浪速区]]</small><br />
* [[ノースゲートビルディング|大阪ステーションシティシネマ]] [http://www.osakastationcitycinema.com/] - <small>大阪府大阪市[[北区 (大阪市)|北区]]</small><br />
<br />
=== 小規模興行会社・独立系 ===<br />
<!-- 通常、シネマコンプレックスとして統計や一覧を作成する場合、5または6スクリーン以上のサイトを対象とします。そのため、4スクリーン以下のサイトの加筆はご遠慮ください。もし、何らかの加筆する理由がある場合、ノートに記載を願います。 --><br />
* [[SDエンターテイメント|ディノスシネマズ]] [http://cinema.sugai-dinos.jp/] - <small>[[北海道]][[札幌市]][[中央区 (札幌市)|中央区]]、[[旭川市]]、[[苫小牧市]]</small><br />
* [[太陽グループ|シネマ太陽帯広]] [http://www.taiyogroup.jp/movie/] - <small>北海道[[帯広市]]</small><br />
* [[イオンモールつがる柏|シネマヴィレッジ8・イオン柏]] [http://www.cinemavillage8.com/] - <small>[[青森県]][[つがる市]]・[[イオンモールつがる柏]]内。</small><br />
* [[フォーラムシネマネットワーク]][http://forum-movie.net/] - <small>青森県[[八戸市]]、[[岩手県]][[盛岡市]]、[[山形県]][[山形市]]、[[東根市]]、[[栃木県]][[那須塩原市]]</small><br />
* [[ルミエール (映画館)|ルミエール秋田]] [http://www.nanbukogyo.jp/lumiere/] - <small>[[秋田県]][[秋田市]]</small><br />
* [[ムービーオン|MOVIE ONやまがた]] [http://www.movieon.jp/] - <small>山形県[[山形市]]</small><br />
* [[シネマ・リオーネ古川]] [http://www.cinema-rione.jp/] - <small>[[宮城県]][[大崎市]]</small><br />
* [[ポレポレいわき]] [http://www.polepoleiwaki.com/] - <small>[[福島県]][[いわき市]]</small><br />
* [[USシネマ]] [http://www.cinemax.co.jp/] - <small>[[茨城県]][[稲敷市]]、[[つくば市]]、[[千葉県]][[市原市]]、[[印西市]]、[[木更津市]]。</small><br />
* [[銀星会館|シネマハーヴェストウォーク]] [http://cinema-ginsei.com/] - <small>[[栃木県]][[小山市]]・[[おやまゆうえんハーヴェストウォーク]]内。</small> <br />
* [[銀星会館|シネマロブレ]] [http://cinema-ginsei.com/] - <small>栃木県小山市・[[ロブレ小山]]内。</small> <br />
* [[スマーク伊勢崎|プレビ劇場]] [http://www.plabi-isesaki.jp] - <small>[[群馬県]][[伊勢崎市]]・[[スマーク伊勢崎]]内。</small><br />
* [[京成ローザ|京成ローザ10イースト・ウエスト]] [http://www.keiseikog.co.jp/cinema/index.htm] - <small>千葉県千葉市・[[京成電鉄|京成]][[千葉中央駅]]内。</small><br />
* [[イクスピアリ|シネマイクスピアリ]] [http://www.ikspiari.com/] - <small>千葉県[[浦安市]][[舞浜]] [[東京ディズニーリゾート]]・[[イクスピアリ]]内。</small><br />
* [[旭サンモールショッピングセンター|サンモールシネマ]] [http://www.sunmall.jp/] - <small>千葉県[[旭市]]</small><br />
* [[シネティアラ21]] [http://www.ct-21.jp/] - <small>埼玉県[[熊谷市]]・[[ティアラ21]]内。</small><br />
* [[シネマシティ|シネマシティ/シネマ・ツー]] [http://www.cinemacity.co.jp/] - <small>東京都[[立川市]]</small><br />
* [[チネチッタ (川崎市)|チネチッタ]] [http://cinecitta.co.jp/] - <small>[[神奈川県]][[川崎市]]</small> <br />
* [[ヒューマックスシネマ]] [http://www.humax-cinema.co.jp/] - <small>神奈川県[[横須賀市]]、東京都[[豊島区]]、千葉県[[成田市]]</small><br />
* [[ジョイランド|ジョイランドシネマみしま]] [http://www.joyland.jp/contents/cinema/] - <small>[[静岡県]][[三島市]]</small><br />
* [[静活|シネプラザサントムーン]] [http://www.shizukatsu.co.jp/cineplaza/] - <small>静岡県[[駿東郡]][[清水町 (静岡県)|清水町]]・[[サントムーン柿田川]]内。</small><br />
* [[静活|シネシティ・ザート]] [http://www.zart.jp/] - <small>静岡県[[静岡市]][[葵区]]・[[新静岡セノバ]]内</small><br />
* [[日映|静岡東宝会館]] [http://www.cine-7.com/] - <small>静岡県静岡市葵区</small><br />
* [[日映|藤枝シネ・プレーゴ]] [http://www.cineprego.jp/] - <small>静岡県[[藤枝市]]・[[BiVi藤枝]]内</small><br />
* [[JMAX THEATER]] [http://www.j-max.jp/] - <small>[[新潟県]][[上越市]]、[[富山県]][[富山市]]</small><br />
* [[富山シアター大都会]] [http://www.daitokai.co.jp/] - <small>富山県富山市</small><br />
* [[長野グランドシネマズ]] [http://www.grandcinemas.net/] - <small>[[長野県]][[長野市]]</small><br />
* [[アイシティ21|アイシティシネマ]] [http://www.inouedp.co.jp/icity/cinema/icinama.html] - <small>長野県[[東筑摩郡]][[山形村]]・[[アイシティ21]]内。</small><br />
* [[シネマライツ8]] [http://cinema-lights8.com/] - <small>長野県[[松本市]]</small><br />
* [[岡谷スカラ座]] [http://www.alles.or.jp/~scalaza/] - <small>長野県[[岡谷市]]</small><br />
* [[アムアムビレッジ|アムシネマ]] [http://www.amenities.co.jp/amam/cinema] - <small>長野県[[佐久市]]・[[アムアムビレッジ]]内</small><br />
* [[サンサンシティマーゴ|シネックスマーゴ]] [http://www.cinex.jp/] - <small>[[岐阜県]][[関市]]・[[サンサンシティマーゴ]]内。</small><br />
* [[中日本興業|ミッドランド]] [http://www.midland-sq-cinema.jp/] - <small>[[愛知県]][[名古屋市]][[中村区]]・[[ミッドランドスクエア]]内、[[西春日井郡]][[豊山町]]・[[エアポートウォーク名古屋]]内。</small><br />
* [[アレックスシネマ]] [http://alex-cinemas.com/] - <small>[[滋賀県]][[大津市]]、[[甲賀市]]、[[福井県]][[鯖江市]]、[[大阪府]][[高槻市]]</small><br />
* [[あべのアポロ|あべのアポロシネマ]] [http://www.kin-ei.co.jp/] - <small>大阪府大阪市[[阿倍野区]]</small><br />
* [[布施ラインシネマ]] [http://www.fuselinecinema.com/] - <small>大阪府[[東大阪市]]</small><br />
* [[オーエス|OSシネマズ]] [http://www.jollios.net/] - <small>[[兵庫県]][[神戸市]][[中央区 (神戸市)|中央区]]・[[ミント神戸]]内、[[神戸ハーバーランド]][[umie]]内。</small><br />
* [[アースシネマズ姫路]] [http://earthcinemas.jp/] - <small>兵庫県[[姫路市]]・[[テラッソ姫路]]内。</small><br />
* [[オー・エンターテイメント#ジストシネマ|ジストシネマ]] [http://xyst.jp/index.html] - <small>[[和歌山県]][[和歌山市]]・[[ガーデンパーク和歌山]]内。</small><br />
* [[フューレック|エーガル8シネマズ]] [http://www.furec.jp/e8/yoyaku.php] - <small>[[広島県]][[福山市]]・[[フジグラン神辺]]内。</small><br />
* [[フジグラン宇部|シネマ・スクエア7]] [http://www.cinesqu.com/] - <small>[[山口県]][[宇部市]]・[[フジグラン宇部]]内。</small><br />
* [[シネマボックス太陽]] [http://www.cinema-taiyo.co.jp/] - <small>[[長崎県]][[佐世保市]]</small><br />
* [[イオンモール大牟田|セントラルシネマ大牟田]] [http://www.occ-7.jp/] - <small>[[福岡県]][[大牟田市]]・[[イオンモール大牟田]]内。</small><br />
* [[セントラルシネマ宮崎]] [http://www.mcc-9.jp/] - <small>[[宮崎県]][[宮崎市]]・[[イオンモール宮崎]]内。</small><br />
* [[天文館#映画館|天文館シネマパラダイス]] [http://tenpara.com/] - <small>[[鹿児島県]][[鹿児島市]]・LAZO表参道内。</small><br />
* [[國場組#運営している映画館|スターシアターズ]] [http://www.startheaters.jp/] - <small>[[沖縄県]][[那覇市]]・[[サンエー那覇メインプレイス]]内、[[中頭郡]][[北谷町]]・[[美浜タウンリゾート・アメリカンビレッジ|アメリカンビレッジ]]内、[[島尻郡]][[南風原町]]・[[イオン南風原ショッピングセンター]]向かい。</small><br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
=== 注釈 ===<br />
{{Reflist|group=脚注}}<br />
<br />
=== 出典 ===<br />
{{reflist|colwidth=40em}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[特定建築物]] - 日本のシネマコンプレックスの環境衛生等に関する規定<br />
* [[座席指定席]]<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
{{参照方法|date=2013年6月}}<br />
<br />
* {{Cite book|和書<br />
|author=[[山本マーク豪]]<br />
|year=2003<br />
|title=ポップコーンはいかがですか?<br />
|publisher=[[新潮社]]<br />
|isbn=4-10-464301-7<br />
}}<br />
* {{Cite book|和書<br />
|author=村上世彰<br />
|coauthors=小川典文<br />
|year=1999<br />
|title=日本映画産業最前線<br />
|publisher=[[角川書店]]<br />
|isbn=4-04-883576-9<br />
}}<br />
* {{Cite book|和書<br />
|author=[[丸山一昭]]<br />
|year=1998<br />
|title=世界が注目する日本映画の変容<br />
|publisher=[[草思社]]<br />
|isbn=4-7942-0837-5<br />
}}<br />
* 安保有希子 「[http://www.hollywood-ch.com/trend/08080401.html 映画ウラ事情 第5回:総興行収入・映画人口ともに頭打ち。これからシネコンはどうなる?]」 ハリウッドチャンネル、2008年8月4日<br />
* 斉藤守彦 「[http://tvstation.jp/special/movie_collapse/070606_1.html 「日本映画、崩壊」第三章:シネコンによる市場改革=“モノ”の変化]」 テレビ・ステーション<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
<!--特定の映画館のリンクを貼らないように。重要なものであれば記事本文の出典として記載すること。--><br />
* [http://www.cinema-st.com/ 港町キネマ通り]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:しねまこんふれつくす}}<br />
[[Category:映画館|しねまこんふれつくす]]<br />
[[Category:商業施設]]</div>
180.15.155.15
天下一品
2018-07-02T08:58:15Z
<p>180.15.155.15: </p>
<hr />
<div>{{See Wiktionary|ラーメン屋}}<br />
{{宣伝|date=2014年10月}}<br />
{{複数の問題<br />
|出典の明記 = 2015年10月<br />
| 独自研究 = 2015年10月<br />
| 宣伝 = 2015年10月<br />
}}<br />
{{基礎情報 会社<br />
|社名= 株式会社天一食品商事<br />
|英文社名= <br />
|ロゴ=<br />
|画像 =[[File:Tennichi honten.JPG|250px]] <br />
|画像説明 =天下一品 総本店<br />
|種類= [[株式会社 (日本)|株式会社]]<br />
|市場情報= 非上場<br />
|略称= <br />
|国籍= {{JPN}}<br />
|本社郵便番号= <br />
|本社所在地= [[滋賀県]][[大津市]]大江八丁目字池ノ内78番地3<br />
|設立= [[1981年]]([[昭和]]56年)11月16日<br />
|業種= 小売業<br />
|事業内容= [[ラーメン|中華そば]]専門店の[[フランチャイズ]]展開、ラーメンスープの製造及び販売<br />
|代表者= [[木村勉 (実業家)|木村勉]](代表取締役)<br />
|資本金= 1,000万円<br />
|発行済株式総数= <br />
|売上高= <br />
|営業利益= <br />
|純利益= <br />
|純資産= <br />
|総資産= <br />
|従業員数= 60名(2008年3月時点)<br />
|支店舗数=<br />
|決算期= <br />
|会計監査人 =<br />
|所有者 =<br />
|主要株主= <br />
|主要部門=<br />
|主要子会社= 株式会社天下一品<br />株式会社タックフーズ<br />株式会社アドバンフーズ <br />
|関係する人物= <br />
|外部リンク= http://tenkaippin.co.jp/<br />
|特記事項= <br />
}}<br />
<!-- 全体的にWP:POVの問題多し。また閲覧者は日本人に限りません。以後、御留意を。 --><br />
'''天下一品'''('''てんかいっぴん'''、[[英語]]名:Tenkaippin)は、[[ラーメン]][[チェーンストア|チェーン店]]また[[フランチャイズチェーン]]店の一つ。[[京都府]][[京都市]]を発祥地とする。10月1日を「天一の日(てんいちのひ)」と称して様々な企画を行うなど「'''天一'''(てんいち)」という略称が使用される。<br />
<br />
なお、「天一」および「天下一」という名称を掲げるラーメン店とは直接の関係がない。<br />
<br />
== 沿革 ==<br />
創業者は[[木村勉 (実業家)|木村勉]]。1971年に[[銀閣寺]]周辺<ref name = nikkan09>{{Cite news | newspaper = 日刊スポーツ | publisher = 日刊スポーツ | date = 2009-5-16 | page = 7 | title = こってりスタミナスープ 天下一品の味}}</ref>で開いた屋台がその発祥である。<br />
<br />
交流のあった石材店の社長からの厚意で、その店舗の敷地の一部に屋台を固定<ref>[http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-45133 テレビドラマデータベース「天下一品物語~すべては屋台から始まった~」]</ref>、1975年8月に初の店舗を構える<ref name = nikkan09 />。<br />
<br />
== 商品構成 ==<br />
[[File:Tennichi ramen.JPG|thumb|総本店のこってりラーメン]]<br />
[[File:Ramen”TENKAIPPIN" JAPAN.jpg|thumb|赤い器の他に、白い器も使用される]]<br />
=== スープ ===<br />
スープは、「こってり」と「あっさり」の2種類が基本となっている。<br />
<br />
「こってり」は[[ニワトリ|鶏]]と11種類の[[野菜]]<ref name = culture>『京都のラーメンはカルチャーだ』</ref>からつくられたスープで、[[ポタージュ]]の様にドロリとしており、麺に絡みつくかのような粘着感を持っている<ref name = culture />。そのレシピは極秘扱いされている{{要出典|date = 2012年3月}}<!-- すぐ出てくるとは思いますが念のため -->。このスープはどろりとはしているものの、一部の愛好家から意外と脂っこくは無いと評する向きもある<ref name = culture /><ref name = honto>『ほんとにおいしい京都の100ラーメン。』</ref>。このスープは「箸が立つ」<ref name = honto />、「ラーメンとは別のジャンル」<ref name = honto />、「ラーメンを超えたラーメン」<ref name = culture />などと形容され、かつては[[鯨油]]や[[牛脂]]が使われているのではないかとの噂も囁かれた<ref>『やっぱり京都人だけが知っている』</ref>。<br />
<br />
「あっさり」は[[ゼラチン]]を使用している。<br />
<br />
=== 追加可能な調味料・具材 ===<br />
[[薬味]]の[[ネギ]]には、青ネギ等が使われている。一部の直営店では、ネギが青いプラスチック製の[[ざる|笊]](ざる)に入れられて提供されている。カウンターには、[[発酵]]した芳香のある唐辛子味噌が備えられている。これらは店舗により若干の違いが有る。<br />
<br />
=== その他のメニュー ===<br />
[[File:Tenkaippin-ajigasane.JPG|thumb|味がさね(くずは店)]]<br />
==== こっさり・2号 ====<br />
「こってり」と「あっさり」のスープを半々に混ぜた「[[こっさり]]」が存在する。「こってり」を「1号」、「あっさり」を「3号」と呼ぶのが[[厨房]]の[[符牒]]であり、こってりとあっさりの中間であることから「2号」とも呼ばれる。また「屋台の味」という名前で正式に提供されている店舗もある。<br />
<br />
==== 4号・味がさね ====<br />
2004年1月より、一部店舗において「味がさね」という、スープの濃度を客が調整可能な野菜入り[[ラーメン#タレの種類による分類|味噌ラーメン]]を取り扱っている。<br />
<br />
==== 麺 ====<br />
麺は、通常麺の他、数量限定の場合もあるが細麺が選択可能となっている{{要出典|date=2012年5月}}。<br />
<br />
'''ちょこってり'''<br />
<br />
ちょこってりは、通常のラーメン「こってり」の量を減らしたミニラーメン。イメージキャラクターを務めるSILENT SIREN のひなんちゅが考案した。<br />
<br />
=== 天一の日 ===<br />
[[File:Tenkaippinmuryouken.jpg|120px|thumb|毎年10月1日に配布されるラーメン1杯無料券]]<br />
<!--何時から?-->毎年[[10月1日]]は、'''天一の日'''として各店舗で[[キャンペーン]]が行われている。これは、当日に麺類や麺類を含む[[定食]]を注文すると2ヶ月間有効のラーメン1杯無料[[商品券|券]]がもらえるというものである。加えて、翌日からの1週間はスピード[[くじ]]が配布される。<br />
<br />
== 店舗 ==<br />
<gallery><br />
ファイル:Tenkaippin Esaka.JPG|天下一品 江坂店(cf. [[江坂]])<br />
ファイル:天下一品4039.JPG|天下一品祇園店、京都市東山区四条通<br />
File:Tenkaippindaikokucyou.JPG|天下一品大国町店(大阪市[[浪速区]])<br />
ファイル:Tenichi Himeji Ma2018.jpg|サムネイル|天下一品姫路店(兵庫県[[姫路市]])<br />
</gallery><br />
<br />
== メディアへの展開 ==<br />
テレビ[[コマーシャルメッセージ|CM]]などの[[メディア]][[広告]]には、長らく木村と[[河内家菊水丸]]が登場。テレビCMについては、[[2015年]]から[[北乃きい]]出演のバージョンを、[[2016年]]からは京都出身の[[チュートリアル (お笑いコンビ)|チュートリアル]]出演のバージョンを主に放送している。かつては、[[筒井康隆]]や[[ベッキー]]も出演していた。<br />
<br />
[[2014年]]までCMに出演していたベッキーは当初、「味がさね」のイメージキャラクターとして起用。後にキャラクター契約の範囲を拡大したうえで、テレビCMの一部で木村と共演するようになった。北乃出演のバージョンでも、ベッキー出演のバージョンの内容を事実上引き継いでいる。<br />
<br />
ただし、[[岡山県]]以西の西日本エリアの放送局では、CMを一切流していない。<br />
{{ external media<br />
| align = right<br />
| width = 270px<br />
| topic = SILENT SIREN<br />
| video1 = [https://www.youtube.com/watch?v=798yCee_6mA 『天下一品のテーマ』MV]<br />
}}<br />
2017年からは高校時代に3年間アルバイトをしていた縁から[[SILENT SIREN]]のドラマー・[[SILENT SIREN#メンバー|ひなんちゅ(梅村妃奈子]])が出演し、12月23日からはメンバー4人がCMキャラクターに就任したものが放送されている。<ref>{{cite news|date=2017-12-22|url=https://natalie.mu/music/news/262430|title=SILENT SIREN「天下一品」のイメージキャラクターに就任|agency=[[ナタリー (ニュースサイト)|音楽ナタリー]]|publisher=ナターシャ|accessdate=2018-07-02}}</ref><br />
<br />
== トラブル ==<br />
天一食品商事の役員らに強迫され1800万円の[[示談金]]を支払うという[[念書]]を書かされたとして、[[京都市]]の広告会社から[[京都地方裁判所]]に[[債務]]不存在の確認を求めた[[民事訴訟]]を起こされ、[[2014年]]7月、被告天一食品商事の敗訴となった。[[2012年]]10月、[[滋賀県]][[大津市]]内のリゾート施設の一室で、天一食品商事の役員ら7名が広告会社の代表1名と面会。天一食品商事の役員らは、広告会社が担当した [[テレビCM]]の放送時間帯や番組の視聴率が悪く、損害を被ったと主張。1800万円の示談金を支払う念書の作成を要求した。広告会社代表は拒否したが、天一食品商事の役員らは「家を担保に入れたら借りられる」などと発言し、強迫行為に及んだため、やむなく念書の作成に応じたという。裁判において天一食品商事側は「畏怖を生じさせる発言はしておらず、強迫には当たらない。金銭について切り出したのは原告であり、何ら要求・強要は無かった」と反論したものの、判決では「天一食品商事の役員らによる強圧的で異常な言動で念書を書かされ、強迫行為があった」と認定、広告会社代表の訴えを認め、債務の不存在を確認した。敗訴した天一食品商事側弁護士は「事実認定は間違っており、不当な判決」と述べた<ref>{{Cite news|date=2014-07-04|url=http://www.asahi.com/articles/ASG7464K3G74PLZB02C.html|title=ラーメン「天下一品」側敗訴 CMめぐり強迫 京都地裁|newspaper=[[朝日新聞]]|publisher=[[朝日新聞社]]|accessdate=2018-07-02}}</ref>。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
=== 注釈 ===<br />
{{reflist | group = *}}<br />
=== 出典 ===<br />
{{reflist}}<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
* {{Cite book ja-jp | author = 入江敦彦 | title = やっぱり京都人だけが知っている | year = 2002 | publisher = 洋泉社 | isbn = 4-89691-624-7 | pages = ラーメン - こってり進化論}}<br />
* {{Cite book ja-jp | author = 京都新聞出版センター | publisher = 京都新聞出版センター | title = 京都のラーメンはカルチャーだ | year = 2007 | isbn = 978-4-7638-0595-9 | pages = 24}}<br />
* {{Cite book ja-jp | editor = リーフ・パブリケーションズ、廣田幸祐 他 | title = ほんとにおいしい京都の100ラーメン。 | publisher = リーフ・パブリケーションズ | year = 2003 | pages = 6-7, 48}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[京都ラーメン]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
{{Commonscat}}<br />
* [http://www.tenkaippin.co.jp/pcindex.html 天下一品(公式ウェブサイト)]<br />
* [http://www.w101.jp/ 天下一品 西日本] - [[中国地方|中国]]・[[四国]]・[[九州]]の店舗を直営・フランチャイズする「ベスト天下一品」のウェブサイト<br />
* [http://goodnews-21.com/ こむらさきグループ] - [[仙台]]の店舗を直営・フランチャイズする「こむらさきグループ」のウェブサイト<br />
{{ラーメンチェーン}}<br />
{{リダイレクトの所属カテゴリ<br />
|redirect1=天一食品商事<br />
|1-1=日本の外食事業者<br />
|1-2=大津市の企業<br />
|1-3=京都府発祥の企業<br />
|1-4=1981年設立の企業<br />
}}<br />
{{デフォルトソート:てんかいつひん}}<br />
[[Category:ラーメン店]]<br />
[[Category:一乗寺]]<br />
[[Category:左京区の企業]]<!---子会社を指す。現在の親会社の天一食品商事に関しては別途リダイレクトでカテゴリ分け---></div>
180.15.155.15
Warning : Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46