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http:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=153.214.164.36&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-02T19:37:55Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 中央社会保険医療協議会 2017-03-17T04:09:03Z <p>153.214.164.36: /* 会長 */</p> <hr /> <div>{{Infobox 組織<br /> |名称 = 中央社会保険医療協議会<br /> |略称 = 中医協<br /> |種類 = 審議会等<br /> |地位 = [[社会保険医療協議会法]]による諮問機関<br /> |目的 = 診療報酬の改定<br /> |本部 = 厚生労働省<br /> |貢献 =<br /> |メンバー = 支払側委員7名&lt;br&gt;診療側委員7名&lt;br&gt;公益委員6名<br /> |事務総長 = <br /> |会長 = 田辺国昭<br /> |設立者 = 厚生労働大臣<br /> |関連組織 = <br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;中央社会保険医療協議会&#039;&#039;&#039;(ちゅうおうしゃかいほけんいりょうきょうぎかい、Central Social Insurance Medical Council)とは、日本の[[健康保険]]制度や[[診療報酬]]の改定などについて審議する厚生労働相の諮問機関。通例、&#039;&#039;&#039;中医協&#039;&#039;&#039;(ちゅういきょう)。[[厚生労働省設置法]](平成11年法律第97号)第6条第2項及び[[社会保険医療協議会法]](昭和25年法律第47号)第1条第1項の規定により[[厚生労働省]]に設置される([[国家行政組織法]]上の区分は「[[審議会等]]」)。<br /> <br /> 日本の保険診療および保険薬剤は、今日に至るまで[[公定価格]]制であり、厚生労働大臣に価格決定権がある([[健康保険法]]76条)。その価格改定の際は、厚生労働大臣は中医協に諮問しなければならない(同82条)。この中医協の答申に基づき、2年ごとの診療報酬の改定を実施している。<br /> <br /> なお、各[[地方社会保険事務局]]には、地方社会保険医療協議会が設置される(社会保険医療協議会法第1条第2項)。<br /> <br /> {{Seealso|日本の医療}}<br /> <br /> ==所掌事務==<br /> : 以下、社会保険医療協議会法については、条数のみ記載する。<br /> <br /> 中央社会保険医療協議会は、次に掲げる事項について、[[厚生労働大臣]]の諮問に応じて審議し、及び文書をもつて答申するほか、自ら[[厚生労働大臣]]に、文書をもつて建議することができる(第2条第1項)。<br /> <br /> #[[健康保険法]](大正11年法律第70号)第76条第2項の規定による定め、同法第85条第2項の規定による基準、同法第86条第2項第1号の規定による定め及び[[船員保険法]](昭和14年法律第73号)第28条ノ4第2項の規定による定めに関する事項 <br /> #健康保険法第88条第4項の規定による定めに関する事項 <br /> #健康保険法第63条第二項の規定による定め、同法第70条第1項及び第72条第1項の規定による厚生労働省令、同法第86条第1項第1号の規定による高度の医療を提供する病院若しくは診療所の要件を定める厚生労働省令、同法第92条第2項 の規定による基準(指定訪問看護の取扱いに関する部分に限る。)、船員保険法第28条ノ2第2項の規定による厚生労働省令、同法第29条ノ4第10項の規定による厚生労働省令、[[国民健康保険法]](昭和33年法律第192号)第40条第2項の規定による厚生労働省令並びに同法第54条の2第10項の規定による厚生労働省令に関する事項<br /> <br /> ==会議==<br /> 中央社会保険医療協議会は、正当な理由がある場合を除いては、6月に1回以上開かれ、会長がこれを招集する(第6-7条)。 <br /> <br /> 会長は、厚生労働大臣の諮問があつたとき、又は委員の半数以上が審議すべき事項を示して招集を請求したときは、その諮問又は請求の日から、2週間以内に、それぞれ、中央社会保険医療協議会を招集しなければならない(第7条)。<br /> <br /> ==委員==<br /> 中央社会保険医療協議会は、次に掲げる委員20人をもって組織される(第3条)。<br /> <br /> # [[健康保険]]、[[船員保険]]及び[[国民健康保険]]の保険者並びに被保険者、事業主及び船舶所有者を代表する委員 - 7人 <br /> # [[医師]]、[[歯科医師]]及び[[薬剤師]]を代表する委員 - 7人 <br /> # 公益を代表する委員 -6 人<br /> <br /> 委員及び専門委員は、厚生労働大臣が非常勤の身分として任命する。委員の任期は2年で、1年ごとに、その半数が任命される(委員に欠員を生じたとき新たに任命された委員の任期は、前任者の残任期間となる)。<br /> <br /> ===健康保険、船員保険および国民健康保険の保険者ならびに被保険者、事業主および船舶所有者を代表する委員(支払側委員)===<br /> 支払側委員の任命に当たっては、医療に要する費用を支払う者の立場を適切に代表し得ると認められる者の意見に配慮して決定される。<br /> <br /> 2016年6月22日現在の専門委員は以下の通り。<br /> *吉森俊和   全国健康保険協会理事<br /> *幸野庄司   健康保険組合連合会理事<br /> *平川則男   日本労働組合総連合会総合政策局長<br /> *花井十伍   日本労働組合総連合会「患者本位の医療を確立する連絡会」委員<br /> *宮近清文   日本経済団体連合会社会保障委員会医療・介護改革部会部会長代理<br /> *松浦満晴   全日本海員組合組合長代行<br /> *榊原純夫   愛知県半田市長<br /> <br /> ===医師、歯科医師および薬剤師を代表する委員(診療側委員)=== <br /> 診療側委員の任命に当たっては、地域医療の担い手の立場を適切に代表し得ると認められる者の意見に配慮して決定される。<br /> <br /> 2007年2月まで診療側委員は8人体制であり(支払側も同様)、8人のうち歯科医師2人、薬剤師1人を除く医師5人はすべて[[日本医師会]]の推薦枠となっており、病院の声がほとんど反映されていないとの批判が強かった。2004年に発覚した[[中医協汚職事件]]をきっかけに委員の選任方法が見直され、委員の定数が歯科医師1人減の7人となり(支払側も同様)、医師5人のうち2人は病院団体の推薦枠になったが、3人分の[[日本医師会]]の推薦枠は残り、開業医優先の趨勢に変化はなかった。2008年5月には、当時の舛添要一厚労相が「中医協の診療報酬配分の決定には透明性がない」と発言し、国民から解離した中医協の在り方を見直す必要があることを指摘している。<br /> <br /> そして、民主党への政権交代後の2009年の任期切れに伴う委員選任の際に、日医執行部の3人は再任されず、代わりに[[茨城県医師会]]の鈴木邦彦理事、[[京都府医師会]]の[[安達秀樹]]副会長、[[山形大学]]の[[嘉山孝正]]医学部長が選任され、日医の推薦枠はゼロとなった。[[長妻昭]]厚労相は、「従来は日医の役員の方が3人、病院団体の代表者が2人という構成だった。今回は医師会関係者から2人、病院関係者が3人となり、3対2から2対3の構成に変えた。われわれは地域医療の再生を重要課題、特に病院に対する手当てが緊急の課題だと考えているからだ」などと述べ、来年度の診療報酬改定で病院への配分を手厚くする意向を示した&lt;ref&gt;[http://mrkun.m3.com/mrq/message/ADM0000000/200910262159214256/view.htm 「【号外】“日医外し”が現実に、注目の中医協委員が決定」]m3.com 2009年10月26日。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 2016年6月22日現在の専門委員は以下の通り。<br /> *松本純一   日本医師会常任理事<br /> *中川俊男    日本医師会副会長<br /> *松原謙二   日本医師会副会長<br /> *万代恭嗣   日本病院会常任理事<br /> *猪口雄二   全日本病院協会副会長<br /> *遠藤秀樹   日本歯科医師会常務理事<br /> *安部好弘   日本薬剤師会常務理事<br /> <br /> ===公益を代表する委員(公益委員)===<br /> 公益委員の任命については、両議院の同意を得なければならない(第3条6)。国会の閉会又は衆議院の解散のために両議院の同意を得ることができないときは、厚生労働大臣は、この規定にかかわらず委員を任命することができる(第3条7)。その際には、任命後最初の国会で両議院の承認を得なければならない(第3条8)。この場合に両議院の承認を得られないときは、厚生労働大臣は、直ちにその委員を罷免しなければならない(第3条8)。 <br /> <br /> また、公益委員は、会議の日程、議題等、中医協の運営に関する事項について協議を行い、支払側委員、診療側委員はその協議の結果を尊重することになっている。そして、診療報酬等に係る答申等を行う場合には、あらかじめ公益委員が診療報酬等の実施の状況について検証を行い、その結果を公表する取り決めとなっている。<br /> <br /> ただし、2009年の政権交代に伴い中医協改革を進める民主党は、[[仙谷由人]]が、「公益委員というのは一体全体、医療や医療経営というのを分かっているのかと。診療報酬の付け方として、ことここまで来させて、国民から怨嗟の声が上がって、民間病院の首が全部絞まって公的病院は赤字だらけ。国って何なのかと、中医協という存在はそういうことは考えなくてよかったのかと。公益委員の役割は何だったのか」と述べるなど、公益委員の在り方を見直す姿勢をみせている&lt;ref&gt;[http://lohasmedical.jp/news/2009/09/05014859.php 「『公益委員は医療を分かっているのか』―民主党・仙谷由人衆院議員が中医協を批判」]『ロハス・メディカル』2009年9月 5日&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 2016年6月22日現在の専門委員は以下の通り。<br /> *荒井耕   一橋大学大学院商学研究科教授<br /> *印南一路   慶應義塾大学総合政策学部教授 <br /> *田辺国昭   東京大学大学院法学政治学研究科教授<br /> *西村万里子  明治学院大学法学部教授<br /> *野口晴子   早稲田大学政治経済学術院教授<br /> *松原由美    早稲田大学人間科学学術院准教授<br /> <br /> 厚生労働大臣は、公益を代表する委員が心身の故障のため職務の執行ができないと認める場合又は公益を代表する委員に職務上の義務違反その他委員たるに適しない非行があると認める場合においては、両議院の同意を得て、これを罷免することができる。<br /> <br /> ===会長===<br /> 中央社会保健医療協議会には、公益を代表する委員のうちから委員の選挙した会長1人が置かれる(第5条)。 会長は、会務を総理し、それぞれ、中央協議会又は地方協議会を代表し、会長に事故があるときは、公益を代表する委員のうちから選挙された委員が、その職務を代行する取り決めとなっている(第5条)。<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;歴代会長&#039;&#039;&#039;<br /> *2008年4月 - 2011年3月 [[遠藤久夫]](学習院大学教授)<br /> *2011年4月 - 2014年3月 [[森田朗]](東京大学大学院教授)<br /> *2015年4月 - 現在 [[田辺国昭]] (東京大学大学院法学政治学研究科教授)<br /> <br /> ==専門委員==<br /> 厚生労働大臣は、それぞれ中央社会保険医療協議会において専門の事項を審議するため必要があると認めるときは、その都度、各10人以内の専門委員を置くことができる(第3条)。 専門委員は、当該専門の事項に関する審議が終了したときに解任される(第4条)。 <br /> <br /> 2016年6月22日現在の専門委員は以下の通り。<br /> *岩田 利雄   千葉県東庄町長<br /> *菊池 令子   日本看護協会副会長<br /> *横地 常広   日本臨床衛生検査技師会専務理事<br /> *丹沢 秀樹   千葉大学医学部附属病院歯科・顎・口腔外科教授<br /> *加茂谷 佳明  塩野義製薬株式会社常務執行役員<br /> *上出 厚志   アステラス製薬株式会社執行役員医療政策部長<br /> *吉村 恭彰   株式会社アステム代表取締役社長<br /> *昌子 久仁子  テルモ株式会社取締役上席執行役員<br /> *田村 誠     アボットジャパン株式会社ガバメントアフェアーズバイスプレジデント<br /> *十河 功二   株式会社イノメディックス製造販売部部長  <br /> <br /> == 歴史 ==<br /> === 設立経緯 ===<br /> 日本の[[医療保険]]制度は、[[1927年]]の[[健康保険法]]施行に遡る。日本の[[診療報酬]]は今日まで中央政府が単一に統制しており(先進国で唯一)、当時は支払側と診療側との契約によって決定されていた。[[1943年]]には、現在の[[日本医師会]](日医)、[[健康保険組合連合会]]、[[国民健康保険組合]]など、関係団体が話し合い[[厚生大臣]]が決定する仕組みに変わり、翌1944年に、学識経験者も含めた「社会保険診療報酬算定協議会」が設置された。そして、1950年に、保険診療の指導・監督を行う「社会保険診療協議会」と統合するかたちで、中央社会保険医療協議会(中医協)が誕生した。<br /> <br /> しかし、診療報酬を決めるにあたって、明確な算定ルールが存在しなかったため、中医協委員に名を連ねる利害関係者が事実上の改定方針を決定し(とりわけ、開業医を中心とする日医が強い発言権を持っていた)、改定率は与党の厚生関係議員が水面下の協議で決めるという事態が長らく続いた&lt;ref&gt;「診療報酬改定全面見直しへ 医師会の影響排除」『産経新聞』2009年10月15日。&lt;/ref&gt;。時には交渉が決裂し、1961年には[[日本医師会]]が主導する全国一斉休診や、保険医指定の辞退運動も起こっていた([[全国保険医団体連合会#連絡会の成立]])&lt;ref&gt;{{Cite |和書 |title=日本医師会 戦後50年のあゆみ |author=[[日本医師会]] |url=http://www.med.or.jp/jma/about/50th/ |page=71 |date=}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 平成18年度法改正 ===<br /> ところが、[[2004年]]に[[日歯連事件|中医協汚職事件]]が起こると、そうした中医協の在り方が見直されることになった&lt;ref&gt;{{Cite report|publisher=厚生労働省 |title=中央社会保険医療協議会を巡る贈収賄容疑事件に係る中間報告の概要 |date=2004-09-28 |url=http://www.mhlw.go.jp/houdou/2004/09/dl/h0928-3a.pdf }}&lt;/ref&gt;。2006年の社会保険医療協議会法改正により、それまでの委員構成は、診療側8名、支払側8名、公益4名の20名体制であったのが、診療側7名、支払側7名、公益6名に変わり、日医の推薦枠が減らされ、病院代表の枠と公益委員が増員された&lt;ref&gt;{{Cite report |date=2006-06-21 |title=平成18年 6月21日 衆法83 健康保険法等の一部を改正する法律 |publisher=衆議院 |url=http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/housei/16420060621083.htm }}&lt;/ref&gt;。また、診療報酬改定の基本方針は[[社会保障審議会]]の医療部会と医療保険部会の両部会が決めることとなり、中医協は具体的な点数付けを行う組織となった。<br /> <br /> とはいえ、依然として、中医協の性格は大きく変わることがなく、[[2008年]]5月には、当時の[[舛添要一]]厚労相が「中医協の診療報酬配分の決定には透明性がない」と発言し、国民から解離した中医協の在り方を見直す必要があることを指摘した。そして、[[2009年]]10月の委員改選で、日医の推薦枠がゼロとなり、茨城・京都の地方医師会の幹部と[[山形大学]]医学部長が選ばれ、新たな中医協改革がスタートした&lt;ref&gt;[http://www.m3.com/iryoIshin/article/109935/ 「中医協委員人事を読み解く三つのキーワード」]m3.com 2009年10月27日。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{reflist}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> *[http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO047.html 社会保険医療協議会法]<br /> *[http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxselect.cgi?IDX_OPT=1&amp;H_NAME=%8c%fa%90%b6%98%4a%93%ad%8f%c8%90%dd%92%75%96%40&amp;H_NAME_YOMI=%82%a0&amp;H_NO_GENGO=H&amp;H_NO_YEAR=&amp;H_NO_TYPE=2&amp;H_NO_NO=&amp;H_FILE_NAME=H11HO097&amp;H_RYAKU=1&amp;H_CTG=1&amp;H_YOMI_GUN=1&amp;H_CTG_GUN=1 厚生労働省設置法]<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[日本の医療]]<br /> <br /> ==外部リンク==<br /> *[http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/indexshingi.html 審議会・研究会等] - 厚生労働省<br /> <br /> {{厚生労働省}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:ちゆうおうしやかいほけんいりようきようきかい}}<br /> [[Category:日本の医療]]<br /> [[category:厚生労働省]]<br /> [[Category:審議会]]</div> 153.214.164.36 石背国 2017-02-21T03:58:23Z <p>153.214.164.36: /* 岩代国 */</p> <hr /> <div>{{Pathnav|令制国一覧|東山道|frame=1}}<br /> &#039;&#039;&#039;石背国&#039;&#039;&#039;(いわせのくに)は、かつて[[日本]]の地方行政区分だった[[令制国]]の一つ。[[奈良時代]]に[[陸奥国]]から分立したが、短期間しか存続しなかった。<br /> [[Image:Japan prov map iwase718.png|thumb|250px|right|石背国の位置(718年)]]<br /> <br /> == 沿革 ==<br /> 養老2年([[718年]])5月2日{{疑問点|title=新暦?旧暦?|date=2015年5月}}に[[陸奥国]]の5郡を割いて設置された&lt;ref&gt;『続日本紀』養老2年5月乙未(2日)条。&lt;/ref&gt;。現在の[[福島県]][[中通り]]と[[会津地方]]に当たる。[[国府]]は[[郡山市]]方八町&lt;ref&gt;{{cite book|和書|author=安藤智重|title=安積歴史入門|publisher=歴史春秋社|year=2014|isbn=978-4-89757-841-5|pages=4}}&lt;/ref&gt;、または[[須賀川市]]の上人壇廃寺跡付近に置かれたと見られている。存続は数年間にすぎず、養老4年 ([[720年]])11月26日から神亀5年([[728年]])4月11日にかけてのいつかの時期に陸奥国に復した。<br /> <br /> 終年の下限の年養老4年については、『[[類聚国史]]』に収録された陸奥・石背・石城を対象にした勅、上限の神亀5年については陸奥国に[[白河団|白河軍団]]を置いた『[[続日本紀]]』の記事が根拠である&lt;ref&gt;{{cite book|和書|author=[[高橋崇]]|title=律令国家東北史の研究|publisher=[[吉川弘文館]]|year=1991|isbn=4-642-02245-7|pages=22–24}}&lt;/ref&gt;。さらに時期を絞り込む推定が様々にある。<br /> <br /> == 岩代国 ==<br /> 明治元年([[1869年]])に設置された[[岩代国]](いわしろのくに)は、ほぼ同域だが、東部のいくつかの郡が[[磐城国]]に含まれたため、石背国より狭くなった。<br /> <br /> 畿内の[[山城国]](やましろのくに)が奈良時代は「山&#039;&#039;&#039;背&#039;&#039;&#039;国」と表記されたことから「石背」も「いわせ/いはせ」でなく「いわしろ/いはしろ」と読むと考えられていた{{いつ|date=2015年5月|title=いつまで}}。<br /> <br /> == 郡 ==<br /> 5郡で構成された。<br /> *[[会津郡]]<br /> *[[安積郡]]<br /> *[[岩瀬郡|石背郡]]<br /> *[[白河郡]]<br /> *[[信夫郡]]<br /> <br /> == 関連事項 ==<br /> *[[令制国一覧]]<br /> *[[岩代国]]<br /> *[[中通り]]<br /> *[[会津]]<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{reflist}}<br /> <br /> {{令制国一覧}}<br /> {{DEFAULTSORT:いわせのくに}}<br /> [[Category:廃止された令制国]]<br /> [[Category:陸奥国]]<br /> [[Category:福島県の歴史]]<br /> [[Category:中通り]]<br /> [[Category:会津地方]]<br /> [[Category:奈良時代]]</div> 153.214.164.36 アルギルダス 2017-02-19T02:08:18Z <p>153.214.164.36: /* リトアニアの拡大 */</p> <hr /> <div>{{Otheruses|リトアニア大公|その他}}<br /> {{基礎情報 君主<br /> | 人名 = アルギルダス<br /> | 各国語表記 = {{lang|lt|Algirdas}}<br /> | 君主号 = リトアニア大公<br /> | 画像 = Algirdas kunigaikštis.jpg<br /> | 画像サイズ = 230px<br /> | 画像説明 = <br /> | 在位 = [[リトアニアの統治者の一覧|リトアニア大公]]:[[1345年]] - [[1377年]]<br /> | 戴冠日 = [[1345年]]<br /> | 別号 = <br /> | 全名 = <br /> | 出生日 = [[1296年]]<br /> | 生地 = <br /> | 死亡日 = [[1377年]]<br /> | 没地 = [[マイシャガラ]](?)<br /> | 埋葬日 =  <br /> | 埋葬地 = <br /> | 継承者 = <br /> | 継承形式 = <br /> | 配偶者1 = [[マリヤ・ヤロスラヴナ (リトアニア大公妃)|マリア・ヴィテフスカ]]<br /> | 配偶者2 = [[ユリヤニヤ・アレクサンドロヴナ|ユリヤニヤ・トヴェリスカヤ]]<br /> | 配偶者3 = <br /> | 配偶者4 = <br /> | 子女 = [[アンドリュス・アルギルダイティス|アンドリュス]]&lt;br /&gt;[[ドミトリユス・アルギルダイティス|ドミトリユス]]&lt;br /&gt;[[コンスタンティナス・アルギルダイティス|コンスタンティナス]]&lt;br /&gt;[[ヴラディミラス・アルギルダイティス|ヴラディミラス]]&lt;br /&gt;[[フィオドラス・アルギルダイティス|フィオドラス]]&lt;br /&gt;[[ヴワディスワフ2世 (ポーランド王)|ヨガイラ]]&lt;br /&gt;[[スキルガイラ]]&lt;br /&gt;[[カリブタス]]&lt;br /&gt;[[レングヴェニス・アルギルダイティス|レングヴェニス]]&lt;br /&gt;[[カリガイラ]]&lt;br /&gt;[[ヴィーガンタス]]&lt;br /&gt;[[シュヴィトリガイラ]]&lt;br /&gt;フェドラ&lt;br /&gt;ノヴォシェルスカ&lt;br /&gt;アグリピナ&lt;br /&gt;ケナ&lt;br /&gt;エレナ&lt;br /&gt;マリヤ&lt;br /&gt;ヴィルゲイデ&lt;br /&gt;[[アレクサンドラ・アルギルダイテ|アレクサンドラ]]&lt;br /&gt;ヤドヴィガ<br /> | 王家 = [[アルギルダス家]]<br /> | 王朝 = [[ゲディミナス朝]]<br /> | 王室歌 = <br /> | 父親 = [[ゲディミナス]]<br /> | 母親 = [[ヤヴナ]]<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;アルギルダス&#039;&#039;&#039;もしくは&#039;&#039;&#039;オルゲルト&#039;&#039;&#039;(Algirdas/Olgerd、[[1296年]] - [[1377年]])は、[[中世]][[リトアニア大公国|リトアニア]]の[[リトアニアの統治者の一覧|君主]]。アルギルダスは[[1345年]]から[[1377年]]にかけて[[リトアニア人]]と[[ルーシ人]]の君主と[[リトアニア大公国]]を統治した。西方の国境を守る弟の[[ケーストゥティス]]の支持の許でアルギルダスは[[バルト海]]から[[黒海]]、[[モスクワ]]まで50[[マイル]]にも及ぶ広大な領域を築いた。<br /> <br /> == 背景 ==<br /> アルギルダスは大公[[ゲディミナス]]の7人の息子の1人である。ゲディミナスは[[1341年]]に死ぬ前に領土を分割したが、最年少の[[ヤヴーヌティス]]は首都[[ヴィリニュス]]を支配していて名目上は優位だった。弟の[[ケーストゥティス]]の援助の許でアルギルダスは無能なヤヴーヌティスを追放して[[1345年]]に自身が大公であると宣言した。[[1345年]]から[[1377年]]までの32年にわたる統治は、[[リトアニア大公国]]の発展と拡張に捧げられた。アルギルダスは公国をヨーロッパの強国かつ大国の一つにしようと努めた。<br /> <br /> アルギルダスの並外れた政治力とケーストゥティスの長きにわたる献身という2つの要素は、この結果に貢献した。巧みに領土が分割されたことは、アルギルダスが[[東スラヴ人]]の資料に、ケーストゥティスが西方の[[年代記]]に主に出ている事実からも反映されている。アルギルダスの東方政策が西方の隣人である[[モスクワ大公国|モスクワ]]や[[ポーランド王国|ポーランド]]と次第に敵対する競争相手になるなか、北方の[[ドイツ騎士団]]や南方の[[ジョチ・ウルス]]の目は等しくリトアニアに向けられていた。<br /> <br /> == リトアニアの拡大 ==<br /> アルギルダスは単に己の力で成功したのではなく、モスクワやジョチ・ウルスの拡張の中で影響や領土を得て、リトアニア大公国の国境を[[黒海]]北岸まで広げた。アルギルダスの主な試みは[[キエフ大公国|キーエフ・ルーシ]]以来の[[スラヴ人]]の地の安全を目指したことである。息子の[[アンドリュス・アルギルダイティス|アンドリュス]]を[[プスコフ]]公とすることに成功し、また[[ノヴゴロド共和国]]の市民の中の権力を握る少数派は、モスクワの影響力に対抗するためアルギルダスを支持して勢力バランスを取ろうとしていた。しかし通商の中心である両都市におけるアルギルダスの優先は不確かである。<br /> <br /> アルギルダスは西方ルーシの重要な公国である[[スモレンスク公国|スモレンスク]]と[[ブリャンスク公国|ブリャンスク]]を占領した。しかしモスクワとの関係は概して友好だった。[[正教徒]]である公妃との結婚は、いずれも失敗に終わった[[1368年]]と[[1372年]]の[[モスクワ・リトアニア戦争 (1368年-1372年)|モスクワ包囲]]の障害にはならなかった。<br /> <br /> アルギルダスの重要な功績は[[1362年]]に[[南ブク川]]における[[青水の戦い]]でジョチ・ウルスに勝利したことである。完膚なきまでに叩きのめされたジョチ・ウルスはより南方に移動することを余儀なくされ、後の[[クリミア]]となる彼の地に本拠を築いた。<br /> <br /> == 宗教と死 ==<br /> 現代の[[歴史家]]は「ゲディミナスやアルギルダスが異教を保持したことは外交上の手段や武器として役に立った…勢力と独立を維持する手段として[[リトアニアのキリスト教化|改宗]]の約束を使用することを可能にした」と論じている&lt;ref&gt;Muldoon, James. &#039;&#039;Varieties of Religious Conversion in the Middle Ages&#039;&#039;. University Press of Florida, 1997. Page 140.&lt;/ref&gt;。[[ヘルマン・フォン・ヴァルトベルゲ]]や[[ヤン・ドゥウゴシュ]]によればアルギルダスは1377年の[[夏]]に死ぬまで異教徒のままだった。同時代の[[東ローマ帝国]]の報告も西方の資料を支持している。[[ネイロス (コンスタンティノープル総主教)|ネイロス]][[総主教]]はアルギルダスは「火を崇拝する大公」と記し&lt;ref&gt;F. Miklosich, J. Mūller. Acta Patriarchatus Constantinopolitan. Vienna, 1862, Vol. 2, p.12 &lt;/ref&gt;、別の総主教[[フィロセオス (コンスタンティノープル総主教)|フィロセオス]]は「不信仰の」アルギルダスを援助した[[ルーシ]]の貴族全員を[[破門]]している&lt;ref&gt; F. Miklosich, J. Mūller. Acta Patriarchatus Constantinopolitan. Vienna, 1862, Vol. 1, pp. 523-524 &lt;/ref&gt;。アルギルダスの異教の信仰は[[14世紀]]の東ローマの歴史家である[[ニケフォロス・ゲオルギウス]]の報告にも見出せる&lt;ref&gt; I. Bekker. &#039;&#039;Nicephori Gregorae Historiae Byzantinae&#039;&#039;. Bonn, 1829, Vol. 3 pp. 517-520 &lt;/ref&gt;。<br /> <br /> アルギルダスは18頭の[[馬]]や[[マイシャガラ]]_恐らく{{coord|54|55|42|N|25|01|04|E|}}に位置する[[クカヴィェイティス]]の[[森林聖堂]]&lt;ref&gt;{{lt icon}}[http://www.culture.lt/satenai/?leid_id=891&amp;kas=straipsnis&amp;st_id=15940 Vykintas Vaitkevičius, Kukaveičio šventvietės mįslės in Šiaurės Atėnai 2008-05-02]&lt;/ref&gt;_付近の木製の所有物とともに儀式用の薪で焼かれた&lt;ref&gt;[[マリヤ・ギンブティエネ]] は「アルギルダスは最上の馬、衣服、燦然たる黄金、銀色のベルトに巻かれ、ベージュと宝石で織られたガウンで覆われたガードルとともに焼かれた」と記す[http://www.vaidilute.com/books/gimbutas/gimbutas-08.html] &lt;/ref&gt;。[[2009年]]現在、埋葬地の可能性のあるマイシアガラ付近が調査と発掘を受けている&lt;ref&gt;[http://www.lrt.lt/news.php?strid=5082&amp;id=5208140 Lokalizavo kunigaikščio Algirdo palaikų kremavimo vietą]. retrieved on 2009-05-22&lt;/ref&gt;。アルギルダスの子孫には[[トルベツコイ家]]、[[チャルトリスキ家]]、[[サングシュコ家]]といった貴族の家系が含まれる。<br /> <br /> アルギルダスを回顧してみると[[正教会]]の頂点としての[[ウクライナ]]と[[ベラルーシ]]の正教会の信仰が見えてくる。[[16世紀]]の[[ブィホヴィエツ年代記]]や[[17世紀]]の[[フスティンスカ年代記]]ではアルギルダスは[[1318年]]に[[マリア・ヴィテフスカ]]と結婚する以前に正教会に改宗したと記述している。しかしいくつかの正教会の教会は確かにアルギルダス治世下のヴィリニュスに建てられたものの、アルギルダスの改宗に関する後の主張ではその生活に関する資料から見出せないとし、殆どの学者は偽りであると否定している。同時代の報告にも係らず、現代の学者にも&lt;ref&gt;Contributed by Antoni Prochaska, Jan Ochmanski, Gotthold Rhode, Marija Gimbutas, Edvardas Gudavičius etc.&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&#039;Mazeika&#039;&gt; {{cite journal|title=Was Grand Prince Algirdas a Greek Orthodox Christian? |journal=[[Lituanus]]|date=1987|first=Rasa |last=Mažeika|coauthors=|volume=33|issue=4 |url=http://www.lituanus.org/1987/87_4_05.htm |accessdate=2007-09-06 }}&lt;/ref&gt;、バチスコフのような何人かの[[ロシア]]の学者はアルギルダスは正教徒の統治者だったと主張している。<br /> <br /> それにも係らず、アルギルダスが正教会に改宗したという伝承は疑わしい。早くも[[1460年代]]にアルギルダスの子孫によって書かれた[[キエフ洞窟修道院]]の記念本にはアルギルダスには「[[ドミトリイ]]」という[[洗礼名]]が記載されている。[[ヴォィチェッツ・ヴィユキ・カヤロヴィッツ]]、[[マカリオス1世]]、[[ヴラディーミル・アントノヴィチ]]によればアルギルダスは死の直前に修道士の誓いを立て、アレヒウス修道院下の[[ヴィリニュスのテオトコス大聖堂]]に埋葬された。<br /> <br /> アルギルダスは[[ヴィリニュスのアントニイ、イオアン、エウスタティス]]に死を命じたとされるが、彼等は後に[[正教会]]の[[致命者]]と褒め称えられた。<br /> <br /> == 評価 ==<br /> [[Image:LT-1998-50litų-Algirdas-b.png|thumb|[[リタス]]に刻まれたアルギルダス]]<br /> 子孫と異なり、アルギルダスはモスクワとポーランドの間で大きく揺れ動き、[[リトアニア語]]と[[ルーシ話]]を話し、[[カトリック教会]]の促進化からは遠ざける一方で異教と正教会に傾斜した。しかし、息子の[[ヴワディスワフ2世 (ポーランド王)|ヤガイラス]]はポーランド王位に就いた際にカトリックに改宗して200年近くにも渡るリトアニアとポーランドを支配した王朝の土台を築いた。<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> *[[ゲディミナス朝]]<br /> *[[アルギルダス家]] <br /> *[[モスクワ・リトアニア戦争 (1368年-1372年)]]<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> ;General<br /> *{{1911}}<br /> ;Inline<br /> {{reflist}}<br /> <br /> {{先代次代|[[リトアニアの統治者の一覧|リトアニア大公]]|1345年 - 1377年|[[ヤヴーヌティス]]|[[ヴワディスワフ2世 (ポーランド王)|ヨガイラ]]}}<br /> {{Normdaten}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:あるきるたす}}<br /> [[Category:リトアニア大公]]<br /> [[Category:ヴィテプスク公]]<br /> [[Category:イジャスラヴリ公]]<br /> [[Category:アルギルダス家]]<br /> [[Category:1296年生]]<br /> [[Category:1377年没]]</div> 153.214.164.36 地殻変動 2017-02-17T04:53:41Z <p>153.214.164.36: /* 地震との関連 */</p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;地殻変動&#039;&#039;&#039;(ちかくへんどう、diastrophism)とは、[[地殻]]に[[応力]]が加わることで、長期間にわたり地殻の位置が年間数mmから数cm程度移動する現象である。地殻を構成する[[プレート]]運動や[[断層]]運動と密接に関係している。<br /> <br /> 陸上では[[水準測量]]、[[三角測量]]、[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]、[[水管傾斜計]]、[[石英管伸縮計]]によって長期間にわたり観測されている。近年では[[音波]]を用いて海底でも観測が始まっている。地殻変動観測は[[地震]]の研究・予知やプレート運動の研究などに生かされている。<br /> <br /> == メカニズム ==<br /> 地球上で起こるほとんどすべての地殻変動は[[プレートテクトニクス|プレート運動]]と関連があるといっても過言ではない。局地的な地殻変動は、プレート間の相対運動、断層運動、[[火山]]活動によって生じている。<br /> <br /> [[地殻]]では、場所によって[[応力]]に強弱や方向依存性(最大主応力と最小主応力)が生まれると、[[歪]]が生じる。これが[[地震]]や地殻変動となってあらわれるのである。<br /> <br /> == 陸上観測 ==<br /> === 水準測量 ===<br /> {{Main|測量#水準測量}}<br /> <br /> 各地に設置されている基準測量点を定期的に測定することによって、地殻の水平移動及び垂直移動を調査する方法。基準測量点は、各等級別に分類されている。なお、日本全体の基準点は、[[日本水準原点]]。<br /> <br /> なお、水準点が多すぎることと、地殻変動を捉えるためには、定期的測量が必要であるが、予算や人員の都合などによって、近年は後述のGPS測量などによって行われている。ただし今なおGPSに比べて精度が高い利点があるため、[[東海地震]]の想定震源域に近い[[御前崎市]]や、主要な[[火山]]の周辺では定期的に実施されている。<br /> <br /> === 三角測量 ===<br /> {{Main|測量#三角測量}}<br /> <br /> ただし測定精度に限界があること、多くの予算や人員が必要なことから、[[国土地理院]]による[[電子基準点]]網設置後は三角測量の必要性が薄れている。<br /> <br /> === 傾斜計・歪計 ===<br /> [[水管傾斜計]]によって傾斜を、[[石英管伸縮計]]によって歪を測定する方法である。原理が簡単なことから歴史が古いが、機器固有の誤差や測定精度の限界がある、維持に費用がかかる、データが広く公開されていないなどの問題もあり、地殻変動を調べる手段として一般的でない。<br /> &lt;!--現在、[[カムランド]]及び[[スーパーカミオカンデ]]の設置されている神岡鉱山では、レーザー干渉計を用いた伸縮計(KLIS)で観測を開始している。この装置の観測の目的は、地殻変動を捉えることではなく、地球中心部の核(固体核及び流体核)の動きを捉えるための観測装置である。詳細は、[[重力波天文学]]及び[[TAMA300]]。--&gt;<br /> <br /> 傾斜計及び伸縮計による観測は、全国でもあまり行われていない。[[松代群発地震]]を捉えた、[[気象庁松代地震観測所]]等の限られた場所のみで実施されているためである。最大の理由は、地殻変動を捉えるためには、ある程度の長さを持つ水平3方向に掘られたトンネルが必要なためである。なお、廃抗となった鉱山を利用するなどの方法もあるが、鉱山周辺には、活断層が少ないため、観測するメリットは少ないのである。&lt;!--ちなみに、鉱山は、新生代第3期以前の熱水活動によって、地表周辺まで上ってきた物質の集積所であることが分かっているためである。--&gt;<br /> &lt;!--非表示化した内容は、地殻変動に直接関係ないと思われる内容です。それぞれ「傾斜計」「歪計」「鉱山」の記事に書き写したほうがよいでしょう--&gt;<br /> <br /> === 光波測距 ===<br /> {{Main|光波測距儀}}<br /> <br /> 2点間の距離を測る方法。かつては[[伊豆半島]]・[[御前崎]]間や、[[三河湾]]周辺などで実施されていたが、GPS測量が普及してから衰退した。<br /> <br /> == 海底観測 ==<br /> === 海上との音波交信 ===<br /> 海底に機器を設置し(海底局)、海上との音波交信を通して海上局と海底局との距離を測定する方法。これによって、海底地形の変化が捉えられる。まず海上局(船舶や[[ブイ]])の位置をGPS等で決定するため、GPSの精度を超えて測定することはできない。さらに海洋中の[[音速]]構造によって結果が大きく左右される。日本では[[海上保安庁]]、[[名古屋大学]]、[[東北大学]]によって精度の向上方法が研究されている。海底局を多数設置するのは、広い海洋では難しいため、[[熊野灘]]、[[駿河湾]]、[[三陸海岸]]沖など一部の地域に限って行われている。<br /> <br /> 海洋観測船による音波探査も行われている。これは、海洋観測船から音波を海底に発射し、海底からの反射を測定することによって、海底までの距離を測定する方法。ただし連続観測に向かず、精度もよくない。深海潜水艇([[しんかい6500]])の母船や地球観測船『[[ちきゅう]]』などに搭載されている。<br /> <br /> === 水圧計 ===<br /> 海底地震計に付随して、もしくは単独で設置される水圧計による方法。水圧計にはその上の海水の圧力がかかるため、これを測定することで海底の深さを調べることができる。ただしデータの収集には陸上とケーブルで接続するか、すべての観測後に回収する必要がある。現在ではおもに後者が採用されているため、[[リアルタイム]]化は実現されていない。日本では東海地震警戒域の海底などに設置されている。<br /> <br /> (Note.)2007年度(平成18年度)から、東海地震警戒域の水圧計はリアルタイム観測に切り替えが始まる予定である。中央防災会議の決定により、今後30年以内に起こる可能性が高いとされる、東海・東南海地震に向けた対策の一環である。<br /> <br /> == 航空・衛星観測 ==<br /> === レーダー ===<br /> 航空機から立体視の方法にて撮影された地形図によって、地殻の変化を捉える方法。近年は、[[リモートセンシング衛星|地球観測衛星]]も活用されている。レーザー高度計やレーダ高度計など、高度な機器を用いて精密な測定が可能になりつつある。[[合成開口レーダー]]も参照。<br /> <br /> === GPS ===<br /> [[国土地理院]]による[[電子基準点]]の設置後は、地殻変動観測の代表的な手法となっている。連続してデータを収集できる、基準点設置後は維持や観測にかかる費用が少ないなどの利点がある。また地震直後の[[余効変動]]調査では、一時的に多数のGPS受信機を設置して観測を行う「キャンペーン観測」がさかんに行われている。ただし鉛直成分の観測では水準測量に対して精度が劣るため、現在も両者が併用されている場合もある。[[測量#GPS測量|GPS測量]]および[[グローバル・ポジショニング・システム]]を参照。<br /> <br /> === VLBI ===<br /> [[超長基線電波干渉法]]ともいい、各地に設置された電波望遠鏡による一定の[[クェーサー]]からの電波を測定することによって電波望遠鏡間の距離を測定する方法。日本ではJCNETと呼ばれるVLBI観測網にて実施している。精度は数mmまで達しているが、観測網が粗いためGPS観測による測定結果が[[国土地理院]]から公表されている。<br /> <br /> == 地震との関連 ==<br /> {{Main|地震#地震予知}}<br /> <br /> 地殻変動は地震の前段階の現象として地震予知とともに扱われる場合が多い。とくに[[茂木清夫]]が[[1944年]]の[[東南海地震]]直前の水準測量データを検証し、地震の前には異常な地殻の変動が発生すると指摘してから、日本では地震予知を目的とした地殻変動観測がさかんに行われるようになった。<br /> <br /> 地殻変動と地震の関連性に関しては、[[プレート]]境界地震が上げられる。詳細は[[プレートテクトニクス]]を参照。各プレート境界では、地殻のせり上がりや沈み込みに伴う、地殻歪が蓄積しやすい環境となっている。この地殻歪が臨界点を超えるような時、もしくはなんらかの原因で地殻歪が開放される時、地震が起こることが分かっている。<br /> <br /> 活断層と呼ばれる箇所は、プレートの伸縮によって生じた地表に近い歪の表面に現れた箇所との仮説もあり、これも地震の原因となりうる場合が多い。よって、地殻歪を観測することによって、地震予知や早期警報を出す研究が今も進められている。<br /> <br /> ただし、地震体積モデルと呼ばれるものがあり、その臨界量がどれだけの量なのか、あるいはどのような地質構造の場合どれだけの歪で地震が起こるのか、等については現在も研究が進められている。なお、[[ハザードマップ]]や地震指定地域と呼ばれるものは、過去数世紀の間に間歇的に地震が生じた箇所を、将来30年程度に生じる確率で表現したものであり、いつ起こってもおかしくはないとされる。特に、空白域と呼ばれる箇所は、有史以来地震の記録が残っていないが、地殻上に断層が残っているため、危険箇所として、多くの地震学者が危険視している箇所でもある。<br /> <br /> 地震後は[[余効変動]]と呼ばれる地殻変動が数日から数ヶ月間起こることが多く、その後はプレート運動にともなう定常的な変動のみとなる。<br /> <br /> == 備考 ==<br /> ある事柄や構造、情勢などの大きな変化、動きを「地殻変動」と表現する場合がある。<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[変動地形]]<br /> * [[プレートテクトニクス]]<br /> * [[造山運動]]<br /> * [[アイソスタシー]]<br /> * [[隆起と沈降]]<br /> * [[撓曲]]<br /> * [[曲動]](曲隆、曲降)<br /> * [[地震]]<br /> * [[測量]]<br /> * [[グローバル・ポジショニング・システム]](GPS)<br /> * [[国土地理院]]<br /> &lt;!-- == 参考文献 == --&gt;<br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.gsi.go.jp/CRUST/ 地殻変動情報](国土地理院)<br /> * [http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KOHO/chikaku/chikaku.htm 最近の地殻変動]([[海上保安庁]][[海洋情報部]])<br /> <br /> {{プレートテクトニクス}}<br /> {{Earthquake}}<br /> {{地球温暖化}}<br /> {{DEFAULTSORT:ちかくへんとう}}<br /> [[Category:地球科学]]<br /> [[Category:気候変動の原因]]</div> 153.214.164.36
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