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miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja]
2024-05-10T10:26:38Z
利用者の投稿記録
MediaWiki 1.31.0
あの鐘を鳴らすのはあなた
2018-07-14T12:48:00Z
<p>153.176.50.152: /* 作品等への起用 */</p>
<hr />
<div>{{Infobox Single|<br />
| Name = あの鐘を鳴らすのはあなた<br />
| Artist = [[和田アキ子]]<br />
| Album =<br />
| A-side =<br />
| B-side = 誰もいない朝<br />
| Released = [[1972年]][[3月25日]]<br/>([[レコード#レコードの諸形態|7インチシングル盤]])<br/>[[2006年]][[4月26日]]<br/>([[シングル#シングルの種類|12cmCDシングル]])<br />
| Recorded = <br />
| Genre = [[歌謡曲]]<br />
| Length = 3分35秒<br />
| Label = [[RCAレコード|RCA]]/[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|日本ビクター]]<br/>([[レコード#レコードの諸形態|7インチシングル盤]])<br/>[[テイチクエンタテインメント]]([[シングル#シングルの種類|12cmCDシングル]])<br />
| Writer = [[阿久悠]](作詞)<br />[[森田公一]](作曲)<br />
| Producer = [[阿久悠]]、[[藤崎恒彦]]<br />
| Reviews = <br />
| Chart position = * 53位([[オリコンチャート|オリコン]])<br />
| Certification = *[[第14回日本レコード大賞]]・最優秀歌唱賞<br />
| Last single = [[夜明けの夢]]<br>([[1971年]])<br />
| This single = '''あの鐘を鳴らすのはあなた'''<br>([[1972年]])<br />
| Next single = [[夏の夜のサンバ]]<br>(1972年)<br />
| Misc =<br />
{{Extra chronology 2<br />
| Artist = [[和田アキ子]]<br />
| Type = single<br />
| Last single = [[Loop In My Heart/HEY!]]<br />([[2005年]])<br />
| This single = '''あの鐘を鳴らすのはあなた'''<br />([[2006年]])<br />
| Next single = [[ゴールデンタイム (和田アキ子の曲)|ゴールデンタイム]]<br />([[2007年]])<br />
}}<br />
}}<br />
「'''あの鐘を鳴らすのはあなた'''」(あのかねをならすのはあなた)は、[[1972年]][[3月25日]]に発売された[[和田アキ子]]の11枚目の[[シングル]]。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
和田の所属事務所・ホリプロダクション(現・[[ホリプロ]])の社長(当時)の[[堀威夫]]が[[日本レコード大賞]]の歌唱賞を取るのにふさわしい曲をということで[[作詞家]]の[[阿久悠]]に作詞を依頼した。堀は「ケ・サラ」([[ホセ・フェリシアーノ]]版が日本でヒット)のようなイメージの曲をと頼んだが、阿久は「人生」という語り口はどうかと思い、時代と孤独をテーマに作詞した<ref name="aisubeki">[[阿久悠]] 『[[愛すべき名歌たち|愛すべき名歌たち -私的歌謡曲史-]]』([[岩波書店]] 1999年7月19日) ISBN 978-4004306252 </ref>。そして、見事和田は[[第14回日本レコード大賞]]最優秀歌唱賞を受賞<ref>和田アキ子『和田アキ子だ 文句あっか! アッコの芸能界色メガネ毒舌言いたい放題!!』日本文芸社、1983年、裏表紙。ISBN 4-537-00976-4。</ref>。現在も多くの世代から支持されており、自他共に認める彼女の代表曲となる。<br />
<br />
サビの歌詞に登場する「'''[[砂漠]]'''」は[[東京]]のことを指している。また、タイトルにある「'''あなた'''」にはモデルがいるわけではなく、和田が今まで出逢ってきた人達全てとの意味を込めて阿久が書いた言葉である。<br />
<br />
レコード大賞最優秀歌唱賞受賞発表のとき、和田は感極まりたまたま近くにいた[[沢田研二]]の腕を掴み一緒にステージまで行き、歌っている最中も感動の涙でメイクが落ちたことによって「黒い涙」が流れ落ちた。和田の号泣ぶりと沢田のオロオロした姿が後にレコード大賞史に残る名シーンとして紹介されている。後日、和田は「(司会の)[[高橋圭三]]さんが『あの鐘…』と言った瞬間、頭が真っ白になってしまった。私はジュリーが[[大阪]]のナンバ一番で歌っていた時から仲良しだったのと、私の腕力が強すぎて逆らえなかったのでしょう。」と振り返っている。<br />
<br />
和田と大合唱団の共演歌唱が似合う曲だが、一方で和田はサビの独唱から入る新しいスタイルも披露している。<br />
<br />
[[日本放送協会|NHK]]『[[NHK紅白歌合戦]]』で、[[1991年]]・[[第42回NHK紅白歌合戦|第42回]]、[[1994年]]・[[第45回NHK紅白歌合戦|第45回]]、[[1999年]]・[[第50回NHK紅白歌合戦|第50回]]、[[2004年]]・[[第55回NHK紅白歌合戦|第55回]]、[[2007年]]・[[第58回NHK紅白歌合戦|第58回]]、[[2011年]]・[[第62回NHK紅白歌合戦|第62回]]と6回歌唱しており、第42回と第50回は紅組トリで歌唱した。しかし、本曲を発表した1972年・[[第23回NHK紅白歌合戦|第23回]]では、レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞していながら歌唱されなかった(「[[孤独 (和田アキ子の曲)|孤独]]」を歌唱)。<br />
<br />
[[1991年]]、CMソングに起用されることがきっかけで、「あの鐘を鳴らすのはあなた〈New Version〉」([[大谷和夫]] 編曲)として再録音されている(シングル「[[よくやるね]]」のカップリング曲として収録)。以後発売されるベスト盤などのCDでは、オリジナル音源と再録音の音源がランダムに収録されている。<br />
<br />
[[1995年]]、[[阪神・淡路大震災]]直後に急遽放送されたNHKの被災者激励[[音楽番組]]のエンディングでも歌われた(和田自身が歌唱)。<br />
<br />
[[2005年]]、『[[第56回NHK紅白歌合戦]]』の出場者選考の参考アンケートとしてNHKが実施した「[[スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜]]」では紅組37位にランクインした。<br />
<br />
[[2006年]][[4月26日]]、12cmCDで再発売された。<br />
<br />
[[2006年]]度の[[日本音楽著作権協会]](JASRAC)の著作権使用料分配額(国内作品)ランキングで年間9位を獲得した<ref>[http://www.jasrac.or.jp/profile/prize/2007_country.html 2007年 国内作品分配額ベスト10(金・銀・銅賞関連)]、日本音楽著作権協会、2007年。</ref>。<br />
<br />
[[2007年]][[8月]]に本楽曲の作詞者・阿久悠が逝去した際には、阿久の名作と評され、前述にもあるが阿久への追悼として『第58回NHK紅白歌合戦』でも歌唱した。<br />
<br />
[[2008年]][[6月15日]]に[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]で放送された『[[ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!]]』の「クイズ和田アキ子の500のコト前編」に出演した和田は、[[サザンオールスターズ]]の[[桑田佳祐]]にカバーしてほしいとの願いを語った。そして同年[[11月30日]] - [[12月2日]]開催の[[アクト・アゲインスト・エイズ|AAA]]のライブイベント『昭和八十三年度!ひとり紅白歌合戦』での大トリで桑田がカバー、上述の願いが叶った形になった(桑田はこの歌を歌う際、和田に許可を取ったという)。<br />
<br />
[[2010年]][[3月22日]]、阿久の出身地である[[兵庫県]][[洲本市]][[五色町]]([[淡路島]])の複合公園『ウェルネスパーク五色』([[高田屋嘉兵衛]]公園)に、この曲をモチーフとした阿久の顕彰モニュメント『愛と希望の鐘』が設置され、和田や作曲の[[森田公一]]らとともに除幕式が行われた。<br />
<br />
[[2011年]][[3月11日]]に発生した[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])の被災者支援の義援金の募金活動の一環として、同年[[3月17日]]に[[ホリプロ]]が、『'''あの鐘を鳴らすのはあなた基金'''』を創設した<ref>同年6月30日をもって募金受付終了</ref>。<br />
<br />
[[2015年]][[3月22日]]から、[[西日本旅客鉄道|JR西日本]][[大阪環状線]]の[[天王寺駅]]([[大阪市]][[天王寺区]])の[[発車メロディ]]に採用されている。同駅の近くにある[[四天王寺]]が[[除夜の鐘]]で知られていることに因んでいる<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/20150317-OYT1T50063.html 「あの鐘を鳴らすのは」どの駅?…環状線発車曲] - YOMIURI ONLINE(2015年3月17日)</ref>。なお、天王寺駅は和田の出身地域の最寄駅ではないが、和田は大阪市天王寺区舟橋町([[上町台地]]を下った場所。舟橋町の最寄駅は天王寺区と[[生野区]]との境界線上にある[[鶴橋駅]])出身である。<br />
<br />
発売当時は[[オリコンチャート|オリコン]]53位と必ずしも大ヒットしたとは言えないが、[[2016年]][[10月]]現在も人気作品であり、オリジナル[[レコード#レコードの諸形態|7インチシングル盤]]の価格が中古市場で価格高騰する傾向にある{{#tag:ref|他の歌手の他の作品にも共通することだが、発売価格改定後のシールの有無や、[[ディスクジャケット|ジャケット]]・レコード盤の状態等によって価格は変動する。オリジナルの保存状態の良好なものほど価格が高騰する。|group = 注釈}}。<br />
<br />
==収録曲==<br />
=== 1972年オリジナル盤 ===<br />
*全曲作詞:[[阿久悠]]/作曲・編曲:[[森田公一]]<br />
#'''あの鐘を鳴らすのはあなた'''<br />
#'''誰もいない朝'''<br />
<br />
=== 2006年12cmシングル盤 ===<br />
『'''あの鐘を鳴らすのはあなたたち'''』のタイトルで[[2006年]][[4月26日]]に発売された[[和田アキ子]]の79枚目のシングル。様々なバージョンの「あの鐘を鳴らすのはあなた」を収録。<br />
<br />
#'''あの鐘を鳴らすのはあなた (JAZZTRONIK REMIX)'''<br />
#:2006年3月発売のアルバム「[[リズム&ブルースの女王]]」に収録された[[Jazztronik]]によるリミックス。<br />
#'''あの鐘を鳴らすのはあなた (Reggae Disco Rockers Remix)'''<br />
#:2005年12月発売のアルバム「[[ラガアキコ]]」収録の[[レゲエ]]テイストのリミックス。<br />
#'''あの鐘を鳴らすのはあなた'''<br />
#:編曲は[[小西康陽]]。小西がプロデュースしたセルフカバーアルバム「[[(株)ワダアキコ]]」に収録されたバージョン。<br />
#'''あの鐘を鳴らすのはあなた (New Version)'''<br />
#:1991年発表のリメイクバージョン。<br />
#'''あの鐘を鳴らすのはあなた (Original Version)'''<br />
#:1972年発表のオリジナルバージョン。<br />
#'''あの鐘を鳴らすのはあなた (Original Version カラオケ)'''<br />
<br />
== 作品等への起用 ==<br />
* [[1991年]]、「あの鐘を鳴らすのはあなた〈New Version〉」が[[リクルート]]『[[就職ジャーナル]]』のキャンペーンソングに起用された。<br />
* [[1993年]]、「[[金曜10時!うわさのチャンネル!!]]」で共演したプロレスラー、[[ザ・デストロイヤー]]の引退試合で、オリジナルバージョンが退場時のテーマとして使用された。<br />
* [[2005年]]、[[サンボマスター]]によってカバーされたものが、『[[ジョージア (缶コーヒー)|ジョージア]]』のCMに起用された。<br />
* [[2008年]]、[[クレイジーケンバンド]]によってカバーされたものが、映画『[[歓喜の歌 (落語)|歓喜の歌]]』の主題歌として使用された。<br />
* [[2012年]]、[[フジテレビ系列]]のドラマ『[[カエルの王女さま]]』の第1話と第10話では、主演の[[天海祐希]]によって、本楽曲が歌唱された。<br />
* [[2012年]]、[[徳永英明]]によってカバーされたものが[[トヨタ自動車|トヨタ]]の企業CMで挿入歌に起用された<ref>[http://toyota.jp/tvcf/contents/reborn_hybrid/ Re BORN(ハイブリッド15周年)]</ref>。<br />
<br />
== 「あの鐘を鳴らすのはあなた」のカバー ==<br />
*[[朱里エイコ]]([[1973年]]、LP『ジェット最終便』に収録)<br />
*[[佐良直美]]([[1978年]]、LP『君の唇に色あせぬ言葉を ~阿久 悠 作詞集 1978』に収録)<br />
*[[What's Love? (バンド)|What's Love?]]([[2001年]]、シングル)<br />
*[[サンボマスター]]([[2005年]]、シングル「[[全ての夜と全ての朝にタンバリンを鳴らすのだ]]」に収録)<br />
*[[TAEKO]](2005年、シングル)<br />
*[[:en:Helen Shapiro|Helen Shapiro]]([[2007年]][[7月30日]]、音楽配信『会いたい』に「Arms of Another」として英詞版にて収録)<br />
*[[大友康平]]([[2008年]]、アルバム『J-STANDARD 70's』に収録)<br />
*[[クレイジーケンバンド]](2008年、[[デジタル・ダウンロード]]限定で発売。のちに阿久悠の作詞作品を集めたCD-BOX『続・人間万葉歌』に収録)<br />
*[[桑田佳祐]](2008年、AAAのライブイベントで歌唱、[[2009年]]発売のライブビデオ『[[昭和八十三年度!ひとり紅白歌合戦]]』に収録)<br />
*[[ミトカツユキ]](2009年、アルバム『love Messenger~cover Songs~』に収録) <br />
*[[ゴスペラーズ]]([[2010年]]、アルバム『歌鬼3〜阿久悠×青春のハーモニー〜』に収録)<br />
*[[徳永英明]](2010年、アルバム『[[VOCALIST 4]]』に収録)<br />
:2010年と2011年の年末音楽番組『[[FNS歌謡祭]]』で、和田アキ子×徳永英明として歌われた。<br />
*[[小金沢昇司]](2010年、アルバム『小金沢昇司 ベストセレクション2010』に収録)<br />
*[[ASKA]](2010年、「ASKA CONCERT TOUR 10>>11 FACES」、2012年、「ASKA CONCERT2012 昭和が見ていたクリスマス!? Prelude to The Bookend」にて歌唱、のちに発売された同名のライブDVD・Blu-ray Discに収録)<br />
*[[今陽子]]([[2011年]]、アルバム『Love Seasons ~恋の季節たち~』に収録)<br />
*[[つるの剛士]](2016年、カバーアルバム『つるのうた3.5』に収録<ref>{{cite web|url=http://natalie.mu/music/news/170494|title=つるの剛士「つるのうた3.5」で和田アキ子、中山美穂ほかカバー|publisher=音楽ナタリー|date=2015-12-24|accessdate=2015-12-25}}</ref>)<br />
<br />
==関連項目==<br />
* [[1972年の音楽]]<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
=== 注釈 ===<br />
{{reflist|group=注釈|1}}<br />
=== 出典 ===<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{reflist}} <br />
<br />
{{和田アキ子}}<br />
{{日本レコード大賞最優秀歌唱賞}}<br />
{{single-stub}}<br />
{{DEFAULTSORT:あのかねをならすのはあなた}}<br />
[[Category:和田アキ子の楽曲]]<br />
[[Category:RCAのシングル]]<br />
[[Category:1972年のシングル]]<br />
[[Category:NHK紅白歌合戦歌唱楽曲]]<br />
[[Category:阿久悠が制作した楽曲]]<br />
[[Category:森田公一が制作した楽曲]]<br />
[[Category:トヨタ自動車のコマーシャルソング]]<br />
[[Category:コーヒーのコマーシャルソング]]<br />
[[Category:日本映画の主題歌]]<br />
[[Category:楽器を題材とした楽曲]]<br />
[[Category:変ホ長調]]<br />
[[Category:楽曲 あ|のかねをならすのはあなた]]</div>
153.176.50.152
ザ・デストロイヤー
2018-07-14T12:41:58Z
<p>153.176.50.152: /* 引退 */</p>
<hr />
<div>{{Infobox プロレスラー<br />
| 名前 = ザ・デストロイヤー<br />
| 画像 = Dick Beyer.jpg<br />
| 画像サイズ = 250px<br />
| 画像説明 = ディック "ザ・デストロイヤー" ベイヤー<br />(2010年6月)<br />
| リングネーム = ザ・デストロイヤー<br />ドクターX<br />ディック・ベイヤー<br />
| 本名 = リチャード・ベイヤー(ディック・ベイヤー)<br />
| ニックネーム = 白覆面の魔王<br />
| 身長 = 178cm - 183cm<br />
| 体重 = 110kg - 120kg<br />
| 誕生日 = {{生年月日と年齢|1930|7|11}}<ref>{{cite web|url=http://ffc-online.org/contents/index.php?ID=1109&cID=25|title=ザ・デストロイヤー80歳誕生日パーティー|accessdate=2012-09-25|publisher=フィギアフォークラブ(F・F・C)}}</ref><br />
| 死亡日 = <br />
| 出身地 = {{USA1912}}<br />{{Flagicon|New York}} [[ニューヨーク州]]<br />[[エリー郡 (ニューヨーク州)|エリー郡]][[バッファロー (ニューヨーク州)|バッファロー]]<br />
| 所属 = <br />
| スポーツ歴 = [[アメリカンフットボール]]<br />[[アマチュアレスリング|レスリング]] <br />
| トレーナー = [[ディック・ハットン]]<br />
| デビュー = [[1954年]]<br />
| 引退 = [[1993年]]<br />
}}<br />
'''ザ・デストロイヤー'''('''The Destroyer'''、[[1930年]][[7月11日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]の元[[プロレスラー]]。[[ニューヨーク州]][[バッファロー (ニューヨーク州)|バッファロー]]出身の[[ドイツ系アメリカ人]]。本名は'''リチャード・ジョン・ベイヤー'''('''Richard John Beyer''')、通称'''ディック・ベイヤー'''('''Dick Beyer''')。<br />
<br />
アメリカでは、'''ジ・インテリジェント・センセーショナル・デストロイヤー'''('''The Intelligent Sensational Destroyer''')、'''ディック・ザ・デストロイヤー・ベイヤー'''('''Dick "The Destroyer" Beyer''')などのリングネームで知られる。<br />
<br />
日本では「'''白覆面の魔王'''」の異名を持つ[[覆面レスラー]]として、[[足4の字固め]]を武器に[[力道山]]や[[ジャイアント馬場]]と戦った他、[[芸能人|テレビタレント]]としても活躍した。<br />
<br />
息子の[[カート・ベイヤー]]、娘婿の[[ダニー・スパイビー]]もプロレスラーである。<br />
<br />
== 来歴 ==<br />
=== デビュー ===<br />
[[シラキュース大学]]教育学部卒業、[[シラキュース大学]]大学院修士課程修了。在学時から[[アメリカンフットボール]]の選手として活躍し、卒業後も母校のコーチを務めていたが、[[アマチュアレスリング|レスリング]]でも実績を残していたため、[[1954年]]にアメリカの[[プロレス]]団体からのオファーを受けてプロレスラーとしての活動も並行して始める。<br />
<br />
=== 北米での活躍 ===<br />
当初は本名・素顔で試合を重ねてきたが、[[1962年]]、白地に赤や青の縁取りを付けたマスクを被り、[[ヒール (プロレス)|ヒール]]の[[覆面レスラー]]「'''ジ・インテリジェント・センセーショナル・デストロイヤー'''(''The Intelligent Sensational Destroyer'')」に変身。[[ロサンゼルス]]の[[ワールド・レスリング・アソシエーション (ロサンゼルス)|WWA]]にて、同年7月27日に[[フレッド・ブラッシー]]を破りWWA世界ヘビー級王座を獲得<ref name="wwa-h">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/ca/s/wwa/wwa-h.html|title=WWA World Heavyweight Title|accessdate=2013-09-03|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>、覆面レスラー初の世界チャンピオンとなった。その後、[[1964年]]にも7月22日に[[ウィリアム・アフィルス|ディック・ザ・ブルーザー]]、11月13日に[[カウボーイ・ボブ・エリス]]から同王座を奪取し、通算3回にわたってWWA世界ヘビー級王者となっている<ref name="wwa-h"/>。WWAでは[[ハードボイルド・ハガティ]]をパートナーに、世界タッグ王座にも2回戴冠した<ref name="wwa-t">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/ca/s/wwa/wwa-t.html|title=WWA World Tag Team Title|accessdate=2013-09-03|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。<br />
<br />
[[NWA (プロレス)|NWA]]圏では1964年上期、[[オレゴン州|オレゴン]]および[[ワシントン州]]のパシフィック・ノースウエスト地区にて[[マッドドッグ・バション]]や[[ニック・ボックウィンクル]]と抗争<ref name="pnw-h">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/pnw/nwa/pnw-h.html|title=NWA Pacific Northwest Heavyweight Title|accessdate=2013-09-03|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。[[サンフランシスコ]]のアメリカン・レスリング・アライアンスでは義兄弟[[ビリー・レッド・ライオン]]とのコンビで活動し、[[1965年]]に[[レイ・スティーブンス]]&[[パット・パターソン]]と世界タッグ王座を争った<ref name="sf-awa-t">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/ca/n/awa/sf-awa-t.html|title=American Wrestling Alliance World Tag Team Title [San Francisco]|accessdate=2013-09-03|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。[[テキサス州|テキサス]]では[[1966年]]2月8日、[[ダラス]]にてゴールデン・テラー(ミスター・アトミック)と組み、当時アメリカ修行中だった[[アントニオ猪木|カンジ・イノキ]]&[[デューク・ケオムカ]]から東テキサス版の[[NWA世界タッグチーム王座|NWA世界タッグ王座]]を奪取している<ref name="tx-nwa-t">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/tx/nwa-ss/tx-nwa-t.html|title=NWA World Tag Team Title [E. Texas]|accessdate=2013-09-03|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。<br />
<br />
[[1968年]]には、かつての全米3大メジャー団体の1つである[[アメリカン・レスリング・アソシエーション|AWA]]で黒覆面の「'''ドクターX'''(''Dr. X'')」を名乗り、8月17日に[[バーン・ガニア]]を倒し第23代[[AWA世界ヘビー級王座|AWA世界ヘビー級チャンピオン]]となった<ref name="awa-h">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/awa/awa-h.html|title=AWA World Heavyweight Title|accessdate=2013-09-03|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。8月31日にガニアにタイトルを奪還され短命王者となるも、戴冠中は[[クラッシャー・リソワスキー]]、[[イゴール・ボディック|マイティ・イゴール・ボディック]]、[[ビル・ワット]]らの挑戦を退けている<ref>{{cite web|url=http://www.wrestlingdata.com/index.php?befehl=bilanzen&bilanzart=&wrestler=1132&jahr=1968&monat=8|title=Matches of The Destroyer in August 1968|accessdate=2013-09-03|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。<br />
<br />
NWA圏ではザ・デストロイヤーに戻り、ロサンゼルスでは[[1969年]]8月15日、後に日本でも幾多の好勝負を残すこととなる[[ミル・マスカラス]]のNWAアメリカス・ヘビー級王座(かつて自身が戴冠していたWWA世界ヘビー級王座の後継タイトル)に挑戦<ref>{{cite web|url=http://www.wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=1132&bild=1&details=7&liga=297&jahr=1969|title=The Los Angeles matches fought by The Destroyer in 1969|accessdate=2013-09-14|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。[[1970年]]9月30日には[[ハワイ州|ハワイ]]にて[[ペドロ・モラレス]]からNWA北米ヘビー級王座を奪取<ref name="hi-na-h">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/hi/nwa/hi-na-h.html|title=NWA North American Heavyweight Title [Hawaii]|accessdate=2013-09-03|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>、12月16日に[[ビル・ロビンソン]]に敗れるまで、[[ザ・シーク]]らを相手に防衛を続けた<ref>{{cite web|url=http://www.wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=1132&bild=1&details=7&liga=289&jahr=1970|title=The Hawaii matches fought by The Destroyer in 1970|accessdate=2013-09-03|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。<br />
<br />
以後、[[1970年代]]前半もロサンゼルスやハワイ、ドクターXの名義でAWAなどで活動。AWAでは[[1971年]]より[[ベビーフェイス (プロレス)|ベビーフェイス]]に転向しており、ニック・ボックウィンクル、レイ・スティーブンス、[[ラリー・ヘニング]]、[[ラーズ・アンダーソン]]、[[バロン・フォン・ラシク]]、[[イワン・コロフ]]、[[ダスティ・ローデス]]などのヒール勢と対戦。クラッシャー・リソワスキー、ビル・ロビンソン、[[レッド・バスチェン]]、[[ワフー・マクダニエル]]らと組んでボックウィンクル&スティーブンスが保持していた[[AWA世界タッグチーム王座|AWA世界タッグ王座]]にも再三挑戦した<ref>{{cite web|url=http://www.wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=1132&bild=1&details=7&liga=16&jahr=1971|title=The AWA matches fought by The Destroyer in 1971|accessdate=2013-09-12|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=1132&bild=1&details=7&liga=16&jahr=1972|title=The AWA matches fought by The Destroyer in 1972|accessdate=2013-09-12|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。<br />
<br />
その後、[[1973年]]より[[全日本プロレス]]の所属選手となってからも、ロサンゼルスやサンフランシスコなど[[アメリカ合衆国西海岸|西海岸]]を中心に、アメリカのリングに時折出場した<ref>{{cite web|url=http://www.wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=1132&bild=1&details=7|title=The Destroyer|accessdate=2013-09-12|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。日本へのレギュラー出場を終えた[[1979年]]以降は、[[カナダ]]の[[トロント]]や[[モントリオール]]地区などで活動。トロントでは[[1980年]]1月13日、[[ボブ・バックランド]]の[[WWE世界ヘビー級王座|WWFヘビー級王座]]に挑戦<ref>{{cite web|url=http://www.wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=1132&bild=1&details=7&liga=317&jahr=1980|title=The MLW matches fought by The Destroyer in 1980|accessdate=2013-09-14|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。モントリオールでは[[1983年]]1月10日、ビル・ロビンソンを破ってインターナショナル・ヘビー級王座を獲得<ref name="can-int-h">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/canada/qc/pv/can-int-h.html|title=International Heavyweight Title [Montreal]|accessdate=2013-09-03|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>、自身のキャリアにおける最後のタイトル戴冠を果たした。同年5月17日には[[ニューヨーク州]][[シラキュース (ニューヨーク州)|シラキュース]]での[[WWE|WWF]]の[[ハウス・ショー]]において、当時アメリカ遠征中だった[[藤波辰爾|藤波辰巳]]と対戦している<ref name="wwe1983">{{cite web|url=http://www.thehistoryofwwe.com/83.htm|title=WWE Yearly Results 1983|accessdate=2015-08-25|publisher=The History of WWE}}</ref>。<br />
<br />
=== 日本での活躍 ===<br />
[[1963年]]5月、[[日本プロレス]]に初来日して[[力道山]]と対戦、[[足4の字固め]]をめぐる壮絶な攻防は全国に一大センセーションを巻き起こした。同年5月24日に[[東京体育館]]で行われたWWA世界選手権は平均[[視聴率]]64%を記録、これは今日においても歴代視聴率4位にランクされている。力道山とのシングルマッチは通算1勝1敗2分。力道山の死後も、[[豊登道春|豊登]]とWWA世界ヘビー級王座を巡る激闘を繰り広げ、さらに[[ジャイアント馬場]]を新たなライバルとして[[日本プロレス]]の人気外国人レスラーの地位を確保するようになる。[[アントニオ猪木]]とも好勝負を残しており、シングルマッチは通算1勝1敗2分であった。<br />
<br />
初対戦の頃は「馬場を血だるまにしてKOした」(このような公式記録はない)と言われる大[[ヒール (プロレス)|ヒール]]のデストロイヤーであったが、[[全日本プロレス]]旗揚げ後の[[1972年]]に来日の際、「馬場に負けたら助っ人として日本に残る」と宣言<ref group="注">日本陣営が手薄だったことから馬場が引っ張り込んだという説が今では支配的。</ref>、敗れたデストロイヤーはその後、[[1973年]]3月から[[1979年]]6月にかけて全日本プロレスの所属選手として活動し、その間[[アブドーラ・ザ・ブッチャー]]や[[ミル・マスカラス]]などと名勝負を残した。全日本では若手選手のコーチ役も担当し、[[ジャンボ鶴田]]や[[大仁田厚]]、[[渕正信]]らが教えを受けている。<br />
<br />
==== 覆面世界一決定十番勝負 ====<br />
「[[NWA (プロレス)|NWA]]本部を差し置いて『覆面世界一』を名乗ることは出来ない。世界の強豪マスクマン10人を破って初めて世界一を名乗れる」という[[アングル (プロレス)|アングル]]に端を発する『覆面十番勝負』は、[[1974年]]7月25日の[[ミル・マスカラス]]戦を皮切りに、[[1976年]]8月28日の[[ドン・ジャーディン|スーパー・デストロイヤー]]戦まで2年間に渡って行われた。[[キラー・カール・コックス]]が変身したザ・スピリット、[[ディック・マードック]]が変身したザ・トルネードなどの急造マスクマンも多く含まれていたとはいえ、「[[刺客]]」として送り込まれる[[ミスター・レスリング]]、[[ムース・モロウスキー|ジ・アベンジャー]]、[[マリオ・ミラノ|ザ・バラクーダ]]、[[サイクロン・ネグロ|カリプス・ハリケーン]]、[[ダン・ミラー (プロレスラー)|ブルー・シャーク]]、[[ドン・ジャーディン|スーパー・デストロイヤー]]ら実力者相手の連戦で『[[タイガーマスク]]』のストーリーにも似た興奮を醸し出した。なお覆面を模したオリジナル[[チャンピオンベルト]]も存在する。<br />
<br />
==== 金曜10時!うわさのチャンネル!! ====<br />
そのユニークなキャラクターから、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系で放送されたバラエティー番組『[[金曜10時!うわさのチャンネル!!]]』(司会:[[和田アキ子]]、[[せんだみつお]]ら)にレギュラー出演し、和田に「おいデストロイヤー、こっちこい」などぞんざいに扱われて戸惑うなどコメディアン(ボケキャラ)としてのセンスを見せリングの外でも人気を博した。番組中[[徳光和夫]]に足4の字固めを仕掛け、徳光が「俺はギャラがないんだぞ!」「数日後には父親参観なんだよ俺」と叫びながら悶絶する姿が見られた。デストロイヤーの『うわさのチャンネル!!』への出演は、当時『[[全日本プロレス中継]]』のプロデューサーであった原章が考えたアイデアだった<ref>『日本プロレス事件史 Vol.2』、P58 - P59(2014年、[[ベースボール・マガジン社]]、ISBN 9784583621876)</ref>。<br />
<br />
[[1979年]]6月、日本でのレギュラー出場に一旦終止符を打ち北米のマット界へ再び主戦場を移したが、その「日本陣営引退記念試合」として組まれた馬場との特別試合で、親日家であるデストロイヤーらしく、入場式ののち[[後楽園ホール]]の放送席に駆けつけ、「視聴者プレゼントに」とマスク(試合実用2枚、未使用多数)や試合に使われたガウンなどをサイン入りで寄贈した。また花束の贈呈にはうわさのチャンネル!!で競演した和田、せんだらも出席した。<br />
<br />
=== 引退 ===<br />
アメリカに戻ってからは年1回、全日本プロレスの「サマー・アクション・シリーズ」での特別参戦を続け、[[1993年]]に引退。引退試合では、馬場、息子のカートとタッグを組み、[[井上雅央]]を足4の字固めに仕留めた。退場時には、和田アキ子の『[[あの鐘を鳴らすのはあなた]]』がテーマとして使用された。その後アメリカ・アクロンの[[高等学校]]で体育教師、水泳教室のインストラクターも務めた。<br />
<br />
その後もたびたび来日し、日本のプロレス界やマスコミに登場を続けている。[[2007年]]には「[[レッスルキングダム (テレビゲーム)|レッスルキングダム]]2」の宣伝のためにブッチャーと共に登場した。同年12月20日に[[有明コロシアム]]で行われた、[[アントニオ猪木]]が主催するIGF([[イノキ・ゲノム・フェデレーション]])プロレスリング「GENOME2~猪木 Fighting Xmas~」に特別立会人として来日。[[カート・アングル]]と[[ケンドー・カシン]]の一戦では、場外でイスを振るおうとしたカシンを制止し、会場のファンから大歓声を浴びた。<br />
<br />
[[2011年]]8月27日、『[[ALL TOGETHER (プロレス興行)|ALL TOGETHER 東日本大震災復興支援チャリティープロレス]]』に登場。「デストロイヤー杯争奪 ALL TOGETHER スペシャルバトルロイヤル」の立会人をつとめた。<br />
<br />
2017年、プロレスラー時代からデストロイヤーが日米両国の友好親善及び青少年交流に貢献してきた実績が評価され、[[日本政府]]より秋の[[叙勲]]に於いて外国人叙勲者として[[旭日双光章]]を受章することが発表された<ref>{{Cite news|date=2017-11-3|url=http://www.sankei.com/world/news/171103/wor1711030002-n1.html|title= 旭日双光章受章のデストロイヤーさんインタビュー 引退から24年、いまの生活は? 「力道山がナンバーワン」|newspaper=産経ニュース|agency=産業経済新聞社|page=1-5|accessdate=2017-11-4}}</ref>。<br />
<br />
== 得意技 ==<br />
; [[足4の字固め]]<br />
: デストロイヤーの代名詞的な技。[[バディ・ロジャース]]がほぼ同じ技をスピニングレッグロックとして使っていたが、フィギュアフォーレッグロックと呼び自身の看板技として広めたのは彼である。<br />
; [[ドロップキック]]<br />
: 若い頃のドロップキックは「誰よりも高く飛ぶ」と言われた。<br />
; [[頭突き|ヘッドバット]]<br />
: マスクに凶器を仕込んで頭突きを打つ場合もあった。<br />
; [[ファイヤーマンズキャリー#プロレスにおける派生技|エアプレーン・スピン]]<br />
; [[アルゼンチン・バックブリーカー]]<br />
; [[フライング・ボディシザース・ドロップ]]<br />
; モンキーフリップ([[巴投げ]]に近い技)<br />
; [[ニードロップ|倒立式ダブルニードロップ]]<br />
: 足4の字固めへの布石として、しばしば用いられた。<br />
<br />
== 獲得タイトル ==<br />
; [[ワールド・レスリング・アソシエーション (ロサンゼルス)|ワールド・レスリング・アソシエーション(ロサンゼルス)]]<br />
* WWA世界ヘビー級王座:3回<ref name="wwa-h"/><br />
* WWA世界タッグ王座:2回(w / [[ハードボイルド・ハガティ]])<ref name="wwa-t"/><br />
; [[アメリカン・レスリング・アソシエーション]]<br />
* [[AWA世界ヘビー級王座]]:1回(ドクターX名義)<ref name="awa-h"/><br />
; アメリカン・レスリング・アライアンス<br />
* AWA世界タッグ王座(サンフランシスコ版):1回(w / [[ビリー・レッド・ライオン]])<ref name="sf-awa-t"/><br />
; パシフィック・ノースウエスト・レスリング<br />
* NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座:2回<ref name="pnw-h"/><br />
* NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:3回(w / アート・マハリック)<ref name="pnw-t">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/pnw/nwa/pnw-t.html|title=NWA Pacific Northwest Tag Team Title|accessdate=2013-09-03|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref><br />
; NWAビッグタイム・レスリング<br />
* [[NWA世界タッグチーム王座|NWA世界タッグ王座]](東テキサス版):1回(w / ゴールデン・テラー)<ref name="tx-nwa-t"/><br />
; NWAミッドパシフィック・プロモーションズ<br />
* NWA北米ヘビー級王座(ハワイ版):1回<ref name="hi-na-h"/><br />
; [[日本プロレス]]<br />
* [[アジアタッグ王座]]:1回(w / ビリー・レッド・ライオン)<ref name="asia-t">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/japan/alljapan/asia-t.html|title=All Asia Tag Team Title|accessdate=2015-08-25|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref><br />
; [[全日本プロレス]]<br />
* [[PWF]] USヘビー級王座:4回<br />
; Lutte Internationale<br />
* インターナショナル・ヘビー級王座:1回([[モントリオール]]版)<ref name="can-int-h"/><br />
<br />
== エピソード ==<br />
* プロレスの歴史上初めて、マスクマンとしてヘビー級のトップ戦線で活躍したプロレスラーである。覆面をかぶったのは、当時プロレスラーのライセンスを取得していなかったため、大きな団体で試合をするには正体を隠す必要があったことと、さまざまなスポーツ(アメフトだけでなく、野球、レスリングでも活躍していた)をやっていたせいで前歯が折れていた事から、素顔をさらすのに躊躇したためといわれる。また、素顔は優しい顔立ちの人物である事から、マスクで隠す事でより迫力を出すためであったともされる。[[空港]]でもマスクを外さず、「ボク、デストロイヤー」と言って搭乗口を出ようとしたこともあるほど素顔を露出しなかったといわれているが、その一方で、[[ゴルフ]]練習場では暑かったのかマスクをその場で脱いでクラブを振るなど、よく分からない面もあった。<br />
* 第5回ワールド大リーグ戦の決勝戦前、リング上の力道山と[[キラー・コワルスキー]]の前にWWA世界チャンピオンとして来日したデストロイヤーは、次期シリーズに力道山相手に防衛戦を戦う旨のあいさつに訪れた。コワルスキーに手を差し出し握手するかに見えたデストロイヤーは、そのままつかつかっとコワルスキーに近づくと、平手でぴしゃっとコワルスキーの頬を張った。コワルスキーは顔色を変えたが、大事な試合の前とあって乱闘にもならず試合が始まった。この時のことについて、後にデストロイヤーは、自著「4の字固めのひとりごと」内で、握手を求めたデストロイヤーに対し、コワルスキーが横を向いて「ローカルチャンピオンが・・・」とつぶやいたため、と説明していたが、コワルスキー死後、デストロイヤーの格上げをはかるために、コワルスキーがリング上で咄嗟に提案したアイデアであると言を翻している。<br />
* [[1963年]]5月23日、[[静岡県]][[駿府]]会館において、力道山との世界戦前日にジャイアント馬場と時間無制限1本勝負を行ったが、デストロイヤーはこの試合いつもの白覆面ではなく、“[[悪魔|デビル]]マスク”と呼ばれる黒覆面を被ってリング上に登場した。“白覆面の魔王”ザ・デストロイヤーとして日本で行われた試合で黒覆面を被ったのはこの試合だけである。のち「ドクターX」のリングネームで黒覆面を被った([[#来歴・人物|来歴・人物]]の項参照)。<br />
* 翌5月24日、東京・[[千駄ヶ谷]]の[[東京体育館]]で行われた力道山とのWWA世界ヘビー級選手権試合は、日本プロレス史上に残る名勝負となった。力道山の空手チョップで前歯をへし折られながらも、ついに必殺の4の字固めに捉えたデストロイヤー。ところが力道山はギブアップせず、体を反転させて裏返しになり4の字固めをかけられたまま上から逆にデストロイヤーの足を責めつけた。そのまま二人は二転三転、どちらもギブアップしない。ついにレフェリーの[[沖識名]]はこれ以上やったら二人とも死ぬ、と叫んで引き分けを宣した。試合後も両者の足は複雑に絡み合いなかなか外れなかったという。<br />
* 愛妻家として知られ、マスクも夫人の手作りのものであった。<br />
* マスクをしたまま、自動車を運転していたことが目撃されている。<br />
* 1974年には[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクター音楽産業]](RCAレーベル)から、『デストロイヤーの楽しいクリスマス』と題されたクリスマス向けのLPを日本で発表している。「[[ジングル・ベル]]」や「[[きよしこの夜]]」などといったクリスマス・ソングを日本語で歌ったもので、作品には夫人も参加している。 <br />
* 親日家であり、現在でも毎年最低一回は日本を訪れている。[[麻布十番納涼祭り]]で毎年チャリティサイン会を行なっているほか、自らのレスリングの少年チームを率いての来日もある。十番祭りでは毎年様々なグッズを持って来日し、サイン会場となっている[[携帯電話]]ショップの前はいつも大渋滞である。このことから現在の日本においても非常に有名な選手であることが伺える。<br />
* かつて日本に住んでいたのは麻布十番にも程近い港区の三ノ橋近辺である。<br />
* 日本のプロ野球界に来る助っ人外国人選手との交流も有名で、約8年間の滞日経験を生かし、多くの外国人選手の良きアドバイザーとなった。[[ランディ・バース]]や[[レロン・リー]]、[[レオン・リー]]兄弟、同郷の[[マット・ウインタース]]などは彼への感謝をいまだに忘れないと言う。<br />
* [[ジャイアント馬場]]と[[全日本プロレス]]に対する信頼はかなりのもので、[[新日本プロレス]]から移籍して来た[[スタン・ハンセン]]に対して「スタン、君の移籍は大正解だ。私は全日本立ち上げから馬場と共にしているが、一度も嫌な思いをさせられた事はない」と声をかけ、ハンセンを安心させた。なお、デストロイヤーは[[1975年]]の初来日時のハンセンの対戦相手も務めた。さらに[[1999年]][[5月2日]][[東京ドーム]]、馬場没後の「引退記念試合」に際し、最後の「タッグ・パートナー」に指名され、[[ブルーノ・サンマルチノ]]、[[ジン・キニスキー]]組と「対戦」。挨拶では日本語で「社長、ほんとうにお疲れさまでした」と声をかけ、会場中の涙を誘った。<br />
* ザ・デストロイヤーのマスクは、女性用の[[ガードル]]から作られている。マスクマンになる時、妻と一緒に女性用下着売り場に行き、変な目で見られたそうである。購入した[[ガードル]]を使用して、妻が加工し直した物をマスクとして使用していた。<br />
* ザ・デストロイヤーは[[フリーメイソン]]である<ref>{{Cite web|url=http://www.freemasonryinjapan.com/J-famous.htm|title=七人の有名な日本人メィーソン|publisher=[[日本のフリーメイソンリー|東京メソニックセンター]]|archiveurl=http://replay.waybackmachine.org/20090607101047/http://www.freemasonryinjapan.com/J-famous.htm|archivedate=2009-06-07|accessdate=2015}}</ref>。<br />
<br />
== 入場テーマ曲 ==<br />
* [[アンダーカヴァー (ローリング・ストーンズのアルバム)|アンダー・カヴァー・オブ・ザ・ナイト]]([[ローリング・ストーンズ]])<br />
<br />
== その他 ==<br />
=== 著書 ===<br />
* 「4の字固め」のひとりごと―力道山と最後に闘った男(1984年1月 [[ベースボール・マガジン社]] ISBN 4583024282)<br />
* マスクを脱いだデストロイヤー(2005年2月 ベースボール・マガジン社 ISBN 4583038410)<br />
<br />
=== テレビ ===<br />
* [[金曜10時!うわさのチャンネル!!]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])<br />
* [[三波伸介の家族そろって三つの歌|家族そろって三つの歌]](日本テレビ、家族で出演)<br />
* [[新・底ぬけ脱線ゲーム]](日本テレビ、不定期出演)<br />
<br />
=== 映画 ===<br />
* [[お姐ちゃんお手やわらかに]](1975年、[[東宝]])<br />
<br />
=== 音楽 ===<br />
* デストロイヤーの楽しいクリスマス(1974年 LP、[[RCA]])<br />
* [[赤鼻のトナカイ]](1974年 EP、RCA)<br />
<br />
=== CM ===<br />
* [[ジャパンフリトレー]] チートス([[坂上味和]]と共演)<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
=== 注釈 ===<br />
{{Reflist|group="注"}}<br />
<br />
=== 出典 ===<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.thedestroyer.com/ オフィシャルホームページ]{{En icon}}<br />
* [http://www.onlineworldofwrestling.com/bios/d/dick-beyer/ Online World of Wrestling profile]<br />
* [http://www.cagematch.net/?id=2&nr=2208 Cagematch profile]<br />
* [http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=1132 Wrestlingdata profile]<br />
<br />
{{AWA世界ヘビー級王座}}<br />
<br />
{{デフォルトソート:てすとろいやあ}}<br />
[[Category:アメリカ合衆国のプロレスラー]]<br />
[[Category:NWAに参戦したプロレスラー]]<br />
[[Category:AWAに参戦したプロレスラー]]<br />
[[Category:WWEに参戦したプロレスラー]]<br />
[[Category:日本プロレスに参戦した外国人プロレスラー]]<br />
[[Category:全日本プロレスに参戦した外国人プロレスラー]]<br />
[[Category:全日本プロレスに所属したプロレスラー]]<br />
[[Category:覆面レスラー]]<br />
[[Category:アマチュアレスリング出身のプロレスラー]]<br />
[[Category:プロレス・トレーナー]]<br />
[[Category:アメリカ合衆国の芸能人]]<br />
[[Category:力道山]]<br />
[[Category:ドイツ系アメリカ人]]<br />
[[Category:アメリカ合衆国のフリーメイソン]]<br />
[[Category:日本のフリーメイソン]]<br />
[[Category:旭日双光章受章者]]<br />
[[Category:バッファロー出身の人物]]<br />
[[Category:1931年生]]<br />
[[Category:存命人物]]</div>
153.176.50.152
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