Warning : Undefined variable $type in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php on line 3
Warning : "continue" targeting switch is equivalent to "break". Did you mean to use "continue 2"? in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/json/FormatJson.php on line 297
Warning : Trying to access array offset on value of type bool in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/Setup.php on line 660
Warning : session_name(): Session name cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/Setup.php on line 834
Warning : ini_set(): Session ini settings cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/session/PHPSessionHandler.php on line 126
Warning : ini_set(): Session ini settings cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/session/PHPSessionHandler.php on line 127
Warning : session_cache_limiter(): Session cache limiter cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/session/PHPSessionHandler.php on line 133
Warning : session_set_save_handler(): Session save handler cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/session/PHPSessionHandler.php on line 140
Warning : "continue" targeting switch is equivalent to "break". Did you mean to use "continue 2"? in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/languages/LanguageConverter.php on line 773
Warning : Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/Feed.php on line 294
Warning : Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/Feed.php on line 300
Warning : Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46
Warning : Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46
Warning : Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46
http:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=14.3.213.233&feedformat=atom
miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja]
2024-05-02T23:33:23Z
利用者の投稿記録
MediaWiki 1.31.0
新直轄方式
2018-07-27T23:11:26Z
<p>14.3.213.233: /* 概要 */</p>
<hr />
<div>{{出典の明記|date=2013年3月}}<br />
[[ファイル:Datashintyokkatu.jpg|thumb|right|300px|新直轄区間と有料道路区間の接続点(模式図)<br />有料区間と無料区間の境界は[[本線料金所]]が存在する]]<br />
'''新直轄方式'''(しんちょっかつほうしき)は、[[高速自動車国道]]の建設において、[[ネクスコ|高速道路会社]]によらない[[国]]と[[地方自治体]]の負担による新たな[[直轄事業]]のこと。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
[[一般国道]]と同様に[[国土交通省]][[地方整備局]]が整備し、完成後は[[無料]]開放される。そのため整備効果を上げやすく、並行する未改良の一般国道の[[バイパス道路|バイパス]]整備の代替とされることも多い。<br />
<br />
高速道路会社による道路整備の補完措置として、国と都道府県が建設・管理費用を分担して行なう方式である。基本的に、料金収入により整備・管理費が補えない採算性に乏しい[[路線]]・区間など、高速道路会社による整備・管理が難しい路線・区間が多いが、[[北海道横断自動車道|北海道横断自動車道釧路線]]の様に、[[需要と供給#需要|需要]]が見込め国の方針でも、従来通りの建設整備であった路線が、整備を促すという目的で住民運動によって新直轄を選択した路線もあるため、一概に需要が低いとは言い切れない。<br />
<br />
費用の分担比率は、<br />
{|<br />
|-<br />
| 国 || : || style="text-align: center;" | 一般(下記以外の[[都道府県|都府県]]) || = || 3 || : || 1 || = || 75% || : || 25%<br />
|-<br />
| 国 || : || style="text-align: center;" | [[沖縄県]] || = || 10 || : || 0.5 || ≒ || 95.2 || : || 4.8<br />
|-<br />
| 国 || : || style="text-align: center;" | [[北海道]] || = || 10 || : || 1.5 || ≒ || 86.9% || : || 13.1%<br />
|}<br />
となっている。<br />
<br />
これは、都道府県の財政負担を伴うことから、積極的な整備促進を促す目的と同時に、採算性が乏しい路線を地元自治体が見直すことを促すという2つの側面が重要視されている。従来の[[中央集権]]的な対応とは異なる方式である。<br />
<br />
'''新直轄'''の意味は、これまでにあった[[租税|税金]](国と都道府県の建設費負担は2対1、または追加で[[東日本高速道路|東日本]]・[[中日本高速道路|中日本]]・[[西日本高速道路|西日本]]の各高速道路会社)から建設費を投入されて道路建設される方式の、'''[[高速自動車国道に並行する一般国道自動車専用道路]]'''に対する、'''新たな直轄事業'''という意味である。<br />
<br />
しかし、[[2007年]](平成19年)[[9月22日]]に放送された「[[ウェークアップ!ぷらす]]」([[Nippon News Network|日本テレビ・読売テレビ系]])によると、地元自治体負担分がそのまま[[地方交付税]]の形で国から実質的に戻されていることが多く、「これでは国が全額負担していることと何ら変わらない」「形を変えた地方へのバラマキだ」との批判も出ている。<br />
<br />
新直轄方式によるもう一つのメリットとして、料金収受機能が不必要になったことによる、人件費の大幅削減と、料金所などの施設運営が不要になったことによるインターチェンジ(IC)の簡略化が挙げられる。特に後者については、IC設営が従来に比べて非常に簡素で手軽になり、またIC建設に伴う土地の取得面積も抑えられる。<br />
<br />
新直轄区間として開通した高速道路区間の特徴としては、IC間の距離が従来のNEXCO有料区間のそれに比べて、大幅に短距離であること(従来は8〜20km程度が普通だったが、新直轄区間では平均して3〜4km程度)、IC上に料金所などの設備が不要になったことから、ダイヤモンド型や簡易Y字型などの簡素な設計のICが多いことが挙げられる。<br />
<br />
インターチェンジ簡易化の背景については、流出・流入車を一箇所にまとめる必要性が無くなった為、従来多かったトランペット型(これは、造営の際に広範な土地を必要とする)のICの必要性も無くなりつつあることや、従来は建設が終ると失くすか閉鎖していた建設車両の出入口となる取り付け道路を、そのまま残存させ、簡易ICのランプウェイに転化させるなどの事象が挙げられる。また、インターチェンジの間隔が短距離になったことから、ICの名称も従来に比べ、かなり地域的な物になり(地元周辺住民でなければ認知しないような地名など)、従来の遠隔地移動を目的とした高速道路から、地元住民の短距離の足としての用途転換を窺うことができる。<br />
<br />
通常の高速道路では概ね15km(北海道では25km)ごとに[[パーキングエリア]]、概ね50km(北海道では80km)ごとに[[サービスエリア]]が設置されるが、新直轄方式では区間内のインターチェンジで入出場しても料金が変わらない(新直轄方式区間内あれば無料)ことから設置が省略される(当初は設置予定であっても新直轄方式への転換により計画が白紙になる)。但し新直轄区間が長距離になる場合は代替施設として新直轄方式内のインターチェンジに隣接する形で[[道の駅]]が整備される。<br />
<br />
新直轄方式での供用により有料区間と無料区間が同一道路において混在することから、[[2008年]](平成20年)[[6月30日]]公布、同年[[8月1日]]施行の「道路標識、区画線及び道路標示に関する命令の一部を改正する命令」により、「入口の方向」及び「入口の予告」の各標識に無料区間及び有料区間を下図のように表示できるようになった<ref>[http://www.mlit.go.jp/report/press/road04_hh_000006.html 道路標識、区画線及び道路標示に関する命令の一部改正について] - 国土交通省、2018年3月31日閲覧。</ref>。<br />
<br />
<gallery><br />
File:RoadSign Law notice1-10 Toll Road.jpg|有料区間<br />
File:RoadSign Law notice1-10 Toll Free.jpg|無料区間<br />
</gallery><br />
<br />
== 経緯 ==<br />
[[2001年]]([[平成]]13年)の[[第1次小泉内閣]]発足後に始められた、いわゆる道路公団民営化の議論が推し進められる中で、[[2002年]](平成14年)12月16日付の「民営化推進委員会意見書」において、新会社の採算を超える部分については、その財源を国および地方公共団体が負担することを求め、高速自動車国道や都市高速道路の建設において、合併施行方式による建設など、国、地方公共団体などの費用負担を前提にした新たな制度を、政府において早急に検討することを提言。また、同年12月12日付の「政府・与党申し合わせ」において、新会社による整備の補完措置として、必要な高速道路を整備するため、国と地方の費用負担を国3:地方1とし、できる限り少ない財政負担で高速道路ネットワークを整備する観点から、当時の予算で約3兆円を目安とし、今後の交通需要、金利動向等を踏まえ、必要に応じ見直すものとし、対象とする路線は、料金収入により管理費が賄えない路線など、新会社による整備・管理が難しいと見込まれる区間とすることが決められた<ref name="国交省20061128"/>。これらの提案を受けて、同年の通常国会において、'''新直轄方式'''による高速国道整備に関する法律改正が制定され、[[2003年]](平成15年)5月12日に改正法が施行された<ref name="国交省20061128">{{Cite web|url=http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha03/06/061128_2/02.pdf|format=PDF |title=高速自動車国道の評価結果について|publisher=国土交通省|accessdate=2017-12-16}}</ref>。<br />
<br />
== 新直轄区間 ==<br />
新直轄方式は道路公団民営化に関連して初めてとられた手法であるため、第1回国幹会議での対象区間では、すでに旧来の方法で策定済みの計画を、事業主体など基本計画にたちかえって切り替えるという形をとった。<br />
基本となる考え方は、高速自動車国道の評価手法に基づき、必要性を厳格に検証して評価結果を公表するとともに、関係都道府県から、整備方式(新直轄方式あるいは有料道路方式)に関する要望を聴取した結果を踏まえて国土交通省にて原案を作成し、国幹会議での議会を経て、新直轄方式に切り替わる区間を選定するという手法がとられている<ref name="国交省20061128"/>。<br />
<br />
2004年1月30日付で、以下の27区間につき整備計画が変更(ならびに、うち20区間については公団への施行命令が撤回)し、2006年2月28日付でさらに7区間の整備計画が変更された。<br />
('''太字'''は既供用区間、''斜体''は一部供用区間)<br />
;第1回国幹会議で整備計画変更(2004年1月30日)<br />
* [[北海道縦貫自動車道|北海道縦貫自動車道函館名寄線]]<br />
** [[士別剣淵インターチェンジ|士別剣淵IC]] - [[名寄インターチェンジ|名寄IC]] ※多寄 - 名寄は2006年に建設凍結されたが、2014年に解除された。<br />
* [[北海道横断自動車道]]<br />
** 黒松内北見線<br />
*** ''[[足寄インターチェンジ|足寄IC]] - [[北見西インターチェンジ|北見西IC]]'' ※足寄 - 陸別町小利別は2006年に建設凍結されたが、そのうち陸別町陸別 - 陸別町小利別は2014年に解除された。<br />
** 黒松内釧路線<br />
*** ''[[本別インターチェンジ|本別IC]] - [[釧路西インターチェンジ|釧路西IC]]''(新直轄方式第1号路線 当初は料金収入が見込めるため従来通りの整備を予定していたが、積極的に整備を図るために住民運動によって転換した。)<br />
* [[東北横断自動車道]]<br />
** 釜石秋田線<br />
*** '''[[遠野インターチェンジ|遠野IC]] - [[宮守インターチェンジ|宮守IC]]'''<br />
*** '''宮守IC - [[東和インターチェンジ|東和IC]]'''<br />
* [[日本海沿岸東北自動車道]]<br />
** '''[[あつみ温泉インターチェンジ|あつみ温泉IC]] - [[鶴岡ジャンクション|鶴岡JCT]]''' ※鶴岡JCTより先(酒田方面)は有料区間のため、JCT手前に本線料金所があり、[[鶴岡西インターチェンジ|鶴岡西IC]]までが無料で通行できる区間である。<br />
** '''[[本荘インターチェンジ|本荘IC]] - [[岩城インターチェンジ|岩城IC]]'''<br />
** '''[[釈迦内パーキングエリア|大館市商人留]] - [[小坂ジャンクション|小坂JCT]]'''(起点にインターチェンジは存在せず[[秋田自動車道|大館西道路]]から連続する)<br />
* [[東北中央自動車道|東北中央自動車道相馬尾花沢線]]<br />
** '''[[福島ジャンクション|福島JCT]] - [[米沢八幡原インターチェンジ|米沢八幡原IC]]'''<br />
** '''米沢八幡原IC - [[米沢北インターチェンジ|米沢北IC]]'''<br />
* [[中部横断自動車道]]<br />
** '''[[八千穂高原インターチェンジ|八千穂高原IC]] - [[佐久南インターチェンジ|佐久南IC]]'''<br />
** '''佐久南IC - [[佐久小諸ジャンクション|佐久小諸JCT]]'''<br />
* [[近畿自動車道]]<br />
** 松原那智勝浦線<br />
*** '''[[南紀白浜インターチェンジ|南紀白浜IC]] - [[すさみ南インターチェンジ|すさみ南IC]]'''<br />
** 尾鷲多気線<br />
*** '''[[尾鷲北インターチェンジ|尾鷲北IC]] - [[紀伊長島インターチェンジ|紀伊長島IC]]'''<br />
* [[中国横断自動車道]]<br />
** 姫路鳥取線<br />
*** '''[[佐用ジャンクション|佐用JCT]] - [[西粟倉インターチェンジ|西粟倉IC]]'''<br />
*** '''[[智頭インターチェンジ|智頭IC]] - [[鳥取インターチェンジ|鳥取IC]]'''<br />
** 岡山米子線<br />
*** [[米子インターチェンジ|米子IC]] - 米子北IC ※2006年に建設凍結<br />
** 尾道松江線<br />
*** '''[[尾道ジャンクション|尾道JCT]] - [[三次東ジャンクション|三次東JCT]]'''<br />
*** '''三次東JCT - [[三刀屋木次インターチェンジ|三刀屋木次IC]]'''<br />
* [[四国横断自動車道]]<br />
** 阿南四万十線<br />
*** [[阿南インターチェンジ|阿南IC]] - [[小松島インターチェンジ|小松島IC]]<br />
*** '''[[須崎西インターチェンジ|須崎西IC]] - [[四万十町中央インターチェンジ|四万十町中央IC]]'''<br />
** 愛南大洲線<br />
*** '''[[宇和島北インターチェンジ|宇和島北IC]] - [[西予宇和インターチェンジ|西予宇和IC]]'''<br />
* [[九州横断自動車道]]<br />
** 延岡線<br />
*** ''[[嘉島ジャンクション|嘉島JCT]] - 矢部IC''<br />
* [[東九州自動車道]]<br />
** '''[[蒲江インターチェンジ|蒲江IC]] - [[北川インターチェンジ|北川IC]]'''<br />
** ''[[清武ジャンクション|清武JCT]] - [[日南北郷インターチェンジ|日南北郷IC]]''<br />
** 日南北郷IC - [[日南東郷インターチェンジ|日南東郷IC]]<br />
** ''[[志布志インターチェンジ|志布志IC]] - [[末吉財部インターチェンジ|末吉財部IC]]''<br />
<br />
;第2回国幹会議で整備計画変更(2006年2月28日)<br />
* 北海道縦貫自動車道函館名寄線<br />
** [[七飯インターチェンジ|七飯IC]] - [[大沼公園インターチェンジ|大沼公園IC]]<br />
* 日本海沿岸東北自動車道<br />
** '''[[荒川胎内インターチェンジ|荒川胎内IC]] - [[朝日まほろばインターチェンジ|朝日まほろばIC]]'''<br />
* 東北中央自動車道<br />
** [[東根インターチェンジ|東根IC]] - [[尾花沢インターチェンジ|尾花沢IC]]<br />
* 中部横断自動車道<br />
** [[富沢インターチェンジ|富沢IC]] - [[六郷インターチェンジ|六郷IC]]<br />
* 近畿自動車道<br />
** 松原那智勝浦線<br />
*** '''[[南紀田辺インターチェンジ|南紀田辺IC]] - 南紀白浜IC'''<br />
* 四国横断自動車道<br />
** 阿南四万十線<br />
*** [[小松島インターチェンジ|小松島IC]] - [[徳島東インターチェンジ|徳島東IC]]<br />
* 東九州自動車道<br />
** '''[[佐伯インターチェンジ (大分県)|佐伯IC]] - 蒲江IC'''<br />
<br />
;第4回国幹会議で新たに整備計画策定(2009年5月29日)<br />
* ([[東関東自動車道]])<br />
** 水戸線<br />
*** [[潮来インターチェンジ|潮来IC]] - [[鉾田インターチェンジ|鉾田IC]] ※2017年に有料方式へ変更。<br />
* 日本海沿岸東北自動車道<br />
** [[酒田みなとインターチェンジ|酒田みなとIC]] - 遊佐鳥海IC<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[日本の高速道路]]<br />
*[[名阪国道]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.mlit.go.jp/road/ 国土交通省道路局]<br />
** [http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-related/r3.html 道路IR・関係法令・通達]<br />
<br />
{{日本の高速道路}}<br />
{{DEFAULTSORT:しんちよつかつほうしき}}<br />
[[Category:高速自動車国道|*]]</div>
14.3.213.233
山梨交通
2018-07-27T22:52:24Z
<p>14.3.213.233: /* 高速バス事業 */</p>
<hr />
<div>{{基礎情報 会社<br />
|社名 = 山梨交通株式会社<br />
|英文社名 = Yamanashi Kotsu Co.,Ltd.<br />
|画像 = [[ファイル:Yamanashi-Kotsu Co., Ltd. Head Office Kofu-City.JPG|280px]]<br />
|画像説明 = 山梨交通本社<br />
|種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]]<br />
|市場情報 =<br />
|略称 = 山交<br />
|国籍 ={{JPN}}<br />
|郵便番号= 400-0035<br />
|本社所在地 = [[山梨県]][[甲府市]]飯田三丁目2番34号<br />
| 本社緯度度 = 35|本社緯度分 = 40|本社緯度秒 = 4|本社N(北緯)及びS(南緯) = N<br />
| 本社経度度 = 138|本社経度分 = 33|本社経度秒 = 29|本社E(東経)及びW(西経) = E<br />
| 本社地図国コード = JP<br />
|設立 = [[1945年]][[5月1日]]<br />
|業種 = 5050<br />
|統一金融機関コード =<br />
|SWIFTコード =<br />
|事業内容 = 乗合バス事業、貸切バス事業、飲食業、旅行業、自動車教習事業、不動産業 他<br />
|代表者 = 高野 三雄(代表取締役会長)<br />雨宮 正英(代表取締役社長)<br />
|資本金 = 9600万円<br />
|発行済株式総数 =<br />
|売上高 =<br />
|営業利益 =<br />
|純利益 =<br />
|純資産 =<br />
|総資産 =<br />
|従業員数 =<br />
|決算期 =<br />
|主要株主 = <br />
|主要子会社 = [[山交タウンコーチ]]<br />
|関係する人物 = [[小佐野賢治]]<br />
|外部リンク = http://yamanashikotsu.co.jp/<br />
|特記事項 =<br />
}}<br />
'''山梨交通株式会社'''(やまなしこうつう、''Yamanashi Kotsu Co.,Ltd.'' )は、[[山梨県]]の[[甲府盆地]]を中心とした地域、いわゆる[[国中地方]]の峡中・峡西・峡東地域において[[路線バス]]や[[観光バス]]の運行を行っている<ref name="33-31"/>[[バス (交通機関)|バス]]事業者である。<br />
<br />
地域内の路線以外にも[[中央自動車道]]を経由して各方面に向かう[[高速バス]]や<ref name="60-43"/>、[[東京国際空港]]・[[成田国際空港]]への[[空港連絡バス]]を運行する<ref name="60-44"/>。かつては[[軌道法|軌道]]事業([[山梨交通電車線|電車線]])を行っていたほか、国中地方全域に路線バス網を展開していたが、電車線は1962年に廃止され<ref name="60-49"/>、峡北・峡東・峡南の各地域の路線については[[廃止代替バス|代替バスや自治体バス]]への移行が進められた<ref name="33-34"/>。1990年代以降は日本のバス業界における先駆的な施策も打ち出している<ref name="60-36"/>。<br />
<br />
== 歴史 ==<br />
{{main2|馬車鉄道の詳細な歴史|山梨馬車鉄道|電車線の詳細な歴史|山梨交通電車線}}<br />
<br />
=== 創業期 ===<br />
[[ファイル:Yamanashi Horse Tram Kofu-City circa 1918.JPG|thumb|甲府市八日町[[甲州街道]](現在の[[城東通り (甲府市)|城東通り]])に敷設された山梨馬車鉄道(現在の[[中央 (甲府市)|中央3丁目]])付近。[[大正]]7年頃の撮影。]]<br />
国中地方における公共交通の創始期となるのは、[[明治]]時代の後期に乗合馬車が多数設立された頃である<ref name="60-13"/>。<br />
<br />
軌道事業については、[[1897年]]に設立された'''[[山梨馬車鉄道]]'''が[[1898年]]に[[甲府市|甲府]]と[[石和町|石和]]の間で運行を開始したのが初となる<ref name="60-13"/>。[[1899年]]には鰍沢馬車鉄道が[[鰍沢町|鰍沢]]と[[田富町|小井川]]の間に開業した<ref name="60-13"/>が、鰍沢馬車鉄道は[[1903年]]に山梨馬車鉄道に買収され<ref name="60-13"/>、その後山梨馬車鉄道で甲府市内の柳町二丁目と小井川を結ぶ路線を開設して、既存路線と接続した<ref name="60-13"/>。しかし、[[1903年]]に[[中央本線]]が甲府まで延伸されると、山梨馬車鉄道の甲府と石和を結ぶ路線が打撃を受けた<ref name="60-13"/>。このため、山梨馬車鉄道は路線の縮小を行った上で、[[1906年]]に設立された'''山梨軽便鉄道'''に事業を譲渡した<ref name="60-13"/>。<br />
<br />
山梨軽便鉄道はしばらくは甲府と鰍沢を結ぶ路線を中心に営業していたが、電気運転への転換を目論み、[[1920年]]12月に甲府から石和・小井川への電気軌道の敷設申請を行った<ref name="60-13"/>。しかし、この計画への許可が下りる前に、甲府電車軌道の計画が持ち上がった。甲府電車軌道はまだ会社設立こそされていなかったものの、より大きい資本力を有する上、区間も甲府から石和まで、甲府から[[櫛形町|小笠原]]を経由して鰍沢へ向かうという内容で、山梨軽便鉄道の計画と競合するものであった<ref name="60-13"/>。しかも、この時期には[[富士身延鉄道]]が身延から甲府までの延伸を計画しており、山梨軽便鉄道が対抗できなくなることは明らかとみられた<ref name="60-13"/>。そこで、山梨県と甲府市の斡旋により<ref name="60-1314"/>、その事業を甲府電気軌道に譲渡することにした<ref name="60-14"/>。<br />
<br />
[[ファイル:Automobile Transport Co., Yamanashi circa 1917.JPG|thumb|山梨自動車運輸社屋。甲府市泉町(現在の[[美術館通り (山梨県)|美術館通り]]沿い、[[相生 (甲府市)|相生]]地区)にあった。[[大正]]6年頃の撮影。]]<br />
一方、[[1913年]]には[[猿橋町|大原村]](2011年時点の大月市猿橋町)において自動車の試運転が出願され<ref name="60-14"/>、[[1916年]]には甲府市内で[[芸妓]]置屋が送迎のために貸切自動車の営業を開始しており<ref name="60-14"/>、同年12月には[[武川村 (山梨県)|武川村]]で不定期運行の乗合自動車が営業を開始した<ref name="60-14"/>。これが山梨県におけるバス事業の始まりとみられており<ref name="60-14"/>、[[1917年]]には'''山梨自動車運輸'''がフォード4台で甲府市から小笠原を経由して[[白根町|倉庫町]]に至る路線の運行を開始した<ref name="60-1415"/>。この山梨自動車運輸が、山梨交通の直接のルーツとなる会社であり<ref name="60-15"/>、山梨県内における本格的なバス事業の始まりでもある<ref name="60-15"/>。同年には甲府自動車運輸と山梨自動車が営業を開始した<ref name="33-31"/>ほか、山梨軽便鉄道も自動車営業を開始しており<ref name="60-15"/>、[[1919年]]には[[白州町]]で甲信自動車運輸が<ref name="33-31"/>、[[須玉町]]で百観音自動車が営業を開始している<ref name="60-15"/>など、山梨県における自動車事業の展開は全国的にも比較的早かった<ref name="33-31"/>。<br />
<br />
甲府電車軌道は[[1923年]]に発足し、[[1925年]]に山梨軽便鉄道と合併した<ref name="60-14"/>。[[1926年]]8月には甲府市内の柳町から[[増穂村]]の青柳にいたる軌道敷設許可を得た上で、[[1928年]]に着工した<ref name="60-14"/>。また、[[1929年]]には商号を'''山梨電気鉄道'''と変更し、青柳から鰍沢にいたる区間の延長申請を行っている<ref name="60-14"/>。[[1930年]]5月には、甲府市貢川と[[大井村 (山梨県)|大井村]]を結ぶ区間において、電車による営業を開始した<ref name="60-14"/>。その後も小刻みに路線を延長し、[[1932年]]12月26日には甲府と青柳の区間が全通している<ref name="60-14"/>。一方、富士身延鉄道が1928年3月に甲府まで全通した<ref name="60-14"/>ことに伴い、馬車鉄道は甲府から鰍沢までの路線が1928年中に、甲府から石和までの路線も1930年には廃止されている<ref name="60-14"/>。また、青柳以遠の区間については何度か資金難のために着工を延期はしたものの、[[1936年]]には着工不能が確定的となったため特許が取り消されている<ref name="60-14"/>。<br />
<br />
この時期はバス事業においても開業が相次いでおり、1923年には鰍沢に鰍沢乗合自動車が開業したが、ほどなく山梨自動車運輸に併合されている。このほか、同年には[[勝沼町|勝沼]]にマルエス自動車商会、[[塩山市|塩山]]には鈴木自動車商会が開業しており<ref name="33-31"/>、1925年には[[日下部町]]に雨宮自動車商会、[[身延町]]には身延自動車が開業<ref name="60-15"/>、1926年には甲府市の御岳開発組合が[[昇仙峡]]探勝バスの運行を開始している<ref name="60-15"/>。元号が[[昭和]]に変わってからもバス事業の創業が続き、1929年には[[白根町]]でクラブ自動車<ref name="33-31"/>、[[下部町]]には下部温泉自動車が開業している<ref name="60-1516"/>ほか、1933年には[[富士急行|富士山麓電気鉄道(当時)]]の経営者である[[堀内良平]]が御坂国道バスを設立し、[[御坂峠]]を越えて甲府と[[富士吉田市|上吉田]]を結ぶ路線を運行開始している<ref name="72-20"/>ほか、芝川町にて運行を開始した富士川自動車や甲府市に設立された山梨公衆自動車など<ref name="33-31"/>、7社がこの時期までに開業している<ref name="60-16"/>。山梨電気鉄道も商号変更前の1927年ごろから数回にわたってバス事業の申請を行っているが許可されていない<ref name="60-16"/>。<br />
<br />
=== 自主統合の流れ ===<br />
[[ファイル:Development Association, Yamanashi circa 1928.JPG|thumb|山梨開発協会。[[昭和]]3年頃の撮影。]]<br />
こうした小規模なバス事業者の乱立は、競合による疲弊を招くことになった<ref name="33-31"/>。甲府と勝沼を結ぶ路線などでは3社が競合し、運賃のダンピングなどによる乗客の争奪戦が激化し、バス事業者の経営を圧迫する結果となった<ref name="60-16"/>。そのうち、資本力のある事業者が小規模事業者を買収し合併する気運が現れ始めた<ref name="33-31"/>。こうした方向性は、「交通企業の合理化と交通事業の統制」を目的として、[[1931年]]に公布され、[[1933年]]10月から施行された[[自動車交通事業法]]の精神である1路線1営業主義にも叶うものであった<ref name="60-16"/>。<br />
<br />
自動車交通事業法の成立以前に、1927年に山梨自動車運輸は山梨公衆自動車と御岳開発組合と合併して'''山梨開発協会'''を設立、1929年にはマルエス自動車商会・鈴木自動車商会・雨宮自動車商会が合併して東部乗合自動車を設立した<ref name="60-16"/>。さらに1931年には東部乗合自動車が山梨開発協会と合併した<ref name="60-1617"/>のを端緒として、山梨開発協会が国中地方のバス事業をまとめる統合主体となっていった<ref name="60-17"/>。峡南地域でも、身延自動車が1929年から1931年にかけて、身延弘通と富士川自動車を合併している<ref name="60-17"/>。<br />
<br />
一方、山梨電気鉄道は山梨開発協会のバスと競合したため経営難に陥り<ref name="60-17"/>、1936年には主たる債権者であった[[日本興業銀行]]の申請によって鉄道省の強制管理下に入ることになった<ref name="60-17"/>。[[1937年]]には日本興業銀行から山梨電気鉄道の競売申請が裁判所に申し立てられ、[[1938年]]5月に設立された'''峡西電気鉄道'''によって落札された<ref name="60-17"/>。これによって、甲府から青柳までの電車の運行は峡西電気鉄道の経営に移行した<ref name="60-17"/>。<br />
<br />
他方、バス事業の統合も山梨開発協会によって進められ、1933年に輿石自動車を、1935年には甲府自動車運輸を合併した<ref name="60-17"/>。これにより、山梨開発協会は甲府市周辺と峡東地域の大半の路線を運行する事業者となった<ref name="60-17"/>。<br />
<br />
=== 戦時統合へ ===<br />
戦時体制になり、[[1939年]]に[[陸上交通事業調整法]]が公布される<ref name="60-18"/>前後には、バス事業の統合の動きはさらに加速し<ref name="60-17"/>、1938年に八ヶ岳自動車とアサヒ自動車が、1939年には台ケ原自動車が山梨開発協会に合併することになり、峡北地域のバス事業もほぼ山梨開発協会に統合されることになった<ref name="60-17"/>。[[1942年]]までにさらに2社が合併している<ref name="60-17"/>。<br />
<br />
一方、日中戦争が勃発した[[1937年]]以降は燃料事情が悪化し、燃料統制が行なわれることになった<ref name="60-17"/>。このため、1939年以降はバスの代用燃料化が進められた<ref name="60-17"/>。これと同時期に、[[不要不急路線]]の休止も進められ、鉄道と完全に並行する路線や観光路線などは相次いで休止されていった<ref name="60-17"/>。[[1944年]]ごろには甲府市内で残された路線に乗客が殺到し<ref name="60-1718"/>、どのバスも超満員となる事態になった<ref name="60-18"/>ため、近距離旅客の制限まで行われたという<ref name="60-18"/>。<br />
<br />
1942年には陸運統制令に基づく[[鉄道省]]通牒により強制統合が進められることとなったが、この時に山梨県では甲府地方・岳麓地方の2ブロックに分けられる事となった<ref name="33-32"/>。岳麓地方では富士山麓電気鉄道が統合主体となった<ref name="72-2021"/>が、甲府地方では山梨開発協会・峡西電気鉄道・身延自動車の3社が合併し、これに小規模事業者である6社が事業譲渡する方法をとることになった<ref name="60-18"/>。これに伴い、[[1943年]]からは資産評価の作業が開始された<ref name="60-18"/>が、会社の規模による各社間の思惑の相違<ref name="60-19"/>、資産評価基準に対する不満<ref name="60-19"/>、さらに事業形態の異なる自動車事業と軌道事業の統合における支障などがあった<ref name="60-19"/>ため、当初1944年5月に予定していた統合を延期せざるを得ない状況に陥った<ref name="60-19"/>。そこで、1944年10月には統合に関する一切を関係各社から山梨県に一任すると申し出た<ref name="60-19"/>。山梨県ではこれを受け入れ、山梨開発協会を存続会社として峡西電気鉄道・身延自動車を吸収合併し、他社はこれに現物出資するという形態での統合を決定した<ref name="60-19"/>。このような経過を経て、[[1945年]]2月1日に'''山梨交通'''が発足した<ref name="33-32"/>。ただし、統合前の1944年の時点で既に「山梨交通」という社名が一部で使用された記録が残っている<ref name="60-19"/>。<br />
<br />
=== 戦後の復興 ===<br />
[[ファイル:Yamanashi Kotsu Railway Line circa 1946.JPG|thumb|戦後間もない頃の甲府駅前を走る山梨交通電車線。昭和21年頃の撮影。]]<br />
統合して新会社となった山梨交通は、国中地方の軌道とバスを独占する交通機関となっており<ref name="33-32"/>、バス事業では統合された事業者の1つである身延自動車の営業エリアの関係から[[静岡県]]の一部にも乗り入れ<ref name="60-20"/>、55路線173台を有する一大バス事業者となった<ref name="33-32"/>が、実際には29路線が休止となっており<ref name="33-32"/>、実働車両も35台しかない有様であった<ref name="60-20"/>。これに対し、電車線は1945年7月の空襲時においても車両が被災を免れていた<ref name="60-22"/>。<br />
<br />
いずれも終戦後に復旧整備が開始されることとなり、バス路線は[[1946年]]10月に甲府から[[境川村|境川]]への路線が運行を再開したのを皮切りとして<ref name="33-32"/>、休止路線の再開が進められた。[[1947年]]には新路線の開設も行われ<ref name="60-20"/>、休止路線の再開と新路線の開設が並行して行われるようになり<ref name="60-20"/>、[[1952年]]には休止路線の運行再開は完了した<ref name="60-21"/>。これに対して、電車線はバスより早い1947年には戦前の状態に復旧している<ref name="60-22"/>。<br />
<br />
[[1950年]]からは戦時中に休止されていた貸切バス事業を再開<ref name="60-21"/>、1952年には[[久遠寺|身延山]]開宗700年記念祭や山梨平和博覧会などにあわせて新車を6台導入するなどして輸送力を増強した<ref name="60-21"/>。<br />
<br />
=== 発展 ===<br />
[[1954年]]には富士山麓電気鉄道との共同出資により、貸切バス専業の'''山梨観光自動車'''を設立した<ref name="33-33"/>。[[1958年]]には芝川営業所の貸切バス事業認可が得られた<ref name="60-23"/>ことから、静岡県下である[[芝川町]]・[[富士宮市]]にも山梨交通本体の貸切バスの事業区域が拡大されることとなった<ref name="60-23"/>。<br />
<br />
電車線においては、1952年3月に国鉄[[甲府駅]]構内借用許可を得て、甲府駅構内への乗り入れを計画した<ref name="60-22"/>。当初は同年中に乗り入れる計画であった<ref name="60-22"/>が、国鉄側の施設の移転や道路整備の状況などの問題があり、[[1953年]]9月に市内のルート変更を行った上で甲府駅へ乗り入れを開始<ref name="60-22"/>、甲府駅前のバス乗り場も電車線の駅に集約した<ref name="60-22"/>。なお、1954年には甲府市内の[[併用軌道]]区間の単線化が行われている<ref name="60-22"/>。<br />
<br />
1950年代になるとバス路線の新設が多くなり、[[1955年]]までには[[扇状地]]を遡るように[[積翠寺温泉|積翠寺]]・[[芦安村|芦安]]・[[韮崎市|穂坂]]・[[増富温泉|増富]]・[[小淵沢町|小淵沢]]・[[南部町 (山梨県)|内船]]・[[上九一色村|上九一色]]へと乗り入れを開始<ref name="33-32"/>、[[1960年]]までにはさらに[[早川町|奈良田]]・[[長坂町|小泉]]・[[高根町|清里]]・[[山梨市|切差]]へと路線網を拡大した<ref name="33-32"/>。また、この時期は長距離バス路線への進出も目立ち、[[1954年]]7月1日から[[しずてつジャストライン|静岡鉄道]]との相互乗り入れによって甲府と[[静岡市|静岡]]の間を結ぶ急行バス([[静岡甲府線]])の運行を開始した<ref name="33-32"/>ほか、[[1958年]]12月に[[国道20号]]の[[笹子隧道|新笹子トンネル]]が開通したことを契機として<ref name="60-23"/>、甲府と[[大月市|大月]]を結ぶ路線を富士山麓電気鉄道(当時)との相互乗り入れによって運行を開始した<ref name="60-23"/>。1959年2月からは[[諏訪バス|諏訪自動車(当時)]]との相互乗り入れによって甲府と上諏訪を結ぶ路線を<ref name="60-23"/>、同年6月には[[千曲バス|千曲自動車(当時)]]との相互乗り入れにより甲府と小諸を結ぶ路線の運行を開始した<ref name="60-23"/>。また、新笹子トンネルの開通を前提に富士山麓電気鉄道(当時)および[[京王電鉄バス|京王帝都電鉄(当時)]]との3社で申請していた新宿と昇仙峡を結ぶ路線の免許が下りた<ref name="60-23"/>ことから、1959年7月5日から日曜・祝日のみ運行の季節路線として運行を開始した<ref name="60-23"/>が、これが[[中央高速バス]]甲府線の原型ともいえる路線である<ref name="bj4-24"/>。<br />
<br />
しかし、このバス路線網の拡大の一方で、電車線の利用客が山間部まで直通するバスに転移し、電車線の経営状況は悪化していった<ref name="60-4849"/>。その上、1959年には台風7号によって貢川の車庫の倒壊や路盤流失などの被害があった<ref name="60-49"/>ほか、復旧途上に[[伊勢湾台風|台風15号]]が被害を与え、復旧費用が嵩んだために電車線の経営状況の悪化に拍車をかけることになった<ref name="60-49"/>。そのような状況下、「ボロ電<ref group="注釈" name="ボロ電">沿線住民は電車線をこのように呼んでいた。[[#60th|『山梨交通60年史』 p.48]]の記述では、山梨馬車鉄道も「ガタ馬車」と呼ばれていたことにもふれており、この呼び方は「甲州人独特の親しみを込めた表現ではないか」と推測されている。</ref>を都会的な電車にしよう」と<ref name="rj501-155"/>、当時の山梨県から見て「都会の電車」であった[[国鉄101系電車]]に似せたオレンジ色1色に車両の色を変更する<ref name="rj501-155"/>、といったことも行なわれていた。<br />
<br />
この頃の山梨交通では関連事業にも着手している。観光業務に重点をおくという方向性のもと、[[八ヶ岳]]山麓にバンガローや観光バスセンターの建設に着手した<ref name="60-24"/>ほか、[[帝都高速度交通営団|地下鉄]][[池袋駅]]構内に観光案内所を開設した<ref name="60-24"/>。<br />
<br />
=== 1960年代 ===<br />
==== 山交騒動 ====<br />
電車線はバスとの競合や自然災害などで不振であった<ref name="60-24"/>ものの、バス事業については[[黒字]]を計上し<ref name="60-24"/>、1960年代に入る頃には、山梨交通は県内では最大の企業となっていた<ref name="33-33"/>。しかし、この時期の山梨交通の経営状態はかなり悪化していた<ref name="60-24"/>。当時の経営者の[[放漫経営]]に問題があったといわれており<ref name="60-24"/>、[[日本の地方議会議員|県会議員]]や大[[株主]]の依頼を受け<ref name="33-33"/>、[[国際興業]]の社主であった[[小佐野賢治]]が山梨交通の再建にあたることになった<ref name="33-33"/>。小佐野賢治は山梨交通の[[株式]]を40万株取得し<ref name="60-24"/>、[[1959年]]9月に当時の社長の河西俊夫と会談して取締役としての参加を申し出た<ref name="60-24"/>。この時点で、既に小佐野賢治は山梨交通の個人筆頭株主であった<ref name="60-24"/>。<br />
<br />
小佐野賢治は山梨県出身であり、山梨交通の経営に参加する目的も「郷土の企業発展と観光振興に力を貸したい」というものであった<ref name="33-33"/>が、当時の経営陣は東京の事業家の進出に危機感を抱いた<ref name="33-33"/>。衆議院議員でもあった河西は、同じく衆議院議員でもあった[[堤康次郎]]に全面的支援の約束を取り付け<ref name="2004-128"/>、社長一族が主導権を握る目的で株式の買占めにかかった<ref name="60-24"/>ため、事態は「株主総会までにどちらがどこまで株式を買い集められるか」<ref name="60-2425"/>という小佐野賢治と河西の株式争奪戦の様相を呈した<ref name="33-33"/>{{refnest|group="注釈"|小佐野賢治が[[東京急行電鉄]]の実質的な創業者である[[五島慶太]]と親交があったことから、東急と西武の対立が飛び火した感もあった、ともみられている<ref name="60-24"/>。ただし、堤は山梨交通の経営を引き受けるつもりはなく<ref name="2004-131"/>、友人であった河西から頼まれるままに株を買い集めただけであったという<ref name="2004-131"/>。}}。さらに、河西は株主総会直前に取締役会で静岡市に設立された駿河観光の買収を決議した<ref name="60-25"/>が、この駿河観光は実態のない会社で、河西の持株比率を高める策略であった<ref name="60-25"/>。<br />
<br />
1960年の[[株主総会]]は、河西が招集した[[西武鉄道]]の社員が大半を占めている状況下で行われ<ref name="60-25"/>、駿河観光の買収は可決された<ref name="60-25"/>が、小佐野賢治はこの議決について[[執行停止]]の仮処分を申請し、法廷闘争へ移行する事態となった<ref name="60-25"/>。新聞では小佐野賢治と山梨交通の双方から声明文が出され、多くの山梨県民に「山交騒動」としてこの状況が知られることになった<ref name="60-25"/>{{refnest|group="注釈"|これは後に[[熊王徳平]]の『虎と狼』など、小説の題材にもなっている<ref name="60-24"/>。}}。<br />
<br />
同年6月の判決では小佐野賢治の主張が全面的に認められ、9月に行われた株主総会で駿河観光の合併話は解消された<ref name="60-25"/>。この時点で、山梨交通の持株比率は小佐野賢治と堤の両者がほぼ同率で所有しており、両者とも筆頭株主となっていた<ref name="60-25"/>が、その後の話し合いにより堤の持株は小佐野賢治に譲られ、堤は山梨交通から全面的に手を引いた<ref name="60-25"/>{{refnest|group="注釈"|これ以後、堤と小佐野賢治の関係は良好であったという<ref name="2004-134"/>。}}。これにより、小佐野賢治は山梨交通の株式を100%取得したことになった<ref name="60-25"/>。<br />
<br />
==== 国際興業傘下で再建 ====<br />
山梨交通を掌中に収めた小佐野賢治は、国際興業から役員を徐々に送り込んだ<ref name="60-25"/>。[[1961年]]の株主総会で副社長に国際興業の専務だった小佐野栄が就任<ref name="60-25"/>、続いて同年11月には小佐野賢治が会長に就任した<ref name="60-25"/>。さらに、翌1962年の株主総会で旧経営陣は全て退陣し、社長に小佐野栄が就任した<ref name="60-25"/>。こうして、山梨交通は国際興業グループとして再出発することになった。<br />
<br />
経営内容の刷新を図るべく、まず1961年には静岡資本の甲府松菱デパートを買収した<ref name="60-25"/>。続いて、経営状況の抜本的な改革として<ref name="60-26"/>、再生の見込みが立たない電車線については廃止することになり<ref name="33-33"/>、1961年から沿線自治体との折衝を開始<ref name="60-49"/>、[[1962年]]5月には運輸省と建設省の許可も得られた<ref name="60-49"/>ことから、同年6月30日限りで「ボロ電」<ref group="注釈" name="ボロ電"/>として親しまれてきた電車線は廃止された<ref name="60-49"/>。[[1965年]]には[[甲府駅前駅|甲府駅前の電車線乗り場]]跡地に甲府松菱デパートを移転した上で、山交百貨店としてオープンさせた<ref name="60-26"/>。<br />
<br />
電車線の廃止後も、路線バスの拡充は進められた。主な路線だけでも、[[1963年]]に[[芦川村]]・古市場へ乗り入れを開始<ref name="60-26"/>、[[1964年]]には芦安から[[夜叉神峠]]登山口までの路線を開設し<ref name="60-26"/>、同年には静岡県内でも[[富士川町 (静岡県)|富士川町]]から蒲原病院([[蒲原町]])へ路線延長された<ref name="60-26"/>。1965年には鶯宿([[芦川村]])へ乗り入れ<ref name="60-26"/>、[[1966年]]には[[西東京バス]]との[[共同運行|相互乗り入れ]]により[[奥多摩駅|氷川]]と塩山を結ぶ路線を開設<ref name="33-33"/>、[[1967年]]には夜叉神峠登山口から[[白鳳渓谷|広河原]]ロッジへ路線延長が行なわれている<ref name="33-33"/>。<br />
<br />
貸切バス事業についても、1962年には[[東京都]][[板橋区]]に東京営業所を開設して東京進出を果たし<ref name="60-27"/>、1965年9月には[[富士吉田市|富士吉田]]にも貸切バス営業所が開設され、富士山麓での営業拠点となった<ref name="60-27"/>。甲府の貸切バス営業拠点についても、[[1970年]]には貢川・湯村・伊勢町の各営業所の貸切バス事業を統合して甲府観光営業所を設けた<ref name="60-27"/>。<br />
<br />
この頃には関連事業についても強化され、1961年には甲府自動車教習所を買収して山梨交通自動車教習所として営業を開始<ref name="60-27"/>、1962年には湯村温泉の旅館である昇仙閣の経営にも参加し<ref name="60-27"/>、清里高原にはセンターロッジやバンガローを建設した<ref name="60-27"/>ほか、1965年には八ヶ岳スケートセンターを開設した<ref name="60-27"/>。また、タクシー事業においても、戦時統合中のタクシー事業者の統合により設立されていた山梨貸切自動車に1962年から経営参加している<ref name="60-27"/>。<br />
<br />
バス事業を拡大してゆくうち、車掌の要員不足に悩まされることになった<ref name="60-28"/>。また、増収努力は効果を挙げていた<ref name="60-28"/>ものの、収支面では赤字基調となっていた<ref name="60-28"/>ことから、人件費削減による合理化対策として[[ワンマン運転|ワンマンバス]]の導入を行なうことになった<ref name="60-28"/>。1965年から労使交渉などの準備を行い<ref name="60-28"/>、[[1966年]]5月から甲府市内の路線において整理券方式後払いによるワンマンバスの運行を開始した<ref name="60-28"/>。<br />
<br />
=== 1970年代 ===<br />
==== モータリゼーションの進展 ====<br />
1970年代に入る頃から、山梨県下においても[[自家用自動車|自家用車]]の普及、いわゆる[[モータリゼーション]]の進展が見られ<ref name="60-30"/>、路線バスの乗客数は減少し始めた<ref name="60-30"/>。しかし、貸切バスの需要はまだ旺盛であった<ref name="60-31"/>ことから、効率化を進める一方で、伸びるニーズを捉えることが必要とされた<ref name="60-31"/>。1972年には東京営業所を[[国際興業観光バス|国際興業]]に譲渡して撤退する<ref name="33-34"/>一方で、山梨県内では[[ハイデッカー]]や豪華車両の投入などの強化を図っている<ref name="60-32"/>。<br />
<br />
路線バスのワンマン化は、1970年代の半ば頃には[[狭隘路線]]を除けばほぼ終了していた<ref name="60-31"/>ことから、[[1978年]]からは道路に合わせてバス車両そのものを中型化、あるいは小型化することでワンマン基準に適合させる方策がとられるようになった<ref name="33-34"/>。また、出先での車両の駐泊<ref group="注釈">バス路線の終点で、最終便を翌朝の始発便で戻すため、バスをそこに止めて乗務員も一泊すること。</ref>なども順次廃止され<ref name="60-31"/>、一部は現地在住の乗務員が始発便と最終便を担当するように変更した<ref name="60-31"/>ほか、営業所も統廃合が行われた<ref name="60-31"/>。また、サービス向上のために、停留所以外でも自由に乗り降りが可能な[[フリー乗降制|自由乗降バス]]を1978年から導入を開始<ref name="60-31"/>、ほどなく甲府市内と幹線道路以外はほとんどの区間が自由乗降区間となった<ref name="60-31"/>。同年からは使用時間を限定する代わりに割引率を高く設定した「[[回数乗車券#バス|買物回数券]]」も導入された<ref name="60-31"/>。<br />
<br />
また、不採算路線については休廃止が進められることとなり、[[1971年]]6月に内船と寄畑を結ぶ区間が廃止されたのを皮切りとして<ref name="60-32"/>、同年度内に身延から芝川までの区間が廃止となり<ref name="60-32"/>、静岡県内の一般路線は他の山梨交通の路線と接続しない孤立した路線網となった。1972年度には塩山・山梨市から栗合・御坂への路線や早川橋と下部を結ぶ区間が<ref name="60-32"/>、[[1973年]]度には貢川から鶯宿・奈良原へ向かう路線が<ref name="60-32"/>、[[1974年]]度には湯村から増富への路線などが廃止された<ref name="60-32"/>。この時期に28路線が休廃止となったが、ほとんどが峡北・峡南地域の路線であった<ref name="33-34"/>。また、長距離バスも利用者減少のため、1971年9月に甲府と上諏訪を結ぶ路線が休止された<ref name="60-29"/>{{refnest|group="注釈"|1974年に正式に廃止<ref name="60-29"/>。}}のをはじめとして、1972年1月には甲府と小諸を結ぶ路線が<ref name="33-34"/>、同年4月には塩山と氷川を結ぶ路線が<ref name="60-29"/>、1978年には甲府と大月を結ぶ路線も廃止された<ref name="33-34"/>。また、静岡と山梨を結ぶ路線([[静岡甲府線]])については、[[1979年]]に山梨交通が撤退<ref name="60-29"/>、その後は静岡鉄道の単独運行となった<ref name="60-29"/>{{refnest|group="注釈"|1990年に静岡鉄道も撤退した<ref name="60-29"/>。}}。<br />
<br />
その一方で、1969年に[[中央自動車道]]が一部開通したことに伴い、昇仙峡と新宿を結ぶ急行バスは大月以東は中央自動車道経由に変更された<ref name="60-28"/>。また、[[御岳昇仙峡有料道路|昇仙峡グリーンライン]]の開通に伴い、[[1972年]]4月には貢川からグリーンラインを経由して昇仙峡へ向かう路線が開設された<ref name="60-31"/>ほか、[[1973年]]には定期観光バスの運行も開始された<ref name="33-34"/>。<br />
<br />
==== 高速バスへの参入 ====<br />
[[1978年]]に中央自動車道が[[笹子トンネル (中央自動車道)|笹子トンネル]]を抜けて[[勝沼インターチェンジ|勝沼]]まで開通したのを機に、それまで季節運行だった新宿と昇仙峡を結ぶ路線を定期運行の[[高速バス]]路線として発展させる形で、1978年[[4月22日]]から山梨交通・富士急行・京王帝都電鉄(当時)の3社共同運行による[[中央高速バス]]甲府線の運行を開始した<ref name="60-29"/>。この路線では、予約システムを3社で統一し、甲府での予約業務は山梨交通が一括して行なうことになった<ref name="60-29"/>。当初各社3往復ずつの9往復で運行開始した<ref name="60-29"/>甲府線は、利用者も順調に増加したことから年毎に増便され<ref name="33-34"/>、[[1985年]]には30往復にまで成長していた<ref name="60-30"/>。<br />
<br />
中央自動車道が全通すると、新宿と長野県を結ぶ高速バスが注目され<ref name="60-30"/>、京王帝都電鉄(当時)と[[伊那バス]]・[[信南交通]]が新宿と伊那・飯田を結ぶ路線(中央高速バス伊那・飯田線)の運行を計画していた<ref name="60-30"/>。当時はまだ長距離路線におけるルールのようなものが確立しておらず<ref name="60-30"/>、山梨交通では伊那・飯田線への参入を希望した<ref name="60-30"/>。同路線には富士急行・[[諏訪バス]]も参入を希望しており<ref name="60-30"/>、紆余曲折はあったものの、[[1984年]]12月に伊那・飯田線が開業した際に、山梨交通では新宿と駒ヶ根を結ぶ系統の1往復を担当することになった<ref name="33-34"/>。その後[[1986年]]には新宿と諏訪地区を結ぶ路線(中央高速バス諏訪岡谷線)の運行が計画された<ref name="60-30"/>が、この路線は山梨県内でも乗降を扱うことから、当初より山梨交通も参入することで計画され<ref name="60-30"/>、1986年11月の暫定運行開始{{refnest|group="注釈"|この時は伊那線の運行系統新設扱いで、運行区間も中央道茅野までであった<ref name="bj4-26"/>。}}から1往復を担当することになった<ref name="33-34"/>。<br />
<br />
[[1989年]]8月には、季節運行で[[東京駅バスのりば|東京駅]]から清里へ直通する高速バスを[[ジェイアールバス関東]]と共同で運行を開始<ref name="33-34"/>、[[1990年]]からは[[横浜駅]]から清里への高速バスを[[京浜急行バス|京浜急行電鉄(当時)]]との共同で運行を開始した<ref name="33-34"/>。<br />
<br />
=== 1980年代 ===<br />
==== 関連事業の再編成 ====<br />
1980年代に入ると、関連事業の再編成も行われた。<br />
<br />
[[1980年]]には甲府駅前に立体駐車場を開業<ref name="60-33"/>、1981年には中央自動車道の双葉サービスエリア下り線にレストラン山交をオープンさせた<ref name="60-33"/>。また、1986年には甲府駅前のバスターミナルを新築した<ref name="60-33"/>ほか、山交百貨店も全面的に建て替えが行われて1989年にオープンした<ref name="60-33"/>。その一方で、八ヶ岳スケートセンターは[[1981年]]に営業を休止している<ref name="60-33"/>。<br />
<br />
また、1989年には湯村営業所を竜王に移転して、跡地にはダイエーとフランチャイズ契約を結んだ上で湯村ショッピングセンターを1990年に開業した<ref name="60-33"/>ほか、[[1993年]]から[[1995年]]にかけては貢川営業所と甲府観光営業所を敷島営業所に統合し、跡地には貢川ショッピングセンターを開業した<ref name="60-33"/>。また、1990年には清里高原富士屋ホテルを開業した<ref name="60-33"/>。<br />
<br />
また、系列の貸切バス専業事業者であった山梨観光自動車は、1989年に富士急行の保有していた全株式を山梨交通が譲受し、山梨交通直系の事業者となった<ref name="33-35"/>。これにあわせて、富士急行は1985年に[[富士急平和観光|平和観光自動車(当時)]]を設立した<ref name="72-28"/>。<br />
<br />
==== 続く一般路線バスの縮小 ====<br />
一方、一般路線バスの縮小傾向は続いていた。<br />
<br />
1982年度には15系統<ref name="60-32"/>、1983年度に16系統<ref name="60-32"/>、1984年度には25系統が廃止となり<ref name="60-32"/>、[[富沢町]]・[[南部町 (山梨県)|南部町]]・下部町・[[三珠町]]・[[中富町]]・[[大泉村 (山梨県)|大泉村]]・長坂町・鰍沢町では山梨交通の路線がなくなった後に、[[道路運送法]]101条に基づいて、[[自家用バス]]を使用した[[廃止代替バス]](自治体バス)の運行を開始した<ref name="60-33"/>。<br />
<br />
[[平成]]に入ると、第3種生活路線の国庫補助期限切れなどにより、さらに路線の廃止が進められる事になった<ref name="60-34"/>。1989年には芦川村への路線を廃止<ref name="60-34"/>、1990年には韮崎と小笠原を結ぶ路線が廃止された<ref name="60-34"/>。[[1991年]]からは自治体バスへの移行だけではなく、道路運送法24条の2を適用した貸切免許による代替バス運行(貸切代替バス)も行なわれるようになり<ref name="60-35"/>、長坂と小淵沢を結ぶ路線や百観音から日野春方面への路線が<ref name="60-3435"/>、自治体からの委託による貸切代替バスでの運行に切り替えられた<ref name="60-35"/>。その後も不採算路線に対する自治体バスや貸切代替バスへの移行は続き、[[1995年]]には鰍沢と身延の間の路線がつながらなくなった<ref name="60-35"/>。さらに、1995年10月には[[牧丘町]]の路線が廃止された際に、地元のタクシー会社に委託することになった<ref name="60-35"/>ため、既に運行されていた塩山地区の貸切代替バスから山梨交通が撤退した<ref name="60-35"/>。[[1997年]]には山梨交通は[[山梨市]]から全面撤退した<ref name="60-35"/>。<br />
<br />
こうした路線縮小の結果、山梨交通の路線は甲府市を中心に鰍沢・勝沼方面と、韮崎・塩山・身延・富士宮近辺の路線だけが残る状態となり<ref name="60-35"/>、400台近くあった路線バス車両も150台程度に半減してしまった<ref name="33-35"/>。<br />
<br />
=== 1990年代 ===<br />
==== 路線バスへの新機軸導入 ====<br />
このように、1990年代前半までの山梨交通の路線バスは縮小均衡策が目立っていた<ref name="60-36"/>。しかし、残存路線については新しい営業政策により積極的な改善を行なう方向性に転換することになった<ref name="60-36"/>。<br />
<br />
[[ファイル:KC-LR333Jkai YamanashiKotsu C666 CNG.jpg|thumb|1998年から導入が開始されたCNGバス<!--この画像の車両が導入開始当初の1998年式です-->]]<br />
1993年6月には山梨県の補助を得た上で車椅子リフト付きのバス3台が導入された<ref name="60-36"/>が、これは日本の民営バス事業者では初めてとなる車椅子リフト付き路線バス車両であった<ref name="bm10-49"/>。[[1996年]]には貸切バスにおいても車椅子リフト付きの車両が導入された<ref name="60-36"/>。また、[[1998年]]からは圧縮[[天然ガス]]を燃料として使用する[[天然ガス自動車|CNGバス]]の導入を開始した<ref name="60-36"/>が、山梨県が低公害車両への補助制度を確立した<ref name="60-36"/>ことにより、CNGバスは徐々に増加してゆくことになる<ref name="60-37"/>。また、[[東京ガス]]とタイアップした上で整備工場内にCNG充填所を建設し<ref name="60-3637"/>、運営は山梨交通が受託することになった<ref name="60-37"/>。<br />
<br />
また、[[1997年]]からは甲府市内への通勤流動に対する[[パークアンドライド]]の実験を開始した<ref name="60-39"/>ほか、甲府商工会議所が主体となって運行を開始した無料循環バス「レトボン」や、高根町が主体となって運行する「清里ピクニックバス」などの運行を山梨交通が受託する<ref name="60-37"/>など、地域とのタイアップによる施策もみられるようになった。<br />
<br />
路線バスの運賃面でも、甲府駅や韮崎駅から1kmの区間について[[100円バス|ワンコイン運賃(100円)]]を導入した<ref name="60-38"/>ほか、高齢者向けに一般路線バス全線を利用可能な「ゴールド定期」の発売を開始<ref name="33-35"/>、さらに「通学1年定期」の設定も行われた<ref name="60-38"/>ほか、[[2003年]]度からは普通運賃が600円以上となる区間の定期券においては全て600円の運賃として計算するという、定期券の上限運賃を設定した<ref name="60-39"/>。また、この年の夏からは小児運賃を一律50円にする施策も行なわれた<ref name="60-39"/>。<br />
<br />
==== 営業拠点とグループ会社の再編成 ====<br />
一方、残存路線についてもさらにコストダウンを図る必要があった<ref name="60-40"/>。山梨交通では傘下のタクシー事業者や貸切バス事業者に着目した<ref name="60-40"/>。<br />
<br />
まず1995年には身延営業所の貸切代替バスを全て山交タクシーに移管<ref name="b2-276"/>、1996年には塩山営業所管内の路線を[[山梨貸切自動車]]へ移管した<ref name="60-40"/>。さらに1997年には敷島営業所管内の不採算路線を山梨観光自動車に<ref name="60-40"/>、韮崎営業所管内の一部路線を山交タクシーの貸切代替バスに移管した<ref name="60-40"/>。さらに、[[1999年]]からは身延営業所の業務を全て山交タクシーに移管し<ref name="33-35"/>、塩山営業所は山梨貸切自動車に管理委託、韮崎・鰍沢・静岡の各営業所を山交タクシーに管理委託した<ref name="60-40"/>。このような流れの中、[[2002年]]に山交タクシーは'''[[山交タウンコーチ]]'''に社名を変更し<ref name="60-40"/>、同年には韮崎営業所と静岡営業所は山交タウンコーチに移管された<ref name="bm10-57"/>。<br />
<br />
これらの施策により、山梨交通は新会社を設立することなく分社化と同じ効果を挙げた<ref name="b2-276"/>。<br />
<br />
貸切バスについても、1998年には鰍沢・塩山の両営業所の貸切バス事業を廃止した<ref name="60-40"/>ほか、2000年には富士吉田営業所を廃止<ref name="60-40"/>、2002年10月からは敷島営業所の貸切バス部門を山梨観光自動車に統合した上で<ref name="60-4041"/>、山梨観光自動車は'''[[山梨交通観光バス]]'''に社名変更した<ref name="60-41"/>。<br />
<br />
=== 2000年代 ===<br />
==== 日本初のバスICカード本格的導入 ====<br />
{{Double image aside|right|YamanashiKotsu-Bus-IC-card-EntranceReaderWriter.JPG|120|YamanashiKotsu-Bus-IC-card-ExitReaderWriter.JPG|120|バスICカードのカードリーダー}}<br />
山梨交通では1998年より[[レシップ|三陽電気製作所(当時、現・レシップ)]]・[[NTTデータ]]と共同で[[ICカード]]乗車券の計画を進め、1999年には実車試験も行っていた<ref name="b1-289"/>。この結果を踏まえて、2000年2月28日から「[[バスICカード (山梨交通)|バスICカード]]」の運用を開始した<ref name="60-41"/>。バスにおけるICカード乗車券は、1997年の静岡県[[豊田町 (静岡県)|豊田町]]の[[磐田市バス|ユーバス]]、1998年の[[東急トランセ]]、1999年の[[道北バス]]などで実用化されていたが、いずれも回数券機能のみであった<ref name="b1-289"/>。回数券と定期券の一体化を図った上で、広域のバス路線網において実用化されたのは、日本では山梨交通が初めての事例であった<ref name="60-41"/>。同年中には広河原線を除く山梨県内の全路線で利用可能となり<ref name="60-42"/>、2002年にはクレジットカードとも一体化<ref name="60-42"/>、さらに[[2003年]]には静岡県内の路線でも利用可能となった<ref name="60-93"/>。また、社員証もICカード化された<ref name="bm10-46"/>ほか、ICカードのシステムと連動させて、デジタル式運賃表示器のデータを位置情報として提供する方式の[[バスロケーションシステム]]の運用も開始している<ref name="60-4243"/>。<br />
<br />
ICカード導入後、それまで減少傾向であった一般路線バスの利用者数が横ばい傾向となり<ref name="60-43"/>、日本全国からバスICカードシステムの視察に訪れる<ref name="60-43"/>など、日本のバス業界の注目を集めた。ICカードの導入は、社員の士気向上にもつながった<ref name="60-43"/>。<br />
<br />
==== 高速バスの新展開 ====<br />
一方、2000年9月30日からは甲府と大阪を結ぶ夜行高速バス「[[クリスタルライナー]]」の運行を開始した<ref name="60-43"/>。大阪方面への夜行高速バス構想自体はそれ以前から存在しており<ref name="60-43"/>、運行距離が450km未満であったため途中休憩を長く確保することでワンマン運行が可能であった<ref name="b1-210"/>こと、運賃も東京と大阪を結ぶ路線と比較すると高めながら、JR鉄道線を乗り継ぐよりも安く設定した<ref name="b1-211"/>ことにより、採算ラインを1便当たり17人に設定することが可能となった<ref name="b1-211"/>。運行を開始した後に停留所の追加なども行った結果、1便平均20人以上の利用者数で定着した<ref name="60-44"/>。また、2001年からは[[東京国際空港|羽田空港]]への空港連絡バスを<ref name="60-44"/>、2002年からは[[成田国際空港|成田空港]]への空港連絡バスの運行も開始した<ref name="60-44"/>ほか、2003年には甲府と名古屋を結ぶ高速バス路線<ref name="60-45"/>、[[2004年]]からは新宿と身延山を結ぶ路線の運行も開始している<ref name="60-45"/>。<br />
<br />
[[2005年]]には、山梨県内のバス事業者としては初めて「[[グリーン経営認証]]」を取得した<ref name="60-45"/>。当初は山梨交通本体だけであったが、同年中には山梨交通観光バス・山梨貸切自動車・山交タウンコーチなどのグループ各社も認証を取得している<ref name="60-46"/>。<br />
<br />
=== 2010年代 ===<br />
==== 日本初の水素燃料バス営業運行 ====<br />
2012年4月9日から、山梨交通では[[水素自動車|水素燃料バス]]の営業運行を開始した<ref name="rj549-159"/>。これはディーゼルエンジンを[[水素燃料エンジン]]に改造したバス1台を導入し、[[水素燃料]]の使用による二酸化炭素削減効果や事業性・採算性、他地域への波及性に対する検証を行うために実証運行に踏み切った<ref name="rj549-159"/>もので、導入に当たっては[[環境省]]の委託事業である「チャレンジ25地域づくり事業」を活用している<ref name="rj549-159"/>。日本における水素燃料バスの公道走行は[[東京都市大学]]の送迎バスに続く2例目であり、路線バスで営業運行するのは日本で初めての事例となる<ref name="rj549-159"/>。<br />
<br />
なお、アメリカの[[投資ファンド]]である[[サーベラス・キャピタル・マネジメント|サーベラス・キャピタルマネジメント社]]によって親会社の国際興業が再生を受けていた<ref name="rj575-151"/>が、その過程で行われた持ち株売却の流れの中で、国際興業の持ち株を山梨交通の役員が買い取った<ref name="rj575-151"/>ため、2014年7月現在、山梨交通は国際興業直系のグループ会社ではなくなっている<ref name="rj575-151"/>。<br />
<br />
==== 一般路線バスにPASMOを導入 ====<br />
[[中央高速バス]]甲府線には2008年3月19日より[[乗車カード|交通系ICカード]]「[[PASMO]]」を導入していたが<ref name="pasmo_highway">{{Cite web|url=http://yamanashikotsu.co.jp/noriai/pasmo.htm|publisher=山梨交通|title=<br />
高速バス「甲府〜新宿線」での『pasmo(パスモ)』運用開始のお知らせ|date=2008-03-15|accessdate=2015-12-28}}</ref>、一般路線バスではバスICカードの運用を継続していた。しかし、2015年2月、山梨県からの補助金を活用して路線バスにPASMO・[[Suica]]などの交通系ICカードを2015年度後半を目処に導入するという報道が[[山梨日日新聞]]よりなされ<ref name="pasmo_news">『山梨日日新聞』 2015年2月28日朝刊 「スイカもパスモもOK、山交バス共通IC化。来年度後半の運用めざす」</ref>、同年8月5日に山梨交通からPASMO導入に関しての公式な発表が行われた<ref name="pasmo_topics">{{Cite web|url=http://yamanashikotsu.co.jp/noriai/20150805pasmo.htm|publisher=山梨交通|title=<br />
路線バスに交通系ICカード「PASMO」導入のお知らせ|date=2015-08-05|accessdate=2015-12-27}}</ref>。そして、11月30日を以って山梨交通が直轄する路線ではバスICカードの運用を終了し、12月7日よりPASMOの運用が開始された<ref name="pasmo_0">{{Cite web|url=http://yamanashikotsu.co.jp/PASMO/pasmo_0.htm|publisher=山梨交通|title=「山梨交通バスでPASMO使えます!」|date=|accessdate=2015-12-27}}</ref>。この際、PASMOと相互利用可能な交通系ICカードについても使用できるようになった<ref name="pasmo_0" />。なお、山交タウンコーチが管轄する路線では引き続きバスICカードを使用していたが、2016年8月20日に山梨交通からPASMO導入に関しての公式な発表が行われ<ref name="yamakou_pasmo_topics">{{Cite web|url=http://yamanashikotsu.co.jp/noriai/town-pasmo20161205.htm|publisher=山梨交通|title=山交タウンコーチ路線バスに「PASMO」導入について|date=2016-08-20|accessdate=2016-08-22}}</ref>、同年12月5日から山梨県内で、12月12日からは静岡県内でPASMOの運用が開始された。<br />
<br />
== 企業概説 ==<br />
{{出典の明記|section=1|date=2014年7月}}<!--他節と比べると足りない--><br />
=== 軌道事業 ===<br />
{{main|山梨交通電車線}}<br />
前身となる[[山梨馬車鉄道]]が[[1898年]]に馬車鉄道として運行を開始したのが端緒である<ref name="60-13"/>。その後、1930年からは電車による運行を開始した<ref name="60-14"/>が、1962年6月30日限りで廃止された<ref name="60-49"/>。<br />
<br />
=== 一般路線バス事業 ===<br />
<!--ここで詳細に書く必要はない。詳細に書くために各営業所などの記事が存在する--><br />
甲府盆地を主要なエリアとしており、2005年時点では100系統ほどの路線を運行している<ref name="bm10-46"/>。甲府以外では、[[塩山駅]]、[[韮崎駅]]、[[身延駅]]、[[富士川駅]]などを起点とする路線バスがあるが、歴史節で述べたように、[[1980年代]]に整理・縮小されたうえ[[2000年代]]までにごく一部を除き[[山梨貸切自動車]](塩山)や[[山交タウンコーチ]](韮崎、身延、静岡)などといった子会社へ移管している{{refnest|group="注釈"|ただし、塩山営業所については2015年に山梨交通に再移管された<ref name="ikan"/>。}}。<br />
<br />
路線や区間については各営業所および子会社の項目を参照。<br />
<br />
=== 市町村営バス・コミュニティバス事業 ===<br />
子会社の山交タウンコーチとともに、[[甲斐市]]、[[南アルプス市]]、[[韮崎市民バス|韮崎市]]、[[北杜市民バス|北杜市]]、[[中央市コミュニティバス|中央市]]、[[市川三郷町]]、[[富士川町]]の市町村営バス・[[コミュニティバス]]の受託運行を行っている。<br />
<br />
=== 高速バス事業 ===<br />
[[ファイル:Yamanashikotsu-newgala-chuo-20070405.jpg|thumb|中央高速バス甲府線]]<br />
[[ファイル:Yamanashikotsu-C753.jpg|thumb|竜王・甲府 - 名古屋線]]<br />
{{seealso|中央高速バス}}<br />
<br />
1959年に季節運行の急行バスとして新宿 - 甲府・昇仙峡間が開設されており<ref name="60-23"/>、その後[[中央自動車道]]経由に変更していた<ref name="60-28"/>が、これを発展させた形で[[中央高速バス]]甲府線として運行を開始した<ref name="60-29"/>のが、山梨交通の高速バスの端緒である。中央高速バス以外の路線については、2000年に夜行高速バスとして[[クリスタルライナー]]が開設され<ref name="60-92"/>、その後も次々と路線が開設された。<br />
<br />
; 中央高速バス甲府線([[バスタ新宿|新宿]] - [[甲府駅バスターミナル|甲府]]・[[湯村温泉 (山梨県)|湯村温泉]]・[[竜王駅|竜王]]・富士急上阿原車庫)<br />
1978年4月22日より運行開始<ref name="60-89"/>。当初9往復であった<ref name="60-29"/>が、一時期は30往復にまで増便された<ref name="60-30"/>。当初は自社便を自社の収入とするシステムであったため、ダイヤ改正がなくても担当便を1年ごとにずらす方式をとっていた<ref name="60-29"/>。当初は石和経由便のみであったが、1983年1月19日から甲府南経由便も設定された<ref name="60-30"/>。2002年6月1日からは湯村温泉へ(当初は3社とも、後に京王・山梨交通運行のみ)<ref name="60-93"/>、2015年2月10日からは竜王へ(京王・山梨交通運行のみ)、2015年5月2日からは富士急上阿原車庫(富士急運行のみ)へそれぞれ一部便を延伸<ref name="kofu_ryuo">{{Cite press release|url=http://yamanashikotsu.co.jp/noriai/20150210shinjyuku.htm|publisher=山梨交通|title=高速乗合バス「甲府⇔新宿線」に「竜王」停留所発着便新設のお知らせ|date=2015-01-09|accessdate=2015-03-19}}</ref>。[[京王バス東]](運行開始当初は京王帝都電鉄)・[[富士急山梨バス]](運行開始当初は富士急行)との共同運行<ref name="60-89"/>。<br />
<br />
; 中央高速バス身延線(新宿 - [[南アルプス市|南アルプス]]・[[山交タウンコーチ身延営業所|身延]])<br />
2004年8月6日に運行開始<ref name="60-93"/>。当初は山梨交通の単独運行であった<ref name="60-45"/>が、同年11月から京王バス東との共同運行路線となった<ref name="60-45"/>。<br />
<br />
; 中央高速バス中央市・南アルプス市線「南アルプスエコパークライナー」(新宿 - [[中央市]]・南アルプス市)<br />
2015年3月14日に運行開始<ref name="ecopark">{{Cite press release|url=http://yamanashikotsu.co.jp/noriai/ecopark-liner20150303.htm|publisher=山梨交通|title=高速乗合バス「南アルプス市・中央市〜新宿線」運行開始のお知らせ|date=2015-03-03|accessdate=2015-03-19}}</ref>。当初は山梨交通の単独運行であった<ref name="ecopark"/>が、同年7月から京王バス東との共同運行路線となった<ref name="ecopark_holiday">{{Cite press release|url=http://yamanashikotsu.co.jp/noriai/ecopark-liner201500704.htm|publisher=山梨交通|title=高速乗合バス「南アルプス市・中央市〜新宿線」1日2往復運行開始のお知らせ|date=2015-07-01|accessdate=2015-07-06}}</ref>。それまで高速バス路線がなかった中央市を経由する運行経路となっている<ref name="ecopark" />。この愛称は南アルプス市内の小学5年生から募集したもので、587点の中から最優秀に選ばれたものを採用した<ref name="ecopark_asahi">{{Cite web|url=http://www.asahi.com/articles/ASH3F5T8XH3FUZOB00W.html|publisher=[[朝日新聞]]|title=高速バス「南アルプス市・中央市 - 新宿」線開業式|date=2015-03-14|accessdate=2015-03-19}}</ref>。この愛称には「東京の人に南アルプスの自然を知って欲しい」との思いが込められている<ref name="ecopark_asahi" />。<br />
<br />
; 中央高速バス諏訪岡谷線(新宿 - [[上諏訪駅|上諏訪]]・[[岡谷駅|岡谷]])<br />
1987年7月1日から運行開始<ref name="60-90"/>。京王バス東(運行開始当初は京王帝都電鉄)・[[フジエクスプレス]](運行開始当初は富士急行)・[[アルピコ交通]](運行開始当初は[[諏訪バス]])・[[ジェイアールバス関東|JRバス関東]](運行開始当初は[[東日本旅客鉄道]])との共同運行<ref name="60-90"/>。<br />
<br />
; 中央高速バス伊那線(新宿 - [[伊那バスターミナル|伊那]]・[[駒ヶ根バスターミナル|駒ヶ根]])<br />
1984年12月14日より運行開始<ref name="60-89"/>。京王バス東(運行開始当初は京王帝都電鉄)・フジエクスプレス(運行開始当初は富士急行)・[[伊那バス]]・[[信南交通]]との共同運行<ref name="60-89"/>。<br />
<br />
; 京都・大阪線<ref name="60-43"/>「[[クリスタルライナー]]」(甲府 - 京都・大阪)<br />
2000年9月30日より運行を開始した<ref name="60-43"/>、山梨交通では初となる夜行高速バス。2001年9月20日からは須玉IC経由に変更<ref name="60-92"/>、2004年3月19日からは昼行便も設定された<ref name="60-93"/>。[[近鉄バス]]との共同運行<ref name="60-93"/>。<br />
<br />
; 竜王・甲府 - 名古屋線「名古屋ライナー甲府号」<ref name="201407-tt-801"/><br />
竜王 - 甲府駅 - [[甲府昭和インターチェンジ|甲府昭和]] - [[双葉サービスエリア|中央道双葉東]] - [[韮崎インターチェンジ|中央道韮崎]] - [[明野バスストップ|中央道明野]] - [[須玉インターチェンジ|中央道須玉]] - [[長坂高根バスストップ|中央道長坂高根]] - [[八ヶ岳パーキングエリア|中央道八ヶ岳]] - [[小淵沢インターチェンジ|中央道小淵沢]] - [[高森バスストップ|高森]] - [[上飯田バスストップ|上飯田]] - [[阿智パーキングエリア|中央道昼神温泉]] - [[神坂パーキングエリア|中央道馬篭]] - [[中津川インターチェンジ|中津川インター]] - [[瑞浪天徳バスストップ|中央道瑞浪天徳]] - [[桃花台バスストップ|中央道桃花台]] - [[名古屋駅]]<br />
<br />
[[2003年]][[4月5日]]に甲府駅 - 名古屋駅([[名古屋ターミナルビル|名古屋バスターミナル]])間1日2往復で運行開始<ref name="60-93"/>。当初は山梨交通の単独運行で<ref name="60-45"/>、同年9月1日に停車停留所が5つ増加し<ref name="60-93"/>、さらに[[2004年]][[7月17日]]に甲府昭和バス停が新設された<ref name="60-93"/>。その後2005年に1往復が増便された<ref name="60-45"/>。[[ジェイアール東海バス|JR東海バス]]との共同運行<ref name="hasshaorai">{{Cite web|url=https://secure.j-bus.co.jp/hon/RouteList.mvc/List?uncd=1501&mode=1|publisher=[[工房 (企業)|工房]]|title=【発車オ〜ライネット】路線一覧|date=|accessdate=2015-03-19}}</ref>。<br />
<br />
; 竜王・甲府 - 羽田空港<br />
竜王 - 甲府駅 - 山梨学院大学 - 石和 - 一宮 - 勝沼 - [[東京国際空港|羽田空港]]<br />
<br />
2001年7月18日に[[中央自動車道]]経由で運行開始<ref name="60-92"/>。[[京浜急行バス]](運行開始当初は京浜急行電鉄)との共同運行<ref name="60-92"/>。<br />
<br />
; 竜王・甲府 - 成田空港<br />
竜王 - 甲府駅 - 山梨学院大学 - 石和 - 一宮 - 勝沼 - [[成田国際空港|成田空港]]<br />
<br />
2002年9月19日に運行開始<ref name="60-93"/>。[[千葉交通]]との共同運行<ref name="60-93"/>。<br />
<br />
; 竜王・甲府 - 静岡<br />
竜王 - 甲府駅 - 甲府昭和 - 西八幡 - 上今諏訪 - 身延(梅平) - [[道の駅とみざわ]] - 沓谷 - 三松 - [[新静岡駅|新静岡]] - [[静岡駅|静岡駅前]]<br />
<br />
2012年7月20日より、9月30日までの期間限定予定で運行開始<ref name="YK20120629">{{cite press release|author=|date=2012-06-29|url=http://yamanashikotsu.co.jp/noriai/shizuoka20120720.htm|title=22年ぶりの復活!高速バス「甲府〜静岡線」運行開始のお知らせ|publisher=山梨交通|language=日本語|accessdate=2012-07-24}}</ref>{{refnest|group="注釈"|この路線のルーツとなる急行便は[[山梨交通敷島営業所|貢川営業所]]の担当で、[[1954年]](昭和29年)[[7月1日]]より[[静岡鉄道]](現・[[しずてつジャストライン]])との共同で運行開始された<ref name="33-32"/>。しかし[[1964年]](昭和39年)、身延線に優等列車である準急「[[ふじかわ (列車)|富士川]]」が運行を開始すると、その後の静岡への延伸、本数の増回によって利便性や所要時間で劣勢に立たされ、さらに沿道の[[過疎化]]や[[モータリゼーション]]の発達により次第に利用客が減少していった。そして[[1978年]](昭和53年)に山梨交通は運行から撤退した<ref name="60-29"/>。}}したが10月1日以降も通年運行。[[しずてつジャストライン鳥坂営業所|しずてつジャストライン]]と共同運行、1日2往復。当初は甲府市、[[甲斐市]]、[[南アルプス市]]、静岡市にのみ停留所を設けていた。2012年(平成24年)12月1日に時刻を修正<ref>{{PDFlink|[http://www.justline.co.jp/images/587.pdf 静岡甲府線12/1時刻変更について]}}</ref>し、2013年(平成25年)2月1日には[[南巨摩郡]][[身延町]]に身延(梅平)停留所を<ref>[http://www.justline.co.jp/shinchaku/topics201301231356.html 静岡甲府線 新停留所 『身延(梅平)』について]</ref>、2014年(平成26年)10月1日には道の駅とみざわ停留所を追加した<ref>[http://www.justline.co.jp/kosoku/kosoku201409261200.html 静岡甲府線 停留所新設のお知らせ「道の駅とみざわ」]</ref>。2017年(平成29年)2月1日より土・日・祝日のみ運行。<br />
{{see also|しずてつジャストライン鳥坂営業所#静岡甲府線}}<br />
<br />
; 竜王・甲府 - 横浜駅<br />
竜王 - 甲府駅 - 山梨学院大学 - 石和 - 一宮 - 勝沼 - [[横浜駅]]<br />
<br />
2014年7月19日より、土日祝日学休期のみ[[首都圏中央連絡自動車道]](圏央道)経由で運行開始<ref name="press20140707"/>。京浜急行バスとの共同運行<ref name="press20140707"/>。<br />
<br />
==== かつて運行していた高速バス ====<br />
; 中央高速バス茅野線(新宿 - [[茅野バスストップ|中央道茅野]]):1986年11月1日に運行開始<ref name="bj4-26"/>。諏訪岡谷線の運行開始に伴い、1987年7月1日で廃止<ref name="60-90"/>。<br />
[[ファイル:Yamanashi-kotsu-B606.jpg|200px|thumb|right|東京 - 清里・八ヶ岳高原線]]<br />
; 東京 - 清里・八ヶ岳高原:季節運行により1989年8月1日に運行開始<ref name="60-90"/>。JRバス関東との共同運行で、当初は清里までであったが、1993年5月20日からは八ヶ岳高原へ延長<ref name="60-90"/>。<br />
; 横浜 - 清里:季節運行により1990年7月21日に運行開始<ref name="60-90"/>。京浜急行電鉄<!--廃止時点では、まだ京浜急行バスに分社化されていなかった-->との共同運行であった。運行末期には甲府駅経由で運行されていたが、1999年7月20日付けで廃止<ref name="60-92"/>。<br />
; 長野 - 甲府線:2006年4月21日より運行開始したが、2007年10月31日限りで運行休止<ref name="YK20070910">{{cite press release|author=|date=2007-09-10|url=http://yamanashikotsu.co.jp/noriai/naganokyushi.htm|title=高速バス「甲府-長野・善光寺線」運行休止のお知らせ|publisher=山梨交通|language=日本語|accessdate=2012-07-24}}</ref>。[[川中島バス]](現、アルピコ交通)と共同運行で1日2往復運行されていた。<br />
; 竜王・甲府 - 川越・さいたま線:2007年11月1日より運行開始、利用者が伸びず数年で撤退した<ref name="70-31"/>。<br />
; 中央高速バス北杜白州線(新宿 - [[韮崎市|韮崎]]・[[道の駅はくしゅう|白州]]):山梨交通の単独運行。当初は毎日運行だったが、2012年4月1日からは土休日運転<ref>[http://yamanashikotsu.co.jp/noriai/20120303hakushu01.htm 高速バス「北杜・白州〜新宿線」運行日変更のお知らせ(山梨交通)]</ref>となった。2015年2月15日を以って運行を終了した<ref name="hakushu">{{Cite press release|url=http://yamanashikotsu.co.jp/noriai/hokuto201501.htm|publisher=山梨交通|title=高速乗合バス「北杜・白州〜新宿線」路線廃止のお知らせ|date=2015-01-09|accessdate=2015-03-19}}</ref>。<br />
<br />
=== その他事業 ===<br />
* ニッポンレンタカー山交([[ニッポンレンタカー]]とフランチャイズ契約)<br />
* [[山交百貨店]]<br />
* [[山梨交通自動車学校]]<br />
<br />
== バス営業所 ==<br />
山交タウンコーチを含めて、山梨県内に8箇所、静岡県内に1箇所の運行拠点を有している。<br />
<br />
=== 営業所一覧 ===<br />
2017年10月時点でのバス営業所は以下の通りである。<br />
; [[山梨交通敷島営業所]]:1992年に竜王営業所を移転して開設された<ref name="bm10-54"/>、山梨交通最大の営業所<ref name="bm10-54"/>。甲府市内の路線バスと高速バスを担当する<ref name="bm10-54"/>。<br />
; [[山梨交通伊勢町営業所]]:1953年に開設された<ref name="bm10-54"/>、甲府市内の路線バスを担当する営業所<ref name="bm10-54"/>。2002年からは山梨貸切自動車に管理委託されている<ref name="bm10-54"/>。2017年より管理の委託先が山交タウンコーチになった(山梨貸切自動車が山交タウンコーチに吸収合併されたことによる)<ref name="itaku">{{Cite web|url=http://yamanashikotsu.co.jp/taxi/history.htm|publisher=[[山交タウンコーチ]]|title=会社概要と沿革|date=|accessdate=2017-11-05}}</ref>。<br />
; [[山梨交通鰍沢営業所]]:1945年に発足<ref name="bm10-54"/>、旧鰍沢町内発着の路線バスを担当する<ref name="bm10-55"/>。2002年からは山交タウンコーチに管理委託されている<ref name="bm10-55"/>。<br />
; [[山梨交通塩山営業所]]:1945年に山梨交通塩山営業所として開設された<ref name="bm10-54"/>。1999年からは山梨観光自動車に管理委託され<ref name="bm10-55"/>、2002年には山梨貸切自動車に移管されたが<ref name="bm10-55"/>、2015年に営業所の全業務が山梨交通に再移管された<ref name="ikan">{{Cite web|url=http://yamanashikotsu.co.jp/noriai/20151001enzan.htm|publisher=山梨交通|title=山梨交通(株)塩山営業所の営業開始のお知らせ|date=2015-09-28|accessdate=2015-10-01}}</ref>。なお、2017年現在では山交タウンコーチに管理委託されている<ref name="itaku" />。旧塩山市内発着の路線バスを担当する<ref name="bm10-55"/>。<br />
; [[山交タウンコーチ甲府営業所]]:1995年に山梨観光自動車の甲府観光営業所が移転して、山梨交通敷島営業所に併設された<ref name="bm10-54"/>。山梨観光自動車は2002年に山梨交通観光バスに社名変更し、2012年に山交タウンコーチに吸収合併された。貸切バス以外にも、甲府周辺の廃止代替バスを一部担当する<ref name="60-40"/>。<br />
; [[山交タウンコーチ韮崎営業所]]:1955年に山梨交通韮崎営業所として開設され<ref name="bm10-55"/>、2000年からは山交タクシーに管理委託され<ref name="bm10-55"/>、2002年に山交タウンコーチに移管された<ref name="bm10-55"/>。[[韮崎市]]発着の路線バスを担当する<ref name="bm10-55"/>。<br />
; [[山交タウンコーチ身延営業所]]:1964年に山梨交通身延営業所として開設され<ref name="bm10-55"/>、1998年からは山交タクシーに移管された<ref name="bm10-55"/>。[[身延町]]発着の路線バスを担当する<ref name="bm10-55"/>。<br />
; [[山交タウンコーチ静岡営業所]]:1962年に山梨交通富士宮営業所として開設され<ref name="60-27"/>、2000年からは山交タクシーに管理委託された<ref name="bm10-56"/>。[[静岡県]]内の路線バスを担当する<ref name="bm10-55"/>。<br />
; 山交タウンコーチ竜王営業所:旧・山梨貸切自動車本社営業所<ref name="itaku" />。2017年に山梨貸切自動車が山交タウンコーチに吸収合併され、名称が竜王営業所となった<ref name="itaku" />。[[甲斐市]]から委託を受けて甲斐市民バスの一部路線を担当する。<br />
<br />
=== 廃止された営業所 ===<br />
いずれも山梨交通の営業所。廃止順に列記する。<br />
; 甲府営業所:1970年12月9日付で廃止<ref name="60-88"/>。<br />
; 東京営業所:貸切バス専門の営業所で、1962年3月15日に開設<ref name="60-87"/>、1972年5月31日付で国際興業へ譲渡<ref name="60-88"/>。<br />
; 芝川営業所:1955年8月2日に開設<ref name="60-85"/>。1978年7月18日付で廃止<ref name="60-89"/>。<br />
; 湯村営業所:1959年4月1日に開設<ref name="60-86"/>。1989年5月10日付で移転の上竜王営業所となる<ref name="60-90"/>。跡地には商業施設を建設<ref name="60-33"/><ref group="注釈">現在は[[オギノ]]湯村ショッピングセンターとして営業中。</ref>。<br />
; 竜王営業所:1989年5月10日付で湯村営業所を移転して開設<ref name="60-90"/>。1992年8月10日に移転の上敷島営業所となる<ref name="60-90"/>。<br />
; 貢川営業所:1955年6月20日に開設<ref name="60-85"/>。1994年12月23日付で敷島営業所に統合<ref name="60-91"/>、跡地には商業施設を建設<ref name="60-33"/><ref group="注釈">現在は[[コジマ]]NEW甲府店として営業中。</ref>。<br />
; 甲府貸切営業所:貸切バス専門の営業所で、1970年12月9日に貢川営業所に隣接して開設<ref name="60-88"/>。1995年12月15日付で敷島営業所に統合<ref name="60-91"/>。<br />
; 富士吉田営業所:貸切バス専門の営業所で、1965年9月1日に開設<ref name="60-88"/>。2000年3月15日付で廃止<ref name="60-92"/>。<br />
<br />
== 車両 ==<br />
<!--車両の記述には出典を明記していただきますようお願いします。画像は出典にはなりませんので念のため--><br />
本項では、山梨交通およびグループ会社([[山交タウンコーチ]]のほか、同社に吸収合併された[[山梨交通観光バス]]・[[山梨貸切自動車]]を含む)についての車両概要を記述する。また、便宜上、路線バス車両については「路線車」、高速路線バス車両については「高速車」、貸切バス車両については「貸切車」と表記する。<br />
<br />
=== 車両史 ===<br />
==== 創業期から終戦直後 ====<br />
山梨交通の直接のルーツとなる山梨自動車運輸では、[[フォード・モーター|フォード]]4台を使用して運行を開始した<ref name="60-15"/>。<br />
<br />
燃料事情が悪化した戦時中は、バスの代用燃料化が行われていた<ref name="60-17"/>。代用燃料については木炭が主体で<ref name="60-17"/>、他に薪や石炭が利用されていたとされている<ref name="60-17"/>。この頃には国産車として[[トヨタ自動車|トヨタ]]の車両が使用されていた記録が残っている<ref name="60-19"/>。<br />
<br />
==== 戦後の復興期から高度成長期 ====<br />
戦後の1950年前後には、[[いすゞ自動車|いすゞ]][[いすゞ・BX|BX91型]]・[[トヨタ自動車|トヨタ]]BL型・[[日産自動車|日産]]390型などが使用されていた<ref name="60-65"/>。1952年から再開された貸切車には、大型ボンネットバスである[[三菱自動車工業|三菱ふそう]]B23型が採用された<ref name="60-65"/>。また、この時期からリヤエンジンバスの導入が始まり、[[日産ディーゼル工業|民生]]BR32型などが導入されている。1954年以降は、[[日野自動車|日野]]のセンターアンダフロアエンジンバスであるBK11型が路線車の主力として導入された<ref name="60-66"/>。この頃から全長が10m級の大型車の導入も開始されている<ref name="60-65"/>一方、[[ボンネットバス]]の導入は1963年式を最後に終了している<ref name="60-66"/>。<br />
<br />
1960年代には、いすゞBA741型が路線車の主力となっていた<ref name="60-67"/>。この時期以降、山梨交通のいすゞ車は[[いすゞバス製造|川崎]]車体で導入される<ref name="60-67"/>。また、この時期までは路線車と貸切車の車体スタイルは共通であった<ref name="60-67"/>が、このあとは別の車体スタイルとなる。また、特定の路線のための車両も導入されており、1966年には塩山と氷川を結ぶ路線の専用車として[[三菱ふそう・エアロミディMK|三菱ふそうMR620型]]が<ref name="60-68"/>、広河原専用に[[いすゞ・エルガLT|いすゞBA01N型]]が導入されている<ref name="60-68"/>。この時期の貸切車では、デラックス観光バスとして[[いすゞ・スーパークルーザー#BU/BH系|いすゞBU15P型]]などが導入されていた<ref name="60-67"/>一方で、小口貸切用として[[いすゞ・エルフ|いすゞエルフ]]にバス車体を架装した貸切車も導入された<ref name="60-67"/>。この時期に国際興業の傘下に入ったことから、山梨交通におけるいすゞ以外のメーカーの車両は、1960年代後半に貸切車として導入された[[三菱ふそう・エアロエース|三菱ふそうB905N型]]を最後に途絶えることになる<ref name="60-67"/>。<br />
<br />
==== ワンマン化から路線バス網縮小期まで ====<br />
1966年にワンマンバスが導入されたことに伴い、前中扉仕様<ref group="注釈" name="前中扉">前扉と中扉を配置した仕様。</ref>の車両導入が開始された{{refnest|group="注釈"|ただし、当初は前乗り前降り方式であった<ref name="60-28"/>。乗降方式が中乗り前降り方式になったのは1982年以降である<ref name="60-31"/>。}}。当初は車掌が乗務するツーマン運行も考慮し、方向幕は中扉の上部に設置されていた<ref name="60-69"/>。1978年からはワンマン運行の拡大にともない、中型バスもワンマン化対応となった<ref name="60-70"/>。大型路線バスの導入はこの頃から1989年まで途絶える<ref name="60-76"/>。<br />
<br />
この頃には中央高速バス甲府線の運行が開始され、山梨交通では当初より[[いすゞ・スーパークルーザー|いすゞ・CRA580型]][[ハイデッカー]]を導入した<ref name="bj4-30"/>が、当時の高速バスではハイデッカーはまだ稀少な存在であった<ref name="60-29"/>。<br />
<br />
=== 1980年代以降の車両概説 ===<br />
<!--車両の記述には出典を明記していただきますようお願いします--><br />
[[国際興業]]グループに入ってからは、新車の導入は基本的に[[いすゞ自動車|いすゞ]]車に統一されている<ref name="60-25"/>が、譲り受けた車両や受託運行用の車両においてはこの限りではない。<br />
<br />
==== 路線車の仕様 ====<br />
<!--車両の記述には出典を明記していただきますようお願いします。画像は出典にはなりませんので念のため--><br />
路線バスは前中扉仕様<ref group="注釈" name="前中扉"/>・中扉は引き戸が基本仕様であるが、1989年から1994年までに導入された車両では前後扉仕様<ref group="注釈" name="前後扉">前扉と後扉を配置した仕様。</ref>で導入を行っていた<ref name="33-40"/>。冷房車は1977年以降の新車で導入された<ref name="60-69"/>。1980年代は大型車の導入は行われていなかった<ref name="60-76"/>が、1989年からは大型車の導入も再開された<ref name="60-72"/>。細かい仕様の違いとしては、1981年式から前面方向幕の幅が広くなり<ref name="60-70"/>、1983年式からは天地方向にも拡大した大型方向幕となり<ref name="60-70"/>、1988年からは後部方向幕の装備も開始された<ref name="60-76"/><ref group="注釈">後面も大型方向幕である。</ref>。また、扉脇の出入口表示については、1987年式までは電照式だった<ref name="60-76"/>ものを1988年からは表示板に変更した。このほか、身延地区の路線用として[[日野・リエッセ#レインボーRB・AB系|日野レインボーRB]]の導入実績がある<ref name="60-76"/>。<br />
<br />
2001年以降に新車で導入された路線バス車両は全てノンステップバス(大型・中型とも)となっている<ref name="2010-ym-22"/>。また、2007年までは静岡営業所に導入される車両を除いて全て[[天然ガス自動車|天然ガスバス(CNGバス)]]であった<ref name="2010-ym-22"/>が、2008年以降は山梨県内の営業所に於いてもディーゼルエンジン車を導入している<ref name="2010-ym-22"/>。その一方、1998年までは新車のみの導入であったが、1999年からは[[中古車]]の導入が開始された<ref name="60-62"/>。路線バスでは主に親会社の[[国際興業バス|国際興業]]から移籍してくることが多く、特に2007年に国際興業から転入した大型[[ノンステップバス]]は、日本で初めてのノンステップバス譲渡事例である<ref name="2010-ym-23"/><ref group="注釈">2012年には大型と中型のCNGノンステップバスが移籍してきた。(現在は全て廃車になっている。)</ref>、[[川崎市交通局]]など他事業者からの移籍車も存在する<ref name="bm10-49"/>。<br />
<br />
また、コミュニティバス用や受託運行用の車両としては、協同観光バスから購入した[[クセニッツ]]CITY-III<ref name="60-77"/>や[[日産・シビリアン|日産シビリアン]]クラシックバス<ref name="60-77"/>、日野製のレトロバス<ref name="60-77"/>等の導入実績がある。<br />
<br />
車椅子リフトバス・CNGバス・水素燃料バスについては[[#特徴的な車両|後述]]。<br />
<br />
<gallery><br />
ファイル:KC-LV832L-YamanashiKotsu-C756.jpg|国際興業から移籍してきた大型[[ノンステップバス]](山梨交通塩山営業所・C756:廃車)<br />
ファイル:U-LV324K-YamanashiKotsu-C729.JPG|川崎市営バスから移籍した[[ヴァンフォーレ甲府]]ラッピング車(山梨交通敷島営業所・C729:除籍)<br />
ファイル:KC-GDIJJCA-YamanashiKotsu.jpg|清里でのピクニックバス専用車 (山梨交通敷島営業所・1498)<br />
</gallery><br />
<br />
==== 高速車・貸切車 ====<br />
<!--車両の記述には出典を明記していただきますようお願いします。画像は出典にはなりませんので念のため--><br />
高速車・貸切車には[[ジェイアールバス関東|JRバス関東]]・[[淡路交通]]などから譲受した車両もあり<ref name="60-78"/>、特にイースタン観光から譲受した貸切車は[[富士重工]]製車体であった<ref name="60-82"/>。また、夜行高速バスの運行開始にあたっては、[[近鉄バス]]から[[日野・セレガ#後期型(P-RU60/63B系)|日野・グランデッカ]]が転入し、新路線開設時のリスク軽減に役立った<ref name="bm10-49"/>。さらに、2008年には[[国際興業大阪]]より[[日野・セレガ]]が転入した。<br />
<br />
また、1989年までは山梨観光自動車がいすゞ車以外を導入していた関係で、貸切車に[[三菱ふそう・エアロスターMM|三菱ふそう・エアロミディMM]]が1台だけ残存していた。<br />
<gallery><br />
ファイル:C767.JPG|夜行高速バス「[[クリスタルライナー]]」1号車専用車両(山梨交通敷島営業所・C767)<br />
ファイル:KL-LV774R2-YamanashiKotsu-C695.jpg|夜行高速バス「[[クリスタルライナー]]」(山梨交通敷島営業所・C695)<br />
ファイル:YamanashiKotsuB431-YBS-Tour.JPG| [[YBS T&L|YBSツアー]]専用観光バス「わっピィ1号」(山交タウンコーチ甲府営業所・B431)<br />
ファイル:Wappy2.jpg| YBSツアー専用観光バス「わっピィ2号」(山交タウンコーチ甲府営業所・B452)。後方は「わっピィ1号」。<br />
</gallery><br />
<br />
=== 特徴的な車両 ===<br />
<!--車両の記述には出典を明記していただきますようお願いします。画像は出典にはなりませんので念のため--><br />
[[ファイル:PA-LR234J1-YamakohTownCoach-C732.jpg|thumb|中型CNGノンステップバス(山交タウンコーチ韮崎営業所・C732)]]<br />
山梨県が独自の補助金制度を導入していることもあり、特殊な車両の導入においては、日本のバス業界でも初期の導入となるケースが見られる<ref name="60-36"/>。<br />
; 車椅子リフトつき車両:1993年6月に3台が導入されたが、これは民営バス事業者では日本で初の導入事例であった<ref name="60-36"/>。その後、1994年・1995年に2台ずつが追加導入されている<ref name="60-73"/>。<br />
; [[天然ガス自動車|CNGバス]]:CNGバスは同じ山梨県内の[[富士急行]]に続き、1999年から導入を開始している。1999年から2000年にかけて導入された14台は標準床仕様で<ref name="60-37"/>、当時まだ開発されたばかりであったいすゞ製の中型CNGバスを導入したが、いすゞ中型CNGバスの導入は日本で初めてである<ref name="60-36"/>。さらに2001年以降はいすゞ製の中型CNGノンステップバスを採用したが、これもいすゞが開発した中型CNGノンステップバスでは最初の導入事例である<ref name="60-37"/>。2002年には大型CNGノンステップバスも導入され、2006年の時点では保有する路線バス車両の20[[パーセント|%]]以上がCNGバスとなっており<ref name="60-37"/>、1社単独では最大のCNGバス導入事業者であった<ref group="注釈">地域子会社を含めた場合は[[富士急行]]グループが最大。</ref>。近年は路線の移管と同時にCNGバスが移籍するケースも見られるようになっているが、2013年以降はCNGバスの導入は新製、移籍車ともない。<br />
; [[水素自動車|水素燃料バス]]:2012年4月9日から実証運行として導入された、日本で初めての営業運行となる水素燃料バスである<ref name="rj549-159"/>。車両自体は2000年式の[[日野・リエッセ|日野リエッセ]]<!--ちなみに車番はC805(KK-RX4JFE改)-->を改造したもの<ref name="rj549-159"/>で、伊勢町営業所に配置された<ref name="rj549-159"/>。<br />
<br />
=== 車両塗装 ===<br />
==== 路線車の塗装 ====<br />
<!--車両の記述には出典を明記していただきますようお願いします。画像は出典にはなりませんので念のため--><br />
戦後の塗装デザインは、緑色をベースとして、屋根と窓回りに山吹色に近い黄色、裾にはオレンジ色で波形としたデザインであった<ref name="60-57"/>。この色は1968年頃まで使用された<ref name="60-57"/>。<br />
<br />
1954年にはパールホワイトにローズピンクのラインとグレーの翼模様を入れたデザインが導入された<ref name="60-58"/>。当初は貸切車のデザインであった<ref name="60-58"/>が、路線車もこのデザインに変更された<ref name="60-58"/>。ただし、塗り替えはほとんど行われなかったため、先代のカラーリングもしばらくは見ることができた<ref name="60-57"/>。<br />
<br />
1988年から採用された塗装デザインは、クリーム色をベースとして、ブルーのラインを後部で立ち上がるようにデザインし、腰板前方にはワインレッドを配した上、ブドウのステッカーを貼付したものであった<ref name="60-60"/>。その前のカラーリングの車両も1995年までに塗り替えが行われた<ref name="60-60"/>。<br />
<br />
1999年に国際興業から譲受した[[いすゞ・キュービックLT|いすゞキュービックLT]]は薄いグリーンが草色となっている国際興業のカラーリングそのままで導入されており<ref name="33-40"/>、その後の1999年に導入したCNGバスのモデルチェンジを機に、国際興業のノンステップバスで採用された黄緑色の使用されているデザインに変更された<ref name="60-62"/>。これは、国際興業グループで子会社のバスを国際興業カラーに統一する先駆けとなったものといえる。<br />
<gallery><br />
ファイル:TSD40-YamanashiKotsu-C706.jpg|1950年代前半までの塗装デザイン(山梨交通敷島営業所・C706)<br />
ファイル:Yamanashikotsu C486 restored.jpg|創立60周年を記念して復元された1950年代後半から1988年までの塗装デザイン(山梨交通敷島営業所・C486)<br />
ファイル:U-LR332J YamanashiKotsu C643.jpg|1988年から1999年までの標準色(山梨交通敷島営業所・C643)<br />
ファイル:U-LV324K-YamanashiKotsu-C726.JPG|1999年以降は国際興業と同様のデザイン(山梨交通敷島営業所・C726)<br />
</gallery><br />
<br />
==== 高速車・貸切車の塗装 ====<br />
<!--車両の記述には出典を明記していただきますようお願いします。画像は出典にはなりませんので念のため--><br />
{{Double image aside|right|P-LV719R-YamanashiKotsu-C386.jpg|180|U-LV771R-YamanashiKotsu-C673.jpg|180|自社発注のスーパークルーザーSHDではフロントガラスの下はブロンズ、バンパーは白|譲受車のスーパークルーザーSHDではフロントガラスの下は白、バンパーは黒}}<br />
高速車・貸切車については、国際興業グループ入りするまでは路線車と同じデザインであった。なお、山梨観光自動車はクリームに赤と白を配した独自のデザインが採用されていた<ref name="60-58"/>。<br />
<br />
国際興業グループ入りしてからの高速車・貸切車は国際興業標準色(ブルーリボンカラー)であるが、[[いすゞ・スーパークルーザー|スーパークルーザー]]スーパーハイデッカーおよび[[いすゞ・ガーラ|ガーラ]]導入後の自社発注車両では、フロントガラス下部から側面にかけてをブロンズ色としている<ref name="60-61"/>他、側面のロゴの書体も異なり、[[ぶどう]]のステッカーを貼付している<ref name="60-61"/><ref group="注釈">[[クリスタルライナー]]専用車のみ甲府市の鳥である[[カワセミ]]のステッカー。</ref>ため、国際興業グループ他社とは若干印象が異なる。スーパークルーザーでもハイデッカーについてはフロントガラスの下は白・バンパーは黒としている<ref name="bm10-53"/>。国際興業グループ他社から転入した車両はそのままのデザインで使用している。近年導入されたバスには「Kokusai Kogyo Group」と国際興業グループのロゴが入っているほか、一部の高速バスに[[武田信玄]](風林火山)や[[身延山]]のシールが貼られている。<br />
<br />
貸切車のうち、[[YBS T&L]]用(ガーラと2代目ガーラの2台)と[[ヴァンフォーレ甲府]]用(スーパークルーザーとガーラの2台)のみデザインが異なる。YBS T&L用は白地に[[山日YBSグループ]]の赤いロゴが貼り付けされており<ref name="60-80"/>、専らYBS T&Lのツアーのみに使用されている<ref group="注釈">YBS T&Lが車両を保有し、山梨交通に運行・整備を委託しているため。</ref>。ヴァンフォーレ甲府用は車両自体は山梨交通所有のため基本デザインこそ国際興業標準色であるが、側面のブドウの部分がヴァンフォーレ甲府のエンブレム、前面フロントガラス下部および側面後方部にはヴァンフォーレ甲府のロゴが貼付されている。これらのバスはヴァンフォーレ甲府の選手・スタッフが遠征する時に使われ、選手を乗せているときは前面フロントガラス上部に大型フラッグを掲出し、運転席部分には[[ヴァンくん]]人形が置かれている。なお、ヴァンフォーレ甲府が使用しないときは他の車両と共通で使用されている。<br />
<br />
=== 社番記号 ===<br />
山梨交通の所属車両に付けられている記号は、「英文字1字」+「3桁以内の数字」で構成される<ref name="60-72"/>。ただし、コミュニティバスやグループ各社では、登録番号がそのまま使用される<ref name="60-72"/>。先頭の英文字については以下の法則による<ref name="33-40"/>。<br />
* A…乗合ツーマン車(現存車なし)<br />
* B…貸切車<br />
* C…乗合ワンマン車<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
<br />
=== 注釈 ===<br />
{{Reflist|group="注釈"}}<br />
<br />
=== 出典 ===<br />
{{Reflist|2|refs=<br />
<ref name="60-13">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.13]]</ref><br />
<ref name="60-1314">[[#60th|『山梨交通60年史』 pp.13-14]]</ref><br />
<ref name="60-14">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.14]]</ref><br />
<ref name="60-1415">[[#60th|『山梨交通60年史』 pp.14-15]]</ref><br />
<ref name="60-15">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.15]]</ref><br />
<ref name="60-1516">[[#60th|『山梨交通60年史』 pp.15-16]]</ref><br />
<ref name="60-16">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.16]]</ref><br />
<ref name="60-1617">[[#60th|『山梨交通60年史』 pp.16-17]]</ref><br />
<ref name="60-17">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.17]]</ref><br />
<ref name="60-1718">[[#60th|『山梨交通60年史』 pp.17-18]]</ref><br />
<ref name="60-18">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.18]]</ref><br />
<ref name="60-19">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.19]]</ref><br />
<ref name="60-20">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.20]]</ref><br />
<ref name="60-21">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.21]]</ref><br />
<ref name="60-22">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.22]]</ref><br />
<ref name="60-23">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.23]]</ref><br />
<ref name="60-24">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.24]]</ref><br />
<ref name="60-2425">[[#60th|『山梨交通60年史』 pp.24-25]]</ref><br />
<ref name="60-25">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.25]]</ref><br />
<ref name="60-26">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.26]]</ref><br />
<ref name="60-27">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.27]]</ref><br />
<ref name="60-28">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.28]]</ref><br />
<ref name="60-29">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.29]]</ref><br />
<ref name="60-30">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.30]]</ref><br />
<ref name="60-31">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.31]]</ref><br />
<ref name="60-32">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.32]]</ref><br />
<ref name="60-33">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.33]]</ref><br />
<ref name="60-34">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.34]]</ref><br />
<ref name="60-3435">[[#60th|『山梨交通60年史』 pp.34-35]]</ref><br />
<ref name="60-35">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.35]]</ref><br />
<ref name="60-36">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.36]]</ref><br />
<ref name="60-3637">[[#60th|『山梨交通60年史』 pp.36-37]]</ref><br />
<ref name="60-37">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.37]]</ref><br />
<ref name="60-38">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.38]]</ref><br />
<ref name="60-39">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.39]]</ref><br />
<ref name="60-40">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.40]]</ref><br />
<ref name="60-4041">[[#60th|『山梨交通60年史』 pp.40-41]]</ref><br />
<ref name="60-41">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.41]]</ref><br />
<ref name="60-42">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.42]]</ref><br />
<ref name="60-4243">[[#60th|『山梨交通60年史』 pp.42-43]]</ref><br />
<ref name="60-43">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.43]]</ref><br />
<ref name="60-44">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.44]]</ref><br />
<ref name="60-45">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.45]]</ref><br />
<ref name="60-46">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.46]]</ref><br />
<ref name="60-4849">[[#60th|『山梨交通60年史』 pp.48-49]]</ref><br />
<ref name="60-49">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.49]]</ref><br />
<ref name="60-57">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.57]]</ref><br />
<ref name="60-58">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.58]]</ref><br />
<ref name="60-60">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.60]]</ref><br />
<ref name="60-61">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.61]]</ref><br />
<ref name="60-62">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.62]]</ref><br />
<ref name="60-65">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.65]]</ref><br />
<ref name="60-66">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.66]]</ref><br />
<ref name="60-67">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.67]]</ref><br />
<ref name="60-68">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.68]]</ref><br />
<ref name="60-69">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.69]]</ref><br />
<ref name="60-70">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.70]]</ref><br />
<ref name="60-72">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.72]]</ref><br />
<ref name="60-73">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.73]]</ref><br />
<ref name="60-76">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.76]]</ref><br />
<ref name="60-77">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.77]]</ref><br />
<ref name="60-78">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.78]]</ref><br />
<ref name="60-80">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.80]]</ref><br />
<ref name="60-82">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.82]]</ref><br />
<ref name="60-85">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.85]]</ref><br />
<ref name="60-86">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.86]]</ref><br />
<ref name="60-87">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.87]]</ref><br />
<ref name="60-88">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.88]]</ref><br />
<ref name="60-89">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.89]]</ref><br />
<ref name="60-90">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.90]]</ref><br />
<ref name="60-91">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.91]]</ref><br />
<ref name="60-92">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.92]]</ref><br />
<ref name="60-93">[[#60th|『山梨交通60年史』 p.93]]</ref><br />
<ref name="2004-128">[[#中嶋2004|『西武王国 その炎と影』 p.128]]</ref><br />
<ref name="2004-131">[[#中嶋2004|『西武王国 その炎と影』 p.131]]</ref><br />
<ref name="2004-134">[[#中嶋2004|『西武王国 その炎と影』 p.134]]</ref><br />
<ref name="rj501-155">[[#鈴木501|『鉄道ジャーナル』通巻501号 p.155]]</ref><br />
<ref name="b1-210">[[#鈴木2001|『路線バスの現在・未来』 p.210]]</ref><br />
<ref name="b1-211">[[#鈴木2001|『路線バスの現在・未来』 p.211]]</ref><br />
<ref name="b1-289">[[#鈴木2001|『路線バスの現在・未来』 p.289]]</ref><br />
<ref name="b2-276">[[#鈴木2001-2|『路線バスの現在・未来 PART2』 p.276]]</ref><br />
<ref name="bj4-24">[[#鈴木4-1|『バス・ジャパン』通巻4号 p.24]]</ref><br />
<ref name="bj4-26">[[#鈴木4-1|『バス・ジャパン』通巻4号 p.26]]</ref><br />
<ref name="bj4-30">[[#鈴木4-2|『バス・ジャパン』通巻4号 p.30]]</ref><br />
<ref name="33-31">[[#BJ2001|『バスジャパン・ニューハンドブック33』 p.31]]</ref><br />
<ref name="33-32">[[#BJ2001|『バスジャパン・ニューハンドブック33』 p.32]]</ref><br />
<ref name="33-33">[[#BJ2001|『バスジャパン・ニューハンドブック33』 p.33]]</ref><br />
<ref name="33-34">[[#BJ2001|『バスジャパン・ニューハンドブック33』 p.34]]</ref><br />
<ref name="33-35">[[#BJ2001|『バスジャパン・ニューハンドブック33』 p.35]]</ref><br />
<ref name="33-40">[[#BJ2001|『バスジャパン・ニューハンドブック33』 p.40]]</ref><br />
<ref name="70-31">[[#BJ2010|『バスジャパン・ハンドブックR70』 p.31]]</ref><br />
<ref name="72-20">[[#BJ2011|『バスジャパン・ハンドブックR72』 p.20]]</ref><br />
<ref name="72-2021">[[#BJ2011|『バスジャパン・ハンドブックR72』 pp.20-21]]</ref><br />
<ref name="72-28">[[#BJ2011|『バスジャパン・ハンドブックR72』 p.28]]</ref><br />
<ref name="bm10-46">[[#BM10|『バスマガジン』通巻10号 p.46]]</ref><br />
<ref name="bm10-49">[[#BM10|『バスマガジン』通巻10号 p.49]]</ref><br />
<ref name="bm10-53">[[#BM10|『バスマガジン』通巻10号 p.53]]</ref><br />
<ref name="bm10-54">[[#BM10|『バスマガジン』通巻10号 p.54]]</ref><br />
<ref name="bm10-55">[[#BM10|『バスマガジン』通巻10号 p.55]]</ref><br />
<ref name="bm10-56">[[#BM10|『バスマガジン』通巻10号 p.56]]</ref><br />
<ref name="bm10-57">[[#BM10|『バスマガジン』通巻10号 p.57]]</ref><br />
<ref name="rj549-159">[[#鈴木549|『鉄道ジャーナル』通巻549号 p.159]]</ref><br />
<ref name="rj575-151">[[#鈴木575|『鉄道ジャーナル』通巻575号 p.151]]</ref><br />
<ref name="2010-ym-22">[[#iseki2010|『バス移籍車両最新情報ガイド』 p.22]]</ref><br />
<ref name="2010-ym-23">[[#iseki2010|『バス移籍車両最新情報ガイド』 p.23]]</ref><br />
<ref name="201407-tt-801">[[#TT201407|『小型全国時刻表』 p.801]]</ref><br />
<ref name="press20140707">{{cite press release|author=|url=http://yamanashikotsu.co.jp/noriai/yokohama20140719.htm|title=高速乗合バス「竜王・甲府〜横浜駅線」運行開始のお知らせ|publisher=山梨交通|language=日本語|date=2014-07-07|accessdate=2014-10-01}}</ref><br />
}}<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
{{multimedia|山梨交通の画像}}<br />
{{commonscat|Yamanashi Kotsu}}<br />
<br />
=== 社史 ===<br />
* {{Cite book|和書|author =山梨交通監修 |authorlink = |coauthors = |year = 2006|title = 山梨交通60年史 甲府盆地のくらしとともに|publisher = BJエディターズ|ref = 60th|id = |isbn = 4434072714}}<br />
<br />
=== 書籍 ===<br />
* {{Cite book|和書|author =[[鈴木文彦]] |authorlink = |coauthors = |year = 2001|title = 路線バスの現在・未来|publisher = グランプリ出版|ref = 鈴木2001|id = |isbn = 4876872171}}<br />
* {{Cite book|和書|author =鈴木文彦 |authorlink = |coauthors = |year = 2001|title = 路線バスの現在・未来 PART2|publisher = グランプリ出版|ref = 鈴木2001-2|id = |isbn = 4876872279}}<br />
* {{Cite book|和書|author = [[中嶋忠三郎]]|authorlink = |coauthors = |year = 2004|title = 西武王国 その炎と影 |publisher = [[サンデー社]]|ref = 中嶋2004|id = |isbn = 978-4882030416}}<br />
* {{Cite book|和書|author = |authorlink = |coauthors = |year = 2001|title = [[バス・ジャパン|バスジャパン・ニューハンドブック]]33 国際興業 山梨交通|publisher = BJエディターズ|ref = BJ2001|id = |isbn = 4795277982}}<br />
* {{Cite book|和書|author = |authorlink = |coauthors = |year = 2010|title = バス移籍車両最新情報ガイド|publisher = 洋泉社|ref = iseki2010|id = |isbn = 9784862485106}}<br />
* {{Cite book|和書|author = |authorlink = |coauthors = |year = 2010|title = [[バス・ジャパン|バスジャパン・ハンドブックR]]70 国際興業 山梨交通|publisher = BJエディターズ|ref = BJ2010|id = |isbn = 9784434145872}}<br />
* {{Cite book|和書|author = |authorlink = |coauthors = |year = 2011|title = バスジャパン・ハンドブックR72 富士急行|publisher = BJエディターズ|ref = BJ2011|id = |isbn = 9784434153198}}<br />
<br />
=== 雑誌記事 ===<br />
* {{Cite journal|和書|author=鈴木文彦 |year=1987 |month=4 |title=中央ハイウェイバスの成長と課題|journal=バス・ジャパン |issue=4 |pages=24-29 |publisher=バス・ジャパン刊行会 |ref = 鈴木4-1|isbn =4795277591}}<br />
* {{Cite journal|和書|author=鈴木文彦 |year=1987 |month=4 |title=中央ハイウェイバスの車両|journal=バス・ジャパン |issue=4 |pages=30-31 |publisher=バス・ジャパン刊行会 |ref = 鈴木4-2|isbn =4795277591}}<br />
* {{Cite journal|和書|author=鈴木文彦 |year=2008 |month=7 |title=私の取材メモ 車両のカラーと地方色|journal=[[鉄道ジャーナル]] |issue=501 |page=155 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = 鈴木501}}<br />
* {{Cite journal|和書|author=日本バス友の会|coauthors=鈴木文彦 |year=2012|month=7 |title=Bus Corner |journal=鉄道ジャーナル |issue=549 |pages=159-161 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = 鈴木549}}<br />
* {{Cite journal|和書|author=鈴木文彦|coauthors= |year=2014|month=9 |title=Bus Corner |journal=鉄道ジャーナル |issue=575 |pages=150-153 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = 鈴木575}}<br />
* {{Cite journal|和書|author= |year=2005 |month=3 |title=おじゃまします!バス会社潜入レポート Vol.10 山梨交通|journal=[[バスマガジン]] |issue=10 |pages=45-61 |publisher=[[講談社ビーシー|三推社]]・[[講談社]] |ref = BM10|isbn =4063662233}}<br />
* {{Cite journal|和書|author= |year=2014 |month=7 |title=ハイウェイバス|journal=小型全国時刻表 |issue=|pages=788-804 |publisher=[[交通新聞社]] |ref = TT201407}}<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://yamanashikotsu.co.jp/ 山梨交通](公式サイト)<br />
* [http://busmaps.jp/yamanashi/ やまなしバスコンシェルジュ]([[携帯電話]]やパソコンのwebブラウザを用いて、路線バスの接近情報を案内するシステム。山交グループに加え、富士急グループも検索できる。)<br />
* [http://yamanashikotsu.co.jp/ds 山梨交通自動車学校]<br />
* [http://www.yamako-dept.jp/ 山交百貨店]<br />
<br />
{{PASMO}}<br />
{{山梨交通グループ}}<br />
{{国際興業グループ}}<br />
{{Good article}}<br />
<br />
{{デフォルトソート:やまなしこうつう}}<br />
[[Category:中部地方の乗合バス事業者]]<br />
[[Category:中部地方の貸切バス事業者]]<br />
[[Category:関東地方の貸切バス事業者]]<br />
[[Category:国際興業グループ]]<br />
[[Category:山梨交通|*]]<br />
[[Category:かつて存在した日本の軌道事業者]]<br />
[[Category:1945年設立の企業]]</div>
14.3.213.233
道の駅
2018-07-22T09:31:31Z
<p>14.3.213.233: /* 設置運営形態別分類 */</p>
<hr />
<div>{{ウィキプロジェクトリンク|道の駅|[[File:P highway.svg|34px]]}}<br />
[[ファイル:Michinoeki shinshu tsutakijuku.jpg|260px|thumb|right|道の駅の一例。[[道の駅信州蔦木宿]] ]]<br />
[[ファイル:Michinoeki Torokusyo.jpg|120px|thumb|right|道の駅の登録証の一例(道の駅みくに)]]<br />
'''道の駅'''(みちのえき)は、日本の各自治体と道路管理者が連携して設置し、[[国土交通省]](制度開始時は[[建設省]])により登録された、商業施設・休憩施設・[[地域おこし|地域振興]]施設・駐車場等が一体となった道路施設である。道路利用者のための「休憩機能」、道路利用者や地域の人々のための「情報発信機能」、道の駅を核としてその地域の町同士が連携する「地域の連携機能」という3つの機能を併せ持ち、[[2018年]][[4月25日]]付時点の全国登録数は、1,145箇所ある<ref>{{Cite web|url=http://www.mlit.go.jp/common/001232861.pdf|title=「道の駅」の第49回登録について 〜今回11駅が登録され、1,145駅となります〜|date=2018-04-25|accessdate=2018-04-25|publisher=国土交通省道路局|format=PDF}}</ref>。<!--個々の道の駅については[[道の駅一覧]]を参照。--><br />
<br />
== 概要 ==<br />
[[File:Kannabe-Kogen kougenyasai.jpg|thumb|right|道の駅の施設内の一例。地元の[[野菜]]の[[直売]]をしている例。]]<br />
日本でも昭和期に[[モータリゼーション]]の進展によって長距離[[ドライブ]]をする人々が増えたが、安全に長距離ドライブを行うには ある程度の距離や時間ごとにドライバーが休息することが必要である。従来[[高速道路]]には24時間自由に利用できる休憩所である[[サービスエリア]] (SA) や[[パーキングエリア]] (PA) が整備されてきたのに対し、どこでも立ち寄ることのできる[[一般道路|一般道]]では自動車走行に適した道路改良を主眼に置いた整備が優先され、SAのような施設は重要視されてなかったたことから、公的で24時間開いている休憩所はほとんど存在しなかった{{sfn|浅井建爾|2001|pp=148-149}}{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|p=196}}。民間経営による[[レストラン]]や[[売店]]を併設した[[ドライブイン]]が休憩所の役目も担っていたものの、実質的にはドライブインの利用者しか使えず{{Sfn|浅井建爾|2015|p=168}}、しかも24時間自由に利用できるものではなかった。<br />
<br />
「道の駅」の制度が創設された背景には、時代の流れとともに、レジャーの多様化によって長距離ドライブを楽しむ人が増えてきたため、一般道路にも誰もが24時間自由に利用できる休憩施設が長らく求められていたことや、その休憩施設を駐車場、トイレ、レストランなどドライバーたちのためだけのものではなく、その地域の文化・名所・特産物などを活用した[[サービス]]を提供し、道路利用者や地域の人々の情報交流や、地域連携と活力ある地域づくりを促進し、その地域の活性化をはかることが狙いでもある{{sfn|浅井建爾|2001|pp=148-149}}。<br />
<br />
道の駅は官民提携のプロジェクトで、[[縦割り行政|省庁の壁]]を超え、各自治体と国土交通省が連携をとり、計画的に[[地域おこし|地域振興]]施設の整備促進と、[[一般道路]]の休憩施設整備を併せて行うことが目的となっている{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|p=196}}。このため、[[自動車専用道路]]のSA・PAを「道の駅」として登録する場合は別途一般道からも連絡・利用できるようにしている<ref>例えば[[旭川紋別自動車道]]「[[白滝パーキングエリア|しらたき]]」、[[能登有料道路]]「[[高松サービスエリア|高松]]」、[[播但連絡道路]]「[[道の駅フレッシュあさご|フレッシュあさご]]」、[[山陰自動車道]]([[青谷羽合道路]])「[[はわいサービスエリア|はわい]]」など</ref>。<br />
<br />
[[1991年]](平成3年)に実験的に[[山口県]]、[[岐阜県]]、[[栃木県]]に設けられたのを皮切りに、[[1993年]](平成5年)4月に第一次分として全国103箇所の道の駅が登録された{{Sfn|浅井建爾|2015|p=168}}{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|pp=196–197}}。その後、主に地方の幹線道路([[国道]]や[[主要地方道]])から整備が開始され、道の駅を通じて地域の農産物の販売は増加し、情報発信によって観光客が増えるなど、道の駅は各地で大きな反響を呼んだ{{sfn|浅井建爾|2001|pp=148-149}}。[[2000年]](平成12年)には550カ所を突破してその後も道の駅は増え続け{{sfn|浅井建爾|2001|pp=148-149}}、それまで東京など大都市周辺には道の駅は存在しなかったが、[[2007年]](平成19年)4月、[[八王子市]]に[[東京都]]初の道の駅([[道の駅八王子滝山|八王子滝山]])が開設されたことにより、47都道府県すべてに道の駅が設置された{{Sfn|浅井建爾|2015|p=168}}。<br />
<br />
道の駅の設置間隔については、高速道路のSA・PAのような明確な基準は設けられていないが、おおむね10[[キロメートル]] (km) 程度の間隔があるように計画されている。なお、間隔が10&nbsp;km以下となる申請があった場合は、特徴の違いによる棲み分け、交通量の状況、地域の実情などを総合的に判断して決定する。<br />
<br />
[[File:Road sign of Roadside station A-Ra-Datena Michinoeki 1.jpg|thumb|right|道の駅の案内標識の一例。]]<br />
<!--[[File:Michinoeki Mitsu Aut 10 06.JPG|thumb|right|道の駅の案内標識の一例。]]--><br />
<!--[[ファイル:R55_toubudouro_teiyamatonneru.jpg|thumb|right|道の駅やすの案内標識]]--><br />
[[2014年]](平成26年)[[4月1日]]には道路標識、区画線及び道路標示に関する命令が改正され、道の駅への[[日本の道路標識|案内標識]]が初めて正式に定められた<ref>{{Cite web|url=http://www.mlit.go.jp/report/press/road01_hh_000411.html|title=道路標識、区画線及び道路標示に関する命令の一部改正について|date=2014-04-01|accessdate=2014-04-04|publisher=国土交通省道路局}}</ref>。<br />
<br />
北海道には、鉄道の廃止路線の駅跡に、道の駅が設置されることが多い。[[道の駅ステラ★ほんべつ|ステラ★ほんべつ]]や[[道の駅あしょろ銀河ホール21]]、[[道の駅あいおい]]など9箇所ある。<br />
<br />
道の駅ができたおかげで、北海道一周・四国一周・九州一周・日本一周など規模の大きい自動車旅行を行う旅行者でも、道の駅の駐車場に自動車を停めては[[車中泊]]で夜をすごし宿泊費をまるまる節約することや、宿に気兼ねせず日の出前に出発し先を急ぐということも可能になった。[[キャンピングカー]]で道の駅を利用し、地域地域の産物を楽しみつつ、数カ月におよぶような長期の自動車旅行を自由気ままに楽しむ人々もいる。<br />
<br />
また設置が進む中で平時の目的以外にも、道の駅は[[新潟県中越地震]]、[[東日本大震災]]、[[熊本地震 (2016年)|熊本地震]]などで災害支援に役立ち、一時避難場所、緊急車両の中継基地等で活躍しており、その効果が実証されている<ref>熊野稔「東日本大震災における「道の駅」の被災と震災対応」日本建築学会シンポジウム論文集「東日本大震災からの教訓、これからの新しい国つくり」、2012年3月、479 - 482頁。</ref><ref>熊野稔「東日本大震災における東北「道の駅」調査から20年目を迎えた「道の駅」の防災化への方向性について」地域開発2013年4月号 防災拠点として注目される「道の駅」 特集 日本地域開発センター、2013年4月1日、52 - 58頁。</ref>。<br />
<br />
== 施設 ==<br />
[[File:Michinoeki Mitsu Aut 10 07.JPG|thumb|道の駅はトイレが24時間、無料で利用可能。]]<br />
[[File:Tsubaki spa ashiyu.JPG|thumb|right|道の駅で[[足湯]]を併設している例]]<br />
道の駅は、'''24時間利用可能な一定数の[[駐車場|駐車スペース]]、[[便所|トイレ]]、24時間利用可能な[[公衆電話|電話]]、情報提供施設を備えた施設'''であることが登録の条件となっている<ref>{{Cite web | url = http://www.mlit.go.jp/road/Michi-no-Eki/pdf/guidance.pdf| title =「道の駅」登録・案内要綱 |publisher = 国土交通省 |accessdate = 2015-2-20 }}</ref>{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|p=196}}。また、多くの場合、道路や地域の情報を提供する案内所が置かれ、その他、その地域の自主的工夫のなされた施設が設置され、その地域の文化・名所・特産物などを活用した[[農産物直売所]]、[[売店]]、[[レストラン]]などのサービスが提供されている{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|p=197}}。これまでに地域の特色を生かした個性ある道の駅が誕生しており、[[温泉]]や[[宿泊施設]]、[[公園]]、[[博物館]]を併設したものなど多様である{{sfn|浅井建爾|2001|pp=148-149}}。規模は高速道路のPAのように小規模なものもあれば、[[ハイウェイオアシス]]、[[鉄道駅]]、温泉施設を併設した規模の大きな道の駅もあり、形態も様々である{{sfn|浅井建爾|2015|p=168}}。なお、わずかだが、冬期は積雪などのため閉鎖される道の駅がある<ref>{{Cite web | url = http://www.thr.mlit.go.jp/road/koutsu/Michi-no-Eki/aomori/ao19.html| title =東北の道の駅 02019みんまや |publisher = 東北地方整備局 |accessdate = 2015-2-21 }}</ref>。<br />
<br />
2004年10月に発生した[[新潟県中越地震]]を契機に[[防災拠点]]機能が追加されている。主な機能としては、断水時でも使用可能なトイレ、非常食・飲料水の備蓄、停電時の非常用電源の確保等がある<ref>{{Cite web | url = https://www.hido.or.jp/14gyousei_backnumber/2008_data/0903/0903tokushu-michinoeki.pdf| title =「道の駅」の災害時における活用について |publisher = 道路行政セミナー2009.3 |accessdate = 2015-2-20 }}</ref>。<br />
<br />
道の駅は、道路管理者の国([[地方整備局]])や[[都道府県]]が基本的な施設である駐車場やトイレを整備し、[[市町村]]、またはそれに代わり得る公的な団体(ほとんどは[[第三セクター]])が地域側施設を設置する形が取られる。実際の運営は民間企業が受託する場合もある<ref>[https://www.dynac.co.jp/service/servicearea/ 事業内容:道の駅・サービスエリア][[ダイナック]](2017年12月21日閲覧)</ref>。[[海の駅]]と重複登録している施設もある。<br />
<br />
== 重点「道の駅」 ==<br />
道の駅が地域活性化の拠点となることをめざして機能強化を図るため、先駆的な道の駅を選定して、国土交通省が支援する制度である。<br />
<br />
2015年1月に全国の1040か所の道の駅から90か所指定された<ref>{{Cite press |url=http://www.mlit.go.jp/report/press/road01_hh_000472.html |title=重点「道の駅」の選定について 〜地方創生の核となる「道の駅」を重点的に応援します〜 |date=2015年1月30日 |publisher=国土交通省}}</ref>。<br />
* 全国モデル「道の駅」 6か所([[:Category:道の駅 全国モデル]]参照)<br />
* 重点「道の駅」 35か所([[:Category:道の駅 重点]]参照)<br />
* 重点「道の駅」候補 49か所([[:Category:道の駅 重点候補]]参照)<br />
<br />
== 発祥 ==<br />
[[ファイル:Roadside Station Daiei Stone Monument.jpg|200px|thumb|right|[[道の駅大栄]]の石碑。103箇所ある「第1号」のひとつ。]]<br />
[[ファイル:20050820michinoeki1gou.jpg|200px|thumb|right|道の駅豊栄の石碑]]<br />
<br />
現在の「道の駅」の制度のうえでは、[[1993年]](平成5年)[[4月22日]]に正式登録された全国103箇所の施設が「第1号」である。<br />
<br />
道の駅の設置構想は、1990年1月に広島市で行われた「中国・地域づくり交流会」の会合での提案から始まったもので、1991年10月から翌年7月にかけて[[山口県]]、[[岐阜県]]、[[栃木県]]の計12か所に「道の駅」の社会実験が行われた<ref>関・酒本、29頁。</ref>。これらの施設は実験段階からすでに「道の駅」の看板を掲げていた<ref>関・酒本、31頁。</ref>。<br />
<br />
{| class="wikitable" style="font-size:small"<br />
|+ 正式化前に社会実験として設置された道の駅<span style="font-weight:normal"><ref>関・酒本、30頁。</ref></span><br />
|-<br />
|rowspan="2"|[[山口県]]<br />(2か所)||[[阿武町]]||沢松海岸(現 [[道の駅阿武町]])||3,000 [[平方メートル|m<sup>2</sup>]]<br />
|-<br />
|[[田万川町]](現 [[萩市]])||市味地区||1,600 m<sup>2</sup><br />
|-<br />
|rowspan="7"|[[岐阜県]]<br />(7か所)||[[古川町]](現 [[飛騨市]])||グローブル株式会社用地||1,000 m<sup>2</sup><br />
|-<br />
|[[国府町 (岐阜県)|国府町]](現 [[高山市]])||広瀬町諏訪ノ前農協用地||2,717 m<sup>2</sup><br />
|-<br />
|[[丹生川村 (岐阜県)|丹生川村]](現 [[高山市]])||国道158号・緑化センター(役場裏・農協スタンド)||2,200 m<sup>2</sup><br />
|-<br />
|[[久々野町]](現 [[高山市]])||女男滝公園(公園全体)||6,000 m<sup>2</sup><br />
|-<br />
|[[下呂町]](現 [[下呂市]])||下呂トンネル南交差点・黒木医院前||2,117 m<sup>2</sup><br />
|-<br />
|[[加子母村]](現 [[中津川市]])||ゆうらく館||1,200 m<sup>2</sup><br />
|-<br />
|[[付知町]](現 [[中津川市]])||花街道センター(現 [[道の駅花街道付知]])||6,000 m<sup>2</sup><br />
|-<br />
|rowspan="3"|[[栃木県]]<br />(3か所)||[[河内町 (栃木県)|河内町]](現 [[宇都宮市]])||下岡本||1,000 m<sup>2</sup><br />
|-<br />
|[[上三川町]]||日産自動車前(拡幅予定地)||2,950 m<sup>2</sup><br />
|-<br />
|[[南河内町]](現 [[下野市]])||薬師寺南交差点||2,000 m<sup>2</sup><br />
|}<br />
<br />
「道の駅」の社会実験段階から用地に含まれ、実際に道の駅となった場所として山口県阿武町の道の駅阿武町と岐阜県中津川市の道の駅花街道付知の2か所があり、道の駅阿武町には「道の駅発祥の地」の石碑が建っている。<br />
このほか、「道の駅」実験以前の施設でもその発祥とされるものがある。<br />
<br />
; 豊栄発祥説<br />
: [[1988年]]11月に、[[新潟県]][[豊栄市]](現・[[新潟市]][[北区 (新潟市)|北区]])の[[国道7号]][[新潟バイパス|新新バイパス]]豊栄道路情報ターミナル(現[[道の駅豊栄]])が旧建設省(現国土交通省)によって設置された。現在では道の駅発祥の地という[[石碑]]が建立されていることもあり、ここを発祥とする説がある。<br />
; 掛合の里発祥説<br />
: [[ふるさと創生事業]]の一環で1990年3月に供用が開始された[[島根県]][[雲南市]](旧[[掛合町]])にある[[道の駅掛合の里|掛合の里]]へ、先述の中国・地域づくり交流会が見学会を実施し、現在の道の駅の模範としたためこれが発祥であるという説がある。なお、掛合の里は設置当初は[[ドライブイン]]として運用されていた。<br />
<br />
なお、「道の駅」という名称は、地域振興論が専門の[[熊本大学]][[名誉教授]]の[[徳野貞雄]]が農業・農村活性化の事業名に用いたものを、建設省が転用したものである<ref>[https://archive.is/20151206113021/http://pr-next.com/community-promotion-interview1 「国は少子化の現実受け入れよ」「道の駅」命名者が考える地域振興とは(上)](2015年12月6日時点の[[archive.is|アーカイブ]])</ref><ref>徳野貞雄「{{PDFlink|[http://www.ecpr.or.jp/pdf/mytown105/12-13.pdf 「道の駅」は、農業・農村の活性化に本当に寄与しているのか?]}}」舞タウン 2010年7月号</ref>。<br />
<br />
== 道の駅の管理 ==<br />
道の駅の管理は国土交通省の地方整備局ごとに行っており、一般にいわれる地域ブロック([[中部地方]]、[[北陸地方]]など)と地方整備局の管理する地域が一致しない都道府県もある。<br />
<br />
また各道の駅には県ごとに登録番号を付与しており、[[ISO 3166-2:JP]]の都道府県番号2桁に登録順に付与される3桁の番号を合わせて5桁の数字が登録番号となっているが、一般には都道府県番号の代わりに都道府県の漢字1文字を付与した3桁の番号が使用されている。例えば[[道の駅あさひかわ]]は「01066」または「北066」で、「01」または「北」が北海道を表し、下3桁の数字066は北海道で66番目に登録された道の駅ということになる。<br />
<br />
* 北海道地方 : 国土交通省[[北海道開発局]]/[[道の駅一覧 北海道地方|北海道]]<br />
** [[北海道]](01・北)<br />
* [[道の駅一覧 東北地方|東北地方]]: 国土交通省[[東北地方整備局]]、[[東北地方]]と一致<br />
** [[青森県]](02・青)・[[岩手県]](03・岩)・[[宮城県]](04・宮)・[[秋田県]](05・秋)・[[山形県]](06・山)・[[福島県]](07・福)<br />
* [[道の駅一覧 関東地方|関東地方]] : 国土交通省[[関東地方整備局]]、[[関東地方]]と[[甲信地方]](長野県の南部を除く)<br />
** [[茨城県]](08・茨)・[[栃木県]](09・栃)・[[群馬県]](10・群)・[[埼玉県]](11・埼)・[[千葉県]](12・千)・[[東京都]](13・東)・[[神奈川県]](14・神)・[[山梨県]](19・山)・[[長野県]]の北部(20・長)<br />
* [[道の駅一覧 北陸地方|北陸地方]] : 国土交通省[[北陸地方整備局]]、[[北陸地方]]のうち福井県は含まない<br />
** [[新潟県]](15・新)・[[富山県]](16・富)・[[石川県]](17・石)<br />
* [[道の駅一覧 中部地方|中部地方]] : 国土交通省[[中部地方整備局]]、[[東海地方]]と長野県の南部<br />
** [[長野県]]の南部(20・長)・[[岐阜県]](21・岐)・[[静岡県]](22・静)・[[愛知県]](23・愛)・[[三重県]](24・三)<br />
* [[道の駅一覧 近畿地方|近畿地方]] : 国土交通省[[近畿地方整備局]]、[[近畿地方]]と福井県(三重県は含まない)<br />
** [[福井県]](18・福)・[[滋賀県]](25・滋)・[[京都府]](26・京)・[[大阪府]](27・大)・[[兵庫県]](28・兵)・[[奈良県]](29・奈)・[[和歌山県]](30・和)<br />
* [[道の駅一覧 中国地方|中国地方]] : 国土交通省[[中国地方整備局]]、[[中国地方]]と一致<br />
** [[鳥取県]](31・鳥)・[[島根県]](32・島)・[[岡山県]](33・岡)・[[広島県]](34・広)・[[山口県]](35・山)<br />
* [[道の駅一覧 四国地方|四国地方]] : 国土交通省[[四国地方整備局]]、[[四国|四国地方]]と一致<br />
** [[徳島県]](36・徳)・[[香川県]](37・香)・[[愛媛県]](38・愛)・[[高知県]](39・高)<br />
* [[道の駅一覧 九州地方|九州地方]] : 国土交通省[[九州地方整備局]]および[[沖縄総合事務局]]、[[九州|九州地方]]と沖縄<ref>沖縄県については国土交通省地方整備局と同等の組織[[沖縄総合事務局]]があり、九州地方整備局とは別組織であるが、ここでは一体として扱う。</ref><br />
** [[福岡県]](40・福)・[[佐賀県]](41・佐)・[[長崎県]](42・長)・[[熊本県]](43・熊)・[[大分県]](44・大)・[[宮崎県]](45・宮)・[[鹿児島県]](46・鹿)・[[沖縄県]](47・沖)<br />
<br />
== 登録設置状況 ==<br />
[[1993年]][[4月22日]]に旧建設省と[[地方公共団体|地方自治体]]の協力で全国で103箇所が登録されたのを皮切りに、以後その登録数は伸び続けている。[[2013年]][[3月27日]]の9箇所の登録で、登録数は1000箇所を超えた。登録抹消となった事例は[[道の駅茶処 和束]](京都府、2004年登録抹消)と[[道の駅山崎]](兵庫県、2013年登録抹消)の2箇所である。<br />
{|<br />
|- style="vertical-align:top; font-size:small"<br />
|<br />
{| class="wikitable" style="text-align: right"<br />
! 登録回 !! 登録日 !! 登録数 !! 累計<br />
|-<br />
|第1回 || 1993年4月22日 || 103 || 103<br />
|-<br />
|第2回 || 1993年8月10日 || 1 || 104<br />
|-<br />
|第3回 || 1993年11月24日 || 11 || 115<br />
|-<br />
|第4回 || 1994年3月31日 || 7 || 122<br />
|-<br />
|第5回 || 1994年4月26日 || 33 || 155<br />
|-<br />
|第6回 || 1994年8月4日 || 20 || 175<br />
|-<br />
|第7回 || 1995年1月30日 || 6 || 181<br />
|-<br />
|第8回 || 1995年4月11日 || 34 || 215<br />
|-<br />
|第9回 || 1995年8月3日 || 18 || 233<br />
|-<br />
|第10回 || 1996年4月16日 || 52 || 285<br />
|-<br />
|第11回 || 1996年8月5日 || 28 || 313<br />
|-<br />
|第12回 || 1997年4月11日 || 53 || 366<br />
|-<br />
|第13回 || 1997年10月22日 || 24 || 390<br />
|-<br />
|第14回 || 1998年4月17日 || 80 || 470<br />
|-<br />
|第15回 || 1999年8月27日 || 81 || 551<br />
|-<br />
|第16回 || 2000年8月18日 || 59 || 610<br />
|-<br />
|第17回 || 2001年8月21日 || 39 || 649<br />
|}<br />
|<br />
{| class="wikitable" style="text-align: right"<br />
! 登録回 !! 登録日 !! 登録数 !! 累計<br />
|-<br />
|第18回 || 2002年8月13日 || 52 || 701<br />
|-<br />
|第19回 || 2003年8月8日 || 42 || 743<br />
|-<br />
|抹消 || 2004年3月31日 || -1 || 742<br />
|-<br />
|第20回 || 2004年8月9日 || 43 || 785<br />
|-<br />
|第21回 || 2005年8月10日 || 45 || 830<br />
|-<br />
|第22回 || 2006年8月10日 || 15 || 845<br />
|-<br />
|第23回 || 2007年3月1日 || 13 || 858<br />
|-<br />
|第24回 || 2007年8月10日 || 10 || 868<br />
|-<br />
|第25回 || 2008年4月4日 || 2 || 870<br />
|-<br />
|第26回 || 2008年4月17日 || 4 || 874<br />
|-<br />
|第27回 || 2008年5月19日 || 6 || 880<br />
|-<br />
|第28回 || 2008年8月8日 || 5 || 885<br />
|-<br />
|第29回 || 2008年12月10日 || 2 || 887<br />
|-<br />
|第30回 || 2009年3月12日 || 13 || 900<br />
|-<br />
|第31回 || 2009年6月12日 || 2 || 902<br />
|-<br />
|第32回 || 2009年7月31日 || 15 || 917<br />
|-<br />
|第33回 || 2010年3月1日 || 19 || 936<br />
|}<br />
|<br />
{| class="wikitable" style="text-align: right"<br />
! 登録回 !! 登録日 !! 登録数 !! 累計<br />
|-<br />
|第34回 || 2010年8月9日 || 16 || 952<br />
|-<br />
|第35回 || 2011年3月3日 || 18 || 970<br />
|-<br />
|第36回 || 2011年8月25日 || 7 || 977<br />
|-<br />
|第37回 || 2012年3月26日 || 10 || 987<br />
|-<br />
|第38回 || 2012年9月14日 || 9 || 996<br />
|-<br />
|第39回 || 2013年3月27日 || 9 || 1,005<br />
|-<br />
|抹消 || 2013年3月31日 || -1 || 1,004<br />
|-<br />
|第40回 || 2013年10月11日 || 10 || 1,014<br />
|-<br />
|第41回 || 2014年4月4日 || 16 || 1,030<br />
|-<br />
|第42回 || 2014年10月10日 || 10 || 1,040<br />
|-<br />
|第43回 || 2015年4月15日 || 19 || 1,059<br />
|-<br />
|第44回 || 2015年11月5日 || 20 || 1,079<br />
|-<br />
|第45回 || 2016年5月10日 || 14 || 1,093<br />
|-<br />
|第46回 || 2016年10月7日 || 14 || 1,107<br />
|-<br />
|第47回 || 2017年4月21日 || 10 || 1,117<br />
|-<br />
|第48回 || 2017年11月17日 || 17 || 1,134<br />
|-<br />
|第49回 || 2018年4月25日 || 11 || 1,145<br />
|-<br />
|}<br />
|}<br />
<br />
道の駅が複数設置されている市町村も多数ある。最多は千葉県南房総市、岐阜県高山市、岐阜県郡上市の8箇所である。ほとんどは、[[日本の市町村の廃置分合|市町村合併]]によるものである。<br />
* 8箇所<br />
** [[千葉県]][[南房総市]]<br />
** [[岐阜県]][[高山市]]<br />
** [[岐阜県]][[郡上市]]<br />
* 7箇所<br />
** [[和歌山県]][[田辺市]]<br />
** [[山口県]][[萩市]]<br />
<br />
== 設置運営形態別分類 ==<br />
<!--{{Vertical_images_list<br />
|画像1=Shiriuchi (Michinoeki, JR Kaikyo).JPG<br />
|説明1=道の駅しりうち<br />知内駅が併設されており、道の駅の営業時間外は駅の利用者は左側に隣接する駅舎を利用する。<br />
|画像2=R55道の駅日和佐.jpg<br />
|説明2=道の駅日和佐<br />日和佐駅と跨線橋で連絡しており、道の駅の物産館では乗車券を販売している。<br />
|画像3=Fujikawarakuza.jpg<br />
|説明3=道の駅富士川楽座<br />東名高速道路富士川SAの上り線に併設されており、高速道路の利用者も利用できる。全国有数の利用者数を誇る道の駅。<br />
|画像4=20050820toyosaka.jpg<br />
|説明4=道の駅豊栄<br />一般国道における道路情報ターミナルが設置された休憩施設の先駆け。「道の駅発祥の地」の石碑がある(後述)。<br />
|画像5=Michinoeki-Miyako.jpg<br />
|説明5=道の駅みやこ<br />みなとオアシスと重複登録されており、道路交流と港湾交流双方の拠点である。<br />
|画像6=<br />
|説明6=<br />
|画像7=<br />
|説明7=<br />
|画像8=<br />
|説明8=<br />
|画像9=<br />
|説明9=<br />
|画像10=<br />
|説明10=<br />
}}<br />
--><br />
<br />
=== 温泉施設併設 ===<br />
「[[温泉施設が併設されている道の駅一覧]]」を参照。<br />
<br />
=== ハイウェイオアシス併設 ===<br />
[[ハイウェイオアシス]]と併設・連絡することで高速道路の利用者も施設の利用が可能になっている。<br />
* [[道の駅みぶ|みぶ]] - [[北関東自動車道]][[壬生パーキングエリア|壬生PA]]・栃木県<br />
* [[道の駅ららん藤岡|ららん藤岡]] - [[上信越自動車道]][[藤岡パーキングエリア|藤岡PA]]上り線・群馬県<br />
* [[道の駅あらい|あらい]] - 上信越自動車道[[新井パーキングエリア|新井PA]]・新潟県<br />
* [[道の駅富士川|富士川]] - [[中部横断自動車道]][[増穂パーキングエリア|増穂PA]]下り線・山梨県 - 疑似ハイウェイオアシス。<br />
* [[道の駅オアシスおぶせ|オアシスおぶせ]] - 上信越自動車道[[小布施パーキングエリア|小布施PA]]・長野県<br />
* [[日本昭和村]] - [[東海環状自動車道]][[美濃加茂サービスエリア|美濃加茂SA]]・岐阜県<br />
* [[道の駅富士川楽座|富士川楽座]] - [[東名高速道路]][[富士川サービスエリア|富士川SA]]上り線・静岡県<br />
* [[道の駅清流茶屋 かわはら|清流茶屋 かわはら]] - [[鳥取自動車道]]河原PA下り線・鳥取県<br />
* [[道の駅大山恵みの里|大山恵みの里]] - [[山陰自動車道]]名和PA・鳥取県<br />
* [[道の駅小松オアシス|小松オアシス]] - [[松山自動車道]][[石鎚山サービスエリア|石鎚山SA]]・愛媛県<br />
<br />
=== SA・PA運営 ===<br />
高速道路/高規格道路の[[サービスエリア]] (SA)・[[パーキングエリア]] (PA) として運営。<br />
* [[白滝パーキングエリア|しらたき]] - [[旭川紋別自動車道]]白滝PA・北海道<br />
* [[道の駅みぶ|みぶ]] - [[北関東自動車道]]壬生PA・栃木県<br />
* [[道の駅富楽里とみやま|富楽里とみやま]] - [[富津館山道路]]富楽里PA・千葉県<br />
* [[道の駅豊栄|豊栄]] - [[新潟バイパス|新新バイパス]]豊栄パーキングエリア・新潟県<br />
* [[高松サービスエリア|高松]] - [[のと里山海道]]高松SA・石川県<br />
* [[道の駅にしお岡ノ山|にしお岡ノ山]] - [[国道23号]][[岡崎バイパス]](上り線のみ)・愛知県<br />
* [[道の駅筆柿の里・幸田|筆柿の里・幸田]] - [[国道23号]][[岡崎バイパス]](下り線のみ)・愛知県<br />
* [[伊賀サービスエリア|いが]] - [[名阪国道]]伊賀SA(下り線のみ)・三重県<br />
* [[かつらぎ西インターチェンジ#かつらぎ西パーキングエリア|かつらぎ西]] - [[京奈和自動車道]]・和歌山県<br />
* [[道の駅くちくまの|くちくまの]] - [[阪和自動車道]](南紀田辺・大阪方面のみ)・和歌山県<br />
* [[道の駅京丹波 味夢の里|京丹波 味夢の里]] - [[京都縦貫自動車道]]京丹波PA・京都府<br />
* [[道の駅但馬のまほろば|但馬のまほろば]] - [[北近畿豊岡自動車道]]山東PA・兵庫県<br />
* [[道の駅フレッシュあさご|フレッシュあさご]] - [[播但連絡道路]]朝来SA・兵庫県<br />
* [[はわいサービスエリア|はわい]] - [[山陰自動車道]]はわいSA・鳥取県<br />
* [[琴浦パーキングエリア|琴の浦]] - 山陰自動車道琴浦PA・鳥取県(道の駅として2017年度開業)<br />
* [[道の駅ゆうひパーク浜田|ゆうひパーク浜田]] - [[山陰自動車道]]・島根県<br />
* [[明石パーキングエリア|萩・さんさん三見]] - 山陰自動車道明石PA・山口県<br />
<br />
=== IC隣接 ===<br />
無料区間の高速道路/高規格道路の[[インターチェンジ]] (IC) に隣接して設置することで、SA/PAの役割も同時に果たす。<br />
* [[道の駅尾花沢|尾花沢]] - [[尾花沢新庄道路]][[尾花沢北インターチェンジ|尾花沢北IC]]・山形県<br />
* [[道の駅伊達の郷りょうぜん|伊達の郷りょうぜん]] - [[相馬福島道路]][[霊山インターチェンジ|霊山IC]]・福島県<br />
* [[道の駅ひらた|ひらた]] - [[あぶくま高原道路]][[平田インターチェンジ|平田IC]]・福島県<br />
* [[道の駅朝日|朝日]] - [[日本海東北自動車道]][[朝日まほろばインターチェンジ|朝日まほろばIC]]・新潟県<br />
* [[道の駅なんぶ|なんぶ]] - [[中部横断自動車道]][[南部インターチェンジ|南部IC]]・山梨県 - 当該区間の高速道路開通は2019年夏頃。<br />
* [[道の駅ヘルシーテラス佐久南|ヘルシーテラス佐久南]] - [[中部横断自動車道]][[佐久南インターチェンジ|佐久南IC]]・長野県<br />
* [[道の駅万葉の里 高岡|万葉の里 高岡]] - [[能越自動車道]][[高岡インターチェンジ|高岡IC]]・富山県<br />
* [[道の駅ななもり清見|ななもり清見]] - [[中部縦貫自動車道]][[高山西インターチェンジ|高山西IC]]・岐阜県<br />
* [[和迩インターチェンジ#道の駅「妹子の郷」|妹子の郷]] - [[湖西道路]][[和迩インターチェンジ|和迩IC]]・滋賀県<br />
* [[道の駅丹波おばあちゃんの里|丹波おばあちゃんの里]] - [[北近畿豊岡自動車道]][[春日インターチェンジ|春日IC]]・兵庫県<br />
* [[道の駅あおがき|あおがき]] - 北近畿豊岡自動車道[[青垣インターチェンジ|青垣IC]]・兵庫県<br />
* [[道の駅ようか但馬蔵|ようか但馬蔵]] - 北近畿豊岡自動車道[[八鹿氷ノ山インターチェンジ|八鹿氷ノ山IC]]・兵庫県<br />
* [[道の駅針T・R・S|針T・R・S]] - [[名阪国道]][[針インターチェンジ|針IC]]・奈良県<br />
* [[かつらぎ西インターチェンジ#かつらぎ西パーキングエリア|かつらぎ西]] - [[京奈和自動車道]]・和歌山県<br />
* [[道の駅清流茶屋 かわはら|清流茶屋 かわはら]] - [[鳥取自動車道]][[河原インターチェンジ|河原IC]]・鳥取県<br />
* [[道の駅大山恵みの里|大山恵みの里]] - [[山陰自動車道]][[名和インターチェンジ|名和IC]]・鳥取県<br />
* [[道の駅たたらば壱番地|たたらば壱番地]] - [[松江自動車道]][[雲南吉田インターチェンジ|雲南吉田IC]]・島根県<br />
* [[道の駅あわくらんど|あわくらんど]] - 鳥取自動車道[[西粟倉インターチェンジ|西粟倉IC]]・岡山県<br />
* [[道の駅たかの|たかの]] - 松江自動車道[[高野インターチェンジ|高野IC]]・広島県<br />
* [[道の駅世羅|世羅]] - [[尾道自動車道]][[世羅インターチェンジ|世羅IC]]・広島県<br />
* [[道の駅どんぶり館|どんぶり館]] - [[松山自動車道]][[西予宇和インターチェンジ|西予宇和IC]]・愛媛県<br />
* [[道の駅みま|みま]] - 松山自動車道[[三間インターチェンジ|三間IC]]・愛媛県<br />
* [[道の駅津島やすらぎの里|津島やすらぎの里]] - [[宇和島道路]][[津島高田インターチェンジ|津島高田IC]]・愛媛県<br />
* [[道の駅かわうその里すさき|かわうその里すさき]] - [[高知自動車道]][[須崎西インターチェンジ|須崎西IC]]・高知県<br />
* [[道の駅あぐり窪川|あぐり窪川]] - 高知自動車道[[四万十町中央インターチェンジ|四万十町中央IC]]・高知県<br />
* [[道の駅させぼっくす 99|させぼっくす 99]] - [[西九州自動車道]][[相浦中里インターチェンジ|相浦中里IC]]・長崎県<br />
* [[道の駅たのうら|たのうら]] - [[南九州西回り自動車道|南九州自動車道]][[田浦インターチェンジ|田浦IC]]・熊本県<br />
* [[道の駅北川はゆま|北川はゆま]] - [[東九州自動車道]]([[延岡道路]])[[北川インターチェンジ|北川IC]]・宮崎県<br />
* [[道の駅北方よっちみろ屋|北方よっちみろ屋]] - [[九州中央自動車道]]([[北方延岡道路]])[[蔵田交差点]]・宮崎県<br />
* [[道の駅野方あらさの|野方あらさの]] - 東九州自動車道[[野方インターチェンジ|野方IC]]・鹿児島県<br />
<br />
=== 鉄道駅舎併設 ===<br />
* [[道の駅はなやか(葉菜野花)小清水|はなやか(葉菜野花)小清水]] - JR北海道[[釧網本線]][[浜小清水駅]]・北海道<br />
* [[道の駅わっかない|わっかない]] - JR北海道[[宗谷本線]][[稚内駅]]・北海道<br />
* [[道の駅のだ|のだ]] - [[三陸鉄道]][[三陸鉄道北リアス線|北リアス線]][[陸中野田駅]]・岩手県<br />
* [[道の駅大谷海岸|大谷海岸]] - [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[気仙沼線]][[大谷海岸駅]]・宮城県<br />
* [[道の駅湯西川|湯西川]] - [[野岩鉄道]][[野岩鉄道会津鬼怒川線|会津鬼怒川線]][[湯西川温泉駅]]・栃木県<br />
* [[道の駅笹川流れ|笹川流れ]] - [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[羽越本線]][[桑川駅]]・新潟県<br />
* [[道の駅まつだいふるさと会館|まつだいふるさと会館]] - [[北越急行]][[北越急行ほくほく線|ほくほく線]][[まつだい駅]]・新潟県<br />
* [[道の駅あなみず|あなみず]] - [[のと鉄道]][[のと鉄道七尾線|七尾線]][[穴水駅]]・石川県<br />
* [[道の駅織部の里もとす|織部の里もとす]] - [[樽見鉄道]][[樽見鉄道樽見線|樽見線]][[織部駅]]・岐阜県<br />
* [[道の駅九頭竜|九頭竜]] - [[西日本旅客鉄道]](JR西日本)[[越美北線]][[九頭竜湖駅]]・福井県<br />
* [[道の駅なち|なち]] - [[西日本旅客鉄道]](JR西日本)[[紀勢本線]][[那智駅]]・和歌山県<br />
* [[道の駅田野駅屋|田野駅屋]] - [[土佐くろしお鉄道]][[土佐くろしお鉄道阿佐線|阿佐線(ごめん・なはり線)]][[田野駅 (高知県)|田野駅]]・高知県<br />
* [[道の駅歓遊舎ひこさん|歓遊舎ひこさん]] - [[九州旅客鉄道]](JR九州)[[日田彦山線]][[歓遊舎ひこさん駅]]・福岡県<br />
<br />
=== 鉄道駅前設置 ===<br />
駅舎と併設しているものを除く。<br />
* [[道の駅おといねっぷ|おといねっぷ]] - JR北海道[[宗谷本線]][[音威子府駅]]・北海道<br />
* [[道の駅夕張メロード|夕張メロード]] - JR北海道[[石勝線]][[新夕張駅]]・北海道<br />
* [[道の駅みそぎの郷 きこない|みそぎの郷 きこない]] - JR北海道[[北海道新幹線]]・[[道南いさりび鉄道]][[木古内駅]]<br />
* [[道の駅しちのへ|しちのへ]] - JR東日本[[東北新幹線]][[七戸十和田駅]]・青森県 - 全国で初の新幹線駅前にある道の駅となった{{要出典|date=2016年12月}}。<br />
* [[道の駅いまべつ|いまべつ]] - JR東日本[[津軽線]][[津軽二股駅]]・JR北海道[[北海道新幹線]][[奥津軽いまべつ駅]]・青森県 - みそぎの郷 きこないとともに、全国で2番目の新幹線駅前にある道の駅{{要出典|date=2016年12月}}。<br />
* [[道の駅いかりがせき|いかりがせき]] - JR東日本[[奥羽本線]][[碇ケ関駅]]・青森県<br />
* [[道の駅浅虫温泉|浅虫温泉]] - [[青い森鉄道]][[青い森鉄道線]][[浅虫温泉駅]]・青森県<br />
* [[道の駅おおうち|おおうち]] - JR東日本[[羽越本線]][[羽後岩谷駅]]・秋田県<br />
* [[道の駅おが|おが]] - JR東日本[[男鹿線]]・[[男鹿駅]]・秋田県<br />
* [[道の駅区界高原|区界高原]] - JR東日本[[山田線]][[区界駅]]・岩手県<br />
* [[道の駅果樹公園 あしがくぼ|果樹公園 あしがくぼ]] - [[西武鉄道]][[西武秩父線]][[芦ヶ久保駅]]・埼玉県<br />
* [[道の駅奥大井音戯の郷|奥大井音戯の郷]] - [[大井川鐵道]]([[大井川鐵道大井川本線|大井川本線]]・[[大井川鐵道井川線|井川線]])[[千頭駅]]・静岡県<br />
* [[道の駅藤川宿|藤川宿]] - [[名古屋鉄道]][[名鉄名古屋本線|名古屋本線]][[藤川駅]]・愛知県<br />
* [[道の駅関宿|関宿]] - JR西日本[[関西本線]][[関駅 (三重県)|関駅]]・三重県<br />
* [[道の駅あまるべ|あまるべ]] - JR西日本[[山陰本線]][[餘部駅]]・兵庫県<br />
* [[道の駅若桜|若桜]] - [[若桜鉄道]][[若桜鉄道若桜線|若桜線]][[若桜駅]]・鳥取県<!--<br />
* [[道の駅インフォメーションセンターかわもと|インフォメーションセンターかわもと]] - JR西日本[[三江線]][[因原駅]]・島根県 隣接していた駅・路線が廃止されたので、取り敢えずコメントアウト--><br />
* [[道の駅おふく|おふく]] - JR西日本[[美祢線]][[於福駅]]・山口県<br />
* [[道の駅日和佐|日和佐]] - [[四国旅客鉄道]](JR四国)[[牟岐線]][[日和佐駅]]・徳島県<br />
* [[道の駅やす|やす]] - 土佐くろしお鉄道阿佐線(ごめん・なはり線)[[夜須駅]]・高知県<br />
* [[道の駅阿蘇|阿蘇]] - JR九州[[豊肥本線]][[阿蘇駅]]・熊本県<br />
<br />
=== みなとオアシスと重複 ===<br />
港湾・海浜関連の交流施設である[[みなとオアシス]]と重複登録された施設がある。これらには道の駅とみなとオアシスの両方のマークが掲げられている。<br />
* [[道の駅わっかない|わっかない]] - 北海道<br />
* [[道の駅あきた港|あきた港]] - 秋田県<br />
* [[道の駅みやこ|みやこ]] - 岩手県<br />
* [[道の駅能登食祭市場|能登食祭市場]] - 石川県<br />
* [[うみんぴあ大飯]] - 福井県<br />
* [[道の駅大坂城残石記念公園|大坂城残石記念公園]] - 香川県<br />
* [[道の駅うわじま きさいや広場|うわじま きさいや広場]] - 愛媛県<br />
* [[道の駅伯方S・Cパーク|伯方S・Cパーク]] - 愛媛県<br />
* [[道の駅なかとさ|なかとさ]] - 高知県<br />
<br />
=== 海の駅と重複 ===<br />
船舶係留施設である[[海の駅]]と重複登録された施設がある。自動車・船舶どちらでも利用することができる。<br />
* [[道の駅伊東マリンタウン|伊東マリンタウン]] - 海の駅としての名称は「いとう海の駅」。静岡県<br />
* [[道の駅あいおい白龍城|あいおい白龍城]] - 兵庫県<br />
* [[道の駅小豆島ふるさと村|小豆島ふるさと村]] - 海の駅としての名称は「しょうどしま・ふるさと村海の駅」。香川県<br />
<br />
=== 空港併設 ===<br />
* [[道の駅大館能代空港|大館能代空港]] - [[大館能代空港]]内に併設・秋田県<br />
* [[道の駅のと里山空港|のと里山空港]] - [[能登空港]]内に併設・石川県<br />
<br />
=== その他 ===<br />
* [[道の駅ステラ★ほんべつ|ステラ★ほんべつ]] - [[北海道ちほく高原鉄道]][[北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線|ふるさと銀河線]]旧[[本別駅]]を道の駅として改修・北海道<br />
* [[道の駅アグリパークゆめすぎと|アグリパークゆめすぎと]] - [[まちの駅]]と道の駅の重複登録・埼玉県<br />
* [[道の駅保田小学校|保田小学校]] - 2014年に閉校した保田小学校を道の駅として改修・千葉県<br />
* [[道の駅輪島|輪島]] - [[のと鉄道]][[のと鉄道七尾線|七尾線]]・旧[[輪島駅]]を道の駅として改修・石川県<br />
* [[道の駅伊良湖クリスタルポルト|伊良湖クリスタルポルト]] - [[フェリー]]ターミナルを併設・愛知県<br />
* [[道の駅モンデウス飛騨位山|モンデウス飛騨位山]] - [[スキー場]]を道の駅として改修・岐阜県<br />
* [[道の駅瑞穂|瑞穂]] - [[中国ジェイアールバス]][[川本線]]田所駅([[自動車駅]])を道の駅として改修・島根県<br />
* [[道の駅小国|小国]] - 旧[[日本国有鉄道|国鉄]][[宮原線]][[肥後小国駅]]跡の[[バスターミナル]]を道の駅として改修・熊本県<br />
* [[道の駅・川の駅水の郷さわら|水の郷さわら]] - [[利根川]]の堤防上に設置され、道の駅だけでなく、[[モーターボート]]などが横付けできる「[[川の駅]]」をも兼ねる・千葉県<br />
* [[道の駅日向|日向]] - 総合[[レクリエーション]]施設「[[日向サンパーク]]」内に設置され、物産館として運営・宮崎県<br />
<br />
=== 臨時期間限定 ===<br />
道路開通記念、あるいは[[道の日]]の記念行事として、1日限定の道の駅が設けられた事例がある。<br />
* 道の駅まほろば道の駅ランド([[奈良県]][[橿原市]]) - [[2003年]][[11月24日]]、[[国道165号]][[大和高田バイパス]]延長開通記念として大和高田バイパス高架上に開設<ref>{{Cite web |url=http://www.kkr.mlit.go.jp/nara/r165/01.pdf |format=PDF |title=道の駅「まほろば道の駅ランド」! |publisher=国土交通省近畿地方整備局 奈良国道事務所 |accessdate=2015年12月19日}}</ref>。<br />
* 道の駅品川宿([[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]) - [[2005年]][[8月6日]]、道の日記念行事の一環として[[品川インターシティ]]セントラルガーデンに開設<ref name=toyokeizai>{{Cite web |url=http://toyokeizai.net/articles/-/91820?page=2 |title=「道の駅」の真実をどれだけ知っていますか |publisher=東洋経済ONLINE |date=2015年11月11日 |accessdate=2015年12月19日}}</ref>。<br />
* 道の駅六本木(東京都港区) - [[2007年]][[8月4日]]、道の日記念行事の一環として[[六本木ヒルズ]]前に開設<ref name=toyokeizai />。<br />
<br />
== スタンプラリー ==<br />
地域内の各道の駅に設置してあるスタンプを収集する[[スタンプラリー]]が地域別に各地で実施されている<ref>[http://www.michi-no-eki.jp/stamp_rally/ 道の駅 スタンプラリー情報] - 全国各地での開催期間、実施要綱を掲載</ref>。<br />
; [[北海道]]<br />
: 北海道内にある道の駅に設置されたスタンプを、専用のスタンプ帳に収集する。スタンプ帳は、2004年までは無料、2005年からは100円、2011年からは150円、2015年からは200円で購入する必要がある。<br />
: 2015年度は115駅中112駅で全駅制覇となる。(1駅は休館中・1駅は冬季閉鎖・1駅は今年度新規登録のため)<br />
: 毎年スタンプラリーを行っており、収集したスタンプ数に応じて道の駅特産品などが抽選で当たる。応募期間は2011年度より変更となり、4月中旬から翌年3月21日までで、通年開催となった。抽選は7月上旬に行う。ただし、[[道の駅オスコイ!かもえない]]は12月1日 - 翌年3月31日まで冬季閉鎖となるため、救済措置で完走賞は1駅少なくても応募できる。<br />
: また、約2年間の期間内に全駅収集すると全駅完全制覇認定証と全駅完全制覇ステッカーがもらえる。かつては全駅制覇の期間が約1年間だったが、道の駅の数が増え現在の期間になった。<br />
: 道の駅は広い北海道内全域に散らばっており、ルートを正確に計画しないと膨大な距離を行き来する事になる。2003年までは道の駅の開館時間外でもスタンプを押せたが、2004年以降は開館時間内のみ可能となった。なお、北海道で24時間スタンプが押せる駅は115駅中わずか7駅である。2013年度からは営業時間外に道の駅に行って押印できない場合の救済措置として、ラリー参加者本人・ラリー帳・道の駅の看板等が入った写真を撮影して、ラリー帳に貼り付けることで、5駅までカウントできるようになった。<br />
; [[東北地方]]<br />
: [[青森県]]・[[秋田県]]・[[山形県]]・[[岩手県]]・[[宮城県]]・[[福島県]]の道の駅<!--2008年度は127駅-->に設置されているスタンプを、専用スタンプ帳に収集する。スタンプ帳は1999年から2003年まで無料、2004年から100円、2010年は200円。駅員にスタンプ数を確認してもらい、個数、または完走したエリアに応じて東北道の駅共通商品券が当たる懸賞に応募できる。2004年までスタンプの数で対応。2005年度から、完走賞のほか[[太平洋]]側には「朝日ライン」(岩手県、宮城県、福島県)、[[裏日本|日本海側]]には「夕日ライン」(青森県、秋田県、山形県)の完走賞も設けられた。期間は1年のうち、概ね4月から12月初旬まで。これは冬季に青森県の一部の駅が閉鎖されるためである。以前は、営業時間外などの理由で設置場所に入れない場合、駅が用意している「スタンプが押された紙」で代用することが出来たが、数人で組んで担当を回り歩き他の人から紙をもらい、行っていない道の駅のスタンプを取得するなどの不正行為を防ぐため、現在は行われていない。完全走破した参加者には、「完全走破賞」の賞状とシールが全員に渡される。しかし2011年は東日本大震災の影響により、スタンプラリー開始時点で再開していない道の駅があるため、完走賞を設定せず、スタンプ数に合わせた各賞は名称と内容を変更。また、完走証明書の代わりに「感謝状」を作成し、復興支援大賞には感謝状とステッカーを、復興支援賞には感謝状を進呈する、という形になった。<br />
; [[関東地方]]<br />
: 1都6県・[[山梨県]]、および[[長野県]]の[[木曽地域]]・[[上伊那地域]]・[[飯伊地域]]を除く関東地方整備局管内の各地に設置されている道の駅<!--2011年度は140駅が対象-->から、10駅制覇もしくは全駅制覇を選択し収集する。いずれの場合もおおむね毎年7月から発売される、関東道の駅「スタンプブック」を購入して収集する。2011年度は「道の駅ナビ」「スタンプブック」「エコバッグ」セットで400円。期限については10駅制覇、全駅制覇ともに11月末(2011年度)だが、全駅制覇は期限を過ぎた場合も応募できる。<br />
: 2006年度以前は未供用以外の理由による不参加の道の駅が存在した。2007年度以降は、開業しているすべての道の駅が参加している。スタンプ押印は道の駅の営業時間内しかできない。営業日時は「スタンプブック」に記載されている。なお、時間前に閉まる場合もある。期限ありの場合、応募時の賞品は抽選である。全駅制覇の場合は完全制覇証とステッカーが応募者全員に発行され、期限までに応募するか否かでステッカーのデザインが異なる。<br />
; [[中部地方]]<br />
: [[岐阜県]]・[[静岡県]]・[[愛知県]]・[[三重県]]および長野県の中部地方整備局管内である木曽・上伊那・飯伊地域に設置されている道の駅<!--2011年度は116駅が対象-->から、12駅制覇もしくは全駅制覇を選択し収集する。12駅制覇では、専用の応募はがきにスタンプを押印し、応募する。応募はがきは無料で、2011年度は8月から配付。賞品は抽選で、2011年度の場合、期限は11月末まで。全駅制覇の場合は、中部「道の駅」スタンプブックを300円で購入し、それに収集する。期限はなく、制覇すれば応募者全員に認定証と記念品が送付される。<br />
; [[北陸地方]]<br />
: スタンプラリー2014は、開催期間は2014年8月1日〜2016年8月31日で[[新潟県]]・[[富山県]]・[[石川県]]<!--福井県は近畿管内-->の各県にある、設置されたスタンプを、200円で売られているスタンプブックに収集。「東西に長く、半年ですべての駅を回るのは困難」という声により、2006年から開催期間は1年半になっている。<br />
; [[近畿地方]]<br />
: 期間中、有料スタンプブックにスタンプを押していく。全駅制覇すると、1万円相当の商品を得ることができる。<br />
; [[中国地方]]<br />
: 8月1日より翌年の8月31日が開催期間で、参加料300円でスタンプラリー帳がもらえる。コースとして「チャレンジ全」スタンプラリーとして全駅のスタンプをあつめるものと、「チャレンジ10」スタンプラリーとして各県1ヶ所以上で10駅をめぐるものがある。<br />
; [[四国地方]]<br />
: '''スタンプラリー2013〜2014'''は、7月20日より翌年の7月19日が開催期間で上期と下期がある、スタンプブックは事務局ウェブサイトよりダウンロードして印刷する。努力賞はスタンプ15個以上、駅長賞はスタンプ30個以上、敢闘賞はスタンプ50個以上となっている。完全走破をすれば、「完全走破認定証」と「完全走破ステッカー」がもらえる。<br />
: 2015年7月20日より、'''スタンプラリー2015~2016'''が開催されている。2017年7月19日までを期間とし、2016年7月19日までを上期、2016年7月20日以降を下期としている。努力賞、駅長賞、敢闘賞の基準は上述の、以前開催された「スタンプラリー2013〜2014」と同様のもの。スタンプブックは前回と同様、事務局ウェブサイトよりダウンロードした上で印刷するか、あるい道の駅で無償頒布されているものを駅係員に申し出て受け取ることで入手できる。完全走破に関しては、上記2期を対象とした「期間限定コース」と、それを過ぎても応募が可能な「ゆったりコース」が存在する。「完全走破認定証」は、どちらのコースでも貰えるが「完全走破ステッカー」は期間限定コースでの走破を行わねば貰うことが出来ない。また「スタンプラリー2015~2016」開催期間中に新設された道の駅([[道の駅よって西土佐]]、2016年4月1日に開駅)に関しては努力賞・駅長賞・敢闘賞における参加駅としてのカウントには含まれる(スタンプブックに新規開設駅に対応するための専用枠を設定してあるページが存在する)が、完全走破コースのカウントには含まれず、途中開設新駅を完全走破に含めるか否かに関しては参加者個々の判断に委ねられている。<br />
; [[九州地方]]・[[沖縄県]]<br />
: スタンプラリー2014は、チャレンジシートに道の駅のスタンプを5個押し、道の駅の買い物レシート1枚(150円以上)を貼り付けて道の駅の投函箱に入れる。<br />
<br />
== 日本国外の道の駅 ==<br />
日本政府は途上国支援の一環として、道の駅の普及を支援している。1990年代後半に[[国際協力銀行]](JBIC)が[[タイ王国|タイ]]で整備を手掛けた。その後は[[国際協力機構]](JICA)が引き継ぎ、[[アルメニア]]や[[インドネシア]]、[[ベトナム]]などで開設された。最近では中南米諸国などから道の駅運営ノウハウを学ぶ研修者を受け入れている<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGKKZO26517320V00C18A2CR0000/ 道の駅、海越え世界へ JICAがノウハウ輸出]『日本経済新聞』夕刊2018年2月5日(社会面)</ref>。<br />
<br />
道の駅が途上国の地方振興にもたらす効果に注目した[[世界銀行]]は、「MICHINOEKI (Roadside Station)」設置の手引書を2004年7月に作成した<ref>{{Cite web|url=http://go.worldbank.org/5MO99F1GO0|title=Roads & Highways - Guidelines for Roadside Stations|accessdate=2012-11-20}}</ref>。日本の道の駅同様の機能のほか、防災機能も兼備、病院も併設。[[中華人民共和国|中国]][[安徽省]]宏村鎮では[[竹細工]]などの加工施設も設置して観光型の経営が成立するか調査。タイでは日本同様に[[一村一品運動]]も行っている。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
* {{Cite book |和書 |author=浅井建爾 |edition= 初版|date=2001-11-10 |title=道と路がわかる辞典 |publisher=[[日本実業出版社]] |isbn=4-534-03315-X |ref=harv|pages=148-149}}<br />
* {{Cite book |和書 |author=浅井建爾 |edition= 初版|date=2015-10-10 |title=日本の道路がわかる辞典 |publisher=[[日本実業出版社]] |isbn=978-4-534-05318-3 |ref=harv}}<br />
* 関満博、酒本宏 編『道の駅 地域産業振興と交流の拠点』、新評論、2011年。<br />
* {{Cite book |和書 |author=ロム・インターナショナル(編) |date=2005-02-01 |title=道路地図 びっくり!博学知識 |publisher=[[河出書房新社]] |series=KAWADE夢文庫|isbn=4-309-49566-4|ref=harv}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
{{Commonscat||日本の道の駅}}<br />
{{Multimedia|道の駅の画像}}<br />
{{ウィキプロジェクトリンク|道の駅|[[File:P highway.svg|34px]]}}<br />
* [[道の駅一覧]]<br />
* [[ハイウェイオアシス]]<br />
* [[サービスエリア]]・[[パーキングエリア]]<br />
* [[ドライブイン]]<br />
* [[農産物直売所]]<br />
* [[入場券#道の駅記念きっぷ|道の駅記念きっぷ]]<br />
* [[STATION BREAK 〜道の駅から〜]]<br />
* [[道の駅ラジオ]]<br />
* [[まちの駅]](類似する施設だが、国土交通省は関与せずNPO法人が管理運営をする)<br />
* [[トラックステーション]]<br />
* [[道の駅駅伝]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.michi-no-eki.jp/ 道の駅 公式ホームページ 全国「道の駅」連絡会]<br />
* [http://www.mlit.go.jp/road/Michi-no-Eki/index.html 道の駅案内]([[国土交通省]]道路局)<br />
* 全国各地の道の駅情報公式サイト(国土交通省[[地方整備局]]その他)<br />
** 北海道 - [http://www.hokkaido-michinoeki.jp/ 北海道地区「道の駅」連絡会の公式サイト「北の道の駅」]<br />
** 東北 - [http://www.thr.mlit.go.jp/road/koutsu/Michi-no-Eki/thk-index.html 東北の道の駅]<br />
** 関東 - [http://www.ktr.mlit.go.jp/honkyoku/road/eki/ 関東「道の駅」]<br />
** 中部 - [http://www.cbr.mlit.go.jp/michinoeki/ 中部の「道の駅」]<br />
** 北陸 - [http://www.hrr.mlit.go.jp/road/miti_eki/ 北陸地方整備局 道路情報サイト]<br />
** 近畿 - [http://www.kkr.mlit.go.jp/road/michi_no_eki/ 道の駅 近畿]<br />
** 中国 - [http://www.cgr.mlit.go.jp/chiki/doyroj/Michi-no-Eki/index.html 行ってみませんか?中国地方の「道の駅」]<br />
** 四国 - [http://www.skr.mlit.go.jp/road/rstation/eki.html 四国の「道の駅」]<br />
** 九州 - [http://www.qsr.mlit.go.jp/n-michi/michi_no_eki/ 九州の道の駅へようこそ]<br />
** 沖縄 - [http://www.road.dc.ogb.go.jp/michieki/ 沖縄ITS 道の駅情報]<br />
* [http://www.michieki.jp/ 道の駅検索]<br />
* [http://www.michi-club.jp/ 未知倶楽部]<br />
<br />
{{日本の高速道路}}<br />
{{Normdaten}}<br />
{{DEFAULTSORT:みちのえき}}<br />
[[Category:道路|みちのえき]]<br />
[[Category:日本の道路|みちのえき]]<br />
[[Category:道の駅|*]]<br />
[[Category:日本の外食産業]]<br />
[[Category:日本の商業施設]]<br />
[[Category:国土交通省]]</div>
14.3.213.233
エアバスA321
2018-07-14T15:38:41Z
<p>14.3.213.233: 2016年から受領開始されています</p>
<hr />
<div>{{Pathnav|エアバスA320|frame=1}}<br />
{{ Infobox 航空機<br />
| 名称=エアバスA321<br/>{{lang|en|Airbus A321}}<br />
| 画像=ファイル:Swiss.a321-112.hb-ioh.750pix.jpg<br />
| キャプション=[[スイス インターナショナル エアラインズ]] エアバスA321<br />
| 用途=[[旅客機]]<br />
| 分類=[[ナローボディ機|ナローボディ]]民間旅客機<br />
| 設計者=<br />
| 製造者=[[エアバス]]<br />
| 運用者 more=<br /><br />
**[[ANA]]<br />
**[[エールフランス]]<br />
**[[ルフトハンザドイツ航空]]<br />
**[[アリタリア-イタリア航空]]<br />
**[[フィンランド航空]]<br />
**[[アエロフロート・ロシア航空]]<br />
**[[中国国際航空]]<br />
**[[中国南方航空]]<br />
**[[アシアナ航空]]<br />
**[[香港ドラゴン航空]]<br />
**[[ベトナム航空]]<br />
**[[USエアウェイズ]]<br />
**[[ターキッシュ エアラインズ]]<br />
**[[カタール航空]]<br />
{{Indent|など}}<br />
| 初飛行年月日=[[1993年]][[3月11日]]<br />
| 生産数=908機(2014年3月時点)<br />
| 生産開始年月日=<br />
| 運用開始年月日=<br />
| 退役年月日=<br />
| 運用状況=運用中<br />
| ユニットコスト=<br />
}}<br />
[[ファイル:Onur A321 TC-ONJ.jpg|thumb|250px|Onur Air A321-100型機]]<br />
'''エアバスA321'''('''Airbus A321''')は、[[エアバス|エアバス社]]が開発した、[[ナローボディ機|ナローボディ]]の[[ジェット機|ジェット]][[旅客機]]。[[エアバスA320]]のストレッチ型(長胴型)で、A320ファミリーでは最も大型の機種である。<br />
<br />
<br />
== 概要 ==<br />
[[ファイル:Airbus A321-211 Finnair OH-LZC.jpg|thumb|right|250px|フィンエアー A321-200]]<br />
<br />
=== A321ceo ===<br />
{{See also|エアバスA320#A321}}<br />
エアバス社では、A320について開発当初からファミリー化を計画していた。[[1989年]]5月、最初の派生機種となるA321の計画を発表、同年11月に開発が正式決定した。胴体をA320より[[主翼]]の前後で合計6.94m延長し、[[非常口|緊急脱出口]]の大型化と再配置、機体および装置類の強化、[[ジェットエンジン|エンジン]]の推力増加などを行っている。1993年3月に初飛行、1994年2月に[[ルフトハンザドイツ航空]]へ初めて引き渡された。1995年には燃料タンクを追加して航続距離を延長するなどの改良をしたA321-200が開発されている。<br />
<br />
[[フィンランド航空]]が、運航中の[[ボーイング757#757-200|ボーイング757-200]]の後継機として、[[2010年]]6月にA321-200を追加発注した<ref>{{cite web|url=https://newsclient.omxgroup.com/cdsPublic/viewDisclosure.action?disclosureId=522117&lang=en|title=Finnair makes green choice with new engine supplier IAE selected to equip Airbus A321 extended range aircraft joining fleet in 2013|accessdate=2014-03-29|date=2012-09-20|publisher=フィンランド航空}}</ref>。[[2013年]]9月より導入する機体には、主翼端に[[ウィングレット|シャークレット]](Sharklets)が装備され<ref>{{cite web|url=http://www.airliners.de/wirtschaft/bestellungenundauslieferungen/finnair-will-a321-mit-sharklets-bestellen/21363|title=Finnair will A321 mit Sharklets bestellen |accessdate=2014-03-29|date=2010-06-10|publisher=airliners.de}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.flightglobal.com/news/articles/finnair-to-launch-sharklet-equipped-a321-343108/|title=Finnair to launch sharklet-equipped A321|accessdate=2014-03-29|date=2010-06-10|publisher=Flightglobal}}</ref>、これが初めてのシャークレット装備A321となった<ref>{{cite web|url=http://www.airbus.com/presscentre/pressreleases/press-release-detail/detail/finnair-first-to-commit-to-a321s-with-sharklets/|title=Finnair first to commit to A321s with Sharklets|accessdate=2014-03-29|date=2010-06-10|publisher=エアバス}}</ref>。なお、シャークレットは後付けにも対応している<ref>{{cite web|url=http://flyteam.jp/news/article/29623|title=ターキッシュ エアラインズ、A321にシャークレット後付け作業を実施|accessdate=2014-03-28|date=2013-12-6|publisher=FlyTeam}}</ref>。<!-- この部分一旦非掲載としておきます。搭載エンジンは、[[インターナショナル・エアロ・エンジンズ]](IAE)社製[[V2500 (エンジン)|V2533-A5エンジン]]を選定した[https://newsclient.omxgroup.com/cdsPublic/viewDisclosure.action?disclosureId=522117&lang=en]。 --><br />
<br />
A321neo(後述)が開発されたことにより、現行型のA321は'''A321ceo (current engine option) '''と呼ばれるようになった。<br />
<br />
=== A321neo ===<br />
{{See also|エアバスA320neo}}<br />
ベースとなるA320と同様に、エンジンを[[CFMインターナショナル]]社製[[CFMインターナショナル LEAP|LEAP-X]]エンジン、または[[プラット・アンド・ホイットニー]]社製[[プラット・アンド・ホイットニー PW1000G|PW1100G]]の高バイパスエンジンへ変更した燃費改良モデルの開発が発表され、2011年8月、[[インターナショナル・リース・ファイナンス]] (ILFC) が最初の顧客として25機を発注することを発表した<ref>{{cite web|url=http://www.airbus.com/newsevents/news-events-single/detail/ilfc-selects-100-a320neo-family-aircraft/|title=ILFC selects 100 A320neo Family aircraft|accessdate=2014-03-28|date=2011-03-08|publisher=エアバス}}</ref>。<br />
シャークレットは標準装備とされ、非常口ドアの追加などで、最大客席数を220席から236席に増やせるオプションも提供される<ref>{{cite web|url=http://response.jp/article/2013/01/31/189996.html|title=エアバス、A321neoに客室スペースの効率化で座席数を増やせるオプションを追加|accessdate=2014-03-28|date=2013-01-31|publisher=レスポンス}}</ref>。2016年末から顧客への量産機の引き渡しが始まっている<ref>{{cite web|url=http://news.mynavi.jp/news/2016/02/17/238/|title=エアバス、最新旅客機「A321neo」の初飛行に成功 - 今年末に納入開始予定|accessdate=2016-05-28}}</ref>。<br />
客室スペースを最適化し、出口制限に変更を加え、新しい客室ドアを設置することで旅客定員を240名まで増やした型を「A321neo ACF (Airbus Cabin Flex) 」とした<ref>[http://www.aviationwire.jp/archives/138509 エアバス、客室ゆったりのA321neo初号機ロールアウト オプション設定機]</ref>。<br />
<br />
=== A321LR ===<br />
[[2015年]]1月には、A321neoをベースに最大離陸重量を97トンに引き上げ、航続距離を約7,400kmに延長。[[ボーイング757]]の更新需要に対応したA321neo LRの開発も発表されている<ref>{{cite web|url=http://flyteam.jp/news/article/45099|title=エアバス、A321LRをローンチ ALCから30機を受注|accessdate=2015-02-01|date=2015-01-13|publisher=フライチーム}}</ref>。2018年1月8日ロールアウト、同月31日初飛行。<br />
<br />
=== 型式一覧 ===<br />
{|class="wikitable sortable" style="text-align:center;font-size:80%;"<br />
!機種!!認定日!!エンジン<ref>{{cite web |url=http://easa.europa.eu/certification/type-certificates/docs/aircraft/EASA-TCDS-A.064_AIRBUS_A318,_A319,_A320,_A321_Single_Aisle-10-21122012.pdf |title=EASA TYPE-CERTIFICATE DATA SHEET Airbus A318, A319, A320, A321 Single Aisle |work=EASA |date= 21 December 2012 |format=PDF |accessdate= 1 January 2013}}</ref><br />
|-<br />
| A321-111 || 1995年5月27日 || CFM International CFM56|CFM56-5B1 または 5B1/P または 5B1/2P<br />
|-<br />
| A321-112 || 1995年2月15日 || CFM International CFM56|CFM56-5B2 または 5B2/P<br />
|-<br />
| A321-131 || 1993年12月17日 || International Aero Engines V2500|IAE Model V2530-A5<br />
|-<br />
| A321-211 || 1997年5月20日 || CFM International CFM56|CFM56-5B3 または 5B3/P または 5B3/2P<br />
|-<br />
| A321-212 || 2001年8月31日 || CFM International CFM56|CFM56-5B1 または 5B1/P または 5B1/2P<br />
|-<br />
| A321-213 || 2001年8月31日 || CFM International CFM56|CFM56-5B2 または 5B2/P<br />
|-<br />
| A321-231 || 1997年5月20日 || International Aero Engines V2500|IAE Model V2533-A5<br />
|-<br />
| A321-232 || 2001年8月31日 || International Aero Engines V2500|IAE Model V2530-A5<br />
|-<br />
| A321-251N || 2016年5月31日 || CFM International LEAP|LEAP-1A32<br />
|-<br />
| A321-252N || || CFM International LEAP|LEAP-1A30<br />
|-<br />
| A321-253N || 2017年3月3日 || CFM International LEAP|LEAP-1A33/35A<br />
|-<br />
| A321-253NX || 試験中 || CFM International LEAP|LEAP-1A32<br />
|-<br />
| A321-271N || 2016年12月15日 || Pratt & Whitney PW1100G|PW1133G<br />
|-<br />
| A321-272N || || Pratt & Whitney PW1100G|PW1132G<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
== 運航状況 ==<br />
世界各国で使われており、一般的なフルサービスキャリアから[[格安航空会社]]までさまざまである。アジアの航空会社を中心に、日本路線にA321を投入しているところもある。また[[アメリカン航空]]では、[[ファーストクラス]]および[[ビジネスクラス]]にフルフラットシートを装備した、世界唯一となる3クラス制のA321を[[ジョン・F・ケネディ国際空港|ニューヨーク]]と[[サンフランシスコ国際空港|サンフランシスコ]]・[[ロサンゼルス国際空港|ロサンゼルス]]を結ぶ路線に投入している<ref>{{cite web|url=http://www.americanairlines.jp/intl/jp/aboutUs/newPlanes.jsp|title=最新機材の導入により、さらなる発展を 全てのクラスで体験できる、最新の機内サービス|accessdate=2014-03-28|publisher=アメリカン航空}}</ref>。<br />
<br />
=== 日本国内での運用状況 ===<br />
[[ファイル:NH A321-131 JA102A.jpg|thumb|250px|ANA「A321-100 日本の風景」特別塗装機]]<br />
[[ファイル:ANA A321-200 (JA111A).jpg|thumb|250px|ANA A321-200]]<br />
日本では[[全日本空輸]] (ANA) により1998年3月から導入が開始され、同年4月11日より運航開始<ref name="ANAA321運航開始">{{cite web|url=http://www.ana.co.jp/pr/980406-J/980409_1.html|title=全日空、エアバスA321の運航を開始 〜4月11日に日本の空へデビューします〜|accessdate=2014-04-05|date=1998-04-09|publisher=全日本空輸}}</ref>。2000年6月にかけて最大で7機がリースで導入され<ref name="ANAA321neo導入">{{cite web|url=http://flyteam.jp/news/article/33458|title=ANA、2008年以来のA321を導入へ エンジン換装型A321neoを32機|accessdate=2014-03-29|date=2012-03-28|publisher=フライチーム}}</ref>、運航されていた。すでに導入していた[[A320]]と異なり、客席上部に日本の航空会社の中小型機材としては初めて、客室内に[[液晶ディスプレイ|液晶モニター]]を設置。8席の[[スーパーシート]]を含む191席配置であった。最初の2機は同社の設立45周年(1997年)を記念した特別塗装機「日本の風景」(ANA・[[エアーニッポン]]就航地22か所の風景写真を[[リバーサルフィルム|ポジフィルム]]風に掲載<ref>{{cite web|url=http://www.ana.co.jp/pr/971012-J/971204.html|title="A321" と "B777-300"を特別塗装で導入 〜 全日空の新機種がカラフルにデビューします 〜|accessdate=2014-4-5|date=1997-12-4|publisher=全日本空輸}}</ref>)として登場するなど、当初は国内亜幹線の主力機として期待されていた。<br />
<br />
しかし、同社の方針が変更され、2000年にスーパーシートが廃止されてからは存在が中途半端となり(普通席195席仕様<ref name="ANAA321退役">{{cite web|url=http://www.ana.co.jp/pr/07-1012/07-148.html|title=ありがとう、エアバスA321型機 〜2月29日(金)エアバスA321が函館→羽田線を最後に退役いたします〜|accessdate=2014-04-05|date=2007-12-27|publisher=全日本空輸}}</ref>)、A320と[[ジェットエンジン|エンジン]]が異なり保守コストがかかること(A320は[[CFMインターナショナル_CFM56|CFM56]]、A321(1998年 - 2000年導入A321-100)は[[インターナショナル・エアロ・エンジンズ|IAE]] [[V2500_(エンジン)|V2500]])や胴体長が長く重心を取りづらいなど使い勝手が悪い中途半端な機材という理由で、[[ボーイング777#777-300.EF.BC.88773A.EF.BC.89|ボーイング777-300]]よりも後に就航したにもかかわらず全機を早期退役させることが決定、当初は2003年度末の予定とされた<ref>{{cite web|url=http://www.ana.co.jp/pr/01-0103/01-021.html|title=中期経営計画におけるグループ機材計画の修正ならびに人事・組織体制の刷新について|accessdate=2014-4-5|date=2001-03-28|publisher=全日本空輸}}</ref>。ANAロゴに変更されることなく、全機「全日空 All Nippon Airways」ロゴのまま退役となった。退役は計画より遅れたものの段階的に進み、2008年2月29日の863便(羽田→函館)・864便([[函館空港|函館]]19:00発→[[東京国際空港|羽田]]20:25着)を最後に営業運航を終了した<ref name="ANAA321退役"></ref>。なお、同日午前に[[鳥取空港|鳥取]]発→羽田行の294便(A320)が機材故障で運休となったため、863便の前に急遽羽田発→鳥取行の295便として運航し、294便の振替を兼ねて復路296便として運航した。羽田-鳥取線は初便の就航路線であった<ref name="ANAA321運航開始"></ref>。これにより全日本空輸におけるA321の運航は一旦終了した。<br />
<br />
その後、2010年代になり、A320ファミリーはエンジンをさらなる高性能エンジンに変更し経済性をあげたneo型が開発され(以降、従来型はceo、改良型はneo表記)、ANAは先代A321-100引退から約6年が経過した2014年3月27日、2017年度からA321neoを23機導入すると発表した<ref>{{cite web|url=http://www.aviationwire.jp/archives/34148|title=ANA、777-9XとA321neoなど70機発注 過去最大の投資規模|accessdate=2014-03-28|date=2012-03-27|publisher=Aviation Wire}}</ref><ref>{{cite web|url=http://v4.eir-parts.net/v4Contents/View.aspx?cat=tdnet&sid=1135551|title=固定資産(航空機)の取得に関するお知らせ|accessdate=2015-01-30|date=2014-03-27|publisher=全日本空輸}}</ref>。さらに2015年1月30日にはA321ceoを4機、A321neoを3機追加発注することを発表し、2015年4月にはエアバスと正式契約を結んだ<ref>{{cite web|url=http://www.airbusjapan.com/single-jp/detail/anaa3217/|title=A320ファミリーの機体数が日本でさらに拡大|accessdate=2015-01-30|date=2015-01-30|publisher=エアバス}}</ref><ref>{{cite press release|url=http://www.anahd.co.jp/pr/201501/pdf-3/20150130-3-1.pdf|title=固定資産(航空機)の取得に関するお知らせ|format=PDF|accessdate=2015-01-30|date=2015-01-30|publisher=ANAホールディングス}}</ref>。これによりA321ceoは4機、A321neoは26機発注することとなった。2018年になってA321neo4機が同時期に発注されたA320neo4機へ変更されたことが確認された。<br />
<br />
A321ceo(2016年度導入A321-200)は前回(1998年 - 2000年導入A321-100)と異なり、シャークレット装備で搭載され、エンジンはANA運用中のA320ceoと同一のCFM56である。座席数は8席の[[プレミアムクラス]]を含む194席でエアバスがA320ファミリー用の新しい客室レイアウトで提供している「スペース・フレックス」を国内初採用した機体<ref>[http://www.aviationwire.jp/archives/103538 ANA、A321ceo初号機が羽田到着 上級クラスに電動新シート]</ref>となる。A320neo・A321neoのエンジンは[[IHI]]、[[三菱重工業]]、[[川崎重工業]]なども開発に参画する[[プラット・アンド・ホイットニー|PW]][[プラット・アンド・ホイットニー PW1000G|1100G-JM]]を搭載<ref name="ANAA321neo導入"></ref>。ANAはA321ceo・[[A320neo]]は2016年度、A321neoは2017年度から就航となるため、neo納入後ceo同士・neo同士では同一のエンジンが導入されるがceoとneoでは違うエンジンのため、整備効率などが悪いが、ANAで購入後にリース会社へ一度売却の上リース契約を結ぶ「セール・アンド・リースバック」で導入していて、A321ceoはA321neo導入までのつなぎとして発注した機材のため、長期運用することを前提としていないが、リース機のため柔軟な運用が可能で[[2020年]]に開催される[[2020年夏季オリンピック|東京オリンピック]]に伴い予想される国内線旅客増加に対応することが可能となる<ref>{{cite web|url=http://www.aviationwire.jp/archives/54244|title=ANA、787-10など15機発注へ|accessdate=2015-01-31|date=2015-01-30|publisher=Aviation Wire}}</ref>。<br />
<br />
2016年10月31日未明、ANAはドイツ・ハンブルク工場製A321-200ceoを途中3カ所経由し羽田に到着受領、当初、11月15日から[[東京国際空港|羽田]]/[[広島空港|広島]]/羽田/[[高松空港|高松]]/羽田/[[鹿児島空港|鹿児島]]/羽田で運航予定だったが、11月12日に前日に発生したA320ceoトラブルにより、急遽代替機材として羽田/[[宮崎空港|宮崎]]/羽田/高松/羽田/[[関西国際空港|関空]]/羽田で就航開始した<ref>[http://flyteam.jp/airline/ana/news/article/71540 ANA、A321の「JA111A」を11月12日に定期便で運航開始 3路線に投入]</ref>。2017年9月8日、ANAはA321neoの最初の一機(JA131A)を途中2カ所経由で受領し<ref>[https://www.ana.co.jp/group/pr/201709 /20170907.html 国内線仕様機としてはANA初、全席シートモニター装着のA321neo導入](ANA NEWS 2017年9月7日)</ref>、12日の羽田-熊本線から国内線に就航させた。前年に投入されたA321ceoと違い、A321neoでは普通席にも個人用モニタを装備している<ref>[http://www.aviationwire.jp/archives/129064 ANA、A321neo国内初就航 電源と個人モニター装備]([[Aviation Wire]] 2017年9月12日)</ref>。<br />
<br />
== 機体仕様 ==<br />
(仕様による差異あり)<ref>[http://www.airbus.com/content/dam/corporate-topics/publications/backgrounders/techdata/aircraft_characteristics/Airbus-Commercial-Aircraft-AC-A321-May-2017.pdf Airport and Maintenance Planning AC A321 / A321neo May 2017]</ref><br />
<!--エアバス公式サイトのスペック集 http://www.airbus.com/aircraftfamilies/passengeraircraft/a320family/a321/specifications/ も参照しました--><br />
<br />
{| class="wikitable" style="text-align:center;font-size:80%;"<br />
!!!A321ceo!!A321neo!!A321LR<br />
|-<br />
!全長<br />
|colspan="3"|44.51 m<br />
|-<br />
!全幅<br />
|colspan="3"|34.10 m<br>(シャークレット装備機は35.80m)<br />
|-<br />
!全高<br />
|colspan="3"|11.76 m<br />
|-<br />
!胴体幅<br />
|colspan="3"|外部3.96 m/ 内部 3.70 m<br />
|-<br />
!最大離陸重量<br />
|78~93.5 t<br />
|80~93.5 t<br />
|97 t(計画値)<br />
|-<br />
!乗客座席定員<br />
|220 (1-class, 最大) <br/> 199 (1-class, 標準) <br/>185 (2-class, 標準)<br />
|206 (2-class, 標準)<br />
|240 (1-class, 最大)<br />
|-<br />
!貨物 (コンテナ)<br />
|colspan="2"|LD-3-46/46Wx10<br />
|燃料タンク増設による変更見込み<br />
|-<br />
!貨物 (バラ積み)<br />
|colspan="2"|51.73 [[立方メートル|m<sup>3</sup>]]<br />
|未定<br />
|-<br />
!エンジン<br />
|[[CFM56|CFM 56-5B]] <br/>[[V2500|IAE V2530]]<br />
|colspan="2"|[[CFMインターナショナル LEAP|CFM LEAP-1A]]<br>[[プラット・アンド・ホイットニー PW1000G|PW1130G]]<br />
|-<br />
!エンジン推力<br />
|{{convert|133|-|147|kN|abbr=on}}<br />
|{{convert|143.1|-|147.3|kN|abbr=on}}<br />
|未発表<br />
|-<br />
!巡航速度<br />
|colspan="3"|Mach 0.82<br />
|-<br />
!航続距離<br />
|{{convert|3200|nmi|abbr=on}}<br />
|{{convert|3500|nmi|abbr=on}}<br />
|{{convert|4000|nmi|abbr=on}}<br>(計画値)<br />
|-<br />
!離陸滑走距離<br />
|1,650m<br />
|1,988m<br />
|試験中<br />
|-<br />
!着陸滑走距離<br />
|1,550m<br />
|<br />
|試験中<br />
|}<br />
<br />
:A321-200<br />
* 基本座席数:185席前後(2クラス制)、最大220席(1クラス制)<br />
* 全長:44.51m<br />
* 全幅:35.8m(シャークレット装備機)<br />
* 全高:11.76m<br />
* 胴体直径:3.95m<br />
* 最大客室幅:3.70m<br />
* [[最大離陸重量]]:89.0t<br />
* 最大燃料容量:23,700l<br />
* 基本空虚重量:47.7t<br />
* エンジン:[[CFMインターナショナル|CFM]]56-5/[[IAE]] V2500<br />
* エンジン推力:30,000 - 33,000lb<br />
* 最大巡航速度:約[[マッハ]]0.82<br />
* 航続距離:4,350km前後(最大5,600km/シャークレット装備機は最大5,950km)<br />
* [[貨物]]:バルク(バラ積み)51.76[[立方メートル|m<sup>3</sup>]],コンテナLD-3-46/46Wx10<br />
<br />
== 事故 ==<br />
* [[全日空391便函館空港着陸失敗事故]]<br />
* [[エアブルー202便墜落事故]]<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
<br />
=== 出典 ===<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[エアバスA320]] - 標準モデル<br />
* [[エアバスA319]] - 胴体短縮モデル<br />
* [[エアバスA318]] - A319の胴体をさらに短縮したモデル<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.airbus.com/ エアバス社ホームページ(英語版)]<br />
* [http://www.airbus.com/aircraftfamilies/passengeraircraft/a320family/a321/ A321紹介ページ(英語版)]<br />
* [http://www.airbusjapan.com/aircraft-families-jp/passengeraircraftjp/a320jp/ エアバスジャパン・A320ファミリー]<br />
<br />
{{commons&cat|Airbus A321|Airbus A321}}<br />
{{Airbus aircraft}}<br />
{{Airbus A3xx timeline}}<br />
{{aviation-stub}}<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:えあはすA321}}<br />
[[Category:エアバスの旅客機]]</div>
14.3.213.233
Warning : Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46