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miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja]
2024-05-04T14:54:39Z
利用者の投稿記録
MediaWiki 1.31.0
クリスティーズ
2017-09-16T12:00:25Z
<p>14.193.192.41: </p>
<hr />
<div>[[Image:Christie's Auction Room Microcosm edited.jpg|thumb|300px|クリスティーズの競売場。ロンドン、1808年頃。]]<br />
'''クリスティーズ'''({{lang-en|Christie's}})は、世界中で知られているオークションハウス(競売会社)。[[1766年]][[12月5日]]、[[美術商]]の{{仮リンク|ジェームズ・クリスティー (競売人)|en|James Christie (auctioneer)|label=ジェームズ・クリスティー}}により、[[イギリス]]の[[首都]][[ロンドン]]に設立された。クリスティーズは第一級のオークションハウスとして創立後すぐに名声を確立し、ロンドンが[[フランス革命]]後の国際的な美術品貿易の新しい中心地となったことに乗じて成長した。<br />
<br />
クリスティーズはかつては公開会社であり、[[1973年]]から[[1999年]]まで、[[ロンドン証券取引所]]に上場していた。1999年、[[PPR]](現;[[ケリング]])会長{{仮リンク|フランソワ・アンリ・ピノー|fr|François-Henri Pinault|en|François-Henri Pinault}}の所有する投資会社によって買収された。クリスティーズは長年のライバル社である[[サザビーズ]]と比べ、より大きな市場占有率を幾年にも亘って保持してきており、収益からみるとクリスティーズ社は現在、世界で最も規模の大きいオークションハウスである。<br />
<br />
== 位置 ==<br />
クリスティーズの中心となるロンドン競売場は、[[1823年]]より[[シティ・オブ・ウェストミンスター]]のセント・ジェームズ地区、キング・ストリートに位置する。また[[1975年]]にはロンドンのサウス・ケンジントンに2番目となる競売場を設立し、初期の頃は[[カメラ]]、[[テディベア]]、科学系統の器具、玩具、人形などの収集品を扱っていた。このサウス・ケンジントン競売場は、現在世界でも最も活発な競売場の一つである。クリスティーズは[[ニューヨーク]]、[[ロサンゼルス]]、[[パリ]]、[[ジュネーヴ]]、[[アムステルダム]]、[[ローマ]]、[[ミラノ]]、[[オーストラリア]]([[2006年]][[4月]]に閉鎖)、[[香港]]、[[シンガポール]]、[[バンコク]]と、世界中にオークションハウスを持つ。<br />
<br />
== 著名なオークション ==<br />
近年、クリスティーズは[[パブロ・ピカソ]]、[[レンブラント・ファン・レイン|レンブラント]]、[[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ妃]]、[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]、[[フィンセント・ファン・ゴッホ]]、[[ナポレオン・ボナパルト]]、[[マリリン・モンロー]]ほか、歴史上の人物に関連した芸術品や個人の財産を競売にかけている。[[1998年]]には、ニューヨークにあるクリスティーズ競売場で、所有権をめぐる訴訟が終結した後、著名な{{仮リンク|アルキメデスのパリンプセスト|el|Παλίμψηστο του Αρχιμήδη|en|Archimedes Palimpsest}}が落札された。<br />
<br />
[[2006年]][[10月]]、クリスティーズは[[CBS]]パラマウント・テレビジョンのスタジオより、正規[[スタートレック]]シリーズのアイテム1000点を競売にかけた。[[新スタートレック]]と[[スタートレック ジェネレーションズ]]で実際に使用されている、「U.S.S.エンタープライズ NCC-1701-D」の模型は57万6千ドルで落札された。出品された品目と落札価格のリストは、メモリー・アルファウェブサイト<ref>[http://memory-alpha.org/en/wiki/40_Years_of_Star_Trek:_The_Collection 40 Years of Star Trek: The Collection - Memory Alpha, the Star Trek Wiki - Wikia]{{en icon}}</ref>を参照。<br />
<br />
[[2008年]]3月に[[運慶]]作と推定される木造[[大日如来]]坐像が1280万ドル(約12億8000万円)で落札され、日本国内で話題となった。<br />
<br />
また[[1995年]]にクリスティーズは、[[中国]]・[[北京市|北京]]で芸術作品を陳列した、最初の国際オークションハウスとなった。<br />
<br />
== 価格操作騒動 ==<br />
[[2000年]]、クリスティーズともう一つの一流オークションハウスである[[サザビーズ]]との間で、価格操作の取り決めが行われていたという疑惑が浮上した。その後クリスティーズとサザビーズ双方の幹部は、コミッション価格の操作を共謀していたことを認めた。クリスティーズは長期勤務していた従業員の一人が事実を告白し、アメリカ[[連邦捜査局]]に捜査協力をした後、刑事訴追を免れた。<br />
<br />
その後まもなくしてサザビーズ最高幹部の多くが解雇され、その当時サザビーズの大株主であったA・アルフレッド・タウマンが大部分の責任を負った。<br />
<br />
== 事業内容 ==<br />
クリスティーズは[[大学院]]修士課程のディプロマ・学位レベルまで、教科コースを直接運営している世界でも唯一のオークションハウスである。[[1978年]]に設立された「クリスティーズ・エデュケーション」は、ロンドン、ニューヨーク、パリに拠点を置き、美術への関心と職業的訓練を身につけたいと熱烈に願う人々へ、美術・装飾美術分野の広範囲に亘ったコースを提供する、唯一の国際機関である。従来からある芸術教育課程とクリスティーズの教育とが区別される点は、対象に基礎を置いたその学習への信条にあり、これは好奇心と思考の独立を奨励するものである。クリスティーズ・エデュケーションの同窓生は、主要なオークションハウスでの専門家、[[学芸員]]、[[美術商]]または[[美術評論家]]、美術品保険会社、出版会社、市場取引や美術品管理など、世界中の美術分野の第一線で活躍している。<br />
<br />
またクリスティーズ・イメージズはオークションハウスの写真図書館であり、世界中にあるクリスティーズの競売場で落札された品々を表した、数百万点に上る美術品・装飾美術の写真を収蔵している。図書館はニューヨークとロンドンにオフィスを構えており、写真は複製に利用できる。<br />
<br />
== エピソード ==<br />
ニューヨークにある競売場、クリスティーズ・ニューヨークの看板は、映画『[[恋愛適齢期]]』の製作中、登場する建物外観の撮影シーン用に脚本家[[ナンシー・メイヤーズ]]によって作られたものである。クリスティーズ側がこの看板を大変気に入り、映画の製作終了後もそのままにしておいてほしいと求めたため、現在も[[ロックフェラーセンター]]の玄関に残っている。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[eBay]]<br />
* [[サザビーズ]]<br />
* [[競売]]<br />
* {{仮リンク|オークション・カタログ|en|Auction catalog}}<br />
<br />
== 脚注・参照 ==<br />
<references /><br />
<br />
== 参考 ==<br />
以下は翻訳元([[w:en:Christie's]])からの出典項目・リンクである。<br />
* [http://www.forbes.com/2001/11/14/1114players.html フォーブス.com A・アルフレッド・タウマンと価格操作関連の記事]{{en icon}}<br />
* [http://www.forbes.com/2001/11/20/1120topnews.html フォーブス.com サザビーズ幹部による証言に関する記事]{{en icon}}<br />
* 映画「恋愛適齢期」DVD メイヤーズと[[ダイアン・キートン]]によるコメントより<br />
* クリストファー・メーソン 『The Art of the Steal』 2004年 ISBN 0-399-15093-5<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
{{Commonscat|Christie's}}<br />
* [http://www.christies.com/ クリスティーズ公式ウェブサイト]〔{{en icon}}以下SNS内公式アカウントも同じ(「新浪微博」を除く)〕<br />
** {{Facebook|Christies|Christie's}}<br />
** {{Twitter|ChristiesInc|Christie's}}<br />
** {{Instagram|christiesinc|CHRISTIE'S}}<br />
** {{YouTube channel|christiesauctions|Christie's}}<br />
** {{Google+|+christies|name=Christie's|page=posts}}<br />
** {{Pinterest|christiesinc|Christie's}}<br />
** {{Weibo|id=christies|name=佳士得国际(CHRISTIE'S)}}{{Zh-smpl icon}}<br />
* [http://www.christies.com/features/welcome/japanese/overview クリスティーズへようこそ(日本語ページ;簡単な概要説明と東京事務所の所在地案内のみ)]<br />
<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:くりすていす}}<br />
[[Category:ロンドンの企業]]<br />
[[Category:競売]]</div>
14.193.192.41
日高見国
2017-09-10T17:16:15Z
<p>14.193.192.41: /* 参考文献 */</p>
<hr />
<div>'''日高見国'''(ひたかみのくに)は、[[日本]]の[[古代]]において、[[大和国|大和]]または[[蝦夷]]の地を美化して用いた語。『[[大祓詞]]』では「大倭日高見国」として大和を指すが、『[[日本書紀]]』景行紀や『[[常陸国風土記]]』では蝦夷の地を指し大和から見た東方の辺境の地域のこと。<br />
<br />
== 解説 ==<br />
『[[釈日本紀]]』は、日高見国が大祓の[[祝詞]]のいう[[神武東征]]以前の[[大和]]であり、『日本書紀』景行紀や『常陸国風土記』での[[ヤマトタケル|日本武尊]]東征時の[[常陸国]]であることについて、[[平安時代]]の[[日本紀講筵]]の「公望[[日本書紀私記|私記]]」を引用し、「四望高遠之地、可謂日高見国歟、指似不可言一処之謂耳(四方を望める高台の地で、汎用性のある語)」としているが、この解釈については古来より様々に論じられている<ref>『国史大事典 11』、919頁</ref><ref>『日本古代史大辞典』、524頁</ref><ref>『日本書紀 巻1([[日本古典文学全集#新編日本古典文学全集|新編日本古典文学全集]] 2)』、364頁 注</ref>。<br />
<br />
例えば、[[津田左右吉]]のように、「実際の地名とは関係ない空想の地で、日の出る方向によった連想からきたもの」とする見方もある<ref>『日本古典の研究 上』、216頁</ref>。[[神話]][[学者]]の[[松村武雄]]は、「日高見」は「日の上」のことであり、大祓の祝詞では[[天孫降臨]]のあった[[日向国]]から見て東にある大和国のことを「日の上の国(日の昇る国)」と呼び、神武東征の後王権が[[ヤマト王権|大和]]に移ったことによって「日高見国」が大和国よりも東の地方を指す語となったものだとしている<ref>『日本神話の研究 1 序説編』、266頁</ref>。また、「日高」を「見る」ということでは異論はなく、「日高」は「日立」(日の出)の意味を持つので、『常陸国風土記』にある[[信太郡]]については、日の出([[鹿島神宮]]の方向)を見る(拝む)地、ということではないかともされ<ref>『日本の神々 神社と聖地 11 関東』、284頁</ref>、旧国名の「常陸」(ヒタチ)は、「日高見道」(ヒタカミミチ)の転訛ともいわれる<ref>『古代地名語源辞典』、263頁</ref>。<br />
<br />
その他様々にいわれているが、いずれにしろ特定の場所を指すものではないということでも異論はなく、ある時の王権の支配する地域の東方、つまり日の出の方向にある国で、[[律令制]]国家の東漸とともにその対象が北方に移動したものと考えられている<ref>『日本歴史大事典 3』、455頁</ref>。[[北上川]]という名前は「日高見」(ヒタカミ)に由来するという説もあり、平安時代には北上川流域を指すようになったともされている<ref>『日本歴史大辞典 8』、193頁</ref>。[[戊辰戦争]]直後には[[北海道 (令制)|北海道11カ国]]制定にともない[[日高国]]が設けられ、現在は[[北海道]][[日高振興局]]にその名をとどめる。<br />
<br />
== 新説 ==<br />
[[金田一京助]]は、「公望私記」が「四望高遠之地」とするのを批判し、「北上川」は「日高見」に由来するという説を唱えている<ref>『金田一京助全集 12 アイヌ文化・民俗学』、426頁</ref>。[[高橋富雄]]は、この「日高見」とは「日の本」のことであり、古代の[[東北地方]]にあった日高見国(つまり日本という国)が大和の国に併合され、「日本」という[[国号]]が奪われたもの、としている<ref>高橋富雄 『古代蝦夷を考える』</ref>。[[歴史書]]などの[[史料]]による裏づけがあるわけではないが、いわゆる[[東北学]]のテーマとして、話題になっている<ref>『高橋富雄東北学論集 地方からの日本学 第1集』</ref>。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
* 国史大辞典編集委員会 『国史大辞典 11』 [[吉川弘文館]] 1990年。ISBN 4-642-00511-0<br />
* [[上田正昭]] 『日本古代史大辞典』 [[大和書房]] 2006年。ISBN 4-479-84065-6<br />
* [[小島憲之]]他 『日本書紀 巻1(新編日本古典文学全集 2)』 [[小学館]] 1994年。ISBN 4-09-658002-3<br />
* 津田左右吉 『日本古典の研究 上』 [[岩波書店]] 1948年。<br />
* 松村武雄 『日本神話の研究 1 序説編』 [[培風館]] 1954年。<br />
* [[谷川健一]] 『日本の神々 神社と聖地 11 関東』 [[白水社]] 1984年。ISBN 4-560-02221-6<br />
* [[楠原佑介]]他 『古代地名語源辞典』 [[東京堂出版]] 1981年。ISBN 4-490-10148-1<br />
* [[永原慶二]] 『日本歴史大事典 3』 小学館 2001年。ISBN 4-09-523003-7<br />
* 日本歴史大辞典編集委員会 『日本歴史大辞典 8』 [[河出書房新社]] 1985年。ISBN 4-309-60908-2<br />
* 『金田一京助全集 12 アイヌ文化・民俗学』 [[三省堂]] 1993年。ISBN 4-385-40812-2<br />
* 高橋富雄 『古代蝦夷を考える』 吉川弘文館 1991年。ISBN 4-642-07292-6<br />
* 『高橋富雄東北学論集 地方からの日本学 第1集』 歴史春秋出版 2003年。ISBN 4-89757-470-6<br />
* 堀江朋子『日高見望景』[[図書新聞]] 2012年。ISBN 4886114474<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:ひたかみのくに}}<br />
[[Category:日本神話]]<br />
[[Category:日本の古代国家]]<br />
[[Category:日本の別名]]<br />
[[Category:東北地方の歴史]]<br />
[[Category:蝦夷]]<br />
{{Japanese-history-stub}}</div>
14.193.192.41
清原武彦
2017-08-02T10:03:31Z
<p>14.193.192.41: </p>
<hr />
<div>'''清原 武彦'''(きよはら たけひこ、[[1937年]][[10月31日]] - )は、[[日本]]のジャーナリスト。[[産業経済新聞社]]元社長、元会長、現相談役。[[フジ・メディア・ホールディングス]]・[[フジテレビジョン]]現取締役。<br />
<br />
== 生い立ち ==<br />
1937年(昭和12年)10月31日、清原邦一(和歌山県出身、戦後6代目検事総長)の次男として東京都で生まれる。第二次世界大戦中、疎開した和歌山県・粉河の長田町小学校に入学、戦後は[[成蹊中学校・高等学校|成蹊中・高校]]を経て1962年(昭和37年)[[慶應義塾大学法学部]]法律学科を卒業。同年、[[産業経済新聞社|産経新聞社]]に入社した。<br />
<br />
== 略歴 ==<br />
'''産経新聞社、編集担当部門にて'''<br />
<br />
[[産業経済新聞社|産経新聞社]]に入社後、東京本社社会部、横浜総局記者を短期間務めた後、1964年から同社社内留学生として2年間、アメリカに留学、聴講生としてミシガン大学で学んだ。1966年帰国後、原部の社会部を経て政治部に転勤、以後、長く政治記者の道を歩む。1981年からワシントン特派員(支局員1年、支局長2年)を務め、帰国後、東京本社政治部長、編集局次長、同局長、取締役論説委員長、常務取締役編集局長、専務取締役編集・正論・論説担当などを歴任した。この間、1978年から3年弱、鹿内信隆社長の時代に秘書室長を務めている。<br />
<br />
'''産経新聞社、経営担当部門にて'''<br />
<br />
1990年、論説委員長として取締役に就任して以来、常務、専務を経て1997年、代表取締役社長に就任した。社長時代には、1998年に訪中して唐家旋外相と会談し、31年間にわたって中国当局によって閉鎖されていた産経新聞社北京支局を再開したこと(再開後は中国総局と名付けられた)、また2002年、全国紙として初めて夕刊(東京本社管内)を廃止したこと、などが社会的な話題になった。夕刊廃止は表向きリストラ目的を掲げていたが、東京本社管内の産経新聞を朝刊単独紙とすることで他の全国紙と1000円の価格差を生み、一挙に20万部の増紙につなげた。ただ、テレビコマーシャルで、漫画のキャラクターに「夕刊なんて要らない」と言わせたことが業界内で問題化され、当時勤めていた新聞協会副会長の座を引責辞任した。2004年に代表取締役会長に就任、2015年に取締役相談役、そして2017年に取締役ポストを離れて相談役に就任した(現任)。当人は27年間にわたった産経新聞社取締役の退任挨拶時に、「常に心掛けていたのは産経の特色である『正論路線』の維持・強化だった」と述べている。<br />
<br />
'''現任社外ポスト'''<br />
<br />
(株)[[フジテレビジョン]]取締役(2005年~)、(株)[[フジ・メディア・ホールディングス|フジメディアホールディングス]]取締役(2008年~フジテレビジョンより2008年に商号変更)、(財)[[日本美術協会]]副会長(2008年~)、(財)彫刻の森芸術文化財団評議員(2012~)、(株)[[時事新報社]]代表取締役社長(2001年~)、(学)[[慶應義塾評議員]](2002~)、(財)[[交詢社]]副理事長(2012~)、(社)慶應倶楽部副会長(2014年~)、(財)慶應連合三田会理事(2013~)、(財)日本ペア囲碁協会理事(1994年~)、(財)[[日本音楽財団]]評議員(1996年~)、(財)ジェスク音楽文化振興会理事(2006年~)、等。<br />
<br />
'''政府関係審議会委員歴'''<br />
<br />
「第8次選挙制度審議会」(1989~91年)、「第3次臨時行政改革推進審議会」(1991~92年)、「外交強化懇談会」(瀬島龍三会長、91年)、「大蔵省の行政の在り方に関する懇談会」(瀬島龍三座長、1998年)、「日本研究・知的交流事業諮問委員会~国際交流基金の諮問会議(2007~12年)」等。<br />
<br />
== 受賞歴 ==<br />
◕ [[旭日大綬章]](2015年11月)<br />
<br />
◕ [[日本棋院]] 第38回大倉喜七郎賞(2009年3月)<br />
<br />
== 趣味・人柄 ==<br />
囲碁(日本棋院7段)、ピアノ演奏(クラシック、ラグタイム)、音楽鑑賞、野球観戦、ゴルフ、海外ミステリ小説耽読。<br />
<br />
交友関係は政財官界の他、音楽界、プロ野球界等。<br />
<br />
=== 関連項目 ===<br />
* [[フジサンケイグループ]]<br />
** [[産経新聞]]<br />
** [[時事新報]]<br />
* [[日本美術協会]]<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
{{産業経済新聞社}}<br />
<br />
{{People-substub}}<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:きよはら たけひこ}}<br />
[[Category:日本の実業家]]<br />
[[Category:産経新聞の人物]]<br />
[[Category:慶應義塾大学出身の人物]]<br />
[[Category:成蹊高等学校出身の人物]]<br />
[[Category:日本国際フォーラムの人物]]<br />
[[Category:東京都出身の人物]]<br />
[[Category:旭日大綬章受章者]]<br />
[[Category:1937年生]]<br />
[[Category:存命人物]]</div>
14.193.192.41
高尚
2017-03-18T01:14:25Z
<p>14.193.192.41: </p>
<hr />
<div>'''高尚'''(こうしょう)は、[[知性]]や[[品格]]が高く[[上品]]なことである。'''高上'''ともいう。<br />
「高尚な趣味」「高尚な議論」などという時に用いる。[[対義語]]は「低俗」「卑俗」「低劣」など。<br />
<br />
== 福澤諭吉の思想 ==<br />
[[福澤諭吉]]は、'''高尚'''を品格ある[[人間]]になることという意味で用い、「[[教育の目的]]」では高尚になることこそが人類にとってこの上なく大きい[[幸福]]につながると考えた。また、『[[文明論之概略]]』においては人間の[[道徳性]]と知性の高まりによって自然と[[精神]]の高尚さも高められるとも考え、物質的な豊かさとともに[[文明]]を形成するとした。<br />
<br />
== 参考資料 ==<br />
* http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h32/<br />
* http://blogs.yahoo.co.jp/hanaotoiida/9534675.html<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:こうしよう}}<br />
[[Category:福澤諭吉]]<br />
[[Category:思想]]<br />
[[Category:価値観]]<br />
{{Philos-stub}}</div>
14.193.192.41
戯作
2017-02-10T08:17:15Z
<p>14.193.192.41: /* 読本 */</p>
<hr />
<div>'''戯作'''(げさく、ぎさく、けさく、きさく)とは、近世後期、[[18世紀]]後半頃から[[江戸]]で興った通俗小説などの読み物の総称。戯れに書かれたものの意。[[明治]]初期まで書かれた。戯作の著者を戯作者という。<br />
<br />
==種類==<br />
戯作は、[[洒落本]]、[[滑稽本]]、[[談義本]]、[[人情本]]、[[読本]]、[[草双紙]]などに大きく分けられる。さらに草双紙は内容や形態によって赤本、黒本、青本、[[黄表紙]]、[[合巻]]に分けられる。<br />
<br />
===洒落本===<br />
[[洒落本]]とは、遊所での遊びの様子を書いたもの。[[山東京伝]]の『傾城買四十八手』などがある。<br />
<br />
===滑稽本===<br />
[[滑稽本]]とは、おかしみのある話。[[式亭三馬]]『[[浮世風呂]]』、[[十返舎一九]]の『[[東海道中膝栗毛]]』などが代表的。<br />
<br />
===談義本===<br />
[[談義本]]とは、滑稽さと教訓を合わせ持っていた、滑稽本のはしり。<br />
<br />
===人情本===<br />
[[人情本]]とは、主に恋愛を描いたもの。[[為永春水]]の『[[春色梅児誉美]]』や『春告鳥』などに代表される。<br />
<br />
===読本===<br />
[[読本]]とは、口絵や[[挿絵]]もあったが、文章中心の読み物であるところから読本と呼ばれた。[[中国文学]]の[[白話小説]]から影響を受けて生まれた。史実に取材することがあっても基本的に[[フィクション]]であり、[[勧善懲悪]]思想などを中心に据えた読み物であった。娯楽性も強いが、[[草双紙]]などと比べ文学性の高いものと認識されており、初期読本は知識人層によって書かれた。印刷技術や稿料制度など[[出版]]の体制が整っていたこともあり多くの読者を獲得したが、発行部数などは草双紙に及ばない。江戸や大坂で[[上田秋成]]、[[曲亭馬琴]]、山東京伝といった作者が活躍した。<br />
<br />
代表的な読本には、秋成の『[[雨月物語]]』や馬琴の『[[南総里見八犬伝]]』などがある。<br />
[[File:Otsuriki Uguisu 02.jpg|thumb|十返舎一九の『[[於都里伎]]』 1810年]]<br />
<br />
===草双紙===<br />
[[草双紙]]とは、絵に仮名で筋書きが書き込まれた物語。絵草紙(絵双紙)または単に[[絵本]]と呼ばれることもあった。子供向けのものが多かったが、次第に大人向けの洒落・滑稽な内容のものが書かれるようになった。表紙の色と内容によって分類される。<br />
*赤本 - 子供向け。[[桃太郎]]などの[[昔話]]ほか。<br />
*黒本 - 敵討ちなどの忠義や武勇伝など。<br />
*青本 - 少年や女性向けで、芝居の筋書きを書いたもの。<br />
*[[黄表紙]] - 大人向けの、娯楽性が強い本。筋書き以上に、言葉や絵の端々に仕組まれた遊びの要素を読み解くことに楽しみがあった。表紙の色は黄色だったが、当時は青本と区別されていなかった。後年の研究者によって分類された。<br />
*[[合巻]] - 話が長く、三冊以上の分冊になったものを一巻に綴じたもの。絵入りだが、内容も比較的読本に近い。草双紙と言えば合巻のことを指すこともある。<br />
<br />
==歴史==<br />
「戯作」の言葉自体は中国に古くからあり、その影響から日本でも江戸時代以前から使われていた。正当な表現に対するパロディや軽く茶化した表現のことを戯作と呼ぶようになった。<br />
<br />
===江戸時代の戯作===<br />
[[荻生徂徠]]などの影響で、当時の[[中国文学]]の口語小説の紹介・研究が進み、その影響を受けて読本などが書かれるようになった。また、『風流志道軒伝』などを書いた[[平賀源内]]は戯作者の祖と言われる。初期の戯作者の多くは[[大田南畝]]などの武士階級であった。18世紀中盤から[[洒落本]]や、[[草双紙]]の中でも黄表紙が栄えた。<br />
<br />
しかし[[寛政の改革]]の弾圧によってそれまでの戯作に影が差すと、替わって庶民の中から[[式亭三馬]]や[[十返舎一九]]などの戯作者が現れ、[[読本]]や[[人情本]]、[[草双紙]]では合巻が多く流通するようになった。さらに[[天保の改革]]によって人情本が衰退すると、その穴を埋めるように合巻の刊行点数が増大した。<br />
<br />
==== 戯作者の伝記資料 ====<br />
*[[石塚豊芥子]]『戯作者選集』(『[[笠間叢書]]』96([[1978年]])に、[[広瀬朝光]]影印本あり)<br />
*[[岩本活東子]]『戯作者小伝』(『[[燕石十種]]』第2輯所収)<br />
*岩本活東子『戯作六家撰』(『燕石十種』第2輯所収)<br />
<br />
===明治時代の戯作文学===<br />
滑稽な内容のものは歓迎されなくなり、一時期プロの作家は[[仮名垣魯文]]ら5人にまで減少した。しかし政治的背景を元にした古典文芸の復権があった他、新聞の[[連載小説]]形式や[[活版印刷]]技術などの登場を機に明治10年頃から合巻が再び脚光を浴びるなど戯作は明治期にも続けられていた。[[坪内逍遥]]らが近代文学を成立させるためにはそれまでの戯作に対する批判をする必要があった。<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[小説]]<br />
*[[浮世草子]]<br />
*[[お伽草子]]<br />
*[[日本の近世文学史]]<br />
*[[戯画]]<br />
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{{デフォルトソート:けさく}}<br />
[[Category:戯作|*]]<br />
[[Category:江戸時代の学芸]]<br />
[[Category:江戸時代の文学]]</div>
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経営者支配
2015-11-19T19:00:31Z
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<div>'''経営者支配'''(けいえいしゃしはい)とは[[経営学]][[用語]]の一つ。[[株式会社]]というものは[[株主]]による所有物ということであることから、会社の方針というのは創業者でもある大株主によって決められることとなっていた。だが大株主となっていた者が株を手放していくことで会社の決定権というものは分散していくことになる。そのようになった会社は[[重役]]を選考する場合に、創業家という基準ではなく、多くの株主による多数決で決められるようになり、このような場合の経営陣というのは能力が優れているがゆえに多くの株主に支持されて就くようになっていくというわけである。このような形で会社の経営陣が定められるようになった会社の形態を経営者支配という。<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
*[http://kotobank.jp/word/%E7%B5%8C%E5%96%B6%E8%80%85%E6%94%AF%E9%85%8D 経営者支配 とは - コトバンク]<br />
*[http://libdspace.biwako.shiga-u.ac.jp/dspace/bitstream/10441/2537/2/SJ21_0178_050A%20oikawa.pdf 経営者支配の概念について]<br />
*[http://www.umds.ac.jp/kiyou/k/K18-2/107-124kaneko.pdf コーポレート・ガバナンスと経営者支配 - 流通科学大学]<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[情報の非対称性]]<br />
*[[プリンシパル=エージェント理論]] <br />
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{{Economy-stub}}<br />
{{デフォルトソート:けいえいしやしはい}}<br />
[[Category:経営学]]</div>
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