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http:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=128.27.46.122&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-22T08:10:49Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 おもちゃ王国 2018-08-06T03:53:05Z <p>128.27.46.122: /* 運営テーマパーク */</p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;株式会社 おもちゃ王国&#039;&#039;&#039;(おもちゃおうこく)は、[[岡山県]][[玉野市]]に本拠を置く日本の[[企業]]。同名の[[テーマパーク]]グループ「&#039;&#039;&#039;おもちゃ王国&#039;&#039;&#039;」の設置・運営・[[フランチャイズ]]管理を主業務としている。<br /> <br /> == 企業概要 ==<br /> 元々のスタートが「テーマパーク跡地」(閉園した[[王子ファンシーランド]]跡地)を利用した運営。このことにより初期費用を低く抑えることに成功。また、それ故に経営難あるいは閉鎖された遊園地やテーマパークの再建に対して強いノウハウを持つ。<br /> <br /> 運営テーマパークのテーマは、企業(パーク)名の通り「おもちゃの王国」すなわち「世界のあらゆるおもちゃを揃えた『玩具博物館』を兼ねた遊園地」である。そのため、なつかしのおもちゃから最新のおもちゃまで世代を超えて楽しむことができるアトラクションも数多い。<br /> <br /> [[日本放送協会|NHK]][[NHK教育テレビジョン|教育テレビ]]のキャラクターや[[タカラトミー]]([[リカちゃん]]、[[トミカ]]、[[プラレール]]など)、[[河田]]([[ダイヤブロック]])、[[田宮模型]]、[[サンリオ]]など、様々な玩具メーカーの協力を得て展示やアトラクションを作っている。<br /> <br /> 2006年7月からは、[[バンダイ]]・[[バンプレスト]]のスポンサードネットの対象から外された[[山陽放送]]が放映を見送っていた「[[ウルトラマンメビウス]]」を[[番組販売]]購入扱いで数か月遅れで放映することになり、夏休み期間中の集中放送での番組スポンサーを引き受けた。<br /> <br /> === 沿革 ===<br /> * [[1995年]] - 親会社である[[サンヨープレジャー]]が、玉野市に在する[[第三セクター]]『玉野レクリエーション総合開発』の運営していたテーマパーク『王子ファンシーランド』の跡地を買い上げ。その運営のために「株式会社 おもちゃ王国」が設立される。社長は[[高谷茂男]](サンヨープレジャー社長を兼務)<br /> * [[1999年]] - 軽井沢おもちゃ王国 開園<br /> * [[2000年]] - 東条湖おもちゃ王国 開園<br /> * [[2001年]] - 城島おもちゃ王国 開園<br /> * [[2003年]] - 東京ドームシティおもちゃ王国 開園<br /> * [[2004年]] - レオマおもちゃ王国 開園<br /> * [[2005年]] - 高谷社長の岡山市長選出馬に伴う退任<br /> * [[2006年]] - 南知多おもちゃ王国 開園<br /> * [[2010年]] - [[ニューレオマワールド]]の経営権が[[大江戸温泉物語]]に移行したのに伴い、レオマおもちゃ王国閉園。運営会社のレオマユニティーも大江戸温泉物語に株式を売却。<br /> * [[2011年]] - [[東京ドーム (企業)|東京ドーム]]とのフランチャイズ契約終了に伴い、東京ドームシティおもちゃ王国閉園&lt;ref&gt;[http://www.tokyo-dome.jp/news/pdf/20101201150008-001-075.pdf 遊びの創造ランド『東京ドームシティ おもちゃ王国』営業終了のお知らせ]{{リンク切れ|date=2018年3月 |bot=InternetArchiveBot }}東京ドーム・後楽園ロコモティヴプレスリリース 2010年12月1日&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 運営テーマパーク ==<br /> === 現在運営しているテーマパーク ===<br /> * おもちゃ王国<br /> ** おもちゃ王国 - 玉野市。総本部。直営パーク。<br /> ** 東条湖おもちゃ王国 - [[兵庫県]][[加東市]]にあるフランチャイズパーク。旧[[東条湖ランド]]。<br /> ** 軽井沢おもちゃ王国 - [[群馬県]][[嬬恋村]]にあるフランチャイズパーク。旧[[軽井沢プレイランド]]。<br /> ** 南知多おもちゃ王国 - フランチャイズパーク。名鉄系 [[南知多ビーチランド]]内。<br /> <br /> * おもちゃ大使館 - [[アルネ・津山]]内に屋内型遊技場としてある。<br /> <br /> === 以前運営していたテーマパーク ===<br /> * おもちゃ王国<br /> ** レオマおもちゃ王国 - 直営パーク。[[ニューレオマワールド]]内。ただし、運営は別会社(レオマユニティー)で2010年7月営業終了。<br /> ** 東京ドームシティおもちゃ王国 - フランチャイズパーク。[[東京ドームシティ]]内。2011年1月19日営業終了。<br /> ** 城島おもちゃ王国 - フランチャイズパーク。[[城島高原パーク]]内。2017年1月8日営業終了。<br /> * その他<br /> ** [[岡山スカイガーデン]] - 直営パーク。ただし運営は別会社で2007年5月に営業終了(サンヨープレジャー)。<br /> <br /> === キャラクター ===<br /> ; シーゲルン1世<br /> : おもちゃ王国の王様。知恵の本を読むのが趣味。名前は前社長の「茂男」に由来。<br /> ; ハート姫<br /> : フランス人形の姫。お淑やかではあるが、内緒で自由になりたいときはステッキで変身する。<br /> ; ピンキー<br /> : うさぎのぬいぐるみ。リンゴや花の蜜といった甘いものが大好きな所謂甘党。<br /> ; ブレイブ<br /> : わんぱくで少し怒りん坊だが正義感が強く勇ましいおもちゃの兵隊。青の制服が目印。好きなものはパレードや祭り。テンダーとは双子の関係。<br /> ; テンダー<br /> : 少し臆病な心優しいおもちゃの兵隊。赤の制服が目印。ブレイブとは双子の関係。<br /> ; ベロベロミドリン<br /> : 見た目は緑色のボール。王様の大の仲良し。<br /> <br /> === おもちゃ王国(本部) ===<br /> * 706-0153 岡山県玉野市滝1640-1<br /> * 営業時間 10:00-17:00<br /> * 休園日 毎週火曜日(年末年始を除く。ただし春夏冬休みやゴールデンウィーク期間中は無休)<br /> * 入園料 大人800円、小人600円(小人:2歳~小学生まで)2歳未満は無料<br /> * 乗り物利用料・園内遊具 1回250円(一部遊具を除く)<br /> * 園内パビリオン入場料 無料(おもちゃ博物館のみ有料)<br /> * 駐車場 無料(1500台分)<br /> * アクセス<br /> ** JR[[岡山駅]]と天満屋バスセンターからバスで80分(運賃片道1000円)、[[宇野駅]]からバスで25分(運賃片道480円)<br /> ** JR岡山駅・JR宇野駅より[[両備ホールディングス|両備バス]]玉野渋川特急が運転(土日祝・春夏冬休みとゴールデンウィーク期間中のみ)<br /> ** JR岡山駅前からタクシーで約70分、片道運賃約7700円<br /> ** [[岡山市]]内より約25km<br /> ** 倉敷市内より約35km<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[サンヨープレジャー]] 親会社。岡山県及び周辺地域にて玩具店『こどもや』を経営。<br /> * [[ファジアーノ岡山]] 2008年のアップウェアスポンサー。<br /> * [[玉野競輪場]] 毎年度、『おもちゃ王国杯争奪戦』と銘打った開催が行われている。<br /> * [[FC吉備国際大学Charme]] 2017年よりパンツ部スポンサー。<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.omochaoukoku.co.jp/ おもちゃ王国] 総合ホームページ<br /> * [http://www.ryobi-holdings.jp/ 両備ホールディングス] 玉野渋川特急バスを運行している会社(夏休み等の長期休暇時のみおもちゃ王国まで乗り入れる)<br /> <br /> {{日本のテーマパーク}}<br /> {{デフォルトソート:おもちやおうこく}}<br /> [[Category:日本のテーマパーク]]<br /> [[Category:玉野市の企業]]<br /> [[Category:玉野市の建築物]]<br /> [[Category:岡山県の観光地]]<br /> [[Category:1995年設立の企業]]<br /> [[Category:1999年開業の施設]]</div> 128.27.46.122 紀尾井坂の変 2018-06-02T10:33:21Z <p>128.27.46.122: /* 暗殺当日 */</p> <hr /> <div>{{脚注の不足|date=2018年5月}}<br /> <br /> {{Infobox 事件・事故<br /> | 名称 = 紀尾井坂の変<br /> | 画像 = <br /> | 脚注 = <br /> | 場所 = [[東京府]][[麹町区]]麹町紀尾井町清水谷<br /> | 緯度度 = 35 | 緯度分 = 40 | 緯度秒 = 51 | N(北緯)及びS(南緯) = N <br /> | 経度度 = 139 |経度分 = 44 | 経度秒 = 8.2 | E(東経)及びW(西経) = E<br /> | 地図国コード = JP<br /> | 日付 = [[1878年]]([[明治]]11年)[[5月14日]]<br /> | 時間 = <br /> | 開始時刻 = <br /> | 終了時刻 = <br /> | 時間帯 = <br /> | 概要 = <br /> | 原因 = <br /> | 手段 = [[日本刀]]<br /> | 武器 = <br /> | 攻撃人数 = 6名<br /> | 標的 = [[大久保利通]][[内務卿]]<br /> | 死亡 = [[大久保利通]]&lt;br /&gt;[[中村太郎 (大久保利通従者)|中村太郎]]<br /> | 負傷 = <br /> | 行方不明 = <br /> | 被害者 = <br /> | 損害 = <br /> | 犯人 = [[島田一郎]]&lt;br /&gt;[[長連豪]]&lt;br /&gt;[[杉本乙菊]]&lt;br /&gt;[[脇田巧一]]&lt;br /&gt;[[杉村文一]]&lt;br /&gt;[[浅井寿篤]]<br /> | 容疑 = <br /> | 動機 = <br /> | 関与 = [[松田秀彦]]<br /> | 防御 = <br /> | 対処 = <br /> | 謝罪 = <br /> | 賠償 = <br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;紀尾井坂の変&#039;&#039;&#039;(きおいざかのへん)は、[[1878年]]([[明治]]11年)[[5月14日]]に、[[内務大臣 (日本)|内務卿]][[大久保利通]]が[[東京府]][[麹町区]]麹町紀尾井町&#039;&#039;&#039;清水谷&#039;&#039;&#039;(現在の[[東京都]][[千代田区]][[紀尾井町]]清水谷)で不平[[士族]]6名によって[[暗殺]]された事件。「紀尾井坂事件」「大久保利通暗殺事件」&lt;ref&gt;[http://www.spacelan.ne.jp/~daiman/data/zatugaku06.htm 大久保利通暗殺事件]&lt;/ref&gt;ともいう。<br /> <br /> == 暗殺犯の動向 ==<br /> [[実行犯]]は[[石川県]][[士族]][[島田一郎]]・[[長連豪]]・[[杉本乙菊]]・[[脇田巧一]]・[[杉村文一]]および[[島根県]]士族の[[浅井寿篤]]の6名から成る(脇田は暗殺にあたり罪が家に及ぶのを恐れて士族を辞めて[[平民]]になった)。その中でも特に中心的存在であるのが島田一郎である。島田は[[加賀藩]]の[[足軽]]として[[長州征討|第一次長州征伐]]、[[戊辰戦争]]に参加しており、[[明治維新]]後も軍人としての経歴を歩んでいたが、[[征韓論]]に共鳴しており、[[明治六年政変]]で[[西郷隆盛]]が下野したことに憤激して以後、国事に奔走することになる。<br /> <br /> 杉村寛正(杉村文一の兄)らも征韓論にあたり従軍願いを出している。さらに[[台湾出兵]]にあたっては杉村・長らは再び従軍願いを出しており、台湾出兵中止の噂に対する反対の建白書や[[佐賀の乱]]の処理を批判する建白書には杉村(寛)・島田・後に斬奸状を起草する[[陸義猶]](陸九皐)が名を連ねている。しかし、これらの建白書は期待した効果を生まず、島田らは実力行使路線を採ることになる。[[1874年]](明治7年)に島田と長は東京で会い、意気投合している。<br /> <br /> 長は[[1874年]](明治7年)6月に、台湾出兵について西郷、[[桐野利秋]]の見解を聞きに杉村(寛)、陸と[[鹿児島市|鹿児島]]入りしている。長は半年ほど鹿児島に滞在し[[私学校]]に留学している。長は[[1876年]](明治9年)にも鹿児島入りして桐野らと旧交を温めている。<br /> <br /> 長が帰県した10月には[[神風連の乱]]、[[秋月の乱]]、[[萩の乱]]と[[士族反乱]]が相次ぎ、島田も[[金沢市|金沢]]で挙兵計画に奔走するが失敗。さらに翌[[1877年]](明治10年)の[[西南戦争]]では、島田と長が協力して挙兵計画に奔走したが、周囲の説得に苦慮している間に、4月に[[大日本帝国陸軍|政府軍]]が[[熊本城]]に入城したとの情報を得て、勝敗は決したと計画を中止した。<br /> <br /> この後、島田らは高官暗殺に方針を変更する。杉本・脇田・杉村らもこの時期に島田の計画に加わっている。脇田は10月、長は11月、杉村は12月、島田、杉本は翌年4月に上京している。唯一の[[島根県]]人である浅井は西南戦争当時[[警視庁 (内務省)|警視庁]]の[[巡査]]であり[[警視隊]]に属して従軍し、[[1877年]](明治10年)8月に東京に凱旋していたが、禁令を犯して[[1878年]](明治11年)2月に免職となり、3月に島田らの暗殺計画を知って計画に加わった。<br /> <br /> 彼らの暗殺計画は複数のルートを経て、当時の警察のトップである[[警視総監|大警視]][[川路利良]]の耳にも入っていたが川路は「石川県人に何ができるか」と相手にしなかった&lt;ref&gt;遠矢浩規『利通暗殺』行人社、1986年、p77&lt;/ref&gt;{{refnest|group=注釈|また[[高島鞆之助]]が同様のことを話しているが、その証拠として「(事件直後に)川路は現場に飛んで来て、手帳を出して人名を指差し、この6人の仕業に違いない、と手帳を叩いて涙をこぼしていた」と証言している&lt;ref&gt;[[佐々木克]]監修『大久保利通』講談社学術文庫、2004年、p186(1910年から1911年にかけて[[報知新聞]]に掲載された大久保についての談話集)&lt;/ref&gt;。なお川路は、大久保の葬儀の翌日、(治安責任者として当然ではあるが)「大久保参議事変ニ付進退伺」を出し、却下されている。}}。<br /> <br /> == 斬奸状 ==<br /> 島田らが大久保暗殺時に持参していた斬奸状は、4月下旬に島田から依頼されて陸が起草したものである。そこでは、[[有司専制]]の罪として、以下の5罪を挙げている。<br /> *[[議会|国会]]も[[憲法]]も開設せず、民権を抑圧している。<br /> *法令の[[朝令暮改]]が激しく、また[[官吏]]の登用に情実・コネが使われている。<br /> *不要な[[公共事業|土木事業・建築]]により、国費を無駄使いしている。<br /> *国を思う[[志士]]を排斥して、内乱を引き起こした。<br /> *外国との[[条約改正]]を遂行せず、国威を貶めている。<br /> <br /> == 暗殺当日 ==<br /> [[5月14日]]早朝、大久保は、[[福島県|福島]][[県令]][[山吉盛典]]の帰県の挨拶を受けている。話は2時間近くに及び、山吉が辞去しようとしたときに、大久保は、三十年計画について述べている。これは、明治元年から30年までを10年毎に3期に分け、最初の10年を創業の時期として、[[戊辰戦争]]や[[士族反乱]]などの兵事に費やした時期、次の10年を内治整理・[[殖産興業]]の時期、最後の10年を後継者による守成の時期として、自らは第2期まで力を注ぎたいと抱負を述べるものであった{{refnest|group=注釈|これを後に「済世遺言」と称した。正確には遺言として語られた文言ではなく、最後の談話の内容に当たる。[[勝田孫弥]]『甲東逸話』[[冨山房]]、1928年、附録pp.1-8}}。<br /> <br /> 午前8時ごろ、大久保は、[[麹町区]]三年町裏[[霞が関|霞ヶ関]]の自邸を出発した。[[明治天皇]]に謁見するため、2頭立ての[[馬車]]で[[東宮御所|赤坂仮皇居]]へ向かう。午前8時30分頃、[[紀尾井町]]清水谷([[紀尾井坂]]付近。現在の[[参議院]]清水谷[[議員宿舎]]前)において、暗殺犯6名が大久保の乗る馬車を襲撃した。[[日本刀]]で馬の足を切った後、[[運転手|御者]]の[[中村太郎 (大久保利通従者)|中村太郎]]を刺殺。次いで、乗車していた大久保を馬車から引きずり降ろした。大久保は、島田らに「無礼者」と一喝したが、護身の為の武装をしていなかった事が仇となり、為す術もなく斬殺された([[享年]]49〈[[数え年]]〉、[[満年齢|満]]47歳没)。[[介錯]]に首へ突き刺さした刀は地面にまで達していた。『贈右大臣正二位大久保利通葬送略記・乾』によると、大久保は、全身に16箇所の傷を受けていた。そのうちの半数は、頭部に集中していた。事件直後に駆けつけて遺体を見た[[前島密]]は、「肉飛び骨砕け、又頭蓋裂けて脳の猶微動するを見る」と表現している。<br /> <br /> 島田らは刀を捨てて、同日、大久保の罪五事と、他の政府高官([[木戸孝允]]、[[岩倉具視]]、[[大隈重信]]、[[伊藤博文]]、[[黒田清隆]]、[[川路利良]])の罪を挙げた斬奸状を手に[[自首]]した。<br /> <br /> == 事件後と影響 ==<br /> [[画像:Okubo-Toshimichi_Kioi-no-hen.JPG|thumb|right|180px|紀尾井坂の変の石碑]]<br /> [[5月15日]]に大久保に[[正二位]][[右大臣]]が[[贈位|追贈]]され、大久保および御者の中村の慰霊式が行われ、17日に両者の葬儀が行われた。大久保の葬儀は大久保邸に会する者1,200名近く、費用は4,500円余りという近代日本史上最初の[[国葬]]級葬儀となった。<br /> <br /> 警察の捜査は厳重を極め、斬奸状を起草した陸や、島田に頼まれ斬奸状を各新聞社に投稿した者(しかし各紙に黙殺されて掲載されなかった。「[[朝野新聞]]」は要旨を短く紹介した&lt;ref&gt;[{{NDLDC|1920337/221}} 「島田一郎の斬姦状」1878年5月15日朝野新聞『新聞集成明治編年史. 第三卷』](国立国会図書館近代デジタルライブラリー)&lt;/ref&gt;が即日発行停止を命じられた)、事件を聞いて快哉を叫んだ手紙を国許に送っただけの石川県人など30名が逮捕された。<br /> <br /> 政府は暗殺犯を[[刑法 (日本)|刑法]]上規定がない「[[国事犯]]」として処理し、[[大審院]]に「臨時裁判所」を開設して裁判を行った。臨時裁判所は形式上は大審院の中に存在するが、実際は、[[太政官]]の決裁により開設し、太政官から[[司法省]]に委任された権限に基づいて判決を下す事実上の[[行政裁判所]]であった。[[法務大臣|司法卿]]によって任命された[[玉乃世履]][[裁判官|判事]]らは同年7月5日に判決案を作成し司法省に伺いを立て、司法省では、これを受けて7月17日に太政官に伺書を提出した。太政官は7月25日に決裁し、7月27日に6名は判決を言い渡され、即日、斬罪となった。斬奸状を起草した陸は[[禁錮|終身禁錮刑]]に処せられたが、[[1889年]](明治22年)に[[大日本帝国憲法]]発布により[[特赦]]を受けて釈放された。<br /> <br /> [[1888年]](明治21年)5月、[[西村捨三]]・[[金井之恭]]・[[奈良原繁]]らによって「贈右大臣大久保公哀悼碑」が建てられた。<br /> <br /> この事件を機に、政府高官の移動の際は、数人の[[近衛兵]]らによる護衛が付くようになった&lt;ref&gt;[[イザベラ・バード]]『日本旅行記』より。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 逸話・世評等 ==<br /> === 懐中の手紙と馬車と ===<br /> 大久保は家族にも秘密で、生前の西郷から送られた手紙を入れた袋を持ち歩き、暗殺された時にも西郷からの手紙を2通懐に入れていた。なお、事件後は[[大山巌]]が血染めになったそれを所持したとされている&lt;ref&gt;『[[東京日日新聞]]』明治11年5月27日付&lt;/ref&gt;。大久保が暗殺時に乗っていた馬車は、後に供養のため遺族が[[岡山県]][[倉敷市]]の[[五流尊瀧院]]に奉納し現存している。<br /> <br /> === 不評とその根拠 ===<br /> 斬奸状には大久保が公金を私財の肥やしにしたと指摘の言葉があったが、実際は金銭に対しては潔白な政治家で、必要な公共事業を私財で行うなどしていた。そのため、死後は8,000円もの借金が残ったという{{refnest|group=注釈|ただ、残った借金の返済を遺族に求める債権者はいなかった。}}。しかし、このまま[[維新の三傑]]である大久保の遺族が路頭に迷うのは忍びないという配慮から、政府は協議の上、大久保が生前に[[鹿児島県庁]]に学校費として寄付した8,000円を回収し、さらに8,000円の募金を集めて、この1万6,000円で遺族を養うことにした。大久保は、[[西南戦争]]で故郷の薩摩・鹿児島と[[西郷隆盛]]を敵に回したことで、前述の通り地元からは冷ややかな目で見られ、地元への[[納骨]]が避けられていた時期がある。そのため、大久保は[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]の[[青山霊園]]に埋葬されている。また、暗殺者に追われた大久保は子供のように泣き叫んで逃げ回ったという噂が立ち、謹厳な大久保のイメージを貶めるものとして地元では多くの者が信じた。これには[[長州藩|長州]]派による印象操作があったとする指摘もある。<br /> <br /> === 死の前後に係る証言 ===<br /> [[前島密]]は、事件の数日前に、大久保から「西郷と口論して、私は西郷に追われて高い崖から落ちた。自分の脳が砕けてピクピク動いているのがアリアリと見えた」という悪夢を聞いている。このことが事件直後の印象につながっている。また、[[伊藤博文]]は 「大久保から手紙が来た『今から私は直ぐ参朝するから貴君も直ぐ来て下さい』と云う文意である。何でも朝殺される僅か数分前に書かれたものだ。(中略)赤坂の方から参内する。向うは紀尾井坂より行った。赤坂の内閣に出ると「凶変を知って居るか。今大久保公が殺された』と云うとぢゃ。実に意外なことで誠に残念千万の次第であった。即ち此の時、公が我輩に贈られた手紙は大久保公の絶筆である」と語っている&lt;ref&gt;『伊藤侯,井上伯,山県侯元勲談』近代デジタルライブラリー&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 事件に対する感想 ===<br /> [[会津藩]]出身の軍人である[[柴五郎]]は、当時はまだ18歳であったが、大久保の非業の死を聞いて、[[西郷隆盛]]の非業の死とあわせて「両雄非業の最期を遂げたるを当然の帰結でなりと断じて喜べり」と書いている{{refnest|group=注釈|柴は[[会津戦争]]の際に祖母・母・兄嫁・姉妹を一度に亡くしている。}}。また、[[内村鑑三]]の記した『内村鑑三日記』など、著名人の日記にも、この事件の衝撃が語られている。<br /> <br /> === 事件関係者のその後 ===<br /> 暗殺計画に関与した[[松田秀彦]]([[鳥取県]]出身の[[島根県]]士族)は、事件後連座して服役し、出獄後は[[大日本武徳会]]の武道家として有名になった。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> === 注釈 ===<br /> {{reflist|group=&quot;注釈&quot;}}<br /> <br /> === 出典 ===<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> *[[勝田政治]]『政事家大久保利通』[[講談社]]、[[2003年]]。<br /> *遠矢浩規『利通暗殺』行人社、[[1986年]]。<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[喰違の変]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> *[http://www11.ocn.ne.jp/~wast1791/newpage6.htm 随想『紀尾井坂の変』をめぐって]<br /> *[http://meiji-ishin.com/kioi.html 紀尾井坂の変 刑死者の墓]<br /> <br /> {{Campaignbox 士族反乱}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:きおいさかのへん}}<br /> [[Category:日本のテロ事件]]<br /> [[Category:明治時代の殺人事件]]<br /> [[Category:士族反乱]]<br /> [[Category:暗殺]]<br /> [[Category:1878年の日本]]<br /> [[Category:千代田区の歴史]]<br /> [[Category:大久保利通]]<br /> [[Category:戦前の東京]]<br /> {{Japanese-history-stub}}</div> 128.27.46.122
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