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http:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=126.243.83.3&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-04-30T06:29:48Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 吉備国際大学短期大学部 2018-07-12T11:43:48Z <p>126.243.83.3: </p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2017年8月7日 (月) 02:29 (UTC)}}<br /> &lt;div class=&quot;dablink noprint&quot;&gt;[[ファイル:Disambig_gray.svg|25px|曖昧さ回避]] &#039;&#039;&#039;順正短期大学&#039;&#039;&#039;は、この項目に転送されています。かつて同じ土地に存在した同名の女学校(高等女学校)については<br /> :* 運営と併合までの沿革や出身者などに関しましては「[[順正高等女学校]]」および後身校となる「[[岡山県立高梁高等学校]]」の項目をご覧ください。<br /> :* 同校で使用されていた岡山県指定史跡である校舎「&#039;&#039;&#039;順正寮&#039;&#039;&#039;」に関しましては下記「[[#史跡]]」節と「[[順正寮跡]]」の項目をご覧ください。<br /> &lt;/div&gt;<br /> {{Otheruses|高梁市に在する私立の短期大学|本学附設専門学校として設立された[[看護学校]]および本学の[[介護福祉士]]養成課程を継承している専門学校|順正高等看護福祉専門学校}}<br /> &lt;!--<br /> この記事は[[プロジェクト:大学/大学テンプレート (日本国内)]]にしたがって作成されています。<br /> --&gt;<br /> {{大学<br /> | 大学名=吉備国際大学短期大学部<br /> | ふりがな=きびこくさいだいがくたんきだいがくぶ<br /> | 英称= Kibi International University Junior College<br /> | 画像= Junsei_junior_collage.jpg<br /> | 画像説明= 学園本部正門<br /> | 大学設置年=1967年<br /> | 創立年=1967年<br /> | 学校種別=私立<br /> | 設置者=[[学校法人順正学園]]&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;設立時は学校法人高梁学園&lt;/ref&gt;<br /> | 国=日本<br /> | 本部所在地=[[岡山県]][[高梁市]]伊賀町8<br /> | 緯度度 = 34|緯度分 = 47|緯度秒 = 47.1<br /> | 経度度 = 133|経度分 = 37|経度秒 = 14.5<br /> | キャンパス=高梁キャンパス(岡山県高梁市)&lt;br/&gt;岡山キャンパス(岡山県[[岡山市]])<br /> | 学部=幼児教育科(廃止)&lt;br/&gt;保健科<br /> | 研究科=幼児教育専攻(廃止)&lt;br&gt;メディカルビューティー専攻<br /> | 大学の略称=吉備国、吉備短、順短&lt;ref group=&quot;注&quot; name=&quot;juntan&quot;&gt;順正短期大学時代より使用。現在は「順正学園の短期大学部」の意。&lt;/ref&gt;、KIUJC、JJC&lt;ref group=&quot;注&quot; name=&quot;juntan&quot; /&gt;<br /> | ウェブサイト= http://junsei.ac.jp/<br /> }}<br /> この項目では本学の前身として2009年度まで存在していた&#039;&#039;&#039;順正短期大学&#039;&#039;&#039;(じゅんせいたんきだいがく、[[英語]]:Junsei Junior College)についても述べる。[[2016年]]3月に課程休止。<br /> <br /> == 概観 ==<br /> [[File:Junsei female seminary&#039;s monument.jpg|thumb|right|300px|学園本部前にある[[順正女学校]]創建碑&lt;br /&gt;(伝・[[三島中洲]]撰文、明治38年8月設置)]]<br /> [[1885年]]に[[福西志計子]]が設立した[[順正高等女学校|順正女学校]](現・[[岡山県立高梁高等学校]]家政科)の跡地に、順正短期大学として[[1967年]]に新設された短期大学である。旧称(現在の運営母体の学園名)である「順正」も同女学校より取られたものである&lt;ref name=&quot;yurai&quot;&gt;[http://junsei.ac.jp/edu/outline/origin 「順正の由来」(学校法人順正学園)]&lt;/ref&gt;。その名称は福西が理想とする人材の指標として掲げた四字熟語である「温&#039;&#039;&#039;順&#039;&#039;&#039;貞&#039;&#039;&#039;正&#039;&#039;&#039;」(おんじゅんていせい。穏やかかつ素直にして、誰の目にも明らかに正しいこと)に由来し、その原意(正出典)は『[[孟子]]』の「&#039;&#039;&#039;以順為正 妾婦之道成&#039;&#039;&#039;」(順《すなお》を以て正しきを為すは妾婦《しょうふ》&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;ここに言う「妾婦」とは、苦難を自ら己の物として立ち向かう女性に対する謙譲ないしは尊敬を交えた敬称の事。妾とは主に従僕として仕える下女の事であり、現在に言う[[妾]]とは多少意味合いが異なる事に注意。資料や訳書によっては「以順為正者 妾婦之道成」(順を以て正しきを為す者は、妾婦の道を成す)としている場合もある。&lt;/ref&gt;の道なり)ないしは『[[礼記]]』の「君子は情に帰ってその志を和げ邪僻の気は身体の中におかず、知覚肉体すべて&#039;&#039;&#039;順正&#039;&#039;&#039;の道によって本義を実行せしむ」にある&lt;ref&gt;高梁市史(旧版) p.1011&lt;/ref&gt;とされる。それは、本学を設置した者たちによる「順正の理念に共鳴し名を受け継いでいこう」とする思いからの事であるとされる&lt;ref name=&quot;yurai&quot; /&gt;。<br /> <br /> 本学設立のきっかけとなったのは、昭和41年([[1966年]])岡山県当局の主導で行われた&#039;&#039;&#039;高梁高等学校伊賀町校舎&#039;&#039;&#039;の廃止である&lt;ref name=&quot;sisi-old1052&quot;&gt;高梁市史(旧版) p.1052&lt;/ref&gt;。これに対して、地元・伊賀町と頼久寺町の居住者および同校卒業生を中心とする市民たちが反発。彼女らは自らが慣れ親しんだ伊賀町から学び舎の灯が消える事を嘆き、その悲痛を高梁高校同窓生および高校周辺地在住市民による要望・陳情という形で高梁市に申し入れた&lt;ref name=&quot;sisi-old1052&quot; /&gt;。市は伊賀町校舎の跡地活用として様々な模索&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;大規模総合病院や市営住宅団地造成などの案が存在した([[倉田和四生]]「福西志計子と順正女学校」(吉備人出版、ISBN 4-86069-143-1 )p.299)&lt;/ref&gt;をしてきたが、元よりそれ以前より高梁市(旧市)誕生時における建設計画の付帯決議として短期大学の設置が求められていた&lt;ref name=&quot;sisi-new309&quot;&gt;高梁市史(新版) p.309&lt;/ref&gt;こともあいまって、最終的には彼女らの陳情を受諾し伊賀町の順正女学校跡地に高等教育機関を設立することを決定する&lt;ref name=&quot;sisi-old1052&quot; /&gt;&lt;ref name=&quot;kurata-300&quot; /&gt;。<br /> <br /> この決定を受け、当時の高梁市長であった鈴木雄祥は県内外の関連機関に教育機関の誘致を願い打診するが、各所からは色よい返事は受けられず、唯一これに応えたのが岡山県・[[広島県]]の各地で教育機関を設置させ、運営実績のあった[[加計勉]]であった&lt;ref name=&quot;sisi-old1052&quot; /&gt;。加計は「順正の卒業生」たちの願いと、それを汲まんとする市長および市当局の熱意、さらには市にそれだけの事をさせた福西の遺志とそれを絶やさなかった教え子たちの存在に感じ入り高梁市の要請に応える事を決意し、高梁市と共同出資の形で「学校法人 高梁学園」&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;のちの順正学園&lt;/ref&gt;を設立させた。順正女学校跡地に共学校である「順正短期大学」を新設させた。この新設校が当時の女子高等教育機関としてポピュラーであった[[短期大学]]とされたのも、その学校に「順正」の名を遺したのも、福西が業績を打ち立てた順正の地に他ならぬ福西の理想とした女子のための高等教育機関を、と市民たちが加計に対し陳情した結果だった&lt;ref name=&quot;kurata-300&quot;&gt;[[倉田和四生]]「福西志計子と順正女学校」(吉備人出版、ISBN 4-86069-143-1 )p.300&lt;/ref&gt;。この設立時における歴史の流れから、本学および後述の順正高等看護福祉専門学校および吉備国際大学(順正学園)は福西を自らのルーツとしている&lt;ref name=&quot;yurai&quot; /&gt;。<br /> <br /> 設立時より附設教育機関(附属専門学校)として[[順正高等看護福祉専門学校]](通称:順正高看)&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;設立時は順正高等看護専門学院&lt;/ref&gt;を持つ。加計(高梁学園)が[[1990年]]に順正短期大学の隣地へ、実質的な上位校として[[吉備国際大学]]を設立させて以降は、同大学と本学は一体的な運用が成され、[[2010年]]における運営母体の組織改革をもって吉備国際大学に併合されて同大学の短期課程となる&lt;ref name=&quot;junsei-edu-his&quot;&gt;[http://junsei.ac.jp/edu/outline/history 学園の歴史(学校法人順正学園)]&lt;/ref&gt;。また、この組織改革によって「順正」の名は運営法人の名となった。&lt;ref name=&quot;junsei-edu-his&quot; /&gt;<br /> <br /> [[2014年]]に学生の新規受験受付を停止。[[2016年]]に、{{要出典範囲|date=2017年11月19日 (日) 11:50 (UTC)|順正としての伝統を併設校である順正高等看護福祉専門学校と上位校である吉備国際大学に譲り}}課程を休止。跡地および設備は引き続き上記の関連両校によって校舎・学舎として管理されている(下記も参照)。<br /> <br /> === 大学全体 ===<br /> 往時は1学科3専攻からなっていた。高梁市の本部ほか[[岡山駅]]前にもキャンパスが存在した。<br /> <br /> === 建学の精神(校訓・理念・学是) ===<br /> 教育理念は「学生一人ひとりのもつ能力を最大限に引き出し引き伸ばし、社会に有為な人材を養成する」である。また、上述した順正女学校の名称由来および理念もまた校是として継承するとされている&lt;ref&gt;[http://junsei.ac.jp/edu/outline/origin 「順正」の由来(学校法人順正学園)]より&lt;/ref&gt;。これは運営法人である順正学園全体の教育理念・校是でもあるため、上位校の吉備国大および附設校の順正高看も同じ理念を掲げている。<br /> <br /> === 教育および研究 ===<br /> 保健科をベースに美容・健康・歯科衛生に関する専攻があった。ほか、保育者を養成する幼児教育科が存在した([[指定保育士養成施設]])。<br /> <br /> [[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[イギリス]]・[[ブラジル]]・[[中華人民共和国|中国]]での研修が行われていた。<br /> <br /> === 学風および特色 ===<br /> * [[2008年]][[3月]]に財団法人短期大学基準協会における第三者評価の結果、「適格」認定を受けている。<br /> * [[歯科衛生士養成所]]としての課程は修業年限が3年制ではなく2年制となっている。<br /> * [[中国地方]]で唯一の通信教育課程を置く短大となっている。<br /> * [[2009年]]現在、学生の過半数が下宿生となっている。<br /> <br /> == 沿革 ==<br /> === 略歴 ===<br /> 学校法人高梁学園・順正短期大学として[[1967年]]、[[岡山県]][[高梁市]]の現敷地に附設校である「順正高等看護専門学院」(現・[[順正高等看護福祉専門学校]])とともに開校する。<br /> <br /> 1990年には隣接する敷地に4年制大学「[[吉備国際大学]]」(通称・吉備国)が開校。同学園による系列校(実質的な上位学校)ということもあって様々な人的な交流関係が始まる。また、同学園・同一敷地内の系列校という事情から施設の共用も行われており、順正短大の1号館は同時に吉備国の1号館でもあった。これらの歴史的な流れによって、2010年に学校法人名の改称(&#039;&#039;&#039;高梁学園&#039;&#039;&#039;から&#039;&#039;&#039;順正学園&#039;&#039;&#039;となる)と共に学園組織の改組が行われたのを機に、当大学名も改称されて吉備国際大学の短期大学部という扱いに変わり、名実共に吉備国際大学と一体になった。<br /> <br /> === 年表 ===<br /> * [[1966年]][[9月]] [[岡山県立高梁高等学校]]の統合設置を受け、閉校校舎を[[高梁市]]より譲受。同校舎管理のための&#039;&#039;&#039;任意団体&#039;&#039;&#039;として高梁市と[[加計学園グループ|加計学園]]の共同出資のもと&#039;&#039;&#039;高梁学園&#039;&#039;&#039;が設立される。<br /> * [[1967年]] 学校法人高梁学園の設置を認可(任意団体の学校法人化。設置認可、同年1月)。&#039;&#039;&#039;順正短期大学&#039;&#039;&#039;と&#039;&#039;&#039;[[順正高等看護福祉専門学校|順正高等看護専門学院]]&#039;&#039;&#039;が設置開学される。<br /> :* 保健科&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;在学者数は女子45人となっていた。&lt;/ref&gt;<br /> :* 保育科&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;在学者数は33人(うち男子1人)となっていた。&lt;/ref&gt;<br /> * 同年9月:保育科、当時の[[厚生大臣]]によって正式な保母(現在の[[保育士]])養成学校に指定される。<br /> * [[1969年]] [[11月]] 保健科が文部大臣より歯科衛生士学校として指定される。<br /> * [[1974年]] 保健科を教職コース・看護コース・歯科コースに分離。<br /> * [[1976年]] 保育科を幼児教育科に名称変更。<br /> * [[1977年]] 保健科看護コース、廃止。<br /> * [[1978年]] 歯科コースを歯科衛生士コースに名称変更。<br /> * [[1980年]] 保健科の「コース」を「課程」に名称変更。教職課程・歯科衛生士課程、誕生。<br /> * [[1988年]] 保健科を専攻分離<br /> ** 保健専攻<br /> ** 歯科衛生専攻<br /> * 教職課程は「保健専攻・教職課程」に。「保健専攻・健康情報課程」誕生。歯科衛生士課程は「歯科衛生専攻・歯科衛生士課程」となる。また、幼児教育科も課程設置。「教育福祉課程」と「国際情報課程」に分離。<br /> * [[1989年]] 保健科に新たな課程が設置される。<br /> ** 保健福祉専攻:当時の厚生大臣によって正式な[[介護福祉士]]養成施設(養成学校)に指定される。<br /> * [[1990年]] 歯科衛生専攻の歯科衛生士課程が名称変更。「歯科衛生専攻」として一本化。<br /> * [[1995年]][[3月]] 幼児教育科の「課程」を廃止。「幼児教育科」として一本化。<br /> * [[1998年]] 専攻科幼児教育専攻を設置。[[大学評価・学位授与機構|学位授与機構]]の認定を受ける。<br /> * [[2002年]] 保健専攻を健康美学デザイン専攻に名称変更。<br /> * [[2007年]] 保健科健康美学デザイン専攻を改組。<br /> ** 美容デザイン専攻:美容師の養成過程として設立。なお美容師養成専攻を持つ短大は中学地方では初となる試み。美容デザイン専攻を主機能とした&#039;&#039;&#039;岡山駅前キャンパス&#039;&#039;&#039;を設立。<br /> ** 健康科学専攻:従来の健康美学デザイン専攻の機能を移動。従来の、課程選択制度を廃止し、資格取得カリキュラム選択制となる。これにより教職課程および健康情報課程が廃止される(27年続いた課程制度の完全撤廃)<br /> * [[2008年]] 幼児教育科に[[大学通信教育|通信教育部]]を置く。<br /> * [[2010年]][[4月1日]] 大学名を&#039;&#039;&#039;吉備国際大学短期大学部&#039;&#039;&#039;に改称。吉備国際大学に併合される形になったが、同時に運営母体である高梁学園が順正学園に改称されたため「順正」の名前は残ることになった。歯科衛生専攻をデンタルビューティー専攻に、健康美学デザイン専攻をメディカルビューティー専攻にそれぞれ変更。<br /> * [[2011年]] 保健科総合美容専攻を開設<br /> * [[2011年]] 保健科メディカルビューティー専攻募集停止。<br /> * [[2014年]] 学生募集停止。<br /> * [[2016年]] 順正学園(高梁学園)設立50周年(1966年の校舎譲受を設立起点に定めているため)<br /> <br /> == 基礎データ ==<br /> === 所在地 ===<br /> * 本部キャンパス(岡山県高梁市伊賀町8)<br /> * 岡山駅前キャンパス(岡山県[[岡山市]]岩田町2-5)<br /> <br /> === 象徴 ===<br /> 旧順正短期大学時代のカレッジマーク(正しくは[[校章]])は[[松山城 (備中国)|備中&#039;&#039;&#039;松&#039;&#039;&#039;山城]]がある&#039;&#039;&#039;[[臥牛山]]&#039;&#039;&#039;(小&#039;&#039;&#039;松&#039;&#039;&#039;山・大&#039;&#039;&#039;松&#039;&#039;&#039;山)の山麓に位置することから&#039;&#039;&#039;2葉の[[マツ|松葉]]&#039;&#039;&#039;をモチーフとしている。松葉の葉先を向かい合わせに三日月状に配し、その中央に「學」の文字をあしらったものであった(&#039;&#039;&#039;順正松葉&#039;&#039;&#039;と称する事もある)。<br /> <br /> 上記のデザインから安直に「三日月がデザインされている」と思われがちであるが、よく見ると月に見える松葉部分の両端には、松葉である事を示す葉の節(ふし)があり、また「学」文字部分の真下にあたる月部分の辺の中央が途切れているため、月ではなく松葉である事が如実に見て取れる。なお、実質上の連携学校である&#039;&#039;&#039;[[順正高等看護福祉専門学校]]&#039;&#039;&#039;(通称:順正高看)も同様のマークを校章として使用している。ただし順正高看の場合、順正短大側では「学の旧字」をあしらっていた部分が「フォントを同じくした『順正』の二文字を縦書きしたもの」をあしらったものに変わっている。<br /> <br /> 2010年の大学名称の改称で吉備国際大学の一部となったことから、カレッジマークも吉備国際大学のそれへ統合された。一方で順正高看の校章は引き続き「順正松葉」である。<br /> <br /> == 教育および研究 ==<br /> === 組織 ===<br /> ==== 学科 ====<br /> * 保健科<br /> ** 総合美容専攻<br /> ** 健康科学専攻(廃止)<br /> ** 歯科衛生専攻:募集は[[2010年]]度まで<br /> ** 保健福祉専攻:募集は[[2008年]]度まで<br /> ** 美容デザイン専攻:募集は[[2010年]]度まで<br /> * 幼児教育科<br /> ** 通学課程(廃止)<br /> ** 通信教育課程<br /> <br /> ==== 専攻科 ====<br /> * 幼児教育専攻(廃止)<br /> *メディカルビューティー専攻 (通信制)<br /> <br /> ==== 別科 ====<br /> * なし<br /> <br /> ===== 取得資格について =====<br /> ; [[資格]]<br /> * [[介護福祉士]]:保健福祉専攻にて取得できた。専攻廃止後、養成機関としての機能と歴史と同窓生管理は隣接する&#039;&#039;&#039;順正高等看護専門学校&#039;&#039;&#039;側に移している。<br /> * [[保育士]]:幼児教育科にて取得できた。<br /> ; 受験資格<br /> * [[歯科衛生士]]:歯科衛生専攻にて取得できた。<br /> * [[美容師]]:美容デザイン専攻にて取得できた。<br /> ; [[教職課程]]<br /> * [[幼稚園]][[幼稚園教員|教諭]]二種[[教育職員免許状|免許状]]:幼児教育科にて取得できた。&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;通学課程・通信教育課程ともに同じであった。&lt;/ref&gt;。なお、専攻科幼児教育専攻では一種免許状を取得するための道があった。<br /> * [[中学校]][[中学校教員|教諭]]二種免許状([[体育|保健体育]]):健康科学専攻にて取得できた。2007年度より従来の「保健」より変更。<br /> * [[養護教諭]]二種免許状:健康科学専攻にて取得できた。<br /> <br /> ==== 附属機関 ====<br /> * 図書館<br /> &lt;!--=== 研究 ===<br /> *<br /> <br /> === 教育 ===<br /> * 現代的教育ニーズ取組支援プログラム<br /> ** ○○プロジェクト<br /> * 特色ある大学教育支援プログラム<br /> ** ○○プロジェクト<br /> * 質の高い大学教育推進プログラム<br /> ** ○○プロジェクト<br /> * 社会人の学び直しニーズ対応教育推進プログラム<br /> ** ○○プロジェクト<br /> * 新たな社会的ニーズに対応した学生支援プログラム<br /> ** ○○プロジェクト --&gt;<br /> <br /> === 廃科後の後継機関 ===<br /> 以下の専攻における資格取得・人員養成や研究成果に関しては、併設関連校が成果内容を引き継いでいるため、廃科後の現状ではそちらで学ぶことができる。<br /> * 保健科保健福祉専攻 → 順正高等看護福祉専門学校 社会福祉課程 介護福祉科<br /> * 保健科健康科学専攻 → 吉備国際大学 社会科学部 スポーツ社会学科<br /> * 幼児教育科・幼児教育専攻科 → 吉備国際大学 心理学部 こども発達教育学科<br /> <br /> == 学生生活 ==<br /> === 部活動・クラブ活動・サークル活動 ===<br /> * 体育系:[[バスケットボール]]・[[サッカー]]・[[野球]]・[[卓球]]・[[バレーボール]]・[[バドミントン]]・[[柔道]]などがある。<br /> * 文化系:[[茶道]]・[[児童文化]]・[[吹奏楽]]・[[軽音楽]]などがある。<br /> <br /> === 学園祭 ===<br /> * 吉備国際大学本体と合同の学園祭「伊賀祭」が毎年、概ね[[11月]]に行われている<br /> &lt;!--=== スポーツ ===<br /> * --&gt;<br /> <br /> == 大学関係者と組織 ==<br /> {{see also|吉備国際大学の人物一覧}}<br /> === 設立に関与した者 ===<br /> * &#039;&#039;&#039;[[加計勉]]&#039;&#039;&#039;:設立者。学祖。初代理事長。学長。<br /> * [[鈴木雄祥]]:設立当時の高梁市長。加計勉に順正短大の誘致を打診する。 <br /> * [[福西志計子]]:直接の関わりは持たないがルーツとなる者として準学祖推戴されている。<br /> &lt;!--=== 大学関係者組織 ===<br /> * --&gt;<br /> === 大学関係者一覧 ===<br /> ==== 歴代学長 ====<br /> ※学長歴任者のうち3代目以降は就任より1年前後の期間において「学長代行」という肩書で職務を遂行している。<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;text-align:center;&quot;<br /> !代!!氏名!!就任時期!!略歴・備考<br /> |-<br /> |初代||加計勉||1967年 - 1970年||学校法人高梁学園理事長・総長。&lt;br /&gt;加計学園理事長・総長および[[岡山理科大学]]学長を兼務<br /> |-<br /> |第2代||[[森沢磊五郎]]||1970年 - 1973年||[[美作短期大学]]教授。&lt;br /&gt;本学教授、本学副学長を歴任。&lt;br /&gt;順正高看校長を兼務<br /> |-<br /> |第3代||[[河辺要太郎]]||1973年 - 1975年||<br /> |-<br /> |第4代||[[日比野三成]]||1975年 - 1979年||<br /> |-<br /> |第5代||[[簡野正一郎]]||1979年 - 1991年||順正高看校長。1985年まで兼務<br /> |-<br /> |第6代||[[富井通雄]]||1991年 - 1999年 ||岡山県立病院 院長<br /> |-<br /> |第7代||[[大藤眞]]||1999年 - 2004年 ||[[岡山大学]]医学部教授<br /> |-<br /> |第8代||[[倉田和四生]]||2004年 - 2006年 ||[[関西学院大学]]教授・社会学部長&lt;br /&gt;吉備国際大学副学長&lt;br /&gt;高梁の郷土史を研究。[[留岡幸助]]・[[福西志計子]]らの伝記研究に尽力。<br /> |-<br /> |第9代||[[山部正]]||2006年 - 2011年 ||本学学長退任後、2013年まで順正高看校長職に就く&lt;br /&gt;吉備国際大短大部移管時の学長&lt;br /&gt;順正短期大学の学長としては最後の着任者&lt;br /&gt;吉備国際大学短大部学長としては初代かつ唯一となる短大部学長単職の着任者<br /> |-<br /> |第10代||[[松本皓]]||2011年 - 2015年 ||岡山大学医学部教授&lt;br /&gt;順正高看校長&lt;br /&gt;吉備国際大学学長を兼任<br /> |-<br /> |第11代||[[眞山滋志]]||2015年 - 2016年 ||神戸大学名誉教授&lt;br /&gt;吉備国際大学学長を兼任&lt;br /&gt;課程休止時の学長<br /> |}<br /> &lt;!--==== 出身者 ====<br /> * --&gt;<br /> <br /> == 施設 ==<br /> [[File:KIU&#039;s Campas of Front at Okayama-Station.jpg|350px|thumb|岡山駅前キャンパス(課程停止前当時)]]<br /> === キャンパス ===<br /> ==== 高梁キャンパス ====<br /> * 使用学科:幼児教育科・保健科<br /> * 使用専攻科:幼児教育専攻<br /> * 使用附属施設:図書館<br /> * 交通アクセス:[[西日本旅客鉄道|JR西日本]][[伯備線]][[備中高梁駅|備中高梁]][[鉄道駅|駅]]下車。[[バス (交通機関)|バス]]を利用する場合は、[[備北バス]]「高梁市内循環線」に乗車の上、「順正短大前」[[バス停留所]]で下車。<br /> * 設備:学生食堂・国際交流会館ほか<br /> <br /> ==== 岡山キャンパス ====<br /> * 使用学科:保健科美容デザイン専攻<br /> * 使用専攻科:なし<br /> * 使用附属施設:なし<br /> * 交通アクセス:JR[[山陽本線]][[岡山駅]]下車。<br /> &lt;!--* 設備:--&gt;<br /> <br /> === 寮 ===<br /> * 「たかはし寮」と「歯科岡山寮」と称した学生寮があり、いずれも女子を対象とした寮となっている。<br /> <br /> == 史跡 ==<br /> {{see also|順正寮跡|順正高等女学校}}<br /> [[File:Junsei memorial house.jpg|thumb|right|250px|順正記念館([[順正寮跡]])と石碑]]<br /> [[File:Junsei ryo.JPG|thumb|right|250px|改修前の順正寮跡]]<br /> ;[[順正寮跡]]<br /> :1895年11月築、1896年3月28日供与。&lt;ref&gt;『福西志計子と順正女学校 山田方谷・留岡幸助・伊吹岩五郎との交友』(著・倉田和四生 / 刊・吉備人出版 /2006年12月16日 初版発行)巻末資料「順正女学校略年譜」より&lt;/ref&gt;<br /> :高梁市頼久寺町の順正学園敷地内に在する。半洋風型和風(擬洋風)建築。県指定[[重要文化財]]。岡山県初の女学校舎である。&lt;ref&gt;順正寮前案内看板より&lt;/ref&gt;<br /> :順正短大旧校舎・旧図書館。また[[岡山県立高梁高等学校]]の元・伊賀町分校旧校舎でもあり、元は順正高等女学校(順正女学校)の学校舎。現在は順正学園および高梁市によって管理されているが、老朽化のため管理内容は建物の保全にとどまり、現在は校舎としての使用は控えられている。<br /> :順正女学校を設立した[[福西志計子]]によって設立・建設された同校の校舎であり寄宿寮。福西は[[キリスト教]]信徒であり、順正女子校もその理念を持って設立されたが、当時の高梁では急速に広まるキリスト教に地元の警戒が強まったため、その反発をかわして教育の理想を貫くべく洋風校舎の建築を避け、あえて和風の外観を持つ校舎を建築した。しかし、[[破風]]上部の丸窓を意識したガラリ窓や玄関を覗き込むような菱組天井、随所の上げ下げ窓など、あらゆる箇所に洋風設計の名残を残している。なお、先ほどから幾度も述べているように順正短大そのものは旧順正女子校とは&#039;&#039;&#039;経営母体が違う&#039;&#039;&#039;ため、&#039;&#039;&#039;ミッション系の学校ではない&#039;&#039;&#039;事に注意すること。<br /> :2015年から管理者である順正学園により復元改築が行われ、2016年4月30日に工事が完了。順正女学校を設立させた福西志計子らを記念するための&#039;&#039;&#039;順正記念館&#039;&#039;&#039;として供与されている。&lt;ref&gt;[http://junsei.ac.jp/edu/news/2016/05/12/17/1898 順正記念館(旧順正寮)の開所式を行いました。- 学校法人順正学園]&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 対外関係 ==<br /> &lt;!--=== 地方自治体との協定 ===<br /> * --&gt;<br /> <br /> === 他大学との協定 ===<br /> ==== アメリカ ====<br /> * [[ライト大学]]<br /> * [[フィンドリー大学]]<br /> * [[シェネンドーア大学]]<br /> * [[グアム大学]]<br /> * [[ケープコッド・コミュニティーカレッジ]]<br /> <br /> ==== カナダ ====<br /> * [[モホーク大学]]<br /> <br /> ==== イギリス ====<br /> * [[サンダーランド大学]]<br /> * [[ダービー大学]]<br /> <br /> ==== オーストリア ====<br /> * [[リンツ工科造形芸術大学]]<br /> * [[ヨハネス・ケプラー大学]]<br /> <br /> ==== ポーランド ====<br /> * [[ニコラウス コペルニクス大学]]<br /> <br /> ==== ブラジル ====<br /> * [[パラナカトリカ大学]]<br /> * [[パラナ連邦大学]]<br /> <br /> ==== フィリピン ====<br /> * [[フィリピン国立大学]]<br /> <br /> ==== 中国 ====<br /> * [[中山大学]]<br /> * [[河南科技大学]]<br /> * [[雲南大学]]<br /> <br /> ==== 台湾 ====<br /> * [[南台科技大学]]<br /> <br /> ==== 韓国 ====<br /> * [[仁済大学校]]<br /> * [[仁川専門大学]]<br /> * [[済州観光大学]]<br /> * [[驪州大学]]<br /> * [[湖西大学]]<br /> * [[釜山情報大学]]<br /> * [[瑞逸大学]]<br /> * [[江原大学校]]<br /> <br /> === 姉妹校 ===<br /> * [[岡山理科大学]]([[岡山県]][[岡山市]])<br /> * [[倉敷芸術科学大学]]([[岡山県]][[倉敷市]])<br /> * [[千葉科学大学]]([[千葉県]][[銚子市]])<br /> &lt;!--=== 関係校 ===<br /> * --&gt;<br /> <br /> === 系列校 ===<br /> * [[吉備国際大学]]([[岡山県]][[高梁市]])<br /> * [[九州保健福祉大学]]([[宮崎県]][[延岡市]])<br /> * [[順正高等看護福祉専門学校]]([[岡山県]][[高梁市]])- 本校の介護福祉士養成課程を継承している<br /> * 岡山理科大学専門学校([[岡山県]][[岡山市]])<br /> * 倉敷芸術科学大学専門学校([[岡山県]][[倉敷市]])<br /> * 玉野総合医療専門学校([[岡山県]][[玉野市]])<br /> * 広島アニマルケア専門学校([[広島県]][[広島市]][[中区 (広島市)|中区]])<br /> * 福山福祉専門学校([[広島県]][[福山市]])<br /> * 松山総合福祉専門学校([[愛媛県]][[松山市]])<br /> * 広島加計ビジネス高等専修学校([[広島県]][[広島市]][[南区 (広島市)|南区]])<br /> * [[岡山理科大学附属中学校・高等学校]]([[岡山県]][[岡山市]])<br /> * [[吉備高原学園高等学校]]([[岡山県]][[加賀郡]][[吉備中央町]])<br /> * [[英数学館小学校・中学校・高等学校]]([[広島県]][[福山市]])<br /> * [[並木学院高等学校]]([[広島県]][[広島市]][[中区 (広島市)|中区]])<br /> * ゆうき幼稚園([[広島県]][[広島市]][[東区 (広島市)|東区]])<br /> <br /> == 系列福祉施設 ==<br /> * 順正保育園([[岡山県]][[岡山市]])<br /> * 特別養護老人ホーム グリーンヒル順正([[岡山県]][[高梁市]])<br /> <br /> == 社会との関わり ==<br /> * 本短大卒業生が「野崎教育賞」を受賞している。<br /> <br /> == 卒業後の進路について ==<br /> === 就職について ===<br /> * 全学科・専攻ともそれぞれの分野を活かした職に就いている人が少なからずいるものとみられる。<br /> <br /> === 編入学・進学実績 ===<br /> * 吉備国際大学本体ほか系列大学への編入学がある。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> === 注釈 ===<br /> {{Reflist|group=&quot;注&quot;}}<br /> === 引用 ===<br /> {{reflist}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> * 『[[全国学校総覧]]』<br /> * 『[[全国短期大学一覧|短期大学一覧]]』<br /> * 『[[日本の私立短期大学]]』(日本私立短期大学協会発行:[[1980年]])<br /> * 『[[進学年鑑]]』(『私大コース』シリーズ別冊)<br /> * 『[[全国短期大学高等専門学校一覧]]』([[文部科学省|文部省]][[高等教育]]局技術教育課監修)<br /> * 『[[短期大学教育]]』第49号(日本私立短期大学協会発行:[[1992年]])<br /> * 『[[螢雪時代|短大蛍雪]]』(全国短大&amp;専修・各種学校受験年鑑シリーズ。[[旺文社]])<br /> * 『[[全国短期大学受験要覧]]』([[廣潤社]])<br /> * 『[[全国短期大学案内 (教学社)|全国短期大学案内]]』([[教学社]])<br /> * 『[[全国短期大学受験案内]]』([[晶文社]])<br /> * 『[[全国短期大学案内 (梧桐書院)|全国短期大学案内]]』([[梧桐書院]])<br /> * 『短大蛍雪』([[2000年]][[5月]]臨時増刊。[[旺文社]])<br /> * 『順正短期大学』入学案内[[小冊子]]<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[短期大学の一覧#岡山県|短期大学の一覧]]<br /> * [[大学通信教育#私立大学通信教育協会加盟校|大学通信教育]]<br /> * [[岡山県立高梁高等学校]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://junsei.ac.jp/ 順正短期大学ウェブサイト]<br /> * [http://junsei.ac.jp/edu/ 順正学園ウェブサイト]<br /> <br /> {{加計学園グループ}}<br /> {{DEFAULTSORT:きひこくさいたんき}}<br /> [[Category:日本の私立短期大学 (廃止)]]<br /> [[Category:岡山県の大学]]<br /> [[Category:遠隔教育]]<br /> [[Category:日本の歯科衛生士養成所 (短期大学)]]<br /> [[Category:美容師養成施設 (短期大学)]]<br /> [[Category:岡山県指定史跡]]<br /> [[Category:学校記事]]</div> 126.243.83.3 茨城県立カシマサッカースタジアム 2018-07-12T07:30:11Z <p>126.243.83.3: 2400:7800:8667:4600:91A9:45A1:B054:BF10 (会話) による ID:69148434 の版を取り消し</p> <hr /> <div>{{複数の問題<br /> | 出典の明記 = 2015年11月21日 (土) 09:13 (UTC) <br /> | 独自研究 = 2015年11月21日 (土) 09:13 (UTC)}}<br /> {{スタジアム情報ボックス<br /> | スタジアム名称 = 茨城県立カシマサッカースタジアム&lt;br/&gt;Kashima Soccer Stadium<br /> | 愛称 = カシマスタジアム<br /> | 画像 = [[File:Kashima Stadium 1.JPG|center|300px|カシマサッカースタジアム]]<br /> | 所在地 = {{Flagicon|JPN}}[[茨城県]][[鹿嶋市]][[神向寺]]26-2<br /> | 緯度度 = 35 | 緯度分 = 59 | 緯度秒 = 30.25 | N(北緯)及びS(南緯) = N <br /> | 経度度 = 140 |経度分 = 38 | 経度秒 = 25.92 | E(東経)及びW(西経) = E<br /> | 起工 = 1992年3月<br /> | 開場 = 1993年5月<br /> | 拡張 = 1998年工事開始、2001年増築竣工<br /> | 閉場 = <br /> | 取り壊し = <br /> | 所有者 = [[茨城県]]<br /> | 運用者 = 株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー<br /> | グラウンド = 天然芝<br /> | ピッチサイズ = 105 x 68m<br /> | 照明 = 1500ルクス<br /> | 大型映像装置 = [[オーロラビジョン]]および帯状映像装置(リボンビジョン)<br /> | 建設費 = 193億(改修費)<br /> | 設計者 = 茨城県土木部、日建設計<br /> | 建設者 = [[竹中工務店]]・住友・常総・JV、勝村・岡部・JV<br /> | 旧称 = <br /> | 使用チーム、大会 = [[鹿島アントラーズ]]([[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]])(1993年-現在)&lt;br /&gt;[[2002 FIFAワールドカップ]]<br /> | 収容能力 = 40,728人<br /> | アクセス = [[東日本旅客鉄道|JR]][[鹿島線]]・[[鹿島臨海鉄道]][[鹿島サッカースタジアム駅]]<br /> |pushpin_map = Japan Ibaraki<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;茨城県立カシマサッカースタジアム&#039;&#039;&#039;(いばらきけんりつカシマサッカースタジアム)は、[[茨城県]][[鹿嶋市]]にある[[サッカー]]専用スタジアムである。施設は[[茨城県]]が所有している。<br /> <br /> [[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)に加盟する[[鹿島アントラーズ]]がホームスタジアムとして使用しており、その運営会社である株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シーが[[指定管理者]]として運営管理を行っている。新聞などの報道では、&#039;&#039;&#039;カシマサッカースタジアム&#039;&#039;&#039;や&#039;&#039;&#039;カシマスタジアム&#039;&#039;&#039;と省略して称されるほか、単に&#039;&#039;&#039;カシマ&#039;&#039;&#039;と略記されるのも見られる。また、鹿嶋市やその周辺での標識では&#039;&#039;&#039;カシマサッカー場&#039;&#039;&#039;と表記されるのも見られる。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> 日本でプロサッカーリーグを創設しようという動きが具体化した[[1990年]]([[平成]]2年)に、茨城県を拠点に活動していた[[住友金属蹴球団]]が、Jリーグへの参加を表明したことを契機として、[[1993年]](平成5年)[[3月26日]]に収容人数約15,000人、日本初の全席背もたれ付きの個別席、スタンド全面が屋根付きの設備を有するサッカー専用スタジアムとして誕生した&lt;ref name=&quot;茨城県広報&quot;&gt;{{Cite web |author=茨城県知事直轄広報広聴課 |date=2015-04-01 |url=http://www.pref.ibaraki.jp/bugai/koho/kenmin/hakase/info/31/index.html |title=茨城県立カシマサッカースタジアム |work=茨城県ホームページ |publisher=[[茨城県]] |accessdate=2015-12-04}}&lt;/ref&gt;。スタジアムは、同年5月のJリーグ初開幕に間に合わせるため着工から竣工まで、約1年という工期で建設された&lt;ref name=&quot;茨城県広報&quot;/&gt;。[[1998年]](平成10年)には、[[2002 FIFAワールドカップ]]開催に合わせて既存設備にスタンド等を増築するなどの大規模改修が行われ、2層式スタンドを持つ収容人数41,800人{{efn|2001年増築改修当時の収容人数。}}の現在のスタジアムの形に変わり、[[2001年]](平成13年)から供用を再開した&lt;ref name=&quot;茨城県広報&quot;/&gt;。施設者の茨城県は自らの広報ページの中で、同スタジアムをサッカー専用施設として建設するにあたり、スタンドとピッチとの距離が近く、スタンド傾斜を大きめに取るなど、どの席からもゆったり観戦しやすいように配慮がなされた設計が行われていると紹介している&lt;ref name=&quot;茨城県広報&quot;/&gt;。<br /> <br /> 施設規模は、建築面積30,499[[平方メートル|m&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;]]、延べ床面積85,019m&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;を有し、主要構造部が[[鉄骨鉄筋コンクリート構造|鉄骨鉄筋コンクリート造]]+[[鉄骨構造|鉄骨造]]の地上6階建てで、建物の最高高さは49.5&amp;nbsp;mある。2012年現在の収容人数は40,728人で、2層式スタンドの観客席は全席背もたれ付きの独立シートを備える。サッカーの試合などが行われるフィールドは115m×78mの天然芝で、芝を養生育成するためのスプリンクラーとアンダーヒーティング設備を備えており、その他運営諸室や貴賓室、放送関係設備など、[[2002 FIFAワールドカップ]]をはじめとした国際試合開催に対応できる諸設備を備えたサッカースタジアムとなっている&lt;ref&gt;{{Cite web |author=&lt;!--カシマサッカースタジアム--&gt; |date=2012 |url=http://www.so-net.ne.jp/antlers/kashima-stadium/equipment/index.html |title=施設概要 |work=カシマサッカースタジアム ホームページ |publisher=茨城県立カシマサッカースタジアム |accessdate=2015-12-21}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[2006年]][[4月1日]]からアントラーズの運営会社である株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シーが指定管理者となり、現在に至るまでスタジアムを管理している。活動理念として「&#039;&#039;&#039;THE DREAM BOX.&#039;&#039;&#039;」を掲げ、スポーツ以外の事業などにも取り組んでいる&lt;ref name=&quot;茨城県広報&quot;/&gt;。現在は、サッカーの試合開催以外にも、健康事業やスタジアム周辺でフリーマーケットの開催なども行っている。健康事業は、アントラーズが[[2006年]]10月から開始し、[[厚生労働省]]の委託を受けた[[介護]]予防事業も行っている。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> {{Main|鹿島アントラーズ#住友金属時代}}<br /> <br /> 日本サッカー界で世界に通用するサッカーを目指すために、プロ化が絶対不可欠という機運が高まった1991年(平成3年)、日本サッカー協会は2年後の1993年(平成5年)5月に日本リーグをプロ化することを決定した{{sfn|高橋丈夫|2003|p=230}}。[[オリジナル10|プロサッカーリーグ参加の10チーム]]が選ばれ、そのなかに鹿島をフランチャイズとするアントラーズの前身である[[住友金属工業蹴球団]]も10番目のチームとして滑り込みで選出された。[[鹿島臨海工業地帯|鹿島開発]]以来、活気の薄れていた地元鹿島を魅力ある町にするために茨城県をはじめ、地元行政・民間・企業など懇談会を結成し検討していた関係者は、「若者が集まる地域づくりの起爆剤になる」「鹿島開発以来の黒船来航」と、これを大歓迎した{{sfn|高橋丈夫|2003|p=230}}。<br /> <br /> このとき、&lt;!--アントラーズの前身である住友金属工業蹴球団がJリーグに参入する際、--&gt;協会が示したJリーグ正会員となる条件の一つに「1万5000人以上収容可能な本拠地スタジアムを、平成5年春の Jリーグ開催までに確保する」というものがあった{{sfn|高橋丈夫|2003|p=230}}。鹿島町内にはプロサッカーリーグの本拠地スタジアムとして想定されていた1万5000人の観客を収容可能な陸上競技場や球技場がなく、住金蹴球団が本拠としていた住友金属工業鹿島製鉄所(現・[[新日鐵住金鹿島製鐵所]])内の多目的グラウンドは約5000人の収容人数で、プロサッカーリーグの基準が満たせなかったため、茨城県の全県的な応援体制でプロ・サッカー場を建設しようという当時の茨城県知事・[[竹内藤男]]の決断があった。かくしてJリーグ参入が決定すると、鹿島町が整備を進めていた[[鹿島灘]]に面する[[卜伝の郷運動公園]]内に建設予定だった3000人規模のサッカー場を、茨城県はJリーグ規格に適合する専用サッカースタジアムに計画を変更して建設することで即決した{{sfn|高橋丈夫|2003|p=230}}&lt;ref name=&quot;茨城新聞19920110&quot;&gt;「進むサッカーの街づくり - 鹿島地域」『[[茨城新聞]]』、1992年1月10日付日刊、15面。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 1992年(平成4年)、茨城県は82億円を拠出して観客1万5000人を収容できる全席屋根付きサッカー専用スタジアムの建設が始められ、翌1993年(平成5年)&lt;!--4月(要検証)--&gt;に竣工した茨城県立カシマサッカースタジアムは、本格的な設備を有するサッカー専用スタジアムとしては日本初のものとなった{{sfn|高橋丈夫|2003|p=231}}。このときのスタジアムは、敷地約4ヘクタール、天然芝のフィールドは105×68m、主要構造部は鉄筋コンクリート造でスタンドの最高高さ19.41mの地上3階建てであった{{sfn|高橋丈夫|2003|p=231}}。<br /> <br /> 1993年(平成5年)5月4日に開かれた完工式で茨城県立カシマサッカースタジアムは誕生し&lt;ref name=&quot;茨城新聞19930505p1&quot;/&gt;、式典後のこけら落としカードとなったアントラーズ対[[フルミネンセFC|フルミネンセ]](ブラジル)との[[プレシーズンマッチ]]で、[[ジーコ]]がスタジアム初ゴールを挙げた&lt;ref&gt;「初ゴールやはりジーコ」PEPSI CUP&#039;93『[[茨城新聞]]』、1993年5月5日付日刊、6面、スポーツ。&lt;/ref&gt;。そしてJリーグ公式戦としての初戦([[1993年Jリーグ開幕節]])である[[5月16日]]の1stステージ・対[[名古屋グランパスエイト]]戦で、ジーコが[[ハットトリック]]を達成し、アントラーズは5-0で快勝した&lt;ref&gt;「鹿島爆勝・ジーコ ハットトリック」J.LEAGUE『[[茨城新聞]]』、1993年5月17日付日刊、6面、スポーツ。&lt;/ref&gt;。同年に開始された Jリーグの試合では、スタジアムは常に超満員の盛況となり、熱狂的な地域住民と直結のプロスポーツの殿堂となった{{sfn|高橋丈夫|2003|p=231}}。また、ジーコは1994年の現役引退後もテクニカル・アドバイザーなどの形でアントラーズに貢献したことから、スタジアムにはジーコの銅像が建立された{{efn|なお、鹿嶋市内にはもう一体のジーコ像([[ショッピングセンターチェリオ]]内のジーコ広場内)が存在する。}}。<br /> <br /> 2002 FIFAワールドカップの開催が日本・韓国に決まると、1992年(平成4年)7月、茨城県はワールドカップの開催地に立候補し{{sfn|高橋丈夫|2003|p=231}}、1996年(平成8年)12月に茨城県が開催地の一つに選出された&lt;ref name=&quot;茨城新聞19961226&quot;/&gt;。県は、国際試合にも対応できる施設を目指してスタジアムの増築・改修を決定し、ワールドカップ開催に間に合わせるため、1998年(平成10年)10月に改修工事に着工、2001年(平成13年)5月15日に竣工するまで2年8ケ月の突貫工事で工事が進められた{{sfn|高橋丈夫|2003|p=231}}。完成した新スタジアムは、敷地面積10.7ヘクタール、スタンドは最高高さ49.5mの地上6階建て、収容人数は4万1800人(うち車椅子140席)に拡張され、2002年(平成14年)6月に、ワールドカップの会場の一つとなり、グループリーグ3試合が開催された{{sfn|高橋丈夫|2003|p=231}}。<br /> <br /> === 沿革 ===<br /> {{出典の明記|date=2015年12月|section=1}}<br /> * 1991年2月 - アントラーズのJリーグ初年度参加が決定&lt;ref name=&quot;茨城新聞19920110&quot;/&gt;。<br /> * 1992年1月13日 - 茨城県が県立カシマサッカースタジアムの建設計画を発表&lt;ref name=&quot;茨城新聞19920114-p1&quot;&gt;「県立カシマサッカースタジアム・1万5千人収容、来春完成」『[[茨城新聞]]』、1992年1月14日付日刊、1面〈総合〉。&lt;/ref&gt;。<br /> * 1992年3月 - スタジアム本体の起工式を挙行&lt;ref name=&quot;茨城新聞19920110&quot;/&gt;。<br /> * 1993年3月26日 - 茨城県立カシマサッカースタジアムが竣工&lt;ref name=&quot;茨城県広報&quot;/&gt;。<br /> * 1993年5月4日 - スタジアム完工式と、こけら落としとして、サッカーの[[プレシーズンマッチ]]、[[フルミネンセFC|フルミネンセ]]戦を開催&lt;ref name=&quot;茨城新聞19930505p1&quot;&gt;「カシマサッカースタジアム誕生・1万5000人大声援」ペプシ杯『[[茨城新聞]]』、1993年5月5日付日刊、1面。&lt;/ref&gt;。<br /> * 1993年5月16日 - 初のJリーグ公式戦(鹿島アントラーズ対名古屋グランパスエイト戦)が開催され、鹿島が5-0で勝利&lt;ref&gt;「J.LEAGUE 鹿島幕開け快勝」『[[茨城新聞]]』、1993年5月17日付日刊、1面〈総合〉。&lt;/ref&gt;。<br /> * 1994年3月12日 - [[1994年のJリーグ]]開幕戦、鹿島アントラーズ対[[ジュビロ磐田]]戦を開催。同日に鹿島サッカースタジアム駅が旅客営業を開始し、以後同スタジアムでのサッカー観戦客輸送に利用される&lt;ref&gt;「熱狂の応援、新駅も好評」『[[茨城新聞]]』、1994年3月13日付日刊、19面〈社会〉。&lt;/ref&gt;。<br /> * 1996年12月25日 - 茨城県が[[2002 FIFAワールドカップ]]の開催地として決定&lt;ref name=&quot;茨城新聞19961226&quot;&gt;「鹿嶋、開催地に選定・日韓共催、2002年W杯サッカー」『[[茨城新聞]]』、1996年12月26日付日刊、1面、総合。&lt;/ref&gt;。検討の結果、[[茨城県立カシマサッカースタジアム#増築工事|改修工事]]を決定&lt;ref name=&quot;茨城新聞19961228&quot;&gt;「知事『改修』を表明・カシマサッカースタジアム」『[[茨城新聞]]』、1996年12月28日付日刊、1面〈総合〉。&lt;/ref&gt;。<br /> * 1997年11月29日 - 鹿島アントラーズがジュビロ磐田との[[1997年のJリーグカップ|Jリーグヤマザキナビスコカップ]]で優勝し、カシマスタジアムでの公式戦初タイトルを獲得&lt;ref&gt;「鹿島、初の頂点」サッカー ナビスコ杯『[[茨城新聞]]』、1997年11月30日付日刊、1面〈総合〉。&lt;/ref&gt;。<br /> * 1998年 - スタジアム改修工事開始&lt;ref name=&quot;茨城新聞20000912&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;1999年-2000年の主催試合&quot; group=&quot;注釈&quot;&gt;1999年1stステージと2000年2ndステージ後半、チャンピオンシップは[[国立霞ヶ丘陸上競技場]]をメインとして、[[茨城県]]外で主催試合を開催。これは当時茨城県内にJリーグ基準を満たしたスタジアムがカシマ以外なかったため([[笠松運動公園陸上競技場|笠松陸上競技場]]は改修工事中)による。基本的には国立競技場で主催試合が開催されたが、1999年は[[石川県西部緑地公園陸上競技場]]、[[富山県総合運動公園陸上競技場]]で1試合ずつ、2000年は富山県総合運動公園陸上競技場、[[テクノポート福井総合公園#テクノポート福井スタジアム|テクノポート福井スタジアム]]、[[鳥取市営サッカー場]]で1試合ずつ開催された。&lt;/ref&gt;。<br /> * 2000年9月6日 - [[Jリーグヤマザキナビスコカップ]]準々決勝最終日を最後に同スタジアムの使用を休止&lt;ref&gt;「鈴木、価値ある一発」Jナビスコ杯準々決勝第2戦『[[茨城新聞]]』、2000年9月7日付日刊、10面、スポーツ。&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;茨城新聞20000909&quot;&gt;「カシマの芝・あすプレゼント」『[[茨城新聞]]』、2000年9月9日付日刊、23面〈地域/鹿行〉。&lt;/ref&gt;&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;なお、鹿島アントラーズは準決勝に進出したが、準決勝第2試合では[[仙台スタジアム]]で主催試合が開催された。&lt;/ref&gt;。<br /> * 2001年5月19日 - 改修工事が完了し、リニューアルオープン&lt;ref&gt;「新スタジアムきょうオープン・完成祝う催し多彩」『[[茨城新聞]]』、2001年5月19日付日刊、23面、地域/鹿行。&lt;/ref&gt;。1stステージ第10節、鹿島アントラーズ対[[柏レイソル]]を開催し、3-2でアントラーズが勝利&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010520&quot;&gt;「新スタジアムオープンに花 鹿島延長制す」『[[茨城新聞]]』、2001年5月20日付日刊、A版、1面。&lt;/ref&gt;。改修後の初ゴールはレイソルの[[黄善洪]]が記録&lt;ref&gt;TBS[[スーパーサッカー]]番組サイト内、同試合の記録[http://www.tbs.co.jp/supers/game/20010519_206.html]。&lt;/ref&gt;。<br /> * 2001年5-6月 - [[FIFAコンフェデレーションズカップ2001]]で、[[サッカー日本代表|日本]]対[[サッカーブラジル代表|ブラジル]]戦を含むグループリーグ3試合を開催&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010601&quot;&gt;「カシマ、世界“デビュー”・新スタジアム初の国際試合」コンフェデ杯『[[茨城新聞]]』、2001年6月1日付日刊、B版、23面〈社会〉。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;「『ニッポン』コールに沸く・カシマで日本戦」コンフェデ杯『[[茨城新聞]]』、2001年6月5日付日刊、A版、19面〈社会〉。&lt;/ref&gt;。<br /> * 2002年6月 - [[2002 FIFAワールドカップ]]で以下のグループリーグ3試合を開催{{sfn|高橋丈夫|2003|p=231}}。<br /> ** 6月2日 - [[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン]]対[[サッカーナイジェリア代表|ナイジェリア]](アルゼンチン1-0ナイジェリア)&lt;ref&gt;「カシマ『世界』に熱狂・アルゼンチン快勝」2002 FIFA WORLD CUP『[[茨城新聞]]』、2002年6月3日付日刊、B版、1面。&lt;/ref&gt;。<br /> ** 6月5日 - [[サッカードイツ代表|ドイツ]]対[[サッカーアイルランド代表|アイルランド]](ドイツ1-1アイルランド)&lt;ref&gt;「劇的同点弾カシマ酔う・アイルランド、ドイツ引き分け」2002 FIFA WORLD CUP『[[茨城新聞]]』、2002年6月6日付日刊、B版、1面。&lt;/ref&gt;。<br /> ** 6月8日 - [[サッカーイタリア代表|イタリア]]対[[サッカークロアチア代表|クロアチア]](イタリア1-2クロアチア)&lt;ref&gt;「興奮絶頂 カシマ有終・イタリア、波乱の逆転負け」2002 FIFA WORLD CUP『[[茨城新聞]]』、2001年6月9日付日刊、B版、1面。&lt;/ref&gt;。<br /> * 2003年6月29日 - ワールドカップ開催1周年記念として、「アントラーズブラジル対アントラーズジャパン」の親善試合を開催(3-2でアントラーズブラジルの勝利)&lt;ref&gt;「W杯の熱狂再現 - カシマで1周年フェス」『[[茨城新聞]]』、2003年6月30日付日刊、A版、1面。&lt;/ref&gt;。<br /> * 2003年12月15日 - [[Jリーグアウォーズ]]にてJ1ベストピッチ賞受賞&lt;ref&gt;「&quot;最高の芝生&quot;カシマを表彰 - ベストピッチ賞」『[[茨城新聞]]』、2003年12月16日付日刊、A版、7面〈スポーツ〉。&lt;/ref&gt;。<br /> * 2004年4月4日 - [[カシマサッカーミュージアム]]がスタジアム内にオープン{{Refnest|group=&quot;注釈&quot;|県・鹿島FC・鹿島サポーター代表など関係者らによる完成披露宴が2004年4月4日に行われ、一般公開は2日後の4月6日から&lt;ref&gt;「サッカーミュージアム完成 - 県立カシマスタジアム」『[[茨城新聞]]』、2004年4月5日付日刊、20面〈地域〉。&lt;/ref&gt;。}}。<br /> * 2005年2月20日 - 第1回[[いばらきサッカーフェスティバル]]を開催&lt;ref&gt;「&quot;茨城ダービー&quot;鹿島に軍配 - Jリーグ」『[[茨城新聞]]』、2005年2月21日付日刊、A版、1面。&lt;/ref&gt;。<br /> * 2006年 - 鹿島アントラーズ・エフ・シーが、スタジアムの指定管理者になる。<br /> * 2006年 - スタジアム2ゲートの名称が住友金属工業による[[命名権]]取得のため「住友金属ゲート」に変更。<br /> * 2006年7月15日 - [[Jリーグオールスターサッカー|2006JOMOオールスターサッカー]]を開催&lt;ref&gt;宮崎薫「東軍大勝 - J球宴」『[[読売新聞]]』、2006年7月16日付朝刊、14版、25面〈スポーツ〉。&lt;/ref&gt;。<br /> * 2006年12月2日 - J1第34節のジュビロ磐田戦でJリーグ初となる[[グリーン電力]]使用による試合運営を実施。<br /> * 2007年7月29日 - [[本田泰人]]引退試合「鹿島アントラーズ1993-ヴェルディ1993」を開催。<br /> * 2007年 - スタジアム1ゲートの名称が常陽銀行による命名権取得のため「常陽銀行ゲート」に変更。<br /> * 2008年 - アジア最長500mの[[発光ダイオード|LED]]帯状映像装置を設置。<br /> * 2009年2月1日 - [[秋田豊#引退試合|秋田豊引退試合「鹿島レジェンドスターズ-磐田レジェンドスターズ」]]を開催。<br /> * 2011年3月11日 - [[東北地方太平洋沖地震]]被災。スタンド階段部分崩落などの被害を受ける。<br /> * 2011年6月4日 - 「[[震災復興チャリティーイベント SMILE AGAIN〜YELL FROM KASHIMA〜]]」を開催。<br /> * 2012年 - スタジアム「住友金属ゲート」(2ゲート)の名称が「新日鐵住金ゲート」に変更。<br /> * 2014年12月8日 - [[降雪]]のため延期になったJ1最終節・[[アルビレックス新潟]]対[[柏レイソル]]戦を開催&lt;ref&gt;「柏 7連勝で4位 - 全日程終了」J1・8日『[[読売新聞]]』、2014年12月9日付朝刊、13版、25面、スポーツ。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{Cite web|publisher=[[日本プロサッカーリーグ (法人)|日本プロサッカーリーグ]]|date=2014-12-06|url=http://www.j-league.or.jp/release/000/00006230.html|title=【2014Jリーグディビジョン1】第34節 アルビレックス新潟-柏レイソル 代替開催日決定のお知らせ|accessdate=2014-12-07}}&lt;/ref&gt;。<br /> * 2015年6月27日 - J1 1st第17節の[[川崎フロンターレ]]戦で、鹿島アントラーズがJリーグクラブ史上初の本拠地公式戦通算1000得点目を達成{{要出典|date=2015年11月}}。<br /> * 2015年7月5日 - ENCORE supported by JIM BEAM [[中田浩二 (サッカー選手)|中田浩二]] [[柳沢敦]] [[新井場徹]]合同引退試合を開催&lt;ref&gt;「鹿島が中田氏ら3人の引退試合」J情報・5日『[[読売新聞]]』、2015年7月6日付朝刊、13版、25面〈スポーツ〉。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 施設 ==<br /> 鉄筋6階建て、2層式スタンドに40,728人を収容し{{efn|旧スタジアム比で、観客席が約2.9倍、延べ床面積が約3.8倍の規模になる。}}、メインスタンドは東向き(西側の鹿島サッカースタジアム駅側)、バックスタンドは西向き(東側の国道51号側)に配置されており&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010518p14-15&quot;/&gt;、車椅子の観戦席が100席バックスタンド側にあり、国際試合に対応できる諸設備が備わる&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010518p14-15&quot;&gt;「2002W杯 新生カシマスタジアム特集」『茨城新聞』、2001年5月18日付日刊、14・15面〈特集〉&lt;/ref&gt;。スタンド上に楕円形で波打つ形状の屋根が客席の3分の2を覆い、南側と北側の2階席に縦9.6&amp;nbsp;m×横19.2&amp;nbsp;mの大型映像装置を備える。ピッチ内に日本国内サッカースタジアムで初となるスプリンクラーを配備&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010517&quot;/&gt;。スタンド1、2階を分けるコンコースに、W杯開催記念の[[笠間焼]]メモリアルタイルを約2万1000枚展示し&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010517&quot;/&gt;、観戦者への配慮からトイレの数は560個ある&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010518p14-15&quot;/&gt;。スタジアム構内と隣接地に公営2630台分の駐車場がある&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010517&quot;/&gt;。<br /> === ピッチ ===<br /> 芝は、ケンタッキーブルーグラスという一種類のみを採用する&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010518p14-15&quot;/&gt;。寒地芝草で、その名の通り青に近い緑色が特徴で真夏の暑さにも強く、病気の強さ・暑さ対策・色合いの点から選ばれたものである&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010518p14-15&quot;/&gt;。アメリカのメジャーリーグの野球場で使用されている芝と同じ種である&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010518p14-15&quot;/&gt;。<br /> また芝の管理システムは、常に安定した緑化を保てるよう、ピッチ内にスプリンクラーを設置し、地温コントロールシステム「アンダーヒーティング」を導入している&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010518p16-17&quot;&gt;「橋本知事インタビュー - 2002W杯 新生カシマスタジアム特集」『茨城新聞』、2001年5月18日付日刊、14・15面〈特集〉&lt;/ref&gt;。ピッチ内にスプリンクラーを設置する方式は、Jリーグ公式戦使用スタジアムとしては、日本国内初である&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010518p16-17&quot;/&gt;。<br /> &lt;!-- セルシステムは、旧スタジアムの芝の給排水システム --&gt;<br /> <br /> === スタンド ===<br /> ;観戦席<br /> * 全層二層式で座席数は合計40,728席ある。立ち見席はなく、すべての席に椅子が用意されている。2階席の傾斜角は33度あり、転落防止の配慮から1階席の椅子よりも背もたれが高く、身体を包み込むような形状をする&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010518p14-15&quot;/&gt;。これは2階席の見やすさを配慮した設計によるもので、真上からグラウンドを見下ろすような感覚になるように1階席よりも傾斜角度がきつくなっている&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010518p14-15&quot;/&gt;。<br /> * バックスタンドの1階席には赤地に白文字で「KASHIMA」が、2階席には白地に赤文字で「IBARAKI」が入っている。 <br /> * 身体障がい者席は140席あり、[[車いす]]用観戦席はバックスタンド最前列から一段せり出した目の前にグラウンドが広がる位置にある&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010518p14-15&quot;/&gt;。車椅子どうしがすれ違うことができる幅が確保されたもので、収容台数は100台である&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010518p14-15&quot;/&gt;。<br /> * 飲料のうち、ペットボトルは500㎖以下で、なおかつふたを外したものであれば持参は可能。<br /> * メイン・バックスタンドの中央部6ブロックは、肘掛け付き・座面跳ね上げ式の座席となっている。<br /> * [[鹿島アントラーズ]]ホームゲームでは、2016年まではメインスタンドより見て左側(北側)をホーム側、右側(南側)をアウェイ側としていたが、2017年シーズンよりこれを入れ替えることとなった。元々、1階席だった時代は、南側(但しこの当時は東側がメインスタンドだったため、テレビ中継では左側に当たる)がホームスタンドだった([[#旧スタジアム|後述]])。この理由としては試合時における運営上の導線が南側に偏っており、ホームスタンドを南側に移すことで利便性と安全性が向上するのと、北側ゴール裏スタンドに大型映像装置が設置(既設だった南側も同様に同じサイズのビジョンに付け替え)されることにより、スタジアム全体のインフォメーション掲示が可能となるためとしている&lt;ref&gt;[http://www.so-net.ne.jp/antlers/news/release/56690 2017年よりホーム・ビジターサイドの入れ替えについて] 鹿島アントラーズ 2016年10月1日&lt;/ref&gt;。<br /> **ただし、[[AFCチャンピオンズリーグ2017]]における、鹿島主管試合においては、[[応援団]]席は上記の通りだが、ベンチ・ウォームアップスペースについては、2016年までの従来と同じ形式(ホーム・鹿島側が北側、アウェークラブは右側)となる&lt;ref&gt;[http://www.so-net.ne.jp/antlers/news/game_info/58655 ACL開催時のベンチ位置について](鹿島アントラーズ 2017年2月20日)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> ;屋根・照明<br /> * 屋根の形状は波打つアーチ状で、フッ素加工を施した膜材[[ポリカーボネート]]が使用されており、[[東京ドーム]]と同じ屋根素材である&lt;ref name=&quot;茨城新聞20000820&quot;&gt;「夢舞台へ つち音響き」県立カシマスタジアム『[[茨城新聞]]』、2000年8月20日付日刊、13面〈特集〉。&lt;/ref&gt;。天然芝の育成になるべく影響を与えないようにするため、南スタンド上の屋根だけは日光を透過しやすいよう、半透明になっている&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010517&quot;/&gt;。<br /> * 照明は波型の屋根に388個の投光器が備わる&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010518p14-15&quot;/&gt;。ゴールラインから15度の角度の位置にライトはなく、コーナーキック時に選手が眩しさを感じないように工夫がされている&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010518p14-15&quot;/&gt;。<br /> <br /> ;アップルーム<br /> :メインスタンドの真下にある選手用の試合開始前のウォーミングアップスペース。ホーム、アウェー両チーム用に2カ所ある&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010518p14-15&quot;/&gt;。<br /> <br /> === コンコース・ゲート ===<br /> コンコースとは、建物2階部分に当るスタンド席裏側の広いスペースのことで、カシマスタジアムでは歩いてぐるりと1周することができる。イベント会場にもなりコミュニケーションの場としても提供される&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010518p14-15&quot;/&gt;。フーリガン対策として、各入場ゲートにセキュリティーフェンスを設置し、場内やコンコースに監視カメラを58台設置するなどハード面での対策が講じられている&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010518p14-15&quot;/&gt;。<br /> ; コンコース<br /> * アントラーズホームゲーム開催日には多くの売店が出店する。<br /> * アントラーズオフィシャルグッズショップ(アントラーズホームゲーム開催日のみ営業)<br /> * カシマウェルネスプラザウォーキングスペース(中2階)<br /> * バックスタンド側コンコースの5ゲートと6ゲート付近に[[エレベーター]]が設置されている。<br /> * トイレの男性用と女性用の数はほぼ半数ずつの計560個あり{{efn|女性用は287個と旧スタジアム(57個)よりも大幅に増加されている&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010518p16-17&quot;/&gt;。}}、混雑解消を目的に入口と出口が別となっている&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010518p14-15&quot;/&gt;。<br /> ; ゲート<br /> * 2ゲートは[[新日鐵住金]](旧・住友金属工業)が命名権を取得したため、名称は「新日鐵住金ゲート」となっている。<br /> * 3ゲートはアウェイサポーター専用ゲート(鹿島アントラーズホームゲーム開催時)<br /> * 新日鐵住金ゲートと5ゲートの階段にはエスカレーターが設置されている。<br /> <br /> === 映像装置・広告看板 ===<br /> *2017年から北・南の両サイドスタンドの2階席に新たな大型映像装置(サイズ:縦9.6&amp;nbsp;m×横19.2&amp;nbsp;m)&lt;ref name=&quot;antleras 20170220&quot;&gt;[http://www.so-net.ne.jp/antlers/news/game_info/58661 スタジアム大型映像装置新設のお知らせ](2017年2月20日)&lt;/ref&gt;を設置することになり、下記にある従来型の大型ビジョン・得点掲示板は撤去された。<br /> *;旧映像・得点表示装置<br /> **2002年の日韓ワールドカップに備えて、南サイドスタンド2階席にパナソニック製の700インチ相当 (8.4 m×15 m) 、[[発光ダイオード|LED(発光ダイオード)]]方式の大型映像装置が備えられ{{efn|2001年増築時に設置。}}、試合中の得点シーンなどが再生される&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010518p14-15&quot;/&gt;。<br /> **北サイドスタンド2階席に得点表示板が設置されている(1993年開設時は南サイドスタンド1階席に設置。上部は簡易フリーボードで選手表記などが可能。2001年増築時に現在の場所へ移動)。<br /> * 2階席最前列にアジア最長となる高さ1m、長さ500mの[[発光ダイオード|LED]](アビックス製)帯状映像装置「LED[[オーロラビジョン|リボンビジョン]]」が場内をほぼ一周するように設置されている。またこれとは別に[[2015年]]からバックスタンド1階席最前列にもリボンビジョン&lt;ref&gt;[http://www.so-net.ne.jp/antlers/news/game_info/47971 バックスタンド横断幕掲出ルールの変更について](同ページの写真にあるJリーグ協賛社の横断幕の手前にリボンビジョンがある)&lt;/ref&gt;が新たに設置され、ゴール裏の回転広告盤(後述)と一体運用している。<br /> * ゴール裏最前列に設置されている広告看板は回転看板(アドタイム)を使用しており、試合時間帯に応じてアントラーズのスポンサーの広告を切り替えて表示している。この回転盤は[[1995年]]から採用されており、当初はピッチ前のみであったが、[[1999年]]から客席最前列{{efn|ゴール裏の2台は据え置き型だが、応援席最前列は固定式。[[1994年]]-[[1998年]]はこの箇所は直接固定貼り付け型の看板・横断幕の設置スペースだった。}}、さらに[[2015年]]以後はゴール裏の客席とピッチの中間部分(ピッチから見て奥)の部分にも設置されている。<br /> <br /> === スタジアム内に併設されている施設 ===<br /> * [[カシマサッカーミュージアム]](バックスタンド側)<br /> * アントラーズファンクラブ事務局<br /> * カシマウェルネスプラザ<br /> *:バックスタンド側に[[スポーツクラブ]]「カシマウェルネスプラザ」を開設し、鹿島アントラーズ・エフ・シーが運営している。施設内にはトレーニングジムがあるほか、インストラクターによる[[エクササイズ]]といったプログラムも行われている。また、スタジアムの中2階[[コンコース]]にはウォーキングコースが整備されている。2011年から、[http://www.environ.jp/ ENVIRON]のメソッドによる[http://www.so-net.ne.jp/antlers/spl/skincare/index.html アントラーズスキンケア]が開始された。<br /> <br /> == 旧スタジアム ==<br /> 旧茨城県立カシマサッカースタジアムは、茨城県のスポーツ振興の拠点であるとともに、鹿島アントラーズのホームグラウンドともなり、1993年5月の初オープンから2000年9月の増改修のため一時休止されるまでの約7年半の間、Jリーグを中心にサッカー公式戦が開催された。<br /> 国内サッカースタジアムとして日本初のものは、(1) 全ての観客席が屋根付き、(2) 四方とも観客席が独立した椅子席、(3) 1500ルクスの高照度夜間照明、(4) [[セルシステム]]採用の天然芝フィールドであった&lt;ref&gt;「茨城県立カシマサッカースタジアム完成」茨城県広告『[[茨城新聞]]』、1993年5月4日付日刊、9面。&lt;/ref&gt;。<br /> これらは当時のサッカー場の水準を上回る最新設備であり、1万5000人規模のサッカースタジアムとしてみれば世界一の設備を有するもので&lt;ref name=&quot;茨城新聞19930504p8&quot;&gt;「選手を待つ夢舞台・わずか13カ月で完成」県立カシマサッカースタジアム『[[茨城新聞]]』、1993年5月4日付日刊、8面。&lt;/ref&gt;、国内サッカー場の中でもカシマスタジアムの大きな特徴にもなった。<br /> <br /> 当初から、将来日本でワールドカップが開催された場合に対応できるように、4万人程度の収容能力に高める余地を残した設計がなされており&lt;ref name=&quot;茨城新聞19920114-p1&quot;/&gt;、建設ではJリーグ開幕に間に合わせるため、[[プレハブ工法|プレキャスト (PC) 工法]]を導入するなど工期短縮の工夫が随所で見られ、わずか13カ月間で完成している。施工は、[[竹中工務店]]、[[住友建設]]、[[常総開発工業]]の[[共同企業体]] (JV) が担当し、在来工法による工期は23カ月と試算されたが、現場近くで梁や床、階段などを製造して部品を組み立てていくことで工期を大幅に短縮した&lt;ref name=&quot;茨城新聞19930504p8&quot;/&gt;。<br /> <br /> === 施設概要 ===<br /> *敷地面積:約4.0ha<br /> *フィールド:天然芝(105m×68m)<br /> *スタンド<br /> **構造:鉄筋コンクリート+鉄骨鉄筋コンクリート+鉄骨造地上3階<br /> **建築面積:約12,000m&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> **延べ床面積:約22,000m&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> **スタンド面積:約10,000m&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> **最高高さ:19.41m<br /> **観客席:15,000人収容、全椅子席、観客席屋根付き<br /> **所要室:本部室、更衣室、事務室、医務室、審判更衣室、記者室、カメラマン控室、インタビュー室、トレーニング室、放送室、貴賓室、応接室<br /> **付属施設:夜間照明(1,500ルクス)、電光掲示板<br /> &lt;small&gt;(出典:茨城県立カシマサッカースタジアム『茨城新聞』、1993年5月4日付日刊、9面、全面広告。)&lt;/small&gt;<br /> <br /> === ピッチ ===<br /> 日本で初めて採用されたスイス開発のセルシステムによる天然芝のグラウンドは、芝面から45cmの深さに全面ビニルシートを敷き詰め、スリット付きのパイプを張りめぐらせて砂を敷き、芝の種を蒔いて造られたものである。セルシステムは、埋設されたパイプの水位を上下させることにより、給水、排水、肥料などの薬液を供給するシステムで、すなわちグラウンドにはスプリンクラーは無く、旧来のサッカー場では水はけを考慮して傾斜が設けられていたが、カシマでは排水勾配の必要がない傾斜率ゼロの平らなグラウンドが可能となり、これが旧スタジアム最大の特徴にもなった&lt;ref name=&quot;茨城新聞19930504p8&quot;/&gt;。鹿嶋の気候に合わせフィールドには鹿島の砂が使用されており、テストして砂質に合う選び抜かれた暖地性、寒地性、日陰に強い3種類の洋芝をブレンドしたものが使用された&lt;ref name=&quot;茨城新聞20000820&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;茨城新聞20000909&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;茨城新聞19930504p8&quot;/&gt;。<br /> <br /> 欧米育ちの芝にとって日本の夏場の高温多湿の気象環境は芝の育成に厳しい条件となり、カシマでは過去に2度の大規模な芝の夏枯れに見舞われている&lt;ref name=&quot;茨城新聞20000820&quot;/&gt;。芝に着いた朝露が日光に照らされてレンズ効果で芝が焼けてしまう現象に対しては、大型扇風機を何台もピッチ脇に設置して人工的に風を起こし、露を吹き飛ばす対策を行って問題を解消させている&lt;ref name=&quot;茨城新聞20000820&quot;/&gt;。<br /> &lt;!-- 要出典(2016年9月) --<br /> ** [[1994年]]のJリーグニコスシリーズ(年間後期)序盤、記録的[[空梅雨]]・[[猛暑]]の影響が災いしてセルシステムの給水管が熱を帯びてしまい、芝生を枯らす事態があった。<br /> --&gt;<br /> === スタンド ===<br /> 全ての席の頭上にテント生地の屋根が覆っており、使用された布地は[[東京ドーム]]と同じ材質のものが使用された&lt;ref name=&quot;茨城新聞19930504p8&quot;/&gt;。1万5000人の観客席は、ベンチ席は無くすべてが独立しており、客席1人あたりの面積は0.62m&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;と、従来施設平均(0.4〜0.5m&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;)よりゆとりある設計がされていた。メインスタンドの座席の色は太平洋に由来する青で、バックスタンドはアントラーズチームカラーの赤が使用され、ローマ字で白く「KASHIMA」と染められた&lt;ref name=&quot;茨城新聞19930504p8&quot;/&gt;。<br /> <br /> === 夜間照明 ===<br /> スタジアムの四隅に設けられた照明塔は1500ルクスを確保したもので、この当時、一般的な既存サッカー施設の500〜1000ルクスよりもフィールドの芝生を明るく照らし出すものが設置された&lt;ref name=&quot;茨城新聞19930504p8&quot;/&gt;。<br /> <br /> == 改修工事 ==<br /> ===2002年ワールドカップに向けた改修===<br /> 1993年の開場当初、茨城県立カシマサッカースタジアムの収容人員は15,000人だったが、その後立見席を設けたため収容人員は約16,000人となった。だが、茨城県は[[2002 FIFAワールドカップ]](W杯)の開催地として立候補しており、茨城県立カシマサッカースタジアムを開催会場とすることも決まっていたことから、スタジアムの処遇を検討する必要に迫られた。1995年5月31日に茨城県からW杯日本招致委員会に提出された第3次(最終)開催計画では、すでにスタンドを40mの高さの2層式にして収容人数を1万5千人から4万3千人にするほかプレスゾーンも拡大し、観客席の3分の2に屋根を被せて屋根下に照明を整備する内容とされた&lt;ref name=&quot;茨城新聞19961228&quot;/&gt;。<br /> <br /> 既存の茨城県立カシマサッカースタジアムを継続使用しながら増築する場合、安全上の問題が生じ[[消防法]]に抵触する恐れがあることから、一時はスタジアムを新規に建設する事も検討された。<br /> W杯の茨城県開催に向けてカシマサッカースタジアムの改修か新設かを検討していた、斉藤義則[[茨城大学]]教授などの有識者らで構成する「カシマサッカースタジアム整備検討委員会」は、1996年12月19日に最終報告書を[[橋本昌]]茨城県知事へ提出し、検討委員会が示した報告書の中で「改修」「新設」の両論を併記し、それぞれの利点や課題について述べられたが、委員会としての結論は下さず最終判断は知事にゆだねた&lt;ref name=&quot;茨城新聞19961220&quot;&gt;「『改修』『新設』の両論併記」-検討委が報告書 知事に決定ゆだねる」カシマサッカースタジアム『[[茨城新聞]]』、1996年12月20日付日刊、1面〈総合〉。&lt;/ref&gt;。これを受けた橋本知事は、新規建設の場合は建設コストが多額に及ぶことや{{efn|検討委員会が提示した最終報告書では、スタジアム改修案では248億円、スタジアム新設案では約300億円と必要な建設コストを試算しており、新設では最大50億円程高くなる見込みとした&lt;ref name=&quot;茨城新聞19961220&quot;/&gt;。}}、旧スタジアムを鹿嶋市へ譲渡・移管した場合に、鹿嶋市側の受入費用・スタジアム維持費用捻出が対応しきれないとの鹿嶋市内部の判断があったことを理由に、同年12月27日に既存の茨城県立カシマサッカースタジアムを増築することを表明し、1998年より着工して2001年開催にされるW杯プレ大会である[[FIFAコンフェデレーションズカップ2001]]までに完成させる予定を発表した&lt;ref name=&quot;茨城新聞19961228&quot;/&gt;。<br /> <br /> 改築事業は1998年10月から2年8カ月間に及び&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010518p16-17&quot;/&gt;、設計は[[日建設計]]、建築工事は[[竹中工務店]]、[[住友建設]]、[[勝村建設]]、[[常総開発工業]]、岡部工務店の5社による[[共同企業体|共同企業体 (JV)]] が施工を担当し&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010518p14-15&quot;/&gt;、初めの2年間は試合のない冬場を中心に工事が行われた&lt;ref name=&quot;茨城新聞20000912&quot;/&gt;{{efn|1998年から2001年までの増築工事期間中も、Jリーグの試合が全部で19試合開催されている&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010518p16-17&quot;/&gt;。}}。アントラーズはこの間茨城県を離れ、ホームゲームを[[東京都]][[新宿区]]の[[国立霞ヶ丘陸上競技場]](国立競技場)などで行った。{{要出典範囲|当時、茨城県内で[[J1リーグ|Jリーグ ディビジョン1]](J1)の基準を充足する施設は茨城県立カシマサッカースタジアムしかなかった。また、当時[[水戸ホーリーホック]]がホームゲームを行っていた[[那珂市]]の[[笠松運動公園陸上競技場]]は2002年に開催予定だった[[全国高等学校総合体育大会]](インターハイ)に合わせ改修中であり、[[水戸市立競技場]]、[[ひたちなか市総合運動公園陸上競技場]]は[[J2リーグ|Jリーグ ディビジョン2]](J2)規格も満たしていなかった。|date=2015年11月}}<br /> <br /> ==== 改修内容 ====<br /> 収容人員を約4万2000人規模とするため、既存スタンドの屋根を外して増設部分となる2階席を設置。昼間のテレビ中継で逆光による写り具合の悪さを解消するため、東側にあったメーンスタンドと西側にあったバックスタンドを、そっくり入れ替えた&lt;ref name=&quot;茨城新聞20000820&quot;/&gt;。また、観客の利便性を向上するため観客席内の車椅子席の数を増やし、スタンドのコンコースを1周できる構造へと変更している&lt;ref name=&quot;茨城新聞20000820&quot;/&gt;。<br /> <br /> 年間を通じて緑の芝生を維持管理するために国内初の導入例となったセルシステムは、カシマスタジアムの芝生の全面張り替えとともに撤去され、スプリンクラーへと置き換えられた&lt;ref name=&quot;茨城新聞20000819&quot;&gt;「『セルシステム』撤去へ」 - カシマスタジアムの芝管理」『[[茨城新聞]]』、2000年8月19日付日刊、23面〈社会〉。&lt;/ref&gt;。その理由は、観客席スタンドを2層式とするにあたり、ピッチ面の風通しが悪くなることと、7年が経過して土壌が固まり、セルシステムが十分機能しなくなり排水のみの利用となっていたなど影響が出ており、新スタジアムの構造になるとフィールド天然芝の育成環境が大きく変化し、夏場の蒸し暑さにも十分対応しきれなくなったためである&lt;ref name=&quot;茨城新聞20000819&quot;/&gt;。<br /> <br /> W杯開催に向けた改修工事を終えて4万人規模に生まれ変わった新スタジアムは、2001年5月19日にオープニングゲームとなるJリーグ鹿島対柏戦を開催し、同試合前に完工記念式典が開かれた&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010520&quot;/&gt;。そして、同年5月31日に初の国際試合となるコンフェデレーションズカップを迎え、[[ブラジル]]対[[カメルーン]]戦が開催された&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010601&quot;/&gt;。<br /> <br /> * [[1999年]] - 既存席の屋根の取り外し工事(1stステージのアントラーズ主催試合は茨城県内を離れて開催)<br /> * 2000年 - 2階席(新設)の基礎工事→屋根の架設、座席のひな壇作り<br /> * 2000年9月10日 - 「ピッチ開放ファン感謝祭」を開催。初めてピッチが一般開放され、全面張替えされるため記念に芝生をイベント参加者に無料提供&lt;ref name=&quot;茨城新聞20000912&quot;&gt;「ピッチを一般開放 - 県立カシマスタジアム」『[[茨城新聞]]』、2000年9月12日付日刊、B版、21面〈社会〉。&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;茨城新聞20000909&quot;/&gt;。<br /> * 2001年 - 2階席の仕上げ(座席の設置)、大型映像装置の設置、メイン・バックスタンドの配置換え、芝生の張替え<br /> * 2001年5月16日 - 増築完了、自治体関係者らに公開&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010517&quot;&gt;「新カシマスタジアム公開 - 波打つ屋根、臨場感」『[[茨城新聞]]』、2001年5月17日付日刊、A版、21面〈社会〉。&lt;/ref&gt;。収容人員は41,800に増設{{Refnest|group=&quot;注釈&quot;|2層式スタンドの座席数内訳は、1階22,750席、2階19,056席&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010517&quot;/&gt;。}}。<br /> * 2003年 - W杯対応終了のため一部改修。現在の収容人員は40,728人<br /> <br /> === 東日本大震災の影響 ===<br /> 2011年3月の[[東日本大震災]]において、観客席を中心に著しく損壊。このためシーズン中での早期復旧・使用再開のため吊屋根式の照明・音響設備を撤去し、2階席の各コーナー付近に照明を設置するなどの応急修理を行ない、2011年6月からスタジアムの使用を再開&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;一旦撤去した照明設備を2階席各コーナー付近に移設する形で仮設の照明塔として使用。このため当該箇所の客席が閉鎖された。&lt;/ref&gt;。シーズン終了後の12月から本格的な修復工事を行ない、2012年3月に完全復旧した。この際同時に耐震化補強が施され、照明など吊屋根式構造物の落下防止として四重の防護柵が設置されるなど、同規模地震に耐える堅牢構造となった。これにより周辺地域の防災拠点としての機能が追加された。<br /> <br /> === 2017年の改修 ===<br /> 2017年度には、上記のホームとアウェーの応援席を入れ替えを行うとともに、開設当初からこれまで北側2階席(開設当初は南側現1階席)に使用していた得点表示専用の電光掲示板、並びに南側2階席の大型映像装置が撤去され、この箇所に新たな最新鋭の機能を兼ね備えた大型ビジョンを設置、2面マルチビジョンに移行することになった。このビジョンは既存の南側2階席にあるものよりも大きく設定されており、2016年末に着工、2017年2月の開幕までに完成を目指すとしていたが&lt;ref&gt;[http://www.nikkansports.com/soccer/news/1745127.html カシマスタジアム改修 大型ビジョンなど設置へ](2016年11月30日 日刊スポーツ 12月25日閲覧)&lt;/ref&gt;、南側(新ホーム側)については、2017年2月20日のACL2017第1戦「[[蔚山現代FC]]戦」で使用開始、北側(新アウェー側)については機種更新の関係で同年4月ごろの完成を目指して工事を進めている。新ビジョンでは大型映像操作室との連携により、[[スーパースローカメラ]]などを使い、試合のダイジェストリプレーなど、観客に多彩な映像演出を展開するとしている&lt;ref name=&quot;antleras 20170220&quot;/&gt;。<br /> <br /> == スタジアムグルメ ==<br /> 試合時に販売される食品の質が国内トップクラスと称されるほど非常に高く、売店も多く出店している。人気を示す一例として、Jリーグの公式ファンサイト「J&#039;s GOAL」が2014年に行ったスタジアムグルメ投票では、カシマスタジアム内の各店舗で販売される「[[もつ煮]]」が1000票以上を集めて1位、ハムの塊を串に刺す「ハム焼き」が500票以上で8位となっていた&lt;ref&gt;出典:J&#039;s GOAL「2014スタナビβ」内「[http://www.jsgoal.jp/11mpark/ranking/general.php?t=gourmet 人気スタグルメ]」{{リンク切れ|date=2016年1月}}、2014年8月14日閲覧。&lt;/ref&gt;。この両者は鹿島アントラーズの公式サイトでも、「カシマサッカースタジアムはグルメスタジアムと言われるほど、色々な売店があります。定番メニューとして『もつ煮』、『五浦ハム焼き』があげられます」として触れつつ、同時にこの他の店舗も紹介されている&lt;ref&gt;鹿島アントラーズ公式サイト内、観戦情報、「[http://www.so-net.ne.jp/antlers/guide/gourmet.html スタジアムグルメ案内]」より、2014年8月14日閲覧。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> この他、Jリーグでのアントラーズ主催試合ではアントラーズのホームタウンとなっている鹿嶋市・[[神栖市]]・[[潮来市]]・[[鉾田市]]・[[行方市]]の5市や、フレンドリータウンとなっている茨城県・[[千葉県]]の10市町村のイベントが随時開催され、各市町村の特産食材が提供される。<br /> <br /> 古い競技場などでは、[[消防法]]や設備の関係で敷地内で火を使えず&lt;ref&gt;スタジアムを含む劇場などでの裸火・危険物使用制限とその解除については、一例として[[東京消防庁]]による解説がある「[http://www.tfd.metro.tokyo.jp/inf/h16/i013.htm 知っていますか?こんな場所での火気使用規制 禁止行為と解除承認]」。&lt;/ref&gt;、満足な食品が供給できないことも多いが、茨城県立カシマサッカースタジアムは設計段階からプロサッカーの興行で売店が出店されることを想定していたため、スタジアムコンコース各所にガスや水道のラインが整備され、消防法の基準もクリアした設計がなされており&lt;ref&gt;Jリーグ公式サイト内、「Jリーグ親膳大使 フォーリンデブ橋本陽の満腹コラム」内、「[http://www.jleague.jp/column/article/312 スタジアムグルメ「鹿島アントラーズ@カシマスタジアム」]」、2015年6月2日付記事。&lt;/ref&gt;、その場で大量の温かい食品を調理することが可能になっている。<br /> <br /> == 主な大会・イベント ==<br /> === 開催実績 ===<br /> * [[2001年]] - [[FIFAコンフェデレーションズカップ2001]]<br /> * [[2002年]] - [[2002 FIFAワールドカップ]]<br /> * [[2004年]][[2月7日]] - [[キリンチャレンジカップ]] [[サッカー日本代表|日本代表]]対[[サッカーマレーシア代表|マレーシア代表]]<br /> * [[2004年]][[12月18日]] - [[ジャパンラグビートップリーグ]] [[サントリーサンゴリアス]]対[[トヨタ自動車ヴェルブリッツ]]<br /> * [[2006年]][[7月15日]] - [[Jリーグオールスターサッカー|2006 JOMOオールスターサッカー]]<br /> * [[2011年]][[6月4日]] - [[震災復興チャリティーイベント SMILE AGAIN〜YELL FROM KASHIMA〜]]<br /> * [[2011年]][[8月11日]] - 震災復興チャリティーコンサート SMILE AGAIN Ⅱ〜SONG OF HOPE〜<br /> * [[2012年]][[7月21日]] - [[東日本大震災復興支援 2012Jリーグスペシャルマッチ]]<br /> * [[2012年]][[8月1日]] - [[スルガ銀行チャンピオンシップ2012]]<br /> * [[2013年]][[8月7日]] - [[スルガ銀行チャンピオンシップ2013]]<br /> * [[2014年]][[12月8日]] - [[J1リーグ|J1]]最終節・[[アルビレックス新潟]]対[[柏レイソル]]&lt;ref&gt;本来は[[12月6日]]に[[新潟スタジアム|新潟]]で開催予定だったが大雪のため延期となり、日程や警備などの都合のついたカシマでの開催となった。[http://www.jleague.jp/release/article-00006231/ 【2014Jリーグディビジョン1】第34節 アルビレックス新潟 vs 柏レイソル 代替開催日決定のお知らせ【補足:代替地決定までの経緯】] - Jリーグ ニュースリリース 2014年12月7日&lt;/ref&gt;<br /> * [[2016年]][[8月10日]] - [[スルガ銀行チャンピオンシップ2016]]<br /> * [[2016年]][[11月11日]] - キリンチャレンジカップ 日本代表対[[サッカーオマーン代表|オマーン代表]]<br /> <br /> === 通年開催 ===<br /> * [[全国高等学校サッカー選手権大会]]茨城県大会決勝戦<br /> * [[茨城県サッカー選手権大会]]<br /> <br /> == 備考 ==<br /> === サッカー以外の利用 ===<br /> * 鹿島アントラーズ・エフ・シーが指定管理者になったため、スタジアム利活用推進として夏季にはコンコースを活用して[[ビアガーデン]]営業が行われるようになった。また2011年8月には震災復興チャリティーコンサート SMILE AGAIN Ⅱ〜SONG OF HOPE〜といった音楽活動にも利用されている。<br /> * 駐車場は試合開催日以外は無料開放されている。そのため、茨城県が進める[[パークアンドライド]]政策では輸送拠点と見なされ&lt;ref&gt;[http://www.koutsu-ibaraki.jp/park_and_ride/index.html パークアンドライド・レンタサイクル:茨城県公共交通活性化会議]&lt;/ref&gt;、試合の無い日でも東京駅と鹿嶋市内を結ぶ高速バス「[[かしま号]]」の一部が同スタジアムを始発・終着地として運行される。<br /> * 2004年には[[ジャパンラグビートップリーグ]]の試合が1試合開催された([[サントリーサンゴリアス]]対[[トヨタ自動車ヴェルブリッツ]])。<br /> * 2011年には[[ロックバンド]]・[[ザ・クロマニヨンズ]]の曲「[[ナンバーワン野郎!]]&lt;ref&gt;[https://www.youtube.com/watch?v=9D9Bb59j2Os ザ・クロマニヨンズ 『ナンバーワン野郎!』- ザ・クロマニヨンズ YouTube Official Channel]&lt;/ref&gt;」の、2014年には[[女性アイドルグループ]]・[[SKE48]]チームEの曲「[[12月のカンガルー|青春カレーライス]]&lt;ref&gt;[https://www.youtube.com/watch?v=Sz8zZ1jnYLg 2014/12/10 on sale 16th.Single 青春カレーライス MV(special edit ver.)- Youtube SKE48 Ofiicial Channel]&lt;/ref&gt;」の[[ミュージックビデオ]]の撮影が行われた。<br /> *『[[スーパー戦隊シリーズ]]』の『[[手裏剣戦隊ニンニンジャー]]』(2015年)と『[[動物戦隊ジュウオウジャー]]』(2016年)でロケ地として使用され、スタジアム入口付近で戦闘シーンの撮影が行われた。<br /> * 2016年にはアントラーズのスポンサーである[[LIXIL]]が就職内定者を対象とした内定式を行っている。<br /> <br /> === 観戦環境 ===<br /> * 一般的なスタジアムにおいてゴール裏席は自由席(もしくはゴール裏席)と呼ばれるが、アントラーズのホームゲーム時はサポーターズシートと呼ばれる。<br /> * 鹿島アントラーズ・エフ・シーと2017年7月に包括連携協定を結んだ国立研究開発法人・[[産業技術総合研究所]](産総研)&lt;ref&gt;[http://www.aist.go.jp/aist_j/news/pr20170729.html 鹿島アントラーズ・エフ・シーと産業技術総合研究所が包括協定を締結]産総研プレスリリース(2017年7月29日)&lt;/ref&gt;が、観客の動線解析による混雑緩和や安全確保策、[[非破壊検査]]技術を応用した施設メンテナンス、芝生の育成などについて研究している&lt;ref&gt;【エンタメ×ビジネス】カシマスタジアムが実験場 産総研もピッチに立つ『[[日経産業新聞]]』2017年10月26日(1面)&lt;/ref&gt;。<br /> * スタジアムの上空写真をデザインした[[オレンジカード]]をJR[[成田駅]]、[[成田空港駅]]、[[鹿島神宮駅]]などの[[みどりの窓口]]で発売していた。<br /> * スタジアムが[[鹿島灘]]に近いこともあり、試合中に[[霧]]で見づらくなることもある。<br /> <br /> == アクセス ==<br /> [[東京駅]]と[[鹿島神宮駅]]を結ぶ高速バス路線の一部の便がスタジアムまで毎日延長運行され、試合日には観戦客輸送のために全ての便が同スタジアムまで直通する。試合開催日には[[鹿島臨海鉄道]][[鹿島臨海鉄道大洗鹿島線|大洗鹿島線]]が[[鹿島サッカースタジアム駅]]に停車するほか、試合によっては[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]の臨時列車が乗り入れるなど、東京方面からのアクセスが改善された。<br /> <br /> スタジアムが完成したことによる交通への影響は、1993年&lt;!--5月4日--&gt;のこけら落としの試合で、[[国道51号]]や[[東関東自動車道]]などスタジアム周辺の道路で最大11kmの交通渋滞が発生し、インフラ早期整備に課題を残した&lt;ref&gt;「スタジアムは熱狂したが…ゴールが見えぬ大渋滞」『[[茨城新聞]]』、1993年5月5日付日刊、19面〈社会〉。&lt;/ref&gt;。これを教訓として鹿島町(現・鹿嶋市)が中心となってJR、大洗鹿島線、[[関東鉄道]]などに協力を働き掛けて、Jリーグ開幕戦に合わせて列車・バス共に増発便ができた&lt;ref name=&quot;茨城新聞19930516&quot;&gt;「舞台の支え 開幕熱気 - 客の誘導、渋滞対策」鹿島町『茨城新聞』、1993年5月16日付日刊、21面〈社会〉。&lt;/ref&gt;。また、同年5月には、スタジアムに最も近いJR[[鹿島線]]の貨物駅であった[[北鹿島駅]]で、旅客化の向けた改修工事の起工式が挙行され&lt;ref name=&quot;茨城新聞19930516&quot;/&gt;、その翌年に供用されている。<br /> <br /> またW杯が開催された2002年は、スタジアム周辺の国道、県道、市道が相次いで整備されて開通している。W杯開催に間に合うように交通インフラ整備が急ピッチで行なわれた道路は、スタジアムと直結する[[国道51号]][[鹿嶋バイパス]]、[[国道124号]]バイパス、[[茨城県道242号鉾田鹿嶋線|県道大洋鹿島線]]、[[茨城県道255号鹿島港線|県道鹿島港線]]などがあり{{efn|ワールドカップ関連道路として、国土交通省と茨城県、鹿嶋市が進めた主なアクセス道路整備は、[[国道51号]][[鹿嶋バイパス]](以下、鹿嶋バイパス)・[[国道124号]]鹿島バイパスの国道2路線を軸に、[[茨城県道101号潮来佐原線]]〈[[潮来インターチェンジ]] - 国道51号・洲崎交差点間〉・[[茨城県道242号大洋鹿島線]]〈鹿嶋バイパス・鹿嶋消防署南交差点 - 鹿島サッカースタジアム駅前間〉・[[茨城県道255号鹿島港線]]〈鹿嶋バイパス・スタジアム北交差点 - 鹿嶋市下津間〉の県道3区間および、市道スタジアムはまなす線〈鹿嶋バイパス・スタジアム北交差点 - 鹿嶋市小山〉・市道駅北神向寺線〈鹿嶋バイパス・神向寺交差点 - 鹿嶋市厨〉の鹿嶋市道2区間を合わせた計7区間&lt;ref&gt;「進むアクセス道路整備 - 車での来場スムーズに」2002年W杯新生カシマスタジアム特集『[[茨城新聞]]』、2001年5月18日付日刊、18・19面〈特集〉。&lt;/ref&gt;。}}、いずれも市内の主要幹線道路の拡幅やバイパス化が行われた&lt;ref name=&quot;茨城新聞20000820&quot;/&gt;。Jリーグ開催時には周辺道路の渋滞が激しかったが、2002年にはおおよその交通体系の骨格が出来上がっている&lt;ref name=&quot;茨城新聞20000820&quot;/&gt;。<br /> <br /> 2007年からは、試合前の観戦客を対象にした無料周遊観光バス「鹿嶋めぐり[[塚原卜伝|卜伝]]号」が鹿嶋市や同市観光協会などにより運行されるようになった&lt;ref&gt;[http://www.so-net.ne.jp/antlers/news/detail/20080305_13_1201.html 無料周遊バス「鹿嶋めぐり卜伝号」運行のお知らせ] 鹿島アントラーズオフィシャルサイト&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 鉄道 ===<br /> * JR鹿島線・鹿島臨海鉄道大洗鹿島線 [[鹿島サッカースタジアム駅]]より徒歩5分(試合開催日のみ臨時停車、試合によっては[[成田駅]]からの臨時列車あり)、[[鹿島神宮駅]]より徒歩40分。<br /> ** 同スタジアム建設決定時、[[1985年]]開業の大洗鹿島線は既に旅客営業を行っており、スタジアム予定地のそばには[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の鹿島線と鹿島臨海鉄道の接続点である「北鹿島駅」が貨物駅として営業を行っていた。1991年2月に住友金属サッカー部(後の鹿島アントラーズ)のプロリーグ初年度参加が決まると、同年11月から同駅を利用するJR東日本[[東日本旅客鉄道千葉支社|千葉支社]]・[[日本貨物鉄道]](JR貨物)[[日本貨物鉄道関東支社|関東支社]]・鹿島旅客鉄道、及び鹿島町と茨城県による旅客化協議が開始され、当初の目標より1年遅れて1994年のJリーグ開幕時(3月12日)より同駅を改称の上、旅客営業が開始された。同駅が工事中だった1993年シーズンは鹿島線鹿島神宮駅や大洗鹿島線[[鹿島大野駅]]からのバス輸送が行われたが、同駅の旅客営業により水戸・[[潮来市|潮来]]方面からの観戦客は鉄道のみでの来場が可能になり、輸送状況は改善された&lt;ref&gt;以上、『鹿島臨海鉄道三十年史』(2003)、p55-57より。本文中では同社の大株主である茨城県の地名である鹿島線の経由地の「潮来」となっているが、鹿島線の全列車は[[千葉県]][[香取市]](※2006年までは[[佐原市]])の[[佐原駅]]ないしそれ以西との間で運転され、千葉県内やそれに接続する東京方面にも効果は及んだ。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === バス ===<br /> ; 高速バス<br /> * [[かしま号]] - [[東京駅バスのりば|東京駅]]よりカシマサッカースタジアム行きで「カシマサッカースタジアム」下車(片道約3〜4時間)<br /> ** 上りは鹿島神宮駅と[[水郷潮来バスターミナル]]のみ停車(降車不可、試合開催日は東京駅直行)<br /> ** 平日は8往復運行され、試合開催日は試合開始6時間前から2時間前まで鹿島神宮駅行きの便がカシマサッカースタジアムまで延伸される。<br /> * 試合開催日には「かしま号」の他に東京駅-カシマサッカースタジアム間の予約制直行バスが運行されている。<br /> ; シャトルバス(鹿島アントラーズではピストンバスと呼称)<br /> * [[鹿島神宮駅]]より有料シャトルバス(試合開催日のみ運行)で「カシマサッカースタジアム」下車<br /> <br /> === 自動車 ===<br /> * [[東関東自動車道]][[潮来インターチェンジ|潮来IC]]から[[茨城県道・千葉県道101号潮来佐原線|県道101号]]経由[[国道51号]]で鹿嶋方面へ直進<br /> * スタジアムは[[国道51号]][[鹿嶋バイパス]]沿いにあり、スタジアム周辺地に計約4000台分の民営駐車場が数多くある&lt;ref name=&quot;茨城新聞20010517&quot;/&gt;。<br /> <br /> == 周辺施設 ==<br /> * [[カシマサッカーミュージアム]]<br /> * [[卜伝の郷運動公園]]<br /> * [[カシマスポーツセンター]]<br /> <br /> == フォトギャラリー ==<br /> {{Commonscat|Kashima Soccer Stadium}}<br /> &lt;gallery&gt;<br /> ファイル:Kashima Soccer Stadium 1.jpg|スタジアム外観<br /> ファイル:Kashima Stadium 3.JPG|3階コンコース南側から場内を望む<br /> ファイル:Estádio Kashima 01.JPG|メインスタンド<br /> ファイル:Kashima Soccer Stadium 3.jpg|バックスタンド<br /> ファイル:Kashima Stadium 5.JPG|北サイドスタンド<br /> ファイル:Estádio Kashima 06.JPG|南サイドスタンド<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> === 注釈 ===<br /> &lt;references group=&quot;注釈&quot;/&gt;<br /> === 出典 ===<br /> &lt;references /&gt;<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> * {{Cite book|和書|author=高橋丈夫|authorlink=|editor=植田敏夫(監修)|date=2003-10-10|title=図説 鹿行の歴史|publisher=[[郷土出版社]]||chapter=カシマサッカースタジアム|pages=230-231|isbn=4-87663-644-3|ref=harv}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[日本のサッカー競技場一覧]]<br /> * [[カシマサッカーミュージアム]]<br /> * [[美しい日本の歩きたくなるみち500選]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.so-net.ne.jp/antlers/kashima-stadium/ 茨城県立カシマサッカースタジアム]<br /> * [http://www.so-net.ne.jp/antlers/clubs/stadium.html 鹿島アントラーズによるスタジアム案内]<br /> * [http://www.so-net.ne.jp/antlers/museum/ カシマサッカーミュージアム]<br /> * [http://www.so-net.ne.jp/antlers/spl/skincare/index.html アントラーズスキンケア]<br /> <br /> {{Jリーグスタジアム}}<br /> {{Jリーグベストピッチ賞}}<br /> {{FIFAワールドカップ2002スタジアム}}<br /> {{2020年夏季オリンピック競技会場}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:いはらきけんりつかしまさつかすたしあむ}}<br /> [[Category:日本のフットボール専用の球技場]]<br /> [[Category:Jリーグ公式戦開催競技場]]<br /> [[Category:2002 FIFAワールドカップ競技場]]<br /> [[Category:関東地方の競技場]]<br /> [[Category:茨城県のスポーツ施設]]<br /> [[Category:鹿島アントラーズ]]<br /> [[Category:鹿嶋市のスポーツ]]<br /> [[Category:鹿嶋市の建築物]]<br /> [[Category:1993年竣工の建築物]]<br /> [[Category:2020年東京オリンピックの競技会場]]</div> 126.243.83.3 安田善次郎 2018-07-12T07:28:48Z <p>126.243.83.3: rv</p> <hr /> <div>{{Otheruseslist|実業家の安田善&#039;&#039;&#039;次&#039;&#039;&#039;郎|ホッケー選手・監督の安田善&#039;&#039;&#039;治&#039;&#039;&#039;郎|安田善治郎}}<br /> {{脚注の不足|date=2016年2月}}<br /> {{Infobox 人物<br /> |氏名=安田善次郎<br /> |画像= Zenjiro Yasuda.jpg<br /> |画像サイズ=200px<br /> |生年月日=[[天保]]9年[[10月9日 (旧暦)|10月9日]]([[1838年]][[11月25日]])<br /> |生誕地={{JPN}}・[[越中国]][[富山藩]]<br /> |没年月日={{死亡年月日と没年齢|1838|11|25|1921|9|28}}<br /> |死没地={{JPN}}・[[神奈川県]][[中郡]][[大磯町]]<br /> |職業=[[実業家]]<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;安田 善次郎&#039;&#039;&#039;(やすだ ぜんじろう、[[天保]]9年[[10月9日 (旧暦)|10月9日]]〈[[1838年]][[11月25日]]〉 - [[大正]]10年〈[[1921年]]〉[[9月28日]])は、[[富山県]][[富山市]]出身の実業家。幼名は岩次郎。[[安田財閥]]の祖。<br /> <br /> == 生涯 ==<br /> [[富山藩]]下級武士([[足軽]])の安田善悦の子としてうまれる。安田家は善悦の代に[[士分]]の株を買った半農半士であった。<br /> <br /> 1858年(安政5年)、奉公人として[[江戸]]に出る。最初は玩具屋に、ついで[[鰹節]]屋兼[[両替商]]に勤めた。<br /> 25歳で独立し、乾物と両替を商う安田商店を開業した。<br /> やがて安田銀行(後の[[富士銀行]]。現在の[[みずほフィナンシャルグループ]])を設立し、その後には損保会社(現在の[[損害保険ジャパン]])、生保会社(現在の[[明治安田生命保険]])、[[東京建物]]等を次々と設立した。<br /> <br /> 1870年代には北海道で最初の私鉄である[[釧路鉄道]](本社 安田銀行本店)を敷設し、硫黄鉱山開発や硫黄の輸送および加工のための蒸気機関の燃料調達を目的として、[[釧路炭田]](後の[[太平洋興発]]の前身)を開発した。北米への硫黄輸出のために、それまで小さな漁港に過ぎなかった[[釧路港]]を特別輸出港に指定させた。現在のみずほ銀行釧路支店の礎となる根室銀行を設立し、魚場集落だった釧路は道東最大の都市へと急激に発展した。このように金融財閥家の基礎は、釧路の硫黄鉱山経営と輸出で築かれたといわれている。<br /> <br /> 自分の天職を[[金融業]]と定め、私的に事業を営むことを自ら戒めたが、同郷だった[[浅野総一郎]]の事業を支援するなど事業の育成を惜しむことはなかった(現在の[[鶴見線]]である鶴見臨港鉄道の[[安善駅]]は、安田善次郎の名前に因む)。また[[日本電気鉄道]]や、[[帝国ホテル]]の設立発起人、[[東京電燈|東京電燈会社]]や[[南満州鉄道]]への参画、[[日本銀行|日銀]]の監事など、この時代の国家運営にも深く関わった。<br /> <br /> [[1921年]](大正10年)釧路地方開発の功績で釧路区(現釧路市)から表彰された。また、[[東京市]]に慈善事業費として300万円を寄附したほか、[[東京帝国大学]]に講堂建築費として100万円を寄附した。[[1902年]](明治35年)、[[1909年]](明治42年)には[[早稲田大学]]にも寄附し学苑最初の[[校賓]]に推された。<br /> <br /> 1921年(大正10年)[[9月27日]]、[[神奈川県]][[大磯町]]字北浜496にある別邸・寿楽庵に、[[弁護士]]・[[風間力衛]]を名乗る男が現れ、労働ホテル建設について談合したいと申し入れたが、面会を断られた。この風間力衛は実在の人物であるが、[[神州義団]]団長を名乗る[[朝日平吾]]&lt;ref&gt;暗殺者の朝日は[[1890年]](明治23年)生まれ、伝記が[[2009年]](平成21年)に出されている。/ [[中島岳志]] 『朝日平吾の鬱屈』([[筑摩書房]]〈双書Zero〉)。&lt;/ref&gt;が勝手に詐称しただけであり、風間本人は事件と何の関係もない。翌日、門前で4時間ほどねばったところ、面会が許された。午前9時20分ごろ、善次郎は別邸の十二畳の応接間で朝日に短刀で切り付けられ、逃げようとしたが廊下から庭先に転落したところを咽頭部に止めを刺されて死亡した。その後朝日は応接間に戻り、所持していた短刀と西洋刀で咽喉を突いて自殺した&lt;ref&gt;[[服部敏良]]『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)326頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 斬奸状に曰く、「奸富安田善次郎巨富ヲ作スト雖モ富豪ノ責任ヲ果サズ。国家社会ヲ無視シ、貪欲卑吝ニシテ民衆ノ怨府タルヤ久シ、予其ノ頑迷ヲ愍ミ仏心慈言ヲ以テ訓フルト雖モ改悟セズ。由テ天誅ヲ加ヘ世ノ警メト為ス」とされる。<br /> <br /> [[戒名]]は正徳院釈善貞楪山大居士。約1か月後に起きた[[原敬暗殺事件]]は、この事件に刺激を受けたものといわれる。<br /> <br /> [[東京大学]]の[[安田講堂]]や、[[日比谷公会堂]]、[[千代田区立麹町中学校]]校地は善次郎の寄贈によるものであるが、「名声を得るために寄付をするのではなく、陰徳でなくてはならない」として匿名で寄付を行っていたため、生前はこれらの寄付行為は世間に知られていなかった。例えば、安田講堂は死後に善次郎を偲び、一般に安田講堂と呼ばれるようになる。<br /> <br /> 「五十、六十は鼻たれ小僧 男盛りは八、九十」は善次郎の言葉とされている。<br /> <br /> === 死後 ===<br /> 富山市愛宕町にある安田記念公園は安田家の家屋があったところを整備された公園であり、東隣には[[住居表示]]実施に伴う町名変更で誕生した安田町がある。[[旧安田庭園]]は、善次郎が所有していたためその名を残している。<br /> <br /> == 栄典 ==<br /> * [[1887年]](明治20年)<br /> **[[9月21日]] - [[従六位]]&lt;ref&gt;『官報』第1278号「叙任及辞令」1887年9月30日。&lt;/ref&gt;<br /> **[[9月29日]] - [[黄綬褒章|金製黄綬褒章]]&lt;ref&gt;『官報』第1278号「彙報 - 褒章」1887年9月30日。&lt;/ref&gt;<br /> * [[1902年]](明治35年)[[2月22日]] - [[正六位]]&lt;ref&gt;『官報』第5589号「叙任及辞令」1902年2月24日。&lt;/ref&gt;<br /> * [[1911年]](明治44年)[[8月24日]] - [[賞杯|金杯一組]]&lt;ref&gt;『官報』第8454号「叙任及辞令」1911年8月25日。&lt;/ref&gt;<br /> * [[1928年]](昭和3年)[[11月10日]] - [[瑞宝章|勲三等瑞宝章]]&lt;ref&gt;『官報』号外「授爵・叙任及辞令」1928年11月10日。&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 子孫 ==<br /> [[File:Yasuda Yoshio.jpg|thumb|四男の安田善雄。 竹廼舎2代目慎之介の養子となり、長じて安田系企業の重役に名を連ねた後、36歳で[[関東大震災]]で亡くなる。]]<br /> 善次郎が暗殺された後、長男の安田善之助が大正10年(1921)に二代目善次郎を[[襲名]]し安田家の家督を継承。善之助は[[書誌学]]に造詣深く、善本・稀覯本の蔵書家としても知られた&lt;ref&gt;[http://www.ndl.go.jp/zoshoin/zousyo/04_yasuda.html 安田善次郎二代目]国立国会図書館&lt;/ref&gt;。二代目善次郎の長男・[[安田一|一]](善次郎の孫)の時に[[財閥解体]]を迎える。一の長男で現[[安田学園中学校・高等学校|安田学園]]理事長で[[安田不動産]]顧問の[[安田弘|弘]]は、善次郎の曾孫。<br /> <br /> また、次女とその婿・[[安田善三郎]]の娘・磯子は[[小野英二郎]]の息子・英輔と結婚し、その娘(善次郎の曾孫)には洋子([[オノ・ヨーコ]]、前衛芸術家)・節子([[世界銀行]]シニアアドバイザー・彫刻家)がいる。オノ・ヨーコはミュージシャンの[[ジョン・レノン]]と結婚したが、二人の間に産まれた[[ショーン・レノン]](ミュージシャン)は善次郎の玄孫にあたる。<br /> <br /> == 人物 ==<br /> * 自ら「勤倹堂実行道人」と称し他人からも[[けち|守銭奴]]と評されたが&lt;ref name=&quot;Yamato&quot;&gt;大和滋 岩淵潤子(編)「明治・大正・昭和期の芸能と旦那」『「旦那」と遊びと日本文化』PHP研究所 1996 ISBN 4569551521 pp.101-110.&lt;/ref&gt;、見込みのある事業には徹底的に投資し、自らの哲学にかなう社会事業には寄付を惜しまなかった。<br /> * 芝居・相撲見物、囲碁、馬術、書画骨董、菊作り、茶道と多くの趣味を持ち、同好の富豪や名士達と[[サロン]]を形成した。芸事も好み、能役者[[宝生九郎知栄|宝生九郎]]の[[パトロン]]となって家族全員に[[謡曲]]を習わせている&lt;ref name=&quot;Yamato&quot;/&gt;。<br /> <br /> == 伝記・小説 ==<br /> *[[菊池暁汀]]『富の活動』(初版:大学館 明治44年刊) - 生前に善次郎が口述筆記させた自叙伝<br /> *:「創業者を読む」(大和出版、1992年)で再刊、一部抜粋が「新・教養の大陸シリーズ『大富豪になる方法─無限の富を生み出す』」([[幸福の科学出版]]、2013年)として刊行<br /> * [[矢野龍渓]] 『安田善次郎伝』(初版:安田保善社 大正14年刊) - 公的伝記<br /> *:[[中公文庫]](1979年)、復刻「人物で読む日本経済史 第10巻」(ゆまに書房、1998年)で再刊<br /> * 由井常彦 『安田善次郎 果報は練って待て』 [[ミネルヴァ書房]]〈日本評伝選〉、2010年9月 - 著者は[[三井記念美術館|三井文庫]]常務理事・文庫長<br /> * [[北康利]] 『陰徳を積む 銀行王・安田善次郎』 [[新潮社]]、2010年8月<br /> * [[渡辺房男]] 『儲けすぎた男 小説・安田善次郎』 [[文藝春秋]]、2010年7月<br /> * [[砂川幸雄]] 『金儲けが日本一上手かった男 安田善次郎の生き方』 [[ブックマン社]]、2008年<br /> * [[江上剛]] 『成り上がり』 [[PHP研究所]]、2010年11月<br /> * 原達郎『オノ・ヨーコの華麗な一族』柳川ふるさと塾(私家版)、2010年<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[保善高等学校]]<br /> * [[安田学園中学校・高等学校]]<br /> * [[結城豊太郎]] - 安田と親しかった日銀幹部で、のち総裁。<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/343.html?c=11 安田善次郎 | 近代日本人の肖像]<br /> * [http://homepage1.nifty.com/oiso/index.html 大磯浪漫]<br /> <br /> {{Normdaten}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:やすた せんしろう}}<br /> [[Category:江戸時代の商人]]<br /> [[Category:日本の銀行家]]<br /> [[Category:日本の企業創立者]]<br /> [[Category:日本の実業家]]<br /> [[Category:幕末富山藩の人物]]<br /> [[Category:越中国の人物]]<br /> [[Category:富山県出身の人物]]<br /> [[Category:みずほフィナンシャルグループの人物]]<br /> [[Category:暗殺された人物]]<br /> [[Category:東京地学協会の人物|財界やすたせんしろう]]<br /> [[Category:東洋拓殖の人物]]<br /> [[Category:帝国軍人援護会の幹部]]<br /> [[Category:明治安田生命保険の人物]]<br /> [[Category:黄綬褒章受章者]]<br /> [[Category:勲三等瑞宝章受章者]]<br /> [[Category:1838年生]]<br /> [[Category:1921年没]]</div> 126.243.83.3 イモラ・サーキット 2018-07-12T07:26:40Z <p>126.243.83.3: /* 悪夢の1994年 */</p> <hr /> <div>{{Infobox motorsport venue<br /> | Name = Autodromo Internazionale &quot;Enzo e Dino Ferrari&quot;&lt;br&gt; (Imola)<br /> | Location = イタリア・イモラ<br /> | Coordinates = {{coord|44|20|28|N|11|42|48|E|type:landmark|display=inline,title}}<br /> | Image =[[File:Autodromo aerea poster.jpg|250px]]<br /> | Time = [[GMT]] +1<br /> | Events = [[スーパーバイク世界選手権|SBK]], [[世界ツーリングカー選手権|WTCC]], [[サンマリノグランプリ]]<br /> | Layout1 = Current circuit (2007-present) [[File:Imola 2009.svg|250px]]<br /> | Surface = アスファルト<br /> | Length_km = 4.909<br /> | Length_mi = 3.050<br /> | Turns = 17<br /> | Layout2 = Previous layout (1995-2006) [[File:Imola.svg|250px]]<br /> | Surface2 = アスファルト<br /> | Length_km2 = 4.959<br /> | Length_mi2 = 3.132<br /> | Turns2 = 17<br /> | Record_time2 = 1:20.411<br /> | Record_driver2 = {{flagicon|GER}} [[ミハエル・シューマッハ]]<br /> | Record_team2 = [[スクーデリア・フェラーリ|フェラーリ]]<br /> | Record_year2 = {{f1|2004}}<br /> | Record_class2 = [[フォーミュラ1]]<br /> | Layout3 = Second layout (1981-1994) [[File:Circuit_Imola_1992.png|250px]]<br /> | Surface3 = アスファルト<br /> | Length_km3 = 4.933<br /> | Length_mi3 = 3.065<br /> | Turns3 = 23<br /> | Record_time3 = 1:24.335<br /> | Record_driver3 = {{flagicon|GBR}} [[デイモン・ヒル]]<br /> | Record_team3 = [[ウィリアムズF1|ウィリアムズ]]-[[ルノー]]<br /> | Record_year3 = [[1994年サンマリノグランプリ|1994]]<br /> | Record_class3 = [[フォーミュラ1]]<br /> |}}<br /> &#039;&#039;&#039;アウトドローモ・インテルナツィオナーレ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリ&#039;&#039;&#039;&lt;ref&gt;アウトドローモ (Autodromo) は、イタリア語で自動車競技場を指す。アクセントを考慮すると「アウトードロモ」と表記するのが正しいが、「アウトドローモ」とする日本語表記が一般に流布している。&lt;/ref&gt; ({{lang-it-short|Autodromo Internazionale Enzo e Dino Ferrari}}) は、[[イタリア]]の[[イーモラ|イモラ]]市にある[[サーキット]]。別名&#039;&#039;&#039;イモラ・サーキット&#039;&#039;&#039; (Imola Circuit) 。<br /> <br /> [[フェラーリ]]創業者の[[エンツォ・フェラーリ]]とその息子の[[アルフレード・フェラーリ]]を記念してつけられた。当初は「&#039;&#039;アウトドローモ・ディーノ・フェラーリ&#039;&#039;」 (Autodromo Dino Ferrari) という名称だったが、1989年、エンツォ・フェラーリの死去に伴い、現在の名称になった。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> [[Image:Imola2007.jpg|thumb|left|200px|2007年3月のイモラホームストレートとピット跡]]<br /> [[Image:Imola2008.jpg|thumb|left|200px|2008年4月15日のイモラ。ピットとコースに改修が加えられた]]<br /> イモラは全長5,017mの高速コースとして造られた。グランプリサーキットの中では珍しく、反時計回りで周回するサーキットである。ホームストレートの海抜は41m。北側にイモラ市街地があり、サンテルノ川を隔ててレーシングコースがある。サーキットの内側には陸上競技場がある他、南側の丘にはぶどう畑が広がり、この一帯は[[デノミナツィオーネ・ディ・オリージネ・コントロッラータ|DOC]]ワイン「コッリ・ディ・イモラ」で知られる。<br /> <br /> 1953年に開催されたオートバイレースが、初のレースイベントだった。1973年にはバリアンテ・バッサ、1974年にバリアンテ・アルタの2つのシケインが追加された。1981年にはアクア・ミネラリにもシケインが追加され、このレイアウトが1994年まで使用された。<br /> <br /> [[フォーミュラ1|F1]]のレースは[[1979年のF1世界選手権|1979年]]のシーズン終了後に非選手権戦として初開催された。[[1980年のF1世界選手権|1980年]]以降は選手権戦となり、1980年は[[イタリアグランプリ|イタリアGP]]、[[1981年のF1世界選手権|1981年]]から[[2006年のF1世界選手権|2006年]]まで[[サンマリノグランプリ|サンマリノGP]]として開催された。<br /> <br /> [[1994年サンマリノグランプリ|1994年サンマリノGP]]では大事故が多発し3名のドライバーが死傷し、その後コースレイアウトが変更された。タンブレロコーナーとヴィルヌーブコーナーは高速コーナーからシケインへと改修されたが、最終コーナー手前のバリアンテ・バッサの進入が緩やかになり、アクア・ミネラリのシケインは撤去された。これらの改修で平均速度は下がったが、元々コース幅が非常に狭い事もあり、以前と比べ追い抜きのしにくいコースとなってしまった。<br /> <br /> [[2007年]]より、狭く老朽化したピットの改修工事に入った。それに伴いバリアンテ・バッサが撤去され、リバッツァ2からタンブレロまでをゆるいコーナーでつないだ形状とした。この変更でホームストレートが長くなった。これらの改修により、より高速のコースレイアウトになった。<br /> <br /> F1は、1国1開催を重視することとなった2007年以後は開催されていない。このサーキットは[[国際自動車連盟|FIA]]からグレード1T認証を受けているが、この認証ではF1のテスト走行を行わせることはできるが、レースを開催することはできない。<br /> <br /> [[2015年]]には[[ジロ・デ・イタリア 2015|ジロ・デ・イタリア]]第11ステージ([[5月20日]])のフィニッシュとしてイモラ・サーキットが採用された。ジロ・デ・イタリアでの周回コースはイモラ・サーキットをそのまま使用するのではなく、途中バリアンテ・アルタからレーシングコースを離れ一般公道に入り、サーキット南側の「トレ・モンティ」の丘を経由しリバッツァの出口より再びレーシングコースに戻る特設コースが採用された。バリアンテ・アルタから一般公道に入る地点から周回コースを3周半し、ホームストレートにフィニッシュするこの特設コースで、[[イルヌール・ザカリン]]がステージ優勝を飾っている。<br /> <br /> == コースレイアウト ==<br /> [[画像:GrandPrix Circuit San Marino Changes.svg|220px|thumb|1994年と1995年開幕前のコースレイアウト比較図]]<br /> [[ファイル:2010-Imola RaceTrack.jpg|thumb|right|px|4輪(上)と2輪(下)のコースレイアウト(2010年)]]<br /> 基本的には短い直線とシケインを組み合わせたストップ・アンド・ゴータイプのサーキットである。シケインの縁石を乗り越える部分が多いため、サスペンションセッティングがコース攻略の鍵となる。<br /> <br /> ホームストレートから左に緩やかなカーブを描き、左・右・左と切り返す&#039;&#039;&#039;タンブレロ&#039;&#039;&#039; ({{it|Tamburello}}) を通過する。かつてはアクセル全開で通過する超高速コーナーであったが、[[1987年サンマリノグランプリ|1987年]]に[[ネルソン・ピケ]]が初日の予選中にクラッシュ、[[1989年サンマリノグランプリ|1989年]]には[[ゲルハルト・ベルガー]]がレース中にクラッシュしマシンが炎上、そして[[1992年]]には[[ウィリアムズF1|ウイリアムズ]]の[[リカルド・パトレーゼ]]がテスト中にクラッシュし首を負傷するなど、テクノロジーの進化により危険なコーナーへと変貌していった。そして1994年、[[アイルトン・セナ]]がレース中にクラッシュ、死亡するに至る。<br /> <br /> これらのクラッシュは全てタンブレロを直進してコンクリート壁に激突するという共通点を持っていた。この種のリスクに対しては、コンクリート壁を後退させてランオフエリアを拡大するか、コンクリート壁の前にタイヤバリアを敷設するなどの対応が考えられるが、このコーナーのすぐ外側にはサンテルノ川が流れており、ランオフエリアのスペースを拡大することができず、タイヤバリアの敷設にしても衝突時の飛散のリスクを考慮すると、やはりコースとの距離が絶対的に不足しており、採用することができなかった。そこで高速コーナーを廃止し、[[1995年サンマリノグランプリ|1995年]]からは内側に切り込む[[シケイン]]状のコーナーに姿を変えた。<br /> <br /> タンブレロを立ち上がると、直線を挟んで再びシケインの&#039;&#039;&#039;ヴィルヌーブ&#039;&#039;&#039; ({{it|Curva Villeneuve}}) を通過する。ここも以前は緩やかに右にカーブするコーナーで、1980年の[[イタリアグランプリ|イタリアGP]]で[[ジル・ヴィルヌーヴ]]が高速クラッシュを演じたことから命名された。1994年サンマリノGPの予選2日目での[[ローランド・ラッツェンバーガー]]の死亡事故を受けて、タンブレロと同じくシケインに改修された。<br /> <br /> ヴィルヌーブに続いて、低速ヘアピンコーナーの&#039;&#039;&#039;トサ&#039;&#039;&#039; ({{it|Tosa}}) を廻り込む。タンブレロとヴィルヌーブが高速コーナーだった頃は、ここでのブレーキング勝負が見所となった。トサから先のコースは、土地の起伏を利用したアップダウンが続く。丘を上り、&#039;&#039;&#039;ピラテッラ&#039;&#039;&#039; ({{it|Piratella}}) を過ぎると下りとなり、窪地にある複合コーナーの&#039;&#039;&#039;アクア・ミネラリ&#039;&#039;&#039; ({{it|Aque Minerali}}&lt;ref&gt;アクア・ミネラリとはイタリア語で「[[ミネラルウォーター]]」の意。&lt;/ref&gt;) を通過する。上り坂の先にあるシケイン&#039;&#039;&#039;ヴァリアンテ・アルタ&#039;&#039;&#039; ({{it|Variante Alta}}) は、縁石を使って直線的にカットする。<br /> <br /> ダブル左回りの&#039;&#039;&#039;リバッツァ&#039;&#039;&#039; ({{it|Rivazza}}) は、エントリー部分が下り坂でブレーキングが難しい。ピット前の&#039;&#039;&#039;ヴァリアンテ・ヴァッサ&#039;&#039;&#039; ({{it|Variante Vassa}}) は入口(右・左)と出口(左・右)のふたつのシケインで構成されていたが、1995年以降は出口のみとなり、ピット改修後は2輪レースで使用される。<br /> <br /> == データ ==<br /> *公式オープン:<br /> *総工費:<br /> *所在地:イタリア、イモラ市<br /> *運営:<br /> *総面積:?? <br /> *収容観客数:?? <br /> *コース1周:4.933km<br /> *最長直線距離:?? km<br /> *カーブ数:17(右:7、左:10)<br /> *カーブ:最小半径 ?? m<br /> <br /> == レコード ==<br /> *F1 1&#039;20&#039;411&#039;([[ミハエル・シューマッハ]]、[[スクーデリア・フェラーリ|フェラーリ]]、2004年)<br /> <br /> == 悪夢の1994年 ==<br /> {{Main|1994年サンマリノグランプリ}}<br /> 1994年にこの地で開催されたサンマリノGPでは、2件の死亡事故を含め大きなクラッシュが多発した。<br /> <br /> 金曜日のフリー走行において、[[ジョーダン・グランプリ|ジョーダン]]の[[ルーベンス・バリチェロ]]がヴァリアンテ・バッサでコースアウト、縁石で跳ね上がったマシンはタイヤバリアに乗り上げ横転した。バリチェロは鼻骨を骨折したものの幸い命に別状はなかったが、これが悪夢の端緒となった。<br /> <br /> 土曜日午後の予選、[[シムテック]]の[[ローランド・ラッツェンバーガー]]がヴィルヌーヴ・コーナーを通過する際にマシンのフロントウイングが脱落し、306km/hでコントロールを失いコンクリート壁に激突、マシンは惰性でトサ・コーナまで飛ばされるという大クラッシュが起こった。この事故によりラッツェンバーガーは死亡、モノコックに穴が開き、ラッツェンバーガーの上半身が外に露出するほどの衝撃であった。F1レースウィークにおいては[[1982年]]の[[リカルド・パレッティ]]以来、テストを含めると[[1986年]]の[[ブラバム]]の[[エリオ・デ・アンジェリス]]以来の死者を出してしまった。<br /> <br /> さらにラッツェンバーガーのための26番グリッドが空席のままスタートしたレースだったが、スタートに失敗した[[J.J.レート]]の[[ベネトン・フォーミュラ|ベネトン]]に[[ペドロ・ラミー]]の[[チーム・ロータス|ロータス]]が追突した。壊れたパーツが観客席まで飛散し、観客数名が怪我を負った。このクラッシュにより[[セーフティカー]]が入った。セーフティカーの先導が解かれた1周後に[[ウィリアムズF1|ウィリアムズ]]の[[アイルトン・セナ]]のクラッシュが発生した。<br /> <br /> 救急ヘリが直接コースに着陸という異常事態の中、救命措置が行われた。セナが病院に搬送された(レース終了後、セナは死亡した)後、レースは再開したがアクシデントはとどまらず、途中ピットインした[[ミケーレ・アルボレート]]のリヤタイヤが外れ、ピットロードを跳ね回った。このタイヤの直撃により、ロータスや[[スクーデリア・フェラーリ|フェラーリ]]のピットクルーが重傷を負う事態となった。<br /> <br /> [[ラルース (F1チーム)|ラルース]]チームのクルーのミスにより、赤旗提示中に[[エリック・コマス]]のマシンがピットアウトし&lt;ref&gt;赤旗提示中のピットアウトは禁止&lt;/ref&gt;セナの事故現場(クラッシュしたマシンと作業中の多くのマーシャルや医療スタッフがいた)までレーシングスピードで走ってしまうトラブルも起きた。<br /> <br /> 何かに呪われたようなこの週末はそれまでの『F1安全神話』を完全に崩壊させ、新たな安全確保への規格の構築へと繋がっていった。<br /> <br /> == 注釈 ==<br /> {{reflist|2}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> *[[モータースポーツ]]<br /> *[[サーキットの一覧]]<br /> *[[F1サーキットの一覧]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> *[http://www.autodromoimola.com/ Autodromo Internazionale Enzo e Dino Ferrari di Imola](イタリア語)<br /> <br /> {{F1サーキット}}<br /> {{DEFAULTSORT:いもらさきつと}}<br /> [[Category:F1サーキット]]<br /> [[Category:イタリアのサーキット]]<br /> [[Category:イタリアグランプリ]]<br /> [[Category:サンマリノグランプリ]]<br /> [[Category:エミリア=ロマーニャ州の競技場]]<br /> [[Category:ボローニャ県]]</div> 126.243.83.3 大任町 2018-07-12T07:22:44Z <p>126.243.83.3: 2400:7800:8667:4600:5497:5698:8F76:94BC (会話) による ID:69140563 の版を取り消し</p> <hr /> <div>{{日本の町村<br /> |画像=File:Michinoeki Ootou-sakura.JPG|thumb|250px<br /> |画像の説明=[[道の駅おおとう桜街道]]<br /> |自治体名=大任町<br /> |区分=町<br /> |都道府県=福岡県<br /> |支庁=<br /> |郡=[[田川郡]]<br /> |コード=40608-2<br /> |隣接自治体=[[田川市]]、&lt;br/&gt;[[田川郡]][[香春町]]、[[添田町]]、[[川崎町 (福岡県)|川崎町]]、[[赤村]]<br /> |木=[[マツ|松]]<br /> |花=[[アブラナ|菜の花]]、[[ツバキ|椿]]<br /> |シンボル名=町の鳥<br /> |鳥など=[[メジロ]]<br /> |郵便番号=824-0512<br /> |所在地=田川郡大任町大字大行事3067番地&lt;br /&gt;&lt;small&gt;{{ウィキ座標度分秒|33|36|44|N|130|51|13.3|E|region:JP}}&lt;/small&gt;&lt;br/&gt;[[ファイル:Oto Town Office.jpg|250px|大任町役場]]<br /> |外部リンク=[http://www.town.oto.fukuoka.jp/ 大任町]<br /> |位置画像={{基礎自治体位置図|40|608}}<br /> |特記事項=<br /> }}<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;大任町&#039;&#039;&#039;(おおとうまち)は、[[福岡県]]の中央部に位置する[[町]]。[[田川郡]]に属しており、[[筑豊]]を構成する自治体の一つでもある。<br /> <br /> イメージキャラクターは&#039;&#039;&#039;しじみの大ちゃん、花ちゃん。&#039;&#039;&#039;<br /> <br /> == 地理 ==<br /> [[田川市]]と隣接する[[筑豊地方]]の町で、町域の中心部を南北に[[彦山川]]が流れており町域の多くは田川盆地に属する。田川市の経済圏に属しており、[[北九州都市圏]]の5%圏域に属する。かつては[[筑豊炭田]]の産炭地として栄えていたが、人口の減少により過疎化が深刻している。<br /> <br /> * 河川: [[彦山川]]<br /> <br /> === 隣接している市町村 ===<br /> * [[田川市]]<br /> * 田川郡[[香春町]]・[[赤村]]・[[添田町]]・[[川崎町 (福岡県)|川崎町]]<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> === 近現代 ===<br /> * [[1887年]]<br /> ** 福田村、元松村、白土村、安永村、成光村、秋永村、柿原村が合併し、大行事村となる。<br /> ** 上今任村、下今任村、桑原村が合併し、今任原村となる。<br /> * [[1889年]][[4月1日]] - 市町村制施行に合わせて&#039;&#039;&#039;大&#039;&#039;&#039;行事村と今&#039;&#039;&#039;任&#039;&#039;&#039;原村が統合され、&#039;&#039;&#039;大任村&#039;&#039;&#039;が発足。<br /> * [[1960年]][[1月1日]] - 町制施行。&#039;&#039;&#039;大任町&#039;&#039;&#039;となる。<br /> <br /> ==町政をめぐる事件==<br /> 町政の場において、重大事件・不祥事がたびたび発生している。<br /> <br /> * 1986年10月6日、当時の町長・崎野正規が町長室で執務中、乱入してきた暴漢に射殺された&lt;ref&gt;[http://www.nishinippon.co.jp/wordbox/display/1330/ 西日本新聞ワードボックス]&lt;/ref&gt;。<br /> * 2002年7月2日に当時の町議長が突然銃撃を受け負傷。この町議長は翌2003年6月に護身用の拳銃を所持していた疑いが強まり、逮捕される直前に辞職し失踪、指名手配されていた同年12月に出頭し、[[銃砲刀剣類所持等取締法|銃刀法違反]]で逮捕されている。<br /> * 元町議長が[[覚醒剤]]所持で逮捕された。<br /> * 2003年8月、最多得票当選の町議が、広域的に活動していた高級車窃盗団の頭領として逮捕された&lt;ref&gt;[http://response.jp/article/2004/01/30/57468.html レスポンス.jpの記事]&lt;/ref&gt;。<br /> * 2005年7月、町長の親族の運営による企業組合事務所に複数の火炎瓶が投げ込まれた&lt;ref&gt;[http://www.47news.jp/CN/200507/CN2005072001000255.html 47news]&lt;/ref&gt;。<br /> * 町議を含む町政関係者が立て続けに失踪した。<br /> <br /> 『[[週刊文春]]』によれば、2005年5月度の政府財政制度等審議会財政制度分科会の合同部会における[[渡邉恒雄]]による『福岡県の田川郡は[[暴力団]]の町だ』との発言が生まれた背景にあるのは主にこの町のこうした状況のことであり、この発言はこの町のことを主に指しているとしている。&lt;ref&gt;週刊文春 [[2005年]][[6月9日]]号 P.37&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 行政 ==<br /> === 町長 ===<br /> *永原譲二(4期目)<br /> *任期:2021年4月26日<br /> <br /> === 町議会 ===<br /> *定数:11人<br /> *任期:2019年4月30日<br /> <br /> === 選挙区 ===<br /> *[[衆議院議員総選挙]]の[[小選挙区]]は[[福岡県第11区]]。<br /> *[[福岡県議会]]の選挙区は田川郡選挙区に属す。<br /> <br /> == 地域 ==&lt;!--<br /> === 健康 ===<br /> * 平均年齢<br /> --&gt;<br /> === 人口 ===<br /> {{人口統計|code=40608|name=大任町}}<br /> === 教育 ===<br /> ==== 小・中学校 ====<br /> ; 大任町立<br /> * 大任中学校<br /> * 大任小学校<br /> * 今任小学校<br /> <br /> === 地名 ===<br /> *今任原<br /> *大行事<br /> <br /> == 経済 ==<br /> === 産業 ===<br /> * 他の筑豊の市町村と同様、かつては炭鉱が町の経済を支えていたが現在ではすべて閉山しており、跡地を工業団地として再利用することで再生を図っている。<br /> * 町を南北に縦断する彦山川では[[シジミ|しじみ]]が自生しており、町では「しじみ育成保護条例」を制定して保護にあたっている。<br /> * 国道322号線に隣接する[[道の駅おおとう桜街道]]が2010年10月にオープンした。<br /> <br /> == 交通 ==<br /> 空港及び鉄道路線はなし。<br /> * 最寄り空港は[[福岡空港]]・[[北九州空港]]。<br /> * 最寄り鉄道駅は[[田川伊田駅]]・[[勾金駅]]・[[添田駅]]・[[赤駅]]など。<br /> * かつては国鉄[[添田線]]が走っており、町内に以下の2駅があった。<br /> ** &#039;&#039;&#039;[[大任駅]]&#039;&#039;&#039; - [[今任駅]]<br /> <br /> === バス路線 ===<br /> コミュニティバスが運行されている。町内各集落と町役場・レインボーホールなどの施設、また町の最寄り鉄道駅である[[田川伊田駅]]・[[添田駅]]との間を結ぶ。全区間無料。利用者の限定はなく誰でも利用できる。<br /> * 伊田駅 - 下今任 - 今任 - 六本松 - 上今任 - 海洋センター - 役場口 - 梅田 - 大行事橋 - 小林 - 福田 - 西白土 - 秋永 - 島台 - 安永 - 狐塚<br /> * 添田駅 - 大行事方面(起終点はレインボーホール)<br /> * 添田駅 - 今任原方面(起終点はレインボーホール)<br /> <br /> 伊田駅発着は毎日運行、添田駅発着は平日のみ運行。<br /> <br /> かつては[[西鉄バス筑豊]]が大任町内を通り田川市と添田町を結ぶ路線バスを運行していたが、2011年3月31日限りで廃止されたため、翌4月1日からコミュニティバスの運行を開始している。<br /> <br /> === 道路 ===<br /> ==== 高速道路 ====<br /> 町内には通っていない。最寄りインターチェンジは以下の通り。<br /> <br /> ; [[九州自動車道]]<br /> * [[小倉南インターチェンジ]]<br /> * [[八幡インターチェンジ (福岡県)|八幡インターチェンジ]]<br /> ; [[東九州自動車道]]<br /> * [[行橋インターチェンジ]]<br /> * [[今川スマートインターチェンジ]]<br /> * [[みやこ豊津インターチェンジ]]<br /> <br /> ==== 一般国道 ====<br /> * [[国道322号]]<br /> <br /> ==== 県道 ====<br /> ; [[主要地方道]]<br /> * [[福岡県道34号行橋添田線]]<br /> * [[福岡県道52号八女香春線]]<br /> <br /> == 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事 ==<br /> * 自然の森キャンプ場<br /> * 建徳寺古墳公園<br /> * 大任町交通公園(旧[[添田線]][[大任駅]]跡)<br /> <br /> ===大任町出身の有名人===<br /> *[[小峠英二]]([[バイきんぐ]])<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.town.oto.fukuoka.jp/ 花としじみの里 大任町](大任町公式サイト)<br /> * [http://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/resource/40608A1968.html 福岡県田川郡大任町 (40608A1968) | 歴史的行政区域データセットβ版] - Geoshapeリポジトリ<br /> <br /> {{福岡県の自治体}}<br /> {{Normdaten}}<br /> {{Japan-area-stub}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:おおとうまち}}<br /> [[Category:田川郡]]<br /> [[Category:福岡県の市町村]]<br /> [[Category:筑豊地方|町おおとうまち]]<br /> [[Category:田川地区]]<br /> [[Category:大任町|*]]<br /> [[Category:合成地名]]</div> 126.243.83.3 いぬかみっ! 2018-07-12T04:54:13Z <p>126.243.83.3: </p> <hr /> <div>{{Infobox animanga/Header<br /> |タイトル=いぬかみっ!<br /> |ジャンル=[[ファンタジー]]、[[喜劇|コメディ]]<br /> }}<br /> {{Infobox animanga/Novel<br /> |著者=[[有沢まみず]]<br /> |イラスト=[[若月神無]](本編14巻)&lt;br /&gt;[[松沢まり]](番外2巻)<br /> |出版社=[[メディアワークス]]<br /> |掲載誌=[[電撃hp]]<br /> |レーベル=[[電撃文庫]]<br /> |開始日=[[2003年]]1月<br /> |終了日=[[2007年]]5月<br /> |巻数=全14巻+外伝2巻<br /> |話数=<br /> }}<br /> {{Infobox animanga/Manga<br /> |作者=有沢まみず<br /> |作画=[[松沢まり]]<br /> |出版社=メディアワークス<br /> |掲載誌=[[月刊電撃コミックガオ!]]<br /> |レーベル=<br /> |開始号=[[2005年]]12月号<br /> |終了号=[[2008年]]4月号<br /> |開始日=[[2005年]]10月27日<br /> |終了日=[[2008年]]2月27日<br /> |巻数=全6巻<br /> |話数=<br /> }}<br /> {{Infobox animanga/TVAnime<br /> |監督=[[草川啓造]]<br /> |シリーズ構成=[[玉井豪|玉井☆豪]]<br /> |キャラクターデザイン=[[友岡新平]]<br /> |アニメーション制作=[[セブン・アークス]]<br /> |製作=犬神使い派遣協会<br /> |放送局=[[テレビ東京]]系列<br /> |放送開始=[[2006年]][[4月5日]]<br /> |放送終了=[[9月27日]]<br /> |話数=全26話<br /> }}<br /> {{Infobox animanga/Movie<br /> |タイトル=いぬかみっ! THE MOVIE&lt;br /&gt;特命霊的捜査官・仮名史郎っ!<br /> |監督=[[草川啓造]]<br /> |制作=[[セブン・アークス]]<br /> |封切日=[[2007年]][[4月21日]]<br /> |上映時間=30分<br /> |その他=<br /> }}<br /> {{Infobox animanga/Footer<br /> |ウィキプロジェクト=[[プロジェクト:ライトノベル|ライトノベル]]・[[プロジェクト:漫画|漫画]]・[[プロジェクト:アニメ|アニメ]]<br /> |ウィキポータル=[[Portal:文学|文学]]・[[Portal:漫画|漫画]]・[[Portal:アニメ|アニメ]]<br /> }}<br /> 『&#039;&#039;&#039;いぬかみっ!&#039;&#039;&#039;』は、[[電撃文庫]]から刊行された[[有沢まみず]]の[[ライトノベル]]。また、これを原作とする[[漫画]]、[[アニメ]]作品である。[[電撃hp]]掲載時の題名は「いぬかみ」であった。<br /> <br /> 原作の[[イラスト]]は若月神無&lt;ref&gt;ただし番外編にあたる『いぬかみっ! EX』シリーズでは[[松沢まり]]が表紙・本編挿絵を担当し、若月は口絵イラストを描くに留まっている。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> [[2002年]]よりライトノベル雑誌『[[電撃hp]]』での連載を経て[[2003年]]1月に1巻を刊行。以降不定期で数話単位の集中連載や読切が特集として掲載されることがあるが基本書下ろし短篇集の形で刊行し2007年5月第14巻で完結した。<br /> <br /> 第8巻までが「第一部」となっており、第9巻は番外編。第10巻から「第二部」となり、全14巻で完結しているが、その後も番外編にあたる「いぬかみっ! EX」が2冊発表された。<br /> <br /> また、作者によれば『いぬかみっ!』はまだ完全には終わっておらず、その世界観は後の作品である『[[ラッキーチャンス!]]』に引き継がれている&lt;ref&gt;なお『いぬかみっ! EX わんわん!!』のあとがきにて「啓太とようこの話には一区切り」ならびに「啓太とようこにはしばらくお休みをいただきます」という趣旨の作者コメントが発せられている。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 物語の主な舞台となる吉日市のモデルは[[盛岡市]]とのこと&lt;ref&gt;電撃文庫のTipsより。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[2005年]]から[[2008年]]にかけて、『[[月刊電撃コミックガオ!]]』にて同誌で『[[ひなどりGIRL]]』を連載していた漫画家・[[松沢まり]]の作画により漫画版『いぬかみっ!』が連載。2006年9月に発売されたコミック『いぬかみっ!あんそろじ〜』には、原作者である有沢まみずの著した外伝作小説「もしかしたらifの物語断片」が掲載されている。<br /> <br /> [[2006年]]4月より、テレビアニメシリーズ『いぬかみっ!』が放送開始。[[テレビ東京]]系列局6局にて放送された。また、このテレビアニメシリーズの放送開始に先駆け、登場キャラクターの[[ラジオドラマ|イメージCD]]が製作・発売された。<br /> <br /> 2006年9月、[[電撃文庫ムービーフェスティバル]]の作品の1つとして劇場版アニメが製作されることが発表され、2007年4月に公開された。<br /> <br /> 2006年12月に、[[ニンテンドーDS]]対応の[[サウンドノベル]]『[[DS電撃文庫]]』版が発売されている。<br /> <br /> == ストーリー ==<br /> === 第一部 ===<br /> 吉日市に住む高校生・[[川平啓太]]は、由緒正しき犬神使いの一族・川平家の末裔。ところが能力不足その他モロモロの事情により主家から勘当されていた。そんな折、川平家当主である祖母の元に呼び出された啓太は、“[[ようこ (いぬかみっ!)|ようこ]]”と名乗る犬神に引き合わされる。出会った当初の彼女は従順で容姿は抜群。早速啓太は主従の契りを結び共同生活を始める。<br /> <br /> ところが、ようこの本性は誰もコントロール出来ないほどの大問題児。当初の従順な態度はタダのポーズにすぎなかった。ようこの気まぐれで享楽的な態度に振り回される啓太は、様々なトラブルに巻き込まれ散々な目に遭わされる。<br /> <br /> そんな日々の中、特命霊的捜査官の仮名史郎(かりな しろう)や親戚の[[川平薫]]、さらに“[[なでしこ (いぬかみっ!)|なでしこ]]”を始めとする[[いぬかみっ!の登場人物#薫の犬神たち|川平薫の犬神達]]など、様々な面々が啓太とようこを中心として集まり、さらなるドタバタの日々が繰り広げられる。続いていく日々の中、啓太・ようこの仲は次第に変化していく。<br /> <br /> しかしそれからしばらくして、かつて世界を震撼させた人類最強の魔道士の一人である『赤道斎(せきどうさい)』と、因果律をも意のままに操る史上最強の妖怪『大妖狐(だいようこ)』が復活を迎えてしまった。その上、啓太は大妖狐の力によって赤ん坊にされ、ようこもまた、大妖狐の霊力で作り出した牢屋の中に閉じ込められてしまうことになる。<br /> <br /> 赤道斎と大妖狐、そして自らの身体を蝕んでいた呪いを解くべく、赤道斎に裏で協力していた川平薫率いる犬神軍団によって壮絶な三つ巴の戦いが吉日市の上空で繰り広げられるが、予想外の事態が発生する。赤道斎の作り出した魔道人形『クサンチッペ』が、かつて薫に呪いをかけた張本人である魔道士『邪星』の怨念に乗っ取られ、同じく赤道斎の作り出した仲間であるはずの魔道具『大殺界(だいさっかい)』を改造して暴れだした。<br /> <br /> 主であるはずの赤道斎にまで反抗し、赤道斎と大妖狐の力を吸収したクサンチッペは、薫や薫の犬神達を肉体的・精神的に追い詰めていく。しかし、復活した啓太とようこの手によってクサンチッペと寄生していた邪星は倒され、また、薫にかけられた呪いによって氷の棺の中に閉じ込められていた薫の父と妹も邪星の消滅によって救い出され、薫の望んでいた破邪顕正は遂に達成された。<br /> <br /> しかし、その代償として、薫は大殺界の力によって消滅。薫の最も身近にいたなでしこもまた姿を消してしまった。<br /> <br /> === 第二部 ===<br /> 吉日市で起こった壮絶な戦いから数日後。川平啓太とようこは、ともはねと邪星の呪いから救い出された薫の妹・[[川平カオル]]の四人で、川平薫邸に住み着いていた。<br /> <br /> 内気な性格をしたカオルは、始めは中々啓太達になじめなかったが、次第に打ち解けていくようになり、啓太のことを「啓太お兄ちゃん」と呼び慕うようになり始め、ようことともはねの動揺を招く羽目になる。さらには[[フラノ (いぬかみっ!)|フラノ]]・[[てんそう]]・[[たゆね]]と、薫の犬神達が妙な珍客を連れて次々と戻ってきたことで、また賑やかな日々が戻り始める。<br /> <br /> そんな中、[[ヨーロッパ]]方面にいるせんだんを始めとする他の薫の犬神達は、消滅してしまった川平薫を救い出すべく、赤道斎の予言を元に、世界中に存在する高名な占い師達に薫を取り戻す方法を占ってもらう為に、世界各地を東奔西走していた。<br /> <br /> そして、[[ごきょうや]]が入手した故人の占い師、イブン・ハサットの遺言を元に、太古の記憶を残す四体の精霊を吉日市に集めることになるが、ごきょうや以外の犬神達は、この遺言が消息を絶っていたなでしこからの言伝であることをまだ知らない。<br /> <br /> 以前とどこか雰囲気の違うなでしこは、様々な占い師達の語った予言にある『黒衣の背信者』を示すかのごとく、黒いエプロンドレスを身にまとっていた。<br /> <br /> == 登場人物 ==<br /> {{See|いぬかみっ!の登場人物}}<br /> <br /> == 用語 ==<br /> ; 犬神(いぬかみ もしくは いぬがみ)<br /> : 現実の伝承上の[[犬神]]とは微妙に意味合いが異なり、人の姿をとることも出来る巨大な[[犬]]の化生。その本性は「破邪顕正」(邪を破り正しきを顕す、つまり「正義を行う」こと)と言われ、川平家の犬神たちのように霊能力を持つ血族との盟約関係を持つ群れの存在も複数確認されているとされ、川平家以外にも「犬神使い」は存在し、原作内では東家などが名前だけ挙げられている。犬神使いを含む「人間」の善し悪しを判断する基準として、少なくとも容姿は二の次であり性格や言動を重視し、潔癖な正義感であることが理想。当初、薫の犬神たちが啓太を物凄く嫌っていたのは彼が犬神の倫理基準に反することばかりしているからであった。<br /> : 霊力を失わないかぎり不老長寿であり、子供をつくったり、強力な術を使い続けるなどしないかぎり若いままである。<br /> ; 犬神使い(いぬかみつかい もしくは いぬがみつかい)<br /> : 「犬神」に憑かれ、それを使役する霊能者のこと。作内では大抵の場合、啓太・宗家・薫など川平家の人間のことを指す。使役とは言うが、どちらかと言えば盟約関係・友情関係・ペットと飼い主といった「友愛・信頼を基礎に置いた関係」の上に成り立つ「共闘」に近い。<br /> : 犬神使いの強さは、基本的には憑く犬神の数によって測られる。つまり、強い能力を持てば持つほど数多くの犬神を憑かせることが出来る。<br /> : ただし、例外として本当に強い犬神使いに本当に強い犬神が憑いた場合には、憑いた犬神が他の犬神が憑くのを排除して主を独占するために、傍目には「1匹しか憑かなかった弱い犬神使い」に見えてしまう。この場合、その力の総和は通常「強い犬神使い」とされる者と大差無い場合がある。作中では、宗家や啓太がこのケースにあたる。<br /> : しかし、犬神使いの強さの指針は、憑いている犬神の数や力の強さの他にもう一つあり、それこそが犬神使いの本当の強さの指針になりうるものとされる。それは「犬神たちの指揮官としての能力」で、犬神の数・状況・性質・能力を把握し、それらをどのように効果的に運用できるかということである。大妖狐曰く、犬神は犬神使いに指揮されることで倍々に強くなっていく、という。薫は特にこの点で優れている。なお啓太にはようこしか憑かなかったために、この能力に関して未知数であったが、原作第2部終盤において非常時的に薫の犬神たちを指揮したことで、才能が急激に開花した。さらには完結編最終章にてこの能力は、犬神たちだけではなく他の者にも作用を及ぼし戦いの場を支配する、いわば「&#039;&#039;&#039;『犬神使い』使い&#039;&#039;&#039;」ともいえる能力へと昇華された。<br /> : 犬神使い同士の連絡方法は様々だが、近年は古来の霊能力者間の口コミに加え[[インターネット]]の利用も活発。特に川平家では宗家自らが犬神使い専用の会員制[[ウェブサイト]]『満月亭』を開いており、血族のみならず他家や個人の犬神使いにもその門戸を広く開いている。<br /> ; 基礎霊力(きそれいりょく)<br /> : 川平家では、犬神及び犬神使いの霊力の強さを、漬け物石を割るテストで計測する為、単位は「漬け物石」で表される。ただし、計測時の状況や体調などにも左右される為、この数値はあくまで参考程度である。<br /> ; 特命霊的捜査官(とくめいれいてきそうさかん)<br /> : 内閣官房直属となる秘密特務機関「&#039;&#039;&#039;鎮霊局&#039;&#039;&#039;」に所属する霊能力を持った捜査官で、&#039;&#039;&#039;仮名士郎&#039;&#039;&#039;がこれにあたる。主な任務は、霊的犯罪の捜査及び対処であり、その為に必要ならば犬神使いを始めとする一般の霊能力者を依頼して連携をとる事も可能。全員が霊的アイテムを標準装備として所有している。また、局長のコネクションによって、様々な霊能力者や政財界への発言権を持っている。<br /> : 本作と同じ世界観である『[[ラッキーチャンス!]]』に登場する&#039;&#039;&#039;天草沙代&#039;&#039;&#039;も、特命霊的捜査官である。<br /> ; 天地開闢医局(てんちかいびゃくいきょく)<br /> : とある神山の奥地にある、妖怪専門の医療機関。実は国家機関であり、医局員は人間である。<br /> : 川平家の犬神たちは、ここで定期健診や予防接種を受けることが川平本家の宗家により義務付けられている。<br /> : ようことなでしこはそれ以外にも時々2人で通っている。その理由は、啓太がようこに聞いても「えっち♪」と返されるだけであったが、『EX わんわん!!』でなでしこの口からごきょうやにのみ明かされた。<br /> : 最近は啓太に大変な興味を示し、ようこに私生活をビデオレポートするようデジタルビデオカメラを貸付している。おそらくは前述の理由に関係するものと思われる。<br /> ; 破邪走光(はじゃそうこう)、破邪結界(はじゃけっかい)<br /> : 最長老一族や薫の犬神たちが使う共通の光線技や結界術。破邪走光は通常の光線技としての特性以外にも、各犬神によって異なる特性や、それぞれの光線を組み合わせて全く別の効果を持たせる特性も持つ。なお、集団技はせんだんの指揮の下に発されることが多い。内容は以下の通り。<br /> :; 破邪走光<br /> ::* &#039;&#039;&#039;紅(くれない)&#039;&#039;&#039;<br /> ::*: 発露×1~9。通常の光線技で単独で使用可能(集団での使用も可能)。全員が使える。<br /> ::* &#039;&#039;&#039;煉獄(れんごく)&#039;&#039;&#039;<br /> ::*: 発露×オール(10)。もしくは発露×オール(9)および発露×オール-1(9)。なお括弧内は発動人数であり、実際には表記、呼称されない。<br /> ::*: 破邪走光における最大必殺技。焼却浄化炎。その出力だけならようこの通常版「だいじゃえん」以上。薫の犬神たち全員もしくはなでしこを除く9人で発動が可能&lt;ref&gt;ただし『EX わんわん!!』では5人で発動している。無論威力は劣る。&lt;/ref&gt;。「破邪走光・発露×オール(10)」はなでしこが加わった場合の仮想的な呼称であったが、アニメでは最終話においてせんだんの下で、原作では第2部最終章にて復活した薫の指揮の下でようやく実現する。「破邪走光・発露×オール(9)」は、他の犬神たちがなでしこを仲間と認めていなかった時の呼称。ようことの戦い以降はなでしこの存在を意識して「破邪走光・発露×オール-1(9)」がデフォルトとなっている。<br /> :; 破邪結界<br /> ::* &#039;&#039;&#039;二式紫刻柱(にしきしこくちゅう)&#039;&#039;&#039;<br /> ::*: 犬神たちの最長老一族に伝わる結界術の一つで(最終巻では、ようこも最長老から伝授される)、主に防御壁として使用する。薫の犬神たち3人の霊力を寄り合わせることで発現が可能。また、アニメ版では施術人数設定が変更されており、いぐさとせんだんの2人で発現させている光景が見られた。この発動人数の変化は、後に原作第2部において犬神たちの成長を示すためかフィードバックされている。なお、はけとようこ、そして成長したともはねは単独での発現が可能である。<br /> ::* &#039;&#039;&#039;零式舞踊結界(ぜろしきぶようけっかい)&#039;&#039;&#039;<br /> ::*: 現在は最長老と後継者のはけのみが使える、一子相伝の結界術。最長老はこの術によって300年以上もの間大妖狐を封印していた。この結界の中では、使おうとした霊気の全てが盆踊りなどあらゆる踊りのステップに変換されてしまう。また、対象者の霊力が大きければ大きいほど、その力によって加速的に結界が閉鎖され、かつ厳重に封印される。結界陣を敷きその中へ対象者を入れなければ発動できないため、非常に扱いづらい術でもある。<br /> :; 個別技としての破邪走光<br /> :: 各犬神の特性に合わせた破邪走光のバリエーション。現在は以下の種類が確認されている。<br /> ::* &#039;&#039;&#039;破邪走光・発露×1、たゆね突撃&#039;&#039;&#039;<br /> ::*: たゆねの使う専用技。自らの霊力を体内で増幅し、その凄まじいエネルギーをもって体ごと対象にぶつかっていくことで霊的な大爆発を起こし、敵(と周囲)を粉砕する。この技で本人は傷一つ負うことは無いのだが、霊力を極端に消耗し発動中は制御もままならない為、一種の自爆技と言ってもいい。<br /> ::* &#039;&#039;&#039;破邪走光・発露×1、ともはねすぺしゃる&#039;&#039;&#039;<br /> ::*: ともはねの使う対象探査術。霊力を上に掲げた手に集中して探査対象を念じることで、その手が自動的に対象のいる方向を指す。特定存在の捜索や索敵に力を発揮する。ともはねが集中できない状況下では使えない。原作では、親指を立てて念じると倒れて目標の方角を指し示し、アニメでは人差し指が目標の方角を指差す。<br /> ::*: 赤道斎も[[陰茎]]を使って、同様の技を行うことができる。<br /> <br /> == 既刊一覧 ==<br /> * いぬかみっ! ISBN 4-8402-2264-9<br /> * いぬかみっ! 2 ISBN 4-8402-2381-5<br /> * いぬかみっ! 3 ISBN 4-8402-2457-9<br /> * いぬかみっ! 4 ISBN 4-8402-2607-5<br /> * いぬかみっ! 5 ISBN 4-8402-2871-X<br /> * いぬかみっ! 6 ISBN 4-8402-2325-4<br /> * いぬかみっ! 7 ISBN 4-8402-3129-X<br /> * いぬかみっ! 8 川平家のいちばん長い一日 ISBN 4-8402-3236-9<br /> * いぬかみっ! 9 ハッピー・ホップ・ステップ・ジャンプ! ISBN 4-8402-3396-9<br /> * いぬかみっ! 10 ISBN 4-8402-3517-1<br /> * いぬかみっ! 11 ISBN 4-8402-3603-8<br /> * いぬかみっ! 12 ISBN 4-8402-3720-4<br /> * いぬかみっ! 13 完結編 〈上〉〜hop step dash〜 ISBN 978-4-8402-3809-0<br /> * いぬかみっ! 14 完結編 〈下〉〜fly high high〜 ISBN 978-4-8402-3862-5<br /> * いぬかみっ! EX わん! ISBN 978-4-8402-3969-1<br /> * いぬかみっ! EX わんわん!! ISBN 978-4-04-867423-2<br /> * いぬかみっ! スペシャルエディション(劇場限定販売)<br /> <br /> == テレビアニメ ==<br /> 2006年4月より同年9月までテレビ東京系列で放送、全26話(2クール)。女性キャラのお色気シーンは原作と比べかなり少なく、その代わりとして男性キャラによる過激な変態ネタ・下ネタ・パロディが多数登場するため原作とは雰囲気が非常に異なるオリジナル要素の強い作品となっている&lt;ref&gt;女性キャラは原作における下着の色の披露でさえも丸々カットされるなど非常に厳しい規制となっている。&lt;/ref&gt;。DVD版においても特に変更はない&lt;ref&gt;お色気シーンそのものがカットされているため、女性キャラによる[[乳首|バストトップ]]の描写なども存在しない。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 先述の変更に伴いアニメにおけるストーリーもコミカルで軽快な内容へ変化しているため、ストーリー全体に関わるシリアスな設定が最終回で突然明らかにされ回収されないまま終わることとなった。なお、原作の第一部の終わりとされるテレビ版最終話では、主役である川平啓太が原作のラストシーンでは服を着ているがアニメでは全裸になっている。<br /> <br /> === スタッフ ===<br /> &lt;!--[[PJ:ANIME]]においてスタッフ記述の削減が合意されたため、記述を削減しています。以下以外に特記すべきスタッフが存在する場合は、ノートで提起してください。--&gt;<br /> * 原作 - 有沢まみず(電撃文庫 / メディアワークス刊)<br /> * キャラクター原案 - 若月神無<br /> * 監督 - [[草川啓造]]<br /> * シリーズ構成 - [[玉井豪|玉井☆豪]]<br /> * キャラクターデザイン - [[友岡新平]]<br /> * 美術監督 - 片平真司<br /> * 色彩設計 - 長坂恵<br /> * 撮影監督 - 小澤次雄<br /> * 編集 - 関一彦<br /> * 音響監督 - [[菊田浩巳]]<br /> * 音楽 - [[菊地創|いぬかみっ!アンサンブル]]<br /> * プロデューサー - 中西豪、池田慎一、上村修、佐藤達郎<br /> * アニメーション制作 - [[セブン・アークス]]<br /> * 製作 - 犬神使い派遣協会<br /> <br /> === 主題歌 ===<br /> ; オープニングテーマ<br /> :;「[[ヒカリ_(堀江由衣の曲)|ヒカリ]]」(第1話〜第25話)<br /> :: 歌 - [[堀江由衣]] / 作詞 - [[椎名可憐]] / 作曲・編曲 - [[Yu-pan|YUPA]]<br /> ::* 第26話では本編の構成上で流れなかった。<br /> ::* オープニングテーマCD『[[ヒカリ (堀江由衣の曲)|ヒカリ]]』(2006年[[5月24日]]発売)<br /> ; エンディングテーマ<br /> :;「友情物語」(第1話〜第5話、第7話〜第11話、第13話〜第17話、第19話〜第25話)<br /> :: 歌 - [[Aice5|Aice&lt;sup&gt;5&lt;/sup&gt;]] / 作詞 - [[有森聡美]] / 作曲・編曲 - [[大川茂伸]]<br /> ::* 第6話・第26話では本編の構成上で流れず、第12話では後述の「ケイのうた」が用いられた。また、第18話では曲こそ変わらなかったものの、歌手と歌詞が変更された後述の「友情物語・男子(?)バージョン」が用いられた。<br /> ::* 映像も前奏の映像も1から5話までが啓太のアパート、7話のみ飛行船が墜落して大破したアパート、それ以降は橋の下の啓太ハウスになっている。<br /> ::* エンディングテーマCD『[[Believe My Love/友情物語]]』(限定版&amp;通常版 - 2006年5月24日発売)<br /> :; 「ケイのうた」(第12話)<br /> :: 歌 - 新堂ケイ([[水樹奈々]]) / 作詞 - [[有沢まみず]] / 作曲・編曲 - [[横山マサル]] <br /> ::* いぬかみっVol5っ!特装版の特典DISC(2006年[[12月6日]]発売)に収録<br /> :; 「友情物語・男子(?)バージョン」(第18話)<br /> :: 歌 - [[すーぱーぞうさんず&amp;Rice5|すーぱーぞうさんず&amp;Rice&lt;sup&gt;5&lt;/sup&gt;]] / 作詞 - 有森聡美 / 作曲・編曲 - 大川茂伸<br /> ::* TVアニメサントラCD第2弾『いぬかみっ! 狂走曲 そのにっ!〜絶望との戦い〜』(2006年[[11月22日]]発売)内に収録<br /> <br /> === 各話リスト ===<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;font-size:small&quot;<br /> |-<br /> !話数!!サブタイトル!!脚本!!絵コンテ!!演出!!作画監督<br /> |-<br /> |1||はだかでドンマイっ!||rowspan=&quot;5&quot;|[[玉井豪|玉井☆豪]]||武蔵境考||中山敦史||[[友岡新平]]<br /> |-<br /> |2||マッチョがぺろぺろっ!||colspan=&quot;3&quot; style=&quot;text-align:center&quot;|[[斉藤良成|斎藤良成]]<br /> |-<br /> |3||水着でたいじっ!||T.syuuhei||畠山茂樹||小森篤<br /> |-<br /> |4||やらずのかっぽう着っ!||[[坂田純一]]||佐土原武之||吉田伊久雄<br /> |-<br /> |5||啓太とようこっ!||[[佐藤雄三]]||[[上坪亮樹]]||橋本貴吉<br /> |-<br /> |6||ぴったりともはねっ!||[[大久保智康]]||rowspan=&quot;2&quot;|岩井優器||藤棚暁||岩井優器&lt;br /&gt;金子誠<br /> |-<br /> |7||混浴でサクサクっ!||[[あみやまさはる]]||畠山茂樹||藤原利恵<br /> |-<br /> |8||こすってしっぽっ!||久島一仁||垂永士||三宅和男||[[田中ちゆき]]<br /> |-<br /> |9||煩悩とせくはたっ!||あみやまさはる||[[岩崎良明]]||西山明樹彦||湯本佳典<br /> |-<br /> |10||桜の思い出っ!||[[有沢まみず]]||中山岳洋||上坪亮樹||小森篤<br /> |-<br /> |11||ぐったりにおねがいっ!||久島一仁||栗本宏志||畠山茂樹||吉田伊久雄<br /> |-<br /> |12||だから死にたい私の歌っ!||rowspan=&quot;2&quot;|玉井☆豪||岩井優器||吉田泰三||橋本貴吉<br /> |-<br /> |13||だけど俺にはお前の歌っ!||武蔵境考||中山敦史||友岡新平<br /> |-<br /> |14||カッパとオトサンっ!||あみやまさはる||[[うえだひでひと]]||畠山茂樹||藤原利恵<br /> |-<br /> |15||ウハウハ啓太に恩返しっ!||久島一仁||山本秀世||西山明樹彦||堀越久美子<br /> |-<br /> |16||部屋と怪談と私っ!||大久保智康||垂永士||佐土原武之||川島勝<br /> |-<br /> |17||なんか見えてるっ!||あみやまさはる||rowspan=&quot;2&quot;|岩井優器||長岡義孝||小森篤<br /> |-<br /> |18||まんもすたいへんっ!||久島一仁||佐土原武之||新井伸浩&lt;br /&gt;藤原利恵<br /> |-<br /> |19||もっこり啓太の思うツボっ!||[[築地俊彦]]||垂永士||畠山茂樹||湯本佳典&lt;br /&gt;藤本明子&lt;br /&gt;佐藤玲子<br /> |-<br /> |20||白布に想いをっ!||有沢まみず||[[草川啓造]]||西山明樹彦||橋本貴吉<br /> |-<br /> |21||しっかりともはねっ!||玉井☆豪||colspan=&quot;2&quot; style=&quot;text-align:center&quot;|松本マサユキ||PARK CHANG-HWAN&lt;br /&gt;EUN IK-HYUN<br /> |-<br /> |22||パパとムコ殿っ!||大久保智康||杉山正樹||古川政美||藤原利恵<br /> |-<br /> |23||しぼむ象さんっ!||あみやまさはる||友田政晴||畠山茂樹||宮下雄次&lt;br /&gt;藤本明子<br /> |-<br /> |24||薫となでしこっ!||rowspan=&quot;3&quot;|玉井☆豪||前園文夫||佐土原武之||小森篤<br /> |-<br /> |25||絶望の宴っ!||杉山正樹||西山明樹彦||橋本貴吉<br /> |-<br /> |26||ヒカリっ!||草川啓造&lt;br /&gt;友田政晴||中山敦史||友岡新平<br /> |}<br /> <br /> === 放送局 ===<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=font-size:small<br /> |-<br /> !放送地域!!放送局!!放送期間!!放送日時!!放送区分!!備考<br /> |-<br /> |[[広域放送|関東広域圏]]||[[テレビ東京]]||rowspan=&quot;4&quot;|[[2006年]][[4月5日]] - [[9月27日]]||水曜 25:00 - 25:30||rowspan=&quot;6&quot;|[[TXN|テレビ東京系列]]||<br /> |-<br /> |[[大阪府]]||[[テレビ大阪]]||水曜 25:30 - 26:00||<br /> |-<br /> |[[愛知県]]||[[テレビ愛知]]||水曜 25:28 - 25:58||<br /> |-<br /> |[[岡山県・香川県の放送|岡山県・香川県]]||[[テレビせとうち]]||水曜 25:58 - 26:28||<br /> |-<br /> |[[福岡県]]||[[TVQ九州放送]]||2006年[[4月9日]] - [[10月1日]]||日曜 26:45 - 27:15||<br /> |-<br /> |[[北海道]]||[[テレビ北海道]]||2006年[[4月10日]] - [[10月2日]]||月曜 25:30 - 26:00||<br /> |-<br /> |[[全国放送|日本全域]]|||[[アニメシアターX|AT-X]]||2006年[[10月14日]] - [[2007年]][[1月10日]]||土曜 11:00 - 12:00||[[日本における衛星放送#CS放送|CS放送]]||リピート放送あり<br /> |}<br /> {{前後番組<br /> |放送局=[[テレビ東京]]系<br /> |放送枠=水曜25:00枠<br /> |番組名=いぬかみっ!<br /> |前番組=[[キン肉マンII世|キン肉マンII世 ULTIMATE MUSCLE 2]]<br /> |次番組=[[武装錬金]]<br /> }}<br /> <br /> === キャラクターCD ===<br /> # ようこ&amp;啓太(2006年[[1月25日]]発売)<br /> # なでしこ&amp;啓太(2006年[[2月22日]]発売)<br /> # ともはね&amp;啓太(2006年[[3月24日]]発売)<br /> # せんだん&amp;啓太(2006年[[4月26日]]発売)<br /> # たゆね・いぐさ&amp;啓太(2006年[[6月21日]]発売)<br /> # いまり・さよか&amp;啓太(2006年[[7月26日]]発売)<br /> # ごきょうや・フラノ・てんそう&amp;啓太(2006年[[8月23日]]発売)<br /> <br /> === TVアニメサントラCD ===<br /> # いぬかみっ! 狂走曲 そのいちっ! 〜Kichijitsu Love Story!?〜(2006年[[9月21日]]発売)<br /> # いぬかみっ! 狂走曲 そのにっ! 〜絶望との戦い〜(2006年[[11月22日]]発売)<br /> <br /> === ボーカルCD ===<br /> * いぬかみっ! ボーカルアルバム paradiso(2006年[[12月21日]]発売)<br /> <br /> === ラジオCD ===<br /> * いぬかみっ! ラジオ「こいぬのじかん」(2007年[[1月24日]]発売)<br /> <br /> === DVD ===<br /> # いぬかみっ! VOL.1っ!!(限定版:2006年[[8月9日]]発売)(通常版:2006年[[10月4日]]発売) - VOL.1のみ2話収録、VOL.2以降は3話収録<br /> # いぬかみっ! VOL.2っ!!(限定版:2006年[[9月6日]]発売)(通常版:2006年[[11月8日]]発売)<br /> # いぬかみっ! VOL.3っ!!(限定版:2006年[[10月4日]]発売)(通常版:2006年[[12月6日]]発売)<br /> # いぬかみっ! VOL.4っ!!(限定版:2006年[[11月8日]]発売)(通常版:2007年[[1月11日]]発売)<br /> # いぬかみっ! VOL.5っ!!(限定版:2006年[[12月6日]]発売)(通常版:2007年[[2月7日]]発売)<br /> # いぬかみっ! VOL.6っ!!(限定版:2007年[[1月11日]]発売)(通常版:2007年[[3月7日]]発売)<br /> # いぬかみっ! VOL.7っ!!(限定版:2007年[[2月7日]]発売)(通常版:2007年[[4月4日]]発売)<br /> # いぬかみっ! VOL.8っ!!(限定版:2007年[[3月7日]]発売)(通常版:2007年[[5月2日]]発売)<br /> # いぬかみっ! VOL.9っ!!(限定版:2007年[[4月4日]]発売)(通常版:2007年[[6月6日]]発売)<br /> <br /> === 備考 ===<br /> * 前番組が『[[キン肉マンII世|キン肉マンII世 ULTIMATE MUSCLE 2]]』という事もあり、放送終了直後の新番組予告では啓太が寝ている間に額に「肉」と書かれ、ようこが「美味しそうに見えてついつい噛んでみたとです」という発言をし、最後に啓太が「へのつっぱりなどいらんのですよ!」&lt;ref&gt;[[キン肉スグル|キン肉マン]]の口癖。&lt;/ref&gt;と発言している。<br /> * 他作品のパロディ的なネタが多く登場する。特に[[セブン・アークス]]の前作にあたる『[[魔法少女リリカルなのはシリーズ|魔法少女リリカルなのは]]』&lt;ref&gt;より正確には、[[魔法少女リリカルなのはA&#039;s|同シリーズの第2期]]が本作の前作にあたる。本作の次作にあたるのは[[魔法少女リリカルなのはStrikerS|同シリーズの第3期]]である(ただし日程の関係で本作劇場版の封切日の方が後になった)。&lt;/ref&gt;のパロディはたびたび登場している(なお後述の劇場版にも登場する)。<br /> * 『[[ハヤテのごとく! (アニメ)|ハヤテのごとく!]]』の第10話では、アバンにて第2話のゲストキャラクターの和尚と空手部員達が、[[マリア (ハヤテのごとく!)|マリア]]のライブをテレビで見ているシーンがある。第18話では、仮名史郎・親方・係長が背景のポスターに出ており、ごきょうやにそっくりのレポーターまで登場していた。<br /> * 同作と同じ電撃文庫出版の作品『[[乃木坂春香の秘密]]』のアニメ版第6話には啓太と仮名の絵が描かれたBL同人誌が登場する。<br /> <br /> == 劇場版 ==<br /> {{Infobox Film<br /> | 作品名 = いぬかみっ! THE MOVIE&lt;br /&gt;特命霊的捜査官・仮名史郎っ!<br /> | 原題 = <br /> | 画像 =<br /> | 画像サイズ =<br /> | 画像解説 =<br /> | 監督 = [[草川啓造]]<br /> | 製作総指揮 =<br /> | 製作 = 劇場版犬神使い派遣協会<br /> | 脚本 = [[玉井☆豪]]<br /> | 出演者 =[[堀江由衣]]、[[福山潤]]<br /> | 音楽 = いぬかみっ!アンサンブル<br /> | 主題歌 = チーム☆カンターレ『友情物語 〜みんなver.〜』<br /> | 撮影 = <br /> | 編集 =<br /> | 配給 = [[角川映画]]<br /> | 公開 = [[2007年]][[4月21日]]<br /> | 上映時間 = 30分<br /> | 製作国 = {{flagicon|JPN}}<br /> | 言語 = [[日本語]]<br /> | 制作費 =<br /> | 興行収入 =<br /> | 前作 =<br /> | 次作 =<br /> }}<br /> 『&#039;&#039;&#039;いぬかみっ! THE MOVIE 特命霊的捜査官・仮名史郎っ!&#039;&#039;&#039;』のタイトルで[[電撃文庫ムービーフェスティバル]]として[[2007年]][[4月21日]]から『[[灼眼のシャナ]]』と『[[キノの旅]]』同時上映で公開。テレビシリーズにて、放送上の関係でほとんどできなかった女性キャラのお色気シーンを多く取り入れているが、冒頭で下着姿が若干披露される程度にとどまっている。テレビアニメ同様に男性キャラによる過激な変態ネタ・下ネタ・パロディが多い内容となっている。<br /> <br /> === 劇場版スタッフ ===<br /> * 原作 - 有沢まみず<br /> * 原作イラスト - 若月神無<br /> * 監督・絵コンテ - [[草川啓造]]<br /> * 脚本 - [[玉井豪|玉井☆豪]]<br /> * キャラクターデザイン・演出・作画監督 - [[友岡新平]]<br /> * 美術監督 - 片平真司<br /> * 色彩設計 - 長坂恵<br /> * 撮影・3DCGI監督 - 中山敦史<br /> * 編集 - 布施由美子、野尻由紀子<br /> * 音響監督 - [[菊田浩巳]]<br /> * 音楽 - [[菊地創|いぬかみっ!アンサンブル]]<br /> * プロデューサー - 中西豪、佐藤達郎、上村修<br /> * アニメーション制作 - [[セブン・アークス]]<br /> * 製作 - 劇場版犬神使い派遣協会<br /> <br /> === 劇場版主題歌 ===<br /> * 挿入歌『正義の名の下に 〜仮名史郎のテーマ〜』仮名史郎 <br /> * 劇場エンディング『友情物語 〜みんなver.〜』チーム☆カンターレ<br /> <br /> == 漫画 ==<br /> 『[[月刊電撃コミックガオ!]]』2005年12月号から2008年4月号まで連載された。作画:[[松沢まり]]。<br /> <br /> 本来なら、原作の最終巻まで漫画化する予定であったがメディアワークスと[[アスキー (企業)|アスキー]]の合併と連載雑誌である『月刊電撃コミックガオ!』の廃刊により物語の途中で連載終了となる。<br /> <br /> # ISBN 4-8402-3417-5<br /> # ISBN 4-8402-3569-4<br /> # ISBN 978-4-8402-3786-4<br /> # ISBN 978-4-8402-3959-2<br /> # ISBN 978-4-8402-4140-3<br /> # ISBN 978-4-04-867074-6<br /> * いぬかみっ! あんそろじ〜 ISBN 4-8402-3959-2<br /> <br /> == インターネットラジオ ==<br /> アニメ番組のスターチャイルド版公式サイト上で、『[[こいぬのじかん|いぬかみっ!Webラジオ こいぬのじかん]]』が2006年5月12日(第1回配信開始日)から2007年5月25日(最終回配信開始日)まで全55回が配信された。パーソナリティは、なでしこ役の[[名塚佳織]]、ともはね役の[[長谷川静香]]の2人。CD化もされている。<br /> <br /> == その他メディア展開 ==<br /> ; ともはね日記<br /> : 第1話から各話順に、ともはね視点から見た出来事を絵日記としてスターチャイルド版公式サイト上で定期公開。<br /> ; 小説<br /> : 有沢まみずによるスターチャイルド版公式サイトだけのオリジナル短編小説を定期公開。<br /> ; DS電撃文庫<br /> :; 電撃DS文庫第3弾『いぬかみっ! feat.Animation』<br /> :: 限定版・通常版:2006年[[12月7日]]発売<br /> :: [[ニンテンドーDS]]専用サウンドノベル。原作小説を多数のイベントCGとBGMで再現した「ノベルパート」や、ゲーム中に隠されたカードを見つけ出すことでプレイできる「カードゲーム」、ここでしか読むことのできない書き下ろし小説など、さまざまな要素が盛り込まれている。本作に薫の犬神でせんだん、なでしこやともはね以外の犬神のに声優・台詞はいない。<br /> ; [[電撃学園RPG Cross of Venus]]<br /> : 電撃文庫15周年記念作品。ようこが出演し、学園(拠点)で行きたい部屋に「しゅくち」をしてくれる。召喚カードとしても登場。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[ラッキーチャンス!]] - 同作者作品。同一世界観の元に執筆されており、事実上の姉妹編にあたる。<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://web.archive.org/web/20070613100431/http://inukami.jp/ いぬかみっ! 公式サイト] - 閉鎖。(2007年6月13日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])<br /> * [http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/inukami/index.html 公式サイト](テレビ東京)<br /> * [http://www.b-ch.com/ttl/index.php?ttl_c=598 バンダイチャンネル]<br /> * [http://www.starchild.co.jp/special/inukami-movie/top.html StarChild いぬかみっ!THE MOVIE]<br /> * {{Allcinema title|327190|いぬかみっ! THE MOVIE 特命霊的捜査官・仮名史郎っ!}}<br /> * {{Kinejun title|38430|いぬかみっ! THE MOVIE 特命霊的捜査官・仮名史郎っ!}}<br /> <br /> {{いぬかみっ!}}<br /> {{セブン・アークス}}<br /> {{草川啓造監督作品}}<br /> {{DEFAULTSORT:いぬかみつ}}<br /> [[Category:いぬかみっ!|*]]<br /> [[Category:電撃文庫]]<br /> [[Category:日本のファンタジー小説]]<br /> [[Category:2002年の小説]]&lt;!--初出は2002年の電撃hp --&gt;<br /> [[Category:日本の小説のシリーズ]]<br /> [[Category:コメディ小説]]<br /> [[Category:妖怪を題材とした小説]]<br /> [[Category:妖狐を題材にした作品]]<br /> [[Category:岩手県を舞台とした作品]]<br /> [[Category:漫画作品 い|ぬかみつ]]<br /> [[Category:ファンタジー漫画]]<br /> [[Category:ギャグ漫画]]<br /> [[Category:妖怪を題材とした漫画作品]]<br /> [[Category:月刊電撃コミックガオ!]]<br /> [[Category:アニメ作品 い|ぬかみつ]]<br /> [[Category:2006年のテレビアニメ]]<br /> [[Category:テレビ東京の深夜アニメ]]<br /> [[Category:セブン・アークス]]<br /> [[Category:スターチャイルドのアニメ作品]]<br /> [[Category:電撃文庫のアニメ作品]]<br /> [[Category:ファンタジーアニメ]]<br /> [[Category:ギャグアニメ]]<br /> [[Category:妖怪を題材としたアニメ作品]]<br /> [[Category:2006年のコンピュータゲーム]]<br /> [[Category:ニンテンドーDS用ソフト]]<br /> [[Category:アスキー・メディアワークスのゲームソフト]]<br /> [[Category:妖怪を題材としたコンピュータゲーム]]</div> 126.243.83.3
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