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http:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=124.25.181.57&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-04T05:39:56Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 損害保険ジャパン日本興亜 2018-07-28T02:05:43Z <p>124.25.181.57: /* 外部リンク */</p> <hr /> <div>{{基礎情報 会社<br /> |社名 = 損害保険ジャパン日本興亜株式会社<br /> |英文社名 = Sompo Japan Nipponkoa Insurance Inc.<br /> |ロゴ = [[File:Sompo Japan Nipponkoa Insurance Logo.svg|250px]]<br /> |画像 = [[File:Shinjuku-Sompo-Japan- Insurance-Building-02.jpg|250px]]<br /> |画像説明 = 損保ジャパン日本興亜本社ビル<br /> |種類 = [[株式会社]]<br /> |市場情報 =<br /> |略称 = 損保ジャパン日本興亜、損保JPNK<br /> |本社所在地 = 東京都新宿区西新宿一丁目26番1号&lt;br &gt;[[損保ジャパン日本興亜本社ビル]]<br /> |国籍 = {{JPN}}<br /> |本社郵便番号 = 160-8338<br /> |本店郵便番号 = <br /> |本店所在地 = <br /> |設立 = [[1944年]]([[昭和]]19年)[[2月12日]]&lt;br/&gt;(安田火災海上保険株式会社)<br /> |業種 = [[保険業]]<br /> |統一金融機関コード = <br /> |SWIFTコード = <br /> |事業内容 = [[損害保険]]事業、[[生命保険]]事業<br /> |代表者 = &lt;small&gt;取締役社長&lt;/small&gt;西澤 敬二<br /> |資本金 = 700億円<br /> |発行済株式総数 = <br /> |売上高 =連結:2兆5,521億93百万円&lt;br /&gt;単独:2兆2,184億25百万円&lt;br /&gt;(正味収入保険料、2016年3月期)<br /> |純利益 =連結:1,550億62百万円&lt;br /&gt;単独:1,262億89百万円&lt;br /&gt;(2016年3月期)<br /> |総資産 =連結:7兆6,113億70百万円&lt;br /&gt;単独:7兆0,362億22百万円&lt;br /&gt;(2016年3月31日現在)<br /> |従業員数 = 連結:32,532名&lt;br /&gt;単独:26,380名&lt;br /&gt;(2016年3月31日現在)<br /> |支店舗数 = 国内:支店120・営業所557・サービス拠点332、海外:32か国・地域231都市<br /> |決算期 = <br /> |主要株主 = [[SOMPOホールディングス]]<br /> |主要子会社 = [[#関連会社|関連会社の項目を参照]]<br /> |関係する人物 = <br /> |外部リンク = http://www.sjnk.co.jp/<br /> |特記事項 = [[芙蓉グループ|芙蓉懇談会]]・[[古河グループ|古河三水会]]・[[みどり会]]・[[日産コンツェルン|春光懇話会]]の会員会社である。<br /> |包括利益 =<br /> }}<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;損害保険ジャパン日本興亜株式会社&#039;&#039;&#039;(そんがいほけんジャパンにっぽんこうあ、英:Sompo Japan Nipponkoa Insurance Inc.)は、[[東京都]][[新宿区]]西新宿に本社を置く、日本の損害保険会社である。[[SOMPOホールディングス]]の完全子会社。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> [[2014年]]([[平成]]26年)9月1日に、[[損害保険ジャパン]]と[[日本興亜損害保険]]が合併して発足。略称は「&#039;&#039;&#039;損保ジャパン日本興亜&#039;&#039;&#039;」(そんぽジャパンにっぽんこうあ)。単体の損害保険会社としては日本国内最大となった。合併と同時に、持株会社のNKSJホールディングスも損保ジャパン日本興亜ホールディングスに商号変更(2016年10月にSOMPOホールディングスに再度商号変更)するなど&lt;ref name=&quot;ga&quot;&gt;[http://www.sankeibiz.jp/business/news/140827/bse1408271744003-n1.htm Sankei Biz 金融企業ニュース2014年8月27日掲載] 「損保ジャパンと日本興亜の合併、金融庁が認可」(2014 年9月1日確認)&lt;/ref&gt;、一部のグループ会社も合併や「損保ジャパン日本興亜」を冠した商号に変更された。旧社の社名を列挙したもので分かりやすいものの、「ジャパン」と「日本」など本来同じ意味を持つ名詞が含まれたため、重複感は否めず「長すぎる社名」として、インターネット上など一部で話題になっていた。<br /> <br /> なお、当社は既に合併した企業(損害保険ジャパンは2002年(平成14年)7月に安田火災海上保険と日産火災海上保険の合併により発足し、同年12月に大成火災海上保険を吸収合併。日本興亜損害保険は2001年(平成13年)4月に日本火災海上保険と興亜火災海上保険の合併により発足し、2002年(平成14年)4月に太陽火災海上保険を吸収合併)同士の合併により発足していることから前身企業が多く、その関係で以下の4つの企業グループに所属している。<br /> <br /> *[[芙蓉グループ]]:[[みずほ銀行]]の前身の一つである旧[[富士銀行]]の取引企業で構成。元々は安田火災海上保険が所属していたが、合併に伴い損害保険ジャパンが所属するようになる。<br /> *[[古河グループ]]:みずほ銀行の前身の一つである旧[[第一勧業銀行]]の取引企業で構成。元々は大成火災海上保険が所属していたが、2001年11月に[[倒産]]。その後、当時の安田火災海上保険が再建スポンサーとなり、[[再保険]]部門を分割するなどして翌年の2002年に更生計画を終結。損害保険ジャパンの発足から5ヶ月後に大成火災海上保険を吸収合併し、損害保険ジャパンが所属するようになった。<br /> *[[みどり会]]:[[三菱UFJ銀行]]の前身の一つである旧[[三和銀行]]の取引企業で構成。日本興亜損害保険の前身である日本火災海上保険、興亜火災海上保険、太陽火災海上保険の3社いずれも所属しており、統合後も引き続き所属していた。<br /> *春光懇話会:[[日産コンツェルン]]を源流とする日立・日産系の企業で構成。元々は日産火災海上保険が所属していたが、合併に伴って損害保険ジャパンが所属するようになり、NKSJホールディングス(現・SOMPOホールディングス)発足後は傘下の日本興亜損害保険もメンバー企業となっていた。<br /> <br /> また、旧損害保険ジャパンで起用されていたキャラクター「ジャパンダ」や、旧日本興亜損害保険で起用されていたCSR・環境分野におけるキャラクター「エコラッタ」は損害保険ジャパン日本興亜発足後も当社のキャラクターとして継続されている。<br /> <br /> == 沿革 ==<br /> 本節では、合併までの経緯も合わせて述べる。[[損害保険ジャパン]]と[[日本興亜損害保険]]の沿革はそれぞれの記事を参照。<br /> <br /> * [[2010年]](平成22年)[[4月1日]] - 株式会社損害保険ジャパンと日本興亜損害保険株式会社が[[株式移転]]により[[持株会社]]であるNKSJホールディングス株式会社(現・SOMPOホールディングス株式会社)を設立し、経営統合&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.sompo-hd.com/~/media/hd/files/doc/pdf/news2010/20100401.pdf 「NKSJホールディングス株式会社」設立のお知らせ]}} - NKSJホールディングス株式会社 ニュースリリース 2010年4月1日(2014年9月4日閲覧)&lt;/ref&gt;。<br /> * [[2012年]](平成24年)[[3月23日]] - 関係当局の認可等を前提に2014年度上半期を目途に株式会社損害保険ジャパンと日本興亜損害保険株式会社を合併し、損害保険ジャパン日本興亜株式会社とすることをこの日各社で行われた[[取締役会]]で決議し、合併基本合意書を締結したことを発表&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.sompo-hd.com/~/media/hd/files/doc/pdf/news2011/20120323_1.pdf 損保ジャパンと日本興亜損保の合併に関する基本合意について]}} - NKSJホールディングス・損害保険ジャパン・日本興亜損害保険 3社連名によるリリース(配信元:NKSJホールディングス株式会社) 2012年3月23日(2014年9月4日閲覧)&lt;/ref&gt;。<br /> * [[2013年]](平成25年)<br /> ** [[3月8日]] - 株式会社損害保険ジャパンと日本興亜損害保険株式会社の合併日を9月1日とすることを発表&lt;ref name=&quot;hd130308&quot;&gt;{{PDFlink|[http://www.sompo-hd.com/~/media/hd/files/doc/pdf/news2013/20130308_1.pdf 損保ジャパン・日本興亜損保の合併期日の決定および合併前の一体化運営(実質合併)スタートについて]}} - NKSJホールディングス・損害保険ジャパン・日本興亜損害保険 3社連名によるリリース(配信元:NKSJホールディングス株式会社) 2013年3月8日(2014年9月4日閲覧)&lt;/ref&gt;。<br /> ** [[4月1日]] - 前述の合併に先立ち、株式会社損害保険ジャパンと日本興亜損害保険株式会社の一体化運営(実質合併)を開始&lt;ref name=&quot;hd130308&quot; /&gt;。<br /> * [[2014年]](平成26年)<br /> ** [[8月27日]] - [[金融庁]]から[[保険業法]]に基づく合併の認可を取得&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.sompo-hd.com/~/media/hd/files/news/2014/20140827_1.pdf 「株式会社損害保険ジャパンと日本興亜損害保険株式会社の合併に関する認可取得について」]}} - NKSJホールディングス・損害保険ジャパン・日本興亜損害保険 3社連名によるリリース(配信元:NKSJホールディングス株式会社) 2014年8月27日(2014年9月1日閲覧)&lt;/ref&gt;。<br /> ** [[9月1日]] - 株式会社損害保険ジャパンが日本興亜損害保険株式会社を合併し、損害保険ジャパン日本興亜株式会社に商号変更&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.sompo-hd.com/~/media/hd/files/news/2014/20140901_1.pdf 「損保ジャパン日本興亜」の誕生]}} - 損保ジャパン日本興亜ホールディングス・損害保険ジャパン日本興亜・損保ジャパン日本興亜ひまわり生命保険 3社連名によるリリース(配信元:損保ジャパン日本興亜ホールディングス株式会社) 2014年9月1日(2014年9月4日閲覧)&lt;/ref&gt;。<br /> * [[2015年]](平成27年)10月1日 - 株式会社[[日立製作所]]との合弁により、当社のシステム刷新を専門に担うシステム開発会社SOMPOシステムイノベーションズ株式会社を設立&lt;ref&gt;{{Cite press release|title=損保ジャパン日本興亜と日立によるシステム開発の合弁会社設立に関するお知らせ|publisher=損害保険ジャパン日本興亜、日立製作所(2社連名)|date=2015-10-05|format=PDF|url=http://www.sjnk.co.jp/~/media/SJNK/files/news/2015/20151005_1.pdf|accessdate=2016-09-25}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 主な子会社 ==<br /> 本節では損害保険ジャパン日本興亜の子会社を述べる。親会社であるSOMPOホールディングスの子会社は[[SOMPOホールディングス#主な傘下会社]]を参照。なお、当社親会社の損保ジャパン日本興亜ホールディングスがSOMPOホールディングスへ社名変更したことに伴って、当社子会社の一部も同じ日に「SOMPO」を冠した社名に変更されている。<br /> <br /> ;[[損害保険]]事業<br /> * [[そんぽ24損害保険]]株式会社<br /> : 旧日本興亜損保傘下<br /> * [[セゾン自動車火災保険]]株式会社<br /> : 旧損保ジャパン傘下で[[クレディセゾン]]との共同出資。<br /> * [[日立キャピタル損害保険]]株式会社<br /> : 旧損保ジャパン傘下で[[日立キャピタル]]の共同出資。従業員の長期の休職に伴う所得減少を補償する保険を専門に取り扱う。当社の[[持分法]]適応会社。<br /> <br /> ;リスクコンサルティング事業<br /> * [[NKチューリッヒ・リスクサービス]]株式会社<br /> : 旧日本興亜損保傘下のエヌ・ケイ・リスクコンサルティング株式会社(「チューリッヒ日本興亜グローバルリスクサービス部」事業のみ)に[[チューリッヒ保険|チューリッヒ・インシュアランス・カンパニー]]が出資して合弁会社化し、商号変更&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.sjnk.co.jp/~/media/SJNK/files/news/nk/2010/news2010_10_29_news.pdf チューリッヒ社とのリスクコンサルティング合弁会社の設立に関するお知らせ]}} 日本興亜損害保険 ニュースリリース 2010年10月29日(2014年9月4日閲覧)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> ;介護事業<br /> * 株式会社シダー<br /> : 旧損保ジャパン傘下<br /> <br /> ;[[確定拠出年金]]事業<br /> * [[損保ジャパン日本興亜DC証券]]株式会社<br /> : 2014年9月1日に損保ジャパンDC証券株式会社から商号変更&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.sjnk-dc.co.jp/ja/news/pdf/140901_01.pdf 社名を変更いたしました]}} - 損保ジャパン日本興亜DC証券株式会社 2014年9月1日&lt;/ref&gt;<br /> <br /> ; ローン・クレジット事業<br /> * [[SOMPOクレジット]]株式会社<br /> : 2014年9月1日に株式会社損保ジャパン・クレジットから損保ジャパン日本興亜クレジットへ商号変更&lt;ref&gt;{{PDFlink|[https://www.sjnk-c.co.jp/~/media/credit/Files/topics/shameihenkou_26_08.pdf 社名変更のご案内]}} - 損保ジャパン日本興亜クレジット株式会社 2014年8月28日(2014年9月1日閲覧)&lt;/ref&gt;。2017年2月1日にSOMPOクレジットへ商号変更&lt;ref&gt;[https://www.sjnk-c.co.jp/topics/2017020102/ 当社社名変更のお知らせ] - SOMPOクレジット株式会社 2017年2月1日(2017年4月22日閲覧)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ; 保険関連事業<br /> * SOMPO企業保険金サポート株式会社 - [[保険事故]]調査、損害てん補金の計算・支払・代位求償手続事業<br /> : 2014年(平成26年)9月1日に株式会社損保ジャパン企業保険サービスと日本興亜マリンサービス株式会社が合併し、損保ジャパン日本興亜企業保険金サポート株式会社が発足。2016年(平成28年)10月1日に商号変更。<br /> * SOMPOコミュニケーションズ株式会社 - [[コールセンター]]・教育研修事業<br /> : 2014年(平成26年)9月1日に株式会社損保ジャパン・ハートフルラインと日本興亜ホットライン24株式会社が合併し、損保ジャパン日本興亜まごころコミュニケーション株式会社が発足。2016年(平成28年)10月1日に商号変更。<br /> * SOMPOビジネスソリューションズ株式会社 - 保険代理店向け総合コンサルティング事業<br /> : 2014年(平成26年)9月1日に株式会社損保ジャパン代理店サポート、株式会社損保ジャパン人材開発、日本興亜エージェンシーサービス株式会社が合併し、損保ジャパン日本興亜ビジネスソリューションズ株式会社が発足。2016年(平成28年)10月1日に商号変更。<br /> <br /> ;事務代行・システム関連事業<br /> * SOMPOビジネスサービス株式会社 - 保険事務処理代行事業。<br /> : 2011年4月1日に株式会社損保ジャパン情報サービスと日本興亜ビジネスサービス株式会社が合併し、NKSJビジネスサービス株式会社を発足。2014年9月1日に損保ジャパン日本興亜ビジネスサービス株式会社へ商号変更し、2016年10月1日に現社名に商号変更。<br /> * SOMPOシステムズ株式会社 - システム開発・保守事業<br /> : 2011年4月1日に株式会社損保ジャパン・システムソリューションとエヌ・ケイ・システムズ株式会社が合併し、NKSJシステムズ株式会社を発足。2014年9月1日に損保ジャパン日本興亜システムズ株式会社に商号変更し、2016年10月1日に現社名に商号変更。<br /> * SOMPOシステムイノベーションズ株式会社 - システムの刷新を専門に担うシステム開発・保守事業<br /> : 株式会社日立製作所との[[合弁会社]]<br /> * SOMPOキャリアスタッフ株式会社 - 労働者派遣事業<br /> : 2013年4月1日に日本興亜キャリアスタッフ株式会社から損保ジャパン日本興亜キャリアスタッフ株式会社へ商号変更し、2016年10月1日現社名に商号変更。<br /> <br /> ;総務関連事業<br /> * SOMPOビルマネジメント株式会社 - 不動産管理・文書配送事業<br /> : 2014年9月1日に株式会社損保ジャパン・ビルマネジメントから損保ジャパン日本興亜ビルマネジメントに商号変更し、2016年10月1日に現社名に商号変更。<br /> <br /> ;調査・研究([[シンクタンク]])事業<br /> * [[損保ジャパン日本興亜総合研究所]]株式会社<br /> : 2014年9月1日に株式会社損保ジャパン総合研究所から商号変更<br /> <br /> ;保険代理業<br /> * [[損保ジャパン日本興亜保険サービス]]株式会社<br /> : 2013年9月1日に旧損保ジャパン傘下の株式会社ジャパン保険サービスから商号変更、2014年9月1日に旧日本興亜損保傘下のエヌ・ケイ・プランニング株式会社を吸収合併。<br /> * 株式会社[[インシュアランスマネジメントサービス]]<br /> : 旧損保ジャパン傘下<br /> <br /> == 関連財団 ==<br /> * [[公益財団法人]][[損保ジャパン日本興亜環境財団]](環境) - 2014年9月1日に損保ジャパン環境財団から改称<br /> * 公益財団法人[[損保ジャパン日本興亜美術財団]](美術、[[東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館]]の運営) - 2014年9月1日に損保ジャパン美術財団から改称<br /> * 公益財団法人[[損保ジャパン日本興亜福祉財団]](福祉) - 2015年4月1日に損保ジャパン記念財団・日本興亜福祉財団から改称<br /> * [[一般財団法人]][[損保ジャパン日本興亜スマイルキッズ]](次世代育成、認定保育園の運営)<br /> <br /> == 提供番組 ==<br /> ;テレビ<br /> *「安田火災スペシャル」 → 「損保ジャパンスペシャル」ルネサンスシリーズ(1989年 - 2004年の[[文化の日]]、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系) シリーズ自体は1984年から開始されたが、1989年より、安田火災[[一社提供]]の冠スポンサー番組となった。これは安田火災が、[[バチカン宮殿]]にある[[システィーナ礼拝堂]]の壁画修復事業に賛同したためである<br /> *フジテレビ系で、日曜朝8:30枠 → [[ザ・ドキュメント タイム&amp;タイド]]などで提供している[[芙蓉グループ]]のスポンサー1社でもあった<br /> *[[コールセンターの恋人]]([[テレビ朝日]]) - 1枠のみ放映<br /> *[[スタ☆メン]] → [[新報道プレミアA]](2008年3月で途中降板。以上、[[関西テレビ放送|関西テレビ]]共同制作) → [[メントレG]](最末期の2008年4月 - 9月) → [[クイズ!ヘキサゴンII]](2008年10月 - 2009年9月)(30秒)<br /> *[[JNN報道特集]]([[TBSテレビ|TBS]]系)(提供表示は日産火災)<br /> *[[100人の20世紀]](テレビ朝日系)(提供表示は安田火災)<br /> *[[情報エンタメLIVE ジャーナる!]](フジテレビ系列、[[関西テレビ放送|関西テレビ]]製作)<br /> *[[ゴールデン洋画劇場|ゴールデンシアター]] → [[土曜プレミアム]](30秒)<br /> *[[新報道2001]]<br /> *[[真相報道 バンキシャ!]]<br /> *[[木曜時代劇_(テレビ朝日)|木曜時代劇]]([[テレビ朝日|テレビ朝日系列]])(提供表示は日本火災)<br /> *[[サンデーモーニング]]([[TBSテレビ]])(提供表示は興亜火災)<br /> *[[NNNきょうの出来事]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ系列]])(提供表示は興亜火災)<br /> *[[AKBINGO!]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ系列]])<br /> *[[HKT48のおでかけ!]]([[TBSテレビ]])<br /> *[[日経スペシャル ガイアの夜明け]]([[TXN|テレビ東京系列]])(2014年9月 - )<br /> **日本興亜損保時代から引き続き提供。<br /> *[[美の巨人たち]](テレビ東京系列)(2017年4月 - )<br /> <br /> ;ラジオ<br /> *[[全国FM放送協議会|JFN系列]]時報(13:00-16:00)、月~金12:59、13:59、14:59、15:59<br /> <br /> == CMソングに使用されている楽曲 ==<br /> *[[岡村孝子]]『[[夢の途中]]』 ([[1994年]])<br /> *[[奥田民生]] 『[[イージュー★ライダー]]』([[2002年]])<br /> *[[Mr.Children]] 『[[いつでも微笑みを]]』([[2007年]])新CMキャラクターに[[新垣結衣]]を起用、企業CMに新垣、商品CMに上戸が担当。<br /> *[[GReeeeN]] 『[[口笛]]』([[2009年]])新垣が契約満了につき降板、再び上戸の単独起用になる。<br /> *[[たむらぱん]] 『[[フレフレ]]』([[2010年]])<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[関ジャニ∞]] - 2014年9月から放送の関ジャニ∞登場の第2弾コマーシャルでは本社ビル前のシーンが登場する<br /> * [[ベッキー]] - 損保ジャパン日本興亜ひまわり生命に関ジャニ∞と共に出演していたが、ベッキー自身の不祥事により降板<br /> * [[役所広司]] - 前身の安田火災時代のCM起用<br /> * [[川口能活]] - 前身の日産火災時代のCM起用<br /> * [[ケイン・コスギ]] - 前身の損保ジャパン時代のCM起用<br /> * [[上戸彩]] - 前身の損保ジャパン時代のCM起用<br /> * [[新垣結衣]] - 前身の損保ジャパン時代のCM起用<br /> * [[段田安則]] - 前身の日本火災時代のCM起用<br /> * [[関口宏]] - 前身の興亜火災時代のCM起用<br /> * [[石原プロモーション|石原軍団]] - 前身の日本興亜損保時代のCM起用<br /> * [[榮倉奈々]] - 前身の日本興亜損保時代のCM起用<br /> * [[金融機関]]<br /> * [[保険]]<br /> * [[東京ドーム]] - 前身の日本火災→日本興亜損保時代から広告を出している。<br /> * [[ネオファースト生命保険]] - かつての損保ジャパンの子会社で、合併前に[[第一生命保険]]へ全株式を譲渡(2016年10月に[[持株会社]]制に移行し、[[第一生命ホールディングス]]傘下となる)。旧・損保ジャパン・ディー・アイ・ワイ生命保険。<br /> <br /> ==脚注==<br /> &lt;references /&gt;<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> * 毎日新聞2014年8月31日掲載記事「損保ジャパン日本興亜:9月1日発足 損保首位に」(2014年9月1日閲覧)<br /> * 日本経済新聞2012年3月22日掲載記事「合併新会社社名「損害保険ジャパン日本興亜」社長に二宮氏」(2014年9月1日閲覧)<br /> * 産経新聞2014年9月2日掲載記事「「損保ジャパン日本興亜」発足3メガの一角」(2014年9月2日閲覧)<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.sjnk.co.jp/ 損害保険ジャパン日本興亜株式会社]<br /> ** {{Facebook|sjnkofficial|損保ジャパン日本興亜 / Sompo Japan Nipponkoa Insurance Inc.}}(公式Facebookページ)<br /> <br /> {{Company-stub}}<br /> {{春光グループ}}<br /> {{芙蓉グループ}}<br /> {{古河グループ}}<br /> {{みどり会}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:そんかいほけんしやはんにつほんこうあ}}<br /> [[Category:みどり会]]<br /> [[Category:日本の損害保険会社]]<br /> [[Category:旧安田財閥傘下の金融機関]]<br /> [[Category:NKSJグループ|**]]<br /> [[Category:第一勧銀グループ]]<br /> [[Category:芙蓉グループ]]<br /> [[Category:古河グループ]]<br /> [[Category:三和グループ]]<br /> [[Category:新宿区の企業]]<br /> [[Category:1944年設立の企業]]</div> 124.25.181.57 第一生命ホールディングス 2018-07-28T02:03:33Z <p>124.25.181.57: /* 外部リンク */</p> <hr /> <div>{{基礎情報 会社<br /> |社名 = 第一生命ホールディングス株式会社<br /> |英文社名 = Dai-ichi Life Holdings, Inc.<br /> |ロゴ =<br /> |画像 = [[ファイル:DN Tower 2014.JPG|250px]]<br /> |画像説明 = 本社<br /> |種類 = [[株式会社]]<br /> |市場情報 = {{上場情報 | 東証1部 | 8750 | 2010年4月1日 | }}<br /> |略称 = 第一生命HD<br /> |国籍 = {{JPN}}<br /> |本社郵便番号 = 100-8411<br /> |本社所在地 = [[東京都]][[千代田区]][[有楽町]]一丁目13番1号&lt;br/&gt;([[DNタワー21]])<br /> |本店郵便番号 = <br /> |本店所在地 = <br /> |設立 = [[1902年]]([[明治]]35年)[[9月15日]]<br /> |業種 = 7150<br /> |統一金融機関コード = <br /> |SWIFTコード = <br /> |事業内容 = 持株会社<br /> |代表者 = [[斎藤勝利]]([[代表取締役]][[会長]])&lt;br/&gt;[[渡邉光一郎]]([[代表取締役]][[社長]])<br /> |資本金 = 3,431億46百万円&lt;br/&gt;(2016年3月31日現在)<br /> |発行済株式総数 = <br /> |売上高 = 連結:7兆3,339億47百万円&lt;br/&gt;単体:4兆2,657億79百万円&lt;br/&gt;([[売上高|経常収益]]、2016年3月期)<br /> |営業利益 = 連結:4,181億66百万円&lt;br/&gt;単体:3,442億22百万円&lt;br/&gt;([[経常利益]]、2016年3月期)<br /> |純利益 = 連結:1,785億15百万円&lt;br/&gt;単体:1,291億23百万円&lt;br/&gt;(2016年3月期)<br /> |純資産 = 連結:2兆9,329億59百万円&lt;br/&gt;単体:3兆1,031億95百万円&lt;br/&gt;(2016年3月31日現在)<br /> |総資産 = 連結:49兆9,249億22百万円&lt;br/&gt;単体:35兆8,949億56百万円&lt;br/&gt;(2016年3月31日現在)<br /> |従業員数 = 連結:61,446名&lt;br /&gt;(2016年3月31日現在)<br /> |決算期 = [[3月31日]]<br /> |主要株主 = [[日本トラスティ・サービス信託銀行]](信託口) 5.12%&lt;br/&gt;BNY GCM CLIENT ACCOUNT JPRD AC ISG (FE-AC) 4.00%&lt;br/&gt;[[みずほ銀行]] 3.75%&lt;br/&gt;[[日本マスタートラスト信託銀行]](信託口) 3.57%&lt;br/&gt;[[ゴールドマン・サックス|GOLDMAN SACHS INTERNATIONAL]] 2.63%&lt;br/&gt;[[バンク・オブ・ニューヨーク・メロン|THE BANK OF NEW YORK MELLON SA/NV 10]] 2.43%&lt;br/&gt;[[上田八木短資]] 2.11%&lt;br/&gt;[[損害保険ジャパン日本興亜]] 2.08%&lt;br/&gt;[[三菱UFJ銀行]] 1.83%&lt;br/&gt;GOLDMAN,SACHS&amp; CO.REG 1.46%&lt;br/&gt;(2016年3月31日現在)<br /> |主要子会社 = [[第一生命保険]]&lt;br/&gt;[[第一フロンティア生命]]<br /> |関係する人物 = [[矢野恒太]]&lt;br /&gt;[[柳沢保恵]]&lt;br /&gt;[[石坂泰三]]&lt;br /&gt;[[矢野一郎]]<br /> |外部リンク = http://www.dai-ichi-life-hd.com/<br /> |特記事項 = <br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;第一生命ホールディングス株式会社&#039;&#039;&#039;(だいいちせいめいホールディングス、[[英語|英称]]:&#039;&#039;Dai-ichi Life Holdings, Inc. &#039;&#039;)は、[[日本]]の[[金融持株会社]]。2016年10月1日に第一生命保険グループが持株会社体制に移行し、&#039;&#039;&#039;第一生命保険株式会社&#039;&#039;&#039;から商号変更した。<br /> <br /> [[2010年]][[4月]]以降、第一生命保険の組織形態は[[株式会社]]であり、多くの生命保険会社に見られる[[相互会社]]形態ではない。<br /> <br /> 総資産で、[[かんぽ生命保険]]([[日本郵政グループ]])、[[日本生命保険]]に次ぐ業界3位&lt;ref&gt;[https://www.toyokeizai.net/money/industrial_info/detail/AC/b0e7141440fa7cb4bedc54be9bdce2d8/ 【ムーディーズの業界分析】日本の生命保険業界] - 東洋経済オンライン([[2010年]][[7月]]確認)。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> [[1902年]]([[明治]]35年)、日本初の[[相互会社]]形式による[[生命保険]]会社として設立。日本国内で初の相互会社であるという意味を込めて、社名に「第一」という文字を戴いていたが&lt;ref&gt;[http://www.dai-ichi-life.co.jp/company/info/history/meiji.html 明治創業期|第一生命の歩み] - 第一生命保険株式会社ウェブサイト([[2010年]][[7月]]確認)。&lt;/ref&gt;、[[2010年]][[4月1日]]、[[株式会社]]に[[組織変更]]したうえで、[[東証1部]]に[[上場]]した。株式会社への転換にあたっては、保険契約者は保険金支払実績に応じて、株式受取りか相当分の現金支給かを選択する措置を講じた。およそ1年後の[[2011年]][[3月29日]]付けで、[[日経平均株価]]の構成銘柄に採用された&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.nikkei.co.jp/nkave/pdf/20110308_1.pdf 日経平均株価等の銘柄入れ替えについて]}} - 日本経済新聞社、2011年3月8日。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[みずほフィナンシャルグループ]]と、全面的に業務提携している&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.dai-ichi-life.co.jp/company/gyouseki/gyseki10/index.html ディスクロージャー誌2010第一生命の現状]}}の通算12ページ目 - 第一生命保険株式会社ウェブサイト([[2010年]][[10月]]確認)。&lt;/ref&gt;。また、[[2000年]]8月に[[損害保険ジャパン|安田火災]](現[[損害保険ジャパン日本興亜]])、同年9月に[[アメリカンファミリー生命保険会社|アメリカンファミリー]]、[[2007年]]7月に[[りそなホールディングス]]と業務提携した。また、金融機関代理店向け商品の提供を目的に、業界ではじめて生保子会社・[[第一フロンティア生命]]を設立した。<br /> <br /> == 沿革 ==<br /> * [[1902年]](明治35年)[[9月15日]]、[[農商務省 (日本)|農商務省]]で[[保険業法]]起草に携わった、当時[[日本生命保険|日本生命]]の社医の[[矢野恒太]]が、日本初の相互会社として創立する。初代社長は、[[柳沢保恵]]。<br /> * [[2007年]](平成19年)[[12月6日]]、会社の形態を相互会社から[[株式会社]]に転換することを発表。<br /> * [[2010年]](平成22年)4月1日、株式会社へ移行と同時に東証一部に上場。<br /> * [[2016年]](平成28年)4月1日、第一生命分割準備株式会社を設立。<br /> * 2016年(平成28年)10月1日、国内生命保険事業を第一生命分割準備株式会社に会社分割し、持株会社化。従来の第一生命保険株式会社を第一生命ホールディングス株式会社に商号変更し、第一生命分割準備株式会社を第一生命保険株式会社に商号変更&lt;ref&gt;[http://www.dai-ichi-life.co.jp/company/news/pdf/2016_004.pdf 持株会社体制移行に伴う会社分割並びに定款変更] - 第一生命保険株式会社 2016年4月8日。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 株式会社への転換上場 ===<br /> 東証は、株主数の多さ(約150万人)や注目度・知名度の高さ等を鑑み、売買注文殺到によるシステム障害等を防ぐため、上場初日の取引について、13:00に1度だけ売買を成立させる「一本値方式」で初値を決定し、その1回限りで当日の取引を終了させる特別措置をとった&lt;ref&gt;[http://www.tse.or.jp/news/201003/100323_c.html 第一生命保険相互会社(8750)の新規上場日の売買の取扱いについて] - 東京証券取引所ウェブサイト(2010年3月23日)。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.tse.or.jp/news/201003/100301_b1.pdf 第一生命保険(8750)の初値の決定方法について]}} - 東京証券取引所ウェブサイト(2010年3月1日)。&lt;/ref&gt;。初値は公開価格(14万円)より2万円高い16万円だった&lt;ref&gt;[http://jp.reuters.com/article/stocksNews/idJPJAPAN-14628120100401 第一生命高値発進の裏に個人の買い、売買活発化の期待も] - ロイター通信、2010年4月1日17:14配信(2010年10月確認)。&lt;/ref&gt;。株式会社への転換にあたって多くの保険契約者が当社株式を受け取ったため、2012年3月31日現在で1,077,804名が当社の株式を所有している。株主数は日本最大である。<br /> <br /> === 上場後の株価水準 ===<br /> 脚注の[[産経新聞]]報道によると、上場後の株価は値下がり傾向にある。[[2010年]][[6月28日]]の上場後初の[[株主総会]]では、ほぼ全ての株主が「含み損」を抱えた状態での総会開催となったため、多くの株主から、株価に関する強い調子の発言が相次いだと報道されている&lt;ref&gt;[http://www.sankeibiz.jp/business/news/100628/bsg1006281431008-n1.htm 産経新聞ニュースサイト] - [[産業経済新聞社]](2010年10月現在、リンク切れ)。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 株主からの質問に対し、会社側は「海外を含めた成長分野に取り組んでいく。マーケットに対して説明をしっかりしてコミュニケーションを取っていきたい」、「私どものIRはまだまだ不足している。IR活動にしっかり取り組んでいきたい」と答えた&lt;ref&gt;[http://www.sankeibiz.jp/business/news/100628/bsg1006281145002-n2.htm 【株主総会ライブ】第一生命(1)渡辺社長「中国に早期進出」 株式会社化の狙い説明] - SankeiBiz、2010年6月28日配信(2010年10月確認)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == グループ理念 ==<br /> * グループミッション<br /> :一生涯のパートナー(相互会社時代から)<br /> * グループビジョン<br /> :いちばん、人を考える会社になる。<br /> ::株式会社への転換に合わせて、グループ全体の新スローガンとして制定された。<br /> <br /> == 関連企業・団体 ==<br /> ※印は100%子会社<br /> <br /> === 国内企業 ===<br /> * [[第一生命保険]](株)※<br /> ** [[第一生命情報システム]](株)<br /> ** エイ・エフ・ビル管理(株)<br /> ** 第一生命ビジネスサービス(株)※<br /> ** 第一生命チャレンジド(株)※<br /> * [[第一フロンティア生命|第一フロンティア生命保険]](株)※<br /> * [[ネオファースト生命保険]](株)※(旧社名 損保ジャパン・ディー・アイ・ワイ生命保険(株))<br /> * 企業年金ビジネスサービス(株)<br /> * [[アセットマネジメントOne]](株)<br /> * ネオステラ・キャピタル(株)<br /> * [[資産管理サービス信託銀行]](株)<br /> * ジャパンエクセレントアセットマネジメント(株)<br /> * みずほ第一フィナンシャルテクノロジー(株)<br /> * (株)[[第一生命経済研究所]]<br /> * [[第一生命カードサービス]](株)<br /> <br /> === 海外 ===<br /> * Dai-ichi Life Insurance Company of Vietnam,Limited※<br /> * TAL Life Limited※<br /> :(ただし、オーストラリアにおける子会社2社(TAL Dai-ichi Life Australia Pty Ltd、TAL Dai-ichi Life Group Pty Ltd)を通じて100%保有。)<br /> * PT Panin Dai-ichi Life(インドネシア)<br /> * Star Union Dai-ichi Life Insurance Company Limited(インド)<br /> * OCEAN LIFE INSURANCE PUBLIC COMPANY LIMITED(タイ)<br /> * Protective Life Corporation{{enlink|Protective Life}}※(米国)<br /> * Janus Capital Group Inc.(米国)<br /> * Dai-ichi Life International (Europe) Limited※(イギリス)<br /> * DLI ASIA PACIFIC PTE. LTD.※(シンガポール)<br /> * DLI NORTH AMERICA INC.※(米国)<br /> <br /> === 財団 ===<br /> * (公財)[[矢野恒太記念会]]<br /> * (一財)[[第一生命財団]]<br /> * (公財)[[心臓血管研究所]]<br /> * (公財)[[国際保険振興会]]<br /> <br /> ==提供番組==<br /> *[[世界が驚いたニッポン! スゴ〜イデスネ!!視察団]]([[テレビ朝日]]系列)&lt;ref&gt;週により「[[池上彰のニュースそうだったのか!!]]スペシャル」に振替提供されるときもある。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;ただし、同番組枠がスポーツ編成により休止の場合は別番組に振替されるときもある。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;詳細は未詳。&lt;/ref&gt;<br /> ===終了した提供番組===<br /> *[[日曜エンターテインメント]](テレビ朝日系列)※2016年10月 - 2017年3月&lt;ref&gt;[[第一生命保険]]時代から数えると約1年半ぶりのテレビ朝日系提供番組に復帰。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;ただし、同番組枠がスポーツ編成により休止の場合は「[[土曜プライム]]」などに振替提供されるときもあった。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;2017年4月改編に伴い番組終了。提供番組枠を「世界が驚いたニッポン!スゴ〜イデスネ!!視察団」へ移動。&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 脚注・出典 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.dai-ichi-life-hd.com/ 第一生命ホールディングス株式会社]<br /> <br /> {{第一生命保険株式会社}}<br /> {{TOPIX 100}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:たいいちせいめいほるていんくす}}<br /> [[Category:第一生命保険|*]]<br /> [[Category:千代田区の企業]]<br /> [[Category:日経平均株価]]<br /> [[Category:東証一部上場企業]]<br /> [[Category:2010年上場の企業]]<br /> [[Category:日本の持株会社]]<br /> [[Category:金融持株会社]]<br /> [[Category:かつての相互会社]]<br /> [[Category:老舗企業 (明治創業)]]<br /> [[Category:1902年設立の企業]]</div> 124.25.181.57 日本ビクター 2018-07-28T02:02:42Z <p>124.25.181.57: /* 外部リンク */</p> <hr /> <div>{{Redirect|ビクター|その他|ヴィクター}}<br /> {{複数の問題|ソートキー=企業 | 出典の明記 = 2015年1月 <br /> | 独自研究 = 2015年1月}}<br /> {{基礎情報 会社<br /> |社名 = 日本ビクター株式会社<br /> |英文社名 = Victor Company of Japan, Limited<br /> |ロゴ = [[ファイル:Victor JVC Logo.svg|250px|日本ビクター株式会社のロゴタイプ]]<br /> |画像 =[[ファイル:jvckenwood.jpg|250px]]<br /> |画像説明 = 日本ビクター本社工場(当時)<br /> |種類 = [[株式会社]]<br /> |市場情報 = 非上場(以下は過去のデータ){{上場情報 | 東証1部 | 6792 | 1960年11月15日 | 2008年9月25日}}{{上場情報| 大証1部 | 6792 | 1960年11月15日 | 2008年9月25日}}<br /> |略称 = ビクター&lt;br /&gt;JVC<br /> |国籍 = {{JPN}}<br /> |郵便番号 = 221-8528<br /> |本社所在地 = [[横浜市]][[神奈川区]][[守屋町]]3-12<br /> |設立 = [[1927年]]([[昭和]]2年)[[9月13日]]&lt;ref name=&quot;yokohama-modern-history-list-1994&quot;&gt;松信太助編、石井光太郎・東海林静男監修 『横浜近代史総合年表』 [[有隣堂]]、1989年。&lt;/ref&gt;&lt;br /&gt;(日本ビクター蓄音器株式会社)<br /> |業種 = 3650<br /> |統一金融機関コード =<br /> |SWIFTコード =<br /> |事業内容 = [[映像機器]]・[[音響機器]]&lt;br /&gt;[[情報]]・[[通信]]機器&lt;br /&gt;[[電子媒体|記録メディア]]<br /> |代表者 = 不破 久温(代表取締役社長)<br /> |資本金 = 516億1500万円&lt;br /&gt;([[2008年]]([[平成]]20年)[[3月31日]]現在)<br /> |売上高 = 連結:4620億86百万円&lt;br /&gt;単独:2302億05百万円&lt;br /&gt;(2009年3月期)<br /> |総資産 = 連結:2579億77百万円&lt;br /&gt;単独:1950億19百万円&lt;br /&gt;(2009年3月期)<br /> |従業員数 = 連結:11,611名 単独:3,460名&lt;br /&gt;([[2009年]][[3月31日|3月末日]]現在)<br /> |決算期 = [[3月31日]]<br /> |主要株主 = 株式会社[[JVCケンウッド]] 100%<br /> |主要子会社 = [[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクターエンタテインメント(株)]] 100%&lt;br /&gt;[[JVCエンタテインメント|JVCエンタテインメント(株)]] 100%&lt;br /&gt;[[テイチクエンタテインメント|(株)テイチクエンタテインメント]] 96.1%<br /> |関係する人物 = [[高柳健次郎]]([[テレビ受像機]]開発者)&lt;br /&gt;[[髙野鎮雄]]([[VHS]]開発者)&lt;br /&gt;[[松下幸之助]]([[パナソニック]]創業者)<br /> |外部リンク = http://www3.jvckenwood.com/<br /> |特記事項 = 2011年10月1日に株式会社JVCケンウッドに合併。<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;日本ビクター株式会社&#039;&#039;&#039;(にほんビクター、{{Lang-en-short|Victor Company of Japan, Limited}})は、かつて存在した[[映像機器]]・[[音響機器]]・[[電子媒体|記録メディア]]を主製品とするメーカー。2008年(平成20年)10月1日に、&#039;&#039;&#039;[[日本ビクター]]株式会社&#039;&#039;&#039;と&#039;&#039;&#039;株式会社[[ケンウッド]]&#039;&#039;&#039;が経営統合のため、共同で[[株式移転]]を行い、両社の[[持株会社]]・&#039;&#039;&#039;JVC・ケンウッド・ホールディングス株式会社&#039;&#039;&#039;を設立。ケンウッド及びビクターは9月25日に上場廃止。JVCとケンウッドは同社傘下の事業会社となった。<br /> <br /> 2011年5月13日、10月1日にケンウッドを含む3事業会社と、JVC・ケンウッド・ホールディングス株式会社(8月1日に株式会社JVCケンウッドに改称)が合併する計画が発表され、10月1日に予定どおり合併が行われた。<br /> <br /> [[日本]]では、[[蓄音機]]から聞こえる亡き飼い主の声に耳を傾ける犬([[ニッパー (犬)|ニッパー]])を描いて“His Master&#039;s Voice”と名づけられた絵を登録商標としていた。グローバルブランドを「&#039;&#039;&#039;JVC&#039;&#039;&#039;」、ブランドステートメントを「The Perfect Experience」としている。現在はJVCケンウッドが「JVC」ブランドを展開している。<br /> [[ファイル:ビクター ニッパー.jpg|サムネイル|「ニッパー」をイメージしたロゴ]]<br /> <br /> なお社名の読みについて、定款に定めをおいておらず登記もされていないが、近年の[[テレビジョン|テレビ]]・[[ラジオ]][[放送]]の[[提供クレジット]]や[[ニュース番組]]などの[[報道]]では「にほんビクター」とアナウンスされていた。<br /> <br /> == 概説 ==<br /> 現在の平面式レコードを開発した[[アメリカ合衆国]]資本のThe Victor Talking Machine Company([[ビクタートーキングマシン]]カンパニー)の[[日本法人]]として設立。[[蓄音機]]の販売から始まり、現在では[[テレビ]]、[[ビデオ信号記録装置|ビデオ]]、[[DVDレコーダー]]/[[プレーヤー]]、[[音響機器]]、[[ビデオカメラ]]、磁気テープ、光ディスク等の研究・開発・製造・販売を行っている。<br /> <br /> 「&#039;&#039;&#039;JVC&#039;&#039;&#039;」(ジェイブイシー)というブランド名は、日本ビクター株式会社を英語に直訳した「&#039;&#039;&#039;J&#039;&#039;&#039;apan &#039;&#039;&#039;V&#039;&#039;&#039;ictor &#039;&#039;&#039;C&#039;&#039;&#039;ompany」から来ている。「JVC」は主にビクターが商標権の都合で使用できない海外市場で用いられ、2009年からは日本市場にも導入された。<br /> <br /> 1980年代まで海外市場向けには、「&#039;&#039;&#039;Ni&#039;&#039;&#039;ppon &#039;&#039;&#039;Vi&#039;&#039;&#039;ctor &#039;&#039;&#039;Co&#039;&#039;&#039;mpany」からの「&#039;&#039;&#039;NIVICO&#039;&#039;&#039;」(ニビコ)というブランドが使われていたが、旧ロゴ時代は円形に「&#039;&#039;&#039;{{smaller|J}}{{larger|V}}{{smaller|C}}&#039;&#039;&#039;」(中央のVが大きい)のマークと併記されていた。[[1978年]]([[昭和]]53年)のロゴ変更後は「JVC」を大きくして「NIVICO」を小さくしたが、その後「JVC」に一本化された。<br /> <br /> 家庭用ビデオフォーマットの[[VHS]]の開発メーカーであり、[[ソニー]]の開発した家庭用[[ビデオテープレコーダ|VTR]]の[[ベータマックス]]と[[ビデオ戦争|フォーマット争い]]を繰り広げた。<br /> <br /> [[2007年]]([[平成]]19年)[[8月10日]][[ケンウッド]]との資本提携により松下電器産業(現・[[パナソニック]])の子会社ではなくなったが、その後も筆頭株主としてグループ企業に名を連ねていた。共に家庭用AV機器を主力とし競合関係にある。長年、パナソニック創業者である[[松下幸之助]]の方針により、相互補完・相互競争による発展という概念からグループ内でも独自性を持っていた。2008年10月にケンウッドと経営統合し、持株会社のJVC・ケンウッド・ホールディングス株式会社の子会社となり、パナソニックは持株会社の株主となった。<br /> <br /> [[2011年]](平成23年)[[5月13日]]、10月1日に日本ビクターを含む3事業会社と、JVC・ケンウッド・ホールディングス株式会社(同年8月1日に株式会社JVCケンウッドに改称)が合併する計画が発表された。<br /> <br /> 傘下にソフト会社である[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクターエンタテインメント]]や[[テイチクエンタテインメント]]を始めとするソフト製作部門を持ち、ソニーに次ぐ[[ハードウェア|ハード]]・[[ソフトウェア|ソフト]]事業を有する企業である。また、その他のグループ会社に、[[JVCエンタテインメント]]やビクターインテリアなど約100社の関連会社を持っていた。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> === 設立から戦後まで ===<br /> [[ファイル:nihonvictorhonsha.jpg|thumb|right|220px|日本ビクター第一工場ファサード]]<br /> 1927年(昭和2年)に日本ビクター(設立時は日本ビクター蓄音器株式会社)は米国The Victor Talking Machine Company ビクタートーキングマシンカンパニーの日本法人として設立され、米国ビクターは明治時代から商品を日本に輸出していたが、関東大震災以後大幅な輸入品関税のアップによる収益性の悪化から、生産から販売まで行う現地法人として発足する。<br /> <br /> 1929年に米ビクターはRCA社に吸収合併される。これにより、[[RCAレコード|RCAビクター]]に親会社が移行する。RCA社は、海外進出については合弁の方針であり、東芝・三井からの出資を受ける。1931年には、現在の横浜本社工場に当時東洋一と呼ばれた蓄音機・レコードの製造工場となる第一工場を建設。経営基盤が強化された日本ビクター蓄音器は、RCA社から積極的な技術導入を進め、拡声器やラジオなど音のメディアへの積極的な進出をする。<br /> <br /> [[日中戦争]]が始まり、外資系企業への圧力が強まる中で[[1938年]]にRCA社は資本撤退。株式を[[日産コンツェルン]]に譲渡する。この時、RCA社から、犬のマークとビクターの社名の日本での使用権を譲り受ける。<br /> <br /> 日産コンツェルンの株式は東京電気(現・[[東芝]])に売却され、東芝傘下に入る。ビクターは1943年にRCA社と資本関係が解消した&lt;ref name=bb&gt;[https://books.google.co.jp/books?id=mSkEAAAAMBAJ&amp;lpg=PA44&amp;vq=machijiri&amp;pg=PA44#v=snippet&amp;q=machijiri&amp;f=false A Guide to Japanese Record Manufacturers] Billboard.12.19&lt;/ref&gt;後も、研究・技術開発で交流を続け、国産初のテレビ開発や、オーディオ技術へと結びつく。[[大東亜戦争]]([[太平洋戦争]])が激化する中で、[[敵性語]]排除の動きを受け、社名を&#039;&#039;&#039;日本音響&#039;&#039;&#039;(株)と改称。生産工場も軍の管理となる。しかしレコードのレーベル名は最後まで「ビクター」を存続させる。<br /> <br /> === 松下の傘下へ ===<br /> 戦後すぐの1945年に日本ビクターへ社名を変更している&lt;ref name=bb/&gt;。<br /> <br /> 主力の本社・横浜工場・東京文芸座スタジオ、レコード製造施設を空襲で焼失し事業は壊滅状態で、労働争議の混乱による社長交代で親会社が東芝から[[日本興業銀行]]へ移行する。興銀は役員を派遣し再建計画を策定するもGHQが銀行の保有株式を制限したため、ビクター譲渡を東芝へ打診するも東芝も戦災の被害が大きく、ビクターの債務返済問題がこじれて話はまとまらず、次に戦前の親会社であるRCA社に打診する。<br /> <br /> 1954年(昭和29年)に松下電器産業(現:パナソニック)と提携し、[[松下幸之助]]の同郷人で元海軍大将[[野村吉三郎]]が社長に、松下の紹介で[[住友銀行]]出身の[[百瀬結]]が副社長に就くも、松下本体からは[[北野善郎]]を専務に派遣するにとどまった。野村は就任直後にRCA社を訪問して技術支援契約を結び従来の関係に戻す。<br /> 1946年(昭和21年)に[[高柳健次郎]]を技術部長に迎えてテレビ開発を再開させた他、現行VTRの原型である世界初2ヘッドVTR、ステレオレコード業界標準の45/45方式、マルチサラウンド技術の原型で世界初4chレコードCD-4、プロジェクターなど多数の技術を開発する。高柳は1950年に取締役技術部長へ就任後、社長と技術最高顧問を歴任する。<br /> <br /> === オイルショック ===<br /> 1960年には東京証券取引所・大阪証券取引所に上場する。1969年には東京オリンピック公園の一角に最新の録音スタジオを建設、英米以外の地区で最も優れた機材が揃っていると言われた&lt;ref name=bb/&gt;。しかし、テレビのダンピング疑惑が業界全体に広まり、主婦連を中心にテレビの不買運動に発展。特に高価格商品にウェイトを置くビクターにとって痛手となった。輸出に逃げ道を求めたが、ニクソンショックによりそれもできなかった。その後、[[オイルショック]]による景気の失速による業界不振が加わり、ビクターは低迷する。このため、社長に松下電器出身の松野幸吉が就任。当時のドル箱のレコード部門を[[1973年]]に分離子会社化(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)して、本体はハード事業に集中することとなった。<br /> <br /> 1970年代に入り、オーディオブームが到来。AVメーカーはこぞってコンポーネントシステムを発売。ビクターもグラフィックイコライザーや世界初の1台でステレオ音響を実現する球形スピーカー、SXスピーカーシリーズを発売する。<br /> <br /> === VHSの開発 ===<br /> 1976年には[[VHS]]ビデオを開発。VHSは家庭用ビデオとしての要件を満たし、ソニーのベータマックスとの規格競争にも勝利し、日本初の世界標準規格となった。その後もVHSの基本規格を維持しながら、新たな規格を開発し、ビデオカメラ用のVHS-C、高解像度を誇るS-VHS、高音質のHi-Fi規格、デジタル音声規格S-VHS-DA、アナログハイビジョン対応のW-VHS、デジタル放送対応のD-VHSと広げる。これらの規格には下位互換性が保障され、ユーザーはデッキを買い換えても、以前のテープを使い続けることができる。VHSの影響でテープ、電子デバイス、映像ソフトなど新事業を拡大させるきっかけとなり、オーディオ・テレビなど既存の事業にも影響を与えた。<br /> <br /> VHS発売当初は1000億円台だった年間売上はその後、年平均40%の成長を続け、わずか6年で売上高6000億円台に到達。利益はこの4年間で10倍まで拡大した。ビクターはVHSの海外進出に合わせて海外展開を積極的に拡大。生産・販売現地法人を各国に設立。また、各国のAV企業へ技術供与をすすめ、JVCのブランドを確立する。<br /> <br /> 1982年からは欧州でのプロモーション強化を狙いFIFAワールドカップのオフィシャルスポンサーの権利を獲得。これにより欧州でのJVCブランドは絶対的な信頼を獲得することとなる。<br /> <br /> VHSの成功後、既存のレコード設備を利用でき、絵の出るレコードとしてVHDを商品化した。参入を表明したメーカーは多数あったが、ディスクの耐久性に劣り発売延期が相次いだ。また、技術的な面では[[パイオニア]](現:[[オンキヨー&amp;パイオニア]])が発売したビデオディスク規格の[[レーザーディスク]](LD)が優勢だった。その後、オーディオ市場がレコードから光学読み取りのCDに移行した事から、VHDはディスク生産がレコード生産設備を活用できるという唯一のメリットを失う。日本ビクターは3-D立体再生機能、LDと同等の解像度を持つQX VHD、高音質再生を実現したVHD DigitalAudio、などの規格を開発し、市場に投入した。しかしこれらの規格に対応したソフトはわずかしか発売されなかった。同時期、デジタルオーディオ方式としてDAD懇談会に次世代のオーディオディスク規格としてVHD規格を利用したAHD規格をCDと同時期に提案したものの、松下などの有力メーカーからの支持を得られず、一般化することはなかった。<br /> <br /> 松下電器産業と共同でアナログハイビジョンのMUSE方式Hi-Vision VHDを開発を進めるものの、MUSE方式によるアナログハイビジョン放送が定着しなかったことも重なり、市場には投入されずに終わる。その後VHDは業務用カラオケ市場に参入するが、レーザーディスクカラオケとの競合に加えて通信カラオケの普及によって完全に駆逐され市場から姿を消す。VHDの失敗はソフトの償却だけで200億円の負担となり、ビクターの凋落に拍車をかける原因となる。<br /> <br /> 1986年円高不況以降、VTR市場の成熟化と円高によって営業利益は低迷していたものの、100億円を超える(ピーク時は1988年の166億円)VHS関連特許使用料収入の下支えが、効果的なリストラ策を遅らせる要因となる。<br /> <br /> === バブル崩壊後 ===<br /> 1991年には、主力のビデオ市場は海外市場の読み違いによって在庫が増え、翌年の売上が2割近く減る。また在庫処分の費用も増加し巨額の赤字が発生、加えてオーディオ市場の不振も加わり1993年には上場以来初の無配となる。この頃からVHSの関連特許が満期を迎える。<br /> <br /> 1994年には、20年ぶりに松下から[[守随武雄]]取締役を社長として迎え入れる。1991年から1995年まで、グループ会社を含め4000人の人員削減を実行。本社も日本橋から横浜工場に移転する。こうした中でも1991年業界初のワイドテレビを発売、ワイドテレビの先鞭をつける。また、独自の動画圧縮技術によってビデオCD規格をフィリップス社と共同開発。その後のDVD規格の策定では、ビデオCDで得たMPEG技術を提供、ビクターの技術的優位性を確立する。<br /> <br /> 1995年には、ソニー・松下電器・フィリップス・日立・三菱と共同で、家庭用デジタルビデオカメラ規格の[[DV (ビデオ規格)|DV]]規格を開発。他社がセミプロ用のハイエンド機種を発売するなか、小型化を追求したデジタルムービーを発表。ビクターの技術力の高さを示す一方で、現在のデジタルビデオカメラ市場を切り開く原動力となり、大ヒットを記録する。リストラとヒット商品によって、1996年には復配するが、市場の悪化とヒット商品の不在によって、赤字とリストラによる黒字のサイクルを繰り返す。<br /> <br /> 1998年には、1990年より続いていた米パソコンゲーム会社大手[[エレクトロニック・アーツ]]との合弁事業エレクトロニックアーツ・ビクターを解消。<br /> <br /> 2001年には、松下出身の寺田雅彦が社長就任。2001年から2006年までに単独で3500人削減し、国内外37あった製造拠点を23拠点に集約、映画・ゲームといったノンコア事業の売却撤退を進める。一方でビクター独自の技術を活かしたオンリーワン戦略を進め、個性派企業への転身を図る。主な商品として、ハードディスク搭載MPEGムービー「エブリオ」、コンポ・単品スピーカー・カースピーカーに搭載する世界初の木製振動板「ウッドコーン」、世界初の家庭用ハイビジョンカメラを発売。独自開発した映像素子(D-ILA)を搭載したリアプロジェクションテレビ・ハイエンドプロジェクターの発売を行う。また、DOS/Vパソコンの市場に参入したが、伸び悩んだ。こうしたリストラと独自商品によって2002年に約445億円の損失から、2004年には156億円の純利益を計上し業績回復を果たす。<br /> <br /> しかし急速のデジタル家電の価格低下、市場環境の急速な変化、海外市場を中心にノンブランドの台頭、デジタル製品特有の商品サイクルの短命化と、開発工程の膨張によるDVDレコーダーの重大な欠陥による損失と、ブランドイメージの悪化によって2004年には赤字転落。2005年度には306億円の当期純損失を計上する。このため再度のリストラを行わざるを得なかった。また、この業績悪化のため、1982年より続けてきたFIFAワールドカップへの協賛を2006年のドイツ大会で終了。2010年には、1978年からスポンサードして来た「東京ビデオフェスティバル」の後援を降りざるを得なくなった。<br /> <br /> === ケンウッドとの経営統合 ===<br /> 2007年10月1日、ケンウッドとビクターの折半出資で技術開発合弁会社、J&amp;K テクノロジーズ株式会社を新設。カーおよびホームエレクトロニクス技術開発のコラボレーションがスタートした。<br /> <br /> 2008年5月12日、6月の株主総会の承認後を経て10月に共同持株会社、JVC・ケンウッド・ホールディングス株式会社を設立し(本店は横浜市のJVC本店内)経営統合することが発表された。これに伴いJVC及びケンウッドは上場廃止、傘下の事業会社となり、予定通り10月1日に共同持株会社が上場された。<br /> <br /> 前述の通り、2011年10月1日をもってJVC・ケンウッド・ホールディングス株式会社から商号変更した株式会社JVCケンウッドに吸収合併された。<br /> <br /> == ビクターの主な事業 ==<br /> === ホームディスプレイ事業 ===<br /> ;D-ILAプロジェクター<br /> :[[1992年]]にアメリカの航空宇宙産業大手[[ヒューズ・エアクラフト]]とプロジェクション映像システム事業を共同で立ち上げILA方式スーパープロジェクターを開発する。このプロジェクターはCRT([[ブラウン管]])を用いて映像を映し出す。<br /> :[[1995年]]にビクターはヒューズとの合弁会社の経営権を獲得し本格的に開発を始め、ブラウン管部分を反射型液晶ディバイスであるD-ILAを独自開発。<br /> :D-ILA([[LCOS]]方式)は理論的に高画質化に向き、構造はシンプルであり、従来の透過型液晶パネルが開口率50%程度なのに対し、D-ILA は90%以上の開口率を持ち、輝度が高く消費電力を低く抑えることができ、無機配向膜を用いており半永久的な素子寿命を持つという特徴を持っている。しかし製造方法が難しい。ビクター以外ではソニーが開発量産化に成功している。ソニーではSXRDと呼ばれている。<br /> :D-ILAを使用した[[プロジェクター]]では、業務用を中心に商品を展開、D-ILAは液晶等の他の素子を使ったモデルと比べて色の表現力や明るさに優れている。100万円を超えるフルハイビジョン対応の高級機に集中しており低価格帯の製品が少なかったが、[[2007年]]にはD-ILAの高画質にさらに磨きをかけ、かつ低価格を実現した機種であるDLA-HD1、DLA-HD100を続けて市場に投入、数々の賞を獲得した。<br /> :またこのD-ILA素子を利用したハイビジョンを超える[[スーパーハイビジョン]]タイプのプロジェクターの開発を[[日本放送協会|NHK]]と共同で進め、ハイビジョンの4倍の解像度を誇る4K2Kプロジェクターやその4倍の8K4Kプロジェクター([[愛・地球博]]内グローバル・ハウスにあるNHKの[[スーパーハイビジョン]]シアター用プロジェクターとして)などの開発。またコダックと共同でデジタルシネマ開発を進め、D-ILAプロジェクターを採用した投射システムを開発。<br /> :D-ILAデバイスはテレビにも導入された。ビクターは古くからブラウン管を用いた3管[[リアプロジェクションテレビ]]を販売していた。[[2004年]]にD-ILAデバイスを導入。[[2005年]]にはD-ILAの生産量をこれまでの3倍に増強し発売した。等の技術展示会では高輝度[[LED]]を使うことによってランプ寿命の問題を無くすことのできるモデル、110インチの超大型のプロジェクションテレビを発表している。また、[[2007年]]には奥行き25cm程度で壁掛けも可能な薄型のプロジェクションテレビを他社に先行して北米と欧州で発売した。<br /> ;液晶テレビ<br /> :[[2004年]]に[[CPU]]内蔵システムLSIであるGENESSAを開発した。GENESSAの主な働きは、それぞれの[[ディスプレイ (コンピュータ)|ディスプレイ]]に合わせた最適な映像になるように白飛びや黒つぶれを押さえつつコントラスト補正(ガンマ補正)をし、さらに色彩感を出すために200万通りに[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]されている候補の中から最適な色づけをするという動作を秒間60回、映像の1コマ毎に行うものである。2004年に発売したGENESSA搭載モデルから画質の評価が格段にあがり、シェアも伸びた。[[2005年]]にはGENESSAの機能が向上して、ノイズリダクション機能などが追加された。[[2007年]]には[[x.v.Color]]対応、信号処理の12ビット化、動き補償型の3次元ノイズリダクション機能などを搭載した新型のGENESSA PREMIUMを開発した。<br /> :動作を解消する技術として、液晶テレビの周波数を120Hzとして液晶のホールド時間を短くした、残像低減技術「[[倍速液晶|高速液晶ドライバー]]」も他社に先駆けて市場に投入。2007年には周波数を180Hzまで高めることでさらに残像感を小さくする技術や、バックライトにLEDを搭載して画面のエリア毎に輝度をコントロールすることでコントラストを飛躍的に向上させる技術、LCDのバックライトを自社開発することでテレビの電気回路を搭載しつつ厚み3.7センチの薄型化を達成した試作品を技術展示した。ビクターのテレビの商品名は[[EXE (テレビ)|EXE]]。<br /> ;液晶ディスプレイ<br /> :2009年7月、テレビチューナーを搭載しない高級液晶ディスプレイ[[XIVIEW]]の1号機を発売。<br /> === オーディオ事業 ===<br /> ; ピュアオーディオ<br /> :[[スピーカー]]部門では1本で360度の音の広がりを実現した世界初の球形スピーカーを開発。また世界初のディスクリート4チャンネルのCD-4を完成させた。木製コーンを使用したウッドコーンスピーカー、幅3センチの細いDDスピーカー、コーンの振動位置を中央からずらしたオブリコーンスピーカーを開発。アンプ技術では増幅した信号を入力時のアナログ・デジタル波形を比較し補正することで高音質を実現したデジタルアンプのDEUS、音声技術ではデジタル音声の劣化を防ぎ、圧縮によって欠けた信号を予測し、復元する「&#039;&#039;&#039;K2テクノロジー&#039;&#039;&#039;」を開発。特にK2テクノロジーはスタジオやマスタリングといったビクターの関連企業([[ビクターエンタテインメント]])でソフト製作に携わるエンジニアが参加し開発を進め、多くの業務用機器を始めビクターの民生用機器、果ては同社のデジタルオーディオプレーヤーや[[Au (携帯電話)|au]]ブランドを展開する[[KDDI]]・[[沖縄セルラー電話]]向けの一部を除く2008年春モデル以降の[[KCP+]]対応の[[携帯電話]]にも、「&#039;&#039;&#039;net K2&#039;&#039;&#039;(ネット・ケイツー)」として搭載されている。<br /> ; ゼネラルオーディオ<br /> :2000年にカラフルなイルミネーション重視の「[[Lip×Lap]]」(リップ×ラップ)「[[Clavia]]」(クラビア)シリーズ製品の発売。これにより、今までの同社のゼネラルオーディオに対する「クールなイメージ」を「ファッショナブルなイメージ」へと大きく変えるものとなった。 2007年より「[[Memory COMPO]]」シリーズの展開もスタートした。<br /> ; カーオーディオ<br /> :カーオーディオ部門では海外向け、国内向けも「JVC」ブランドで展開している。2007年6月に国内向け生産を打ち切った。<br /> ; ポータブルオーディオ<br /> :[[2001年]]からデジタルオーディオプレーヤー事業へ参入していたが、急速なデジタルオーディオプレーヤーの台頭によって、[[2005年]]から本格的にデジタルオーディオプレーヤーを発売。記録媒体にメモリーやHDDを使用している機種、独自のK2テクノロジーを採用したモデルを販売しておりラインナップを拡充させていた。しかし、市場が縮小するMDをこれらのデジタルオーディオプレーヤーではカバーしきれず不振が続き、[[2009年]]夏に全機種の生産を終了し、[[2010年]][[5月]]下旬に事実上撤退した。商品名は[[alneo]]。<br /> === ビデオカメラ事業 ===<br /> ; DVビデオカメラ<br /> ; HDDビデオカメラ<br /> {{main|Everio}}<br /> <br /> === ホームストレージ事業 ===<br /> ; VHS<br /> ; DVDレコーダー<br /> ; Blu-ray Disc<br /> === メディア事業 ===<br /> [[テープ]]時代から手がける記録メディア事業は、ビクターの[[ハードウェア|ハード]]を[[電子媒体|メディア]]で支える事業だった。現在ではVHS・ビデオカメラ用Mini[[DV (ビデオ規格)|DV]]テープ、[[コンパクトディスク|CD]]・[[DVD]]・[[ミニディスク|MD]]等のブランクディスクなどを主に手がけている。特に記録型光ディスクのブランクメディアは[[DVD-RW]]で他社への[[OEM]]供給を含めてトップシェアであり、ハード事業では手がけていない8cmDVD(家庭用ビデオカメラ用)も扱っている。<br /> <br /> しかし、全体の業績悪化により、メディア事業も整理対象となり、[[2008年]][[7月1日]]に[[ビクターアドバンストメディア]]として分社し、同年[[10月1日]]に同社株式の65%が[[太陽誘電]]に売却されたが、この事業も2015年12月を以って清算されることとなった。<br /> <br /> === ソフト事業 ===<br /> {{see|JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|テイチクエンタテインメント}}<br /> * [[ビクタークリエイティブメディア]](現・[[JVCケンウッドクリエイティブメディア]]。プレス部門子会社)<br /> *かつて関係会社だったレコード会社については→[[#レコード事業]]<br /> 映像・音楽ソフトの製作・製造・流通・販売など多岐にわたる事業を関連会社によって行っている。制作(上流)から流通(下流)まで一手に引き受けられるのは日本では[[ソニーグループ]]とビクター(このほか、[[2009年]]までは[[日本コロムビア]]も)しか存在せず、ソフト流通ではシェア60%だった時期もあった。<br /> <br /> === 産業用機器部門 ===<br /> === 電子ディバイス部門 ===<br /> [[ハードディスクドライブ|HDD]]用モーター、光ピックアップ、D-ILA素子、高密度ビルドアップ基板[[VIL]]を手がける。HDD用モーターについては国内第2位のシェアを保ち、ブラウン管用の偏向ヨークやFDDモーターなど、旧来の主力製品に変わる商品として育ちつつあった。2008年にモーター事業はJVC モーター分社化した後、日本産業パートナーズ(JIPファンド)に、また、サーキット事業を[[メイコー]]にそれぞれ譲渡した。<br /> <br /> == 松下電器産業・パナソニックとの関係 ==<br /> 2011年3月現在、パナソニックは[[JVCケンウッド]]株式を19.17%保有する筆頭株主である。ケンウッドとの統合までは、[[パナソニック|松下電器産業]]がビクターの株式のうち52.4%を保有する筆頭株主で、親会社だった。<br /> <br /> [[2001年]]に社長に就任した[[中村邦夫]]の方針によって、[[2003年]]度から松下グループの事業セグメントの再編によって、ビクターは一つのセグメントとして確立し、グループの事業計画にも参加し、研究開発や部材の共同購入など松下との連携を進める一方で、経営の自主性と責任をより一層持つこととなった。当時の松下グループの中でビクターの売上は全体の7%程。<br /> <br /> 2007年7月24日、日本ビクターおよびケンウッドは、両社の取締役会で、同年10月期にカーエレクトロニクスとポータブルオーディオ事業分野の協業を開始し、将来的には共同持ち株会社による経営統合を目指すことを決定し松下電器とともにその方針を発表した。同年8月10日にケンウッドとその筆頭株主であるスパークス運用ファンドに対する[[第三者割当増資]]を行ない、ケンウッドの持ち株比率が17.1%、松下電器の持ち株比率が36.9%となり、ケンウッドは日本ビクターの第2位の株主になると同時に日本ビクターが松下電器の連結子会社から外れ持分法適用関連会社となった&lt;ref&gt;[http://www.jvc-victor.co.jp/company/ir/pdf/info-070724.pdf 日本ビクターのニュースリリース]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == かつて参入していた事業 ==<br /> === PHS端末事業 ===<br /> [[1995年]]から[[1999年]]頃にかけて、DDIポケット(現[[ワイモバイル]]のガラケー部門)向けに[[PHS]]端末を供給していた。<br /> ==== 端末 ====<br /> * TN-PZ1<br /> ** 1995年7月1日発売、幅50mm×高さ120mm×奥行き26mm、145g<br /> * TN-PZ3/TN-PZ110/TN-PZ210<br /> ** 1996年5月7日発売、幅45mm×高さ120mm×奥行き25mm、128g<br /> * TN-PZ5<br /> ** 1997年3月発売、幅43mm×高さ115mm×奥行き21mm、94g<br /> * TN-PZ7<br /> ** 1997年発売、幅41mm×高さ115mm×奥行き21mm、89g<br /> * TN-PZ77<br /> ** 1998年10月15日発売、幅37mm×高さ122mm×奥行き19mm、66g<br /> * AP-V102<br /> ** 1998年11月発売、幅43mm×高さ115mm×奥行き21mm、94g<br /> <br /> === テレビ受像機およびディスプレイ事業 ===<br /> [[三菱電機]]から[[ブラウン管]]の供給を受けて「MEGA」シリーズを、[[液晶ディスプレイ]]と[[プラズマディスプレイ]]の[[薄型テレビ]]「[[EXE (テレビ)|EXE]]」シリーズを、それぞれ生産して販売した。売り上げ不振で赤字が増大し、[[2008年]]限りでテレビ受像機とディスプレイの生産を取り止めた。<br /> <br /> === 家庭用電話機事業 ===<br /> {{節スタブ}}<br /> コードレスホンなどを発売していた。ステレオコンポにコードレスホンを搭載したこともあった。[[留守番電話]]の録音にはコンパクトカセットを利用できた(主に「光ルス」シリーズ)。<br /> <br /> === レコード事業 ===<br /> かつては[[RCAレコード]]および[[BMG]]との合弁による[[BMG JAPAN|BMGビクター]]、[[MCAレコード]]との合弁によるユニバーサル・ビクターが存在した。前者は[[アリオラジャパン]](現・[[ソニー・ミュージックレーベルズ]])の前身である。後者は[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサル ミュージックLLC(旧・ポリグラム)]]が吸収した。<br /> <br /> === 音楽教室事業 ===<br /> 1960年代後半から[[ビクトロン]]を対象とした「ビクター音楽教室」を全国展開していた。[[1990年]]からは松下電器産業の[[テクニトーン]]による音楽教室と事業統合し、両社合弁の「ビクターテクニクス音楽教室」を展開していたが、[[2001年]]に[[ローランド]]に事業譲渡し撤退。特約楽器店運営の一部教室は[[ローランドミュージックスクール]]として存続している。<br /> <br /> なお、専門家の育成を目的とした音楽教室「ビクター音楽カレッジ」は2014年に閉校している。<br /> <br /> === 楽器事業 ===<br /> [[1958年]]に[[電子オルガン]]を発表し楽器事業に参入した。[[1991年]]までに楽器事業から撤退している。<br /> * [[ピアノ|アコースティックピアノ]]<br /> * [[ビクトロン|電子オルガン(ビクトロン)]]<br /> * キーボード<br /> <br /> === エアコン事業 ===<br /> 三菱重工より事業所向け大型エアコン等をOEM供給を受けて、Victorブランドで販売していた。<br /> <br /> === ゲーム機事業 ===<br /> [[セガゲームス|セガ]]のハードウェアである[[メガドライブ]]の[[メガCD]]一体型の互換機、およびセガ発売の物と同等の仕様の[[セガサターン]]の互換機を販売した。また、セガサターンで[[ビデオCD]]と[[フォトCD]]が閲覧可能になる周辺機器である「ツインオペレーター」も販売した。<br /> <br /> * [[ワンダーメガ]] [[1992年]][[4月1日]]メガドライブとメガCDの一体型機。定価82,800円。[[CD-G]]再生機能とマイク端子を搭載し、周辺機器であるメガCDカラオケなしでカラオケが楽しめる。MIDI出力端子も搭載。同仕様の機器がセガからも発売されている。<br /> * ワンダーメガ2 ワンダーメガからMIDI出力端子を省き、代わりに6ボタン仕様のワイヤレスコントローラーが同梱されている機種。定価59,800円。こちらはビクター版のみ発売。<br /> * Vサターン [[1994年]][[11月22日]]発売(セガサターンと同時)。オープン価格だが同等の価格で販売されていた。仕様は色や内蔵ソフトを除きセガサターンと全く同じである。[[1996年]][[6月7日]]にはカラーリングを変更し、実売価格をあわせた(オープン価格)後期型も発売された。<br /> <br /> === パソコン事業 ===<br /> [[MSX]]規格より参入し、[[MSX2]]規格にも対応した機種を発売していた。2000年ごろにはモバイルPC市場に参入し、WindowsCE対応のInterLinkCEシリーズとWindowsXP対応のInterLinkXP/XVシリーズを販売していた。<br /> <br /> InterLinkXP/XVシリーズはすべてコンパクト性を特徴として、全モデルのポインティングデバイスがスティックタイプで統一されている。<br /> <br /> また、映像編集を意識してか、MP-XP3210以外の全モデルでi.LINK(IEEE1394)端子が装備されている。本体はASUSからのOEMである。<br /> <br /> 一時期は、マウスなどの周辺機器や、業務用ディスプレイやHDDも生産、販売していた。<br /> <br /> === 業務用カラオケ事業 ===<br /> 1995年から2006年まで、子会社のビクターレジャーシステムから業務用通信カラオケ「[[孫悟空 (カラオケ)|孫悟空]]」を発売していた。2006年4月、ビクターレジャーシステムの全株式を[[エクシング]]へ譲渡し撤退。<br /> <br /> === インテリア事業 ===<br /> 70年代から80年代中期にかけて、家具・インテリア事業に参入し、「ソフィット(Sofitt)」というブランドで発売していた。オーディオ/ビジュアル機器と組み合わせるような提案を行うことは一切なかった。<br /> <br /> === アニメーション制作事業 ===<br /> 1994年の[[メタルファイター・MIKU]]より[[ベターマン]]までアニメーション制作をしていた。<br /> <br /> == 主な事業所 ==<br /> * 本社・横浜事業所([[横浜市]][[神奈川区]]守屋町3-12)<br /> ** テレビ、プロジェクタ、ビデオカメラ、Blu-ray Disc製品の開発<br /> * 横須賀事業所([[神奈川県]][[横須賀市]]神明町58-4)<br /> ** 業務用製品の生産、要素技術の研究開発<br /> * 前橋事業所([[前橋市]]大渡町1-10-1)<br /> ** オーディオ製品の開発<br /> <br /> == かつての事業所 ==<br /> * 岩井工場 ([[茨城県]][[坂東市]](旧・[[岩井市]])大字辺田1106<br /> ** ブラウン管テレビを製造していた。タイ工場へ移管したため閉鎖された。跡地にはヨークタウン坂東が建設された。<br /> * 小山工場 ([[栃木県]][[小山市]]中久喜1475-1)<br /> ** ブラウン管テレビの電子部品を製造していた。中国へ移管したため閉鎖された。<br /> * 鶴ヶ峰工場 (神奈川県横浜市旭区今宿東町1532)<br /> ** デジタルビデオカメラの基幹部品等を製造していた。大和工場に移管したため閉鎖された。跡地にはマンションが建設された。<br /> * 林間工場([[神奈川県]][[大和市]]下鶴間1612-1)<br /> ** CD、DVD、BDソフトの生産。ビクタークリエイティブメディアとして分社化。<br /> * 水戸工場(茨城県[[水戸市]]元吉田町1030)<br /> ** 記録メディアの開発・生産。ビクターアドバンスドメディアとして分社化。<br /> * 大倉山工場([[神奈川県]][[横浜市]]港北区[[太尾町]]804)<br /> ** 旧コンポーネント&amp;デバイス事業本部 精機事業部。プリント配線板の工場だった。事業は横浜工場に統合され閉鎖。<br /> * 八王子工場([[東京都]][[八王子市]]石川町2969-2、[[北八王子工業団地]])<br /> ** 業務用製品の開発・生産を行っていた。[[2009年]][[8月28日]]、工場の売却を発表。用地売却に伴い、事業は横須賀工場に統合された。<br /> * 藤枝工場([[静岡県]][[藤枝市]]花倉430-1)<br /> ** HDD用モーターの開発・生産を行っていた。日本産業パートナーズに譲渡。<br /> <br /> == 年表 ==<br /> * [[1927年]]([[昭和]]2年)[[9月13日]] - 資本金200万円で日本ビクター蓄音器株式会社設立&lt;ref name=&quot;yokohama-modern-history-list-1994&quot; /&gt;。<br /> * [[1943年]](昭和17年) - 商号を日本音響株式会社に変更。<br /> * [[1945年]](昭和20年) - 商号を&#039;&#039;&#039;日本ビクター株式会社&#039;&#039;&#039;に変更。<br /> * [[1951年]](昭和26年) - 音楽部門、レコード会社では日本初のテープ・レコーダー(米マグネコーダ製)を導入、運用開始。<br /> * [[1953年]](昭和28年)[[10月]] - 音楽部門、LPレコードの発売を開始。第1号は[[アルフレッド・コルトー]]のピアノによる[[フレデリック・ショパン|ショパン]]ピアノ作品集(LS-2001)で、彼の[[1952年]]の来日の際にテープ・レコーダーを使って、同年12月1日と3日、当時東京築地にあった日本ビクター・スタジオにて録音された音源を使用している。現在は、[[BMG JAPAN]]からCDにて発売されている。<br /> * [[1954年]](昭和29年) - 松下電器産業(現[[パナソニック]])と提携。<br /> * [[1957年]](昭和32年)[[4月]] - 音楽部門、日本初のステレオ・テープ・ソフトであるベルリオーズ「幻想交響曲」(ミュンシュ指揮ボストン交響楽団を発売。<br /> * [[1958年]](昭和33年)[[4月1日]] - RIAA等で正式決定した45/45方式のステレオレコードが再生できる日本初のステレオセットSTL-1を発売。<br /> :* [[8月1日]] - 音楽部門、日本初のステレオ・レコードを発売。この日の初回ステレオ発売はLP3枚、EP2枚。内容は、クラシック音楽では全て12インチLPで、[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]作曲「[[ピアノ協奏曲第1番 (チャイコフスキー)|ピアノ協奏曲第1番]]」[[エミール・ギレリス]](ピアノ)[[フリッツ・ライナー]]指揮[[シカゴ交響楽団]](SLS-2001)、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]作曲、「[[ヴァイオリン協奏曲 (ベートーヴェン)|ヴァイオリン協奏曲ニ長調]]」[[ヤッシャ・ハイフェッツ]](ヴァイオリン)[[シャルル・ミュンシュ]]指揮[[ボストン交響楽団]](SLS-2002)の以上2枚で、いずれも価格は2800円。ポピュラー音楽では、12インチLPが「ステレオ・ボール・ルーム」([[ラルフ・フラナガン]]楽団、[[フランキー・カール]]楽団)(SLS-5001)の1枚(価格:2500円)、7インチの45回転EP盤が、「王様 プラード・イン・ウルトラ・Hi-Fi」([[ペレス・プラード]]楽団)(SEP-1001)、「魅惑の東洋の旅 第1集(Around the Far East)」([[アルマンド・フェデリコ]]楽団)(SEP-1002)で、いずれも価格は900円だった。これらのレコードは全て[[RCAレコード|米RCAビクター]]原盤によるもので、[[国立国会図書館]]に所蔵されている。<br /> :* [[10月1日]] - 音楽部門、録音からプレスまで純国産のステレオLPを2枚発売(歌舞伎「[[勧進帳]]」(SLJ-2001)ほか)。<br /> * [[1959年]](昭和34年) - 世界初の2ヘッドVTRを開発。<br /> * [[1960年]](昭和35年) - カラーテレビ発売。<br /> * [[1960年|1970年]](昭和45年) - 完全独立4チャンネルステレオ CD-4 を発売。機械学会賞をうける。<br /> * [[1972年]](昭和47年) - 音楽部門を分社し、ビクター音楽産業(現在の[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント]])設立。<br /> * [[1976年]](昭和51年)[[10月]] - 家庭用[[VHS]]ビデオデッキ第1号機(HR-3300)、発売。定価は25万6千円。留守番録画用タイマーは別売りで1万円。この機種は[[シャープ]]、[[三菱電機]]等、多数のメーカにOEM供給された。<br /> * [[1977年]](昭和52年)4月 - CI導入、創業時から使用されてきた「VICTOR」から「Victor」表記に変更される。<br /> * [[1983年]](昭和58年) - 音声専用ヘッドによるFM深層記録(ハイファイ)を取り入れた事で、[[VHS]]の音質を飛躍的に向上させた。また、同技術を採用した機種「HR-D725」を発売。<br /> * [[1984年]](昭和59年) - [[VHS-C]]一体型[[カムコーダ|ビデオカメラ]]「GR-C1」発売。<br /> :* [[1月20日]] - 日本ビクターでのビデオソフト販売は[[パラマウント映画|パラマウント]]、[[ユニバーサル・スタジオ|ユニバーサル]]との合弁会社としてCIC・ビクター ビデオ株式会社を設立(2002年6月に、パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン株式会社(PHEJ)に社名変更され、CIC・ビクター ビデオ株式会社の設立は終了となった)。<br /> * [[1986年]](昭和61年) - 3D立体映像の砕石機能に対応したモデル、HD-9300を発売&lt;ref&gt;液晶シャッター式スコープを本体に接続し、立体映像を楽しむことが可能であった。<br /> : 『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p103&lt;/ref&gt;。<br /> * [[1987年]](昭和62年) - 輝度信号の大幅なハイバンド化により、VHSの画質を飛躍的に向上させた新規格、「&#039;&#039;&#039;[[S-VHS]]方式&#039;&#039;&#039;」を発表。家庭用ビデオとして、世界で初めて放送クオリティーに迫る高画質を実現させた。また同年、VHSの規格をさらに進化させた、S-VHS規格対応の第1号機として「HR-S7000」を発売&lt;ref&gt; 『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p102&lt;/ref&gt;。<br /> * [[1989年]]([[平成]]元年)[[6月]] - [[K2インターフェイス]]を導入したCDプレーヤーの第1号機発売。<br /> * [[1995年]](平成7年) - 20ビット以上のDIGITAL K2技術を使い、マスタリング、盤質、製造品質を大幅改良した高品質CDソフト 「[[XRCD]]」を発表。<br /> * [[1999年]](平成11年) - [[D-VHS]]レコーダ発売。<br /> * [[2003年]](平成15年) - 家庭用としては世界初となる、デジタル[[ハイビジョン]][[カムコーダー|ビデオカメラ]]発売。ウッドコーンスピーカー発売。<br /> * [[2004年]](平成16年) - D-ILAリアプロジェクションテレビ発売(北米)。[[ハードディスクドライブ|HDD]]ビデオカメラ発売。<br /> * [[2005年]](平成17年) - net K2技術の開発。業界初の[[倍速液晶|高速液晶ドライバー]]技術を開発。<br /> * [[2007年]](平成19年) - [[ケンウッド]]と業務提携。[[パナソニック|松下電器産業]]の子会社から&lt;!--外れ、--&gt;関連会社となる。<br /> * [[2008年]](平成20年) - サーキット事業を[[メイコー]]に譲渡&lt;ref&gt;[http://www.jvc-victor.co.jp/press/2008/info-080130a.html サーキット事業の譲渡に関するお知らせ 2008年1月30日]&lt;/ref&gt;。<br /> :* モーター事業をJVCモータとして分社化し、日本産業パートナーズ(JIPファンド)に譲渡&lt;ref&gt;[http://www.jvc-victor.co.jp/press/2008/info-080227.html 会社分割によるモータ事業部門の分社化及び事業譲渡に関するお知らせ 2008年02月27日]&lt;/ref&gt;。<br /> :* [[10月]] - ケンウッドと経営統合し、[[株式移転]]により共同[[持株会社]]・[[JVC・ケンウッド・ホールディングス]]を設立し、同社の子会社となる。<br /> * [[2009年]](平成21年)[[11月]] - 国内事業見直しにより[[山陰ビクター販売]]と[[沖縄ビクター販売]]を解散。<br /> * [[2011年]](平成23年)[[10月1日]] - JVCケンウッドに吸収合併。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * 英[[EMI]] - 英グラモフォンの後身。[[ニッパー (犬)|ニッパー]](HMV)の商標権をもつ企業。<br /> * [[VHD]]<br /> * [[「ビクター・甲子園ポスター」キャンペーン]]<br /> * [[UEFA欧州選手権]]<br /> * [[系列電器店]]<br /> * [[AMステレオ対応受信機の歴史]]<br /> * [[パナソニックのVTRの歴史]]<br /> * [[山田昇 (実業家)|山田昇]] - [[ヤマダ電機]]創業前は日本ビクターの社員だった。<br /> * [[横浜スタジアム]]<br /> * [[アーセナルFC]] - クラブ史上初の胸スポンサー(1982/83シーズンから1998/99シーズンまで)。胸には「JVC」と書かれていた。<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www3.jvckenwood.com/ JVC Web サイト]<br /> ** [http://www3.jvckenwood.com/brand/ JVCはビクターのグローバルブランドです。]<br /> * [http://panasonic.co.jp/history/person/095.html 松下幸之助の生涯 95. 日本ビクター(株)との提携]<br /> {{パナソニック}}<br /> {{Normdaten}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:にほんひくたあ}}<br /> [[Category:日本ビクター|*]]<br /> [[Category:JVCケンウッドの歴史|*]]<br /> [[Category:パナソニックグループの歴史]]<br /> [[Category:東芝の歴史]]<br /> [[Category:かつて存在した日本の電気機器メーカー]]<br /> [[Category:かつての音響機器メーカー]]<br /> [[Category:かつての映像機器メーカー]]<br /> [[Category:かつての携帯電話メーカー]]<br /> [[Category:日本の音楽教室]]<br /> [[Category:BSジャパン]]<br /> [[Category:日本の多国籍企業]]<br /> [[Category:外資系発祥の日本企業]]<br /> [[Category:1927年設立の企業]]<br /> [[Category:かつて存在した神奈川県の企業]]</div> 124.25.181.57
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