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miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja]
2024-05-02T16:58:51Z
利用者の投稿記録
MediaWiki 1.31.0
的屋
2018-06-24T15:36:45Z
<p>122.197.149.19: </p>
<hr />
<div>{{複数の問題<br />
|出典の明記 = 2008年5月<br />
|独自研究 = 2015年2月<br />
}}<br />
[[画像:Yatai45.jpg|270px|thumb|right|盆踊りの的屋の様子]]<br />
'''的屋'''(てきや)は、[[縁日]]や[[盛り場]]などの人通りの多いところで[[露店]]や[[興行]]を営む業者のこと。[[祭礼]](祭り)や[[市]]や縁日などが催される、[[境内]]や[[参道]]、[[門前町]]において[[屋台]]や露店で出店して[[食品]]や[[玩具]]などを売る小売商や、[[射幸心]]を伴う遊技([[ゲーム]])として[[射的]]や[[くじ引]]などを提供する[[街商]](がいしょう)や、[[大道芸]]にて客寄せをし商品を売ったり、[[芸]][[大道芸人|そのものを生業]]にする[[大道商人]](だいどうしょうにん)などが含まれる。「当たれば儲かる」ことから[[的矢]]<ref>[[神事]]や[[弓道]]・[[弓術]]や[[弓矢#公家と庶民の遊興|祭り弓矢]]や縁日などでの[[的 (曖昧さ回避)|的]]に[[矢]]を当てる行為をいう。</ref>に準えて言われるようになった言葉である。<br />
<br />
警察においては、的屋を[[暴力団]]の起源の一つと定義しており<ref name="h27keisatsu">[https://www.npa.go.jp/hakusyo/h27/honbun/html/rf111000.html 平成27年 警察白書 第1項 暴力団情勢「暴力団による資金獲得活動の変遷」参照] 警察庁</ref>、戦後の混乱期に的屋は、[[博徒]]・[[愚連隊]]と同様に闇市を縄張として、覚せい剤の密売などの違法行為を行っていたと警察白書に記されている<ref name="h1keisatsu">[https://www.npa.go.jp/hakusyo/h19/honbun/html/jc210000.html 平成元年 警察白書 第2節 暴力団の資金獲得活動の変遷] 警察庁</ref><ref name="h27keisatsu"/>。平成以降の暴力団の定義でも「博徒、的屋等組織又は集団の威力を背景に、集団的に又は常習的に暴力的不法行為を行うおそれがある組織」としており的屋も暴力団の経済活動の一つとしている<ref name="h1keisatsu"/><ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/120/0050/12004190050011c.html 衆議院会議録情報 第120回国会 地方行政委員会 第11号]</ref>。<br />
<br />
'''的屋(まとや)'''、'''香具師(やし)'''、'''三寸(さんずん)'''とも呼ばれる。一般には馴染みが薄いと思われるが近年までは、よく使われた通り名であり、的屋(てきや)、香具師、三寸は辞書<ref>小学館発行:大辞泉より</ref>では、同じ説明がなされている場合が多い。職業神として元々は中華文明圏より伝わり、神道の神となった「[[神農]]の神」「神農黄帝」を祀り、独特の[[隠語]]を用いる者が多いため、狭い世界では'''神農'''(しんのう)とも呼ばれる。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
前述の「祭礼(祭り)や市や縁日などが催される、境内、参道や門前町」を[[庭場]]といい(以下庭場と記述)、その庭場において[[御利益]]品や[[縁起物]]を「売を打つ(販売する)」[[商売人]]でもある。商売人といっても、祭礼時などは町鳶、町大工などの[[冠婚葬祭]]の互助活動と同じで、いわゆる[[普請|寺社普請]]と呼ばれる相互扶助の一環でもあり、支払われるお金も代金ではなく[[祝儀]]不祝儀であるともいえる。同時に[[寺社]]などとの取り交わしによって、縁起物を売る時は[[神仏]]の[[託宣]]を請けた者ともいえる。<br />
<br />
的屋は「[[露天商]]や[[行商人]]」の一種であり、日本の[[伝統文化]]を地域と共有している存在である。それゆえ、的屋は価格に見合った品質の商品を提供するというよりも、祭りの非日常([[ハレとケ|ハレ]])を演出し、それを附加価値として[[商売]]にしている性格が強い。<br />
<br />
道端における的屋や大道芸人の「客寄せ」のための演芸は、いわゆる現在の[[路上]]などで芸を披露する[[素人]]や、日本の文化や時代背景のない[[パフォーマー]]とは異なり、[[演歌#創生期|演歌師]]や[[壮士]]などの、主義主張や思想の「宣伝のための人寄」としての芸とも、区別されるべきである。それは、観客においても舞台設定ともいえる、祭りというハレの場の非日常的な雰囲気を、感じるか感じないかの違いがあるからである。<br />
[[ファイル:Toshinoichi.JPG|thumb|right|250px|注連縄、お飾り]]<br />
<br />
日本は古来から様々な生業において「[[組]]」と言う[[徒弟]]制度や[[雇用]]関係があり、的屋も噛み砕いて表現すれば、[[親分子分]]([[親方子方]]・兄弟分・兄弟弟子)の関係を基盤とする、[[企業]]や[[互助]]団体を構成する人々でもある。的屋は零細資本の[[小売|小売商]]や、雇用されている[[プロレタリアート|下働き]]の人々の団体というイメージもあるが、これに該当しない地域に密着した形や、個人経営や兼業の的屋も多くある。地勢的・歴史的・人的・資本的要素が複雑に絡み合って、発生し成り立ってきた背景から、単に的屋として一括りに定義することは難しいが、後述する[[猿楽]]、[[香具師]]、[[弓矢#公家と庶民の遊興|的屋]]、[[蓮の葉商い]]、[[鳶職]]ないし[[植木職]]の5つが源流とされる。<br />
<br />
[[小沢昭一]]などの[[文化人]]は的屋の啖呵を“[[昭和]]の風物”として[[文献]]や[[音源]]に残している。また映画『[[男はつらいよ]]』の主人公、“フーテンの寅”車寅次郎の生業として知られる。<br />
<br />
== 歴史 ==<br />
「寺社などの[[託宣]]」とは具体的には[[普請|寺社普請]]といい、現在でも残っているが、特に[[明治時代]]以前の人々の暮らしは[[政]](まつりごとが[[自治権]]として地域で認められていた)の中心として寺や神社があり、定期的な修繕や社会基盤の拡張や一新を図るに当たり、莫大な費用が必要であり、その一環として寄付を直接募るよりは、祭りを開催し的屋を招き地域住民に参加してもらい、非日常(ハレ)を演出する事で的屋から場所代として売り上げの一部を[[普請]]の資金とした。技術を持った商売人としての的屋は、生活が成り立ったと言う背景がある。ちなみに宝くじの起源である「富くじ」も、寺社普請のために設けられた、非日常を演出する資金収集の手段であった。<br />
<br />
有縁が縁日に変化し、庶民の生活習慣に深く根ざすようになった事や、各地域での経済の発展と[[市場|市]](定期市)の発生が、的屋を中心とする露天商の発展を促した。また会日を根源とすることが、縁起と神事や、祓いや占いなどの価値観が、商売としても商品にも反映されている。[[江戸時代]]には祭り文化と相俟ってますます栄え、この勢いは昭和初期まで続き、[[第二次世界大戦]]前の[[東京都]]内では、年間に600を超える縁日が催されており、忌日をのぞき、日に2・3ヶ所で縁日が行われていた。しかし戦争による疲弊から縁日は祭りとともに消えていった。祭りは住民参加型であれば、復活するものも多いが、縁日は職業人としての的屋が担う部分が多くあり、廃業や転職などと時代錯誤的な世間の風潮もあり、成り手の不足から、その総数は減少の一途をたどった。<br />
<br />
的屋(まとや)が営む「懸け物の的場(景品交換式遊技場)」は、現在の[[温泉場]]や[[宿場町]]に残る射的場の起源であり、[[スマートボール]]や[[パチンコ]]の源流でもある。また[[法律]]の成立においても懸け物の的場(景品交換式遊技場)が基本にあるので、「遊技」と言う言葉が「遊戯」ではないのは、弓矢は技術が伴う事に由来し、法律の根拠としても偶然性のみの[[くじ引]]きである、「[[富くじ]]([[宝くじ]])」との区別の根拠となっている。また的屋や宿場町で営まれる射的場は文化や時代の背景があり、現在のパチンコなどは利害だけの産業といえる。<br />
<br />
; 猿楽(さるがく)<br />
: 平安時代に生まれた古典芸能。日本古来からの[[物真似]]や[[形態模写]]などの[[お笑い]]芸や[[剣舞]]や[[独り相撲]]の舞踊りと[[唐]]から伝わった[[奇術]]や[[手品]]または、[[軽業]]や[[曲芸]]などの芸が合わさりできた芸能で、[[奉納相撲]]や[[御神楽祭]]の[[夜祭]]で演じられた。寺社に所属する職業[[芸能人]]であり[[縁日|会日]](縁日の原形)に寺社や大道で披露していた。また[[公家]]や[[武家]]に庇護されたものは、[[能]]や[[狂言]]にまで昇華し、ゆえに猿楽は能と狂言の総称でもある。現在においては、的屋家業としてその片鱗(がまの油売りの太刀まわりや南京玉簾など)は僅かにしか垣間見る事は出来ないが、[[寄席]]や[[演芸場]]で「海老一染之介・染太郎」に代表される[[太神楽]]として広く知られる。香具師が漢方由来の薬を扱っていたように、猿楽も中華文明を起源とするものも多いが、太刀まわりや一人相撲など日本古来の芸も数多く存在する。<br />
; 蓮の葉商い・如何様師<br />
: [[時節]]や年中行事に必要な縁起物である、木の実や葉、野菜や魚(地域によっては普段は禁じられていた獣肉など)などのいわゆる、季節物や[[消え物]](きえもの)を市や縁日で販売していた。郊外においては、蓮の葉商いのそのまま形で、地域に根ざした人々が、祭りなどで先祖代々に渡り、季節の縁起物を販売している。具体的には、農家でありながら、縁日や市の立つ日や祭り時には、福飴や餅などを製造し販売していて、それが何代にも継承されている事があげられる。<br />
: 古くは寺社などの[[神託]]を受けて商品ではなく縁起物を振舞うことを生業とし、その謝意として祝儀を受け取る祭りには欠かせない、[[職]]である。お守りを売っているのと変わらないわけで、その品そのものの商品価値より縁起物としての色合いが強いのである。そのため、一部からは粗悪品を巧みな口上で不当な価格で売る真っ当でない商人との蔑視を受けた歴史を持つ。際物売り・まがい物売りなどと表現され、的屋の発祥の一つとされる[[蓮の葉商い]]や[[詐欺師|如何様師(いかさま師)]]などがあり、その語源の発祥とその経緯(蓮の葉商いも如何様師もまがい物や際物を売る者という意味がある)が一致している。手品や奇術の多くは唐から伝わり猿楽の芸の一つであり、如何様(いかさま)とも呼ばれ、それを行うものを如何様師とも呼称していた。また的屋においても昭和初期まで奇術や手品を使い、客寄せをする者も多く存在し、「がまの油売り」が演じる「真剣を使って腕を切る」芸の[[カラクリ]]にその片鱗が見て取れる。<br />
; 香具師(やし)<br />
: 芸や見世物を用いて客寄せをし、[[薬]]や[[香]]の製造販売・歯の医療行為をする者をさし、名称は他にも、野士・野師・弥四とも表記し、すべて「やし」と読む。由来は、[[野武士]]が困窮して[[薬売り]]に身を投じたという説や、弥四郎という者が薬の行商の祖と言われる事など諸説ある。<br />
: 的屋の別称とされる神農の神は、[[農業]]と薬や[[医学]]の神であり、的屋の源流とされる香具師は[[江戸時代]]において、[[薬売り]]と、[[入れ歯]]の装丁・調整や販売、[[う蝕|虫歯]]などの[[民間治療]]の[[歯科医]]でもあり、このことから神農の神を信仰していた。また中華文明圏に由来する神農の神は、そもそも[[漢方薬]]の神であり、日本においても薬は漢方由来のものが歴史的にも多く存在した。これらのことは、的屋と香具師の繋がりが示されるとともに、的屋が日本古来の薬の神を信仰しなかった、要因の一つと考えられる。<br />
; 的屋(まとや)<br />
: 矢師(やし)ともいい、近代ではハジキとも呼称された。弓矢を使った射的場を営むものであるが、「[[吹き矢]]」を使った「ぶん回し」と呼ばれる回転版を的とする射的や、「とっこいとっこい・どっこいどっこい」と呼ばれる日本式の[[ルーレット]]も江戸時代から存在していた。これら射的やくじ引きなどの賭け物(景品交換式遊技)を生業にする者。<br />
: [[平安時代]]の[[公家]]が楊弓という弓矢で遊興を楽しんだ。座ったままで行う正式な[[弓術]]であり、対戦式で[[的]]に当った点数で勝敗を争った。後に[[江戸時代]]には、この公家の楊弓と庶民の神事である祭り矢・祭り弓が元になり「的屋(まとや)」が営む懸け物(賭け事)の「的矢(弓矢の[[射的]]遊技)」として庶民に楽しまれ、江戸時代の後期には隆盛を極め、[[大正時代]]ごろまで続いたが、江戸時代から大正に至るまで好ましくない[[賭博]]や[[風俗]]であるとされ、度々、規制や禁止がなされた。この的屋(まとや)が後の[[露天商]]を生業とする的屋(てきや)の起源の一つとされる。<br />
: 「的矢」は、[[上方]]では楊弓場(ようきゅうじょう)、[[関東]]で[[矢場]](やば)といわれ、祭礼の立つ日の庭場や遊郭で出店や夜店として、弓矢を使い的に当て、的の位置や種類により、商品や賞金が振舞われた。 また客が弓矢を楽しむ横からの矢の回収は危険であることから、関東の的屋の間で、危ない場所を矢場(やば)と言う様になり、危ない事を「矢場い・やばい」と表現し、[[隠語]]として使用した。この「やばい」という隠語は的屋を中心に堅気でない者の間に広まり、昭和40年前後には当時の若者に広まった言葉である<ref>[[1955年]](昭和30年)5月発行の『[[広辞苑]]』第一版2144頁で[[形容詞]]「危険である」の隠語とされ、さらに[[1969年]](昭和44年)5月発行第二版2227頁では「やば」は不都合、けしからぬ、奇怪として『[[東海道中膝栗毛]]』の使用例を引用し、「危険」の使用例も示している。[[1915年]](大正4年)5月発行[[京都府警察部]]出版、[[警視]][[富田愛次郎]]監修『隠語輯覧』二類、三類でも同様の意味合いで載っていると[[復刻版]]の『隠語辞典集成』第2巻[[1996年]](平成8年)12月大空社(ISBN 4-7568-0333-4 ISBN 4-7568-0337-7)は記載している。</ref>。<br />
; [[鳶職]]や[[植木職]] <br />
: 都市部においては、[[天下普請]]の施行により、鳶職や植木職などの建設に係わる者が、町場の相互関係の中で、特別な義務と権限(町火消しなど)を持つようになり、「[[熊手]]や[[アサガオ|朝顔]]」などの[[縁起物]]や、売り上げが確実に見込める「[[注連縄]]や[[お飾り]]」などの販売を独占する傾向にあり、現在でもその不文律が継承されている。<br />
<br />
=== 的屋と遊女 ===<br />
[[遊郭]]は一説に因れば「[[結界]]の意味を持つ」とする[[民俗学]]や民間信仰論もあり、政治的な治安維持としての役割と管理のし易さから、地域を特定したともいわれるが、一般の「定」から外れた部分を持つ[[治外法権]]でもあった。また遊郭や[[遊女]]は古くは[[禊]](みそぎ)や[[祓い]](はらい)と言った[[神事]]でもあり、それは「[[渡り巫女]]」などの存在からも窺い知ることが出来る。これらを背景として、遊郭は庭場(寺社や縁起に係わる場所)と同じ意味合いを持ち的屋が生業を営む場所であった。そして的屋の源流とされる職種も遊女とのかかわりを持つものも多く存在している。<br />
<br />
[[お蔭参り|伊勢詣]](御伊勢参り)や富士詣などは途中の旅路も過程も含めて「詣で」であり、宿場町に遊女([[飯盛女]])が存在し、客が遊興することは、禊や祓いであった。この宿場町の風俗習慣と的屋(まとや)の営業する的場(景品交換式遊技場)が結びついて、宿場町や温泉街に矢場(射的場)が設けられた。これが現在の射的場(スマートボールなども含め)の原形であり、昭和30年代頃まで俗に「[[楊弓#楊弓場と矢場女|矢場の女]]」といわれる遊女が射的場に存在した理由である。<br />
; 傀儡女(くぐつめ)<br />
: 平安時代にあった[[傀儡師]]といわれる芸能集団で、[[猿楽]]の源流の一つとされる。定住せずに[[流浪]]して、旅回りや町々で芸を披露しながら金子(きんす)を得ていたが、後に寺社の「お抱え」となる集団もあった。さらに、寺社や政治権力の[[間諜]]として諸国を巡る集団もあったとされる。いずれも操り人形と意味を重ねて傀儡と呼ぶ。意図するしないに関わらず二重三重スパイのように世渡りする者もいたと言う。男性は[[剣舞]]をし、女性は[[傀儡子|傀儡回し]]という[[唄]]に併せて動かす人形劇を行っていた。この傀儡を行う女を傀儡女とよび、時に客と閨をともにしたとも言われる。<br />
; 蓮の葉女(はすのはめ)<br />
: 江戸中期の[[井原西鶴]]の著書の中で、描かれている[[上方]]の大店に雇用されていた遊女のことで、上客や常客の接待として閨をともにした。[[蓮の葉|蓮の葉女]]と蓮の葉商いはその語源について繋がりがあり、諸説あるが蓮の葉商いが遊女としての側面を持っていたことが示唆される。<br />
; [[楊弓#楊弓場と矢場女|矢取り女(やとりめ)]]<br />
: 江戸後期に的屋(まとや)が営む矢場で雇われた女性。客の放った[[矢]]が[[的]]の一定の場所内に当たると、[[太鼓]]を打ち鳴らして「あたぁ〜りぃ〜」と声を上げる。矢を掻い潜りながら的に刺さった矢や落ちている矢を拾い集め、矢が飛び交う中を舞う様に駆け回るのが、一つの芸であった。また特別な日には最高の賞品として一定の条件を満たせば気に入った矢取り女と閨を共にする事が出来た。<br />
; 転び<br />
: 的屋の販売形態のひとつを表す業界用語でもあるが、辞書では「[[路傍]](ろぼう)で営む遊女」も意味すると記述されている。双方とも[[茣蓙]]が大事な商売道具でもあり、偶然なのか洒落なのか、またはそのような実態が的屋としての「転び」にあったかは定かではないが、茣蓙の上に商品を乗せる商いの総称ともとれる。<br />
<br />
== 分類 ==<br />
時代の経過や売り物のによっても、事細かに名称が存在するが、ここでは現在に受け継がれている代表的な種別を表すものを取り上げる。<br />
<br />
分類では他に口上により、口上のある啖呵売(たんかばい)と泣き売(なきばい)と、口上のない飲食販売や技だけで客寄せする音無(おとなし)などがある<ref>中公文庫『露店市・縁日市』109頁秦孝治郎著、坂本武人編 ISBN 4122020247</ref>。<br />
<br />
=== 出店の規模による分類 ===<br />
; 転び(ころび)<br />
: 地面に引いた茣蓙(ござ)などの上に直に商品を転ばして売っていたためにこう呼ばれている。新案品と呼ばれる目新しい商品を売る事でも知られている。その身軽さから、近年では庭場にとらわれず、小学校の下校時にあわせて、子供向けに売り場を開く事もあり、年代によっては、校門の近くで、消えるカラーインクセットやカラー[[砂絵]]セット(色別に着色した硅砂と木工用ボンド)、カラー油土の型枠セット([[カタ屋]])などを「ころび」から購入した経験を持つものも多い。<br />
; 小店(こみせ)<br />
: 三寸(後述)より売り台が小さく、ほとんど間口がない店であり、飴などに代表される「小間物」<ref>細かい、小さい物の事を指す。反対の言葉として荒物がある</ref>を扱う事からもこの様に呼ばれる。元は市や縁日で[[蓮の葉商い]]や[[棒手振]]といわれる庶民の街商であったといわれる。伝統的な的屋で地域密着であり地元の人々が行っていて既得権があるので、一般の的屋よりその地域においてはいろいろな条件面で優先される事が多い。<br />
; 三寸(さんずん)<br />
: 諸説あるが、売り台の高さが、一尺三寸(約40cm)になっているからといわれる。その他にも渡世人として各地方を渡り歩く的屋家業の者が、顔役に世話になる時の「仁義を切る」ときの口上が、やくざと違い「軒先'''三寸'''借り受けまして、、、」と始まる事、舌先三寸(口車)で商売するや胸三寸(心意気)で商売するなどともいわれる。<br />
: 縁日や市や祭りが催される場所を求め渡り歩き(近隣や遠方への旅回り)床店(「とこみせ」とは組立式の移動店舗)で商売をする、いわゆる[[露天商]]であり、個人や個人経営の組もあるが、神農商業[[協同組合]]の組合員も多い。また旅回りの的屋の世話役や、庭場の場所決めの割り振りや場所代の取り決めや徴収をする顔役をさし、この顔役を中心に組織化したものが、神農商業協同組合などであり、相互扶助を目的とした露天商の連絡親睦団体として全国の各地域に存在する。<br />
; 高物(たかもの)<br />
: 高物は、巷の小規模な縁日などでは採算が取れない、大掛かりな[[仮設建築]]としての[[小屋]]を作るため、大きな市や祭礼でしか出店しない。この大きな市や祭礼を的屋の用語で「高市(たかいち)・高街(たかまち)」と呼び、そこへ出店する見世物小屋を高物と呼ぶようになった。舞台や床などを備える場合もあり、[[天幕]](的屋の用語で屋根やテントのこと)も規模の大きなものとなる[[見世物小屋]]で、[[アクロバット|軽業師]]、[[手品師]]などの見世物や[[お化け屋敷]]などの興行を運営する。高物の多くは[[全国仮設興行組合]]に加盟していて、[[サーカス]]も元はこれらの興行師が海外から取り入れ、運営していたので加盟していた時代があった。代目や商売の内容は代わっているが、現在でも活動している興行を行っている企業や団体の中には、源流が高物である場合も多い。的屋の世界では、この興行を行う者(興行師)を「引張り」という隠語で呼称する。<br />
{{Gallery<br />
|title=高物<br />
|footer=サーカス以外は、祭りでの的屋の出店<br />
|width=150<br />
|lines=1<br />
|ファイル:Japanese sideshow01.jpg|見世物小屋 <ref>[[大寅興行社]]の[[見世物小屋]](2008年10月)</ref><br />
|ファイル:Obake Yashiki.jpg|お化け屋敷1 <ref>[[姫路ゆかたまつり]]にて(2005年8月18日)</ref> <br />
|ファイル:木下大サーカスのテント.jpg|サーカス <ref>[[木下大サーカス]]</ref><br />
|ファイル:CodazziObakeYashiki1.jpg|お化け屋敷2<br />
<br />
}}<br />
<br />
=== その他の分類 ===<br />
; 大占め(おおじめ)<br />
: 大占めは、口上売りの一つで、的屋の用語で「ネタやゴト」という手品や曲芸、仕掛け人(さくら)などが伴う場合が殆どで、的屋の代表的なものとして呼称が残っている。[[啖呵売]](たんかばい)に含まれ、啖呵口上や一種の[[手品]]や[[奇術]]を使い客寄せをし、人がたくさん集まるので、目抜きから離れた広い場所で行う事が多く<ref> 良い場所は庭場料も高いのでそれを避ける意味合いもある</ref>大きな場所占めるのでこの様に呼ばれる。「[[ガマの油売り]]」や「[[南京玉簾]]」や「[[バナナの叩き売り]]」などがこれに含まれる。<br />
; 弾き(はじき)<br />
: 射的やスマートボールやコリントゲームなどの賭け物を営むものをいい、玉などを弾くものが多いのでこのように呼ばれる。<br />
; 木(ぼく)<br />
: 葉木(はぼく)とも呼ばれ、文字通り植木を専門に売る的屋であり、元々は[[植木屋]]や現在でも植木屋と兼業する者も多い。[[とび職]]や植木屋などは現在でも[[既得権]]として、地元限定で[[酉の市]]や朝顔市や羽子板市などまたは、[[正月]]の[[お飾り]]や[[七夕]]の竹、笹などを販売している。<br />
<br />
== 商圏 ==<br />
[[File:HakoneFestival0028.jpg|thumb|right|250px|箱根祭り]]<br />
元々の流浪の民や旅芸人を、発祥とすることから、縁日や祭礼の場所を求めて、旅回りをし、明治時代には日本統治となった台湾まで足を延ばすものもいた<ref>岩波文庫『忘れられた日本人』235頁宮本常一著 ISBN 400331641X</ref>。平安時代から続く縁日だけでなく定期市も同時に発生したため、市も縁日も一括りにされ、出店の知らせも縁日、朝市、昼店、夜店と時間により分かれ案内がされていた<ref>中公文庫『露店市・縁日市』93から94頁秦孝治郎著、坂本武人編 ISBN 4122020247</ref>。<br />
<br />
=== 旅回りという商圏 ===<br />
近年までは旅回りの的屋の相互扶助を目的とした「神農会」や「街商組合」が機能していたとされる。 [[旅]]においての不便や苦労を、互いに助け合うという精神の発露から、この様な組織が出来たといえる。<br />
<br />
一般的には数件の店が一つのグループを作り、地方の縁日などを回っているが、都心の古くからある地域では一と六、二と八、三と七、五と十(四と九は縁起が悪いのと休みは的屋にも必要)の付く日で縁日を主要な町々で分けており、夏場や正月や花見など年中行事以外の限られた日数だけ地方に赴く団体もある。また、移動や宿泊の経費が大きくなり遠隔地に出かけずにいる的屋の団体も多いとされる。<br />
<br />
=== マーケットという新しい商圏 ===<br />
現在は祭礼や縁日に人出が減ったのに比べ、[[自治体]]が管理する[[公園]]や遊技場において各種団体が主催する[[フリーマーケット]]などが多くなっている。 このため、地元の商店や店舗を持たない者が、副業や趣味または企業として露天での販売を行う姿も多くなっている。例えば寺社が主催し的屋という専門職が演出し庶民による伝統的な祭りとは違う、[[自治体]]や企業が主催し地域住民が参加する「手作り」の[[蚤の市|日曜マーケット]]などの[[蚤の市]]が全国的に広く開催されている。的屋と呼ばれる人々が「祭り」だけで成り立つのか、マーケットという新しい商圏に取り込まれ、伝統、文化的背景を無くしていくのか今後の時代の変遷が見守られる。<br />
<br />
== 出店 ==<br />
下記の分類が重複している場合もある。その他は[[縁日]]を参照。<br />
<br />
=== 消え物(食品)や玩具 ===<br />
* [[バナナの叩き売り]] - 屋台等の板を派手に叩きながら独特の口上で[[バナナ]]を売る。<br />
* [[綿菓子]] - [[キザラ]](グラニュー糖やザラメ)を高温で熱し、[[綿]]状にした菓子。<br />
* [[リンゴ飴]]・[[あんず飴]] - [[リンゴ]]などに[[飴]]を絡ませた物。<br />
* 天津甘栗 - 伝統的に[[天津市|天津]]港が海外出荷拠点であった[[シナグリ]]とキザラを混ぜたものを、小石に混ぜて煎ったもの。 天津産の[[シナグリ]]を国内産で賄う事もある。 このため、大きさが大きく異なる事がある。<br />
* [[ベビーカステラ]] - 小さな[[カステラ]]という意味だが、[[ホットケーキ]]の丸めた物という感じ。東京ケーキ、チンチン焼、ピンス焼の名で売られることもある。独特の食感で根強い人気がある。<br />
* [[お面]] - プラスチック製の[[アニメ]]・[[ゲーム]]・[[特撮]]等の人気[[キャラクター]]のものを販売する。<br />
* カタ屋 - 詳しくは[[カタ屋]] を参照。<br />
* その他、[[籤]]や[[銀杏]]、[[椎|椎の実]]などの元は時節や節気の縁起物である食品や祭礼用の品を売る屋台(古くは蓮の葉商いといった)などが縁日などで馴染み深い。その他の売物について詳しくは[[蓮の葉商い]]を参照。<br />
{{Gallery<br />
|title=出店<br />
|footer=消え物。<br />
|width=150<br />
|lines=1<br />
|ファイル:Festival1.jpg|お好み焼き<br />
|ファイル:TakoyakiM0825.jpg|たこ焼き<br />
|ファイル:YakisobaM0829.jpg|焼きそば<br />
|ファイル:Kasutera0038.jpg|カステラ<br />
<br />
}}<br />
<br />
=== 賭け物(遊技や籤) ===<br />
* [[金魚すくい]] - 小さな[[金魚]]を掬う。大抵は高級金魚養殖の選抜で間引かれた個体で、すぐに死んでしまうことも多いが、育て方が上手だと良い形に成長する。もともと金魚は縁起物として中国より伝わった。<br />
* [[カタヌキ]] - 動物やキャラクターなどの絵柄がプリントされた、ハッカ味で板状の砂糖菓子を買い、絵柄通りにカタ抜きをしていく。綺麗に絵柄をカタ抜きできればお金がもらえるというシステムの屋台。複雑な絵柄であるほど金額が上がる。地域によっては「ナメ抜き」などと呼ばれる。また近年では賞金給付が賭博の一種と捉えられ、また縁日を開く寺社の要望や自主規制により、難易度に応じた玩具の提供などに移行する業者が増えている。<br />
* [[射的]] - コルクを弾にした[[空気銃]]で的や景品に当てる射的遊技。最近ではあまり見られなくなったが、古くは[[弓矢]]や[[吹き矢]]を使うこともあった。近年では商品を薄い紙で吊るし、水鉄砲を使いその紙紐を濡らして商品を落とすといった射的もある。<br />
* [[競技]]([[競走|レース]])-小動物や昆虫や淡水魚([[ウナギ|うなぎ]]や[[フナ]])などを使い直線コースのレースを行い勝敗を予想させるものでレースよりも出走する生き物が珍しかったり面白いので客が集まった。<br />
* [[くじ引き]] <br />
** [[遊技銃]] - [[くじ]](籤)を引き番号と同じ遊戯銃がもらえる。最近では一回やって貰った物と、もう一回分の金額でワンランク上の物と変えてくれる屋台もある。<br />
** 千本引き-紐の先に色々な景品が結び付けられており全ての紐を一ヶ所に束ねている為、何が当たるか判らないという工夫をした、紐を使ったくじ引き。<br />
** 封筒引き - 封筒の中に商品の番号を書いた紙を入れておき客に引かせる単純なもの。もとは、[[文鳥]]や[[十姉妹]]といった小鳥を使い手なずけて封筒を引かせる見世物でくじ引きだけではなく「[[おみくじ]]」が主だった。鳥を使ったおみくじの見世物をする人は日本に数人しかいないといわれる。[[台湾]]では現在でも夜市などで文鳥占いを一般的に見る事が出来るが、日本統治時代に伝わった物か元々台湾が起源なのかは定かでない。<br />
** [[コリントゲーム]] - [[パチンコ]]や[[スマートボール]]の原型となったもので自作のもので一等、二等、三等、スカなどのゴールを作り、玉の入った先で商品の当たり外れを楽しむといった遊戯で、現在では古くなったパチンコ台を利用していることが多い。<br />
** 水盆引き - 丸い金属製の盥(たらい)に周囲に区切りを設けて区域別にはずれや当りなどの色分けをして、水を張り、[[ドジョウ]]や[[源五郎]](ゲンゴロウ)を中心に落として行う一種のくじ引き。<br />
{{Gallery<br />
|title=出店<br />
|footer=賭け物と縁起物<br />
|width=150<br />
|lines=1<br />
|ファイル:ボールすくい1013792.jpg|[[スーパーボール]]すくい<br />
||お面<br />
|ファイル:Shooting gallery,shateki,katori-city,japan.JPG|射的<br />
|ファイル:Smart Ball(Yomise).jpg|スマートボール<br />
<br />
}}<br />
<br />
=== 動植物の販売 ===<br />
* [[ひよこ]] - [[養鶏]]場で商品価値の低い[[雄]]の ひよこの処分手段として売られているケースがほとんどである。スプレーで着色し「[[カラーひよこ]]」と称して売ったり、稀に[[ウズラ]]の子などを売るものもあった。可愛らしい生き物ということで定番となっていたが、近年はあまり見かけなくなった。[[フィリピン]]では出店で日常的に見られるが、飼育する上で育てきれない場合や、近隣からの苦情などで社会問題になった。 <br />
* [[植物]] - [[海ほおずき]]や[[ホオズキ]]、[[アサガオ|朝顔]]や小さな鉢植えなど縁起のいいとされるもの。<br />
* [[昆虫]] - [[鈴虫]]や[[キリギリス]]、[[カブトムシ]]や[[クワガタムシ]]、[[ミズカマキリ]]や[[タガメ]]など大人の好事家(音色を楽しんだ)や子供が好きなものや比較的珍しいものなど。<br />
<br />
{{Gallery<br />
|title=参考画像<br />
|footer=海外の出店の画像。<br />
|width=150<br />
|lines=1<br />
|ファイル:HotarunoMatsuri2007 kingyo2.jpg|[[風船釣り]]<br />
|ファイル:Garden Quoits.jpg|[[輪投げ]]<br />
|ファイル:HotarunoMatsuri2006 kingyo.JPG|金魚すくい<br />
|ファイル:Spinning_cotton_candy.jpg|綿菓子<br />
<br />
}}<br />
<br />
== 的屋と博徒 ==<br />
的屋は神農とも呼ばれ、また的屋を稼業人、博徒を渡世人とも呼び別ける。「無宿渡世・渡世人」とは、本来は生業を持たない、流浪する博徒を指し、的屋について言われることはなかった。生業とする縄張りも、的屋では「庭場」といい、博徒では「島」と表現する。古くは[[江戸時代]]の[[寺社奉行]]の「庭場」と[[町奉行]]の「町場」と郊外や埋立地などの「野帳場」の管轄の違いから来ているともいわれ、現在も地図上でその生業とする地域分けも、江戸時代の名残が多く見られる。また上記概要にも記述があるが、個々の[[信仰]]は別として的屋は[[職業神]]として神農を祀り[[博徒]]は職業神として[[天照大神]]を祀っている。<br />
<br />
''ヤクザ、暴力団との関係については、[[ヤクザ]]および[[暴力団]]を参照''<br />
* 組織として「[[組]]」を形成し互助活動を行っていた。これは的屋特有のものではなく、[[大工]]、[[鳶職|鳶]]、[[土工|土方]](つちかた)<ref>土手人足ともいい江戸時代に出来た埋め立てや護岸工事に携わる土木技術者集団。</ref>などの建設業団体や[[河岸]]、[[沖仲仕]]、[[舟方]](ふなかた)などの港湾労働団体や[[籠屋]]、[[渡し]]、[[馬方]](うまかた)などの運輸荷役団体と同じである。しかし、互助活動に対しての謝礼の授受が今でいう[[民事介入]]と言う表現になり[[やくざ]]と同一視される由縁である。現在の暴力団といわれる組織の中でも[[老舗]]といわれる組も、元をたどればこれらの生業を営んでいたものであった。<br />
* 各地の神農会を運営していた「庭主」(世話役のこと)も、円滑な運営をなしえない状態にあるものもある。本来、行商人や旅人(たびにん)の場所の確保や世話をする世話人が、集まって組織となり、神農会と呼ばれる庭主の組合が起こったが、現在では、そのほとんどが各地の暴力団の傘下組織となり、一部には肝心な世話することを怠って何もしない「庭主」や、競合する出店を脅迫し排除したり、挨拶に来るよう呼びつけたり、行商人などから着到<ref>その地区の世話人に世話になる場合、到着した際に挨拶として持っていく手土産</ref>名目で金品をたかるものも存在する。<br />
* 現在では一部地域において[[県]]の公認を受けた協同組合として活動している組織もある。この場合においても、実際には協同組合理事長を兼任している場合が多く、協同の組合というより親分の私物の組合といった趣きが強い。極端には、理事長そのものが替え玉という場合も存在するという。<br />
暴力団排除の機運がたかまっているものの、暴力団関係者への名義貸しを黙認(推進)している団体もある。<br />
* [[指定暴力団]]・[[極東会]]が[[日本]]最大の的屋組織である<ref name="yakuza-taizen">出典は[[山平重樹]]『ヤクザ大全』[[幻冬舎]](幻冬舎アウトロー文庫)、1999年、ISBN 4-87728-826-0</ref>。他にも、[[飯島会]]、[[姉ヶ崎会]]などが的屋組織である<ref name="yakuza-taizen"></ref>。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references /><br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
* 『テキヤはどこからやってくるのか? 露店商いの近現代を辿る』厚香苗 (光文社新書)2014/04/17<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[賭博]]<br />
* [[ヤクザ]]<br />
* [[祭礼]]<br />
** [[縁日]]<br />
** [[縁起物]]<br />
** [[年中行事]]<br />
** [[ハレとケ]](晴れと穢)<br />
** [[蓮の葉商い]]<br />
** [[屋台]]<br />
** [[啖呵売]]<br />
* 的屋を題材にした作品<br />
** [[風来忍法帖]] - [[山田風太郎]]「[[忍法帖シリーズ]]」の一作。<br />
** [[男はつらいよ]](テレビドラマ・映画シリーズ) - 主人公の車寅次郎は的屋である<br />
** [[こちら葛飾区亀有公園前派出所]] 146巻『出会いの橋の巻』<br />
* [[自営業]]<br />
* [[楊弓]]<br />
* [[神農]] - 農業と薬と露天市を教えたとされる。<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:てきや}}<br />
[[Category:的屋|*]]<br />
[[Category:日本の祭り]]<br />
[[Category:日本の小売業]]<br />
[[Category:商制度・商習慣]]<br />
[[Category:販売の手法]]</div>
122.197.149.19
テンプレート:天台座主
2018-06-24T14:23:07Z
<p>122.197.149.19: </p>
<hr />
<div>{{Navbox<br />
|name=天台座主<br />
|title=[[天台座主]]{{#if:{{{1|}}}|({{{1|}}})|}}<br />
|bodyclass=hlist hlist-pipe hnum<br />
|list1=<br />
#[[義真]]<br />
#[[円澄]]<br />
#[[円仁]]<br />
#[[安慧 (天台宗)|安慧]]<br />
#[[円珍]]<br />
#[[惟首]]<br />
#[[猷憲]]<br />
#[[康済]]<br />
#[[長意]]<br />
#[[増命]]<br />
#[[良勇]]<br />
#[[玄鑑]]<br />
#[[尊意]]<br />
#[[義海]]<br />
#[[延昌 (僧)|延昌]]<br />
#[[鎮朝]]<br />
#[[喜慶]]<br />
#[[良源]]<br />
#[[尋禅]]<br />
#[[余慶]]<br />
#[[陽生 (僧)|陽生]]<br />
#[[暹賀]]<br />
#[[覚慶 (僧)|覚慶]]<br />
#[[慶円 (天台宗)|慶円]]<br />
#[[明救]]<br />
#[[院源]]<br />
#[[慶命]]<br />
#[[教円]]<br />
#[[明尊]]<br />
#[[源心]]<br />
#[[源泉 (僧)|源泉]]<br />
#[[明快]]<br />
#[[勝範]]<br />
#[[覚円]]<br />
#[[覚尋]]<br />
#[[良真]]<br />
#[[仁覚]]<br />
#[[慶朝]]<br />
#[[増誉]]<br />
#[[仁源]]<br />
#[[賢暹]]<br />
#[[仁豪]]<br />
#[[寛慶]]<br />
#[[行尊]]<br />
#[[仁実]]<br />
#[[忠尋]]<br />
#[[覚猷]]<br />
#[[行玄]]<br />
#[[最雲法親王]]<br />
#[[覚忠]]<br />
#[[重愉]]<br />
#[[快修]]<br />
#[[俊円]]<br />
#[[快修]]<br />
#[[明雲]]<br />
#[[覚快法親王]]<br />
#[[明雲]]<br />
#[[俊堯]]<br />
#[[全玄]]<br />
#[[公顕]]<br />
#[[顕真]]<br />
#[[慈円]]<br />
#[[承仁法親王]]<br />
#[[弁雅]]<br />
#[[慈円]]<br />
#[[實全]]<br />
#[[眞性]]<br />
#[[承円]]<br />
#[[慈円]]<br />
#[[公円]]<br />
#[[慈円]]<br />
#[[承円]]<br />
#[[円基]]<br />
#[[尊性法親王 (鎌倉時代)|尊性法親王]]<br />
#[[良快 (僧)|良快]]<br />
#[[尊性法親王 (鎌倉時代)|尊性法親王]]<br />
#[[慈源]]<br />
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#[[道覚法親王]]<br />
#[[尊覚法親王]]<br />
#[[尊助法親王]]<br />
#[[再仁法親王]]<br />
#[[澄覚法親王]]<br />
#[[尊助法親王]]<br />
#[[慈禅]]<br />
#[[澄覚法親王]]<br />
#[[道玄]]<br />
#[[公豪]]<br />
#[[再源]]<br />
#[[尊助法親王]]<br />
#[[再助法親王]]<br />
#[[慈實]]<br />
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#[[尊胤法親王]]<br />
#[[性慧]]<br />
#[[尊円法親王]]<br />
#[[祐助法親王]]<br />
#[[承胤法親王]]<br />
#[[亮性法親王]]<br />
#[[尊胤法親王]]<br />
#[[尊円法親王]]<br />
#[[慈厳]]<br />
#[[尊円法親王]]<br />
#[[尊道法親王]]<br />
#[[桓豪]]<br />
#[[承胤法親王]]<br />
#[[桓豪]]<br />
#[[尊道法親王]]<br />
#[[承胤法親王]]<br />
#[[慈済]]<br />
#[[道円法親王]]<br />
#[[堯仁法親王]]<br />
#[[明承法親王]]<br />
#[[慈弁]]<br />
#[[尊道法親王]]<br />
#[[道豪]]<br />
#[[桓教]]<br />
#[[良順]]<br />
#[[堯仁法親王]]<br />
#[[桓教]]<br />
#[[実円]]<br />
#[[相厳]]<br />
#[[足利義教|義円]]<br />
#[[持弁]]<br />
#[[梶井義承|義承]]<br />
#[[良什]]<br />
#[[梶井義承|義承]]<br />
#[[公承]]<br />
#[[教覚]]<br />
#[[尊応]]<br />
#[[尭胤法親王|堯胤法親王]]<br />
#[[覚胤法親王]]<br />
#[[尊鎮法親王]]<br />
#[[堯尊法親王]]<br />
#[[応胤法親王]]<br />
#[[覚恕法親王]]<br />
#[[尊朝法親王]]<br />
#[[常胤法親王]]<br />
#[[最胤法親王]]<br />
#[[良恕法親王]]<br />
#[[尭然法親王|堯然法親王]]<br />
#[[慈胤法親王]]<br />
#[[尊純法親王]]<br />
#[[尭然法親王|堯然法親王]]<br />
#[[良尚入道親王]]<br />
#[[慈胤法親王]]<br />
#[[尊純法親王]]<br />
#[[尭然法親王|堯然法親王]]<br />
#[[守澄法親王|尊敬法親王]]<br />
#[[慈胤法親王]]<br />
#[[尭恕法親王|堯恕法親王]]<br />
#[[尊証法親王|尊證法親王]]<br />
#[[盛胤法親王]]<br />
#[[尭恕法親王|堯恕法親王]]<br />
#[[尊証法親王|尊證法親王]]<br />
#[[盛胤法親王]]<br />
#[[尭恕法親王|堯恕法親王]]<br />
#[[公弁法親王]] <br />
#[[堯延入道親王]]<br />
#[[公弁法親王]]<br />
#[[堯延入道親王]]<br />
#[[良応法親王]]<br />
#[[堯延入道親王]]<br />
#[[道仁法親王]]<br />
#[[尊祐法親王]]<br />
#[[公寛法親王]]<br />
#[[道仁法親王]]<br />
#[[尊祐法親王]]<br />
#[[公寛法親王]]<br />
#[[道仁法親王]]<br />
#[[尊祐法親王]]<br />
#[[堯恭法親王]]<br />
#[[公遵法親王]]<br />
#[[尊祐法親王]]<br />
#[[堯恭法親王]]<br />
#[[公遵法親王]]<br />
#[[堯恭法親王]]<br />
#[[公啓法親王]]<br />
#[[堯恭法親王]]<br />
#[[尊真法親王]]<br />
#[[常仁法親王]]<br />
#[[尊真法親王]]<br />
#[[公延法親王]]<br />
#[[真仁法親王]]<br />
#[[尊真法親王]]<br />
#[[公澄法親王]]<br />
#[[尊真法親王]]<br />
#[[承真法親王]]<br />
#[[公猷法親王]]<br />
#[[承真法親王]]<br />
#[[公猷法親王]]<br />
#[[承真法親王]]<br />
#[[尊寶法親王]]<br />
#[[承真法親王]]<br />
#[[教仁法親王]]<br />
#[[舜仁法親王]]<br />
#[[教仁法親王]]<br />
#[[久邇宮朝彦親王|尊融入道親王]] <br />
#[[梨本宮守脩親王|昌仁法親王]]<br />
#[[慈性入道親王]]<br />
#[[梨本宮守脩親王|昌仁入道親王]]<br />
#[[久住豪海]]<br />
#[[赤松光映]]<br />
#[[大椙覚宝]]<br />
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#[[梅谷孝成]]<br />
#[[三津玄深]]<br />
#[[吉田源応]]<br />
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#[[吉田源応]]<br />
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#[[梅谷孝永]]<br />
#[[久田全珖]]<br />
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#[[菅原栄海]]<br />
#[[山田恵諦]]<br />
#[[梅山圓了]]<br />
#[[渡辺恵進]]<br />
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}}<noinclude><br />
{{デフォルトソート:てんたいさす}}<br />
[[Category:天台座主|-]]<br />
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</noinclude></div>
122.197.149.19
諸井貫一
2018-06-24T14:05:54Z
<p>122.197.149.19: </p>
<hr />
<div>'''諸井 貫一'''(もろい かんいち、[[1896年]][[1月11日]] - [[1968年]][[5月21日]])は、[[東京府]](現[[東京都]])生まれ<!-- 2003年発刊の『本庄人物事典』に東京出身と明記されている。弟についても東京出身とあるn -->の実業家。セメント製造事業の開拓を手掛けた[[諸井恒平]]([[渋沢栄一]]と親類関係に当たる)の長男で、東諸井家12代当主。秩父セメント(現[[太平洋セメント]])社長、[[秩父鉄道]]会長、[[埼玉銀行]](現[[埼玉りそな銀行]])会長、日本煉瓦製造会社会長を歴任し、[[日本経済団体連合会|経済団体連合会]](経団連)の創設など日本の近代化に深く貢献した。[[従三位]][[勲一等]]。<br />
<br />
== 略歴 ==<br />
[[1908年]](明治41年)に[[師範学校|東京高等師範学校]]附属小学校(現・[[筑波大学附属小学校]])、[[1913年]](大正2年)に[[東京高等師範学校]]附属中学校(現・[[筑波大学附属中学校・高等学校]])卒業。[[1921年]](大正10年)に[[東京大学|東京帝国大学]][[大学院]]経済学研究科を修了。その後、同大学の[[工学部]]と[[経済学部]]で工業経済論の講師を務める。<br />
<br />
[[1925年]](大正14年)に、父の要望により、父が経営していた秩父セメント会社に入社し、支配人、常務取締役を歴任する。姉・三保の夫で2代社長であった大友幸助が交通事故により急逝したことから、[[1948年]](昭和23年)に秩父セメント会社の3代社長に就任した。徹底した合理主義の下で運営するかたわら、[[経済同友会]]、[[日本経済団体連合会|日本経営者団体連盟(日経連)]]、[[日本経済団体連合会|経団連]]の創設にも参加、尽力し、日経連の初代会長、経済同友会では初代代表幹事を務める。この間、父の跡を継ぎ、14年間ほど[[埼玉県]][[本庄市]]の仲町郵便局局長を務めたが、会社重役と国家公務員を兼ねて仲町郵便局をこなすことは難しく、自ら辞任し、3代続いた「郵便諸井」はここに終わる<!-- *この時、記者会見まで開いて、本庄市民に対し、カメラの前で、自分の代で郵便諸井が終わる事を詫びている-->。以後、日本経済界のリーダーとして常に経済発展のために努力し、産業教育の振興に尽くし、73歳で没した。墓所は埼玉県の[[安養院 (本庄市)|安養院]]。<br />
<br />
弟は2人おり、[[諸井桃二]]([[1938年]]没)は[[官吏]]([[商工省]]統制課長)を務め、[[従三位]][[勲六等]]を授与された。末弟の[[諸井三郎]]は作曲家として高名である。また、義理の従兄に[[柳田誠二郎]]([[日本航空]]社長を務めた。一時期、諸井姓だった)がいる。<br />
<br />
== 親族 ==<br />
* 諸井逸郎(伯父):従八位。<br />
* [[諸井春畦|諸井時三郎]](叔父):日本ビルブローカーの創始者。<br />
* [[諸井華畦|諸井久楽]]:夫である時三郎と共に[[西川春洞|春洞]]門七福神の一人。<br />
* [[諸井四郎]](叔父):東亜製粉会社の創設者。<br />
* [[諸井六郎]](叔父):従三位勲二等。条約改正に尽力した外交官。<br />
* [[諸井三郎]](弟):作曲家<br />
* [[諸井虔]](三郎の子):秩父セメント5代目社長。貫一には娘しか居なかったため、分家ながら「家業」を継承する。<br />
* [[諸井勝之助]](娘・三佐保の夫で婿養子、渋沢栄一の曾孫で諸井家の遠戚だった):会計学者、東大名誉教授。<br />
<br />
== 著書 ==<br />
*『セメント』(現代日本工業全集 日本評論社、1933年)<br />
*『諸井貫一記念文集』(秩父セメント 1969年 監修・[[土屋喬雄]])<br />
*:第1巻 学究的主要著書・論文 <br />
*:第2巻 啓蒙的論説及び随筆等 諸井貫一著作譜 <br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[本庄宿]](局長を務めていた仲町郵便局は現在、国登録の有形文化財として残っている)<br />
<br />
{{日本経済団体連合会会長}}<br />
{{経済同友会代表幹事}}<br />
{{Normdaten}}<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:もろい かんいち}}<br />
[[Category:日本の実業家]]<br />
[[Category:太平洋セメントの人物]]<br />
[[Category:日本経済団体連合会会長]]<br />
[[Category:りそなホールディングスの人物]]<br />
[[Category:秩父鉄道|人もろい かんいち]]<br />
[[Category:東京大学の教員]]<br />
[[Category:東京都出身の人物]]<br />
[[Category:諸井家|かんいち]]<br />
[[Category:1896年生]]<br />
[[Category:1968年没]]</div>
122.197.149.19
テンプレート:モンゴルの歴史
2018-06-22T15:30:06Z
<p>122.197.149.19: </p>
<hr />
<div><onlyinclude>{| style="width:132px; height:650px; border-collapse:collapse;clear:right; float:right; border:1px solid #aaa; margin-left:5px; margin-bottom:5px; font-size: 80%; text-align:center; line-height:120%;"<br />
|-<br />
! colspan="4" style="background:#efeeee;" | [[File:Mongolische Jurte.jpg|center|130px|モンゴルの歴史]]<div style="padding:3px;">[[モンゴルの歴史]]</div><br />
|-<br />
| colspan="1" style="background:#ffffe1;padding:3px;" | [[中国]]<br />
| colspan="3" style="background:;padding:3px;" | [[モンゴル高原]]<br />
|-<br />
| style="background:#ffffe1;padding:3px;" | [[夏 (三代)|夏]]<br />
| style="background:#ffece1;padding:3px;" | [[ケン允|獫狁]]<br />
| style="background:#ffece1;padding:3px;" | [[葷粥]]<br />
| style="background:#e1ffe1;padding:3px;" | [[山戎]]<br />
|-<br />
| style="background:#ffffe1;padding:3px;" | [[周]]<br />
| colspan="3" style="background:#e1ffe1;padding:3px;" | [[戎]][[狄]]<br />
|-<br />
| style="background:#ffffe1;padding:3px;" | [[秦]]<br />
| style="background:#f7fabe;padding:3px;" | [[月氏]]<br />
| style="background:#ffece1;padding:3px;" | [[匈奴]]<br />
| style="background:#E0FFFF;padding:3px;" | [[東胡]]<br />
|-<br />
| rowspan="2" style="background:#ffffe1;padding:3px;" | [[漢]]<br />
| colspan="3" style="background:#ffece1;padding:3px;" | &nbsp;<br />
|-<br />
| style="background:#d7e3f8;padding:3px;" | [[丁零]]<br />
| colspan="2" style="background:#E0FFFF;padding:3px;" | [[鮮卑]]<br />
|-<br />
| style="background:#ffffe1;padding:3px;" | [[魏晋南北朝時代|魏晋南北]]<br />
| style="background:#d7e3f8;padding:3px;" | [[高車]]<br />
| colspan="2" style="background:#E0FFFF;padding:3px;" | [[柔然]]<br />
|-<br />
| style="background:#ffffe1;padding:3px;" | [[隋]]<br />
| style="background:#d7e3f8;padding:3px;" | [[鉄勒]]<br />
| colspan="2" style="background:#ffe1ff;padding:3px;" | [[突厥]]<br />
|-<br />
| rowspan="2" style="background:#ffffe1;padding:3px;" | [[唐]]<br />
| style="background:#d7e3f8;padding:3px;" | &nbsp;<br />
| colspan="2" style="background:#ffe1ff;padding:3px;" | [[東突厥]]<br />
|-<br />
| colspan="3" style="background:#d7e3f8;padding:3px;" | [[回鶻]]<br />
|-<br />
| style="background:#ffffe1;padding:3px;" | [[五代十国時代|五代]]<br />
| style="background:#ffe1ff;padding:3px;" | [[黠戛斯]]<br />
| style="background:#ffeec1;padding:3px;" | [[タタール|達靼]]<br />
| style="background:#E0FFFF;padding:3px;" | [[契丹]]<br />
|-<br />
| style="background:#ffffe1;padding:3px;" | [[北宋]]<br />
| style="background:#f7fabe;padding:3px;" | [[ナイマン]]<br />
| style="background:#e1ffe1;padding:3px;" | [[ケレイト]]<br />
| style="background:#E0FFFF;padding:3px;" | [[遼|大遼]]<br />
|-<br />
| rowspan="2" style="background:#ffffe1;padding:3px;" | [[南宋]]<br />
| style="background:#f7fabe;padding:3px;" | (乃蛮)<br />
| style="background:#e1ffe1;padding:3px;" | (客烈亦)<br />
| style="background:#ffeec1;padding:3px;" | [[カムク・モンゴル|モンゴル]]<br />
|-<br />
| colspan="3" style="background:#ffeec1;padding:3px;" | [[モンゴル帝国]]<br />
|-<br />
| colspan="4" style="background:#ffffe1;padding:3px;" | [[元 (王朝)|大元]]<br />
|-<br />
| rowspan="2" style="background:#ffffe1;padding:3px;" | [[明]]<br />
| colspan="3" style="background:#ffeec1;padding:3px;" | [[北元]](韃靼)<br />
|-<br />
| colspan="3" style="background:#ffeec1;padding:3px;" | [[ハルハ]]<br />
|-<br />
| colspan="4" style="background:#ffffe1;padding:3px;" | [[清|大清]]<br />
|-<br />
| colspan="1" style="background:#ffffe1;padding:3px;" | [[中華民国]]<br />
| colspan="3" style="background:#ffeec1;padding:3px;" | [[ボグド・ハーン政権|大モンゴル国]]<br />
|-<br />
| rowspan="2" style="background:#ffffe1;padding:3px;" | [[中華人民共和国|中華人民]] <br> <small>共和国</small><br />
| colspan="3" style="background:#ffeec1;padding:3px;" | [[モンゴル人民共和国]]<br />
|-<br />
| colspan="3" style="background:#ffeec1;padding:3px;" | [[モンゴル国]]<br />
|}</onlyinclude><br />
<br />
[[Category:各国の歴史のナビゲーションテンプレート|もんこる]]<br />
[[Category:モンゴル関連のテンプレート|れきし]]<br />
[[Category:中国史関連のテンプレート|もんこる]]<br />
[[Category:モンゴルの歴史|*T]]</div>
122.197.149.19
テンプレート:海上保安庁
2018-06-22T15:16:35Z
<p>122.197.149.19: </p>
<hr />
<div>{{Sidebar<br />
|name = 海上保安庁<br />
|outertitle = <br />
|topimage = <br />
|pretitle = <br />
|title = [[海上保安庁]]<br />
|subtitle = <br />
|image = [[File:Ensign of the Japanese Coast Guard.svg|100px]]<br />
|bodyclass = bordered<br />
<br />
|heading1 = 海上保安庁本庁<br />
|content1 = [[総務部 (海上保安庁)|総務部]]<br />[[装備技術部]]<br />[[警備救難部]]<br />[[海洋情報部]]<br />[[交通部 (海上保安庁)|交通部]]<br />
<br />
|heading2 = 地方機構<br />
|content2 = [[第一管区海上保安本部|第一管区]]<br />[[第二管区海上保安本部|第二管区]]<br />[[第三管区海上保安本部|第三管区]]<br />[[第四管区海上保安本部|第四管区]]<br />[[第五管区海上保安本部|第五管区]]<br />[[第六管区海上保安本部|第六管区]]<br />[[第七管区海上保安本部|第七管区]]<br />[[第八管区海上保安本部|第八管区]]<br />[[第九管区海上保安本部|第九管区]]<br />[[第十管区海上保安本部|第十管区]]<br />[[第十一管区海上保安本部|第十一管区]]<br />
<br />
|heading3 = 教育機関<br />
|content3 = [[海上保安大学校]]<br />[[海上保安学校]]<br />
<br />
|heading4 = その他<br />
|content4 = [[海上保安庁長官]]</br>[[海上保安官]]<br/>[[海上保安庁法]]<br/>[[海上保安庁の保安部、保安署等一覧|海保の保安部一覧]]<br/>[[海上保安庁の隊等一覧|海保の隊等一覧]]<br/>[[海上保安庁の装備品一覧|海保の装備品一覧]]<br/>[[海上保安庁船艇一覧|船艇一覧]]<br />
<br />
|below = <br />
}}<noinclude><br />
[[Category:海上保安庁|-]]<br />
[[Category:日本の行政テンプレート|かいしようほあんちよう]]<br />
</noinclude></div>
122.197.149.19
テンプレート:日本のサイバー犯罪対策
2018-06-22T15:09:18Z
<p>122.197.149.19: </p>
<hr />
<div>{{Navbox with collapsible groups<br />
|name = 日本のサイバー犯罪対策<br />
|title = {{Flagicon|JPN}} 日本の[[サイバー犯罪]]対策<br />
|state = {{{state<includeonly>|plain</includeonly>}}}<br />
|selected = {{{1|}}}<br />
|listclass = hlist hlist-pipe<br />
<br />
|group1 = [[日本の行政機関|行政機関]]<br />
|abbr1 = gov<br />
|list1 = {{Navbox|child<br />
|group1 = [[内閣官房]]<br />
|list1 = <br />
*[[e-Japan]]<br />
*[[内閣サイバーセキュリティセンター]]<br />
*[[内閣官房情報通信技術総合戦略室]]<br />
<br />
|group2 = [[総務省]]<br />
|list2 = <br />
*[[u-Japan]]<br />
*[[情報流通行政局|情報流通行政局情報流通振興課情報セキュリティ対策室]]<br />
*[[地方公共団体情報システム機構]]<br />
*[[サイバークリーンセンター]](総務省・経産省共同事業)<br />
<br />
|group3 = [[経済産業省]]<br />
|list3 = <br />
*[[商務情報政策局|商務情報政策局情報経済課情報セキュリティ政策室]]<br />
*サイバークリーンセンター(総務省・経産省共同事業)<br />
<br />
|group4 = [[防衛省]]<br />
|list4 = {{Navbox|child<br />
|group1 = [[共同の部隊 (自衛隊)|共同の部隊]]<br />
|list1 = <br />
*[[自衛隊指揮通信システム隊]] <br />
*[[自衛隊情報保全隊]]<br />
|group2 = [[陸上自衛隊]]<br />
|list2 = <br />
*[[システム防護隊]]<br />
*[[中央警務隊]]<br />
}}<br />
<br />
|group5 = [[日本の警察|警察]]<br />
|list5 = {{Navbox|child<br />
|group1 = 警察組織全体<br />
|list1= <br />
*[[サイバーフォース]]<br />
*[[サイバーポリス]]<br />
*[[サイバー犯罪対策室#サイバー犯罪捜査官|サイバー犯罪捜査官]]<br />
|group2 = [[警察庁]]<br />
|list2 = <br />
*[[@police]]<br />
*[[総合セキュリティ対策会議]]<br />
*[[サイバーポリス#ナショナルセンター|ナショナルセンター]]([[情報通信局|情報通信局情報技術解析課]])<br />
*[[サイバーフォース#サイバーフォースセンター|サイバーフォースセンター]](サイバーテロ対策技術室)<br />
*[[生活安全局|生活安全局情報技術犯罪対策課]]<br />
*[[バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会]]<br />
*[[インターネット・ホットラインセンター]](業務委託機関)<br />
|group3 = [[警察本部|都道府県警察]]<br />
|list3 = <br />
*[[サイバー犯罪対策室]]<br />
*[[警視庁サイバー犯罪対策課]]<br />
*[[警視庁特別捜査官#コンピュータ犯罪捜査官|警視庁コンピュータ犯罪捜査官]]<br />
*[[ハイテク犯罪テクニカルオフィサー|警視庁ハイテク犯罪テクニカルオフィサー]]<br />
}}<br />
<br />
|group6 = 省庁所管[[法人]]<br />
|list6 = {{Navbox|child<br />
|group1 = 総務省所管<br />
|list1 = <br />
*[[情報通信研究機構|情報通信研究機構情報通信セキュリティ研究センター]]<br />
*[[日本データ通信協会]]<br />
|group2 = 経産省所管<br />
|list2 = <br />
*[[情報処理推進機構#セキュリティセンター|IPAセキュリティセンター]]<br />
*[[産業技術総合研究所|産業技術総合研究所情報セキュリティ研究センター]]<br />
*[[日本産業協会]]<br />
*[[日本通信販売協会|日本通信販売協会通販110番]]<br />
|group3 = [[文部科学省|文科省]]所管<br />
|list3 = <br />
*[[コンピュータソフトウェア著作権協会]]<br />
*[[著作権情報センター]]<br />
*[[情報処理学会|情報処理学会コンピュータセキュリティ研究会]]<br />
*[[電子情報通信学会|電子情報通信学会情報セキュリティ研究会]]<br />
|group4 = [[金融庁]]所管<br />
|list4 = <br />
*[[金融情報システムセンター]]<br />
|group5 = [[消費者庁]]所管<br />
|list5 = <br />
*[[国民生活センター]]<br />
|group6 = 共同所管<br />
|list6 = <br />
*[[日本情報処理開発協会|日本情報処理開発協会情報セキュリティ対策室]](総務省・経産省)<br />
*[[日本ネットワークインフォメーションセンター]](総務省・経産省・文科省)}}<br />
}}<br />
<br />
|group2 = [[法 (法学)|法]]<br />
|abbr2 = law<br />
|list2 = {{Navbox|child<br />
|group1 = 主な適用[[法令]]<br />
|list1 = {{Navbox|child<br />
|group1 = [[法律]]<br />
|list1 = <br />
*[[不正アクセス行為の禁止等に関する法律|不正アクセス禁止法]]<br />
*[[携帯音声通信事業者による契約者等の本人確認等及び携帯音声通信役務の不正な利用の防止に関する法律|携帯電話不正利用防止法]]<br />
*[[特定電子メールの送信の適正化等に関する法律|特定電子メール送信適正化法]]<br />
*[[犯罪による収益の移転防止に関する法律|犯罪収益移転防止法]]<br />
*[[著作権法]]<br />
*[[青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律|青少年インターネット環境整備法]]<br />
*[[インターネット異性紹介事業を利用して児童を誘引する行為の規制等に関する法律|出会い系サイト規制法]]<br />
*[[児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律|児童買春・児童ポルノ禁止法]]<br />
*[[コンテンツの創造、保護及び活用の促進に関する法律|コンテンツ健全化法]]<br />
*[[特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律|プロバイダ責任制限法]]<br />
*[[不正競争防止法]]<br />
*[[サイバーセキュリティ基本法]]<br />
|group2 = [[権利]]<br />
|list2 = <br />
*[[知的財産権]]<br />
*[[著作権#日本における著作権|著作権]]<br />
*[[著作隣接権]]<br />
*[[公衆送信権]]<br />
*[[送信可能化権]]<br />
|group3 = [[条例]]<br />
|list3 = <br />
*[[インターネット端末利用営業の規制に関する条例|東京都インターネット端末利用営業の規制に関する条例]]<br />
}}<br />
<br />
|group2 = 主な適用[[犯罪]]<br />
|list2 = <br />
*[[詐欺罪]]<br />
*[[電子計算機使用詐欺罪|コンピュータ詐欺罪]]<br />
*[[器物損壊罪]]<br />
*[[信用毀損罪・業務妨害罪#電子計算機損壊等業務妨害罪|電子計算機損壊等業務妨害罪]]<br />
*[[信用毀損罪・業務妨害罪]]<br />
*[[名誉毀損罪]]<br />
*[[脅迫罪]]<br />
*[[不正指令電磁的記録に関する罪]]<br />
*[[電磁的記録不正作出及び供用の罪]]<br />
*[[わいせつ物頒布等の罪|わいせつ物頒布罪]]<br />
*[[文書偽造の罪]]<br />
<br />
|group3 = その他の適用<br />
|list3 = <br />
*[[日本の法律一覧]]<br />
*[[特別刑法]]<br />
*[[Template:日本の刑法犯罪|日本の刑法犯罪一覧]]<br />
*[[:Category:日本の犯罪類型|日本の犯罪類型一覧]]<br />
*[[幇助]]<br />
}}<br />
<br />
|group3 = 団体・関連項目<br />
|abbr3 = org<br />
|list3 = {{Navbox|child<br />
|group1 = 団体<br />
|list1 = {{Navbox|child<br />
|group1 = セキュリティ全般<br />
|list1 = <br />
*[[日本ネットワークセキュリティ協会|NPO法人日本ネットワークセキュリティ協会]]<br />
*[[JPCERT/CC|一般社団法人JPCERTコーディネーションセンター]]<br />
|group2 = 司法<br />
|list2 = <br />
*[[日本司法支援センター|法テラス・コールセンター]]<br />
*[[日本弁護士連合会]]<br />
|group3 = 警察関連<br />
|list3 = <br />
*[[インターネット協会 (日本の団体)|財団法人インターネット協会]]<br />
*[[ガーディアン・エンジェルス#日本|NPO法人日本ガーディアン・エンジェルス]]<br />
|group4 = 児童・青少年<br />
|list4 = <br />
*[[e-ネットキャラバン]]<br />
*[[ネット社会と子どもたち協議会]]<br />
*[[安心ネットづくり促進協議会]]<br />
*[[児童ポルノ流通防止協議会]]<br />
*[[子どもたちのインターネット利用について考える研究会]]<br />
*[[インターネットコンテンツセーフティ協会]]<br />
|group5 = 金融<br />
|list5 = <br />
*[[日本銀行金融研究所|日本銀行金融研究所情報技術研究センター]]<br />
|group6 = 産業<br />
|list6 = <br />
*[[情報サービス産業協会|社団法人情報サービス産業協会セキュリティ情報ネットワーク]]<br />
*[[ユニオン・デ・ファブリカン|一般社団法人ユニオン・デ・ファブリカン東京事務所]](通販トラブル)<br />
|group7 = その他<br />
|list7 = <br />
*[[予告.in]](犯罪予告の情報と通報)<br />
*[[CRYPTREC]](暗号事業)<br />
}}<br />
<br />
|group2 = 関連項目<br />
|list2 = <br />
*[[日本の企業一覧 (情報・通信)|日本の情報・通信企業一覧]]<br />
*[[フィルタリング (有害サイトアクセス制限)|日本の有害サイトアクセス制限]]<br />
*[[アンチウイルスソフトウェア#日本での市場|日本のアンチウイルスソフトウェア市場]]<br />
*[[:Category:コンピュータ・ネットワーク・セキュリティ|コンピュータ・ネットワーク・セキュリティの一覧]]<br />
}}<br />
<br />
}}<noinclude><br />
{{デフォルトソート:さいはあはんさいたいさく}}<br />
[[Category:日本の行政テンプレート]]<br />
[[Category:日本の法のテンプレート]]<br />
[[Category:日本の警察関連のテンプレート]]<br />
[[Category:インターネット犯罪|-]]<br />
[[Category:日本のインターネット|-]]<br />
[[Category:日本の情報・通信業|-]]<br />
[[Category:日本の犯罪類型|-]]<br />
</noinclude></div>
122.197.149.19
ハインリヒ・シフ
2018-06-21T18:38:49Z
<p>122.197.149.19: </p>
<hr />
<div>{{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照--><br />
| Name = ハインリヒ・シフ<br />
| Img =<br />
| Img_capt = <br />
| Img_size = <!-- サイズが250ピクセルに満たない場合のみ記入 --><br />
| Landscape = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 --><br />
| Background = classic<br />
| Born = {{生年月日|1951|11|18}} <br />
| Birth_name = <!-- 個人のみ --><!-- 出生時の名前が公表されている場合にのみ記入 --><br />
| Alias = <br />
| Blood = <!-- 個人のみ --><br />
| School_background = <br />
| Died = {{死亡年月日と没年齢|1951|11|18|2016|12|23}}<br />
| Origin = {{AUT}}、[[グムンデン]]<br />
| Instrument = [[チェロ]]<br />
| Genre = [[クラシック音楽]]<br />
| Occupation = [[チェリスト]]、[[指揮者]]<br />
| Years_active = <br />
| Label = <br />
| Production = <br />
| Associated_acts = <br />
| Influences = <br />
| URL = <br />
| Current_members = <!-- グループのみ --><br />
| Past_members = <!-- グループのみ --><br />
| Notable_instruments = <br />
}}<br />
<br />
'''ハインリヒ・シフ'''(Heinrich Schiff, [[1951年]][[11月18日]] - [[2016年]][[12月23日]])は、[[オーストリア]]の[[チェリスト]]、[[指揮者]]<ref>{{Cite web |url=http://diepresse.com/home/kultur/klassik/5138331/Heinrich-Schiff_Der-grosse-Meister-des-Cellos-ist-tot |title=Heinrich Schiff: Der große Meister des Cellos ist tot |publisher=diepresse.com |accessdate=2016-12-24 |archiveurl=http://www.peeep.us/e5596d81 |archivedate=2016-12-24 }}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.br-klassik.de/aktuell/news-kritik/heinrich-schiff-cellist-dirigent-gestorben-100.html |title=ZUM TOD DES CELLISTEN UND DIRIGENTEN |publisher=BR-Klassik |accessdate=2016-12-24 |archiveurl=http://www.peeep.us/a88f05a3 |archivedate=2016-12-24 }}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.zeit.de/news/2016-12/23/musik-cellist-heinrich-schiff-gestorben-23130610 |title=Cellist Heinrich Schiff gestorben |publisher=Zeit online |accessdate=2016-12-24 |archiveurl=http://www.peeep.us/7361d9c4 |archivedate=2016-12-24 }}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.heinrichschiff.com/home/BIOGRAFIEN/tabid/55/language/en-US/Default.aspx |title=BIOGRAPHIES<br />
|publisher=heinrichschiff.com |accessdate=2016-12-24 |archiveurl=http://www.peeep.us/baea72ce |archivedate=2016-12-24 }}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.heinrichschiff.com/home/BIOGRAFIEN/DerDirigentHeinrichSchiff/tabid/59/language/en-US/Default.aspx |title=The Conductor Heinrich Schiff<br />
|publisher=heinrichschiff.com |accessdate=2016-12-24 |archiveurl=http://www.peeep.us/033baedc |archivedate=2016-12-24 }}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.heinrichschiff.com/home/BIOGRAFIEN/DerCellistHeinrichSchiff/tabid/58/language/en-US/Default.aspxx |title=The Cellist Heinrich Schiff<br />
|publisher=heinrichschiff.com |accessdate=2016-12-24 |archiveurl=http://www.peeep.us/dcbb5849 |archivedate=2016-12-24 }}</ref><ref>{{Cite web |url=http://nos.nl/artikel/2149881-cellist-en-dirigent-heinrich-schiff-overleden.html |title=Cellist en dirigent Heinrich Schiff overleden<br />
|publisher=NOS |accessdate=2016-12-24 |archiveurl=http://www.peeep.us/70eb3fe3 |archivedate=2016-12-24 }}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.gramophone.co.uk/classical-music-news/the-cellist-and-conductor-heinrich-schiff-has-died |title=The cellist and conductor Heinrich Schiff has died<br />
|publisher=gramophone.co.uk |accessdate=2016-12-24 |archiveurl=http://www.peeep.us/f63915f0 |archivedate=2016-12-24 }}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.nzz.ch/feuilleton/nachruf-auf-heinrich-schiff-von-bach-bis-lachenmann-ld.136535 |title=Von Bach bis Lachenmann<br />
|publisher=nzz.ch |accessdate=2016-12-24 |archiveurl=http://www.peeep.us/06bfc994 |archivedate=2016-12-24 }}</ref>。<br />
<br />
== 経歴 ==<br />
[[グムンデン]]生まれ。6歳から[[ピアノ]]を、9歳から[[チェロ]]を習い始め、[[トビアス・キューネ]]に師事した。後に[[アンドレ・ナヴァラ]]の指導も受けている。いくつかのコンクールでの入賞を基に音楽キャリアをスタートさせたが、1972年にオーストリアの[[グラーツ]]で開かれた[[国際現代音楽協会]](ISCM)演奏会で病気の[[ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ]]の代役として[[ヴィトルト・ルトスワフスキ|ルトスワフスキ]]の[[チェロ協奏曲]]を演奏し大絶賛を博し、これにより彼の名が世界に知れ渡るようになった。その後は世界各地の著名なオーケストラと共演を重ねた。2008年に[[脳卒中]]を発症して演奏活動を一時停止する<ref>{{Cite news |url=http://www.classicfm.com/discover/instruments/cello/features/heinrich-schiff-dies/ |title=We've just lost the cellist who gave us this unbelievable performance |newspaper=Classic FM |accessdate=2016-12-24 |archiveurl=http://www.peeep.us/1afec7dd |archivedate=2016-12-24 |author=Daniel Ross}}</ref>。リハビリの末、2009年から演奏活動を再開するも、2012年にはチェロ演奏から引退した<ref>[http://www.hmv.co.jp/news/article/1612240001/]</ref>。<br />
<br />
1990年から指揮活動にも旺盛に取り組むようになり、世界各地のオーケストラに招かれた。[[ブレーメン・ドイツ室内フィルハーモニー管弦楽団]]、[[ノーザン・シンフォニア]]、コペンハーゲン・フィルハーモニー管弦楽団、[[シュトゥットガルト放送交響楽団]]、ムジーク・コレギウム・ヴィンタートゥアーなどの首席指揮者、首席客演指揮者を歴任し、1990年から[[リンツ・ブルックナー管弦楽団]]首席客演指揮者を務めた。<br />
<br />
[[ウィーン]]にて没。<br />
<br />
== ディスコグラフィ ==<br />
*[[アントニン・ドヴォルザーク|ドヴォルザーク]]:[[チェロ協奏曲 (ドヴォルザーク)|チェロ協奏曲]]([[アンドレ・プレヴィン]]指揮[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]])<br />
*ドヴォルザーク:チェロ協奏曲(サー・[[コリン・デイヴィス]]指揮[[アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団]])<br />
*ドヴォルザーク:チェロ協奏曲([[セルジュ・チェリビダッケ]]指揮[[ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団]])<br />
*[[ロベルト・シューマン|シューマン]]:[[チェロ協奏曲 (シューマン)|チェロ協奏曲]]([[ベルナルト・ハイティンク]]指揮[[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団]])<br />
*[[ドミートリイ・ショスタコーヴィチ|ショスタコーヴィチ]]:[[チェロ協奏曲第1番 (ショスタコーヴィチ)|チェロ協奏曲第1番]]([[マクシム・ショスタコーヴィチ]]指揮[[バイエルン放送交響楽団]])<br />
*ショスタコーヴィチ:[[チェロ協奏曲第2番 (ショスタコーヴィチ)|チェロ協奏曲第2番]](マクシム・ショスタコーヴィチ指揮バイエルン放送交響楽団)<br />
*[[セルゲイ・プロコフィエフ|プロコフィエフ]]:[[交響的協奏曲 (プロコフィエフ)|チェロと管弦楽のための交響的協奏曲]](アンドレ・プレヴィン指揮[[ロサンジェルス・フィルハーモニック]])<br />
*[[エドワード・エルガー|エルガー]]:[[チェロ協奏曲 (エルガー)|チェロ協奏曲]](サー・[[ネヴィル・マリナー]]指揮[[シュターツカペレ・ドレスデン]])<br />
*[[アンリ・ヴュータン|ヴュータン]]:チェロ協奏曲第1番(サー・ネヴィル・マリナー指揮[[シュトゥットガルト放送交響楽団]])<br />
*ヴュータン:チェロ協奏曲第2番(サー・ネヴィル・マリナー指揮シュトゥットガルト放送交響楽団)<br />
*[[フランツ・ヨーゼフ・ハイドン|ハイドン]]:[[チェロ協奏曲第1番 (ハイドン)|チェロ協奏曲第1番]](サー・ネヴィル・マリナー指揮[[アカデミー室内管弦楽団|アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ]])<br />
*ハイドン:[[チェロ協奏曲第2番 (ハイドン)|チェロ協奏曲第2番]](サー・ネヴィル・マリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ)<br />
*[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]:[[ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 (ブラームス)|ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲]]([[フランク・ペーター・ツィンマーマン]]:ヴァイオリン、[[ヴォルフガング・サヴァリッシュ]]指揮[[ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団]])<br />
*[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]:[[三重協奏曲 (ベートーヴェン)|ピアノとヴァイオリンとチェロのための三重協奏曲]]([[ウルフ・ヘルシャー]]:ヴァイオリン、[[クリスティアン・ツァハリアス]]:ピアノ、[[クルト・マズア]]指揮[[ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団]])<br />
*[[カミーユ・サン=サーンス|サン=サーンス]]:[[チェロ協奏曲第1番 (サン=サーンス)|チェロ協奏曲第1番]](サー・[[チャールズ・マッケラス]]指揮[[ニュー・フィルハーモニア管弦楽団]])<br />
*ブラームス:チェロソナタ集([[ゲルハルト・オピッツ]]:ピアノ)<br />
*ベートーヴェン:チェロソナタ集([[ティル・フェルナー]]:ピアノ)<br />
*ヴァイオリンとチェロのための作品集(フランク・ペーター・ツィンマーマン:ヴァイオリン)<br />
<br />
== 註 ==<br />
<references /><br />
<br />
<br />
{{Classic-stub}}<br />
{{Music-bio-stub}}<br />
{{Normdaten}}<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:しふ はいんりひ}}<br />
[[Category:オーストリアのチェリスト]]<br />
[[Category:オーストリアの指揮者]]<br />
[[Category:オーバーエスターライヒ州出身の人物]]<br />
[[Category:1951年生]]<br />
[[Category:2016年没]]</div>
122.197.149.19
広岡浅子
2018-06-21T16:43:02Z
<p>122.197.149.19: /* 外部リンク */</p>
<hr />
<div>{{Infobox 人物<br />
|氏名 = 広岡 浅子<br />
|ふりがな = ひろおか あさこ<br />
|画像 = Hirooka Asako.jpg<br />
|画像サイズ = 185px<br />
|画像説明 = 自伝『一週一信』(大正7年)より<br />
|出生名 = <br />
|生年月日 = [[1849年]][[10月18日]]<br />
|生誕地 = [[山城国]]京都(現・[[京都府]][[京都市]])<br />
|没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1849|10|18|1919|01|14}}<br />
|死没地 = [[東京府]][[麻布区]](現・[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]])<br />
|墓地 = <br />
|記念碑 = <br />
|住居 = <br />
|国籍 = {{JPN}}<br />
|別名 = 照(幼名)<br />
|教育 = <br />
|出身校 = <br />
|職業 = 実業家・教育者・社会運動家<br />
|著名な実績 = <br />
|業績 = <br />
|活動拠点 = <br />
|肩書き = <br />
|宗教 = <br />
|宗派 = <br />
|配偶者 = [[広岡信五郎]]<br />
|子供 = [[広岡亀子]]<br />
|親 = 父:[[三井高益]]<br />
|親戚 = <br />
|受賞 = <br />
}}<br />
'''広岡 浅子'''(ひろおか あさこ、旧字:廣岡淺子。[[1849年]][[10月18日]]([[嘉永]]2年[[9月3日 (旧暦)|9月3日]]) - [[1919年]]([[大正]]8年)[[1月14日]])は、日本の[[実業家]]、教育者、社会運動家。<br />
<br />
ペンネームは'''九転十起生'''(きゅうてんじっきせい)。明治を代表する女性実業家であり、豪気・英明な天性から「一代の女傑」と称えられた<ref>「廣岡淺子刀自 一代の女傑逝く」[[東京日日新聞]](毎日新聞)大正八年一月十六日記事</ref>。<br />
<br />
== 経歴 ==<br />
=== 生い立ち ===<br />
[[山城国]][[京都]](現・[[京都府]][[京都市]])・[[油小路通]][[出水通|出水]]の小石川[[三井家]]六代当主・三井高益の四女として生まれる<ref>稿本三井家史料 小石川家第六代三井高益(三井家編纂室、1906年)</ref><ref>廣岡浅子著 『一週一信』 婦人週報社、1918年、七十になるまで -緒言に代へて- 我が生ひ立ち 1頁。</ref>。幼名は照。幼い頃より裁縫や茶の湯、生け花、琴の稽古などよりも、[[四書五経]]の素読など学問に強い興味を持つが、「女に教育は不要」という当時の[[商家]]の慣習は固く、家人から読書を禁じられる<ref>広岡浅子の自伝『一週一信』(「七十になるまで」)</ref>。9歳で父親が没し、35歳の高喜が家長となる。<br />
<br />
17歳(数え年、以下同様)で[[鴻池善右衛門]]と並ぶ[[大阪|大坂]]の[[豪商]]であった[[加島屋 (豪商)|加島屋]]の第8代[[広岡久右衛門]]正饒(まさあつ)の次男・[[広岡信五郎]]と結婚。嫁いだ後も、主人は[[手代]]に任せて業務に関与しない商家の風習に疑問と限界を感じ、[[簿記]]や[[算術]]などを独学するようになる<ref>浅子の自伝『一週一信』(「七十になるまで」)</ref>。<br />
<br />
20歳で[[明治維新]]の動乱を迎え、家運の傾いた加島屋を救うため実業界に身を投じ、[[夭逝]]した正饒の長男に代わり加島屋当主となった[[広岡久右衛門 (9代目)|第9代広岡久右衛門正秋]](信五郎の弟)、夫の[[広岡信五郎]]と共に、加島屋の立て直しに奔走する。<br />
<br />
=== 明治の女性実業家として ===<br />
1884年(明治17年)頃から炭鉱事業に参画。[[筑豊]]の[[潤野炭鉱]](福岡県[[飯塚市]]、後の[[八幡製鐵所|製鐵所]]二瀬炭鉱)を買収、開発に着手。単身炭鉱に乗り込み、護身用のピストルを懐に坑夫らと起き伏しを共にしたと伝えられている。男もためらうような冒険的事業に敢えて乗り出したので、しばしば狂人扱いされたという。<br />
<br />
[[1888年]](明治21年)に[[加島銀行]]を設立。続いて[[1902年]](明治35年)に[[大同生命保険|大同生命]]創業に参画するなど、加島屋は近代的な金融企業として大阪の有力な[[財閥]]となる。これらの活躍により、広岡浅子は[[鈴木よね]]、峰島喜代子(尾張屋銀行、峰島合資会社の経営者)らと並び明治の代表的な女性実業家として名を馳せる<ref>「東に尾張屋銀行の峰島喜代子あり、西に広岡浅子、鈴木米子の事業界に雄飛して、男子の実業家と雁行し、若くは之を凌駕せるあり。」([[東京朝日新聞]] 大正元年十月二十二日 記事「女子の発展」)</ref>。<br />
<br />
=== 女子高等教育機関設立に尽力 ===<br />
[[土倉庄三郎]]の紹介により、[[1896年]](明治29年)、[[梅花女学校]]の校長であった[[成瀬仁蔵]]の訪問を受け、成瀬の著書である『女子教育』を手渡される。幼い頃に学問を禁じられた体験を持つ浅子は『女子教育』に大いに共感し、金銭の寄付のみならず、成瀬と行動を共にして政財界の有力者に協力を呼びかけるなど、強力な援助者となる。広岡家、実家の[[三井家]]一門に働きかけ、三井家から[[目白台]]の土地を寄付させるに至り、[[1901年]](明治34年)の日本女子大学校(現・ [[日本女子大学]])設立に導く。日本女子大学校の発起人の一人であり、創立当初の評議員となる。また夫([[広岡信五郎]])は女子大学校の創立委員の一人である<ref>日本女子大学史資料集 日本女子大学校 創立事務所日誌</ref>。<br />
<br />
=== キリスト教と女子教育に貢献 ===<br />
開講3年目となる[[1904年]](明治37年)、夫([[広岡信五郎]])の死去を機に事業を娘婿の[[広岡恵三]]([[大同生命保険|大同生命]]第2代社長)に譲る。以後は女子教育や婦人事業に貢献することを是とし、社会貢献事業と自身の学問に専念、[[長井長義]]らに学ぶ傍らで[[愛国婦人会]]大阪支部授産事業の中心的人物としても活動した。<br />
<br />
[[1909年]](明治42年)1月に大学病院において胸部の悪性腫瘍手術を受け回復。同年年末に大阪の[[菊池侃二]]宅で[[宮川経輝|宮川牧師]]と知り合い、同席者の成瀬から宗教哲学を勧められた縁で[[1911年]](明治44年)に[[宮川経輝]]より[[受洗]]。<br />
<!--[[乳がん]]のため、60歳のときに受けた胸部の腫瘍手術から無事生還、大阪の[[菊池侃二]]宅で成瀬から[[宮川経輝|宮川牧師]]と宗教哲学を勧められた縁で、回復後の[[1911年]](明治44年)に[[宮川経輝]]より[[受洗]]。-->[[婦人運動]]や廃娼運動にも参加し、当時発行が相次いでいた女性雑誌に多数の論説を寄せる。「女性の第二の天性は猜忌、嫉妬、偏狭、虚栄、わがまま、愚痴であり、西洋婦人は宗教により霊的修養をしている」とし、宮川による『心霊の覚醒』や自らの宗教的信条を記した『一週一信』を出版して日本の[[キリスト教]]化に励んだ<ref>[{{NDLDC|759881/4}} 宮川経輝著『心霊の覚醒』はしがき](広岡浅子, 1910) </ref>。[[日本YWCA]]中央委員、[[大阪]][[キリスト教女子青年会|YWCA]]創立準備委員長を務めた。<ref>『ビジュアル日本史ヒロイン1000人』231頁</ref><br />
<br />
[[日本女子大学]]設立後も浅子の女子教育に対する情熱は衰えることがなく、[[1914年]](大正3年)から死の前年([[1918年]])までの毎夏、避暑地として別荘を建設した[[御殿場]]・二の岡で若い女性を集めた合宿勉強会を主宰。参加者には若き日の[[市川房枝]]や[[村岡花子]]らがいた<ref>特別展示「大同生命の源流“加島屋と広岡浅子”」</ref>。このころ東京芝材木町、現在の六本木ヒルズ、ハリウッドビューティプラザのところに親戚の建築家ヴォーリスの設計で4階だての家を建てている。<br />
<br />
[[1919年]](大正8年)、腎臓炎のため東京・麻布材木町(現・[[六本木]]6丁目)の別邸にて死去<ref>[http://www.sankei.com/west/news/150427/wst1504270018-n1.html 九転十起の女(1)]産経新聞、2015.4.27 </ref>。「私は遺言はしない。普段言っていることが、皆遺言です」と、遺言を残さなかったと言われる。生前から「(子孫には)不動産で資産を残してやりたい」と各地に別邸・別荘を積極的に建築していた<ref name=ogawa>[http://www.biwako.shiga-u.ac.jp/eml/Ronso/381/ogawa.pdf 海と山のリゾート開発並進と観光資本家の興亡] [[小川功 (経営学者)|小川功]]、山﨑一眞教授退職記念論文集(第381号) 2009年11月</ref>。葬儀は東京と大阪で2度行なわれ、浅子の功績を称え、[[日本女子大学校]]では同年6月28日に全校を挙げて追悼会を開催した。<br />
<br />
==囲碁==<br />
浅子は囲碁を愛好しており、自らもアマチュアとして上級者であり<ref>http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1601/21/news153.html</ref>、また、囲碁棋士の[[石井千治]]を後援した<ref>『本因坊自伝』[[本因坊秀哉]]著</ref>。<br />
<br />
== 家族 ==<br />
===小石川三井家===<br />
* 父 - [[三井高益]](1799年 - 1858年) - 小石川[[三井家]]6代当主。京都市上京区大黒屋町に広大な屋敷を構えていた。その一部は現在、ホテル「ルビノ京都堀川」になっている。正妻との間に三女一男があったがいずれも早世、高喜を別の三井家(南家)から養子に取り、48歳のとき家督を譲った<ref name=sankei0508>[http://www.sankei.com/west/news/150508/wst1505080011-n2.html 「越後屋」は世界トップ級の小売店…三井家史料に見つけた「別腹」の文字]産経新聞、2015.5.8 </ref>。浅子は高益50歳のときの娘で、別腹の子<ref name=sankei0508/>。浅子の姉・春も別腹で、二人とも母親の名は不明<ref name=sankei0511>[http://www.sankei.com/west/news/150511/wst1505110026-n1.html 三井のお屋敷で運命自覚した13歳 「哀れな結婚」でドラマは急展開]産経新聞、2015年5月11日。</ref>。59歳で没。<br />
* 義兄 - [[三井高喜]](1823年 - 1894年) - 小石川三井家7代当主。号は三郎助。三井の南家より高益の養子となり、家督を継ぐ。28歳のときに、2歳の浅子を義妹として入籍<ref name=sankei0511/>。春は養女として入籍<ref name=sankei0511/>。<br />
* 異母姉 - 春(1847年 - 1872年) - 浅子より2歳上の異母姉。高喜の養女として三井家に入家。浅子が嫁いだ6日後に両替商の[[天王寺屋五兵衛]]に嫁ぐ<ref>[http://www.sankei.com/west/news/150512/wst1505120011-n1.html 「万一帰るなら尼僧にする」親が決めた結婚に覚悟]産経新聞、2015年5月12日。</ref>。25歳で没。<br />
* 義甥 - [[三井高景]](1850年 - 1912年) - 高喜の長男。浅子と1歳違いで姉弟同然に育ち、浅子からは「愛弟」と呼ばれた<ref>[http://kajimaya-asako.daido-life.co.jp/column/01.html 広岡浅子を理解するための10人(家族編)]大同生命。2015.11.21閲覧</ref>。幼名は弁蔵。小石川家第8代当主となり<ref name=sankei0511/>、号は三郎助。妻の寿天子とともに浅子の学校設立を支援した<ref>[http://www.sankei.com/west/news/150609/wst1506090002-n1.html 三井家が敷地を用意、大学創立は東京へ]産経新聞、2015.6.9</ref>。<br />
<br />
=== 広岡家 ===<br />
* 夫 - [[広岡信五郎]]([[1841年]] - [[1904年]]<ref>[http://www.sojitz.com/history/jp/company/post-2.php 双日歴史館・日本綿花発起人の顔ぶれ]</ref>) - 第8代広岡久右衛門正饒の次男。早くに分家の嫡男として養子に出る。尼崎紡績(後の[[ユニチカ]])初代[[社長]]<ref>{{Cite web |url=http://www.unitika.co.jp/history/#anchor |title=尼崎紡績創立と大日本紡績誕生|work=時代の刻印 ユニチカの軌跡 |publisher=[[ユニチカ]]|accessdate=2015-07-08}}</ref>。大阪運河取締役。[[福王流]]の[[謡曲]]が趣味。妻によく従う夫として知られていた<ref>[{{NDLDC|778432/46}}『当世名士譚』]吉弘白眼(茂義)著、米倉領次郎刊、1892年10月。</ref>。浅子との間に一女、女中ムメ(小藤とも)との間に三女一男<ref name=sankei0602/>。長男の松三郎(1888年 - 1971年<ref>『朝日新聞』1971年11月3日東京朝刊3頁</ref>)は大同生命保険4代目社長に就任<ref name=sankei0602/>。<br />
* 長女 - [[広岡亀子]](1876年 - 1973年) - 浅子の一人娘。明治9年(1876)10月生まれ<ref name=sankei0602/>。<br />
* 女婿 - [[広岡恵三]](1876年 - 1952年) - 子爵・[[一柳末徳]]の次男。東京帝大卒業後三井銀行を経て、加島屋経営に加わる<ref name=sankei0602>[http://www.sankei.com/west/news/150602/wst1506020001-n1.html 女盛りもとうに過ぎ…夫とお手伝いの間に子供]産経新聞, 2015.6.2</ref>。[[加島銀行]]頭取、[[大同生命]]2代目社長。[[大阪電気軌道]]初代社長にも就任したが、浅子がリスクを察知して辞任させた<ref name=ogawa/>。父親と不仲だった実妹の[[一柳満喜子]]も留学前の若いころ広岡家で暮らしていた<ref>[http://www.sankei.com/west/news/150616/wst1506160010-n1.html ヴォーリズとの縁結びに一役 晩年は女性支援]産経新聞、2015年6月16日。</ref>。恵三の神戸市東灘区の私邸は、現在[[甲南女子大学]]になっている<ref>[http://www.sankei.com/west/news/150617/wst1506170009-n1.html 歴史の彼方から再び…朝ドラはどう描く]産経新聞、2015年6月17日。</ref>。<br />
* 義弟 - [[広岡久右衛門 (9代目)|第9代広岡久右衛門正秋]](1844年 - 1909年) - 夫の弟。[[加島銀行]]初代[[頭取]]、大同生命初代社長。<br />
* 養女 - 貴登(きと)、寿天子(すてこ) - 貴登は三井北家(惣領家)の三井高棟の妻。寿天子は浅子の義理の甥の三井高景の妻。ともに広岡信五郎・浅子夫妻の養女として嫁いだ<ref>[http://kajimaya-asako.daido-life.co.jp/column/05.html 広岡浅子の実家・三井家]大同生命。2015.11.21閲覧</ref>。<br />
<br />
== 著書 ==<br />
* 『一週一信』([[婦人週報]]社、[[1918年]]〈大正7年〉):週刊新聞『[[基督教新聞|基督教世界]]』に九転十起生のペンネームで寄稿した内容に、70歳までの自伝を加えて書籍化したもの。<br />
<br />
== 伝記 ==<br />
* [http://ji-sedai.jp/book/publication/hirookaasako.html/ 『広岡浅子 明治日本を切り開いた女性実業家』]([[星海社]]、[[2015年]]):歴史小説家・[[小前亮]]が、大同生命や三井家、日本女子大学に残された史料などを元に書いた、史実ベースの伝記本。ISBN 978-4061385764<br />
<br />
== 広岡浅子が登場する作品 ==<br />
* [[古川智映子]]『小説 土佐堀川 女性実業家・広岡浅子の生涯』(1988年、[[潮出版社]]、2015年、新装改訂版 (ISBN 9784267019937)、下記の[[連続テレビ小説]]第93作『[[あさが来た]]』の原作)<br />
** 舞台『土佐堀川 近代ニッポン―女性を花咲かせた女 広岡浅子の生涯』(上記の舞台化。2017年10月から[[シアタークリエ]]他で上演、広岡浅子役を[[高畑淳子]]が演じた。)<br />
* 舞台 『土佐堀川』 - [[1990年]]2月から1ヵ月間、[[東京宝塚劇場]]で上演。広岡浅子役を[[八千草薫]]が演じた。(夫・[[広岡信五郎]]役は[[伊東四朗]])<br />
* [[村岡恵理]] 『アンのゆりかご [[村岡花子]]の生涯』 (2008年、[[マガジンハウス]]、のち[[新潮文庫]])<br />
* [[玉岡かおる]]『負けんとき [[一柳満喜子|ヴォーリズ満喜子]]の種まく日々』(2011年、[[新潮社]]【上・下】、のち文庫)<br />
* テレビドラマ 『[[あさが来た]]』 - 平成27年度後期[[連続テレビ小説]]第93作([[NHK大阪放送局]]制作)。広岡浅子をモデルとした「白岡あさ」を女優の[[波瑠]]が演じる<ref>{{Cite web |author=山下奈緒子 |date=2015-03-12 |url=http://www.asahi.com/articles/ASH3D5SFDH3DPTFC00Z.html |title=朝ドラのヒロインに波瑠さん 今秋の「あさが来た」 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |accessdate=2015-03-12}}</ref><ref>[http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/1000/207145.html 平成27年度後期 連続テレビ小説「あさが来た」制作のお知らせ] NHKドラマトピックス 2015年1月14日付。</ref><ref>[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/01/14/kiji/K20150114009627850.html 今秋NHK朝ドラは「あさが来た」実業家モデル、初の幕末スタート] スポーツニッポン 2015年1月14日閲覧。</ref>。<br />
*『先駆者たちの肖像』鈴木裕子監修・東京女性財団編著(1994年、[[ドメス出版]])<br />
*『[[大阪日日新聞]]』「なにわ人物伝」 第277話 - 第279話「女傑・広岡浅子」[http://www.mido-suji.com/pdf/naniwa/naniwa277.pdf][http://www.mido-suji.com/pdf/naniwa/naniwa278.pdf][http://www.mido-suji.com/pdf/naniwa/naniwa279.pdf]<br />
* [[大同生命保険|大同生命]] CM 「[https://www.youtube.com/watch?v=8bYZKwNGb8U 広岡浅子“きっかけ”篇] 」<ref>[http://www.daido-life.co.jp/about/cm/kikkake.html 大同生命-大同生命について-CM情報-広岡浅子”きっかけ”篇]</ref> - 2015年10月より放送されているアニメーションのCM。<br />
* 大同生命 CM 「[https://www.youtube.com/watch?v=7cJvlbq94y4 広岡浅子“あきらめない”篇] 」- 2015年12月より放送されているアニメーションのCM。<br />
<br />
== 没後の話題 ==<br />
広岡浅子が嫁いだ豪商・加島屋が幕末に各地の藩に貸した金の借用書や浅子の手紙など、約1万点の資料が奈良県、橿原市の民家で発見された<ref>2015年11月6日、朝日新聞、社会38面「『あさがきた』モデル 広岡浅子 嫁ぎ先・加島屋 資料1万点発見」より。</ref>。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[明治の人物一覧]]<br />
* [[一柳満喜子]]([[ウィリアム・メレル・ヴォーリズ]]の妻) - 広岡浅子の女婿・[[広岡恵三]]の妹にあたる。華族の子女である満喜子と外国人であるヴォーリズとの結婚に際しては、浅子がその後押しをしたとされる<ref>平松隆円(監訳)『メレル・ヴォーリズと一柳満喜子』(水曜社、2010年)</ref>。<br />
* [[中川小十郎]] ([[立命館大学]]創立者) - [[文部省]]退官後、浅子の意を受けた[[成瀬仁蔵]]の斡旋により1898年(明治31年)に[[加島屋 (豪商)|加島屋]]に入社。[[加島銀行]]理事、朝日生命(現在の朝日生命とは別会社)取締役副社長、堂島米穀取引所監査役など要職を兼ね、[[大同生命保険|大同生命]]の創業などに尽力する。[[立命館大学]]を創設したほか、[[京都帝国大学]][[書記官]](現在でいう事務局長)、[[日本女子大学]]の創立事務幹事長も務めた<ref>[http://www.ritsumei.ac.jp/archives/column/article.html/?id=79/ 出典:立命館史資料センター 【懐かしの立命館】立命館草創期 大阪時代の中川小十郎(2015年4月30日記事)]</ref>。<br />
* [[土倉庄三郎]] - 成瀬に浅子との面会を勧め、女子大学設立に協力した。<br />
* [[井上秀]] - [[日本女子大学|日本女子大学校]]初の女性校長(第4代)。[[京都府立鴨沂高等学校|京都府高等女学校]]で浅子の娘・亀子と同室になった縁で、大阪の豪商・[[加島屋 (豪商)|加島屋久右衛門家]]にも出入りするようになる。浅子が仕事で出張する時には秀も同行し、[[潤野炭鉱]]の監督のために赴いた福岡にも同行していた。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
* 『大同生命七十年史 別編広岡家の歴史』「広岡浅子」(1973年〈昭和48年〉[[大同生命保険|大同生命保険相互会社]])<br />
* 『日本女子大学学園事典-創立100年の軌跡』(2001年、[[日本女子大学]])<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.daido-life.co.jp/ 大同生命保険株式会社]<br />
** [http://kajimaya-asako.daido-life.co.jp/ 特設サイト「大同生命の源流“加島屋と広岡浅子”」]<br />
** [http://www.daido-life.co.jp/110th/memorial/exhibition/ 企画展示 九転十起生-広岡浅子の生涯- 大同生命特別展示]<br />
* [http://www.jwu.ac.jp/sp/ 日本女子大学]<br />
** [http://www.jwu.ac.jp/unv/hirookaasako/index.html 特設サイト「女子教育に“あさ”を!~広岡浅子~」]<br />
* [{{NDLDC|959295/2}} 『一週一信』]広岡浅子著(婦人週報社、1918)<br />
* [http://ji-sedai.jp/book/publication/hirookaasako.html/ 『広岡浅子 明治日本を切り開いた女性実業家』(星海社、2015)]<br />
* [http://www.aozora.gr.jp/cards/000150/files/46615_50730.html 広岡浅子][[薄田泣菫]]「茶話」1916年(青空文庫)<br />
* [http://www.sojitz.com/jp/special/letterzine/nhk.php NHK連続テレビ小説「あさが来た」と双日]<br />
* [http://www.sankei.com/west/news/150427/wst1504270018-n1.html 「九転十起の女」- 産経WEST]<br />
* {{kotobank|2=知恵蔵2015}}<br />
<br />
{{Normdaten}}<br />
{{デフォルトソート:ひろおか あさこ}}<br />
[[Category:日本の実業家]]<br />
[[Category:日本の教育者]]<br />
[[Category:日本の社会運動家]]<br />
[[Category:双日の人物]]<br />
[[Category:日本のプロテスタントの信者]]<br />
[[Category:日本組合基督教会の人物]]<br />
[[Category:YWCA]]<br />
[[Category:広岡家|あさこ]]<br />
[[Category:三井家|あさこ]]<br />
[[Category:山城国の人物]]<br />
[[Category:京都市出身の人物]]<br />
[[Category:1849年生]]<br />
[[Category:1919年没]]</div>
122.197.149.19
老ヘーゲル派
2018-06-21T11:18:47Z
<p>122.197.149.19: </p>
<hr />
<div>{{出典の明記|date=2012年5月25日 (金) 17:34 (UTC)}}<br />
'''老ヘーゲル派'''(ろうヘーゲルは、{{Lang-de-short|Althegelianer}})は、[[ドイツ観念論]]の[[哲学者]] [[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル]]の哲学の流れを汲んで、哲学を展開したグループ([[ヘーゲル学派]])の一つ。ヘーゲル学派の中でも、政治的・宗教的に保守的な立場であったことから'''ヘーゲル右派'''({{Lang-de-short|Rechtshegelianer}})とも呼ばれている。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
ヘーゲルに従事していた学者が多いことから、[[青年ヘーゲル派]]と対照的に老ヘーゲル派と呼ばれている(当時、[[青年ドイツ]]、[[青年イタリア]]など自由と平等、祖国統一を掲げて立ち上がった青年たちが多かったことにちなむものであろう)。ただ、ヘーゲル左派に対して、時代的な波に乗り遅れ、哲学史的にはヘーゲル哲学の伝承・解説を行った程度で建設的な成果を残せるものではなかったといえる。<br />
<br />
== 思想 ==<br />
ヘーゲル学派の誕生経緯は、[[青年ヘーゲル派]]や[[ヘーゲル学派]]などを参照されたい。次第に、ヘーゲルの弁証法の原理を唯物論的に展開していった青年ヘーゲル派に対し、老ヘーゲル派はヘーゲルの主張をそのまま伝承し、ヘーゲルの主張する哲学と宗教の同一性(ヘーゲルによれば哲学と宗教の関係は、おなじ内容を哲学は'''概念'''、宗教は'''表象'''によって把握するものであるとした)を受け入れ、超越神的要素と、イエスを神人として受け入れ、福音書の物語性を主張した。<br />
<br />
従ってヘーゲル右派はヘーゲル哲学の持つ観念論的(あるいは唯心論的)性格をそのまま受け入れ主張しつづけたといえる。このことは、次第に市民社会が色濃くなってきた当時のドイツの世相に噛み合わず、人間の人間としての存在意義を追求しつづけたヘーゲル左派に比べ時代的・政治的にも遅れをとってしまったといえる。<br />
<br />
しかし、ヘーゲル左派は前述のような見地から次第に、政治的な色彩を強めマルクス主義などに解消されていくのに対して、ヘーゲル右派は哲学の立場を守りつづけ、ヘーゲルの著作集の刊行、ヘーゲル哲学の解説に努めた。そしてこれは、[[ヘーゲル中央派]]とともにヘーゲル哲学を後世へ、特に20世紀の[[新ヘーゲル派]]へとつなげていくものとなった。<br />
<br />
{{Main2|ヘーゲル右派のメンバー|ヘーゲル主義者の一覧#老ヘーゲル派}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[ヘーゲル学派]]<br />
* [[青年ヘーゲル派]]<br />
* [[ヘーゲル中央派]](あるいは単に中央派)<br />
* [[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル]]<br />
* [[新ヘーゲル主義]]<br />
* [[ヘーゲル主義者の一覧]]<br />
<br />
{{Philos-stub}}<br />
<br />
{{デフォルトソート:ろうへえけるは}}<br />
[[Category:哲学の学派]]<br />
[[Category:ヘーゲル哲学]]</div>
122.197.149.19
新ヘーゲル主義
2018-06-21T11:17:14Z
<p>122.197.149.19: /* 外部リンク */</p>
<hr />
<div>'''新ヘーゲル主義'''(しんヘーゲルしゅぎ、{{lang-de-short|Neuhegelianismus}}、{{lang-en-short|neo-hegelianism}})は、[[19世紀]]末から20世紀前半にかけて[[ドイツ観念論]]の[[哲学者]][[ヘーゲル]]の哲学を見直し、復興させようとした一連の運動の総称である。関係した人物の観点から新ヘーゲル学派 (Neuhegelianer) ともいう。この運動は、[[新カント派]]の運動が盛んになるにつれ、認識論の方法が再検討されるようになったのをうけて、それに連動され、存在論、特に人間の存在についての研究の必要性が要請されるようになった。この人間の存在を説く拠り所として、かつては「死せる犬」と評されたヘーゲルの哲学(特に[[弁証法]]について)にも再びスポットが当てられるようになったものである。<br />
<br />
しかし、新ヘーゲル主義は、ヘーゲル哲学の全体を再構築することではなく、歴史的世界の総体的な把握という形でヘーゲルが必要とされたものである。つまり、当時多様に変貌していった社会事情に呼応して、[[ディルタイ]]などの[[生の哲学]]と共に世界観・歴史的な人間の生の把握にヘーゲルが必要とされたのである。このように、ヘーゲル哲学の全体の再構築という活動ではないことも関連して、学派のようなまとまったものではなかった。また、新ヘーゲル主義の運動も、ドイツのみならず、[[イギリス]]、[[イタリア]]、[[フランス]]など諸外国にも波及したことも特徴である。このヘーゲル哲学の再興というべき運動は、ひとつはこの時期第一次世界大戦が勃発し、ヨーロッパ全土が戦渦に巻き込まれ、ヘーゲルの歴史哲学・国家哲学・政治哲学と[[ナショナリズム]]が結びついたという、政治的要因があることも事実であるが、それよりも純粋にヘーゲル哲学の重要性が再び認識されて、ドイツ観念論の各種文献研究が活性化され、カント以降、ヘーゲルに至るドイツ観念論の哲学が近代哲学の重要な一時期であったという、現代の哲学研究でも認知されている評価がこの時期に確立されたことのほうが大きな成果であろう。<br />
<br />
<br />
== ドイツにおける誕生と衰退==<br />
{{see also|実存主義}}<br />
新カント派の運動は、かつてカントの哲学からヘーゲルに至る観念論哲学が展開されたのと同じように、次第にヘーゲル哲学にも目を向けるように促していった。このヘーゲル再生の運動は、1870年代になって徐々に始まり(完全に廃れていたわけではない、[[ヘーゲル学派 (第二世代)|19世紀後半もヘーゲル研究]]は行われていた)、1897年に哲学史家[[クノー・フィッシャー]]の『ヘーゲルの生涯と著作と教説』を刊行し、ディルタイがこの書評でヘーゲル研究の必要性を説いたことより、直接的な契機となった。つづいてディルタイは1905年に『若きヘーゲル』を刊行、ヘーゲル復興の起爆剤となる。また新カント派の[[ヴィンデルバント]]は、[[ハイデルベルク]]大学の総長就任演説において「ヘーゲル主義の復興」と題した講演を行った。この演説は、ヘーゲル復興の流れが哲学史のひとつの動きとして位置付けられたとものとして捉えての演説であった。<br />
<br />
この流れは文献研究にも大きな刺激を与えた。カント全集の刊行が発達したのを受けて、ヘーゲル全集の刊行も再び活性化されたのも、新ヘーゲル主義の運動の賜物である。ヘーゲルの未刊行のものも含んだ、[[ゲオルク・ラッソン]]による哲学叢書版の刊行、[[ヘルマン・グロックナー]]によるヘーゲル全集の復刻版の刊行などヘーゲルの著作の刊行などが挙げられる。また、多かれ少なかれドイツ観念論を研究するにあたっての必読書ともいえる[[ニコライ・ハルトマン]]著『ドイツ観念論の哲学』、[[リヒャルト・クローナー]]の『カントからヘーゲルまで』の著作もこの時期に出版されたものであり、この新ヘーゲル主義の一連の運動と密接だったということは言うまでもない。ヘーゲルの没後100周年にあたる1930年には、[[ヘーゲル国際連盟]] (Internationaler Hegel-Bund) が結成され、ドイツ以外のヘーゲル学者との交流もあったが、ナチスが台頭するにつれ、徐々に変質され、消滅していった。ヘーゲル研究が三度活性化されてくるのは、[[第二次世界大戦]]後から現在にかけてであるが、これは本項で語られるべきものではない。(→[[現代のヘーゲル研究]])<br />
<br />
== ドイツ以外の新ヘーゲル主義 ==<br />
ドイツでは、上記のようにヘーゲル復興がひとつのドイツ哲学史の流れとしてあったが、「復興」であったのはかつてのヘーゲルの弟子たちなどで構成されていた1830年代のヘーゲル学派が唯物論的な立場に向かい、観念論哲学が没落したという経緯があるからである。しかし、ドイツ観念論自体、ドイツ語圏外ではもともと「外国」の思想であったので、国によって違うがヘーゲルの没後10~20年あたりになって初めてヘーゲル哲学の移入、そしてそれの発展という形が一般的であったので、諸外国にしてみれば「復興」という形ものでもなかったといえるのである。ヘーゲル哲学に対する受け入れづらさなども含めての各種評価・発展も各国の精神風土を反映して様々な形をとったのである。以下の項では各国の事情に触れる。<br />
<br />
=== イタリア ===<br />
イタリアでは、[[ベネデット・クローチェ]]と[[ジョヴァンニ・ジェンティーレ]]の二人が代表的である。19世紀中ごろには、[[アウグスト・ヴェラ]]がすでにヘーゲル哲学を移入していたが、当時のイタリアの実証主義的な精神風土ゆえに、ヘーゲル哲学に対して批判的な哲学者も多かった。しかし、ヴェラに引き続いて[[フランチェスコ・デ・サンクティス]]、[[ベルトランド・スパヴェンタ]]、[[アントニオ・ラブリオーラ]]といった[[ナポリ]]で活躍する哲学者たちによって新ヘーゲル主義は徐々にイタリアに定着していき、その後のクローチェとジェンティーレによって、20世紀前半には新ヘーゲル主義が(新観念論というかたちで)イタリア哲学の主流を占めるに至った。<br />
<br />
===オランダ===<br />
オランダでは、ボーランドが代表的である。[[エドゥアルト・フォン・ハルトマン]]の影響の元でヘーゲル研究を行い、数々の注釈を行った。<br />
<br />
==新ヘーゲル主義のメンバー ==<br />
''ここでは、多かれ少なかれ新ヘーゲル主義に関係する人物を挙げるが、必ずしも新ヘーゲル主義運動のみに業績があるわけではない。ドイツ国外ならば、カント研究も兼ねている場合が多かったし、ドイツ国内においても本来なら、新カント派に属されるべき人物もいるし、哲学他の分野にも業績のある人物や歴史学・政治学にも業績がある人物(むしろそちらの業績のほうが大きい場合もある)もいるので、留意されたい。''<br />
<br />
<br />
=== 新ヘーゲル主義運動のきっかけになった人物 ===<br />
*[[ヴィルヘルム・ディルタイ]]:『若きヘーゲル』など。[[解釈学]]、[[生の哲学]]。<br />
*[[エドゥアルト・フォン・ハルトマン]]:1870年代に、ヘーゲル主義復興の兆しを指摘していた。<br />
*[[ユリウス・エビングハウス]]:『相対的・絶対的観念論』(1910)<br />
*[[ヴィルヘルム・ヴィンデルバント]]:新カント派。<br />
*[[ヘルマン・ノール]]:ディルタイの弟子。初期ヘーゲル研究に業績。<br />
<br />
=== ドイツにおける新ヘーゲル主義 ===<br />
*[[ゲオルク・ラッソン]]<br />
*[[リヒャルト・クローナー]]<br />
*[[ヘルマン・グロックナー]]<br />
*[[ユリウス・ビンダー]]<br />
*[[カール・ラーレンツ]]<br />
*[[フランツ・ローゼンツヴァイク]]<br />
*[[ハンス・フライヤー]]<br />
*[[エドゥアルト・シュプランガー]]<br />
*[[ジークフリート・マルク]]<br />
*[[アルトゥール・リーベルト]]<br />
*[[テオドール・リット]]<br />
*[[マルティン・ブッセ]]<br />
*[[テオドール・ヘリング]]<br />
*[[オトマール・シュパン]]<br />
*[[ハンス・ヴェルツェル]]<br />
*[[カール・シュミット]]<br />
<br />
=== イタリアにおける新ヘーゲル主義 ===<br />
*[[ベネデット・クローチェ]]<br />
*[[ジョヴァンニ・ジェンティーレ]] <br />
*[[アウグスト・ヴェラ]]<br />
*[[フランチェスコ・デ・サンクティス]]<br />
*[[ベルトランド・スパヴェンタ]]<br />
*[[アントニオ・ラブリオーラ]]<br />
*[[ドナト・ヤーヤ]]<br />
*[[カルロ・コスタマグナ]]<br />
<br />
=== オランダにおける新ヘーゲル主義 ===<br />
*[[ゲラルドゥス・ヨハネス・ボーランド]]<br />
*[[ヤコブ・ヘーシング]]<br />
*[[バルトゥス・ヴィゲルスマ]]<br />
<!--オランダ語の読みわからないので、違っているかもしれません。--><br />
=== イギリスにおける新ヘーゲル主義===<br />
*[[ジョン・マクタガート]]<br />
*[[バーナード・ボザンケ]]<br />
*[[ジョン・ケアード (哲学者)|ジョン・ケアード]]<br />
*[[エドワード・ケアード]]上記ジョンとは実の兄弟。<br />
*[[トーマス・ヒル・グリーン]]<br />
*[[リチャード・バードン・ホールデン]]<br />
*[[ウィリアム・ウォレス (哲学)|ウィリアム・ウォレス]]<br />
*[[ジェームス・ハチソン・スターリング]]<br />
*[[フランシス・ハーバート・ブラッドリー]]<br />
*[[アンドリュー・セス]]<br />
*[[ジェームズ・セス]]<br />
*[[アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド]]<br />
<br />
=== フランスにおける新ヘーゲル主義 ===<br />
*[[アレクサンドル・コジェーヴ]]<br />
*[[アレクサンドル・コイレ]]<br />
*[[ジャン・ヴァール]]<br />
<br />
=== その他の地域の新ヘーゲル主義 ===<br />
*[[ジョサイア・ロイス]](アメリカ)<br />
*[[ジョン・ワトソン (哲学)|ジョン・ワトソン]](カナダ)<br />
*[[ヨハン・ヤコブ・ボレリウス]](スウェーデン)<br />
*[[マルクス・ヤコブ・モンラッド]](ノルウェー)<br />
*[[ヨハン・ルードヴィグ・ハイベルク]](デンマーク)<!--デンマーク語の読みわからないので、違っていたら訂正してください。--><br />
*[[アウグスト・チェスコフスキー]](ポーランド)<br />
*[[ボリス・ニコライビッチ・チチェリン]](ロシア)<br />
*[[ミハイル・イリン]](ロシア)<br />
* [[小野清一郎]](日本)<br />
* [[団藤重光]](日本)<br />
<br />
==出典==<br />
{{reflist}}<br />
<br />
==文献==<br />
*''Fundamental Wisdom of the Middle Way'' (Garfield)<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [[加藤尚武]][http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%96%B0%E3%83%98%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%AB%E5%AD%A6%E6%B4%BE/ 「新ヘーゲル学派」(Yahoo!百科事典)]<br />
<br />
{{philos-stub}}<br />
{{DEFAULTSORT:しんへえけるしゆき}}<br />
[[Category:ヘーゲル哲学]]<br />
[[Category:哲学の理論]]<br />
[[Category:近代哲学]]<br />
[[Category:19世紀の哲学]]<br />
[[Category:20世紀の哲学]]</div>
122.197.149.19
ビッグコミックオリジナル
2018-06-19T15:06:18Z
<p>122.197.149.19: /* 連載作品 */</p>
<hr />
<div>{{基礎情報 雑誌<br />
| 画像ファイル名 =<br />
| 画像サイズ = <br />
| 画像説明 = <br />
| 誌名 = ビッグコミックオリジナル<br />
| 英文誌名 = BIG COMIC ORIGINAL<br />
| 誌名略称 = <br />
| ジャンル = 男性[[漫画雑誌]]<br />
| 読者対象 = 30代以上の男性<br />
| 刊行頻度 = [[逐次刊行物#刊行頻度|月2回刊]](毎月5日、20日)<br />
| 発売国 = {{JPN}}<br />
| 言語 = [[日本語]]<br />
| 定価 = 300円(税込)<br />
| 出版社 = [[小学館]]<br />
| 編集部名 = <br />
| 発行人 = 大村信<ref name="BCO1266" /><br />
| 編集人1役職 = 編集人<br />
| 編集人1氏名 = 中熊一郎<ref name="BCO1266" /><br />
| 編集人2役職 = <br />
| 編集人2氏名 = <br />
| ISSN = <br />
| 雑誌名コード = 747<br />
| 刊行期間 = [[1972年]] - 刊行中<br />
| 発行部数 = 49万<br />
| 発行部数調査年月 = 2018年1月 - 3月<br />
| 発行部数調査機関 = [[日本雑誌協会]]<br />
| レーベル = <br />
| 姉妹誌 = <br />
| ウェブサイト = https://bigcomicbros.net/magazine/bigoriginal/<br />
| 特記事項 = <br />
}}<br />
『'''ビッグコミックオリジナル'''』は、[[小学館]]発行の男性向け[[漫画雑誌]]。[[1972年]]創刊。月2回(毎月5日・20日)発行。長期連載を多く抱えているのが特色である。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
発行部数は49万部と、『[[ビッグコミック]]』系列の雑誌ではトップの発行部数を誇る。<br />
<br />
1972年に『ビッグコミック』の増刊号として、『'''ビッグコミックオリジナル号'''』の誌名で刊行され、[[1974年]]に独立創刊した。<br />
<br />
『ビッグコミック』創刊者の小西湧之助が、「ビッグコミックより'''1歳半上'''の読者層」をターゲットにして創刊した。そのため、ベテラン作家の力作が掲載されていた『ビッグコミック』との差別化を図って、より若手(当時)の漫画家たちによるエンターテインメント性の濃い作品が掲載されることになった<ref>滝田誠一郎『ビッグコミック創刊物語』([[プレジデント社]])</ref>。<br />
<br />
継続中のものでは『[[三丁目の夕日]]』『[[釣りバカ日誌]]』など30年以上にわたる連載、『[[風の大地]]』など20年以上にわたる連載といった長寿作品が多いことが、この雑誌の特徴の一つである。<br />
<br />
動物をテーマにした表紙イラストは、[[村松誠]]が担当している。<br />
<br />
増刊号として、『[[ビッグコミックオリジナル増刊]]』、『[[ビッグコミックONE]]』(ビッグコミックの増刊としても刊行、[[2009年]]休刊)がある。<br />
<br />
単行本は[[ビッグコミックス]]レーベルで発売される。<br />
<br />
== 連載作品 ==<br />
=== 現在連載中の作品 ===<br />
<!--作品名五十音順--><br />
* [[赤狩り (漫画)|赤狩り]]([[山本おさむ]])<br />
* [[風の大地]](作・[[坂田信弘]]、画・[[かざま鋭二]])<br />
* [[看護助手のナナちゃん]]([[野村知紗]]) ビッグコミックオリジナル増刊との並行連載<br />
* [[刑事ゆがみ]]([[井浦秀夫]])<br />
* [[しっぽの声]](原作・[[夏緑]]、作画・[[ちくやまきよし]])<br />
* [[昭和天皇物語]]([[能條純一]]、原作・[[半藤一利]]、脚本・[[永福一成]]、監修・[[志波秀宇]])<br />
* [[新黒沢 最強伝説]]([[福本伸行]])<br />
* [[深夜食堂]]([[安倍夜郎]])<br />
* [[前科者]](原作・[[香川まさひと]]、作画・[[月島冬二]])<br />
* [[善人長屋]]([[尾瀬あきら]]、原作・[[西條奈加]])<br />
* [[黄昏流星群]]([[弘兼憲史]])<br />
* [[釣りバカ日誌]](作・[[やまさき十三]]、画・[[北見けんいち]])<br />
* [[出かけ親]]([[吉田戦車]])<br />
* [[テツぼん]]([[永松潔]]、原作・[[高橋遠州]])<br />
* [[ナツカツ|ナツカツ 職業・高校野球監督]](原作・[[市田実]]、作画・[[テリー山本]])<br />
* [[百年川柳]]([[業田良家]])<br />
* [[フルーツ宅配便]]([[鈴木良雄 (漫画家)|鈴木良雄]])<br />
* [[もふもふ]]([[森栗丸]])<br />
<br />
=== 通常連載以外の作品 ===<br />
* [[三丁目の夕日]]([[西岸良平]]) ※月1回連載(2013年4月までは通常連載)<br />
* [[日本本゜]]([[黒鉄ヒロシ]]) ※月1回連載<br />
* [[特別のEGOIST]]([[楠みちはる]]) ※長期休載中<br />
* [[まる助の親切玉]]([[業田良家]]) ※不定期連載<br />
* [[北狼 ラストハンター]]([[石塚真一]]) ※不定期連載<br />
* [[たーたん]]([[西炯子]]) ※隔月連載<br />
* [[おじ呑み]]([[市川ラク]]) ※不定期掲載の読み切り作品<br />
* [[まどいのよそじ]]([[小坂俊史]]) ※増刊号から不定期で出張掲載<br />
* [[高橋留美子劇場]]([[高橋留美子]]) ※年1回ペースで掲載している読み切り作品<br />
* [[Dr.コトー診療所]]([[山田貴敏]]) ※『[[週刊ヤングサンデー]]』(2008年7月末で休刊)から移籍、2010年から長期休載中<br />
<br />
=== デジタル版限定連載 ===<br />
* [[大江戸恐竜伝]](原作・[[夢枕獏]]、作画・[[やまあき道屯]]、脚色・[[やまあき連理]]) ※紙版の不定期連載から移行<br />
* [[彩愛のひと]]([[曽根富美子]])<br />
* [[残照の帝國]](作・[[あまやゆうき]]、画・[[稲井雄人]])<br />
* [[女流飛行士マリア・マンテガッツァの冒険|女流飛行士マリア・マンテガッツァの冒険 外伝]]([[滝沢聖峰]])<br />
* [[哭きの竜|哭きの竜 Genesis]]([[能條純一]])<br />
* [[マチビト]]([[石原まこちん]]) ※2016年24号までは紙版で連載<br />
* [[メメント飛日常]]([[カラシユニコ]])<br />
<br />
=== 連載コラム ===<br />
* オリジナル“イチオシ”シネマ<br />
* BYPLAYER([[二宮清純]])<br />
* こだわりの店([[伊丹由宇]])<br />
<br />
=== 連載終了作品 ===<br />
<!--漫画家五十音順、同じ漫画家の作品は発表順--><br />
* [[真夜中のこじか]](作・[[北原雅紀]]、画・[[あおきてつお]])<br />
* [[大先生を読む。]]([[赤塚不二夫]])<br />
* [[じんべえ]]([[あだち充]])<br />
* [[弁護士のくず]]([[井浦秀夫]])<br />
* 弁護士のくず 第二審(井浦秀夫)<br />
* [[アイ'ム ホーム]]([[石坂啓]])<br />
* [[岳 みんなの山]]([[石塚真一]])<br />
* [[おかみさん 新米内儀相撲部屋奮闘記]]([[一丸]])<br />
* [[1年1組甲斐せんせい]](一丸)<br />
* [[あんこ坂のお医者さま]](一丸)<br />
* [[チアー]](一丸)<br />
* [[おかみさん平成場所|おかみさん平成場所 新米内儀わかばの相撲部屋奮闘記]](一丸) ※不定期連載<br />
* [[七帝柔道記]](原作・[[増田俊也]]、漫画・[[一丸]]) ※不定期連載 → 増刊号へ移籍<br />
* [[人間失格]]([[伊藤潤二]]、原作・[[太宰治]])<br />
* [[今、そこにある戦争]](原作・[[テーラー平良]]、作画・[[稲井雄人]]、脚色・[[あまやゆうき]])<br />
* [[家栽の人]](作・[[毛利甚八]]、画・[[魚戸おさむ]])<br />
* [[がんばるな!!!家康]](魚戸おさむ)<br />
* [[イリヤッド-入矢堂見聞録-]](画・魚戸おさむ、作・[[東周斎雅楽]])<br />
* [[玄米せんせいの弁当箱]](画・魚戸おさむ、脚本・[[北原雅紀]])<br />
* [[ひよっこ料理人]](魚戸おさむ)<br />
* [[パイナップルARMY]](作・[[工藤かずや]]、画・[[浦沢直樹]])<br />
* [[MASTERキートン]](作・[[勝鹿北星]]、画・浦沢直樹)<br />
* [[MONSTER]](浦沢直樹)<br />
* [[PLUTO]](浦沢直樹、原作・[[手塚治虫]]、監修・[[手塚眞]]、プロデューサー・[[長崎尚志]])<br />
* [[MASTERキートン|MASTERキートン Reマスター]](浦沢直樹、ストーリー・長崎尚志) ※不定期連載<br />
* [[夢印]](浦沢直樹)<br />
* [[火消し屋小町]]([[逢坂みえこ]])<br />
* [[アフター0]]([[岡崎二郎]])<br />
* [[あかぼし俳句帖]](原作・[[有間しのぶ]]、作画・[[奥山直]])<br />
* [[みのり伝説]]([[尾瀬あきら]])<br />
* [[光の島]] (尾瀬あきら)<br />
* [[蔵人 (漫画)|蔵人]](尾瀬あきら)<br />
* [[どうらく息子]](尾瀬あきら)<br />
* [[ホットDOC]](作・[[勝鹿北星|きむらはじめ]]、画・[[加藤唯史]])<br />
* [[魔物語 愛しのベティ]](作・[[小池一夫]]、画・[[叶精作]])<br />
* [[電脳炎]]([[唐沢なをき]])<br />
* [[冷馬記]](原作・[[山上たつひこ]]、作画・[[喜国雅彦]])<br />
* [[女かじきEXP]]([[木村えいじ]])<br />
* [[とねっ娘]](木村えいじ)<br />
* [[夫婦フーフー物語]]([[くれよんカンパニー]])<br />
* [[赤兵衛]]([[黒鉄ヒロシ]]) ※ビッグコミックとの並行連載だった。ビッグコミックの連載は継続<br />
* [[ヒゲとボイン]]([[小島功]]) ※2011年から長期休載ののち作者死去<br />
* [[壁ぎわ税務官]](画・[[佐藤智一]]、脚本・コミックブレーン推進委員会)<br />
* [[ゴーストママ捜査線]](佐藤智一) ※増刊での連載終了後に移籍、短期連載<br />
* [[三分間のアニミズム]]([[サメマチオ]])<br />
* [[夜光虫 (漫画)|夜光虫]](作・[[柿沼宏]]、画・[[篠原とおる]])<br />
* [[BATTLEフィールド]]([[島本和彦]])<br />
* [[浮浪雲]]([[ジョージ秋山]])<br />
* [[ハイサイ!甲子園 〜島人が燃えた1958年〜]](作・[[市田実]]、画・[[高田靖彦]])<br />
* [[千年の翼、百年の夢]]([[谷口ジロー]])<br />
* [[修理もん研究室]]([[寺沢大介]])<br />
* [[あんどーなつ]](作・[[西ゆうじ]]、画・[[テリー山本]]) ※原作者死去に伴い終了、未完<br />
* [[あさひるばん]](作・[[やまさき十三]]、画・テリー山本)<br />
* [[玄人のひとりごと]]([[中島徹 (漫画家)|中島徹]]) ※作者死去に伴い終了<br />
* [[お聞くさん]]([[ナカタニD.]])<br />
* [[バックステージ (漫画)|バックステージ]](ナカタニD.)<br />
* [[PS -羅生門-]](作・[[矢島正雄]]、画・[[中山昌亮]])<br />
* [[月をさすゆび]](原作・[[永富一成]]、作画・[[能條純一]])<br />
* [[STATION (漫画)|STATION]](作・[[大石賢一]]、画・[[はしもとみつお]])<br />
* [[ガラスの門]](作・[[牛次郎]]、画・[[長谷川法世]])<br />
* [[冬はなび]]([[原秀則]])<br />
* [[人間交差点]](作・[[矢島正雄]]、画・[[弘兼憲史]])<br />
* [[沈夫人の料理人]]([[深巳琳子]])<br />
* [[最強伝説 黒沢]]([[福本伸行]])<br />
* [[エルキュール・ポアロ#漫画|名探偵・英玖保嘉門の推理手帖]]([[星野泰視]]、原作・[[アガサ・クリスティー]])<br />
** [[ABC殺人事件]]<br />
** [[蒼ざめた馬 (アガサ・クリスティ)|蒼ざめた馬]]<br />
* [[ひみつの箱]](作・石坂啓、画・[[堀田あきお]])<br />
* [[江戸のたまもの]]([[昌原光一]]) ※不定期掲載の読み切り作品(『江戸のたまもの』は単行本化された際のタイトル)<br />
* [[ルーヴルの猫]]([[松本大洋]])<br />
* [[危険な飛行]](作・[[林律雄]]、画・[[松森正]])<br />
* [[裂けた旅券]]([[御厨さと美]])<br />
* [[あぶさん]]([[水島新司]])<br />
* [[一同、霊!]]([[村上かつら]]) ※月1回連載<br />
* [[青い鳥〜わくらば〜]]([[村上たかし]])<br />
* [[アキオ…]](村上たかし)<br />
* [[後妻業の女]](村上たかし、[[黒川博行]]・著『後妻業』より、©2016『後妻業の女』製作委員会)<br />
* [[龍-RON-]]([[村上もとか]])<br />
* [[蠢太郎]](村上もとか)<br />
* [[フイチン再見!]](村上もとか) <!-- 2013年4月5日号(2013年3月20日発売)より --><br />
* [[垣根の魔女]]([[村野守美]])<br />
* [[あじさいの唄]]([[森栗丸]])<br />
** [[あじさいの唄|〜あじさいの唄〜 栗之助江戸草紙]](森栗丸、「あじさいの唄」を改題)<br />
* [[ウイグル無頼]]([[横山光輝]])<br />
* [[うごかし屋]]([[芳崎せいむ]])<br />
* [[フロマンガ]]([[吉田戦車]])<br />
* [[まんが親]](吉田戦車)<br />
<br />
== 歴代編集長 ==<br />
付記した年は、在任が確認できた年。<br />
* 小西湧之助(創刊号、1972年)<br />
* 林洋一郎(1985年<!-- ぴあ「Invitation インビテーション」2006 年 5 月号の「長崎 尚志が明かす『マンガ編集者』という生き方」(文:竹熊 健太郎)内、『パイナップル ARMY』立ち上げ時の編集長 -->、1986年<!-- 文藝春秋「MARCO POLO マルコ・ポーロ」1993 年 5 月号「予期せず現役裁判官にウケてしまった『家栽の人』の恍惚と不安」毛利 甚八(「家栽の人」原作者)-->)<br />
* 奥山豊彦 <!-- (2003年) さくまあきらホームページ、2003年7月24日記述より。http://www.sakumania.com/diary/nikki/030724.html --><br />
* 吉野彰浩(2009年)<!-- JAPAN国際コンテンツフェスティバルのイベント「劇的3時間SHOW」にて、『ビッグコミックオリジナル』編集長として出席 (http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0910/22/news011.html)--><br />
* 御木基宏(? - 2013年6月<ref name="BCO1167">{{Cite journal |和書 | title = 奥付 | journal = ビッグコミックオリジナル増刊| volume = 40| issue = 17 | publisher = [[小学館]]| date = 2013-06-12}}</ref><!-- No.1167 ビッグコミックオリジナル増刊号 2013年6月12日発売号まで -->)<br />
* 堀靖樹(2013年7月<ref name="BCO1168" /> - 2016年7月<ref name="BCO1265">{{Cite journal |和書 | title = 奥付 | journal = ビッグコミックオリジナル| volume = 43| issue = 20 | publisher = [[小学館]]| date = 2016-07-20}}</ref>)<!-- No.1168 ビッグコミックオリジナル 2013年7月5日発売号から。元スピリッツ編集長。 --><br />
* 中熊一郎(2016年8月<ref name="BCO1266">{{Cite journal |和書 | title = 奥付 | journal = ビッグコミックオリジナル| volume = 43| issue = 21 | publisher = [[小学館]]| date = 2016-08-05}}</ref> - 現職)<!-- No.1266 ビッグコミックオリジナル 2016年8月5日発売号から。--><br />
{{節スタブ}}<br />
<br />
== 発行部数 ==<br />
* 2004年(2003年9月 - 2004年8月) 1,030,000部<ref name="jmpa">[http://www.j-magazine.or.jp/ 社団法人日本雑誌協会]JMPAマガジンデータによる該当期間中に発売された雑誌1号当たりの平均印刷部数。</ref><br />
* 2005年(2004年9月 - 2005年8月) 958,958部<ref name="jmpa" /><br />
* 2006年(2005年9月 - 2006年8月) 905,500部<ref name="jmpa" /><br />
* 2007年(2006年9月 - 2007年8月) 859,333部<ref name="jmpa" /><br />
* 2008年(2007年10月 - 2008年9月) 832,375部<ref name="jmpa" /><br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 発行部数(2008年4月以降)([https://web.archive.org/web/20120226141842/http://www.j-magazine.or.jp/magdata/index.php?module=list&action=list 社団法人日本雑誌協会])<br />
! !! 1〜3月 !! 4〜6月 !! 7〜9月 !! 10〜12月<br />
|-<br />
! 2008年 <br />
| || 828,333 部 || 819,334 部 || 814,000 部<br />
|-<br />
! 2009年 <br />
| 801,667 部 || 784,834 部 || 767,167 部 || 754,000 部 <br />
|-<br />
! 2010年 <br />
| 733,667 部 || 720,834 部 || 710,500 部 || 699,500 部<br />
|-<br />
! 2011年 <br />
| 687,500 部 || 673,000 部 || 677,167 部 || 672,834 部<br />
|-<br />
! 2012年 <br />
| 664,334 部 || 663,167 部 || 665,500 部 || 664,667 部<br />
|-<br />
! 2013年 <br />
| 651,000 部 || 643,334 部 || 633,167 部 || 628,167 部<br />
|-<br />
! 2014年 <br />
| 617,500 部 || 610,000 部 || 589,500 部 || 566,667 部<br />
|-<br />
! 2015年 <br />
| 552,500 部 || 539,500 部 || 530,000 部 || 521,167 部<br />
|-<br />
! 2016年 <br />
| 517,333 部 || 509,333 部 || 504,333 部 || 500,000 部<br />
|-<br />
! 2017年 <br />
| 500,000 部 || 500,000 部 || 500,000 部 || 497,500 部<br />
|-<br />
! 2018年 <br />
| 492,500 部 || || ||<br />
|}<br />
{{節スタブ}}<br />
<br />
== 主催賞 ==<br />
; オリジナル新作賞<br />
: 2013年<ref name="BCO1181">{{Cite journal |和書 | title = オリジナル40周年企画新作賞募集のお知らせ | journal = ビッグコミックオリジナル| volume = 41| issue = 1 | publisher = [[小学館]]| date = 2013-12-20| pages=34-35}}</ref>に創設された新人賞<ref name="BCO1181" />。2014年1月31日応募締め切り、同年4月発表。<ref name="BCO1181" /><br />
<br />
== 掲載漫画のデータ ==<br />
2014年3月20日発売の同年第7号(4月5日号、JAN 4910274710443)において、創刊40周年となった。これにちなんで、この号に「40年間の作品データを完全網羅!!!! オリジナルデータバンク」という記事が掲載されており、「連載コミック全データ201作品」がリスト化されている。タイトル・作家名・開始号と終了号・内容解説を列挙し、1972年の『[[世露の暗殺者]]』から2014年(連載中)の『[[冷馬記]]』までを紹介している。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[ビッグコミック]]<br />
* [[ビッグコミックスピリッツ]]<br />
* [[ビッグコミックスペリオール]]<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{reflist|2|refs=<br />
<ref name="BCO1168">{{Cite journal |和書 | title = 奥付 | journal = ビッグコミックオリジナル| volume = 40| issue = 18 | publisher = [[小学館]]| date = 2013-07-05}}</ref><br />
}}<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [https://bigcomicbros.net/magazine/bigoriginal/ ビッグコミックオリジナル | ビッグコミックBROS.NET(ビッグコミックブロス)|小学館]<br />
<br />
{{ビッグコミックオリジナル連載中}}<br />
{{小学館}}<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:ひつくこみつくおりしなる}}<br />
[[Category:ビッグコミックオリジナル|*]]<br />
[[Category:日本の漫画雑誌]]<br />
[[Category:小学館の漫画雑誌]]<br />
[[Category:月2回刊漫画雑誌]]<br />
[[Category:青年漫画雑誌]]<br />
[[Category:1972年創刊の雑誌]]<br />
[[Category:ビッグコミック|-おりしなる]]<br />
[[Category:刊行中の漫画雑誌]]</div>
122.197.149.19
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