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http:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=119.106.10.29&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-15T23:25:29Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 河村亮 2018-10-13T23:41:12Z <p>119.106.10.29: /* 来歴・人物 */</p> <hr /> <div>{{基礎情報 アナウンサー<br /> |名前= 河村 亮<br /> |ふりがな= かわむら りょう<br /> |画像ファイル=<br /> |画像サイズ= &lt;!--ある場合のみ、220px以内--&gt;<br /> |画像コメント=<br /> |本名=<br /> |愛称=<br /> |出身地={{JPN}} [[神奈川県]][[茅ヶ崎市]]<br /> |国籍=<br /> |生年月日= {{生年月日と年齢|1967|6|26}}<br /> |没年月日= <br /> |血液型=<br /> |最終学歴= [[早稲田大学]][[政治経済学部]]<br /> |在籍局= [[日本テレビ放送網]]<br /> |所属事務所=<br /> |部署= 編成局アナウンスセンターアナウンス部<br /> |職歴=<br /> |活動期間= [[1991年]]-<br /> |ジャンル= スポーツ中継<br /> |配偶者=<br /> |家族=<br /> |公式サイト= [http://www.ntv.co.jp/announcer/profile/r_kawamura.html 日本テレビアナウンサー・河村亮]<br /> |現在の出演番組= スポーツ中継等<br /> |過去の出演番組= <br /> |その他=<br /> |備考=<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;河村 亮&#039;&#039;&#039;(かわむら りょう、[[1967年]][[6月26日]] - )は、[[神奈川県]][[茅ヶ崎市]]出身の[[日本テレビ放送網]][[アナウンサー]]。<br /> <br /> ==来歴・人物==<br /> 茅ヶ崎に生まれ、その後父の転勤で[[新潟県]][[新潟市]]に在住。[[新潟大学教育学部附属新潟中学校]]、[[新潟県立新潟高等学校]]では[[松井みどり]](元[[フジテレビジョン]]アナウンサー、現[[フリーアナウンサー]])、[[伊藤聡子]](現[[タレント]]、フリーアナウンサー)と同期。<br /> <br /> [[早稲田大学]][[政治経済学部]]卒業後、[[1991年]]に日本テレビに入社。報道、スポーツ、[[バラエティ番組]]など幅広いジャンルを担当し、バラエティでは『[[ウッチャンナンチャンのウリナリ!!]]』『[[電波少年]]』シリーズなどで進行役・レポーターを務め、人気を博した。バラエティ番組ではタキシード姿で出ることもある。[[2004年]]からはプロ野球中継「[[Dramatic Game 1844]]」の実況・ベンチリポーターなど、スポーツ中継の担当がメインであるが、スポーツ以外の番組に出ることもある。『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」]]』でもちょくちょく顔を出すこともあり、2011年の24時間テレビでは日本テレビの大先輩でもある[[徳光和夫]]のチャリティー・マラソンの実況を担当した&lt;ref&gt;ただし、[[日本武道館]]でのゴールは後輩の[[羽鳥慎一]]が実況を担当した。&lt;/ref&gt;。また、バラエティ番組のスポーツ・対決企画では実況・進行を担当する事が多いほか、不定期で『[[笑点]]』の副音声[[解説放送]]も他のアナウンサーと持ち回りで担当することもある)。<br /> <br /> 初のプロ野球実況は1994年6月3日の[[読売ジャイアンツ]]対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]戦。初実況でいきなり[[元木大介]]、[[岡崎郁]]、[[大久保博元]]の三者連続本塁打が起きた。<br /> <br /> 元[[富山テレビ放送|富山テレビ]]のアナウンサーで、現グリーンチャンネルキャスターの[[高瀬有紀子]]は元夫人である(『ウリナリ!!』放送中にウリナリ審査委員会が[[ポケットビスケッツ]]との勝負に負けた罰として、結婚指輪(日付と「Y to R」の文字入り。Yは高瀬の下の名前で、Rは河村の下の名前から)を5トンの鉄球で潰されかけた事がある)。<br /> <br /> [[2005年]]に、第26回[[NNSアナウンス大賞]]でテレビ部門大賞を受賞。<br /> <br /> [[2006年]]の[[トリノオリンピック]]の際には[[ジャパンコンソーシアム]]のメンバーとして放送に参加。[[カーリング]]競技の実況等を担当している。トリノオリンピックカーリング日本代表([[チーム青森]])の[[本橋麻里]]のことを『この選手はマリリンと呼ばれております』と最初の中継で紹介したのは河村である&lt;ref&gt;[http://www.1101.com/kariya/2006-06-27.html マリリン・ショット] ほぼ日刊イトイ新聞 刈屋富士雄インタビュー 2006年6月27日発信&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[2007年]]の[[東京箱根間往復大学駅伝競走|箱根駅伝]]の実況の際、[[今井正人]]選手が芦ノ湖にトップでゴールする際に、「今、山の神、ここに降臨!その名は今井正人!」と実況し、その映像が翌年の[[ニューイヤー駅伝]]の放送中、今井選手を紹介する際に[[TBSテレビ|TBS]]にて放送される(映像提供日本テレビという形で)。<br /> <br /> また、2006年の中日ドラゴンズセ・リーグ優勝決定試合と、2007年の読売ジャイアンツのセ・リーグ優勝決定試合をそれぞれ実況したが、いずれも[[日テレG+]]での放送であったため、地上波での放送はされなかった。2012年9月21日の[[読売ジャイアンツ]]対[[東京ヤクルトスワローズ]]戦でも巨人のリーグ優勝の瞬間を伝えたが、これが自身にとって初の地上波における優勝決定戦実況&lt;ref&gt;当初は[[BS日本|BS日テレ]]と日テレG+のみだったが、巨人の[[マジックナンバー (野球)|優勝マジック]]が「1」であったため、急遽地上波での放送が決定した。&lt;/ref&gt;となった。2013年9月22日の巨人対[[広島東洋カープ]]戦でも巨人のリーグ連覇の瞬間を伝えたが、前年とは違い、地上波で放送されなかった&lt;ref&gt;BS日テレと日テレG+のみ。巨人が優勝マジックを「1」として迎えた同日、デーゲームで行われた[[阪神タイガース]]対ヤクルト戦([[阪神甲子園球場|甲子園]])で、マジック対象チームの阪神が6-7でヤクルトに敗戦したため、優勝が決定。なお、阪神の結果次第では19:00から試合終了まで地上波で緊急中継が予定されていた。ちなみに胴上げ投手は前年に続いて[[西村健太朗]]である。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]では[[2008年の日本シリーズ|2008年]]の巨人対[[埼玉西武ライオンズ]]第1戦、[[2009年の日本シリーズ|2009年]]の巨人対[[北海道日本ハムファイターズ]]第4戦、[[2012年の日本シリーズ|2012年]]の巨人対日本ハム第6戦(自身にとって初の巨人日本一決定の実況。胴上げ投手は[[山口鉄也]])、[[2013年の日本シリーズ|2013年]]の巨人対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]第5戦の実況を担当した。巨人のシーズン開幕戦(開催が東京ドームの場合のみ)の実況は入社以来一度も経験していなかったが、2010年3月26日の巨人対ヤクルト戦で初めてシーズン開幕戦の実況を担当した。2016年3月25日にも前回と同じ組み合わせで自身2度目の巨人のシーズン開幕戦の実況を担当。担当した2度とも巨人は勝利を収めている&lt;ref&gt;開幕投手は2010年が[[内海哲也]]、2016年は[[菅野智之]]で、二人とも勝利投手になっている。&lt;/ref&gt;。以前には2005年3月26日に[[千葉ロッテマリーンズ]]対楽天の開幕戦([[千葉マリンスタジアム]])を実況、日本テレビでは珍しく[[セントラル・リーグ|セ]]・[[パシフィック・リーグ|パ]]両リーグの開幕戦実況を行った数少ないアナウンサーである。また、[[メジャーリーグ・ベースボール|メジャーリーグ]]の日本開幕戦は2004年([[ニューヨーク・ヤンキース]]対[[タンパベイ・レイズ|タンパベイ・デビルレイズ]])と2012年([[シアトル・マリナーズ]]対[[オークランド・アスレチックス]])の2度開幕第1戦の実況を担当している。<br /> <br /> また、[[2013年]][[5月5日]]の巨人対広島戦では『[[松井秀喜]]&amp;[[長嶋茂雄]]W[[国民栄誉賞]]受賞記念スペシャル』として特番の司会及び中継の実況&lt;ref&gt;放送は12:45 - 16:55まで(12:45 - 15:00までは[[関東ローカル]]扱い。ただし試合の中継は14:54頃から)。ゲストは徳光和夫、[[亀梨和也]]([[KAT-TUN]])、[[長嶋一茂]](亀梨と長嶋一茂は中継の副音声にも出演)。中継の解説は[[山本浩二]]と[[立浪和義]]。試合は巨人が[[ホセ・ロペス (野球)|ホセ・ロペス]]のシーズン8号ソロ本塁打(日米通算100号)と内海哲也、西村健太朗、山口鉄也の投手リレーで1-0で勝利し、花を添えた。&lt;/ref&gt;を担当した。<br /> <br /> == 現在の担当番組 ==<br /> *[[Dramatic Game 1844]]他スポーツ中継(ゴルフ、駅伝など)<br /> *[[嵐にしやがれ]](コーナー「荒野の十人しやがれ」での司会進行)<br /> <br /> == 過去の担当番組 ==<br /> *[[NNNきょうの出来事]](スポーツコーナー)<br /> *[[NNN朝のニュース]]<br /> *[[ジパングあさ6]](スポーツコーナー)<br /> *[[ウッチャンナンチャンのウリナリ!!]]<br /> *[[快傑!コウジ園]]<br /> *[[シャル・ウィ・ダンス? (テレビ番組)|シャル・ウィ・ダンス?]]<br /> *[[とんねるずの生でダラダラいかせて!!]](フランス横断生ダラウルトラクイズ、生ダラ日本シリーズ)<br /> *[[ウリナリ芸能人社交ダンス部]](進行担当)<br /> *[[全国高等学校クイズ選手権]](実況。第29回-32回)<br /> <br /> == 出演テレビゲーム ==<br /> *[[プロ野球JAPAN2001]]([[コナミデジタルエンタテインメント|コナミ]])- 実況<br /> *THE BASEBALL 2002 バトルボールパーク宣言(コナミ)- 実況。日テレ野球中継とのタイアップ作品<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> &lt;div class=&quot;references-small&quot;&gt;&lt;references /&gt;&lt;/div&gt;<br /> <br /> == 関連人物 ==<br /> ;同期入社<br /> *[[笛吹雅子]](アナウンス部→報道局→「[[NNN Newsリアルタイム]]」メインキャスター)<br /> *[[薮本雅子]](アナウンス部→報道局→退社)<br /> *[[金子茂]](アナウンス部→報道局→記者)<br /> <br /> ;芸能人<br /> *[[ウッチャンナンチャン]] - 7年間毎週共演していた「ウリナリ!!」以来の友人。現在でもたまに連絡をとりあっているという(2007年放送[[TBSラジオ&amp;コミュニケーションズ|TBSラジオ]]・「[[ウンナンタイム]]」より)が、実は1991年の新人時代に「[[ウンナン世界征服宣言]]」の1コーナーで「出前講義 NTV新入社員編」にて新入社員のよるウンナンへの質問コーナーであまり目立たなかっあものの、2回、ウンナンと会話している。<br /> **[[内村光良]]<br /> **[[南原清隆]] - 2011年5月11日及び2013年6月5日のDramatic Game 1844の副音声ゲストで南原が出演した際、河村が副音声実況を担当した。<br /> *[[キャイ〜ン]] - こちらも7年間毎週共演していた「ウリナリ!!」以来の友人。現在では数年に一度、特番で共演がある程度である。<br /> **[[天野ひろゆき]]<br /> **[[ウド鈴木]]<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> *[[日本テレビのアナウンサー一覧]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.ntv.co.jp/announcer/profile/r_kawamura.html 河村亮プロフィール]<br /> <br /> {{日本テレビアナウンサー}}<br /> {{NNNきょうの出来事スポーツキャスター(Sports&amp;News時代のみ)}}<br /> {{トヨタカップ実況アナウンサー}}<br /> {{ジャパンコンソーシアムのアナウンサー}}<br /> {{DEFAULTSORT:かわむら りよう}}<br /> [[Category:日本テレビのアナウンサー]]<br /> [[Category:スポーツアナウンサー]]<br /> [[Category:早稲田大学出身の人物]]<br /> [[Category:新潟市出身の人物]]<br /> [[Category:神奈川県出身の人物]]<br /> [[Category:1967年生]]<br /> [[Category:存命人物]]</div> 119.106.10.29 目黒川 2018-09-13T13:12:57Z <p>119.106.10.29: /* 橋梁 */</p> <hr /> <div>{{Otheruses|東京都を流れる河川|そのほかの目黒川|#関連項目}}<br /> {{Infobox 河川<br /> |名称=目黒川<br /> |画像=[[ファイル:Meguro Meguro River Cherry Trees 1.JPG|300px]]<br /> |画像説明=春の目黒川(目黒区三田、田道橋より)<br /> |水系等級=[[二級水系]]<br /> |水系=目黒川<br /> |種別=[[二級河川]]<br /> |延長=7.82<br /> |標高=--<br /> |流量=--<br /> |観測所=<br /> |流域面積=45.8<br /> |水源=[[武蔵野台地]]([[世田谷区]])<br /> |河口=[[東京湾]]([[品川区]])<br /> |流域=[[東京都]]<br /> |脚注=<br /> |出典=<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;目黒川&#039;&#039;&#039;(めぐろがわ)は、[[東京都]][[世田谷区]]、[[目黒区]]および[[品川区]]を流れ[[東京湾]]に注ぐ[[河川]]。[[二級水系]]の本流である。<br /> <br /> 河口付近では古くは「&#039;&#039;&#039;品川&#039;&#039;&#039;」(しながわ)といい、湾岸開発が進む以前は河口付近で流れが湾曲していて流れが緩やかであったため、古くは[[品川湊|港]]として使われ、&#039;&#039;&#039;品&#039;&#039;&#039;の行き交っていた&#039;&#039;&#039;川&#039;&#039;&#039;であった。これが「品川」の起こりとされる。<br /> <br /> なお、江戸時代の絵図などでは、その上流の下目黒付近では「こりとり川」と記され、江戸時代に目黒川と記した絵図はない。「こりとり」は「垢離取り」の意味でこの川で身を清めてから目黒不動尊に詣でたのである&lt;ref&gt;山本和夫『目黒区史跡散歩』学生社、1992年、p73&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 地理と生物 ==<br /> [[ファイル:MeguroRiverBegin.jpg|thumb|right|220px|目黒川起点。右から北沢川が、左から烏山川が合流する。]]<br /> [[File:Meguro River at night 20141225, 002.jpg|thumb|2014年の年末に初の試みで中目黒付近の目黒川沿いの木々に青色のイルミネーションが施されて多くの人が訪れたが&lt;ref&gt;[http://www.fashion-press.net/news/13666 FASHION PRESS 目黒川が青の洞窟に!中目黒に神秘的なクリスマスイルミネーション出現]&lt;/ref&gt;、<br /> 2015年は実施されなかった。&lt;ref&gt;http://nakameguro-aonodokutsu.jp/&lt;/ref&gt;<br /> ]]<br /> 東京都世田谷区[[三宿]]の東仲橋付近で[[北沢川 (東京都)|北沢川]]と[[烏山川]]が合流して目黒川となり南東へ流れ、品川区の[[天王洲アイル駅]]付近で東京湾に注ぐ。<br /> <br /> 起点(北沢川と烏山川の合流点)から[[国道246号]]の[[大橋 (目黒川)|大橋]]までの600m強の区間は[[溝渠#暗渠|暗渠]]化され、それと併せて地表部分には人工のせせらぎを抱いた[[遊歩道|緑道]](目黒川緑道)が整備されており、[[カルガモ]]や[[コイ|鯉]]、[[ザリガニ]]など様々な生物が住み着いている。[[大橋 (目黒川)|大橋]]より下流は開渠となっている。<br /> <br /> 1995年以降、「[[清流復活事業]]」として、目黒川を流れる水の大部分は[[新宿区]]の[[東京都下水道局]][[落合水再生センター]]で[[下水]]を高度処理したものを導いている。これにより水質が改善されて[[ウキゴリ|スミウキゴリ]]など[[魚類]]が増え、東京湾から[[マハゼ]]や[[アユ]]、[[ボラ]]が遡上するようになった。子供達によるイベント「いきもの発見隊」で採取された魚などは12種類(2017年時点)だった&lt;ref&gt;{{Cite news|url=http://www.sankei.com/region/news/170530/rgn1705300016-n1.html|title=目黒川のハゼに大はしゃぎ|work=|publisher=[[産経新聞]]朝刊(東京面)|date=2017年5月30日}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[目黒区]]の辺りでは岸に[[サクラ|桜]]並木があり、[[花見]]の時期には多くの見物客でにぎわう。<br /> <br /> == 流域の自治体 ==<br /> * 東京都<br /> ** [[世田谷区]]、[[目黒区]]、[[品川区]]<br /> <br /> == 支流 ==<br /> ほとんどは暗渠化され、その多くは緑道として整備されている。[http://www.city.meguro.tokyo.jp/gyosei/shokai_rekishi/konnamachi/michi/rekishi/megurorekishi/kawa1/index.html 目黒区内の河川図・緑道図]<br /> * &#039;&#039;&#039;[[北沢川 (東京都)|北沢川]]&#039;&#039;&#039;(北沢用水)<br /> *:&lt;!--<br /> 上流の[[小田急小田原線|小田急線]][[梅ヶ丘駅]]付近でわずかに川面が見えるのみ。なお、<br /> ※これはどこのことでしょう。そんな場所ありましたっけ?<br /> <br /> --&gt;かつての流路のうち[[世田谷代田駅]]南方から[[烏山川]]との合流点やや下流までの間は、世田谷区の「ふれあいの水辺事業」により、暗渠の上に人工のせせらぎが再現されている。<br /> * &#039;&#039;&#039;[[烏山川]]&#039;&#039;&#039;(烏山用水)<br /> *:北沢川とともに世田谷区による緑道整備の主要な対象となっている。2012年頃までは環八沿い([[蘆花恒春園]]北方、八幡山アパート脇)に約300mにわたって開渠が遺っていた。<br /> * &#039;&#039;&#039;空川&#039;&#039;&#039;<br /> *:緑道化されていない。主たる水源地は[[駒場野公園]]として保全されている。<br /> * &#039;&#039;&#039;[[蛇崩川]]&#039;&#039;&#039;<br /> * &#039;&#039;&#039;谷戸前川&#039;&#039;&#039;<br /> * &#039;&#039;&#039;羅漢寺川&#039;&#039;&#039;<br /> *:一部は緑道化されている。その緑道の数か所から湧水が出ており、[[目黒不動尊]]にある滝と池からも流入している。主たる水源地は目黒区清水にある清水稲荷付近とされている。<br /> <br /> == 橋梁 ==<br /> [[ファイル:国道246号目黒川大橋0001.jpg|thumb|right|220px|&lt;center&gt;大橋(国道246号)&lt;/center&gt;]]<br /> [[File:Nakanohashi, Meguro.jpg|thumb|220px|&lt;center&gt;中の橋 (歩行者専用)&lt;/center&gt;]]<br /> &#039;&#039;北沢川と烏山川の合流点より記載。&#039;&#039;<br /> * 東仲橋(跡)<br /> * [[大橋 (目黒川)|大橋]] - [[国道246号]](玉川通り)および[[首都高速3号渋谷線]]。これより上流は暗渠化及び緑道化されている。<br /> * 常盤橋<br /> * 万代橋<br /> * 氷川橋<br /> * 東山橋<br /> * 目黒橋 - [[東京都道317号環状六号線]](山手通り)<br /> * 中の橋<br /> * 南部橋<br /> * 柳橋<br /> * 千歳橋<br /> * 天神橋<br /> * 朝日橋<br /> * 宿山(しゅくやま)橋<br /> * 桜橋<br /> * 別所橋<br /> [[ファイル:100 views edo 111 new scan.jpg|thumb|180px|[[歌川広重]] 『[[名所江戸百景]]・目黒太鼓橋 夕日の岡』 [[1857年]]([[安政]]4年)。]]<br /> * (鉄道橋) - [[東京急行電鉄|東急]][[東急東横線|東横線]]および[[東京メトロ日比谷線|日比谷線]]<br /> * 日の出橋<br /> * 宝来橋<br /> * 皀樹(さいかち)橋 - [[東京都道416号古川橋二子玉川線]](駒沢通り) <br /> * 田楽橋<br /> * なかめ公園橋<br /> * 中里橋<br /> * 田道(でんどう)橋 <br /> * ふれあい橋<br /> [[ファイル:Meguro River 2012 April.JPG|目黒区[[目黒 (東京都)|目黒]]、目黒新橋より|thumb|right|180px]]<br /> * 目黒新橋 - [[東京都道312号白金台町等々力線]](目黒通り)<br /> * [[太鼓橋 (目黒区)|太鼓橋]]<br /> * (鉄道橋) - [[東京急行電鉄|東急]][[東急目黒線|目黒線]]<br /> * 亀の甲橋<br /> * 市場橋<br /> * 谷山橋 - [[東京都道418号北品川四谷線]]及び[[首都高速2号目黒線]] [[File:Meguro gawa -Gotanda.jpg|thumb|220px|&lt;center&gt;[[東急池上線]]の鉄橋&lt;/center&gt;]]<br /> * 本村橋<br /> * 五反田大橋 - [[国道1号]]([[桜田通り]])<br /> * [[大崎橋 (目黒川)|大崎橋]] - [[東京都道317号環状六号線]](山手通り)<br /> * (鉄道橋) - [[東京急行電鉄|東急]][[東急池上線|池上線]]<br /> * ふれあいK字橋<br /> * 上目黒川橋梁 - JR[[山手線]]及び山手貨物線<br /> * 山本橋<br /> * 御成橋 - [[東京都下水道局]]芝浦水再生センターの下水処理水を8時30分と9時〜21時の一時間ごとに散水(日没後にはライトアップされる)<br /> * 鈴懸歩道橋<br /> * 小関歩道橋<br /> * 森永橋<br /> * 居木橋 - 山手通り<br /> * (鉄道橋) - JR山手線他<br /> * 御嶽橋<br /> * (鉄道橋) - JR[[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]及び[[京浜東北線]]<br /> * 要津橋<br /> * 東海橋 - [[国道15号]](第一京浜)<br /> * (鉄道橋) - [[京浜急行電鉄|京急]][[京急本線|本線]][[新馬場駅]]。新馬場駅の周辺地図には京急が走っている橋ともう1つ名前が書いてない橋が書いてあるが、実際には存在していない。<br /> * 荏川橋 - 荏川橋から品川橋に続く荏原神社の川岸には桜が植えてあり、桜の名所として紹介されることもある。<br /> * 鎮守橋 - [[荏原神社]]の参道があったが、目黒川の流路変更に伴いこの橋になった。<br /> * 品川橋 - 旧[[東海道]]<br /> * 新品川橋<br /> * 洲崎橋<br /> * [[昭和橋 (目黒川)|昭和橋]] - [[東京都道316号日本橋芝浦大森線]]([[海岸通]])<br /> * アイル橋 - [[東品川海上公園]]内<br /> * 東品川橋 - (天王州通り)<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{commonscat|Meguro River}}<br /> この川をモチーフにした楽曲を複数の歌手が発表している。<br /> &lt;!--発表年順に並び替え 項目の無い曲については特筆性、宣伝の観点から不要--&gt;<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;font-size: small;&quot;<br /> |-<br /> ! 公表年<br /> ! 歌手名<br /> ! 曲名<br /> ! 収録アルバム名<br /> |-<br /> | 2002年<br /> | [[KAB.]]<br /> | 目黒川<br /> | 向日葵<br /> |-<br /> | 2004年<br /> | [[奥井亜紀]]<br /> | 目黒川<br /> | [[cyclong]]<br /> |-<br /> | 2010年<br /> | [[miwa]]<br /> | めぐろ川<br /> | [[don&#039;t cry anymore]]<br /> &lt;!--<br /> |-<br /> | 平賀さち枝<br /> | 目黒川<br /> | 23歳‐EP<br /> |-<br /> | tangerine.<br /> | 目黒川<br /> | FLAVOR BOSSA CASE SAKURA<br /> |-<br /> | tangerine. × Choucremes<br /> | 目黒川<br /> | SPRING SWEET LOVE<br /> |-<br /> | SPRING SWEET LOVE<br /> | 目黒川<br /> | さくらCAFE<br /> |-<br /> | わかってほしい<br /> | 目黒川<br /> | one for all, all for one<br /> --&gt;<br /> |}<br /> この他、[[2012年]][[2月29日]]に発売された[[Flower (グループ)|Flower]]の楽曲「[[SAKURAリグレット]]」の歌詞のフレーズにも目黒川が登場する。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> &lt;references /&gt;<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.city.setagaya.lg.jp/kurashi/106/157/691/index.html 緑道 - 世田谷区] - 烏山川緑道・北沢川緑道・目黒川緑道<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:めくろかわ}}<br /> [[Category:東京都の河川]]<br /> [[Category:暗渠]]<br /> [[Category:東京都の二級河川]]<br /> [[Category:目黒川|*]]<br /> [[Category:品川区の観光地]]</div> 119.106.10.29 菅野智之 2018-08-21T09:31:24Z <p>119.106.10.29: /* 経歴 */</p> <hr /> <div>{{Infobox baseball player<br /> |選手名 = 菅野 智之<br /> |所属球団 = 読売ジャイアンツ<br /> |背番号 = 19<br /> |選手写真ファイル名 = Giants_suganotomoyuki19.JPG<br /> |写真のコメント = <br /> |国籍 = {{JPN}}<br /> |出身地 = [[神奈川県]][[相模原市]][[南区 (相模原市)|南区]]<br /> |生年月日 = {{生年月日と年齢|1989|10|11}}<br /> |没年月日 = <br /> |身長 = 186<br /> |体重 = 92<br /> |利き腕 = 右<br /> |打席 = 右<br /> |守備位置 = [[投手]]<br /> |プロ入り年度 = {{NPBドラフト|2012}}<br /> |ドラフト順位 = ドラフト1位<br /> |初出場 = 2013年3月30日<br /> |最終出場 = <br /> |年俸 = 4億5,000万円(2018年)&lt;ref&gt;[http://www.nikkansports.com/baseball/professional/koukai/team/koukai-giants.html 巨人 - 契約更改 - プロ野球].日刊スポーツ.2018年6月7日閲覧。&lt;/ref&gt;<br /> |経歴 = <br /> * [[東海大学付属相模高等学校・中等部|東海大学付属相模高等学校]]<br /> * [[東海大学硬式野球部|東海大学]]<br /> * [[読売ジャイアンツ]] (2013 - )<br /> |派遣歴 =<br /> |経歴補足題 = <br /> |経歴補足 = <br /> |代表チーム = {{Flagicon|JPN}} [[野球日本代表|日本]]<br /> |五輪 = <br /> |WBC = [[2017 ワールド・ベースボール・クラシック|2017年]]<br /> |プレミア12 = [[2015 WBSCプレミア12|2015年]]<br /> |選出国 = <br /> |選出年 = <br /> |得票率 = <br /> |選出方法 = <br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;菅野 智之&#039;&#039;&#039;(すがの ともゆき、[[1989年]][[10月11日]] - )は、[[神奈川県]][[相模原市]]&lt;ref&gt;[http://www.nikkansports.com/baseball/news/1576346.html 巨人菅野「皆さんに感謝」故郷相模原へ寄付で恩返し - 日刊スポーツ]&lt;/ref&gt;出身の[[プロ野球選手]]([[投手]])。右投右打。[[読売ジャイアンツ]]所属。<br /> <br /> 母方の祖父は、元東海大相模高校野球部監督の[[原貢]]。母方の伯父は元[[読売ジャイアンツ]]の[[原辰徳]]。<br /> <br /> == 経歴 ==<br /> === プロ入り前 ===<br /> [[神奈川県]][[相模原市]]出身。小学校に上がる直前の{{By|1995年}}[[10月8日]]に伯父・原辰徳の引退試合を観戦したことがきっかけで本格的に野球を始める{{#tag:ref|ただし本人は後のインタビューで「(当時は)幼稚園児だったので具体的には覚えていない。それがきっかけというのは少し“作り”が入っているかもしれない。しかし、引退式を見たことは覚えている。ああいう人になりたいなと思った」と語っている&lt;ref name=&quot;number20111110&quot;/&gt;。|group=&quot;注釈&quot;}}。軟式の少年野球クラブ「東林ファルコンズ」に所属し、当時から[[投手]]を務めた。新町中学時代は3年夏に県大会優勝。関東大会でもベスト8に進出した。<br /> <br /> [[東海大学付属相模高等学校・中等部|東海大相模高校]]進学後は2年秋から主戦として活躍。最速148km/hを記録するなどプロからも注目を集めたが、甲子園出場は一度も果たせなかった&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;なお、在籍時にチームは甲子園出場(2006年の選抜)はしているが、その時はベンチ入りできなかった。&lt;/ref&gt;。3年生夏の[[全国高等学校野球選手権神奈川大会|神奈川大会]]準決勝の[[横浜中学校・高等学校|横浜高校]]戦では打者として珍しい「[[振り逃げ#東海大相模高校 対 横浜高校|振り逃げ3ラン]]」を記録するなどし、6-4で勝利したが、続く決勝戦で[[桐光学園中学校・高等学校|桐光学園]]に8-10で敗退した。高校時代の野球部の同学年に[[田中広輔]](田中とは大学も同じ)、1学年後輩には[[大田泰示]]がいる。<br /> <br /> 大学は[[東海大学]]へ進学し[[東海大学硬式野球部|硬式野球部]]へ入部。1年秋から主戦を任され、2年春から4季連続で[[首都大学野球連盟|首都大学]]リーグの優秀投手を受賞。2年時には[[第37回日米大学野球選手権大会日本代表]]と[[第25回アジア野球選手権大会日本代表]]に選出され、[[U-26 NPB選抜 対 大学日本代表]]にも出場。3年春の[[第59回全日本大学野球選手権大会]]では準々決勝の[[同志社大学体育会硬式野球部|同志社大学]]戦で7回参考記録ながら[[ノーヒットノーラン]]を達成し、準決勝の[[慶應義塾体育会野球部|慶應大学]]戦では最速155km/hを記録し4安打17奪三振の好投で完封勝利を挙げたが、決勝で敗退。夏の[[第5回世界大学野球選手権大会]]では予選リーグの[[野球キューバ代表|キューバ]]戦の[[アルフレド・デスパイネ]]に対しての打席で自己最速となる157km/hを記録。4年秋にはリーグ新記録の通算14完封を記録しチームのリーグ優勝に貢献。最高殊勲選手と最優秀投手、ベストナイン、特別功労賞を受賞した。首都大学リーグでの通算成績は37勝4敗、[[防御率]]0.57、347[[三振#奪三振|奪三振]]。大学時代の野球部の1学年先輩には[[伊志嶺翔大]]が、同期には[[田中広輔]]が、1学年後輩には[[坂口真規]]、[[伏見寅威]]がいる。特に[[捕手]]である伏見とは2年以上バッテリーを組んでいた。<br /> <br /> ==== ドラフト会議を巡る経緯 ====<br /> [[2011年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2011年のドラフト会議]]では[[野村祐輔]]([[明治大学硬式野球部|明大]])、[[藤岡貴裕]]([[東洋大学硬式野球部|東洋大]])とともに「大学ビッグ3」と呼ばれ注目を集めた&lt;ref&gt;{{Cite news|date=2012-11-22|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20121122/gia12112205050003-n2.html|title=G菅野、野村超え宣言!10勝&防御率1点台|publisher=[[産業経済新聞社|産経新聞社]]|newspaper=[[サンケイスポーツ|SANSPO.COM]]|accessdate=2012-11-22|page=2}}{{リンク切れ|date=2017年10月}}&lt;/ref&gt;。伯父の原辰徳が監督を務める[[読売ジャイアンツ]]の単独指名が濃厚と噂されていた&lt;ref name=&quot;wb20111114&quot;&gt; {{cite journal|和書|title=2011ドラフト総決算|journal = [[週刊ベースボール]]|issue = 2011年11月14日号|publisher = [[ベースボール・マガジン社]]|pages=6-7|id=雑誌20442-11/14}}&lt;/ref&gt;が、[[北海道日本ハムファイターズ]]の予想を反しての1位指名により、抽選の結果日本ハムが交渉権を獲得した。ドラフト後には祖父の原貢が日本ハムの事前挨拶なしでの指名を「人権蹂躙」などと非難する発言を行った&lt;ref&gt;{{Cite news|date=2011/10/30|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/10/30/kiji/K20111030001922520.html|title=祖父・原貢氏軟化 決断は菅野次第「最後は自分で」|publisher=[[スポーツニッポン]]|newspaper=Sponichi Annex|accessdate=2011-11-10}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 11月7日には日本ハムの指名挨拶に同席し、進路については「目先のことだけではなく、その先の野球人生を考えた上で判断したい」とコメント&lt;ref&gt;{{Cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/11/08/kiji/K20111108001984400.html|title=菅野、初交渉で軟化 ダルと「一緒にやってみたい」|newspaper=Sponichi Annex|publisher=[[スポーツニッポン]]|date=2011-11-08|accessdate=2011-11-17}}&lt;/ref&gt;したが、21日には日本ハム入団を拒否する意向を表明&lt;ref name=&quot;yomiuri20111121&quot;&gt;{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/sports/npb/news/20111121-OYT1T00939.htm?from=y10|title=日ハム入団拒否宣言…東海大の菅野|newspaper=読売新聞|date=2011-11-21|accessdate=2011-11-21}}&lt;/ref&gt;。[[社会人野球]]や国内独立リーグ、海外のプロリーグ等に進んだ場合は2年間指名されることができないため、プロ・アマのいずれの球団にも属さず、浪人することを選択&lt;ref&gt;{{Cite news|date=2011-11-04|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2011/news/p-bb-tp0-20111104-858714.html|title=菅野浪人決断ハム拒否 巨人愛貫き通す|newspaper=nikkansports.com|publisher=[[日刊スポーツ]]|accessdate=2011-11-24}}&lt;/ref&gt;。東海大の卒業延期制度を利用し大学に残り&lt;ref&gt;{{Cite news|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/285772?page=2|title=<空白の1年、再びのドラフトへ> 菅野智之 「待ち焦がれた始まりの地へ」(2/3) - Number Web : ナンバー|newspaper=Number Web|publisher=文藝春秋|date=2012-10-22|accessdate=2013-05-13}}&lt;/ref&gt;、大学の練習施設を使用して自主練習をしながら翌年以降のドラフト指名を待つことになった&lt;ref name=&quot;yomiuri20111121&quot;/&gt;。入団拒否の理由としては「日本ハムさんからいろいろなお話を聞いて光栄に思いました。しかし、それ以上に、自分が小さいころからの夢、そういうものがそれ以上に強かったということです」と述べ&lt;ref&gt;{{Cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2011/news/f-bb-tp0-20111121-866628.html|title=「ある意味自由が効く1年」菅野一問一答|newspaper=nikkansports.com|publisher=[[日刊スポーツ]]|date=2011-11-21|accessdate=2011-11-21}}&lt;/ref&gt;、決め手になったという『小さいころからの夢』については「(言葉にするのは)難しいところですが、どうですかね……。分かってください」と語った&lt;ref&gt;{{Cite news|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/111121/bsj1111211933003-n1.htm|title=【菅野トーク】自分にとって一番いい選択かと|newspaper=産経新聞|date=2011-11-21|accessdate=2011-11-21}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> これに対し日本ハムは「この程度で諦めるなら最初から指名しなかった。交渉期限のギリギリまで説得を続けたい」としたが&lt;ref&gt;中日新聞2011年11月22日号より&lt;/ref&gt;、交渉期限最終日の2012年3月31日に菅野の獲得断念を発表&lt;ref&gt;{{Cite news|url=http://www.nikkei.com/sports/news/article/g=96958A9C81818A9995E2E0E0E48DE1E3E2E1E0E2E3E0E2E2E2E2E2E2;da=96958A88889DE2E0E7E2E7EAEAE2E2EBE2E3E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2|title=日ハム、菅野の獲得断念 交渉期間の最終日に発表|newspaper=日本経済新聞|date=2012-3-31|accessdate=2012-3-31}}&lt;/ref&gt;。その後、一時は2012年のドラフトでの再指名の可能性を公言したが&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;日本の野球協約では「一度入団拒否をされた選手を再指名するには本人の同意が必要」だとされているのだが、「進学その他の事由により、その選手が再び就学した場合はそれに該当しない」との記述もあり、浪人して東海大に籍を置き続けている菅野は「再就学」に相当するので、本人の同意が無くとも再指名が可能だと日本ハム側は主張していた。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;中日新聞2012年4月1日号より&lt;/ref&gt;、後にその方針を変え、日本ハム[[ゼネラルマネージャー|GM]]の[[山田正雄 (野球)|山田正雄]]が「うちとしては(1位は)その年の一番力がある選手。1年間のブランクがあることを考えたら(菅野が)一番力のある投手じゃないと思います」との理由で指名を回避するとコメントし、実際に[[大谷翔平]]を1位指名した&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;日本ハムは2012年のドラフトで、メジャー志望を公言していた[[大谷翔平]]を1位で“強行”指名し、説得に成功、入団にこぎつけている。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/f-bb-tp0-20121016-1033409.html|title=菅野はその年の1番じゃない|newspaper=nikkansports.com|publisher=[[日刊スポーツ]]|date=2012-10-16|accessdate=2012-10-18}}&lt;/ref&gt;。同時にこの年のドラフトで意中の球団以外が交渉権を獲得した場合について、東海大監督の[[横井人輝]]が「アメリカに行くであろうと思う。野球留学も含めて、本人もいろいろ興味があるみたい」と発言し&lt;ref&gt;{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/f-bb-tp0-20121016-1033421.html|title=菅野 今年もダメならアメリカ|newspaper=nikkansports.com|publisher=[[日刊スポーツ]]|date=2012-10-16|accessdate=2012-10-18}}&lt;/ref&gt;、本人も「また去年と同じことが起こるのだとしたら……。何というんですかね……日本で野球をやりたくないかもしれませんね」と発言したことや[[横浜DeNAベイスターズ]]の調査書の受け取りを拒否したこともあり&lt;ref name=&quot;number20121025&quot;&gt;{{cite journal|和書|author=鷲田康|title=待ち焦がれた始まりの地へ|journal = Sports Graphic Number|publisher = 文藝春秋|pages=82-85|id=雑誌26854-10/25|issue=814}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{Cite web|url=http://www.daily.co.jp/baseball/2012/10/20/0005462643.shtml |title=DeNA、菅野への調査書断られていた/野球/ |newspaper=DAAILY SPORTS ONLINE|publisher=[[デイリースポーツ]]| |date=2012-10-20 |accessdate=2014-03-12}}&lt;/ref&gt;、[[横浜DeNAベイスターズ]]GMの[[高田繁]]や監督の[[中畑清]]、[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]監督の[[星野仙一]]から批判された&lt;ref&gt;{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/10/17/kiji/K20121017004345080.html|title=菅野サイドに猛反発 高田GM「脅しをかけるようなことは…」|newspaper=Sponichi Annex|publisher=[[スポーツニッポン]]|date=2012-10-17|accessdate=2012-10-18}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{cite news|url=http://www.daily.co.jp/baseball/2012/10/18/0005457731.shtml|title=仙さん、菅野サイドの“警告”に怒った|newspaper=DAAILY SPORTS ONLINE|publisher=[[デイリースポーツ]]|date=2012-10-18|accessdate=2012-10-18}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 東海大に引き続き在学しての浪人であったが、浪人中は大学野球の規定により対外試合に出場できなかったため、東海大野球部を練習拠点とし、投げ込みやチームメイト相手の紅白戦やシート打撃に登板して実戦感覚から遠ざかることを防いだ。ただし、紅白戦やシート打撃での登板は、緊張感や重圧という点では実戦とは異なるため、ブランクが懸念された&lt;ref&gt;{{Cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/10/25/kiji/K20121025004405290.html|title= 菅野智之 心配なのはブランク 相思相愛巨人で実力発揮は…|newspaper=Sponichi Annex|publisher=スポーツニッポン|date=2012-10-25|accessdate=2012-10-26}}&lt;/ref&gt;。菅野自身は、大学野球だけでなく、高校野球や日本プロ野球や[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]などを積極的に観戦をし、野球選手としてプラスになったと語っている。<br /> <br /> 2012年[[10月25日]]に開催された[[2012年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト会議]]では、当初はDeNAや楽天も指名の可能性を公言していたものの、巨人の単独1位指名となり、かねてより熱望していた巨人との交渉権を獲得した。ドラフト会議後には伯父であり巨人の監督である原辰徳が東海大を訪れ、[[野球の背番号|背番号]]「&#039;&#039;&#039;19&#039;&#039;&#039;」とネームの入った巨人のユニフォームに袖を通した&lt;ref&gt;[http://www.sanspo.com/baseball/news/20121025/gia12102522230008-n1.html 菅野、早くも巨人ユニに袖通す!背番号「19」] SANSPO.COM、2012年10月25日&lt;/ref&gt;。11月21日に仮契約を締結&lt;ref&gt;[http://mainichi.jp/select/news/20121121k0000e050197000c.html プロ野球:菅野智之投手が巨人と仮契約] - 毎日新聞 2012年11月21日&lt;/ref&gt;。23日に開催されたファン感謝デーで入団発表された&lt;ref&gt;[http://www.sanspo.com/baseball/news/20121123/gia12112314190005-n1.html 菅野、巨人デビュー!東京ドームでお披露目] - サンケイスポーツ 2012年11月23日&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 巨人時代 ===<br /> &#039;&#039;&#039;{{by|2013年}}&#039;&#039;&#039;、[[3月30日]]の対[[広島東洋カープ]]戦([[東京ドーム]])でプロ入り初登板・初先発し、7回を投げ5安打9奪三振1失点の好投。試合は12回1対1に引き分けに終わった&lt;ref&gt;[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/03/30/kiji/K20130330005510390.html 菅野 初先発は7回1失点9Kの好投「本当に楽しかった」]スポーツニッポン2013年3月30日配信&lt;/ref&gt;。同年[[4月6日]]の対[[中日ドラゴンズ]]戦(東京ドーム)で8回を6安打4失点でプロ入り初勝利を挙げた &lt;ref&gt;[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/04/06/kiji/K20130406005556910.html 菅野 プロ初勝利 8回4失点 巨人2リーグ制以降初の開幕6連勝]スポーツニッポン2013年4月6日配信&lt;/ref&gt;。オールスターゲームには監督推薦で出場&lt;ref&gt;[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/07/01/kiji/K20130701006126640.html 球宴監督推薦発表!藤浪、小川、菅野らルーキー5選手選出]スポーツニッポン2013年7月1日配信&lt;/ref&gt;、第2戦(神宮)で先発登板し2回2安打1失点&lt;ref&gt;[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/07/20/kiji/K20130720006258460.html 菅野 大谷に二塁打許し「簡単に打たれてしまった」]2013年7月20日配信&lt;/ref&gt;。ヤクルトの[[小川泰弘]]、阪神の[[藤浪晋太郎]]との新人王を争い&lt;ref&gt;[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/10/09/kiji/K20131009006779150.html 最優秀監督賞は原監督、阿部にスピードアップ賞 セ特別表彰]2013年10月9日配信&lt;/ref&gt;、この年は13勝を挙げた。広島との[[2013年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]ファイナルステージ(東京ドーム)では第2戦に先発登板し9回3安打11奪三振の内容で、セ・リーグのCSでは史上初の完投、完封勝利を挙げた&lt;ref&gt;[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/10/17/kiji/K20131017006828850.html 菅野 セCS初完封でマエケンに投げ勝った!「前回のリベンジ」]スポーツニッポン2013年10月17日配信&lt;/ref&gt;。楽天との[[2013年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では、第2戦と第6戦に先発登板し、いずれも今季シーズン公式戦から無敗の[[田中将大]]と投げ合い、第2戦では5回を投げ2失点で敗戦投手となり楽天に球団シリーズ史上初勝利を献上したが&lt;ref&gt;[http://nipponseries.npb.or.jp/2013/result/20131027.html 第2戦試合結果]日本シリーズ公式サイト&lt;/ref&gt;、第6戦では7回2失点で勝利投手となり、田中にこの年シーズン公式戦とポストシーズンを通じて唯一の黒星をつけた&lt;ref&gt;[http://nipponseries.npb.or.jp/2013/result/20131102.html#report 第6戦試合結果]日本シリーズ公式サイト&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;{{by|2014年}}&#039;&#039;&#039;、[[3月28日]]の対阪神タイガース戦(東京ドーム)で自身初の[[開幕投手]]を務め、7回を投げ、被安打8、4失点(自責点は0)ながらも打線の援護に助けられ、シーズン初勝利を挙げた。入団2年目までの投手が開幕戦で勝利を挙げたのは巨人では{{by|1960年}}の[[伊藤芳明]]以来54年振りである。さらに4月29日の対[[東京ヤクルトスワローズ]]戦(東京ドーム)に先発し、9回を投げ7安打4失点で完投勝利を挙げ、球団史上4人目となる「4月中でのリーグ全球団勝利」を達成した。ドラフト制度以降では球団史上初&lt;ref&gt;[http://www.sanspo.com/baseball/news/20140429/gia14042917200003-n1.html G菅野、地獄から天国の開幕5連勝!球団史上初の快挙達成]サンケイスポーツ2014年4月29日配信&lt;/ref&gt;。この活躍が評価され、同年3、4月の[[月間MVP (日本プロ野球)|月間MVP]]を受賞した。最終的には12勝5敗、防御率2.33で[[最優秀防御率 (日本プロ野球)|最優秀防御率]]を獲得し、チームのリーグ3連覇に貢献したが、シーズン終盤、右手中指炎症と右肘靭帯損傷の影響でポストシーズンの登板は叶わなかった。その結果、自身の不在は大きく響き、チームはCS史上初の4連敗で敗退した。それでもリーグ優勝に貢献したことが評価され、[[最優秀選手 (野球)|セ・リーグMVP]]を獲得した&lt;ref&gt;[http://www.hochi.co.jp/giants/20141126-OHT1T50290.html 『菅野、MVP&3年目最高1・1億円!Wセ界一快挙も「満足していない」』]([[スポーツ報知]]・2014年11月27日付)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;{{by|2015年}}&#039;&#039;&#039;、[[3月28日]]の対[[横浜DeNAベイスターズ]]戦(東京ドーム)で前年に続いての開幕投手を務め、7回を投げ、5奪三振、1失点でシーズン初勝利を挙げた。[[5月19日]]の対阪神戦([[阪神甲子園球場|甲子園]])で入団3年目にして初[[完封]]勝利を記録した。シーズンは最終的に10勝11敗、防御率1.91で入団から3年連続二桁勝利をマークしたが、好投しても打線の援護に恵まれなかったことや、勝ち投手の権利を持って降板後にリリーフ陣が追いつかれることが多く、プロ入り後初めて負け越しとなった。[[10月9日]]には[[2015 WBSCプレミア12|第1回WBSCプレミア12]]の最終ロースター28名に選出された&lt;ref&gt;[http://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20151009_1.html 「WBSC プレミア12」侍ジャパントップチーム最終ロースター28名発表!!] &#039;&#039;野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト&#039;&#039; (2015年10月9日) 2015年10月9日閲覧&lt;/ref&gt;。[[11月21日]]の[[野球メキシコ代表|メキシコ]]戦との3位決定戦において、2番手でリリーフ登板し、プロ入り後自身最速となる155km/hを計測した&lt;ref&gt;[http://a.excite.co.jp/News/baseball/20151121/sum_Full_count_22690.html 侍J、菅野が最速155キロでメキシコ打線斬り! 2番手で登板し力投見せる] exciteニュース 2015年11月21日&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;{{by|2016年}}&#039;&#039;&#039;、「圧倒」をテーマに掲げ、自主トレでワンシームを習得しシーズンに臨む&lt;ref&gt;https://www.nikkei.com/article/DGXMZO02051900Z00C16A5000000/&lt;/ref&gt;。[[3月25日]]の対ヤクルト戦(東京ドーム)で3年連続開幕投手を務め、7回無失点の好投で1993年から1996年にかけての[[斎藤雅樹]]以来となる3年連続開幕先発勝利投手となった。4月6日の対阪神戦(東京ドーム)では自身初となる無四球および東京ドームでの完封勝利を挙げ、同年4月13日の対ヤクルト戦([[明治神宮野球場|神宮球場]])で2試合連続完封勝利を挙げるとともに、これまで1度も勝てなかった神宮球場での初勝利を記録した。4月は4試合33イニングを自責点0、月間防御率0.00をマークし月間MVPに選出された&lt;ref&gt;http://www.hochi.co.jp/giants/20160511-OHT1T50009.html&lt;/ref&gt;。5月13日ヤクルト戦で33イニングぶりに四球を出すものの球団史上4人目となる3試合連続2桁奪三振を記録&lt;ref&gt;http://www.nikkansports.com/baseball/news/1646913.html&lt;/ref&gt;。その後もシーズンを通して防御率1点台後半をキープしていたが、最終登板を5回2失点で降板した段階で防御率が2点台に。それでも防御率と[[最多奪三振]]のタイトルを獲得。ただ、前年に引き続き味方の援護が少なく勝利数は9勝に留まり、入団後初めて2ケタ勝利に届かなかった。[[2016年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|CSファーストステージ]]の対DeNA戦は体調不良で登板回避し、チームも1勝2敗で敗退した。オフの10月18日には「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出された&lt;ref&gt;[http://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20161018_1.html 11月に東京ドームで開催する侍ジャパン強化試合に出場する選手28名が決定] &#039;&#039;野球日本代表 侍ジャパン オフィシャルサイト&#039;&#039; (2016年10月18日) 2016年10月18日閲覧&lt;/ref&gt;が、コンディション不良により出場登録を抹消された。試合に出られないと知りながらもチームに帯同し、代表への熱い忠誠心を見せた&lt;ref&gt;[http://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20161024_1.html 侍ジャパン強化試合 日本代表選手背番号および追加出場選手のお知らせ] &#039;&#039;野球日本代表 侍ジャパン オフィシャルサイト&#039;&#039; (2016年10月24日)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;{{by|2017年}}&#039;&#039;&#039;、[[2017 ワールド・ベースボール・クラシック|第4回ワールド・ベースボール・クラシック]][[2017 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|日本代表]]に選出され、監督の[[小久保裕紀]]からエースと指名された&lt;ref&gt;{{Cite web|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/02/03/kiji/20170202s00001173454000c.html|title=侍小久保監督「彼が中心」菅野に初戦キューバ戦先発伝達か|publisher=スポーツニッポン|accessdate=2017-03-23|date=2017-02-03|author=}}&lt;/ref&gt;。特に準決勝の対アメリカ戦では、小雨が降りコンディションが悪い中、4番[[ノーラン・アレナド]]を3三振に打ち取るなど6回1失点(被安打3、自責0)と好投。アメリカ代表の[[ジム・リーランド]]監督は、「彼はメジャーリーグのピッチャーに相当する」と賛辞を送った&lt;ref&gt;https://thepage.jp/detail/20170322-00000003-wordleafs&lt;/ref&gt;。WBC終了後も好調を維持し、開幕投手こそ[[マイルズ・マイコラス]]に譲ったが、4月18日の対ヤクルト戦から5月2日の対DeNA戦まで3試合連続完封勝利を達成。リーグでは{{by|1989年}}に斎藤雅樹が達成して以来、28年ぶりの記録であった&lt;ref&gt;[http://www.hochi.co.jp/giants/20170502-OHT1T50198.html 菅野がリーグ28年ぶり3試合連続完封…89年斎藤以来] スポーツ報知 2017年5月2日&lt;/ref&gt;。25試合に登板し17勝5敗、防御率1.59とキャリアハイの成績を残す。17勝以上で防御率1.60未満は、セ・リーグでは[[村山実]]以来51年ぶりとなった&lt;ref&gt;[http://www.hochi.co.jp/giants/20171012-OHT1T50064.html 【巨人】菅野、セでは村山実以来51年ぶりの「17勝以上&防御率1・60未満」] スポーツ報知 2017年10月12日&lt;/ref&gt;。タイトルも、最多勝と最優秀防御率の2冠を達成し、平成生まれ初の[[沢村栄治賞|&#039;&#039;&#039;沢村賞&#039;&#039;&#039;]]に選出された&lt;ref&gt;[http://www.hochi.co.jp/giants/20171030-OHT1T50155.html 【巨人】菅野が初の沢村賞受賞「感動しています」球団では上原以来15年ぶり] スポーツ報知 2017年10月30日&lt;/ref&gt;。巨人の投手の沢村賞受賞は2002年の[[上原浩治]]以来15年ぶりのことだった。シーズンオフのインタビューにて将来的な[[メジャーリーグベースボール|MLB]]挑戦の可能性について、「僕はまだ彼([[大谷翔平]])ほどの絶対的な力は持っていない。しっかり絶対的な実力をつけて、文句なしで行けるように。」&lt;ref&gt;{{Cite web|publisher=スポーツ報知|url=http://www.hochi.co.jp/giants/20171212-OHT1T50272.html|title=【巨人】菅野、メジャーは「実力をつけて」から…報知プロスポーツ大賞表彰式|accessdate=2017-12-13}}&lt;/ref&gt;と将来的な可能性を述べた。また、2020年の[[2020年東京オリンピック|東京オリンピック]]についても「生きているうちに1度あるかないか。絶対に出たいし、そこまで最前線でいたい」&lt;ref&gt;{{Cite web|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/12/13/kiji/20171213s00001173046000c.html|title=菅野 初めて語ったメジャーの夢「絶対的な力つけて文句なく行きたい」|accessdate=2017-12-13|publisher=スポニチアネックス}}&lt;/ref&gt;と意欲を示している。<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;{{by|2018年}}&#039;&#039;&#039;、春季キャンプでは新たにシンカーを習得&lt;ref&gt;{{Cite news|title=新球シンカー習得でさらに進化!巨人・菅野 開幕へ万全|url=https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/957835/|accessdate=2018-05-01|language=ja|work=東スポWeb - 東京スポーツ新聞社}}&lt;/ref&gt;。[[3月30日]]、阪神との開幕戦で2年ぶり4度目の開幕投手を務めたが、制球に苦しみ7回5失点で敗戦投手となった。二度目の登板だった[[4月6日]]の対東京ヤクルト戦でも6回5失点で自身初の開幕2連敗を喫する。この結果を受け、新球シンカーを封印して臨んだ4月13日の対広島戦では8回1失点の好投でシーズン初勝利を挙げる&lt;ref&gt;{{Cite news|title=【巨人】菅野「一生忘れられない1勝」屈辱受け止めシンカー封印…苦悩の2週間で復活|date=2018-04-14|url=http://www.hochi.co.jp/giants/20180414-OHT1T50018.html|accessdate=2018-05-01|language=ja-JP|work=スポーツ報知}}&lt;/ref&gt;。自身の連敗とチームの6連敗をストップさせた。5月11日の対中日戦では被安打5、自身最多タイの13奪三振で完封勝利をあげた。5月18日の対横浜DeNA戦(東京ドーム)では、[[筒香嘉智]]に本塁打を打たれ、連続イニング無失点が29回2/3でストップしたが、打撃面では[[石田健大]]からプロ入り320打席目にして初の本塁打を放った&lt;ref&gt;{{Cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/05/18/kiji/20180518s00001173226000c.html|title=巨人・菅野 プロ1号V弾&5連勝 6年目320打席目での豪快一発|newspaper=スポニチアネックス|publisher=スポーツニッポン|accessdate=2018-05-18}}&lt;/ref&gt;。8月18日の対中日戦で2安打完封勝利を挙げ、自身通算5度目の二桁勝利を達成した。<br /> <br /> == 選手としての特徴 ==<br /> [[スリークォーター]]から繰り出す、平均約147km/h&lt;ref name=&quot;1.02&quot;&gt;[http://1point02.jp/op/gnav/leaders/pl/pps_pitchType.aspx?sn=2016&amp;lg=0&amp;tm=1947001&amp;ps=1&amp;pn=-1 1.02 - Essence of Baseball | DELTA Inc.]2017年4月12日閲覧。&lt;/ref&gt;・最速157km/h(プロ入り後は155km/h&lt;ref&gt;[http://www.nikkansports.com/baseball/news/1685899.html 巨人菅野2発に泣く 150キロ連発も「悔しい」] 日刊スポーツ 2016年7月28日&lt;/ref&gt;)の[[フォーシーム・ファストボール|ストレート]]&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;[[フォーシーム]]とも表記される&lt;/ref&gt;、平均146km/hの[[シュート (球種)|シュート]]&lt;ref name=&quot;1.02&quot;/&gt;&lt;ref&gt;[http://www.brooksbaseball.net/landing.php?player=608372 BrooksBaseball.net]2017年4月12日閲覧。&lt;/ref&gt;{{refnest|group=注釈|[[速球#ツーシーム・ファストボール|ツーシーム]]、[[速球#ワンシーム・ファストボール|ワンシーム]]、[[シンキング・ファストボール|シンカー]]などとも表記される&lt;ref name=&quot;number20121025&quot;/&gt;}}、平均131km/hの空振りが取れる&lt;ref&gt;[https://www.daily.co.jp/baseball/2016/06/07/0009160074.shtml 菅野直球&スライダー空振り率大幅上昇、デイリースポーツ online]&lt;/ref&gt;[[スライダー (球種)|スライダー]]&lt;ref name=&quot;1.02&quot;/&gt;の3球種で全投球の約8割を占め、その他に平均約123km/hの[[カーブ (球種)|カーブ]]&lt;ref name=&quot;1.02&quot;/&gt;、平均約136km/hの[[カット・ファスト・ボール|カットボール]]&lt;ref name=&quot;1.02&quot;/&gt;、平均約136km/hの[[フォークボール|フォーク]]&lt;ref name=&quot;1.02&quot;/&gt;&lt;ref&gt;[http://hochi.yomiuri.co.jp/feature/baseball/20121205-021627/news/20131017-OHT1T00220.htm 菅野「お化けフォーク」で11K!プロ初完封!日本S王手!] スポーツ報知 2013年10月18日&lt;/ref&gt;&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;[[フォークボール#スプリットフィンガー・ファストボール|スプリット]]とも表記される&lt;/ref&gt;など多彩な[[球種]]を持ち球とする&lt;ref&gt;{{Cite book|和書|author=|year=2010|title=アマチュア野球 vol.30|publisher=日刊スポーツ出版社|pages=8-11頁|id=ISBN 978-4-8172-5509-9}}&lt;/ref&gt;。&lt;br/&gt;<br /> 2016年の[[ゴロ]]の割合が55.3%と高く、[[グラウンドボールピッチャー]]である&lt;ref&gt;[http://1point02.jp/op/gnav/leaders/pl/pps_battedball.aspx?sn=2016&amp;lg=0&amp;tm=1947001&amp;ps=1&amp;sl=1&amp;sr=0&amp;pn=-1 1.02 - Essence of Baseball | DELTA Inc.(2017年4月12日閲覧)]&lt;/ref&gt;。2017年WBCの準決勝・米国戦、この試合のストレートの平均回転数は2,513[[rpm (単位)|rpm]]、またカーブも平均2,859rpmを計測し、メジャーの平均値より上だった&lt;ref&gt;{{Cite web|date= 2017/03/22 |url= http://m.mlb.com/news/article/220333480/tomoyuki-sugano-has-sharp-start-against-usa/ |title= Sugano shows he can hang with MLB stars |author= Joe Trezza |publisher= MLB.com |accessdate= 2017-04-12}}&lt;/ref&gt;。[[東海大学硬式野球部|東海大]]監督の[[横井人輝]]は「指先の感覚が今まで見てきたどの投手よりも優れている」と評しており&lt;ref name=&quot;number20111110&quot;&gt;{{cite journal|和書|author=[[鷲田康]]|title=原家三代|journal = [[Sports Graphic Number]]|issue = 790|publisher = [[文藝春秋]]|pages=78-83|id=雑誌26852-11/10}}&lt;/ref&gt;、菅野自身も「覚えようと思って覚えられなかった球種はない」と述べ&lt;ref&gt;[http://number.bunshun.jp/articles/-/554976 プロの洗礼に苦しむ巨人・菅野智之。「いい投手」から「凄い投手」への道。] NumberWeb 2013年7月20日&lt;/ref&gt;、シュートは雑誌で[[涌井秀章]]の握りを見てすぐに使えるようになったという&lt;ref name=&quot;number20111110&quot;/&gt;&lt;ref&gt;{{Cite news|date=2011-10-02|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2011/news/p-bb-tp0-20111002-843739.html|title=東海大菅野リーグ新14完封|newspaper=nikkansports.com|publisher= [[日刊スポーツ]]|accessdate=2011-10-28}}&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;wb20111031&quot;&gt;{{cite journal|和書|title=ドラマを紡ぐ5人の主役|journal = [[週刊ベースボール]]|issue = 2011年10月31日号|publisher = [[ベースボール・マガジン社]]|pages=8-11|id=雑誌20445-10/31}}&lt;/ref&gt;。一方で、元巨人監督の[[原辰徳]]からは、小技に頼らず「もう少し、力投派、速球派という部分でマウンドに上がるべき」と課題を指摘されている&lt;ref&gt;[http://hochi.yomiuri.co.jp/giants/news/20130717-OHT1T00038.htm 菅野、プロ最短4回KO 原監督苦言「小技に頼るな」] スポーツ報知 2013年7月17日&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 巨人に入団した当初から制球力を高く評価されており&lt;ref&gt;[http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/2013/06/25/post_253/index.php 今や巨人のエース! 評論家7人の「菅野智之」論 1/3] Web Sportiva 2013年6月25日&lt;/ref&gt;、自らも「試合でボールがコントロールできずに困ったことはほとんどない」と豪語する&lt;ref name=&quot;number20111110&quot;/&gt;。一例として2016年シーズンを挙げると、制球力を示す[[四死球|与四死球率]](1.47)や[[K/BB]](7.27)が、いずれもセ・リーグ1位(規定投球回以上)を記録している&lt;ref&gt;『ベースボール・タイムズ』vol.29(2016年冬号)、93頁。&lt;/ref&gt;。浪人中の2012年には[[メジャーリーグ|MLB]]のテレビ中継に没頭し、[[グレッグ・マダックス]]の「27球で27個のアウトを取る」という考えが理想になったという&lt;ref name=&quot;number20121025&quot; /&gt;。また、[[ロイ・ハラデイ]]の投球を見て「ピッチングはやっぱりコントロール」と再認識したといい、浪人中はボール1個分の出し入れができる制球力を目指して練習してきたという&lt;ref name=&quot;number20121025&quot; /&gt;&lt;ref&gt;{{Cite book|和書|author=|year=2012|title=アマチュア野球 vol.33|publisher=日刊スポーツ出版社|pages=66-67頁|id=ISBN 978-4-8172-5526-6}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 俊敏な[[牽制球|牽制]]や[[投手#守備|フィールディング]]の技術も備える&lt;ref name=&quot;wb20111031&quot;/&gt;。持論は「投手は投げるだけじゃない」で、打撃にもこだわりがある&lt;ref&gt;[http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/261765/ 巨人の新エース・菅野がひそかに狙う「今季中に1発」] 東スポ 2014年4月30日&lt;/ref&gt;。2017年12月には、「本塁打を打って、1-0で完封したいですね。それはもう、僕の夢ですね」&lt;ref&gt;{{Cite web|publisher=サンケイスポーツ|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20171212/gia17121217230005-n1.html|title=【球界ここだけの話(1117)】巨人・菅野がどうしても実現したい夢「本塁打を打って1-0で完封勝ち」|accessdate=2017-12-13}}&lt;/ref&gt;と述べている。<br /> <br /> == 人物 ==<br /> 「原貢の孫、原辰徳の甥」という立場については「いやなことのほうが多かった」と言い、「そこは自分の中のモチベーションでもある。『菅野智之』として認められることを、ずっと目標にしています」と語っている&lt;ref name=&quot;number20111110&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;wb20111031&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;yk20110&quot;&gt;「菅野智之」として認められるための闘い『野球小僧』2011年10月号、白夜書房、雑誌18801-10、58-65頁。&lt;/ref&gt;。高校3年時には周囲からプロ入りも勧められていたが「原監督の甥だからプロに行けたと思われるのがイヤだったんです。大学で文句なしの実力をつけてプロに行きたい」として進学を選んだという&lt;ref name=&quot;number20111110&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;yk20110&quot;/&gt;。伯父のもとでプレーすることについては、2011年のドラフト会議後に「小さい頃には一緒にできたらいいなというくらいしか思ってなかったのが、大学にいってある程度実績を残せるようになって、それが夢ではなく現実となるように自分の中で思い描いていたのはある」と語った&lt;ref&gt;{{Cite news|date=2011-10-28|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/10/28/kiji/K20111028001908280.html|title=菅野 伯父・原監督とのプレー「思い描いていた」|newspaper=Sponichi Annex|publisher=[[スポーツニッポン]]|accessdate=2011-10-28}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> スポーツでは[[ゴルフ]]も趣味としており、大学4年時にはベストスコア100を記録した&lt;ref&gt;{{Cite book|和書|author=|year=2011|title=アマチュア野球 vol.31|publisher=日刊スポーツ出版社|pages=8-10|id=ISBN 978-4-8172-5513-6}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 詳細情報 ==<br /> === 年度別投手成績 ===<br /> {|{{投手成績|リーグ=日本プロ野球}}<br /> |-<br /> |style=&quot;text-align:center;&quot;|{{by2|2013}}<br /> |rowspan=&quot;5&quot; style=&quot;text-align:center;white-space:nowrap;&quot;|[[読売ジャイアンツ|巨人]]<br /> |27||26||1||0||0||13||6||0||0||.684||729||176.0||166||10||37||0||5||155||2||0||70||61||3.12||1.15<br /> |-<br /> |style=&quot;text-align:center;&quot;|{{by2|2014}}<br /> |23||23||&#039;&#039;&#039;3&#039;&#039;&#039;||0||1||12||5||0||0||.706||640||158.2||138||12||36||3||2||122||6||0||50||41||&#039;&#039;&#039;2.33&#039;&#039;&#039;||1.10<br /> |-<br /> |style=&quot;text-align:center;&quot;|{{by2|2015}}<br /> |25||25||6||2||0||10||11||0||0||.476||710||179.0||148||10||41||&#039;&#039;&#039;4&#039;&#039;&#039;||7||126||3||0||46||38||1.91||1.06<br /> |-<br /> |style=&quot;text-align:center;&quot;|{{by2|2016}}<br /> |26||26||&#039;&#039;&#039;5&#039;&#039;&#039;||2||&#039;&#039;&#039;3&#039;&#039;&#039;||9||6||0||0||.600||726||183.1||156||12||26||0||4||&#039;&#039;&#039;189&#039;&#039;&#039;||1||0||46||41||&#039;&#039;&#039;2.01&#039;&#039;&#039;||&#039;&#039;&#039;0.99&#039;&#039;&#039;<br /> |-<br /> |style=&quot;text-align:center;&quot;|{{by2|2017}}<br /> |25||25||&#039;&#039;&#039;6&#039;&#039;&#039;||&#039;&#039;&#039;4&#039;&#039;&#039;||&#039;&#039;&#039;3&#039;&#039;&#039;||&#039;&#039;&#039;17&#039;&#039;&#039;||5||0||0||.773||713||187.1||129||10||31||0||1||171||1||0||36||33||&#039;&#039;&#039;1.59&#039;&#039;&#039;||&#039;&#039;&#039;0.85&#039;&#039;&#039;<br /> |-<br /> !colspan=&quot;2&quot;|[[日本プロ野球|NPB]]:5年<br /> |126||125||21||8||7||61||33||0||0||.649||3518||884.1||737||54||171||7||19||763||13||0||248||214||2.18||1.02<br /> |}<br /> * 2017年度シーズン終了時<br /> * 各年度の&#039;&#039;&#039;太字&#039;&#039;&#039;はリーグ最高<br /> <br /> === WBSCプレミア12での投手成績 ===<br /> {| &lt;onlyinclude&gt;class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;text-align:right; font-size:small&quot;<br /> |-style=&quot;line-height:1.25em&quot;<br /> ![[年度|年&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;度]]!!style=&quot;width:6%&quot;|[[ワールド・ベースボール・クラシック|代&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;表]]!![[登板|登&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;板]]!![[先発投手|先&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;発]]!![[勝利投手|勝&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;利]]!![[敗戦投手|敗&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;戦]]!![[セーブ|セ&lt;br /&gt;|&lt;br /&gt;ブ]]!![[打者|打&lt;br&gt;&lt;br /&gt;者]]!![[投球回|投&lt;br /&gt;球&lt;br /&gt;回]]!![[安打|被&lt;br /&gt;安&lt;br /&gt;打]]!![[本塁打|被&lt;br /&gt;本&lt;br /&gt;塁&lt;br /&gt;打]]!![[四球|与&lt;br /&gt;四&lt;br /&gt;球]]!![[故意四球|敬&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;遠]]!![[死球|与&lt;br /&gt;死&lt;br /&gt;球]]!![[三振|奪&lt;br /&gt;三&lt;br /&gt;振]]!![[暴投|暴&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;投]]!![[ボーク|ボ&lt;br /&gt;|&lt;br /&gt;ク]]!![[失点|失&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;点]]!![[自責点|自&lt;br /&gt;責&lt;br /&gt;点]]!![[防御率|防&lt;br /&gt;御&lt;br /&gt;率]]&lt;/onlyinclude&gt;<br /> |-<br /> |style=&quot;text-align: center;&quot;|[[2015 WBSCプレミア12|2015]]<br /> |style=&quot;text-align: center;&quot;|[[野球日本代表|日本]]<br /> |2||0||1||0||0||28||7.0||6||2||2||0||1||6||0||0||3||3||3.86<br /> |}<br /> <br /> === WBCでの投手成績 ===<br /> {| &lt;onlyinclude&gt;class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;text-align:right; font-size:small&quot;<br /> |-style=&quot;line-height:1.25em&quot;<br /> ![[年度|年&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;度]]!!style=&quot;width:6%&quot;|[[ワールド・ベースボール・クラシック|代&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;表]]!![[登板|登&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;板]]!![[先発投手|先&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;発]]!![[勝利投手|勝&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;利]]!![[敗戦投手|敗&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;戦]]!![[セーブ|セ&lt;br /&gt;|&lt;br /&gt;ブ]]!![[打者|打&lt;br&gt;&lt;br /&gt;者]]!![[投球回|投&lt;br /&gt;球&lt;br /&gt;回]]!![[安打|被&lt;br /&gt;安&lt;br /&gt;打]]!![[本塁打|被&lt;br /&gt;本&lt;br /&gt;塁&lt;br /&gt;打]]!![[四球|与&lt;br /&gt;四&lt;br /&gt;球]]!![[故意四球|敬&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;遠]]!![[死球|与&lt;br /&gt;死&lt;br /&gt;球]]!![[三振|奪&lt;br /&gt;三&lt;br /&gt;振]]!![[暴投|暴&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;投]]!![[ボーク|ボ&lt;br /&gt;|&lt;br /&gt;ク]]!![[失点|失&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;点]]!![[自責点|自&lt;br /&gt;責&lt;br /&gt;点]]!![[防御率|防&lt;br /&gt;御&lt;br /&gt;率]]&lt;/onlyinclude&gt;<br /> |-<br /> |style=&quot;text-align: center;&quot;|[[2017 ワールド・ベースボール・クラシック|2017]]<br /> |style=&quot;text-align: center;&quot;|[[野球日本代表|日本]]<br /> |3||3||0||0||0||58||14.1||14||2||1||0||1||16||0||0||6||5||3.14<br /> |}<br /> <br /> === 年度別守備成績 ===<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;text-align: right; font-size: small; border-collapse:collapse; padding: 1px;&quot;<br /> !rowspan=&quot;2&quot;|年&lt;br /&gt;度!!rowspan=&quot;2&quot;|球&lt;br /&gt;団!!colspan=&quot;6&quot;|[[投手]]<br /> |-style=&quot;line-height:1.25em;&quot;<br /> !試&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;合!![[刺殺|刺&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;殺]]!![[補殺|補&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;殺]]!![[失策|失&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;策]]!![[併殺|併&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;殺]]!![[守備率|守&lt;br /&gt;備&lt;br /&gt;率]]<br /> |-<br /> |style=&quot;text-align:center;&quot;|2013<br /> |rowspan=&quot;5&quot; style=&quot;text-align:center;&quot;|巨人<br /> |27||9||36||2||2||.957<br /> |-<br /> |style=&quot;text-align:center;&quot;|2014<br /> |23||9||35||1||2||.978<br /> |-<br /> |style=&quot;text-align:center;&quot;|2015<br /> |25||11||39||1||1||.978<br /> |-<br /> |style=&quot;text-align:center;&quot;|&#039;&#039;&#039;2016&#039;&#039;&#039;<br /> |26||11||37||0||3||1.000<br /> |-<br /> |style=&quot;text-align:center;&quot;|&#039;&#039;&#039;2017&#039;&#039;&#039;&lt;ref&gt;[http://npb.jp/bis/2017/stats/idf1_g.html 読売ジャイアンツ個人守備成績]NPB.jp 日本野球機構&lt;/ref&gt;<br /> |25||11||36||2||2||.959<br /> |-<br /> !colspan=&quot;2&quot;|通算<br /> |126||51||183||6||10||.975<br /> |}<br /> * 2017年度シーズン終了時<br /> * &#039;&#039;&#039;太字年&#039;&#039;&#039;は[[ゴールデングラブ賞]]受賞年<br /> <br /> === タイトル ===<br /> * [[最優秀防御率 (日本プロ野球)|最優秀防御率]]:3回(2014年、2016年、2017年)<br /> * [[最多勝利]]:1回(2017年)<br /> * [[最多奪三振 (日本プロ野球)|最多奪三振]]:1回(2016年)<br /> <br /> === 表彰 ===<br /> * [[最優秀選手 (日本プロ野球)|最優秀選手]]:1回(2014年)<br /> * [[沢村栄治賞]]:1回 (2017年)<br /> * [[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]:2回(2014年、2017年)<br /> * [[クライマックスシリーズ]]MVP:1回([[2013年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|2013年]])<br /> * [[ゴールデングラブ賞]]:2回 (投手部門:2016年 - 2017年)<br /> * [[「ジョージア魂」賞]]選考委員特別賞:1回(2013年)<br /> * 「ジョージア魂」賞:1回(2013年度第2回)<br /> * [[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]連盟特別表彰:1回 (新人特別賞:2013年)<br /> * [[最優秀バッテリー賞]]:2回(2014年、捕手:[[阿部慎之助]]、2017年、捕手:[[小林誠司]])<br /> * [[月間MVP (日本プロ野球)|月間MVP]]:5回(投手部門:2014年3・4月、2016年3・4月、2017年5月、2017年7月、2017年9月)<br /> * [[東京ドーム#東京ドームMVP賞|東京ドームMVP賞]]:2回(2014年、2017年)<br /> * [[東京ドーム#東京ドームMVP賞|東京ドームMVP特別賞]]:1回(2013年)<br /> * [[報知プロスポーツ大賞]] (2014年)<br /> * 月間[[アットホーム]]ヒーロー賞:1回 (2016年3・4月)<br /> <br /> === 記録 ===<br /> ;投手記録<br /> * 初登板・初先発登板:2013年3月30日、対[[広島東洋カープ]]2回戦([[東京ドーム]])、7回1失点で勝敗つかず<br /> * 初奪三振:同上、1回表に[[菊池涼介]]から空振り三振<br /> * 初勝利・初先発勝利:2013年4月6日、対[[中日ドラゴンズ]]2回戦(東京ドーム)、8回4失点7奪三振<br /> * 初完投勝利:2013年6月15日、対[[福岡ソフトバンクホークス]]3回戦([[福岡ドーム|福岡 ヤフオク!ドーム]])、9回1失点11奪三振<br /> * 初完封勝利:2015年5月19日、対[[阪神タイガース]]9回戦([[阪神甲子園球場]])、9回4安打無失点3奪三振<br /> <br /> ;打撃記録<br /> * 初安打・初打点:2013年5月4日、対広島東洋カープ8回戦(東京ドーム)、2回裏に[[中崎翔太]]から右前適時打<br /> * 初本塁打:2018年5月18日、対[[横浜DeNAベイスターズ]]9回戦(東京ドーム)、5回裏に[[石田健大]]から左越ソロ<br /> <br /> ;節目の記録<br /> * 1000投球回:2018年7月28日、対[[中日ドラゴンズ]]13回戦([[東京ドーム]])、1回表に[[ダヤン・ビシエド]]を二飛(プロ野球350人目)<br /> <br /> ;その他の記録<br /> * セ・リーグクライマックスシリーズ完投・完封勝利:2013年10月17日、対広島東洋カープ戦(東京ドーム)ファイナルステージ第2戦、9回3安打11奪三振 ※セ・リーグCS史上初&lt;ref&gt;[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/10/17/kiji/K20131017006828850.html 菅野 セCS初完封でマエケンに投げ勝った!「前回のリベンジ」]スポーツニッポン2013年10月17日配信&lt;/ref&gt;<br /> * [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:6回 (2013年 - 2018年)<br /> <br /> === 背番号 ===<br /> * &#039;&#039;&#039;19&#039;&#039;&#039;(2013年 - )<br /> &#039;&#039;&#039;日本代表&#039;&#039;&#039;<br /> * &#039;&#039;&#039;11&#039;&#039;&#039;([[2015 WBSCプレミア12 日本代表|2015プレミア12]]、[[2017 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|WBC2017]])<br /> <br /> === 登場曲 ===<br /> *「Separate Ways (Worlds Apart)」[[ジャーニー (バンド)|Journey]](2013年3月 - 5月)<br /> *「Burning Love」[[シェネル|Che&#039;Nelle]](2013年7月 - 8月)<br /> *「[[HEROES (GReeeeNの曲)|HEROES]]」[[GReeeeN]](2013年5月 - 10月)<br /> *「エール」[[+Plus]](2014年)<br /> *「IT&#039;S UP TO YOU!」[[矢沢永吉]](2015年)※打席時<br /> *「Heaven Knows (Remixes) [feat. Tash &amp; [[ピットブル (ラッパー)|Pitbul]]&lt;nowiki/&gt;l]」Davis Redfield(2015年)<br /> *「A Prayer (feat. [[フロー・ライダー|Flo Rida]] &amp; Shawn Lewis)」A-Roma(2016年)<br /> *「[[NIPPON (椎名林檎の曲)|NIPPON]]」 [[椎名林檎]](2016年 - 2017年)※打席時<br /> *「[[Ambitions|We are]]」 [[ONE OK ROCK]](2017年)<br /> *「Change」[[SHE&#039;S]](2017年6月 - )<br /> *「[[Finally (安室奈美恵のアルバム)|Finally]]」[[安室奈美恵]](2018年 - )※打席時<br /> <br /> === 代表歴 ===<br /> * [[2015 WBSCプレミア12 日本代表]]<br /> * [[2017 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表]]<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> === 注釈 ===<br /> {{Reflist|group=&quot;注釈&quot;}}<br /> <br /> === 出典 ===<br /> {{Reflist|2}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[相模原市出身の人物一覧]]<br /> * [[東海大学の人物一覧]]<br /> * [[読売ジャイアンツの選手一覧]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{NPB|41745137}}<br /> * [http://www.giants.jp/G/player/prof_27227.html 菅野 智之] - 読売巨人軍公式サイト<br /> * {{Twitter|sugatomo18}}<br /> <br /> {{読売ジャイアンツ}}<br /> {{Navboxes|title=業績<br /> |list1=<br /> {{沢村栄治賞}}<br /> {{セントラル・リーグMVP}}<br /> {{セントラル・リーグ・クライマックスシリーズMVP}}<br /> {{セントラル・リーグ最優秀防御率}}<br /> {{セントラル・リーグ最多勝投手}}<br /> {{セントラル・リーグ最多奪三振}}<br /> {{セントラル・リーグ ベストナイン (投手)}}<br /> {{セントラル・リーグ ゴールデングラブ (投手)}}<br /> {{読売ジャイアンツ開幕投手|読売ジャイアンツ}}<br /> {{セントラル・リーグ 最優秀バッテリー賞}}<br /> {{報知プロスポーツ大賞受賞者-セ・リーグ}}<br /> }}<br /> {{Navboxes|title=ドラフト指名<br /> |list1=<br /> {{読売ジャイアンツ2012年ドラフト指名選手}}<br /> {{北海道日本ハムファイターズ2011年ドラフト指名選手}}<br /> }}<br /> {{Navboxes|title = {{Flagicon|JPN}} 野球日本代表|titlestyle =background:#003; color:#fff<br /> |list1=<br /> &lt;/span&gt;<br /> {{2015 WBSCプレミア12日本代表}}<br /> {{2017 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表}}<br /> }}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:すかの ともゆき}}<br /> [[Category:日本の野球選手]]<br /> [[Category:東海大相模高校出身の野球選手]]<br /> [[Category:東海大学硬式野球部の選手]]<br /> [[Category:読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手]]<br /> [[Category:沢村栄治賞]]<br /> [[Category:最優秀選手 (NPB)]]<br /> [[Category:最優秀防御率 (NPB)]]<br /> [[Category:最多勝利 (NPB)]]<br /> [[Category:最多奪三振 (NPB)]]<br /> [[Category:NPBオールスターゲーム選出選手]]<br /> [[Category:野球日本代表選手]]<br /> [[Category:WBSCプレミア12日本代表選手]]<br /> [[Category:2015 WBSCプレミア12選手]]<br /> [[Category:ワールド・ベースボール・クラシック日本代表選手]]<br /> [[Category:2017 ワールド・ベースボール・クラシック選手]]<br /> [[Category:相模原市出身の人物]]<br /> [[Category:1989年生]]<br /> [[Category:存命人物]]<br /> [[Category:原辰徳|+すかの ともゆき]]</div> 119.106.10.29 第11回日本レコード大賞 2018-07-08T10:38:28Z <p>119.106.10.29: /* その他の出演者 */</p> <hr /> <div>{{基礎情報 テレビ番組<br /> |番組名=第11回日本レコード大賞<br /> |ジャンル=[[特別番組]] / [[音楽番組]]<br /> |画像=[[ファイル:Imperial Garden Theater Japan.jpg|240px]]<br /> |画像説明=会場として使われた[[帝国劇場]]<br /> |放送期間=[[1969年]][[12月31日]]<br /> |放送時間=水曜19:00 - 20:56<br /> |放送分=116<br /> |放送回数=1<br /> |放送枠=日本レコード大賞<br /> |放送国={{JPN}}<br /> |制作局=[[TBSテレビ]]<br /> |プロデューサー=野中杉二、砂田実、高石昭年、井田舒也<br /> |出演者=[[高橋圭三]]&lt;br /&gt;[[浅丘ルリ子]]ほか<br /> |音声=[[モノラル放送]]<br /> |特記事項=初のテレビ生放送による全国放送、帝国劇場での開催、高橋圭三の初司会。<br /> }}<br /> {{基礎情報 ラジオ番組<br /> |番組名=第11回日本レコード大賞<br /> |ジャンル=[[特別番組]] / [[音楽番組]]<br /> |放送方式=[[生放送]]<br /> |放送期間=[[1969年]][[12月31日]]<br /> |放送時間=水曜19:00 - 21:00<br /> |放送回数=1回<br /> |放送国={{JPN}}<br /> |放送局=[[TBSラジオ&amp;コミュニケーションズ|TBSラジオ]]<br /> |出演=[[高橋圭三]]&lt;br /&gt;[[浅丘ルリ子]]&lt;br /&gt;ほか<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;第11回日本レコード大賞&#039;&#039;&#039;は、[[1969年]]([[昭和]]44年)[[12月31日]]に[[帝国劇場]]で行われた、11回目の『[[日本レコード大賞]]』である。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> 第11回の大賞は、[[佐良直美]]の「[[いいじゃないの幸せならば]]」に決定した。佐良直美は初の受賞。<br /> <br /> 最優秀歌唱賞が新たに設けられ、歌唱賞がその候補としての位置付けとなった。<br /> <br /> この年からテレビ生中継による全国放送が始まる。初の大晦日中継となった第11回は前半パートのみ「オールスター大行進」とされ、受賞歌手以外の芸能人も出演した。また同年以降、全て鮮明なカラー映像の完全版VTRが現存されている。<br /> <br /> 舞台進行がまだ確立しておらず、所々で時間調整をしている様子が視聴者にも見てとれる。大賞受賞後の佐良直美は1コーラスで終わるのか2コーラスで終わるのか、戸惑いを見せている。<br /> <br /> この年から[[2005年]]([[第47回日本レコード大賞|第47回]])まで[[12月31日]]開催に固定。<br /> <br /> 以降のレコ大の顔となる[[高橋圭三]]が[[1983年]]([[第25回日本レコード大賞|第25回]])まで[[司会]]を務めることに。<br /> <br /> 視聴率は前年の10.3%から20.6Pと大幅に上昇し30.9%。<br /> <br /> == 司会 ==<br /> * [[高橋圭三]]<br /> * [[浅丘ルリ子]]<br /> <br /> == レポーター ==<br /> * [[山本文郎]](TBSアナウンサー)<br /> * [[岡野隆]]([[北海道放送|HBC]]アナウンサー)<br /> <br /> == 受賞作品・受賞者一覧 ==<br /> === 日本レコード大賞 ===<br /> *「[[いいじゃないの幸せならば]]」<br /> ** 歌手:[[佐良直美]] - 第9回で新人賞を受賞しており、二冠を達成。<br /> ** 作詞:[[岩谷時子]]<br /> ** 作曲:[[いずみたく]]<br /> ** 編曲:[[いずみたく]]<br /> <br /> === 最優秀歌唱賞 ===<br /> *「[[港町ブルース]]」<br /> ** 歌手:[[森進一]]<br /> <br /> === 最優秀新人賞 ===<br /> *[[池畑慎之介☆|ピーター]](曲:「[[夜と朝のあいだに]]」)<br /> <br /> === 歌唱賞 ===<br /> *「[[池袋の夜]]」<br /> ** 歌手:[[青江三奈]] - 2年連続2度目。<br /> *「[[人形の家 (弘田三枝子の曲)|人形の家]]」<br /> ** 歌手:[[弘田三枝子]]<br /> *「[[ひとり寝の子守唄]]」<br /> ** 歌手:[[加藤登紀子]]<br /> <br /> === 大衆賞 ===<br /> *「[[三百六十五歩のマーチ]]」<br /> ** 歌手:[[水前寺清子]]<br /> *「[[禁じられた恋]]」<br /> ** 歌手:[[森山良子]]<br /> <br /> === 新人賞 ===<br /> *[[はしだのりひことシューベルツ]](曲:「[[風 (はしだのりひこの曲)|風]]」)<br /> *[[内山田洋とクール・ファイブ]](曲:「[[長崎は今日も雨だった]]」)<br /> *[[千賀かほる]](曲:「[[真夜中のギター]]」)<br /> *[[高田恭子]](曲:「[[みんな夢の中]]」)<br /> <br /> === 作曲賞 ===<br /> *「[[ブルー・ライト・ヨコハマ]]」(歌:[[いしだあゆみ]])<br /> ** 作曲:[[筒美京平]]<br /> <br /> === 編曲賞 ===<br /> *[[寺岡真三]]「悲しみは駈け足でやってくる」(歌:[[アン真理子]])<br /> ** 編曲:[[寺岡真三]] - 5年ぶり2度目。大賞を合わせると3度目。<br /> <br /> === 作詩賞 ===<br /> *「夜明けのスキャット」(歌:[[由紀さおり]])<br /> ** 作詞:[[山上路夫]]<br /> <br /> === 特別賞 ===<br /> *[[佐伯孝夫]] 東芝音楽工業(株)と制作グループ<br /> <br /> === 企画賞 ===<br /> *[[EMIミュージック・ジャパン|東芝音楽工業]](株) フォークソング・ブームの契機を作り、新音楽人口を開拓した功績。3年ぶり3度目。<br /> <br /> === 童謡賞 ===<br /> *「うまれたきょうだい11にん」(歌:[[スリー・バブルス]])<br /> <br /> == その他の出演者 ==<br /> === ゲスト ===<br /> * [[ハナ肇とクレージーキャッツ]]<br /> * [[いかりや長介]]と[[ザ・ドリフターズ]]<br /> * [[コント55号]]<br /> * [[橋幸夫]]<br /> * [[黛ジュン]](前年の大賞受賞。大賞を受賞した佐良直美へトロフィーを贈呈)<br /> * [[ピンキーとキラーズ]](前年の新人賞受賞。最優秀新人賞を受賞したピーターへトロフィーを贈呈)<br /> *[[菅原洋一]](前年の歌唱賞受賞。最優秀歌唱賞を受賞した森進一へトロフィーを贈呈)<br /> *[[三遊亭圓歌 (3代目)]]<br /> *[[林家三平 (初代)|林家三平]]<br /> * [[皆川おさむ]]<br /> * [[美空ひばり]]<br /> <br /> === 踊り ===<br /> * [[スタジオNo.1ダンサーズ]]<br /> * [[BMダンサーズ]]<br /> <br /> === コーラス ===<br /> * [[コールアカシア]]<br /> * [[若草児童合唱団]]<br /> <br /> === 演奏 ===<br /> * [[宮間利之とニューハード]]<br /> * [[小原重徳とブルーコーツ]]<br /> * [[新音楽協会]]<br /> <br /> === 指揮 ===<br /> * [[多忠修]]<br /> <br /> == 観覧に訪れた著名人 ==<br /> *[[永田秀雅]](当時[[大映]]副社長)夫妻<br /> *[[宇津井健]]・友里恵夫妻<br /> *[[勝呂誉]]・[[大空真弓]]夫妻(のちに離婚)<br /> *[[佐賀潜]]ファミリー(佐賀潜は翌年8月に他界)<br /> *[[桂文楽 (8代目)|桂文楽]]<br /> *[[金田正一]]([[読売ジャイアンツ]]投手、この年、前人未到の通算400勝を達成し、現役を引退。大賞受賞曲を作詞した[[岩谷時子]]にトロフィーを贈呈)<br /> *[[大鵬幸喜]](第48代[[横綱]]。大賞受賞曲を作曲した[[いずみたく]]にトロフィーを贈呈)・他<br /> <br /> == TV中継スタッフ ==<br /> * 総指揮:石川甫<br /> * プロデューサー:野中杉二、砂田実、高石昭年、井田舒也<br /> * 制作進行:小林一元、柳田二三雄<br /> * 舞台演出:今里照彦<br /> * 中継担当:中村寿雄<br /> * 中継技術:田中敏夫、佐々木俊幸(HBC)<br /> * カラー調整:島崎忠雄、久徳正弘、安藤鉱平<br /> * 映像:大八木健、工藤希男、多良寛則、井上剛、菊田英雄、近藤弘志、高橋大(HBC)<br /> * 音声:佐々木盛男、大木秀人、秋吉隆史、西沢正捷、佐藤貫二郎、本居隆(HBC)<br /> * 照明:坂根稔、小島久明、関口昭洋<br /> * 美術制作:村田糺男<br /> * 装置:小林雍夫<br /> * 音響:島津剛史<br /> * 化粧:TBS化粧室<br /> * [[北海道放送|HBC]]中継プロデューサー:森川雅雄<br /> * 演出(HBC):田村武男<br /> * 連絡:安田一(HBC)<br /> * 作・構成:松原雅彦、田村隆<br /> * 音楽:服部克久、長洲忠彦<br /> * 振付:浦辺日佐夫、一宮はじめ<br /> * 製作著作:[[TBSテレビ|TBS]]<br /> * 主催:社団法人 日本作曲家協会、日本レコード大賞制定委員会、日本レコード大賞実行委員会<br /> &lt;!--<br /> == 脚注 ==<br /> &lt;references /&gt;--&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> *[[1969年の音楽]]<br /> <br /> ==外部リンク==<br /> *[https://web.archive.org/web/20120213114458/http://www.jacompa.or.jp/rekishi/d1969.htm 日本作曲家協会 日本レコード大賞各賞一覧](Internet Archive Wayback Machine)<br /> <br /> {{前後番組|<br /> 放送局=[[TBSテレビ|TBS]][[Japan News Network|系列]]|<br /> 放送枠=[[大晦日]]19:00 - 20:56枠|<br /> 番組名=第11回日本レコード大賞&lt;br /&gt;(1969年)|<br /> 前番組=[[オールスター大行進]]&lt;br /&gt;(1957年 - 1968年)|<br /> 次番組=[[第12回日本レコード大賞]]&lt;br /&gt;(1970年)|<br /> }}<br /> {{日本レコード大賞}}<br /> {{DEFAULTSORT:にほんれこおとたいしよう}}<br /> [[Category:日本レコード大賞|11]]<br /> [[Category:1969年の日本の音楽]]<br /> [[Category:1969年のテレビ番組 (日本)]]<br /> [[Category:1969年のラジオ番組 (日本)]]<br /> [[Category:1969年12月]]</div> 119.106.10.29 1988年の日本シリーズ 2018-06-10T13:16:02Z <p>119.106.10.29: /* テレビ中継 */</p> <hr /> <div>{{Infobox プロ野球日本シリーズ <br /> |開催年 = 1988<br /> |画像 = <br /> |優勝チーム = [[1988年の西武ライオンズ|西武ライオンズ]]<br /> |優勝チームリーグ = [[パシフィック・リーグ|パ]]<br /> |優勝チーム勝利数 = 4<br /> |引分数 = <br /> |優勝チーム監督 = [[森祇晶]]<br /> |優勝チームシーズン成績 = 73勝51敗6分&lt;br /&gt;(シーズン1位) <br /> |対戦チーム = [[1988年の中日ドラゴンズ|中日ドラゴンズ]]<br /> |対戦チームリーグ = [[セントラル・リーグ|セ]]<br /> |対戦チーム勝利数 = 1<br /> |対戦チーム監督 = [[星野仙一]]<br /> |対戦チームシーズン成績 = 79勝46敗5分&lt;br /&gt;(シーズン1位)<br /> |試合日程 = [[1988年]][[10月22日]]-[[10月27日]]<br /> |最高殊勲選手 = [[石毛宏典]]<br /> |敢闘選手 = [[宇野勝]]<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;1988年の日本シリーズ&#039;&#039;&#039;(1988ねんのにっぽんシリーズ、1988ねんのにほんシリーズ)は、[[1988年]][[10月22日]]から[[10月27日]]まで行われた[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]優勝チームの[[中日ドラゴンズ]]と[[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]優勝チームの[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]による第39回[[日本野球機構|プロ野球]][[日本選手権シリーズ]]である。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> {{Cleanup|section=1|date=2012年10月}}<br /> [[森祇晶]]監督率いる[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]と[[星野仙一]]監督率いる[[中日ドラゴンズ]]の対決となった1988年の日本シリーズは、西武が4勝1敗で勝利し、3年連続8度目の日本一(西鉄時代を含む。西武では5度目)。<br /> <br /> この年のパ・リーグは、西武が公式戦全日程終了した後で日本シリーズ開幕3日前に行われた[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]]-[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]の最終戦[[ダブルヘッダー]](いわゆる[[10.19]])の末に優勝が決まったもので、ナゴヤ球場分の日本シリーズ前売り券には「中日 対 パシフィックリーグ優勝チーム」と書かれていた。<br /> <br /> {{Jsy|1982}}でもこの両チームが対戦して西武が勝っており、星野は、西武のシリーズ進出が決定の際に、「西武とやりたい」との趣旨を公言していた&lt;ref&gt;日本経済新聞1989年10月20日p.27&lt;/ref&gt;([[10.19]]参照)。<br /> <br /> 西武側からは、シリーズ終了後に[[清原和博]]が、上記ダブルヘッダー2試合目で引き分けて優勝を逃した近鉄を慮って「これで近鉄に顔が向けられる」と発言している&lt;ref&gt;[[仰木彬]]『燃えて勝つ』ISBN 978-4051045821 39頁-40頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ただ、森は、自著で、最後まで近鉄との優勝争いが続いたことで、選手のコンディションは最高だったと振り返っている&lt;ref name=&quot;morihado&quot;&gt;[[#hado|森『覇道』]]p.p.109~116&lt;/ref&gt;。このシリーズは、西武が「[[走者|走]][[打撃 (野球)|攻]]守」すべてで圧倒したと見られるが&lt;ref name=&quot;npb70&quot;&gt;[[#npb70|『プロ野球70年史』p.p.552 - 553]]&lt;/ref&gt;、特に<br /> # [[クリーンナップ|四番打者]]の[[打点]]などの差が大きかった。西武の四番・清原は[[ナゴヤ球場]]の場外まで飛んだもの(第1戦)など3[[本塁打]]、4打点をあげたのに対し、中日の四番・[[落合博満]]&lt;ref&gt;落合自身がシリーズ終了後に「四番打者の差で…」とコメントしている事実がある([http://number.bunshun.jp/articles/-/823130][[文藝春秋]]、2015年5月10日閲覧)&lt;/ref&gt;は本塁打・打点ともに0。[[打率]]は両者とも3割台であったが落合は、7度の[[走者]]を置いた場面では2[[四球]]の他は全て凡退。5安打はすべて無走者の場面だった&lt;ref name=&quot;npb70&quot;/&gt;。<br /> #中日は8[[併殺]]打(西武は2併殺打)&lt;!--(5試合シリーズタイ記録、うち[[宇野勝]]の4併殺打(シリーズ記録))--&gt;と攻守の緻密さの差が見られた&lt;ref name=&quot;npb70&quot;/&gt;。<br /> #[[失策]]数が、西武は第5戦の2失策のみであったのに対して、中日は4失策、特に第3戦の先発[[投手]][[山本昌]]の失策は、シリーズ全体の流れにまで響くこととなった&lt;ref name=&quot;npb70&quot;/&gt;。<br /> などがあげられる。<br /> <br /> 森は「星野監督は選手たちに相当にらみを利かせていた。勢いで公式戦を乗り切ったが、私は負ける相手ではない」&lt;ref name=&quot;日刊&quot;&gt;[http://www.asahi.com/paper/sports/baseball/1009nihon2.html Hawks vs.Dragons99日本シリーズ/旧敵将森氏、両監督を語る◆王監督/選手の輪に入った、星野監督/激情家が我慢した ] - 日刊スポーツ&lt;/ref&gt;、「今年のシリーズには限っていえば私は何もしていません。スタッフ、スコアラー,選手がいい共同作業をしてくれた。チームぐるみの勝利だと思います」と述べている&lt;ref name=&quot;日刊スポーツ 1988年10月28日7版&quot;&gt;日刊スポーツ 1988年10月28日7版&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 星野は前年まで西武に在籍し18勝と大躍進した[[小野和幸]]を第1、5戦の先発投手に起用したが第1戦は6回4失点で敗戦投手、第5戦は2回途中3失点と打ち込まれ、失敗に終わった&lt;ref&gt;[http://www.jiji.com/jc/d4?p=hos001-01221240&amp;d=d4_news 星野仙一氏 写真特集、日本シリーズで西武に敗れ、無念の表情で表彰式に臨む ] 時事通信&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 早々と優勝を決めた中日は9月下旬に西武の情報収集を始めたのに対し、西武は優勝が決まった19日から実質2日間で分析作業をスコアラー、首脳陣で行い量より質を重視しスコアラーの[[前田康介]]曰く前年の巨人の一割程度の情報しか集められなかったという&lt;ref name=&quot;日刊スポーツ 1988年10月28日7版&quot;/&gt;。<br /> <br /> [[伊東勤]]は「一度は死んだ身。中日との日本シリーズは重圧を感じることなく4勝1敗で制した。」と回想している&lt;ref&gt;[[スポーツニッポン]]2018年4月16日伊東勤の我が道、11版&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[ナゴヤ球場]]での日本シリーズ開催は、この年の第2戦をもって最後となった(中日が次に出場した{{jsy|1999}}以降の中日ホームゲームは、[[ナゴヤドーム]]で開催されている)。<br /> <br /> == 試合結果 ==<br /> {{Cleanup|section=1|date=2012年10月}}<br /> {{1988年の日本シリーズ}}<br /> === 第1戦 ===<br /> 10月22日 [[ナゴヤ球場|ナゴヤ]] 入場者28963人<br /> {| BORDER=&quot;1&quot; CELLSPACING=&quot;0&quot; CELLPADDING=&quot;1&quot;<br /> |-<br /> ! 西武<br /> | 0 || 2 || 1 || 0 || 0 || 1 || 0 || 0<br /> | 1<br /> ! 5<br /> |-<br /> ! 中日<br /> | 0 || 0 || 0 || 0 || 0 || 1 || 0 || 0<br /> | 0<br /> ! 1<br /> |}<br /> (西)○[[渡辺久信|渡辺]](1勝)、S[[東尾修|東尾]](1S)-[[伊東勤|伊東]]<br /> <br /> (中)●[[小野和幸|小野]](1敗)、[[鹿島忠|鹿島]]、[[上原晃|上原]]-[[大石友好|大石]]、[[中村武志|中村]]<br /> <br /> 勝利打点 [[清原和博|清原]]1<br /> <br /> 【本塁打】<br /> <br /> (西)清原1号ソロ(2回小野)、[[石毛宏典|石毛]]1号ソロ(6回小野)<br /> <br /> [審判]セ[[福井宏|福井]](球)パ[[前川芳男|前川]] セ[[田中俊幸|田中]] パ[[村田康一|村田]](塁)セ[[山本文男|山本]] パ[[藤本典征|藤本]](外)<br /> <br /> 先発投手は中日は[[小野和幸]]、西武は[[渡辺久信]]と両リーグ最多勝利投手の投げ合いとなった。西武の監督の森は第一戦目の先発投手に[[小松辰雄|小松]]が来たらイヤだなと思っていたと述べている&lt;ref name=&quot;日刊&quot;/&gt;。2回、[[清原和博]]がレフト場外(近くを走る[[東海道新幹線]]の防音壁に当たったと言われている)に消える特大の先制ソロ本塁打&lt;ref name=&quot;morihado&quot;/&gt;。さらに[[辻発彦]]の遊ゴロ併殺の間に追加点。6回には[[石毛宏典]]のソロ本塁打を放ち、優位に試合を進めた。中日は6回、[[ゲーリー・レーシッチ|ゲーリー]]の犠牲フライで1点を返したが、8回裏無死一、二塁とチャンスで西武は渡辺から[[東尾修]]に投手交代し、[[彦野利勝]]はシュートを強引に引っぱり、三塁ゴロ併殺打、[[立浪和義]]は見逃し三振に打ち取られ、西武が先勝した。中日は宇野が2三振、2併殺打、さらに守備でも1エラーとブレーキになった。<br /> <br /> なお、ナゴヤ球場の試合では、[[指名打者]]が使えない関係で、西武は、清原を[[三塁手]]に、石毛を[[遊撃手]]にまわし、[[一塁手]]に[[安部理]]を入れるという守備陣をとった&lt;ref name=&quot;morihado&quot;/&gt;。<br /> <br /> [http://npb.jp/bis/scores/nipponseries/boxscore1988_1.html 公式記録関係](日本野球機構ページ)<br /> <br /> === 第2戦 ===<br /> 10月23日 ナゴヤ 入場者28953人<br /> {| BORDER=&quot;1&quot; CELLSPACING=&quot;0&quot; CELLPADDING=&quot;1&quot;<br /> |-<br /> ! 西武<br /> | 0 || 0 || 0 || 0 || 3 || 0 || 0 || 0<br /> | 0<br /> ! 3<br /> |-<br /> ! 中日<br /> | 0 || 1 || 2 || 0 || 0 || 0 || 0 || 4<br /> | X<br /> ! 7<br /> |}<br /> (西)●[[郭泰源|郭泰]](1敗)、[[山根和夫|山根]]-伊東<br /> <br /> (中)[[小松辰雄|小松]]、○[[郭源治|郭源]](1勝)-中村<br /> <br /> 勝利打点 [[宇野勝|宇野]]1<br /> <br /> 【本塁打】<br /> <br /> (中)[[川又米利|川又]]1号2ラン(3回郭)<br /> <br /> [審判]パ藤本(球)セ山本 パ前川 セ田中(塁)パ[[斎田忠利|斎田]] セ[[小林毅二|小林毅]](外)<br /> <br /> 3-3の同点で迎えた8回、中日は宇野の押し出し死球、[[仁村徹]]の[[スクイズ]]、さらに[[音重鎮]]の2点タイムリーで計4点。7回から登板し3イニングをパーフェクトに抑えた[[郭源治]]が勝利投手。<br /> <br /> [http://npb.jp/bis/scores/nipponseries/boxscore1988_2.html 公式記録関係](日本野球機構ページ)<br /> === 第3戦 ===<br /> 10月25日 [[西武ドーム|西武]] 入場者32081人<br /> {| BORDER=&quot;1&quot; CELLSPACING=&quot;0&quot; CELLPADDING=&quot;1&quot;<br /> |-<br /> ! 中日<br /> | 1 || 0 || 0 || 0 || 0 || 0 || 2 || 0<br /> | 0<br /> ! 3<br /> |-<br /> ! 西武<br /> | 0 || 0 || 0 || 0 || 1 || 3 || 0 || 0<br /> | X<br /> ! 4<br /> |}<br /> (中)●[[山本昌|山本]](1敗)、鹿島-中村<br /> <br /> (西)○[[工藤公康|工藤]](1勝)-伊東<br /> <br /> 勝利打点 なし<br /> <br /> 【本塁打】<br /> <br /> (中)[[彦野利勝|彦野]]1号ソロ(1回工藤)、宇野1号2ラン(7回工藤)<br /> <br /> (西)石毛2号ソロ(5回山本)<br /> <br /> [審判]セ小林毅(球)パ斎田 セ山本 パ前川(塁)セ福井 パ村田(外)<br /> <br /> [[工藤公康]]、[[山本昌|山本昌広]]の両左腕が先発。初回、彦野が[[1978年の日本シリーズ|1978年]]第2戦の[[福本豊]]以来となる先頭打者本塁打を放ち中日が先制したが、西武は5回石毛のソロ本塁打で同点に追いつくと、6回に、山本の[[暴投]]で勝ち越し点を拾った。工藤は完投勝利。<br /> <br /> [http://npb.jp/bis/scores/nipponseries/boxscore1988_3.html 公式記録関係](日本野球機構ページ)<br /> === 第4戦 ===<br /> 10月26日 西武 入場者32261人<br /> {| BORDER=&quot;1&quot; CELLSPACING=&quot;0&quot; CELLPADDING=&quot;1&quot;<br /> |-<br /> ! 中日<br /> | 0 || 0 || 0 || 0 || 0 || 0 || 0 || 0<br /> | 0<br /> ! 0<br /> |-<br /> ! 西武<br /> | 0 || 0 || 2 || 1 || 2 || 0 || 1 || 0<br /> | X<br /> ! 6<br /> |}<br /> (中)●[[杉本正 (野球)|杉本]](1敗)、上原、[[近藤真一|近藤]]、[[川畑泰博|川畑]]-中村、[[大宮龍男|大宮]]<br /> <br /> (西)○[[森山良二|森山]](1勝)-伊東<br /> <br /> 勝利打点 [[笘篠誠治|笘篠]]1<br /> <br /> 【本塁打】<br /> <br /> (西)[[秋山幸二|秋山]]1号ソロ(4回杉本)、清原2号2ラン(5回上原)、[[辻発彦|辻]]1号ソロ(7回近藤)<br /> <br /> [審判]パ村田(球)セ福井 パ斎田 セ山本(塁)パ藤本 セ田中(外)<br /> <br /> 西武先発はこの年躍進した2年目の[[森山良二]]、中日は[[杉本正 (野球)|杉本正]]。西武は2回、[[笘篠誠治]]のタイムリー二塁打で2点を先制、4回には[[秋山幸二]]のソロ、5回清原の2ランと[[AK砲]]アベックアーチで着実に加点。7回には辻の本塁打でとどめを刺した。森山は2安打に抑え日本シリーズ初登板で完封勝利。<br /> <br /> [http://npb.jp/bis/scores/nipponseries/boxscore1988_4.html 公式記録関係](日本野球機構ページ)<br /> === 第5戦 ===<br /> 10月27日 西武 入場者32304人 延長11回サヨナラ<br /> {| BORDER=&quot;1&quot; CELLSPACING=&quot;0&quot; CELLPADDING=&quot;1&quot;<br /> |-<br /> ! 中日<br /> | 1 || 1 || 2 || 0 || 0 || 2 || 0 || 0<br /> | 0 || 0 || 0<br /> ! 6<br /> |-<br /> ! 西武<br /> | 3 || 0 || 0 || 0 || 1 || 1 || 0 || 0<br /> | 1 || 0 || 1x<br /> ! 7<br /> |}<br /> (中)小野、鹿島、小松、●郭源(1勝1敗)-大石、大宮<br /> <br /> (西)渡辺、山根、東尾、[[小田真也|小田]]、[[黒原祐二|黒原]]、○[[松沼博久|松沼博]](1勝)-伊東<br /> <br /> 勝利打点 伊東1<br /> <br /> 【本塁打】<br /> <br /> (中)宇野2号2ラン(3回渡辺)<br /> <br /> (西)清原3号ソロ(6回小松)、石毛3号ソロ(9回郭)<br /> <br /> [審判]セ田中(球)パ藤本 セ福井 パ斎田(塁)セ小林毅 パ前川(外)<br /> <br /> 第一戦同様西武渡辺、中日小野が先発した。西武の日本シリーズでのサヨナラ勝ちは{{jsy|1986}}の対[[広島東洋カープ|広島]]第5戦以来2年ぶり3度目(西鉄時代を含めると5度目)。サヨナラゲームでの日本一決定は{{jsy|1950}}の[[千葉ロッテマリーンズ|毎日]]、{{jsy|1965}}の[[読売ジャイアンツ|巨人]]に次いで3チーム目となった。<br /> <br /> [http://npb.jp/bis/scores/nipponseries/boxscore1988_5.html 公式記録関係](日本野球機構ページ)<br /> <br /> == 表彰選手 ==<br /> *最高殊勲選手賞:[[石毛宏典]](西)<br /> *敢闘賞:[[宇野勝]](中)<br /> *優秀選手賞:[[清原和博]]、[[森山良二]](以上、西)、[[郭源治]](中)<br /> <br /> == テレビ・ラジオ中継 ==<br /> === テレビ中継 ===<br /> *第1戦:10月22日<br /> :*[[東海テレビ放送|東海テレビ]]≪[[フジニュースネットワーク|FNN]]系列≫<br /> ::実況:[[吉村功]] [[野球解説者|解説]]:[[西本幸雄]]、[[谷沢健一]] ゲスト解説:[[阿波野秀幸]]([[大阪近鉄バファローズ|近鉄]])、[[権藤博]](近鉄投手コーチ)<br /> *第2戦:10月23日<br /> :*[[CBCテレビ|中部日本放送]]{{smaller|(CBC)}}≪[[Japan News Network|JNN]]系列≫<br /> ::実況:[[田口豊太郎]] 解説:[[近藤貞雄]] ゲスト解説:[[衣笠祥雄]]、[[大石大二郎|大石大二朗]](近鉄)<br /> *第3戦:10月25日<br /> :*[[TBSテレビ]]≪JNN系列≫<br /> ::実況:[[石川顕]] 解説:[[田淵幸一]] ゲスト解説:衣笠祥雄、[[仰木彬]](近鉄[[プロ野球監督|監督]]、[[10.19]]決戦で[[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]優勝を逃す)<br /> *第4戦:10月26日<br /> :*TBSテレビ≪JNN系列≫ 実況:[[林正浩]] 解説:[[小林繁]] ゲスト解説:衣笠祥雄<br /> :*[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]] 実況:[[松本一路]] 解説:[[藤田元司]]、[[山本浩二]] ゲスト解説:[[梨田昌孝]](近鉄、この年をもって[[引退]])<br /> *第5戦:10月27日<br /> :*[[テレビ朝日]]≪[[All-nippon News Network|ANN]]系列≫ 実況:[[石橋幸治]] 解説:[[野村克也]]、[[武上四郎]] ネット裏球種解説:[[浅野啓司]]<br /> ::ゲスト解説:[[牛島和彦]]([[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]])、[[松浦宏明]]([[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]、パ・リーグ最多勝)、阿波野秀幸<br /> ※なお、第6戦は東海テレビ、第7戦は中部日本放送がそれぞれ中継される予定だった。<br /> <br /> === ラジオ中継 ===<br /> *第1戦:10月22日<br /> :*[[NHKラジオ第1放送|NHKラジオ第1]] 解説:[[川上哲治]] ゲスト解説:[[山内孝徳]](南海)<br /> :*[[TBSラジオ&amp;コミュニケーションズ|TBSラジオ]]([[Japan Radio Network|JRN]]) 解説:[[近藤貞雄]]、[[杉下茂]]<br /> :*[[文化放送]]([[全国ラジオネットワーク|NRN]]) 実況:[[戸谷真人]] 解説:[[豊田泰光]]<br /> :*[[ニッポン放送]]([[全国ラジオネットワーク|NRN]]・{{smaller|[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]製作}}) 実況:[[犬飼俊久]] 解説:[[藤波行雄]] ゲスト解説:[[中山裕章]]([[横浜DeNAベイスターズ|大洋]])<br /> *第2戦:10月23日<br /> :*NHKラジオ第1 解説:[[鈴木啓示]] ゲスト解説:[[阿波野秀幸]]<br /> :*TBSラジオ(JRN) 解説:[[井上登 (野球)|井上登]]、[[田淵幸一]]<br /> :*文化放送(NRN) 解説:[[黒江透修]]<br /> :*ニッポン放送(NRN) 実況:[[胡口和雄]] 解説:[[江本孟紀]] ゲスト解説:[[関根潤三]]([[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]監督)<br /> *第3戦:10月25日<br /> :*NHKラジオ第1 解説:[[藤田元司]] ゲスト解説:[[吉田博之]](南海)<br /> :*TBSラジオ(JRN) 解説:[[張本勲]]、[[小林繁]]<br /> :*文化放送(NRN) 解説:[[山崎裕之]] ゲスト:[[森山周一郎]]<br /> :*ニッポン放送(NRN) 実況:[[深沢弘]] 解説:[[大矢明彦]] ゲスト解説:[[牛島和彦]]([[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]])<br /> :*[[アール・エフ・ラジオ日本|ラジオ日本]] 解説:[[浅野啓司]]<br /> *第4戦:10月26日<br /> :*NHKラジオ第1 解説:[[鶴岡一人]] ゲスト解説:[[広澤克実|広沢克己]](ヤクルト)<br /> :*TBSラジオ(JRN) 解説:杉下茂、田淵幸一<br /> :*文化放送(NRN) 解説:[[大田卓司]] ゲスト:[[みなみらんぼう]]<br /> :*ニッポン放送(NRN) 実況:胡口和雄 解説:[[大杉勝男]] ゲスト解説:[[星野伸之]]([[オリックス・バファローズ|阪急]])<br /> :*ラジオ日本 解説:[[中村稔 (投手)|中村稔]]<br /> *第5戦:10月27日<br /> :*NHKラジオ第1 解説:川上哲治 ゲスト解説:[[達川光男]]([[広島東洋カープ|広島]])<br /> :*TBSラジオ(JRN) 解説:[[近藤昭仁]]、小林繁<br /> :*文化放送(NRN) 解説:豊田泰光 ゲスト:[[島田洋七]]<br /> :*ニッポン放送(NRN) 実況:[[小野浩慈]] 解説:[[土橋正幸]] ゲスト解説:[[池山隆寛]](ヤクルト) [[西崎幸広]](日本ハム)<br /> :*ラジオ日本 解説:浅野啓司<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> * {{Cite book|和書<br /> |author = ベースボール・マガジン社<br /> |year = 2004<br /> |title = プロ野球70年史<br /> |publisher = ベースボール・マガジン社<br /> |isbn = 978-4583038087<br /> |ref = npb70<br /> }}<br /> * {{Cite book|和書<br /> |author = [[森祇晶]]<br /> |date = 1996年2月<br /> |title = 覇道―心に刃をのせて<br /> |publisher = [[ベースボール・マガジン社]]<br /> |isbn = 4-583-03277-3<br /> |ref = hado<br /> }}283ページ<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> *[http://bis.npb.or.jp/scores/nipponseries/linescore1988.html NPB公式記録]<br /> <br /> {{日本シリーズ}}<br /> {{1988年の日本プロ野球各チーム}}<br /> {{DEFAULTSORT:につほんしりいす1988}}<br /> [[Category:各年のプロ野球日本シリーズ|1988]]<br /> [[Category:1988年の日本プロ野球]]<br /> [[Category:埼玉西武ライオンズの歴史]]<br /> [[Category:中日ドラゴンズの歴史]]<br /> [[Category:西武ドームおよび西武ライオンズ球場で行われた野球試合]]<br /> [[Category:ナゴヤ球場および中日スタヂアムで行われた野球試合]]<br /> [[Category:1988年10月]]<br /> [[Category:星野仙一]]<br /> [[Category:清原和博]]<br /> [[Category:落合博満]]</div> 119.106.10.29 水野成夫 2018-03-28T08:10:57Z <p>119.106.10.29: /* 外部リンク */</p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2013年2月|ソートキー=人1972年没}}<br /> [[File:Mizuno Shigeo.JPG|thumb|200px|1948年]]<br /> &#039;&#039;&#039;水野 成夫&#039;&#039;&#039;(みずの しげお、[[1899年]][[11月13日]] - [[1972年]][[5月4日]])は、[[日本]]の[[実業家]]。[[フジテレビジョン]](現[[フジ・メディア・ホールディングス]])初代[[社長]]。元[[日経連]]常任理事・[[経済団体連合会]]理事・[[経済同友会]]幹事。元[[日本共産党]]員で赤旗([[しんぶん赤旗]])初代編集長&lt;ref&gt;『水野成夫の時代-社会運動の闘士がフジサンケイグループを創るまで-』境政郎、産経新聞出版、2012年5月25日&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==来歴・人物==<br /> 水野彦治郎の三男として[[静岡県]][[小笠郡]][[佐倉村 (静岡県)|佐倉村]](現・[[御前崎市]])に生まれる。旧制静岡中学(現・[[静岡県立静岡高等学校]])から、旧制[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]を経て、[[1924年]]に[[東京大学|東京帝国大学]][[法学部]]を卒業。学生時代は、[[文学]]に親しみ、[[夏目漱石]]、[[島崎藤村]]、[[森鴎外]]の作品に親しむ一方で、中学、高校時代[[柔道]]部に所属し、一高では猛者として鳴らした。東大時代には[[新人会]]に入り[[共産主義]]運動に身を投じる。<br /> <br /> [[1925年]]に[[日本共産党]]に入党した。共産党時代に所属していた[[産業労働調査所]]を赤字経営であったのを黒字に転換させるなど、後年の経営者の片鱗を見せている。[[1927年]]日本共産党代表として、[[コミンテルン]]極東政治局に派遣され、[[中国]]で[[武漢国民政府]]の樹立に参画する。[[1928年]]に帰国して赤旗(現:[[しんぶん赤旗]])初代編集長として2月1日から発行を開始していたが、[[三・一五事件]]で検挙され、獄中で[[転向]]を表明する&lt;ref&gt;『水野成夫の時代-社会運動の闘士がフジサンケイグループを創るまで-』境政郎、産経新聞出版、2012年5月25日&lt;/ref&gt;。これが獄中での転向声明第一号で、転向理論の原型を作ったと言われ、その後の獄中での大量転向のきっかけを作ることになる。出所後、[[1929年]]に[[コミンテルン]]からの離脱を宣言し[[天皇制]]の下での共産主義運動を標榜する[[日本共産党労働者派]](いわゆる「解党派」)を[[浅野晃]]らとともに結成し日本共産党批判に回るが、ほどなくして労働者派の組織・運動は消滅し、水野は大いなる挫折を余儀なくされる。以後、政治活動から離れ、[[翻訳]]業に就く。<br /> <br /> 翻訳家・[[フランス]]文学者としても大いにその才能を発揮し、特に日本における[[アナトール・フランス]]の紹介に大いに功績があった。水野翻訳によるフランスの著『神々は渇く』は名訳として名高くベストセラーとなった。その他、『舞姫タイス』、『現代史』などフランスの著作約20作品、[[アンドレ・モーロア]]著『英国史』なども翻訳している。翻訳に当たってはフランス文学者の[[辰野隆]]の紹介で辰野の弟子に当たる[[渡辺一夫]]と出会い、翻訳上、不明な点がある時は、渡辺の教えを請い正確を期した。また、この時期、[[尾崎士郎]]、[[尾崎一雄]]、[[今日出海]]、[[林房雄]]などとの交友を持つに至った。<br /> <br /> [[1938年]][[憲兵 (日本軍)|憲兵隊]]に逮捕されるが、翌年保釈される。<br /> <br /> 1938年、同じく[[転向]]者で、その後も水野の片腕として行動を共にする[[南喜一]]が[[米糠]]を[[媒体]]に使い、[[新聞紙]]から[[インキ]]を抜いて[[再生紙]]を作るというアイデアを[[陸軍]]に持ち込む&lt;ref name=&quot;人間・水野成夫&quot;&gt;松浦行真『人間・水野成夫』[[扶桑社|サンケイ新聞社出版局]] 1973年、巻頭アルバム集6頁、300-328、384、385、水野成夫を偲ぶ1-19頁&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;いま明かす戦後秘史上&quot;&gt;[[桜田武]]・[[鹿内信隆]]共著 『いま明かす戦後秘史』(上巻)、[[サンケイ出版]]、1986年、71-76頁&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[大宅壮一]]『大宅壮一全集 第13巻』蒼洋社、1981年、123-126頁&lt;br /&gt;[http://www.iwakuro.com/blog/ blog]&lt;br /&gt;[http://iwakuro.com/blog/index.php?blogid=1&amp;archive=2007-02 blog » Archive]&lt;/ref&gt;。陸軍軍事課長・[[岩畔豪雄]]は、[[国策会社]]で[[パルプ]]自給をはかるという計画を持っていたため、同年[[日清紡ホールディングス|日清紡績]]社長・[[宮島清次郎]]を社長に迎えて[[国策パルプ]]を設立させた後、若い南と水野を見込み、元[[日本共産党|共産党員]]では、という周囲の反対をはねつけ、[[1940年]]、二人に国策パルプ工業の全額出資で別会社・[[大日本再生製紙]]を作らせた&lt;ref name=&quot;人間・水野成夫&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;いま明かす戦後秘史上&quot;/&gt;&lt;ref&gt;鹿内信隆『泥まみれの自画像』(上巻)、[[扶桑社]]、1988年、85-89頁&lt;/ref&gt;。南と水野を最初に見出したのは岩畔である。また、岩畔と親しかった[[椎名悦三郎]]の商工省からも援助を得た。大日本再生製紙の実務は、この二人と[[篠田弘作]]を加えた三名で主に行う。[[鹿内信隆]]はこの時の陸軍の担当事務官(需品本廠監督官)&lt;ref name=&quot;人間・水野成夫&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;いま明かす戦後秘史上&quot;/&gt;&lt;ref&gt;鹿内信隆『泥まみれの自画像』(上巻)、[[扶桑社]]、1988年、85-89頁&lt;/ref&gt;。[[太平洋戦争]]開戦後に岩畔が[[特務機関#対英インド独立工作における特務機関|インド独立工作]]に関わるため、水野は岩畔に招かれ同工作に関与した&lt;ref name=&quot;人間・水野成夫&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;いま明かす戦後秘史上&quot;/&gt;&lt;ref&gt;[[岩井忠熊]]『陸軍・秘密情報機関の男』[[新日本出版社]]、2005年、134-138頁&lt;/ref&gt;。また大日本再生 製紙設立時に宮島清次郎と師弟関係になったことで、戦後に政財界に強い影響力を持つことになる&lt;ref&gt;松浦行真『人間・水野成夫』333-334頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 大日本再生製紙は[[1945年]]に国策パルプと合併し、同社常務取締役に就任する。[[1946年]]、現在も続く出版社[[酣燈社]]を文芸・学術専門の出版社として創業するが、数年で手を引き、酣燈社は後に航空関係専門の出版社となった。<br /> <br /> 同1946年、[[経済同友会]]幹事となる。終戦後の労働攻勢の中で[[左翼]]運動に身をおいた経歴を持つ水野は、労働対策を担当し、[[財界]]首脳の信頼を得た。本業の国策パルプにおいても[[1948年]]に専務取締役、[[1949年]]副社長、[[1951年]]11月に社長就任。[[1960年]]会長に就任。<br /> <br /> [[1956年]]、民間会社組織に改組された[[文化放送]]の社長に就任した。これを契機に[[報道機関|マスコミ]]各社の社長に就任する。「財界のマスコミ対策のチャンピオン」とまで評される。<br /> <br /> [[1957年]]に経団連理事に就任。[[ニッポン放送]]の[[鹿内信隆]]と共にフジテレビジョンを設立し、同社初代社長に就任。<br /> <br /> [[1958年]]には[[前田久吉]]から[[産業経済新聞社]]([[産経新聞]])を買収して社長に就任すると同時に、産経新聞社は登記上の本店を[[大阪市|大阪]]から[[東京]]に移転させた。産経新聞の買収で、在京の新聞・ラジオ・テレビを握った為&#039;&#039;&#039;「マスコミ三冠王」&#039;&#039;&#039;と呼ばれるとともに、のちの[[フジサンケイグループ]]の土台を築いた&lt;ref&gt;水野以降のフジサンケイグループは鹿内家による準[[同族経営]]が長く続いた&lt;/ref&gt;。水野のマスコミへの進出は、財界のマスコミ対策とも言われ、ジャーナリズムからは「財界の送ったエース」と書き立てられた。[[新聞]]社の経営に普通の会社の経営方針を持ち込んだものと言われ、通常の編集、販売、[[広告]]の順番を逆にしてまず広告主を見つけることを最優先課題とした。また、[[労働組合]]を味方に取り込むために、産経新聞労組と「平和維持協定」を締結し(この結果、組合は[[日本新聞労働組合連合]]より脱退)、役員、職制、職場代表による再建推進協議会設置など労使一体による体制を構築した。このような水野のやり方は合理化に伴う配転・解雇などを生み「&#039;&#039;&#039;産経残酷物語&#039;&#039;&#039;」「&#039;&#039;&#039;水野天皇制&#039;&#039;&#039;」と言われた。しかし、産経新聞そのものは、水野社長就任1年で黒字に転換し、フジサンケイグループの強固な基盤が確立されたとされる。<br /> <br /> [[1965年]]、産経新聞社会長に就任。<br /> <br /> [[池田勇人]][[内閣]]時代に「[[財界四天王]]」の一人と称されるようになる。政商のイメージが強い水野であったが、[[政治]]に関してはかつて共産党に身を置き挫折したことから、「政治は、ワンストライクアウト。共産党でアウトになった。もう絶対やらん」と語っていた。自由奔放な性格で、共産党員、翻訳家、財界人と三段跳びの人生から人物評が定まりにくい人物であった。<br /> <br /> 文化的活動も支援し、1956年、文化放送の傍系事業として[[日本フィルハーモニー交響楽団]]を結成。また、[[1963年]]の[[日本近代文学館]]の創設にも尽力した&lt;ref&gt;[[小田光雄]]『古本探求2』(論創社)より&lt;/ref&gt;。[[1968年]]には[[ 財団法人]][[サンケイスカラシップ]]初代[[理事長]]に就任。<br /> <br /> また、将棋棋士・[[升田幸三]]の熱心なファンで、産経新聞社社長時代の[[1962年]]には、当時はすべて一局に二日から三日かけていた将棋のタイトル戦にあって、初の「一日指し切り制」となるタイトル戦『[[棋聖戦 (将棋)|棋聖戦]]』を創設した。棋聖位を7期獲得し、永世棋聖の称号を持つ[[米長邦雄]]によると、水野が棋聖戦を一日指し切り制にしたのは、体力面に問題があり、二日制のタイトル戦で思うような成績を残せなくなっていた升田に、何としてもタイトルを取らせたかったからだという&lt;ref&gt;米長邦雄『将棋の天才たち』172ページ、『週刊現代』2011年8月20・27日号初出&lt;/ref&gt;。だが、升田は棋聖戦の挑戦者には二度なったものの、結局棋聖位獲得はならなかった。<br /> <br /> その一方で[[野球]]をこよなく愛し、[[1953年]]に[[日本生産性本部]]第二回欧米使節団に参加中、風邪と称して[[ナショナル・リーグ]]の観戦に出かけたり、1965年に[[日本国有鉄道]]とその関連会社から国鉄スワローズを買収して、フジテレビが放送していた日本初の国産[[テレビアニメ]][[鉄腕アトム (アニメ第1作)|鉄腕アトム]]にあやかってサンケイアトムズ(現・[[東京ヤクルトスワローズ]])と名づけ、経営を手がけたりした。しかし、球団買収の年から[[読売ジャイアンツ]]のV9が始まり、サンケイアトムズは長くBクラスに甘んじることになった。<br /> <br /> 生前の水野は『男と生まれたからにゃやってみたいものが三つある。それは[[聯合艦隊司令長官]]、[[オーケストラ]]の[[指揮者]]、そして[[プロ野球]]の[[プロ野球監督|監督]]だ』と語ったことでもまた有名である。<br /> <br /> [[1968年]]、病気で倒れサンケイアトムズの経営権を[[南喜一]]が代表の[[ヤクルト本社|ヤクルト]]に売却。ヤクルトグループが同球団の経営権を握ることになった&lt;ref&gt;サンケイアトムズはその後アトムズ(形式上はフジサンケイとヤクルト本社の共同経営)→ヤクルトアトムズ([[1970年]])を経て[[1974年]]にヤクルトスワローズに改称した&lt;/ref&gt;。[[1970年]][[瑞宝章|勲一等瑞宝章]]を受章。<br /> <br /> 1972年5月4日死去、[[享年]]72。<br /> <br /> [[辻井喬]]の小説『風の生涯』(新潮文庫・上巻 ISBN 4101025274、下巻 ISBN 4101025282)の主人公のモデルとなっている。<br /> <br /> ==家族==<br /> [[西武百貨店]]社長、[[参議院議員]]、[[新党さきがけ]][[政務調査会]]長を務め、現在[[インスティテュート・オブ・マーケティング・アーキテクチュア]]社長の[[水野誠一]]は長男。<br /> <br /> 鈴木幸夫は、「水野の[[閨閥]]は、兄[[水野彦治郎|彦治郎]]が元[[代議士]]で[[静岡県]]農業界の大物、[[いとこ]]の[[田畑政治]]がオリンピック組織委員という程度で特記するほどのものはない。ただ、長女のクララが元同友会代表幹事の[[二宮善基]](もと興銀副頭取)の弟正義の[[夫人]]であることを付記しよう。」という&lt;ref&gt;鈴木『閨閥(けいばつ)―結婚で固められる日本の支配者集団―』 114-115頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 翻訳 ==<br /> *ペンギンの島 [[アナトール・フランス]] 春陽堂 1924<br /> *[[プロスペル・メリメ]]全集 第2巻 シャルル十一世の幻想、堅塁抜く、タマンゴ 河出書房 1938<br /> *教育論 [[エミール=オーギュスト・シャルティエ|アラン]] [[浅野晃]]共訳 創元社 1938 のち矢島剛一共訳<br /> *舞姫タイス アナトオル・フランス 白水社 1938 のちUブックス  <br /> *英国史 [[アンドレ・モーロア]] 浅野晃,和田顕太郎共訳 白水社 1939 のち[[小林正 (仏文学者)|小林正]]共訳、新潮文庫 <br /> *作家の情熱 ジェローム・タロウ,ジャン・タロウ 仏蘭西文学賞叢書 実業之日本社 1940<br /> *神々は渇く アナトオル・フランス 酣灯社 1946<br /> *われらの心 モーパッサン [[中平解]]共訳 酣灯社 1948 <br /> *アナトオル・フランス長篇小説全集 第3巻 現代史 第1 散歩道の楡の樹 白水社 1951<br /> <br /> ==脚注==<br /> {{reflist}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> *鈴木幸夫 『閨閥&lt;small&gt;(けいばつ)&lt;/small&gt; &lt;small&gt;結婚で固められる日本の支配者集団&lt;/small&gt;』 光文社 昭和40年(1965年) 114-115頁<br /> *人間・水野成夫 [[松浦行真]] サンケイ新聞社出版局 1973<br /> *境政朗「水野成夫の時代 社会運動の闘士がフジサンケイグループを創るまで」日本工業新聞社 2012<br /> <br /> ==関連項目==<br /> *[[静岡県出身の人物一覧]]<br /> *[[麻生太郎]]<br /> *[[石原慎太郎]]<br /> *[[森喜朗]]<br /> *[[福本邦雄]]<br /> *[[渡邉恒雄]]([[読売新聞グループ本社]]会長で、共産党から転向→政界と太いパイプを持つ→メディア支配→プロ野球オーナーというところが水野と類似している)<br /> *[[世界和平連合会|門屋博]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://kotobank.jp/word/%E6%B0%B4%E9%87%8E%E6%88%90%E5%A4%AB 水野成夫 とは - コトバンク]<br /> <br /> {{フジテレビ歴代社長}}<br /> {{フジサンケイグループ}}<br /> {{ヤクルト}}<br /> {{東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団歴代オーナー|サンケイスワローズ、サンケイアトムズ}}<br /> {{Normdaten}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:みすの しけお}}<br /> [[Category:日本の翻訳家]]<br /> [[Category:日本の実業家]]<br /> [[Category:日本の放送関係者]]<br /> [[Category:産経新聞の人物]]<br /> [[Category:文化放送の人物]]<br /> [[Category:日本製紙グループの人物]]<br /> [[Category:ヤクルトグループの人物]]<br /> [[Category:東京ヤクルトスワローズ関連人物]]<br /> [[Category:フジテレビの人物]]<br /> [[Category:静岡県立静岡高等学校出身の人物]]<br /> [[Category:東京大学出身の人物]]<br /> [[Category:静岡県出身の人物]]<br /> [[Category:後期新人会の人物]]<br /> [[Category:戦前の日本共産党の人物]]<br /> [[Category:1899年生]]<br /> [[Category:1972年没]]</div> 119.106.10.29 延長戦 2018-01-31T12:14:57Z <p>119.106.10.29: /* 野球 */</p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;延長戦&#039;&#039;&#039;(えんちょうせん)とは、スポーツやゲームなどで、規定の時間や攻撃回数を終えるまで競技を行っても決着がつかない場合に、勝負の決着を付けるために競技を継続すること。<br /> <br /> == 競技別の延長戦の形式 ==<br /> === サッカー ===<br /> [[サッカー]]の場合、通常前後半15分ずつの計30分で行われる。<br /> [[1995年]]までは前後半を必ず最後まで行う方式(フルタイム方式)が主流だった。[[1993年]]に[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]にゴールデンゴール(当初の名称は「[[サドンデス]]」。後「Vゴール」へ改称)方式が導入され、その後国際大会でもこちらが主流になっていくが、1点入っただけで勝敗が決まることなどが問題になり、[[2002年]]の[[FIFAワールドカップ]]終了後は、ゴールデンゴールに代わりシルバーゴール方式をいくつかの国際大会で導入した。しかし、延長戦を前半だけで終了するのも不公平とのことで、[[2004年]]にフルタイム方式に戻った。<br /> <br /> 延長戦を行わない場合や延長戦でも決着がつかなかった場合はPK戦を行う場合がある。<br /> <br /> [[ホーム・アンド・アウェー]]の[[トーナメント方式]]による[[カップ戦]]などでは、第2戦の勝敗が通常の前後半で決まったときでも、第1戦との合計スコアがアウェーゴール数も含めて互角の場合は延長戦によりトーナメントの勝者を決定することがある。<br /> <br /> [[1950年]]の[[コパ・デル・レイ|スペイン杯]]準決勝の[[アスレティック・ビルバオ]] vs [[バレンシアCF]]では、30分間の延長戦後、時間無制限サドンデス方式の再延長を行った。再延長に入って3分、ビルバオの[[アグスティン・ガインサ]]がゴールを決め決着となった。<br /> <br /> === 野球 ===<br /> [[野球]]の場合、1[[イニング]]単位で延長し、イニング終了時に点差が付いていれば(後攻チームの場合は、先攻チームのそのイニングでの得点を上回った時点で→[[サヨナラゲーム]])決着となる。何回まで延長を行うかや、延長に入った場合の特別ルールの採用などは、リーグや大会によって規定が異なる。<br /> <br /> ;延長戦・引き分けに関する規定の例<br /> * [[メジャーリーグベースボール]]では原則回数・時間無制限。しかし試合があまりにも長引いた場合や降雨等で試合続行不能になった場合は[[サスペンデッドゲーム]]になることがある。<br /> ** ただし2000年までは[[アメリカンリーグ]]だけ消灯ルール(現地午前1時(アメリカには4つの[[標準時]]帯がある)の時点で試合が続くと、次のイニングスに入らず、その攻撃が行われているイニングスの終了までは試合を続け、それでも同点の場合は原則翌日へのサスペンデッドゲーム)を実施していた。<br /> * 日本の[[日本プロ野球|プロ野球]]では[[2001年]]から2010年までと[[2013年]]からは延長戦は12回まで時間無制限で開催される(ただし年度によって回数、時間制限のばらつきがある。[[セントラル・リーグ#回数・時間制限|セ]]・[[パシフィック・リーグ#時間・回数制限|パ]]両リーグの記事掲載の「回数・時間制限」の項を参照)。[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]は第1戦から第7戦は12回まで時間無制限(2018年から)、引き分けによりそれ以降(第8戦以降)の試合は決着がつくまで行う。[[2007年]]から導入された[[クライマックスシリーズ]]ではセ・パ両リーグとも延長戦は12回まで時間無制限で統一され、[[引き分け]]による再試合は無い。なお、サスペンデッドゲームはパ・リーグのみが独自のルールで適用していたが1987年を最後に適用例はなく、さらに1994年に照明設備のない球場や照明設備の故障でのサスペンデッドゲームを行わないことになって事実上有名無実化し、[[2012年]]に日本プロ野球では採用しないこととなった。<br /> ** なお[[1972年]] - [[1987年]]、および[[2011年]]と2012年にはナイター時の節電対策(前者は[[オイルショック]]、後者は[[東日本大震災]]に起因する)として通常の延長規定イニングにプラスして試合開始時刻を基点として一定時間を経過した場合は次の延長イニングに入らない「時間制限」(9回を終えていない場合は、[[コールドゲーム]]は認められていないため雨天中止や日没でない限り9回までは行う)が制定された。1972年~1973年の両リーグと1982年~1987年のセ・リーグは「3時間20分」&lt;ref&gt;1972・73年は19時以後開始である場合は試合の経過時間にかかわらず22:20を過ぎて次のイニングに入らない&lt;/ref&gt;、1974年~1981年の両リーグ(パ・リーグのみ1987年まで継続)は「3時間」&lt;ref&gt;19時以後開始である場合は試合の経過時間にかかわらず22:00を過ぎて次のイニングに入らない&lt;/ref&gt;、パ・リーグのみの1988年と1989年は「4時間」&lt;ref name=&quot;時間制限と延長回数の併用&quot;&gt;最大延長12回との併用&lt;/ref&gt;2011年と2012年は両リーグとも「3時間30分」&lt;ref name=&quot;時間制限と延長回数の併用&quot;/&gt;である。特に3時間ルールが適用された1974年以降は試合の長時間化の傾向もあって両リーグとも引き分けの数が急増した。<br /> * [[日本野球連盟|社会人野球]]はトーナメント制が多いため、ほとんどが回数無制限で行われるが、大会によっては時間制限で引き分け再試合、ないしはサスペンデッドゲームや[[タイブレーク]]が採用されることもある。<br /> * [[日本高等学校野球連盟|高校野球]]では、延長戦は現在15回までと定められている。春夏甲子園大会や夏の都道府県大会では引き分け再試合となる。「選手の体力は2試合分が限度」という理由により、1958年から延長戦は18回までと定められた。その後2000年から延長は15回に短縮された。2018年春季の[[第90回記念選抜高等学校野球大会]]及び夏季の[[第100回全国高等学校野球選手権記念大会]](地方大会も含む)から延長戦におけるタイブレーク方式を導入、延長13回から試合が決着するまで行われる。同時に準決勝までは延長引き分け再試合が廃止となる。また両大会共に決勝戦ではタイブレーク方式を採用せず延長15回で引き分けた場合は再試合とするが、再試合では準決勝までと同じ形でタイブレーク方式を採用する。<br /> ** なお、軟式の高校野球においては予選や本選の決勝戦以外では、15回で決着が着かなければサスペンデッドゲームとしてそこで打ち切り、翌日16回から続きを行い、なお同点が続く場合は30回打ち切り、翌日31回より再開、これを繰り返す。予選決勝と本選決勝は15回で決着がつかなければ引き分け再試合にする。<br /> * [[オリンピック野球競技|オリンピック]]では予選リーグ、決勝ラウンドを含めて延長は時間・回数とも無制限に行われる。しかし、[[北京オリンピックにおける野球競技|北京オリンピック]]ではタイブレークを使用し&lt;ref&gt;ロンドン五輪から外されるためそれを防ごうという狙いもある。&lt;/ref&gt;、延長11回以降は、無死一二塁で任意の打順から攻撃を始めるようにした。<br /> * [[ワールド・ベースボール・クラシック]]では、2006年大会は予選リーグ(1・2次)については延長14回まで(時間制限なし)行われ、決勝トーナメント戦は延長の回数制限も無くなる。2009年大会以降は13回以降のタイブレーク付き無制限延長を採用。<br /> * 高校以外の[[軟式野球]]では、全国大会においては回数・時間とも無制限。決着が着くまで行われる。なお1つの球場で数試合予定されている場合はイニングに制限がつく。最終試合以前の試合が延長戦になり、何回か行ったが決着がつかない場合は、そのイニングで一旦打ちきり、他球場で継続して行うか、最終試合終了後同一球場で継続して行われていたが、[[2012年]]より、天皇杯、国体を除く全国大会において延長戦は最大12回まで。すべての全国大会において試合開始から3時間半を経過した場合、新しいイニングに入らない。&lt;br&gt;新規定適用でも同点の場合、次のイニングから無死満塁・継続打順による特別延長戦(タイブレーク)で決着をつける。<br /> **タイブレーク導入前には[[1983年]]の[[天皇賜杯全日本軟式野球大会]]において、[[ライト工業]]対[[田中病院]]の試合において延長45回(ライト2-1田中)という試合があった。<br /> <br /> ;その他<br /> * 引き分けの場合、[[完全試合]]を含む[[ノーヒットノーラン]]の記録は、公式な達成記録とは見なされず参考記録として扱われる。<br /> * &#039;&#039;&#039;補回試合&#039;&#039;&#039;(ほかいじあい)は、投手が9イニング3分の0以上投げた時に記録される投手成績(先発投手でなくリリーフ投手でもよい)。日本プロ野球においての通算記録の1位は、[[金田正一]]の56試合。2位が[[若林忠志]]の42試合。シーズン最多記録は、1942年の[[林安夫]]の10試合である。<br /> <br /> ;野球の延長記録<br /> * [[メジャーリーグベースボール]]<br /> ** {{by|1920年}}5月1日の[[ロサンゼルス・ドジャース|ブルックリン・ドジャース]]対[[アトランタ・ブレーブス]]の延長26回。試合時間は3時間50分。<br /> * [[日本プロ野球]]<br /> ** {{by|1942年}}5月24日の[[西鉄軍|大洋軍]]対[[中日ドラゴンズ|名古屋軍]]の延長28回。試合時間は3時間47分。<br /> *** 日本シリーズでは[[2010年の日本シリーズ|2010年]]第6戦、[[千葉ロッテマリーンズ]]対[[中日ドラゴンズ]]の15回、試合時間は5時間43分。<br /> *** 最長試合時間の記録は、[[1992年]][[9月11日]]の[[阪神タイガース]]対[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]の6時間26分(試合終了は翌日午前0時26分)、延長15回3対3の引き分け。この試合は抗議による37分の中断が含まれるため、中断時間を含まない例では[[1996年]][[9月8日]]の[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]対ヤクルトの6時間19分で延長14回、試合は6対5でヤクルトが勝利した。<br /> *** 延長戦が12回までに制限されてからは、[[2013年]][[9月4日]]に[[東京ドーム]]で行われた[[北海道日本ハムファイターズ]]対[[福岡ソフトバンクホークス]]18回戦の6時間1分(試合終了は日付変わって翌日5日の0時4分、延長12回9対7でソフトバンクの勝利)が最長記録である。なお、この記録はパ・リーグ最長記録であり、上述の抗議による中断を除けば、歴代2位の試合時間である。<br /> *** 交流戦最長記録は[[2007年]][[6月14日]]の日本ハム対横浜の5時間53分(試合終了は23時53分、延長12回の6-6で引き分け)。<br /> * [[マイナーリーグ]](AAA級)<br /> ** {{by|1981年}}4月18日に[[ポータケット・レッドソックス]]([[ボストン・レッドソックス]]傘下)対[[ロチェスター・レッドウイングス]]([[ボルティモア・オリオールズ]]傘下)の延長33回(延長32回サスペンデッドゲームが宣言され、6月23日に再開され、1イニングで試合終了)。試合時間は8時間25分。<br /> * [[韓国プロ野球]]<br /> ** {{by|2008年}}9月3日の[[ハンファ・イーグルス]]対[[斗山ベアーズ]]の延長18回。試合時間は5時間51分。<br /> * オリンピック<br /> ** [[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロス大会]]3位決定戦のチャイニーズタイペイ対韓国の延長14回。<br /> * 高校硬式野球全国大会<br /> ** [[1933年]][[8月19日]]の[[全国高等学校野球選手権大会|夏の甲子園]]準決勝戦の[[中京大学附属中京高等学校|中京商]]対[[兵庫県立明石高等学校|明石中]]の[[中京商対明石中延長25回|延長25回]]。<br /> * 軟式野球(高校以外)<br /> ** [[1983年]][[9月20日]][[天皇賜杯全日本軟式野球大会|第38回天皇賜杯全国軟式野球大会]]([[茨城県]])決勝戦、田中病院([[宮崎県]])‐[[ライト工業]]([[東京都]])で延長45回。試合時間は8時間19分。&lt;!--結果は2‐1でライト工業の優勝。--&gt;<br /> * 軟式野球(高校)<br /> ** [[2014年]][[8月28日]]~[[8月31日]]第59回[[全国高等学校軟式野球選手権大会]]準決勝戦、[[中京学院大学附属中京高等学校|中京]]([[岐阜県]])‐[[崇徳中学校・高等学校|崇徳]]([[広島県]])で延長50回。なお日程の都合で8月31日までに大会を終了させる必要があり、同日に決勝戦との[[ダブルヘッダー]]となりこの場合は1日18回までに収める規定となっていることから、4日目は9回(通算54回)で打ち切りとし同点の場合は抽選で決勝進出を決めることになっていた。&lt;!--試合時間は-時間--分。結果は3‐0で中京の勝ち。--&gt;<br /> <br /> === ソフトボール ===<br /> *国際ルールで[[ソフトボール]]では7回で同点となった場合、8回から[[タイブレーク]](タイブレーカともいう)の延長戦を行う。仕組みとして、前回の攻撃を完了した最後の選手がランナー2塁においた段階でスタートし、回数・時間制限なしに勝敗が決するまで行う。<br /> <br /> === ラグビー ===<br /> [[ラグビー]]は80分を終えて同点の場合、20分(10分ハーフ)の延長戦を行う。これで決着がつかない場合、以下のような方法が採用される。<br /> *[[サドンデス]]方式の追加延長戦(どちらか一方が先にトライ、ペナルティーゴール、[[ドロップゴール]]などによる得点を挙げた段階で試合終了。上限10分)<br /> *[[キッキング・コンペティション]](トライの後に行われるゴールキックと同様の方式で5人ずつ蹴り勝者を決定)<br /> *引き分けとする<br /> *抽選で勝者を決定する<br /> <br /> === アメリカンフットボール ===<br /> *[[オーバータイム (アメリカンフットボール)]]の項を参照のこと。<br /> <br /> === バスケットボール ===<br /> *「オーバータイム」と言い、ラウンドロビン・ノックアウトいずれの場合でも、決着が付くまで行う。延長戦は5分単位で行われ、5分終えても決着が付かない場合は2分間のインターバルを挟み再延長となり、以降同様に決着が付くまで繰り返される。タイムアウトは5分間につき1回のみ取れる。<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;バスケットボールの延長記録&#039;&#039;&#039;<br /> *[[NBA]]での延長記録は1950-51シーズンの[[インディアナ・ペイサーズ]]対ロチェスター・ロイヤルズ(現[[サクラメント・キングス]])戦での6度が最長。<br /> *[[日本プロバスケットボールリーグ|bjリーグ]]では2008年3月30日の[[高松ファイブアローズ]]対[[大阪エヴェッサ]]がトリプルオーバータイムとなった。<br /> *[[バスケットボール世界選手権|世界選手権]]では[[2006年バスケットボール世界選手権|2006年]]大会のアンゴラvsドイツ戦で大会史上初のトリプルオーバータイムとなった。<br /> <br /> === ハンドボール ===<br /> *[[ハンドボール]]の場合は、60分を終えて同点の場合、5分ハーフの第1延長戦を10分行う。これで決着が付かない場合は同じ5分ハーフの第2延長戦を10分行う。これでも決着が付かない場合は7mスローコンテストを行う。<br /> <br /> === バレーボール ===<br /> ヨーロッパのカップ戦などで採用されている、[[ホームアンドアウェー]]トーナメントである時、第2レグ終了時に1勝1敗で終わったとき、第2レグ終了後に15点先取制(通常の第5セットと同じもの。先に8点目を取ったチームが出たところでコートチェンジ)による延長戦「ゴールデン・セット」を行う。日本では[[Vプレミアリーグ]]2016-17年度の「ファイナル3」「ファイナル」が全試合2試合制になるにあたり、両者1勝1敗で終わったとき、終了後に25点先取(13点目でコートチェンジ)の特別ルールで延長戦を行う&lt;ref&gt;[http://www.vleague.or.jp/news_topics2/article/id=17199 V・ファイナルステージ ファイナル3、ファイナルの方式を変更します!]&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === アイスホッケー ===<br /> *[[アイスホッケー]]の場合、リーグや大会により規定は異なる。詳しくは[[アイスホッケー]]の項を参照のこと。<br /> *[[ナショナルホッケーリーグ|NHL]]や[[アジアリーグアイスホッケー]]では、通常より1名ずつ少ない状態での5分間の[[サドンデス]]による延長戦が行なわれる。<br /> <br /> === 相撲 ===<br /> 相撲には他の競技と違って延長戦という制度は無いが、[[力士]]の疲労を軽減する策として[[水入り]]の制度がある。嘗ては[[立ち合い]]から4分半を経過したあたりから勝負審判の判断で水入りを挟んでいたが、近年は2分半あたりから水入りを挟むことも多い。水入り後に組んだ状態から再開し、再度動きが止まると[[取り直し|二番後取り直し]](残りが一番しかない場合は一番後取り直し)となり、両力士にしばしの休憩を与える形となる。このことから、水入り後の取組再開や二番後取り直し(または一番後取り直し)が他競技での延長戦にあたると考えられる。<br /> <br /> === 柔道 ===<br /> *[[柔道]]は規定の試合時間を終了して決着が付かなかった場合は、同じ時間だけ延長戦を行い、どちらかが先にポイントを取った時点で試合終了となる。これを[[ゴールデンスコア]]方式と呼ぶ。それでもなおポイントが付かなかった場合は判定により優勢勝ちが告げられる。ただし大会によっては引き分けとなる場合もある。<br /> <br /> === レスリング ===<br /> *[[レスリング]]は、これまでは3分ハーフを終えた際にポイントが並んだ場合に延長戦に入っていた。現在はルールが改正され、フリースタイルではピリオド毎に必要に応じて延長する形となっている。<br /> **ピリオド終了後に0-0の場合のみコイントスによって攻撃・防御に分かれて30秒の延長戦となり、先にポイントを取った方が、ポイントが入らなかった場合は防御側がピリオド獲得となる。<br /> **グレコローマンスタイルではルール上0-0で同点になることはないため延長戦が行われることはない。<br /> <br /> === プロレス ===<br /> *時間切れ引き分けの際に「両選手の希望」というかたちで5分程度の延長戦が行われることは昔からよくあった。[[1967年]][[8月14日]]の[[日本プロレス]]での[[ジャイアント馬場]]VS[[ジン・キニスキー]]戦、[[1976年]][[7月17日]]の[[全日本プロレス]]での[[ジャンボ鶴田]]VS[[ビル・ロビンソン]]戦などが有名な例であるが、このパターンの延長戦で決着が付いた例はほとんどない。<br /> *[[1981年]][[9月23日]]に[[新日本プロレス]]で行われた[[アンドレ・ザ・ジャイアント]]VS[[スタン・ハンセン]]の試合は、両者[[リングアウト]]から時間無制限で延長戦という新機軸を編み出した(結果はハンセンの[[反則行為|反則]]勝ち)。この試合がプロレス史に残る名勝負となったこともあり、これ以降両者リングアウトなどの不透明決着に際して「延長コール」が起こるようになった。<br /> *延長戦の失敗例としては、[[1984年]][[6月14日]]、新日本プロレス[[IWGPリーグ戦|IWGP]]優勝戦の[[アントニオ猪木]]VS[[ハルク・ホーガン]]戦で、両者リングアウト→延長戦を二度繰り返したあげくに[[長州力]]の乱入があって猪木のリングアウト勝ちとなり、じらされた末の不透明決着にファンの怒りが爆発し[[暴動]]騒ぎにまでなったことがある。<br /> *[[プロレスリング・ノア]]が管理する[[GHC]]選手権ルールでは、時間切れ以外の引き分けや無効試合の場合、即日再試合と称した延長戦が行われる。<br /> *[[JWP女子プロレス]]のトーナメント戦ではフォール時のカウントを2に短縮する「ツーカウントフォール」方式の延長戦を採用する場合がある。<br /> <br /> === 格闘技 ===<br /> *K-1や[[J-NETWORK]]のトーナメント戦などでは規定ラウンド終了後の[[判定]]でもドローとなった場合、エクストラ・ラウンドを1Rないし2R行う。延長ラウンドではラウンド・マスト・システムにより、両者が互角だった場合でも厳正に判定され必ずポイント差が付く。<br /> *[[ボクシング|プロボクシング]]では4回戦トーナメント「[[レイジングバトル|Raging・Battle]]」決勝戦で採用。2010年からは[[全日本新人王決定戦]]決勝戦でも採用。<br /> <br /> === カーリング ===<br /> * [[カーリング]]は10エンドを終えて同点の場合、エクストラ・エンドが行われる。エクストラ・エンドでも0-0の場合はさらに次のエンドが行われる。<br /> <br /> === バドミントン ===<br /> *[[バドミントン]]は15点の簡易ゲームではない、21点のゲームの20点で同点の場合に行われる。2点差になるまで続けるが、30点が上限で29-29になった場合は先に30点目を取った方が勝ちとなる。<br /> === 水球 ===<br /> *水球では2ピリオドの延長戦とペナルティースロー合戦が採用されていたが、2014年度より延長戦が廃止された。<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[引き分け]]<br /> * [[タイブレーク]]<br /> * [[サドンデス]]<br /> * [[サヨナラゲーム]]<br /> * [[プレーオフ]]<br /> * [[提訴試合]]<br /> * [[放棄試合]]<br /> * [[コールドゲーム]]<br /> * [[サスペンデッドゲーム]]<br /> * [[ダブルヘッダー]]<br /> * [[再試合]]<br /> * [[ゴールデンゴール]]・[[シルバーゴール]]<br /> * [[PK戦]]<br /> * [[水入り]]<br /> *[[優勝決定戦 (相撲)]]<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 出典・外部リンク ==<br /> * [http://www.koreabaseball.com/FILE/ebook/pdf/2013record.pdf 韓国プロ野球の2013年版のレコードブック]<br /> <br /> {{野球}}<br /> {{Sports-stub}}<br /> {{DEFAULTSORT:えんちようせん}}<br /> [[Category:スポーツのルール]]</div> 119.106.10.29
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